クープラン;チェロとピアノのための演奏会用小品
フランソワ・クープラン 演奏会用小品 (チェロ+ピアノ)【Pièces En Concert】
ポール・バズレールによってチョロ協奏曲風に編曲されたもの
1.Prélude
2.Sicilienne
3.La Tromba
4.Plainte
5.Air de Diable
コンセール小品集 第1曲:プレリュード(新しいコンセール 第6番から)
コンセール小品集 第2曲:シシリエンヌ(新しいコンセール 第2番から)
コンセール小品集 第3曲:ラッパ(新しいコンセール 第6番から)
コンセール小品集 第4曲:嘆き(新しいコンセール 第6番から)
コンセール小品集 第5曲:悪魔のエール(新しいコンセール 第2番から)
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フランソワ・クープラン(François Couperin, 1668 - 1733)
鍵盤楽器の作曲家として有名。
一族は音楽家の家系であるため、彼を特に「大クープラン」と呼んで区別する。
多くのクラヴサン曲、室内楽曲、教会音楽を作曲。
ロココ趣味の典型とされる優美繊細な作風を確立した。
http://classic.music.coocan.jp/early/baroque/baroque-ef.htm
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カザルス : フランソワ・クープラン 演奏会用小品 (チェロ+ピアノ)
F. Couperin: Pièces en Concert, Casals & Horszowski (1961)
François Couperin (1668-1733) (arranged by Paul Bazelaire (1886-1958))
Pièces en Concert for Cello & Strings
(00:05) 1. Prélude
(04:17) 2. Sicilienne
(07:13) 3. La Tromba
(09:05) 4. Plainte
(12:50) 5. Air de Diable
Pablo Casals (1876-1973), Cello
Mieczysław Horszowski (1892-1993), Piano
Rec. 13 November 1961, at White House, in Washington, D.C. (Live Recording)
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カザルス<ホワイトハウスコンサート>
http://guitarandmylife.blog86.fc2.com/blog-entry-1592.html?sp
パブロ・カザルス(1876−1973)が1961年秋、時のケネディ大統領に招かれて行なわれたホワイトハウスでのコンサートライヴ。
モノクロの印象的なジャケット写真を見ると、中央にケネディー大統領、またこのジャケット写真では切れてしまっているが、夫人のジャックリーヌも写っている。
この盤についてはこちらに詳しい。
http://www.cec-web.co.jp/column/disc100/disc100_12.html
収録曲は以下の通り。
1. メンデルスゾーン;ピアノ三重奏曲第1番ニ短調 作品49
2. クープラン;チェロとピアノのための演奏会用小品
3. シューマン;アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
4. カタロニア民謡(カザルス編);鳥の歌
手持ちの盤は80年代前半に再発されたLP盤だ。久々に針を落として、かつて聴き親しんだ懐かしい音がスピーカーから流れてきた。モノラルながら鮮明な音、そして愛器ゴフリラーから繰り出される立ち上がりのいい、しかし深みある音が素晴らしい。
いずれも一時代を成した演奏であり、ピアノのホルショフスキー、ヴァイオリンのシュナイダー共々、解釈がどうの、技術がどうのという言葉を差し挟む余地もなく、そういう気持ちにもならない演奏だ。
熟練の老年に達したこのトリオが歌い上げる若きロマンにあふれるメンデルスゾーン、
仏人チェリスト:バズレールがチェロ用に編曲したクープランの演奏会用小品、
いずれも味わい深い。
特にクープランは出だしのプレリュードからカザルスのチェロが悲しみをたたえた音で響く。
そして最後の曲『鳥の歌』。いつも冷静に聴こうと思うのだが、当時84歳だったカザルスの震えるような、しかし渾身の力を込めたボーイングと、低いうなり声と共に、ついぞ帰ることのなかった故郷カタローニャへの想いのせた曲の運びに、いつも心打たれる。
http://guitarandmylife.blog86.fc2.com/blog-entry-1592.html?sp
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ピエール・フルニエ : フランソワ・クープラン 演奏会用小品 (チェロ+ピアノ)
Couperin: Pièces En Concert For Cello & Strings - Arr. Paul Bazelaire
Couperin: Pièces En Concert For Cello & Strings - Arr. Paul Bazelaire
Pierre Fournier
Festival Strings Lucerne
Rudolf Baumgartner
ピエール・フルニエ
ルツェルン祝祭弦楽合奏団
ルドルフ・バウムガルトナー
1963年12月20日~21日録音
クープラン:コンセール小品集
(Cello)ピエール・フルニエ: ルドルフ・バウムガルトナー指揮 ルツェルン音楽祭弦楽合奏団
http://www.yung.jp/yungdb/op_m.php?id=3865
クープラン一族は、ドイツのバッハ一族ほどではないにしても、多くの著名な音楽家を輩出しています。そんな一族の中でもっとも有名なのがこの「フランソワ・クープラン」であり、同姓同名の叔父と区別するために「大クープラン」と呼ばれることもあります。
ただし、バッハと言えば「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」であるのと同様に、クープランと言えば一般的には「フランソワ・クープラン」のことになります。
クープランと言えばまずは4巻からなる「クラヴサン曲集」が有名です。
しかし、それ以外に王宮礼拝堂のオルガニストに就任してからは、礼拝堂用の宗教音楽や、ルイ14世の為に演奏される合奏曲なども重要な仕事の一つとして加わるようになります。
ルイ14世のもとで活躍した音楽家と言えばリュリを思い出すのですが、彼が指揮杖で足を突くという不慮の事故でなくなるのが1687年で、クープランが宮廷オルガニストとして採用されるのが1693年ですから、この両者は宮廷の中では顔を合わせなかったことになります。
しかしながら、リュリが主に劇場用の作品で多くの仕事を為したのとは対照的に、クープランはそれ以外の分野で多くの作品を残したのです。実際、彼は一つのオペラも残さず、その代わりに肖像画のようなとも、風俗画のようなとも言われる数多くのクラブサン曲と、礼拝堂用の小さなモテット、可憐な世俗的な歌曲、そして御前演奏用の室内楽作品というのが彼のメインのレパートリーだったのです。
ここで紹介している「コンセール小品集」はポール・バズレールによってチョロ協奏曲風に編曲されたものです。
ポール・バズレールはこれ以外にもダンディとの共同作業でヴィヴァルディのチェロ・ソナタを協奏曲に偏狭していたのですが、それと同じような仕様です。
ですから、それはバロック音楽と言うよりは何処かロマン派小品様な佇まいを見せるのはその様な理由によります。
ちなみに、各曲の原曲は以下の通りだそうです。
クープラン:コンセール小品集(ポール・バズレール編曲)
第1曲:プレリュード(新しい王宮のコンセール 第6番 から)
第2曲:シシリエンヌ(新しい王宮のコンセール 第2番 から)
第3曲:ラッパ(新しい王宮のコンセール 第6番 から)
第4曲:嘆き(新しい王宮のコンセール 第6番 から)
第5曲:悪魔のエール(新しい王宮のコンセール 第2番 から)
ピリオド演奏による騒々しい演奏と較べると別の星の住人のようです
フルニエに関しては今さら何も付け加える必要はないでしょう。ひたすら騒々しくなっていったピリオド演奏によるチェロの演奏と較べてみれば、その落ち着きと気品のある歌い回しは別の星の住人のように感じます。
そして、やはりチェロはこうでなくっちゃ!!と思ってしまうのです。
ですから、ここではお恥ずかしい思い出もまじえて、伴奏を務めている「ルドルフ・バウムガルトナー」について簡単にふれておきます。
実は、何がお恥ずかしい思い出なのかと言えば、「バウムガルトナー」とよく似た名前でもう一人「パウムガルトナー」という指揮者がいるのを、すっかり混同してしまったことがあるのです。そして、このサイトの中でも、未だに混同したまま放置されているページがあるのではないかと、いささか冷や汗ものなのです。(^^;
「バウムガルトナー」と「パウムガルトナー」、違いが分かりますか?「バ」と「パ」の違いです。パソコン画面で見るとほとんど区別がつきません。
ここでフルニエの伴奏を務めているのは「ルドルフ・バウムガルトナー」の方で、シュナイダーハンとともにルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設して活躍した指揮者でした。
それに対して、「パウムガルトナー」の方はフルネームが「ベルンハルト・パウムガルトナー」で、こちらはザルツブルグを拠点として活躍した指揮者でした。
さらに言えば、この両者はよく似た経歴を持っていて、「バウムガルトナー」の方は「ルツェルン音楽院院」の院長を長く務めたのに対して、「パウムガルトナー」の方はザルツブルグの「モーツァルテウム音楽院」の院長を長く務めたのでした。
そして、「バウムガルトナー」が長く「ルツェルン音楽祭の音楽監督」を務めたのに対して、「パウムガルトナー」の方は「ザルツブルク音楽祭の総裁」を長く務めたのでした。
つまりは、ザルツブルグとルツェルンという、オーストリアの夏を彩る音楽祭が行われる二つの都市に分かれて、その音楽祭を代表する音楽家としてよく似たような活動を行っていたのです。そして、その人物の名前が、ルツェルンの方が「バウムガルトナー」であり、ザルツブルグの方が「パウムガルトナー」だったわけです。
とは言え、この二人を混同してしまうとはお恥ずかしい話でした。
なお、「パウムガルトナー」が「モーツァルテウム音楽院」の院長を務めていた時期の学生にカラヤンがいたので、彼の弟子の中でもっとも有名な存在がカラヤンだという言葉をよく見かけます。
ただし、カラヤンは「パウムガルトナー」のことを師だとは思っていなかったようなので、その言い方にはいささか問題があるかも知れません。
http://www.yung.jp/yungdb/op_m.php?id=3865
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/926.html