>礼文島縄文人骨のY-DNAはD1a2a2a(D-CTS220)でアイヌとは違い、日本人のものだった。アイヌはD1a2a*、D1a2a1aで全く別のY-DNAだ。
Y-DNA D1a2a2a は日本人からは見つかっていないよ。
アイヌのDNA解析は昔のなので細部は信頼できないだけだよ。
北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800〜3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体ハプログループがD1a2a2a(D-CTS220)であることが判明した[16]。これにより「ハプログループD1a2aは縄文系である」という従来よりの仮説に一つ近づいたが、検証したのは長い縄文時代の中期のたった一人である為、時代、地域共に広範囲での多数の検証が期待される。
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現代日本人のYHg- D1bのうちかなりの割合が、弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した、朝鮮人集団や漢人集団と近縁な系統の農耕民もしくは特定の技術集団に由来する、ということです(関連記事)。現在、朝鮮人集団や漢人集団にはYHg- D1bがほとんど見られませんが、これは南北朝時代や五代十国時代なども含めてユーラシア東部における青銅器時代以降の人類集団の移動の結果で、かつてはアジア東部にも広範にYHg- D1bが存在したのではないか、というわけです。この仮説の検証は、ユーラシア東部における古代DNA研究の進展を俟つしかありませんが、傍証として、縄文人のYHg- D1bでは、最近までYHg-D1b2aしか確認されておらず(関連記事)、最近公表された船泊縄文人もYHg- D1b2bだったことが挙げられます。しかし、現代日本人のYHg- D1b のうち、多数派はYHg- D1b 1です。YHg- D1bにおける合着年代は19400年前頃と推定されており(関連記事)、アジア東部でYHg-D1b1とYHg-D1b2が分岐し、日本列島へは、末期更新世までにYHg-D1b2系統が、弥生時代以降にYHg- D1b2bが拡散した、とも考えられます。もちろん、まだ西日本の縄文人のYHgは明らかになっていないので、それがYHg-D1b1で、YHg-D1bの分岐は後期更新世に日本列島で起きた可能性も考えられます。やはり、この仮説の妥当性も古代DNA研究の進展を俟つしかありません。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_32.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/216.html