【マドンナ旋風】天狗になった野党第一党・社会党の末路 平成の政治写真 あの事件の真相
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2019/04/30 日刊ゲンダイ 参院選で与野党が逆転、当確者の名前に花を付ける土井たか子社会党委員長(C)共同通信社 ■平成元〜2年 「山が動いた」――。平成元(1989)年7月の参院選大勝後、社会党の土井たか子委員長はそう語った。 この選挙で、社会党は多くの女性候補を擁立し、自民36に対し45議席を獲得。与野党逆転を果たした。「マドンナ旋風」である。 当時、社会党中央本部書記局に勤めていたジャーナリストの田中稔氏が振り返る。 「消費税導入やリクルート事件など自民党政治への怒りに加え、女性初の党首である土井さんに多くの女性が集まってきました。それまで社会党の候補者は、労働組合や団体の男性が多かったが、いろいろな分野の女性が立候補し、国民も熱狂的に支持した。政治を身近なものにした意義はあったと思います」 続く、平成2年2月の衆院選は、他の野党が伸び悩む中、マドンナ旋風は衰えず、土井社会党は51議席増と躍進した。 「それまで“社公民”でうまくやっていたのですが、社会党だけ“独り勝ち”となり、ギクシャクし始めた。土井さんは謙虚な方ですが、周りが“カリスマ”として持ち上げ、社会党は“天狗”になってしまった。議席を減らした他の野党に対し、譲るべきところは譲るという対応ができなかったのです。今の立憲民主党にソックリですよ。とくに、公明党は、政策的に社会党に近いのに、この頃の社会党への不満から自民党に近づくようになった。今の自公政権へ道を開いてしまったのです」(田中稔氏) 「旋風」がやみ、その後、社会党は“ジリ貧”の道をたどる。 野党もカン違いすると痛い目に遭う――。教訓は今もリアリティーに満ちている。
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