推計61万人! 中高年のひきこもり
2019年4月10日 16時20分
40歳から64歳までの「ひきこもり」の人の数が、推計61万人に上ることが内閣府が初めて行った調査で明らかになりました。見えてきたのは、中高年のひきこもる子どもと年老いた親が、ともに社会的に孤立してしまう現実です。
(ネットワーク報道部記者 高橋大地 管野彰彦 岡山放送局ディレクター 福田元輝)
「親が病気になったら」40代ひきこもりの現実
「きょうも何もできないと落ち込んで、どんどん世間から離れていく。悪循環ですね。親が病気になったらと思うと不安だけれど、対策も立てられない…」
こう語るのは、およそ20年間にわたって断続的にひきこもった経験のある45歳の男性です。
大学卒業後、就職した会社になじめずに2年で退職。再就職を目指しますが、なかなか思うように行かず、引っ越しや倉庫作業など一日単位の派遣アルバイトなどを続けました。しかし、そうした仕事もやがてうまくいかなくなりました。
「これからどうしたらいいんだろう…」
今後のことを考えると不安で眠れず、明け方まで寝つけない。昼ごろに起きて、また夜は眠れないという、昼夜逆転の生活が続きました。40歳を超えて、親を頼りにせざるをえない日々に、自分を責め続けました。
「親のことを考えれば考えるほど、ひきこもりの状況から脱出できない自分のふがいなさが重くのしかかり、申し訳なく思ってばかりの日々でした」
若年層より多い!?
内閣府は、40歳から64歳までの中高年のひきこもりが、推計で61万人に上るという調査結果を、先月明らかにしました。前回の調査では15歳から39歳までの推計は54万人。中高年のひきこもりは、若年層よりも多いという衝撃の数字でした。
ひきこもりの状態になってからの期間を見ると、「3年から5年」がおよそ21%と最も多かった一方で、「5年以上」と答えた人が半数を超え、中には「30年以上」と答えた人もいるなど「長期化」の傾向もわかりました。
一方、初めてひきこもりの状態になった年齢は、30代の割合が若干低いものの、全年齢層にわたって大きな偏りはなく、どんな年代であっても、ある日突然、ひきこもりになりうることがうかがえます。
また、ひきこもりの状態になったきっかけは、39歳以下の調査で多かった「不登校」や「職場になじめなかったこと」とは異なり、「退職したこと」が、いちばん多く、「人間関係がうまくいかなくなったこと」「病気」が続いていました。
ひきこもりの問題に詳しい愛知教育大学の川北稔准教授はこう指摘します。
愛知教育大学 川北稔准教授
「今の40代を中心にした人たちは就職氷河期を経験した世代で、不本意な就職をして不安定な雇用状態のままで過ごしてきた人も多く、社会的に孤立するきっかけを多く持っている。また、ひきこもるきっかけは、学校や就職だけではなく何十年も働いてきたなかで途中でつまづいてしまったり親の介護のために仕事を辞めてしまったりした人などいろいろなタイプが含まれている」
募る親の不安
ひきこもる中高年の子どもをもつ親たちは、年を重ねるごとに不安を募らせています。
まもなく40歳を迎えるひきこもりの息子がいる75歳の男性は、「息子の今後を考えると不安だらけ。夜も眠れない」と話しています。
息子は勉強のプレッシャーなどから中学生の頃に不登校になりました。その後、アルバイトをしたこともありましたが、20歳をすぎてからはずっとひきこもったままです。生活費は、男性の仕事の収入に頼る状態が続いています。
今後、10年や15年先のことを考えるとどうですか、と聞くと…
「これからのことを考えると焦ってしまうんですが、親が焦っていると、息子もそれを敏感に感じ取るんです。だから焦らないようにしたいんですが…。私も若くないので本当に健康でいてあげないと、親子ともひきこもりになってしまう」
親子で孤立のおそれ
こうした年老いた親と、同居する中高年の子どもがひきこもっている事例が相次いで見つかっているのが、介護の現場です。高齢者の介護や医療について総合的な相談に応じている都内の地域包括支援センターを取材しました。
センターには、高齢者が暮らす住宅の近隣住民や地域を担当する民生委員などから、「近くに住むお年寄りの様子がおかしい」とか「最近、姿を見かけないので、心配だ」といった連絡が寄せられます。
こうした情報を受けて、センターの職員が訪問すると、高齢の親とともにひきこもりの子どもが生活していることがわかるケースが多いというのです。
相談員を務めるケアマネージャー 安達聡子さん
「予想以上にこうした家庭が多いことに驚いています。深刻なケースが多いのも実情です」
あるケースでは、90代の女性の元を訪ねたところ、ごみが散乱した家の中に50代の息子が生活していました。女性には認知症の症状があり、要介護3の認定を受けていました。生活は女性の年金だけが頼りで、経済的に厳しい状況でした。
安達さんが受け持っている地域では、およそ1万人の高齢者がいますが、こうした事例は100件近くにのぼっているといいます。
「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」が全国の地域包括支援センターにアンケートした結果、有効な回答があった全国263のうち220か所が、「無職の子どもと同居している高齢者を支援したことがある」と回答しました。このうち、6割に上る153例は、子どもがひきこもりの状態だったとみられています。
「外からでは家の中の状況がわからないので、判明するケースは実際は氷山の一角だと思います。センターとしてもほかの行政機関に連絡するなどしていますが、対応には限界があると感じています」(安達聡子さん)
親子が共倒れになるケースも
ひきこもりが長期化し、子どもが中高年になり、さらに年老いた親が働けなくなったり、年金などわずかな収入しかなかったりすることで、家庭が生活に困窮して、社会から孤立してしまう。
こうした家族は、なかなかみずから声を上げづらく、親子が共倒れになってからようやく知られることもあります。
遺体が見つかった札幌市のアパート
去年1月には、札幌市のアパートで、82歳の母親と、ひきこもりの状態にあった52歳の娘の遺体が発見されました。助けを周囲に求められず、先に亡くなった母親のそばで娘は亡くなるまで生活していたといいます。
このような問題は、80代の親が、50代のひきこもりの子どもの生活を支えるという意味で「8050(はちまるごーまる)問題」などと呼ばれ、今、全国で相次いで顕在化するようになっています。
地域ぐるみで支援
そうした問題を地域ぐるみで支援しようとしているのが、岡山県総社市です。市はおととしの4月、ひきこもり支援の専門の窓口を設けました。
地域の民生委員や、医師会、教育委員会などが連携、部署や機関が垣根をこえて支援を進めることで、これまでに180人余りのひきこもり当事者とつながりを持つことができました。
そして、そうした人たちの社会復帰を促すため去年、ひきこもりの人たちが集まることのできる居場所を設けました。居場所は、空き家だった平屋を市が借り上げたもので、平日の午後3時から5時まで、無料で利用することができます。
利用する当事者は、1日平均3人程度。市の専門の相談員がメールや電話、地道な訪問を重ね、来ることができるようになった人たちです。彼らを迎え入れ、話し相手になるのも、地域の住民。市の講習で、ひきこもりについて学んできた人たちです。
支援する住民「かぜなどひかなかったですか?」
ひきこもりの当事者「どうかなあ、ちょっとのどが痛い」
会話を強要することなく、茶飲み話を一緒に楽しみながら、利用者のひと言ひと言に耳を傾けていました。こうした支援に協力してくれる住民が総社市には現在60人います。
居場所を利用するひきこもりの当事者の男性は、「理解ある地域の人であれば何気ない話もしやすい」と話します。
利用者の通う回数は徐々に増えています。
支援に協力する住民は、「しんどさを分かってあげられる仲間のひとりになれたら」と話していました。
家族を孤立させない
市が借り上げた居場所ではひきこもる人たちの家族どうしが語り合う場も毎月開かれています。この日、心のうちを語ったのは、ひきこもる50代の息子がいる87歳の女性です。
「自分がへこたれて寝てしまったら終わりだなと思って…」
ひきこもる人たちの家族は、世間体や自責の念から、悩みや不安を誰にも相談できないことが多いといいます。
「他の人の話を聞いたり、自分でしゃべったりすると少し肩が軽くなる。やっぱり楽になります」
こうした総社市の支援の根幹には「ひきこもりへの偏見をなくす」ことが据えられています。
「地域の住民がひきこもりについて学ぶことや家族どうしが語り合うことで、“ひきこもりは誰にでも起こりうる”ということを感じてもらえれば、少しずつ偏見が減っていくと思う」
市の相談員のひとりはそう話していました。
ひきこもらされている
取材をしていた中で、印象に残った、ひきこもりの当事者のことばがあります。
「私たちも、社会に出たいんだけれど、そこからはじかれてしまっているんです。ひきこもっている、というよりも、ひきこもらされているんです」
そのひと言を聞いて、社会がひきこもりの人たちをどう見ているのか、それを当事者の人たちは、敏感に感じ取っているのだと思いました。
私たち一人一人の「ひきこもり」への意識が変わることが、彼らが少しずつでも声を上げられる環境作りにつながっていくことになるのだと思います。
ネットワーク報道部記者
高橋大地
ネットワーク報道部記者
管野彰彦
岡山放送局ディレクター
福田元輝
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190410/k10011879191000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001
学校に行かない子どもたち」の問題として1980年代に社会問題化し、2000年代にかけて大きくクローズアップされた「ひきこもり」。いま、新しい局面を迎えている。長期化・高齢化が深刻化しているのだ。40代、50代のひきこもりの人が、高齢の親と、経済的、精神的に追い詰められ、孤立死する事態も起きている。一方、ひきこもりの当事者や経験者らが、みずから声を上げ、社会に向けて積極的に発信する動きも、目立つようになっている。超高齢社会に入った日本の「ひきこもり問題」、家族のありようを見つめ直す。(サイトは随時更新)
今思う、私のひきこもり経験
ビジネスや芸能界など、それぞれの場で活躍する著名人にも、ひきこもりの経験がある人は少なくありません。その時の体験や、今の思いについて、インタビュー。「ひきこもっている人たちへ」メッセージをもらいました。(随時更新)
ひきこもりは「さなぎタイム」
中学生の時に、いじめをきっかけにひきこもった経験がある中川翔子さん。当時は、「死にたい。つらい」と思っていた一方、そのときの経験が今の活動に生かされていると言います。「ひきこもるのは、すごく意味のある、栄養を吸収できる時間」と語る中川さんに話を聞きました。
「絵とか描いてんじゃねえよ、きもい」
(聞き手)
最初に、中川さんがひきこもるようになったきっかけについて教えてください。
(中川さん)
もともと、グループの中にうまく溶け込めなかったんですね、中学に入ってから。でも、絵を描いたり、漫画を読んだりするのが好きで、自分が好きな事をしていた時間は平気でいられたんですけど、やっぱり1人でいるのを見られたくないなとか、そういう事をずっと気にしながら過ごしていました。
中学3年生のとき、同じ趣味を話せる友人ができたんですけど、違うグループから、「絵とか描いてんじゃねえよ、きもい」って言われて。自分もそれに対して言い返してしまったら、ある日、靴箱がつぶされて、ローファーがなくなっていて。
先生に相談をしたら「じゃあこのローファーで帰りなさい」って言われて渡された靴を履いて帰りました。しばらくしてその先生から「ローファー代払いなさい」って言われて、「結局、やったもん勝ちなのかこの世の中は、もう裏切られた。もう大人も嫌いみんな嫌い、こんなところ行きたくない」って気持ちになって、すごく全部を恨んじゃったというのもあって、学校に行かなくなっちゃって。卒業式も出なかったので、それはあとまで、もっとうまいやり方ができたんじゃないかなって思っちゃう事はありますね。
学校行きなさい!やだ!
(聞き手)
自宅にひきこもっている時は、ご家族はどのように対応されていたのですか。
(中川さん)
学校に行きたくないから、ひきこもって部屋に鍵をかけて、ずっとインターネットをやってという感じで。母は心配して「学校行きなさい!」って、鍵を蹴破って入って来て、マウントポジションになって。「行け!」「やだ!」と、そんな親子げんかをしました。
親としては、「なんでそういう風に逃げるんだろう」って、ショックもあったと思うんですけど。母も1人で働いていたから、「それはそう言うよな」と今は思うけれど、自分は自分で「負けたと認めたくないな」とか「悔しい」とか、いろんな気持ちで。もう、どうしようもなくなっちゃって。
人に嫌われる星に生まれたから
(聞き手)
特につらかったのはどんな点だったですか。
(中川さん)
自分の置かれていた環境は、ちゃんと家があって、母も愛してくれていて、好きなインターネットもできたり、今思うと恵まれていたとは思います。でも人間関係がうまくいかないし、自分が思い描いてたエンジョイする感覚には全然なれていないし、「何で私ばかりこんな目に」って。
私はネガティブな方向に行きやすかったと思うんですけど、「どうせ、こういう目に遭うんだから、人に嫌われる星に生まれたんだから、もう死にたい」ってすごく思う癖がついちゃってたという感じでした。
学校では話が合わないけど、学校の外、インターネット上には趣味の合う人もいるんだなっていうのは思ってたんですけど、実際にどう行動していいかも分からなかった。もうずっと悶々としていましたね。
ひきこもったから体験できた濃い時間
(聞き手)
ひきこもっていたとき、具体的にはどんなことをしていたんですか。
(中川さん)
甘えでもあるんですけど、漫画を読んだり、アニメや特撮、ブルース・リーの映画を見たり、インターネットで調べたりとか、歌をうたったり。とにかく死にたい気持ちを紛らわせる何かをしてなきゃ耐えられないという感じでしたね。
アニメを見ながら、セリフを原作の漫画と照らし合わせてアフレコしてみたりとか。ヌンチャクの練習とか。松田聖子さんの歌とかアニメソングをひたすら聴いて、ここの「え」の発音がよすぎる、ここをもう1回練習してできるようになろうとかひたすらやってて。
でも、ずっと不安だった
(聞き手)
そういった好きなことをやっている時はどんな気持ちでいることができたのですか。
(中川さん)
ネット上で年齢とか関係なくいろんな人と好きなものを語り合ったり、音楽を聴いて、歌って、好きなものをたくさん、どんどん1人で見つけることができたので、その間は(現実から)逃げることができる。でも、やっぱり学校に行かなくなってるっていう人生になっちゃってる自分っていうのがすごい恐怖もあって、何かずっと、不安なもの、なんで生きてるんだろうみたいな事にはなっちゃってました。
振り返ると、私はその時に読んだ本だったり漫画だったり、歌だったりが全部仕事とかにも人との出会いに結び付いたんで、すごく意味があった時間でもあったなと言えるんですけど、そのときは分からないのでひたすら、自分を硬い殻で防御するために、これをやってる間は平気だ、これやってる間は考えないで済むっていう感じでした。
「またね」と言われて続けられた仕事
(中川さん)
中学の後、通信制の高校に行くようになって、そこから芸能界って道に入ったんですけど、そんなすぐうまくいく訳もなく、すごい挫折をして、「あぁもうやめようよ」ってずっと思っちゃう日々もあって。ありがたいことに呼んでもらえたりとかする機会でも結果を出せなかったりとか。
でもある時、「私なんてやっぱりだめなんだ」ってモードになっちゃってるときだったんですけど、漫画家の楳図かずおさんにお会いできて「またね」って言ってもらえたことで、「あっ頑張って生きていればまた会えるかもしれないんだ」って、ほんと何気ないそのひと言で、「あっうれしい」ってなった瞬間があって。こんな私みたいなごみ虫にそんな声をかけて下さるなんて、生きててよかった、生きるのをやめてたらきょう会えてないしって、全部塗りかわったっていう気がして。それで辞めるの踏みとどまったという。
だから、何かのきっかけが、星座みたいに次につながっていくんですね。例えば今ってアイドルだってイベントがあったら会いに行けるし、ライブがあったら行ける。自分さえ生きていれば、会いたい人には会えるかもしれない。「こんな環境にいて、腑に落ちない部分がどっかにある」って思ってる人は、少しずつでも、アルバイトにチャレンジしてみるとか、なにかやってみようかなって思える日が、そういう風が吹く日がふっとくるかもしれない。どういう一歩からでもいい、例えばそれはネットでできる仕事かもしれない。
ひきこもりは「さなぎタイム」
私もやっと最近、「みんなも、うちに来ない?」って言える人になってきたりとか。30を超えてなんですねこれも。だからわからないな人生ってとか思う。当時、10代の自分が「学校卒業したら楽しくなるよ」って大人に軽く言われたときに、「あなたには分かんないでしょその気持ちが。今、行かなきゃいけないのに」ってすごい、イラっとした。でも悩むって一番、優秀な先生、というか何か悩んだことが絶対むだにはなんない気がしますね。
ひきこもりの期間は、自分の道を見つけるための、さなぎの期間なのかなと思いますね。でもそのときは見えない。そういうことはわからない。未来がどうなるかなんてわからないし苦しいし。だけどそれだけで終わりたくないという気持ちもあるし。進化するための「さなぎタイム」と思えればいいですよね。
つらい時は、好きなこと探しの時間にあてて
(聞き手)
ネットでの発信や人間関係がその後の活動につながったということですが。
(中川さん)
今はオンラインゲームとかSNSとかすごくいろんな「自分ってこういう生き物だよ」って発信できる自分の居場所や、得意な部分を見せられる、環境や娯楽も増えたと思います。
自分はこれやってる時はテンション上がるぞ、というのを何か1つでも、ネットの上でだったりでも見つけることができたらもうそれは、勝ち組です。絶対どんな狭い趣味でもいるんですよ、同志がどこかには。学校なんてたまたま数十人のクラスなだけだから、そりゃ全員と仲よくなるって、そういう才能ある人しか無理ですよ。あと何なら自分なりの幸せさえ1個でも見つけられれば大丈夫だし、人は人だしと思えればいい。これって良いよねっていう事を、学校の単位だとちょっと空気を読まなきゃ言い出せないみたいな空気があったんですけど。ネットの世界だったら、本当にいろんな趣味の、マニアの人もいるし、何かを極めている人もいる。これをやってる間は幸せっていう事をライトに発信してくれてる人とか、本当にいろんな人たちがいて、それでいいんだっていう場所がインターネットだという気がするので。もう絶対に、否定される筋合いはないので、自分の好きな事を。だからとにかく、そのつらい時は好きなこと探しの時間にあててほしいですね。つらい事を恨んだりとか、「何でだよ、何でだよ」ってそれを反すうするって、もったいないなって。
自分の心に、風に任せていい
(聞き手)
今、なんらかの理由があってひきこもっている方たちに、アドバイスやメッセージがあればお願いします。
(中川さん)
難しいのですけれど、ひきこもっちゃって死にたいって思っちゃう人に、「死にたいと思っても、でもそれって、きょうじゃなくてその明日のその先に生きててよかったと思える瞬間が来るかもしれない。死んじゃったらもったいないって思いませんか」って言いたいです。
自分のペースで人それぞれ、向いてる事、向いてない事、得意な事、そうじゃない事、もちろんそれを頑張って、無理してやんなきゃいけないこともいっぱいあるし。でもそれぞれ自分の楽しいって思える瞬間ってタイミングが違うから、自分のペースで、でもどうか好きな事を見つけて。生きててよかったの瞬間に近づいてほしいなと思いますね。
学校だったりとか今の環境っていうのか。絶対的な世界であり逃げられない場所であるとか、大人になってからも大変なこともあったりする。でも自分の人生において、例えば攻撃してきたり悪く言ってきたりとか、そういう周りの人ってどうでもいいですよね。それより自分がハッピーって思える時間を増やすタイムのほうが、有意義な気がしちゃうので。焦らなくていいし、自分がひきこもっちゃって迷惑をかけちゃったなとか、あとで思ったりするかもしれないし。少しずつでも、返せる事もあるかもしれないし、自分の心に、風に任せていい気がするんですけど。
全部が経験値になる
私の場合は本当にそのひきこもってた時間でやってた事とか考えた事が悩んだり苦しかったりはすごくあったけどでも、その時に、見た知識とか楽しいって好きって思えたものとかずっと裏切らないで味方でいてくれる気がしていますね。
ひきこもってた時間に見つけたことがあったおかげで、「あぁ生きててよかった」って思えた瞬間にたくさん出会えた。蓄積しているもの1個ずつ、「この本を読んだ、経験値を得た」、「この作品を見た、おもしろかった、はいこれも経験値」、と全部経験値だと思って、ダメージを与えてきたいろんな環境にリベンジしていけばいいんだと思います。
「こんな蓄積してやったぜ、ざまあみろ」って言えるように、すごく意味のある、いろんな栄養を吸収できる時間だと思って。それがいつか誰かとの雑談に役立つかもしれない、誰かとの仕事に役立つかもしれない。何かの意味には絶対になると思うので、このひきこもっている時間に悩むだけじゃなくて、少しでも楽になれる好きな事を見つけていってほしい。そしてそのちょっとでも心に風が吹く、動こうと思える瞬間、チャンスを狙っててほしいですね。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/articles/famous_01.html
自分で自分の居場所を作る
当時29歳という史上最年少でJASDAQ市場に上場を達成した起業家の家入一真さん。日本最大規模のクラウドファンディングサービスやカフェ・シェアハウスの運営など、「人が集まる場作り」をする注目の起業家です。家入さんは、中学時代から登校拒否、ひきこもりを経験。就職した会社も雰囲気になじめず、すぐにやめてしまうなど「常に逃げ続けてきた」と言います。その一方で「逃げることは別の方向に向かっているとも言える」と考えています。
ひきこもりは世界で自分だけだと思っていた
(聞き手)
もともとはクラスの盛り上げ役だったにもかかわらず、友人とのささいなけんかから集団のいじめに遭いひきこもりになったと聞きました。当時はどんな心境でしたか。
(家入さん)
僕の場合は中2で学校に行けなくなって、人生終わったと思い込んでいました。長男だったのでそれなりに期待されてた部分もあったと思うんですけど、親にも申し訳ないって思って家に居場所もないし、家から出たところでその同級生と会うのは怖いので、数年ずっとひきこもっていて。いくつか深夜のバイトとかやってみたんですけどそれもやっぱり、なかなかうまくコミュニケーションが取れずに結局途中からもいかなくなってしまう。みたいなのを何度も何度も繰り返していて。
当時はまだインターネットもない時代で本当にすごい断絶されている感はすごくありました。
ひきこもりという言葉があったのかわからないですけど自分以外にそういう子がいるなんて、つながりようもないですし想像もできない。世界中で、中学校で落ちこぼれて家にひきこもっているのは自分だけなんじゃないかって思っていましたね。
僕の知らないところでみんな生きている
(聞き手)
いちばんひきこもっていたときの心象風景は覚えていますか。
(家入さん)
生活リズムは昼夜逆転していました。そのとき自分の部屋から遠くのマンションの明かりとかをずっと見ていました。ああ今帰ってきたんだなとか、今から寝るとこなのかな、そういうのぼやーっと見てて。何か一生で会わないであろう、一生知り合えないだろ人たちが、僕の知らないところで、僕と関係なく生きているっていうのを、ずっと見てたっていうのは、今でも覚えています。今でもそれたまにやっちゃいますね。
例えば高速を走っているときに遠くに見える光とか。あとそれこそ渋谷のスクランブル交差点とか歩いてると急にそういう感覚に。たくさん人がいて通り過ぎていくけど、ほとんどの人とは二度と会うこともないでしょうし、知り合う事もないだろうし、僕のことなんかも誰も知らないし。急にふと「ひとりだ」みたいに思う瞬間があるんです。でもそれは嫌いではないですね。
母に連れられ山田かまちの個展へ
(聞き手)
ひきこもりの時期から変化していくきっかけになったのはなんでしたか。
(家入さん)
母はどうにかして僕が外に出るようになってほしいからいろいろと提案してくるんですよ。ひきこもった人の本とか、こんなイベントやってるから行ってみないとか。僕からすると本当にほっといてくれよっていう感じなんですけど。もう何かしらずっとこうおせっかいのような状況で、提案が来るんですね。基本的に僕は無視していて。
けど、山田かまちっていう若くして亡くなったアーティストの個展がちょうど地元(福岡)であるっていうことをいつもと同じように母親から誘われて。なぜかそれはちょっと行ってみたいなと思ったんですよね。2人で百貨店の展示コーナーに行って、すごい衝撃を受けた。山田かまちは17歳で亡くなった作家なんですけど僕も当時17歳で。かまちは詩を書いたり、激しい絵を描いたり、歌も音楽もやっていたし。でもあるときエレキギターで感電して死んでしまうんですね。
一方、僕は何やってるんだろうっていうのですごい突きつけられた感じがして。そこから家に帰ってそういえば絵好きだったから僕も絵をやろうって思った。
ただ描くものがないんで、僕ずっと左利きなんですけど自分の右手ばっかりを描き続けていた(笑)。ちゃんと体系立てて学びたいと思って絵の学校に行きたいっていう風につながっていったので、両親に関してはそうやってきっかけを一方的に投げかけてくれたことにすごい感謝をしています。
新聞配達という″小さな結び目″
(家入さん)
油絵をやりたいって思い始めたので芸大の予備校に行きたかったんですけど、うちは貧しかったので学費が出せない。だから新聞奨学生で住み込みで新聞配達を始めた。
正直すごいしんどかったですけど新聞配達をしている間は、とりあえず誰ともコミュニケーション取らなくていいので、目の前の仕事が終わったらあいさつもそこそこに自分の部屋にもひきこもるみたいな。
でも今思うと、体を動かせばとりあえずできる仕事がそこにあってやるべき仕事がそこにあって、過度なコミュニケーションも求められない。
あれが1つの僕にとってのリハビリだったんだなと思っています。
雨の日とか雪の日とか大変な日もあるんですけど、おじいちゃんおばあちゃんとかがいつもありがとねって言ってヤクルトくれたりとか。なんかそういう接点が少しずつ増えていくんです。やっぱり無理ってなったり、無断で行かない日が続いたりとかもちろんありました。でもちょっとポストに入れるのがうまくなったとか、新聞配達のスキル上がってるなっていうのが小さな自信につながったり。もちろん焦りもありますよ。でも何かいきなり社会との強い結び目をつくろうとしても、きっと心弱い人たちって難しくて。ちっちゃい結び目を作りながら、解けながらを繰り返しながら少しずつ前に進んでいくしかないのかなとかって思ったりするんです。
起業は残された最後の選択
(家入さん)
でも結局大学には進めなくて。父親が事故に遭ったので働かざるをえなくなって何度か就職したんですが、やっぱりうまくいかなくて。クビになってクビになって。これじゃあ僕は生きていけないと思って、で、起業したんです。
いわゆる日本一の会社になるとか夢を持った起業とかじゃなくて、消去法で最後に残されたひとつだった。
自分でビジネスやるしか生きていけないぐらいの感じだった。なんか足元見て歩いてる感じですよね、僕は遠くを見て歩くとか夢を語るとか苦手なタイプなので。日々自分がやるべき事やるみたいに歩いてきたんだけど、ふと自分が歩んできた道を振り返ってみると起点となったのはひきこもりのときの体験があったからなのかなって思いますね。
おかえりと言ってもらえる居場所を作る
(家入さん)
それまでどこ行っても居場所がないっていう感覚がすごく強くて。もちろん学校もだし家もだし、新聞配達でも働いてるうちは忘れられたけど、ここは居場所じゃないなって思いましたし。だけど自分で作った会社、自分で作った居場所にスタッフが集まってきてくれて、社員が結婚して子どもが生まれたとか、この会社があってよかったって言ってもらえたりとか。そういうので、僕もここにていいんだなって思えるようになった。自分で自分の居場所を作っていくみたいなものをただずっと繰り返してるだけで、何度もいろんな会社を作ってきました。
僕にとっての居場所って、お帰りって言ってもらえる場所だと思っていて。居場所っていうものを介していろんな子たちが滞在してすれ違って出ていってっていうことをするわけですけど。そんな子たちが数年後とかにやっぱうまくいかなかったと言って戻ってきたとき、そのときに全然知らない人たちがいたとしてもお帰りって言ってあげられると思うんですよね。そういうコミュニティーを作っていきたいし、そういう場所があると、人ってチャレンジとかできるんじゃないかなと思う。
ライオンから逃げるウサギのように
(聞き手)
家入さんの本やツイッターを見ていると良く出てくる言葉が「逃げる」「逃げ続ける」。解決に向かうではなくてとにかく逃げていいという考えがすごく印象的ですが、それはやはりひきこもったという経験があったから言えることですか。
(家入さん)
ある意味僕は防衛本能にすごく優れていたんだと思うんです。僕は自分のメンタルが本当にダメになる前に逃げるんです。これ以上学校に行ったら死んでしまうかもしれない、何回か就職したときも自分このまま会社行こうとしてそのまま死んじゃうかもしれないみたいな。っていうときにとりあえず逃げようって。社会人としてはホント最低かもしれないですね。会社に連絡もいれずに急に行かなくなるので。会社からすると大慌てですよね。なんですけどまずは逃げなきゃというタイプだったから生きてこれたんです。逃げることができずに自分で死を選んでしまった人のニュースをみると本当につらい。そんなことになるくらいなら周りにどんなに迷惑をかけても逃げてほしい。逃げて逃げて逃げて、逃げ疲れたところで体勢を整えたらいい。
ウサギとライオンを僕はよくイメージするんですけど。ウサギってあの長い耳で危険を察知してライオンが来るってわかったらいちもくさんに逃げるわけじゃないですか。なんで動物でもできることが、人間だとライオンを目の前にして「闘え」ってみんなが押しつけるんだろう。ウサギに対してライオンと闘えって押しつけるなんて明らかにおかしいし無謀だし。やっぱり生きているといじめだったりパワハラだったり時には震災だったり、いろんな理不尽なライオンみたいなものが目の前に現れてくると思うんですよ、誰しも。そのときに逃げるっていう選択肢をひとつ持っておくだけでも、逃げるっていうのは視点を変えてみれば別の方向に向かっているとも言えますしね。
大人の役割は0.1%のきっかけを提示し続けること
(家入さん)
僕は今子どもがいますし、将来的に子どもがひきこもったらとか考えます。あとはひきこもりを抱えたお母さんとか両親がたまに相談に来るんですけど。僕にできることってきっと、無理やり引っ張り出すとか、自分の価値観を押しつけることじゃなくて、99.9%はスルーされるかもしれないけどそれでも0.1%にかけてきっかけを提示し続けることなんじゃないかというふうに思っていて。
こういうのもあるよこういうのもあるよっていう選択肢を提示し続けることが、大人の役割だったり親の役割だってするのかっていうふうに思います。
(聞き手)
それに反応してくれることのほうが可能性としては限りなく低いかもしれないですね。
(家入さん)
そうそう。これは僕自身の人生観にもつながってはいるんですけど、見返りを求めようとするとすごくつらくなってしまう。自分がこれだけあなたのためにこんなことしてあげてるのに答えてくれないっていうのが、結局自分自身もつらくなっていっちゃうし、相手に対してもそれを押しつけてしまうことになるんじゃないですか。それって恋愛とか友情とかいろんな関係にあると思うんです。
自分はお前の事を思ってこんなにやってんのに。それって本当の仲間や友情なのかっていわれたときに違う。提示するということ。みんな、何かしらその人が生きる場所が絶対どこかにあるっていうふうに僕は信じてるし、そうありたいと思うし、そういう社会がいいなと思う。
世界はめっちゃ広いよ
(聞き手)
最後に、今の家入さんからひきこもっている若かりしころの家入さんに会えたとして、なにかかける言葉がありますか。
(家入さん)
今でも思います、それ。世界はめっちゃ広いよっていうことを言いたいなと思いますね。自分は一生このままハブられて、断絶したまま生きていくんだっていう絶望しかなかったですし。いじめてきた子の顔とか発言とかいまだに覚えてたりもしますけど、僕は大人になってみてすべてが小さかったなってすごく思ったので、大丈夫だよって言ってあげたいですけどね。
学校行かなくても今いる場所からのけ者にされても全然違う場所はたくさんあるし、自分で場所を作ることだってできる。今も年に数回くらい、どうしても心的に、行かなきゃ行けないんだけど行けないときがある。子どもの時から変わってないですね。せめてすいませんきょうちょっと行けそうにないですってひと言電話入れたらいいじゃないですか。それができないんですよ、申し訳なさすぎて。アポイントの時間にどんどん近づいていけば行くほどもういまさら送ってもダメだってなって。待ち合わせの時間になって、あぁもう終わったってなって。じゃんじゃん電話とか入ってたりしてももう電話鳴るのもつらいから、布団被って寝るみたいな。開き直っているわけじゃないですよ。遅刻するのもドタキャンするのも本当にすごい申し訳ない気持ちでしているので。申し訳なさすぎて連絡できなくなるみたいな。なんの言い訳にもならないですけど。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/articles/famous_02.html
自分を諦める、リセットする
お笑いコンビ、髭男爵の山田ルイ53世さん(43)。中学2年生の時から6年間のひきこもりを経験しました。勉強もスポーツも得意だった“神童”からの転落。そしてお笑い芸人へ。「ひきこもりの時間はむだだった」と話す山田さん。それでも「人生は何回でもリセットすればいい」と力強く話してくれました。
外の活気がしんどかった
(聞き手)
山田さんがひきこもりなったきっかけを教えてください。
(山田さん)
くだらない話ではあるんですけども、ひきこもりになったのは、中学2年の夏ぐらいなんですよ。きっかけは登校途中に、あ、これいいんすかね?、なんかちょっと、大きいほうを粗相してしまったという。通学途中で、えー、っていうのがきっかけですね。
一応それが引き金になったっていうことなんですけど、やっぱり行ってた中学が、結構自分で言うのもなんですけど進学校で、電車で2時間ぐらいかけて通学してて、駅から学校までがすっごい登り坂で、もうすごくしんどかったんで、勉強も結構やっぱりハードで、部活も一生懸命やってたもんですから、まあしんどい、疲れたっていうのが、すごく積もり積もってた、たまってたっていうのは間違いないです。
(聞き手)
ひきこもりが始まってからの期間は、どんな生活を過ごされてたんですか?
(山田さん)
基本、昼夜逆転になりますよね。やっぱりひきこもってる時って、活気がきついんですよ。活気がしんどいというか、普通に部屋の中に閉じこもっていても、やっぱり窓の外からなんとなく、キーンコーンカーンコーンとか、学校のチャイムの音聞こえてきたりとか、登下校の時間とか、家の前を通ってる小学生や中学生のキャッキャいうザワザワいう感じとかが窓の隙間からちょっと漏れ聞こえてきて、それ聞いてると、もう、こっちはもう人生が完全に停止した状態ですから、わ、みんな元気よくやってるなあっていうのがしんどかったですね。
だいぶ人生余ったなあ
(聞き手)
その当時、ご自身の中にあった感情というか、その気持ちをどういうふうに受け止めていたんですか?
(山田さん)
受け止めてたっていうか、なんかやっぱいちばん気持ちの中で大きくあったのは、うわ、もう、だいぶ人生余ったなあっていうことは、もうずーっとありました。
中学受験に挑戦したんですけれど、1人いるかいないぐらいの感じなんですよ、地元の中学行かんと、私立の中学行く子って。なんかそこで、変に優越感っていうか、ま、僕、「神童感」って呼んでましたけど、ちょっとなんかそういう勘違いがあって。で、中学1年ぐらいの時に、先生が三者面談みたいな親交えた話し合いの時に、このままいったら山田くん東大行けますよみたいな、今考えたらいらんことを言うんですけども、ちょっと親子ともどもなんかちょっと浮ついてもうて、でも学校行かれへんようなって、もうすべてを失ったような気持ちになって、もうほんとにやることないな、人生余ったなあっていう気持ちがすごくありました、当時は。
(聞き手)
それは焦りとかそういう感じとも、ちょっと違うのでしょうか?
(山田さん)
いや、焦りもありましたよ。やっぱり自分はこんな状況やのに、周りの子どもたちはどんどんどんどん前に進んで行ってる。だから、自分だけ完全にこの社会の動きから外れたというか、置いてけぼりをくらったっていう気持ちはすごくありましたね。
で、焦りもあるし、ただ、どうしていいかわからへん。学校行きゃいいんですけど、なんか朝になると、行く気力がなくなってるというか、やっぱり到底、外出られへんやろ、行かれへんやろっていう気持ちになっちゃうんですね。それでずーっと休んでましたね。
むしろ、社会の歯車になりたいと思った
(聞き手)
ひきこもりの定義は、なかなか難しいと思いますが、山田さんご自身がひきこもりだったと思う理由はなんですか?
(山田さん)
行動的なとこだけ言うたら部屋から出ないとかそういうことなんでしょうけど、結局、なんか僕の中ではひきこもってるっていうのは、世の中に参加してないというか、関係ない人になるっていうのがひきこもった状態かなとは思いますね。だからよく、歯車になりたくないとかね、親の敷いたレールの上をなんていう話がありますけども、もう、ものすごいやっぱ歯車になりたかったですよね、そん時ね。
なんかもう全然、自分だけ純正の部品じゃないというか、世間とか世の中とか社会とかとは、もう関係ない人になったなっていう思いがすごく強かったですね。
(聞き手)
アルバイトをされていたこともありますが、それでも社会の中に自分は入っていないという思いがあったっということですか?
(山田さん)
そうですね。やっぱジョギングとかバイトもそうやし、たまにちょっと外出るっていうのも、ほんとに息止めて外出てるみたいな、要するに毒ガスが充満してるところに息止めて、お札かなんかとってきて帰ってくるみたいな感覚でやってるから、もちろん全然社会に参加してるような感覚は全くないですし、やっぱり、しんどいですよ。
勉強と部活ができるだけの人だった
(聞き手)
ひきこもる前は、勉強ができてスポーツもできた生徒だったということでしたが、そこからの落差というか、ギャップがつらかったのでしょうか?
(山田さん)
そうですね、思い描いてた、ずーっとやってきた自分、今までやってきた自分のポジションがなくなって、もうそこに復帰できへんっていうのがやっぱり辛かったかな。しんどかったというのはありますね。
逆に言うたら、だから、勉強できて、部活できただけの人やったんですけどね、そう考えると。だからその学校であるとか、まあまあその親とか先生に褒められるようなこと、学校で勉強できます、部活すごい頑張ってます、いい子ですね、優秀な子ですね、以外のところがなかったから、学校休み始めたらやることがなくなったんすよ。
だから、逆に、いちばん学校に行っとかなあかん人やったんですよ。そこがやっぱり大事で中心のはずやのに、そこに行かへんってなったから、もうなんもないわっていうことですよ。
きっかけはニュースで見た成人式
(聞き手)
山田さんご自身は、その状況から脱出したっていうか、変わったというのはどのタイミングだと思っていますか?
(山田さん)
もうそれは20歳手前ぐらいの時なんですけど、そん時は父親と一緒に、瀬戸内海の小島でひきこもってたんですけど、ちょっと点々とひきこもってるという状況がありまして、で、テレビで成人式のニュース、風物詩的なやつを見た時に、ちょっとヤバいなと思ったんですよ。
その自分と同年代の人の成人式のニュースやったから、それまではなんか、いやいや、言うても取り返せますよと、勉強一つとっても、ちょっと勉強したら、俺やったらもう全然追いつけますっていう気持ちがあったんですけど、やっぱこの成人っていう、大人になるっていう、社会に出て行くっていうこのワードというか雰囲気が、めちゃめちゃ焦ったんですよ。うわ、もう射程圏外に行くと、同世代、同期がもう全然手の届かへんところに行ってしまうっていう焦りがあって。今なんとかしとかんと、ほんとにもう、何もかもが取り返しつかなくなるっていう気持ちですね。で、ちょっと、やらなあかんなってなって、大検とって大学にちょっともぐりこむ形になるんですけど。
とりあえずやる
(聞き手)
行動以外に内面も変わることができたんですか?
(山田さん)
結局、なんていうんですかね、ちょっと諦めてるというか、今まで自分が思い描いてたような自分とか将来にはもうならんなっていうのは、もううすうすというか、もうはっきり気付けよって話なんですけど、ようやくちょっと受け入れ出してきたような時期ではあったかもしんないです。
だから大検とって、大学入りますっていうのも、別に、よーし社会復帰するぞ、俺戻るぞ、戦線復帰やーっていう、華々しい気持ちではなくて、もうずーっと斜面はずりずりずりずり落ちてるんですけど、どっかこの指引っかかるとこないかなあっていう感じ。落ちてるんですけど、落ちてるのとりあえず途中で止めな、いちばんもう、ほんとに下に奈落の底に行ってしまうっていう気持ちがすごくあって、緊急避難的にはやっぱり、なんかちょっとせなあかんという。
そういう時にちょっと思ったのが、僕結構、完璧主義みたいなとこあって、なんでもキチキチっともう全部ちゃんとしないと前に進めないみたいな考え方をしてたんですよ。それが、当時。とりあえずやろうっていうのを、このとりあえずっていう言葉が、すごく僕は、今でもですけど、強い言葉やなと思ってる。とりあえずやるって思うことによって、とりあえず前に進めるんですよね。一歩でも1ミリでも。だから、今でもそれはすごく心がけてますね。
芸人しか選択肢がなくて・・
(聞き手)
そこから大学に通って、お笑いのほうにも進んでいくことになりますが、完全に自分はひきこもりじゃないと思えるようになったのは、当時そう意識してたかどうかは別ですけども、いつだと思いますか?
(山田さん)
ご存じかわかんないですけど、一回だけまあまあ売れたんです、俺(笑)。2008年のことなんですけども、一回髭男爵として、まあ、ちょっとだけ売れさせていただいて、そのご飯食べられるようになったていうとこぐらいまでは、結局ひきこもってるようなもんやなっていうのは、最近すごく思います。結局、大学行ったりとか、東京出てきて、お笑い芸人やろうとかって、形の上では社会には出てきてるんですけど、やっぱりさっきから言うてる、すごく人生が余ったなっていう気持ちと、俺関係ないなっていうのは、一回ちょっと売れる時まで、ずーっとあったんですよね。
結局、なんで芸人やってるかって言ったら、もう学歴的に履歴書ボロボロで、どう考えても就職でけへんなっていうのが自分の中にあったんで、お笑いやめたら、いよいよほんとにやることなくなるなっていう気持ちが大きくて続けてたから、別に絶対、お笑い大好きで、俺はもう絶対芸人で成功すんのやーっていう気持ちではなかったんです。単純にひきこもったことで、いろんな選択肢がなくなって、芸人それだけ残ってたっていうだけのことなんですよね。
だから薄皮というか、薄いガラス1枚隔てて同じ景色の中にはいるんですけど、みんなと同じ時間は生きてない。その時間差でちょっと浦島太郎状態になったというか、ひきこもりは全然竜宮城ではないんですけど、楽しくはないんですけど、なんか、みんなと生きていくっていうこの時間の流れから一回外れてしまったから、なんかもう関係ない感じになっちゃった。
でもご飯食べられるようになってから、やっぱりそれは変わりましたけどね、手応えとかもありましたし、「やった!ちょっと成功した」っていう充実感とかもありましたし、そのへんからちょっとずつ取り戻してきて、結婚して娘生まれたぐらいで、まあやっとちょっと真っ当になったかなというのはありますけど。
(聞き手)
何か好きなことを見つけるとか、居場所を見つけることが大事だともいいますけど、それとはちょっと違うということですね。お笑いが山田さんにとっての居場所だったとかっていう感覚でもない?
(山田さん)
それはね、ちょっと残念ながら違うんですよ。お笑い始めた時も、上京して来る時も、何とか入った大学でも最初の履修ガイダンス的なところでミスして、早々に4年で卒業できないというのがわかったんですよ。
で、これいよいよやなと。さっきも言いましたが、学歴、履歴書的に考えたらボロボロやし。で、たまたまその時に先輩が、なんか学園祭で漫才やらへんかって誘ってくれて。ほんで、もうどうせ勉強、勉学のほうでもう無理やから、完全に土俵ずらさな、みたいな、ちょっとリセット願望みたいなとこ僕すごく強いんで、それできただけなんですよね。
ひきこもり期間は「むだ」それでいい
(聞き手)
逆にそういうものがなくてもやり直せるということなんですね。
(山田さん)
でもそうですね、やっぱり何ていうんですか、別にひきこもってることって、生き方としてたぶん僕は下手やと思うし、間違ってるかもしれんけど、別に善悪で言うたら別に悪ではないわけですよ。
やっぱりこういう取材していただく時に、もうほんとにそういうテンプレートみたいなものがあんのかなって思うんですけど、大概の人が「まあまあ、でもそのひきこもってた6年間があったから、今の山田さんがあるんですもんね」みたいな、ものすごい手柄顔で聞いてきはる人が、それはもちろんいいんですけど、全然。あるんですけど、ほんとに自分だけ、僕個人にかぎって言えば、ほんとにあの6年間ひきこもってた時期というのは、僕はほんとに無、完全に無であったと思ってるんです。やっぱり、その期間中、友達と遊んだり勉強したり、花火したりバーベキューしたりのほうが、人生としてそれはまあ充実してるのは間違いないんで。
だから、僕はやっぱりそのすごくむだやったなと思ってるんですけど。でも、けっこう世間の多くの人が、それをむだやったと言うことを許してくれない風潮みたいなんがちょっとあって、「いやいや、それでもそのひきこもってた期間が今のあなたの糧になってるんですよね。って僕は思いますよ」ぐらい、おっしゃる人、おっしゃりたい人というのがいるんですよ。
そういうところに、なんかしんどいなって思う。むだはむだでいいじゃないのっていう、そんなに自分の人生が隅々まで何かしらの栄養がないとあかんのかっていう。実際の人間とか人生っていうの違うじゃないですか。みんな、もうむだなとこだらけですよ、本当はね。でもなんかむだを許してくれない感じがあると思うので、やっぱそれはしんどいなと思う。
(聞き手)
当時6年間の過去の自分、どんなことを言いたいですか?
(山田さん)
その質問もよくあるんです(笑)。ま、でも聞かざるをえないですもんね、まあでも、そのひきこもって何年目の自分かわかりませんけど、初期の段階やったら、「やめとけ、やめとけ」っていうのは言いたいですね。
もちろんむだやったというのは自分にかぎってのことですよ。いろんな考え方でいろんなケースがあるから、当然そうじゃない人もいるやろし、それはもちろんそうなんですけど、なんかこの言葉とかこの考え方を言ったから、その人がハッと気づいて、次の日からカーテンをシャッと開けて、洗いざらしのシャツ来て外飛び出して行きました、みたいな言葉はないと思うんです(笑)。それはありゃいいんですけど、あればあるに越したことはないんですけど、当時の自分の考え方とか心境を思い出してると、大概何言われても、ひきこもってると受け付けないっていう場合が多いと思うんですよ。
リセットしてやり直せばいい
(聞き手)
「リセット願望」という言葉がありましたけれども、新しく人生を生きるみたいなイメージだと思うんですけど、それは確かに大切なことですね。
(山田さん)
僕、本当にリセット大賛成の人間なんで。そんなもん人生で何回もリセットするべきやと僕は思いますね。いつまでも過去の自分、昔の自分がって、結局それはストーリーというか、人生が続いてるっていうふうに思う人もいるかもしれませんけど、人によってはただの足かせですからそれは。鉄の靴、磁石の靴はいて、ずーっと砂鉄がどんどんどんどんついてるみたいな状況の人もいるわけですから、それやったらもうリセットして、もう一回やり直せばいいと思う。
諦めることで見つかる新たな可能性
(山田さん)
あと、だからある程度やっぱり自分を諦めてあげるというのもすごく大事やなと思うんですよ。なんか諦めるってなると響きが悪いですし、あんまりよくないほうに捉われがちですけど、これはもう無理なんや、できへんのやっていう、諦めて、この可能性を消してあげることによって、むしろできることが見つかるかもしんないですし。
誰しもが主人公にならなくていい
(聞き手)
今ひきこもりの人というのが、全国で100万人以上いるんじゃないかとも言われているのですが、なぜそんなに多くの人がひきこもりの状況になってると思いますか?
(山田さん)
いや、わかんないすよ。学者先生じゃないですから(笑)。まあでも何ですかね、僕の経験だけで言わしてもらうと、さっきの自分を諦めてあげることってすごく大事やなって。なんか、どうしても今って、是が非でも人生とか生き様とかに意味がないと、意味がないというか、キラキラしとかないと、生きてる価値がないみたいな、要するに、みんなが主人公だとか、みんなキラキラしてないとだめだ。そのキラキラした生き方が最高で、いちばんいいんだっていうその圧力みたいなんがすごく充満してると思うんですよ。
やっぱり、誰しも主人公にはなれないし、ならなくてもいいしね。実際問題、世の中のけっこうな大部分の人は、そういう主人公や何やという言い方でいうなら、もうエキストラなんですよっていうのを、別に言う人がいてもいいんじゃないかなと思うんですよ。
生きるハードルが高くなりすぎている
(山田さん)
だからその変な話ね、「1億総活躍」とかね、そういう言葉も出てきたりしましたけど、おかしな話で、1億総活躍してたら、相対的にだれも活躍してないです、これは。結局、活躍って何やねんってなったら、だれかが活躍してないってことなんですよ。相対的なもんですから、やっぱり。て、考えると、現実はそうなんだから、あまりにもそのみんなのなんか生きるハードルみたいなんが、けっこう徐々に上がりすぎてて、もはやくぐるしかないような状態になってるんじゃないかなって、そういうことももしかしたら、ひきこもりの人が増えてる原因なのかなとか思ったりもしますけどね。
気持ちはわかるよ、それだけ
(聞き手)
山田さんの中では、社会の中に入れたことが、ひきこもりから抜けるというゴールなのでしょうか?
(山田さん)
僕の場合はそうです、もう本当に。まあ普通にその社会の中に入れた、生活できてってということが、一応ひきこもりを脱することができたかなということなんですかね。でも、ひきこもってても、生活できてりゃ別にいいんですけどね。そのひきこもってるという状態を、その何ですか、ご本人が苦しんでたらあれですけどね、生活できてりゃ別にいいなという感じもしますけどね。
(聞き手)
今の状況から抜けたいなと思っている人たちに何か言ってあげたいこととか、伝えたいことはありますか?
(山田さん)
これもだからね、なかなか魔法の言葉はないんですよね。だから「わかるよ」っていうことしかないです、僕は。いや、その全員、全員の気持ちはわからないですけど、僕に似たようなケースのひきこもりの人であれば、「いやいや、気持ちわかるよ」っていうことは言ってあげたいですけど。こうしたらその状況から抜け出せるぜっていうのは、それは僕は持ってないですね、それは。「わかる、わかる」ということだけですね。
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