1. 2020年7月24日 00:00:43 : SkeT9pu2qA : SHE0WDJmb0l0NHc=[5]
コロナ対応は、国それぞれ違って当たり前
http://www.asyura2.com/20/kokusai29/msg/161.html#c1
6. panbet37[2889] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2020年7月24日 00:00:53 : 6J7XudsF6g : SWhiVG1scjVucXc=[518]
安倍晋三君、いい加減くたばってくれよ。お前が一日生きれば、日本と日本人は一日悲惨な目に会うのだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/425.html#c6
26. 2020年7月24日 00:07:48 : iwAujJtOFE : ZGZXRTcuMFlZQXM=[869]
森の顔を見ていたらなるほどと思った。
この人は今83歳。来年あの世に行くかもしれない。
もう切羽詰っているのだ。すぐやらなければ
自分の夢(東京五輪を2回見ること)は
叶えられなくなると悟ったのだろう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/428.html#c26
5. 赤かぶ[88985] kNSCqYLU 2020年7月24日 00:12:23 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18828]
羽鳥慎一モーニングショー 2020年7月23日
※1:09:15〜 そもそも総研 再生開始位置設定済み
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c5
6. 根岸兎角[190] jaqK3ZNlinA 2020年7月24日 00:13:21 : fNP3M7aSwU : UXIzTVRmMGEzZ0k=[418]
わしもこれはリアルで見ていた。
だが、この理由はこじつけだとすぐにわかった。
玉川が忖度した感じもある。
いくら何でも、擬陽性(本当は陽性でない場合)者の隔離その他が人権侵害に当たることを厚労技官が恐れるとは、あり得ない。断言する。
体のいい誤魔化しだ。忍法水鏡(伊賀の影丸の由比正雪方忍者・霧雨鏡月の術)のように、あらぬ方へ囮の幻影を散りばめるやり方だ。
玉川も寝覚めが良くないだろうと思う。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c6
28. 2020年7月24日 00:17:01 : vg6gvxEo9I : ektSaDF1SGhsY2M=[374]
・
統一教会は「キリスト教を破門された」カルト宗教である。
モルモン教も「キリスト教を破門された」カルト宗教である。
https://www.youtube.com/watch?v=UeTWmt6yYNY
https://hbol.jp/186498
https://ameblo.jp/sunamerio/entry-11408377571.html
===================
統一教会は文鮮明に特別な霊が下り賜物(カリスマ)を受けると
素晴らしく変わる・・・という悪魔の教えです。
一部のキリスト教会でも聖霊に満たされると素晴らしく変えられる
という、殆どデマを吹聴したり妄信したりする危険なところがあり
ます。
「主からエレミヤに、次のようなことばがありました。 「さあ、
器を作っている者の家に行きなさい。そこで、おまえに話そう。」
言われたとおりにすると、陶器師はろくろを回している最中でした。
ところが、彼は手がけていたつぼが気に入らなかったので、それを
つぶして粘土のかたまりに戻し、初めからやり直しました。」
エレミヤ書18:1〜
「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、
ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。」
IIテモテ書2:20〜
つまり、一度ダメに出来上がったものは、そのままでは一生が駄目な
ままで、叩き壊して一から練り直さない限りは、まともになれない。
それどころか悪魔に【 卑しいこと 】に利用されるだけだと書いてま
す。
ダメ人間に育って王になったソロモン王は生涯を通して変態の問題児
だったことが
「王は外国の女たちと結婚したのです。 その数、妻が七百人、そばめが
三百人で・・・」 I列王記11:2〜
に記されてます。
【 一度ダメに育った奴はどんなに賜物を注がれても死ぬまで駄目だ 】
という証です。
映画で有名なモーセ(十戒)は、40歳でも稚拙でダメ人間だったので、
荒野で40年間を掛けて鍛え直してしっかりした指導者になりました。
ソロモン王はモーセの様に徹底した訓練を全く受けない
【“世襲の甘ちゃん”】
だったので、女遊びや占い呪いに耽るだけの悪魔の僕でした。
=====================
文鮮明然り。
ジョセフスミス然り。
問題を起こす指導者は、内面が育ってない、脳の障害で教養が歪んでる、
社会でもまれて内面が育っていない・・・ので、キリスト教会から破門
されるも、悪魔の道具(卑しいこと)にのみ用いられたわけです。
=======================
「内面の成長」も「最低レベルの知能」と「正常な知能」=発達障害じゃない
も備わっている“器”、ある程度は完成されている“器” ではないと、
死ぬまで駄目なままだ終わります。棄民党や厄人=越後屋と悪代官。
========================
「あなたがたは先生と呼ばれてはいけません」マタイ23:8 という聖書箇所
は、先生と言う言葉の使用禁止令ではなく、先生と呼ばれていい気になって勘
違いすると、
【 稚拙で、世間知らずで、頭の悪いダメ人間、にしかなれない!】
ので、先生と呼ばれる立場の人間は十分に注意しなさい!!と警告してます。
=========================
年齢が30歳なら、15〜20年間を掛けて
「手がけていたつぼが気に入らなかったので、それを
つぶして粘土のかたまりに戻し、初めからやり直しました。」
と鍛え直すことは可能ですが、ある年齢になったら、殆ど成長できません。
だから、ダメな奴は、死ぬまで一生涯、ダメなままです。
ただ、自分はダメだ!と悟って、身を低くして、相応しくない立場から降りて
スリッパ磨きでも始めれば、未だ、救いようがありますね。
========================
立教大学=聖・パウロ大学
パウロと言う人も、30歳ごろではダメ人間だったので、無名時代の厳しい
鍛錬を十数年間も受け、徹底的に砕かれて、つくり直されて、初めて一人前
の器に成長しました。
キリスト教でもし、聖霊に満たされよ! の馬鹿の一つ覚えに遭遇したら、
カルトかもしれないので、逃げ出したらいいですね。
====================
アヘン王子と一味は、ツボ売りカルトな訳です。
こういうことしかできない連中ですね。死ぬまで治らない。
1000人の女に手を付けた変態で、占い呪いの、ソロモンと同じ。
・・・・・・・・・・・・・・
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c28
29. 2020年7月24日 00:18:06 : iwAujJtOFE : ZGZXRTcuMFlZQXM=[870]
こういう時にこそ小池都知事がきっぱりとけじめを付けさせるべきでは。
今までさんざんこだわって言っていたことだ。
「夜の街には行かないでください。」
都民の見本となるべき人たちに言えば説得力がある。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c29
30. 2020年7月24日 00:19:20 : A3hd0bynnI : MFZad3lUaWpzb2s=[22]
潰瘍性の大腸炎なのにまだ牛肉を食べたり、可哀そうな人だ。
仕事で仕方ないのだろうけど、良くない。前も牛丼を食べてる写真が載っていた。
カネはあるけど、あんまり恵まれていないんだな.....
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c30
31. 2020年7月24日 00:23:46 : 34X8SxSMb6 : V0hHdlFOdjRBZHM=[-281]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。
似非宗教で 日本人を分断して 管理する体制。
朝鮮人と繋がらせる為の工作の一環。
集団ストーカーについて知っている事を教える。 28で 必死に被害者が
悪いとする投稿。
洗脳しても 無駄。
創価繋がりの警察官と学会員が仕組んだら でっち上げなど簡単に出来る。
昔あった 保険金殺人なども。
被害届を警察に言って話しても 取り合ってくれませんでした。
大阪市 平野署。
却って こちらが悪い様に取られました
書類をゴミに出したら 中身を見られるので 焼いていたら 集団で警察を呼んで
精神がおかしいと言って 保健所の人間を呼んで 一晩隔離。
引っ越して これを書き出してから 警察は手を出せなくなりました。
今迄 泣き寝入りが多かったのでしょう。
こうやって仏の人も創価に入れられたりしていたのでしょう。
自分達の都合の悪い日本人には こういう手で言論弾圧や社会的に抹殺する遣り方が
日本にはあるという事です。
人権で守られている人達は、 外国人や特権を持った日本人と何処かに所属
している人です。
日本の民主主義は 嘘八百。
そういう訳で、、行政や警察が何時も正しいとは 考えなくなりました。
上記の公の人間があちらや 特権を持った人間が殆どなのを知らない人達は
自分達の地域のそういう人達を 確認しに行ったら 如何でしょう?
大阪や川崎だけでは ありませんよ。
5. 2020年7月24日 00:26:06 : EB8pRrgD0s : NjVtbFVWQS56OW8=[64]
盛り上がらんな。 誰も期待してないから。
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/595.html#c5
27. 2020年7月24日 00:27:48 : kgfyXjwvg2 : S0VDWmZRRlI2Y3c=[55]
安倍は処刑あるのみ
首相経験者で処刑された東條英機や広田弘毅ですらマシに見えるほどの悪党
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/415.html#c27
43. 前河[4825] kU@JzQ 2020年7月24日 00:28:15 : JXpnDsJ78s : ajVaOFNHTmFtdlE=[115]
>真相の道は平井だと思う
が面白い。(笑)短文大賞。
まあ、実際は違う人間だろうがタイプ的にはそっくりという。
見え透いた詭弁で、スッポとぼけながら話す(書く)という点はクリソツ。(笑)
とぼけてる悪質キャラね。
6. 2020年7月24日 00:34:33 : 8wueEQ4oWE : S2Q5bDFTL3U5OTI=[294]
7月22日現在の
PCR検査実施総数 一日の実施任数
日本: 617.619 13,084
米国: 51,680,022 70万人以上 PCR検査は5〜15分で正確な結果がでるそうです。
6. 2020年7月24日 00:36:07 : ZETrc2ZLT2 : d0JRSlZocDZxV0k=[2]
>米国の対中対決姿勢は本物だ
中国の報道官が指摘するように、単なるトランプの再選戦略にすぎないでしょう。
へたに、米国に付き合ってトランプが再選されなかったら、米国の新政権からも中国からものけ者にされるのは必定。
たとえ、トランプが再選されたとしても、3選はないのだから、案外大幅な政策見直しをして、中国とうまく妥協したりするかもしれない。下手にトランプの提灯持ちしても、選挙終わったらさっさと切り捨てられるかも。
17. 2020年7月24日 00:38:35 : 58xAOgfnAk : NmtISmVXUkhmdlk=[652]
16ですが、三菱自動車の続き。パジェロ、デリカD:5、アウトランダーを製造している、岐阜県坂祝町のパジェロ製造の工場を閉鎖するそうです。1982年以来、ジープに替わる四輪駆動クロスカントリー車として君臨してきたパジェロですが、2019年で日本国内向けの製造を終了して、現在は輸出向けだけです。
しかし、その輸出向けが売れていない。この分野はトヨタ・ランドクルーザーの一人勝ちです。かつてパリ・ダカールラリーで優勝し、国際的にも名声は確立されてきましたが、砂漠で高速走行するために四輪独立サスペンションとモノコック一体構造に変えた。これがランドクルーザーに敗北する原因となったのです。
このジャンルの自動車は、不整地を確実に走破できなくてはならない。そのため、ラダー型フレームを持ち、サスペンションはできれば四輪固定軸が望ましい。最近のランドクルーザーは前輪独立式ですが、オーストラリア向けは105型と言って、前輪固定軸の製品が輸出されています。それと国連平和維持軍向けと。
それ以外のランドクルーザーは、前輪は独立式。ただし、車高調整装置を採用しています。後輪は現在でも固定軸。
★パジェロに話を戻しますと、次期新型車の開発も中止され、坂祝工場閉鎖と共に製造中止になるようです。どんどん車種が減る三菱自動車。自動車評論家の国沢光宏氏は、これらの動きを「三菱自動車の清算」だと推測しています。
自動車評論家 国沢光宏
三菱自動車の清算始まる? 岐阜のパジェロ製造閉鎖らしい
2020年7月23日 [最新情報]
https://kunisawa.net/car/car_latest-information/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%81%AE%E6%B8%85%E7%AE%97%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%EF%BC%9F%E3%80%80%E5%B2%90%E9%98%9C%E3%81%AE%E3%83%91%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E8%A3%BD%E9%80%A0/
★現在の三菱自動車は、トラック・バスと別会社になっている。トラック・バスは、ドイツのダイムラーが約9割の株式を所有している。つまり、看板だけ三菱。製品は、メルセデスそのもの。日本ではなかなか定着しないが、会社名はダイムラーで、ブランド名はメルセデスです。創業者ゴットリープ・ダイムラーの娘の名前です。
よく日本ではベンツと言うが、ゴットリープ・ダイムラーの会社とカール・ベンツの会社は1926年に合併している。実際は破産状態のベンツを救済合併したのです。だから、消滅したブランドを誰も使用しない。世界中、メルセデスで通っています。
三菱自動車に話を戻しますが、収益源のトラック・バス部門を失った時点で、いずれこうなることは明らかであった。リコール隠しとタイヤ吹き飛び事件でブランドの権威は失墜。リアエンジンの軽自動車アイを出したものの、リアエンジン特有の雪道、凍結路の危険な操縦性は、顧客離れを誘発した。
アイの車体を使って電気自動車を出したものの、走行距離は絶望的に短く、バッテリーの充電容量も夏冬で差があり、加えて冷暖房能力の欠如で問題続出。電磁波問題も隠ぺいされていますが、こちらも深刻です。(なぜかデータが出てこない。)
★新型車としては、小型車のミラージュが復活したが、昔のミラージュと違い、最底辺のベーシックカーです。日本では軽自動車に位置する車種ですが、税金が高い日本では全く相手にされず販売は失速。セダンのアトラージュも日本では販売されず。
新興国で人気のSUVばかり次々と開発するものの、日本国内の需要と合っていないため、全然売れず。開発資金の欠如から、海外で売れているSUVに絞ったら、日本国内の市場を失ってしまった。これは軽自動車でもそうで、ミニカもなくなりました。
ミニキャブはスズキから調達する始末。製造車種の削減で、三菱自動車の工場稼働率は低下。海外でよく売れているSUVのパジェロ・スポーツと、UTEのトライトンはタイで製造している。つまり、日本で製造する意味を失いつつあるのです。
これはうちの推測ですが、国沢さんと同じく三菱財閥は三菱自動車の清算を考えているのは間違いない。そのため、かつて日本国内で乗用車を製造していた、いすゞ自動車の前例を参考にしていると思われます。
(註 UTEは、オーストラリアでピックアップトラックのこと。)
いすゞ自動車は日本国内ではトラックを製造していますが、タイではSUVとUTEを製造している。ちゃんと前例があるのです。
三菱財閥は経営不振に陥っている。三菱重工は、客船事業の巨額の欠損で造船部門の過剰能力に苦しみ、加えて旅客機開発が難航して、生産に移るどころか、こちらも清算の可能性が高まっている。これらの事業で膨大な赤字を出し、三菱重工の存続も危うくなりつつある。もはや三菱自動車にかまっているどころではありません。
★三菱商事から三菱自動車に送り込まれた益子社長・会長ですが、依然として経営者に居座っています。これ、今までの例から見ておかしい。あれだけ経営に失敗し続けたのだから、今までの例から見れば役員会で解任される筈ですが。
この謎について、これは推測ですが、三菱財閥から「三菱自動車の清算」を申し渡されているのではないかと。だから、最後まで責任を持てよと言うことでしょうか。だから、やめさせてくれないのです。
うちに言わせると、自動車メーカーの首脳に、自動車の免許すらない人物を送り込んでくるのですから、自動車好きの心情たるものを理解できない益子社長では、いずれ行き詰まることは予想できました。自動車の運転すらできないようでは、電気自動車の欠陥を見抜くことはできない。
トヨタ自動車は、電気自動車の三菱アイ・ミーブが発売されると、いち早く購入して長期テストしています。そして、これは使い物にならないと結論を出している。トヨタ博物館に展示しているのは、長期テスト終了後の個体です。
日産自動車が筆頭株主となった三菱自動車ですが、元々はトヨタ自動車とつながりがあり、かつて経営危機になった時も多くの社員が移籍しています。多分、舞台裏でトヨタグループと話し合いが行われているはず。うちの遠い親戚が三菱自動車でしたが、出てくるのはトヨタの話題ばかりでした。そう言えば、いすゞの乗用車も、トヨタ系のアイシンの自動変速機を購入していましたね。
暗い話ばかりですが、三菱自動車の日本国内のディーラーは次々と閉鎖されつつあります。新型車の開発も次々中止になっているらしいので、研究開発部門も余っている。前回の経営危機の時と同じように、トヨタと移籍の話を進めているでしょう。
日本国内の製造拠点は、これで愛知県の岡崎と、岡山県の水島だけになりますが、岡崎はトヨタの本拠地三河地方なので、そちらに組み込まれるかな ? しかし、トヨタも余剰生産能力を削減中です。やっぱり閉鎖かな。
水島は分かりません。日産が継承すると言う説もあるが、その日産が深刻な販売不振から、自らの工場を閉鎖しなければならない状況下で、買い取ると言うことは考えられない。軽自動車を製造しているものの、現在の設備はかなり余ってます。
その水島で製造している電気自動車のアイ・ミーブは受注停止らしく、どうやら生産終了の予想。後継車として軽の電気自動車と言う話も、進展が聞こえてこないところを見ると、どうも登場する可能性はなさそう。日産は、新型電気自動車アリアを出す予定ですが、価格は500万円以上からスタートのようです。
充電容量が65kwと90kwの二種類ですが、現在の充電設備では時間がかかるのと、あと高容量の電気自動車が、世界各地で爆発、炎上していることが問題。テスラの火事は多いし、BMW、アウディ、ヒュンダイの電気自動車も次々と燃えています。日産までこうなったら、経営危機はさらに深刻化して日産そのものが会社清算に追い込まれかねない。
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/537.html#c17
66. 投稿のあんちゃん[699] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2020年7月24日 00:39:30 : ec5C2vDjSU : blZtalNOcWhTRmc=[341]
>66 の図を見ると、「ド田舎」と言われてもいいような県ほど感染者の発生が少ない(0になっている)。
これはその県の医療(検査)体制が出来上がっていないが故の結果なのか。
あるいはその県の努力の結果なのか。0が続いている岩手県はいったい何なのであろうか。
それはそれとして本日の集計は今まで感染者が少なく、ここ1カ月の間、感染発生がほとんど出なかった県でも突然、首をそろえたかのように感染者が出てきたという不思議な現象のように思える。
東京あたりの感染者が出張販売(感染拡大)の役割を果たしたということであろうか。
あるいは「ちゃんと検査したら、やはり感染者がいました。」ということなのか。
県によっては感染者数を隠していたりするということはないのだろうか。
30. 2020年7月24日 00:39:40 : bXmVfv00yI : amFUeGpyTFBaR28=[1]
マスコミは、死者数が増えてないことや、PCR検査をやみくもに実施することには意味がないことを、なぜ報道しないんだ!
そのことの意味が理解できないバカぞろいなのか?
正しく掘り下げて報道しないのは、不安を煽る事が目的なのか!?
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c30
67. 投稿のあんちゃん[700] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2020年7月24日 00:41:49 : ec5C2vDjSU : blZtalNOcWhTRmc=[342]
訂正:>66→65
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/426.html#c67
13. 2020年7月24日 00:49:13 : bXmVfv00yI : amFUeGpyTFBaR28=[2]
ほぼ半年で死亡者数1000人。インフルエンザによる死亡者数は例年3000人以上!
いたずらに怖がることはない。
手洗いと換気に努め、積極的に良い睡眠と食と運動の習慣を実行すれば良い。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c13
14. 根岸兎角[191] jaqK3ZNlinA 2020年7月24日 00:49:31 : fNP3M7aSwU : UXIzTVRmMGEzZ0k=[419]
>>6、11
のような単発者(もの)が(同一人物だろう)臭い屁を一発吹いて軽やかに去って行く。二度と戻って来ないのでその意図は明らかだ。
さてアビガンが効かなかったとの記事。大変気の毒に思う。
アビガンはRNAウイルスの増殖を阻害する薬理作用を発揮する。それだけの薬だ。
冒された肺炎そのものを回復させる能力はない。
これらのスピードの勝負だろうと思う。記事では気の毒な犠牲者は80歳代の高齢者。残念ながら戦いに敗れたのだろう。
>>12
>しかし、アビガン信者は検査を増やせとは絶対言わない。
これはわしの認識とは全く異なる。どういうことでこのような思いを持つようになったか、聞かせて欲しいものだ。
話は全く異なるが、新型コロナを軽視する論拠としてよく使われるのが、次だ。
「毎年のインフルエンザでも、関連死を含めると1万人オーダーの死者が出ている、しかるに、新型コロナはようやく1000人を超えたばかりではないか、少しも怖いものではない」
という趣旨で語られる。
だが、これもペテン論法だ。インフルエンザの感染者は1000万人以上の規模に達する。
もし新型コロナで1000万人感染したとすれば、何人の使者が見込まれるか?
現在感染者は3万人弱で死者1000人だから(信用するとして)、1000万人感染だと死者は33万3千人となる。
スペイン風邪は恐怖だとみんな思うだろう。そのスペイン風邪での国内の被害は、感染者数2300万、死者数38万人ぐらいらしい。
新型コロナで2300万人が感染するとすれば、計算上、死者は77万人となる。
つまり、あの歴史的脅威のスペイン風邪を大きく超える被害が出る可能性さえある。つまり新型コロナは脅威なのだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c14
7. 2020年7月24日 00:54:14 : oE32ngKex6 : ajI5S2pLQWk3OGc=[1]
観ていたが、ガッカリな内容。
今回は玉川が役人論理に完全に丸め込まれてしまった。
少し考えたら、こんなの役人側が自分達の立場を守るための
危機管理であり組織論であり保身であり、連中が国民を守るための
立場には無いことぐらい直ぐに分かる。
ハンセン病の事例を持ち出して、それをコロナと結びつけ
何もしない自分達のスタンスをアクロバティックに弁明しているだけだ。
コロナ禍でも、国民を命を守るという公務員本来の観点からすれば、
「人権」を逆手に消極的対応をするのではなく、
人権をきめ細やかに守った上で積極的対応が求められるのだ。
コロナを指定感染症にしたのは役人政府自身であり、
指定感染症は、通常は隔離措置がとられる。
コロナは違うというなら、指定感染症にした矛盾があるわけだ。
しかも、人生丸ごと社会から隔絶されたハンセン病の人々と、
数日間だけ隔離を要請されるコロナを同列に扱うのは話を飛躍させ過ぎている。
検査の拡充もせず、エビデンスを国民側に提示しないまま、
漠然とした個人個人のヤマカンでコロナに自己責任で立ち向かえという
アベ役人政府の精紳論では、この危機は乗り越えられない。
これでは税金で飯を食っていても、何もしてないのと同じで、
こんな役人政府の連中が徴税・増税してるから本当に腹が立つ。
そもそも、
アベ役人政府の連中は不正を追いつめられると「私にだって人権はある」と、
人権を楯にするが、
為政者権力の側が「人権」を持ち出す時は、決まって自分達にとって都合が悪い時だ。
今回だって、
コロナ対応で積極的に頑張っても、落ち度があれば色々言われるから、
それなら自分達の食い扶持だけ確保して(=税金だけ分捕っておいて)、
あとは何もしない方が得だという脳ミソで動いている。
6. 2020年7月24日 00:58:57 : iwAujJtOFE : ZGZXRTcuMFlZQXM=[871]
アベノマスクということあって安倍さんは自分で使ってアピールしているが、
スダレハゲ菅とか加藤勝信とかさんざん国民に使うよう強要しておいて
自分では一切使用しようとしない。本当に腹の立つ奴だよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/430.html#c6
7. 2020年7月24日 00:59:08 : bXmVfv00yI : amFUeGpyTFBaR28=[3]
そもそも、空気中からの感染はほとんどの場合無く、手を介しての感染が圧倒的に多いのです。
N95マスクをつけて日常生活を送ることは、息苦しくてとてもできません。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/430.html#c7
7. 2020年7月24日 01:01:32 : XUVh31plBA : b1IvWjVvMnl2aG8=[164]
まもなく中国経済が中国が崩壊する、アメリカにつぶされる。とかのことを何十回、何百回、何千回聞いた。しかしその予想はいっこうに実現しない。
それでも今日もそんな記事はあの産経新聞、夕刊フジに書いてある。虎ノ門ニュースやWillも同じ、全編そんな調子。しかし。
彼らには検証という概念がないのだろうか。それとも願望を信じる信者なのか。アホなのか。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/433.html#c7
15. TondaMonta[2248] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年7月24日 01:03:24 : WjQvd8uLJg : ZFFtWlNKNDA1Umc=[4]
NO.10の命さん。
コロナは夏でも流行るがインフルは流行らないでしょう。味噌も糞も一緒にしてはアカンですな。
ワタチなんぞ冬が来れば春が来る。春が来れば夏が来て、夏が来れば秋が来る。秋が来れば冬の華。毎年インフレにかかってきたが,かろうじて生き永らえている。コロナに掛かったら南無阿弥陀仏。違いは大きいですぞ。
まあああ、フィボナッチおばさんは次の数字は605だと予想してマンな。何度か行ったり来たりしてその数字なるでしょう。もし何も手が打たれなければ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c15
35. 2020年7月24日 01:05:08 : lTfDxNVkMQ : ajlENzdJS0N1NzY=[1]
批判覚悟で書かせてもらう。キャバクラやホストクラブ自体は廃止するべきではない。はけ口を求める場所は必要だ。性を前に出す産業は必然悪なんだ。この産業を一掃すれば間違いなく異性トラブルや不倫が激増しますぞ。偉そうに潰せ潰せと叫んでいる奴はさぞかし聖人君子だろう。生まれてから一度もこの産業を利用したことがないんだろう。
ただし、これを機に夜の街は変わって欲しい。まず反社に利用されないこと、ギトギトしい雰囲気やシステムを徹底的に改めること、従業員も派手な装いでなく一般人に近い装いにする、
いわば異性を受け持つカウンセラーみたいな存在になってほしい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/419.html#c35
31. 赤かぶ[88986] kNSCqYLU 2020年7月24日 01:10:00 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18829]
7月23日の感染者数。
— 但馬問屋 (@wanpakuten) July 23, 2020
東京では過去最多の366人、
国内でも過去最多の981人。
安倍首相は今日もお休み。
野党の閉会中審査の出席要求も拒否し、1か月以上、記者会見も行なっていない。
4日前(19日)にも丸一日休んでいたのにね。
もう総理大臣、いらないね😩 pic.twitter.com/Jfp7laHC9R
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c31
8. 生一本[48] kLaI6pZ7 2020年7月24日 01:11:25 : OeHGISpk1o : SGwzRGExY2VoWm8=[21]
「擬陽性者の隔離」という人権侵害を恐れて、検査をせずに何人もの命を奪ったということか。役人の詭弁もいいところ。
玉川氏は、東京財団の小林慶一郎を信用し過ぎ。
笹川良一や笹川陽平が関係している東京財団・日本財団に属する人間が役人と本気で闘うはずがないではないか。
玉川氏らしくもない。
32. TondaMonta[2249] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年7月24日 01:17:11 : WjQvd8uLJg : ZFFtWlNKNDA1Umc=[5]
何のかんの言ってもコロナ感染者数は増加関数。小池都知事の不作為によって感染者数と死亡者数が増えたぞなもし。辞任すべし。何人殺すつもりだあああああ。
フィボナッチおばさんの予想によれば、
6月24日の55人から140人、そして230人に増えたわな。296人は統計詐欺。本当は377人になるはずだった。まあしかし隠しきれず、366人。お池にハマってさあ大変。早野透も佐高信も平野貞夫も老爺爺爺ジジジだわな。殺す気かい。コイケよ、都知事よ。今度は605人だ。驚くな。麺玉ひん剥いてよく見や上がれ。れいわの座間宮はざまあみやがれい。
しかし岩手県はよう「0」を維持しちょるの。赤米を食べているからか。それとも家が曲がっているからか。ああっ、しもうた。ウナギ食べるのを忘れとった。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c32
68. 赤かぶ[88987] kNSCqYLU 2020年7月24日 01:20:26 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18830]
東京都 新たに366人感染確認 300人以上は初 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200723/k10012529731000.html
2020年7月23日 23時39分 NHK
東京都は、23日、都内で新たに366人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表しました。都内で一日の感染の確認が300人以上となるのは初めてです。
東京都は23日、都内で新たに10歳未満から90代までの男女合わせて366人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表しました。都内で一日の感染の確認が300人以上となるのは初めてで、これまでで最も多かった今月17日の293人を73人上回りました。また、100人以上となるのは15日連続です。
23日は、90代までのすべての年代で、22日より感染が確認された人が増えています。
▽10歳未満は9人で1人増加、
▽10代は15人で6人増加、
▽20代は139人で53人増加、
▽30代は93人で35人増加、
▽40代は51人で20人増加、
▽50代は23人で3人増加、
▽60代は15人で1人増加、
▽70代は15人で5人増加、
▽80代は5人で3人増加しました。
▽90代は、22日はいませんでしたが、23日は1人の感染が確認されました。
366人のうち、
▽20代と30代は合わせて232人で、全体のおよそ63%を占め、
▽40代と50代は合わせて74人で、全体のおよそ20%となっています。
また、366人のうち、
▽およそ39%に当たる141人はこれまでに感染が確認された人の濃厚接触者で、
▽およそ61%に当たる残りの225人は、これまでのところ感染経路がわかっていないということです。
濃厚接触者のなかで、
▽最も多いのがホストクラブなど夜間に営業する接待を伴う飲食店での感染で40人、
▽次いで家庭内での感染が34人、
▽会食での感染が23人、
▽職場内や同僚からの感染が14人などとなっています。
接待を伴う飲食店の関係者は、感染経路が分からない7人を含めると47人です。これで都内で感染が確認されたのは合わせて1万420人になりました。
一方、23日死亡が確認された人はいませんでした。
入院48人増 重症は3人増
都内で23日までに感染が確認された1万420人のうち、入院中の人は22日より48人増えて964人です。
このうち重症の人は21人で、22日から3人増えました。
また、自宅で療養している人は22日より26人減って392人です。
さらに、都が用意した3つのホテルで療養している軽症や無症状の人は、22日より12人増えて168人です。この3つのホテルで合わせて480人程度の受け入れ能力があり、都は、今月中にホテルや施設をさらに3つ確保する方針です。
また、入院するのかホテルや自宅で療養するのか調整中の人は717人で22日より247人増えました。
一方、すでに退院した人や自宅などでの療養が終わった人は7852人です。
西村経済再生相「危機感を強めている」
西村経済再生担当大臣は記者会見で、「危機感を強めている。特に経路が不明な人の割合、60代以上の人の割合をしっかり見ていかなければならない。医療提供体制はひっ迫している状況ではないが入院者が増える可能性もあるので、東京都には病床の確保を急いでもらいたいし、国でもいざという時に備えて準備を進めたい」と述べました。
そして「とにかく感染防止策と経済社会活動との両立が大事で、そのためには徹底した感染防止策が大前提で、それが新たな日常だ。昔の日常に戻っては感染は広がる。飲食店には新たな日常作っていく主役として取り組んでもらえればと思う。取り組まずに感染が広がっているのは本当に残念だ」と述べました。
また、西村経済再生担当大臣は「体調の悪いかたは当然、旅行も控えてもらいたいが、外出する際には感染防止策を徹底してもらうことが何よりも大事だ。感染防止と社会経済活動とを両立していくので、人との接触は当然あるが、個人個人が対策を講じたうえで外出してもらいたい。それができないなら、外出を控えてもらいたい」と呼びかけました。
東京の入院患者 7月に入り3倍増
東京都では感染の再拡大に伴って入院患者の数も増え続けています。
都の発表によりますと新型コロナウイルスの入院患者は、22日の時点で916人となりました。
都は2400床のベッドを確保しているとしていて、数字の上ではまだ半数以上が空いていることになります。
しかし患者の数は1週間前と比べて195人多く、1.27倍に増加し、今月1日と比べると636人多く、3.27倍に増えています。
また、重症の患者は23日の時点で21人と、1週間前より14人増え、3倍となっています。
22日開かれた東京都の会議では現場の医療関係者から、「東京の医療がひっ迫していないというのは誤りだ」という指摘が出ています。
入院患者の増加は東京だけでなく、全国でも起きています。厚生労働省のまとめによりますと、全国の新型コロナウイルスの入院患者は今月1日には696人だったのに対し、今月15日は1717人と2.5倍に増えています。
確保しているベッド数は1万9496床と、こちらも数字のうえではひっ迫した状況にはなっていませんが、患者の増加が続いていることで医療現場の警戒感は高まっています。
専門家「重症者対応の準備を」
政府の分科会のメンバーで日本感染症学会の理事長を務める東邦大学の舘田一博教授は、「4連休の初日にこのような数字が出てきて少し驚いている。接待を伴う飲食以外に普通の飲み会や、仲間どうしの会食などでも感染が広がっていて、これは市中感染が起きていることを示す非常に注意しなければならないサインだと考えている」と話していました。
そのうえで「今は多くが軽症だとしても、これだけ毎日、新たな感染者が出てくると全体としては感染者の数が多くなるため、医療機関でもベッドが足りなくなる状況が見えてきている。また、重症者の数も増えてきているのですぐにも病床を確保して重症者に対する受け入れ態勢を整えていかなければならない」と指摘しました。
また、重症者への対応では人工呼吸器やECMOと呼ばれる人工心肺装置が重要だとして、「第1波の経験をもとに、重症者が増えた場合に速やかに人工呼吸器やECMOなどを使うことができるよう医療機関どうしの連携など備えることが必要だ」と話していました。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/426.html#c68
33. 赤かぶ[88988] kNSCqYLU 2020年7月24日 01:34:01 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18831]
【国内感染】23日の感染確認981人 1日で最多(午後10時)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200723/k10012529661000.html
2020年7月23日 22時50分 NHK
23日はこれまでに、東京都で366人、大阪府で104人、愛知県で97人など、33の自治体と空港の検疫の15人を合わせて全国で981人の感染者の発表がありました。1日の感染者数としては、22日の795人を上回り、これまでで最も多くなりました。
また23日は、北海道と埼玉県でそれぞれ1人の死亡が確認されました。
国内で感染が確認された人は、空港の検疫などを含め2万8251人、クルーズ船の乗客・乗員が712人で、合わせて2万8963人となっています。
亡くなった人は、国内で感染した人が992人、クルーズ船の乗船者が13人の合わせて1005人です。
各自治体などによりますと、国内で感染が確認された人は累計で次のとおりです。
( )内は23日の新たな感染者です。
国内で感染が確認された人は累計で、
▽東京都は10420人(366)
▽大阪府は2766人(104)
▽神奈川県は2158人(53)
▽埼玉県は1952人(64)
▽千葉県は1397人(33)
▽北海道は1371人(4)
▽福岡県は1240人(66)
▽兵庫県は918人(35)
▽愛知県は878人(97)
▽京都府は624人(19)
▽石川県は307人(1)
▽広島県は243人(16)
▽茨城県は237人(2)
▽富山県は235人(1)
▽岐阜県は208人(8)
▽鹿児島県は189人(15)
▽奈良県は184人(13)
▽群馬県は177人(3)
▽沖縄県は162人(5)
▽栃木県は147人(5)
▽滋賀県は145人(17)
▽宮城県は140人(2)
▽福井県は127人(1)
▽静岡県は124人(5)
▽和歌山県は109人(9)
▽新潟県は91人
▽福島県は86人(1)
▽長野県は86人
▽山梨県は85人(5)
▽愛媛県は83人
▽高知県は77人
▽山形県は75人
▽三重県は61人(2)
▽大分県は60人
▽佐賀県は57人(2)
▽熊本県は57人(3)
▽長崎県は50人
▽山口県は47人(4)
▽岡山県は45人(1)
▽香川県は45人
▽青森県は31人
▽宮崎県は27人(4)
▽島根県は26人
▽秋田県は16人
▽徳島県は10人
▽鳥取県は5人です。
このほか、
▽空港の検疫で500人(15)
▽中国からのチャーター機で帰国した人と国の職員や検疫官などの感染は合わせて173人です。
また厚生労働省によりますと、重症者は23日時点で59人となっています。
一方、症状が改善して退院した人などは、国内で感染した人が2万1035人、クルーズ船の乗客・乗員が659人の、合わせて2万1694人となっています。
また、PCR検査は今月21日には速報値で1日に1万2734件の検査が行われました。
※23日現在での集計で、今後変わる可能性があります。
※愛知県の修正があり感染者数は最終的に97人に。
※沖縄県の米軍の感染者は含めていません。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c33
34. 2020年7月24日 01:55:04 : kgHOzSEOHU : UFhJQlNxaklLd0k=[86]
各都道府県住民の民度ですよ
未だにゼロを続けている岩手県は凄い!
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c34
6. どぶさいら[93] gseC1IKzgqKC5w 2020年7月24日 02:08:39 : yaZjjfeHWE : VXoyN1IzRDhlTGs=[1]
新型コロナウィルス(COVID-19)は、WHOが今年の1月下旬頃に命名したもののようだが、WHOは、この新型コロナウィルスなるものを分離・解析することなく、性急に命名したものらしい。
WHOとは、そういうものなのか? それでいいのか? 私の解釈では、それがこのスレの肝となるであるだろう。
どうも、WHOは、natureに掲載された1月上旬の中国武漢発の重症肺炎患者のPCRショットガン法により採取した肺液のゲノム遺伝子のレポートをベースにしているらしい。しかし、このレポートの科学的検証は、明らかに、なされていないようである。根拠を知りたい方はは、例の如く「学びラウンジ」をご参照されたい。
蒸気のごときうたかたの上記<1, <2 などには、WHOが上記に関し科学的立証をしたというならば、是非とも、この阿修羅上にてそのことを立証すべし、と述べておきましよう。とりあえずのところは。
とは言うものの、和紙はウィルスがばら撒かれなかったとはイワンがね。
ばら撒かれたが、PCR検査を金科玉条とすることは別問題、というのが2019-2020年に引き起こされた(さらには2021以降も続く可能性大)この問題の複雑なところと思っているし、慧眼の諸兄・諸先達も同様の見解でありましょうぞ。
http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/273.html#c6
2. 2020年7月24日 02:08:53 : r7IY0xdHhM : bkhydS4yVWtSRTY=[8]
その国の有権者は不正選挙など想定すらしない
彼らは自分たちの状況を理解しないまま「建設的な」議論を戦わせる
権力者はほくそ笑む 計画通りだと
革命家が権力者に恫喝され口をつぐむ
おれは感じる いつも同じだと
おれは感じる 自分の足で立ち上がる時だと
Bob Marley:May 13, 1978
という夢を見た
31. 2020年7月24日 02:13:30 : 6XpjKRmwMc : QkdHaGU4clNmeDI=[222]
放射能汚染の影響で不妊、流産、死産が増え、新生児が減り、
人口が激減するのかと思っていたがそれだけではない。
EDや性交痛が増えて夜の生活がご無沙汰になるカップルが増えることも
大きな要因。
https://twitter.com/cmk2wl/status/917321341677613056
(cmk2wl)
「海軍少佐ロリィ・コーディー 髪は抜け2013年には眉は完全になくなり、
朝おきるのがすごく痛い、16年に線維筋痛症と診断されました。
悪化してきているのがモノが飲み込みづらいこと。切迫性尿失禁も。
性的欲求もなくなりました、痛いから。それまではお盛んだったのよ。
言うの恥ずかしいんだけどね。
2:30 - 2017年10月9日 」
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/808.html#c31
32. 2020年7月24日 02:16:26 : 6XpjKRmwMc : QkdHaGU4clNmeDI=[223]
「40歳以上の日本人は“3人に1人以上がED”という由々しき事態」
(日刊ゲンダイ・ヘルスケア 2019/7/29)
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/259067
「
・全く勃起しない
・勃起時の硬さが弱い
・短時間で萎えてしまう
・一度萎えると再勃起が難しい
」
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/808.html#c32
7. 2020年7月24日 02:21:11 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[1414]
結果責任を負うのは政治というより内閣だろう。何しろ議会は蚊帳の外で国会をさっさと閉会、後は内閣府という伏魔殿で閣議をしながら仕切ったのだから、最後に大雑把に政治責任などとの抗弁は許されない。立法府議会は何らこうしたイベント立案には不関与なのに政治と一括りにする報道が殆どだがこれは政治では無い。政治とは立法府議会で丁寧に議論し立法化し政策を具体化する手続きを指し、現在内閣府独断で行っているキャンペーン企画は経済産業省主導の官邸ビジネスだ。公金を放蕩しても最後は政治に転嫁出来るのは国民代表議会制度下で結果責任が賦課されない官僚機構にとっては願っても無いシステムだ。政治責任とは如何にも立法府が関わっているが如くだが、今や内閣府という米大統領官邸張りの組織体を作り勝手自在にイベントを企図し公金を歳出しているのだから、立法府に責任転嫁せず最後まで内閣府関係者で始末を付けねばならない。
勝手自在に公金を原資にビジネスをしている経済産業省系の関係者と彼らのビジネスを丸ごと容認し、責任が有るとのみ繰り返す安倍首相は責任ある地位を辞する必要がある。どのような組織であれ、多くの協力者例えば納税者の公金を以て仕事を企図したトップは職を辞することで初めて結果責任を取ったことになる。
権限行使した者が責任を取って地位を辞することは恥でも何でも無い組織として当たりまえの常識的な手続きだ。何処の世界でも責任者が入れ替わりつつ、より健全な組織を目指してシステムを動かしているのではないのか。
西村氏が今回のキャンペーンを主導したならば大きなミスと言える。西村氏と任命した首相は、潔く一旦職責を辞して決まりを付けるのが責任の取り方だと思う。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/407.html#c7
36. 赤かぶ[88989] kNSCqYLU 2020年7月24日 02:22:49 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18832]
※2020年7月23日 朝日新聞社会面
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/419.html#c36
33. 2020年7月24日 02:26:07 : 6XpjKRmwMc : QkdHaGU4clNmeDI=[224]
東日本・太平洋側でのサーフィンは危険。
被ばくの危険性を知っているサーファーはすでに拠点を
関西や海外に移している。
元東電社員・木村俊雄氏はサーフィンが趣味だが、事故後は高知に移住。
「〈最重要〉 元東京電力社員木村俊雄氏が告発した福島原発事故の真実!
東電が嘘のデータをでっち上げて地震による被害を隠した!」
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/837.html
「高知へ移住、電気代ゼロ…元東電社員の「自給自足」生活 (日刊ゲンダイ)」
http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/539.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/808.html#c33
37. 赤かぶ[88990] kNSCqYLU 2020年7月24日 02:26:50 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18833]
東京都内繁華街の接待を伴う飲食店(「夜の街」)で感染拡大が続いていることを受け、小池百合子は22日、警視総監と面会し、各店の感染対策の徹底に関して協力を要請。「しっかりと対応していただけるということで大変期待している」と、法的根拠無視の越権行為を求めているhttps://t.co/MgnAZtMDsg
— 乱調 (@rantyo3141) July 23, 2020
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/419.html#c37
9. 2020年7月24日 02:33:34 : i7bUeWDO5o : dHBiT2oyU21NOEk=[1201]
愚にも付かん。
偽陽性で隔離されたとしても10日で解除だ。
らい予防法を比較対象に出したのは、それがアンタッチャブルであるため口実として最適だからだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c9
54. AN[1237] gmCCbQ 2020年7月24日 02:42:10 : g3Fm57P8U2 : RE1yaUVzNTh0bjY=[396]
3万冊!!
う〜〜ん、想像を絶する……。
さきほど、我が書斎の蔵書数を概算してみたんですが、ざっと1000冊から2000冊の間、絶対に3000はないだろう、って感じでした(大小・特大入り混ざってるし、本棚を前後に使ってるので、奥のが不明^^;)
これも、デラシネの哀しさですねぇ……先祖代々、命じられるままに諸国を転々する定めですから^^;
その代わり、日本国内を股に掛けてるし、海外移住しちゃった親戚もいます^^
そう、大学生の本分は遊ぶこと、と教えてきました(笑) というか、人間が生きる理由だと思ってるんですが^^;
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/829.html#c54
32. 2020年7月24日 02:45:34 : beMj97XptA : Ui9FdUJmMUFzb0E=[1]
そもそもアレは本当に病気なのかw?
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c32
1. 2020年7月24日 02:57:05 : xEyrA4ifKg : dVViby54dHRXV0U=[1]
2Fもふざけているが強盗キャンペーンを強行したのは火炎瓶
馬鹿なことやっているなら即停止しなければならないのに絶対にしない
日本全体を地獄にGOさせるのが最終目的なんだろう
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/432.html#c1
10. AN[1238] gmCCbQ 2020年7月24日 02:58:20 : g3Fm57P8U2 : RE1yaUVzNTh0bjY=[397]
まるこ姫はじめ、コメンター諸氏の「詭弁」説に同意します。
問題は、「何らかの裏事情」とは何か?です。
犯罪物で犯人を捜す定番の方法は、”一番トクするのは誰か”を考えることです。
たしかに今のところ、アベ一味は支持率が低下してソンしているようですが、自民・公明がソンをしたようには見えませんし、+維新で考えればトクしてるんじゃないでしょうか。 つまり犯人は見えています。 動機もおのずと明らかでしょう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c10
25. 2020年7月24日 03:00:15 : 5XRz7Ahkhk : WUpTSS9kYnNtdEU=[5]
>>23
レスがないから、ハッキリ書いてやろう。
キサマのようなヤツは、『恥知らず』って言うんだよ。
厚顔無恥の安倍と一緒のようなヤカラだ。
いつまで ピエロ を演じるんだ?
オレはオマエの保護者ではない。
恥を晒すも自由。心を入れ替えるのも自由だ!!!
恥ずかしくないのか? 10のような文書書いて。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/386.html#c25
33. 2020年7月24日 03:02:20 : kgHOzSEOHU : UFhJQlNxaklLd0k=[87]
>>32
オツムに病気があるのは間違いない
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c33
38. 前河[4826] kU@JzQ 2020年7月24日 03:34:30 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[185]
>キャバクラやホストクラブ自体は廃止するべきではない。はけ口を求める場所は必要だ。
今のスタイルのお店がそのままでいいかは別として、望む人がいるだろうから確かに社会には必要なんだろう。
>性を前に出す産業は必然悪なんだ。
広い意味で風俗は必要と自分も思う。
>この産業を一掃すれば間違いなく異性トラブルや不倫が激増しますぞ。
確かに、娯楽やはけ口を制限するとストレスがたまり、精神面で悪影響が出たり治安は悪化する可能性がある。
何でもかんでも蓋さえすれば良いというものではない。しかし、安倍周辺や維新などは制限をしたがる連中。バグのように視野が狭い。
例えば、表現の不自由展の萩生田ボケ発言に見られたように作品の内容では補助金をカットするような政権だから、何が人間に必要かなどわからないんだろう。
寛容さがまるでない。心が狭く攻撃的。ちまちまセコセコ生きてるんだろうな。無神経でがさつ過ぎる。
いずれにしても店を潰す意図を持って、違法に警察が介入すべきではない。
独裁国家ではないのだから。民主主義は手続きが大事。
菅みたいな国家主義的?な奴はそういう事を理解していないんだろう。
43. 2020年7月24日 03:38:09 : 6XpjKRmwMc : QkdHaGU4clNmeDI=[225]
テーマパークを誘致する金があったら、保育園や学校の汚染土を
除去しろよ。
「横浜にディズニー級テーマパーク構想 米映画会社の名も」
(朝日新聞 2020/7/20)
https://www.asahi.com/articles/ASN7M5KBPN7JUTIL031.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/413.html#c43
39. 前河[4827] kU@JzQ 2020年7月24日 03:40:43 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[186]
⬆ただし、ボッタクリの店はなくなって欲しい。これは感染対策関係ではなく違うやり方で。
38. 2020年7月24日 03:42:45 : 6XpjKRmwMc : QkdHaGU4clNmeDI=[226]
みなさん、しっかりマスクをしましょう。
マスクがなければ、パンツも使えますよ。
ちなみに私はいつもパンツです。
つよし
「復興大臣の高木“ザ☆パンツ”毅、自民党の女性議員たちからも
生理的に嫌われ、遂に更迭Xデー迫る?」
https://ameblo.jp/tawada8607/entry-12105980796.html
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/400.html#c38
11. 2020年7月24日 03:59:46 : bC7BzPnf9Y : dXo0ZklwcHhyQTI=[68]
人権問題をひっかけて、現行憲法がPCR検査拡大の障害に
なっている=憲法改正が必要と、国民に印象付けようとしている。
自民党改憲派の言うところの「個人」なるわがままな生存権に縛りをかけて、
国家にとっての単なる資源としての「人」として十把一絡げに国民を
扱いたいのだろう。
つまり、コロナ禍を奇貨とし、憲法改正を安倍政権にとって
唯一で最後のレガシーにしたいということ。
不用心だから泥棒が入る。
入られたくなければ、犬を飼えと家人を縛りながら
親切ごかしに説教する強盗と同じ。
(犬に脂身をやれば吠えられずにまんまと金品を
盗めることを泥棒は知っている。)
この人権=邪魔、論に、我々は騙されてはならない。
成人病検査や人間ドックなど定期検診時のオプション項目として
PCR検査を入れ受診者が選択する方式にすれば自ずと検査数は増大する。
自分のことは自分で決めれば良い。ただそれだけ。
24. 前河[4828] kU@JzQ 2020年7月24日 04:01:59 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[187]
地に平和さんに同意。田中氏の記事は良い時とそうでない時がある。
思い入れが有り過ぎない話題の方が冷静で中立的。れいわに関する記事は感情的過ぎると感じる
中道さん、アザーすm(__)m
29. 2020年7月24日 04:20:23 : eEtX80d1IP : VHpsakxmSFFUcXc=[15]
>>27
山本太郎は現状「原発反対」とは言ってないよ
そもそも、「命の選別」なんてナチスの所業を考える様な医師を「広い心で」仲間に引き入れ、医師がそれを公言したにも関わらず、何日も処分を控えていた
あんな奴は、即刻排除で当然だろう・・・それをしないということは、場合によってはこのまま仲間の一人として使うことを考えていたという事だろうな
そんな奴を育てる意味なんて無いと思うのだが?
それとも、君は、ナチスのしっぽの様な政党を、日本国に育てる価値があると思っている輩なのかな?
そんな輩は悪だよ・・・すべての日本人の敵だ
到底受け入れることは出来ないな
当然の様に排除するべきだと思うのだが?
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/512.html#c29
38. 2020年7月24日 04:24:15 : A1lk4NRqqs : VXh6cW4udGFCZC4=[6]
毎年同じこと言ってない
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/582.html#c38
35. 2020年7月24日 04:53:16 : JGimB645qU : VE5KVXZHV0pTc0E=[2]
そもそも4月に、GO TO キャンペーン実施の前提として
「コロナ感染に収束が見られたとき」という一文があったんじゃない?
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c35
仮想アースの効果 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月29日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7fe1d299efc84a8e954dfee2e03a78b2
今や「新型肺炎」対策で日本中が大騒ぎ。学校は休止になるし、通いつけの「運動ジム」でも仲間同士で「いつ閉鎖されるんだろう」というのが専らの話題。
そういう張り詰めた空気の中で「オーディオなんて悠長なことをするな、書くな!」と眉を顰められそうだが、今のところ唯一の楽しみなのでどうか許してくださいな(笑)。
さて、このブログは本州方面とは違って肝心の地元「九州」からは、これまでまったくといっていいほどメールをいただかなかったが、このほど長崎県のYさんという方からメールをいただいた。
以下、内容を紹介させてもらいます。匿名ということで無断転載お許しください。
「仮想アースの件でメールさせていただきました。アースラインノイズの吸収効果等があるそうです。オカルトかと思いましたが、廉価で手軽に試せることから、ステンレスタワシ数個で試作したところ、思いのほかの効果がありました。
ガラスケース等にステンレスタワシと銅板の電極を詰め込み、アース線などで機器のシャーシやアース端子に接続するだけです。
現在、DACのUSBアースとパワーアンプのSP端子(マイナス)に接続しています。
ウッドベースが「ボン・ボン」から「グオン・グオン」に、シンバルが「チン・チン」から「シャン・シャン」に化けました。稚拙な表現ですみません。
数千円程度でできますので、チャンデバのGND等に試されてはいかがでしょうか。また、真空管アンプで効果が確認できれば仮想アースの理解が進みます。
これらの一連の仮想アースは、安全アース(地球の地中)作用の代用ではございません。ただ、音質アップを狙った試行錯誤によるアイデア品です。
測定値、理論などには全く行き届いておりません。純粋に、なぜか音が良くなる的な ”ユニーク発想品” です(それもお使い機材や環境により、必ずのお約束は出来ません)。
以上のとおりだが、生来の「新し・珍し」もの大好き人間にはたまらない話である。
常々、オーディオは「理屈よりも実践」をモットーにしている。なぜならサウンドにまつわる環境はあまりにも変数が多過ぎて物理的に解明するのが無理だから実践あるのみ。そういうわけでさっそく勝負に出た(笑)。
「 この度のメール、まことにありがとうございます。実は、仮想アースの件は 仲間からも散々聞かされ興味を持っていましたが、何しろ手間がかかりそうなので躊躇していたところです。
そこで、お願いです。代金と送料と手間賃を送付しますので作っていただくわけにはいかないでしょうか。 どうかご一考、よろしくお願いします。」
すると、ありがたいことに「了解しました。ただし素人作業なので外見は期待しないでください」と、ご快諾をいただいた。
そして、ほどなく格安の代金引換とともに送付されてきたものがこれ。想像以上に立派な製品だった!
現用中のことなので、RCAコードやSPコードが入り乱れて見苦しいがどうかご容赦を。
そして、時の過ぎゆくままにおよそ1か月、現在ではチャンデバの「アース端子」と「パワーアンプ」のシャーシに同時接続しているが、心なしかひっそりとした静寂感のもと深い漆黒の暗闇の中から音がスッと浮かび上がってくる感覚がある。
SN比(シグナル対ノイズ比)が良くなるとこういう現象になることを承知しているので、これは明らかに仮想アースの効果ではなかろうかと思っている。
これと、ほぼ同様のものを作った仲間からも「絶大な効果あり!」との頼もしい報告があった。
Yさん、この度はどうもありがとうございました。これからもずっと愛用させてもらいます。遅ればせながら誌面(?)を借りてお礼申し上げます。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7fe1d299efc84a8e954dfee2e03a78b2
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不思議な現象 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年05月29日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/afdaf7a46e3fc4fdb83fb17d51340fc5
これが我が家の「仮想アース」。
長崎在住のオーディオ愛好家のご厚意で作っていただいたものだが、「仮想アースっていったい何?」という方がおられるだろうから、簡にして要を得た当方宛のメールを紹介しておこう(再掲)。
「仮想アースの件でメールさせていただきました。アースラインノイズの吸収効果等があるそうです。オカルトかと思いましたが、廉価で手軽に試せることから、ステンレスタワシ数個で試作したところ、思いのほかの効果がありました。
ガラスケース等にステンレスタワシと銅板の電極を詰め込み、アース線などで機器のシャーシやアース端子に接続するだけです。
現在、DACのUSBアースとパワーアンプのSP端子(マイナス)に接続しています。
ウッドベースが「ボン・ボン」から「グオン・グオン」に、シンバルが「チン・チン」から「シャン・シャン」に化けました。稚拙な表現ですみません。
数千円程度でできますので、チャンデバのGND等に試されてはいかがでしょうか。また、真空管アンプで効果が確認できれば仮想アースの理解が進みます。
これらの一連の仮想アースは、安全アース(地球の地中)作用の代用ではございません。ただ、音質アップを狙った試行錯誤によるアイデア品です。
測定値、理論などには全く行き届いておりません。純粋に、なぜか音が良くなる的な ”ユニーク発想品” です(それもお使い機材や環境により、必ずのお約束は出来ません)。
以上のとおりだが、最後の「(効果が)必ずのお約束は出来ません」に、むしろ信憑性が漂ってますね。この表現大いに気に入りました(笑)。
さて、仕上がり具合は満足の一言だったが、当時は3ウェイのチャンデバを使っており筐体にアース端子が出ていたのでこれ幸いとばかり繋いでいたが、現在はチャンデバ方式は一時休憩中。
そこで、こんな優れものを遊ばせておくのはもったいないので現在は真空管式のプリアンプに繋いでいる。
「どうやって繋げばいいんでしょうかね」と、オーディオ仲間に相談したところ、「ああ簡単ですよ」と教えてもらったのがこれ。
まず不要になったRCAプラグのコードをばらして外側の線を剥き、「仮想アース」から出したコードと結ぶ。
そのプラグをプリアンプの空いた入力端子に差し込む。
実に簡単で、現在プリアンプを2台常用しているので、片方のプリアンプにも同様に接続している。
さて、その効果だが仲間によると「あまり変わりませんねえ。他家では凄い効果だったのに・・」(笑)。
これは推測だが、我が家のオーディオ機器はすべて電源対策を施しており降圧トランスを利用した「200V → 100V」電源と「リチウムイオン電池」を利用しているが前者にはしっかりとアース対策を施している。
その効果だと思いたいところだが、断定はできない。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/afdaf7a46e3fc4fdb83fb17d51340fc5
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第二の「仮想アース」の試聴 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年07月03日
去る27日(土)、およそ3週間ぶりに近隣にお住いのYさんに連絡をとってみた。ときどき第三者の「耳」を借りることは我が家のオーディオにとって極めて有益なこと。
あまりに率直な「辛口振り」にときどき腹立たしくなることもあるが、メリットの方がはるかに大きいので我慢しなくちゃね(笑)。
「いかがお過ごしですか?久しぶりに聴きに来ませんか」
「ハイ、いいですよ。丁度友人に貸していた自作の仮想アースを回収したところでした。ご参考までに持って行きます。」
「ほう、それは面白そうですね。ぜひお願いします」
第二の「仮想アース」の登場である。
もしかして「仮想アースって何?」という方がいらっしゃるかもしれない。以前に長崎県の方から頂いたメールがとても簡にして要を得ているので再掲させていただこう。
「仮想アースの件でメールさせていただきました。アースラインノイズの吸収効果等があるそうです。オカルトかと思いましたが、廉価で手軽に試せることから、ステンレスタワシ数個で試作したところ、思いのほかの効果がありました。
ガラスケース等にステンレスタワシと銅板の電極を詰め込み、アース線などで機器のシャーシやアース端子に接続するだけです。
現在、DACのUSBアースとパワーアンプのSP端子(マイナス)に接続しています。
ウッドベースが「ボン・ボン」から「グオン・グオン」に、シンバルが「チン・チン」から「シャン・シャン」に化けました。稚拙な表現ですみません。
数千円程度でできますので、チャンデバのGND等に試されてはいかがでしょうか。また、真空管アンプで効果が確認できれば仮想アースの理解が進みます。
これらの一連の仮想アースは、安全アース(地球の地中)作用の代用ではございません。ただ、音質アップを狙った試行錯誤によるアイデア品です。
測定値、理論などには全く行き届いておりません。純粋に、なぜか音が良くなる的な ”ユニーク発想品” です(それもお使い機材や環境により、必ずのお約束は出来ません)。」
というわけです。
ご好意で作っていただいた「仮想アース」をこの4か月ほど愛用中だが、今回違う仮想アースを試聴できるので思わず胸が弾む。
左が従来の仮想アースで、右側が今回持参していただいたもの。
真空管式プリアンプの空いた入力端子に接続したうえで聴き比べてみたところ想像以上の差があった。
「まるでアンプを換えたみたいです。音の粒立ち、彫りの深さなどがガラッと変わりましたね。こうしてはっきりと効果を表現できるシステムの純度にも驚きました。」とYさん。
「200ボルト電源とリチウム・イオン電池が利いているのかもしれません。それにしてもこれはたいへんな優れものですね。仮想アースがオカルトではないことを立派に証明できました。こんなもので音が激変するんですからやっぱりオーディオは怖いですね!」
「費用 対 効果」からしたら、「仮想アース」は群を抜いていると言えそうだ。
試聴したシステムはウェストミンスター(改)だった。
クラシックからジャズ、ポピュラー、演歌までありとあらゆる音楽ソースを1時間ほど試してみたがその効果は微塵も揺らぐことがなかった。
とうとう「これ譲ってくれませんか。一生に一度のお願いです!」とYさんに向かって恥も外聞もなく頭を下げて両手を合わせる始末(笑)。
「弱りましたねえ。これから一つの機器に一つづつ使おうと思っているんですけど・・・。まあ、しばらく置いておきます」と、困惑されていたが、残念なことに辞去されるまで明確な返答をいただけなかった。
試聴用に持って行ったけど、相手から大いに気に入られてとうとう返してもらえなかったという小咄をちょくちょく聞いたことがあるが、まさか現実問題として自分が加害者側になろうとは夢想だにしなかった(笑)。
心根の優しいYさんのことだから、きっと願いを聞き届けてくれることだろうと思っているが、はたして〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/21055bb2672b4cf35021004337045d84
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1063.html
4. 2020年7月24日 04:54:20 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[1]
仮想アースの効果
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1063.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/121.html#c4
トランプ大統領の圧力に屈し、安全が脅かされる日本の食卓
2020/07/23
危険な農薬が付着した食品が知らぬ間に日本に輸入されている(写真はイメージ)© NEWSポストセブン 提供 危険な農薬が付着した食品が知らぬ間に日本に輸入されている(写真はイメージ)
新型コロナウイルスの影響で、食の安全が脅かされている。中国・北京市の新発地卸売市場では、輸入サーモンの加工に使われていたまな板から、新型コロナウイルスが検出されたと報じられた。その一方で、中国は、アメリカの大手食肉工場からの鶏肉の輸入をストップさせている。理由は工場での新型コロナウイルスの集団感染だ。
「鶏肉だけではありません。中国では、従業員600人以上の感染が確認されたドイツの食肉工場からも豚肉の輸入を停止しています。実はまな板の汚染について、中国は輸入したサーモンに原因があるという見方をしてもおり、中国に輸入される食材についてかなり疑心暗鬼になっているのです。中国はアメリカ、ブラジル、そしてカナダに対して、輸入する大豆が新型コロナに汚染されていないことを証明するようにも求めています」(全国紙外信部記者)
そもそもなぜ、衛生面に配慮しているはずの食材を扱う場で集団感染が広がるのか。
「食品工場の労働環境は、お世辞にも整っているとはいえません。出稼ぎに来た外国人労働者や移民が中心の従業員は宿舎に詰め込まれ、仕事中も行き帰りも、そして休憩時も、常に同じ狭い空間で過ごしています。つまり、1人が感染すればそれが爆発的に拡大する素地が整ってしまっているのです」(前出・外信部記者)
こうした劣悪な労働環境の改善が問題収束のカギになるだろう。実際に、工場を閉鎖して立て直しを図っている会社もアメリカにはある。しかし、かの国の大統領が一筋縄でいくはずがない。アメリカのトランプ大統領は食料を安定供給するため「国防生産法」に基づき、食肉工場が操業を停止できないようにする大統領令に署名したのだ。
「アメリカ政府の圧力は日本の食卓にも影響が出ていて対岸の火事ではないですよ」(流通ジャーナリスト)
日本国内の移動の全面解禁を目前に控えた6月18日、厚労省は「ジフェノコナゾール」という耳慣れない農薬を、ひっそりと食品添加物に指定した。
食品表示一元化検討会委員を務めたことのある薬学博士の中村幹雄さんは、こう説明する。
「これは“ポストハーベスト農薬”と呼ばれる類いのもので、じゃがいもの収穫後に防かび剤として散布されます。ジフェノコナゾールは浸透性が高いため、じゃがいもを洗ったり皮をむいたりしても、その内側に残留する可能性があります。今後、アメリカ産などのじゃがいもには添加物として、この“ポストハーベスト農薬”が散布されるリスクがあるのです」
こうした規制緩和は今後も続く見通しだ。
「オレンジやレモンなどの柑橘類に使われている『アゾキシストロビン』という農薬も、近々、じゃがいもの防かび剤として使えるようになります。(厚労省の)薬事・食品衛生審議会で審議中ですが、食品安全委員会は許可を出しているので、時間の問題です。なぜこうした変更が続いているかというと、輸出を増やしたいアメリカ側の圧力に日本政府が屈したからです」(前出・中村さん)
これまでは比較的安全だった食品も、安全なままではなくなってしまう。
※女性セブン2020年7月30日・8月6日号
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%e5%a4%a7%e7%b5%b1%e9%a0%98%e3%81%ae%e5%9c%a7%e5%8a%9b%e3%81%ab%e5%b1%88%e3%81%97-%e5%ae%89%e5%85%a8%e3%81%8c%e8%84%85%e3%81%8b%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e9%a3%9f%e5%8d%93/ar-BB174or8?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/970.html
天皇家は弥生時代後期にソウルから福岡県の伊都国に植民した
実在したアマテラスの墓と八咫鏡
糸島郡の平原遺跡 2014-11-02
平原遺跡 :糸島郡前原町平原
昭和40年糸島郡前原町平原(当時、現在は平原市)において、農作業の最中に多量の朱と共に大小鏡の破片等が発見された。
偶然の発見であったが、福岡県教育委員会はただちに原田大六を調査団長とした発掘調査団を組織し、調査・発掘が実施された。結果、遺構は東西十八m、南北十四mの長方形の方形周溝墓で、弥生時代から古墳時代にかけての遺構であるとされた。原田大六は、2世紀中頃であるとしている。
遺構の中央部には、割竹形木棺を収めていたと思われる痕跡もあった。
この遺跡からは、破砕された合計39面の鏡、ガラス・メノウなどの装身具、素環頭太刀等が出土し、鏡の枚数は一墳墓からの出土数としては我が国最多であった。
又、復元された内行花文鏡は直径が46.5cmもあり、これ又我が国では最大経の鏡であった。太刀等武具の少なさ、装飾品の豪華さ、それに鏡の多さなどから、原田は、この遺構を「伊都国の女王」の墓だと想定している。
平成2年には、平原方形周溝墓出土品が国の重要文化財に。さらに、平成18年には国宝に指定されました。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されていて、銅鏡のなかには日本最大級の直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありました。ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一。
副葬品にネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、この墓に葬られた人物は女性で、特に超人的な力を持った女性ということで、卑弥呼の墓という説もあるほどです。
1号墓出土品(国宝)
大型内行花文鏡 4面(5面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、仿製鏡(日本製)、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡である。
内行花文鏡(内行花文四葉鏡) 2面
方格規矩鏡 32面、(鋸歯文縁方格規矩四神鏡が23面、流雲文縁方格規矩四神鏡が9面)
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉 12個
ガラス製(瑪瑙:めのう)勾玉(くだたま) 3個、ガラス丸玉 約500個
ガラス小玉 一括(約500)
ガラス管玉 一括(30以上)
ガラス連玉 一括(約886)
耳璫(じとう、耳珠)3
素環頭大刀 1振
鉄鏃10
鉄やりがんな1
鉄のみ1
鉄斧1
日本一大きな国産の内行花文八葉鏡四枚について、考古学者故原田大六(だいろく)はその図抜けた大きさと特異文様とが、伊勢神宮に関する種々の史料から内宮の御神体である八咫鏡( や たのかがみ)と同じものではないかと推察し、次のように述べている(『実在した神話』、学生社)。
「伊勢神宮の八咫(やた)の鏡と平原弥生古墳出土の大鏡は上述のように、寸法、文様ともに食い違ったところを見受けないのである。これがもし事実だとしたら、平原弥生古墳には大鏡の同型同笵鏡(どうはんきょう)が四面あることから、はじめは五面を作製したものの一面が伊勢神宮の御神体になっているといわれないことはない」
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
森浩一氏も、この原田説を支持され、
「原田氏の生涯をかけての、この重要な研究が基本において修正を要しないとすれば、八咫鏡は弥生時代後期に北部九州で製作され、他の同類は破砕されたけれども、一面だけがはるばる近畿地方にもたらされたということになる」
と述べておられる(『日本神話の考古学』)。
豊玉姫−玉依姫−イワレヒコ(神武)の系譜から、この鏡の製作の中心にいたのは母豊玉姫を弔(とむら)ったであろう玉依姫ということになる。
その玉依姫が、わが子神武の東征にあたって、鏡の一面を携帯させたとすれば、当然、大和朝廷においてその鏡は玉依姫の鏡として長らく宮中にあったに違いない。それが、
「崇神五年、国内に疫病多発、人民の大半が死亡、六年には国内大混乱。その原因としてこれより先、宮中にアマテラスと倭(やまとの)大国魂(おおくにたま)の二神の並祭が、お互い神威が強すぎることにあると思えたので、別々に祭ることにし、アマテラスは豊鋤入姫(とよすきいりびめ)に託して云々」
とある『書紀』に従えば、このときからアマテラスこと玉依姫の依り代である八咫鏡が、現在の鎮座地である伊勢へと至る長い巡幸が始まるのである。
その伊勢神宮内宮を見てみれば、アマテラスこと玉依姫の相殿に万幡(よろずはた)豊秋津姫こと豊玉姫が鎮座している。
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3124.png
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3122.jpg
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3123.png
原田先生の報告書は『平原弥生古墳 大日霊貴の墓』
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
tokyoblog April 2015 八咫の鏡
「咫(た)」とは円周の長さの単位で、1咫=8寸、直径2.5寸の円周(円周率3.2)とされている。
八咫鏡とは直径2尺、46センチの鏡という事になる。
平原遺跡からは、まさに直径46センチの国内出土最大の鏡が4枚出土している。御統は勾玉や管玉などを緒に通して首飾りにしたもので、五百箇の御統とは、珠が五百箇ある首飾りという事になる。平原遺跡出土の首飾りを写真で数えてみると約470個の珠があった
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%E7%B3%B8%E5%B3%B6%E9%83%A1%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%81/
平原遺跡(ひらばるいせき)は、福岡県糸島市にある弥生時代後期のものと考えられる遺跡。 曽根遺跡群の一つとして、昭和57年10月、国の史跡に指定。平成12年10月追加指定。
平原遺跡は弥生時代後期から晩期の5つの墳丘墓を合わせた名称である。 1965(昭和40)年1月、平原遺跡1号墓が偶然発見され、原田大六を中心に学術調査された。昭和63〜平成11年度にかけて、1号墓周辺に調査範囲を広げて、最終的に5基の墳丘墓が発見されている。 この遺跡は「平原歴史公園」として、1号墓のみが墳丘墓として復元管理されている。
1号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年、国宝に指定された(文化庁所有、伊都国歴史博物館保管)。
1号墓は方形周溝墓で、割竹形木棺の埋納が検出されている。
その1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あった。これらの破片は当初、39面分に復元されていた。
その後の調査の結果、従来4面に復元されていた直径46.5センチメートルの大型内行花文鏡の破片が実は5面分の破片の可能性があると指摘された。(前原市調査報告書)。このうち1面が九州国立博物館、4面が伊都国歴史博物館に展示されている。
1990年の重要文化財指定時には、銅鏡の員数は39面分とされていたが、上述の調査結果をふまえ、2006年の国宝指定時の官報告示では、銅鏡の員数は40面分となっている[1]。この数は1つの墳墓から出土した銅鏡の枚数としては日本最多である(2009年現在)。
なお直径46.5センチメートルの鏡の外周は鏡の円周の単位で八咫(やあた)あることから、八咫鏡と同じ大きさになる。
この副葬された多数の銅鏡片は「人為的に破砕されたモノではない」と発掘責任者の原田大六は主張している[2]。
学術調査時に、2〜5号墓からは青銅器類の遺物は発見されず、出土した土器や石器類などから弥生時代後期の墓と推定された。5号墓から発見されたとする銅鏡の鈕部分2個は、この破片が土中から発見されたことから5号墓の発見に繋がっていることによる。
主な出土品
1号墓大型内行花文鏡 5面(または4面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、日本製、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡。
内行花文鏡 2面
方格規矩鏡 32面
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900
耳璫 3破片
素環頭大刀 1
国宝指定名称は以下のとおり。
福岡県平原方形周溝墓出土品 銅鏡 40面分
玉類 一括
鉄素環頭大刀 1口
附:土器残欠、ガラス小玉、鉄鏃等 一括
5号墓銅鏡片 2
1号墓から出土した大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)を、その文様と大きさから原田大六は「八咫鏡」と解し、伊勢神宮の八咫鏡も元々は同型の鏡であったのではないか、との説を提示している[5]。『御鎮座伝記』に「八咫鏡」の形は「八頭花崎八葉形也」とあり、この「八頭花崎八葉形也」の図象を持つ考古遺物は現在のところ、この「大型内行花文鏡」のみである。
1号墓は副葬品の多くが勾玉や管玉、耳璫(耳飾り)[6]などの装身具であり、武器類が少ないため、この墓に埋葬された人物は女性であると考えられている。 原田大六はこの平原1号墓の主を玉依ヒメとし、大日孁貴であるという説を提示している[5]。
1号墓の東南にある直径約70センチメートルの縦穴を、発掘調査した原田大六は、湧水の存在から井戸として報告している。この縦穴を「前原市報告書」は大柱跡(穴中の土壌成分未調査)として、墓から見て東南の日向峠の方角に位置していることから、この大柱跡は太陽信仰に関係するものとの説を提示している。
墓壙周辺の12本の柱穴の遺構について、原田大六は「銅鐸や弥生式土器などの絵画に見られる棟持柱を持つ切妻造の倉庫建築の柱の配置にこの柱跡の遺構が似ている」として、この墓壙周辺の12本の柱跡は「殯宮関係の建築物の遺構と考えられる」としている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
2008.9.28
邪馬台国の会 【特別講演会】 柳田康雄先生 伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
1.伊都国と邪馬台国 柳田康雄先生
私は伊都国とは深い関わりがある。平原遺跡を始め数多くの遺跡の発掘に携わり、平原遺跡の巨大鏡を始め120枚以上の鏡を発掘した。
平原遺跡については発掘後20年以上になるが、ようやく報告書を刊行することができた。
今日は、これらの経験を踏まえて、邪馬台国に入る直前までの北部九州(福岡、佐賀)の状況について解説する。
■ 弥生時代のクニと国の出現
弥生時代の集落を村とすると、それを束ねているのを考古学で、カタカナで「クニ」 という。そして、この「クニ」が「国」に発展する。
現在、発掘が進んでいる早良(さわら)平野に、弥生中期の初め(紀元前200年前後)に 出現した遺跡があり、朝鮮半島の青銅器がはじめて副葬品として現れる。
そのなかの吉武高木遺跡は青銅器が副葬される率が高い。なかには、1人で銅剣、銅戈4本を持ち、小さいが「多鈕細文鏡」という鏡を持ち、勾玉を持つものがある。
銅剣を1本もっている集落が周辺にいくつか散らばっている。 この地域ではこのような銅剣は合計15〜16本出ているので、これは、吉武高木遺跡を中心に付近の村を統率した「クニ」が出現していたと考える。
弥生時代初期からある板付遺跡は福岡平野の拠点集落であるが、ここには弥生中期の初めに銅剣、銅矛7本が出てくる墳墓が出現する。しかし福岡平野の他の地域からは出てこない。
少し後の弥生中期の中ごろ以後、春日平野の須玖岡本遺跡に青銅器が集中する。青銅器を作る工房も集中する。ここでは銅鏡30枚、銅剣、銅矛が8〜10個出土した甕棺が出現する。
福岡平野は、中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。
30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。
須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。
吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。
弥生中期の段階で首長墓が出てくる。弥生中期の終わりに、いままでは朝鮮半島との 交流ばかりであったが、福岡平野の首長墓から中国の鏡が出てくる。
これは全部前漢時代の 鏡である。三雲南小路遺跡からは1号甕棺と2号甕棺の合計で57枚の前漢鏡が出土した。
三雲南小路の1号甕棺は、金銅製の埋葬用の飾り金具(下図の8)が発見されている。これは、皇帝が王侯クラスに下げ渡した物で、1号甕棺が王墓であることを示している。
2号甕棺は22枚の小型鏡が出ているが、ペンダントや勾玉が多数出ていることや、武器がないことから女性の墓と考えられている。
なお、昔に発掘されたもので、金ぴかなものなど価値のありそうなものは持ち去られたりして申告されていない可能性がある。 このようなことも考慮しないと、出土物についての研究では誤る可能性がある。
井原鑓溝遺跡は江戸時代に発掘され、鏡の鈕が21個あったことから少なくとも21面の鏡があったとされる。鉄刀や鉄の鎧なども発見されていることから王墓級の墓である。ただし、大型鏡がない。
最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。
九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。
このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。
後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。
吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。
■ 平原遺跡
平原遺跡の1号墓は王墓である。寺沢薫氏などの近畿の一部の考古学者も王墓と認めるようになった。
王墓もランクがある。鏡の大小や数だけでなく、いろいろな要素で決まる。
王墓には鏡がなければいけない。4世紀までの初期の前方後円墳の副葬品は鏡が主体である。
鏡を副葬品の主体とする墳墓は、弥生時代では三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡、平原遺跡だけである。
棺の主軸近くにある柱跡と、少し離れたところにある大柱の跡を結ぶ線を延長すると、日向(ひなた)峠に向かっている。
10月20日ごろの収穫の時期に日向峠から日が昇るので、何か関係があるかも知れない。
墓には長さ3mの刳抜式木棺があり、大量の朱が蒔かれていた。
頭と足の付近で大量に見つかった鏡の破片のうち、頭付近の破片は全て元の鏡に復元できた。
墓坑のコーナに柱穴の跡があり、木槨があった可能性がある。ホケノ山古墳と同じよう、副葬品は木槨の上から落ちてきているように見える。
出土した前漢鏡(上図左)は直径16センチもあり、この型式の鏡としては中国でもトップクラスのもので、楽浪郡でも見つかっていない。平原の王が中国の外臣の中でも上位として扱われた証拠であろう。
この鏡は、カドが丸くなっていて、周りがすり減っている。前漢末に作られたものが、平原の王の時代まで伝世されたものと思われる。
また、直径21センチの方格規矩四神鏡(上図右)は、京都大学の岡村秀典氏の編年では、漢鏡4期から5期の鏡で、1世紀前半から中頃のものとされる。
しかし、後漢の始めの鏡とすると、銘文は鏡の上から始まるのだが、この鏡では下側から始まっているのはおかしい。
また、後漢の鏡では四の文字を横棒四本で現すのが特徴であるのに、ここでは四の文字を用いている。
つまり、この鏡は岡村氏の言うような中国の鏡ではなく、日本で作られた製鏡である。
平原からは40枚の鏡が出土しているが、直径46.5cmの超大型内向花文鏡や、直径27cmの内向花文鏡も中国にはなく、製鏡と思われる。
平原王墓から、楽浪郡などでも出土するガラス耳(じとう:ピアス)が出てくる。
耳は女性の墓からしか出ないので、平原王墓の被葬者は女性であると判断できる。
耳は時代が降るに従って端部の広がりが少なくなり管玉のようになる。
平原出土の耳は端部の広がりがほとんど無く、後漢の終わり頃のものと考えられている。発掘主任の原田大六氏はこれを琥珀の管玉としていた。
平原王墓からは、ガラス連玉、ガラス小玉、細型ガラス管などが多数出てくる。
右図上段左の連玉は直径5ミリ長さ2センチほどのものだが、高度な技術で作られており、内側は薄い空色で外側が紺色の二重構造になっている。
平原王墓を始め伊都国の地域からは、加工途中のものを含め大量のガラス玉や小玉が出てきており、この地域が高い技術でガラス飾りや玉を製作していたことがわかる。
三雲の弥生終末の遺跡からファイアンス(ガラスの釉薬をかけた焼きもの)が出てきている。
ファイアンスは地中海地域が起源で、エジプト・メソポタミアや中国にもあるので、海のシルクロード経由で南方からもたらされた物である。
伊都国地域のガラス玉の技術も南方から海を経由して入ってきたものであろう。
■ 弥生終末から古墳時代
福岡市の那珂八幡古墳は九州で最も古い時期の前方後円墳である。前方部がやや長めだがその形から纏向型前方後円墳であろう。
このような古墳は小さいものを含め、福岡県には多数あるが、唐津を除くと佐賀県にはない。
弥生時代の福岡県の王墓・首長墓を、副葬品の数などの要素から5段階のランクを付けて表に整理してみた。
この表を見ると弥生後期では圧倒的に伊都国の地域に権力が集中していることがわかる。
北部九州の地域では、弥生王墓から初期の前方後円墳に権力が繋がっているのである。
近畿地方でもこのような表を作って検討して欲しい。近畿で前方後円墳が発生したとするなら、福岡地域のように弥生時代から繋がっていないとおかしい。
近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備から東瀬戸内の要素である。
近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、これらの地域の影響を受けて出来たものである。
弥生終末と古墳出現の時期はAD200年頃と考える。卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。
考古学者の中には、邪馬台国は弥生時代にあったと考える人がいる。邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。
平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。平原の被葬者は卑弥呼と親子関係なのではないか。
2.柳田先生の論点 安本美典先生
邪馬台国論争そのものは、いずれ別の機会に行いたいと思うので、今回は論点の整理をしてみたい。
■ 考えの一致する部分と異なる部分
柳田先生は著書『伊都国を掘る』のなかで、原田大六氏の発言を引用して「考古学的事象は日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の「神代」神話をさけて通ることは出来ない。」と述べているが、これについてはまったく同感である。
また、「これまで、多くの研究者が平原王墓を無視してきたが、そのために邪馬台国問題や古代国家形成で避けて通れない古墳出現期の諸問題の研究に多くの時間がかかった。今後は、古墳出現期の研究に対して、平原王墓を正面から評価し、その研究に取り組んで欲しい。」とする考えについても賛成である。
邪馬台国に関連する部分では、柳田先生の考えは「伊都国東遷説」ともいえるような内容である。すなわち、邪馬台国は大和朝廷の一時期の姿であり、大和朝廷は九州で発生し、邪馬台国時代以前に畿内に移ったと考えておられる。邪馬台国は畿内にあったことになる。
いっぽう、安本先生は、九州勢力が畿内に移ったのは邪馬台国時代の後であり、邪馬台国は九州にあったとする。
北九州勢力が畿内に移ったとする点では、柳田先生と安本先生の考えは同じであり、中山平次郎や和辻哲郎が述べていた「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性」や「大和の弥生文化を代表する銅鐸と、古墳文化の非連続性」は、このような考えと整合するものである。
骨組みの所で意見が異なるのは、北九州勢力が近畿地方に移動する時期の違いである。
■ 洛陽焼溝漢墓出土鏡の時期について
洛陽の焼溝漢墓の鏡の年代の、日本での紹介のされ方がおかしい。洛陽焼溝漢墓の鏡の年代は平原遺跡の年代にも関係する重要なことである。
下表は、奥野正男氏の『内行花文鏡とその製鏡』(季刊邪馬台国32号)による。ただし、後漢晩期の年代幅は、もとの報告書に基づき安本先生が訂正。
平原遺跡から、長宣子孫内行花文鏡が出土している。長宣子孫鏡は、焼溝漢墓では、第六期に最も多く出土する鏡である。
奥野氏は、第六期を後漢晩期として、後147〜160という年代幅を与えていたが、もとの報告書では、西暦190年の年号が記された入れ物から第六期の鏡が出土した記録があり、第六期は少なくとも190年まで時代を広げるべきである。
柳田先生は、平原遺跡を西暦200年ごろと見ておられるので、長宣子孫鏡が洛陽で190年ごろに使用されていたことと年代的には整合することになり、平原の年代についての柳田先生の見解に納得できる。
ところが、京都大学の岡村秀典氏は、平原遺跡でも出土した長宣子孫鏡を漢鏡5期とし、紀元75年頃の鏡としている。平原を200年ごろとする柳田先生とは、100年以上年代が異なっているのはおかしなことである。
3.対談 柳田康雄先生 VS 安本美典先生
■ 平原遺跡について
安本: 副葬品から考えると平原遺跡を卑弥呼の墓と考えてもおかしくない。しかし、『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径100余歩と記されている。魏の尺度では100余歩は100m以上になるが、平原遺跡全体に土を持った墳丘としたとき100m以上になる可能性はあるのか?
柳田: 14m×10mくらいの方形周溝で区切られているので、まったく無理である。周溝があると言うことは、掘った土を盛り上げるので、もともとは墳丘があったはずだが、100m以上にはなり得ない。
安本:女性の墓か?
柳田: 弥生時代で一番大きな素環刀太刀が出てきているが、女性の墓からしか出土しない耳(じとう:ピアス)が出土しており、女性に間違いない。
また、女性の墓とされている三雲南小路2号墳と同じように、小型の鏡に色を付けて模様を塗り分けていることからも女性の墓といえる。
■ 三角縁神獣鏡と庄内式土器の初現
安本:柳田先生の著書に「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは九州の前方後円(方)墳のみである。」という文章がある。これを素直に理解すれば、三角縁神獣鏡が出てくるのは、畿内より、九州の方が早いということになるが・・?
柳田: 土器で見ると、庄内式土器の一番新しい物と三角縁神獣鏡がいっしょに出るので、三角縁神獣鏡は九州の方が先に出現したといえる。
■ 庄内式土器
安本: 庄内式土器が畿内で発生したことを疑っている。九州の方が早いのではないか?
柳田: 庄内式土器は圧倒的な量が近畿から出る。古い庄内式土器は九州では少ないが三雲遺跡で若干出てくる。しかし、近畿の人はこれを新しいと言う。私も土器の編年についてはみっちりやってきたがどこが新しいというのか良く判らない。私が見ると古いのもあるのだが数は圧倒的にすくないのは確か。
庄内以前の土器は単体で九州に流れてくるが、庄内式土器からは高坏や壺がセットで出現する。ここに大きな違いがあるので庄内式土器から古墳時代に移る。
九州の古墳では、那珂八幡古墳などから庄内式土器の新しい物は出てくるが、古いものは出ない。しかし、近畿と違って、庄内式土器の新しいものと三角縁神獣鏡がいっしょに出てくる。
■ ホケノ山古墳
安本:庄内式土器や画文帯神獣鏡を出土したホケノ山古墳から、布留T式相当の小型丸底土器がでている。柳田先生も、土器の底部の形態変化は平底→凸レンズ状平底→とがり気味丸底→丸底という変化の方向であることを述べておられる。従って、小型丸底土器を出土するこの古墳は、かなり新しいのではないか?
『ホケノ山古墳調査概報』には、布留式相当の小型丸底土器と庄内式土器が同時期に使用された可能性が高いと記されている。そうすると、ホケノ山の庄内式土器の年代は、かなり新しい布留式土器の時代になるのではないか。
柳田: 当事者ではないので、確定的なことを言えない。一時、ホケノ山古墳は新しい布留式土器の時代との話もあったが、今年の2月の勉強会では、また古いとされているようである。
一般的に言えば、古い土器と新しい土器がいっしょに出たら新しい土器で年代を考えるのだが、発掘担当者などによる最近の勉強会では、ホケノ山のものは布留式土器の古いものが見つかったと解釈しているようである。
また、見つかった銅鏃は、普通にみれば布留式土器に伴う銅鏃であるが、これも、古い銅鏃という解釈をしているようだ。報告書をまとめる人たちは、古墳の年代を3世紀なかごろ以前と考えているようだ。
■ 伊都国と女王国の位置関係
安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。
ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?
柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。
大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。
文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。
■ 三種の神器
安本: 三種の神器が出てくる遺跡は須玖岡本遺跡、平原遺跡、三雲遺跡と言われたが、 すぐ南の東小田峰遺跡から璧がでているので、璧を玉と考え、剣、鏡も出土しているので、 三種の神器が出ているといえるのではないか?
柳田: 玉というのは勾玉ではないのか?
安本:璧という字は下に玉がついているので・・・
柳田:ははは、それなら認めます。(^_^)
璧を持っている三雲南小路や須玖岡本は最高ランクであるが、かけらを加工したものがその次に準じると國學院雑誌にはっきり書いた。
東小田峰遺跡では4分割以上したものを丸く再加工して璧に見せようとしている。更に璧のかけらを再加工して勾玉に見せようとしたものもあるので、東小田峰遺跡の例も勾玉と同レベルと考えて良い。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/234.html
261. 罵愚[8492] lGyL8A 2020年7月24日 05:10:44 : mD09EEMlJk : WlVnc2dCMWZIa00=[1]
わたしたち…このボードの投稿者の年代は世界史と日本史の二本立てで歴史を勉強してきた。西洋史と東洋史という区分もあったという。これからは、世界史のなかの日本史という組み立て方をするらしい。
いずれにしても、鎖国を解いて帝国主義の国際社会に日本外交がデビューしたとき、清朝支那は帝国主義的侵略国から被害国に転落の過程をたどっていたし、李朝朝鮮は、その支那の…西欧的表現をすれば植民地、東洋的表現では保護国…あたらしい歴史教科書では、どういう記述をするのか、楽しみではある。
欧米帝国主義国の支那大陸侵略の前線基地建設用地にされちまう運命から、辛くも日本は免れることができた。運命に翻弄された歴史をたどったのが、朝鮮半島で、いまでも極東情勢の火種になっている。
http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/591.html#c261
天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
古代史の鍵・丹後 籠神社
太陽信仰もつ海人集団の拠点
「元伊勢」、伊勢神宮の成立に関与?
京都府の丹後(かつての丹波)地方は、天女伝説や浦島伝説で知られる。近年、古代海部(あまべ)氏の系図が公表されたり、考古学的にも注目すべき遺物が出るなど、漁労や航海を生業とした海人集団による独自の歴史性が明らかにされつつある。
丹後半島の東側、日本三景の一つ「天の橋立」の付け根に、「元伊勢」といわれる籠 (この)神社が鎮座する。祭神はホアカリノミコト(火明命)で、丹波国造が祖神として祭った。
籠神社の宮司家は海部直といい、宮司家が長く秘蔵してきた二つの系図、通称「海部氏系図」「勘注系図」は、現存する最古の系図として、昭和五十一年に国宝に指定された。
これら系図によれば、海部直氏の始祖、ホアカリノミコトをオシホミミの第三子とする。
オシホミミは『古事記』によれば、天照大神の子である。一方、『新撰姓氏録』(九世紀成立)によれば、ホアカリノミコトは愛知県の濃尾平野に勢力を築いた雄族・尾張氏の祖神である。尾張氏の配下にあった有力な海部集団が、ホアカリノミコトを自らの祖神としたものらしい。
浦島伝説にちなんで名前の付けられた丹後半島の亀島
籠神社にはまた、二枚の中国製の銅鏡も伝えられてきた。それぞれ前漢時代、後漢時代のもので、系図中にも「息津鏡」(おきつかがみ)「辺津鏡」(へつかがみ)と記されている。昭和六十二年に初めて公表され、弥生時代に招来されて以来、二千年にわたって伝世されたということで、大きな反響をよんだ。息は沖、辺は岸辺のことで、航海の安全に呪力をもつ鏡として祭られたものだ。
銅鏡といえば、平成六年には、竹野郡弥栄町の墳墓から、邪馬台国の卑弥呼の晩年に相当する「青龍三年」(紀元二三五年)の年号がある銅鏡が発見され、卑弥呼とのかかわりも取り沙汰された。
弥生時代の近畿地方には、銅鏡文化はほとんどなく、丹後の特殊性がうかがわれる。太陽信仰をもっていた海人集団の幅広い活動を示すといえよう。
ホアカリノミコトは太陽神で、各地に鎮座するアマテル(天照)神社の祭神である。神話学の松前健氏は、もともとあった「アマテル」という神が、その格があげられて皇祖神である「アマテラス」となったのだと説く(『日本神話の形成』)。
当時の海人集団の習俗をパノラマ的に描いたらしい土器がある。鳥取県西伯郡淀江町から出土した壷(弥生時代中期後半)だ。神殿建築のような高床式の建物があり、その右側の船には、鳥の装束の人物が乗っており、船の上には太陽らしい渦巻き(同心円)紋がある。
さらに、左側の木には、瓜のようなものが二つぶら下がっている。金関恕・天理大教授 によれば、銅鐸であるという。千田稔・国際日本文化研究センター教授は、このパノラマ図について銅鐸をともなった弥生時代の太陽信仰を描いたものとし、アマテル信仰の 源流とみている。
息津鏡=籠神社・海部宮司家所蔵
しかしこれがアマテラス信仰の源流であるかについては、さらに検討の必要がある。ホアカリノミコトは、天照国照彦火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと)のように、ニギハヤヒと複合で称されることがしばしばで(丹後の天照玉命神社もその一つ)、ニギハヤヒは物部氏の祖神の名であるからだ。
物部氏は銅鐸を奉祭した氏族とみられ、実際、丹後には銅鐸が多く出土する。天ノ橋立に囲まれた阿蘇海に流入する野田川右岸の加悦町から、銅鐸形土製品が発見され、籠神社の東の由良川の上流には、阿陀岡神社が鎮座し、付近から二個の銅鐸が出ている。
郷土史家の金久与市氏によれば「銅鐸出土地には必ずといっていいほど古社がある。海洋民の集団が由良川をさかのぼり、上流地点に銅鐸を祭祀し、祠を建立、拠点としたのではないか」(『古代海部氏の系図』)という。
丹後町から西に向かう網野町の函石浜遺跡からは、中国の新時代の王莽によって鋳造された「貨泉」が発見されている。中国とかかわる交流を物語るものだ。
平成十年には、王墓とみなされる墳墓(弥生後期〜末期)が籠神社から約三キロ西南で見つかった。美しい透明の青色ガラス製の釧で話題を呼んだ。他に、貝輪系の銅釧(く しろ)(腕輪)十三点、鉄剣十四本などが出土したが、これらは九州系の文化遺物である。
銅鐸氏族・物部氏には、天磐舟(あまのいわふね)による降臨神話があり、先の壷のパノラマ図をほうふつとさせる。物部氏は航海、交易によって栄えた氏族だったといえよう。
さて、この地を「元伊勢」というのは、天照大神が大和から伊勢に遷座する途中、最初に立ち寄ったのが、この籠神社だったとする伝承が、伊勢神宮に伝わる「倭姫命世記」(やまとひめのみことせき)(七六六年の成立という)にあるからだ。また、伊勢神宮外宮の豊受大神ももと籠神社奥宮の祭神で、八世紀に、丹後から遷座したと伝えられる。
このように、丹後は大陸・韓半島に近いがゆえに、物部氏や海部氏をはじめとする海人集団の幅広い活動の舞台となり、アマテラスの伊勢への遷宮ともかかわりをもったと思われる。まさに古代史を解くカギが潜む地といえる。
http://tamagaki.exblog.jp/2992078/
京都府北部、丹後半島の付け根にある天橋立は、日本三景の一つに数えられる観光の名所ですが、天橋立を渡ったところにある丹後一の宮、籠(この)神社はまた、古代史ファンにはよく知られた神社です。
1975年、神社に代々極秘で伝えられていた系図が公表され、関係者の大きな注目を集めました。現存する日本最古の系図として、また、従来にない古代史の新史料として、思いがけないものだったからです。翌年にはさっそく国宝の指定を受けたのも異例のスピードでした。
この系図には、なんと邪馬台国の女王、卑弥呼と思われる名前が記されています。最近、卑弥呼の墓の最有力候補として注目されている奈良県・纏向遺跡にある箸墓古墳、その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名が載っているのです。
系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。
「日神」とは、すごい呼び方です。太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。なんとなく卑弥呼を思わせるといってもいいでしょう。
それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致します。宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。
どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。
この系図は、5世紀に丹波国造となった海部氏が、籠神社の神主となって代々伝えてきたものです。主祭神の彦火明命を丹波国造の祖として、以後、今日まで海部氏が代々続いており、現在は82代目の海部光彦さんです。
「海部氏系図」と呼ばれるこの系図には、始祖の彦火明命についての驚くべき伝承も伝えています。
彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、やはり天孫として天降っている。しかも、丹後に天降っているというのです。
天孫降臨というと、普通、天皇家の祖先のニニギノミコトが九州の日向の高千穂に天降ったといわれますが、「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるようです。
籠神社には、2000年間にわたり伝世されてきた息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)と呼ばれる秘蔵の鏡も2面あります。
息津鏡(下)と辺津鏡(上) (c)gakken
ひとつ(辺津鏡)は、紀元前1世紀後半の前漢鏡(内行花文昭明鏡)、もうひとつ(息津鏡)は、紀元後1世紀の後漢鏡(長宜子孫内行花文鏡)です。
前漢鏡の方は、近畿地方では出土例がまったくない貴重なものですし、後漢鏡の方も、近畿地方では破片で出ることはあっても、完全な形で出土したことはなく、やはり貴重な鏡といえます。
驚くべき鏡が、代々神社の神宝(かんだから)として伝えられていたわけです。
では、なぜ卑弥呼の名が籠神社の系図のなかに残っているのでしょうか。それが謎です。
古代丹後の鉄とガラス
籠神社のある丹後半島周辺は、不思議な伝説が多いところでもあります。
『丹後国風土記逸文』には、このあたりの漁師の若者が竜宮城を訪れる話、つまり、有名な浦島太郎の伝説が残っています。ほかにも、羽衣を奪われた天女が天に帰れなくなるという羽衣伝説、さらに、天橋立はもともとイザナギ命が天から通ってくる梯子でしたが、神が地上で寝ている間に倒れて天橋立になった、という伝説もあります。いずれも、天上界や海の彼方にある別世界と交渉する内容をもっているのが特徴といえます。
籠神社の名前の由来も、神代に彦火火出見命(ひこほほでみのみこと・彦火明命の別名)が籠船で龍宮に行ったとの伝説があり、そのために昔は籠宮(このみや)といったようです。
丹後はこのように、どこか神話的な世界の残る地方でもあります。籠神社のある宮津市の「宮津」とは、大きな宮のそばにある港という意味です。むろん籠神社を指してのことです。天橋立はもともと籠神社の参道だったからです。
なお、丹後という呼び名は比較的新しいもので、古代には、現在の京都府と兵庫県の中部北部合わせた全部を丹波と呼んでいました。ところが、684年(天武13年)に丹波国から但馬国(兵庫県北部)が分けられ、713年(和銅6年)、丹波国の北部5郡が分けられて丹後国となったという経緯があります。
弥生時代には、この丹後地方は列島のなかでもかなり特別な地域だったようです。何が特別かというと、弥生時代からなんとガラスや鉄製品が作られていたのです。それを物語る考古学の発掘が、この10年ほどの間に相次いでいます。
特徴的なものをいくつかピックアップしてみると…
まず、丹後半島中央部の弥栄(やさか)町、奈具岡(なぐおか)遺跡では、紀元前1世紀頃ごろ(弥生時代中期後半)の鍛冶炉や、玉造りの工房が見つかっています。水晶やガラスを使って勾玉(まがたま)や管玉(くがたま)などを生産していた工房です。そのための道具としてノミのような鉄製品が作られていたようです。
この遺跡の場合、出土した鉄屑だけでも数キログラムになるといわれ、大和や河内など近畿地方の中心部と比べると、「鉄の量としては桁違いの多さ」だといわれます。ましてや、鉄製品そのものが残されていたら、どれほどの量だったのでしょうか。
驚くべきことに、このような玉造りが丹後半島では紀元前2世紀ごろから始まっていました。玉造りの工房のある遺跡が、丹後半島だけで十数か所見つかっています。
当然、この地域の遺跡から大量のガラス玉が出土するケースも多く、大宮町の三坂神社墳墓群や左坂墳墓群など、ガラス玉の総数は1万点にも及ぶということです。全国の弥生時代のガラス玉のほぼ10分の1が、丹後から出土しているといわれます。
もう一つの先進地域
次は、墓です。平成13年5月、宮津市の隣、加悦町の日吉ヶ丘遺跡からやはり弥生時代中期後半の大きな墳丘墓があらわれました。紀元前1世紀ごろのものです。30メートル×20メートルほどの方形貼石墓といわれるスタイルで、当時としては異例の大きさでした。
墓のなかには大量の水銀朱がまかれ、頭飾りと見られる管玉430個も見つかりました。水銀朱は当時としては貴重なもので、魔よけの意味があるといわれます。それがふんだんに使われていました。しかも、大量の管玉。墓に接するように環濠集落があるようです。
この墓は、他の地域と比べてみると、あの吉野ヶ里遺跡の墳丘墓とほぼ同じ時代です。墓の大きさも、吉野ヶ里よりわずかに小さいだけで、しかも、吉野ヶ里の墳丘墓には十数体が埋葬されていましたが、日吉ヶ丘遺跡の場合はただ一人のための墓です。当然、王の墓という性格が考えられ、「丹後初の王墓か」と新聞などでは話題になりました。
全国的に見ても、この時代にはまだ九州以外では王はいなかったと考えられていますが、丹後では王といってもよい人物が登場してきたわけです。
丹後半島の古墳公園(加悦町)
倭国大乱の原因となる鉄
丹後地方は、弥生時代の終わりごろになってくると、今度は鉄製の武器を大量に保有するようになります。
平成10年9月、携帯電話の中継塔を立てる目的で、籠神社から数キロはなれた岩滝町の天橋立を見下ろす丘陵の中腹を調査したところ、驚くべき出土品が多数見つかりました。これは大風呂南遺跡と呼ばれる墳墓群ですが、その中心的な墓(1号墓)から11本の鉄剣と、美しい青色のガラスの腕輪が出土したのです。墓の年代は西暦200年前後。
ほかにも、銅の腕輪(銅釧・どうくしろ)が13個、大量の鉄製品や管玉、朱など、弥生時代の墳墓の常識を超えるものでした。
なかでもガラスの腕輪は、国内ではこれまでに3例しかないうえに(福岡県で2例、丹後で1例)、どれも原形をとどめていませんでしたが、ここでは完全な形で出土し、透明感のあるコバルトブルーの輝きを放っています。被葬者が左手につけていたもので、権威の象徴です。
11本の鉄剣も、墓の副葬品としては異例の多さです。弥生時代の墓に副葬される鉄剣は通常1〜2本ですが、11本というのは被葬者がいかに大きな権力を持っていたかをよく物語っています。しかも、時代は西暦200年前後、まさに邪馬台国が誕生した直後です。
この墓の被葬者は、奈良県・纏向遺跡の石塚や、岡山県・楯突墳丘墓に葬られた人物と同じ時代に生きていたことになります。
この時代の丹後の墓からは、鉄剣が大量に出土します。特別な立場にあるような人の墓ではなく、家長クラスの墓からも当たり前のように鉄剣が出てくるのです。おそらく軍事集団のようなものが存在していたのではないか、と考えられています。そうなると当然、軍事集団を束ねるリーダーがいたはずです。大風呂南遺跡の墓の被葬者は、そのような人物だったのではないか、と考えられています。
ガラス釧(腕輪)と銅釧 丹後郷土資料館蔵
このように倭国大乱期から邪馬台国時代にかけて、列島のなかでどこよりも鉄を保有していたのが丹後です。その多くが鉄剣や鉄鏃(てつぞく・矢の先端部)など、武器として出土しています。
弥生時代はかつて平和な農村社会と考えられていましたが、案外、戦いが多かった時代だと今では考えられています。各地の戦いで武器の主力が鉄器になってくるのは、1世紀ごろからです。そのころから、丹後の墓からも鉄剣が出始める。ちょうど1世紀ごろの王墓と見られる三坂神社3号墓からは、大陸製の鉄刀やりっぱな弓矢、豪華な玉飾りなど、経済的な権力を持った王の姿があらわれてきます。
その後、2世紀後半から3世紀前半にかけては、上に述べたような状況で鉄剣がポンポン出てくきます。この時期に丹後の勢力がもっていた鉄は、キャスティング・ボードになったのではないでしょうか。これほどの突出した武力が、あの倭国大乱を引き起こしたのではないか、とさえ思えるのです。
そう考えると、丹後(古代丹波)の勢力は、女王卑弥呼の誕生にも重要な立場を取ったに違いありません。邪馬台国の女王に卑弥呼を共立していく主要なメンバーに、古代丹波が入っていたのはほぼ間違いないでしょう。しかも、海部氏の系図に残る「日女命」の名は、卑弥呼がじつは古代丹波出身だったのではないか、と思えてきます。
先進の技術によって蓄えられた力が、数百年をかけてピークに達したとき、そういう時代に合わせるように、ひとりの飛びぬけて神秘的な能力をもった女性が丹波にあらわれたのではないでしょうか。もちろん、その女性こそが卑弥呼です。
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/index.html
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十種神宝
十種神宝(とくさのかんだから、じっしゅしんぽう)とは、物部氏の祖神である饒速日命が伝えたとされる十種の神宝である。
『先代旧事本紀』の「天孫本紀」の記載によるもので、饒速日命が天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする。『先代旧事本紀』には「天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)」と書かれている。
分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が、首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。これを三種の神器に対応させて、鏡は八咫鏡、剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉であるとする説もある。
十種神宝の内容は以下の通りである。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
布瑠の言
布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。
『先代旧事本紀』の記述によれば、「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱える「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱えながらこれらの品々を振り動かせば、死人さえ生き返るほどの呪力を発揮するという。
「ふるべ」は瑞宝を振り動かすこと。
「ゆらゆら」は玉の鳴り響く音を表す。
饒速日命の子の宇摩志麻治命が十種神宝を使って神武天皇と皇后の心身安鎮を行ったのが、宮中における鎮魂祭の起源であると『先代旧事本紀』には記載されている。
十種神宝の行方
石上神宮の祭神である布留御魂神は十種神宝のことであるとする説もある。石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱える。いずれにしても、十種神宝は現存していない。
本物か不明であるが、大阪市平野区喜連6丁目にある楯原神社内の神寶十種之宮に、偶然、町の古道具屋で発見されたという十種神宝が祀られている。石上神宮側から返還要請があったにもかかわらず、返していないという。
江戸時代、山崎闇斎は、垂加神道においては神秘的な意義の有るものとして、さまざまな口伝的著述を残した。
籠神社には、息津鏡・辺津鏡という2面の鏡が伝世している。十種神宝の沖津鏡・辺津鏡との関係は不明で、籠神社も特に見解は出していない。
秋田県大仙市の唐松神社には古史古伝のひとつである『物部文書』とともに奥津鏡、辺津鏡、十握の剣、生玉、足玉とされる物が所蔵されているという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%A8%AE%E7%A5%9E%E5%AE%9D
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神武東征の物語
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/index.html
奈良県の神武天皇伝承地
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-15-3tousen2.html
古代史の復元 目次
http://www.geocities.jp/mb1527/mokuji.htm
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/235.html
12. 空虚[3685] i_OLlQ 2020年7月24日 05:14:49 : 7XegZt4viw : aC9OLnVlZUNDTjY=[1]
【なんらかの裏事情】
・・・ね、みなさん容易に推せる諸事情が心当たりあるんやおまへんの?
検査拡充は国家・政府の負うべき当然の義務でっせ、そこにかかる経済的負担も無条件に国家・政府が負わなあきまへんがな。法的拘束力の無い政策か、否かなんぞ関係ありまへんがな。自己責任なんぞ云うレベルの話ちゃいまっからね、医療機関や医師・医療サービス企業・スタッフへの助成も当然の義務でんがな。
検査拡充すると、爆発的に感染者の累計総数は伸びますな。そのデータを元に、covid-19の実態がより正確に認識されるようになるのは必然でっせ。感染者総数に対して発症例と治癒の経緯が、信憑性をもってあきらかになりまんな。大衆にニューノーマル政策を法的根拠なく押し付けることができなくなると、政府には都合よろしくありまへんがな。
【 そもそもニューノーマル政策(別名:N・W・O)は憲法違反でっせ 】
わかりる? 大衆の権利を大衆自ら放棄させる国際同調圧力団体にご用心でっせ。
ニューノーマル政策はCOVID-19pandemic以前のダボス会議でケケ中へいぞー氏が合意してきたことでっからね。ホンマ理不尽に事が運んでますやろ?そーゆーことでっせ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c12
1. 中川隆[-12063] koaQ7Jey 2020年7月24日 05:16:49 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[2]
2018.08.27
ニギハヤヒ(饒速日命)とは|その正体や瀬織津姫が妻説など解説
https://shinto-bukkyo.net/shinto/kamisama/%E3%83%8B%E3%82%AE%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%92-%E9%A5%92%E9%80%9F%E6%97%A5%E5%91%BD/
ニギハヤヒとはどんな神様?
ニギハヤヒ(饒速日命/ニギハヤヒノミコト)という神様について調べたあなたは、どのような正体を持つ神様であると思っていますでしょうか。
アマテラスオオミカミと同一説
スサノオノミコトの子孫で物部氏の先祖という説
実は日本という国を最初に作ったという伝説の神様
はたまた宇宙人?
ニギハヤヒという謎に包まれた神様は、古事記や日本書紀という書物の中ではあまり多く語られていないのに、とても不思議で重要な神様の役割をしています。
それ故にたくさんの伝説があります。
今回はそんな様々な伝説がどうやって生まれたのか?
またそれらはどの程度あり得るのか?を見ていきましょう。
ちなみに、筆者の私の家は昔から石切劔箭神社にお参りをしている家庭に生まれたので石切さん(石切劔箭神社の通称)の説を基本的に信じていますが、どの説も間違っているとは考えていませんので、ご了承ください。
ニギハヤヒノミコトという神様には様々な俗説が
先ほど少し見ましたが、ニギハヤヒという神様には、たくさんの俗説(伝説)があります。
あまりにも突拍子もない俗説から、神話の中でさえもたくさんの理解があるため、ニギハヤヒという神様はとても謎の多い神様です。
簡単にどのような説があるのか、俗説以外にも、江戸時代から議論されているようなまじめな説など、少し上げてみましょう。
1アメノホアカリ(天火明命)という神様と同じ?
2オオナムチ(オオクニヌシ/大国主命)の子供?(スサノオの子孫)
ここは実は、ニギハヤヒという神様が古事記や日本書記以外で記された書物の中で出てくるもので、昔からの議論の対象となっている説です。
この他に、いわゆる俗説で次のような説もあります。
1ニギハヤヒは実はアマテラスオオミカミである!?
2ニギハヤヒの妻は瀬織津姫という神様!?
3ニギハヤヒは宇宙人?さらに同じく瀬織津姫も宇宙人でシリウス文明が…(?)
4ニギハヤヒは龍神を操る?
5ニギハヤヒは中国の皇帝が不老不死の薬を求めて日本に遣わした徐福と関連が?
と言った様々なにわかには信じがたい説がたくさん存在しています。
こういった説が一体全体どんな説なのかを考える上で、一般的に広まっている日本神話の中のニギハヤヒという神様について見ていきましょう。
ニギハヤヒは漢字で書くと
ニギハヤヒと言う神様はニギハヤヒノミコトと正式には呼ばれ、漢字では次のように書きます。
饒速日命
饒速日尊
邇藝速日命
櫛玉饒速日命
ニギハヤヒの別名は?
日本神話の他の神様の例に漏れず、ニギハヤヒもたくさんの名前を持っています。
櫛玉命
このほかに、古事記や日本書記以外の書物でニギハヤヒは別の神様と同一と考えられるという記述も存在します。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
先代旧事本紀ではニギハヤヒは上でみた天火明命(アメノホアカリノミコト)と同一と見られます。
そのためアメノホアカリノミコトの持つ別名もニギハヤヒノミコトの別名とも考えられます。
天照國照彦天火明尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり の みこと)
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)
彦火明命
膽杵磯丹杵穂命
天照御魂神
このたくさんの書物での一説にまとまらないことがニギハヤヒを謎めいた、伝説の多い神様にしているのです。
ニギハヤヒの日本神話の物語
たくさん説のあるニギハヤヒですが、まずは最も知られている日本神話の中での説を見ていきましょう。
ニギハヤヒの系図・関連する神様
登美夜毘売(とみやひめ,三炊屋媛(みかしきやひめ))(妻)
長髄彦(ながすねひこ)(義兄)
可美真手命(うましまでのみこと)(子)
神武天皇(カムヤマトイワレビコ)(後に臣下に下る)
日本書記・古事記以外の神話の中で関連する神
天照大御神(アマテラスオオミカミ)(祖母)
天香山命(アマノカグヤマノミコト)(子)
瓊瓊杵尊/邇邇芸命(ニニギノミコト)(弟もしくは子)
須佐之男命(スサノオノミコト)(祖父もしくは父)
大国主命(オオクニヌシノミコト)(父)
物部氏・穂積氏・古積氏・尾張氏(子孫)
ニギハヤヒが天磐船(アマノイワフネ)で河内国に降臨
ニギハヤヒの物語の参考はこちら
http://www.ishikiri.or.jp/yuisyo/mythology/
ニギハヤヒノミコトはアマテラスオオミカミから十種の瑞宝/十種神宝(とくさのかんだから)という人を治め、身や心の病をいやす霊力をそなえた様々な神器を受け、天磐船(アマノイワフネ)という船で高天原から降臨されました。
十種の瑞宝の中の有名なものは「フツノミタマの劔」と高天原から降臨した天津神である証明となる「天羽々矢(アメノハハヤ)」です。
これらを持ち、ニギハヤヒは神様として、河内国(今の大阪の東南の地域)に向かいます。
その当時、そのあたりは鳥見(登美/とみ)と呼ばれる地域で、長髄彦(ナガスネヒコ)という首長とその一族が治めていました。
その長髄彦(ナガスネヒコ)や一族はとても好戦的でしたが、天津神という神様のニギハヤヒと会いその先進的な文化の差を感じ争わずにニギハヤヒに従うことになりました。
そして妹の登美夜毘売(とみやひめ,三炊屋媛(みかしきやひめ))と結婚します。
十種の瑞宝/十種神宝(とくさのかんだから)
これは、以下に見る2つの鏡、1つの剣、4つの玉と3つの比礼(女性の服飾)です。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
ニギハヤヒと神武天皇の東征
ニギハヤヒが鳥見(登美/とみ)の里を治めて繁栄を謳歌していたときに、神武天皇(この当時は天皇ではないのでカムヤマトイワレビコと呼ばれている)が東征をされます。
神武天皇は大阪の浪速国の白肩津に上陸をされると、長髄彦(ナガスネヒコ)率いる軍勢に追い返されます。
一度は失敗しましたが、その後神武天皇は別のルートから攻めます。
そして長髄彦(ナガスネヒコ)のいる生駒山まで行きます。
そこで、長髄彦(ナガスネヒコ)とまた戦います。
その戦いの最中、神武天皇は自分がアマテラスオオミカミの玄孫であり、この土地を治めに来たと言いますが、長髄彦(ナガスネヒコ)はそのことを信じず戦闘が続きます。
やがて、金色のトビが空からやってきて、光輝き戦闘ができなくなります。
その時に長髄彦(ナガスネヒコ)はこのように神武天皇に伝えます。
「何ゆえこの土地を攻めるのか?私たちは天津神の櫛玉饒速日命(クシタマニギハヤヒノミコト)に従い、この土地を守っている。あなた(神武天皇)は天津神の子孫と言ったが、こちらはニギハヤヒノミコト様という天津神の元でこの土地を収めている。
お前は偽物の神様だろう!」と。
そこで、神武天皇と長髄彦(ナガスネヒコ)はそれぞれが自分たちが天津神に関わるものだということを天羽々矢を見せ合いました。
どちらも本物だとわかったのですが、長髄彦(ナガスネヒコ)は戦いをやめなかったためにニギハヤヒは長髄彦(ナガスネヒコ)を殺し、神武天皇に従うことを誓いました。
ニギハヤヒの物語の参考はこちら
http://www.ishikiri.or.jp/yuisyo/mythology/
ニギハヤヒにまつわる様々な説
ニギハヤヒは上記の物語がありますが、たくさんの説・物語を持っている神様と冒頭でも説明しましたが、他にどのような説や物語があるかを見ていきましょう。
ニギハヤヒの正体とは?
まず、ニギハヤヒという神様は、日本神話を記した有名な書物の日本書記と古事記でも統一した記述はありません。
他の書物ではさらに全く違う記述がされています、
ニギハヤヒはアマテラスオオミカミの孫?
ニギハヤヒはアメノホアカリと同一と書かれています。(先代旧事本紀)
アメノホアカリとニギハヤヒが一緒なのであれば、アマテラスオオミカミの子のアメノオシホミミと高木神の娘のヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれた子供がニギハヤヒということになります。
これは簡単に言うと、
天孫降臨で有名なニニギノミコトの兄を意味します。(父という記述をした書物も)
つまり、ニギハヤヒは天孫族というアマテラスオオミカミの系統で、神様の中でも特に位が高い神様で、
しかも葦原中津国に降臨をしたニニギノミコトより先に降臨していたということです。
アマテラスオオミカミについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
アマテラスオオミカミ(天照大御神)とは|伊勢神宮の神社史や神話の姿
ニギハヤヒは出雲王朝(スサノオ)の子もしくは孫?
播磨国風土記という、兵庫県の播磨地方の歴史を記した奈良時代の書物の中では、ニギハヤヒは出雲王朝の子孫と言われています。
出雲王朝を作ったきっかけは、アマテラスオオミカミの弟の神様であるスサノオノミコトとその子供のオオクニヌシノミコト(大国主命/オオナムチ)という神様です。
ニギハヤヒはその王朝から現在の奈良の大和地方に向かったとも言われています。
スサノオノミコトやオオクニヌシノミコトについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説大国主命(オオクニヌシノミコト)とは?ご利益や神社の情報や国譲り等神話の物語も解説
ニギハヤヒは物部氏の始祖?
物部氏とは、奈良時代の蘇我氏が政権の中央に出るまで、政治・祭司の中心的な氏族として有名でした。
その物部氏はニギハヤヒノミコトの子孫と伝えられています。
物部氏をルーツとする武将は数多くおり、武士(もののふ)の家柄だとも言われています。
日本で最も古い家系図とも言われる海部氏の系図には様々な氏族がニギハヤヒ・天火明命の子孫と根拠が得られます。
ただし、様々な説が多くあるために、疑問視する人も存在します。
ニギハヤヒとアマテラスオオミカミの男性神?
ここからは少々スピリチュアルな説が続きます。
ニギハヤヒノミコトの正式な名前が、
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
と表記されます。
この名前の最初の天照(アマテラスともアマテルとも発音)の表記から、「太陽神」つまりアマテラスオオミカミの男性神として生まれたのではと主張する説があります。
そもそもイザナミノミコト・イザナミノミコトという双神で国ができたという話や、太陽神とは陽(男性神)で、月が陰(女性神)という考え方から日本の皇祖神がアマテラスオオミカミ(女性神)だけということに疑問を持つ人たちがいます。
この説はそういった人の推論の上に成り立っているものです。
古代のロマンを感じるものですね。
ニギハヤヒは宇宙人という説
スピリチュアルが好きな方がネット上にたくさんの意見を乗せていて、その一つにニギハヤヒは宇宙人であるという意見もあります。
これは学術的な背景を持っている説ではありません。
この説は、ニギハヤヒの妻の瀬織津姫という女神は、シリウス文明の女神であるという説や、エジプトその他神話を持つヨーロッパ・中東地域の神とつなげるという説の様です。
ニギハヤヒとユダヤ?
古代のロマンが好きな人なら「日ユ同祖論」と呼ばれる、イスラエルに存在した部族の一つが日本に流れ着き王朝を立てたというニコラス・マクラウド氏が明治時代に提唱した意見を聞いたことがあると思います。
この意見では、日本の神様の名前の音がヘブライ語に似ているウガヤフキアエズという神様がユダヤの王と同一という考え方等たくさんの説があります。
ニギハヤヒもその一つという考え方です。
ニギハヤヒと龍神(白龍)の関係がある説
これは後半で考察をする、ニギハヤヒの妻は瀬織津姫ではないか?という説に関わるものです。
ニギハヤヒの妻と言われる瀬織津姫は日本の神話には出てこないのに、神道の大祓詞にでてくる神様で大変謎の多い神様です。
この神様は龍神様であるという説が存在しニギハヤヒは龍神と関りがあるという説があります。
また、千と千尋の神隠しに出てくるハクという白龍になる少年。
彼はニギハヤミコハクヌシという本名を持っているためニギハヤヒと龍の関係に注目が集まったのかもしれませんね。
ニギハヤヒと徐福
さらにはニギハヤヒは徐福という中国の秦王朝の時代に皇帝から不老不死の薬を探して来いと日本に遣わされた人物と関係があるという説もあります。
大神神社(奈良)の大物主はニギハヤヒという説
また、大物主(オオモノヌシノカミ)というご祭神を祀る、日本で最も古い神社の一つと言われる大神神社(おおみわじんじゃ)にもニギハヤヒは関係すると言われています。
ただし、大神神社の公式の見解にはありません。
また三輪王朝と呼ばれる、仮説に基づく考えがあるなど、その真偽は不明です。
ニギハヤヒの妻は瀬織津姫?
上で見てきたようにニギハヤヒには本当かな?と思うような説がたくさんついて回っています。
その中でも特に根強い支持を集めているのが、このニギハヤヒと瀬織津姫が夫婦だったというものです。
瀬織津姫という神様は、先ほども述べましたが、日本の神話には出てこないが、大祓詞の中に名前が出てくる神様で、伊勢神宮の内宮(アマテラスオオミカミを祀る社)の別宮荒祭宮の別名が瀬織津姫であるという記述がいくつかの書物でされています。
他にも兵庫県西宮市の廣田神社では現在はアマテラスオオミカミを祀っていますが、以前は瀬織津姫を主祭神と祀っていたと戦前までの記録にはあります。
また、日本の神社の中で、ニギハヤヒと瀬織津姫と同一とみられる神々が一緒に祀られる神社があると言われてもいます。
ニギハヤヒがアマテラスオオミカミの男性神として、瀬織津姫がアマテラスオオミカミの女性神だという主張も存在します。
瀬織津姫について詳しく知りたい方はこちら
参考:瀬織津姫とは?封印された龍神・弁財天とも言われる伝説の神様を解説!
ニギハヤヒノミコトが祀られている神社・神宮
ニギハヤヒはそもそも神話内でも明確な表記がないことから上記で見たようなにわかには信じられない説が数多くあります。
それでも、重要な神様として、日本の各地でニギハヤヒノミコトを祀る神社が存在しています。
それらの神社について見ていきましょう。
石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
日本で最も有名なニギハヤヒノミコトとその子の可美真手命/宇摩志麻遅命(うましまでのみこと)を祀る神社です。
神話の中でニギハヤヒノミコトが降臨し、統治の中心とした場所と言われる河内の国にある神社で、ニギハヤヒの子孫の物部氏の有力氏族の木積氏が代々神主を務める神社です。
公式サイト:http://www.ishikiri.or.jp/
磐船神社(いわふねじんじゃ)
ニギハヤヒを祀る神社の中でも、ニギハヤヒが降臨されたときに乗っていたという天磐船(アマノイワフネ)だと言い伝えられる巨石がある神社です。
所在地:大阪市交野市私市9-19-1
籠神社(こもじんじゃ)
籠神社のご祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)という神様で、ニニギノミコトの兄弟神として地上に降臨し籠神社のご祭神となったとされます。
この彦火明命の別名が「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」とされます。
籠神社は丹後国一宮という古くから皇室でも重要視されている神社であり、国宝の海部氏系図という、神代からの家系図が残る由緒正しい神社です。
さらにこの籠神社の伝承では、彦火明命は宗像三女神のイチキシマヒメ(市杵島姫命)を妻としたと言われています。
このイチキシマヒメは瀬織津姫と同一視される神様と言われています。
籠神社公式サイト:http://www.motoise.jp/index.php
ニギハヤヒの墓
ニギハヤヒは逝去された時、そのご遺骸は天に上っていったとされます。
そのため、ニギハヤヒが埋葬されたというお墓はありません。
ですが、ニギハヤヒの妻がニギハヤヒの遺言に従い、鳥見の白庭にニギハヤヒの遺品を埋めたという言われ、その鳥見の弓塚と言われます。
その伝説が語られる場所は現在も存在します。
饒速日命墳墓(奈良県生駒市白庭台5-9-1)
真弓塚(奈良県生駒市上町5002)
ニギハヤヒのご利益・ご神徳は?
様々な神社で祀られ様々なご利益御神徳をお持ちと考えられています。
腫物(癌等)の守護(石切神社)
病気平癒(磐船神社)
諸願成就
ニギハヤヒノミコトの神格
太陽神
穀物の神
呪術の神
航空の神
https://shinto-bukkyo.net/shinto/kamisama/%E3%83%8B%E3%82%AE%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%92-%E9%A5%92%E9%80%9F%E6%97%A5%E5%91%BD/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/235.html#c1
61. 風の戦士A[-204] lZeCzJDtjm2CYA 2020年7月24日 05:19:18 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6690]
>>53
>三浦春馬という芸能人の件 前にも この人のトビが立ち トビ数が異様に多くなったのを覚えていますが。
そのとおり!
>ホモにする為に男娼を周りにおいてやるとか
これってジャニーズ事務所がやってることですよね!!
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200722/k10012529301000.html
>TOKIO 長瀬智也さん 来年 ジャニーズ事務所退所へ 2020年7月22日 22時37分
阿修羅の今日(7月24日)のトップ記事は「長瀬智也さん」かと思ってましたが・・・
2日前の記事を総合1位に持ってくるのが「赤かぶさん」の常套手段でしたから・・・
日本では、今、午前5時かな?
>総合 アクセス数ランキング(瞬間) 2020/07/24 05:06更新
>身長178センチの三浦春馬氏の… 国際評(101)
>そもそも総研、PCR検査が拡充しないのは…(まる… 赤かぶ(93)
2位がこれから1位になるかも知れないけどね。
さて、ホモCIAは「ホストクラブ」を主な資金源にしていましたが・・・
そのホストクラブに供給するホモはジャニーズ事務所が主な供給源でした・・・
https://www.cyzowoman.com/2018/08/post_199702_1.html
https://matome.naver.jp/odai/2138391738159953701
しかし、ジャニー喜多川が殺されて、ジャニーズ事務所はCIAの支配を離れようとして・・・
立憲民主党のように・・・
https://www.asahi.com/articles/ASN1S62WVN1QUTFK03D.html?iref=pc_rellink_02
>1月20日昼、国会内。立憲民主党の枝野幸男代表は、コンビニで買ったラーメンをすすりながら周りにつぶやいた。「決められないまま、ずるずるやるのは最悪だ」。国会召集前の合流実現を訴えてきた枝野氏は、協議に延長戦はないとの考えを明確にした。
しかし・・・
立憲民主党の「比例代表」で当選したCIA参議院議員が「離党」するなど・・・
エダノが狙う「脱CIA」は机上の空論になってきましたね!!!
ジャニーズ事務所の「脱ホモ」も!!!!
脱CIAの行方は脱ホモにかかっている!!!!!
皇位継承は兄弟相続するのが古くからの伝統
皇位継承
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,
16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,
仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。
応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。
しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。
また,記紀にみえる天皇の名称をみると,
7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,
10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,
12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),
15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,
27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシ
という称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると
7〜9代の名称は持統以下の名称を手本に,
12〜14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られた
と推定される。
これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。
10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10〜12代の天皇は大和を根拠としていたが,15〜25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。
同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。
これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。
しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。
→王朝交替論
[直木 孝次郎]
皇嗣の冊定
大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。
そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。
しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。
ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。
皇位継承の資格
皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。
推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。
継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。
平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。
皇位継承の原因
上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。
天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。
また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。
なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。
81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。
また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。
35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=128
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天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統
「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、ここは、父子間での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、ここは、兄弟間での皇位継承とみられます。
つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の父子間の皇位継承は、捏造でしょう。
1〜13代の父子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、父子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。
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古代日本「謎」の時代を解き明かす―神武天皇即位は紀元前70年だった! – 2012/4/1
長浜 浩明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E8%AC%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E2%80%95%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E3%81%AF%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D70%E5%B9%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E9%95%B7%E6%B5%9C-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4886563694/ref=la_B004LVY064_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1556496455&sr=1-3
内容
「大阪平野の発達史」が明かす古代史の真実、「男子は皆黥面文身す」が邪馬台国論争に黒白をつける、「皇紀」を「西暦」に直すと古代史が見えてくる、「韓国の前方後円墳」が覆す騎馬民族渡来説―混迷する古代史界に正気を取り戻す。
著者略歴 長浜/浩明
昭和22年群馬県太田市生まれ。同46年、東京工業大学建築学科卒。同48年、同大学院修士課程環境工学専攻修了(工学修士)。同年4月、(株)日建設計入社。爾後35年間に亘り建築の空調・衛生設備設計に従事、200余件を担当。資格:一級建築士、技術士(衛生工学、空気調和施設)、公害防止管理者(大気一種、水質一種)、企業法務管理士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
hira 5つ星のうち2.0
歴史利用による日本賞賛は、一種の宗教である 2019年3月5日
日本古代史の研究本には、考古学中心と、文献学中心に、大別でき、考古学中心だと、調査での知識が取得できる一方、文献学中心だと、引用文が多用されていれば、読解での知識が取得できます。
ところが、本書のように、文献学に傾倒し、いきなりの筆者の仮説や、他者の批判と、それらの根拠の説明だと、もし、その仮説が否定されれば、本自体の存在価値は、ほぼなくなってしまいますが、残念ながら、本書で、肯定できる箇所は、次のように、ほとんど散見できません。
日本古代史には、著名な学者達の通説でさえ、到底納得できないものが、多々あり、なので、在野の研究者達が、入り込む余地があるのですが、筆者が、本書で諸説を散々批判したわりには(特に3章)、その前提条件が、大変脆弱です。
○1章への反論
筆者は、神武東征が、河内潟の時代だと主張していますが、次のような理由から、河内湖Tの時代の可能性も、あるのではないでしょうか。
「日本書紀」神武即位3年前2月11日に、皇軍が、難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いたのは(p.28)、瀬戸内海では現在も、潮流の方向が、約6時間ごとで、鞆の浦付近を中心に、内向きと外向きで、交互に変化するので、その影響と推測できます。
よって、河内潟や河内湖の、出入口での流出入とは、無関係とみられ、3月10日に、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いたのも(p.29)、当時は、積載しても、あまり沈み込まない、準構造船か丸木舟なので、押して歩ける水位の水際なら、流れが多少ゆるやかなので、逆らえるでしょう。
余談ですが、「日本書紀」の訳文には、川と記載されていますが、原文には、川と記載されておらず、「流れを遡(さかのぼ)って」となっており、潟内か湖内の川は、誤訳です。
そもそも、難波の堀江の開削が着工される5世紀以前に、船で瀬戸内海から大和へ、人・物を輸送する際には、大和川水系を遡上したとみられ、それなら河内潟でも河内湖でも、進入できたはずで、筆者が軍船といっているのは(p.34)、当時まだなかった、構造船を想定したからではないでしょうか。
○2章への補足
筆者の主張する、邪馬台(壱)国=九州北部説には、私も賛同し、帯方郡〜邪馬壱国間が1万2000余里、帯方郡〜奴国間が1万600余里なので、奴国〜邪馬壱国間が1400余里以内となる説明は、わかりやすいですが(p.54)、入墨の分布が、かえって、わかりにくくしているのではないでしょうか(p.69)。
私なら、もし、邪馬台国が近畿だと、伊都国設置の諸国を検察する一大率を、畏憚する(おそれはばかる)距離でないこと、もし、「魏志倭人伝」で、方位を書き誤ったなら、後世の「後漢書倭伝」で、狗奴国の位置を、女王国の東1000余里に訂正した際、一緒に訂正するはずとの理由を追加します。
「魏志倭人伝」に、狗奴国は、倭の21ヶ国の南にあるという記述だけを、筆者が信用するのも、疑問です。
○5章への反論
本書で筆者は、神武東征を紀元前70年と主張しており、ここでは、葦の根に生成・蓄積される褐鉄鉱を持ち出し、鉄器の導入と結び付けたいようにみえます。
しかし、日本列島での鉄器の出土数を比較すると、九州北部は、3世紀前半まで、他地域を圧倒し、3世紀後半になって、はじめて畿内が逆転しており、紀元前1世紀の大和は、鉄器の後進地域なので、結局は、何がいいたいのか、不明です。
○4・6章への反論
100歳以上の天皇が、初期に多数いるので、筆者は、1〜19代に、1年2歳説を採用していますが、そもそも1年サイクルで、農耕民は、稲作・畑作、漁労・狩猟・採集民は、旬の食物を獲得、交易民は、海流を渡海・交易する等、生活・活動しているのに、年齢だけが、1年で2歳になるのは、とても不自然です。
「魏略」での裴松之の注では、倭人が、正月や四季を知らず、春の耕作と秋の収穫を計って1年としていると、解説しているにすぎず、当時の人々は、朝に、観測点から見て、太陽が東の山々の、どこから昇るかを基準に、自然の暦(夏至・春秋分・冬至等)を算出していたようです(福岡県・平原遺跡)。
「魏志倭人伝」に、倭人は長寿で、中には100歳・80〜90歳もいるとあり、訳文には、歳と記載されていますが、原文には、年となっており、17代以後で、記紀神話に死去年齢が記載されている天皇には、60〜70歳代も結構いるので、1年で1歳とみるのが自然です。
私は、「日本書紀」で、100歳以上の天皇が、1・5〜13・14-15代の間・15代、事績に長期間の空白がある天皇が、1・10・11・14-15代の間・16代なので(それぞれ26年・30年・47年・25年・19年間)、父子継承が主流の16代以前は、年代不当、兄弟継承が主流の17代以後は、年代妥当とみています。
ただし、歴代天皇の全員が、実在したかは、疑問ですが、この程度の人数は、存在していたと仮定し、16代以前だけでなく、17代以後にも、多少の年代のズレが、あったでしょう。
年代不当の1〜16代の17人は、紀元前660〜400年の1060年間なので、天皇の在位期間の平均が、約62年/人、年代妥当の17〜41代の25人は、400〜697年の297年間なので、在位期間の平均が、約12年/人となり、年代不当の17人を12年/人とすれば、初代・神武天皇の即位は、196年になります。
この2世紀終りは、銅鏡が、畿内に集中するようになった時期(漢鏡7期の第2段階)であるうえ、大和に大型前方後円墳が出現する直前で、神武が天皇の始祖にふさわしく、河内湖Tの時代になります。
そのうえ、10代・崇神天皇の即位は、304年になり、4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期と一致するうえ、10代の磯城の瑞籬宮・11代の纒向の珠城宮・12代の纒向の日代宮とも符合します。
一方、筆者が1年2歳説を採用した、1〜19代の20人は、紀元前70〜457年の527年間なので、天皇の在位期間の平均が、約26年/人、20〜41代の22人は、457〜697年の240年間なので、在位期間平均が、約11年/人となります。
41代までのほとんどは、いったん即位すれば、死去するまで天皇だったので、古い年代で寿命が長いのは、矛盾しています。
また、16代以前の父子間の皇位継承は、後述のように、3〜6代が兄弟間の皇位継承とみられるので、それ以外の部分の信憑性も疑問視され、筆者のいう、神武天皇の即位を紀元前70年とするのは、無理があると導き出せます。
○7章への補足
筆者が、闕史八代の天皇の妻に着目したまでは、よかったのですが、その子供達の子孫を、記紀神話で、全国各地の豪族達の始祖に位置づけたのは、後世に天皇へ奉仕した、かれらの正統性を確保するためとみられ、そこに血縁関係があったとまでは、けっして言い切れません。
むしろ、2〜7代の妻は、「古事記」「日本書紀」の本文と、一書にも記載があるので、そこにも注目すべきで、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(高尾張邑=葛城邑としました)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。
これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。
ちなみに、崇神天皇(10代)は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還したので、実際には、4世紀初めから、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、4方向を開拓し、流通ネットワークを広域整備、統治範囲は、大和一帯とみられます。
第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、ここは、父子間での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、ここは、兄弟間での皇位継承とみられます。
つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の父子間の皇位継承は、捏造でしょう。
1〜13代の父子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、父子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。
第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。
しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。
第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。
したがって、2〜9代が、もし、非実在なら、その妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明できます。
闕史八代の実在を主張するなら、この程度の根拠を、提示すべきですが、おそらく筆者は、「日本書紀」の本文(訳文)しかみておらず、2〜7代に一書があるのを、把握していなかったのでしょう。
○8章への苦言
日本古代史は、東アジアの視点が大切で、中国・朝鮮・日本が、まだ未分化な状態から、徐々に分化していく過程をみるべきなのに、日本・中国・朝鮮等の人種や国家が、分立していたかのように取り上げ、現代の善悪・優劣・尊卑等や、筆者の価値観で、評価するのは、歴史研究者として反則行為です。
最後の「おわりに」(p.209-292)まで読み進めると、筆者は結局、日中の歴史書等から、史実を探求するよりも、日本賞賛に都合のよい、こじつけ的な解釈が、必要なだけだったと理解でき、天皇の年齢や年代以外は、吟味していないので、日中の歴史書等を信仰の対象とした、新興宗教者といえます。
中世・近世の日本では、伊勢神道・吉田神道・復古神道等が、記紀神話をこじつけ的に解釈することで、自分達の正当性・優位性を主張していました。
ここまでみると、どうも、筆者が、神武天皇の即位を、紀元前70年としたのは、新羅の建国が、紀元前57年、高句麗の建国が、紀元前37年、百済の建国が、紀元前18年とされているので、それらに対抗・優越しようとしただけにしか、みえないのは、私だけでしょうか。
中国・欧米等の建国史は、人工的・作為的な「創造」である一方、日本の建国史として位置づけられる記紀神話は、自然な「生成」を意識しており、だから、神代に数々の一書を併記することで、意図的に曖昧にしているのを、筆者は、無理矢理に確定しているようで、まさに人工的・作為的です。
それは、最近の右派・右翼系の活動も同様で、日本らしさといいながら、かれらが嫌悪している中国らしく・朝鮮らしく変貌してきているのを、自覚しているのでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RCQT9M0397NL/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4886563694
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ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書) – 2010/11/20
吉村 武彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E3%80%88%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2-2%E3%80%89-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%90%89%E6%9D%91/dp/4004312728/ref=cm_cr_srp_d_product_top?ie=UTF8
内容紹介
日本列島にはじめて成立した統一国家、ヤマト王権。その始まりはいつだったのか。最初の「天皇」は誰なのか。王宮や王墓の変遷は何を物語るのか──。『魏志倭人伝』等の中国の正史や金石文ほか、貴重な同時代資料に残された足跡を徹底的にたどりつつ、ひろく東アジア全域の動きを視野に、多くの謎を残す時代の実像に肉迫する。(全6巻)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉村/武彦
1945年朝鮮大邱生まれ、京都・大阪育ち。1968年東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大大学院国史学専攻博士課程中退。現在、明治大学文学部教授。専攻は日本古代史
カスタマーレビュー
hira 5つ星のうち2.0
古墳期の一元的・集権的な世界観から脱却せよ! 2019年2月16日
本書のシリーズAは、@が弥生期、Bが飛鳥期なので、古墳期を範囲としており、日本列島で、7世紀後半から、律令制を本格的に導入した、中央政府の起源を、ヤマト王権とし、それが分権社会から集権社会へと、移行していった過程を、主に文献学から解説しています。
したがって、本書では、考古学による、畿内以外の地域の状況は、ほとんど取り上げられていませんが、だからといって、日中の古代歴史書も、正当に史料批判されているとはいえず、ヤマト王権の初期から、大和中心の一元的な世界に偏重しており、現在でも、それが通説化しています。
しかし、実際の古墳期は、もっと多元的な世界だったので、ここでは、異説を取り上げることで、本書にも問題点が、多々あることを、指摘しておきます。
○倭奴国(p.5-7)
「後漢書倭伝」で、57年に、後漢の光武帝(初代)へ朝貢し、金印を授与されたのは、倭の奴国ではなく、倭奴国で、それは、「旧唐書倭国伝」に、倭国は、古(いにしえ)の倭奴国なり、「新唐書日本伝」に、日本は、古の倭奴なり、とあるからです。
また、金印も、漢の委(わ)の奴(な)の国王ではなく、漢の委奴の国王、「隋書俀国伝」で、後漢の安帝(6代)の時代(106〜125年)に、使者を派遣・朝貢したのは、俀奴国、「後漢書倭伝」で、107年に、倭国王の帥升等が、安帝に奴隷160人を献上しているので、倭国=倭奴国=委奴国=俀奴国です。
そうなると、金印の委奴国は、伊都(いと)国よりも、倭奴国の人偏を省略とみるのが適当で、「魏志倭人伝」には、倭の30ヶ国の他にも、倭種(倭人)の国があり、それらと区別するためか、中国は、匈奴と対照的に、「倭奴」の呼称にしたとも推測でき、57年・107年の後漢朝貢ともに、倭国です。
○邪馬壱国・壱与(p.12、23)と邪馬壱国九州説(p.13-17)
3世紀後半成立の「魏志倭人伝」では、邪馬壱(旧字は壹)国と壱与でしたが、5世紀前半成立の「後漢書倭伝」では、邪馬台(旧字は臺)国に改変され、7世紀前半成立の「梁書倭国伝」では、なぜか祁馬台国となっています。
7世紀半ば成立の「隋書俀国伝」では、邪靡堆(やまたい)=邪馬台、7世紀半ば成立の「北史倭国伝」では、邪摩堆=邪馬台と、踏襲されており、本書では、10世紀後半成立の「魏志」の抜粋が収録された「太平御覧」も、邪馬台国のようなので、「後漢書倭伝」で、改変されています。
一方、壱与は、「後漢書倭伝」「隋書俀国伝」には、記事がなく、「梁書倭国伝」「北史倭国伝」で、台与に改変され、邪馬台国に改変された時期とズレており、どちらか本当かは、不明なので、勝手に改変すべきでなく、正確には、邪馬壱国・壱与です(「隋書俀国伝」を「隋書倭国伝」とすべきでないのと同様)。
邪馬壱国=近畿(大和)説は、方位の東を南に書き誤ったとしていますが、魏は、倭に派兵しており、方位は、進軍・補給に大切なうえ、万一記載ミスなら、「魏志倭人伝」より後世に成立した「後漢書倭伝」で、狗奴国の方位を訂正・距離を追加した際に、そこも訂正してもよいはずではないでしょうか。
邪馬壱国=九州説は、帯方郡〜邪馬壱国間を1万2000余里、帯方郡〜伊都国間を1万500余里、伊都国〜邪馬壱国間を1500里以内(対馬国〜壱岐国間の約1.5倍)としており、それを論破しないまま、はるか後世の15世紀初めの地図を持ち出し、邪馬壱国=近畿(大和)説を採用するのは、不充分といえます。
○銅鏡の価値(p.21)
中国の銅鏡は元々、官営工房で製造されていましたが、やがて政権の庇護がなくなったため、工房が、自立するようになり、後漢末期の2世紀終りには、すでに民間工房の量産品が、中国市場に流通していたので、前漢鏡→後漢鏡→魏晋鏡以降と、銅鏡の価値が、しだいに低下していました。
3世紀初めを境に、中国鏡の分布の中心が、九州から畿内に移動したのは、畿内が、政治の中心になったからではなく、価値の低下を認知していた九州北部が、輸入品を畿内へ、率先して販売した可能性があります。
「魏志倭人伝」では、238年に、魏皇帝が、倭の卑弥呼へ、紺色地に曲線模様の錦3匹・まだらの花の細密模様の毛織物5張・白絹50匹・金8両・五尺刀2口・銅鏡100枚・真珠+鉛丹各々50斤を授与しており、銅鏡100枚は、五尺刀2口よりも後ろの記載なので、価値があまり高くないともいえます。
銅鏡100枚は、魏の政権が、複数の民間工房に発注したとみられ、古墳期の銅鏡は、有力者から配布(下賜)されるよりも、贈与と返礼(互酬)や物々交換(交易)で、大量入手したと推測できます。
○初代・10代と欠史八代の実在性(p.35-41)
一書も含めた、記紀神話での、1〜10代の天皇の妻の出身は、次の通りです。
・神武(初代):日向(阿多、紀・記)、神の子孫(紀・記)*
・綏靖(2代):磯城(県主・ハエの妹=紀1・記)、春日(紀2)、神の子孫(紀本)*
・安寧(3代):磯城(県主・ハエの娘=紀1・記)、春日(大間、紀2)、神の子孫(紀本)*
・懿徳(4代):磯城2(県主・ハエの弟イテの娘=紀1、紀2)、皇族(紀本)*
・孝昭(5代):磯城(県主・ハエの娘=紀1)、大和(紀2)、葛城(尾張、紀本・記)*
・孝安(6代):磯城(県主・ハエの娘=紀1)、十市(紀2)、皇族(紀本)*
・孝霊(7代):磯城(紀本)*、十市(紀2・記)、春日(紀1・記)、皇族2(紀本×2・記×2)
・孝元(8代):河内(紀・記)、穂積(物部)氏2(紀×2・記×2)*
・開化(9代):葛城(記)、丹波(紀・記)、穂積(物部)氏(紀・記)*、和珥(丸邇)氏(紀・記)
・崇神(10代):紀伊(紀・記)、葛城(尾張、紀・記)、皇族(記)*
※紀本:日本書紀本文、紀1:日本書紀一書第一、紀2:日本書紀一書第二、記:古事記、*:皇后
ここで注目すべきは、第1に、2〜7代の妻が、磯城・春日・大和・葛城(尾張は、高尾張邑=葛城邑なので)・十市と、奈良盆地内の出身で、8〜10代の妻も、盆地内の出身と、河内・丹波・紀伊の出身もいることです。
これは、初期の大和政権が、まず、地元豪族と結び付くことで、奈良盆地内を確実な勢力基盤にすると、つぎに、河内の瀬戸内海方面・丹波の日本海方面・紀伊の太平洋方面と、大和の周辺地域のうち、輸入用の交易ルートを開拓したとも読み取れます。
第2に、「古事記」で、2代の妻は、磯城の県主・ハエの妹、3代の妻は、ハエの娘なので、この間は、親子世代での皇位継承ですが、「日本書紀」の一書で、3〜6代の妻は、いずれもハエの娘世代なので、この間は、兄弟世代での皇位継承とみられます。
つまり、「日本書紀」の本文が、本当であれば、一書をわざわざ、記載する必要がないので、一書での3〜6代の妻は、史実だとみられ、本文の親子間の皇位継承や、100歳以上の超長寿・神武天皇(初代)即位以降の年代も、捏造でしょう。
初代から13代までの親子間での皇位継承は、天武天皇(40代)以前まで、兄弟間での皇位継承が主流だったのを、天武天皇以後から、親子間での皇位継承に改変するための前例を、国史の中に捏造し、あらかじめ紛れ込ませておいたと推測できます。
第3に、皇后は、皇族が通例ですが、5代は、尾張の連の遠祖の妹、7代は、磯城の県主の娘、8代は、穂積の臣等の祖の妹、9代は、物部氏の遠祖の娘が、皇后で、その息子が皇太子→天皇になっているので、もし、それらが非実在なら、豪族(非皇族)を皇后にしなくてもよいのではないでしょうか。
しかも、尾張の連・磯城の県主・穂積の臣は、後世に有力豪族になっていないので、偽装する理由がなく、特に、7代は、皇族妻2人(姉妹)に、息子が4人(姉に2人・妹に2人)もいるのに、非皇族妻の1人息子が、天皇に即位しており、最も捏造したい所が露見しているので、史実が濃厚です。
第4に、物部氏の祖の娘・イカガシコメは、8代の妻になり、[武内(たけのうち)宿禰の祖父(紀)・建内(たけしうち)宿禰の父(記)]を出産後、9代の妻にもなり、のちの崇神天皇(10代)も出産しているので、もし、8・9代が非実在なら、そのような境遇にしなくてもよいのではないでしょうか。
よって、2〜9代が、もし、非実在なら、妻達を、もっとすっきりした系譜や、後世の政権にとって都合のいいように、捏造することもできるのに、そうしておらず、一書を併記する等、苦心もみられるのは、実在したからだとも説明でき、超長寿や特異な名前・事績がないだけで、全否定は、できません。
崇神天皇は、四道将軍を派遣・平定したとありますが、わずか半年で帰還しているので、実際には、西海(吉備)・丹波に輸入用の交易ルートと、東海・北陸に輸出用の交易ルートの、開拓で、流通ネットワークを全国展開した一方、4世紀前半の統治範囲は、大和の周辺地域までとみられます。
神武天皇は、その始祖なので、編纂の際に、「天下」と装飾され、初代・10代ともに、「はじめてこの国を統治した天皇」と潤色されただけではないでしょうか。
履中天皇(17代)以後は、旧天皇即位から新天皇即位までの平均が12年で、仁徳天皇(16代)以前は、超長寿なので、仮に、それらの天皇が全員実在し、在位期間を12年/人、履中天皇即位を400年とすれば、神武天皇即位は、196年(2世紀終り)、崇神天皇即位は、304年(4世紀初め)となります。
崇神天皇の4世紀初めは、纏向遺跡の最盛期で、筆者が主張する、初期ヤマト王権の4世紀前半とも、ほぼ符合し、神武天皇の2世紀終りは、大和に銅鏡が集中するようになる(漢鏡8期の2・3段階)直前で、大型古墳が大和に出現する直前の時期で、始祖にふさわしいともいえます。
孝元・開化の2天皇(8・9代)は、それぞれ280年・292年即位と算定でき、河内・丹波出身の妻がいて、3世紀後半に、畿内が、鉄器の出土数で、はじめて九州を逆転したので、それぞれ瀬戸内海側・日本海側の、輸入用の交易ルートを開拓したとも、結び付けられます。
各天皇の実在性は、疑問視されますが、この程度の人数がいた可能性があり、実際には、親子間でなく、兄弟間での皇位継承が、主流だったと導き出せます。
○日中で古代歴史書での食い違い
これは、あまり取り上げられていませんが、「日本書紀」神功皇后(14-15代の間)の時代の記事で、「魏志倭人伝」から、人名等を引用したにもかかわらず、次のように、ことごとく食い違っています。
「魏志倭人伝」→「日本書紀」
・238年:倭の使者の難升米・帯方郡長官の劉夏→239年:難斗米・ケ夏
・240年:帯方郡長官の使者の建中校尉の梯儁→建忠校尉の梯携
・243年:倭の使者の伊声耆・掖邪拘→伊声者・掖耶約
また、「旧唐書日本伝」に、日本国は倭国の別種なり、とあり、日本国の人で、唐の朝廷を訪問した者は、自己のおごりたかぶりがひどく、事実を答えないので、中国は、日本国の人の言葉を疑っている、となっており、日本による、中国への虚偽報告は、有名だったようです。
さらに、「新唐書日本伝」では、日本国王の姓は、アメ氏で、初代がアメノミナカヌシ、32代まで筑紫城、神武天皇から大和州へ移住したとあります。
「宋史日本国伝」では、献上された年代記には、初代がアメノミナカヌシ、23代(訂正)までは、筑紫日向宮が、神武天皇からは、大和州橿原宮が、都で、「隋書俀国伝」でも、倭王の姓は、アメ氏、「旧唐書倭国伝」でも、倭国王の姓は、アメ氏となっています。
それらから、倭国は、九州北部の筑紫政権が中心で、畿内の大和政権は当初、倭国の圏外だったのが、朝鮮半島への派兵で、各地の政権が協力するようになり、白村江の合戦(663年)での大敗後の戦後処理をきっかけに、倭国から日本国へと改号し、大和政権が中心になった、とする説があります。
これによれば、「魏志倭人伝」と「宋書倭国伝」の倭の五王は、すべて筑紫政権の記事で(邪馬壱国=九州北部説、倭の五王=九州王朝説)、大和政権は、「日本書紀」で、故意に人名等を、一部改変することで、筑紫政権の史実を乗っ取ったとみることもできます。
記紀神話で、神武天皇は、日向から進出しているので、大和政権の始祖(初代)は、筑紫政権と無関係といえますが、中国には、神武天皇が、筑紫から大和へ進出したように、改変しており、権威・権力が、倭から日本へと、スムーズに受け継いだように見せ掛け、正統性を担保したとも読み取れます。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1LZN9HINXSIGN?ref=pf_vv_at_pdctrvw_srp
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/236.html
「万世一系」の虚妄 _ 日本はなぜ「万世一系」を必要としたか
2013-05-05
「万世一系」の虚妄
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130505/1367721385
天皇といえば、枕詞のようについてくる形容が「万世一系」。
ある種の人々にとって、天皇家が「万世一系」であることは、何物にも代えがたい至上の価値であり、日本という国を、他国より優れた特別な存在にするものであるらしい。
…バカじゃなかろうか。
当たり前だが、親から生まれて来なかった人間はいない。
皇族であろうがなかろうが、また日本人であろうがなかろうが、人間である以上、誰でも親、その親と辿っていけば、必ず悠久の過去の人類発祥までたどり着く。途中一世代どころか一瞬でも断絶があれば、その人間はいま生きてはいない。人間であれば誰でも、現生人類の誕生以来約25万年と言われる歴史の中を、連綿と命を受け継いで来たのだ。その中で、高々2千年程前のある男が祖先だと称する一族だけが「万世一系」で尊いなどということがあるわけがない。そんなものを崇め奉るのは愚の骨頂である。
「万世一系」など下らぬ妄想。
以上、終わり。
…ということにしてもいいのだが、せっかくなのでもう少しこれに関連する言説を見てみることにする。
一口に「万世一系」と言っても、その考え方は一つではないようだ。中でもとりわけバカバカしいのはこれあたりだろうか。
平沼赳夫オフィシャルホームページ:(強調部は引用者による)
…
つまり、男系継承とは「男性天皇が血統の出発点であること」を意味し、反対に女系継承とは「女性から始まる継承」をいう。愛子内親王が天皇となり、その配偶者が皇族でないかぎり、その子が天皇になると「女系継承」が始まるのである。
「万世一系」というと本家の血筋が永遠に続くことと誤解する人がいるが、それでは「真の一系」にはならないのだ。時には分家からも継承者が現れ、男系で継承が維持されていくことが「万世一系」の本質的意味である。
飛鳥より遥かに時代をさかのぼった第16代仁徳天皇の男系血筋は、約80年後の武烈天皇(25)で血統が途絶えたため、家系をさかのぼって分家の男系子孫を見つけだし、継体天皇(26)が誕生したという例もある。
では次にこの男系継承を遺伝子学的に見てみよう。
人間の男性の染色体はXYであるのに対して、女性のそれはXXであり、それぞれ46対ある。男女が結婚して男の子ができた場合、母の23対のX染色体と父の23対のY染色体をもらう。女の子の場合は、母の23対の×染色体と父の23対のX染色体をもらう。よって男系の子孫にのみにオリジナルのY染色体が引き継がれ、女系の子孫には引き継がれない。女系では「皇統」が護持されないのである。(参考図参照)
つまり、皇位が男系継承で引き継がれていく限り、男性天皇には間違いなく初代神武天皇のY因子が継承されるのに対し、女性天皇ではY因子の保持は約束されないのである。
男系継承を護持することは、神武天皇だけでなく、更に遡って二二ギノミコトのオリジナルのY因子を継承することにもなり、このY因子こそ「皇位継承」の必要要件であり「万世一系」の本当の意昧なのである。
…
平沼によると、「万世一系」の本質とは、天皇家の父から息子へと受け継がれていくY染色体上の遺伝子のことなのだそうだ。代々の天皇(天皇にはなれなかった傍系の男も含む)の肉体は、単なる遺伝子を運搬するための器に過ぎず、息子に「Y因子」を受渡してしまえばもう用済みなのである。もちろん、個々の天皇の人格などどうでもいいわけだ。なんだか、利己的遺伝子仮説の出来の悪い焼き直しみたいな話だ。
これほど歴代天皇を侮辱した言説もないのではなかろうか。
ついでに指摘しておくと、古事記に名前が出てくる各地の豪族のうち、88%は「皇系」、つまり何代目かの天皇の子孫ということになっている。平沼の言うように「Y因子」さえ受け継いでいればいいのなら、男系で続いてさえいれば、そうした豪族たちの誰がどんな手段で天皇になっても構わないことになる。とんだ「万世一系」もあったものだ。
より穏当というか、一般的な説は、日本では歴史の初めから王朝の交代がなく、同じ王統がずっと続いているから「万世一系」だ、というものだ。
しかし、こちらの説も極めて怪しい。
例えば、平沼も言及している武烈(25代)から継体(26代)への代替わりなど、まず王朝交代と見て間違いない。
武烈には子がなく、次の天皇となった継体は、古事記によれば応神天皇(15代)の五世の孫、日本書紀によれば六世の孫、とされている。確かに一応過去の天皇の子孫ということになってはいるが、これほど世代の隔絶した継承は異常だ。それは、以下の系譜と比べてみれば分かる。
桓武天皇
|
葛原親王1
|
高見王2
|
平高望3
|
平良持4
|
平将門5
平将門は桓武天皇の五世の孫。継体が天皇になったというのは、平将門が天皇になったのと同じようなものなのだ。
しかも、三国(現在の福井県坂井郡付近)の出身とされている継体の、応神以来の系譜は、古事記にも日本書紀にも書かれていない。(日本書紀は父の名のみ記載。)
これは記紀の編者が、それらを知らなかったためではなく、それらを書くことが必ずしも名誉とならない、そういう事情を配慮したからではないであろうか。なぜなら、それらの人名は、北志賀(滋賀県)や三国(福井県)の諸豪族にとって、同僚や時として下僚に当る人物として熟知されていた人名だったであろうから。
このように考えてみると、継体即位の問題性、さらに不法性、それを疑うことは困難なのではなかろうか。
という古田武彦氏の推測(『古代は輝いていた』2)は妥当なものと思われる。実際、応神―継体間の系譜は、鎌倉末期に書かれた日本書紀の注釈書「釈日本紀」に、今では失われた「上宮記」という史書からの引用という形で記載されている。上宮記は7世紀頃に成立したと考えられており、古事記・日本書紀より古い。当然、記紀の編者が知らなかったはずはないのだ。
要するに、武烈死後の混乱に乗じて、出自もはっきりしない、しかし武力や経済力は十分に備えた地方の大豪族が大和に進出してきて次の天皇となったのだ。「万世一系」説に毒されていない常識では、これを王朝交代と呼ぶ。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130505/1367721385
▲△▽▼
日本はなぜ「万世一系」を必要としたか
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130602/1370174878
歴代天皇のいわゆる「万世一系」について、真に問わなければならない問題とは何か?
それは、「万世一系」の定義とか、それは事実かどうか、といったことではなく、なぜ天皇は「万世一系」ということになっていなければならないのか、そもそもなぜそんなものが必要だったのか、という問題だと私は考えている。
「万世一系」の天皇を戴く大和民族の一員であることにしか自尊感情の源泉を見いだせないある種の人々(「特定日本人」とでも呼ぶべきか?w)は、幾多の王朝が興亡を繰り返した中国と比較することで自国の優位性を言いたがる。
なので、ここでも中国との比較を通してこの問題を考えてみることにしよう。
■ 疑問1
前回の記事では、武烈―継体間の王統断絶を取り上げた。ここで、日本書紀は、前王朝最後の王武烈を、悪逆非道の暴君として描き出している。
武烈2年: 妊婦の腹を割いて胎児を見た。
武烈3年: 人の生爪を抜き、その手で芋を掘らせた。
武烈4年: 人の頭髪を抜き、木の頂に登らせ、その木を切り倒して、
登らせた者が落ちて死ぬのを楽しんだ。
武烈5年: 人を池の水を流す樋に伏せ入らせ、外に流れ出てきたところを
三叉の矛で刺し殺して楽しんだ。
武烈7年: 人を木に登らせておき、弓で射落として笑った。
武烈8年: 女を裸にして板の上に据え、馬を引いてきて交尾させた。
そして女の性器が濡れていれば殺し、濡れていなければ官婢とした。
これとよく似た例が、中国の史書にも見られる。有名なのは殷に亡ぼされた夏王朝最後の王「桀」、そして周に亡ぼされた殷王朝最後の王「紂」に関する暴虐記事だろう。
『史記』夏本紀34:
桀、徳に務めずして百姓を武傷す。百姓堪えず。
『史記』殷本紀29-30:
(紂は)酒を好み淫を楽しみ、婦人を嬖(へい)す。
妲己(だっき)を愛し、妲己の言に是れ従ふ。
…
賦税(ふぜい)を厚くして以て鹿台(ろくだい)の銭を実たし、而して鉅橋(きょきょう)の粟(あわ)を盈(み)つ。
…
(人々を)大いに最(あつ)め沙丘に楽戯す。
酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸(ら)し其の間に相ひ逐(お)はしめ、長夜の飲を為す。
武烈紀の暴虐記事は、これら中国の先例に倣ったものと思われる。
こうした記事の内容が本当だったのかどうか、それは分からない。しかし、確実に言えるのは、前王朝に取って代わった新権力者にとって、先王の暴虐を宣伝するのは、自らの権力奪取の正当性を主張する上で大変役に立つ、ということだ。
殷の湯王や周の武王と、継体はよく似た立場にいたといえる。ではなぜ、湯王や武王が堂々と新王朝の樹立を宣言したのに対して、継体はあたかも穏当に武烈の後を継いだかのように振舞ったのだろうか?
別の言い方をすれば、継体から始まる新王朝の正史である日本書紀は、なぜ継体を自王朝の始祖として描かず、神武以来の王朝がそのまま継続したかのように描いているのだろうか?
■ 疑問2
武王が樹立した周王朝は、その後しだいに衰退し、やがて形式的な権威を担うだけの有名無実の存在となっていった。鎌倉時代以降、実質的権力を失い、衰退していった京都朝廷とよく似ている。
両者の違いは、周王朝が数百年続いた後、最終的に秦に滅ぼされたのに対して、京都朝廷は曲がりなりにも近代に至るまで存続したことだ。
何がこの両者の運命を分けたのだろうか?
■ 答え
周王朝を廃した秦の始皇帝は、泰山で「封禅の儀」を行い、天と地を祭って、中国全土を統治する皇帝としての自らの権威を誇示した。
この例が示すように、古来中国には「天」の思想がある。そもそも王や皇帝とは、天の命令(天命)を受けて、「天子」として天下を統治するものなのだ。
だから、皇帝が徳を失い、天子にふさわしい存在でなくなれば、他の者が代わって天命を受け、新たな天子となることができる。桀のように、「徳に務めず」民を虐待するような権力者は、倒されても仕方がないとされるのだ。
これが、天命が革(あらたま)ること、すなわち「革命」である。
一方の日本はどうだろうか。
日本には、権力の正当性を主張するための基準となる、このような普遍的原理がない。記紀神話を通して見ても、地上の権力者にその権力の正統性を与える根拠は、天照大神が自らの孫ニニギに対して言ったという言葉、
葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是(これ)、吾が子孫の王たるべき地なり。爾(いまし)皇孫、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ。
―いわゆる「天壌無窮の神勅」(日本書紀 神代下 第九段)―しかない。
ちなみにこの「神勅」、いかに荘重な漢文調で飾って見せたところで、中身を見れば、自分の子孫だけが可愛いという身内びいきの塊みたいなものであって、そこには普遍性のカケラもない。
このように、権力の正統性を支える普遍的原理がなく、頼れる権威が天照の子孫とされる一族の血筋だけとなれば、どうしても天皇には(内実はどうあれ)「万世一系」でいてもらわなければならないことになる。
この国で新興の実力者が権力の頂点に立つには、継体のように王朝内での順当な継承を偽装するか、そうでなければ天皇から権力の行使を委託される(例えば「征夷大将軍」として)という形式を取るしかなかった。だから、天皇家はいくら落ちぶれても、とりあえず権威を示すそれらしい儀式を行える程度の状態で存続を許された、というよりむしろ、存続させられてきたのである。
結論。天皇が「万世一系」ということになっているのは、日本には権力の正統性を支える基盤としての普遍的原理がなく、権威として頼れるものが神の子孫だという天皇家の血筋しかなかったからである。
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)による。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130602/1370174878
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仲哀→応神も王朝交代
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/08/24/122313
記事《「万世一系」の虚妄》の中で、武烈(25代)から継体(26代)への代替わりが王朝交代に他ならないことを説明した。しかし、明治以来常識化されてきた「万世一系」を否定する反例はこれだけではない。
次は、仲哀(14代)から応神(15代)への代替わりを見てみよう。
仲哀は、実に奇妙な死に方をしている。
古事記(仲哀記):
その太后息長帯日売の命(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)は、当時神帰よせしたまひき。かれ天皇筑紫の詞志比かしひの宮にましまして熊曾の国を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を控ひかして、建内タケシウチの宿禰の大臣沙庭さにはに居て、神の命を請ひまつりき。ここに太后、神帰よせして、言教へ覚さとし詔りたまひつらくは、「西の方に国あり。金・銀を本はじめて、目の炎耀かかやく種々の珍宝その国に多さはなるを、吾あれ今その国を帰よせ賜はむ」と詔りたまひつ。ここに天皇、答へ白したまはく、「高き地に登りて西の方を見れば、国土くには見えず、ただ大海のみあり」と白して、詐いつわりせす神と思ほして、御琴を押し退けて、控ひきたまはず、黙もだしたましき。ここにその神いたく忿いかりて、詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝いましの知らすべき国にあらず、汝は一道ひとみちに向ひたまへ(=黄泉の国へ行ってしまえ)」と詔りたまひき。ここに建内の宿禰の大臣白さく、「恐かしこし、我が天皇。なほその大御琴あそばせ」とまをす。ここにややにその御琴を取り依せて、なまなまに(=しぶしぶ)控ひきいます。かれ、幾久いくだもあらずて、御琴の音聞えずなりぬ。すなはち火を挙げて見まつれば、既に崩かむあがりたまひつ。
仲哀は、西方の国(新羅)を与えてやろうという神の言葉を信じなかったために、神罰を受けて死んだというのである。このとき本当は何があったのか。伊藤浩士氏がブログで次のように書いているが、私も同感である。
仲哀天皇と神功皇后と竹内宿禰は熊襲征伐のために筑紫にきていて、そこで神功皇后が新羅を攻めると言い出します。仲哀天皇は反対します。仲哀天皇と神功皇后、竹内宿禰の3人だけがいて、気が付くと神の罰が当たって仲哀天皇が死んでいたと記されています。ふつうに考えれば、神功皇后と竹内宿禰の共謀による殺害です。
このとき、仲哀は軍を率いて九州まで遠征していた。仲哀には既に別の后(大中津比売の命)との間に香坂かごさかの王、忍熊おしくまの王という二人の息子がいたのだが、この遠征には同行していない。建内以外の有力な臣下もついてきていない。暗殺には絶好のシチュエーションと言っていいだろう。
そしてこの「神」は、香坂・忍熊を押しのけて、息長帯日売が産む子を次の天皇にする、と決めてしまうのである。
古事記(仲哀記):
また建内の宿禰沙庭に居て、神の命みことを請ひまつりき。ここに教へ覚したまふ状、つぶさに先の日の如くありて、「およそこの国は、汝命いましみことの御腹にます御子の知らさむ国なり」とのりたまひき。ここに建内の宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の御腹にます御子は、何の子ぞも」とまをせぱ、答へて詔りたまはく、「男子なり」とのりたまひき。ここにつぶさに請ひまつらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかぱ、答へ詔りたまはく、「こは天照らす大神の御心なり。また底筒の男そこつつのを、中筒の男なかつつのを、上筒の男うはつつのを三柱の大神なり。この時にその三柱の大神の御名は顕したまへり。
天照大神の神意だ、というわけだが、それを聞いたのは建内宿禰だけなのだから、要するに建内がそう決めた、ということである。
この後、息長帯日売はいわゆる「神功皇后の三韓征伐」(それが征伐などと呼べる代物でないことは別途書く予定)を行い、九州に帰ってきてから息子を産む。これが後の応神天皇である。この応神の出生についても、不可解なエピソードが書かれている。
古事記(仲哀記):
かれその政(三韓征伐のこと)いまだ寛をへざる間に、懐妊ませるが、産れまさむとしつ。すなはち御腹を鎮いはひたまはむとして、石を取らして、御裳みもの腰に纏まかして、竺紫つくしの国に渡りましてぞ、その御子は生あれましつる。かれその御子の生れましし地に号なづけて、宇美といふ。またその御裳に纏かしし石は、筑紫の国の伊斗いとの村にあり。
「三韓征伐」が終わらないうちに子どもが産まれそうになってしまったため、石を腰紐にはさんで押さえ、神に祈って出産を遅らせたというのである。これも普通に考えれば、応神の出生が仲哀の子とするにはあまりに遅すぎたため、つじつまを合わせるための説話を創作したのである。
では応神の父親は誰か? 史料的根拠には欠けるが、建内宿禰とするのが最も自然ではないだろうか。
そして、息長帯日売と建内は九州から大和に攻め上り、忍熊王の軍を破ってこれを滅ぼしてしまう。(香坂王はその前に事故死。)もちろん、「万世一系」説に毒されていない常識では、これを王朝交代と呼ぶ。
※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/08/24/122313
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「神功皇后の三韓征伐」という大嘘
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/09/09/204858
仲哀(14代)から応神(15代)への代替わりが、単なる代替わりではなく王朝交代であったことについては既に説明した。このとき、仲哀の九州遠征に同行せず大和に残っていた息子たちを滅ぼして権力を奪ったのが、神功皇后こと息長帯日売(オキナガタラシヒメ)と建内宿禰(タケシウチノスクネ)である。
そして神功皇后といえば、いわゆる「三韓征伐」が必ずセットとなって語られる。
この「三韓征伐」とは実際にはどんな事件だったのか。まず、古事記の記述を見てみよう。
かれつぶさに教へ覚したまへる如くに、軍を整へ、船双なめて、度り幸でます時に、海原の魚ども、大きも小きも、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風おひかぜいたく起り、御船浪のまにまにゆきつ。かれその御船の波瀾なみ、新羅の国に押し騰あがりて、既に国半なからまで到りき。ここにその国王、畏おぢ惶かしこみて奏まをして言まをさく、「今よ後、天皇の命のまにまに、御馬甘みまかひとして、年の毎に船双めて船腹乾さず、棹楫さをかぢ乾さず、天地のむた、退しぞきなく仕へまつらむ」とまをしき。かれここを以ちて、新羅の国をぱ、御馬甘と定めたまひ、百済の国をぱ、渡わたの屯家みやけと定めたまひき。ここにその御杖を新羅の国主の門に衝き立てたまひ、すなはち墨江すみのえの大神の荒御魂あらみたまを、国守ります神と祭り鎮めて還り渡りたまひき。
しかし、これは果たして「征伐」などと呼べるものだろうか。神功が軍船を整えて新羅に行ったら、一戦も交えることなく、向こうが勝手に恐れをなして降伏してしまったというのだ。(日本書紀にもほぼ同じ内容の説話が記されているが、こちらは新羅だけでなく、接触すらしていない高句麗と百済まで降伏してしまったことになっている。)こんなことはあり得ない。
いや、実際この後、新羅は日本に朝貢しているではないか、と言う人がいるかもしれない。しかし、記紀に朝貢記事があるからといって、それが服属の証拠にはならないのだ。古田武彦氏が次のように指摘している[1]。
わたしは『記・紀』を見る場合、つぎの二つの原則を大前提とする。
(1) 『記・紀』は、天皇家中心の「大義名分」に貫かれた本である。
(2) したがって『記・紀』は古来の伝承に対して、天皇家に「有利」に改削・新加(新しく付加)することはあっても、「不利」に加削することはない。
まず、(1)について説明しよう。
すでに前の本で詳しくのべたように、“天皇家は永遠の昔から、この日本列島の中心の存在だったのだ”という「大義名分」が『記・紀』を貫いている。それは「歴史事実の実証」以前の、いわば「観念」としての大前提なのである。それは国内問題だけではない。たとえば、
冬十月に、呉国、高麗国、並に朝貢す。 〈仁徳紀五十八年〉
夏四月に、呉国、使を遣して貢献す。 〈雄略紀六年〉
とあるように、中国(や高麗)との通交さえ、あちらが日本の天皇家に臣従し、朝貢してきたように書いてあるのだ。だから、これは「朝貢」の事実を示す記事ではない。『記・紀』の大義名分に立った筆法なのである。
中国の皇帝が「東夷」の蛮族と見なしていた日本に朝貢してくるはずがないことは、常識として理解できるだろう。
つまり、記紀の「三韓征伐」記事が示しているのは、神功が新羅を訪問して王と交渉し、このときから近畿天皇家と新羅との間の国交が始まった、という出来事なのだ。これは新羅との国交開始に関する説話なのである[2]。新羅王が服従を誓ったとか、新羅の国を「御馬甘」に定めたとかいうのは、魚たちが神功の船を背負って海を渡った、船が波に乗って新羅の中央部まで押し上がった、などと書いてあるのと同じ、何も知らない国内人民向けのほら話に過ぎない。
しかし、ではなぜ、新羅との国交が必要だったのか?
ここで、そもそも神功と建内は、仲哀の熊襲征伐に従って九州まで来ていたことを思い出していただきたい。仲哀をうまく始末したのはいいが、次は大和に戻って仲哀の息子たちを討ち滅ぼさなければ自分たちに未来はない。しかし、まだ熊襲との戦争は続いているのだ。こちらの事情が変わったからといって、簡単に敵に背を向けて帰るわけにはいかない。追撃を避けるには、熊襲との和平、最低でも休戦が必要だ。
日本書紀では、神功を通じて仲哀に新羅征伐を勧めた「神」は、次のように語っている。
時に、神有まして、皇后に託かかりて誨おしへまつりて曰はく、「天皇、何ぞ熊襲の服まつろはざることを憂へたまふ。是これ、膂宍そししの空国むなくにぞ。豈あに、兵を挙げて伐つに足らむや。玆この国に愈まさりて宝有る国、警たとへば処女をとめの睩まよびきの如くにして、津に向へる国有り。眼炎まかかやく金・銀・彩色、多さはに其の国に在り。是を衾たくぶすま新羅国しらきのくにと謂いふ。若もし能よく吾を祭りたまはば、曾かつて刃に血ちぬらずして、其の国必ず自おのづから服まつろひしたがひなむ。復また、熊襲も為服まつろひなむ。
自分を良く祭れば新羅は従い、また熊襲も自ら従うだろう、と言っているのだ。この両者の間には何らかの強い結びつきがあり、新羅との友好は熊襲との関係改善にもつながることを示唆している。
だから神功は、熊襲との戦争状態を終わらせて大和での権力奪取に集中するため、熊襲のバックに控えている新羅との友好関係を確立しようと海を渡ったのである。それは、「征伐」とは正反対の、友好を求める外交交渉だったのだ。
[1] 古田武彦 『盗まれた神話』 朝日文庫 1994年 P.63-64
[2] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.131
※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(二)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/09/09/204858
13. 空虚[3686] i_OLlQ 2020年7月24日 05:28:59 : 7XegZt4viw : aC9OLnVlZUNDTjY=[2]
まるこ姫はんも、もったいつけずにダボス会議やケケ中はんのことなど云うてもええねんけどな。Semmelweis reflexが怖いんやろなぁ、covid-19より強大強烈な迫害を、好んで負う覚悟は常人にはなかなか難儀なことでっからねww
【ニューノーマル ダボス会議 ケケ中へいぞー 】ここらへんを少しは疑ってぐぐったほうが自存自衛に役立ちまっせ、ほんまのところ。
都合の悪い裏事情≒国際同調圧力のニューノーマル政策、ほぼほぼそんなところやがな。これは陰謀論やおまへんで、ちゃんと公式に発表されてまんがな。気づくか否かは
『 あなた次第 』でっけどな。www
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c13
2013-02-11 神武って何した人?
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130211/1360564621
今日は「建国記念の日」。敗戦までの「紀元節」の名前だけ変えて価値中立性を装った、戦後日本の偽装記念日の一つである。
紀元節が2月11日なのは、日本書紀で神武が「辛酉年春正月 庚辰朔」(辛酉の年の1月1日)に即位したと書かれており、これが西暦紀元前660年の2月11日に当たると、明治初期に机上の計算をしたためだ。
では、天皇家の初代であり、建国の祖とされるこの神武なる人物はいったいどんなことをした人なのだろうか。
テキストは『古事記』、ガイドに古田武彦『盗まれた神話』『古代は輝いていた』を使って、具体的に見てみよう。
(「神武天皇」というのは後代になってつけられた諡号で、生きていたときの名は「神倭伊波礼毘古(カム・ヤマト・イワレビコ)」ほか、いろいろな名があるのだが、ここでは「神武」で統一する。)
さて、古事記の「神武記」は、いきなり神武とその兄(五瀬)との謀議シーンから始まる。
神倭伊波礼毘古の命、その同母兄五瀬の命と二柱、高千穂の宮にましまして議りたまはく、「いづれの地にまさば、天の下の政を平けく聞しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向より発たして、筑紫に幸行でましき。
青年だった五瀬と神武は、このまま九州の高千穂の地にいても自分たちの思うようにならない、つまり将来の展望が開けないから、東方に新たな支配地を得ようと、侵略行を決意するわけです。
かれ豊国の宇沙うさに到りましし時に、その土人くにびと名は宇沙都比古うさつひこ、宇沙都比売うさつひめ二人、足一騰あしひとつあがりの宮を作りて、大御饗おほみあへ献りき。其地より遷移りまして、竺紫の岡田の宮に一年ましましき。またその国より上り幸でまして、阿岐の国の多祁理たけりの宮に七年ましましき。またその国よ遷り上り幸でまして、吉備の高島の宮に八年ましましき。
決意はしたものの、大王でも何でもない五瀬と神武には、いきなり大遠征を行えるような力はない。そこで、十数年かけて九州や瀬戸内海各地の豪族たちからの支援を獲得し、徐々に実力を蓄えていきます。
かれその国より上り行でます時に、浪速なみはやの渡を経て、青雲の白肩の津に泊てたまひき。この時に、登美とみの那賀須泥毘古ながすねびこ、軍を興して、待ち向へて戦ふ。ここに、御船に入れたる楯を取りて、下り立ちたまひき。かれ其地に号けて楯津たてづといふ。今には日下くさかの蓼津たでづといふ。ここに登美毘古と戦ひたまひし時に、五瀬の命、御手に登美毘古が病矢串いたやぐしを負はしき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良はず。かれ賎奴が痛手を負ひつ。今よは行き廻りて、日を背に負ひて撃たむ」と、期ちぎりたまひて、南の方より廻り幸でます時に、血沼ちぬの海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。其地より廻り幸でまして、紀の国の男をの水門みなとに到りまして、詔りたまはく、「賎奴が手を負ひてや、命すぎなむ」と男建おたけびして崩りましき。かれその水門に名づけて男の水門といふ。陵みはかは紀の国の竈山かまやまにあり。
そしていよいよ近畿(河内国)に突入。しかし、当然この地は無主の地などではありません。長らくこの地を統治してきたナガスネビコとの戦闘になります。
結果、おそらく侵略軍の総大将だったであろう五瀬は矢を受けて重傷を負い、死んでしまいます。大敗です。
ナガスネビコと正面から戦っても勝てないと覚った神武は作戦を変更。大きく紀伊半島を迂回し、背後にあたる熊野方面から奈良盆地への侵入を図ります。また、敵方に内通者を作り、その手引きで相手を陥れたり、和平を装って騙し討ちにする、といった手口を駆使していきます。
かれここに宇陀に、兄宇迦斯えうかし弟宇迦斯おとうかしと二人あり。(略)ここに兄宇迦斯、(略)「待ち撃たむ」といひて、軍を聚あつめしかども、軍をえ聚めざりしかぱ、仕へまつらむと欺陽いつはりて、大殿を作りて、その殿内に押機おしを作りて待つ時に、弟宇迦斯まづまゐ向へて、拝みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれぱ、殿を作り、その内に押機を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顕はしまをす」とまをしき。ここに大伴の連等が祖道の臣の命、久米の直等が祖大久米の命二人、兄宇迦斯を召びて、罵言のりていはく、「伊いが作り仕へまつれる大殿内には、おれまづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、横刀たちの手上握り、矛ゆけ矢刺して、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる押に打たれて死にき。ここに控ひき出して斬り散はふりき。かれ其地を宇陀の血原といふ。然してその弟宇迦斯が献れる大饗をぱ、悉にその御軍みいくさに賜ひき。
奈良県宇陀郡の豪族エウカシは、その弟オトウカシの裏切りを利用して惨殺。
其地より幸行でまして、忍坂おさかの大室に到りたまふ時に、尾ある土雲八十建やそたけるその室にありて待ちいなる。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗を八十建に賜ひき。ここに八十建に充てて、八十膳夫かしわでを設けて、人ごとに刀佩けてその膳夫どもに、誨をしへたまはく、「歌を聞かば、一時共もろともに斬れ」とののりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを明して歌よみしたまひしく、
忍坂の 大室屋に
人多さはに来入り居り。
人多に 入り居りとも、
みつみつし 久米の子が、
頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち
撃ちてしやまむ。
みつみつし久米の子らが、
頭椎い 石椎いもち
今撃たぱ善らし。
かく歌ひて、刀を抜きて、一時に打ち殺しつ。
奈良県桜井市忍坂では、和解の宴会をするからと言ってその地の族長たちを集めておいて、給仕に化けた兵隊に合図して一斉に斬り殺させる。
かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏まつろはぬ人どもを退け撥はらひて、畝火の白梼原かしはらの宮にましまして、天の下治らしめしき。
このように、何の道理もなくいきなり軍を率いて他人様の土地に侵入し、血みどろの殺戮を繰り広げた末に、奈良県橿原市付近に拠点を築き、周辺一帯を支配する豪族となったわけです。
もちろん、実態としては奈良盆地の一部を支配しているだけであっても、記紀のイデオロギーによれば、それは「天の下治らしめしき」ということになります。
いやぁ、実に立派な初代天皇ですね。
※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)による。
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2016-04-12 神武天皇没後2600年式年祭という差別の祭典
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/12/220842
4月3日、奈良県橿原市の「神武天皇陵」で、神武の没後2600年を祭るという宮中祭祀「式年祭」が行われ、当代天皇・皇后もこれに参列した。
朝日新聞(4/3):
奈良県を訪問中の天皇、皇后両陛下は3日、初代天皇とされる神武天皇の没後2600年にあたり、橿原市の神武天皇山陵に参拝した。天皇家の行事「宮中祭祀(さいし)」の一つで、秋篠宮ご夫妻も同行。皇太子ご夫妻は両陛下の名代として、皇居・宮中三殿の皇霊殿に参拝した。
産経新聞(4/3):
初代天皇である神武天皇の式年祭が、大正5年以来100年ぶりに行われた。皇祖の命日に御霊を慰める式年祭は、宮中祭祀(さいし)の中でも「大祭」に位置付けられる重要な儀式。天皇、皇后両陛下は大正天皇、貞明皇后の前例にならい、奈良県橿原市の神武天皇陵まで赴き、厳かに拝礼された。
(略)
神武天皇 (略)日本書紀によると、太子となって九州から東遷し、大和を平定。紀元前660年に橿原宮で即位し、初代天皇となった。紀元前584年に127歳で崩御したとされる。(略)
後に「神武」という漢風諡号を贈られたこの男が何者で、何をしたのかについては、既に何度か書いてきた。
•神武って何した人?
•神武は結局ナガスネビコには勝てなかった
•「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」 正解は「そんな天皇はいない」
•GoogleMapで「欠史八代」を歩く
かいつまんで言えば、弥生後期(3世紀頃)、地元九州では大した出世の望めない傍流の血筋だった男が手勢を率いて近畿に攻め込み、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、かろうじて奈良盆地の一角(橿原市付近)に拠点を築き、周辺一帯(せいぜい10キロ四方程度)を支配する地方豪族となり、大和の人々の怨嗟と憎悪に取り囲まれながらそこで死んだ。これが、同時代頃にはサノ、ワカミケヌ、ヒコホホデミ、イワレビコなどと呼ばれていたこの男の実像である。時代も何百年も違うので「没後2600年」などお笑い種だし、そもそも神武は「天皇」などと呼べるような存在ではなかった。
しかし、この「式年祭」なるものの愚劣さはそれだけにとどまらない。祭祀の場となった「神武天皇陵」自体、問題大ありなのだ。
まず、神武の埋葬地について、記紀はそれぞれ次のように記載している。
古事記(神武記):
およそこの神倭伊波礼毘古の天皇、御年壹佰參拾漆137歳、御陵は畝火山の北の方白檮かしの尾の上にあり。
日本書紀(神武紀):
七十有六年の春三月の甲午の朔甲辰に、天皇、橿原宮に崩りましぬ。時に年一百二十七歳。
明年の秋九月の乙卯の朔丙寅に、畝傍山東北陵に葬りまつる。
この埋葬地が具体的にどこだったのかは、既に室町時代頃には分からなくなっていた。いったん、元禄期に四条村の福塚と呼ばれていた高さ3mほどの塚が神武稜とされたが、位置的に「畝傍山東北陵」と言うには離れすぎていることから後に否定され、候補地として次の二箇所が残った。
1.畝傍山の東北山麓に位置する丸山古墳
2.畝傍山山麓から北東に300mほど離れた小字ミサンザイ(別名神武田じぶでん)
畝傍山と両者の位置関係は次のようになる[1]。
丸山は畝傍山の北側に張り出した尾根のほとりにあり、「畝火山の北の方白檮の尾の上」という古事記の記述に良く適合し、日本書紀の言う「畝傍山東北陵」という呼称にもふさわしい。実際、ここが神武陵の候補地としては最有力だったのだが、幕末の文久2(1862)年、こちらではなく、田の中に孤立した小塚であるミサンザイのほうが神武陵と決定された。その理由は、次のようなものだった[2]。
問題となるのは,神武陵の候補地の丸山が被差別部落である洞に隣接していたことである。鈴木良が採集した言い伝えによると,神武陵探索の勅使を迎えるのに,200余戸の部落を「ムシロ」で囲い,部落の上手に一夜づくりの新道をつくったという(「天皇制と部落差別」) 。また陵墓の治定(決定)に発言力をもった国学者の谷森善臣は,朝廷に提出した「神武天皇御陵考」(『谷森家旧蔵関係史料』上,宮内庁書陵部所蔵,谷函249号)のなかで,
然るに洞村之穢多治兵衛と申者,威霊なる地之由虚言申者有之ニ付き,
近年神武帝殯殿之跡抔と申立候儀も出来候得共難心得儀ニ御座候
「洞村の穢多治兵衛」という者が,丸山を「威霊なる地」であると虚言していると,治定にもっとも影響力のあった谷森は非難している。最有力地の丸山は,洞部落に隣接するゆえに,排除されたのである。
かくして神武陵は、差別ゆえに神武の埋葬地ではない可能性の高いミサンザイに誤って決定された。
いや、これは単なる「誤り」ではないのかもしれない。この「文久の治定」に約半世紀先立って儒学者蒲生君平(1768-1813)が行った天皇陵調査で、洞村について「相傳つたうるに、その民故もと神武陵の守戸しくなり。凡およそ守陵の戸はみな賎種。本もと罪隷をもって没入したる者は郷に歯ならばず」と報告されていた[3]。このことを、神武陵の治定に関わるほどの学者たちはみな知っていたはずである。彼らは、墓守集団としての洞村を従える丸山こそが神武陵に違いないと薄々感じていながら、被差別部落に隣接する古墳を天皇陵とすることを嫌って、あえてミサンザイを選んだのではないか。
ちなみに、この洞村は、後にさらなる悲劇に見舞われる。「神武御陵兆域※1ヲ眼下ニ見ルノ地位ニアリテ恐懼ニ堪ヘサルコト」[4]という理由で、1917年から20年にかけて強制的に移転させられたのである。この事件を小説『橋のない川』で描いた住井すゑは、次のように語っている[5]。
住井 あのう部落の移転なんかはね許されることじゃないですよね。
古田 ええ、ほんとほんと。
住井 その神武天皇の御陵にしたのが明治。出来上がったのが明治四年でしょ。それで大正の始めになって部落がそこにいるのは畏れ多いからって強制立ち退き食わすんですから、そんならそこに御陵作らなければいいんですよね。ところが大正になるともうみな忘れちゃって、昔っからその御陵はそこにあって部落は後で住んだような話に変わってんですよね。そいで強制立ち退きさされて近鉄の沿線にもう乞食小屋みたいに何百戸か住んでたわけです。今まあそれなりの家を建てて住んでますけどね。
しばし沈黙
洞村は、丸山を「眼下に見る」位置にあるわけではない。部落差別の結果、間違った場所に神武陵が作られ、今度はそれを見下ろす位置に部落があるのはけしからんといって移転させられたわけである。いま、旧洞村は、丸山古墳とともに、「神武天皇陵」の周囲に人工的に作られた深い森の中に埋もれている。
神武天皇陵付近 -- Google Mapより
「天皇」などではなかった一地方豪族の墓を、差別ゆえに間違った場所に仰々しくでっち上げ、差別ゆえに墓守の民をその住処から追い払い、デタラメな年代比定に基いて「没後2600年」と称する祭祀を行う。まさに、天皇制というものの愚劣さを象徴する差別の祭典である。
【2016/4/17追記】
『皇陵史稿』という、洞村強制移転のほんの数年前の1913年に出版された天皇陵問題の研究書がある。
この本の中で著者は、洞村についてこう書いている[6]。重大な内容なので、全文引用する。
畝傍山は、なつかしい山である。
理屈は知らず、唯何となく、恋しく、懐つかしい「何事のおはしますかは知らねども」である。
理屈から云へば、畝傍山は何でも無いものかも知れん、畝傍山の宮居、畝傍山の御陵、と云ふのも、畝傍山を目安に取つただげて、畝傍山それ自身は何でも無かつたかも知れん。
が、かやうな切つても血の出ん、冷酷な、三百的な理屈は、此聖祖開国の地に、適用したく無い「畝傍山みればかしこし」と、宣長の吟じたのは、誠に国民の代表的讃嘆の言葉であると思ふ、吾等は、窮天極地、此山の尊厳を持続して、以て天壌無窮に、日東大帝国開創の記念としたいと思ふ。
驚く可し。神地、聖蹟、この畝傍山は、甚しく、無上、極点の汚辱を受けて居る。
知るや、知らずや、政府も、人民も、平気な顔で澄まして居る。
事実は、こうである。
畝傍山の一角、しかも神武御陵に面した山脚に、御陵に面して、新平民の墓がある、それが古いのでは無い、今現に埋葬しつつある、しかもそれが土葬で、新平民の醜骸はそのまま此神山に埋められ、霊土の中に、爛れ、腐れ、そして千萬世に白骨を残すのである。
士臺、神山と、御陵との間に、新平民の一団を住はせるのが、不都合此上なきに、之に許して、神山の一部を埋葬地となすは、事ここに到りて言語同断なり。
聖蹟図志には、此穢多村、戸数百二十と記す、五十余年にして、今や殆ど倍数に達す、こんな速度で進行したら、今に霊山と、御陵との間は、穢多の家で充填され、そして醜骸は、おひおひ霊山の全部を侵蝕する。
(予が大和紀行中の一節)
学者でさえこれほど露骨な内容を書くのである。当時、被差別部落がどれほどの侮辱と蔑みに晒されていたかがよく分かる。洞村が強制移転させられたとき、特にこの墓地は、「一片の骨さえも残してはならない」と徹底的に掘り返された[7]という。
[6] 後藤秀穂 『皇陵史稿』 木本事務所 1913年 P.198
[7] まれびと 「おおくぼまちづくり館と洞村跡地」
【追記終り】
※1 墓域のこと。
[1] 高木博志 『近代における神話的古代の創造』 京都大学人文科学研究所 人文学報 2000年3月 P.19
[2] 高木 P.23
[3] 蒲生君平 『山陵志』 1803年または1822年
[4] 高木 P.33
[5] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一新書 1994年 P.73
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/12/220842
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神武は結局ナガスネビコには勝てなかった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/11/07/161559
先日、TLにこういうツイートが流れてきた。兄の五瀬とともに九州からやってきたイワレビコ(神武)が近畿に侵入したとき、最大の敵として立ちふさがった(トミノ)ナガスネビコ(記:登美能那賀須泥毘古 紀:長髄彦)についての話である。
天孫饒速日命を奉じて神武天皇の東征に抵抗した大和の豪族長髄彦は、神武側に寝返った饒速日に殺されてしまう。饒速日は河内の石切劔箭神社に祀られているが、生駒山中腹にある上之社の境内地が、昭和末期の近鉄新生駒トンネル工事の落盤で大陥没(続
国譲り神話にしろ「天つ神」以前からあった日本の信仰を「国つ神」と呼び変え、ルーツも実は天つ神にあったかのように語り、歓迎されながら受け入れられたように語ってるだけには見れる。そう考えるとキリスト教による異教の悪魔化や聖人信仰に取り入れての布教とさして変わりはしない。
確かに、日本書紀には、ニギハヤヒ(記:邇藝速日 紀:饒速日)がナガスネビコを殺して神武に降ったと書かれている。
日本書紀(神武即位前紀):
饒速日命、本より天神あまつかみ慇懃ねむごろにしたまはくは、唯天孫のみかといふことを知れり。且また夫かの長髄彦の禀性ひととなり愎佷いすかしまにもとりて(ねじけていて)、教ふるに天人きみたみの際あひだを以てすべからざることを見て、乃ち殺しつ。其の衆もろびとを帥ひきゐて帰順まつろふ。天皇、素もとより饒速日命は、是天より降れりといふことを聞しめせり。而して今果して忠効を立つ。則ち褒ほめて寵めぐみたまふ。此物部氏の遠祖なり。
しかし、古事記ではだいぶ様子が違っているのだ。
古事記(神武記):
然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、
みつみつし 久米の子らが
粟生あはふには 臭韮かみち一茎もと、
そねが茎 そね芽繋ぎて
撃ちてしやまむ。(歌謡番号12)
また、歌よみしたまひしく、
みつみつし 久米の子らが
垣下に 植ゑし山淑はじかみ、
口ひひく 吾は忘れじ。
撃ちてしやまむ。(歌謡番号13)
また、歌よみしたまひしく、
神風の 伊勢の海の
大石に はひもとほろふ
細螺しただみの、いはひもとほり
撃ちてしやまむ。(歌謡番号14)
(別の豪族兄師木えしき弟師木おとしきについての歌謡 -- 略)
かれここに邇藝速日の命まゐ赴むきて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子天降りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り来つ」とまをして、天つ瑞しるしを献りて仕へまつりき。かれ邇藝速日の命、登美毘古が妹登美夜毘売とみやびめに娶ひて生める子、宇摩志麻遅うましまぢの命。こは物部の連、穂積の臣、婇臣が祖なり。かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏まつろはぬ人どもを退そけ撥はらひて、畝火うねびの白檮原かしはらの宮にましまして、天の下治らしめしき。
「撃ちたまはむとする時」というのは、これから戦いを始めようとする時、である。登美毘古(ナガスネビコ)との開戦を前に「撃ちてしやまむ」と歌って盛んに気勢を上げているわけだが、そこからいきなり、戦いの描写もなく、「勝った」も「殺した」もなく、ニギハヤヒの帰順の話になっている。これはどういうことなのか。
普通に考えれば、それは「勝てなかったから」だろう[1]。
その三が、もっとも重要だ。冒頭に「将撃登美毘古之時」とあり、「対、登美毘古戦」の開始前の歌だ。そしてその後の歌はない。つまり、「勝利の歌」もしくは「勝利後の歌」を欠いているのである。地の文でも、「登美毘古を斃した」とは記していないのだ。これは何を意味するか。
わたしには、その答えは一つだと思われる。「神武は敗けた」、あるいは「勝てなかった」のだ。なぜなら、実際は勝ったのに、その事実をカットする、あるいは書き忘れる、そんな史書があるだろうか。ありはしない。『古事記』が天皇家側の史書である以上、これは不可避の判断である。
歌の問題も同じだ。もしこれが後代の「造作」、もしくは挿入なら、なぜ勝利の歌を偽作、もしくは偽入しなかったのだろう。簡単なことだ。勝利前の歌は作れても、勝利後の歌は作れない。そんな不器用な「造作」者、あるいは半端な「挿入」者など、わたしには想像できない。
以上の考察の意味するところ、それは何か。神武は大和盆地に侵入した。それには確かに成功した。しかし、外部(大和盆地外)の勢力たる登美の長髄彦たちには勝ちえなかった。これがありていな状況だ。したがって、
故、此の如く、荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひ、
畝火の白檮原の宮に坐して、天の下を治らしき。(『古事記』神武記)
という、有名な一文も、この盆地内の支配を宣言したものにすぎなかったのである。
仮に神武がナガスネビコを倒していたなら、神武は河内をはじめとするナガスネビコの支配領域を手に入れていたはずである。しかし実際には、神武どころかその後も8代にわたって近畿天皇家は奈良盆地外に勢力を広げることができなかった。この点から見ても、神武がナガスネビコに勝てなかったのは明らかだろう。ニギハヤヒがナガスネビコを殺して投降したという日本書紀の記述は、神武の事蹟を誇張するために付加された作り話なのだ。
ちなみに、ニギハヤヒに関する記述は、これ以外にも古事記と日本書紀とで大きな違いがある。日本書紀では、まずニギハヤヒが先に天降り、ナガスネビコはこれに臣従していたことになっている。
日本書紀(神武即位前紀):
時に長髄彦、乃ち行人つかひを遣して、天皇に曰さく、「嘗むかし、天神の子有ましまして、天磐船に乗りて、天より降り止いでませり。号なづけて櫛玉饒速日命(略)と曰す。是吾が妹三炊屋媛みかしきやひめ(略)を娶りて、遂に児息みこ有り。(略)故かれ、吾、饒速日命を以て、君として奉つかへまつる。夫それ天神の子、豈あに両種ふたはしら有まさむや。奈何いかにぞ更に天神の子と称なのりて、人の地くにを奪はむ。吾心に推おしはかるに、未必為信いつはりならむ」とまうす。
一方古事記では、上で引用したとおり、ニギハヤヒが「天降った」のは神武より後で、またナガスネビコがこれに臣従したという記述もない。恐らくニギハヤヒは神武と違ってナガスネビコと敵対せず、妻と土地を与えられて共存していたのだろう。記紀ともにニギハヤヒが神武に帰順したことになっているのは、その子孫である物部氏などの有力豪族を天皇家に結びつけるために、先祖の代から天皇家に仕えていたことにしたのではないだろうか。
[1] 古田武彦 『古代は輝いていた(2) 日本列島の大王たち』 朝日新聞社 1985年 P.27
※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/11/07/161559
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ではこの機会に「神武天皇の偉業」wを振り返ってみようか
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/03/091039
「文化の日(=日本国憲法公布の日)」である今日11月3日をかつての「明治節」に戻したい反動議員たちが集会を開いたそうだ。民の生活を良くするための努力は何一つしないくせに、旧大日本帝国の正当化にだけは実に熱心だ。このような者たちを国会議員でいさせておくことこそ国家的損失、税金の無駄使いというものだろう。
中でも我らが防衛大臣、稲田朋美氏の発言は傑作である。(朝日新聞 11/2)
稲田朋美防衛相も「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と語った。
「神武天皇の偉業」ww
私は、後に「神武」と呼ばれることになる人物は3世紀頃に実在したと考えているが、この男がやったことは、『古事記』を素直に読み解けば以下のとおりである。
1.野心だけは満々だが九州では出世の望めない傍系の兄弟が、
2.各地の豪族たちから支援を獲得して軍勢を整え、大阪湾から近畿に突入
3.しかし待ち受けていたナガスネビコに敗れて総大将の兄は討ち死に
4.生き残った弟(神武)が紀伊半島を迂回して熊野方面から奈良盆地に侵入
5.だまし討ちと虐殺を繰り返したあげく、ようやく奈良盆地の一角を占拠
6.しかし結局そこから一歩も出られず、大和の人々の憎悪に囲まれたまま、一地方豪族として死んだ
もちろん、天皇に即位したなどというのは、後世の作り話である。
21世紀にもなって、いまだにこんなものを「偉業」だの「日本のよき伝統」だのと妄想する者たちが政権を握っているのだから、なんとも恐ろしい。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/03/091039
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初期天皇家の引っ越し事情w
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452
今日は紀元前660年のこの日に「神武天皇」が即位したという大嘘を根拠に明治クーデター政権が勝手に決めた「建国記念の日」なので、神武と初期天皇家に関するデタラメを一通り指摘しておくことにしよう。
■ 「神武天皇」などいなかった
まず初代の「神武」。
私は、記紀の神武説話のもととなった歴史上の人物は恐らく実在した(3世紀頃)と考えているが、この男は到底「天皇」などと呼べる存在ではなかった。記紀の説話を皇国史観イデオロギーに囚われずに読めば、この男は軍勢を引き連れて九州から近畿に攻め込み、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、ようやく奈良盆地の一角に拠点を確保した侵入者に過ぎない。
支配領域の広さから言っても、この男は当時の近畿にたくさんいた地方豪族の一人に過ぎず、天皇に「即位」したなどというのは大嘘である。
ついでに言うと、「神武」というのは後世になってつけられた諡おくりな(漢風諡号)であり、当時こんな名で呼ばれていたわけではない。本来の名前は「サヌ」だろう。
要約するとこんな感じだ。
1.野心だけは満々だが九州では出世の望めない傍系の兄弟が、
2.各地の豪族たちから支援を獲得して軍勢を整え、大阪湾から近畿に突入
3.しかし待ち構えていたナガスネビコに敗れて総大将の兄(イツセ)は討ち死に
4.生き残った弟(サヌ)が紀伊半島を迂回して熊野方面から奈良盆地に侵入
5.だまし討ちと虐殺を繰り返したあげく、ようやく奈良盆地の一角を占拠
6.しかし結局そこから一歩も出られず、大和の人々の憎悪に囲まれたまま、一地方豪族として死んだ
■ 初期天皇家の「非常に規模の小さな歴史」
サヌに続く8代の「天皇」については、ほとんど説話が伝えられていないが、各「天皇」がどこに拠点(宮)を置き、どこに葬られたかについては記紀に記載があるので、そこから彼らの足跡を辿ることができる。
この点に関して、評論家・哲学者の山田宗睦氏が興味深いことを述べている。戦前の皇国史観教育を受けて育った氏は、教えられたことをそのまま信じていたが、大学に入って『古事記』を手に実際に各「天皇」の「都」の地を訪ね歩いたところ、初期天皇家の歴史が「非常に規模の小さな」ものだったことに気がついたというのだ。[1]
山田 皇紀二千六百年のようなことに対して私は当時中学生だけれども、受けていた教育が教育だから何も疑問は持たなかったね。(略)神武天皇は実在していたと思っているし、綏靖・安寧全部いて、万世一系で昭和天皇まで来ているんだということも信じていた。(略)昭和18年10月に京都大学に入った時から、古事記を手にして古事記に書いてある通りに歩いて行くわけね。
林 そういう点では非常に身近かに古事記・日本書紀はマスターしているわけですね。
山田 そうだ。本当にあったことだと思っているから、初代の神武天皇から始めて次の天皇はどこへ都したのか、どこそこと書いてあるのを見てそこへ行ってね、なんだ、ほんのちょっとこの部落から次の部落へ、都を遷したなんて、こんな……。
林 (笑)。
山田 自分で歩いてみて初めてね、なんていうか非常に規模の小さな歴史なんだっていうことが、分かる。大学へ入ってもまだ書いた通り信じているわけだから、それが実際にそうやって歩いてみることで崩れていくわけですよ。
林 うーん。
山田 ああいうのはどういう体験かなあ。古事記そのものじゃなくて、古事記を読んで作られた天皇制イデオロギーを教えられているわけでしょう。だから古事記を読むことによってかえって習ったのとは違うじゃないか、という意識が出るわけですよ。何で女を奪い合って天皇がケンカをするんだとかね、何かそういうことが疑問になって出てくる。イデオロギーのこわさというか、古事記に書いてあることとも違うことを建て前として教えられていたのが、旧制高校で古事記を読んで少し違うんじゃないかと思いだす。そして京都大学へ入って、古事記を持って歩いてみたら、何だ日本の歴史ってのは何か引越し位の、都を遷したなんてのと違うじゃないかというふうに思い始めた。
一同 (笑)。
では、実際にその歴史の規模を確認してみよう。
サヌ(神武)からオホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)までの各「天皇」の「宮」の位置は、『古事記』[2]によれば次のようになる。
代 名前 宮 比定地(奈良県)
1 サヌ(神武) 畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮 橿原市畝傍山東南
2 カムヌマカワミミ(綏靖) 葛城(かづらき)の高岡(たかをか)の宮 御所市森脇
3 シキツヒコタマテミ(安寧) 片塩(かたしほ)の浮穴(うきあな)の宮 大和高田市三倉堂付近
4 オホヤマトヒコスキトモ(懿徳) 軽(かる)の境丘(さかひをか)の宮 橿原市大軽町見瀬付近
5 ミマツヒコカヱシネ(孝昭) 葛城(かづらき)の掖上(わきがみ)の宮 御所市池之内付近
6 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安) 葛城(かづらき)の室(むろ)の秋津島(あきつしま)の宮 御所市室
■ Google Mapで根拠地の移動を確認してみる
これをGoogle Map上にプロットしてみると、各世代ごとの根拠地の移動は次のようになる。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452
サヌ(神武)→ カムヌマカワミミ(綏靖)
カムヌマカワミミ(綏靖)→ シキツヒコタマテミ(安寧)
シキツヒコタマテミ(安寧)→ オホヤマトヒコスキトモ(懿徳)
オホヤマトヒコスキトモ(懿徳)→ ミマツヒコカヱシネ(孝昭)
ミマツヒコカヱシネ(孝昭)→ オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)
全体をまとめてみても、縦横7〜8キロ程度の範囲を行ったり来たりしているだけである。
山田氏の言うとおり、ナントカ天皇が「◯◯の宮にましまして、天の下治しらしめしき」などと大仰に書かれている初期天皇家の歴史が、実際にはいかに規模の小さいものだったかがよく分かる。
[1] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一書房 1994年 P.132-133
[2] 武田祐吉・中村啓信 『新訂 古事記』 角川文庫 1982年 P.83-89
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452
▲△▽▼
大和には天皇家より古い「万世一系」の家があった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219
「神武天皇陵」問題の記事でも引用した住井すゑ氏と古田武彦氏の対談本の中に、非常に面白いエピソードが書かれている[1]。
古田 そうですか。いやァあのね、私吉野でね、古事記に案内した人出て来ますね、あの子孫だっていう材木問屋の社長さんいましてね、額にかけて非常に自慢しとられた。ところでその後帰って来てからね、私のところへ知らぬある人から手紙が来まして、その人は京都大学の工学部へ入ったんだけど、例の学園闘争かなんかでね、途中でやめて材木会社に入ったと。そして木材の買付けで吉野へ行ったと。そしてある農家の家に泊ったと。でその農家の主人と酒飲んで話してるうちにその農家の主人が泣き始めるわけ、なんでかというたら「私の先祖は神武天皇が入って来た時に特に撃退してこれを食い止めた家なんだ」と、「そういうことをね、近所は皆知っとるよ、だからもう本当にね、戦争中はつらかった」と。
住井 はあァ。
古田 あれは逆賊の家や。それが敗戦になってやっとほっとしたけど、今でもつらい、と言ってね酒飲んでさめざめと泣くんだそうですよ。もう徹夜で語ってくれたそうです。ところがね、その聞いた方の人は、神武天皇は架空だと思ってるわけ、津田左右吉のあれで。だから、何この人言ってんだろうと思うてね……。
住井 ワハハハ……。
古田 私の本『盗まれた神話』というのを読んだわけです。そしてさっきのような神武はリアルだというのを読んでね、ああそうかと、それならあのおやっさんの気持もわかる、というんで私に調査に行ってほしいというお手紙をいただいたんです。だからなんか、そういうね、大和っていうのはいまだにそういうの生き残ってるんですね。
住井 残ってますね、ええ。
この農家のご先祖は、外来の侵略者であるイワレビコ(神武)たちと戦い、愛する郷土の土地と人々を守ったわけである。実際、古事記を見ると、吉野は神武の侵入経路上に名は出てくるが、神武が橿原に拠点を築いた後は地名として出てこない。次に「吉野」が現れるのは、ずっと後の応神天皇(15代)の時代である。少なくとも神武から数世代の初期の頃は、吉野はまだ近畿天皇家の支配領域には入っていなかったと思われる。
近畿天皇家の始祖は神武と言われているが、実際には仲哀(14代)→応神(15代)、武烈(25代)→継体(26代)と王朝交替を繰り返しており、実態としては決して「万世一系」などとは言えない。一方、この農家のご先祖は、はるか昔から大和に根付いて暮らし、侵略者神武と戦って郷土を守り、その後もずっとこの土地で代を重ねてきた。これこそが、誇るべき真の「万世一系」ではないだろうか。
[1] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一新書 1994年 P.91-93
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219
36. 2020年7月24日 05:39:02 : fKkQda7Cxw : a01WR1RYQWZoY00=[811]
国民や都民と違ってコロナは口先や印象で誤魔化せない、
長らく誤魔化しだけで夜を渡ってきた人たちには荷が重すぎるのだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c36
62. わ寺ソーカ無敵の正義[-44] gu2Om4NcgVuDSpazk0eCzJCzi2A 2020年7月24日 05:42:11 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6689]
>>26
>CIA(ロックダウン派)にさからう「集団免疫派」はつぶせ
https://news.yahoo.co.jp/articles/1800c0f401aa470f23cebc730fc304a1b572b875
>普段一緒にいる家族が旅行先で家族で過ごし、観光地を訪れても、感染防止策をしっかり講じていれば互いに感染したり、感染させたりするリスクは極めて低い
これが、集団免疫の考え方ですよね。
徐々にウィルスとの「共存」を拡げて行く・・・
これは中国(共産党の大陸と香港)の考え方でもありますね。
アベや西村は、この中国の考え方に近いので、習近平の来日を推進したい・・・
http://tanakanews.com/200723china.htm
>中国は台頭するか潰れるか 2020年7月23日 田中 宇
田中宇さんの無料記事は、いつもハッと気づかされることが多く、
>今回私が発見したのは逆方向からの分析で、中国が潰れていくシナリオの現実味が減っていることだ。
>中国が潰れるには共産党政権が混乱したり弱体化することが必要だ。(1)共産党の上層部での権力闘争が激しくなって習近平の独裁体制が崩れるか、もしくは(2)香港の民主化要求運動が大陸に波及して中国で反政府運動が激しくなるといったシナリオが具現化すると、中共の政権崩壊につながりうる。だが、2つとも実現の可能性は最近むしろ減っている。
香港の「国家安全法」は成功でしたね。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53259691
>BBCのマイケル・ブリストウ記者が詳しく説明
BBCは第三次世界大戦(生物兵器戦争)ではNATO派(同盟側)でしたね。
>第29条には、外国人と共謀して中国中央政府あるいは香港当局への「憎悪」を誘発する行為は犯罪とみなされる可能性がある
これは、まさにマスゴミへの「ケンカ売り」であり、中国は、このケンカに勝った!
>以前は、中国経済がマイナス成長になったら中共が政権崩壊すると言われたが、今はすべてコロナのせいにできるのでマイナスになっても政権崩壊しない。
トランプが言うようにコロナはチャイナウィルスだったか!!
>トランプはWHOからの脱退を決めたが、これによってコロナやその次のパンデミック(国際政治的な謀略としてありうる)の国際対策における主導権が米国から中国に移転していく。
アベの国際感覚は優れている!!!
ガイムショーは早く習近平の国賓としての来日を実現させるべきだ!!!!
コロナ騒ぎは早く終わらせよう!!!!!
14. 2020年7月24日 05:46:43 : 34X8SxSMb6 : V0hHdlFOdjRBZHM=[-283]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。
日本人じゃない人達が 支配していたら このざま。
無理なのです 彼等、朝鮮人に国を治める事は。
某サイト 移民問題 のトビで 日本人と朝鮮人を同じに考えて議論しているのは
帰化?でしょうね。
国籍取らないで 帰って下さい。
誰が勝手に 国籍を取らせてるんですか?
日本人を増やせばいいだけです。
日本人が結婚をちゅうちょするのは 成りすましやおかしな人間が増えたから。
創価などのせいで。 (皇室の手下の似非宗教など)
だから 帰国とこういう似非団体の必要性はないのです。
母国で勝手にして下さい。
本当の日本人とは考え方も生活様式も合いませんので。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c14
1. 2020年7月24日 05:58:27 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[3]
天皇や上級武家はO2だよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/884.html#c1
3. 2020年7月24日 06:01:13 : Xt8tumekvI : RmJ2b3JOQ2VWMUE=[1]
地方は毎月災害やコロナや毒ふりかけで皆泣いているのに、中央はのんきなもんだ。お手手つないでお遊戯会の次は桃太郎の鬼退治でしょうか?毎回出し物、市井の旅芸人劇場の勧善懲悪とは真逆なのがスタンスのようだが、やり過ぎて舞台から観客席へ斬り込んではお客が逃げ出しているのが現状だろ。
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/598.html#c3
15. ゆでガエルまあクン[-335] guSCxYNLg0eDi4LcgqCDToOT 2020年7月24日 06:06:17 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6694]
>投稿者 赤かぶ 日時 2020 年 7 月 23 日 23:55:05
>2020.07.23 まるこ姫の独り言 投稿時刻不明
まるこ姫は今もテレビ漬けの人生を送っているようですね。
俺は、NHKの受信料も払ってないから、テレビそのものがないけどね。
まあ、マスゴミ軽信者の意見としてこの記事を読むのは意味があるのでしょうけどね。
>かつてハンセン氏病で隔離政策を取ってきた国が被害者から訴訟を起こされたことがすごいトラウマになっていて、PCR検査を拡充させることができないようなことも言っていたが、ハンセン氏病は、当時の国や国民の差別と偏見が大いに関係していたのではと思う。
>「原因菌の感染力は非常に弱く、多くの方が自然免疫を持っている」のに、国が『「隔離政策」を取っていたことで、人々の間に「怖い病気」として定着してしまい、患者はもとよりその家族も結婚や就職をこばまれるなど、強い偏見や差別を受けてしまいました。』
まあ、当時の「国や国民の差別と偏見」とは、当時の「マスゴミの差別と偏見報道」という事ですけどね。
そして、
>原因菌の感染力は非常に弱く、多くの方が自然免疫を持っている
ことは、
>コロナの原因ウィルスの感染力は非常に弱く、多くの方が自然免疫を持っている
のは、田中宇さんの無料記事でも示されていますね。
http://tanakanews.com/200717corona.htm
>新型コロナ「第2波」の誇張 2020年7月17日 田中 宇
まあ、第一波のときから、マスゴミの誇張でしたけど。
まるこ姫はテレビ付けをやめて田中宇さんの無料記事でも読んでみたらいかがでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=_PQ148GfPrg
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c15
43. 2020年7月24日 06:08:45 : 8b1LHTV8Do : M2VOWWgzN3BZT2M=[2]
こんなこともあったね。
>普天間移設で自民5氏、辺野古容認 県連も転換へ 2013年11月26日 10:49
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-215810.html
*___「有権者を裏切りました、保身のために裏切りました」の記念写真__
https://030b46df30379e0bf930783bea7c8649.cdnext.stream.ne.jp/archives/uploads/img5293fe11b6758.jpg「辺野古移設が普天間の危険性除去に一番早い」と話す自民党の石破茂幹事長(左端)と、辺野古移設容認に転じた沖縄の自民国会議員5氏=25日午前、東京都内の自民党本部
【東京】米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり県選出・出身の自民党国会議員5人が25日、党本部で石破茂幹事長と会談し、名護市辺野古移設を容認する方針で一致した。県民の反対が根強い辺野古移設の容認を迫る党本部の圧力を受け、選挙時の県外移設公約の見直しに慎重な姿勢を示していた国場幸之助(沖縄1区)、比嘉奈津美(同3区)の両衆院議員も容認に転じた。同じく県外移設を主張している党県連も公約見直しについて近く判断する見通し。政府・自民党は辺野古埋め立て申請で年内の仲井真弘多知事による承認を目指しており、圧力を強めそうだ。
石破氏は記者会見で「普天間の危険性を除去するために辺野古移設を含むあらゆる可能性を排除しないということで一致した。日米合意の着実な実施のため県知事の承認を求める」と述べた。
石破氏は19日に県外移設を求めてきた国場、比嘉、宮崎政久(比例九州)の3衆院議員らと会い、25日までの辺野古容認を求めていた。3氏は週末に地元関係者と調整し、宮崎氏は24日に普天間の固定化回避などを理由に容認を表明。国場、比嘉両氏もこの日の会談で政府・与党の方針を受け入れた。
国場氏は単独で会見し「県外移設公約は堅持する。変えれば有権者に対する裏切りだ」と述べ、今後も県外移設を求めると説明したが、辺野古移設に関して「普天間の固定化は許されない。あらゆる可能性を排除しないというのは選挙時から訴えてきた」と容認の姿勢を示した。比嘉氏は「(普天間の)固定化の可能性が非常に高いということだった。県民の命の方が大事だと思い決断した」と語った。一方、菅義偉官房長官は会見で「地元出身の国会議員が軌を一つにした。歓迎したい」と述べ、加藤勝信官房副長官も会見で「一歩前進だ」と歓迎した。
__________________________
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/413.html#c43
1. 中川隆[-12062] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:14:08 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[4]
国際派日本人養成講座
No.1113 皇位継承危機の乗り越え方 〜 ご先祖様の叡智に学ぶ 2019/05/12
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201905/article_2.html
126代の皇位継承の歴史で何度となくあった危機を、ご先祖様たちはいかに乗り越えてきたのか。
■1.いよいよ限られた皇位継承者
先帝陛下の御譲位から新帝陛下の御即位まで恙(つつが)なく進められたのは大慶至極であるが、その過程で一つだけ気にかかった事があった。5月1日午前10時半から行われた「剣璽(けんじ)等承継の儀」では皇位継承資格のある成人皇族として立ち会いされたのが、秋篠宮殿下と常陸宮殿下のお二方だけだった事だ。
常陸宮殿下は83歳のご高齢、秋篠宮殿下は御年53歳で新帝陛下と5歳しか違わないため、数十年後の皇位継承を考えると、実質的な皇位継承者としては現在12歳の悠仁(ひさひと)親王のみということになる。
悠仁親王の学校の机にナイフが置かれた事件も、皇位継承者が極端に少ない、という事実が背景にあるのだろう。また、共産党の志位委員長が、急に女性天皇・女系天皇・女性宮家の議論を訴え始めたというのも、これがきっかけだろう。
議論をするのは自由だが、その際には皇位継承の歴史事実を十分踏まえる必要がある。すでに126代にも及ぶ皇室の歴史を見れば、男系男子の皇位継承者が不在の危機は3度あり、その危機を乗り越えるための叡智もすでに用意されているからだ。
いずれのケースも相当な遠縁から男系男子を猶子(親族からの養子)として迎え入れ、場合によっては先帝陛下の皇女や姉妹を皇后とする、という方法である。
ちなみに、男系とは父親を遡(さかのぼ)っていくと初代・神武天皇に行き着くという事である。皇女が皇族以外の配偶者と男子をもうけても、それは女系男子であって皇位継承権はない。
■2.5代・70年ほど前に分かれた宮家から猶子として迎えられた光格天皇
3事例のうち最も新しいケースは、明治維新の100年ほど前、江戸時代中期の第118代・後桃園天皇(御在位1770-1779年)がわずか22歳で御在位のまま崩御された時のことである。
皇女として欣子(よしこ)内親王が遺されたが、女性天皇にはならず、閑院宮家の第6皇子で9歳の師仁(もろひと)親王が後桃園天皇の末期の猶子として迎え入れられ、急遽、即位された。これが光格天皇である。そして欣子(よしこ)内親王を皇后とされている。
閑院宮家とは5代前の東山天皇から宝永7(1710)年に別れた宮家である。すなわち、後桃園天皇の崩御時から見れば、5代、70年ほど前に分かれた宮家の3代目の子孫が皇位を継がれたことになる。この光格天皇はその後、37年間も御在位になり、直系として仁孝天皇、孝明天皇、明治天皇から新帝陛下まで続く近代皇室の祖となられた。
光格天皇は遠い血筋から突然、即位された故か、天皇としての在り方を深く修養された。御在位中に天明の飢饉が起きた時は、一向に動かない幕府に民の救済を訴えられている。
身のかひは何を祈らず朝な夕な民安かれと思うばかりぞ
(自分のことで何も祈ることはない。朝な夕なに民安くあれと思うばかりである)
光格天皇の御製(御歌)である。無為無策の幕府と、ひたすらに「民安かれ」を祈る天皇との鮮烈なコントラストから、後に明治維新として結実する尊皇倒幕の大きなうねりが始まっていった。(拙著『日本人として知っておきたい皇室の祈り」[a])
今回の先帝陛下の御譲位は光格天皇以来、200年ぶりと言われたが、126代の皇室の歴史から見れば、わずか7代前の事である。そして皇位継承者を遠縁の宮家から猶子として迎え入れる、という方法がとられたのも、ほぼ同時代の、皇室の歴史から見ればごく最近のことであった。
■3.10代・100年も前に分かれた系統から即位した継体天皇
先帝が皇女しか遺されなかった場合に、相当の遠縁であっても男系男子を次代天皇にお迎えし、その皇女を皇后にするという方法は、さらに1200年ほども前の、第25代武烈天皇から第26代継体天皇への継承からヒントを得たものだろう。
武烈天皇の在位は『日本書紀』によれば西暦498年から506年。わずか18歳で崩御し、お世継ぎはいなかった。大連(おおむらじ、朝廷最高官)の大伴金村(かなむら)は群臣と諮って、応神天皇5世の末裔を越前から迎えて、継体天皇とした。応神天皇は第15代、西暦400年頃の天皇であるから、継体天皇は10代、100年ほども前に分かれた家系の子孫である。
継体天皇が皇位に就いたのは57歳で、武烈天皇の姉妹、手白香皇女を40歳ほどの年齢の差があったにも関わらず皇后に迎え、皇位の安定を図っている。このお二人から、やがて推古天皇や聖徳太子、舒明天皇などと皇統が続いていく。
現代の歴史研究では、継体天皇がそれまでの皇室と血縁関係のない「新王朝」だ、などと諸説取り沙汰されているが、『記紀』には「応神天皇5世の末裔」とされており、これを明確に否定しうる事実も見つかっておらず、古来からその通りに信じられてきた。
我々のご先祖様が、「応神天皇5世の末裔」という説明で継体天皇の皇位継承の正統性を受け入れてきた、という歴史事実は重要である。直系直近の皇女よりも、はるか遠縁でも男系男子が皇位につくべき、という明確な原則が、以上の119代光格天皇、25代継体天皇のお二方の事例から窺われるのである。
■4.3代前・35年ほど前に分かれた宮家から猶子となった後花園天皇
なお、このお二方は先帝の皇女、あるいは姉妹を皇后として迎えられたが、そのような直系の女性がいながらも皇后とされずに、遠縁の男系男子が皇位に就かれた天皇がもうお一方ある。
南北朝合一後の第100代後小松天皇の皇子、第101代称光天皇は28歳の若さで崩御され、二人の皇女を遺されたが、男性の皇嗣は無かった。そこで9歳の伏見宮家彦仁親王が後小松天皇の猶子として迎えられて102代後花園天皇として即位された。後小松天皇は北朝では第6代であり、伏見宮家はその3代前の北朝第3代崇高天皇から別れた宮家である。
光格天皇は5代・70年ほど前、継体天皇は10代・100年ほど前に分かれた家系から即位されたのに対し、後花園天皇は3代・35年ほど前に分かれた家系から迎えられた。この程度なら、人々の記憶も残っており、直系の皇女を皇后として迎え入れる必要もなかったのかも知れない。
この方も、遠縁から即位された故か、君徳の涵養に努められ、飢民の流亡を座視して遊興に耽り続ける第8代将軍・足利義政に怠惰や奢侈を戒める漢詩を送るなど、「近来の聖主」と称えられた。(『国史大事典』)
いずれにせよ、我々の先祖は、この3回の危機に際して、たとえ皇女がいても女性天皇とはせず、相当な遠縁でも男系男子を猶子として迎え入れて皇室を維持してきたのである。これが126代の皇統をお守りしてきた我らが御先祖様の叡智であった。
■5.二種類の女性天皇
それでは歴史上、8人10代(お二方が二度即位されている)の女性天皇はなぜ生まれたのか。それは主に、次の2つの理由から「中継ぎ」として即位されたのである。
・先帝が崩御または退位された際に、幼い皇子が成人するまでの中継ぎとして・・・第41代持統天皇、第43代元明天皇、第44代元正天皇、第109代明正天皇、第117代後桜町天皇。
・先帝が崩御または退位された際に、有力後継候補が複数いて、すぐには決められない場合に、元皇后などのお立場による中継ぎとして・・・第33代推古天皇、第35代皇極天皇(重祚されて第37代斉明天皇)
上記、7人8代の女性天皇の場合は、いずれも男系男子の後継者に皇位を譲る事が明確であり、その時期を待つための中継ぎであった。したがって、これらの女性天皇の御存在も男系男子の皇統を守るための智慧であった。
唯一、異なる事例が、第46代孝謙天皇(重祚して第48代称徳天皇)である。第45代聖武天皇と光明皇后の皇女として生まれたが皇子の早世により、国史上初の、そして最後の女性皇太子となった。父帝崩御の後、即位してから、天武天皇の孫である第47代淳仁天皇に譲位した。ここまでは良かったが、両者の不和から兵乱が起こり、淳仁天皇は廃されて、淡路島に流された。
第48代称徳天皇として重祚すると、看病僧・道鏡は天皇の寵愛を良いことに、宇佐八幡神の託宣と詐って皇位を狙った。この皇統史上最悪の危機を阻止したのが和気清麻呂だった。清麻呂は後に「勤皇の忠臣」として称賛され、またこの失敗からだろう、本格的な女性天皇は二度と擁立される事はなかった。
ただ、孝謙・称徳天皇も含め、すべての女性天皇は、先帝の皇后として寡婦、あるいは生涯未婚のままで、御在位時に配偶者はいなかった。したがって女系のお世継ぎが生まれる可能性はまったくなかった。
これに「皇女が皇族外の男性と結婚すると皇族から外れる」というルールを合わせ考えると、男系でない男子を皇族には入れない、という原則が見てとれる。女性は一般国民からでも皇族に入ることができ、皇后にもなれる。しかし、男性は完全にシャットアウトされているのである。
これは道鏡のような野望を持つ男性を、万が一にも皇族に入れないための叡智であろう。昨今伝えられる眞子女王と小室圭氏の結婚騒動は、女性天皇論議への天の警告でもあるようだ。
■6.皇位継承の史実を整理してみれば
以上を整理してみると、皇位継承の危機の際に、次の3つの方法が採用された。
1)「猶子」:直系の男系男子が不在の場合、たとえ皇女がいても、遠縁の男系男子を猶子として皇位継承・・・3事例とも継承成功。
2)「中継ぎ女性天皇」:後継の皇子が幼少、または有力候補が複数いて、すぐには決められない場合の女性天皇による中継ぎ・・・7事例とも継承成功。
3)「本格的女性天皇」:皇女が本格的な女性天皇として即位・・・1事例のみ。皇統最悪の危機を招く。
これだけの史実を見れば、3)「本格的女性天皇」を理性的に是認しうる人間がいるとは思えない。いるとすれば、密かに「天皇制」廃止を目指して、確信犯的に3)を主張する輩であろう。もともと「天皇制」を否定していた共産党が、突然、女性天皇を議論しよう、などと言い出したのは、この戦略であると疑わざるを得ない。
注目すべきは、上記の3つのいずれにおいても、「男系」そのものは完全に守られてきたことである。126代の一度たりとも.男女を問わず男系でない人間が皇位についた例はない。何故に、我々の先祖はこれほどまでに男系にこだわってきたのか?
ここで筆者が思い起こすのは、「理性の限界」と「死者の民主主義」という二つの言葉である。「理性の限界」とは、多くの知識人が支持した共産主義が、一億人とも呼ばれる犠牲者を出した失敗からも明らかであろう。その失敗から目をそらして、未だに共産党と名のっている人々がいることも「理性の限界」の一例である。
伝統や習慣の意義を合理的に説明できないからと言って否定するのは、自らの理性の限界を弁えない、近代人特有の理性過信である。「男女平等」などという観念から「男系の維持」を否定するのも、その一種である。
限界ある理性を補うのが「死者の民主主義」である。男系の維持は、ほぼ2千年に及ぶ我らが御先祖様が選択してきた結果である。おそらくこれが一因となって、126代もの安定した皇位継承をもたらし、それによって中国や西洋に比べれば、我が国民ははるかに平和な、幸福な歴史を過ごしてきた。
長い歴史を経た皇室制度などに関わる政治的決定は、我々現世代の限られた理性だけでなく、過去の皇室制度を支えてきた無数の御先祖様、すなわち「死者」たちの経験と叡智と意思に耳を傾けなければならない。これが「死者の民主主義」が示す道である。
そして御先祖様たちがうまく解決できた問題に関しては、遠慮なくその叡智を拝借し、失敗したやり方に関してはその経験を生かさねばならない。皇位継承の問題に関しては、猶子という成功した叡智に学び、失敗しかけた本格的女性天皇の道は避ける、というのが、賢明な国民のとるべき道であろう。
「男系」へのこだわりも、猶子の智慧で維持できるのだし、そのディメリットも歴史上、一向に現れていないのだから、わざわざこの伝統を崩さねばならない合理的理由もない。
■7.皇位継承者の極端な現象は占領軍の遺制
現代において、ご先祖様の猶子の叡智を活用して皇位継承者を増やす方法として、小堀桂一郎・東大名誉教授が次のようにまとめた提案が最も現実的だろう。
__________
・・・今後、結婚される女王様方の御配偶が、血統の上で皇統につながっており、且つ、それがなるべく近い過去に於いて、そのつながりが証示できる様な方であれば、その御当人でなくとも、その次の世代の男子(母方の血筋からしても、皇室の血を引いておられることが明らかなのであるから)が、皇位継承権を保有されることは、系譜の論理から言つて、道理に適(かな)つたものになる。[1, p54]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ここで言う「血統の上で皇統につながって」いる方とは、昭和22(1947)年10月14日付けで占領軍から皇籍離脱を命ぜられた旧11宮家ご出身の方々となろう。戦後の新しい皇室典範が施行されたのは、この5か月程前の5月3日であり、11宮家はそれまでの間、新皇室典範のもとでも皇籍に属しておられた。それを日本国家国民の意思とは関係なく、占領軍の指令で離脱を強制されたのである。[2, p152]
現在の皇位継承者の極端な減少は、この占領軍の皇室弱体化政策によるものであり、憲法と同様、戦後体制の一環である。したがって、2千年の我がご先祖様の叡智に従って、これを是正していくことは現世代の責務であろう。
(文責 伊勢雅臣)
■リンク■
a. 伊勢雅臣『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』、育鵬社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594079032/asyuracom-22/
アマゾン「メディアと社会」「ジャーナリズム」カテゴリー 1位(H30/2/1調べ)
万民の幸せを願う皇室の祈りこそ、日本人の利他心の源泉。
b. JOG(416) 万世一系のY染色体〜「女性天皇問題」は歴史の知恵に学べ
我が国の歴史は、すでに解答を用意している。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h17/jog416.html
c. JOG(462) 皇位継承 〜 聖なる義務の世襲
国家の中心には、ひたすら国民の安寧と国家の繁栄を祈り続ける方が必要である。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog462.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 小堀桂一郎『象徴天皇考』★★★、明成社、H31
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905410541/asyuracom-22/
2. 小堀桂一郎『皇位の正統性について―「万世一系の皇祚」理解のために』明成社、H18
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4944219466/asyuracom-22/
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201905/article_2.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html#c1
7. 2020年7月24日 06:14:11 : FZOPvgNti6 : MGIwWmVGbGxoNEk=[53]
これで小池が悪いという話にはならんだろう。
小池はやり手だ、頭もいい、アラブ語も得意らしい(笑)
安倍よりは遥かにましだろう。
2. 中川隆[-12061] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:16:52 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[5]
2019-05-21
「記録の国」中国に「前王朝の痕跡を根こそぎ消してきた」と難癖をつけるネトウヨさんの蛮勇
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/05/21/221649
■ 中国では各王朝が前代の正史を編纂してきたのだが…
何度教え諭されても、入れ替わり立ち替わり、ドヤ顔でこういうことを言い出すネトウヨさんが現れる。
msmnia @msmnia
民族が替わり、前王朝の痕跡を根こそぎ消してきた近隣諸国に「歴史ガー」とか「反省ガー」とか言われる筋合いなんてこれっぽっちもないと思う。そしてこの世界最古の国家の背骨こそが皇統であるという歴史だけは日本人全てが共有すべきファクトなのだ。
7:00 - 2019年5月15日
弥栄瑞穂 @Shooting_Water
この人、日本が「前の戦争の時に記録という記録を破棄しまくり、現代においても都合の悪い記録を政権が破棄しまくってる」中で「王朝が倒れた時に次の王朝が歴史書を書き始められるだけの記録をたんまり残しておく」中国に何ケンカ売ってるの。
kizitora @anyatoraneko
前王朝首都を落としたらまっさきに公文書を保全し、高級官僚候補者を最初に歴史編纂室に配置する、歴史至上主義とすら言われる民族ですよ。
民主主義になった民国や、共産主義になった中国共産党ですら膨大な時間人員をかけて「清史」を編纂する国。共産党版清史は近日三千万字のものを公開予定。
23:46 - 2019年5月15日
中国の各王朝が前王朝の痕跡を根こそぎ消してきたのなら、歴代各王朝の正史はどうやって書かれてきたのだろうか。子どもでもわかりそうな当たり前の話だ。
冒頭のツイートで使われている画像は、世界史対照年表(吉川弘文館)の日本の部分だけを赤一線で塗り潰した粗雑な代物だ。「世界最古の国家」どころか、他の国と同じレベルで時代を区切れば、現在の日本国が成立したのは、連合国への無条件降伏により大日本帝国という旧体制が崩壊し日本国憲法に基づく国家となった1947年、わずか72年前のことである。
■ 前王朝の痕跡を根こそぎ消してきたのは大和朝廷
ちなみに、古代にまでさかのぼっても、「前王朝の痕跡を根こそぎ消して」きたのは中国や韓国ではなく、むしろ日本のほうだ。
大和朝廷が編纂した最古の正史である日本書紀の神代紀には、やたらと「一書」という表現が現れる。例えばその冒頭部分は次のようになっている。
神代上
【本文】古いにしへに天地未だ剖わかれず、陰陽分れざりしとき、混沌まろかれたること鶏子とりのこの如くして、溟Aほのかにして牙きざしを含めり。(略)時に、天地の中に一物ひとつのもの生なれり。状かたち葦牙あしかびの如し。便すなはち神と化為なる。国常立尊と号まうす。次に国狭槌尊。(略)
【一書第一】一書あるふみに曰いはく、天地初めて判わかるるときに、一物虚中そらのなかに在り。状貌かたち言ひ難し。其の中に自づからに化生なりいづる神有います。国常立尊と号す。亦あるいは国底立尊と曰す。次に国狭槌尊。亦は国狭立尊と曰まうす。(略)
【一書第二】一書に曰はく、古に国稚いしく地稚しき時に、譬たとえば浮膏うかぶるあぶらの猶ごとくして漂蕩ただよへり。時に、国の中に物生れり。状葦牙の柚ぬけ出でたるが如し。此に因りて化生づる神有す。可美葦牙彦舅尊と号す。次に国常立尊。次に国狭槌尊。(略)
【一書第三】一書に曰はく、天地混まろかれ成る時に、始めて神人有す。可美葦牙彦勇尊と号す。次に国底立尊。(略)
【一書第四】一書に曰はく、天地初めて判るるときに、始めて倶ともに生なりいづる神有す。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。又曰はく、高天原に所生あれます神の名を、天御中主尊と曰す。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊。
【一書第五】一書に曰はく、天地未だ生らざる時に、譬へば海上に浮べる雲の根係る所無きが猶し。其の中に一物生れり。葦牙の初めて泥ひぢの中に生でたるが如し。便ち人と化為る。国常立尊と号す。
【一書第六】一書に曰はく、天地初めて判るるときに、物有り。葦牙の若ごとくして、空の中に生れり。此に因りて化る神を、天常立尊と号す。次に可美葦牙彦勇尊。又物有り。浮膏の若くして、空の中に生れり。此に因りて化る神を、国常立尊と号す。
このように、各段ごとにいくつもの「一書」から文章が引用されている。その数をまとめると次のようになる。[1]
段 内容 一書の数
一 天地未剖 6
二 神生み 2
三 神世七代 1
四 国生み(大八洲国) 10
五 天照たちの誕生 11
六 二神の誓約 3
七 スサノオの追放 3
八 大蛇退治 6
九 天孫降臨 8
十 海幸山幸 4
十一 神武兄弟の系譜 4
計 58
ここからは、次のことがわかる。
まず、日本書紀に先行して、既に複数の史書が成立していたこと。次に、そもそも「一書」などという名の史書はありえないので、日本書紀はこれらの史書の書名を隠しているということ。
そして、これらの「一書」は、神代紀に続く神武紀(神武ことサヌの近畿侵入以降)の段階になると、突然その姿を消してしまう。
これらの「一書」は、みな神話だけを記載していたのだろうか。
そんなはずはない。日本書紀それ自体と同様に、これらの史書も、神話に続いて、そこで語られた神々の血を引く「正当な王者の系譜」とその「輝かしい物語」を記していたはずだ。その部分を「一書に曰く…」として引用しないのは、そこで語られている系譜が近畿天皇家のそれではないからだろう。
要するに、近畿天皇家こそが、先行する王朝の痕跡を根こそぎ消して、残された史書から都合のいい部分だけを剽窃していたのだ。
「この世界最古の国家の背骨こそが皇統」とかいうお話は、「日本人全てが共有すべきファクト」どころか、日本最古のフェイクと言うべきだろう。
[1] 古田武彦 『古代は輝いていた(3)』 朝日新聞社 1985年 P79-80
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/05/21/221649
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html#c2
16. 一般ピープルぱんぴー[-1250] iOqUyoNzgVuDdoOLgs@C8YLSgVs 2020年7月24日 06:16:58 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6693]
>>15
>コロナの原因ウィルスの感染力は非常に弱く、多くの方が自然免疫を持っている
というのは、今や、ネット民の間では常識なんですけどね。
ブラジルの大統領が言うように「ただの風邪」をマスゴミが「モンスターに仕立てた」だけのことなんですけどね。
https://www.nikkansports.com/general/news/202007080000006.html
スポーツ新聞漬けの方もテレビ漬けの方も、そろそろ「目覚める」時が来たようですね。
ただの風邪は、たいていは、一部のクーラー病(夏風邪)を除いて、
夏には流行はおさまる
わけです。
https://www.youtube.com/watch?v=rl3zg2WfAZU
さあ、夏だ!
https://www.youtube.com/watch?v=l8PuF_hkCeA
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c16
17. 2020年7月24日 06:18:42 : avrfa8smLQ : SkJDVkdZeVVFMlk=[2]
リアルタイムで見ていたが、玉川氏のまとめは次のようである。偽陽性による隔離で役人は責められるのを恐れる。訴訟を起こされたら負ける。責任を取りたくない。小役人の論理に乗って検査数も隔離も増やさない政府について、これでよいのかと言っている。それに対して岡田氏は間違いで隔離したとしても、数日後にもう一度検査すれば偽陽性はわかる、とのこと。小林氏も間違い隔離の人は1週間我慢してもらい、その後の対応は政治が考えるべきこと、との話であった。
玉川氏は、政府のコロナ対策を責めている。小役人の話を鵜呑みにして役人の保身に手を貸している、と。たくさん検査をし、隔離をすることでしか感染者を減らす方法はないと言っている。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c17
3. 中川隆[-12060] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:18:52 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[6]
2019年05月12日 神武天皇のY染色体
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_21.html
皇位継承にさいして男系維持派がY染色体を根拠とすることについては、すでに11年半近く前(2007年11月)に当ブログで述べましたが(関連記事)、今でも男系維持派がY染色体を根拠とすることもあり、一部?の界隈ではすっかり定着したようです。この問題について当時も今も思うのは、皇位継承のような物語性の強い社会的合意事項に安易に自然科学の概念を持ち込むべきではない、ということです。重要なのは、少なくとも6世紀半ば以降、皇位(大王位)が男系で継承されてきた、という社会的合意(前近代において、その社会の範囲は広くなかったでしょうが)であり、それは自然科学の概念とは馴染まない、と思います。
男系継承においてY染色体を根拠にしてしまうと、生物学的確実性が要求されるわけで、どこかで「間違い」が起きた場合、それ以降の天皇の正統性が損なわれることになります。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。
この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。
現実の「間違い」としては、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例があります(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179〜180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。なお直仁親王は、正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。
持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし上述したように、皇位の父系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは明らかで、そのさいに重要なのは、あくまでも皇位継承者が「初代天皇」と男系でつながっているという社会的認知であり、Y染色体を持ち出す必要はまったくないばかりか、有害でしかありません。何よりも、Y染色体を根拠とすれば過去の女性天皇の正統性が損なわれるわけで、父系で「初代天皇」とつながっている、という社会的合意があれば充分でしょう。
少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6〜7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。
藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきだと思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。また、藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することは無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。
もちろん、古代に限らず、日本において母方も財産やそれに基づく政治的地位に大きく貢献していますが、それは現生人類(Homo sapiens)において普遍的な、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来するのだと思います。こうした特徴が人類社会を重層的に組織化した、との観点は重要だと思います(関連記事)。その意味で、古代日本社会を双系的と解釈する見解には一定以上の妥当性があると思います。しかし、少なくとも皇族(王族)や有力氏族は6世紀半ば以降に父系的構造を形成して維持しており、母方も重要だからと言って母系的とは言えないでしょう。支配層の母系継承かもしれない事例としては、9世紀〜12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。
そもそも、人類は父系的な社会から現在のような多様な社会構造を築いた、と私は考えています(関連記事)。人類社会において父系的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、「唯物史観」での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られます。それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。人類におけるこうした社会構造の柔軟性をもたらしたのは、上述したように、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来すると思います。少なくとも現生人類にはこの特徴が顕著に発達していますが、それはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他系統の人類にもある程度以上共通している可能性もあるとは思います。
最後に話を皇位継承に戻すと、現在の規定において皇位継承が危機に瀕していることは、この問題に関心のある人が等しく認めているでしょう。それでも解決策の検討が具体的に進展しないのは、悠仁親王の存在が大きいと思います。しかし、現行の規定でも数十年後の皇位継承を可能とするには、もはや悠仁親王が男子を儲けるしかなく、それに期待すると言ってしまうような政治家はあまりにも無責任で(関連記事)、政治家失格と言うべきでしょう。これも、政治家をはじめとして有力者には50代後半以上が多く、悠仁親王の結婚と子供が本格的に問題になる頃にはすでに死んでいるか、現役ではないからだと思います。これは解決困難な問題の先送りに他ならず、多くの解決困難な問題を抱える現代日本社会の弱点ですが、現代日本社会でとくに深刻というわけではなく、人類社会に普遍的な事象だと思います。とくに皇位継承問題は、政治家にとって票になりにくい上に、どのような解決策でも影響力があり声の大きな複数の著名人に批判されることになるので、政治家が先送りにしたいという心情はよく理解できます。
正直なところ、1980年代に小学校高学年だった頃から近年までずっと天皇制廃止論者だった私としては、このまま男系維持派に大きな声を挙げ続けてもらい、天皇制が自然に消滅してほしい、とさえ考えたくなりますが、近年では天皇制廃止論にやや否定的になったので、天皇制の自然消滅を強く願っているわけではありません。なお、小学校高学年から天皇制廃止論者だった私は、当然のごとく改憲を支持しており、日本国憲法第9条も改正して軍隊の保有を明記すべきだ、とずっと考えてきました。これは今でも変わりませんが、少数派の改憲論だという自覚は小学生の頃からあったので、ネットでの匿名での発言以外では、誰かに打ち明けたことはありません。
現状では、皇位継承の長期的な安定性を確保するには、男系維持の立場からの旧宮家の男性の皇族への復帰か、まだ若い女性皇族がいるうちに女系継承も認めるかのどちらかしかないと思います。皇位継承が長期にわたって男系を大前提としてきたことは間違いありませんが、誕生時には皇族ではなかった男性が即位した事例(醍醐天皇)もあるとはいえ、父系では600年以上さかのぼらないと天皇にたどりつかない人物が、即位はもちろん皇族に復帰することもあまりにも異例の事態で、正直なところ、国民の理解が得られるのか、はなはだ疑問です。少なくとも現時点では、女系継承の方が国民の圧倒的に多くの支持を得られそうです。しかしこれも、愛子内親王への国民の期待によるところが大きく、旧宮家の男性で、人格・知性・体力・容貌に優れた人物がいれば、旧宮家の皇族復帰が国民の圧倒的支持を得られるようになるのではないか、と思います。
私は、男系による皇位継承は長期にわたって大前提ではあったものの、天皇(大王)の本質としては、時代の変化に柔軟に対応して存続してきたことの方が重要だと思うので、日本が今後属すべき社会の価値観という観点からも、若い女性皇族がまだ複数いるうちに女系継承を認めるべきだと思います。ただ、政府、とくに現在の安倍晋三内閣がそう決断するのは、支持基盤の問題もあって難しいでしょうから、このまま女性皇族が結婚により次々と皇族を離れていき、悠仁親王に息子が期待できないような状況になってやっと、皇室典範の改正により旧宮家の男性の皇族復帰が検討されるようになるのではないか、と予想しています。まあそれでも、天皇制廃止よりはましなのかな、と最近では考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_21.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html#c3
4. 中川隆[-12059] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:21:20 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[7]
2019年07月20日
石浦章一『王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_41.html
川端裕人著、海部陽介監修で、講談社ブルーバックスの一冊として、講談社から2019年6月に刊行されました。
本書はおもに王族を対象として、DNA解析により解明された世界史上の著名人の「謎」を取り上げています。具体的には、リチャード3世、ツタンカーメン、ジョージ3世、ラムセス3世、トーマス・ジェファーソンです。本書の主題からして、醜聞めいた内容になることは避けられないのですが、遺伝の仕組みや親子鑑定やゲノム編集についての基礎的な解説も充実しており、著名人を取り上げることで一般層を惹きつけ、最新科学を分かりやすく解説するという、一般向け科学書として王道的な構成になっていると思います。
本書で取り上げられているのはヨーロッパとエジプトとアメリカ合衆国の人物で、古代DNA研究で中心的役割を果たしてきた、ヨーロッパとアメリカ合衆国の研究者たちの関心を反映しているように思います。本書の想定読者はほとんど日本人でしょうし、著者も日本人ということもあってか、日本人の起源や壬申の乱の頃の王族(皇族)も取り上げられていますが、詳しくはありません。この分野の研究では、日本はヨーロッパやアメリカ合衆国と比較して大きく遅れているので、仕方のないところではあります。
しかし、本書で取り上げられているトーマス・ジェファーソンの子孫をめぐる醜聞を読むと、日本で同様の研究が進められたとしても、一般に公表するのはかなり難しいだろうな、とも思います。本書は、ジェファーソンの父系子孫と自認していた一族が、じっさいには違っており、それが公表をめぐっての醜聞になったことを取り上げています。またイギリスにおいて、プランタジネット朝に始まる父系一族において、サマーセット家ではどこかで家系とは異なる父系が入っている、と推測されています。
日本では現在も、1400〜1500年以上に及ぶ父系による皇位(王位)継承が続いており、系図上は明確に父系で皇族とつながっている民間の男性も、旧宮家や一部の旧摂関家にいます。したがって、系図と生物学的な父系が一致するのか、確認することも可能ですが、それを公表することに大きな反発があることは容易に想像できます。ましてや、現在の皇族と比較して系図の正確さを検証し、公表することはできないでしょう。旧宮家や一部の旧摂関家出身の男性と男性皇族との間で、父系が一致するのならばまだしも、仮に大きな違いが明らかになれば、大騒動になることは間違いありません。その意味でも、皇位継承の根拠として、安易に「神武天皇のY染色体」を持ち出すべきではない、と思います(関連記事)。
参考文献:
石浦章一(2019)『王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎』(講談社)
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_41.html
▲△▽▼
2019年12月07日
皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内久美子氏の認識はある意味で正しい
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_12.html
「皇統の男系男子継承の深い意味」と題する竹内久美子氏の記事が公開され、それなりに話題になっているというか、嘲笑されているようです。とくに嘲笑の対象になっているのは、皇位継承を「日本の存亡に関わる問題」としているところのようですが、竹内氏の認識はある意味で正しいと思います。似たような認識として、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言を最近取り上げたので(関連記事)、かなり重なってしまうのですが、改めて私見を整理するとともに、竹内氏の他の見解にも言及します。
竹内氏は、女系天皇を認めれば「異質の王朝」を生むとして、男系男子による皇統の継承は、日本国の存亡に関わる問題である、との認識を示しています。似たような認識の「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言も含めて嘲笑する人は多いでしょうが、重要な論点が含まれており、一笑に付すようなものではない、と私は考えています。たとえば、網野善彦『日本の歴史第00巻 「日本」とは何か』(講談社、2000年)では、「日本」はヤマトを中心に成立した国家の国号で、王朝名だと指摘されています(P333)。また網野氏はかつて、一部の支配者が決めた「日本」という国号は国民の総意で変えられると述べて、日本が嫌いなら日本から出ていけ、という手紙・葉書が届いたそうです(同書P94)。
現在の女性皇族が「(天皇の男系子孫ではない)民間人」と結婚し、その子供が天皇に即位した場合、これを「王朝交替」と解釈することは、人類史、とくにヨーロッパ史的観点からは無理のない定義と言えるでしょう。日本も含まれる漢字文化圏でも、後周のように異なる男系でも同一王朝という事例もあり、異なる男系での君主継承が王朝交替の第一義的条件ではないとしても、実質的には男系の交替と王朝交替がおおむね一致しています。また漢字文化圏では、王朝が替われば国号も変わります。
このように、異なる文化圏の概念の組み合わせという側面もあり、強引なところも否定できませんが、「日本」という国号を王朝名、それまでとは異なる男系の天皇が誕生すれば「王朝交替」と考えれば、皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内氏の発言や、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言に見られる認識は一笑に付すようなものではない、と私は考えています。日本は、漢字文化圏的枠組みでは少なくとも6世紀以降「王朝交替」はなかったと言えるので(関連記事)、漢字文化圏としては異例の長さで同じ国号が続いたことから(漢字表記で正式に「日本」とされたのは8世紀初頭)、「日本」はもう地理的名称として定着した感もありますが、原理的には変えられるものなのだ、と気づく契機になり得るという点で、皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内氏の認識は嘲笑されるべきではない、と私は考えています。
もっとも、仮に今後日本で天皇制が廃止されたり、皇位の女系継承が容認され、女性皇族と天皇の男系子孫ではない夫との間の子供が即位したりするようなことがあっても、すでに定着した「日本」という国号を変える必要はまったくないと思いますし、もしそういう運動が起きたとしても、すでに長く定着した国号で愛着があるので、私は反対します。網野善彦氏は、「日本」は王朝名だと強調し、「日本」という枠組みで「(日本)列島」史を把握することに否定的ですが、そもそも「政治的」ではない「中立的な」地理的名称が世界にどれだけあるのかと考えれば、「アジア」や「朝鮮半島」や「中国大陸」という地名を採用しておきながら、ことさら「日本」を標的にすることには疑問が残ります。なお、網野氏は天皇号と日本国号の画期性を強調しますが、これにも疑問が残ります(関連記事)。
ただ、竹内氏が皇位男系継承の根拠として、Y染色体の継承を挙げていることにはまったく同意できません。なお、竹内氏は「Yについては交差が起きず、父から息子へ、そのまた息子へといった男系で継承している限りまったく薄まることがない」と述べていますが、竹内氏は以前Twitterにて、Y染色体にも短いながら組換え領域があると述べていたように記憶しているので、この発言は一般読者向けに簡略化した説明なのでしょう。まあ、とても褒められたことではありませんが。
それはさておき、皇位継承が話題になった小泉内閣の頃より、皇位男系継承の根拠としてY染色体を挙げるのは地雷に他ならない、と指摘されてきたように思うのですが、今年(2019年)久しぶりに天皇の生前退位があったためか、皇位継承問題への関心が高まる中で、Y染色体に基づく皇位男系継承論がネットでは支持を集めつつあるように思われるのは気がかりです。率直に言って、皇位男系継承支持者で、その根拠としてY染色体を持ち出す人は大間抜けだと思います。
その最大の理由は、皇位継承のほとんどの期間において父子関係が遺伝的に保証されていたわけではない、ということです。つまり、系図上の父親と生物学的な父親とが異なっている(ペア外父性)可能性がある、というわけです。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。
この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。じっさい、「間違い」が起きていた可能性の高い事例も指摘されており、『源氏物語』の設定を単なる空想とも言い難いでしょう。
それは、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例です(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179〜180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。直仁親王は正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。
具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。どの程度の確率で皇室において「間違い」があったのか、推定できる根拠はほぼ皆無ですが、14〜20世紀のネーデルラントの事例では、人口密度および社会階層がペア外父性率と相関している、と報告されています(関連記事)。人口密度が高く、社会階層が低いいほどペア外父性率は高い、というわけです。逆に、人口密度が低く、社会階層が高いとペア外父性率は低くなります。人口密度の低い地域の中流〜上流階級のペア外父性率は0.4〜0.5%と推定されています。
皇室は、上流階級でもさらに特殊ではあるものの、人口密度の高い場所に居住し続けているという点や、直仁親王や猪熊事件の事例からは、ペア外父性率が0.4〜0.5%以上でも不思議ではないでしょう。仮に0.4%という割合を採用し、継体「天皇」を始祖と仮定した場合、今上天皇は北畠親房の云う「まことの継体(父系直系なので天皇ではない皇族も含みますが、この点に関しては議論もあるようです)」では54世(数え間違えているかもしれませんが)で、53回の父子継承となりますから、始祖とずっと父系でつながっている確率は約81%です。ペア外父性率が1%だった場合は、始祖とずっと父系でつながっている確率は約59%となります。もっとも、直仁親王の事例のように、ペア外父性でも皇族もしくは臣籍降下の氏族だった場合は、「初代天皇」のY染色体が継承されていることになるので、じっさいには確率はもっと上がるでしょうが。まあ、上述のように皇族におけるペア外父性率を推定するデータが皆無に近い状況ですから、まったく参考にならないお遊び程度の計算でしかありませんが。
実際問題としては、持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする皇位継承男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし、皇位男系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。竹内氏は皇位男系継承の根拠としてY染色体を提示した草分け的な人物の一人だったようですから、愚論と言われて不満なのは当然かもしれません。
少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6〜7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。前近代において、皇位継承が男系であることは明文化されていないと思いますが、それは皇位男系継承が大前提・常識だったからと思います。
皇位継承の根拠をY染色体とする言説は、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思いますが、それ以上の問題に発展しかねません。今後、男系維持派の大半?が主張するような、旧宮家の男系男子の皇族復帰にさいして(皇別摂家の男系子孫の皇族復帰を主張する人は、私の観測範囲では皆無に近いようです)、Y染色体根拠論に基づくと、Y染色体DNAの検査が必要となるからです。仮に、現在の男性皇族と旧宮家の男系男子とでY染色体ハプログループ(YHg)が大きく異なっていた場合(たとえば、YHg-DとYHg-O)、どちらが「正統」なのか、という点をめぐって議論になり、皇室の権威を傷つけてしまうことになりかねません。じっさい、外国の事例ですが、プランタジネット朝に始まる父系一族において、サマーセット家ではどこかで家系図とは異なる父系が入っている、と推測されています(関連記事)。今後、皇族が減少するなか、旧宮家の男系男子を皇族に復帰させるとしても、DNA検査は必要ない、と私は考えています。
ただ、皇位男系継承維持派がY染色体を根拠として持ち出したことは理解もできます。現代日本社会において、皇位継承を男系に限定する根拠として、伝統だけを挙げても日本人の広い理解を得られない、との危機感が皇位男系継承維持派にはあるのでしょう。そこで、「科学的根拠」たるY染色体が提示されたわけですが、「科学的根拠」を採用してしまうところが、伝統維持や保守を自任していても、いかにも近代的だなあ、と思います。皇位男系継承派の中に、皇族における一夫多妻制を提案する人がほとんどいないことも、現代日本社会においてヨーロッパ発の近代がいかに深く浸透したのかを示しています。
皇位男系継承維持派には保守主義者を自任している人が多いでしょうが、保守主義の本質の一つとして、(1000年以上にわたる)伝統宗教も含めて長きにわたる伝統・慣行は深い叡智に基づいているかもしれないので、安易に変革・廃止してはならない、という自制があると思います。その意味で、皇位男系継承維持派は、日本人の広範な支持を得るためには、男系継承がいかなる叡智に基づくのか説明しなければならなかった、と私は考えています。しかし実際には、少なからぬ人がY染色体論という「科学的根拠」に飛びついてしまい、これは皇位男系継承維持派の知的怠慢だと思います。まあ、上述のようにY染色体を根拠とする皇位男系継承維持論議は「科学的根拠」になるどころか、地雷でしかないのですが。
少なからぬ皇位男系継承維持派は、男系継承をきわめて価値のあるものと主張しますが、高貴な地位の男系継承自体は、人類史において普遍的です。それが日本のように短くとも1400年以上という事例はきわめて例外的としても、たとえばフランスでは、革命期からナポレオン期を除いて、800年以上にわたってユーグ・カペー(Hugues Capet)の男系子孫が王位を継承しました。男系継承は人類進化と深く関連しており、その意味でも、何らかの叡智に基づいている可能性はあるかもしれません。ただ、私程度の見識では、説得力のある見解の提示はできませんが。
私が男系継承と人類進化との深い関連を想定しているのは、人類はずっと父系に傾いた社会を形成していた、と考えているからです。現代人(Homo sapiens)も含む現生霊長類では母系社会の方が優勢ですが、現代人も含まれるその下位区分の現生類人猿(ヒト上科)では、現代人の一部を除いて非母系社会を形成します。これは、人類社会が、少なくとも現生類人猿との最終共通祖先の段階では、非母系社会を形成していた、と強く示唆します。さらに、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジー属(チンパンジーおよびボノボ)は父系社会を形成し、次に近縁な現生系統であるゴリラ属は、非単系もしくは無系と区分すべきかもしれませんが、一部の社会においては父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持するという、父系的社会を形成しています(関連記事)。
おそらく、現代人・チンパンジー属・ゴリラ属の最終共通祖先の時点で、父系にやや傾いた無系社会が形成されており、チンパンジー属系統ではその後に明確な父系社会が形成されたのだと思います。人類系統においても、現生人類ではない絶滅人類で父系社会を示唆する証拠が得られています(関連記事)。人類系統においては、父系に強く傾きつつも、所属集団を変えても出生集団への帰属意識を持ち続けるような双系的社会(関連記事)がじょじょに形成され、さらに配偶行動が柔軟になっていき、母系に傾いた社会も出現したのだと思います。おそらく人類史において、母系に傾いた社会の形成は父系に傾いた社会の出現よりもずっと新しいと思います。ただ、そうした変化が現生人類の形成過程と関連しているのか、それともさらにさかのぼるのか、現時点では不明ですし、将来も確証を得るのはきわめて困難でしょう。
この観点からは、藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、双系的社会に基づき、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきで、母系社会であった証拠にはならない、と思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することも無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。なお、竹内氏は、「皇統の男系男子による継承は、かつては藤原氏などの国内の権力を排除するという意味があった」と述べていますが、父系継承が人類史において普遍的だったことを反映しているだけだと思います。じっさい、古代日本も双系的な社会だったので、藤原氏は娘を天皇(や皇太子)に嫁がせて権力を獲得(分掌と言うべきでしょうが)していったわけで、「藤原氏などの国内の権力を排除」できていませんし、その意図もなかった、と考えるべきでしょう。
支配層の母系継承かもしれない事例としては、9〜12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。現在の通説のように、古代日本社会は基本的に双系的だったのでしょうが、それは現生人類の特徴でもあり、古代日本を母系社会から父系社会への過渡期と解釈するのは的外れでしょうし、そもそも人類社会は母系制から始まり、社会的発展により「原始的な」母系制から父系制へと移行する、という社会発展モデル自体が根本的に間違っているのでしょう。
人類社会において父系(男系)的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、俗流唯物史観での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。その意味で、確かに現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られるものの、それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。
たとえば、日本でもすっかり有名になったヤノマミ集団は、テレビ番組などで「1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている」と紹介されてきましたが、アマゾン地域は先コロンブス期において大規模に開発されており(関連記事)、ヤノマミの祖先集団もかつては現在とは大きく異なる社会を構成していたかもしれません。そうだとすると、1万年以上前の祖先集団の文化・風習をどの程度継承しているのか、疑問です。また、現代の「未開社会」は、完新世の農耕・牧畜社会、さらに産業革命以降の近代社会の圧迫を受けてきたわけで、更新世にはそうした社会は存在しなかった、という視点も重要となるでしょう。
もちろん、長く基準だったからといって、それが「本質的」とは限りませんし、何よりも、仮に「本質的」あるいは「生得的」・「自然」だから守らねばならないと主張するならば、自然主義的誤謬に他なりません。現生人類は、双系的社会を築いたように、柔軟な行動を示す霊長類の中でも、きわめて柔軟性の高い種です。これは、『暴力の人類史』などでも指摘されているように(関連記事)、現生人類には相反するような複数の生得的性質と、状況に応じて行動を変えるような高度な認知能力が備わっているからでしょう。もちろん、他の動物にもそれは当てはまり、それ故に気候変動も含めて短期的および長期的な環境変化を生き延びてきたのでしょうが、現生人類ではそうした特徴がとくに強く発達したのだと思います。
その意味で、皇位男系継承維持派からも一夫多妻制の提案すら躊躇われるような、すっかりヨーロッパ発の近代が浸透してしまった現代日本社会において、あくまでも皇位男系継承維持に拘るならば、単に伝統と主張したり、もっと突っ込んで、長きにわたる伝統・慣行は深い叡智に基づいているかもしれないので、安易に変革・廃止してはならない、と主張したりしても、それだけで広く支持を集めることは難しいでしょう。じっさい、そうした見解を述べる人もいましたが、あまり支持を集めていないように見えます。そのため、現生人類のさまざまな生得的性質と社会状況を踏まえた、説得力のある根拠(叡智)の提示が要求され、少なからぬ皇位男系継承維持派にとって、それがY染色体だったのでしょうが、上述のようにそれは地雷に他ならず、伝統だけを主張しておいた方がまだましだったように思います。その意味で、Y染色体を皇位男系継承維持の根拠とする人々は、(本心を隠した天皇制廃止論者や女系容認論者でなければ)大間抜けだと思います。
なお、皇族が父系では「縄文人」系統との認識も見られますが、その確証はまだ得られていない、と言うべきでしょう(関連記事)。ただ、皇族が一部で言われている現代日本人では多数派のYHg-D1a2a(旧D1b1)である可能性は低くないように思います。YHg-D1a2(旧D1b)は「縄文人」由来と考えられており(関連記事)、現代日本人のうち本州・四国・九州を中心とする「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響は10〜20%程度と推定されているのに(関連記事)、YHg-D1a2の割合は35.34%になるからです。皇族に連なる父系集団は、武士になるなどして地方で父系を拡大する機会に恵まれていたましたから、ゲノム規模では弥生時代以降の渡来集団の影響力が圧倒的に高いとしても、皇族が父系では「縄文人」系統だとすると、「縄文人」系統のYHg-D1a2の強い影響力を説明できる、というわけです。ただ、皇族が本当にYHg-D1a2aか、まだ確証は得られていないでしょうし、何よりも、「縄文人」ではYHg-D1a2aはまだ確認されておらず、YHg-D1a2b(旧D1b2)しか確認されていません(関連記事)。これは、YHg-D1a2aが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性を示唆します。ただ、YHgが分類されている「縄文人」はいずれも東日本の個体なので、西日本の「縄文人」がYHg-D1a2aで、皇族がその父系に属する可能性もじゅうぶんある、と思います。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_12.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html#c4
8. 2020年7月24日 06:25:26 : POHaEZIqKE : aEdFNkltZ1NpQm8=[8]
コメント3以降、“小池派”がずいぶんと湧いているな。小池にすれば、不都合な真実ということか。
民主主義国家において、下々の者が為政者の意向に従う“金太郎あめ”になる必要はない。内部告発、大いに結構。告発が誤っていたならば、為政者は堂々と告発の誤りを正せばいい。
告発が正しければ、自らの施策を修正する必要も為政者にはある。要するに為政者の度量の問題。小池には要するに、清濁併せ呑む度量がないということ。
コメント3のアメリカとの比較も明らかな誤り。小池が都知事に就任した際、アメリカの大統領のように小池が澤氏を引き連れてきたスタッフであるという経緯があるならば、小池の意向に従えと強弁できるが、日本のシステムは違う。
ただ、この澤氏の言を信じるならば、「うちは小池派で売っていますから…」と答える全国紙の記者が情けない。
ここにもいまの日本のジャーナリズムの劣化を見る。築地・豊洲問題を取材してみて、澤氏の指摘が正しいのか、単なる私怨めいたものなのか探ってみろと言いたい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/435.html#c8
明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
天皇のための戦争
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)
戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)
昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)
真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)
海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)
パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)
天皇が内通していた(00:31:38)
スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)
天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)
終戦工作と白州次郎 (00:33:39)
ヨハンセングループ (00:34:17)
日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)
日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)
弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)
火事場泥棒なんです。(00:36:15)
こじつけ無罪論(00:36:19)
明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)
第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)
戦争はすべて八百長(00:38:51)
戦争は継続しなければいけない (00:40:48)
天皇が被爆に加担した(00:42:23)
白洲次郎の秘密(00:44:17)
吉田茂の秘密(00:46:20)
こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)
キッシンジャーと中曽根(00:57:00)
使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/239.html
9. 2020年7月24日 06:26:11 : VS9vp22haQ : RjhuN0hLWVFKOHc=[10]
小池知事の逆鱗に触れると排除以外に生き延びる道なし
自我に執着するサイコ安倍とよく似ている。
性格的に米国戦争屋・CIA・CSISの手下にもピッタリ。
いや、手下だから、そういう性格になったのか
「小池百合子がCIAエージェントかもしれない“4つの疑惑”」を
政府関係者が暴露! 都民ファーストの真の目的とは? 2020.06.20
第3の疑惑:時の権力者に寄り添った本当の理由
「小池といえば、92年7月の参議院選挙で、日本新党からの出馬以来、
日本新党(細川護熙)→新進党→自由党(小沢一郎)→保守党→自民党
(小泉純一郎と安倍晋三と石破茂)と渡り歩き、常に時の権力者の側で
キャリアを築いた。そのため、小池は『旬の権力者の思想に染まりやすい女』
と評されたが、それは違う。
小池はCIAの戦術に沿って、戦略的にその時々の権力者から国の機密情報を
抜いていたのではないか。そう考えた方が、自然だ」
この政府関係者によると、「ひとくちにCIAといってもさまざまなグループが
存在し、安倍を支えるグループもある」ということだが、小池氏ほど見事に
エージェントであることを隠し通して出世した者は少ないという。
大躍進を続ける小池氏だが、彼女が目指す理想の日本は“CIAの傀儡国家”
なのかもしれない。
https://tocana.jp/2020/06/post_160146_entry.html
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/435.html#c9
34. 扶桑皇国革命防衛隊D[-80] lX2MS41jjZGKdpa9lmiJcZHgRA 2020年7月24日 06:26:24 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6692]
>>23
>日刊ゲンダイでもコメントを述べるリベラルな立場のはずの森田実さん、なぜ、この食事会に参加している?
>ほんとは安倍友なの?
前は安倍友ではなかったが、いまやアベトモ、という事ですね。
ステーキは日本食と違って安上がりでこういう会談は「買収」にはならない。
たぶん一人1万円くらいでしょう。
懐石料理なら、一人10万円、が相場ですからね。
安くてアベトモが増やせるステーキ会はこれからも続くでしょう。
森田実もCIAからNSAに寝返った!
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c34
1. 中川隆[-12058] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:27:28 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[8]
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/239.html#c1
伏見宮家は間男の子孫だった
2013年02月18日
◆ 伏見宮で男系維持は不可能
(旧宮家再興で)男系維持による皇位継承を実現しよう、という見解がある。しかしそれは不可能だ。そこで得られるY染色体は、天皇家のY染色体ではなく、間男のY染色体である。
──
男系維持による皇位継承を実現しよう、という見解がある。たとえば、安倍首相がそうだ。
《 「女性宮家」白紙に=安倍首相 》
安倍晋三首相は8日夜のBSフジの番組で、野田前政権が検討した「女性宮家」構想について、「皇統の継承は男系でつないでいくと皇室典範に書いてあり、女性宮家はそういう役割を担うことができない」と指摘した。その上で「もう一度じっくりと見直しをしていかなければならない」と述べ、白紙に戻す考えを示した。
( → 時事通信 2013/02/09 )
ここで、男系維持というのは、具体的には、旧宮家再興、つまり、伏見宮の系統を復活させることを意味する。
では、伏見宮の系統とは、何か? 具体的には、次の系統だ。
→ 伏見宮系図
http://www.eonet.ne.jp/~yanaken/miyasama/keizu2.htm
この系図を見ると、興味深いことに気づく。
・ 現存する男子は、非常にたくさんいる。
・ 現存する男子は、すべて邦家親王の子孫である。
・ 邦家親王は、息子の数が多かった。
・ 邦家親王の子孫も、代々、男子が多かった。
・ 邦家親王の父である貞敬親王は、女子が多かった。 女子も男子も多かった。
・ 貞敬親王以前 よりも前は、代々、男子が少なかった。
伏見宮邦家親王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%AE%AE%E9%82%A6%E5%AE%B6%E8%A6%AA%E7%8E%8B
伏見宮貞敬親王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%AE%AE%E8%B2%9E%E6%95%AC%E8%A6%AA%E7%8E%8B
以上をまとめると、次のようになる。
「伏見家は、貞敬親王以前 よりも前は、代々、男子が少なかった。ところが、その子である邦家 貞敬親王は、息子の数が多かった。また、その子孫も、代々、子孫が多かった」
つまり、Y染色体の傾向から言うと、次の二つに分類される。
・ 貞敬親王以前 よりも前 …… 代々、男子が少なかった
・ 邦家 貞敬親王以後 …… 代々、男子が多かった
このように、Y染色体の傾向がまったくといっていいほど正反対である。このことは、「Y染色体は代々引き継がれる」ということと矛盾する。
一方、次の事実がある。
「現在の皇室の系統は、代々、男子の数が少なかった」
このことは、現存の皇室の顔ぶれを見るだけでもわかる。
→ 皇室の構成図 - 宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/koseizu.html
浩宮・礼宮の世代では、男子が2名で、女子が5名(皇籍離脱した紀宮を含めれば6名)だ。
その次の世代では、男子が1名で、女子が3名だ。
また、大正天皇は、本人がもともと虚弱だった。
明治天皇は、十分に健康な男子をもうけることができなかった。第1皇子は死産。第2皇子は11歳で夭折。第3皇子は大正天皇だが、虚弱体質だった。また、第1皇女は死産。第2皇女は11歳で夭折。その他、第10皇女までいたのだが、やたらと女だらけで、健康な男子は一人も産まれなかった。(子女の数が多いのは側室がいたから。
→ Wikipedia )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E7.9A.87.E5.AD.90.E5.A5.B3
──
以上をまとめると、次のように言える。
・ 現在の天皇の系統は、代々、男子の数が少ない。
・ 貞敬親王以前 よりも前の伏見宮も、代々、男子の数が少ない。
・ 邦家 貞敬親王以後の伏見宮は、代々、男子の数が多い。
このことから、次のように推定できる。
「邦家 貞敬親王の時点で、Y染色体に、大規模な変化が起こった。それはほとんど突然変異といっても良いくらいの、大規模な変化であった」
一方、生物学的に、次の事実がある。
「突然変異というものは、ほとんどが、不利な形質を帯びる。有利な突然変異というものは、百万回に1回、または、それ以下である。ごく稀な例外を除いて、有利な突然変異というものは起こらない」
この二つを合わせて考えると、次の結論となる。
「邦家 貞敬親王の時点で、Y染色体に、大規模な変化が起こった。それはほとんど突然変異といっても良いくらいの、大規模な変化であった。しかるに、それは突然変異ではなかった」
このことから得られる結論は、一つだけだ。
「邦家 貞敬親王のY染色体は、天皇家の代々続くY染色体ではなくて、外部からもたらされたものである」
要するに、そのY染色体は、邦家 貞敬親王の親のY染色体ではなく、邦家 貞敬親王の親の間男のY染色体なのだ。(推定)
そして、そのY染色体が、現在の伏見宮家に広範にひろがっている。つまり、伏見宮家のY染色体はすべて、邦家 貞敬親王の親(貞敬 邦ョ親王)の間男のY染色体なのだ。
そして、安倍首相の言うように、伏見宮家から天皇を出すとしたら、それは、天皇の血筋を引き継ぐ男子が天皇になるということではなくて、間男の血筋を引き継ぐ男子が天皇になるということなのである。
つまり、日本の天皇は、間男の子孫に乗っ取られてしまうわけだ。
──
ここまで読んで、疑問に思う人がいるだろう。次のように。
「宮家ともあろうものが、間男の存在を許すはずがない。宮家の妻があっさりと不倫をするはずがない。また、その機会もなかったはずだ」
これはその通り。にもかかわらず、現実には間男がいた。とすれば、論理的には、次の結論しかありえない。
「間男の存在は、宮家の当主(貞敬 邦ョ親王)の公認の下でなされた」
これを換言すれば、次のようになる。
「貞敬 邦ョ親王には、どうしても間男の子を生ませる必要があった」
これを換言すれば、次のようになる。
「貞敬 邦ョ親王は、自分には男子ができなかった。このままでは次の世代で宮家廃絶とならざるを得ない。そこで、宮家廃絶を防ぐために、自分の息子ではない男子を、自分の息子であると偽った」
このように考えると、それの裏付けとなりそうな事実が見つかる。
(1) 貞敬親王は、1776年に生まれて、1811年に結婚した。
(2) その子である邦家親王は、1802年に生まれた。
(3) 邦家親王は、1817年に、光格天皇の猶子となり親王宣下を受けた。
つまり、貞敬親王は 1811年に結婚したが、次世代に当たる邦家親王は、正妻の子ではなくて、結婚の9年前に生まれた子である。その邦家親王は、当初は(親王宣下を受けていないので)親王の地位を得ていなかった。15歳のときになって(つまり父親が結婚してから6年もたってから)親王の地位を得た。そのとき、父親である貞敬親王は、41歳になっていた。
このような経緯は、かなり異例である。
では、どうしてこういうことになったのか? もっとも有力な説は、次のことだろう。
「貞敬親王は、35歳のときに結婚して、多くの女子をもうけたが、男子はできなかった。そこで男子が生まれない場合を考慮して、他の男の息子である邦家親王を(本当は自分の子ではないのに)自分の子であると偽って、親王宣下を受けさせた。
そのまま年数がたったが、女子ができるだけで、もう一人の男子はどうしてもできなかった。
そのあと、邦家親王に万一の事態が起こった場合に備えて、第2皇子としての守脩親王を(親王宣下のもとで)息子にした。ただしこちらは、邦家親王とは父親が異なるので、Y染色体は虚弱であり、男子を残すことはできなかった」
──
※ 以下が正しい。
なお、もう一つ、別の仮説もある。それは、その一世代前に間男がいた、という仮説だ。
そもそも、貞敬親王の父親である邦頼親王は、1733年に誕生し、1787年に 54歳で結婚した。その息子である貞敬親王は、父が 43歳のときに誕生したことになる。父が未婚の状態で。
これもまたかなり不自然だ。とすれば、貞敬親王そのものが、邦頼親王の息子ではない可能性も、十分にある。(邦頼親王に間男がいて、その間男の息子が貞敬親王だ、というわけ。)
もしそうだとすると、貞敬親王の息子である邦家親王は、間男の息子の、そのまた間男の息子だ、ということになる。(ニセ嫡出子の、そのまたニセ嫡出子。)
《 公式の歴史 》
邦頼親王 ── 貞敬親王 ── 邦家親王 ── 男子多数
《 裏の歴史 》
邦頼親王 ……(断絶)
間男 ── 貞敬親王 ……(断絶)
間男 ── 邦家親王 ── 男子多数
ともあれ、こうして、最後には間男のY染色体から、「男子多数」が誕生した。それが今の伏見宮家の、多数の男子である。
そして、安倍首相の方針に従えば、そこから将来の天皇が誕生することになる。つまり、間男の系統が、日本の天皇の血統となるのである。
[ 付記1 ]
上記の話を読んで、右翼が「けしからん! 皇室を冒涜している!」と思うかもしれないが、勘違いしないでほしい。
そもそも、伏見宮家は、正統的な皇室ではない。傍系の宮家にすぎない。傍系の宮家を冒涜したとしても、それは正統的な皇室を冒涜したことにはならない。
また、私は心情的に、皇室を冒涜したいわけじゃない。むしろ、正統的な皇室の純粋性を守るために、間男の血統がまぎれこむことを阻止しているのだ。
私の言説に反対する人々は、天皇家が間男に乗っ取られることを目的とする人々であり、北朝鮮のスパイだろう。
[ 付記2 ]
本項の見解を、「ただの仮説だろう」と見なす人もいるだろう。
なるほど、現段階では、ただの仮説にすぎない。しかし、これは実証可能な仮説だ。実証するためには、次のことをすればいい。
「現在の皇室の男子(浩宮・礼宮・天皇など)のY染色体と、伏見宮家の男子のY染色体を、DNA検査する。Y染色体のハプロタイプを調べることによって、同一の系統かどうかを確認する」
つまり、DNA検査をすれば、伏見宮家の男子が、皇室の系統を引くか、間男の系統を引くかが、はっきりとする。
特に、次のようになる可能性が大きい。
「伏見宮家の男子は、いずれも同一の系統に属するが、現在の皇室の系統とはまったく異なる」
この場合には、次のように結論できる。
「伏見宮家の男子は、邦家親王(または貞敬親王)の段階で、外部の男子の血統(Y染色体)に乗っ取られた」
こういう結論が出る可能性が高い。
それゆえ、DNA検査をすることを、私としてはお勧めする。そのことによって、次のことが判明するはずだ。
「伏見宮家は、皇室の血統を引き継いでいない」
ま、このことが判明したら、大スキャンダルになる。だから、実際には、この DNA 検査はなされないだろう。逆に言えば、この DNA 検査がなされないことで、「伏見宮家は、皇室の血統を引き継いでいない」ということが、暗黙裏に信じられるのである。
( ※ 状況証拠はたっぷりだ。それが本項に記してある。)
ついでだが、私の説に反対する人は、やはり、「 DNA検査をしよう」と主張するべきだ。検査をすれば、伏見宮家が皇室の正当な後継者であることを、証明できるだろう。(もしそれが事実であれば、の話だが。)……だから、それが事実であると信じる人は、「 DNA検査をしよう」と主張するべきだ。
[ 付記3 ]
伏見宮家の人々自身が、皇室への復帰を いやがっているそうだ。孫引きで引用しよう。
男系維持派は、これまで旧皇族を復帰させるだ何だ言いながら、その男系男子の候補を挙げなかった。4人いるというヤツが多かったが、誰ひとり、誰なのかを言わなかった。
そんな中、しびれを切らした週刊新潮が、候補として8人の男系男子を挙げた。竹田家から皇室評論家で有名な竹田恒泰(36)とプロゲーマーの竹田恒昭(32)の2名、賀陽家から16歳と14歳の2名、東久邇家から当主系の2歳男子1名、次男家系の4歳と2歳の2名、三男系の8歳1名である。
賀陽家と東久邇家の人たちは、自分の子供が候補になることについてどうかと訊かれ、「とんでもない話だ」と答えている。
当たり前の話だ。そもそも、候補である本人たちの意見もなしに、周りの外野がごちゃごちゃ言うことの方がおかしい。
( → 転載ブログ )
[ 付記4 ]
本項の裏付けとなる傍証が、もう一つ見つかった。つぎのことだ。
「邦家親王は、1802年に誕生して、15歳のとき(1817年)に親王宣下を受けたが、1816年には 14歳にしてすでに第1子をもうけている」
これはきわめて異例なことだ。その親も祖父もかなり高齢になってから子供をもうけたのに、邦家親王はまだ中学生と言っていいぐらいの時期において子供をもうけた。しかも、その後で、親王宣下を受けている。
ここから推測すれば、次のようになる。
「邦家親王は、男子をもうける能力があることが証明・確認されたあとで、親王宣下を受けて、皇室に入った」
親の貞敬親王としては、自分の代で宮家が廃絶することを何よりも恐れていたのだろう。とはいえ、何か対策をしても、次の世代で廃絶するのでは、元も子もない。そこで、次の世代がさらに次の世代を埋めることを確認したあとで、次の世代である邦家親王を自分の子として扱うことにしたのだろう。
こう考えれば、14歳で第1子をもうけたという(やや)不自然さも納得できる。そもそも、伏見宮は、皇室の直系ではないし、そこから天皇が出るわけでもない。なのにどうしてそれほどにも若いときから淫乱な道を息子に取らせたのかと言えば、宮家廃絶の恐怖が強かったからなのだろう。貞敬親王は、自分には男子ができなかったがゆえに、息子にした邦家親王には、14歳のときから多くの側室を与えて、淫乱な道に進ませたのだろう。多くの美女をはべらせて。
http://openblog.seesaa.net/article/435849777.html
▲△▽▼
匿名 より: 2019年5月3日 9:43 AM
愛子さまが旧宮家の男系男子の方とご縁をもたれたれればいいですねー。
女性天皇は賛成です。が、女系・女性宮家は大反対です。
特に女性宮家はいらない。
税金の無駄。
皇室の減少により、公務が大変なら公務をへらせばいいだけのこと。
また、旧宮家に悠仁さまと同年代の方が数人おられるというではないですか。
いざとなったら、こちらの方々に協力していただく手もあるのでは。
匿名 より: 2019年5月3日 10:34 AM
旧宮家って伏見宮系でしょ
あそこは途中から鍛冶屋の一族に背乗りされて、家系が変わっちゃってるよ
父方辿っても天皇に行かず、それこそ皇位を継いだら鍛冶屋の家系が皇統になっちゃう
鍛冶屋ってのは鉄器扱う家系だから、もともとは渡来系移民だった可能性もある
蘇我氏とか秦氏とか、そこら辺の今は知られざる末裔
婿取るなら、東山天皇系の鷹司家と分家の末裔あたりが確実だよ
あの辺ならまだ、男系男子の子孫がいるはず
https://rondan.net/21591
▲△▽▼
匿名 より: 2019年5月3日 6:55 PM
いわゆる旧宮家は660年前に創設された伏見宮が源流ですが、その伏見宮は途中で鍛冶屋の子孫に替わってる可能性があります
つまり、父系を辿っても天皇に繋がらない、鍛冶屋の家系になっちゃってるかもしれません
(伏見宮の皇族方が全て亡くなられた後に、伏見宮の血を引くと自称する鍛冶屋の息子がお宮を相続していますし、少なくともその父とされる当主は、その子供とされるこの男の存在を知らずに亡くなられています)
尚、明治の初頭に創設され、戦後に離脱した旧宮家は、”全て”この途中で替わったかもしれない伏見宮から派生しています
現在では遺伝子検査技術が発達しておりますので、本来ならすぐに確認できることですが、今は皇族ではなく一般人ですので、それを強要することもできない現実があります
旧皇族と世間では言われてますが、もしかすると父系で天皇に繋がっていないのでは?と、少しだけ頭に置いてみてみることもひとつです
ただ、女系では、明治天皇に繋がっていたり、東久邇の家系では昭和天皇に繋がっていたりします
そういった意味で、旧皇族と言われてるけど”女系”で明治天皇につながる人なんだ、くらいでいいと思います
尚、東山天皇系の鷹司家やその分家の家系は、現在の皇統に近く、先の伏見宮系とは全く関係はありません
そういった意味で、確実に、父系を辿ると天皇に繋がる血筋と言えます
なので、もしものときはこの家系からお願いすることになるかもしれないことは、言うまでもありません
https://rondan.net/21639
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/240.html
16. 2020年7月24日 06:35:57 : fKkQda7Cxw : a01WR1RYQWZoY00=[812]
ステロイドは免疫を抑制するのでウイルス系の肺炎を悪化させるような
印象を持つ医者は多い。肺炎にはステロイドが効く。
軽症肺炎でも初期から吸入ステロイドを使用するべきというのが最近の考え方。
今回のコロナを機会に医療関係者がステロイド治療を考え直すきっかけに
なればよいと思う。最近デキサメタゾンが認可されたがステロイド全般に
効果があると見て良い。
重症者はこれから増えてくる、自分や家族が重度や中度の肺炎になったらステロイド治療を確認し、していなければ要請したほうがよいだろう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c16
18. 2020年7月24日 06:37:17 : 2ltzoPrHUQ : TlBNRlZoczNOL1U=[300]
闇は深い!!
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c18
37. 地下爺[12059] km6Jupbq 2020年7月24日 06:45:38 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[1823]
「自粛」 では無く 「自衛」 です。
つまり 都は 何もしませんていうことです。
by 小池ゆり子
19. 2020年7月24日 06:46:48 : 2ltzoPrHUQ : TlBNRlZoczNOL1U=[301]
結果は 930 366 104 97 ・・・・・
政府の目的は 人口削減か??
GOTOも加えて 感染者を増やそうとしていることは確かだ
これだけ増えても 政府は 慌てた様子はない
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c19
38. 地下爺[12060] km6Jupbq 2020年7月24日 06:46:54 : cnW20anmHI : WTFQNEljbnlHUk0=[1824]
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c38
10. 2020年7月24日 06:50:29 : ezgIXk1wdM : MUJXT01Tby9GTms=[1]
小池百合子は前知事舛添氏の辞任を待ち受けてオリンピックに飛びついた人だ。
その華々しい舞台の自分を夢見て立候補した人である。
都民などは頭に無かったしましてや都政に興味があったわけでもない。
4年間に達成できなかった公約を見てもよくわかる。
今小池百合子はコロナなどをやるために知事になったのではない!と叫んでいるはずだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/435.html#c10
東山天皇の Y染色体が縄文系 D1 だというデマが広まった背景
2019年08月23日
天皇のY染色体ハプログループ
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html
天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、D1bとの情報がネットで出回っており、確定したかのように喧伝されているので、以前から一度調べてみるつもりだったのですが、さほど優先順位が高いわけでもないので、後回しにしていました。
今回、少し調べてみたのですが、査読誌に掲載された論文や、信頼できる研究機関の報告では見つけることができませんでした。もちろん、そうしたものが存在する可能性はあるわけですが、私の現在の見識と気力ではこれ以上検索しても徒労に終わるだろうと判断して、打ち切りました。
とりあえず、元ネタになりそうな有名人のYHgというサイトを見つけたのですが、そこでは、日本語ブログが典拠とされていました。
Famous people's Y-DNA listed by haplogroup - Eupedia
https://www.eupedia.com/genetics/famous_y-dna_by_haplogroup.shtml
その日本語ブログはもう閉鎖されているので、インターネットアーカイブで該当記事を検索すると、
「皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ」
とありました。「東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」にはリンクが貼られているのですが、インターネットアーカイブで検索しても見つかりませんでした。
また、2016年5月8日時点での情報ですが、
『天皇家のハプログループについて「第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」とあるにもかかわらずリンク先には全くデータは示されていない』
とあります。したがって、東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2とは確定できないでしょう。もちろん、そうである可能性もじゅうぶんあるとは思うので、否定もできませんが。上記サイトによると、別人の皇族子孫が検査したところ、YHg- D1b1a2b1a1だったそうで、「東山天皇の男系子孫 複数名」の事例と整合的ですが、典拠は明示されていません。
けっきょくのところ、皇族がYHg-D1bとの情報に確たる信頼性を認めるのは難しいように思います。ただ、上述のように、その可能性は一定以上あると思います。仮に東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2だとすると、同じく東山天皇の男系子孫である現在の皇族(もちろん、男性限定ですが)もYHg-D1b1a2だろう、と推定するのは合理的です。問題となるのは、「間違い」が起きていた場合です。たとえば、エドワード3世に始まる男系では、どこかで系図とは異なる父親が存在した、と明らかになっています。これは海外の事例ですが、日本でも、同様の可能性が起きていた可能性は否定できません(関連記事)。ただ、その可能性はさほど高いとも思えないので、今回は考慮しません。
YHg-D1bは「縄文人」由来と推定されており、最近の研究でもその推定が改めて支持されています(関連記事)。したがって、皇族は縄文時代以来日本列島で継続している父系だ、と考えるのは妥当なところです。その意味で、皇族は「縄文系」と言っても、少なくとも大間違いとは言えないと思います。「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団では9〜15%、琉球集団では27%と推定されています(関連記事)。これは北海道の「縄文人」の高品質なゲノムデータに基づいているので、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られて比較されると、「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響はもっと高くなるかもしれません。
ただ、「本土」集団のYHg-D1bの割合は35.34%なので(関連記事)、父系において不自然に「縄文人」の影響が高いようにも思われます。しかし、皇族がYHg-D1bだとすると、皇族の男系子孫は武士になって日本各地に定着していき、養子も珍しくなかったとはいえ、原則として父系継承だったので、「本土」集団のゲノムでは弥生時代以降にアジア東部から日本列島へ到来した集団の影響が強くても、父系では「縄文人」の影響が強く残ったというか、中世以降に影響を高めて現代のような比率になった、と想定しやすくなります。その意味でも、皇族が父系では「縄文系」だった可能性はじゅうぶんある、と言えるでしょう。
ただ、ここで問題となるのは、皇族がYHg-D1b1a2あるいはそのサブグループD1b1a2b1a1だとして、「縄文系」と断定できるのか、ということです。現時点では、「縄文人」のYHgはD1b2しか確認されておらず(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1の祖先とはなりません。もっとも、まだ東日本の「縄文人」しか解析されていないので、西日本の「縄文人」の中にはYHg-D1b1も一定以上の割合でいるかもしれませんし、東日本の「縄文人」でも今後YHg-D1b1が確認されるかもしれません。しかし、現時点で「縄文人」においてはYHg-D1b1が確認されていない、という事実は無視できないと思います。YHg-D1b1が弥生時代以降にアジア東部から到来した集団に由来する可能性も現時点では一定以上ある、と私は考えています(関連記事)。その意味で、仮に皇族がYHg-D1b1a2だったとして、父系では「縄文系」と断定するのは時期尚早だと思います。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html
▲△▽▼
ハプログループ D1a2a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html
縄文人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/195.html
日本人のガラパゴス的民族性の起源
1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm
0-1. 日本人のY-DNA、mtDNA遺伝子ハプロタイプ出現頻度調査まとめ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-1.htm
0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2
1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm
2-3. 日本民族mtDNAハプロタイプ頻度リスト
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-3.htm
1-3. 日本民族 Y-DNA調査まとめ 日本人は三重遺伝子構造の民族!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-3.htm
1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5
1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2
1-8. 縄文遺伝子近縁度調査 Y-DNA「D」とY-DNA「C」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8,30-11,30-12,19-14.htm#1-8
1-4. 琉球列島のY-DNA遺伝子構成
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-4,16-5,19-12,19-13.htm#1-4
0-3. 日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-3,19-8,30-31.htm#0-3
30-23. Y-DNAから見た日本語の成り立ち考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2,30-23,30-24,30-25.htm#30-23
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/241.html
5. 中川隆[-12057] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:53:05 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[9]
2019年12月07日
皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内久美子氏の認識はある意味で正しい
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_12.html
「皇統の男系男子継承の深い意味」と題する竹内久美子氏の記事が公開され、それなりに話題になっているというか、嘲笑されているようです。とくに嘲笑の対象になっているのは、皇位継承を「日本の存亡に関わる問題」としているところのようですが、竹内氏の認識はある意味で正しいと思います。似たような認識として、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言を最近取り上げたので(関連記事)、かなり重なってしまうのですが、改めて私見を整理するとともに、竹内氏の他の見解にも言及します。
竹内氏は、女系天皇を認めれば「異質の王朝」を生むとして、男系男子による皇統の継承は、日本国の存亡に関わる問題である、との認識を示しています。似たような認識の「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言も含めて嘲笑する人は多いでしょうが、重要な論点が含まれており、一笑に付すようなものではない、と私は考えています。たとえば、網野善彦『日本の歴史第00巻 「日本」とは何か』(講談社、2000年)では、「日本」はヤマトを中心に成立した国家の国号で、王朝名だと指摘されています(P333)。また網野氏はかつて、一部の支配者が決めた「日本」という国号は国民の総意で変えられると述べて、日本が嫌いなら日本から出ていけ、という手紙・葉書が届いたそうです(同書P94)。
現在の女性皇族が「(天皇の男系子孫ではない)民間人」と結婚し、その子供が天皇に即位した場合、これを「王朝交替」と解釈することは、人類史、とくにヨーロッパ史的観点からは無理のない定義と言えるでしょう。日本も含まれる漢字文化圏でも、後周のように異なる男系でも同一王朝という事例もあり、異なる男系での君主継承が王朝交替の第一義的条件ではないとしても、実質的には男系の交替と王朝交替がおおむね一致しています。また漢字文化圏では、王朝が替われば国号も変わります。
このように、異なる文化圏の概念の組み合わせという側面もあり、強引なところも否定できませんが、「日本」という国号を王朝名、それまでとは異なる男系の天皇が誕生すれば「王朝交替」と考えれば、皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内氏の発言や、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という発言に見られる認識は一笑に付すようなものではない、と私は考えています。日本は、漢字文化圏的枠組みでは少なくとも6世紀以降「王朝交替」はなかったと言えるので(関連記事)、漢字文化圏としては異例の長さで同じ国号が続いたことから(漢字表記で正式に「日本」とされたのは8世紀初頭)、「日本」はもう地理的名称として定着した感もありますが、原理的には変えられるものなのだ、と気づく契機になり得るという点で、皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内氏の認識は嘲笑されるべきではない、と私は考えています。
もっとも、仮に今後日本で天皇制が廃止されたり、皇位の女系継承が容認され、女性皇族と天皇の男系子孫ではない夫との間の子供が即位したりするようなことがあっても、すでに定着した「日本」という国号を変える必要はまったくないと思いますし、もしそういう運動が起きたとしても、すでに長く定着した国号で愛着があるので、私は反対します。網野善彦氏は、「日本」は王朝名だと強調し、「日本」という枠組みで「(日本)列島」史を把握することに否定的ですが、そもそも「政治的」ではない「中立的な」地理的名称が世界にどれだけあるのかと考えれば、「アジア」や「朝鮮半島」や「中国大陸」という地名を採用しておきながら、ことさら「日本」を標的にすることには疑問が残ります。なお、網野氏は天皇号と日本国号の画期性を強調しますが、これにも疑問が残ります(関連記事)。
ただ、竹内氏が皇位男系継承の根拠として、Y染色体の継承を挙げていることにはまったく同意できません。なお、竹内氏は「Yについては交差が起きず、父から息子へ、そのまた息子へといった男系で継承している限りまったく薄まることがない」と述べていますが、竹内氏は以前Twitterにて、Y染色体にも短いながら組換え領域があると述べていたように記憶しているので、この発言は一般読者向けに簡略化した説明なのでしょう。まあ、とても褒められたことではありませんが。
それはさておき、皇位継承が話題になった小泉内閣の頃より、皇位男系継承の根拠としてY染色体を挙げるのは地雷に他ならない、と指摘されてきたように思うのですが、今年(2019年)久しぶりに天皇の生前退位があったためか、皇位継承問題への関心が高まる中で、Y染色体に基づく皇位男系継承論がネットでは支持を集めつつあるように思われるのは気がかりです。率直に言って、皇位男系継承支持者で、その根拠としてY染色体を持ち出す人は大間抜けだと思います。
その最大の理由は、皇位継承のほとんどの期間において父子関係が遺伝的に保証されていたわけではない、ということです。つまり、系図上の父親と生物学的な父親とが異なっている(ペア外父性)可能性がある、というわけです。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。
この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。じっさい、「間違い」が起きていた可能性の高い事例も指摘されており、『源氏物語』の設定を単なる空想とも言い難いでしょう。
それは、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例です(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179〜180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。直仁親王は正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。
具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。どの程度の確率で皇室において「間違い」があったのか、推定できる根拠はほぼ皆無ですが、14〜20世紀のネーデルラントの事例では、人口密度および社会階層がペア外父性率と相関している、と報告されています(関連記事)。人口密度が高く、社会階層が低いいほどペア外父性率は高い、というわけです。逆に、人口密度が低く、社会階層が高いとペア外父性率は低くなります。人口密度の低い地域の中流〜上流階級のペア外父性率は0.4〜0.5%と推定されています。
皇室は、上流階級でもさらに特殊ではあるものの、人口密度の高い場所に居住し続けているという点や、直仁親王や猪熊事件の事例からは、ペア外父性率が0.4〜0.5%以上でも不思議ではないでしょう。仮に0.4%という割合を採用し、継体「天皇」を始祖と仮定した場合、今上天皇は北畠親房の云う「まことの継体(父系直系なので天皇ではない皇族も含みますが、この点に関しては議論もあるようです)」では54世(数え間違えているかもしれませんが)で、53回の父子継承となりますから、始祖とずっと父系でつながっている確率は約81%です。ペア外父性率が1%だった場合は、始祖とずっと父系でつながっている確率は約59%となります。もっとも、直仁親王の事例のように、ペア外父性でも皇族もしくは臣籍降下の氏族だった場合は、「初代天皇」のY染色体が継承されていることになるので、じっさいには確率はもっと上がるでしょうが。まあ、上述のように皇族におけるペア外父性率を推定するデータが皆無に近い状況ですから、まったく参考にならないお遊び程度の計算でしかありませんが。
実際問題としては、持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする皇位継承男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし、皇位男系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。竹内氏は皇位男系継承の根拠としてY染色体を提示した草分け的な人物の一人だったようですから、愚論と言われて不満なのは当然かもしれません。
少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6〜7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。前近代において、皇位継承が男系であることは明文化されていないと思いますが、それは皇位男系継承が大前提・常識だったからと思います。
皇位継承の根拠をY染色体とする言説は、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思いますが、それ以上の問題に発展しかねません。今後、男系維持派の大半?が主張するような、旧宮家の男系男子の皇族復帰にさいして(皇別摂家の男系子孫の皇族復帰を主張する人は、私の観測範囲では皆無に近いようです)、Y染色体根拠論に基づくと、Y染色体DNAの検査が必要となるからです。仮に、現在の男性皇族と旧宮家の男系男子とでY染色体ハプログループ(YHg)が大きく異なっていた場合(たとえば、YHg-DとYHg-O)、どちらが「正統」なのか、という点をめぐって議論になり、皇室の権威を傷つけてしまうことになりかねません。じっさい、外国の事例ですが、プランタジネット朝に始まる父系一族において、サマーセット家ではどこかで家系図とは異なる父系が入っている、と推測されています(関連記事)。今後、皇族が減少するなか、旧宮家の男系男子を皇族に復帰させるとしても、DNA検査は必要ない、と私は考えています。
ただ、皇位男系継承維持派がY染色体を根拠として持ち出したことは理解もできます。現代日本社会において、皇位継承を男系に限定する根拠として、伝統だけを挙げても日本人の広い理解を得られない、との危機感が皇位男系継承維持派にはあるのでしょう。そこで、「科学的根拠」たるY染色体が提示されたわけですが、「科学的根拠」を採用してしまうところが、伝統維持や保守を自任していても、いかにも近代的だなあ、と思います。皇位男系継承派の中に、皇族における一夫多妻制を提案する人がほとんどいないことも、現代日本社会においてヨーロッパ発の近代がいかに深く浸透したのかを示しています。
皇位男系継承維持派には保守主義者を自任している人が多いでしょうが、保守主義の本質の一つとして、(1000年以上にわたる)伝統宗教も含めて長きにわたる伝統・慣行は深い叡智に基づいているかもしれないので、安易に変革・廃止してはならない、という自制があると思います。その意味で、皇位男系継承維持派は、日本人の広範な支持を得るためには、男系継承がいかなる叡智に基づくのか説明しなければならなかった、と私は考えています。しかし実際には、少なからぬ人がY染色体論という「科学的根拠」に飛びついてしまい、これは皇位男系継承維持派の知的怠慢だと思います。まあ、上述のようにY染色体を根拠とする皇位男系継承維持論議は「科学的根拠」になるどころか、地雷でしかないのですが。
少なからぬ皇位男系継承維持派は、男系継承をきわめて価値のあるものと主張しますが、高貴な地位の男系継承自体は、人類史において普遍的です。それが日本のように短くとも1400年以上という事例はきわめて例外的としても、たとえばフランスでは、革命期からナポレオン期を除いて、800年以上にわたってユーグ・カペー(Hugues Capet)の男系子孫が王位を継承しました。男系継承は人類進化と深く関連しており、その意味でも、何らかの叡智に基づいている可能性はあるかもしれません。ただ、私程度の見識では、説得力のある見解の提示はできませんが。
私が男系継承と人類進化との深い関連を想定しているのは、人類はずっと父系に傾いた社会を形成していた、と考えているからです。現代人(Homo sapiens)も含む現生霊長類では母系社会の方が優勢ですが、現代人も含まれるその下位区分の現生類人猿(ヒト上科)では、現代人の一部を除いて非母系社会を形成します。これは、人類社会が、少なくとも現生類人猿との最終共通祖先の段階では、非母系社会を形成していた、と強く示唆します。さらに、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジー属(チンパンジーおよびボノボ)は父系社会を形成し、次に近縁な現生系統であるゴリラ属は、非単系もしくは無系と区分すべきかもしれませんが、一部の社会においては父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持するという、父系的社会を形成しています(関連記事)。
おそらく、現代人・チンパンジー属・ゴリラ属の最終共通祖先の時点で、父系にやや傾いた無系社会が形成されており、チンパンジー属系統ではその後に明確な父系社会が形成されたのだと思います。人類系統においても、現生人類ではない絶滅人類で父系社会を示唆する証拠が得られています(関連記事)。人類系統においては、父系に強く傾きつつも、所属集団を変えても出生集団への帰属意識を持ち続けるような双系的社会(関連記事)がじょじょに形成され、さらに配偶行動が柔軟になっていき、母系に傾いた社会も出現したのだと思います。おそらく人類史において、母系に傾いた社会の形成は父系に傾いた社会の出現よりもずっと新しいと思います。ただ、そうした変化が現生人類の形成過程と関連しているのか、それともさらにさかのぼるのか、現時点では不明ですし、将来も確証を得るのはきわめて困難でしょう。
この観点からは、藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、双系的社会に基づき、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきで、母系社会であった証拠にはならない、と思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することも無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。なお、竹内氏は、「皇統の男系男子による継承は、かつては藤原氏などの国内の権力を排除するという意味があった」と述べていますが、父系継承が人類史において普遍的だったことを反映しているだけだと思います。じっさい、古代日本も双系的な社会だったので、藤原氏は娘を天皇(や皇太子)に嫁がせて権力を獲得(分掌と言うべきでしょうが)していったわけで、「藤原氏などの国内の権力を排除」できていませんし、その意図もなかった、と考えるべきでしょう。
支配層の母系継承かもしれない事例としては、9〜12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。現在の通説のように、古代日本社会は基本的に双系的だったのでしょうが、それは現生人類の特徴でもあり、古代日本を母系社会から父系社会への過渡期と解釈するのは的外れでしょうし、そもそも人類社会は母系制から始まり、社会的発展により「原始的な」母系制から父系制へと移行する、という社会発展モデル自体が根本的に間違っているのでしょう。
人類社会において父系(男系)的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、俗流唯物史観での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。その意味で、確かに現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られるものの、それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。
たとえば、日本でもすっかり有名になったヤノマミ集団は、テレビ番組などで「1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている」と紹介されてきましたが、アマゾン地域は先コロンブス期において大規模に開発されており(関連記事)、ヤノマミの祖先集団もかつては現在とは大きく異なる社会を構成していたかもしれません。そうだとすると、1万年以上前の祖先集団の文化・風習をどの程度継承しているのか、疑問です。また、現代の「未開社会」は、完新世の農耕・牧畜社会、さらに産業革命以降の近代社会の圧迫を受けてきたわけで、更新世にはそうした社会は存在しなかった、という視点も重要となるでしょう。
もちろん、長く基準だったからといって、それが「本質的」とは限りませんし、何よりも、仮に「本質的」あるいは「生得的」・「自然」だから守らねばならないと主張するならば、自然主義的誤謬に他なりません。現生人類は、双系的社会を築いたように、柔軟な行動を示す霊長類の中でも、きわめて柔軟性の高い種です。これは、『暴力の人類史』などでも指摘されているように(関連記事)、現生人類には相反するような複数の生得的性質と、状況に応じて行動を変えるような高度な認知能力が備わっているからでしょう。もちろん、他の動物にもそれは当てはまり、それ故に気候変動も含めて短期的および長期的な環境変化を生き延びてきたのでしょうが、現生人類ではそうした特徴がとくに強く発達したのだと思います。
その意味で、皇位男系継承維持派からも一夫多妻制の提案すら躊躇われるような、すっかりヨーロッパ発の近代が浸透してしまった現代日本社会において、あくまでも皇位男系継承維持に拘るならば、単に伝統と主張したり、もっと突っ込んで、長きにわたる伝統・慣行は深い叡智に基づいているかもしれないので、安易に変革・廃止してはならない、と主張したりしても、それだけで広く支持を集めることは難しいでしょう。じっさい、そうした見解を述べる人もいましたが、あまり支持を集めていないように見えます。そのため、現生人類のさまざまな生得的性質と社会状況を踏まえた、説得力のある根拠(叡智)の提示が要求され、少なからぬ皇位男系継承維持派にとって、それがY染色体だったのでしょうが、上述のようにそれは地雷に他ならず、伝統だけを主張しておいた方がまだましだったように思います。その意味で、Y染色体を皇位男系継承維持の根拠とする人々は、(本心を隠した天皇制廃止論者や女系容認論者でなければ)大間抜けだと思います。
なお、皇族が父系では「縄文人」系統との認識も見られますが、その確証はまだ得られていない、と言うべきでしょう(関連記事)。ただ、皇族が一部で言われている現代日本人では多数派のYHg-D1a2a(旧D1b1)である可能性は低くないように思います。YHg-D1a2(旧D1b)は「縄文人」由来と考えられており(関連記事)、現代日本人のうち本州・四国・九州を中心とする「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響は10〜20%程度と推定されているのに(関連記事)、YHg-D1a2の割合は35.34%になるからです。皇族に連なる父系集団は、武士になるなどして地方で父系を拡大する機会に恵まれていたましたから、ゲノム規模では弥生時代以降の渡来集団の影響力が圧倒的に高いとしても、皇族が父系では「縄文人」系統だとすると、「縄文人」系統のYHg-D1a2の強い影響力を説明できる、というわけです。ただ、皇族が本当にYHg-D1a2aか、まだ確証は得られていないでしょうし、何よりも、「縄文人」ではYHg-D1a2aはまだ確認されておらず、YHg-D1a2b(旧D1b2)しか確認されていません(関連記事)。これは、YHg-D1a2aが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性を示唆します。ただ、YHgが分類されている「縄文人」はいずれも東日本の個体なので、西日本の「縄文人」がYHg-D1a2aで、皇族がその父系に属する可能性もじゅうぶんある、と思います。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_12.html
▲△▽▼
2019年11月02日
皇位継承の根拠をY染色体とする言説について、竹内久美子氏より有本香氏の見解の方がずっとまとも
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_8.html
現行法では、悠仁親王に息子がいなければ将来皇位継承者が不在になるため、皇位継承への関心が以前よりも高まっているように思います。そうした中で、皇位継承の根拠をY染色体とする言説が支持を拡大しているように見えます。そうした言説の古株とも言える竹内久美子氏は、
神武天皇のY染色体です。男しか持たない性染色体Yは、父から息子へ純粋に受け継がれ、男から男へ、つまり男系でつなげている限り、そのままの状態を保ち続けます。性染色体Xも、その他の常染色体もこういうことはなく、わずか数代で「薄まって」しまいます。
と発言し、また
先ほど、読者の方から指摘があり、有本氏は先人が見抜いたこと(男系男子でY染色体が純粋に受け継がれる)に敬意を払っているが、科学的根拠に基づいて説明されることに抵抗があるとのことです。私は科学的根拠ほど客観的で優れたものはないと考え、どうして抵抗があるのか、理解できないのですが。
とも発言しています。皇位継承を男系に限定することは短くとも1500年以上の伝統と言って大過はないでしょうが(前近代において皇位の男系継承が明文化されなかったのは、それが支配層において常識・大前提だったからと考えています)、その根拠をY染色体とすることには弊害が大きい、と私は考えています。この問題については以前述べたので(関連記事)詳しくは述べませんが、DNA解析のない時代には父子関係が遺伝的に保証されていたわけではないので、どこかで「間違い」が起きていた可能性もある、ということが皇位継承の根拠をY染色体とする言説の致命的な欠陥だと思います。
皇位の男系継承は、社会的合意(前近代において、その社会の範囲は限定的だったわけですが)が積み重ねられてきた伝統により主張されるだけでよく、Y染色体という生物学的根拠を持ち出せば、じっさいに検査しなければ正統性が認められない、という話になってしまいます。その意味で、皇位継承をY染色体で説明することに抵抗がある、という有本香氏の見解は、竹内久美子氏よりもずっとまともだと思います。また、Y染色体には短いながら組換え領域がありますし、もちろん変異は蓄積されていきますから、Y染色体が「純粋に受け継がれ」て「そのままの状態を保ち続け」ることはあり得ません。まあ竹内久美子氏の発言なので、とくに驚きませんが。
皇位継承の根拠をY染色体とする言説は、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思いますが、それ以上の問題に発展しかねません。今後、男系維持派の大半?が主張するような、旧宮家の男系男子の皇族復帰にさいして(皇別摂家の男系子孫の皇族復帰を主張する人は、私の観測範囲では皆無に近いようです)、Y染色体根拠論に基づくと、Y染色体DNAの検査が必要となるからです。仮に、現在の男性皇族と旧宮家の男系男子とでY染色体ハプログループ(YHg)が大きく異なっていた場合(たとえば、YHg-DとYHg-O)、どちらが「正統」なのか、という点をめぐって議論になり、皇室の権威を傷つけてしまうことになりかねません。じっさい、外国の事例ですが、プランタジネット朝に始まる父系一族において、サマーセット家ではどこかで家系図とは異なる父系が入っている、と推測されています(関連記事)。今後、皇族が減少するなか、旧宮家の男系男子を皇族に復帰させるとしても、DNA検査は必要ない、と私は考えています。
なお、世論は女系容認と愛子内親王の即位を支持しており、旧宮家の男系男子の皇族復帰は支持されていない、と主張する天皇制支持の女系容認派も少なくないようですが、世論は移ろいやすいものであり、世論を根拠とするのは危険だと思います。かりに、旧宮家の男系男子に、人格・知性・体力・容貌に優れ、皇族復帰の意志のある人、つまり現時点では旧宮家の男系男子として最も有名であろう竹田恒泰氏とはとても似ていないような人がいれば、世論は一気に旧宮家の男系男子の皇族復帰に傾くのではないか、と私は危惧しています。まあ、私は子供の頃からずっと天皇制には好感を抱けず、長く廃止論者でしたから(近年では、世論で強く支持されている以上、直ちに廃止する必要はない、と考えていますが)、男系派が声高に主張し続け、一方で旧宮家の男系男子の皇族復帰も支持されないまま、悠仁親王とその配偶者の間に息子が生まれず、皇族がいなくなり、天皇制が実質的に廃止になってもよい、と考えていますが。
日本の皇位継承に限らず、人類史において男系継承は普遍的に見られます。その意味で、日本の皇室のように長期にわたって特定の父系がある政治的体制の君主であり続けたのは珍しいとしても、男系継承自体には特別な価値はない、と言うべきでしょう。おそらくこれは、人類社会にはもともと父系的性格が強いことに起因するのではないか、と私は考えています。もっとも、現生人類(Homo sapiens)社会は単純な父系制でも母系制でもなく、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けるので、双系的と考えるのが妥当だと思います(関連記事)。ただ、現代人も含まれる現生類人猿(ヒト上科)の社会からは、現生類人猿社会は人類系統の一部を除くと、非母系社会だった可能性がきわめて高いと思います。さらに、ゴリラ社会は基本的に父系でも母系でもない「無系」と言うべきかもしれませんが、一部の社会においては父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持しています(関連記事)。
おそらく、現代人・チンパンジー属・ゴリラ属の最終共通祖先の時点で、父系にやや傾いた無系社会が形成されており、チンパンジー属系統ではその後に明確な父系社会が形成されたのだと思います。人類系統においても、現生人類ではない絶滅人類で父系社会を示唆する証拠が得られています(関連記事)。人類系統においては、父系に傾きつつも、じょじょに双系的な社会が形成されていき、さらに配偶行動が柔軟になっていき、母系社会も出現したのだと思います。おそらく人類史において、母系社会の形成は父系社会よりもずっと新しいと思います。ただ、そうした変化が現生人類の形成過程と関連しているのか、それともさらにさかのぼるのか、現時点では不明ですし、将来も確証を得るのはきわめて困難でしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_8.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html#c5
1. 中川隆[-12056] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:58:29 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[10]
74. 中川隆[7613] koaQ7Jey 2017年4月09日 11:58:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw
最近ネットで
東山天皇は縄文人 D1b1a2
藤原鎌足の墓と言われる阿武山古墳の被葬者は弥生人 O1b2a1a1
というデマが広まっています。 デマの情報源は
有名人のハプログループ
http://famousdna.wiki.fc2.com/
王家のハプログループ - Yourpedia
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97#.E6.97.A5.E6.9C.AC
Famous people's Y-DNA listed by haplogroup - Eupedia
http://www.eupedia.com/genetics/famous_y-dna_by_haplogroup.shtml
ですが、まともなデータや文献は何一つ引用されていません。
そもそも阿武山の遺体のDNA鑑定なんて行われてないし
実在しないニニギノミコトのDNAまで書いてるクルクルパー資料
朝鮮進駐軍の話と同じで在特会やチャンネル桜の関係者が捏造したものだと思います。
右翼は天皇が朝鮮人だとわかると困るんでしょうね。
因みに、Y-DNAだけでは民族差の判断は難しいのです。
2008年10月16日
ミトコンドリアDNAでは母方の祖先が分かるが、Y染色体のDNAからは父方の祖先が分かる。
「常に男女が同程度の人数で移動した」とは限らないので、Y染色体のDNAも調べる必要がある。
南米大陸全体での先住民族のDNAを持つ人の割合は、ミトコンドリアDNAでは82.8%だったのに対し、Y染色体ではわずか8.6%だった。
Y染色体で先住民族のDNAを持たない人の父方の祖先は、大航海時代以降南米に入ったヨーロッパ系(侵略者)又はアフリカ系(奴隷)の人々である。
比較的「南米以外」からの影響が少ないと見られていたペルーの山岳部の住民でも、同様の傾向があった。
先住民族のDNAを持つ人の割合は、ミトコンドリアDNAでは94.2%だが、Y染色体では46.0%しか居なかった。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20081016/p1
93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/04(月) 23:19:37 ID:9w/WmKTM
ところが中南米人の遺伝子調べると
母系は先住民、父系はヨーロッパ人と綺麗に分かれてる
ハーレム状態
94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/04(月) 23:36:51 ID:GKFrYljf
>>93
人種構成は、
ペルーが、インディオ47%、混血40%、欧州系12%、東洋系等1%
ボリビアが、インディオ55%、混血32%、欧州系13%
メキシコが、インディオ30%、混血55%、欧州系(スペイン人)15%
97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 12:35:59 ID:OriNBOP5
>>94
それは人種構成だから遺伝子の数値とズレがあるよね
例えばアルゼンチンは白人国家とされてるけど
ブエノス・アイレスの隣のラ・プラタ市の遺伝子調査だと
mtdna(母系)は45%が先住民、Y染色体(父系)の90%がヨーロッパ系
インディオが少ないとされるブラジルでも調査すると
mtdna(母系)の32%が先住民、28%が西アフリカ人となる
Y染色体(父系)の方はこれまた90%以上ヨーロッパ系になる
つまり人種的に黒人、インディオに分類されても
男系にかぎっては過去に白人の祖先をもつやつがとても多い
それに人種的にブラジルは白人、ムラート、黒人に分類されるが
実際は先住民ともかなり混血してることがわかる
あとアメリカ黒人男性の20%は白人を祖先に持つ
逆にアメリカ白人への黒人の遺伝子的影響はわずか0.7%
アメリカ白人への先住民の遺伝子的影響は3.4%
これらの数値はつい先日英語サイトから拾ってきたもの
ブラジルの数値はちゃんとした論文で具体的な方法まで書いてあったから
かなり信用できると思う
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1094725063/l50
中南米人の遺伝子調べると母系は先住民、父系はヨーロッパ人と綺麗に分かれてる ハーレム状態
現代の中国人は父系は大半が黄河文明人 O2(旧表記O3)で元々はコーカソイドみたいだけど、母系は南方系が殆どだから中南米のインディオと同じ様にモンゴロイドにしか見えない
日本では父系が黄河文明人 O2 の比率は 20%だけど、母系は縄文人(D1b, C1, C2)と弥生人(O1b2)でしょう
日本人Y-DNAハプログループ比率
D1b--32%
O1b2-32%(旧表記O2b)
O2---20%(旧表記O3)
C2----6%
C1----5%
O1b1--1%(旧表記O2a)
O1a---1%
N1----1%
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
自分のハプロタイプが調べられる機関
https://genographic.nationalgeographic.com/
https://www.familytreedna.com/
https://www.23andme.com/
最新ツリー -ISOGG、ウィキペディア
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_YDNATreeTrunk.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
天皇一族みたいな朝鮮からの漢民族系渡来人は黄河文明人 O2 で一重瞼
縄文人(D1b, C1, C2)と弥生人(O1b2)は全員二重瞼
一重瞼はチョンだと思って間違いない :
グレゴール・ヨハン・メンデルの「優性の法則」によると、遺伝には親の性質が現れやすい「優性」と、現れにくい「劣勢」の二通りあり、両方の遺伝子が存在した場合、優性の形が優先されるそうです。
二重まぶたの遺伝パターン
二重まぶたは「優性遺伝」、一重まぶたは「劣勢遺伝」です。「それなら、両親とも、もしくはどちらかが二重まぶたなら子供も絶対二重まぶたになるのでは?」と思いますよね。でも、実は遺伝には4つの遺伝法則があるのです。
そもそも、まぶたには3種類の遺伝パターンがあります。
●二重の遺伝子を2つ持つ「AA」の二重
●二重の遺伝子を1つと一重の遺伝子を1つ持つ「Aa」の二重
●一重の遺伝子を2つ持つ「aa」の一重
両親が二重でも、「AA」タイプの二重なのか「Aa」タイプの二重なのかによって、子供が二重になる確率は変わるのです。
二重まぶたの遺伝の法則
両親のどちらかが「AA」タイプの二重であれば、子供が二重になる確率は100%、
両親が二重であっても、「Aa」タイプの二重であれば、子供が一重になる確率が25%ある
両親のどちらかが一重であれば、子供が一重になる確率は50%になります。
両親のタイプ別二重まぶたの遺伝ケース
父「AA」×母「AA」の二重
子供も「AA」の二重
父「Aa」×母「Aa」の二重
子供は「AA」か「Aa」の二重、又は「aa」タイプの一重になる可能性がある
父か母「AA」の二重×父か母「aa」の一重
子供も「Aa」の二重
父か母「Aa」の二重×父か母「aa」の一重
子供は「Aa」の二重、又は「aa」の一重になる可能性がある
https://moomii.jp/baby/babymabuta-iden.html
2. 中川隆[-12055] koaQ7Jey 2020年7月24日 06:59:41 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[11]
h2t********さん 2015/9/23 13:55:56.
東山天皇のy染色体がD1b系統に属するという記事を目にしたのですが、出典が見つかりません。
ガセなのでしょうか?
それとも、本当に何かの論文に記載されていた記事なのでしょうか?
後者の場合は詳しい出典含めて教えて下さい。
ベストアンサーに選ばれた回答
zev********さん 2015/9/24 00:43:12
ガセネタでしょう。
そもそも、皇室の方々はDNA情報なんて、公開してませんので。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12150648267
_____
tuo********さん 2014/8/23 23:31:16.
天皇家の遺伝子D1bはものすごい繁殖しているんです。
それに反論できない。ので、わたしも困っているのです。
具体的には、(D1b−M125)のY染色体遺伝子です。
重要なことです。
歴史の真実を知らなければならない。
ベストアンサーに選ばれた回答
hea********さん 2014/8/23 23:54:22.
天皇家のY染色体のタイプがD1bだというのはネットの情報ですね。
これは全くの捏造ですよ。
誰も天皇家のY染色体のタイプなんか知りません。
もし調べた人がいるとしたら、どのように調べたのか興味ありますね。
でも、ある意味怖い気もします。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10134574290
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/241.html#c2
13. 空虚[3687] i_OLlQ 2020年7月24日 07:04:57 : 7XegZt4viw : aC9OLnVlZUNDTjY=[3]
>>12殿 いいね! そのフレーズまんま晋三に投げてやってw
【 おい晋三!大衆の総意だとよ GO TO HELL!! 】
(-_-)ob ←わかりにくいが、立ってるの中指だぞ 当然なw
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/416.html#c13
5. 2020年7月24日 07:10:05 : 1TDmNboPQA : T3UuVVpiVHB4OVk=[1]
コピペ、コピペ、コピペ、で 恥ずかしくないのか。
自説は、無いのか。
糞BAKAカブも 全てコピペだ。
それも、糞朝日、糞ゲンダイ、からのものが、ほとんどだ。
ポスト米英とやらは、当方は、未だかつて見たことがない。題が、見るのも汚らわしいからだ。
阿修羅は、面白くなくなって来た。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/424.html#c5
44. 前河[4829] kU@JzQ 2020年7月24日 07:16:03 : 84iTLQ0FTw : TEp6MWxwdTRnZkU=[145]
過去に書いたものを修正して載せます。
まず安倍は国民に嫌われてる。特に政治に関心のある知識人や真面目な人々には特に嫌われてる。
ただし、あまり政治の現状を把握してない人や保守閉鎖的な人には自民の支持が高い。
テレビコメンテイターは「自民党は支持したいけど安倍政権は支持したくない場合はどうしたらいいのか?と若い人に訊かれた」と言ってた。
安倍嫌いの典型で、こういう人は沢山いるよね。
私の周りはひとりを除いて皆自民不支持だ。特に安倍に関しては「何を言ってるのが分からない時があるよね。あの人ちょっとおかしいわよね」って、絶対に人の悪口や批判をしない様な性格の穏やかな方が言っていた。
私は「彼は頭が悪いので決まり文句以外は理路整然と物事を語る事が出来ないんですよ」と理由を伝えた。
世間の安倍への人間的、人格的不信感は相当なもの。大体金使ってネトサポに擁護・援護させてる事自体が正気じゃない。
人間として恥ずかしい行為だ。勿論、雇ってる方も雇われてる方もだ。まあ、雇われてる方は使い捨てだろうが。
日本は諸外国によるスパイ天国らしいので、ネトサポとかマスコミとの会食とかつまらない癒着や工作をやるエネルギーがあったら、国でスパイを摘発監視するような組織を作るべきだろう。
公安が共産党を監視してるみたいな話をテレビで見た事があるが、本当だとしたら無意味で時間のムダ。ピントがずれている。
早くまともな国になって欲しい。
35. 空虚[3688] i_OLlQ 2020年7月24日 07:17:44 : 7XegZt4viw : aC9OLnVlZUNDTjY=[4]
>>32殿
【 ひとでなしに人並みを期待する摩訶不思議をおもうべしw 】
誰か別スレで旨い事云っとったぞ 【 Go To Hell ! Fuck you! 】だとさwあれは、人並みな病気なんぞ関係ない領域に生息しとる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c35
24. 2020年7月24日 07:22:46 : xlVSent07g : S0Q4ckZkOVlZM28=[1]
私の勤務先が入居しているビルでも新型コロナ疑いの方が出ました。
いよいよ、身近なところにまでやってきたということで恐怖を覚えています。
身近なところにまでやってこないと実感が湧かないのでは?
ちなみに、韓国では感染力が従来の型よりも6倍強いGH型が流行ってるそうです。
日本で流行ってる型についての公表がないのですが、どうなっているんでしょうね?
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/564.html#c24
11. 空虚[3689] i_OLlQ 2020年7月24日 07:26:30 : 7XegZt4viw : aC9OLnVlZUNDTjY=[5]
ふ。緑のタヌキちゃん♪もセレブ仲間にもらってやばいアレな薬が切れたようなツラしとんねw本性出てくっかな、愉しみだ。
・・・なんぞ、ちまたの場末で囁かれてる らしいぞ「らしい」だw
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/435.html#c11
8. 2020年7月24日 07:32:03 : EO7BzZFUDQ : NUNMSUFJLkJRWE0=[506]
厄人やお役所型大企業の世界で出世するのは
失敗しない人物だという
藤井棋聖ですら敗北をすることもある
トヨタは昔失敗の原因探しだけではなく
真因の追及に拘り、失敗者を責めなかった
お厄所の世界では
失敗を認めたものは失格者として
出世コースから外される
能力があるから出世するのではなく
失敗を認めない
現実を見ない連中が出世するのだ
こんな連中が舵盗る」のだから
世界から取り残されるよな
孫正義もビルゲイツも
後継者は独断で決める
仲間が決め手はろくな事にならない
決められないトップは
北村たち罵奸凌どもにとって
都合の良いことだが
国民のとって大迷惑だ
脳なしの北村たちに
6千万円以上の退職金をやることは
黒川の退職金以上に腹立たしい
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/430.html#c8
12. 空虚[3690] i_OLlQ 2020年7月24日 07:36:45 : 7XegZt4viw : aC9OLnVlZUNDTjY=[6]
・・・あれかな、エチオピアの悪魔さんともねんごろなんかね?w陰謀論=CIAってのも飽きてきたな、もっとディープなところに踏み込んでほすい。
【 アレよりもましな狸なんて イラン・テヘラン・バラライカw 】古っ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/435.html#c12
39. 2020年7月24日 07:39:57 : YjTSZWJ9WM : bXpjSXhRbGFNU3c=[93]
7月16日に児玉先生が国会で参考人として話した通りになってきました。
「来週はもっとすごいことになります。来月(8月)は目を覆いたくなる状態になるでしょう。」
皇室がDNA公開を厳禁している理由
明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
▲△▽▼
皇室がDNA公開を厳禁している理由 2
世間の噂
秋篠宮文仁
みなさんこんにちは
もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください
「万世一系」 秋篠宮様の種は誰ですか? 美智子妃殿下様
[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
美智子の不倫 33333 美智子妃殿下
美智子妃殿下の「不倫と出産」
美智子のおもてな し「趣味と実益」
美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/242.html
皇室がDNA公開を厳禁している理由
明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
___________
世間の噂
皇室がDNA公開を厳禁している理由 2
秋篠宮文仁
みなさんこんにちは
もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください
「万世一系」 秋篠宮様の種は誰ですか? 美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw
[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI
美智子の不倫 33333 美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8
美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk
美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s
美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ
80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k
「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/885.html
14. オリハル[385] g0mDioNug4s 2020年7月24日 08:03:49 : AmwoG4U4n2 : akVBaUg5RTRicWs=[132]
http://gaia.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-7091.html
『Dr.佐野千遥は福島の放射性物質の核無害化変換と、子供達の甲状腺がんを含めたがん完全治癒にまで関わり始めているそうです。』
ソマチッド濃縮エッセンス『ソマフィー』
http://humangod.biz/15897988677873
http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/859.html#c14
27. 2020年7月24日 08:05:03 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[1163]
災禍を拒むことは出来ないが最小限に抑え込む事は出来る。
人類の英知で。
去っていくチャンスを追いかけても、繋ぎとめる事は出来ない。
政権は”隔靴掻痒”が如くの国民に届かない事業を繰りかえす。
MMT推進者が目指しているのはファシズム、MMTを推進しているのは欧米金融資本だった。
新型コロナ危機が始まってからの3カ月間、大規模金融緩和・財政出動のお蔭で米国の富裕層は資産を約5650億j(62兆円)増やした。
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。
後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。
1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。
「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
___________
あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。
そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。
安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。
学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。
重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。
オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。
安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
______________
過激な右翼ほど、過激な左翼に変わりやすい
過激な人ほどあてに成らない
俗に”右も左も正体は同じ”などと揶揄する人が居るが、確かにそんな人を見かける事があります。
過激な愛国主義者が一夜にして反日主義者に言動が変わるのは良くあり、しかも過激な人ほど反対側の過激に変わりやすい。
戦時中に好戦的な軍人だった人ほど、戦後は平和主義運動に加わる傾向があり、反日運動や日本叩きが大好きになる人が居ます。
熱心に愛国運動や日本軍賛美の作品を発表していた有名な漫画家が、ある日を境に日本を批判する作品ばかりになった例があります。
「日本軍は侵略などせず正しい事だけをした」と言っていたのが、ある日180度転換し「日本はすべて悪い、最悪だ」と決め付けるようになった。
一体彼に何があったのかは知るすべも無いが、やはり過激な人ほど正反対の過激に変わりやすいのです。
逆のケースもあり、いわゆる左翼運動や反日運動をしていた人が、ある日何か閃いたのか、今では”右翼”と呼ばれていたりもする。
ある元アイドルは反原発や官邸デモに熱心に参加していたが、離脱して現在はデモ隊などをパヨクと批判している。
ある有名なニュースキャスターは昔テレビで日本の戦争犯罪を熱心に追及していたが、今は逆の立場で熱心に追及しているようです。
これらは有名人だが、一般の人でも過激な政治活動をしていた人が、ある日コロリと変わる例は良くある。
重要なのは思想や信条ではなく自分自身だったのが分かります。自分が犠牲になって何かを実現しようというつもりはなく、自分が批判されるとあっさり「愛国者」を捨てて批判する側に回りました。
言動が過激な人ほどこうした傾向が強く、熱心な右翼がある日左翼になったり、逆の場合も起こります。
人間は結局自分中心であり、自分の為に過激運動をしていた人は、批判されると自分を守るために、反対側に立つのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/886.html
36. 2020年7月24日 08:10:39 : ZDXrt7BX5g : M0tzMjFIcDdKSmM=[1]
豪雨災害、新型ウイルスの感染者が増加している最中国会も閉めてのんびり会食
「民主党政権よりましな自公政権」が聞いてあきれる
146. 2020年7月24日 08:10:59 : mFGNEl4dnU : amxjNml2VW05ZDI=[225]
Live Vol.43 【これからの方が楽しみだ】見抜ける人だけでいいので��
https://www.youtube.com/watch?v=xWJaA0-8-o4
いや〜、落ちぶれたと思っていたけど、阿修羅掲示板って、まだいろんなとこに繋がってるな(笑顔
ホタテ、高久、サトメリ、お腹痛い社長、dragon(りょうりょう)などなどの大西母連信者のゲスユーチューバーに対する最高のアンチテーゼが爆誕したわ。ホントGJですわ。
俺も散々、大西つねきとそれを取り巻く母連関係のイカレたカルト信者どもをディスり続けてきたかいがあるわ。
それに一月万冊清水とか東大安富とかもな(笑
なんか、籠城してたらアテにもしてなかった援軍が来ましたー! 超ラッキーみたいな感じになりました。
まあ左派系の情報源って限らているから、以外に世間は狭い感じで普通にこの阿修羅掲示板見るわな(笑
いやしかし思い出すわ…。以前、支持率は捏造だというキャンペーンで、安倍政権の低い支持率を延々ネットに拡散したら安倍政権の支持率が本当に激減したことがあるからな。モリカケの時に。
やっぱり、この阿修羅とか情報速報ドットコムとかの掲示板のコメントは、どっかの拡散力ある人たちが他のSNS経由で拡散しているよね。
(昔、この阿修羅で俺が陰謀論にハマっていた時に神聖ローマ帝国とタクシス家とロスチャイルド家とスイス誓約者同盟のウィキ情報をまとめたコメントが、何故かいろんな陰謀論者の個人ブログで拡散された時は、さすがにちょっとビックリしたわ。ネトウヨの生みの親の小林よしのりの気持ちがほんの少し理解できた瞬間で、当然、私はトンズラー。)
ていうか、一月万冊清水とか安富は見てんだろ?俺のコメント。
以前の一月万冊の動画では、お金はコミュニケーションで生まれ、マルクスの資本論は自己啓発セミナーです!とか急遽番組内容を変更してまで放送しておいて、今回の一月万冊の動画でも、俺が言ってるお金はコミュニケーションツールだから借金もコミュニケーションから出来て、利息でお金の絶対量が増えて経済効果がどうとかの動画だろ。
それ、俺が言ってる、お金はグルグル回って、増えては消えてを繰り返すを言いたかったんだよね。
とりあえず、遠回しに借金したらお金の絶対量が増えるとかが言いたかったんだよね。
なんか、もうまどろっこしいから、俺の過去コメ丸っとパクっていいぞ。
↓この動画なんて、言いたいことも言えなくて毒って感じなんですけど。
東大教授と語る【借金は怖いという洗脳】お金のルールを学ばない人間はお金に搾取され続ける。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。
https://www.youtube.com/watch?v=oxO1ccMN68k
とりあえず、安富と一月万冊の清水はもうわかったろ。
お金はただのコミュニケーションツールだということを。
だったら、あーだこーだ言わず、さっさと新しい貨幣の本でも書いてろ。マジで。
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/557.html#c146
2. 2020年7月24日 08:14:35 : F6HESNO5Vk : dmhiYWxpUWVRUFU=[15]
>>1
あらゆる海外からの批判に使える便利な言い回しですな
http://www.asyura2.com/20/kokusai29/msg/161.html#c2
9. 2020年7月24日 08:16:20 : JO0378ycnA : TXJOaS4vUFFQUlE=[71]
俺はおぼこだからこの阿修羅で初めて木村愛二や西岡昌紀の
名前を知って「ホロコースト」は本当にあったのかという
内容の記事を初めて読んだ時は驚いたな〜。
目の覚める思いがした。
45. 2020年7月24日 08:19:00 : ZDXrt7BX5g : M0tzMjFIcDdKSmM=[2]
緊急時に何もできない権力者
こんなメッキ塗りの議員を支持して国会に送り込んだ支援者
日本が沈んでいく責任はお前らにもある、なんとかしろ
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/413.html#c45
17. 2020年7月24日 08:23:28 : 4yHdxUPJ2w : NkR5WS5EZ2M0U1U=[4]
>>14
仮説でしかないので仮説を信じて
ウイルスを軽視するのは良くないがインフルとは
同列に語ることが出来ない部分もある。
また仮にインド以東のアジア人が
ウイルスに強くても他地域では
そうではないのだから
グローバル展開する社会ということを
鑑みれば一国の一存で勝手に
するわけにもいかないがね。
「過去の風邪」記憶した免疫 死亡率の差、第3の仮説
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60554520Z10C20A6000000/
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c17
20. ソーカそうかそうだね[-516] g1yBW4NKgruCpIKpgruCpIK@gss 2020年7月24日 08:25:24 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6700]
>>17
玉川徹とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E5%BE%B9
>玉川 徹(たまかわ とおる、1963年 - )は、テレビ朝日報道局の局員
テレ朝か・・・
裸の王様(新型コロナウィルス)に豪華なモンスタードレス(感染力が強い?重篤性が高い??死亡率が高い???)を着せたマスゴミですか・・・
>日本の黒歴史、ハンセン氏病で偏見と差別、そして感染力が弱いにもかかわらず患者を長年隔離してきたことで訴訟を起こされたことと、今、PCR検査を拡充したら擬陽性の人が出てくることによって訴訟騒ぎになるかも知れないと言う事
は、同じですね!
9. 2020年7月24日 08:25:42 : T9LMqO3wjI : eHQvY1hldTU3Q3c=[35]
誰かこの馬鹿殿様を補佐する家臣はいないのか
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/430.html#c9
21. 2020年7月24日 08:31:30 : XaOsnyMzSc : Vjc4SGw0U0UyYnc=[129]
お上のPCR検査させない理由は完全な誤魔化し 国民生命最優先がお上の義務である。
@当初 医療崩壊させない為 A現在 擬陽性者隔離は人権侵害〜訴訟・賠償の惧れ。
感染防止は検査、陽性者早期発見〜隔離・治療〜重症化未然防止が基本の基である。
この基本を厚労省は破った〜検査させないは〜非人道的行為〜悪逆非道である。
全面検査は社会封鎖(コロナ対策費50兆円)せず、陰性者を社会活動させる〜最適方法だ。
検査費は7千万人×@7千円=5千億円と安上がりだ。東大児玉教授3〜6千円/人と。
東京都の病床確保はダメ。オリンピック選手村26千床を有効活用すべきだ。
21. 2020年7月24日 08:32:52 : KEKnYEPdII : cHF5SW5Td0tCeHM=[43]
いつもいつも、田舎は物価が安いとでてくるがいい加減
デタラメは止めろよな。
安いのは住居費だけだろう。
あと自家用車がないとなにもできない。ガソリン高いし。
物価も高い。当然だろう。物を田舎に運ぶ運賃と人件費
がかかる。そして、住んでる人間が少ないから、販売員の人件費
が大きくプラスされる。物価は高い。
それに港区と比較するなんて馬鹿の骨頂だろう。
周年の区と比較しないと。
そうすると100円ショップとか便利なものがたくさんあるし。
スーパーだって大量仕入れで物価は安くなるだろが。
13. 2020年7月24日 08:34:58 : XUVh31plBA : b1IvWjVvMnl2aG8=[165]
一私人となってこれから本を出せばよい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/435.html#c13
22. 2020年7月24日 08:35:41 : KEKnYEPdII : cHF5SW5Td0tCeHM=[44]
>>21
訂正 周辺の区と比較しないと
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/583.html#c22
中国人にも日本人にもユダヤの血は全く流れていません
秦氏の Y-DNA はO1 で長江稲作民だし
中国のキリスト教(景教)はペルシャ人が伝えたものだし
秦の政治体制はペルシャと同じだし
中国にはペルシャのソグド人やアーリア人(R1a)は入っていたけど、ユダヤ人(J2, E1b) は入っていません。
そもそも農耕民のユダヤ人が中国に来る訳ないですね。 アラブ人はユダヤ人と遺伝子が全く同じなので、来るとしたら遊牧民のアラブ人ですが、その形跡もゼロですね:
中国人にも日本人にもユダヤの血は全く流れていません
ユダヤ人の(Sephardi)のY-DNAは
E1b : 19.2%(ラテン人), I : 11.5%(クロマニヨン人), J : 28.2%(セム人), R1b : 29.5% (ゲルマン人)
中国人の Y-DNAは
O2 53.3% : 漢民族系 、O1 24.5% : 長江系稲作民 、C2 7.8% : 満州人・モンゴル人、 N 6.9% : トルコ系
日本人の Y-DNAは
D1a2a–32% :焼畑農耕民、O1b2-32% :長江系稲作民、O2—20%(旧表記O3):漢民族系、C2—-6% :縄文系、C1—-5% :縄文系
従って、日本人にも中国人にもユダヤの血は全く流れていません
______
埴輪の飾りがユダヤ起源だとか、またレベルが低い妄想を垂れ流していますね(呆れ)
ユングの集合的無意識の研究で今はもう常識になっていますが、無意識はどんな民族でも同じなので、同じイメージが全く関係無い民族でも出て来るんですね:
「集合的無意識」という概念
これは、私たちの無意識の深層に存在するもので、国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。普遍的に存在する「無意識」全ての人類に共通して存在すると言われている「集合的無意識」。
でも、ユングはなぜ、「人類に共通して」と言い切る自信があったのでしょうか? その答えの一つが、「マンダラ」です。
マンダラは、仏教の世界観を表現した円形の絵。祈祷の道具に使われたりもしますので、みなさんも1度くらいは目にしたことがあるのではないでしょうか?
そのマンダラと、ユング自身が描いていた絵との間に大きな共通点があったのです。この発見を機に、ユングは東洋哲学の研究にのめり込んでいきます。
また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には共通したテーマを扱った物も多いことから、洋の別を問わず人類の心の奥深くには「共通した何か」があると考えたのです。
例えば、「太陽を崇拝する」というテーマや自然に「母性」を見出すというテーマ…etc。
これらのテーマを生みだす根底にあるもの、それが「集合的無意識」なんですね。
意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。
集合的無意識の役割とは?ユングによれば、私たちが「自分」を認識できるのもまた、この「集合的無意識」が存在するからなのだとか。
確かに、無意識・普遍的に共有できる「何か」がなければ、自分が生きる価値を見いだすこともできないでしょうし、他人と話をしても通じないような気がしますよね。
遠い昔の民話や伝説から学ぶことが多いのも、世代が違う人と会話できるのも、国籍が違う人との間に会話が成立するのも、(言語の壁をクリアすれば、の話ですが…)普遍的に共有できているものがあるからなのかもしれません。 そういったベースがなければ、会話は全く噛み合わないでしょう。
「集合的無意識があるからこそ、人は自分自身とも他者とも対話・理解し合えるのだ」
と言うユングの説はごもっともですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/887.html
22. わ寺アホ集団平和が命[-446] gu2Om4NBg3qPV5Jjlb2YYYKqlr0 2020年7月24日 08:39:55 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6702]
>>20
https://www.youtube.com/watch?v=i2T-0LwsZRE
>これだけ増えても 政府は 慌てた様子はない
だって、感染者数じゃなくて、PCR検査の「陽性者」数だから・・・
今日の東京都は、
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
>陽性者数 (累計) 10,420 人
>入院 964 人 (重症 21 人)
>退院等(療養期間経過を含む) 7,852 人
重症者用のECMOは700台あるし・・・
医療崩壊は起きてないし、感染爆発もしていない・・・
なにもあわてることは無い!
https://drheli-gunma.blogspot.com/2018/04/ecmo-car-dmat-car.html
ECMOカーなどの整備が必要なだけ!!
安心して「集団免疫」に向かいましょう!!!
8. 2020年7月24日 08:41:06 : mkyi2M8hCu : Tkw1NnhZMExpQlk=[1]
雑感ウヨジジイはアメ公に媚びへつらった長州の腐った悪しき血が流れている。中国への好感を持つことなど無理。
元々日本が中国の政治体制と文化を参照に発展していった歴史の事実を見ていない・・・・・つーか、明治以降を歴史!としか見ていない哀れな田舎土人県の山口らしいよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/433.html#c8
7. 2020年7月24日 08:47:18 : mkyi2M8hCu : Tkw1NnhZMExpQlk=[2]
雑感ウヨは、てめえが笛吹き男を排除して、痛い目に遭う町の人と同じ思考と立場なのがわからんらしい。
ハーメルンと普通にいえんのか、普通に。こういうアホウヨは本当に有害人種だ。
差別は良くないが、珍凶にしろ、他の奴等にしろ、自分達が差別とはいわれなくても、軽蔑、侮蔑されている自覚が無いのだから、おめでたい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/423.html#c7
3. 2020年7月24日 08:47:48 : cdTCB3xavo : MFBFcnhHY2JRU0U=[1]
標題が違っているのでは。
“成功”したはずの日本での感染者急増
の間違いでは。
豪州のことは豪州に任せ、自国の不都合な真実にしっかりと向き合うべき。
http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/279.html#c3
4. 2020年7月24日 08:48:27 : mkyi2M8hCu : Tkw1NnhZMExpQlk=[3]
石破はアベのやらかした責任と処理を怖がってる、だったら、それまでの男だよ。
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/594.html#c4
23. 楽老[1390] inmYVg 2020年7月24日 08:48:41 : jfZE5owcak : Ti9ZVDhtT2Flbm8=[522]
陽性者の入院(隔離)は感染症法に規定されている。
人権侵害云々とは関係ない。
新型コロナは疾病自体の検討(研究)もせずに安倍政権が唐突に感染症第二類指定したことが躓きの元。
感染症法は1999年に施行されたものだが、それを医療行政に生かすことなく制度設計が全く為されないまま無駄に時を重ねたことがコロナ騒動の根本原因である。
PCR検査陽性者は全員が入院というのが法の建前だがその準備を全くしていなかったために御用学者や安倍のオトモダチの橋下徹などを動員してPCR検査すると医療崩壊を起こすと大合唱させた。
感染研も己の島(縄張り)に手を出すなとばかりに行政と結託して【4日ルール】で検査抑制した。
急に膨大なデータが集まっても処理できず己のデスクワークには余分なデータとなるからだ。
PCR検査にまつわる偽陰性、擬陽性、特異率云々はすべてデマゴギーであることは牧田寛(ハーバービジネスオンライン)によって暴かれている。
ここには感染拡大抑制も患者の治療も念頭にない。
これは第二波襲来と言われる今でも実情は一緒。
安倍政権の国としての医療行政は議事録もとらないあるいは公開しない密室でやってる感を出すだけで全く何にもしない。
陽性者の入院先も自治体に丸投げして金(援助)すら出さない。
クルーズ船での実務も横浜市と神奈川県に丸投げ、コネクティング大坪は東奔西走する職員や乗客を横目に見てスイーツを頬張って邪魔になっただけ。
資金の無い自治体は感染者数が減るとコロナ病床や隔離施設の契約を縮小するのは当たり前。それが現在のドタバタだ。
小中高の一斉休校も全国一斉自粛もアベノカビマスクもゴートートラブルキャンペーンもやること成すこと唐突にスローガンだけをぶち上げて、制度設計はまるでなし。
いまだにオリンピックには熱心で、入国規制している国であっても5輪関係者は例外で入国許可するという。
今からでも遅くはない
コロナ制圧に成功した国を見習ってPCR検査拡充ー隔離による接触機会の削減(外出規制ではない)に徹すべきだ。
24. 扶桑皇国海中自衛隊T[-22] lX2MS41jjZGKQ5KGjqmJcZHgh1Q 2020年7月24日 08:49:21 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6704]
>>20
>裸の王様(新型コロナウィルス)に豪華なモンスタードレス(感染力が強い?重篤性が高い??死亡率が高い???)を着せたマスゴミ
王様はハダカだ〜!
https://www.youtube.com/watch?v=klwUJpDiRcE
さあ、サマトリ(夏の旅行)に出かけよう!!
>サマ☆トリ 〜Summer trip〜
GoToトラベル!!!
2. 2020年7月24日 08:49:31 : E6mBRdGmuY : R3VWM1o2bDhoLjI=[126]
小池都知事はコロナ感染者数を操作している 「連日200人超え」を演出したカラクリ
[ https://www.dailyshincho.jp/article/2020/07230556/ ]
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/432.html#c2
18. 2020年7月24日 08:51:01 : 4yHdxUPJ2w : NkR5WS5EZ2M0U1U=[5]
>>14
>これはわしの認識とは全く異なる。どういうことで
>このような思いを持つようになったか、聞かせて欲しいものだ。
同意。確か阿修羅ではクライシス中川が
アビガン教信者で何度も投稿していた。
自分はアビガン否定派がどうもワクチン否定派
(自然崇拝者=自由論者=宗教右派)と被って
見えたので、その人達のことは否定させてもらったが
アビガン自体は推していない。強制予防接種
となると話は変わってくるが薬自体には
肯定的で、ただし、否定する人間は国家(政府)が
強制予防接種をしない限りは「私は
接種つもりはない」と心に留めておくか
簡潔にそう述べれば良いだけの話。
こう言うと自己責任論者のようにも聞こえるが
たとえ個人が新薬を選んだとして副作用に
苦しんでも自業自得だと笑うつもりはない。
政府の許認可の下で薬は流通するのだから
非常に問題のある薬の存在は政府に責任がある。
>>15
従姉の夫は時期は忘れたが春から夏に掛けて
インフルエンザに罹り脳症で亡くなった。
風邪自体は夏風邪もあり、一日200人以下の
東京都の数字を以てして「流行り」だと
断定するのはおかしなことだろう。
インフルエンザだと「一病院あたり
〇〇人の患者数」だと「流行」と
認められるのだったか。とにかく
特効薬は未だに存在しないのだから
平時のように社会を稼働させるわけにはいかない。
4月の段階でウイルス自体は軽視しつつも
そのように述べさせてもらった。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c18
26. 2020年7月24日 08:56:13 : mkyi2M8hCu : Tkw1NnhZMExpQlk=[4]
>13
ホラホラ、こういうアホウヨとキチガイミリオタは「武器が無いと人を守れない!」と屁理屈を抜かしやがる。そういう事を回避する為に警戒して対策を立てるのが大人の思考。武器持って「かかってこいやあ!」と喧嘩腰になるのは、ガキの思考。
そもそも三式弾なんてモン持ち出す時点でアホをさらしてやがる。三式弾でどうにかなったら、大和なんざ沈まんわ。沈んじまった現実を直視してない時点でアホ。イージス艦なんざせいぜい60kmで進むだけで、音速ミサイルに対抗なんかでけやしない理屈すら判らない。
腐れ国賊企業三菱の廻しモンは愛国ポルノとアメリカ最強に縋ってるから、BAKAなんだよ。
http://www.asyura2.com/19/warb23/msg/239.html#c26
16. 2020年7月24日 08:56:53 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[6378]
2020.7.24rkyoutube新型コロナウイルス戦争145
•65 分前にライブ配信
コシミズリチャード
https://www.youtube.com/watch?v=ffwukdmeBdc
http://www.asyura2.com/20/cult27/msg/436.html#c16
25. 扶桑皇国星間自衛隊I[-15] lX2MS41jjZGQr4rUjqmJcZHggmg 2020年7月24日 09:00:23 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-6706]
>>24
>GoToトラベル
https://www.youtube.com/watch?v=_OZxYAwHxJ4
>海が待ってるよ!
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c25
1. 赤かぶ[88991] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:01:51 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18834]
※関連ツイートはこちらでご覧ください
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c1
3. 2020年7月24日 09:03:35 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[1164]
総理が世界にばら撒いてきた血税は、本人が政界を離れてもなお
生きている間、ばらまき先のODA関連日本企業から献金が届く
ものなのだろうか?
26. 2020年7月24日 09:04:28 : VBT3XvvJ3I : TERudC9UMEFDeS4=[1]
人権侵害と言う噂を立てられると困ることになるかもしれないからPCR検査をさせなかったなどと、自分達の身をを護る事に汲々とし、1000人もの命と、経済を犠牲にしたなど、言い訳以外の何もない。
それを権力を使って、国民を犠牲にしたなら死刑にも値する所業と思うが。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c26
19. 2020年7月24日 09:06:32 : 4yHdxUPJ2w : NkR5WS5EZ2M0U1U=[6]
そもそもPCR検査を抑えているとされているので
検査を拡大すれば(検査するように積極的に
啓蒙すれば)それに準じて致死率は下がる。
東アジアに於いて仮にコロナを軽視する
風潮があれど、それを責めるのは
御門違いだろう。人間基本は
自分の目に見える範囲の出来事
(経験)が全て。欧米に比べて
何桁も少ないならば侮るのも
ある意味で当たり前のこと。
地域によって様相が全く変わる。
アメリカのコロナ死者は13万人で
インフルの死者数で多い時でも
6万人くらいなのでコロナは
インフルの倍以上であり
非常に猛威を振るっている。
しかもまだ本格的に流行を始めてから
1年も経っていない現状でこれ。
とはいえグローバル展開する世の中では
せっかく収めてもウイルスが外から入り込む
隙間は何処にでも存在していると
思うがまあ特効薬が出来るまでは
徹底検査と被害最小に留めることに
努力をするのが政府の筋だろう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c19
70. 2020年7月24日 09:06:45 : 12ES5zWEUg : WTVldTlrSnJDMGs=[12]
軽症者も苦しむ新型コロナの後遺症 2020/07/24
連載「実録・新型コロナウイルス集中治療の現場から」の第9回。「感染しても重症化しなければいいや」と言えますか? 原因はまだ不明だが、軽症でも普通の生活になかなか戻れないと讃井將満医師(自治医科大学附属さいたま医療センター副センター長)は警鐘を鳴らす。
本当に医療体制は逼迫していないのか?
新型コロナウイルス感染症の感染者数が4月並みの高水準で推移する中、取材でよく聞かれます。7月14日現在、埼玉県全体の重症患者数は3人。そのうち、人工呼吸器に乗っている患者は1人だけです。埼玉県だけでなく全国的に見ても、こと重症患者については医療体制は逼迫していません。これは事実です。
一方で、イタリアで新型コロナ感染症の後遺症に関する報告が出ました。それによると、回復後(発症から平均2か月後)も87.4%の患者が何らかの症状を訴えているといいます。日本でも後遺症を示す事例の報告が相次いでいます。これも事実です。
重症患者が増えない理由は現時点でわかりませんが(さまざまな理由が考えられますが)、重症化しないから心配ない・・・とは言えないのです。
© JBpress 提供
私はICUで新型コロナ感染症の重症患者を専門に診ているので、軽症・中等症の患者は診ていません。確かに重症患者には、後遺症が高頻度に起こるであろうと思っていました(第3回参照)。しかし、日本や世界で退院する患者が増えるにつれ、軽症・中等症でも一定数の患者が後遺症に苦しんでいることを知るようになりました。そこで、軽症・中等症ではどのような症状・後遺症が出るのか、ヒアリングしてみました。
話をしてくれたのは、30代の看護師で、4月上旬に感染しました。以前慢性の炎症性疾患にかかっていたことがありますが、今はいたって元気で、薬も服用していませんでした。なお、日付は保健所が発症日と判断した日を、「1日目」としてカウントしたものです。
* * *
【−5日目】
「仕事が終わって電車に乗って帰宅する時にコホンと咳が出ました。むせた咳ではなく、風邪っぽい咳だなと思いました。でも、翌日も元気で、熱も出ませんでした」
【−1日目】
「朝、体がちょっとだるくて熱を測ったら37度ありました。仕事に行ってもいいぐらいに元気だったのですが、念のため上司に相談して、一応自宅待機としました。ところが、その後、時間単位で具合が悪くなっていきました」
【1日目】
「日付が変わって夜中に38度の熱が出ました。後に、保健所は、この日を発症日とすると判断しました。
この頃から、筋肉痛と倦怠感が顕著になりました。また、鼻づまりになり、匂いはまったく感じない状態になりました。味覚についても、しょっぱさだけ残ってそれには敏感になりましたが、他の味はまったくしなくなりました」
【3日目】
「熱が4日続いたので、保健所に相談。自分が勤務する病院は電車に乗らないと行けないので、歩いていける近所の病院の発熱外来を受診することになりました。
病院でサチュレーションを測ったところ98でした。
※サチュレーション(SpO2=経皮的動脈血酸素飽和度):肺機能の指標の一つ。血液が肺で酸素を受け取った結果、どの程度酸素を含んでいるかを示す。正常は96〜99。病気により肺が酸素を取り込む能力が低下した場合に、数値は下がる。90以下は酸素投与や人工呼吸などの治療が必要になる。
PCR検査をしてもらった後、念のためレントゲンを撮ったところ、肺炎が判明しました。さらにCTを撮影した後、即入院となりました。
この頃から、動くと息切れするようになり、少し歩くと脈拍数が120ぐらいに上がるようになりました」
【4日目】
「PCR検査の結果が出ました。陽性でした。1フロア上の新型コロナ感染症専用病棟に移ることになりました。が、エレベーターまで歩くのもびっくりするくらいたいへんでした。すごくゆっくり歩いても息切れをして、手足が冷たくなってチアノーゼ(血液の中の酸素が欠乏して、皮膚や粘膜が青黒くなること)が出ました。サチュレーションは80台まで下がりました。
この頃から、電気が走るような頭痛に悩まされるようになりました。頭痛は、自宅へ帰って1週間後ぐらいまで長期間続きました」
© JBpress 提供
【5日目〜12日目】
「入院後3〜4日は、午後に熱が38度近くまで上がること、夜間に発汗することが多かったです。トイレまで歩くと脈拍数が120〜140、サチュレーションが80台に下がるという状態でした。サチュレーションは最悪時には70台まで下がりました。その時は、必要に応じて酸素吸入を行いました。
© JBpress 提供
その後も、トイレに行くのさえ重労働で、シャワーを浴びると全身がチアノーゼになるという日が続きました。また、咳が止まらない、息も苦しいという症状が続きました。呼吸は浅く速くなってしまい、深呼吸をしようとしても大きく息を吸えませんでした。
10日目ぐらいに熱が37度ほどに下がりました。咳は止まらず、夜中に咳き込んで眠れないことがありましたが、サチュレーションもいい時には95ぐらいまで上がってきました。
解熱し呼吸もよくなってきたので、ホテルに移って療養することになりました」
【13日目】
「陽性者専用の特別なタクシーに乗ってホテルに移動しました。一緒にホテルに移った2人の方は、咳もなくスタスタ歩けて元気そうでしたが、私は移動のさなかも咳が止まらず、息が苦しく、ゆっくりしか歩けない状態でした」
【14日目〜44日目】
「その後ホテルで約1か月療養しました。体温調節がおかしくなったのか、しばしば体温が35度台に下がり、寒くて寒くてたまりませんでした。結局、帰る1週間前ぐらいになって、ようやく36度台に戻りました。
© JBpress 提供
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ホテルでは相変わらず少し動くと息が切れました。1日3回お弁当をロビーまで取りに行くのですが、それだけでも息が切れてしまって非常につらかったです。体重は10キロぐらい減り、お腹はぺったんこになり、顔はガイコツのように窪んでしまいました。
© JBpress 提供
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この頃は、PCR検査で2回続けて陰性が出ないと自宅に帰れないルールだったのですが、なかなか陰性になりませんでした。ほぼ毎日PCR検査をしていたので、最後の頃は鼻血が出てしまいました。
家に帰る数日前、急にエビせんべいの匂いがわかるようになりました。その時から、嗅覚は劇的に良くなりました。味覚のほうも徐々にでしたが戻ってきました。ただ、相変わらずしょっぱさには敏感で、今もそれは続いています」
【45日目〜90日目(現在)】
「ホテルから家まで帰るのに電車とバスを使ったのですが、少し歩くだけで息切れしました。足も筋肉痛になり、翌日は家でずっと寝ていました。それぐらい筋力が落ちてしまっていました。
体調は、ある時を境に急激にぐっと良くなるという感じではなく、徐々に回復してきたように思います。体重も少しずつ増えて、5キロほど戻りました。呼吸は、今も喋り続けているだけで少し苦しくなります。
新型コロナ感染症が発症してから3か月あまり経ちますが、体調はまだまだで、以前の6〜7割というのが実感です」
* * *
これはきついなあ、というのが私の第一印象です。
この看護師は、ほぼ完治しているとはいえ3か月経過して、まだ、完全回復とは言えない状態でしょう。
少しでも動くと息切れし、チアノーゼが出るというのは、相当、肺機能が落ちていたようです。深く息を吸えなかったと言っていることから、肺の浸潤(肺胞に染み出た液体成分がたまること)が深刻で、酸素と二酸化炭素の交換がうまくできなくなっていたのでしょう。ちなみに、ここまで症状が悪化しても、まだ重症とはみなされません。新型コロナ感染症では、人工呼吸器やECMOを使用した場合が重症、この看護師のように一時的にでも酸素を投与した場合が中等症、それ以下の場合が軽症とするのが一般的です。
筋力が低下したのは、からだが自ら筋肉を壊して病気と戦うエネルギーとしたからです。人間が命をかけて病気と闘うときには、脳、心臓、肺、肝臓、腎臓などの重要臓器が、その機能を果たすために筋肉を犠牲にするのです。またホテルで長期間療養していたので、廃用性萎縮(筋肉を使わないことによる筋力低下)も起こっていたと考えられます。
さらに注目すべきは、この看護師が発症後3か月(陰性になってから1か月半)経った今も全快していない点です。
一般の風邪やインフルエンザなら、2〜3週間すればたいてい普通の生活に戻れます。しかし、新型コロナ感染症は、陰性化するまでも長い時間がかかる例が多く、陰性化後もなかなか元に戻れない・治った後も生活に支障がある人が多いらしい――それが今明るみに出てきています。
けれども、その原因やメカニズムはまだわかっていません。細菌による肺炎など、重篤な感染症から多臓器不全に至り、回復後も肺機能が元に戻らない患者、同じコロナウイルスによる2002年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、2012年の中東呼吸器症候群(MERS)患者の後遺症に関するデータはありますが、今回の新型コロナ感染症に関する正確なデータはありません。
重症感染症、SARS、MERSのデータによれば、特に重症の患者では肺機能の回復が思わしくなく、半年後もまだ人工呼吸器が必要、5年後も呼吸機能が元の80%までしか戻らない、などの報告があります。壊れた肺が治る過程で肺が固くなり、酸素の交換スピードも元に戻らなくなった結果と考えられます。また、神経や筋肉の機能が回復せず、1年経ってようやく両手を挙げてバンザイができるようになる、などのケースも知られています。
他にも、2年後に約25%の患者で、うつ・不安・PTSDなど、心の障害が認められたり、計算力、記憶力、注意力、知能指数が完全には戻らないなど、脳機能低下も報告されています(集中治療後症候群:PICS 第3回参照)。
じつは私自身も、4月には後遺症が残るのは重症患者だけで、軽症・中等症患者には残らないのではないか、とたかをくくっていました。しかし、その後、日本や世界で、軽症・中等症の患者も後遺症に苦しんでいる方がいることを知り、自分の考えが浅はかだったことを思い知りました。
ただ現段階で確実なことはほとんどありません。あくまで重症感染症、SARS、MERSから得られたデータに基づいて「おそらくこうであろう」と想像しているに過ぎません。今後、後遺症がなぜ起こるか、特に軽症・中等症の患者で、どの程度の後遺症が、どれくらいの期間続くのか、それに対して我々急性期専門の医師ができることはないのか、など、明らかにする必要があります。
ちなみに、今のところ後遺症を起こす原因は3つに分けられるのではないかと考えています。
一つ目はサイトカインストーム。すなわち強い炎症によって、脳、心臓、肺、肝臓、腎臓などの多臓器不全が起こる。従来から知られていたように各臓器のダメージが重いほど、やはり回復に時間がかかり、後遺症も重い。これです。
二つ目は、新型コロナ感染症の特徴と言ってもよい血栓症。これによってたとえば血管が詰まり血が流れなくなる(第3回参照)。例えば、肺の血栓症によって肺機能の回復が悪いことがあるかもしれません。また、脳梗塞。この後遺症で、脳機能低下や心の不調が長引くこともあるかもしれません。
三つ目は、新型コロナウイルスが、肺だけでなく、直接、脳・心臓・肝臓・腎臓に感染すること。たとえば匂いや味がわからなくなる、頭痛、ボーッとする、幻覚が起こる、痙攣が起こる、などは、脳への直接感染の証拠と考えられています。
これらの症状が長く続くのは、おそらく患者がウイルスをなかなか排除できないことが関与していると思われます。実際、今回お話をうかがった看護師のように、回復までに長くかかったり、PCRが陰性化しても再度陽性化するケースがあることは、なかなかウイルスを排除できないケースがあることを示しているのではないでしょうか。
さらに想像すると、軽症・中等症の患者で退院後、ちょっと動くとすぐ息切れがしたり、疲れたりするのは、肺機能や筋力が完全に戻っていないことを示しているのかもしれません。
はっきりしているのは、原因やメカニズムはまだわからないけれど、重症患者はもちろん軽症・中等症であっても後遺症に苦しんでいる人が一定数存在しているという事実です。
それでもあなたは、「感染しても重症化しなければいいや」と言えますか?
https://www.msn.com/ja-jp/health/healthy-lifestyle/%e8%bb%bd%e7%97%87%e8%80%85%e3%82%82%e8%8b%a6%e3%81%97%e3%82%80%e6%96%b0%e5%9e%8b%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%8a%e3%81%ae%e5%be%8c%e9%81%ba%e7%97%87/ar-BB17737X?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c70
11. 2020年7月24日 09:08:11 : 472MhYHhOE : RHBFNUc3YXo2dFk=[4]
都知事選で小池百合子が366万票だってよ。7つのゼロ公約も達成はゼロ、
街宣もせず、TVに出て無能を晒すだけで366万票だってよ。
一方の太郎は、常に聴衆が満杯。でも宇都宮候補より少ない得票。
要するに、利権の代理人・ソロスの手先は、人気がなくても大量得票で当選するという結果が待っているわけだ。多分、あらかじめ数字をでっちあげており、票を数えてなんかいないだろう。へたに票束を付け替えると不正が露呈しやすいからだ。
今回の都知事選で選挙がインチキだってことを多くの都民が実感しただろさ。
>検索 武蔵選挙のインチキ都知事 ムサシ・不正選挙 電通仕掛けのインチキ選挙
2. 赤かぶ[88992] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:11:08 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18835]
ロシアの改正憲法に「領土割譲の禁止」の条文が盛り込まれた。
— やまっち (@yskms_kirian) July 23, 2020
領土割譲につながる行為に刑事罰が科せられる。
日本、北方領土返還のピンチ!https://t.co/Ezhv5K61vF
一方的に北方領土問題は解決したって言われ、今度は刑罰だと。
完全にプーチンに舐めれてる。
手だてはあるのか?「外交の安倍」
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c2
39. 2020年7月24日 09:11:19 : eQHpkW1P7s : Li5jYUI0RzNET2c=[607]
>>24
江戸時代に何度も有った大飢饉もケムトレイルだよね。戦前にもあった。みーんなケムトレイルのせいだ。そういや、戦後しばらくしてコメ不足となり、タイ米を輸入したことも有ったっけ。あれもこれもみーんなケムトレイルだー。
(こりゃあ 間違いなくカルト板だわいなあ)
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/582.html#c39
3. 赤かぶ[88993] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:12:58 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18836]
あべ君が経済協力のお土産を渡し、東京宣言を日ソ共同宣言まで後退させて、この仕打ち。確かに領土問題はあべ君の任期中に終結しそうだ…日本が望まない形で。
— MARU (@maru07242) July 23, 2020
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/vJb308833o
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c3
27. 2020年7月24日 09:14:36 : 1kIWpEZ16c : TEJRTkU0UGJybi4=[1]
症状が出ていて検査を希望しているのに検査拒否しておいて、何が人権侵害や。
単純に感染者数を増やせたくなかったからだろう。
第一波で検査拒否したため、感染者の波が正確に予測出来なくなっているのが現状。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/436.html#c27
4. 赤かぶ[88994] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:15:09 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18837]
こんなことしておきながら経済協力はしようって一体彼らの頭の中はどうなってんだ❓
— セイちゃんBLACK (@BLACK94758513) July 23, 2020
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過 #SmartNews #北方領土問題 https://t.co/HpfwvxWRjl
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c4
5. 赤かぶ[88995] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:15:46 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18838]
これで北方領土返還は現実的に絶望的なのでは?
— 豊秋津洲報道局 (@sinjituyuzou) July 23, 2020
安倍総理は、いったいプーチン大統領と何の話をしてきたの?
単にお金を騙されただけなのでは?
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/zxNEfzcwu3
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c5
6. 赤かぶ[88996] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:16:32 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18839]
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過 #SmartNews
— tomt (@tomt71932383) July 23, 2020
ロシアは中国と同じ政策を立法化しようとしてますね。
日本政府は"強く交渉を続けている"と日本国民にメッセージを出すと思いますが、これこそ日本が香港と同じ立場に立たされた事象でしょう。 https://t.co/UBubMWMd79
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c6
20. 2020年7月24日 09:17:42 : 4yHdxUPJ2w : NkR5WS5EZ2M0U1U=[7]
経済活動再開したい派vs経済活動再開させたくない派
のようなのも存在するが自分は
従来経済(弱肉強食資本主義)なんて止めちまえ派。
国家間競争も国家間の諍いも残しつつも何処の国でも
何としてでも経済活動を再開しようとしているので
望み薄だがね。人権はそのままに、もしくは
強化しながら、今まで「普通」とされてきたことを
全部ぶっ壊したい。まあ良い契機にはなっただろう。
小さな政府なんて糞だ、ということがな。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/431.html#c20
7. 赤かぶ[88997] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:17:44 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18840]
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過 #SmartNews
— C61-200(地下乗る民Cさん) (@C61_200) July 23, 2020
これが成立したら、ロシア国内で日本人が「北方領土返せ!」と言っただけで捕まるってことか。 https://t.co/lAYDn4UfEl
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c7
8. 新共産主義クラブ[-14369] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2020年7月24日 09:18:56 : mLLPMdQyIY :TOR azBDRy5leGlrN00=[6]
「現在は、止むを得ずに日本の本土で暮らしているものの、人生の最期は南クリル諸島に戻って迎えたい」と祈願している元島民は少ないのではないだろうか。
元島民の南クリル諸島への移住が目的でないならば、ロシアからの領土割譲よりも、ロシアへの金銭補償の請求に切り替える方が良いのではないか。
元島民の要望の一つに、南クリル諸島にある先祖の墓への墓参りをしたいというものがあるそうだ。
現在、元島民の墓がロシア軍基地の敷地内にあることを理由にロシア政府から元島民の墓参りを拒絶されているのであれば、南クリル諸島からのロシア軍基地の恒久的な撤廃を平和条約締結の条件にしてはどうか。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c8
40. 2020年7月24日 09:21:04 : aCuAHgMKmQ : eE95cjVxSmQyaFk=[1]
30>>
若者の間でこの様な考えがあることは理解します。他方の我々高齢者にはコロナは怖い病気です。これを考え方の違いとするのは簡単です。
しかし、コロナへの恐怖は既に世界を支配しています。これを克服する以外に経済の再生はあり得ません。また、検査を徹底する以外にコロナの克服は無いことも分かってきました。今不毛な議論をしている時ではありません。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/434.html#c40
9. 赤かぶ[88998] kNSCqYLU 2020年7月24日 09:23:43 : Etqgkm55TU : RGtULnlHMS9YdlE=[18841]
川奈会議で譲歩しておけばよかったのにと、本気で思いますー。
— Rico (@momandlotus) July 23, 2020
北方領土交渉が窮地 ロシア「領土損なう行為」に刑事罰 下院通過 #SmartNews https://t.co/AxNMkl4M3f
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c9
28. 2020年7月24日 09:26:05 : GIXAJNeyzU : WGlSQ3BrTmpDRU0=[96]
>23へ
当該主張に反論が全く無い原因を敢えて指摘すれば、示された引用資料における
用語の使い方が不正確で厳密性を欠き、その意味するところが理解できないため、
当該主張自体に反応する価値が認められていないためだと思います。
『「PCR検査が陽性になったとしても、実際に新型コロナに感染している確率はわずか6.5%、
つまり15人中14人は、検査結果が陽性であっても、新型コロナではない、ということになります。』
⇒『「PCR検査が陽性になったとしても、実際に新型コロナに感染している確率はわずか6.5%』
の意味するするところが不明。「新型コロナウイルスに感染していても症状が出ていない無症状者
を除いた発症確率。」を指しているのであろうか?
何れにしても、現段階において、新型コロナに関する全ての特性が解明されているわけではない
が、高齢者の発症確率が高い(70歳以上となると7割程の方に症状が現れるとの報告がある。
【参考資料】)ことから、PCR検査を軽視すべきではない。
【参考資料】
『新型コロナウイルスに感染しても無症状の人の特徴は?医師が解説します。』
(2020.07.22 CLINIC FOR)
https://www.clinicfor.life/articles/covid-050/
<抜粋>
『世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染者のうち4割ほどが無症状の感染者からうつされて
いるとしています。感染しても30〜50%の方は症状が出ないということもあるため、無症状で
感染している方は多くいらっしゃることが見込まれます。
各国の調査をみても、10代の感染者の8割程が無症状であるのに対して、70歳以上となると
7割程の方に症状が現れるとの報告があります。』
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/415.html#c28
10. 2020年7月24日 09:35:27 : 4yHdxUPJ2w : NkR5WS5EZ2M0U1U=[8]
>同条文は、北方領土のほか、2014年にロシアが
>併合したウクライナ南部クリミア半島などを想定している。
クリミア関連が本命だろうな。しかし欧米の手順が
少々荒かったとはいえ21世紀の御時世に
拒否権を持つ常任理事国が他国領土を正式に
併合させるのだから、その衝撃度たるや否や。
日本で活動する極右で反ロで
新自由主義者ウクライナ人のバカレンコだか
クズレンコだかゴミレンコだが乞食レンコだか
ナザレンコだが名前は忘れたが
その人の思想には全く共鳴しないがね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c10
8. 新共産主義クラブ[-14368] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2020年7月24日 09:36:05 : mLLPMdQyIY :TOR azBDRy5leGlrN00=[7]
>>7さん
>>7さんも、「自分の、ごく周辺にいる人たち以外の人たちからは、自分も侮蔑されているのだ」という自覚を持っておいた方が良いと思います。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/423.html#c8
37. 2020年7月24日 09:39:37 : JsAwrKyAao : TTVPa29pOE5QRFk=[82]
会食でコロナにかかって、早く去ってくれ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/429.html#c37
11. 2020年7月24日 09:39:45 : J5kS2Le2C6 : TnVvNW1HSFdmcFk=[27]
領土を取り戻せなくしたのがPMのレガシーか
そりゃ歴史に残るな
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/437.html#c11
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