2. 子猫[547] jnGUTA 2019年4月15日 00:00:07 : oflOk2KYlc : STBCWmMxVXdSRWs=[8]
こいつ(安倍晋三)の言葉は聞き飽きたし、全然心がない口先男なのに馬鹿な国民(一部の)はまだ騙されてるのがわからない!おめでたいバカがこの国には、たくさん居ますね、だから先の戦争にも負けたのに、わからないバカが大勢いるね!頭がパーです。また大勢の国民が死ぬのだろう!間違いない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/638.html#c2
90. 日高見連邦共和国[13248] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 00:01:43 : N6rICGBtXU : Uzc5UDNWLlN0dnc=[9]
ちなみに、3年前の岩手も『てんやわんや』だった。(笑)
現職・主浜さんの勇退宣言が4月27日、正式な出馬表明が5月21日と、
投票日の『2か月前』を切る“緊急事態”だった。だから、悲観はするな!
5. 2019年4月15日 00:03:41 : J3nUrZGckA : clF2N1dQYXhYckE=[279]
>>2
野党の振りして自民党と徒党を組むぬゑ維新より、野合だろうと何だろうと、打倒自民公明維新連合は、それはもう立派な共闘だ!
>>1さん
樽床なんて、自民みたいなもんで、要するにトロイでしょ。
1. 日高見連邦共和国[13249] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 00:04:58 : N6rICGBtXU : Uzc5UDNWLlN0dnc=[10]
ああ、ほんとタローさんは“政(まつりごと)”の原則を肌で知ってる素晴らしい人だ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/644.html#c1
15. 2019年4月15日 00:10:35 : w4VUaaZvJc : cExkOWYzM1cvL2c=[1]
枝野はそこへ辿りつくまでは強いんだが到達すると、その勢いを失くして肝心なところで周りに次々と引きずられていくんだよな…そんで身動きが立たない状態だ。
主導権争いばっかりやってないで、選挙に候補者立てるなり応援するなり、とにかく勝ちにいかんと話にならん。社民党みたいにグズグズごねるんじゃないぞ。
枝野は保守を自認するなら、やってるフリなんかしてないで、ちゃんとハッキリとした態度で示さんとホンマに見放されるぞ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c15
91. 2019年4月15日 00:12:10 : OdVRR1CuPY : S0s2MVNOZWhsUzI=[100]
>>88
お褒め頂き恐縮!!
>>87
>>89
>>90
・・・・・・ま、衆議院選挙対策も含めて2ヶ月位でスンナリとまとまればいいな。
「議席を多数得れば何してもいいと思う、こんな人達に負けるわけには行きません(嘗ての枝野議員の演説にこんなのがあったと思うけど、間違っていたらごめん)!!」
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/595.html#c91
18. 日高見連邦共和国[13250] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 00:12:51 : N6rICGBtXU : Uzc5UDNWLlN0dnc=[11]
それにしてもサ、『強くやさしい日本を岩手からつくる』。いや〜、いいコピーだなや!
片や、ウルトラ怪獣・グドン似のコウモリ男・平野達男のは『大県岩手』だってよ、バカ?(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/622.html#c18
2. 赤かぶ[9729] kNSCqYLU 2019年4月15日 00:13:21 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[381]
れいわ新選組 決意
https://www.reiwa-shinsengumi.com/determination/
決意によると、”私たちがお仕えするのは、 この国に生きる全ての人々。 それが、 私たち「れいわ新選組」の使命である。”ということです。
— TM (@YOKOHAMA_TM) 2019年4月10日
「れいわ新選組とは、新しい時代に新しく選ばれた人たちの意味」だそうです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/644.html#c2
3. 赤かぶ[9730] kNSCqYLU 2019年4月15日 00:15:19 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[382]
20年のデフレで困窮する人々、ロスジェネを含む人々の生活を根底から底上げ。中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る。私たちがお仕えするのは、この国に生きる全ての人々。それが、私たち「れいわ新選組」の使命である。
— Shinji Inoue(青天) (@812911311) 2019年4月13日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/644.html#c3
13. 2019年4月15日 00:15:30 : gbWIfJFjDA : bzh4U0hTL0RNNW8=[1]
文脈からして「高卒でも実社会で立派な業績を上げて大卒の教授に並んだ人がいる、ハンデがあってもそれを乗り越え、庇われるものではなく教え導く人になった人がいる」という事実を挙げ、東大が実力主義であり開かれた大学である、という説明でしょう。
貶めるどころか、寧ろ逆の意味でしょう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c13
19. 日高見連邦共和国[13251] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 00:16:03 : N6rICGBtXU : Uzc5UDNWLlN0dnc=[12]
>>16
>>17
いやいや、それ以前に、体力を理由に衆院引退したばっかの男が、国政に戻るってのが『?』。
参院をバカにしてるのかっ!・・・と。(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/622.html#c19
16. 増税反対[1474] kZ2QxZS9kc4 2019年4月15日 00:17:00 : dBK9nZgT36 : NDdBMTlXOFp3eWc=[15]
枝野代表に何を期待してるのかな皆さんは?
このお方は見た目も駄目・しゃべり方も汚くて駄目・人気も全く無い・
原発事故時の発言によりイメージも悪いまま。枝野が代表でいる限り
立憲民主党の支持率は伸びないし、野党共闘も上手くいかないでしょう。
逢坂さんに期待するしかないでしょう・・・
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c16
14. SHIGE[294] gnKCZ4JogmaCZA 2019年4月15日 00:24:31 : 8UP26mIKBQ : dTR6TVVwRENwWVU=[28]
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶(おとし)めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」(上野千鶴子、朝日新聞)
正しくて非の打ちどころのない大女性インテリの含蓄に富んだ言葉なのだろう。
朝日新聞がわざわざ全文を掲載するのもなるほどと思う。
しかし若干偏屈な当方も含め、素直には読めなかった人たちも決して少数ではないだろう。
この論調がかつてどこかで聞いたような、嘘寒い無反省を思い起こさせるからか。
大学者の彼女が中高生向けの応援歌に出てくる歌詞のようなことを宣わると、どうしても気恥ずかしくなってくるのだ。
東大の新入生に限らず、18〜20歳の若者の心や感性の深奥にあるものに、こんなシュプレヒコールのような言辞が響くとはとても思えない。
彼らはこんな言葉を待ってはいないはずだし、そんなヤワではないからこそ、我々は彼らに多少とも希望の在り処を感じられるのだ。
まあ、めでたい晴れやかな日だから、余計なケチになるのかもしれない。
ただ、昔のインテリも従来の装いのままでは、現在について何かを言えるとは限らない、とは言えそうだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c14
17. 乳良〜くTIMES[1007] k_uXx4Fggq1USU1FUw 2019年4月15日 00:31:29 : z5J9TGu6Wo : S05RT3ptc3pNTmc=[1]
勝てないであろうに何で現職を捨ててまで、宮本岳志さんが立候補したのか、全く理解出来ない。
野党連合をしてます、というパフォーマンスの為に議席を1つ捨てるとは、共産党は何を考えているの?
慢性的に人材不足だな、共産党に限らず与党を含めた全政党が。
今世紀に入っての日本の政治は、ポピュリズムの嵐だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c17
89. 増税反対[1475] kZ2QxZS9kc4 2019年4月15日 00:31:45 : dBK9nZgT36 : NDdBMTlXOFp3eWc=[16]
「長州出島に駐留すれば国内全域がオスプレイの作戦行動圏内に入る。」
おいおい、いつから日本国内が海兵隊オスプレイの実戦飛行空域に
なったんだ? 海兵隊は日本を守るための部隊じゃないぞ。
それ以前にアメリカはなぜ北海道に基地を造らないのか
考えたほうが良いんじゃない?
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c89
51. 地下爺[5780] km6Jupbq 2019年4月15日 00:31:51 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[161]
忌野清志郎がなくなつて、カナリヤの役割を果たしてくれる
歌手がいなくなったと思っていたのですがいました。
日本 万歳 !!
ーーーー 紹介したい最近の楽曲 ーーーー
ジミンヘン (自民ヘン)
https://www.youtube.com/watch?v=IMlBNUg5_c8
安倍晋三は死ねばいいのに
https://www.youtube.com/watch?v=KArPnX0mV6E
死ね! 安倍晋三
https://www.youtube.com/watch?v=zG0harX8MT8
哀しみのゲリゾー
https://www.youtube.com/watch?v=0EO9vxdAJb4
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/626.html#c51
52. 地下爺[5781] km6Jupbq 2019年4月15日 00:38:37 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[162]
江戸時代と 明治以降 をつい比較してしまうのですが。。。。
いったい どちらの方が 人としての レベルが高いのか
考えさせられてしまいます。。。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
外国人が見た150年前の日本が凄すぎる…「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」と
感動したエピソードとは…?!【すごい日本】
https://www.youtube.com/watch?v=RK0T7xtWYpU
トーマス・グラバー
「幕末に長州、薩摩、肥後、肥前、宇和島の各藩とは何十万、何百万両の
取引をしたが、賄賂は一銭も使わなかった。
これは、賄賂をふところに入れるような武士は一、二の例外を覗いて
一人もおらず、みな高潔でかつ精錬であったためで、賄賂をしたくても
できなかった。
このことはぜひ特筆大書して後世に伝えていただきたい。」
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/626.html#c52
15. 地下爺[5782] km6Jupbq 2019年4月15日 00:41:18 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[163]
気の毒な チ●ポ !!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c15
1. 赤かぶ[9731] kNSCqYLU 2019年4月15日 00:43:49 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[383]
【 #戦闘機F35A 欠陥機?】秘匿性が高く回収されても機体の検証ができないとなると、購入からメンテ管理全て米任せということになる。記者会見で航空幕僚長は米でエンジン火災が多いことの情報も知らなかったと発言。こうなるといくらベテラン操縦士でも事故に繋がりかねない。https://t.co/gMwETWSY3K
— 岩畑政行 (@iwahata_m) 2019年4月14日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/645.html#c1
2. 赤かぶ[9732] kNSCqYLU 2019年4月15日 00:44:18 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[384]
最先端機とベテラン操縦士がなぜ=米で「欠陥」指摘、軍事機密壁も−F35墜落事故(時事通信) - Yahoo!ニュース https://t.co/E7yBTbpDxT @YahooNewsTopics
— 珈琲喫茶 (@CoffeeBreak_com) 2019年4月14日
やっぱアメリカから調達するのダメだって!
原因が機体側=アメリカ側にあっても奴らは正直に言うはずないじゃん
舐められてんだよ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/645.html#c2
16. 2019年4月15日 00:45:29 : 5FfzlLzgXY : TUFOSm1DTmxCbEU=[1]
どこかで拾った文章↓
>上野千鶴子は女性にモテナイ独身男性についてどう思うかと訊かれて、「マ○ターベーションしながら死ねばいい」といったそうですが・・
男を不当に差別するこのおばさんは大嫌いだが、在日教授&高卒の教授が云々とかいう発言が差別的だとは全く思わなかった。
あれは莫迦にした言い方じゃないでしょ。むしろ持ち上げてるんじゃん。
私などは、在日の奇妙な立場はみとめませんけどね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c16
16. 増税反対[1476] kZ2QxZS9kc4 2019年4月15日 00:48:15 : dBK9nZgT36 : NDdBMTlXOFp3eWc=[17]
一番の原因は庶民の所得が減った事です。
実質所得が激減したのだからギャンブル全般を楽しむ余裕が
無くなってしまっただけの話で、所得が上がり続けていればギャンブルも
するし、外食で高い物も食べれるし、軽自動車なんか買わないでちょっと
いい車を買う事も出来る。
ただそれだけの話です・・・
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/163.html#c16
18. 2019年4月15日 00:52:00 : IwH54j116U : bUxvMEJLN2tDc00=[137]
そうかようやく決断したか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c18
23. 2019年4月15日 01:01:20 : huMpvkFUr6 : ZDhDSEtDTk9JRDI=[1]
人の足につきまとうしか能が無い連中ほどつまらんものはないな。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/661.html#c23
1. 赤かぶ[9733] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:07:34 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[385]
うーん、共産党支持層すらまだ固めきれていないのか。「宮本氏は共産党支持層の7割、立憲民主党支持層の約3割から支持されている。」/衆院大阪12区補選 維新・藤田氏がリード 北川・樽床氏追う=JX通信社情勢調査(米重克洋) - Y!ニュース https://t.co/xY3dZ6SiHk
— micha (@micha_soso) 2019年4月14日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/646.html#c1
2. 赤かぶ[9734] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:09:23 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[386]
"日本維新の会公認の藤田文武氏がリードし、自民党公認・公明党推薦の新人北川晋平氏と無所属の前職樽床伸二氏が追う展開となっている。共産党前職で今回の補選に無所属で立候補した宮本岳志氏は伸び悩んでいる。ただ、有権者の3割弱が態度を決めておらず、情勢は流動的" https://t.co/4jHKSfRQnC
— L.A.M.F. (@sabor_sabole) 2019年4月14日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/646.html#c2
17. 2019年4月15日 01:09:28 : AdNBAAykfs : blkwak90cElxUS4=[2]
これはあくまで東大入学者を対象とした祝辞であり、日本国民やましてや三流大学入学者を対象としたものではない。東大とその入学者を忖度したものであり、その意味ではそれなりに説得力があるものと考える。
しかしなぜ上野千鶴子は東大の入学式に臨席したのか?そしてこういう祝辞を述べることがどれだけの意味をもつと考えたのか?たんなる自己満足、自己顕示欲とは考えなかったのか?
それによって、東大が、東大生が変わると本気で思ったのだろうか?
三流大学入学者がこれを読みどう思うかは考えなかったのだろうか?
かつて東大は解体の対象だった。上野千鶴子あたりはその急先鋒であってもおかしくはなかったのだが、時代の変化に寂しさを覚える。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c17
3. 赤かぶ[9735] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:10:30 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[387]
JX通信社の世論調査によると宮本たけし候補は伸び悩んでいるとの事。やはり厳しい。しかし、有権者の5割超は雇用や福祉を重視。3割は投票先を決めていない。勝機はある。
— 異邦人 (@Beriozka1917) 2019年4月14日
衆院大阪12区補選 維新・藤田氏がリード 北川・樽床氏追う=JX通信社情勢調査(米重克洋) - Y!ニュース https://t.co/nGGlucRRyH
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/646.html#c3
4. 赤かぶ[9736] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:11:24 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[388]
最後までわかりません!全力で戦うのみです!
— 🌻🌻いずみん🌻🌻 (@nymim3311) 2019年4月14日
当該地区の市民の皆さんぜひ投票に行っていただきたいです😐#藤田文武 #日本維新の会 #大阪12区衆議院補欠選挙
衆院大阪12区補選 維新・藤田氏がリード 北川・樽床氏追う=JX通信社情勢調査(米重克洋) - Y!ニュース https://t.co/KKLuC97gp4
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/646.html#c4
8. 2019年4月15日 01:13:40 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[122]
忖度じゃない。偽装命令、偽装トップダウンです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/586.html#c8
1. 2019年4月15日 01:14:39 : JiurVnE3Cx : TXBoL2hqbHppTzY=[-1]
⇒《韓国の人は、日本人に対し、独特の屈折した感情を抱いているのです。》
かつてはそうだったかもしれませんが、今はどうでしょう…
独特の屈折した感情を抱いているのは、日本人のほうかもしれません。
⇒《有名ブロガー・リチャード輿水氏が…》
信用ならないですね。
⇒《そう言えば、ネットには、安倍氏は朝鮮王朝・李氏の直系というウラ情報が流通しています(注4)。
このウラ情報が正しければ、安倍氏の祖先は、半島系ということになり、在特会がヘイトする在日ということになります。》
きっと間違いでしょう。
それに、先祖の誰かに朝鮮半島出身者がいることを「半島系」と称すなら、(最近の移民を除くすべての)土着・日本人は「半島系」になります。現に、天皇だってそうです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/643.html#c1
25. 茶色のうさぎ[-10526] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月15日 01:15:20 : r5GSS6jtuo : Mks5SnVGN3g1Vms=[1]
誤解のないように、
FoE Japan 満田夏花さんは、
当然、、原発輸出反対!! ガレキ焼却、再利用反対ですね!! 応援♪
↓ FFTV 汚染木材を燃やしてよいのか!福島県田村市バイオマス発電計画 和田央子さん
https://www.youtube.com/watch?v=f7VlMDBDSFc
↓ 規制なき放射能ゴミ処理 和田央子 除染⇒焼却⇒再利用
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/pdf/170327_3.pdf#search=%27%E8%95%A8%E5%B9%B3+%E5%85%90%E7%8E%89%E9%BE%8D%E5%BD%A6%27
「今後20〜50年かけて森林除染」
「バイオマス発電で処理」
「林業の大型機械化を導入」
(児玉龍彦氏講演より)
結論: 日本共産党は、原発輸出、賛成です。ぺっ♪ ←藤野議員、リスクは税金です。
2018年、安倍総統閣下:原発は重要なベースロード電源 ←共産党も全会一致、賛成です。
なお、日本共産党、茶坊主、児玉龍彦 ←除染サギ、4兆円は大問題と思います。
まぁ、日本共産党、国策新聞『 赤旗 』 ←二枚舌、注意してください。 うさぎ♂
「那珂川活性にイノシシ奮迅 八溝で捕獲『おいしい肉』」 (東京新聞 2019/4/14)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201904/CK2019041402000159.html
那珂川町は、町周辺で捕獲・処理したイノシシ肉を「八溝(やみぞ)ししまる」と名付け、売り込みに力を入れている。二〇一一年の東京電力福島第一原発事故の影響で売り上げが一時停滞したが、徐々に回復。今年は亥(い)年でもあり、町は「ししまるの良さを広め、販路を拡大させたい」と意気込んでいる。
「こんなに軟らかくておいしいとは知らなかった。ビールに合いそう」。今月上旬、那珂川町に隣接するさくら市。飲食料品を扱う移動販売車の前で、下野市の男性会社員(27)が、八溝ししまるを使った唐揚げを頬張った。
唐揚げは、店主の針ケ谷欣明(はりがいよしあき)さん(74)が「ししまるを多くの人に食べてほしい」とギョーザとともに考案。
時期によって肉質が変わるため、調理方法を工夫して食べやすくしている。鶏の唐揚げも売っているが、「売り上げの八割はししまる商品」と話す。
福島、茨城、栃木三県にまたがる八溝山地に生息するイノシシは、畑を荒らして農家を悩ませてきた。猟師が駆除してきたが、特産品づくりを思案していた町が猟師らと話し合い、食肉として売り出すことを決めた。
専用の食肉加工施設で素早く処理することで、従来の「獣臭くて硬い」イメージを克服。〇九年に発売し、今では町内外の約八十店舗で鍋料理や丼物などとして楽しめる。
原発事故後は出荷制限もあり、売り上げが落ち込んだが、一八年度は、過去最高だった一七年度の約一千万円を上回る見込み。
町は販路拡大に向け、これまで各地のイベントで振る舞うなどしてきたほか、一九年はPR漫画も制作。イベントでの反応も良いといい、担当者は「町を訪れるきっかけにもなってくれれば」と期待している。
-------(引用ここまで)-----------------------------
政府の検査でも福島近辺のイノシシからは猛烈な汚染が何度も検出されています。
その汚染肉を販売するとは非常識の極みです。
なぜ政府・自治体は販売を禁止しないのか。
絶対に食べてはいけません。
(関連情報)
「福島県産イノシシ肉(非流通品)からセシウム合算で9,400 Bq/kg (厚労省)」
(拙稿 2019/2/26)
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/123.html
「放射能汚染が続く東日本!福島県のイノシシからキロ5000ベクレル、
山梨県産アカモミタケから970ベクレルなど!」 (阿修羅・赤かぶ 2014/11/22)
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/283.html
「スウェーデンの野生イノシシが放射能汚染の新記録 (The Local)」 (拙稿 2018/1/30)
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/379.html
「イノシシ肉から基準値7倍超のセシウム オーストリア『森の生態系に影響』 (産経ニュース)」
(拙稿 2016/4/28)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/579.html
「写真家・狩猟家・幡野広志さん(34歳)が多発性骨髄腫 野生動物の肉(ジビエ)を食べていた」
(拙稿 2018/10/16)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/425.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/377.html
21. 2019年4月15日 01:26:28 : 99B7YcwZZ2 : ckdsTW1Qc3BMY0E=[1]
この投稿自体何か変。
F35は超高速デジタルリンクで司令塔と常時繋がっているはず。
実戦中ならこのリンクは切れているだろうけれど訓練中なら多分モニタリングしていると思いますよ。
エンジンの状態、温度、湿度、気圧、加速度、脈はく、血圧、音声なんかも含めて。
従ってフライトレコーダも強いて探さなくてもある程度状態が分かるのではありませんかね。
これがアメリカが誇る最新鋭のデジタルネットワークシステムなんだろう。
これが瞬時に切断されたのなら機体に致命的な何かが起こったんでしょう。
それも長くても数分単位のうちに。
飛行時間の長いベテランの教官クラスの方がメンタル面でパニックになったとは考え難いでしょう。
多分機体そのものの何かだから世界的な規模で現在話題になっているんだと思いますがね。
根本的な原因が判明していないのに人間の側に責任があるかのような投稿は非常に失礼でしょう。
米F35にロシア起源の報道
https://jp.sputniknews.com/science/201804284831133/
2018年04月28日 15:27(アップデート 2018年04月28日 16:11)
ロッキード・マーチン社製の第5世代ステルス戦闘爆撃機「F35ライトニングU」のある機種に「ロシア起源」の技術が使われており、この機種がソ連の「ヤコブレフ141」と共通の特徴を有していると、米情報サイト「Task and Purpose」の記事で述べられている。
スプートニク日本
同サイトの指摘によると、新型ステルス機の開発は、「鉄のカーテン」消滅の恩恵を受けて可能となった。その例として、1991年にロッキード・マーチンとヤコブレフ設計局が協力についての合意に署名し、この合意によってロッキード・マーチンがヤコブレフ141に関する情報を入手することが可能になったとしている。この情報には、「数年にわたる試験と開発」を必要とした実験データも含まれるという。
「Task and Purpose」は、「現代のF35の核心であるエンジンシステムの開発開始に恐らく役立ったのが、その決定的データだ」と指摘している。
同サイトは、F35をヤコブレフ141の直接の後継機と考えることはできないと指摘する一方で、「しかし、ソ連の古いVTOL(垂直離着陸)機プロジェクトから収集されたデータが、F35統合打撃戦闘機(JSF)のVTOL型開発に利用されたことはほとんど確実である。そしてこのことは、F35が、その存在の少なくとも一部について、[・・・]ソ連時代の兵器計画の恩恵を受けていることを意味している」と伝えている。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/616.html#c21
53. 2019年4月15日 01:28:02 : YpWVosjImU : d1EuRUlGNTdkUHM=[3]
いかにもIQの低そうなのばかり集合して軽すぎるなぁ。重みが全く無いね。
安倍の趣味だろうが、安っぽい安っぽ過ぎるわな。どのツラ見てもナマコの
腐ったやうなのばかり。どこかの精神科の病院の中庭でも借りたのかな?
正常な神経つうかオツムの持ち主なら恥ずかしいので安倍のとこなんか
いかんだろうし、写真なんか撮られてたら不名誉この上ないのでバッチリと
最低でも仮面で変装したり正体が分からぬやうに行くだろうね。正常ならの話だが。
こんなとこ行って素顔で写真撮るなんて論外だね。恥ずかしいと思わんのかね?
異常過ぎて吐き気がしてきた。
35. 2019年4月15日 01:28:57 : ewx4CmCDrA : SnRTRy9BLnRycW8=[8]
テスト33
3. 2019年4月15日 01:38:45 : BpzhY7qFk6 : WW9HMHFYNXdVOW8=[47]
F35は 強化した紙でできている??
東レ: ちょっと 無資格の人が検査したので 強度にちょっと不安はあります
三菱: 同じ三菱系ですから 受け入れの強度試験なんて していませんよ〜〜
そしてね
内の社員が ちょっとだけ ノリの配合を間違ったみたいなので〜〜
その点が 気がかりなんですよね〜〜 ほんとの所
===
あの機械 ちょっと 無理な設計の個所がありましてね 機体の強度に対して
装備が多すぎて 振動が抑えきれていない所があるんですよ〜〜
1. 赤かぶ[9737] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:39:01 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[389]
記録を残さないこの国の役所。官邸の文書管理を担当する内閣総務官はいずれの記録も「存在しない」と回答しました。首相への説明資料については、保存期間を国立公文書館の審査を経ずいつでも廃棄できる1年未満に設定し、面談後に廃棄していると明かしました。 https://t.co/M3TqzExyHT
— 小川一 (@pinpinkiri) 2019年4月13日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c1
6. 2019年4月15日 01:39:50 : W0vech87qg : MVQzMWJhUENVemc=[54]
枝野幸男は、本当に大阪行きますかね。
樽床は。二階です。
細野の紹介。
2. 赤かぶ[9738] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:40:05 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[390]
公文書は国の財産。それを残そうとしないのは、未来への責任を放棄しているようなもの。「保守」とは程遠い。あとから都合の良い歴史を作る人が出てきても、検証する材料がなくなる。→公文書クライシス:首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄 - 毎日新聞 https://t.co/nB2QxsYuth
— 畠山理仁 (@hatakezo) 2019年4月14日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c2
19. 地下爺[5783] km6Jupbq 2019年4月15日 01:40:15 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[164]
↑↑
アメリカ様に戦争に誘導され それ以降 完全に隷属状態
なのが 理解できないなんて 馬鹿としか言いようがない
お気の毒。。。
26. 茶色のうさぎ[-10528] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月15日 01:40:27 : r5GSS6jtuo : Mks5SnVGN3g1Vms=[2]
安倍総統閣下、別動隊、志位和夫です。
共産党は? 今回の、大阪選挙では、自民党と共闘ですね。ぷっ♪ ←奇跡だー♪あほ
つまり、中央官庁、共産党に反乱、抵抗する勢力は、、弾圧されんだよ!!wwwばか
まぁ、目を覚ましてください!! うさぎ♂
なお、純真な、日本共産党、地方議員は応援してください。 長文省略
3. 赤かぶ[9739] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:40:50 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[391]
#安倍首相 が各省庁からの話を聞き、どう受け止め、何を語り指示したか。こんな文書管理では、全く分からない。首相の政治責任は何一つ問われず、歴史の検証にも耐えられない。とんでもない
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) 2019年4月14日
公文書クライシス 首相と省庁幹部の面談記録「不存在」官邸1年未満で廃棄 #毎日新聞 https://t.co/o7ZciunbSS
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c3
4. 赤かぶ[9740] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:42:02 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[392]
安倍首相が、幽霊が出る出ないとかで首相公邸には住まないなんて駄々を許したばかりに、国会の出席を減らせだの、任期4選、そして都合の悪い文書は廃棄とワガママエスカレート!こんなに自分勝手に首相の役目や仕事を失くしたり放棄するなら、首相を辞任した方が早いでしょ!https://t.co/x2KxEqGpxt
— 赤色法師 (@red_hohshi) 2019年4月14日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c4
5. 赤かぶ[9741] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:42:59 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[393]
ヤバイこともヤバくないことも、全部秘密。だから疑われるのだが…。→ 首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/YuPPV6ZxU4 @YahooNewsTopics
— 鈴木 耕 (@kou_1970) 2019年4月14日
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c5
6. 2019年4月15日 01:44:50 : BpzhY7qFk6 : WW9HMHFYNXdVOW8=[48]
シュレッダー政権 の シザーマン
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c6
2. 2019年4月15日 01:44:53 : 7ftcSmsSA6 : TXg2SnE1MkpiYUU=[3]
コチラは「ホームスクール」のススメ
https://medium.com/homeschooljp
「○○しなくちゃいけない」のほとんどは幻想ですよね。
○○の例:登校、結婚、出産、就職…
すべては自由です。してもいいし、しなくてもいい。
植草氏、がんばってください。応援しております。
日本の独立・民主化・脱土人・脱原発……立共政権樹立へ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/636.html#c2
7. 赤かぶ[9742] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:45:28 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[394]
公文書クライシス:首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄 - 毎日新聞 https://t.co/elUPBTvPFN
— ステイメン@打倒!凶人安倍! (@deskain) 2019年4月14日
時の最高権力者である総理大臣が、官邸において何時誰と面談したか。それは歴史を振り返る時、第一級史料となるのに、国政を私物化する #凶人安倍幕府 は1年足らずで全て破棄していた! pic.twitter.com/cJSiBSsrub
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c7
8. 赤かぶ[9743] kNSCqYLU 2019年4月15日 01:47:40 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[395]
証拠隠滅政府!!
— 昭和おやじ 【安倍政権を打倒せよ】 (@syouwaoyaji) 2019年4月14日
記録を残す事の重要性よりも記録を残さない事の方が重要になった政府!!
国民に知られたくない事(悪事)しかしないという事!!
首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄
https://t.co/sLVkWAJC4D
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c8
14. 2019年4月15日 01:50:20 : shkSnaHSZQ : UlRwb0kvcG1JQ0U=[1]
>>11、13
アホウ。
こっちは「フセイセンキョ〜」
とわめく輿水家の蠅や蚊がわくから、
キンチョールしてるんだよ。
3. 2019年4月15日 01:50:26 : VjAJ5rYmhE : dWhtZkdPOFpzOEE=[2]
大分改善しているが、結局、国内産業の生産性が上昇しない限り
本質的な改善にはならないし、それは政府や日銀に何とかできるものではない
個別の企業や個人が、努力して、(amazonやGoogleほどでもなくてもいいので)
確実にムダを省き、技術革新や生産性向上を続けていくしかない
>
デフレも不況も民間の責任だ!
俺たちは悪いことをしていない。俺たちは犯罪をおかしていない。
責任は民間の努力不足にある。
俺たちは逃げる用意があるーーー俺たちは騙して逃げる。
日銀アベノミクス責任逃れのペテン詐欺。
7. 2019年4月15日 01:53:30 : Fbh47hjhZ6 : RW13dlUyVTUuVWc=[5]
>>5
共闘(笑)。ただの不人気下層政党の寄せ集めだろうに。
それに北海道でも共闘とやらで大惨敗して恥をさらした挙句それを教訓にするどころか、よりによって維新がいる大阪12区で自公までも敵にまわしたら勝ち目など微塵もない。
宮本は現時点ですでに最下位候補の筆頭。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/640.html#c7
19. 2019年4月15日 01:53:54 : W0vech87qg : MVQzMWJhUENVemc=[55]
遅い
とにかく遅い
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c19
1. 2019年4月15日 01:54:51 : BpzhY7qFk6 : WW9HMHFYNXdVOW8=[49]
これは 愛が20年前から言ってることだ
金利0%なら いくらお金を借りても 破産しないということだ
===
まあね 最近の学者さんは 大昔学校で習った ハイパーインフレのことしかいわないよね〜〜
だけど〜〜 金利が2%以下なら 借金が 如何に大きくても バブル崩壊はしない
4. 地下爺[5784] km6Jupbq 2019年4月15日 02:02:34 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[165]
意見が 分かれることも あるが この投稿には 絶賛賛同 !!
29. 2019年4月15日 02:03:01 : YpWVosjImU : d1EuRUlGNTdkUHM=[4]
切除したはずの盲腸がぶら下がっているような存在の菅のバカ、いい加減に
政界から去れ!市川房江さんも同じ事を言うと思うぜ。アホで厚顔無恥なところ
は安倍死ぬ造とソックリだ。コイツと野田どぜう、共に民主党を潰し今の安倍に
政権をプレゼントした極悪人達は万死に値する。財務省の官僚どものレクチャで
消費税増税で洗脳され政権党になって間もない、足元がグラついている民主党
に引導渡したバカ2匹。今の極悪安倍政権があるのもコヤツらの働きのせいだ。
安倍と同じくらい嫌われても当然だ。こんな2匹のバカどもは口塞いで喋らせる
な。総理になったが安倍と同じく無能ゆえ今頃、モノ言っても有害なだけでR。
2. 地下爺[5785] km6Jupbq 2019年4月15日 02:05:10 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[166]
きっと 事務所からの指示で お給料でている人もいるんだろうなー
お仕事(さくら) ご苦労さま !!
でも 税金だろ それ ?!
20. 2019年4月15日 02:06:14 : VXN9sU9UEw : WEFmSThpV3ovaTY=[3]
結局、宮本さんの応援演説はしないという事ですか?
激励だけで…。
ありえないよ。
宮本さんは話もわかりやすいし質問も鋭い。
絶対に国会に必要な人。
何としても当選して欲しい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c20
21. 2019年4月15日 02:06:36 : dZZ12JVQHM : OHQvZUQ0RTViRnc=[3]
ギャアギャア言って自民を有利にする以外の効果あるの?
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c21
9. 地下爺[5786] km6Jupbq 2019年4月15日 02:10:22 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[167]
私は 常々 80%以上の 投票率 目指そう と 訴えてきましたが
ひょつとしたら もう 間に合わないので と 最近思うようになりました。
いったい 何度 戦争しなければ いけないのか 。。。。
by 江戸時代以降の 民度の方が 低いのかも知れない と 憂う 地下爺
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c9
8. 2019年4月15日 02:14:06 : dZZ12JVQHM : OHQvZUQ0RTViRnc=[4]
維新信者って内弁慶なんですね
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/640.html#c8
10. 赤かぶ[9744] kNSCqYLU 2019年4月15日 02:14:13 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[396]
もはや先進国ではないな。
— yoshinon@情報管理LOG (@yoshinon) 2019年4月13日
政治的には、完全に三流国家。
公文書の保管というのは、民主主義の根幹なんだよ…。
公文書クライシス:首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄 - 毎日新聞 https://t.co/xeqejFcS6L pic.twitter.com/fydCn0ghow
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c10
19. 2019年4月15日 02:20:54 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[145]
政治とは主に公金の采配の問題であり、政治家とは公金の采配に関して納税者に代わり精査検証を行政府に課する納税者代表である。
政治家には公約を掲げ果たすために立法し予算を確保する役割があるが、立法府でありながら、議員立法案の普及よりも財界の意を汲んだ行政立法案が殆どを占め与党の党議拘束による強引な可決が為される状況下では、公金がどこにどれだけ、誰によって采配され、結果責任は誰にあるのかを突き止めるのも議会人としての重要な役割となっているのである。
にも拘らず政治家が公約を如何に果たすかに主眼が置かれ行政実務の事後に関しての精査検証に熱心では無く、あれよと言う間に国民や市民が納めた税金公金がとんでも無い使途に流れて行くも、それを追及するのは立法府では無いとばかりの状況である。
この典型が内閣であり、本来は総理と閣僚ポストを以て官僚を頂点とした公金歳出権限を有する幹部級行政官の作為不作為による瑕疵誤謬無きよう、大臣が公文書を稟議させて保管、事後に議会から異議が出れば即座に公文書を提示、或いは与党議員を使って政策調査に取り掛かり、関係する事務方から事情聴取するなど充分な検証をし議会に報告する義務が内閣には有る筈だが、歳出事務の事後の精査検証を野党代議士に丸投げした挙句、黒塗りの公文書を出す事務方を譴責するどころか受け取った議員を官僚と共に内閣が嘲笑するような有様である。
事後検証が最も重要であると言って過言では無いのが租税主義であり、会員制組織同様である。会計担当者があらぬ使途に会費を計上すれば、例えば絵画を鑑賞する会として設立された筈がオペラを鑑賞する会に変身するなど会の本来の目的とは違う形となるのであり、租税主義では会計担当者の立場である事務方の歳出事務の結果を事後に検証するべき内閣が過怠であることで、永年に亘り途轍も無い額の公金が納税者の関与不能な形で流出している。
公金歳出に関しての事後の検証機能が果たせない日本が軍事行動を世界レベルに波及させるも検証不能は明らかであり、結果責任の所在も不明なまま、またしても暴走するだろう。
木村市議は当選して当然だが、市議の行動が注目されるようでは、まだまだ日本では議会が、租税主義国として公金の使途の事後検証という重要な目的を充分に果たせていないということでもあろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/634.html#c19
https://twitter.com/VirginBlade_aki/status/1113512366161899520
(マッツ)
「
2019.4.4 01:00〜02:30の水蒸気の画像です。広がってますね…
」
11:43 - 2019年4月3日
この衛星画像ですが、自然に発生する雲なら西風に運ばれて
どんどん東に移動していくはずです。
福島第一原発の上空にとどまっているのはそこから放出されているということです。
この画像も、福島第一が放射性蒸気発生器となっている決定的な証拠です。
このマッツさんのツイートに注目、貴重な情報を提供してくれています。
政府・原子力ムラにはまことに不都合な真実なので、案の定、何度もアカウントが
凍結されています。
(関連情報)
「放射性蒸気発生器と化した福島第一原発」 (拙稿 2015/9/7)
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/775.html
「福島第一ライブカメラは真っ白 大量の蒸気発生 溶融燃料が地下水に接触し大規模再臨界か」
(拙稿 2018/7/17)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/133.html
「1299.真夏の昼間にフクシマに立ちこめる霧」 (院長の独り言 2015/8/11)
http://onodekita.sblo.jp/article/161204209.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/378.html
11. 2019年4月15日 02:30:47 : gDuJsjuxdc : LlJvaVVYTFJESUE=[99]
■こいつらに 税金使わせんな!
こいつらに 税金でメシ食わせんな!
こいつらに 支払った税金 取り戻せ
こいつらが使った税金 取り戻せ
こいつらがしでかした罪の償い
キッチリとってもらわな ならんわな
首洗って まってろや!
31. 茶色のうさぎ[-10530] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月15日 02:30:52 : r5GSS6jtuo : Mks5SnVGN3g1Vms=[0]
おっ♪ ちょっと、再上昇ー♪ぷっ
まぁ、芸能人って、、 怒れー♪ 組合ないの? ←殺されちゃうよー♪ぷっ
まぁ、文科省、共産党官僚の政策?圧力? 電通、情報機関 ←ぺっ♪ 無言の、言論弾圧だー♪ぺっ
まぁ、芸能人、芸術家の労働組合? ←日本共産党、赤旗が圧力? 陰湿、卑劣と思います。💢
まぁ、現在の日本は? 民主主義、言論の自由、表現の自由 ←崩壊してると思います。💢
結論: 馬渕大使の、グローバリズム左翼の崩壊と思います。 長文省略 うさぎ♂
対応? 鳩山由紀夫氏、山本太郎氏、福島みずほ氏、森ゆう子議員、、応援しかない!! 応援♪
219. 2019年4月15日 02:31:37 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[234]
これも動かぬ証拠。
「福島第一原発から大量の蒸気放出の決定的証拠がまたまた出てきた
マッツさんのツイートに注目」
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/378.html
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/775.html#c219
90. 2019年4月15日 02:35:33 : ghklMq2pSg : Nkg0cncvOExNdVE=[1]
一番の問題の普天間の地域住民の安全は完全に無視されている事実
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c90
18. 2019年4月15日 02:44:56 : dCvX187Fa6 : ejlYc1AzZGVVZi4=[1]
たぶんだが、半歩前氏はこれ以前には上野千鶴子氏のことは何も知らなかったんじゃないかな?
著作を読んだこともなければその思想性もまったく知らなかったんじゃないかと思う。
そして「東大の女教授」というだけで「特権意識に凝り固まった生意気な女」に違いないと思い込んであの演説を読んだ。
そして、そそっかしくも姜尚中氏や安藤忠雄氏のことを「在日、高卒」と言っているのを見つけて「それみたことか」と。(どちらかといえば、両氏をリスペクトしているからこその話だと思うが、そこまで読み取れなかったのだろう)
で、何様かよ、このババアと。(笑)
そんなところでは?
私も上野氏のことは「ファン」というほどではなく、その著作もまともに読んではいないのだが、新聞雑誌などに書かれたものはいくつか読んでるので、特権意識で人を見下すタイプの人ではないとは思った。(少なくとも、それを表に出して恥じないような人ではない)
そんな私ではあるが、ここなどで、あまり知らない人の話題が出たときに、つい、批判的に書こうとして、それでも送信前に一応、どんな人物か調べてみてからと、検索したら、思っていたのとは全く違い、元の記事を読み直したら、自分が勘違いしていたことに気づいたことがあった。
ああ、送信しないで良かったと思ったものだが。(笑)
他人に読ませるブログを書いてる人は、こういう点はよく気をつけたらいいと思う。
半歩前氏は、どうも「思い込み」が激しすぎるところがあるように見えるな。
34. 2019年4月15日 02:50:44 : jd5yYjOSkt : V2tWdjd0NkQ1M2M=[49]
忖度問題はまだ終わってない。
国会でも引き続き追及してる。
問題は2点。
マスコミがこれ以上、報道しなくなること。
野党が要求してる集中審議が与党によって拒否され、有耶無耶になってしまうこと。
選挙への影響を考え、問題大臣を辞任させることで見えないところへと隠し、
サッサと幕引きを図りたい与党の計算はミエミエ。
だが、野党は一丸となって大騒ぎし、厳しく容赦なく、追及を続けなければいけない。
マスコミはネタ次第。ネタ不足であれば、まだこの問題を報道するだろう。
まあマスコミ的には、暴言桜田と忖度塚田では、前者の方がいじりやすいだろうな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/580.html#c34
9. しんのすけ99[352] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月15日 02:53:11 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[114]
>>8
そりゃ関係者の努力という面も 確かに有る、でも 北海道産米のステータスアップはそれだけでは考えにくい
なぜなら、努力しているのは日本全国の農家農業関係者みな同じだから 北海道だけが努力して 他の
本州四国九州は怠けている という訳ではないのだから 高温障害に悩まされているのも完全に事実な訳ですし
「そもそも米そのものは南方が原産地」 なのであれば、高温に適応した品種ぐらい簡単に出来るはず
◆ 冷害に強い と言えるのは きらら397ぐらいで、後の ゆめぴりか おぼろづき ひとめぼれ ゆきひかり
などの銘柄は たいして強くはないのです だから去年のような天候不順にあっさりと不作になるのです ◆
どう考えても 気候の温暖化に 農家の努力が なかなか追い付いていかないとしか 考えられません
これも 農業関係者の間では 昨今 常識と言って良いほどの 最近の傾向ですから。
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/143.html#c9
23. 2019年4月15日 02:53:29 : FLkrFlGySQ : SmM0RUtzWTNZTGM=[3]
安倍 原発視察
「もう一度胸に刻みながら」 と誤解を招くトンデモ発言。
https://mainichi.jp/articles/20190414/k00/00m/010/089000c
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/606.html#c23
32. 茶色のうさぎ[-10529] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月15日 02:55:17 : r5GSS6jtuo : Mks5SnVGN3g1Vms=[1]
追記です。 グローバリズム
将来的?未来には、当然、世界中が仲良く、平等ですね。 賛成♪
しかし、イギリスEU脱退でも、移民問題、官僚主義?、、
まだ、グローバルは早すぎると思います。
馬渕大使の、反グローバリズムで正解と思います。 うさぎ♂ 朝麦5?ばか
39. 2019年4月15日 02:57:16 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[146]
内閣が嘘を付いていたというならば当事者が反省し自重すれば状況が変わるのだろうが嘘を付いている自覚が無いのであれば病鴻毛であり、半信半疑で憂うのは内外共通だろう。
とにかく魚も野菜も旨いのだから、買って喰うのは当然であり、それを買えないという国の気が知れない、我々日本政府に対する敵対心からの嫌がらせに過ぎない旨本気で思っている印象であり、内閣のこうした思考回路が即日本国民の思考回路だと解されるだろう、そこが恐いのである。
敢えて承知しながら全く問題無いなどと嘯いているのではなく、本当に問題無いと思っているからこそ、アンダーコントロールだなどと堂々と口に出せるのだろう、オリンピックでは東京湾でトライアスロンをやろうなども、嘘を付いているのではなく本気で問題が無いのだと思っているのだろう。
さすがに放射性物質を水に溶かして飲む閣僚はいないだろうから、少しは懸念は有るのだろうか、だが総体的に問題意識は持っておらず、ましてや生命の遺伝子を傷つける物質が事故で放出されており、地球上の生命体は細胞分裂を繰り返す過程で遺伝子が傷つくことが最大の脅威であるとの認識は皆無のようである。
こういう内閣が官僚と癒着し公金の財布を握っていることが国際社会に悪影響を与えていると言えるだろうが、英や仏の原発産業が、科学的知識に乏しい代議士群がトップに立って公金を自在に采配する日本を良いことに、事業拡大に活用した結果責任も大いにあるのではないか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/602.html#c39
「運転手の異変、客席緊急ボタンで減速 岐阜バスが乗客停車装置導入」
(岐阜新聞 2019/4/11)
https://www.gifu-np.co.jp/news/20190411/20190411-129123.html
岐阜乗合自動車(岐阜バス、岐阜市九重町)は、緊急停止の非常ボタンを客席に備えたドライバー異常時対応システム(EDSS)搭載の新型バス1台を4月から導入した。運転手に急病などの異変があった場合でも乗客がバスを安全に停車でき、2次被害を防ぐ。12日から高速名古屋線など高速4路線で運行を始め、路線バスや観光バスにも順次導入する。
新型バスは、三菱ふそうトラック・バス(神奈川県川崎市)が2月から販売。運転席と客席の両側の最前列に非常ボタンがあり、運転手の異変に気付いた乗客が押すと、徐々に減速して停止する。バス左側の障害物や人を運転手に知らせ、左折時の巻き込みを防ぐ機能も標準装備する。
岐阜バスの男性運転手が昨年6月、高速道路を運転中に意識を失った事故を受け、導入に踏み切った。三菱ふそう社製の新型バスを導入するのは全国で初めて。担当者は「最新の安全機能が付いたバスを全国に先駆けて導入することで、安全性の向上を図りたい」と話している。
-----(引用ここまで)---------------------------------
「運転手が失神することがあるので、その場合はこの緊急ボタンを押してブレーキをかけて下さいね」
いやもう完全に異常な世界ですね。そんなバスには誰も乗りたくありません。
山道でガードレールを突き破ったら、いくら緊急ボタンを押しても間に合いません。
谷底に転落です。
失神の原因を追究せずして、こういう応急処置をしてもほとんど事故は防げません。
飲食物の放射能汚染を厳重に管理し、汚染地域から汚染が拡大しないように監視しなければ、
被ばくによる失神は防げません。
深刻な事故が増える一方でしょう。
(関連情報)
「都営バスの全運転手に脳のMRI検査義務づけ 東京都 (NHK)」 (拙稿 2018/11/13)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/550.html
「『まさか自分とは』 運転中に急病の事故、年200件超 (朝日新聞)」 (拙稿 2018/11/8)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/522.html
「運転手の脳疾患事故が増加 バスなど8年で261件 (共同)」 (拙稿 2018/1/18)
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/340.html
「京都市バスの32歳運転手が失神し交差点に 通行人らが停車 (MBS NEWS)」
(拙稿 2017/11/11)
http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/891.html
「路線バス 事故直前に運転手あおむけ状態 (NHK)」 (拙稿 2016/1/9)
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/667.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/379.html
33. 茶色のうさぎ[-10528] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月15日 03:02:59 : r5GSS6jtuo : Mks5SnVGN3g1Vms=[2]
ボク?
共産主義、応援ですよー♪ぷっ
しかし、日本共産党の、、方法論は、不純と思います。 うさぎ♂ 麦6?
赤旗、志位和夫 ←ころせー♪💀
1. 2019年4月15日 03:07:16 : gDuJsjuxdc : LlJvaVVYTFJESUE=[100]
■どなたか この画像をもって
フク1地中の発熱量の 計算を願います!
電力換算 なん㎾でしょう?
合わせて それを押える(鎮静)手立てを
ご教授願います!
47. しんのすけ99[353] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月15日 03:07:23 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[115]
>>24さんの おっしゃるとおり 精神病院にでも入れて 精神障害あるいは知的障害と認定してもらうしか
莫大なる和解金を免責する方法はなさそうですね 障害者ならば 医者が認めたのならば 免除は可能だと
懲戒請求150件 なんて 本当に キチガイと認定してくれる事でしょう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/596.html#c47
54. 2019年4月15日 03:45:32 : nlct6sBb6s : aXJ1RzlVd3o2L2M=[5]
しかし解かり易い写真だな.
オレはネトウヨの親玉だぞと自慢しているようにしか見えん.
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/626.html#c54
24. 2019年4月15日 03:46:12 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[235]
>>20
>まず韓国をやっつけてその他22か国の禁輸を解除させようとしたようだ。
それは逆だね。
強い国を訴えて勝てば、弱い国もなびくわけでね。
まあ、御主人様の米国を日本が訴えられるわけもないがね。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/354.html#c24
5. 2019年4月15日 03:47:19 : gDuJsjuxdc : LlJvaVVYTFJESUE=[101]
■この選挙!
ムサシの臭いが 芬々と漂ってる!
55. 2019年4月15日 04:00:41 : jd5yYjOSkt : V2tWdjd0NkQ1M2M=[50]
「こんな人たち」は決して招待されない「桜を見る会」
楽しいイベントも、有識者会議も、「身びいき丸出し」のお仲間でガッチリ固めて、
我が世の春を大満喫。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/626.html#c55
12. 2019年4月15日 04:03:32 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[123]
偽装トップダウンをして、忖度と称し、さらに証拠隠滅。その一連の行動が悪事の証拠。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c12
19. 2019年4月15日 04:23:06 : 8zne86Ve2E : WWovbG5ZNFNlaWs=[7]
えっ在日韓国人って、差別用語なんですか?
えっ、高卒って差別用語なんですか?
じゃあ、最終学歴高校卒業の人はなんていうんでしょう?
また、日本にいる韓国の方のことはどう言えば?
それで、あなたたちの基準では、「チョン公!帰れ!」は差別用語ではないのでしょうか?
今まで、ヘイトスピーチや差別用語と戦ってましたか?
その証拠をお示しください。
すべてはファクトです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c19
8. 2019年4月15日 04:28:17 : qKLnT5BQ9g : QVRzQm56bXR0aFk=[2]
アサンジのことは心配しなくてもよい。
トランプは匿名で戦うルートでもってアサンジが同士であると認識している。
たぶんアサンジも同じだろう。
もし逮捕がトランプ側によってなされたならば、
トランプに追い詰められている者たちにとって恐怖となるし、
追い詰められている側がやったならば、トランプが守ることになる。
私は前者だと思っているが。
追い詰められている側にすれば、アサンジはこのまま大使館の中で
死んでくれたことが最良であったはずだ。
感情に流されずに状況を見つめるならば、
なぜこの時期強引に逮捕したのか?という視点が欠けていることに気づくはずだ。
唯一心配なのは、イギリスで長期間拘束されて取り調べを受けることだ。
ま、アメリカの要請でのことだからすぐにアメリカに移送されると思うが。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/212.html#c8
20. 2019年4月15日 04:54:46 : NwpaYT5MfM : dmxEYjBFb1g2QVU=[1]
東大は法科以外は
どれも味噌もくそも一緒レベル
社会は良ーく分かっている
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c20
28. 管理人さん[2467] iseXnZBsgrOC8Q 2019年4月15日 04:55:11 : ZFZHYmRTRUo3YS4=[86]
表題の最後に出るコメント数について
>つまり、管理人さんとしては、何も対策を講じる気はないことだと、受け止めていいんですよね。
いいえ。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/544.html#c9 と、>>25 を読んで再度考えてみました。
早々に対処する方がいいな、と思うに至りましたので5月末までになんとかします。
再進言ありがとうございます。
参考:
阿修羅を見てくれる人が激減している状態が続いています。
Googleの検索結果に出てくる回数が3月下旬から激減して、
一番多かった昨年秋の1/5になっています。
今年の1,2,3月の1/3です。
Googleの機能で検索結果数が表示できる全期間で最低の状態です。今までに一番少ないということです。
要するに【Googleから嫌われたサイト】に固定された状態になっています。
この影響でアクセス数もコメント数も減っています。
内容を制限してGoogleに好かれるサイトにするつもりは全く無いので今後ともGoogleには嫌われ続けると思います。そのうち検索結果に出てこないサイトになるんでしょうか。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/553.html#c28
92. 2019年4月15日 05:16:15 : 4BEw1pJ3kg : MWlkeGFFWmxnUUk=[12]
86
便所紙そのものが書き込んでるのか?
豆腐が喉につまってるぜ。
脳かスカスカなおめえが出てくるとはな。日高見となで愛、さすり愛!
13. 2019年4月15日 05:17:53 : e0Zr7cZZLs : SWdSVFYxM3M3WnM=[2]
この国は、犯罪者が支配している。
大手メディアもグルとなって高い支持率を捏造し、洗脳を繰り返している。
そんな犯罪集団なのに、選挙だけは決して不正を行っていないと思えるか?
あの安倍自民党が不正を行ないもせずに、選挙で5連勝できると思えるか?
>ファシズムの初期兆候 http://www.jicl.jp/urabe/zakki/20170919.html
https://blog.goo.ne.jp/hitoshi1940/e/bb21e1b6078abc083bf2505393b3c037
1. 強力かつ継続的なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism)
2. 人権の蔑視(Disdain for Human Rights)
__ 中略 ___
12. 刑罰強化への執着(Obsession with Crime and Punishment)
13. 身びいきや汚職の蔓延(Rampant Cronyism and Corruption)
14. 不正な選挙(Fraudulent Elections)
>不正選挙を糾弾して安倍インチキ政権を打倒し、真の民主主義を求めようとする皆さんへ
https://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/46577694.html
その1 不正選挙実施のための準備
その2 米国式不正選挙の概要
その3 不正選挙に関する論証について
93. 2019年4月15日 05:25:37 : 4BEw1pJ3kg : MWlkeGFFWmxnUUk=[13]
日高見
いつもと同じくお前の後だし歪曲わめきちらしが続き、お前の恥さらしが一段と濃厚になって、いい姿だわー。
お前!いくら頑張っても、なりすまし実行してしまったことは消えない。
腐った心根は便所紙君とくっつきあって少しは安寧を得たのかな?
枝野も迷惑してるだろ、お前のようなやつに、コクられてもよ。
ははははははははは。
二度めの発狂しといてあげよう。
いかがわしい日高見、今回もあわれ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/595.html#c93
55. 2019年4月15日 05:25:56 : NwpaYT5MfM : dmxEYjBFb1g2QVU=[2]
12>
12番の法則ってアルキメデスの法則だっけ
共産党の規制って、公安の商売でしょう
共産党が弱体で最も困るのは公安ではないか
今度の参院選、警察長長官から全警察官へ共産党へ投票支持が出るのでは、ついに
それほど共産党は弱体化してきた、
警察最大の懸念事項、共産党が強くないと商売あがったり
国家国民にとって共産党が強かろうが弱かろうが関係なし
22. 2019年4月15日 05:29:02 : tHmjlzYNeA : L2cvTzBCaVRDaGM=[2]
既定の行動でしょう。
もし、自分が枝野だったら、最初から事務所に顔出しする程度で良いと
決めていたと思うよ。
応援演説はしない。
枝野には党首としての器量がない。華が無い。
根性が無い。一番大阪人に嫌われるタイプやね。
9. 2019年4月15日 05:35:27 : tHmjlzYNeA : L2cvTzBCaVRDaGM=[3]
枝野の下で働きたくはないな〜。
ボトムアップが重要って口では言っても、人格モロ自己中心なやつ。
こういう上司が一番、やりずらい。
立憲は顔の見えない政党になりつつあります。
壊れるのは国民民主ではなく、立憲の方だよ。
枝野は前原よりあざとい。
今にわかるから・・・。
91. 2019年4月15日 05:39:41 : nd5GRWUZzk : OFBnYnVqZnJ2d3c=[24]
>自衛隊増強・兵器等爆買いなどなどの軍事力強化で本当に日本国民を守れるのですか???
「兵器爆買い」って、また陳腐な文章だなぁ
F-35は「老朽化して退役するF-4戦闘機と、F-15戦闘機の更新」で購入するんであって、自衛隊の戦闘機の数自体は増えないんだが
というか、F-35の購入を決めたのは民主党政権時代です
まぁ自民党でも同じ決断をしただろうけど
つか、爆買いできるほど防衛費は増えてないわ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c91
48. 2019年4月15日 05:39:51 : yNZuvJZCxs : dXptWGhkLjVQMFU=[7]
現実はAIが人間を滅ぼしたことを肯定するためのシミュレーションだし輪廻転生(笑)とかいうスターシステムで当たりアカウント引けるかどうかがすべての出来レースやってることを隠蔽する為に人間の心や矛盾という概念が存在するってはっきりわかんだね(小並感)
精神病なんて苦しむ患者を見て優越感に浸るために仕事してる医者や看護師の習性を利用して生活保護をもらう為にある病気だし別に誰も困ってないんだよなあ…( #眼Д心)
金持ち権力者は金という行動する為の権限を独占する為の出来レースを維持する事を美化して一般人に何もしないよりマシって言い訳全開の苦労自慢したり都合のいい時だけ連帯責任の理屈を持ち出して悲劇の主人公ぶってるけどソシャゲで当たりアカウント引けた廃課金がサービス終了の責任をゲームと無関係の一般人に押し付けてるようなもんだし負け組は負け組のままでいろとか他人さえ不幸ならどんなに不便な世界でも構わないというのが勝ち組上級国民の本音なんだろうけど貧困層やニートに文句があるならさっさと安楽死施設を導入したほうが手っ取り早いだろ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/596.html#c48
10. 2019年4月15日 05:45:56 : NwpaYT5MfM : dmxEYjBFb1g2QVU=[3]
日本はキャシュレス社会に移行はない
マイナンバー制度でさえ最も有効な脱税摘発への利用は、とん挫している
既得権益社会は壊れない、日本が亡くなるまで
マスメデイア + 公務員 の立法支配続く
92. 2019年4月15日 05:49:39 : nd5GRWUZzk : OFBnYnVqZnJ2d3c=[25]
>世界一の軍事力を持っている米国があの9・11テロを防げなかったんですけど。
それを言ったら、「日本国憲法があっても世界初の化学兵器によるオウムのテロを防げなかったんですけど」となります
そしてサリンへの対応は自衛隊が行いました
基本的に自衛隊が防ぐのはテロなんてものじゃなく、正規軍相手の本格的な武力衝突です
日本の仮想敵国が民間機をハイジャックして突っ込むようなキ〇ガイなら別ですが、日本政府も自衛隊も、日本の仮想敵国をそこまでキ〇ガイとは考えていません
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c92
5. 2019年4月15日 05:51:04 : ZrjjO4P5Sk : T25Rd2wzdjVZTi4=[32]
米国の1パーセントにお仕えするアベ一派を この国から追い散らしてください。
山本太郎 ガンバレ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/644.html#c5
93. 2019年4月15日 05:59:58 : nd5GRWUZzk : OFBnYnVqZnJ2d3c=[26]
>自民党とグルになったアメポチクソ官僚に鳩山は嵌められたてクビにされたんだよ。
鳩山「普天間移転は最低でも沖縄県外にします。米海兵隊は本当は沖縄から出たがっているんです」
米国「そんなこと一言も言ってない」
自民党「いや無理だろ・・・米国と沖縄とでさんざん話し合って、やっと辺野古にしたんだから・・・」
当選後
鳩山「米海兵隊は沖縄県外で」
オバマ政権「日本は約束を守れ。県外は認めない」
鳩山「トラストミー」
オバマ政権「・・・・・・」
鳩山「勉強したら、沖縄米海兵隊の抑止力の大事さが分かった」
鳩山「腹案がある」
沖縄県民「ふざけんな!!」
首相辞任後
「やっぱり米海兵隊は沖縄県県外で」
日本国民「だめだこりゃ・・・」
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c93
21. 2019年4月15日 06:02:04 : fVmzl2gB1s : d29uSUlmR05tSUU=[81]
「頑張らない権利」もある。なぜ家畜のように「頑張る権利」を強要(≒教育)する。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c21
6. 2019年4月15日 06:11:20 : nd5GRWUZzk : OFBnYnVqZnJ2d3c=[27]
これやられたら、米国は激怒して中国のあやしい民間コンテナを片っ端から攻撃しちゃいそうだけどね
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/614.html#c6
14. 空虚[2011] i_OLlQ 2019年4月15日 06:16:14 : 5PnqJnrotc : UnJZbDg5blo5cWc=[1]
えっとでんな・・・
このままだと、一般ピープル、民間企業の5年残す書類も
1年廃棄でええという理屈になりまんな。
いよいよ、国際的に商売、商いに支障がでまんな・・・。
偽造・捏造・隠蔽に公文書抹消までやってのける無法地帯。
・・・あんだぁ〜?こんとろーる?
誰が?信用できますかいな・・・。
オカルト政府・国家って、ホンマにおとろしぃ〜わぁ〜・・・。
驚愕で草も生えんぞ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c14
3. 2019年4月15日 06:16:38 : B8Op7kNjdU : d215M2g1OXJUTS4=[1]
この板の投稿規定にコシミズ関連はカルト板か昼休み板に投稿するように書いている。管理人が信用できないからだと明記してある。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/643.html#c3
金正恩氏に「最高代表者」の称号 改憲し権限拡大か〜名実ともに金正恩氏が「国家代表」の立場であることを明確に/日経デジ
北朝鮮 朝鮮半島 2019/4/15 0:39
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43725930V10C19A4I00000/
【ソウル=恩地洋介】北朝鮮メディアが金正恩(キム・ジョンウン)委員長の動静を報じる際に「朝鮮人民全体の最高代表者」との称号を使い始めた。11日の最高人民会議(国会に相当)以降に使われており、憲法改正で金正恩氏の外交的権限を広げた可能性がある。北朝鮮の憲法上はこれまで、最高人民会議常任委員長が対外的な「国家代表」の位置づけだった。
ラヂオプレスによると14日の朝鮮中央放送などは金正恩氏を「全ての朝鮮人民の最高代表者であり、共和国の最高領導者」と呼んだ。11日に最高人民会議常任委員長に就いた崔竜海(チェ・リョンヘ)氏が、金正恩氏を国務委員長に推戴する演説をした際にも「最高代表者」の称号を使った。
北朝鮮憲法は国務委員長を「共和国の最高指導者」と規定するが、対外的な国家元首の役回りは今回退いた金永南(キム・ヨンナム)前最高人民会議常任委員長が担っていた。首脳外交を積極展開するため、名実ともに金正恩氏が「国家代表」の立場であることを明確にした可能性がある。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/214.html
11. 2019年4月15日 06:20:35 : pBIeupfMUQ : ekVDQnROU2FkYlk=[4]
TV芸能界、電通のカルト悪魔教に仕える、作詞家や、歌手の面々、何か人工地震テロの
「メッセージ」、「犯行予告」の情報を、大々的にプロパガンしていませんか?
既に、ベンジャミンは、そうしたカルト悪魔教の「秘密結社」かた得た情報として
「511」に「311」同様の人工地震テロを引起して、日本人10万人の大量殺戮を
実行するという、連中の脅迫内容を「犯行予告」として発表しているそうですから
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/673.html#c11
22. 2019年4月15日 06:21:41 : 6KiUALiH2Y : NTNnc2FGWVN2SWM=[25]
私が彼女だったらもう一言付け加えたな。「戦前の帝国時代の東大は入学するのに今よりはるかに難関であったという意味でエリートでした。しかし、東大を含めた他の帝国大学を卒業した、官僚や政治家が本当に優秀であったのなら、太平洋戦争であのような悲惨な負け方をしたでしょうか?みなさんには本当の『優秀』とはどういうことであるか今一度考えてみてください」
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c22
12. 2019年4月15日 06:22:47 : pBIeupfMUQ : ekVDQnROU2FkYlk=[5]
ほら
http://news.livedoor.com/article/detail/16316134/
巨人が5年ぶりの2戦連続2桁「11」失点 厳しい展開に原辰徳監督も曇り顔
巨人は14日、ヤクルトに6−「11」で敗れてカード負け越しとなり、3位に転落した
前日に続き「11」失点を喫し、2014年5月以来
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/673.html#c12
7. 2019年4月15日 06:24:58 : pBIeupfMUQ : ekVDQnROU2FkYlk=[6]
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/673.html?c12#c12
11. 2019年4月15日 06:20:35 : pBIeupfMUQ : ekVDQnROU2FkYlk=[4] 報告
▲△▽▼
TV芸能界、電通のカルト悪魔教に仕える、作詞家や、歌手の面々、何か人工地震テロの
「メッセージ」、「犯行予告」の情報を、大々的にプロパガンしていませんか?
既に、ベンジャミンは、そうしたカルト悪魔教の「秘密結社」かた得た情報として
「511」に「311」同様の人工地震テロを引起して、日本人10万人の大量殺戮を
実行するという、連中の脅迫内容を「犯行予告」として発表しているそうですから
12. 2019年4月15日 06:22:47 : pBIeupfMUQ : ekVDQnROU2FkYlk=[5] 報告
▲△▽▼
ほら
http://news.livedoor.com/article/detail/16316134/
巨人が5年ぶりの2戦連続2桁「11」失点 厳しい展開に原辰徳監督も曇り顔
巨人は14日、ヤクルトに6−「11」で敗れてカード負け越しとなり、3位に転落した
前日に続き「11」失点を喫し、2014年5月以来
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/672.html#c7
23. 2019年4月15日 06:30:23 : B8Op7kNjdU : d215M2g1OXJUTS4=[2]
社会は絶賛しているのだが。ブログ主はネットしかみない高齢者のネトウヨと同じ思考停止の状態なのではないか。ネットに書く前に勉強しよう。まず本を読もう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c23
6. 2019年4月15日 06:38:49 : 66WNxa6fRA : MGk0R1RtZ000Yi4=[3]
>>5 同意!
そもそもJXの株主がダマスゴミの親分だし、取引先もダマスゴミだし、本当に12区の有権者に問い合わせたのかも怪しい。つまるところ、既存メディアの捏造調査結果が通用しなくなったので、新規の調査会社をでっち上げて捏造した調査結果を流布し、洗脳を繰り返しているんだと思う。
>株式会社JX通信社(英文表記:JX Press Corporation)https://jxpress.net/about/info/
・主要株主 経営陣・役員__一般社団法人 共同通信社 株式会社共同通信デジタル 株式会社QUICK(日本経済新聞グループ) 株式会社テレビ朝日ホールディングス 株式会社フジ・スタートアップ・ベンチャーズ(フジテレビグループ) 株式会社サイバーエージェント・キャピタル 株式会社ベクトル 三菱UFJキャピタル株式会社 ほか
・主要取引先__ パナソニック システムソリューションズジャパン株式会社 株式会社産経デジタル 日本放送協会(NHK) 日本テレビ放送網株式会社 株式会社テレビ朝日 株式会社TBSテレビ 株式会社テレビ東京 株式会社フジテレビジョン 一般社団法人 共同通信社 株式会社共同通信デジタル 株式会社QUICK ほか__
______________________________________________
ちなみに4・7の北海道知事選挙でも_______________
>前夕張市長の鈴木氏がややリード、石川氏激しく追う
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/587.html
北海道知事選の告示前情勢は、自民党・公明党が推薦する前夕張市長の鈴木直道氏がややリードし、立憲民主党や共産党などが推薦する元衆議院議員の石川知裕氏が激しく追う展開となっている。なお、3割以上の有権者が態度を決めておらず、情勢は流動的だ。・・・・
という調査結果なるもの発信していたが、結果は以下のごとし。
*鈴木直道__1,621,171__62.7%
・石川知裕___963,942__37.3%
もちろん、これもインチキの結果だよ。http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/633.html#c2
石川陣営は「追いついた」と分析していたから、最低でも僅差で勝利していたんだと思う。
まさに「嘘も垂れ流せば真実になる」という方針で、「インチキやります宣言」なんだと思う。
選挙に勝つには、インチキをさせないことが必須条件だよね! 何とかしなくっちゃ!
>テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実! TBS社長【井上弘】語録
http://urieo8opsy12hj.hatenablog.com/entry/2017/08/09/111356
「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実」(1998年 新人の入社式にて)
「社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配するわけです」(2002年 新人の入社式にて)
「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです」(2003年 新人の入社式にて)
「君たちは選ばれた人間だ。 君たちは報道によって世の中を動かす側の人間。 対して一般国民は我々の情報によって動かされる人間だ。日本は選ばれた人間である我々によって白にも黒にもなる」(2010年 新人の入社式にて)
_____「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう」____
朝鮮総連の巧妙な圧力から、無試験の在日朝鮮人枠を設けたTBSが除々に在日朝鮮人に乗っ取られる様子が克明に記されています。・・・以下略
______________________________________________
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/646.html#c6
56. 前河[1902] kU@JzQ 2019年4月15日 06:39:00 : ITg8WTqi2s : Ry4wZi9HSGNWRVk=[21]
なんというか、知識人(と言えるか?)は、方向性が視野の狭いアベウヨばかりだろ。いわゆるアベウヨ商売で食ってるやつばかり。
しかし、タレントの場合は、その現状を把握しきれずに騙されてる人達でしょうね。
安倍や安倍政権の本質を知ったら来ないでしょう。
無知は罪なんじゃないですか。
24. 2019年4月15日 06:39:40 : fVmzl2gB1s : d29uSUlmR05tSUU=[82]
>>21に追記
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶(おとし)めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
この(美談めいた)祝辞に潜む競争原理主義の解説。
学力偏差を社会的地位の基準(≒選別)として余りに絶対化した結果が、「彼女は頭が悪いから」と暴行行為を言い訳けした大学院生の意識を生んだ。上野千鶴子は美醜(先天的要素)を嫌うが、美醜も社会的地位の獲得基準として学力偏差と並び立てば「彼女(キミ)は頭が悪いから」を「あなたは顔がブスだから」或いは「息が臭いから」と無力化できるだろう。競争はルールを一元化して成立(激化)する。「頑張る権利」は「頑張らない権利」を保障してこそ権利となる。この祝辞は頑張れの強制(≒義務)でしかない。
21. 2019年4月15日 06:44:54 : 54qpdf8OJs : TnRDenk4Rk5VSkU=[48]
>>18 本気で同感!
だって、あの疫病神のペテン師が嘘つきで国賊だということを300日の投獄で実感しているんだから、説得力があると思う。たぶん、声を掛けたら応援演説をしてくれると思う。もはや右も左もなく、国賊・疫病神・犯罪者を逮捕・投獄することが喫緊の課題なのだから。
17. 空虚[2012] i_OLlQ 2019年4月15日 06:45:30 : 5PnqJnrotc : UnJZbDg5blo5cWc=[2]
>>16 増税反対 殿
ごもっとも。
すべからく、増税でケリをつける政策は中世暗黒の教訓で
これ以上は無いという愚策中の愚策。
ま、おいらはパチンコなんざ大嫌いだから門外漢なんだが
公営ギャンブルに誘導したいんだろが、ところがどっこいしょ!w
庶民の傾向としては、潜るんだわ。歴史的史実の教訓、常識としてw
マフィアには、最高の上策でんがな。
潜るのよ、必然的に。
その次は、その資金力で政治家を誘導するの。
ケチって火炎瓶、炎上事件 晋三的国家反逆政治が、常態化するんだわな・・・。
わかりる?
ほれ、禁酒法なんてのもあったろ?
これが【 あんだー(グランドだなw)こんとろーる 】ってやつだわ。
今もこの先も【 国 家 非 常 事 態 】が続くのよ。
野党・野合せんことにゃ・・・。
23. 2019年4月15日 06:46:05 : zpOdEanRaE : TUFRVE02UzhHZWs=[23]
ほらな
報道されてないだけで、野党議員はちゃんと仕事をしてるよ
・自民党の議員が何かやると、これ見よがしに報道して美談にする
・元自民の議員(特に小沢)が何かやると、これ見よがしに報道してネタにする
・野党の議員が何かしても、隠し切れない事を除いて黙殺し、少しでも隙や落ち度があると鬼の首を取ったように書き立てる
これが、基本的なマスゴミの報道のやり口だよ
いい加減、その見え透いた手口を見抜けよ・・・与党が民主党の頃とどう違うのか、まさに一目瞭然ではないか
こんなん、中学生でもわかることだ・・・俺は小学生の時には分かってたからな
>>18
>>19
遅いのはマスゴミの報道()であって、枝野の行動じゃないよ
野党議員が「何もしてない」というのは、マスゴミが「そう思って欲しい」だけで事実じゃない
より正確には「マスゴミがするべき仕事をしてない」
あるいは「報道の公正さが無い」だけだな
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c23
57. 前河[1903] kU@JzQ 2019年4月15日 06:53:39 : ITg8WTqi2s : Ry4wZi9HSGNWRVk=[22]
私も五句
花見来て 桜の下に 糞ばかり
期待した 花見が台無し 糞のせい
桜とは 似合いもしない ウンコたち
さくらの色と 対称的な ウンコたち
桜の精が 欲の固まり 見極める
1. 2019年4月15日 06:56:04 : mWQeD1RxgA : WWx6U3ZYQnZoWUk=[11]
「岩手選挙区には自民党が4選を目指す現職平野達男氏(64)の擁立」
静岡も同じだが、反自民を訴え、次に野党批判を訴えられて投票する有権者の頭が混乱
しないところがいかにも日本人らしい。ここを理解しないと戦略が立てられないと思う
2. 2019年4月15日 07:02:27 : 9PEYTC4wU2 : a3NrVGR6cFd2bkE=[1]
泣く子と地頭には勝てぬ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/648.html#c2
58. 2019年4月15日 07:15:15 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[119]
これ、選挙の事前運動じゃないの?
会費取らなきゃ官邸機密費のバラ蒔きだ!!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/626.html#c58
25. 2019年4月15日 07:19:45 : XMT2YjOjgs : c29FU3VXS1RyVEk=[38]
東大は合格発表の時点で、既に二極化に分けられています。
「一般の新入生」と「特別な新入生」です。
東大に入学すると、まず特別な先輩グループからのお声掛けがあります。
やみくもに声を掛けるのではなく、彼らは事前に名前リストを手に持ち声を掛けていきます。
これは私の親戚の子が東大(法学部)に入学し、履修登録時に特別な新入生とも知らずに言葉を交わすことになり、一緒にいたときに、その子にお声掛けがありました。
「君も承知していると思うけど、この大学で僕たちは特別な存在だからね。これからは僕たちと情報共有することになるから。」
情報共有とは、すでにキャリア官僚になることが決定しているので、そのための情報共有です。
その子とは、そこで別れ、翌日からは挨拶することもなくなったそうです。
現実に大学の中で格差が行われているのを目のあたりにして驚いていました。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c25
193. 中川隆[-10759] koaQ7Jey 2019年4月15日 07:26:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1289]
2019年4月15日
株式の長期投資は預金より儲かりやすい
塚崎公義(久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15927
今回は『老後破産しないためのお金の教科書 』の著者である塚崎が、株式の長期投資の期待値について解説します。
投資家がリスクを嫌うから期待値がプラスに
前回の拙稿『株式投資はカジノより儲かりやすい』で、短期投資の期待値がプラスであるこよを示しました。「明日の株価の予想は5割の確率で1100円か900円になるだろう」と投資家たちが予想している銘柄があるとすると、その株価は1000円より安いはずである、それは投資家たちがリスクを嫌うからである、というのが論拠でした。
まったく同じ論拠で、「明日の株価の予想」を「10年後の株価の予想」に変更すれば、長期投資の期待値もプラスであることがわかります。今は預金金利がほとんどゼロですから、期待値がプラスなら預金より有利だ、と言えるでしょう。
そして実は、預金金利がゼロでなくても預金より有利なのです。それは、「株式投資の期待値が預金金利より低かったら、投資家たちはリスクを避けて預金をするから」なのです。
本稿は以上おわり、でも良いのですが、別の説明も考えてみましょう。
長期投資は会社の付加価値の分け前にあずかるもの
株式投資には、短期投資と長期投資があります。短期投資は、会社の価値には変化がないのに株価が変化する事を利用して利益を得ようとするものです。一方の長期投資は、会社が生み出す付加価値の分け前にあずかろうとするものです。
会社は株主と銀行から資金を集め、労働者を雇い、材料を仕入れて製品(財またはサービス)を作って販売します。売値から材料費等を差し引いた部分が「付加価値」で、その中から労働者に賃金を、銀行に金利を、株主に配当を支払います。残りは内部留保となりますが、これも最終的には株主のものとなります。
株主が大勢いる場合でも一人のオーナー社長がいる場合でも、基本は同じです。つまり、株式投資をするということは、オーナー社長と同じ立場に立つということなのです。
では、オーナー社長は確率5割で100円儲かるか100円損するか、という案件に投資するでしょうか。しませんね。期待値が預金金利と同じでリスクがあるならば、預金をする(または借金を返す)方を選ぶでしょう。彼らもリスクは嫌いですから。まして、大きな投資に失敗して会社が倒産してしまうようなリスクは避けるでしょう。
余談ですが、実は株主有限責任という法律があるため、資本金1円の会社が「100円儲かるか100円損するか」という投資をすることは合理的とも言えます。オーナー社長は資本金を失うだけで、あとは銀行が損を被ることになるからです。
もっとも、日本の大企業は倒産して従業員が失業することを極端に嫌いますから、オーナー社長の利益だけで意思決定がされるわけではありません。そもそも取引銀行がそのような投資は認めないでしょうし。
このように、オーナー社長はリスクを嫌うので、期待値がプラスの案件しか投資をしません。そうであれば、企業収益の期待値はプラスでしょう。そして、上記のように零細投資家であってもオーナー社長と同じ立場ですから、零細投資家の持っている株についても利益の期待値はプラスでしょう。
したがって、株式に長期投資をすれば、期待値としては預金金利よりも高い配当利回りが得られるはずです。配当しない企業もありますが、その場合には利益が内部留保されるので、長期的にはPBRが一定だとすれば、株価が上昇していく、ということになるはずです。
数年前、経済学者トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』がベストセラーとなり、その中のr>gという式が話題となりました。株式投資等の利益率が経済成長率より大きいので、格差は拡大する、ということですね。
これに意外感を持った人が多かったようですが、資本家や投資家は期待値がプラスの案件にしか投資しないのですから、むしろこれは当然だと言えるでしょう。
ちなみに「経済成長率は金利と等しいはずだ」という考え方があり、それに従えば、ピケティの理論は「株への投資は期待値としては金利より高い」ということになりますから、本稿の内容と似ているわけですね。
経済は成長するから株価も上がるはず
経済は、基本的に成長します。バブル崩壊後の長期低迷期、日本経済はゼロ成長時代が続きましたが、その間も世界経済は成長を続けていました。つまり、世界中の株を全部持っていれば、企業の利益が増え、株価が上がっていくはずなのです。
実際には、世界中の株を全て持つことはできませんが、その一部を持つことは期待値としてはプラスだ、と言えるでしょう。特に、世界中の株に分散投資する投資信託などを長期保有すれば、期待値としてのリターンはプラスになるはずでしょう。
損得以外にも株の長期投資はオススメ(余談)
以上、株式の長期投資の期待値が預金より高いことを説明して来ましたが、筆者は期待値以外にも株式の長期投資をする理由があると考えています。それは、リスク分散です。
預金は安全資産で株はリスク資産だ、と思っている人が多いようですが、インフレを考えると預金は目減りするのでリスク資産です。一方で株は、インフレに強い資産です。「インフレになると企業の売り上げもコストも利益も増えるので、株価も上がる」というのが、その理屈です。
したがって、預金も株もリスク資産なのだから、バランスよく分散投資すべきなのです。もちろん、株の銘柄分散をしっかり行うこと、一度に買わずに少しずつ買う「時間分散」も忘れないこと、は当然ですが。
具体的には、たとえば「世界中の株に投資する投資信託を毎月一定額ずつ買っていく」といった投資をしておけば、インフレが来ても大丈夫ですし、インフレが来なくても期待値としては預金より良いのですから、ぜひ検討してみましょう。もちろん、投資は自己責任でお願いしますが。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c193
プー習トラが阻止してくれる事を願うばかりである。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/673.html
12. 中川隆[-10758] koaQ7Jey 2019年4月15日 07:27:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1290]
2019年4月15日
株式の長期投資は預金より儲かりやすい
塚崎公義(久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15927
今回は『老後破産しないためのお金の教科書 』の著者である塚崎が、株式の長期投資の期待値について解説します。
投資家がリスクを嫌うから期待値がプラスに
前回の拙稿『株式投資はカジノより儲かりやすい』で、短期投資の期待値がプラスであるこよを示しました。「明日の株価の予想は5割の確率で1100円か900円になるだろう」と投資家たちが予想している銘柄があるとすると、その株価は1000円より安いはずである、それは投資家たちがリスクを嫌うからである、というのが論拠でした。
まったく同じ論拠で、「明日の株価の予想」を「10年後の株価の予想」に変更すれば、長期投資の期待値もプラスであることがわかります。今は預金金利がほとんどゼロですから、期待値がプラスなら預金より有利だ、と言えるでしょう。
そして実は、預金金利がゼロでなくても預金より有利なのです。それは、「株式投資の期待値が預金金利より低かったら、投資家たちはリスクを避けて預金をするから」なのです。
本稿は以上おわり、でも良いのですが、別の説明も考えてみましょう。
長期投資は会社の付加価値の分け前にあずかるもの
株式投資には、短期投資と長期投資があります。短期投資は、会社の価値には変化がないのに株価が変化する事を利用して利益を得ようとするものです。一方の長期投資は、会社が生み出す付加価値の分け前にあずかろうとするものです。
会社は株主と銀行から資金を集め、労働者を雇い、材料を仕入れて製品(財またはサービス)を作って販売します。売値から材料費等を差し引いた部分が「付加価値」で、その中から労働者に賃金を、銀行に金利を、株主に配当を支払います。残りは内部留保となりますが、これも最終的には株主のものとなります。
株主が大勢いる場合でも一人のオーナー社長がいる場合でも、基本は同じです。つまり、株式投資をするということは、オーナー社長と同じ立場に立つということなのです。
では、オーナー社長は確率5割で100円儲かるか100円損するか、という案件に投資するでしょうか。しませんね。期待値が預金金利と同じでリスクがあるならば、預金をする(または借金を返す)方を選ぶでしょう。彼らもリスクは嫌いですから。まして、大きな投資に失敗して会社が倒産してしまうようなリスクは避けるでしょう。
余談ですが、実は株主有限責任という法律があるため、資本金1円の会社が「100円儲かるか100円損するか」という投資をすることは合理的とも言えます。オーナー社長は資本金を失うだけで、あとは銀行が損を被ることになるからです。
もっとも、日本の大企業は倒産して従業員が失業することを極端に嫌いますから、オーナー社長の利益だけで意思決定がされるわけではありません。そもそも取引銀行がそのような投資は認めないでしょうし。
このように、オーナー社長はリスクを嫌うので、期待値がプラスの案件しか投資をしません。そうであれば、企業収益の期待値はプラスでしょう。そして、上記のように零細投資家であってもオーナー社長と同じ立場ですから、零細投資家の持っている株についても利益の期待値はプラスでしょう。
したがって、株式に長期投資をすれば、期待値としては預金金利よりも高い配当利回りが得られるはずです。配当しない企業もありますが、その場合には利益が内部留保されるので、長期的にはPBRが一定だとすれば、株価が上昇していく、ということになるはずです。
数年前、経済学者トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』がベストセラーとなり、その中のr>gという式が話題となりました。株式投資等の利益率が経済成長率より大きいので、格差は拡大する、ということですね。
これに意外感を持った人が多かったようですが、資本家や投資家は期待値がプラスの案件にしか投資しないのですから、むしろこれは当然だと言えるでしょう。
ちなみに「経済成長率は金利と等しいはずだ」という考え方があり、それに従えば、ピケティの理論は「株への投資は期待値としては金利より高い」ということになりますから、本稿の内容と似ているわけですね。
経済は成長するから株価も上がるはず
経済は、基本的に成長します。バブル崩壊後の長期低迷期、日本経済はゼロ成長時代が続きましたが、その間も世界経済は成長を続けていました。つまり、世界中の株を全部持っていれば、企業の利益が増え、株価が上がっていくはずなのです。
実際には、世界中の株を全て持つことはできませんが、その一部を持つことは期待値としてはプラスだ、と言えるでしょう。特に、世界中の株に分散投資する投資信託などを長期保有すれば、期待値としてのリターンはプラスになるはずでしょう。
損得以外にも株の長期投資はオススメ(余談)
以上、株式の長期投資の期待値が預金より高いことを説明して来ましたが、筆者は期待値以外にも株式の長期投資をする理由があると考えています。それは、リスク分散です。
預金は安全資産で株はリスク資産だ、と思っている人が多いようですが、インフレを考えると預金は目減りするのでリスク資産です。一方で株は、インフレに強い資産です。「インフレになると企業の売り上げもコストも利益も増えるので、株価も上がる」というのが、その理屈です。
したがって、預金も株もリスク資産なのだから、バランスよく分散投資すべきなのです。もちろん、株の銘柄分散をしっかり行うこと、一度に買わずに少しずつ買う「時間分散」も忘れないこと、は当然ですが。
具体的には、たとえば「世界中の株に投資する投資信託を毎月一定額ずつ買っていく」といった投資をしておけば、インフレが来ても大丈夫ですし、インフレが来なくても期待値としては預金より良いのですから、ぜひ検討してみましょう。もちろん、投資は自己責任でお願いしますが。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/907.html#c12
1. 赤かぶ[9745] kNSCqYLU 2019年4月15日 07:30:00 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[397]
上野千鶴子さんに昔からずっと感じてきた違和感は、こういうことだったのかな?と、鄭玹汀さんの意見を読んで思う。『帝国の慰安婦』については未見。要学習。https://t.co/fp2Bgljuot
— やみぃ ☮️ 塚田ひさこ(豊島区議選候補)絶賛応援中 (@yummy12steps) 2019年4月14日
鄭玹汀
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1232904470200235
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/651.html#c1
15. 2019年4月15日 07:37:29 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[120]
こんな事で驚いてはいけません。
安倍は『ナチス=ヒットラー』です。
『ナチス』の宣伝相ゲッペルス役は『イマイヒショカン』です。
ドイツなら地球の果てまで追跡され、逮捕して裁判にかけられる。
安倍は『ヒットラー』と同じで「自決」するから、裁判は怖くないのです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c15
26. 赤かぶ[9746] kNSCqYLU 2019年4月15日 07:39:33 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[398]
半歩前へ氏の続報
上野千鶴子は日本政府にとって「好都合」の学者!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/651.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/637.html#c26
11. 2019年4月15日 07:43:40 : BpzhY7qFk6 : WW9HMHFYNXdVOW8=[50]
気味が悪い = 新1万円札
インドでも 高額紙幣は 廃止された
高額紙幣 = 裏金(アンダーグラウンド・マネー) = 利権構造 = やくざ = 政治家
===
「悪の構造」 = 「高額紙幣」だということは明らかだ
マフィアのアジトのロッカーには 沢山の現金の束が積んである場面が必ず出てくる
いまだに 新しい1万円札を作ろうという 日本政府 = 安倍やくざ社会 なのだ
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/151.html#c11
2. 2019年4月15日 07:46:47 : EwtsV5Ynhs : SjE5aW5SUHdRRVk=[1]
やっぱり思い込みじゃネーの?
因みに塚田ひさこはあんまし言いたくないけど、玉木と同郷、安倍と同じ成城出身という人物だよ。
大学なんてもともとどっこも閉鎖的なトコなので、東大だけではないのだよ。そこが珍歩は判っていないと思う。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/651.html#c2
16. 2019年4月15日 07:47:52 : EwtsV5Ynhs : SjE5aW5SUHdRRVk=[2]
平成最後のカラ出張ってか。
それも国家規模でやるので始末が悪すぎる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/647.html#c16
7. 2019年4月15日 07:49:54 : EwtsV5Ynhs : SjE5aW5SUHdRRVk=[3]
半島から追放された朝鮮土人というのは、勝てば官軍という山口の悪しき風潮をモロに出している。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/646.html#c7
12. 2019年4月15日 07:52:58 : BpzhY7qFk6 : WW9HMHFYNXdVOW8=[51]
海外に行くときは 帰りの免税店で 50Gの 金のインゴットを買って帰るべきだ
金 > 現金 > キャッシュレス
海外で 50万の金は 日本では 58万で さらに消費税が着くので 62万となり
12万円 安く買えることとなる
===
世の中が 不安定になれば キャッシュレスの金も 現金も 全て ハイパーインフレに飲み込まれる
そして 金の塊は 勝利の雄たけびをあげるだろう
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/151.html#c12
17. 前河[1904] kU@JzQ 2019年4月15日 07:53:13 : ITg8WTqi2s : Ry4wZi9HSGNWRVk=[23]
こういうインチキをマスコミはもっと大騒ぎして叩けよ
こんなインチキ政権は倒すしかない。今の自民は日本をダメにしている。
★税金の使い方が滅茶苦茶
★三権分立をないがしろにして民主主義を破壊した権力乱用
★問題が起きても責任をとらない無責任体質
これにデータ無視、事実をねじ曲げる詐欺的手法が加わったか。もう最強の最悪。政権失格。倫理無視。やりたい放題クソ政治。
見て見ぬふりをするマスコミ。最悪の組み合わせじゃないか?
1. 2019年4月15日 07:55:04 : 5OzOFYMUDs : MnM1Q0ZnVGdCUjY=[23]
『この画像は“合成=フェイク画像"の可能性99.99%である。』
背景にある1F2号機だか3号機だかのパース と手前の<ウソツキしんちゃん>一行のパースが全く合っていない。そもそも、<ウソツキしんちゃん>一行が立っている場所は、ほぼ海の上であり、そこには何等の建屋=屋上もない。
この“合成=フェイク画像"を発信したのは、彼の「犬あっちいけ」だけである。
4. 2019年4月15日 07:55:40 : EwtsV5Ynhs : SjE5aW5SUHdRRVk=[4]
こんなポンコツ、中露が興味持つとは思えんよ。
日本に亡命したミグも、ある程度捏造された話だったらしいしな。ロシアの技術はアメリカよりも上な部分は多くある。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/645.html#c4
6. 2019年4月15日 08:02:08 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[236]
惨敗は川口マーン恵美のほうだね。
ドイツは2020年に35%という再生可能エネルギーの目標は早々と達成し、
2030年までに100%を目指していますが何か?
もうこの流れは止まらない。 さようなら原子力。
「ドイツの再生可能エネルギーが先週72.4%のシェアを達成 (RENEW ECONOMY)」
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/302.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/359.html#c6
94. 2019年4月15日 08:02:18 : EwtsV5Ynhs : SjE5aW5SUHdRRVk=[5]
あくまで沖縄を踏みつけたい輩がネトウヨだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c94
95. 2019年4月15日 08:04:41 : EwtsV5Ynhs : SjE5aW5SUHdRRVk=[6]
アベが詐欺師共の統括だという事に気づかないネトウヨは、自分がアベ詐欺にあってることも気づかない。
お目出度い輩共だ。精神鑑定うけな。なんだったら、長州出島に隔離するのも悪くないかもな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c95
7. 2019年4月15日 08:05:24 : mWQeD1RxgA : WWx6U3ZYQnZoWUk=[12]
自民党OBと言えども米国に盾つく発言をするのはかつて無かったのではないか。
米国に進言してせっせと下請け活動するジャパンハンドラー日本支部があるのではな
いか?
潮目が変わってきたようなら日本支部の人間の口を開かす機会が来たかもしれない。
1. 2019年4月15日 08:16:12 : JURb2Bygys : N1VnUXp4RjJLOTI=[1]
511サックスなら、7 サックスが最も嫌う数字。平和だな。
プーチン頼む!
3. 日高見連邦共和国[13252] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 08:17:24 : 0nvyZmqwOI : OG1uRFQxbDR3M0k=[346]
『完璧帰趙』=『真相の道』
現地のリアル(事情)を知らないバカが、配信記事だけで妄想膨らますだけのスレッド。
しかも、同じネタを何度も使い回し、ネチネチと。なんでそんな岩手が好きなの?(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/648.html#c3
3. 中川隆[-10757] koaQ7Jey 2019年4月15日 08:17:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1291]
【狂気の戦時医学】ナチスの人体実験まとめ【ヒトラー・ドイツ】 2017/5/11
http://3rdkz.net/?p=250
ナチスドイツの非人道的な人体実験の数々をわかる限りまとめました。
なるべく信頼できそうな資料だけを使用し、誇張することがないよう心がけました。
非常に残酷で吐き気を催す事実が記載されているため、観賞要注意とします。
目次
実験T 低圧・低温実験
実験U 海水を飲料にする実験
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
実験X 毒物接種実験
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
実験Z マラリア実験
実験[ 双子実験
実験\ 強制不妊化実験
実験] 飢餓実験
なぜこんなことが起こったか
実験T 低圧・低温実験
低圧・酸欠下での救出実験
hypothermiaドイツ空軍が高度12000メートルに達するジェット機を開発したまでは良かったが、人体がそのような超高度環境にどのような反応を見せるのか、ということに関して信頼できるデータはまだなかった。そこで、ドイツ空軍軍医大尉であり、親衛隊将校でもあったジクムント・ラッシャー博士は、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者=ヒムラー)》へ手紙を書き、ダッハウ収容所の死刑囚を用いた人体実験の許可を求めた。
1942年3月、ヒムラーは実験を許可し、ラッシャー大尉の責任において、超高度における人体の反応の観察や、パラシュートや特殊機材を用いた救出を実用化するための危険な人体実験が行われた。超高度の低圧環境下で被験者を酸欠の状態に留め置き、どれぐらいの時間をかけて被験者が死亡するのか、またどのようなタイミングでしかるべき処置を行えば彼を救出できるのか、ありとあらゆる場面を想定して実験が行われた。当然のごとく実験は死者が続出したが、ラッシャーは死にゆく被験者の行動を観察し、心電図を記録した。そして、屍を解剖し、肺や心臓、脳の血管の空気塞栓の状況などを記録。逐一ライヒスフューラーへ報告していた。
実験に駆り出された200人の囚人のうち、実に80名の被験者が死亡した。
低体温・冷却からの蘇生実験
freeze
冷却実験の様子
ラッシャーとその協力者たちは、ダッハウにて更に人体実験を行うことにした。今度は海難事故などにより寒冷下に晒された人体を、いかに蘇生・回復できるか、といった実験である。やはりパイロットを救出することを前提とした実験であったが、実際にはダッハウの囚人300名を4〜12℃に冷却した水の中につけ、体を極限まで冷やしたのち、いかにすれば効率よく回復できるかを試すもので、この実験で90名が死亡。今日においてもこの実験結果が国際的専門誌に引用されているという。
この実験は当初よりライヒスフューラーの関心を買った。ヒムラーは冷え切った肉体を温めるためには、同じ人間の皮膚の接触。つまり、裸の女性による抱擁が効果があるのではないか、と考えた(ヒムラーはしばしばこのようなロマンチズムに基づく推測を実践させた)。ラッシャーはヒムラーの意向に沿ってダッハウ収容所より若い女性4名を召喚。そのうちの一人があまりにも見事なアーリア人種の肉体的特徴を備えていたため、ラッシャーは彼女を実験に使用することを拒否したという。つまり、被験者は下等人種とみなされたスラブ人やソ連兵捕虜であり、これを裸で温める乙女がアーリア系であってはならないというのである。この逸話からもわかる通り、人体実験は激しい人種差別の賜物であった。ちなみに女性の体で温める方法は非効率で到底実用に耐えないものであったという。
この実験は、場所を変えてアウシュビッツ収容所でも行われた。アウシュビッツのほうがより寒く、広大で実験が目立たなかったからだという。つまり、被験者は多くの場合、「苦しみにより悲鳴をあげた」からである。ラッシャーは被験者に麻酔をかけることを禁止し、なんら苦しみを緩和するための努力をしなかった。
ある実験では、ソ連軍将校2名がアウシュビッツで、水桶の中に裸で入らされた。通常なら60分程度で意識を失い、死亡するのだが、このソ連将校2名は3時間経過した頃に「同志…銃殺してくれないか」と頼んだという。その後、二人は握手を交わし、「さよなら、同志よ」と言った。ポーランド人の助手が見兼ねてクロロフォルムで二人に麻酔をかけようとしたが、ラッシャーはピストルを突きつけ、これを制止した。二人は5時間後にようやく死亡し、死体は解剖するためミュンヘンに送られた。
ラッシャー夫妻は子供に恵まれず、子供を誘拐、金銭で買い取って自らの子であるとして育てていた。これが明るみに出るとライヒスフューラーは激怒。ラッシャーは多くの囚人を殺害したダッハウにおいて、自らも処刑された。戦争が終わる直前だった。よって戦後もラッシャーは裁きにはかけられず、協力者たちは全ての責任を、同じく死亡したヒムラーとラッシャーにかぶせることに成功。この非道な人体実験で裁かれた者は結局誰一人としていない。
実験U 海水を飲料にする実験
この実験は、やはり海難事故に遭遇し、海の上を漂流することになったパイロットを救うために企画された。
二人の科学者が海水を飲料にするための試みを始めた。シェーファー教授が海水から塩分を分離するための設備を開発しようとして成功したが、これには多額の費用が掛かるため実用性なしと判断された。一方空軍技師ベルカが開発した「ベルカティカ」という薬品は海水の味を飲める程度に変えてしまうもので、この薬品はコストパフォーマンスにも優れ、大量に生産された。
しかし、すぐにこのベルカ方式の海水を飲むと、「より渇きがひどくなる」という声が上がり始めた。味を調整しただけで海水は依然として多量の塩分を含んでいたし、飲みすぎることで渇きが悪化し、下痢すら引き起こすことが分かった。
どちらの方法で渇きを解決するのか、ダッハウ収容所内で再度人体実験が行われた。被験者はいくつかのグループに分けられた。数日間にわたって海水を飲むもの、ベルカ方式の海水を1日500cc飲むもの、1000cc飲むもの、シェーファー方式で精製された水を飲むもの、などである。
被験者はブーヘンヴァルト収容所から連れてこられたジプシーたち40名であった。彼らは表向きは志願であった。実験の詳細についてきちんと説明を受けた上、実験前10日間は完璧な航空兵糧食3000キロカロリーを摂取し、健康管理を入念に行ったうえでの実験であり、死亡した者、後遺症が出た者はいないとされている。しかし、実験は著しく苦しく不快なものとなり、被験者の中には清掃班のバケツの中の汚水を飲んだり、モップから垂れたしずくを舐めた者がいたという。このような実験が本当にすべて志願だったと言えるだろうか?ましてや被験者のほとんどは賤民と見なされていたジプシーである。これは戦後の裁判で検察の激しい疑惑をかい、追及を受け、実験を主導した者たちは禁固15年〜終身刑を受けた。
ただし、実験で重篤な障害を受けた者、死亡した者がいなかったのは確かなようである。フランス人の医療助手や被験者のジプシーのうち数名が、宣誓供述書を提出し、実験を主導した科学者たちの恩赦請求を行っている。
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
発疹チフスのワクチン接種実験
東部戦線や各収容所で猛威を振るった発疹チフスから、前線兵士を救うための人体実験がブーヘンヴァルトとナッツヴァイラー各収容所にて行われた。
実験は1942年の春ごろから1944年の末まで続けられた。
それまで存在していた発疹チフスのワクチンは、病気の症状を軽減させることはできても、本来の目標たる免疫力の獲得、つまり病気に罹らずに済む、というものではなかった。これを深刻にとらえたSS上層部の医師団や衛生担当者たちは、人体実験の施行を強く主張。ブーヘンヴァルト内にウィルス研究部が設立され、SS軍医や権威ある熱帯医学者などが参加した。
実験は数十種類にも及ぶ各種ワクチンを接種した上で、数週間の間隔を置いたのち、人為的に発疹チフスに感染させるというものだった。対照群として設置された群は、ワクチン接種群と比較するために、単にチフスに感染させられた。
ワクチンを接種した者たちも、多くの場合、高熱や頭痛など、「発疹チフスの症状」に悩まされた。
被験者に選ばれた者たちは、ドイツ人の刑事犯、ポーランド人、ソ連兵捕虜、ジプシーなどである。健康状態が優良なものたちが数百人選び出され、少なくとも150名以上が死亡した。ブーヘンヴァルトの医師、シューラーSS大尉は終戦間近で自殺したが、彼の業務日誌が囚人によって廃棄を免れた。その中には、他にも黄熱病、チフス、コレラ、ジフテリアに対するワクチンや薬物の効果で800人の被験者が人体実験にかけられたことが示唆されている。
伝染性肝炎ウィルスの研究のための人体実験
独ソ戦が始まると、黄疸症状に悩まされる兵士が非常に増えた。致死的な病ではなかったが、発病者が多く、軍の作戦能力を衰えさせるものとして研究が開始された。肝炎はそれまでバクテリアによる感染と考えられていたが、細菌学者のドーメン軍医大尉がウィルスを発見し、培養するためSSがウィルス株の管理権を要求したがドーメンは拒否して独りで研究を続けていた。
各所からの圧力に耐えかねたドーメンは、ついにザクセンハウゼン収容所内で、囚人に対して人為的に肝炎ウィルスを感染させる人体実験を行った。これは《帝国医師総監(=エルンスト・グラヴィッツ)》の強い要請だった。ドーメンは良心の呵責に苦しめられ、実験が開始されたのは1944年も9月になる頃だった。
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アウシュビッツから、子供や青年からなる11人の囚人がザクセンハウゼンにやってきてドーメンに委ねられた。ザクセンハウゼンの第二病棟において彼らの世話をしていた古参囚人ブルーノ・マイヤーは、実験の内容について記録を残している。以下に引用する。
“
ドーメン博士は医療器具カバンから一本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してサウル・ホルンフェルトの背後へ近づき、指で彼の背中を探りました。そしてゾンデを当て、子供の背中の筋肉を通して深く体の中まで突き刺しました。サウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いで私は彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろと言いました。涙で見えない目で彼は私を見ました。そして、医者が再びゾンデを突き刺しました。(中略)その後、私は、ドーメン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も、―—多分肝臓の一部だったでしょう——少しその中に混じっていました。
”
結局、肝炎ウィルスを人為的に感染させる実験は成功しなかった。ドーメン博士や囚人たちがその後どうなったかは明らかではないが、博士は戦後実験結果を発表している。
医療用ゾンデ
医療用ゾンデ
第V収容所 1 share 1 user
【人類の負の遺産】アウシュビッツ絶滅収容所の解説と観光案内
少し前に、独りでドイツとポーランドを旅行しました。その際にアウシュビッツ絶滅収容所跡地を訪れました。想像よりも遥かに広大な施設で、展示を全部観ることは不可能でした。そこで得た知見や体験をまとめたいと思います。アウシュビッツ絶滅収容所とはなんなのか...
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
人為的にガス壊疽を作り出す実験
1942年5月、《国家保安本部(RSHA)》長官及び、ボヘミア・モラヴィア保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒがイギリス諜報部の襲撃を受けて重傷を負った。治療の責任者は武装SSの顧問外科医カール・ゲプハルトであったが、ゲプハルトの飛行機は延着したので直接手術に携わったのはプラハの医師二名である。ゲプハルトは《総統》とヒムラーの個人的な電話を何度も受けた。ヒトラーは自分の主治医であるモレル博士を派遣するとまで言った。
しかしハイドリヒは処置の甲斐なく6月2日に死亡。ゲプハルトはその後ヒムラーと謁見し、「ハイドリヒの死はドイツがこれまで経験したことのない巨大な敗北であった」と《総統》が考えていることを知らされた。ゲプハルトには汚名返上の機会が与えられた。ハイドリヒ長官が負傷による敗血症によって死亡したことを受け、至急、スルフォンアミドの効果を調べる人体実験の実行が決まった。
実験の舞台に選ばれたのは女性専用の強制収容所ラーフェンスブリュックであった。実験の目的は、当時未解明な部分が多かったガス壊疽という症状を分析し、有効な治療方法を見つけ出すことであった。そして、同時に戦場で多く見られる通常の傷口を調べ、有効な治療法を探す目的もあった。
被験者はザクセンハウゼン強制収容所から連れてこられた男性囚人や、ポーランドの抵抗運動に携わった女性囚人たちである。彼らはわざとけがを負わされ、木片やガラス片を傷口に練りこまれた。
《帝国医師総監》グラヴィッツは、実験場を視察し、被験者に死者が出ていないことに対して実験が手ぬるいと感じ、本物の銃創を彼女たちに負わせるように、と命令した。ゲプハルトはこの命令を拒否したが、より傷口の状態を悪化させることに努力したことに変わりはなかった。彼女たちは下腿の血管を結紮され、壊疽性の腐敗病原体を接種させられたりした。そのうえで彼女たちは処置も受けられず何日も放置され、本物のガス壊疽の症状により3名が死亡した。
人為的にひどい敗血症に陥らせた上でスルフォンアミドの効力を実験したが、傷を負わされただけで何の処置も受けられない囚人もいた。実験内容は1943年の5月にベルリンの軍医大学校で発表されたが、出席者の中で被験者の人権について申し述べた者は一人もいなかった。
他人の骨を移植して治療効果を見る実験
ラーフェンスブリュック強制収容所内で、女性を使って行われた他の実験群は骨の再生と骨の移植の実験である。
肩胛骨を他方から他方へ移す実験が行われた。肩胛骨を除去されたのは、ラーフェンスブリュックの精神病患者の女性であった。この女性は肩胛骨を抜き取られた後速やかに薬殺された。肩胛骨を移されたのは、ホーエンリーヘンの血管の癌により肩胛骨を失った若者で、彼は癌を再発することなく生きながらえたという。
この実験のほかにラーフェンスブリュック収容所内で、神経再生、筋肉再生の各実験、切断やその他の実験が行われたといわれるが、その規模や詳細は不明である。収容所医師の一人、ローゼンタール博士は、負傷に苦しみ、助かる見込みのない重症の囚人を20〜30人、楽に死なせるためにモルヒネを過剰投与したと断言している。
実験X 毒物接種実験
イペリッドガス
大戦期間中、ザクセンハウゼン、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフの各強制収容所内でびらん性(皮膚をただれさせる作用)のイペリッドガス(=マスタードガス)の人体実験が行われた。これは例によってヒムラーの命令だった。
イペリッドガスによる負傷の度合いと、効果的な治療法を見つけることがその目的である。この実験はストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士などが主にかかわった。
この毒ガス実験については、ナッツヴァイラーのカポ(囚人頭)であったフェルディナント・ホルの生々しい証言が残っている。
“
囚人たちは真っ裸にされ、次から次へと実験室の中に入ってきました。彼らは前膊から10センチほどの箇所にその液体を塗られましたが、その時私が彼らの腕を抑えていなければなりませんでした。その後、処置を施された被験者たちは隣の部屋へ行き、そこで腕を広げたまま約1時間立っていなければなりませんでした。約10時間もすると、あるいはもっと長かったかもしれません、火傷が、それも全身に出てくるのです。盲目になった人々もいました。ひどい苦しみで、被験者たちのそばにはとてもいられないほどでした。その後、被験者たちは毎日写真を撮られました。しかもすべての傷の箇所を、つまり全ての火傷の箇所を写真に撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。(中略)内臓、肺などは全て完全に腐食していました。その後の数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2か月続けられました。
”
実験は何度も行われ、平均して毎回7~8名の死者が出た。生き残った者たちも後遺症の残った体でアウシュビッツやベルゲンベルゼンに送られた。
硝酸アコニチン弾丸の創痍研究
“
極秘事項
帝国医師ー親衛隊警察、主席衛生官
日誌番号 秘364/44 ムルゴウスキー
1944.9.12
硝酸アコニチン弾丸について
SS少佐ディング博士、ウィマン博士、および筆者立ち合いで1944年9月11日、5人の死刑囚に、毒物である硝酸アコニチン結晶入りの弾丸(直径7.65o)を用いて実験を行った。被験者を寝かせ、左大腿に1発撃ちこんだが、2人では弾丸は貫通、後になっても毒作用は出なかったので、実験から除いた。(中略)
3人の症状は驚くほど一致していた。最初は異常がなかったが、20分から25分後に動きが不穏となり、遅れて、よだれが少し出始めた。しきりに飲み込もうとしたが、量が増えて飲み込めないほどになり、ついには、泡を含んだよだれが口から漏れてきた。それから、吐き気、嘔吐が始まった…。
約90分後、1人の呼吸が深くなり、同時に運動不穏も増強した。呼吸は浅く速くなった。同時に強い吐き気が現れたが、吐こうとしても何も出なかった。指を4本付け根まで口に深く入れて吐こうとしたが吐けず、顔は真っ赤になるだけだった。
他の2人の顔は早い時期から蒼白になっていた。他の症状は同じだった。運動不穏の出現は遅れたが、極めて強くなり、棒立ちになったかと思うと、また、床に身を投げ出した。白目をむき、手や腕は意味のない動きをした。最後に、不穏の程度は弱くなり、瞳孔は極度に散大、被験者は静かに横たわるだけだった。1人には咬筋の痙攣が現れ、尿失禁が認められた。3人の死亡は、受傷後それぞれ、121,123、および129分であった。
http://3rdkz.net/?p=250&page=2
総括 およそ38mgの硝酸アコニチンを詰めた弾丸による創自体はひどいものではなかったが、2時間後に致死的な中毒が現れた。中毒症状の出現は、受傷後20分から25分で、主要症状は、流涎、瞳孔径の変化、腱反射消失、運動不穏、強い吐き気であった。
講師医学博士ムルゴウスキー、SS上級大佐、主席衛生官
上の手記と一致するかは不明だが、ザクセンハウゼン収容所で死刑囚を用いた毒の弾丸の実験が行われた、との展示がある。その射撃手はムッソリーニ救出の特殊部隊を率いた、オットー・スコルツェニーSS中佐である。
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
hiltストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士は、1942年の2月にヒムラーにあてて手紙を書き、ユダヤ人、共産党員、赤軍政治将校の頭蓋骨収集の許可を求めた。ヒムラーはおおいに関心を持ち、ヒルトに自分の政治的権力の全てを委ねてこれを支援した。
当時、ナチスドイツはありとあらゆる人種の頭蓋骨を収集して、その形態を測定したり、歪んだ人種優生学に基づく様々な研究を行っていた。しかし、ユダヤ人に関しては当時サンプルを獲得する術があまりなかったらしい。独ソの開戦はその状況を打開する最良の機会となった。既にホロコーストは開始され、ユダヤ人と共産党や政治将校は同一視されていた。彼らの頭蓋骨を一定量獲得し、データを取得することで、占領地において効率よくユダヤ人や政治将校と、その他の民族の鑑別を容易にし、効率的に撃滅できる、というのが彼らのデタラメな論理であった。
ヒルトとその協力者たちが、いかにしてそれらのサンプルを選定したかは定かでない。既に収容所にいたユダヤ人なのか、占領地から生きたまま拉致してきた政治将校や捕虜たちだったのか、とにかく、彼らがアドルフ・アイヒマンを通してアウシュビッツの囚人約120名を、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフ各収容所の実験施設へ送ったのは確かである。
それら120名の囚人は「首から上を傷つけぬように」ガスによって殺害され、合成アルコール入りの水槽の中で保存された。ヒルト博士はそれらの死体を細かく解剖。
ヒルトは戦後逃亡先で自殺した。
実験Z マラリア実験
ベルリンのロバート・コッホ研究所所長で、熱帯医学部門長であったクラウス・シリング博士は、1936年の現役引退後も、イタリアでマラリアのワクチンの開発研究を続けていた。1941年末、内務省保健衛生事業担当官のレオナルド・コンティ博士によってダッハウ強制収容所で研究ができることを勧められ、翌2月のはじめから実験を開始。1945年の3月半ばに74歳のシリングが手術を受けるためにミュンヘンにでかけたあと、ヒムラーが実験中止を命令した。(敗戦が近かったからであろうか?)
シリングの3年にわたる実験でおよそ1000人がマラリアに感染させられ、330人が死亡した。
実験[ 双子実験
ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。
mengere
ヨーゼフ・メンゲレ
メンゲレは、静脈をつなぎ合わせてシャム双生児を人工的に作ろうとしたり、眼球に薬品を注射して瞳の色を変えようとした。また、チフス菌を注射して病気の経過を血清学的に記録した。また頭蓋骨の収集もぬかりなく行われ、それらの実験報告を師のフェシュアーに送っていた。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。
“
ある生存者の報告
ある日、私の双子の兄のチビが特別実験のために連れていかれた。メンゲレは、最初から、チビに非常に興味を持っていた。なぜか知らないが、比較的歳のいった双生児であったからかもしれない。
メンゲレはチビを何回となく手術した。脊椎手術で麻痺となり、走れなくなった。
性器も除去してしまった。4回名の手術後、チビには2度と会えなかった。
私の気持ちがどんなだったか、あなたに言えないし、言葉にも表せない。
私は父、母、兄2人を失っていたのに、また双子の兄もなくしてしまった。
”
メンゲレは1979年に逃亡先のブラジルで海水浴中に死亡した。
実験\ 強制不妊化実験
ナチの歪んだ人種思想は戦争前から活発ではあったが、独ソ戦の開始と共に東方民族絶滅の意志はますます固くなるばかりだった。その手段としてずっと論議されてきたのが、断種措置による強制的な不妊化処置の遂行であった。
ナチの断種の施策は大きく分けると3つの経過をたどった。
薬品による断種
カラジューム・セグイヌム(サトイモ科の観葉植物の一種)を接種することによって、特に男性は生殖不能となるとされ、この植物を大量に栽培しようとするのだがコスト面で実用に耐えないことが分かった。ヒムラーは農業に大変関心が高い男であったため、カラジューム・セグイヌムの構成要素の分析を進め、人体実験を行うべし、との命令を発した。
しかし、これを命じられたコッホ博士はありきたりな動物実験を行うのみにとどめ、命令を事実上サボタージュした。それはあまりに実用性がなく、他の方法がどんどん進んでいたからであった。
放射線による断種
帝国公衆衛生局に所属し、障碍者の断種・殺害計画に関与したヴィクトル・ブラック博士は、放射線による断種の研究と人体実験の許可をヒムラーに求めた。それまで行われていた外科手術に頼る方法では、あまりに労力とコスト面で現実味がなかったからである。
これをヒムラーは許可し、第Uアウシュビッツ(=ビルケナウ)や女性収容所のラーフェンスブリュックで、それぞれ放射線による断種の試みが行われた。若い適齢期の男女は、何の説明もないままに不意に呼び出され、性器や子宮、睾丸付近にレントゲンを照射された。
彼らの多くは火傷を負い、傷口は膿み、そのような体で重労働につかされた。歩けなくなったものは銃殺・ガス殺された。
レントゲン照射後数週間してから、男性囚人は外科的に睾丸を摘出された。レントゲンの効果がどの程度であったかを検証するためであったとされる。しかし、レントゲン照射を受けた囚人たちは局部に重傷を負い、結局は絶滅収容所の中で死んでいった。
ブラック博士は、この不妊化処置を「殺すよりはマイルドな方法」と認識していたらしく、裁判で「絶滅政策を緩和するためにあえて提案した方法だった」と証言した。法廷はこの詭弁を却下し、ブラックを死刑に処した。
子宮内の刺激作用による断種
drclaubergこの方法は、ケーニッヒスヒュッテの医学博士クラウベルク教授によって開発された。教授はもともと卵管閉鎖による不妊を治療する方法を開発して有名になった人物だった。
1933年にナチ党に入党し、その医学の知識を、今度は「下等人種」の断種のために傾けようとしていた。
http://3rdkz.net/?p=250&page=3
クラウベルクはヒムラーと協議し、外科手術を用いることなく不妊化させる方法を話し合った。教授が考えていたのは卵管にホルマリン溶液を注入するという方法だった。ヒムラーはアウシュビッツにクラウベルクの実験施設を作るよう、部下のルドルフ・ヘースに命令した。
約500人の女性がクラウベルクの前に引き出され、狂気の実験の犠牲となった。収容所に響き渡る女性の悲鳴の原因は何のか、あの医師は囚人にいったい何をしているのか調べようと、女性看守が飛んできたこともあったほどであった。
実験により少なくとも7人の女性が死亡。残った囚人のうち、何人がガス室に送られたかは不明である。
教授は1945年にはラーフェンスブリュック収容所へ移り、35人の女性に人体実験を行った。戦後は赤軍に捕まり25年の判決を受けるがのちに恩赦。ドイツに戻るとドイツ当局に再逮捕され、57年、拘留中に死亡した。
実験] 飢餓実験
ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……
このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。
飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。
慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。
ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。
いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。
ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。
知的障害者に対する飢餓実験
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。
彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。
1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・
“
15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。
”
エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。
被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。
彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。
ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験
1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。
ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。
また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。
ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。
なぜこんなことが起こったか
ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。
そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。
大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。
そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。
曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。
にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
http://3rdkz.net/?p=250&page=4
ヒトラーやヒムラーは、理想的な北欧人種とは程遠い外見である。ゲッベルスは足が不自由で身体障碍者である。にもかかわらず、ドイツ国民は「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがままに、ヨーロッパ全土を破壊し、滅亡に追い込んだ。この歴史の奇妙を解明することは、今後においても決してできないに違いない。我々にできることは茫然と立ちすくみ、とりあえず人種差別に反対することだけであろう。
http://3rdkz.net/?p=250&page=5
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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史
『ヒトラー思想』が降りてきた……
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。
数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?
※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです
「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。
あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。
『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。
冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535
引用・参考文献
ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D
わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE
イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。
ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い
ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。
比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。
ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。
ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。
とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。
ヒトラー思想A 人間は動物
ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。
ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。
ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」
ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。
ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。
勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。
弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。
ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人
ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2
ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。
ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。
仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」
ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。
人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。
ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する
ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。
法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。
ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する
ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」
強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。
この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。
1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。
ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3
ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。
そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。
ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる
ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。
ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。
※※※※※※※※
終わりに
いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。
強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。
しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。
強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4
10. 2019年4月15日 08:17:37 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[129]
”「日々雑感」”?????
日々の雑感に対して高邁な批判は似合うのか似合わないのか
首をかしげざるを得ないコメント氏が出て来た。
合うか合わないかではないと、言われるだけかな?
3. 中川隆[-10756] koaQ7Jey 2019年4月15日 08:18:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1292]
【狂気の戦時医学】ナチスの人体実験まとめ【ヒトラー・ドイツ】 2017/5/11
http://3rdkz.net/?p=250
ナチスドイツの非人道的な人体実験の数々をわかる限りまとめました。
なるべく信頼できそうな資料だけを使用し、誇張することがないよう心がけました。
非常に残酷で吐き気を催す事実が記載されているため、観賞要注意とします。
目次
実験T 低圧・低温実験
実験U 海水を飲料にする実験
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
実験X 毒物接種実験
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
実験Z マラリア実験
実験[ 双子実験
実験\ 強制不妊化実験
実験] 飢餓実験
なぜこんなことが起こったか
実験T 低圧・低温実験
低圧・酸欠下での救出実験
hypothermiaドイツ空軍が高度12000メートルに達するジェット機を開発したまでは良かったが、人体がそのような超高度環境にどのような反応を見せるのか、ということに関して信頼できるデータはまだなかった。そこで、ドイツ空軍軍医大尉であり、親衛隊将校でもあったジクムント・ラッシャー博士は、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者=ヒムラー)》へ手紙を書き、ダッハウ収容所の死刑囚を用いた人体実験の許可を求めた。
1942年3月、ヒムラーは実験を許可し、ラッシャー大尉の責任において、超高度における人体の反応の観察や、パラシュートや特殊機材を用いた救出を実用化するための危険な人体実験が行われた。超高度の低圧環境下で被験者を酸欠の状態に留め置き、どれぐらいの時間をかけて被験者が死亡するのか、またどのようなタイミングでしかるべき処置を行えば彼を救出できるのか、ありとあらゆる場面を想定して実験が行われた。当然のごとく実験は死者が続出したが、ラッシャーは死にゆく被験者の行動を観察し、心電図を記録した。そして、屍を解剖し、肺や心臓、脳の血管の空気塞栓の状況などを記録。逐一ライヒスフューラーへ報告していた。
実験に駆り出された200人の囚人のうち、実に80名の被験者が死亡した。
低体温・冷却からの蘇生実験
freeze
冷却実験の様子
ラッシャーとその協力者たちは、ダッハウにて更に人体実験を行うことにした。今度は海難事故などにより寒冷下に晒された人体を、いかに蘇生・回復できるか、といった実験である。やはりパイロットを救出することを前提とした実験であったが、実際にはダッハウの囚人300名を4〜12℃に冷却した水の中につけ、体を極限まで冷やしたのち、いかにすれば効率よく回復できるかを試すもので、この実験で90名が死亡。今日においてもこの実験結果が国際的専門誌に引用されているという。
この実験は当初よりライヒスフューラーの関心を買った。ヒムラーは冷え切った肉体を温めるためには、同じ人間の皮膚の接触。つまり、裸の女性による抱擁が効果があるのではないか、と考えた(ヒムラーはしばしばこのようなロマンチズムに基づく推測を実践させた)。ラッシャーはヒムラーの意向に沿ってダッハウ収容所より若い女性4名を召喚。そのうちの一人があまりにも見事なアーリア人種の肉体的特徴を備えていたため、ラッシャーは彼女を実験に使用することを拒否したという。つまり、被験者は下等人種とみなされたスラブ人やソ連兵捕虜であり、これを裸で温める乙女がアーリア系であってはならないというのである。この逸話からもわかる通り、人体実験は激しい人種差別の賜物であった。ちなみに女性の体で温める方法は非効率で到底実用に耐えないものであったという。
この実験は、場所を変えてアウシュビッツ収容所でも行われた。アウシュビッツのほうがより寒く、広大で実験が目立たなかったからだという。つまり、被験者は多くの場合、「苦しみにより悲鳴をあげた」からである。ラッシャーは被験者に麻酔をかけることを禁止し、なんら苦しみを緩和するための努力をしなかった。
ある実験では、ソ連軍将校2名がアウシュビッツで、水桶の中に裸で入らされた。通常なら60分程度で意識を失い、死亡するのだが、このソ連将校2名は3時間経過した頃に「同志…銃殺してくれないか」と頼んだという。その後、二人は握手を交わし、「さよなら、同志よ」と言った。ポーランド人の助手が見兼ねてクロロフォルムで二人に麻酔をかけようとしたが、ラッシャーはピストルを突きつけ、これを制止した。二人は5時間後にようやく死亡し、死体は解剖するためミュンヘンに送られた。
ラッシャー夫妻は子供に恵まれず、子供を誘拐、金銭で買い取って自らの子であるとして育てていた。これが明るみに出るとライヒスフューラーは激怒。ラッシャーは多くの囚人を殺害したダッハウにおいて、自らも処刑された。戦争が終わる直前だった。よって戦後もラッシャーは裁きにはかけられず、協力者たちは全ての責任を、同じく死亡したヒムラーとラッシャーにかぶせることに成功。この非道な人体実験で裁かれた者は結局誰一人としていない。
実験U 海水を飲料にする実験
この実験は、やはり海難事故に遭遇し、海の上を漂流することになったパイロットを救うために企画された。
二人の科学者が海水を飲料にするための試みを始めた。シェーファー教授が海水から塩分を分離するための設備を開発しようとして成功したが、これには多額の費用が掛かるため実用性なしと判断された。一方空軍技師ベルカが開発した「ベルカティカ」という薬品は海水の味を飲める程度に変えてしまうもので、この薬品はコストパフォーマンスにも優れ、大量に生産された。
しかし、すぐにこのベルカ方式の海水を飲むと、「より渇きがひどくなる」という声が上がり始めた。味を調整しただけで海水は依然として多量の塩分を含んでいたし、飲みすぎることで渇きが悪化し、下痢すら引き起こすことが分かった。
どちらの方法で渇きを解決するのか、ダッハウ収容所内で再度人体実験が行われた。被験者はいくつかのグループに分けられた。数日間にわたって海水を飲むもの、ベルカ方式の海水を1日500cc飲むもの、1000cc飲むもの、シェーファー方式で精製された水を飲むもの、などである。
被験者はブーヘンヴァルト収容所から連れてこられたジプシーたち40名であった。彼らは表向きは志願であった。実験の詳細についてきちんと説明を受けた上、実験前10日間は完璧な航空兵糧食3000キロカロリーを摂取し、健康管理を入念に行ったうえでの実験であり、死亡した者、後遺症が出た者はいないとされている。しかし、実験は著しく苦しく不快なものとなり、被験者の中には清掃班のバケツの中の汚水を飲んだり、モップから垂れたしずくを舐めた者がいたという。このような実験が本当にすべて志願だったと言えるだろうか?ましてや被験者のほとんどは賤民と見なされていたジプシーである。これは戦後の裁判で検察の激しい疑惑をかい、追及を受け、実験を主導した者たちは禁固15年〜終身刑を受けた。
ただし、実験で重篤な障害を受けた者、死亡した者がいなかったのは確かなようである。フランス人の医療助手や被験者のジプシーのうち数名が、宣誓供述書を提出し、実験を主導した科学者たちの恩赦請求を行っている。
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
発疹チフスのワクチン接種実験
東部戦線や各収容所で猛威を振るった発疹チフスから、前線兵士を救うための人体実験がブーヘンヴァルトとナッツヴァイラー各収容所にて行われた。
実験は1942年の春ごろから1944年の末まで続けられた。
それまで存在していた発疹チフスのワクチンは、病気の症状を軽減させることはできても、本来の目標たる免疫力の獲得、つまり病気に罹らずに済む、というものではなかった。これを深刻にとらえたSS上層部の医師団や衛生担当者たちは、人体実験の施行を強く主張。ブーヘンヴァルト内にウィルス研究部が設立され、SS軍医や権威ある熱帯医学者などが参加した。
実験は数十種類にも及ぶ各種ワクチンを接種した上で、数週間の間隔を置いたのち、人為的に発疹チフスに感染させるというものだった。対照群として設置された群は、ワクチン接種群と比較するために、単にチフスに感染させられた。
ワクチンを接種した者たちも、多くの場合、高熱や頭痛など、「発疹チフスの症状」に悩まされた。
被験者に選ばれた者たちは、ドイツ人の刑事犯、ポーランド人、ソ連兵捕虜、ジプシーなどである。健康状態が優良なものたちが数百人選び出され、少なくとも150名以上が死亡した。ブーヘンヴァルトの医師、シューラーSS大尉は終戦間近で自殺したが、彼の業務日誌が囚人によって廃棄を免れた。その中には、他にも黄熱病、チフス、コレラ、ジフテリアに対するワクチンや薬物の効果で800人の被験者が人体実験にかけられたことが示唆されている。
伝染性肝炎ウィルスの研究のための人体実験
独ソ戦が始まると、黄疸症状に悩まされる兵士が非常に増えた。致死的な病ではなかったが、発病者が多く、軍の作戦能力を衰えさせるものとして研究が開始された。肝炎はそれまでバクテリアによる感染と考えられていたが、細菌学者のドーメン軍医大尉がウィルスを発見し、培養するためSSがウィルス株の管理権を要求したがドーメンは拒否して独りで研究を続けていた。
各所からの圧力に耐えかねたドーメンは、ついにザクセンハウゼン収容所内で、囚人に対して人為的に肝炎ウィルスを感染させる人体実験を行った。これは《帝国医師総監(=エルンスト・グラヴィッツ)》の強い要請だった。ドーメンは良心の呵責に苦しめられ、実験が開始されたのは1944年も9月になる頃だった。
http://3rdkz.net/?p=250
アウシュビッツから、子供や青年からなる11人の囚人がザクセンハウゼンにやってきてドーメンに委ねられた。ザクセンハウゼンの第二病棟において彼らの世話をしていた古参囚人ブルーノ・マイヤーは、実験の内容について記録を残している。以下に引用する。
“
ドーメン博士は医療器具カバンから一本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してサウル・ホルンフェルトの背後へ近づき、指で彼の背中を探りました。そしてゾンデを当て、子供の背中の筋肉を通して深く体の中まで突き刺しました。サウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いで私は彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろと言いました。涙で見えない目で彼は私を見ました。そして、医者が再びゾンデを突き刺しました。(中略)その後、私は、ドーメン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も、―—多分肝臓の一部だったでしょう——少しその中に混じっていました。
”
結局、肝炎ウィルスを人為的に感染させる実験は成功しなかった。ドーメン博士や囚人たちがその後どうなったかは明らかではないが、博士は戦後実験結果を発表している。
医療用ゾンデ
医療用ゾンデ
第V収容所 1 share 1 user
【人類の負の遺産】アウシュビッツ絶滅収容所の解説と観光案内
少し前に、独りでドイツとポーランドを旅行しました。その際にアウシュビッツ絶滅収容所跡地を訪れました。想像よりも遥かに広大な施設で、展示を全部観ることは不可能でした。そこで得た知見や体験をまとめたいと思います。アウシュビッツ絶滅収容所とはなんなのか...
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
人為的にガス壊疽を作り出す実験
1942年5月、《国家保安本部(RSHA)》長官及び、ボヘミア・モラヴィア保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒがイギリス諜報部の襲撃を受けて重傷を負った。治療の責任者は武装SSの顧問外科医カール・ゲプハルトであったが、ゲプハルトの飛行機は延着したので直接手術に携わったのはプラハの医師二名である。ゲプハルトは《総統》とヒムラーの個人的な電話を何度も受けた。ヒトラーは自分の主治医であるモレル博士を派遣するとまで言った。
しかしハイドリヒは処置の甲斐なく6月2日に死亡。ゲプハルトはその後ヒムラーと謁見し、「ハイドリヒの死はドイツがこれまで経験したことのない巨大な敗北であった」と《総統》が考えていることを知らされた。ゲプハルトには汚名返上の機会が与えられた。ハイドリヒ長官が負傷による敗血症によって死亡したことを受け、至急、スルフォンアミドの効果を調べる人体実験の実行が決まった。
実験の舞台に選ばれたのは女性専用の強制収容所ラーフェンスブリュックであった。実験の目的は、当時未解明な部分が多かったガス壊疽という症状を分析し、有効な治療方法を見つけ出すことであった。そして、同時に戦場で多く見られる通常の傷口を調べ、有効な治療法を探す目的もあった。
被験者はザクセンハウゼン強制収容所から連れてこられた男性囚人や、ポーランドの抵抗運動に携わった女性囚人たちである。彼らはわざとけがを負わされ、木片やガラス片を傷口に練りこまれた。
《帝国医師総監》グラヴィッツは、実験場を視察し、被験者に死者が出ていないことに対して実験が手ぬるいと感じ、本物の銃創を彼女たちに負わせるように、と命令した。ゲプハルトはこの命令を拒否したが、より傷口の状態を悪化させることに努力したことに変わりはなかった。彼女たちは下腿の血管を結紮され、壊疽性の腐敗病原体を接種させられたりした。そのうえで彼女たちは処置も受けられず何日も放置され、本物のガス壊疽の症状により3名が死亡した。
人為的にひどい敗血症に陥らせた上でスルフォンアミドの効力を実験したが、傷を負わされただけで何の処置も受けられない囚人もいた。実験内容は1943年の5月にベルリンの軍医大学校で発表されたが、出席者の中で被験者の人権について申し述べた者は一人もいなかった。
他人の骨を移植して治療効果を見る実験
ラーフェンスブリュック強制収容所内で、女性を使って行われた他の実験群は骨の再生と骨の移植の実験である。
肩胛骨を他方から他方へ移す実験が行われた。肩胛骨を除去されたのは、ラーフェンスブリュックの精神病患者の女性であった。この女性は肩胛骨を抜き取られた後速やかに薬殺された。肩胛骨を移されたのは、ホーエンリーヘンの血管の癌により肩胛骨を失った若者で、彼は癌を再発することなく生きながらえたという。
この実験のほかにラーフェンスブリュック収容所内で、神経再生、筋肉再生の各実験、切断やその他の実験が行われたといわれるが、その規模や詳細は不明である。収容所医師の一人、ローゼンタール博士は、負傷に苦しみ、助かる見込みのない重症の囚人を20〜30人、楽に死なせるためにモルヒネを過剰投与したと断言している。
実験X 毒物接種実験
イペリッドガス
大戦期間中、ザクセンハウゼン、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフの各強制収容所内でびらん性(皮膚をただれさせる作用)のイペリッドガス(=マスタードガス)の人体実験が行われた。これは例によってヒムラーの命令だった。
イペリッドガスによる負傷の度合いと、効果的な治療法を見つけることがその目的である。この実験はストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士などが主にかかわった。
この毒ガス実験については、ナッツヴァイラーのカポ(囚人頭)であったフェルディナント・ホルの生々しい証言が残っている。
“
囚人たちは真っ裸にされ、次から次へと実験室の中に入ってきました。彼らは前膊から10センチほどの箇所にその液体を塗られましたが、その時私が彼らの腕を抑えていなければなりませんでした。その後、処置を施された被験者たちは隣の部屋へ行き、そこで腕を広げたまま約1時間立っていなければなりませんでした。約10時間もすると、あるいはもっと長かったかもしれません、火傷が、それも全身に出てくるのです。盲目になった人々もいました。ひどい苦しみで、被験者たちのそばにはとてもいられないほどでした。その後、被験者たちは毎日写真を撮られました。しかもすべての傷の箇所を、つまり全ての火傷の箇所を写真に撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。(中略)内臓、肺などは全て完全に腐食していました。その後の数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2か月続けられました。
”
実験は何度も行われ、平均して毎回7~8名の死者が出た。生き残った者たちも後遺症の残った体でアウシュビッツやベルゲンベルゼンに送られた。
硝酸アコニチン弾丸の創痍研究
“
極秘事項
帝国医師ー親衛隊警察、主席衛生官
日誌番号 秘364/44 ムルゴウスキー
1944.9.12
硝酸アコニチン弾丸について
SS少佐ディング博士、ウィマン博士、および筆者立ち合いで1944年9月11日、5人の死刑囚に、毒物である硝酸アコニチン結晶入りの弾丸(直径7.65o)を用いて実験を行った。被験者を寝かせ、左大腿に1発撃ちこんだが、2人では弾丸は貫通、後になっても毒作用は出なかったので、実験から除いた。(中略)
3人の症状は驚くほど一致していた。最初は異常がなかったが、20分から25分後に動きが不穏となり、遅れて、よだれが少し出始めた。しきりに飲み込もうとしたが、量が増えて飲み込めないほどになり、ついには、泡を含んだよだれが口から漏れてきた。それから、吐き気、嘔吐が始まった…。
約90分後、1人の呼吸が深くなり、同時に運動不穏も増強した。呼吸は浅く速くなった。同時に強い吐き気が現れたが、吐こうとしても何も出なかった。指を4本付け根まで口に深く入れて吐こうとしたが吐けず、顔は真っ赤になるだけだった。
他の2人の顔は早い時期から蒼白になっていた。他の症状は同じだった。運動不穏の出現は遅れたが、極めて強くなり、棒立ちになったかと思うと、また、床に身を投げ出した。白目をむき、手や腕は意味のない動きをした。最後に、不穏の程度は弱くなり、瞳孔は極度に散大、被験者は静かに横たわるだけだった。1人には咬筋の痙攣が現れ、尿失禁が認められた。3人の死亡は、受傷後それぞれ、121,123、および129分であった。
http://3rdkz.net/?p=250&page=2
総括 およそ38mgの硝酸アコニチンを詰めた弾丸による創自体はひどいものではなかったが、2時間後に致死的な中毒が現れた。中毒症状の出現は、受傷後20分から25分で、主要症状は、流涎、瞳孔径の変化、腱反射消失、運動不穏、強い吐き気であった。
講師医学博士ムルゴウスキー、SS上級大佐、主席衛生官
上の手記と一致するかは不明だが、ザクセンハウゼン収容所で死刑囚を用いた毒の弾丸の実験が行われた、との展示がある。その射撃手はムッソリーニ救出の特殊部隊を率いた、オットー・スコルツェニーSS中佐である。
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
hiltストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士は、1942年の2月にヒムラーにあてて手紙を書き、ユダヤ人、共産党員、赤軍政治将校の頭蓋骨収集の許可を求めた。ヒムラーはおおいに関心を持ち、ヒルトに自分の政治的権力の全てを委ねてこれを支援した。
当時、ナチスドイツはありとあらゆる人種の頭蓋骨を収集して、その形態を測定したり、歪んだ人種優生学に基づく様々な研究を行っていた。しかし、ユダヤ人に関しては当時サンプルを獲得する術があまりなかったらしい。独ソの開戦はその状況を打開する最良の機会となった。既にホロコーストは開始され、ユダヤ人と共産党や政治将校は同一視されていた。彼らの頭蓋骨を一定量獲得し、データを取得することで、占領地において効率よくユダヤ人や政治将校と、その他の民族の鑑別を容易にし、効率的に撃滅できる、というのが彼らのデタラメな論理であった。
ヒルトとその協力者たちが、いかにしてそれらのサンプルを選定したかは定かでない。既に収容所にいたユダヤ人なのか、占領地から生きたまま拉致してきた政治将校や捕虜たちだったのか、とにかく、彼らがアドルフ・アイヒマンを通してアウシュビッツの囚人約120名を、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフ各収容所の実験施設へ送ったのは確かである。
それら120名の囚人は「首から上を傷つけぬように」ガスによって殺害され、合成アルコール入りの水槽の中で保存された。ヒルト博士はそれらの死体を細かく解剖。
ヒルトは戦後逃亡先で自殺した。
実験Z マラリア実験
ベルリンのロバート・コッホ研究所所長で、熱帯医学部門長であったクラウス・シリング博士は、1936年の現役引退後も、イタリアでマラリアのワクチンの開発研究を続けていた。1941年末、内務省保健衛生事業担当官のレオナルド・コンティ博士によってダッハウ強制収容所で研究ができることを勧められ、翌2月のはじめから実験を開始。1945年の3月半ばに74歳のシリングが手術を受けるためにミュンヘンにでかけたあと、ヒムラーが実験中止を命令した。(敗戦が近かったからであろうか?)
シリングの3年にわたる実験でおよそ1000人がマラリアに感染させられ、330人が死亡した。
実験[ 双子実験
ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。
mengere
ヨーゼフ・メンゲレ
メンゲレは、静脈をつなぎ合わせてシャム双生児を人工的に作ろうとしたり、眼球に薬品を注射して瞳の色を変えようとした。また、チフス菌を注射して病気の経過を血清学的に記録した。また頭蓋骨の収集もぬかりなく行われ、それらの実験報告を師のフェシュアーに送っていた。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。
“
ある生存者の報告
ある日、私の双子の兄のチビが特別実験のために連れていかれた。メンゲレは、最初から、チビに非常に興味を持っていた。なぜか知らないが、比較的歳のいった双生児であったからかもしれない。
メンゲレはチビを何回となく手術した。脊椎手術で麻痺となり、走れなくなった。
性器も除去してしまった。4回名の手術後、チビには2度と会えなかった。
私の気持ちがどんなだったか、あなたに言えないし、言葉にも表せない。
私は父、母、兄2人を失っていたのに、また双子の兄もなくしてしまった。
”
メンゲレは1979年に逃亡先のブラジルで海水浴中に死亡した。
実験\ 強制不妊化実験
ナチの歪んだ人種思想は戦争前から活発ではあったが、独ソ戦の開始と共に東方民族絶滅の意志はますます固くなるばかりだった。その手段としてずっと論議されてきたのが、断種措置による強制的な不妊化処置の遂行であった。
ナチの断種の施策は大きく分けると3つの経過をたどった。
薬品による断種
カラジューム・セグイヌム(サトイモ科の観葉植物の一種)を接種することによって、特に男性は生殖不能となるとされ、この植物を大量に栽培しようとするのだがコスト面で実用に耐えないことが分かった。ヒムラーは農業に大変関心が高い男であったため、カラジューム・セグイヌムの構成要素の分析を進め、人体実験を行うべし、との命令を発した。
しかし、これを命じられたコッホ博士はありきたりな動物実験を行うのみにとどめ、命令を事実上サボタージュした。それはあまりに実用性がなく、他の方法がどんどん進んでいたからであった。
放射線による断種
帝国公衆衛生局に所属し、障碍者の断種・殺害計画に関与したヴィクトル・ブラック博士は、放射線による断種の研究と人体実験の許可をヒムラーに求めた。それまで行われていた外科手術に頼る方法では、あまりに労力とコスト面で現実味がなかったからである。
これをヒムラーは許可し、第Uアウシュビッツ(=ビルケナウ)や女性収容所のラーフェンスブリュックで、それぞれ放射線による断種の試みが行われた。若い適齢期の男女は、何の説明もないままに不意に呼び出され、性器や子宮、睾丸付近にレントゲンを照射された。
彼らの多くは火傷を負い、傷口は膿み、そのような体で重労働につかされた。歩けなくなったものは銃殺・ガス殺された。
レントゲン照射後数週間してから、男性囚人は外科的に睾丸を摘出された。レントゲンの効果がどの程度であったかを検証するためであったとされる。しかし、レントゲン照射を受けた囚人たちは局部に重傷を負い、結局は絶滅収容所の中で死んでいった。
ブラック博士は、この不妊化処置を「殺すよりはマイルドな方法」と認識していたらしく、裁判で「絶滅政策を緩和するためにあえて提案した方法だった」と証言した。法廷はこの詭弁を却下し、ブラックを死刑に処した。
子宮内の刺激作用による断種
drclaubergこの方法は、ケーニッヒスヒュッテの医学博士クラウベルク教授によって開発された。教授はもともと卵管閉鎖による不妊を治療する方法を開発して有名になった人物だった。
1933年にナチ党に入党し、その医学の知識を、今度は「下等人種」の断種のために傾けようとしていた。
http://3rdkz.net/?p=250&page=3
クラウベルクはヒムラーと協議し、外科手術を用いることなく不妊化させる方法を話し合った。教授が考えていたのは卵管にホルマリン溶液を注入するという方法だった。ヒムラーはアウシュビッツにクラウベルクの実験施設を作るよう、部下のルドルフ・ヘースに命令した。
約500人の女性がクラウベルクの前に引き出され、狂気の実験の犠牲となった。収容所に響き渡る女性の悲鳴の原因は何のか、あの医師は囚人にいったい何をしているのか調べようと、女性看守が飛んできたこともあったほどであった。
実験により少なくとも7人の女性が死亡。残った囚人のうち、何人がガス室に送られたかは不明である。
教授は1945年にはラーフェンスブリュック収容所へ移り、35人の女性に人体実験を行った。戦後は赤軍に捕まり25年の判決を受けるがのちに恩赦。ドイツに戻るとドイツ当局に再逮捕され、57年、拘留中に死亡した。
実験] 飢餓実験
ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……
このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。
飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。
慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。
ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。
いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。
ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。
知的障害者に対する飢餓実験
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。
彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。
1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・
“
15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。
”
エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。
被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。
彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。
ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験
1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。
ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。
また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。
ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。
なぜこんなことが起こったか
ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。
そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。
大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。
そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。
曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。
にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
http://3rdkz.net/?p=250&page=4
ヒトラーやヒムラーは、理想的な北欧人種とは程遠い外見である。ゲッベルスは足が不自由で身体障碍者である。にもかかわらず、ドイツ国民は「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがままに、ヨーロッパ全土を破壊し、滅亡に追い込んだ。この歴史の奇妙を解明することは、今後においても決してできないに違いない。我々にできることは茫然と立ちすくみ、とりあえず人種差別に反対することだけであろう。
http://3rdkz.net/?p=250&page=5
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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史
『ヒトラー思想』が降りてきた……
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。
数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?
※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです
「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。
あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。
『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。
冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535
引用・参考文献
ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D
わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE
イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。
ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い
ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。
比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。
ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。
ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。
とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。
ヒトラー思想A 人間は動物
ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。
ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。
ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」
ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。
ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。
勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。
弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。
ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人
ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2
ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。
ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。
仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」
ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。
人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。
ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する
ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。
法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。
ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する
ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」
強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。
この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。
1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。
ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3
ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。
そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。
ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる
ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。
ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。
※※※※※※※※
終わりに
いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。
強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。
しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。
強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4
44. 中川隆[-10755] koaQ7Jey 2019年4月15日 08:19:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1293]
【狂気の戦時医学】ナチスの人体実験まとめ【ヒトラー・ドイツ】 2017/5/11
http://3rdkz.net/?p=250
ナチスドイツの非人道的な人体実験の数々をわかる限りまとめました。
なるべく信頼できそうな資料だけを使用し、誇張することがないよう心がけました。
非常に残酷で吐き気を催す事実が記載されているため、観賞要注意とします。
目次
実験T 低圧・低温実験
実験U 海水を飲料にする実験
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
実験X 毒物接種実験
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
実験Z マラリア実験
実験[ 双子実験
実験\ 強制不妊化実験
実験] 飢餓実験
なぜこんなことが起こったか
実験T 低圧・低温実験
低圧・酸欠下での救出実験
hypothermiaドイツ空軍が高度12000メートルに達するジェット機を開発したまでは良かったが、人体がそのような超高度環境にどのような反応を見せるのか、ということに関して信頼できるデータはまだなかった。そこで、ドイツ空軍軍医大尉であり、親衛隊将校でもあったジクムント・ラッシャー博士は、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者=ヒムラー)》へ手紙を書き、ダッハウ収容所の死刑囚を用いた人体実験の許可を求めた。
1942年3月、ヒムラーは実験を許可し、ラッシャー大尉の責任において、超高度における人体の反応の観察や、パラシュートや特殊機材を用いた救出を実用化するための危険な人体実験が行われた。超高度の低圧環境下で被験者を酸欠の状態に留め置き、どれぐらいの時間をかけて被験者が死亡するのか、またどのようなタイミングでしかるべき処置を行えば彼を救出できるのか、ありとあらゆる場面を想定して実験が行われた。当然のごとく実験は死者が続出したが、ラッシャーは死にゆく被験者の行動を観察し、心電図を記録した。そして、屍を解剖し、肺や心臓、脳の血管の空気塞栓の状況などを記録。逐一ライヒスフューラーへ報告していた。
実験に駆り出された200人の囚人のうち、実に80名の被験者が死亡した。
低体温・冷却からの蘇生実験
freeze
冷却実験の様子
ラッシャーとその協力者たちは、ダッハウにて更に人体実験を行うことにした。今度は海難事故などにより寒冷下に晒された人体を、いかに蘇生・回復できるか、といった実験である。やはりパイロットを救出することを前提とした実験であったが、実際にはダッハウの囚人300名を4〜12℃に冷却した水の中につけ、体を極限まで冷やしたのち、いかにすれば効率よく回復できるかを試すもので、この実験で90名が死亡。今日においてもこの実験結果が国際的専門誌に引用されているという。
この実験は当初よりライヒスフューラーの関心を買った。ヒムラーは冷え切った肉体を温めるためには、同じ人間の皮膚の接触。つまり、裸の女性による抱擁が効果があるのではないか、と考えた(ヒムラーはしばしばこのようなロマンチズムに基づく推測を実践させた)。ラッシャーはヒムラーの意向に沿ってダッハウ収容所より若い女性4名を召喚。そのうちの一人があまりにも見事なアーリア人種の肉体的特徴を備えていたため、ラッシャーは彼女を実験に使用することを拒否したという。つまり、被験者は下等人種とみなされたスラブ人やソ連兵捕虜であり、これを裸で温める乙女がアーリア系であってはならないというのである。この逸話からもわかる通り、人体実験は激しい人種差別の賜物であった。ちなみに女性の体で温める方法は非効率で到底実用に耐えないものであったという。
この実験は、場所を変えてアウシュビッツ収容所でも行われた。アウシュビッツのほうがより寒く、広大で実験が目立たなかったからだという。つまり、被験者は多くの場合、「苦しみにより悲鳴をあげた」からである。ラッシャーは被験者に麻酔をかけることを禁止し、なんら苦しみを緩和するための努力をしなかった。
ある実験では、ソ連軍将校2名がアウシュビッツで、水桶の中に裸で入らされた。通常なら60分程度で意識を失い、死亡するのだが、このソ連将校2名は3時間経過した頃に「同志…銃殺してくれないか」と頼んだという。その後、二人は握手を交わし、「さよなら、同志よ」と言った。ポーランド人の助手が見兼ねてクロロフォルムで二人に麻酔をかけようとしたが、ラッシャーはピストルを突きつけ、これを制止した。二人は5時間後にようやく死亡し、死体は解剖するためミュンヘンに送られた。
ラッシャー夫妻は子供に恵まれず、子供を誘拐、金銭で買い取って自らの子であるとして育てていた。これが明るみに出るとライヒスフューラーは激怒。ラッシャーは多くの囚人を殺害したダッハウにおいて、自らも処刑された。戦争が終わる直前だった。よって戦後もラッシャーは裁きにはかけられず、協力者たちは全ての責任を、同じく死亡したヒムラーとラッシャーにかぶせることに成功。この非道な人体実験で裁かれた者は結局誰一人としていない。
実験U 海水を飲料にする実験
この実験は、やはり海難事故に遭遇し、海の上を漂流することになったパイロットを救うために企画された。
二人の科学者が海水を飲料にするための試みを始めた。シェーファー教授が海水から塩分を分離するための設備を開発しようとして成功したが、これには多額の費用が掛かるため実用性なしと判断された。一方空軍技師ベルカが開発した「ベルカティカ」という薬品は海水の味を飲める程度に変えてしまうもので、この薬品はコストパフォーマンスにも優れ、大量に生産された。
しかし、すぐにこのベルカ方式の海水を飲むと、「より渇きがひどくなる」という声が上がり始めた。味を調整しただけで海水は依然として多量の塩分を含んでいたし、飲みすぎることで渇きが悪化し、下痢すら引き起こすことが分かった。
どちらの方法で渇きを解決するのか、ダッハウ収容所内で再度人体実験が行われた。被験者はいくつかのグループに分けられた。数日間にわたって海水を飲むもの、ベルカ方式の海水を1日500cc飲むもの、1000cc飲むもの、シェーファー方式で精製された水を飲むもの、などである。
被験者はブーヘンヴァルト収容所から連れてこられたジプシーたち40名であった。彼らは表向きは志願であった。実験の詳細についてきちんと説明を受けた上、実験前10日間は完璧な航空兵糧食3000キロカロリーを摂取し、健康管理を入念に行ったうえでの実験であり、死亡した者、後遺症が出た者はいないとされている。しかし、実験は著しく苦しく不快なものとなり、被験者の中には清掃班のバケツの中の汚水を飲んだり、モップから垂れたしずくを舐めた者がいたという。このような実験が本当にすべて志願だったと言えるだろうか?ましてや被験者のほとんどは賤民と見なされていたジプシーである。これは戦後の裁判で検察の激しい疑惑をかい、追及を受け、実験を主導した者たちは禁固15年〜終身刑を受けた。
ただし、実験で重篤な障害を受けた者、死亡した者がいなかったのは確かなようである。フランス人の医療助手や被験者のジプシーのうち数名が、宣誓供述書を提出し、実験を主導した科学者たちの恩赦請求を行っている。
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
発疹チフスのワクチン接種実験
東部戦線や各収容所で猛威を振るった発疹チフスから、前線兵士を救うための人体実験がブーヘンヴァルトとナッツヴァイラー各収容所にて行われた。
実験は1942年の春ごろから1944年の末まで続けられた。
それまで存在していた発疹チフスのワクチンは、病気の症状を軽減させることはできても、本来の目標たる免疫力の獲得、つまり病気に罹らずに済む、というものではなかった。これを深刻にとらえたSS上層部の医師団や衛生担当者たちは、人体実験の施行を強く主張。ブーヘンヴァルト内にウィルス研究部が設立され、SS軍医や権威ある熱帯医学者などが参加した。
実験は数十種類にも及ぶ各種ワクチンを接種した上で、数週間の間隔を置いたのち、人為的に発疹チフスに感染させるというものだった。対照群として設置された群は、ワクチン接種群と比較するために、単にチフスに感染させられた。
ワクチンを接種した者たちも、多くの場合、高熱や頭痛など、「発疹チフスの症状」に悩まされた。
被験者に選ばれた者たちは、ドイツ人の刑事犯、ポーランド人、ソ連兵捕虜、ジプシーなどである。健康状態が優良なものたちが数百人選び出され、少なくとも150名以上が死亡した。ブーヘンヴァルトの医師、シューラーSS大尉は終戦間近で自殺したが、彼の業務日誌が囚人によって廃棄を免れた。その中には、他にも黄熱病、チフス、コレラ、ジフテリアに対するワクチンや薬物の効果で800人の被験者が人体実験にかけられたことが示唆されている。
伝染性肝炎ウィルスの研究のための人体実験
独ソ戦が始まると、黄疸症状に悩まされる兵士が非常に増えた。致死的な病ではなかったが、発病者が多く、軍の作戦能力を衰えさせるものとして研究が開始された。肝炎はそれまでバクテリアによる感染と考えられていたが、細菌学者のドーメン軍医大尉がウィルスを発見し、培養するためSSがウィルス株の管理権を要求したがドーメンは拒否して独りで研究を続けていた。
各所からの圧力に耐えかねたドーメンは、ついにザクセンハウゼン収容所内で、囚人に対して人為的に肝炎ウィルスを感染させる人体実験を行った。これは《帝国医師総監(=エルンスト・グラヴィッツ)》の強い要請だった。ドーメンは良心の呵責に苦しめられ、実験が開始されたのは1944年も9月になる頃だった。
http://3rdkz.net/?p=250
アウシュビッツから、子供や青年からなる11人の囚人がザクセンハウゼンにやってきてドーメンに委ねられた。ザクセンハウゼンの第二病棟において彼らの世話をしていた古参囚人ブルーノ・マイヤーは、実験の内容について記録を残している。以下に引用する。
“
ドーメン博士は医療器具カバンから一本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してサウル・ホルンフェルトの背後へ近づき、指で彼の背中を探りました。そしてゾンデを当て、子供の背中の筋肉を通して深く体の中まで突き刺しました。サウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いで私は彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろと言いました。涙で見えない目で彼は私を見ました。そして、医者が再びゾンデを突き刺しました。(中略)その後、私は、ドーメン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も、―—多分肝臓の一部だったでしょう——少しその中に混じっていました。
”
結局、肝炎ウィルスを人為的に感染させる実験は成功しなかった。ドーメン博士や囚人たちがその後どうなったかは明らかではないが、博士は戦後実験結果を発表している。
医療用ゾンデ
医療用ゾンデ
第V収容所 1 share 1 user
【人類の負の遺産】アウシュビッツ絶滅収容所の解説と観光案内
少し前に、独りでドイツとポーランドを旅行しました。その際にアウシュビッツ絶滅収容所跡地を訪れました。想像よりも遥かに広大な施設で、展示を全部観ることは不可能でした。そこで得た知見や体験をまとめたいと思います。アウシュビッツ絶滅収容所とはなんなのか...
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
人為的にガス壊疽を作り出す実験
1942年5月、《国家保安本部(RSHA)》長官及び、ボヘミア・モラヴィア保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒがイギリス諜報部の襲撃を受けて重傷を負った。治療の責任者は武装SSの顧問外科医カール・ゲプハルトであったが、ゲプハルトの飛行機は延着したので直接手術に携わったのはプラハの医師二名である。ゲプハルトは《総統》とヒムラーの個人的な電話を何度も受けた。ヒトラーは自分の主治医であるモレル博士を派遣するとまで言った。
しかしハイドリヒは処置の甲斐なく6月2日に死亡。ゲプハルトはその後ヒムラーと謁見し、「ハイドリヒの死はドイツがこれまで経験したことのない巨大な敗北であった」と《総統》が考えていることを知らされた。ゲプハルトには汚名返上の機会が与えられた。ハイドリヒ長官が負傷による敗血症によって死亡したことを受け、至急、スルフォンアミドの効果を調べる人体実験の実行が決まった。
実験の舞台に選ばれたのは女性専用の強制収容所ラーフェンスブリュックであった。実験の目的は、当時未解明な部分が多かったガス壊疽という症状を分析し、有効な治療方法を見つけ出すことであった。そして、同時に戦場で多く見られる通常の傷口を調べ、有効な治療法を探す目的もあった。
被験者はザクセンハウゼン強制収容所から連れてこられた男性囚人や、ポーランドの抵抗運動に携わった女性囚人たちである。彼らはわざとけがを負わされ、木片やガラス片を傷口に練りこまれた。
《帝国医師総監》グラヴィッツは、実験場を視察し、被験者に死者が出ていないことに対して実験が手ぬるいと感じ、本物の銃創を彼女たちに負わせるように、と命令した。ゲプハルトはこの命令を拒否したが、より傷口の状態を悪化させることに努力したことに変わりはなかった。彼女たちは下腿の血管を結紮され、壊疽性の腐敗病原体を接種させられたりした。そのうえで彼女たちは処置も受けられず何日も放置され、本物のガス壊疽の症状により3名が死亡した。
人為的にひどい敗血症に陥らせた上でスルフォンアミドの効力を実験したが、傷を負わされただけで何の処置も受けられない囚人もいた。実験内容は1943年の5月にベルリンの軍医大学校で発表されたが、出席者の中で被験者の人権について申し述べた者は一人もいなかった。
他人の骨を移植して治療効果を見る実験
ラーフェンスブリュック強制収容所内で、女性を使って行われた他の実験群は骨の再生と骨の移植の実験である。
肩胛骨を他方から他方へ移す実験が行われた。肩胛骨を除去されたのは、ラーフェンスブリュックの精神病患者の女性であった。この女性は肩胛骨を抜き取られた後速やかに薬殺された。肩胛骨を移されたのは、ホーエンリーヘンの血管の癌により肩胛骨を失った若者で、彼は癌を再発することなく生きながらえたという。
この実験のほかにラーフェンスブリュック収容所内で、神経再生、筋肉再生の各実験、切断やその他の実験が行われたといわれるが、その規模や詳細は不明である。収容所医師の一人、ローゼンタール博士は、負傷に苦しみ、助かる見込みのない重症の囚人を20〜30人、楽に死なせるためにモルヒネを過剰投与したと断言している。
実験X 毒物接種実験
イペリッドガス
大戦期間中、ザクセンハウゼン、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフの各強制収容所内でびらん性(皮膚をただれさせる作用)のイペリッドガス(=マスタードガス)の人体実験が行われた。これは例によってヒムラーの命令だった。
イペリッドガスによる負傷の度合いと、効果的な治療法を見つけることがその目的である。この実験はストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士などが主にかかわった。
この毒ガス実験については、ナッツヴァイラーのカポ(囚人頭)であったフェルディナント・ホルの生々しい証言が残っている。
“
囚人たちは真っ裸にされ、次から次へと実験室の中に入ってきました。彼らは前膊から10センチほどの箇所にその液体を塗られましたが、その時私が彼らの腕を抑えていなければなりませんでした。その後、処置を施された被験者たちは隣の部屋へ行き、そこで腕を広げたまま約1時間立っていなければなりませんでした。約10時間もすると、あるいはもっと長かったかもしれません、火傷が、それも全身に出てくるのです。盲目になった人々もいました。ひどい苦しみで、被験者たちのそばにはとてもいられないほどでした。その後、被験者たちは毎日写真を撮られました。しかもすべての傷の箇所を、つまり全ての火傷の箇所を写真に撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。(中略)内臓、肺などは全て完全に腐食していました。その後の数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2か月続けられました。
”
実験は何度も行われ、平均して毎回7~8名の死者が出た。生き残った者たちも後遺症の残った体でアウシュビッツやベルゲンベルゼンに送られた。
硝酸アコニチン弾丸の創痍研究
“
極秘事項
帝国医師ー親衛隊警察、主席衛生官
日誌番号 秘364/44 ムルゴウスキー
1944.9.12
硝酸アコニチン弾丸について
SS少佐ディング博士、ウィマン博士、および筆者立ち合いで1944年9月11日、5人の死刑囚に、毒物である硝酸アコニチン結晶入りの弾丸(直径7.65o)を用いて実験を行った。被験者を寝かせ、左大腿に1発撃ちこんだが、2人では弾丸は貫通、後になっても毒作用は出なかったので、実験から除いた。(中略)
3人の症状は驚くほど一致していた。最初は異常がなかったが、20分から25分後に動きが不穏となり、遅れて、よだれが少し出始めた。しきりに飲み込もうとしたが、量が増えて飲み込めないほどになり、ついには、泡を含んだよだれが口から漏れてきた。それから、吐き気、嘔吐が始まった…。
約90分後、1人の呼吸が深くなり、同時に運動不穏も増強した。呼吸は浅く速くなった。同時に強い吐き気が現れたが、吐こうとしても何も出なかった。指を4本付け根まで口に深く入れて吐こうとしたが吐けず、顔は真っ赤になるだけだった。
他の2人の顔は早い時期から蒼白になっていた。他の症状は同じだった。運動不穏の出現は遅れたが、極めて強くなり、棒立ちになったかと思うと、また、床に身を投げ出した。白目をむき、手や腕は意味のない動きをした。最後に、不穏の程度は弱くなり、瞳孔は極度に散大、被験者は静かに横たわるだけだった。1人には咬筋の痙攣が現れ、尿失禁が認められた。3人の死亡は、受傷後それぞれ、121,123、および129分であった。
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総括 およそ38mgの硝酸アコニチンを詰めた弾丸による創自体はひどいものではなかったが、2時間後に致死的な中毒が現れた。中毒症状の出現は、受傷後20分から25分で、主要症状は、流涎、瞳孔径の変化、腱反射消失、運動不穏、強い吐き気であった。
講師医学博士ムルゴウスキー、SS上級大佐、主席衛生官
上の手記と一致するかは不明だが、ザクセンハウゼン収容所で死刑囚を用いた毒の弾丸の実験が行われた、との展示がある。その射撃手はムッソリーニ救出の特殊部隊を率いた、オットー・スコルツェニーSS中佐である。
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
hiltストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士は、1942年の2月にヒムラーにあてて手紙を書き、ユダヤ人、共産党員、赤軍政治将校の頭蓋骨収集の許可を求めた。ヒムラーはおおいに関心を持ち、ヒルトに自分の政治的権力の全てを委ねてこれを支援した。
当時、ナチスドイツはありとあらゆる人種の頭蓋骨を収集して、その形態を測定したり、歪んだ人種優生学に基づく様々な研究を行っていた。しかし、ユダヤ人に関しては当時サンプルを獲得する術があまりなかったらしい。独ソの開戦はその状況を打開する最良の機会となった。既にホロコーストは開始され、ユダヤ人と共産党や政治将校は同一視されていた。彼らの頭蓋骨を一定量獲得し、データを取得することで、占領地において効率よくユダヤ人や政治将校と、その他の民族の鑑別を容易にし、効率的に撃滅できる、というのが彼らのデタラメな論理であった。
ヒルトとその協力者たちが、いかにしてそれらのサンプルを選定したかは定かでない。既に収容所にいたユダヤ人なのか、占領地から生きたまま拉致してきた政治将校や捕虜たちだったのか、とにかく、彼らがアドルフ・アイヒマンを通してアウシュビッツの囚人約120名を、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフ各収容所の実験施設へ送ったのは確かである。
それら120名の囚人は「首から上を傷つけぬように」ガスによって殺害され、合成アルコール入りの水槽の中で保存された。ヒルト博士はそれらの死体を細かく解剖。
ヒルトは戦後逃亡先で自殺した。
実験Z マラリア実験
ベルリンのロバート・コッホ研究所所長で、熱帯医学部門長であったクラウス・シリング博士は、1936年の現役引退後も、イタリアでマラリアのワクチンの開発研究を続けていた。1941年末、内務省保健衛生事業担当官のレオナルド・コンティ博士によってダッハウ強制収容所で研究ができることを勧められ、翌2月のはじめから実験を開始。1945年の3月半ばに74歳のシリングが手術を受けるためにミュンヘンにでかけたあと、ヒムラーが実験中止を命令した。(敗戦が近かったからであろうか?)
シリングの3年にわたる実験でおよそ1000人がマラリアに感染させられ、330人が死亡した。
実験[ 双子実験
ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。
mengere
ヨーゼフ・メンゲレ
メンゲレは、静脈をつなぎ合わせてシャム双生児を人工的に作ろうとしたり、眼球に薬品を注射して瞳の色を変えようとした。また、チフス菌を注射して病気の経過を血清学的に記録した。また頭蓋骨の収集もぬかりなく行われ、それらの実験報告を師のフェシュアーに送っていた。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。
“
ある生存者の報告
ある日、私の双子の兄のチビが特別実験のために連れていかれた。メンゲレは、最初から、チビに非常に興味を持っていた。なぜか知らないが、比較的歳のいった双生児であったからかもしれない。
メンゲレはチビを何回となく手術した。脊椎手術で麻痺となり、走れなくなった。
性器も除去してしまった。4回名の手術後、チビには2度と会えなかった。
私の気持ちがどんなだったか、あなたに言えないし、言葉にも表せない。
私は父、母、兄2人を失っていたのに、また双子の兄もなくしてしまった。
”
メンゲレは1979年に逃亡先のブラジルで海水浴中に死亡した。
実験\ 強制不妊化実験
ナチの歪んだ人種思想は戦争前から活発ではあったが、独ソ戦の開始と共に東方民族絶滅の意志はますます固くなるばかりだった。その手段としてずっと論議されてきたのが、断種措置による強制的な不妊化処置の遂行であった。
ナチの断種の施策は大きく分けると3つの経過をたどった。
薬品による断種
カラジューム・セグイヌム(サトイモ科の観葉植物の一種)を接種することによって、特に男性は生殖不能となるとされ、この植物を大量に栽培しようとするのだがコスト面で実用に耐えないことが分かった。ヒムラーは農業に大変関心が高い男であったため、カラジューム・セグイヌムの構成要素の分析を進め、人体実験を行うべし、との命令を発した。
しかし、これを命じられたコッホ博士はありきたりな動物実験を行うのみにとどめ、命令を事実上サボタージュした。それはあまりに実用性がなく、他の方法がどんどん進んでいたからであった。
放射線による断種
帝国公衆衛生局に所属し、障碍者の断種・殺害計画に関与したヴィクトル・ブラック博士は、放射線による断種の研究と人体実験の許可をヒムラーに求めた。それまで行われていた外科手術に頼る方法では、あまりに労力とコスト面で現実味がなかったからである。
これをヒムラーは許可し、第Uアウシュビッツ(=ビルケナウ)や女性収容所のラーフェンスブリュックで、それぞれ放射線による断種の試みが行われた。若い適齢期の男女は、何の説明もないままに不意に呼び出され、性器や子宮、睾丸付近にレントゲンを照射された。
彼らの多くは火傷を負い、傷口は膿み、そのような体で重労働につかされた。歩けなくなったものは銃殺・ガス殺された。
レントゲン照射後数週間してから、男性囚人は外科的に睾丸を摘出された。レントゲンの効果がどの程度であったかを検証するためであったとされる。しかし、レントゲン照射を受けた囚人たちは局部に重傷を負い、結局は絶滅収容所の中で死んでいった。
ブラック博士は、この不妊化処置を「殺すよりはマイルドな方法」と認識していたらしく、裁判で「絶滅政策を緩和するためにあえて提案した方法だった」と証言した。法廷はこの詭弁を却下し、ブラックを死刑に処した。
子宮内の刺激作用による断種
drclaubergこの方法は、ケーニッヒスヒュッテの医学博士クラウベルク教授によって開発された。教授はもともと卵管閉鎖による不妊を治療する方法を開発して有名になった人物だった。
1933年にナチ党に入党し、その医学の知識を、今度は「下等人種」の断種のために傾けようとしていた。
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クラウベルクはヒムラーと協議し、外科手術を用いることなく不妊化させる方法を話し合った。教授が考えていたのは卵管にホルマリン溶液を注入するという方法だった。ヒムラーはアウシュビッツにクラウベルクの実験施設を作るよう、部下のルドルフ・ヘースに命令した。
約500人の女性がクラウベルクの前に引き出され、狂気の実験の犠牲となった。収容所に響き渡る女性の悲鳴の原因は何のか、あの医師は囚人にいったい何をしているのか調べようと、女性看守が飛んできたこともあったほどであった。
実験により少なくとも7人の女性が死亡。残った囚人のうち、何人がガス室に送られたかは不明である。
教授は1945年にはラーフェンスブリュック収容所へ移り、35人の女性に人体実験を行った。戦後は赤軍に捕まり25年の判決を受けるがのちに恩赦。ドイツに戻るとドイツ当局に再逮捕され、57年、拘留中に死亡した。
実験] 飢餓実験
ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……
このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。
飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。
慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。
ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。
いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。
ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。
知的障害者に対する飢餓実験
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。
彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。
1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・
“
15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。
”
エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。
被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。
彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。
ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験
1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。
ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。
また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。
ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。
なぜこんなことが起こったか
ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。
そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。
大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。
そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。
曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。
にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
http://3rdkz.net/?p=250&page=4
ヒトラーやヒムラーは、理想的な北欧人種とは程遠い外見である。ゲッベルスは足が不自由で身体障碍者である。にもかかわらず、ドイツ国民は「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがままに、ヨーロッパ全土を破壊し、滅亡に追い込んだ。この歴史の奇妙を解明することは、今後においても決してできないに違いない。我々にできることは茫然と立ちすくみ、とりあえず人種差別に反対することだけであろう。
http://3rdkz.net/?p=250&page=5
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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史
『ヒトラー思想』が降りてきた……
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。
数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?
※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです
「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。
あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。
『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。
冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535
引用・参考文献
ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D
わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE
イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。
ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い
ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。
比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。
ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。
ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。
とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。
ヒトラー思想A 人間は動物
ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。
ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。
ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」
ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。
ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。
勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。
弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。
ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人
ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2
ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。
ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。
仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」
ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。
人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。
ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する
ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。
法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。
ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する
ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」
強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。
この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。
1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。
ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3
ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。
そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。
ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる
ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。
ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。
※※※※※※※※
終わりに
いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。
強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。
しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。
強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4
3. 中川隆[-10754] koaQ7Jey 2019年4月15日 08:20:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1294]
【狂気の戦時医学】ナチスの人体実験まとめ【ヒトラー・ドイツ】 2017/5/11
http://3rdkz.net/?p=250
ナチスドイツの非人道的な人体実験の数々をわかる限りまとめました。
なるべく信頼できそうな資料だけを使用し、誇張することがないよう心がけました。
非常に残酷で吐き気を催す事実が記載されているため、観賞要注意とします。
目次
実験T 低圧・低温実験
実験U 海水を飲料にする実験
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
実験X 毒物接種実験
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
実験Z マラリア実験
実験[ 双子実験
実験\ 強制不妊化実験
実験] 飢餓実験
なぜこんなことが起こったか
実験T 低圧・低温実験
低圧・酸欠下での救出実験
hypothermiaドイツ空軍が高度12000メートルに達するジェット機を開発したまでは良かったが、人体がそのような超高度環境にどのような反応を見せるのか、ということに関して信頼できるデータはまだなかった。そこで、ドイツ空軍軍医大尉であり、親衛隊将校でもあったジクムント・ラッシャー博士は、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者=ヒムラー)》へ手紙を書き、ダッハウ収容所の死刑囚を用いた人体実験の許可を求めた。
1942年3月、ヒムラーは実験を許可し、ラッシャー大尉の責任において、超高度における人体の反応の観察や、パラシュートや特殊機材を用いた救出を実用化するための危険な人体実験が行われた。超高度の低圧環境下で被験者を酸欠の状態に留め置き、どれぐらいの時間をかけて被験者が死亡するのか、またどのようなタイミングでしかるべき処置を行えば彼を救出できるのか、ありとあらゆる場面を想定して実験が行われた。当然のごとく実験は死者が続出したが、ラッシャーは死にゆく被験者の行動を観察し、心電図を記録した。そして、屍を解剖し、肺や心臓、脳の血管の空気塞栓の状況などを記録。逐一ライヒスフューラーへ報告していた。
実験に駆り出された200人の囚人のうち、実に80名の被験者が死亡した。
低体温・冷却からの蘇生実験
freeze
冷却実験の様子
ラッシャーとその協力者たちは、ダッハウにて更に人体実験を行うことにした。今度は海難事故などにより寒冷下に晒された人体を、いかに蘇生・回復できるか、といった実験である。やはりパイロットを救出することを前提とした実験であったが、実際にはダッハウの囚人300名を4〜12℃に冷却した水の中につけ、体を極限まで冷やしたのち、いかにすれば効率よく回復できるかを試すもので、この実験で90名が死亡。今日においてもこの実験結果が国際的専門誌に引用されているという。
この実験は当初よりライヒスフューラーの関心を買った。ヒムラーは冷え切った肉体を温めるためには、同じ人間の皮膚の接触。つまり、裸の女性による抱擁が効果があるのではないか、と考えた(ヒムラーはしばしばこのようなロマンチズムに基づく推測を実践させた)。ラッシャーはヒムラーの意向に沿ってダッハウ収容所より若い女性4名を召喚。そのうちの一人があまりにも見事なアーリア人種の肉体的特徴を備えていたため、ラッシャーは彼女を実験に使用することを拒否したという。つまり、被験者は下等人種とみなされたスラブ人やソ連兵捕虜であり、これを裸で温める乙女がアーリア系であってはならないというのである。この逸話からもわかる通り、人体実験は激しい人種差別の賜物であった。ちなみに女性の体で温める方法は非効率で到底実用に耐えないものであったという。
この実験は、場所を変えてアウシュビッツ収容所でも行われた。アウシュビッツのほうがより寒く、広大で実験が目立たなかったからだという。つまり、被験者は多くの場合、「苦しみにより悲鳴をあげた」からである。ラッシャーは被験者に麻酔をかけることを禁止し、なんら苦しみを緩和するための努力をしなかった。
ある実験では、ソ連軍将校2名がアウシュビッツで、水桶の中に裸で入らされた。通常なら60分程度で意識を失い、死亡するのだが、このソ連将校2名は3時間経過した頃に「同志…銃殺してくれないか」と頼んだという。その後、二人は握手を交わし、「さよなら、同志よ」と言った。ポーランド人の助手が見兼ねてクロロフォルムで二人に麻酔をかけようとしたが、ラッシャーはピストルを突きつけ、これを制止した。二人は5時間後にようやく死亡し、死体は解剖するためミュンヘンに送られた。
ラッシャー夫妻は子供に恵まれず、子供を誘拐、金銭で買い取って自らの子であるとして育てていた。これが明るみに出るとライヒスフューラーは激怒。ラッシャーは多くの囚人を殺害したダッハウにおいて、自らも処刑された。戦争が終わる直前だった。よって戦後もラッシャーは裁きにはかけられず、協力者たちは全ての責任を、同じく死亡したヒムラーとラッシャーにかぶせることに成功。この非道な人体実験で裁かれた者は結局誰一人としていない。
実験U 海水を飲料にする実験
この実験は、やはり海難事故に遭遇し、海の上を漂流することになったパイロットを救うために企画された。
二人の科学者が海水を飲料にするための試みを始めた。シェーファー教授が海水から塩分を分離するための設備を開発しようとして成功したが、これには多額の費用が掛かるため実用性なしと判断された。一方空軍技師ベルカが開発した「ベルカティカ」という薬品は海水の味を飲める程度に変えてしまうもので、この薬品はコストパフォーマンスにも優れ、大量に生産された。
しかし、すぐにこのベルカ方式の海水を飲むと、「より渇きがひどくなる」という声が上がり始めた。味を調整しただけで海水は依然として多量の塩分を含んでいたし、飲みすぎることで渇きが悪化し、下痢すら引き起こすことが分かった。
どちらの方法で渇きを解決するのか、ダッハウ収容所内で再度人体実験が行われた。被験者はいくつかのグループに分けられた。数日間にわたって海水を飲むもの、ベルカ方式の海水を1日500cc飲むもの、1000cc飲むもの、シェーファー方式で精製された水を飲むもの、などである。
被験者はブーヘンヴァルト収容所から連れてこられたジプシーたち40名であった。彼らは表向きは志願であった。実験の詳細についてきちんと説明を受けた上、実験前10日間は完璧な航空兵糧食3000キロカロリーを摂取し、健康管理を入念に行ったうえでの実験であり、死亡した者、後遺症が出た者はいないとされている。しかし、実験は著しく苦しく不快なものとなり、被験者の中には清掃班のバケツの中の汚水を飲んだり、モップから垂れたしずくを舐めた者がいたという。このような実験が本当にすべて志願だったと言えるだろうか?ましてや被験者のほとんどは賤民と見なされていたジプシーである。これは戦後の裁判で検察の激しい疑惑をかい、追及を受け、実験を主導した者たちは禁固15年〜終身刑を受けた。
ただし、実験で重篤な障害を受けた者、死亡した者がいなかったのは確かなようである。フランス人の医療助手や被験者のジプシーのうち数名が、宣誓供述書を提出し、実験を主導した科学者たちの恩赦請求を行っている。
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
発疹チフスのワクチン接種実験
東部戦線や各収容所で猛威を振るった発疹チフスから、前線兵士を救うための人体実験がブーヘンヴァルトとナッツヴァイラー各収容所にて行われた。
実験は1942年の春ごろから1944年の末まで続けられた。
それまで存在していた発疹チフスのワクチンは、病気の症状を軽減させることはできても、本来の目標たる免疫力の獲得、つまり病気に罹らずに済む、というものではなかった。これを深刻にとらえたSS上層部の医師団や衛生担当者たちは、人体実験の施行を強く主張。ブーヘンヴァルト内にウィルス研究部が設立され、SS軍医や権威ある熱帯医学者などが参加した。
実験は数十種類にも及ぶ各種ワクチンを接種した上で、数週間の間隔を置いたのち、人為的に発疹チフスに感染させるというものだった。対照群として設置された群は、ワクチン接種群と比較するために、単にチフスに感染させられた。
ワクチンを接種した者たちも、多くの場合、高熱や頭痛など、「発疹チフスの症状」に悩まされた。
被験者に選ばれた者たちは、ドイツ人の刑事犯、ポーランド人、ソ連兵捕虜、ジプシーなどである。健康状態が優良なものたちが数百人選び出され、少なくとも150名以上が死亡した。ブーヘンヴァルトの医師、シューラーSS大尉は終戦間近で自殺したが、彼の業務日誌が囚人によって廃棄を免れた。その中には、他にも黄熱病、チフス、コレラ、ジフテリアに対するワクチンや薬物の効果で800人の被験者が人体実験にかけられたことが示唆されている。
伝染性肝炎ウィルスの研究のための人体実験
独ソ戦が始まると、黄疸症状に悩まされる兵士が非常に増えた。致死的な病ではなかったが、発病者が多く、軍の作戦能力を衰えさせるものとして研究が開始された。肝炎はそれまでバクテリアによる感染と考えられていたが、細菌学者のドーメン軍医大尉がウィルスを発見し、培養するためSSがウィルス株の管理権を要求したがドーメンは拒否して独りで研究を続けていた。
各所からの圧力に耐えかねたドーメンは、ついにザクセンハウゼン収容所内で、囚人に対して人為的に肝炎ウィルスを感染させる人体実験を行った。これは《帝国医師総監(=エルンスト・グラヴィッツ)》の強い要請だった。ドーメンは良心の呵責に苦しめられ、実験が開始されたのは1944年も9月になる頃だった。
http://3rdkz.net/?p=250
アウシュビッツから、子供や青年からなる11人の囚人がザクセンハウゼンにやってきてドーメンに委ねられた。ザクセンハウゼンの第二病棟において彼らの世話をしていた古参囚人ブルーノ・マイヤーは、実験の内容について記録を残している。以下に引用する。
“
ドーメン博士は医療器具カバンから一本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してサウル・ホルンフェルトの背後へ近づき、指で彼の背中を探りました。そしてゾンデを当て、子供の背中の筋肉を通して深く体の中まで突き刺しました。サウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いで私は彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろと言いました。涙で見えない目で彼は私を見ました。そして、医者が再びゾンデを突き刺しました。(中略)その後、私は、ドーメン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も、―—多分肝臓の一部だったでしょう——少しその中に混じっていました。
”
結局、肝炎ウィルスを人為的に感染させる実験は成功しなかった。ドーメン博士や囚人たちがその後どうなったかは明らかではないが、博士は戦後実験結果を発表している。
医療用ゾンデ
医療用ゾンデ
第V収容所 1 share 1 user
【人類の負の遺産】アウシュビッツ絶滅収容所の解説と観光案内
少し前に、独りでドイツとポーランドを旅行しました。その際にアウシュビッツ絶滅収容所跡地を訪れました。想像よりも遥かに広大な施設で、展示を全部観ることは不可能でした。そこで得た知見や体験をまとめたいと思います。アウシュビッツ絶滅収容所とはなんなのか...
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
人為的にガス壊疽を作り出す実験
1942年5月、《国家保安本部(RSHA)》長官及び、ボヘミア・モラヴィア保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒがイギリス諜報部の襲撃を受けて重傷を負った。治療の責任者は武装SSの顧問外科医カール・ゲプハルトであったが、ゲプハルトの飛行機は延着したので直接手術に携わったのはプラハの医師二名である。ゲプハルトは《総統》とヒムラーの個人的な電話を何度も受けた。ヒトラーは自分の主治医であるモレル博士を派遣するとまで言った。
しかしハイドリヒは処置の甲斐なく6月2日に死亡。ゲプハルトはその後ヒムラーと謁見し、「ハイドリヒの死はドイツがこれまで経験したことのない巨大な敗北であった」と《総統》が考えていることを知らされた。ゲプハルトには汚名返上の機会が与えられた。ハイドリヒ長官が負傷による敗血症によって死亡したことを受け、至急、スルフォンアミドの効果を調べる人体実験の実行が決まった。
実験の舞台に選ばれたのは女性専用の強制収容所ラーフェンスブリュックであった。実験の目的は、当時未解明な部分が多かったガス壊疽という症状を分析し、有効な治療方法を見つけ出すことであった。そして、同時に戦場で多く見られる通常の傷口を調べ、有効な治療法を探す目的もあった。
被験者はザクセンハウゼン強制収容所から連れてこられた男性囚人や、ポーランドの抵抗運動に携わった女性囚人たちである。彼らはわざとけがを負わされ、木片やガラス片を傷口に練りこまれた。
《帝国医師総監》グラヴィッツは、実験場を視察し、被験者に死者が出ていないことに対して実験が手ぬるいと感じ、本物の銃創を彼女たちに負わせるように、と命令した。ゲプハルトはこの命令を拒否したが、より傷口の状態を悪化させることに努力したことに変わりはなかった。彼女たちは下腿の血管を結紮され、壊疽性の腐敗病原体を接種させられたりした。そのうえで彼女たちは処置も受けられず何日も放置され、本物のガス壊疽の症状により3名が死亡した。
人為的にひどい敗血症に陥らせた上でスルフォンアミドの効力を実験したが、傷を負わされただけで何の処置も受けられない囚人もいた。実験内容は1943年の5月にベルリンの軍医大学校で発表されたが、出席者の中で被験者の人権について申し述べた者は一人もいなかった。
他人の骨を移植して治療効果を見る実験
ラーフェンスブリュック強制収容所内で、女性を使って行われた他の実験群は骨の再生と骨の移植の実験である。
肩胛骨を他方から他方へ移す実験が行われた。肩胛骨を除去されたのは、ラーフェンスブリュックの精神病患者の女性であった。この女性は肩胛骨を抜き取られた後速やかに薬殺された。肩胛骨を移されたのは、ホーエンリーヘンの血管の癌により肩胛骨を失った若者で、彼は癌を再発することなく生きながらえたという。
この実験のほかにラーフェンスブリュック収容所内で、神経再生、筋肉再生の各実験、切断やその他の実験が行われたといわれるが、その規模や詳細は不明である。収容所医師の一人、ローゼンタール博士は、負傷に苦しみ、助かる見込みのない重症の囚人を20〜30人、楽に死なせるためにモルヒネを過剰投与したと断言している。
実験X 毒物接種実験
イペリッドガス
大戦期間中、ザクセンハウゼン、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフの各強制収容所内でびらん性(皮膚をただれさせる作用)のイペリッドガス(=マスタードガス)の人体実験が行われた。これは例によってヒムラーの命令だった。
イペリッドガスによる負傷の度合いと、効果的な治療法を見つけることがその目的である。この実験はストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士などが主にかかわった。
この毒ガス実験については、ナッツヴァイラーのカポ(囚人頭)であったフェルディナント・ホルの生々しい証言が残っている。
“
囚人たちは真っ裸にされ、次から次へと実験室の中に入ってきました。彼らは前膊から10センチほどの箇所にその液体を塗られましたが、その時私が彼らの腕を抑えていなければなりませんでした。その後、処置を施された被験者たちは隣の部屋へ行き、そこで腕を広げたまま約1時間立っていなければなりませんでした。約10時間もすると、あるいはもっと長かったかもしれません、火傷が、それも全身に出てくるのです。盲目になった人々もいました。ひどい苦しみで、被験者たちのそばにはとてもいられないほどでした。その後、被験者たちは毎日写真を撮られました。しかもすべての傷の箇所を、つまり全ての火傷の箇所を写真に撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。(中略)内臓、肺などは全て完全に腐食していました。その後の数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2か月続けられました。
”
実験は何度も行われ、平均して毎回7~8名の死者が出た。生き残った者たちも後遺症の残った体でアウシュビッツやベルゲンベルゼンに送られた。
硝酸アコニチン弾丸の創痍研究
“
極秘事項
帝国医師ー親衛隊警察、主席衛生官
日誌番号 秘364/44 ムルゴウスキー
1944.9.12
硝酸アコニチン弾丸について
SS少佐ディング博士、ウィマン博士、および筆者立ち合いで1944年9月11日、5人の死刑囚に、毒物である硝酸アコニチン結晶入りの弾丸(直径7.65o)を用いて実験を行った。被験者を寝かせ、左大腿に1発撃ちこんだが、2人では弾丸は貫通、後になっても毒作用は出なかったので、実験から除いた。(中略)
3人の症状は驚くほど一致していた。最初は異常がなかったが、20分から25分後に動きが不穏となり、遅れて、よだれが少し出始めた。しきりに飲み込もうとしたが、量が増えて飲み込めないほどになり、ついには、泡を含んだよだれが口から漏れてきた。それから、吐き気、嘔吐が始まった…。
約90分後、1人の呼吸が深くなり、同時に運動不穏も増強した。呼吸は浅く速くなった。同時に強い吐き気が現れたが、吐こうとしても何も出なかった。指を4本付け根まで口に深く入れて吐こうとしたが吐けず、顔は真っ赤になるだけだった。
他の2人の顔は早い時期から蒼白になっていた。他の症状は同じだった。運動不穏の出現は遅れたが、極めて強くなり、棒立ちになったかと思うと、また、床に身を投げ出した。白目をむき、手や腕は意味のない動きをした。最後に、不穏の程度は弱くなり、瞳孔は極度に散大、被験者は静かに横たわるだけだった。1人には咬筋の痙攣が現れ、尿失禁が認められた。3人の死亡は、受傷後それぞれ、121,123、および129分であった。
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総括 およそ38mgの硝酸アコニチンを詰めた弾丸による創自体はひどいものではなかったが、2時間後に致死的な中毒が現れた。中毒症状の出現は、受傷後20分から25分で、主要症状は、流涎、瞳孔径の変化、腱反射消失、運動不穏、強い吐き気であった。
講師医学博士ムルゴウスキー、SS上級大佐、主席衛生官
上の手記と一致するかは不明だが、ザクセンハウゼン収容所で死刑囚を用いた毒の弾丸の実験が行われた、との展示がある。その射撃手はムッソリーニ救出の特殊部隊を率いた、オットー・スコルツェニーSS中佐である。
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
hiltストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士は、1942年の2月にヒムラーにあてて手紙を書き、ユダヤ人、共産党員、赤軍政治将校の頭蓋骨収集の許可を求めた。ヒムラーはおおいに関心を持ち、ヒルトに自分の政治的権力の全てを委ねてこれを支援した。
当時、ナチスドイツはありとあらゆる人種の頭蓋骨を収集して、その形態を測定したり、歪んだ人種優生学に基づく様々な研究を行っていた。しかし、ユダヤ人に関しては当時サンプルを獲得する術があまりなかったらしい。独ソの開戦はその状況を打開する最良の機会となった。既にホロコーストは開始され、ユダヤ人と共産党や政治将校は同一視されていた。彼らの頭蓋骨を一定量獲得し、データを取得することで、占領地において効率よくユダヤ人や政治将校と、その他の民族の鑑別を容易にし、効率的に撃滅できる、というのが彼らのデタラメな論理であった。
ヒルトとその協力者たちが、いかにしてそれらのサンプルを選定したかは定かでない。既に収容所にいたユダヤ人なのか、占領地から生きたまま拉致してきた政治将校や捕虜たちだったのか、とにかく、彼らがアドルフ・アイヒマンを通してアウシュビッツの囚人約120名を、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフ各収容所の実験施設へ送ったのは確かである。
それら120名の囚人は「首から上を傷つけぬように」ガスによって殺害され、合成アルコール入りの水槽の中で保存された。ヒルト博士はそれらの死体を細かく解剖。
ヒルトは戦後逃亡先で自殺した。
実験Z マラリア実験
ベルリンのロバート・コッホ研究所所長で、熱帯医学部門長であったクラウス・シリング博士は、1936年の現役引退後も、イタリアでマラリアのワクチンの開発研究を続けていた。1941年末、内務省保健衛生事業担当官のレオナルド・コンティ博士によってダッハウ強制収容所で研究ができることを勧められ、翌2月のはじめから実験を開始。1945年の3月半ばに74歳のシリングが手術を受けるためにミュンヘンにでかけたあと、ヒムラーが実験中止を命令した。(敗戦が近かったからであろうか?)
シリングの3年にわたる実験でおよそ1000人がマラリアに感染させられ、330人が死亡した。
実験[ 双子実験
ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。
mengere
ヨーゼフ・メンゲレ
メンゲレは、静脈をつなぎ合わせてシャム双生児を人工的に作ろうとしたり、眼球に薬品を注射して瞳の色を変えようとした。また、チフス菌を注射して病気の経過を血清学的に記録した。また頭蓋骨の収集もぬかりなく行われ、それらの実験報告を師のフェシュアーに送っていた。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。
“
ある生存者の報告
ある日、私の双子の兄のチビが特別実験のために連れていかれた。メンゲレは、最初から、チビに非常に興味を持っていた。なぜか知らないが、比較的歳のいった双生児であったからかもしれない。
メンゲレはチビを何回となく手術した。脊椎手術で麻痺となり、走れなくなった。
性器も除去してしまった。4回名の手術後、チビには2度と会えなかった。
私の気持ちがどんなだったか、あなたに言えないし、言葉にも表せない。
私は父、母、兄2人を失っていたのに、また双子の兄もなくしてしまった。
”
メンゲレは1979年に逃亡先のブラジルで海水浴中に死亡した。
実験\ 強制不妊化実験
ナチの歪んだ人種思想は戦争前から活発ではあったが、独ソ戦の開始と共に東方民族絶滅の意志はますます固くなるばかりだった。その手段としてずっと論議されてきたのが、断種措置による強制的な不妊化処置の遂行であった。
ナチの断種の施策は大きく分けると3つの経過をたどった。
薬品による断種
カラジューム・セグイヌム(サトイモ科の観葉植物の一種)を接種することによって、特に男性は生殖不能となるとされ、この植物を大量に栽培しようとするのだがコスト面で実用に耐えないことが分かった。ヒムラーは農業に大変関心が高い男であったため、カラジューム・セグイヌムの構成要素の分析を進め、人体実験を行うべし、との命令を発した。
しかし、これを命じられたコッホ博士はありきたりな動物実験を行うのみにとどめ、命令を事実上サボタージュした。それはあまりに実用性がなく、他の方法がどんどん進んでいたからであった。
放射線による断種
帝国公衆衛生局に所属し、障碍者の断種・殺害計画に関与したヴィクトル・ブラック博士は、放射線による断種の研究と人体実験の許可をヒムラーに求めた。それまで行われていた外科手術に頼る方法では、あまりに労力とコスト面で現実味がなかったからである。
これをヒムラーは許可し、第Uアウシュビッツ(=ビルケナウ)や女性収容所のラーフェンスブリュックで、それぞれ放射線による断種の試みが行われた。若い適齢期の男女は、何の説明もないままに不意に呼び出され、性器や子宮、睾丸付近にレントゲンを照射された。
彼らの多くは火傷を負い、傷口は膿み、そのような体で重労働につかされた。歩けなくなったものは銃殺・ガス殺された。
レントゲン照射後数週間してから、男性囚人は外科的に睾丸を摘出された。レントゲンの効果がどの程度であったかを検証するためであったとされる。しかし、レントゲン照射を受けた囚人たちは局部に重傷を負い、結局は絶滅収容所の中で死んでいった。
ブラック博士は、この不妊化処置を「殺すよりはマイルドな方法」と認識していたらしく、裁判で「絶滅政策を緩和するためにあえて提案した方法だった」と証言した。法廷はこの詭弁を却下し、ブラックを死刑に処した。
子宮内の刺激作用による断種
drclaubergこの方法は、ケーニッヒスヒュッテの医学博士クラウベルク教授によって開発された。教授はもともと卵管閉鎖による不妊を治療する方法を開発して有名になった人物だった。
1933年にナチ党に入党し、その医学の知識を、今度は「下等人種」の断種のために傾けようとしていた。
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クラウベルクはヒムラーと協議し、外科手術を用いることなく不妊化させる方法を話し合った。教授が考えていたのは卵管にホルマリン溶液を注入するという方法だった。ヒムラーはアウシュビッツにクラウベルクの実験施設を作るよう、部下のルドルフ・ヘースに命令した。
約500人の女性がクラウベルクの前に引き出され、狂気の実験の犠牲となった。収容所に響き渡る女性の悲鳴の原因は何のか、あの医師は囚人にいったい何をしているのか調べようと、女性看守が飛んできたこともあったほどであった。
実験により少なくとも7人の女性が死亡。残った囚人のうち、何人がガス室に送られたかは不明である。
教授は1945年にはラーフェンスブリュック収容所へ移り、35人の女性に人体実験を行った。戦後は赤軍に捕まり25年の判決を受けるがのちに恩赦。ドイツに戻るとドイツ当局に再逮捕され、57年、拘留中に死亡した。
実験] 飢餓実験
ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……
このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。
飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。
慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。
ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。
いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。
ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。
知的障害者に対する飢餓実験
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。
彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。
1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・
“
15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。
”
エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。
被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。
彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。
ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験
1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。
ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。
また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。
ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。
なぜこんなことが起こったか
ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。
そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。
大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。
そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。
曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。
にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
http://3rdkz.net/?p=250&page=4
ヒトラーやヒムラーは、理想的な北欧人種とは程遠い外見である。ゲッベルスは足が不自由で身体障碍者である。にもかかわらず、ドイツ国民は「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがままに、ヨーロッパ全土を破壊し、滅亡に追い込んだ。この歴史の奇妙を解明することは、今後においても決してできないに違いない。我々にできることは茫然と立ちすくみ、とりあえず人種差別に反対することだけであろう。
http://3rdkz.net/?p=250&page=5
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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史
『ヒトラー思想』が降りてきた……
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。
数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?
※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです
「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。
あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。
『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。
冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535
引用・参考文献
ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D
わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE
イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。
ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い
ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。
比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。
ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。
ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。
とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。
ヒトラー思想A 人間は動物
ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。
ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。
ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」
ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。
ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。
勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。
弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。
ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人
ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2
ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。
ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。
仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」
ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。
人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。
ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する
ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。
法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。
ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する
ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」
強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。
この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。
1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。
ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3
ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。
そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。
ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる
ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。
ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。
※※※※※※※※
終わりに
いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。
強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。
しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。
強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4
6. 中川隆[-10753] koaQ7Jey 2019年4月15日 08:20:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1295]
【狂気の戦時医学】ナチスの人体実験まとめ【ヒトラー・ドイツ】 2017/5/11
http://3rdkz.net/?p=250
ナチスドイツの非人道的な人体実験の数々をわかる限りまとめました。
なるべく信頼できそうな資料だけを使用し、誇張することがないよう心がけました。
非常に残酷で吐き気を催す事実が記載されているため、観賞要注意とします。
目次
実験T 低圧・低温実験
実験U 海水を飲料にする実験
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
実験X 毒物接種実験
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
実験Z マラリア実験
実験[ 双子実験
実験\ 強制不妊化実験
実験] 飢餓実験
なぜこんなことが起こったか
実験T 低圧・低温実験
低圧・酸欠下での救出実験
hypothermiaドイツ空軍が高度12000メートルに達するジェット機を開発したまでは良かったが、人体がそのような超高度環境にどのような反応を見せるのか、ということに関して信頼できるデータはまだなかった。そこで、ドイツ空軍軍医大尉であり、親衛隊将校でもあったジクムント・ラッシャー博士は、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者=ヒムラー)》へ手紙を書き、ダッハウ収容所の死刑囚を用いた人体実験の許可を求めた。
1942年3月、ヒムラーは実験を許可し、ラッシャー大尉の責任において、超高度における人体の反応の観察や、パラシュートや特殊機材を用いた救出を実用化するための危険な人体実験が行われた。超高度の低圧環境下で被験者を酸欠の状態に留め置き、どれぐらいの時間をかけて被験者が死亡するのか、またどのようなタイミングでしかるべき処置を行えば彼を救出できるのか、ありとあらゆる場面を想定して実験が行われた。当然のごとく実験は死者が続出したが、ラッシャーは死にゆく被験者の行動を観察し、心電図を記録した。そして、屍を解剖し、肺や心臓、脳の血管の空気塞栓の状況などを記録。逐一ライヒスフューラーへ報告していた。
実験に駆り出された200人の囚人のうち、実に80名の被験者が死亡した。
低体温・冷却からの蘇生実験
freeze
冷却実験の様子
ラッシャーとその協力者たちは、ダッハウにて更に人体実験を行うことにした。今度は海難事故などにより寒冷下に晒された人体を、いかに蘇生・回復できるか、といった実験である。やはりパイロットを救出することを前提とした実験であったが、実際にはダッハウの囚人300名を4〜12℃に冷却した水の中につけ、体を極限まで冷やしたのち、いかにすれば効率よく回復できるかを試すもので、この実験で90名が死亡。今日においてもこの実験結果が国際的専門誌に引用されているという。
この実験は当初よりライヒスフューラーの関心を買った。ヒムラーは冷え切った肉体を温めるためには、同じ人間の皮膚の接触。つまり、裸の女性による抱擁が効果があるのではないか、と考えた(ヒムラーはしばしばこのようなロマンチズムに基づく推測を実践させた)。ラッシャーはヒムラーの意向に沿ってダッハウ収容所より若い女性4名を召喚。そのうちの一人があまりにも見事なアーリア人種の肉体的特徴を備えていたため、ラッシャーは彼女を実験に使用することを拒否したという。つまり、被験者は下等人種とみなされたスラブ人やソ連兵捕虜であり、これを裸で温める乙女がアーリア系であってはならないというのである。この逸話からもわかる通り、人体実験は激しい人種差別の賜物であった。ちなみに女性の体で温める方法は非効率で到底実用に耐えないものであったという。
この実験は、場所を変えてアウシュビッツ収容所でも行われた。アウシュビッツのほうがより寒く、広大で実験が目立たなかったからだという。つまり、被験者は多くの場合、「苦しみにより悲鳴をあげた」からである。ラッシャーは被験者に麻酔をかけることを禁止し、なんら苦しみを緩和するための努力をしなかった。
ある実験では、ソ連軍将校2名がアウシュビッツで、水桶の中に裸で入らされた。通常なら60分程度で意識を失い、死亡するのだが、このソ連将校2名は3時間経過した頃に「同志…銃殺してくれないか」と頼んだという。その後、二人は握手を交わし、「さよなら、同志よ」と言った。ポーランド人の助手が見兼ねてクロロフォルムで二人に麻酔をかけようとしたが、ラッシャーはピストルを突きつけ、これを制止した。二人は5時間後にようやく死亡し、死体は解剖するためミュンヘンに送られた。
ラッシャー夫妻は子供に恵まれず、子供を誘拐、金銭で買い取って自らの子であるとして育てていた。これが明るみに出るとライヒスフューラーは激怒。ラッシャーは多くの囚人を殺害したダッハウにおいて、自らも処刑された。戦争が終わる直前だった。よって戦後もラッシャーは裁きにはかけられず、協力者たちは全ての責任を、同じく死亡したヒムラーとラッシャーにかぶせることに成功。この非道な人体実験で裁かれた者は結局誰一人としていない。
実験U 海水を飲料にする実験
この実験は、やはり海難事故に遭遇し、海の上を漂流することになったパイロットを救うために企画された。
二人の科学者が海水を飲料にするための試みを始めた。シェーファー教授が海水から塩分を分離するための設備を開発しようとして成功したが、これには多額の費用が掛かるため実用性なしと判断された。一方空軍技師ベルカが開発した「ベルカティカ」という薬品は海水の味を飲める程度に変えてしまうもので、この薬品はコストパフォーマンスにも優れ、大量に生産された。
しかし、すぐにこのベルカ方式の海水を飲むと、「より渇きがひどくなる」という声が上がり始めた。味を調整しただけで海水は依然として多量の塩分を含んでいたし、飲みすぎることで渇きが悪化し、下痢すら引き起こすことが分かった。
どちらの方法で渇きを解決するのか、ダッハウ収容所内で再度人体実験が行われた。被験者はいくつかのグループに分けられた。数日間にわたって海水を飲むもの、ベルカ方式の海水を1日500cc飲むもの、1000cc飲むもの、シェーファー方式で精製された水を飲むもの、などである。
被験者はブーヘンヴァルト収容所から連れてこられたジプシーたち40名であった。彼らは表向きは志願であった。実験の詳細についてきちんと説明を受けた上、実験前10日間は完璧な航空兵糧食3000キロカロリーを摂取し、健康管理を入念に行ったうえでの実験であり、死亡した者、後遺症が出た者はいないとされている。しかし、実験は著しく苦しく不快なものとなり、被験者の中には清掃班のバケツの中の汚水を飲んだり、モップから垂れたしずくを舐めた者がいたという。このような実験が本当にすべて志願だったと言えるだろうか?ましてや被験者のほとんどは賤民と見なされていたジプシーである。これは戦後の裁判で検察の激しい疑惑をかい、追及を受け、実験を主導した者たちは禁固15年〜終身刑を受けた。
ただし、実験で重篤な障害を受けた者、死亡した者がいなかったのは確かなようである。フランス人の医療助手や被験者のジプシーのうち数名が、宣誓供述書を提出し、実験を主導した科学者たちの恩赦請求を行っている。
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
発疹チフスのワクチン接種実験
東部戦線や各収容所で猛威を振るった発疹チフスから、前線兵士を救うための人体実験がブーヘンヴァルトとナッツヴァイラー各収容所にて行われた。
実験は1942年の春ごろから1944年の末まで続けられた。
それまで存在していた発疹チフスのワクチンは、病気の症状を軽減させることはできても、本来の目標たる免疫力の獲得、つまり病気に罹らずに済む、というものではなかった。これを深刻にとらえたSS上層部の医師団や衛生担当者たちは、人体実験の施行を強く主張。ブーヘンヴァルト内にウィルス研究部が設立され、SS軍医や権威ある熱帯医学者などが参加した。
実験は数十種類にも及ぶ各種ワクチンを接種した上で、数週間の間隔を置いたのち、人為的に発疹チフスに感染させるというものだった。対照群として設置された群は、ワクチン接種群と比較するために、単にチフスに感染させられた。
ワクチンを接種した者たちも、多くの場合、高熱や頭痛など、「発疹チフスの症状」に悩まされた。
被験者に選ばれた者たちは、ドイツ人の刑事犯、ポーランド人、ソ連兵捕虜、ジプシーなどである。健康状態が優良なものたちが数百人選び出され、少なくとも150名以上が死亡した。ブーヘンヴァルトの医師、シューラーSS大尉は終戦間近で自殺したが、彼の業務日誌が囚人によって廃棄を免れた。その中には、他にも黄熱病、チフス、コレラ、ジフテリアに対するワクチンや薬物の効果で800人の被験者が人体実験にかけられたことが示唆されている。
伝染性肝炎ウィルスの研究のための人体実験
独ソ戦が始まると、黄疸症状に悩まされる兵士が非常に増えた。致死的な病ではなかったが、発病者が多く、軍の作戦能力を衰えさせるものとして研究が開始された。肝炎はそれまでバクテリアによる感染と考えられていたが、細菌学者のドーメン軍医大尉がウィルスを発見し、培養するためSSがウィルス株の管理権を要求したがドーメンは拒否して独りで研究を続けていた。
各所からの圧力に耐えかねたドーメンは、ついにザクセンハウゼン収容所内で、囚人に対して人為的に肝炎ウィルスを感染させる人体実験を行った。これは《帝国医師総監(=エルンスト・グラヴィッツ)》の強い要請だった。ドーメンは良心の呵責に苦しめられ、実験が開始されたのは1944年も9月になる頃だった。
http://3rdkz.net/?p=250
アウシュビッツから、子供や青年からなる11人の囚人がザクセンハウゼンにやってきてドーメンに委ねられた。ザクセンハウゼンの第二病棟において彼らの世話をしていた古参囚人ブルーノ・マイヤーは、実験の内容について記録を残している。以下に引用する。
“
ドーメン博士は医療器具カバンから一本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してサウル・ホルンフェルトの背後へ近づき、指で彼の背中を探りました。そしてゾンデを当て、子供の背中の筋肉を通して深く体の中まで突き刺しました。サウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いで私は彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろと言いました。涙で見えない目で彼は私を見ました。そして、医者が再びゾンデを突き刺しました。(中略)その後、私は、ドーメン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も、―—多分肝臓の一部だったでしょう——少しその中に混じっていました。
”
結局、肝炎ウィルスを人為的に感染させる実験は成功しなかった。ドーメン博士や囚人たちがその後どうなったかは明らかではないが、博士は戦後実験結果を発表している。
医療用ゾンデ
医療用ゾンデ
第V収容所 1 share 1 user
【人類の負の遺産】アウシュビッツ絶滅収容所の解説と観光案内
少し前に、独りでドイツとポーランドを旅行しました。その際にアウシュビッツ絶滅収容所跡地を訪れました。想像よりも遥かに広大な施設で、展示を全部観ることは不可能でした。そこで得た知見や体験をまとめたいと思います。アウシュビッツ絶滅収容所とはなんなのか...
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
人為的にガス壊疽を作り出す実験
1942年5月、《国家保安本部(RSHA)》長官及び、ボヘミア・モラヴィア保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒがイギリス諜報部の襲撃を受けて重傷を負った。治療の責任者は武装SSの顧問外科医カール・ゲプハルトであったが、ゲプハルトの飛行機は延着したので直接手術に携わったのはプラハの医師二名である。ゲプハルトは《総統》とヒムラーの個人的な電話を何度も受けた。ヒトラーは自分の主治医であるモレル博士を派遣するとまで言った。
しかしハイドリヒは処置の甲斐なく6月2日に死亡。ゲプハルトはその後ヒムラーと謁見し、「ハイドリヒの死はドイツがこれまで経験したことのない巨大な敗北であった」と《総統》が考えていることを知らされた。ゲプハルトには汚名返上の機会が与えられた。ハイドリヒ長官が負傷による敗血症によって死亡したことを受け、至急、スルフォンアミドの効果を調べる人体実験の実行が決まった。
実験の舞台に選ばれたのは女性専用の強制収容所ラーフェンスブリュックであった。実験の目的は、当時未解明な部分が多かったガス壊疽という症状を分析し、有効な治療方法を見つけ出すことであった。そして、同時に戦場で多く見られる通常の傷口を調べ、有効な治療法を探す目的もあった。
被験者はザクセンハウゼン強制収容所から連れてこられた男性囚人や、ポーランドの抵抗運動に携わった女性囚人たちである。彼らはわざとけがを負わされ、木片やガラス片を傷口に練りこまれた。
《帝国医師総監》グラヴィッツは、実験場を視察し、被験者に死者が出ていないことに対して実験が手ぬるいと感じ、本物の銃創を彼女たちに負わせるように、と命令した。ゲプハルトはこの命令を拒否したが、より傷口の状態を悪化させることに努力したことに変わりはなかった。彼女たちは下腿の血管を結紮され、壊疽性の腐敗病原体を接種させられたりした。そのうえで彼女たちは処置も受けられず何日も放置され、本物のガス壊疽の症状により3名が死亡した。
人為的にひどい敗血症に陥らせた上でスルフォンアミドの効力を実験したが、傷を負わされただけで何の処置も受けられない囚人もいた。実験内容は1943年の5月にベルリンの軍医大学校で発表されたが、出席者の中で被験者の人権について申し述べた者は一人もいなかった。
他人の骨を移植して治療効果を見る実験
ラーフェンスブリュック強制収容所内で、女性を使って行われた他の実験群は骨の再生と骨の移植の実験である。
肩胛骨を他方から他方へ移す実験が行われた。肩胛骨を除去されたのは、ラーフェンスブリュックの精神病患者の女性であった。この女性は肩胛骨を抜き取られた後速やかに薬殺された。肩胛骨を移されたのは、ホーエンリーヘンの血管の癌により肩胛骨を失った若者で、彼は癌を再発することなく生きながらえたという。
この実験のほかにラーフェンスブリュック収容所内で、神経再生、筋肉再生の各実験、切断やその他の実験が行われたといわれるが、その規模や詳細は不明である。収容所医師の一人、ローゼンタール博士は、負傷に苦しみ、助かる見込みのない重症の囚人を20〜30人、楽に死なせるためにモルヒネを過剰投与したと断言している。
実験X 毒物接種実験
イペリッドガス
大戦期間中、ザクセンハウゼン、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフの各強制収容所内でびらん性(皮膚をただれさせる作用)のイペリッドガス(=マスタードガス)の人体実験が行われた。これは例によってヒムラーの命令だった。
イペリッドガスによる負傷の度合いと、効果的な治療法を見つけることがその目的である。この実験はストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士などが主にかかわった。
この毒ガス実験については、ナッツヴァイラーのカポ(囚人頭)であったフェルディナント・ホルの生々しい証言が残っている。
“
囚人たちは真っ裸にされ、次から次へと実験室の中に入ってきました。彼らは前膊から10センチほどの箇所にその液体を塗られましたが、その時私が彼らの腕を抑えていなければなりませんでした。その後、処置を施された被験者たちは隣の部屋へ行き、そこで腕を広げたまま約1時間立っていなければなりませんでした。約10時間もすると、あるいはもっと長かったかもしれません、火傷が、それも全身に出てくるのです。盲目になった人々もいました。ひどい苦しみで、被験者たちのそばにはとてもいられないほどでした。その後、被験者たちは毎日写真を撮られました。しかもすべての傷の箇所を、つまり全ての火傷の箇所を写真に撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。(中略)内臓、肺などは全て完全に腐食していました。その後の数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2か月続けられました。
”
実験は何度も行われ、平均して毎回7~8名の死者が出た。生き残った者たちも後遺症の残った体でアウシュビッツやベルゲンベルゼンに送られた。
硝酸アコニチン弾丸の創痍研究
“
極秘事項
帝国医師ー親衛隊警察、主席衛生官
日誌番号 秘364/44 ムルゴウスキー
1944.9.12
硝酸アコニチン弾丸について
SS少佐ディング博士、ウィマン博士、および筆者立ち合いで1944年9月11日、5人の死刑囚に、毒物である硝酸アコニチン結晶入りの弾丸(直径7.65o)を用いて実験を行った。被験者を寝かせ、左大腿に1発撃ちこんだが、2人では弾丸は貫通、後になっても毒作用は出なかったので、実験から除いた。(中略)
3人の症状は驚くほど一致していた。最初は異常がなかったが、20分から25分後に動きが不穏となり、遅れて、よだれが少し出始めた。しきりに飲み込もうとしたが、量が増えて飲み込めないほどになり、ついには、泡を含んだよだれが口から漏れてきた。それから、吐き気、嘔吐が始まった…。
約90分後、1人の呼吸が深くなり、同時に運動不穏も増強した。呼吸は浅く速くなった。同時に強い吐き気が現れたが、吐こうとしても何も出なかった。指を4本付け根まで口に深く入れて吐こうとしたが吐けず、顔は真っ赤になるだけだった。
他の2人の顔は早い時期から蒼白になっていた。他の症状は同じだった。運動不穏の出現は遅れたが、極めて強くなり、棒立ちになったかと思うと、また、床に身を投げ出した。白目をむき、手や腕は意味のない動きをした。最後に、不穏の程度は弱くなり、瞳孔は極度に散大、被験者は静かに横たわるだけだった。1人には咬筋の痙攣が現れ、尿失禁が認められた。3人の死亡は、受傷後それぞれ、121,123、および129分であった。
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総括 およそ38mgの硝酸アコニチンを詰めた弾丸による創自体はひどいものではなかったが、2時間後に致死的な中毒が現れた。中毒症状の出現は、受傷後20分から25分で、主要症状は、流涎、瞳孔径の変化、腱反射消失、運動不穏、強い吐き気であった。
講師医学博士ムルゴウスキー、SS上級大佐、主席衛生官
上の手記と一致するかは不明だが、ザクセンハウゼン収容所で死刑囚を用いた毒の弾丸の実験が行われた、との展示がある。その射撃手はムッソリーニ救出の特殊部隊を率いた、オットー・スコルツェニーSS中佐である。
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
hiltストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士は、1942年の2月にヒムラーにあてて手紙を書き、ユダヤ人、共産党員、赤軍政治将校の頭蓋骨収集の許可を求めた。ヒムラーはおおいに関心を持ち、ヒルトに自分の政治的権力の全てを委ねてこれを支援した。
当時、ナチスドイツはありとあらゆる人種の頭蓋骨を収集して、その形態を測定したり、歪んだ人種優生学に基づく様々な研究を行っていた。しかし、ユダヤ人に関しては当時サンプルを獲得する術があまりなかったらしい。独ソの開戦はその状況を打開する最良の機会となった。既にホロコーストは開始され、ユダヤ人と共産党や政治将校は同一視されていた。彼らの頭蓋骨を一定量獲得し、データを取得することで、占領地において効率よくユダヤ人や政治将校と、その他の民族の鑑別を容易にし、効率的に撃滅できる、というのが彼らのデタラメな論理であった。
ヒルトとその協力者たちが、いかにしてそれらのサンプルを選定したかは定かでない。既に収容所にいたユダヤ人なのか、占領地から生きたまま拉致してきた政治将校や捕虜たちだったのか、とにかく、彼らがアドルフ・アイヒマンを通してアウシュビッツの囚人約120名を、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフ各収容所の実験施設へ送ったのは確かである。
それら120名の囚人は「首から上を傷つけぬように」ガスによって殺害され、合成アルコール入りの水槽の中で保存された。ヒルト博士はそれらの死体を細かく解剖。
ヒルトは戦後逃亡先で自殺した。
実験Z マラリア実験
ベルリンのロバート・コッホ研究所所長で、熱帯医学部門長であったクラウス・シリング博士は、1936年の現役引退後も、イタリアでマラリアのワクチンの開発研究を続けていた。1941年末、内務省保健衛生事業担当官のレオナルド・コンティ博士によってダッハウ強制収容所で研究ができることを勧められ、翌2月のはじめから実験を開始。1945年の3月半ばに74歳のシリングが手術を受けるためにミュンヘンにでかけたあと、ヒムラーが実験中止を命令した。(敗戦が近かったからであろうか?)
シリングの3年にわたる実験でおよそ1000人がマラリアに感染させられ、330人が死亡した。
実験[ 双子実験
ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。
mengere
ヨーゼフ・メンゲレ
メンゲレは、静脈をつなぎ合わせてシャム双生児を人工的に作ろうとしたり、眼球に薬品を注射して瞳の色を変えようとした。また、チフス菌を注射して病気の経過を血清学的に記録した。また頭蓋骨の収集もぬかりなく行われ、それらの実験報告を師のフェシュアーに送っていた。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。
“
ある生存者の報告
ある日、私の双子の兄のチビが特別実験のために連れていかれた。メンゲレは、最初から、チビに非常に興味を持っていた。なぜか知らないが、比較的歳のいった双生児であったからかもしれない。
メンゲレはチビを何回となく手術した。脊椎手術で麻痺となり、走れなくなった。
性器も除去してしまった。4回名の手術後、チビには2度と会えなかった。
私の気持ちがどんなだったか、あなたに言えないし、言葉にも表せない。
私は父、母、兄2人を失っていたのに、また双子の兄もなくしてしまった。
”
メンゲレは1979年に逃亡先のブラジルで海水浴中に死亡した。
実験\ 強制不妊化実験
ナチの歪んだ人種思想は戦争前から活発ではあったが、独ソ戦の開始と共に東方民族絶滅の意志はますます固くなるばかりだった。その手段としてずっと論議されてきたのが、断種措置による強制的な不妊化処置の遂行であった。
ナチの断種の施策は大きく分けると3つの経過をたどった。
薬品による断種
カラジューム・セグイヌム(サトイモ科の観葉植物の一種)を接種することによって、特に男性は生殖不能となるとされ、この植物を大量に栽培しようとするのだがコスト面で実用に耐えないことが分かった。ヒムラーは農業に大変関心が高い男であったため、カラジューム・セグイヌムの構成要素の分析を進め、人体実験を行うべし、との命令を発した。
しかし、これを命じられたコッホ博士はありきたりな動物実験を行うのみにとどめ、命令を事実上サボタージュした。それはあまりに実用性がなく、他の方法がどんどん進んでいたからであった。
放射線による断種
帝国公衆衛生局に所属し、障碍者の断種・殺害計画に関与したヴィクトル・ブラック博士は、放射線による断種の研究と人体実験の許可をヒムラーに求めた。それまで行われていた外科手術に頼る方法では、あまりに労力とコスト面で現実味がなかったからである。
これをヒムラーは許可し、第Uアウシュビッツ(=ビルケナウ)や女性収容所のラーフェンスブリュックで、それぞれ放射線による断種の試みが行われた。若い適齢期の男女は、何の説明もないままに不意に呼び出され、性器や子宮、睾丸付近にレントゲンを照射された。
彼らの多くは火傷を負い、傷口は膿み、そのような体で重労働につかされた。歩けなくなったものは銃殺・ガス殺された。
レントゲン照射後数週間してから、男性囚人は外科的に睾丸を摘出された。レントゲンの効果がどの程度であったかを検証するためであったとされる。しかし、レントゲン照射を受けた囚人たちは局部に重傷を負い、結局は絶滅収容所の中で死んでいった。
ブラック博士は、この不妊化処置を「殺すよりはマイルドな方法」と認識していたらしく、裁判で「絶滅政策を緩和するためにあえて提案した方法だった」と証言した。法廷はこの詭弁を却下し、ブラックを死刑に処した。
子宮内の刺激作用による断種
drclaubergこの方法は、ケーニッヒスヒュッテの医学博士クラウベルク教授によって開発された。教授はもともと卵管閉鎖による不妊を治療する方法を開発して有名になった人物だった。
1933年にナチ党に入党し、その医学の知識を、今度は「下等人種」の断種のために傾けようとしていた。
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クラウベルクはヒムラーと協議し、外科手術を用いることなく不妊化させる方法を話し合った。教授が考えていたのは卵管にホルマリン溶液を注入するという方法だった。ヒムラーはアウシュビッツにクラウベルクの実験施設を作るよう、部下のルドルフ・ヘースに命令した。
約500人の女性がクラウベルクの前に引き出され、狂気の実験の犠牲となった。収容所に響き渡る女性の悲鳴の原因は何のか、あの医師は囚人にいったい何をしているのか調べようと、女性看守が飛んできたこともあったほどであった。
実験により少なくとも7人の女性が死亡。残った囚人のうち、何人がガス室に送られたかは不明である。
教授は1945年にはラーフェンスブリュック収容所へ移り、35人の女性に人体実験を行った。戦後は赤軍に捕まり25年の判決を受けるがのちに恩赦。ドイツに戻るとドイツ当局に再逮捕され、57年、拘留中に死亡した。
実験] 飢餓実験
ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……
このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。
飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。
慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。
ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。
いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。
ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。
知的障害者に対する飢餓実験
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。
彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。
1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・
“
15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。
”
エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。
被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。
彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。
ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験
1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。
ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。
また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。
ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。
なぜこんなことが起こったか
ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。
そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。
大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。
そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。
曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。
にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
http://3rdkz.net/?p=250&page=4
ヒトラーやヒムラーは、理想的な北欧人種とは程遠い外見である。ゲッベルスは足が不自由で身体障碍者である。にもかかわらず、ドイツ国民は「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがままに、ヨーロッパ全土を破壊し、滅亡に追い込んだ。この歴史の奇妙を解明することは、今後においても決してできないに違いない。我々にできることは茫然と立ちすくみ、とりあえず人種差別に反対することだけであろう。
http://3rdkz.net/?p=250&page=5
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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史
『ヒトラー思想』が降りてきた……
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。
数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?
※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです
「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。
あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。
『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。
冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535
引用・参考文献
ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D
わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE
イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。
ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い
ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。
比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。
ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。
ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。
とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。
ヒトラー思想A 人間は動物
ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。
ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。
ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」
ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。
ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。
勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。
弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。
ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人
ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2
ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。
ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。
仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」
ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。
人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。
ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する
ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。
法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。
ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する
ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」
強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。
この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。
1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。
ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3
ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。
そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。
ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる
ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。
ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。
※※※※※※※※
終わりに
いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。
強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。
しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。
強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4
7. 中川隆[-10752] koaQ7Jey 2019年4月15日 08:21:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1296]
【狂気の戦時医学】ナチスの人体実験まとめ【ヒトラー・ドイツ】 2017/5/11
http://3rdkz.net/?p=250
ナチスドイツの非人道的な人体実験の数々をわかる限りまとめました。
なるべく信頼できそうな資料だけを使用し、誇張することがないよう心がけました。
非常に残酷で吐き気を催す事実が記載されているため、観賞要注意とします。
目次
実験T 低圧・低温実験
実験U 海水を飲料にする実験
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
実験X 毒物接種実験
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
実験Z マラリア実験
実験[ 双子実験
実験\ 強制不妊化実験
実験] 飢餓実験
なぜこんなことが起こったか
実験T 低圧・低温実験
低圧・酸欠下での救出実験
hypothermiaドイツ空軍が高度12000メートルに達するジェット機を開発したまでは良かったが、人体がそのような超高度環境にどのような反応を見せるのか、ということに関して信頼できるデータはまだなかった。そこで、ドイツ空軍軍医大尉であり、親衛隊将校でもあったジクムント・ラッシャー博士は、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者=ヒムラー)》へ手紙を書き、ダッハウ収容所の死刑囚を用いた人体実験の許可を求めた。
1942年3月、ヒムラーは実験を許可し、ラッシャー大尉の責任において、超高度における人体の反応の観察や、パラシュートや特殊機材を用いた救出を実用化するための危険な人体実験が行われた。超高度の低圧環境下で被験者を酸欠の状態に留め置き、どれぐらいの時間をかけて被験者が死亡するのか、またどのようなタイミングでしかるべき処置を行えば彼を救出できるのか、ありとあらゆる場面を想定して実験が行われた。当然のごとく実験は死者が続出したが、ラッシャーは死にゆく被験者の行動を観察し、心電図を記録した。そして、屍を解剖し、肺や心臓、脳の血管の空気塞栓の状況などを記録。逐一ライヒスフューラーへ報告していた。
実験に駆り出された200人の囚人のうち、実に80名の被験者が死亡した。
低体温・冷却からの蘇生実験
freeze
冷却実験の様子
ラッシャーとその協力者たちは、ダッハウにて更に人体実験を行うことにした。今度は海難事故などにより寒冷下に晒された人体を、いかに蘇生・回復できるか、といった実験である。やはりパイロットを救出することを前提とした実験であったが、実際にはダッハウの囚人300名を4〜12℃に冷却した水の中につけ、体を極限まで冷やしたのち、いかにすれば効率よく回復できるかを試すもので、この実験で90名が死亡。今日においてもこの実験結果が国際的専門誌に引用されているという。
この実験は当初よりライヒスフューラーの関心を買った。ヒムラーは冷え切った肉体を温めるためには、同じ人間の皮膚の接触。つまり、裸の女性による抱擁が効果があるのではないか、と考えた(ヒムラーはしばしばこのようなロマンチズムに基づく推測を実践させた)。ラッシャーはヒムラーの意向に沿ってダッハウ収容所より若い女性4名を召喚。そのうちの一人があまりにも見事なアーリア人種の肉体的特徴を備えていたため、ラッシャーは彼女を実験に使用することを拒否したという。つまり、被験者は下等人種とみなされたスラブ人やソ連兵捕虜であり、これを裸で温める乙女がアーリア系であってはならないというのである。この逸話からもわかる通り、人体実験は激しい人種差別の賜物であった。ちなみに女性の体で温める方法は非効率で到底実用に耐えないものであったという。
この実験は、場所を変えてアウシュビッツ収容所でも行われた。アウシュビッツのほうがより寒く、広大で実験が目立たなかったからだという。つまり、被験者は多くの場合、「苦しみにより悲鳴をあげた」からである。ラッシャーは被験者に麻酔をかけることを禁止し、なんら苦しみを緩和するための努力をしなかった。
ある実験では、ソ連軍将校2名がアウシュビッツで、水桶の中に裸で入らされた。通常なら60分程度で意識を失い、死亡するのだが、このソ連将校2名は3時間経過した頃に「同志…銃殺してくれないか」と頼んだという。その後、二人は握手を交わし、「さよなら、同志よ」と言った。ポーランド人の助手が見兼ねてクロロフォルムで二人に麻酔をかけようとしたが、ラッシャーはピストルを突きつけ、これを制止した。二人は5時間後にようやく死亡し、死体は解剖するためミュンヘンに送られた。
ラッシャー夫妻は子供に恵まれず、子供を誘拐、金銭で買い取って自らの子であるとして育てていた。これが明るみに出るとライヒスフューラーは激怒。ラッシャーは多くの囚人を殺害したダッハウにおいて、自らも処刑された。戦争が終わる直前だった。よって戦後もラッシャーは裁きにはかけられず、協力者たちは全ての責任を、同じく死亡したヒムラーとラッシャーにかぶせることに成功。この非道な人体実験で裁かれた者は結局誰一人としていない。
実験U 海水を飲料にする実験
この実験は、やはり海難事故に遭遇し、海の上を漂流することになったパイロットを救うために企画された。
二人の科学者が海水を飲料にするための試みを始めた。シェーファー教授が海水から塩分を分離するための設備を開発しようとして成功したが、これには多額の費用が掛かるため実用性なしと判断された。一方空軍技師ベルカが開発した「ベルカティカ」という薬品は海水の味を飲める程度に変えてしまうもので、この薬品はコストパフォーマンスにも優れ、大量に生産された。
しかし、すぐにこのベルカ方式の海水を飲むと、「より渇きがひどくなる」という声が上がり始めた。味を調整しただけで海水は依然として多量の塩分を含んでいたし、飲みすぎることで渇きが悪化し、下痢すら引き起こすことが分かった。
どちらの方法で渇きを解決するのか、ダッハウ収容所内で再度人体実験が行われた。被験者はいくつかのグループに分けられた。数日間にわたって海水を飲むもの、ベルカ方式の海水を1日500cc飲むもの、1000cc飲むもの、シェーファー方式で精製された水を飲むもの、などである。
被験者はブーヘンヴァルト収容所から連れてこられたジプシーたち40名であった。彼らは表向きは志願であった。実験の詳細についてきちんと説明を受けた上、実験前10日間は完璧な航空兵糧食3000キロカロリーを摂取し、健康管理を入念に行ったうえでの実験であり、死亡した者、後遺症が出た者はいないとされている。しかし、実験は著しく苦しく不快なものとなり、被験者の中には清掃班のバケツの中の汚水を飲んだり、モップから垂れたしずくを舐めた者がいたという。このような実験が本当にすべて志願だったと言えるだろうか?ましてや被験者のほとんどは賤民と見なされていたジプシーである。これは戦後の裁判で検察の激しい疑惑をかい、追及を受け、実験を主導した者たちは禁固15年〜終身刑を受けた。
ただし、実験で重篤な障害を受けた者、死亡した者がいなかったのは確かなようである。フランス人の医療助手や被験者のジプシーのうち数名が、宣誓供述書を提出し、実験を主導した科学者たちの恩赦請求を行っている。
実験V 発疹チフス接種実験と伝染性肝炎ウィルス研究
発疹チフスのワクチン接種実験
東部戦線や各収容所で猛威を振るった発疹チフスから、前線兵士を救うための人体実験がブーヘンヴァルトとナッツヴァイラー各収容所にて行われた。
実験は1942年の春ごろから1944年の末まで続けられた。
それまで存在していた発疹チフスのワクチンは、病気の症状を軽減させることはできても、本来の目標たる免疫力の獲得、つまり病気に罹らずに済む、というものではなかった。これを深刻にとらえたSS上層部の医師団や衛生担当者たちは、人体実験の施行を強く主張。ブーヘンヴァルト内にウィルス研究部が設立され、SS軍医や権威ある熱帯医学者などが参加した。
実験は数十種類にも及ぶ各種ワクチンを接種した上で、数週間の間隔を置いたのち、人為的に発疹チフスに感染させるというものだった。対照群として設置された群は、ワクチン接種群と比較するために、単にチフスに感染させられた。
ワクチンを接種した者たちも、多くの場合、高熱や頭痛など、「発疹チフスの症状」に悩まされた。
被験者に選ばれた者たちは、ドイツ人の刑事犯、ポーランド人、ソ連兵捕虜、ジプシーなどである。健康状態が優良なものたちが数百人選び出され、少なくとも150名以上が死亡した。ブーヘンヴァルトの医師、シューラーSS大尉は終戦間近で自殺したが、彼の業務日誌が囚人によって廃棄を免れた。その中には、他にも黄熱病、チフス、コレラ、ジフテリアに対するワクチンや薬物の効果で800人の被験者が人体実験にかけられたことが示唆されている。
伝染性肝炎ウィルスの研究のための人体実験
独ソ戦が始まると、黄疸症状に悩まされる兵士が非常に増えた。致死的な病ではなかったが、発病者が多く、軍の作戦能力を衰えさせるものとして研究が開始された。肝炎はそれまでバクテリアによる感染と考えられていたが、細菌学者のドーメン軍医大尉がウィルスを発見し、培養するためSSがウィルス株の管理権を要求したがドーメンは拒否して独りで研究を続けていた。
各所からの圧力に耐えかねたドーメンは、ついにザクセンハウゼン収容所内で、囚人に対して人為的に肝炎ウィルスを感染させる人体実験を行った。これは《帝国医師総監(=エルンスト・グラヴィッツ)》の強い要請だった。ドーメンは良心の呵責に苦しめられ、実験が開始されたのは1944年も9月になる頃だった。
http://3rdkz.net/?p=250
アウシュビッツから、子供や青年からなる11人の囚人がザクセンハウゼンにやってきてドーメンに委ねられた。ザクセンハウゼンの第二病棟において彼らの世話をしていた古参囚人ブルーノ・マイヤーは、実験の内容について記録を残している。以下に引用する。
“
ドーメン博士は医療器具カバンから一本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してサウル・ホルンフェルトの背後へ近づき、指で彼の背中を探りました。そしてゾンデを当て、子供の背中の筋肉を通して深く体の中まで突き刺しました。サウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いで私は彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろと言いました。涙で見えない目で彼は私を見ました。そして、医者が再びゾンデを突き刺しました。(中略)その後、私は、ドーメン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も、―—多分肝臓の一部だったでしょう——少しその中に混じっていました。
”
結局、肝炎ウィルスを人為的に感染させる実験は成功しなかった。ドーメン博士や囚人たちがその後どうなったかは明らかではないが、博士は戦後実験結果を発表している。
医療用ゾンデ
医療用ゾンデ
第V収容所 1 share 1 user
【人類の負の遺産】アウシュビッツ絶滅収容所の解説と観光案内
少し前に、独りでドイツとポーランドを旅行しました。その際にアウシュビッツ絶滅収容所跡地を訪れました。想像よりも遥かに広大な施設で、展示を全部観ることは不可能でした。そこで得た知見や体験をまとめたいと思います。アウシュビッツ絶滅収容所とはなんなのか...
実験W スルフォンアミド実験と骨移植実験
人為的にガス壊疽を作り出す実験
1942年5月、《国家保安本部(RSHA)》長官及び、ボヘミア・モラヴィア保護領副総督ラインハルト・ハイドリヒがイギリス諜報部の襲撃を受けて重傷を負った。治療の責任者は武装SSの顧問外科医カール・ゲプハルトであったが、ゲプハルトの飛行機は延着したので直接手術に携わったのはプラハの医師二名である。ゲプハルトは《総統》とヒムラーの個人的な電話を何度も受けた。ヒトラーは自分の主治医であるモレル博士を派遣するとまで言った。
しかしハイドリヒは処置の甲斐なく6月2日に死亡。ゲプハルトはその後ヒムラーと謁見し、「ハイドリヒの死はドイツがこれまで経験したことのない巨大な敗北であった」と《総統》が考えていることを知らされた。ゲプハルトには汚名返上の機会が与えられた。ハイドリヒ長官が負傷による敗血症によって死亡したことを受け、至急、スルフォンアミドの効果を調べる人体実験の実行が決まった。
実験の舞台に選ばれたのは女性専用の強制収容所ラーフェンスブリュックであった。実験の目的は、当時未解明な部分が多かったガス壊疽という症状を分析し、有効な治療方法を見つけ出すことであった。そして、同時に戦場で多く見られる通常の傷口を調べ、有効な治療法を探す目的もあった。
被験者はザクセンハウゼン強制収容所から連れてこられた男性囚人や、ポーランドの抵抗運動に携わった女性囚人たちである。彼らはわざとけがを負わされ、木片やガラス片を傷口に練りこまれた。
《帝国医師総監》グラヴィッツは、実験場を視察し、被験者に死者が出ていないことに対して実験が手ぬるいと感じ、本物の銃創を彼女たちに負わせるように、と命令した。ゲプハルトはこの命令を拒否したが、より傷口の状態を悪化させることに努力したことに変わりはなかった。彼女たちは下腿の血管を結紮され、壊疽性の腐敗病原体を接種させられたりした。そのうえで彼女たちは処置も受けられず何日も放置され、本物のガス壊疽の症状により3名が死亡した。
人為的にひどい敗血症に陥らせた上でスルフォンアミドの効力を実験したが、傷を負わされただけで何の処置も受けられない囚人もいた。実験内容は1943年の5月にベルリンの軍医大学校で発表されたが、出席者の中で被験者の人権について申し述べた者は一人もいなかった。
他人の骨を移植して治療効果を見る実験
ラーフェンスブリュック強制収容所内で、女性を使って行われた他の実験群は骨の再生と骨の移植の実験である。
肩胛骨を他方から他方へ移す実験が行われた。肩胛骨を除去されたのは、ラーフェンスブリュックの精神病患者の女性であった。この女性は肩胛骨を抜き取られた後速やかに薬殺された。肩胛骨を移されたのは、ホーエンリーヘンの血管の癌により肩胛骨を失った若者で、彼は癌を再発することなく生きながらえたという。
この実験のほかにラーフェンスブリュック収容所内で、神経再生、筋肉再生の各実験、切断やその他の実験が行われたといわれるが、その規模や詳細は不明である。収容所医師の一人、ローゼンタール博士は、負傷に苦しみ、助かる見込みのない重症の囚人を20〜30人、楽に死なせるためにモルヒネを過剰投与したと断言している。
実験X 毒物接種実験
イペリッドガス
大戦期間中、ザクセンハウゼン、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフの各強制収容所内でびらん性(皮膚をただれさせる作用)のイペリッドガス(=マスタードガス)の人体実験が行われた。これは例によってヒムラーの命令だった。
イペリッドガスによる負傷の度合いと、効果的な治療法を見つけることがその目的である。この実験はストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士などが主にかかわった。
この毒ガス実験については、ナッツヴァイラーのカポ(囚人頭)であったフェルディナント・ホルの生々しい証言が残っている。
“
囚人たちは真っ裸にされ、次から次へと実験室の中に入ってきました。彼らは前膊から10センチほどの箇所にその液体を塗られましたが、その時私が彼らの腕を抑えていなければなりませんでした。その後、処置を施された被験者たちは隣の部屋へ行き、そこで腕を広げたまま約1時間立っていなければなりませんでした。約10時間もすると、あるいはもっと長かったかもしれません、火傷が、それも全身に出てくるのです。盲目になった人々もいました。ひどい苦しみで、被験者たちのそばにはとてもいられないほどでした。その後、被験者たちは毎日写真を撮られました。しかもすべての傷の箇所を、つまり全ての火傷の箇所を写真に撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。(中略)内臓、肺などは全て完全に腐食していました。その後の数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2か月続けられました。
”
実験は何度も行われ、平均して毎回7~8名の死者が出た。生き残った者たちも後遺症の残った体でアウシュビッツやベルゲンベルゼンに送られた。
硝酸アコニチン弾丸の創痍研究
“
極秘事項
帝国医師ー親衛隊警察、主席衛生官
日誌番号 秘364/44 ムルゴウスキー
1944.9.12
硝酸アコニチン弾丸について
SS少佐ディング博士、ウィマン博士、および筆者立ち合いで1944年9月11日、5人の死刑囚に、毒物である硝酸アコニチン結晶入りの弾丸(直径7.65o)を用いて実験を行った。被験者を寝かせ、左大腿に1発撃ちこんだが、2人では弾丸は貫通、後になっても毒作用は出なかったので、実験から除いた。(中略)
3人の症状は驚くほど一致していた。最初は異常がなかったが、20分から25分後に動きが不穏となり、遅れて、よだれが少し出始めた。しきりに飲み込もうとしたが、量が増えて飲み込めないほどになり、ついには、泡を含んだよだれが口から漏れてきた。それから、吐き気、嘔吐が始まった…。
約90分後、1人の呼吸が深くなり、同時に運動不穏も増強した。呼吸は浅く速くなった。同時に強い吐き気が現れたが、吐こうとしても何も出なかった。指を4本付け根まで口に深く入れて吐こうとしたが吐けず、顔は真っ赤になるだけだった。
他の2人の顔は早い時期から蒼白になっていた。他の症状は同じだった。運動不穏の出現は遅れたが、極めて強くなり、棒立ちになったかと思うと、また、床に身を投げ出した。白目をむき、手や腕は意味のない動きをした。最後に、不穏の程度は弱くなり、瞳孔は極度に散大、被験者は静かに横たわるだけだった。1人には咬筋の痙攣が現れ、尿失禁が認められた。3人の死亡は、受傷後それぞれ、121,123、および129分であった。
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総括 およそ38mgの硝酸アコニチンを詰めた弾丸による創自体はひどいものではなかったが、2時間後に致死的な中毒が現れた。中毒症状の出現は、受傷後20分から25分で、主要症状は、流涎、瞳孔径の変化、腱反射消失、運動不穏、強い吐き気であった。
講師医学博士ムルゴウスキー、SS上級大佐、主席衛生官
上の手記と一致するかは不明だが、ザクセンハウゼン収容所で死刑囚を用いた毒の弾丸の実験が行われた、との展示がある。その射撃手はムッソリーニ救出の特殊部隊を率いた、オットー・スコルツェニーSS中佐である。
実験Y ユダヤ人の頭蓋骨収集
hiltストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士は、1942年の2月にヒムラーにあてて手紙を書き、ユダヤ人、共産党員、赤軍政治将校の頭蓋骨収集の許可を求めた。ヒムラーはおおいに関心を持ち、ヒルトに自分の政治的権力の全てを委ねてこれを支援した。
当時、ナチスドイツはありとあらゆる人種の頭蓋骨を収集して、その形態を測定したり、歪んだ人種優生学に基づく様々な研究を行っていた。しかし、ユダヤ人に関しては当時サンプルを獲得する術があまりなかったらしい。独ソの開戦はその状況を打開する最良の機会となった。既にホロコーストは開始され、ユダヤ人と共産党や政治将校は同一視されていた。彼らの頭蓋骨を一定量獲得し、データを取得することで、占領地において効率よくユダヤ人や政治将校と、その他の民族の鑑別を容易にし、効率的に撃滅できる、というのが彼らのデタラメな論理であった。
ヒルトとその協力者たちが、いかにしてそれらのサンプルを選定したかは定かでない。既に収容所にいたユダヤ人なのか、占領地から生きたまま拉致してきた政治将校や捕虜たちだったのか、とにかく、彼らがアドルフ・アイヒマンを通してアウシュビッツの囚人約120名を、ナッツヴァイラー、シュトルートホーフ各収容所の実験施設へ送ったのは確かである。
それら120名の囚人は「首から上を傷つけぬように」ガスによって殺害され、合成アルコール入りの水槽の中で保存された。ヒルト博士はそれらの死体を細かく解剖。
ヒルトは戦後逃亡先で自殺した。
実験Z マラリア実験
ベルリンのロバート・コッホ研究所所長で、熱帯医学部門長であったクラウス・シリング博士は、1936年の現役引退後も、イタリアでマラリアのワクチンの開発研究を続けていた。1941年末、内務省保健衛生事業担当官のレオナルド・コンティ博士によってダッハウ強制収容所で研究ができることを勧められ、翌2月のはじめから実験を開始。1945年の3月半ばに74歳のシリングが手術を受けるためにミュンヘンにでかけたあと、ヒムラーが実験中止を命令した。(敗戦が近かったからであろうか?)
シリングの3年にわたる実験でおよそ1000人がマラリアに感染させられ、330人が死亡した。
実験[ 双子実験
ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。
mengere
ヨーゼフ・メンゲレ
メンゲレは、静脈をつなぎ合わせてシャム双生児を人工的に作ろうとしたり、眼球に薬品を注射して瞳の色を変えようとした。また、チフス菌を注射して病気の経過を血清学的に記録した。また頭蓋骨の収集もぬかりなく行われ、それらの実験報告を師のフェシュアーに送っていた。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。
“
ある生存者の報告
ある日、私の双子の兄のチビが特別実験のために連れていかれた。メンゲレは、最初から、チビに非常に興味を持っていた。なぜか知らないが、比較的歳のいった双生児であったからかもしれない。
メンゲレはチビを何回となく手術した。脊椎手術で麻痺となり、走れなくなった。
性器も除去してしまった。4回名の手術後、チビには2度と会えなかった。
私の気持ちがどんなだったか、あなたに言えないし、言葉にも表せない。
私は父、母、兄2人を失っていたのに、また双子の兄もなくしてしまった。
”
メンゲレは1979年に逃亡先のブラジルで海水浴中に死亡した。
実験\ 強制不妊化実験
ナチの歪んだ人種思想は戦争前から活発ではあったが、独ソ戦の開始と共に東方民族絶滅の意志はますます固くなるばかりだった。その手段としてずっと論議されてきたのが、断種措置による強制的な不妊化処置の遂行であった。
ナチの断種の施策は大きく分けると3つの経過をたどった。
薬品による断種
カラジューム・セグイヌム(サトイモ科の観葉植物の一種)を接種することによって、特に男性は生殖不能となるとされ、この植物を大量に栽培しようとするのだがコスト面で実用に耐えないことが分かった。ヒムラーは農業に大変関心が高い男であったため、カラジューム・セグイヌムの構成要素の分析を進め、人体実験を行うべし、との命令を発した。
しかし、これを命じられたコッホ博士はありきたりな動物実験を行うのみにとどめ、命令を事実上サボタージュした。それはあまりに実用性がなく、他の方法がどんどん進んでいたからであった。
放射線による断種
帝国公衆衛生局に所属し、障碍者の断種・殺害計画に関与したヴィクトル・ブラック博士は、放射線による断種の研究と人体実験の許可をヒムラーに求めた。それまで行われていた外科手術に頼る方法では、あまりに労力とコスト面で現実味がなかったからである。
これをヒムラーは許可し、第Uアウシュビッツ(=ビルケナウ)や女性収容所のラーフェンスブリュックで、それぞれ放射線による断種の試みが行われた。若い適齢期の男女は、何の説明もないままに不意に呼び出され、性器や子宮、睾丸付近にレントゲンを照射された。
彼らの多くは火傷を負い、傷口は膿み、そのような体で重労働につかされた。歩けなくなったものは銃殺・ガス殺された。
レントゲン照射後数週間してから、男性囚人は外科的に睾丸を摘出された。レントゲンの効果がどの程度であったかを検証するためであったとされる。しかし、レントゲン照射を受けた囚人たちは局部に重傷を負い、結局は絶滅収容所の中で死んでいった。
ブラック博士は、この不妊化処置を「殺すよりはマイルドな方法」と認識していたらしく、裁判で「絶滅政策を緩和するためにあえて提案した方法だった」と証言した。法廷はこの詭弁を却下し、ブラックを死刑に処した。
子宮内の刺激作用による断種
drclaubergこの方法は、ケーニッヒスヒュッテの医学博士クラウベルク教授によって開発された。教授はもともと卵管閉鎖による不妊を治療する方法を開発して有名になった人物だった。
1933年にナチ党に入党し、その医学の知識を、今度は「下等人種」の断種のために傾けようとしていた。
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クラウベルクはヒムラーと協議し、外科手術を用いることなく不妊化させる方法を話し合った。教授が考えていたのは卵管にホルマリン溶液を注入するという方法だった。ヒムラーはアウシュビッツにクラウベルクの実験施設を作るよう、部下のルドルフ・ヘースに命令した。
約500人の女性がクラウベルクの前に引き出され、狂気の実験の犠牲となった。収容所に響き渡る女性の悲鳴の原因は何のか、あの医師は囚人にいったい何をしているのか調べようと、女性看守が飛んできたこともあったほどであった。
実験により少なくとも7人の女性が死亡。残った囚人のうち、何人がガス室に送られたかは不明である。
教授は1945年にはラーフェンスブリュック収容所へ移り、35人の女性に人体実験を行った。戦後は赤軍に捕まり25年の判決を受けるがのちに恩赦。ドイツに戻るとドイツ当局に再逮捕され、57年、拘留中に死亡した。
実験] 飢餓実験
ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……
このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。
飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。
慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。
ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。
いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。
ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。
知的障害者に対する飢餓実験
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。
彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。
1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・
“
15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。
”
エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。
被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。
彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。
ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験
1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。
ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。
また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。
ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。
なぜこんなことが起こったか
ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。
そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。
大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。
そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。
曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。
にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
http://3rdkz.net/?p=250&page=4
ヒトラーやヒムラーは、理想的な北欧人種とは程遠い外見である。ゲッベルスは足が不自由で身体障碍者である。にもかかわらず、ドイツ国民は「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがままに、ヨーロッパ全土を破壊し、滅亡に追い込んだ。この歴史の奇妙を解明することは、今後においても決してできないに違いない。我々にできることは茫然と立ちすくみ、とりあえず人種差別に反対することだけであろう。
http://3rdkz.net/?p=250&page=5
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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史
『ヒトラー思想』が降りてきた……
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。
数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?
※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです
「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。
あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。
『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。
冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535
引用・参考文献
ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D
わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE
イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。
ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い
ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。
比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。
ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。
ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。
とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。
ヒトラー思想A 人間は動物
ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。
ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。
ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」
ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。
ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。
勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。
弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。
ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人
ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2
ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。
ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。
仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」
ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。
人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。
ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する
ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。
法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。
ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する
ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」
強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。
この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。
1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。
ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3
ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。
そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。
ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる
ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。
ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。
※※※※※※※※
終わりに
いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。
強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。
しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。
強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4
24. 2019年4月15日 08:24:08 : 9PEYTC4wU2 : a3NrVGR6cFd2bkE=[2]
枝野がどうしようがタルトコが降りてない時点でこの補選に野党共闘の実なんてないだろう。
何もりあがっちゃってるんだ?
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/642.html#c24
1. 赤かぶ[9747] kNSCqYLU 2019年4月15日 08:24:20 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[399]
協調性がないのは日本ではダメな資質で、空気を読まなかったり、同調圧力に染まらなかったら不利益になる。でも協調性がないから自由にいろいろできたりする。
— まー・さんぷる (@mar_sample) 2019年4月14日
「私たち」を大切にするのかと、「私一人ひとり」を大切にするのかという視点だと思う。
一人ひとりが塊を作る。 https://t.co/kNUFJsACmE
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/652.html#c1
2. 赤かぶ[9748] kNSCqYLU 2019年4月15日 08:27:23 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[400]
玉川徹氏 暴走発言の真意「おためごかし」じゃつまらない https://t.co/miapoK09LC #日刊ゲンダイDIGITAL
— ちくりん (@BfAuOcmxFqDG0Fp) 2019年4月14日
ネトウヨにとって玉川さんは悪役でもリベラル派には善役(人気者)、まぁ、そういうことなら羽鳥の発言を許して、また視聴しよう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/652.html#c2
94. 日高見連邦共和国[13253] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 08:32:24 : 0nvyZmqwOI : OG1uRFQxbDR3M0k=[347]
>>92 『日高見好きっこクン』(←勝手に命名(笑))
>豆腐が喉につまってるぜ。
そりゃ〜、テーへんだ!喉頭ガンの疑いがあるから、早速医者へ!(笑)
>>93 『日高見に何度もやり込められたクン』(←事実をバラしてゴメン(笑))
>いつもと同じくお前の後だし歪曲わめきちらしが続き、お前の恥さらしが一段と濃厚になって、いい姿だわー。
いやいや。その余裕なく根拠もなくお恥ずかしいこ汚い書き込みの方がみっともないぞ?
コレも毎度のごとく『いつものオマエ』って言われて悔しかったモンだから、同じ言い回しのオウム返し。(笑)
>お前!いくら頑張っても、なりすまし実行してしまったことは消えない。
だからそれ、エダノンや立民党の『野党共闘の在り方』と全然関係ないから。(笑)
>腐った心根は便所紙君とくっつきあって少しは安寧を得たのかな?
羨ましいのっか?そうだよな、オマエに味方・理解者はいない。
いつも、どこでも肛群糞王・・・失礼、孤軍奮闘。(笑)
>枝野も迷惑してるだろ、お前のようなやつに、コクられてもよ。
オマエのようなヤツに支援者と騙られるよりはマシではないかと。
>ははははははははは。
二度めの発狂しといてあげよう。
“発狂”してる自覚はあるんだ。ふ〜ん、大変だな、医療費。
口腔外科、精神科、肛門科・・・。養生しろよ。(笑)
>いかがわしい日高見、今回もあわれ。
いやそれれ、小学生の落書きレベルだな。(笑)
『覚えてやがれェ〜』ってか?ハイ、逃げ口上頂きました。サヨナラ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/595.html#c94
2. 2019年4月15日 08:37:08 : VqomQMzYdM : d0dOYVA0STVwTjY=[1]
魑魅魍魎は騙されやすい頭の弱い人間
小出に騙され
河野に騙され
泉田に騙され
小泉に騙され
ドイツに騙され
tweetは簡単に信じ込み
反原発風のブログは簡単に信じる
相手にしてはいけません
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/378.html#c2
96. 日高見連邦共和国[13254] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月15日 08:43:04 : 0nvyZmqwOI : OG1uRFQxbDR3M0k=[348]
>>90
そうだよな、心から同意する。
完成がいつになるかも分からない、費用がどんけかかるかも分からない辺野古移設を
推進する安倍ひいては自公政権は全く、『普天間の危険除去』なんて視点はないよな!
しかも、ドーも辺野古が完成しても、普天間は返ってこない。(返せない事情がある)
肝心な事は何も説明しない(できない、新基地建設利権をエサに釣る『安倍詐欺政権』、
その土建利権に涎垂らして群がる有象無象、『関係ね〜』と棄権する沖縄の有権者達。
確か連中、本気で『普天間の危険除去』など考えてねーよ。アンタの言う通り!(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/585.html#c96
2. 2019年4月15日 08:44:20 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[120]
何年か前のエコノミストで予告されてたヤツ、 本当にやればヤッパリということになる てーへんだー連呼がカンヨーで、ちきう号にも準備出来てる?
とかの問い合わせが必要
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/673.html#c2
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