1986年の核災害にまつわる連続ドラマ HBOの「チェルノブイリ」:スターリン主義の犯罪に代償を払うソ連の労働者階級
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2019年9月30日 マスコミに載らない海外記事
2019年6月15日
アンドレア・ピーターズ
wsws.org
最近公開されたHBO-Sky UKの連続ドラマ「チェルノブイリ」は、1986年4月、ウクライナ-ベラルーシ国境近くのソ連原子力発電所で起きた核災害に関する価値ある物語だ。
チェルノブイリ大惨事
スウェーデン生まれのヨハン・レンク監督と、作家・脚本家のクレイグ・メイジンは、原発施設の原子炉炉心を破壊して開け、西ソビエト社会主義共和国連邦とヨーロッパの広大な地域に放射性物質を噴出した爆発の恐るべき現実を効果的にとらえている。より大きな歴史の質問に関しては、レンクとメイジンの手には余るが、特に反ロシア・ヒステリーという現在の傾向の中で、概して、ソ連の人々に同情的な映画描写は注目に値する。
チェルノブイリは、ソ連人科学者バレリー・レガソフ(ジャレッド・ハリス)が自殺の準備をするところから始まる。レガソフが原子炉メルトダウンに近いものへの対応を管理する上で、主導的役割を果たしたことを我々は知らされる。彼は出来事に関する記憶の音声記録を残して、保管預かりにし、核災害二年目の日に首をつる。ソ連秘密警察が彼を見つめている。
チェルノブイリのジャレッド・ハリス
それから、チェルノブイリは、時間を遡り、1986年4月26日の恐ろしいものから始まって、レガソフの悲劇的終焉に導いた出来事を視聴者に辿らせる。その夜、発電所で、長らく延期されていた不完全に設計された安全性試験が、炉心を爆発させる一連の機能停止を引き起こす。
要員は発電所で何が起きたのか理解できない。彼らの上司アナトリー・ディアトロフ(ポール・リッター)は傲慢にも愚かにも労働者の死をもたらす命令を出す。消防士は核爆発に対処するという、いかなる警告も、言うまでもなく、いかなる安全装備もなしで招集される。急性放射能障害が、50,000人の人々が暮らす近くのプリピャチ市の住民に打撃を与え始める。病院は圧倒される。当局は起きたことを認めようとしない。状況は制御が効かなくなる瀬戸際だ。
チェルノブイリで展開する大惨事
出来事の本当の規模を隠そうと努めながらも、最終的に、ソ連幹部は資源を用意する。核放射性降下物が西ヨーロッパに漂流し、何が起こったかという疑念が欧米で生ずる。著名な無機化学者でソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミー・メンバーのレガソフや他の人々が露出した炉心から吹き出す、封じ込められていない放射能に対処するため招かれる。広島規模の放射能放出が毎時続いている。何百万という人々を救うため、途方もない英雄的対策が、主に普通の男性と女性によって行われる。当局は事故原因と結果を隠蔽する彼らの取り組みを続ける。嘘といつわりが山盛りだ。チェルノブイリは、単なる大惨事ではなく、犯罪だ。
連続ドラマを見る人は、現在、アメリカの政治家連中がアメリカ対外政策の必要な結果だと、警告し、約束している核アルマゲドンに対して、誰も軽率な態度をとるまい。この点に関してだけでも、映画製作者は貢献している。この連続ドラマは、核戦争に付随して起こるはずの、ぞっとする現実のいくらかに対して、視聴者を敏感にさせる。
ノーベル賞受賞者スベトラーナ・アレクシェーヴィッチが出版したドキュメンタリーの記述に大きく依存するチェルノブイリは、核災難と並んで、ソ連生活の様々な局面を効果的に描きだす。集合住宅群と庭と、春を楽しむことだけを願い、未来に期待している住民が暮らすプリピャチ市を見る。彼らの暮らしは破壊される。普通の人間には全く何の関心もない独りよがりの官僚連中が、弱い者いじめや、無関心や、うぬぼれや、視聴者は彼ら自身が招いたことだと感じる大惨事への対処の奮闘を交互に繰り返す。ソ連経済には酷く良くない何かがある。原発爆発は、一部は経費削減策の結果でもあるのだ。大惨事の要因となった設計上の欠陥は何年も前から知られていたが、秘密にされていた。何も世界の舞台で完全に承認されることができない、それで国は外国からの適切な支援を受けとることができない。
それにも拘わらず、危機に陥ったこの社会は、大規模除染作業遂行になんとか成功する。一晩で何十万トンもの封じ込め材料が急送される。60万人のいわゆる人間「リクビダートル(清算人)」が全員退避した放射性物質降下地域に送られる。完全な核炉心溶融を防ぐため、鉱夫たちがシャベルだけでトンネルを掘り、放射能を受けながら、裸で24時間ぶっ通しで働く。(服を着るにはトンネルは余りに暑い。)新兵が放射線を浴びたペットを殺害する。働く兵士たちが、破壊された発電所の屋根から放射性瓦礫を手で取り去るのは最も恐ろしい光景の一つだ。
一般に非民主的な政治組織の献身的な犠牲者として彼らが描写しているソ連の人々を、映画製作者は明らかに称賛している。だが連続ドラマには、反共産主義のステレオタイプをもてあそび、発揮する瞬間がある。プリピャチのよろめく老官僚が「レーニン主義」への献身を宣言し、誰も外に出られず、「誤報」を封じ込められるよう、都市封鎖を要求する。兵士たちはロボットのように話し、放射能の大混乱に対処するため、適切な保護なしで急派されながら、ソ連の大義への永遠の献身を宣言する。荒っぽい口調の鉱夫が、彼らの状況が、皇帝下の状況と等しいことを意味する皮肉を言う。避難を強いられた年配の小作農女性が国民迫害の点で等しいとされる過激主義とスターリン主義の類似を言う。
チェルノブイリ住民
ここでの問題は、歴史的記述によれば、これらエピソードの一部は本当だが、その描き方の信ぴょう性ではない。こうしたものは視聴者に、1917年と1986年が直接つながっているかのような感覚を与える。これは誤っている。チェルノブイリ大惨事は、人による人の搾取から全人類を解放する最初の取り組みで、労働者階級が資本主義と封建制の両方を転覆させた1917年のロシア革命に起源を持っているわけではない。その起源はシステマティックに左翼反対派と、国際社会主義の平等主義の原則に献身した全ての人々を組織的に粛清したヨシフ・スターリンが率いた革命の裏切りにある。
そのおかげで崩壊するまで、ソ連官僚は、労働者階級を征服し、その寄生虫として暮らし、労働者を食い物にしていた。彼らの寄生生活、特権と自己宣伝は、ソ連経済やインフラや社会的資源に対する巨大な税だった。不可能で反動的な「一国社会主義」構築という国家主義的政策に方向付けられて、スターリン主義者は国家的自給自足を基盤に、資本主義による包囲の圧力下で産業開発を追求した。彼らは国のエネルギー需要を満たす取り組みで、原子力をもてあそんだのだ。
もちろん、連続ドラマが扱わず、おそらく扱うことができなかったチェルノブイリ大惨事の重要な局面は、その後で、起きたことなのだ。1991年12月末までには、ソ連邦は無くなっていたのだ。連続ドラマが実に根気強く、政治体制を支えようとしているのを見せるスターリン主義官僚とKGB工作員は、嘘と犯罪の重荷の下で崩壊し、ソビエト社会主義共和国連邦を消滅させたのだ。その過程で、多くのものがそうだったのだが、彼らは、確定化されていなかったあらゆるものを盗んだのだ。
チェルノブイリのラルフ・イネソン
要するに、チェルノブイリの犯罪後、ソ連労働者階級が70年以上にわたって戦いとった全てのものを清算するという大罪が続いたのだ。結果は、大量失業、産業閉鎖、地方の過疎化、アルコール中毒の急増、平均寿命の下落、社会的不均等の大規模増大と広範囲にわたる人間の苦悩だった。労働者階級がその政治的独立を主張し、自身の権益を守ることが可能になる前に、ソ連官僚は、市場を復活させ、彼ら自身、ソ連後の資本主義で、経営者に変身したのだ。
連続ドラマは、レガソフと同僚科学者のウリヤナ・ホミュク(エミリー・ワトソン)が原子力発電所技師たち(ディアトロフと他の何人かが最終的に刑務所に行った)だけでなく、ソ連体制をも告発する法廷場面で終わる。確かに裁判は行われたが、その内容は監督自身認めているが、連続ドラマでは正確には描かれていない。チェルノブイリ事故に対し、ソ連指導部は最終的に罰を受けておらず、ソ連労働者階級と官僚の間にも政治的対決がなかったはずがない。チェルノブイリに登場する共産党政治局員や諜報部員連中は、多くの場合、資本主義政権の使用人として、現在クレムリンを占拠し続けている。彼らは、1986年4月に起きたことで、脅迫されたように感じ続けている。HBO連続ドラマが大いに注目を集めたので、大惨事の責任を原子力発電所で働いてたアメリカ工作員になすりつけようとするチェルノブイリについてのロシア製連続ドラマ公開計画まであらわれている。
チェルノブイリのステラン・スカルスガルドとエミリー・ワトソン
映画製作者は、手法として、スターリン主義を暴露する仕事を、二人の個人に委ねようとしたが成功していない。ウリヤナ・ホミュクという人物はこの目的で作られた。原子力研究者のホミュクはソ連当局に反抗し、官僚と対決し、科学の優越を断言し、秘密を暴露する。チェルノブイリ大惨事に対して実際に結集して対応した何百人もの科学者の代役として映画製作者によって作り出されたこの人物による説得力のないプレゼンテーションは、連続ドラマの一つの傷であり、最も弱い要素の一つだ。
映画は、ワトソンという人物を通して、真実を語り政権に抵抗する個人活動家の物語に後退しているが、チェルノブイリの結果から人類を救うために働いた全ての人々に対して、いささかひどい仕打ちだ。映画で、チェルノブイリへの対処におけるソ連と、国際的な科学界の関与を、映画で描こうとしていたら、極めて困難だろうが、価値あるものになったはずだ。ソビエト社会主義共和国連邦における資本主義復活の結果としてのソ連科学の大規模な破壊を考えれば、失われたものの、ずっと深い感覚を観客に吹き込めたはずだ。
概して「チェルノブイリ」は、それが獲得している関心と熱狂的支持に値する。
記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2019/06/15/cher-j15.html
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追記
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