★阿修羅♪ > アーカイブ > 2019年4月 > 05日時分 〜
 
 
2019年4月05日時分 〜
コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
5. 中川隆[-10950] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:01:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1077]
2017.11.01
米軍の動き 横田基地ー六本木ヘリポートーニューサンノー米軍センター @
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html


さて、選挙というのは単なるショー。
自民が勝っただの、立憲君主が躍進しただの。

選挙とは、ちゃんと国民主権でやってますよ〜
国民様の意見を聞いてますよ〜というポーズ。
プロレス中継とほぼ変わらないのです。

でも、バカな一般市民はプロレスの方に一喜一憂して、その裏のプロモーターについてはスルーしてるのです。

まぁ、良く言うことですが、
真実の動きを知りたければ、ヒト、モノ、カネの動きを追え。

例えばカネについては巨額の年金ファンドがどこを買ってるのか。
そこに着目すれば、だいたい未来が予測できてしまう。
先日ブラックロックが軍需産業株をしこたま買ってると書きました。

では一方、例えばヒト、モノはどうでしょう。
例えば軍隊。
多くのヒト、物資が動くのは軍隊でしょう。

どこかの国の政治を理解するのにはテレビの政治ショーではなく、軍隊の動きを見る。
それでその国の政治が分かってしまうのです。

以下の本は最近ベストセラーになってる本でした。

在日米軍の動きを書いてる本です。


知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書)
矢部 宏治 講談社 2017-08-17
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/


読んだ人も多いのじゃないでしょうか。

著者がこう言ってます。

今、日本に住んである程度生活に満足してる高齢者はこの本は読まない方が良いでしょう。
なぜならこの国に対する幻想が根底から崩れ絶望してしまうからだ。

日本の未来を知る必要のある若者だけが読んだ方が良い。
そう言ってます。

ワタスもそう思います。

この本の書評欄には、著者の命が心配と書いてありましたが、確かに結構危ない線まで書いてます。

まぁ、とにかく、元も子もないことが書いてあるのです。

日本は独立国だって?
ブハハハハ! アホか!
あんた、まだそんなこと信じてるの?

そんなことは幻想だよ。


日本の国会も単なるお飾り単なる政治ショーだよ。
在日米軍の動きを見たらわかるでしょ。

本当にこの日本を治めてるのは月2回開かれる米国軍人会議だよ。

毎月横田基地からヘリが飛んで来る。
そこにアメリが軍人が7名乗って来る。
そして日本の官僚が6名が呼び出されて、これからこの国をどう動かすかが決定されてるんだよ。

それを日米合同委員会と言うんだよ。
その仕組みは戦後70年間変わってないよ。

それなのに政治がどうのこうの。何党が勝っただの。バカなの?

と言ってる本でした。

うーん。。なんとも。。これは。。

ワタスが面白いと思ったのは横田基地からのルートですね。

毎月2回、横田基地から7名のアメリカ軍人が軍用機で六本木ヘリポートに降り立つ。

そこからニューサンノー米軍センターというところに移動するそうです。
車で5分だそうです。

六本木ヘリポートとは、六本木トンネルの上にあるヘリポートですね。
一度に2台もヘリが飛んで来ることもあるようです。

六本木ヒルズの横。ちゃんと米軍基地という立て看板があります。

うーん。こんなとこに米軍基地があったのか。


六本木トンネルは青山一丁目の交差点から青山霊園の脇を抜けて六本木六丁目の交差点に行くトンネルです。
この上にヘリポートがあるようです。

これは動画。こんな感じでヘリが六本木と、横田基地を行き来しています。


東京桜散歩 六本木に米軍基地が 米軍ヘリコプターが飛び立つ 2014.4.5 Roppongi - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q-dXO6WAJ5o

20120322ヘリ23区唯一の米軍施設麻布米軍基地.3GP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A8ejBfzC0dI


ヘリが低空を飛ぶので住民たちがうるさい!返還デモが起きてるようでした。
ここは別名赤坂プレスセンターと呼ぶようです。

で、ヘリで降り立ったアメリカ軍人たち。
ニューサンノー米軍センターというところに向かいます。

ニューサンノー米軍センターとはこんな場所。別名ニューサンノーホテルです。


こんな感じで会議が開かれるようです。

隔週木曜日の午前11時前、横田基地から米軍軍人7名が、軍用ヘリで六本木にある米軍基地六本木ヘリポートに降り立つ。

そこから会議室がある南麻布の米軍施設ニューサンノー米軍センターに到着する。

そこには日本側6人の各省庁の官僚が呼ばれている。
アメリカ側は全員軍人。中に1人だけアメリカ大使館公使がいる。

この秘密会議で決められた内容は国会に報告する義務も外部に公表する義務もまったくない。
事実上ノーチェックで実行できる。

その秘密会議は、日本の国会や憲法より上位の存在なのです。

これが日米合同委員会と呼ばれる会議です。

以下は組織図。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html

ここに出席する日本側6名は、外務省なら北米局長、法務省なら大臣官房長、農林水産省経営局長、財務相大臣官房審議官・・等々のトップ官僚たち。

で、この組織図の上司が米軍になるのです。
つまり日本の官僚達のトップが忠誠を誓ってるのは米軍ということです。

安倍ちゃんや政治家などお飾りということです。

以下は、この本に載ってた漫画。

http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/japan-taboo/ より

この漫画でも描いてるように。
実は、今までこの日米合同委員会についてはアメリカ側からもたびたび批判が来ていた。
米軍の軍人たちが日本の官僚に直接指示を与えるなんておかしい。
駐日公使が駐日大使に報告しているのです。
公使とは大使のすぐ下の立場の人です。

というわけで、日本政府は毎月2回、横田幕府からお使いが来て、
下々が命令をきく仕組みで動いていた。
それは戦後もずーっと変わってなかった。

ちゃんちゃん。

元も子もないお話ですね。

この本は、他に日本の空域が完全、日本人のものではなく在日米軍で使われてるとも書いてます。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-america-army-roppongi-newsanno.html


▲△▽▼

知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部 宏治 本
カスタマーレビュー
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/
ここに書かれている内容については薄々感づいてはいた。全ては日米安保条約である。この条約が曲者。通常の条約とは異なり法的拘束力は日本国憲法よりも上位に位置する。何故そうなったかは最高裁の砂川判決による。それは米軍基地の違法性を憲法で判断する事ができないという特殊性を認めたからである。つまり日本国憲法で安保条約を裁く事はできない。これはアメリカの圧力が掛かった判決である事が判明している。

この最高裁判決により今日まで安全保障に関連した問題には憲法が正常に作用しない。その安保条約に付随させた様々な案件が法律や憲法の適用除外項目とされ、日本に措けるアメリカの軍事行動を有利に導く形で機能している。それを執り仕切っているのが日米合同委員会という秘密会議である。基本は密約であり国会承認は不要。その主導権はアメリカが握り、その判断はアメリカ軍人に任されている。これにより日本は軍事的にアメリカに支配される。

だが時の政府もこの秘密会議を利用して安保条約を拡大解釈する傾向が強まった。つまり軍事面以外でも様々な適用除外項目を設けて法律や憲法に制限を加え、これを安全保障としての名目で括れば砂川裁判と同じで違憲判決できない。原発も実は電力ではなく核兵器技術開発の一環と見做した安全保障分野となりアメリカが決定権を握る。従って日本は口出しできない。

最近では放射性廃棄物の扱いである。これは環境汚染に関する様々な法律からは全て適用除外とされている。その結果、福島県住民の被害の訴えは悉く却下される。その土台となる原子力基本法には安全保障という文言が入っている。

【雑感】
戦後から今日に至るまで日本は軍事的安全保障という側面から見るとアメリカの51番目の州であるという捉え方は正しい。 

@裁判権(治外法権) 
A基地権(米軍基地を自由に作れる) 
B指揮権(有事の際、自衛隊は米軍指揮下に入る) 

という日米合同委員会の密約が存在する限り日本は米軍の支配下にある。そういう意味でこの秘密会議は安保条約を利用したWGIPのようにも見えてくる。

また基地権に関していえば北方領土問題は解決できない。ロシアが北方領土を返還しても、そこに米軍基地ができる可能性を排除しない限り返還には応じない。それはTHAAD配備に反対する立場を見ただけで解る。つまり領土問題は少なくとも日米露の3カ国首脳会議で軍事的利害関係を調整できない限り無理である。


▲△▽▼

知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部 宏治 本
カスタマーレビュー
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/

日米安保体制の産みの親、ジョン・フォスター・ダレスの呪い。(基地権・指揮権の密約)
投稿者M まさベスト500レビュアー2017年10月4日


いつも矢部氏の著書を読んで感心しているが、膨大な資料から難題課題を我々に解りやすく纏めあげ提供してくれるのは非情に有難い、今回もメジャーメディアでは、タブーされている課題に切り込み、現在の日本国民に相当重要な内容がある。簡単に纏めて起きます。

外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方増補版)の中に、○アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。○日本は合理的なしにその要求を拒否することはできず、現在に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の地位協定に「NO」ということはできない。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土変換交渉」は、「変換された島に米軍基地を置かないという約束は出来ない」という方針が、ロシア側に伝えられ、プーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマ日露首脳会議の席上で、「島に米軍基地が置かれる可能性がある」それでは交渉は終わると述べている。もし、安倍晋三が「返還された島には米軍基地を置かないという約束」をしていたら、2010年に普天間県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じになっただろう。

「戦後日本」には、首相ですらよくわからない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めて、残念なことに、そういう掟の殆どは、日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

1977年9月27日に、横浜市緑区(現・青葉区)でのファントム機・墜落事件は、「死者2人、重軽傷6人、家屋全焼1棟、損壊3棟」という大事故だったが、パラシュートで脱出した米兵2名は、自衛隊機によって厚木基地に運ばれ、その後、いつのまにかアメリカへ帰国、裁判で事故の調査報告書には、「日付も作成者の名前もない報告書の要旨」が示されただけだった。

実は、「横田空域」「岩国空域」「嘉手納空域」米軍が管理する巨大な空域があり、「日米合同委員会」という密室で合意されたことから、空域については、いまだに何の国内法の根拠もない、ただ占領時代から続く米軍支配の状態がそのまま継続している。米軍は上空に設定したような優先空域を日本全土の上空にいつでもどこでも設定できる権利を持っていて、米軍機は日本の上空において、どれだけ危険な飛行をしても合法なのである。

アフガニスタンで実践に使われた海兵隊の航空機は、全体平均飛行時間3,747時間(約5ヶ月相当)に1度事故をおこしたのに対して、オスプレー(MV22)はなんと、90時間(約4日相当)に1度事故を起こした事が報告されていて、2020年からは、よりいっそう危険とされる空軍仕様のオスプレー(CV22)も、横田基地に10機配備される。すでに、オスプレーは、10月には横田基地、11月には東富士演習場(静岡県)、12月には岩国基地(山口県)に飛んでいて、12月13日の夜、沖縄で空中給油訓練中に墜落した。米軍ヘリやオスプレーの墜落事故のケースを見てもわかるように、敗戦後70年以上たってもなお、事実上、国土全体が米軍に対して治外法権下にある。

日本国内で米軍の飛行機が墜落して市民が命を落としても、交通事故でけが人が出ても、日本の警察は米軍が勝手に張った規制ロープの中に入れず、証拠物件を捜索したり事故の原因を調べる法的な権利がない。こんな奇妙な国は、世界中どこにも存在しない。

サンフランシスコ講和条約(平和条約)と旧安保条約は、どちらも1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効し、旧安保条約第1条には、「平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」その時から日本はアメリカに対して、非常に大きな軍事上の特権を与えることになる。

アメリカとイラクがむすんだ「イラク・アメリカ地位協定」イラクがアメリカが提案してきた地位協定の草案に、110ヶ所の訂正を求め、中でも、「イラクに駐留する米軍が、イラクの国境を超えて周辺国を攻撃することを禁じる」という条文を加えている。

日本人は、世界一戦争をよくする米軍に対して、「国内に自由に基地を置く権利」と、「そこから飛びたって、自由に国境を超えて他国を攻撃する権利」を両方与えてしまい、これは明らかな「主権喪失条項」この協定を結んでいる国は、世界中の中に、日本と韓国、台湾で、台湾は、1979年に米中が国交を樹立したときにアメリカとの国交が断絶し条約も同じ年に失効している。

日米合同委員会は、「米軍が『戦後日本』において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」であり、この本会議には、日本側六人、アメリカ側七人が出席し、月にだいたい二回、隔週木曜日の午前中の11時前に、横田基地から、軍用ヘリで六本木にある米軍基地から、南麻布にある米軍施設「ニューサンノー米軍センター」の会議室で開かれている。日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対して、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人である。ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接関係が、いまだに続いているということてある。

つまり、「戦後日本」という国は、「在日米軍の法的地位は変えず」「軍事面での占領体制がそのまま継続した」「半分主権国家」として国際社会に復帰したということである。

私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。つまり、「アメリカの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものである。

鳩山首相時代、普天間基地の移設問題で、外務省、防衛省から幹部を二人ずつ首相官邸に呼んで秘密の会合をもち、以前から温めていた「徳之島移設案」という最後のカードを示して、協力を求めた、このメンバーが互いに情報交換しながら、それを外部に漏らさない、漏れた瞬間、この話は潰されてしまう恐れがあった、この連中はやってくれるんじゃないか、期待していたが、4月7日、朝日新聞の夕刊一面に、その機密会合の内容がそのままリークされた。当時の鳩山首相の精神的なダメージは大きかった。

日米合同委員会の実態がわかってくるにつれて、背景が徐々に明らかになり、協議といっても、最終決定権は米軍側が握っていて、「それはすでに米軍の上級司令官[大平洋軍司令官]が決定したことなので、日本政府が承認するかどうかは問題でない」などとスレートに発言しているケースもある。

法務省から合同委員会のメンバーとなる大臣官房長は、その後、かなりの確率で検事総長に就任している。検事総長を出す権利を握っているわけだから、日本の法的な権力構造のトップには、この日米合同委員会が位置している。

1957年群馬県で、21歳の米兵が、41歳の日本人農婦を基地の中で遊び半分に射殺した「ジラード事件」では、秘密合意事項として、日本の検察がジラードを殺人罪ではなく、傷害罪で起訴すること、日本の裁判所に対して可能なかぎり軽くするように勧告することが合意されていた。それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役三年、執行猶予4年」という、判決を出す、判決の2週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められてしまった。

「米軍関係者が日本の法によって裁かれない権利」(裁判権)も、「米軍が日本の国土全体を自由に使用できる権利」(基地権)も、最初は旧安保条約と行政協定の中に書かれていた。

米軍関係者の犯罪について、なぜ行政協定の条文が改善されても実態が変わらなかったかというと、その裏側で、日米合同委員会の秘密協議によって、
○「裁判権放棄密約」〈日本側はいちじるしく重要な事件以外は、裁判権を行使しない〉○「身柄引き渡し密約」〈米軍関係者による犯罪が、公務中に行われたものかどうかわからないときは、容疑者の身柄を米軍に引き渡す〉このふたつの密約が日米合同委員会で結ばれていた。「いちじるしく重要か」、「重要でないか」は、米軍側が決定権を持つ日米合同委員会である。

日本の裁判権を事実上放棄するこの密約について、外務省が真正面からそれを認めるコメント(報道ステーション)をだしている。

「行政協定」=「地位協定」+「密約」という非常に大きな基地権密約について、「公式」が生まれ、そこから無数の密約が生み出されていくことになった。

とてつもない歪みを隠すために、この国は、国家のもっとも重要なセクションにそれぞれ裏マニュアルを必要とするようになった。@最高裁の「部外秘資料」A検察の「実務資料」B外務省の「日米地位協定の考え方」@とAどちらも、米軍関係者に「治外法権」を与え、Bは「裁判権」と「基地権」のあり方について、方針をまとめた、それぞれの裏マニュアルである。

戦後を考える上で、1954年の造船疑獄事件で、当時与党自民党の幹事長だった佐藤栄作の逮捕を、犬養健法務大臣が検事総長に対して指揮権を発動し、止めさせた、犬養はその後責任をとり辞任し、結局、吉田茂内閣の退陣までつながった。

検察裏マニュアルには、米軍関係者の犯罪については、「全ての起訴と起訴猶予について、必ず法務大臣が指揮する」と、「部外秘の通達」が、前年に、法務省検事局から全国の検察庁にあてて通達されていた。たった1度、実行されただけで、法務大臣を失脚させ、内閣を崩壊させ、その後も長く「戦後政治における最大の汚点」と目されて指揮権の発動。それが米兵犯罪については日々つねに「発動」されているという、いかにそれが深刻な状態で有るか、わかると思う。

なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられなかったか、法的な構造問題が沖縄基地問題と同じだった。日本には環境汚染を防止する立派な法律はあるが、放射性物質はその「適用除外」条項があり、大気汚染防止法、土壌汚染対策法、水質汚濁防止法、それぞれ、放射性物質を適用しないまたは、除くと、ある。

1959年「砂川裁判」は、東京都・立川にあった米軍基地拡張工事をめぐる裁判で、東京地裁の伊達秋雄裁判長が、「憲法9条2項に違反」として、旧安保条約を違憲とする判決を下すが、翌日、マッカーサー駐日大使が日本の藤山外務大臣を呼び出し、指示を与えた経緯から、マッカーサー在日大使が最高裁の長官(田中耕太郎)と密会して、日本の司法の歴史における最大の汚点、「司法破壊」を行った。

「安保条約は日本国憲法の上位にある」ことが最高裁の判例として、事実上、確定してしまった。

「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」まさに、「法治国家崩壊」をもたらした大事件が、最高裁の法廷で起きてしまった。

ほとんどの人が、1945年8月15日に「第二次大戦を終えた」(終戦記念日)は、世界の常識とは違い、米国や英国の外交官は、必ず9月2日と答えが返ってくる。「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本のきびしい状況について、目をつぶりつづけてきた、日本の戦後だった。

ミズーリ号の調印式(9月2日)には、重光葵、梅津美治郎(よしじろう)が二人が出席し、天皇の姿は意図的に隠されることになった。

この降伏文章の受け入れから、7年後の1952年4月に独立回復するまで、日本政府や昭和天皇が自分だけの判断にもとづいて、何か重要な文章を作成したり、発表したりすることなど全くなかった。

日本人をうまく誘導するためにつくられる、イメージ操作用のオモテのストーリー(絵本のような歴史)の裏側には、すべて分厚い研究の裏付けがある。もともと、「占領」とは、戦闘行為は、終わっているが、平和条約を結んで国と国の関係が法的に決着するまでには、法的にも政治的にもまだ
「武器を使わない戦争」が続いていて、日本に決定権がないのは当然のことなわけである。

「降伏文書」→「人間宣言」→「戦争放棄」と重大な政策はすべて、まず、天皇自身に宣言させ、それから日本人に受け入れさせるという基本方針があった。

国連憲章のどの条文にルーツがあるのか、さらにその国連憲章の条文はそれぞれどこにルーツをもっているかについて、調べる必要がある。

@大西洋憲章(米英で基本文書作成・1941年4月) A連合国共同宣言(26ヵ国参加・1942年1月) Bダンバートン・オークス提案(米英ソ中で基本文書作成・1944年10月) C国連憲章(50ヵ国参加作成・1945年6月)
非常に理論的かつ戦略的なやり方で、米英は第二次大戦に勝利し、そのまま「戦後世界」を支配し続けた。

憲法9条とは、完全に国連軍の存在を前提として書かれたもので、自国の武力も交戦も放棄したということである。

指揮権密約「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」という密約が、1981年に、「朝日ジャーナル」がアメリカの公文書から発見して、発表している。

戦争になったら、誰かが最高指令官になるのは、現状ではその人物が米軍司令官で有ることに異議はない。という表現で、吉田茂は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認め、「指揮権密約」が成立することになる。軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」であり、絶対に公表は出来なかった。

1951年9月8日、「吉田・アチソン交換公文」という条約は、朝鮮戦争の開始以来、占領軍からの指示によって行っていた米軍への 兵站(へいたん)活動(後方支援)を独立後も続ける。という意味だった。

日米の間には「日本占領下で行っていた米軍への戦争協力」を今後もずっと継続するという法的な関係が21世紀のいまもなお存在している。日本の歪みの根っこにあったのは、「占領体制の継続」ではなく、「占領下の戦争協力体制の継続」であった。

1950年6月に朝鮮戦争が始まり、劣勢を強いられ、米軍はどうしても日本の軍事力を利用しなければならなくなり、憲法9条2項の破壊が、日本国民にその実態を完全に隠したまま行われた再軍備への道であった。朝鮮半島に出撃した米軍部隊のかわりに、からになった米軍基地に配備するために、「軍隊そのもの」だったが、「警察予備軍」が発足された。

対米従属の正体に、旧安保条約があり、「戦後日本」という国がもつ大きな歪みの正体が、すべて条文に収縮されている。

「自衛隊と米軍基地は合憲で、海外派兵は違憲」という憲法解釈が続いてきた。

米軍が書いたこの旧安保条約の原案には、指揮権・基地権について、非常にリアルな日米安保の本質が記されていて、軍事面からみた「戦後日本」の歴史とは、つまりは米軍が朝鮮戦争のさなかに書いた安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだった。

安保条約での集団的自衛権を拒否し続けていたのがアメリカ側で、基本的に個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係「相互防衛条約」とはいいながら、相手国への最終的な防衛義務は負わない条文を、意図的に安保改定交渉の真っ最中に意図的に考え出していた。

安保関連法を強引に可決させた安部首相は、日本が集団的自衛権を行使できれば、アメリカと「互いに血を流して守りあう」対等な関係になれると幻想を抱いているが、日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえなく、指揮権密約を見れば解る。つまり集団自衛権というのは、現在の日米安保条約とは基本的に関係ない概念である。

「戦後世界の歴史は、法的支配の歴史」であり、「国際法→条約→国内法」という法体系でしばっておけば、自分たちは何もしないで、その国の警察や検察が、都合の悪い人間を勝手に逮捕し、アメリカはコストゼロで他国を支配出来る。戦後世界においては、軍事力ではなく、国際法こそが最大の武器になる。詐欺同然のダレスのグランドデザインが、70年近くの時を経て、すべて現実のものになろうとしている。

公平な目で世界を見わたせば、世界大戦の可能性がほぼ消滅した地球上において、国民の平和の配当を還元することなく、突出した軍事力を維持し続け、国連憲章を無視した他国への軍事介入を繰り返しているのは、ただ一カ国アメリカだけである。

「戦後の日本」という国は、アメリカ政府ではなく、アメリカ軍部(日本を占領した米極東軍を編入した米大平洋軍)によって植民地支配されている。
そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態になっているのか、その歴史的経緯や法的構造がさっぱりわかっていない。

サンフランシスコ・システムの法的構造は、安保法体系→日米合同委員会→基地権密約・裁判密約・指揮権密約となっている。これから、「解決策を探す旅」のヒントに、○大国と従属関係に合った国が、どうやって不平等条約を解消したのか、○アメリカの軍事支配を受けていた国が、どうやって脱却したのか、○自国の独裁政権を倒した人たちは、どのような戦略を立てていたのか、を、急いで調べる必要があると、締めている。

素晴らしい、ここまでよく調べあげている、私は改憲や集団的自衛権等の論争で、何時も欠けている論点が有ると感じていて、国連の集団的自衛権の行使の議決権を取り戻さなければ、只、利用される自衛隊になるだけで、ここの問題は大きいと、しかし、矢部氏が指摘している様に、最も重要な論点、「指揮権密約」の問題は深刻で、日本国民の為の自衛隊なら歓迎だか、訳の解らない組織に利用される自衛隊には勘弁してもらいたい。正直、改憲や憲法解釈等の著書を幾つか読んだか、この著書は郡を抜いて素晴らしい内容になっている今後の矢部氏の活動に注目したい。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/


▲△▽▼

知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部 宏治 本
カスタマーレビュー
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4062884399/asyuracom-22/

米軍に支配された真の日本の姿をあぶり出す全国民の必読書
投稿者本格派ベスト500レビュアー2017年8月23日


本書は、著者が『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』などの自著、または企画編集した「知の再発見」シリーズ等の、米軍による日本支配の構造を知るために極めて重要な本で紹介してきた内容を簡潔にまとめて読みやすい新書版にしたものである。著者の7年間に渡る研究成果の集大成である。

初めてこれらの情報に触れる人にとって、本書はまさに衝撃以外の何物でもないだろう。なおかつ堪らなく面白い。

帯に「9つの掟」とある。その9つとは恐らく9つの章を指しており、それぞれの章で取り上げられているのは以下の内容である。


1.日本上空に設定された飛行禁止区域

2.日本の全国土は米軍の治外法権下にある

3.米軍にとって日本との境界はない

4.米軍幹部と日本の官僚が月2回話し合う日米合同委員会が在日米軍の在り方を決めている、

5.日本国民に示せない内容は密約にし、それを実行するための裏マニュアルを作成し運営する

6.日米安保条約は憲法の上位にある

7.降伏文書、憲法など重要な文書の原案はアメリカが英語で作る

8.自衛隊の指揮権は米軍にある

9.在日米軍は「国連軍の代わり」という詐欺的論理で駐留し続ける


いずれも大多数の国民にとっては初耳の驚くべき内容であろう。しかし、これまでの在日米軍と日本政府との異常な関係性を見聞きして感じてきたであろう様々な疑問にものの見事に応えてくれる内容でもあるはずだ。

ここで詳細を語るには「話せば長い」内容なので、ごく簡単にエッセンスだけ書き出す。詳細については本書をぜひ読んで欲しい。


・日本の上空には、未だに米軍が制空権を握る空域が首都圏を含めていくつかある

・米軍は日本のどこにでも好き勝手に基地を置ける

・「砂川裁判」により、最高裁は在日米軍や原発などの「高度に政治的な内容」に関しては判断をできなくなっている。つまり日米安保条約は憲法の上にある。

・自衛隊の指揮権は米軍が握っている

・憲法9条の戦力放棄は、実現しなかった国連軍が世界の警察として機能することを前提として書かれた

・在日米軍に関する取り決めはすべて、日米安保条約などの「表の取り決め+密約」で構成されている

・軍事に関しては、未だに米軍が日本の官僚に直接指示を出す「日米合同委員会」という仕組みを通じ、占領下そのものの仕組みが続いている


この本を読むと、昨年制定されて国民の大きな反発を受けた安保法案とはどのような意味合いを持つものだったのかがはっきりと理解できるようになっているはずだ。

本書は、公開されたアメリカの公文書を元に構築された紛れもない事実によって構成されている。これが日本の真の姿である。

従って本書は国政を率いて行く政治家及び官僚には必須の知識である。日米関係に関する密約の中身を知らずに在日米軍に関する対米交渉を行なったり憲法改正を行おうとするのは、著者の言う通り極めて危険であり、無益なことである。

我々国民も、この本の内容を知った上で、憲法改正の是非、沖縄基地問題、選挙の投票先などを判断するようになれば、時間は掛かるだろうが、日本も本来あるべき姿へと近づいて行くことができるのではないかと思う。

▲△▽▼

元防衛大臣石破さんと著者矢部宏治さんがBS番組で討論、事情通の田原総一朗も知らない情報だらけでした。
投稿者1967ADJ2017年9月23日

2017年9月23日のBS激論クロスファイヤーで、番組司会の田原総一朗さん、知ってはいけない 隠された日本支配の構造作者矢部宏治氏と「戦後日本は在日米軍に事実上支配され続けている…!? 知られざる驚愕実態の真偽を元防衛大臣の石破茂衆院議員に直撃! 」

こんな討論番組がありました。

こんな検索で見つかるかもしれません。孫コピーで未来に残したい動画です。
「激論クロスファイア最新 2017年9月23日 石破茂に直撃」
流石に重要情報なので、2日後の9月25日(月)には消されています。

大抵は「君の言ってる事は、事実や資料は一切無い」とか対立しますが・・・
今回は違いますね。

元防衛大臣で軍事オタク、慶応法学部卒の石破さんは流石に戦後の政治家、米側のバックボーンまで知っています。
実際政治の現場では、大臣が、「日米地位協定はどうなっている?」とか言い出すと、防衛庁、省庁の役人、側近などに「そこは語ってはいけない」と圧力が掛かります。
と石破さんが話しています。
田原総一朗さんもこの本まで知らなかった日米合同委員会。この裏側もかなり語っています。

必見でしょう。陰謀論とか思う人は実態を知らないだけです。
陰謀論と馬鹿にしているありえない様な状態が日本では現実だって事ですね。

番組中に「この手の話は驚くほど議員や役人を含みこの話は知らない」と石破さんは番組で言っています。

著者のツイート
矢部宏治‏ @yabekoji 9月20日
田原総一郎さんの「激論!クロスファイア」(BS朝日/23日10時予定)で、元防衛大臣の石破茂さんと対談しました。次期首相の呼び声も高い石破さんですが、密約や地位協定、日米合同委員会について驚くほど率直に内情を語って頂きました。必見です

そうそう、番組司会の田原総一朗さんが石原慎太郎さん都知事時代に横田基地の空港、横田空域を日米で民間機乗り入れ空港。
横田空域返還しようとしましたが・・・・
圧力で結局実現しなかったと言っていましたね。

2017年9月には、NHKスペシャル「スクープドキュメント沖縄と核」
これも密約の話です。1959年米国統治下の沖縄で米軍が那覇空港付近に配備した広島と同等の威力の20キロトンの核兵器を装着した地対空ミサイル、ナイキを核兵器装着のまま点検していると、整備ミスで発射され点検した兵士死亡。水平発射され那覇の海に落ちました。これがもし爆発していたら那覇が吹き飛んでいた。
このレベルの事件は隠されます。

以前ですが・・・・
政界の暴れん坊と言われた喧嘩ハマコー、浜田 幸一さん(元衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長、2012年没)国会で椅子を投げて暴れてる動画がよく出る人。バラエティにもよく出ていた。
若い頃は「千葉でヤクザをしていた」と本人が語り「木更津のダニ」と言われ、相手を差し懲役刑になる。
尊敬する人は関東の大物組長。
その後、議員になるが、ラスベガスでバカラ賭博をして1晩に4億5000万円負け、ロッキード事件絡みの大物右翼が肩代わりした。

そんな浜田 幸一さんは「アメリカは怖いですか?」と番組で質問を受けました。
回答は、「何言ってんだ、アメリカは怖いに決まってる」「アメリカ様様だ・・・・」と回答していましたが・・・

私は当時やばい事言ってると思いましたが・・・
本当の意味を解る人は殆どいなかったでしょう。

もし、石破さんがこの先スキャンダルや自殺、急病で亡くなる。
こんな場合は、今回の件が引き金で諜報機関関与を疑うべきでしょう。

因みに、私が子供の頃から住んでいたエリアはこの本の舞台です。
地元ネタ含みで・・・
東京タワーから六本木方面に歩いて行くと・・・
坂がある途中の飯倉に戦前、水交社のビルがありました。
ここは帝国海軍の将校専用クラブで、山本五十六海軍元帥が戦死した時の国葬時このビルから出発しています。
戦後にアメリカ軍が占拠し当時からフリーメーソンのグランドロッジになっています。(ここに引っ掛かる人もいるかもしれませんが・・)
マッカーサー元帥は、フィリピンのメイソンの最高位と言われています。
不法占拠で裁判にもなったそうですが・・・現在もメソニックビルとしてあります。

鳩山由紀夫総理の弟の鳩山 邦夫さん(元大臣、自民党議員、東大法学部を首席で卒業、2016年没)は・・・
戦後に首相になった祖父、鳩山一郎(政治家、弁護士。1954年(昭和29年)-1956年(昭和31年)第52・53・54代内閣総理大臣)。
鳩山一郎総理本人を含め大臣の半分がメーソン会員だったとテレビ番組で答えています。

坂を下りると機動隊バスが待機しています。

左側に会員制のアメリカンクラブ(世界の諜報機関が集まると言われている)

その先には、ソビエト大使館(現在はロシア大使館)ここは諜報機関関係者が当然います。
監視もするでしょう。

ポルシェがあるミツワモータース。
ここの交差点にも機動隊バスが待機し、右翼の街宣車が来ると道路を封鎖します。

六本木交差点近くにあった国際歯科に通っていましたが・・・
実はここにソビエト大使館関係者がよく治療に来ていました。
一緒になる事が小学生時代にありましたし・・・
ここの待合室には、防衛関係の日本語の兵器専門書が沢山置かれていました。
SDI関連とか・・・かなり勉強させてもらいました。

現在のミッドタウンには、防衛庁、防衛施設庁がありました。
この周りには、地元の小学生なら誰でも知っている刑事が常駐していました。
特徴があり、コートを着た刑事はイヤフォンを付けているので、即判ります。

当時は、防衛庁外部をテレビカメラで監視していて、中では派手な外人の女性等が防衛庁周囲を歩いていると、練習としてテレビカメラで追っかけ続けたなんて話を、現場の関係者から聞いています。

ミッドタウンから星条旗通り方面に進んでいくと・・・
右手にアメリカ軍施設が六本木にあります。
星条旗新聞(米軍向け新聞社)やヘリポートが入っていたので、有名ですが・・
ここにスノーデンがいた諜報機関もあるそうです。

これ以外にも氷川神社の横にはアメリカ大使館の職員施設があり、かなり広いエリアですね。
昔はハロウィン時は入れましたので、地元の子供は入った事があります。

今回の本に出てくる広尾駅から歩いて5分程の山王ホテルは、親戚が米国軍人の家族だった為に、90年代に何度か訪れたことがあります。ここは、六本木で飲んでいる米軍関係者の定宿です。

「どこに泊まっているの?」「ニュー山王だよ」なんて話はよくある話。
当時から日米合同委員会の事は知っていましたが・・・


追記
2017年10月に沖縄の高江でヘリコプターが炎上、落下場所は自宅から300mの農家の私有地。

ここで警察も沖縄県、沖縄県知事も手を出せない。
理由はこの本を読んでる人はすぐ理解できますが・・・
地上波では、現在までこの裏側、理由を取り上げていません。
マスコミの忖度、圧力がありますね。

▲△▽▼

「戦後日本」に存在する「ウラの掟」を明らかにする―アメリカとの異常な「基地権密約」「指揮権密約」「裁判権密約」
投稿者仮面ライターVINEメンバー2017年9月4日
  
 私の住む北海道では、2016年9月1日付けの日米合同委員会合意(沖縄の訓練負担の軽減等)に基づき、8月10日から28日まで日米共同訓練(ノーザンヴァイパー)が実施され、8月5日にオーストラリアで事故を起こしたMV−22オスプレイなども飛来した。ティルトローター機であるオスプレイの安全性等については、以前から様々な場面で指摘されているところであり、実際、道(庁)や関係自治体などが懸念を示したが、米側は意に介さず強行参加させた(そして8月29日、またもや大分空港に緊急着陸している!)。こうした在日米軍の傍若無人ぶりに、私たち道民や国民は“ごまめの歯ぎしり”状態にある訳だけれども、「なぜ、こうした状況が続いているのか?」を簡潔明瞭に解き明かしているのが、この矢部宏治さん(書籍情報社代表)の著述である。当書は、一人でも多くの日本国民が目を通した方が良いと思われる一冊だ。

 矢部さんは既に

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル 2014年)
https://www.amazon.co.jp/日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか/dp/4797672897/ref=cm_cr_getr_d_rvw_txt?ie=UTF8


『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(同 2016年)
https://www.amazon.co.jp/日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか/dp/4797673281/ref=cm_cr_arp_d_rvw_txt?ie=UTF8


などの著書を世に出し、前者では主にアメリカとの「基地権密約」を、後者では主に「指揮権密約」を、それぞれ公開された既存の文書等を読み解く中で明らかにしてきた。本書は、これらの書物の、いわば要約版(ダイジェスト版)と言える内容であるけれども、私自身改めて知った事実もあった。それは後者で存在を指摘した「横田空域」のほか、「岩国空域」もある、ということであった。まさに「「横田空域」と同じくこの「岩国空域」もまた、山口県、愛媛県、広島県、島根県の四県にまたがり、日本海上空から四国上空までを覆う、巨大な米軍管理空域」(pp.23~24)であるのだ(あと一つが2010年に返還されたが、未だ事実上米軍管理下にある「嘉手納空域」である)。

 さて、日本の「戦後論」について、例えば政治思想史を考究する白井聡さん(京都精華大学専任講師)は「敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化」などされている状況を「永続敗戦論」と論結している。確かに、戦後の日本人の「歴史認識(歴史的意識)」は、まさしくその通りであろう。だが、最も肝要なことは、矢部さんが摘示しているように「「戦後日本」とは、そのスタート時点から現在までずっと、米軍の戦争を支援する法的な義務を負った国なのだということ」(p.205)である。つまり「日本の歪みの根っこにあったのは、「占領体制の継続」ではなく、それよりもっと悪い、「占領下の戦争協力体制の継続」だった」(p.206)という事実である。その文脈に沿いつつ、アメリカとの異常な「基地権(全土基地方式)密約」「(統一)指揮権密約」そして「裁判権(放棄)密約」が導き出されるのである。

 本書では、各章扉ページの裏に漫画家ぼうごなつこさんの四コママンガが配され、上述した「密約群」=「日米間の隠された法的関係」がかなり分かり易く解説されている。冒頭に「日米合同委員会」の名を出したが、この在日米軍と各省にまたがる文官で構成され、「密約」等を処理する機関の存在も尋常ではない(実際、アメリカの外交官も「きわめて異常なもの」と指摘しているらしい!(p.90))。同じくオスプレイの事例を挙げたけれど、米軍機(国連軍機)に関しても、日本の国内法(航空法)は原則適用されない。それらは「占領下の戦争協力体制の継続」という視点から見るとスッキリするのである。「永続敗戦論」とは「アメリカへの従属」と言うより「米軍への従属」がより本質的であり、「「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属がある」(p.94)という点を、私たち日本人はしっかり押さえ、見据えなければならないだろう。

 終わりに、安倍晋三らは2012年の第46回衆議院議員総選挙や2013年の第23回参議院議員通常選挙などにおいて「日本を、取り戻す。」などと喚いていた。ならばまず、安倍の選挙区のある山口県の一部を覆う前出の「岩国空域」や、首都東京を南北に走る「横田空域」を“取り戻す”ことから始めるべきではないのか?そして次に、憲法9条の“加憲”を目指すならば、第3項に「国内に外国軍基地を置かないこと」を明記するのが先決ではないのか?これこそ「日本を、取り戻す」ということであろう。ただし、9条改正によらずとも米軍基地問題解決の手法がある。それは木村草太さん(首都大学東京教授)の『憲法という希望』(講談社現代新書 2016年)の中で述べられており、具体的には憲法41条、92条及び95条の適用だ。米軍基地の設置を内閣の判断のみで決めること(閣議決定)には疑義があり、それを「法律事項」に改めるのである。



▲△▽▼

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟
内閣改造でも絶対に変わらないこと
矢部 宏治
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466


私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062884399/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_asyuracom-22&linkId=2abaf902da235672989d2af729b5a43a


の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。


<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。


そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。


「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。


私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。

本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466?page=4


*註1 原文は次の通り。「このような考え方からすれば、例えば北方領土の返還の条件として「返還後の北方領土には施設・区域〔=米軍基地〕を設けない」との法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる」(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月/『日米地位協定の考え方・増補版──外務省機密文書』所収 2004年 高文研)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c5

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
6. 中川隆[-10949] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:03:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1078]

▲△▽▼

日本が囚われ続ける「米国占領下の戦争協力体制」の正体 
矢部宏治氏 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ) 2017年11月20日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/17/senkyo236/msg/117.html
  
   著書で日本の歪んだ現実を指摘した矢部宏治氏/(C)日刊ゲンダイ
 敗戦後70年以上経ってもなお、日本は米軍の治外法権下にある「半分主権国家」だ――。歴代政権が米軍と交わした密約の数々から、国民にひた隠す「ウラの掟」を告発したベストセラー「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」の著者でノンフィクション作家の矢部宏治氏は、この国の行く末を憂える。これからも極めて異常な対米隷属関係を続けるのか、と。

■トランプ来日が見せつけた屈辱的取り決め

  ――先週来日したトランプ米大統領が、矢部さんが最新刊で指摘していた「日本の歪んだ現実」をまざまざと見せつけましたね。

 トランプ氏は訪日の初日、東京都下の米軍・横田基地から「入国」し、その後も埼玉県のゴルフ場、六本木にある軍事へリポートと、米軍専用の「横田空域」内を中心に各地を飛び回りました。その間、日本の法的コントロールはいっさい受けていない。ただ、多くの識者がその様子を見て、「主権国家に対して失礼じゃないか」と激怒していましたが、そこには根本的な認識不足がある。実は軍部だけでなく、米政府関係者は日米地位協定(第5条1項)によって、ノーチェックで日本に入国できる法的権利を持っているのです。だから日本人はトランプ氏に対してではなく、そうした屈辱的取り決めを結んでいる自国の政府と、その現状に対して激怒すべきなのです。

  ――大統領選中は在日米軍撤退をほのめかしていたトランプが、来日時には日米同盟を「宝」と持ち上げました。

 就任後、現在の日米の軍事的な取り決めが、いかに並外れて自国に有利なものか、よく理解したのでしょう。米軍は事実上、日本全土を基地として使える条約上の権利(基地権)を持っています。

 一方、例えば、かつてアメリカの本当の植民地だったフィリピンは、戦後独立した際に、米軍が基地を置けるのはこの23カ所に限ると、具体名を基地協定に明記しています。また、2003年にたった1カ月で米軍に完敗したイラクでさえ、駐留米軍に対し、イラク国境を越えて他国を攻撃することを禁じるという地位協定を結んでいます。他国の軍隊に対して「国内に自由に基地を置く権利」と、「そこから自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」の両方を与えているのは、世界で日本だけなのです。

  ――米軍にすれば、まさに「宝」の関係です。

 そうした状況について、よく「戦争に負けたから仕方がない」と言う人がいますが、それは完全な間違いです。先ほどの、イラクが敗戦後に米国と結んだ地位協定の内容を見れば、そのことがよく分かります。

 ではなぜ日本だけが、そんなおかしな状態になってしまったのか。私もそれが疑問でずっと調べてきたのですが、最近ようやく理由が分かりました。最大の原因は朝鮮戦争(1950〜53年)にあったのです。52年の日本の独立を挟んだ3年間、すぐ隣の朝鮮半島で起きていたこの激しい戦争が、その後の日米の軍事的関係や、ひいては「戦後日本」の在り方に、決定的な影響を及ぼすことになったのです。

  ――最悪な時期に、独立の交渉をしていたのですね。

 旧安保条約や行政協定(現・地位協定)は、朝鮮戦争で苦境に立ったアメリカの軍部が、日本に独立後も全面的な戦争協力をさせるため、自分で条文を書いた取り決めなのです。たとえば旧安保条約の原案には、「日本軍が創設された場合、国外で戦争はできない。ただし米軍の司令官の指揮による場合はその例外とする」と書かれています。

  ――今の自衛隊の立場が、その米軍の原案通りになりつつあることに驚きます。

 旧安保条約についての日米交渉が行われたのは、憲法9条ができてから、まだ4年しか経っていない時期です。だからさすがに国民に見える形では条文化できず、当時の吉田茂首相が米軍司令官との間で、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下で戦う」という「指揮権密約」を口頭で結ぶことになったのです。

  ――これほど重要な取り決めを国民に60年以上も隠してきたのですね。

 加えて問題だったのは1960年の安保改定です。「対等な日米関係を」というスローガンの下、米国との交渉にあたった岸信介首相がウラ側の「基地権密約」で、朝鮮戦争勃発時に生まれた「占領下の戦争協力体制」を法的に固定してしまった。ですから私たちが今生きているのは、安倍首相がよく口にする「戦後レジーム」ではなく、祖父である岸首相が固定した「朝鮮戦争レジーム」の中なのです。

  
   危険な関係はいつまで続くのか(C)AP


戦後初めて対米隷属が生命の危機を生む

  ――こんなおかしな体制が、どうして60年以上も続いてきたのですか。

 日本は戦後、数多くの米軍の戦争を支援してきましたが、そのことで日本国民が生命や財産を脅かされる心配はなかった。いくら米軍の爆撃機が日本から飛び立って北朝鮮やベトナム、イラクを攻撃しても、相手国には日本を攻撃する能力がなかったからです。しかも、米軍の戦争に全面協力することで日本が手にした経済的な見返りは、非常に大きかった。

  ――今は金正恩委員長とトランプとの挑発合戦が過熱する中、北朝鮮は日本に200発の中距離弾道ミサイルを向けています。

 だから今、戦後初めて日本人は、米国への軍事的隷属体制によって、自らの生命が危険にさらされるという全く新しい現実を生きているのです。なのに安倍首相にはその自覚がなく、北朝鮮に対する強硬姿勢を崩さない。極めて危うい状況にあります。

  ――とくに自衛隊の「指揮権」の問題については、ほとんどの国民が知らないと思います。

 この問題で日本と全く同じ状況にあるのが韓国です。でも韓国の人々は皆、米軍が韓国軍の指揮権を持っていることを知っている。朝鮮戦争が開戦した翌月、李承晩大統領がマッカーサー元帥に対して、公式に指揮権を移譲したという歴史的経緯があるからです。だから大統領選の時には、この指揮権の問題が必ず争点になるのです。

  ――日本は密約でその権利を認めてきたため、国民はカヤの外です。

 最大の問題は、米軍が「戦時における指揮権」だけでなく、事実上の「開戦の決定権」も握っているということ。韓国の例を見ると、実際に戦争が始まるはるか以前の段階で、韓国軍は米軍の指揮下に入ることになっています。もちろん日本も同じ状況にある。ただ違うのは、韓国では国民がその問題をよく理解しているために、文在寅大統領も国民の危機感を背景に、「韓国の了承なしに朝鮮半島で戦争を始めることは許さない」と、米国に対して意思表明をすることができた。

 ところが安倍首相は、世界中の指導者が韓国と日本で起きる巨大な被害を懸念して、「北朝鮮問題に軍事的解決などあり得ない」と述べる中、「異次元の圧力が必要だ」などと言っている。自国が攻撃される可能性を全く考えていない、恐ろしい状態にあるのです。

■朝鮮戦争の終焉こそ真の独立の始まり

  ――日本がこれから、特に注意すべきことはなんでしょうか。

 北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)が、遠からず米本土を射程内に収めることは既定事実となっています。そうした状況の中、米軍は日韓両国に「核兵器の地上配備」を強烈に求めてくると思う。1980年代に米国がソ連の中距離核ミサイルに対抗して、欧州の同盟国に中距離核ミサイルを持たせたのと同じ。日韓を前面に立たせ、自分たちは核の撃ち合いの外側にいて危険を避けるという状況をつくろうとするはずです。しかし、北朝鮮に対する日韓の核配備は自動的に、中国との間でも核を撃ち合いかねない「恐怖の均衡」を成立させてしまう。超大国・中国との間で、永遠に続く軍事的緊張が待ち受けています。

  ――自民党防衛族の石破茂元幹事長が「非核三原則」見直しに言及しているだけに不気味です。

 それを防ぐためにも、日本はいまだに休戦中の朝鮮戦争の平和裏な終結に協力すべきです。朝鮮半島で平和条約が結ばれれば、「朝鮮戦争レジーム」に基づいた日本のおかしな対米隷属状況も、終息へ向かう可能性があるのですから。

 (聞き手=本紙・今泉恵孝)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c6

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
7. 中川隆[-10948] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:03:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1079]
首都圏を自由に飛べない国 コラム狙撃兵2018年10月5日
https://www.chosyu-journal.jp/column/9485

 東京五輪に向けて外国人観光客4000万人を受け入れる策として、羽田空港の国際便の発着便を増やし、新宿や渋谷といった東京都心の上空を通過する新たな飛行ルートを設けようと日本政府が実現に向けて動いていた。ところがこの飛行ルートが首都圏上空に設定されている在日米軍横田基地を中心とした航空管制空域・横田ラプコンに接触することから、アメリカ側が「上空通過も日本側が航空管制をおこなうことも認められない」と拒絶していることが明るみに出ている。

 西日本から飛行機で東京に出かけると、着陸に向けて高度を下げ始めた機体は伊豆半島を越えて、相模灘を行き交う船舶が目視できるほどの高さを飛行して進んでいく。しかし、そこから首都圏上空に進入していくのではなく、一旦千葉県の房総半島側に抜けて眼下にゴルフ場だらけの景色を眺めながらグルッと左旋回し、羽田空港目指して引き返していくのが常だ。わざわざ大回りするのは横田ラプコンがあるためだ。

 この高度7000bに及ぶ米軍占有空域は一都八県にまたがった広大なもので、厚木や座間、横田基地所属の米軍機が飛び交うために、日本の航空機を排除して設定している。おかげで羽田空港に着陸する航空機は大回りを余儀なくされ、離陸する機体も一気に高度5000b以上に上昇するか、太平洋側に逸れて飛行しなければならない。横田ラプコンを避けて飛ばなければならないからだ。

 首都圏上空を他国の軍隊に握られ、自由に利用できない国など日本をおいてほかにはない。沖縄で嘉手納ラプコンが機能しているのと同じく、東京の空もまた占領軍が引き続き支配しているのである。

 東京都内には7つの米軍基地があり、その総面積は東京ドーム340個分にも及ぶという。首都圏は沖縄につぐ米軍施設の密集地帯でもある。トランプや米政府高官、CIAや軍人・軍属が成田空港ではなく横田基地に我が物顔で乗り付け、そこから六本木ヘリポートに移動したり勝手に出入りするのも、日米地位協定でその出入国手続きを必要としないと定めているからだ。犯罪米兵が日本の法律で裁かれることなく本国へ送還されるのもそのためだ。

 沖縄県知事選に際して、「沖縄県民、頑張れ!」の連帯の声は本土側でも熱いものがあった。その思いに対して、沖縄の人人は島ぐるみの力で勝ちとった選挙結果を持って「本土も頑張れ!」「否、本土が頑張れ!」と返しているように思えてならない。対米従属の鎖に縛られ、横田ラプコンに限らず日本列島が丸ごと不沈空母として占領されている現実から目をそらして、基地問題を沖縄問題に切り縮めたり、本土は独立しているかのように思い込むのは錯覚である。    武蔵坊五郎

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c7

コメント [カルト20] 皇室と、ずっと大喧嘩をしている安倍政権は、新天皇にこんなヘンな元号を与えた。皇室への嫌がらせだ/副島隆彦 仁王像
48. 山田ミー太郎[318] jlKTY4N@gVuRvphZ 2019年4月05日 00:04:19 : yC7I76lTYM : MlRlOUpiNUpHeUk=[6]
>>47 地下爺さま

>>46にも書きましたが、たんに多忙なだけで、
お蔭さまで、わが家のニャンズも家族もみな元気にしております。

地下爺さんのお宅でも猫ちゃんを飼ってらっしゃるのですね。

うちにはミーちゃん、マーちゃんという猫が2匹おります。

ノラ出身で、母猫だからママの「マー」、娘が三毛猫で「ミー」。

空虚さんあてのコメントに以前書いた記憶があるのですが、
私のハンドルネームは「猫ピッチャー」というマンガの
主人公の猫の名前が由来です。

それではおやすみなさい!
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/606.html#c48

コメント [政治・選挙・NHK259] 「私が国家」の安倍首相が主導「令和」選考過程も異常(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. panbet37[1229] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2019年4月05日 00:05:18 : VpOX1JeSLw : ZENrMDVBc25WL2s=[7]
もう一度あえて言う。狂人で犯罪者の安倍晋三が、なぜ日本国のトップ、総理大臣でおれるのか。どう考えてもおかしいだろ。まともじゃないだろ。

 今や、日本は狂ってしまったね。昭和15〜20年頃の日本みたいに。なのに今の日本、安倍政権を支持している人間は、オツムてんてんの白痴としかいいようがない。
 
 そんな大勢のバカ人間、馬鹿日本人に、僕はキリストみたいに憐みの涙を流しましょう。”なんて君たちは、情けない、知性ゼロのバカ人間なの、恥ずかしくないの”、と。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/277.html#c12

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
8. 中川隆[-10947] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:05:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1080]
【藤井聡】「日米地位協定」問題について、日本人は無知すぎます。2018.09.17
From 藤井 聡(表現者criterion編集長・京都大学教授)
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180917/

この週末、当方がコメンテーターで登壇しました
東京MXTVの激論サンデークロスという番組で、
「日米地位協定」問題が取り上げられました。
http://urx2.nu/M0sb

ちょうど、先月沖縄でのシンポジウムでも、
日米地位協定問題が取り上げられており、
日本の「自主独立」を考える上で、
避けては通れない問題だと考えていましたから、
個人的にはとてもタイムリーな番組となりました。

この問題を考える上で改めて感じたのが、
この問題の基本構造を、
大半の国民が認識していない―――
という事実。

ついてはこの番組でも、
賛否以前の問題として、
「基本事実」を伝えることに注力しました。

当方が申し上げたポイントは、以下の3点です。

(1)日米地位協定があるのは、世界の常識である。

日米地位協定とは、
『日本に駐留する米軍に、どのような特権を与えるのか』
という事の取り決めで、日米政府間で取り結ぶものです。

そもそも、米軍とは「米政府」の組織。

だから、外国に駐留する際、
その活動が全て、当該国の法律に制約されていては、
「米軍」活動ができなくなります。

だから、「軍隊が、外国に駐留する」状況では、
「地位協定」を取り結ぶのは、世界の常識です。

だから、世界に展開する米軍は、
欧州各国や韓国、アフガニスタンなど、
あらゆる国家と「地位協定」を結んでいます。

ですから、日米地位協定があることそれ自身は、
(米軍が駐留することを前提とする限り)
批判の対象ではありません。

(2)他国の地位協定に比べて、日本だけ過剰に不利な点が散見される。
今、日本で問題となっているのは、
「日本だけ過剰に不利な点が散見される」
という点です。

この認識は、今の総裁選で
「改定」を主張している石破氏だけでなく、
「運用改善」を主張している安倍氏(総理)においても、
共有されているもの。

例えば、「敗戦国」であったドイツですら、
米兵が「レイプや殺人」を犯した場合、
ドイツ政府が裁判を行えるということが
(補足)協定に「明記」されていますが、
日本ではされていません。
(例えば、https://synodos.jp/politics/17510

結果、12歳の少女が米兵に集団レイプされても
その犯人が日本側に引き渡されなかった事件などが
起こっています(1995年 沖縄米兵少女暴行事件)

同じく、「敗戦国」だったイタリアの地位協定では、
基地が作られる地⽅公共団体と、
オフィシャルなチャンネルを持たないといけない、
という事が明記されていますが、
日本にはそういう記載はありません。

あるいは、NATOでは、
米軍関連の「民間業者」の者は、
米軍人等と異なり、犯罪をすれば、
「受け入れ国の法律で裁かれる」
ことが明記されていますし、

アフガニスタンでも、
国内登録することが義務づけ有られていますが、

我が国の協定にはそうした規定はありません。

結果、「民間業者」が犯した犯罪も、
日本で裁けない、という事態が過去において
生じています。

そして何より、ドイツやイタリアでは、
施設の管理権は受け入れ国側にあると
明記されていますが、
日本ではそうではありません。

つまり、日本の地位協定は、
他の国比べて「不平等感」が強いと
判断せざるを得ないケースが散見されるのです。

(3)外国では、地位協定は改定されているが、日本はされていない

 政府は、こうした「不平等」の解消に対して、
日米で協議を重ね、「運用の改善」を図ってきました。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS05H02_V00C16A7MM0000/

しかし、「条文改定」は一度も行われていない、
というのが、実態です。

言うまでも無く、制度上、条文改定は可能であり、
事実、諸外国では条文が繰り返し改定されてきました。

例えば、韓国は、
不平等の改善を果たすために二度改定しています。

同じく敗戦国だったイタリアやドイツも、
冷戦終結と共に大きく改定されました。

フィリピンに至っては、
米軍に対する反発する世論を背景に、
米軍撤退と共に、協定が「撤廃」されています。

こうした「改善」はいずれも、
受け入れ国の「世論」からの反発があった
という背景を受けてのもの。

ところが我が国は、冒頭でも指摘した様に、
「地位協定問題」がほとんど世論に認識されておらず、
国民からの反発もさしてなく、
戦後直後の状況が
「放置」されているのが実態なのです。

・・・

以上が、日米地位協定を考える上での、
「基礎的認識」です。

纏めて言うなら、

「地位協定があること自体は普通だが(1)、
日本だけ不平等性が高く(2)、
にも関わらず、日本だけ、改定されていない(3)。」

わけであり、かつ、

「これらの事実を多くの国民が認識していない」

という次第です。

したがってこの地位協定の問題は要するに、

「日本の対米従属度の高さと、
独立しようとする努力の低さ」

を象徴しているわけです。

いわば、日本の「植民地根性」の濃密さを
証明するかのような問題が、
この日米地位協定問題なわけです。

・・・ちなみに、
そもそも、NATO各国の地位協定が、
欧州各国にとって不利ではないのは、
互恵性(つまり、欧州各国の軍隊が米国に駐留する可能性)
があることが、強烈な理由になっています。

もしも互恵性があれば、
米国政府自身がそんな「不平等」を撤廃するべく、
努力するに違いありません。

ところが日本は「互恵性」が無く
日米間の関係は「片務的」なわけで、
これが、不平等の解消を阻害する主要因なのです。

ですから、日米地位協定の改定の議論は本来、
「日本の真の独立」=「対米従属の脱却」を目指した
「憲法九条と日米安保条約の改定・解消」
とセットで進めなければならぬものです。

ただし、それらの中でも、
諸外国が皆改定している地位協定問題は、
最も取り組みやすい「レッスン1」に
位置づけられ得るものでしょう。

折りしも本誌「表現者クライテリオン」では、
この問題に取り組むべく、
「対米従属文学論」をシリーズ展開
しています。

ついては、少なくとも本メルマガ読者だけでも、
こうした最低限の「事実認識」を
共有頂きたいと思います。

追伸:この問題は、「週刊ラジオ表現者」にて沖縄を論じた際にも様々にお話しています。是非、お聴き下さい!
https://the-criterion.jp/radio/r20180903/

https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180917/  


▲△▽▼

『スラムに消えた情けない男の話』。

【親分に媚びて生きている男】
むかしある街に、情けないひ弱な男が一人住んでいた。

この男、小金だけは貯め込んでいるようだが、自分一人ではケンカもできないし、まともに他人と交渉することもできない。できることと言えば「親分」に媚びて親分に面倒をみてもらうことくらいだった。

その「親分」、大金持ちで腕っ節の強く、街でいつも一番デカイ顔をしていた。

ひ弱な男はそんな親分の周りをいつも、まるで子犬のようにまとわりついていた。小金を使ってあの手この手で媚びながら、何かあったら親分に泣きついてやっかい事を処理してもらっていた。

その媚びっぷりはまさに街一番。だから町の中ではいつも、侮蔑の目で見られ、どこにいっても何をやってもいつも、軽く小馬鹿にされながら生きているーーー彼は正真正銘、小金もちなことだけが唯一の取り柄の街一番の情けない小物だった。

【凶暴な隣人】
そんな彼の家の隣には、すこぶる凶暴な質の悪いチンピラが住んでいた。

この凶暴なチンピラ、時折、ひ弱な男の家にやってきてモノを盗んでいったり、気に入らない事があればすぐに暴力で威嚇してくる困った奴だった。

そんなある日、このチンピラがなにやら怪しげな「武器」をいくつもいくつも作っていることが分かった。まだ全て完成しないようだが、隣の男を半殺しにできる程度の力はもう身につけているようだった。

だからそのひ弱な男はもう、恐ろしくて凶暴な隣人に何の手出しも出来ないーーそんな状況となってしまっているのだった。

【凶暴なチンピラが「親分」に一か八かのケンカを売る】
ところがそのチンピラ、今度は「親分」にケンカを売ろうとしていることが分かってきた。

このチンピラ、この街で生きて行こうとすれば、この親分の言いなりになっていてはそのうち殺される、だったら、一か八かこの親分にケンカを売って、もう自分には手出しできない様な「凄い武器」をつくっておこう、と考えたようだ。

つまりこのチンピラ、自分の生き残りをかけて親分に手出しさせない凄い武器を作り上げてしまおう、という博打に打って出たわけだ。

とはいえ今の所、その凄い武器はまだ完成していないようだ。が、その凄い武器の完成も時間の問題のようだった。

【親分、チンピラを潰す事を決める】
そんな話を耳に為た「親分」はもちろん、黙っちゃいない。

「今のところあのチンピラの武器は、あの情けない俺の子分を半殺しにできるようだが、俺の身はまだ安全なようだ。だったら、まだ俺のところまであいつの武器が届かないうちに、潰しておかないと、俺の身がヤバくなる。今潰しておかなきゃいかん。」

そう考えた親分は、今のうちにそのチンピラをぶっ潰しておこうと決めた。

とは言え、一つだけやっかいな事がある。

「おそらく俺があのチンピラに攻撃を仕掛けたら、おそらくあいつはすぐに反撃に打って出て、俺の子分のあの情けない男をすぐに半殺しにしてしまうだろう。」

この親分にしてみれば、あの子分はまずまず使い勝手もよく、小金も持っているから重宝していたのだから、半殺しにされて、もう使い物にならなくなるのは少々もったいない──とはいえ背に腹は代えられない──自分が将来やられちまう事を考えればあの少々便利な子分ごとき、半殺しの目に遭おうが消えて無くなろうがまぁ、たいした事じゃない──そう考えた親分は、かの「情けない男」を呼びつけてこう言った。

親分 「おい、あのヤバイおまえの隣人、あいつは俺を攻撃する武器を作ってるようだ。それが完成すりゃ、俺は何をされる分かんねぇ。だから俺はもう、あいつをぶっ潰すことにした。お前も俺に協力しろ。分かったな。」

子分 「はい、親分がそうおっしゃるなら、分かりました。喜んで協力します!」

親分 「もちろん、あいつは反撃してくるだろうけど、大丈夫だ。俺がおまえを守ってやるから。心配するな。安心しろ。」

子分 「なんとお優しいお言葉! 分かりました、ありがとうございます!」

【媚びてばかりで、完全な馬鹿になっていた子分】
もちろん、「大丈夫だ、安心しろ」という「親分」の言葉はウソだ。そんな保証なんてどこにもない。もうその凶暴なチンピラは、情けない子分を半殺しにできる力を身につけてるんだから、攻撃を仕掛けりゃ、その子分は半殺しにされるに決まっている。

だけど子分は、「はい、分かりました」しか言いようがない。ここで親分に盾をついたら、何をされるか分からないからだ。今までずっとイエスマンとして親分の言いなりになってきたその情けない男にはもう、他に残された道などどこにもないのだ。

というよりも、自分で考える力も気力もなくなっているから、親分が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なんだろう──と馬鹿丸出しで思っているようだった。

その馬鹿っぷりに、町中の人々が唖然とした。半殺しにされるのに、何が「なんとお優しいお言葉!」だ。こいつは馬鹿か──? 皆そう思った。

ただし一番びっくりしているのが、その親分自身だった。

「こいつ、ホント馬鹿だなぁ。半殺しにされるのは俺じゃ無くてお前なんだぞ? なのに、やけに素直に俺の協力するって、しかも『なんとお優しいお言葉! ありがとうございます!』ってまでいってやがる。

とはいえまぁ、こんな都合のいいこたぁねぇ。たっぷりと自ら進んで必死に協力してもらって、半殺しになってもらって全部こいつの自己責任、ってことにしておきゃぁ、それでいいだろう。ほんと馬鹿だなぁこいつ。」

【情けない男、案の定、半殺しにされ、スラムに消える】
──かくして、「親分」は、子分の全面協力を得ながら飛び道具で攻撃をしかけた。

そして案の定、その凶暴なチンピラは反撃をしかける。無論その反撃は「親分」に対してではない。我らが「情けない男」に対してだった。結果、情けない男は誠に情けない事に半殺しの目にあわされ、もう再起できないほどの深手を負うこととなった。

しかしこのケンカそのものは、圧倒的に力の強い親分が勝ち、最後にはチンピラは完全に潰されてしまった。その後、そのチンピラの家は、この親分と、隣町の親分とでうまく相談しながら、運営していく事になったようだ。

その後、その哀れな情けない男がどうなったかと言えば──当然誰からも同情されはしなかった。馬鹿丸出しで親分にひっついていって、誰もが予想したとおりに半殺しにされたんだから、誰の目から見てもはっきりとしたいわゆる自己責任、ってやつだ。

もちろん、もうどうしようもないから誠に情けない事に「助けてださい」と親分や周りの人々に泣きついて回ったようで、ちょっとした小銭を何人かから恵んでもらったりはしたようだが、それでは焼け石に水。

結局この情けない男、ちゃんとした病院に行くこともできず、半身不随になって自分でカネが稼げない体になってしまったようだった。だからこの男が生きて行くためにどうしても必要だった「カネ」まで全て失うことになった。

どうしようも情けない男だが、ちょっと前なら「小金」を持っていたから少々ちやほやされることもあった。親分にかわいがられていたのも、そんな「小金」があったからだ。だけど、その頼みの綱の「金」すらなければ、一体誰が彼に見向きするというのか。そんな媚びる以外に何の才能も無いような男に──。

だから今や、その男がどこで何をしているのかを知る人など、もう誰もいない。最近聞いた風の便りでは、隣町のスラム街で、その地区のボスになけなしの金を使って媚びながら生き続けているという事だが──それが本当かどうかも、もう誰にも分からない。
https://38news.jp/politics/11290

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK259] 室井佑月「騙されてないか」〈週刊朝日〉  赤かぶ
9. 地下爺[5633] km6Jupbq 2019年4月05日 00:05:33 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[14]

   おサルさん の方が まし。 おサルさんなら群れのことを

   考えることができる。。。。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/317.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK259] 韓米同盟が揺らぐ間、日米が密着...自衛隊の米軍防護が急増 安保法制施行3年 自衛隊の実績着々、米国依存の姿勢を転換  うまき
1. 2019年4月05日 00:06:44 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-728]

沖縄の反基地活動家の違法テントが米軍に強制撤去された模様 パヨク発狂中

2019/04/04(木) 20:45:01.00ID:EpJrCLH/0?PLT(12345)>>4>>14>>83>>93>>120

東村高江区でオスプレイの着陸帯工事に、抗議する人たちのテントなどが、米海兵隊に撤去されていたことがわかりました。

地元の人によりますと、4日午前6時すぎ、東村高江区でオスプレイの着陸帯工事に抗議していた人たちのテントや椅子、全国から贈られてきたメッセージなどが全て撤去されていたということです。

QABが取材したところ、米海兵隊が、3日夜、撤去したと認めていて、理由については日米地位協定に基づく、権利を行使した、
2018年6月から、沖縄防衛局と協議していたと回答しています。

h ttps://www.qab.co.jp/news/20190404113765.html
https://www.qab.co.jp/news/wp-content/uploads/2019/04/19-04-04-05-1.jpg


撤去されたのは通称「N1テント」と呼ばれるテント
https://i.imgur.com/swzacUr.jpg

https://i.imgur.com/uXFl8FM.jpg

2019/04/04(木) 20:50:44.96ID:EpJrCLH/0?PLT(12345)

活動家のブログ

昨日の夕方から、今日の早朝の間にテント、椅子などの備品、トイレの強制撤去がありました。(写真はテントがあった場所)
先ほど、米軍によってされたことが判明しました。

現在、簡易テントを張って対応しています。

h ttps://takae.ti-da.net/e11024653.html
h ttps://img02.ti-da.net/usr/t/a/k/takae/sp-062846200s1554354478.jpg


激怒する活動家

ちえぞう@tchiezinha

高江のテントが何者かに奪われました!中に置いてあった資料もテーブル等も全てです。早く返せ!!!

ht tps://twitter.com/tchiezinha/status/1113634703733428225

ちえぞう@tchiezinha

高江のN1テントがなくなったのは、米軍の犯行だとわかりました。そんな権利など、彼らにあるはずもなく。

沖縄の土地を不当に奪ってるだけじゃ物足りないってか?さっさと返せドロボウ!!!

N1テント、トイレ等の撤去がありました

h ttps://twitter.com/tchiezinha/status/1113697733326434304

2019/04/04(木) 21:00:36.35 ID:WCoNaK/a0
>10
無許可で他人の土地占有してる犯罪者の分際でw

2019/04/04(木) 21:53:38.10 ID:VArlYEJKO
>10
自分らが沖縄の土地を不当に占拠してるって意識はないんだろうな
キチガイ

2019/04/04(木) 21:41:22.70 ID:JoQhkDqB0
ああ、こいつらって定時で上がるんだ
一日中張り付いてるのかと思った

2019/04/04(木) 21:44:51.40 ID:45EDO4Ci0
こんなヘイト文言書いてあるテント撤去するのは当然だろう

h ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1554378301/
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/215.html#c1

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
9. 中川隆[-10946] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:07:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1081]
知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた (講談社現代新書) – 2018/11/14
矢部 宏治 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/406513949X/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=gendai_biz-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=406513949X&linkId=4b028c28dde8be90c104ecbc2ba452e0

えっ!? いまのままでは日本が世界平和に「貢献できない」ワケ アメリカに支配されたこの国の宿命
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58289
2018.11.09 矢部 宏治 現代ビジネス


軍拡を要求されている日本

いまから3年前の2015年8月、「平和学の父」と呼ばれ、その最高権威とされるヨハン・ガルトゥング博士(ノルウェー出身)が来日し、横浜で講演会を行った。ちょうど国会前では、安保法制反対のデモが連日、多くの参加者を集めていた時期のことである。

日本は今後、どうやって世界の平和に貢献していくべきなのか。2組の若者代表が、博士の講演に先がけて真摯な思いをスピーチし、会場からは大きな拍手がわきおこった。しかしそのあと、ガルトゥング博士が口を開いて最初に語ったのは、次のような、聴衆全員を凍りつかせるような言葉だったのである。

「現在の日本は、世界平和に貢献することはできません。その理由は、外交政策がアメリカの意向で決まり、自分で決定できないからです。アメリカが関心のあるのは、自国の〔軍事的〕勝利であって、平和ではありません。彼らはNATOについては思い通りに動かせないので、なんでも言うことを聞く日本に、いま〔安保法制で〕軍拡を求めているのです」

ガルトゥング博士は、書斎型の学者ではなく、紛争の最前線で問題解決にあたる現場の人≠セ。「横田空域」や「六本木ヘリポート」など、日本における異常な米軍支配の実態にも詳しい。いつも思うのだが、本当に分厚い現場の知識を持った人は、実に簡単な言葉で問題の本質を語ることができる。

その意味では、日本という国家と米軍の関係について、その本質をもっともストレートに語れる人物は、歴代の沖縄県知事をおいて他にないだろう。たとえば今年の8月に亡くなった翁長雄志前知事は、最後の記者会見でこう語っている。

「いまの日本のアメリカに対する従属は、日本国憲法の上に日米地位協定があって、国会の上に日米合同委員会がある。その2つの〔基本的な構造の〕なかで、日本はアメリカに何も言えない状況にあります。(略)いまアジアは大きくかわりつつあり、世界のどの地域よりも経済発展しているが、いまのままでは、〔やがて〕日本はアジアから閉め出されてしまうんじゃないか」

2018年現在の日本のおかれた状況と課題を、短い言葉で語って余すところがない。今回当選した玉城デニー新知事も、もちろんその一人だが、沖縄はその政治的苦難の中から、こうした優れた政治的リーダーを何人も生み出し続けているのである。

そんなバカな約束があるか!?

ふり返ってみると翁長前知事は、4年前の就任直後から、「戦後史の謎」を解くための非常に重要な手がかりを私たちに伝えてくれていた。(以下、TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』2014年11月18日からの要約)

〈沖縄の基地の返還協定には、よく読むと「〇〇年に返還する」という言葉に加えて、すべて「またはその後」という言葉が書かれている。たとえば那覇軍港なら「2028年またはその後」に返還すると書かれている。ほかの基地も全部同じ。そんな約束がありますか。「結婚しましょう」と言って、「来年またはその後にね」と言ったら、約束にならないでしょう〉

〈危険なオスプレイの飛行にしても、沖縄防衛局(防衛省の担当部局)は、「市街地は飛びません。夜10時以降は飛びません。そう〔米軍側と〕決めたから安心ですよ」と言ってくるが、よく取り決めを読んでみると、市街地や夜10時以降は「できる限り(飛ばない)」と書いてある。「ふざけんじゃないよ、そんな馬鹿な約束あるか」と思うけど、これが本土の方々にはなかなか伝わらない〉

まったくその通りなのだ。私もかつて沖縄で米軍基地を取材していたとき、一番不思議だったのがこのことだった。危険な低空飛行や騒音について、米軍は住民の抗議に応じてよく取り決めを結ぶ。しかし守らない。翌日から守らないことさえある。いったいなぜ、そんなことが許されるのか。

今回、『知ってはいけない2ーー日本の主権はこうして失われた』(講談社現代新書)を書くことで、その理由がはっきりわかった。

まずそもそもの原因は、現在の安倍晋三首相の祖父である岸信介首相が、安保改定に先駆けてアメリカと発表した共同声明(1957年6月21日)にある。そこには、

〈米軍の日本における軍事行動については、(協議が)実行可能なときはいつでも協議する〉

という合意内容が、はっきり書かれているのだ。

つまり、米軍が「協議したくない」ときは、日本政府に相談しなくていい。だから、大規模な住民の抵抗運動さえ起こらなければ、米軍は日本の国内でなんだってできるということなのだ。

これが、安保改定の大前提となった日米合意であり、現在の日本における米軍の法的権利の本質である。その後、数多く結ばれた条約や協定、取り決め、密約の数々は、すべてこの1行を細かく具体的にのべたものにすぎない(本書の特設サイト〈ウェブ立ち読み〉で無料公開している第3章を参照)。

日米安保の本質

たとえば、新安保条約・第6条を見てほしい。そこには日本における米軍の軍事行動は、

〈日米地位協定と、その他の合意される取り決め〉(英文からの筆者訳)

によって運用すると書かれている。さきほどの翁長前知事の言葉にある「またはその後」と、まったく同じ形のトリックだ。くわしくは本書を読んでいただきたいが、この〈その他の合意される取り決め〉のなかに、いまではすっかり有名になった米軍と日本の官僚の密室の協議機関、「日米合同委員会」で毎月2度結ばれる秘密合意が、旧安保時代のものもあわせてすべて含まれているのである。だから米軍は、地位協定の条文を、まったく守らず行動することができるのだ。

これが翁長前知事の言葉にある通り、国会も最高裁も米軍にはいっさいタッチすることができないという、旧安保条約時代から受け継がれる日米安保の本質なのである。

翁長前知事の命をかけた政治活動によって、今年の7月、全国知事会で「日米地位協定の抜本的見直し」が採択され、同知事の死去後、8月14日に日米両政府に提言された。

しかしここまで説明してきた通り、それが「日米地位協定の条文の改定」にとどまっては、ほとんど意味がない。最低でも「日米合同委員会」と「砂川裁判・最高裁判決」という2つの大問題の解決を視野に入れつつ、新安保条約・第6条から〈その他の合意される取り決め〉という文言を削除する必要がある。

その意味で、私たち日本人がこれから本格的に議論すべき問題は、「憲法の改正」でも「地位協定の改定」でもなく、「安保再改定」にほかならないのである。



▲△▽▼

岸信介の陰謀 日米同盟から抜け出せない日本と日本人
https://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/83be8da162f92289451371d42f3c231f
2019年02月20日 世相を斬る あいば達也

以下は、朝日新聞の沖縄県民投票に関する世論調査だ。まず読む前に、最低限の話をしておこう。

日米安保条約が永続的に日本を植民地化する条約であることを、岸信介が知りながら、締結した条約であり、不可逆的に日本の世界における地位を決定づけたものである。

日米安保条約、地位協定、合同委員会等々は表向きの条約について知り得るが、行政官僚と米軍との密約、行政官僚とCIAとの密約などは、我々が知ることは出来ない。

しかし、ここでは多くを語らないが、明らかに、ダレスの魔術に惑わされた、自民党が、日本で厳然たる地位を約束される代りに、植民地化を自ら望んだ関係にあるので、この闇は深い。

最終的には、あっては困るが、現実に、米中戦争などが起きない限り、日本が植民地であったと気づくことがないのが、この日米安保条約の肝である。

しかし、沖縄の、いま置かれている地位を見ることで、一定範囲の想像や推理は可能と考える。

残念なことは、「普天間基地返還のための辺野古基地」と云う、約束事も、本当に明文化しているとは言えず、最終的に、沖縄県民が、また、トテツモナイ騙し討ち遭うことは、なんとしても避けて貰いたいの考える。


≪基地負担「大きすぎる」沖縄県民88% 朝日新聞調査

 沖縄県民を対象にした朝日新聞社の電話による世論調査で、沖縄に在日米軍専用基地・施設の約7割が集中している状態について尋ねたところ、本土と比べて「負担が大きすぎる」が88%に上り、「そうは思わない」の9%を大きく上回った。多くの県民が過重な負担を感じている実態が改めて浮き彫りになった。 調査は、24日に投開票される県民投票を前に、16、17両日に実施した。

 沖縄の負担軽減をめぐり、安倍内閣が沖縄の意見をどの程度聞いていると思うかも尋ねた。「十分聞いている」(4%)、「ある程度聞いている」(17%)が合わせて21%だったのに対し、「あまり聞いていない」(37%)、「まったく聞いていない」(39%)が計76%を占めた。過剰な基地負担が軽減されていないと多くの県民が感じている実情がうかがえる。

 本土との温度差も浮かび上がった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、沖縄では賛成が21%、反対が68%、「その他・答えない」が11%だったのに対し、全国では16、17両日に実施した世論調査(電話)でそれぞれ34%、37%、29%と割れた。

 昨年9月の知事選で初当選した玉城デニー知事の支持率は75%で、不支持の15%を大きく上回った。女性の支持は79%だった。自民支持層でも支持が44%と不支持の42%と拮抗(きっこう)し、無党派層は79%が支持した。辺野古移設に「賛成」と答えた層の28%も支持した。前任の故翁長雄志氏が知事就任後、最初となる2015年4月調査では70%だった。

 玉城氏は辺野古移設反対を掲げて知事選で大勝。しかし、安倍内閣は昨年12月14日から辺野古の海に土砂を投入し、埋め立てを進めている。これに異議を唱え続ける玉城知事の姿勢が支持を集めているとみられる。(伊東聖)
    
 ◇  

〈調査方法〉 16、17の両日、コンピューターで無作為に作成した固定電話番号に調査員が電話をかけるRDD方式で、沖縄県内の有権者を対象に調査した。有権者がいる世帯と判明した番号は2138件、有効回答は1125人。回答率は53%。
 ≫(朝日新聞デジタル)


≪世論調査―質問と回答〈沖縄県、2月16、17日実施〉

◆アメリカ軍普天間飛行場の、名護市辺野古への移設をめぐって、今月24日に県民投票が実施されます。あなたは、この県民投票にどの程度関心がありますか。(選択肢から一つ選ぶ=択一)
大いに関心がある 51  
ある程度関心がある 33  
あまり関心はない 12  
まったく関心はない 2  
その他・答えない 2

◆あなたは、こんどの県民投票では、投票に行くと思いますか。(択一)  
必ず行く 71  
行くと思う 14  
できれば行きたい 9  
行かない 5  
その他・答えない 1

◆こんどの県民投票では、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立てについて投票します。あなたは、仮にいま投票するとしたら、賛成、反対、どちらでもない、のうち、どれに投票しますか。  
賛成 16  
反対 59  
どちらでもない 21  
その他・答えない 4

◇(「どちらでもない」と答えた人に)あえて賛成か反対かを選ぶとすれば、どちらに気持ちは近いですか。賛成ですか。反対ですか。  
賛成 31〈6〉  
反対 45〈9〉  
その他・答えない 24〈6〉

◆今回の県民投票の結果を、政府は尊重すべきだと思いますか。その必要はないと思いますか。  
尊重すべきだ 80  
その必要はない 11  
その他・答えない 9

◆アメリカ軍基地が集中する沖縄の負担軽減について、あなたは、安倍内閣が沖縄の意見をどの程度聞いていると思いますか。(択一)  
十分聞いている 4  
ある程度聞いている 17  
あまり聞いていない 37  
まったく聞いていない 39  
その他・答えない 3

◆あなたは、アメリカ軍の普天間飛行場を、名護市辺野古に移設することに賛成ですか。反対ですか。
賛成 21  
反対 68  
その他・答えない 11

◆あなたは、沖縄の米軍基地は日本の安全保障にとって、どの程度必要だと思いますか。(択一)  
大いに必要だ 11  
ある程度必要だ 42  
あまり必要ではない 25  
まったく必要ではない 18  
その他・答えない 4

◆沖縄には、在日米軍専用の基地や施設の約7割が集中しています。あなたは、この状態は本土と比べて、負担が大きすぎると思いますか。そうは思いませんか。  
負担が大きすぎる 88  
そうは思わない 9  
その他・答えない 3

◆ところで、あなたは、沖縄県の玉城デニー知事を支持しますか。支持しませんか。  
支持する 75  
支持しない 15  
その他・答えない 10

◆あなたは、安倍内閣を支持しますか。支持しませんか。  
支持する 24  
支持しない 60  
その他・答えない 16

◆あなたは、いま、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。  
自民党 17  
立憲民主党 5  
国民民主党 1  
公明党 2  
共産党 4  
日本維新の会 1  
自由党 1  
希望の党 0  
社民党 3  
沖縄社大党 1  
その他の政党 2  
支持する政党はない 43  
答えない・分からない 20   

  ◇  

〈調査方法〉 16、17の両日、コンピューターで無作為に作成した固定電話番号に調査員が電話をかけるRDD方式で、沖縄県内の有権者を対象に調査した。有権者がいる世帯と判明した番号は2138件、有効回答は1125人。回答率は53%。
 ≫(朝日新聞デジタル)


初めのまとめ的記事の中で、≪辺野古への移設について、沖縄では賛成が21%、反対が68%、「その他・答えない」が11%だったのに対し、全国では16、17両日に実施した世論調査(電話)でそれぞれ34%、37%、29%と割れた≫と云う調査結果について言及しているが、つい笑ってしまった。

まさに、昨日の拙コラムで日本人の劣化を見出しにしたが、この調査結果部分が、真の日本人の精神構造なのだろう。

下世話な言い方だが、他人の不幸は蜜の味、例えとしては適当ではないのだが、少なくとも、他人の痛みは一切感じない人々が大多数を占める日本人と云う、姿の一部に触れた感がある。

本土から、見た目だけ米軍基地がなくなったので、スッキリした気分の多くの日本人だが、何とも情けないのひと言だ。

簡単に言えば、日本全体が、何時でも何処でも、日本領土も日本人も、米軍の好きに扱える存在だと云う「日米同盟」が存在していることを失念している。

おそらく、自民党の安倍を含む幹部にせよ、経済界や学会などの既得権益層の人々も、米国の大きな陰謀的力が頭の上に圧し掛かっていることを忘れて過ごしているのだろう。

そして、ある日、猛烈な腕力で、日本社会を支配してくる日があることを、忘れようと努め、日々を、自己都合のご都合主義で生きている。

そして、いっぱしの独立国だと思い込もうとしているのだが、心の奥底では、ある日が起きる恐怖を感じている人々もいる。

ただ、その声は大きくないし、それを思っている人の数は、圧倒的に少なくなっている。

正直、日米同盟の隷属性が、安倍晋三の嘲笑だけで終わるのであれば、それは日本にとって幸運だ。

ただ、それは幸運なだけで、危機が去ったわけではない。自民党の歴史を眺め、その時系列の一部分を切り取って、戦後の日本史を、もう一度検証する必要がある。

無論、公式的なものだけがすべてではないが、そこは、それなりの推理を働かせ、戦後のドサクサの日本と米国が、どのような関係で、どのような約束をしてきたのか、もう一度考える必要があるだろう。

団塊世代が死に絶えた頃には、米国の占領地域と云う、拭いがたい屈辱の中に住んでいることを顧みる人すらいなくなるのだ。

以下は、自民党のHPから抜き出した「保守合同前史」と歴代総裁の名前だ。


≪ 保守合同前史

わが国の戦後民主政治は、昭和二十年八月十五日の太平洋戦争の終結と、連合軍による占領政治の開始とともに、その幕をあけました。

しかし、それから「保守合同」による自由民主党の結党までの十年間は、終戦後の社会的・経済的混乱、急激な民主的改革、占領政策の変化等によって、文字どおり激動と混乱を続け、平和条約締結後も占領政治の後遺症からぬけだすことに精一杯で、いわば戦後民主政治確立への、生みの苦しみを続けた「準備期」であったといえましょう。

終戦直後の十一月、鳩山一郎氏を中心とする「日本自由党」の結成を皮切りに、「日本社会党」「日本進歩党」「日本協同党」「日本共産党」などの各政党が旗揚げし、それぞれ多彩な政策、綱領を掲げて出発したのでした。

だが、その後、連合軍総司令部の指令による公職追放や政治介入が進むにつれて、戦後政治はめまぐるしく揺れ動いたばかりでなく、選挙による各党の消長とともに、政界分布図もまた、激しく流動を続けました。

自由民主主義政党の各派についてみると、まず「日本協同党」が二十一年五月、他の少数党と合同して「協同民主党」となり、さらに翌二十二年三月には、国民党といっしょになって「国民協同党」を結成しました。また「日本進歩党」は、二十二年三月には「日本民主党」となり、のちに「国民協同党」と合同して「国民民主党」に変わり、独立回復直前の二十七年二月には、解党して「改進党」を結成し、二十九年十一月に「日本民主党」に発展したのです。

他方、「日本自由党」は、二十三年三月、民主クラブと統合して「民主自由党」となり、二十五年二月には、民主党連立派と合流して「自由党」を名乗るにいたり、ようやく自由民主勢力は、自由党と民主党との二大潮流に整理、再編成されたのでした。

また革新陣営では、「日本社会党」は結党以後、長い間左派と右派の対立を続けていましたが、二十六年十月、平和条約と日米安保条約に対する去就をめぐって意見が対立、ついに左右両派に分裂したのです。

この間、内閣のほうも、終戦直後の東久邇、幣原両内閣に続き、第一次吉田内閣、片山内閣、芦田内閣、第二次から五次までの吉田内閣、鳩山内閣と変転しました。しかし、昭和二十二年六月から翌二十三年二月までのわずか八カ月間、片山哲氏を首相とする社会党内閣が存在したのを除けば、終始一貫、自由民主主義内閣による政治が続いたのでした。

しかもその間、連合軍による占領行政は、形の上では日本政府を表に立てた「間接統治」ではあっても、実質的には、連合軍総司令部の指示と意向によって左右される「直接統治」に等しいものでしたから、歴代内閣がその行きすぎや、国情無視の占領政治を是正するために払った苦労は、筆舌に尽くせないものであったのです。それでも歴代の自由民主主義内閣は、敗戦直後の廃墟の中からの日本の建て直し、空前の食糧難の打開、行きすぎた労働争議など社会的混乱の克服、現行憲法の制定、農地改革、教育改革、一ドル三百六十円の固定相場制への移行、財政の確立をはじめ、新憲法制定にともなう内閣法、国会法、裁判所法、地方自治法、財政法、労働関係法、教育基本法、学校教育法、独占禁止法等の憲法関連諸立法を重ねて、今日にみるわが国民主社会の基本制度を固めたのでした。

こうして、激動と混乱に明け暮れた占領下の政治も、二十三年十月、民主自由党総裁の吉田茂氏が第二次吉田内閣を組閣し、翌二十四年一月の総選挙で圧倒的勝利をおさめるにおよんで、ようやく長期安定政権の基礎が固められたのです。以後吉田内閣は、二十九年十二月の退陣まで、足かけ六年にわたって政権を担当し、日本経済の再建、平和条約締結による独立の回復と国際社会への復帰等、歴史に残る偉業を達成したのでした。

吉田内閣時代の不滅の功績は、何といっても、二十六年九月八日、サンフランシスコで調印された平和条約による独立の回復と、日米安全保障条約によるわが国の平和と安全の確保でありましょう。

当時、その前年に突発した朝鮮動乱と、冷戦時代の深刻な東西対立という国際情勢を背景に、共産党、社会党左派、左翼的文化人の間には、「全面講和・安保阻止」の主張が異常な高まりを示していたのです。しかし吉田首相は、毅然として所信を貫き、これらの反対論を押しきって「多数講和・安保締結」に踏み切ったのでした。

その後の歴史にてらして、この両条約の締結が、わが国の平和と安全を守り、国民の自由を取り戻し、やがて世界の歴史に類をみない経済的繁栄をもたらす前提となったことは、あまりにも明らかであり、その意味で、吉田首相および自由民主主義政党の決断は、歴史的な選択として、長く後世に残る偉業だったというべきでしょう。

独立回復後、吉田内閣はさらに、(1)自由国家群との提携、(2)国力の充実と民生の安定および自衛力の漸増的強化、(3)国土開発、生産増強、貿易振興による経済自立などの「独立新政策」を打ち出し、独立体制の整備と民生安定、経済再建をめざす諸施策に意欲的に取り組みました。

すなわち、二十六年から翌二十七年にかけて制定された「破壊活動防止法」「義務教育費国庫負担法」「電源開発促進法」「新警察法」「防衛庁設置法および自衛隊法」「義務教育諸学校の教育の政治的中立の確保に関する臨時特例法」「電気事業、石炭鉱業におけるスト規制法」「厚生年金保険法」「学校給食法」「硫安需給安定法」等の重要立法がそれです。

しかし、さすがの吉田安定政権も、長期の政権担当による人心の倦怠には勝てず、二十七年四月の平和条約・日米安保条約の発効と独立回復を境に、人心は次第に吉田内閣を離れ、これを背景に政界は不安定化していきました。こうした情勢が、「保守合同」による政局転換をめざす気運を急速に高め、吉田首相もついに二十九年十一月、政局打開のため進退を党の会議に一任する旨の書簡を自由党幹部に送りましたが、続いて改進党と、自由党から離脱して結成した日本自由党が合体して、「日本民主党」が結成されるにおよんで、その直後の十二月七日、総辞職を決意するにいたりました。

このあとをうけて、日本民主党総裁の鳩山一郎氏が、同年十二月十日、首相に指名されて、第一次鳩山内閣が成立しました。 :鳩山内閣は、(1)住宅問題の解決、(2)中小企業対策の充実、(3)失業対策の強化、(4)税制改革、(5)輸出の振興等を重点政策に掲げて、翌三十年一月の総選挙に臨みましたが、開票の結果は、日本民主党百八十五、自由党百十二、日本社会党左派八十九、同右派六十七、その他十四議席という勢力分野となり、小党分立の状態となったのです。 :このため第二次鳩山内閣が発足したものの、政局不安が続いたため、民主、自由両党の合同による政局安定を求める動きが、ますます強まっていったのでした。

いよいよ戦後民主政治も、十年間にわたる「準備期」を終えて、新しい「興隆期」に向かって、大きく飛躍すべき転換期にさしかかっていたのです。

■自由民主党歴代総裁

鳩山一郎
石橋湛山
岸信介
池田勇人
佐藤栄作
田中角栄
三木武夫
福田赳夫
大平正芳
鈴木善幸
中曽根康弘
竹下登
宇野宗佑
海部俊樹
宮沢喜一
河野洋平
橋本龍太郎
小渕恵三
森喜朗
小泉純一郎
安倍晋三
福田康夫
麻生太郎
谷垣禎一
安倍晋三  
≫(自民党HPより)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c9

コメント [原発・フッ素51] ますます深刻化する健康被害 (43) 2019年3月 人がどんどん亡くなる時代 新元号は令和より霊和がふさわしい  魑魅魍魎男
24. 2019年4月05日 00:07:57 : KyPgZPlu8Y : U0EzUDRXcC5YdzY=[112]
今年はレイワ・ガンねん。つまり、ガンが大流行する年である。原因は、いうまでもない、福島第一原発から放出される放射性物質。ガンガン罹るぞ。

福島第一原発から放出される放射能光を取り上げていたとかで、またマッツさんのツイッター・アカウントが停止されました。これは明らかに逆効果ですね。日本政府が、圧力をかけてアカウントを停止させたと言うことは、彼らに余程不都合なことが書かれていたことを認めたからなんです。

もう、世界中に福島第一原発の巨大危機について、情報が拡散されていますから、手遅れです。

2019年は、大量死・元年となるでしょう。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/301.html#c24

コメント [原発・フッ素51] 《拡大しつつある放射能大災害と一大隠蔽ヘレン・カルディコット博士インタビュー》カルディコット博士が安倍首相を名指しで非難 お天道様はお見通し
3. 地下爺[5634] km6Jupbq 2019年4月05日 00:08:09 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[15]

 2019/04/05 0:07 411



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/310.html#c3

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
10. 中川隆[-10945] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:08:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1082]
森永卓郎の「経済“千夜一夜"物語」 ★改憲案がもたらすもの
https://wjn.jp/article/detail/8638391/
2018年10月11日号 週刊実話
 安倍総理が憲法改正に強い意欲をみせている。自民党総裁選に向けて9月10日に行った所信表明演説で次のように語った。

「合憲性について議論がある旨、ほとんどの教科書に記述があります。自衛官たちの子供たちもこの教科書で学ばなければならないんです。皆さん、このままでいいんでしょうか。彼らが誇りを持って任務を全うできる、そういう環境を作っていくことが今を生きる政治家の、私たちの使命ではないでしょうか。憲法にしっかりと日本の平和と独立を守ること、“自衛隊”と書き込んで私たちの使命を果たしていこうではありませんか」

 巧みな論理だ。災害復旧などで、自衛隊員が奮闘努力する姿を国民は見ている。だから、彼らを憲法上きちんと位置付けようという主張に、ついついうなずいてしまう。

 実際、今年4月に読売新聞が行った世論調査では、憲法9条の条文は変えずに、自衛隊の存在を明記する条文を追加することに「賛成」は55%、「反対」は42%と過半数の国民が改正を支持しているのだ。

 戦力の不保持という規定は残すのだから、自衛隊は軍隊ではない。だから日本独自の判断で、戦争はできない。それでは、自衛隊は何をするのか。

 ここで考えなければならないのは、3年前に成立した安全保障関連法案だ。この法案では自衛隊の派遣が可能となる条件を細かく規定している。例えば存立危機事態の際、集団的自衛権の行使が可能となり、自衛隊の武力行使も認められることになっている。もっと分かりやすく言うと、アメリカが戦争を始めて、日本に自衛隊を出せと要請したときに、米軍の指揮下で自衛隊が一緒になって戦争をすることが可能になった。新しい憲法の規定では、自衛隊は軍隊ではないため、独自判断で戦争はできないが、米軍の付属部隊として戦争をするようになる。

 そう考えると、今回の憲法改正は、アメリカにとって、きわめて都合のよいものだと分かる。米国は戦後一貫して、日本の再軍備、軍事力強化を警戒してきた。しかし、その一方で、軍事負担を日本にも持たせようとも考えている。その二つのニーズを同時に満たせる最良の憲法が、戦力の不保持と自衛隊の明記という今回の自民党改正案なのだ。

 だが、私はいま議論しなければならないのは、日米地位協定の方だと思う。

 日米地位協定によって、米国軍人や米軍基地内での犯罪は、米国が一次的裁判権を持つ。また、米国軍人は出入国管理の対象ではなく、外国人登録の必要もない。米軍機は航空法の適用を受けないため、米軍基地を経由すれば、米国人は出入国がフリーパスで、国内のどこでも活動できる。まさに、日本は植民地のままになっているのだ。

 実は、日本と同じ太平洋戦争の敗戦国であるドイツやイタリアも、かつて同じような状況下に置かれていた。しかし、冷戦終結後の1990年代に見直しを行い、基地内での米兵にも警察権が及ぶようになり、米軍機は国内の航空法に従って飛ぶなど、駐留米軍の活動は、自国の国内法が適用されるようになっている。

 いまだに駐留米軍が特権を行使しているのは、世界の中で日本だけだ。憲法改正よりも、地位協定の改定が先ではないだろうか。
http://www.asyura2.com/18/senkyo251/msg/814.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
213. 22A[1061] glGCUUE 2019年4月05日 00:11:03 : LKXRYf922A : ZGRUU0wxY3FvbVk=[73]
日高見さん

またまた誤字の指摘,見てくれた?

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/284.html#c4

単なる誤字と言うわけではなく,意味も変わってしまう。

阿弖流為(あてるい)の話は,また後で読ませていただきます。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c213

コメント [政治・選挙・NHK259] 本土の人間も沖縄の痛みを共有しなければ「明日は我が身」 二極化・格差社会の真相(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 2019年4月05日 00:11:25 : 3m5oUq3xog : OGhYNzZuZXdpQWc=[10]
アメリカは兵が足りない。
傭兵は金がかかり過ぎる。日本兵なら、実質的にタダだ。
勿論、経済的徴兵又はアメリカのように犯罪者や与太者が徴兵される事もあるのは事実。
創価学会集団ストーカー工作員をやっているような人間はうってつけだそうだ。彼等に同情は出来ない。

同じ創価学会集団ストーカー被害者である友人は2018年、殺された。(神奈川県横浜市)

*創価学会集団ストーカー被害者の声!4/3,2019

創価学会は組織的なイヤガラセ犯罪で大勢の人々を自殺に追い込む集団ストーカー組織!
その犯行が世間にバレそうになると信者を使って凶悪事件を起こし、逮捕後に私は集スト被害者ですと自供させます。
そうして世論誘導して教団犯罪を隠蔽するのです。

警察は何もしない。逆恨みされ返って、被害が増大する。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/286.html#c9

コメント [原発・フッ素51] 自転車競技でもトップクラスの日本人選手2人が骨折 ガタガタになってきた日本のスポーツ界  魑魅魍魎男
7. 2019年4月05日 00:12:26 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[186]
>>5
水泳では池江、萩野が戦線離脱。
フィギュア・羽生結弦もじん帯損傷。
相撲もプロ野球も故障だらけ。

被ばく以外の何が原因でこんなに故障が多いのか、
説明してもらいたいね。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/306.html#c7

記事 [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない

日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない


外国語学習について - 内田樹の研究室 2018-10-31


2018年6月12日に「文系教科研究会」というところで、私立の中学高校の英語の先生たちをお相手に英語教育についてお話した。その一部をここに掲載する。

ここで論じたのは英語だけれど、言語教育一般について適用できる議論だと思う。
ここ数日、「論理国語」と「文学国語」というカテゴライズをするという話がTLを飛び交っているけれど、それがほんとうだとしたら、それはたぶん言語というものについて一度も真剣に思量したことのない人間の脳裏に去来したアイディアだろうと思う。それはまさに「植民地における現地人への宗主国言語教育」とまったく同型的なものだからだ。

国語教育においても「植民地現地人」に求められる言語能力は同じである。

それは宗主国アメリカに仕え、アメリカに朝貢することで「代官」「買弁」としての地位を保全している日本の支配層たちが、同国人の知性の発達を阻害し、日本人を愚民化することで、属国日本をアメリカが支配しやすいようにするために作り出した仕掛けである。

以下がそのときの講演。途中からなので、話が見えにくいのはご容赦。


外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。

「目標言語」というのは、今の場合なら、例えば英語です。なぜ英語を学ぶのか。それは「目標文化」にアクセスするためです。英語の場合であれば、ふつうは英語圏の文化が「目標文化」と呼ばれます。

僕らの世代において英語の目標文化ははっきりしていました。それは端的にアメリカ文化でした。アメリカ文化にアクセスすること、それが英語学習の最も強い動機でした。僕たちの世代は、子どものときからアメリカ文化の洪水の中で育っているわけですから、当然です。FENでロックンロールを聴き、ハリウッド映画を観て、アメリカのテレビドラマを観て育ったわけですから、僕らの世代においては「英語を学ぶ」というのは端的にアメリカのことをもっと知りたいということに尽くされました。

僕も中学や高校で「英語好き」の人にたくさん会いましたけれど、多くはロックの歌詞や映画の台詞を聴き取りたい、アメリカの小説を原語で読みたい、そういう動機で英語を勉強していました。

僕もそうでした。英語の成績は中学生からずっとよかったのですが、僕の場合、一番役に立ったのはビートルズの歌詞の暗記でした。ビートルズのヒット曲の歌詞に含まれる単語とイディオムを片っ端から覚えたのですから、英語の点はいいはずです。

つまり、英語そのものというよりも、「英語の向こう側」にあるもの、英米の文化に対する素朴な憧れがあって、それに触れるために英語を勉強した。英米のポップ・カルチャーという「目標文化」があって、それにアクセスするための回路として英語という「目標言語」を学んだわけです。

その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

フランス語ができないとこの知的領域にアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。 

のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。

ロシア語もそうです。今、大学でロシア語を第二外国語で履修する学生はほとんどいません。でも、若い方はもうご存じないと思いますけれど、1970年に僕が大学入学したとき、理系の学生の第二外国語で一番履修者が多かったのはロシア語だったのです。

「スプートニク・ショック」として知られるように、60年代まではソ連が科学技術のいくつかの分野でアメリカより先を進んでいたからです。科学の最先端の情報にアクセスするためには英語よりもロシア語が必要だった。でも、ソ連が没落して、科学技術におけるアドバンテージが失われると、ロシア語を履修する理系の学生はぱたりといなくなりました。もちろんドストエフスキーを読みたい、チェーホフを読みたいというような動機でロシア語を履修する学生の数はいつの時代もいます。目標文化が「ロシア文学」である履修者の数はいつの時代もそれほど変化しない。けれども、目標文化が「ソ連の科学の先進性」である履修者は、その目標文化が求心力を失うと、たちまち潮が引くようにいなくなる。

僕の学生時代はフランス語履修者がたくさんおりました。でも、その後、フランス語履修者は急減しました。ある時点で中国語に抜かれて、今はもう見る影もありません。

理由の一つは、日本のフランス語教員たちが学生たちの知的好奇心を掻き立てることができなかったせいなのですけれど、それ以上に本国のフランスの文化的な発信力が低下したことがあります。フランス文化そのものに日本の若者たちを「目標」として惹きつける魅力がなくなってしまった。

フランス語やロシア語の例から知れる通り、われわれが外国語を学ぶのは目標文化に近づくためなのです。目標文化にアクセスするための手段として目標言語を学ぶ。

しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には目標文化が存在しません。英語という目標言語だけはあるけれども、その言語を経由して、いったいどこに向かおうとしているのか。向かう先はアメリカでもイギリスでもない。カナダでもオーストラリアでもない。どこでもないのです。

何年か前に、推薦入試の入試本部で学長と並んで出願書類をチェックしていたことがありました。学長は英文科の方だったのですけれど、出願書類の束を読み終えた後に嘆息をついて、「内田さん、今日の受験者150人の中に『英文科志望理由』に『英米文学を学びたいから』と書いた人が何人いると思う?」と訊いてきました。「何人でした?」と僕が問い返すと「2人だけ」というお答えでした「後は、『英語を生かした職業に就きたいから』」だそうでした。

僕の知る限りでも、英語を学んで、カタールの航空会社に入った、香港のスーパーマーケットに就職した、シンガポールの銀行に入ったという話はよく聞きます。別にカタール文化や香港文化やシンガポール文化をぜひ知りたい、その本質に触れたいと思ってそういう仕事を選んだわけではないでしょう。彼らにとって、英語はたしかに目標言語なのですけれど、めざす目標文化はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。高い年収と地位が得られるなら、どの外国でも暮らすし、どの外国でも働く、だから英語を勉強するという人の場合、これまでの外国語教育における目標文化に当たるものが存在しない。
これについては平田オリザさんが辛辣なことを言っています。彼に言わせると、日本の今の英語教育の目標は「ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育」だそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」はもちろん有用な仕事であり、しかるべき能力を要するし、それにふさわしい待遇を要求できるポストですけれど、それは一人いれば足りる。何百万単位で「シンガポール支店長」を「人形焼き」を叩き出すように作り出す必要はない。でも、現在の日本の英語教育がめざしているのはそういう定型です。

僕は大学の現場を離れて7年になりますので、今の大学生の学力を知るには情報が足りないのですけれども、それでも、文科省が「英語ができる日本人」ということを言い出してから、大学に入学してくる学生たちの英語力がどんどん低下してきたことは知っています。それも当然だと思います。英語を勉強することの目標が、同学齢集団内部での格付けのためなんですから。低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語学習に子どもたちを向けようとしている。そんなことが成功するはずがない。恐怖や不安を動機にして、知性が活性化するなんてことはありえないからです。

僕は中学校に入って初めて英語に触れました。それまではまったく英語を習ったことがなかった。1960年頃の小学生だと、学習塾に通っているのがクラスに二三人、あとは算盤塾くらいで、小学生から英語の勉強している子どもなんか全然いません。ですから、FENでロックンロールは聴いていましたけれど、DJのしゃべりも、曲の歌詞も、ぜんぶ「サウンド」に過ぎず、意味としては分節されていなかった。それが中学生になるといよいよ分かるようになる。入学式の前に教科書が配られます。英語の教科書を手にした時は、これからいよいよ英語を習うのだと思って本当にわくわくしました。これまで自分にとってまったく理解不能だった言語がこれから理解可能になってゆくんですから。自分が生まれてから一度も発したことのない音韻を発声し、日本語に存在しない単語を学んで、それが使えるようになる。その期待に胸が膨らんだ。

今はどうでしょう。中学校一年生が四月に、最初の英語の授業を受ける時に、胸がわくわくどきどきして、期待で胸をはじけそうになる・・・というようなことはまずないんじゃないでしょうか。ほかの教科とも同じでしょうけれど、英語を通じて獲得するものが「文化」ではないことは中学生にもわかるからです。

わかっているのは、英語の出来不出来で、自分たちは格付けされて、英語ができないと受験にも、就職にも不利である、就職しても出世できないということだけです。そういう世俗的で功利的な理由で英語学習を動機づけようとしている。でも、そんなもので子どもたちの学習意欲が高まるはずがない。

格付けを上げるために英語を勉強しろというのは、たしかにリアルではあります。リアルだけれども、全然わくわくしない。外国語の習得というのは、本来はおのれの母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものを習得ゆくプロセスのはずです。だからこそ、知性の高いパフォーマンスを要求する。自分の知的な枠組みを超え出てゆくわけですから、本当なら「清水の舞台から飛び降りる」ような覚悟が要る。そのためには、外国語を学ぶことへ期待とか向上心とか、明るくて、風通しのよい、胸がわくわくするような感じが絶対に必要なんですよ。恐怖や不安で、人間はおのれの知的な限界を超えて踏み出すことなんかできません。
でも、文科省の『「英語ができる日本人」の育成のための行動計画の策定について』にはこう書いてある。

「今日においては、経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し、人の流れ、物の流れのみならず、情報、資本などの国境を超えた移動が活発となり、国際的な相互依存関係が深まっています。それとともに、国際的な経済競争は激化し、メガコンペティションと呼ばれる状態が到来する中、これに対する果敢な挑戦が求められています。」

冒頭がこれです。まず「経済」の話から始まる。「経済競争」「メガコンペティション」というラットレース的な状況が設定されて、そこでの「果敢な挑戦」が求められている。英語教育についての基本政策が「金の話」と「競争の話」から始まる。始まるどころか全篇それしか書かれていない。

「このような状況の中、英語は、母語の異なる人々をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際的共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠です」という書いた後にこう続きます。

「現状では、日本人の多くが、英語力が十分でないために、外国人との交流において制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態も起きています。」
「金」と「競争」の話の次は「格付け」の話です。ここには異文化に対する好奇心も、自分たちの価値観とは異なる価値観を具えた文化に対する敬意も、何もありません。人間たちは金を求めて競争しており、その競争では英語ができることが死活的に重要で、英語学力が不足していると「制限を受けたり」「適切な評価が得られない」という脅しがなされているだけです。そんなのは日本人なら誰でもすでに知っていることです。でも、「英語ができる日本人」に求められているのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」なのです。

外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在すると知ることです。

でも、この文科省の作文には、外国語を学ぶのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」の檻から逃れ出るためだという発想がみじんもない。自分たちの狭隘な、ローカルな価値観の「外側」について学ぶことは「国際的な相互依存関係」のうちで適切なふるまいをするために必須であるという見識さえ見られない。僕は外国語学習の動機づけとして、かつてこれほど貧しく、知性を欠いた文章を読んだことがありません。

たしかに、子どもたちを追い込んで、不安にさせて、処罰への恐怖を動機にして何か子どもたちが「やりたくないこと」を無理強いすることは可能でしょう。軍隊における新兵の訓練というのはそういうものでしたから。処罰されることへの恐怖をばねにすれば、自分の心身の限界を超えて、爆発的な力を発動させることは可能です。スパルタ的な部活の指導者は今でもそういうやり方を好んでいます。でも、それは「やりたくないこと」を無理強いさせるために開発された政治技術です。
ということは、この文科省の作文は子どもたちは英語を学習したがっていないという前提を採用しているということです。その上で、「いやなこと」を強制するために、「経済競争」だの「メガコンペティション」だの「適切な評価」だのという言葉で脅しをかけている。

ここには学校教育とは、一人一人の子どもたちがもっている個性的で豊かな資質が開花するのを支援するプロセスであるという発想が決定的に欠落しています。子どもたちの知性的・感性的な成熟を支援するのが学校教育でしょう。自然に個性や才能が開花してゆくことを支援する作業に、どうして恐怖や不安や脅迫が必要なんです。勉強しないと「ひどい目に遭うぞ」というようなことを教師は決して口にしてはならないと僕は思います。学ぶことは子どもたちにとって「喜び」でなければならない。学校というのは、自分の知的な限界を踏み出してゆくことは「気分のいいこと」だということを発見するための場でなければならない。

この文章を読んでわかるのは、今の日本の英語教育において、目標言語は英語だけれど、目標文化は日本だということです。今よりもっと日本的になり、日本的価値観にがんじがらめになるために英語を勉強しなさい、と。ここにはそう書いてある。目標文化が日本文化であるような学習を「外国語学習」と呼ぶことに僕は同意するわけにはゆきません。

僕自身はこれまでさまざまな外国語を学んできました。最初に漢文と英語を学び、それからフランス語、ヘブライ語、韓国語といろいろな外国語に手を出しました。新しい外国語を学ぶ前の高揚感が好きだからです。日本語にはない音韻を発音すること、日本語にはない単語を知ること、日本語とは違う統辞法や論理があることを知ること、それが外国語を学ぶ「甲斐」だと僕は思っています。習った外国語を使って、「メガコンペティションに果敢に挑戦」する気なんか、さらさらありません。

外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観、美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのは、その世界に接近してゆくことです。 

フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。

外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。

でも、今の日本の英語教育は「母語の檻」からの離脱など眼中にない。それが「目標言語は英語だが、目標文化は日本だ」ということの意味です。外国語なんか別に学ぶ必要はないのだが、英語ができないとビジネスができないから、バカにされるから、だから英語をやるんだ、と。言っている本人はそれなりにリアリズムを語っているつもりでいるんでしょう。でも、現実にその結果として、日本の子どもたちの英語力は劇的に低下してきている。そりゃそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」が「上がり」であるような英語教育を受けていたら、そもそもそんな仕事に何の興味もない子どもたちは英語をやる理由がない。

(中略)

今は英語教育にとりわけ中等教育では教育資源が偏ってきています。他の教科はいいから、とにかく英語をやれという圧力が強まっています。別にそれは英語の教員たちが望んだことではないのだけれど、教育資源が英語に偏っている。特に、オーラル・コミュニケーション能力の開発に偏っている。何でこんなに急激にオーラルに偏ってきたかというと、やはりこれは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。

「グローバル・コミュニケーション」と言っても、オーラルだけが重視されて、読む力、特に複雑なテクストを読む能力はないがしろにされている。これは植民地の言語教育の基本です。

植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。理由は簡単です。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有するからです。100%ネイティヴが勝つ。「勝つ」というのは変な言い方ですけれども、オーラル・コミュニケーションの場では、ネイティヴにはノン・ネイティヴの話を遮断し、その発言をリジェクトする権利が与えられています。ノン・ネイティヴがどれほど真剣に、情理を尽くして話していても、ネイティヴはその話の腰を折って「その単語はそんなふうには発音しない」「われわれはそういう言い方をしない」と言って、話し相手の知的劣位性を思い知らせることができる。

逆に、植民地的言語教育では、原住民の子どもたちにはテクストを読む力はできるだけ付けさせないようにする。うっかり読む力が身に着くと、植民地の賢い子どもたちは、宗主国の植民地官僚が読まないような古典を読み、彼らが理解できないような知識や教養を身に付ける「リスク」があるからです。植民地の子どもが無教養な宗主国の大人に向かってすらすらとシェークスピアを引用したりして、宗主国民の知的優越性を脅かすということは何があっても避けなければならない。だから、読む力はつねに話す力よりも劣位に置かれる。「難しい英語の本なんか読めても仕方がない。それより日常会話だ」というようなことを平然と言い放つ人がいますけれど、これは骨の髄まで「植民地人根性」がしみこんだ人間の言い草です。

「本を読む」というのはその国の文化的な本質を理解する上では最も効率的で確実な方法です。でも、植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。

今の日本の英語教育がオーラルに偏って、英語の古典、哲学や文学や歴史の書物を読む力を全く求めなくなった理由の一つは「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。だから、アメリカ人は日本人が英語がぺらぺら話せるようになることは強く求めていますけれど、日本の子どもたちがアメリカの歴史を学んだり、アメリカの政治構造を理解したり、アメリカの文学に精通したりすること、それによってアメリカ人が何を考えているのか、何を欲望し、何を恐れているのかを知ることはまったく望んでいません。

(以下略)

「原住民には法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない」ということを英語教育について書いたら、国語教育でも同じことをしようとしているということを知らされた。

まことに情けない国に成り下がったものである。
http://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
74. 2019年4月05日 00:14:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1083]
日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c74
コメント [経世済民79] 日本株GW暴落!? 米市場は「ヒンデンブルグ・オーメン」警戒 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
1411. 2019年4月05日 00:14:42 : crwOMLqztc : QnhRNWs0UW5UOTY=[1]
詐欺師 crayford は、Lord David James of Blackheath は、
死んでなかった と知って パニックになっているようです。
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/610.html#c1411
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
214. 前河[1827] kU@JzQ 2019年4月05日 00:15:00 : gEILUBiAMY : cXR1WkgzbmlvTEE=[15]

日高見さん、斜め中道さん、楽老さん

いやいや206からの、お三方のハイレベル雑談(?)がちょっと凄過ぎですね。ここだけで披露される話としては勿体無いくらい。多くの人々に聞いて欲しい話と感じます。

ただの雑学博士みたいのは好きではないんですが、お三方の話は、知識の方向性が興味深いし、中身の濃さに驚きますね。

いわゆる「人が言わない本当の話」「人は話すのをチュウチョするが、本当は大事な本質的な話」こういう方向性で語れる方々がもっと増えて欲しいと敬意を持ちながら感じています。吸収させて頂きます。m(__)m

斜め中道さんには完全同意。楽老さんのリンカーンの話にもビックリためになるお話‼リンカーンって、残忍だった?知らなかったな。

また、ためになるいいお話を聞かせて下さい。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c214

コメント [政治・選挙・NHK259] だから翼賛報道 新元号「有識者懇」にマスコミ代表ズラリ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 地下爺[5635] km6Jupbq 2019年4月05日 00:16:39 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[16]
 


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/314.html#c3
コメント [原発・フッ素51] 凍える4月 マスコミは全く報道せず 温暖化はどうなった?  魑魅魍魎男
32. 2019年4月05日 00:17:53 : n0SL73mgPI : OS9UNElreUF6OFU=[2]
石油利権システムを牛耳っている連中と、原子力推進マフィアと、対立軸をつくって、一時期
双方による諍いが、「地球温暖化」だと説明しているブロガー結構多くいたようだけど

でも、石油利権システム・マフィアも、世界各地で、偽旗テロを引起したり、アフガニスタン
やイラク侵略攻撃などで、使用しているのは原子力推進マフィアが「電力エネルギー」の
カモフラージュで一般市民を洗脳している「原発」由来の「核兵器」なのだから、この対立
も残念プロレス興行ということになる

地球破壊・温暖化に影響を及ぼすCO2、という御用学者らが打ち立てた似非「理論」に基き
原始的なエネルギー資源に依存する、発展途上国の経済成長を、コントロール下に置く
そしてそのCO2排出権の取引をビジネスにして、株や為替のように取り扱い、市場での価値
をロンドン・シティやニューヨークの先物取引のように支配者側の意向で自由に上げ下げし、
法外な額の利益を獲得、要は八百長賭場で、扱う金融商品と同様、詐欺ゼニ儲けシステム

CO2温暖化対策と称し、液化したCO2を地中に封入し、意図的に人工地震を引起すテロ
を実行しているのは、他でもない、原子力推進マフィアの配下、東電である

現在の異常気象、この春、米国で引き起こされている大洪水などは、まさしくテロそのもの
そういた気象兵器テロを駆使して、連中の企図する世界終末戦争に繋げるこの世の終わり
ショーを大々的に興行している真っ最中というのが真相である

安倍の地元・山口や麻生の地元福岡で、それこそみぞうゆう(未曾有)の大規模自然災害が
同じように引起されない限り、日本国内で生じている異常気象が、自然であるという判断は
下す道理はないのである

それは、ナチスドイツが、英国と戦争をしながら、英国王室を決して攻撃対象にしていない事、
日本の皇居が、あれだけ一般市民を大量殺戮した原爆と空襲の攻撃を受けていないことと同義
というものである

売国の工作手引きを行う者の地元や住まいを攻撃する場合、これは丁度祝儀のように災害に見せ
かけた攻撃破壊を行い、その復興利権を売国の工作員に与える、そういう場合もあるわけだが
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/307.html#c32

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
11. 中川隆[-10944] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:21:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1084]

比較敗戦論のために - 内田樹の研究室 2019-03-20
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html


2019年度の寺子屋ゼミは「比較敗戦論」を通年テーマにすることにした。

どうしてこのようなテーマを選ぶことになったのか。それについて姜尚中さんとのトークセッションで語ったことがある。
そのときの講演録を再録しておく。講演があったのは2016年


敗戦国は日独だけではない

 今回の「比較敗戦論」というタイトルは、問題提起という意味でつけました。特に僕の方で用意した結論があるわけではありません。ただ、歴史を見るときに、こういう切り取り方もあるのだというアイディアをお示ししたいと思います。

「比較敗戦論」という言葉は『永続敗戦論』(太田出版 二〇一三年)の白井聡さんと対談をしまたときにふと思いついたのです(この対談はその後、『日本戦後史論』(徳間書店、二〇一五年)という本にまとまりました)。

『永続敗戦論』での白井さんの重要な主張は「日本人は敗戦を否認しており、それが戦後日本のシステムの不調の原因である」というものでした。「敗戦の否認」というキーワードを使って、戦後七〇年の日本政治をきわめて明晰に分析した労作です。

ただ、僕が思ったのは、白井さんと話をしていて、日本人が戦後七〇年間にわたって敗戦経験を否認してきたということは全くご指摘の通りなんだけれども、日本以外の敗戦国ではどうなのか、ということが気になりました。日本以外の他の敗戦国はそれぞれ適切なやり方で敗戦の「総括」を行ったのか。その中で日本だけが例外的に敗戦を否認したのだとすれば、それはなぜなのか。そういった一連の問いがありうるのではないかと思いました。

白井さんの言う通り「敗戦の否認」ゆえに戦後日本はさまざまな制度上のゆがみを抱え込み、日本人のものの考え方にも無意識的なバイアスがかかっていて、ある種の思考不能状態に陥っていること、これは紛れもない事実です。でも、それは日本人だけに起きていることなのか。他の敗戦国はどうなっているのか。多の敗戦国では、敗戦を適切に受け容れて、それによって制度上のゆがみや無意識的な思考停止を病むというようなことは起きていないのか。よく「ドイツは敗戦経験に適切に向き合ったけれど、日本はそれに失敗した」という言い方がされます。けれども、それはほんとうに歴史的事実を踏まえての発言なのか。

まず僕たちが誤解しやすいことですけれど、第二次世界大戦の敗戦国は日独伊だけではありません。フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敵国として認定した国です。それ以外にも、連合国がそもそも国として認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア自由国、満州国、中華民国南京政府があります。これだけの「国」が敗戦を経験した。でも、僕たちはこれらの敗戦国で、人々が敗戦経験をどう受け容れたのか、どうやって敗戦後の七〇年間を過ごしてきたのかについて、ほとんど何も知りません。例えば、「フィンランド国民は敗戦をどう総括したか」というような研究は、フィンランド国内にはしている人がいるのでしょうけれど、僕はそれについての日本語文献のあることを知らない。でも、「敗戦の否認」という心理的な痼疾を手がかりにして現代日本社会を分析するためには、やはり他の敗戦国民は自国の敗戦をどう受け止めたのか、否認したのか、受容したのかが知りたい。敗戦の総括をうまく実行できた国はあるのか。あるとしたら、なぜ成功したのか。敗戦を否認した国は日本の他にもあるのか。あるとしたら、その国における敗戦の否認は、今その国でどのような現実を帰結したのか、それを知りたい。「敗戦の否認」が一種の病であるとするなら、治療のためには、まず症例研究をする必要がある。僕はそんなふうに考えました。

フランスは果たして戦勝国なのか

 このアイデアには実はいささか前段があります。枢軸国の敗戦国というと、ふつうは日独伊と言われます。けれども、フランスだって実は敗戦国ではないのか。僕は以前からその疑いを払拭することができずにいました。

ご承知の方もいると思いますが、僕の専門はフランス現代思想です。特にエマニュエル・レヴィナスというユダヤ人哲学者を研究してきました。その関連で、近代フランスにおけるユダヤ人社会と彼らが苦しんだ反ユダヤ主義のことをかなり長期にわたって集中的に研究してきました。そして、そのつながりで、19世紀から20世紀はじめにかけてのフランスの極右思想の文献もずいぶん読み漁りました。

 僕がフランスにおける反ユダヤ主義の研究を始めたのは1980年代のはじめ頃ですが、その頃フランスの対独協力政権、ペタン元帥の率いたヴィシー政府についての研究が続々と刊行され始めました。ですから、その頃出たヴィシーについての研究書も手に入る限り買い入れて読みました。そして、その中でも出色のものであったベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』(国文社、一九八九年)という本を翻訳することになりました。これはフランスが実はファシズムと反ユダヤ主義というふたつの思想の「母国」であったという非常に挑発的な内容で、発売当時はフランスでは大変な物議を醸したものでした。

 歴史的事実をおさらいすると、一九三九年九月にドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスはマジノ線を破られて半年後の六月にフランスは独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直接統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンが掲げた対独協力政府ができます。

フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人やレジスタンスを行いました。フランス国内で捕らえられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツへ送られました。

 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くに人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指されて殺された。真実はわからない。

アルベール・カミュは最初期からのほんもののレジスタンス闘士でしたけれど、戦後その時代を回想して、「ほんとうに戦ったレジスタンスの活動家はみな死んだ」と書いて、今生き残って「レジスタンス顔」をしている人間に対する不信を隠そうとしませんでした。このあたりの消息は外国人にはなかなかわかりません。

シャルル・ド・ゴールもその回想録の中で、ヴィシー政府壊滅後のフランス各地の混乱に言及して、「無数の場所で民衆の怒りは暴力的な反動として溢れ出した。もちろん、政治的な目論見や、職業上の競争や、個人的な復讐がこの機会を見逃すはずもなかった」と証言しています。(Charles De Gaulle, Mémoire de guerre, Plon, 1959, p.18)

 国防次官だったシャルル・ド・ゴールはペタン元帥が休戦協定を結んだときにロンドンに亡命して亡命政府を名乗りますけれど、もちろん彼の「自由フランス」には国としての実体などありません。国際法上はあくまでヴィシー政府がフランスの正統な政府であって、自由フランスは任意団体に過ぎません。そもそもド・ゴール自身、フランスの法廷で欠席裁判のまま死刑宣告されているのです。

ド・ゴール以外にも、フランソワ・ダルラン将軍、アンリ・ジロー将軍といった軍の実力者がいて、フランスの正統な代表者の地位を争っていました。最終的にド・ゴールが競争相手を排除して、自由フランス軍のトップに立ちますけれど、それでも一交戦団体に過ぎません。44年にド・ゴールが「フランス共和国臨時政府」を名乗ったときも、アメリカもイギリスもこれを承認するのを渋りました。ド・ゴールが一交戦団体に過ぎなかった自由フランスを「戦勝国」にカテゴリー変更させたのは、彼の発揮した軍事的・外交的実力によってです。44年、ノルマンディー上陸後西部戦線でのドイツ軍との戦闘が膠着状態にあったとき、ド・ゴールはこの機会にフランスを連合国に「高く売る」ことに腐心しています。回想録にはそのことが率直に書いてあります。

「戦争がまだ長引くということは、われわれフランス人が耐え忍ばなければならない損失、被害、出費を考えれば、たしかに痛ましいことである。しかし、フランスの最優先の利害を勘案するならば、フランス人の当面の利益を犠牲にしても、戦争の継続は悪い話ではなかった。なぜなら、戦争がさらに長びくならば、アフリカやイタリアでそうだったように、われわれの協力がライン河・ドナウ河での戦闘にも不可欠のものとなるからである。われわれの世界内における地位、さらにはフランス人がこれから何世代にもわたって自分自身に対して抱く評価がそこにかかっている。」(Ibid., p.44、強調は内田)

 ド・ゴールは、パリ解放からドイツ降伏までのわずかの時間内に、フランス軍の軍事的有用を米英に誇示できるかどうかに戦後フランスの、国際社会における立場がかかっているということを理解していました。ほんとうにこのときのフランスは綱渡りだったのです。ノルマンディー上陸作戦の時点ではド・ゴールの自由フランスの支持基盤は国内のレジスタンスだけでした。それが戦局の推移に伴ってそれ以外のフランス人たちも自由フランスを自分たちの代表として承認する気分になり、最後に米英はじめ世界の政府がド・ゴールの権威を承認せざるを得なくなった。ですから、ド・ゴールが「国を救った」というのはほんとうなのです。対独協力国、事実上の枢軸国がいつのまにか連合国の一員になり、さらに国際社会の重鎮になりおおせていたわけですから、これはド・ゴールの力業という他ありません。

でも、このド・ゴールが力業でフランスの体面を救ったことによって、フランス人は戦争経験の適切な総括を行う機会を奪われてしまった。ほんとうを言えば、ドイツの犯したさまざまな戦争犯罪に加担してきたフランス人たちはもっと「疚しさ」を感じてよかったのです。でも、フランス人は戦勝国民として終戦を迎えてしまった。フランス人は「敗戦を総括する義務」を免除された代わりにもっと始末におえないトラウマを抱え込むことになりました。


イタリアは戦勝国ではないのか

 僕たち日本人はイタリアがどんなふうに終戦を迎えたかについてはほとんど知るところがありません。世界史の授業でもイタリアの敗戦については詳しく教えてもらった記憶がない。教科書で教えてもらえないことは、映画や小説を通じて学ぶわけですけれども、イタリアの終戦時の混乱については、それを主題にした映画や文学も日本ではあまり知られておりません。『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督、一九四五年)にはイタリアのレジスタンスの様子がリアルに描かれていますが、僕が知っているのはそれくらいです。ですから、ナチスと命がけで戦ったイタリア人がいたことや、イタリア人同士で激しい内戦が行われていたという歴史的事実も日本人はあまり知らない。

一九四三年七月に、反ファシスト勢力が結集して、国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ三世が主導して、ムッソリーニを20年にわたる独裁者の地位から引きずり下ろしました。そして、首相に指名されたピエトロ・バドリオ将軍は水面下で連合国と休戦交渉を進めます。その後、監禁されていたムッソリーニをドイツの武装親衛隊が救い出して、北イタリアに傀儡政権「イタリア社会共和国」を建て、内戦状態になります。最終的にドイツ軍はイタリア領土内から追い出され、ムッソリーニはパルチザンに捕らえられて、裁判抜きで処刑され、その死体はミラノの広場に逆さ吊りにされました。イタリア王国軍とパルチザンがムッソリーニのファシスト政権に引導を渡し、ドイツ軍を敗走させた。ですから、イタリアは法理的には戦勝国なんです。でも、たぶん「イタリアは戦勝国だ」と思っている日本人はほとんどいない。自分たちと同じ敗戦国だと思っている。

たしかに、戦後イタリアを描いた『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1948年)のような映画を観ると、街は爆撃でひどいことになっているし、人々は食べるものも仕事もなくて、痩せこけている。「ああ、イタリアも日本と同じだ」と思っても不思議はない。でも、違います。イタリアは戦勝国なんです。だいたい、イタリアは一九四五年七月には日本に宣戦布告しているんです。

 フランスとイタリアを比べれば、フランスよりイタリアの方がずっと戦勝国条件が整っている。フランスは先ほど述べたように紙一重で戦勝国陣営に潜り込み、国連の常任理事国になり、核保有国になり、今も世界の大国としてふるまっています。それは一にシャルル・ド・ゴールという卓越した政治的能力を持つ人物が国家存亡のときに登場したからです。ド・ゴールがいて、ルーズベルトやチャーチルと一歩も引かずに交渉したから、フランスは戦勝国「のようなもの」として戦後世界に滑り込むことができた。でも、イタリアにはそんなカリスマ的な人物がいませんでした。戦争指導者であったヴィットリオ・エマヌエーレ三世とバドリオ将軍は、ドイツ軍がローマに侵攻してきたとき、市民を「無防備都市」に残したまま自分たちだけ逃亡してしまった。そのせいでイタリア軍の指揮系統は壊滅しました。戦後の国民投票で国民たちの判断で王政が廃止されたのは、このときの戦争指導部の国民に対する裏切りを国民が許さなかったからです。

フランスとイタリアのどちらも「勝ったんだか負けたんだかよくわからない仕方で戦争が終わった」わけですけれど、フランスにはド・ゴールがいて、イタリアにはいなかった。それが戦後の両国の立ち位置を決めてしまった。

でも、僕はこれを必ずしもフランスにとって幸運なことだったとも、イタリアにとって不幸なことだったとも思わないのです。イタリアは「敗戦国みたいにぼろぼろになった戦勝国」として終戦を迎えました。戦争の現実をありのままに、剥き出しに経験した。戦勝を誇ることもできなかったし、敗戦を否認する必要もなかった。だから、彼らの戦争経験の総括には変なバイアスがかかっていない。

先日、イタリアの合気道家が僕の道場に出稽古に来たことがありました。稽古のあとの歓談のとき、「そういえば君たち、昔、日本に宣戦布告したことがあるでしょう」と訊いてみました。たぶん、そんなこと知らないと思ったんです。意外なことに、彼はすぐに苦笑して、「どうもすみませんでした」と謝るんです。「イタリアって、どさくさまぎれにああいうことをやるんです。フランスが降伏したときにも仏伊国境の土地を併合したし。そういう国なんです。申し訳ない」と。僕は彼のこの対応にびっくりしました。自国の近代史のどちらかというと「汚点」を若いイタリア人が常識として知っているということにまず驚き、それについて下手な言い訳をしないで、さらっと「ごめんね」と謝るところにさらに驚きました。事実は事実としてまっすぐみつめる。非は非として受け容れ、歴史修正主義的な無駄な自己弁護をしない。そのとき僕は「敗戦の否認をしなかった国民」というものがあるとしたら、「こういうふう」になるのかなと思いました。

イタリアは「ほとんど敗戦」という他ないほどの被害を蒙った。内戦と爆撃で都市は傷ついた。行政も軍もがたがたになった。戦死者は30万人に及んだ。でも、その経験を美化もしなかったし、否認もしなかった。「まったくひどい目に遭った。でも、自業自得だ」と受け止めた。だから、戦争経験について否認も抑圧もない。

フランスの場合は、ヴィシーについてはひさしく歴史的研究そのものが抑圧されていました。先ほど名前が出ましたベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』はヴィシーに流れ込む十九世紀二○世紀の極右思想史研究ですが、この本が出るまで戦後四四年の歳月が必要でした。刊行されたときも、保守系メディアはこれに集中攻撃を加えました。「なぜせっかくふさがった『かさぶた』を剥がして、塩を塗り込むようなことをするのか」というのです。それからさらに30年近くが経ちますが、ヴィシー政府の時代にフランスが何をしたのかについての歴史的な研究は進んでいません。

ナチスが占領していた時代のフランス人は何を考え、何を求めて、どうふるまったのか。いろいろな人がおり、いろいろな生き方があったと思います。それについての平明な事実を知ることが現代のフランス人には必要だと僕は思います。ド・ゴールが言うように「自分自身に対して抱く評価」を基礎づけるために。でも、それが十分に出来ているように僕には思えません。フランスの場合は「敗戦の否認」ではなく、対独協力国だったという歴史的事実そのものが否認されている。その意味では、あるいは日本より病が深いかもしれない。

 現在の政治状況と敗戦の総括との関係

 本来なら、ヴィシー政府の政治家や官僚やイデオローグたちの事績を吟味して、「一体、ヴィシーとは何だったのか、なぜフランス人は民主的な手続きを経てこのような独裁制を選択したのか」という問いを徹底的に究明すべきだったと思います。でも、フランス人はこの仕事をネグレクトしました。ヴィシー政府の要人たちに対する裁判もごく短期間のうちに終えてしまった。東京裁判やニュルンベルク裁判のように、戦争犯罪の全貌を明らかにするということを抑制した。ペタン元帥や首相だったピエール・ラヴァルの裁判はわずか一ヶ月で結審して、死刑が宣告されました。裁判は陪審員席からも被告に罵声が飛ぶというヒステリックなもので、真相の解明というにはほど遠かった。この二人に全責任を押しつけることで、それ以外の政治家や官僚たちは事実上免責されました。そして、この「エリートたち」はほぼそのまま第四共和政の官僚層に移行する。

 レヴィによれば、フランスにおいて、ヴィシーについての歴史学的な検証が進まなかった最大の理由は、ヴィシー政府の官僚層が戦後の第四共和政の官僚層を形成しており、彼らの非を細かく咎めてゆくと、第四共和政の行政組織そのものが空洞化するリスクがあったからだということでした。事情を勘案すれば、フランス政府が、国家的選択として対独協力していたわけですから、それをサボタージュした官僚はうっかりするとゲシュタポに捕まって、収容所に送られるリスクがあったわけです。組織ぐるみの対独協力をせざるを得なかった。だから、一罰百戒的に、トップだけに象徴的に死刑宣告を下して、あとは免罪して、戦後の政府機構に取り込むことにした。それは当座の統治システムの維持のためには、しかたなかったのかも知れません。

ですから、ヴィシーについての歴史学的な実証研究が始まるのは、この官僚たちが現役を引退した後になります。一九八〇年代に入って、戦後四〇年が経って、ヴィシー政府の高級官僚たちが退職したり、死んだりして、社会的な影響がなくなった時点ではじめて、最初は海外の研究者たちが海外に流出していたヴィシー政府の行政文書を持ち出して、ヴィシー研究に手を着け始めた。フランス人自身によるヴィシー研究は『フランス・イデオロギー』が最初のものです。戦争が終わって四五年後です。「ヴィシーの否認」は政治的に、意識的に、主体的に遂行された。でも、そのトラウマは別の病態をとって繰り返し回帰してきます。僕はフランスにおける「イスラモフォビア」(イスラーム嫌悪症)はそのような病態の一つではないかと考えています。

 フランスは全人口の一〇%がムスリムです。先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは一九五〇年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面した時、暴力的な弾圧を以って応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由・平等・友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。

もしフランスで終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、五〇年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。

 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力は全て「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民には、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。

 他の敗戦国はどうでしょう。ハンガリーは最近、急激に右傾化して、排外主義的な傾向が出てきています。タイも久しく穏やかな君主制でいましたけれども、近年はタクシン派と反タクシン派が戦い続けて、国内はしばしば内戦に近い状態を呈しています。スロバキアとかクロアチアとかにもやはり政治的にある種の不安定さを常に感じます。

戦争後は、どの国も「この話はなかったことに」という国民的合意に基づいて「臭いものに蓋」をした。当座はそれでよかったかも知れません。でも、蓋の下では、抑圧された国民的な「恥辱」や「怨嗟」がいつまでも血を流し、腐臭を発している。だから、ハンガリーの現在の政治状況や、タイの現在の政治状況が、それぞれの国の敗戦経験の総括と全く無関係かどうかということは、かなり精密な検証をしてみないとわからない。そこには何らかの「関連がある」という仮説を立てて検証をしてみてよいのではないか。してみるだけの甲斐はあると僕は思います。

 ドイツ統合は敗戦の否認か

 戦争の記憶を改竄することによって、敗戦国民は当座の心の安らぎは手に入れることができるかも知れません。でも、そこで手に入れた「不当利得」はどこかで返済しなければならない。いずれ必ず後でしっぺ返しが来る。世界の敗戦国を一瞥すると、どこも七〇年かけて、ゆっくりと、でも確実に「記憶の改竄」のツケを支払わされている。『永続敗戦論』が明らかにしたように、日本も敗戦の否認のツケを払わされている。そして、この返済はエンドレスなんです。「負債がある」という事実を認めない限り、その負債を割賦でいいから返して行かない限り、この「負債」は全く別の様態をとって、日本人を責め続ける。

 「ドイツは敗戦経験の総括に成功した」と多くの人が言います。でも、本当にそうなんでしょうか。僕は簡単には諾うことができません。東ドイツのことを勘定に入れ忘れているような気がするからです。

東ドイツは「戦勝国」なんです。東ドイツはナチスと戦い続けたコミュニストが戦争に勝利して建国した国だという話になっている。だから、東ドイツ国民はナチスの戦争犯罪に何の責任も感じていない。感じることを国策的に禁止されていた。責任なんか感じてるはずがない。自分たちこそナチスの被害者であり、敵対者だということになっているんですから。悪虐非道なるナチスと戦って、それを破り、ドイツ国民をナチスの軛から解放した人々が、何が悲しくて、ナチスの戦争犯罪について他国民に謝罪しなければならないのか。

 一九九〇年に合併した当時、西ドイツと東ドイツとは人口比でいうと四対一でした。ということは、その時点では、全ドイツ人口の二〇%、一六○○万人は「自分たちはナチスドイツの戦争犯罪に何の責任もない」と子供のころからずっと教えられてきた人たちだったということです。それが合併後のドイツの国民的自意識にどういう影響を与えたのか。僕は寡聞にして知りません。

 日本国内に「日本軍国主義者の戦争犯罪について、われわれには何の責任もない。われわれは彼らと戦って、日本を解放したのである」と教えられて来た人が二四○○万人いる状況を想定してください。そう信じている「同胞」を受け容れ、戦争経験について国民的規模での総括を行い、合意を形成するという作業がどれほど困難であるか、想像がつくと思います。さて、果たして、ドイツでは東西ドイツが合併した時に、戦争経験の総括について、国民的合意を形成し得たのか。僕は「ドイツはこんな風に合意形成を成し遂げました」と納得のゆく説明をしたものをこれまで読んだことがありません。いや、それは僕がただ知らないでだけで、そういう「全く相容れない戦争経験総括を一つにまとめあげたドイツの素晴らしい政治的達成」については既に色々な報告や研究が出ているのかも知れません。でも、そうだとしたら、それこそ「国民的和解」の最良のモデルケースであるわけですから、国内的な対立を抱える様々な国について、何かあるごとに、「ここでも『和解のためのドイツ・モデル』を適用すべきではないか」ということが言及されてよいはずです。でも、僕はそのような「和解モデル」について聞いたことがない。

 ドイツの戦争総括の適切さを語るときに、よくヴァイツゼッカー元大統領の演説が引かれます。この人はヨーロッパの諸国を訪れては、そのつどきちんとナチス・ドイツ時代の戦争犯罪について謝罪しています。その倫理性的な潔さは疑うべくもありません。けれども、やはり日本とは話の運びが微妙に違う。ヴァイツゼッカーは五月四日、ドイツが連合国に無条件降伏した日を「ドイツ国民解放の日」と言っているからです。われわれはナチスの暴虐からその日に解放されたのである、それをことほぐという立場を取る。悪いのはあくまでナチスとその軍事組織や官僚組織や秘密警察組織であって、ドイツ国民はその犠牲者であったという立場は譲らない。ドイツ国民の罪はナチスのような政党を支持し、全権を委ねてしまったことにある。そのような過ちを犯したことは認めるけれども、基本的にはドイツ国民もまたナチスの被害者であり、敗戦によってナチスの軛から解放されたという物語になっている。

 日本人にも敗戦が一種の解放感をもたらしたということは事実だったでしょう。けれども、八月一五日を「解放の日」だと言う人はほとんどいません。表だってそう発言するのは、かなり勇気が要る。けれども、実感としては、それに近いことを思っていた日本人は少なくなかったと思います。

 小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』(松竹、一九六二年)の中で、笠智衆の演じる今はサラリーマンをしている駆逐艦の元艦長平山と、加東大介の演じるかつての駆逐艦の乗組員坂本が、町なかでばったり出会うという場面があります。坂本が平山を誘って、トリスバーのカウンターに座ってウィスキーを飲む。この時に坂本が「ねえ、艦長、もしあの戦争に勝っていたらどうなったんでしょうね」と問う。平山は静かに笑いながら、「負けてよかったじゃないか」と答える。そうすると、坂本は「え?」と一瞬怪訝な顔をするのですが、ふと得心したらしく、「そうかもしれねえな。ばかなやつが威張らなくなっただけでもね」と呟く。これは敗戦がもたらした解放感についての、あの世代の偽らざる実感だったんじゃないかなと思います。

 僕は一九五〇年生まれで、父はもちろん戦中派なのですが、僕が小さい頃に、父が会社の同僚を家に連れてきて飲んでいるときに誰かが「負けてよかったじゃないか」と呟くのを僕は二三度聞いたことがあります。特に力んで主張するというのではなく、何かの弾みにぽろりと口にされる。そして、その言葉が口にされると、男たちは皆黙り込む。それで怒り出す人もいないし、泣き出す人もいない。それは思想とは言えないものでした。敗戦の総括としてはあまりに言葉が足りない。けれども、おそらくこれが戦中派の実感だったと思います。それが世代的な実感として、言挙げしないでも共有されている限り、そのような敗戦の総括もそれなりのリアリティーを持ち得た。けれども、そういう片言隻句だけでは、彼らの思いが輪郭のしっかりした思想として次の世代に継承されることはありません。

 恥ずべき過去も含んだタフな物語

 白井さんの本を読んでいると、日本は異常な仕方で敗戦を否認してきたことがわかる。これは全くその通りなんですけれども、それだけでなく、多くの敗戦国はそれぞれ固有の仕方で自国の敗戦を否認している。僕にはそう思われます。

それぞれの国は自国について、長い時間をかけてそれまで積み上げてきた「国民の物語」を持っています。これは戦争に勝っても負けても手離すことができない。だから、自分たちの戦争経験を、世代を超えて語り継がれる「物語」になんとかして統合しようとした。

 日本人は歴史について都合の悪いことは書かないと指摘されます。それは全くその通りなんです。でも、それは程度の差はあれ、どこの国も同じなんです。戦争をどう総括するかということは、まっすぐに自分たち自身に対する、世代を超えて受け継がれる「評価」に繋がる。だから、大幅に自己評価を切り下げるような「評価」はやはり忌避される。もし敗北や、戦争犯罪についての経験を「国民の物語」に繰り込むことができた国があるとすれば、それは非常に「タフな物語」を作り上げたということです。

 自分たちの国には恥ずべき過去もある。口にできない蛮行も行った。でも、そういったことを含めて、今のこの国があるという、自国についての奥行きのある、厚みのある物語を共有できれば、揺るがない、土台のしっかりとした国ができる。逆に、口当たりの良い、都合のよい話だけを積み重ねて、薄っぺらな物語をつくってしまうと、多くの歴史的事実がその物語に回収できずに、脱落してしまう。でも、物語に回収されなかったからといって、忘却されてしまうわけではありません。抑圧されたものは必ず症状として回帰してくる。これはフロイトの卓見です。押し入れの奥にしまい込んだ死体は、どれほど厳重に梱包しても、そこにしまったことを忘れても、やがて耐えがたい腐臭を発するようになる。

 僕は歴史修正主義という姿勢に対しては非常に批判的なのですけれども、それは、学問的良心云々というより、僕が愛国者だからです。日本がこれからもしっかり存続してほしい。盤石の土台の上に、国の制度を基礎づけたい。僕はそう思っている。そのためには国民にとって都合の悪い話も、体面の悪い話も、どんどん織り込んで、清濁併せ呑める「タフな物語」を立ち上げることが必要だと思う。だから、「南京虐殺はなかった」とか「慰安婦制度に国は関与していない」とかぐずぐず言い訳がましいことを言っているようではだめなんです。過去において、国としてコミットした戦争犯罪がある。戦略上の判断ミスがある。人間として許しがたい非道な行為がある。略奪し、放火し、殺し、強姦した。その事実は事実として認めた上で、なぜそんなことが起きたのか、なぜ市民生活においては穏やかな人物だった人たちが「そんなこと」をするようになったのか、その文脈をきちんと捉えて、どういう信憑が、どういう制度が、どういうイデオロギーが、そのような行為をもたらしたのか、それを解明する必要がある。同じようなことを二度と繰り返さないためには、その作業が不可欠です。そうすることで初めて過去の歴史的事実が「国民の物語」のうちに回収される。「汚点」でも「恥ずべき過去」でも、日の当たるところ、風通しの良いところにさらされていればやがて腐臭を発することを止めて「毒」を失う。

 その逆に、本当にあった出来事を「不都合だから」「体面に関わるから」というような目先の損得で隠蔽し、否認すれば、その毒性はしだいに強まり、やがてその毒が全身に回って、共同体の「壊死」が始まる。

カウンターカルチャーがアメリカの強さ

 なぜアメリカという国は強いのか。それは「国民の物語」の強さに関係していると僕は思っています。戦勝国だって、もちろん戦争経験の総括を誤れば、毒が回る。勝とうが負けようが、戦争をした者たちは、口に出せないような邪悪なこと、非道なことを、さまざま犯してきている。もし戦勝国が「敵は『汚い戦争』を戦ったが、われわれは『きれいな戦争』だけを戦ってきた。だから、われわれの手は白い」というような、薄っぺらな物語を作って、それに安住していたら、戦勝国にも敗戦国と同じような毒が回ります。そして、それがいずれ亡国の一因になる。

 アメリカが「戦勝国としての戦争の総括」にみごとに成功したとは僕は思いません。でも、戦後70年にわたって、軍事力でも経済力でも文化的発信力でも、世界の頂点に君臨しているという事実を見れば、アメリカは戦争の総括において他国よりは手際がよかったとは言えるだろうと思います。

アメリカが超覇権国家たりえたのは、これは僕の全く独断と偏見ですけれども、彼らは「文化的復元力」に恵まれていたからだと思います。カウンターカルチャーの手柄です。

 七〇年代のはじめまで、ベトナム戦争中の日本社会における反米感情は今では想像できないほど激しいものでした。ところが、一九七五年にベトナム戦争が終わると同時に、潮が引くように、この反米・嫌米感情が鎮まった。つい先ほどまで「米帝打倒」と叫んでいた日本の青年たちが一気に親米的になる。この時期に堰を切ったようにアメリカのサブカルチャーが流れ込んできました。若者たちはレイバンのグラスをかけて、ジッポーで煙草の火を点け、リーバイスのジーンズを穿き、サーフィンをした。なぜ日本の若者たちが「政治的な反米」から「文化的な親米」に切り替わることができたのか。それは七〇年代の日本の若者が享受しようとしたのが、アメリカのカウンターカルチャーだったからです。

カウンターカルチャーはアメリカの文化でありながら、反体制・反権力的なものでした。日本の若者たちがベトナム反戦闘争を戦って、機動隊に殴られている時に、アメリカ国内でもベトナム反戦闘争を戦って、警官隊に殴られている若者たちがいた。アメリカ国内にもアメリカ政府の非道をなじり、激しい抵抗を試みた人たちがいた。海外にあってアメリカの世界戦略に反対している人間にとっては、彼らこそがアメリカにおける「取りつく島」であった訳です。つまり、アメリカという国は、国内にそのつどの政権に抗う「反米勢力」を抱えている。ホワイトハウスの権力的な政治に対する異議申し立て、ウォール街の強欲資本主義に対する怒りを、最も果敢にかつカラフルに表明しているのは、アメリカ人自身です。のこの人たちがアメリカにおけるカウンターカルチャーの担い手であり、僕たちは彼らになら共感することができた。僕たちがアメリカ政府に怒っている以上に激しくアメリカ政府に怒っているアメリカ人がいる。まさにそれゆえに僕たちはアメリカの知性と倫理性に最終的には信頼感を抱くことができた。反権力・反体制の分厚い文化を持っていること、これがアメリカの最大の強みだと僕は思います。

 ベトナム戦争が終わると、ベトナムからの帰還兵が精神を病み、暴力衝動を抑制できなくなり、無差別に人を殺すという映画がいくつも作られました。ロバート・デ・ニーロの『タクシードライバー』(一九七六年)がそうですし、『ローリング・サンダー』(一九七七年)もスタローンの『ランボー』(一九八二年)もそうです。アメリカ人はそういう物語を商業映画・娯楽映画として製作し、観客もこれを受け入れた。僕たちはそのことにあまり驚きを感じません。けれども、もし日本でイラク駐留から帰ってきた自衛隊員が精神を病んで、市民を殺しまくるなんていう映画を作ることが可能でしょうか。まず、企画段階で潰されるだろうし、官邸からも防衛省からも激しい抗議があるでしょうし、上映しようとしたら映画館に右翼の街宣車が来て、とても上映できないということになるでしょう。それを考えたら、アメリカのカウンターカルチャーの強さが理解できると思います。彼らはベトナム戦争の直後に、自分たちの政府が強行した政策がアメリカ人自身の精神をどう破壊したかを、娯楽映画として商品化して見せたのです。同じことができる国が世界にいくつあるか、数えてみて欲しいと思います。

 アメリカではこれができる。ハリウッド映画には、大統領が犯人の映画、CIA長官が犯人の映画というような映画も珍しくありません。クリント・イーストウッドの『目撃』(一九九七年)もケヴィン・コスナーの『追い詰められて』(一九八七年)もそうです。警察署長が麻薬のディーラーだった、保安官がゾンビだったというような映画なら掃いて捨てるほどあります。アメリカ映画は、「アメリカの権力者たちがいかに邪悪な存在でありうるか」を、物語を通じて、繰り返し、繰り返し国民に向けてアナウンスし続けている。世界広しといえども、こんなことができる国はアメリカだけです。

 歴史上の汚点を供養する

 米ソは冷戦時代には軍事力でも科学技術でも拮抗状態にありましたが、最終的には一気にソ連が崩れて、アメリカが生き残った。最後に国力の差を作り出したのは、カウンターカルチャーの有無だったと僕は思います。自国の統治システムの邪悪さや不条理を批判したり嘲弄したりする表現の自由は、アメリカにはあるけれどもソ連にはなかった。この違いが「復元力」の違いになって出てくる。

どんな国のどんな政府も必ず失策を犯します。「無謬の統治者」というようなものはこの世には存在しません。あらゆる統治者は必ずどこかで失策を犯す。その時に、自分の間違いや失敗を認めず、他罰的な言い訳をして、責任を回避する人間たちが指導する国と、統治者はしばしば失敗するということを織り込み済みで、そこから復元するシステムを持っている国では、どちらが長期的にはリスクを回避できるか。考えるまでもありません。

 もちろん、ソ連や中国にも優れた政治指導者がいました。個人的に見れば、アメリカの大統領よりはるかに知性的にも倫理的にも卓越していた指導者がいた。でも、まさにそうであるがゆえに、体制そのものが「指導者が無謬であることを前提にして」制度設計されてしまった。それがじわじわとこれらの国の国力を損ない、指導者たちを腐敗させていった。中国だって、今は勢いがありますけれど、指導部が「無謬」であるという物語を手離さない限り、早晩ソ連の轍を踏むことになるだろうと僕は思います。

 ヨーロッパでは、イギリスにはいくらか自国の統治者たちを冷笑する、皮肉な文化が残っています。カナダにも。だから、これはアングロサクソンの一つの特性かもしれません。アメリカの国力を支えているのは、自国について「タフな物語」を持っているという事実です。「タフな胃袋」と同じで、何でも取り込める。

アメリカ人は、自国の「恥ずべき過去」を掘り返すことができる。自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンの土地を強奪したこと、奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと。それを口にすることができる。そのような恥ずべき過去を受け入れることができるという「器量の大きさ」において世界を圧倒している。

 カウンターカルチャーとメイン・カルチャーの関係は、警察の取り調べの時に出てくる「グッド・コップ」と「バッド・コップ」の二人組みたいなものです。一方が容疑者を怒鳴り散らす、他方がそれをとりなす。一方が襟首をつかんでこづき回すと、他方がまあまあとコーヒーなんか持ってくる。そうすると、気の弱った容疑者は「グッド・コップ」に取りすがって、この人の善意に応えようとして、自分の知っていることをぺらぺらとしゃべりだす。映画ではよく見る光景ですけれど、メインカルチャーとカウンターカルチャー権力と反権力の「分業」というのはそれに似ています。複数の語り口、複数の価値観を操作して、そのつどの現実にフレキシブルに対応してゆく。

 だから、アメリカには「国民の物語」にうまく統合できない、呑み込みにくい歴史的事実が他国と比べると比較的少ない。「押し入れの中の死体」の数がそれほど多くないということです。もちろん、うまく取り込めないものもあります。南北戦争の敗者南部十一州の死者たちへの供養は、僕の見るところ、まだ終わっていない。アメリカ=メキシコ戦争による領土の強奪の歴史もうまく呑み込めていない。アメリカにとって都合の良い話に作り替えられた『アラモ』(1960年)で当座の蓋をしてしまった。この蓋をはずして、もう一度デイビー・クロケットやジム・ボウイーの死体を掘り起こさないといずれ腐臭が耐えがたいものになっている。いや、現代アメリカにおける「メキシコ問題」というのは、遠因をたどれば「アラモ」の物語があまりに薄っぺらだったことに起因していると言ってもよいのではないかと僕は思います。アメリカ=スペイン戦争もそうです。ハワイの併合に関わる陰謀も、フィリピン独立運動の暴力的弾圧も、キューバの支配がもたらした腐敗もそうです。アメリカがうまく呑み込めずにいるせいで、娯楽作品として消費できない歴史的過去はまだいくらもあります。でも、これらもいずれ少しずつ「国民の物語」に回収されてゆくだろうと僕は予測しています。アメリカ人は、統治者が犯した失政や悪政の犠牲者たちを「供養する」ことが結果的には国力を高めることに資するということを経験的に知っているからです。そして、どの陣営であれ、供養されない死者たちは「祟る」ということを、無意識的にでしょうが、信じている。彼らの国のカウンターカルチャーは、「この世の価値」とは別の価値があるという信憑に支えられている。

 淡々と記述し物語ることこそが最大の供養

 僕の父は山形県鶴岡の生まれです。ご存じでしょうか、庄内人たちは西郷隆盛が大好きです。庄内藩は戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗して、力戦しました。そして、西郷の率いる薩摩兵の前に降伏した。けれども、西郷は敗軍の人たちを非常に丁重に扱った。死者を弔い、経済的な支援をした。一方、長州藩に屈服した会津藩では全く事情が違います。長州の兵はところが、会津の敗軍の人々を供養しなかった。事実、死者の埋葬さえ許さず、長い間、さらしものにしていた。

 薩摩長州と庄内会津、どちらも同じ官軍・賊軍の関係だったのですが、庄内においては勝者が敗者に一掬の涙を注いだ。すると、恨みが消え、信頼と敬意が生まれた。庄内藩の若者たちの中には、のちに西南戦争の時に、西郷のために鹿児島で戦った者さえいますし、西郷隆盛の談話を録した『南洲遺訓』は庄内藩士が編纂したものです。一方、会津と長州の間には戊辰戦争から150年経った今もまだ深い溝が残ったままです。

 靖国参拝問題が、あれだけもめる一因は靖国神社が官軍の兵士しか弔っていないからです。時の政府に従った死者しか祀られない。東北諸藩の侍たちも国のために戦った。近代日本国家を作り出す苦しみの中で死んでいった。そうい人々については、敵味方の区別なく、等しく供養するというのが日本人としては当然のことだろうと僕は思います。

僕の曽祖父は会津から庄内の内田家に養子に行った人です。曽祖父の親兄弟たちは会津に残って死にました。なぜ、彼らは「近代日本の礎を作るために血を流した人たち」に算入されないのか。供養というのは党派的なものではありません。生きている人間の都合を基準にした論功行賞でなされるべきものではありません。だから、僕は靖国神社というコンセプトそのものに異議があるのです。明治政府の最大の失敗は、戊辰戦争での敗軍の死者たちの供養を怠ったことにあると僕は思っています。反体制・反権力的な人々を含めて、死者たちに対してはその冥福を祈り、呪鎮の儀礼を行う。そのような心性が「タフな物語」を生み出し、統治システムの復元力を担保する。その考えからすれば、「お上」に逆らった者は「非国民」であり、死んでも供養に値しないとした明治政府の狭量から近代日本の蹉跌は始まったと僕は思っています。

「祟る」というのは別に幽霊が出てきて何かするという意味ではありません。国民について物語が薄っぺらで、容量に乏しければ、「本当は何があったのか」という自国の歴史についての吟味ができなくなるということです。端的には、自分たちがかつてどれほど邪悪であり、愚鈍であり、軽率であったかについては「知らないふりをする」ということです。失敗事例をなかったことにすれば、失敗から学ぶことはできません。失敗から学ばない人間は同じ失敗を繰り返す。失敗を生み出した制度や心性は何の吟味もされずに、手つかずのまま残る。ならば、同じ失敗がまた繰り返されるに決まっている。その失敗によって国力が弱まり、国益が失われる、そのことを僕は「祟る」と言っているのです。

 「祟り」を回避するためには適切な供養を行うしかない。そして、最も本質的な供養の行為とは、死者たちがどのように死んだのか、それを仔細に物語ることです。細部にわたって、丁寧に物語ることです。それに尽くされる。

司馬遼太郎は「国民作家」と呼ばれますけれど、このような呼称を賦与された作家は多くありません。それは必ずしも名声ともセールスとも関係がない。司馬が「国民作家」と見なされるのは、近代日本が供養し損なった幕末以来の死者たちを、彼が独力で供養しようとしたからです。その壮図を僕たちは多とする。

司馬遼太郎は幕末動乱の中で死んだ若者たちの肖像をいくつも書きました。坂本龍馬や土方歳三については長編小説を書きました。もっとわずか短い数頁ほどの短編で横顔を描かれただけの死者たちもいます。それは別に何らかの司馬自身の政治的メッセージを伝えたり、歴史の解釈を説いたというより、端的に「肖像を描く」ことをめざしていたと思います。

司馬遼太郎の最終的な野心は、ノモンハン事件を書くことでした。でも、ついに書き上げることができなかった。一九三九年のノモンハン事件とは何だったのか、そこで人々はどのように死んだのか、それを仔細に書くことができれば、死者たちに対してはある程度の供養が果たせると思ったのでしょう。でも、この計画を司馬遼太郎は実現できませんでした。それはノモンハン事件にかかわった軍人たちの中に、一人として司馬が共感できるが人物がいなかったからです。日露戦争を描いた『坂の上の雲』には秋山好古や児玉源太郎や大山巌など魅力的な登場人物が出て来ます。けれども、昭和初年の大日本帝国戦争指導部には司馬をしてその肖像を仔細に書きたく思わせるような人士がもう残っていなかった。これはほんとうに残念なことだったと思います。

ノモンハンを書こうとした作家がもう一人います。村上春樹です。『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社 一九九四〜九五年)で村上春樹はノモンハンについて書いています。でも、なぜノモンハンなのか。その問いに村上は答えていない。何だか分からないけれども、急に書きたくなったという感じです。でも、ノモンハンのことを書かないと日本人の作家の仕事は終わらないと直感したというところに、この人が世界作家になる理由があると僕は思います。日本人にとっての「タフな物語」の必要性を村上春樹も感じている。それが今の日本に緊急に必要なものであるということをよくわかっている。

「美しい日本」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧を施していると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」についての薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に適切に対応できるはずがありません。集団の場合も同じです。

国力とは国民たちが「自国は無謬であり、その文明的卓越性ゆえに世界中から畏敬されている」というセルフイメージを持つことで増大するというようなものではありません。逆です。国力とは、よけいな装飾をすべて削り落として言えば、復元力のことです。失敗したときに、どこで自分が間違ったのかをすぐに理解し、正しい解との分岐点にまで立ち戻れる力のことです。国力というのは、軍事力とか経済力とかいう数値で表示されるものではありません。失敗したときに補正できる力のことです。それは数値的には示すことができません。でも、アメリカの「成功」例から僕たちが学ぶことができるのは、しっかりしたカウンターカルチャーを持つ集団は復元力が強いという歴史的教訓です。僕はこの点については「アメリカに学べ」と言いたいのです。日本の左翼知識人には、あまりアメリカに学ぶ人はいません。親米派の学者たちも、よく見ると、まったくアメリカに学ぶ気はない。アメリカに存在する実定的な制度を模倣することには熱心ですけれど、なぜアメリカは強国たりえたのかについて根源的に考えるということには全く興味を示さない。アメリカの諸制度の導入にあれほど熱心な政治家も官僚も、アメリカにあって日本に欠けているものとしてまずカウンターカルチャーを挙げる人はいません。連邦制を挙げる人もいない。でも、アメリカの歴史的成功の理由はまさに「一枚岩になれないように制度を作り込んだ」という点にあるのです。でも、日本のアメリカ模倣者たちは、それだけは決して真似しようとしない。

 ほかにもいろいろ言いたいことはありますけれど、すでに時間を大分超えてしまったので、この辺で終わります。ご静聴ありがとうございました。


【Q&A】


ナラティブの力

姜 今日のお話を聞いていて、どういう「物語」をつくるかということが最大のポリティクスになっている気がします。内田さんの比較敗戦論は、我々のパースペクティブを広げてくれました。韓国や中国では日本例外論、単純にドイツと日本を比較して日本はだめなんだ、だから我々は日本を半永久に批判していい、そういう理屈立てになりがちです。そのときに内田さんの比較敗戦論をもちいてみると、我々のブラインドスポットになっている部分がよく見えてくる。解放の物語の自己欺瞞みたいなところも見えてくる。ところが、安倍さんのような人が出てくると、逆に、かつて自分たちが植民地であった、侵略をされた国は、ますます解放の物語を検証することをやらなくて済んでしまいますね。

内田 イージーな物語に対してイージーな物語で対抗すれば、どちらもどんどんシンプルでイージーな話に落ち込んでしまう。実際の歴史的な事件は「善玉と悪玉が戦っている」というようなシンプルな話ではないんです。さまざまな人たちが複雑な利害関係の中でわかりにく行動を取っている。うっかりすると、本人たち自身、自分たちがどういう動機で行動しているのか、いかなる歴史的な役割を果しているのか、わかっていないということだってある。それが歴史の実相だろうと思います。ですから、それをありのままに淡々と記述していく。軽々には評価を下さない。わかりやすいストーリーラインに落とし込むという誘惑にできる限り抵抗する。そういう歴史に対する自制心が非常に大事になると思います。

 こういう仕事においては、歴史を叙述するときの語り口、ナラティブの力というのが大きいと思うんです。最近、読んだ本の中でフィリップ・ロスの小説『プロット・アゲンスト・アメリカ──もしもアメリカが...』(柴田元幸・訳、集英社、二〇一四年)がとても面白かった。これは一九四〇年の米大統領選挙でルーズベルトではなく、共和党から出馬した大西洋単独飛行の英雄チャールズ・リンドバーグ大佐がヨーロッパでの戦争への不干渉を掲げて勝利してしまうという近過去SFなんです。現実でも、リンドバーグは親独的立場で知られていて、ゲーリングから勲章を授与されてもいます。ロスの小説では、アメリカに親独派政権が誕生して、ドイツと米独不可侵条約を、日本とは日米不可侵条約を結ぶ。そして、アメリカ国内では激しいユダヤ人弾圧が起きる・・・という話です。

 僕はナラティブというのは、こういうSF的想像力の使い方も含むと思います。もし、あのときにこうなっていたらというのは、ほんとうに大事な想像力の使い方だと思う。

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』(浅倉久志・新訳 早川書房、原著一九六二年)というSFがあります。これは枢軸国が連合国に勝った世界の話です。日独がアメリカを占領している。東海岸がドイツ占領地で、ロッキー山脈から西側が日本の占領地。そういう場合に、日本人はアメリカをどういうふうに植民地的に統治するのか、それを考えるのは実は非常に大事な思考訓練なんです。実際に日本がアメリカ西部を安定的に統治しようとしたら、日本の価値観とか美意識とか規範意識を「よいものだ」と思って、自発的に「対日協力」をしようと思うアメリカ人を集団的に創り出すしかない。ドイツがフランスでやったのはそういうことでした。でも、日本の戦争指導部にそのようなアイディアがあったと僕は思いません。

アメリカの方は、日本に勝った後にどうやって占領するかの計画を早々と立案していた。日本人のものの考え方とか組織の作り方とかを戦時中に民族学者に委託して研究しています。卓越した日本人論として今も読み継がれている『菊と刀』はルーズベルトが設置した戦争情報局の日本班のチーフだったルース・ベネディクトが出した調査報告書です。日本社会を科学的に研究して、どういう占領政策が適切かを戦争が終わる前にもう策定していた。

果たして日本の大本営にアメリカに勝った後、どうやってアメリカを統治するか、何らかのプランがあったでしょうか。どうやって対日協力者のネットワークを政治家や学者やジャーナリストやビジネスマンの中に組織するかというようなことをまじめに研究していた部門なんか日本の軍部のどこにも存在しなかったと思います。戦争に勝ったらどうするのかについて何の計画もないままに戦争を始めたんです。そんな戦争に勝てるはずがない。

 僕のSF的妄想は、一九四二年のミッドウェー海戦の敗北で、これはもう勝てないなと思い切って、停戦交渉を始めたらどうなったかというものです。史実でも、実際に、当時の木戸幸一内大臣と吉田茂たちは、すでに講和のための活動を始めています。近衛文麿をヨーロッパの中立国に送って、連合国との講和条件を話し合わせようという計画があった。もし、この工作が奏功して、四二年か四三年の段階で日本が連合国との休戦交渉に入っていれば、それからあとの日本の国のかたちはずいぶん違ったものになっただろうと思います。

ミッドウェー海戦で、帝国海軍は主力を失って、あとはもう組織的抵抗ができない状態でした。戦い続ければ、ただ死傷者を増やすだけしか選択肢がなかったのに、「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」というような、まったく非科学的な軍事思想に駆動されていたせいで、停戦交渉という発想そのものが抑圧された。

この時点で戦争を止めていれば、本土空襲もなかったし、沖縄戦もなかったし、原爆投下もなかった。300万人の死者のうち、95%は死なずに済んだ。民間人の死傷者はほぼゼロで済んだはずです。ミッドウェーは日本軍の歴史的敗北でしたけれど、死者は3000人に過ぎません。ほとんどの戦死者(実際には戦病死者と餓死者でしたが)はその後の絶望的、自滅的な戦闘の中で死んだのです。

空襲が始まる前に停戦していれば、日本の古い街並みは、江戸時代からのものも、そのまま手つかずで今も残っていたでしょう。満州と朝鮮半島と台湾と南方諸島の植民地は失ったでしょうけれど、沖縄も北方四島も日本領土に残され、外国軍に占領されることもなかった。四二年時点で、日本国内に停戦を主導できる勢力が育っていれば、戦争には負けたでしょうけれど、日本人は自分の手で敗戦経験の総括を行うことができた。なぜこのような勝ち目のない戦争に突っ込んで行ったのか、どこに組織的瑕疵があったのか、どのような情報を入力し忘れていたのか、どのような状況判断ミスがあったのか、それを自力で検証することができた。戦争責任の徹底追及を占領軍によってではなく、日本人自身の手で行えた可能性はあった。日本人が自分たちの手で戦争責任を追及し、戦争責任の追及を行い、憲法を改定して、戦後の日本の統治システムを日本人が知恵を絞って作り上げることは可能だった。

「もしミッドウェーのあとに戦争が終わっていたら、その後の戦後日本はどんな国になったのか」というようなSF的想像はとてもたいせつなものだと僕は思います。これはフィクションの仕事です。小説や映画やマンガが担う仕事です。政治学者や歴史学者はそういう想像はしません。でも、「そうなったかもしれない日本」を想像することは、自分たちがどんな失敗を犯したのかを知るためには実はきわめて有用な手立てではないかと僕は思っています。「アメリカの属国になっていなかった日本」、それが僕たちがこれからあるべき日本の社会システムを構想するときに参照すべき最も有用なモデルだと思います。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK259] だから翼賛報道 新元号「有識者懇」にマスコミ代表ズラリ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 地下爺[5636] km6Jupbq 2019年4月05日 00:21:50 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[17]
 


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/314.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK259] だから翼賛報道 新元号「有識者懇」にマスコミ代表ズラリ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 地下爺[5637] km6Jupbq 2019年4月05日 00:23:50 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[18]
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/314.html#c5
コメント [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない 中川隆
1. 中川隆[-10943] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:26:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1085]

英語に堪能、母語に不自由 2019年3月29日


 次期学習指導要領で小学校5・6年生を対象に英語が正式教科となり、11歳、12歳の子どもたちが2年間で習得する英単語数は600〜700にもなるという。現在、中学校では1200単語、高校では1800単語のあわせて3000単語を習得させているが、中学校段階の半分以上を前倒しして小学校段階で覚えさせ、さらに疑問詞や代名詞、動名詞や助動詞、動詞の過去形などの表現も学ばせるのだという。そして上級学校に進学すると、中学校で1600〜1800単語、高校で1800〜2500単語にまで増やし、高卒段階の習得単語を3000からいっきに4000〜5000に引き上げるという。国を挙げてこれほど英語学習にムキになっているのは何のため、誰のためなのだろうか。

 「英語ができるオレは格好いい」の風潮なのか、はたまた英語熱の微妙な浸透による影響なのか、最近は何でもかんでも日本語の会話のなかに英単語を交えて話す人が増えてきた。一昔前ならルー大柴の芸風として笑われていたものが日常生活のなかで当たり前となり、いつの間にか意味や印象も脳味噌にすり込まれているから不思議だ。その度に「日本語でいえよ」と思いつつ、みずからが無意識のうちに使っている単語もままある。日本語で文法を使いこなしながら会話しているのに、単語は英語という奇妙な取り合わせである。

 企業ではコンプライアンス(法令遵守)やガバナンス(統治)といった言葉が当たり前に使われるようになり、会議や打ち合わせはミーティングなどという。選挙になれば公約といえばいいのにマニフェストといい、主導権を握ることをイニシアティブを握るといい、スターバックスに行くと、大中小でなくとも、せめてS・M・Lでよかろうものをスモール、トール、ラージ、グランデからサイズ(大きさ)をチョイス(選ぶ)し、「テイクアウト(持ち帰り)ですか?」と聞かれたりする。アイドルのAKB48は「アキバシジュウハチ」ではなく「エーケービー・フォーティーエイト」。昼飯に行こう→ランチに行こう、心から尊敬している→マジ・リスペクト、潜在能力を秘めていますね→ポテンシャルが高いね、売り切れています→ソールドアウトです−−。日常のなかに浸透している英単語はまだまだある。そして、暴力亭主→DV男(ドメスティックバイオレンス)、コストパフォーマンス(価格性能比)→コスパ、キャパシティ(収容能力)→キャパなどのように短縮して独自の和製英語化を遂げているものもあったりする。そして、昔の人がDをデーといおうものなら笑い者にするような風潮すらある。英語ができるものがすごいという価値基準から、そうでない者を卑下するのである。

 さて、話を本題に戻すと、常用漢字すら習得できていない小学生が、漢字の筆記学習(毎日習慣づける)に加えて英語の単語学習(スペルを何度も筆記したり、反復学習するほかない)までこなし、これまで中学校1年生段階で学んできたはずの学習量を受け止め、消化できるのかは甚だ疑問だ。恐らく無理な話で、取り残されて置いてけぼりを食う子どもが続出することは疑いない。よほどの秀才でない限りは、家庭での自学による蓄積がなければ英単語も漢字も覚えられるものではなく、そのために費やす学習時間分ほどその他が疎かになる関係だろう。現状でさえ読み書き計算ができず、そのまま放置されている子どもたちが多いなかで、一部の「できる子」とその他の多数を占める「できない子」との溝はさらに深まることが予想される。

 母語である日本語の読解力が落ち、テストで文章題の意味が理解できない子どもが増えていることがニュースになった。文章力についても、句読点の打ち方やてにをはの使い方、接続語の使い方などに不自由な子どもたちが増え、大学では卒論を書こうにも起承転結や文章のつなぎ方がわからない学生も増えているという。読書量の圧倒的不足など要因は様様あるだろうが、日本語に不自由であるというのが特徴だ。

 英語でもスペイン語でも中国語でも、語学に堪能であることにこしたことはない。何カ国語も操れるような人をみると、その努力に大いに感心する。しかし、現在のように母語を押しのけてでも政府挙げて英語学習に傾斜しているのは、植民地従属国としての仕様を完成させ、英語への反射神経を高め、外資に牛耳られたグローバル社会に適応するためでしかない。母語や母国から切り離れて世界を漂流するコスモポリタン(無国籍主義者)の道を進むという政府の宣言なのだろう。       
https://www.chosyu-journal.jp/column/11286


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html#c1

コメント [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない 中川隆
2. 中川隆[-10942] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:27:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1086]

「聞く」「話す」重視=日常の場面想定−発音など検定で修正・英語教科書
3/27(水) 7:08配信 時事通信

英語を聞き正解を選ぶリスニングをさせる小学校の英語教科書


 2020年度から初めて小学校で使われることになる5、6年の英語教科書は、7社が申請し検定を受けた。

【図解】教科書検定の流れ

 基礎的な英単語や日常会話などを、豊富なイラストを交えて教えるほか、「聞く」「話す」を重視し、能動的な授業を進めるための工夫がなされている。

 新学習指導要領は、小学校卒業までに600〜700の英単語を学ぶとしている。大半の教科書は、自己紹介などで英語を聞き、話す体験によって興味を引く導入部を置き、アルファベットの読み方と書き方、曜日や月、動植物を示す名詞、「走る」といった動詞、形容詞を覚えていく構成とした。

 また、「私は〜が好きです(できます)」などの基礎的な構文、「what」「who」を使った疑問形の作り方を紹介。料理の注文や道案内といった身近な場面を多用し、児童がたくさん話す機会を設けた。音声を聞いて、内容と合うイラストを選ぶなどリスニングの項目も多い。

 一方、計15冊の教科書には「学習指導要領に照らして不適切」とする意見が、各教科の中で最も多く付された。文部科学省幹部は「初めての作成で、出版社もどこが指摘の対象かつかみにくかったのでは」と推測する。

 各社にほぼ共通したのは、発音やアクセントに関する説明が足りないという指摘。各社は「文のどこが強く読まれるかな」といった注釈を加えたり、発音に焦点を当てたコラムページを設けたりする修正を施した。

 他方、「Nは舌の先を上の歯ぐきに付ける」など、発音の仕方の細かな説明は「児童が理解しがたい」として削除に。出版社側は「きちんと説明すれば理解を深めると考えたが、逆にこれを見て英語嫌いになる子がいると判断されたのだろう」と推し量る。

 また、「しかし」を意味する「but」などの接続詞が小学校で指導対象外とされているため、教科書の例文は接続詞を使わないシンプルな文章に修正された。

 児童の使いやすさを目指した工夫も随所に見られた。「習ったことを子どもが自分で繰り返しやるのが重要」(出版社)として、QRコードなどを印刷し、音声や動画を視聴できるようにした教科書が目立った。 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190327-00000021-jij-pol


これで日本企業の経営者が全員アメリカ人になっても、日本人とのコミュニケーションで困る事はなくなりますね。

間に合って良かった、良かった。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
22. 赤かぶ[8600] kNSCqYLU 2019年4月05日 00:28:06 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3639]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
23. 赤かぶ[8601] kNSCqYLU 2019年4月05日 00:28:58 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3640]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
24. 赤かぶ[8602] kNSCqYLU 2019年4月05日 00:30:37 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3641]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK259] <朝日新聞、大スクープ!本当なら、内閣総辞職もの!>新元号発表が遅れた「空白の11分」をメディアは徹底検証せよ 天木直人 赤かぶ
33. 2019年4月05日 00:31:13 : D4tsFPgv9c : MmhiTTVQalNxd1k=[1]
>>28

その部分確かに安倍の「ア」に見える、妙な癖字、曲者筆致というべきか

ローマ帝国の滅亡だか、狂った為政者、この場合は皇帝ってことになるか

神と自分が結びついているから、誰も自分の独裁を妨害できない、すべて

俺様、生き神さま、安倍さまの奴隷ども、逆らわずに黙って従えっていう

完全な気狂い状態、を曲者筆致で、表現したとすれば、大したもの
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/291.html#c33

コメント [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない 中川隆
3. 中川隆[-10941] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:31:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1087]


2019年03月20日
階級の固定化 / 分裂する日本社会 (後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68758337.html


大衆社会が誕生する前、大学は曲がりなりにも研究と教育を司るギルド組織であったが、段々と「階級」形成機関になってしまった。今じゃ、「最高学府」という名称も白々しい。身分制度が厳格な頃は、労働者の息子が大学を卒業しても、紳士や貴族になるわけじゃないから、大金を積んでまでオックスフォードやケムブリッジに進もうとは思わなかったが、出身大学の名前が立身出世の条件になるや、無理をしても我が子を大学に押し込もうとする親が増えた。貴族階級の無いアメリカでも事情は同じで、王侯貴族が居ない分、余計に身分形成への意欲は強い。とりわけ、平等主義が徹底している日本だと、出身大学の評価がそのまま卒業生の身分に繋転化するので、エリートを目指す高校生はうなぎ登り。勉強が苦手な雑魚やドジョウだって有名大学の登龍門にチャレンジするくらい。漫画だけど、「ドラゴン桜」という弁護士が、受験生の尻を叩いて東大に入れようとするんだから、悟りを目指す比丘(びく / 僧侶)もビックリだ。

 ちょっと脱線するけど、学歴社会の裏で実力主義が脈打つ日本は意外と素晴らしい。筆者が尊敬する武論尊(別名「史村翔」)先生や池上遼一先生、弓月光先生は輝かしい学歴は無いものの、ボンクラ官僚より輝いている。武論尊といえば、『ドーベルマン刑事』や『北斗の拳』の作者としてで有名だ。池上先生は『クライング・フリーマン』を手掛けた劇画家で、武論尊と組んだ作品には『サンクチュアリ』や『HAET 灼熱』『BEGIN』などがある。ヒット・シリーズの『甘い生活』で知られる弓月先生は、昔、受験戦争をモチーフにした恋愛漫画『エリート狂走曲』を描いていた。筆者にとっては想い出深い作品である。(秀作漫画を探している高校生は一度読んでみてね。)

Rick Singer 4 (左 / ウィリアム・リック・シンガー )
  話を戻す。今月、アメリカで大学への不正入学を巡るスキャンダルが発覚した。何と、我が子を有名校に入れたい裕福な親が、大金を払ってブローカーに頼んだというのだ。この賄賂を懐に入れた仲介者というのは、ウィリアム・リック・シンガー(William Rick Singer)という"コーチ"で、受験生のカウンセリングを行う「Edge College & Career Network」の創設者である。彼はまた、非営利団体の「Key World Foundation(キー・ワールド財団)」を運営する最高責任者でもあるそうだ。高額所得者の願望に目を付けたシンガーは、「お宅のお子さんを名門校に入れてあげまっせ!」と囁き、法外な値段を吹っかけたという。彼が唾を付けた大学は、イェール、スタンフォード、テキサス大学、南カルフォルニア大学、UCLA、サン・ディエゴ大学、ウェイク・フォレスト大学などである。

  日本の庶民にはちょっと無理だが、なんと言っても、金に糸目を付けぬ億万長者がゴロゴロ居て、「世の中すべてお金で解決できる」というアメリカだ。大金を払っても構わないという親は少なくない。今回の事件がマスコミの注目を浴びたのは、依頼人の中に有名なハリウッド女優が居たせいだ。『デスパレート・ハウスワイヴズ』で知られるフェリシティー・ハフマン(Felicity Huffman)は、長女のソフィーをスタンフォード大に入れるべく、「チャリティー献金」という名目で、「キィー・ワールド財団」に1万5千ドルを寄付したそうだ。(Sara Boboltz and Hayley Miller, "Felicity Huffman, Lori Louighlin Charged In College Admission Scheme With More Than 40 Others", The Huffington Post, March 12, 2019.) 慈善活動を賄賂の道具にするのは"けしからん"が、寄付金を税控除にするためには賢い方法である。ちなみに、フェリシティーの亭主は、映画『ファーゴ』で知られるウィリアム・H・メイシー(William H. Macy)だ。

Felicity Huffman & William MacyFelicity Huffman & Sophia & William Macy

(左: フェリシティー・ハフマンと夫のウィリアム・メイシー / 右: ハフマンの娘たち)

 もう一人のハリウッド・スターであるロリ・ロフリンは、日本でもお馴染みの『フルハウス』に出演していた女優である。彼女にはイザベラとオリヴィアという二人の娘がいて、南カルフォルニア大学にねじ込むため、50万ドル(二人分)を払ったそうだ。この娘たちはスポーツ枠を利用して裏口入学を謀ったそうだが、今回のスキャンダルで水の泡となってしまった。でも呆れたことに、彼女たちはその競技をしたことが無かったという。日本でもそうだけど、アメリカではどんなアホでも、バスケットボールやアメフトが得意なら、有名校に推薦入学できる。大学の理事長や部活のコーチは、スカウトマンを使って優秀な選手を集め、自校の名声を高めようとするから、学力なんか二の次、三の次で、終いにはどうでもよくなるそうだ。

Lori Loughlin & daughtersLori Loughlin & Mossimo Giannulli

(左: ロリ・ロフリンと二人の娘 / 右: 亭主と一緒のロフリン )

  しかし、アカデミックな業績を重要視する教授は、こうした風潮を嫌い、筋肉頭の学生に厳しい点数を付けようとする。だが、落第前に政治的な圧力が掛かり、低能学生は無事ご卒業となるらしい。小学生程度の学力しかない黒人学生が、有名大学の卒業生になっているのは、スポーツ入学と底上げ点数のお陰なのだ。ある大学教授が嘆いていたけど、英単語の綴りさえまともに書けない黒人学生とか、文法が滅茶苦茶なヒスパニック系の学生がいるんだって。それに、たとえスポーツ選手じゃなくても、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)」があるから、文系の一般学生には"いかがわしい"奴が多く含まれている。これは大きな声で言えないけど、鋭敏な白人は黒人の医者を避けるそうだ。どんな方法で大学に入ったのか分からないし、ちゃんとした業績でその地位を得たのか怪しいからである。有色人種だと、その肌の色で特別な出世を遂げたりするから、本当の実力なのか否か、不安で信用できない。

知識社会と所得格差

  不正入学事件はともかく、アメリカ社会で大学が果たす役割は大きい。特に、知識産業に携わる人材を育成し、高い身分や所得を形成する要因となっているから尚更だ。最近のアメリカ社会では貧富の格差が拡大し、それが固定化する傾向が強くなっている。例えば、トップ1%に属する人々は、一世帯当たり平均で421,926ドル(約4600万円)の年収があり、残り99%だと一世帯当たり平均で50,107ドル(約551万円)になるらしい。この数字だけ見れば「そんなにかなぁ」と思ってしまうが、上層中流階級を除く下層中流階級や労働者階級を区別して計算すれば、そのギャップは更に広がってしまうだろう。全米各地の所得格差を二、三箇所調べてみれば判るはずだ。

       上位1%での一世帯当たりの平均年収 / 下位99%における一世帯当たりの平均年収
ニューヨーク州 $ 2,202,480 $ 49,617
コネチカット州 $ 2,522,806 $ 67,742
カルフォルニア州 $ 1,693,094 $ 55,152
テキサス州 $ 1,343,897 $ 55,614

 今では信じられないけど、1960年代前半くらいまで、アメリカ人の所得格差は少なく、表面的には上流階級と中流階級の区別は曖昧だった。もちろん、富裕層と貧困層はあったけど、ほとんどの白人が自分を中流階級に属していると考えていたし、高額所得者もド派手な生活を送ることはなかった。例えば、上層中流階級のエリートたちが車種で差別化を図ろうとしても、選択肢は限られており、大都市ならメルセデスやジャガーを見かけることはあっても、それは例外である。第一、大都市でも輸入車のスペア部品は入手困難で、整備工も見つからないから維持費が掛かってしまう。だから、輸入車なんか買うより国産車の方がいい。

  じゃあ、キャデラックを買えばいいかというと、それはエリートから敬遠されたという。なぜならば、管理職や専門職に就くホワイトカラーは、「目立ちたがり屋」を避けるからだ。下品な都会人やレッド・ネックの田舎者なら、馬鹿デカいアメ車を乗り回して有頂天になるだろうが、洗練された趣味を持つ教養人は、平凡なアメ車かシックなヨーロッパ車を選んだりする。彼らはたとえお金があっても、ファイヤーバード・トランザムなんか買わず、フォルクス・ワーゲン社のビートルを選ぶ。屋敷に関しても同様で、プールやテニスコート附のメガハウスなんかには住まない。1960年代だと、新築物件の平均価格を二倍したくらいの値段で、高級住宅地に家を構えることができたのだ。

Richard Florida 2 ( 左 / リチャード・フロリダ )
  しかし、1970年代が過ぎ、80年代90年代と進むにつれ、新たな上流階級が現れてきた。 ハーヴァード大学教授で労働長官になったロバート・ライシュによれば、この新階層に属するのは、企業の経営者、技術者、科学者、法律家、学者、会社幹部や行政府の高官、ジャーナリスト、コンサルタントなどであるらしい。ジョージ・メイソン大学のリチャード・フロリダ(Richard Florida)教授によれば、新上流階級は、情報処理を仕事にする「頭脳労働者」、あるいはそれに見合った報酬を得ている者である。つまり「クリエイティヴ・クラス」に属する人々だ。具体的に言えば、音楽家、建築家、エンジニア、デザイナー、作家、藝術家、科学者、あるいはビジネス、医療、法律などに関わり、その中心的な部分において創造性を発揮する事を求められている人であるという。

  現在のアメリカ社会を見ていると、人種的差異もさることながら、報酬や地位で社会的評価がガラリと変わってしまうのだ。日本だと法科大学院まで進もうとする人は少数派だが、アメリカだと高額の授業料を払ってでもロー・スクールに通おうとする。憲法上の法解釈に携わる裁判官は有力者だし、黒を白にするドリーム・チームを抱える法律事務所となれば、莫大な報酬が期待でき、そこに所属する弁護士は高額所得者になること間違い無し。全米放送で雇われるキャスターやアンカーマンもビックリするような年俸を得るから、まるでメジャー・リーグの野球選手みたいだ。また、ニュース報道の方針を決めるマスコミ上層部、主要なメディアで署名入の記事を投稿している高名なジャーナリストやコラムニスト、映画やTVドラマの制作に係わるプロデューサーやディレクター、一流の大学や研究所に属する学者などもエリート層になるらしい。

階級で異なるライフスタイル

  日本人は階級を所得の面でしか見ないが、本当は生活様式での違いが決定的な相違点になっている。アメリカでは厭になるくらい、人種や階級でライフスタイルとか文化が違っているという。例えば、有名小学校に子供を通わせる保護者は服装からして違うし、乗っているクルマも大抵ヨーロッパ製の外車である。ケバケバしい化粧はせず、服装もコンサーヴァティヴで仕立てがいい。大阪のオバちゃんみたいに、ヒョウ柄などのアニマル・プリントやサンバイザーは絶対に好まず、合成繊維の服もダメ。これは論外だけど、入れ墨を彫っている紳士淑女なんて想像できない。有名幼稚園の面接では即門前払いだ。コンビニだって採用しないぞ。

  また、保護者の外見を眺めると、年齢層が違っているのに気づく。普通の小学校では母親の平均年齢は20代後半か30代前半であるのに、エリート校では20代の母親は稀で40代が多い。父親も40代後半か50歳代前半で、高校生か大学生の子供がいてもおかしくはない年齢である。もう一つの特徴は、見た目の違い、つまり体型が違うのだ。普通の小学校では、両親の3分の2が太り気味で、残りの3分の1が肥満である。日本でもオバタリアンは太り気味だけど、黒人やヒスパニックのオバはん達と比べれば、遙かにマシだ。黒人だと業務用のマヨネーズ容器かと思ってしまうほどのデブがいて、皮膚の下は脂肪だらけ。アフリカ系アメリカ人には、ホッテントットの遺伝子が混ざっているのかも知れない。

fat American 2fat Americans 5


(左: 肥満気味の黒人女性 / 右: 肥満体質の白人女性 )

  一方、有名私立小学校では、両親はだいたい痩せていて、肥満は稀である。新上流階級は健康と運動に気を配っているので、スポーツクラブに通って引き締まった体を保ってい人が多い。中にはマラソン大会とかトライアスロンに参加して、やり過ぎじゃないのか、と思える人もいる。他にはヨガ教室に通ったりする人や、週末にマウンティングバイクに乗る人、平日にプールで泳ぐ人など様々だ。彼らは自分のコレステロール値を知っており、ファストフード店に行くことはない。一部の新上流階級は、ファストフードを恥ずべきモノと考え、決して子供を連れて行こうとはしないのだ。フレンチ・フライに使われているショートニングにはトランス脂肪酸が多く、肥満の原因となっている。アメリカ人は小さい頃からジャンクフードに馴れているせいか、塩辛いポテト・フライにケチャップまで附けて食う奴がいるというから、本当に救いようがない。多少知識があって健康志向の親なら子供に食べないよう注意する。

  筆者がNYにいた時、「人間観察」の目的でバーガー・キングやマクドナルドに行ったことがあるけど、もう憂鬱になるくらい有色人種ばかりで、大抵の客は多かれ少なかれ皆、肥満気味。しかも、英語の発音が独特で、目を瞑っていても黒人と判る。店で注文できるのは、人工甘味料がたくさん含まれた炭酸飲料ばかりで、新鮮なオレンジジュースなんか無い。お金を払うのは気が進まなかったけど、試しにビスケット(日本で言うと「マフィン」)を食べてみた。案の定、パサパサで美味しくない。アメリカ人のお客が、どうして人工蜂蜜とかメイプル・シロップをタップリ附けて頬張るのか、その気持ちがよく分かった。(アメリカでの食生活を紹介すると長くなるので、別の機会で述べてみたい。)

fat American 3fat American boys 1


(左: 巨大ハンバーガーに齧り付く黒人 / 右: ジャンク・フードに慣れ親しむヒスパニックの子供 )

  新上流階級は飲み物の好みも違っており、彼らが口にするのはワインかクラフトビールくらいである。それも、軽くたしなむ程度。酒豪のアイリス人みたいに、瓶のバドワイザーをラッパ飲み、なんてことはない。一気飲みで急性アルコール中毒になるのは、日本の馬鹿な大学生くらいだ。新上流階級は、タバコを「キャンサー・スティック(癌を引き起こす棒)」と呼び、ほとんどの人が吸うことはない。

  次に、新聞や雑誌に関してだが、新上流階級は情報収集に熱心だから、リベラル派は『ニューヨーク・タイムズ』紙、保守派だと『ウォールストリート・ジャーナル』紙を毎日でオンラインでチェックする。雑誌は『ニューヨーカー』とか『エコノミスト』、老舗の『ジ・アトランティック』や『ハーパーズ』などを購読し、時折、ガーデニングや旅行雑誌、文藝評論などを読む。彼らは暇な平民と違って、あまりテレビを観ない。上流階級は平日だと仕事で忙しいし、家族との団欒を大切にするから、「アメリカン・アイドル」とか「リアリティー・ショー」といった下らない番組に没頭することはない。自分たちで楽しい事をしようとする。休日になれば、人里離れた湖までピクニックに行くし、別荘を持っていれば家族で週末を過ごしたりする。娯楽費に余裕のある彼らは、多彩な趣味を持ち、一般人だと手が出ない乗馬やテニス、登山、スキー、カヌーを楽しんだりする。また、彼らは遠く離れたカントリー・クラブでゴルフをしたり、ヨットでクルージングに出かけたりするから羨ましい。(チャールズ・マレー 『階級「断絶」社会アメリカ』橘明美訳、草思社、2013年、pp.63-66.)

Charles Murray 1 (左 / チャールズ・マレー)
  アメリカ社会を研究する政治学者のチャールズ・マレー(Charles Murray)は、職業と認知能力(cognitive ability)に注目する。科学技術やハイテク産業はもちろんのこと、金融や法律、医療業界においても高い知能が要求され、それに応じた報酬が与えられるという。確かに、高度な技術を発明・改良できる人には、複雑な問題を解決できる数学的能力とか、人並み外れた認知能力が必要になってくる。そして、こうした能力は幼い頃からの教育で取得されるので、家庭環境や学校のレベルがこれまた重要になってくるのだ。

  良い教育にはお金が掛かる。したがって、奨学金を得れば別だが、そうでない場合、親が高額所得者でないと有名私立学校に子供を通わせることは困難だ。公立学校は下層中流階級の子弟や、黒人やヒスパニックの低能児、移民や難民の子供たちで溢れているから、学力とか勉強どころの話じゃない。そもそも、躾ができていないのだ。知的好奇心なんか限りなくゼロに近い。数学や理科は天空の科目で、ざわついた教室ではモーゼの十誡を教えるだけで精一杯。つまり、「人を殺してはダメ」とか「盗むな」「淫乱はよくない」「麻薬は違法だ」「兇器を学校に持ってくるな」とか、呆れるほどの禁止事項が優先されている。言いづらいけど、黒人のガキどもに位相幾何学(トポロジー)なんて無用だ。性科学(セクソロジー)でさえ難しいから、教えるのはコンドームの使い方くらいである。

遺伝する知能?

  子供の知能は親の影響を多大に受けている。特に、母親との接触を通して形成されるみたいで、家庭での教育は非常に大切だ。新上流階級の女性は、妊娠に気づくや否や、子育て計画に没頭するという。知的な母親は先ず産婦人科選びから始め、自己管理を徹底し、アルコールを控えるのはもちろんのこと、栄養摂取量が適量になるよう食生活を管理するそうだ。また、自然分娩のためのクラスを受講し、産後の母乳は当たり前。ベビー用品は量販店でなく、インターネットで様々な商品を検索し、比較検討した後に購入する。子供の精神的発達を重視する女性は、一時的に職場を離れ、専業主婦となって子育てに専念するらしい。新上流階級の女性は高齢出産という危険を犯すが、無事出産すれば、20代の母親より円熟しているので、落ち着いて子供の躾をすることができるという。

white Americans 111American school 4


(左: 理想的な上層中流階級の家庭 / 右: 知的生活にはほど遠い家庭の子供)

  知能は部分的に遺伝するが、やはり環境の要因も大きい。だから、IQの高い親からIQの高い子供が育つ確率は高く、安定した家庭を築く経済力があれば、こうした子供は更に有利だ。マレーによれば、親の学歴や知能は子供の学力を左右するそうだ。夫婦とも高校中退だと、子供のIQ期待値は94で、名門校を出た両親の子供だと、IQ期待値は121になるらしい。つまり、鳶(トンビ)から鷹は生まれないと言うことだ。確かに、日本でも学校の勉強が苦手だった親から秀才が生まれる確率は低い。ファッションとダンスだけが得意なハッピー女子が、「我が子を東大に!」とかいうテレビ番組に感動し、北歐の教育玩具を購入しても、子供の知能が高くなるとは思えない。翻って、修士号や博士号を持つ母親が、娘のヒップ・ホップ・ダンスを褒めたり、一緒にカラオケでJポップスを唄うことは稀で、毛嫌いする方が普通である。パチンコなんか夢の中でもしないし、親子揃って髪染め、藝人気取りでプリクラを撮るなんてこともない。

  米国では大学入試としてSATやACTといったテストがある。2010年、SATの数学と英語700点以上を獲得した高校生の87%は、少なくとも両親のどちらかが大卒で、56%は少なくとも両親の片方が大学院卒であったという。「やはり」と言っては何だが、大卒者の親は子供の将来を考え、大学進学のための準備をするし、普段の生活でも子供の勉強に注意を払い、時には宿題の手助けをしたりする。たとえ、意識的に勉強させようと考えなくても、親が読書の習慣を持っていたり、知的好奇心の持ち主であれば、子供は自然と本に手が伸びるし、物事を深く考えたり、新たな知識を得ようするものだ。

  以前、数学者の森毅(もり・つよし)教授が述べていたけど、子供の頃は児童向けの本が無かったので、しょうがなく父親の書斎にあった難しい本を読んでいたという。森氏は何気なく述べていたけど、これは凡人の家庭と比較すると結構すごい。例えば、労働者の家だと、そもそも学術書が無いし、本があっても競馬必勝法とか、ゴルフの上達本、釣り雑誌とか週刊現代、ヤング・マガジンくらいだ。たとえ、本棚があっても、並んでいるのは『こち亀』全200巻とか、『ワンピース』や『ドラゴンボール』ばかりでお宅族のコレクションに過ぎない。また、『ゴルゴ13』があっても、内容が難しいので「積ん読」状態だったりする。頭の痛い家族だと、全員揃っての夕食でも、知的な会話というものは無い。両親の好奇心と言えば、隣人や同僚の噂話か陰口で、社会問題といっても新聞の三面記事をちらっと読むていど。後は、藝人の色恋沙汰とか、野球の試合結果といったところだ。

Rich Americans 3lower class Americams 1

(左: 知的産業で成功した大富豪 / 右: 生活苦に喘ぐ下層労働者)

  日本でも有名大学に進学するのは、高収入の親を持つ子供か、高学歴の家庭で育った子供であるという。知能の高い人は、それに見合った仕事に就く割合が多く、配偶者となる人も同じ職場に勤めていたりするから、双方とも高学歴で高収入という場合が出てくる。つまり、彼らは自分と同等の知力と経歴を持つ相手と結婚するということだ。マレーによると、新上流階級を形成し固定化するものは、同類婚(homogamy)らしい。これは個人的属性が類似している者同士が結婚する現象を指す。学歴が類似していれば学歴同類婚で、認知能力が似ている者同士が結ばれれば認知能力同類婚となる。ただ、高学歴の男性でも、相手が美人で魅力的なら高卒でも構わない、と思うから男女の仲は複雑だ。

  世間にはマレーの見解に腹を立てる人もいるけど、モノは考えようで、秀才と馬鹿が結婚するより、いわゆる「バカップル」の方が幸せな場合もある。趣味や知能が同じだからウマが合う。例えば、デートで洋画を観に行っても、吹き替え版で揉めたり嫌がったりすることはない。なぜなら、両方とも「日本語」の字幕を読むのが苦痛だから。もっと悲しいのは、翌日に内容を忘れていることだ。知性が等しいバカップルは、相手の缼陥(けっかん)に気がつかないから毎日が楽しい。恋人が「テイク・アウト(持ち帰り)」を「テイク・オフ(離陸)」と間違えても、それに気づかず自分も同じ事を言ってしまうし、「月極駐車場」を目にすれば、「月極(げっきょく)さんていう人は、たくさん駐車場を持っているのねぇ」と二人で感心してしまうのだ。(まぁ、「京極」という名前の人がいるから仕方ないかなぁ。) こんな訳だから、参議院と衆議院の違いが分からぬ有権者がいても不思議じゃない。

  日本と同じくアメリカでも、庶民の大学進学が普通になっている。マレーも触れていたが、1960年代くらいまでのアメリカ人は、高卒でも満足していたし、要職に就く人でも名門校卒という訳ではなかった。アイゼンハワー政権の閣僚を見れば分かるけど、有名大学卒の経歴を持つ長官がいる一方で、無名校卒の長官もいたのだ。例えば、内務長官のダグラス・マッケイは少年時代からの苦労人で、パッとしないオレゴン州立カレッジ卒である。しかも、オレゴン州知事になる前、彼は鉄道会社で事務員を務めていたし、一時は自動車のセールスマンでもあったのだ。農務長官になったエズラ・タフト・ベンソンは、11人兄弟の長男で、ユタ州立農業カレッジ卒である。労働長官になったマーティン・パトリック・ダーキンは、配管工を経て陸軍に入隊し、その軍歴を買われて政治家になった。商務長官のフレデリック・ミュラーは家具職人の息子で、通ったのはミシガン州立大学だ。

Douglas McKay 1Ezra Taft Benson 2Martin Patrick Durkin 1Frederick Muller 1

(左: ダグラス・マッケイ / エズラ・タフト・ベンソン /  マーティン・パトリック・ダーキン / 右: フレデリック・ミュラー)

  ところが、今や政治家や閣僚になるのは、裕福な家庭の出身者か有名大学を卒業したエリートがほとんど。軍人上がりの政治家でも、海兵隊の一兵卒じゃなく、士官学校卒の優秀なビジネスマンだったりする。財務省とか国務省に配属される議員や官僚になると、ゴールドマン・サックスとかメリルリンチといった金融業界出身者が多く、あとはハリバートン(ヒューストンの多国籍業)やCFR(外政問題評議会)の回し者みたいな人物ばかり。高い地位に就く人々は、プレップスクールや大学で人脈を作り、結婚相手も同じ階級の異性を選ぶ傾向が強い。議員や官僚、大富豪の閨閥(けいばつ)を調べると、意外な人物が親戚だったりする事がよくある。

  ということで、大学進学率が増えるにつれ、学歴同類婚の可能性が広がってきてもおかしくはない。クリスティーヌ・シュワルツ(Christine R. Schwartz)とロバート・メア(Robert D. Mare)の研究によれば、教育の程度による同類婚が結構みられるという。1960年代には、両方とも大卒という組み合わせは、全米カップルの僅か3%であったが、2010年には25%に跳ね上がっていた。この変化は特筆すべきものであり、既に新上流階級形成の重要な因子になっている。さらに重要なのは、認知能力同類婚の増加である。IQの高い両親を持つ子供は、やはり知能が高くなるそうで、名門大学に集中しやすい。日本でも子供の頃から大学附属の学校や進学塾に通っていた者は、東大や京大に合格する率が高いし、理系になれば圧倒的に有利だ。社会科学や人文科学でも、本当の意味で大学レベルの課題に取り組むには優れた言語能力が必要で、良い成績を収めたいと思ったら、かなりの言語能力はもちろんのこと、困難な課題に取り組む精力や継続的な努力が必要となる。田舎の学校でのんびりと暮らしている子供じゃ、都会のエリート高校生には勝てない。

  緊縮財政や意図的なデフレ継続のせいで、ここ数十年、庶民の生活水準は頭打ちか低下の一歩を辿っている。高額所得者は子供に充分な教育を与えるから、景気に関係なく名門大学に送ることができるけど、低所得の子供は中級大学か底辺大学しか進めず、就職先も大した能力や技術を要求されない企業となる。つまり、凡庸な一般人だと、給料は安いのに目一杯こき使われる業種にしか選択肢が無いということだ。さらに恐ろしいのは、支那人や朝鮮人、インド人などの移民が日本の大学を目指し、定員枠から日本人を蹴落とすことである。科挙の伝統を引き継ぐ支那人からすれば、教科書くらいで躓く日本人など敵ではない。移民や帰化人の子供が大学に増えれば、将来のエリート層には外人系が目立つようになり、グローバリスト的風潮は益々強くなるだろう。彼らは日本の伝統や歴史に興味は無い。支那人は支那人で群れるし、朝鮮人は在日同胞の利益を優先させようとする。政界や財界でもアジア人が増えれば、彼らは日系人に不利なルールや法令を作ろうとするはずだ。大学の推薦枠にも民族的要素が濃厚となり、支那人は支那人を引き入れるし、朝鮮人は朝鮮人を贔屓にしようとする。大学の人事も例外じゃない。帰化朝鮮人が朝鮮系の講師を優遇することはくらい、容易に想像できるじゃないか。

Catholic shool in TorontoAmerican school 6

(左: 支那人生徒だらけになったカナダ・トロントの学校 / 右: 黒人生徒が主流になったアメリカの公立学校)

  下層階級が固定化する日本というのは本当に恐ろしい。大した学歴も無いから、つまらない仕事しか選べず、いつまで経っても低所得のまま、という庶民が増えれば、日本人の中に無力感が蔓延してしまうだろう。低い知能が親から子へと受け継がれ、貧富の格差は悪循環となって固定化し、「努力したって生活は良くならない」という絶望感が庶民に拡散する。ただでさえ左翼教育で日本人の国家意識は低下しているのに、そのうえ階級社会となれば、日本人が伝統的に持っていた「国民の絆」はズタズタに分断されるだろう。国家を支える中流階級が没落すれば、日本はラテン・アメリカのようになってしまう虞(おそれ)がある。夏祭りの時だけ元気になる国民じゃ先が知れているよねぇ~。

  でも、日本人はどんどん劣化し、怠け癖までついてきた。今年は御代替わりがあるからしょうがないけど、10連休なんて異常じゃないか。日本には驚くほど休日が多い。西歐人が「海の日」とか「山の日」なんて聞いたら腰を抜かすぞ。まぁ、受験生は勉強すると思うけど、暢気な家庭の子供だと準夏休みだ。下層階級の親はテレビの前に坐って、一日中ボケ~と野球やゴルフを観戦しているし、できの悪い子供は何時間も携帯やTVゲームに夢中となる。賢いのは藝を覚えるペットだけ、という日本になったら本当に哀しい。人間なら、元「渡辺組」の猫組長くらい頭が良くないと、グローバル社会で成功しないぞ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68758337.html



▲△▽▼

親の身代わりとなる子供
  他人の子供だから、親がどんな風に命名するかは個人の勝手だろう。しかし、名附けられた子供を考えると不憫に思えてくる。なぜなら、幾人かの子供は、あたかも親のペットみたいになっているからだ。筆者はたまにテレビ東京の『きらきらアフロ』を観て、笑福亭鶴瓶と松嶋尚美が繰り広げる「たわいない雑談」を楽しむ。しかし、松嶋が会話の中で紹介する子供の話を聞くたびに心が痛むことがある。彼女には長男と長女がいるそうで、息子の「珠丸(じゅまる)」が兄で、娘の「空詩(らら)」が妹になるそうだ。漫才師の松嶋がアホなのは藝の一つになっているからいいけど、子供の名前くらい真剣に考えればいいのに、と"つい"思ってしまう。

  子供は自分の名前を選べないから、不幸になることもしばしばある。小学生までなら「じゅまる」君で可愛らしいが、思春期になれば恥ずかしくなるんじゃないか。松嶋がよく引き合いに出す娘の方も、自分の名前を書いて先生や友達に見せたら、「何て読むの?」と質問されるはずだ。この漢字を目にした一般人で、「らら」と読める人は滅多に居るまい。それでも、多文化主義の平成だから仕方ない。だが、親になった松嶋の教育方針には賛同できないところがある。以前、彼女は「英語が上手く喋れたらいいのになぁ」と願うあまり、ついに英会話を習ったそうだ。しかし、単なる趣味の一環なので進歩が無かった。それでもまだ英会話に未練があるようで、松嶋は息子をインターナショナル・スクール附属の幼稚園に入れたそうだ。

  これはまさしく短絡的な「お馬鹿」の発想で、自分の夢を子供で実現しようとする典型例だ。よく、ピアニストに憧れた女性がレッスンを受けるが、中学生や高校生から始めるので全然ダメということがある。まぁ、楽譜さえチンプンカンプなんだから、指と頭がバラバラに動いて演奏が滅茶苦茶になるのも無理はない。普通なら「自分の努力が足りない」と反省するものだが、頭の弱い御仁だと、「小さい頃から練習しなかったから出来ないのよ! 」と考えてしまうそうだ。たぶん、責任を他者に転嫁することで自分のプライドを守りたいんだろう。

  アホな親だからしょうがないけど、こうしたアカンタレは娘を産むと幼稚園児の頃からピアノを習わせ、無理矢理ピアニストにしようとする。ところが、好きでも無い練習を強要される子供は堪ったもんじゃない。ヒステリーを起こして反抗するから、親子喧嘩が絶えず、終いには高価なスタンド・ピアノが部屋のデコレーションになってしまう。だいたい、クラッシカル音楽とは無縁で、カラオケ店に通えば、Jポップスや歌謡曲を熱唱する親が、自分を棚上げにして、娘に「ちゃんと練習しなさい!」と言えるのか? 一方、娘にとったら「音楽」は「苦役」以外の何物でもない。毎日が拷問のようでピアノが兇器に見えてくる。本人に演奏への情熱が無ければ、楽器の練習は苦痛でしかない。

  英語コンプレックスの親も似たような性質がある。近くに普通の幼稚園や小学校があるのに、わざわざインターナショナル・スクールに通わせ、英語を学ばせようとする親は現実を解っていない愚者である。母国語の習得は子供の一生を左右する重要な教育で、国語能力の低下は他の教科、すなわち数学や理科、社会、英語にまで影響を及ぼす。なぜなら、子供は母語で物事を考え、思索する言語で文章を理解し、自分の意見を述べる時も母語が基本となるからだ。例えば、数学の問題を解く時、母語を習得していない子供は、何を問われているのかさえ分からない。感想文や随筆を書く時だって、日本語が拙いと支離滅裂な文章になってしまう。また、物理や哲学の授業を受けた時、「論理的に考えろ」と言われても、そもそも論理的に書かれた説明文を理解できないからお手上げとなる。しかも、漢字を読めない、書けないとなれば、教師の方が厭になってくるじゃないか。

  松嶋は欧米諸国を旅行した時、現地の白人と会話できなかったことを悔やみ、「英語を喋れたらなぁ」と思ったそうだが、その程度の動機で外国語の勉強が続くとは思えない。英語の基礎を習得していないばかりか、記憶力さえ低下している中年女性が、仕事の合間に勉強したからといってマスターできるものじゃないだろう。松嶋は気づいていないだろうが、西ゲルマン語は日本語と文法・構造(syntax)が根本的に違うし、発音や語源さえ繋がりが無いのだ。ある意味、日本人にとって英語やドイツ語は暗号の塊である。だから、成人してから英語を学ぶ者は、しっかりと文法を理解し、語彙を増やさねばならない。ところが、よほどの執念とか野心が無い限り、大人は記憶する量が膨大になると嫌気がさす。不本意でも、途中で諦めてしまう人が続出するのは当然だ。

  こうした挫折を味わった親の中には、自分の怠惰を自覚せず、子供に夢を託す者が少なくない。高額な授業料を払っても、我が子をインターナショナル・スクール(西歐白人の学校)に入れて、理想の分身(親の代役)にしようとする。確かに、外人学校へ入れられた日本人の子供は、記憶力が旺盛だから、友達と遊んでいるうちに英語を覚えるかも知れない。それに、クルクルパーの親と比べれば発音が良く、早口で喋ることもできるから、「まぁ、うちの子天才!」と低能ママは喜ぶ。だが、家に帰れば日本人の親が待っており、コテコテの日本語で話しかけるから、子供の上達は中途半端だ。いくら幼稚園で外人教師と接触しようが、子供にとったら親の方が大切だし、密接な会話や躾は日本語でなされるから、日本語が主要言語となってしまう。したがって、幼児期からの英語教育は初歩的なものに過ぎない。

  松嶋のような日本人は、「親馬鹿」というより「バカ親」に近い。松嶋本人は「バイリンガルの息子になった!」とはしゃぐが、幼い子供は親が味わった屈辱を体験していないから、英語を喋れるようになっても、大した感動は無いはずだ。だいいち、「バイリンガル」になった日本人の子供は、外人教師の質問に反応しているだけで、利発な子供になった訳じゃない。サーカスの熊と同じである。しかし、「輝かしい国際人になってくれ」と願うバカ親は、長いこと劣等感に苛まれているから、子供の英語力が向上したと単純に感激する。ハッピーな教育ママは、我が子の学力や知能が半減している事に気づかない。本来、正しい日本語や多くの漢字を覚える時期に、英語の「お遊戯」や楽しい英会話で時間を潰してしまうと、やがて大切になる国語能力が低下してしまうのだ。バイリンガルで育った高校生や大学生の中には、戦前の随筆すら読めない者がいる。なぜなら、歴史的仮名遣いや正漢字が分からないし、歴史の知識も無いから意味が摑めないのだ。

  見栄を張りたがる親からすると、我が子が英単語をすらすら読め、日常会話も"ネイティヴ"並に交わすことができれば、お金を払うだけの甲斐があったと思ってしまう。しかし、こうした子供は小学校や中学校に進むにつれ、勉強が苦しくなることもあるのだ。幼稚園を卒業した後、米国や英国に移住するんなら別だが、引き続き日本で生活するとなれば、学問は日本語で修めることになる。大学に進む頃になれば、国語や数学、理科の知識も必要になってくるから、英語の点数だけではカバーしきれなくなり、幼少時の「お遊び」を後悔することになるのだ。もっとも、最近では名前を書くだけで入れる私立大学とか、入試は英語だけという学校もあるから、日本語が未熟でも困ることは無い。それに、有名藝人の息子ともなれば、「二世藝人」という就職先があるから、"ひけらかし"の英語力は特技の一つとなる。そもそも、テレビ藝人に"まとも"な日本語は要求されないから、英語を使って外人タレントにインタヴューできる方が得になるのだ。

  日本には脳天気な親が結構多い。「英語を流暢に喋ることができる」という"能力"は、実際のところ「幻想」に近く、日本でしか通用しない「特技」である。英国や米国に行けば分かるけど、街中のほぼ全員が英語を喋っているから、「英会話力」なんて自慢にならない。不法移民や乞食、犯罪者だってそれなりの英語を喋るし、警官からの職務質問にちゃんと答えている。様々な人種が混在する英米だと、ペラペラ話せることより、立派な論文を書ける方が重要となるので、語彙が豊富で表現の巧みな人の方が社会的評価が高い。さらに、教養人ともなれば、英語はもとより、ラテン語の読み書きができるとか、歴史や古典に精通しているということが必須となる。

  しかし、英会話を重視する国際派の教育ママは、欧米の知識人階級まで頭がまわらず、我が子が成人してから、「中身が空っぽ」の木偶(でく)人形であると気づく。筆者は昔、英語力を自慢する女子学生に、「わぁ、凄い。フィリピン人か支那人並ですねぇ~」と言ったことがある。彼女は激怒したけど、イギリス人やアメリカ人だって同じ意見を持つはずだ。たとえ英語を流暢に話せても、肉体が変化してアングロ・サクソン人になる訳じゃない。松嶋たちが目指す「国際的日本人」は植民地で白人にこびる黄色い奉公人と同じだ。日本の歴史や文化について何も語れず、"これ"っといった特技も無く、ただラップ・ミュージシャン並の英語をひけらかしても馬鹿にされるだけだ。まともな西歐人は洞察力が鋭く、間抜け面のアジア人を相手にすることはない。自国の文化を蔑ろにし、誇りを持たない奴は軽蔑されるだけだ。名誉を重んずる西歐人は、たとえ日本人を好きになれなくとも、名誉を尊ぶ者か否か、を判断できる。松嶋の息子や娘がどのように成長するか分からないが、今のような教育を続けている限り、英語を上手に喋るだけのチンピラにしかならない。

  理解しがたい名前を附ける親とか、英語を学ばせる親は、子供のためを思ってそのような行動を取るのだろうが、常識に欠けるため逆の効果をもたらすことになる。また、「海外で通用する名前にしたい」とか「欧米人に近づきたい」と思って子供に西洋風の漢字名、例えば、「健 / ケン(Ken / Kenneth)」「英土 / エド(Ed / Edward)」「登夢(Tom / Thomas)」とか「マリア/ 麻里亜 (Maria)」「ジュリア / 樹里亜(Julia)」といったものを附ける親もどうかしている。確かに、欧米人が聞けば理解できるが、「これって、日本人の名前なのか?」と思ってしまう。まぁ、キリスト教徒の日本人ならミドル・ネームに「ステファノ」とか「パウロ」があってもいいけど、実家が浄土宗とか真言宗なのにヨーロッパ風の名前なんてちょっとおかしい。

  今いる日本人だけでも「困ったちゃん」が多いのに、今年から更なる移民が増えてくるので、驚きの親が激増するだろう。日本にやって来る研修生とか高度技術者というのは、祖国を捨てて日本国籍を目指す下層民が大半なので、日本人の理解を超えた風習や文化を持ち込んでくる。現在はキラキラ・ネーム如きで驚いているが、マレー人やフィリピン人のイスラム教徒が増えれば、「ムハマッド」君とか「アブドル」君といった子供も普通になってくるはずだ。学校でも異変が起こり、「国語」の授業が「日本語」という名称に変わるかも知れないぞ。子供の会話で「君の家では何語を喋っているの?」という質問が出てくるし、外務省のホームページには、「日本の公用語は日本語です」という紹介が出るかも知れない。平成で日本らしい日本が終わり、次の御代では階級や民族でバラバラになった日本になるだろう。バルカン半島みたいに、我が国がバルカン列島になったら大変だ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68738682.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
25. 赤かぶ[8603] kNSCqYLU 2019年4月05日 00:31:44 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3642]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c25
コメント [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない 中川隆
4. 中川隆[-10940] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:32:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1088]


雅子様がまさに幼少時からの英語教育の犠牲者ですね。

抽象的な思考や論理的思考が全くできないのに外国の王族や政治家と会話させられたから鬱病になったんですね:


雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

雅子様の学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

雅子様の子弟枠を使ったインチキ外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
26. 地下爺[5638] km6Jupbq 2019年4月05日 00:33:15 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[19]

   晋三ぼっちゃま もう少しです ほんともう少しですよ。。。。

                 by バカうよ@チカ爺 50円おくれ〜



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c26

コメント [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない 中川隆
5. 中川隆[-10939] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:33:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1089]

英語が使えないと負け組…それでも覚えれない悩み… 2019/3/19
https://medi-labo.club/eikaiwa/uz/?cam=pc_3&gr_no=0006&sd=10


■男性の英語力別の年収平均


■女性の英語力別の年収平均


あなたは、ご存知でしょうか?

英語が日常会話レベルの人は、話せない人より年収で300万〜500万の差がつく事実を…


どの業界も今や英語力を人材に求めています。

2008年頃から

グーグル・アマゾン・フェイスブック

などの外資系企業も続々と日本に進出しています。

国内企業でも、訪日外国人対応やグローバル人材などで英語が出来る人材を求めています。

楽天では、「英語ができない役員は、2年後にクビ」となるほどです…


実は、私もこういった事実を知りながら自分は大丈夫だろうと楽観的に考えていました。

でも、会社のボーナスが減っていき徐々に不安を感じてきました。

そんな時、会社を辞めた元同僚の友人達と飲んでいる時、

A男:○○さん英語とかの取り柄がないと将来ヤバイよな!笑

B子:今、業績のいい会社って英語できる人材求めているからね!

C男:英語が出来ればもっといい職場あるの知らないのかな?


と言っている会話を聞いてしまいました。

もう恥ずかしくて恥ずかしくて…

何事も無かったように笑顔で過ごしましたが、辛すぎて早く逃げ出したかったです…

正直、いまさら英語を覚えるのをめんどくさがってました。

元同僚達は、今の仕事にやりがいを感じていたし給料も私よりはるかに高くなっていました。

このままではいけない!
https://medi-labo.club/eikaiwa/uz/?cam=pc_3&gr_no=0006&sd=10


こうして 思考力ゼロの英語バカが量産されていくのです。

日本人がいくら英語勉強してもフィリピンの10歳児にすら勝てないんだけどね。


将来の日本の大企業での序列と年収は


幹部:アメリカ人 年収1億円以上
管理職:英語ができる大卒のインド人・中国人 年収1000万円
平社員:一流大卒の日本人 年収400万円
非常勤社員: 二流大卒の日本人 年収 300万円

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
1. 2019年4月05日 00:37:53 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[441]
聖徳太子の人物像は天武天皇の命を受けた藤原不比等によるねつ造だとか、隋書に記されている遣隋使を遣わした倭国の王は「阿毎多利思比孤」でこれは蘇我馬子を指しているという説もある中で大化の改新というクーデターを経て成立した日本の元号制度が真に日本国民の合意を経て成立したかどうかは疑わしい部分があると個人的には思う。ウソでも百回言えば真実に変わる。そんな政権の意向が垣間見える。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c1
コメント [近代史3] 日本の英語教育は「植民地における現地人への宗主国言語教育」と全く変わらない 中川隆
6. 中川隆[-10938] koaQ7Jey 2019年4月05日 00:39:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1090]

小学生に英語を勉強させたら簡単な日本語の文章も理解できなくなった話


「教科書が読めない」子どもたち 教育現場から見えた深刻な実情
市岡ひかり,小柳暁子,柿崎明子2018.4.15
https://dot.asahi.com/aera/2018041200052.html?page=1


戸田市立戸田第二小学校では、AIを利用した英会話ロボットを導入した授業など、英語教育にも力を入れている(撮影/鈴木芳果)

【AIを利用した英会話ロボットを導入した授業の様子はこちら】
https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2018041200052_3

 子どもたちは想像以上に文章を理解できていない。「だが、解決策はあるはずだ」。教育の現場では、対策が始まっている。


*  *  *
「うちの子、算数の計算問題はできるけど、文章題はだめで」

 この傾向は、おそらく多くの親が実感しているのではないだろうか。しかし、なぜ文章題ができないのか。それを明らかにしたのが、国立情報学研究所の新井紀子教授が開発した、基礎的読解力判定のリーディングスキルテスト(RST)だ。

 RSTは、生活体験や知識を動員して、文章の意味を理解する「推論」、文章と、図形やグラフを比べて一致しているかどうか認識する「イメージ同定」、国語辞典的、あるいは数学的な定義と具体例を認識する「具定例同定」など、読解力を6分野に分け、その能力を問うものだ。

 このテストをいち早く取り入れたのが、戸田市(埼玉県)教育委員会だ。教育政策室指導主事の新井宏和さんは、その経緯を次のように語る。

「全国学力・学習状況調査の活用問題が解けるような子どもたちにしたかった。幸いにも新井教授と戸田市の戸ケ崎勤教育長が知り合いで、教育長がRSTに高い関心を示し協力して取り組むことになりました」

 テストは2015年から段階的に実施され、17年は市内の全中学生と、小学6年生全員の4500人が参加した。問題は、国立情報学研究所特任研究員の菅原真悟さんの指導のもと、市内の小中学校の教員が作成した。戸田第二小学校研究主任・狗飼英典(いぬかいひでのり)教諭は言う。

「夏休みや放課後を利用し、中学生の教科書などを参考にして作りました。教員にとっても初めての経験でしたから、どういう問いを立てたら答えにたどりつくのか、試行錯誤の連続でした」

 テストの結果は、イメージ同定、推論、具体例同定の正答率が半分に達せず、想像以上に子どもたちが文章を理解できていないことがわかった。

「今まで教科書は読めて当たり前で、その前提で授業を進めていた。教科書が読めていないという事実は、衝撃的でしたね」(新井主事)

 さらに担当者を混乱させたのが、その分析結果だった。学力テストとの相関関係を調べたところ、学力の高い児童・生徒がRSTの点数も高いわけではなく、関連を示すことができなかった。

「RSTが低いのに、なぜテストでは問題が解けているのか。問題のパターンを暗記して解いているのではないかと思われるのです。今の時点ではよくても、将来つまずくのではないか。小学校から読解力のスキルをつけていかなければ、と感じました」(同)

2年連続でテストに参加した戸田第二小学校も、意外な結果が出た。小高美惠子校長は言う。

「本校は学力調査では全国平均を上回っていたので、RSTも高い点数を出すと思っていたのですが、思った以上に低かった。特に推論とイメージ同定が弱かったですね」

 同校も学力テストの結果とリンクせずに、なぜこのような成績が出たのか分析できないでいる。ただし現場に立つ教員として、感覚的に理解できる点もある、と狗飼教諭は言う。

「たとえば、コミュニケーション力が足りていない児童の推論の点数が低いなど、能力や性格的な面が、RSTの結果に表れているような印象を受けました」

 子どもの読解力やコミュニケーション力に異変が起きている。その原因は何なのか。気になる調査結果がある。カギとなるのは、10年以降急速に普及し、内閣府の調査で今や青少年の約6割が使用しているスマートフォン。これが、言語機能やコミュニケーション機能をつかさどる脳の前頭前野に悪影響を与えている可能性があるというのだ。

 調査を行ったのは、ニンテンドーDS用ソフト「脳トレ」シリーズの監修者としても知られる東北大学の川島隆太教授だ。仙台市立小中学校の児童・生徒7万人を対象に追跡調査した結果、スマホの使用で明らかに学力が低下し、使用を中止するとまた学力が向上するということが分かった。

 なかでも、LINEなどメッセージアプリの影響が大きく、17年度の調査では、LINEなどを全く使用していない生徒の4教科の平均偏差値が50.8なのに対し、使用時間の長さに応じて偏差値は下がっていき、1日4時間以上使用している生徒の偏差値は40.6。実に10以上の差がついてしまった。川島教授によると、学習時間は十分にあっても、友人とメッセージをしながら……といったマルチタスク化が進むことで集中力がそがれ、勉強の効率が落ちてしまったことが要因の一つと考えられるという。

 さらに恐ろしいことに、スマホを長時間利用すると、読書をした時に活発に働く前頭前野に、安静にしている時よりもさらに働かなくなる「抑制現象」が起き、健常児でも言語機能の発達に遅れがでることがあるらしい。この抑制現象はテレビやゲームを長時間利用した時にも起こるという。

「スマホはお酒と同じで、『利用時間を1時間以内に留める』など、自制心を持って利用すれば悪影響は出ないことも分かっています。ただ、それは大人でもかなり難しいことだと思います」(川島教授)

相手の気持ちを思いやった上で言葉を発したり、試行錯誤したり、新しいアイデアを発想したり……。前頭前野が担うのは、AIが苦手で、かつ人間が得意とする「思考」や「発想」だ。AI時代を生き抜くために最も必要とされる能力が、スマホやテレビ、ゲームといった、かつて人が生み出した機器によって衰えつつあるとしたら何とも皮肉だ。

 とはいえ、悲観してばかりもいられない。教育現場も動きだしている。前出の狗飼教諭はRSTの結果を受けて、授業にも一工夫、加えるようになった。

「従来なら、この資料から読み取りなさいという問いを、複数の資料を見せて結果を先に提示し、なぜそうなったのか、道筋を考えさせるような授業を取り入れています」

 今後は学校の教員全員で研修をしながら、読解力をつけるための授業のあり方を模索していきたいという。小高校長は言う。

「昔から読解力の重要性は認識され、読書や作文が推奨されてきましたが、そもそも読解力とは何かという視点で分析されたことはなかった。RSTで6分野の視点を得たことは、授業改善のきっかけになる。分かった以上、逃げられないですね」

 本物の読解力や思考力を養うためには、家庭教育も重要だ。AIに詳しいメタデータ社長の野村直之さんは、膨大なデータを扱うのが得意な一方で発想の転換や真偽の解明が苦手なAIを扱える人材になるためには、「なぜ」を問える力を幼いころから養うべきだと指摘する。

「『なぜ宿題を忘れたの!?』などと『なぜ』を叱責に使う親が多いようですが、良くないと思います。むしろ、子どもの素朴な『なぜ』に答えてあげたほうがいい。そういう大人が身近にいれば、AIが決して太刀打ちできない、情操豊かで、今日のAIが苦手な論理を駆使できる人間に育つはずです」
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』などの著書がある東北福祉大学の西林克彦さんも、一歩進んだ読解の訓練が必要だと説く。西林さんによると、読解力は知識に偏る面もあり、興味があったり、新鮮に感じる内容の文章は注意深く読める一方、表面的に「分かったつもり」の文や興味のわかない文は読み飛ばしたり、誤読をしたりする傾向があるという。自らの思い込みを疑い、もっともらしく書かれている部分は特に注意するという読み方も必要だ。西林さんは言う。

「読解とは文章の意味を理解すればいいものではなく、書いてある内容を知り、世界に迫るための道具です。『感想主義』に偏りがちな小学校、指示語の抜き出しなど構造理解を問う中高の国語教育だけでは、本物の読解力は養われにくい。文章を読んで理解した上で、知識として再構築する訓練をする必要があります」

(編集部・市岡ひかり、小柳暁子/ライター・柿崎明子)

※AERA 2018年4月16日号より抜粋


▲△▽▼


2018-10-08
■みんな日本語の学術言語としての重要性を過小評価しすぎ
https://anond.hatelabo.jp/20181008215814


この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国や韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから!

文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから!

(インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育を英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも,社会学には膨大な日本語の研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語で査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書から何から日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから,論文の執筆言語は自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスやアメリカの学者が英語で書き,フランスの研究者がフランス語で投稿し,ドイツの博士がドイツ語で教授資格申請論文の審査を受け,ロシアの院生がロシア語で報告している中で,なんで日本の教授が日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって,歴史学だって文化人類学だって,文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌は日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

「世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究があなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧の学者と同じようにアフリカでフィールドワークをし,日本語と西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパの歴史を知りたいと思ったとしよう.あなたは造作もなく,フランスやドイツやイギリスやスペインやロシアや,そしてチェコやポーランドやポルトガルやボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本の歴史学の積み重ねてきた問題意識と接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語の文法を記述した本も,ヨーロッパの小国の言語の音声を論じた本も,中東の言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EUの制度,アメリカ大統領選挙,韓国の歴史認識,ロシアの愛国主義,湾岸諸国の君主制,どれも日本語で最先端の研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったときに書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジアの言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧語からの翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパの小国の書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国の歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラッペラの入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパやアフリカ社会やラテンアメリカの先住民や近世朝鮮史や東南アジア政治についての最先端の研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語の網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲が微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語の網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代の中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代の中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカ生まれの英語ネイティブな白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語の網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人はカタルーニャの言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから,英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富な領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブや西アフリカの地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパの前近代史研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要な研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語に最先端の研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しかし文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端の研究の全てが英語で提供されるわけではない.

なので文系では,英語が理系ほど特権的な地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究が英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語で論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究者だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系の研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者〜教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウントし和文論文は勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルールを文系に押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本はコンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパやアフリカの部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近,Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリア=ハンガリーを舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治や経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダの虐殺やスレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解しやすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域の専門家が書いた本や論文が和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史を理解する助けになるだろうか.欧米のフェミニズムについて日本語で研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれた研究蓄積にあまりに無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代の日本の医師はドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語が外交や学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米の物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのときは現在の私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字を習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位の覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位を貶める必要はないと思う.それは私たちの社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから.

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語で研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語でしか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ〜〜〜〜〜〜.

追記


英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502


id:bocola 自分でも言ってるように査読なしなのが問題。査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界線からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文の信頼性を担保するための手続きのひとつであって,それが欠けている「から」ダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文の価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマンは査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近は文系も査読が重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないからダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメな論文は後発の研究によってちゃんと批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから,査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系のローカルルールで事前の査読が必須なのはよくわかったけど,そのローカルルールを文系に敷衍されても困る.


id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.
https://anond.hatelabo.jp/20181008215814


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/320.html#c6

コメント [カルト20] シャン・バザ・hokko・清史・乃賜令和坤自尽。医学書に帰田に酒に賜令と掛詞が効きすぎである。 ポスト米英時代
3. 2019年4月05日 00:41:38 : kkFJujdVZc : cUFIb244SldnWVk=[4]
ブラピに似ている、なんていうのは冗談顔だけにしろで済まされるけど

森羅万象を司る神だとマジで、野郎に吹き込んで暗示にかけているとしたら、

それこそ、日本はお終いですわ

ローマ帝国滅亡時は、抵抗する軍隊に、金貨をばら撒いて手なづけたそうだが

現在の自衛隊も、似たようなもの、完全に安倍の私兵部隊と堕しているからね

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/291.html?c33#c33

33. 2019年4月05日 00:31:13 : D4tsFPgv9c : MmhiTTVQalNxd1k=[1] 報告
▲△▽▼
>>28

その部分確かに安倍の「ア」に見える、妙な癖字、曲者筆致というべきか

ローマ帝国の滅亡だか、狂った為政者、この場合は皇帝ってことになるか

神と自分が結びついているから、誰も自分の独裁を妨害できない、すべて

俺様、生き神さま、安倍さまの奴隷ども、逆らわずに黙って従えっていう

完全な気狂い状態、を曲者筆致で、表現したとすれば、大したもの
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/611.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) 赤かぶ
21. 2019年4月05日 00:43:46 : FeEBXU33lq : SDROUm9yN1AwZ2s=[1]
東大卒といっても教養学部だから。話半分に聞き流すがよろしい。
高名な地質学者に高校生でも知ってるアルキメデスの原理で立ち向かう大笑いの鈍器さん
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/290.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK259] あまりにお粗末だった新元号発表の段取り(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
13. 2019年4月05日 00:46:10 : kkFJujdVZc : cUFIb244SldnWVk=[5]
改元も

安倍のオナニー

ズリねたに
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/266.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK259] この身の程知らず 更迭すべきなのに/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
10. 2019年4月05日 00:50:33 : kkFJujdVZc : cUFIb244SldnWVk=[6]
改元も

ズリねたにする

安倍オナニー
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/296.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 地下爺[5639] km6Jupbq 2019年4月05日 00:50:51 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[20]

  大丈夫 晋三ぼっちゃまは ひらがなの Redader だから
                     ↑

  ここに書いてあることなんて理解できないの違い無い。。。。

 




http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/320.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 衆院大阪12区補選 共産出身“野党統一候補”大金星はあるか 宮本岳志氏が出馬(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 2019年4月05日 00:52:09 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-730]

小沢一郎「大阪12区補選で共産党を応援します」

1Ψ2019/04/04(木) 20:10:58.60ID:ysUsF8fA

小沢一郎

このたび衆院大阪12区補欠選挙に無所属で挑戦することを決められた宮本岳志議員が日本共産党志位和夫委員長とご挨拶にお見えになりました。ご決断に対し、深く敬意を表します。

この国の民主主義を救えます。「結集」のため、我々も全力を尽くします。
https://pbs.twimg.com/media/D3IPfP1UwAYZUR1.jpg

h ttps://twitter.com/ozawa_jimusho/status/1112969113851187203?s=20
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/301.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK259] “安倍・麻生道路で大炎上 塚田副大臣「忖度」発言の真相(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
13. 2019年4月05日 00:52:26 : Gnc2VLFEkF : eG5ZYWpjMTdOWU0=[5]
安倍オナニー

忖度議員に

見守られ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/305.html#c13

コメント [経世済民131] 中国が危ない!世界最悪154兆円の不良債権!   赤かぶ
16. 2019年4月05日 00:55:18 : Gnc2VLFEkF : eG5ZYWpjMTdOWU0=[6]
安倍オナニー

支持率アップで

エクスタシー
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/798.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
7. 2019年4月05日 00:56:22 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-729]

パヨク「令和の由来は万葉集ではなく漢籍!」 

北京大学教授「二者には直接の関係はない」 

ネット「パヨク「中国人はネトウヨ」

2019/04/04(木) 17:56:47.02ID:ImhItTa59

https://anonymous-post.mobi/archives/5680
■「令和」は突き詰めるとやはり中国の古典がその由来?

あるネットユーザーは、後漢の文学者・張衡の「帰田賦」(文選)にある「仲春令月、時和し気清し」が日本の新元号「令和」の由来ではないかと指摘している。
「帰田賦」は138年の創作であるのに対して、「万葉集」に収録されている和歌のほとんどは奈良時代(710-794)の作品となる。
二者には約500年の差があるが、「令和」は「帰田賦」に由来しているのだろうか?

この点に関して、中国外交学院国際関係研究所の周永生教授や北京大学の王新生教授は、「二者には直接の関係はない」との見方を示す。

周教授は、「中国と日本の古代文化は互いに通じており、『万葉集』含む日本の古典文化は中国の古典文化の影響を受けている。
しかし、『令和』が『帰田賦』に由来しているとは言えない」と指摘する。

王教授も、「古代の日本文化は基本的に中国文化に由来している。私たちが目にすることができる日本古典文化から、
中国古典文化の影響を受けていることを垣間見ることができる。しかし、『令和』だけを見た場合、張衡の詩歌とは直接の関係はない」との見方を示す。

h ttps://www.recordchina.co.jp/b699732-s10-c10-d0046.html

(略)

h ttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1554368207/
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍官邸は逆ギレ「令和=命令と平和」英訳まねいた不手際(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
68. 2019年4月05日 00:56:39 : fS6hyaPhw2 : UWN3N0czSzBadEU=[1]
声をあげても取り上げず、忖度し続ける腐ったメディアとだまされ続ける国民と、

今度こそサイコの顔を見なくて済むと何度も期待しては裏切られて

ずっとニュースは一切見ていなかったが、たまたま訪問した人の家で見た元号ニュース

国の命令に和をなして従え

サイコに忖度したとしか思えない

それから毎日サイコの顔がテレビ画面いっぱいに… やっぱりニュースは見るんじゃなかった

5月1日から西暦を使うことに決定
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/269.html#c68

記事 [社会問題10] 鉄鋼4社が65歳に定年延長 労働人口減に対応(かいけつ ニュース&記事 速報)
鉄鋼4社が65歳に定年延長 労働人口減に対応
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/iryou/light.cgi?


鉄鋼4社が65歳に定年延長 労働人口減に対応
https://www.sankei.com/economy/news/190404/ecn1904040018-n1.html

 日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所、日鉄日新製鋼の鉄鋼4社は4日、定年を60歳から65歳に延長することで労使間で合意したと発表した。令和3(2021)年度以降に60歳になる社員が対象。労働人口の減少や年金支給開始年齢の引き上げに対応する。若手社員への技能伝承により、技術力を維持する狙いもある。

 定年延長に業界が足並みをそろえて取り組むのは異例。国内の鉄鋼労働者数は約18万人に上り、雇用慣習に大きな影響を及ぼしそうだ。少子高齢化の進展を見据え、他業種にも同様の動きが広がる可能性がある。

 鉄鋼や造船などの労働組合でつくる「基幹労連」の弥久末顕事務局長は4日の記者会見で「画期的とも言え、高く評価する。全ての世代の将来不安の解消につながる」と述べた。基幹労連は定年延長を目指す方針を掲げ、鉄鋼大手の労使は平成30年春闘から協議を続けていた。
http://www.asyura2.com/18/social10/msg/171.html

コメント [原発・フッ素45] 関東に住む2人に1人がストロンチウム汚染 (Kayo Kanekoブログ) 魑魅魍魎男
42. 2019年4月05日 00:58:40 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[187]
>>41
遅いレスですが、、、

すでに被ばくと思われる症状が出ているのなら、
岡山の三田茂先生の診察を受けたらいかがでしょうか。

「三田医院」
http://mitaiin.com/

ホール・ボディ・カウンタ(WBC)も検出下限が低いものなら
被ばくの目安になります。

「【実録】3.11以降、日本人全員が内部被ばくしている!
検査を受けてわかった衝撃的事実 (TOCANA)」
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/355.html

「東京・目黒在住の方がツイッターで内部被曝を報告」
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/408.html

尿検査をすればさらにはっきりしますが、どこで測定できるのかは
知りません。

排出剤についてはいろいろあり、中には効果が怪しいものもあるようです。

一番大切なことは、これ以上、汚染物質を体内に取り込まないよう
飲食物や空気に注意することです。

外食はなるべくさけ、選んだ食材で自炊すること。
魚、山菜、きのこは要注意です。
肉や魚はゆでると放射性物質がある程度溶け出します。

「塩水に漬ける、塩ゆですると食材に含まれている放射性物質を軽減できる」
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/422.html

「放射能の食品を避けるために毎日気を付けていることを書いてみました。」 
(阿修羅・CERISES 2012/10/8)
http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/804.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/321.html#c42

コメント [経世済民131] 日産ゴーン保釈→再逮捕、検察と裁判所の“筋書き通り”…弁護士辞任なら“孤立無援”の悪夢(Business Journal 赤かぶ
11. 2019年4月05日 00:59:57 : FeEBXU33lq : SDROUm9yN1AwZ2s=[2]
地検が動く度に、つくづくこの国は二流国だと思う。東大文1の最高得点が文2に負けるのも納得。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/797.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
11. 2019年4月05日 01:01:38 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-728]
>>8

>中国外交学院国際関係研究所の周永生教授や北京大学の王新生教授は、「二者には直接の関係はない」との見方を示す。

>『令和』が『帰田賦』に由来しているとは言えない

>『令和』だけを見た場合、張衡の詩歌とは直接の関係はない

h ttps://www.recordchina.co.jp/b699732-s10-c10-d0046.html

単にテメエが中・国・万・歳とほざきたいだけですか?


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c11

コメント [経世済民131] 中国が危ない!世界最悪154兆円の不良債権!   赤かぶ
17. 2019年4月05日 01:03:04 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-727]
>>1

そんなんで潰れるの?

だとしたら中国に投資しろとほざいていた奴らは詐欺師どころか傀儡工作の五毛党員だったわけか!
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/798.html#c17

コメント [原発・フッ素51] 《拡大しつつある放射能大災害と一大隠蔽ヘレン・カルディコット博士インタビュー》カルディコット博士が安倍首相を名指しで非難 お天道様はお見通し
4. 2019年4月05日 01:04:04 : 1cQEjj6Gzg : SXVjUUouR1pEVFU=[1]
後で詳細な確認を行うが、誤訳が酷い。単に英文が理解できていないという状態。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/310.html#c4
記事 [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか?

凡人が天才になる方法はあるか?


落合博満、語録


・志の低い人間はそれよりさらに低い実績しか挙げられない

・「まあ、しょうがない」と思うだけではしょうがないだけの選手で終わってしまう

・悪いと分かっていても人間がどうしても捨てられないものに先入観がある

・「獲りたい」などと言っていては駄目、「獲る」と決めれば取れる

・素振りを1本でも多くやった奴が勝つ世界

・何でも出来る人はいない

・最も厄介なのは感覚や時の勢いだけで物事に取り組む人だ、そんな勢いは決して長続きしない事を覚えていて欲しい

・初めにマイナス思考で最悪の結果を想定し、そうならないような計画を立ててから組織や集団を動かす、そして全体の流れが軌道に乗ってきたと見るや、プラス思考に転じて攻めて行く



▲△▽▼

「口だけ人間のパターン」て本
行動しない「口だけ人間」9つのタイプ、という本が出たようだ。


1.「時間がない」「お金がない」
 「自信がない」「やったことがない」と、
 「できない」理由をつけては行動しないタイプ。

2.「失敗したらどうしよう」
 「これが原因で失業したらどうしよう」と、
  やる前からネガティブな妄想をして、
  行動を起こさないタイプ。

3.「この歳で今さら始めるのは」とか、
 「もう遅い」という理由で行動しないタイプ。

4.「実践するにはまだ早い」
 「もっと技術を身につけてからの方がいい」など、
  準備不足を理由に、実戦に挑まないタイプ。

5. やりたい事がありすぎて、
  何から手をつければいいのかわからないタイプ。
  その状態に満足していることも。

6. 1回やってうまくいかないと、
 「自分には向いていない」と、
  すぐにやめてしまうタイプ。

7.「本気を出せばできる。できないのは本気を出してないだけ」
  と考えている。
  実は、チャレンジがうまくいかない事や、
  失敗に耐えられないタイプ。

8. 人の影響を受けやすく、
  誰々に言われて始めた、誰々に言われてやめたと、
  人の意見に振り回されるタイプ。

9. 失敗して人前で恥をかきたくないという
  気持ちが強すぎるタイプ。
 「こんなことをしたらバカにされないだろうか」と、
  他人からどう思われるかが気になって、
  行動を起さない。


1、3、4は「言い訳」かな。
まあ、「やらない」には、たいがいプライドが関わってはいると思うけど、思い当たる部分も多いのでは。

私は、やりたい事の優先順位が分からない「5」がある。

昔は、悪い結果を想像して不安になる「2」や、人目が気になる「9」も強かった。
かなりな自意識過剰だった。
そんな自分の恥ずかしさに気付いてからは、今は、ほとんどないけど。

友人達の口からも、「口だけ人間9つのパターン」はよく聞いたなぁ。

「時間、金」これはよく聞く。

Mもよく言う。

「悪い結果を心配してやらない」

これもMとかのいつものパターン。

「学び足りない」

この言い訳、2回ほど聞いた事がある。

数年前に Nが、スクールのセッションに通うか?

と問われた時に、

「自分にはまだ早い」と言ってた。

おかしな言い訳だなと、その時思った。
Hも言ってた。

Mが何かを誘った時、

「自分にはまだ早い」と言ってた。

それを言い訳だとは、認識してないんだろう、勿論。


「本気を出せば出来る」

これはMとかSが言ってた。

私の場合、出来ない理由を並べる事が、「言い訳」だと認識はしてて、バンドやろう、バイク乗ろう、何々しよう、と誘って、9つの理由で友人に断られる事は多々あった。

「言い訳しやがって。やりたくないんじゃん」

と思ってた。

だったら「やりたくないんだ」と素直に言えばいいのにと思ってた。

とにかくこの手の言い訳、嫌いだった。

「やりたいけど、自分は何々だから」

つか、やりたくないんでしょ、そういう事言う人は、何もやり遂げられないよね、
と思ってた。


やる気のない人はテンション下げる、

遊べない、

やりたいとか言っててもすぐ気が変わる、

話にならない、

と、嘆いてる人格がいたから。


何だかんだいって、私は「仲間と何かをやる」ってのが好きだったから。
うん、依存かもしんないけど。

私の場合、この9つ以外の理由で大きいやつがある。

私の「目標達成」の一番の障害は、多分、人間関係だと思う。

外に出て色んな人と付き合うのに、ストレス感じてる人格がいる。
ネットワークを広げたいと望む人格と、それに抵抗のある人格がいる。

それで、なかなか行動出来ない。
今もそれはあるんだけど、ハタチの頃なんて、そのプレッシャーが酷くてもう。

何かを達成するには、一人では無理。
例えば、バンドにしても。
支え合う人間関係あっての成功だ。

そこに凄くプレッシャーを感じる。
ストレスを感じる。
子供の頃から染み付いてしまった思いだ。

ただ、私は「やりたい欲求」が強いから、引きこもりたいよ〜と言ってる自分を引っ張って、やって来たとは思ってる。
亀の歩みより遅いかもしんないけど。
諦め切れないのだ。
やりたい事を諦める事なんて出来ない。

やりたい事はやりたい。
違うのかな?
やれない正当な理由を探して、やらないままにしておけるのかな?
逃げてやらないままでいると、私は相当な苦痛を味わう。
その葛藤で、私は若い時分、病んでたのだ。

「やりたい」「出来ない」の葛藤。

あれはもう耐えられない。
今だから、まずは等身大から、着実に一歩、なんて思えるけど。

「まずは目標を一つに絞る」

これもつい最近、やっと分かりかけてきた事。
人間ておバカなんだな。
聞けば簡単だけに、私は、分かったつもりで、全然分かってなかった。

「当たり前な事」を腹に落とす事、今、それをやってる感じ。

目標が何かと言われると、やりたい事をやるのです、しか言えないけど。
今の私は、まず健康、体重管理。

スキルアップして、収入に繋げる、という事。
バンドも妥協せずにやりたい事をやりたい。

「抑圧せずハッキリ言う」は、常に目標。

怠惰に流されず、毎日を意志を持って生きる事も。
出していけば、細かく色々ある。
ひとつずつやってって、クリアしないと。

「あれもこれも、何からやればいいのか」

これも自分の課題。

「自己実現」

「具現化」

それしてナンボじゃないのかな。人生って。
http://onelastwish.blog.fc2.com/blog-entry-804.html

▲△▽▼


努力すれば状況は良くなるのだが、努力できるかどうかも遺伝だったら? │ ブラックアジア:鈴木傾城
https://blackasia.net/?p=8696


一生懸命に努力したら誰よりも立派になれるのか。もしそうだとしたら、努力する人は天才よりも勝るのか。

つまり、生まれ(遺伝)が人生の勝ち組にするのか、それとも育ち(環境)が人生の勝ち組にするのか、いったい真実はどちらにあるのか。

努力する人が数々の成果を勝ち取ってきた物語は数多くある。そのため、天賦の才能を持った天才を努力の人が打ち負かすことができるという「希望」を私たちは持っている。

2014年に米ミシガン州立大学の研究グループが「遺伝か、環境か」の議論について、長年の研究成果を発表した。その研究成果は以下のものだった。

「人は努力しないと天才的な技能は習得できない。しかし、努力も遺伝の影響だった」

つまり、「天才的な技能を手に入れて天才の名を欲しいままにしている人」は多くは努力の成果なのだが、重要なのはその「努力する」ということ自体が、生まれつきの遺伝子で決まっていた、ということだった。

天才がすごいのか、努力がすごいのか、という議論は意味がなくて、努力遺伝子を持った人が適性のある分野で努力することで天才になったということなのだ。(鈴木傾城)
 


▲△▽▼


自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか 岡本太郎
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E6%AF%92%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A6%E2%80%95%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AF%E2%80%9C%E5%B8%B8%E8%AD%98%E4%BA%BA%E9%96%93-%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%8B-%E9%9D%92%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4413090101

「危険だ」という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。


私は、人生に岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた。

それが私の人生観だ。

そうは言っても、人はいつでも迷うものだ。

あれか、これか・・。こうやったら駄目になっちゃうんじゃないか。

俗に人生の十字路と言うがそれは正確ではない。

人間は本当はいつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。

この道をとるべきか、あの方か。
どちらかを選ばなければいけない。迷う。

一方はいわば既に馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。

一方は何か危険を感じる。

もしその方に行けば、自分はどうなってしまうか。

不安なのだ。しかし惹かれる。

本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道なのだが、迷う。

まことに悲劇の岐路。


しかし、よく考えてみて欲しい。

あれかこれかという場合になぜ迷うのか。


こうやったら食えるかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。

それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるのなら・・。


そうじゃないから迷うんだ。


「危険だ」という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。

ホントはそっちに進みたいんだ。

だから、そっちに進むべきだ。

僕はいつでもあれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。

誰だって人間は弱いし、自分が大事だから逃げたがる。
頭で考えて良い方を選ぼうなんて思ったら、なんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。


「構わないからこっちに行ったらダメだ」とおもう方に賭ける。


瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴尼)は僕に最初あった頃、それを聞いてショックを受け、以来それを実行してきたと言っている。

彼女はちゃんと食えているし、それ以上、堂々とやってるけれど覚悟はそこにあるんだ。

本当に生きるっていうのは、そういうことだ。

人間、自分を大切にして安全を望むのだったら、何もできなくなってしまう。

計算づくでない人生を体験することだ。

思い切って、僕と同じに駄目になる方、マイナスな方の道を選ぼう、と決意してみるといい。

そうすれば、必ず自分自身がワァーッともり上がってくるに違いない。

それが生きるパッションだ。
https://miketsu-kuni.jp/arrows-lc/modules/staff/?author=1&paged=2


"モノマネ"人間には何もみえない

あまりにも独自であることは極めてケシカラヌことであり、恥ずべきことのように扱われる。この国の風習では「長いものには巻かれろ」が常識である。

仮に親の顔色をうかがって就職し、安定を選ぶとしようか。が、それが青年自信の人生なんだろうか。"俺は生きた!"といえる人生になるだろうか。そうじゃないだろう。自分自身の生きるスジはだれにも渡してはならないんだ。この気持ちを貫くべきだと思う。

それに、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。

体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、自分で決めて諦めてしまう。愚かなことだ。ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。
http://www.vi2tto.jp/entry/2010041570.php

最大の敵は自分


“・ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。それではダメだ。

社会的状況や世間体とも闘う。アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない。

これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。

だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。


・ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。


・自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない。

今日の、すべてが虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ。

・とかく、みんな自分を大事にしすぎる。自他に甘えているんだ。ほんとうに自分のあり方を、そとに突き出していない。だから、裏目が出てきてしまう。

なぜ、友だちに愉快なヤツだと思われる必要があるんだろう。友だちに好かれようなどと思わず、友だちから孤立してもいいと肚を決めて、自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味でみんなに喜ばれる人間になる。

・人はよくぼくのことを「教祖」だという。行動に断言的なところがあるからだろう。しかしここでも、信者は一人もいない教祖だ。信者なんて不潔だ。また親分子分の人間関係のお互いごまかしあい、利用しあういやったらしさ。

・純粋に強烈に生きようとすればするほど、社会の跳ね返しは強く、危機感は瞬間瞬間に鋭く、目の前にたちあらわれるのだ。いつでも「出る釘は打たれる」。だからといって気を遣って、頭を引っ込めてしまっては、人間精神は域内。打ってみろ、と己を突き出す。打たれることによって、自他をひらくのである。ますます拡大して爆発する存在になるのだ。

・よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、凡人には難しいという人がいる。そんなことはウソだ。

やろうとしないから、やれないんだ。

それだけのことだ。

・芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ。


「爆発」の意味

“・「芸術は爆発だ」。ぼくの気ままに言った言葉。妙に一般の人気を得て、ついには流行語大賞までもらってしまった。


・一般に爆発というと、ドカンと大きな音が響いて、モノが飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。


・が、私のいう爆発はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。

全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。

人間は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。


・…そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。

大事にするから、弱くなってしまうのだ。

己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。

炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。—爆発するんだ。
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/9219

▲△▽▼


岡本太郎 40歳 スキーを始める。

1952年(昭和27年)、岡本太郎さんはもともと運動好きでしたが、40歳を超えてからスキーを始めます。

岡本太郎さんは初心者の頃から、上級者向けの絶壁のようなコースに挑み、大転倒を繰り返したといいます。

急斜面を勢いよく滑り降り、歯を食いしばって突っ込んでいくと、ステンと大きく転倒し、ひっくり返って新雪の中に頭が潜り込んでしまった時、岡本太郎さんは、自分が転んだというより、地球がひっくり返った感じがして、地球に親しみを覚えたと表現しています。

その後も、

「ヘタをしたら首の骨を折って死んでしまうかもしれない」

というほどの危険なコースで文字通り死に物狂いの練習を重ね、メキメキと上達し、その腕前はプロスキーヤー・登山家の三浦雄一郎さんもプロ級だと評しています。

岡本太郎さんは、自分でスキーウェアやスキー板をデザインしたりもし、生涯のパートナーの秘書の敏子とは年越しスキーを楽しむのが恒例となっていきました。

また、講談社から「岡本太郎の挑戦するスキー」というスキーについての本もお出版しました。(残念ながら現在は廃盤となっています)
http://relaxmeikan.com/category5/entry117.html


株式会社飛脚堂の社長は男子高校生です。

凡人には真似出来ない岡本太郎のスキー


岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という本を読みました。

岡本太郎という人物は、「太陽の塔」を作ったぐらいの人だと思ってた。
「芸術は爆発だ!」と言って、爆発した芸術品をつくる芸術家ぐらいに思ってた。

そんなもんじゃない。この本はとてつもないエネルギーを持っています。

岡本太郎は、ただの初心者のスキーでさえ、僕達の心を揺さぶってきます。

『初心者だったから、最初はたらたらっとした斜面で練習させられたのだが、上の方を見あげると、絶壁のような上級コースが白々と輝いている。

ああ、あんな凄いところで滑ってみたいなあ。

とても駄目だろう、だが滑ってみたい。

強烈な好奇心がぼくを惹きつけた。思い切ってリフトでそこまで登ってみた。』


もうそろそろ、ウインタースポーツの季節です。ぼくはスキーもスノボもやりますが、はっきり言ってこんなことしたくない。いや、スピードは出したいなって思うけど、絶壁のような上級コースは、好奇心より恐怖が先立ってしまいます。


だがしかし、彼の文章からは恐怖は感じられません。冷静に

「首の骨でも折って死んでしまうんじゃないか。ウーム!迷った。」

と書いてある。僕だったら怖くて足がすくんで終わり。というか最初からそんな急斜面は来ないと思う。

『しかしここまであがって来たのだ。来た以上、やってやろう。

死と対面することこそが、いのちを燃やす真のよろこびじゃないか。

ーとたんに、ステーンと、凄い勢いで転倒したーだが嬉しかった。

何か自分が転んだというよりも、ぼくの目の前で地球がひっくりかえった、というような感じ。地球にとても親しみを覚えた。』


滑って転んで、そして地球に親しみを覚えてしまう。並大抵の凡人に出来たことじゃあない。僕も例外なく、転んだら「痛いっ!」と言っているはず。毎年どこかしら痛くなって帰ってくる。

彼がスキーを始めたのは46歳。僕はまだ16歳だから、あと30年後にスキーを始めたことに。それでもこんなに好奇心旺盛だと、こんなに人生がカラフルで彩り豊かなものになるのかと思うと、好奇心は捨てないでとっておこうと。そして、今ある好奇心は最大限発揮しようと。

好奇心は枯渇することがないです。本人の意志さえあれば。好奇心を忘れずにいれば、ボケないそうです。だから好奇心を忘れずにいようというわけではないですが、それでも「好奇心はこんなにも人生を豊かにしてくれるんだ」と改めて岡本太郎のスキーを見て(読んで)思いました。


それにしても、ただの文字なのに、スキーの様子がありありと思い描けるのは、なんでだろう…これも岡本太郎の才かな。


「自分の中に毒を持て」、ぜひ皆さんにも読んで欲しい。読まないと伝わらないエネルギーが詰まっています。
http://shachodanshi.hatenablog.com/entry/2013/12/06/101253


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html

コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
1. 中川隆[-10937] koaQ7Jey 2019年4月05日 01:15:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1091]


複雑なことは単純化 面倒なことは習慣化する


職人の技は達人にしかできないが、単純化と習慣化で「ある程度」までは近づける

複雑な手順を誰でも分かるようにする

目の前に膨大な量の仕事があったり、実現困難な目標があった時は、単純化や習慣化すると良いとされています。

単純化とは達人や名人にしかできなかった仕事を、誰でもできるようにすることで「誰でもできる化」とも言われています。

世界最初のファーストフードはKFCですが、こうしたフランチャイズの秘訣は作業をマニュアル化して誰でもできるようにする事でした。




シェフが20年かけて完成させた究極の料理も、手順をマニュアル化すれば誰にでも作れてしまいます。(高度な技術が必要だとしても)

多くの仕事は「この道30年」の職人のように、熟練して高度になるほど手順が複雑化し、真似できなくなります。

最終的にその達人がなくなって弟子に技術を教えていなければ、その技術はそこで途絶えてしまいます。


高度になるほど複雑怪奇になってしまうものを、一度バラバラにして組み立てなおすのが単純化と言えます。

高度に複雑化するともはや自分自身にすら理解できなくなるので、弟子に教えるのも難しくなります。

一目で作業内容が理解できるようにし、誰でも理解できるようになれば、技術は途絶えることなく伝わります。


職人の後継者不足が言われていますが、「見え覚えろ」「技は盗め」だけでは弟子も育ちません。

職人は競争相手に技を盗まれないため、弟子は10年以上かけて育てるのが普通で、技術を教えたがりません。

もし半年ですべての技術を教えてしまうと、弟子は独立して自分のライバルになり、自分が倒されるからです。


だから弟子であっても10年修行してやっと技術を教えるのだが、これは今の時代に合っているとは思えない。

面倒なことを習慣にする

日記を書くのは誰でもめんどくさく、3日坊主で辞めた人が多いと思います。

文豪と言われる小説家の多くが日記を残していて、文章を書く練習として日記を書いていたそうです。

文章は一日書かなければ一日分下手になり、十日も書かなかったらもう文章を書けなくなるという人もいます。


文豪であっても文章を書くのは面倒で億劫なことだったので、毎日書くことで習慣化していたのです。

文章を書いたことが無い人が、ある日名文を書くことは出来ないが、毎日日記を書いていたらそのうち名作を書けるかも知れません。

絵画でも音楽家でも習慣にすることで徐々に上達し、ある日名作と呼ばれるものを作っています。


少し前に流行った考え方で「1万時間の法則」というのがあり、1万時間真剣にやればプロ並みのレベルに到達できるとされています。

これの肝はプロになれるかどうかではなく、最初は素人でも毎日続けると次第に上達し、やがてはプロ並みになれるという点です。

実際1万時間やっても才能がなければプロには成れないが、アマチュアの中で「かなり上位」にはなれるでしょう。


自分が心から上達したいと思っていることがあったら、毎日続けて1万時間になる頃には、かなり上達している筈です。
http://www.thutmosev.com/archives/79469062.html#more


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c1

コメント [原発・フッ素51] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) :政治板リンク 赤かぶ
1. 茶色のうさぎ[-10438] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月05日 01:15:45 : Ufll8nJ06Q : eHlmTEdqL2NNUk0=[-2]

>事実は、「日本国は約300兆円の黒字で、政府が国民から1000兆円を借りていて、将来、子供に1000兆円を返す」ということですから、借金ではなく資産なのです。

結論: 政府、政権って、国民の代表でしょ? 安倍、麻生、小泉、竹中 ←売国奴、海外逃亡したら??

 最終責任は? 代表を選んだ、国民の責任、国民の負担と思うけど、??

 つまり、次期政権、枝野、菅直人の責任かなー♪ぷっ

 現実に国民は? 貧困女子風俗、非正規雇用自殺、老後資金破産、、困ってるじゃん!!

 まぁ、裕福なのは? 国家公務員くらいですね!!ぺっ♪ ←日本共産党もですね。ぺっ♪ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/312.html#c1

コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
2. 中川隆[-10936] koaQ7Jey 2019年4月05日 01:17:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1092]

自分の人生に重要ではないものには、決して「継続は力なり」を当てはめるな


「継続は力なり」という言葉がある。これは、目的を達成する前に早々とあきらめる人を戒め、つらくても継続することに意味があると知らしめる格言である。

何でもそうだが、何かを始めたときは最初から目的のものがすんなりと手に入るわけではない。

むしろ、目的を達しようと思えば思うほど、むしろ道は遠ざかるような目に遭う。「良くなる前には悪くなる」という現象がどこの世界にもある。

努力すればするほど成果から遠ざかっていき逆境になる。ところが、それでも努力を続けていると、あるときから物事が好転し始めて、やっと目的に到達することができるのだ。

いったん落ちて、高みに浮上するというのは、「Jカーブ効果」とも言われる。(ダークネス:「良くなる前には、いったん悪くなる」という現象を認識せよ)

浮上するためには、誰もがダメだと思うところで、もがくような努力をしなければならない。それが「継続は力なり」という言葉に表されている。(鈴木傾城)


無駄なものは無駄だというケース

しかし、努力すれば何でも叶うのかと言われれば、まったくそういうわけでもない。どんなに努力しても、どんなに継続しても、自分には何ともならない目標もある。

人間は誰でも超人ではない。無駄なものは無駄だというケースもある。努力しても叶わないものは叶わないこともあるし、努力する以前に目標が成り立たないこともある。

(1)肉体的な能力が備わっていない。
(2)遺伝的能力・才能が備わっていない。
(3)目的に到達するのに時間がかかりすぎる。
(4)それに本気になれない。
(5)自分が心から目指しているものではない。

こういった場合、いくら「継続は力なり」と言っても、それが実現されることはない。肉体的・遺伝的に到達できない目標である場合の努力は意味がないし、やりたくないものを目指しても意味がない。

難しいのは、最初からそれが分かる人はどこにもいないということだ。

目が見える人は、誰でも画家になる自由はある。しかし、目指す前は、自分にその才能があるかどうかは分からない。自分がそれに最後まで深い関心や興味を持てるかどうかも分からない。

やってみて初めて、自分に向いていないと思ったり、関心を持てないと思ったり、才能もないと思ったり、それでもやりたいというエネルギーもないということに気付く。

最初は、誰でもいろんなものに試行錯誤する。すべてに「継続は力なり」と言っていれば、すべてが中途半端になる。ということは、「継続は力なり」の一方で「さっさとやめる」ということも重要であることが分かる。


続けるという決断の裏に必要なもの

自分が実現したいというものがあって、それに関しては血だるまになっても取り組むつもりならば、その一方で自分の人生の枝葉末節のものはすべて切り捨てるという別の決断も必要になる。

つまり、「続ける」という決断の裏に、「やめる」という決断をも必要になるのだ。

自分に向いていないもの、関心のないもの、自分の人生に必要のないもの、好きになれないもの、意味のないものは「やめる」ことが重要だ。

他人にとってそれは重要かも知れないが、自分にとって重要でなければ、やめるのは悪い選択肢ではない。自分にとって大したものではないと思えばやめるしかないし、間違えたと気付いてもやめるしかない。

余計なことを「やめる」ことによって必要なことに集中できる。それによって人生がすっきりする。迷いもなくなる。どうでもいいものを「やめる」と、それだけで時間も、情熱も、資金も、重要なものに集中させることができる。

何でもかんでも、ただ続ければいいというものではない。

優れた企業は常に選択と集中をして、余計なものを切り捨てるのだが、この選択と集中は、どちらも一点に全力投球する行為であることに気付かなければならない。

つまり、他の枝葉を切り取らなければ、選択も集中もできないのである。逆に言えば、選択と集中を実現するためには、どうでもいいものをすべて「やめる」しかない。

行き当たりばったりの人が言う「やめる」と、選択と集中に取り組んでいる人が言う「やめる」とは、同じ「やめる」でもまったく意味合いが違う。


やめる決断ができるかどうか

「重要なことを続ける」と決意した人の「別のものをやめる」という決断は、非常に意味のあるものなのだ。

駄目なものにしがみつかない。自分には意味がないと思うものにしがみつかない。いたくない会社、やりたくない仕事に、しがみつかない。実りのないプロジェクトを続けない。

経営者が大成できるかどうかというのは「やめる決断ができるかどうか」にかかっていることが多いと言われている。続ける決断は簡単だが、やめる決断は覚悟がいるからだ。

やめると言うと、失敗したと言われるし、格好が悪いと思われるし、挫折したと陰口を叩かれることもある。

力がないと思われることもあるし、時には中途半端だと罵られることもある。

しかし、それが自分の目指すものではないと途中で気付いたり、他人はどうであれ、それが自分には意味がないと思えば、「やめる」という選択と決断は、逆に毅然と決断しなければならないのである。

「やめる」というのは、失敗したという意味で捉えられることが多い。しかし、他に目的があった場合は「やめる」ことが大きな前進となる。

プライドが傷ついて、やめなければならないのにやめれない人もいる。

しかし、たかがプライドごときで時間も金も人生もすべて失って撤退を迫られるより、袋叩きに遭っても毅然として「やめる」という勇気が必要なのである。

あなたは、やめる勇気、引き返す決断ができるだろうか。ゆっくり休んで自分の人生をよく見つめ、「やめるべきもの」をピックアップすればいい。

自分の人生にとって重要ではないものに「継続は力なり」という格言を当てはめてはならない。自分にとって重要なものに選択・集中して、枝葉は毅然と「やめる」のが重要だ。(written by 鈴木傾城)


登ることが自分の人生に意味がないのであれば、やめなければならない。自分の人生にとって重要ではないものに「継続は力なり」という格言を当てはめてはならない。自分にとって重要なものに選択・集中して、枝葉は毅然と「やめる」のが重要だ。
https://blackasia.net/?p=10989

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c2

コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
3. 中川隆[-10935] koaQ7Jey 2019年4月05日 01:24:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1093]

冒険する頭―新しい科学の世界 (ちくま少年図書館 74) – 1983/8
西村 肇 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%86%92%E9%99%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E9%A0%AD%E2%80%95%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8-74-%E8%A5%BF%E6%9D%91-%E8%82%87/dp/4480040749


≪なぜこの本を書いたのか≫

 私は、自分が指導した6人の学生の卒論を審査した。すると、研究者が書いた論文になっているものと、学生の書いた実験報告にしかなっていないものと出来栄えにあまりに大きな差があるのでびっくりしました。(中略)


 大学の受験技術なしに希望の大学に入ることははなはだ難しい。しかし、いったんこういう技術を身に着けてしまった人たちを、いくら大学で教育しても、自ら研究する人に育てるのは、まず不可能に近いのです。

 卒論の例では、よい論文を書いた人たちは、そうでない人たちと比べると、あくなき好奇心があるかどうかの違いでした。…大学教育で好奇心を育てることはできないのです。

 私は、研究する人に重要なのは、モノに対するセンスと、知的好奇心だと感じていますが、これは学校教育で育つものではなく、各種環境の影響が大きい。


≪総合的にものを見る目≫

 総合的な視野と考え方は、たくさんの本を読んで身に付くといったものではなく、何か目的をもって一つの事を実践する中で身に付くのだというのは確かだと思います。

 だから研究テーマを選ぶ時、実践的関心からテーマを選びます。君たちが考えたり発言したりする時、とことん具体性を要求するからです。どんな仮説を抱いても良いが、実証する努力を要求するからです。

 私が今、なぜ、環境問題を研究しているかというとー私は決められている枠を少し越えてしまったのだがーそれは東大紛争がきっかけでした。

 この東大紛争が何であったかー評価はまちまちだがー若い世代の中には、深刻な影響を受けた人たちが数多くいます。それは東大の中に限りません。東大紛争は、けっしてナンセンスな事件ではなく、一つの大きな思想的事件でした。それは、思想的影響の上では、1945年の終戦につぐ大きな事件でした。

 日本の思想的戦後というのは、東大紛争後に本格化したと思います。これで思想的解放が進み、戦後が一段と定着したのだと思います。この解放の機会をとらえて、それまでにできなかったことをやりだした人は多いのです。現在日本の活力の重要な部分を支えているのは、この人たちではなかと思います。東大紛争で2年も3年も苦しまなければ、こんなだいそれた転進をすることはなかったと思います。


≪私の転機となった日〜先輩の忠告≫

 「公害の研究はそろそろお終いにしたら。みなさんが心配しているよ」
 私は頭をガーンと殴られたように感じました。(中略)

 人から言われたからといって、意味もない後退をするのは、自殺行為だと直観しました。と同時に、常識的な助教授のコースを外れて、少し変わった道を歩き出すきっかけになった、あの日のことが思い出されました。紛争派から闘争派に変わったあの日のことです。

 それは、間違った学生処分の撤回を求めて、総長室の前に座り込んだ学生を、大学側が機動隊を導入して追い出した直後のことでした。

(総長は、話し合いに出てきたが、明らかに言い逃れをしようとしていた。著者は思わず手を挙げて、大学当局を批判した。…著者は最後に「なによりも冒険する心と頭で」と結ぶ)。

【出典】『冒険する頭〜新しい科学の世界』西村肇/ちくま書房’83年  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c3

コメント [カルト20] ゴラポ・自動車税(維持費抜き)米の30倍、独英の三倍。若者に見捨てられたくなければ、全般的に費用を下げる事である。 ポスト米英時代
5. 2019年4月05日 01:26:50 : dnhkmbcLCI : ODhxOTlHaUI1eUU=[4]
軽自動車も低価格化小型化すればマイクロ自動車としてのセールスポイントもあるだろうが、軽自動車が大型化高価格化するとかわけがわからん。

http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/612.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
27. 2019年4月05日 01:28:15 : rwgORSmgTI : endLTHBCYXl5alU=[2]
あからさまなスピン報道としか見えない。

政府もマスコミも完全に腐っている。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c27

コメント [原発・フッ素51] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) :政治板リンク 赤かぶ
2. 茶色のうさぎ[-10440] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月05日 01:29:31 : Ufll8nJ06Q : eHlmTEdqL2NNUk0=[-4]

 戦後、、

 日本共産党って、、労働者に、どれだけ貢献したの?? ぺっ♪

 ただ、赤旗新聞でガス抜きじゃん!!ぺっ♪

 現実に、口先だけ反対で、

 原発輸出は賛成ですね。 安倍総統閣下、原発ベースロード法案にも賛成じゃん!!ぺっ♪

 ひどいのが、不破哲三なんて、安保容認じゃん!!ぺっ♪ 長文省略 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/312.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
2. 2019年4月05日 01:32:03 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[266]
こいつはこの間森友加計は野党の陰謀でっち上げとか言っていて詐欺犯罪で退場した小川榮太郎と友達だったようだが。一緒に安倍晋三を持ちあげていたな。

国際的に有名な強姦犯山口とも友達だったかな。類を持って集まるということか。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c2

コメント [国際26] <「苦しい立場に置かれたネタ二ヤス氏を助けた」と!>トランプ大統領の「ゴラン高原併合承認」を批判しない佐藤優  天木直人 赤かぶ
1. 2019年4月05日 01:34:19 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[442]
ネタニエフは安倍、メイ、マクロンと同様の新自由主義者で政策的にはトランプにパージされかかっているが裏北朝鮮のシリアとイスラエルが敵対する(ことを煽る)ことで日本と朝鮮半島2か国との間における地政学的・軍事的な対立(感情)を間接的にコントロールすることができる。偽旗作戦を適度に織り込んで世界を動かそうとする米国はやはりしたたか。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/117.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 2019年4月05日 01:34:31 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[267]
新元号は云々(でんでん)がよかったと思う。字画も少なく書きやすいし。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/320.html#c2
コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
4. 中川隆[-10934] koaQ7Jey 2019年4月05日 01:35:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1094]

前代未聞・空前絶後の天才指揮者フルトヴェングラーは作曲の才能が完全にゼロだった

芸術というものは、「切れ目」があるもの。音はつながっていても、その流れの中に明確な「切れ目」がある。だって、そもそも芸術作品というものは、創作する人間に神の言葉が降り降りたから、永遠に残る作品になったわけでしょ?

その瞬間は、人間の発想の「流れ」は、切れますよ。

逆に言うと、だら〜とつながっている「流れ」を持つ作品は、たとえ音に切れ目があっても、人間の思考の範疇にあるわけ。

以前にマルグリット・デュラスの「インディア・ソング」を考えた際に触れましたが、「最適化とまり」の作品と言えるわけ。そんな作品は、「夜明け」に到達できないnormalな量産品ですよ。


最適化の作業を超えた神の声。そんな瞬間には、時間の流れが止まってしまうもの。

だから、「切れ目」が発生することになる。音がつながっていても、「流れ」が切れるわけ。


もちろん、音楽作品において、そんな「切れ目」があれば、音が一端切れることもありますし、音楽の音色の変化となるケースもありますし、テンポが変わるパターンもある。音楽の表情の変化には色々なパターンがあるもの。

しかし、音楽を聞いていて「ああ!この箇所で、単に音が変化したのではなく、世界が変わったなぁ・・・」と思うこともあるでしょ?

表現された「世界の切れ目」は、現実的には、音楽の流れにおいても切れ目となる。だから、音楽の切れ目に注目すれば、表現された「世界の変化」あるいは、その作品に現れた創造者の声も、見えてくる。日頃から創造的な日々を送っていれば、そんな「切れ目」に対する反応が鋭くなるわけですし、ルーティーンな日々を送っていれば、明確な切れ目があっても、見過ごしてしまう。


今回取り上げるのは、音楽映画「フルトヴェングラー その生涯の秘密」と言うもの。
芸術的な映画と言うより、記録映画に近い映画です。この映画を元に、フルトヴェングラーという人を考えて見たいと思っているわけ。

フルトヴェングラーと言う人は、第2次大戦を挟んでベルリン・フィルの指揮者だった人でした。1954年にお亡くなりになっています。没後50年以上経っているのに、今でも崇拝者はいたりしますよね?

フルトヴェングラーは当代随一の大指揮者であったとともに、作曲も、しました。

第2次大戦という困難な時代に、よりにもよって、ベルリン・フィルの指揮者だったため、ナチとの関係が色々と指摘されることになる。その映画でも、そんなシーンが出てきます。ナチとの関係は、後で考えてみます。とりあえず、ここで考えてみるのは、切れ目の問題です。


実は、このDVDの解説が、結構面白い。日本の音楽関係者さんが解説をなさっておられるようですが・・・

「切れ目」への反応が・・・何と言うか・・・うーん・・・と言わざるを得ないもの。

実は、このDVDの終わりの方に、第2次大戦の終結前にフルトヴェングラーがワーグナーの「マイスタージンガー」の前奏曲を指揮するシーンがあります。フルトヴェングラーとオーケストラはコンサート会場(と言っても体育館かな?)で演奏している。そこにはナチのカギ十字の旗が掛かっている。軍需工場の慰問の意味もあるのかな?

そして映画では聴衆が映っているわけです。フルトヴェングラーとオーケストラの演奏シーンがあって、聴衆が真剣に聞いている映像が流れて、そしてまた演奏シーンがあって、そして、聴衆のシーン・・・と繰り返される。映っている聴衆は、実に、真剣な、表情。

DVDの解説では、「スゴイ演奏だ!だから、聴衆がこんなにも真剣に聞いている!」なんて書かれていますが、読んだ私はその言葉にビックリ。

映像を見れば疑問に思うはずですが、フルトヴェングラーとオーケストラによる演奏シーンと、真剣に聞く聴衆のシーンって、同時に収録したものなの?

聴衆のシーンは別撮りじゃないの?
そして、後で編集したのでは?

同時収録の聴衆もいるでしょうが、全部が全部同時収録なの?

映っている聴衆に当たっている光の具合って、実際のコンサート会場ではありえない場合がある。それに聴衆と演奏家が一緒に映っているシーンがほとんどない。聴衆の映像に、音楽が流れるだけ。それに、フルトヴェングラーのコンサートなのに、それに特に正装している服装ではないのに、まあ、映っている聴衆の周囲がスカスカで、一人しか映っていない場合もある。安い席なら、もっと聴衆を詰め込むでしょ?ただでさえ希望者が多いんだから・・・


真剣な表情で音楽に聞き入っている聴衆の姿って・・・まあ、演技のプロなら当然ですよ。そもそも当時のドイツは純然たる独裁国家。そのイベントを収録した映像に映っている人物が、まるっきりのカタギと言うわけには行かないでしょ?

それこそ今だったら、北朝鮮政府が映した映像で映っている「一般国民」が、どんな素性の「一般国民」なのか?ちょっと考えればわかるはず。それに当然のこととして、当時のカメラは巨大なもの。ゴダールの「勝手にしやがれ」のように手持ちカメラでの撮影と言うわけにはいかない。自分の目の前にそんな巨大なカメラがあったら、落ち着いて演奏を聞くどころではないでしょ?

そして、当然のこととして、相当の光を当てないと、当時の感度の低いフィルムには収められませんよ。映っている「聴衆」にも、相当の光が当たっていたはず。それに、当時の政治体制を考えれば、聴衆だって「ミスは許されない」状態。こりゃ、「真剣」にもなりますよ。命が掛かっているもん。


「一般の聴衆が、こんなに真剣な表情で!」
・・・なんて・・・素直ないい子だねぇ・・・


何も私はその「解説」を失笑しているわけではありませんヨ。シーンの切れ目に対する反応の鈍さについて考えているだけです。

演奏シーンがあって、聴衆のシーンへと続く・・・

その「切れ目」に何があり、どんな意図があったのか?

日頃から創造的なことをやっている人だったら、そんな切れ目を見逃すはずはないんですね。逆に言うとルーティーンな日々を送っている人は、そのような「切れ目」に反応することは難しいんでしょう。これはしょうがない。日本の音楽現場と言うものは創造現場とは距離があるんでしょうね。

創造的な瞬間、人間の思考が途切れる絶対的な瞬間・・・

そんな瞬間とは無縁なんでしょう。申し分のない立派な市民と言えるんでしょうが、芸術家とは言えませんね。まあ、その「解説」は切れ目への反応の鈍さの実例。逆に、切れ目への反応の鋭さの実例というと、実は、このDVDで典型的な箇所があります。

映画に登場しているドイツの音楽研究者さんがフルトヴェングラーが演奏したバッハのブランデンブルク協奏曲の第5番について考えている箇所。その演奏が持つ切れ目がすばらしい。

フルトヴェングラー指揮による、バッハのブランデンブルク協奏曲・・・そんな組み合わせの方に、21世紀に生きる我々は失笑してしまう・・・そんなものでは?

フルトヴェングラーが活動していた時代から、バッハの演奏スタイルは大きく変わってしまいましたからね。実際に、この演奏でもチェンバロではなくピアノが鳴り響く。現代的と言うか、古いというか・・・

しかし、これがまたビックリするくらいに面白い。単に、古楽器による演奏に馴れた我々の耳に、逆に新鮮に響く、と言うものではなく、音楽の「切れ目」が生きている。

音楽の切れ目から、神からの霊感そのものが、鮮やかに浮かび上がる。

「ああ!ここでバッハに、神から霊感があったんだなぁ・・・」って、誰だってわかるのでは?

私はその「切れ目」の部分で、魂が身体からスーと抜けて行く感じがしたくらい。演奏スタイルが古いとか正統的とかの議論よりも、創作者に降り降りた神の言葉を再現することの方が重要でしょ?

フルトヴェングラーの演奏を聞いていると、その切れ目から、まさに「神の言葉」が聞こえてくる。創造的な音楽は、音楽の流れの中に、たまたま切れ目があるのではなく、切れ目をつなぐために、メロディーがある、むしろそっちのスタイルに近いもの。

それこそフルトヴェングラー指揮の有名なバイロイトでのベートーヴェンの第9交響曲の演奏ですが、あの「歓喜に寄す」のメロディーが、「入ってくる」その切れ目のすばらしさ・・・

それは誰だって認めるでしょ?全体が問題ではなく、切れ目が問題と言えるのでは?

神は切れ目に宿るわけ。切れ目への鋭い反応。そしてそれを再現する技量。フルトヴェングラーが、確かに、当代随一の指揮者であったのも、よくわかりますよ。

さて、前にも書きましたが、このフルトヴェングラーは、ナチとの関係が色々と指摘されたりします。多くの芸術家がドイツを後にしたのに、ドイツ国内に留まった。もちろん、彼もナチに対して抗議の声を上げたのだけど、どうも「あいまい」な態度。あるいは、このDVDに登場する画家のココシュカの言い方をすると、「とまどう」態度。

駆け出しの演奏家ならいざ知らず、指揮者としては当代随一の人だったんだから、生活の問題はないはず。心情的にはナチにシンパシーを持っていたのでは?

そんな指摘が、ナチの蛮行が本格化する前から、フルトヴェングラーに寄せられていたわけ。それに対し、

「音楽は政治とは関係ない!」

「私はドイツ音楽に忠誠を誓っているのであって、ナチに忠誠を誓っているのではないんだ!」

「ドイツ音楽を守るためにも、ドイツに残る。」


彼はそのような発言をしたわけ。「芸術と政治は関係ない!」という主張は、別の言い方をすると、「政治と芸術の間には切れ目がある。」と言う主張とも言えるでしょう。

その主張はともかく、もっと明確な態度でもよかっただろうし、取ることもできたのでは?

政治と関係ないと積極的に思うのなら、政治的な場所から切れて、積極的に距離を置けばいいだけ。ただ、その動乱の時代の当事者でない部外者が、もっともらしくコメントしても意味がない。

ただ、ナチとの関係が「あいまい」であったとは言えるでしょう。だって、他の多くの音楽家は、もっと明確な態度で臨んだわけですし、そのような断固とした態度をフルトヴェングラーに勧めた人も大勢いた。つまりフルトヴェングラーには他の選択肢を知っていて、その選択の可能性もあったわけ。

いっそのこと、ナチに忠誠を誓っても、それは個人の政治信条の問題。ナチに反対して、さっさと亡命して、他の国から「ナチからの解放」を呼びかけるのも、立派な態度。フルトヴェングラーは、「あいまい」なんですね。

しかし、フルトヴェングラーの「あいまいさ」って、ナチとの関係だけではない。音楽家にとって、もっと重要な問題においても、実にあいまい。

音楽家であることはいいとして、演奏家なのか?作曲家なのか?

その問題と真摯に向き合ったりはしない。

「ボクは本当は作曲家なんだ!」

なんて言うのはいいとして、実際に作曲をするわけではない。作曲する時間があっても、何とかして逃げ出そうとする。第1次大戦において、それこそ若いフルトヴェングラーは率先して兵役に付こうとしたらしい・・・

せっかく、徴兵検査で不合格になったのに・・・志願するなんて・・・

愛するドイツのため・・・は、いいとして、そのドイツの芸術を発展させることの方が、創作活動をする者の重要な仕事でしょ?

「ベートーヴェンやブラームスを産んだ祖国を守る!」

なんてお題目はいいとして、だったら、なおのこと自分が作曲することでベートーヴェンやブラームス以上の作品を残した方が祖国ドイツにとっても価値があるのでは?


フルトヴェングラーは、作曲の時間ができると、何かに首を突っ込んで、その作曲できる時間をつぶしてしまう。そんなことの繰り返し。その点は、ナチとの「あいまい」な関係で非難された作曲家のR.シュトラウスとは全然違っている。

シュトラウスは、要は自分が作曲できて、自分の作品が上演されれば、それでいい・・・と、割り切っている。ナチに対しても、いつの時代にも存在する、単なる「よくある障害物」くらいの認識。気に入らないヤツらだけど、明確には敵にする必要はない・・・それよりも、アイツらを、うまく使ってやれ!

シュトラウスはナチとはあいまいであっても、音楽活動に対しては、実に明確なんですね。シュトラウスが取ったこのような態度は、分野は違っていますが、ロケット開発のフォン・ブラウンとも共通しています。

自分が本当にやりたいことがわかっているものの発想。これこそが天才というものですよ。それに対しフルトヴェングラーは、「あいまい」な態度ということでは首尾一貫している。ナチともあいまい。作曲活動もあいまい。

あるいは、フルトヴェングラーのライヴァル関係であったトスカニーニとの関係もあいまい。トスカニーニを嫌いなら嫌いでいいわけですが、「敵にしたくない!」「嫌われたくない!」あるいは、「嫌ってはいけない!」なんて心情が見えてくる。

いつだって誰に対してだって判断保留の状態。

トスカニーニにして見れば、フルトヴェングラーは、指揮者としては偉大。政治的には無能。友人とはいえない。と明確。トスカニーニだって他の指揮者についての評価や関係についてウジウジ考えているヒマなんてありませんよ。どうせ共演するわけでもないし・・・割り切って前に進むしかないでしょ?

フルトヴェングラーの行動なり発言を読んでいると、「で、アンタ・・・いったいどうしたいの?」なんて思ってしまう。

フルトヴェングラーに対するトスカニーニなり、F.ブッシュの怒りも、そのあたりなのでは?

もちろん、「芸術と政治は関係ない!」という正論は正論。現実は、そんなものじゃないけど・・・

しかし、「芸術は政治とは関係ない」と言う理屈はいいとして、そうなると、芸術作品に対する理解ってどうなるの?

そう思いませんか?

だって、ナチの活動なんて、共感できないのはいいとして、考える価値のあるものですよ。たとえば、ナチの活動を見ながら、「愛を断念することによって、世界の支配をもくろむ」アルベリヒを連想しなかったのかな?

復讐だけがそのアイデンティティとなったハーゲンを連想しないのかな?

好人物であるがゆえに利用されたグンターと、ヒンデンブルク大統領の相似性を考えなかったのかな?

というか、悪企みの「弾除け」にされた好人物グンターの役回りを、フルトヴェングラーはどう思ったのだろう?

ヒンデンブルク大統領とは別に、この役回りを見事に演じた人が、まさに、いたわけでしょ?

フルトヴェングラーはグンターのことを「自分の背景で悪企みが進行しているのに気がつかないなんて・・・バッカだなぁ・・・コイツ!」なんて思ったのかな?

ナチは自分たちのことをジークフリートに例えていたのでしょうが、むしろアルベリヒやハーゲンにそっくりですよ。そして、最後のカタストロフも、オペラのまま。


ヒトラーと初めて会って話をしたフルトヴェングラーは、ヒトラーのことを「取るに足らない人物」と評したそう。そんな単純な見解って、人に対する洞察力が、いちじるしく劣ると言うことでしょ?

だって、その直前に、フルトヴェングラーは、ジークフリート・ワーグナーの未亡人でありバイロイトでの覇権を目指すヴィニフレート・ワーグナーと衝突しました。

ヴィニフレートは音楽について、明確な知識もない人間なのに、指揮者に色々と指図して、フルトヴェングラーは「もう、やっとれんわいっ!」とブチ切れたわけ。

バイロイトの主人として、バイロイトを盛り立てる・・・その意欲は意欲としていいのですが、音楽面でフルトヴェングラーに指図してもしょうがないでしょ?


しかし、コンプレックスの強い人間ほど、そんな無用な指図をやりたがるもの。それだけ自分を実態以上に「大きく」みせようとするわけ。そして自分自身から逃避したいわけ。そんなヴィニフレードとの衝突の後で、ヒトラーと会談して、ヒトラーとヴィニフレートとのメンタル的な共通性を感じなかったのかな?


芸術の分野も、政治の分野も、その主体は人間でしょ?

その間には明確な「切れ目」なんて無いんですね。芸術作品に登場する人物の心理を理解できても、実際の人間のキャラクターはまったく理解できないって、やっぱりヘン。
実際の人間も、オペラなどでの描かれている人間も、似たキャラクターの場合って多いものでしょ?


この点について、実に笑える話があります。第2次大戦の終結の後、ナチとの関係を理由に裁判にかけられるフルトヴェングラー。その証人として、とあるオペラ歌手が出てきたそう。そのオペラ歌手は、フルトヴェングラーとナチとの関係について、ウソ八百ならべて、フルトヴェングラーを陥れようとしたらしい・・・

しかし、そのオペラ歌手には、フルトヴェングラーとの間に過去に個人的な「いさかい」があり、その個人的な感情で、フルトヴェングラーに嫌がらせをしたんだそう。それは「マイスタージンガー」のベックメッサーの役をやりたくて応募したけど、フルトヴェングラーがその歌手を採用しなかったので、その「恨み」を持っていて、それを裁判という場違いな場でぶつけたわけ。

いやぁ!ベックメッサーになれなかった歌手の、見事なベックメッサー振り。芸術作品を理解するのに、最良の資料は、自分たちの目の前にあるものなんですね。

あるいは、教養人とされるフルトヴェングラーですが、ヒトラー,ゲッペルス,ゲーリングのナチの3巨頭のキャラを、フランス革命のロベルピエール,マラー,ダントンの3巨頭とのキャラとの関連で、見るようなことはなかったのかな?

禁欲主義者,マスコミ対応,享楽家と、組み合わせもちょうど合っている。教養人フルトヴェングラーの教養って何だろう?


書かれた楽譜なり、本での記述は理解していても、実際の人間を洞察するのには、何もできない。フルトヴェングラーって「ブンカジン」だなぁ・・・と思ってしまう。

まあ、そんな実際の人間に対する洞察力が著しく劣っていても、演奏家としては何とかなるんでしょう。それこそブルッックナーのような作品を演奏するのだったら、それでもいいのかも?

しかし、そんな人が、作曲などの新しい作品を作ることができるの?

ゼロから創作することができるの?

現実を見る目がそんなにない状態から、ゼロから創作するインスピレーションなんて、沸き起こって来るの?

フルトヴェングラーは、楽譜から「神の言葉」を読む取る能力はすばらしいけど、神の言葉を直接聞ける人間なのかな?

R.シュトラウスが要領よく立ち回ったのは、それだけ「人を見る目」があったからでしょ?

逆に言うと、そんな目がないとオペラなんて書けませんよ。フルトヴェングラーが言う


「時間がなくて、作曲できない・・・」

は、理由としてポピュラーですが、作曲なんて基本的にはアタマの中でやるものでしょ?

電車で移動している最中にもできるじゃないの?

あるいは、アルキメデスのようにお風呂に入った時にすばらしいアイデアなんて浮かばなかったの?

そのようなアイデアをしっかりコンポーズするには、まとまった時間も必要でしょうが、アタマの中でラフスケッチくらいはできますよ。それなのに、どうして20年以上も作曲に手をつけないの?

それって、「どうしても曲にまとめ上げたい!」という霊感やアイデアがなかったからでしょ?

だって、目の前にいる実際の人間に対する洞察力が、これだけ劣る人なんだから、霊感なんて来ませんよ。もし霊感があったら、とりあえずは、小さな作品からでも、作曲するでしょ?

まずは小さい規模の作品を制作しながら、自分自身の本当の霊感なり、作品にする問題点を自覚できるわけでしょ?

その後、大規模な作品に進んでいけばいいじゃないの?

作曲活動それ自体が、そして自分が作った「小さな作品」それ自体が、自分自身がやりたい作曲活動の方向性を教えてくれることがあるわけ。いきなり大規模な作品を制作って、ヘンですよ。


彼の作曲した作品ですが・・・

DVDの映像では、カイルベルトとバレンボイムが、肯定的な評価をしています。しかし、どうしてコメントがカイルベルトとバレンボイムによるものなの?
実は、この映画には、もっと適役が登場しています。それは、テオドール・アドルノ。

シェーンベルクに作曲を習い、マーラー以降のドイツ音楽について一家言以上のものを持つフランクフルト学派の哲学者アドルノが、フルトヴェングラーが作曲した音楽を、「理詰め」で絶賛すれば、この私などは「ははぁ!わかりました!わかりました!もうわかったから勘弁してよ!」って泣きを入れますよ。


ところがアドルノは、フルトヴェングラーの指揮を絶賛しても、作曲した作品には何も語らない。当然のこととして、この映画を制作した人は、アドルノに対して、作曲家としてのフルトヴェングラーについて聞いたはずです。カイルベルトやバレンボイムにも聞いたくらいなんですから、当然でしょ?

アドルノは、まあ、その話題を避けたんでしょうね。ウソは言えないし、故人を冒涜するようなことはしたくないし・・・

まあ、アドルノが言いたくないレヴェルの作品というわけなんでしょう。技術的な問題はともかく、「どうしてもこれを表現したい!」という気持ちが入っていないと、それ以前の問題ですよ。彼の作曲した音楽からは「どうしてもこれを表現したい!」「これだけでもわかってほしい!」という強い意志が感じ取れない。

しかし、彼の「指揮した」演奏を聞いて、「どうしてもこれを表現したい!」という強い意志が聞きとれない人はいないでしょう?

そして、演奏には、明確な「切れ目」もある。その切れ目が、人間の発想から、神の発想への「切れ目」となっている。そして、その「切れ目」を通ることによって、音楽の高みが、「より」高みへと通じ、深みが「より」深みへとなっていく。彼が指揮した音楽が作り出す「切れ目」を、彼と一緒にくぐることによって、我々聞き手も「より」深淵へと、到達できる。


『ここで作曲者に神の言葉が降り降りたんだ!』

って、フルトヴェングラーの指揮した音楽からは明確にわかる。彼は演奏家としては、あいまいさからは無縁。彼としては、演奏している時だけが、自分になれた・・・というより、完全なオコチャマになれた・・・のでは?

それ以外の時は、周囲に配慮しすぎですよ。


完全なオコチャマになり、幼児のように心を虚しくしているので、まさに天国の門は開かれる。


「オレは本当は指揮者ではなく作曲家なんだ!」

「本当は指揮などをしている場合じゃないんだ!」

「作曲をしないと行けない!」


と思っているので、指揮そのものは一期一会になる。フルトヴェングラーにしてみれば指揮は禁忌のものなんですね。禁忌のものだからこそ、なおのこと惹かれるって、人間誰しもそんなもの。おまけにそっちの才能は人並み外れているんだし・・・やってはいけないものだからこそ、火事場のバカ力も出たりする。

だからますますやっていて楽しい。火事場のバカ力なので、精神的に落ち着くと、周囲に配慮した「いい子」になってしまう。自分に自信がない人は人から誉められることを渇望するもの。それだけ自分自身が本当にしたいことがわからないので、人からの評価に依存してしまうわけ。

しかし、「いい子」では、逆に神の言葉は聞けないでしょ?

だって、「心を虚しくしている」幼児は、決して「いい子」ではないでしょ?

「いい子」って、それだけ外面的なことにこだわっているということ。人の評価に依存しているということ。それだけ神からは遠いわけ。


フルトヴェングラーの父親は、なんとアドルフという名前らしい・・・考古学の教授をなさっておられました。そのアドルフさんは、息子の才能を認め、サポートした・・・のはいいとして、息子の意見を聞いたの?フランクな会話があったの?

どうも、そのアドルフさんは厳格な人だったらしい。厳格と言っても様々なヴァリエーションがあります。自分に厳しいというパターンから、問答無用で強圧的というパターンまで。息子のウィルヘルム・フルトヴェングラーが極端なまでに「いい子」でいようとしたことからみて、まあ、問答無用の父親のパターンでしょうね。

そうなると、一般的に子供は抑圧的になってしまう。自分で自分を抑圧するようになるわけ。まさに「いい子」でいなきゃ!って強迫的に思ってしまう。

彼も、自分の父親アドルフの問題を真剣に考えればいいのでしょうが、どうもそこから逃げている。父親アドルフの問題から逃げていれば、総統アドルフの問題を考えることからも逃げるようになりますよ。だから眼前にどんな事件があっても、鈍い反応しか示せない。

自分が一番よく知っている人物の問題から逃避する人は、眼前にある具体的な人物や事例から考えることを逃避してしまうものなんですね。それこそ、フェミニズム運動をなさっておられる女性たちは、自分の父親の問題については絶対に言及しないものでしょ?

一番よく知っている男性の問題を考えなくて、男女の問題云々もないじゃないの?


同じように、フルトヴェングラーは、一番よく知っている人間の問題から逃避して、具体的な現実の人間の問題から次々と逃避しだす。そして、最後には指揮台に追い込まれ、もう逃げようがないとなると、爆発してトランス状態になり火事場のバカ力が出る・・・


普段は逃げ回っている作曲家フルトヴェングラーなり、人間フルトヴェングラーも、指揮台に上るという「切れ目」を経ると、「あいまいさ」から解き放たれ、神懸かりとなって、神の言葉が聞けてしまう。指揮台に上るという「切れ目」を経ることによって、「切れ目」を作り出すことができる芸術家になる。

指揮台に上る前は、アドルフから逃げ、アドルフの言葉を聞く状態。

指揮台に上ったら、神の言葉が聞こえる。


そういう意味で、作曲から逃げ出すこと自体が、神懸かり的な演奏をするエネルギーになる。しかし、そんな彼は、本当に、「作曲をしなくてはならない。」という状況になったら、どこに逃げるんだろう?

フルトヴェングラーにとっては、演奏は、仕事でもなく使命でもなく、いわば治療とか療法に近いもの。しかし、だからこそ、彼にとっては必然でもある。作曲では彼は救済されないわけ。

個人的なことですが、私が彼の演奏のレコードを聞いたのはシューベルトの長いハ長調の交響曲の録音。オケはベルリン・フィル。その演奏を聞いて、まずは最初のホルンにビックリしたものです。

「これが20年後に、パリのオーケストラよりもラヴェルらしいラヴェルがやれると自慢されてしまうオケの姿なのか?」

最初もビックリですが、第1楽章の最後の部分にもビックリ。オケのメンバーが、気が狂ったように演奏しているのがよくわかる。


オーケストラのメンバーや聴衆に「感動」を与えられる指揮者は結構いるでしょうが、オーケストラのメンバーや聴衆を「発狂」させるのは、ハンパじゃありませんよ。とてもじゃないけど、人間業ではできないこと。


そして、そのシューベルトの演奏を聞いていると、この演奏家が、死に場所を探して暴走していることがスグにわかる。彼は逃げて、逃げて、死に場所を探して暴走し、その暴走がオーケストラや聴衆に伝わる・・・


死に場所を探すエネルギーが、演奏のエネルギーになり、生きるエネルギーになる・・・って、矛盾しているようですが、まあ、芸術・・・特にドイツ芸術って、そんな傾向があったりするでしょ?


ドイツ精神主義なんて言葉もありますが、フルトヴェングラーの音楽を聞いていると、そんな主義主張よりも、彼岸にあこがれる心情の方が強いのでは?

しかし、彼岸に憧れ続ける心情が何をもたらすか?

そんな一期一会の絶妙な均衡が、彼の音楽をかけがえのないものにしている・・・

演奏専従だったら、演奏だってルーティーンなものになってしまって、一期一会にはならないわけですからね。この点は、他の演奏家にはないこと。彼は演奏家になりきれなかったから、偉大な演奏家になった・・・

あるいは、職業としての演奏家としては不十分であったために、一期一会の演奏は達成できた。相変わらずの、反語的な言い回しですが、偉大な表現者って、反語的な存在なんですね。

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-11/07-11-01.htm

「作曲家としてのフルトヴェングラー」


彼は、ある意味において、実に面白い人物。私ごときが指揮者としての彼の能力を語ることはできるわけがない。天才の発想なんて読めませんよ。

しかし、指揮台に上がっていない彼の、普段の行動なり作曲家としての彼のスタイルは、意外なほどに「読みやすい」もの。よく、彼の行動を評して

「どうしてナチに対してあいまいであったのか?」とか

「どうして大した才能もないのに、作曲家であることにこだわったのか?

そもそも大作曲家の作品に親しんでいる彼なんだから、自分の作品のデキについてわからないわけがなかろう?」


どうしてなんだろう?そんな疑問が提示されたりするものでしょ?


ナチや自分の作品の価値についても、ちょっとでも自分で判断すれば、結論を出すことは難しくはない。しかし、世の中には判断することから逃避するような人間もいたりするもの。フルトヴェングラーがその典型だとすると、彼の行動も、簡単に理解できてしまう。

判断を間違ったのではなく、判断することから逃避する人間のタイプなんですね。


以前にエルフリーデ・イェリネクさん原作の「ピアニスト」と言う作品を考えた際に、抑圧と言う言葉を多く用いました。表現者としては、「自分がやりたいこと」、あるいは「表現者として人々に伝えたいことは何だろうか?」その問題意識が重要でしょ?


自分自身を抑圧すると、そのようなことを考えることから逃避するようになってしまう。そんな人は、「何を伝えるのか?」と言う問題から逃避して、「どうやって伝えるのか?」と言う問題にすり替えてしまうんですね。

自分がどうしてもやりたいこと、あるいは自分がどうしても伝えたいこと・・・それはいわばWHATの問題。

どうやって伝えるのかの問題は、いわばHOWの問題。

自分自身に抑圧を課す、それなりに知性のある人間は、自分自身のWHATの問題から逃避して、あらゆることをHOWの問題にしてしまう。なまじっか、それなりに知識があり、HOWの問題について語ることができるので、WHATの問題から逃避していることが、自分でも気が付かない。自分からの逃避と言う状態においても、それなりに洗練されてしまうわけ。

さて、フルトヴェングラーの逃避の問題ですが、この映画で実に典型的なシーンが出てきます。青年時代のフルトヴェングラーが、家庭教師と一緒にイタリアのフィレンツェに旅行をした。ミケランジェロの作品に圧倒的な印象を受けた青年フルトヴェングラーは、その場から離れ、一人でその印象を楽譜にしたためていたらしい・・・

映画においても、その「圧倒的な印象から逃げて・・・」なんて言われちゃっています。もうこの頃から、逃避傾向があるわけです。と言っても、皆さんは思うかもしれません。

「せっかく、ミケランジェロの彫刻からすばらしい印象を受けたのだから、それを音楽作品にまとめようとするのは、作曲家志望の青年としては当然のことではないのか?」

その感想は、ある意味において、正しいでしょう。しかし、圧倒的な印象を受けたのなら、それをその場で楽譜に残す必要はないんですね。だって、圧倒的な印象だったら、いつまで経っても忘れませんよ。何もその場で音楽作品にする必要なんてない。むしろ、アタマの中で寝かせておいて、その印象が充実してくるようにした方が、適切な方法。アタマの中でその時の印象と別の機会での体験を組み合わせたり、他の経験と共通性を考えたり、当然のこととして、その表現方法だって色々と考えられる。

素材をどう広げるのか?
あるいはまとめるのか?
どのようにコンポーズするのか?

それを考えるのが作曲家でしょ?

その時点で音楽にして楽譜に書いてしまうと、もう考えなくてもよくなってしまう。ただ、アタマの中での試行錯誤は、結構シンドイもの。常に考えなくてはならないわけですから、精神的に負担になるんですね。

それこそ、コンピュターのメモリーで常にアクセスできる状態のようなもの。引き出しやすいけど、電力は常に使う状態なのでスウィッチは切れない。

それに比べて、ハードディスクに保存すると、保存性はよくなるけど、アクセスは出来にくい。だから加工は難しい。これが紙にプリントアウトしてしまうと、もういじれない。しかし、だからこそ精神的にはラクと言える。


フルトヴェングラーだって、本当に作品を作れる人間だったら、そんな強い印象を受けたのなら、スグに楽譜にまとめることなんてしないはず。スグに楽譜にメモしなくてはならないのは、むしろ小ネタの方。だってちょっとしたネタだったら、それこそスグにメモならないと忘れちゃうでしょ?


「あの部分の切り返しのところは、このような方法にしよう!」とか、「ちょっとしたエピソードとして、こんなネタを挟もう!」なんて、ちょっとしたアイデアも、作品を作る上では必要ですよ。そんな小ネタだったら忘れないようにメモらないとね。

よく「引き出し」なんて言い方がありますが、そんな小ネタもやっぱり必要なもの。
それこそ引き出しにしまっておかないと。しかし、自分にとって最重要な問題、いわば大ネタは、忘れるわけがないから、メモる必要もない。

スグにまとめちゃうということは、アタマの中で寝かして試行錯誤し続ける精神的な負担に耐え切れない心の弱さを表しているものなんですね。ミケランジェロからの印象を、さっさと楽譜にまとめてしまう態度では、「強い」作品にはならないわけ。

こんなことを書くと、いまだに現存するフルトヴェングラーの崇拝者の方はご立腹なさるでしょうが、今ここで私が考えているのは、作曲家としてのフルトヴェングラーであって、指揮者としてのフルトヴェングラーではありません。


指揮者としては、あれほど圧倒的な音楽を作れるのに、どうして作曲家としては「いい子」、あるいは規格品とまりなの?と言うか、それこそ、作曲なんて止めてしまって指揮者専業でも何も問題ないはず。作曲をすること自体を楽しむことができる人間だったら、それこそミケランジェロから受けた強い印象をアタマの中で色々といじって、長く検討して行くものでしょ?

スグに作品にまとめるって、「イヤなことは、早く忘れたい!」「つらいことから、早く逃げ出したい!」そんな心情が、無意識的にあるということ。

自己への抑圧と言うものは、そのような自己からの逃避というスタイルになることが多いんですね。自分自身のWHATから逃避するわけ。

自分が何をしたいのか?

何を人に伝えたいのか?

それについて考えないようになってしまう。

そのような傾向は、強圧的な父親の元で育ったアダルトチルドレンに典型的なもの。問答無用の環境だったので、自分がしたいことを抑圧するようになるわけ。

実は、フルトヴェングラーの行動も、抑圧的なアダルトチルドレンの習性がわかっていると、簡単に予想できてしまう。発想が常に減点法。人から嫌われてはいけない。よい子でいないといけない。もちろん、親に迷惑が掛かってはいけない。そんなことを常に考えている。減点を意識しているので、自分で判断できない。

彼の場合は、それが特に深刻で、共依存状態にある。「共依存」とは、相手に依存「させる関係」に依存すると言うもの。「共依存」と言う考え方は、夫婦間でドメスティック・ヴァイオレンスに陥ったり、あるいは若い人たちがボランティアに入れ込むようになる心理を説明する際におなじみのものです。

あるいは、「ウチの子はいつまでも経っても甘えんぼうで・・・ずっと、ワタシがついていないとダメだわ!」なんて言うバカ親の心理もこれですよね。

あるいは、もっと深刻だとストーカーの心理もこれです。ストーカーは「オレにはアイツが必要だ!」と自分で『認識』しているのではなく、「アイツにはオレが必要だ!」と勝手に『認定』しているわけ。

自分自身の精神状況の自覚ではなく、相手の幸福のスタイルを勝手に認定しているわけ。だからタチが悪い。当人としては善意で相手に付きまとっている。だから周囲が何を言ってもダメ。バカ親の心理もそうですが、基本的にはアダルトチルドレンに典型的な症状です。それだけ、自分自身が何をしたいのか?自分でもわかっていない。そしてわかろうとしないし、自分から逃避しようとする。精神的に自立していない。だから他者との関係性に依存せざるを得ない。

こんな心理を持っていたら、たとえナチスに共感がなくても、ドイツから離れられませんよ。だって、共依存症状にある人にしてみれば、ナチス支配下のドイツなんて天国ですよ。だって、自分を頼ってくる人がいっぱいいるわけですからね。

つまり自分の役割について自分で考えなくてもいいわけ。簡単に自己逃避できるわけでしょ?

何もフルトヴェングラーの人格に対し攻撃しようなんて思っているわけではありませんよ。芸術家なんて、その作品がすべてですよ。それこそ画家のカラヴァッジョや作曲家のジェズアルドや劇作家カルデロンのように人殺しまで居るのがアーティストの業界。

たかがアダルトチルドレンくらい・・・まだまだ甘いよ。いや!「あいまい」ですよ。


前回でフルトヴェングラーは首尾一貫して「あいまい」という点を書きました。「あいまい」であると言うことについては、実に「あいまい」ではないわけ。

この点は、彼の作曲した音楽にも明確に見えてくるでしょ?

彼の交響曲第2番はCDになっていて、まさしく彼の演奏で聞くことができます。
これが、また、「あいまい」な音楽。

何も、時代に合わせてモダンな12音技法でないとダメとか、ショスタコーヴィッチばりのポストモダンな引用技法が展開されていないといけないとか・・・そう言うことを申し上げているわけではありません。

「これだけはどうしてもわかってほしい!」とか、

「消しようがないほどに明確な音響イメージがあって、それを表現したい!」

なんて強い意志なり、覚悟がある音楽なの?

と言うことなんですね。

自己表現が目的と言うより、自己弁護の音楽。

えーとぉ・・・ボクはこんな事情があって・・・

色々と面倒なことがあったから、作曲できなくて・・・

まあ、ちゃんと作曲もやっているでしょ?

サボっているわけじゃあないよ。そんな弁解がましい表情が延々と続く音楽。


音響的にはフランクやショーソンの交響曲のような感じで、ブルックナーの交響曲から「聞いたことがある」音響が出てくる。なんともまぁ・・・

フルトヴェングラーが作曲した作品は聞き手に真摯な緊張を要求する・・・
そんな音楽なんだから、だからオマエはその価値や内容がわからないんだよ!
そうとも言えるでしょうが・・・

どんな小難しい音楽でも、後世まで残る作品には「これっ!」という瞬間があって、その決定的な瞬間から、全体の理解もだんだんと深まっていくモノ。

ところが、フルトヴェングラーの交響曲には、「これっ!」と言う「切れ目」がない。これは楽章の切れ目云々ではなく、音楽の流れに切れ目がないため、神の言葉が降り降りた瞬間が出てこないんですね。

演奏においてなら、「切れ目」の大家と言えるフルトヴェングラーなのに、作曲した作品には「切れ目」がない。つまり神の言葉ではなく、人間の言葉が支配している「音楽」といえるわけ。自分の存在証明ではなく、自分の正当性の証明に近い。

しかし、正当性を証明しようとするほど、芸術家としての存在証明から遠くなる。なぜなら人間の言葉で正当性を証明するほど、神の言葉から遠くなるもの。

幼児のように、心を虚しくして、神の言葉を受け入れたときに、芸術家としての存在証明になる・・・芸術作品とはそんなものでしょ?

神の言葉を伝えるのが、芸術家の使命でしょ?

天才は自分の正当性などと言った弁解のための仕事などはしないもの。

弁解が通用しない世界・・・それが修羅場でしょ?

フルトヴェングラーにとって指揮台こそが、その修羅場。だから指揮においては、弁解のための仕事はせずに、神の言葉を直接聞くことができて、それを伝えることができる。しかし、作曲をしている時には、精神的に余裕があって、修羅場ではない・・・だから弁解ばかり。


フルトヴェングラーが作曲した作品は、実に人間的な音楽とも言えますが、逆に言うと人間とまり。あるいは、まさしく最適化止まり。これでは作曲していても、面白くないでしょう。たしかに、25年以上も作曲から遠ざかることを、事実上選択するわけですよ。


しかし、作曲の才能がなくても、創作の霊感が訪れなくても、何も問題はないはずでしょ?

当代随一の指揮者と言う称号があるんだから、それでいいんじゃないの?

そもそも、フルトヴェングラーさんよ!アンタは作曲が好きなの?

そんな根本的な疑問をもってしまう。

作曲を好きなのに才能がないのか?

そもそも好きでないのに、自分を押し殺して作曲したのか?

「ボクは本当は作曲家なんだ!」と言うのはいいとして、25年以上も作曲から遠ざかり、やっと作曲したら、自己弁護に終始。使命感を持って作曲している人がやることではありませんし、そんな音楽ではありませんよ。

逆に言うと、特に才能があるわけでもないし、使命感があるわけでもないし、好きでもないし、実際の作曲活動はしないのに、どうして「ボクは本当は作曲家なんだ!」なんて言うの?

フルトヴェングラーは、子供の頃から音楽の才能を発揮して、周囲から、「将来は偉大な作曲家に!」なんて言われたそう。これはDVDに出てきます。家族も、その才能に惜しみない援助を与え、教育の機会を与えた・・・


そう言う点では、「作曲家」フルトヴェングラーは実に恵まれている。作曲家になるに当たって、こんなに周囲から物心両面からのサポートを受けることなんて滅多にありませんよ。一般的には、「ボクは作曲家になりたいんだ!」なんて言おうとしたら、「何を、夢みたいなことを言っているんだ!カタギの仕事をしろ!」と言われるのがオチ。

しかし、少年フルトヴェングラーは家族から励まされる環境。それこそ、父親との間にこんなシーンがあったのでは?


少年フルトヴェングラーと、父親アドルフが、冬の夜に空を見上げる。


「おい!ウィルヘルム!
北の空にひときわ大きく輝く星があるだろう!
あの星はドイツ作曲家の星だ!
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー・・・

オマエも将来、あの星になるんだ!」


「父さん!わかったよ!
ボクはドイツ音楽の星になるんだ!ボクはやるよ!」

・ ・・拳を握りしめ、瞳から炎がメラメラと・・・このシーンのBGMは当然・・・


輝くドイツ音楽の星。それもバッハやベートーヴェンやワーグナーなどに並ぶ地位に。


「さあ!これが、ドイツ音楽作曲家養成ギブスだ!」

「これをつけて親子一緒にガンバロウ!」


そんな感じで言われちゃったら、子供の頃はともかく、実際に作曲するにあたってはプレッシャーになるんじゃないの?

しかし、フルトヴェングラーが音楽活動を始めた頃は、その星々につながる意志を持っていたのは明白。彼が1906年の指揮者としてのデビューで取り上げた曲は、後に交響曲第1番の第1楽章となった自作の「ラルゴ ロ短調」と、ブルックナーの第9交響曲の組み合わせでした。ブルックナー最後の未完の交響曲なんて・・・デビューの曲目にしては荷が重いだろう・・・と思うのは誰でもでしょうが、この「組み合わせ」・・・あるいは、以前書いた言い方でモンタージュは、簡単にその意図が読めますよね?


それはこれ。

「ブルックナーが完成させられなかったドイツ音楽の系譜を、このボクが完成させるんだ!」

まあ、その心意気や良し!・・・なんですが・・・

系譜につながることは結果であって、目的ではないでしょ?

それこそブルックナーだって、先輩作曲家ベートーヴェンを尊敬していたでしょうが、その列につながるために作曲をしたわけではないでしょ?

自分自身の霊感を永遠に残すために作曲したわけでしょ?

曲のまとめ方などに当たって、当然のこととして先輩の方法を参考にする・・・
だから、結果としてドイツ音楽の作曲家の系譜になる。

そんなものでしょ?

まずは、自分がどうしても表現したいものは何なのか?
その自問自答の方が先でしょ?

しかし、フルトヴェングラーは、ドイツ音楽の作曲家の系譜が強く意識されてしまっているので、

「ボクもそのレヴェルでないと行けない!」
「巨匠たちの名誉を汚さぬように!」
「あんな音楽を書かなきゃ!」

なんて強迫的に思ってしまう。いわば、形から入る状態。形から入っているので、フルトヴェングラーが作曲した作品って、交響曲とかの立派なジャンルばかりですよね?

そして長さも結構ある。まさに立派な外観をもっている。しかし、外観はいいとして、中身はどうなの?

そもそも芸術作品にとってジャンルとか外観は、二の次でしょ?

マーラーの交響曲が、交響曲なのか?歌曲でしかないのか?そんなことを議論する人もいますが、それ以前に中身の問題が重要でしょ?

マーラーの音楽は中身で勝負できる。しかし、フルトヴェングラーの作品の中身っていったい何?

逆に言うと、中身で勝負できないから、ますます外観にこだわらざるをえない。それでは自分なりの作曲なんてできないでしょ?

作曲家フルトヴェングラーは伝統的な芸術の系譜を意識するあまり、芸術の伝統の系譜からは外れてしまった。「伝統的な芸術の系譜」と「芸術の伝統の系譜」なんて、言葉としては似ていますが、中身は全然違うモノ。

それこそベートーヴェンだって、彼自身は「伝統的な芸術の系譜」ではなく、「芸術の伝統の系譜」の一員と言えるでしょ?

まあ、作曲の才能が「全く」ないのなら、まだ、「しょうがない」で済みますが、フルトヴェングラーの場合は、最初は神童扱いだったわけですし、周囲からのサポートを受け期待もされた。作曲から逃げる理由がないわけ。しかし、逃げる理由がないからこそ、懸命になって逃げざるをえない。


そもそも、やっぱり作曲家という存在は、音楽家の中では最高位でしょ?

だからこそ、作曲家であることをあきらめることは、序列的に下に安住することを意味しますよね?

「父さん!ボクは作曲なんてしたくはないんだ!指揮の方が好きなんだ!」

なんて言っても、心の中にいる父親がこう言うでしょう。


「どうしてオマエは、そんなに自分に甘いんだ!

自分は才能が無いなんて言葉は、努力放棄の言い訳に過ぎない!バカモノ!」

そして「北の空を見よ!ひときわ輝く星がオマエの目指すべきドイツ音楽の星だ!」

とお説教の声。そんな父親の言葉が心の中で響いてしまう。だから周囲には「ボクは本当は作曲家なんだ!」と、言い訳をしなくてはいけない。

フルトヴェングラーはなまじ指揮者なんだから、タチが悪い。彼がピアニストとかヴァイオリニストだったら、作曲活動にも、距離を取りやすい。作曲をしなくても、誰も不思議に思わない。しかし、指揮なんて、そもそもが作曲家の仕事の一部だったわけでしょ?

しかし、才能はないし・・・それだけでなく、ドイツ音楽の星としての要求される「基準」もある。あのレヴェルの曲を書かないといけない!

これでは、自分なりに作曲するなんてことはできないわけ。

さあ!どうする?

と言うことで、作曲しなくてもいいように、余計なことに首を突っ込むわけ。

「あそこに困っている人がいるから・・・」
「ボクが助けないとダメだ!」
「あの人たちを助けられるのはボクだけ・・・」

と言うことで、ますます共依存症状が進行することになる。そもそも指揮者フルトヴェングラーが作品に向き合う際には、「作曲された音楽が作曲される前の状態まで考え、それを再構成する」のがフルトヴェングラー。

そんな発想は、まあ、私には実に親近感がある。だからそんな態度を、フルトヴェングラーの「作品」に適用しているだけです。創作者の発想を読みながら演奏したフルトヴェングラー自身の発想を、この私が読んでいるだけです。

重要なことは作品を評価することではなく、その前の霊感を考えることでしょ?


逆に、ナチスは「芸術家にとって作品などは、どうでもいい!人格が問題なんだ!」と言ったそう。

その人格と言ってもナチスに対する忠誠となるんでしょう。人格で作品を否定するなんて、それこそがナチスですよ。しかし、その人格重視のナチスがワーグナーを賞賛ってのも、また矛盾なんですが。そもそもアーティストなんてオコチャマなのがデフォルト。その瞬間に充足し、次には、その充足を破壊していく・・・

「わあ!これって、おもしろいなぁ!」それがすべて。そんなオコチャマこそが芸術家のメンタリティ。

逆に言うと、フルトヴェングラーは、アダルトチルドレンだけあって、ある意味オトナ。この面でもあいまい。あまりに周囲に配慮しすぎ。発想が減点法。


別の言い方をすると、「いい子」。彼の行動も、作曲した作品も、まさに「いい子」がやりそうなものですよ。

自己の確立していないアダルトチルドレンは、往々にして権威主義。その価値を自分自身で説明することができないので、人々が「権威ある」と認めるものに乗っかろうとするわけ。

実は、このような点で、フルトヴェングラーとゲッペルスは、腹の底では共感しあっていたようです。フルトヴェングラーは何か相談事があると、まずゲッペルスを訪ねたようです。ゲッペルスもフルトヴェングラーのことは、気にかけていたそう。いわばカウンターパートナーの間柄。フルトヴェングラーもゲッペルスも、「何を言うのか?」と言うWHATの問題よりも、「どう伝えるのか?」つまりHOWの問題の大家ですよね?

それに、権威ある思想に乗りかかって自己を表現するスタイルも共通。序列思考が強く、族長的な存在に盲目的に従おうとする。彼らは、いわば隷従することが好きなタイプ。以前に取り上げたエルフリーデ・イェリネクさんの「ピアニスト」を考えた際に用いた言い方をすると、「犬」のタイプ。

ゲッペルスに対して、

「アナタはヒトラーの犬じゃないか?」なんて言っても、

「ああ!そうだよ!何か文句でもあるかい?」

なんて言われるだけでしょ?

ゲッペルスは、ヒトラーに最後まで付き従いましたよね?

その点ではゲーリングやヒムラーよりも忠犬。たぶん、ゲッペルスの父親も強圧的な人だったのでは?

同じように、フルトヴェングラーに対して「アンタはベートーヴェンの犬じゃないか?」なんて言ったらフルトヴェングラーはどう答えるのでしょうか?

やっぱりゲッペルスと同じじゃないの?「ああ!そうだよ!何か文句でもあるかい?」

ゲッペルスは、信念を持って、アドルフに隷従していたわけ。フルトヴェングラーも深層心理的にアドルフに隷従していたわけですが、彼の場合はアドルフと言っても、ヒトラーではありませんが。ベート−ヴェンの犬なんて言葉はともかく、フルトヴェングラーはそれでいいと思っていたでしょう。立派なベートーヴェンの音楽を人々に伝えるのが、自分の使命だ!

そう考えることは、立派なこと。しかし、作曲家志望だったら、そんな崇め奉るだけではダメでしょ?

立派な権威としてベートーヴェンを見るのではなく、すばらしい業績を残した先輩として見る必要もあるのでは?

第2次大戦が終結した後で、フルトヴェングラーはR.シュトラウスを訪ねた。R.シュトラウスは、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の楽譜を見ながら、「ファゴットの使い方がすばらしいねぇ!」と言ったそう。

こんな言葉から、R.シュトラウスは、ワーグナーをすばらしい業績を上げた先輩と見ていることがわかりますよね?

作品を受けてのリアクションにおいて、意味ある細部を指摘できるのは、全体がわかっている証拠。そして自分自身についてもわかっているからできること。シュトラウスとしては同じ作曲家仲間として、ワーグナーの作品を参考にする・・・そんな態度が見えてくるわけ。他の人の作品を見るにあたっても、普段からの自分の問題意識が反映されることになる。だから具体的な細部の各論を中心に見ることになる。

「自分だったら、どうするのか?」

「今、自分は、ちょっと壁にぶち当たっているけど、この人はどんな解決をしたんだろう?」

そんな発想が常に存在しているわけ。フルトヴェングラーの場合は、尊敬すべき先輩というより、ひれ伏さざるを得ない権威としてベートーヴェンやワーグナーを見ているのでは?

あるいは、規範として見ている。そうとも言えるでしょう。つまり作曲家としての問題意識がない状態で、他の作曲家の作品を見ている。そのような見方は、指揮者としては問題なくても、作曲家としては問題でしょ?

規範として見るような発想は、「それ以外を認めない」と言うことになり、ある意味、自分で考えることから逃避できる。これはエルフリーデ・イェリネクさんの「ピアニスト」でのエリカもそうでした。音楽を聞く際においても、ベートーヴェンを規範としてみたり、あるいは演奏家としてのフルトヴェングラーを規範として見ることは、聞き手の自己逃避の一種なんですね。規範を重視と言うか、形から入る・・・いわば、「形と中身の乖離」となると、ブラームスがいます。

フルトヴェングラーも、そのような観点において、ブラームスを同類と認識していた面もあるようです。しかし、ブラームスは、中身と形式の乖離の問題はありますが、逆に言うと中身がある。しかし、フルトヴェングラーの作品には中身があるの?

乖離云々以前に中身がないのでは?

伝えたいと思う中身と、伝えるに際し用いた形式の間に乖離があると言うより、彼が伝えたいという中身って何?

抑圧状況に陥ると、まさにその問題を自問自答することから逃避するようになってしまう。以前取り上げたギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」の冒頭に掲げられたプラトンの言葉は

「魂でさえ、自らを知るために、魂を覗き込む。」と言うもの。

「魂を覗き込む」ことから逃避している人間が、創造なんてできるわけがない。

そのようなアンゲロプロスの問題意識が、あの作品にあったわけですし、そのもっとも典型的な実例が作曲家フルトヴェングラーなのでは?

自分自身を見つめることができる人だからこそ、自分の魂を覗き込むことができる人だからこそ、そんな人には「世界の声」「神の声」が集まってくる。つまり自分自身の魂の声を聞くことによって、結果的に世界の声が聞ける。ユングの言う「元型」に近いものが見えるわけ。

自分から逃避している人には、世界の声も降り降りてこない・・・
だから、結局は「世界の声」も表現できない

フルトヴェングラーは「他人の魂は覗きこめるけど、自分の魂は覗きこめない。」

これでは創作なんてできませんよ。

「ベートーヴェンの気持ちが理解できるのはオレだけ!
ブルックナーの創造性が理解できるのは自分だけ!」

そう思うのはいいとして、じゃあ、自分自身の気持ちや創造性をどのように理解していたの?

自らの魂の中にあるWHATから逃避していくので、どんどんと「どのように伝えるのか?」というHOWの問題に逃げ込んでしまうわけ。しかし、「何を伝えるのか?」という問題意識から逃避してしまっているので、作曲することで作品を制作しても「じゃあ、結果として伝わったのか?」と聞かれると返答ができない。だって受け手は何をわかればいいの?

そもそも伝えたいものが、自分でもわかっていないから、結局は伝わらない。本来なら、「この点は誤解されたけど、最重要なこの点は伝わったようだから、まあ、とりあえずよしとしようか・・・」なんて考えることができるはずですよね?

あるいは伝わらなくても「まっ、そもそもアイツにはどうせわからないよ!」なんて言えるでしょ?

それは、自分が伝えたいWHATがわかっているからできること。しかし、そのWHATが自分でもわかっていなくて、発想が加点法ではなく減点法なんだから、そのようには考えられない。結果的に思うような結果が得られないので、そんな抑圧傾向の人は、「上手く行かない理由」「減点の原因となったもの」としての犯人を捜すようになるわけ。それに抑圧傾向の人は、日頃から発想が加点法ではなく減点法なので、減点への反応はそれなりに鋭いものがある。だからスグに逆上する傾向が強い。

「アイツのせいで、ダメだったんだ!」

あるいは

「あの施設がないせいで、上手く行かなかったんだ!」
「これが足りないせいで、失敗した!」
「政治が悪い!時代が悪い!」

そんな言葉を聞かされると、「じゃあ、何をわかればいいの?」「そもそもアンタは何をしたいの?」と思ってしまうものでしょ?

アンゲロプロス監督の描くギリシャの人たちもそんな感じでしたよね?

というか、そもそも当時のドイツがそんな感じでしょ?

あるいは実に顕著に見られるのが、韓国人の発言ですよね?
韓国人の発言は、自分で自分を抑圧しているものの典型なんですね。日本人の我々としては、韓国人の言動を聞いても「で、アンタたちは結局は何をしたいの?何を言いたいの?」そう思うことって多いでしょ?

あるいは、上記の言い訳と犯人探しのスタイルは、音楽関係者の発言にも典型的に見られるでしょ?

「どう伝えるのか?」の問題に拘ることは、「何を伝えるのか?」という問題からの逃避のケースが多いわけ。「何を伝えるのか?」が自分でも明確ではないので、そんな人はコミュニケーション能力がヘタ。だからコミュニケーションが対等の会話ではなく、命令と服従の上下関係しかなくなってしまう。だから常に「どっちが上か?下か?」という序列を基に考えるようになる。韓国人がまさにそうですし、いわゆる音楽批評の世界でもおなじみの文言でしょ?

本来なら表現と言うものは、対象となるもの、と言うか、表現したいWHATに、「どこから光を当てるのか?」そして「どのような視点から表現するのか?」そのような問題が重要でしょ?

しかし、抑圧が進んでしまうと、個々の多彩な思考を理解する意欲もなくなるので、「どっちが上か?下か?」の序列問題ですべて解決しようとするわけ。ベストワンとか、最高傑作などの文言が登場してしまう。表現におけるWHATが消失してしまうわけ。そして減点部分だけに目が行って、反論されると逆上。

他人による様々な表現を通じて自分自身の問題を考えていく・・・表現を受けても、そんな発想にならないわけ。他者の作品から自分自身を逆照射することはできない。むしろ様々な作品を順番にならべて、「どっちが上か?下か?」と決定してオシマイとなる。他者の順番だけの問題にしてしまうことは、要は自己逃避なんですね。


以前に、イェリネクさんの「ピアニスト」という作品を考えるに当たって、演奏家という存在と精神的抑圧の強い相関関係について考えて見ました。特に中間領域の演奏家からは抑圧された精神が明確に見えて取れることが多い。人々に伝えたいものが明確に自覚できているのなら、何も演奏というスタイルではなくても、作曲という手段で伝えてもいいわけですし、素人的でも文章を書いたり、美術作品を制作すると言う方法だってあるでしょ?

伝えたいこと、やりたいことが自覚できないがゆえに、権威あるものに隷従し、HOWの問題だけに逃避する。そして上手く行かなくなると犯人さがし。抑圧的な人間はそんな行動をするものです。ナチスがそうですし、韓国人もそんなパターンですし、音楽批評もそんなパターンでしょ?

いわば抑圧状況の典型なんですね。ナチスが台頭する背景として、ドイツ全体のそんな精神状況もあったわけ。ナチスはいいところを突いているんですね。その抑圧的な状況の中での知的エリートがゲッペルスであり、フルトヴェングラーなのでは?

フルトヴェングラーだって、自分自身の抑圧を客体化することができれば、それを作品にすることもできたでしょう。それこそイェリネクさんが小説としてまとめあげたように。あるいは、共依存症状によるストーカー行為だって、それを客体化できれば、ベルリオーズのように交響曲にできる。しかし彼は抑圧された人間そのものとして生きた。

「自分は何をしたいのか?」と言う問題から逃避しているので、自分の目の前の状況が判断できない。常に『いい子』願望があって、人から否定されることを極端に怖がる。

「いい子」って、要は減点法でしょ?

いい子が成し得た成果って、歴史上ないでしょ?


フルトヴェングラーに関する本などを読んでいると、私などは忸怩たる思いに陥ってしまいます。

「どうしてゲシュタボの連中はフルトヴェングラーを追い込まなかったのだろう?」

「私に任してくれたら1年以内に必ず自殺させることができるのに・・・」

まあ、ゲシュタボも真正面からは追い込んだようですが、フルトヴェングラーのような共依存症状の人間に、真正面からプレッシャーを掛けて、困難な状況を作っても、むしろ「生きる張合い」になるだけ。それこそ人助けがいっぱいできるわけだから、喜んでそっちに逃避してしまう。ストーカーに対して、正面から力による解決を図ってもますます善意を持ってストーキングするだけでしょ?

「こんな困難な状況の中でアイツを救ってやれるのはオレだけ!」そのように、より強く思い込むだけ。そして当人の『善意』が、より熱くなるだけ。

まあ、ゲシュタボも所詮はドイツ人なんでしょうね。素朴で人がいいよ。人を精神的に追い込むことに関しては、むしろフランス人の方が上でしょう。あるいはロシア人とか・・・

まあ、ゲシュタボがフランス人の著作から拷問のノウハウを学ぶ必要があったのもよくわかりますよ。フルトヴェングラーを追い込むのは実に簡単なんですね。

彼のような頭がよくて、プライドがある人は言葉で追い込めるから、追い込むのもラク。オバカさんのように逆上することもできないのだから、あっという間に追い込めますよ。たとえば作品を委嘱すれば、それでOK。

「ドイツ音楽の栄光を表現する立派な交響曲を作曲してくれ!」

「時間は十分に上げるから・・・」

「キミは本当は、それをしたかったんだろう?」

なんて言えば、自分で勝手に追い込まれていきますよ。何と言っても作曲は自分自身と真摯に向き合わないとできないことでしょ?

フルトヴェングラーはそれが出来ない人なんですからね。もし、それこそ交響曲第2番のような作品が出てきたとしたら、

「ふんっ、なにこれ?」

「アンタは、本当にこれをドイツ音楽の栄光だと思ってるの?」

「へぇ・・・これがドイツ音楽の栄光の成れの果てなんだねぇ・・・」

なんて薄目を開けて鼻の先で笑えば済む話。あるいは、

「アナタのおかげで、アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺すことができました!ありがとう!」

なんて感謝してみなさいな。アウシュビッツの写真などを一枚一枚見せながらね。そして、最後に決めセリフ。

「君の父上もさぞよろこんでいるだろうよ!」。

もうこうなると、ドイツ芸術の守護者としての彼のアイデンティティが崩壊して、あっという間にドッカーンですよ。まあ、1週間以内でことが終了するでしょうね。

あるいは、前回言及した「ニーベルングの指環」のグンターのバカぶりを、描写してもいいわけでしょ?

「グンターってバカだよな!
だって、こんなこともわからないだからさっ。
君もそう思うだろ?グンター君!」

といって、指で額でもつついて上げればどうなるかな?

いずれにせよ、1週間あれば十分ですよ。相手の一番弱いところはどこなのか?

そこを瞬時に見つけ出し、そこをチクチクとニヤニヤと突いていく楽しみをドイツ人はわかっていないねぇ・・・

「いい子」と言う存在は、一番追い込みやすいもの。結局は、「人から自分はどう見られるのか?」という面にこだわってしまって、自分自身が本当にしたいことが自分でもわかっていないわけ。と言うか、そこから逃避している。

前も書きましたが、そんな精神状況では、作曲はできませんよ。それこそR.シュトラウスはナチとの関係で、戦争終結後になってモメましたが、シュトラウス自身は実に明確。自分がやりたいことが自分でもわかっている。

ナチから頼まれると、ナチの役職には就いたり、あるいは手紙にも「ハイル!ヒトラー!」なんて平気で書いたりしていますが、彼自身はナチに対して協力的ではない。

というか、戦争が終結する直前に、負傷した人たちがシュトラウスの山荘に逃げてきたそう。そんな命からがら逃げてきた人たちに対しシュトラウスは、

「おい!アンタたち、作曲のジャマだから出て行ってくれよ!」

なんて言ったそう。そんな対応をナチから怒られたシュトラウスは、

「いやぁ・・・オレが戦争を始めたわけじゃないんだから・・・そんなこと知るかよ!」

なんて言ったらしい。いやぁ・・・外道だねぇ・・・

シュトラウスの発想は、ナチを支持するしない以前に、人間的に外れていますよね?

まあ、「猫」的と言えるのかも?「アンタはアンタ、ワタシはワタシ」の精神。しかし、そんなシュトラウスだからこそ、あの混じり気なしのオーボエ協奏曲が書けるわけでしょ?

傲岸不遜で周囲の人間の犠牲を踏み越えて、自分の創作を推し進めるR.シュトラウスと、人助けに逃げ込んで、自分では創作しないフルトヴェングラーの関係は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ルードヴィッヒ」におけるリヒャルト・ワーグナーとルードヴィッヒの関係と同じ。


ルードヴィッヒだって、芸術家をサポートして喜んでいるよりも、ヘタはヘタなりにオペラの台本でも書けばいいじゃないの?

彼も、「立派な作品でないといけない!」なんて思っていたのでしょうね。だからとりあえず手をつけてみると言うことができない。しかし、だからこそ、自分を表現することができず、ますます自分から逃避してしまう。ルードヴィッヒもフルトヴェングラーもプライドが高い人ですが、逆に言うと、腰を曲げても実現したいものがないと言うことでしょ?

その点、リヒャルトは、手段を選ばず、周囲のことなどお構いなしに、どんどんと創作活動。フルトヴェングラーだったら逆立ちしても出来ませんよ。共依存症状のフルトヴェングラーだったら、シュトラウスのような事態になったら、喜んで人助けしますよ。

他者から依存される関係に依存する、この共依存状態では、自分単独で作曲することなんて出来ませんよ。しかし、この症状は、作曲には不適でも、演奏にはフィットしていますよね?

「アイツにはオレが必要なんだ!」「アイツのことを理解できるのはオレだけ!」なんて勝手に思ってストーキングするのは大迷惑ですが、

「ブルックナーにはオレが必要なんだ!」
「ベートーヴェンのことを理解できるのは、このオレだけ!」

そう思うくらいの思い込みはいいのでは?

それが演奏することの使命感につながるわけでしょ?

そんな使命感があるのなら、本来なら、指揮者専業で行けばよかったのでしょうが、そんな判断から逃げるのが抑圧的なアダルトチルドレン。だから自分が何をしたいのかわからずに、他者との関係性に依存するようになる。こんな態度ではプロの演奏家というか、職業としての演奏家としては失格ですよ。

しかし、逆に言うと、それくらいの「思い込み」がないと、芸術的な演奏にはならないでしょ?

そんな依存があるがゆえに、他人である作曲家との緊密な関係が築けたともいえるんでしょうね。抑圧が創造性につながった稀有な例と言えるのかも?

抑圧も極限まで進行し、ブレークスルーを経ることによって、ある種、突き抜けた境地になってしまう。この点は、フルトヴェングラーだけでなく、ゲッペルスもそのパターンなのでは?

自己を徹底的に抑圧することによって、自己解放を実現する。それが、フルトヴェングラーにとっての演奏。それは幸運な成果なの?

確かにその「成果」を、聴衆である我々は楽しむことができた。しかし、それって、まさにホフマンスタールの言う「私のこの苦しみから甘い汁を、吸おうとしたっただめだよ!」そのものでしょ?

もしかしたら、フルトヴェングラーは、そのセリフの意味を、R.シュトラウス以上にわかっていたのかも?

しかし、「だったら、それを作品にしなよ!」ってやっぱり思ってしまうのは無理なことなのかな?

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:4tUF0AnjjqQJ:movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-11/07-11-01.htm+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c4

コメント [経世済民131] ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い NHK  赤かぶ
45. 2019年4月05日 01:37:44 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[268]
人間一度釈放されてからまた逮捕されれば心が折れる。それを狙ったものか。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/800.html#c45
コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
5. 中川隆[-10933] koaQ7Jey 2019年4月05日 01:38:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1095]

まともな人間は芸術家にはなれない


信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/


「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。

A surprising number of great composers were fond of the bottle – but can you hear it?
http://www.spectator.co.uk/2016/12/a-surprising-number-of-great-composers-were-fond-of-the-bottle-but-can-you-hear-it/

「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。


by Joseph Morris

上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。

酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。

このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。

作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。


by Brandon Giesbrecht

しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

▲△▽▼


因みに、クラシックの作曲家の殆どはアル中でしたが
ジャズやロックのミュージシャンはアル中ではなく麻薬中毒でした。

ジャズやロックは元々、マリファナや覚醒剤とセットになっているんです。
ジョン・レノンやポール・マッカートニーも重度の麻薬中毒者でした:


射殺、転落死…薬物に溺れた「ジャズの巨人」たちの悲劇 2016.03.08

 日本でも芸能界、スポーツ界のスーパースターたちの薬物汚染のニュースが世間を賑わせているが、そんなのはまだまだ「超絶甘い!!」といいたくなるような人々がいた。“ジャズの巨人”たちである!

 ジャズ界のスーパープレイヤーたちの歴史を紐解けば、ドラッグに溺れに溺れたとんでもない巨人たちがワンサと登場してくるのだ! いやもうその状況は『ジャズの巨人』というよりも『シャブの巨人』といってもいいくらいの壮絶なラインナップ!!

 しかも、彼らは決してドラッグの力で音楽を創造していたわけでもなんでもない。ほとんどのミュージシャンが、栄光の後にドラッグの泥沼に引きずり込まれ、往年のプレイは影をひそめ、あまりにも悲惨な結末を迎えている。

 以下、小学館の隔週刊CD付きマガジン『ジャズの巨人』に記されている、そんな彼らの生きざまである。

 あまりにもクスリをやり過ぎるので、あのジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィス・グループをクビになったのはつとに有名な話。そもそも当のマイルスもクスリで複数回逮捕されており、そのマイルスにクスリでクビにされるって、どんだけ大量にやってんだよ、って話。

“モダンジャズ創造主”といわれたサックス奏者のチャーリー・パーカーは、ドラッグで精神錯乱を起こし、療養施設に入所しカムバックを目指すが、35才の若さで死去。

 夭折の天才トランペッター、リー・モーガンはドラック治療に1年を費やすも、34才で亡くなる。死因はなんと内縁の妻からの射殺だ! しかも楽屋で!! 更にその場には本妻もいた!!!

 アート・ペッバー。このアルトサックス奏者は、ドラッグ所持による逮捕と収監を何度となく繰り返し、しまいには体がボロボロになって脾臓破裂! どうにか一命は取り止めた後、3年にも及ぶ矯正施設でのリハビリを行い、奇跡的なカムバックを果たすが、56才の時に脳溢血死。

 一番とんでもないのは、トランペッターのチェット・ベッカー。母国アメリカでドラッグ所持で逮捕された後、レコーディングで訪れたイタリアでも逮捕。出所直後に今度はイギリスでも逮捕され国外退去。かと思いきや、ギャングに襲われトラッペッターの命ともいえる前歯を折られるトラブルにまで巻き込まれる。

 そして最終的には、58才でアムステルダムのホテルから転落死。それもホテルの2階からの転落である。もう一度書く。ただの2階からの転落で死亡!! どれだけ骨が、内臓が、そして全身が、それどころか精神までもがボロッボロだったかわかるようなエンディングである。

 薬物というものが、どれだけ恐ろしく人間を蝕んでいくかわかるような巨人たちの悲劇である。巨人に憧れた番長への警鐘でもある。
https://www.news-postseven.com/archives/20160308_392240.html?PAGE=1


そもそも、ジャズ・ロックは原始民族が集団でトランス状態に入る為に行う儀式で奏する音楽そのものです。

毒キノコ、マリファナや LSD の様な 幻覚剤を飲んで、音楽と踊りで異世界に入っていくのです。


▲△▽▼


音楽がわからないアホがジャズやロックに熱狂する理由


プロテスタントのある宣教師は、クリスチャンに改宗した原住民たちにロックを聞かせてみたところ

「これは悪霊を呼び出す音楽である」

と言ったといいます。

彼らは、以前、自分たちが暗闇の悪魔的霊界と接触するときに使ったサイキックな刺激と同じものをロック・ミュージックの中に感じ取ったというのです。


 一般的にロックというと、その衣装・風体は実に異常であり異様です。これは何に通じるかというと、サタン、つまりサタニズムに通じるのです。そして、このサタニズムとドラッグは、昔から密接に結びついているのです。

 マヤ文明では、ペヨーテなどの幻覚剤を使って、生け贄を捧げる宗教的儀式を行っていたのです。また、古代の神官たちは、ドクニンジン、ヒヨス、アヘン、ベラドンナなどの麻薬の恍惚感のうちに霊との交信を行って“神託”を述べ、ときとして身体を傷つけたりしています。

 ロックのコンサートは、この神官の儀式に非常に似ているところがあるのです。ですから、これとドラッグが結びつき、そこに悪霊が入り込んできても少しも不思議はないのです。

 聖書には「魔術」ということばがよく出てきます。これは原典のギリシャ語では「フェルマキア」英語の「ファーマシイ」「薬局」の語源はこれなのです。つまり「魔術」とはドラッグを意味し、魔術とドラッグは同意語であり、つねに表裏一体の関係にあるのです。ですから、ロックがドラッグと結びつき、それがサタニズムと関連を深めても何ら不思議はないのです。


 ビートルズでは、全員がドラッグを使っていたそうですが、とくにジョン・レノンが多く使っており、生き延びるために不可欠だったとの証言もあります。このように、1960年代後半、ドラッグはビートルズが先導役となって、ロックの世界に浸透し、ヒッピー運動とともに若者の間に広がっていったのです。


ロック・フェスティバルでは、何が行われているのでしょうか。それは、とても音楽のコンサートとは思えないほど異常なものです。

 ロックは、心臓の鼓動の持つ自然なリズムと全く逆のリズムをとるため、聴く者の内蔵を打ち、繰り返しの反復によって脳にそれが叩き込まれるのです。 人間が苦痛を感ずる音量は約100デジベルからであるといわれます。ロックコンサートにおけるエレキギターの音は約190デジベルもあるので、苦痛に感ずるほどうるさい音なのです。

 絶えず激しく律動するビートは、高いボリュームで長時間続けられると、いつしか催眠術的な効果が生じてきます。どうしてかというと、神経組織が高音で繰り返し襲われるので、通常の聴覚がマヒしてしまうからです。そうすると超越瞑想のようになって、音楽が醸し出すイメージと歌詞のメッセージに対する深い被暗示性が生まれてくるのです。

 こういう状態になると、音楽という催眠術がかかりやすくなるので、人々は音楽の持つメッセージとイメージをまともに受け入れてしまいます。その場に、目もくらむようなレーザー光線やスクリーンに映し出されるデモーニッシュな映像があれば、乾いた土が水をまたたく間に吸収するように心の中にしみ込んでしまうのです。

 ここにサタニズムが入り込んでくるのです。ロック・ミュージシャンのあの異様な服装や行動は、こういうことと無関係ではありません。ロック・グループの中には、公然とサタン礼拝を打ち出しているものもあるのです。
 

 1970年2月13日の金曜日にハード・ロックのブラック・サパスというグループがデビューし、アルバム「黒い安息日」を発表して、魔術を曲の中に打ち出してきたのです。これと同時期に、ブラック・ウイドウズというグループが「サクリファイス」(生贄)というアルバムを発表したのですが、この頃にはドラッグと黒魔術は強く合体し、ハード・ロックの世界に定着していったのです。

このブラック・サパスとブラック・ウイドウズはともに黒魔術を曲の中に取り入れたのですが、前者は精神的なものとして取り入れたのに対し、後者はイメージカラー的な演出面で黒魔術を活用したのです。


 このようにして、ハードロックの世界に悪魔主義は完全に入り込み、その精神を受け継ぐディープ・パープル、イーグルス、ジューダス・プリースト、シン・リジィ、スコーピオンズといったグループが次々と誕生してきたのです。

 この1970年代を過ぎて1980年代に入ると、ハード・ロックは、ヘビー・メタルに移行していきます。しかし、その間の一時期に「パンク・ロック」というのが流行します。 パンク・ロックというのは、体制に反発する音楽イデオロギーのことをいうのですが伝統の崩壊、秩序の破壊、既成社会への反抗の叫びをヒステリックに主張し、日常の欲求不満をすべて音楽にぶつけたものをいうのです。

 セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、チェルシーなどは、パンク・ロックグループですが、彼らはきわめて異常な風体をしていたのです。世紀末風のファッション鋲つきの皮ジャンにチェーン、髪は逆立てて極彩色に染め、死人のような青ざめたマスカラの隈どりといえば、ピンとくると思います。

 しかし、彼らに決定的に欠けていたのは演奏力であり、長時間のコンサートには耐えられなかったのです。時代の異端児としては注目されたものの、演奏レベルの低さに人気は長続きせず、当然の帰結として、出現の瞬発力と同じスピードで姿を消してしまうのです。しかし、あの奇妙な風体だけは、若干姿を変えて次のヘビー・メタルに受け継がれることになります。

 さて、ヘビー・メタルとは何でしょうか。

 ヘビー・メタルとは、そのサウンドを表現するものです。どういうことかというと、ギター・コードの激しく鳴り響く音がデトロイトの自動車工場で、鋼鉄から車の部品をプレスする流れ作業場の、耳をつんざくような騒音と似ているところから、そう命名されたのです。

 その特徴はといえば、研ぎすまされた粗野でストレートな表現力、他の追随を許さぬスピード感にあるといえます。そして、当然のことながら、より悪魔主義と一体になっていきます。

 アイアン・メディアン(鉄の少女)というグループは、悪魔の数字といわれる666を前面に打ち出した曲「獣を野に放て、666、ナンバー・オブ・ビースト」という曲を演奏し、悪魔主義運動を起こし、ヘビー・メタルの先頭に立ちます。

 そして、ヴェノム、サタン、デーモン、ウィッチファンド、エンジェルウィツチなどのバンドが誕生するのです。まるで、地下教団的な秘密組織みたいですね。こういうヘビー・メタルのファンの56%は17歳以下の青少年なのです。・・・
http://intec-j.seesaa.net/category/4751327-1.html

▲△▽▼


新時代の寵児オノ・ヨーコ 『某業界情報紙』(一九九一年 十月 発行)より転載。


 オノ・ヨーコ は、一流銀行家の娘である。子供の頃から、学習院や三井アカデミーなどブルジョア学校で学び、皇族の一人とも親交を結んだ。

 一九五二年、二度目の渡米生活の時、ニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学し、勃興しつつあったアバンギャルドの「ビートニック」の洗礼を受けた。大学時代に麻薬を覚え、何回かの中絶をするなど乱れた男女関係を経た後、一柳俊というニューヨークのジュリアード音楽院の学生と結婚した。

二人は麻薬の巣窟、グリニッジ・ビレッジのジャズ界に入り浸りとなった。

その結婚生活もヨーコが、自殺未遂で精神病院から退院したばかりのホモの作家といい仲になったことから破局を迎えた。


 一九六二年になって、ヨーコの家族は娘をこのすさんだ生活から救おうとして日本に呼び戻したが、ヨーコはまたもや自殺をはかり、東京の精神病院に収容された。その精神病院からヨーコの脱出の手助けをしたのが、もう一つ輪をかけた悪のトニー・コックスというアメリカの麻薬売人である。コックスは、とある●●ヤ教司祭の息子と手を結んで麻薬の製造と密売を行った男で、ニューヨークにおけるLSD−25の売人第一号である。ヨーコの友人にも手広くLSDを売りさばき、FBIとマフィアの追及から逃れて日本に渡ってきた時、ヨーコと再開し結婚する。

 その時点で法的には、ヨーコは未だに最初の夫の妻だったにもかかわらずである。ニューヨークに舞い戻った二人は、幻覚症状を催す麻薬とアバンギャルド芸術の世界に憂き身をやつすことになる。

 トニーとヨーコは赤貧洗うがごとき生活を送り、夫婦喧嘩も絶えなかった。一九六六年にはロンドンに行き、アバンギャルド会議に出席した後、一年ほど滞在し、麻薬とロックとセックスの裏文化の中にどっぷりつかることになった。

当時の裏文化のメッカはインディカ・ギャラリーのかいわいであり、このインディカ・ギャラリーと称するカフェ兼アート・センターを始めたのが、ジョン・ダンパーとその妻のロック・スター歌手のマリアン・フェイスフル、およびビートルズのメンバーのポール・マッカートニーであった。

 そこでヨーコはジョン・レノンに紹介される。その数ヶ月後、ロンドンのあたりでレノンと遊び回るうちに、ヨーコはすでに妻子ある身のこの花形ロック・スターをまるめ込んでしまう。レノンはヨーコとつきあう以前からすでにLSD−25の常用者だった。ヨーコと一緒になったレノンはローリング・ストーンズなどのロック・ミュージシャンを巻き込んで手当り次第にいろいろな麻薬を試すようになった。当然のことながら、レノンもヨーコも麻薬中毒患者に転落した。

 その頃になると、ヨーコはオカルトに夢中になり、専属のタロット占い師を雇うまでになった。七〇年代後半には、コロンビアのカルタヘナ島に行き占い師の会社、リナ・ザ・ウィッチ【←おや?】に一週間通った。

 長年における麻薬とオカルトへの異常な関心の結果、一九八〇年のジョン・レノン暗殺事件の当時は、ヨーコは新時代の退廃的な哲学に夢中になっていた。相変わらず手の施しようもない麻薬中毒であった。進んで麻薬・ロック・セックスの裏文化に入り、今やその道にかけては世界的に有数な伝道者とも言える人物になっている。ヨーコこそ、まさに日本の新時代の寵児と言えよう。
http://asyura.com/sora/bd11/msg/26.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
8. 2019年4月05日 01:41:15 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[269]
安倍晋三は徴兵制を狙っている。この令は召集令状の令である。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK259] 衆院大阪12区補選 共産出身“野党統一候補”大金星はあるか 宮本岳志氏が出馬(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 2019年4月05日 01:52:50 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[270]
樽床は泡沫候補では?
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/301.html#c19
コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
6. 中川隆[-10932] koaQ7Jey 2019年4月05日 01:59:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1096]

まともな人間は芸術家にはなれない _ 2


ファン・ゴッホは何故 突如として変貌したのか?


Fields of St. Etienne - Mary Hopkin
http://www.youtube.com/watch?v=s2UX7_kpNHg


Vincent van Gogh 画像

http://commons.wikimedia.org/wiki/Gogh
http://artchive.com/ftp_site.htm
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh-2.html
http://www.vggallery.com/
http://www.vangoghmuseum.com
http://www.vangoghgallery.com


フィンセントは最初の大作「馬鈴薯を食べる人々」を完成させた後、もう一度正式な絵の勉強をしてみる気になっていました。 1885年11月、フィンセントはアントワープに向かいます。 有名なアントワープの美術アカデミーに入学するためでした。 美術アカデミーは1月開始予定でしたので、それまでの間、フィンセントはモデルを雇い、人物画を描きました。その一方で、アントワープにあるルーベンスの絵画に熱中します。ルーベンスが描くピンク色に輝く裸体にすぐにフィンセントは影響されます。「馬鈴薯を食べる人々」にみられた灰色がかった陰鬱な色彩がかき消え、女性の肖像画には、唇や肌に混じりけのない強烈な赤が使われています。


 1月にようやくアカデミーに入学しました。しかし、アカデミーの教師たちは超保守的な時代遅れの連中で、フィンセントはすぐに衝突してしまいます。毛皮の帽子に家畜商人の青いスモックという異様な風体でアカデミーに現れたフィンセントは、恐るべき勢いで男性モデルの描き始め、たちまちのうちに、カンヴァスも床も絵の具だらけにしてしまいます。アカデミーの校長は怒り狂い、すぐに、フィンセントをデッサンクラスに格下げしました。

デッサンクラスでも、フィンセントは持参したデッサンを床いっぱいに広げて教師にみてもらおうとして、騒動を巻き起こします。フィンセントが床に広げたのは古典的な端正なデッサンとは似ても似つかぬ荒々しいデッサンでした。たちまち、学生たちが一斉に集まってきて、収拾がとれなくなります。学生の多くはその珍妙なデッサンを嘲笑いました。しかし、その強烈な線に魅了され、まねようとするものも現れ、教師を激怒させます。

油絵コースから外され、陳腐なデッサンを強要するアカデミーに飽きたらなくなり、フィンセントはアカデミーの学生たちが夜間行っているデッサン・クラブにも顔をだしてみました。しかし、モデルを描くことができる以外、アントワープでの絵画修行は得ることがほとんどありませんでした。


 アントワープでフィンセントはルーベンス以外にもう一つ強烈な絵画体験をしていました。日本の浮世絵です。浮世絵の大胆な構図と明快で単純な色調に魅了されたフィンセントは下宿の壁を浮世絵で埋め尽くします。

ルーベンスと浮世絵に開眼したフィンセントはさらに新しい絵画経験を熱望するようになります。そのためには方法は一つしかありません。さまざまな傾向の絵画芸術が渦巻いているパリにでることです。そして、実際、パリで、フィンセントは新たな絵画を切り開こうとしている天才たちとその傑作絵画群に出会うことになります。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

アムステルダムのファン・ゴッホ国立美術館について教えてください ケンさん
07/03/31 17:01


ご質問の内容とは異なりますが…。 nonann
07/04/01 01:05


「浮世絵」がある、と表示のある階にはお子様をお連れにならない方がよろしいかと。

今は違うかもしれませんが、13年前の「浮世絵」はほとんど春画でした。
ゴッホの本当の趣味はこっちだったの?と目がパチクリな経験があります。

その階の展示は大人だけでお楽しみください…。日本でもあれだけのコレクションはめったにみられないと思います。逆に今はあれが見られないとなると大変残念。貴重です。

http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/thread2.php/id/221950/-/parent_contribution_id/221950/


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
/:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_                 _、-、_
;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、  ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ.   /"´ ̄~''ヽ. ,.. ‐"`'ー-''`''-、
;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::
  ヽ


ゴッホ

あの炎の人と呼ばれた画家ゴッホ。

彼は世界的にも有名な春画のコレクターでした。

浮世絵全般に大変な興味を持ち、その影響を多大に受けたと言われています。歌川広重の「名所江戸百景亀戸梅屋舗」という作品をはじめ、400点以上もの名画を集めたそうです。 江戸時代の日本は鎖国状態にあったため、海外との流通は長崎が起点になっていました。オランダにいたゴッホにとっては好都合だったのかも知れませんね。

特に葛飾北斎のファンで、彼の春画や画集はいつも手元に置いていたそうです。又、歌川派の浮世絵も多数所有していたと言われています。

そんなゴッホの名作、「雨中の大橋」と「花咲く梅の木」には日本の文字がデザインとして一体で模写されています。

まさに春画は日本が世界に誇る芸術。その良さは海の向こうでもしっかりと評価され、多数のアーティストたちを虜にしていました。ゴッホばかりではなく、セザンヌは北斎の「快晴の富士」を、モネは鈴木春信の「蓮池舟遊び美人」といった、浮世絵や春画・枕絵をそれぞれ好んで手本とし、模写したそうです。

http://makurae.lovely-lovely.biz/archives/post_2.html

57. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:21:42.49 ID:U12kjNMv

ゴッホ

・生涯に一点しか絵が売れなかった貧乏画家だったが、400点以上に及ぶ浮世絵をコレクションしていた。弟テオのコレクションも含めた数は477点。


・当時、作品は所有者の死後、オークションで処分されるのが一般的だったため、他の印象派画家のコレクションの日本の浮世絵はほとんど残っていないが、例外的にゴッホだけは、近親者の子孫たちの努力もあり現在まで全てが完全な形で残されている。

・複数の絵師が共同で一枚の浮世絵を描いたりすることを知ったゴッホは、アルルのアトリエにゴーギャンたちを招いて共同生活を始めた。 しかし結局この試みは失敗に終わり、ゴッホは激昂して発作的に自分の耳を切り落とした。 その「耳切り事件」の直後に耳に包帯を巻いた一枚のポートレートを描いたが、その絵の元となったのも浮世絵。

56. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:20:21.30 ID:U12kjNMv

ゴッホ

「日本人が、稲妻のように素早くデッサンするのは、その神経がわれわれよりも繊細で、感情が素朴であるからだ」

「僕は日本人が何をやっても極めて正確に行うのを凄まじく思う。

それは決して退屈な感じを与えず、決して大急ぎでやったようにも見えない。

彼らは息をするのと同じくらい簡単で、狂いのない二、三本の線で同じように楽々と人物を描いてしまう。まるでチョッキのボタンをはずすかのようだ。」


「僕達印象派の画家達(モネ、マネ、ロートレック等)は日本の浮世絵を愛しその影響を受けている。」

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


ファン・ゴッホが弟テオに宛てた手紙で、北斎のことを次のように言っている。


「日本美術を研究すると、間違いなく聡明で博学な哲学者を発見することになる。 その男は何をして時間を過ごしていると思う? 地球と月の距離を測っている? ビスマルクを勉強している? 違う。 一枚の葉を探求しているのだ。

しかし、この葉の探求のおかげで全ての植物が描けるようになり、次に季節が、広大な風景画が、動物が、そしてついには人間が描けるようになるのだ。 こうやってこの男は人生を送っているが、すべてを完成させるにはこの人生は短すぎるのだ。

いいか、日本人が教えてくれているのは真の宗教だ。

 彼らはとても純粋で、まるで自分自身が花の如く自然の中を生きている。」

(ゴッホは「富嶽百景」の北斎の自跋(2-1参照)を読んだのであろうか!!!)

http://www.muian.com/muian08/muian08.htm

 アントワープでフィンセントは乏しい資金を画材やモデル代に回してしまったために満足に食事も摂れず、肉体的にぼろぼろになってきました。 歯も10本以上が抜けかかっていました。栄養失調が原因でしょうが、他にも歯が抜ける理由があったようです。

歓楽の街アントワープでどうやら梅毒に罹患してしまったようなのです。

但し、アントワープ時代にフィンセントが梅毒の診断を受けた時、既に彼は33歳でした。それから、アルルでのクリスマス直前の最初のクリーゼ(発作性精神変調)まで2年ちょっと経過しているにすぎません。第2期梅毒から麻痺性痴呆発症までには最低15年の潜伏期間があるはずですから、フィンセントの精神病が麻痺性痴呆の可能性は低いといえます。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。

 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。
 
 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。

http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

フィンセントの弟テオの病気とは


死の4年前、1886年頃からテオは激しい咳を伴う体調不良に悩まされ、心臓が弱っていました(「テオというもう1人のゴッホ」マリー=アジェリーク・オザンヌ フレデリック・ド・ジョード著 伊勢英子 伊勢京子訳 平凡社)。しかも、原因不明の発作におそわれ、脳溢血の後のような麻痺が一時的に出現したこともありました。

その後、フィンセントがアルルに移った直後の春にも体調を崩したようで、テオがかかりつけ医の「グリュビのところへ行った(No 489. 1888年5月20日頃)」ことを知ってフィンセントは心配しています。 治療の一つとしてヨードカリが使われていたようで、さらに、女性に接することを控えるようグリュビが言うだろうとフィンセントは予測しています。

「唇を固く結んで「女はいかん」と言うときのグリュビの顔をみたかね。あんな風な顔は見事な一枚のドガになるよ」

などと書いていますから、フィンセントも同じことをこの医者から言い渡されたことがあったようです。


1990年6月10日にはテオがヨハンナと甥のフィンセントをつれてオーヴェールにやってきました。フィンセントはおもちゃ代わりに小鳥の巣をとってきて甥を歓待しました。 その後もフィンセントは旺盛な創作活動を続け、麦畑の連作などを計画します。アルル時代の強烈な色彩は影を潜めたままですが、相変わらず、円熟した技法で自在に絵を描いていました。しかし、やがて、その絵のなかに影がさすようになります。

 オーヴェールからパリに戻った後、甥のフィンセントが牛乳のせいで体調を崩しました。ヨハンナの必死の看病でようやく一命をとりとめますが、7月6日、心配したフィンセントはパリに駆けつけます。しかし、そこでかれがみたものは、看病に疲れ果てたテオとヨハンナでした。しかも、この頃、テオは画商として独立しようと画策していて、そのことでテオとヨハンナの意見が対立していました。さらに、テオはその後悪化することになる精神的身体的不調もみせていたようです。

 このように、もともと思わしくなかったテオの健康状態はヴィンセントの死によって一挙に悪化します。 テオはパリの病院に収容されます。入院後、ある程度落ち着きを取り戻したため、オランダでの治療を要望するヨハンナの意向もあり、テオはユトレヒトの精神病院に移されます。 しかし、転院時、痴呆症状は急速に進行、わずかに「フィンセント」という言葉にだけ反応するようになります。舌がふるえ、食事がとれなくなり、嘔吐を繰り返し、げっそりやせ細って、衰弱がすすみ、1891年1月25日、兄の自殺の6か月後、テオは死にます。34歳でした。

 尿がでなくなり、幻覚症状を伴う意識レベルの低下がみられたことから、ピサロの息子は父親にテオの死因を尿毒症と報告しています。この腎臓病死因説は長い間信じられ、1989年にゴッホの伝記を上梓したスウィートマンも「厄介な腎臓病にかかり」と書いています。ですから、1989年の時点までは一般的にはそのような認識だったわけです。

 ところが、1992年、例のオランダのヴォスクイルが、テオが最後に入院したユトレヒトの精神病院から公開されたデータをもとに、その死因について従来とまったく異なる事実を明らかにしました(Voskuil pha(1992) het medisch dossier van Theo Gogh. Ned Tijdschr Geneeskd 136, 1770−1780)。

ヴォスクイルによれば、ユトレヒトの精神病院の診療録には、転院時の症状として歩行障害、言語障害、失認、異常興奮、誇大妄想、瞳孔不同が記載されていたとのことです。また、パリの病院からの紹介状には麻痺性痴呆と同義語である全般性進行性麻痺 paralysie progressive generalの診断名が記載されており、ユトレヒトでの最終診断も「急速に進行する麻痺性痴呆」だったというのです。

1886年にみられた一時的な片麻痺が麻痺性痴呆の初発症状だったようで、1890年7月にフィンセントがテオ夫婦と甥に会いにパリにでてきたときには、麻痺性痴呆の症状はもっとはっきり認められたはずだとヴォスクイルは指摘しています。そのことがフィンセントの自殺に影響を及ぼした可能性すらあるというのです。

 麻痺性痴呆は梅毒の晩期症状です。 テオの末期症状はたしかに神経梅毒症状と考えると矛盾なく説明できるのです。とくに、瞳孔不同の所見は決定的で、眼底出血でも起こさないかぎり腎不全で瞳孔の左右差をきたすことはありません。
また、「死の4年前から心臓が弱っていた」というのは、梅毒のいまひとつの晩期症状である梅毒性大動脈炎のせいだった可能性があります。梅毒性大動脈炎では、主として、上行大動脈が脆弱となり、大動脈弁閉鎖不全、冠状動脈狭窄をきたし、これらは最終的に死に直結します。

 テオの時代、梅毒は不治の病でした。水銀治療などというものが一応ありましたが、これは、治療効果より副作用のほうが圧倒的に勝るという悪夢のような治療法でした。さらに、グリュビがテオにも処方しているヨードカリも抗菌剤として当時用いられていましたが、梅毒を根絶するにはほど遠い薬です。

 テオやフィンセントの頃は梅毒の「全盛時代」で成人の梅毒罹患率が8〜14%でした。 20世紀への変わり目、パリなど西欧諸国の大都会でいかに梅毒がありふれた病気であったかがわかります。 実際、ゴーギャン、ニーチェなどテオやフィンセントの同時代人で梅毒に罹患していた有名人は少なくありません。 19世紀から20世紀に移り変わる頃、中年の中枢神経疾患、循環器疾患の主要病因は梅毒だったといわれています。

 神経梅毒にてんかん発作がみられることは先ほど述べましたが、中には、神経梅毒によるてんかん発作出現後に痴呆症状があきらかになる患者もいました。 現在、てんかん発症によって痴呆に到ることは、特殊な、まれな病気に罹患した人をのぞき、まず、ありません。その理由の一つが、てんかんと痴呆を合併する代表的疾患、神経梅毒の激減ではないかと思われます。

 進行性麻痺は梅毒の初感染から15年〜20年で発症しますから、テオが梅毒に感染したのは13歳から18歳にかけてということになります。 17歳頃からテオは「灼けるような性欲に苦しめられ」ハーグの娼館「快楽列島」に足繁く通っていたました。時間的経過を考えると、テオが梅毒に罹患したのはこのときだと思われます。

 ヨハンナや息子のフィンセントの手記をみる限り、ヨハンナはテオの死因が梅毒だとは知らなかったようです。

 麻痺性痴呆が発症するのは初感染から15年から20年してからで、その間、第二期梅毒から10年以上まったく無症状です。 主治医はテオの末期症状の原因として梅毒を疑っていた可能性はありますが、確証がないのですから、そのことをヨハンナに告げなかったとしても不思議はありません。

梅毒は第二期梅毒あたりで一番感染力が強く、性行為を通じて人から人に感染したり、胎内感染を起こしたりする可能性がありますが、発病から4年を過ぎる頃から感染性が急速に低下します。麻痺性痴呆症状が出る時期には、梅毒スピロヘータは性器や血液中には存在せず、他人にうつることはありません。ですから、ヨハンナやその子のフィンセントが梅毒に罹患する可能性はまったくなかったわけです。実際、二人とも、長寿を保ち、梅毒症状も出現していません。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | 梅毒にかかったら4年間は
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | 女を抱いちゃダメよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

2.何故、西欧の芸術家は日本文化に憧れたのか?

春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html

日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html

現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html

春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html

江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html

江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html

江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html


門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html


江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html


キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html


上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html

Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html


江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html


春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。

http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


浮世絵

http://www.youtube.com/watch?v=qqKarRHRtaM
http://www.youtube.com/watch?v=3fAY9gBqjLs

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro

http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Ukiyo-e, UTAMARO, 'Michiyuki koi no futusao, shunga, erotic
http://www.degener.com/1793.htm


Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka


http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/super.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/toku.html

http://www3.tokai.or.jp/youko45/0602edayo/edayo00mokuzi.htm


浮世絵の展示室
http://homepage3.nifty.com/itoti/index.html


___________

___________

3. 西欧の画家に衝撃を与えた浮世絵


 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。

http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html

ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」

http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html


33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。

http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html


__________________
__________________

4.ファン・ゴッホは何故キリスト教を捨てたのか?


伝道師を目指した若き日のゴッホ


「よきサマリア人」は、中世から近代までの数多くの美術作品に描かれている。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh56.html


サマリア人をイエス、宿屋を教会に見立てて、ユダヤ教の祭司が見捨てた人間をキリスト教が救済したと言う寓意として、教会のステンドグラスを飾ったりもしている。 遠景に急ぎ足で去っていく人物を描く絵も多く、ゴッホの作品でも、画面の左側に小さく2人の人物が描かれている。遠くに見えるのが最初に通りかかった祭司、手前に見えるのが次に通りかかったレビ人である。いずれも、見て見ぬふりをして遠ざかる足早な後ろ姿で描かれている。

無心に旅人を抱き抱えるサマリア人に対して、遠ざかる人影の背中には、いかにも小心翼々として事なかれ主義がにじんでいる。一度は伝道師を志し、狂信的なまでに献身を尽くしたゴッホとしては、この後ろ姿には容赦ない批判があったに違いない。

ゴッホはオランダの厳格な牧師の家庭に生まれている。 そして、ヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名前は、なんとゴッホの誕生日に1年前に同じ日に死産した兄の名を継いでいる。 家が教会だった為に、ゴッホは幼い頃から教会墓地のヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名を刻んだ兄の墓石を見て育っているのである。

恐らく、その反動だろう。若い頃からゴッホは、病的なまでに自分自身のこの世における存在意義と言うものを探求している。 死んだ兄の代理として自分自身が生存している事への、恐ろしいまでの自責の念を抱き続けていたに違いない。 そうした心情と家庭の事情からすれば、ゴッホが伝道師を志した事へ当然の結果と言える。ところが、この伝道師への道は、破門と言う手ひどい形で閉ざされている。

原因は、ゴッホの余りに献身的な生活にあった。 極貧の炭鉱街に派遣された見習い牧師のゴッホは、人々の貧しさに衝撃を受け、衣服から寝具まで全てを与えてしまい、自分自身は藁の中に寝起きしていたという。最低限の衣類しか身に付けず、家畜小屋のような住居に暮らすゴッホの姿に伝道師協会へ怒り、協会の威厳を損なうものとして破門にしてしまった。 困窮する人々と苦難を分かち合おうとしたゴッホの情熱は、理解されないどころか、むしろ狂気の沙汰と見られこれが原因で伝道の世界から追放されてしまうのである。

この時の痛手は、終生ゴッホの心から消えず、以降、彼は形骸化した教会を批判し続けている。彼が手紙に書いた「宗教はうつろい、神は残る」と言う言葉には、痛切なでもにこうした思いが語られている。


イエスの弟子としてのゴッホ


「よきサマリア人」は、そんなゴッホが激しい発作の合間に精神病院で描いた作品。南フランスのアルルで試みたゴーギャンとの共同生活が破綻、口論の挙句、自分で自分の耳を切り落としてしまったと直後に描かれている。この共同生活は、ゴッホがアルルに構想した画家の共同体の第一歩として始められたのだが、こうした構想にしても多分に修道僧的である。

絵柄はオリジナルではなく、ドラクロアの原画の複製版画を模写している。この他にもレンブラントやミレーの宗教画を版画で見て、自分なりに色を着けて模写しているが、ゴッホのオリジナルの宗教画は1点も残されていない。

手紙によれば、ゲッセマネの園で祈るイエスの苦悩(第7章)を描こうとした際に、どうしても描く事が出来ず画面を引き裂いてしまったらしい。 友人に宛てた手紙には、聖書の場面を借りなくとも、人間の苦悩を描き、心に癒しをもたらす作品は描けるはずだと書いている。

その実、必死に祈るイエスを描こうとして描けず、断念したと言う事実を思えば、この主張自体も痛々しい。そんな彼が、宗教に代わるものとして選んだのが自然であった。

「ラザロの蘇生」は、その事を物語るような作品。

http://stundenbirne.jugem.jp/?eid=92


レンブラントの「ラザロの蘇生」を模写したものだが、奇跡を起こしたイエスは画面から省かれ、代わりに白熱する太陽が描かれている。あたかも太陽の熱線が死者を蘇らせたかのようである。作品は「よきサマリア人」と同じ精神病院で描かれており、この少し後にはゴッホは、絵の具を飲み干すほどのすさまじい発作に襲われている。

どうやら太陽の描写は発作の誘因になるようで、代表作「ひまわり」にも見られる黄熱の色彩は、ゴッホに極限までのエネルギーを費やさせると言う事は、本人も手紙に書いている。これ以降は、好んで夜空の星を描いている。 うねるような夜空にまたたく有名な作品「星月夜」も、この時期に描かれた作品である。 この星について、ゴッホは手紙にこう書いている。

「それまでもなお、僕はやはり、何というか、宗教がどうしても必要だと感じる。そんな時、僕は、夜、外に星を描きに出る」

絶とうとして絶てない信仰への思いが滲む文章である。

「それでも人間は、何か偉大なものなしにはやって行けないと思う」

この言葉は、ゴッホの脳の奥に潜む考え方の本質であると同時に、人が信仰というものを求める際の最も基本的な心情を語った言葉と言える。 ゴッホは、膨大な数の独創的な索引を描きながら、宗教画に限っては、どうしても自分なりのイエスの顔を描く事が出来なかったのである。 が、その実、ゴッホは「宗教はうつろい、神は残る」と言う精神において、律法学者達の偽善を突いたイエスに、最も忠実な画家の一人であったのだろう。

http://www.geocities.jp/tomoching2/goch.html


ベルギー時代のヴァン・ゴッホ 


<ボリナージュでの伝道>

ベルギー・プロテスタント教会ユニオンの1789-1880年の年報にワムという項目があり、伝道師ゴッホのついての言及があります。そこにはゴッホが誠心誠意で怪我人や病人を看病して面倒を見たこと、自分の衣服を裂いて包帯代わりにしたこと等が書かれています。しかし、最後に「伝道師としての資質に欠ける」と断定したうえ、任期更新は行わずに、すでに現地入りしていたユトン氏を後任者として任命したと結んでいます。

 中略

それではワム村の村民達はゴッホのことを実際にどのように見ていたのでしょうか。私の手元に、隣のフラムリ村出身でベルギー普通選挙の父と呼ばれるルイ・ピエラール代議士の書いた「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの悲劇的人生」という本があります。氏は30数年間モンス選出の代議士として活躍し、戦後は王立学士院の会員にもなりました。1920年頃に書かれたこの著書は、半世紀に渡りゴッホ研究者が頻繁に引用しましたが、現在では入手不可能な幻の名著です。現在出回っているゴッホの伝記の多くはこの本の焼き直しといっても言い過ぎではありません。

その中に、1910年代にワム村で元鉱夫達に伝道師ゴッホに関して取材をした箇所があります。ゴッホがワムを去って30年も経っていたにもかかわらず、“ゴッホが坑内から出てきたばかりの鉱夫たちの姿を縦坑出口のすぐ横で素描していたこと”を老鉱夫が覚えていたり、下宿していたドウニ家の息子の“ゴッホが作った子供向け聖書教室”の鮮明な記憶などに代議士は驚嘆しています。

ゴッホの記憶はワムの村人から消えてはいなかったのです。その証拠に、早くも1925年9月13日にゴッホの妹エリザベツの立会いの下で、ドウニ家の外壁に記念大理石プレートが住民によって付けられました。この記念碑は今も荒れ果てた家とともに残っています。それには「オランダ人ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853−1890)がこの家に1878−1879年に住んだ。伝道師で後にその時代で最も偉大な画家の一人となった」と刻まれています。この記念プレートが付けられた際、妹エリザベツは当時プチ・ワム村で牧師をしていたピエール・スクレタン・ロリエールに、ゴッホがボリナージュ時代に愛用したという聖書の詩篇集を贈りました。この詩篇集は後にアムステルダムのゴッホ美術館に寄贈されました。

また1924年、ピエラール代議士の求めに応じて、前述のボントウ牧師は伝道師ゴッホの思い出について3ページ半にわたる書簡を送りました。その中で牧師は

「ゴッホは最も不幸な者、怪我人、病人を好んで訪ね、彼らの傍に長い間とどまりました。苦しむ者のためにすべてを捧げようとしていました」

「彼の奥深い感受性には人間愛を超えたものがあって、動物たちやさらに虫けらの類にいたるまで大事にしていました」

ワム村を追われて半世紀近くたってからゴッホに贈られた元上司の賛辞といえます。

聖職者というのは医者と同様に、苦しむ者から一歩距離を隔てて活動すべき職業かもしれません。ミイラ取りがミイラになってはいけないのです。その意味ではゴッホは確かに伝道師失格だったかもしれません。しかし、自分の持ち物をすべて分け与えて、貧しい者や苦しむ者のみならず動物や昆虫まで愛したクリスチャン、ゴッホの生き方はそれゆえに村の人々の心に末永く生き続けたのでしょう。

すべてを神への奉仕の為に捧げたにもかかわらず、伝道師失格の烙印を押されてストライキ扇動者と罵られたゴッホは、失意の中、信頼していたピーターセン牧師を頼ってメヘレンに、着の身着のまま徒歩で北上しました。その一年前の夏、手っ取り早く宣教師になる道を探していたゴッホは、父と英国滞在中に世話になったジョーンズ牧師に付き添われてベルギー北部とブラッセルの牧師たちを訪ねて歩きました。その時に世話になったのがピーターセン牧師でした。


<牧師を志す>

ゴッホ自身の手紙によるとオランダでは聖職者になるには最低5年間大学で神学を学ぶ必要があり、しかも神学部入学にはラテン語とギリシャ語の知識が予め必要でした。ゴッホはその語学の勉強につまづき、アムステルダム大学入学を断念した苦しい経緯がありました。「息子はオランダでは牧師になれないが、ベルギーでなら何とかとなる」と判断した父のアイデアだったのでしょう。そのゴッホにブラッセルの北、ラーケンにあるベルギー・プロテスタント教会ユニオンによって創設されて間もない小さな宣教師養成学校から3ヶ月の試用期間付で入学許可がおりたのです。ここではたった3年間で宣教師を養成していました。しかも試用期間中はフレミッシュの学生と同様に、学費無料で宿泊代と食費のみを払えばよいという好条件でした。この学校の詳細は残念ながら詳しくわかっていません。またゴッホの書簡に出てくるボクマという教師についても記録がみつかりませんが、名前から判断する限りオランダのフリスラントウの出身者のようです。そうであればこの入学に関しては当然ゴッホの父のコネが効いたことでしょう。

残念ながらここでも彼は挫折してしまいました。彼の非社交的な性格と宣教師として不可欠な仏語の雄弁術に欠けていたのが最大の理由でした。当時の同級生はゴッホについて「従順さに全く欠けた」と回顧しています。

そして同年11月15日にテオに送った長文の手紙でボリナージュで伝道したい旨を説明して、最後に追伸で学校の試用期間に失敗したと告白したのです。その手紙にゴッホは有名な「炭鉱」というデッサンを添付しました。

彼はなぜこのデッサンを手紙と一緒に送ったのでしょうか。

当時、ボリナージュで採掘された石炭の多くはフランスに輸出されていましたが、一部はモンス・シャールロワ間のソントウル運河とブラッセル・シャールロワ運河を使って船でブラッセルに運ばれていました。船といっても現在のようにエンジン付の船ではありません。運河の両側に設けられた小道で、人や馬が石炭や貨物を満載した船にロープを付けて引っ張って行ったのです。そしてブラッセルの運河には、この作業道に沿って様々な工場や会社が並び、多くの労働者が肉体労働に従事していました。

ゴッホの描いた「炭鉱」はこういう肉体労働者の為に設けられた休憩所です。そこは労働者がお弁当を食べたり、水代わりのビールを飲んだりするところでした。また夜は綺麗所の来るキャバレーにもなりました。いわば「キャバレー炭鉱」だったのです。ゴッホはこの絵を描きながら、まだ行ったことのない炭鉱地区ボリナージュを思い浮かべたことでしょう。彼自身はこのデッサンを「くだらないデッサン」と書簡に書いていますが、私は非常に個性的で誠意に満ちていると評価しています。しかも画面の上の三日月や、意図的に直線を避けた建物のラインと、瓦と石畳の曲線は後にアルルで制作した「夜のカフェ」、サン・レミの「星と糸杉のある道」を彷彿させます。

神学校を3ヶ月で落第したゴッホはそれにもめげず、1879年の12月に自費でボリナージュに伝道に出かけ、モンスの南にあるパチュラージュ村の行商人ヴァン・デル・ハーフンの家に月30フランで下宿しました。子供に読み書きを教えたり、病人を見舞って看護したり、文盲の鉱夫や農民達に聖書を朗読したりといった活動をしながら、伝道委員会に伝道師任命を懇願しました。幸い前年に、それまでワム村の一集落にすぎなかったプチ・ワムは独立した村に昇格しました。当時の習慣で、村民が望めば村専属の牧師を国費で呼び寄せることができました。村から要請をうけたベルギー・プロテスタント教会ユニオンは、適任の牧師が直ぐに見つからなかった為に、とりあえず、ボリナージュにいたゴッホを6ヶ月の期限付きで伝道師として任命し、プチ・ワムに送ったのでした。


<ボリナージュでの再出発>

さて失意と疲労にもかかわらず、メヘレンまで訪ねてきたゴッホをピーターセン牧師は温かく迎えてくれました。恐らく久しぶりにオランダ語で話し合えたのでしょう。そして牧師の趣味だった水彩画を見せられたゴッホは、息を吹き返したかのように元気になってまたボリナージュに戻っていきました。でも今度は画家として修業を始めたのです。そして、クエム村のフランクという伝道師が借りていた鉱夫の家の離れに1879年の8月から翌年の10月まで居候しました。彼が住んだ離れ家は今はなくなっていますが、荒れ放題になっていた母屋は近年「ゴッホの家」として修復されています。

ここで画家になる決意を固めた彼は デッサンの習得の必要性を感じて農民や鉱夫のデッサンに没頭します。その修業期間中に、彼がお手本として重宝したのがミレーの「種まく人」や「鋤を使う人」の版画でした。弟のテオが勤める「グーピル画廊」が名作の版画コピーを主たる商売としていたので、ゴッホは1880年の夏にテオに宛てた手紙でミレーの「畑仕事」という数枚の版画を郵送してくれるよう頼んでいます。

現在の「ゴッホの家」には彼がこの家で制作したミレーのコピー「鋤を使う人」が展示されています。ミレーの原作はパステル画ですが、当時のコピーが白黒の版画で売られていたのでゴッホはその版画を手本としました。ゴッホはずっと後、1889年にも油絵の具でまた「鋤を使う人」を制作しています。構図は原作と同じですが、油絵コピー上の土と空の部分を注意して見ると、まるで波打っているかのように描かれています。また原作では単純に暗く描かれた胸の部分がブルーで置き換えられています。対象となる農民への限りない愛情と信仰心という点では、ミレーとの共通点を持ち続けたゴッホですが、ミレーを乗り越え独自の芸術を築いていった過程がうかがえます。

クエム時代のゴッホに関しては 残念ながらクエムの教会には記録が残っていません。しかし、クエム時代のゴッホを知る地元のデルソーというプロテスタント信者がピエラール代議士に宛てた手紙に次のように回想しています。

「彼は大変質素な生活をおくり、朝起きると二切れの乾パンを食べて、大きなコップで冷えたコーヒーをブラックで飲み、食事以外には水を飲んでいました。いつもたった一人で食事を取って、他の人と一緒に食事をしないようにしていました。食べながら膝の上で素描するか本を読むといった具合に、一日中素描に充てていました」

「ゴッホが私の義姉の家に滞在していたとき、彼が描いた一枚のデッサンが義姉の記憶に鮮明に残っています。それはジャガイモを収穫する農民の姿を描いた絵です。何人かが鋤でジャガイモを掘り起こし、他の者がそれを拾い上げる姿でした」

このデッサンは残っていませんが、この回想によって、ゴッホが5年後にオランダのヌエネンで制作した代表作「ジャガイモを食べる人」のコンセプトがクエム期にすでにできつつあったことを思わせます。

ゴッホのボリナージュ期は1880年10月にブラッセルの美術学校入学で終了します。彼が下宿したブールヴァール・ドゥ・ミディ72番地は現在の国鉄ミディ駅の真横で、今では大きな交差点と国鉄の高架になっていて当時の面影は偲べません。

http://blogs.yahoo.co.jp/prof_japonais/3946797.html


再びフィンセントは「女性問題」を引き起こします。 こんどの相手は、あばた面の年上の娼婦でした。

ハーグに舞い戻った年の冬、フィンセントは「一人の身ごもった女」にでくわします(No 192. 1882年5月)。このシーンと呼ばれる女は「男に捨てられ、その男の子どもを宿して」いました。

「みもごったおんなが冬の街頭に立たねばならなかった、パンを得なければならなかった」のを見過ごすことができず、フィンセントはシーンをモデルとして雇います。

「十分なモデル代は払ってやれ」ませんでしたが「家賃は払ってやれ」ました。「自分のパンを彼女と分けることによって、女とその子どもとを飢えと寒さから守ってやれた」のです。かれは、シーンを産科病院連れて行き、シーンの住まいをたびたびたずねるようになります。

旧約聖書の「ホセア書」の冒頭に述べられた「汝ゆきて淫行の婦人(をんな)を娶り淫行の子等を取れ」というエホバの命令をそのまま実行に移したかのようでした。


組んだ腕の中に頭を埋めた妊娠した裸婦の側面像を描いた素描「悲しみ」はこの頃のシーを描いたものです。フィンセントとしては珍しくロマンチックなイラスト風の絵で、「僕の一番よくできた素描(No 219. 1882年7月23日)」とフィンセントは誇らしげに書いています。この妊婦は聖書にあるように男の子を産むことになります。

しかし、まもなくシーンが出産という時になって、フィンセントはシーンにうつされた淋病のために入院を余儀なくされます。3週間してなんとか退院し、シーンが入院している病院に着くと、前日、シーンは難産の末、男の子を産んでいました。生まれた赤ん坊をみて感動したフィンセントはシーンと二人の子どもを引き取るために大きな屋根裏部屋を借りて移り住みます。夢にまで見た家庭生活でした。

この頃、フィンセントはベビーベッドに寝ている赤ん坊とそれを見守るシーンの娘の素描も描いています。そこには「家庭生活」の一コマが何気なく描出されていて、「悲しみ」以上に印象的なスケッチです。この子どもたちのスケッチを忘れがたいものにさせているのは、画家の憧れかもしれません。

司馬遼太郎がいうように「分際に応じて適当に愛され適当に嫌われ適当にずるっこけて甘えて暮らして」いれば、たいていは子どもの一人や二人はできてしまうものです。しかし、ケーに失恋して愛情が「枯死するのを」感じて以降、フィンセントにとって、たったそれだけのことが、この世で金輪際実現しえない夢物語と思えるようになっていました。それだけに憧れも強烈でした。フィンセントは誇らしげに次のように書き記します。

「陰気な気持ちになったとき、荒涼とした浜辺へ歩いていて、長く白い波が糸を引いている灰緑色の海を眺めるのはなんといいことだろう。しかし、何かしら壮大なもの、何かしら無限のもの、何かしら神のことを呼び覚まさせるように感じさせるものがほしいと感じたら、それを見出すために遠くまで行くには及ばない。大洋よりももっと深く、もっと無限でもっと永劫の何かが、朝眼ざめてゆりかごに輝いている日光に喉を鳴らしたり、笑ったりしている小さな赤ん坊の眼の表情の中に見えるように僕は思う(No 242. 1882年11月5日)」。

たとえ、その赤ん坊が見知らぬ男の子どもであっても、フィンセントはかまわなかったのです。 フィンセントはシーンが出産から戻ってきたら結婚するつもりでした(No 198. 1882年5月14日)。そして、そのことによって世間の信用をなくすことは覚悟の上でした。

 しかし、世間の風当たりは予想以上に厳しく、フィンセントは四面楚歌の状態に追い込まれます。生活費を弟に頼る身でありながら、えたいの知れない売春婦、父親もしれぬ子どもたちを養い、結婚しようとしているフィンセントにテルステーフもマウフェもコル叔父も驚き呆れ、許容することができなかったのです。テルステーフもコル叔父もフィンセントの絵を全く購入してくれなくなります。

マウフェは手足の石膏像をデッサンするか否かでフィンセントと言い争いになった後、全く会ってくれなくなりました。たまたま砂丘で出会って、フィンセントがもう一度教えを乞うたときも「俺はけっして君には会いには行かない。万事おしまいだ」「お前は卑劣な性格を持っている」と非難するだけでした(No 192. 1882年5月3日)。フィンセントは親戚一同とかつての仕事仲間の顔に泥を塗る恥知らずな人間と軽蔑されるようになっていたのです。両親も同意見でした。

 最後の頼みの綱はテオでした。テオからの送金が途絶えれば、シーンたちを養えなくなり、結婚するどころではありません。

 送金をやめるという強硬手段にはでませんでしたが、テオはハーグまでやってきて、散らかし放題のフィンセントの「家庭」のあまりのひどさに驚きあきれ、必死になって結婚を止めようとしました。「ヘール事件」のときのように両親がフィンセントを禁治産者にしてしまうかもしれないとまで脅しました。


 実際、シーンは投げやりで無気力でだらしない、とてもまともな「家庭」生活など営むことのできない女性でした。売春婦になったのも、生活に追いつめられてというよりも、それが手っ取り早かったからにすぎません。叔父たちのいう「自堕落な女」という表現がぴったりの女性だったのです。

絵画のための費用を差し引くと、テオからの送金だけでは生活費の捻出も間々ならず、やがて、フィンセントは借金をせざるを得なくなります。フィンセントはこのような状況にあっても絵画を精力的に描き続けており、マウフェの教えを受けられなくなったにもかかわらず、絵画において長足の進歩を遂げていました。絵を描き続けているということでテオは金を送ってくれているのですし、それ以上に、フィンセントにとって絵画は人生において残された唯一の生きる糧であり、これをやめるわけにはいきませんでした。しかし、このような経済状況にあっても絵画のために金と時間を「浪費」する男は、シーンにとっては不可解な存在でしかありません。彼女はだみ声を張りあげ、フィンセントを罵ります。

 やがて、母親の煽動もあって、シーンは再び体を売って金を得る生活に戻ろうとします。テルステーフやマウフェや叔父たちにいわれなくともシーンの「性格が損なわれている」ことはフィンセントもはじめからわかっていました。シーンとの家庭生活を夢見るにあたっては「彼女が立ち直ること」に望みをかけていたのです。

その前提条件が崩れてしまうのではどうしようもありません。シーンを更生させるためにがんばってきたフィンセントは精根尽き果てます。そして、結局、彼女と別れる決心をします。自分がいなくなれば彼女がもとの生活に戻るだろうという思いが彼の心を苛みました。しかし、どうしようもありません。

 つらい別れでした。とくに、シーンが出産した男の子をフィンセントは我が子同然にかわいがっていました。

「あの小さな男の子は僕にとてもなついていた。すでに僕が列車の席についたときも、僕はあの子をひざの上にのせていた。こうして僕らはお互い別れたが、お互い口では言えぬ悲しい気持ちだった(No 326. 1883年9月22日)」

とフィンセントはのちに書いています。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

フィセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1853-1890)のハーグ時代(1882年から1883年9月までのおよそ20ヵ月)に「悲しみ」(1882年、ロンドン・ウォルソン美術館蔵)という黒チョークで描かれた作品がある。ゴッホは自ら「最上の作品」と呼び、石版画にもしている。上掲の図版「シーンの娘」のモデルはシーンの長女で、暗い表情、やせこけた頬に不幸と貧しさが哀しくも表現されている。

1882年1月、ゴッホは街頭で酔っ払いの妊娠した娼婦に出会った。クリスティーヌ(ゴッホはシーンとよんだ)を拾い、20ヵ月間同棲生活が始まる。やがて赤ちゃんも生まれた。テオへの手紙には次のように書いている。

「ちょうど今ここに、女が子供たちといっしょにいる。去年のことを思い出すと大きなちがいだ。女は元気になり、気むずかしさがなくなってきた。赤ん坊は、およそ想像がつく限りで最も可愛らしく、最も健康で、陽気なちびになっている。

そしてあの可愛そうな女の子はデッサンを見れば分かるけれど、彼女が受けた恐ろしい不幸が未だ拭い去られてはいない。このことがしばしばぼくの気がかりになるのだ。しかし去年とはすっかり変わった。当時は全くひどかったが、今では彼女の顔はあどけない子供のような表情になっている」

この手紙を読む限りでは、貧しいながらも4人で暮らすありふれた幸せな家庭が築けそうな期待がする。しかしゴッホとシーンに破局がやってくる。1883年12月、ゴッホは両親のいるヌエネンに戻る。シーンの2人の子供たちがその後どうなったのか、それは誰も知らない。

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html


__________________
__________________


5.そしてゴッホはゴッホになった

歴史の中のゴッホ ― 有川 治男


ゴッホの社会的、個人的環境


 ゴッホの個人的な生活を成り立たせていたいくつかの要素がありますが、たとえば、印象派の画家たちとゴッホの個人的な環境の違いといえば、彼はオランダ人でした。つまり、マネ以降、今回のシリーズで取り上げた画家たちはみんなフランス人であり、フランスで活躍します。これらの画家たちは、19世紀後半から世界の美術の1つの中心になったフランス文化に初めから接していたのに対して、ゴッホはオランダ人だったことが、彼個人の特別な事情であるわけです。

 さらに言えば、幼少時代に暮らしていたのはオランダの中でも都市部ではなく、南部の農村地帯ですが、農村地帯の出身だったことは彼の個人的な環境が持っている特殊性であるわけです。

いま左側には、ゴッホがオランダ時代に描いた農家の様子とか、農夫の頭部とかが映っていますが、ゴッホにとってこれはとてもなじみの深いものでした。たとえば、農村出身ではない印象派のモネもルノワールも農村地帯を描いています。ピサロも描いていますけれども、彼らは都会で育った後、自分たちとは違うものとして農村に接したわけです。ゴッホは、農民の子どもではなかったわけですが、生まれたときから農村地帯に暮らしていました。そういう意味では、ゴッホが描く農村とか農民の姿は、大人になってから自分と違う世界として初めて知ったものではなくて、子どもの頃からその中で知っていたわけですから、ずいぶん大きな違いがあるわけです。

 ゴッホはオランダ時代にも、アルルへ行っても、こういう農民の姿を描いています。アルルへ行って初めて知ったわけではないのです。ゴッホの生涯にわたって、こういう農民に対するまなざしはあったわけですし、ゴッホは自らの姿を都会に暮らす都会人というよりも、農民と同じような粗末な麦わら帽をかぶって自分の足で道をテクテク歩いて行くといった姿でも描いています。

たとえば、左側はパリ時代に描かれた自画像ですけれども、都会の住民とは思えない田舎っぽい服装をして、服は青い上っ張りのようなものを着ています。当時の証言がありますが、これは農民の服装ではないんですね。工事人夫などが着ていた青い上っ張り、つまり労働着を着て絵を描いていたという証言があります。

右側もそのような服を着ている。これはアルルで描いています。写生のスケッチに行くために麦わら帽をかぶって、労働着を着て、道を歩いているといった農民、あるいは労働者として自分の姿を描くところにも、都会の知的な環境の中で育ったわけではない、むしろ自分の手で働く農民たちの中で育ったゴッホの個人的な環境が大きく働いているように思われるわけです。

 初期のオランダ時代から、アルル時代、サン=レミ時代に至るまで、ゴッホは繰り返し繰り返し「大地の上で働く農民の姿」を描いています。そういう点で言えば、農民画家と言われているミレーも農村地帯で育ったということで、フランスの19世紀後半の絵画を担ってきた画家たちの流れでみると、ゴッホは生い立ちの点でもミレーに共感する部分があったと思われます。

 ゴッホが生まれたのは南オランダのフロート・ズンデルトというところなんですが、このあたりで一番近い町はブレダという町です。ブレダの町から、ずっとこういう農村地帯、畑が続いています。そういう環境の中で育っているわけです。 オランダの平坦な地面がどこまでも続いていく大地の上で育ったということは、たとえばパリという都会で育ったのとはずいぶん違うものをゴッホの絵画に及ぼしていると思われます。

 ゴッホは、アルルでも、わりと何ということのない、取り立ててどうということのない、ただ耕した、堀り返された畑といったようなものを描いています。印象派の画家たち、モネなんかでも、こういうものは題材にしないですね。つまり、色彩的にもそう面白いわけでもない。そういう何の変哲もない、ただの土塊だけの大地を描いているところには、ゴッホの個人的な生活環境、成長してきた環境が影響しているように思われます。これはサン=レミ時代の麦畑です。 ゴッホの場合は、とりわけ生涯にわたって農地、畑、麦畑を描き続けたことには、そういう個人的な要素が大きく関わっていたと思われます。これも何の変哲もない、一面に広がる麦畑。これは晩年のオーヴェール時代の作品です。


宗教の影響


ゴッホのお父さんはプロテスタントの牧師であり、主に南オランダの各地、フロート・ズンデルトとか、エッテンとかヌエネンとかというところの小さな町、村の牧師をやっていた人です。お父さんが牧師だった。農村地帯に暮らし、農民の労働、土というものを知っていると同時に、牧師と言えば知的階級ですから、知的な教育も受けた。これがある意味ではゴッホの持っている2つのルーツであるわけで、ゴッホにとって宗教は生涯にわたってとても重要な役割を果たしています。
 たとえば、右側の(機を織る男)でも、男は家の中で機を織っている。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weber_vor_offenem_Fenster_mit_Blick_auf_den_Turm_von_Nuenen.jpeg

女の人は外で仕事をしている。その向こうに教会の墓地にあった塔が描かれています。ゴッホは単独でもこの塔をしばしば描いていますけれども、こういうように労働と宗教が結び付いている。その点でもミレーとも共通するところがあるわけで、大地で手に汗して働くということと、それが人間としての務めであるといったことが宗教的に解釈されている。それが南オランダに育って、しかも牧師の息子として生まれたゴッホの2つのルーツが融合したところであるわけです。

 ゴッホの宗教観が非常にハッキリしているのは左側の作品で、ここに描かれているのはゴッホのお父さんが使っていた聖書です。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Stillleben_mit_Bibel.jpeg

お父さんが亡くなった後、ある意味では記念のようなものとして描いているわけです。ゴッホは子どもの頃からよく聖書に親しんでおり、ゴッホの手紙等には非常にたくさん宗教的な発言があり、聖書からの引用もあります。こういうようにお父さんの思い出として聖書を描いているわけで、牧師であったお父さんからとても大きな影響を受けつつ、同時にお父さんに対する反発のようなものもあって、ゴッホにとっては宗教は、単にとても大事なものであるだけでなく、とても複雑な要素を持っているわけです。

 教会の姿ということで言えば、これは一番有名な晩年のオーヴェール時代に描いている、オーヴェール時代の締めくくりのような作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise


そこにも教会の姿が出てきています。こんな具合に、彼はオランダ時代に宗教的なものを身に付けたわけですけれども、それは生涯ずうっと流れています。たとえばゴッホがしばしば描いた農民の姿に、(種まく人)とか(刈り取る人)がありますけれども、彼が手紙の中で書いていることを見ると、ゴッホは「種まく人」とか「刈り取る人」に宗教的なイメージを重ねています。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


たとえば「種まく人」は「神の言葉をまく人」といったような意味でしばしば出てきます。
 
 ミレーの(種まく人)についても、しばしば宗教的な意味合いが考えられていますけれども、ゴッホの場合はもっとハッキリと、

「種まく人は神の言葉をまく人なんだ」

という意味が重ねられています。特にこの作品の場合は、種まく人の後ろに沈み行く太陽を描いていますが、ちょうどキリスト教の聖者の頭の後ろに付いている「ニンブス」、「円光」、「光輪」のようなものが付いていて、ここではハッキリと種まく人に「聖なる意味」をかぶせているわけです。こんなふうに、実は宗教画でないものにしても、ゴッホの作品は、見ていくとずいぶん宗教的な意味合いがたくさん重ねられていることが分かるわけです。

 たとえば(ルーラン夫人)は身近にいる人、近くにいる人の肖像画ですが、ひまわりを両方にはさんで、宗教的な三幅対、祭壇画のように仕立てているわけです。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm

風景画であるけれども、宗教的な意味合いがあるし、肖像画であるけれども、宗教的な意味合いがあるわけです。


宗教画は不得手


 第1回目でお話しましたが、ゴッホはどうも人物画より風景画のほうが得意である。とりわけアルル時代以降、人物画から風景画に重点を移していくと申し上げましたが、宗教的な主題に関しても基本的にはそうで、ハッキリと聖書の中に出てくる物語を描いたゴッホの作品は基本的にはゼロです。聖書の中の物語を描いたものが何点かありますけれども、それはいずれもゴッホが自分で独創して描いたものではなくて、先人のものをコピーしたものです。左側はドラクロワが描いた(良きサマリア人)という作品をもとにしたもの。右側は、レンブラントの(ラザロの復活)がもとになっています。実はゴッホがお手本にしたレンブラントの作品は版画ですし、左側のドラクロワのものも、直接お手本にしたのはドラクロワの油絵を版画にしたものです。したがって、ゴッホは白黒である作品の構図を借りながら色を付けているという点ではかなり創作の部分もあるんですけれども、しかし、人物の組み合わせとか物語の情景のとらえ方を自分でつくり出すのではなくて、模写という形でこういう宗教画を描いているわけです。

 ゴーギャンは「頭で描け」と言った。たとえば宗教的な物語にしても、実際に見たことがないから描けないゴッホに対して、ゴーギャンは「頭で想像して描け」というわけです。ゴッホは何かお手本があって描くことはできるけれども、自分で宗教的な場面を想像して描くことは得意ではなかったし、実際に目にすることができないものを描くことに関してはかなり抵抗があったようです。それに対して、実際に目の前にあるものよりも、むしろ目の前にあるものをもとにしながら想像力でいろんな概念を込めた絵を描くというのがゴーギャンの主張で、たとえば左側の(黄色いキリスト)であるとか、右側の(オリーブ園のキリスト)あるいは(ゲッセマネの園のキリスト)などでは、宗教的な場面を自分の頭の中でこしらえています。ゴーギャンは人物画がメインですし、宗教的な意味合いを込めた作品もたくさん描いています。たとえば右側の作品では、ゲッセマネの園で一人苦悩し、思いをこらすキリストを描くときに、ゴーギャンは自画像を使っています。つまりまったく想像で描くのではないのだけれども、自分の顔をキリストになぞらえて描くというかなり大胆なことをやっているわけです。ゴッホはそういう大胆なことはできない。

 ゴーギャンが右側の絵を描いたのは、アルルでゴッホと一緒に暮らした後、つまりゴッホとゴーギャンのいさかいがあった後ですけれども、それでもゴッホとゴーギャンは文通等はしているわけで、あるとき、ゴーギャンはこういう絵を描いて「自分はこういう絵を描いた」と説明して、簡単なスケッチを添えてゴッホに知らせています。しかし、ゴッホは、こういうような、まったく空想で描くような絵はどうも受け付けなかったようです。

 それに対するゴッホのひとつの答えがこの作品です。ゴーギャンは苦悩するキリストの姿に自分の姿を重ねている。つまり「苦悩するキリスト」に「苦悩する芸術家」を重ね合わせて作品を描いているわけです。それに対して左側はオーヴェール時代にゴッホが描いた有名な(ガッシェ博士の肖像)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_gachetb00&picture=%83%7C%81%5B%83%8B%81E%83K%83V%83F%88%E3%8Et%82%CC%8F%D1%91%9C%81i%83K%83b%83V%83F%94%8E%8Em%82%CC%8F%D1%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_gachetb


ゴーギャンの(オリーブ園のキリスト)が首をうなだれて何か物思いにふけっているのに対して、この作品ではガッシェ博士にほおづえをつかせて、物思いにふけっている姿を描いていますが、ゴッホはそういう人間の苦悩とか悩みをあらわすにしても、ゴーギャンのように宗教画の形を借りるのではなく、(ガッシェ博士の肖像)という肖像画の形を借りています。

 ですから、ゴッホが持っていた宗教観は、ストレートに宗教画を描かせるようなものではなかった。彼は肖像画なり風景画なりに仮託して描くという、従来の宗教画とはかなり違う描き方をしている。ゴッホの宗教観は必ずしも彼の作品にストレートに出てくるわけではない。そこがゴッホの作品を複雑にしている要素であるわけです。

さらに、ゴッホはゴーギャンに対して、「見たこともないようなゲッセマネの園、オリーブ園を描くぐらいだったら、目の前にあるオリーブの畑を描くほうがずっとましだ」というようなことも言っています。「想像力で変な宗教画を描くよりも、目の前にある風景を描くほうがいいじゃないか」とゴッホは言っています。

そんな発言から考えると、まったく人物のいないこういうオリーブの園といった風景画でも、そこには何かしら「宗教的なこだま」のようなものも感じられるわけです。 「ゴッホは人物画よりもむしろ風景画だ」と言いましたけれども、その風景画は、これまでこの講座で見てきた、たとえばモネの風景画とはちょっと性格が違う。同じ風景画であっても、そこにかなり人間の世界、あるいは宗教的な意味合いとか象徴的な意味合いとかいうものも重ねられていると思われるわけです。

 これはサン=レミ時代の(星月夜)ですけれども、夜空の月とか星が渦巻くようになっている。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night


この夜空を見ていると、「これはただの風景画ではなくて、もっと意味が込められているのではないか」という気がしてくるわけです。実際、この作品の場合は、ここに地上のサン=レミの村、そこにハッキリと天に突きささるような教会の塔も見えていますし、これは単なる星月夜、目の前に見える綺麗な星月夜を描いただけのものではなさそうです。

ということで、これまでいろんな研究家がこれを宗教的に解釈しようとして、新約聖書の最後のところ、世の終わりを記述している「黙示録を背景にしているのではないか」とか、いろんなことを言っている人がいます。ゴッホの作品の場合、何か1つの解釈にうまく収まるかどうかは分かりません。いろんな見方ができると思いますけれども、確かに何か天と地の間で大きなコスミックなドラマが展開されているような気のする風景画であるわけです。

 ゴッホにとっての宗教はとても複雑なものであろうということは、いろいろあって、先程言ったように、お父さんは牧師であったけれども、お父さんとゴッホは常にいさかいをしているわけですね。いさかいをして家を飛び出るんだけれども、結局なかなかうまくいかなくて、また家に戻って来るようなことを繰り返す。そのこともあって、おそらくゴッホにとって、お父さんは、ゴッホからみるとプロテスタントの牧師なんですけれども、伝統的な宗教観にとらわれていて、ある意味では現代の人間の生き方に対してうまく対応していないとゴッホは反発するわけですから、ゴッホにとっての宗教は非常に複雑なものがあったという気がします。


ゴッホの個人的な背景 家族との関わり

 
お父さんはちょうどこの絵が描かれた頃、ヌエネンの教会で牧師をしていました。お父さんとの関係はそれほど簡単なものではなかったわけで、お父さんが亡くなるときに、ちょうどゴッホもヌエネンにいましたが、うまくいかなかった。しょっちゅう喧嘩を繰り返している。その中でお父さんが死んでしまうということがあった。お父さんが死んで、一方では精神的に楽になったという部分と、ずっと反発してきて、とうとううまく和解しないままお父さんが死んでしまったという後悔のようなものと、ゴッホにはとても複雑な感情が残ったと思われます。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_bible00&picture=%90%B9%8F%91%82%CC%82%A0%82%E9%90%C3%95%A8&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh

この作品は、ある意味ではお父さんとの関係を象徴しているわけで、この作品に描かれているバイブルと火の消えた蝋燭、これはお父さんか死んだことのひとつの象徴ですね。

 それともうひとつ重要なのは、ここに黄色い表紙の本が置かれていることです。これはゴッホが愛読していたフランスのゾラの現代小説です。 ゾラの小説は当時非常に流行っていた。絵画で言えば、印象派ではなくて、もっと社会の底辺に暮らす人々を描く写実主義から自然主義の絵画があるということをお話しましたが、印象派ではなくて写実主義とか自然主義というところに関わっているのがゾラですね。ゾラは当時次から次へと大都会の底辺でいろいろ苦しむ人々の姿を描きだしていたわけです。誰が見ても明らかに分かるこの黄色い表紙の小説本、ここには題名までちゃんと書いてあります。

 これはどういうことかというと、いろんな解釈があります。しかし、間違いなく、こちらはお父さんの世界ですね。2000年近く続いてきている伝統的な世界です。それに対して、こちらは自分の世界ですね。つまり現代の、しかもオランダではなくて、近代文明の先を行っている新しいフランスの最先端の文化であるわけです。しかも、色も白から灰色と黄色で対比になっていますし、何よりも印象的なのは、過去はとても巨大であって、それに対して近代の文明はまだとても小さい。たとえばお父さんとゴッホとの関係を重ねてみれば、お父さんはある意味では大きな存在で、自分は小さい。新旧の世代とか親子の関係とか、オランダとフランスとか、いろんな関係がここに重ねられているわけで、そういう意味では、ゴッホはいろんな思いを込めてこの作品を描いたのでしょう。

 家族関係のことで言うならば、まさに偉大な父親、常に正しいと思われることを人々に対して説いているお父さんと、この作品を描いた時点で言えば、いろんな職業を転々として、どれもうまくいかないで、しかも親のところに居候していて、この先もどうなるか分からない画家といった仕事に手を染めている、お父さんからはどうしようもない出来損ないだと思われている自分。そういう立派なお父さんと、そうではない自分という対比が込められているわけで、まさにこの作品は、家族の中でゴッホがどのような立場にあったか、自分をどのようなものとしてとらえていたかを大変分かりやすく示している作品です。

 宗教的なものも、個人的な家族関係といったものも、この作品からは読み取ることができると思われます。ゴッホは生涯にたくさん肖像画を描いています。これはゴッホの肖像画のひとつの特徴なんですけれども、ほんとうに親しい、描きたいと思う人を描いたものは少ない。つまり、家族の肖像画は基本的にはない。あれほど親しかった弟のテオに関しても、パリ時代、テオを描いたらしいと言われている素描が1点残っているだけです。お父さんの肖像画はありません。お母さんに関しては1点ありますが、実際お母さんを目の前にして描いたのではなくて、写真を送ってもらってそれを元にしたものです。当時ですからモノクロの写真です。これもある意味では直接描いたのではなくて、模写のようなものです。
それから左側はゴーギャンに影響を受けて、ゴーギャンからすすめられて想像で描いた(エッテンの庭)です。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

自分の子どもの頃のエッテンの庭の思い出ですが、しかし子供の頃ではなくて、お母さんと妹ですから、現在なんですね。そういうとても不思議な作品であって、これはやはり想像で描いたものです。そういう意味では、家族を実際に目の前にして描いた肖像画というのは、まったくないわけです。これもまた家族とゴッホとの関係、あるいは家族に限らず、身近な者との関係を示しているもので、こういう肖像画のあり方を見ても、ゴッホと家族との関係はなかなか難しいものだったんだろうと考えられるわけです。

 弟のテオとの関係はどういうものだったかというと、とても親しかった。テオは、兄フィンセントが画家になることを志して以来、経済的援助を一手に引き受けていたわけで、経済的な面からいえば一方的に「借り」なんですけれども、ゴッホは負い目を感じながらも、いろんなことにおいて常に「自分はお兄さんだ」ということで、テオには常にお兄さん顔をして助言を与えたりしていくわけで、精神的にはテオのほうでもお兄さんを尊敬している。けれども、現実の生活の上では、テオはちゃんと仕事を持って、お金を稼いで、しかもそれを一文も稼いでいないお兄さんに仕送りしている。その兄弟の関係、これも「ねじれ」ですね。つまり、年長と年下、精神的な指導者とそれに従う者の強弱の関係が現実生活では逆転しているという、とても複雑なものがあると思われるわけです。先程、宗教関係の「ねじれ」を説明しましたが、そういう意味では、ゴッホは、家族関係の中でも、かなり「ねじれた環境」を持っていたと考えられるわけです。

 ゴッホの身近にいた人といえば、ある時期、オランダのハーグでゴッホと生活をともにしていたシーンという女性がいました。何人かの子持ちで、ときには他に生活の方法がなくて、身を売るようなことをしていた女性ですけれども、その女性とかなり長いこと一緒に暮らしています。ハーグ時代には、既に油絵を描き始めており、シーンに関しても素描はたくさんありますけれども、油彩での肖像は描いていません。


http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


 アルル時代には、アルルで一番親しくしていた郵便配達夫ルーラン一家の一連の肖像を描いたことについてもお話しました。ゴッホが描いた肖像画の中で、一番親親しかった人といえば、せいぜいこのルーラン一家ぐらいかと思います。ルーラン一家に関しては、お父さん、お母さんの他に、2人の息子、長男、次男がいる。それからゴッホが滞在しているときに、もう一人赤ん坊が産まれるわけですけれども、その赤ん坊まで含めて描いています。ルーラン一家のこれだけたくさんの人物をそれぞれ赤ん坊までも取り上げて1点の肖像画として描いています。ルーランの肖像画を描いたとき、ゴッホは手紙の中で「家族の肖像を描きたいんだ」と言っています。ゴッホは自分の家族とは必ずしもうまくいっていなかったのですが、ある意味では理想的な家族に対する憧れは常にあったわけです。

 ハーグでは子どもを抱えたシーンと同棲生活をしています。ほんとうは結婚するつもりだったんですが、周りからいろいろ反対があって、どうもうまくいかなくて、最終的には自分から手を引くことになります。家族を持ちたいと思ったけれども、うまくいかなかった。そういう意味では、自分が持てなかった家族の姿をアルルでルーラン一家に見ていたのではないかと思われます。

 シーンを描いた絵の中にも子どもを抱いたものがありますが、ゴッホは肖像画とか人物画の中でも「母と子」をオランダ時代から繰り返し描いています。ここでもルーラン夫人が赤ん坊を抱いている姿を描いています。これはサン=レミ時代です。両方とも模写です。右側はミレーが描いた版画をもとにしているもので、農家にお父さんとお母さんがいて、赤ん坊がいる。英語で言うと(ファースト・ステップ)という題名になっていますけれども、赤ん坊がヨチヨチ歩きを始めたという微笑ましい家族の姿を示しています。左側は、デュモン=ブルトンという女性の画家が描いた母子像の版画をもとにして描いたものです。ゴッホの作品の中には、生涯、「母親」、「子ども」、「家庭」といったイメージが、常に自分が得たかったものとしてあったと思われます。けれども、自分は最後まで家庭、子どもを持つことはできなかった。


対人関係が苦手


 家族にかかわらず、ゴッホは対人関係をつくるのがうまくなかったようです。たとえばこのパリで描いた(タンギーおやじ)とか、右側のアルルで描いた(ウジェーヌ・ボック)というような、それほど重要でない、毎日顔を突き合わせるような関係ではない人の場合には、わりと気軽に肖像画が描けたわけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh20.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html

両方とも、パリ時代の肖像画として、あるいはアルル時代の肖像画として代表的な、とてもよくできた肖像画です。

先程、ゴッホは家族の肖像画を描いたことがないと言いましたけれども、大事な人を描きたいと思うと、なかなかうまくいかないということがあります。その典型的な例が、まさにゴッホが対人関係の中で最も苦労したゴーギャンですね。ゴッホにとってゴーギャンはとても大事な人でしたし、シーンとか家族を除いては、数カ月でしたけれども、同じ部屋で生活をした、とても重要な画家だったわけです。ゴーギャンがアルルにやって来たときに、お互いに肖像画を描き合うことにしたようです。画家仲間で、肖像画、自画像、あるいは相手を描いたものを交換するのは、19世紀のヨーロッパでは、たとえばドイツ・ロマン派あたりからずっとありました。ゴーギャンとかゴッホの仲間うちでも肖像画を交換し合うことがありました。


 ゴッホの自画像の中にも、仲間の画家に贈るために描いたものが何点かあります。ゴッホとゴーギャンは、アルルでお互いの姿を描き合うということをやりました。ゴーギャンがゴッホを描いたのは、先々週お見せした有名な(ひまわりを描くゴッホ)という作品です。それに対してゴッホが描いたゴーギャンはどうだったかというと、この左のものです。

これはどう考えても失敗ですね。ともかく正面からうまく見ることができなくて、斜め後ろから見ている。実際のゴーギャンが目の前にいるんだけれども、どう描いたらいいか、ゴッホは戸惑ってしまうわけです。 左の絵は、顔だちからしてゴーギャンだろうということは昔から言われていて、しかも現在アムステルダムのゴッホ美術館にあります。つまりゴッホが残した作品の中に含まれていたわけで、ゴーギャンを描いたことは明らかだ。けれども長いこと、「いくら何でもこんなに下手なものはゴッホの作品ではないだろう」と言われていたものです。

 長いことゴッホの作品カタログの中から省かれていたのですけれども、近年になって、絵が描かれているキャンバスとか絵具を科学的に調べた結果、この絵が描かれているキャンバスは、間違いなくアルルにおいてゴッホとゴーギャンがこの時期に使っていたキャンバスと同じものであって、その巻のどこからとったかや絵の具までほぼ分かっています。そのことから、これを描いたのは「ゴッホかゴーギャンに違いない」ということで、ゴーギャンでないとすると、ゴッホしかない。ということで、何年か前から、これはゴッホが描いたゴーギャンの姿であると認められているわけです。一時期、「いくら何でもゴッホではあるまい」と思われていたぐらい、どうもうまくいっていない。鼻なんか、どうなっちゃっているのかというようなものです。

つまりゴッホという人は、何か大事な意味を持ったものを描こうと思うと、かえってうまくいかないということがあって、これはゴッホの人間関係の特徴で、まさにゴーギャンとの共同生活がそうですけれども、「頑張ろう」「ほんとうに大事にしたい」と思うと余計悪いほうへ悪いほうへと行ってしまう傾向があるように思われます。

 したがって、ゴーギャンとゴッホという関係をあらわす場合も、人物や想像で描くより、こういうやり方のほうがうまくいったようです。これも有名なもので、(ゴーギャンの椅子)と(ゴッホの椅子)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_fauteuil00&picture=%83S%81%5B%83M%83%83%83%93%82%CC%88%D6%8Eq%81i%96%7B%82%C6%98X%90C%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_fauteuil

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_chaise00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%83S%83b%83z%82%CC%88%D6%8Eq%81i%89%A9%90F%82%A2%88%D6%8Eq%81A%83p%83C%83v%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_chaise


つまり、ゴーギャンが座る椅子と自分の座る椅子。ゴーギャンの椅子には、ゴッホが精神の糧と考えていたフランスの小説であるとか、明かりのついた蝋燭が置かれています。先程のお父さんの絵には、明かりの消えた蝋燭がありました。明かりが点いているということは、まだ生きている光という意味です。さらにそれを強調するように、光を放っているランプがあります。ゴーギャンの椅子が立派で、ひじ掛けもついているのに対して、ゴッホの椅子は粗末な藁で出来ていて、ゴッホが好んでいたパイプタバコが置いてある。これは対になる作品ですが、こんなふうに自分とゴーギャンを表す場合も、肖像画で対にするのではなくて、物であらわす。こういうやり方のほうがゴッホにとってはうまくいくようで、人間と直接対して、人間の姿として表すことは苦手だった。そう思われるわけです。


男女関係も苦手


 もう1つゴッホにとって苦手な対人関係で、作っていくのが難しかったのが男女関係です。シーンとは一生に生活しているし、その他、生涯に大きな失恋を3回か4回経験しています。そういうものとか、お母さんとの関係、妹との関係も含めて、ゴッホの女性関係はどうだったかという本が最近出たばかりです。ゴッホの女性関係も彼の個人的なキャラクターからいうと、とても重要です。

 ゴッホはパリ時代に2〜3点ヌードを描いています。けれども、ゴッホがヌードを描いたのはパリ時代の2〜3点のみです。生涯にわたって油彩画はこれだけです。パリ時代に若干、その前のアントワープ時代にはデッサンのための女性ヌードがありますが、油彩画で描いたヌードはこれだけです。


http://kaigastory.seesaa.net/article/143700634.html
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weiblicher_Akt_auf_einem_Bett.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Liggend_naakt_anagoria.JPG
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Liegender_weiblicher_Akt.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_van_Gogh_-_Liggend_naakt_1887.jpg

この女性ヌードにしても、一体女性のヌードに何を求めていたかがどうもよく分からない。伝統的な西洋絵画で女性のヌード画に求められていたものは、ここではほとんど感じられない。つまり、女性の裸の体の美しさ、あるいは曲線の美しさであるとか、肌の白さ、滑らかさなどが見られない。


(中川隆 注 : アントワープ時代は毎日朝から晩まで日本の春画ばかり見ていていて、娼館にも入り浸って梅毒に罹ったから、戒めに女性を態と醜く描いただけでしょうね)


 今日の我々の見方からすると、19世紀の画家たち、ルネッサンス以降の西洋の画家たちが女性の裸の姿を美しいものとして、とりわけ男性が鑑賞するものとして絵画の中で描き続けてきたことに関してはフェミニズムの問題とか、ジェンダーの問題があります。つまり、男性が社会を支配している中で、女性は単に見られるものとして描かれてきたという女性ヌードについての問題が、美術を見るときの重要な問題として最近浮かび上がっています。しかし、ゴッホが描いた女性のヌードは、ルネッサンス以来伝統的な、男性が目で見て楽しむようなヌードにはなっていないわけです。ゴッホがこういうヌード画をどういう視点をもって描いていたのかは、伝統的な女性美を描くといった、西洋の伝統的な絵画の描き方の中では必ずしもうまく説明できない部分があります。

 人物のプロポーションといった点でも、これがもし当時の美術学校で学生が習作に出したら、「こんなプロポーションはないだろう」と先生からすぐに突っ返されるような大変おかしなプロポーションになっています。左のものは美術学校にしばらく通っていた頃のモデルを描いたものですけれども、これなんかも、伝統的な女性のデッサンに見られる女性らしい体つきとか、理想的なプロポーションとはずいぶん大きくかけ離れています。右側は油彩画に描かれたもので、ここにある女性のヌードは、見てもお分かりのように石膏のモデルです。


http://blogs.yahoo.co.jp/pagannudes/17171225.html

けれども、ここでも女性の体が持っている、たとえば胸とか肩の線とか、お尻の線というものがあまりうまく表現されていないように思われます。

 この右側の作品における女性の体、ヌードは、作品を構成している意味からしても、けっこう重要なものなのです。と言いますのは、やはりここにもゴッホが愛読していた精神の糧としてのフランスの小説本があるのです。それからその外に、誰が見ても疑いない愛の象徴としてのバラがあるわけです。精神の糧としての現代小説、愛の象徴としてのバラがあるわけですから、当然そこにあるのは「たまたま自分の近くに画家が訓練するための石膏像があった」というだけではなくて、女性のヌードであることが深く関係しているに違いない。「愛」「精神の愛」あるいは「美」、そういったものが関係しているに違いないのですけれども、しかし、それを表すにしては、ヌードの石膏像は、必ずしも我々が一般に考えるような女性美をあらわすものにはなっていない。ゴッホが愛とか女性とか女性との関係といったものをどのように捉えていたかは、そう単純には読み解けないという要素がこの作品の場合にも示されているわけです。

 ゴッホが女性美をどう考えていたかに関しては、いくつか考える手だてがあります。たとえば、こういうものも、ゴッホが考える女性美が我々が一般に考えるものとは違うと思わせる例です。

ゴッホは独学で勉強した人ですから、美術学校へ行ったわけではない。独学で素描の勉強から始めるわけですけれど、そのときに、当時フランスで出ていた素描のお手本集という画集があった。それを全部うまく模写する。しっかり模写すると、だんだん素描の腕が付いてくる。基本的には素人画家のためのお手本集なんですが、そういうものがあって、それをゴッホは模写しています。生涯に3度ほどやっていますけれども、これは最も最初のものです。

左側はオリジナルです。もともとはルネッサンス期のスイスの画家であるホルバイン、肖像画で有名だったホルバインの素描です。そのお手本集にこれが複製で載っているわけです。右側は、ゴッホが一生懸命それに似せて描いたものですが、左のホルバインが描いた若い女性の美しさが、右側ではほとんど飛んでしまっている。顔だけ見ると、武田鉄矢じゃないかと思えるような顔になっているわけで(笑)、女性美に対する感覚は、ちょっと特異なものだったのではないかなと思われます。


ゴッホの特異な女性像


 そういうふうに見てくると、ゴッホが生涯で描いた女性の姿には、あまり美しいものがないですね。右側は先週「失敗作だろう」と言ったもので、左側は晩年のオーヴェールで描いたものです。


http://ameblo.jp/hansehi/entry-10215346033.html

下宿をしていた宿屋の若い娘さんの姿です。写真が今日残っていますが、とても可愛らしい、美人の部類に属する人です。しかし、目と眉のところをしかめたような顔をしていて、顔の色もちょっと青ざめたような色になっています。

 これは、やはり晩年、オーヴェールで描いたガッシェ博士の娘さんです。 晩年のゴッホが肖像画を描いているわけですから、何らかの形で親近感を感じていた、身近にいた数少ない若い女性だったと思われますが、両方とも、若い女性の持っている魅力が引き出されているかというと、必ずしもそうではないように思われます。ゴッホが生涯、実生活において女性とうまくいかなかったことが、ゴッホの描いた女性像にも反映されているように思われます。

 そういう意味で、ゴッホは、これまで見てきた印象派の画家たち、あるいは19世紀後半の画家たちの中でもちょっと変わったところがあるという気がするわけです。と言いますのは、これまでシリーズの中で見てきた画家たちの中でも、たとえばマネの場合は、大変なスキャンダルになった最初の作品からして、そもそも女性の裸婦がメインになっていたわけですし、ルノワールも風景画というより若い女性ですね。印象派の画家の中でもルノワールは、19世紀末から20世紀にかけて、ピアノを弾いていたり、水浴をしていたりといった美しい健康的な女性美を描くことを中心にしていたわけです。後期印象派の中でもスーラには(ポーズする女たち)という大作があるし、80年代にモネと一緒に風景画をメインとしていたセザンヌにしても、生涯最も大きな大作は、こういう(大水浴図)と言われているようなヌード像であるわけです。それから、言うまでもなく、ゴーギャンがこの後タヒチで描くのは基本的に裸婦の世界ですし、ゴーギャンの仲間であり、ゴッホと親しかったベルナールにしても、やはりこういう人物像を描いています。さらにもう1つ、次の世代のマティスにしても、ピカソにしても、初期を飾る最も重要な大作と言われるものは、たとえばマティスの(豪奢)と言われている作品とか、ピカソの(アヴィニョンの女たち)のようにヌードを主題にしています。マネ、印象派、後期印象派からフォーヴィスム、キュービズムに至るまで、画家たちがここ一番という大作を制作するときにに出てくる主題は「ヌード」なのです。

 そういうことからすると、生涯にわたってヌードをほとんど描かなかったゴッホは、この時代においてもかなり例外的な存在だったわけです。生涯にわたってほとんどヌードを描かなかったもう一人の例外はモネです。ゴッホが例外になった理由の1つには、ゴッホの女性関係という個人的な条件もある程度関わっていたと思われます。

 もちろん、それだけではないわけで、一方ではモネがなぜヌードを描かなかったのかといった問題とも関連します。先程申し上げたように、ルネッサンス以来、脈々と続いている女性ヌードという流れ、美術史の流れ、社会史の流れの中にジェンダーの問題があります。社会史の流れ、近代社会の中で、男性と女性の役割がどうなっていたかという観点も考えなければならないわけですが、そのようなものも含めて、ゴッホの女性像の特異さは一つの重要な要素としてあると思います。


________________________________________


画家としてのゴッホの特殊な環境

 
ゴッホは基本的には画家としてきちっとした教育を受けていない。つまり素人画家から始まったということがあります。そういう意味では、ゴーギャンと似ているところがあります。ゴーギャンも最初から画家になろうと思ったわけではなく、株式仲買人として金融業に勤めるところから始まったわけで、ある程度の年齢に達してから画家を始めたということで、ゴッホはゴーギャンに親近感を持っていたのだと思われます。しかし、大きく違うのは、ゴッホは自分が正規の教育を受けていないことをかなり気にしている。と同時に、正規の教育を受けていないことがある意味ではゴッホの強みになった部分もあります。

 ゴッホが油絵を描きだしたのは1880年というずいぶん遅い時期であるわけです。画家になることを志してからも、ずいぶん長い間、彼は素描しかやっていなかった。つまりペンで描いたり、鉛筆で描いたり、木炭で描いたり、チョークで描いたりという作品だったわけです。

ハーグ時代から油絵を始めるわけですが、たとえばヌエネンで描いた左側の油彩画と右側の素描を比べてみると、左側の油彩画はそれほど出来のいいものではない。まぁ平凡な出来です。たとえば木の葉の部分など、全体としてとても平坦だし、これは柳の一種ですけれども、太い幹から枝がシュッシュッと出ている様子は、右側の素描のほうがとても力強く、木の生命力を感じさせます。油彩画の柳はヒョロッと立っていて、しかも素っ気なく葉が出ている。あるいは枝が出ていて途中で消え入りそうなところなどを見ると、この時代のゴッホは筆の使い方、油絵の具の使い方に慣れていないようです。

 自分でやってみると分かりますが、絵具をどれくらい固くするか、柔らかくするか、油で溶くか、どれくらいの太さ、どのくらいの固さの筆を使うかの選択は難しい。毛の種類によって筆の反発力が違うし、それを使いこなしていくのは結構大変なことです。ゴッホはオランダ時代には、まだ筆と絵の具の使い方に慣れていなくて、それよりも右側の作品のように、自分が慣れ親しんでいるペンの素描のほうがずっとうまくいっています。このオランダ時代のものには、主に固いペンを使って、縦方向と横方向の細かい線を重ね合わせていくハッチングというテクニックによって、奥行きや濃淡、ボリュームなどを大変見事に描き出しています。19世紀の素描作品として見ても、これは第一級の作品と言っていいと思います。


素描の腕前は一流


 それに対して、左側のオランダ時代の油彩は、もしゴッホが描いたものでなければ、今日とうてい美術館に入るような代物ではありません。彼は長い間、素描を描いていたわけですが、素人であって、油絵に慣れていないから描いていたという域を超えて、初期から素描に関しては大変な腕前を示していたと言えます。素描に親しんでいただけではなくて、素描がうまかったと言っていいと思います。

 これは、同じヌエネン時代の同じような並木道を描いた油彩画と素描です。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm


道がずうっと奥まで続いていく遠近法を使った様子も、右のほうがずっとうまく、明暗の感じ、光がどういうふうに射しているかという感じも素描のほうがうまく出来ていると思います。オランダ時代には、若干水彩を加えた作品も残していますけれども、これなんか、とても見事な水彩ですね。鉛筆の下書きの上にペンと水彩を非常に巧みに使っています。空間の描き方、対象の描き方、ボリューム、雨が降った後でぬかるんでいて、そこに吊り橋の影が映っている様子、空気とか天候とか、そういうところまで大変見事に描き出している。専門的な訓練を受けた当時の画家の作品と比べてもまったく遜色のない、あるいはそれ以上のたいへん見事な作品です。

 当時の画家は、素描の訓練をある程度受けて、すぐ油絵に移っていきます。当時の絵画の概念から言えば、素描や水彩より油絵のほうが本格的な絵ですから、ある程度の技量がつけば、すぐに油絵の訓練を受けるのが普通のやり方で、美術学校へ行けばそうなるわけです。しかし、ゴッホの場合はそういう教育を受けなかったために、非常に長いこと素描だけに専念できた。ある意味では、そのことで、伝統的な美術教育の中では発揮されなかったゴッホの素描の展開がもたらされたのではないかと思われます。

 これも初期の素描の一部ですが、細かい鉛筆、太いチョーク、白いハイライト、いろんな素描の材料を使用し、描く対象にふさわしいいろんなタッチを使って描いています。そういう意味では、ゴッホの素描は細部まで見ても見応えがあるもので、とりわけオランダ時代には、素描のほうが油彩画より実際見ていて面白い、見応えのあるものがたくさんあります。


アルル時代に素描と油彩画が対応


 先程は「主に直線」と言いましたが、直線だけではなくて、木の幹のこういう膨らみは回るようなタッチで描いている。また、縦の草の部分なども、まったく一様ではなくて、アクセントをつけながら、重なり具合によって濃いところ薄いところと、たいへん見事に線を使い分けて画面を構成しているわけです。左側のオランダ時代の柳を描いた作品における素描の線の扱い方は、ゴッホがアルルで獲得した油彩画における自由な筆のタッチとある意味では対応していると思われます。まったく同じような主題を描いているわけですが、ヌエネン時代、オランダ時代には、まだこれに対応するような、油絵の具でのうまい筆の使い方ができなかったわけです。

 アルルまでくると、素描でやっていたようなシュッシュッと長いタッチとか、放射状に広がるようなタッチとか、細かい部分の短いタッチとか、油絵の具にしても、いろんなタッチを使い分けて対象を描けるようになっている気がします。そういう意味では、ゴッホは、オランダ時代に素描でずいぶん長い時間を費やしたわけですが、それは決して遠回り、あるいは時間の無駄ではなかった。オランダ時代に素描という分野でいろんなやり方、いろんなタッチの使い方、いろんな線の引き方を訓練しました。パリでは新しい絵具のタッチの使い方、点描とか、平面的な塗り方を学びました。それがオランダ時代に獲得した素描の技法と合わさって、アルルでは、油彩画においても自由なタッチを獲得できたのではないかと思います。

 このように、ゴッホが最初からきちっとした画家の勉強を受けたのではなく、ずいぶん長いこと素描に取り組んだことは、ゴッホの油彩画の展開にとっても、きっと重要なものだったのでしょう。

 正直言って、パリ時代でも、まだ素描、水彩のほうがうまいですね。パリ郊外の工業地帯を描いた左側の作品は、構図からいっても、空間の奥行きからいっても、あまり出来のいい作品とは思えません。右側の素描の上に水彩を乗せたもののほうが、ずっと自由に画面構成も出来ていると思われます。ですから、パリ時代までは、ゴッホにとっては素描のほうがやり慣れた使いやすい技法だったと思います。それがアルルに行くと、素描と油彩画がほぼ対応するようになってきます。

 これは今回も来ている(種まく人)ですけれども、アルル時代あるいはアルルからサン=レミ時代に描いた重要な作品に関しては、それに対応する素描があります。その素描には2通りあって、1つは油絵を描く前の習作として描いたもの。もう1つは、油絵を描いた後、それをもとにしてパリにいる弟や画家仲間のベルナールに「こういう作品を描いたんだ。でもこの作品はアルルにあるから見せることができない。だからこういう素描を描いた」ということで、素描を描いておく。その2つがあります。

 この素描と油彩画を見比べると、性格がよく似ています。どういう性格が似ているかというと、それぞれの部分に使われているタッチの扱いがほんとうによく似ています。たとえば、地上の部分はこういうブツブツとしたタッチ、この部分は点描、麦の部分ではこういう縦長のタッチ、空の部分は放射状に少し点々が混じったようなタッチになっている。ゴッホは、基本的に、油絵と、それを基に描いた素描あるいはその基になった素描で、同じようなタッチの使い分けをしているわけです。したがって、ゴッホは、アルル時代に素描と油彩画をほぼ同一のものとして並行して描いていくことができる。自分が油彩画でやったことに関しても、色は抜けるけれども、ある程度素描で伝えられる。それを弟やら画家仲間のベルナールに伝えられるとゴッホは思っていたわけです。

 そういう意味では、ゴッホにとっては、色も重要だけれども、それ以前に何よりも重要なのはタッチである。ゴッホが油彩画のタッチを素描に移し得る、あるいは素描のタッチを油彩画に移し得るということが、こういう作例を見るとよく分かると思います。

 有名なアルルの(ラクローの野の収穫)といった作品でも実にさまざまなタッチが使われていますね。長いもの、曲線のもの、点々のもの。そのタッチが、油彩画の上でも、油絵具を使った筆のタッチとして、ほとんどパラレルに実現されています。さらに言えば、油彩画の基には水彩画があります。ゴッホというと、とかく色を使ったネットリとしたツヤのある油絵と思われていますが、実はゴッホにとっては、素描もとても重要だったわけで、ゴッホが素描でやっていることと油絵でやっていることにかなり密接な関連があるということは、たとえばこういう作品をご覧いただければお分かりかと思います。これなんかも、ほとんど色は1色で、「タッチで見せている油彩画だ」とお話したと思いますけれども、まさにエッセンスとしてのタッチは右側の素描にあります。ほとんどの重要な作品には、それと対になる素描が残っています。

 ゴッホにとって素描は、アルル時代以降、ずっと絵画の裏側にしっかりとくっついており、表裏一体を成しているものです。左側の麦の刈った束、そのタッチそのままが素描の上にあります。そういうことから考えると、ゴッホの油彩画におけるタッチは、ある意味でとても素描的です。とりわけアルル時代のゴッホはペン、葦のペンを使っています。葦の茎を切ったペンを使うと、グイグイッとした太い線が引けるのですが、ゴッホが素描において実現した線がそのまま生きている。そういうことからすると、印象派やゴーギャンと比べても、ゴッホの油彩画における絵具のタッチは素描的だ、デッサン的だと言えると思います。

 積み藁を描いたこの作品の面白いところは、実際の油彩画ではない、積み藁の渦巻くようなペンのタッチが見えていることです。この素描でも、いろんなペンのタッチの絡み合いが見どころになっています。こういうふうに見ていると、「なるほど、ここのタッチの動きは素描のこういうところに対応しているのだな」という感じがします。これは植物が絡み合うアルルの公園の様子です。この作品をお見せしたときは、「ほとんど風景画なんだけれども、抽象的なタッチの渦になっている」と申し上げましたが、それを素描にしてみると、一層抽象的な画面構成という感じが強くなっています。


水墨画に近づく素描


 これはアルルの近郊の風景で、ほぼ同じような場所を描いています。これなんかを見ると、ここでは岩や木のタッチの処理がどうもうまく出来ていない感じがするんですが、右側では、岩のゴツゴツとした感じとか、木が威勢よく葉を伸ばしている様子が非常に見事に描かれています。

 右側の素描に関しては「ペンの使い方の巧みさは西洋絵画を超えて、日本の水墨画のような感じがある」とよく言われます。場合によっては、ジャポニスムという部分もあると思います。日本の水墨画の画家たちは1本の筆を使いながら、それを様々に使い分け、濃淡を使い分けて、岩や葉っぱや流れを描き分ける。タッチの使い方、濃淡の使い方によって、1色なんだけれども、風景の全体をつくり上げるといった水墨画のやり方を感じさせるような素描の巧みさをゴッホは見せているわけです。

 アルル時代のこういう作品を見ると、ゴッホにとっては素描が油彩画を考えるうえでも重要な要素だったことが分かると思います。油彩画と素描を比べると、明らかに素描のほうが面白いというものもあります。これはゴッホがアルルから地中海にあるサントマリーというところへ出掛けたときに描いたものですが、右側を現地で描いて、アルルに帰って来てから左の油彩画を描いています。この草の生い茂る様子などは、油絵になると、タッチの変化がなく、おとなしいものになってしまったような気がします。これも現地で描いたものですが、こちらのほうがずっと力があるような感じがします。そういう意味では、アルル時代においても、画面のタッチの力という点では、素描が油彩画をある程度リードしていた面もあるかもしれません。

 これはやはりサントマリー、地中海を描いたものです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh26.html

現場で油彩画を描いて、アルルへ戻って来てから、それを基にして素描を描いています。たとえばこれなんかもハッキリしています。現地で描いた油彩画の場合は、波のような不定型で動いているものをどう扱ったらいいのかよく分からない。ところがペンで描いたもだと、実に見事に波の砕ける様子が描けている。こういうものに関しては、油絵ではどう処理していいか分からないけれども、素描ではきちっと処理できていると言えると思います。


サン=レミで完成したタッチ


 これも同じものを基にした作品で、もう1点、これは現地で描いた油彩画です。このへんがうまくいっていませんね。波がどうなっているかはっきりしません。しかし、それを素描にすると、こういうふうに出来るわけですね。波が押し寄せて砕けていく。ですから、サントマリーへ行った時点でも、まだゴッホは海のような難しい対象に関しては素描のほうがうまく扱えたようです。これもそうですね。まさに渦巻く波の様子が見事に描かれています。最初にお話したように、ゴッホはまだアルルにおいては完璧には自分のタッチを完成させていなかったわけで、それが完成されるのはサン=レミです。

 右側の素描に見えているような渦巻く様子、あるいは空の部分の雲でもそうですね。油彩画では頼りなくフワフワ浮いていますけれども、素描の場合は、渦を巻いて、しっかりとした雲という存在感を持っている。こういう存在感を持った対象を油絵で描くには、アルルはもう一歩であって、ゴッホがこういうことを達成したのはサン=レミだった。それをタッチのところでお話したわけですけれど、こうして素描で比べてみると、そのことが一層よく分かるかと思います。海を描くときには、アルルでもうまくいっていなかったように思われるわけです。

 これは右のものと対応している油彩画ですけれども、この油彩画の場合、波の部分は素描に見えているようにうまく処理されています。雲の部分もさっきのような頼りない様子ではなくて、しっかりと実在感を持った、まさにゴッホがサン=レミ時代に達成したようなしっかりとしたタッチをもっています。

 ただし、左側の作品はゴッホの真作ではなく、贋作です。かなり前まで真作だと思われていたのですけれども、贋作です。科学的な調査の結果、それが明らかになったのですが、これは様式的にも明らかに贋作です。どうしてかというと、先程見たように、アルル時代においては、ゴッホはまだこんなタッチは達成できていなかったわけです。素描においては既に達成できていたけれども、油彩画においてこのようなタッチが達成できるのはサン=レミへ行ってからです。ですから、アルル時代にこのテーマでこのような作品が描かれることはない。その意味でも間違いなくこれは贋作であるわけです。

 贋作者は当然サン=レミ時代のこういう作品を知っているわけですから、これとこれをうまく対応させているわけです。こういう渦巻くような空を描くんだったらこういうものを描くだろうと。贋作者が失敗したのは、アルル時代の主題なのにサン=レミ時代の様式で描いてしまったことです。

 そういうことから考えても、サン=レミに達成されたものはアルル時代にはまだ達成されていなかった。しかし、素描においては達成されていたものが、サン=レミに達成されたということが場合によっては言えるわけで、1時間目にお話した、ゴッホがいかにして自分の様式を達成したかという話の裏には、そもそもゴッホが個人的に素人画家として素描から出発したことが大変な強みとして働いていると言えるわけです。


サン=レミ時代


 サン=レミ時代になると、素描と油彩画が完全に1対1で対応するようになります。これが(星月夜)に対応する素描です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_Starry_Night_Drawing.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:VanGogh-starry_night.jpg


サン=レミの病院の庭を描いた油彩画と素描です。試しに左側の油彩をモノクロで撮って素描と並べてみると、こうなります。絵の性格としてはほとんど同じであることが分かるとかと思います。タッチの部分、空の部分なんかも、よくよく注意しないと、どっちが素描でどっちが油彩画だか分からなくなってしまう感じさえあるわけです。

 これも病院の窓から見た麦畑の油彩画と素描です。これも油彩画のほうをモノクロにしてみると、こんな具合です。つまりゴッホの素描は、色を抜いた油彩画とほとんど変わらないような性格のものであるわけです。これはサン=レミ時代の(糸杉)。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen1.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen.jpeg


糸杉の渦巻くようなタッチ、空の渦巻くようなタッチは、素描で実現されているものと同じです。これは、大変抽象的な絵になっていると申し上げた(オリーブの果樹園)と、それに対応する素描です。素描を見てみると、油彩画に見られる「うねっている線」が、油彩画の線というより、もともと自由に動くペンで達成された「素描の線」であることが見てとれるかと思います。

 オーヴェール時代にも、その自由な線をもった素描、あるいはそれに水彩をさした作品は、こんなふうに見られます。オーヴェールの農家の藁葺き小屋を描いた作品。こういうものにしても、特に右側のようにちょっと淡い色がついているものは、素描と油彩画がほんとうに近い性格のものであることが分かると思います。そういう意味では、ゴッホの作品は、油彩画であっても、とても素描に近いものである。素描は素描であっても、ゴッホの油彩画にとても近いものである。右側は水彩画、左側は油彩画ですけれども、こういうところのタッチなんかも、この油彩画から色さえ抜けば、素描じゃないかと思われるような作品になっているわけで、ゴッホの画家としての特殊性、素描家としての特殊性、素人画家という特殊性が、美術史の中でゴッホの油彩画を考えるときにも、とても重要なものであることがお分かりいただけたと思います。


静物画の意味するもの


普段はあまり重要視されないんですが、ゴッホにとってとても重要なものに静物画があります。最初の時間にご覧いただいた表の中で、パリ時代にとても静物画が多いことをお話しました。パリ時代に風景画よりも人物画よりも多いのが実は静物画なのです。

 たくさんの静物を描いています。最後に「パリ時代の静物画にはどういう意味があったか」に触れておきたいと思います。パリという大都会にあって、ずいぶん人もたくさんいて、仲間もたくさんいるにも関わらず、たとえば大都会の風景とか、周りにたくさんいる人物とかではなくて、なぜ、どんな場所でも描けるような静物画を描いたのか。静物画には場所とかまったく関係ないわけで、どこにいようと花とか果物とかさえあれば描けるわけです。どうして場所に関わりのない静物画を描いたのだろうか。これも一つの謎です。ゴッホはパリにいて、一番人々との交わりもある中で、どうして自分だけの一番小さな静物の世界に閉じこもったのか。そして、なぜそれだけ作品が多いのかは謎ですけれども、その理由は別としても、ゴッホがやったことは、とても重要です。

 これはゴッホが描いた静物画です。最初の時間にお話したように、こういう静物画において、ゴッホはタッチの盛り上げをたいへん強調して使っています。そのようなタッチに関して、ゴッホは、とても尊敬していたモンティセリという画家から、何ということのない花瓶をゴツゴツと盛り上げた絵具で粗いタッチで描いていくことを勉強したに違いないわけです。

 これはモンティセリの(花)の部分図です。間違いなくこういう作品において、ゴッホはモンティセリから大変大きな影響を受けたと思われます。これはゴッホの作品の部分図です。花びらをグイグイと盛り上げた絵具で構成していくのは、ゴッホのパリ時代の初期の静物画の特徴です。それに対して、こういうモンティセリに習ったようなゴツゴツとした、しかしタッチとしては全体としてまとまりのあるものがなくて、雑なタッチが画面全体に満ちているといったようなものに比べて、パリ時代の後半になると、ゴッホは静物画において、ある意味では違う実験を行います。


(ひまわり)の実験


 それはどういものかと言えば、アルル時代の(ひまわり)に見られるような実験を既にゴッホはやっています。アルル時代の(ひまわり)は、黄色の中に黄色を描く。どうやって背景といろんなものを区別していくかというと、たとえば背景の部分はザラザラとしたタッチで見せる。そして花弁の部分はグイグイと放射線状のタッチで見せる。それからこういう部分はまた別のタッチを使うといったような、タッチの描き分けをやる。同じ色なんだけれど、タッチの使い分けで示していくということをやっているわけです。実は静物画においてタッチを見せていくことは、アルルで初めて起こったことではなくて、パリにおいて既に行われていることでした。

 これはパリ時代の中で最も注目すべき静物画です。まさにこれはアルル時代の(ひまわり)の先駆であって、画面全体真っ黄色です。しかも、ゴッホがつけたオリジナルの額まで真っ黄色です。その真っ黄色の中に、梨とかブドウといった果物を描きながら、それをタッチの描き分けで見せています。これが部分図です。こういう長いタッチであるとか、回っていくようなタッチ、それからハイライトの部分では点々。この静物画に見られるこういうタッチの使い方は、今日お話したような、ゴッホが素描でやってきた使い方、あるいはアルルの風景画でやっていたこと、それらにある意味では対応しているわけです。それから、たとえばこういうところでは濃淡を線でつけていく。暗い部分には暗い部分で線をつけていく。こういうハッチングもそうですね。油彩画の場合、明暗をつけるときには、暗い部分から明るい部分までをなだらかに塗っていくわけですが、このように線を重ねることによって、暗い部分、明るい部分を描き分けていく。これはどちらかというと素描のやり方なんですね。

 ですから、ある意味ではこの作品も油彩画ではあるけれども、ゴッホが素描で試みていた様々なタッチで構成されている。しかもこの場合はモノクロームです。モノクロームは普通白黒ですけれども、黄色一色でもモノクロームなんで、黄色という一つの色の中で、白から一番濃い黄色にちょっと緑がかかったところまでの範囲の中で、明暗とタッチの違いで画面を構成していくといったこのやり方は、実はパリの静物画の中で一番ハッキリしてきます。そういう意味では、おそらくパリのたくさんある静物画は、ゴッホが一番慣れた、一番身近で自由に扱いやすい静物画を素材にして勉強していた証拠でしょう。静物画は自分でテーマを決められるし、どういうものをどう構成していくか、自分で組み立てることができるわけです。机の上に置けばいい。いつでも果物さえ買ってくればできるわけですから一番簡単である。

 そういう一番簡単な素材を使って、自分がそれまで勉強してきた素描の使い方、タッチを組み入れながら一つの勉強をしていく。そういう場であったように思われるわけです。これなんかでもそうですね。「梨」といった対象だけを扱いながら、そこにどういうタッチを見せていくか。これなんかも机の上に置いてあり、これにしてもこれにしても、ここに何があるかよく分からない。机の上にこんな渦巻いているわけはないんですけれども、ここで対象の周りにタッチをつくり上げている。こういう放射状のタッチは、この後、アルルでもサン=レミでも空なんかに見られますね。人物の背景とか空とかに見られます。具体的に何を描いているわけではないけれども、画面全体を統一して、画面に描いている対象に視点を集中させるといった意味で、何を描いているかということからすると、ほとんど意味のないようなものを描いていく。この素描なんか一番ハッキリしていると思います。

 パリ時代の油彩画は、こういうふうに見ていくと、ある意味では実にシュールレアリスム的ですね。空間の中に果物が自分の生命をもって浮かび上がっているようです。そのような感じを生み出しているのは「タッチ」であるわけで、ゴッホの風景画における生命の源であったタッチがパリ時代にはそれを先取りする形で静物画に生かされていると言えると思います。

 最後にパリ時代の静物画のひとつの頂点をお見せして終わりたいと思います。(ひまわり)といえば何といっても有名なのはアルル時代の(ひまわり)です。しかし、個人的には、見方によってはパリ時代の切り花を描いた(ひまわり)の方がすごいものだという気がします。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Vier_verbl%C3%BChte_Sonnenblumen.jpeg

つまり、もう「枯れてしまったひまわり」という、ただそれだけの対象を机の上に置いて、それをどう見せるかというときに、色彩としてはそれほど大きなバリエーションがあるわけではない。右側はほとんど黄色から緑まで、左側は基本的に黄色と青との2色です。色彩的にはそれほど変化がない。しかも、さほど花弁がたくさん伸びているわけではない「枯れたひまわり」という、それほどの対象ではないものを2つボンと置いて、それをどう見せるか。この作品を見せている力は、タッチ以外にはないです。それもこういうザクザクとした、絵の具でしかあらわせないタッチから、画面の上にペンで描いたかと思われるようなこういうタッチまで使っている。つまり、油彩画のタッチと、素描におけるペンのタッチの両方を知り尽くした画家が、その両方を動員して、ここに「ひまわり」を描きだしている。アルルのひまわりは生命の象徴であり、光であり、躍動であり、生命力であるわけですけれども、このひまわりの場合には、枯れてはいても、なおかつ「生命を持っているような力強さ」があるわけで、それはまさにゴッホが素人の画家として駆け出しの頃から熟達してきた素描の力のに基づいているのだと思われます。

 もう1点、これは私が個人的にゴッホの(ひまわり)の最高傑作と思っているものですけれども、背景は何だかほとんど分からないですね。

赤の点々は何だろう。この明るい部分は何だろう。縦に通っている筋は何だろう。ほとんど抽象絵画としか思えないような背景。そこに4輪のひまわり。しかも切られたひまわり。特にこのひまわりは、手前のところで切った切り口が見えていますけれども、それがグイッとわれわれのほうに突き出しているようです。ゴッホの作品の持っているゴッホらしい、ある意味では最良の部分が、既にパリ時代の「ひまわり」にあらわれていると思うわけで、そういう意味では、ゴッホの作品における静物画も、決して無視できないものだと思われるわけです。


烏のいる麦畑


 最晩年の代表作である(烏のいる麦畑)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


これはもちろんゴッホがメインにした風景画の主題で、ゴッホが好んできた麦畑の主題です。青と黄色という色彩をぶつけ合わせて、なおかつその間に地面の赤という色、草の緑といったようなアクセントを配しながら、地面の部分でも地上の部分でも様々なタッチのうねりを絡み合わせており、この前に立つと、我々はこの道をたどって奥にも行くようだし、また向こうから烏が我々のほうに向かって飛んで来るようでもある。とても単純な構成ではあるけれども、横長の画面に幅広い空間がつくられていて、その空間の前に我々が立っている。その空間の前に我々はただ止まったものとして風景を見るのではなくて、我々が歩いて行くし、またその中で雲が渦巻いているし、麦畑は風に揺れているし、烏は声を上げて向こうから飛んで来る。その空間の中で、植物も動物もあるいは天も地も動いて、その揺れ動きが1つのタッチの絡み合いの中で1つの画面を構成している。タッチ自体の性格はずいぶん違っていますけれども、基本的なことから言えば、右側のパリ時代の横長の(ひまわり)にも共通するものではないかと思われるわけです。

 そういうことから考えてみると、風景画と静物画は必ずしも切り離されるものではなくて、ゴッホの全体像を考えるときには、メインのものだけではなくて、サブのもの、他の画家ならあまりやらないもの、あるいはゴッホの特殊な状況の中から生まれてきたものにも目を注いでみると、またメインの部分に対しても、いろいろな新しい光が投げかけられるのではないかと思います。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari3/ar3.htm

オランダ時代の主題


 右側はゴッホがまだ画家になろうと決める以前、ごく初期に描いた作品です。ゴッホは画家になる前にさまざまな仕事を転々としました。一時は貧しい人びとや労働者たちに教えを伝える伝道師になろうと心掛けましたが、うまくいかなかったのです。その一環で、ベルギーのボリナージュ炭鉱地帯で教会へ行くこともできない労働者たち、鉱夫たちのあいだを巡回しながらキリスト教を説くという仕事をしています。(袋を担ぐ女たち)(1879年)は、そのときの体験を基に描いた絵ですが、炭鉱地帯で重い袋を背にかついで歩いていく女性労働者たちの姿が描かれています。
 左側はセシル・ドゥアールという、先ほど見た、くたくたになって休憩している炭鉱夫を描いている画家の絵です。やはり炭鉱地帯、しかも女性の、とても過酷な労働を描き出しています。それと同じような様相をゴッホは描いているのです。ゴッホは、ただそれを絵にしたのではなく、むしろ画家以前に、その炭鉱地帯へ入り込んで彼らと一緒に寝起きしており、まさに最下層の人びと、ほんとうに生きているだけの最低限の生活を共にしています。かつキリスト教を伝道するという活動に挑んだわけですから、当然のこと、後に画家となったゴッホのスタート地点においては、社会の明るい面ではなくて、むしろ社会を底辺で支えている人たちの姿、人物を描こうということが一つの目標であったわけです。とりわけオランダ時代のゴッホの関心は、田舎の人びとの生活という「主題」に向けられることになります。

 ハーグ時代、ゴッホは画家になることを志していましたが、とにかくたいへんな貧乏生活でした。彼が描きだすのは、彼と同じように苦しい生活をしている人たちであり、ハーグの町中の風景を描くにしても、歩いているのは裕福そうな人たちよりも、むしろ労働者ふうな人びとですね。右側は国営宝くじ売場に群がる貧しい人びとの姿を描いたもので、こういうような都会の姿をゴッホは絵にしています。

 ゴッホは、農民の姿を描いた画家としてミレーを非常に尊敬していました。有名なミレー(種播く人)を基にしたゴッホの素描があります。ゴッホは生まれがオランダ南部の農村地帯で、子供の頃から農業に大変に親しみがありました。それもあって、偉大なる先輩ミレーをお手本にしたわけですが、まさにこれはミレー(種播く人)を手本にして模写した作品ですね。が、そういう模写をするだけではなく、オランダ時代、ヌエネンに暮らしていた頃には、実際の農夫にポーズをとってもらって、やはりミレーの絵で見たポーズが手本になっているのですが、農民の労働の絵を描いています。


人物画の割合が多い


 その時期の人物画のうち、圧倒的多数は農民の姿を描いたものでした。ゴッホが、たとえば種播く人という農民たちの姿を描いたのは、アルル時代からサン=レミ時代まで続いていきます。これは先週も見たアルル時代のゴッホ(種まく人)(1888年)です。ここでのポーズはやはりミレーを借りていることが分かるかと思います。

 ミレーやクールベと同じように、ゴッホの場合も田畑で働く男や女をいろんな形で描きだしています。腰を曲げて草を刈ったり、土を掘り返している女性の姿を描いた右側の絵はヌエネンで1884年に制作したものです。

 左側の絵で描かれているのはもっと過酷な労働かもしれません。本来は馬に引かせて地面を掘り返す鉄製の「馬鍬」というものですが、馬を雇えないので、その重い道具を農夫が自分で引っ張っている姿ですね。これは手紙の中の素描ですが、オランダ時代のゴッホは、たいへん苦しいけど大地に密着した農民の仕事振り、労働の様子を繰り返し描き、制作しています。それがオランダ時代ゴッホのメインの「主題」であったと言えます。

 左側のオランダ時代の絵には農民の顔、パイプも見える。ただ働いている姿のほかにも、農民のさまざまな様相、ヌエネンに過ごしていた男や女の顔を丹念に描いています。本来、画家は農民たちの肖像画を描こうなんて考えません。普通、肖像画というのは、誰かが自分の姿を描かせたり、誰か有名人を描くということです。だから、農民から肖像画の依頼など基本的にあり得ない。農民が注文することはないし、特定の農民の顔を見たいから絵を買うという人もいません。だけど、ゴッホはヌエネンで、何人でもはっきり区別できる個性あるものとして農民の顔を何十点となく描いています。そのゴッホの農民を描く興味は、アルル時代にも続いていくわけです。

 オランダ、ヌエネン時代の農民の姿を描きたい、あるいは農民の現実生活の場を描きたいという狙いの頂点にあるのがゴッホ(馬鈴薯を食べる人々)(1885年)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


彼は、できるだけ多くの人たちに見てもらいたいと考えて、自ら版画も作っているわけです。このように見てくると、ゴッホがオランダ時代に主たる関心をもって描いた作品は、印象派時代の絵画の中で考えれば、大都会の人間が見た近代化と明るい未来へ向かって展開していく近代社会や工業化の明るい側面というよりも、むしろ近代化を大地に立って支えているという側面でした。少なくともオランダにいた時期までは、それを自身の関心の中心に置いていたと言えます。要するに、印象派の画家たちの興味よりも、むしろそれとは違う、同時代に流れていたクールベからの写実主義ないし自然派リアリズムの流れにゴッホの主題、様式があったということです。

 これはまさに農民の素朴な食事の様子です。しかし、家族というものが目的を共にして働いて、共に糧を得て、生きているという一つのあり方をゴッホは描きだしているわけです。その意味でも、オランダ時代のゴッホの社会的関心は、いわゆる印象派の画家たちとはかなり異なったものであったと言えます。

 (馬鈴薯を食べる人々)を見ると、とても苦しいのだけど、みんなで一つの働きをして、ジャガイモのような寒冷地にしか育たない、地味悪い土地でも育つような最低限の食物を得ている。とにかく家族一緒に同じ場所で生きていく。ある意味ではミレーから流れてくるような、大地にしっかり根を下ろした農業共同体社会といったものが描かれています。

 しかし、ゴッホが描いていたヌエネンという南オランダの農村地帯では、何百年も続いていた農業共同体あるいは家族の生活が実は変わりつつあったのです。それを示す機(はた)織りのテーマは、今回の展覧会にもちょっとしたコーナーがありました。左側は農村地帯の農家ですが、大きな機織機を使ってはた織りをしている人々の姿を描いています。なんとなく女性の仕事と思われますが、実はここで織機に従事しているのは男性なのです。左側はゴッホの絵で、右側は同じ時代のドイツ人、リーバーマンという画家が描いたものです。ドイツの農村地帯でも同じようなことが見られました。狭くて暗い農家の部屋の中に、入りきれないくらい大きな機織り機械が置かれて、はたを織っているのは男性です。こういうテーマがドイツでもオランダでも共通してこの時代に見られます。

 農村地帯に工業が入ってくる、いわゆる工業化展開の中では、家内制手工業はかなり古くからあったのですが、その次の段階に問屋制家内工業と言うか、大きな問屋という資本が機織り機という設備も原材料もすべて提供して、それぞれの家で加工させて、できた製品を問屋が引き取り、各戸に手間賃を払う形態があります。さらにその次の段階が工場制労働形態となりますが、これはその前段階で、農村の労働力を、まずそれぞれの家にいるままで、資本は全部問屋が出して製品をつくるという、この時代にオランダやドイツの農村地帯で共通して起こっている現象ですね。大きな織機で能率を良くする。そして、しっかり織るためには、女性ではなく、力強い男性労働力が必要である。

 女性はどうなるか。このゴッホの作品が典型的ですが、ヌエネン墓地の塔も見えますけど、外に見える畑で働いているのは女性たちです。ゴッホが描いたこういう姿が意味するのは、農村の中で男女が一緒に畑を耕すという昔ながらの情景がこの時代の工業化によって崩れつつあったということですね。

 つまり、より多く現金を稼げるものとして、男は農地へ出るよりも機を織る方が魅力になってくる。そうなると、畑の方は女性が主に耕すわけです。右側もゴッホが描いた素描ですが、男が機を織っており、その狭い部屋の中に赤ん坊もいる。男は赤ん坊の面倒を見ながら機を織る。お母さんは外で畑仕事をしている。そのように近代化が農村地帯ヘ進展していくことによって農村が解体されていく状況をゴッホは描きだしていたのです。なにげなく窓の外に見える情景ですけど、やはりこの当時、1870年代のオランダの農村地帯における近代社会化の流れ、真実を的確に映し出していますね。

 そう考えれば、ミレー(晩鐘)に表されていたような姿は1870〜80年代にかけては、ある意味で、もう過ぎ去った昔の理想のような世界になっていたと思うわけです。

 オランダ時代のゴッホは農村の実際の姿を描きだしていましたが、それに対して印象派の画家たちはどうだったでしょうか。先ほどモネやルノワールが大都会を描くときに影の部分より、もっぱら光の部分を描いたというお話をしました。農村を描くときにも、やはり、印象派の画家たちは、どちらかというと農村の明るい面を正面に押し出していますね。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm

印象派の中でのゴッホの位置


今日お配りした資料の裏側の年表をご覧いただくと分かりやすいかと思いますけれども、ここに「印象派・後期印象派の主要な画家たち」が並べてあります。

 ピサロから始まってシニャックまで、生まれが早い順に並んでいますが、「マネからゴッホまで」ということになります。そして、それらの画家が、印象派の1回目から8回目までの展覧会に参加しているか、していないかを示す○を付けてあります。ここでハッキリすることは、一番初めのマネと、最後のゴッホというのは、実は印象派の展覧会自体には出品していない画家であることです。


兄貴格のマネと弟分のゴッホ


 マネは印象派の画家たちからとても尊敬され、親しいグループの仲間であったのですが、印象派の展覧会には参加していません。言ってみれば、印象派の兄貴格といったようなところにあたります。またゴッホは、自ら画家になることを志したのが遅かったこともあり、印象派の画家たちとは直接接触はありませんでした。けれども、印象派からとても強い影響を受け、そのすぐ後に活躍した、言わば印象派の弟分と言ってもいい人です。

 年齢からいっても、ピサロという年長の印象派の画家を除いては、マネの1832年生まれからゴッホの53年生まれまでの間に大体入ってしまう。ちょうど印象派の世代の前後をマネとゴッホが囲んでいることになります。


画家としてのスタートが遅かったゴッホ


 ゴッホは印象派の展覧会にはまったく参加していません。それどころか、ゴッホがパリへ出て来たのは、まさに印象派の最後の展覧会があった1886年のことです。もちろんゴッホは画家になる前に画廊の店員としてロンドンの支店、あるいはパリ支店に勤めていたことがあるので、パリをまったく知らないわけではないのですが、彼が画家を志したのは、いろんな職業を転々とした後の1880年になってからです。そして、80年から85年まで、地元のオランダで、ほとんど独学で絵の勉強をしています。そして、アントワープを経て86年にパリに来て、そこでいろいろな印象派の作品にもある意味で初めて接して、そこから彼の画業というのが一気に進んでいくのです。つまり、ゴッホの実質的な意味でのスタートは「1886年」で、それはまさに印象派最後の展覧会の年であったわけです。


短期間に一気に学び、制作した


 それからゴッホは、パリに2年ほどいた後、アルルに1年、サン=レミに2年、そしてオーヴェールに数カ月という、南仏からパリ近郊にたどり着くまでの本当に短い間に、今日我々が見てパッと「ゴッホだ」と分かるような作品の多くを制作していきます。

 今日からの3回の話の大きな枠組みとして申し上げておきたいことは、ゴッホが活躍し始めた1886年は印象派最後の展覧会となった年ですが、そこから数年の間に、印象派が1870年代から80年代の半ばまで15年ほどかけていろいろと開拓してきたことを一気に学んで、自分の作風を展開させていったことです。


オランダ時代のゴッホ


 ここに出しているのは、ゴッホがまだオランダにいた頃に描いていた絵です。ゴッホが油絵を始めたのは1881年で、左側の絵はごく初期の油絵の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv061.htm

木立の中の少女を描いたものですが、右側のものはゴッホのオランダ時代の作品で、ずいぶん後の1885年に農家の様子を描いたものです。オランダ時代の5年間は、ゴッホの様式、たとえば色彩の使い方であるとか、絵具のタッチの使い方は大きく変化はしていません。


オランダ時代の作品


 ゴッホのオランダ時代の作品は、これまでみなさんがご覧になってきたような印象派の作品とはずいぶん違います。風景画もずいぶん違っていて、まだ印象派以前の、あるいは印象派たちが60年代に見せていたような茶色とか黒とか、灰色とか、そういう色を使っています。ひとつ前の時代の、たとえばクールベ、ミレーなど、バルビゾン派の画家たちの作風に似ています。もちろん、それに並行するようなフランスの19世紀半ばの影響というのがオランダでもあって、ゴッホの先輩たちはこういう絵を描いていた。それをまずゴッホは学んだわけです。またゴッホは、オランダ時代には、風景画だけではなくて、こういう広い意味で言う人物画もたくさん描いています。

 左側のものは、ゴッホ美術館にある大変有名な(馬鈴薯を食べる人々)という作品で、ゴッホが接していた農民の生活を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


右側は、ゴッホが生活していたヌエネンというゴッホのお父さんが牧師をしていた町です。正確に言うと、オランダの発音では「ニューネン」といいます。今回の展覧会では「ヌエネン」ではなく、「ニューネン」という表記になっていますけれども、我々は「ヌエネン」という言葉に慣れているので、今日のお話でも「ヌエネン」と呼ばせていただきます。これはヌエネンの、ある農家での機織りの様子を描いたものです。タッチがずいぶん荒くて、ゴツゴツしている。そういう意味では、ずいぶん新しい要素も含んでいるのですが、しかし、基本的なタッチの使い方とか、色彩全体があまり派手でない暗い色彩であるといった使い方は、まさにゴッホのオランダ時代の典型であって、古い様式を示しています。

 これはオランダ時代、ヌエネンで描かれた静物画です。右側のものは(聖書と本のある静物画)と呼ばれるヌエネン時代の代表作で、今回の展覧会でも最初の部屋に出ている、とても立派な堂々とした作品です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv054.htm

ここに描かれているのは、フランスで当時はやっていた「黄表紙本」という黄色い表紙のゾラの小説です。この絵からは、ゴッホがオランダにいたときもフランスの文化にたいへん憧れを持っていたことが偲ばれます。しかし、この作風は、当時の印象派の向かっていた方向からはほど遠い作風を示しています。左側はリンゴの入ったバスケットですが、これもやはり同じような暗い色調を示しています。左側の作品は、1885年の(ヌエネンのポプラ並木)という題名の作品で、ゴッホがオランダを去って、アントワープを経てパリへ行く直前のオランダでの最後の作品の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm


右側は逆に、アントワープを経てパリへ出た1886年の一番初期の作品です。


________________________________________


1886年パリへ

ゴッホを待ち受けていた印象派の画家たち


 オランダからパリへ着いた直後のゴッホはどういう様式を持っていたかを示す作品が右側の作品で、このようにオランダの最後の作品とパリの最初の作品を比べてみると、パリへ到着した時点では、ゴッホは、まだそれほど新しいものを学んでいるわけではありません。オランダの様式をそのまま引き継いでいる。ただ、オランダのヌエネンの教会の見える田園風景から、パリのちょっと気のきいたレストランへと主題は移っていますが、まだこの最初の段階では、色彩の扱いはオランダ時代とまったく変わっていないことがお分かりいただけると思います。

 さて、70年代からヨーロッパ各国、あるいは日本の画家たちの間で、美術の都としてのパリの名声が高まっていきます。そこにいろんな様式が流れ込んでくる。そして、パリ自身が次から次へと新しい美術の動向を生み出す。そのパリにあって、ゴッホはすぐにいろんなものを吸収していくことになります。

 たとえば同じレストランを描いた絵ですが、右側もレストラン。左側はもちろん違うレストランですが、左側になると、もうみなさんがこのシリーズの中でご覧になってきたのに近い、鮮やかな色彩で、タッチなんかも細かい点々を使っています。暗い茶色でも、いろんな色を混ぜ合わせてつくるという筆触分割で表現し、絵具の鮮やかな色をできるだけ失わないように、画面の上でそれを併置していく印象派の典型的な色の使い方、タッチの使い方があらわれています。右の作品と左の作品の間は1年ほどしかないのですが、ゴッホがもうすっかりパリの最新流行の印象派の作風を吸収したことを示しています。

 これが部分です。こういう部分なんかでも、ほんとうに明るいタッチを並べていくという描き方で描いています。こちらは1887年にパリで描かれた、なんということのない主題なのですが、パリ郊外の傾斜地にある木と草とかを描いたものです。全体がとても明るい。そして点々であるとか、やや短めの、あるいはやや長くてスッとしたいろんなタッチを重ねることによって、郊外の明るい自然光の下の印象をサッと素早く描き止めるといった方法をゴッホはここで学んでいます。


モネ


 たとえば、主題は違うのですが、右側は1887年のゴッホの作品で、左側のモネの作品は1886年の、ちょうどゴッホがパリへやって来たぐらいの年に描かれたものです。たとえば空のタッチであるとか、地面の草をあらわすタッチ、全体の色調といい、まばゆい程の夏の明るい印象を生み出している絵具の色遣いと言い、筆の使い方といい、ゴッホが左のモネのような作品に学んだことが良く分かると思います。あるいは、右側はゴッホの作品、左側はモネが1878年に描いた作品ですが、たとえば、町中に三色旗が溢れている。その三色旗がチラチラと揺れている印象を、ザクザクッとしたタッチで描いている意味で有名な作品ですが、モネのものに比べると、ゴッホの場合には、もう少しタッチが大きなまとまりを持っています。ゴッホが右のような作品を描くにあたっては、左のモネの作品などをお手本としたことは、まず間違いないと考えています。

 もちろん、印象派の中にも、あるいはモネの中にも、いろんなタッチの使い方があるわけで、もう一つ違う作例をお見せしますと、左側はモネの作品の中でも全体がとても細かいタッチになっている。セーヌ河沿いのポプラ並木で、木の葉がチラチラと光を照り返す様子を大変細かいタッチに分割して表現しています。右側はゴッホのセーヌ河を描いた1887年の作品ですが、木の葉あるいは川岸の草が夏の明るい光をチラチラと反射する様子をあらわすために、こういう細かいタッチを散りばめています。この手法を見ると、やはりゴッホは印象派から、とりわけモネから学んだと言えると思います。


後期印象派の影響


 しかし、ゴッホは、印象派の展覧会に出品していたような、つまり自分より1世代ちょっと上のモネとかルノワールとかいう画家だけではなく、当時パリにいて新たに活躍を始めた、ちょうどゴッホと同世代で、後に我々美術史家が「後期印象派」と名付けることになった画家たちからも多くのものを学びます。その1例をここにお見せします。両方ともゴッホの作品ですが、ゴッホは印象派のようなタッチをモネ等から学ぶと同時に、それをもっとシステマティックにした「点描」を身に付けている。画面全体を点々点々で描いていく。点で描くことによって、より一層明るい状況を描きだすといった手法も身に付けることになります。


スーラ


 右側はパリ郊外の道の様子を描いたもの。左側はゴッホが転がり込んだ弟のテオの住居から眺めたパリの町の様子で、こういうところにまだ少し長めのタッチがありますけれども、全体を細かい点々で表現していくポワンティリスム、「点描派」の様式をゴッホはここで学んでいます。そして、その点描の様式の代表者がスーラです。ゴッホと並んで後期印象派の中に数えられます。スーラはゴッホより6つも年下ですが、ずっとパリで暮らしていて、最後の印象派展である1886年の第8回印象派展に出品しています。ゴッホからみれば、6歳も年下なのだけれども、これから本格的に絵の勉強を始めようかという状態で、出て来たばかりのまったく無名の自分に比べて、印象派の次の世代として頭角をあらわしてきた、それも印象派の手法を展開させて、印象派とは違う新たな点描の様式を紹介するような大胆な試みをやっている、言ってみれば当時の前衛画家の最先端を走っていた画家なわけで、そのスーラから、ゴッホは点描のやり方を学んで、自分でも試みます。


シニャック


 左側はスーラの典型的な点描の作品です。右側はそれを学んだゴッホの作品です。これはスーラの仲間であったシニャックの作品です。ゴッホはスーラにひかれてこういう典型的な点描の作品を描いていくわけです。ゴッホとの関係から言えば、何回か会ったことはあるのですが、それほど親しいというわけではない。それに対してゴッホとシニャックとは、個人的にもわりと親しいところがあったようです。それで、アルルでゴッホがゴーギャンとの問題を起こして入院した後、ちょうど南仏に行きがけだったシニャックが、ゴッホのことを心配してアルルに立ち寄っています。

 シニャックのこういう作品は、もしかすると、右側のゴッホの作品の直接のお手本になったのではないかと思われる節もあります。主題の点でも、ゴッホがずいぶんシニャックから学んだと思われるのは、左側はシニャックが描いたパリの郊外のアニエールにあったガスタンクが見える工場街ですが、そのアニエールの工場街をゴッホも描いています。様式の上からいうと、シニャックほどの点描ではなくて、もう少し印象派風の長いタッチなんかも見えますけれども、テーマから言うと、パリの郊外の工場地帯なんていうのは、シニャックから学んだものかも知れません。あるいは、テーマが似たもので言えば、左側は、ここにサインがあるように、シニャックが84年に描いたモンマルトルの風車です。右側はゴッホが86年に描いたモンマルトルの、風車がここにあるところで、風車の前の手すりと街路樹なのですが、同じような一連のものですね。同じような手すりと街路樹とガス灯があります。

 こんなふうに、ゴッホはパリへ出て来て、それまで自分があまり扱ったことがない都会的な風景、そういう主題、パリという町、そしてパリで活躍していた画家たちから学んでいくわけです。ゴッホはパリで風景画も描きますし、静物画もたくさん描いています。静物画といえば、先程オランダ時代のところで右側に(聖書のある静物画)と左側に(リンゴの入ったバスケット)をお見せしました。右側の作品は、バックが暗くなっていますけれども、手前の花瓶から花のところ、手前の机のところなんかは、ずいぶん鮮やかな色彩で描かれています。たとえば左側はモネが描いた静物画。モネは風景画を主体とした画家ですが、けっこう静物画にもいいものがあります。これはモネが描いた(ひまわり)の静物ですが、ゴッホはパリへやって来て、印象派の静物画のタッチもずいぶん学んだように思われます。

 これなんかは右のものに比べれば、さらに一層パリで学んだものがハッキリしているわけで、こういうところは大変鮮やかな色彩、ザクザクとしたタッチ、背景のところには、スーラとかシニャックから学んだような点々の点描のタッチが見えています。左側の作品なんかは、どう見てもオランダの画家の作品ではなくて、まさにパリの画家の作品になっています。


 
ジャポニスムの洗礼


 みなさんご存じだと思いますけれども、ゴッホがパリで学んだもう1つ重要なものがあります。それは日本の浮世絵です。「ジャポニスム」です。調べてみると、ゴッホは既にオランダにいた頃から、ある程度日本の浮世絵、日本の美術には興味を持っていたのですが、それを本格的に勉強して自分でじっくり研究したのはパリに行ってからです。

左側は安藤広重がつくった(名所江戸百景)の中の(大橋あたけの夕立)という作品ですが、それをゴッホは自分で持っていて、コピーしています。彼なりに翻案して、周りに日本風の文字などを書き込んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_bridge.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_sluie00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%89J%82%CC%91%E5%8B%B4%81i%91%E5%82%CD%82%B5%82%A0%82%BD%82%AF%82%CC%97%5B%97%A7%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_sluie


ここでゴッホが学んだものは、いくつかありますが、たとえばよく言われる「大胆な視点」ですね。橋を上から見下ろす鳥瞰図の試みや「色使い」です。あるところをハッキリと青、ハッキリと緑と塗り分けるような大胆な色使いとか、いろんなものを学んでいます、

 もう1点お見せします。やはり広重の(名所江戸百景)の中から(亀戸の梅屋敷)ですが、特にここでは広重の作品が持っている「地面は緑色」(緑色の地面なんてどういう地面だろうと思いますが)「空は赤い」というこの大胆な「緑と赤」という、いわゆる補色、ぶつかり合う色を平面的に処理していくやり方。あるいは、テーマである「梅の木」を、全体像を見せるのではなく、一番手前に持ってきて、上下左右どちらもトリミングしてしまう大胆な構図の取り方などをゴッホは学んだのです。ゴッホは印象派から学んだものとは別のものを学んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_kameido.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_prunier00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%94~%82%CC%89%D4&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_prunier


印象派の作品からゴッホが学んだものは、言ってみれば、全体はとても明るく、そして同時に全体を細かいタッチに分割していくことによって全体の明るさ、光の様子をあらわすという手法です。

 ところが、ゴッホが日本の浮世絵版画から学んだものは、それとは逆で、全体を細かいタッチに分割するどころか、むしろどちらかと言うと、タッチを見せないで、大きな平面的な塗りに還元してしまうことです。

それはまさに日本の浮世絵が持っていたものですね。あんまりハッキリとした陰影付けもなく、たとえば木の幹の部分は若干濃淡のあるベタ塗りである。版画なのですから当然そうですね。1つの版の上に絵具を塗っていくときに若干濃淡をつけることによってしか差がつけられないわけで、本来、日本の木版画はとても平面的な表現を持っている。ゴッホがパリで日本の浮世絵版画から学んだものは、印象派から学んだものとはずいぶん違う。

 1つ共通しているのは「非常に鮮やかな色彩」です。けれども、それをどう表すかという表し方からすると、

日本の浮世絵版画からゴッホが学んだものは、むしろ平面的なベタ塗り、強烈な色彩のぶつかり合い。

それに対して、印象派から学んだものは、どこかで強烈な色彩がぶつかり合うのではなくて、さまざまな青も緑も黄色も使われているけれども、それがどこかで直接ぶつかり合うのではなくて、細かい点に分割されて画面全体に散りばめられている。


絵具を塗っていくやり方からすると、ずいぶん相反するような、その2つのものをゴッホは同時にパリで学んでいます。 もしこれがゴッホのような画家でなければ、いきなりそれが出てくるのではなくて、たとえば2〜3年は一方の方向に進んでみて、それで行き詰まったと思ったら別の方向を試みるような行き方があったかも知れないのですが、ゴッホの場合は年齢も考えて、そんな悠長なことはやっていられない。しかも、パリにいつまでいられるか分からないという事情でしたから、とにかくものすごく旺盛にさまざまなものを吸収していくことになります。


ゴーギャンとの邂逅


 ちょうど、当時ゴッホの近くにいて、ゴッホに影響を与えつつ、一方で自分自身も日本の浮世絵の表現から強い影響を受けた画家にゴーギャンがいます。左側はゴーギャンが1888年にブルターニュで描いた(説教のあとの幻想)と呼ばれる作品ですが、たとえばこの左側のゴーギャンの作品には、ゴッホが手本にしたような日本の浮世絵の影響が歴然としています。たとえばゴーギャンは、重要なモチーフである木の幹を画面の一番手前のところでぐっと部分だけ見せるという表現、地面の色としてあり得ないような赤い色を完全にベタ塗りするようなやり方を日本の浮世絵から学び、また別の部分は、ヨーロッパ中世の伝統的なステンドグラスから学びながら、大胆な色彩を輪郭線のハッキリとした平面的な色面によってぶつけていくという表現を開拓していたわけですが、ゴッホは日本の浮世絵と同時に、こういったゴーギャンのやっていたことも近くにいて十分学んでいたと思います。
 
 ゴッホがパリで学んだものは、まず先輩格であった印象派、とりわけモネなんかのタッチ、それから、そこを引き継いで、彼と同じような世代の前衛の先頭に立っていたスーラの点描のやり方、それから、後にゴッホやスーラと一緒に後期印象派にくくられることになるゴーギャンが示していた強烈な色彩による平面的な画面構成です。そういうさまざまな異なるものをゴッホはパリで吸収し、そしてそれをまとめていく次の段階に入っていくのです。


印象派の発展的解消と後期印象派の台頭


 1886年から88年にかけてがゴッホのパリ時代ですが、実は86年にパリへやって来て、88年頃までパリに暮らしたというのは、たまたま偶然だったのですが、西洋の印象派以降の絵画史の中でとても重要な偶然だったと思います。というのは、先程も申し上げたように、1886年というのは最後の印象派の展覧会の年でした。最後の印象派の展覧会をゴッホは見ることができたわけです。さらに重要なのは、たまたま最後の印象派の展覧会のあった1880年代の半ばというのは、印象派の画家たち、60年代後半から活動を始めて74年に第1回の印象派展というデモンストレーションから世にだんだん知られるようになっていった印象派の画家たちが、ある程度世の中から評価を得る一方で、同時にひとつの曲がり角に差しかかった時期でもありました。

 1886年の印象派展というのは、参加している人を見ても、それまでの印象派展とはずいぶん違います。当初からのメンバーで参加しているのはドガとピサロだけです。シスレーもセザンヌもモネもルノワールも参加していません。それに代わって、第4回から参加していたゴーギャンが最後にも出品しています。それから先程お話をした前衛のトップを走っていたスーラ、そしてシニャックが参加しています。つまり第8回の印象派展というのは、もう印象派展というよりも、今日の我々からすると、後期印象派展のような様相を呈していたわけです。

 さらに言うと、1886年の第8回の印象派展には、今日の我々からすると想像もつかないような画家の名前が見られます。その代表格は誰かというと、ルドンです。ルドンというと象徴主義の画家であって、印象派とはまったく反対のように思われる画家ですが、そのルドンが参加しています。そういうことから考えると、もう第8回の印象派展というのは、ほとんど印象派展とは言えないものです。

印象派の中でも、その周辺でも、次の世代が80年代から登場し始める。そういう状況があって、印象派の画家たちもちょっと売れるようになってきている。けれども、もう次の世代が新しい様式をもって追いかけて来るときに、自分たちはどうやってそれに対抗して世の中に訴えかけていくかということを印象派の画家たちが本気で考えなければならない。それが1880年代に起こったのです。 そのような印象派と後期印象派、新旧の世代がちょうど交差する、その一番いいときにゴッホはパリにやって来たわけです。

印象派の画家たちの中でも、ほんとうに「風景画がメインだ。風景画が勝負なのだ」というのは、実はモネ一人ぐらいなわけで、考えてみると、印象派の画家たちは風景画をずいぶん大事にしたわけですが、彼らが美術界の中で、あるいはパリの画壇の中で、ここ一番勝負というと、やっぱり伝統的な人物画を描く。これは西洋絵画の長い伝統ですから、それに逆らえない部分があります。

 ゴッホが86年にパリへやって来て出会った印象派の画家の多くは、その心中にまだ根強く人物画の重要度を認識している人たちで、印象派の画家たちが曲がり角に差しかかって、人物画が再びクローズアップされつつあった。まさにそういう時期でした。この86年から88年という時点において、風景画をメインに描いていたのは二人。一人はセザンヌ、もう一人はモネだったわけですね。左側はセザンヌが82年から85年にかけて描いた南仏のエスタックの風景です。右側は86年から90年頃だろうと言われているエスタックの風景です。

 印象派の中で風景画を描くセザンヌとモネの二人のうち、ゴッホがパリにやって来たとき、セザンヌは既に南仏へ帰っていて、こういう南仏風景をパリへ送って発表していたわけです。もう一人、モネという人は、最初から風景画家になるつもりはおそらくなくて、できれば人物画で成功したかったはずです。モネが初期にサロンに送ろうとしていた、あるいは送った作品は、こういうものだったわけですね。等身大の大画面の人物画ですが、それがうまくいかなかったのでモネは風景画に転向していったという部分もあると思います。この左側の1886年の(日傘をさす女性)、これは2点あって、対になっています。それから右側、これは西洋美術館にある(舟遊び)という作品ですが、この2点がモネが大画面で描いた人物画のほとんど最後のものです。86年、87年にもう一度こういう人物画を描いたのを最後として、モネは決然として大画面での人物を捨てて、風景画へ戻っていくことになります。

 このように、ゴッホがパリにいた86年、87年というのは、まさにモネにとってもルノワールにとっても大きな曲がり角でしたし、印象派の中で風景画がどういう位置を占めるかということにとっても、とても大きな曲がり角であったわけです。そして、もう1つ、非常に興味深いことは、そのような印象派の中でも、風景画を自分の当面のメインのフィールドと考えたセザンヌとモネという二人の画家が、ちょうどこの頃、二人とも南仏風景を描いていたことです。先程も言ったように、セザンヌは1882年にエクスへ戻って、それからしばらくは、もちろんパリと行ったり来たりしますけれども、彼の主題は南仏風景なります。他方、これは、両方ともモネが描いた、モナコの近くのボルディゲラの風景ですが、モネは1884年に初めて南仏へ行って、こういう南仏の植物が生い茂るような、そして青い海がある地中海の風景を発見します。そして84年に地中海を発見したモネは、もう一度88年に南仏へ行って、このような作品を描きます。

 これは偶然なのですが、84年代の半ばから後半にかけて、印象派を代表する二人の画家たちが、自分たちの風景画の新たなテーマとして南仏を発見した。これはとても重要なことで、なぜこのことを強調して申し上げるかというと、ゴッホがパリでいろんなものを吸収した後、パリを離れて、何か独自のものを描きたいと思ったときに選んだのが南仏だったからです。


パリを去るゴッホ

南仏の開拓者になりたい

 パリを去ったとき、ゴッホはいくつかの選択をしました。その1つの重要な選択は、パリでいろんなものを見てきた末、自分は人物画ではなくて、風景画を当面メインにしようという選択です。それをゴッホは決意したと思います。そして、自分が風景画で生きていくために、風景画で新しい分野を開拓していくために、どこへ行けばいいのかと考えたときに、ゴッホの重要なお手本になったのは、セザンヌとモネであったと思います。南仏の明るい光、まだパリの人達があまりよく知らなかった新鮮な南の明るい光の中での風景画を自分が開拓したい。ゴッホは手紙に書いています。アルルから弟のテオに宛てて、「自分はいまようやく始まった南仏の開拓者の一人になりたいのだ」と言っています。


何のために?


 ゴッホは、当時の印象派の風景画の中で、明るい色彩と明るい絵具のタッチで戸外の風景を描きだしていく印象派に最もふさわしい主題として、これからは「南仏があるんだ」ということをセザンヌやモネの作品から学んで、そして南仏へ行く。ゴッホはなぜ南仏へ行ったのだろうか。そして、南仏の中でもなぜアルルだったのかは分かりませんが、南仏という選択は、ゴッホが風景画という選択をしたことと強く関わっていると思います。

 ゴッホが実質的に絵画を制作していた期間は10年にならないんですね。その間に880点の油彩画を描いていますから、1年間に90点近く。これはものすごい制作力です。そのことは別として、いまこの話の中で参照していただきたいのは、油彩画の中で、風景画と人物画とその他がどれくらいの割合であるかということです。ゴッホは最初は人物画でいきたいと思っていました。誰でもそうです。最初から風景画でいこうなんて思う画家は、この時代にはまだいなかったでしょう。

 絵画として一番ランクの高いのは人物画ですから、画家を志そうとした人は、まず人物画を描きたいと思うわけです。たとえば本格的に絵画を始めた最初の頃の作品数を見ると、ハーグ時代は25点、ドレンテは10点ですから、ある程度の有効な統計的な数字があらわれるのは、ヌエネンでの190点ですが、その190点のうち、風景画はたった25%で、大部分、半数以上が人物画です。(馬鈴薯を食べる人々)を含めて、様々な農民の姿とか(機を織る人)とか、風景が背景にあっても、メインに人物が大きく描かれた作品、これがゴッホのメインです。

 そしてゴッホがやりたかったことが一番典型的にあらわされたのは、テーマはもちろん「農民の家族」ですが、複数の人物。実際に彼が描いた(馬鈴薯を食べる人々)はそれほど大きくない作品ですが、あれを大画面に描くことが彼の夢であった。大画面の複数の人物からなる群像構成が彼の夢であったわけで、ヌエネンで描かれた、たくさんの農民の頭部などは、そういう大画面構成の群像構成の習作であったわけです。そういう意味では、ヌエネンでのオランダ時代の彼の興味は人物画にあった。それからアントワープの10点というのは、これはちょっと過渡的なところで、あまり参考にならない数字ですが、人物画が7点です。

 パリに行くと、これはとても不思議なのですが、人物画も風景画もパーセンテージは減って、その他が多くなります。その他の圧倒的多くは静物画です。 その後、アルル、サン=レミ、オーヴェールと行くにしたがって、彼のたくさんの作品の中で風景画の占める割合がだんだん高くなっていきます。それに対して、人物画の占める割合がだんだん少なくなっていきます。ハッキリと統計的な数字から分かることは、ゴッホがかなり意識的に自分のメインをだんだん人物画から風景画へ移していったことです。

 美術史という学問は、ただ何となく感覚的に見ているだけではなくて、このようにある程度数字で出してみる。そうすると、特にゴッホのように作品点数が多い画家の場合は、ある程度有効な統計的な数字が出て来ます。これを見ても、ゴッホがパリを発ったとき、アルルで何をやろうかと考えたときのメインは、おそらく風景画にあった。風景画をやりたいと思ったからこそ都会を離れた。風景画のテーマとして当時セザンヌやモネが開拓しつつあった南仏へ行ったのは、気まぐれの思いつきではなく、自分の道はどこにあるかを考えた上での結論だったと私は思っています。


アルルで明確になった進路


 ゴッホの進む道は、アルルへ行った時点でかなりハッキリしていたと思います。アルルでゴッホがやることは戸外の明るい風景画です。自分が使う様式、手段は、「明るい絵具」と、印象派から学び、部分的にはスーラから学んだ「点描」、モネから学んだ「自由なタッチ」であることをゴッホはハッキリと意識していたと思います。2月にアルルに行くのですが、左は最初の花咲く時期に描いた作品で、右は夏の盛りになってきた時期のものです。こういう明るい戸外の花咲く庭ですが、とりわけ右の絵は花の1つ1つが点々というタッチで描かれていて、アルル時代の作品の典型的な様式を示しています。こういう自由なタッチで明るい風景を描くことをゴッホはアルルで展開していきます。 

 テーマからすると、もうほとんど何ということのない、何かとりわけて見どころがある風景というわけではなくて、身の回りにある明るい光の中の風景を手当たり次第にゴッホは描いていくことになります。アルルという町は地中海に面してはいないのですが、地中海に面したサントマリーというところに3泊程で遠足に出掛けて、地中海の海の様子とか、サントマリーの町、青い空の下でラベンダーの花が咲いている典型的な南仏の風景をゴッホは熱につかれたように描いていくことになります。アルルの周辺は穀倉地帯であり、6月も盛りになってくると、あたり一面、小麦が黄金色に実ります。何が描かれているかというモチーフからいっても構図からいっても、とても単純なものですが、右の作品も左の作品も、そうした様子を明るい色彩と活き活きとしたタッチで描いているところが見どころです。

 ゴッホは弟のテオ宛ての手紙で、南仏の明るい太陽に照らされた運河の水を「エメラルド色のような」と表現していますけれども、そういう水の美しさをゴッホは描きました。海、空、麦畑、花畑、運河、そういったものをゴッホは描き続けていく。今日われわれが典型的なゴッホだと思うような作品が次から次へと生み出されていくことになります。それだけではなくて、夜の風景、とりわけ青い空に星が輝く、澄みきった南仏の深い青い空に星が輝く、そういう夜景も描いています。右側のものは、一昨年日本でやった「ゴッホ展」にきていたもので、左側は今回の「ゴッホ展」にきている、アルルで描かれた夜景の中でも代表的な作品です。


人物画を描きたい


 こういうふうにゴッホは、アルルで次から次へと風景画の素晴らしい作品を生み出していったわけですが、もちろんある程度、人物画も描いています。またアルルでも、ゴッホは最終的には人物画を描きたいという希望を捨ててはいません。何しろ自分と同じ世代で、自分より先を走って行くスーラやゴーギャンが人物画でとても素晴らしい作品を描いていることを知っています。だから「自分はできれば人物画を描きたいのだ。でもまだ自分は人物画を描くほどの力がない。力がないから、とにかく、いまは風景画を描いているのだ」と弟のテオには言っていますけれども、それでもモデルが得られて人物画を描くチャンスがあれば、肖像画のようなものを描いています。

 たとえばアルルで描いた代表的な肖像画でいえば、アルルにたまたま滞在していたベルギー人の画家であるウジェーヌ・ボックという人を描いた左側の作品、それから右側はアルルで知り合った年老いた農夫を描いた作品ですが、こういうような、とても力強い肖像画も何点か残しています。ただ、アルルで描いた肖像画に共通することなのですが、風景画と比べると違う。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh103.html


アルルでの風景画で、ゴッホは、パリで学んだものの中で言えば、モネとかスーラから学んだものを生かしていたのですが、たとえばこの2点の肖像画はどうでしょうか。ゴッホがパリで学んだものからすると、お手本は何でしょうか。モネやスーラではないですよね。たとえばゴーギャンとか、日本の浮世絵とかいうものですよね。

つまり、輪郭線がハッキリしていて、その中であんまり細かい筆のタッチを見せない。大胆な色彩、たとえば「オレンジと青」とか、「青と黄色」とか、強烈にぶつかり合う補色関係に近いような強烈な色面を、いきなり輪郭線を通してぶつけ合う。つまり日本の浮世絵とか、ゴーギャンやその仲間のベルナールがやっていたような「クロワゾニズム」、黒い輪郭線の中に鮮やかな色彩を埋めていくやり方に近いものを示しているのです。

 メインは印象派、スーラの流れを引く鮮やかな細かいタッチで色彩を散りばめていく風景画だったのですが、一方では、このような違う様式を持った人物画、肖像画もアルルでは並行して描かれていました。そのようなゴッホの持っているアルルでの二面性が、ゴーギャンが来ることによって大きくバランスを崩すことになります。言うまでもなくゴーギャンはこちらの様式を持った人ですね。そして人物画をメインとする画家であるわけです。


人物画への傾斜


 1888年の秋にゴーギャンがアルルにやって来ると、これはハッキリとパーセンテージ的にも言えますけれども、ゴッホの中では人物画が増えます。これは、私が学生時代にクレラー・ミュラー美術館で手持ちで撮影したものなので、ちょっとぼけているかもしれませんけれども、今回の展覧会にきている(ラ・ベルスーズ)と呼ばれている、ゴッホがアルルで親しくしていた郵便配達夫、左側のジョゼフ・ルーランという人の奥さんの肖像ですが、こういう人物画が多くあります。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh29.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_roulina00&picture=%97X%95%D6%94z%92B%95v%83W%83%87%83%5B%83t%81E%83%8B%81%5B%83%89%83%93%82%CC%8F%D1%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_roulina


この2点とも、ゴーギャンが来てからゴッホが描いたものです。秋から冬に向かうにしたがって、南仏でも寒くなりますから、戸外での風景画より室内での人物画ということはあると思いますけれども、何よりもゴーギャンが来てから人物画が増えたのは、ゴーギャンの圧倒的な影響によるものに間違いありません。

 これは先程右側に出ていた、オーギュスティーヌ・ルーランという同じモデルをゴッホとゴーギャンがイーゼルを並べて描いたものです。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_-_Madame_Roulin.jpg

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm


中央にモデルがいて、右側と左側から描いています。たとえば、このゴッホの作品の場合は、左側のゴーギャンの作風ですね。画面全体を輪郭線をもった大きな色面で構成していくことが非常によくあらわれていて、とにかくキャンパスを並べて描いていますから、影響がないわけはない。とりわけゴッホはゴーギャンのことをとても尊敬していますから、ゴーギャンの影響がとても強く出てきます。
これもゴーギャンを手本にしたもの。ゴーギャンがアルルで描いたアルルの公園の様子。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin20.html

ゴッホはそれを見た上で描いた。これはアルルの情景ではなくて、ゴッホが(エッテンの庭の思い出)、つまり昔両親と一緒に暮らしたオランダの様子を思い出して描いているものです。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

 タッチからすると、まだここにはスーラ張りの点描が見えます。けれども、スーラ張りの点描はありながら、画面の構図とか、それぞれの部分を大きく輪郭線でくくって色と色をぶつけ合うといったところは、完全にゴーギャンの影響下にあります。そして何よりもゴーギャンの影響が最も強くあらわれているのは、そもそも(エッテンの庭の思い出)という主題自体です。

 それはどういうことかというと、ゴーギャンという人は、とにかく人物画を描く。そして

「人物画でも最高のものは、宗教画とか歴史画とか物語画とかいうもので、そういうものを画家は想像力で描くんだ。あくまでも一人一人の人物はモデルがいて、描くのだけれども、たとえばイエス・キリストを描くときに、イエス・キリストそのものがいるわけではなくて、誰か男のモデルを写した上で、しかし描かれる世界は空想の世界なのだ。絵画は頭で描くのだ。テキストを読んで、そのテキストをどうやったら視覚化できるかを考えて頭で描くものなのだ。抽象のものなのだ」

という考え方をゴーギャンは持っていました。 ですから、ゴーギャンはゴッホにいつもこう言います。

「君はとにかく目の前にあるものしか描かないけれども、それでは画家としてほんとうの歴史画とか宗教画は描けない。ほんとうに歴史画とか宗教画とかを描きたければ、目の前にある人物をモデルにしてもいいけど、作品の主題自体は頭でこしらえて描かなければいけない」。

そのゴーギャンの言うことを受けた上で、ゴッホはゴーギャンがいるときに何点か頭で描く作品を描いています。そのうちの1点がこれです。つまり、いま目の前にはない、自分の記憶の中にしかないエッテンの庭の光景、実際いま目の前に見えていない人物、具体的に言えば自分のお母さんと妹なわけですが、それを自分の想像力で描くことをゴッホはここでやっている。

 ただ人物画であるというだけでなく、あるいは構図とか色彩の扱い方にゴーギャンの影響が強くあらわれているだけではなくて、作品の描き方、描く態度、主題自体が実はゴーギャンの影響をとても強く受けているのです。ゴッホがそれまであまりやってこなかったことを、ゴーギャンとの共同生活の中でゴッホは行っています。

 先程お見せした絵で描かれているモデルは、オーギュスティーヌ・ルーランという、当時アルルに暮らしていた郵便配達の奥さんですが、しかし、この作品は単にオーギュスティーヌ・ルーランの肖像であるだけではなくて、ここに(ラ・ベルスーズ)とわざわざ題名が書いてあります。「ラ・ベルスーズ」とはどういうことかというと、「子守女」あるいは「子守歌」ということです。ゴッホは自分の弟のテオに宛てた手紙の中で「この作品はこういうふうに飾ってほしい」と書いています。真ん中に「ラ・ベルスーズ」を置いて、両脇にひまわりを置くという構成は、昨年、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でやった「ゴッホと花の展覧会」でこういう飾られ方をしたので、覚えていらっしゃる方もあるかと思います。

 結論だけ言うと、ゴッホはこういうふうに飾ることによって、宗教的な三幅対、真ん中に聖母子像があって、両脇に複数の聖者たちがいる三幅対を考えているので、ゴッホはこれを宗教画として考えている。

つまり実際に描かれているのは、目の前にいるオーギュスティーヌ・ルーランという個人なのですが、そこに描きたかったものは、個人であるよりも、むしろ母親、たとえば聖母マリアといったものだった。

そういう意識があるわけで、そういうことからすると、やはりこれもゴーギャンがいたからこそ描かれた、とても概念性の強い作品だと言っていいと思います。
 これもやはりゴーギャンの影響下で描かれたもので、左側はゴーギャンがアルルの酒場を描いたものであり、この手前に描かれているのは、その酒場の女主人であったジヌー夫人という人です。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin18.html


この作品を見て、ゴッホはこういう作品を描いています。人物画です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_ginoux00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%8F%97%81i%93%C7%8F%91%82%B7%82%E9%83W%83k%81%5B%95v%90l%81A%96%7B%82%F0%8E%9D%82%C2%83W%83k%81%5B%95v%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_ginoux


そして、ここでもゴッホは、単にジヌー夫人の肖像画ではなくて、ここに本を置いており、(読書する人)というような、単なる肖像画ではない意味を与えています。これも、主題の上でも描き方の上でもゴーギャンの影響がとても強いものです。くっきりした赤、緑、黄色、青というような色をぶつけ合っています。


本領を封じられたゴッホ


 けれども、ゴーギャンの影響下で描かれたこういう作品、とりわけ概念性の強い人物画の大多数は、結論から言ってしまうと、失敗作だったと言っていいと思います。つまり、ゴッホは本来目の前にあるものを目の前にあるように描く。それから何よりも、きっちりとした枠取りの中にものの形をおさめるよりも、自由なタッチを使って描く。自由な色彩を画面全体に散りばめて描くのがゴッホの本領だったと思うわけで、ゴーギャンに強くひかれたアルル時代の88年の秋から89年の初めまでは、ゴーギャンが来なければ、本来ゴッホがパリで印象派から学んだことからアルルの風景画で一気に進められたものが、ちょっと逆戻りした時代だと私は思っています。

 本来ゴッホが持っていたものに本来のゴッホとは異質なゴーギャン的なものが入ってきたことが、単に美術史の上だけではなく、、ゴッホとゴーギャンが個人的にぶつかったことの1つの原因でもあったと思います。 様式の上で、ゴッホとゴーギャンがアルルで暮らしていた時代は、ゴッホにとってはちょっと不本意ながら、ゴーギャンに強くひかれ過ぎた時代だと私は考えています。


アルル時代に描かれたゴッホの駄作


 ゴッホがアルルで描いた、ゴッホの全生涯を含めて最も駄作と思われる作品をここでお見せします(笑)。これは日本の個人蔵となっています。もしかすると、この中にお持ちになっている方がいらっしゃるかもしれません(笑)。そうでしたら大変申し訳ないと思うのですが、これはゴッホが想像で描いたものです。まさに右にあるのと同じような(読書する)という絵。ここに電球か太陽かよく分からないものがある。つまり「読書」によって「精神の光」をあらわそうとした、とても概念的なものです。しかし、電球だか太陽だか分かりませんし、図書館の中で本を読んでいる女性なのですが、手といい顔といい、デッサンも何もなっていなければ、構図もないというような作品です。これもゴーギャンの影響で、「読書は精神の糧なのだ。光なのだ」ということを無理やり表現しようとした結果、どうしようもない作品になっている(笑)。

 やはり本領はこういうところにないという1例と思っていただきたいと思うわけです。ゴッホの本領はこういうところですね。これは残念ながら今回の展覧会にはきていませんけれども、クレラー・ミュラーが持っているとても素晴らしい作品ですが、何の変哲もない平べったい平地を縦にくるタッチ、横にくるタッチ、細かいタッチ、様々なタッチのバリエーションをつけながら見せていく作品です。
 これは先程右側に出ていた作品の部分です。全体として、どこが緑色、どこが青というように大きな塊はないけれども、画面全体にいろんな色彩があり、花とか草とか木とか、それぞれ描く対象に応じて、それを描くのにふさわしいタッチを見せていく。これがやはりゴッホの本領だと言っていいと思います。これもアルルの作品です。これはアルルの郊外のモンマジュールというところに修道院の廃墟があるのですが、そこの風景です。これは部分図です。

 部分図だとよく分かると思いますけれども、ゴッホにとって絵具は単にものを描写する手段、たとえば木の幹だとか葉っぱを描写する単なる描写の手段ではなかった。まさに画面の中に絵具というツヤのあるものを置く。しかも同時にそれが葉っぱであったり、雲であったり、木の幹であったりする。絵具であると同時に葉っぱであり、葉っぱであると同時に絵具である。そのようなものとして、筆を使って絵具を画面に置いていく。場合によっては、指を使ってこねていくといったように。

 ゴッホにとって絵は、概念的なものであるというより、絵具、絵具のタッチ、筆が画面の上に残していく痕跡といったようなものです。目の前にある葉っぱとか岩とか雲がダイレクトに黄色い絵具とか緑の絵具に結び付くのが彼の制作のあり方です。もちろん、そういう制作のあり方を最初に開拓したのは印象派の画家たちです。中でもとりわけモネだったと思いますが、そのようなモネが開拓した、絵具と目に見える世界との関係をさらに先へ進めたのはゴッホであった。その道を如実に示しているのがアルルでの風景画だといわれています。 

 左側はアルルでの風景画の1つの極です。細かいタッチよりも長いタッチで、枯れていくような、あるいは夏の光でまっ黄色になった草と柳の枝が描かれている。太陽から発する光を絵具の筋、タッチだけで示している。

 右側の絵は、アルルの運河に輝く光、水の輝きを、単なる色だけではなく、タッチであらわしていくというゴッホの目指していたもの、印象派からゴッホが引き継いで完成させていったものを示していると思います。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Starry_Night_Over_the_Rhone.jpg

こういう作品を見ると、ゴッホにとっての印象派は、必ずしも鮮やかな色彩が充ち満ちているものとは限らなかったのですね。

 たとえば印象派の中でも、ほとんど色彩がない「雪景色」などがけっこう重要な役割を果たしていますから、「印象派の作品=鮮やかな色彩」とは必ずしも言えないのですが、ゴッホの作品の中でもそうです。たとえば、左側の(星月夜)にしても、色からすると単なる青と部分的な黄色だけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh49.html

だけど、その青と黄色という非常に単純な2色が、さまざまな絵具のタッチの組み合わせによってこれだけ複雑な画面を生み出し得ることをゴッホは示しています。左側の作品には鮮やかな青があります。


色彩、タッチ、絵具のツヤ


 右側の作品なんかには、ほんとうに色らしい色はない。みんな中間色、もやっとした灰色に近い色です。これは耕された畑をあらわしています。印象派の作品と比べると、とても地味な作品ですが、この作品が何でもっているかと言えば、まさに掘り返された畑のうねの盛り上がった土の様子、ここの部分図です。鋤(すき)を押して畑を耕している人物が描かれている部分ですが、こういう畑の土の盛り上がり、あるいは人物、馬、空の雲、そういうものが、まさにハッキリとした手応えをもった絵具のタッチでこしらえられている。ゴッホにとってほんとうに風景画で大事だったのは「色彩、タッチ、絵具」なんですが、こういう作品を見ると、その中でもほんとに「タッチ」がとても重要だったことが分かると思います。


絵具のツヤ


 スライドで見るとよく分かりませんが、ゴッホにとって絵具が大事だったことは、展覧会の会場で見ていただくとよく分かります。今回の展覧会の会場には30点のゴッホの作品の他に、ゴッホに影響を与えたシニャックとか、ゴーギャンの仲間だったラバールであるとか、セザンヌの作品も出ています。それをご覧になっていただくとよく分かるのですが、そもそもセザンヌにしてもゴーギャンにしても、こういう「盛り上げ」というのは使っていません。わりと全体に層の薄い絵具です。それをゴッホと比べてみると、とにかくゴッホは絵具の盛り上がりがものすごいことが分かります。 

 もう1つ違うところは、ゴッホがセザンヌやゴーギャンやシニャックとハッキリ違うところは「絵具のツヤ」です。ゴーギャンやセザンヌやシニャックの画面の表面はカサッとしています。セザンヌやゴーギャンやシニャックは、絵具をわりと多くの揮発性の油で溶いて、表面をカサッと仕上げます。とりわけゴーギャンという画家は、ちょっと粉をふいたような、白っぽくなったくらいの表面のテクスチュアを好むのですが、ゴッホは絞り出したまま、ほとんど揮発油で溶かないツヤツヤとした絵具を好みます。会場でご覧になると、そのことがとてもよくお分かりになると思います。

 ゴッホはそれほど絵具のツヤを大事にした。セザンヌやゴーギャンやシニャックにとって、絵具は、自分が描きたい対象なり主題なりを描くための手段という部分があります。けれども、ゴッホの場合は、絵具が単なる手段ではなくて、絵具がそのもの自体としてツヤを持ち、盛り上がりを持ち、存在感を持っている。絵具は「畑の土であると同時に絵具である」といったこと、それはゴッホがパリで印象派に学び、スーラやゴーギャンからもいろいろ刺激を受けながら自らの道としてアルルで確信し、展開していったと思われています。

 これなんかも、色彩からいってもテーマからいっても何の変哲もないもので、まさに「絵具のタッチを見せる」「絵具のタッチを感じてほしい」それだけで成り立っているような作品ですね。あるいは、今回来ているアムステルダムのゴッホ美術館の(種蒔く人)。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh35.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh36.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


この左側の(種蒔く人)は6月に描かれたもので、まだゴーギャンが来る前のものです。ですから、画面全体はわりと単純であるし、(種蒔く人)という主題は、ゴッホにとっては概念的なものなのですが、種蒔く人の姿もそれほど大きくはなっていません。

 先程の話にもう一度戻ると、同じ(種蒔く人)でも、これはゴーギャンが来る直前に描いたものです。種蒔く人が風景画全体の中で一番小さくなっている。色彩の点でも地味なものになっていて、むしろ畑のごつごつとした土がメインになっている。ゴーギャンが来る直前には、ゴッホはここまで風景画の試みを進めているのですが、ゴーギャンが来ると、この同じ(種蒔く人)という主題でも、ずいぶん違ったものになります。

 これがゴーギャンが来たときに描かれたもので、ゴーギャンが来る前はこうだったものが、ゴーギャンが来ると、いきなりゴーギャン張りのものになって、「種蒔く人」も画面の後ろのほうにいるのではなくて、中央に出て来ることになります。そして、これが一番ゴーギャンの影響の強い(種蒔く人)です。先程、ゴーギャンが来たことによって人物画がメインになってきたと言いましたけれども、風景画の中でも、たとえば(種蒔く人)を描いた風景画の中では、これだけハッキリとゴーギャン張りの作風が強くなってきます。

 これなんかは、ゴーギャン張りであると同時に、パリで学んだ広重、日本の浮世絵から学んだようなものが強く反映されています。あるいはゴーギャンが直前に描いたこういうものの影響は明らかです。それから、ゴーギャンの影響という点で忘れることができないのは、左側のゴーギャンが描いた(青い木のある風景)。これも当時のゴーギャンの典型的な風景画で、ゴーギャンはこういう様式を持っていたのですが、おそらく「風景画もこういうふうに描け」とゴッホに言ったのでしょう。
 それがよく分かるのは、ゴーギャンがゴッホと机を並べて描いた(ルーラン夫人)です。背景にあるこれ、何だと思いますか? 実はゴーギャン自身の絵なんですね。おそらくゴーギャンは、この絵をアルルへ持って行き、ゴッホに見せることによって、ゴッホの目の前で「風景画はこう描くものだ」と示したのでしょう。
 これだけではありません。これはゴーギャンがアルルで描いた有名な(ゴッホの肖像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_104.jpg

ゴッホが(ひまわり)を描いているところ。アルルで、ゴッホの前でゴッホの肖像を描いた、その背景にも、やっぱり同じ作品の部分があります。ちょっと構図は違いますけれども、黄色い道があって、緑の道があって、青い木が生えている。だからゴーギャンはゴッホの前で、風景画においても「とにかくこう描くのだ」ということを、とてもハッキリと強要したと言ってもいいと思います。そういうことをやっている。ですから、人物画ではなくて、風景画においても、ゴッホの中には大変ハッキリとゴーギャン張りがあらわれてきます。 

 これはアルルの有名な名所である古代の石のお墓が並んだ並木道です。実際のアルルの景色を前にゴッホが描いたものですが、これは明らかにゴーギャンのこの作品を手本にしていますね。


http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin98.html

ゴーギャンの作品を手本にして、それを非常に単純にしたようなもの。
ですから、ゴーギャンが来たことによって、人物画がメインになっただけではなく、風景画においても、ゴッホがそれまで持っていたアルルで獲得した持ち味がなくなって、言ってみれば、紋切り型というか、型にはまったような風景画になってしまったのです。


サン=レミからオーヴェールへの旅立ち


 もう1点、これなんかも典型的ですね。左の絵なしにはあり得ないもので、これなんかも、ゴッホの作品の中では、ほんとうに型にはまった身動きのとれないものになっています。もちろん、手前に木の幹を並べて、画面の上とか下で切ってしまうというのは、広重の作品なんかでも見たような、日本の浮世絵の影響がありますが、そういう日本の浮世絵から受けた影響なども、とても図式的なものになっていると言わざるを得ないと思います。

 こういうふうに、88年の10月からゴーギャンの影響があって、12月にゴーギャンとの決定的な衝突があって、耳切り事件があって、ゴッホは入院する。その間にゴーギャンは怪我をして入院したゴッホを置き去りにして、パリに逃げ帰ってしまうわけです。しかし、ゴーギャンがパリに逃げ帰ったことは、個人史としてはともかく、美術史の立場からすると、ゴッホにとってはとてもよかったと思います。つまりゴーギャンがいなくなったことによって、制作の上ではゴッホはすぐに自らを取り戻します。

 自らを取り戻したところ。これは、ゴッホが入院していたアルルの病院の中庭を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_jardin00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%95a%89@%82%CC%92%EB%81i%83A%83%8B%83%8B%82%CC%97%C3%97%7B%89@%82%CC%92%EB%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_jardin

もうここでは、ちょっと前の、とてもゴーギャンの影響の強かった、画面全体を非常にハッキリとした輪郭線で描き、タッチが見えないほど激しい色彩をぶつけ合っていくといった様式は、すでに跡形なくなっています。たとえば、直前に見た作品と比べてみれば、ゴッホがここで再び、画面全体に散りばめられた鮮やかな細かいタッチを取り戻していることがわかります。

 左側も1889年の初めに描かれたもので、主題から言えば、手前に木を置いて、日本の浮世絵の構図の影響があるものですが、画面全体は青、白から水色、青緑という1つの色調に整えられており、その中で、手前の部分はこういう方向へ、この部分はこう、幹はこういうふうにうねるような色彩で、花咲く果樹はこういう色彩と花をあらわすプツプツとしたタッチで、空の部分は横の方向へ進む短いタッチで、というふうに、ゴーギャン滞在中に抑えられていた様々なタッチのニュアンス、バリエーションといったものが再び登場しています。

 ゴーギャンが去った後、すぐにまた本来の自分の様式を取り戻したゴッホは、この後、誰にも邪魔されず、アルルから離れたサン=レミの病院に閉じ籠もります。個人史からすると、「病院に閉じ籠もる」というのは大変なマイナスですが、誰の影響も受けず、誰からも何も言われずに、自らの思うまま、周辺にある自然を相手にして描く、そういう環境が生まれたという点においては、アルルからサン=レミに移ったことも、美術史からすると、ゴッホの様式の展開のためには幸運だったという気もします。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari1/main.html


重工業化、近代工業化とともに、前の時代までの支配階層(王候貴族等)と市民と農民階層(平民たち)という身分制社会構造が、いわゆる資本主義の構造へと変化していく過程として急速に出現してくる。それが19世紀半ばから第1次世界大戦までの時期です。

 その間に大変な転換が見られるわけで、いわゆるバブル期もあれば、その反動としての恐慌もあるといったバブル・恐慌を繰り返しながら雪ダルマ式に近代資本主義世界が展開していく時代が、まさに美術史の上で言う印象派の登場からゴッホが死ぬあたりまでの大きな転換期であったわけです。 印象派やゴッホの絵画には、そのような社会的な大きな流れがいろいろな意味で深い関係を持っていたということがきょうのお話になります。


ゴッホの自画像

 
このスライドは、左右両方ともゴッホが描いた(自画像)です。左側のパリで描いたものは、印象派あるいはスーラなどの影響を感じさせます。明るく鮮やかな色彩、細かいタッチで描いていくという作風だったわけですね。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:WLANL_-_MicheleLovesArt_-_Van_Gogh_Museum_-_Self-portrait_1887_-_1888.jpg


 それに対して、右側はアルルで描いた(自画像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_Willem_van_Gogh_111.jpg


先週見たように、アルルでは、風景画でずいぶん大胆な展開がいろいろあったわけですが、人物画の場合にはどちらかというと、奔放なタッチを見せるというよりは、わりと輪郭線がはっきりとして、大きく色の面が並べられるといった作風になっています。もう一つアルルでの人物画の特徴は、わりと抽象的な概念が付いているということでした。これも有名な、日本のお坊さんとしての(自画像)というものですが、かなり概念性の強いものですね。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memec00&picture=%91m%97%B5%82%C6%82%B5%82%C4%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


 アルルでの人物画の特徴をいちばん典型的に示している(自画像)といえば、この作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memeb00&picture=%83p%83C%83v%82%F0%82%AD%82%ED%82%A6%82%E9%95%EF%91%D1%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81i%93%AA%82%C9%95%EF%91%D1%82%F0%8A%AA%82%AB%96%D1%94%E7%82%CC%96X%8Eq%82%F0%94%ED%82%C1%82%BD%83p%83C%83v%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


ゴーギャンとの事件があり、入院して、まだ退院できるかできないかという頃に描いた、パイプをくわえて、耳を切ったあとの包帯がある(自画像)ですが、まさにゴーギャンの影響が典型的に表れていますね。

 ちょうど同じころゴーギャンが描いたゴーギャンの(自画像)もずいぶん概念性の強いものです。頭の上にはまるでキリスト教の聖者であるかのように光輪が付いています。このゴッホの(自画像)は、ゴーギャンの作品に典型的に見られる、輪郭線がはっきりして、背景なんかもキッチリ色で分けて塗っていくようなやり方を示しているわけです。

 しかし、遂にゴッホはゴーギャンの影響から脱して、サン=レミからさらにオーヴェールへ移り住みます。そして最晩年の作品になると、完全にゴーギャンを越えてゴッホ自身の様式を確立しています。

 たとえば、これも有名なサン=レミでの代表的な(自画像)ですが、画面は鮮やかな色彩がぶつかり合うというよりも、ほとんどもう1色で、顔のオレンジっぽい色と背景の薄青というほとんど2色になっています。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:SelbstPortrait_VG2.jpg

画面がどう構成されているかというと、特に重要なのは背景の部分で、べっとりと二つの鮮やかな色に塗られていたアルル時代の(自画像)に比べれば、後ろの部分は1色で、しかし、その1色の部分に炎のように渦巻くような筆のタッチが見られます。こういうふうに、色彩、絵具の力、それ以上にタッチのうねり、タッチの組み合わせで画面を見せていく作風が、このサン=レミの(自画像)にも非常にはっきりと表れています。


サン=レミからオーヴェール


 このようなことが典型的にサン=レミ時代の油彩画に見られます。これなども、パッと見ると風景画というより抽象絵画ではないかと思われるぐらいです。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv032.htm


サン=レミの近くにあった岩山や洞窟地帯の風景画ですけど、画面に何が描かれているかというよりも、われわれの眼前には「絵具のうねりがある」「タッチの絡み合いがある」といった作品です。ほんとうにパッと見ると抽象画じゃないかと思えるような絵具の力を見せている。そのタッチのうねり、組み合わせで見せていくことが、もうサン=レミ時代にはごく当たり前のことになっています。

 タッチの使い方にもいろいろあります。これはもう少し分かりやすい、サン=レミの病院の入口を描いたものですが、空の部分、木の部分、幹の部分、地面の部分と、さまざまなタッチを組み合わせている。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hospital_in_Saint-Remy.jpg

もしこれが平面的にペタッと塗られていると、ずいぶん違った感じになるだろうと思わせる作品です。

 ゴッホのサン=レミの病院の窓から見た風景があります。病院の近くの麦畑とか(オリーブの果樹園)です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv034.htm


先ほどの岩山の様相などと並んで、このオリーブ園などは、「オリーブが描きたい」「山が描きたい」というよりも、山やオリーブの樹という形を借りて「タッチの躍動感を見せたい」というか、「絵具がうねるような世界」といった感じの作品になっています。そういう意味では、ゴッホのサン=レミ時代の作品の中では最も抽象性の強い作品だと思います。


 この麦畑もそうですね。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh110.html


(刈取る人のいる麦畑)ですが、画面全体がほとんど真っ黄色になっている。そして、地面の刈り取られた麦の部分と空の部分とは、タッチの違いだけで対象の違いを描き出しています。

 次はサン=レミ時代、ゴッホの見事なタッチの頂点にくる2点です。左側は(星月夜)(何年か前MOA展覧会で日本にも来ている)、右側は(糸杉と星の見える道)(1890年)(今回のゴッホ展に来ている)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_cypres00&picture=%8E%85%90%99%82%C6%90%AF%82%CC%8C%A9%82%A6%82%E9%93%B9%81i%96%E9%82%CC%90%AF%8B%F3%81A%89%D7%8E%D4%81A%92%CA%8Ds%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_cypres


この(星月夜)は、ほんとうの空には渦巻きなんてないのですが、夜空の星の輝き、星と月の光が満ちている夜空をこういう大胆なタッチの渦で描いていくことをゴッホは行っています。

 つづいて、最後の半年ほどのオーヴェール時代の作品をお見せします。サン=レミで培われた彼の手法はオーヴェールでも一層展開されています。右側は広島美術館所蔵の(ドービニーの庭)という作品ですが、色彩の変化はそれほど大きくありません。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv079.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv080.htm


ゴッホは色彩の画家と思われがちですが、サン=レミとかオーヴェール時代の作品だと色の幅はそれほど大きくない。どちらかといえば、わりと一つの系統の色ですね。(ドービニーの庭)にしても、白から青と緑の幅を越えていないのです。でも、それほど大きくない色彩の揺れの中で、濃淡と明暗、タッチの違いで画面をこしらえているわけです。

 有名な(オーヴェールの教会)と(カラスのいる麦畑)といった作品は、どちらかといえば色の塗り方が平面的で、鮮やかな色彩がぶつかり合っています。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


しかし、同じ麦畑でも、ほとんど同じ時期に描かれた、黄色と青の色彩のぶつかり合う(麦畑)もあるかと思えば、先ほどの(ドービニーの庭)と同じように、白から青、水色、薄緑、青、緑といった辺りまでのおとなしい控えめな色彩でタッチの変化を見せていく麦畑も描かれています。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh109.html

 ゴッホにとって、手段は単に強烈な色彩だけではなくて、タッチがとても重要な役割を果たしていたのです。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm

(パリ)ゴッホと浮世絵
http://www.youtube.com/watch?v=3TFv_rqFNIU

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
1. 赤かぶ[8604] kNSCqYLU 2019年4月05日 01:59:35 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3643]

鈴木氏優位、石川氏追い上げ 道知事選 投票先3割未定 本社世論調査
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292052?rct=n_governorshiprace
04/01 05:00 北海道新聞

 7日投開票の道知事選と札幌市長選を前に、北海道新聞社は3月29〜31日に行った全道世論調査の結果に独自の取材を加味し、終盤に向けた情勢を探った。知事選では自民、公明両党などが推薦する前夕張市長の鈴木直道氏(38)がなお優位を保つものの、立憲民主など野党5党が推薦する元衆院議員の石川知裕氏(45)が追い上げの勢いを増している。3割が投票先を未定とし、情勢は流動的な要素が残る。

 鈴木氏は公明党支持層の8割、自民党支持層の7割、無党派層の4割を取り込むが、いずれも3月15〜17日の前回調査より1割ほど下落した。女性の支持でリードし、世代別では40代で5割を固めた。

 石川氏は立憲民主党支持層の7割、共産党支持層の8割近くを固めた。無党派層の支持は3割だった。男性の支持は4割台で鈴木氏と拮抗(きっこう)している。年代別では若年層で引き離されているが、70代以上で4割と鈴木氏に迫る。

 地域別でみると、鈴木氏は胆振・日高管内や上川・留萌・宗谷管内、渡島・檜山管内で5割を超え、大票田の札幌市などでも石川氏を上回った。石川氏は地盤の十勝管内の支持率が5割台で鈴木氏を抑え、夕張市がある空知管内は4割と鈴木氏とほぼ並んだ。

 職業別では、鈴木氏は自営業や民間企業従事者、主婦層でほぼ半数と広く支持を集める。石川氏は公務員・団体職員の5割以上が支持する。前回知事選で4選した高橋はるみ氏に投票した人は、5割が鈴木氏を支持し、落選した佐藤のりゆき氏に投票した人の7割が石川氏を選んだ。

 知事選に関心があると答えた人は86%に上り、前回調査から5ポイント増えた。「大いに関心がある」は37%、「ある程度関心がある」は49%で、「あまり関心がない」は10%、「全く関心がない」は5%だった。

 投票先を決めていると答えた人は73%で、前回調査から12ポイント増加。「決めている」47%、「だいたい決めている」26%で、「まだ決めていない」は27%だった。(小林史明)

◎ ▽調査の方法 北海道新聞社が北海道新聞HotMedia(ホットメディア)=旧北海道新聞情報サービス=に委託して29〜31日、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話するRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法で行った。知事選は道内全域、札幌市長選は札幌市内に住む、いずれも18歳以上の男女が対象。実際に有権者がいる世帯にかかったのは全道調査が1036件で、うち808人が回答。札幌市内調査は734件のうち530人から回答を得た。記事中の数値は小数点以下を四捨五入したため、合計が100にならない場合がある。

















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c1
コメント [近代史3] 凡人が天才になる方法はあるか? 中川隆
7. 中川隆[-10931] koaQ7Jey 2019年4月05日 02:02:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1097]

まともな人間は芸術家にはなれない _ 3


ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか?

『楽園への道』

  「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。

「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。二人は、祖母と孫の間柄でした。

41歳で亡くなったフローラの短い人生を象徴するのは、彼女を絶えず襲う膀胱と子宮の痛み、そして心臓の近くに食い込んだ銃弾でした。原因は、夫であった版画家のアンドレ・シャザル。ペルー人の父親の死後、貧困な生活の中で母親から無理強いされた結婚。「夫と暮らしたあのぞっとする4年間に、一度として愛の営みをしたことがなかった。毎晩、交尾した。いや、交尾させられたのだ」。この下腹部の痛みは、結婚以来続いています。胸の銃弾は、フローラが裕福な叔父のいるペルー(夫からの逃亡先)からフランスに戻り、自らの半生を書いた自伝で成功を収めたときシャザルに撃たれ、手術後心臓近くに残ったものです。

 アリーヌは、シャザルとの間のフローラの3番目の子供。アリーヌは、シャザルに3度誘拐され、強姦されます。フローラはシャザルを告訴し、その争いの中で、シャザルに撃たれたのです。不幸な娘アリーヌは、ジャーナリストのクロヴィス・ゴーギャンと結婚し、ポールを生みます。1848年の革命後、クロヴィスは家族を伴って、新天地を求めてペルーに向かいます。しかし旅の途中で病死し、アリーヌは二人の子供とともにペルーへ。ペルーでは、裕福な祖父の弟に歓迎され、アリーヌも子供たちも、生まれて初めて幸福な日々を送ります。ポール・ゴーギャンが、南の地に「楽園」をイメージするのは、このときの体験によるものです。

 ポール・ゴーギャンは1891年6月、タヒチに到着します。43歳のときです。93年に一度フランスへ帰りますが、95年再びタヒチへと戻ります。1901年9月にタヒチから更に「未開」の地マルキーズ諸島に移り、03年に55歳で亡くなるまでその地に住み続けました。

 タヒチでの最初の妻テハッアマナをモデルに描いたのが『マナオ・トゥパパウ(死霊がみている)』。裸でうつ伏せになったハッアマナがトゥパパウ(死霊)に怯えている。ヨーロッパがなくしてしまった幻想的な経験に、ゴーギャンは興奮に震えます。

 『パペ・モエ(神秘の水)』。樵の少年と彫刻の素材を探しに、山に入っていきます。冷たい水の中に入り、少年が身体を寄せてきます。「青碧色の空間、鳥のさえずりもなく、聞こえるのは岩に当たるせせらぎの音だけで、静寂と安らかさ、解放感が、ここはまさしく地上の楽園にちがいないとポールに思わせた。またもやペニスが硬くなって、かつてないほどの欲望に気が遠くなりそうだった」。ゴーギャンは、マフー(両性具有者)に、偉大な異教文明ならではの自然さを感じます。著者バルガス・リョサのホモ・セクシャルなシーンは、ここでも美しい。

ゴーギャンは主張します。「美術は、肌の白い均整の取れた男女というギリシャ人によって作り出された西洋の美の原型から、不均衡で非対称、原始民族の大胆な美意識の価値観に取って代わられるべきで、ヨーロッパに比べると原始民族たちの美の原型は、より独創的で多様性に富んでいて猥雑である。・・・

原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾ること、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している」と。


 盲目の老婆のエピソードは、ゴーギャンの立ち居場所を示唆して、興味深い。ゴーギャン自身も、極度に視力を衰えさせています。ボロを身にまとった老婆が、どこからともなく現われます。杖で左右をせわしく叩きながら、ゴーギャンのもとにきました。

「ポールが口を開く前に老婆は彼の気配を感じて手を上げ、ポールの裸の胸にさわった。老婆はゆっくりと両腕、両肩、臍へと手でさぐっていった。それからポールのパレオを開いて、腹をなで、睾丸とペニスをつかんだ。検査をしているかのように、彼女はつかんだまま考えていた。

それから表情を曇らせると、彼女は胸糞が悪そうに叫んだ。「ポパアか」・・・
マオリの人々はヨーロッパ人の男をそう呼ぶのだった。」

ポリネシアに「楽園」を夢見てきたゴーギャンの、挫折の場面です。セックスによって原始にアプローチし、そしてセックスによって原始から挫折するゴーギャン。1903年、ひどい悪臭を漂わせながら、死んでいきました。

そして、最も忌み嫌い反抗し続けたカトリック司教の決めた場所に埋葬されました。 墓碑銘としての司教の手紙には、次のように書かれていました。

「この島において最近、記すに足ることはひとつ、ポール・ゴーギャンという男の突然の死だが、彼は評判高い芸術家であったが神の敵であり、そしてこの地における品位あるものことごとくの敵であった」
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/01/post_937b.html


ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

.

1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html


 ▼ゴーギャンは何故タヒチへ向かったのか?/金丸好良(自由文筆家)▼

「僕は、ゴーギャンで初めてタヒチを知ったんです。そこで、ゴーギャンが、いかにイカレた芸術家だったのかを話したいと思います。はっきり言ってこの人ヤバイ!フランスからタヒチまでなんて、むちゃくちゃ遠いんです。当時で10週間。70日ですよ。こんなに遠いのに何故行ったのか? じつは、出生に関係があるんです。

ゴーギャンは、1才から7才までペルーに住むことになり、黒人の召使いがいるボンボン生活。友達は、中国人の女の子。これもカギを説く1つです。子供の頃の経験は、のちの人間形成に影響すると言いますから。彼のタヒチ体験の基礎は南米のペルーにあるのです。ここがポイント!

フランスに戻ると協調性のない放浪癖のあるちょっと変わった子供で、馴染めなかった。義務教育が終わると、ゴーギャンは見習い水夫に。海への憧れが強かったんですね。彼は何を求めていたのか?『楽園(パラダイス)』です。彼にとって、幼少時代のペルーの生活がまさに楽園だったんです。ゴーギャンは、一生この『楽園』を探し続けるのです…」
http://www.peaceboat.org/cruise/report/32nd/apr/0420/index.shtml

わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。

ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。

〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891)

〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01521.html

『ゴーギャン オヴィリ』
一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。

ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。

もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。

ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)

これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。

中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)

ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。
http://www.msz.co.jp/news/topics/01521.html


ピトケアン島の出来事

 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。

 副航海長フレッチャー・クリスチャンに指揮された反乱水夫たちは艦長のブライを拘束、ブライは艦長派と目された乗組員とともに小型のボートに乗せられて茫洋たる太平洋に放り出された。反乱者たちは、ブライたちは死んだだろうと思っただろうが、艦長たちは奇跡的に小型ボートではるか3700マイル離れたオランダ領のインドネシアまで航海することに成功した。遠く離れた南太平洋上のこととはいえ、イギリス海軍が反乱者たちをそのままにしておくわけがない。追手が差し向けられ、クリスチャン一味の捜索が行われた。追跡部隊はバウンティ号の航海の目的地であったタヒチ島に残っていた乗組員たちを拘束することには成功したが(うち、3名が絞首刑となった)、バウンティ号とともに太平洋に消えた残りの者たちの行方は杳として知れなかった。

 バウンティ号と反乱者の一党の行方がわかったのは、それから約20年後の事である。アメリカの捕鯨船が、名前は付いているが上陸されたことのない島、ピトケアン島に立ち寄ったところ、バウンティ号の乗組員とその子孫たちを発見したのである。クリスチャンたちは、タヒチの女性と男性を連れて発見されにくいピトケアン島に逃げ込んでいた。

 しかし、反乱者たちは、女性と酒が原因で同士討ちを演じ、アメリカの捕鯨船に発見された時に反乱のメンバーで生き残っていたのは水兵のジョン・アダムス一人だけであった。ジョン・アダムスは敬虔なキリスト教徒となっており、ピトケアン島は白人とタヒチ女性の混血からなる一種のキリスト教の桃源郷となっていた。

 この軍艦バウンティ号の反乱は日本ではそれほど知られていないが、西洋ではかなりメジャーな事件で、海洋の事件としてはタイタニック号の遭難に匹敵するほどの知名度を誇るといい、欧米では多数の研究や小説があり、戦前から何度か映画化もされている。また、バウンティ号の復元船も作られているという。

 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。これは牧歌的で、敬虔なキリスト教徒たちの住む島である、というピトケアン島のイメージを著しく損なうものであり、刑事事件にも発展した。その経緯は、インターネットのフリー百科事典の「ウィキペディア」にも詳しく記述されている。

「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(英語)
「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(日本語)

 ピトケアン島の男性たちの擁護として、ピトケアン島に移り住んだ反乱者たちはタヒチの女性を妻としており、反乱当時のタヒチの習慣はかなり性的に自由なものであったから、それを現代の基準で裁くのは酷ではないか、というものがある。
 たしかに、タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。

男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」
 
 また、有名なイギリス人のキャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。

 と、ここまでは割合に知られたタヒチの性習慣である。では、もう一方の当事者、18世紀末のイギリスはどうだったのだろう。

 18世紀のイギリスは、当時としては珍しく、晩婚の世界であったことが知られている。男子の場合は二十代後半、女子の場合でも二十五歳以上で結婚、というのが普通であったらしい。ほとんど現代と変わらないくらいの結婚年齢である。ただ、晩婚である事情は現代とはずいぶん違う。長期の奉公人制度や、結婚生活を維持するための経済力をつけることが難しいために、やむを得ず結婚が遅れていたというのが実情らしい。貴族やジェントルマンに生まれても、長男でないと同じような境遇であった。

 結果、血気盛んな若者たちが思春期から10年以上独身生活を余儀なくさせられることになる。近代のイギリスの勢力の拡大は、これらリビドーを持て余した青年たちのエネルギーによってもたらされたとする見解があるほどだ。

 平均的な結婚年齢はともかくとして、実際にはどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」

 つまり、タヒチだけでなくイギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。

 当時の水兵というのは社会的な身分が低く、監獄に行くよりは船に乗る、という手合いまでいたという。彼らは、たとえイギリスに戻ったとしても結婚をすることは容易ではなく、仮にできたとしても極貧のなかで生活しなくてはならないことは目に見えていた。

 それが、タヒチに来て見ると、本来は結婚相手にしたい十代の女性がいて、生活も安楽である。このままここに残りたい、と思っても不思議はない。実際、タヒチへの航海では、水兵の脱走というのはよくあった。これで水兵たちに同情的な幹部がいたら、反乱になるのはある意味では必然であった。

 艦長のブライは反乱の原因について、

「わたしはただ、反乱者どもがタヒチ人のところでイギリスよりもいい暮らしができるだろうと確信し、それが女性たちとの関係にむすびついて、全体の行動の基本的な動機となったにちがいないと推測するのみである。

(I can only conjecture that the mutineers had assured themselves of a more happy life among the Otaheiteans , than they could possibly have in England; which, joined to some female connections, have most probably been the principle cause of the whole transaction.)(William Bligh & Edward Christian The Bounty Mutiny(2001)11.)」と書いている。

 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。
(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」


 
 キャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


究極のSEX ポリネシアン セックス

ポリネシアン セックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスの奥義を指す。

ポリネシア/ギリシャ語「多くの島々」と言う意味のポリネシアはハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ1辺が約8000キロの三角の内側の島々、イースター島をさす。ミクロネシアは太平洋中西部の諸島群で、カロリン諸島、マーシャル諸島などがある


「エロスと精気」

これは男性上位の力を誇示するようなアクロバットな性技ではなく、ゆっくりとした時間の中でお互いの命の声を聞きながら行う静かな愛の形です。

実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。性交するときは、前戯と愛撫を少なくとも1時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。挿入したのちは、男女は最低30分は身動きせず抱き合って、それから前後運動を始める。

オルガスムがあったのちも、長時間性器を結合させたまま抱き合っている。35分ほどこの抱擁を続けていると、全身においてオルガスムの快感の波が次々と押し寄てくるのを感じ初めることだろう。あなたが男性であれば、射精をしないまま相手と一体になって全身が突然さざ波のように震えるだろう。そうなれば、体を離さずに震え没入し、震えそのものになるべきだ。その時、2人の体のエネルギーが完全に融合している実感をもつであろう。

男性に勃起力がなくなるような感じになった時、女性に性感がなくなるとき、そのときだけ動きが必要になる。その場合でも、興奮の波は非常に高い所にだけ置いておき、ただし、頂点まで昇らせてオルガスムとして爆発させるのではなく、心をおだやかにしてエネルギーのなかに身をまかせるのである。つまり、挿入後に萎えてしまいそうになった時、それを防ぐ為のみ、うごかしてもいいということだ。しかし、そのまま動きに没頭するのではなく、射精に達する前に再び動きを止めて、抱擁を続る。

男女はベットにそれぞれ楽な感じに寝る。2人の上半身は離しておき、骨盤の部分はくっつけ合う。女性は仰向けになり、男性は体の右側をベットにつけて身を起こす。足はお互の体にからませる。男性は左足は女性の足の間に割って入り、女性の左足は男性の腰の左に乗せる。互いに相手の負担をかけることなく、くつろげる姿勢であるとこが重要だと言う。そうして、身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。
http://rena-i.jp/porisex.htm

「ゴーギャン」
南太平洋、フランス領ポリネシア。 タヒチ。

とあるホテルの5つの簡単な決まり事。

1つ、ゆっくり動きなさい。
2つ、気持ちをリラックスさせなさい。
3つ、家に置いてきたペットのことは忘れなさい。
4つ、お堅い話も忘れなさい。
5つ、バターの値段を考えるなんてもってのほか。

この島では、日が昇ったら起き、
お腹がすいたら食べ、
眠くなったら眠るのです。

何もしないで、ただボーッと海を眺めて過ごす。
それが、一番の贅沢。

今日の一枚は、そんなタヒチで描かれました。
といっても、今あるのはアメリカですが・・・。

場所は雪のニューヨーク州、
オルブライド・ノックス・アートギャラリー。

二人の慈善家によって集められた名画の数々・・・。
でも、お目当てはこの先。急いではいけません、ゆっくりと。
そう、この絵が「今日の一枚」です。

「マナオ・トゥパパウ」

ポール・ゴーギャンの作品。

そのポール・ゴーギャンは、
タヒチといえば名前があがる後期印象派の巨匠。

セザンヌを学び、ジャポニズムに走った元日曜画家。

ゴッホとの共同生活でも、自我の強さから喧嘩別れ。
傲慢とわがままを芸術の糧としたポール・ゴーギャン。
パリに失望し、やってきたのがタヒチ。
求めたものは汚れのない原始。

そして、タヒチの女性をモチーフとする
数多くの絵を生んだのです。
強烈な色彩と大胆な構図。
ゴーギャンのタヒチ。

そんな作品のなかで、異彩を放っているのが、
この「マナオ・トゥパパウ」です。

大きく見開かれた少女の目。
凍り付いた視線。
背後にうずくまる不気味な影は?

ゴーギャンが南海の楽園で見つけた原始とは、いったい何だったのか。

南緯17度、西経149度。
1年間の平均気温は25度前後。
タヒチは今でもよく、南海の楽園と呼ばれています。

パペーテはタヒチを訪れた人が必ず立ち寄るフランス領ポリネシア唯一の都会。

ゴーギャンが植民地のタヒチを訪れたのは1891年、43才のとき。
フランスの港を出てから実に2ヶ月の船旅でした。
当時、パペーテの人口はおよそ3000人。
その一割にも満たないフランス人が、タヒチの政治、経済を仕切っていました。
その頂点に君臨するのが、フランス本国から任命された総督です。
当時はカリブ海出身のラカスカードという男。

総督

「タヒチについたゴーギャンが私に会いに来た。
私は快く彼を迎えた。

ようこそゴーギャン君、総督のラカスカードだ。座りたまえ。
このパペーテには教会から病院、カフェーまで揃っておる。
私の自慢の町だ。
パリから来た君でも困ることはないよ。
そうそう、芸術特使の君にぜひ、肖像画を描いてもらいたいというものがおるそうだ。
まずはいい絵を描いてくれたまえ。

おや、何か不満でもあるのかね?」

ゴーギャンは、話の途中で席を立ってしまった。 いったい、何が気にくわないというのだ。

パペーテの街角で、ゴーギャンが見たもの。
それはパリと同じ喧騒、そして香水の匂い。
自分が求めた原始の楽園は、そこにはなかったのです。
失望、そしてこみ上げる怒りに似た感情。

そもそもの発端は2年前。
パリではエッフェル塔が完成。
万国博覧会が開かれました。 鉄が支配する新しい文明の幕開け。
しかし、ゴーギャンが惹かれたのは、同時に開設されていた植民地パビリオンでした。
東洋の神秘、ポリネシアの原始的な荒々しい文化。
パリの文明社会で暮らすゴーギャン。
彼の目に、それは地上の楽園に見えました。

そこでゴーギャンは考えました。
「なんとしてもタヒチへ行こう」と。
あらゆるコネを利用し、海をわたろうとします。
金がかからず、絵が自由に描ける地位・・・
それが芸術特使というフランス本国からもらった肩書き。


ゴーギャンがパリで思い描いた地上の楽園、タヒチ。

そこでは昔からの人々は原始の神々を崇め、ともに暮らしていました。
すべての物、すべての現象に神が宿る、そう考えられていたのです。
神話と伝説の国、ポリネシア・・・。
しかし、ゴーギャンが訪れた時はもはや過去の話。
文明によって古い信仰は捨てられ、神を祀る祭壇もすでに廃墟と化していたのです。

ポリネシア・ダンス。
体で表現する原始の言葉。
かろうじて人々の心に受け継がれてきたタヒチの神秘。

これは、豊かな実りを願い、神に祈るダンス。
戦いの前に踊り、神への誓いをたてるダンス。
分明に支配されたタヒチ、そこに残された原始の息吹。

総督
「きのう、ゴーギャンが挨拶にきたよ。 ひどく打ちのめされているようだったが、パペーテを出るというんだ。 ヨーロッパから遠ざかりたいとか、原始的で汚れのない原住民と一緒に暮らすんだとかいってた。 ほんとうに、パペーテを出て芸術活動ができると考えているのか? まあいい。じきに帰ってくるさ。」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao1.htm

<原始のイヴ>

パペーテを逃れ、ゴーギャンが落ち着いた先はマタイエア。
島の反対側、南へ40キロほど行った海辺の村。

そこで彼が見たものは・・・

素朴で原始的な暮らし。
骨太で力強い人々。
奔放に生きる女たち。

ヨーロッパ的美の基準には当てはまらないものたち。
しかし、ゴーギャンはそこに原始の美を発見したのです。
パペーテでは決して見られなかった、手つかずの美しさ。

イア・オラナ・マリア。

タヒチの聖母子像。

着ているものは民族衣装のパレオ。
がっしりしたタヒチの聖母マリア。
そして褐色のイエス・キリスト。

聖母子像の横に描かれたのは仏教徒のポーズをしたタヒチの女と、 青と黄色の翼を持った天使。

イア・オラナ・・・それはタヒチの出会いの挨拶。

副館長
「ゴーギャンの色使いはとても鮮やかで、ほとんど原色をつかった美しい色彩 で描かれています。
そして、タヒチの光をふんだんに取り入れました。
その光はポリネシアの人々に対する愛情と、尊敬の気持ちから描かれたんです。」

原始の楽園、マタイエア。

人々は神を畏れ、自然とともに生きる。
何もしなくていい、何も考えなくていい、ゴーギャン、至福のひと時。

マタイエアの人々にふれ、ゴーギャンが感じたのは、自分が求めつづけてきた原始のタヒチ。

創作意欲をかき立てられるゴーギャン、目指したのはシンプルな芸術。

細かい技法を捨て、自分が感じたことだけをおおらかに描く。

そのためには、原住民とだけ付き合い、原始の心で見ること。
それが真の芸術へたどり着く道、そう考えてきました。

しかし、その絵はほとんど売れません。


総督
「赤い水やら黄色い砂。ひどい色使いだ あれじゃ売れなくて当然だ。 しかし、この絵はどこか違うな・・・。」

原始の村マタイエアでも、文明から逃れることはできませんでした。
好みの食料品や絵の具があるのはパペーテだけ。
金・・・文明人のゴーギャンに必要なのは経済的な裏づけだったのです。
絵を買ってくれる人もいないタヒチ・・・
待っていたのは貧困。

そこで、ゴーギャンは総督のもとへ。
もっと小さな島の役人にしてもらおう。
そうすれば、金と新しい絵のモチーフ、両方が手に入ると考えたのです。

総督
「そんなわがままを話、通用するわけがない。

フン、金が欲しい? 島の役人に採用しろだと?
冗談じゃない、矛盾だらけじゃないか
ゴーギャンの求めているのは、原始の生活ではなかったのか!
なんて傲慢で、身勝手なやつだ!」

総督に冷たくされたゴーギャンは、自分の身勝手を棚に上げ、子供じみた反抗にでます。

やったことは、風刺画。
総督を猿に見立て、痛烈にからかったのです。

それは原始に翻弄される文明人の哀れでもありました。

貧困のため、絵を描く意欲も失せたゴーギャンは、気分転換をかねて、探検旅行に出かけます。

行く先は島の東側、文明から最も遠い土地。
やがてゴーギャンの行く先に現れたのは、山あいの小さな村でした。
その一軒で声をかけられます。

白人は神の使い、そう信じる村人は自分の娘を妻にと勧めるのです。
そして、運命の出会い。

「マナオ・トゥパパウ」に描かれた少女。

少女の名はテハアマナ。愛称テフラ、13歳。
タヒチでであった原始のイヴ。

テフラに一目で惚れたゴーギャン。


彼はその場でテフラと結婚し、一緒に暮らし始めます。
日の光を浴びて、黄金色に輝くテフラの肌。
ついに出会った原始のイヴ、テフラとの生活がゴーギャンの見方を変えました。

文明に毒されたタヒチは今、探し求めた原始の楽園に生まれ変わったのです。

ゴーギャンによって残された原始のイヴの肖像・・・

ゴーギャンの夢、

画家が愛してやまなかった少女・・・。


総督
「原始のイヴだって?なにを大げさな。
ただの島の娘じゃないか。
それにしても、あの絵の娘は何かに怯えているのかね?
しかも、後ろにうずくまっているあの不気味なものは何だ。
アッ、これは!」

青い海と珊瑚礁。
そして険しくそびえる山々。
さまざまな顔をもつタヒチ。

一歩奥へ入ると、そこはすでに伝説と神話の世界です。

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao2.htm

<タブー>
タヒチにはタブーがある。
死者を葬った場所は避けるように。
うつろな木の陰に横たわらないように。
もしタブーを破ることがあれば、やつが現れるだろう。

やつは寝ているものに飛びついて、首を絞め、時には髪を引き抜き、死に至らしめることがある。その名を決して口にしてはならない。

いまもタヒチに伝わるという、タブーの正体とは何か。


女1
「そうだねえ、この土地のタブーといったら幽霊のことだよ。」

女2
「子供のころに見たことがあるわ。
しろ〜くて、お化けみたいな姿をしているのよ。
本当に恐かったわ。」


「トゥパパウって幽霊さ、こんな感じのやつ・・・
ひとに取り付くと目が大きくなって、下がこんなに長くなるんだ。」

マナオとは「思う」「考える」という意味のタヒチ語。
マナオ・トゥパパウというタイトルには、トゥパパウ、つまり死霊が見ている、という意味がこめられていたのです。


総督
「トゥパパウについては、私も調査員を派遣した。
報告によると、トゥパパウの都は森の闇に包まれた山奥の奥にあるそうなんだ。
そこでトゥパパウは数を増やし、死んだ人間の魂を食らうという。

フン、もうすぐ20世紀だというのに、タヒチにはまだ下らん迷信が残っているのか。」


学芸員
「確かにトゥパパウの伝説は残っているようです。
トゥパパウとは死んだ人の霊のことで、夜の闇をさまよい歩くと考えられていました。
そのため、タヒチの人たちは闇を怖がって、寝ているときも明かりを絶やしません。
もし部屋の明かりを消してしまうと、トゥパパウが家の中に入ってきて、
寝ている間に悪さをすると信じられていたからです。」


ある日、ゴーギャンは帰り道を急いでいました。
切れかかった灯油を町へ買出しに行った帰りです。
夜中の1時、あたりは完全な闇。

夜空の月も雲に隠れていきます。

テフラの待つ小屋は闇に包まれていました。
いやな予感がしたゴーギャンは急いで部屋の中へ。
すると・・・そこは原始の闇。

思わずマッチをすったゴーギャン。
そして彼の目に映ったものは・・・
ベッドに横たわり凍り付いたようなテフラ。
うつろに見開かれたテフラの目。

タヒチの人にとって、闇はトゥパパウのすみか。
テフラには夜の闇は恐怖そのものでした。
そして、恐怖に射抜かれたように身を固くするテフラの背後に、ゴーギャンははっきり見たのです。

『私が見るものは、ただ恐怖だけでした。
それは絶え間ない恐怖である。
私のトゥパパウを発見して、私は完全に心ひかれ、 それを絵のモチーフにした』

ゴーギャンはテフラを通して、はじめて本当の原始を理解したのです。

テフラ、原始に住むイヴ。

タヒチにきて三度目の夏・・・。


総督
「ああ。おめでとう、ゴーギャン君。
君にも私にもいい知らせだ。
本国から君を送り返すように言ってきたんだ。

ここを見たまえ、資産状態が配慮に値する困窮の画家を送還すること。フランスの船で。
ただし、一番安い船に、乗せるようにと書いてある。
ともあれ、これで我らが芸術特使さまの任務も完了というわけだ。
ごきげんよう、ゴーギャン君。」

1893年7月。
ゴーギャンは本国フランスへの帰路につきます。
テフラと出会った後も、ゴーギャンの生活は決して理想のものではありませんでした。
極度の貧困、そして重なる疲労。
逃れられない文明の影。
結局、彼は逃げ出すようにタヒチを後にするしかなかったのです。

パリに帰ったゴーギャンは、このマナオ・トゥパパウに他の絵の倍以上の値段をつけたといいます。

タヒチにきたらゆっくりと動くこと。
日々の暮らしは忘れ、リラックスしましょう。

でも、夜は明かりを絶やさないように。
もし暗くしたら、闇の中からあなたをみつめる死霊と出会うことになるかもしれませんから・・・

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao4.htm


            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
          ,. ‐             ヽ
         ,.‐´               \
        /      ,l       \     ヽ
       /       l|, 、  、 |iヽ, ヽ \.   ヽ
       /     l  i ! | i  | |l'、ト ヽ iヽ ヽ  ',
       !     |  / | |. i  |.|| i.|ヽ |、 | ',   i  i
      !      ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l  .i|  i
      ! i   ,.|!,.+‐'"| | | |i}  ' ュノェ|i,`i  l.| i
      l i l   l |/;:=ニ|i  l |   /rj:ヽ\ i  l i l
      | | |   ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!.   ' {::::::;、! 〉iー | | |
      | |i. |  !; 〈 !:::::::c!     'ー''(つ }i | i.| |
      | ! | |  ;: (つ`''"    、  //// /;:i | | !. |
       | i,  i. 、////      '     /,ノi,   i. |
       ! .|  | i 、,ゝ、     、─,    /   i |  |. i
       .! |  i |. | lヽ、      ̄   /  l  | i  | !
       ! |  i |i |l l| |`''‐ 、   , イ  |i | |i | i  |. !
       | |  i |i |i .| ノ    ` ''"  ヽ/l| l__,.、-|l l  ! i、
     ,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l '           ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
      /       ! l l ̄ `     、_        | /ノi i.!  |
     ,'          ! |              ,|/ |/i'   |
    i         ` l             .ノ  ノ ' ヽ、 |
    |        ノ     ,...      ヽ、;          ヽ-,
    .!         |::     :..゚..::       i:        ゙゙''i
     |       l::        ゙゙"       |:          |
   @゙!         |::              !::        ノ


Teha'amana (マナを与える者の意)


ゴーギャンがタヒチで見出したものは何であったのか?

『ノアノア』連作版画


タヒチからフランスへ帰郷したゴーギャンは、母国のタヒチへの理解の乏しさに、絶望します。そんな母国フランスへ、タヒチの生活のすばらしさを伝えるために制作したファンタジー小説、『ノアノア』の挿し絵に使用されていた作品のいくつかを、紹介したいと思います。

ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)

教科書などでも有名な作品、『かぐわしき大地』を左右反転させた作品です。版画になり、白黒はっきりさせたものになったことで、主人公であるエヴァの表情の濃淡が、よりくっきりとしていることが印象的です。。

また、エヴァをそそのかすトカゲが、顔よりも大きく、この版画の中心に描かれていることも、気になりますね。


テ・アトゥア(神々)
マオリ族(ニュージーランドのポリネシア系先住民)の古代神話より。


中央に鎮座するのは、主神タアアロア。右側には再生の力を持つ月の女神ヒナ。左側には、大地の男神であり死の象徴であるテファトゥとヒナの対話の場面が描かれています。

これらの神々は、ゴーギャンの作品の中ではたくさん登場する、重要な役割を果たしているものです。

再生の神と、死の神が、ふたり同時に何を話しているのか、(しかも、僕が見る限りふたりは、とても官能的に話をしているように感じます。。)気になるところですね。。

マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

テ・ポ(夜)


このふたつの作品のは、「死霊に怯える女性」という同一の主題を描き出しています。


『マナオ・トゥパパウ』の女性の姿勢は、ペルーのミイラの体勢を源泉に持っています。つまり、人間の死んだ後の存在であるミイラと、同じ体勢を取っている、ということです。

しかし、死の象徴とも思えるこの作品は、見ようによっては胎児のようにも見えます。

相反するふたつのもの、つまり、生と死を一体化したふたつの境界線が揺らぐ、タヒチの夜の神秘を描き出しているようです。ふたつの相反するものを、ひとつのものの中に融合させる、ということは、人類の大きなテーマであると感じました。

また、『テ・ポ』の方は、ゴーギャンがタヒチでできた愛人、テハアマナが、夜、明かりの消えた部屋で、死霊に怯えている姿を描いた作品です。

タヒチの人々にとって夜は、霊魂が活動する、死と隣り合わせの世界にほかなりませんでした。真ん中に横たわる女性の後ろには、様々な死霊たちがこちらに目を向けています。。

このことから考えると、ゴーギャンの描く夕方の世界は、現代の我々が考えるような、単なる美しい夕焼けではなく、これから迎える夜=死霊の世界を思わせるような、ある種、最も境界線の薄れた世界を題材にしている作品であることが分かります。。

http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=83


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』後、自殺未遂を経てゴーギャンが描いた作品のうち、気になった作品をいくつか。。

テ・ハペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)
1898年 油彩・キャンパス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin128.html


『我々は〜』の関連作品です。
 

時刻は夕方、死霊が闊歩する夜が、すぐそばまで迫ってきています。

手前の4人の女性の表情は、逆光ではっきりとわかりません。微笑を浮かべているようにも感じるし、背後から迫りくる夜に、怯えているようにも感じます。。

川を挟んだ奥には、子供と手をつないだ(? 暗いので、はっきりそうとは言い切れませんが・・・)頭巾を被り、服を着た女性と、再生の女神ヒナが描かれています。その足もとには、ゴーギャンノ化身である黒い犬らしき影が、闇に紛れるようにひっそりといます。

川を境に、生と死が対照的に描かれているようです。一度死を決意し、なお生き長らえた画家の心境は、どういったものだったのでしょうか・・・?

ゴーギャンの作品にはめずらしく、奥行きがあり、見ているとからだが、絵画の中に引きずり込まれそうになる作品です。
http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=89


我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

複製画
http://www.meiga-koubou.com/item/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%80%8E%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85/


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」との哲学的思惟を迫る、しかも139×375cmという壁画のような大作を目の前にしますと、しばらくめまいのような感覚に襲われます。全裸と腰布だけの女たちが、地面の上に坐って、こちらを見ています。
画面右側には、岩の上に赤ん坊が寝ており、逆の左端には、煤のように黒ずんだ老婆が、やはりこちらを凝視しています。画面中央では男が果物をもいでおり、その足下で、少女が果物を食べています。人びとの近くには、犬と猫と山羊と鳥とが、人間たちと同様に、無表情に地面に伏せています。画面後方には、まず両手を広げた女神像があり、そして体全体を覆うような長衣を着た女たちが、右側に向かって歩いています。背景では、幻想的な樹木が、奇怪な枝を広げています。

 この絵から、アダムとイヴの禁断の実と楽園追放の旧約聖書の物語を連想することは、さほど難しいことではありません。しかし、あの禁断の果実を採ったのは、イヴではなかったか。ゴーギャンのイヴは、どうみても女ではない。マリオ・バルガス・リョサは、『楽園の道』で、果物を採る人物の腰布のふくらみを「立派な睾丸と固くなったペニス」のようだとすら表現しています。楽園追放を暗示する赤い長衣を着たふたりは、アダムとイヴのように男・女ではなく女・女であり、またキリスト教絵画にある悲嘆にくれるふたりではなく、何やら真剣に語り合っています。キリスト教の世界から題材を借りながらも、内容は別の世界を表現しています。

 左端の老婆は、観者を凝視しながら、何を訴えているのでしょうか。ゴーギャンは、フランスの博物館で見たペルーのミイラから、この人物像を創作したということです。ペルーは、ゴーギャンが幼少期を過ごしたところ。死にいく老婆は最早、生きることをあきらめ、大地に返っていくことを、我々に告げているのかもしれません。

 美術館滞在中の大半を、この大作の前にたたずんで過ごしたのですが、時間が経つにつれてこの死にいく老婆の視線が、気になって仕方がありませんでした。「我々はどこへ行くのか?」。老婆の沈黙は、この答えのない問い掛けなのかもしれません。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2009/07/post.html


“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか” はイエスが語った言葉


ヨハネ傳福音書 第8章


8:1イエス、オリブ山にゆき給ふ。

8:2夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

8:3ここに學者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、眞中に立ててイエスに言ふ、

8:4『師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。

8:5モーセは律法に、斯かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言ふか』

8:6かく云へるは、イエスを試みて、訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書き給ふ。

8:7かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』と言ひ、

8:8また身を屈めて地に物書きたまふ。

8:9彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。

8:10イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言ひ給ふ『をんなよ、汝を訴へたる者どもは何處にをるぞ、汝を罪する者なきか』

8:11女いふ『主よ、誰もなし』イエス言ひ給ふ『われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』]

8:12かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』

8:13パリサイ人ら言ふ『なんぢは己につきて證す、なんぢの證は眞ならず』

8:14イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、


我は何處より來り何處に往くを知る故なり。

汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、


8:15なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/john.xml

ゴーギャンが取り上げた “我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず”というのは罪の女の話の総括としてイエスが語った言葉なのです。即ち、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の砂漠の遊牧・牧畜民の文化では女性や恋愛・性行動を敵視し、

女児がオナニーした → オナニーできない様に女児の陰核を切除する

少女が強姦された → 男を無意識に誘惑しない様に少女を石打の刑にする

妻が夫に売春を強制された → 夫に同じ過ちを繰り返させない様に妻を石打の刑にする

女性が恋愛・不倫した → 男を惑わせない様に女性を石打の刑や火炙りにする


によって対処する伝統だったのです。 イエスが否定しようとしたのはこういうユダヤ教の伝統だったのですが、キリスト教ではイエスの教えを完全に無視し、ユダヤ教の悪しき伝統をそっくりそのまま教義として残したのですね。

まあ、パレスチナの様な砂漠地帯では人口が増えると みんな食べていけなくなるので仕方無いのですが。

_____________

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は


「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。


ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するようになるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm

ダニエル・ド・モンフレエ宛て(1898年2月,タヒチ)

「…あなたに言っておかなければならないが,私は12月に死ぬつもりだった。それで,死ぬ前に,常に頭にあった大作を描こうと思った。1か月の間ずっと昼夜通して途方もない情熱で描き続けた。…これは,高さ1.7メートル,横4.5メートルの絵だ。…

右下に,眠っている赤ん坊と,うずくまる3人の女性。紫色の服を着た2人の人間がお互いの考えを打ち明けている。

わざと大きくして遠近法を無視して描いた人物は,うずくまり,腕を上にあげ,自分たちの運命を考えている2人を眺めて驚いている。

中央の人物は,果物を摘んでいる。一人の子どもの傍には,2匹の猫がいる。そして白い牡ヤギ。

偶像は,神秘的に律動的に両腕をあげ,彼岸を指し示すかのようだ。うずくまった人物は,偶像に耳を傾けているように見える。
最後に,死に近い老婆は,自らの運命を甘受しあきらめているかのようだ。…その足元に,足でとかげをつかむ1羽の白い未知の鳥がいるが,空疎な言葉の無用さを物語っている。…」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf

ゴーギャン自身が友人モンフレエ宛ての手紙43)の中で記しているように,面右端と左端には人間の生と死を表すかのように赤ん坊と老婆が描かれている。画面中央には,果実をもぎ取ろうとする青年の姿があり,傍らには地面に座り込んで果実を食べる子供がいる。その他タヒチ女性が配置され,ヤギや犬,鳥といった動物,そして古代の神とされる偶像が描かれている。ゴーギャン当人は,大作であり日頃から温めてきた題材としながらも,作品の意図や描かれた個々の対象の意味について十分な説明をしていない。

先行研究では,まず作品タイトル《我々は…》の出典元の確認が試みられている。

ルークメーカーは,ゴーギャンのブルターニュ時代の肖像画に見出されるトマス・カーライル著の『衣装哲学』に,
O Whence─ OhHeaven, Whither?(仏語訳ではMaisd’oùvenouns nous? O Dieu,oùallonsnous?)という題名と対応する一文が見られると指摘している。また,フィールドもカトリックの秘儀を研究した書物に,作品タイトルと一致する文面があるとしている。作品内におけるモティーフと典拠元の関係においては,タヒチ時代の自身の作品からの転用だけでなく,ブルターニュ時代の作品にその始まりを見出せるものがある。

左の右手をついて横座りする女性のポーズは,1889年の《海藻を集める者たち》の女性のポーズを反転させたものである。また,左端の顔を手で押さえてうずくまる老婆の姿も,ブルターニュ時代からゴーギャンが作品に使用していたポーズであり,ペルーのミイラ像にその根拠を見出せる。タヒチ時代の作品から引用された女性像においても,ジャワ島のボロブドゥール寺院のレリーフやエジプトの壁画にその原型がある。

以上から考えられることは,タイトルから想起されるキリスト教的視点と,実際のモティーフから現れる西洋,非西洋を越えた広い視点との間に距離が生じるということである。ここで作品を改めて考察すると,《我々は…》には,我々が希求し模索しながらも到達し得ない人間存在が描かれていると言えないだろうか。ブルターニュ,タヒチ,あるいはジャワ島やエジプトといった特定の場所や人々ではなく,人間そのものへの強い憧憬がここには存在する。それぞれのモティーフは,断片的表象にも関わらず作品全体において調和をなしている。そして,そうしたモティーフの背景に存在するキリスト教やタヒチにおける信仰などの民俗信仰は,人間の祈りというレベルにおいて等価のものとみなされる。

作品タイトル《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》は,人間にとっての至上命題である。つ
まりこの絵画には,ゴーギャンがブルターニュにおいて感じたnostalgia故の人間存在そのものへの希求が見られるのである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf


後期印象派の代表する巨匠にして総合主義の創始者ポール・ゴーギャンの画業における集大成的な傑作『我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか』。

1895年9月から1903年5月まで滞在した、所謂、第2次タヒチ滞在期に制作された作品の中で最高傑作のひとつとして広く認められる本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。完成後、1898年7月にパリへと送られ、金銭的な成功(高値で売却)には至らなかったものの、当時の象徴主義者や批評家らから高い評価を受けた本作の解釈については諸説唱えられているが、

画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物(旧約聖書に記される最初の女性エヴァが禁断の果実を取る姿を模したとも考えられている)が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には(人間の生から死)の経過を表現したとする説が採用されている。

また老婆の先に描かれる白い鳥の解釈についても、言葉では理解されない(又は言葉を超えた、言葉の虚しさ)を意味する(神秘の象徴)とする説など批評家や研究者たちから様々な説が唱えられている。

画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。

さらに本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。本作に示される、強烈な原色的色彩と単純化・平面化した人体表現、光と闇が交錯する独特の世界観はゴーギャンの絵画世界そのものであり、その哲学的な様相と共に、画家の抱く思想や心理的精神性を観る者へ強く訴え、問いかけるようである。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html


「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。

死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2009/07/post-8a2a.html


この絵でゴーギャンは人の一生を一画面に表現しようとしています。「生まれて、生きて、死ぬ」生き物なら当たり前なことを描いているのです。 そしてこの絵には海が上の方に少し描かれています。

右上には朝の海が描かれ、地球の誕生を意味し、左の海には夜の海が描かれ、地球の終わりを意味しているのでしょうか。

この絵に描かれている人物はほとんどが女性です。犬や猫、鳥なども描かれています。それぞれに意味づけをしていますがどうなんでしょうか?

右の子どもは誕生でしょうし、中央のリンゴを取ろうとしている女性はイブ(エバ)を意味し快楽と苦痛を表現し、左の頭を抱えている女性は死を意味しています。

画面全体は暗いのですが、右側の女性には光が当たっていて、左側は暗い。

背景は右も左も暗く描かれ、ゴーギャンにとっては「この世は真っ暗闇だ」まではいかず、「暗闇」だくらいなのでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/60035012.html

19世紀以降、ポリネシア人はキリスト教に改宗していますが、ブルターニュ地方のキリスト教の場合と全く同じで、外観はキリスト教の衣装を纏っていても、その中身は古来のアニミズムそのものだったのですね。

ゴーギャンが描くアダムとイブやマリアも聖書から題材を選んでいますが、その意味する事はキリスト教の教えとは全く異なる物なのです。

“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか”で知恵の木の実を採るのは男ですし、

エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つのです。:


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。
あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。
おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、

「排尿をガマンできない人間」、

「性器を持たない人間」、

「よろよろして立ち上がることができない人間」


など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/321.html#c7

コメント [経世済民131] 中国が危ない!世界最悪154兆円の不良債権!   赤かぶ
18. 2019年4月05日 02:05:48 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[271]
ドイツ銀行は国家予算の数百倍のデリバティブがありその多くの部分が損失になっているとか。アメリカはゴールドマンサックスにはそれ以上の損失があるとかの話もある。もともとリーマンやメリルリンチが倒産してリーマン危機が起こったのはアメリカだし、実際どこがどうなっているかはわからない。日本ではみずほ銀行がわけのわからない理由で今期数千億円利益が減ったとか。

中国で不動産市場で空き家が大量に発生しているとかの話はあるようだが空き家なら日本もどんどん増えている。

まあよくわからん。


http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/798.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK259] 談話に“2つの鍵” 安倍首相「令和」会見は単なる選挙対策か 保阪正康 日本史縦横無尽(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
13. 2019年4月05日 02:06:31 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[118]
   有識者とやらが集まって秘密会議で決めた元号故出来上がった後で批判があるのは当然だ。幾つかをピックアップして国民や議会に選ばせるなら兎も角、選考過程を公開するのは三十年後ということだから、さぞかし恣意的だったに違い無いからだ。
  さて、令と付けば、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、黒い石も上位者がシロだと言えばその通りですと調子を合わせねば空気を読めない奴とレッテルを貼られパワハラの対象となるくらいの虐め社会では、令とは命令号令の令である。
  月百時間もの残業を強いなくてもよいものを、ワークシェアも試みずに敢えて一人を徹底して酷使するような社会風土故に、多くの一般国民は令と聞けば命令号令の類が念頭に浮かぶのは致し方なく、場の空気を読んで大勢に付くを処世術とせざるを得ず、よって個々の自己肯定感が低い故に、大量生産大量輸出時代が終了すれば、後は生産性が伸びないのは道理であろう。
  このような去勢されたような民から徴税する租税主義国では公金の財布を預かる者が社会を制するのであり、血税の財布を預かった公僕と、膨大な公金の行方を精査検証すべき内閣が一体化、公金歳出に関する事後検証機能を果たす気が無い政党が事務方と共に公益を貪れる構造となっている。
  従って確かに露出が多ければ知名度が高くなり自然に投票所で名前を書かれるだろうが、その前段として何につけても前面に出る総理大臣が総裁である政党がクローズアップされることは確かだろう。
  もし政権党総裁と総理大臣が別人であれば、党総裁は専ら選挙対策に尽力するも、総理大臣は自党の党利党略から距離を置き、野党支持者を含めた全ての国民納税者の代表としての矜持を持つことに違和感が無くなるだろう。
   総理と総裁の区別をつけ全国民代表の立場で国会に望むのは非常な神経の細かさを要し、地盤看板カバンを世襲し公金を身内に優先配分するを旨とするような代議士による内閣では到底ムリで、自党候補の応援演説に総理大臣の肩書で平気で出てしまうような者には全国民の代表は務まらない。
   内閣を拝命した後の国会に於いても尚、我が党が勝った勝ったと豪語、野党を敵視し支持率の低さを嘲笑するような者は、とてもでは無いが全国民納税者代表として行政実務を総理総括出来る器では無い。
   都市主催のオリンピックから元号制定まで、あらゆるイベントに露出して持論を展開する選挙対策を行う者が総理を務めるのは、国民納税者として違和感が否めない。
   自民党は最大多数の議員を確保したら、総理と総裁を別の人物に振り分け、安倍氏のように何でも勝てば嬉しいような人物は総裁に留めて選挙対策を任せ、総理大臣には、国会を論戦の府として真摯に運営し、行政実務の結果の瑕疵誤謬の検証を自党議員や野党議員が充分に行えるよう専門性のある者を大臣に任命するなど、国民納税者の負託にきちんと応えられる者を首班指名選挙に出すべきである。
  
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/295.html#c13
記事 [経世済民131] 投資信託、購入者の約半数が資産マイナス…「貯蓄から資産形成」を煽った安倍政権の責任(Business Journal)
投資信託、購入者の約半数が資産マイナス…「貯蓄から資産形成」を煽った安倍政権の責任
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27343.html
2019.04.04 文=小川裕夫/フリーランスライター Business Journal


安倍首相(写真:つのだよしお/アフロ)


 第2次安倍政権が発足してから6年が経過した。2019年2月10日に開催された自民党の党大会で、安倍晋三首相は「悪夢の民主党政権」と表現。あの頃に戻ってはいけないと強調した。

 しかし、安倍政権肝いりの経済政策、いわゆるアベノミクスは、金融緩和・財政出動・成長戦略の3本の矢で構成されていた。アベノミクスで、もっとも重要な役割を任されていたのが日本銀行だ。異次元緩和とも称された日本銀行の金融政策は、思い通りに効果を出せず、政権の司令的な立場にいる経済産業省が描く成長戦略も、芽が出る気配は見えない。

 そして日銀や経産省の陰に隠れがちだが、「アベノミクスにおける影の司令塔」(経済紙記者)といわれるのが金融庁だ。その金融庁の失政も如実になっている。異次元の金融緩和により、銀行の金利は低下。ゼロ金利は当たり前で、マイナス金利という前代未聞の事態にも直面した。貯金をしても金利がつかない。それどころかマイナスになる。そう言われても、将来不安を抱えた高齢者が金を使ってくれるだろうか。

 日本では従来からタンス預金と呼ばれる、銀行には預けずに家でお金をため込むという習わしがあった。そうしたタンス預金の増加は、国家経済を停滞させる。金利の低下により、タンス預金の増加を懸念した金融庁は「貯蓄から資産形成へ」というキャッチフレーズを打ち出して、しきりに市場にお金を流通させる機運の醸成に努めた。

 このキャッチフレーズは、15年に金融庁のトップに就任した森信親前長官が標榜したキャッチフレーズといわれる。森氏はNISA(少額投資非課税制度)の生みの親でもあり、まさに「貯蓄から資産形成へ」の流れをつくりだした人物でもある。「森氏は、安倍首相や麻生太郎財務相からの信頼も厚い」と話すのは、永田町関係者だ。この政策は市場に出回るお金の量を増やすことにもつながる。要するに、アベノミクスを後方支援する意味も含まれていた。

 森氏の目的は、単に市場に金を流通させることだけではない。それまでの金融庁が踏み込まなかった部分にも、徹底的に言及する姿勢を貫いていた。

 例えば、銀行や証券会社は販売手数料や信託報酬が高く設定される金融商品ばかり販売したり、複利効果が薄い毎月分配型を勧めるといった投資家の利益を無視する姿勢が強かった。

「森氏が銀行や証券会社に踏み込んだことで、日本の投資環境は少しずつ整っていった」(経済誌記者)

■アベノミクスの総括

 しかし、金融庁がいくら気を吐いたところで、日本人の投資に対するマインドは簡単に変わらない。諸外国と比べて、日本はまだ貯蓄を優先する風潮が強く、投資には消極的だ。元本保証がない金融商品では、損を被ることもある。いくら森氏が「貯蓄から資産形成へ」という旗を振ったところで、損を出すばかりなら、自然と投資への熱は冷めていく。そして、投資への温度が下がれば、必然的にアベノミクスは失敗と断じられてしまう。

 そうした日本国内における投資アレルギーを緩和させるべく、金融庁は手始めに投資信託の推奨というスタンスを取っていた。投資信託は銀行や証券会社に金を預けるだけで、預けた本人は売買をすることもなく株価をこまめにチェックする必要もない。資産運用は、ほぼ一任。投資初心者でも簡単に手を出すことができる。

 しかし、昨年金融庁が発表した統計では、投資信託をしている投資家のうち46パーセントが資産をマイナスにしたという。アベノミクスで市場の株価が上がっているなら、当然ながら多くの投資家は利益を得ていてもおかしくはない。しかも、この数字には従来なら手堅い運用で利益を出す機関投資家も含まれている。それらを踏まえると、個人投資家はかなりマイナスを被っていることが窺える。

 安倍政権は常々「景気対策は道半ば」と言い続けてきた。6年も政権を担当し、第1の矢が成功していない状況を「道半ば」と表現するのは苦しい。金融庁が掲げた「貯蓄から資産形成へ」というキャッチフレーズは忘れられつつあり、一時期は森氏を絶賛していた経済誌も掌を返している。

 アベノミクスの舞台裏で、我が世の春を謳歌していた金融庁の姿はもうない。これらは、アベノミクスが完全に頓挫したことを意味する。民主党を経済無策と指弾していた安倍政権だが、その経済政策は、残念ながら失敗したと総括されそうだ。

(文=小川裕夫/フリーランスライター)



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/812.html

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
2. 日高見連邦共和国[12972] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 02:11:18 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[1]
元気があれば〜、知事選も勝てる!ダア〜!!

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 日高見連邦共和国[12973] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 02:15:27 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[2]
新元号は、お尻『辺々(ぺんぺん)』で良かったカモ。バカ相手に戒めにもならんだろうが。(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/320.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 混迷の続く国民民主党(菅直人ブログ)国民民主党の混迷の原因は政党としての成立プロセスに原因と菅元首相 完璧帰趙
14. 日高見連邦共和国[12974] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 02:34:25 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[3]
『22A』さん!

私の誤記は不治の病!・・・と開き直ってはイケません。(笑)

まあ、誤記は誤記として、私、安倍や自民党を『強い(一強)』とは認めてませんから。

むしろ、与党、マスゴミ、B層、総まとめで『一狂』だとね。(笑)

でね、このスレッドでの“論点”は、『菅ごときが何を言う?』だと思うんですが。

要は、『オマエは黙ってろ』って事。奴がこういう発言をし、それを面白可笑しく取り上げる事
それ自体が、『野党結集を阻む意図』しか有しないと断言できるのです。むろん私がこのように
はっきりと物を言う事そのものも『敵の意図に乗っちゃってる』話なので(笑)、もう黙ります。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/284.html#c14

コメント [国際17] 世界を支配しているCIA3派とは・・・・ お天道様はお見通し
11. オリハル[259] g0mDioNug4s 2019年4月05日 02:38:12 : AmwoG4U4n2 : akVBaUg5RTRicWs=[6]
●Archangel Metatron: The True Conscious Nature & Myriad Benefits of Cats & Dogs
https://eraoflight.com/2019/04/03/archangel-metatron-the-true-conscious-nature-myriad-benefits-of-cats-dogs/

「キリスト」とは、「crysto-light bodies」という意味らしい。

http://www.asyura2.com/17/kokusai17/msg/344.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
215. 日高見連邦共和国[12975] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 02:44:30 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[4]
>>213 『22A』さん

レス入れときました。

ちなみに、少なくとも参院選が終わるまで、菅のような小物(裏切者)に対する評論は一切しません。
語れば熱くなって、批判の1つや2つや3つや4つや5つ(笑)・・・、際限なく出てきますからネ。

近々、私以外の若い作者によって『アテルイ女説』の“恋愛・38年戦争もの”が出版されます。(多分)

その際はお手に取ってネ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c215

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」への官邸誘導はやっぱりあった! マスコミが報じない有識者懇談会、衆参両院正副議長意見聴取の内幕(リテラ) 赤かぶ
6. 2019年4月05日 02:50:03 : EkPwN3PWjk : Q0VWNU1UbEtsb1E=[16]
そうはいいつつも、「令和」の原典は、誰がどう見ても『帰田賦』であり、
その内容は、腐敗政治からの解放されることを喜ぶものだというのだから、
李晋三は『万葉集』というキーワード、
そして「令」という字のいうイメージに、まんまと踊らされたに過ぎない。
そういう意味で「令和」となったことは、寧ろ大成功といえる。
李晋三はその事実に、いまだ気付いていないようだが、
カチカチ山の狸のごとく、”令和という柴”を自ら背負ってしまったのだ。
あとはこの柴に着火した火がいつ、李晋三の全身に燃え広がるかだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/318.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
216. 日高見連邦共和国[12976] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 02:50:19 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[5]
>>205>>214 『前河』さん

岩手は水沢の、北上川を渡って江刺方面へ抜ける橋の1つ、『四丑(しのうし)橋』の
河川敷に、『巣伏の戦いの地』という小さな看板が立っています。私がいつも思うのは
『巣伏戦勝の地』とは決して書かない、水沢の人間の“奥ゆかしさ”です。皮肉抜きで。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c216

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
9. 日高見連邦共和国[12977] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 02:57:05 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[6]
>>05 『佐助』さん

100%同意です!

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
28. 2019年4月05日 02:57:59 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[119]
  広中氏の説明を聞けば再逮捕の異常性を理解できるが、外国人には不可解であろうが、日本の場合は判事と検事を交代で務める判検交流システムがあり、いわば昨日検事であった者が明日は判事になるといった仰天のシステムでは、検察の言うとおりに裁判所が従うだけ、という事態は在り得るのである。
  これは完全にイリーガルだが、一種の法務官僚による既成事実化であり、これまで放任されてきた日本の司法の負の側面が出ていると言えるのであり、このような国境を超えた経営が外国人によって行われる時代には、諦観せずに早急に議会が検証し、是正しなければならない。
  いわば判事と検事が同一人物であれば必然的に考え方や論の組み立て方も同様なのは自明で、でなければ二重人格者となろう。
  判事と検事が同一人物といっても過言では無く、しかも裁判所で口裏を合わせられる出来レースでこれまで行われて来たのがゴーン逮捕で、主に推定有罪論を日本が採用している異常性と共にクローズアップされたという事だ。
  法治主義では、違法、脱法の場合にされる拘束が官権の恣意で行われる、法治主義ならぬ人治主義では無い事の証左としての裁判は不可欠であり、立法と司法は車の両輪である。
  だがその肝心な司法に無関心で、生涯に一度も裁判所に行ったことが無いとか、訴訟行為は国民の和を乱す行為だとかの偏見が、公金を預かり人治主義で采配したい勢力により風聞されていたため、判事と検事が同一人物と言えるような判検交流システムなど、法務官僚の人治主義が跋扈する、全く独立していない司法府の欠陥に多くの国民が気が付かなかったと言える。
  広中氏のいうように、別件とも言えないような内容での再逮捕は疑問で、容疑者を徹底的に消耗疲弊させる検事と判事の共謀は私刑としか思えないが、釈放に関して高額の保釈金を受け取っている裁判所は再逮捕後、保釈金を返還する手続きを速やかにしたのだろうか、それもせずに逮捕を繰り返す、あたかも保釈金詐欺は許されないことである。
  
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c28
コメント [政治・選挙・NHK259] 奇策 保釈中のゴーン逮捕で消し飛んだ「安倍‐麻生道路」(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
29. 2019年4月05日 02:59:55 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[1]
安倍麻生道路とかあり得ない

暴走や煽り、逆走などが頻発しそうだな。
多分誤認逮捕も…

世界一危険で呪われた道路になったらどうする!


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/307.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
10. 日高見連邦共和国[12978] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 03:01:07 : cGiNvDinKI : bWtmWC9SZTdWOTI=[7]
>>06

な〜るほど!(笑)

似非右翼爺(←安倍)に“婆(ババ)”を引かせたと!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号の英訳に見る日本政府の国語力。(日々雑感) 笑坊
8. 2019年4月05日 03:02:51 : EkPwN3PWjk : Q0VWNU1UbEtsb1E=[17]
いやいや原典の『帰田賦』によれば、
「令和」とは腐敗政治を嘆くものなのだから、
英訳すれば、「We deplore the corruption of politics.」となるはず。
まあこういえば、確実に諸外国では大笑いされるけれどね。
アベは自ら腐敗政治を宣言したのか、と。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/298.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号、皇室の反対で本命封印か。安倍首相の方針転換と、マスコミによる「安」の刷り込み(MANEY VOICE) 赤かぶ
79. 前河[1828] kU@JzQ 2019年4月05日 03:19:01 : VBE3UNo8zw : eHJJTndDTTJoM2s=[22]

>>76さん、

引用ありがとうございます。

>その命令の令を上に持ってくるというのは、上位者の指令を聞け、ということか。嫌な感じしかしない。

>奴隷の隷、隷属の隷だね

>国民を奴隷にするつもりか

そういうイメージを持つ方々も多いと思いますよね。支持派が6〜7割もいるのが信じがたい。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/170.html#c79

コメント [政治・選挙・NHK259] だから翼賛報道 新元号「有識者懇」にマスコミ代表ズラリ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2019年4月05日 03:33:03 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[120]
  そう言えば、あの元号の号外を受け取る群衆というのが何となくやらせ臭いのである。多くが手を空に向けてヒラヒラさせ如何にも欲しそうな表現だが、人が何重にもなった場所から手を拡げたとて到底受け取れる訳では無いのに、報道受けすることを意識してやっている印象だ。
   表情も、号外が出たからといって必ずしも目出度い内容では無いかも知れないのに揃って笑顔を作っているような印象も不自然だ。
   例によって電通あたりの発案でアルバイトを雇うかして動員したのではないかと思うくらいの、街中を偶然に歩いていた人たちでは無いような集団であり不自然である。
    ここまでやるとなると確かに裏があるのだろうがこれが演出なら末期的だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/314.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
3. 2019年4月05日 03:58:53 : Atg4j4HtSY : RUdSTUdNdWpRMGM=[1]

鈴木直道氏に投票してはいけない10の理由 - Togetter
https://togetter.com/li/1334289


夕張の惨劇・中国人の暗躍・そして暴力団
https://togetter.com/li/1329581


鈴木直道はヤバイ。。。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
12. 2019年4月05日 04:05:53 : AiChp2veWo : OXNVYjJodXEvVFE=[12]
有識者会議ってどこからどう見ても笑える。メンツが笑える。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 2019年4月05日 04:14:10 : 1GJFQVU66M : c0lqbmRoR2RQY2c=[47]
なんと、万葉集のあの令と和の記述の意味は後漢の張衡のが思いをこめて作った
「帰田賦」にあったのだ。

薄学は恐ろしい。安倍総理の軽率な元号改革が、張衡の呪いを日本の未来に招き入れてしまった。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/320.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
13. 2019年4月05日 04:24:33 : fVmzl2gB1s : d29uSUlmR05tSUU=[62]
 清和会。“S”EIWA会。……opqRStuv……。”R”EIWA会。令和。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 2019年4月05日 04:41:45 : 1GJFQVU66M : c0lqbmRoR2RQY2c=[48]
>政府は3月上旬に案を絞り込み、菅官房長官が安倍首相に説明。その際に「令和」は含まれていなかった。3月中旬以降、「令和」の考案者とみられる中西進・国際日本文化研究センター名誉教授に要請し、追加提出を受けた数案の中から、安倍首相が「令和」だけを選び、選定作業で残っていた5案に加えて有識者懇談会に示したとされる。

こんな出しゃばりが許さると総理は思っている。国民は許すべからず。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/320.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号に便乗して転機をはかる安倍政権の行き詰まり 永田町の裏を読む(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2019年4月05日 04:44:41 : f4EvO13rII : ODVKNjI4TE5xRlk=[2]
書いてある記事の内容がどう、というのではなく

この人士が、まだジャーナリストとして駆け出し、飯が食えない時代に

あの田中角栄冤罪ロッキード事件、追い落としキャンペーンの中心にいた

立花隆が、世話をしていた、という背景が、常に思い出される

その立花隆は、昨年の週刊文春に

トランプ大統領を、(英国王室&ロスチャイルド支配体制に背いた)ナポレオン

が、島送りにされ獄死したことに喩え、奢れるトランプに、鉄槌が下ると

予告めいた批判コラムを載せている

現在、そうした英国王室やロスチャイルドとも繋がる米国ディープステートの

思い通りに動かないトランプに下るよう、大統領選挙以前から画策されていた

まさしく鉄槌であるところの「ロシアンゲート」大統領選挙ロシア関与疑惑

要は、ディープステートそのものの米国民主党陣営による捏造落とし込み工作

キャンペーンに過ぎなかったことが、明るみにされ、オバマやヒラリーやFBI

らがそうした捏造冤罪キャンペーンを主導していた事実まで、暴露されている

立花隆が田中角栄冤罪ロッキード事件の大規模工作キャンペーンを展開して

いた当時とは、状況が大きく変化していることは確かであり

そもそもこのロッキード事件を立花隆という記者を使い、スキャンダラスな

報道キャンペーンを画策した、構図と背景は

ニクソン辞任に追い込んだ、ウォーターゲート事件と同じなわけである

情報提供者は当然当時の米国ディープステート陣営の手先であり

その奥には、田中角栄の独自の外交政策、イランとの原油取引や、中国との

国交回復などに、激怒したキッシンジャーが画策し、日本のマスコミそして

検察を動かし、田中角栄を冤罪で失脚させたというのが真相である

フリーメイソンだかイルミナティだか、そうした組織的な要人、政権、国家

転覆工作を実行する集団の手の内が書かれた象徴であり教則本である

「オズの魔法使い」では、一般市民に正体を暴かれた只の爺さん、は

魔法という「イリュージョン」で自身の正体を大きく見せかけ、一般市民を

騙し、支配を行う詐欺を止めるわけだが

こと、この日本では、そうした詐欺捏造キャンペーンの実態とそうした

キャンペーンを生業にしてカネを稼いでいる人士らは、

そ知らぬ振りを通して、一般市民への欺瞞報道を継続しているわけである


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/292.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK259] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) 赤かぶ
22. 2019年4月05日 04:50:16 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[188]
3/11までは原発は安全ですと推進の旗振り役をやっていた人だからね。
矛盾したことを平気で言う。全く信用できない。

「武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる」
http://blogos.com/article/11778/?axis=&p=1

日本の財政に余裕があるのなら、消費税を上げなくてもすむし、
福祉予算を削減する必要もない。
貧乏でろくに食べるものもない子供が増えることもないだろう。

福祉にたっぷり予算をつぎ込めば、自民党支持は磐石だ。

それができないのはなぜか。お金がないからだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/290.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK259] この身の程知らず 更迭すべきなのに/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
11. 2019年4月05日 04:55:31 : wkccuF6y5M : Q0FpRTQwSkZnS1U=[1]
>>10
言っている意味、よく判ります、天皇の政治利用ということで、「改元」を利用して

これまでの平成天皇こき下ろし、皇室侮蔑の悪態を過去に葬り、元号制定で自身の

格好いいところを見せて、どうせもともとインチキの捏造支持率アップを演出する

のに、利用したのだから、安倍のオナニーそのものだと?

品がないと思いますが、安倍官邸の醜い、エゴイズムをよく捉えている下ネタ川柳

だと思います、頑張ってください
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/296.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
4. 2019年4月05日 05:23:31 : 8G96MVYwYM : dHhvY2tURVdNM1E=[2]
 もう認めた方がいい。
 日本人の政治意識は恐ろしいくらい低いのよ。政治に参画しようという気持ちがない。要するに、馬鹿。そして、社会問題に対しての無知。

 じゃあ、何をもって投票するかと言えば、認知度。
 「あの人の顔知っているから…」とか「あの人の名前、知っているから…」とか、「テレビに取り上げられているから…」レベルで決めている。

 日本人の素晴らしさは「耐性」。
 どんなにひどい政治状況にあっても、耐えてしまうこと。我慢、我慢、欲しがりません、何とかなるでしょう、自分からは何にもできません、言われたことに従います…のDNAがからだの心底に染みついている。
 ものを論理的に考える鍛錬ができていないことに加え、お上による新聞、テレビを通じての愚民化も徹底されているから(情報の顕著な偏り)、多くの国民は政治を語れず、お上の言いなり。

 悲観的すぎるが、国政選挙でも、こうした流れになることが目に見える。昔は日本でも「百姓一揆」があったんだけど、覚醒できず、馬鹿者ばかりの日本では無理なんだろうね。
 鈴木と石川両人の主張が表になって述べられていても、意味が分からない道民ばかりなのでは…。

 

 

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c4

コメント [原発・フッ素51] 《拡大しつつある放射能大災害と一大隠蔽ヘレン・カルディコット博士インタビュー》カルディコット博士が安倍首相を名指しで非難 お天道様はお見通し
5. 2019年4月05日 05:35:32 : nKY6IEpLtY : Ymh0Zm56MVh3b3M=[2]
悪魔(IAEA)に魂を売ったとしかいいようがないWHO

放射能汚染と被曝で、相当数の被曝由来、突然死、早死、若死、ガン、白血病、甲状腺ガン発症
で、日本人のホロコーストが、加速度的、爆発的なスピード、数で信仰している現状

残された、人生が、どれくらいか、これまで一応当てにしていた寿命という認識が、完全に覆され
てしまった状況下

安倍友や安倍自民党議員や安倍専属使用人官僚らのように、悪魔に魂を売り渡して忖度したり
公文書書き換えや統計詐欺など犯罪に手を染めたりして、出来うる限り、出世して、金儲けをして
たらふく旨い飯や酒を食し、贅沢三昧をし、好みの女や男を抱いて、わが世の春を謳歌するか

いつ亡くなってもおかしくない状況に置かれた、日本人の人生の選択

佳人薄命、善人は早死にする、悪い奴ほどよく眠る、神を、自分がこの世に生まれる不思議を
作りだし、司る、大いなる存在を、信じ悪魔に魂を売る人生を選択しない人々

汚れのないうちに、この世を若くして去っていった知り合い、何人かと親しくしていた者にとって
やっぱり、妥協したり、悪魔に魂を売る生き方というのは、ただこの世に無駄に生き永らえる
生命欲を満たす、エゴイズムを満たす、それを延々と継続するだけの人生に過ぎないのでは
ないのかと、特に、この安倍ファシストが、あらん限りの犯罪を犯し続けて、日本を乗っ取り
牛耳っている日本では、その思いをなお一層強くしている

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/310.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] この身の程知らず 更迭すべきなのに/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
12. 2019年4月05日 05:36:36 : yhqgtQH9sI : YlRMQ1M4N3F5cGM=[49]
>任命した首相・安倍晋三、自民党の火消し係、それを中途半端に攻撃して追い詰めない野党議員。すべて国民の政治不信の元凶だ

↓↓↓

この投稿者
>それを中途半端に攻撃して追い詰めない野党議員?

ぼぉーとしてんじゃねぇよぉー❗
又、野党の批判かよぉー❗
安倍政権は「証人喚問」にも応じず、「資料提出」拒否しまくるり
法律を何本もまとめて野党が審議しにくくし、挙げ句の果ては
腐った「第四の権力=マスメディア」を味方につけて
❶馬鹿の一つ覚えの「閣議決定」❗
❷数の力の「強行採決」❗
↓↓↓
これの繰り返しではないか⁉
「良識ある国民」舐めんのもいいかげんにせい❗❗
☆☆刑事司法とメディアの腐敗が戦後最悪、最低安倍政権存続の根源❗
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/296.html#c12

コメント [カルト20] ゴラポ・自動車税(維持費抜き)米の30倍、独英の三倍。若者に見捨てられたくなければ、全般的に費用を下げる事である。 ポスト米英時代
6. 2019年4月05日 05:49:16 : MoxLEO048H : dk5vSXk3RXJ2SWc=[1]
自動車は、本体自体先ず高い
軽自動車は昔は50万円もあれば新車が買えた
現在の軽自動車は百何十万円もする
人気があるから高いのではなくそれしか売れないから売れる軽自動車で
ゼニ儲けするため高い値段設定口実作りをメーカーが行っていると
保険料毎年何万円も掛かるし掛け捨て
それこそ副島氏の生命保険のカラクリじゃないが確率と統計で
保険会社の勝ちさらにその保険料を資金にして運用してゼニ儲け
車検も毎年或いは二年毎にえらい費用が掛かる仕組み
「自動車」でゼニ儲けしている連中、飯を食っている連中が多すぎなのは
間違いない
メーカーが高いスポンサー料を支払いテレビCMとタレントで価値と値段
の高止まりを維持一般市民は貧乏人扱いされるのが嫌だから
高い自動車を高いと言わずに購入し自身のステイタス
富裕層や自称エリートや親の見栄にも使えるからメーカーはいつまでも
ぼったくりが出来る産業だと

http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/612.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK259] 室井佑月「騙されてないか」〈週刊朝日〉  赤かぶ
10. 2019年4月05日 05:50:54 : 8G96MVYwYM : dHhvY2tURVdNM1E=[3]
 つまりね、いまの日本の在り方、行方を決めているひとたちの給与って、いいのよ。みんな生活に困っていない。政治家なんて、ウハウハ、カネが入ってくる。
 要するに、生活に困っていないひとたちが物事を決めているわけだから、生活に困っているひとたちの立場になんて寄り添えない。
 まあ、何人か、本物と思える政治家もいるが、でも少数。

 おかしいよ…と思って、本来、いまの状況に問題提起すべき職業のマスごみの連中も給与がいいのよ。NHKなんて、正規の平均は1500万円は行く。こんな連中の流す報道なんて信じられます? 自らのいまのウハウハの状況が壊れかねないいまの安倍様の政治を変えようなんて思うわけないじゃない。
 まあ、幾人か、本物と思えるジャーナリストもいるが…。
 ついでに言えば、警察も検察も同じ。たっぷりと給料をもらっているんだから、いまの体制を変える気もない。どうしようもない悪人を捕まえないんだから、こいつらは明らかに税金泥棒。

 一定のカネをもらっている連中がカネをもらっていない連中を騙しだまし抑え込んでいるのが、いまの日本の社会です。
 で、国民の方も本物が見極められないから、騙されたまま、黙っている。

 平均年収がいまの400万円台でなく、300万円台半ばくらいまでに落ちたら、ようやく暴動めいたものが始まるかも。
 まあ、賢い官僚諸兄は馬鹿な国民の平均年収が400万円を切らないようには努力するだろうな。こいつらは1000万円以上はもらっていて、天下りも完璧に復活しているんだけどね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/317.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK259] 平成に戦争なく平和が続いたことが一番うれしいと陛下!   赤かぶ
1. 日高見連邦共和国[12979] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月05日 05:55:51 : jOAP5wqlYw : MUVXVHBBTmk2ME0=[1]
>次期天皇が、「悪政」に邪魔されないよう監視するわれわれ国民の責任は重大だ。

応!モチロンだとも!!

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/319.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
3. 空虚[1979] i_OLlQ 2019年4月05日 05:58:30 : RwSETyYbbM : Z0ZsNy93OGxYZ3M=[1]
陰謀論では、トカゲちゃんの平均寿命は860歳くらいらしい。

竹田君は、思わず最重要機密を漏らす発言をしちまった!大変だ!

・・・皇室擁護の熱い思いで、計算間違いしちまったんだな。きっと。

コピーを繰り返して、劣化しちまった 竹田君一族。

聖徳太子が馬屋で生まれた王子様なんて「イエス聖徳!(高須じゃねっての)」

みたいで素敵www。

独裁者願望まるだしの劣化トカゲちゃんには、文化人・良識人・教養人

の類(ま、人間だ)は餌にしちまいたいくらい邪魔な存在なんだろなぁ〜〜〜♪


などという論者の笑い声が聞こえてきそうで、おもすろい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c3

コメント [経世済民131] ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い NHK  赤かぶ
46. 2019年4月05日 06:02:26 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[2]
>45
一般的にはそうかも知れないが、
ゴーン氏はそうそうには折れないだろう。
たとえ拷問に遭ったとしても(そんな事は無論言語道断だが)折れないだろう。
命懸けで日産に仕えてきたのだろう。
覚悟(腹)を決めていたフシもある。

だが、年齢的にも身体を壊す危険性は十分ある。
だからといって折れる事は無いだろうが、寿命を縮めかねない事がとても心配される。

こんなクソ日本権力に負けないで欲しいと、サポーターエールを送りたい!
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/800.html#c46

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
31. 2019年4月05日 06:27:43 : z0SQdjEyNM : WUxPTXhZaFdKYWM=[77]
なんだこれ、元号は自分が決めたと語るに落ちてるじゃねえか。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c31
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
217. 前河[1829] kU@JzQ 2019年4月05日 06:28:44 : MwWXcfODso : UjJ6VGhoUjd0b0E=[13]

>>208>>216 日高見さん

>いや〜、色々調べてくれたって、ほんと有り難いことです。大感謝!

いえ、恐縮です。こちらこそ、関心のきっかけをもたらして頂きありがとうございます。

正直、私は太平洋戦争など一部の重要事項や歴史上の贔屓にしてる人物以外にあまり歴史には関心がないのですが、「東北vs中央」という図式が思ったよりも大きい事実には関心が少し高まりました。一過性のものではない点が・・・しかも、民族的な視点も。

>古の蝦夷(えみし)と近代史のアイヌは“別物”ではありますが・・・

そうなんですね。私はコトバンクの以下の内容に興味を持ちましたが、確かに関係が薄いという記述が多いですね。高橋富雄という方の不思議な記述が面白かった。

>エゾ経営が東北に進み、とくに激しい軍事的対抗関係に入るようになった東北中部あたりから以北のエゾについては、実際に人種的にも別種の人たちではなかったかと考えられる。その人名、地名についても、このあたりからヤマト語では説明できないものが出てきて、この人たちが「アイヌ系」であることを物語っている。

>この人たちが、もう少し時代が下り、場所も北海道に近づいて、エミシとも区別してエゾとよばれ、アイヌであることをはっきりさせるが、そうなるまでには、この「アイヌ系」のなかでかなりの変化があったと思われる。10〜11世紀ごろは、北方アイヌ系の人たちの間に、かなり大きな「ヒトの変革」があって、中世エゾ=アイヌの成立になったものと思われる。

こちらです↓

https://kotobank.jp/word/%E8%9D%A6%E5%A4%B7-36617

いやあ面白いですね。少しずつ勉強してみたいと思います。

>河川敷に、『巣伏の戦いの地』という小さな看板が立っています。私がいつも思うのは『巣伏戦勝の地』とは決して書かない、水沢の人間の“奥ゆかしさ”です。

なるほど、10倍の数の相手を撃破しての大勝利でも決して傲り高ぶらないという一種のこだわり=「引きの美学」のようなものなのでしょうかね。

それにしても、日高見さんの郷土意識から来る郷土の誇りという価値観を大切にされていること自体が、少し驚きがあるのと少し羨ましいと感じますね。

私は関東の人間(住居も先祖も)ですが、自分自身にそういう郷土の誇りみたいな感覚があまりないですね。という違いでのカルチャーショックも少しあります。

面白い話をありがとうございました。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c217

記事 [原発・フッ素51] 《<統一地方選>原発立地の10道県議候補 再稼働9割触れず》記事から読み解く候補者の人間像

《<統一地方選>原発立地の10道県議候補 再稼働9割触れず》記事から読み解く候補者の人間像





<統一地方選>原発立地の10道県議候補 再稼働9割触れず 東京新聞
2019年4月4日 朝刊
 統一地方選で七日に投開票される道府県議選のうち、原発が立地する十道県の候補者の九割が、選挙公報で原発の再稼働問題に言及していないことが本紙の調査で分かった。原発の話題自体にすら触れない候補が多く、地元で争点化が回避されたまま、再稼働に向けた動きが進む現状が浮き彫りになった。


 今回から公報が配布されている新潟、福井県を含め、完成した原発がある十道県で選挙管理委員会が作った選挙公報を分析。無投票当選の選挙区などを除く五百六十七人分を調べた。


 原発の再稼働や稼働停止への賛否を記さなかった候補は、全体の91・7%に当たる五百二十人。東京電力柏崎刈羽原発があり、昨年の知事選で再稼働問題が取り沙汰された新潟などを除き、幅広い地域で大勢を占めた。


 「稼働停止」「廃炉」などの言葉を含め、再稼働反対の意思を示したのは四十四人で全体の7・8%。道県内候補に占める割合は新潟の20・6%が最多で、続く北海道で10・1%、静岡で8・1%にとどまった。


 再稼働に賛成の意思を記したのは福井県の一人だけ。言及したものの、「安全性の検証結果が出るまで再稼働の議論はしない」「再稼働・廃炉の課題解決」などと、賛否が明確でない候補も二人いた。


 一方、「脱原発」「原発ゼロ」などの表現まで含め、原発に反対の意思を示した人も、最多の新潟で二十七人、続く北海道でも二十四人だけだった。賛意を記したのは福井の二人と石川の一人。全く原発に触れない人が全体の78・1%の四百四十三人に上った。


 北海道と福井、島根で議員選と同日に投開票される知事選の候補九人でも、公報に再稼働に反対の意思を書いたのは二人だけで、七人が言及していない。


 河村和徳・東北大准教授(政治学)は「住民に近い道県議選で民意をすくい上げられていないのは残念。一人区、二人区も多いため、触れない方が広く票を取れる心理が働きやすいが、原発は重大な地域の問題だ。候補は逃げずに是非を論じてほしい」と話している。 (榊原崇仁、安藤恭子)


結局、”私の当選”が最初にありきで、それを争点にしないほうがより幅広く票を稼げる自己中観念の典型的ニッポン政治家像がそこに窺えます。


その候補者心理とアベッチへの忖度が今度の選挙では見事にリンクしてるって感じ。


でもそういう自己欲なんかも、現在フクイチで止むどころかより深刻化してる断続的放射性核種の環境中への大量暴露で吹き飛んじゃいますよっていう輪廻を全く理解できていない。 そう考えれば、原発を争点にしない候補は全てが自己中ワシの当選第一主義者であり、市井の一般市民が望むような政治家としては失格であるというのがわかりますね。


原子力の是認や推進は、あらゆる生命の否定であるのは真理とも言える科学的論理的根拠に基づいた事実ですからね、議員候補の皆さん!!


その根拠


《フクシマの放射線に関する真実:政府の主張とは異なり2011年フクイチ原子力災害による放射線問題は深刻化している》原子力利用の本質は、あらゆる生物の存続の否定に他ならない


《拡大しつつある放射能大災害と一大隠蔽ヘレン・カルディコット博士インタビュー》カルディコット博士が安倍首相を名指しで非難




http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/314.html
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
11. 2019年4月05日 06:32:37 : ecAZsodHcQ : TDl2Q0gucGhRRkU=[49]
うんこ漢字ドリル

「うんこの号令一下で元号はれいわに決まりました」
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c11

コメント [カルト20] 東京・セブン・営業時間問題で社長退任。これで鈴木の子飼いが消える訳で、まともになる事である。 ポスト米英時代
5. 2019年4月05日 06:32:44 : AweQ2beQGw : MzVLbHYybUVJdms=[1]
下記を読めば読むほどに、ヒドイ話だ。

__「セブン」とは、ガンジ−の言う「7つの大罪」であり、
__「24時間・死ぬまで働け・ただで死ぬな・命を金に換えて返せ!」
__ の4つを足して「イレブン」という意味だった!

まさに偽ユダヤ企画、売国キムチ・インチキ政権の推進による、大和民族絶滅計画の一環だろう。

>1925年10月22日、マハトマ・ガンジーは雑誌『Young India』にて、「七つの社会的罪」
(Seven Social Sins)を指摘しました。http://useful-info.com/seven-social-sins
1.理念なき政治 (Politics without Principle)
2.労働なき富 (Wealth without Work)
3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
4.人格なき学識 (Knowledge without Character)
5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)
6.人間性なき科学 (Science without Humanity)
7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)

>セブンイレブンの闇!自殺者続出! 2014-11-11 09:03:12 | 悪徳商法
http://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666/e/ff8863d96a08c0a80ad4c428541ff4eb
 セブン‐イレブン(以下、セブン)商法の本質は加盟店オーナーを食い物にするフランチャイズシステムにあることをこれまで指摘してきた。しかも、オーナーたちは借金まみれになって自殺にまで追いこまれるケースも続出しているという。「セブン‐イレブン加盟店オーナーの自殺の噂は、私もこれまで何件も耳にしていた。この一年の取材中に少なくとも、六、七件になろうか。埼玉(二件)、群馬、宮城(三件)、東京・世田谷......なぜ、オーナーたちは自殺に追い込まれるのか」というのは『セブン‐イレブンの罠』(渡辺仁/金曜日)だ。

 とくに宮城県の加盟店オーナーの自殺は3件と多い。実は宮城県は北海道、東京都に次いで人口あたりのコンビニ数が多い激戦地区。2000年代にセブンがドミナント(高密度多店舗)出店方式を展開、たとえば、人口三万人のエリアにセブンだけでも5店、他のコンビニもあわせると13店とコンビニ過密地帯を生み出しているのだ。・・・
「2013年1月、東京都内のセブン‐イレブン加盟店オーナーの妻が自殺した。鬱病を患っていた。妻はドミナントで減収になった上、契約更新ができるか悩んでいた」「妻は夫を信頼し一身を捧げて店を守ってきた。全国のセブン‐イレブンのオーナー夫妻は、24時間年中無休、夜中でも家族を犠牲に働いている。妻の立場はとくに弱い。それゆえ店をやっていけないと思うとなおさら不安や悩みが強くなるのだ」(同記事より)

 これでは加盟店オーナーは「一国一城の主」どころか、「名ばかりオーナー」にすぎない。先ほど紹介した『セブン‐イレブンの罠』(渡辺仁/金曜日)では契約時に加盟店オーナーは全財産を報告する必要もあるという。

「契約時にオーナー夫妻の総資産(預金額・不動産・生命保険・学資保険・株券・借金額・ローン状況)を洗いざらい提出させる。フランチャイズ契約は、独立事業者(セブン‐イレブン本部)対独立事業者(加盟店オーナー)の契約である。それなのに、なぜ、究極の個人情報の『全財産』まで丸裸にされるのか。(略)『これじゃあ、最初から夫婦ともども財布のヒモを握られたようなものだ』。この狙いはなんなのか?そう不審がるオーナーが多いのだ」(同書より)
 そのうえ、強制的に「セブン‐イレブン加盟店共済制度保険」に加入させる。
「この共済はすべてのもの(傷害、火災、病気、死亡、所得補償など)が網羅されている。たとえば、オーナーが(閉店して)出ていっても、損害賠償金はオーナーに払わないでセブンがネコババする。殺そうが、何しようが、(債権は)とりっぱぐれがないようにしている」(同書より)

 しかも、その保険代理店は親会社のセブン&アイ・ホールディングスグループの「株式会社ヨークインシュランス」なのだ。「気の弱いオーナーなどが自殺したら保険金で負債を全額清算してしまう(略)これは明らかに巨大企業ぐるみの、赤字転落(自殺)が予想できるのにドミナントで追い込む『未必の故意』に当たるのではないか。そこにはあえて言えば『フランチャイズ版保険金殺人』とでもいうような、暗黙の作為が仕組まれているように感じる、と言われても弁解できないだろう」(同書より)

 同書はセブンのビジネスモデルを小売業ではなく、「小売業の形をとった店の売上金の『毎日集金ビジネス』」だと指摘する。

「全国一万二〇〇〇店からカキ集めた、年間『二兆七六二六億円』(全チェーン売上高)の『売上金運用ビジネス』である。そして夫婦を『オーナー』に仕立てて二四時間・年中無休で働かせる『雇用偽装(労働力搾取)ビジネス』である。その根幹を支えているのが『疑惑のセブン‐イレブン会計』なのである。その中には加盟店オーナーからどう売上金と利益を吸い上げ、その原資をどうセブン&アイ・グループ企業で運用し最大化させるか、全知全能をふり絞った仕掛けがいくつも隠されているのだ」(同書より)想像以上に悪質なセブンのフランチャイズ契約。しかし、こういう実態を詳しく指摘しているメディアは「週刊金曜日」以外存在していないと言ってもいい状態だ。ほとんどのマスコミはセブンの広告や販売ルート支配によって沈黙せざるをえなくなっている。>


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/614.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
218. 前河[1830] kU@JzQ 2019年4月05日 06:35:08 : MwWXcfODso : UjJ6VGhoUjd0b0E=[14]

ああ、日高見さん、中道さんも言われていましたが、蝦夷や東北関連の本を出されましたら絶対に読みますよ。阿修羅上にでもお知らせ下されば。

ただ、私は難しい文章が苦手なので、出来れば平易な表現方法でお願い致します。w半分冗談ですが・・笑
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c218

コメント [国際26] トランプの最新エセ科学:風力タービンは「がんの元」 Trump Claims Windmills Cause Cance うまき
2. 2019年4月05日 06:37:13 : vopBsAEHwo : NmcvSlVTWDNkY00=[45]

なんにしても国民に夢を語れない大統領だ。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/120.html#c2
コメント [カルト20] 東京・セブン・営業時間問題で社長退任。これで鈴木の子飼いが消える訳で、まともになる事である。 ポスト米英時代
6. 2019年4月05日 06:49:58 : AweQ2beQGw : MzVLbHYybUVJdms=[2]

いつの頃からか、地元のスーパーにセブンマークの商品が並ぶようになった。
菓子・パン・日用雑貨などがかなりのスペースを占領している。
今まで並んでいた古くからある商品とほぼ同じで、価格が少し安いようだ。

しかし「7つの大罪」を思い浮かべ、出来るだけ買わないようにしている。
彼らは共存・共栄を目指しているのではなく、富の独占と庶民の奴隷化だ。
異常な急成長の裏には、多くのオーナーの過労死・無念の破産、その果ての
自死によるたくさんの屍があったということだ。

__♪セブン・イレブン***オーナーが首を吊っても?***いい気分!〜♪__
=======================================


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/614.html#c6

コメント [カルト20] 皇室と、ずっと大喧嘩をしている安倍政権は、新天皇にこんなヘンな元号を与えた。皇室への嫌がらせだ/副島隆彦 仁王像
49. 地下爺[5640] km6Jupbq 2019年4月05日 06:51:52 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[21]
山田ミー太郎 さま


 おはようございます。


 うちの猫様は ミー(♀)ちゃん と とら(♂)です。

 どちらも 野良を経験してから家の猫になりました。


 ミーちゃん は 家に来たときには お腹の皮がたるんでいたので

 どこかで 飼われていて野良になったのだと思います。


 とら は ミーちゃん に 気に入られたようで 家のご飯を食べさて

 もらっていたようで 気がついたら 家族みんなの膝によじ登り

 飼ってくれ アピールをするような 子でした。 それで しょうがないかと

 言うことで 家の猫になったわけですが ある日 外で抱いていると

 小学生の女の子がよってきて 「あー とら だ」 とのこと それで

 名前がわかり 野良になった経緯もわかり 現在にいたっています。


 私は もともと 犬派 なんですが 猫もいいですよね。

 ただ 今は 〇〇○の犬が 鼻につくので 猫派を 気取っています。


 




http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/606.html#c49

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
5. 地下爺[5641] km6Jupbq 2019年4月05日 07:09:06 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[22]

  北 海 道 の 人 沖 縄 に 負 け る な !!


  ち ゃ ん と 選 挙 に 行 こ う !!

  み ん な が 後 に 続 く よ !!

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
6. 2019年4月05日 07:15:28 : rbe3vzXjkI : SWVEWXlVYWQ4OUU=[4]
今は選挙期間中なのでマスコミも鈴木候補の疑惑は報じないが選挙後はどのような報道になるのか マスコミの姿勢も問われている。道内放送局も一見公平を装いつつ鈴木候補の時間を長めに取っているし。htbも。そんなに鈴木候補後援会長のニトリの広告が欲しいのかね
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK259] 異次元緩和の副作用は明白 竹中氏「政府は成長戦略に本腰を」 日銀は物価2%目標脱せよ 翁百合日本総合研究所理事長が見解  うまき
3. 2019年4月05日 07:19:57 : ecAZsodHcQ : TDl2Q0gucGhRRkU=[50]
1さん、2さん

それ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/297.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
4. 地下爺[5642] km6Jupbq 2019年4月05日 07:21:09 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[23]

       ↑↑


   影響うけちゃ 駄目すヨ !!


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c4

コメント [自然災害21] 東日本大震災_アメリカ犯行説について No2377
222. 2019年4月05日 07:28:30 : Fdxo12lTTc : dGcxclQ0NWgzN3c=[20]
やれやれ。まーた工作員か。何が言いたいんだ?工作員君。こうしてる間にも電磁波兵器、HAARPは稼働しているというのに。君を直接攻撃することも可能なのだよ。

まさか軍から移管されたからなんて御花畑な事言うつもりじゃないだろうな?
その言い分じゃまるで今までHAARP、電磁波兵器の攻撃は存在し、その犯人はアメリカ軍だったと自分から白状しているようなものじゃないか?
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/280.html#c222

コメント [政治・選挙・NHK259] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) 赤かぶ
23. 空虚[1980] i_OLlQ 2019年4月05日 07:32:48 : RwSETyYbbM : Z0ZsNy93OGxYZ3M=[2]
>>22 殿

>日本の財政に余裕があるのなら、消費税を上げなくてもすむし、
福祉予算を削減する必要もない。
貧乏でろくに食べるものもない子供が増えることもないだろう。

まったく同感、同意でんがな。

民主主義を盾にし、自由を尊重するならば 第一に貴殿のおっしゃる

人々のことを想うのが道理だ。

今、自分が窮地でなくても、それらの人々を想い政治の有り方を自問

するべきことは当然の事だね?人なんだから、わてらみんな。

革命を成し遂げたいのならば、人間尊重の立場で最大限に合法的な手段を

選択する他ない。


・・・・ってことで、忙しいとかぁ〜意味が無いとかぁ〜

云うよりも、投票へ行こうジャマイカ!

ほんと、不本意だとしても自分より窮地に在る人の代わりにでも

それらを主張する代弁者を支持し、投票する【 意 義 】は在る。

その積み重ねが、民主主義だ。

即効性も乏しく、期待は薄いかもしれんが宿命だ。

などと思う人々もいるんだわな。

でんがな まんがな。

おいらも、最大の間違いをしてきた。最低の愚民代表だ。

だが、大いなる善意の主はおいらをまだ生かしてる。

その理由を、大事にしたい思いまんのや・・・。

みなさん あんじょうよろしゅう おねがいしまっせ。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/290.html#c23

コメント [原発・フッ素51] (再)地球はこれから寒冷化する〜温暖化の主犯はCO2ではない。それどころか−/丸山茂徳 短足鰐
2. 2019年4月05日 07:37:27 : Ft56hwBLYQ : STFxYmtkTXpYYUU=[1]
(2 … 2歩目、
 ソース元の記事はもう読むことないんで、『「地球温暖化論」に騙されるな!』(講談社)から)

59ページ 図2 … ハワイで観測した平均気温とCO2濃度の推移(教科書によく載ってるアレですわ)

>このデータには2つの見方があります。1つは二酸化炭素濃度が高くなったから気温が高くなった
>……
>もう一つは、暖かくなったことには別の原因があって、暖かくなった結果として二酸化炭素が増え
>て要るという見方です。

(1) 地球の気温が上昇していることを認めているじゃん!
(2) それじゃあ、気温が下がれば、出ていたCO2が再びもとの海水に溶け込むのか?


スタンドアローンの研究者は、しっかり自分のフンドシで相撲をとるとしたもんだぜ。
研究室に、気温・CO2・海水等の相関をみるなら、ミニチュア環境を構築してミニチュア実験をやって
データみせてくれよ!
 
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/308.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] だから翼賛報道 新元号「有識者懇」にマスコミ代表ズラリ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2019年4月05日 07:44:45 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[118]
6さんの時間軸分析。
 月曜日、入社辞令交付日、昼食時間帯、社員の精神状態。

 号外に殺到する群衆の心理分析コメントに拍手。
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/314.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍官邸は逆ギレ「令和=命令と平和」英訳まねいた不手際(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
69. 2019年4月05日 07:45:34 : 9bESHEjuhs : QVFFUC5pOVljWk0=[167]

「情」って言う福島のお酒の海外向けPR動画。

今時、情って言うのもどうかと思うが,出てくる日本のおんな。

慰安婦みたい。弱々しげではかなくて早く散って欲しいみたいな、

海外向けには気持ち悪くないか。「情」を卒業して成熟しようと

しているのが海外なのに。


イチロー、国民栄誉賞を辞退。

安倍と一緒に、ツーショットで、政権に利用されるなんて

真っ平ごめんだろう。「情」を卒業しているからこそ、行動が取れる。

野球の事は知らないが本当にこの人は素敵だ。

 


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/269.html#c69

コメント [政治・選挙・NHK259] そんなに何度もゴーンを逮捕するなら、首相夫人や腹心の友位逮捕できるだろうに(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
1. 2019年4月05日 07:48:38 : Zy2n4X7QyQ : LnI4aVZxUFVDN0k=[12]
弁護人・弘中惇一郎氏の記者会見

(1)ゴーン氏は証拠隠滅、逃亡の恐れが「ない」と裁判所によって確認されたので、保釈中だった。
(2)ゴーン氏は保釈条件を守っていた。
(3)追起訴に身柄の拘束は必要ない。
(4)起訴後の検察官による取り調べは、原則禁止されている。
(5)逮捕にともなって、電話、書類、ノート、日記が押収されたが、10年前の案件の証拠は、とっくの昔に押収されている。今回の押収は、裁判のための資料の押収であり、防御権侵害、弁護権侵害である。
(6)ゴーン氏のパートナーの携帯電話、パスポートを押収した。(逮捕しないとできないことだった)
(7)文明国としてはあってはならない暴挙である。
(8)検察は最後の切り札を切った。これ以上は何もできないだろう。
(9)記者会見開催のツイートについて、弘中氏にも詳細が知らされていない。
(10)これは人質司法だ。
(11)「インターネット不使用」が保釈条件であると理解していない。
(12)ゴーン氏が最低限言うべきことは動画にしていて、公開する用意がある。
https://www.youtube.com/watch?v=3FiGNiIVp9I

土人が君臨し、土人が象徴となり、土人警察が人権を侵害する土人国家ですね。
ゴーン氏とゴーン氏のパートナーの人権と健康が守られること、そして、こうした土人司法が一日も早く文明国並みに改善されることを、心よりお祈りいたします。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/322.html#c1

コメント [原発・フッ素51] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) :政治板リンク 赤かぶ
3. 茶色のうさぎ[-10442] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月05日 07:51:39 : Ufll8nJ06Q : eHlmTEdqL2NNUk0=[-6]

>2追記です。 戦後、宮本顕治体制、以降ですね。 ←1960年日米安保以降です。

 日本共産党が、万年野党戦略か? 理解できると思います。 戦後の黒い噂

 ↓ 日本共産党、志位和夫、人間のクズ、田布施の仲間です。 【拡散してね♪】
https://photos.google.com/photo/AF1QipOb73KCA3jBgnsDqZAsMhB4UGIj13jQ965FgBcw
 宮本顕治: 愛弟子、志位和夫です。志位の親戚が、GHQ職員です。

結論: 福島事故で、正体、暴露ですなー♪ぺっ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/312.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
7. ソーカそーかフォース[-11] g1yBW4NKgruBW4Kpg3SDSIFbg1g 2019年4月05日 07:52:02 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-631]
>投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 4 月 05 日 01:40:05
>2019/04/04 23:34 半歩前へ
>三春充希@miraisyakai 4月2日の苫小牧民報 17:33 - 2019年4月2日
>youtube HTBニュース 2019/04/01 に公開
>石川ともひろ@ishikawa618 11:05 - 2019年4月1日
>石川かおり北海道11区@IshikawaKaori11 石川ともひろ、激しく追い上げています。特筆すべきは、夕張のある空知管内で並んでいるとのこと。この事は非常に重要なことを物語っています。9:32 - 2019年4月1日

なんか、ネット民にとっては、古いニュースだなあ。

今日は4月5日。

今は、4月3日のニュース(注目の大阪知事選)が、話題になっているんだけど・・・

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040200778&g=pol
2019年04月03日07時09分 時事通信

まあ、赤かぶさんは北海道に注目しているということですね。

大阪なんてどうでもいい?

まあ、志位がNSAに寝返った大阪なんか、注目したくもない??

大阪新都心は推進するけれど「大阪都構想はいったん終止符を打つ」という

反維新(反CIA)

の選挙なんか、見たくもない???

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
5. 2019年4月05日 07:54:14 : 9bESHEjuhs : QVFFUC5pOVljWk0=[168]

TVスタジオをうろちょろしている、

竹田の息子。

そのうち、佳子様、眞子様が蹴りをいれてくるわな。

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK259] そんなに何度もゴーンを逮捕するなら、首相夫人や腹心の友位逮捕できるだろうに(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
2. 地下爺[5643] km6Jupbq 2019年4月05日 07:55:54 : EvprcEFGVc : NDJuS292Z1UvRHc=[24]

  今の我が国は まさに 東〇〇自民飲酒主義狂倭国 なので 仕方ない。。。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/322.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
8. ソーカそーかサード[-8] g1yBW4NKgruBW4Kpg1SBW4No 2019年4月05日 08:01:12 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-633]
>>7

赤かぶさんはCIA工作員だからね。

>地域政党「大阪維新の会」は、両選挙で勝たなければ、看板政策「都構想」が頓挫する。

>党の存亡にも関わるだけに背水の陣で臨んでいる。

>対立する自民党は公明党のほか、立憲民主など野党とも「反維新」で連携。

立憲民主をCIAに引き込む「工作」が失敗したのを「象徴している」のが

大阪ダブル選

だから。

もう、いくら隠しても、赤かぶさんの正体はバレてるよ!

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2019年4月05日 08:02:40 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[119]
 >宮廷官僚の宦官が幅を利かせ、忖度や賄賂の横行を招いた。
  嫁の閻后も、側室の子を殺したり、縁故政治を増長させるなど、

  やりたい放題だった人物として評判が悪い。

 −その6代皇帝が安帝
  と言う名だった、とは、ため息も出ない類似だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/320.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
14. 2019年4月05日 08:07:44 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[102]

無知・蒙昧の『安倍が選んだ「有識者会議」が、

やっぱり無識者会議だったと言うことだ』

安倍官邸の周りには『安倍に劣らぬ無知・蒙昧の輩』しか居ないのだ。

官邸の秘書官、要員に「安倍にもの申す知識人」が居ない。---これが大問題だ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
15. 2019年4月05日 08:08:22 : 9bESHEjuhs : QVFFUC5pOVljWk0=[169]

平成もどこから始まったか覚えられずに終わった。

ので、、たぶん、冷和も,怜和も玲和も覚えられないで終わるだろう。

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
16. 2019年4月05日 08:14:35 : tTJpQ2eR9U : UTVySXRNY2xtUlE=[1]
れいわ、れーわ、なんか発音しずらい。
ピリッとしない、印象が薄い。
そもそも、ラリルレロの音は日本人には言いずらい。
舌を口の中で丸めなければならないから。

この新元号、あの二千円札と同じような運命をたどるような予感がする。
いつの間にか自然消滅。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
9. ソーカそーかセカンド[-27] g1yBW4NKgruBW4Kpg1qDSoOTg2g 2019年4月05日 08:15:34 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-632]
>>8

3Kはちゃんと報道してるよね。

https://www.sankei.com/west/news/190403/wst1904030015-n1.html

>期日前投票が行われている大阪市内では、各陣営が候補者名の書き間違えへの懸念や、政党・候補間の連携の取りづらさに苦慮している。

>今回は吉村さんが知事選に出たんか。投票所に行くまで知らんかったわ

>大阪維新の会関係者は3月下旬、期日前投票を終えたばかりの支持者からこう打ち明けられた。

まあ、ハシシタ構想が明らかになったのは今年の1月ですからね。

https://www.asahi.com/articles/ASM1D4GTZM1DPTIL01B.html

これは、.comの朝日だが、2019年1月12日15時05分の報道ですね。

マツイの選挙資金を消耗させるためのハシシタ(いまやNSA)の構想だったのかもしれないけど・・・

まあ、今は、北海道ですか・・・

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
10. ソーカそーかT[-15] g1yBW4NKgruBW4Kph1Q 2019年4月05日 08:24:10 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-637]
>>9

大阪ダブル選では、選管の対応が注目ですね。

>例えば松井氏が立候補する市長選で、有権者が前職の「吉村洋文」と書いて投票した場合、「無効票になる可能性は高い」(府選管)

タイのように「選管が訴えられる」可能性があるかな?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190403-00000054-mai-asia

>タクシン元首相派の中核政党「タイ貢献党」は疑惑の解明を求める声明を発表

>貢献党の1日の声明によると、選管が選挙当日の24日とその4日後に発表した投票総数には、約449万票もの差があった

・・・

まあ、北海道は、そんなことはないでしょうけれどね。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK259] そんなに何度もゴーンを逮捕するなら、首相夫人や腹心の友位逮捕できるだろうに(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
3. 2019年4月05日 08:29:33 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[3]
>1さんに激しく同意!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/322.html#c3
コメント [経世済民131] 日産ゴーン保釈→再逮捕、検察と裁判所の“筋書き通り”…弁護士辞任なら“孤立無援”の悪夢(Business Journal 赤かぶ
12. 2019年4月05日 08:30:40 : tTJpQ2eR9U : UTVySXRNY2xtUlE=[2]
地検特捜部を私兵の様に使い、日本を支配している「赤坂」
少しでも逆らえば次はわが身だ。
角栄逮捕でイヤというほど見せつけられた。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/797.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍官邸は逆ギレ「令和=命令と平和」英訳まねいた不手際(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
70. おじゃま一郎[7003] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年4月05日 08:36:01 : pDY4Kcf412 : TTdUdXRJd21Pbms=[18]
「令」一文字は「法、規則、命令、指示など」を示すが、
それらが人々に受け入れられて、人々の行動規範となり
秩序ある社会が保たれる。「令」が機能してることになり、その結果「和」
(=平和、安全、安定など)のある状態になる。
つまり、「令」は人々に行け入れられた規範、秩序なのである。

例えば、車を運転しているときは、道路交通法に従っており、
この時は、道路交通法が行動規範として機能している。

もし事故がおきて裁判沙汰になれば、道路交通法が裁判規範として
機能する。法が機能していることが秩序なのである。そして
法が機能しているので車社会が成り立っているのである。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/269.html#c70

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
6. 2019年4月05日 08:44:40 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[4]
まともな歴史学者は極左などではない。と言うか、ウヨどもが極左とかパヨクと呼んで貶めたがる人間はおしなべてというか、大抵が人類愛のヒューマニストだ。その中には自然な愛国心(愛国家権力心ではない)も含まれる。

ウヨは反ヒューマニズムなので人間以外の何かなんだろう。

カミじゃなけりゃ大方ヨミのゴミかなんか。
読むのも黄泉ウリ(嫌韓連中の愛着するところの我w)珍聞ばかりなり。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] 詐欺・改ざん・捏造の蔓延する安倍政権下の日本において、電通配下の大手マスコミが発表する安倍内閣支持率は2倍から3倍に… 赤かぶ
3. 2019年4月05日 08:53:34 : 7k45Xqrfvo : dDEyRjhJSHFrUS4=[1]
ウソとか陰謀とか、それはそれで大問題だが、私自身はこの調査をどうしても納得できない。
あなたはどう思いますか?
重要なのは、誰が真実を語っているかではなく、自分はどう感じるか?です。
思考停止して、誰かが正解を与えてくれるのを口あけて待ってるような人にだけはならないようにしましょう。
できるだけ関心を持ちましょう。
考えが変わることがあってもいいのです。
自分の考えを変えるだけなら、誰に対しても責任はありません。
考えが変わる、ということはより考えが深まったことなんです。
そのとき、自分の視野がひとつ高いところに進んだと言うことです。
        
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/312.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
17. 楽老[419] inmYVg 2019年4月05日 08:56:04 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[143]
【どんな元号かよりもどんな時代にしていくかの方が大切】
この通りです。
そのためにも、間違った解釈だけは改めるべきだ。

令和⇒beautiful harmony などとは逆立ちしたって出てこない。
海外が訳した order & harmony が適訳です。

【令】には美しいなどと云う意味はなく、尊敬語として令息令嬢等々、他人に対して阿るような語彙だけが辛うじて命令の令から外れる用語法だ。
令月とは単純に2月というだけのこと。
令は接頭語で何の意味も無い。

万葉集で大伴家持は令月を初春とした。陰暦2月(現 3月)はようやく暖かくなってきたという意味を述べただけ。
ネタ元の後漢の張衡は初春とは新年1月の事なので仲春とした。
ただそれだけのことです。
令月(2月)に新しい事をする、あるいは起ち上がるなどと云う意味は全くありません。

政府は甘言を弄するのではなく
【令和】制定の本当の経緯を明らかにすべきです。

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK259] 衆院大阪12区補選 共産出身“野党統一候補”大金星はあるか 宮本岳志氏が出馬(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. おじゃま一郎[7004] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年4月05日 09:02:24 : pDY4Kcf412 : TTdUdXRJd21Pbms=[19]
>事実上共産党宮本さん、
>歳も歳だし

無所属なりすまし宮本は、歳のわりに党内の序列が低いのだろう。
それは衆議院議員の過去の当選は全部比例ブロックだからだ。

そこで「なりすまし」は党内の序列を上げたく、現職を辞してまで
選挙区に出てきたのだ。しかし共産党だけでは選挙区で
勝てるわけはなく、他党の共闘を選んだことになるが、その条件と
してたたきつけられたのが「なりすまし」あるいは「政党偽装」であろう。

「なりすまし」は党に離党届も出しておらず、ここで落選しても
党の籍はあり、直近の参議院選には名簿の上位で議員復活を
担保しているようだ。

はたして、こんな「なりすまし」を有権者は支持するだろうか?



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/301.html#c20

コメント [原発・フッ素51] 《拡大しつつある放射能大災害と一大隠蔽ヘレン・カルディコット博士インタビュー》カルディコット博士が安倍首相を名指しで非難 お天道様はお見通し
6. 2019年4月05日 09:02:36 : 2izLR1Dtrs : UVhkSzVNcGpidjI=[51]

別のところに投稿したものの再掲です。
 http://www.asyura2.com/acat/u/uv/uvh/UVhkSzVNcGpidjI=/100000.html
 20「全国緊急健康調査を保健所に任せないで、集計すべし」
 
 http://www.asyura2.com/acat/u/uv/uvh/UVhkSzVNcGpidjI=/100000.html
 25・26「日本産科婦人科学会の酷さは半端じゃない。」
  



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/310.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] この身の程知らず 更迭すべきなのに/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
13. 楽老[420] inmYVg 2019年4月05日 09:03:02 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[144]
【自民党は選挙になると大嘘をつきますと公言した】

つい張り切って我を忘れて本音を漏らした
これが実相ではあるのだけれど

モリカケも推して知るべし

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/296.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
12. 潮目[33] kqqW2g 2019年4月05日 09:07:24 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[5]
>6
同意します。
あっと驚くタメゴローw
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
13. 2019年4月05日 09:12:10 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[6]
想像力以前に、比較検討力や推理力、
ひいては思考力が圧倒的に足りないw
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c13
コメント [経世済民131] ゴーン前会長、仏政府に擁護求める「私は無実」 再逮捕は「暴挙で口封じ」弘中弁護士 逮捕粛々と 送金先ゴーン前会長知人運営 うまき
3. 2019年4月05日 09:12:24 : vopBsAEHwo : NmcvSlVTWDNkY00=[46]

誰かの回想録によるとニッサンという会社には疫病神が取り憑き易いらしい。

最初は確かに功績をあげるが、それを実績以上に吹聴し、権力を拡大して完全に私物化

していく。「塩路一郎」が一代目で「ゴーン」が二代目のようだ。ゴーンはルノーでも

告発されるようだが、見境ないやり口はニッサンに対しての方だな。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/810.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相“新元号ショー”の裏で、加計学園獣医学部のゴリ押し認可がまた露呈! 問題だらけで文科省が「改善」要求(リテラ) 赤かぶ
27. 2019年4月05日 09:13:20 : 32gaobLF6I : WlBpTm96Rmw1dnM=[69]
●イチローは、たいした方です。忖度なしです。

『イチローさん、国民栄誉賞3度目の辞退 政府に伝える』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000003-mai-base

「「令和」時代を迎える中、受賞第1号が期待されていた」ということのようだが、イチローに忖度する」気持ちはなかった。

燃えさかる元号狂騒の火に油を注ぐように使われるのは、まっぴら御免ということだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/289.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」への官邸誘導はやっぱりあった! マスコミが報じない有識者懇談会、衆参両院正副議長意見聴取の内幕(リテラ) 赤かぶ
7. 2019年4月05日 09:14:37 : FncQT4Jk3k : SmUuLnNDR0J0RlU=[7]
>6
なかなかのブーメラン、ちゅう事でんなw
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/318.html#c7
コメント [原発・フッ素51] 《<統一地方選>原発立地の10道県議候補 再稼働9割触れず》記事から読み解く候補者の人間像 お天道様はお見通し
1. 茶色のうさぎ[-10444] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月05日 09:22:44 : Ufll8nJ06Q : eHlmTEdqL2NNUk0=[-8]

 原発輸出、失敗、確定と思います。 ←安倍総統閣下作戦

 ↓ 本音、みえるかなー♪? ←欠席や退席作戦♪ 菅直人
http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E3%80%8E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%92%E8%BC%B8%E5%87%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%80%8F
 ↓ 日本共産党、藤野議員
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/009818920150619024.htm

結論: 日本共産党、赤旗新聞、、言葉の理解について、、

 批判は? ←提言、助言と読み替えてください。

 追及は? ←容認、納得と読み替えてください。

 反対討論は? ←広報活動です。 宣伝です。

 つまり、日本共産党は? 推進派です。 中央官庁への、赤旗販売目的だけの俗物政党です。

 東京、吉良よし子 ←落選させろー♪ぺっ 長文省略 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/314.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) 赤かぶ
24. 2019年4月05日 09:24:20 : crwOMLqztc : QnhRNWs0UW5UOTY=[2]
コイツは、東電から 8億円貰った と 自分で 堂々と アッケラカンと
言っていた。 その後 放射能怖い怖い に変わった。
恐らく、医療関係 から それ(8億)を超える 賄賂を貰ったのであろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/290.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK259] 衆院大阪12区補選 共産出身“野党統一候補”大金星はあるか 宮本岳志氏が出馬(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. おじゃま一郎[7005] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年4月05日 09:26:28 : pDY4Kcf412 : TTdUdXRJd21Pbms=[20]
>枝野が宮本支持
>決めたのですか?

支持しないことを決めた。

枝野の一派立憲は、民主党時代に政権につき、政権運用の
能力がないと悟った連中の集まりである。したがって
自らの主義・主張を貫くのが信条で、政権交代の政局には
まったく興味がないのである。

しかし、共産党がかつての「清く・正しく」を捨て、他党と
共闘し、ダーティ政党となった今、立憲の「孤高の野党」を
つらぬく立場は貴重である。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/301.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍官邸は逆ギレ「令和=命令と平和」英訳まねいた不手際(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
71. 前河[1831] kU@JzQ 2019年4月05日 09:30:54 : uBQvt4Fzpo : YWtxNTJlbWtOYXM=[20]

>>70、おジャマ、
いつから珍そうになった?何をわかったような口を利いてるんだ?それは、単なる一般論だわな。

国民も権力側も良識を守り、アンフェアな事はしない。政治家が不正をして見逃される事がないような健全な社会に限って言える事だ。

>つまり、「令」は人々に行け入れられた規範、秩序なのである。

これは原則論だ。論理的には合っているのだが、しかし、現実は違うだろ。特に安倍政権下ではね。

公文書は改竄する。しかし、誰も責任を取らない。安倍は珊瑚を移したと公然と嘘をつく。八億円詐欺は追求されない。強姦しても安倍友なら逮捕されない。民主主義のルールを無視してお友だち加計を優遇。こんな滅茶苦茶な政権に法も秩序もあるか?

この無秩序政権の上で、令が機能している上での秩序などを言及して綺麗事を言ってもなんの説得力もない。

口が浮いてる。

だからこそみんな呆れてるんだろ。局所的に一見正しそうな事を言っても、責任感のあるちゃんとしたトップでなければ、信用されない。

普段の行いの悪さが、年号「令和」の「令」の字の反発・違和感につながっているのだよ。「誤解しているぞ」と言うのなら普段の行いを正せという話だ。

法も秩序も受け入れるも何も、全ての原点はお互いの信頼関係によって成り立つものだ。

無責任な体質の政権下で「令」などの字を使ったら反発が出るのは当たり前だ。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/269.html#c71

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」発表の陰でまた塚田副大臣がいみじくも安倍政権の腐敗体質を暴露(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
1. 2019年4月05日 09:33:02 : mVxAwWB5YU : VC9HRWNReVlyYm8=[10]
不正選挙が問題だ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/310.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
18. 2019年4月05日 09:35:16 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[234]
安倍の得意な有識者会議は安倍友と安倍応援団の集まりに過ぎない。要するに決め事は安倍が都合よい方向にもっていくことだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK259] この身の程知らず 更迭すべきなのに/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
14. 2019年4月05日 09:38:21 : N2ngKxg6J2 : a0tJc0t4STFzbkk=[24]
今後は責任を追及されたら
職責を全うすることが責任だと
言い張ればよい、という
政治家の矜持など糞食らえの
あほ政権の前例に倣えばいいんだな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/296.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK259] そんなに何度もゴーンを逮捕するなら、首相夫人や腹心の友位逮捕できるだろうに(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
4. 2019年4月05日 09:41:25 : TdNPUCbLuQ : VjBCV0ppNmdxOHc=[1]
「さらに今回の逮捕に伴って、東京地検が裁判資料などを押収した」

ささきりょう氏
「えっ!まじか?そんなのありにしたら刑事訴訟は終わりだろ。
世界よ。見たか、これが日本の検察だ。」
https://twitter.com/ssk_ryo/status/1113725892948254720

世界よ。見たか、これが令状を許可した日本の裁判所だ。
どちらも前々時代的で異常。遵法精神なし。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/322.html#c4

コメント [経世済民131] 投資信託、購入者の約半数が資産マイナス…「貯蓄から資産形成」を煽った安倍政権の責任(Business Journal) 赤かぶ
1. 2019年4月05日 09:43:37 : bmPp7Yj7NA : N3E0bkUuQnJ0bjY=[45]
6年間も政権を維持し、気ままな経済政策を推進しながら、世界景気にのみ日本経済をゆだね、なんの進展もなかったことが明らかであろう。
 国民は進取の気持ちを奮い起こし、望ましい明日の社会の姿を議論してほんとうに日本経済の進展に努力しなければ、停滞の40年になってしまうことをよく考えてほしい。

http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/812.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号に便乗して転機をはかる安倍政権の行き詰まり 永田町の裏を読む(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2019年4月05日 09:44:26 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[235]
高野というのは菅直人の後見人とは知らなかった、民主党代表選の時明らかに小沢氏と菅直人の演説が雲泥の差だった、菅直人は雇用としか叫んでいない中身の無いものだった、今も忘れない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/292.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK259] そんなに何度もゴーンを逮捕するなら、首相夫人や腹心の友位逮捕できるだろうに(そりゃおかしいぜ第三章) 赤かぶ
5. 2019年4月05日 09:45:30 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-738]
>>1

だって保釈の条件にネット禁止ってあったじゃん 【ゴーン再逮捕】弘中弁護士  無能 会見

>(2)ゴーン氏は保釈条件を守っていた。

>(11)「インターネット不使用」が保釈条件であると理解していない。


https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/121508/a831babdc62aeb880ab13bc9623fd0e1_0b2c5e8d1cf99afb0454b3e669b5644f.jpg

2019.04.04 15:34
h ttps://abematimes.com/posts/6002002

2019/04/04(木) 16:03:30.42 ID:Su5eC0If0
この弁護士バカだろ 

インターネットに詳しくないのに「問題ありません」とか何個人的な意見語っちゃってるの?

だろうタラレバで訴訟なんてできないっつの 唐沢じゃあるまいし、ネット詳しくないんならとっとと引退しろ

ゴーンの信頼失って、これで法定代理人代わる芽も出てきたな

2019/04/04(木) 15:58:05.86 ID:A+DnXbKv0
保釈中でネット禁止なのにツイートしてんじゃねえよ

2019/04/04(木) 16:10:43.50 ID:4MdnWBKi0

えっ? だって保釈の条件にネット禁止ってあったじゃん
ツイッターで公認のアカとか立てたら捕まえに来るのは当たり前じゃん

2019/04/04(木) 16:23:31.10 ID:+ERmRnBG0
>108

パソコン使用は弁護士事務所でのみ可能。

ただしネット接続できないパソコンに限る

だから弁護士事務所でのネットも無理

2019/04/04(木) 16:04:42.85 ID:eIQ79z+m0

来週にゴーンが記者会見する予定だったら、その後の逮捕で良かったやん

87: 名無しさん@1周年 2019/04/04(木) 16:13:02.28 ID:jkOyX8A00
>42

再逮捕の可能性出てきたからあわよくば検察が世論気にして逮捕回避するか
それが無理でも逮捕後に会見潰す為の逮捕だったと論点すり替える為に急遽会見予告したんでしょ

2019/04/04(木) 16:18:54.54 ID:+ERmRnBG0
>87
それを禁止されてるインターネットでやるメリットがゴーン側に一ミリもないなあ。次の保釈通らなくなるだろ
新聞社や子飼の記者に、FAXなり通話なりで情報流せば良かっただけ

2019/04/04(木) 16:21:33.85 ID:b6XH6o/l0
>122

自分の主張を流布するのは、保釈の条件に違反する
〇携帯電話は通話機能のみ使用可。インターネット、メールの使用は不可。
〇インターネット接続のできないパソコンに限り、弁護士事務所内のみで使用可。 
引用先:2019年3月8日 13:36 ロイター記事より

2019/04/04(木) 16:16:18.77 ID:b6XH6o/l0
>96

大金持ちがカネの力で保釈を買って、ネットを使って自分に都合のいいストーリーを流布して
世論誘導することが許されるなら、これ以上の不公平不公正はないよ

h ttp://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1554360797/
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/322.html#c5

コメント [カルト20] 共同・令和は最終段階で追加。丁度、安倍サックスが皇太子を訪ねて、○安だかをダメ出しされた頃である。 ポスト米英時代
7. 2019年4月05日 09:49:15 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[236]
テレビにわざわざ出て令和の解説までして馬鹿が懸命に覚えた事を知った被っているのが見ていられない。ここまで浅はかで阿呆な人間が総理なのを国民はもっと恥じるべきだ。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/613.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
14. 楽老[421] inmYVg 2019年4月05日 09:49:23 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[145]
窪田順生の分析はかなり妥当なものだと思います。

beautiful harmony ではなく order & harmony が適訳だと言う事です。
【令和】が帰田賦に由来すると言うのはコジツケでしょう。
安帝、順帝の治世に失望して陰暦2月に帰郷して田を耕すと詠んだのは事実としても、それを裏に含んで安倍に意趣返ししたとまでは
それほど頭の回る有識者が居たならとっくに安倍政権は倒れている。

万葉集にしても陰暦2月ようやく暖かくなって梅見ができると言うだけの話。
美しいという意味も無ければ新しいことをする区切りの月という意味も無い。
新しいことに起ち上がると言うなら一月の初春でないといけない。
だから帰田賦では令月を仲春とした。
万葉集では初春を単純にようやく暖かくなってきたことの例えとしたに過ぎない。
令月の令には何の意味も無い2月の接頭語に過ぎないのだから。

だから、何故【令和】を選定したのか本当の理由が知りたい。
order & harmony なら納得できる。

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/316.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政治を象徴する塚田副大臣発言文字起こし(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
3. 2019年4月05日 09:51:18 : TdNPUCbLuQ : VjBCV0ppNmdxOHc=[2]
【速報 JUST IN 】塚田国土交通副大臣が辞任へ そんたく発言で
https://twitter.com/nhk_news/status/1113965734336417792

当然ですよね。

植草氏、がんばってください。応援しております。
日本の独立・民主化・脱土人・脱原発……立共政権樹立へ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/315.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 不安出ずる国、日本の消費増税 日銀短観が大幅に悪化しても景気が大丈夫な理由 うまき
1. 2019年4月05日 09:54:05 : OO6Zlan35k : L3FGSWVCZWxFS3c=[39]
>安倍首相の増税は自分で自分の首を絞める

PB黒字化にこだわる場合、長期的には、いずれ安定財源として消費増税が必要になることは間違いないが

内外の需要が不足している状況での消費増税は、確実にこれまでの政策目標(デフレ脱却⇒2%インフレ)から乖離することになる政策であり

いくら子育てなどバラマキを強化しても、日本経済のコアとなる一般労働者世帯の生活の悪化は続くから


政治的には明らかにマイナスだろう

>「景気は自分では方向を変えない」

日本語として支離滅裂だが、言いたいことは、

>景気が後退するとすれば、何らかの力が外から働く場合

ということらしい。

しかし経済アナリストとして、ありえない愚かさだ

>景気が拡大すると生産が増え、それに伴って雇用が増え、雇われた人が給料を受け取って物(財およびサービス)を買うので、一層物が売れる
>利益が拡大すると、設備投資が増えることも見込まれる。企業の設備投資意欲が強まることに加え、銀行の融資姿勢も借り手企業の利益が増えれば積極化する
>今回の局面では労働力不足が深刻化しつつあり、これが企業の省力化投資を活発化させていることが、景気の自律的な拡大を持続させる

まともに経済を勉強している者であれば、景気循環を知っているはずだが
これが自律的に永久に続くわけではない

つまり、この先を考えることが重要

一般には、まず
労働力不足が深刻化=>賃金の上昇=>利益の減少を補うための価格上昇(インフレ)=>売上げ減少
による景気の減速が生じる

この労働コスト上昇を緩和するために 省力化投資、輸入拡大、海外移民拡大などが可能だが

省力化投資による自動化にはコスト的、技術的な限界があり、しかも正規労働者の解雇には金も時間もかかるため、即効性はない。

輸入拡大は、いずれ賃金上昇の停滞から内需の減速による景気失速につながる。

特に民主党時代のリーマンショックと円高不況時に、高い労働コストを嫌った、非正規切りと、中国を中心とする海外への生産移転は、日本の失われた30年の主因にもなっており、記憶に新しい。

また海外移民拡大は、日本ではほとんど起こらず、アジア人の低賃金労働の増加などで非正規労働の価格の停滞を招き、家計(内需)の圧迫要因になる。

つまり、超少子高齢化が続く日本では、一人当たりの実質GDPは海外先進国並みに伸びたとしても、

全体としては縮小していくし、そのペースを大幅に上回る潜在成長が持続的に続くこともまずないと考えた方が良い。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/327.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍官邸は逆ギレ「令和=命令と平和」英訳まねいた不手際(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
72. スポンのポン[11024] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年4月05日 09:54:35 : YLRU9o6eFk : dUpJOXhqbEFjRlU=[204]
 
 
>>70. おじゃま一郎

■何か勘違いをしていないか。

 「令」という漢字の解釈ではなく、
 「order」という単語を外国紙の記者がどういう意味で使ったかだ。

 前者と後者では全く異なる議論だ。

 「令」という文字から「秩序」を連想する日本人がいても
 そんなことは今の問題ではない。

 漢字の知識など皆無であろう外国紙の記者が
 そういう飛躍的な連想をしたとするなら
 その根拠はあるのか。
 
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/269.html#c72

コメント [政治・選挙・NHK259] 不安出ずる国、日本の消費増税 日銀短観が大幅に悪化しても景気が大丈夫な理由 うまき
2. 2019年4月05日 09:55:48 : OO6Zlan35k : L3FGSWVCZWxFS3c=[40]
訂正

>日本の失われた30年の主因にもなっており、記憶に新しい。

=>

日本の失われた30年の最後を飾る出来事にもなっており、記憶に新しい。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/327.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
11. ぢっとみる[673] gsCCwYLGgt2C6Q 2019年4月05日 09:56:46 : LLC16YRhF6 : ZGEwWi9qMFkwMms=[87]
>>5. 地下爺さん

ありがとうございます。

>  北 海 道 の 人 沖 縄 に 負 け る な !!
>  ち ゃ ん と 選 挙 に 行 こ う !!
>  み ん な が 後 に 続 く よ !!

青森のゲンパツを止めるために、
いや、日本全国のゲンパツを止めるためには、
今回、道民の自覚・自立がどうしても必要だ。
新潟の仇を討ちたい。
福島の仇を討ちたい。
ゲンパツに「奪われた」土地は全て、
美味しいものが穫れる/獲れる土地だ。
美味しいものを、その手で作れる、育てる人々が住む土地だ。
耕すことも、漁ることも知らない、
食い物といえば、
皿に載った所しか思い浮かばないヤツラに土地を渡してはいけない。
水を土地を汚してはいけない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK259] “安倍・麻生道路で大炎上 塚田副大臣「忖度」発言の真相(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
14. 2019年4月05日 09:59:04 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[237]
安倍、麻生は政治も税金も私物化、何をしても責任を取らない安倍、麻生の姿を手本に何をしても何を言っても辞めない、安倍からしてもう何度辞任することをしてきたか、自民党安倍政権に真面な政治家はいない、殆どが安倍忖度の自己保身の人間ばかり、利権政治屋のゴロツキ自民党。国民の代表とする議員は与党には一人もいない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/305.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍政治を象徴する塚田副大臣発言文字起こし(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
4. 2019年4月05日 09:59:43 : TdNPUCbLuQ : VjBCV0ppNmdxOHc=[3]
イチローさん、国民栄誉賞3度目の辞退 政府に伝える
理由は明らかになっていないが、今後も野球界に関わっていく強い意思を示したものとみられる。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000003-mai-base

イチローはブレないな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/315.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] 黒幕原作・尖閣・五輪・築地・そしてゴーンパージ  赤かぶ
1. 2019年4月05日 10:01:48 : 53wVq7Y1lU : b2dQTGd2Y0RqeHc=[32]
フランスは、武田を締め上げれば
オリンピック中止に持ち込めたでしょ

なぜ途中で追及をやめちゃったのかと思ってましたがね
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/326.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号の英訳に見る日本政府の国語力。(日々雑感) 笑坊
9. おじゃま一郎[7006] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年4月05日 10:03:01 : pDY4Kcf412 : TTdUdXRJd21Pbms=[21]
「令和」を「令」と「和」に分けて、それをくっ付けて解釈するのは
漢字を使う国内にはいいだろう。しかし欧米系外国語の世界はちがう
「Reiwa}と一つの単語となるからである。

令にBeautifulの意味があろうとなかろうと、外務省がBeautiful Harmonyと
したのは適訳である。今後外人に説明する時はBeautiful Harmonyとすれば、
よけいなことを考えなくて済む。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/298.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK259] 武田教授が激怒。NHKが垂れ流す「日本国の借金1000兆円」の大ウソ  武田邦彦(まぐまぐニュース) 赤かぶ
25. 2019年4月05日 10:03:31 : crwOMLqztc : QnhRNWs0UW5UOTY=[3]
そして、この記事は、間違いです。
政府の借金は、現在、500兆円に 成りました。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/290.html#c25
コメント [原発・フッ素51] 《<統一地方選>原発立地の10道県議候補 再稼働9割触れず》記事から読み解く候補者の人間像 お天道様はお見通し
2. 茶色のうさぎ[-10446] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月05日 10:04:52 : Ufll8nJ06Q : eHlmTEdqL2NNUk0=[-10]

>経産大臣が認可する株式会社NEXIの取締役、どんな顔ぶれ、、、いわゆる天下りの方が含まれて

>特殊会社の常勤役員に占める公務員OBの割合は全体の三分の一以内とするとされていること

>天下りを含めた人材の登用ということにつきましては、大臣が十分その監視の目を光らせていただく、

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/009818920150617023.htm

結論: 結局、天下り拡大と思うけど、、 

 つまり、経産省、共産党官僚、、勝ちー♪ぺっ

 日本共産党、藤野保史 ←ころせ♪ 共謀、結託、忖度です。 長文省略 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/314.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
7. 2019年4月05日 10:06:24 : IQcfIppDGw : Tzc4TWoxMWhNYUk=[27]
皇太子が歴史学者で、三笠宮も東大で歴史を学んでるのを知らんのか、こいつは・・・
こういう奴がいるから天皇制に反対なんだよ
特権階級があくせく働かなくても食っていけるのは、余暇を武芸や学問に費やして国家のために働く能力を身に着けることを期待されているからだぞ
貴族の義務を果たしていない奴、果たす能力の無い奴、果たすつもりが更々無い奴が、特権ばかりを主張するな
そういう奴の代表格が、安倍晋三やこいつだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK138] 三宅雪子‏ どんな妨害にも、ネガティブキャンペーンにも負けません!/「国民の生活」三宅雪子氏、(日刊ゲンダイ) CERISES
41. 2019年4月05日 10:06:33 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[443]
日刊ゲンダイで三宅雪子さんの連載がスタート!(ぽぽんぷぐにゃんSTREAM コラボ:三宅雪子さん)- 2019.04.04
.
時事ぽぽんぷぐにゃん
2019/04/04 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=QpMmZ9BcIg8
http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/893.html#c41
コメント [経世済民131] 投資信託、購入者の約半数が資産マイナス…「貯蓄から資産形成」を煽った安倍政権の責任(Business Journal) 赤かぶ
2. 2019年4月05日 10:06:58 : OO6Zlan35k : L3FGSWVCZWxFS3c=[41]

投資は自己責任

それもわからずに、政治家のせいにしている時点で、かなり愚かだが

比較する時期などにもよる


そして、経済が持続的に成長すると仮定するのであれば、基本的には

長期保有すれば、銀行に預けるよりも、余計なコストがかからない分

必ず、株のリターンの方が高くなるし


そうでなければ保険や年金など成り立たない


ただし、超少子高齢化が続き、マイナス成長が定常化するのであれば

そういう事態も起こりうるが、それを政治のせいにするのであれば

まさに愚民国家

滅ぶのも必然だろう



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/812.html#c2

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
12. 中川隆[-10930] koaQ7Jey 2019年4月05日 10:08:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1098]

前川喜平前次官が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。

総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
12. 一般ピープルぱんぴー[-206] iOqUyoNzgVuDdoOLgs@C8YLSgVs 2019年4月05日 10:08:38 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-639]
>10

北海道、大阪、とくれば、次は福岡ですね。

https://www.asahi.com/articles/ASM3Q3DQXM3QULFA006.html

福岡知事選は、造反だそうですが?

塚田一郎(アソー派参議院議員)が辞めるって?

言葉尻をとらえて辞任を迫るCIA??

アソー(NSA)が勝つか、現職(CIA)が勝つか???

現職は強いよねえ、参議院議員まで辞めさせちゃうんだから????

まあ、マスゴミ(CIA .co.jp)にはかなわないね?????



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK259] <速報>忖度発言 塚田国交副大臣が辞意! かばった安倍首相も辞めろ!  赤かぶ
1. 赤かぶ[8605] kNSCqYLU 2019年4月05日 10:09:29 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3644]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/328.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍官邸は逆ギレ「令和=命令と平和」英訳まねいた不手際(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
73. 2019年4月05日 10:09:45 : WJfBckkeXQ : bEJvblA2S2Z5QTI=[72]
>>70
>法が機能していることが秩序なのである。


これが西洋的な法治主義ですね。
ソクラテスの「悪法も法なり」とはまさにこの認識を示しているものと思います。

一方日本には、このような法治主義の伝統はありません。
従うべきものは、基本的に法ではなく「お上」。つまり、人治主義でした。

「令和」を「お上の命令に和して従え」と受け取る人が多いようですが、それはこのようなこのような日本の前近代性を表していると思います。
(もちろん安倍の個人的資質への疑問もあるだろうけど。)

西洋近代が素晴らしいとも思わないけど、もはや(おじゃま氏の例ではないが)車を運転する上での道路交通法のようなもの。
日本人もそれなりにマスターしておかないと、まともに国際政治に参加することはできないでしょう。
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/269.html#c73

コメント [政治・選挙・NHK259] 記者クラブは「冤罪製造装置」の重要パーツである(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
4. 2019年4月05日 10:10:31 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-740]
>>3

マスゴミが第四の権力を構成することに成功したから

規制すれば弾圧と騒げるし
国籍条項がないから在日コリアン側工作員がやりたい放題

だからおかシナ政治が平成時代に平気で行われてきた

村山内閣と民主党政権誕生はある意味メディアの工作活動でできたようなもの

その残党が特定野党にも紛れているから難しい
旧経世会潰しもある意味マスゴミメディアが潰したようなものなのに
清和会ガーと陰謀論で自分達への批判を回避しているからタチが悪い
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/276.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] <速報>忖度発言 塚田国交副大臣が辞意! かばった安倍首相も辞めろ!  赤かぶ
2. 赤かぶ[8606] kNSCqYLU 2019年4月05日 10:10:48 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3645]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/328.html#c2
コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
13. 中川隆[-10929] koaQ7Jey 2019年4月05日 10:11:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1099]

日本の官僚の方が総理大臣より身分が上である理由

日本の官僚の上司はアメリカ軍人 _ 日本の官僚に指示を与えているのは政治家ではなく日米合同委員会のアメリカ軍人だった

憲法を超える存在とされる「日米合同会議」・・・「日本は本当に主権国家なのか?」とプーチンに皮肉られるわけだ!! 
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/372.html
2018年12月23日 くろねこの短語


 辺野古埋め立てに抗議するホワイトハウス署名は17万筆を超える勢いだそうで、いかにたまりにたまった怒りが渦巻いているかということだ。でも、そのはけ口がこの国にはない。どんなに民意が「NON」を叫んでも、ペテン政権は聞く耳持ちませんから。それどころか、「全力で埋め立てを進める」なんて官房長官が国民に宣戦布告しちまうんですから、暴動が起きないのが不思議なくらいだ。

 だからこそのホワイトハウス署名なんだろうけど、でもよく考えてみるとこれって結局のところ日本に主権はないってことを暗に証明しているようなものなのかもね。見方によっては宗主国のアメリカに直訴しているようなものだと言えなくもない。

 実際、憲法を超える存在と言われる非公開の「日米合同会議」なんてのがありますからね。月2回開かれているとされるこの会議は鳩山ポッポもその存在を知らされず、結局は煮え湯を飲まされたとも噂されている。そりゃあ、プーチンに「日本は本当に主権国家なのか?」と皮肉られるわけだ。

・【痛烈】露プーチン氏が「辺野古基地建設強行」に触れ、安倍政権に苦言!「日本は本当に主権国家なのか?」…領土交渉のマズさに日本政府は”完全沈黙”!
※下段に全文転載

 いわばタブーとも言える「日米合同会議」について、なんとテレビ朝日『報道ステーション』がリポートしている。

 1日早いクリスマスプレゼントということで、見逃した方は是非ご視聴ください。自民党政権の歴史はアメリカの傀儡政権の歴史でもあることがよくわかる。


憲法を越える存在!?非公開の日米合同委員会 20161206 houdoustation


【痛烈】露プーチン氏が「辺野古基地建設強行」に触れ、安倍政権に苦言!「日本は本当に主権国家なのか?」…領土交渉のマズさに日本政府は”完全沈黙”!
https://yuruneto.com/putin-henoko/?fbclid=IwAR1P-PUlVVOsuwOxvJLna2Fcwc7Uk5ouDwySCXTjCVdUqcQxa9t_ruoTfgE
2018年12月22日 ゆるねとにゅーす

※キャプチャー


プーチン大統領「在日米軍問題抜きに最終決定難しい」

【モスクワ大前仁】プーチン露大統領は20日の記者会見で、日本との平和条約と在日米軍の問題について「平和条約を結んだ後にどうなるのかは分からないが、この問題を抜きにして最終的な決定を下すことは非常に難しい」と述べた。ロシアは日ソ共同宣言(1956年)に基づき歯舞群島や色丹島を日本に引き渡す場合でも、米軍が両島に展開しないという保証を求めており、プーチン氏がこの点を改めて強調した形だ。

プーチン氏は対日問題に関する発言の最後に「日本との平和条約を結べるよう真摯(しんし)な努力を続けていく」との原則も繰り返した。

日本が配備する米国製のミサイル防衛(MD)システムに関し、プーチン氏は「防衛目的だと(いう日本の説明)は信じていない。システムは攻撃能力を備えている」と語った。ロシアは、日本が配備予定の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」にも懸念を表明している。

また、沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、米軍普天間飛行場の移設計画に伴い同県名護市辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて「日本の主権のレベルを疑ってしまう」と批判的な見解を示した。

【Yahoo!ニュース(毎日新聞) 2018.12.20.】


安倍政権の急所突く プーチン「辺野古問題」に言及の衝撃

「日本は本当に主権国家なのか」――。

ロシアのプーチン大統領から仰天発言が飛び出した。20日に開いた年末恒例の大規模記者会見で、北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、「日本が決められるのか、日本がどの程度主権を持っているのか分からない」と指摘したのだ。

驚いたのはその先で、基地問題で主権を行使できていない実例として、ナント、米軍普天間飛行場の辺野古移設についてこう言及した。

「知事が基地拡大に反対しているが、(日本政府は)何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みんなが反対しているのに計画が進んでいる」

〜省略〜

21日の会見でプーチン発言について聞かれた菅官房長官は「コメントは控える」と逃げた。情けないことに、日本政府は反論もできず、ダンマリを決め込んでいる。

「1月に日ロ首脳会談を控え、下手に反論してロシア側を刺激したくないのでしょう。北方領土問題を抱える一方で日米同盟は崩せず、立ち往生している。しかし、本当にトランプ大統領と世界一仲がいいのなら、『武器をたくさん買うのだから、辺野古基地建設はやめよう』と言えば済む話です。それで、北方領土には米軍基地を置かないと明言してもらえば、ロシアとの交渉も進められます。ロシア疑惑で急所を握られているトランプ大統領は乗ってくる可能性がある。それができないのなら、首相が誇る米ロ首脳との信頼関係はマヤカシということです」(天木直人氏)

〜省略〜

【日刊ゲンダイ 2018.12.20.】


北方領土交渉方針 明らかにしない考え 菅官房長官

北方領土交渉をめぐりロシアのプーチン大統領が日本はアメリカの意向を考慮せざるをえないのではないかという認識を示したことに関連し、菅官房長官は記者会見で、日本政府の方針を交渉の場以外で発言すれば悪影響が懸念されるとして、明らかにしない考えを示しました。

〜省略〜

そのうえで、菅官房長官は、「わが国の交渉方針や考え方について、交渉の場以外で発言することは交渉に悪影響を与えるおそれがあるので、お答えすることは差し控えたい」と述べました。

【NHK NEWS WEB 2018.12.21.】


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK259] <速報>忖度発言 塚田国交副大臣が辞意! かばった安倍首相も辞めろ!  赤かぶ
3. 赤かぶ[8607] kNSCqYLU 2019年4月05日 10:11:30 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3646]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/328.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
19. 2019年4月05日 10:11:34 : ABPExKQ6Vk : REhURHl6ZS52bm8=[33]
>この新元号、あの二千円札と同じような運命をたどるような予感がする。
いつの間にか自然消滅。

総理大臣はもとより 天皇 天皇制度もね
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
13. わ寺アホ集団平和が命[-121] gu2Om4NBg3qPV5Jjlb2YYYKqlr0 2019年4月05日 10:12:17 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-638]
>>12

これですね。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190405/k10011873641000.html

NHKが報道するんだから「正しい」報道でしょうね。

大本営発表ですから。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c13

コメント [原発・フッ素51] 《<統一地方選>原発立地の10道県議候補 再稼働9割触れず》記事から読み解く候補者の人間像 お天道様はお見通し
3. 2019年4月05日 10:12:31 : 2izLR1Dtrs : UVhkSzVNcGpidjI=[52]

サルの惑星にはサルしか住まないのだろうか。
サルの惑星で人間の振りをすると浮いてしまうのだろうか。

ましてサルが原発の危険性など知るはずも無いのだろうか。
手をかざして、「暖っけえー」というのが関の山か?

原発が事故も無く稼働している時でさえ、周りの住民を殺してしる事さえ知らない。「サルは知らなくて良い」と囁かれているのだろうか?

しかし「死因構成と標準化死亡比でみた全国との死亡リスク格差」で各市町村
単位で調べ、「標準化死亡比」をみればその傾向は把握出来る。

特に原発から風下の地域、谷間、川筋の市町村の住民は、サルで無ければ調べて
見ると良い。なぜそこに何10%もの差があるのだろうか?

中には全国平均と全く変わらない市町村もあるが、そこは却って物凄く大きな危険
が隠されてしまっている可能性もあるかも知れない。住民の実感と解離した統計になっていないか? 保健所の人間はサルか人間か?

その「標準化死亡比」に現れたバイアスが100倍以上増幅されるのが事故時の急性被曝だろう。
「サルにはそれが想像できない、想像しなくて良い」と推進する人間は思っている。
「サルには知恵を付けない方が良い」と、利権を知っている人間は思っている。

しかし、そこに暮らしている人間はサルではない。
サルにさせられてしまった人間とその子供達だ。


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/314.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] <速報>忖度発言 塚田国交副大臣が辞意! かばった安倍首相も辞めろ!  赤かぶ
4. 赤かぶ[8608] kNSCqYLU 2019年4月05日 10:12:44 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3647]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/328.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK259] 塚田副大臣がいくら事実でないことと強調しても、調査国費4000万円は事実だ。(かっちの言い分) 一平民
2. 2019年4月05日 10:12:58 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[444]
塚田国交副大臣が「私が忖度した」発言で辞意
[2019年4月5日10時3分]

https://www.nikkansports.com/general/photonews/photonews_nsInc_201904050000298-0.html
塚田一郎氏(共同)。
塚田一郎国土交通副大臣(55=参院新潟選挙区)は5日、道路整備を巡って「安倍晋三首相や麻生太郎副総理が言えないので、私が忖度(そんたく)した」と発言した問題で辞任する意向を固めた。政府関係者が明らかにした。統一地方選や衆院大阪12区、沖縄3区補欠選挙への影響を抑えるため、責任を取る必要があると判断した。夏の参院選を控え、安倍政権への打撃となるのは必至だ。

塚田氏は1日、北九州市で開かれた福岡県知事選の応援集会で、首相の地元の山口県下関市と、麻生氏の地元の福岡県を結ぶ「下関北九州道路」の国直轄調査に触れ「忖度した」と発言。2日に文書で事実と異なる発言だったとして撤回、謝罪したが、野党が「利益誘導だ」と批判していた。

首相は3日の衆院内閣委員会で「本人がしっかり説明し、このことを肝に銘じ職責を果たしてほしい」と述べ、罷免を否定。4日の参院決算委では、罷免を重ねて拒否しつつ「有権者の前で事実と異なることを述べたのは重大な問題だ」と指摘していた。野党の反発が収まらず、後半国会の運営に響きかねないとみて方針転換した。

塚田氏は自民党麻生派所属の参院当選2回。麻生氏の秘書などを経て2007年に初当選した。党副幹事長や党国対副委員長などを務め、昨年10月の内閣改造で国交副大臣に就任した。(共同)

https://www.nikkansports.com/general/news/201904050000298.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/313.html#c2

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
14. 中川隆[-10928] koaQ7Jey 2019年4月05日 10:14:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1100]
安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった理由


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976


▲△▽▼


ここに1971年7月、米国キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領特別補佐官が中国周恩来と交わした秘密会談の内容がある。2002年7月公開された外交文書である。40年近くも以前から米国と中国は裏で繋がっていたことは周知の事実ではあるが、今の日本の立場を見極める意味からも大変重要である。

二人の秘密会談の内容の1/4は日本に関することであったという。当時より経済大成長した日本に対し、米中とも非常に警戒心をもっていた。

 米中の日本に対する見方は今も昔も同じである。この事を踏まえて、対米、対中外交方針を決定しないと、何時まで経っても日本は米中の「お財布さん」でしかない。また、両国が一番恐れているのは日本の再軍備であり、日本の核保有である。相手の嫌がることをし、カードとするのが外交の基本である。日本のある首相は、「相手の嫌がることはしない」で通したが・・・。

 北朝鮮の核保有を米中が嫌がるのは、これを認めると日本の核武装化を止められないからで、6ヵ国協議と称して北朝鮮をなだめるのに必死のふりであるが、真の目的は日本の核保有を阻止する為に他ならない。

 以下の会談の一部を見ると、この流れがここ40年間、めんめんと流れていることがよく理解できる。いつまでも米国に頼っていると大変なことになることを、我々は自覚しなければならない。

(「敵国になり得る国米国」青木直人著より)


日本人観

周恩来 「ものの見方が狭く、とても変わっている。島国の国民だ。」

キッシンジャー「中国は伝統的に普遍的な視野があるが、日本は部族的な視野しかない。日本人はほかの国民がどう感じるかに何の感受性もない。日本には何の幻想ももっていない。」


日本経済

周恩来 日本は第2次大戦の賠償も払わず、戦争から利益を得た。経済拡大は軍事拡大につながる。米国は日本を今の状態に太らせた。」

キッシンジャー「日本を経済的に発展させたことをいまでは後悔している。」


日本の防衛政策

周恩来 「日本は過去二十五年あまり、防衛に必要以上の金を使ってきた。いまや羽が生え、飛び立とうとしている。一度日本が軍事拡大に走れば、どこまでいくかわからない。」

キッシンジャー「日本が米軍撤退を希望すればいつでも出てゆく。日本が自主防衛すれば周辺の国にとって危険だ。米国が日本のために核兵器を使う可能性は実際には小さい。米軍が撤退すれば、日本は平和利用計画で得た充分なプルトニウムで核兵器を作ることが出来る。日本が大規模な再軍備に走るような事態になれば、伝統的な米中関係が再びものをいう。米国は日本の拡張を抑えるために、他国と協調できることをする。日本について我々は同じ方向の利害を持っている。」
http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/977743/


そして米中が組んでやった事は:

中国は当面は軍事力よりも外交で影響力を強めてきている。PKO活動もその一環ですが、日本は金だけ出して自衛隊の活動には消極的だ。米中の見えない同盟関係は日本に対するものであり、アメリカは日本の円は360円から80円にまで4倍に吊り上げて、中国の元は1ドル=2元から8元にまで4分の1に引き下げを認めた。これは対ドル相場なのだからアメリカが認めなければ出来ない事だ。

アメリカの90年代からの中国に対する経済的支援は、日本の弱体化と中国の台頭を促した。80年代の日本経済はアメリカに脅威を与えるほどになったからですが、日本の弱体化はアメリカにとって国益になったのだろうか? 普通ならば中国が世界一の黒字大国になったのだから人民元が上がるのが常識だ。しかしアメリカはそれ元安を容認してきた。

この事によって中国は西村眞悟氏が言うように世界に「失業」を輸出しているのであり、世界的に労働者の賃金を引き下げさせてきた。それに対して日本は人民元の安さに対抗する為に中国に工場を進出させて雇用を輸出している。職を失った日本の若者は結婚も出来なくなり少子化が進むようになった。これらは米中の思惑通りの結果なのでしょうが、アメリカは同盟国の日本の弱体化はプラスであるとどうして考えたのだろうか?

それに対して日本の政治家は見えない米中同盟に気がつくのが遅すぎた。アメリカは露骨に日本に対しては政治介入してくるのに、中国の人権問題や人民元安には口を出さずに寛容だ。アメリカ自身の国力の衰退がそうさせていると見えますが、その穴を中国が埋めている。そうなれば日本には小沢一郎のような政治家が出てきて、アメリカと距離を置いて中国の属国になろうという政治家が出て来る。そうなる事はアメリカの利益なのだろうか?
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu208.htm


▲△▽▼


米中同盟

中国は当面は軍事力よりも外交で影響力を強めてきている。PKO活動もその一環ですが、日本は金だけ出して自衛隊の活動には消極的だ。米中の見えない同盟関係は日本に対するものであり、アメリカは日本の円は360円から80円にまで4倍に吊り上げて、中国の元は1ドル=2元から8元にまで4分の1に引き下げを認めた。これは対ドル相場なのだからアメリカが認めなければ出来ない事だ。

アメリカの90年代からの中国に対する経済的支援は、日本の弱体化と中国の台頭を促した。80年代の日本経済はアメリカに脅威を与えるほどになったからですが、日本の弱体化はアメリカにとって国益になったのだろうか? 普通ならば中国が世界一の黒字大国になったのだから人民元が上がるのが常識だ。しかしアメリカはそれ元安を容認してきた。

この事によって中国は西村眞悟氏が言うように世界に「失業」を輸出しているのであり、世界的に労働者の賃金を引き下げさせてきた。それに対して日本は人民元の安さに対抗する為に中国に工場を進出させて雇用を輸出している。職を失った日本の若者は結婚も出来なくなり少子化が進むようになった。これらは米中の思惑通りの結果なのでしょうが、アメリカは同盟国の日本の弱体化はプラスであるとどうして考えたのだろうか?

それに対して日本の政治家は見えない米中同盟に気がつくのが遅すぎた。アメリカは露骨に日本に対しては政治介入してくるのに、中国の人権問題や人民元安には口を出さずに寛容だ。アメリカ自身の国力の衰退がそうさせていると見えますが、その穴を中国が埋めている。そうなれば日本には小沢一郎のような政治家が出てきて、アメリカと距離を置いて中国の属国になろうという政治家が出て来る。そうなる事はアメリカの利益なのだろうか?
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu208.htm


▲△▽▼


1995年 オーストラリアを訪問した李鵬は、豪首相との首脳会談中に、 「 日本など20年も経てば地球上から消えてなくなる 」と発言
李鵬の発言はまるでオカルトのようにも聞こえるが、平成9年当時の国会でも取り上げられた発言である。

武藤国務大臣

「そのオーストラリアへ参りましたときに、オーストラリアの当時のキーティング首相から言われた一つの言葉が、日本はもうつぶれるのじゃないかと。

実は、この間中国の李鵬首相と会ったら、李鵬首相いわく、

君、オーストラリアは日本を大変頼りにしているようだけれども、まああと三十年もしたら大体あの国はつぶれるだろう、こういうことを李鵬首相がキーティングさんに言ったと。

非常にキーティングさんはショックを受けながらも、私がちょうど行ったものですから、おまえはどう思うか、こういう話だったのです。」
http://hanzibakuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/20-ea32.html






▲△▽▼

「ひとりがたり馬渕睦夫」#12
安倍首相と日本の生きる道・質問祭り後編(国内問題編) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=yH0v5jOE-LM

◉「ひとりがたり」馬渕睦夫 #12
収録:2018年12月10日 時間:42分


質問祭り、日本、そして安倍政権をめぐる問題にお答えします。

「馬渕大使が安倍首相を一方的に評価することが理解できない。安倍首相はグローバリストではないか」という質問にも真正面より答えます。馬渕睦夫はなぜ安倍総理を支持するのか?


=========================

<目次的な!>

・トランプ大統領とユダヤ勢力のまとめ

・グローバルユダヤと民族ユダヤがあり、トランプを支持するのは民族ユダヤ。トランプ氏は反ユダヤではない。

・マネーを発行する権利を政府が持っていないという世界の中央銀行システムを理解することが重要

・日銀の筆頭株主は55%が日本政府ですが、残りの45%は誰が保有しているのですか?という質問。

・財務省は日銀を管轄できない、支配下に無い

・財政は財務省がやっているが金融は日銀がやっている(金融を政府が握っていないことの是非)

・国の支出が歳入を上回った場合、借金をすることが普通と思わされているが、政府の政策を遂行するためになぜ民間の日銀から借金をしないといけないのか?という素朴な疑問

・財務省はモリカケ含めずっと安倍降ろしをやっていた。主導権を取り戻したいと思っている

・官僚の人事は財務次官、または財務省OBが決めていた

・日本は今まで官僚主導、官僚支配の国だった(安倍総理以前)

・自民党内でも安倍降ろしが蔓延している

・安倍首相が下野して最も喜ぶのは中国、つまり自民党内親中派のこと(あなたは親中派ですか?)

・自民党の竹下亘氏について(竹下派会長・衆議院議員)
来年の参院選での安倍首相降ろし発言の主。2018年の総裁選では石破氏を支持。しかしその時竹下派(55人)内でも石破一本化はできず票は割れた


<日本の生きる道>

・例えば北海道の中国人による土地買収問題。
自民党が日本を守ろうと思えばすぐ対策できるということ。気概がないだけ。なぜやらないのか?
答え→自民党もチャイナマネーにまみれているから

・官僚はグローバリズムの先兵になっている

・働き方改革、移民法、種子法廃案、水道の民営化、などのグローバリズム政策

・法案は自民党の政調会→総務会を通るのだから、真面目に対応すればいいだけ、何もしないのは自民党の政治家の怠慢

・不法滞在者を無くすには韓国人のビザなし観光客を取り締まるべし!

・韓国人の不法滞在者数はここ数年増えており、観光ビザで失踪するパターンで女性が多い(女性60%)

・観光庁を国土交通省の中につくったのがこの問題のそもそもの遠因

・出入国在留管理庁(入管庁)までつくってしまった
→2019年4月 入国管理局が入管庁へ格上げ。入国審査官などの職員も500人以上増強される
※法改正を急いだ理由はここにあると思われます(補足)

・移民法の件、法律に書かずに省令でやると言っているのは、官僚の権限を増やすため(国益よりも省益の恐れ)

・これは本来の議会制民主主義の原則に反すること(とっくの昔にそれは無くなっているのですが)

・日本の政治家の質を上げる、特に自民党の政治家にもっと勉強してもらうことに尽きる

・日本の近現代史、大東亜戦争にまつわる質問には、今後の番組で語って参ります


<安倍首相・安倍政権について>

・政治というのは妥協の産物、51のために49を犠牲するのが政治

・日本にとって51とは?

・ところがいまその政治が働いていない

・安倍首相は49側、つまり妥協が過ぎるのではないか?という皆さんの批判だと思います。

・「日本を取り戻す」という安倍首相でも、自民党と官僚を抑えることはできない

・威勢のいい保守の論客は、実務経験が無い無責任ともいえる(それがすべて悪いとは言わないが)

・安倍首相は官僚も自民党内もグローバリストだらけの中でギリギリの綱渡りをせざるを得ない状況

・安倍総理は通算7年の任期
※安倍首相は2019年11月19日を越えると、通算の首相在任期間が桂太郎を抜き歴代一位となります(補足)

・馬渕睦夫はなぜ安倍総理を支持するのか?
 →安倍総理以外だともっと日本が悪くなるから、もっとグローバル化する、もっと中国、在日勢力の影響力が拡大するから

・移民法案でいうところの、”共生社会”というものは、世界のどの国にも存在していない

・民族は民族どうしで固まる習性があり、共生社会という言葉は幻想であり、まさにポリティカルコレクトネスである

・少数者を保護する法律などは分断を起こさせるだけ

・とはいえ日本はもともと共生社会を実現してきたはず


<日本人としての生き方>

・伝統的な精神に復古すること

・和の世界とは自らの分を尽くすこと(自分)

・個性は作り出すものではなく、もともと備わっているもの、引き出すもの。

・1930年当時の日本が混乱していたのは、外来思想を土着化できなかったから。それが大東亜戦争の要因でもある 

・ポール・クローデル(1868年 - 1955年)
フランスの外交官・劇作家
駐日フランス大使(1921-27在任)日仏会館を発足
馬渕大使の著書等に度々登場しますね!
曰く、

「世界でどうしても滅んでほしくない民族がある。
 それは日本民族だ。
 日本は太古の昔から文明を積み重ねてきたから
 明治維新後 急速に欧米文化を輸入しても
 発展することができた。
 日本人は貧しい。しかし、高貴である」
(1943年/昭和18年 秋 パリにて)


・この日本の伝統の精神が、今弱くなって来ている、忘れつつある!

・太古の昔の日本に想いを馳せるだけではダメで、それを取り戻すということ。それが精神武装になるのです。

・ロシアの視聴者からのメール(大使のロシア観、日本人と似たところと重なるのでご紹介)

・ロシア人は個人主義ではなく集団の調和を思いやる、中国人が大嫌いで性格的に合わない、精神の美しさや崇高さからほど遠い中国人を軽蔑する

・この難局をいかに乗り越えるか?なぜ世界が日本に注目するのか→日本にある精神性が鍵。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK259] 「歴史学者は極左集団、後ろから蹴り入れていいぐらい」と吐いた自称皇族の末裔、竹田恒泰がまたまたアベ並みのサル知能を披瀝… 赤かぶ
8. 2019年4月05日 10:15:11 : N2ngKxg6J2 : a0tJc0t4STFzbkk=[25]
自称皇族の竹田は大室寅之祐の玄孫という自覚があるからこそ
皇族の質を貶めることが平気で言える。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/321.html#c8
コメント [経世済民131] 中国が危ない!世界最悪154兆円の不良債権!   赤かぶ
19. 2019年4月05日 10:15:28 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-739]

加計学園潰れるみたいな投稿だと願望含めて同調する奴らが多い阿修羅掲示板

それが中国だと「違うんじゃない?てかやめろよ!」みたいなコメントが目立つから
面白いね


http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/798.html#c19

コメント [近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 中川隆
15. 中川隆[-10927] koaQ7Jey 2019年4月05日 10:16:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1101]

大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される


経済コラムマガジン 2018/4/30(984号)「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末
http://www.adpweb.com/eco/eco984.html

財務官僚は反安倍勢力

文書改竄に続き、事務次官のセクハラ事件が起り財務省は世間の批難を受けている。しかし筆者は、財務省に関しては別の方向での批難があってしかるべきと思い今週号を書いている。ただ話を進める前に、安倍総理を攻撃する勢力について述べる必要がある。

安倍総理を攻撃する勢力の一つは、安保法制改定に反対し憲法改正を警戒する人々である。端的に言えば左翼である。左翼系メディアや労働組合など野党を支持する勢力である。これまで安倍政権は、野党の猛反対にも拘らず安保法制の改定など安保関連の法改正を着々と実現してきた。またこれらを実現しなが高い支持率を維持し、国政選挙でも連続して勝ってきた。左翼勢力は、ついに本丸である憲法が改正されると危機感を持ち、安倍総理への攻撃を最大限に高めている。


もう一つの反安倍勢力は、財政再建派とか財政規律派と呼ばれる人々である。消費税の再増税を2度も安倍総理に阻止され、彼等の総理個人への反感は最高潮に達している。

17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html

で取上げたように、自民党の中の反安倍と目される全ての政治家は、財務省に繋がっている財政規律派と見て良いであろう。またポスト安倍と見なされている政治家もほぼ全員財政規律派である。

このように役所の中ではっきりと反安倍のスタンスなのが財務省である。消費税の再増税を阻止され、総理に対しては恨み骨髄と思われる。しかし組織の上では総理は上司であり、財務官僚も表向きには総理に従っている。いわゆる面従腹背という接し方を行っている。

財務官僚の反安倍を示す信じられない話が伝わっている。以前、財務官僚数名が評論家の屋山太郎氏を訪れ「アベノミクスに反対してくれ」と申入れたという(4月14日付ZAKZAK)。これが本当ならとんでもない話であるが、十分有りうると思われる(もちろんアベノミクスが万全ではなく、問題があることは筆者も承知しているが)。筆者は、この前代未聞の出来事は文書改竄やセクハラよりずっと大きな問題と見なす。

ところが今日の財務官僚の一連の不祥事を、安倍政権の責任と日本のメディアは報道する。財務官僚が強硬な反安倍勢力であることを指摘するのは一部のメディアに限られる。ほとんどのメディアはこのことを承知しながら、卑怯にも今日のような偏向報道を続けているのである。


筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。時には

16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
http://www.adpweb.com/eco/eco883.html

で述べたたように、元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。

一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。


しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。

ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。


追出された柔軟派の官僚

「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。

陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。

たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。


それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。

この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。

銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。


このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。

銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。


ところが銀行局が金融庁に変わって10年以上が経ち、今日、銀行行政は様変わりしている。リスクを取らず貸出しが伸びない銀行の方が、むしろ指導を受けるという風になった。金融庁は立上がってしばらくは規律派の天下であった。しかし今日に到り、金融庁は現実を重視した柔軟派に転向したと言える。ただ昔の貸し渋りや貸し剥がしを知っている企業は、簡単には銀行からの借入を増やそうとはしない。

ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。

筆者は、当時、日米が保険で揉めていたことがこれに関係しているのではないかと憶測する。日本の国益を守るため盗聴を警戒していた柔軟派の大蔵官僚と、籠池氏や女性記者に簡単に会話を録音されている今日の規律派の財務官僚とは好対照である。
http://www.adpweb.com/eco/eco984.html


▲△▽▼


日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html


 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。

さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。

 「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。

*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。


日本の金融をボロボロにして乗っ取ったのは1992年からのクリントンの対日戦略でした。日本を自分たちが自由に操れる国にしたのです。ロバート・ルービンとローレンス・サマーズを実施部隊の司令官にして、何かあるとサマーズが来日して大使公邸で怒鳴りつけるのです。

  当時、首相だった橋本龍太郎はさすがに行かなかったのですが、幹事長以下の実力者が全員呼びつけられて、「アメリカに逆らうな」と怒鳴りつけられる。そういう政治が行なわれてきました。今もそうです。そのことを知っている日本の新聞記者たちが、なぜかまったく書かない。ここに問題があるのです。

  1998年10月からの“金融ビッグバン”も、橋本龍太郎が無理やり約束させられたものです。当時は、「金融自由化だ」「ビッグバンだ」とあれほど騒がれたのに、今は誰も口にしない。なぜなら、「金融自由化」の掛け声とはまったく逆で、結果的にできあがったのは「金融統制」の体制でした。

  日本は騙されたのです。あの時に外資すなわちニューヨークの投機マネーが自由に日本に入ってこれるようにした。そして少額で日本の大銀行を乗っ取れるようにした。

  この1998年2月、“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”を起こし、大蔵官僚たちを計画的に叩きのめしたのです。日銀官僚の福井俊彦(現日銀総裁)もあのリストに入っていました。名刺があった連中は皆さらし者にされ、官僚として出世が止まったのです。

  CIAはこの名簿をインターネット上に流し、さらに愛国派官僚たちが引きずり降ろされる不祥事に発展しました。いわゆる“大蔵落城”です。マスコミはCIAの尻馬に乗って、日銀と大蔵官僚叩きをやったのです。

  この時、すでに自民党の政治家たちは一人ひとり弱みを握られてアメリカの軍門に下っていたのですが、日本の官僚たちはアメリカの言うことを聞かないで抵抗していました。その結果、叩きつぶされたのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi013.html


▲△▽▼

日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html


 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。

さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。

 「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。

*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。


このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。

小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。

現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。

相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html


▲△▽▼

パソナ美女接待迎賓館”仁風林”
パソナ南部靖之会長の愛人達 竹中平蔵と橋下徹 都市伝説とその裏側
http://maezaki.net/pasona-takenaka


仁風林関係の動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BB%81%E9%A2%A8%E6%9E%97

パソナの迎賓館"仁風林"の住所特定!とちないASKAも驚いたバブル内装【画像】
https://www.youtube.com/watch?v=FVt3LKC2ba4

仁風林 - Google 画像検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BB%81%E9%A2%A8%E6%9E%97&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwi08f2c0cfLAhXiG6YKHSDDAPYQsAQIGw&biw=1140&bih=648


「仁風林」はCIAが作ったハニートラップ製造店か? 
かつてのノーパンしゃぶしゃぶ事件と酷似。


今や日本の政治家は完全なアメリカの飼い犬となり、アメリカの意のままに動かされています。

どうしてこんなことになってしまったのか。
脅されているのか、それとも金か何かで操られているのか。

色々な想像が頭の中をよぎりますが、今回のASKA事件によって、政財界の多くの人たちがハニートラップにかけられてしまったのではないかという疑いが出てきました。少なくとも私はそう見ています。


要するに、政財界の大物たちを麻薬やら女やらで誘惑して弱みを握ってしまうわけです。

そうすると、彼らはもう二度と自分の好き勝手はできない。

麻薬と女に手を出したことが世間に知れたら、その人は現在の地位を失い、最悪の場合、食べることすら事欠くようになってしまうからです。

ハニートラップを仕掛けたのはもちろんアメリカの金融ユダヤ人でしょう。

彼らは過去にも巨大なハニートラップ店を作り、大勢の霞ヶ関の高級官僚たちを罠にはめてきたという経緯があります。

皆さんもまだ記憶に残っていると思いますが、その有名なハニートラップ店が例のノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」です。

97、98年頃、この怪しげな店に有名な大蔵官僚が出入りしていることがマスコミによって大々的に報じられました。

これによって彼らの多くが失脚することになりましたが、実はこのときにマスコミに名前を挙げられたのは愛国派と良識派の官僚だけでした。アメリカに留学経験のある官僚、いわゆる売国奴たちは誰もその名前を報じられることなく、そのまま権力の座に居座りつづけたのです。

この事件がきっかけとなって、大蔵省は財務省と金融庁に解体されてしまいました。

それは、日本の官僚の本丸、大蔵省がアメリカに攻め落とされ、完全に占拠された瞬間でした。

こうして官僚の上層部は全てがアメリカ留学組の人間のみとなり、アメリカのエージェントである売国奴がこの国を支配するようになったわけです。

しかも、そのアメリカ留学組が後輩の留学組たちを引っ張り上げるシステムができあがり、ついにはアメリカにこの国を売る者だけが出世するという仕組みが完成してしまいました。

今では官僚の留学先の7割以上がアメリカだそうです。
国費を使った留学で、日々売国奴が量産されつづけているというわけです。

我々のあらゆる資産をアメリカに献上してしまう人間を、給料から留学費用、住居や手当まで、我々がしっかりと税金で養ってあげているのです。

この「楼蘭」と同様、「仁風林」もまたアメリカの作ったハニートラップ製造所だった可能性がなきにしもあらずです。

多くの政財界の大物たちがこのハニートラップにまんまと引っかかり、金融ユダヤ人の意のままに動かされ、国民のために働きたくても働けなくなってしまった可能性があります。


○ASKAで話題の“接待パーティー” 高級官僚も常連だった

今のところ「仁風林」に出入りしていたことが分かっている政治家は以下の通りです。

・安倍晋三首相
・菅義偉官房長官
・田村憲久厚労相
・下村博文文科相
・林芳正農水相
・甘利経済再生担当相
・石原伸晃環境相
・新藤義孝総務相

もちろん、パソナ会長の竹中平蔵もその一人に違いありませんが、彼はハニートラップに引っかかった側ではなく、引っかける側だったと考えた方がいいのかも知れません。

「竹中さんみたいなお偉いさんに誘われて、おれも出世したな」

と思って、いい気になってサロンと呼ばれる社交の場に行ってみたら、そこは麻薬と女に満ちた怪しげな世界だった……

「これはちょっとマズイな」と思ったときにはもう遅い。

もちろん、中には麻薬と女の魅力にズブズブとはまりこんでしまう人もいるのでしょうが、逆に気まずい思いをして帰るだけの人もいるかも知れません。

しかし、いずれにしても、その場所に足を踏み込んでしまったが最後。麻薬と女に手を出したという証拠写真が撮られ、それをネタに脅しをかけられる。

これを世間に公表したら、お前の政治家生命はないぞ。

現在のところ、マスコミは「仁風林」がらみの政治家ネタを全く報じようとしませんので、どの政治家たちも脅しに屈して、金融ユダヤ人の意のままに動いておられると考えた方がいいのかも知れません。

実際、現在の安倍政権が国会に上げてくる政策のすべてが金融ユダヤ人の利益となる政策ばかりですからね。林芳正農水相も罠にはめられて、JA解体のために動かなくなってしまったのではないでしょうか……。

もっとも、いくら政治家や官僚たちを罠にはめたところで、最後の最後には国民が黙ってはいません。だから、JA解体の問題にしろ、自衛権の問題にしろ、最後の一押しがなかなかうまくいかないわけです。それでも力づくで金融ユダヤ人の意のままに政治を動かすなら、そのときはB層までもがカンカンに怒り狂って、誰も彼もがA層に変わってしまうことでしょう。

そうなったら、この日本はそれこそ完全な超一流大国になれるかも知れません。

そもそも、ASKAが逮捕され、パソナの名前が表沙汰になること自体、彼らには想定外だったのではないでしょうか。
http://rapt.sub.jp/?p=11226

ASKAで話題の“接待パーティー” 高級官僚も常連だった 2014年5月31日

仕切り役は元財務省の天下り

 ASKA事件で注目を集める人材派遣会社「パソナ」グループの迎賓館「仁風林」(東京・港区)を舞台にした接待パーティー。

常連客には、国会で追及された田村憲久厚労相や小野寺五典防衛相など現職閣僚を含む与野党の政治家の名前が次々と浮上。

政界に激震が走っているが、“接待漬け”されていたのは政界以外にもいる。

霞が関のエリート官僚たちだ。


 美女が体を密着させながら酒をつぎ、豪華料理に舌鼓を打つ――。

「仁風林」の接待パーティーは、さながら高級クラブのサロンのような雰囲気だったという。

 接待客の人選や席の配置などを仕切っていたのは、南部靖之代表の“右腕”といわれ、「公共戦略事業・特命担当」の肩書を持つ上斗米明・常務執行役員。

財務省出身の天下り官僚だ。

「83年入省で、主税局主税企画官、関税局業務課長などを経て国税庁総務課長に就いたものの、なぜか、たった5カ月で大臣官房付に異動し、そのまま辞職した。2010年に執行役員としてパソナに天下りしました」(事情通)

霞が関で突然の大臣官房付の異動はスキャンダル絡みが多い。

南部代表はセクハラなどでミソを付けた有能な人材を利用するのがうまい。

ま、いろいろとあったのだろうが、上斗米氏が霞が関とのパイプになったのは間違いない。


「パソナの官僚接待はすごいですよ。
局長以上の幹部の多くは、“仁風林パーティー”を知っているはずです。

パソナを含む派遣業界は90年代、業界全体で数十億〜数百億円規模といわれた派遣社員の社会保険料の未納の扱いについて頭を痛めていました。

98年には会計検査院が全国の派遣会社の約400の事業所で、約35億円の社会保険料の徴収漏れがあったことを指摘しています。保険料徴収が厳格化されれば、業界はたちまち火の車。そこで保険料の支払いを緩くするための日雇いや請負といった規制緩和に政界工作を仕掛けた。

課長クラスもパーティーに来ていて、南部代表の腰巾着といわれているエリート官僚は大勢います」(元人材派遣会社幹部)


仁風林」の常連官僚の中には、経産省の局長や中小企業庁の幹部職員がいて、実名が飛び交っている。

 文科省の事務方トップ、山中伸一・事務次官の名前も出てきたから文科省に事実確認すると

「こんなことを次官に聞けるワケがないし、プライベートなことなので答える必要はない」(事務次官室)

ときた。

 経済ジャーナリストの荻原博子氏がこう言う。

「労働者あっての国や経済なのに、官僚や派遣業界は、労働者を『出来る限りコキ使って搾取するコマ』としか見ていない。

自分たちさえ儲かればいいと思っているから、政官財で“癒着”しようが“談合”しようが、悪いという感覚がないのでしょう」


「仁風林」での政官接待は、98年の銀行と旧大蔵官僚の「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」を思い出させる。

お車代などの現ナマをもらって、行政をネジ曲げたのだとすれば許されない話だ。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/150621


▲△▽▼


2018年03月21日
財務省決裁文書改ざん事件の本質は何か - 森永卓郎
http://blogos.com/article/285184/?p=1

 財務省の決裁文書書き換え事件について、私は大きな危機感を抱いている。その不安をさらに大きくする記事が、3月18日の朝日新聞に掲載された。3月17日、大阪府高槻市内で行われた集会での辻元清美立憲民主党国会対策委員長の発言だ。

 「昨夜、首相官邸前で雨の中、ものすごい数の人が集まっていたが、『官僚頑張れ!』のコールが出てきた。普通、決裁文書の改ざんが起きれば『官僚は何なんだ』となるが、『今回は違う。誰かを守っている』とみんな見抜いている」

 私は、今ごろ、財務省は高笑いをしているのではないかと、感じているのだ。

 財務省が国会に提出した決裁文書から昭恵夫人の名前が消えていたことで、野党やマスメディアは、安倍総理の関与を再び追及する構えをみせている。もちろん、それはやらなければならないことだが、今回の決裁文書で、安倍総理の関与を示す証拠は出てきていないのだから、そこに力を注ぐより、財務省の責任をきちんと追及することのほうが、優先順位が高いと、私は考えている。それどころか、安倍内閣が弱体化することは、逆に財務省の思うつぼになる可能性が高いのだ。

 財務省は、国会に改ざんした決裁文書を示して、それに基づいて1年間も国会審議がなされてきたのだから、改ざんは国会への冒涜に他ならない。しかも、ミスによって誤った文書が出されたのではなく、悪意をもって、組織ぐるみでやったのだから、再発を防ぐためにも、厳罰を下す必要があるのだ。


ノーパンしゃぶしゃぶ事件の教訓

 ここで再確認しておくべきことは20年前の不祥事だ、財務省の前身の大蔵省は、いまから20年前に、いわゆるノーバンしゃぶしゃぶ事件を起こした。金融業界から過剰接待を受けて、内部情報を漏らしていたとされる事件だ。このときの大蔵省へのペナルティは、4つの方法で行われた。

 まず、刑事責任の追及だ。6人の大蔵官僚(OBを含む)が逮捕され、全員に執行猶予付きの有罪判決が下された。第二は、大蔵省としての処分だ。停職1人、減給17人など112人に対する処分が行われ、局長クラスも複数が辞任した。第三は、政治責任だ。当時の三塚博大蔵大臣は、この事件の責任をとって辞任した。そして第四は、大蔵省という組織へのペナルティだ。この事件をきっかけに、大蔵省から金融庁を切り離すことになり、そして大蔵省という名称自体も財務省に変更されることになったのだ。

 今回の決裁文書改ざんは、罪としては、ノーバンしゃぶしゃぶ事件よりもずっと重いだろう。有印公文書偽造は、最高刑が懲役10年の重罪だ。

 ところが、第一の刑事責任の追求に関して、いまのところ検察の具体的な動きがみられない。証拠固めをしているのかもしれないが、改ざんに関わった官僚は、すべて逮捕すべきだろう。

 そして、第二の財務省としての処分も動きがみえない。麻生太郎財務大臣は、決裁文書の改ざんは、3月11日になって初めて知ったのであり、自分は一切関与していないと断言している。もしそうだとすれば、財務省は、国会をだましただけでなく、自省のトップをも欺いていたことになる。それによって、国会を空転させ、内閣を窮地に追い込んだのだから、私は、改ざんを実行した財務官僚は、懲戒免職に相当すると思う。いまのところ、改ざんに関わった具体的な官僚の名前は出てきていないが、それが判明したときに、もし手ぬるい処分が下されることになったら、麻生大臣の関与が改めて疑われることになるだろう。

 第三の政治責任だが、麻生財務大臣の辞任は避けられない。仮にまったく知らないところで改ざんが行われたのだとしても、監督責任は大きいからだ。

 そして、第四の財務省という組織に対するペナルティだ。麻生大臣は、問題を起こした理財局の分離を示唆しているようだが、それでは意味がない。私は今回こそ、国税庁の切り離しをすべきだと思う。財務省がなぜ日本の支配者として振る舞う強大な権力を持ってきたのかといえば、国税庁を抱えているからだ。財務省を批判したり、逆らったりすると、税務調査や国税の査察を受ける。だから、怖くて財務省批判ができないのだ。国税庁を分離すれば、財務省は普通の役所になり、国会や国民を欺いてまで、自らの政策を強行することができなくなるのだ。

なぜ国有地は8億円引きで払い下げられたのか

 以上で述べた財務省へのペナルティをきちんと行ったうえで、次に追及すべき問題が、そもそもなぜ財務省が森友学園に国有地を8億円もの値引きをして払い下げたのかということだ。ある元経済産業官僚は、私に、「官邸での地位低下にあせった財務省が、安倍総理にこびを売るためだったのではないか」と語った。安倍政権発足前は、財務官僚は官邸で圧倒的な地位を占めていた。

 ところが、安倍総理は政界のなかで唯一の「反財務省」の政治家だ。だから官邸内の主要ポストを経済産業省出身者で固めた。日本の支配者である財務省としては、当然面白くない。そこで、安倍総理の歓心を引こうと、昭恵夫人肝いりの森友学園に便宜を図ったというものだ。確かに、その可能性は十分ある。しかし、私は財務省にもう一つの思惑があったのではないかと思う。

 実は、一昨年の秋ごろから、安倍総理に「消費税引き下げ」の動きがみられた。昨年1月号の「文藝春秋」には、安倍総理の参謀である浜田宏一内閣官房参与が、「アベノミクス私は考え直した」という論文を寄稿し、減税の必要性を訴えた。その後、安倍総理自身も、官邸にイギリスのアデア・ターナー金融サービス機構前長官を招き、会談している。ターナー氏は、ヘリコプターマネーの提唱者として有名で、日本がデフレから脱却するためには、減税が必要と主張している。

 来年10月からの消費税率引き上げを控えて、安倍総理がこうした動きをすることは、財務省にとっては看過できない事態だ。そこで、財務省は安倍総理に取り入ることができなかった場合には、安倍総理を失脚させても構わないという含みをもたせて、8億円引きを行ったのではないか。

 3月16日の参議院予算委員会で、財務省の太田充理財局長が、「政府全体の答弁は気にしていたと思う」と述べて、安倍総理が「自分と昭恵夫人が、払下げに関与していたら、総理も議員も辞める」と発言した国会答弁が、決裁文書改ざんに影響したことを否定しなかった。この期に及んでも、財務省が安倍総理退陣を目論んでいることを示唆する答弁なのではなかろうか。そして、その財務省の戦略は、内閣支持率の急低下やメディアの論調をみていると、思惑通りに進んでしまう可能性が高まっているようにみえるのだ。

 私は、働き方改革や原発の新増設、憲法改正といった安倍政権の政策には反対だが、もし安倍政権が崩壊したら、来年10月の消費税引き上げが予定通りに行われて、景気が失速するだろうと考えている。ポスト安倍の面々は、例外なく親財務省だからだ。


財務省はウソツキ

 今回の決裁文書改ざん事件で、明白になったのは、財務省はウソツキだということだ。そして、財務省がついてきた一番大きなウソは、「日本の財政は先進国のなかで最悪の状態にあり、財政の持続可能性を考えたら、消費税引き上げ以外に方法がない」というものだ。40年も前から始めたこの財務省のキャンペーンは、いまでも多くの国民が信じ込んでいる。

 しかし、財務省が作成している「国の財務書類」という統計をみると、連結ベースで国が抱えている債務は1400兆円となっている。しかし、同時に国は950兆円という世界最大の資産を保有している。差し引きすると、国が抱える純債務は450兆円にすぎない。これは、先進国の普通のレベルだ。しかもアベノミクスの金融緩和は、日銀が保有する国債を大幅に増やした。日銀が保有する国債は、事実上返済や利払いが不要なので、借金ではなくなる。経済学では、通貨発行益と呼ぶ。

 いま、日本の通貨発行益は450兆円にも達している。通貨発行益と純債務を通算すると、ちょうどゼロだ。つまり日本政府は、現時点で無借金経営になっているのだ。もちろん消費増税の必要性など、かけらもない。

 国民が、この財務省が作り出した最大のウソに、一日も早く気付くことが、今回の決裁文書改ざん事件から受け取る最大の教訓なのではなかろうか。
http://blogos.com/article/285184/?p=1

___

森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 財務省へのペナルティー
https://wjn.jp/article/detail/2247680/
週刊実話 2018年4月5日号

 森友学園への国有地売却に関する決裁文書について、財務省がついに改ざんを認めた。野党や大手メディアは、削除された部分に安倍昭恵夫人の名前があったことで、再び「総理の関与」を追及する方針だが、それでは財務省の思うツボというものだ。

 まず、忘れてならないのは、今回の文書改ざんが、森友学園の事件が発覚したあとで、本省理財局で行われたということだ。だから、最初にこの改ざん事件の始末について考えなければならない。

 財務省が国会に提示した決裁文書の改ざんは、有印公文書偽造にあたる。懲役10年以下の重罪だ。だから、まず改ざんに関わったすべての財務省職員を懲戒免職にするとともに、改ざんを指揮した当時の佐川宣寿理財局長と、理財局の幹部を逮捕しなければならない。

 それをしたうえで、なぜ財務省が森友学園に国有地を8億円もの値引きをしてたたき売ったのか、という点をしっかりと解明する必要があるのだ。

 ある元経済産業官僚は、官邸で経産官僚が重用されるようになり、危機感を覚えた財務官僚が、安倍総理を喜ばそうとしてやったのではないかと言う。それもあるかもしれないが、私の見立ては違う。

 安倍総理は、一昨年の秋頃から、消費税率の引き下げを画策していた。それは、財務省にとって許しがたい蛮行だ。そこで財務官僚が、安倍総理を失脚させるために、自らの危険をも顧みず、あえて決裁文書の改ざんをしたのではないだろうか。

 昭恵夫人の名前を削除しておいて、後からそれが発覚すれば、世間は安倍総理の関与を疑い、自民党総裁選での敗北、あるいは総理辞任が期待できるからだ。だから、いまの安倍総理の責任追及の動きは、まさに財務省の思惑通りということだ。

 財務省が起こした前回の大きなスキャンダルといえば、大蔵省時代の'98年に起きた「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だった。大蔵官僚が過剰接待を受けていたのだが、その後始末として大蔵省は、金融庁を分離させられ、大蔵省という名前自体も捨てざるを得なくなった。

 今回は、それ以上のスキャンダルなのだから、財務省にそれ以上の制裁を与えなくてはならない。

 一つのアイデアは、国税庁を分離して歳入庁として独立させることだ。いままでは、財務省に逆らうと国税が査察に入ってくる恐れがあるので、誰も財務省に逆らえなかった。しかし、国税庁を分離してしまえば、財務省は普通の官庁のひとつになる。日本の政治をコントロールしようなどという妄想は抱かなくなるはずだ。

 ただ私は、最も望ましい制裁は、消費税率の引き下げだと思う。財務省が一番嫌がることだからだ。

 また、安倍政権の発足以来、国民の大部分が景気回復を実感していないのは、実質賃金が安倍政権発足後の5年間で4%も下がっている点だ。

 そして、その実質賃金減をもたらした大部分の原因が、消費税率の引き上げなのだから、消費税を元に戻せば、デフレからの完全脱却が可能になる。安倍総理が、支持率回復のため、今回の事件を利用して消費税引き下げに踏み切る可能性は、十分あるだろう。
https://wjn.jp/article/detail/2247680/  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/319.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK259] 北海道知事選は鈴木が先行、激しく追い上げる石川!  赤かぶ
14. ヒューミントのCIA[-19] g3GDhYFbg36Dk4NngsyCYoJogmA 2019年4月05日 10:16:13 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-643]
>>13

>塚田副大臣は、「発言は事実と異なる」と述べ

たって、無駄なこと。

マスゴミにはかなわない。

証拠なんかなくったっいい。

大本営発表がいつも「正しい」んだから。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/323.html#c14

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > アーカイブ > 2019年4月

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。