20. 2019年10月15日 00:02:46 : XQvSwM1dp2 : cGhVNWFYT2M1R0U=[9]
橋下の話を聞けば行政って、人を選別している様だ。
https://twitter.com/ggzhmru2/status/1183552293599186944
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/451.html#c20
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2019年10月 > 15日時分 〜
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https://twitter.com/ggzhmru2/status/1183552293599186944
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/451.html#c20
家庭菜園のアイデア吹いた
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/379.html#c4
待ちきれずに水を飲んでしまうのが貧乏人
先人がすでに知恵を与えてくれている
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/375.html#c3
日本が主張するラインを中国が認めているわけではないし。中国もアメリカもオーストラリアも大陸棚の端まで自分たちの経済水域だと主張している。日本側の日中中間線などお経のようなものだ。まあ主張はしておいた方がいいだろうが。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/459.html#c7
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019101400621&g=int
時事通信
2019年10月14日20時52分
【カイロ時事】サウジアラビア西部沖の紅海で11日に起きたイラン石油タンカーへの攻撃とみられる爆発で、タンカーの所有会社は14日、被害を受けた船体の新たな写真を公開した。写真は13日に撮影され、爆発に伴い海面より上部の右舷側面に開いた複数の大きな穴を確認できる。
★★★★★★★ ★★★★★★★ ★★★★★★★ ★★★★★★★ ★★★★★★★ ★★★★★★★
これも喫水線より少し上の穴だね。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/875.html
ある日突然、いつかのように、政権を放り出すか、破れかぶれ解散に走るか。期待を込めつつ注視しましょう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/455.html#c12
二階幹事長「被害まずまずで収まった」
安倍「人命第一、夜を徹して作業を」
気象庁予報課長「数十年に1度の災害可能性がある」
NHKアナ絶叫「命を守る行動してください」
関東地方整備局予告「夜半から関東五ヶ所のダムで緊急放流実施」
これらの発言を振り返って考察してみて意外な真実が透けて見えるような気分になった。まず二階発言ですが短い言葉に含みがあり、本心だと思います。今回の台風が米ディープの攻撃だと事前に感ずいていて福島級の惨事も想定していたのだろう。それであの発言が思わず出た。(あゝ良かった!)と心底おもっているのではないか。二階幹事長は小沢と同じ釜の飯で気脈を通じた穏健同志だ。いま安倍の懐にいるのは売国政治を主導するためではなく安倍のディープ傾斜の防波堤になっている。いざとなれば明智光秀にもなれる救国の志士である。安倍はディープに取り込まれ脅され洗脳されディープの奴隷から逃げられない。数十年に一度という台風の日に一言も発せずフランス料理店へ自分の意志で行ったのではなく、行かされたのだろう。台風についてマスコミに何も言うなと隔離された。安倍は人相からして悪人では無い。お人好しだ。馬鹿と呼ばれても怒らない善人だ。トランプがシンゾーシンゾーと親密で協力的なのも悪人でないことを見抜きディープから逃げられない事情をわかっているからだ。安倍が放った今回の発言にどこか決然とした響きを感じる。悟るものがあったか。人命第一、夜を通して、の言葉は重い。それを言い切った。気象庁予報課長の事前勧告「数十年に一度」、各TV気象予報士たちの「命を守る行動を」、これらは国民を脅えさせることを意図した発言と解釈して怒りの批判が多い。しかしそうではないのだろう。彼らは19号台風の真実を何らかの方法で知っていた。大惨事が人為的に計画されていたことを知っていたはずだが職務上自由に発言できない縛りと監視があった。「命を守る行動を」は、その状況で発することのできるギリギリの国民への訴えだったのではなかろうか。ダム緊急放流は確実な洪水スイッチである。「大量殺人命令」に等しい。朝になって中禅寺ダムや下久保ダムなど数カ所では直前で実施しなかったという報道があった。その下流はおかげで災害が回避された。現場が命令に従わなかった、という見方ができる。放流実施したところは多くの河川で洪水が発生したが、壊滅的な大洪水は起きなかった。洪水というより浸水程度で済んだ。緊急放流を決めたダム現場で葛藤が起きたというニュースもある。放流スイッチのあと現場技師の良心が働いたのかもしれない。壊滅的な大災害は回避した。二階幹事長のことば通り「まずまずで収まった」のである。
慣性の法則とな。これを口にした時点で、チミは単純な受け売り屋さんだってことがわかるのだ。
菊池誠は放射能安全教の教祖だが、慣性の法則を持ち出されて、虚を突かれたと言っただと?
いい加減な嘘をつくものではない。落下加速度が何gか、動画面で精度良く測れるもんではないと言ったんだろうが。
カルトを目覚めさせる義理はわしにはないんだが、ここまでは仕方ない。
忠告するが、とっくに論破された材料で何度も蒸し返すのが連中の手なのだ。騙されるな。いずれ脱した時に恥ずかしいぞ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/453.html#c23
当然 国民なんて 見殺しにするさ 、、、、
成長ホルモンで一気に太らせたトリやブタの肉を輸入しなければならない理由などない。安い油であげたフライドポテトに薬品漬けのハンバーガーなど短時間に食えるファストフードばかり食っていると多くのアメリカ人のようにブタになってしまう。デブの帝国(Fat land)になる必要はない。
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/383.html#c1
中国・習近平主席の夫人が“消えた”…謎が謎を呼ぶ https://t.co/FmaiAH4PJv pic.twitter.com/zHhnz6D5sc
— biz-journal (@biz_journal) 2019年10月14日
この笑顔は北朝鮮に共通している。
— 松本譲 (@MatsumotoJou) 2019年10月14日
民はつらい。
自分のパフォーマンスを高めて、長期に亘って、楽しみながら稼ぎ、ムダを避けて、効率的に消費することが当然の時代になったことを
速く理解した方がいい
そうすれば何の問題もないことがわかる
そうなんですよね。。
>絶望しかけている多くの日本人の声に耳を傾ける。
>庶民の声に耳を傾け、一緒に泣き、励まし合っていこうと勇気づける。
こうしたこと こうした精神は 本当に 大切なことで…
おとなの議論が理解できない中学生諸君は書き込み禁止だよ。
もっと勉強して「天動説」が間違っていたと気付いてほしい。
大丈夫、君たちはまだ若いから更生できるよ。がんばれ!
ユニクロの世界戦略、インド進出は何を意味するか? インド在住経験からインド人にとってのユニクロの位置づけなどをメインに書きました! https://t.co/NRU18NrgDN @wezzy_comさんから
— MinaMizouchi_溝内美菜 (@MinaMizouchi) 2019年10月14日
まんが日本昔ばなしより 引用しました。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=520
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔、里の女が鬼にさらわれ、やがて「できぼし」という男の子が生まれた。
ある日、里の爺さんが娘に会うために鬼の家に訪ねてきて、その晩は鬼の家に
泊まっていくことになった。しかし、美味しそうな爺さんを食べたくて仕方が
なかった鬼は、皆が寝込んでから長い舌を爺さんの方に伸ばしてはできぼしに
ポカリと叩かれ、を一晩中くりかえした。
翌日、鬼が出かけている間に三人はこっそりと里へ逃げ帰る事にした。
できぼしは家の中のあちこちにウンコをして、自分の代わりに返事するように
言いつけた。しかし、鬼がみんな逃げ出している事に気が付き追いかけてきた。
川をイカダで逃げていく三人を見つけた鬼が、川の水を全部飲みほすと
イカダは止まってしまった。腹がタブタプになって走って来る鬼に向かって、
できぼしが尻をペチペチと叩くと、思わず笑い出した鬼が川の水を
全部吐き出した。その水の勢いに乗って、三人は無事に逃げ延びた。
しばらくたった節分の夜、鬼ができぼしを探しに爺さんの家にやって来た。
家の軒に、やいかがし(焼いたイワシの頭)が刺してあるのを見た鬼は、
できぼしを焼いてしまったと勘違いして、恐ろしくなって山に逃げ帰った。
一安心した爺さんができぼしの頭を撫でると、できぼしの頭の角がポロリと
落ちた。それからのできぼしは人間の子供として幸せに暮らした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
誰でも 角は 取れると 思いますよ 。。。。
もっとも 鬼から 人へ 変わることは 進化かも 知れませんが
>家庭菜園禁止法などアメリカにもありません。
120%のフェイクニュースですね。
ただ、今国会(第200回臨時国会)で、
主要種子法案の復活法案が審議されているのは
事実です。
それを、国民民主党が提出した法案だから成立する、
と、フェイクニュースで煽っている、ということですね。
成立なんてするわけないけどね。
オノデラさんのデマ記事は、いつものこと、ではあるのですが。
プラスチック汚染が日本人を蝕む…コンビニ弁当を“レンチン”で化学物質が溶け出し体内に https://t.co/2MTwrw1yBh pic.twitter.com/IMuIcF9G61
— biz-journal (@biz_journal) 2019年10月14日
プラスチック汚染が日本人を蝕む…コンビニ弁当を“レンチン”で化学物質が溶け出し体内に https://t.co/rzWnkJypGR
— ⭐️会計ガール⭐️ (@bouekiman) 2019年10月14日
===
日本においても アメリカにおいても 腐ってくるのは 地方銀行からのようだ
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/371.html#c16
れいわは旧民進の面々が消費税減税を飲めないのは、とっくにわかっている
待てば待つほど、彼らが消費税減税に反対なのが、国民に明らかになるではないか
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/123.html#c5
<ウソツキしんちゃん>よぉ、あんたこれまで“何回”ラグビー観戦したことがあるんかい?<成蹊大学生時代>も<神戸製鋼社員時代>も含めて、正直に話してごらんよ?無理に「嘘つく」ことはないんだよ。<ラグビー>に興味なくったってどうでもいいことさ。
問題は、何でもかんでも「政治利用するために“嘘をつくな”!」ってぇだけのことさ。
「ラグビーワールドカップ」に興味を持っている国民は多めに見積もっても20%以下である。その傍証が、<電通独占捏造視聴率=0.7賭け>数値がイミジクモ証明してしまっているのである。今回の<テレビ視聴率瞬間最大風速>は24%台だが、<0.7掛け法則>に従えば、17%台が正確な数値である。
要はさぁ、国民の80%超が興味すらもっていない「ラグビー」をネタに四の五の言うこと自体が「バカの証明」なのである。
行け加えれば、<我がジャパ〜ン>のラグビー競技人口は、たったの11万人弱である。総人口に対する「ラグビー率」は僅かに0.08%であり、だから“外人補強”をしなければ成り立たなくなっているのである。
そうした事情・経緯を何ら解説することなく、<ジャパ〜ン・マンセイ!>を痴呆の如く繰り返す<バカメディア>こそが諸悪の根源なのである。
最後に、断っとくけどさぁ、オイラはチャキチャキの“ラグビーファン”を自負している。文句がある奴はいつでも掛かって来なさい!
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/463.html#c6
正体見たりでしょ❗❗❗
— 櫻子 (@yui20110719) 2019年10月14日
次はこいつら政界から追い出して❗❗❗政治を国民の手に取り戻そう❗❗❗
安倍首相が台風被害拡大の中「ラグビー」勝利に大はしゃぎツイート! 「夜を徹して救助」命じながら自分は私邸に帰り試合観戦 https://t.co/LCSNMJsZWP @litera_webから
単に無責任とかのレベルじゃない。国民を人間とは思わない冷酷な安倍晋三とその取り巻き一味!もはや狂っているとしか思えない!
— ヌーちゃん Save Japan from Shinzo Abe運動展開! (@nuuchan) 2019年10月14日
安倍首相が台風被害拡大の中「ラグビー」勝利に大はしゃぎツイート! 「夜を徹して救助」命じながら自分は私邸に帰り試合観戦 https://t.co/H3kxbrtBCR @litera_webから
KelseyさんはMessengerの仕事をしながら、厳しいNew York Cityで誰にも頼らず、生きている若い可愛い!ステキな人だ。
Kelseyさんも不注意なドライバーに気を付けて欲しい。
彼女の回りの友人達も明るく、弱音を吐かず、強く、ポジティブで、いい奴ばかりのようだ。
FacebookのZさん式にいいね!
と、いい気分で打っていたら、
又、創価学会集団ストーカー糞の訪問だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/427.html#c9
・社民党、共産党などの左派政党の消滅
(奴が左に寄って見えるのは、左潰しのため)
・小選挙区制では党首が絶対の権力を握っているので、
このまま保守の二大政党制が実現されれば、
国会はたった二人の人物に牛耳られることになる。
小沢一郎の目的は「国会つぶし」といってもいい。
これは結局、民主主義の死でもある。
要するに、小沢一郎も「日帝主義」の犬に過ぎない、ということ。
分かる奴には分かるが
「新生党」や「新進党」「自由党」なんていう党を作った、
ということは、奴もファシストであることを示している。
左に寄ってるのは完全に偽造。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/466.html#c17
ということは今のうちに家族や財産は全部国外に隠し
告発者になりそうな人は暗殺しておかなければならなくなったとしたら
これからの政府による告発候補者狩りが見ものとなり、
日本での韓国政情報道は続くのだろう(これじゃ北朝鮮粛清報道と同じか)
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/526.html#c13
以下、911事件とエンロン事件の関係
「エンロンが示したアメリカ型経済の欠陥 」(田中宇、2002年2月11日)
https://tanakanews.com/c0211enron.htm
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/453.html#c26
山本太郎さんが 国会という場に入って感じた本当に正直な恐怖や危機感などは
まだ 国民には はっきりと現実化して明確に わかるところまで まだまだ 来ていないのではないかと…
(全国民に 明確に わかるところまで 来てしまったら とっくに遅いと思うのですが…)
自民党の憲法草案…
権力の暴走を止める 最後の砦 であるはずの憲法なのに
それを 逆にして 国民庶民を 縛る 最高法規にしようとしていたこと
こうした 今の 自民党の 恐ろしさ 危険性…
そして 既に通ってしまった (いわゆる) トンデモ法
と呼ばれる 法律の 数々…
それらの 政治プログラムが 1億2000万人の人々の頭のなかで 動き始めたとき
その先の未来に どんな危険性があるのか どんな未来へ向かって行ってしまうのか
どんな 怖い社会になってしまうのか
おそらく 山本太郎さんが 感じた 本当の恐怖は
消費税や 奨学金や 時給1500円などよりも
ずっとずっとずっと 深いところに あると 思うのです
同じ恐怖を 自民党の憲法草案には 自分も 感じましたから…
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/421.html#c37
こういうアイディアは古くからあり、105mm砲を搭載したac130の例がある。
あれをはるかに簡単、安価、ゲリラ的に運用可能にした装備で、画期的なのは航空兵力を運用する敷居の低さだ。
今やコンビニが三越を克し子供がミサイルを手にする。
もはや空の寡占は崩れた。
政府などはドローンを禁止しようと必死だが、あれは逆にドローンをどこでどのように使えば効果的なのか宣伝しているようなものだ。
技術的、資金的な寡占性が崩れ、空の優位性が子供の手にも解放された。
後は実行の動機が有るか無いかでしかない。
日本は アメリカほど ひどくはないが 金持ちが 4000万のまんしょんを買うと
最大520万円ほど プレゼントしている
アメリカは 貧乏人に全額 銀行経由で 貸し付けたのだが 日本では 政府が直接 国民に配っている
===
アメリカでは 最終的に リーマンショックが起きて 結局は FRBが くず債権を購入したのだから
アメリカ政府が 貧乏人に 金を与えて 住宅をプレゼントしたことになるのだ
今は 庶民が 自動車が買えるように お金を貸し付けていて 貸し付けた 脆弱な銀行から
アメリカ政府は ボロ債権を購入して お金を庶民に 配っているところだ
===
愛は だから そんなことをしなくて ベーシックインカムで 直接 国民に
配っても まったく同じだと言っているのだ
アメリカにしろ 日本にしろ 住宅や車に 特定して金をバラ撒いているのだが
BIなら その金を何に使おうが 庶民の勝手にしたほうが お金の有効活用になると思うからだ
===
アメリカも日本も 住宅と車だけに 金を出すのなら ソ連の統制経済と何ら変わりはないではないか!!
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/371.html#c17
ということは津田とかは政府(愛知県?)の太鼓持ちだったということなのか
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/457.html#c25
問題は千曲川周辺の元田園地域に住宅建設を許可した自治体にありそう
(特養ホームだって元農家のあったと思われる一段高い土地に建設されていたから
孤立はしたものの水害には合わなかった
低地に住宅建設許可を出した役所が悪い)
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/454.html#c4
これからの政策としてはそういった「村」を周囲と合併させて健全化することが重要なのか(そうなると金の回ってこない住民の反対が増えて核施設はまったくできなくなる?)
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/468.html#c14
私は 山本太郎サー の 主張のほうが まともだと 思う !!
◆参照情報
2017.12.7 内閣委員会「公務員をふやせ!」
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/7676
>先進国の人口一万人当たりの公務員数で見てみても、日本は公務員が
少ないんですね。フランス、イギリスは日本の三倍以上いる。
アメリカ、ドイツは日本の二倍以上公務員がいる。日本は余りにも
小さい政府、十分に小さい政府であると。一握りを除いて、公務員の
給与がべらぼうに高いとは私は思わないんです。公務員でない職種の
給与が余りにも低過ぎることが問題であって、企業のために労働者の
半分近くまでを安価で長時間使える不安定労働をここまで
拡大してきたんだから、これからは逆の方向を目指さなきゃ、
これ、少子化なんて改善できないと思うんですよね。
大臣にお聞きしたいんですけれども、公務員、今よりも増やすべきだと
思われませんか。少なくとも、安定した職業としての公務員の枠、
拡大すべきと考えるんですよ。例えば、全職種で年収百万円以上、
全職種と比べてみても収入が少ないと言われているような保育だったり
介護だったり、ほかにもいろいろあると思います、事故原発で
働く方々だったり。本当は旺盛なニーズがある分野、職種にまで
安定雇用としての公務員枠を広げる必要が、国難突破のためにも
景気回復のためにも、私、今必要なんじゃないかなというふうに
思うんですけど、いかがお考えになりますか。
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/363.html#c21
論座:核燃料サイクルはマネーもぐるぐる回る - 佐藤章 https://t.co/d2zaEIKmuw 六カ所村には、村発注の公共事業を受注する土建業者がやたら多かった。元村議によると、談合で入ってくる利益で生活費などをまかない、議員歳費を買収資金に回すという構造だ。 #ss954
— 金環蝕 (@oh__muku) 2019年10月14日
“まずひとり5万円に上げるんだ。それから、告示と同時に不在者投票させる。車に乗せて投票所まで同行して、投票箱まで付き添うんだ。その間に、投票用紙を脇からのぞき込む。”
— あるこいりす🌈🍀 (@losangelitos888) 2019年10月14日
https://t.co/Jtp7B066mR
大問題、と反応する良識を失いかけている。怒る気力が湧いてこない。「カネが回るんじゃしょうがないなー」とか思ってしまう自分を潰していかなきゃいけないのだけれど。 https://t.co/zqBsbOU3Bg
— 夏井孝裕 NATSUI Takahiro (@futodoki) 2019年10月14日
その危険や問題をすぐに理解して、適切な行動を取れるのではないかと思うのです。
どうして日本人は、こんな初歩的なことで流されて 退行してしまうのか わからない
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/421.html#c38
そういったフレコンの横で農業をやっているわけで。
本来だったら、専用の容器に入れ、保管庫で厳重に管理しなければ
ならないレベルの放射能汚染物だ。
https://twitter.com/2488uA/status/1054795625433190400
(2488usagi)
これが福島の現実。除染作業で出た汚染土壌のフレコンバッグが
積み上げられている横での稲刈り。
福島県の検査は
・汚染の酷い主産地の検査が避けられている。
・仮に基準超が見つかっても出荷制限も出荷自粛もされない。
・他県に比べ低く出る。
などの特徴があり福島県の検査では安全は担保されません。
11:04 - 2018年10月23日
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/177.html#c15
、、、、、、、。
ということは安倍工作員こそデモを非難する。
ネトウヨは反中国というか反共だから自動的にデモを支持する。
どちらもバイアスがかかっている。
後者は幸福の科学だろうな。
自民党の対中人脈の錯綜を知ってたらわかるが右翼思想の中共支持(デモ非難)というのはむしろ自民の本流なんだよ。
そして普通の人なら中立するはずだ。
民主主義は大事だが、普通、それだけでサボタージュなど起こすかという疑問があるからだ。
まして元を正せば原因は犯人引き渡し条約の可否であって、どうして学生たちが犯罪者の引渡しに反対するのかわからない。
加えて正直、どうでもいい。
香港よりもまず日本の問題が先だからだ。
外国のことはその国の人が考えるだろう。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/127.html#c5
(終)、、、、、、、、、、、。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/118.html#c28
(本当に、本当に、本当に、終わりです)、、、、、。。。。。
>4
物語的には面白いが、船酔いで苦しむ船長くらいの事はどうでもいい。
味噌もクソも一緒くたにしないこと。
適材適所、吉野の桜も寒には観られないからな。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/103.html#c13
団塊ジュニア世代が40代後半になり、出産期の女性が減るというのは
以前からわかっていたことで、当然、推計には折り込み済みなはずです。
なぜ予想がはずれたのか、例によって専門家がもっともらしい理由を挙げていますが、
これはまちがいなく放射能被ばくの影響でしょう。
大本営発表ですから、実際の出生数はもっと少ない可能性もあります。
放射能被ばくによる影響が最も深刻なのが生殖器官です。
チェルノブイリ原発事故後、ウクライナやベラルーシでは不妊や流産・死産が激増しました。
日本でも全く同じことが起きているのはまちがいありません。
不妊どころか、勃起不全や性交痛で夜の生活もご無沙汰になっているカップルも多いようです。
また抗がん剤治療は生殖器官への影響が大きく不妊になる可能性もありますし、
がんで卵巣や子宮を摘出し、若いのに子どもが産めなくなった気の毒な女性も増えています。
原発事故が起きると人口が急減するのは、単に死亡者が増えるだけではなく、
出生数が減少するからでもあるのです。
まさにダブルパンチです。
日本政府はそれを知っているのにもかかわらず、何の対策もしません。
これから日本の人口は恐ろしい勢いで減少していくでしょう。
(関連情報)
「首都圏における早産の多発―将来は、男性はインポ・無精子症、女性は若くして閉経
or70歳で乳が出る」 (阿修羅・ポリーテイアー 2011/10/28)
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/781.html
「福島原発事故のこれから チェルノブイリ隠された男女生殖器機能不全の実態(1) (週刊実話)」
(阿修羅・赤かぶ 2012/4/11)
http://www.asyura2.com/12/genpatu22/msg/723.html
「性交痛に悩む女性が増えている 子宮・卵巣がんが原因であることも 迷わず病院へ」
(拙稿 2018/11/20)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/569.html
「性欲減退、勃起不全(ED)に悩む男性が増えているようだ 被ばくが原因であることは確実だろう」
(拙稿 2018/11/15)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/555.html
「生理痛、不正出血などの婦人科関連の異常が増えている おかしいと思ったら迷わず病院へ」
(拙稿 2016/5/10)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/645.html
「精巣(睾丸)がんに御注意 自分で触れて左右の大きさ、硬さを確認しよう」 (拙稿 2016/9/21)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/496.html
「政府は人口統計を改ざん、人口急減を隠している」 (拙稿 2017/4/20)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/799.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/183.html
我が国の、やんごとなき
心清き幼子の如き首相は
良いことにしか、
目も、耳も、心も向きません。
気高く美しい、神仏の化身です。
災害を関心を向けよなどと、
畏れ多いことを考える者は、
正しい日本人として首相に認めて貰うという永遠にも勝る誉れを得ることは
決してないでしょう。
哀れなものだ。ザマーミロお尻ペンペンヘ〜ンだアッカンベェ!
笑笑笑
と鈴のようなさやけき御声で言われるだけですよ。あ、それすらあなた方には勿体ないですね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/467.html#c22
そこでは最適信号近似理論はどう役に立ったのだろうか
果たして日本の学者さんはこの点に今後言及するだろうか
緘黙だろうか
それともこの板が事実上終わるのだろうか
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/179.html#c24
精神年齢÷実年齢×100=IQ という式が確かにあったが消えてます。
無駄な足掻きをしてるねー。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/385.html#c22
たとえ、スポーツに興味があっても全人生賭けてるのはプロの選手だけだろう。
普通の人間は休日に軽く楽しんだりする程度でいいのだ。
見るだけのスポーツばっかりで盛り上がるってのももなんか不健康だ。
じーっとしてテレビでスポーツ観戦なんかしてばかりより、自分たちで下手でもピンポンでも軟式テニスでもやってた方が体のためにはなるだろうに。
「観客」としてプロのプレーを見るばかりで、“勇気”や”元気”を貰ってばかりじゃなんか、疲れるわ。
政治の方も”選良”たる議員に任せて国民なんぞは「見る専門」でいればいいということなのかしれないけど、国会質疑を見たって勇気も元気もとてもじゃないが出てこないぞ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/463.html#c7
ガソリンだって二重課税である。
富裕税は導入すべきだ。
法人税が安すぎるな、、、法人は社会資本の設備を利用し活動しちるのだから、、、
あまりにも安すぎる。
貧困が続くと、貧困民革命だ! 続いて起きるは、戦後の財閥解体同様、資産没収だ!それでも良いのか?
公平公正に、目を配っていない社会は腐敗し崩壊します。
安倍政権は、腐りすぎている。
政治家ヨ!公平公正に勤めないと、選挙で落とす!
虚心坦懐、足元見て政治活動しなされよ!
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/384.html#c1
9.11の陰謀論のウソ
https://ameblo.jp/takejiro1968/entry-12308944260.html
ユーチューブ、地球平面説や9.11陰謀論を推奨動画から排除
https://www.afpbb.com/articles/-/3208196
【陰謀論を完全論破】今世間で信じられている陰謀論は全部ウソ!陰謀論に騙されるのはただのバカ!?
https://matome.naver.jp/odai/2154788152652462901
______________________________________________________________________________________
まあ 「911陰謀論 ウソ」 これで検索すれば こんなサイトはうじゃうじゃ出てきますからお試しを。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/453.html#c27
すなおな頭なら、むしろ、「飛行機衝突による崩壊」こそ、まったく信じられない。
ただし、米政府もしくは裏権力側による爆破計画説を言うにしても、あまり話を広げない方がいい。
あまり広げると、机みたいなのが出てきてあーだ、こーだとごねりだす。
第7ビル崩壊のおかしさだけ突いていればよい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/453.html#c28
SNSという世界的大衆情報システムはきわめて安直に壊滅操作可能
であることが証明された
ネットの崩壊 こんなことが現実に でも、多くのサイト
潰れてしまった
たった一人の日本人のために
選挙で大苦労している人は何に苦労してるのだろうか
あの奇妙な展覧会ネットでいまは誰も振り返りもしない
味噌汁階段少女像の衝撃的デビュウ
こんな大笑いシステムをまるで天下でも取ったかのように
世界革命だとはやしたマスゴミって一体なんなのか
単なる馬鹿じゃん これじゃ
何がガーファか聞いて呆れる
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/179.html#c25
夢ちゃんはこれを証明した
ネット社会は終わった
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/179.html#c26
要するに、格納容器の底が抜けて、融けた燃料は地下深く
落ちているということ。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/179.html#c27
それは危険 何故 そんなに深く潜ると、
そのうち爆発する 汚染水が まさか
第一、それが危険なら、地下深く潜っていってる
なんだっけ、なんとかさん、悠々寝ん霊さんも
危険ってことになる
ワイヤー伸ばして、どんどん どんどん 深く
そこを掘って汚染水をそっちに流したらいい
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/179.html#c28
それは、まったく、そのとおりだ。安倍さんを支持した国民は、だまされた。
そのうえで、さらに、だました犯人探しをすると、自民党議員だとか、野党ではなく、安倍人気を隠れみのに消費税を上げた犯人は、財務省を頂点にする官僚利権だよ。
この国は、官僚利権で、がんじがらめに搾り取られる構造になっている。だから、政権交代しても、革命を起こしても、無駄だ。官僚利権の社会構造をぶっ壊さなければ…
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/423.html#c30
これは自治体も農家も怒っている。 さらに輪をかけたモンサント独裁独占させる
悪魔の法を通そうとしているなんて!!!
モンサント(バイエルが買収)のラウンドアップなんて他の先進国ではお断りで禁止なのに 日本は規制なし。
世界の流れを汲んでダイソーがグリホサード系除草剤を取り扱わなくなったそうだが
安全だみたいに宣伝しているようだが、世界では安全でないと禁止されてるのだ。
ラウンドアップなどのグリホサード系の除草剤は 使わないでほしい、
友達の愛猫が死んでいた。と聞いた。 車にはねられたのでもないので
どうも除草剤のついた草を食べたようだ。
ペットが死ぬようなものを そこいらに撒くな!!
また農業に使うなど 言語道断である。
小麦粉からもグリホサードが検出されてるそうだ。
パン好き お菓子好きには悲報である。
とにかくモンサントは人減らしのための悪魔の企業である。
モンサントの種は 遺伝子操作されていて 子孫を残さない、1代限りで
そのため毎年 モンサントから種を買わなければいけないのだ。
そんな1代で死んでしまう自殺種のみを買わされる それ以外の種で栽培すると
10年以下の刑
1000万円以下の罰金とは もう キチガイ沙汰の法である!!!
もう絶対 安倍を許さん!!!!
日本の最強の八百万の神が 安倍を許すわけがないが。
その前にTVばかりみてゲームやってボケてる国民が目を覚ますように 神が安倍を放置しているのだろう。
これで目を覚まさなかったら、日本は本当に腑抜けの国で
神にも見放されて地獄へお陀仏である。
日月神示にもあるように
日本人が目を覚まして 外国の悪と戦い(精神的な戦争であるが民衆の行動力が必要)ぐれんとひっくり返す1厘の仕組みがあると言っている。
そこに神の力が働くのだろう。
日本の神様は最強の神 正しい事には神の力が働く。
(外国の悪とは石屋の仕組み(ディープステート=安倍政権はその手先)日本はそいつらにもう立ち上がれないと思われるところまでめちゃくちゃにされる と言っている。)
1厘の仕組みが 発動するかしないかは日本人一人一人にかかっていると思う。
それで ぐれんとひっくり返って世界を天国のようにすることができるのかもしれない。
そうなったら 日本すごい!!と言えるよ。
まったくその通りで、それは赤旗をかついでメーデーに参加したおマエさんも同類で、自民支持者を保守だとか、資本だとかのレッテルを張りつけて、野党支持者に革新だとか労働階級のレッテルで色分けするのは、まったくの時代錯誤、ナンセンスに尽きる。
3割の得票の自民党が6割の議席を占める理由なんて、どうでもいい。議席数が、どう変わろうと、政治がこの国を支配できるわけではない。この国を動かしているのは、官僚利権だよ。霞が関の官僚組織が、この国を動かかしているから、選挙結果はどうでもいいんだよ。
民主党の三バカ三年で、よ〜くわかったんじゃぁなかったのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/460.html#c15
へ〜〜っ!! 知らなかった…
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/412.html#c11
じゃぁ、民主主義憲法の最初の第一章になぜ天皇条項が記載されているのか?
その理由を教えてくれ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/326.html#c19
・・・なんぞ、洗濯しながら暇つぶしに思ってるのも勝手だよwww。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/453.html#c30
通常、コピー用のCD−Rといえばせいぜい150円程度、それもまとめ買いすれば100円ぐらいというのが”おおかた”の相場というものだろう。
それが、10枚セットの消費税込みで7,980円のCDーR(CDR−80SPMPT)をネットで見かけた。つまり1枚約800円なり。最近では録音済みのCD原盤が500円程度で売られている場合もあるので随分と割高な勘定。
しかし、これだけの値段をつけている以上よほど性能に自信があるのに違いない、一度購入して試してみようかとすぐに食指を動かすのが「オーディオ愛好家」という人種。早速注文したのはいうまでもない。
とりあえず、オーディオ仲間のM崎さんに「1枚800円の高性能のCDーRを知ってますか?」と、やや自慢げにお訊ねしたところ案の定、ご存じなかった。
しかし、M崎さん、返す刀で「おそらく値段ほどの差はないんじゃないかな。多分そういうCD盤はエッジを丸くしてあると思うが自分の場合は独自に工具でエッジを丸くしているのであえて購入する必要性を感じない」とのこと。
ウーム、そうきたか!
いつぞやのブログでCD盤の円周部分の90度に角ばったエッジが高速回転時にレーザー光線を乱反射して音質にマイナスになるとの話を投稿したことがある。
爾来、回転ドリルを使ってヤスリなどで工夫して小まめに手持ちのCD盤のエッジを丸くしてきたところだが、このCD−R盤は最初から丸くしてあるとなると相当に音質を研究したメーカーに違いない。
さて、注文したCDーRが届いたのが29日〔日)の午前中。丁度、図書館に出かけていて留守中だったのでカミサンが「代引き」で受け取っていた。
「マズイ」と思ったが、まあ1万円以内の買い物だからと大目に見てくれたようで小言なし、別にご機嫌の方も悪くなさそうでホット一息。
しかし、自分の「小遣い」で買うのに何でこんなに気兼ねしなければいけないんだろう?
それはさておき、早速、封を開けて真っ先にエッジ部分を確かめたところ記録する面の円周部分を見事に丸くなめらかに加工してあった。さすがによく「分かっている」メーカーである。また盤面にもきちんとシールが貼ってある。微細なゴミの吸着を予防したものらしいが極めて念の入ったつくりといえる。さすがに高価だけのことはありそう。
「記録面に貼り付けてあるシール」
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f5/ae500b415455f372b4be80fdffcf2641.jpg
さ〜て、あとは肝心の通常の価格の約5倍の値段と性能とがつり合うかどうかの確認。
こればかりは実際に音声信号を記録して確かめる以外に方法はない。夕食後に早速作業にかかった。
こういうときに助かるのが「iTunes」。
先般、パソコン用の外付けCD−Rドライブを購入したのをきっかけに「iTunes」をジャンルごとにきれいに再整理していたのでCDーR盤作成用の「プレイリスト」の編成もお手のものとなった。これも次の解説本のおかげ〜。
「iPodパーフェクトガイド2010」(2009.10.26)
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f6/4eff107a41657ab1607f9f8c8fad9eb7.jpg
そして、試聴の対象はM崎さんのご希望に沿って内田光子さんが弾く次のCD盤に決めた。
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ30番〜32番」
ベートーヴェンの後期の作品はひときわ高い山を仰ぎ見る感があるが、そのうちでもこれは白眉とされる作品。
長年にわたってこの曲目は「バックハウス」の演奏にトドメをさすと思ってきたが内田光子さんの演奏はどうだろうか。以前聴いたときとは装置も様変わりしているので新たな興味が湧いてくる。
ともあれ、まず、外付けCD−RドライブでこのCD盤を「iTunes」に取り込んで1と2の作業へ移る。
1 「iTunes」から4倍速で通常の音楽用CD−Rに収録
2 「iTunes」から4倍速で今回のCD−R(80SPMPT)に収録
3 原盤
以上の3種類のCDを比較試聴してみた。
試聴のポイントは、とにかく3が出生地なのでこれに1と2がどれだけ肉薄できるかということに尽きる。
使用するCDトランスポートは「ワディアの270」、DAコンバーターは「ワディア27ixVer3.0」だから、まあ不足はあるまい。
まず1を聴いてみたがやや響きが少ない印象を受けたものの充分鑑賞できる範囲。
次に2を聴いてみたが、これがあまりの違いに愕然。ピアノの響きがまったく違うのである。粒立ちの良さというか、磨きぬかれた一音一音が立体空間の中をゆったりと漂っている気配がして思わず鳥肌が立った。まるで振るいつきたくなるような音。
途中でCD−R盤をトレイから引き出すのが惜しくてとうとう30番と32番をまるごと聴いてしまった。これほどの名曲と名演奏と名録音に正面から対峙すると何ものにも替えがたい至福の時間となる。
改めて内田さんの演奏に大感激した。女流なのに(?)この深遠なソナタをこれだけ弾きこなすのだから何も言うことなし。本当の美は人を沈黙させる!
もう「音質の比較」なんてどうでもいい気分になったが、このブログを仕上げる以上そうもいくまい。
この音質なら800円でもすっかり納得。いやあ、参りました。
次に3を聴いたが2との差はごくわずかで、よほど注意しないと違いが分からない。3の方がやや音階が明瞭になる程度。
翌日の30日(月)は先日お借りした「大地の歌」のCD盤3枚をお返しに湯布院のA永さん宅に直行。ついでに上記の3枚のCD盤を携行したのは言うまでもない。
ウェスタンの「555+15Aホーン」が朗々と、憎らしいほどに”ふてぶてしく”鳴っている中、これら3枚を一緒に試聴したところA永さんもあまりの情報量の違いにビックリされていた。
A永さん曰く、3が10点だとすれば2が8〜9点、1が4〜5点とのこと。自分もまったく同感。
これからは、歌謡曲やポップスのコピーは普通の音楽用のCD−Rで十分だと思うが、クラシックはダイナミックレンジが広いので「SPMPT」のCD−Rに限ると思った。
それにしてもこのCD−Rはどうもエッジを丸くしている以上にいろんな工夫をしているように思える。そうでないとあんな豊富な情報量は湧き出てこない。
改めてネットで検索してみると次の情報があった。興味のある方は「CD−R SPMPT」をクリック。
とにかくどんなに値段が高くても性能が見合うと思えばまったく損した気分にならない。このCD−Rが今後ますます普及して、いい音質がもっと楽しめるようになれば音楽愛好家にとって実に喜ばしいことと思う。
追伸:12月2日〔水)
オーディオ仲間の奈良県のM中氏からメールをいただいた。要旨は「「iTunes」を経由して”取り込み”と”書き込み”を行うと2回の変換となる。それよりも、別のソフトを使って両者を同じレートでもってコピーする方がずっといいのでは」とのこと。あくまでも”音質にこだわる”のなら”そうすべし”と納得。貴重なご意見ありがとうございました。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9d7db1741dc81deeedd23ea93ec489b6
▲△▽▼
オーディオ談義〜「マック」は「ウィンドウズ」よりも音がいい?〜
「音楽&オーディオ」の小部屋 2009年12月03日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bf9eae5572a8ad95605ddacbb3500234
前回のブログで投稿した「1枚800円のCD−R」の衝撃が冷めやらぬ間にオーディオ仲間のM崎さんがご来宅。(12月1日の火曜日)
ちょっと”しつこい”ようだが、さらに込み入った音質実験をすることになった。
なお、蛇足になるがこの種の実験は少しでも「いい音」で「音楽」を聴くことで、より一層深い感動に浸りたい趣旨のものであり、決して「音キチ」になる積もりは毛頭ないので念のため〜。
さて、自分は現在、ウィンドウズのパソコンを使用しているが、M崎さんはマックを使用されている。ご存知のとおり「iTunes」と「iPod」、そして「マック」の本家本元は「アップル社」である。
したがって、「iTunes」がらみの音楽づくりは音質の良さも含めて「ウィンドウズ」よりも「マックに一日の長がある」とは巷間、流布されている話だがそれも併せて確認してみようというわけ。
実験に使う材料は次のとおり。
☆ 曲目は内田光子さんが弾くベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ31番の第一楽章」
☆ CDトランスポートは「ワディア270」、DAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b8/00ed9bbdc80b5302384b46dcd3f2594e.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e0/75663ca65f4d1d274747b7d22d38b24e.jpg
☆ 「iPod」と「ワディア170iトランスポート」(「吉田苑」の電源を使用)
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/87/9f179ebee0ae92586273d608a1844f31.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/9a/7c06f14386a0006b27d12c791f1edb3d.jpg
CD−R盤は次のとおり。
1 マックの「iTunes」で8倍速でコピーした通常の音楽用CD−R
2 ウィンドウズの「iTunes」で4倍速でコピーした通常の音楽用CD−R
3 ウィンドウズの「iTunes」で4倍速でコピーした高性能の「SPMPT」のCD−R
4 原盤
最後に、4と比較するため
5 「iPod」と「ワディア170iトランスポート」による再生
特に4と5の比較は興味深い。110万円のCDトランスポートと6万円の「170iトランスポート」との対決。
まず、最初に基準となる4の原盤を10分ほど試聴して音質を耳に叩き込む。
次に3へ。「ほとんど4と変わらないな〜」とM崎さん。「そうでしょう〜」と自分。
次に2を試聴。「かなり落ちる」というのが共通した感想。
そして1を試聴。「3よりは落ちるものの2よりはいい」というのが結論。大方の予想どおり「ウィンドウズ」よりも「マック」の方がいいことを確認した。もっとも、断定は禁物で「この条件下のもとでは」という但し書きつき。
最後に、4と5の比較に移ったが両者互いに拮抗しているのに驚く。値段の差を考えれば驚異的である。強いて言えば5がやや音の重心が上がるようで、高域に華やかさがある代わりに落ち着きのない音になる。
最近「オンキョー」から出ている15,000円程度の同種のトランスポートのほうが「ワディア」よりも低域が充実しているとの話だが別付けの電源部が発売されるともっといいのだが。
いずれにしても、万一「ワディア270」が故障しても「170iトランスポート」で充分代用ができそうなのがうれしくなる。CD盤さえあれば「iTunes」に取り込んで「iPod」に同期させれば簡単に聴けるんだから。
以上の実験を通じて、今後の方向としては明らかにCDよりも「iPod」などを利用としたデジタル・オーディオへと歩みが速まることが予想される。将来「配信音楽がタダになる時代」がやって来るが、そうなればなおさらである。この辺は次の資料を使っていつぞやのブログで紹介したことがある。
「2008年7月29日号:エコノミスト誌」
したがって、いずれウィンドウズとは別に音楽専用のパソコンとして手ごろなマックを購入するのも一案という気がする。少なくともCDプレーヤー(トランスポート)を買い直すよりはずっと合理的。
「圧縮の少ない良質の配信音楽 → マック → USB端子と接続できるDAコンバーター」が主流となる時代がやってくるとなると、いつまでも「パソコン嫌い」を通すわけにもいかないか。
やれやれ・・・。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bf9eae5572a8ad95605ddacbb3500234
私も非科学的だ思うよ。
で、科学ってなんだろう?、って考えるのですが、私は自然科学にしても社会科学にしても、ある事象が起こるのは、それを起こす、何らかの「原因」があるからだと思っています。だから、その「原因が何か」を追求していくのが、科学ではないかと思います。また同時に、ある「仮説」を立て、その仮説が正しいのかどうか、実験し、証明していくこともまた、科学だろうとも思います。
例えばの話、21世紀になっても、宗教を信じている人たちがいます。ある人は「人間は、神によって創られた」と主張します。私なんかは「そりゃ逆だろう」「人間の頭脳が、神を創ったんだろう」と考えるのです。
確かに人間の生活は、古来より自然の影響を受けてきました。つい先日の台風にしても、地震や津波、火山噴火、日照りや大雨といった自然現象は、太古からあったことです。それらは、けっして人間自身が創り出したものではありません。だからこそ、人間の手の届かない自然現象に対して、「それを起こす何かがいる」と考え、「絶対的なもの」つまり、「神」を創造したのだと思うのです。そして、人間の創造の産物であるこの神は、その時々の権力者の支配の道具として利用されてきたのだのだと考えています。
恐らく、科学技術の発展は、こうした「神」をも不必要なものとして、過去の歴史の向こうへ追いやっていくのだと思います。
いつから政治は経済戦争だと大衆が認めたのか、これがキモだw税金で食ってるただの代弁者が、私企業の利得争奪戦の支配者になっとるw根が深いぞえ。なまじ大衆も、悪知恵を吹き込まれたもんで戦地拡大と複雑化が著しいwww。
【 どう転んでも金融資本主義カルトから、先へいけないリアル社会だ 】
・・・どっちに転んでも、経済全体主義独善やんかさw マンマ経団連だわな。これ、2年以内にやらんとガラガラぽん♪wに間に合わないって断末魔の悲鳴に聞こえるわ。小沢さんが若いころの志のままに生きても、時間の経過・時代は冷酷だわな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/466.html#c20
菅義偉「詳細について申し上げる事控えたい。」
平野啓一郎氏「「控えたい」とかいう勝手な言い草がどうしてまかり通るのか。「〜したい」と言うのは勝手だけど、それが相手に受け容れられるかどうかは全然別の話だろう。こんな大事な質問に、答えないで済ませられるわけないだろう。無能。」
https://twitter.com/hiranok/status/1183670333271764992
最近の安倍内閣はイタリア、フランスの「半大統領制」に近いと感じる。
大統領(外交担当)が安倍晋三
首相(内政担当)が菅義偉
おそらく災害復旧は菅義偉の担当範囲だろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/467.html#c24
除染などしても何の意味もない。
除染業者経由で税金を自民党政治家に還元するのが目的。
関電の不正を見ればわかる。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/177.html#c16
音楽家は貧しいからオーディオに何百万円も掛けられないんですね:
オーケストラの経営学 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2015年03月27日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2184f4b06de8f2631d21d7a6e2bdc575
音楽鑑賞をするうえで欠かせないのがオーケストラ(以下「オケ」)による演奏。その「オケ」について演奏レベルなどの芸術的な見地からアプローチした本は多いが、そういう中、ビジネスの観点も含めて多角的に「オケ業界」についてつまびらかにしたのが次の本。
「オーケストラの経営学」(2008.12、東洋経済新聞社刊)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6-%E5%A4%A7%E6%9C%A8-%E8%A3%95%E5%AD%90/dp/4492501886
著者の「大木裕子」さんは東京藝術大学でヴィオラを専攻し卒業後もプロフェッショナルとして演奏活動を続けたが現在〔出版時点)は経営学者として京都産業大学経営学部准教授。
オケの素晴らしさの秘密を知りたい、同時に日本のオケが今よりももっとよい「ビジネス」として成立出来ないものかというのが本書の執筆の動機。
「芸術」と「ビジネス」は水と油の関係かもしれないが、現代においてはないがしろに出来ないテーマである。野次馬根性丸出しで興味のある項目を2点ほど抜粋してみた。
☆ 日本のオケ楽団員の平均年収
「楽団員にとっては経済に関する話は無縁であまり関心もない。もともと金儲けに興味があれば音楽家にはなっていない」とのことだが、音大に行かせる投資対効果が低い(幼少から音大卒業まで3000万円以上の投資:桐朋学園大学の2008年度納付金だけでも4年間で約800万円)という現実を踏まえて公開されているのが次の資料。(本書の出版時点での数値)
平均年収 700万円以上 NHK交響楽団、読売日本交響楽団
〃 500〜700万円 東京都、札幌、群馬、京都、九州 各交響楽団、
アンサンブル金沢、名古屋フィル、大阪フィル
〃 400〜500万円 大阪センチュリー、広島交響楽団、神奈川フィ
ル、山形交響楽団
〃 300〜400万円 日本フィル、ニューフィル千葉
〃 300万円以下 関西フィル、京都フィル
「他人の懐具合を知ってどうする」と叱られそうだが、日本にある交響楽団(管弦楽団)員は果たしてアルバイト無しで喰っていけるのかという意味で取り上げてみた。
因みに飛びぬけて高いのはNHK交響楽団で958万円(平均44歳)。
また、指揮者のコンサート1回の報酬は、だいたいオーケストラの楽団員の年収が相場で、楽団員の年収が500万円なら1回の指揮者の報酬も500万円というわけ。もちろんこれは一般的な話でコンクール受賞歴がないというだけで1回30万クラスもいるし、小澤征爾クラスになると1000万円以上というランクの指揮者もいる。
さらにソリストもギャラが高くて、特に歌手は飛びぬけている。三大テノール・クラスのコンサートともなると、億を超える出演料がかかる。
☆ なぜ日本には世界的オケがないのか
英才教育が盛んな日本のクラシック音楽のレッスンはテクニックに偏り、音を楽しむという本来的な音楽教育が不足していることが原因のひとつ。
関連して優秀な人材が海外のオケに流出するのは、日本のオケには無い「何か」があるから。その「何か」とは演奏者間のコラボレーション(合作)にある。もともと日本には教会の響きの中で賛美歌を歌いながらハーモニー(和声)を創っていくという習慣が無い。
NHK交響楽団は弦楽器奏者が使用している楽器の値段の合計からいくとおそらく世界一だがそれだけで世界一のハーモニーとならないのは問題がコラボレーションにある。
したがって、日本のオケは「職人的だが、創造性は高くない」というのが定評となっている。
以上のとおりだが、それで思い出したのがベルリンフィルの新しい楽団員の採用方法。当人の「コラボレーション能力」の有無を判定するため、楽団員の全員投票(指揮者でさえも1票にすぎない)によって決定している。
ちなみにオーディオマニアの観点から言わせてもらうとオケに限らずオーディオ機器においても国産品と外国製品との違いは顕著のように思う。国産品は物理特性はいいのだが肝心の音質についての魅力が乏しい。総じて「冷たい音でハモりにくい」といってよい。真空管とかトランスなどの小物類でも同じことが言えるようだ。
しかし、自分が知らないだけでほんとうは国産品でもいいものがあるんだろうが、全体的にマイナス評価が定着しているのでマニアとしても安全な橋を渡りたいばかりに、つい海外製品に目が移ってしまうのは否めない。
しかも、国産品を使うと「何だ、その程度か」と思われるものもちょっとシャクだしねえ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2184f4b06de8f2631d21d7a6e2bdc575
保坂展人氏はまとも。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/452.html#c25
「昨夜、長谷部健渋谷区長から電話をもらい、多摩川周辺の被害について「渋谷区から応援職員を出す」という有り難い申し出がありました。そこで「排水ポンプ」×4チームをお願いしたところ、4台の「排水ポンプ」と9人の職員が来てくれました。世田谷区チームと合わせて活動できました。感謝します!」
https://twitter.com/hosakanobuto/status/1183706772537626625
渋谷区もまとも。
異常な安倍晋三、山口那津男。まさにど無能。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/467.html#c25
5〜6年くらい前に参議院議員辞めた東大工学部卆で元建設省河川部長のあの人に教わったら、と思う。しっかりしてくれよどいつもこいつも。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/443.html#c40
、、、、、、、、、、、、、。
29日(土)は、千葉県市川市のアコースティックエンジニアリングが施工した音響サロン「レゾナンス」での出張開催になります。
プロのバイオリニストであるご主人は、真空管オーディオのマニアでもあります。40人収容可能な空間にTANNOYのSPを持ち込み、レッスンの合間にオーディオを愉しんでいるだけでなく、往年の名バイオリニストのCD・LPを生徒さんに聞かせて役立たせてもいるようです。それと、オーディオの聴き方は十人十色とはいえプロの音楽家のオーディオ観、実際にどのような鳴らし方をしているのかも参考になるのではと思います。
「魅惑の真空管オーディオを愉しむ会」(初日)
当フォーラム初めてのテーマ「真空管オーディオ」はサンバレーさんのご協力により、大型出力管845の単段アンプをお借りしての会となりました。「ブースターアンプ」という名の由来からして、?と思われる方も多いと思います。その昔、アメリカで業務用として開発されていた形式だそうで、なんとパワーアンプでドライブされるアンプなのです。多少の理屈をこねられるラジオ少年だった小生にも「…それってアリなの?」「…合理性あるのかな?」と興味津々でした。ブースターアンプの商品化は現代では初とのことです。
当日は、純正組み合わせである、トランス出力300Bプリアンプまでご用意頂き、当社常設の「B&W 802 D3」を余裕で鳴らし切っていました。30W程度の出力ですが、現代の大型スピーカーとの相性も十分に良いようです。真空管オーディオは昔懐かしいレトロのイメージではなく、20kHz以上の倍音も鮮やかに鳴らす鮮明な現代アンプにようにも見えました。
しかし、白眉だったのは、会終了後居残った5〜6名での二次会(?)でした。わざわざ名古屋から駆けつけてくれたサンバレー大橋氏持参の300Bシングルパワーアンプを、ブースターアンプの前置きアンプとして挿入した音は一段と素晴らしいものでした。
とびぬけて音の良いコンポーネントに出会ったときというのは、小生の感性とボキャブラリーがプアな面もあるのですが、往々にして、その音の良さを表現するのに困るものです。あえて言えば、「空気が変わる…新しい広々とした音場が現れた…」という感じです。
真空管アンプには半導体アンプとはまた違った奥深い世界がある気がしてきました。
…どうも当社常設機材の一員に加わりそうです。
サブテーマ2日目「音楽家が奏でるAudio再生とは?」
オーディオ再生は十人十色だと言われています。その中でも、オーディオファイルは原音に忠実な音を求めて昼夜工夫しながら愉しんでいる(時に苦しんでいる)人種と定義しても良いのではないかと思います。プロの音楽家は日々「生の音」に接している訳でして、原音に極めて近い関係の人が、どのようにオーディオ再生をしているのか、興味がある所ではないでしょうか?
今回NHK交響楽団のバイオリニストであった、根津昭義氏の居城である、コンサートサロン「レゾナンス」におきまして、オーディオ試聴会を開催するという大変貴重な機会を頂きました。
「レゾナンス」は本来30〜40人が収容可能なサロンコンサートホール兼レッスン室として、本宅の離れに計画され、当社が一貫して旧家屋の解体から完成までを設計・施工した物件です。そこに氏が所有しているオーディオ装置を移設し、オーディオルームとして愉しむ傍ら、往年の名バイオリニストのCD・LPをかけレッスン生に聞かせるといった部屋にも使っておられます
響きが豊かな大空間なので、小出力の真空管アンプ+タンノイスターリングの組み合わせであっても、スケールの大きな再生が可能であることが分かり、氏のメインオーディオルームになっているという経緯があります。
根津氏の再生音は決して大きくはないのですが、空間に細かくリアルに響き渡ってゆくという様な聞き方をしていることが伺えました。
根津氏の機材はDAコンバーターからプリアンプ、2wayマルチチャンネルアンプの全てがサンバレーさんの真空管機材で構成されています。N響の名古屋公演のおりによく、刈谷市のサンバレーを訪れていて、団員仲間にも同じサンバレー製品を愛用する人が何人もいるとのことです。曲の響きを良く表現してくれるということが、真空管オーディオの愛好につながっていることをおっしゃっていました。
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会の主催者として、根津氏と参加者の皆様にお詫びしなければならない点があります。「音楽家が奏でるAudio再生とは?」の趣旨を表現しきれなかったことです。
本来、「レゾナンス」は1〜2名の在室でベストチューニングされていたのに、30名もの吸音力が加わったことにより、部屋の響きが大きく変化していました。当然アンプの出力はアップすることになるのに加えて、イベントのため大編成のオーケストラCDを大きめの音量でということになり、当日の再生音は、普段の根津氏が奏でている音とは違っていたかもしれません。
それにも関わらず、音楽とオーディオの話を交えながらの試聴会は大変貴重な体験をさせていただきました。また、ご友人として参加されたサンバレーの大橋氏のいつもながらのトークも大いに楽しめました。参加者からも建物に対する質問や真空管オーディオにかかわる質問も飛び交い、会終了後も帰りがたい人達との試聴会がしばらく続いたのは、いつものことでありました。
根津様、大橋様、それと参加者の皆様、ご協力ありがとうございました。
https://acaudio.jp/1574/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1008.html#c17
(終)。。。。。。。。。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/118.html#c32
見る目が凡人とは違うようだ。 ただ神を利用して金儲けするインチキがあるのも
じじつだ。支配の道具、金儲けの道具に使うインチキ野郎は確かにいる。
ニュートンは、その著書『プリンキピア』の中で、次のように書きました。
「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」。
彼は、宇宙は目に見えない偉大な神によって創造されたのであり、その統御によって存在しているのだと信じていました。彼は自分の科学研究について、
「自分は、真理の大海の浜辺で戯れているのだ」
と語りましたが、彼にとって科学研究とは、"神の真理"を追究することだったのです。
また、相対性理論を生み出し、二〇世紀最大の科学者と言われたアルバート・アインシュタイン博士も、
「私は、神の天地創造の"足跡"を探していく人間である」
と語ったと伝えられます。彼にとっても、宇宙について、また自然界について研究することは、「神」をより深く知ろうとする心の現われでした。
その他、偉大な科学者のなかには、創造者なる神を信じていた人々がたくさんいます。ケプラー、コペルニクス、ガリレイ、ファラデー、ケルビン、マクスウェル、パスツール、リンネ、ファーブル、パスカル、ボイル、フレミング、ドーソン、ウイルヒョウ、コンプトン、ミリカン、プランクなどをはじめ、科学史上に名だたる人々の多くが、創造者なる神を信じる科学者でした。
彼らはみな、熱心な創造論者であり、創造者なる神の存在を信じていたのです。科学史上に残された彼らの偉大な業績は、「神が創造された世界について、もっとよく知りたい」という探究心から生まれ出たものだと、科学史家は述べています。
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/kagaku02.htm
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/458.html#c13
(はい、これで、本当に、終わりですね)、、、、、。。。。。
(ご苦労様でした。と。)
ネット上のオーディオ系掲示板で、こんな話題が出ていました。
「実際に楽器を演奏する人と聴くだけの人とでは、選ぶオーディオ機器や嗜好が違うのではないか?」
おもしろそうなお題なので、ちと今回はこれについて思考してみます。ただし今回の記事は私自身や仲間の体験も交えた、あくまで個人的な見解とお断りしておきます。
まずオーディオの世界でよくいわれる定位や音場感、空間表現などですが、これらはいわば客席に座った人がステージを見たときに覚える感覚です(厳密には違うが後述)。オーディオ機器を使えば、それと同じ感覚を自宅で居ながらにして体感できます、というお話でしょう。
たとえばオーディオ機器から出る音を聴き、「おっ、実際にドラマーが右奥に座ってドラムを叩いているように聴こえるぞ」的な感覚もそのひとつですね。
こうした思考に伴う目線の方向は、あくまで客席から見たステージです。オーディオルームに置き換えるなら、楽器を演奏する人はスピーカーであり、リスナーはそれと対置する存在です。
結論から先に言えば、オーディオ的な定位や音場感、空間表現などの概念は、楽器を演奏しないお客さんによる、お客さんのための劇場感覚です。お客さんが自分たちのために作ったある種のフィクションみたいなものでしょう。
■演奏者の最大の関心事は楽器の音色だ
一方、プレイヤー(演奏者)はいつもステージにおり、音源のすぐ近く、いわば音場の真っ只中に立っています。しかもステージ上ではお客さんと違い、モニターの音を聴いています。ですから「自宅であのライブの雰囲気を再現できるかどうか?」てなことにはお客さんほど関心ありません。(もちろん人によるでしょうが)
演奏者にとって最大の関心事は、音色です。自分がステージで楽器を演奏するとき、イメージした通りの音色を楽器から出せるかどうか? これが大問題です。だからプレイヤーは自分好みの音色を作るため、楽器を含めた機材のセッティングを鬼のように研究します。
たとえば初心者の方が、ベースギターのセッティングを試行錯誤する例を上げればこんなふうです。
「試しにベースアンプのTREBLEをフルにし、BASSを2や3程度にしか上げないとどうだろう? おや、音の輪郭と指のアタック感だけが際立ち、中から下が抜けた『ギャイン』という音しか出ないな。これはベースの音じゃないからダメだなぁ。もっとTREBLEを下げ、BASSのツマミをひねってみようか」
このへんはオーディオと同じでしょう。ともあれプレイヤーにとっての問題は、「狙った音色をいかに出すか?」ということです。
■リスナーはPAを通した「フィクション」を聴いている
また定位や音場感、空間表現といえば、あたかもステージから発される「本当の音」、「本当の音響空間」を希求する概念であるかのように思われがちです。
ところが音楽ジャンルを問わず、ステージで演奏されるアコースティック楽器から出た生音を直接お客さんに聴かせていた時代とちがい、いまやステージと客席の間にはPAシステム(Public Address System=人々に伝達するシステム)が介在しています。
ではPAとはいったい何か? ひとことでいえば音質やバランス調整機能付きの巨大な拡声器です。まず各楽器の音はシールド/マルチケーブルを通し、PAの中核に当たるミキサーにいったん集められます。ミキサーでは定位や音量、音質のほか、エフェクターの効き具合なども聴きやすいように調節されます。
で、プレイヤーはステージの上で、自分自身やバンド仲間の音をモニタースピーカーで聴いています。かつモニターから出る音は、あくまでプレイヤーが演奏しやすくするための音です。たとえばギタリストならギターの音はアンプから充分聴こえてるからほかの楽器の音だけ返してやる、みたいな。
一方、お客さんの側は、ステージ脇に山と積まれたメインスピーカーの音を聴いています。こうしてミキサーでは音やバランスに手が加えられる上、演奏者とお客さんとはちがう音を聴いていたりもするわけです。
こんなふうにリスナーとは立ち位置が違うミュージシャンから見れば、定位や音場感、空間表現などの劇場感覚は「フィクションだよね」という感じでしょう。それより関心事はまず音色です。ですから演奏者とリスナーとでは、オーディオの選び方や聴くツボが違っていても何ら不思議はないでしょう。
もちろん「だから定位や音場を取り沙汰するのはまちがいだ」なんて話ではありません。仮にフィクションだとしても、オーディオのひとつの楽しみ方として当然アリですね。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-18.html
▲△▽▼
吉田苑が考える「いい音」は音楽家の考える「いい音」と同じか?
DYNAUDIO Audience42
https://blog-imgs-40-origin.fc2.com/d/y/n/dynaudia/20090621065640c03.jpg
●我が家の初代スピーカー「DYNAUDIO Audience 42」(まだまだ現役です)
私がいいと思うオーディオ機器は、なぜか吉田苑というオーディオショップがすすめる機器とかぶっています。ですが私は吉田苑に特別な思い入れはありません。それどころか吉田苑のサイトを見ることすら、ほとんどないです。なのにたまたま同じ機材を「いい」と感じているから不思議です。
オーディオ専門店【吉田苑】
http://www.yoshidaen.com/
たとえば吉田苑が考える「いい音」の基準(以下のリンク)を見ると、驚いたことにほとんどの項目が私の価値観と一致します。とすればまあ、当然の帰結かもしれません。
『吉田苑の「いい音」基準』
http://www.yoshidaen.com/qanda/poliocy.html
ところがです。リンク先をよく見ると、一箇所だけ決定的なちがいがあります。そしてこのちがいは、楽器を演奏する人とオーディオマニアの感覚のちがいではないか? というのが今回のテーマです。
■立体的な鳴り方を目指す吉田苑
私が考える「いい音」と吉田苑が考える「いい音」のちがいは、前掲『吉田苑の「いい音」基準』のうち、周波数特性(レンジ)の項目にあります。その文末に「吉田苑は位相とレンジの二者択一を迫られた時は、位相をとります」とあるのがそれです。
吉田苑が位相を重視するのは、立体的な鳴り方を目指すからです。いわゆる空間表現ですね。低・中・高域のスピードが揃うと(位相の揃い)、あたかもスピーカーが消えたかのような立体感のある鳴り方をします。このときヴォーカルは中央、ギターは右手、ベースは左、ドラムは中央の奥、などとプレイヤーの配置が目に見えるように定位します。
また例えば曲のフィルインのとき、ドラマーが左にあるスネアからタムを右へ回して「パシン」と最後にシンバルを打つ、などという一連の動きが流れるように見えます。音場は左右だけでなく上下や奥行きまで体感でき、眼前に分厚い音符の壁が現出します。我が家のDYNAUDIOはこんなふうです。
ですがどんなオーディオ機器でもこうなるとは限りません。位相が揃っていない機材は立体的に鳴りにくいのです。カギは低域にあります。
一般に低域はスピードが遅く、もともと中・高域と差があります。なのに「ドウゥーン」などと低音の量感が多いと、ますます他の帯域とスピードに差が出ます(位相の崩れ)。すると音像が曖昧な鳴り方になり、空間を表現する力が落ちてしまうのです。
例えば『吉田苑の「いい音」基準』では、こう説明しています。
レンジが広い事は良い音の条件と思います。
ただし、特にスピーカーは位相と密接に絡む事項になりますが、低音域の音は大抵スピードが遅く、高音は逆に早くなります。
低音の量感を欲張ると位相が狂い、低音だけボヤけたり箱鳴り、音像の出方が不自然になります。(中略)
ごく少数ながら位相も良く、レンジも広いスピーカーも存在しますが高額です。(中略)
一切の妥協を排すならば、超低歪、ワイドレンジ、超ハイスピードで位相もバッチリ揃っているのならば原音再生となると思いますが、中々全てを兼ね備えさせる事は難しいようです。
吉田苑は位相とレンジの二者択一を迫られた時は、位相をとります。
『吉田苑の「いい音」基準』より
吉田苑がいう「レンジ」とは、この文脈では主に低域の量感を指します。つまり引用部分の最後の一行をわかりやすく翻訳すると、吉田苑は空間表現と低域の量感の二者択一を迫られたら、空間表現を取りますという意味になります。
一方、もし私がどちらか選べといわれたら、もんどりうちながらも低域の量感を取ります。それは低域の量感が、音色やノリ(=リズム)を決定的に左右するからです。
さてこう書いた瞬間、もう誤解している人がたくさんいるかもしれません。低域の量感を優先するといっても、それはブリブリにブーミーで量ばかり多いボワーンと曖昧に鳴る低音のことではありません。
私が求めるのは音の芯と適度な輪郭があり、締まっていながらも音符がぎっしり詰まった密度感や弾力が豊かな質のいい低音――ひとことで言えば適度な量感のある低音です。
■私は空間表現より演奏のダイナミズムを選ぶ
前々回の記事では、「楽器を演奏する人の最大の関心事は音色だ」と書きました。
楽器から狙った音色を出せるかどうか?
自分の機材のセッティングやPA環境を通し、イメージ通りの音色で鳴らせるかどうか?
あらかじめ研究し、セッティングで仕込んだ音色を、ライブの本番で再現できるかどうか?
これらはミュージシャンにとって死命を制する問題です。
また本番だけでなく、楽器を買うときも音色はカギになります。たとえばエレクトリックな楽器のプレイヤーでも、楽器の購入時にはアンプを通さず鳴らしてみて響きをチェックします。私はクラシックの世界は知りませんが、十中八九、彼らも音色に類する要素で購入を決めているでしょう。
楽器を買うことは、ミュージシャンにとってすべての始まりです。そしてライブの本番とは結末です。つまり楽器を演奏する人にとって初めから終わりまで、音色は重要な役割を演じることになります。
さて本題です。さっき私は二者択一を迫られた場合、苦渋の選択として、空間表現より音色を左右する低域の量感を選ぶと書きました。では低音で音色はどう変わるのでしょうか。そのひとつは温度感です。
たとえば一般に暖色系の音(暖かみのある音)は、一定の低域の量感を伴っていることが多いです。逆に低域が痩せていくにつれ、往々にして音の響きは寒色系になります。
「熱のこもった演奏だ」てな言葉はよく聞きますが、熱=暖かみは迫力を生みます。つまりどっちか選ばなきゃ殺すぞと言われたら、私は空間表現よりも演奏のダイナミズムを選ぶということです。
■低音の量感は「ためたノリ」を生む
私がオーディオ機器を試聴するときには、「音が躍動しているかどうか?」をまず見ます。音楽を聴いていて、気がつけば知らない間にカラダでリズムを取っていた――そんな経験は誰にでもあるでしょう。ですが、それは音が躍動していればこそです。
音を躍動させるメインのパートは、ベースギターとバスドラムの音です。どちらも低音部ですね。もちろんタムやハットなどの上物もひと役買いますが、人間の腰を浮かせるのは低音です。つまり適度な低音の量感は、音楽のノリまで変えてしまうのです。
また低音の量感はノリのよさに影響するだけでなく、ノリの種類も左右します。
たとえば狂いのないリズムマシンで「タン、タン、タン、タン」と正確に刻んだリズムを仮に、ジャスト・ビートとします。こうした機械のように正確な拍の取り方から一転し、気持ちうしろにアクセントを置きながら、ため気味にリズムを刻むことを後(あと)ノリなどといいます。
こういうため方は独特のグルーヴ感を生み出します。いわゆる「地を這うようなノリ」ですね。オーディオ機器でいえば低域の量感を備え、音に厚みがあるとこの種のノリになりやすいです。有名どころではB&Wのスピーカーなどはこれに近いですね。
また楽器のアタック感が目立たない(アタック感を強調しない)オーディオ機器は、そのせいで音の立ち上がりが「ため気味」に聴こえ、結果的に重いノリに感じられることがあります。
一方、例えばギターが前へ前へと突っ込み気味に、ザクザクと歯切れよくコードを刻んでいると、「あいつは前ノリだな」などと言うことがあります。そしてこういう聴こえ方をするオーディオ機器は、往々にして低音がタイトであることが多いです。
■日本人のDNAには「裏で乗る」感覚がない
オーディオに詳しくなると、トランジェント特性(立ち上がり/立ち下り)や空間表現のような機器の物理特性的な要素に目が行きます。ですが反面、音楽を構成する一大要素であるリズムの感覚、タイム感に無頓着だったりします。
それどころか「低音の量感がリズムを左右するなんて本当か?」、「機器によって音色が変わることはあっても、リズムまで変わってしまうなんてあり得るのか?」なんて人もいるはずです。ですがそう考えるのは珍しいことでもなければ、「悪いこと」でもありません。なぜならこれは実際に楽器を演奏する人と、オーディオマニアの感覚のちがいだからです。
楽曲をパッと1小節聴いただけで、「後ノリだな」と瞬間的に感じる――。
「2拍目と4拍目のアクセントが違うぞ」などと頭で考える(分析的に聴く)のでなく、「裏」のノリが瞬時にカラダでわかる――。
こういう人は楽器を演奏したことがある人の中でも一部です。ですから楽器に無縁な人なら、こんな発想自体をもっていなくて当然です。
だいいち日本人の血の中にある拍の取り方は、民謡を聴けばわかる通り典型的な「表拍」です。だから「裏で乗る」感覚とか、裏にアクセントを置いたノリ、リズムの概念なんてもともと日本人のDNAの中にはないのです。
【中間まとめ】
(1)低域の量感は、プレイヤー(演奏者)が重視する音色と密接な関係がある。
(2)低域の量感は、音楽のノリを決定的に左右する重要な要素である。
(3)楽器を演奏したことがない人は、特に上記(2)の感覚が「ない」ことが多い。
こんなところでしょうか。
■他人に価値判断を委ねるな
さてここまで、吉田苑のように位相の揃いを重視することで立体的な鳴り方を目指すのか? あるいは私みたいに低域が生むグルーヴ感を大切にするのか? 両者のちがいを見てきました。
空間表現を取るか、躍動感を取るか。もちろん好みの問題です。どっちがいい悪いの問題ではありません。(オーディオについて語るとき、私はしょっちゅうこのフレーズを使います)
そして驚いたことに、くだんの『吉田苑の「いい音」基準』が記されたページをよく見ると、冒頭のいちばん目立つ位置にこう断り書きがしてあります。
また
「吉田苑が良いと言った機器=皆様にとって良い音がする機器」
とは必ずしも一致しないと思います。
基準の中に皆様の賛同を得れる部分もあるでしょうし、そうでない部分もあると思います。
吉田苑が低評価したからと言って、誤解しないで下さい。
つまり私にとっての「いい音」が、あなたにとっての「いい音」とは限りませんよ、好みの問題ですよ、ということです。こんなところまで私と同じだから参ります。
自分をしっかりもち、自分の頭で考えること。他人に価値判断を委ねず、自分の内なる価値観で判断すること。世界にひとつしかない確立した「個」で、自分らしいオーディオの聴き方をすること――。
彼らはプロですから、その大切さをよく知っているのでしょう。だから自ら「吉田苑がいいと言うからといって、流されるなよ」とわざわざ冒頭に大書してあるわけです。
ところが宗教的な情熱をもって吉田苑を信奉する方々ほど、この吉田苑の教理経典から離れてしまい、「吉田苑がすすめる機器かどうか?」、「吉田苑が目指す音かどうか?」だけを基準に価値判断する吉田苑原理主義、吉田苑絶対主義の臭いがするのは皮肉なことです。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-20.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1008.html#c18
中古オーディオは、「美品」、「完全メンテ済み」などと標記してあっても鵜呑みにできない。たとえば前オーナーが片側のツィーターを交換修理していたあるスピーカーなどは、完全に左右のバランスが狂っていた。左右のかすかな音量の違いがあるのだが、そのせいで定位がめちゃくちゃなのだ。
その中古品は音の強い側のスピーカーに定位がひっぱられ、すべての楽器の定位がそちら側にズレていた。ボーカルのセンター定位はもちろん、その前後左右に立体的に位置するはずの複数の楽器の音像定位が、すべてきれいに片側へ微妙にズレている。あれはかなり気持ち悪かった。
左右の音量差は本当にわずかなちがいで、相当注意して聴かなければわからない。だが自分がふだんよく聴くCDで定位を見れば一目瞭然だ。
交換修理した側のツィーターは新品である。だがもう片方のツィーターは相応に経年変化している。バランスが同じになるはずがない。で、メーカーによっては片側のユニットだけが壊れた場合でも、両方のユニットを同時に交換するのを推奨しているところもある。
オーディオ専門店といえども、こういう微妙な音量バランスの違いや定位の狂いが見逃され、「完動品」として売られているケースもある。ましてや素人が売りに出しているネットオークションの機器なんて、一体どこにどんなトラブルが潜んでいるかわかったもんじゃない。中古オーディオを平気で買う人の気が知れない。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-187.html
続・中古オーディオを買う人の気が知れない
コンデンサの劣化は目視できない
私は、中古オーディオを買う人の気が知れない。特にヤフオクである。
例えば電解コンデンサーの劣化などは、目視では確認不能だ。信頼できるオーディオ専門店の完全メンテ品などならまあ別だが、問題はヤフオクである。
ヤフオクで、かつ売り手が素人の場合、なんの保証もない。そんな相手に、「電解コンデンサーはどれくらい劣化していますか?」などと聞いてもムダだ。
まあアンプの使用期間が分かれば一応の目安にはなるが、もし相手がウソをついていたら、もうどうにもならない。
よく「ヤフオクなら相手の『評価』を見ればいい」などと言う無責任な人がいるが、「相手がどれぐらいウソをついているか?」なんて評価に表れようがない。
ウソをついて売っても故障しないケースもあるし、そもそもウソをつかれた買い手の側に『売り手を「評価」する能力』があるのかどうか自体、疑わしい。しょせん、素人同士の売買なのだから。
また売り手が素人で、「自分が売ろうとしているオーディオ機器が『内部的』にどれくらい劣化しているか?」を本人がまったく自覚してなければ、相手の言うことなんて何の目安にもならない。
「程度のいい中古を見つけた」などと言う人がよくいるが、そんなものはあくまで外見の話だ。内部的にどれだけ状態がいいか? などという話ではない。
オーディオマニアは常日頃から「音のよさ」に病的な関心を示すが、その同じ人が平気でヤフオクなんかでアンプを買っていたりするのだから笑える。
「あなたが買ったアンプはどれだけ劣化しているか、自覚はありますか?」という話である。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-264.html
新・中古オーディオを平気で買う人の気が知れない
ネットワークがサビだらけ
アンプの中古は、内部パーツの劣化が心配だ。だがスピーカーの中古なら大丈夫だろうーー。そう思っている人は、結構いそうだ。
だがそういう人は、スピーカーの内部ネットワークが経年劣化したらどうなるか? を知らない。
例えば私が過去に見たその中古の個体は、ネットワークがサビだらけでミミズのようにサビで膨れ上がっていた。まるで地下に数十年、埋められっ放しだったサビだらけの水道管の内部のようだった。
ネットワークの周囲には全体にびっしりとサビが何ミリもこびりつき、とても正視に耐えられなかった。
ひと目見ただけで吐き気がした。
だが、それでも異常なくふつうに音は鳴っていたから、スピーカーの劣化は外からではわからない。実際に中を開けてみない限りわからないのだ。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-266.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c62
県内JAでは、大型規格の「ラウンドアップ20L ボトル」をご購入の方を対象に、もれなく商品をプレゼントする「ラウンドアップマックスロード20Lキャンペーン」を行っています。
20Lボトルについている専用応募はがきに必要事項を記入し、切手を貼って応募いただくと、もれなく「コーヒーセット」または、「洗濯用洗剤」をプレゼントします。
お求めは、お近くのJAまでお願いします!
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/118.html#c35
今、米国や日本国内で除草剤のラウンドアップ(有効成分グリホサート)が大きな話題を集めている。米国カリフォルニア州では、同剤とがんとの関連性をめぐる訴訟が続いている。一方、日本国内でも体内からグリホサートが検出されたとして、国会議員や市民グループが使用規制を求める声を上げている。また、危険性を訴える情報はネットメディアやSNSを中心に拡散されている。
こうした中で、国が安全性を認めているにも関わらず、ラウンドアップを使用した農場や農産物に対しても風評被害が発生するおそれがあることから、日本の農業経営者は戸惑いや懸念を示し始めている。
他方、米国の農業者団体は風評に対し、その出所であるカリフォルニア州を相手取った訴訟を起こすなどの行動に出ている。使用が制限されれば、農の生産性や安全性が下がり、食の供給不足や価格高騰に直結するからだ。
このセミナーでは、こした問題について、科学的な視点と農業現場の観点から考える。概要は次のとおり。
▽テーマ:「農薬の安全性とラウンドアップの風評被害」─科学を無視した世界規模の風評発生メカニズムを解く─
▽主催:(株)農業技術通信社/食品安全情報ネットワーク
▽日時:10月21日(月)13時30分〜16時
▽会場:TKP東京駅日本橋カンファレンスセンターホール5B 東京都中央区八重洲1−2−16
▽セミナー概要:
○司会 昆吉則氏(『農業経営者』編集長)
○講演
13時40分〜14時20分
主な話「農薬の安全性はどのように確かめられているか」
青山博昭氏(残留農薬研究所業務執行理事・毒性部長)
主な話「グリホサート問題をめぐる現況、背景、訴訟について」
唐木英明氏(東大名誉教授)
○討論質疑
15時〜16時
コーディネーター 小島正美氏(食生活ジャーナリストの会代表)
パネリスト 講演者の唐木氏と青山氏に加え
水木たける氏(青森県弘前市の「あっぷるりんご園」代表)
浅川芳裕氏(農業ジャーナリスト)
▽参加費:資料代として1000円(当日参加も可)
▽定員:80人
▽申し込み:「申し込みフォーム」から申し込む。
▽問い合わせ先 農業技術通信社(東京都新宿区高田馬場1−34−8)電話03−5155−3740
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/118.html#c36
まだ全体像や個々の深刻さが把握できていないだろう。どれだけ広い地域の川の堤防が決壊してると思ってるんだボケクズだな。
水浸しになってカビの生えた部屋に住んでみろ。まるで他人事だな。
今回堤防が決壊したのは公的な側に問題があるのは確かだが、堤防がない箇所がありそこから水が流れた特殊なケース(?)を報道していた。
なぜ堤防がないかと言えば公側は造るべきと主張していたが、住人側が景観が損なわれると反対運動をしてそのままになってしまって、今回の被害になったと。
こんなケースもあるのか?と考えさせられた。
景観よりも水害防止を優先させた方が良いと思うのだが、効果のある堤防でないと意味がないのは言うまでもない。
ネット上のオーディオ系掲示板で、こんな話題が出ていました。
「実際に楽器を演奏する人と聴くだけの人とでは、選ぶオーディオ機器や嗜好が違うのではないか?」
おもしろそうなお題なので、ちと今回はこれについて思考してみます。ただし今回の記事は私自身や仲間の体験も交えた、あくまで個人的な見解とお断りしておきます。
まずオーディオの世界でよくいわれる定位や音場感、空間表現などですが、これらはいわば客席に座った人がステージを見たときに覚える感覚です(厳密には違うが後述)。オーディオ機器を使えば、それと同じ感覚を自宅で居ながらにして体感できます、というお話でしょう。
たとえばオーディオ機器から出る音を聴き、「おっ、実際にドラマーが右奥に座ってドラムを叩いているように聴こえるぞ」的な感覚もそのひとつですね。
こうした思考に伴う目線の方向は、あくまで客席から見たステージです。オーディオルームに置き換えるなら、楽器を演奏する人はスピーカーであり、リスナーはそれと対置する存在です。
結論から先に言えば、オーディオ的な定位や音場感、空間表現などの概念は、楽器を演奏しないお客さんによる、お客さんのための劇場感覚です。お客さんが自分たちのために作ったある種のフィクションみたいなものでしょう。
■演奏者の最大の関心事は楽器の音色だ
一方、プレイヤー(演奏者)はいつもステージにおり、音源のすぐ近く、いわば音場の真っ只中に立っています。しかもステージ上ではお客さんと違い、モニターの音を聴いています。ですから「自宅であのライブの雰囲気を再現できるかどうか?」てなことにはお客さんほど関心ありません。(もちろん人によるでしょうが)
演奏者にとって最大の関心事は、音色です。自分がステージで楽器を演奏するとき、イメージした通りの音色を楽器から出せるかどうか? これが大問題です。だからプレイヤーは自分好みの音色を作るため、楽器を含めた機材のセッティングを鬼のように研究します。
たとえば初心者の方が、ベースギターのセッティングを試行錯誤する例を上げればこんなふうです。
「試しにベースアンプのTREBLEをフルにし、BASSを2や3程度にしか上げないとどうだろう? おや、音の輪郭と指のアタック感だけが際立ち、中から下が抜けた『ギャイン』という音しか出ないな。これはベースの音じゃないからダメだなぁ。もっとTREBLEを下げ、BASSのツマミをひねってみようか」
このへんはオーディオと同じでしょう。ともあれプレイヤーにとっての問題は、「狙った音色をいかに出すか?」ということです。
■リスナーはPAを通した「フィクション」を聴いている
また定位や音場感、空間表現といえば、あたかもステージから発される「本当の音」、「本当の音響空間」を希求する概念であるかのように思われがちです。
ところが音楽ジャンルを問わず、ステージで演奏されるアコースティック楽器から出た生音を直接お客さんに聴かせていた時代とちがい、いまやステージと客席の間にはPAシステム(Public Address System=人々に伝達するシステム)が介在しています。
ではPAとはいったい何か? ひとことでいえば音質やバランス調整機能付きの巨大な拡声器です。まず各楽器の音はシールド/マルチケーブルを通し、PAの中核に当たるミキサーにいったん集められます。ミキサーでは定位や音量、音質のほか、エフェクターの効き具合なども聴きやすいように調節されます。
で、プレイヤーはステージの上で、自分自身やバンド仲間の音をモニタースピーカーで聴いています。かつモニターから出る音は、あくまでプレイヤーが演奏しやすくするための音です。たとえばギタリストならギターの音はアンプから充分聴こえてるからほかの楽器の音だけ返してやる、みたいな。
一方、お客さんの側は、ステージ脇に山と積まれたメインスピーカーの音を聴いています。こうしてミキサーでは音やバランスに手が加えられる上、演奏者とお客さんとはちがう音を聴いていたりもするわけです。
こんなふうにリスナーとは立ち位置が違うミュージシャンから見れば、定位や音場感、空間表現などの劇場感覚は「フィクションだよね」という感じでしょう。それより関心事はまず音色です。ですから演奏者とリスナーとでは、オーディオの選び方や聴くツボが違っていても何ら不思議はないでしょう。
もちろん「だから定位や音場を取り沙汰するのはまちがいだ」なんて話ではありません。仮にフィクションだとしても、オーディオのひとつの楽しみ方として当然アリですね。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-18.html
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吉田苑が考える「いい音」は音楽家の考える「いい音」と同じか?
DYNAUDIO Audience42
https://blog-imgs-40-origin.fc2.com/d/y/n/dynaudia/20090621065640c03.jpg
●我が家の初代スピーカー「DYNAUDIO Audience 42」(まだまだ現役です)
私がいいと思うオーディオ機器は、なぜか吉田苑というオーディオショップがすすめる機器とかぶっています。ですが私は吉田苑に特別な思い入れはありません。それどころか吉田苑のサイトを見ることすら、ほとんどないです。なのにたまたま同じ機材を「いい」と感じているから不思議です。
オーディオ専門店【吉田苑】
http://www.yoshidaen.com/
たとえば吉田苑が考える「いい音」の基準(以下のリンク)を見ると、驚いたことにほとんどの項目が私の価値観と一致します。とすればまあ、当然の帰結かもしれません。
『吉田苑の「いい音」基準』
http://www.yoshidaen.com/qanda/poliocy.html
ところがです。リンク先をよく見ると、一箇所だけ決定的なちがいがあります。そしてこのちがいは、楽器を演奏する人とオーディオマニアの感覚のちがいではないか? というのが今回のテーマです。
■立体的な鳴り方を目指す吉田苑
私が考える「いい音」と吉田苑が考える「いい音」のちがいは、前掲『吉田苑の「いい音」基準』のうち、周波数特性(レンジ)の項目にあります。その文末に「吉田苑は位相とレンジの二者択一を迫られた時は、位相をとります」とあるのがそれです。
吉田苑が位相を重視するのは、立体的な鳴り方を目指すからです。いわゆる空間表現ですね。低・中・高域のスピードが揃うと(位相の揃い)、あたかもスピーカーが消えたかのような立体感のある鳴り方をします。このときヴォーカルは中央、ギターは右手、ベースは左、ドラムは中央の奥、などとプレイヤーの配置が目に見えるように定位します。
また例えば曲のフィルインのとき、ドラマーが左にあるスネアからタムを右へ回して「パシン」と最後にシンバルを打つ、などという一連の動きが流れるように見えます。音場は左右だけでなく上下や奥行きまで体感でき、眼前に分厚い音符の壁が現出します。我が家のDYNAUDIOはこんなふうです。
ですがどんなオーディオ機器でもこうなるとは限りません。位相が揃っていない機材は立体的に鳴りにくいのです。カギは低域にあります。
一般に低域はスピードが遅く、もともと中・高域と差があります。なのに「ドウゥーン」などと低音の量感が多いと、ますます他の帯域とスピードに差が出ます(位相の崩れ)。すると音像が曖昧な鳴り方になり、空間を表現する力が落ちてしまうのです。
例えば『吉田苑の「いい音」基準』では、こう説明しています。
レンジが広い事は良い音の条件と思います。
ただし、特にスピーカーは位相と密接に絡む事項になりますが、低音域の音は大抵スピードが遅く、高音は逆に早くなります。
低音の量感を欲張ると位相が狂い、低音だけボヤけたり箱鳴り、音像の出方が不自然になります。(中略)
ごく少数ながら位相も良く、レンジも広いスピーカーも存在しますが高額です。(中略)
一切の妥協を排すならば、超低歪、ワイドレンジ、超ハイスピードで位相もバッチリ揃っているのならば原音再生となると思いますが、中々全てを兼ね備えさせる事は難しいようです。
吉田苑は位相とレンジの二者択一を迫られた時は、位相をとります。
『吉田苑の「いい音」基準』より
吉田苑がいう「レンジ」とは、この文脈では主に低域の量感を指します。つまり引用部分の最後の一行をわかりやすく翻訳すると、吉田苑は空間表現と低域の量感の二者択一を迫られたら、空間表現を取りますという意味になります。
一方、もし私がどちらか選べといわれたら、もんどりうちながらも低域の量感を取ります。それは低域の量感が、音色やノリ(=リズム)を決定的に左右するからです。
さてこう書いた瞬間、もう誤解している人がたくさんいるかもしれません。低域の量感を優先するといっても、それはブリブリにブーミーで量ばかり多いボワーンと曖昧に鳴る低音のことではありません。
私が求めるのは音の芯と適度な輪郭があり、締まっていながらも音符がぎっしり詰まった密度感や弾力が豊かな質のいい低音――ひとことで言えば適度な量感のある低音です。
■私は空間表現より演奏のダイナミズムを選ぶ
前々回の記事では、「楽器を演奏する人の最大の関心事は音色だ」と書きました。
楽器から狙った音色を出せるかどうか?
自分の機材のセッティングやPA環境を通し、イメージ通りの音色で鳴らせるかどうか?
あらかじめ研究し、セッティングで仕込んだ音色を、ライブの本番で再現できるかどうか?
これらはミュージシャンにとって死命を制する問題です。
また本番だけでなく、楽器を買うときも音色はカギになります。たとえばエレクトリックな楽器のプレイヤーでも、楽器の購入時にはアンプを通さず鳴らしてみて響きをチェックします。私はクラシックの世界は知りませんが、十中八九、彼らも音色に類する要素で購入を決めているでしょう。
楽器を買うことは、ミュージシャンにとってすべての始まりです。そしてライブの本番とは結末です。つまり楽器を演奏する人にとって初めから終わりまで、音色は重要な役割を演じることになります。
さて本題です。さっき私は二者択一を迫られた場合、苦渋の選択として、空間表現より音色を左右する低域の量感を選ぶと書きました。では低音で音色はどう変わるのでしょうか。そのひとつは温度感です。
たとえば一般に暖色系の音(暖かみのある音)は、一定の低域の量感を伴っていることが多いです。逆に低域が痩せていくにつれ、往々にして音の響きは寒色系になります。
「熱のこもった演奏だ」てな言葉はよく聞きますが、熱=暖かみは迫力を生みます。つまりどっちか選ばなきゃ殺すぞと言われたら、私は空間表現よりも演奏のダイナミズムを選ぶということです。
■低音の量感は「ためたノリ」を生む
私がオーディオ機器を試聴するときには、「音が躍動しているかどうか?」をまず見ます。音楽を聴いていて、気がつけば知らない間にカラダでリズムを取っていた――そんな経験は誰にでもあるでしょう。ですが、それは音が躍動していればこそです。
音を躍動させるメインのパートは、ベースギターとバスドラムの音です。どちらも低音部ですね。もちろんタムやハットなどの上物もひと役買いますが、人間の腰を浮かせるのは低音です。つまり適度な低音の量感は、音楽のノリまで変えてしまうのです。
また低音の量感はノリのよさに影響するだけでなく、ノリの種類も左右します。
たとえば狂いのないリズムマシンで「タン、タン、タン、タン」と正確に刻んだリズムを仮に、ジャスト・ビートとします。こうした機械のように正確な拍の取り方から一転し、気持ちうしろにアクセントを置きながら、ため気味にリズムを刻むことを後(あと)ノリなどといいます。
こういうため方は独特のグルーヴ感を生み出します。いわゆる「地を這うようなノリ」ですね。オーディオ機器でいえば低域の量感を備え、音に厚みがあるとこの種のノリになりやすいです。有名どころではB&Wのスピーカーなどはこれに近いですね。
また楽器のアタック感が目立たない(アタック感を強調しない)オーディオ機器は、そのせいで音の立ち上がりが「ため気味」に聴こえ、結果的に重いノリに感じられることがあります。
一方、例えばギターが前へ前へと突っ込み気味に、ザクザクと歯切れよくコードを刻んでいると、「あいつは前ノリだな」などと言うことがあります。そしてこういう聴こえ方をするオーディオ機器は、往々にして低音がタイトであることが多いです。
■日本人のDNAには「裏で乗る」感覚がない
オーディオに詳しくなると、トランジェント特性(立ち上がり/立ち下り)や空間表現のような機器の物理特性的な要素に目が行きます。ですが反面、音楽を構成する一大要素であるリズムの感覚、タイム感に無頓着だったりします。
それどころか「低音の量感がリズムを左右するなんて本当か?」、「機器によって音色が変わることはあっても、リズムまで変わってしまうなんてあり得るのか?」なんて人もいるはずです。ですがそう考えるのは珍しいことでもなければ、「悪いこと」でもありません。なぜならこれは実際に楽器を演奏する人と、オーディオマニアの感覚のちがいだからです。
楽曲をパッと1小節聴いただけで、「後ノリだな」と瞬間的に感じる――。
「2拍目と4拍目のアクセントが違うぞ」などと頭で考える(分析的に聴く)のでなく、「裏」のノリが瞬時にカラダでわかる――。
こういう人は楽器を演奏したことがある人の中でも一部です。ですから楽器に無縁な人なら、こんな発想自体をもっていなくて当然です。
だいいち日本人の血の中にある拍の取り方は、民謡を聴けばわかる通り典型的な「表拍」です。だから「裏で乗る」感覚とか、裏にアクセントを置いたノリ、リズムの概念なんてもともと日本人のDNAの中にはないのです。
【中間まとめ】
(1)低域の量感は、プレイヤー(演奏者)が重視する音色と密接な関係がある。
(2)低域の量感は、音楽のノリを決定的に左右する重要な要素である。
(3)楽器を演奏したことがない人は、特に上記(2)の感覚が「ない」ことが多い。
こんなところでしょうか。
■他人に価値判断を委ねるな
さてここまで、吉田苑のように位相の揃いを重視することで立体的な鳴り方を目指すのか? あるいは私みたいに低域が生むグルーヴ感を大切にするのか? 両者のちがいを見てきました。
空間表現を取るか、躍動感を取るか。もちろん好みの問題です。どっちがいい悪いの問題ではありません。(オーディオについて語るとき、私はしょっちゅうこのフレーズを使います)
そして驚いたことに、くだんの『吉田苑の「いい音」基準』が記されたページをよく見ると、冒頭のいちばん目立つ位置にこう断り書きがしてあります。
また
「吉田苑が良いと言った機器=皆様にとって良い音がする機器」
とは必ずしも一致しないと思います。
基準の中に皆様の賛同を得れる部分もあるでしょうし、そうでない部分もあると思います。
吉田苑が低評価したからと言って、誤解しないで下さい。
つまり私にとっての「いい音」が、あなたにとっての「いい音」とは限りませんよ、好みの問題ですよ、ということです。こんなところまで私と同じだから参ります。
自分をしっかりもち、自分の頭で考えること。他人に価値判断を委ねず、自分の内なる価値観で判断すること。世界にひとつしかない確立した「個」で、自分らしいオーディオの聴き方をすること――。
彼らはプロですから、その大切さをよく知っているのでしょう。だから自ら「吉田苑がいいと言うからといって、流されるなよ」とわざわざ冒頭に大書してあるわけです。
ところが宗教的な情熱をもって吉田苑を信奉する方々ほど、この吉田苑の教理経典から離れてしまい、「吉田苑がすすめる機器かどうか?」、「吉田苑が目指す音かどうか?」だけを基準に価値判断する吉田苑原理主義、吉田苑絶対主義の臭いがするのは皮肉なことです。
http://dynaudia.blog26.fc2.com/blog-entry-20.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html
さて、今日は、2019.10.15(07:00)だが・・・
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191014-00000026-jij-pol
>午前9時48分、東京・富ケ谷の私邸発。午前10時1分、官邸着。
たしかに、私邸に戻っていたようだが、
官邸では、ラグビーの観戦が出来ない?
のだろうか・・・
私邸で「誰かと一緒」に「ラグビー観戦」をしていたのでは・・・?
ショータロー(旧CIA日本トップ)か??
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/33192
>ネクストウェーブ(「電波利権の亡霊」ともいえる数奇な過去をもっている会社)
の関連者か・・・???
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/467.html#c26
29日(土)は、千葉県市川市のアコースティックエンジニアリングが施工した音響サロン「レゾナンス」での出張開催になります。
プロのバイオリニストであるご主人は、真空管オーディオのマニアでもあります。40人収容可能な空間にTANNOYのSPを持ち込み、レッスンの合間にオーディオを愉しんでいるだけでなく、往年の名バイオリニストのCD・LPを生徒さんに聞かせて役立たせてもいるようです。それと、オーディオの聴き方は十人十色とはいえプロの音楽家のオーディオ観、実際にどのような鳴らし方をしているのかも参考になるのではと思います。
「魅惑の真空管オーディオを愉しむ会」(初日)
当フォーラム初めてのテーマ「真空管オーディオ」はサンバレーさんのご協力により、大型出力管845の単段アンプをお借りしての会となりました。「ブースターアンプ」という名の由来からして、?と思われる方も多いと思います。その昔、アメリカで業務用として開発されていた形式だそうで、なんとパワーアンプでドライブされるアンプなのです。多少の理屈をこねられるラジオ少年だった小生にも「…それってアリなの?」「…合理性あるのかな?」と興味津々でした。ブースターアンプの商品化は現代では初とのことです。
当日は、純正組み合わせである、トランス出力300Bプリアンプまでご用意頂き、当社常設の「B&W 802 D3」を余裕で鳴らし切っていました。30W程度の出力ですが、現代の大型スピーカーとの相性も十分に良いようです。真空管オーディオは昔懐かしいレトロのイメージではなく、20kHz以上の倍音も鮮やかに鳴らす鮮明な現代アンプにようにも見えました。
しかし、白眉だったのは、会終了後居残った5〜6名での二次会(?)でした。わざわざ名古屋から駆けつけてくれたサンバレー大橋氏持参の300Bシングルパワーアンプを、ブースターアンプの前置きアンプとして挿入した音は一段と素晴らしいものでした。
とびぬけて音の良いコンポーネントに出会ったときというのは、小生の感性とボキャブラリーがプアな面もあるのですが、往々にして、その音の良さを表現するのに困るものです。あえて言えば、「空気が変わる…新しい広々とした音場が現れた…」という感じです。
真空管アンプには半導体アンプとはまた違った奥深い世界がある気がしてきました。
…どうも当社常設機材の一員に加わりそうです。
サブテーマ2日目「音楽家が奏でるAudio再生とは?」
オーディオ再生は十人十色だと言われています。その中でも、オーディオファイルは原音に忠実な音を求めて昼夜工夫しながら愉しんでいる(時に苦しんでいる)人種と定義しても良いのではないかと思います。プロの音楽家は日々「生の音」に接している訳でして、原音に極めて近い関係の人が、どのようにオーディオ再生をしているのか、興味がある所ではないでしょうか?
今回NHK交響楽団のバイオリニストであった、根津昭義氏の居城である、コンサートサロン「レゾナンス」におきまして、オーディオ試聴会を開催するという大変貴重な機会を頂きました。
「レゾナンス」は本来30〜40人が収容可能なサロンコンサートホール兼レッスン室として、本宅の離れに計画され、当社が一貫して旧家屋の解体から完成までを設計・施工した物件です。そこに氏が所有しているオーディオ装置を移設し、オーディオルームとして愉しむ傍ら、往年の名バイオリニストのCD・LPをかけレッスン生に聞かせるといった部屋にも使っておられます
響きが豊かな大空間なので、小出力の真空管アンプ+タンノイスターリングの組み合わせであっても、スケールの大きな再生が可能であることが分かり、氏のメインオーディオルームになっているという経緯があります。
根津氏の再生音は決して大きくはないのですが、空間に細かくリアルに響き渡ってゆくという様な聞き方をしていることが伺えました。
根津氏の機材はDAコンバーターからプリアンプ、2wayマルチチャンネルアンプの全てがサンバレーさんの真空管機材で構成されています。N響の名古屋公演のおりによく、刈谷市のサンバレーを訪れていて、団員仲間にも同じサンバレー製品を愛用する人が何人もいるとのことです。曲の響きを良く表現してくれるということが、真空管オーディオの愛好につながっていることをおっしゃっていました。
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会の主催者として、根津氏と参加者の皆様にお詫びしなければならない点があります。「音楽家が奏でるAudio再生とは?」の趣旨を表現しきれなかったことです。
本来、「レゾナンス」は1〜2名の在室でベストチューニングされていたのに、30名もの吸音力が加わったことにより、部屋の響きが大きく変化していました。当然アンプの出力はアップすることになるのに加えて、イベントのため大編成のオーケストラCDを大きめの音量でということになり、当日の再生音は、普段の根津氏が奏でている音とは違っていたかもしれません。
それにも関わらず、音楽とオーディオの話を交えながらの試聴会は大変貴重な体験をさせていただきました。また、ご友人として参加されたサンバレーの大橋氏のいつもながらのトークも大いに楽しめました。参加者からも建物に対する質問や真空管オーディオにかかわる質問も飛び交い、会終了後も帰りがたい人達との試聴会がしばらく続いたのは、いつものことでありました。
根津様、大橋様、それと参加者の皆様、ご協力ありがとうございました。
https://acaudio.jp/1574/
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オーディオの小道
今までひとりごとの中で思いつくままに書いてきたオーディオに関する事をこのページにまとめる事にしました。
http://www.nezu.ms/komiti.html
序章
これから良い音を求めての旅に出ましょう。その前にまず旅立ちの準備です。
第1回:良い音?
「演奏する人がオーディオに求める最も大切な音の条件とはなんでしょうか?」という質問に対する答えです。
簡単に言い切ってしまうと、音がよく通ってうるさくない事です。
よく通る音と大きい音とは本質的に違うものです。本物の楽器の場合よく通る音は f (フォルテ)も p(ピアノ)も同じように会場に浸透していきます。弱音( p )でも音が痩せずに通って行く、これが一番求められるのです。弾いている本人に大きく聞こえる音はほとんどの場合いわゆる「そば鳴り」の状態なのです。
オーディオの場合も音量を上げないと満足できない音はこの「そば鳴り」でしかないのです。弾き手は聴いている人をもてなすように弾こうと努力しているのです。聴いている人が身をすくめるような音量は禁物なのです。音量でハッタリをかませるのは本来あるべき姿ではないのです。(勿論大音量の ff の部分もありますが、それはホンの限られた部分でちゃんとコントロールされた範囲で出されるものです。)
大音量派の人が共通して陥りやすいのは、よく通る音と大きい音の区別をしない事です。演奏の場合よく通る音は不思議な事に力を抜くと出てくるのです。(これこそ私がN響で大家と共演していつも感じる事です。本当に上手い人はどんな所でも余裕を持って弾いているのです。その余裕を持てる事こそが上手さの証明なのです。)
オーディオも同じでコーン紙やホーンのストロークを大きくとれば良いのではないでしょう。大音量派というのは器械の持っている能力の100%を常に出そうと欲張っているのでしょうが、器械の能力をよく引き出すためには85〜90%位までに押さえておくのが大切です。そのホンのちょっとした違いが何年も経つと勤続疲労で腰の抜けたような音といつまでも気持ち良く反応してくれる音の違いになるのだと私は信じています。(だからといって負荷を掛けなければ良いと言っているのではありません。私は器械が疲労しない範囲で出来るだけ良い負荷をかけるように心掛けています。)
第2回:良いオーディオ?
まずオーディオとはなんでしょうか?私にとっては生を聴く事のできない人の演奏を聴くための手段です。演奏で一番大切にしなければいけない事は何かと言うとそれは生命感です。リズム感と言っても良いです。音楽は時間の上に成り立つ芸術です。一定の時間の進行の元に色々な様相が変化して行く様を愉しむのが音楽です。つまり音楽は過渡的現象の集積なのです。それなのに定常状態で近似して全てを理解できると信じて研究しているのが今の流行です。(勿論傾向を掴むという意味で定常状態で近似するのは有効な方法でしょう。でも過渡現象は系統的に扱えないのですから、ヒアリングを併用して音をまとめる必要があるのです。)
今オーディオ雑誌などでもてはやされている某メーカーの製品など帯域によって音のスピードが違うので、聴いていてリズム感が悪く聞こえてしまいます。まず全帯域で音のスピード感を同じにする事の方が大事です。音の全体像をまとめてから、細部を少しずつ詰めていくという方法をとらないといつまで経ってもまとまりません。
そこで本題の良いオーディオですが、音に存在感がちゃんとあって違和感を起こさないのが良いオーディオと言えるでしょう。難しいのは違和感を感じた時にその原因を見つける事です。これは経験が物を言うところです。
と色々書いてきましたが実は答は最初に出ているのです。演奏を聴く事が目的なのですから、生の音を彷彿とさせる音が出るのが良いオーディオなのです。つまり答は生の音の中にあるのです。(生を聴かないで良い音にまとめるのは、無理とは言わないにしても無駄が多過ぎてお奨めできません。)
音の感想を文字で理解しようとするからおかしな事になるのです。音を言葉に翻訳しないで感じましょう。なまじ言葉にするから、その感想を聞いた人まで言葉で音楽を理解できるような気になってしまうのです。音楽は頭で理解するものではなく、心で感じるものなのです。
第3回:出発地、目的地
第1回には良い音、第2回には良いオーディオについて書きましたが、ここで書いた事は結論ではありません。本当の結論は誰にもいつまでも分らないのです。その幻のユートピアを求めての長旅がオーディオの楽しみなのです。演奏家がいくつになってもより良い演奏を求めて苦労するように、オーディオもいくつになってもこれで完成などという事はないのです。私が最初の2回に書いたのはこのユートピアへの長旅の最初の方向性の提案です。長旅の最初の方向があさってを向いていたのではそれこそ悲劇です。旅立ちの最初の方向性として「音が通るけどうるさくない!」、「生の演奏を彷彿とさせるオーディオが良い!」という2つを軸にするのが誰にとっても分りやすいと思うのでこの2つを提案したのです。
この旅の出発点は現状、目的地はこれから自分で捜すのです。更に言えば「これで良い!」と思えたところがその人の目的地であり到着地なのです。気楽に考えれば目的地はすぐそこ、でも本気になると.........
たしかに難しいこの旅ですが、色々心配しないでとにかく自分の感性を信じて上に書いた「音が通るけどうるさくない!」、「生の演奏を彷彿とさせるオーディオが良い!」を目安にして旅立って下さい。
この孤独な長旅を演奏の立場からお手伝いしようというのがこのコーナーです。次回からは系統的ではありませんが色々なトピックについて出来るだけ簡潔にご説明していきます。
旅立ち
第4回:出会い
いよいよ自分の理想の音を求めての旅が始まりました。これから色々の物と出会うでしょう。
ここで例として初対面のヴァイオリンとの出会いの場で何が起こるかご説明します。初手合の相手と向き合った時にまず気になるのは相手の力量でしょう。私の場合今までの自分の経験を元に相手の反応から相手の力量を想像するのですが、この自分の経験というのが曲者なのです。相手が自分より格下なら相手の全体像は見やすいでしょう。でももし相手がはるかに格上だと相手の全貌どころか部分でさえ掌握できないものです。「地の果てまで飛んでいって柱に名前を書いてきたと思ったら、何とそれはお釈迦様の掌だった。」という西遊記のお話です。ヴァイオリンも普段自分が弾いている楽器と同格ないし1つ格上くらいの物でしたらなんとか全貌は掴めるでしょう。でもそれ以上クラスが違うとヴァイオリンに遊ばれてしまうのです。普段大した楽器で弾いてもいない人が突然Stradivariusを弾いても本来のStradの音など出せないうちに試奏の機会は終わってしまいます。そんな状態で得た感想などハッキリ言って信頼性はないものです。(ですから私は幸運にもStradを弾く機会が持ててもその感想は公表しません。なぜなら普段弾いている楽器とあまりにも違う世界で、普段の自分を根拠に物を言ってもなんの説得力もないからです。ただ人がそれを弾くのを聴いてどう感じるかについては自信を持って言えます。それがオーケストラマンである私の限界です。)
私が一番言いたい事は、楽器でもオーディオでもこういう出会いの中で得る感想というのは相手が物を言わないので弾き手(使い手)の人間の言い放題になりますが、本当は感想というものは相手との相対関係の中で初めて意味を持つという事です。(楽器が物を言ったら、「もっと勉強してから私を弾いてね!」と言っているかも......?)
そうなると色々な物を聴いた時にどうすれば良いかという事になりますが、私は相手を2つに分類する事をお奨めします。それは1.レベルに達している物、2.達していない物です。この1に分類された物だけに限ってまた聴き直してその中から自分に合う物を選んでいくのです。このレベルはそれぞれの人が自分で決めるのです。そういう事を何回か繰り返す事によってレベルの決め方も段々的を得たものになっていくでしょうし、同時に聴き方も育っていくというものです。自分の世界を作るのですから、大事にするものは自分で決めなければウソです。(だから自分の感性を信じて下さいと言うのです。)
特に大切なのは新しい物を聴く時にTHE BESTを選ぼうと思わない事です。全ての分野にわたってBESTを求めるから無理があるのであって、BEST ONESを選ぼうと思う事が大切なのではないでしょうか?そういう気持ちで選べばそれぞれの物の得意不得意の部分がよく見えてきて、それぞれの時点で自分が何をとるべきかがよく見えてきます。どんな人でも長所があれば短所もあるのとまったく同じです。自分はBESTしか相手にしない等とかたくなに思い込まない事です。逆にオーディオがBESTな聴き手を選んだりして.......その時に真っ先に外されないように気をつけないと......!!?
第5回:弾き手の心意気
弾き手は聴き手の皆さんの前で演奏する時にどのような気持ちで弾いているのでしょう。
演奏というのは弾き手のイメージを聴き手の皆さんに伝える作業です。演奏する時はもっと上手い人がいようと別の面白い弾き方をする人がいようと、自分はこの曲の真の姿はこうなのだと信じるものを聴き手に伝えないといけないのです。それが出来なければその人の演奏家としての存在価値はない事になるのです。自分の感じるものこそ絶対だと信じて聴き手に提供するのでなければ、聴き手は納得しません。たしかに「絶対」というものはないかも知れませんが、演奏という作業の場で聴き手が期待するものはその人の提供する世界に浸れる事です。
たしかにあとで考えれば絶対はないという事は言えるでしょう。でも演奏家はそんな他人事みたいなセリフを吐いていてはいけないのです。
ある時期これこそ自分の音と思っても、次の瞬間には違う方向に傾くかもしれないです。でもそれぞれの瞬間には「これこそ(私にとっての絶対)!」と思って弾かなければ演奏にならないのです。 (こんなもんでいかがでしょう?などという程度では誰も納得しません。)
ただし今の自分に自信を持つ事は大切ですが、新しい物をいつでも受け入れられるだけの柔軟性と謙虚さは常に持っていないといけません。つまり自分が出来る範囲ではこれこそBEST!というという自信と、それが自分が接する事が出来た範囲で選んでいるという限界の両方をハッキリ意識しておかないといけないのです。
皆さんも自分のオーディオの音を決める時に同じような心意気を持って頂きたいです。「これぞ私の音!」と胸を張って言えるような音になるまでオーディオと仲良くならないといけないのです。出来るだけの事をして、現時点で私が接した範囲ではこれこそBESTという物を選びましょう。これなら誰にもできるはずです。1回や2回間違いがあっても、必ず近いうちに自分にとって正しい方向は見えてきます。
ただし自分の感じる事だから何をやっても良いという事ではありません。演奏は風呂場の鼻歌ならともかく人様の前で入場料を取って演奏するのなら、少なくとも来て下さった方を楽しませるだけの説得力は持っていなければいけません。
オーディオも自分が愉しむだけで一切人に聞かさないし意見も感想も述べないなら別ですが、人に共感を求めるのだったら少なくともその音がそれを聴いていただいた方にも説得力を持っていなかったら話にならないでしょう。この説得力に欠ける発言がいささか目立つのが残念ながらオーディオの世界ではないでしょうか、というのが私の偽らざる感想です。 ですから皆さんにはご自分の耳と感性を信じてご自分なりの感想を是非持って頂きたいのです。
第6回:Sweet Spot
Sweet Spotとは一番美味しいところという事ですが、音量については3つのSweet Spotがあります。それは自分という人間の、そして自分のいる部屋の、そして鳴らしている器械のSweet Spotです。
自分のSweet Spotとは自分はこれ位の大きさで聴きたいなという音量です。
自分のいる部屋のSweet Spotというのはその部屋ではどの位の大きさで鳴らした時に良い音がするかという事です。あまり小さい音で部屋一杯に音が浸透しないのでは寂しい音にしかなりません。逆にある音量以上になって部屋が飽和してしまうとそれ以上音量を上げても音が詰まってしまって息苦しくなってしまいます。(これには器械の音質音色の問題もからんできます。同じ音量でも器械によって感じ方が違うのです。)
そして器械のSweet Spotとは良い音の出る音量です。一般的に言って音量を0から上げていくと、あるところで音が活きてきます。そして更に上げていくとあるところで飽和します。その中で細かく音量を変えると表現力のある音量レベルの幅がある事に気付きます。
普段自分の聴く音量だけでやるのではなく、小さい方大きい方に少し振ってみるのです。そして音がどう変わるか聴いて下さい。そして効果のある方でしばらく聴いてみて下さい。演奏でもそうなのですが一般的に言って、小音量で充実した音を出す事の方が大音量で聴かせるより何倍も難しいものです。演奏家も気の利いた人ほど小音量の表現力を気にしています。オーディオでも早くこの音楽の持つ小レベルの表現力表現の幅に気がついていただきたいです。それを大事にすると音量は自動的に落ちてくるものです。なぜなら大音量で耳に痛い刺激があるような状態ではそういう細かいニュアンスを聴き取ろうという気が起きないからです。人間はそんな大音量の中で細かいニュアンスを聴き取れるほど器用には出来ていません。(私達が演奏する時に周りが ff で弾いている中で pp でニュアンスを大事に弾けるかと言われたら、馬鹿馬鹿しくてそんな気にはなれません。どうやっても聞こえないのですから当然でしょう。オーディオも同じです。)
このように現状から少し動いてみてその傾向を掴んで新しい基準点を作り、しばらくそれを聴いて下さい。またしばらくしたら同じような事をトライしてみて下さい。最初はかなり大きな幅で基準点が動くでしょうが、段々その幅は小さくなっていきます。目的地が近くなってきたという証拠です。
例えば最近私自身が経験したのは、サンバレーのプリアンプSV-3を聴いている時にレベルを半ノッチほど上げたら「これっ!」という感じになった事があります。ニュアンスを大事にするならレベルは下げれば良いというような簡単な話ではないのです。とにかく大小両方に振ってみて「よく通るけどうるさくない音」に近づいて下さい。(出来るだけ広い範囲で音が活きて欲しいのです。)
この3者はお互いに関連しているので、厳密に区別はつけられません。でも特に自分と器械のSweet Spotの違いには気をつける必要があるでしょう。なぜなら器械のSweet Spotと自分のSweet Spotに接点がなかったらそれは何をやっても自分には合わないものだからです。(こういう事から候補が段々絞られてくるのです。たとえどんなに良い物でも自分の感性と接点のないものはやはり扱い切れないと思います。)
3者で考えるのが難しかったら自分の中と外の2つの要素で考えてみたらどうでしょう。自分の気の持ち方で外の要素に合わせられるか試すのです。そして何が一番問題なのかを見つけるのです。
それともう1つ、Spotというと点という印象がとても強いですが、実際にはかなりの幅があります。その意味ではSweet Bandなのかもしれません。 (これは演奏する時の音程と同じで、よく響く音の幅というのは実際にはかなりあるものです。もしこれが本当に点だったらヴィブラートなど聴いていられない事になります。)
このようにオーディオを聴くにあたって実際に音を出す側の都合も知って頂くと、オーディオの調整に当たって気にした方が良いところとアバウトでも良いところがある事がお分かりいただけて、気楽に色々トライして頂けると思います。1つ1つは小さい事でそれ自体は大差は生じないものでも、その全てに1つの方向性を持たせられると「チリも積もれば山となる。」という事です。深刻に考えず楽しく聴きながら、少しずつ自分に合う自分にとって良い方向に歩いていきましょう。これ1粒で全てが解決する秘薬(例えばこれをつければつまらない音が良くなるというアクセサリーの類)などないのです。演奏でも上手い人はやるべき事をちゃんとやっているだけです。
第7回:聴き方
今まで小難しい話の連続でしたので、今回はとても簡単な話です。
試聴会などに行くと皆さんとても怖い顔をしてオーディオと向き合っていらっしゃいます。演奏会でもそうなのですが、身じろぎもせずに皆さん修業のような顔をしていらっしゃるのです。もっとリラックスして聴いていただきたいのです。聴く場所も2等辺3角形の頂点でなくても良いのです。私の家のリビングなど私のいる場所は左寄り、栄子先生の場所がSweet Spotになっています。でもそういう位置で人に聴かせてあげるつもりになっていると、色々問題点が浮かんできます。また自分がSweet Spotから外れているので、自分のところでも良く聞こえるように調整していくとサービスエリアが広がります。1階のレッスン室でも定位置で座って聴く以外に、立って聴いたり床に寝転がったり生徒の座るチェストベンチで聴いたりとさまざまです。
ついでに言うと勉強のために聴く時も定位置に正座している訳ではありません。どこで聴いても音楽の骨格は聴き取れるものです。
私のお奨め:オーディオをそして音楽を聴く時は場所も聴き方ももっと自由にして、どこでも音楽を愉しめるようにサービスエリアを拡げる事です。そうすると肩から力の抜けた気持ちの良い音場が目の前に広がりますよ。そうなると自然に装置の影は薄くなっていって、音楽だけが聞こえてくるようになっていくのです。食事したりお茶を飲んだりしながら音楽を聴くようにすると、かしこまって聴くのがバカらしく思えてきますよ。自分も愉しんで人も愉しませなければ........
来し方
第8回:転機
これからしばらく今までの私の遍歴について書きます。
今回は私の今までのオーディオ遍歴の中で経験した大きな転機2つをご紹介します。
1つ目は2001年の5月末に同僚横山さんにエレキットのTU-870を聴かせてもらった事です。 その時の事を私は以下のように書いています。
夜になってYさんに借りた6BM8シングルのアンプを鳴らしてみたのですが、たった2Wとは思えない音でビックリしました。普段使っているのはQUAD606ですが音のクリアさは6BM8の方がずっと勝っています。面白くて色々なCDを聴いてみたのですが、元の状態に戻したらたしかにいつもの音ではあるのですが全然楽しくないのです。Yさんにさかんに奨められていたのですが、実際に聴いてみて納得しました。KT88シングルのアンプがあるようなので、それに乗換えようかなと思っています。LINE入力が3つあるので主に使うCD等をいつもつないでおいてLINE3にセレクターをつけて前に引き出しておけば色々なものを切り替えて使えるので今のままで行けます。こうやってみるとプリアンプというのは不要なものだとしか言い様がありません。最近タンノイのデヴォンの音がつまらないなと思っていたのですが、アンプのせいだったようです。
プリアンプの音質のコントロールというのはほとんど使わないというかキャンセルする場合がほとんどなので、プリアンプを使っても音質を劣化させる意味しかないのが現状です。それに真空管のアンプは得難いキャラクターを持っています。ピアノよりヴァイオリンの方が音が良くなっているような気がします。
いまはプリについての考えはまるで変わってしまいましたが、この時の真空管のインパクトはいまでもよく覚えています。
2つ目は2003年3月1日のサンバレーの店主のひとりごとです。それまでDevonの音についてずっと抱いていた疑問があったのですが、ユニットを耳の高さに持ってくると良いという事が紹介されたのです。それまで木やブロック、重量ブロック、鋳鉄など色々な材質のブロックの上に置いてみたのですが、今一つも二つもしっくり来なかったのです。それを読んで早速秋葉原に行ってスピーカースタンドを探しました。Devonのような大きな物を載せるスタンドが見つからないので、スタンドを2つ1組で使う事にしました。ここら辺の経緯はこちらをどうぞ。(更に下にその当時の様子があります。)
それまでキャスターの上に載せて近い高さまで上げた事はありましたが、キャスター自体が弱いので使い物になりませんでした。スタンド自体が65cmもある物に載せるという事は考えもしなかったのですが、やってみたらとても良い音です。(スタンドの足の中に半分くらい土を入れてあります。)
これによって今までしっくり来なかった部分も解決しました。この2つの転機によって、音が自然に飛び出してくると言ったら良いのでしょうか、音の自発性が増したのです。
この他にも色々私にとって印象的な出来事はたくさんあります。それをこれからご紹介していこうと思っています。
第9回:TANNOYを選ぶまで
私がオーディオに最初に触れ合ったのは父親によってです。父は若い頃自作オーディオに目覚め2A3のプッシュプルをトランスまで自作したほどの筋金入りでした。私は小さい頃この父の力作のアンプと、父の自作のスピーカーで色々の音楽を聴きました。私が小学生の頃の話です。段々父も忙しくなり自作の時間が持てなくなり、 私が高校の頃には市販のステレオで聴くようになりました。その頃どんな陣容だったのかは今では覚えていません。それにその頃はレコードでここはこんなテンポでこんな感じに弾くのだ、という事を聴くのが目的だったのです。つまり再生装置によって音楽が違って聞こえるというような事には全然関心がありませんでした。
しかし私が東大に入って当時の学生運動の中で芸大に転身する事を決意した頃から少しずつオーディオに興味を持ちました。といってもその頃は自分で買える訳ではないので、秋葉原のショールームなどに行って良い音を聴くと指をくわえてうらやましがるだけでした。いよいよ芸大を卒業してN響に入り、自分で給料を頂くようになって自分のステレオをいよいよ買えるようになりました。
N響はその頃から渋谷のNHKホールで月3本の定期公演をやっていました。定期の初日、ゲネプロが終わるとお昼を食べて渋谷の町に繰り出すのです。その頃公園通りの東武ホテルの向かいにサトー無線の渋谷店がありました。いつもゲネプロの後2時〜5時位までここに居座って色々な物を聞かせてもらいました。 何も買わないのにずっと居座るさぞかし嫌な客だったのでしょうが、ここの方たちはニコニコと応対してくれました。特に店長さんだったKさんには大変お世話になりました。前にも書いた事がありますが、この頃私が目をつけていたのはまるで違う4つのタイプでした。1つはファミリーオーディオに徹した物、2つ目は大きなホーンスピーカーを中心とした物、3つ目はコンデンサスピーカーを中心とする物、4つ目はモニタースピーカーを中心とする物です。2は夢ではあるのですが家はせまいので諦めました。3は全体として予算オーバーになるのでこれも諦めざるを得ませんでした。残るは1と4です。私は可愛らしいオーディオをリビングで団欒の場で聴くのが夢だったので、4のモニター系にもすごい魅力を感じながらも1をとる事にしました。
そして自分で買ったシステムはプレーヤーはたしか最初はVictor(型番は覚えていません。カートリッジはグレースだったような気がします。)、
プリはQUADの33、メインは同じくQUADの303、スピーカーは今も現役のTANNOYのDevonです。
この後2年ほどして結婚したらなんと栄子先生もスピーカーはTANNOYを持っていました。1サイズ小さいEatonでしたが。私達夫婦はオーディオ遍歴の初めからともにTANNOY党だったのです。
もし私が最初にモニター系を選んでいたら今どうなっていたのでしょう?多分今の私のような感性にはなっていなかったでしょう。という事は今のように真空管アンプに入れ込む私はいなかったでしょう。(ご存知のように2〜3年ほど前にRogersを手に入れました。一時期メインスピーカーとして聴きましたが、私はとても良い物だとは思うのですがいつも居住まいを正されるような気がしています。)今の家に入るようになって広い部屋は出来たのですが、やはり家族団欒の中で家族と一緒に音楽を聴くという生活が夢なのでこれから先も大型ホーンスピーカーはうらやましいと思いながらも自分の物にする事はないでしょう。コンデンサスピーカーも今の倍位のホールでも持たない限りは買わないでしょう。普段の生活の中で聴くオーディオですから、現状でも特にレッスン室はやり過ぎなのかもしれません。でも音を聴くとどうしてもこれ位は欲しいです。
今の私の環境のバックボーンTANNOYを選ぶようになるまでの私の遍歴を書きました。次はこれから今の状態になるまでの遍歴をご紹介します。
第10回:その後
最初のシステムを導入してからどういう順番かは覚えていませんが、プレーヤーがLINNのLP12(アームはSMEです。)になり、アンプがQUADの44、404の後、66、606に替わり、CDプレーヤーとしてMERIDIANの207IIを新しく買いました。カートリッジもORTOFONのMC20、30になりました。まだオーディオが黄金期で、良い物がまだたくさん市場に出ていた時代でした。QUADかMERIDIANのどちらかは今では覚えていませんが、どちらかを買ってからオーディオに変化はありませんでした。
その間にオーディオは衰退の一途を辿り、私が真空管アンプに目覚めた頃にはとても寂しくなってしまいました。CDプレーヤーも性能は良いけど音は今一というような物ばかり、アンプも良く言えば繊細、線が細くて私の好みには合いません。また特にスピーカーが音のまとまりがない物ばかりで悲惨でした。
その時期に大橋さんとメールのやり取りをするようになり、アンプについてはなんとかなりそうな期待が持てました。そうこうするうちに秋葉原のラジ館のサトー無線で渋谷店でお世話になったKさんに再会しました。そしてRogersやMYRYADのMCD500を紹介して頂きました。一番の問題はスピーカーでした。やはり私の好みから言えばTANNOYのStirlingしかないであろうという事になりました。(同じようでもTurnberry HEの音はStirlingとはかなり違います。音はStirlingの方が上です。)
この頃から後の事はご存知の方も多いと思いますが、簡単にご紹介します。
真空管アンプに目覚めたのは2001年5月でした。
切掛けはエレキットのTU-870(6BM8シングル)でしたが、自分で最初に持ったのはトライオードのKT88のシングルアンプ(VP-Mini88MkII)でした。
その頃ラジ館のサトー無線でトライオードの6BQ5のシングルアンプ(VP-Mini84 MkII)を見つけこれも手に入れました。
それからエレキットのプリアンプのキット(TU875)やエレキットの300Bのメインアンプ(TU-873)を作りました。そして色々のアンプを聴いて300Bの音に魅了されました。
それからHyuGER HK-300BS、サンバレーのSV-501i、SV-501 SE、SV-91Bと300Bのメインアンプを作りました。
またプリアンプはADVANCEのPRA-1(EQ付)、サンバレーのSV-3、SV-722(Macintosh型)、SV-310(つい最近完成しました。)今の陣容はステレオのページをご覧下さい。
去年の秋くらいまでは色々新しい物を作る事が主流だったのですが、去年の秋から細部の手直しが始まりました。スーパーツイーターを導入し、管をWEにし、1階にあったプリSV-722を2階に持って行き、最後はスピーカーを入れ替えました。
このページを書き始めて1週間も経たないうちに10回目まで勢いで書いてしまいました。ここで取り上げて欲しい事がもしありましたらメールでお知らせ下さい。出来るだけ対応致します。
第11回:基本はスピーカー
機器の移り変わりについては前回ご紹介しましたが、オーディオの基本はなんと言ってもスピーカーです。
2001年の5月に真空管アンプに目覚めたのですが、その伏線はその前に開いた2つの演奏会にあります。その演奏会の準備のために色々なCDをたくさん聴こうとしたのですが、フランクとかブラームスなどの長いソナタを1曲聴いただけで満腹になってしまっていたのです。音が鼻詰まりで伸びがなく、妙にポルタメントが鼻につくのです。
それまでも例えばスピーカーのセッティングについては色々な本を参考に高さ、開き、角度などを色々試してみましたし、スピーカーを載せる台の材質も色々試しました。またアクセサリーの類も色々試しました。何をやってもほとんど効果が出てこなかったのです。その時の苦い思い出があるので、私はアクセサリーの類についてはほとんど信用していません。(たしかに違いはあるのですが積極的に良くなったとはとても評価できないものばかりです。)
結局その2つの演奏会の時はひたすら我慢をしながらCDを聴いて勉強したのです。
ところが2001年の5月に同僚横山さんに貸してもらったエレキットのTU-870を聴いたら、それまで気になっていた音の伸びと自然さが感じられて驚きました。この出来事がそれまでステレオはこんなものだとある意味諦めていた私に火をつけてくれました。これが1番目の転機でした。
たしかに真空管アンプによって音は良くなったのですが、再生される音は残念ながら今1つでした。何かが足りないのです。ここに更にもう1つの出会いがありました。それがサンバレーの大橋さんのひとりごとでした。(第8回:転機をご覧下さい。)音の軸を耳の高さにあげる事がTANNOYを使う場合一番大切だという事です。今までも耳の高さに上げてみた事はあったのですが、しっかりしないキャスターの上に載せていたので音は良くありませんでした。?マーク半分で試してみたら(ブックシェルフ用のスタンドに載せて試してみました。)、思った以上の効果がありました。
これで基本線は掴めましたが、これからがセッティングの微調整です。スピーカーの間隔をどうするか、後ろと横の壁からの距離をどうするか、内向きの角度をどれ位にするのか等色々の問題があります。これらはそれぞれのお宅の作り(2×4か在来工法か、壁がクロス張りかペイント仕上げかなどの条件が家によって違います。)によって条件が異なりますので、それぞれトライしてみて下さい。要は何らかの方法で音の軸を耳の高さに持っていく事です。(後で手に入れたStirlingの場合には前だけにスパイクを付ける事によって音の軸を上向きにしています。)初めは範囲が広過ぎて手の出し難いセッティングですが、ある程度まで追い込むと色々条件を変えるとそれが音にハッキリ出てくるようになります。そうなれば後は自分の耳を頼りに追い込んでいけます。
私の家の場合はスピーカーの間隔は140cm、スピーカーから聴衆位置までは240cm、後ろの壁からは25cm、横の壁からは1m、内向きの量はスピーカーを載せているスタンドの脚の前後で3cmほど振っています。でもこれは2×4の輸入住宅で壁がペイント仕上げになっている私の家の場合ですから、他の方のご参考にはならないと思いますが参考までにご紹介しました。とにかくTANNOYの場合は音の軸の向きが耳にまっすぐ向くようにしてみて下さい。
今のオーディオ界について私が疑問を抱くのは、私が色々やってみて転機になった出来事が全て人脈から得られたもので、たくさん出版されている雑誌や本等からではない事です。このようなオーディオ遍歴の途上で参考にできるような雑誌や本ってないのでしょうか?
第12回:基本はスピーカー(続)
私は今までTANNOYだけを使ってきた訳ではありません。自分のレッスン室ができた時には違うメーカーのスピーカーに挑戦するつもりでした。それで某有名メーカーのトールボーイタイプを手に入れたのですが、これが大失敗。その当時に再会を果たしたKさんがヒョッとすると合うかもしれないという事で、お知り合いの持っていらっしゃったRogersの中古を紹介して下さったのです。これを家に持ち帰ってつないでみたら切り替えて聴く必要もない位に良い音がしました。この当時の事を全部書くととても大量になるので、結論だけご紹介します。
この当時は既にアンプは300Bのシングルになっていました。300BシングルでRogersを鳴らすと今までの某迷器(?)に較べれば格段に良いのですが、音の粒が思ったほど細かくならず発音の時に何かに引っ張られているような感じが拭えなかったのです。それでKさんのところで色々スピーカーを聴いてやはり現行器ではStirlingしかないと思いこれに移ったのです。この音の粒というのは耳に感じる音の塊の最小単位の事です。これが細かいと細部までよく分る代わりにサラッとし過ぎて粉っぽくなり力感が不足します。逆に粒が大きいと発音が全て鈍重に聞こえ、ダンプトラックで裏道を行くような歯痒さを感じてしまいます。Rogersについてはある程度の音量になった時に音の芯を掴み切っていない事とpp 等の弱音でなぜか音の粒が大きくなってしまう事が気になっていたのでした。色々やってみたらメインアンプに原因がありました。可愛いプッシュプルアンプSV-9Tで試してみたら豹変したのです。Rogersには出力は小さくてもプッシュプルが合うのでした。(我が家では理恵子はRogersの音が大変気に入っています。自分の演奏を客観的に聴くという使い方にはたしかにRogersの方が合っているでしょう。私はSympathyの方をより強く聴きたいのですが、これも年齢のせい?)
参考までに某迷器について言うと、聴いていて粒を感じないのです。音の粒の隙間に何かを塗り込んでしまったようで、つるっとした感触で「なにこれっ?」という感じです。ではなぜ買ったのかと言うと、急いで何かスピーカーを手に入れる必要があったのでその時某有名店の店頭で聴けた物の中では最も良いと感じたからです。 このメーカーのフラグシップモデルも何ヶ所かで聴きましたが、似た傾向でした。
この感触は数値にはならないので、これを比較するのは試聴しかありません。 メーカーの皆さんもこのような聴き方をする者もいるのだという事を知って頂きたいです。この聴き方はそれぞれの特徴をよく捕まえられると自分では思っていますが、いかがでしょうか?
私はいつも音を聴く時にこの音の粒を聴き取ろうとは思っていませんが、しばらく聴いているとそこに耳が行ってしまうのです。私はこの音の粒は細かい方が好きですが、細かすぎると聴いていて醒めてきてしまいます。やはりある程度の手応えのある大きさの方が好きです。
その点でDevonとStirlingを較べるとStirlingの方が粒の大きさは好みです。でもDevonは25年以上聴き込んできた歴史があり、「打てば響く」反応の良さは抜群です。そこで背圧がかかる感じのする1階において様子を見ていますが、パラメーターの微調整を再度する必要があるのでしょう。Stirlingは2階の方が気持ち良さそうに活き活きと鳴っているので、これをまた1階に持って行く気はありません。2台ともStirlingにする?......考えた事もあるのですが、ここまで付き合ってくれたDevonは天寿を全うするまで大事に現役で使ってやります。(コーン紙の鳴らし込みは、この25年の歴史の末にやっと得られたものです。それにしても楽器の寿命は長いですね。今最高と評されるStradの黄金期は1715年です。今からほぼ300年前、建築物なら1000年以上もつのですから木の持つ活力とはすごいものです。)
以上の事を見ても私がもし最初にモニター系への道をとっていたら、まるで違う方向に向いていた事がお分かり頂けるでしょう。初めは私がスピーカーを選んだのですが、それから先はスピーカーとの共同作業で道を進んでいるのです。つまりスピーカーが私に返してくれたFeed Backのおかげで私も成長できたのです。皆様も是非良いフィードバックを返してくれる良き伴侶を見つけられる事を祈っております。(離婚再婚と色々な人と付き合うのも別の人生かもしれませんが.......?)
第13回:オーディオと音楽
オーディオは音楽を聴く時の相棒ですが、聴き較べはその相棒に何を選ぶかを決める機会です。そこではこれから長い間付き合えるかどうかが選択の一番の基準です。(まず試聴の時に自分の家来を選びたがる事が間違いの大元です。)楽器にしろオーディオにしろそれ自体が音楽性をもっている訳ではありません。勿論使い手の要求に応える幅がたくさんある物とあまりその幅を持たない物はたしかにあります。ですが出てくる音に音楽性があるかどうかは使い手次第なのです。問題になる事はこちらが要求した時にその候補がその要求に応える能力を持っているかどうかです。
また演奏は毎回違う事をやろうとしているものです。同じ曲でもそれまでの常識の範囲内で演奏している場合もあれば、新しい事に挑戦している場合もあります。それを試聴の段階でこの音楽はこのような音楽だからと決めてかかるのはいささか筋が違います。
それに何よりこの音楽がどういうスタイルであるべきかを論じるのは音楽の範疇なのであって、オーディオを論じる時に出てくるべき議論ではありません。オーディオは演奏を再現する道具であって、演奏家の考えと持ち味を分らせてくれればそれで立派に役を果たしているのです。演奏のスタイルはそれがクリアされてから音楽の場で議論すべきものです。
前にも書きましたが、オーディオと演奏とはハッキリ切り離して考えるべきだと思います。例えばこの曲のこの部分で低音がハッキリ聞こえたからこれは良いアンプだ、等という判断は私には納得できません。なぜならほとんどの場合そのように聞こえるのは実際の演奏が低音を大きく弾かせて高音には少し遠慮してもらっているからです。低音が大きく聞こえたから良いアンプなのではなく、それは演奏がハッキリ低音を聴かせるようにしたからで演奏が良かっただけなのです。(つまり低音がハッキリ聞こえないアンプの方が曲者なのです。マトモな物なら低音が大きく聞こえて当たり前なのです。観点というか聴き方が根本的に違うのです。)オーディオと演奏との関わりについてはいくらでも言いたい事はありますが、少なくとも演奏とオーディオの区別はハッキリつけて欲しいものです。オーディオ評論は音楽を論ずる場ではありません。
こういう混乱を放ったままオーディオの話をするから話が前に進まないのだという事を私は声を大にして二度でも三度でも言いたいです。活き活きとした音楽を活き活きと聴く事がオーディオの眼目なのであって、何が良いかのコンペをするのがオーディオの目的ではありません。大元に音楽を良い音で聴きたいという本能にも似た気持ちがなければ、オーディオなんて魅力ありません。これこそが今のオーディオが劣勢である事の最大の原因です。本来オーディオに言葉はいらないのです。この小道など書かなくてすむのが本来の姿です。でも最近笑って済ませられる限度を越えてきています。このままではオーディオは死に体です。いま商売ではなく自分で聴くためのオーディオを作っているメーカーがどれだけあるのでしょう?
第14回:言葉の限界
オーディオ評論も演奏評論も実際にその音を聴けない人にその音を紹介するには言葉の助けを借りる以外に方法はありません。その事は絶対に認めざるを得ないのですが、それと同時に言葉に頼る事による限界もあります。例えば家で栄子先生とCDを聴いていてとても上手いので思わず2人で顔を見合わせてしまう時があります。この時の私達2人の気持ちを文章にすると、何か興ざめで歯痒い思いをしてイライラしてきます。「前のフレーズから次のフレーズへのつなぎの一瞬がとても魅力的で.....」等と書かざるを得ないのですが、聴いている時はホンの一瞬の響きに酔っているだけなのです。でも人に伝えるにはこのように書かざるを得ないのです。他にやりようがありませんから。でもそれを読んだ人には私達が演奏を聴いてその一瞬に感じた心の豊かさは伝わらないのです。思わず顔を見合わせている様子を言葉で表現する事のバカらしさは皆さんにもおわかりいただけると思います。
この事には2つの重大な側面があります。
1.評論とは
私は今まで批評家に対して批判ばかりしてきましたが、批評家は文章で音の印象を伝える事を仕事にしている訳で、その中で読者からいわれのない批判をされる事が数限りなくあったのだと思います。その中から読みようによってはどうとでもとれる文章で身を守るようになってしまったのでしょう。でも私に言わせればそれでも批評を仕事にするのなら、自分の意見をハッキリ書くのが任務でしょう。でも彼らをこのような状況に追い込んだのはわれわれ読者側にも責任があるのです。このような状況を作り出して困るのは誰あろう読者自身なのです。
私は演奏家として自分が愉しみ勉強する為に使っているオーディオ機器について「聴いてどう感じたか?」だけに特化して書いています。それ以上の技術論には私は触れるつもりは全然ありません。どんな物であれ自分の求める音が得られるのならば、それがどんな形であっても良いのです。
2.すべての基本は生
オーディオが生を聴けない人の演奏を聴くための装置であるという前提での話です。
演奏を聴いてその良さを伝えようと思って文章にしても書き手には違和感が残るのですから、 本当の良さを知るためには生を聴くしかないのです。「でも生は聴けないよ!」。たしかにそうでしょう。私だって生を聴けない演奏家の方が圧倒的に多いです。ですから録音された音から生を想像せざるを得ない訳で、それが出来るためには出来るだけ生を聴かないといけないのです。矛盾なのですが、最初に書いた事を前提とするなら仕方ないのです。演奏のエッセンスは生にあるのです。
オーディオについても同じ事が言えるでしょう。オーディオ機器の聴き較べを考えても、まず最初に聴き手の耳と心を通しているのです。つまり評論は書いている人の音楽性や音楽感に基づいて書かれている訳で、読む側はその書き手の感性に同感できなければ読んでみてもなんの参考にもならないのです。オーディオも原点はそれから出てくる生の音です。それを聴いて自分がどう感じたかが一番大切なのです。(人がどう言おうと!)
第15回:SV-501とSV-91B
しばらく脱線していた話を元に戻して、今回はメインアンプについて書きます。次回はプリアンプです。
私は6BM8のシングル(エレキットのTU870)で真空管に目覚めた後、KT88(トライオードのVP-Mini88MkII)、6BQ5(トライオードのVP-Mini84 MarkII)のシングルを手に入れ、思い出の6BM8シングルを作りました。 当初はKT88を聴いていたのですがそのうち300Bのシングルが欲しくなり、エレキットのTU-873を作りました。私は音の自然さと伸びやかさを最も重要視するので、直熱三極管それも300Bの音に魅かれて行きました。当時は秋葉原の店頭で色々な種類の管の音をずいぶん試聴したものです。そのうち同僚の伝手もあってサンバレーと接触を持ちました。その当時はサンバレーの300BのアンプはJB300BとSV-501iだったと思います。JBも捨てがたかったのですが、SVの方を選びました。このSV-501はコスト・パフォーマンスの点では右に出る物は滅多にないという名品だと思います。それが更にSV-501 SEになって見かけは i とそっくりですが音はまるで変わりました。
またしばらくして今度はSV-91Bが出てきました。この両者の違いは何度も書いていますが、要点だけをもう一度書きます。501SEの方はなんと言ってもその流麗さが特徴、91Bの方は力強さが特徴です。前にも書いたように501は固定バイアスなので、レッドゾーンに入るか入らないか位のところまでプレート電流を流すとDefaultの状態とは違うDarkな音が出てきます。(私の家でこの状態で動作させるようになって9ヶ月が経ちますが、いまだに快調です。501 SEは2階リビングに置いてありますが、毎日必ず最低でも30分ほどは音を出しています。つまりこの程度では300Bに悪影響はないという事でしょう。501に挿している300BはWEの9952です。)
1階のレッスン室にあるSV-91Bの方は501に較べると音を出す頻度がいくぶん下がります。 91BはもともとPrimeTubesが付いていましたが、これにSvetlanaやGolden Dragonを挿したり、PrimeTubesのVer.2を挿したり色々と試しました。この時点ではPrimeTubesのVer.2で決まりだったのですが、WEの300B(8826)と整流管274Bを挿したら更に音が活きて聞こえ、今ではWEになってしまいました。(整流管274Bの違いによる音の変化はかなり予想より大きいのですが、274Bは品薄で高価な事を考えるとどなたにもお奨めという訳にはいきません。)WEにしたらそれだけの意味があるかという事になると、これは人によるとしか言えません。今の時点でWEでなければダメなのかと聞かれたら、私は決してそんな事はないと答えます。今PrimeTubesで聴いても普通に聴くのであれば何の不都合もなく音楽を楽しめます。
高い真空管を買う金があったらその差額でソフトを買うという選択の方が現実的でしょう。管のコレクションを楽しむのなら別ですが。
結論として今501と91Bのどちらをとるのかと言われると、私は両方とも大事ですとしか言えません。
それに色々ステレオに手を入れて行くと、段々2つが似かよった持ち味を持ってくるのです。結局どのアンプだからという事より、私が自分の好みで音を作っているという事の影響力の方がはるかに大きいのです。今の2階の501は多分他で聴ける501とはかなり違うベクトルを持っているように思います。(管をWEにするか否かは、全体のセッティングを充分やった後に調味料程度に効いてくるものです。WEでなければダメというような事は決してありません。実際スピーカーの高域のレベル調整の方が影響力は大きいです。でも無視できない事も事実です。だから悩むのです。皆さんご自分の耳で聴いてお決め下さい。傾向だけは今申し上げた通りです。)
第16回:プリアンプ色々
私がオーディオを始めた頃はレコード(アナログ)が中心で、FMがそれを補う位置にありエアチェックで知らない曲に巡り合う楽しみがありました。レコードの再生にはEQが必須で(レコードはCDのようにフラットに音が入っているのではなく、LPの場合はRIAAのカーブにそって音が入っています。)従ってプリも必須でした。それが媒体がCD中心になってからEQの必要がなくなり、プリがなくても普通に聴けるようになってしまいました。そこでプリ不要論が起こり、私も当初はプリはない方が音がクリアに聞こえていました。しかしそれが曲者でした。今から思うとこの一見クリアに聞こえるところが今の薄味の存在感のないオーディオの主流と同じ線上にあるような気がしています。
私は今までプリアンプと称するものはQUADの33、44、66、エレキットのTU-875、CREEKのP43、サンバレーのSV-3、SV-722(Macintosh型)、SV-310と使ってきました。この他にも試しただけという物もいくつかあります。ここではそれぞれを比較する事はしませんが、傾向としては2つのタイプがあるように感じます。1つはおとなしいタイプ、もう1つは積極的にメインをドライブしようとするものです。
今はプリの機能は入力切替だけのインテグレーテッドアンプが多くなっています。CDダイレクトというのは妙なプリを入れるのだったらない方が良いという論理から来ているのでしょう。この理屈もある意味では当たっています。わざわざ使っているのにその恩恵を感じさせないプリも残念ながらかなりあります。ですから色々試さざるを得なかった訳です。
これは私の個人的な感想ですから違う意見の方もいらっしゃると思いますが、プリを入れて繊細にクリアに聞こえるようになったという印象が第一だとしたら私はその環境ではプリを使わない方が良いと思います。一見クリア、実は線が細いだけというのが今のオーディオが入り込んでいる迷路だというのが私の意見です。最初に書いたタイプ1のプリはたしかにあってもなくても変わらないので、それならない方が安くて良いという意見には私も大賛成です。プリの存在価値は他の条件がきっちり煮詰められていないと出てきません。聴いてその必要性を感じられない方の環境では多分プリは活きないのです。特にスピーカーのセッティングがきちんと出来ていないと、プリなんかあってもなくても同じという感想を持っても当然だと思います。
「タイプ2は付帯音をつけているだけじゃない?」という意見が聞こえてくるようですが、響きという付帯音のつかない演奏などないのです。「楽器本体から出る生の音をそのまま再生するのが本来のオーディオの姿だ!」という一見もっともに聞こえるご意見は、本物の音楽をご存知ない頭の中で音楽を理解しようとされている姿です。そんなに付帯音が嫌だったら無響室で演奏を録音して聴いて下さい。こんなつまらない音はないものです。もっともそんな環境で演奏してくれる演奏家など絶対にいませんが。勿論プリアンプが演奏の本質を変えても良いと言っているのではありません。
プリなしの音プリ付の音の違いは簡単に言うと車で馬力優先かトルク優先かに近いニュアンスを持っていると思います。これだけの電圧を与えればメインの出力はこれだけ出るから充分、というように考えるならプリはいりません。真空管アンプの魅力に取り憑かれた方はこの出力なのになんでこんなに表現力があるのだろうと感じた瞬間が数限りなくあると思います。これこそが真空管のドライブ力(トルク)でしょう。プリも数字合わせのためなら特にいりません。
私は音を聴いてその表現力に今一つというものを感じられるのだったら、良質のご自分の好みに合うプリの使用をお奨めします。 プリにはそれぞれ個性があります。(個性がない方が良いのだったらプリは使わないで下さい。)よく試聴して自分に合うものを選ぶしかありません。
私自身はSV-722とSV-310というかなりキャラクターの違うものを使っていますが、これは私の二重性の表れなのでしょう。 どちらか1つと言うなら310ですが、どちらも素晴らしい音を持っています。(リビングで楽しむなら722+501 SEでしょう。自室で音楽と向き合うのなら310+91Bです。あくまでも私の好みです。)
第17回:もう1つの転機
前に書いた転機の他にもう1つ大きな転機がありました。それはスーパーツイーターです。前から奨められていたのですが、TANNOYの手ごろなスーパーツイーター(ST-25)が生産中止になるという話を聞きあわてて入手しました。これ以上高域を伸ばしたいという希望はないので特に必要はないというのがそれまでの気持ちでした。ですが実際にやってみるとスーパーツイーター自体からはほとんど音が出ていないのに、中低域の音の肌理が細かくなったのです。音が今まで以上に落ち着いたのです。最初はStirlingにつけたのですが、Devonにもつけてみたくなりなんとかもう1つ手に入れました。
現在でもST-25は時々オークションに出てくるようです。それに上位機種はいまだに販売されています。といってもとても高価で、二の足を踏む状態です。
スーパーツイーターはたしかに効果があるのですが、その使い方には注意が必要です。内輪に抑え気味に使わないと元のバランスを崩す事になってしまいます。私は2階では18kHz89dB、1階では18kHz85dBにしています。部屋によっても装置によっても微妙に違います。それに使っていく事によって音が馴染んできて高域を出しても平気になってきます。ちょっと試せばすぐ候補は二者択一位に絞られてきます。その先を決めるのはある程度の期間が必要でしょう。でも自然と1つに絞られてきますので、最初に思うほど選択肢が多くて困るという事でもありません。
TANNOYの純正のスーパーツイーターだから気楽に試せましたが、他社の製品だったら多分トライしなかったと思います。なぜ他社だったら試さないのかというと、最大の問題は音のスピード感です。同じTANNOYなら自社製品に合わせて作っているので帯域によってスピードが違うという事はないでしょうが、他社の場合はまずそれを合わせる事が難しいのです。(もっとも2ウェイや3ウェイで帯域によってスピード感の違うスピーカーを出しているメーカーもありますから、純正だから良い訳でもありません。)
第18回:もう1度良い音?
ここまで色々の事を書いてきましたが、ここでもう1度良い音について考えてみます。
音楽の3要素とはリズム、メロディー、ハーモニーです。
どの要素についても最も大切なのは音の立ち上がりの速さでしょう。つまり音を静的なものとして捉えるのではなく、動的な常に変化して行くものとして捉える必要があるのです。(今のオーディオ評論は静特性しか問題にしていません。といっても動特性を系統的に扱う方法はないのですから、やりようはないのですが。ですからヒアリングが大切なのです。)ここで音の変化へ追随して行く時に大切なファクターは2つあります。 1つは速さ、1つは重さです。
音の変化についていけるためには速さが必要なのは当然です。ですが速ければ何でも良いという訳ではありません。速く動いていても紙のように薄くて軽いのでは存在感がなくて、白々しく聞こえてしまいます。今のオーディオ評論にはこの観点はありませんが、これこそ聴いた時の感じを決定的に左右するものだと思います。私は自分で聴く時は音の粒の大きさと重さを一番大切にしています。(粒が細かくなければ細部は聴き取れません。ですがそれだけ音は軽くなるのです。粒が大きくなるとスケール感は出やすいですが、その分鈍重に聞こえる危険があります。つまり音の粒の大きさと重さが大事なのです。)今のハイエンドと言われるオーディオはこの粒が細かすぎるのだと思います。粒が細かくなり過ぎると当然その粒の重さは軽くなる訳で、どんどん存在感が薄い音になってしまうのだと思っています。(この音の粒の大きさは同じ物でも部屋の特性やセッティングによって大きく変わります。例えば2階に置いてあったDevonが1階ではかなり印象が違って聞こえています。)
私は音を聴く時にまず音色を聴き取ろうなどとは思っていません。この音の粒の細かさと重さが私の好みに合うように調整出来ると、音の肌触りなどは自然に音の中から浮き上がって聞こえてきます。音色は聴く場所が違うと違って聞こえますが、どこで聴いても演奏の本質は聴き取れるのです。つまりそのどこで聴いても聴き取れるものこそが演奏家の個性であり、それをちゃんと表現出来るステレオこそが求められているのです。ただそこでは聴く側に求められるものもとても大きく、ハードだけがどんなに良くても聴く人まで含めてソフト的な面(使いこなしと聴き手の音楽性というか才覚)も良くないと良い音は出て来ないのです。ですから私達は常に良い音に接してそのイメージを心の中に育てるようにしているのです。そういう努力なしには良い音に接する事は出来ないものです。要するに本物に触れないで本物を知る事は出来ないというすこぶる当然の事が今のオーディオ界では無視されているように見えます。
こういう音に関する事は自分の耳で聴いて感じるしかありません。感性の世界の出来事は感じる事が出発点です。文章に全てを籠められる訳ではありません。(書いている私が言葉に制約されてとても歯痒い思いをしているのですから。)でも文章にしなければ伝わらないので、仕方なく文章にしているだけだという事を是非ともご理解下さい。
第19回:良いオーディオ?(再)
最初に良いオーディオとは生の演奏を彷彿とさせるものであると書きました。演奏家が良い音であると信じる自分の音で演奏し、それを録音したものを通して聴衆の皆さんに伝えるのがオーディオの役目です。最初に良い音とは「よく通るけどうるさくない」事、良いオーディオとは生を彷彿とさせるものと書きました。ここで良いオーディオについて私の感覚を改めて説明します。
楽器にしてもスピーカーにしても発音体は振動して音を発します。その振動の仕方に良い音悪い音の違いが潜んでいるのです。楽器もスピーカーも振動する時には使い方によって振動の基本単位が決まってきます。大音量だと全体に一方向への振動はするのですが、いくつかの細かい部分に分かれてそれぞれがニュアンスを生むという事はありません。つまりとても単調な振動モードになってしまうのです。その代わりそのモードに馴染むのにはあまり長時間を必要としません。逆に小音量で楽器やスピーカーを馴染ませるのはとても長い時間を必要とします。その代わり馴染んだ時にはとても粒が細かく表現出来るようになります。とても粒が細かく小音量でも浸透力のある音が出てきます。ただエネルギー感についてはいささか欠ける部分もあります。ですがこれも音の重心を下げる事によってかなりの部分カバー出来るものです。
アンプについても管を替える事によってこの重心が変わって良くなったり悪くなったりします。
昨日も書いたように音のスピードと重さがとても重要です。発音の立ち上がりについて行ける事と、適切な重量感を持っている事です。オーディオ評論の世界では全然触れられていませんが、音には重さがあるのです。そしてその音を出すのにはとてもたくさんのエネルギーが必要なのです。仮に小さい音であっても弾き手はとても細かい神経を使います。(むしろ f 強音より p 弱音の方が神経を使うものです。)その時に楽器やスピーカーが轟音モードの物だととても単調な聴くに堪えない音しか聞けません。だからといって粒が細かすぎると力感が生まれてきません。これをどうバランスをとるかが難しいのですが、このヒントは生の演奏の中にあるとしか言えません。やはり本物の生を聴いてそこで起こされる感覚を道標にするしか方法はないのです。それも回数を重ねれば重ねるほど新しい発見があるものです。(私達だって毎回何かしら新しい発見をします。だからこそ音楽は楽しいのです。)真空管というデバイスは音の適切な重量感の表現に長けているのです。そして同じ出力でも聴感上の温度感重量感密度感の点でSolidStateより優れています。
今回の結論は「よく通るけどうるさくない音が良い」のは当然の事ですが、オーディオ選びの時には音の粒立ちと重さに着目して欲しいという事です。
第20回:ソース色々
今回は私が普段使っているソースについてご紹介します。
私が使っているソースはメインは勿論CDです。その他にレコード(アナログ・ディスク)、FM、DAT,MDを使っています。
CDについてはもともとはMERIDIANの207 IIを使っていました。MERIDIANを買ってしばらくしてからQUADからもCDプレーヤーが出ましたが、もしタイミングが逆だったらQUADにしたでしょう。真空管アンプに目覚めてからは2ヶ所にCDプレーヤーが必要なので、MYRYADのMCD500を買いました。MERIDIANが色々不具合を起こすようになってからARCAMを買いましたが、Model2を通したりCECのTL51Xを買って音がとても落ち着きました。
レコードはプレーヤーはLINN SONDEKのLP12にSMEの短いアームを付けたものを使っています。4年ほど前にこのLINNのLP12はオーバーホールをしてもらいました。(LINNのプレーヤーは持ち運ぶのが難問なのです。)カートリッジは歴代ORTOFONを使っています。最初にプレーヤーを買った時はVICTORのプレーヤーにGRACEのカートリッジを付けたものを使っていました。ORTOFONのカートリッジはMC-10、MC-20と使ってきました。本当はSPU-Aを使いたかったのですが高くて手が出なかったのです。今はKontrapunkt b+T-1000の出力をCREEKのOBH-8というMM用のEQアンプに入れて、それをSV-310を通してSV-91B+Devonで鳴らしています。(年末にはSV-310EQが出るようなので、今からそれが楽しみです。)
CDとレコードで同じソースを持っている物もあるので、それを聴き較べる事があります。どの場合でも私にはレコードの音の方が共感を感じます。頭出しが簡単とか扱いが便利とかCDの良さは無視出来ないので普段はCDを聴く機会の方が圧倒的に多いのですが、 音や演奏の雰囲気の点ではレコードの方に説得力を感じます。これと同じ意味で真空管とSolidStateの違いも大きく感じます。
これを考えるとオーディオはかなり昔に行き着く所まで行ってしまっているように見えます。でもそれでは商売にならないので色々な理屈をつけて新製品を出していますが、一番肝腎なところが抜けているように見えます。ヒアリングを大切にしないスペックのオンパレードがステレオを迷路に追い込んでいるのですが、残念な事にその先頭を行っているのがオーディオ界の人達自身なのです。普通の聴衆はそこら辺を漠然と感じているので、 その動きのうさん臭さを感じてオーディオ界から離れて行ってしまったのです。
FMについては最近までTRIOのKT8000を使ってきましたが、2005年8月にサンバレーのSV-11FMを作ってからはそれにハマっています。
私はオーディオを始めた時のイメージが小さくて可愛いステレオで良い音を聴きたいというものでしたので、プレーヤーもアンプも可愛くて良い音が聴けるという事でLINNとQUADというものを選んだのでした。スピーカーも大きいフロア型にも憧れはあるのですが、生活空間がステレオに占領されるのが好きではないのでブックシェルフ型の中で大きめのDevonを選んだのでした。山椒は小粒でピリリと辛いが信条なのです。(最近はサイズは幾分大きい物にシフトしていますが.......)ですから雑誌によく出てくるようなどでかいオーディオは最初から候補から外しています。(私達夫婦は普通の生活空間の中で音楽を弾いて聴くのですから、決してステレオが主役ではないのです。)
勿論オーディオを中心とする生活をする人がいても不思議ではありませんが、ほとんどの人は今の自分の生活空間の中で音楽を聴きたいのです。私は音楽を仕事にしていますが基本的に生活の方が大切なのです。生活の中でのオーディオ機器という観点をもっともっと推し進めて行って欲しいといつも私は思っています。 TOPへ
第21回:求める音
私がヴァイオリンを弾きステレオを聴く時に大事にする事について書きます。
私は実際に音楽を弾く場合も聴く場合も手応えのある事を重視しています。薄い身のない音にならない事を一番大切にしています。楽器にしてもスピーカーにしても表面だけではなく出来るだけ芯まで鳴らす事を心掛けています。ただ芯まで鳴らすためには大きな質量を振動させなくてはいけないのです。そのため発音に際して準備というか予備動作が必要です。でも遅れてはいけないのです。その時に必要なのは力ではないのです。楽器を芯まで鳴らすのには柔軟な瞬発力が必要なのです。スピーカーも同じで、大出力のアンプでねじ伏せようと思ってもダメなのです。前にも書いたように力任せにやっていると振動モードが全面一緒に動くような単純なものにしかならないのです。それではニュアンスなどいくらやっても出てきません。
スピーカーの鳴らし込みもとても微妙なもので、正弦波を何時間鳴らしても鳴らし込みにはなりません。音楽は正弦波のような定常状態ではないのですから、音楽を実際に鳴らして時間をかけてエージングしないといけません。このようなやり方をすると鳴らし込みが出来るまでにはとても長い時間がかかりますが、傾向だけは割と早い時点で分かると思います。
音は習慣性のとても強いもので、普段聴いている音がその人の音に対するイメージを決めてしまうのです。ですから普段から生の良い音をたくさん聴いて自分の耳をそれに馴らしてしまわなければ良い音の方向性など掴めるものではありません。私達演奏する者も普段接する人達の音が決め手になるのです。同じ私もN響にいるからこそ今の音の感覚を掴めたのであって、別のオーケストラにいたら全然違う感覚の持ち主になったでしょう。ここでは音楽について書く場所ではないのでその詳しい事は省きますが、普段聴いている音はとても大切です。
更に言うとステレオから出てくる音が良くなるためには、持ち主の音に対する感覚に新しい発見がなければいけないのです。今までの延長線上に今までとは違う大発見があるという事はありません。同じ楽器を弾いても人によって出てくる音が違うように、同じスピーカーを持っても持ち主によって出てくる音はまるで違ってきます。
ですから人の感想は参考にはなりますが、最終的にはそれぞれの人が自分で判断するしかありません。大体音を文字で理解しようとする事自体が無理なのです。(言葉で表現しようとした途端に逆に言葉の制約に捕まってしまうのです。)
第22回:300B色々
私は300BのアンプはキットでエレキットのTU-873を初めとして、ヒノのHK-300BS、サンバレーのSV-501i、SV-501 SE、SV-91Bと作ってきました、そして300Bはエレキットについてきた中国管、Svetlana、Golden Dragon、Prime TubesのVer.1と2、最後にWEの88年版と99年版を使ってきました。
Prime TubesのVer.1は2003年10月、Ver.2は2004年7月、WEは2004年10月に導入していますので、その時の感想についてはひとりごとの方をご覧下さい。ここではそれをまとめてみます。
色々のアンプを色々の管で聴いて何が音を一番決めるのでしょう。私の結論はアンプが一番決定的なファクターを握っているという事です。回路の構成や動作点の置き方で基本的なキャラクターは決まってしまいます。ですから設計者の求めるものが一番表に出てくるのです。管はそのキャラクターを発揮させるための脇役なのですが、ある意味準主役のような働きまでします。(ヴァイオリンで言うと管は弦というよりは弓に近いと言えるでしょう。)
例えばSV-501 SEとSV-91Bですが、どんな管を使っても91Bから501のような音は出せません。91Bは音が塊で前に出てきて、501は音の粒の細かさと色彩の多さが特徴です。基本的にどちらのキャラクターを求めるのかをまず決めて、それをそのまま活かそうとするのか、あるいは自分の好みの方向に微調整するのかによって管選びが違ってくるのでしょう。(固定バイアスの501の場合は電流の調整によってもかなり音の肌合いが変わります。)勿論だれでもその片方で満足する人はいないと思いますが、二股をかけるようなやり方はしない方が良いです。基本的にどちらかをとって、それから管選び、そしてスピーカーのセッティング(置き方とレベル調整)までやって自分の好みの音にして行くべきだと思います。
今言った事と矛盾するようですが、管を替えるとかなりアンプの性格が変わります。私が現在評価する管はPrimeTubesのVer.2とWEです。絶対的な評価についてはWEの方が上なのですが、何しろ値段は3倍以上違うのです。それだけの違いがあるかと言われると「?」としか言えません。でもWEでしか聞けない音がある事もたしかです。それこそその人の価値観の問題です。(音楽をどう思うかだけではなく、音楽そしてオーディオが自分の生活の中でどのような位置づけになるのかという事です。) 普段の生活の中で音楽を聴く事を大事にするのでしたら私はPrimeTubes Ver.2をお奨めします。WEのビンテージ物を持っていても普段は大事にとってあるというのでは本領は発揮してくれません。普段からそれをどんどん鳴らしているのでなければ本当の音など聴けません。91Bに挿している88年版は毎日聴いている時と2〜3日間をおいて鳴らした時では最初の反応からハッキリ違います。どんな管でも毎日短い時間でも必ず聴いてあげる事の方がずっとずっと大事だと思います。(ヴァイオリンもまったく同じで、アマチュアの人にとって悩ましいのが毎日弾けない事でしょう。)
音を決める要素としては私はSV-91Bの場合300Bよりは整流管の影響の方が大きいような気がしています。整流素子によって音が違うというのはよく聞く話です。ただWE274Bは1本8〜9万する上になかなか手に入らないです。こうなるとコストパフォーマンスの問題で、その違いに意味を見いだして投資するかの問題です。私は単純に興味があるのでWEにしてそれなりに良さは味わいましたが、そこまでやる意味があるかどうかはいまだに分かりません。
300Bに限らず管を替えれば音は必ず変わります。SV-722の12AX7(ECC83)、SV-501 SEの前段の6BM8(ECL82)、SV-91Bの310BとAなど換えると面白いほど音は変わります。現状はSV-722は厶印の83、501のECL-82はTUNGSRAM、310はAになっています。でも基本的なキャラクターまでは変えられません。あくまでもアンプの持ち味を最大限に活かすための調味料のようなものです。例えば塩にも赤穂の塩もあれば岩塩もあるというようなものでしょう。
第23回:夫唱婦随
音楽を聴く人は自然に自分の好きな演奏を何度も聴くようになります。同じ演奏が好きだとしても人によって気に入っている部分は微妙に違います。聴く人は自分の最も気に入っている部分が最も良く表現されるように自然に環境を整えて行きます。
同じアンプ、同じスピーカーを持っていても出てくる音がまるで違うという事はよく経験すると思いますが、それはこの持ち主の感覚の違いから生じるのだと思います。例えば2人の人が同じ演奏が好きだとしても、ひとりは演奏家のエネルギー感溢れるところが好きでも、もうひとりは演奏家の鋼のようなバネの強さが気に入っているかもしれないのです。同じようでもこれは聴く時の音量に微妙な違いを生じます。エネルギー感を聴きたい人は音量を上げるでしょうし、バネの感じが気に入っている人は小レベルの反応の良さを求めるでしょう。このような微妙な違いを毎日繰り返しているのですから、持ち主に付き合ってくれるステレオの方も自然に鳴り方が変わってくるというものです。
それを聴いて人間の方も感じ方聴き方が変わって行きます。それによってまた求めるものが微妙に変わり、それに合わせてステレオの方も変わってくれるのです。これが今回の題「夫唱婦随」です。聴き手とステレオはお互いに高め合って行くのです。自分がご主人様だなどと思っていると「夫唱婦不随」になってしまいます。
これからが一番難しい事なのですが、このような色々の過程を経て聴き手も変わって行くのですが自分の個性を守って筋を通していながら新しい事を柔軟に受け入れないといけないのです。何でも節操なく受け入れているのでは今までの経験の積み重ねが活かされません。でも逆に他のやり方をかたくなに拒否するのでは折角のチャンスを無駄にする事になるのです。このバランスが難しいのです。この指標になるのが生の音なのです。ですから生を聴く事が一番の近道だというのです。
「そんな機会を持てない人はどうすれば良いの?」という声が聞こえて来るようですが、生の音の代わりになるような特効薬はありません。素晴らしい演奏会の印象をどう再生出来るかがステレオの命なのですから、とにかく生を聴くようになさるしか良薬はありません。
第24回:試聴
私が試聴によく使うディスクをご紹介します。
オーケストラ:
1.スラブ舞曲(ドヴォルザーク):ノイマン指揮チェコ・フィル[スプラフォン COCO-75522]
このディスクは特に打楽器が活躍するので、その打楽器の聞こえ方に注目します。うるさく聞こえるようだとどこかがおかしいのです。
2.交響曲第3番ライン(シューマン): クーベリック指揮バイエルン放送響[SONY SBK 48270]
このディスクはとても良くまとまったどちらかと言うと地味な録音で、分離の良さを強調していません。このよくまとまった響きの中でメロディーが色々な楽器に受け渡されていくのが聴き取れるかを聴きます。同じシリーズの2番[SBK 48269]のスケルツォなどもこの受け渡しの妙味が聴けます。全体のまとまりの中での音色の変化が聴き取れるかが問題なのです。(SONYとは書いてありますが、日本版ではありません。)
ヴァイオリン:
1.オイストラフとミルシュタインの小品集
Pieces rares et virtuoses pour violonというオイストラフの小品集[Harmonia mundi LDC278945]とミルシュタインのA Tribute to Nathan Milstein[PROMPT URS-50020]という小品集の2つです。このStradを弾くけれど全然スタイルの違う2人の巨匠の違いをどう表現出来るかを聴くのです。(この2つのディスクは今では手に入れるのは至難だと思います。)
ピアノ:
1.ポブウォツカ先生の弾くショパンの作品
理恵子の師エヴァ先生の弾くショパンの作品集では、先生らしい緻密さと女性には珍しい豪快さが聴き取れるかが問題です。
2.理恵子のリサイタル の実況録音CD
理恵子のリサイタルを録音したCDは3枚ありますが、その音の違いを出せるかがテーマです。
室内楽についてはこれという定番(定盤?)はありません。手持ちの色々なCDを聴きます。
どんなディスクでも良いのですが、そこから何を聴くかが問題です。私はスピーカーの前の空間一杯に伸び伸びとした音が広がるかどうかだけを問題にしています。その時低域がどう、高域がどうというような事は全然気にしていません。目の前に広がる音の空間に隙間があるようだとどこか間違えているのです。(セッティングが悪かったり、アンプやプレーヤーの選び方がおかしかったりしているのです。)
SPの復刻盤などたしかに高域は伸びていませんが、新しい高性能なはずの録音よりはるかに存在感があります。フーベルマンやティボーのCDなども同じように名演で、聴いていて全然飽きません。試聴する時は絶対に名演で聴き較べるべきです。自分の好きな演奏なら今までの経験でどのように聞こえるのか聞こえるべきなのかが分かっているからです。それにその名演のここが好きという部分がどう聞こえるのかという楽しみもあります。
良くない演奏で試聴すると演奏の良くないところばかりが気になって、落ち着いて演奏を聴けません。自分の好む方向に合っているかを試聴するためにも必ず自分のお気に入りのソースで聞き較べて下さい。オーディオは自分の音楽に対する夢の具現化だからです。つまりステレオは自分の分身みたいなものなのです。 TOPへ
行く末
第25回:オーディオとは
今まで現状への批判を書いてきましたが、これからへの展望と希望について何回かに分けて書きます。
オーディオとは一体何をしてくれるものなのでしょう?ソースに入っている演奏のイメージを目の前に再現してくれる夢の道具です。私が求めるのは演奏家が演奏している場の雰囲気の再現です。場の雰囲気とは何かと言うと演奏家が演奏している様子を想像させてくれる事です。音自体がどうかという事より、演奏家がどこをどのように弾こうとしているかという事が分かる事が問題なのです。つまり私にとってはハードとしてオーディオがどうなのかという事はほとんど問題ではないのです。(つまり歪率がどうとか周波数特性がどうとかいう事には興味がないという事です。勿論特性は良ければそれに越した事はありませんが。)
一番問題なのは実際の演奏の場が想像出来る事です。ですからオーディオの作者には良き音楽愛好家でいて頂きたいのです。オーディオの作者には自分で聴いて気に入った演奏を自分の作った装置を通して多くの人にその演奏の姿を伝えて欲しいのです。その為には生演奏の魅力をよく分っていて欲しいのです。イギリスのメーカーなどは作者たちは自分達で室内楽を演奏して楽しんでいるそうです。日本のメーカーの人達も是非ご自分で演奏するくらいになって欲しいものです。自分で演奏する事によって名演奏家が偉大な事が分かり、それをオーディオを使う人達に伝えたくなると思うのです。
私が誰かの演奏を聴く時にいつもベストの席で聴ける訳ではありません。でも良い演奏と良くない演奏の違いくらいはハッキリ分ります。演奏の魅力は何と言っても生命力なのです。生命力というのは違う言葉で言えばリズム感という事になります。勿論音色もとても大切な要素ですが、何と言っても常に前向きの生命力(生きている事の喜び)を感じられる事の方が大切なのです。その時には歪率や周波数特性など出てくる場所はないのです。そんな事よりバネの強さと反応の速さが一番問題なのです。バネの強さを表現出来るためには反応の速さと同時に実体感というか音の重さも必要です。音の重さを表現出来て初めてバネの強さが表現出来るのです。
これは演奏する立場からの発言ですが、バネの強さを感じさせられる演奏というのは音の響きを表現出来ていると同時に、力んで音を潰していないという事が絶対条件になるのです。力まずに大きいよく響く音を出すという事はとても大変な事なのです。これがちゃんと出来ればそれだけで名演奏家の条件を満たしているとも言えるでしょう。
音楽を聴く時には何といってもマスとしての音の存在感を一番大事にして欲しいものです。松やにの飛ぶような音とか派手な演奏雑音やうなり声を聴く事が音楽ではないのです。まず作り手に変わってもらわないと一般の聴き手も変われないでしょう。ですからオーディオの作者には絶対に生の名演を何度も何度も聴いて心に刻み込んで欲しいです。(良くない演奏はいくら聴いても参考になりません。悪い演奏は耳を悪くさせるだけです。何でも聴けば良いというほど単純ではないのです。弾き手も良くない演奏ばかり聴いていたのでは上手くなりません。同様に聴き手も良い演奏により育って行くのです。)
第26回:音?気配?
昨日私の家の音を聴いていただいた経験から感じた事を書きます。
今まで私の求める「音」について書いてきましたが、私が一番求めているのは「音」そのものではなく「気配」なのだという事に気がつかされました。娘理恵子がポーランドに留学して2年が経ちますが、時々日本に戻ってくる時を除いて私達はCDを通して理恵子の音を聴くしかないのです。そこでリビングの隣の部屋で理恵子が弾いている時と同じ感触をリビングで味わいたいと思い、音の感触肌合いを中心に本能的に調整した結果が今の音なのです。スピーカーを通して聞こえて来た音の延長上に本物の理恵子の気配が感じられるようにしたいというのが夢だったのです。
その延長線上にリアルに聞こえるミルシュタイン、オイストラフ先生たちがいるのです。本当にすぐそこに弾き手が立っていて、話をしようと思ったら出来るような錯覚を得られるようにしたかったのです。何度も言うように音には重さがあります。そして会場の空間に広がる音には軽さがあります。矛盾するようですが音には両面があるのです。
ガラミアンがその著書で書いているように演奏の音には「子音的側面」と「母音的側面」があります。音の本体は母音なのですが、広い会場で隅々まで聞こえるためには音を飛ばすために子音的要素が不可欠です。この子音的要素が発音のアクセントに代表される演奏雑音です。この両者のバランスの取り方で音が活きたり死んだりするのです。母音が多すぎると音が立たなくてボーボーした感じになり、子音が強過ぎると耳に痛い嫌味な音になるのです。このバランスがとても難しいのです。
このように簡単に言い切ってしまう事は危険なのですが傾向としては音の重量感は母音が担い、音の浸透力というか軽さの部分は子音が担っています。この両者が相まって初めて1つの言葉になるのです。
今書いた事は演奏上の事ですが、これを再現するオーディオでもこの両者を上手くバランスとって再現出来ると素晴らしい効果を持てるのです。広い空間に頭打ちなく音を充満させるという事はとても難しい事で、聴いて不自然だと分かっても「じゃあどうすれば良いの?」という事になってしまいます。
私には音をどうしたいという指針がハッキリあるので比較的容易に今の音に到達出来ましたが(といっても何年もかかっています。そんなにかかったのは単に私が鈍いから.......?)、そういう指針を持てない方にとっては至難の業かもしれません。でも再生音楽の音を良くしたいのだったら避けて通れない関門なのです。再生音を良くする指針は何度も言うように生の演奏の中にヒントがあるのです。是非とも生のそれも名演を聴いて下さい。(といってもこの名演というのが曲者で、音楽の世界にもオーディオ界と同じくらい魑魅魍魎が跋扈しています。) TOPへ
第27回:私の調整ポイント
今回は私が色々の調整をする時のやり方を少しご説明します。
まず最初に現状の音を心ゆくまで聴きます。なぜ心ゆくまでなのかと言うと、熟れた柿が熟し切って自分から落ちるように現状をどうしたいかという事が自分の心にまとまるまで現状の音を聴き続けるのです。それを続けると自然に自分の中にどこをどうしたいという要求がまとまります。
アンプやプレーヤーの置き方についてはとにかくしっかりした場所に設置する事に気を配ります。不安のある時はコーリアンの板の上に置きます。その場合コーリアンの板は1枚だけ使います。(例えばコーリアンを重ねて使ったりコーリアンの板の上にコーリアンの脚受けなど置くような事はしません。その場合は金属の脚受けを使うとか必ず違う素材を使うようにしています。出来るだけ違いを大きくした方がそれぞれの短所をお互いにカバーしてくれます。)
接続コードについては太く短くの2点だけを大事にしています。コードで音が変わる事は経験しますが、それによってオールマイティの効果があった試しはありません。そんな事に手間と暇を費やす余裕があるのだったら他にもっとやる事があります。ただ最短でつなぐとつなぎ替える事が出来なくなるのでそれだけの余裕は持たせています。
一番大きな影響を持つのがスピーカーのセッティングでしょう。
Stirlingの脚は前だけ、脚受けは金属製
音の軸が上向きなるようにしています。
Devonはスタンド2つを1組にして、
スピーカーとの間には金属製のスペーサーを入れています
私の家の壁はペイント仕上げですから後ろの壁からも反射がかなりあります。普通の壁紙仕上げとは違い部屋の中は基本的に日本製のツーバイフォーの家よりかなりライブです。この事が良い音場を得る事に大きな貢献をしてくれているのだと思います。
スピーカーの置き方は生活空間として困らないようにごく普通の置き方をしています。内振りの角度は聴いて不自然に感じない範囲で出来るだけ音場が広がるようにしています。(響き全体が1つにまとまって、どの音域も平均してよく抜けるように心掛けています。)
ツイーターのレベル調整が一番難物でしょう。私は高域についてはいつも絞り気味にしています。中域の基本振動をまずきちんと鳴らしてやらないで高域をいじり過ぎると安定感のない妙な響きになります。スーパーツイーターもホンのかすかに効かすだけで充分です。
一応基本を押さえて音出しをしてみます。ここまでは誰がやっても同じなのですが、ここからが問題です。出てきた音を聴いてその問題点をピックアップします。今出ている音を聴いてどこをどうしたいか分からないうちは何をやっても中途半端で終わります。 自分の今までの演奏経験を基準にどこをどうするかを決めて、スピーカーの置き方(壁からの距離、スピーカー同士の間隔、内振りの角度、高域のレベル調整など)を色々やってみます。自分なりの結果を出してから家族に聴いてもらい、更に微調整を続けます。
私の家ではスピーカーは後ろの壁から少し離した方が響きが良いです。2階についてはスピーカーの前面はラックより少し前に出しています。1階はピアノがあるのでそれを弾くのに邪魔にならない範囲で出来るだけ前に出しています。どちらの場合もスピーカーの置き場所は生活する事を考えるとここしかないのです。結果的にはこの場所がベストのようです。
この先音を追い込むのは持ち主の感性です。持ち主が自分の好みで音決めをするしかないのです。誰にでも通用する万能薬などありません。だからこそオーディオは面白いのです。私が今まで色々やった経験から皆様に1つお奨めするのは「考えられる事はすべてやってみて下さい!」という事です。思い込みは厳禁です。今自分の持っている物の良さをフルに発揮出来る環境を作ってから評価を下して下さい。そこまでやれば自然に進むべき道は見えてきます。
今つくづく思うのは私の家が壁はペイント仕上げ、床がしっかりしたオークのフローリングである事が多分良い響きを出せている最大の原因なのでしょう。それに窓がダブルハングであるため外からの雑音が気にならないのです。
やはり自分の音の好みが誰をも納得させられるかどうかが一番の問題です。個性と言える以前の単なる癖(悪癖)に終わらないように気をつけるべきだといつも自分に言い聞かせています。
第28回:再度Sweet Spot
第6回にSweet Spotについて書きましたが、私の本心から言うとSweet Spotではなく、Sweet Bandとでも言うべきものだと思うのです。Sweet Spotとは一番美味しいところという事ですが、Spotは点という事です。実は本当に良い物は美味しいところは点ではないのです。本当に実力のある物はある程度の許容範囲のものは何の分け隔てもなく受け入れてその良さを発揮出来るくらい包容力があるのです。例えばこの装置でこの曲を聴く時はボリュームはここにしないとダメというような厳しいというか包容力のない状態というのは本物ではないと私は思っています。自分の思った通りになっていなくてもそれを笑顔で受け入れられるくらいの包容力があるものが本物です。
例えばボリュームをちょっといじったくらいで音が変わってしまうようではその装置は残念ながら包容力があるとは言えないのです。少々ボリュームを変えてもたしかに音量は変わるけれど質感に変化があるようではいけないのです。Sweet Spotと言っているうちはまだ本物ではないと私は思っています。
たしかに細かく言えばベストの点はあるのだと思いますが、演奏についても良い状態は点ではありません。そんなにシビアだったらとてもそれを維持出来ないからです。演奏のように時々刻々変化するものに許容範囲がなかったらとても良い状態を維持出来るものではありません。
私は良い状態はある巾を持っているものだと思っています。勿論聴いているうちに無意識のうちに細かく追い込んではいますが、私は出てきた音がある範囲にあれば良いと思っているので、装置の方も包容力を持って応えてくれるのでしょう。とにかく装置をおだてて気持ち良く鳴るようにしてあげる事が一番大切な事です。そうすれば装置の方も自然についてきてくれるものです。もし私のステレオが良い音で鳴っているとしたらそれはスピーカーとアンプの包容力のおかげです。皆様も是非良い状態をポイントでとらえないで、一定の許容範囲内にあれば良いというように考えてあげて下さい。そうすればステレオの方もそれに必ず応えてくれます。 TOPへ
第29回:音の決め手
良い演奏良い音とは何かということを再度取り上げてみましょう。良い演奏とは思い切りよく自分の考えを前向きに出したものです。良い音とは伸びのあるよく響く音です。なかなか分かっていただけないのが音の伸びです。これはオーディオを聴いているだけでは分からないと思います。生の名演を聴いて頂くとその意味がよく分るのですが、なんと言っても音の響きにバネのあることが一番大切なのです。音が活きているという事です。今の流行りの音は良く言えば繊細なのですが線が細いのです。そして何と言っても一番問題になるのが音の重さを感じさせない事です。音はあるボリューム(容量)を持っているのです。当然それなりの重さがあります。問題はその重さの質です。鈍重な重さではダメなのです。重さがありながら動きには身軽さがなければいけませんし、音の発音には強力で柔軟なバネがなければいけません。(音自体に重さを感じるようでは残念ながらそれは鈍重なのです。スポーツマンの体重のように見ていて重く感じるようではダメなのです。でも音に重さがないと変わり身は速いのですが、存在感のない白々しい音にしかなりません。)
「バネって何ですか?」という声が聞こえて来るようですが、バネの意味は説明して分かるようなものではありません。でもこれこそが音の決め手であり、これこそたくさんの音楽を聴いて初めて体得できるものです。
話が進めば進むほど生の音を聴いてそこから何かを体得しないといけないという話になってしまい生の音を聴く機会の少ない方には気の毒なのですが、生の音を知らないで生の音を再現するのは無理というものでしょう。何度も言うように音は理屈ではありません。とにかく無心に音を聴いて下さい。そうすれば自然に進むべき道は見えてきます。
第30回:私からの提案
この小道の一応のまとめとして現時点で私から皆様へご提案をします。
ステレオの音をまとめるための私のやり方です。まず自分が大好きな気に入った演奏家を取り上げます。その人の演奏の気に入った所をオーディオを通して表現出来るように色々工夫するのです。ツイーターのレベル調整とかスピーカーのセッティングが一番影響が大きいでしょうから、まずスピーカーの音のキャラクターを自分の求める方向に合わせます。
スピーカーのセッティングについてはまず後ろと横の壁からの距離を音の全体のバランスが良くなるようにとります。(どこかの帯域だけが目立ったりへこんだりしないようにします。)それから2つのスピーカーの距離と内振りの角度を決めます。それからツイーターのレベルの調整をします。これも全体がまとまる事を最重要課題とします。(スーパーツイーターなどを加える場合はまずそれをつけない状態で充分追い込んでから、全体のバランスを崩さないようにレベルを聴感で決めます。)
音の出口が決まったところで今度は入口を決めます。今はCDがソースの中心ですから、CDプレーヤーについて書きます。まず音を聴いてみてどう感じるかをまとめます。ディジタルアウトがある場合は外付けのDACに挑戦しても良いでしょう。特に音の存在感を増す為には真空管を使ったDACが有効です。(私の場合はModel2が良かったでした。その管のブランドを替えるのも選択肢の1つです。プレーヤー内蔵のDACでは音が硬かったのに、真空管のDACにしたら途端に音がまとまったという事もあります。)
この後スピーカーからの音離れが自分好みになるようにアンプを決めます。私は音の太いアンプが好きなのでSV-91Bのようなタイプのアンプが好きです。ただしリビングには音が厳し過ぎるのでこちらはSV-501 SEを使っています。(もちろんSV722+SV-501 SEの音が甘いという意味ではありません。これはまたSV-310+SV-91Bとはまるで違う良さを持っています。どちらのシステムも同じように気に入っています。)
基本的キャラクターが決まったところで、微調整として管を替えてみます。管を替える事によって場合によっては音のトルク感が増して、まるで大排気量の車の良さのような感じを持つ事があります。どんなに貴重な管であってもやはりそれなりに負荷をかけてやった状態でフルにドライブしてやらないとその良さは出て来ないです。定格の75〜80%位は負荷をかけないと本来の音は出ないのでは?
前にも書きましたが、演奏中にボリュームをいじらないでも聞き通せるような状態になっていないといけません。演奏中にボリュームをいじるという事はローレベルの音の抜けが悪いか、ハイレベルで音が詰まってしまうかのどちらか(最悪の場合はその両方)です。ほとんどの場合はローレベルでの音抜けが悪いのです。それもあるレベルから下がると突然音が死んでしまう場合がほとんどです。 その分岐点を出来るだけローレベルよりに追いやる事が調整の上で一番大切な事だと思います。
そして一度決まった状態でしばらく聴いてから、再度調整をします。これを何回か繰り返すと本当に自分好みの音にまとまって行きます。
http://www.nezu.ms/komiti.html
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ステレオ(2005年夏版)
http://www.nezu.ms/stereo_05_summer.html
私が家で音楽を聴くためのステレオをご紹介します。
ヴァイオリン弾きである私が自分の勉強と楽しみのために聴いているステレオです。リビングと家の中の3つのレッスン室にステレオを置いていますが、リビングと私のレッスン室をメインにしています。
第一に音の芯がしっかり伝わること、そして音の質感密度感スピード感が全帯域で同じであること、そしてステレオの存在を忘れられる事が私の求める条件です。私にとってスピーカーから出る音は広帯域で分離が良い事より、まとまりの良い事の方が大事です。そういう条件のもと集めたのが私のシステムです。
今までひとりごとの中でステレオについて書いた事を「オーディオの小道」というページにまとめました。
リビングのシステム
スピーカー:TANNOY Stirling HE+ST25
メインアンプ:サンバレー SV-501 SE
プリアンプ:サンバレー SV722 Macintosh型
CD:CEC TL-51X
DAC:サンバレー Model2
DAT:Pioneer D-07A
プレーヤー:REGA Planar25
カ−トリッジ:Ortofon Kontrapunkt a
MC昇圧トランス:Ortofon T20MkII
2005年の7月にリビングのDevonと1階のレッスン室のStirlingを入れ替えました。
以前2階に置いていたDevonは昔は木のスピーカースタンドを横にしてその上に置いていました。ですがキット屋さんのホームページに出ていたTANNOYのStirlingの置き方の記事を読んでスタンドの上に載せることにしました。スタンドは小さなブックシェルフ用(高さ60cm)の2つを一緒にして使っています。(下の1階レッスン室の写真をご覧下さい。)
またStirlingに組み合わせたTANNOYのスーパーツイーターST25はレベルは85dBクロスオーバー周波数は18kHzに設定しています。この最も弱くスーパーツイーターを効かせる設定が一番バランスが良く聞こえます。なおStirlingのツイーターは1段階落とした設定にしています。
2004年5月半ばにMERIDIANの207 IIがとうとうレーザーが弱くなってディスクを読まなくなってしまいました。そのあとARCAMのFMJ23Tにサンバレーの真空管を使ったDAC Model2を組み合わせて使っていましたが、2004年11月からはCECのベルトドライブのTL-51XとModel2の組み合わせになりました。
プリアンプはサンバレーのプリアンプSV-722 Macintosh型です。プリアンプは管にする必要はないというのが定説ですが、音楽の芯を伝えてくれるという点と音の密度の点でかなりの表現力の違いがあります。
私のレッスン室
1階のレッスン室のシステムはTANNOYのDevonが中心になりました。
スピーカー: TANNOY Devon+ST25
メインアンプ:サンバレーSV-91B
プリアンプ:サンバレーSV-3
CD:MYRYAD MCD500
MD:Victor XM-D11
チューナー:TRIO KT-8000
プレーヤー:リンソンデックLP12
カートリッジ:Ortofon Kontrapunkt b
MC昇圧トランス:Ortofon T-1000
EQアンプ:CREEK OBH-8
Devonのエッジの劣化を2004年4月に張り替えて修理しました。
このシステムのカナメDevonは買ってから25年近く経っているので、よく鳴らし込んであるので音は軽く出てきます。TANNOYのスーパーツイーターST-25を追加したら音に重量感がプラスされて良い感じになりました。(スーパーツイーターを加えたのに全域にわたって効果が見えました。)
リビングとこのレッスン室のステレオのセッティングについてはサンバレーの店主のひとりごとがとても参考になっています。皆様も是非お読みになって下さい。
2005年8月、ちょっと見るとメインアンプに見えるプリアンプSV-310を作りました。更にこの後今年の年末頃に出てくるであろうEQアンプも楽しみです。
SV-310はボリュームを下げていても音が痩せません。また反応自体はとても高速なのですが、聴いていると曲の進行がゆったり聞こえてくる不思議な感触のプリです。表現力のあるプリに共通した表現で、2階のSV-722も同じ傾向を持っています。(どちらかと言うとSV-310の方がその傾向は強いです。)音の立ち上がりから収束まですごくよく聴き取れるのです。
RogersのLS5/9
今までRogersは予備としておいてあったのですが、サンバレーの6GW8のプッシュプルアンプSV-9TでRogersを鳴らしてみたら予想していたよりはるかに充実した音が出てきました。今までRogersを300Bのシングルアンプで鳴らしていた時には、音は練れてはいるのですが今一つ押出しの弱い感じがしていました。プッシュプルでドライブしたらヒョッとすると一皮むけるかもという予想が見事にあたり、今まで出てこなかったような音が聴けたのには驚きました。そのRogersを使わずに置くのはあまりにも勿体ないので、離れの防音室で聴くようにしました。
全く性格の異なる2つの300Bアンプ(SV-501 SEとSV-91B)
今リビングではSV-501SEを、1階のレッスン室ではSV-91Bを使っています。これほど性格の異なる2つのアンプをどうして使っているのかについて説明します。
リビングでは寛ぎながら(コーヒーとお菓子を楽しみながら)音楽を聴いていますが、こういう環境にはSV-501がよく合います。SV-91Bだと音が重くて深刻に聞こえるのです。逆にレッスン室で聴く時にはSV-91Bの方が良く聞こえます。どちらか1つをとるとすれば私はSV-91Bの方をとります。同じソースでもその時の目的によって色々な聴き方をするので、例えばある演奏家の弾き方を細かく聴きたい時や演奏家をすぐそこに感じたい時は91で、コンサートを聴きに行った時のように楽しむのだったら501で聴きます。501の方は色々な音色があり細かい音がよく聞こえますが、91の方は音の厚みとエネルギー感が優れています。私達演奏家が忘れてはならない音の厚みを出す事などはそれこそ91Bの独壇場でしょう。(お茶漬けのようなサラサラした音ではいけないのです。音と音がいつもつながっていて(legato)、それでいて1音1音発音はハッキリしないといけないのです。この感覚を日本に住んでいて持ち続ける事[特に和風の住宅で]はとても難しいのです。この感覚は91Bの方がよく表現できています。)それに91でジックリ聴いたソースを501で聴くと、何かサラッと流れて行ってしまうような気がするのも事実です。でも91Bではあまり出てこないが501 SEではよく見えてくる面がある事もまた事実。この2つの相反するような面を両方とも欲しい欲張りな私にとってはレッスン室のメインシステムもリビングのサブシステムもどちらも大事で、優劣はつけられません。単純に聴く回数はリビングのサブシステムの方が多いです。聴きたいと思う時はリビングにいる時の方が多い上に、91Bの方は聴くのに良い意味で覚悟がいるからです。
寝室の簡易システム
寝室のステレオは大変簡単なもので、エレキットの6BM8のアンプTU-870とALR JordanのEntrySのセットです。ソースは携帯用のCDプレーヤーです。自分の部屋で寝る時に聴くためのものですが、気楽に聴くならこれで充分です。(簡易システムが欲しい方にはこの組み合わせを推薦します。バカにできない表現力を持っています。今お使いのCDプレーヤーにModel2をつなげば良いです。)
エレキットのTU-870
ALR JordanのEntry S
私が求める音
私はCDやレコードを聴く時演奏家の意図がよく分かるように会場の客席で聞こえる音を聴く事を一番大切にしています。ですが演奏家の弾き方を聞き取ろうと思う時は演奏家と同じステージの上で聴いているような感じで聴きます。(但しその場合も演奏家から少し距離をおいた感じで聴きます。演奏を至近距離で聴くのは迫力はたしかにありますが、全体のバランスが悪過ぎて一番大切な全体の構成が聞き取れないからです。それに音を遠くに飛ばす為の演奏雑音が強過ぎるのです。)
まともな演奏家は演奏雑音で人をビックリさせるようなお行儀の悪い演奏はしません。弾いている本人に聞こえる音はある意味とても人にお聴かせ出来るような音ではありません。指や弓が弦にあたる音が聞こえるのはたしかに面白いでしょうが、音楽を聴くという面から言うとそういう音が客席でハッキリ聞こえるのはやり過ぎです。(大家の場合許されてしまうこの種のパフォーマンスはその人だから許されるのです。手本にはならないものです。)
音楽は生命への賛歌です。常に時間に支配されながらも生きていく喜びを音で表現しているわけです。音楽を聴く時、演奏の技術や音色、音楽性も勿論大切なのですが、一番感動するのは何といってもその演奏の生命力に対してです。その生命力はテンポとリズムにあるのです。たとえ音色などは充分に表現されなくても、演奏の一番根幹をなす生命力(テンポとリズム)はラジカセを通してでも聴きとれるのです。だからこそスペックの劣る媒体を通しての演奏を聴いても、いくらでも感動できるのです。
どんな芸術でもそれを理解するには前提条件があります。音楽の場合はその3要素リズム、メロディー、ハーモニーがそれです。ピアノの中に頭を突っ込んで演奏雑音を有難がって聴くより、ある程度の距離をおいて演奏家の弾く姿全体を冷静に見ながら演奏に同化した方が音楽の楽しみを満喫出来るというものです。音楽は何の理屈もなしに聴いて楽しむものなのですから。
ところがその音楽を装置を通して聴かせるオーディオの世界では良い音が出ている時に、それが演奏が良いからなのか装置が良いからなのかを分けて考えていないのです。良い再生装置というのは何を聴いても良い音がするものではありません。良い演奏は良くつまらない演奏はつまらなく、真の姿を伝えなければ良い装置ではないのです。そういう良い装置で聴くのはある意味とても厳しいものです。何でも良く聞こえるのは元の姿を脚色しているだけです。
音楽の中核をなし、聴く人に最も訴えかけるのは中域の音です。ですから古い録音や器械でも中域がしっかり出ている物はいつの世でも良い評価を得るのです。前にご紹介した結合音の例を見ても、音は倍音だけで出来上がっているのではありません。(この結合音は奏者の近くでは聞こえますが、離れると聞こえません。つまり客席で聴いている人には意識される事のない現象なのです。)
また音楽は正弦波の重ね合わせで表現出来るものではありません。(これは近似的に定常状態の場合には有効な分析法です。)音楽は過渡的現象と言われる例外的な現象の連続なのです。理論的には倍音列を出来るだけ上まで再現すれば生の音に近くなる筈なのに、実際は違和感のみが強調されるのは皮肉な事です。
音は一瞬で消えてしまい証拠が残らないので現状では何を言っても許されていますが、そんな事を続けていると段々人が離れていってしまいます。(それが今では凋落してしまったオーディオの世界の現状です。)音楽やオーディオは音が大事なのであって、理論(にもなっていないものが圧倒的に多いですが.....?)が先にあるものではありません。理論は聴いて得られた感覚を説明するために後からついてくるべき物なのです。理屈の上に音楽の感動は花開かないという事を是非とも感じて頂きたいです。(聴いている人はいつも同じレベルで音楽に対している訳ではありません。楽しむだけなら上の寝室の簡易システムで充分です。細かい事は気にしたくないけど、良い音楽を聴きたいという場合などこれで充分なのです。)
http://www.nezu.ms/stereo_05_summer.html
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参考
SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋)[真空管アンプ,オーディオ,スピーカー販売]
https://www.kit-ya.jp/
真空管アンプについての よく有る誤解 _ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) 大橋慎が書いたインチキ本の書評
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html
買ってはいけない 300B ダメ・アンプ _ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) SV-91B
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/124.html
買ってはいけない SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) の真空管アンプキット
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1008.html
乗鞍高原 ペンション ウインズ _ ザ・キット屋の詐欺商法の片棒担いだのが運の尽き?
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/328.html
オーディオ談義〜音楽家がオーディオに無関心なのはなぜ?〜
「音楽&オーディオ」の小部屋 2009年10月29日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bea9fbbcc4c2214a8492b005b592c002
これまで長いこと「音楽とオーディオ」に親しんできたが、唯一気になっているのが「楽譜」の存在。
日頃聴いている音楽はすべて作曲家の手になる「楽譜」に基づいて演奏されているので、「楽譜」が読めさえすればもっと深い曲趣の把握が出来たり「いい演奏」の判断材料になるのに、と思うわけ。
したがって楽譜を見ながら聴いたり楽器を演奏できる人がちょっぴりうらやましいというのが本音で音楽評論家たちもこれに含まれる。
こういう人たちは四六時中、生の音楽にどっぷり浸(つ)かっているだろうから耳のほうも物凄く肥えていて、家庭においてもオーディオ装置にうるさい人が多いと考えるのがまあ普通というもの。
ところがである。どうもこれまで幾多の音楽専門誌を読んでみても、こういう専門家の間で、総じて「オーディオにあまり関心を示さない人を見受けるのは一体どうしてなんだろう?」と思うことがしばしば。
というわけで、素人が簡単に思いつく理由をいくつか挙げてみた。
1 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので家に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。
2 ほとんど毎日、歪みのない生の音を聴いているので、電気回路を通した音は人工的で聴く気がしない。
3 他人の演奏をなるべく聴きたくない、芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。
4 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽というよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。
こういう問題は実際に「実在の音楽家(演奏家)」に訊いてみるのが一番。
O市にお住まいのEさんは学校の先輩で、在職中ひとかたならぬお世話をいただいた方。同じ職場で上司と部下の関係となり五味康祐氏の著作「西方の音」を貸してあげたりして音楽の趣味を通じてたいへん懇意にさせていただいた。
Eさんは学生時代のときからトロンボーンを奏されており、職員で運営する私設の吹奏楽団でずっと活躍、今でもお元気で顧問として活躍されている。
それにトロンボーンに限らず管楽器全般に詳しい方でオーケストラの演奏を聴いてたちどころにどこそこの楽団だと的確に言い当てられる。(ご本人の言)
管楽器の演奏にその楽団の独自の特徴が表れるのでそれが目安になるとのことで、まあ、いわばセミプロみたいな方。
自分とはまるでレベルが違う音楽の聴き方をされている!
そのEさんも例によってオーディオ装置にはほとんど関心を示されず、たしかご自宅に二度ほどお伺いしたことがあるが古い英国製のたしかスペンドールとかいった小振りのスピーカーがずっと放置したまま。
さて、失礼を承知で「オーディオに関心を示さない理由」を単刀直入に聞いてみた。
その結果、1〜3までいずれも少しずつ該当するが、一番大きな理由は4とのこと。
また、「いい音」を得るためには、それなりの手間と投資額も必要になるがそれもまた面倒で「オーディオは”そこそこ”でいい」とあっさりおっしゃる。
いかにも飾らないEさんらしい言い方。
結局、表題の回答としてはこの辺に落ち着くのだろう。
自分はてっきり2だと思っていたので見事に予想が外れたが、4が主な理由だとすると、これはこれでまた結構割り切れない話。
素人考えだが演奏者のテクニックのアラに気をとられてしまって、それが肝心の音楽鑑賞の障害になるなんて「本当に音楽が好きなんだろうか」という素朴な疑問が湧き起こる。そういうことならむしろ「楽譜」が読めないほうがいいとさえ思う。
それに上記の1とも関連するが日常生活の中で身近に音楽を本格的に楽しむ機会を設けないというのもこれまた音楽家として淋しすぎる話。
いつぞやのNHKハイビジョンの番組の中で女流ピアニストのマリア・ジョアオ・ピリスが日常生活の中でそれこそ普段着のままで気軽に楽しむのが本来の音楽芸術のあり方だと力説していたのが妙に記憶に残っている。
具体的に彼女が言うのには、「決められた一定の時刻と時間内にきちんと正装して演奏会に出向き衆人環視のもとで音楽を聴いて本当にそれで心から音楽が楽しめるのだろうか」といった趣旨だった。
これにはまったく同感。
音楽愛好家といっても、およそ演奏会重視派とオーディオ重視派とに大別されるが、どちらが本当の「音楽好きなのか」一つの答えが出されているような気がするが。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bea9fbbcc4c2214a8492b005b592c002
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>音楽家がオーディオに無関心なのはなぜ?
音楽家は貧しいからオーディオに何百万円も掛けられないんですね:
オーケストラの経営学 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2015年03月27日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2184f4b06de8f2631d21d7a6e2bdc575
音楽鑑賞をするうえで欠かせないのがオーケストラ(以下「オケ」)による演奏。その「オケ」について演奏レベルなどの芸術的な見地からアプローチした本は多いが、そういう中、ビジネスの観点も含めて多角的に「オケ業界」についてつまびらかにしたのが次の本。
「オーケストラの経営学」(2008.12、東洋経済新聞社刊)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6-%E5%A4%A7%E6%9C%A8-%E8%A3%95%E5%AD%90/dp/4492501886
著者の「大木裕子」さんは東京藝術大学でヴィオラを専攻し卒業後もプロフェッショナルとして演奏活動を続けたが現在〔出版時点)は経営学者として京都産業大学経営学部准教授。
オケの素晴らしさの秘密を知りたい、同時に日本のオケが今よりももっとよい「ビジネス」として成立出来ないものかというのが本書の執筆の動機。
「芸術」と「ビジネス」は水と油の関係かもしれないが、現代においてはないがしろに出来ないテーマである。野次馬根性丸出しで興味のある項目を2点ほど抜粋してみた。
☆ 日本のオケ楽団員の平均年収
「楽団員にとっては経済に関する話は無縁であまり関心もない。もともと金儲けに興味があれば音楽家にはなっていない」とのことだが、音大に行かせる投資対効果が低い(幼少から音大卒業まで3000万円以上の投資:桐朋学園大学の2008年度納付金だけでも4年間で約800万円)という現実を踏まえて公開されているのが次の資料。(本書の出版時点での数値)
平均年収 700万円以上 NHK交響楽団、読売日本交響楽団
〃 500〜700万円 東京都、札幌、群馬、京都、九州 各交響楽団、
アンサンブル金沢、名古屋フィル、大阪フィル
〃 400〜500万円 大阪センチュリー、広島交響楽団、神奈川フィ
ル、山形交響楽団
〃 300〜400万円 日本フィル、ニューフィル千葉
〃 300万円以下 関西フィル、京都フィル
「他人の懐具合を知ってどうする」と叱られそうだが、日本にある交響楽団(管弦楽団)員は果たしてアルバイト無しで喰っていけるのかという意味で取り上げてみた。
因みに飛びぬけて高いのはNHK交響楽団で958万円(平均44歳)。
また、指揮者のコンサート1回の報酬は、だいたいオーケストラの楽団員の年収が相場で、楽団員の年収が500万円なら1回の指揮者の報酬も500万円というわけ。もちろんこれは一般的な話でコンクール受賞歴がないというだけで1回30万クラスもいるし、小澤征爾クラスになると1000万円以上というランクの指揮者もいる。
さらにソリストもギャラが高くて、特に歌手は飛びぬけている。三大テノール・クラスのコンサートともなると、億を超える出演料がかかる。
☆ なぜ日本には世界的オケがないのか
英才教育が盛んな日本のクラシック音楽のレッスンはテクニックに偏り、音を楽しむという本来的な音楽教育が不足していることが原因のひとつ。
関連して優秀な人材が海外のオケに流出するのは、日本のオケには無い「何か」があるから。その「何か」とは演奏者間のコラボレーション(合作)にある。もともと日本には教会の響きの中で賛美歌を歌いながらハーモニー(和声)を創っていくという習慣が無い。
NHK交響楽団は弦楽器奏者が使用している楽器の値段の合計からいくとおそらく世界一だがそれだけで世界一のハーモニーとならないのは問題がコラボレーションにある。
したがって、日本のオケは「職人的だが、創造性は高くない」というのが定評となっている。
以上のとおりだが、それで思い出したのがベルリンフィルの新しい楽団員の採用方法。当人の「コラボレーション能力」の有無を判定するため、楽団員の全員投票(指揮者でさえも1票にすぎない)によって決定している。
ちなみにオーディオマニアの観点から言わせてもらうとオケに限らずオーディオ機器においても国産品と外国製品との違いは顕著のように思う。国産品は物理特性はいいのだが肝心の音質についての魅力が乏しい。総じて「冷たい音でハモりにくい」といってよい。真空管とかトランスなどの小物類でも同じことが言えるようだ。
しかし、自分が知らないだけでほんとうは国産品でもいいものがあるんだろうが、全体的にマイナス評価が定着しているのでマニアとしても安全な橋を渡りたいばかりに、つい海外製品に目が移ってしまうのは否めない。
しかも、国産品を使うと「何だ、その程度か」と思われるものもちょっとシャクだしねえ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2184f4b06de8f2631d21d7a6e2bdc575
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c2
21さんが書いているように、新自由主義的経済政策なのか、山本太郎氏のデフレ脱却を目指す、反新自由主義(ケインズ=MMT)経済政策なのかあたりに、根本的な違いがあると思う。
立憲民主の経済政策はあまり聞いたことがないけれど、自民と同じ穴のむじなではないのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/466.html#c23
SP盤特別鑑賞会 2003/10/12 金沢蓄音器館
金沢蓄音器館ホームページ
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/index.html
1)シュトラウス,J./皇帝円舞曲(1937年録音)
2)ブルーノ・ワルターから宇野功芳氏にあてた声のメッセージ(1952年録音)
3)ベート−ヴェン/交響曲第6番ヘ長調,op.68「田園」〜第2楽章(1936年録音)
4)ハイドン/交響曲第100番ト長調「軍隊」〜第1楽章(1938年録音)
5)ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調,op.67〜第2楽章のリハーサル風景の一部(1958年頃)
6)モーツァルト/セレナード第13番ト長調,K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」〜第1楽章(1936年録音)
7)シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」〜第1楽章抜粋(1936年録音)
8)ブラームス/交響曲第3番ヘ長調〜第1楽章抜粋(1936年録音)
9)モーツァルト/ドイツ舞曲,K.605-3「そりすべり」(1937年録音)
●演奏
ブルーノ・ワルター1,3-9)指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1,3-4,6-9);コロンビア交響楽団(5),ブルーノ・ワルター(語り*2)
宇野功芳(解説),水口哲哉(聞き手)
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↑今回の鑑賞会に使われた蓄音器。これは始まる前に撮影したので,扉が閉じていましたが,これをあけるとかなり豊かな音が出ていました。
日本のクラシック音楽評論の世界では,恐らく吉田秀和さんと並んでもっとも著名な方である宇野功芳さんが金沢に来られ,ブルーノ・ワルター指揮のSPレコードを蓄音器で一緒に聞きながら,解説をしてくれる,という企画が行われました。私自身,宇野さんの推薦するブルーノ・ワルターのLPレコードを聞きながら,クラシック音楽への関心を高めていきましたので,「生の宇野さんを見てみたい」というミーハーな気持ちでこの企画に参加してきました。
宇野さんといえば,「○○は△△だけ聞けば十分である」といった率直な語り口で,いろいろと毀誉褒貶の激しい方ですが,宇野さんの語る曲やCDを聞いてみたいという意欲をかき立ててくれるという点で,大変大きな功績を残してこられました。特に朝比奈隆さんのブルックナーがあれだけ注目されたのはこの方の力によるところが大きいと思います。
今回は,14:00からと18:30からの2回に分けてSPレコード鑑賞会が行われました。とても立派な蓄音器(宇野さんの話によると,今回使われたクレデンザ42078という蓄音器は,家一軒分ぐらいの価値のある,大金持ちにしか持てないようなすごい蓄音器とのことです)を沢山所蔵している金沢蓄音器館にとっては,資源の有効利用という点からも大変相応しい企画だったと思います。
会場には50人ほどしか入れないのですが,年輩の方を中心に満席になりました。蓄音器というのは,かつては,その存在自体が偏愛の対象になっていたようですが(宇野さんのトークの中でも「盤よりも蓄音器が大事」という話が出てきていました),その魅力の片鱗に触れることができました。
第1回目では「宇野功芳が語るクラシック小品」と題して,クライスラーの自作自演など,小編成の曲目が掛けられたようですが,私が出掛けた第2回目の方では宇野さんが敬愛するブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルの歴史的名盤が集められました。いずれもこの館で所蔵しているSPレコードだったようです。この館で所蔵していたということは,それだけ当時から名盤だった,ということが言えそうです。
会場は,金沢蓄音器館の1階にある多目的ホールでした。この建物に来るのは2回目なのですが,蓄音器自身の音を聞くのは初めての経験でした。どういう音が出てくるのか期待しながら待つことにしました。今回使われた蓄音器は,先にも書いたとおりの名機だけあって,音量も十分でした。蓄音器といえば,貧しい音というイメージがあったのですが,大変豊かな音だと思いました。もちろん,迫力のある重低音はなく,ダイナミックレンジも狭いのですが,刺激的な響きが全くしない,自然なサウンドはデジタルな音声に覆われている現代人にとっては,癒しの音色だと思いました。蓄音器というのは,CDプレーヤーなどとは違い,楽器に近い雰囲気があると,宇野さんは語られていましたが,そのことも納得できました。
今回の鑑賞会は,宇野さんと聞き手の水口哲哉さんによる対談形式で進められました。この水口さんの質問がとても率直で,しかも的を得たものだったので,宇野さんから面白いお話が次々と出てきました。宇野さんは,既に70歳を越えられていますが,とても若々しく見えました。話ぶりにも文章そのままの明快さと率直さがあり,聞いていて飽きるところがありませんでした。
以下,プログラム順に話された内容などを箇条書きで要約してみました。
●皇帝円舞曲
ワルター/ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲 Op.437 1937
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13833997
宇野さんがアルバイトをして初めて買ったレコード。宝物だったが,戦後,父親に「(家計を助けるために)売ってくれ」と頼まれて,仕方なく売った。
この曲はシュトラウスの曲の中ではドイツっぽい曲で,ウィーン出身の指揮者クレメンス・クラウスなどは取り上げていない。オーストリア人は意外に好まない曲である。
この演奏からは,昭和初期の音がする。全然力んでいない。
●ワルターから宇野さんへのメッセージ
宇野さんは1952年頃からワルターと文通していた。その辺の経緯は「クラシック・プレス12号」(その付録CDにそのメッセージが収録されている)に詳しく書いてある。ワルターがマーラーの大地の歌をデッカにレコーディングした頃のことである。
ワルターの弟子(住み込みの書生のようなもの)にして欲しい,という今から思うと無茶なお願いをしたこともある。
●ベートーヴェン:田園〜第2楽章
Bruno Walter, 1936, Beethoven, Symphony No. 6 in F major, Op. 68 "Pastoral"
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruno+Walter++1936+++Beethoven++Symphony+
情緒たっぷりのウィーン風の演奏。
楽器(特に木管楽器)の音の溶け合い方がすばらしい。クラリネットはウラッハだろう。
SPレコードは数分単位で盤を裏返したり交換したりする必要がある(この日は蓄音器館の方が担当されていましたが,大変ご苦労さまでした)。この曲は何回も聞いたので,CD復刻版で聞いていても,裏返す箇所が来ると立ち上がりたくなる。
楽章の最後はとてもあっさり終わり,悲しいはかなさが残る。
宇野さんはベートーヴェンの交響曲の中では3番,6番,9番が好みである。「7番はできそこないですよ」などとおっしゃられていました。
「朝比奈さんは「7番の2楽章を自分の葬儀の時に演奏して欲しい」と語っていましたけど...」と水口さん話を向けると,宇野さんは「照れ隠しですよ。本当は「英雄」の葬送行進曲を演奏して欲しかったのではないですか」と反論。
●ハイドン:軍隊〜第1楽章
ハイドン 交響曲第100番「軍隊」 第1楽章 ワルター指揮 1938年録音
http://www.nicovideo.jp/watch/nm6566510
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruno+Walter+++Haydn+++Symphony+++Military+1938
ハイドンは男性的で粗野なところがある。ワルターはこれをモーツァルトのように演奏した。テンポがとても遅い。
近頃,この曲でワルター盤を推薦している評論家は私だけである。
学者たちは「当時は一弓で弾いていたからテンポは速かったはず」というが,「だから速く」と考えるのは間違いである。
#私の感想:テンポの落とし具合が絶品。おっとりとした雰囲気から微笑みが感じられる。
●ベートーヴェン:運命〜第2楽章のリハーサル
ベートーヴェン 交響曲第5番 《運命》 第1楽章
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruno+Walter+Columbia++Beethoven++No.5
ワルターが80歳を越えた頃のリハーサルを収録したもの。
とてもゆったりとしたテンポである。呼吸が深い。若い指揮者はこの深い呼吸がなかなかできない。
#この演奏のみLP盤だった。恐らくコロンビア交響楽団が演奏しているものだと思われる。
●モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク〜第1楽章
Bruno Walter, 1936 - Mozart, Eine kleine Nachtmusik, K. 525
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruno+Walter++1936+Eine+kleine+Nachtmusik
コロンビア交響楽団との演奏は,ワルターが教え込んだような音楽だが,ウィーン・フィルとの演奏は,ウィーン・フィルに任せているところがある。冒頭などは,即興的で様子を見ながら始まっているので,アタックがとても弱い。
角のない演奏で,とても女性的である。
ワルターはウィーンには4年ほどしかいなかったが,とても相性が良く,第2のふるさとのように思っていた。
ただし,ウィーン・フィル時代のワルターは,「ウィーン・フィル+ワルター」というところがあり,ワルター本来の持つドイツ的な面はあまり出ていない。
#この演奏はSP盤の片面に収録されていたので,曲中に中断することはなかった。
●シューベルト:未完成〜第1楽章抜粋
Bruno Walter-Unvollendete-1936-VPO
http://www.youtube.com/watch?v=zrH8CbNdFcw
http://www.youtube.com/watch?v=80AVBrIflDk
http://www.youtube.com/watch?v=kyY32OVwqYs
http://www.youtube.com/watch?v=-snx_QsjIOE
http://www.youtube.com/watch?v=pBJzWHnsNqo
http://www.youtube.com/watch?v=vneay2YZ1Pw
http://www.youtube.com/watch?v=UoSTdlDgoOY
http://www.youtube.com/watch?v=j-BjD6B9trA
この曲は最近,7番と呼ばれるが,やはり8番。偶数ですよ。この曲は「8番「未完成」」しか有り得ない(宇野さんは,偶数番と奇数番と曲の印象とのつながりを重視していらっしゃるようです)。学者は頭が堅いだけです(宇野さんの方が堅いという説も...)。
だけど,ドヴォルザークの8番は何番でも構わない(この辺は結構勝手ですね。だけど,何となく気持ちは分かるような気はします)。
1楽章最後がディミヌエンドで終わるのはとてもはかなげである。これを最近はアクセントで演奏することが多い。曲のイメージが全然違ってしまった。学者の説もマユツバだと思う。
聞き手の方が
「それにしてもこの楽章は暗い曲です。宇野さんは指揮されたことはありますか?」
と尋ねると,
「ない。私は,自分が過去の名演より良い部分を出せる曲だけ振っています」
との回答。
●ブラームス:交響曲第3番〜第1楽章抜粋
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 Op.90
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17639121
ブラームスの好きな人は多いですが...宇野さんはあまりお好みではないようです。水口さんの方は「私は好きです」
3番はちょっと変な曲です。この点は聞き手の方も「同感」。特に最後,ゆっくり終わるのが辛い。ブラームスは,そういう人である。「優柔不断なんですよ」
クララ・シューマンに対する思いから話がそれて,マーラーの奥さんのアルマ・マーラーの話題に。当時の芸術家はみんなアルマのことが好きで,アルマも次々恋人を作っていた。マーラーは馬鹿にされていたのでは?
だけど,この演奏は良いです。ブラームスではなく,ワルターの演奏が良い。ホルンがとても良い。
●モーツァルト:そり滑り
#中間部の鈴の音の響きが夢を見るように美しい。鑑賞会はこの小品で締められました。
●SPレコードについて
SPレコードは,ソロ楽器の方が合っている。いくらクレデンザでもオーケストラだと音が固まってしまう。
というわけで,「○○は好き,△△は嫌い」という宇野さん独特の言いまわしもポンポンと出てきて楽しめるトークとなりました。今回,ワルターの演奏と宇野さんのトークを聞いて私が感じたのは次のような点です。
SPレコードに収録されている演奏は,SP盤を裏返す時間を意識してテンポ設定がされているのでは?戦前の演奏は,主題呈示部の繰り返しをしているものは,ほとんどないが,SPレコードで聞いていたことを考えると納得できる。
今回のトークの中で,「悲しさ」「はかなさ」という言葉が何回か出てきた。SPの魅力はこの辺にありそう。
宇野さんは,「学者がこういうから」という演奏が嫌いである。世の中全部が,一つの方向に向かったら面白くない。宇野さんのような考えの演奏家が居た方が面白いと思った。
http://www.oekfan.com/review/2003/1012.htm
古雅、優美のきわみ〜ヴァルター&ヴィーン・フィルの「田園」 2011年07月29日
戦前のヴィーン・フィルの響きがどれほど美しいものだったかはいろんなところで語られている。一番よく知られ、影響力も大きかったのは宇野功芳氏が書いたヴァルターとヴィーン・フィルの戦前録音についての評論だろう。
私も氏一流の名調子に乗せられた?くちで、この世のものとも思われぬ究極の美、とか何とかそんな感じの口上を目にして、それほど美しい音ならぜひきいてみたいと思い、EMIからヴァルター、ヴィーン・フィルのモーツァルト録音を集めたセットが出た時に、貧乏学生が清水の舞台から飛び降りる思いで購入した。そして、期待に胸を躍らせながらきいてみて、拍子抜けというか、はっきり言えば非常にがっかりし、失望したのを覚えている。これのどこが美しい響きなのか?こんなものに大枚(当時の私には)をはたいた自分の愚かさを悔やんだが、後の祭りである。その頃からヴァルターをあまりきかなくなったのは、その心の傷?がいくぶんか、あるいは大いに影響したのだと思う。
まあ、当時の私はうぶな素人で何も知らなかったのだが、失望させられたのはある意味で当然である。今の私も依然として素人だが、悪達者な知恵だけはついたので、それがどういうことだったのか今ではわかる。私が購入したEMIのCD復刻は、上と下からプレス機にかけて押しつぶしたような音で、中高域だけが妙に強調されてキンキンと下品に響き、もやついてふやけた低域のせいで腰の据わらないヘナヘナの演奏にきこえるという、きわめてろくでもない代物であった。まあ、今はもっとひどいものが世に出回っているが・・・いずれにせよ、あんな音ではヴィーン・フィルもBBC響も大して変わりはない。
その後も何度かヴァルター、ヴィーン・フィルのSP録音が復刻され、そのたびに「今度こそ・・・」の望みをかけて購入しては、やはり失望させられる・・・というのを繰り返し、ついに私はあきらめた。戦前のヴィーン・フィルがいかに素晴らしいか、という話そのものがガセで、香具師の口上にうまうま乗せられた自分が馬鹿だったのだ、と思うことにしたのである。さらにORFEOレーベルから続々と出た「正規音源」による戦後のヴィーン・フィルのライブも、そのもっさりとした鈍く暗い音で追い討ちをかけてくれた。その後しばらく、ヴィーン・フィルほど名声ばかり高くてろくでもないオーケストラはない、というのが私の中では「定説」となった。(音盤に詳しい方であれば上記のくだりを大笑いしながら読まれたことだろう。だが、実際には笑いごとではない。復刻の粗雑さ、無神経さが実際に貴重な文化財の真価を損ない、見誤らせているのである。)
その見方が変わったのは比較的最近になってのことである。フルトヴェングラーやシューリヒトとヴィーン・フィルの音源を良心的な復刻でいくつかきき、自分が「メジャーレーベル」「正規音源」というブランドや「リアルなSP復刻」などという売り文句に惑わされていたのだ、ということに気が付いた。たしかにヴィーン・フィルの音は、紛れもなくヴィーン・フィルの音だったのである。それに気付いてから、あらためてヴァルターとヴィーン・フィルによる戦前録音の良好な音源を探し始めた。そうして、ようやく納得の行く音源をいくつか入手することができた。そのうちのひとつが、今回ご紹介する「田園」である。
この「田園」にきく最盛期のヴィーン・フィルの響きは、たしかに後にも先にもきかれないような絶世の美である。舌の上で淡雪のように解けていく上等の砂糖菓子みたいなすっきりとした甘さ、軽さ、柔らかさ。そう、こくのある充実した響きなのに、何とも音の身ごなしが軽く、柔らかなのである。陰翳、色彩感の妙、独特のアクセント、すべてが魅力的で、古雅、優美のきわみ、といいたい。ヴィーン・フィルの響きの見事さだけでなく、ヴァルターの指揮ぶりも実に端正で行き届いたもので、この時期のかれのセッション録音では出色の出来だと思う。
ただ、この演奏ではひとつだけ、ひどく気に入らないところがある。終楽章のクライマックスで、唐突な(としか私には思えない)ディミニュエンドとクレッシェンドが繰り返されることだ。これは当時の演奏習慣なのか、楽譜に何らかの根拠があるのか、ヴァルター独自の解釈なのか、それは別にいい。たんに効果的でなく、演奏から受ける感銘をスポイルしているだけだ。ヴァルターは後年のコロンビア響との録音でも、ずっと目立たない形ではあるが同じことをやっている。目立たないというだけで効果的でないことに変わりはない。実演などではこの解釈がうまく「決まった」例もあるのかもしれないが、この演奏では感動を深めるよりは削いでいると思う。
今回公開する音源についてひと言。いくつかある手持ちの音源の中から、プライベートLPから起こしたものを選んだ。金属的な針音がやや耳に付くが、それを差し引いても音のたたずまいと品の良さが一番優れているのをとった。
http://blog.livedoor.jp/thetatoshi/archives/cat_157467.html
オーパス蔵 ホームページ
http://www.opuskura.com/index_j.htm
OPUS蔵の位置 2007年05月08日
OPUS蔵というレーベルをご存じだろうか。第二次大戦前後のSPからCDに復刻して販売するレーベルである。CDの帯に宇野功芳氏の熱いコメントが書かれているものもあり、私もつい乗せられたりしてこのレーベルのCDを10枚以上所有している。
本来は、マスターテープを所有しているEMIなりPHILIPSなりがCDを制作したほうが、いい音でできるはず。だが、OPUS蔵が出す復刻CDは、不思議や不思議、本家本元が出すCDに肉薄するか凌駕することがほとんどである。もっとも、SP復刻だけあって、チリチリというノイズがどうしても発生するから、それを嫌う人には向かない。
私はこれまでOPUS蔵から発売されるCDを高く評価してきた。既に同じ録音を所有している場合でも、OPUS蔵から発売されると買い直したこともよくあった。iPodやその他mp3ウォークマンが全盛の時代、少しでも良い音質を求めてCDを買い直すなんてまったく時代に逆行するようでもあるが、本人が楽しいのだからいいじゃないか。それに私の周りの知人に聴かせれば、大抵は音の違いはわかってくれる。音楽をさほど聴かない人でも大抵は違いを認識する。「そんなに違わないでしょ」と私の趣味を嘲笑する人も、いざスピーカーを前にすると「なるほど」とうなずく。
とまあそんな訳で、いい状態の録音を探す旅を正当化しつつ続けるわけである。ちなみに今まで最も多く入手した録音は、カザルスが演奏したバッハの無伴奏チェロ組曲とドヴォルザークのチェロ協奏曲、それからフルトヴェングラーの第九(1951年,有名な「バイロイトの第九」)じゃないかな。CD,LP合わせるとどちらも6種類ずつ購入した。メンゲルベルクのマタイ受難曲は4種類。もちろん演奏日まで含めて完全に同一の演奏。ここまで来ると、さすがに無駄じゃないかなと自分でも思うが、慣れてくると段々と知識が増えてきて、「この復刻のほうがいいはず」という判断が可能になってくるから、後に買った物ほど大体いい音質をしている。だから後悔はあまりなく、「いい買い物をした」という思いが強い。
さてOPUS蔵の話に戻るが、ターンテーブルを購入しLPを聴くようになるまでは、OPUS蔵はどうしようもないEMIのヒストリカルレコーディングの復刻を補ってくれるよい選択肢だったが、今はもう一つの選択肢がある。つまり、古い時代のLPを直接手に入れる、という方法である。「古い時代の」という限定をしたのは、80年代に再販されたLPで音質の悪い物が何枚かあって、買い直しを余儀なくされたという苦い経験ゆえである。この選択肢だと、HS2088方式なりARTリマスタリングなりの人工的なサウンドから解放されてまともな音質で聴ける。そこで、昨日、友人たちが拙宅に集まったのをいい機会と、私を入れて5人で聴き比べをしてみた。もっとも、本格的な聴き比べをするなら、使用するLPの選定から徹底的にやらなければいけない。ゆえに、以下のレポートは、
「OPUS蔵ってホントにいいの?」
「マスターテープから作ってないCDってどうなの?」
ということを少々考えてみたいための記事、気軽にお読みください。
第1試合:ワルター指揮ウィーンフィルのモーツァルト「プラハ」(1936)
使用LPは、Angel Records の GR-19。昨日届いたばかりのLPをかけてみて、思いの外、音質がよくなかった。なんかフィルターを通して聴くようなもやもやした音。1936年の録音とはいえ、悪すぎる。1920年代の録音ぐらいにしか聞こえない。古き良き時代のウィーンフィルの雰囲気こそ伝わってくるが、音が貧弱で分離も悪く、オケの各声部がどうかけあっているのか楽しめない。
(このLPの名誉のために言えば、カップリングされているモーツァルト「ジュピター」は、まっとうな音で聴ける。)
一方で、OPUS蔵は、うってかわって、音が硬くてウィーンフィル特有の土臭い雰囲気をやや失っているところと、低音の響きが甘いのが残念であるが、LPに比べれば遙かにクリアな音質で素晴らしい。ライナーノートに、「『プラーハ』はこもり気味の音なのでなるべくクリアーなものを用いたつもり」と書いてあるから、エンジニアの努力が見事に実を結んだ格好であろうか。いい仕事をしてくれたと賞賛したい。
この録音については、LPの音を好んだ人もいたが、OPUS蔵のほうが、優勢であった。LPで聴くなら、もっと状態のよいものを探さねばなるまい。
第2試合:ティボーのヴァイオリン小品集よりヴィターリのシャコンヌ(1936)
使用LPは、Angel Records の GR-79。一聴して、ヴィターリのシャコンヌが哀切極まる響きで奏でられていることに驚いた。それほどにティボーの演奏を私は素晴らしいと思った。そして、EMIの録音の捉え方の深さを、賞賛したいと思った。
対して、OPUS蔵は、以前にジャック・ティボーを聴くの稿でも書いたとおり、この演奏家のヴァイオリンの響きを伝えるにはあまりに音が硬質すぎて、魅力が減衰してしまう。音は明瞭に捉えられており、その意味ではLPで聴いたよりも聴きやすいかもしれないが、ヴァイオリンの表情が半分以上失われているように聞こえるのは残念である。
ティボーについては、フランクのソナタも聴き比べたがやはりLPの勝利だった。
第3試合:カザルスのバッハ「無伴奏チェロ組曲」より第6番(1938)
使用LPは、Angel Records の GR-2018。これはLPもOPUS蔵もともにしっかりと音が入っており、評価が難しかった。だが、低音域の締まりのよさにおいて、OPUS蔵はLPに一歩劣る。
カザルスが低い音を弾いた時、OPUS蔵だと「ぼわーん」と間抜けな音が聞こえてくる。その他の点では、充分に善戦していたし、購入を推薦できるCDと思われるだけにあと一歩及ばず残念であった。
ということで昨日の3試合は2勝1敗でLPの勝ち。たまたまEMIに偏ってしまったので付言すれば、先日メンゲルベルクの演奏したバッハ「マタイ受難曲」をLPとOPUS蔵で聞き比べたときはLPの圧勝だった。マスターテープから制作されたものに勝てないのは仕方ないかもしれないが……。
おそらくは機会を改めてまた書くことになると思うが、平林直哉氏がリマスタリングしているGrandMasterシリーズは、よっぽど状態のよいLPを探してこないと勝ち目がないぐらいによくできたCDだと思っている。それに比べれば、OPUS蔵は復刻の仕方が少し甘いと思う。
もしLPをもっと買い揃えて比較すれば、さらに分は悪くなろう。加えて、エンジニアの音の好みが(ある程度は仕方ないにせよ)露骨に現れているのもちょっと首を傾げてしまう。ターンテーブル買うのはお金と場所が……という向きもわからないではない(私が長らくそうであった)。だが、OPUS蔵の音よりも簡単に安価で手に入るLP(ヤフオクで数百円〜千円程度)の音質が良かったりすることはザラにありそう。
OPUS蔵が店頭のヒストリカルレコーディングの棚に並ぶCDの中ではいい音質を誇ることは間違いないが、所詮は「復刻」であると言わざるをえないのだろうか。きちんとマスターテープから制作されたLPを聴かないのはもったいないよと警告しつつ、一方で、もっとよい復刻レーベルが登場することを期待するのである。
http://muse.senrenja.net/2007/05/opus.html
オーパス蔵:究極のコレクション 2007.07.23 Monday
この一覧を改めてみていると、本当に良いもの目白押しですね。私の大好きなブルーノ・ワルターなんかが特に。「田園」と「アイネクライネ」なんて凄いカップリングですよね。こけは確か私の手元になくてBBピアノに置いてあるような。
まだ買っていなてけど、ブラームスの第3とハイドンの86番というのもいいですね。ブラームスは「KOCH」の輸入盤で持っています。ハイドンも「Pearl」か「IronNeedle」かどちらか忘れましたが持っています。第86番のワルターはやりたい放題もいいところで、ここまで表情たっぷりな演奏も、そう聴けないと思います。
マーラー第9は「Dutton」の高音質リマスタリングをずっと愛聴しつづけました。オーパス蔵だとどうでしょうか。因みにこれはナクソスのリマスタリングも出ていますね。
他の指揮者を見てみると、メンゲルベルクのチャイコフスキー「弦セレ」。これはいいです。ポルタメントかけまくりのロマン溢れる演奏です。私は確か「DANTE」で持っていたかな。因みに1987年時点での宇野功芳氏のこの曲のベスト3は、メンゲルベルク、ストコフスキー、バルビローリだったと思います。
コメント こんにちは、torefoglinefan様。
「オーパス蔵」とは簡単に言うと、主に戦前に録音されたクラシック音楽のSPやLPといった音源からCDへと復刻化し販売している日本のメーカーの事です。「Dutton」は同じくオーストリアのCD復刻会社。「Dante」・「Peal」等はちょっとどこの国か分かりません。
CD・レコードの場合、演奏を録音し、その録音音源を保有しているレコード会社は著作隣接権という権利を50年間保有します。その期間には他のメーカーからその録音のコピーが販売すると著作権法に触れることになりますが(著作権は一部の国を除き世界的に保護が受けられる)、50年を過ぎると著作隣接権が消滅するため、録音音源を保有しているレコード会社だけでなく、どのレコード会社からも販売するということが事実上可能となります。「オーパス蔵」は、その著作隣接権が切れた録音を、かつて市販された保存状態の良い状態のSPやLPを探しだし、それぞれのプレイヤーで再生・CD化を専門で行っています。
何故、そのような古い演奏を聴くのか?現在のデジタル録音の演奏で聴けば良いのでは無いか?と思われる方もいらっしゃると思いますが、torefoglinefan様が名前を挙げた、フルトヴェングラー、ワルター、メンゲルベルクなどは、21世紀の現代には絶滅したと言ってもよい19世紀後期ロマン派の流れを汲んだ貴重な名指揮者達ばかりなのですし、オーケストラの団員の中には晩年のブラームス・マーラー直々に指導を受けたプレイヤーもいるはずなのです。実際私のCDラックの中にも1930年代のSP録音がいくつかありますし、40・50年代のテープ録音の愛聴盤が数多くあります。しかし、残念ながら、年代のため音質が良くないものが当然ながら多いのですが、それでも元の録音保有メーカーの復刻CDよりも、別のメーカーから発売された復刻CDの方が音質が良く、尚かつ演奏そのものが別物のように生まれ変わるというケースが時折あります。そのため、クラシック・ファンの間には名演奏と評される演奏のメーカー通しの音質聴き比べという現実が特に90年代から生まれてきたのです。
私は「オーパス蔵」のCDはあまり好きではありません(ゴメンナサイ)。SP(LPも)音源特有の針音が気になりますし、頭痛がして聴き疲れしてしまいます。
基本的にワルターの戦前の録音は本家の東芝EMIなどの復刻で聴いていますし、戦前のフルトヴェングラーの演奏は、93年ロシア・メロディア社保有(ドイツでテープ録音された音源は、戦後処理の際、戦勝国ソ連により戦利品として摂取された)のマスターテープからの復刻CDを聴いています(基本的に80年代末にソ連から独・グラモフォン社へ返還されたテープより音が生々しい。マスターテープのコピーをソ連が”返還”したとよく言われますが、非常にミステリアス!)。
但しオーストリアの「Dutton」社は聴きやすく音質も素晴らしいですよね。torefoglinefanさん絶賛のワルター指揮マーラーの第九交響曲はもちろん、往年の名チェリスト・カザルスのチェロ協奏曲や、バルビローリ指揮のシベリウス交響曲選集(2番は宇野氏も絶賛!)も本家のEMIを超えたものとしてお勧め!
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オーパス蔵の復刻は、音に厚みがあり中低域が豊かで弦楽器が美しく私は大好きです。
ワルターの復刻版では「田園」「アイネクライネ」「ジュピター」が特にすばらしい音だと思いますし私の愛聴盤となっております。
他には「カペー弦楽四重奏団」、「クライスラーの小曲集」、「カザルスのバッハ無伴奏組曲集」を愛聴しております。
それにしても、20世紀前半の名演奏家達の名人芸を手軽に聴くことが出来るのは、本当に素晴らしく幸せなことだと思います。magnet
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「Pearl」はイギリス、「DANTE」はフランス、「IronNeedl」はイタリア、「KOCH」はオーストリア。確かそうだったと思います。
オーストリアには「Preiser」というところもあり、ワルターの「田園」や「軍隊」のSP復刻がとても良かったです。ところでこのレーベル、スレザークの歌ったドイツ歌曲集もあり、これをカタログで見つけたときは嬉しかったです。確かキングインタがこのレーベルを取り扱っていたので、上記交響曲2枚とともに、地元のCDショップの方に言って取り寄せてもらいました。ただし、「オーパス蔵」が出てこちらの方が音が良いと思います。
magnetさん、カペエSQを忘れていました。私も「Bidulph」(英)で出ているのを買い集めました。言われてみるとこれが「オーパス蔵」で出ているのですね。これは買いでしょう。
因みにこのカペエSQ、なぜ知っているかと言いますと、「ワルターの田園」の項で触れた例の1960年代の音楽誌。交響曲をはじめとした名盤の紹介は、宇野功芳氏よりも前からレコ芸の交響曲部門を担当しておられる小石忠男氏が書かれたのですが、これとは別の紙面に、いろいろな評論家が選んだ「この一枚」がありました。そのなかで宇野が選んだのは、「今さらこんな古いものをと言われるかも知れないが、」と前置きしたうえで、カペエの四重奏曲だったのです。
これが1960年代の文章ですよ。因みにカペエの録音も1929年。当時から宇野さんは骨董趣味だったのでしょうか。
http://trefoglinefan.jugem.jp/?eid=82
ワインガルトナーのベートーヴェン
このCDは宇野功芳氏が絶賛していたので、買った次第。
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 交響曲第8番
ワインガルトナー(指)ウィーン・フィル 録音1936年
フルトヴェングラーやシューリヒトにも匹敵する「エロイカ」の登場
オーパス蔵の大ヒット
迫力を求める人には物足りないと思っていたワインガルトナーの表現が全く違う感動をあたえてくれたのである。
今回オーパス蔵によって復刻された「エロイカ」を試聴し、そのすばらしさに驚喜した。こんなに凄いベートーヴェンだったのだ!
ワインガルトナーの表現が全く違う感動を与えてくれたのである。
8番は従来、涙をのんでS=イッセルシュテットの方を推薦して来たが、オーパス蔵盤の登場により「第8」のベストワンはワインガルトナーと躊躇なく言えるようになった。今までのCDに比べ音に力のあること華やかささえ感じられることにびっくりさせられるだろう。/宇野功芳(ライナーノートより)
この人の薦めるCDは小生にはあまりヒットしない。我が家はモノラルの古い録音でも鑑賞に堪えるが、あえてこのCDを聴く必要はなかろうと感じる。名演なんだか知らないが音が悪過ぎる。結論として、SPで室内楽はOKだが、オケはダメだ。宇野氏と自分とではひと世代違うのである。
http://compact.exblog.jp/12398855/
フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第3番「英雄」 2012年 01月 12日
"ウラニアのエロイカ" オーパス蔵
今日は1944年、フルトヴェングラーがウィーンフィルと残したベートーヴェン交響曲第3番「英雄」、通称"ウラニアのエロイカ"を聴きます。
使用した音源は、「オーパス蔵」で復刻したCDで、 これは以前ニコニコ動画に投稿して、記事にもしていたんですが、楽章単位でより高音質で再投稿して欲しいと言う要望ありましたので、今回再登場と相成りました。
フルトヴェングラー "ウラニアのエロイカ" オーパス蔵 音質改善版
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16659502?via=thumb_watch
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16660123?via=thumb_watch
この「ウラニアのエロイカ」いわれるレコードの復刻は過去たくさんありまして、其々の音質評価等詳しくはこちらをどうぞ。
ウラニアのエロイカ
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/FurtwanglerCD/Beethoven/sym3/19441219.htm
この「Classical CD Information & Reviews」さんを見るとたくさんあるんですよね・・ オーパス蔵盤は例の宇野功芳氏が絶賛したものです。もうこれが決定版だと。笑
今回は音源アップ時の音声ビットレートは640kbps、ちなみにYouTubeは映像込みで一律360kbps、CDは1411kbpsですね。
果たして・・
【ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』】
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年12月16〜20日(19日)、ウィーン、ムジークフェラインザール
多少は、エネルギーが凝縮された感じで、以前の音源より緊張感が感じられます。ただ、オーパス蔵の音にいつも付きまとうある種の抜けの悪さは変わらないですので、恐らくその抜けの悪さのようなものはオーパス蔵の音なんでしょう。
復刻レーベルの音としては、情報量的には
「グッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR」
http://goodies.yu-yake.com/
の方が正しいでしょう。SPに刻まれた情報をくまなく拾った、そんな音です。ただちょっと腰高で音が客観的なので、そこをどう聴くかでしょうね・・
オーパス蔵の方はやはりその音の抜けの悪さを何とかして欲しい気はします。この辺は、使用している機材の影響を受けますから、オーパス蔵さんには機材の再考が必要なのかもしれないな、と最近思います。
http://sucala.exblog.jp/17597987/
うーん、要するにオーパス蔵のCD は宇野功芳さんの様に
1. 高年齢になってもう3000ヘルツ以上の高音が聞こえない
2. 高音も低音も出ない真空管アンプ(マランツ♯7 + クォードU)とスピーカ( ワーフェデール + Axiom80)を使っている
の条件を満たさないと良い音にならないという事でしょうか?
次の音楽界の七不思議の答えもどうもこの辺にありそうですね :
@ 何故 二流指揮者のカラヤンにあれだけ人気が有るのか?
A 何故 死んだ音しか出せない B&W のプロ用モニター・スピーカーがあれだけ一般向けに売れるのか?
B 何故 音楽も音もわからない菅野沖彦さんがオーディオ評論の第一人者と思われているのか?
C 何故 演奏の良し悪しが全くわからなかった吉田秀和さんが音楽評論の第一人者と思われているのか?
D 何故 知性も教養もゼロの宇野功芳さんが音楽評論で前代未聞・空前絶後の成功を収めたのか?
▲△▽▼
ブルーノ・ワルターやフルトヴェングラーは SP復刻盤だけでなくモノラール録音もすべて
手廻し蓄音機 + 曽我ホーン
で再生しないと演奏の凄さがわからないです。
Wilhelm Furtwängler site by shin-p
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm
フルトヴェングラーの全名演名盤 (講談社プラスアルファ文庫) – 1998/5
宇野 功芳 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%85%A8%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%90%8D%E7%9B%A4-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E5%8A%9F%E8%8A%B3/dp/4062562650/ref=sr_1_9?qid=1570825619&s=books&sr=1-9
名指揮者ワルターの名盤駄盤 (講談社プラスアルファ文庫) – 1995/3
宇野 功芳 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%90%8D%E6%8C%87%E6%8F%AE%E8%80%85%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%90%8D%E7%9B%A4%E9%A7%84%E7%9B%A4-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E5%8A%9F%E8%8A%B3/dp/4062560852/ref=sr_1_10?qid=1570825619&s=books&sr=1-10
参考
原音とは何か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html
ブリティッシュサウンドとは HMV蓄音機とロンドンウェスタンの音の事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/477.html
驚異の音質を誇ったエジソン式蓄音器が滅びた理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/495.html
北関東蓄音機倶楽部 Sogaphon _ SP録音の CD復刻盤 は Sogaphon を取り付けた蓄音機で聴こう
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/473.html
SPの復刻はナローレンジでノイズもあるので、どんなスピーカーでも十分に再生出来るように思えるかもしれないが、実際には非常に難しい。
それは、SP盤のころは再生装置による音響効果も計算に入れて音作りをしていたため、ディスクに入っている音をそのまま再生しただけでは不十分だからである。
そのような録音の再生は邪道であるというのなら、ヌブーとハシッドだけでなく、エネスコ、ティボー、クライスラー、そして、全盛期のカザルスらの芸術を良い音で聴くという喜びが味わえなくなってしまう。
ところが現実には、これらSP全盛期の録音は、特に弦楽器のソロに関して、現在の不自然な録音よりも好ましいというベテランのオーディオ愛好家が少なくない。それほど、当時の録音エンジニアの見識は優れていたのである。
したがって、ディスクには半分しか入っていないヴァイオリンの音を補間する能力は、ラッパにとって非常に重要である。その点においてオイロダインはまずまずであった。ハシッドよりもヌブーが良く、やや金属質ながら、艶やかな美しさが勝った。
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10213&i=10222
▲△▽▼
音海先生は壁際にある蓄音機のほうへ行き、ゼンマイを巻き始めた。ジージーと音をたてて20回ほど巻いてから、脇にあるもう一台の蓄音機の上に置きっぱなしだった78回転のSPレコード盤をターンテーブルに乗せた。金色のサウンドボックスにサボテンの棘で出来たソーン針を固定し、回転ストッパーを外すと、レコード盤がゆっくりと回転し始めた。数秒でガバナーが効いて定速に達したので、音海先生は針をレコード盤の溝に載せた。上品な梨地に金メッキされたサウンドボックスやアームのような音で、ピアノ伴奏のアルペジオに導かれたヴァイオリンが鳴り出した。それはスピーカーやヘッドホンなどから出て来る、電気信号を増幅して再生される音とはまったく素性が異なる音色であった。
スペック紳士:「なんて素敵な音楽なんだろう。まるでビロードのような、でも、けっして老いた感じのしない不思議な演奏ですね。」
音海先生:「さすがはスペック紳士。この演奏は10歳代半ばのヴァイオリニストによるもので、早死にした天才の最後の録音じゃ。」
猛実験君:「自分はクラッシックをあまり聴きませんが、とても感動しました。それになんだか、演奏が間近で行われているように感じました。」
音海先生:「このSPレコードには5 kHzぐらいまでしか記録されていないが、とてもそんな風には聴こえんかったじゃろう。100 kHzのたった20分の1しかないが、音楽の濃さはこちらのほうがはるかに上じゃな。周波数帯域が狭くて性能の悪い録音装置しかなかった時代の演奏が、これほどの質で記録できたということは驚きじゃ。なによりも演奏がすばらしいこと、そして、それをレコード盤に閉じ込めるエンジニアや関係者の教養と音楽への理解が重要なのじゃ。まあ、レコード文化をダメにしたのは我々大衆かもしれんがのう。」
もう一枚、音海先生は別のヴァイオリニストのレコード盤をかけた。今度はもう少し古い時代の録音なのでシャーシャーとノイズが聞こえたが、蓄音機の上ぶたを閉めると気にならなくなった。曲はヴィターリのシャコンヌで、先ほどと同じヴァイオリンという楽器とは思えないほどドラマティックな演奏が鳴り響いた。それまでは曲の途中で議論を始めていた三人が、心で直接聴いているかのように無言のまま聴き終えた。ひとしきりの沈黙の後、前回のケーブル騒動のときとは打って変わった神妙な調子で別れの挨拶を交わすと、二人の客は帰った。音楽の余韻に包まれた静かな山中に、帰り道でスペック紳士が控えめにふかすエンジン音が響いた。
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10145&i=10412
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c4
音楽評論家 宇野功芳が 50年間ずっと使い続けている装置
スピーカー
Wharfedale スーパー3
Wharfedale スーパー15
Goodmans AXIOM80
エンクロージャー : テレビ音響製9立方フィートマルチホール型
プリアンプ : 米マランツ♯7
パワーアンプ : 英クォードU型モノーラル用2台
宇野功芳
上のアンプとスピーカーは いずれもモノーラル時代あるいはステレオ初期の名品である。 今のものに比べると、周波数レンジは狭いし分解能も悪いが、中音域の美しさ、豊かさ、気品は最高で、使用年数は実に五十年を超える。
他のプリアンプと聴き比べたが、マランツ♯7の音は冷たい位の気品が他のプリアンプとはまるで違う。 清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったが、それが正解だった
QUAD II の音質の暖かさと柔らかさは無類である
QUAD II を QUAD のトランジスター・アンプに変えると、最初は楽器の細部のニュアンスが良く聞き取れて愉しめたが、すぐにうるさくなってしまう。 QUAD IIの暗く沈んだ音は何時間聴いても飽きない、疲れない。
青木周三
Marantz とマッキントッシュの真空管式パワーアンプは音が硬くて音楽を聴くのには向かない。メインアンプは QUADII以外には考えられない
Axiom80 は JBL の 30cmウーハーと組み合わせて、大型のエンクロージャーに入れると真価を発揮する。
____
クラシック音楽の世界に於ける音響的な部分に対する異常とも言える執着は、音楽ホールやオーディオ製品に強く反映している。いづれの場合でも、音楽の核心を確実に聴き手に届けると言うよりも聴き手に"快く感じさせる"ということに重点が置かれる。
音楽評論家であり、指揮者でもある宇野功芳という人は若い人にカリスマ的人気があるらしい。
その人のオーディオの"主治医"の青木周三と言う人は
「分割の良すぎる音より、演奏会場の一番いい席で聴こえる音、実演に近い音」を目指す人だという。
分離が良くない、つまり各声部の音がお団子状に固まって聴こえると言うことはどの様な音楽にとってもプラスの条件ではない、
特に多声的な音楽に対しては致命的なマイナス条件なのだがその様な装置で聴けばゲシュアルトやモンテヴェルディのマドリガルはつまらない曲だと思えるのが当然だ。
しかし元々そんなものは価値のないものだと思っているとすれば自分の装置が真実を伝えて居ないことに気付かずに終わるであろう。
そして、分離の良すぎない音、つまり、分離の悪い音が良い演奏会場の条件だと言うことになってしまう。
宇野功芳という人は
「名ホールとは演奏を美化する。これが第一条件だ、
舞台上の残響に身を包まれて演奏しているとホールが自分を助けてくれている、という喜びで体を満たしホールに任せる気になる…・・
強い和音が鳴った後に残る長い残響はいつまでもその中に浸っていたいと思う程で……」
と述べている。
私は宇野功芳がクソミソに言う日比谷公会堂や東京宝塚劇場(昔の)でシンフォニー オブ ジ エア、ウィーンフィル、ボストン響、イタリアオペラの数々を聴くことが出来た。
それらの体験は確実に音楽の世界に引き入れてくれたのである。今にして思えば、優れた演奏家は美化される必要がないと言うことだったのだと思う。
美化とは或る意味で歪曲なのだから(それは宇野功芳本人も認めている)なのだ。
昔からタイル張りの風呂場で唄を歌うと、上手になったような気がすると言われてきた。現在のカラオケサウンドもそういう錯覚に基づいているのだ。
残響の長いホールというものは演奏家が自己陶酔に浸る分にはいいのかも知れないが、肝腎の聴衆が音楽の核心を掴むことを妨げる、ということに気付くべきなのではないだろうか。
80年代以降、いわゆる"音響の良いホール"が全国各地に出来たのだが、正にそれに符節を合わせるようにクラシック音楽人気が凋落してきているのは偶然ではないだろう。
http://www.amadeo.jp/kyuukyoku.html
>宇野功芳のオーディオの"主治医"の青木周三と言う人は
「分割の良すぎる音より、演奏会場の一番いい席で聴こえる音、実演に近い音」を目指す人だという。
>分離が良くない、つまり各声部の音がお団子状に固まって聴こえると言うことはどの様な音楽にとってもプラスの条件ではない、
つまり、宇野功芳さんはフルトヴェングラーやブルーノ・ワルターが指揮する19世紀のドイツ音楽にしか合わない装置を特に選んで使っているという事なのですね:
クラシックの核心: バッハからグールドまで 片山 杜秀 (著)
「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。
フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」
______
山之内 正の週刊 AVラボラトリー
音楽評論家・宇野功芳氏の試聴室再訪 − 音が激変した理由とは?
2013年 07月 17日 (水曜日)
http://www.infranoise.net/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B/
先日、音楽評論家 宇野功芳氏の自宅試聴室を再訪した。
宇野氏と私の共著『音楽と音の匠が語る目指せ! 耳の達人 』(音楽之友社刊)の企画で互いの試聴室を訪ねたのは昨年の秋だったと思う。 ところが、
「最近、再生システムの音がガラリと変わったので、山之内さん、ぜひもう一度聴きに来て!」
とレコード芸術最新号の誌面でご指名があった。それを読んだ私がディスクを何枚か持参し、9ヶ月ぶりに訪問したのである。
宇野功芳氏の愛用システムは数十年変わっていないが、今回プレーヤーとプリアンプ間のラインケーブルを交換した宇野氏の再生システムはどの製品も使用歴数十年以上と、年季が入っている。
マランツ#7、Quard II、ワーフェデールという組み合わせはアナログレコード時代から不変で、CD登場後にスチューダーのD730とラックスマンのD7を追加。
ワーフェデール製ユニットを収めたスピーカーは途中でミッドレンジをグッドマンに変えるなど小さな変更はあるが、こちらは半世紀以上愛用しているという。
再生音については前掲の本に詳しいが、全帯域で分解能が高く、音の速さもよく揃っているので、演奏のニュアンスがよく伝わり、低音と高音のバランスも良好。
空間表現は最新のシステムほど得意ではないが、音数や基本的な情報量では遜色がなく、演奏評にはとても適していると思う。
前回の訪問時に唯一気になったのは、D730 では中高域がやや硬めの音色になることで、それが目立ちにくいラックスマンの D7 をメインにすることをお薦めした。
「音がガラリと変わった」という冒頭の感想は、機器を入れ替えたためではない。
D730 と #7 の間のラインケーブルをインフラノイズの LIBERAMENTE に変え、D730につないでいた同社のクロックジェネレーター GPS-777 との配線も LIBERAMENTE のクロックケーブルに入れ替えたら、音が大きく変わったのだという。
D730 にはインフラノイズのクロックジェネレーター GPS-777 がつながっている。
クロック用ケーブルもインフラノイズの LIBERAMENTE に新調
「以前はD730の音を長時間聴いていると疲れやすく、ある種のうるささがありましたが、ケーブルを変えたらそれが気にならなくなりました」
と宇野氏は説明する。また、システム導入以来ずっと #7 のトーンコントロール機能で低音を 1ステップ下げて聴いていたのが、ケーブルを交換した後はノーマルの位置でちょうど良いバランスになったという。これも実に興味深い話だ。
#7 のトーンコントロールが数十年ぶりにノーマル位置に戻った。
これまでは1ステップ絞った位置で聴いていたという実際にケーブル変更後のシステムで CDを再生してみた。
宇野氏が大阪フィルを振った《フィガロの結婚》序曲(EXTON OVCL-107)を聴くと、以前は硬さが気になっていたオーボエが他の楽器と自然に溶け合う音色に変わり、低弦の旋律と内声のリズムは以前よりも明快な音で耳に届き、細部まで動きがクリアだ。
トーンコントロールをノーマルの位置に戻したことで低音の量感は増しているはずなのだが、中低音はこもるどころか、前よりもすっきりとした響きを獲得している。これはたしかに大きな変化である。
佐藤久成のヴァイオリン独奏(『オード・エロティーク』 Years & Years Classics YYC 0004)は、以前聴いたときに感じた余分な圧力が一掃され、本来の自然なアタックが蘇っている。ブレースやフレージングが以前よりなめらかに感じられるのもその影響だろうか。
次に、最近私が試聴会などで使っている優秀録音盤のなかから何枚か試聴。
まずはレーゼルのピアノ独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲(モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番&第27番 KING RECORD KIGC12)を聴いた。ドレスデンのルカ教会で収録された注目の新録音で、上方に抜ける柔らかい残響と、力みのない音色で緊密な響きを作り出すピアノとオケの見事なアンサンブルが聴きどころだ。
演奏の特徴を忠実に引き出すだけでなく、録音会場の広々とした空間など、立体感の表現にも開放的な伸びやかさが感じられる。
同じシステムなのに以前とはかなり印象が変わった。
次に、グールドが演奏する《ゴールドベルク変奏曲》の石英ガラス CD(StereoSound SGCD02)を聴いた。
数え切れないほど聴いた演奏なのに、いま初めて聴くような鮮度の高い音が澄んだ音色で浸透し、グールドのハミングはもちろん、ブレスまでもリアルに再現、スピーカーの奥にグールドが座っているような臨場感がある。宇野氏も
「これまでは彼の声がない方がいいと思っていたけど、これで聴くと嫌じゃないね。演奏のニュアンスもとてもよくわかる」
と感心していた。
そのほか、ムラヴィンスキー&レニングラードフィルのチャイコフスキー《悲愴》など数枚のディスクを聴き、以前に比べて中高域のきつさが影をひそめる一方、明らかに音色がクリアになっていることを確認した。
「いまのバランスが凄く気に入っている」
という宇野氏の目下の心配事は、「これ以上音が良くなったら困る!」ということ。
なんとも贅沢な悩みだが、その気持ちはよく理解できる。
音の基準が変わったら演奏の評価基準にも影響が及ぶのは避けられないからだ。
しばらくは機材やケーブルを変えず、いまのバランスを維持した方が良いのでは?というのが私のお薦めだ。
http://www.infranoise.net/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B/
インフラノイズ (ブランド名 ORTHO SPECTRUM) HP
http://www.infranoise.net/about-us/
http://www.infranoise.net/products/
『「音楽」と「音」の匠が語る 目指せ!耳の達人』 宇野功芳・山之内正 共著 (2013.6.21)
音楽評論家=宇野功芳さんとオーディオ評論家=山之内正さんの2人が、クラシック音楽をより深く楽しむ、というテーマの対談だ。
宇野さんは音楽評論家として半世紀を超えて活躍してきた。
フルトヴェングラーとかクナッパーツブッシュへの偏愛はご存じの通り。
山之内さんは、雑誌『Stereo』などで活躍している。
お互いのリスニング・ルームを訪問するのも楽屋話的な面白さ。
宇野さんの装置について、山之内さんが「年季の入ったものだが、古びた音ではない」と言うのも、なかなか人柄を感じさせますね。
宇野によれば、演奏の良し悪しは最初の30秒を聞けばわかるという。
鑑定人が陶器をぱっと見たときに価値がわかるという感覚だ。
録音が良いというのと、音楽の本質が伝わるかどうかは、別の話。
音のバランスが良ければ、音楽も演奏も十分伝わる。
演奏家の個性もわかるし、もちろん曲の良さもわかる。
昔の旧式なラジオで聴いても十分満足できて感動できたのだから。
山之内は、録音や再生に共通する目的は、ただの音ではなくて演奏であり、その向こうにある作品を聴くことだと言う。
実際には、録音や再生でゆがめられてしまったり、指揮者や演奏家が前面に出てきて、作品にたどり着けない要素がある。
それらを超えて、本来の作品の姿が聞こえてくるのが理想だと。
オーケストラの響きは耳だけで聴いているわけではない。床や椅子からの振動を骨伝導によって身体全体で音を聴いている。耳では聴こえないような低い音(暗騒音)から空間の大きさや遠近感を無意識に感じ取っているのだ。
音から伝わる情報の量と質は再生装置や環境によって大きく変わる。
音域ごとに音の大きさが揃わないという問題がある。
もうひとつは音色や応答性の問題だ。
音色を忠実に再現できない装置でオーケストラを聴くと、フルートやオーボエなど特定の楽器の音色がきつくなったり、逆に沈みがちになってしまう。
応答性(音の立ち上がりと減衰)に問題があると、消えるはずの音が余分に残ってしまう。
再生装置を評価するとき、山之内はまずバランスを聴くそうだ。
オーケストラでいえば、弦楽器と管・打楽器、弦の中では低弦と高弦のバランスを重視する。
ハーモニーが聞こえて来ないと音楽はわからない。
ひとつひとつの音がすべてクリアに出てくるというのは、コンサートで体験する現実の響きとは違うと。
さらに、空間表現がどれだけリアルかということ。
音像の大きさや距離感などが、コンサートホールで聴いているような感覚になるかどうか。
スピーカーが置いてあっても、もっと奥から音が出て、その存在が感じられないこと。
音の立ち上がりが大事。
周波数的に盛り上がっていても、音の立ち上がりが鈍いと、よく聞こえない。
楽器の音色というのは、音の立ち上がりの部分で判別される。
録音技術は飛躍的に進化したが、特に空間再現という点では、実演と録音の間のギャップはまだまだ大きい。
実際の演奏会場では聴き手の周囲すべての方向から残響が耳に届き、楽器の響きや空間の大きさを感じさせる。
聞き取れるかどうかの限界に近い弱音とかオケのフォルティシモの大音圧、どちらも家庭では再現が難しいものだ。
http://www21.ocn.ne.jp/~smart/Mimi-130621.htm
再生音はどこを目指すか
私は生の演奏が好きである。様々な音楽をオーディオだけでなく、生でも聴く。ロックや民謡、浪曲から、クラシック、ジャズまで。音楽芸術が好きなのである。
生の音を聞き、自分のオーディオの音とを比べる。
違和感があれば、どこが違うのか追求する。
録音する際、エンジニアによって音は変わっているということは百も承知である。しかし、広く色々な音楽を聞くうちに、何となく基準となるものが出来上がっている。
私が感じる実際の音楽の特徴は次のようなものだ。
1.音量が大きくても、あまりうるさいという感じはしない。
2.音の出方は前では無く、左右後方、上方に広がる。ホールであれば、エコー成分が良く聞こえる。
3.楽器の音は、オーディオでいわれるほど分離感はなく、全体から聞こえる。
4.聞き疲れしない。
5.ホールなどでは、小さな音でも良く聞き取れる
6.意外と刺激的な音はしない。
どうだろう。
もう一つ、マイクを通した音は聞きづらいことがあっても、オペラやクラシックなどマイクを通さない音は意外と聞き取れることを感じたことはないだろうか。
未経験の方は是非クラシックの演奏会へ行ってみてもらいたい。
小さな音でも良く聞き取れるのである。何が違うのか。
私はこれを“聴感上歪”に起因すると考えている。
物理学など、科学によって求められた低歪の現代のオーディオ機器。
本来歪など無いはずなのに、音量を上げるとうるさい、と感じる方は多くいらっしゃるだろう。
私はこれを聴感上歪と呼んでいる。
つまり、オーディオで音楽を聴く場合、音量を上げてもうるさくならない音。
簡単にいえばこれが、一番重要である。
聴感上の歪が無いのである。
高音から低音まで綺麗に再生されて、それでいてうるさくない音。
ある程度の音量でも会話ができ、音は前にではなく、左右後方上方に広がり、エコー成分(または気配など)が綺麗に再生されること。
スピーカーの存在が消えるなど、オーディオのクオリティが上がれば自然にこのようになっていく。
人間の耳はまだまだ未科学である。科学で、絶対と思って作った製品が必ずしも実際の音と同じように聞こえないのは、エンジニアならだれでも分かっているはずである。
1930年代の頃は原音重視であった。アメリカやドイツは国の威信かけて開発していた。
私は、オーディオ機器はこの時点でほぼ完成してしまったと思えるのである。
そして、現代の技術を加えれば、真空管式アンプやフィールド型スピーカーが最も原音に近い再生音が出るというのは私にとって揺るぎが無い事実なのである。
http://omsound.exblog.jp/15834589/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c5
どうしたら あの音を体験できるか?
 ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
'~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i
ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
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/^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
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音楽に魔法をかけよう 美しい天使の響きを手に入れよう
http://metamor1.zouri.jp/musicmagician0.html
リバーブとディレイを駆使して作る極上のサウンド
昔から憧れた天使の響きを自分で作ることに成功!
貴方は、感じたことはありませんか?
ボーカルがはいっているCDを聴いていてたまに「シュワ〜ン」という余韻が残るのを....
私はこれを天使の響きと命名し、長い間憧れてきました。どうせ高価な機材を買わなきゃ手に入れられる訳がないと思っていました。しかし、今は昔とは違い高価な機材とスタジオでしか作れないサウンドが、PCを使えば近いものを得ることができます。
天使の響きの作り方!まさにミュージック・マジシャンの魔法と呼ぶにふさわしい術ですよ。
大きなポイントは、これでもかというくらい高音を強調してリバーブとディレイをかけることによって天使の響きを作ることが出来ます。まずは、天使の響きを体験してみてください。
http://metamor1.zouri.jp/musicmagician0.html
左図が天使の響きを得るための仕組みの概要を示したものです。
点線で囲まれた部分が従来の設定であると仮定します。具体的には天使の響き用にトラックをもう1つ追加して響きのみを発生させ、最後に従来の音と新たに作った響きの音をミックスすることで実現することが出来ます。原理はこういうことです。
さて、具体的な説明をする前にまずは、準備が必要です。以下のエフェクタが、貴方の音楽ソフトに含まれるか確認してください。ちなみにMetamor1はMMS(MusicStudioStandard)というシーケンサに付属のソフトを使っています。今時の音楽ソフトなら多分付属していると思います。ない場合は、揃えるしかありません。ご自分のソフトにあったプラグインがひょっとするとフリーで供給されているサイトがあるかも知れません。こりゃ買うしかないと揃えてしまうのも一つの方法ですが、一応調べてみたほうが良いと思います。無駄なお金はかけないほうが良いに決まっています。
1)コンプレッサ
2)イコライザ
3)リバーブ
4)3TAPディレイ
前提条件としてエフェクタが付属しているシーケンサで実現するものとして説明します。録音したボーカルのトラックと、天使の響きを作るトラックを2つ用意します。上の2トラックを同時に再生することで天使の響きを持つボーカルを手に入れることができます。録音したボーカルのトラックは特に変更する必要はありません。では、天使のトラックのエフェクト設定を試して見ましょう。
ソースは、録音したボーカルと同じソースに設定します。
1)コンプレッサの設定
左図が、コンプレッサの設定例です。
録音したボーカルのコンプレッサの設定と同じぐらいにします。
従来側も、天使の響き側も基本的に同じ設定でかまいません。
2)イコライザ
左図を一応、従来設定していたイコライザの設定とします。天使の響き側の設定はこの従来の設定に対して相対的にさらに高音をブースト、低音をカットした設定にします。この設定の加減で天使の響きの聴こえ具合が大きく変わります。要するに天使の響き側は高音だらけの設定にすればするほど良いわけです。設定例を示すと下図のようになります。
3)リバーブ
自分の好きなリバーブの設定を選びます。ここは、あまりいじらなくても従来用意されている規定の設定で構わないと思います。できれば、この設定例にあるような豊かなリバーブを得られるエフェクタを使うと天使の響きが一層引き立ちます。単純なリバーブを使う場合、とにかくHIGHパラメータだけは100%近くにして高音を強調した設定を心がけることです。単純なリバーブでも設定さえちゃんとすれば天使の響きを得られると思います。高音が強調されない場合は、残響というより原音を繰り返すような粒々感が感じられます。そう聴こえる場合は設定が悪いはずなのでもう一度設定を見直してみることです。
4)3TAPディレイ
左図にディレイの設定を示しますが、ここが一番の勘所です。
Highは、100%近くにして高音が強調されるように設定することが1つ。
もう1つは、ドライレベルを50〜80%ぐらいに設定して粒々感ををなくしホワ〜ンという感じの余韻がでるように設定値を決めることです。
もうご存知とは思いますが、各TAPのディレイタイムは、その曲の速度の4分音符、8分音符、16分音符と同期するように設定します。えっ、どうすれば良いか判らないって?
えーと、速度が、80(4分音符)の場合だと、4分音符に同期させたい場合は、60000÷80=750mSに設定します。8分音符ならその半分の375mSです。16分音符ならさらに半分の188mSに設定します。んっ、187.5mSじゃないとだめじゃないかって?
0.5mSの誤差など人間には感知できないからこれでいいですよ。貴方のディレイが小数点以下まで設定できるなら187.5mSにしてもいいです。でもPCではそこまで正確なカウントはできないかも?
【あとがき】
さて、これで設定は全て完了です。天使の響きを体験できるよう期待しています。
それから、注意事項をひとつ。この天使の響きは、「サシスセソ」の歌詞だけにのみ通用するということを理解しておいてください。例えば、「やさしさわすれない〜でって」の「さしさ」の部分で「シュワ〜ン」と響きますが、「ねがいをこめ〜た」とかでは響きません。
天使の響きで貴方の音楽が少しレベルアップできたら良いですね。
http://metamor1.zouri.jp/magician1_6.html
★超初心者・MIDI-DTM入門講座★
http://roundsquaretriangle.web.fc2.com/dtm/index_01.html
MIDIなにかいいことないかな
http://www2.odn.ne.jp/~cbu69490/MIDI_index.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c6
やはり、ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。
アメリカ製品を使い始めて、濃厚な感じにどっぷりと嵌ってきたので、久々にこういう音を聴くと、こっちも必要だと思うようになった。
最初はちょっと物足りない感じがしたが、次第にこの方が正しいのじゃないか?と思い始めた。
前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
オーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。
じゃー、アメリカの音響製品は、ウソっぽいのか?ということになる。
デフォルメされた音、メリハリのきいた音は、面白くないかというと、ものすごく面白く感じるわけで、実際の音に迫る必要がないというところに立てば、全くのエンターテイメントであっていいわけで。
そこらへんは、マッキンアンプは実に上手いと思う。
家庭での音楽の楽しみ方というものを、実に上手く提示してくれる。
それは全くのウソっぱちの音だとしても。
http://blogs.yahoo.co.jp/gonta4350a/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2
▲△▽▼
「フルトヴェングラー」の章では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)
「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。
フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」
オーディオ的にみて興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが得意の我が家の JBLシステムでフルトヴェングラーをまったく聴く気にならないのもそういうところに原因があるのかもしれない。
通常「いい音」とされているのは、端的に言えば
「分解能があって奥行き感のある音」
が通り相場だが、指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼやけた音」が不満で遠ざけたタンノイさんだが、逆に捨てがたい味があるのかもしれないと思った。
「いい音とは」について、改めて考えさせられた。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9426791e31fc7636d184b63f894b6d3f
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c7
いやはや、災害ともスレ内容ともまったく無関係な「フセイセンキョ」デマを貼り付けられるその神経…
心の腐り方は親分・子分ともごいっしょで…
経団連・原子力村に媚び売ってカネ儲けしてるRK氏と子分組織「独〇党」とかいうチンピラ共を、日本から追い出さない?
もちろん棄権を煽る「フセイセンキョ」デマも、自公に有利だからやってる。
>放射能安全デマをバラ撒くリチャード・コシミズ氏に注意!東電や原子力村の見解を元に「(福島の放射能は)健康増進」と述べる! new!!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5950.html
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http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/460.html#c16
日本を本当にひっくり返して、国民を自分等の“臣民”として扱き使っては打ち捨て、売れるものは何でも売っ払ってカネは自分等お仲間内で山分けしようとしている輩による甚大な被害に比べれば云々(うんぬん)という意味か?
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/463.html#c8
さて、ピアノに JBL サブシステムを乗っ取られたので(陰の声:それが目的でピアノを買ったんじゃないの?)、当然ながら、サブシステム用のスピーカー購入が急務となった。 手持ちは、QUAD, JBL なので、当然、それ以外のメーカーからの選択が妥当だ。
スピーカーが、そのシステムの音質を、おおよそ方向づけるのはよく知られたことだ。
私は、原音再生なんて、幻想だと思っているので、いろいろな傾向をもつシステムがあった方がよいと考えているからだ。
原音再生とは何なのか? そもそも原音とは存在し得るのか?
とあるサイトで、ホールの場所によって音が変わるので、原音再生なんて幻想だという論に対して、それならホールの中央前列の音を原音と定義すれば良いと、原音再生派が強弁されておられた。
原音再生派の幻想も、ここまでくると、私にはただの滑稽な喜劇である。
私自身は、同じホールでも、演奏の種類によって、異なる席を選ぶのを常にしている。 例えば、オーケストラであれば、ホールのほぼ中央よりやや後方。 室内楽ならほぼ中央よりやや前方。 ピアノであれば、中央は避けて、少し側方にずれる。 ピアノの反響版からの直射音は単調で、つまらなく聞こえるからである。
このように席を選ばないと、心地よい音が得られないのである。
こんなことは、クラシック音楽聴きには常識なのだが、オーディオ評論家にはわかっていないらしい。
ホールの中央前列の音をオーディオ再生の目標にされたら、どんな音が聞こえるのであろうか?
もちろん、そんなデリカシーの欠けた音を聞くのはごめんこうむりたい。
『原音を横に用意して、その都度比較しながら再生音を評価すると、記憶の曖昧さがなくなって飛躍的に精度は向上する。これが「原音比較法」である。その例を挙げてみよう。
一番簡単なのは直流の掛かっていない場所の結合コンデンサーである。短い銅線でショートした時の音を原音として、コンデンサーを通した音を「そのコンデンサーの音」と評価すれば良い。小生が何度か実施したコンデンサーの音質評価はこの方法である。』
とあるサイトより引用
これは、一見正しい論法のように見えて、実は、何の意味もない方法である。
ちょっと電気に詳しい方なら、すぐにおわかりいただけると思うが、直流がかかっていないところに、何故に結合コンデンサーをいれる必要があるのか?
そんなところにコンデンサをいれて、音質の評価になるのか?
結合コンデンサは、そもそも直流電圧がかかっているところにおかれるものであり、直流がかかっているときと、かかっていないときでは、そのコンデンサの音質が異なるというのは、良く知られた話である。 OS コンなんかは、そういう状況でないと、正常に動作できないことが良く知られている。 そもそも直流がかかっていたら、導線でショートしたら、電気的に回路が正しく動作しなくなってしまう。
この意味で、上記の「原音比較法」というのは、ただのまやかしに過ぎないように私には思える。
文句があるなら、私を論破して欲しいし、加えて、トランジスタなどの増幅素子の「原音比較法」をどうやって実現するのかも説明して欲しいものだ。
上記の原音再生論は、MJ「無線の実験」にも執筆なさっている方のページにからの引用であるが、よりよい音楽を聴きたい、一介のオーディオファンの私から見てさえも、論点があやふやで、議論に耐えないレベルに思える。
かくいう私自身も、20 年前は、原音再生という錦の旗をふりかざしていたものであるが・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-16.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c8
では、その攻撃以降の米軍内部者や外郭シンクタンク他関係者達の慌てぶり(報道や各種サイトへの署名投稿他による)はどう説明する?むしろガチの攻撃成功だったからこそ、米国軍産へのダメージコントロールのために自作自演説を苦し紛れに拡散していると考える方が自然で無理がない(「オッカムの剃刀」理論では)。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/124.html#c6
大企業優遇をやめろ!と全国で国民が声を上げないと変わらない気がする
経団連がマスコミ使って「これが今の常識」と様々な媒体で国民を洗脳して奴隷を増やした
国民を苦しめて贅沢三昧の経営者たちと本気で闘う気持ちがある政治家が増えてほしいし、世の中を変えたいと思ってる人たちが集まる機会を増やさないと
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/466.html#c24
いいや、森ビルの辻慎吾社長でしょう。
https://diamond.jp/articles/-/213337
>このプロジェクトでは、一流の建築家やデザイナーの知恵を結集し、住宅、オフィス、商業施設、ホテル、インターナショナルスクールなどをトータルプロデュースする。
官邸で「首相の判断」を仰ぐ案件が一段落して、私邸で「自民党総裁の判断」を仰ぐ必要のある案件に携わっていたんでしょうね。
あなたたちのようなヒマ人ではないんですよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/467.html#c28
>国家戦略特区に選ばれたことで、30年越しの大プロジェクトが日の目を見ることに
なったのも・・・
まあ、首相の判断を仰ぐ必要のある案件なんでしょうけど、官邸では処理できないんでしょう。
>森ビルの辻慎吾社長
の可能性が高いですね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/467.html#c29
【予知夢】南海トラフの前触れ?七曜さんなどが瀬戸内海で大地震の夢
https://www.tankyu3.com/entry/2019/10/14/setouchi
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/744.html#c8
日頃から不思議に思うことが一つ。
楽器を演奏する人をはじめ音楽評論家、さらには音楽学校に学んで専門的に勉強した方などのほとんどに、オーディオに熱心な方をまず見受けない。こういう方々こそ日頃から生の音に接しているのでひときわ「いい音」には敏感なはずなのに。
いったい、なぜだろう?
素人考えでいくつか挙げてみよう。
1 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので自宅に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。
2 ほとんど毎日、歪みのない生の音を聞いているので電気回路を通した人工的な音を聴く気がしない。
3 他人の演奏をなるべく聴きたくない。芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。
4 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽を聴くよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。
5 ちょっと「ましな音」で聴こうと思っても、オーディオ装置はどうも高価すぎる。それくらいのお金があれば「いい楽器」のほうを優先する。
以上のとおり、アトランダムに挙げてみたが実は「決定的とも思える理由」をメル友さん(東京)から教えていただいた。ことはオーディオに対する姿勢にも及ぶとてもユニークな内容だった。
そのまま引用させてもらうとしよう。
「音楽家がオーディオに熱心ではない理由」について決定的と思われる理由をメル友さん(東京)からご教示いただいたのがこの文面。
『私も貴方同様にいつも「聴衆・観客」の一人で、演奏をした経験は皆無なのですが、あるピアニストと話をしていて貴方とまったく同じことを感じました。
彼女は、私が持ち込んだiPodスピーカーのトランジスタ・ラジオと変わらぬ貧しい音響にすぐに感激して”良い音ですね”と言うのです。聞かせた演奏の特徴もズバリ言い当てて楽しんでいます。身体がすぐに反応します。
私が感じたのは、随分と想像力が豊かなんだなあということでした。元の音を想像して実際の演奏の様子をすぐに復元できるようなのです。その復元を楽しんでいる。とても我々のできることではありません。
オーディオは単なる「手がかり」に過ぎない。想像による復元のために最低限の情報を提供してくれればよい。それで充分だと思っているようです。彼ら音楽家にとっては(オーディオとは)その程度のものでしかないようです。
また、オン・ステージで演奏する側では聞える〔というより身体で感じる)「音」そのものが違います。他方、我々が求めるオーディオの「音」は客席の音です。
この二つは決して同じではない。そして彼ら演奏家は客席でどう聞えるかをあまり気にしていないのではないか。どうもそう思えてならない。我々との間には、越えがたい溝があるのではないかという気がします。〜以下、略〜』
というわけで以上のご指摘に基づき前回の「音楽家がオーディオに熱心にならない」理由の5つ(再掲)に加えて6番目を追加させてもらうことにしよう。
1 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので自宅に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。
2 ほとんど毎日、歪みのない生の音を聞いているので電気回路を通した人工的な音を聴く気がしない。
3 他人の演奏をなるべく聴きたくない。芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。
4 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽を聴くよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。
5 ちょっと「ましな音」で聴こうと思っても、オーディオ装置はどうも高価すぎる。それくらいのお金があれば「楽譜」や「楽器」のほうを優先する。
6 オーディオは単なる「手がかり」に過ぎず、「元の音を想像して復元する」ための最低限の情報を提供してくれればそれでいい。したがってオーディオに熱心になる必要性をあまり感じない。
実にもっともらしい回答を得てこれで理由のすべてを網羅できた気がする。
音楽と真剣に向き合あうリスナーにとっては素敵なオーディオシステムもさることながら、それを手がかりにして豊かな想像力を磨くことこそ重要なのかもしれない。
たとえば五味康介さんの著作「西方の音」の中でフォーレの音楽を聴いて海浜で貴婦人に抱かれているシーンを妄想するくだりがあるが、豊かな想像力を磨くとはそういうことなんでしょう。
いくら「いい音」とか「悪い音」とかいってみても、結局「いい音楽」とはリスナーの頭の中で創造するものなのだ・・・。
おっと、身の程知らずで少し大上段に振りかぶりすぎたかな?
以上、「迷える子羊」からの「世迷い言」でした(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/375cefe97bde45c7fe6d0c6d83b877a1
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/92bca154e20feac003a4ab443b7ee626
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音楽家がオーディオに熱心ではない理由〜補完編〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2018年10月16日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7cb2562009994da5172529dc86029db1
2週間ほど前のブログ「音楽家がオーディオに熱心ではない理由」(2018.10.3)の内容だが、タイトルに関して、身近な例では桐朋学園を卒業後、渡独して指揮者「チェリビダッケ」の薫陶を受けた高校時代の同窓生をはじめ、プロと称される音楽家でオーディオに熱心な事例を未だ見聞したことがないので素直な疑問をメル友さんのお知恵を拝借してまとめたものだ。
我がブログについてはいつも仕上がりが不揃いなので搭載後に自己採点しているが、これは優良可でいえば良というつもりだったが、意に反して鋭く盲点を突いてこられた匿名のメールをいただいた:
この度の「音楽家がオーディオに熱心でない理由」ですが、貴兄の箇条書きされた内容、また、メル友さんの「手がかりに過ぎない」は、なるほどと感心しました。
全て当てはまるような気がします。が、決定的なことが漏れているのではないかと思いました。
ここでの「音楽家」が「プロ」なのか「アマチュアにちょっとプラスアルファ」なのかわかりませんが私には「彼らには決定的に時間が足りない」のじゃないかと思います。
「人様が演奏しているのなんか聴いている暇があったら練習しなくてはいけない」のだと。
「1日でも練習をサボったらそれが聴衆にわかってしまう」と言ったのは、ピアニストの誰だったか・・・。晩年のホロヴィッツだったかもしれません。
卑近かつ低次元な話で申し訳ありませんが私も30代末から十数年間ピアノ教室に通いつつ練習していましたが趣味とはいえ発表会の前、数か月は余暇はすべて練習に費やしました。(それにしては「ヘボ」でしたが)
そんな私でも「一日でも練習をサボったら、二日分後退してしまう。」と脅迫観念に囚われたものです。
ましてや、プロともなれば1曲を仕上げるのに、数か月いや年単位でしかも1日じゅう寝食を忘れて練習が必要でしょう。そのプレッシャーたるや如何ほどのものか・・・。想像するだに恐ろしい。
たしか内田光子さんだったと思いますが「1日8時間は」とインタビュー記事にあったような記憶が・・・。
でも、この辺のプロ事情は文献などで貴兄の方がよほどお詳しいことと推察いたします。
また「音楽家」がiPODの音に”いい音ね”って簡単に感激するのは実は彼らなりのリップサービスで真意は「プロでないあなたたちこそ音楽をほんとうの意味で楽しんでいるのね!」ってことでしょうか。
私も先生から「生徒さんこそいろんな音楽を知ってて楽しんでるのよね〜」ってマジで言われたことがあります。
そうなんです!彼らは自らが演奏するジャンル以外の音楽に関しては無知であることを強いられているのです。
しかも、最も多感な時期にず〜っと。これも「決定的に時間が足りない」からでしょう。
また「彼らは客席でどう聞こえるかはあまり気にしていない」も、たぶん違うような気がします。
彼らの関心事はただただ「自分の演奏が聴衆にどう聞こえ、かつ訴えかけるのか」では、無いでしょうか。
何しろそれが「プロがプロたる所以」なのですから・・・。
ここでも「一日でも練習をサボったら聴衆にバレてしまう」という苦悩に満ちた告白が思い起こされます。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1008.html#c19