イランはなぜ大切にされ、守られるべきなのか?
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2019年7月31日 マスコミに載らない海外記事
2019年7月28日
Andre Vltchek
New Eastern Outlook
私がこの記事を書いている中、イランは地球上最強の国に立ち向かっている。もし世界が速く目を覚まし救出を急がなければ、イランは更にものすごい全滅の危険に直面する。
素晴らしいイランの都市は危険にさらされているが、なにより国民だ。誇り高く、美しい、創造的な、地球上最も古い最も深遠な文化の一つに作り出された人々。
これは世界が思い出すきっかけだ。イランは全く何の理由もなしに、爆弾を投下され、破壊され、ひどく傷つけられるかもしれない。繰り返そう。イランを攻撃する合理的理由は皆無だ。
イランは一度も誰も攻撃したことがない。イランはアメリカにも、イギリスにも、あるいはすぐにイランを破壊することを望んでいるサウジアラビアとイスラエルにさえ何の悪事もしていない。
イラン唯一の「罪」は打ちのめされたシリアを助けたことだ。イランが本気でパレスチナの味方をしていることだ。そして、彼らが大いに必要としていた時、キューバやベネズエラのような遥か遠くにある国の救出にイランが行ったことだ。
私は最も単純な言葉を選ぼうとしている。ややこしい表現や知的訓練など不要だ。
現在ホワイトハウスを占拠している精神病質者が、核合意に署名した前任者に恥をかかせたいと望んでいるというだけの理由で、間もなく、何千人も、何百万ものイラン人が消えるかもしれないのだ。この情報は彼自身のスタッフが漏らしたものだ。誰がより大きなギャングかという問題ではない。イランを敵に回すことが、イランとは全く何の関係もないというひどい事実自身が問題なのだ。
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それで私はこういう疑問を思いつく。我々は本当に一体どういう世界に住んでいるのだろう? こんなことが許容できるのだろうか? 地球上の最も偉大な国の一つが、いかなる正当化もなしに、攻撃的な残忍な勢力に侵害されるのを、世界は座視していられるのだろうかに?
私はイランを愛している! 私はイランの映画、詩、食物が好きだ。私はテヘランを愛している。私は礼儀正しい、教育された、センスあるイランの人々を愛している。私はイランの思想家を愛している。私は彼らに良くないことが起こるのを望まない。
人はもちろん、決して欧米マスコミからは知らされないが、イランは社会主義国だ。それは「イランの特徴を持った社会主義」と定義することが可能なシステムを公言している。中国同様、イランは地球上の最も古い国の一つで、イランは完全に、自身の経済、社会システムを作り出し、発展させることができるのだ。
イランは極めて成功した国だ。欧米の通商停止とひどい恫喝にもかかわらず、イランは、国際連合開発計画UNDPの定義で、依然「非常に高い人間開発」の閾値付近に位置している。ウクライナやコロンビアやタイのような、欧米のお気に入りよりずっと上に。
イランには明らかに国際主義精神がある。イランは、中南米の国々を含めて、欧米帝国主義によってめった打ちにされている国に強い団結を示している。
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私は宗教を持たない。イランでは人々の大部分が宗教を信じている。彼らはシーア派イスラム教徒だ。それが何だろう? 私は、皆が私のよう考えろなどとは主張しない。私のイランの友人、同志、兄弟姉妹は、私が彼らと同じように感じたり、考えたりするようになど一度も主張したことがない。彼らは狂信者ではない、彼らは彼らとは違う人々を、疎外されたようには感じさせない。我々は違っていながら、非常に似ているのだ。我々はより良い世界のために戦っている。我々は国際主義者だ。我々はお互いを尊重する。我々は他の人々を尊重する。
イランは誰も征服しようと望んでいない。だがイランの友人たちが攻撃される時には、イランは手助けをする。シリアへのように。
過去、イランは欧米に植民地化され、1953年、イランの民主政治は、その天然資源を自国民の生活改善に使うことを望んだというだけの理由で打倒された。パーレビー・イラン皇帝の病的な独裁国家は外国が据えつけたのだ。次に、後に再び、欧米による全面的な、露骨な支援で、イラクによりイランに対して、ひどい戦争が放たれた。
私はこのエッセイを短くするとお約束した。長ったらしい説明する時間はない。そして実際、これは全く本当にエッセイではない。それは要請だ。
この記事が印刷にむかう中、イランの多くの人々が不安だ。彼らは自分たちがしたことがこれに値すると理解できない。制裁、イラン沿岸を航行しているアメリカ航空母艦や僅か数マイル離れたところに配備されている致命的なB-52。
イラン人は勇敢な誇り高い人々だ。もし対決したら、もし攻撃されたら、彼らは戦うだろう。そして、もし他のいかなる選択肢もなければ、彼らは尊厳をもって死ぬだろう。
けれどもなぜだろう? なぜ彼らは戦うべきなのか、なぜ彼らは死ぬべきなのか?
皆様、欧米に住んでおられる読者には勉強して頂きたい。急いで勉強して頂きたい。そして自国政府にこう質問して頂きたい。「このひどいシナリオの理由は一体何だ?」
イラン映画をレンタル願いたい。それらは、あらゆるフェスティバルで受賞し、いたるところにある。イラン詩人をお読み願いたい。イランの食物を食べに出かけて頂きたい。歴史的、近代的なイラン都市の画像を捜して頂きたい。人々の顔をご覧願いたい。これが起きるのを可能にしてはならない。精神異常の論拠で、何百万人もの生命を破壊するのを許してはならない。
イラク、アフガニスタン、リビアやシリアに対する戦争には本当の理由はなかった。欧米は、国全体を駄目にして、最もひどい帝国主義介入を行ったのだ。
だがイランの件は全て更に一歩先を行っている。欧米側には論理と説明責任が完全に欠如しているのだ。
ここで、千年間、世界に無数の文化遺産を与えてきたイランの人々に、イランという国に、私の全面的支援を宣言する。
イランが破壊され場合、人類が生き残れることを私が疑っているからだ。
Andre Vltchekは哲学者、小説家、映画製作者で調査ジャーナリスト。彼は Vltchek’s World in Word and Imagesの創作者で、China and Ecological Civilizationを含め、多くの本を書いている作家。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。
記事原文のurl:https://journal-neo.org/2019/07/28/why-should-iran-be-cherished-and-defended/
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