イラン政権転覆を狙う反体制派が抱える闇
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2019年10月25日(金)19時00分 ジョナサン・ブローダー(外交・安全保障担当) ニューズウィーク
今年7月、アルバニアのMEK拠点で行われた講演で登壇するマリアム・ラジャビ Florion Goga-REUTERS
<アメリカのタカ派は政権交代を夢見るが経済制裁を優先するトランプ政権は及び腰だ>
7月13日、ドナルド・トランプ米大統領の個人弁護士を務めるルディ・ジュリアーニ(元ニューヨーク市長)は、アルバニアの片田舎にあるイランの反体制派武装組織モジャーヘディーネ・ハルグ(MEKまたはMKO)の拠点を訪れた。約3400人のメンバーを前に講演を行うためだ。
MEKはイランの「亡命政府」であり、トランプ政権はMEKを現政権に取って代わり得る存在だと見なしていると、ジュリアーニは明言した。「おかげでわれわれは、身の毛のよだつ現政権を転覆させる努力を続ければ、そう遠くない未来に多くの人命を救えるばかりか、信頼できる人々にイランの政権移行を委ねることができると確信している」と、ジュリアーニは喝采の中で述べた。
アメリカの元高官にはよくある話だが、ジュリアーニは高いギャラで講演を精力的に引き受けており、MEKのイベントにもここ数年、何度も登壇している。タカ派として知られるジョン・ボルトン前大統領補佐官(国家安全保障担当)は、MEKの依頼で行った講演で18万ドルを稼いだと、軍事ニュース専門サイト「ディフェンス・ポスト」の編集者でMEK問題に詳しいジョアン・ストッカーは言う。
ボルトンは2018年の大統領補佐官就任以降、MEKの依頼を受けていない。最後の登壇となった2017年のパリでの集会では「高位聖職者による統治に対する有望な対抗勢力」だとMEKを持ち上げた。資産公開の資料によれば、ボルトンはこの講演で4万ドルを受け取った。
MEKは「人民の聖戦士」という意味で、イランの反政府勢力の中では歴史、知名度、組織力でもトップだ。一方、王党派を率いる故モハマド・レザ・パーレビ元国王の息子レザ・パーレビは、反政府勢力を集めて民主選挙までの暫定政権を打ち立てたいと考えている。さらに少数民族や宗教的少数派の武装勢力も存在し、彼らは幅広い自治権が認められる連邦制の実現を求めている。
今年に入ってトランプ政権は、イランで政権交代が起きた場合にMEKが受け皿になり得るとの見方を示した。だが一方で複数の米高官が、トランプはイランの政権交代を求めていないと強調している。経済制裁によってイラン政府を交渉のテーブルに着かせ、「行動変容」を受け入れさせることを目指すわけだ。
これには、検証可能な形での核兵器開発計画の終了や弾道ミサイル開発の中止、レバノンやシリア、イラク、イエメンの武装勢力への支援(イランが中東全域に影響力を広げる手段となっている)の中止などが含まれる。だがイランはこうしたトランプ政権の要求を、政権交代に等しいとして拒否している。
ジュリアーニ(左)とマリアム・ラジャビ(2018年パリ) SIAVOSH HOSSEINI-NURPHOTO/GETTY IMAGES
反政府勢力は一枚岩と言うには程遠く、専門家によれば政権を手にするチャンスを自ら遠ざけている。統一戦線をつくろうという動きは何度もあったが、過去の因縁や政策課題の違いからいずれも失敗に終わった。
政府施設や高官への襲撃、街頭デモといった形での反政府運動は、1979年のイスラム革命の頃からあった。だが最近の反政府運動は過去のものとは一線を画す。背景にあるのは経済の窮状であり、政府は新たな革命の発火点になるのを恐れて厳しい弾圧に踏み込めずにいる。「最近、彼ら(政府側)は慎重だ」と、民族系の反政府組織イラン・クルディスタン・コマラ党のアブドラ・モハタディ党首は語る。
イラン政府が行動変容に向けた交渉に応じなければ経済の破綻が近づくだけのことで、最終的にはイラン側が折れるだろうと、トランプ政権高官らは主張する。もっとも今のところ、イランは強気の発言やペルシャ湾を航行する船舶への妨害行為など、強硬な姿勢を崩していない。
一方で、イラン指導部は来年の米大統領選まで動くつもりはないとの見方も伝えられている。トランプが敗北すれば、民主党政権は制裁を解除し、2015年の核合意に立ち返るかもしれないと期待してのことだ。
■「民主的」主張に疑問符
依然として多くの専門家が、現在の緊張状態が武力衝突へと一気に発展し、現政権が崩壊する可能性を指摘している。もしそうなれば、次にどのような政権が生まれるのか。さらには、反体制派はどのような新政権を思い描いているのだろうか。
MEKは10年ほど前から、自分たちは世俗的かつ民主的で非暴力の組織であり、イラン国内で広く支持されていると主張するようになった。
もっとも、アメリカの元高官やイラン問題の専門家の多くは、彼らが民主的だと称することにも国内の支持基盤の広さについても疑問を呈している。実際のところ、MEKの主張のほぼ全てが、否定と反論にさらされている。
MEKは1965年に、アメリカを後ろ盾としていた故パーレビ国王の王政に反対する学生を中心に結成された。マルクス主義とイスラム教という奇妙な組み合わせのイデオロギーを掲げ、イラン国王とその欧米の支持者に対し、初めて武力で立ち向かったグループでもあった。
1970年代に米陸軍大佐を3人、軍事請負業者を3人殺害し、数多くの米企業の施設を爆破したと、米情報機関はみている。米政府はMEKをテロ組織に指定した。
テヘランで拘束されたMEKの支持者(1982年) KAVEH KAZEMI-HULTON ARCHIVE/GETTY IMAGES
MEKは当初、イラン革命の最高指導者で、1979年に王政を倒したホメイニ師を支持していた。同年11月に首都テヘランで発生した米大使館占拠事件にも協力したが、ホメイニが人質を解放したことに反発して決別した。
1981年に蜂起したが失敗。指導者のマスード・ラジャビと妻のマリアムはパリに逃亡した。
一方で、1980年に始まったイラン・イラク戦争は、MEKが反体制派として再び台頭する機会をもたらした。彼らはイラクのサダム・フセイン大統領と手を組み、メンバー7000人をイラクに送り込んで軍事訓練を受けさせた。
MEKはイラクを拠点に、各地でイランの軍勢と戦闘を繰り広げた。1988年には政権転覆を目指してイランに軍事侵攻を試みたが、大敗を喫して3000人以上の兵士を失った。さらに、イランで拘束されていたMEKの政治犯数千人が処刑された。
フセイン政権に協力したことで、MEKはイラン国民の大半から裏切り者と見なされるようになった。1990年代に入ると、ラジャビ夫妻はメンバーの離脱を防ぐためにカルト集団的な手法を取った。
国際人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが離脱者からの聞き取り調査をまとめて2005年に発表したリポートによると、メンバーは離婚して子供を国外に養子に出すよう強いられた。家族に対する義務感が、戦いに集中する妨げになるとされたのだ。
2003年にフセインを倒してイラクを占領した米軍は、MEKを武装解除、イラクに残っていた3400人のメンバーを保護下に置いた。その年を最後にマスード・ラジャビの消息は途絶え、以後はマリアムがパリを拠点に組織を率いている。
■米タカ派を取り込む狙い
マリアムは米政府によるテロ組織の指定解除を目指し、2009年から数百万ドル規模の活動を展開した。指定を解除される前からMEKはワシントンで堂々と動き回り、対イラン強硬派に歓迎された。
ワシントンで派手なレセプションを開催し、著名な政治家や軍関係者に最大5万ドルの講演料を弾んでは、MEKが世俗的で民主的なイランを目指しているという主張を代弁させた。
彼らの講演者リストには、ボルトンやジュリアーニのほかにも、ブッシュ政権やオバマ政権の大統領首席補佐官(国家安全保障問題担当)や元司法長官、FBIとCIAの元長官、元統合参謀本部議長など、堂々たる肩書の持ち主が並んでいる。
「純粋にカネのためという人もいれば、イスラム共和国(イラン)が大嫌いだからという人もいる」と、安全保障問題を扱うシンクタンク、アトランティック・カウンシルのバーバラ・スラビンは言う。「敵の敵は味方というわけだ。何よりも(MEKは)カネを弾んでくれる」
フセイン(右)とマスード・ラジャビ(1986年) ARNAUD BORREL-GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES
なぜ、MEKは潤沢な資金を持っているのか。理由の一端は、以前の本誌の調査報道からうかがい知ることができる。イラク戦争終結後に発見された文書によれば、フセインはMEKに石油の売却を許可していた。具体的には、イラク戦争前の4年間に3800万バレル以上の売却が許されていたという。
MEKは、外国政府の諜報活動にとっても重要な存在になった。2002年には、イランのナタンズにあるウラン濃縮施設(当時はまだ秘密にされていた)の存在を暴露した。
それだけではない。2012年に米政府関係者がNBCニュースに語った話によると、2007年以降の5年間に、MEKはイランの核科学者を何人も暗殺している。そのための資金を提供し、暗殺者に訓練を施し、武器を用意したのは、イスラエルの情報機関モサドだという。
一方、イラクではMEKのメンバーが敵対勢力に殺害される事件が続発していた。これは、MEKを保護する役割を担っていたアメリカ軍のメンツをつぶす事態だった。
そこでヒラリー・クリントン国務長官(当時)は2012年、MEKがイラク国外に拠点を移せるよう、同組織に対する米国務省のテロ組織指定を解除した。テロ組織のリストに載っている限り、受け入れる国はないからだ。この国務省の措置により、MEKがアルバニアに拠点を移すことが可能になった。
しかし、テロ組織指定が解除されたといっても、MEKの性格や活動内容が変わったわけではない。「MEKは民主主義者であるかのように装うことに成功した」と、米国務省でテロ対策責任者を務めたダニエル・ベンジャミンは本誌に語っている。「MEKが変わったことを示す証拠は全くない......それに、イラン国内に支持者はいないに等しい」
一方で、MEKとその政治部門のイラン国民抵抗評議会(NCRI)の幹部たちは、このような見方を強く否定する。
「イランの現体制は40年間、嘘の情報を流し続けてきた」と、NCRIのワシントン事務所で責任者を務めるアリ・サファビは言う。「そのために莫大な資金をつぎ込み、欧米の有識者やロビイストの間に人脈を築き、反体制勢力を悪者として描いている。反体制派がイラン国内で支持されておらず、非民主的だというレッテルを貼ってきた」
現在、NCRIは「いくつかの反体制組織と約500人の有名な反体制指導者を糾合し、民主的で世俗的で核を持たない国づくりを目指している」と、サファビは言う。活動資金は全て、在外イラン人コミュニティーの裕福なメンバーの寄付で賄われているとのことだ。
もっとも、ほかの反体制組織の言い分は違う。彼らはMEKに足並みをそろえようと呼び掛けても、拒絶されてきたという。「気に食わない提案にはいっさい耳を貸さない」と、ある反体制組織のリーダーは言う(反体制勢力内の駆け引きに関する微妙な問題であることを理由に、匿名を条件に取材に応じた)。
■元国王の息子が抱く野望
トランプ政権がイランを経済的に締め付けるなか、ここにきて元国王の息子レザ・パーレビがイランの現体制に対する批判を強めている。自らのリーダーシップの下に反体制勢力を結集し、民主的なイランを築こうと主張し始めたのだ。
とはいえ、パーレビはワシントン近郊で生活しているにもかかわらず、米外交関係者の間での存在感は乏しかった。カリスマ性と決意に欠けるとの評も聞こえてくる。1980年には自らがイラン国王だと名乗る声明を発表したが、のちに撤回している。
1980年代に、アメリカの情報機関がパーレビにある提案を持ち掛けたことがあったという。米軍の支援の下でペルシャ湾のイラン領の島、キッシュ島に王政派の部隊を上陸させようという内容だった。だがこの提案に対し、パーレビがアメリカ側に最初に尋ねたのは、撤退戦略についてだったという。
それでも2018年後半以降、パーレビは存在感を増すべく複数のシンクタンクと会談。現体制打倒に燃える反体制派として自らが果たし得る役割を説明してきた。政治的移行の共通計画策定に当たって自分は反体制派のリーダーになれると、彼は考えている。既に亡命イラン人の科学者や研究者や専門家と共に、イランで民主主義政府が直面するだろう問題に取り組む「フェニックス・プロジェクト」を始動。だがイランを統治する個人的野心は全くないという。
パーレビの支持者は欧米に亡命した複数の王政派グループのほか、数は不明だがイラン国内にもいて、一部は2017年の反政府デモで王政回帰を訴えた。
過去数年、欧州の亡命イラン人が始めたイラン向け衛星テレビ局数社が、王政時代への郷愁を誘うようなペルシャ語の番組を放映している。だが王政のペルシャ優越主義を忘れていないイランの民族的少数派には、パーレビは今も人気がない。一方、イラン系アメリカ人は、パーレビが指導的役割を担うのなら、亡き父親の独裁的な統治とは距離を置くよう強く要請している。
ワシントン中近東政策研究所のパトリック・クローソンは、パーレビは英王室のように形式的な王室の役割を好むのではないかと示唆。「彼はエリザベス女王になることを望んでいる」と、アトランティック・カウンシルのスラビンに語っている。
■傍観を決め込むアメリカ
イランの反体制派のうち、実際に戦闘に従事してきたのは主に民族的・宗教的少数派(北西部のクルド人とアゼリー人、南西部のアラブ人、南東部のバローチ人)で、彼らは皆、自治を要求している。イラン情勢に詳しいNGO、国際危機グループのネイサン・ラファティによれば、これらの反体制組織はイスラム革命以降、政府機関への小規模な攻撃を頻繁に繰り返しており、イラン政府は彼らを中東地域の敵対勢力の支持を受けたテロ組織と見なしている。
反政府組織のイラン・クルディスタン・コマラ党はこの数年、率先してこうした組織の結束を図ってきた。現在の政教一致体制に代わる分権型の連邦政府を樹立し、民族的少数派の権利を憲法で保障するのが狙いだ。「いずれ現体制は確実に崩壊するだろう」と、党首のモハタディは言う。「その結果、イランが民族地域に分裂する事態は避けたい」
モハタディはトランプ政権に、反体制派と接触して今後の計画を策定するよう強く要請している。さもないと体制崩壊後にイラン革命防衛隊が権力を握るか、国が無秩序状態に陥りかねないという。「トランプ政権はイラン政府に経済的・政治的圧力をかけてきたが、本気で反体制派に働き掛けている様子はない」
実際、トランプ政権は今のところイラン反体制派とあえて距離を置いている。「イランの将来を決めるのはイランの人々だ」と、イラン担当特別代表のブライアン・フックは本誌に語った。「われわれは勝者と敗者を予想するつもりはない」
もちろん、状況が一変する可能性はある。イランの政権交代を目指す方針が明確になれば反体制派の価値は高まる。組織と資金とワシントンにおける知名度からすれば、MEKはその最たる例だ。イラン現体制に代わる選択肢としてMEKを除外しないとのトランプ政権の今年の決定を受けて、MEKが早くもトップに躍り出たと考える支持者もいる。だがボルトンが9月に電撃解任され、MEKへの風向きは変わりつつある。
今のところ、トランプ政権の対イラン政策は相変わらず経済制裁が中心だ。「イランの代理組織を弱体化させ、現体制が中東の不安定化に必要なリソースを欠く状態にするには、経済的圧力が必要だ」と、フックは言う。「目的を達成する道はそれしかない」
平和ではないが戦争もない今のイランでは、反体制派がリーダーシップを握る余地はない。イラン政府と米政府の緊張状態が続けば、くすぶる火種にいずれ火が付き、イランの政治が動く──それを期待するしかない。
そのとき反体制派は、そしてアメリカは、すぐ対応できるだろうか。
<本誌2019年10月29日号掲載>
【参考記事】米イラン戦争が現実になる日
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Explainer: What is the MEK, the Iranian opposition group?
MEKとは? Al Jazeera-YouTube