大理石の男 Człowiek z marmuru
監督 アンジェイ・ワイダ
脚本 アレクサンドル・シチボル・リルスキ
音楽 アンジェイ・コジンスキ
撮影 エドワルド・クウォシンスキ
公開 1977年2月25日
言語 ポーランド語
動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E5%A4%A7%E7%90%86%E7%9F%B3%E3%81%AE%E7%94%B7?ref=watch_html5
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キャスト
イエジー・ラジヴィオヴィッチ:マテウシ・ビルクート/その息子マチェック
クリスティナ・ヤンダ:アグニェシカ
タデウシ・ウォムニツキ:ブルスキ、映画監督
ヤツェク・ウォムニツキ:青年時代のブルスキ
ミハウ・タルコフスキ:ヴィンチェンティ・ヴィテク
ピョートル・チェシラク:ミハラク
ヴィエスワフ・ヴィチク:ヨドワ、書記
クリスティナ・ザフヴァトヴィッチ:ハンカ・トムチク
マグダ・テレサ・ヴイチク:編集者
ボグスワフ・ソプチュク:テレビ局の編成係
レオナルド・ザヨンチコフスキ:レオナルド・ブリボス、カメラマン
イレナ・ラスコフスカ:博物館員
スジスワフ・ラスコフスカ:アグネシカの父親
1976年のポーランド。映画大学の女子学生アグニェシカ(クリスティナ・ヤンダ)は、彼女の第1回ドキュメンタリー作品としてテレビ局で仕事をすることになった。
彼女は50年代の英雄労働者の姿を描くことで、その時代の人々や周囲の状況を伝えようと思い描き、主人公の調査のため博物館に行った。そして倉庫の隅で、かつて有名だった煉瓦積み職人エマテウシュ・ビルクート(イェジー・ラジヴィオヴィッチ)の彫像が放置されているのを発見する。
ビルクートは戦後のポーランドで最初に建設された、大きなプロジェクトの工場建設に携わった労働者だったが、現在の消息は不明だった。そして生き証人のインタビューを通じて、彼女は一人の労働者を浮き彫りにしてゆく。
映画監督のブルスキ(タデウシュ・ウォムニツキ)は、当時統一労働者党員が組織したデモンストレーションで、ビルクートは煉瓦積みの新記録を打ち立てたと語る。マスコミは彼に着目し、彼を描いた映画で、ブルスキも監督として新しい道を歩むことになる。次に会ったミハラック(ピョートル・チェシラク)は、もと保安隊の将校でストリップ劇団の座長をしているが、彼はビルクートの経歴を詳しく知っていた。
ビルクートは煉瓦積みチームの班長だったが、そのデモンストレーションに参加した時、熱く焼けた煉瓦を手渡された。それはサボタージュの意図だったのだが、同僚のビテックが犯人として疑われ、党の事務所に呼び出された時に姿を消してしまう。
ビルクートは彼の行方を追いワルシャワの党本部へ掛け合うが、事実は隠蔽されビルクートは住居を剥奪され職も名誉も失い、テロリストと見なされ刑務所へ投獄される。やがて出獄したビルクートは、入獄中に別れた妻を探していたが、再開できたか否かは不明だった。ビルクートの前妻がザコパネにいるという情報から、街を訪ねたアグニェシカは彼女に会った。そして彼女の悲惨な生活と、夫との再会の話に胸を打たれる。
しかし主人公が見つからなくては映画が完成できないという状況で、テレビ局が彼女の企画を没にしてしまう。途方に暮れるアグニェシカは父(ズジスワフ・コジェン)に相談する。父は平凡な真実こそが何よりも大切であり、映画が完成する事より彼女が追求した行為こそが真実だと説く。彼女はビルクートの息子が、グダニスクの造船所で働く事を知り彼を訪ねた。
ビルクートは既に他界しており、それ以上のことは息子の口から聞き出せなかったが、諦めない彼女はビルクートの息子と共にワルシャワに向かった。
https://mihocinema.com/dairiseki-otoko-6515
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『大理石の男』(Człowiek z marmuru)は、1977年のポーランド映画。
「抹殺」された労働英雄の男性と、その事績を発掘しようとする若い世代を描く。
ポーランド国内では1977年2月25日に公開され、3か月で270万人を動員した。映画は2年間の海外上映禁止処分を受けたが、1978年の第31回カンヌ国際映画祭でポーランド当局に無断でスニークプレビューされ、国際映画批評家連盟賞を受賞した。本作の主役と労働英雄の息子を主人公に、1981年に続編として『鉄の男』が製作され、こちらは同年の第34回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。
4年後に制作された『鉄の男』は、本作の続編という体裁を取っている[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%90%86%E7%9F%B3%E3%81%AE%E7%94%B7