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2019年6月16日20時15分 〜
記事 [経世済民132] (報ステ)リニア開業が間に合わない?原因は“水”(久しぶりのリニア問題!) 
 古館氏降板以降すっかりバラエティー化したと思われた報道ステーションで久しぶりに「モグラ新幹線」こと「リニア」問題を取り上げた。
 ニュースでは静岡知事が水枯れ問題を理由に反発した性で工事が遅れる、と言いたげだが。他に岐阜県でトンネル工事陥没、名古屋立坑では地下水漏出が起きていることなど関連事故はなぜか報じられない。


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https://www.youtube.com/watch?v=Js8PHXU6tBo



【報ステ】リニア開業が間に合わない?原因は“水”(19/06/13)


ANNnewsCH
2019/06/13 に公開


2027年の開業を目指しているリニア中央新幹線の工事が、静岡県の8.9キロの区間で着手できていない。JR東海の金子社長は12日の会見で「静岡の工区が他に比べて進捗が遅れている。開業の時期に影響を及ぼしかねない」と述べた。これに対し、静岡県の川勝知事は13日「遅れの原因を反省もないまま言われるのはおかしなこと」と反論した。川勝知事が懸念しているのは県内を流れる大井川の水の量。工事によって上流の地下水がトンネル内に湧き、大井川の水が最大で毎秒2トン減るとJR東海が試算した。大井川は8市と2町に住む約62万人に水道水を供給し、農業や工業にも使われてきた重要な水源となっている。JR東海は、大井川につながる導水路を通じてトンネル掘削で流れ出る湧き水を川に戻し、水量の減少を食い止める計画だが、どうやって水を戻すのかなどについて、静岡県とJRとの協議は難航している。


[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp


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http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/610.html

コメント [近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
175. 中川隆[-9585] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:18:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2889]

朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。

画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c175

コメント [近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
176. 中川隆[-9584] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:22:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2890]

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c176

コメント [政治・選挙・NHK262] 「消費税廃止しても物価上昇率は1.67%まで」、山本太郎氏がインフレ懸念を払拭[浜松](高橋清隆の文書館) 赤かぶ
22. 日高見連邦共和国[14343] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年6月16日 20:24:51 : pudjQPDCRo : WXkzaERPU1FzRk0=[11]
>>20

貴殿が、私に喧嘩を売ってると認識して、以下レスする。

誰が、タローさんの主張が金融政策と無縁だって言ってる?(笑)

>>10 をちゃんと読めよ!

>『消費税ゼロ』、『最低賃金1500円』、『法人税・推進課税増税』、そして『MMT』。
 さて、これらへの賛否は別にして、コレ、金融政策ですか?違いますよね〜。

ちょっと『MMT』は別枠かもしれんが(笑)、最初の3つが“金融政策”なのかい?
・・・と、私は極めて単純な事を言ってるだけなので、一般論での“御託”は要らない。

口先三寸で胡麻化そうとするのは安倍と一緒か?度が過ぎると見苦しいゼ?(笑)


http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/118.html#c22

記事 [経世済民132] 知事、リニアで「代償を積まないと」…JR困惑(水を奪って強行の付け払い?!)
 一知事が、国家レベルの策に反旗を翻すのは至難の業だ。沖縄など見ればよくわかる。たとえ一企業のJRが相手でも、総理のお友達が成長戦略政策がらみで進めているとあれば、事実上の「国策」扱いだ。
 ならば、工事中止を訴える代わりに、大きな見返りを求めるというのは解らないでもない。安部友新聞は、まるで理不尽な要求と言うかのごとき見出しを付けているが。
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知事、リニアで「代償を積まないと」…JR困惑
2019/06/14 16:05
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190614-OYT1T50213/

*川勝知事(左から2人目)に工事予定地の説明をするJR東海の宇野副社長(右)(13日、静岡市葵区で)https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/06/20190614-OYT1I50046-1.jpg?type=large

 静岡県の川勝知事は13日、未着工となっているリニア中央新幹線静岡工区の工事予定地である静岡市の南アルプス山中を視察した。知事はJR東海に求めている「代償」について、記者団に「地域貢献ということだ。(中間)駅をJR東海が負担して(沿線他県に)作る金額がひとつの目安になる」と述べた。JRに工事同意に対する経済的な見返りを改めて求める姿勢を示した。

 視察は、現在進められている準備工事の安全性や環境への配慮などを確認するために行われた。知事のほか、工事に伴い水量減少が懸念されている大井川の利水団体や関係市町の代表者らが参加した。JR東海の宇野護副社長らの案内で、建設中の作業員宿舎や、トンネル非常口の整備予定地などを回った。

 知事は視察後、「(JRは)速やかに利水者が安心できる回答をしてほしい」と同行の記者団に訴えた。他の沿線自治体が静岡工区の早期着工を求めていることについては「我々は水の問題に苦しんでいる。(他県も)事情を知れば分かるはずだ」と語った。

 一方で、宇野副社長は記者団に「準備工事は終盤戦に来ており、県と話し合いを続けながらトンネル工事に進みたい」と強調した。知事が求める「代償」に対しては、「(沿線の)自治体の財政状況が厳しく、プロジェクトを進めるために(JRが)駅を作ることにした」としたうえで、「静岡県に(リニアの)駅を設置するのは物理的に難しく、そういうことは考えていなかった」と述べた。

「代償」発言にJR困惑
 リニア中央新幹線の工事を巡り、川勝知事が「代償」をJR東海に求める考えを示したことに波紋が広がっている。これまで県がJRとの公式の協議でこのような要求をしたことはなく、関係者は知事の意図をはかりかねている。

 知事は11日の記者会見で、県内にリニアの駅が建設されないことを指摘し、「(JRは)代償を積まないといけない。(中間)駅を作るお金を(沿線他県に)支払う平均額が目安になるのではないか」と、見返りについて初めて述べた。これに対し、JR東海の金子慎社長は12日の記者会見で、「(従来の協議内容と)違う意味なので、(JRに)ボールが投げられたという認識はない」と語った。

 県はこれまでのJRとの協議で、工事でトンネル内に湧く水を大井川に戻し、自然環境や利水への影響を最小限に抑えることに重点を置いていた。6日にJRに提出した中間意見書でも、具体的な水の戻し方などについて回答を求めた。

 JRは工事する南アルプスの自然保護に向け、県などが作る基金に資金提供する考えを示している。これは、水量減少に対する補償とは別の問題として議論されていた。

 知事の発言の意図は不明だが、関係者からは、静岡空港と直結する東海道新幹線の新駅設置の要求を視野に入れたのではないかという臆測も出ている。県は設置に向け、2014年度から予算を計上してきた。

 ただ、JRは掛川駅と近いことなどから否定的で、県と協議をしていない。知事も「水の話とは別次元」との姿勢を維持している。
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 この件についてJRは何時でも上から目線だ。

・関連:
■地元の同意なくリニア新幹線着工を強行するJR東海  天木直人 
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/289.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 9 月 05 日 11:30:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU


http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/611.html

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
1. 赤かぶ[17847] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:27:40 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7913]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
2. 赤かぶ[17848] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:29:03 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7914]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c2
コメント [近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
177. 中川隆[-9583] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:29:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2891]

戦争責任は他人から「言われるから」辛いという天皇裕仁の無責任 2018-08-29
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/08/29/225234


先日も昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」特集記事を書いたばかりだが、またこの人物の無自覚・無責任ぶりを示す新たな史料が出てきてしまった。

これは1974年から晩年まで侍従を勤めた故小林忍氏の日記で、共同通信が氏の遺族から日記を預かり、各紙でその内容が紹介されている。特に東京新聞は二日間に渡って特集を組み、半藤一利氏と保阪正康氏の対談まで載せている。

■ 他人から「言われるから」辛い戦争責任

この日記によると、裕仁は1987年4月、小林氏に次のように語ったという[1]。死去の2年前、85歳のときである。


「長く生きても戦争責任いわれる」 昭和天皇85歳 大戦苦悩

 昭和天皇が八十五歳だった一九八七(昭和六十二)年四月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が二十二日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。 

 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。

 八七年四月七日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。この年の二月には弟の高松宮に先立たれた。

東京新聞はまるで裕仁が晩年まで自己の戦争責任について苦悩していたかのように書いているが、冗談ではない。裕仁が「辛い」のは他人から「戦争責任のことを言われる」からであって、自己の負うべき重大な責任を自覚し、内発的に反省したからではない。

もちろん天皇裕仁には戦争責任がある。帝国陸海軍を統帥する大元帥として戦争を始めた当人にさえ戦争責任がないとしたらいったい誰にあるというのか。

敗戦後の裕仁は、その長い後半生を、いかにして戦犯訴追を回避し、自分の身の安全と地位の安泰を確保するかに費やしてきた。退位さえせずに済ませた裕仁はうまく逃げ切ったつもりだっただろうが、そうやって何十年も当然負うべき責任から逃げ続けたあげく、誰かから「天皇には戦争責任がある」と指摘される程度のことが辛いとは、どこまで甘えているのか。

■ 「国民はもう忘れたから気にするな」と天皇を「励ます」侍従

そしてある意味、この無反省な裕仁の泣き言以上にひどいのが、これを受けて小林侍従が天皇を励ましたという言葉だ。


 小林氏はその場で「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ました。

この「励まし」ではまず、裕仁の命令で自国に押し入ってきた「皇軍」によって理不尽に殺され、強姦され、家族や財産を奪われた何千万というアジアの被害者の嘆きと恨みを「国民」の一言で切り捨てている。「日本国民統合の象徴」として安全な国内に収まっている天皇にとって、「国民ではない」被害者のことなどおよそ考える必要さえないということなのだろう。

もちろん、たとえ「国民」だけに限っても、南方のジャングルで補給もないまま見捨てられ餓死していった兵たちや、「天皇陛下の御為」と信じて敵艦に突っ込んでいった特攻隊員、「国体」を守るための沖縄戦で日本軍にガマ(洞窟)から追い出されて死んだ沖縄の人々、逃げずに火を消せと強いられて焼き殺された空襲被害者、さっさと逃げ出した「皇軍」に取り残されて地獄の逃避行を強いられた旧「満州」への入植者たちなど、天皇がその被害に責任を負うべき人々は何百万人もいる。

しかし、戦後政府とマスコミが総力をあげて続けてきた天皇免罪キャンペーンのおかげで、旧軍部はともかく天皇に戦争責任があると主張する真っ当な日本人は確かに限られていた。それをいいことに、戦争責任のことを言う者など少数だから気にするな、というのだ。

どこまでもトップの責任者に甘く、被害を末端に押し付けて恥じないこの国の支配層にふさわしい侍従発言である。

■ いまだに「大元帥」裕仁の責任を総括できないマスコミ

こんな無責任者とその追従者のやりとりを、「心奥触れる「昭和後半史」」だの、「晩年まで戦争の影を引きずる天皇の苦悩が克明につづられている」だのと解説してみせるマスコミには、情けないとしか言いようがない。

リベラルとされる東京新聞ですらこうなのだ。あの破滅的敗戦から70年以上が経ってもその明白な最高責任者の責任さえ総括できないのでは、ありとあらゆる責任がなし崩しにうやむやにされ、何の反省もないままずるずる戦前へと回帰していくのは当然だろう。その行き着く先は、また同じ過ちの繰り返しである。

[1] 『昭和天皇85歳 大戦苦悩』 東京新聞 2018/8/23
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/08/29/225234
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c177

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
3. 赤かぶ[17849] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:29:47 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7915]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
4. 赤かぶ[17850] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:30:53 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7916]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c4
コメント [近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
178. 中川隆[-9582] koaQ7Jey 2019年6月16日 20:31:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2892]

立憲君主制がファシズムの台頭を防ぐ?
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/16/134548

■ ドイツを立憲君主制にしておけばナチス台頭を防げたという説には根拠がない

東京新聞の「私説 論説室から」(5/27)にこんな話が載っていたのには驚いた。


プロイセンの君主制

 連載社説「天皇と憲法」で取材した君塚直隆・関東学院大教授は、立憲君主制が独裁者の出現を妨げる、と指摘する。プロイセン帝国崩壊後、ナチスが台頭した経緯は連載で紹介した通りだ。
(略)

 専制のイメージが強いプロイセンだが、治下ではベルリン大学が創設され、哲学者ヘーゲルの講義が評判を呼び欧州思想界に影響を広げた。新王宮内に設ける文化施設には、当時、海外に目を向けた言語学者、地理学者のフンボルト兄弟の名を冠するという。プロイセンの記憶は暗黒ではない。

 これに対し、プロイセン崩壊後もたらされたナチス、共産主義の独裁時代は忌み嫌われている。共通するのが不寛容なイデオロギーの押しつけ。民主主義と共存し得る君主制と決定的に違う点だ。(熊倉逸男)

立憲君主制がファシズムなど独裁的政治体制の台頭を防ぐ、というのが、君塚教授の持論のようだ。その著書『立憲君主制の現在』では次のように書いている。[1]


 (略)ならば共和制を採る国はすべて民主主義的なのか。第二次世界大戦後にアメリカと並ぶ超大国となり仰せたのは、ソヴィエト社会主義「共和国」連邦であった。しかしそれはすべての市民が平等な国どころか、共産党一党独裁の下で言論の自由は奪われ、党幹部たちが利権を独占する体制であった。ソ連は1989〜91年の一連の市民運動で動揺をきたし、その衛星国として同じく共産党独裁体制下に置かれていた東ヨーロッパの「共和制」諸国とともに、倒壊の道をたどったのである。
(略)

 国際通貨基金(IMF)が発表する2015年度の「国民一人あたりの国内総生産(GDP)」のランキングで上位30位に入る国のうち、第1位のルクセンブルク大公国を筆頭に実に13ヵ国が君主制を採り、英連邦王国(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、バハマ)も含めれば、その数は17ヵ国にも及んでいる。さらに、第二次大戦後に世界的に注目されるようになった、「社会福祉の充実」という点から考えてみても、その先進国はスウェーデン、ノルウェー、デンマークといった、いずれも北ヨーロッパの君主国なのである。

 国民統治の面でも、君主制が共和制に劣っているとはあながち言えないのかもしれない。第二次世界大戦の末期。ドイツはすでに降伏し、残す敵国は日本のみとなった1945年7月、ドイツの戦後処理問題などを話し合うために、連合国の首脳たちはベルリン郊外のポツダムに集まっていた。その席でアメリカの海軍長官ジェームズ・フォレスタル(1892〜1949)は、イギリス外相アーネスト・べヴィン(1881〜1951)から驚愕するような発言を聴いた。フォレスタルは、いまや風前の灯火となった日本の「天皇制」を廃止すべきか否かについてべヴィンに尋ねた。慎重なべヴィンは、この問題は十分に検討する時間が必要であると答えながらも、断固たる口調で次のように語ったとされる。「先の世界大戦[第一次大戦]後に、ドイツ皇帝の体制を崩壊させなかったほうが、われわれにとってはよかったと思う。ドイツ人を立憲君主制の方向に指導したほうがずっとよかったのだ。彼らから象徴を奪い去ってしまったがために、ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開いてしまったのであるから」

 ベヴィンは「労働党」の政治家であり、極貧生活の中からはい上がり、労働組合の指導者にもなった社会主義者である。ある意味では、H・G・ウェルズ以上に「反君主制」を唱えていてもおかしくない彼がこのように断言したことに、フォレスタルは驚嘆したのだった。このベヴィンの発言どおり、戦後の日本には、天皇を象徴とする新たな国家が形成され、今日に至っている。20世紀を代表するイギリスの政治家ベヴィンをして、戦後日本の安全弁のように言わしめた、「立憲君主制」とは果たしてどのようなものなのであろうか。

君塚教授はこう言うが、そもそも各国がそれぞれ独自の歴史的経緯を経てたどり着いた固有の政治体制を「共和制」「君主制」に二分して、どちらが民主的であるとかないとか言うこと自体が乱暴に過ぎる。また、第一次大戦後のドイツでナチスが台頭したのは、ベルサイユ条約で多くの領土を奪われ莫大な賠償金を課された屈辱への国民の復讐心と、それを煽り立てるヒトラーのような男を「コントロールできる」と考えた当時の権力者たち(ヒンデンブルク大統領ほか)の愚かさのせいだろう。ドイツ皇帝を象徴的君主として残しておけばこれが防げたとする主張には根拠がない。それに、ドイツの帝制は大戦末期のドイツ革命によりドイツ人自身の手で廃絶されたのであって、戦勝国が廃止させたのではない。

だいたい、ヒトラーと並ぶ独裁者で「ファシズム」の語源であるファシスト党を率いたムッソリーニが台頭した当時のイタリアは、代表民主制、権力の分立、国民の権利保障等を定めたアルベルト憲法[2]を持つ立憲君主国(イタリア王国)だったではないか。


このようにアルベルト憲法は,規定上は君主制を基本としたが,しかし実際には,議会による政府が国政の中心的役割を担った。すなわち政治的決定権限は,国王から政府に移り,政府は支持政党の多数党との協力により営まれていた。アルベルト憲法は,君主制を基礎に置き,当初は寡頭政治の一面を有したが,後には選挙制度を拡充するなど,自由主義的・民主主義的側面をも有していた。

■ 北欧諸国が今でも王国なのは国王自身がファシズムと闘ったから

社会民主主義的福祉国家として知られる北欧諸国の多くが現在も王制を残している(フィンランドは共和国)のは事実だが、例えばデンマークやノルウェーでそうなっている理由は、君塚氏自身が書いているように、ナチスドイツによる侵略・占領に国王自身が断固として抵抗し、ファシズムに反対する国民の象徴となったからだ。[3]


 デンマーク国民にとって「ナチスへの抵抗」の象徴となっていたのが、ほかならぬ老国王クリスチャン10世であった。国王は占領の翌日からコペンハーゲンの町を毎朝馬で散策した。乗馬はそれまでの日課でもあったが、ドイツ軍の兵士たちが見守るなか、護衛もつけずに一人で愛馬と散策する国王の姿は、ドイツに対する無言の抵抗と国民の目には映っていた。事実、ドイツ兵が彼に敬礼しても国王はいっさい無視し、普通に挨拶してくる一般市民にはいつものとおり優しく言葉をかけるのであった。
(略)

(略)それでも国王の気骨はへこまなかった。デンマーク在住のユダヤ人に「ダビデの星」をつけるようにとの要求にも断固反対した。国王は「デンマーク国民であるユダヤ人」にはナチスに指一本触れさせなかった。こうした国王の態度と自由評議会などの支援もあって、ドイツ占領下にあった諸国のなかでデンマークのユダヤ人たちは98%がホロコーストを逃れることができたとされる。(略)
(略)

 1940年4月9日の早朝、ドイツ軍はノルウェーの首都オスロや西海岸六カ所を同時に急襲した。(略)ノルウェー軍による徹底抗戦は各地で続いた。しかしドイツ軍による猛攻に耐えられず、2ヶ月後の6月7日に国王は皇太子、政府閣僚らとともに国外への脱出を決定した。

 6月10日にホーコン(注:国王)とオーラヴ(注:皇太子)はロンドンのユーストン駅に降り立った。(略)それからの5年間にわたりホーコンはイギリスでの亡命生活に入る。ロンドンに借りた事務所では、毎日のように皇太子や閣僚たちと協議を行い、連合軍から得た情報をもとに祖国の解放に尽力した。

 また国王は、BBC(英国放送協会)のラジオを通じて、ノルウェーの国民に希望を捨てないように訴え続けた。ロンドンでは「自由ノルウェー」という抵抗組織を立ち上げ、「すべてをノルウェーのために(All for Norway)」を標語に、国王は寝る間も惜しんで活動を続けた。そしてついに待望の時が訪れた。1945年5月8日にドイツが降伏した。(略)亡命からちょうど5周年にあたる6月7日に、72歳の老国王ホーコンが祖国の土を踏んだ。(略)宮殿へと向かう国王の乗る馬車を、歓喜する大勢の国民が取り囲んだ。宮殿前には13万人以上の市民が集まり、ここにノルウェーは解放されたのである。

 ナチスによる占領後も祖国デンマークにとどまって抵抗の意志を貫いた兄クリスチャンと同様に、亡命後もラジオを通じて国民に語り続けたホーコンは、ノルウェー国民にとって「ナチへの抵抗と祖国解放の希望」の象徴となり続けていた。


これらの国王がナチスドイツに迎合するような態度を取っていたら、戦後、王制はもちろん廃止されていただろう。問題は君主制か共和制か、などではないのだ。

■ 天皇制擁護論に賛成の余地はない

君塚教授はこうした立憲君主制の「効能」を並べることで象徴天皇制をも民主主義の維持発展に必要な制度として位置づけたいのだろうが、身を挺してファシズムに抵抗した王たちの君主制と、それ自体が天皇制ファシズムという怪物を生み出した絶対主義的天皇制の残滓と言える日本の象徴天皇制を同列に並べることはできない。

こうした一見マイルドな天皇制擁護論にも、断じて反対だ。

[1] 君塚直隆 『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』 新潮選書 2018年 P.6-8
[2] 椎名規子 『イタリア憲法の家族条項および国家と家族の関係についての家族法的考察(2)』 専修大学法学論集 第96号(2006年3月)P.146
[3] 君塚 P.150-161

http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/16/134548
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c178

コメント [原発・フッ素47] バンダジェフスキー博士 「被ばくした動物の心臓をコップに入れるとコップの形に変わる」 魑魅魍魎男
10. 2019年6月16日 20:32:32 : PVDdFbIMKg : TFRXLzVCbDN6dmc=[1]
半端ないのは、被爆でどんどん死んで行っている実態を、厚労省や復興省や、文科省を呼んで追求しようとさえしない国会議員共だ。

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/393.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
5. 赤かぶ[17851] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:33:57 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7917]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
6. 赤かぶ[17852] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:35:22 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7918]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK262] 「消費税廃止しても物価上昇率は1.67%まで」、山本太郎氏がインフレ懸念を払拭[浜松](高橋清隆の文書館) 赤かぶ
23. 日高見連邦共和国[14344] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年6月16日 20:36:09 : pudjQPDCRo : WXkzaERPU1FzRk0=[12]
>>18

だから、『MMT』だって言ってるしょ?眉間の間が居たくなってくるぞ?(笑)

それに、民主党が『事業仕分け』を中途半端に投げ出した事と、タローさんの主張となんの関係がある?

関係ねーだろ!更に、スレッドに関係ない蛇足とはいえ、看過できないデマも放置はできない。

>政権に着くやいなや,埋蔵金は無かったという結論を示して

それ、どんな客観的事実を元に言ってる?ホラ吹くのは止せ!

いかに不完全だったとしても、鳩山政権下では『事業仕分け』を必死にやった。

政権につくやいなや、という表現では、鳩山政権の初期の話しになるだろう。違か?

だが、確かに、続く菅・野田政権が、国民に説明もなく一方的に“投げ出した”。

まあ、菅の場合、フクイチがあったから“それどこじゃなかった”って事情もある。

で、民主党がいつ『埋蔵金は無かった』とオフィシャルに結論付けた?根拠を示せ。

ホラでないなら出せよ。出来るよな?(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/118.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
7. 赤かぶ[17853] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:37:55 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7919]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK262] <深刻>安倍総理のイラン訪問、海外メディアが「失敗」と報道!「ハメネイ氏は総理の助言を重視」などと讃えるメディアは世界… 赤かぶ
23. 2019年6月16日 20:41:12 : 9bESHEjuhs : QVFFUC5pOVljWk0=[625]

さすがの馬鹿の日本メディアも

仕掛け花火と安倍のやらせに気づいたらしい。

ブレアと小泉、ブッシュ時代を思い起こせ。

欧州は英国以外、証拠不十分として米国を蹴っている。

魚雷と言ったり機雷と言ったり、ミサイルが飛んできたせいだとは、

ボルトンもお年でおしっこが近くなったのではあるまいか。

ドイツは完全にトランプの人物像に引いている。

米国の要求のファーウェイ排除も証拠不十分で、ドイツは

却下している。馬鹿には近寄らない方がいい。



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/120.html#c23

コメント [原発・フッ素51] ついにNHKが心不全の爆発的拡大に備えろと言い出した  魑魅魍魎男
37. 2019年6月16日 20:42:46 : EqnuagnDCS : NW91L2hRZEVmWUk=[2]
サル助、糞助、詐欺助、は、スター気どり なのであろう。
『 俺って 凄いの かも 』 ってか。
凄いわけねえだろ。このバカ。
オメエは、サルなの。オメエは、馬鹿なの。オメエは、詐欺師なの 。
分かった?
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/637.html#c37
コメント [政治・選挙・NHK262] <共同通信世論調査>老後報告書拒否は「問題」71% 公的年金に不信63% 内閣支持率2.9ポイント減、47.6%  赤かぶ
18. 2019年6月16日 20:43:31 : YjTSZWJ9WM : bXpjSXhRbGFNU3c=[26]
この問題の根が深いのは、安倍政権が2014年に消費税を上げても社会保障には一部しか使われなかったことだ。悪いのは安倍さんなのに、これでは野党が100年安心の年金のために消費税をさらに上げようと叫んでも、国民は皆信用しなくなっている。野田さんなどの財政健全化派が声を大きくすればするほど、野党は足を引っ張られるでしょう。

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/122.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK262] 「老後2000万円問題」の何が問題か(玉木雄一郎オフィシャルブログ) 肝話窮題
12. 赤とんぼ[75] kNSCxoLxgto 2019年6月16日 20:46:13 : KzsKwpDjm2 : NEZCVnVxTW5zNjY=[38]
 
シロアリに 制度根こそぎ 蝕まれ
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/102.html#c12
記事 [経世済民132] リニア新幹線問題 国が調整へ(JR東海単独事業は何処に行った??)
 リニアはJR妖怪の単独事業なので金も口も出させない。当初そう言い続けたJR東海。
だが「財投3〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇円」を政府が言い出すとあっさり受け取り、ついに水枯れを訴える県知事の説得まで国にさせようとは。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここから)
リニア新幹線問題 国が調整へ
6/14(金) 19:26配信 静岡朝日テレビ

リニア中央新幹線工事で、県とJR東海の協議が難航している問題で、国土交通省は両者の調整に乗り出す方針を示しました。川勝知事はこれを歓迎しています。

リニア新幹線工事を巡っては、大井川の減水対策について、県とJR側の協議が長期化しています。

JR東海の金子社長は、2027年の開業に影響を及ぼす可能性に言及しましたが、きのう準備工事の現場を視察した川勝知事は、一歩も引かない姿勢を示しました。

川勝知事:「とてもじゃないが、ゴーサインを出せる状況ではない。本体工事なんてとんでもない」

解決の糸口が見えない事態に、石井国交大臣は今朝、次のように話しました。

石井・国土交通大臣:「建設主体のJR東海が、地元自治体などと協議をしながら進められると考えている。予定通りの開業の期待が大きく、国交省としても必要な調整や協力をしたい」

そして、川勝知事は、国が調整する方針を歓迎しました。

川勝知事:「(リニアルート上の他県は)高い期待があると思うので、そこに及ぶであろう同じ地域振興のための調整をしてほしい」

最終更新:6/14(金) 19:54
静岡朝日テレビ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここまで)
関連:
■リニア、国が3兆円融資へ JR東海、開業前倒しを検討(朝日新聞)
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/176.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 7 月 21 日 19:36:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

■国の不介入「文書に」 JR東海社長、リニアで要望(金はもらうが提言は訊かぬ?!)
http://www.asyura2.com/16/hasan112/msg/506.html
投稿者 戦争とはこういう物 日時 2016 年 8 月 29 日 10:45:49: N0qgFY7SzZrIQ kO2RiILGgs2CsYKkgqKCpJWo
 

http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/612.html

コメント [国際26] <香港発>ハンストの芸術家「天安門事件はまた起きる」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
7. 2019年6月16日 20:52:55 : lYoKAxshzk : ZEh4TFl3d3U3MUE=[1]
https://www.asahi.com/articles/ASM6F4S0NM6FUHBI01V.html

日本でもSEALDs元メンバーらが東京で応援のデモをやっているな。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/622.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
19. スポンのポン[11548] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年6月16日 20:53:22 : XdUfstgVAw : RTJPWTdMWVh0Y1E=[92]
 
 
■『憲政史上最低最悪総理』

 安倍くん、誰のことだかわかるか。

 君のことだ。 
 
 
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c19

コメント [国際26] 安倍イラン訪問を狙って日系タンカーを攻撃した意図(田中宇)在日米軍を撤退させたいトランプは、 中露や北との和解へと安倍を… てんさい(い)
5. 2019年6月16日 20:53:28 : MKI6NNnMdw : aEVCUDhuei9SeGs=[1]

さすが、田中宇氏の読みは深い。そして・・・

●日本のウヨクは、米国の軍産と、官僚独裁機構の傀儡であるだけでなく、日本を買収する中国人を容認する一方で、中国の台頭を予測してきた日本人を中傷する売国奴だ。
●日本人は(日本が米国を抜かさないよう、国民を意図的に劣化させる教育政策の結果)すでに民族的に中国人より劣等で、今後さらに劣化していく。日本人自身が、自分たちの劣化に気づいていない。

との指摘は事実であり、同時に極めて深刻な問題だと思う。

背景には、自公政権の影に隠れている統一教会の「日本乗っ取り計画」、創価学会の「総体革命」があり、安倍政権のような田布施・半島勢力が日本の支配構造に君臨し続け、日本衰退と日本人を劣化させようとする意志が働いているのだと思う。

つまるところ、背乗り通名が「マルハン」を推進しているということ。労働者の奴隷化、売国棄民政策、少子高齢化の「推進」、人口削減計画の「推進」、異常に高い大学の授業料や悪徳金融業者のような高額・高利のローン地獄に学生を追いやる政策もその一環だろう。

>経団連と東レは朝鮮人 崔定征 通名 榊原定征に乗っ取られた! 消費税増税と法人税減税 血税泥棒 國賊 パソナ竹中平蔵 ハニートラップの舘 仁風林 小野寺五典 米倉弘昌とモンサント
http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2115315.html

>李明博の負の遺産:「日本は在日のもの、経団連は在日支配完了」李明博、刑務所で語る!?   
2017年 10月 20日 https://quasimoto2.exblog.jp/237901097/

>気が付けば、日本中が朝鮮人に背乗りされていた!
http://kenbounoblog.blog.fc2.com/blog-entry-923.html


http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/625.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK262] 安倍と麻生はサタン・コンビ!根腐れした安倍政権!  赤かぶ
9. 2019年6月16日 20:56:50 : AuSZQrXdLw : R2JNWEZldm93YUE=[1]
鳩山政権をつぶしたのはメディアと官僚だ。官僚は機密文書の捏造までやった。

その時に内閣人事局などなかったし、高市の停波の脅しもその後の話だ。

安倍は売国奴だが売国の主体などではない。売国の主体はメディアと官僚の上にいる連中だ。

メディアや官僚を政治の干渉から守る仕組みを野党支持者が求めるなど、盗人に追い銭もいいところだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/106.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
8. 赤かぶ[17854] kNSCqYLU 2019年6月16日 20:58:26 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7920]

還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1906/12/news124.html
2019年06月12日 16時51分 ITmedia ビジネスオンライン

 老後の生活費として年金以外に2000万円が必要、という金融庁のレポートが話題になっている。では、還暦を迎える人たちの貯蓄状況はどうなのか。PGF生命が還暦を迎える人を対象に行った調査によると、現時点での貯蓄額は平均で2956万円となった。

 ただしこれは一部の人が平均を大きく押し上げている。1億円以上と答えた人が8%いた一方で、2000万円未満の人は67%に上った。さらに4人に1人は「100万円未満」と回答しており、貯蓄格差が開いたかっこうだ。


現段階の貯蓄金額(PGF生命調査より)


60歳以降、何歳まで働いていたいか(PGF生命調査より)

 貯蓄額を背景としてか、還暦を迎えても働き続けたいという人は8割以上におよぶ。70歳まで働きたいと考える人が4割とボリュームゾーンとなっており、平均は67.2歳だった。

 貯蓄額は居住エリアでも差が出た。首都圏では平均額は3363万円に上昇し、首都圏と大阪圏を除いたその他地域では2678万円だった。

 また夫婦2人の世帯では、平均額が3223万円と高いが、子育て中の世帯では2354万円と900万円近い差が見られた。


居住地域別、世帯構成別の貯蓄金額(PGF生命調査より)

 この調査は4月19日から22日にかけて、1959年生まれの男女2000人に、インターネットで行われた。











http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK262] <共同通信世論調査>老後報告書拒否は「問題」71% 公的年金に不信63% 内閣支持率2.9ポイント減、47.6%  赤かぶ
19. 2019年6月16日 20:58:57 : AuSZQrXdLw : R2JNWEZldm93YUE=[2]
いつまでテレビ観てるんだ愚民。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/122.html#c19
コメント [カルト21] 週実・年金泥棒、安倍政権、参院選惨敗。それには太郎が納得する野党の一体化が必要で、先ずは立憲が消費減税に舵を切る事であ… ポスト米英時代
1. 2019年6月16日 21:00:12 : s0Ci2bQMh6 : Mi83SmZ0R2xOc0E=[15]
きっこ @kikko_no_blog
これまで「税金泥棒」と呼ばれていた安倍晋三は、このたび「年金泥棒」という新しい呼び名も襲名しました。あとは加計学園問題で立件されて「公金泥棒」という呼び名を手に入れれば、長い日本の政治の歴史で初の「泥棒三冠王総理」として殿堂入りできますね。

(週刊実話)
年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗
批判が高まると、麻生氏は『豊かな老後を送るため、上手に資産形成する意味で、不足額の赤字表現は間違い』と釈明した。菅官房長官も『表現が不適切』と火消しに追われた。政権の2、3が金融庁報告書の内容を否定するのは極めて異例です」(政治担当記者)
 対する野党は徹底追及の構えを見せている。
「現状では次の参院選で野党はほぼ全滅と強い危機感を抱いていた野党唯一の政治家が小沢一郎前自由党代表です。そこに飛び込んできたのが2000万円問題。小沢氏はこの問題が野党を勝利へ導く千載一遇のビッグチャンスとして動き出しました」(同)
 その戦略を小沢氏周辺関係者が明かす。
「安倍内閣の支持率はJNN系列の最新6月調査で59・1%と、5月より1.7%もアップし、ますます強固になりつつある。しかし、小沢氏はそこに安倍内閣の弱点を見つけたわけです」
“年金以外に2000万円貯めろ”などは現状の若年世代では、到底無理な話です。
http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/377.html#c1

記事 [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン)
還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1906/12/news124.html
2019年06月12日 16時51分 ITmedia ビジネスオンライン

 老後の生活費として年金以外に2000万円が必要、という金融庁のレポートが話題になっている。では、還暦を迎える人たちの貯蓄状況はどうなのか。PGF生命が還暦を迎える人を対象に行った調査によると、現時点での貯蓄額は平均で2956万円となった。

 ただしこれは一部の人が平均を大きく押し上げている。1億円以上と答えた人が8%いた一方で、2000万円未満の人は67%に上った。さらに4人に1人は「100万円未満」と回答しており、貯蓄格差が開いたかっこうだ。


現段階の貯蓄金額(PGF生命調査より)


60歳以降、何歳まで働いていたいか(PGF生命調査より)

 貯蓄額を背景としてか、還暦を迎えても働き続けたいという人は8割以上におよぶ。70歳まで働きたいと考える人が4割とボリュームゾーンとなっており、平均は67.2歳だった。

 貯蓄額は居住エリアでも差が出た。首都圏では平均額は3363万円に上昇し、首都圏と大阪圏を除いたその他地域では2678万円だった。

 また夫婦2人の世帯では、平均額が3223万円と高いが、子育て中の世帯では2354万円と900万円近い差が見られた。


居住地域別、世帯構成別の貯蓄金額(PGF生命調査より)

 この調査は4月19日から22日にかけて、1959年生まれの男女2000人に、インターネットで行われた。












http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html

コメント [近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
59. 中川隆[-9581] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:02:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2893]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c59

コメント [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン) 赤かぶ
1. 赤かぶ[17855] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:03:02 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7921]



http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html#c1
コメント [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン) 赤かぶ
2. 赤かぶ[17856] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:03:40 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7922]



http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html#c2
コメント [近代史3] 日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが… 中川隆
24. 中川隆[-9580] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:04:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2894]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



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上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c24

コメント [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン) 赤かぶ
3. 赤かぶ[17857] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:04:15 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7923]



http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html#c3
コメント [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン) 赤かぶ
4. 赤かぶ[17858] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:05:21 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7924]



http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html#c4
コメント [原発・フッ素44] 医学論文「甲状腺癌を発病した子供はたとえ手術をしても長生きすることは難しい」 (はなゆー) 魑魅魍魎男
10. 2019年6月16日 21:05:49 : cpsXSc5NUs : OXkuTi55cndLQnc=[2]
チェルノブイリ原発事故でも、学校へ来ても体調が悪く、まともに授業を受けられない子ども、涙ながらに訴える子ども、薬を一生、飲み続けなければならないし、転移する。
福島の子どもの作文を読んで、言葉がない。
この子達が何をしたと言うのだろう。
東京電力はスマートメーターの販売に血道を上げている。
スマートメーターの危険性を言い、子どもの甲状腺ガンの話しに言及して、課長と名乗る女子に「あなたに良心というものがありますか?」と問うと
【はぁ?】と電話の声。
奴等は餓鬼!

*東京電力と打つとMSから、ミスしていないのに、‟互換ミス…”の脅しが〜

http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/712.html#c10

コメント [原発・フッ素51] ついにNHKが心不全の爆発的拡大に備えろと言い出した  魑魅魍魎男
38. 2019年6月16日 21:06:45 : rdj75SF0hw : Zkowa3RNci9mUjI=[1]
東電ズブズブNHK
http://ume-up.com/50m/download/1560686705.jpg

nhk


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/637.html#c38

コメント [近代史3] 林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か? 中川隆
18. 中川隆[-9579] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:07:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2895]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c18

コメント [近代史3] 南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた? 中川隆
4. 中川隆[-9578] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:08:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2896]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
19. 2019年6月16日 21:08:53 : Udte6MPJXs : QWpSMy9TOVc5Mnc=[1]
///

これは、女と国民の首を絞めた小泉政権下でスタートした。
全ての大きな躓きはこの政権時代から始まっている。

2000万円じゃない。夫婦で非正規雇用だと6000万円でも足りない。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

問題は
(1)【地方創生】==【痴呆創生】・・・であることと、
(2)もっと投資して金を使え・・・と言ってること。

(1)家を売って物価の安い地方で悠々自適に生活しろ・・詐欺!!
 
   いつまでも元気じゃない。10年後には痴呆か殆ど寝込んでる。
   原発やレーダー基地を痴呆に押し付けるように面倒な高齢者を
   地方に押し付ける悪魔の政策。

   地方は若者不足で消費も激減し、スーパーも電気量販店も自動車
   ディーラーも集約化されて激減。地下タンク交換費用1000万
   円を捻出できずに廃業のガソリンスタンドが急増中。
   小中高校も激減中。
   2033年には3軒に1軒が空き家になる地方。夕張同様廃墟に。
   病人ばかり押し付けて地方を更に廃墟に追い込むのかぁ・・・

   ★;耐用年数のインフラばかりの地方。
     超少子高齢化で税金が不足で新しくできない。
     近い将来に修羅場になるのに痴呆に移住しろ詐欺。

(2)人口減、非正規拡大(AIで7割に)により国内のπが激減する。

   ほとんどが内需の日本経済。
   金融会社がどんどん淘汰され始めるのが必至。
   金融庁などの天下り先がこれら越後屋金融企業。
   投資を促して、厄人が天下り先を確保したいのが目論見だろう。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

30年前から分かっていながら、リニア100兆円など税金をどぶに捨てるアヘン政権。
500兆円の借金をほぼ倍増させた首絞め政権。
棄民党と厄人は日本の30年間を失わせてしまった。

 【 退職金は1000万円以上激減 】 【 手取りはマイナス50万円 】

に加えて、内部留保260→450兆円。非正規起用は4割に激増。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180831002304.html
https://blogs.yahoo.co.jp/shion1082001/GALLERY/show_image.html?id=49387950&no=3

悪魔のアメリカ自作自演の北朝鮮有事を煽って ↑ 国民を愚弄する5人衆。
これに、竹中・飯島・石破・進次郎・・・なども加わるだろう。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

AIで多くが非正規に転落する日本。
震災まみれでボロボロになる日本列島。
https://nonukes.exblog.jp/23068514/
  ↑
これらでぼろ儲けしてきたA級戦犯DNAの脳内には国民など全くないべぇ。

・・・・
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c19

コメント [カルト21] 金玉・タンカー攻撃=米ドル維持の為、ゼロへ・露中でドル捨てる準備。日本も元決済で原油を安く買う事である。 ポスト米英時代
3. 2019年6月16日 21:08:59 : gnHXryXneg : djlLTnlMcWRPbFk=[1]
ロシア中国はイランも忘れないで仲間に入れて下さい
http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/369.html#c3
コメント [近代史3] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
11. 中川隆[-9577] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:10:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2897]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



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上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/399.html#c11

コメント [カルト21] 週実・年金泥棒、安倍政権、参院選惨敗。それには太郎が納得する野党の一体化が必要で、先ずは立憲が消費減税に舵を切る事であ… ポスト米英時代
2. 2019年6月16日 21:10:49 : a111E0Z6pM : YW00MEN4YzJMY00=[1]

>>>先ずは立憲が消費減税に舵を切る事である

そうじゃないよ。先ずは立憲が消滅する事でしょ。立憲はゴミ捨て場の投票集めてちゃっかり政党宣言したようなもの。枝野は安部と同じニセもん。立憲の回りには自民以上の狂信的売国奴7人衆がうろついていて自民に代わって別の売国政権を作りたいキチガイの集まり。旧民進の残党がいないクリーンな統一野党が欲しい。


http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/377.html#c2

コメント [リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり 中川隆
9. 中川隆[-9576] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:11:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2898]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html#c9

コメント [近代史3] 昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった 中川隆
3. 中川隆[-9575] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:12:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2899]
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立 2017-06-20
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

■ 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]


 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

■ 1946年の食糧危機

しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]


 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)

「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)

「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。


画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

■ 朕はたらふく食っていた

この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]


 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。

「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」

 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。

案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]


(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)

 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

•お通しもの
•平貝
•胡瓜
•ノリ
•酢のもの
•おでん
•鮪刺身
•焼物
•から揚げ
•御煮物
•竹の子
•フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]


 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427



▲△▽▼

上海戦でも補給無視だった日本軍 2016-12-18
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919

アジア太平洋戦争において、補給を無視した無謀な作戦が大量の餓死者を生み出したことはよく知られている。「餓島」と呼ばれたガダルカナル島での戦いや、インパール作戦などが典型例である。

しかし、三好捷三氏の『上海敵前上陸』を読むと、日中戦争初期の段階ですら、旧日本軍はロクな補給を行わず、兵士を飢えさせたまま戦いを強いていたことがわかる[1]。


 飢えといえば、私たちの食糧についてもふれておかねばなるまい。上陸後六日目の妙家宅までは一度の食糧配給もなかった。(略)そのために、私たちは携帯行糧だけを食べていた。丸亀でもらった一週間分である。携帯行糧というのは、乾パンなどの応急用の食糧で、普段は食べないのだが、食糧補給のない上海では食べないわけにいかなかった。

 そんなわけで、私たちが妙家宅におちついたころには、その携帯行糧もほとんど底をつき、つぎの補給がいつくるかわからないような状況だったので、何か食糧になるものをさがさなければならなかった。私たちに好都合だったのは、民家の周囲の畑にカボチャ、サトイモなどがあったことだ。私たちもはじめのころは砂糖や塩をもっていたので、代用食としてけっこう重宝したが、一部落に数百人もの兵隊がはいると、サトイモなどはたちまち掘りおこしてしまい、いくらもつづかなかった。もちろん、これは中国の農民たちが丹誠こめて育てたものである。しかし、当時の私たちはそんなことにおかまいなく、つぎつぎにたいらげていった。

 そのうえ、砂糖も塩もなくなってくると、いくらカボチャが手にはいっても、臭いクリークの水で煮たカボチャはさすがにノドを通らなかった。それからのちに、食糧がまったくなくなってくると、私たちはやむなく野生の草を食べるようになっていった。なるべく幅の広い草の葉をさがし出し、飯盒で煮て食べるのだが、これもなかなかノドを通らなかった。そして私たちは次第に消耗していった。

(略)

 候家宅から呉宅にいたる一週間のあいだに、私たちははじめて食糧の配給をうけた。前述したように私たちは、上陸以来二週間以上、まったく食糧の配給をうけず、最初丸亀でもらった一週間分の携帯行糧と、民家にあったカボチャ、サトイモなどですごしてきていた。もはや体力の消耗は限界に達し、私たちはヒゲヅラに青い顔をしてフラフラと歩いているありさまだった。

連合軍に制海・制空権を押さえられて補給困難だった南方戦線と異なり、戦場も近く、海上での妨害もなかった日中戦争ではいくらでも輸送船を送りこめたはずである。それでこの有様なのだから、軍上層部には兵隊など放っておいても(現地で勝手に食糧を確保するから)大丈夫という、根本的な補給無視の思想があったとしか思えない。

ちなみに、三好氏は栄養不良の上マラリアとアメーバ赤痢に罹患して南京攻略戦の急行軍についていけなくなり、途中で落伍してしまうのだが、その段階で氏の身体はこんな状態になっていた[2]。


 私は受付兵に誘導されて軍医の前に立ち、直立不動の姿勢をとって挙手の礼をした。軍医も受付兵と同じように、私の全身をじっと見つめていたが、すぐに、

「きさまは入院だ!」

 といった。しかし私は行軍の途中である。

「軍医殿、自分は太倉で落伍し、落伍兵九人をつれて南京への途中です。キニーネだけをいただきたいのです。キニーネをいただいたら南京へまいります」

「何、キニーネだと、文句をいうな! その身体で戦えると思うか。まず診察だ、裸になってこいっ! 兵隊には病院から連絡してやる」

 私は軍医にどなられてしまった。そのとき私は、入院など毛頭考えていなかったのである。

 私は別室にはいり、看護兵に手つだってもらってフンドシ一つの裸になった。そして、出征してからはじめて自分の身体を見ておどろいてしまった。すっかりやせほそった身体には骨がつきだし、足は両方ともスネから下の皮が全部なくなって肉が露出し、膿(うみ)と血が流れている。上陸以来私は、めったに巻脚絆(ゲートル)を巻きかえることがなかったので、自分の足を見たことがなかった。足を水びたしにしては乾かし、乾いてはまだ水びたしにするような毎日であったので、足が腐ったようになってしまったのだろう。

 私はそれを見て、本当に自分の身体なのか、と目を疑った。それと同時に、よくもここまで生きてきたものだ、という感慨がわきあがってきた。看護兵は私の目方をはかった。

「十一貫五百(約四十三キロ)」

 看護兵は機械的に目盛りを読みあげた。私が出征前に丸亀連隊で行なった身体検査では、十八貫(約六十七・五キロ)であった。上陸以来八十日、そのあいだに二十四キロあまりも体重が減ってしまったことになる。

 私はそのままの姿で軍医の前に立った。軍医はじっと私の裸を見ていたが、「お前はそんな姿になるまで、どうしてがんばっていたのか。どうして軍医に見せなかったのだ?」

 彼はなかばあきれ顔で優しく私にいった。私はその言葉をきいたとたんに感情がこみあげ、あふれる涙をとどめることができなかった。

「軍医殿はそういってくれますが、上海の戦場には薬も病院もなく、軍医にお願いしても相手にしてくれませんでした。毎日がひどい戦争だったのです」

 そして私はそのまま動けなくなってしまった。おそらくこれまでの長い緊張が一度に解き放たれてしまったためかも知れなかった。私は担送患者ということになった。担送患者というのは、重症で動けず担架で運ばれる患者のことである。私の枕元におかれたカルテには、

「アメーバ赤痢、マラリア、脚気、肺浸潤」

 と病名が書かれてあった。赤痢とマラリアは外部から菌と毒が侵入したためであり、脚気と肺浸潤は極度の栄養不足による病気であった。そして、これまでの行軍中、足にオモリをつけられたように感じたのも、じつはマラリアのためではなく脚気のためであることも知らされた。

自軍の兵士をこんなになるまで戦わせて恥じない日本軍が捕虜や敵国の民間人をどのように扱ったか、およそ想像がつくというものだ。
 
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.88-90
[2] 同 P.206-208
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/12/18/112919


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
20. 2019年6月16日 21:14:23 : rdj75SF0hw : Zkowa3RNci9mUjI=[2]
貢ぎとバラマキと投機失敗で
年金原資の多くを無くしちゃった張本人
http://ume-up.com/50m/download/1560687129.jpg

nenkin
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK261] ブログの主に騙され「泥舟」に乗ってしまった読者たち 齢者はなぜネトウヨにはまるのか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 2019年6月16日 21:14:27 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-1767]

アメリカが在日を使って日本を支配している件
h ttp://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/867.html

いずれにしても在日コリアンは工作員であることに変わりないですけど


http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/845.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
20. 2019年6月16日 21:15:55 : ABPExKQ6Vk : REhURHl6ZS52bm8=[108]
>19. スッポンポンのポン

誰が安倍を総理大臣にしたのかなー
ヨーク考えてみよう

野田豚が総理大臣の時
云われ無き解散をして民主党をわざとボロ負けさして
安部に総理大臣の椅子をプレゼントしたのでなかったんではないかい

そのご褒美で 街頭演説にだーれもいないのにあら不思議 最高当選 だって
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
21. 2019年6月16日 21:18:27 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[67]
"100年安心公的年金”と公明党、坂口厚生労働大臣。

安倍、消費税8%上げる時の上げる選挙では、上げる3%はすべて社会保障費、年金に使うと言っていたぞ。

使ってないでないか?ふざけるな!安倍。

ウソ、ペテンだな〜安倍。お前は、倫理観はないな。

嘘ばっかり、、、、これが総理大臣か?

半島に帰れ! 

日本では、お前さんは、不要物のゴミ、寄生虫ダニ・ノミだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK261] 田崎史郎が年金繰り下げ問題で「僕は65歳から年金もらってる」! 安倍政権は必死で繰り下げPRしてるのに(リテラ) 赤かぶ
12. 2019年6月16日 21:20:39 : iwAujJtOFE : ZGZXRTcuMFlZQXM=[49]
 田崎の爺さんは仕事のリスクを考えているところはさすがだ。
しかし安倍擁護発言は「ハイリスク」な仕事ではあるが、
安倍から逆に守られており「ハイリターン」であるのも事実だ。
逆に70才を過ぎて、もし今の仕事を辞めるとヤバイだろう。
この爺さんは死ぬまでテレビに出続けるに違いない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/886.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK262] 衆参ダブル選挙への起爆剤「無条件」日朝首脳会談7月密約(週刊実話) 赤かぶ
1. 佐助[6949] jbKPlQ 2019年6月16日 21:24:55 : CBecl62sKU : NVJZRmFlY1paMEk=[23]
御用週刊誌のつまみ食い,偽装盗用・黙殺パクリ・孫引き記事は常套手段なので大外れ,天罰が下る。

今回は,外交,領土やテロや拉致や移民などは諸刃の剣となる

そして,すべて,外資増加やマイナスに作用します。

その政治手法は,ルーズベルトとは正反対の,弱者に耐乏を押しつけ,格差を助長させ,流通・信用の垣根を壊したのに,マスコミとウヨは,国民は時代が誕生させた破壊的カリスマに熱狂し期待し愛国的熱狂に国民の不満をスリ替えた。しかし残念だが,その賞味期限が切れます。

日米軍事同盟固執のルールを破壊させるカリスマは,その反対の革新的平和的カリスマが登場しないと,基軸通貨の交代期の混乱は絶対に沈静化しない。

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/124.html#c1

コメント [近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
148. 中川隆[-9574] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:25:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2900]

大家族生活の良さ 2019年06月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

 柳田国男が、明治42年(1909年)に、白川郷を訪れたとき、大家族生活の印象を書き残している。

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2279832.html

 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。

 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。

 引用以上

 ちなみに「チュウビンテンメン」という用語は、ネット上で探しても出てこない。広辞苑や大言海でも無理かも知れない。「秋風帖」という柳田の著作には漢字で出てくるものの、今では誰も理解困難だ。

 柳田が言いたかったことは、「白川郷の大家族生活には孤独が存在しない」ということである。しかし、冒頭の私のブログに書いてあるように、昭和初期には、女性たちは、高山や岡谷、富山などの紡織産業に出稼ぎに出ていて、ひとたび外の世界の「自由」に触れた者たちは、再び白川郷に戻らなかった。

 白川郷の労働が激しかった理由は、たぶん戦国時代に、煙硝=硝酸カリの製造法が発見され、その最適地として知られたのが飛騨合掌家屋であったことだろう。
 雪深く湿度が高い環境と、一軒家に多数の人々が暮らしているので、原料となる屎尿・青草の入手が容易な白川郷や五箇山では効率的な煙硝の製造が可能だった。加賀藩や高山藩が煙硝製造に焦って、住民たちに年貢の代替として無理な負荷をかけ続けた事情は容易に窺える。

 白川郷には男女の集団生活があったが、彼らはプライバシーに飢えていた。
 我々が、大家族生活の利点に憧れるとき、最も警戒しなければならないことが、人が多すぎてプライバシーがもたらす休息が失われることの可能性である。

 大家族には生活上の利点が実に多い。

 何よりも、食事、洗濯、買い物などで、たくさんの消費を効率的に満足させられるのである。一度にたくさんの仕事をするから、孤立した小家族に比べて、一人あたりの消費は実に合理的に行える。

 間違いを犯しても、仲間がすぐに指摘してくれるし、分からないことは教えてもらえる。
 
 生活の必要経費と労働量は、小家族と大家族では極めて大きな差が生じる。

 何よりも、一人主婦が家事を行うのと、数名でワイワイガヤガヤと共同して行うのでは、同じ家事でも雲泥の差、共同には人生の楽しさのエッセンスが詰まっている。

 一人の仕事はつまらない。人は共同にこそ人生のすべての楽しみを得られるように設計されているのである。

 洗濯機や冷蔵庫、掃除機など家電製品で考えれば、数名でも数十名でも同じ道具と時間ですんでしまうので、たくさん買いそろえる必要がない。

 老人や病人の介護が、一人の主婦に負担が集中する小家族とは比較にならないほど楽であり、何か困ったことが起きても、よってたかって解決する人が、たくさん出てくるのである。

 人が死んだときも、全体に及ぶ影響は、家族の規模が大きいほど小さなものになる。悲しみも、みんなが和らげてくれる。「孤独」って、どこの話? ということになるのだ。

 ここでネット上で、大家族生活の合理性について書かれているサイトを参照してみよう。

 山上家の節約術が凄い!家族10人で月30万円!?
 https://xn--bck9etdz48puxcfxu.net/bigfamily/bigfamly/yamagamike

 大家族貧乏ゆうり家の究極のこだわり節約術
 https://yuurin4children.com/daikazokusetuyaku/

 大家族すぎて生活苦に陥っている家庭の悩み https://mikle.jp/theme/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%8B%A6+%E5%A4%A7%E5%AE%B6%E6%97%8F/

 これらの記事は、私の子供時代の家族感覚からすれば、大家族でもなんでもなくて、「普通家族」のものにすぎないが、それでも生活の大変さと、家族が多いことでの不便と合理性について触れている。

 私は「大家族生活」を考える場合、単位としては10〜20名程度を想定していて、10名以下は「普通の家族」であると思う。

 それに血縁ばかりが家族になるわけでなく、家族というより「共同体志向」を念頭に考える必要があると思っている。

 逆に大家族制度の不合理性=不便性について、ネット上で実情と意見を探しているのだが、なかなか発見することができない。

 小家族の合理性について探しても、まず出てこない。つまり、「小家族で良かった」との記事は見たことがない。

 「大家族はいいですよ」という記事はたくさん見かけるのだが、大家族のせいで自殺に追い詰められたとか、人生が窮屈で死にそうだとかの苦情を探すのは困難なのであり、小家族で幸せだったとの賛美も見つからない。

 せめて、「トイレが足らなくて、我慢してるうちに漏れちゃった」というような具体的な不便記事を探しても見つからない。
 
 それでも、大家族を未経験の人が真っ先に深刻に不安視するのが、プライバシーの侵害であり、隠し事ができないことへの恐怖であり、たくさんの人と同居することの閉塞感、圧迫感であろう。

 実際問題として白川郷の若い娘たちが、苛烈な冬の野麦峠を越えて、女工哀史に描かれた凄惨なほどの岡谷の生糸紡織産業に就業し、一日16時間の辛い肉体労働を強要されても、故郷に帰らなかった事情は、8畳間に同性の10人以上もが寝起きする合掌家屋の生活に、よほど嫌気がさしていたのではないかと思う。

 そこで、我々が窮乏する生活上の要請から、再び大家族生活に回帰するにあたって、個人のプライバシーと、大家族の合理性を、どのように両立させるか明確なビジョンを持って、計画的に準備することが必要というのが私の考えである。
 もうギュウギュウ詰の生活を我慢できる人も少ないだろうから、一定のプライバシーは、どうしても確保しておかないと、集団=共同体生活も成り立たないと考えている。

 そこで参考になるのが、ヤマギシ会のシステムである。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html

 私は1973年頃、新島淳良がヤマギシ会の理事長だったころ、特別講習というのに参加したのだが、この頃のヤマギシ会は、本当に素晴らしかった。
 何より、参画者の女性たちが美しかった。化粧など誰もしていなかったが、人生や人間関係に対する喜びにあふれた表情は、一目見ただけで忘れられないほど美しいものだった。

 当時のヤマギシ会は、まだ貧しくて、みんな粗末なトタン張りの小屋に住んでいたが、それでも、ヤマギシズムと呼ばれた放し飼いに近い養鶏法が生活の主軸になっていたから、養鶏法をモデルとしたシステムに、人間も生活していたのである。

 ドーム型の長屋を区割りして個室が作られていたが、個室は四畳半くらいで、数名が生活していた。

 食事も洗濯も風呂も、すべて共同で行われ、強制は一切なく、本人の自主性だけに依拠した共同体がうまく機能していた。

 問題が出ると研鑽会が開かれ、みんなで意見を出して解決していた。

 大切なことは、ヤマギシ会においては、粗末ではあったが、それなりの個人のプライバシーが確保されていたということで、我々が共同体を志向するときも、必ず、共同性とプライバシーを両立させる生活システムを考える必要があると思う。

 その後、80年代末にも私は関わったのだが、その頃になると、いろいろな問題が噴出し、いわゆる「問題組織」とレッテルを貼られるようになったが、私は、詳細を知らない。ただ、結構豪華な個室が与えられていたことが印象に残っている。
 ちょうど70年前後の全共闘運動が80年代に近くなると、悪い意味での変質が起きていたことに似た、組織の統治に関する問題がたくさん出てきて、私は幻滅させられることが多く、ヤマギシとの関わりも失われた。

 リーダーが専用のベンツに乗って外出する姿を見たとき、「ヤマギシも終わったのか?」と強い不安に駆られた記憶がある。つまり、もの凄く儲かっていたことで、ヤマギシズムの本質を見失ってしまったのではないか? と私には思えた。

 今の段階では抽象的にしか語れないのが残念だ。当時は、私自身が地獄の釜のなかにいるような精神状態で、何をどうすべきかのビジョンが、まるで生み出せなかった。

 資本主義の爛熟過程では、みんな物質的欲望と見栄に取り込まれ、愛を見失い競争だけが生き甲斐になるような、人間性を見失った時代になってしまうのだが、それがバブル時代だったと思う。

 私もバブル時代の中で、価値観を見失い苦悩したが、今、再び、60年代のような民衆の貧しさが復活して、真実を見抜こうとする価値観が復権してきているような気がする。

 豊かさは人を愚かにするが、貧しさは人を賢明に育てるのである。みんなが貧しくなって、再び、我々の前に真実が姿を現しはじめた。それが共同体の復権であると、私は思う。

 共同体=すなわち大家族生活のことである。人が金ではなく、人に依拠して生き抜いてゆく。この世の本質は、金や差別ではなく、人間と、その愛であると気づいた人たちが、手を取り合って新しい社会を形成してゆくのである。

 まだ資本主義の競争社会に影響を受けて、人ではなく、技術や集団、組織の虚構に目を奪われて、「この世には人間と自然しかない」という真実を見抜けない人たちがたくさん生きている。

 彼らは、コンピュータ社会、IT・AIに過剰な幻想を抱き、それが人を支配するようになると勘違いしているが、決してそうではない。世界の本質は人間であり、金ではなく、技術でも権力でもない。
 人間だけを見つめて生きるために、我々には大家族=共同体生活が必要なのだ。

 また、共同体は、「そうしなければ生きてゆけない」という切羽詰まった現実の上に築かれるものであり、誰か頭の良い、えらーい人が登場してきて共同体社会を指導して回るわけではない。

 みんな、ときには「いやいや」団結し、共同してゆくのであって、団結のなかで、新しい価値、大きな合理性としての共同体生活を見いだしてゆくものだと私は思う。

 何度も書いているのだが、30年前に松原照子が予言したとおり、「日本人は草も食べられない」ようになりつつあり、もう大都会では餓死するしかない時代が目前に迫っていると思う。

 テレビでやってる山奥の「ポツンと一軒家」こそ、真の桃源郷になる時代が近づいているように私には思われるのだ。

 今は90歳近い老人が少人数で最期の日を待っているが、やがて、ここに若者たちが、未来を担う共同体を作り出す日がやってくると私は信じている。 
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c148

コメント [政治・選挙・NHK262] 香港の市民が示したデモの力! それでも橋下徹は日本のデモを否定、安倍政権とネトウヨは沖縄の抗議弾圧を正当化(リテラ) 赤かぶ
16. 2019年6月16日 21:26:46 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-1769]
いつから沖縄は治外法権になったんだ?

 ↓

沖縄ではプロ活動家が行う私的検問はOK,警察が行うとNO,司法は生きている?

琉球新報・沖縄タイムスを糺す県民・国民の会より転載

「メルマガ第148号」2018年2月1日

辺野古と並んで高江は、プロ活動家の「聖地」といわれています。

沖縄2紙は反基地活動家を「市民」と報じますが、これは真実を伝えていません。

彼らは違法抗議を繰り返すプロ活動家です。

池田前県警本部長は活動家の中には過激派と呼ばれる極左暴力団が混在すると証言しているくらいです。

高江に集結したプロ活動家が違法な「私的検問」で道路を封鎖しても、警察当局は黙認状態です。

それどころか地元住民の依田さんが違法な「私的検問」で営業妨害され、活動家と「もみ合い」したとき、「全治三日」の傷を負わしたとして起訴され刑事訴追を受ける有様です。

1月29日付八重山日報本島版は傷害罪で刑事告訴を受け被告となった依田さんの第一回口頭弁論を大きく報じました。

勿論依田さんは傷害罪を否認しましたが、沖縄2紙は一行の報道もしませんでした。 依田さんを「暴力男」として報じた沖縄2紙にとっては黙殺したい「事件」なのでしょう。

同じ日の八重山日報は高江で起きたもう一つの「検問」について「県 控訴せず」と大きく報じています。

ことの経緯はこうです。

高江で警備中の警官が、高江に向かう車両を止めて検問したところ、運転手の三宅弁護士が「過剰警備」として県を提訴し、      那覇地裁は「検問は違法」と、トンデモ判決を下した。

ところが、これに対して県は「控訴断念」という記事です。

勿論現場の警官及び警察幹部は、検問は「妥当な公務の執行」として、知事に控訴を要請しました。

しかし、翁長知事は「第一審といえども判決を尊重する」として県警の要請を拒否したのです。

これでは県警が活動家に配慮して、活動家の主張に屈したことになります。

ちなみに県は「辺野古埋立て違法確認訴訟」で敗訴しましたが「第一審判決を尊重」どころか、最高裁まで縺れ込んで最高裁に判断を委ねたではありませんか。

これでは二枚舌と言われても仕方有りません。

現場の警察官が県知事の恣意的判断により活動家に屈したことになったら、どうなるでしょうか。

おそらくは前川喜平前文科省事務次官のように「面従腹背」の警官が増え、県警の士気が著しく地に落ちることでしょう。

極左暴力集団にとって無法地帯は辺野古・高江に止まらず、沖縄県全体が無法地帯になりかねません。

士気の落ちた県警は暴力革命を目論むテロリストの絶好のタ−ゲットです。

なぜなら無政府主義者は暴力革命の前に先ず「警察権力を粉砕」するのが常道だからです。

翁長知事の「控訴せず」は、沖縄県民の治安維持を弱体化させる結果となります。

高江で起きた反基地活動家の違法な「私的検問」の被害者である依田さん。

地元住民の依田さんが刑事訴追を受けましたが、その原因の違法検問は論点になりませんでした。

一方、同じ高江で警官による公務執行で行われた検問が翁長県知事の恣意的判断により「違法」と確定しました。

現場の警察官がやる気を失っても仕方が無いでしょう。

こんな理不尽を許してはいけません

___________________________

マスコミが 報じない自由が沖縄で炎上

狼魔人日記 より転載

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

拡散依頼、【名護市長選】稲嶺進陣営の過激派が、

2018-02-0118:52:45 | マスコミ批判


名護市長選で、渡具知候補の猛追に動揺した稲嶺派が車による暴力沙汰を起したようです。

知人からの拡散依頼の情報です。

以下が情報源となっているツイートです。

https://twitter.com/yodakeiji/status/958702730620551169


昨日、1月31日(水)午後7時以降(か?)、
名護市内の渡具知候補の選対事務所に
車が突っ込んだという事件です。

ここには記されていない、私自身の目撃情報ですが、
この犯人は、昨日午後3時半から行われた
小泉進次郎の応援演説会にも顔をのぞかせた男で、

ハンチング帽とサングラスをかけた、
いわゆる反対派の雰囲気を醸し出していたので
私の印象に残っておりました。

さらに、こちらの人間が沖縄タイムス名護支局にこの件で電話すると、
「調べてみる」との、つれない返事だったようです。

「そんな情報量でよく記者やってますね」と言ったら、
切られたとのことです(苦笑)。

おそらく、明日の沖縄タイムス、琉球新報の朝刊には掲載されないでしょうから、
あとはいかにネットを中心に、この暴挙を白日の下に晒すかが

重要ではないでしょうか。

                ★

<#テレビが絶対に報道しないニュース>沖縄・名護市長選 応援に来た小泉進次郎の演説中にサヨクの選挙カーが演説会場に乱入し妨害活動 大騒ぎに〜ネットの反応「こんなクズ陣営に投票したら名護市民の民度が問われるな」

投稿日:2018年2月1日

美ら海・沖縄‏ @110111112113

うわああーーー
左翼の妨害車両が一方通行を逆走して揉み合いになっているぞ。みんなで選挙妨害だと叫んでいる。
メチャクチャになりそうな気が…
暴力事件にはなっていないけど、騒ついています。


https://i1.wp.com/anonymous-post.com/wp-content/uploads/2018/02/2.jpg?zoom=1.5625&resize=607%2C455
https://i0.wp.com/anonymous-post.com/wp-content/uploads/2018/02/1.jpg?zoom=1.5625&resize=607%2C455

軍関係者の生活‏ @sgtm4md

悪質!
【選挙妨害犯はコイツだ!!】

1/31 #名護市長選挙 現職市長 #稲嶺ススム の支援を屋根につけた大音量スピーカーで叫び、新人 #とぐち武豊 候補の応援演説に来沖した #小泉進次郎 議員を妨害した。

明らかに公職選挙法違反が疑われる事案

無数の違法選挙カーが走り回っている

h ttps://blogs.yahoo.co.jp/yoshi2_99/35573217.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/119.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
22. 2019年6月16日 21:30:14 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[68]
安倍/麻生の馬鹿コンビの嘘の言い合いだ。

いい加減政界から消えてくれないか。不要のゴミだ。

安倍が嫌がる年金基金に、無理やり株モしていたこと、知っているぞ。

安倍のミックスで、株上昇が止まった時、耳にした。

お前の責任だな! 年金運用失敗は! 

こら!責任取れ! 安倍とそのお友達は、国家財産泥棒しているから、その金で埋め合わせしろ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK262] <共同通信世論調査>老後報告書拒否は「問題」71% 公的年金に不信63% 内閣支持率2.9ポイント減、47.6%  赤かぶ
20. 2019年6月16日 21:32:17 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[243]
令和のお祝いムードの余波で、さらに内閣支持率が上がるはずだったのに、マイナスに転じた。低下した数字自体は小さくても、与党にとっては目論見が大きく外れているかもしれない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/122.html#c20
記事 [カルト21] ネトゲ ・香港騒動の背後に全米民主基金、タマ・イエズスはハプスブルクはロスチャ。タンカー襲撃もこのラインの鬼畜米英である。
ルーズベルトが言ったように大きな事件事故災害に偶然はなく、彼を含む泥棒一座が部長や課長や下請けや孫請にあーだこうだみたいな事件やどうだこうだみたいな事故を起こしたりして、ダマスゴミにそれに沿って大騒ぎさせてきたという事である。

http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/378.html
記事 [昼休み54] ヘリパッド反対派が私的検問に道路座り込み・・・ひどすぎる沖縄・高江の今 ←沖縄で40mの大仏折れた原因判明?
h ttps://matome.naver.jp/odai/2147428540852607501

ヘリパッド反対派が私的検問に道路座り込み・・・ひどすぎる沖縄・高江の今

更新日: 2016年09月19日

この記事は私がまとめました
TOKYOPMさん

沖縄・高江ではヘリパッド建設反対派の抗議活動が行われている

"沖縄県東村高江で17日、米軍ヘリパッド=オスプレイパッド(着陸帯)の建設工事を阻止しようと、毎週水・土曜日に行われる「集中行動」が県道70号線沿いのN1ゲート前で開かれ、200人以上が集まりました。"

出典ヘリパッド阻止 闘志健在/沖縄・高江 定例の集中行動

道路座り込みでの妨害活動が行われている

Per-Erik Schulze@PerErikSchulze

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The sit-in to protect the forest at #Takae Okinawa never ends. Impressive! blog.goo.ne.jp/chuy/e/3f568a6… via @rantyo3141 pic.twitter.com/wtWo05rYOK

返信 リツイート いいね 2016.09.15 08:32

Per-Erik Schulze@PerErikSchulze

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Protesters try every sit-in formation to stop construction trucks in the pristine #Takae forest Okinawa. @kimiko2c pic.twitter.com/l6DMypKgb6

返信 リツイート いいね 2016.09.16 06:30

座り込みの様子が何かに似ている?

アノニマス ポスト@anonymous201504

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#高江 #高崎山 #沖縄 面白い対比写真が出回ってます。 これはwwwww pic.twitter.com/e69eyhpf7t

返信 リツイート いいね 2016.09.17 21:10

油喰小僧@andakueboja

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昨日のツイート伸びてるけど、反対派ってやっぱり猿と区別がつかない。 #高江 #辺野古 pic.twitter.com/PN8GDZiBmL

返信 リツイート いいね 2016.09.18 08:20

座り込み活動は組織的に行われているよう

PIPPA@Z_PIPPA

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「#高江 座り込み地図」「#Takae Map」ネットプリント ◎ファミマ、ローソン、サークルK、セイコーマート 番号U3ULXULW9B 期限09/26 午後2時 出力方法 networkprint.ne.jp/sharp_netprint… pic.twitter.com/AwkmcBR9Ji

返信 リツイート いいね 2016.09.18 14:06

座り込み用の地図が作られているようです。

私的検問まで・・・無法化する高江

"活動家は、基地関係者や工事関係者の通行を阻止するために、住民が日常的に使用する裏道(生活道路)にも通行妨害のための車両を置き、検問を設けてチェックしています。まるで無法状態の紛争地域です。シリアのISやウクライナの民兵組織じゃあるまいし、こうした違法行為が許されてよいわけがありません。"

出典沖縄県東村高江—民兵組織さながらの検問・道路封鎖は許されるのか | 批評.COM

neologcutter@neologcut_er

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↓↑ 警察まで検問するとは…ぶっちゃけ、アイツら何様なんだろうね。 #高江 archive.is/8GJ8J pic.twitter.com/a4XhP6gzDp

返信 リツイート いいね 2016.09.19 20:30

MrNipponNippon@MrNipponNippon

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何度か高江の検問を朝6時からやってんのキャスしてたけどさ ・見張りが車の接近を知らせる ・急停車するしかないように数名で車道をふさぐ  ・停車させたら車の前後に数名が立ち進路を封じる   ・運転席に回り込み行き先を訊く ・行き先を言わないと通さないと脅す  合法な訳ねぇだろw

返信 リツイート いいね 2016.09.19 09:00

反対派の行動に地元民が迷惑

油喰小僧@andakueboja

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高江のヘリパッド建設反対派、地元住民を勝手に検問して怒らせ、自警団結成のきっかけを作る。 #高江 pic.twitter.com/WbwVCQMQNM

返信 リツイート いいね 2016.09.17 16:21

"東村高江周辺のヘリパッド建設への抗議活動で県道70号が連日混乱し、高江区を中心とする村内の農家が悲鳴を上げている。村は区の要望で農家向けに「高江生産組合」と書かれたステッカーを作製。区はステッカーのある車を優先通行させるよう抗議市民、警察双方に求めている。"

出典高江の農家、ヘリパッド抗議に苦情 県道混乱で生活にも支障 (沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

"県道70号では8月から、市民が「牛歩作戦」として、工事車両の前を時速10キロ未満の速度で走る抗議行動を展開。機動隊の交通規制もあって県道は渋滞し、出荷や作付けする農家を中心に地元住民の往来に支障が出ていた。"

出典高江の農家、ヘリパッド抗議に苦情 県道混乱で生活にも支障 (沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

検問にあった地元民と抗議集団との間で騒動

シマるぅ@BB_Chipmunk

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【沖縄基地問題--本当の地元民の訴え】 本日の琉球新報にまたとんでもない記事が掲載されています。 「男」とされるご本人から了承を受け、Facebookでの投稿を貼りますね。 高江で起こってる本当の事を知ってください。誰が被害者かを。 pic.twitter.com/Dn9Dp8vTKf

返信 リツイート いいね 2016.09.18 10:27

シマるぅ@BB_Chipmunk

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@butaronin @andakueboja もう地元の人も、耐えられないほど迷惑してるという証拠ですよ。この事実を広めて世論から議員さんなどを後押ししないと、反対派の側の議員がまるで正しいかのように見えてしまいます。

返信 リツイート いいね 2016.09.18 11:15

ユリア・クソリプニツカヤ@teracy

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私的検問は道交法以外の罪に問えないのか?

返信 リツイート いいね 2016.09.19 16:04

モトケン@motoken_tw

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.@teracy 業務用車両を止めたら威力業務妨害罪も考えられる。

返信 リツイート いいね 2016.09.19 19:13

一刻も早く無法化状態が改善され、地元民が今までの暮らしを取り戻せるとよいですが・・・難しいですね。

関連まとめ

沖縄ヘリパッド反対派の韓国籍の男が公務執行妨害容疑で逮捕!高江で今何が? - NAVER まとめ

h ttp://matome.naver.jp/odai/2147100653189409001

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http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/425.html

コメント [政治・選挙・NHK261] 向こう見ずな首相のイラン訪問 取り返しのつかない大失敗(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
78. 2019年6月16日 21:35:49 : SkGvgH5Q52 : OVJTNThrMUVBVjY=[1]
住民の反対を蹂躙して米軍基地を建設しているのに、他国に米国との和解を説得にいって相手にされるか?他人の立場や気持ちが理解できないにもほどがある。発達障害ではないか?
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/895.html#c78
コメント [原発・フッ素51] ついにNHKが心不全の爆発的拡大に備えろと言い出した  魑魅魍魎男
39. 2019年6月16日 21:36:00 : EqnuagnDCS : NW91L2hRZEVmWUk=[3]
糞nhk には、共産主義勢力が いるんだ。
そいつらが、プロパガンダ報道をするんだ。
放射線防護学の権威 高田 純 博士(札幌医科大学教授) の
【 福島 嘘と真実 】― 医療科学社(刊) 2011.7.25
を見れば、福島放射能は、チェルノブイリの 千分の1 の規模だった 事が
分かる。これは全く問題無いレベルだったのだ。
サル助、 真実は、どうでもいいのか。
この 悪党野郎。デマ助野郎。
表へ出ろ、この野郎。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/637.html#c39
コメント [政治・選挙・NHK262] 香港の市民が示したデモの力! それでも橋下徹は日本のデモを否定、安倍政権とネトウヨは沖縄の抗議弾圧を正当化(リテラ) 赤かぶ
17. 赤かぶ[17859] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:37:25 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7925]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/119.html#c17
コメント [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン) 赤かぶ
5. 2019年6月16日 21:37:33 : jXbiWWJBCA : Rm5WWGpiTzAwU2c=[94]

平均で考えても無意味であること

医療や経済の発展の結果、長生きでき、健康寿命も伸びたのだから

その分、長期間働かない限り、生活水準を下げるか

国民の社会保障・税負担を上げるか

その両方しか解決策がないのは明らかなこと

こういう報道で、少しでも一般国民の理解が進めば良いことだが

大体、メディアや野党は不安や格差への怒りを煽るばかりのケースが多く

世界中で、逆に、一般大衆の生活水準が下がり

特に、そのしわ寄せが最弱者である途上国に行き

地域紛争が悪化し、環境破壊も進むことになる

愚かなことだ



http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
21. 2019年6月16日 21:39:37 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[69]
『僕 晋ちゃんは、時が時なら、王様なんだ。

大様は何しても良いのだろう?』

馬鹿たれ!この日本では、嘘は泥棒の始まりと言っている国だ、変なことはするな!
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c21

コメント [経世済民132] 「HVのトヨタ」が本気でEVに力を入れ始めた理由(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
4. 2019年6月16日 21:39:42 : iwAujJtOFE : ZGZXRTcuMFlZQXM=[50]
電気自動車の課題は走行距離の短さと充電インフラの整備だが、
充電時間がかかることも忘れてはならない。
ガソリンならわずか1、2分で満タンになるのだから、急速充電でも
何十分も待たされるのは不便だ。発想を変えて電池を満充電したものと
乗せ換えるやりかたにしたらいいのでは。電池をレンタルにすれば
車両本体価格も安くなるから普及が進む。
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/603.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK213] 「俺たちにも生活ある」 ヘリパッド作業員、市民の車に乗り込み溝に落とす(沖縄タイムス) 赤かぶ
10. 2019年6月16日 21:40:54 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-1771]

沖縄県はいつから治外法権になったんだ?

  ↓

>高江に集結したプロ活動家が違法な「私的検問」で道路を封鎖しても、警察当局は黙認状態です。

>同じ日の八重山日報は高江で起きたもう一つの「検問」について「県 控訴せず」と大きく報じています。

>高江で警備中の警官が、高江に向かう車両を止めて検問したところ、運転手の三宅弁護士が「過剰警備」として県を提訴し、      那覇地裁は「検問は違法」と、トンデモ判決を下した。

>ところが、これに対して県は「控訴断念」という記事です。

>勿論現場の警官及び警察幹部は、検問は「妥当な公務の執行」として、知事に控訴を要請しました。

>しかし、翁長知事は「第一審といえども判決を尊重する」として県警の要請を拒否したのです。

>これでは県警が活動家に配慮して、活動家の主張に屈したことになります。

>ちなみに県は「辺野古埋立て違法確認訴訟」で敗訴しましたが「第一審判決を尊重」どころか、最高裁まで縺れ込んで最高裁に判断を委ねたではありませんか。

>これでは二枚舌と言われても仕方有りません。

h ttp://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/119.html#c16
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/556.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
23. 2019年6月16日 21:41:44 : jXbiWWJBCA : Rm5WWGpiTzAwU2c=[95]

国民の多数派が、こういう下らないメディアのデマに騙されるとも思えないが

前回の勝利が過剰だったから、当然、その反動が出ると考えるのは妥当だろう

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
9. 2019年6月16日 21:42:49 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[70]
”2000万円、無いのですけど、、、”

笑わせてくれました。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK261] 「きのうの敵はきょうの友やね」籠池氏“森友急先鋒”と握手(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 2019年6月16日 21:44:51 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-1770]

森友でなく籠池の問題だろ!


http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/898.html#c22

コメント [経世済民132] 還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下(ITmedia ビジネスオンライン) 赤かぶ
6. 2019年6月16日 21:44:58 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[71]
”2000万円 ないのですけど、、、、”

安倍、麻生に質問です。
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/613.html#c6

コメント [原発・フッ素51] 福島Q&A Q16.「風評被害」を主張する方はどんな方ですか?(めげ猫「タマ」の日記) 赤かぶ
9. 2019年6月16日 21:45:52 : OFuXFiXtbU : bmlxay81Y3c4NUE=[40]
原子炉格納容器の中で、デブリをぶら下げていた設備は、ふっとんでしまったのでしょうか?

1号機と3号機のメルトアウトした燃料を撮影したさい、溶けた燃料の映像はありましたが、燃料をぶらさげていた設備がよくわかりません。

メルトアウトした燃料の上に覆いかぶさっていたのを取り除いて、、撮影はしていないですよね。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/633.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK262] 衆参ダブル選挙への起爆剤「無条件」日朝首脳会談7月密約(週刊実話) 赤かぶ
2. 2019年6月16日 21:47:36 : eFargDQyXD : VXlneE5pNldUQVE=[372]
 
 どうでも良い
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/124.html#c2
コメント [カルト21] ドン・前CIA・タンカー攻撃はやらせ、船員は役者、安倍は知っていた、ボルは解任。だそうである。 ポスト米英時代
6. 2019年6月16日 21:49:17 : BGxOMGAMPs : Wktvalh5aEVUbDI=[37]
イラン人が真剣に救助してくれました❗

それが答え


http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/374.html#c6

コメント [カルト21] 毎日・太郎・もうすぐ二億円、野党が5%で纏まれば合流。枝豆とトロイの連合が試されているのである。 ポスト米英時代
13. 2019年6月16日 21:51:59 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-1775]
>>5
>俺が望むのは「福島瑞穂防衛大臣」。

背乗り朝鮮人に防衛大臣?
即刻中国に侵攻されるだけだが

冗談でコメントしていても

ここ
おかしいんじゃねえか?
    ___
 /⊃/   \⊂ニ\
`/ミ)/ =  = ヽ(ミ|
| イ|、_ 、_  | Y |
∧ |∧(●) (●) | | ∧
| V | 〔   6)/|/ |
|  ヽ ヽニフ イ|  |
|   L>、_ /L/  |
ヽ  / | ヽ/ //  ノ
 V | ヽ/ /   /
  \| / /   /
   \_L_/_ _/
   /ヽ{ニ只ニ}_ノ\
  ( ̄ ̄⌒) /⌒ヽ_∧
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ___ノ|
  \___/>、  /
       ̄   ̄

http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/357.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[17860] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:53:06 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7926]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[17861] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:53:54 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7927]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[17862] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:54:39 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7928]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK262] 年金で問題とすべきは「格差年金」ではないか。(日々雑感) 笑坊
8. 2019年6月16日 21:56:19 : 8qGf3aXOSw : YXdRai5tcS56MTY=[1]
年金制度を保険制度と社会保障制度の二階建にする事。

保険制度では、年代別に収支の帳尻を合わせる事が肝心だ。同い年の人のみの積立金を、それぞれの支払い期間と支払い額を加味して、保険方式で分配する事である。

若い世代が年寄りの世代の面倒を見る方式を止めるのだ。若い世代が、保険料を払いこんでも、どうせ自分たちは貰えないのだから、払いたくないとの、不満の解消になる。

年寄り世代の支払って来た保険料総額から論理的に導かれるところの保険金の支払いが、実際には出来ないのだ。役人が使い込んだ為である。配る金が無くなったとしたら、その分は、責任を取ってもらう必要がある。救済は社会保障制度となるだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/103.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[17863] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:56:27 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7929]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c4
コメント [カルト21] 河北・石垣の消費税ゼロが立憲に波紋。枝豆は空き缶と野田豚と連合を斬り、消費減税に踏み込む事である。 ポスト米英時代
5. 2019年6月16日 21:57:02 : BGxOMGAMPs : Wktvalh5aEVUbDI=[38]
石垣いいね👍
もはや全国レベル

枝豆は代表辞めろ

石垣の方がいい❗

裏で手を繋ぐタイプの政治家はいらないと山本太郎が広島で暴露してくれました❗



http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/371.html#c5

コメント [昼休み53] 自称リベラル左翼相関図 木卯正一
1. 霞ヶ関に原爆を落とせ[261] ieCDlorWgsmMtJSagvCXjoLGgrk 2019年6月16日 21:57:09 : F0FGnzIO7Y : TDJBb3VCZnVnYy4=[10]
頭目の安倍晋三こと李晋三と日本会議と統一教会の
関係のヤバい話には触れたがらない
「触れないで欲しい関係がある」
状態の自称日本人の木卯正一こと
卯正日。(笑)↓

統一教会に祝電を送る安倍首相 - YouTube
www.youtube.com/watch?v=MMjRmzYP5A4

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/577.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[17864] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:57:31 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7930]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
6. 赤かぶ[17865] kNSCqYLU 2019年6月16日 21:58:28 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7931]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
10. 佐助[6950] jbKPlQ 2019年6月16日 21:58:36 : CBecl62sKU : NVJZRmFlY1paMEk=[24]
これが,ドロボー詐欺ゴロツキの税金保険の結末

アベノミクスの成果,1%の富と99%の不幸政策(弱者切り捨て,金持ち優遇政策の成果)

(PGF生命調査によると貯蓄格差が酷い)100万円未満と1億円以上この格差

平均貯蓄額は2900万円,しかし67%が2000万円以下,33%が2000万円以上

しかし1億円以上が8%,4人に1人は「100万円未満」もいる。

高齢者30%の人が,バブル体験者で,郵便定期や信託銀行に10年預けたら預金が倍になった時代を体験している。

そして年金を,天下りや株や外資に使い過ぎたから2000万円貯金しろ,無年金の人は,二人で生きてゆくには9500万円の貯金が必要となる。

ひょっとしたら,詐欺的,耐乏押し付ける政権反対,を訴えたら選挙で与野党が逆転するのではなかろうか。


http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK261] 5年後10年後の日本の製造業は惨憺たるものになっている 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
31. 2019年6月16日 22:00:39 : YjTSZWJ9WM : bXpjSXhRbGFNU3c=[27]
一番の元凶はアベノミックス、すなわち低コスト政策です。安倍政権以前の輸出企業は円高による高コスト体質に苦しんできましたが、苦しいからこそ企業の存続をかけて付加価値向上に取り組んできました。そこで生まれたのは他国では作れない新製品や新技術で、それが今の輸出製品の主力となっています。
アベノミックスで、企業は円高差益と法人税減税の不労所得を与えられ、コストダウンさえすれば間違いなく利益が出る状態になり、低賃金が続くかわりに企業の存続をかけた付加価値向上は行われなくなりました。これは負のスパイラルです。



http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/843.html#c31

コメント [政治・選挙・NHK262] <共同通信世論調査>老後報告書拒否は「問題」71% 公的年金に不信63% 内閣支持率2.9ポイント減、47.6%  赤かぶ
21. 2019年6月16日 22:01:01 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[1389]
⁅老後2000万円⁆公的年金「信頼できない」63.8% - 安倍内閣不支持率も38.1%に
.
時事ぽぽんぷぐにゃん
2019/06/16 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=qIEytMec1NY

暴言麻生は飲み代年間2千万超/大谷サイクル/池袋暴走 日刊ゲンダイ週末号Vol 99 2019 06 14
.
デモクラシータイムス.
2019/06/16 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=S3igRBQSsdQ
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/122.html#c21

コメント [カルト21] 河北・石垣の消費税ゼロが立憲に波紋。枝豆は空き缶と野田豚と連合を斬り、消費減税に踏み込む事である。 ポスト米英時代
6. 2019年6月16日 22:02:39 : BGxOMGAMPs : Wktvalh5aEVUbDI=[39]
石垣と太郎のツーショットがみたい。

この国が変わる予感がする。

石垣は腐った枝豆の横に収まりきれない

http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/371.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK261] すまない太郎、これが精いっぱいの金額だ! だが、全部託したぞ❗  赤かぶ
27. 霞ヶ関に原爆を落とせ[262] ieCDlorWgsmMtJSagvCXjoLGgrk 2019年6月16日 22:03:58 : F0FGnzIO7Y : TDJBb3VCZnVnYy4=[11]
>>4
無知蒙昧なヤフコメの馬鹿ウヨ
どもはヤフーの会長孫正義が
連中の嫌うアチラ系の
帰化人だということを知らないのか?
そこまでくれば無知蒙昧も極まりだ。


http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/714.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
22. 命を大切に思う者[86] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2019年6月16日 22:05:49 : YUla4bC7YU : azBHWGs1ZXNMbTI=[40]
> 安倍総理大臣が民主党政権を「悪夢のような」と表現し、

> 安倍総理大臣:
> 「12年前、皆さん覚えておられると思いますが、残念ながら自民党は参議院で惨敗しました。
>  残念ながら政治が不安定になり、あの…民主党政権が誕生したわけであります。
>  まさに悪夢のような民主党政権が誕生したわけでございます」

安倍の言ってる「皆さん」とは、ゼネコンや輸出企業等、
自民党から不当に金を貰って、その代わり自民党に投票している、選挙違反の犯罪者達ですよね。

そりゃ、選挙違反の犯罪者達にとっては、
民主党政権中は、自民党から不当に金を貰えなかったのだから悪夢と感じるでしょう。
貰えなくて当然なのに、暴力団組員と同じで恐喝・暴行で金を取って当たり前と思っている連中ですから。

安倍の言ってる「皆さん」には、自民党と一緒に、刑務所に入ってもらわなければならない、選挙違反として。

ゼネコンに公共事業のピンハネで渡す金を、消費税と名乗って武力で奪って渡すのは、強盗の代行です。
ゼネコンは、強盗の代行を自民党にしてもらい、自民党に票を入れた(自民党は武力を握ってるから強盗はたやすい)。
自民党は、票を入れてもらい、ゼネコンにピンハネで不当に金を渡した。
選挙違反です。

私達一般庶民から奪った金を、
元々金を持ってる人だけに渡して銀行に金を集め海外投資させて不当に円安にすることで、
海外から食料を得る私達一般庶民から、輸出業者に、1ドルあたり30円不当に奪わせた。
1ドル80円が適正。フランスでも、500ml水6本入が酒屋で5.25ユーロ。クロワッサン1個1ユーロ。1ユーロ100円が適正。1ドル80円が適正。
110円は海外投資組みに吊り上げられたレートで、不当なレートです。
輸出業者は、為替レートの不当な吊り上げを自民党にしてもらい、自民党に票を入れた。
自民党は、票を入れてもらい、為替レートの不当な吊り上げをやった。
選挙違反です。

安倍の言ってることは気にすることは無い。
言ってる相手は、選挙違反の共犯者だけですから。 

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
24. 2019年6月16日 22:06:57 : SkGvgH5Q52 : OVJTNThrMUVBVjY=[2]
阿部も麻生も発達障害か統合失調症だろう。
これだけ国民を愚弄し続ける阿部政権が選挙で勝つなら、不正選挙だな。
不正選挙がない、というならそれもいいが、今のこの国は
 人口減少
 見えない毒、放射能に迫られ
 世界からはまともに相手にされず
 アメリカからはカツアゲされまくり
 行政は職務怠慢、職務放棄ばかり
 立法は戦争と博打ばかり
 司法は強姦もみ消し
不正選挙が始まった2012年からこうなってきたと思うのだが、
こういう国を望んできたのですかね?
 


http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c24

コメント [政治・選挙・NHK261] 所属議員も鼻白む 自民党“ネトウヨ冊子”配布で参院選対策(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
25. 命を大切に思う者[87] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2019年6月16日 22:10:38 : YUla4bC7YU : azBHWGs1ZXNMbTI=[41]
> 「まあ、内容は理解できるんですが、発行者がよく分からないので、“何だ、これ?”という印象ですね。
> 皆、いぶかしんで、ほとんど読んでないようです。
> 同僚議員は『書類の山に埋もれたまま』と言っていました」(自民中堅議員)

> 「失言防止マニュアル」の配布といい、アベ自民の程度が分かるというものだ。

自民党は、騙すことだけで権力の座に居る政党ですから、
党の議員にも、騙す方法を徹底的に仕込んでいるのでしょう。 

http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/900.html#c25
コメント [カルト21] 毎日・太郎・もうすぐ二億円、野党が5%で纏まれば合流。枝豆とトロイの連合が試されているのである。 ポスト米英時代
14. 2019年6月16日 22:12:20 : fVmzl2gB1s : d29uSUlmR05tSUU=[181]
 >>8に追記
 夢
 夢とは何だろうか?
 そして俺が山本太郎に感じる希望は何だろうか?

 消費税を5%に。その財源は○○、さらに○を……
 ちょっと待て、その論理に夢はあるか?
 ラブレターを書いてから恋をするのか
 恋をしてからラブレターを書かなかった?
 財源?
 確かに夢の実現には“お金”が要る
 でも
 順番が逆だろ
 夢を実現するために“お金“が有る
 だったら
 消費減税を実現するめに
 知恵を貸してくれ
 力を貸してくれ
 お金貸してくれ
 そう叫んだのが山本太郎だった

 小泉純一郎が見せたのは”構造改革”と言う悪夢だった
 安倍晋三が見せるのは”戦前回帰”と言う悪夢だ
 たとえ悪夢でも人は夢に縋る

 ならば
 此方も夢を語らなねば成らない。
http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/357.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK261] 米紙WSJ「安倍氏は初心者」と痛烈報道! 中東和平における初心者プレーヤーが痛みを伴う教訓を得た  赤かぶ
47. 2019年6月16日 22:16:10 : uS8d5ezf02 : NDlka3ByaUZ0WDY=[2]
アメリカが懸念してる一番の元凶が解ってないんだからしょうがないでしょ

ウラン濃縮施設の話じゃないんだけどね、まあこの掲示板の人には分らんだろう

ウインウインの機会を失ったね
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/894.html#c47

コメント [原発・フッ素51] ついにNHKが心不全の爆発的拡大に備えろと言い出した  魑魅魍魎男
40. 2019年6月16日 22:17:54 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[72]
福島県、廃県にせざるを得ないのか?

放射能は怖いですぞ!

問題は、今も放射性物質のデブリが取り出せなく、汚染が広がっているのです。

地下水汚染もあるのでないでしょうか?

当然海水は汚染され続けています。

食材は大丈夫でしょうか?農水畜産林業の担い手様には、言いたくないのですが、、、。

広島、長崎は、一瞬でしたが、福島県は、放射能にさらされ続けているのです。

よくも、東京オリンピック出来ますな〜汚染オリンピックですよ。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/637.html#c40

コメント [環境・自然・天文板6] 2040年に1・5度上昇の恐れ IPCCが温暖化報告書   IPCCが温暖化影響の特別報告書を採択 うまき
21. 2019年6月16日 22:19:31 : CV9AAdotFE : NDltY3RSNjlFUW8=[20]
「地球温暖化」というが、定義と言えるものがない。

まず、「地球」「温暖化」についての地球物理学的、熱力学的、科学的定義がされるべき。(定義があればすぐそれが地球温暖化ではないことがすぐ分かる。)

少なくとも、惑星を代表する「放射平衡」が成り立つ「惑星の表面」で議論が行われなければならない。

「二酸化炭素地球温暖化」の間違いの根源は、惑星・地球の表面が「地表」になってしまっていて、大気が存在しないこと。

大気と地表の間に温度差があっても熱が伝わらない。


大気と地表の間には当然熱交換があって、大気と地表は熱的にい一体のはず。

大気が存在しない、したがって、「気候変動」すらも起こりえないし、生物人類すらも存在できない荒唐無稽論!。

では・・


地球とは:
太陽系3番目の惑星。1万1千メートルの対流圏大気を持ち、対流圏中層(@5500m)に表面(シュテファン・ボルツマンの法則Stefan- Boltzmann law:放射平衡が成立するところが「表面))を持ち、その気温すなわち「放射平衡温度」が-18℃の惑星。


地球温暖化(寒冷化)とは:
地球全球(全球)において気温が上昇または下降して平準化し、全球で「温度差」が無くなる方向。(エントロピ―増大の法則)

基本的に地球の表面(対流圏中層@5500m)で議論されるべきものが、「地表」で云々されていること。


そして、大気は気圧により必ず地表より低温であること。(対流圏の鉛直温度構造)

それゆえ、いかなる表現、いかなるトリックを用いようとも、空から地表を温めることは太陽以外ないこと。
  

IPCC報告によると再放射なるものが起こるのが対流圏界面、つまり1万1千メートルあたりというから、その温度は−50〜60℃。


ジェット機が飛ぶのが、13000mあたり、下に見える雲海が対流圏界面11,000mあたり。

その低温で平均15℃の地表を温めることはできない。


地球温暖化というのは地表ではなく全球だが、温室効果(再放射)なるものは低温で、それより高温を加熱するという第二種永久機関で決して自然界に実在できないものである。


http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/676.html#c21

コメント [カルト21] ネトゲ ・香港騒動の背後に全米民主基金、タマ・イエズスはハプスブルクはロスチャ。タンカー襲撃もこのラインの鬼畜米英である… ポスト米英時代
1. 2019年6月16日 22:22:02 : s0Ci2bQMh6 : Mi83SmZ0R2xOc0E=[16]
(ネトゲ)
取り押さえられたスタッフが取り調べを受けた際に、中国当局が同センターの決算書のある収入に着目していることがわかった。
08年7万ドル、09年10万ドルって言う数字だ。 日本円で700~1000万ほどだな。この出どころについて、アメリカワシントンにある組織「全米民主主義基金」から受け取った援助額だったってことが判明したんだ。
全米民主主義基金はNational Endowment for Democracyの略で、通称NEDって呼ばれてる。
直訳すると、「民主主義のための全国基金」って意味だ。
------------------------------------
TBSサンモニに教えてあげないといけませんね。
「風をよむ」とかって、天安門事件30年でウーアルカイシの言葉を引用したりして、非民主的な中国共産党の危険性がーとか、馬鹿丸出しでしたよ。
全然、風とかよめていません。
左派マスコミまでがそんな感じですから、日本のマスコミ全体がイエズスイスロスチャ(中央銀行支配サークル)の手下ということでしょう。
これでは日本がよくなるわけはないのです。
安倍を倒せるわけがないのです。

どうして左派マスコミも野党も、イエズスイスロスのカギカッコ付きの「民主主義」というものの欺瞞を言わないのでしょうか。
「ミンシュシュギ」を金科玉条のように振り回す幾多の詐欺事件の犯人はイエズスイスロスチャ(中央銀行支配サークル)だと前から言ってあげてるのに、ずっとスルーしてますよね(笑)

http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/378.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
11. 22A[1138] glGCUUE 2019年6月16日 22:29:01 : LKXRYf922A : ZGRUU0wxY3FvbVk=[150]
安倍政権のやろうとしていることは,「金持ち生きろ,貧乏人は死ね」だから,それと完全に整合性の取れた政策だ。

安倍晋三の言うことに,全く何の矛盾もない。

金持ちは当然として,貧乏人でもこれからつらい生活を送るよりも早く死にたい人は,安倍政権を支持する。



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
7. 2019年6月16日 22:29:03 : OeaNpMZKq2 : ZFpCWm5GREhnMDI=[73]
このスシローは、正直でないか!!

的を得ています。驚きました。

実物の安倍の使用人;田崎史郎。まだくたばらないのか?糞爺、田崎史郎は。

お前には年金カット!してやりたいね、、、65歳から受給していると、言っていた。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK262] 東京新聞 望月記者の出版記念でサプライズ「きのうの敵はきょうの友やね」 相澤冬樹(大阪日日新聞論説委員・記者) 赤かぶ
1. 赤かぶ[17866] kNSCqYLU 2019年6月16日 22:47:05 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7932]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/127.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK262] 東京新聞 望月記者の出版記念でサプライズ「きのうの敵はきょうの友やね」 相澤冬樹(大阪日日新聞論説委員・記者) 赤かぶ
2. 赤かぶ[17867] kNSCqYLU 2019年6月16日 22:47:57 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7933]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/127.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
23. 2019年6月16日 22:49:51 : DXJ4SL3Y5s : RFVNLmNJNVBjcDI=[4]
>>9
胡麻化さずに票を数えて当選者を決める__というごく普通の選挙が実現できれば、あの疫病神は1回の総選挙で下野すると思いますよ。ホントですよ、本気ですよ。ウソじゃありませんからー。安倍に天誅!

>国民よ、現実はここまで選管は悪化、腐敗しているということだ
http://blogs.yahoo.co.jp/aruko26/39410488.html

>「マル秘」報道されない裁判__馬鹿のボクちゃんが選挙で5連勝のひみちゅ!
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99%E8%A3%81%E5%88%A4


http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c23

コメント [お知らせ・管理21] 2019年06月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
61. 管理人さん[2504] iseXnZBsgrOC8Q 2019年6月16日 22:49:52 : ZFZHYmRTRUo3YS4=[123]
>>55
>管理人さんのコメント投稿者に対して、誹謗中傷する者に対する考えを是非教えて下さい。

その内容を見て判断します。

ところで、管理人に何かを聞く場合は、質問者のペンネームは今まで阿修羅でどのようなコメント・投稿をしてきたのかがわかるようにしてください。

今まで阿修羅を見たことも聞いたことも無かったポット出の人からの質問にいちいち返答しても仕方がないかもしれないので。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/558.html#c61

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
25. 命を大切に思う者[88] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2019年6月16日 22:50:20 : eUy7tK040E : YnBvWTBDSjM2eHM=[5]
そうなってくれればいいのですが、
国民のほとんどは
消費税が金持ちばかりに渡されていることを知らないから、
本当に足らないと信じさせられています、大手マスコミに騙されて。

足らない本当の理由はこれ。



図「現在の分配の仕方(社会保障として間違っている)」を見てください。

皆さん、大きな勘違いをしているようですが、
利息として 黄色部分+赤色部分 の金額を支払う、と約束して年金保険料を徴収しておきながら、
利息として 黄色部分 の金額しか支払えなくなっている現時点で、すでに投資詐欺事件であり、
不足分(赤色部分に相当する金額)は、約束をした官僚と自民党(加害者)が、個人財産で賠償すべきものです。

年金受給者は、
投資詐欺の被害者なのですから、
官僚と自民党(加害者)に賠償金の支払い能力が無いのなら、
利息を 黄色部分 の金額しか貰えないのが本来の姿であり、
税金で救済してもらえる資格があるのは、投資詐欺の被害によって生きて行けなくなる人だけです。
図で言うと、被害によって楽に暮らせる額に満たなくなる人だけです。

被害があっても楽に暮らせる額の10倍も100倍も貰ってる人が、
国民に「約束の金額まで税金で補填しろ!」と請求することは許されません。
加害者にはしつこく請求してもいいですが、国民に請求するのは許されない!
他の投資詐欺事件は全部そうなっています。

ところが、年金の投資詐欺事件では、なぜか、
被害があっても楽に暮らせる額の10倍も100倍も貰ってる人が、
国民に「約束の金額まで税金で補填しろ!」と請求し、官僚と自民党がそれに応じています。

それが、税金が足らなくなっている理由です! 

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c25
コメント [政治・選挙・NHK262] 東京新聞 望月記者の出版記念でサプライズ「きのうの敵はきょうの友やね」 相澤冬樹(大阪日日新聞論説委員・記者) 赤かぶ
3. 赤かぶ[17868] kNSCqYLU 2019年6月16日 22:51:11 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7934]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/127.html#c3
コメント [経世済民132] 日本のガラパゴス工具「ネジザウルス」が世界中で飛ぶように売れる理由(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
13. 2019年6月16日 22:52:33 : ydxmy86XNA : SnlIek41Z3dyYi4=[1]
>>10.

想像力のない奴だな

インパクトドライバーでは完全に舐めてしまったネジは外せません
逆タップが有っても錆などで脆くなった状態では外せませんよ


http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/607.html#c13

コメント [カルト21] ネトゲ ・香港騒動の背後に全米民主基金、タマ・イエズスはハプスブルクはロスチャ。タンカー襲撃もこのラインの鬼畜米英である… ポスト米英時代
2. 2019年6月16日 22:54:55 : V4spvBsE3s : cGRYWldtQkdGYW8=[12]
イエズスイス筆頭に人でなしが地球を支配していますね。
天皇家はもちろんですが仲良しのブッシュ・クリントンみんな人間に化けた
爬虫類なのでしょう。でも、奴らが焦れば焦るほど楽しみです。
しかし人間の命を金に換える道具にしてはいけません。
天皇家の原発特許・血液商売、戦争屋の農業破壊・ケムトレイル・そして
ロス欧州貴族が展開する金融殺人を許してはいけません。
十字架を信仰するニセキリストを殲滅しましょう。主が架けられたとされる
十字架を崇めることなどありえない。十字架信仰は偽者です。
http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/378.html#c2
コメント [近代史3] 高田みづえ 私はピアノ (1980年) 中川隆
3. 2019年6月16日 22:56:12 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[1390]
ジューシィ・フルーツ 2019/4/21 「そんなヒロシに騙されて」
.
世田谷区の蛇使い
2019/04/21 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=B0FPfqRuYcQ

ジューシィ・ハーフ ジェニーはご機嫌ななめ
.
bskingHD4
2012/10/08 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=1pMFrOfWV38
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/383.html#c3

コメント [戦争b16] 衝撃のシミュレーション「中国は5日で日本に勝利」 米ランド研が警告、米国は尖閣に関わるな(JBpress) 赤かぶ
139. 2019年6月16日 23:01:42 : ydxmy86XNA : SnlIek41Z3dyYi4=[2]
>>129.

>アジア人、有色人種ならばまずはアメリカ帝国主義を第一の敵とするのが当然。

どの時代に生きてんだろ?
中国人富裕層が態々、アメリカまで行って出産しようとするのは何で?

https://matome.naver.jp/odai/2142550716892599101

>全体の情報バランスの方が大事だろう。

バランス取れてないのは君だろう、情報ってのは複数の情報を組み合わせないと
本質を見誤る可能性が高いのは当たり前。2次情報を信じている時点でおバカだね
それをバランスとは言わないんだよ
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/881.html#c139

コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
8. 赤かぶ[17869] kNSCqYLU 2019年6月16日 23:02:05 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7935]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
9. 赤かぶ[17870] kNSCqYLU 2019年6月16日 23:02:38 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7936]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK261] 向こう見ずな首相のイラン訪問 取り返しのつかない大失敗(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
79. ゆめほんさんさん[59] guSC34LZgvGCs4LxgrOC8Q 2019年6月16日 23:02:56 : LQJI5ahyFc : MWd4Q3NhSXJENE0=[55]
世界の人々の気持ちを蹂躙して武器を持たない船舶を
攻撃して船体に穴を開けているのに、

被害をうけた国の最大の同盟国に妥協を強いるなど、
相手にされるか

他人の立場や気持ちが理解できないにもほどがある
発達障害に例えるのが失礼なほどの愚行だ

日本のマスコミはもっと明確に怒りを表明すべきだ
あたりまえのことだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/895.html#c79

コメント [政治・選挙・NHK261] 日本では「外交の安倍」米誌は「初心者プレーヤー」(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
8. マッハの市[2078] g32DYoNugsyOcw 2019年6月16日 23:05:35 : dyrvKXLs7I : TVd2Y2hOLmFDOE0=[1]
初心者プレーヤーですか、、評価のとおりですわ。
ウソハッタリのアヘでは何やっても無理だ、外なんか出ずに内だけでいい。
高齢事故が多いです、加速バカは危ないよ。
国会でもテレビでも、出歩くときは、
初心者マークを両ツラへ貼ってください。
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/897.html#c8
コメント [カルト21] ネトゲ ・香港騒動の背後に全米民主基金、タマ・イエズスはハプスブルクはロスチャ。タンカー襲撃もこのラインの鬼畜米英である… ポスト米英時代
3. 2019年6月16日 23:06:38 : w4WLw42gjE : LmlHRmR4SllyeE0=[1]
根底に平民の生活苦と言う問題があるんですよ そこそこ生活に満足していれば
ヤバい法案が審議されてても暴動にまで至りません だからこれは本土に波及する
可能性がある 普通のアパート借りられなくて防空壕の地下室に暮らす人々が多数
一方で爆買いとか海外で億ション買ったりAV女優呼んでお大尽遊びとか
これは是正しないと建国の理念にいちじるしく反し、もう一発革命が起こるのは不可避となるので
思想言論統制、毛沢東思想への回帰、分配の公正化に努め結果として低成長、
これが今後10年単位で続く これでいいのだ
http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/378.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK261] 向こう見ずな首相のイラン訪問 取り返しのつかない大失敗(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
80. ゆめほんさんさん[60] guSC34LZgvGCs4LxgrOC8Q 2019年6月16日 23:09:30 : LQJI5ahyFc : MWd4Q3NhSXJENE0=[56]
経済制裁は強まる一方だろう

攻撃側の大失敗だ

世論は完全に我々についた 誰が見てもそうだ

この計画をした豚たちを処分するのはそっちだ
一刻を争ってそちらの内部の豚の処分を考えないと 
またバカをして

恥の上塗りをするぞ

当分は空や食わずだろう あっちの国民はほとほと
気の毒だ

もうすこしましな親分に取り替えたほうがいい
きりないぞ

豚の従ってばかりいると

やればできるだろう 一丁やってみたらどうか
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/895.html#c80

コメント [政治・選挙・NHK262] トランプ&金正恩 3回目の会談準備が進んでいる アホでもわかる 日韓衝突の虚構(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2019年6月16日 23:11:41 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[244]
日本にも夕刊フジの論調のような好戦派がいるが、韓国にも南北平和を望まぬ、主戦論者がいて、第2回米朝会談の不調を受けて、世論の主導権を握りつつあった。
しかし北の担当者の高官が処刑されたというフェイクニュースはお粗末だった。
これで和平反対派が握ってた主導権は移動したか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/110.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK261] 向こう見ずな首相のイラン訪問 取り返しのつかない大失敗(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
81. ゆめほんさんさん[61] guSC34LZgvGCs4LxgrOC8Q 2019年6月16日 23:12:24 : LQJI5ahyFc : MWd4Q3NhSXJENE0=[57]
やったら大変だ 復讐される

そのわりに 夢ちゃんは いつも無事だ

やればできるのだ やったら大変と思い込まされて
いるだけだ

実は思ったほど何もできないのだ
いざとなると
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/895.html#c81

コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
12. 2019年6月16日 23:14:04 : YMSvVwzFes : L3Bvbm9HajJUNzI=[1]

捏造支持率に支えられた不正選挙の売国奴です。
あらゆる虚言と詭弁、情報隠蔽と改竄も限界でおます。もう無理だよ!
なんせ 選挙での開票作業を公開できないって時点で終わってますがなもし。

●国民から非難轟轟_捏造支持率・高い高い自民党_選挙はムサシ_自民圧勝の報道_開票作業の秘密_あの自民党が●連勝だってよ!_疫病神政権誕生!_悪政の連続__国民から非難轟轟_捏造支持率・高い高い自民党_選挙はムサシ_自民圧勝の報道_開票作業の秘密__クソ自民が●連勝だってよ!・・・

そろそろ国民もインチキに気づけよな! 腹が立ちっぱなしだけど、ご機嫌よう!



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK261] 向こう見ずな首相のイラン訪問 取り返しのつかない大失敗(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
82. ゆめほんさんさん[62] guSC34LZgvGCs4LxgrOC8Q 2019年6月16日 23:16:11 : LQJI5ahyFc : MWd4Q3NhSXJENE0=[58]
こんなことしかできない無能指導者を追放して

世界と協調し

同盟を結んで

美味しいご飯を一杯食べる

何が悪いのか 

手に手を取って そうしましょう

無防備の船を爆撃するばかがいるか
あほらしい
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/895.html#c82

コメント [政治・選挙・NHK261] 怖くてもう誰も近寄りたがらない児童相談所:児相の権限を弱めたほうが虐待死は予防できる 子供の権利条約
7. 2019年6月16日 23:17:42 : gbIwHU56sU : NEtrQlJKRlZDNEU=[11]
黙れ統一教会。
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/857.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK261] 「きのうの敵はきょうの友やね」籠池氏“森友急先鋒”と握手(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
23. くまくまくまり[1] gq2C3IKtgtyCrYLcgug 2019年6月16日 23:18:26 : dHQDJXk5Lk : bkJjQUtqL0FOdi4=[5]
国共合作だろ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/898.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK261] 田崎史郎が年金繰り下げ問題で「僕は65歳から年金もらってる」! 安倍政権は必死で繰り下げPRしてるのに(リテラ) 赤かぶ
13. panbet37[1439] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2019年6月16日 23:19:00 : Qem2PEwtrg : RFhQdTdKQVNhRW8=[54]
 田崎は、安倍晋三命で生きているわけだから。安倍だって、どこかでくたばる。そのとき、田崎も100パーセント、悲惨な最期を迎えるしかないね。自業自得とはいえお可哀そうに。 
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/886.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
10. 2019年6月16日 23:22:07 : vnUxfbHXEY : eU9GNkMwZXpEdDI=[83]
実際このとおりのことを言っているよ。安倍自民党支持者は笑い話が好きらしい(笑)。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK262] 21世紀の姥捨て山<本澤二郎の「日本の風景」(3346)<それでも内閣支持率50%と新聞テレビが合唱する日本> 笑坊
10. 2019年6月16日 23:28:05 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[287]
またムサシのテンプレコピペ工作と
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/104.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK262] 「チルドレン」存在と不祥事のデパート化の因縁 令和でも止まらない 日本の劣化(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 2019年6月16日 23:29:06 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[288]
ムサシとか陰謀論に洗脳されてる人が多くなるようじゃ終わりだよ
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/107.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
24. 2019年6月16日 23:30:22 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[289]
また変なブログでムサシがー不正選挙がーか
余命3年とか見て鼻息荒くしてるネトウヨと全く同じだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK262] 「初めてデモに行ってきた」から8年 悲惨な状況に真面目に向き合う  中島京子(朝日新聞社 論座) 肝話窮題
4. 2019年6月16日 23:31:43 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[290]
陰謀論厨で実際にデモに行ってる人ってどのくらいいるんだか
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/112.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK262] ペテン国家日本と年金・消費税・タックス・ヘイブン(兵頭に訊こう) 赤かぶ
1. 赤かぶ[17871] kNSCqYLU 2019年6月16日 23:32:02 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[7937]



http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/128.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
26. 2019年6月16日 23:33:22 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[291]
だからムサシで不正云々言う前に民主主義を取り戻すようなことをやってきてたかってことなんだけど
メディアがおかしいなら自分達がそのおかしい部分をしっかりとした証拠とともに皆に知らしめていけばいい

大体山本太郎さんもムサシの不正とやらにタッチしようとしてないよね?
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK262] 香港の市民が示したデモの力! それでも橋下徹は日本のデモを否定、安倍政権とネトウヨは沖縄の抗議弾圧を正当化(リテラ) 赤かぶ
18. 2019年6月16日 23:34:49 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[292]
ムサシ厨って実際にデモに行ったりチラシ配ったりとかしたことあるのかねえ
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/119.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK262] <深刻>安倍総理のイラン訪問、海外メディアが「失敗」と報道!「ハメネイ氏は総理の助言を重視」などと讃えるメディアは世界… 赤かぶ
24. 2019年6月16日 23:35:07 : m8POtwgXnE : SG9nbEROalhGRDY=[30]
>23
今のところあのNHKでも調査必要と言ってます、ただし菅はアメリカと意見一致とか
言ってたような気がする、もちろん安倍もその内アメリカ様のおっしゃる通りイランがやったと言うだろう。とうとう日本はイランを敵にすることになる。安倍の外交の大失敗言うことだ。トランプさんにも梯子を外されているようだし、下手をしたら日本の孤立かも(笑)。G20以後が楽しみ、選挙負けても居座るだろうが。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/120.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK262] <共同通信世論調査>老後報告書拒否は「問題」71% 公的年金に不信63% 内閣支持率2.9ポイント減、47.6%  赤かぶ
22. 2019年6月16日 23:36:02 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[293]
>>14
岡本なんか出すなって文句の電話でも入れてやろう
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/122.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK262] 小沢一郎(事務所)「総理は経済政策の失敗を認めるべきである」 還暦の貯蓄額25%が百万円未満 2千万円に遠く届かず(共同通… 赤かぶ
13. 2019年6月16日 23:37:04 : EKMzO2z8pr : amRldDZRYUtNSkE=[294]
こいつらムサシムサシだけでもっと選挙に行こうとは言わないんだよな
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/125.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK262] <共同通信世論調査>老後報告書拒否は「問題」71% 公的年金に不信63% 内閣支持率2.9ポイント減、47.6%  赤かぶ
23. 2019年6月16日 23:37:11 : OcZPfIWS1A : dXNFZFAxdlQvckE=[3]
これさあ。
ワン切り世論調査の結果だろ?

つまり主にコアな自民支持層の中だけの内閣支持率、
多分国民全体の1割弱。
その内内閣支持してるのが5割弱、
つまり全体の5パーセントいるかいないか。
さらにその中で年金信じられないのが6割強。まあそんなもんかもね、コアな自民支持層に限るなら。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/122.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK262] 『スシローと不愉快な仲間たち』第1話 スシロー、「年金100年安心」の斬新すぎる解釈を語るの巻(リテラ) 赤かぶ
11. 2019年6月16日 23:38:23 : V6uFCpSUIA : MWxNMXFmVFdFcE0=[1]
吉野家の「100年うまい」のパクリだし
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/126.html#c11
コメント [原発・フッ素51] 福島Q&A Q17.原子力発電は、火力発電のボイラーを原子炉に置き換えただけもの?(めげ猫「タマ」の日記) 赤かぶ
4. 2019年6月16日 23:38:57 : Bnze3yoNmw : SXc1VExxaGV2ZnM=[5]
何を頓珍漢な事を言ってるんだろ??

大型湯沸かし器って表現した人が昔からいたけど、的を得ている

>石炭火力発電所で発電した後に「灰」がでます。この「灰」には有害な物は含まれておらず

嘘つけ、灰にはセレンやヒ素といった汚染物質が含まれている事は常識です。
放射性物質も1Kg辺りU:95〜97Bq/kg Th:72〜91Bq/kg含まれてる

https://www.afpbb.com/articles/-/3059268
https://www.scientificamerican.com/article/coal-ash-is-more-radioactive-than-nuclear-waste/

稼働中はウラン崩壊列のラドンなどは大量に出るよ
http://large.stanford.edu/courses/2017/ph241/langsdorf2/

海外では普通に危険視されていることを、日本ではこれだものな。



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/638.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK262] イランにも相手にされなかった対米隷属安倍外交(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
8. 2019年6月16日 23:39:50 : vnUxfbHXEY : eU9GNkMwZXpEdDI=[84]
中東の国は大きく分けて2種類に分けられる。一つは豊富な石油収入により国民は働かなくても金があり、その配分で食っていける国。金融取引を西欧資本がやり建設工事などの重労働をインド、パキスタン、エジプトの外国人出稼ぎ労働者がやり家庭内の仕事をフィリピン人メイドがやっている国。もう一つがいくらか石油収入はあるが全体として国民全体がまっとうに働き何とか生活をやっている国だ。

前者の国がクウェート、UAE,カタール、サウジアラビアになるか。後者の国がイラン、エジプト、シリアあたりになる。前者の中ではUAE,カタールはまだエアラインという産業があるがサウジは人口が多い割にはこれといった産業はない。早く言うえば半人前の国だ。後者の代表的な国がイランでこちらのほうがまっとうな国だ。

長期的には前者の国には未来はない。金融だけが残ってもそれは西欧の支配下に置かれるだけだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/121.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK262] 21世紀の姥捨て山<本澤二郎の「日本の風景」(3346)<それでも内閣支持率50%と新聞テレビが合唱する日本> 笑坊
11. 2019年6月16日 23:39:51 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[1391]
だれもが自分らしく暮らせる明日へ
.
日本共産党
2019/06/14 に公開
2019.6.14 「だれもが自分らしく暮らせる明日へ―市民と野党の街頭宣伝」 
主催/安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会 

弁士/佐々木寛(市民連合拡大運営委員・市民連合新潟共同代表)、福島瑞穂(社会民主党副党首・参院議員)、福山哲郎(立憲民主党幹事長・参院議員)、小宮山泰子(国民民主党代議士会会長・衆院議員)、小池晃(日本共産党書記局長・参院議員)、大沢真理(市民連合・安全保障関連法に反対する学者の会、東京大学名誉教授)、高田健(市民連合事務局長、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)
https://www.youtube.com/watch?v=CB82kk2Mz-A
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/104.html#c11

コメント [原発・フッ素51] ついにNHKが心不全の爆発的拡大に備えろと言い出した  魑魅魍魎男
41. 茶色のうさぎ[-11303] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年6月16日 23:40:17 : Q4R3VUNl6o : UGw4LmFhRmppY28=[-21]

 ちょっと、脱線♪ 戦後

 米GHQって、、 国鉄:社会党 ←怖かったの? 日本の団結

 下山総裁、事件 ←有名ですね。 共産党、米GHQ工作員かなー♪ぺっ

 まぁ、中曽根、不破哲三 ←社会党、労働組合、、潰したんだよ!!ぺっ♪ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/637.html#c41

記事 [国際26] タンカー攻撃で米国に同調している英国はイラクへの侵略でも米国に協力していた(櫻井ジャーナル)
タンカー攻撃で米国に同調している英国はイラクへの侵略でも米国に協力していた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201906160000/
2019.06.16 櫻井ジャーナル


 オマーン沖で攻撃された国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)から機雷を除去している「イランの船員」を撮影したという映像をアメリカ中央軍が公表したが、本ブログでも伝えたように、国華産業の堅田豊社長は6月14に開かれた記者会見の席上、​​攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにし、「間違いなく機雷や魚雷ではない」と語っている。今後、アメリカからの圧力で証言が変わる可能性もあるが、14日に行われた証言の重要度は揺るがない。

 公表した「証拠写真」について、ドイツの外相も証拠として不十分だと語り​​、国連事務総長は真に独立した調査が必要だとしている。アメリカ政府に同調、主要国の中でイランを非難しているのはイギリス位だろう。

 イギリスは2003年3月にアメリカ主導軍がイラクを戦略する際にも協力していた。この攻撃はアメリカの統合参謀本部でも大義がない上作戦が無謀だとして反対意見が強く、予定された2002年には実行できなかったと言われている。

 そうした中、2002年9月にイギリスのトニー・ブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張する。その直後に文書の内容がリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というタイトルの記事を掲載した。開戦の後押しだ。

 この報告書をアメリカのコリン・パウエル国務長官は絶賛していたが、大学院生の論文を無断引用したもので内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。それでも強引にジョージ・W・ブッシュ政権は戦争を始めた。1980年代からネオコンが主張していたことが実行されたのである。

 そうした実態はすぐ明るみに出された。BBCの記者だったアンドリュー・ギリガンは2003年5月29日、ラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語る。さらに、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。

 ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされる。実際、2003年5月22日にギリガンとロンドンのホテルで会っていた。そのためケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に死亡した。今でも他殺だと考える人は少なくない。





http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/629.html

コメント [政治・選挙・NHK262] いまだに他人の悪口を言って歩く安倍晋三!   赤かぶ
25. 世のすねものから[175] kKKCzIK3gsuC4ILMgqmC5w 2019年6月16日 23:45:18 : 6CoLtMz8RM : YVZBMENvY29YYVE=[1]
自民党の大臣は当選回数と派閥へのなれ合い配分とで決められているゆえボロばかりになって当然。しかし、民主党政権時代の大臣起用も同じ原理で使いまわしされていたゆえ、無能・バカ丸見えだった。国民が民主党を見限ったのは、結局ちゃんとした仕事を任せられる人材を育てて来なかった野党の無様ぶりに呆れたからだった。
英国野党は影の内閣を作っていつでも仕事師を鍛えているが、立憲も任せられるほどの人材を養ってきているのだろうか。バカ菅のように奸悪な官僚らに軽くアシラワレタ程度の人材しかいないのでは?
しかし、政権交代は絶対必要だ。真っ先に破壊すべきは世界からバカにされる記者クラブ制度だ。メディア産業が右向け右で中学レベルの識字能力の安倍ごときに臣従させられ、金と女と地位?で釣られているなどマッコト国辱ものだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/111.html#c25
記事 [経世済民132] セブンイレブンは加盟店への“ひどい仕打ち”をやめるべき…近隣地域への多店舗出店も問題(Business Journal)
セブンイレブンは加盟店への“ひどい仕打ち”をやめるべき…近隣地域への多店舗出店も問題
https://biz-journal.jp/2019/06/post_28322.html
2019.06.16 文=大ア孝徳/デ・ラ・サール大学Professorial lecturer Business Journal


セブンイレブンの店舗(撮影=編集部)


 現在、大きな社会問題となっているコンビニエンスストアの24時間営業。みなさんは賛成もしくは反対、どちらの立場だろうか。

 日本経済新聞社が調査会社マクロミルに委託した調査結果によると、7割を超える人が24時間営業の見直しに賛成している。賛成理由としては、「人手不足なら仕方がない」「苦しむ加盟店オーナーへの同情」「環境への負荷削減」などが上がっている。また、営業時間に関しては、開店6時、閉店24時と回答する割合がもっとも多い。

 デモグラフィック(人口統計学的)属性に注目すると、都市部において賛成する傾向が高く、また若い世代ほど賛成の割合が下がっている。

 今回のコンビニ24時間営業問題は、東大阪市にあるセブン-イレブンのフランチャイズ加盟店が、人手不足により、やむなく営業時間を短縮したことに対して、セブン本部が契約違反だとして契約解除と違約金の計1700万円を求めたことが発端となった。

 その後、問題の拡大を受け、セブン本部は訴えを取り下げ、これまで頑なに主張してきた24時間営業に関しても、営業時間短縮に関する実証実験を行うなど、柔軟な姿勢を見せている。

 しかしながら、今回の問題により、セブン本部がイメージダウンなど、大きな損害を被ったことは間違いない。

■イメージダウンは回避可能だった

 もちろん、世の中には回避することが難しい問題も数多くあるが、セブンの問題は十分に避けることができたはずだ。

 今回、問題となった加盟店の場合、店の手伝いをしていたオーナーの奥さんが昨年亡くなり、オーナー自身は連日16時間超えの勤務を続けるといった状況に陥り、本部に救援を要請したがそれが叶わず、やむなく19時間営業(午前1時〜6時の間は閉店)に変更していた。

 セブン本部がこうした事態を深刻に受け止めていれば、救済する方法はいくらでもあったであろう。この件にかかわったセブン本部のスタッフは、本当に人として寄り添い、助けようとしたのだろうか。大きな組織の一員として、単にルールを守るように指示しただけではなかったのか。

 百歩譲って、助けることができなかったとしても、「契約解除と違約金の計1700万円を求める」のは、あまりにひどい仕打ちではないだろうか。

 セブン本部が当たり前の常識を持ち、この問題に対処できていれば、容易に避けることができたはずだ。

 もっとも、この問題には過去に明確な伏線があった。ずいぶん昔の話になるが、加盟店が消費期限の迫った弁当などの商品を値下げして販売し、これをセブン本部が妨害したことに対して公正取引委員会が、独占禁止法で禁じられている「優越的地位の濫用」にあたるとして排除措置命令を出したことがあった。

 もちろん、見切り販売には消費者の買い控えやブランドイメージの低下といった、本部・加盟店を含めたセブン全体に対する負の側面もある。しかしながら、“コンビニ会計”と呼ばれる特殊な会計の仕組みでは、見切り販売により加盟店は支出を減らすことができるが、逆にコンビニ本部では収益を悪化させる側面がある。こうした事態を避ける目的もあり、セブン本部は見切り販売を妨害したものと考えられる。

 つまり、これは廃棄に限定された問題ではなく、セブン本部と加盟店のパワーや関係性に関わる問題であったわけだ。

 セブン本部が単に廃棄の問題と済ませず、加盟店との間でゆがみが生じてきていると捉え、真摯に改善に向けた取組を行っていたならば、今回の24時間営業問題も生じなかったことだろう。

■今後、問題化する可能性がある火種

 コンビニ本部と加盟店のパワーの不均衡に関して、この先問題になりそうなこととして、「ドミナント戦略」が挙げられる。ドミナント戦略は集中出店戦略ともいわれ、特定の地域に集中して出店する戦略である。こうした戦略は物流をはじめ、コンビニ本部に多くのメリットをもたらす。しかしながら、同一商圏に同じチェーンの加盟店が出店すると客の取り合いとなる。順調に経営していたものの、近くに同じチェーンの店ができてしまい、売り上げが大きく低下したといった話をみなさんも耳にしたことがあるだろう。このような出店に関して、加盟店はなんら異議を唱えることができないのが現状だが、こうした事態もこの先、大きな問題へと発展する可能性がある。

 社会から叩かれる以前に、コンビニ本部自らが出店に関して、なんらかの規制や補償の制度を整備することを期待したい。

 こうした一連のコンビニ本部と加盟店の問題に関して、安定して高い利益を確保できているリーダー企業のセブンが積極的に取り組まないことについて、もちろん正しいとは思わないが、企業の行動として理解できる部分もある。しかしながら、セブンに大きな差をつけられているコンビニ業界2、3位のファミリーマートやローソンなどは本来、積極的に取り組むべき課題ではなかったのか。“加盟店に対して優しいコンビニ本部”となることによって、新規加盟店の募集を円滑に行う。また、加盟店の満足度を高めて充実したサービスを提供するといったことは、セブンに対する貴重な競争戦略になり得た可能性がある。

 一世を風靡したテレビ番組『プロジェクトX 挑戦者たち』(NHK総合)のシリーズのなかに、セブンの日本における立ち上げを題材とした「日米逆転! コンビニを作った素人たち」がある。学問的に流通を考える材料として価値あるものであり、またセブン本部と加盟店が力を合わせ、立ちはだかる多くの難題を乗り越えていく様は、人間ドラマとしても素晴らしく、筆者の講義を受講する学生たちによく見せていた。

 こうした創業時における加盟店との良好な関係を再び築き上げるには、どうすればよいのか。巨大な企業へと変貌を遂げたセブン本部のスタッフ一人ひとりが真剣に検討すべき課題であろう。

(文=大ア孝徳/デ・ラ・サール大学Professorial lecturer)



http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/614.html

コメント [政治・選挙・NHK262] 年金ドロボー 安倍政権「2000万円貯めておけ」悪夢の参院選大敗(週刊実話) 赤かぶ
27. 2019年6月16日 23:54:14 : SkGvgH5Q52 : OVJTNThrMUVBVjY=[3]
>>26
日本が太平洋戦争に向かっていくのに、反対する行動をしなかった国民が悪いというような話かな?
国民に、不正選挙を疑う権利もないかな?
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/115.html#c27
コメント [政治・選挙・NHK262] 「共謀罪」表現の萎縮 懸念 成立2年 廃止求める集会(東京新聞) 肝話窮題
4. 乳良〜くTIMES[1055] k_uXx4Fggq1USU1FUw 2019年6月16日 23:55:19 : FAX4c7bUNM : TFZKNUE4Y2x2RHc=[3]
>>4
だいぶ前に私が複数回書いた事ですが、

関関同立MARCHの法学部卒程度の政治の基本が解っているかどうか?

という「立候補資格検定資格」を設けたらどうでしょうね?
http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/117.html#c4

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