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2019年4月01日00時10分 〜
記事 [政治・選挙・NHK259] 自民劣勢の原因はあれだった!大阪ダブル選挙!  
自民劣勢の原因はあれだった!大阪ダブル選挙!
https://85280384.at.webry.info/201903/article_236.html
2019/03/31 23:47 半歩前へ

▼自民劣勢の原因はあれだった!大阪ダブル選挙!

 各種世論調査は大阪ダブル選挙で「維新優勢」を伝えている。なぜかと首をひねっていたが、そのわけを産経が詳しく解説した。

 自民劣勢の原因は野党との共闘、特に「共産党との相乗り」だそうだ。いまさらながらに共産党への拒否反応が強いことが分かる。

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 日本維新の会と主要与野党が全面対決する大阪府知事と大阪市長のダブル選で、自民党が「野合批判」の払拭に躍起となっている。

 自民推薦候補を、国政で対立する共産党なども支援する構図が支持層の離反を招き、直後に控える衆院大阪12区補選にも響きかねないためだ。

 自民は野党との連携を明確に否定し、党幹部を投入して挙党態勢をアピールしている。

 「仮に自公以外の政党より、両候補に対し、推薦等行いたい旨、申し出のあった場合は、これを完全に放棄する」

 自民大阪府連は3月30日、府連のホームページにこのような「基本方針」を掲載した。安倍晋三首相(党総裁)や二階俊博幹事長ら党幹部の連名で、野党との連携を「放棄」との強い言葉で拒否。

 「特に共産党とは一切の関係はなく」との一文も入れた。

 自民が神経をとがらせるのは、大阪ダブル選で維新側が「自共共闘」との主張を展開しているからだ。

 維新の看板政策「大阪都構想」に反対する自民推薦候補には、与党の公明府本部の推薦に加え、国民民主党府連が支持、立憲民主党府連と共産が自主支援している。結果的に、自民が共産などと手を組んでいると映りかねない。

 今回の大阪ダブル選はインターネット上で「自共共闘」の言葉が目立ち、自民府連関係者は「共産と共闘していると思われたら保守票が維新に流れる。ダブル選はもちろん、補選も厳しくなる」と語る。

 影響はすでに出始めているようだ。産経新聞社などの情勢調査によると、大阪府内の政党支持率は自民31.3%、大阪維新18.8%だが、4月実施の大阪府議選で投票する候補者の政党は大阪維新38.4%、自民17.6%と形勢が逆転している。

 維新に先行を許す自民は二階氏と甘利明選対委員長が2日に大阪入りするなど、テコ入れを図る方針だ。 (以上 産経)

















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/178.html

記事 [政治・選挙・NHK259] マスコミの根拠が不明確な選挙中の世論調査は、世論誘導ではないのか・・(かいけつ ニュース&記事 速報)
マスコミの根拠が不明確な選挙中の世論調査は、世論誘導ではないのか・・
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/masukomihihan2/light.cgi?

大阪ダブル選世論調査 吉村氏優勢、松井氏も一歩リード
https://special.sankei.com/f/politics/article/20190331/0001.html?_ga=2.210032469.1752724450.1553241889-1516898220.1553241889

4月7日投開票の大阪府知事・大阪市長のダブル選について、産経新聞社など6社は29〜31日、府内の有権者を対象に電話による合同世論調査を実施し、取材を加味して情勢を探った。

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サイト主・かいけつコメント

これは国政選挙にも言えることデスクトップが、工事前ならともかく、選挙中の
「世論調査」と称するマスコミの調査は、有権者の投票動向を扇動すル目的を大いに
秘めている可能性が高いので、これは法律で早急に禁止して辞めさせるべきだろう。

と、かいけつは思います。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/179.html

記事 [政治・選挙・NHK259] ケニア大使にセクハラ!詳細は「ナイショ」と外務省! 
ケニア大使にセクハラ!詳細は「ナイショ」と外務省!
https://85280384.at.webry.info/201904/article_1.html
2019/04/01 00:18 半歩前へ

▼ケニア大使にセクハラ!詳細は「ナイショ」と外務省!

 外務省は29日、植沢利次ケニア大使(63)にセクハラが疑われる事案があったと発表した。ところが、「大使」は特別職国家公務員のため、懲戒処分は適用されない。

 このため、外務省は内規に基づき停職12カ月の懲戒処分に相当すると判断した。植沢は同日付で依願退職した。

 依願退職だから退職金はタップリと支払われる。誠に都合のいい「内規」があるものだ。

 外務省の発表だけでは「いつ、どこで、誰に、どんな」、セクハラをしたのか一切分からない。これに対し外務省は「関係者のプライバシーに関わる」として回答を避けた。

 マスコミ各紙は、これで記事を終わっているが、こんな報道はない。なぜ、具体的に応えないのかと二の矢、三の矢の質問をぶつけるべきだ。

 ただ、相手が言うことだけをありがたく垂れ流しているなら記事ではなく、「外務省からのお知らせ」である。

 なぜ、最近の日本の記者はこうも堕落したのか? 職業意識がなさ過ぎる。質問するのが記者の仕事ではないか。余りにも問題意識のなさに言葉がない。



















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/180.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 独占激白! 安倍官邸の天敵 東京新聞記者・望月衣塑子 私が政権と闘い続ける理由 倉重篤郎のニュース最前線(サンデー毎日)

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独占激白! 安倍官邸の天敵 東京新聞記者・望月衣塑子 私が政権と闘い続ける理由
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2019/04/07/post-2251.html
サンデー毎日 2019年4月 7日号

倉重篤郎のニュース最前線

◇メディア分断統治の罠にはまるな

 菅義偉官房長官の記者会見の際、執拗な質問によって権力を質してきた東京新聞の望月衣塑子記者に対し、官邸は異例とも言える取材制限を講じてきた。権力と向き合うメディアの存在意義を揺るがす重大な局面で、望月氏が安倍政権との闘いに期する存念を語り尽くした。倉重篤郎が本気で迫る。

 安倍晋三首相の「4選」論が出始めた。

 1強人事権に阿(おもね)る権力亡者のなせる業だが、自民党内からパンチの効いた反論、異論が出てこないのも気になる。この党はどこまで腑抜(ふぬ)けになったのか。

 自民党だけを責めるわけにもいかない。野党の体たらくもあろう。自らの足元も見てみよう。時の政権を監視する権力ウオッチャーとしての我々メディアのパワー減退はないのか。

 そんなことを思わせる一件があった。

 首相官邸記者クラブで起きた、東京新聞・望月衣塑子(いそこ)記者への「質問制限」問題である。望月記者は事件を中心に取材してきた社会部記者である。森友・加計(かけ)問題や伊藤詩織さん事件(注)で直接政府の見解を質(ただ)したい、として政治部記者中心の官邸記者クラブに乗り込み、菅義偉官房長官相手に一人手を挙げ続け、納得いくまで何度も執拗(しつよう)に質問した。その始まりが2017年6月6日だった。

 その質問スタイルが同クラブの「紳士的な」雰囲気にそぐわなかったのだろう。クラブの一部加盟社からは、「質問が長い」「意見、パフォーマンスが多い」「相手(菅長官)を怒らすだけでニュースが出ない」など不満が漏れた。

 そんなクラブ内での不和を見越したのかもしれない。官邸からは明らかに望月記者をターゲットにした以下三つの沙汰があった。

〈その1〉望月記者が所属する東京新聞編集局長宛てに長谷川榮一内閣広報官名で「事実に基づかない質問は厳に慎んでほしい」と文書申し入れが9回来た。

〈その2〉内閣記者会宛てに18年12月28日付報道室長名の文書が張り出された。中身は、望月記者の2日前の辺野古新基地建設問題に関する質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」と断定し、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「総理大臣官邸・内閣広報室として深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく次第です」。

〈その3〉17年秋以降、望月記者の質問中に報道室長が、「質問に移ってください」「簡潔にお願いします」と遮る質問妨害行為が行われるようになった。19年1月24日の会見では1分半の質疑中7回も遮られた。

◇望月記者を孤立させようとする安倍政権

 いずれも異例、異常な沙汰である。私も政治記者として1980年代後半の中曽根康弘政権から2001〜06年の小泉純一郎政権ごろまで官邸記者クラブを主戦場としてきたが、その頃の政権vs.記者の力関係からすると政権側の「あり得ない」行き過ぎた干渉の数々である。

 新聞社の編集局長は編集責任者であると同時に人事権者である。人事権者宛ての政権からの抗議文書は、その記者を飛ばせ、というのに等しい。そもそも質問の中に本当に事実誤認があったのか。東京新聞がこの問題について検証と見解をまとめた紙面(2月20日付)によると、9件の質問内容をチェックしたところ確かに一部に誤りがあったが、多くは受け入れがたい、としている。特に、二つ目の文書張り出しのきっかけになった辺野古新基地問題に関する質問への「事実誤認」指摘に対しては、「事実に基づかない質問ではなかった」と全面的に反論している。

 この政権側の「事実に基づかない」ことを理由にした質問規制は、その論理立て自体に無理がある。事実が不確定、ないし曖昧だから記者は聞くのである。質問の前提に誤りがあれば、質問を受けた段階で、あるいはその次の会見の場で、政権側がそれを正せばいい。記者の質問のバックには国民がいる。たとえ少数派であろうと、その疑問に対し丁寧に過不足なく答えるのが政権のスポークスマンの役割である。権力を握り続ける者の務めである。

 質問遮り問題は、漫画チックでさえある。さすがにこれに対しては、記者クラブ内だけでなく政権内部からも批判があると聞く。裏で働きかけたり、権力をかさに着たり、陰湿である。

 ここまででも十分異常事態である。ただ、今回の取材制限問題の本質は、実はこの文書張り出しにある、というのが私の見解だ。望月記者の質問を事実上排除することについて官邸記者クラブ所属各社に「問題意識の共有」を求めている点だ。官邸側も、望月記者に対し記者団の中に先述のような批判があることを十分承知の上である。望月記者を包囲、孤立化させようとするメディアへの分断統治の狙いが透けて見える。

 さすがに記者クラブ側もこの文書に対しては、質問制限は受け入れられない、と各紙宛て配布を拒否し、結果的に官邸記者クラブ内掲示板に「張り出し」という形になったというが、これを許したのもいかがなものか。この分断統治こそ第2次安倍政権の対メディア戦略の本質だからである。

 第2次安倍政権の第1次政権との最大の違いがこのメディア戦略にある。第1次政権の不名誉な退陣は安倍氏本人の病気もあったが、年金記録問題、相次ぐ閣僚スキャンダルでのメディア攻勢に敗れた面もある、との反省があった。第2次政権では、これを教訓にメディア戦略を重視、まずは電波に対する許認可権をバックにテレビ業界の手綱を締め上げた(14年衆院選での萩生田光一・自民党筆頭副幹事長名での在京キー局に対する「選挙報道での公平中立」名目の圧力文書、16年2月の高市早苗総務相の「電波停止」発言、岸井成格(しげただ)、古舘(ふるたち)伊知郎、国谷裕子(ひろこ)3キャスターの相次ぐ降板)。

 今回の取材制限は、その延長線上にある対新聞版と言ってもいい。新聞界が今ほど時の政権に対する評価で真っ二つに割れたことはない。つまり、安倍否定派の朝日、毎日、東京新聞と、肯定的な読売、産経新聞だ。その溝に手を突っ込んだ分断統治第二弾に見える。

 そう考えると、問題意識の共有は官邸とではなく、むしろ記者クラブ内で行われるべきではないのか。このままでは質問制限という既成事実だけ残ることになるが、それでいいのか。

この続きは紙面をご覧ください。






















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/181.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 《ミカンと原子力の街、愛媛県八幡浜市で行われた「使用済み核燃料…》読めば読む程日本の杜撰原発行政とご都合主…原発板リンク


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/182.html
記事 [政治・選挙・NHK259] 安倍面会は皇室の政治利用ではないか/政界地獄耳(日刊スポーツ)
安倍面会は皇室の政治利用ではないか/政界地獄耳
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201904010000078.html
2019年4月1日7時51分 日刊スポーツ


★今日4月1日の昼前に新元号の発表がある。1979年(昭54)に制定された元号法では第1項で「元号は政令で定める」。第2項で「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」とあるだけで元号とは何かという定義もない。法制後、当時の大平内閣は閣議で留意事項を決めた。(1)国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること(2)漢字2字であること(3)書きやすいこと(4)読みやすいこと(5)これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと(過去の元号の再使用は不可)(6)俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名等は不可)。

★先の改元は昭和天皇の崩御と平成天皇の即位が立て続けで、自粛ムードも相まって政府は極めて粛々と改元の手続きを行ったといえる。今回は手続き上も新元号は最終的に閣議で決まり天皇陛下が政令に署名して発表になる。メディアも改元で浮かれすぎといえ、政府も外務省では新元号が発表された後、日本が承認する195カ国に対し、新しい元号を一斉に通知するなど祝賀ムードいっぱいだ。

★だが、法整備があいまいだからと首相・安倍晋三は皇太子さまに2月22日、3月29日と立て続けに面会するなど天皇の譲位と改元発表で極めて特異な動きを取り、官房長官の元号発表の直後には首相が談話を発表するとともに新元号に込めた意義を説明し、国民へのメッセージを告げるという。意見を言うなど関与できない皇太子さまと面会し、あたかも相談したかのような演出をするのは政権の皇室の政治利用の最たるものではないのか。ルールがないから時の政権独自の演出がまかり通るならば皇室という伝統は崩れ去る。浮かれるのも結構だが、政府は新元号を定着させ国民の生活になじませ安定させることが最大の仕事ではないか。(K)※敬称略









http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/183.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 日本の市民の皆様へ-最終投稿の再投稿 日本の政治が腐ってしまった本当の理由。人間の顔を持った社会の実現に向けて
日本の市民の皆様へ-最終投稿の再投稿 日本の政治が腐ってしまった本当の理由。人間の顔を持った社会の実現に向けて

「序章」
この3月24日に投稿した文なのですが読んで頂いた方は200名に満たないので再投稿致します。日本の政治特に国政が腐ってしまった理由とそれに対抗する方法を記させて頂きます。今選挙の真っただ中です。この腐りきった政治に一撃を与えたい!のです。5章、6章と7章だけでも読んでみて下さい。

小生2011年から本ウエブサイトで断片的に「日本の市民の皆様へ」と題し一市民が3.11以降日々直面する苦しみとその社会的な背景を記載し続けて来た者です。一番最後の7章構成の文章を2018年6月28日から2019年3月4日のまでの間「1章 破壊されてしまった三権分立の原則」から「7章 『こんな平成に誰がした。』 行為とその帰結。そして怒りと不安と希望と」を阿修羅の政治選挙板に投稿させて頂いておりました[1]。これら最後の7章に渡る投稿を世の中の不条理に対し満身の怒りを込めて書上げた。怒りだけでは明るい将来には辿り着きませんので其処の不条理からどの様に脱するか道筋を多少なりとも解明しよう、そして言葉に表す様に努力して来た。日本を被う深刻な社会問題に対して何とか自分なりに納得出来る結論付けをする事が出来、この最終の一括投稿を通して自分の心のケジメが付いたと思っております。かなりの長文なのですがあなたの心の中に光がありさえすれば、これを読み終わせる事が出来るのではと思っております。

しかし何と言う世の中になってしまったのでしょうか?いえ、この問いは社会の事や政治に関しての事ではありません。日本に住む市民皆さんの行動様式です。

お母さんのおなかの中にいる小さな胎児がこの世に産まれて来る事を自ら選択した結果、彼らや彼女らが赤ちゃんとしてすくすくと育ち、幼稚園小学校で元気に遊ぶ様になる微笑ましい姿。しかし今は親の暖かい懐のもとで全ての子供達が健全と真直ぐに育つのが当たり前で無くなって来てしまった時代。この現代の日本が、如何に人が人間らしく生きられない世の中になってしまったとのかと言う問いこの最終投稿で発したい。その結果の必然として子供にも受難が容赦なく降り懸かって来ている昨今。どうしてこの様な殺伐とした社会風潮となってしまったのか?主な理由を二つ1章で述べてある。

ところでこれから述べる事実は日本の七不思議の一つとして数えてよい位、とても不思議でどうしても私には理解出来ません。小生が行ってきた過去の投稿や本日の投稿に記載した様な議題等を何故所謂知識人はメディアを通して発言しないのでしょうか?それともメディアから閉め出されてしまったのでしょうか?小生は単に一介の会社員です。何故私の如くの人間が平日土曜日曜自分の時間を犠牲にしてまでもこれらの投稿を書上げなければいけないのでしょうか?ごく一部の知識人の方々を除き誰も怒りの声を挙げないではないですか?何故知識人は現在日本で進行している日本の存在意義を劣化し更に破壊させてしまう(モラル的には既に破壊されてしまった)様な政治状況に対し、抗議する発言も行動もそれに伴う責任も取ろうとしないのでしょうか?本当に、本当に日本の知識人はスケールの小さいオバカ達です!何度でも言います。オバカです。想像してみて下さい。この様な民度の低くなってしまった国から来た旅行者や海外駐在の人達が今後立派な国から来た尊敬に値する市民だと現地で歓迎される事は無くなるでしょう。

おい、大丈夫なのか、今のままで?何が悪いのだろう?どうしてこうなってしまったのか?何故世間の皆さんはこの問いを発しないのだろう?私が何を言いたいのかもう判るでしょう?日本の社会が病んでしまった事。会社もそうじゃないか?ついこの間まで、日本の産業界の宝と言われた半導体の会社東芝、シャープ、サンヨー等見事に凋落を通り越して没落してしまったがこれも日本の社会が病んでしまった結果生じて来た問題のほんの一部なのである。その様な事も気にしないでお笑い中心のTVやLINEに夢中な日本の市民。日常の自分に、社会に問いがないから、本当の事が見えなくなってしまった。詳しくはこの一括投稿の一番最後を読んでみて下さい。

「目次」
1章 破壊されてしまった三権分立の原則
2章 音楽は政治を批判してはならない
3章 欲望の行き着く果てに
4章 何処から、何処へ、何ゆえに
5章 そして全てが逆行する社会へ
6章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
7章 「こんな平成に誰がした。」行為とその帰結。そして怒りと不安と希望と

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1章 破壊されてしまった三権分立の原則
最初に、「...現行の憲法の下の国家運営で70年弱もの間国際社会の中で紛争も起こさずに巧く立ち振る廻って来ている訳だが、憲法に対する解釈などを変えるにはそれに見合った大きなメリット等、余程の理由が無い限り誰もが躊躇する事なのである。日本に住む全ての市民にどれだけ利点が有るのか、誰からも何ら説明が無いのはどう言う訳なのだろうか。」これは拙稿、「日本の市民の皆様へ-最終回, No.1」[2]に記載した文である。どうしても判らなかった上記の不思議が昨年(2017年)夏に読んだ本で見事に氷解した。非常に良く書かれている本である。日本の現代史のこの50年の中で、ある勢力が日本の国政に対し行使して来た影響と行為を膨大な量の情報を基にあぶり出している。この本を読めば如何に日本の屋台骨が脈々と長い年月をかけてこの勢力の教義と原理によってねじ曲げられ、彼らの望む様に変えられてしまったのか明快に判る。菅野完氏の「日本会議の研究」[3]がその本である。何の事はない。現憲法を否定し、憲法改正を教義/原則に掲げる勢力には彼らの理念故、憲法改正の理由を誰にも説明する必要は無いのである。その様な勢力が大多数を占める国会が-日本の市民がそれこそ悪戦苦闘しながら日々直面する-問題の解決など眼中にないのは当たり前なのが良く判る本である。とどのつまり原理主義者(この表現は「日本会議の研究」から流用させて頂く)達の教義に沿った、彼らの問題を解決する場として国会が機能している事を日本の市民は大きく眼を開いて見据えなければならない。市民にとって役立たずどころか悪法の立法を行う三権の一つを担う国会と成り下がってしまった。この事実が日本が殺伐とした社会となってしまった根本原因の一つ目である。

さて日本会議の教義、原理と行動理念のエッセンスは上記書22ページの「●日本会議は何を目指すのか?」に要約されているので、転記しておく。「皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきではあるが(1)、昭和憲法がその阻害要因となっているため改憲したうえで昭和憲法の副産物である行きすぎた家族観や権利の主張を抑え(2)、靖国神社参拝等で国家の名誉を最優先とする政治を遂行し(3)、国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施し(4)、国防力を強めたうえで自衛隊の積極的な海外活動を行い(5)、もって各国との共存共栄をはかる(6)」とある。今の内閣と自民党が押し進める政策の指南の訓示である。一言で戦前の強権体制の再構築が一番重要なゴールと読めるだろうか。更に、本書112ページでは以下の様に、原理主義者達の正体を暴いている。「だが、2015年現在、宗教団体『生長の家』は左傾化とも言われる路線変更ののち、政治や社会運動との関わりを一切絶っている。(段)しかし、教団のこの路線変更に我慢ならず、創始者・谷口雅春が説いたウルトラナショナリズム路線を堅持しようとする『生長の家本流運動』なる運動が存在する。この『生長の家本流運動』における最大の組織が『谷口雅春先生を学ぶ会』と呼ばれる組織だ。『生長の家原理主義者たち』と言ってもよいだろう」。この文章を読んだ時はいささか驚きであったが、この本を読み進めると私の中にあった幾つもの疑問点が線として繋がったのである。

さて人からの話で恐縮だ。2014年に或る人から聞いた話だ。この人はとある官公庁関係の一般事務の仕事をしている。その人が言うには、組織内の雰囲気が変ってしまったと。皆偉そうに振る舞う様になって来たとの事であった。その時その場で私は2011.3.11の影響だと思いますと答えた。何故そうなのか?それは東日本での核惨事が発生する以前に経産省や文部科学省(科学技術庁)が彼らの原子力行政を推進する為に主張し根拠として来た「原子力発電所は5つの防護壁に守られているからとても安全です」と言うキャンペーンがいとも簡単に潰えてしまった事実。これが一番最初のステップ。幾度も過去の拙稿で指摘しているが、東京電力の強欲さ故の職務放棄と業務怠慢と、彼らの業務監督を官公庁が放棄した結果、行政及びTEPCOがつき続けて来た巨大な嘘が東日本の核惨事により、白日の下に晒された訳である。しかしこの次が有るのである。厚生労働省、農林水産省、環境省等の官公庁が繰り出して来た手は何だったのだろうか?放射性同位元素に汚染された食べ物を食べても健康に問題有りませんとキャンペーンを張り、事故前の官僚が言い続けてきた安全神話=巨大な嘘をまるで煙幕がその嘘を包み込む様に隠して静かに退場させてしまったではないか?あなたはもう私が言いたい事が予想出来るだろうか?官僚の面々が3.11以降何故主権を持つ市民に、より一層傲慢不遜な態度を取る様になってしまったか。それはイメージ操作、マインドコントロール、平たく言えば真実でない事を宣伝する事によって市民をコントロール出来る自信が2014年の時点でついたからであると思っている。何ともおぞましい事態なのか...

次に。行政機関の従業員である官僚達は何故安全だから食べて応援と言う様な巨大な嘘を付かなければならなかったのかとの疑問が生ずる。そう。官僚達の生存本能、つまり何か行為を行った結果に対してその帰結の責任を絶対にとりたくないのである。簡単に言えば行政が実行した国事の行為(嘘を含めて)に無責任で居続けたい。 その結果嘘を言い始め、その嘘を言い続けるしか無くなる。嘘を言い続けなければならない習性は逆に彼らの弱点となってしまう。もしこの全官僚達の弱みを握り彼らをコントロールする事が出来たのなら素晴らしいぞ!と言う訳。 皆さんお判りだろうか?責任を取りたくないから、真実を隠蔽する。問題を先送りする。21世紀に入り、日本中の社会と多様な組織がこの有り体になってしまったかの様である。それ以上に内閣と与党はタチが悪い、のである。一度手に入れたら二度と離さない権力に対する執着と欲望。この欲望の行き着く果ては何処なのか?自分達の保身の為に、日本の政治屋と行政府の従業員が嘘をつき、且つ無責任に振る舞って日本を何処に導こうとしているのか?こんな国が美しい国とは...笑止千万である。

今、行政府と内閣与党両者が歩み寄って彼らが直面する市民の怒濤の怒りと非難の声が沈静化するまでお互いに固唾を呑んで嵐が過ぎるのを待っている状態である。しかし...私の確信が間違っている事を祈っているが...更に次があるのである。原子力発電は安全と言う嘘をカバーする目的で核汚染した食料を食べても安全と言う嘘を行政府は繰り出して来たが、この後者の嘘が破綻した時にこの嘘の連鎖をカバーアップ、隠蔽可能な次の嘘は残念だが無いのである。ではその時その場合の次の手は有るのか?勿論答えはYes。この章の題名として今進んでいるシナリオがその回答となる訳。そう。原理主義者に同調する事で、日本の市民に有無を言わせない強権な体制を内閣、与党と共に創る事である。今回のモリカケ疑獄も吹っ飛んでしまう程の、緻密にそして周知される事の無い静かなる革命が進行中なのだ。

その根拠を挙げよう。以下の事を「日本会議の研究」を読めば容易に思い浮かべる事が出来る。この原理主義集団は公官庁に彼らの影響を及ぼすべく長年に渡り若手メンバーを公官庁に送り込み続けていたとしたら?持ち論答えはYesだ。この4月にかなり上の立場の自衛官が国会議員を罵倒した事件が発生した。日本会議の教義を信奉する或は彼らの思想に共感する若手が各官公庁の上層部に上り詰めている可能性は私はほぼ100%と踏んでいる。日本会議から各官公庁や新聞社テレビ等のメディア各社に送り込まれた原理主義者は横断的に連絡を取り合っているだろうし、この原理主義者に共感する彼らが、極少人数の原理主義アーキテクト達及びインナーサークルの人々が日本に独裁制を敷くのを後方支援するのは当然ではあるまいか。この様な「美しい日本」は彼らにとっては夢でありイデーロギー的手法で造り上げて来たユートピアになるのであろう。

さて三権の内残った一権、司法府に言及しておこう。小生の三回目の投稿の中の[4] 3章「Justice is not done; 社会正義が行使されない国」にて以下記載: "哲学者カントは罰とは正義を行う為のものと考えている。罰を課すと言う事は、犯罪者又犠牲者の為に法の行使を行うのではなく、法が法たるもののゆえんを保持するため故行使されなければならないのである。カントは罪を犯した者に罰を下さない事は'justice is not done'だと論議している。更に突っ込んで言えば正義の行使(justice is done)が施されなければ、法律と言う理念が弱体化してしまうのである"とWikipediaの内容を翻訳の上指摘しておいた。非常に残念だが法務省(英語ではMinistry of Justiceと言う。しかし看板に偽りありで、Ministry of Injusticeと省名を改める様にしたら実体に近いのではとアドバイスしておきます)や検察庁のみならず、司法府が下した過去の判例を鑑みると日本の経済界の強欲な面々と、自分自身の保身と出世と言う強欲の為に面子を保ちたい権力のインナーサークルの面々の腰巾着に成り下がって久しい事は言うまでもあるまい。最後に。近未来の大震災クラスの災害発生で内閣が非常事態宣言を行う可能性が非常に高い。国内の混乱の期に乗じて日本の立法司法行政と言う三つのそれぞれ独立して来た権力を以下に記したイデオロギー集団の原理主義者主導のもとに独裁政権下で統括一体化した機関とするのは時間の問題の様な予感がする。一言で言えばこの原理主義が世俗の習慣や通念を駆逐してしまう事が起こりうるのである。

日本会議のサークル図は中心から: 原理主義者のアーキテクト=>原理主義者の核となるインナーサークル=>日本会議の会員、原理主義者の信者=>原理主義者の取り巻き、応援団、ボランティア及び奉仕者 =>原理主義者に寄り添う事で経済的に利益を受ける個人、グループ、組織、会社。特に軍事、核開発の産業組織。又経済界には日本会議の考え方に共感し支援する財界人もいると聞く。実際には既に日本の経済界はその強欲さ故原理主義者の軍門に落ちた。=>原理主義者に加護を求める官公庁。既に日本のメディアがこのサークルに組み込まれてしまっている。政権につくす三権とメディアを見れば如何にこの原理主義集団の勢力が強大なのが判る。日本のそれぞれ独立した三権が成長し続けているこのサークルに飲み込まれる日は近い。

「この1章での結論は: 彼らの教義をもとにした社会の実現を目指す活動が国の至る所で企てられているのである。」この投稿を書き上げる最中に奇しくも田中龍作ジャーナルに上記の三権分立の破壊を示す記事が記載されていた。是非参照下さい。[5]

参考文献等:
[1] 阿修羅のwebより拙稿「日本の市民の皆様へ」シリーズのサーチ、 https://www.google.co.jp/search?as_occt=any&as_sitesearch=www.asyura2.com&num=100&as_q=%93%FA%96%7B%82%CC%8Es%96%AF%82%CC%8AF%97l%82%D6&btnG=%8C%9F%8D%F5&gws_rd=ssl
[2]「日本の市民の皆様へ-最終回, No.1 副題:日本の市民が直面している日常」
投稿者 プラナリア 日時 2014 年 12 月 08 日
http://www.asyura2.com/14/senkyo175/msg/884.html
[3]「日本会議の研究」、菅野完、2016年、扶桑社
[4]「日本の市民の皆様へ-その3, No.1」
投稿者 プラナリア 日時 2012 年 7 月 08 日
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/457.html
[5]「【森友改ざん】 内部文書「官邸が法務省に巻きを入れている」 検察への介入明らかに」、田中龍作ジャーナル、http://tanakaryusaku.jp/2018/06/00018368

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2章 音楽は政治を批判してはならない
その様な風潮があると聞く。誰が言い出したのだろうか?そしてそれは何故なのだろうか?

ならば、更に一歩進んで逆の立場を考えて見ようではないか。音楽が政治を、或は政府を批判する事が寛容な精神で許容される様な所がこの世界の中にあるのだろうか?そしてその結果この歌手に国民栄誉賞的な名誉が与えられる様な国があるのだろうか?

その答えは: 実際にその様な歌手がいて、そしてその様な国が有るのである。日本の市民の皆様はこの事実はとても驚きではなかろうか。(すみません。以下小生の音楽の嗜好が入る事、何卒お許し下さい。)歌手本人は2018年9月29日と30日にBillboard Live TOKYOにてソロコンサートを開催。因にその歌手が受けた名誉とは以下である。本人の顔と背景に10曲程の曲名を記載したカナダの郵便切手が2011年の6月末から発売された。Bruce Cockburnは1970年代初頭からアルバムを出している人だ。デビュー当時は愛を語る美しい曲を作詞作曲して謳っていた。80年代だろうか、社会問題に対して現地を訪問、住人と対話しその時のその地の現状を見、感じて作詞作曲するジャーナリスティックな手法を取り入れ音楽を造り始めた。そして音楽を通してある社会問題を公にし、この問題をリスナーの感性に訴える様なアルバム造り続けている。またコンサートを70歳過ぎてもこなしている。強いな。

彼のアルバムの中から、1980年に出された"Humans"は独裁制(アジアでの)に対する満身の怒りを歌い上げたもので、1985年のアルバム"World of Wonders"は大国が如何に小国を餌食とし、むしり取って来たかを深い悲しみを込めて歌う。また人間の、自然から与えられた摂理からの逸脱、例えば欲望やイデオロギーによる生命に対する悪行の数々を告白し歌い続けている。そしてこの世の不条理に対する彼の怒りは熾烈を極める。一方人々に対する愛もまた深い。これは私の彼の音楽から受けた印象だが、彼の心の奥底にはキリスト教的ヒューマニズムが宿っているのではと思う。同時に自然をこよなく愛する吟遊詩人である。彼の歌に合わせた映像メッセージも以下のリンクに有るので聞いてみては如何でしょうか?[1] 特に印象に残る曲のYouTubeのリンクを張っておく。洋楽は好きではないと言う方は次の一番最初の曲だけでも聞いて欲しい。

* "If a tree falls"[2] 人の欲望の餌食となった熱帯雨林とその生態系。速いテンポで歌詞も曲も心に残る。音質少し良くないですが、是非聞いてみて下さい。曲の最後の所ではこう歌っている。"If a tree falls in the forest, does anybody hear? If a tree falls in the forest, does anybody hear? Anybody hear the forest fall?" 一本の木が伐採され倒れる音を誰も聞こうとしなければ、森全体が伐採されるのは誰も判る筈が無い。のである。私はこの曲の題名を替えて"If a child falls in the society, does anybody hear? Anybody hear the society fall?"と皆さんに問いたい。この日本の社会が家庭をファミリーを大事にしなくなった結果なのだろうか?親が家庭で行っている彼らの子供のネグレクトや虐待が新聞やTVで報道される機会が増えて来た。心が張り裂けそうである。何も世の中の事も理解していない、そして自立も出来ていない愛くるしい子供達。この彼らの受難の時代、倒れた子供達にどうして大人達が無関心で無責任で居られるかを皆様に問いたい。何故誰も倒れた子供達に手をさしのべようとしないのか?もしかしたら、日本の社会から愛が欠落してしまったのだろうか?
* "Pacing the cage"[3] 何とも美しいメロディーだ。彼が歌を通して訴え続けて来たこの世の正義に反する事、不条理な事があたかも現実でないかの如くに誰も聞き入れない様な現状が維持され続けられている、欲望に満ちた愛の無い世界。その様な世界の中、そして長い人生の中で今自分がハツカネズミの様にクルクルと廻る檻の中で歩きながらペースを取る。歌詞の中で"...Powers chatter in high places(行)stir up eddies in the dust of rage(行)set me to pacing the cage..."とある。良い訳が出来ないが...「力を持つ者達が手が届かない所で喋っている。そして(私の)怒りの礫が渦を巻き、それで歩く檻の中のペースが決まってしまった。」私は何処へ行くのだろうか、そして何故にと思いながら檻の中を諦めずに毎日毎日歩き続け、外の世界を檻の中から眺めて感慨深く溜息をつく様な感覚である。私も落ち込んだ時に聞くと、皆も同じなんだなと勇気付けられる曲。人々が連帯しなければ世の中は決して良くならないのだと実感する。自然児の彼の曲の内容が人達の気持ちに届くにはどれだけ時間がかかるのか?第6章を読んでみて考えて下さい。
* "Tokyo"[4]では、忙しい人生を過ごす人々と東京の姿を歌う。39年経った今でも殆ど変わっていない東京。
* "Silver wheels"[5] 自動車文明を通し人間の欲望を痛烈に批判した曲。
* "A dream like mine"[6] 人間が動物から逸脱し、自然の中よりいでて、欲望に満ちた土地にこの世界を変えてしまった事への告発
* "Gavin's Woodpile"[7] 彼の歌の中で最も好きな曲である。弾き語りを8分間もやっている。凄い。

彼の歌詞を読めば今の日本に当てはまる事が多いのに驚嘆するに違いない。1984年のアルバム"Stealing fire" の一曲"Maybe the poet"の歌詞中に"Don't let the system fool you(行)all it wants to do is rule you..."とある。そう、不動産バブル期に大人になっていた世代には判ると思う。年々テレビ、新聞、週刊誌(漫画雑誌を含む)の知的なレベルが下がって来ていてそれと同時に日本の人々の行動を伴う活発さが落ちて来ているのを実感しないか?日本においては既に"The system fooled you"で人々は既に心が操作されているのである。この事実が日本が殺伐とした社会となってしまった根本原因の二つ目の理由である。昨今の日本での出来事が世界の常識から或は世界のレベルからかけ離れてしまっているのを看、あなたは暗澹たる気持ちにならないのか?教育において発明発見を行う人材を輩出させる力を無くし、日本の経済が物造りと言う発想に収斂してしまった結果隣国の台湾や韓国の後塵を喫し早や何年になるのであろうか。市民の皆さんがイノベーションの原動力である個人のユニークさを、日本の社会が否定する事を知らない、この民度の低さ故の国力の衰退の結果なのである。そう、国家は多数の人々の構成により成り立つのである。日本会議を中心とする勢力が造り上げた"The system"が日本の市民を"fooled you"するとは簡単に言えば、絶えず携帯電話の操作を行うオペレータに日本の市民を堕しめ、また意見の多様性を認めない無言の圧力、同調圧力を個人の心に浸透させる事により達成出来る。個人の活力、社会の活力がその結果消滅してしまった訳。精神の荒廃、制度の荒廃、社会の荒廃が目の前に曝け出されている事、即ち日本の社会が病んでいる事に気付かないとは...今、日本の市民はシステムの奴隷である。

ここで明確に言っておく。Bruce Cockburnが作詞作曲し作り上げたアルバムで世界の政治や自国を含めて各国の政府を間接的に批判するのは即ち今の世界の現状や状況を(建設的に)良くしたい気持ちから発せられるのであって政治を攻撃或は理由なしで咎めている訳ではないのである。もちろん彼の曲ではこの世界に幅をきかせている、欲望にかられた強欲な面々も批判の対象だ。音楽は政治を批判してはならないと彼らがキャンペーンを張る理由は実は此処にある。そうなのだ。この章では「音楽は政治を批判してはならない」としたが音楽をテレビ、新聞週刊誌に置き換えてみよ。極一部のメディアを除き、既に力を持つ者達を建設的に批判さえもしなくなってしまった。日本のメディアは「表現の自由」を自ら殺しつつある。この世の中に住む日本の若者よ、あなたの怒りの矛先は間違っていないのか?

ここで「表現の自由」が強権体制下で如何に抑圧されているかの一例を見よう。中華人民共和国の中国民主化運動の中心人物で「投獄中にノーベル賞平和賞を贈られ獄中で死去したのは、1935年に受賞したカール・フォン・オシエツキーに次いで2人目である。」 劉 曉波氏 (Liu Xiaoba 1955-2017)[8]は以下この「表現の自由」の事を言い表している:"Free expression is the base of human rights, the root of human nature and the mother of truth. To kill free speech is to insult human rights, to stifle (窒息する) human nature and to suppress truth."[9]

「2章のポイントは: 『表現の自由』は政治を独占する人々の権力欲と支配欲と戦う最大の武器なのだが、これを行使出来なければ、あなたは無言で働く感情のないロボット。更に一言。己の投票権は自分の政治的な、『表現の自由』の一部で或る事を決して忘れてはならない。」

参考文献等:
[1] "Bruce Cockburn"のウェブサイト、http://brucecockburn.com/
一番下のページの'vevo'のビデオ映像で彼の思いが伝えられている
[2] "If a tree falls," Bruce Cockburn, 1989年アルバム"Big Circumstance," 年,https://www.youtube.com/watch?v=ErS9HCh8GfE
[3] "Pacing the cage," Bruce Cockburn, 1996年アルバム"The Charity of night,"
https://www.youtube.com/watch?v=mN2uMVYwmqc
[4] "Tokyo", Bruce Cockburn, 1980年アルバム"Humans," https://www.youtube.com/watch?v=t76JGcMp0cM
[5] "Silver wheels" Bruce Cockburn, 1976年アルバム"In the falling dark," https://www.youtube.com/watch?v=z-avqJQwOoo
[6] "A dream like mine," Bruce Cockburn, 1991年アルバム"Nothing but a burning light,"
https://www.youtube.com/watch?v=0eG23MqIMos
[7] "Gavin's woodpile," Bruce Cockburn, 1976年アルバム"In the falling dark," https://www.youtube.com/watch?v=ovhTIQn2Je4
歌詞は以下参照。http://cockburnproject.net/songs&music/gw.html
歌詞の中で"English River"と歌うが一企業の水銀投棄に因る河川の汚染問題の事
[8] 劉暁波、ウィキペディア、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%9A%81%E6%B3%A2
[9] "China Seeks to Delete Nobel Peace Prize Winner Liu Xiaobo from the Internet,"
https://torguard.net/blog/china-seeks-to-delete-nobel-peace-prize-winner-liu-xiaobo-from-the-internet/

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3章 欲望の行き着く果てに
これは以前読んだ本の中の言葉である。作家の広瀬隆氏の1981年出版の「東京に原発を!」最終章に広瀬氏がこの言葉を読者に問いかけていた。強欲と言う言葉がピッタリと当てはまる、この言葉の視点から日本と日本人が歩んで来た時代を眺めてみよう。強欲の定義は:一言で他人を押し退ける気持ちから生じる行為の総称である。

あなたはこの問いの先には何が待ち受けているのかを過去から学習したのか?欲望をコントロールせず、その行き着く果てまで突っ走って行った結果は。それは...カタストロフィーなのである。荒廃した土地に待ち受ける破局。まるで人間の欲望が地球を破滅に導いている様な。

欲望。何ともイヤラシくしかもいとも簡単に人々の心を占有してしまう感染症の様な心にこびり付いた大きなシミの様な物。宗教的な欲望。イデオロギー的な欲望。政治組織問わず、権力に対する欲望。名誉欲、自己保身欲。責任逃れ=無責任欲、暴力欲。金銭的な欲望。食欲、性的な欲望そして虚栄心や嫉妬心そして自己顕示欲。これらはヒューマニズムに反する心である。何故なら、人を押し退け貶める行為だから。つまり全て共通する事は:相手がいる事。私とあなた、私とあなたがた。自国と他国、或は全世界。持ち論我々の欲望が小さな生き物に影響する事もある。つまり個人と個人、個人と集団、集団と個人、集団と集団。これらの中において、一方から他の一方へ加えた行為、そしてその行為からの個別の相互作用とその結果。力の相関図を見ると明確なのは、ある行為を行った者(達)と行為を受けた側の関係。両者の内側での経済的な立ち位置や気持ちの持ち方等、何かが変化しその行為に因って両者が共に生きている土壌に、或る影響を及ぼす結果となる。が両者に一切関係しない人(々)がこの土壌の上に居る事も忘れてはなるまい。それがグローバル化で顕著に現れる。相互作用と言う学術用語がこれを説明する。

さてあの1986年から1991年までの不動産バブル経済の時にあなたは何をしていたのだろうか?それともまだ産まれていなかったのだろうか?その時期にひと儲けしてやろうと眼をギラギラに血眼になって金儲けの話に飛びつき、あぶく銭で遊び回っていたのだろうか?そしてそれらの行為とバブルは何時かは弾けると言う事実、その帰結を予見していたのであろうか?そう、欲望の行き着く果てに待ち受けていたバブルの崩壊と、失われた20年の事を誰も反省も総括もしていないとは日本の不幸。不動産バブルが弾けた後、人を押し退け弱い者を押さえつけていた事を反省しなかったから、モラルや愛の或る社会に日本を戻す機会を逃したな。同じ事が今回の東日本核惨事にも言える。欲望のままに公益よりも、企業の利益を優先課題とし原子力発電を推進する行為をとって来た主謀者達(TEPCO、経済産業省等)、そして安全対策を軽んじていた故に津波に対する対策も(2012年1月に投稿した拙稿の4章「教科書の中の危機管理」の中で指摘しておいたIEEEの記事を参照して下さい[1])先延ばしにして来た事により起こってしまった人災なのだが、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、所謂国会事故調が纏め上げた報告書が核惨事を起こしてしまった反省を行っている位で、当の行為とその主謀者達が起こしてしまった事故を何ら反省していないのはどうしても不動産バブルを起こした面々の姿と重なってしまうのである。 この不動産バブル期には日本の都市部の市民ほとんどがその恩恵にあやかった訳。海外旅行、高級ブランドの買い漁り、行楽地でのドンチャン騒ぎ。欲望のなすがまま美味しい思いと美味しい生活 。同じ構図が電気を使い放題使って原子力発電所は過疎地に押しつけ、美味しい生活をして来た都会の市民。美味しい生活は弱い誰かの出費或は犠牲によって賄われている事が見えないのか?先ほど説明した相互作用から、加害者と被害者の関係を通して不動産バブルを見ると、都市部に不動産を持つ者そしてその取り巻き 対 地方に住む者と言う関係になろうか。一方2011年の核汚染において、加害者はTEPCOとその取り巻きと原発を過疎地に押し付けて来た東京都民。被害者はこの原発を過疎地に押し付けて来た東京都民と、東日本に住む住人の方々、更に食品の核汚染で遺伝子を傷付けられてしまう、全国の子供達。相手の事を考えない、他人を押し退けて自分だけ利益を得る欲望の行き着く果てに、未来永劫に渡り核汚染した故郷を我々の子孫に引き継がせてしまった訳。上から下までの「足るを知らない」人々の暴走の果ての終着に今の日本は行き着いているのだ。それでも皆まだ自分の欲望の行き着く果ての結末/帰結を反省しないまま今日に至っている訳。だから自分の欲望を満たしてくれそうな政党を支持するのでしょう?違いますか?

しかし今思えば不動産バブル期の欲望、喧噪と今の時代の欲望喧噪は全く違うと思えるのである。バブルの時には日本と言う大きな入れ物の中で皆が皆、何かに向かって一心不乱に走っていた熱狂的な時代。打って変わって今の社会は死んだ様に静かである。喧噪はネット上に移り最終的に人々の心の中に入り込み、与えられたインターネット上の情報を忙しく咀嚼。好みの情報は飲み込み、嫌なものは吐き出す作業を絶え間なく行っているこの忙しさ。良い情報は「いいね」とすぐさま反応し、或は「いいね」を貰う為に見栄を張り、一方嫌いな情報なら攻撃、違った考え方を持つ人々を人格破壊する欲望には事欠かない。もしかしたらあなたは既にこの忙しい心の奴隷なのかもしれない。

さて、世界の国々の中で他人を押し退ける強欲さに満ちた人々や国々は事欠かないが、その点からすると何時から日本人がこの仲間入りをしたのだろうかと思う。金の話でもない。利権の話でもない。手短かに話そう。ケチとはお金を独り占めしておきたい人の総称。次に「お金」を「情報」に換えて下さい。特定の情報を出さない、共有出来ない。自分の保身と自分の強い立場を壊したくない故の情報の独占。お金の独占と同じ感覚で、自分の所有する情報にもケチなのである。これも強欲の一部なのだ。会社の組織運営の観点からすると社内情報/技術情報を組織内でシェアしない事はチームワークを重要視するなら御法度。同じ事が国の機関組織内や、主権を持つ日本の市民と国の諸処の機構の間でも言える訳。チームワークの協業関係に必要な潤滑油としての情報のシェアではなく、情報を上から下へと伝える習慣を造り上げ、流す内容もコントロールする独裁的手法。お金は誰のものか?持ち論稼いだ者に属する。国の運営に必要な情報は一体誰のものか?暫く前に成立した秘密保護法を見ればそれが誰なのか良く判る。

この章の後半として人が人らしく生きられる世界とは、を考えよう。或る社会、国家、そして地政学上に影響力を及ぼせる地域に、そこに或る国々の国政を司る人々にどの様な事が要求されるかを一例を通してと提示したい: 何時の事だったか。クリントン氏が大統領時の1997年か1998年だったか定かではない。英語版週間紙Newsweekに週間ごと世界中で発せられた言葉のページ(確かQuotesとかだった気がします)に以下の言葉が記載されていた。ヨルダンのフセイン国王(現在の国王の父上)が米国ワシントンDCのキャンプデービッドで行われたイスラエルとパレスチナの平和交渉が決裂した時に当時のイスラエルのネタニヤフ首相にかけた言葉だ。すみません記憶が正しければ以下の通り:"What you need is Sir, the vision that Yitzhak Rabin had. Someday you will have it but today was the victory of terrorists and warmongers."訳すと、「閣下、あなたが必要なものはイツハク ラビンが持っていたビジョンなのです。いつの日かあなたはそのビジョンを備えるでしょうが、今日はテロリストや戦争愛好家達の勝利なのです。」残念ながら、今もフセイン国王が表現した事は改善されていない。御存知の方も多いと思うがラビン首相は1995年宗教的不寛容な勢力の一員(ユダヤ教原理主義者とでも言おうか)により暗殺されてしまった。その後を継いだのがシモン ペレス氏。その後一年も経ずにネタニヤフ氏が首相に就任。この首相は頭が切れて口達者で知られる。目の前の現実を戦術的に自分の国に有利に持って行く事も得意の様だ。フセイン国王はラビン氏が存命中、彼の眼の中に映る、恒久平和のビジョンを自分の命を顧みず実現しようとする意志を読み取ったのだろう。人間存在の意義と意味を問うヒューマニズムは人類に共通する、宗教を超えた心情なのである。そう、宗教がこの様なヒューマニズムと連動しこれを問う事、を忘れてしまったらそれは単にイデオロギーに堕すのだ。見よ、日本に於いて神道や仏教がイデオロギーに成り下がってしまった事実を。ユダヤ人であろうが日本人であろうが原理主義者の欲望を傍で見ていると選ばれし者達と言う感覚なのだろうか、他人がどうなろうと構わない、自分の信念を押し通す者達だと言う事が判る。神様仏様に許されたエゴなんてあるものかと思うが。此処に問おう。宗教が人間存在を抑圧して構わないのか?多分違うと考えたい。その宗教がイデオロギーに墜ちてしまった故にと願う。

これは、力を持つ民族(人々)が弱い立場である他民族(人々)を抑圧する事が人として、それがモラル、哲学、宗教等如何なる理由にせよ許されるのかと言う問いである。この世界を共有しこの時代を共に分かち合う人間。そして生命の存在の意味の根源的な問いを自ら課し見えない答えを出そうと努力し続けて来たラビン首相。人はそれぞれの母よりこの世界に産み落とされれ、この世界を目の当たりに日々生き、しかもこの世界を共有している筈ではないか?戦略的戦術的なスマートさを押し通し、この国の人々の欲望のままそれを代表し権力を把握し続けてその地域の弱い者を抑圧し彼らの沈黙を強要する。相手と自分と。この世界をそして今の時代を彼らと共有していると言う感覚が国を導く人達の心の内に無いとどうなるかをあなたは思った事があるのか。残念ながら、その様な気持ち、モラルを持ち合わせていない人々がトップに立って、欲望の行き着くまま原理主義権威主義を振り廻し国政を行っても善政を敷く事は出来ないのである。この事は組織のスケールを小さくしても同じ。家庭の中にも学校の中でも同様当てはまる。人の中では欲望とモラル二者はバランス取りが難しい、何故なら - 例外はあるがほぼ - 相容れない2つの実体だからなのだ。

上記同様、欲望とモラルのバランスが取れず暴走してしまった過去の日本で、長い間反省されないまま今日に至っているもう一つ例を挙げよう。岩波ジュニア新書から発売されている今井和也著の「中学生の満州敗戦日記」[2]150ページから少し長いが引用させて頂く。七三一部隊とは満州国ハルビン市で運営されていた生物兵器の研究開発機関であった[3]:「『七三一部隊の深い闇』について、もう一度考えてみる。七三一部隊の施設の中では、生きたままの四肢切断•気管切開•弾丸摘出、ペスト•チフス•コレラ菌を感染させて死後解剖、腕を水に浸し全裸のまま立木にくくりつけて零下四0度の戸外に放置した凍傷実験、毒ガス吸入•血管に空気注射•血液をぬいた失血死•食事をあたえない餓死•感電死などの人体実験がおこなわれていたという。(行)読んでいるだけでも寒気がする様な残酷な実験のかずかずを、人命を救うこと、人の痛みをやわらげることを天職とする医者たちが、なぜ平然と実行できたのか。(行)これには二つの理由が考えられる。一つは『お国のため』という名目さえあればなんでも許されたという時代背景。もう一つは『自国民以外は人間ではない』という民族差別意識である。(行)『国家至上主義』と『民族差別主義』、この二つはいつの時代でも国際紛争を成立させる原理でもある。」

3章の教訓は:「己の欲望の奴隷になるな。何故か?心に悪意が生じてしまうから」である。

参考文献等
[1]「日本の市民の皆様へ-その2」投稿者 プラナリア 日時 2012 年 1 月 22 日
http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/412.html
[1]「中学生の満州敗戦日記」今井和也著 岩波ジュニア新書
[2]「731部隊」ウィキペディア、https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
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4章 何処から、何処へ、何ゆえに
この様な人間としてのモラルから派生する問いを投げかける事が出来る現代日本の政治家はまず居まい。当たり前なのだが政治家がそれを言ったらキザなのだ。その判断をするのにはまず政治家の眼を見よ。そしてその眼光に人々に共通な気持ちが宿っているかどうかで判断して下さい。そして、言葉が軽い政治屋は内省が軽いかそれとも無い事を理解すべきなのである。こんな面々が国会に大きな顔をしてのさばってるから日本の市民の生活苦が一向に改善出来ないのである。前章と同様この章にて「喧噪と欲望」 対 「沈黙、内省とモラル」について考える。

国政を司る者達、政治家や官僚組織の各省の従業員達がギトギトとした欲望に溢れ、強欲な人間達であったらその社会において子供達を含め、日本の市民一人一人がにこやかに又幸せな気持ちで明るく暮らせる様な政治が実現出来るのであろうか?否、断じて否だ。日本の市民の声が国政から無視され続けられ、日々大変な思いをしながら生き残りに必死になって努力している事。世相が暗いのはこの様な行き詰まりの社会で前に進もうと暗闇の中を這っても、這っても明るい出口が見えないから。これは己の投票権を行使し強欲な面々を選んだ、或はこの政治的な表現の自由、即ち投票権を行使しなかった為に不遜で強欲な政治屋が低い支持率にも関わらず選ばれ、国政を取り仕切っている事の帰結/結果の訳。その様な社会に今我々は生きている。

「欲望の行き着く果てに」自分の欲望のまま行為する人と「何処から、何処へ、何ゆえに」を己に問え続ける人において、その2つは真逆の性向なのである。身近な例として、天皇皇后両陛下の眼からは誰も欲望の「よ」の字も感じ取る事は出来ない。一方公務上での各地を訪問され続けていらっしゃられていたが、それぞれの場所でとった行為やそこで発した言葉の奥底には両陛下を突き動かしているお気持ちが読める筈。それは、権力欲にまみれた原理主義者達と政治屋が、静かにそして非常に長い期間をかけて国体の変革を希求し、変革に向けての法律を立法し、昭和の戦後の産みの苦しみの結果としての「平和」、を敵視し続けて駆け抜けて来た平成の時代を見ればよい。表面上は静かだがこの激動の平成の時代の終わりにあたり、昭和と言う過去におこった出来事を背負ってこれを振り返り、未来を見据えながら、この日本は「何処から来て、何処へ行こうとしているのか、そして何ゆえに」との問いを発しているのを感じ取れるのは私だけだろうか。お気持ちを察すればおそらく両陛下はこの日本で、日本の憲法が改憲されてしまうのを目撃したくないと一番強く願っているのではと私は思うのである。

心の状態。何ら目新しい言葉ではない。心此処に有らず。心が落ち着いていないのである。あなたの心は"busy monster"になってしまったか?それともあなた自身が"busy monster"なのか?他方は、心此処にまします。心が鎮座している。この世界の中、私と私の心、あなたとあなたの心、私の家族、私の家族の内にある心、これらを自然と内省する生活。

この章で表題に引用した言葉はドイツの精神分析家で哲学家のKarl Jaspers[1]が1964年にドイツのTVで講義した内容を本にした「哲学の学校」[2]と言う著作から取った。人は一体何処から来てそして何処へ行こうとしているのか。又何ゆえに?と言う問い。人間存在の意味又は意義とでも言えるか。Jaspersは精神病理学者、哲学者で第二次世界大戦後の西洋哲学に多大な影響を与えた人である。

さて、1945年7月16日に米国ニューメキシコ州にて行われた人類最初の核実験が行われ、1ヶ月も経たずに無垢の日本の市民の頭上に2回にわたり原子爆弾が投下され、核兵器開発の黎明期に既にこの兵器の使用が現実となってしまった歴史の事実。その後1952年に水素爆弾の核競争の時代に突入[3]した結果核の存在が蝕む人間存在の意義を非常に深く憂う時代が到達した。暫く後の1958年、人間存在の意味を問うJaspersが"The atom bomb and the future of man"[4]を出版した。東ヨーロッパと背後に控えるソビエト連邦と対峙する核の前線西ドイツにおける市民生活の中、何時核戦争が始まるのか不安に囚われた息苦しさを予見するしかし明かりへの道筋を示す本である。その本の序文の中で"An altogether novel situation has been created by the atom bomb. Either all mankind will physically perish or there will be a change in the moral-political condition of man. This book is an attempt to clarify what strikes us as a choice between two fantasies."日本語訳すると、「目新しい事態が一挙に原子爆弾により創られてしまった。全人類が物理的に死滅するか、人間の中のモラルと政治の関係に変化がおこるかのどちらかになるだろう。この本は、この空想的である二つの状況への選択が、私達の心に何を突きつけるのかを明らかにしようと試みる本なのである。」

非常に大事な問いだ。予見に基づいた行動が出来るかどうか。何もしないで人間が滅ぶのを選ぶか、手探りながらも明かり(希望、生存)の方へ這い出て行くのか。この問題は他人事ではない。人類の持続的な生存の可/不可が問われている訳。これは人々のモラルが政治を動かし核兵器を廃絶出来るか。残念ながら現在もこの作業中であるが。だが人類を取り巻く問題は核兵器だけではない。環境問題もしかり。更に裏カバーで以下この本を紹介しているコメントがある:"... Our hope, Jaspers believes, lies in the possibility that fear of nuclear warfare will pervade the individual consciousness and grow into a new ethos, a moral force in history, that could create a politics adequate to the threat of extinction...."日本語訳は、「Jaspersが信じる処によると、核戦争の恐れが個々人の意識の中に浸透しこれが新たな'ethos'として育ち、歴史上のモラルの力となり、絶滅の脅威に対する適切な政治を産み出す可能性、の中に我々の希望がある。」

このコメントは息詰まる悪意に満ちた社会や国家が本書発刊41年後の1989年のベルリンの壁の崩壊の後消滅させられてしまった原動力、モラルの力を思い浮かべさせてくれる。メルケル元首相の気持ちがここから読める感じである。尚Google translateでは'ethos'は: the characteristic spirit of a culture, era, or community as manifested in its beliefs and aspirations... synonyms: spirit, character, atmosphere, climate, mood, feeling, tenor, essence, disposition, rationale, morality, moral code, value system, principles, standards, ethics"日本語訳:「信念や向上心の中に現れている文化、時代、又は地域の特徴的な精神。同義語:精神、キャラクター、雰囲気、風潮、ムード、気持ち、進路、エッセンス、気質、道理をわきまえた、道徳、道徳的なおきて、価値観のシステム、原則、基準、倫理」。私はこれを社会の雰囲気、風潮或は皆の心の状態と理解している。

最後に。悪意に満ちた希望の持てない今の日本の社会の風潮(ethos)である。日本は一体これから何処へ行こうとしているのか?その問いの答えを予見する人々が、邪悪な欲望だらけの風潮に対抗する新たな、つまり心と心が集まって、人々のモラルを集合体化しモラルのある風潮を産み出して行かなければならない時代となったのは確実である。

4章の教訓: 「モラルも良心もない不遜で強欲な人々が政治に携わってはいけないのである。」と何故ハッキリ言わないのか?

参考文献等:
[1] 「カール ヤスパース、」 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
[2] 「カール・ヤスパース、『哲学の学校』 (No.760 10/07/01)」、ミネルバのフクロウ、
https://weltgeist.exblog.jp/11445450/
[3] 「核兵器の歴史」、ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
[4] Karl Jaspers, "The atom bomb and the future of man," 英語版、1961年 The University of Chicago
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5章 そして全てが逆行する社会へ
兎に角劇的に変ってしまったのである。それは2011年の東日本の核惨事以降日本が、日本の制度の構造が見えない所で。官邸主導の下、無責任と言う特権の保証のお墨付きが貰える様に政府与党に寄り添う行政府の従業員。特に国の司法行政立法の三権の機関で働く人々は留めも知らぬ程狡く(ズルく)なってしまった。嘘、隠蔽と強欲と無責任がタッグを組んでいるではないか。その様な人々が国政を動かしている。前章「何処から、何処へ、何ゆえに」で説明したEthos(世の中の風潮)から見ると人々が作り出す風潮にスピリッツ、活力が無くなってしまった。世の中に悪意が満ちて来て、悪貨が良貨を駆逐する如くに人々の心の中から善を司るスピリッツを駆逐しまったのである。国政を動かしている人々を見よ。トップダウンで悪臭プンプンの邪悪なスピリッツが下々へと降り懸かって来ているではないか?おお、おぞましい。

そして今日本の市民がお互いにコミュニケーションする事を忘れてしまったのである。他人を押し退けても気にしなくなってきたのであろう。人々をいとも簡単にネット上で攻撃する様になってしまった。また会社の若い方々にEmailを出しても返信は来ない、ビジネス上のステータスのアップデートもない。なんと言ってもコミュニケーションが出来ないのである。発言もしない、出来ない。更に悪い事に、会社では誰も物事の責任を取ろうとしない。投げやりなのだ。無責任、無関心、無気力と三無主義なんて言っていた時代があったがそれより遥かに劣悪になっている。何だこれは?人口の減少を抜きにしてもこれでは国力が落ちる訳だ。大人がおかしくなったのか、男がおかしくなったのか、それとも俺がおかしいのか?もしかしたらこれが日本会議が理想とする、大人しい羊が占める「均質な社会」なのか。

ところで皆さん既に御存知だと思う。権力を持つ者達は人の心を操作するすべを心得ている。更に人の心のその先にある世相、風習、習慣、群衆行動さえも毎日の人々のマニピュレーション(操り)の積み重ねで、自分達が操作する事も可能となってしまった。今彼らは自分達の目標、国体の変革に向かって真っしぐら。現政権の失政にも関わらず、政権運営に妙に自信があるのは群衆行動のパターンの分析データが有るからなのだろう。政権交代は無いと言う確信。この章の題目は言い換えれば社会全般に影響が出る様な嘘をつく事に罰が伴わず、真実も何も全く価値がない「息詰まる社会へ」と言えるか。では群衆行動と言うカテゴリの立場から「逆行する社会」を眺めて見る。

週刊誌等のマスコミやネットの住人が右翼がどうした、左翼がどうしたとか反日だとか議論している。何をボケた事を言っているのか?思いっきり時代錯誤であると思う。もっと高い所に立ち、この世界とこの時代を鳥瞰したら如何か。 今日本は強権体制に突き進んでいる訳で、右翼的独裁だろうが左翼的独裁だろうが代りはない。今表現の自由だとか、法の下の平等だとかの人権を制限する強権体制を選択するか、劣化したとはいえ少なくとも70年は保っている民主主義体制を維持するかの分水嶺に今日本の市民の皆様は立っているのを認識理解しているのであろうか?

日本の外側に見える人類を取り巻く環境即ち人口爆発、戦争、核兵器や核汚染、灼熱地獄の様を呈して来た地球の温暖化、オゾンホール、この地球上から緑が失われた事や人口爆発により生ずる水不足からの飢饉、海水の温度上昇による魚類海洋性ほ乳類への絶大なる影響、プラスチック片による広範囲な海洋汚染等、これは生命の滅亡を連想させる[1]。大局を見れば遥かにシビアな問題が今日本を取り巻いているのだ。EUで太陽光や風力発電そして再生可能な電力を用いた電気自動車が産業として盛んなのは政治家が人類の行く末の事を予見し今何を行なわなければならないかを政策に反映させたに過ぎない。一方日本はことごとく真逆の事を政策として採っている訳。自然エネルギーの推進よりも原子力推進を行い、CO2の排出規制も積極的に行なわない事からして地球温暖化の対策に逃げ腰なのが判る。何故グローバルな問題に積極的にアクションをとらないのか?何故この様な何もしない事がおこるのか?それは前出した「日本会議の研究」を読めば理由は十分類推出来る。原因としては彼らインナーサークル内にテクノクラート、理系のメンタリティー、マインドを持った人々がいないと私は理解する。問題へのアプローチと解決に至るには最初に科学的に問題を捉える事理解する事が前提なのである。内閣府、その後ろに控える司令塔と政治家は本当に科学的なメンタリティーを持ち合わせていないのではと思える程、人類が直面する問題を捉える事が出来ていない。例えばさる8月6日(2018年)の広島市での原爆の日、平和記念式典で口先だけの大衆受けする核廃絶に言及した一方、自民主党を乗っ取っている原理主義集団の教義に反する、核兵器禁止条約への不参加と言うこの矛盾した意思表示を見れば日本の政府が世界の他の先進国と、直面しているグローバルな地球上の課題に対する問題意識を共有さえしていないのは明白だ。先日6月のG7の中での日本の存在感を見ればこれが判るだろう。山積みする問題を米国以外のG5諸国とも共有もしない日本のトップの意識のレベルの低さを実感させる。

何故そうなってしまったのか?具体的な例を幾つか挙げようか?私は多分以下の理由からなのであろうかと思っている。それは、理系のメンタリティの欠如だけではないのである。あなたには圧等的多数の人が或る事を信じようとしない思考様式や習慣が、理系の思考を持つあなたとしてどうして人々は頑迷なのだろうかと暗い気持ちにさせてしまう息の詰まる社会状況を考えた事があるのだろうか。想像力を働かせてみよう。あなたがアメリカ南部の州に住んでいるとしよう。その地域は信心深い人々が非常に多いと聞く。そしてそこの州立の理系の大学に通っているとしよう。だが公立の中学高校ではダーウィンの進化論を教わらずに大学に入学。圧倒的な数で周りの学生達は熱心なキリスト教徒で神様が地球と人間を一週間で創造したと信じている。大学では分子生物学でDNAに関連する講義も受けているが、なんだ、この社会を被う息苦しさは!そうなのだ。科学の一部である進化論に対する無言の圧力、同調圧力が底流にある社会なのである。孤立し落ち込み、暗澹たる気持ちになってしまう。理系の人間にとってそれは真っ暗な社会に住んでいる息苦しさである。そう、進化論も地球の温暖化も信じない社会風潮。何故そうなるか、その理由とは知的な多様性が容認されない宗教やイデオロギー(或は社会風潮)下の社会にいると言う事。この社会状況を世俗主義の反対語の教権主義と言う。因に世俗主義とはウィキペディアより[2]:
* 国家の政権・政策や政府機関が、特定の宗教権威・権力(教権)に支配・左右されず、それから独立した世俗権力(俗権)とその原則によって支配されていなければならないと言う主張・立場。或は宗教に特権的地位や財政上の優遇を与えないこと。政教分離原則...
* 個人が宗教的規則や宗教教育から自由でいる権利、支配者による宗教の強制からの自由。信教の自由。
* 人の行動や決断が(宗教の影響を受けていない)事実や証拠に基づいてなされるべきだという主張。
日本は今不可知ではあるが政治と教育において日本会議と言う勢力が唱える考え方が、大きな潮流となって皆が知らない間にこの日本の社会文化の中に浸透しつつあると思える(一番末尾のこの章の結論を読んで下さい)。例えば考え方、生き方、生活のスタイル等個人の選択の自由とでも言える人々の多様性を批判する国会議員も大きな顔をしているではないか。原理主義集団の教権を深く静かにこの社会に浸透さながらスムーズに強権へと移行するタイミングを見計らっているのである。これは日本の衰退の根本原因だと私は思っている。日常の風習の色がそして世相が大きく変化しつつある訳。昨今政治家と政治を操作し、宗教人を操作し、経済人を操作し、日本の市民をオペレータにおとしめて操作(マニュピューション)し個人の自由と個性を抑圧するソフトパワーの仕組みを作り上げ、日本中の市民全員が自分の欲望のなすがまま行動する様に仕向け、悪に対し盲目で居続けさせる仕組み。日本社会においては同調圧力により、知的な多様性が容認されない社会となってしまった。知識人、科学者、技術者達が自由に発言する事を自制(或は発言出来ないオバカ達)してしまった結果、言論の自由学問の自由もない一つの単色(暗黒)に染まった戦前の昭和の様な社会へと変質しつつある日本。

知的な多様性が容認されない雰囲気が醸し出す社会に住むとはどう言う事なのか具体例をもう一つ挙げよう。イデオロギーを重んずる、理系のメンタリティーもない人々が操る内閣府がメディアを使って作り出す世間及び社会の風習の影響が多大な社会での出来事である。改めて言いたい。理系のメンタリティーを持つ人間としては福島第一原発の事故によって放出された大量の放射性同位元素の生態系への影響をどうしても軽んずる事は出来ない。この原理主義を信奉する内閣府の方々は上記「人の行動や決断が(宗教の影響を受けていない)事実や証拠に基づいてなされるべきだという主張」の様な世俗の考え方を持たない故に科学を軽んじ、政策立案しているのではと考えられよう。その様な考え方の下核汚染した食べ物を国で規制する事もなく、人工放射性同位元素が生体の細胞に及ぼす影響の知識を持ち合わせていない圧倒的多数の日本の市民に、食べても問題なし!と政府の広報車のマスメディアに圧力をかけている状況。理系の人間だったら発狂してしまわないのかと思われる程、東日本の核汚染問題と核汚染食品問題を科学的に捉えようとしない日本の上から下までの人々の頑迷さである。何故なら「国はその様な事は言っていないから」だそうだ。「政府は嘘をつく」或は「政府は本当の事は言わない」のは世界のかなりの数の国々では常識なのだがどうやら日本ではこの常識はまだ受け入れられていない。使う方もレッテルを張られる方も放射脳とはよく言ったものだ。特に理系の官僚諸氏や学者諸氏にはこの様な社会通念のレベルの低さでよく心の歯車が壊れてしまわないのかと感心してしまう。

それでは群衆行動学とは全く関係ない出来事に話題をかえよう。先日EUで法律として施行されたGeneral Data Protection Regulation (GDPR)の内容をかいつまんで勉強する機会があった。一言で世界中の企業が欲しがるEU市民の、プライバシーに属する情報の収集の制限と取り扱いの範囲である。非常に高い理念の下、市民のプライバシーの権利を広範囲に認めている。この法律に違反した企業は年間利益の少なからずの部分に相当する罰金を払わなければならない。個人が忘れ去られる権利。個人が企業に要求すればその会社が所有するその人の個人情報をその人に提出しなければならない。個人情報は必要なくなったら破棄しなければならない。等々。[3] プライバシーもおかまいなく個人情報を継続し収集、蓄え込むGoogle、Facebook、Apple等の多国籍企業が狙い撃ちされている様な感じである。その内容はさておき、この様な法律を立案しそして施行するその実行力。EUと言う連邦国家が如何にその市民を守るのか、市民の事を考えて政治を行っているかをまざまざと見せつけてくれる。素晴らしい国家群だ。つまり個人の自由は最大限に尊重されなければならない。しかし企業の自由には在る程度の制限が加えられなければならないと言う立場。全てが逆行する日本の政治と島国根性の政治屋の面々。その市民の事は言わずもがな。である。

5章の結論: 「大政奉還で欧米の仲間入りに向けた自前の体制の構築を目指し、明治大正昭和の1/3を経てその体制が74年前に終焉。戦後米国の「押しつけ民主主義」からの脱却をゴールとする日本で今行われている政治、それは日本の市民の事など微塵も考えず、明治大正昭和で育てた自前の体制の復興に全ての力を注ぐ。アジアではまだ辛うじて一流の国かもしれない。しかしこの世界を被う生命の存続の脅威の事を全く考えない、世界の政治趨勢に逆行する近視眼的で時代錯誤の政治を眺めると残念ながら日本は三流国に落ちてしまった。」

参考文献等:
[1] 「子供の亡骸を16日間も離さない母シャチの悲嘆『もう見ていられない』と研究者」、キャサリン・ハイネット、
ニューズウィーク日本版、https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/08/16-8.php
[2] 「世俗主義、」 ウィキペディアより、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E4%BF%97%E4%B8%BB%E7%BE%A9
[3] 「EU一般データ保護規則」ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/EU%E4%B8%80%E8%88%AC%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E8%A6%8F%E5%89%87

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第6章 「前書き」
この第6章は2011年11月より始めた一連の投稿の中で多分最も重要な章の1つだと思う。もう一つ重要な章を選んだとすると、それは原発板に2012年1月12日に投稿した「日本の市民の皆様へ-その2」の第8章 「眼の前の事と向き合う(言葉或は知識、そして現象の認識とのギャップ)」[1]である。言葉を通じてしかこの世界を観ようとしない人々の思考と習慣を話題とした。この章と併せてお読み下さい。それは以下述べる様にスローガンに表せられたイデオロギーを通して見る世界と言葉を用いずにこの世界を観る事の違いである。言葉と言うものは言葉の内容を理解しなくても使える。この在り様が溢れ返っている時代である。

あるアイデアが情念になりそれがイデオロギー化しスローガンを通してこの世界に働きかける - と言うイデオロギーと目の前の世界の関係。そんなイデオロギーと言う名の欲望とその欲望から発せられた言葉に全くおかまいなく脈々と流れる"あるもの"を考える章である - 政権にどの様な勢力が居座ろうが文明の中の文化を利用した自分達のイデオロギーの夢の実現の欲求として、その地域の昔からの固有の文化を自分達の達成したい理想社会の方向に都合の良い様に引き寄せながら政権運営をおこなって行く過程、そしてその過程を取り仕切っている不遜で強欲な人々を我々は世界の至る所で現在進行形で目撃している。
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6章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
随分昔に読んだ本からの引用と言う形で話を進めてみる。Max Picardと言うスイスの哲学者が、1958年みすず書房より出版された「騒音とアトム化の世界」[2](残念ながら絶版になって久しい)と言う本の中で述べていた。人々は喧噪の世の中に生き、各個人がそれぞれアトム化(原子化)してしった事。以下の様にも言っていたとも記憶する。間違っていたら御免なさい。人間がオペレータ(即ち機械をもくもくと操作する者)に堕してしまった事。同じくみすず書房より出版された彼の「沈黙の世界」と言う本では神と対話する内省の重要性を訴えていた。彼自身の言葉を示す。"Nothing has changed the nature of man so much as the loss of silence."[3] それは、現代社会において有史以前から持っていた動物としての人間の中の本性より、沈黙を喪失してしまった事だと言える。人間が沈黙の中での内省を行う事を忘れ、言葉が一杯詰まった頭のみに意義を見いだし、その生命存在の意義を失いつつある事と言えようか。また、文明批評家Ivan Illiciの著書「エネルギーと公正」[4]の中で心に残った言葉があった。彼は「加速」と言う言葉をこの本の中で使っていた。この世の社会と人々の動きを良く表している。物質文明、機械文明の生活の中で欲望が肥大化し、それらの文明が深まるにつれ上に述べた状態が不可避となり、人であるよりもオペレータになっている時間がより一層長くなり、どんどんと抜け出せない深みにはまって行くのである。それは日常の中で一人一人の統一体としての生命が分裂、原子化し家族が原子化しバラバラで絆を喪失そして社会にはユニークさも無くなり分断化する現代の日本の人々の事を言い当てて居る様に思える。

Picardが語った言葉で彼の考えを良く表す言葉を記しておく。手元に「騒音とアトム化の世界」が無いので孫引きと言う不本意な形となってしまいますが以下の引用をさせて頂きます。[5]現代の人々の生き方を非常に良く記述していると思う。「私はある時、一人の男がテレビの前に座っているのを見た。その傍らで同時にラジオが鳴っていた。しかも同時にこの人は時折テレビから目をはなして新聞を読んだ。いったいこの人はどこにおるというのだろう。テレビの中か、新聞・ラジオ、あるいは安楽椅子の中か。彼はそれらのすべてであり、そして無でもあった。いたるところにおり、しかもどこにもおらなかった。そして彼の欲したのは実はこのことであった。即ちどこにもいないこと、自分自身を解体し、またその破片から自分を組み立てることであった。昨日の死はなんとつまらなく、今日の復活もまたなんとつまらないことであろう。この人間は自分自身から脱走しておったのである−というのも当たらない。彼はそもそも自分というものを持っていないのであって、したがって自分自身から逃げるということもできない。彼は一般崩壊の中の、運動の一小部分以外の何ものでもないのである。現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。我々は内的に寸断されてしまっているのである。我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。一つの印象、一つの感情、一つの考えが、隔絶されながら、それぞれ別の印象や、感情や考えの側に平気で並んでいる−否、先立つもが全くなかったかのように、次々と立ち現れるのである。ただ絶え間なく何ものかが、瞬間を通って転じてゆくだけである。」あなた自身今の生活を省みて彼の言葉に反論する事が出来るのであろうか?

皆が皆生命を、命を愛する事を忘れ去り、加速をこよなく愛する喧騒の時代でもある。現代社会において加速は一つのキーワードだ。加速と言う中毒。この結果は人に何をもたらすか?スピードをこよなく愛する一方人として愛を育む心と、内省の習慣が失せてしまった事。どうしてその様に先を急ぐのか?個人が加速し、人々が加速し、人間が加速し、情報が加速し、日常が加速し、技術が加速し、一年が加速し、一世紀が加速し、人類の歴史が加速し、一体ぜんたい我々は何処へ行こうとしているのか?沈黙の中での内省を忘れ忙しい人生を送りながら、己の強欲さ故、他の人の事を気にかけずにおとしめ蹴落とし、人を精神的に肉体的に傷つける事をいとわない輩達、己を他の人々と切り離し社会の中の或は集団の中の自意識過剰な原子となり、加速する人々。皆が皆人生の速さや人生のスケールを誇っている現代社会。肥大化する欲望そして強欲と便利さを更に加速し追い求めるのとは裏腹に、騒がしい人間以外の動物が棲む自然界の生きとし生ける物達は、そこからやって来る、その正反対の不便さ即ち環境汚染や環境破壊と言う結果を沈黙の中で甘受しなければならないこの不条理が見えないのである。動物、鳥、魚、植物はこの生きにくい世界になす術がないのが人間には判らないのだろうか?同じ様に人間もこの殺伐とした空間で何がおこっているのかと言う関心をも失ってオストリッチの様に頭を砂の中に入れて、この様な事態が過ぎるのを待っているだけなのだろうか?もしかしたら人間のみならず生命が滅ぶのを知っていて何もせずそれを楽しんでいるのではなかろうか?もしそうだとしたらその様な考えはこの世の終末を待ち望み単に楽しんでいる終末論者の考え方と同じではないか?どうやら人間は先の見えない判らない何かの終わりに向かって加速している様である。 今や人間が人間以外の動物にくらべて遥かに愚かになってしまった。生命が何らかの理由故にこの世に在る事を忘れ、この流れが続いて行く事を忘れ、欲望に突っ走り、他人を押し退け、自然を押し退け動物を押し退け、生態系を押し退け排除し、生命の存在の大事な意味を忘れ喧噪の中で生きている。

一言で言おう。第4章「何処から、何処へ、何ゆえに」の中では述べなかったが、「 何処から、何処へ、どの様に」と言う問いが"Profile"(例えば隣の芝生は青いとか)と言う言葉と結びついて我々個人の中で相手との比較の対象となってしまっている現在。人間は近年この世界を物理的に大きなスケールで見渡せる事が出来、その結果比較の対象が広がってそれにより更に欲望が際限なく増殖してしまった。だが「何ゆえに」と言うと問いのおおもとにあるのは生命なのである。あなたには日常の中でそれを感じる事が出来るか?実はその他人の中と自分の中にある「何ゆえに」は比較の対象がないのである。しかし「何ゆえに」と言う問いをも忘れてしまうか無視するからユニークな個人、特定の宗教を信ずる人々や民族の迫害や、抑圧がおこってしまうのである。生命の公正と平等には優生思想など入り込む余地はない。この事実を無視するgeopoliticsに満ちた日常に踊らされて、brainwashに巻き込まれてしまっている我々。

本投稿第三章の「欲望の行き着く果てに」で書いた事を詳しく述べる。この世界の出来事を現場で見る気持ちは更々無く、情報のリアルタイム化とそのダイジェスト即ち咀嚼に追われる日々の生活習慣の事である。この様な環境ではいとも簡単に人は情報に騙される。何故か?客観性が無いからさ。自分の好みの情報だけをアクセス。頭の中に入っている自分の、世界の解釈理解を確認する為に自分の好みの新聞やインターネット上の情報を選択し、自分の考えを補強する記事のみ読み漁る。選択的情報の咀嚼。これが心地良いのである。頭の中は言葉で一杯。でも心の中は空っぽ。虚しいね。簡単に言えば自分の意見と同じ様な論調を読んで安心安堵し、その反対の意見に反発し攻撃する。攻撃される人々は主に自らの意見を公に出来る自己推進能力のある方々。その様な人々を人格破壊しようとする訳。何故人々は意見の違う人々を攻撃するのか。どうしてそのまま、ありのまま、受け入れられないのか。それは何故か?色々と理由が有ろうがその一つとして: 皆が皆インターネット上で喧噪を選び、違った意見を持つ人々や他の民族を批判し、それにより己の心に満足感をもたらしている訳なのだろう。不快なら相手を攻撃する事、が心地良い。この悪しきEthosの現象(「4章 何処から、何処へ、何ゆえに」参照の事)は世界で同時進行している事に皆さん気づいて欲しい。つまり異なった相手を受け入れる能力の無い人々が増加中とも言えようか。そして又他人に対しての意地悪が心地良い。ところが現実とはユニークさと多様性の集合体なのだ。生命が、此処では自分が母より産まれて来る事を選択した時点でユニークな存在なのであるが、その個人の多様性さも判らん輩が文化の多様さや民族の多様性さをも見下し軽蔑する行動を取るのは愚かな事。しかも自分がユニークで優生な人間だと思っているのでなおさら、たちが悪い。心がここにあらず、善のEthos或はスピリッツな世界を喰らい尽くす"busy monster"達。インターネット依存症のあなたへ。この姿を自分の形相として捉えられるだろうか?この事から人間を紋切り型にさせておく事、オペレータにさせておく事が権力を持つ面々にとって如何に重要なのか判るだろう。

さてまたまた音楽の話で恐縮だ。あなたが以下の曲を聴いた時自由にこの曲から何かをイメージ出来る様に以下の文を読む前この同じ曲を2つの映像のYoutubeで聞いてみて欲しい。[6][7]歌詞は[8]。英国の作曲家で英国のロックグループU2のアルバムのプロデューサとして知られるBrian Enoと言う方がいる。彼の2005年のアルバム"Another Day on Earth"の中の"And then so clear"と言う1曲。あなたは今この曲を聴いて何を連想、想像しただろうか?

今日は私がその曲から思い浮かぶイメージをEnoさんには申し訳ないが勝手に解釈してここに記載する。ご勘弁の程。それは4章 「何処から、何処へ、何ゆえに」で以下言及した、心があなたの中に落ち着いて座っていてあなたとあなたの心が一体(unity)となっている時、この時この場所に「心此処にまします」と言う事に関連する。私にとって”And then so clear”の曲からイメージする事は: まだ私が小さな子供であった時に車を使った何泊かの家族旅行から家へ帰って来た時に見た天窓から光が差し込んでいる場面でフッと思った事なのである。それは私と父、母私の兄弟が一緒にいると言う一体感。静寂の中の愛に包まれた家族の中の自分。そしてそのunityから外の社会があると言う事を初めて理解した時の感触に近い。言葉では説明出来ない自分と家族と世界との一体感。しかしこれとて以下述べる生命の流れの極一部を認識、感じとったに過ぎないのである。

これは沈黙するしかない動物には彼らの本能により判っているのである。それは、この表題の章の問いへの答えである。あなたが喧噪な世の中に棲む事で心の中から失ってしまった気持ち。それは思っているよりも遥かに大きく大事なものなのである。しかし私と言う生を授かった事はもっと高い次元の、何かしらの理由があるからなのだろうと言うこの世のシンプルな捉え方。脈々と続いて来た生命の流れとその脈動をこの曲を何回も聴くと思い浮かぶのである(実は歌詞の内容と違うのですが)。前の幾つかの段で述べたが今現在物質文明に晒された人々は沈黙と内省を忘れ、そして頭の中にある行動パターンに影響され見ず知らずの他人を安易に攻撃、人格破壊する事が広く行われている。他の人の持つ固有で唯一の個としての尊厳さが疎んじられてしまう日常の思考と習慣の中に生きている。それこそがアトム化と言う事。自分が原子化アトム化し己がこの世界にあると言う事実を忙しい情報の中で見失う事で心の中の自分を失い大事な己と世界の関係を断ち切られてしまう。動物と同じ様、人が石の上を歩くのを止めてから言葉が増殖しこの世界と切り離され人は原子化してしまった。あなたは上記の様に子供の頃、自分と家族と世界との一体感を感受した事はなかったのだろうか?その様な気持ちが生じた事があったかどうか、あなたの中にある記憶の糸を手繰ってみて欲しい。

この世界に産まれて来て、思春期に家族から独立する気概が生じた後に、社会に出でて女としてまた男として異性と出会い結婚し子供が出来て彼ら子供達が一人立ちし、自分が自分の親と同じ様に長い人生を歩んで行きそして老いてゆく。そしてその初期の過程の中で家族と言う小さな群れの中に一人の生き物として私が生きていると言う実感と、家族と言う小さな群れが大きな群れの中に生きている実感、(2つの違った遺伝子がもっと大きな流れ即ち時の流れと脈々と続く生命の流れを共有する)とそれを囲む外との関係の連続性を既知する事で社会性を理解し、習得する事が出来る。これは生物の群生の空間的な尺度から見た考え方。だがとても不思議なのだが、誰一人として日本の社会でのイデオロギーに基づいた祀り事が、日本の社会空間、群生の空間にどのように力を及ぼし変出させ影響しているのかと言う見方を執れない不可解。

この考えに少し関連する事だ。群生の空間と言う観点で日本社会と言う空間から観ると、後に述べるが、どうやら偏屈な考え方やイデオロギーが跋扈し、人間の顔の態をなしていない文化の風潮が蔓延るいびつな空間、人が棲み難い生活空間となってしまった様だ。人間が家族が原子化してしまった現在、第一章 「破壊されてしまった三権分立の原則」で言及したが或る勢力による、社会形態を変えようとする事により彼らが理想と考える様な、日本を素晴らしい国にして行こうと言う努力をするのは理にかなっているのかどうか甚だ疑問なのである。そんな事よりまず善の'Ethos'例えば希望を人々の心の中に取り戻し育て、家族の中に社会の中に人間愛を呼び戻す事が先なのが判らないでいる、日本の社会があたかも自分達の物であるかの様に振る舞う不遜で強欲な政治屋達。現代日本の社会においては生きる力が弱い家族もあり強い家族も或る訳で、弱い家族を手助けする福祉と言う社会制度を手厚くするどころか、彼らを更に窮地に蹴落とす様な政策を実施している事実。家族と言う小さな群れに必要以上の経済的な圧力をかけてはばからない社会制度。一方軍備拡張の為惜しみなく予算を注ぎ込む。正直者は馬鹿を見る、どころではない更に悪い状態である。つまり弱い者が更に抑圧されてしまっている日本の社会。この様な不条理がまかり通っている事に殆ど誰も怒りを表現しないのは、人間が家族が原子化してしまった上日々機械的に生きている為と思うのだが。子供を持つ親として不条理に満ちた政治のやり方に抗うのは、動物として生命として当たり前の事なのであるが。そう。オペレータとは皆が皆何も言わない、或は皆が皆同じ事を言う状態に陥っている人々の事である。個人的に成功の為の機会を持たない、持てない市民を抑圧するエリート意識に満ちた優生学的政治手法が日本で行われているのではないかと思えてくるのだ。何も明治時代の教育勅語を実践し、戦前の封建的な大家族に家族形態を戻す事が本当に現実味のある社会問題の解決策なのだろうか?人間を中心に据えた実践的な政策やアプローチを行う政治手法と、イデオロギー的なアプローチを取る政治手法の間の乖離をまざまざと見せつけられる今日この頃である。残念な事にこの世界の意義、意味の深さを忘れてしまって忙しく人生を送っている原子化した人間で構成される社会においてはこの乖離の帰結がどうなるのかを考えようとする'Ethos,'風潮も社会から失われてしまった。判っていると思うが、不遜傲慢強欲にかられた面々が支配する国は滅びる。

この章の推敲の途上に先日の東京新聞のWeb 「梅原猛さんの平和思想」と題した以下の記述を発見。色々と考え倦ねていた事が見事に鮮明になった。以下長いが引用する: 「梅原猛さんから興味深い見解を聞いたことがある。『神も仏も捨てたのが、明治政府です』と−。仏教を排斥した史実はあるが、神を捨てたとは…。はてと首をひねった記憶がある。 『昔から日本人は山川草木すべてが神様だという多神論でした。仏教にも同じ思想があり、神と仏を合体させた宗教を民衆は信仰してきた。神仏習合、それが日本の思想の中心でした。だが、明治になり国家神道という一神教になったのです』 国家主義は古来の思想を無視して、国家神道という新しい宗教を国民に強制した。さしずめ教育勅語はその道具であった。この一神教こそ戦争へと日本人を駆り立て、日本を狂わせた張本人なのだという説明だった。」[9] Aha!である。原理主義者の実体が見えた。戦前の人々の様相。梅原氏が指摘していた様に多神論を捨てた故に生命の流れの観点から世界の人々を見渡す事が出来なかったのであろう。現政権と天皇皇后両陛下の関係がこじれている理由が良く判る。ところで話はがらりと変る。危機管理の極意は「最悪の事態に備える事」である。よって民主主義を支持する全ての人々が持てる限りの力を合わせ、日本会議によるクーデターに備えた危機管理体制の構築を行わなければならない時なのである。その根拠として変質してしまった与党自由民主党が通して来た法律の数々を見れば直感的に判るだろう。イデオロギーに執着する彼らなら日本の民主主義を転覆させるクーデターをやりかねない。

さて生命を時間的な尺度から考えてみよう。私と言う生命は私の父がたぐって来た、私の母がたぐって来たそれぞれの赤い糸の様な生命の流れが重ね合わさった物なのである。別の表現をとれば、私は父と先祖の血の繋がりと母と先祖の血の繋がりからの一つの生命としてこの世に生まれて来た訳。この世の根底に脈々とした生命の流れがある事実。この事が一番理解し易い人生での出来事は結婚式と言う場であろう。新郎が属する群れと新婦が属する群れの一同に会する出会いと祝福の時ではなかろうか。その出発点から、男と女の愛と愛情という中で新たな生命は生まれ成長し、心と心が重なり合って一つの心が産まれ、この世に長々と生を過ごしながら、体と心の一体感(unity)と共に尊厳を持って死を迎える。その間新たに産まれた小さい生命が全く同じ繰り返しの中で女性として或は男性として育ちそれぞれの道を旅し各々(原子化していない)個人が大きな生命の流れの中で出会う訳。即ちそれは私が一人の男として私の妻が一人の女としてこの世に生命を送り出す同じ営みを行い父となり又母となり、午後の太陽の高さに例えればまるで日の陰った夕方の様に、齢を重ねそして日暮れの様に歳をとりこの世から役目を終えて去って行く。私と妻の遺伝子を子供達に引き渡し、そして「何処から何処へ」の問いの先にある、どうしても答えられない「何故に」との問いを子供達に引き継がせている。だが、この大事な問いを背負って生を生きているのかどうかが彼や彼女に判るかどうかは本人の自覚次第だ。(或は親として子供にこの問いの意味を教えるべきなのだろうかと言う自問はあるが)。人間以外の動物達は、自分達がこの世界にあり生きて居る事の、不思議な見えない力が(「何故に」と言う先に)在る事を知っているのである。だが残念な事に私と言う小さなスケールを通してしかこの世界が見えないこの限界故これ以上言葉は発せない。沈黙の中で生命の不思議を想う。

その一方この一つの生命としてこの世に生きる、私の中にある欲望は何処から来るのか、そして何処へ行こうとしているのだろうか?何ゆえに?との問いが私の中を、私の生を貫く。そして体を欲する心の渇きの側面を持つ愛の事を考え巡らす。一人の男と一人の女の間のunityを縦軸にとるとそれは何と短い横軸の時間の期間なのか。横軸方向に過去を振り返れば途轍もなく遥か以前の私の知らない時がある。又逆方向を見れば新しい未来が見える。この生命の流れは「何処へ」行くのかと言う問いは未来へ向かって発しているのである。そして私は何かを残しつつ、一つの生命としてこの世から去って行くと言う事。何故に生命は死ぬのかは生命には終わりがあるから。何故に生命は産まれるのか。それはあなたと言う生命が産まれて来る事を選んだ事に理由があるから。これから産まれて来る子供達、生命達を「安全」な社会に或は生態系に送り出さなければならない宿命。その今生きる生命としての、遥かに崇高でしかも過酷な迄の義務を人間を含む生命は背負う。

生命を産み出して来た、又これから産み出すであろう、女性のあなた方にはこの事実は体の中に刷り込まれた思いであるに違いないだろうし、又無視出来ないのでは。幸せな人生を送れる様に身を粉にしながら日々男性優位の社会の中で悪戦苦闘している日本の女性達。日本の社会が男性が優位性を保てる様に設計され且つその様に機能している現状。その一方小さな群れとしての家族の中で子供と妻をないがしろにする又はネグレクトする様、最悪な場合は暴力を振るう様な行動をとってしまう男性諸君。又己の考え、思考習慣に基づき人々の間にある多様性を無視し、女性差別や蔑視を行う面々。男性優位の特徴である、最下部に位置する小さなスケールの家族から、地方自治や地方の会社、そして社会最上部に位置する国会へと貫く、男尊女卑の源である家長制と言うヒエラルキーを生活の社会空間から柔らかいベールで包み都合良く隠し続けて来た事。これこそ悪しき文化としての風潮である。これが日本と言う社会の中の生活空間に深く根付いている。更に昨今競争原理と言う手法を取り入れ敗者復活戦の様に弱いもの同士を戦わせるやり方。日本の中に新たにカースト制を作っているのか?それ故に、「法の下の平等」が日本の中で崩壊している事に女性の市民自身が強く抵抗し、善なる'Ethos'としての社会の希望を女性の方々が共有しこの日本の社会を良い方向に変えて行く様に努力して行かなければこの閉塞した社会に明るい光は差し込まぬ。この投稿を読んでいる皆さん、御存知の様に強権的組織の中では個性と、女性の権利は抑圧すべき対象と理解していると思う。それはアジア的な、個人のユニークさを否定する、男のタテ社会の属性であると言う事。これは母性が産み出したユニークな生命と多様性の容認を行う社会の対極に位置する。男と女の間にその様な生命の対等さと言う見方が出来ない男性諸君は生命の流れを創る女と言う性を守れない男達である。ほ乳類の間ではオスはメスを守り、子供を守るのではなかったのか?この生き難い世の中に子供を守らず、子供に当り散らし暴力を振るってどうするのか?もっとやる事が有るのではないのか?(次章最後の部分「一連の投稿の最後にあたり」参照の事)。あなたには自分の子供達が小学校の半ばの頃その横顔をさりげなく観た時、特に自分の娘の横顔から、彼女がこれから産み出すであろう生命の流れの片鱗をかすかに読み取った事があるのだろうか?そう想うだけで今の社会の女性や女の子に対する性差別や(性)暴力の不条理から彼女達を守らなければと心を構えるのがオスとしての務めと思わないのか?どんな肌の色の人々でもどんな社会的立場の人々でも子供の事を想う気持ちは同じである。自分の子供の中の生命の流れを認識出来ない者達。原子化した家族の中でその気持ちを喪失してしまっているのだろうか?

悠久と流れる生命。そして人々の、己の生命の流れを守ろうとする意志。その一方女性が自身を守り子供達を守る事。更に男性が女性と子供達を守る事。更に社会が家族を大事にし守る事。この全ての防壁が決壊しつつある、日本の生活空間。経済的に困窮すると心に余裕が無くなるのは自明の理。個人がそして家族を含め、公正公平さを失い教条化し硬直化した組織の犠牲となりつつある。皆さん、もっと大きく見ようではないか。家族も同様なのだが、日本全体が袋小路に追い込まれてしまっている事実があるのだ。そこで、日本の政府の従業員の皆様へ。このままでは日本は駄目になってしまうと言う危機感が心の中に生ずる事がきっとある筈だ。あなた方は日本の市民よりも世の中の大局観をお持ちの筈。今出世欲に駆られた爺婆となるか、単に何も言えないオペレータになるか、それとも未来を予見し危機を回避しなければ日本は駄目になるとの大局観を持って日本の屋台骨の内側から変化をもたらす様努力をするか、あなた方は今この3者の内どの立ち位置を取るかと言う所まで追いつめられているのである。この事実をしっかり認識しておく様喚起したい。

冬の、或る日曜日の昼下がりの日差し。ほのぼのと呑むミルクティー。クッキーをこれに浸して口の中に運びながら美味しさを実感するこの様な些細な時。でもその様に個人が幸せであると感じさせる時間がこの世から失せてしまった。心が満ち足りている営みの喪失。何故に男がいて女がいるのか。そして人間は一体何処へ行こうとしているのか?騒々しい日常生活からは全くもって考えつかない想いである。

6章での問いと独白:「生命の流れと言う"Ground rule"と、権力欲、金銭欲等の強欲と言う事の間の関係とは一体何なのか?Ground ruleに関与する事無く、憲法改正の御旗のもと自分達のイデオロギーの目指す理想郷を実現する為に祀り事を行っている面々。原理主義者と呼ばれても仕方がないのである。」

参考文献等
[1] 「日本の市民の皆様へ-その2, 」 阿修羅, http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/412.html
[2] 「マックス・ピカート」 ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88
[3] "Max Picard Quotes,"AZ Quotesのウエブより、https://www.azquotes.com/author/28210-Max_Picard
[4] 「イヴァン・イリイチ」、ウィキペディア、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%81
[5]「座右の銘データベース」、http://www.kokin.rr-livelife.net/post/post_meigen/post_meigen_253.html
[6] "And then so clear," アルバム"Another Day on Earth," Brian Eno,
https://www.youtube.com/watch?v=sLEgjBVtdhE
[7] 同じ曲で違った映像背景、"And then so clear," アルバム"Another Day on Earth," Brian Eno,
https://www.youtube.com/watch?v=lcK8_kKCsq8
[8] "And then so clear"の歌詞、https://genius.com/Brian-eno-and-then-so-clear-lyrics
[9] 梅原猛さんの平和思想、【私説・論説室から】、2019年1月21日、東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019012102000139.html
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7章 「こんな平成に誰がした。」 行為とその帰結。そして怒りと不安と希望と
少し前につれ合いとたわい無ない話をしていた。「平成生まれの若者は駄目だね。このままじゃ日本は駄目になる。こんな平成に誰がした!」彼女曰く「天皇皇后両陛下は素晴らしい人なのにね。」こんな感じだっただろうか。あなた自身「こんな平成に誰がした?」と自問する機会がこの30余年にあったのか?

簡単さ。こんな平成にしてしまった面々と、その連中を支持したりしていたからだし、「国政、我関せず。」選挙によってこの様な面々を排除しなかった行為と言う結果に今泣いている訳である。もっとも平成生まれの若者をオペレータにしてしまったのは昭和生まれの我々の責任でもあるが。平成の若者の気質を造り上げて来た我々も反省しなければならない。何故なら、何も考えない何も表現しない何事にも無関心なオペレータをゆとり教育を通じて創って行ったからである。すまぬ。だがもうすぐ平成と言う激動の時代が閉じる。平成の終わりに当り、原理主義者と言う悪魔の様な怪物、八つもの頭を持つヤマタのオロチの様な勢力をこの元号の時代に封印閉じ込めておく方策を考え始めなければ。何と言っても希望を持って新しい元号を迎えないとこれから産まれて来る子供達の人生明るく始まらぬ。

以前の投稿で何回も言及しているが、「行為とその帰結」とは簡単に言うと: 或る行為を行った後にその結果として何かが起こると言う事。そしてそれはその結果の帰結の責任を伴う因果関係と言われる物の理。その責任を子供すら理解する自明の理なのだが現在の社会で多忙な生活と喧噪故にこの事実を心に留めておく事を我々大人は忘れてしまっている。例えば、将来において灼熱の太陽の下地球の温暖化に何ら行動を採らなかったと後悔しても、もう時既に遅し。と言う未来に起こりえる結果を、予見している時点で何を行うべきなのかと言う純粋に未来を見据えた行為が出来るかどうかの勇気('ethos')の「もと」を産み出す作業を個人個人そして社会全体で出来るかどうか、なのである。温暖化の問題は日本全体が世界全体がやらなければならない。将来悔恨の情を持って大泣きしたとしても時既に遅しなのである。この「行為とその帰結」において、ネガティブな見方からすると: 人間の物欲強欲とその帰結。軍国主義とその帰結。原発推進とその帰結。人権抑圧とその帰結。独裁政治とその帰結。原理主義に基づいた政治とその帰結。原子化した個人とオバカな人間の量産と、その帰結。一方ポジティブな見方からすると - 平和を謳う憲法の制定と国家の繁栄と言う帰結。愛と言う行為とその帰結としての新たな生命の誕生等。だが国力の衰えを目の当たりにし、皆個人個人日本が直面する「行為とその帰結」をどの様に肌で感じているのだろうか?

日本の女性市民の皆さん!「ああ、このままでは駄目だ」と言う感触、予感と不安が心の中に生ずる事が日常的にきっとある筈だ。色々な事に対し怒っているはずだ。その頻度は個人に由るだろう。暗くて孤独なここからの、出口の無い生活の閉塞感ではないか?このどうしょうも出来ない事に怒っているはず。例えば、この社会で人間らしく生きる権利が如何に大事な事なのかを子育てを通して理解されていると思います。しばらく前に「保育園落ちた日本死ね」という表現がTwitterで話題になりました。でも考え方によっては日本ではその様な風潮になっちゃうよなと思うのです。何故か。自由民主党を乗っ取っている勢力にとって自分達の教義に基づいた「女性は家庭で育児をするべき」という考え方を社会に広めようとしたい訳で今の社会の方向を、女性の立場を改善せず女性に家庭で育児をさせる様にプッシュする環境に方向付け、「女性が活躍できる社会」を目指すとか何とか言って女性の支援をしているフリをしていると思わざるを得ない社会状況なのです。再度言います。この第一章で何回が述べたが原理主義者達が国政を執り行っている訳で、彼らの教義の方向に向け、全ての国政の仕組みと日本の文化、市民の間の風潮を方向付けたいのです。このイデオロギーの流れはより良い暮らし向きをしたい世間が欲する流れに逆行しているので、自分達があたかも善政を行っているかの様なフリをして国政の守護人守り神として振る舞っている訳。原理主義者である事の本性を隠しているので本心は言わないし、やっている事やろうとしている事を隠しながら日本の社会を没落させている。それこそ言っている事とやっている事が真逆の、偽りだらけな日本と言う国の頂点に居座って旗ふりを行っている面々なのである。バブルの崩壊後の社会の波長を自分達の都合の良い様に合わせ込んで来ながら社会の変革に勤しんで来た原理主義者達。非常にスマートな連中である。メディアを使って彼らの理想とする文化の波長に沿って日本のEthos(風潮)を - 例えば人格破壊やヘイトを通して社会から寛容な心と愛する心を駆逐する様な善とは真逆なEthosへと導いて国体の変革を行っている事。その他に「何々の可能性がある」とか、「心肺停止」等の曖昧模糊とした表現を多用しストレートに事実を言い表す表現をメディアから消滅させ - 時間をかけて造り上げて来たからである。皆が皆何でストレートにものを言えない?現実を直視しない?そう!意識するしないに関わらず、原理主義者達が実践している個人の心を刺激する遠隔操作から自ら脱さなければならない時。これは即ちメディアをコントロールすると言う一つの行為。とその結果、帰結である。それは日本の市民をコントロール出来ると言う事実を見れば明かである。

幸せに生活している家庭が少なくなり、崩壊寸前な家族が増えて来ているこの理不尽な社会。何故か?民主主義の大原則とは発言しなければ、主張しなければ、何も得られないのである。確かに現在の日本の民主主義は米国から戦後に与えられた物であるのは周知の事実だ。戦後74年に渡って与えられた物を甘受して来た訳。民主主義とは少しづつ仕組みを良くする様な努力と社会を良い方向に持って行こうとする変革の希求、即ち政治に参加する行為とその結果と言う極めて簡単な図式を見れば、民主主義は勝ち取って来なければ失われてしまう仕組みなのである。が、たゆまぬ努力の積みで初めて進化し向上する社会習慣、社会制度である事を人々は忘れてしまった。世界中の民主主義の歴史を見渡せない故にこの社会制度がどうなろうともおかまい無しと脱力してしまっている昨今である。 この勝ち取ったのではなく与えられた民主主義が今不遜で強欲な原理主義者達により完全なる破壊に向かって追い込まれて来ている。判るだろうか?この事実に気が付かない事が日本の民主主義の最大な危機の原因なのである。極めて少数の人が曲がりなりにも日本に根付いて来た民主主義を根本からひっくり返すアーキテクチャーを設計、少数の周りの賛同者、機動部隊を啓蒙しその運動の支持者をイデオロギーに熱中させ平成と言う時代にその彼らの設計図を元にこの時代を変革して来た訳。一方日本の市民が戦後民主主義を進化させる様に努力して来なかった帰結が今ここにあり、この民主主義の崩壊を目撃しているのである。日本の社会の中で民主主義に対するコミットメントの重要性を子供達に学校を通して教育してこなかった結果を痛恨する人達はどれほどいるのか?殆どおるまい。

何故私が女性の市民にここにこの様に訴えるか?その理由は: 日本で政権交代が出来ないのは2つの同等な対の補完機能と言う考え方がこの社会に根付いていないから。日本に危機管理の思想が欠如するのはこの理由による。機能が同等の非常時用バックアップの機構が存在しないものだから危機に陥った時にパニックとなってしまう事。もっと大きな視点からすると - 男女の関係が補完的ではなく、主と従としてある訳で、これでは何時迄経っても男性が女性にセクハラする行為は無くならない。男性と女性が公平で平等に扱われる社会にならなければ政権交代は出来ない。が政権交代出来ないので男女間が平等にはならない。この当たり前な事を女性市民は理解して欲しい。男性が主で女性が従と言う閉鎖的教義的社会が其処まで迫っているのにも関わらず、社会全体で携帯電話を操作するオペレータを甘受。自分の生の置かれている状況に対する覚醒もなく、この八方塞がりの社会が、行き着く所まで行かないと判らない脳死状態。女性の市民の皆さんこのままで宜しいのでしょうか?

しかし今の世の中、何時から愛を表現する事の無い社会風潮となってしまったのか?男と女が素直にメスとオスとして愛情表現が出来なくなった社会。愛を尊重する社会としない社会の落差を痛感する日々。暖かい視線が溢れる社会と冷たい視線が満ちる社会。 今の社会の性差別や(性)暴力の不条理から己と己の子供達を守りながら、生きている女性市民。しかし期待を裏切る様に二つの真逆な社会の一方へ向かって日本全体で行進中である。この様な女性軽視の風潮。しかも女性のみならず男性をも奴隷の如くにこき使う社会制度。万人に保証された法の下の平等さえも無視されている実情。この「失われた20年」の間にいつの間にか人が人間らしく生きられる国でなくなってしまった日本。この原因を前章とこの章で長々説明して来た。今日の怒りと明日への不安が社会の風潮となってしまった。本来人々の生命の流れは希望なのであるが、それを囲い込まれて、窒息しそうな世の中。イデオロギーによって生きる権利を抑圧され、生命を軽んずる事が許される真っ暗なご時世。何時から愛を自然に表現する機会の無い社会となってしまったのか? 喧噪と言う世の風に飛ばされて愛なんて何処かへ消えてしまった。

人間が生命の流れが切り刻まれ、そして時が流れるのではなく切り刻まれもはや人は統一体としての個ではなくバラバラとなり、この世界が意味の在る物では無くなってしまった。何でこれほどまで分裂してしまったのか?時を切り刻みこの世界を切り刻み、そして世界を掘り尽くし、その結果産まれる事を選び何らかの理由を持ってこの世に生命として出て来た一人一人の人間達が、抑圧される為に殺される為に産まれて来たかの如くの人生を送ってしまっているこの世の不条理。過酷な自然から貰い受けた苦しみならまだ判る。この過酷な体制によって造り出されてしまった不条理に対する怒りはいったい何処へ行くのだろうか。

力を持つ者達(the establishment)の欲望が国家を滅ぼしかねず、人類を、生命を死滅させかねない所まで来ているのである。あなたはこの産まれて来た世界が悪くなって行くのを黙って見ていられるのだろうか?不条理は人間が、そして人間が造り上げた組織、体制、機構、仕組みが造り出した「こと」、「もの」なのである。だから人間が造り出した悪い所は直して行く習慣を保持する事を心がけねばならない。もし大統領が首相が何かのグループの代弁者だったら政治はどの様になるか。今皆さんその帰結を目撃しているのではないか?それは社会から公正公平が消え失せてしまう政治が行われる訳。この世の不条理を根絶するために生命の意義と意味を問い続けなければなるまい。

日本のみならず世界中で脈々と続く生命の流れを邪魔し囲い込みその消滅を加速する原子化した人間達。だがその風潮に抗った人々がいた。その例を挙げよう。それを考える時何時も、表現者を抑圧した東ドイツと言う国家を飲み込んだ西ドイツの事を思うのである。核兵器の使用と人類滅亡の可能性。それに抵抗する善なる'Ethos'、即ちそれは生命を守る事、子供達を守る事、生存への希求への声が、1970年代なかから1980年代なか位にヨーロッパ全土であがった。例えば核兵器が使用されるであろう最前線である西ドイツのベルリンで1983年に60万人の人々が核兵器に反対する行動を起こしている。"A 1983 nuclear weapons protest in West Berlin had about 600,000 participants."[1] この様な生命の流れを消滅させる事に抵抗する人々の心を揺さぶる運動がヨーロッパで発生した事を覚えている年配の方々もいるだろう。生命の滅びに当ってそれに全てに無関心な人々を覚醒させるethosの流れ。核戦争による人類滅亡の可能性の予見を。更に続いて自由への希求を渇望する東ヨーロッパの人々と、抑圧された同胞を自由に向けて解き放つ様に努力した西ヨーロッパの人々により、1989年ベルリンの壁が打ち倒されたれた訳である。[2],[3],[4],[5] 核兵器廃絶への願いを込めた行進や自由を求める行進を見れば女性の力を後押しサポートする様な男性市民の理解があったはず。生命の流れを邪魔する物は核兵器だけではないのはお判りだろう。その流れの結果として今全世界の中でEUとヨーロッパ大陸に比較的善政が敷かれているのだと思う。社会に積極的に関わり良くして行こうと言う気持ちと行動の積み重ねが如何に大切なのかと言う例。それは地平遥か先に見えるオープンで公正な社会と言う理想へと向かって進んで行く、或は其処に辿り着きたい気持ちを駆り立てる事で成就する。ベルリンの壁を彼らが倒したと同じ様に生きている空間をゆがめ複雑化し、生命の流れの邪魔をする日本の社会の不条理の壁が倒せるのか。このヨーロッパでおこった事実は別世界での出来事なのであろうか?それとも手に届く現実なのであろうか?

「一連の投稿の最後にあたり」
この投稿を私の友人達を含め、今も東日本大震災の後遺症と格闘しながら生きている方々に捧げたい。一人のお父さんとして出来る事を精一杯やったつもりだ。父として今の不条理に満ちた社会に抗う事が出来ればと思い立ち、文章を書く事位しか能が無いものだからこの阿修羅と言うウェブをお借りして2011年冬より「日本の市民の皆様へ」と言うシリーズの投稿を行って来た。この最後の一連の投稿が日本の不条理に満ちた社会を変える小さな起爆剤となる様な幸運に巡り会えたらと思っている。

本当に大事なのだが皆忘れてしまっている事がある。それは:「チャンスは前からしかやって来ない。眼を見開いてそれをその時に掴まないと。何故ならチャンスは決してあなたを追いかける事は無い」のである。再度喚起しておく。今日本の社会に蔓延するEthosは無責任無関心無気力と脱力である。それはどう言う事かと言うとサバイバルする、生きる力が無いと言う事。これは"A watching kettle never boils"と言う英語の言い回しを見れば判る。「ヤカンを見ていてもお湯なんか沸かないさ」と言う事。お湯をわかすにはヤカンを火にかけなれればならない事が判らない訳。とても簡単な事なのに。どうして皆さんこの様に他力本願になってしまったのでしょうか?原理主義者達は平成と言う時代静かにチャンスを掴んでそれを積み重ねて国体の変革を行って来たと言う事実。彼らを昭和と言う、産まれて来た所に押し返し平成と言う時代に封印する事を火急に実行し始めなければならぬ。平成の時代に「腐敗した政治が執り行われていた」と将来振り返って見られる様、民主主義勢力が決して分裂せずに原理主義を世の中から駆逐する努力続けなければならない。でもこれを成就するにはかなりの歳月必要なのである。

物欲や思想イデオロギーに強欲な面々の、強欲な面々による、強欲な面々の為の政治が行われている現代の日本。これに対してきっぱりとNoを突きつけねばなるまい。そうする為には何を行わなければならないのか?何を成すべきなのか?それは何かと言うと、「これから産まれて来る生命にとって意味のある社会」の現実へ向かって行動する事なのである。これは人間の顔を持った政治がなす結果と言う事。断言しておこう。しらけているのがcoolではない。日本の社会の問題は自分の生命の流れの死活問題だと自覚して、実際に表現の自由と言う権利を実行に移す時なのです。あなたの希望への希求の願いを込めて。

「さあ、世直しの為に投票へ行こう。」そしてより良き政治、善政に向けた流れに参加しよう。将来を予見しようと努力する人々にとって、政治に参加する事は知的な興奮であり楽しみなのである。政治が楽しければ日本の民主主義の未来は明るい。そして志ある政治家よ、本当に投票に値する入れ物を用意しておいてくれ。
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しかし...しかし...それだけの覚悟では残念ながら日本の社会が開かれたものとなり、人間の顔を持つ様になるには全くと言ってよい程非力なのである。何故か?皆さん大きく見て何故かと考えてみて下さい。今までのこの一括投稿の文章を読むにつれ自分なりに日本の社会を大きく見る努力をしているかと思います。以下小生の個人的な意見とお断りしておく。

私が義務教育を受けていた時に学校で教わった事である。「昭和と言う時代の軍国主義は忌み嫌われるべき事」であった。それは軍事国家主義であり、国家主義と言う名のもとに上から下へのトップダウン手法即ち命令、懲罰、恐怖や同調圧力によって社会統制が行われている訳。がんじがらめの社会と言えよう。その国家体制「権威主義に基づいた社会」は個性を人権を抑圧し必然的に息詰まる社会となる。

「権威主義に基づいた社会」をまず社会の上層部から下層部へと見る:
* 時代をそして富を所有する強欲者達 (命を粗末に駒として使うブラック企業や国家。暗黒時代の日本を思い出して見よ)
* 社員を所有する社長
* 家族を所有する家長
* 性を所有する夫
今の日本の「権威主義に基づいた社会」においては命令の強要が上から下まで行き届く。その一部の会社も地方自治体も活気が失せ、物を言わない言えない奴隷となって人間としては死んでしまっている。持ち論責任なんて死んでいる人間なら負う必要は無い。民意を、投票を通して表さないから民意を汲み取らず無視する国体に近づいて来ている訳。

その一方「人間の顔を持った社会」を上から下まで眺めると:
* 時代を、富を共有する社会
* 社員の間で活力を共有し、その力を導き共有する社長
* 生(と時)を共有する家族
* 性を共有する夫婦
それは肥えた土に生える大きな木(国)に例えられよう。木が土を通して根っこから養分と水を吸い取って大きくなる様に、選挙を通して表された「民意」即ち「人々の意志」が下から一番上の国会迄伝わり、届く事。即ち国会が民意を汲み取りそれに耳を傾け、善政を執り行って行ける習慣と仕組み。この様な仕組みの下で木の葉っぱの隅々まで養分と水が行き渡り元気に育つ木の様に国も成長する。即ちそれが民主主義に基づいた「人間の顔を持った社会」と言う事。それはボトムアップの風通しの良い社会である。現代日本の社会情勢からこの様な社会情勢の流れへと変えようとの理想を持つ政治家がいるかもしれない。でもその様な考えかたを劇的に変えてくれ。上から下へ流れる政治の仕組みを下から上へ流れる政治の仕組みへと流れを180度逆転しなければこの希望を失った社会は変らないのである。判りますか?民意を、人々の意志を選挙を通して表さなければ政治は腐敗してしまう。腐りきった社会を生き生きとした状態に戻す事は非常に多くの市民が結集しそして志の或る政治家達と協力した上で、希望と言う風潮を地方の政治と国政に吹き込んだとしても、とても大変な時間のかかる作業なのである。まずその、上から下へと教義を伝達する政治からの決別を宣言し、180度逆転した流れを持った民意を憲章化して国政を民主主義体制に戻して行かなければならない。その過程で原理主義者は色々な手立てを用いて彼らの教義を押し通そうとするであろう事を予見しておいて欲しいものである。

再度記しておく。「生命の流れの邪魔をする日本の社会の不条理の壁が倒せるのか。このヨーロッパでおこった事実は別世界での出来事なのであろうか?それとも手に届く現実なのであろうか?」
===
参考文献等
[1] "Anti-nuclear movement," Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Anti-nuclear_movement
[2] 「ベルリンの壁、」ウィキペディア、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81
[3] "Nov. 10, 1989: Celebration at the Berlin Wall," Youtube,
https://www.youtube.com/watch?v=snsdDb7KDkg
[4] "The fall of the Berlin Wall in 1989," Youtube,
https://www.youtube.com/watch?v=zmRPP2WXX0U
[5] "1989: The Fall of The Berlin Wall," Youtube, https://www.youtube.com/watch?v=bQOoWw6oYzY

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/184.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」 













新元号公表 ライブ配信




安倍首相「新時代につながる新元号を」=官邸周辺、慌ただしく
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000028-jij-pol
時事通信 4/1(月) 9:24配信


報道陣の取材に応じる安倍晋三首相=1日午前、首相官邸

 「平成」に代わる新元号が決まる1日、首相官邸周辺は朝から慌ただしい空気に包まれた。

 安倍晋三首相は午前9時すぎに官邸に到着。待ち受けていた記者団に「気持ちの良い青空で、満開の桜がきれいだ。希望に満ちあふれた新しい時代につながるような新元号を決定したい」と語った。

 一連の手続きは午前9時半ごろ、山中伸弥京都大教授ら有識者9人でつくる「元号に関する懇談会」を皮切りに始まった。懇談会冒頭で菅義偉官房長官のあいさつはなく、出席者の前には紙と筆記用具が置かれていた。部屋の外は入室し切れなかった報道陣でごった返した。

 懇談会は約40分で終了。菅長官は「何案提示したかは言わないことになっている。一人一人それぞれ意見を言ってもらった」と記者団に述べた。この後、菅長官は約600メートル離れた衆院議長公邸に移り、衆参両院の正副議長からの意見聴取に臨んだ。車列を上空からヘリで追跡した放送局もあった。

 菅長官が官邸に戻った午前10時40分ごろには、全閣僚会議と閣議に出席するため、閣僚が続々と官邸に集結した。平井卓也科学技術担当相は「ちょっとドキドキ」。渡辺博道復興相は「すごく緊張している」と笑顔で語った。

 春の陽光が降り注ぐ中、静まりかえっていた官邸がにわかに活気づいてきたのは午前8時前。元号選定の事務を取り仕切る杉田和博官房副長官や古谷一之官房副長官補がまず官邸入りした。

 午前8時半すぎに着いた菅長官は「普段通りだよ」と記者団に語った。「一連の行事は滞りなく行えそうか」と問われると、「大丈夫でしょ」と余裕の表情を見せた。懇談会に先立ち、菅長官は横畠裕介内閣法制局長官と自室で打ち合わせした。1979年に定められた「元号選定手続き」に基づき、懇談会に示す新元号原案数個を選定したとみられる。

 懇談会に出席する有識者は午前9時前ごろから続々と集まり始めた。作家の林真理子氏は「厳粛な気持ちで。緊張して」と語り、榊原定征前経団連会長は「平和と社会の安寧、心の豊かさ。そういった元号が選ばれるといい」と話した。 



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 野党が「改革イメージ」をつくれなければ、参院選後も"安倍一強"のままだ!(週プレNEWS)
野党が「改革イメージ」をつくれなければ、参院選後も"安倍一強"のままだ!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190329-01085110-playboyz-pol
週プレNEWS 3/29(金) 6:00配信


「特に野党第1党の立憲・枝野幸男代表には、自公政権が決してまねできない『大改革』の政策提言を有権者に示してほしい」と語る古賀茂明氏


『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏が、4月の統一地方選を前に野党に提言する。

* * *

統一地方選を前に、安倍政権の支持率が底堅い。毎日新聞の最新調査によれば、内閣支持率は39%。不支持率が41%と上回ったものの、依然として3割から4割をキープしている。

安倍政権の支持率には特徴がある。支持率が下がるのはだいたい国会中だ。悪評を買う政策のゴリ押しやさまざまなスキャンダルで一度はガクンと下がる。

しかし、そのままつるべ落としになることはない。安倍首相は、のらりくらりと野党の追及をかわし、国会が終わるとじりじりと支持率を持ち直す。そんなパターンがここ数年繰り返されている。

なぜ、安倍政権の支持率は大崩れしないのか?

ひとつは、大手マスコミの動向に関係がある。例えば、新聞は朝日、毎日、東京が政権批判を展開し、読売、日経、産経は擁護または静観の論陣を張る。そのため、反安倍のプレスがしゃかりきになって政権批判をしても、全体としてはマスコミ論調の2分の1にしかならない。 

ただ、マスコミが親安倍と反安倍に二分されて政権批判が相対化される状況は、政権支持が底堅い理由の一要素にすぎない。

最も決定的なのは野党に「改革イメージ」がないことだ。野党は暴走する安倍政権のブレーキ役に終始し、日本を改革する運転手役としての役割は期待されていない。多くの有権者は野党に対して「アンチ改革イメージ」すら抱いている状況だ。

一方の安倍政権は森友・加計(かけ)など、多くのスキャンダルを抱えながらも「アベノミクス」や「一億総活躍」などのフレーズを連呼し、常に改革にチャレンジし続けているという印象を演出することに成功してきた。

有権者が安倍内閣を支持する理由として、「ほかの内閣よりよさそうだから」という項目が不動の1位を保っているが、これは、有権者が野党政権になると安倍政権よりひどくなると思っているということだ。

国会に目を転じると、野党第1党の立憲民主党をはじめとして野党は相変わらず、統計不正問題などで政権追及に力を注いでいる。国民が熱烈に支持する政策をぶち上げて自公政権と激論を交わすという見せ場もなく、改革イメージは皆無である。

そんな野党に国民が票を投じることはない。このままだと4月の統一地方選、そして7月の参院選は自公政権の勝利で終わる公算が大だ。

ただ、野党でひとつだけ改革イメージを維持している政党がある。日本維新の会だ。地元・大阪でのクロス首長選の評判は芳しくないが、一方のリベラル野党陣営も独自候補擁立ができず、カジノ推進の自民候補を推す始末だ。

政治資金の透明化など、「身を切る改革100法案」をぶち上げ、それなりの改革イメージを維持する維新とは対照的に、若者の間では、リベラル野党は守旧派というイメージさえ定着しつつある。

このままだと維新は統一地方選や衆院大阪12区の補選で善戦するかもしれない。そうなれば、前回の本コラムで指摘したように、橋下徹元大阪府知事の国政進出、野党再編という波乱の局面もありうる。

だが、今からでも遅くはない。ほかの野党も改革イメージの醸成に力を入れるべきだ。特に野党第1党の立憲・枝野幸男代表には、自公政権が決してまねできない「大改革」の政策提言を有権者に示してほしい。

●古賀茂明(こが・しげあき)1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して11年に退官。『日本中枢の狂謀』(講談社)など著書多数。ウェブサイト『DMMオンラインサロン』にて動画「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」を配信中



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/186.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 「新元号」でマスコミが報道しない元号のイデオロギー的本質! 元号強制は日本会議前身団体の圧力の結果だった(リテラ)
「新元号」でマスコミが報道しない元号のイデオロギー的本質! 元号強制は日本会議前身団体の圧力の結果だった
https://lite-ra.com/2019/04/post-4637.html
2019.04.01 「新元号」狂騒曲のマスコミが報道しない元号の真実! リテラ

   
   元号を私物化した安倍首相だが…(首相官邸HPより)

 いよいよ本日、新元号が発表される。この間、あらゆるメディアが連日のように元号予想やアンケートを実施。狂騒曲とも言えるような報道を繰り広げてきた。そして、きょうも元号発表に向け、各局が大型特番を組んでいる。NHKは朝ドラ後の8時15分からすでに、3時間に及ぶ大型特番の放送が始まっている。しかも、スタジオ解説に、宮内庁担当だけでなく、なぜか安倍御用記者の岩田明氏子まで起用する始末。この間、本サイトは安倍首相の元号私物化の動きを指摘してきたが、“安倍様のNHK”がそれを証明したと言えるだろう(ちなみに『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でも、御用ジャーナリスト・田崎史郎氏が解説)。

 しかし、今回の元号については、この安倍首相の私物化以外に、マスコミが一切報じなかった本質的な問題を指摘しておくべきだろう。それは元号が本当に必要なのか、という問題だ。

 現実的に考えて、元号は非常に不合理だ。日本の官公庁や公的機関の書類は、基本的には元号表記であり、公的には元号使用が強制されている。しかし、元号は国際社会にはまったく通用しないうえ、日本国内でも西暦が完全に定着し、国民生活では西暦が中心になっている。そのため、ことあるごとに元号表記を西暦に、あるいは西暦を元号に換算する必要が出てくる。

 しかも、改元にあたっては当然、政府や民間のデータベースやシステムを「平成」から新元号に刷新せねばならず、その対応には膨大な手間と費用を要する。さらに、問題なのは、元号が持つ意味だ。元号とは暦の一種で、歴史学では、支配者や指導者が空間(領土や民衆)のみならず時間をも手中におさめようとしてつくられたものと考えられている。代表的なのが中国であり、周知の通り、日本の元号も大陸から伝播したとされる。語源が『漢書』など中国の史書からとられていることは有名だ。

 右派は「元号は日本の伝統」などとしきりに口にするがようするに中国由来なのである。しかも、現在の一世一元、民間への元号強制は、明治から終戦までの天皇制国体イデオロギー体制の遺物でしかない。

『日本書紀』によると、孝徳天皇の「大化」(646年)が初めての公式な元号だとされる。元号は現在の「平成」まで北朝を入れると約250もつくられた。日本の天皇は明仁天皇で125代に数えられている。つまり、単純換算で元号は天皇の人数の2倍の数ある。

 なぜか。元号は、政治的混乱、飢饉や天災、その他諸々の理由をつけては頻繁に変えられていたからだ。大衆は必ずしも元号を身近に感じておらず、日常的には干支を使っていたといわれている。

 ところが、明治に入ってから、大日本帝国憲法および旧皇室典範(第12条「践祚の後元号を建て、一世の間に再び改めざること、明治元年の定制に従う」)によって一世一元が定められた。天皇を絶対的な権力として、大衆支配のイデオロギーの中心とする「国体思想」。そのなかにおいて改元は、まさに天皇の権勢をアピールするための重要なツールだったのである。

 では、こうした戦前の遺物がなぜ、今も公的な使用を強制されているのか。それこそ、まさに戦前体制を復活させようとする右派の圧力の結果に他ならない。

■戦前の天皇制や国体思想の復活を目論んだ元号法制化運動

 そもそも、明治以降、天皇制のイデオローグとして活用された元号は、第二次世界大戦での敗戦で、その法的根拠を失った。日本国憲法下の皇室典範に元号の定めが置かれなかったためだ。当然、こうした法的問題と、戦後の国際化の流れのなかで、「元号を使うのはもうやめて西暦に統一しようではないか」という廃止論も盛り上がった。そして、昭和天皇の高齢化に伴い、「昭和」の元号が終わりを迎える日が刻一刻と近づいていった。

 こうした流れに強い危機感を抱き、元号の法制化に邁進したのが、いまの日本会議に繋がる宗教右派・極右運動家たちだった。いま現在、元号は1979年施行の元号法によって法的な地位を得ているが、これは、彼ら極右運動体の“成果”であり、日本会議前史における大きな“成功体験”として刻まれているとされる。

 改めて説明しておくと、1997年結成の日本会議は、生長の家や神社本庁などの宗教右派が実質的に集結した「日本を守る会」(1974年結成)と「日本を守る国民会議」(1981年結成)が合わさって生まれたものである。後者はもともと、この元号法制化運動のための「元号法制化実現国民会議」が前身だ。そして、これらの団体の実働部隊が、現在でも日本会議の中心にいる右翼団体・日本青年協議会(日青協)だった。

 元号法制化運動が大きく動いた1977年、日青協が中心となって全国各地にキャラバン隊を派遣する。彼らは同年秋に各地の地方議会で元号法制化を求める決議を採択させる運動に熱心に取り組んだ。

 日本会議の機関誌「日本の息吹」2017年8月号で、同政策委員会代表の大原康夫・國學院大學名誉教授が「設立20年」をテーマにふりかえるところによれば、元号法制化地方議会決議運動は翌78年7月までに46都道府県、1632市町村(当時の3300市町村の過半数)で決議がなされた。大原氏はこう述べている。

〈地方議会決議を挙げ、中央・地方に全国的組織をつくるキャラバン隊派遣など啓蒙活動を行い、国会議員の会を組織していく。つまり、現在の日本会議の国民運動の骨格であるこの三本柱は、このときに形作られたのです〉

 実際、当時の日青協の機関紙「祖國と年」は、キャラバン隊の運動の詳細や、森喜朗ら政治家を招いた大規模集会の模様を写真付きで大々的に取り上げている。たとえば1979年11月発行の43号では、キャラバン隊の西日本隊長だった宮崎正治氏が憲法改正を見据えて「吾々の運動の大きな前進」「元号法成立による自信の表明」と胸を張っている。

■西暦使用論が浮上するたびに、右派勢力が立ちはだかってきた

 しかも彼らは、明らかに元号法の制定の先に、戦前の天皇制や国体思想の復活をみていた。

 生長の家系の出版社である日本教文社から1977年に刊行された『元号 いま問われているもの』という本がある。そのなかに竹内光則氏、佐藤憲三氏という日青協の運動家ふたりの対談(初出の「祖國と年」に加筆したもの)が収録されているのだが、そこでは「元号法制化の意味するもの」と題して、あけすけにこう語られている。

「元号法制化運動の一番根源的な問題は、天皇と国民の紐帯をより強化する、天皇の権威をより高からしめるというところに一番の眼目がある」
「われわれの元号法制化運動は、たんに元号を法制化したらそれで良いという単純な運動ではないわけですね。彼(引用者注:右翼思想研究でも知られる橋川文三氏のこと)が言う様に、『天皇制をとりまく付帯的な事実』としての元号とか、たとえば『神器』の問題とか、そういう戦後の象徴天皇制の下で無視もしくは軽視されて来た問題を復活せしめて行くことによって、『国体恢復』への『大きな流れ』をつくる運動なんだということが理解されなければならないと思うんです」

 その後も同様だった。国際化の流れのなかで「行政文書などでは西暦を使用すべき」という論が何度か浮上してきたのだが、そのたびに保守勢力が強く反発し、現在まで温存されてきた。たとえば1992年、政府の臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)の「世界の中の日本」部会では、報告原案に盛り込まれていた「行政文書での西暦併記」が最終報告書では消されていた。保守派や官僚の抵抗によって棚上げを余儀なくされたようだ。部会長を務めた稲盛和夫・京セラ会長(当時)は「私も併記に賛成だが、義務づけると国粋主義のような人がものを言い出して、かえって変なことになるかもしれない」と政治的な配慮を認めたという(朝日新聞1992年5月23日付)。

 いずれにしても、わたしたちが、なんとなく受け入れてしまっている元号は、戦前日本の天皇制と国体思想、すなわち民衆を戦争に駆り立てた狂気の思想の復活を目指す勢力の圧力によって維持されてきたのだ。

 ところが、マスコミは今回の改元にあたってもそのイデオロギー的部分にはまるでふれず、冒頭で指摘したような元号予想やアンケートでお祭り騒ぎを繰り広げている。それどころか、元号を推し進めてきた右派勢力の親玉である安倍首相の元号利用を後押しする始末だ。

 この状況をみるかぎり、少なくともこの国は着々と戦前に回帰しつつあるということだろう。

(宮島みつや)




















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/187.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 陸自宮古島駐屯地の「保管庫」実は“ミサイル弾薬庫”だった(日刊ゲンダイ)

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陸自宮古島駐屯地の「保管庫」実は“ミサイル弾薬庫”だった
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250903
2019/04/01 日刊ゲンダイ


航空自衛隊宮古島分屯基地(C)共同通信社

 沖縄県宮古島市に先月新設された陸上自衛隊駐屯地に弾薬庫が設けられ、中距離多目的誘導弾(ミサイル)や迫撃砲などが配備されることが分かった。1日の東京新聞が報じた。

 宮古島駐屯地は3月26日に開設され、敷地面積は約22ヘクタール。警備部隊380人が配置された。

 防衛省は2015年、陸自駐屯地開設を地元に打診したが、周辺自治会は翌年に相次いで配備反対を決議。これに対して同省は「火薬庫を整備する計画はない」と表明。沖縄防衛局は地元自治会への3回の説明会で「弾薬庫は造らない。小銃などの小火器を入れる保管庫を置くだけだ」などと繰り返していた。

 今回の弾薬庫設置発覚に、住民らは「政府はミサイル基地を造るためにウソをつき、住民をだました」とカンカンだが、同省は「説明が不十分だった。住民から要望があれば説明する」と開き直り。

 安倍政権の常套句だが、ウソをついても「説明が不十分」で言い逃れられるなら、世の中に詐欺師はいなくなる。



防衛省、設計図と異なる説明 宮古島に弾薬庫
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201904/CK2019040102000126.html
2019年4月1日 東京新聞


弾薬庫そのものは盛り土で覆われて見えず、上には監視用のテントがある。右端の白い建物は保管庫=清水早子さん提供

 三月に開設したばかりの沖縄県・宮古島の陸上自衛隊駐屯地。島民に事前説明のなかった弾薬庫が設置されていたことが発覚した。中距離多目的誘導弾などの弾薬が配備されるのにもかかわらず、防衛省は「保管庫」と繰り返し、島民に示した「施設整備概要図」では、弾薬庫を実際よりも小さく描いていた。 (望月衣塑子)

 「保管庫にしてはあまりにも大きい。弾薬庫なのではないか」。島民有志が沖縄防衛局に開催を要求した那覇市でのヒアリングを翌日に控えた昨年十二月二日、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の清水早子(はやこ)事務局長(70)は、資料を分析しながらハッと気付いた。


富士総合火力演習で発射される中距離多目的誘導弾=静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場で

 防衛局が住民説明会で配布した「施設整備概要図」には、「保管庫」と記された建物が二つあった。いずれも、隣接する「事務所」とほぼ同じサイズだった。

 ところが、清水さんらが昨秋に独自ルートで入手した工事業者の設計図では、二つの「保管庫」の面積が異なっていた。一つは四メートル四方だったが、もう一つは五十四メートル×五十三メートルと約百八十倍もあった。

 「施設整備概要図」の完成イメージ図を改めて見ると、「保管庫」の場所には四角すい状のものが確認された。韓国や沖縄本島の米軍基地で見た弾薬庫とそっくりだった。実際、工事が進むと、弾薬庫を覆ったとみられる盛り土が現れ、入り口らしき場所の外には、爆発した際に被害を食い止める土堤も築かれた。



 清水さんらは那覇市でのヒアリングでも、その二日後の東京・参院議員会館での防衛省職員からのヒアリングでも「弾薬庫でないのか」と追及したが、防衛省側は「自動小銃などの小火器を入れる保管庫で弾薬庫とは違う」と言い張った。

 しかし、駐屯地の発足式から三日後の三月二十九日、防衛省は取材に「小さい方は発炎筒や導火線などを入れる保管庫だが、もう一つは誘導弾などの弾薬を詰め、周りをコンクリートで覆い、盛り土をする弾薬庫だ」と明確に認めた。

 清水さんは「事実を隠し、虚偽説明を続けたのは許せない。弾薬庫のすぐ横には給油所があり、百メートルほど離れた場所には民家がある。非常に危険だ」と憤る。

 地元の市民グループ「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」共同代表の石嶺香織さん(38)は「防衛省は、住民に事実を明らかにして説明する義務がある。『住民を守る』と言いながら、実際は安心できない生活環境を押し付けている。沖縄戦の記憶から、弾薬庫が真っ先に攻撃されるのは明らか。再び島が標的にされる」と訴える。

 駐屯地周辺の野原(のばる)自治会が配備反対から事実上の容認に転じた際の会長だった平良信男さん(57)は「防衛局は発射装置だけで弾薬は一切置かないと説明し、自治会も容認に転じたが、話が全然違う。防衛局は島民にうそをつき続けた」と悔しがる。

 同自治会の仲里千江美さん(68)は「政府は何度も『沖縄の基地負担軽減』を繰り返すが、宮古島では、島民の基地負担はますます重くなっている。政府がやってるのはいじめそのものだ」と非難した。

























http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/188.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和(れいわ)」日本の古典に基づくのは初めて(日刊ゲンダイ) 
 


新元号は「令和(れいわ)」日本の古典に基づくのは初めて
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250952
2019/04/01 日刊ゲンダイ


新元号「令和」を発表する菅官房長官(談話を会見する安倍首相=右)/(C)共同通信社

 政府はきょう(1日)、新たな元号を「令和」と決めた。

 出典は7世紀から8世紀後半ごろにかけて編纂された日本最古の歌集「万葉集」で、日本の古典に基づく元号は初めて。5月1日の新天皇が即位されるのに合わせ同日午前0時に元号が改まる。

 新元号は645年の「大化」以来、248番目。これまで日本の元号の由来は確認できる限り全て中国古典(漢籍)で、日本古典(国書)はなかった。

「令和」は、万葉集の〈梅花の歌三十二首〉の序文にある〈初春令月、気淑風和〉=初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす(書き下し文)から引用した。

 1989年1月に始まった平成は、天皇陛下が退位される4月30日に幕を閉じる。国民生活への影響を抑えるとして、改元1カ月前の発表となった。

 政府は1日午前、有識者でつくる「元号に関する懇談会」を開き、新元号を含む5つの原案を示して意見を聴取。懇談会は約40分で終了。衆参両院正副議長からも意見を聞いた後、全閣僚会議で協議し、新元号を定める政令を閣議決定した。

 新元号を首相官邸で発表した菅義偉官房長官は午前11時40分、「広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくよう努めていきたい」と話した。

 この後、午後0時5分から安倍首相が会見し、「人々が美しく心を寄せ合う中、文化が育つという意味が込められている」と説明。

「日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継ぎ、日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいとの願いを込めた」と語った。

 政府は3月14日、国文学、漢文学、日本史学、東洋史学を専門とする学者の中から複数人に新元号の考案を依頼。@国民の理想としてふさわしい良い意味を持つA漢字2字B書きやすいC読みやすい――などの条件で絞り込んだ。

 さすがに新元号に「安」の字は入らなかった。

 ネットや各地のイベントなどで白熱していた新元号予想。「安倍首相の『安』の字が入るんじゃないか」などといった声が飛び交い、「安久」「安永」「安明」などが上位に挙がっていたが、ふたを開けてみれば「安」は落選。さすがに安倍もはばかられたのだろう。





















































http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/189.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 19年分交付金、自民が過去最高178億9491万 2位は国民民主党の54億621万円で、前年より1億6728万円減
国内政治ニュース(共同通信)2019年4月1日 / 17:53 / 22分前更新
19年分交付金、自民が過去最高
共同通信
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 総務省は1日、2019年分の政党交付金の配分額を決定し、自民党が178億9491万円で7年連続の首位となった。18年交付額から4億501万円増で、1995年の制度開始以降で最高額。2位は国民民主党の54億621万円で、前年より1億6728万円減らした。

 交付金の総額は317億7368万円で、年4回に分けて交付される。直近の15年国勢調査の人口に250円を掛けており、配分額は1月1日現在の所属国会議員数と直近の衆院選、過去2回の参院選の得票数に応じて決まる。

 3位は立憲民主党の32億3011万円。4位は公明党30億548万円。

【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/idJP2019040101002030?il=0
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/190.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 消費税10%の重税感、今の2%増しどころではない 世界各国で景気動向に異変、10月の消費税増税に再考の余地も  舛添要一
消費税10%の重税感、今の2%増しどころではない
世界各国で景気動向に異変、10月の消費税増税に再考の余地も
2019.3.30(土) 舛添 要一
参議院予算委員会での安倍首相(写真:つのだよしお/アフロ)
(舛添要一:国際政治学者)

 3月27日、一般会計総額101兆4571億円と初の100兆円を超える新年度予算が成立した。そこでは10月に予定されている消費税増税の対策費として、2兆280億円が計上されている。

 安倍政権下ではこれまで2度にわたり増税を延期しており、安倍首相も財務省も、今回こそは「三度目の正直」で10%への増税を実現したいところである。

 しかしながら、内外の情勢がそれを許すかどうか不透明な状況になってきている。

景気後退の前兆「逆イールド」が世界各国で
 3月25日、月曜日の東京株式市場で、日経平均株価は一時、715円を超える大幅な下落となった。終値は650円23銭安の2万0997円11銭だった。2万1000円割れは約1カ月半ぶりのことである。世界経済減速への懸念から、22日金曜日のニューヨーク株式市場で大幅安になったことを受けての週明けの動きであった。

 FRB(連邦準備制度理事会)は、3月20日にFOMC(連邦公開市場委員会)を開き、主要政策金利を年2.25〜2.5%に据え置き、年内は利上げをしない方針を決めた。個人消費や設備投資が減速していることから、景気の現状判断を「底堅く拡大」から「成長が鈍化」に引き下げたからである。

トランプ氏、FRB議長に「少しも満足していない」
トランプ大統領(左)は、これまで政策金利を段階的に引き上げてきたFRBに批判的だったが・・・。写真は、2017年11月、FRB次期議長に、ジェローム・パウエル議長氏の指名を発表した際のもの(2017年11月2日撮影、資料写真)。(c)AFP/SAUL LOEB〔AFPBB News〕

 この政策転換で、ドル売り・円買いが進み、25日の東京外国為替市場で円相場は一時1ドル=109円台後半に値上がりした。これは輸出企業にとって厳しい。東証では、この円高ドル安リスクもあって、特に輸出関連銘柄で売り注文が広がった。

 株式市場の急落の背景には、景気後退の前兆とされる金利の長短逆転現象(逆イールド)がアメリカで起きたことがある。米国債10年物の利回りが、3カ月物のそれを11年半ぶりに下回ったのである。この逆イールドは、過去30年で3度起こっているが、いずれの場合も景気後退局面で発生している。たとえば、2005〜2007年の逆イールドの後、2008年9月のリーマン・ショックが起こっている。

 逆イールドは、アメリカのみならず、カナダ、メキシコ、中国、トルコに広がっている。まだ先行きは不透明であるが、投資家の心理を冷やしている。

景気判断が3年ぶりの下方修正
 日本に目を転じると、政府が20日に発表した3月の月例経済報告では、景気判断が3年ぶりに下方修正された。具体的には、「穏やかに回復している」という前月までの表現は維持したまま、「このところ輸出や生産の一部に弱さもみられる」という文言を付け加えたのだ。米中貿易摩擦による「中国経済の減速」が大きく響いているためである。3月28日から、北京で米中閣僚級貿易交渉が1カ月ぶりに再開されたが、この摩擦の解決の目途はまだ立っていない。

 個人消費や設備投資については、今のところは堅調だが、消費税増税で個人消費が落ち込めば、景気後退に拍車をかける可能性が高くなってくる。

 マスコミの世論調査を見ても、景気への懸念が広まっていることが分かる。朝日新聞の調査(3月16〜17日に実施)では、景気の実感として「景気が悪くなった」が49%、「そうは思わない」が41%であり、10月の消費税増税に「賛成」が38%、「反対」が55%だ。

 産経新聞FNN世論調査(3月16〜17日に実施)では、景気回復の「実感がある」9.8%、「実感はない」83.7%、消費税増税に「賛成」41.0%、「反対」53.5%である。

 また時事通信世論調査(2月8〜11日に実施)では、生活にゆとりを「感じている」が6.9%、「どちらかと言えば感じている」が32.9%の計39.8%に対して、「感じていない」21.4%、「どちらかと言えば感じていない」37.1%の計58.5%(前年比3.0%増)。また、消費税引き上げで家計の支出を見直すかという質問には、「見直す」が57.2%、「見直さない」が37.2%であり、具体的な見直す内容は、「食費」が59.4%、「外食、旅行などの娯楽費」が39.5%、「水道光熱費」が37.6%、「携帯電話やインターネットなどの通信費」が31.2%、「衣料品や宝飾品の購入費」が31.0%であった。

 消費者の心理が冷え込み出しているのがよく分かる。それでもまだ個人消費や設備投資が盛んなので現在はよいのだが、これから先、米中経済摩擦が内需にまで影を落とすようになると、「穏やかに回復している」という文言の削除が現実のものとなる。その場合には、消費税増税の延期は避けられなくなる可能性がある。

 消費税率8%と10%との差は、わずか2%であるが、しかし、心理的なインパクトは非常に大きい。第一に、二桁になる。第二に、価格の1割というのは計算が簡単な分だけ、消費の段階で重税感が増すのだ。たとえば、1万3750円の買い物をすれば、消費税は1375円になるとすぐ暗算できる。これが、8%の場合だと、電卓でも使わなければ1100円という税額はすぐに出てこない。従来の8%と比較すれば、1割という消費税率が消費を抑制する効果は、2%の税率との差以上になると考えたほうがよい。

 先の世論調査を見れば、景気回復を実感していない人が大半なのだから、消費税増税時にお金の使い方を見直す人々は増えるだろう。つまり10月以降、消費の落ち込みは激しくなることが予想される。個人消費はGDPの6割を占めているため、政府はポイント還元、軽減税率など様々な対策を準備しているのだが、効果は未知数である。

消費増税延期なら衆参同日選挙か
 安倍首相は今のところ「増税延期」には否定的だが、そこにはリーマン・ショックのような大きな外因性の問題でも生じていないのに延期すれば、「アベノミクスが失敗した」と内外に宣言することになってしまうという心理も働いているのかも知れない。だが、増税ショックによる日本経済の失速を回避するためには、当然ながら「延期」も必要な検討事項になる。

 日本では亥年の今年は12年に一度の「選挙イヤー」で、この春の統一地方選挙の後は、参議院選挙が控えている。それだけに、消費税増税延期を決めるにしても日程的に窮屈ではあるし、増税対策を組み込んだ新年度予算もすでに確定してしまっている。

 もちろん予定通りに増税を実施できればそれが一番よいのだが、景気減速リスクがさらに高まった場合は、決断が必要になるかもしれない。であれば、「増税延期」を掲げて衆参同日選挙で国民に信を問うという選択肢が現実味を帯びてくるのである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55942
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/191.html

記事 [政治・選挙・NHK259] <新元号>外国人記者「安っぽくなくて良かった」(田中龍作ジャーナル)
【新元号】外国人記者「安っぽくなくて良かった」
http://tanakaryusaku.jp/2019/04/00019886
2019年4月1日 14:30 田中龍作ジャーナル


新元号発表を古代史の専門家と共に見つめる各国の記者たち。=1日、日本外国特派員協会パブリックビューイング 撮影:田中龍作=

 きょう政府が新元号「令和」を発表した。田中は日本外国特派員協会に設けられたパブリックビューイングで各国の記者と共に新元号の発表を見届けた。外国人記者たちは日本の記者と違って、安倍政権の皇室利用について批判的な視点を持っていた。

 日本在住30年に及ぶ米国人記者は、新元号発表の速報をモニターで見ながらあきれ顔でコメントした。

 「さすがは日本会議の安倍政権。令和とは平和を命じるという意味。治安維持法だと長いので縮めて令和。これひどい名前。命令を守れば和は保てるということ。人種差別が得意な政権だから、日本人は命令に従えば平和ということ」。

 新元号に『安』の字が入らなかったことについては「安っぽくなくて良かった」と洒落た。


外国人記者たちは官房長官による新元号発表を冷厳な目で見ていた。日本人記者のように官邸の宣伝係をしたりしない。=1日、日本外国特派員協会パブリックビューイング 撮影:田中龍作=

 シンガポールの記者は、今回の新元号狂騒曲を冷静に捉えていた。

 「平成は意味が分かりやすいが、令和は意味が分かりにくい。安倍総理の安という文字が新元号に入るかもしれないという話は聞いたことがある。『安』の字が入らなかったのはよかった。皇室は政治システムに関与すべきではないからだ。安倍はレガシーを残したがっていたが、(日本社会が)受け入れがたかったのではないかと思う」。

 元号法制定(1979年)の制定には日本会議が大きく関わっている。今回、初めて漢籍ではなく日本の「万葉集」から引用されたことも国粋主義的と言えよう。

 「総理、出典は中国からではなく、我が国の古典からにしましょう」と制定委員会のだれかが忖度 して言ったのではないか。いかにも安倍政権らしい元号制定劇だった。

 冗談はエイプリルフールだけにしてほしいものだ。


「R・E・I・ W・ A」と声に出しながら新元号を書き留めるベテラン記者。=1日、日本外国特派員協会パブリックビューイング 撮影:田中龍作=

  〜終わり〜















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/192.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 統計の基礎もわかっていない「専門家」が虐待を解決できるはずがない 
2019年4月1日

統計の基礎もわかっていない「専門家」が虐待を解決できるはずがない

[橘玲の日々刻々]

 以前、「あらゆる犯罪統計で幼児への虐待は義父と連れ子のあいだで起こりやすく、両親ともに実親だった場合に比べ、虐待数で10倍程度、幼い子どもが殺される危険性は数百倍とされている」と書いたところ、一部で「非科学的」「似非科学」との批判がありました。

 その根拠は厚生労働省所管の社会保障審議会専門委員会による報告(「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」第13次報告)で、「主たる加害者」の項目には「平成 27 年度に把握した心中以外の虐待死事例では、「実母」が 26 人(50.0%)と最も多く、次いで「実父」が 12人(23.1%)であった」と書かれています。主たる加害者が実父なら、「継子のリスクがはるかに大きい」ということはできません。

 私が参照したのは北米のデータで、進化心理学ではこれを、「長い進化の過程において、ヒトが血のつながらない子どもよりも血縁のある子どもを選り好みするようになったからだ」と説明します。これはきわめて強力なエビデンス(証拠)で、1980年代に提示されたときは(当然のことながら)物議をかもしましたが、現在に至るまで反証されていません。

 専門委員会の報告書が述べるように、実父が「主たる加害者」であればこの主張は真っ向から否定されます。「日本人だけが特別で、世界とはまったく別の進化を遂げてきた」ということになりますが、はたしてそんなことがあるのでしょうか。

 ここで、1000人からなる集団Aと、10人からなる集団Bを考えてみましょう。統計調査によると、集団Aでは虐待死が10件起こり、集団Bでは1件でした。これは10倍ものちがいですから、「主たる加害者」は集団Aとなります。

 さて、これのどこがおかしいかわかるでしょうか。

 統計学の初歩の初歩ですが、集団の大きさが異なる場合、それぞれを同じ大きさにしてから比較しなければなりません。これが「標準化」で、1000人あたりで見るならば、集団Bの虐待死は100件になって、集団A(10件)よりはるかに多いことがわかります(「虐待死の割合は集団Aが1%、集団Bは10%」といっても同じです)。

 具体的なデータを見ると、「心中以外の虐待死」の3歳以上では、実父による加害が6件に対して、「実母の交際相手」を含む血縁関係のない男性による加害は(疑義事例も入れて)計7件で、実数でも逆転しています。日本では実子と継子の割合は公表されていないようですが、血のつながらない男性と暮らす子どもより、実父と暮らす子どもの人数の方がはるかに多いことは明らかです。この2つの集団を標準化して比較すれば、日本においても、「虐待は義父と連れ子のあいだで起こりやすい」のはまちがいありません。

 不思議なのは「専門」委員会が、小学校高学年でも知っていそうな統計の基本を無視して虐待の「主たる加害者」を特定していることです。

 ゴミを入れればゴミしか出てこないのは当たり前です。データの分析が間違っているのに、どうやって虐待という深刻な問題を解決できるというのでしょうか。

 厚労省の「統計不正」が批判されていますが、「専門家」ですらこのありさまでは問題ははるかに深刻です。一省庁をバッシングすれば済むような話ではなく、この国における「専門」の意味から問い直す必要がありそうです。

参考:子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第13次報告)
『週刊プレイボーイ』2019年3月25日発売号に掲載

橘 玲(たちばな あきら)

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作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない?残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)。

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統計の基礎もわかっていない「専門家」が 虐待を解決できるはずがない [橘玲の日々刻々][2019.04.01]
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https://diamond.jp/articles/-/198573
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/193.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 元号騒ぎで統一地方選忘れさせる狙いが明白(植草一秀の『知られざる真実』)
元号騒ぎで統一地方選忘れさせる狙いが明白
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-00f7.html
2019年4月 1日 植草一秀の『知られざる真実』


エイプリルフールの4月1日、新元号が発表された。

これをメディアがお祭り騒ぎに仕立て上げている。

日本にはお祭り好きの人が多いから、多数の国民がメディアの誘導に乗せられている。

安倍内閣は政治日程から逆算して新元号発表、改元の日程を組み込んだと見られる。

今年は政治決戦の年。

統一地方選第一弾が4月7日に投開票日を迎える。

第二弾は4月21日が投開票日になるが、この日は大阪と沖縄の衆院補選も併せて実施される。

選挙の結果は投票総数のなかの多数票で決定される。

主権者全体の多数票ではない点がポイントだ。

政治権力を利権に結びつけている勢力は、ほぼ全員が選挙に行っている。

この勢力が選挙で勝つために必要なことは、それ以外の主権者が、できるだけ選挙に参加しないことだ。

選挙に関心を持たないでいてくれることが、この勢力の候補者の勝利をもたらす。

国政でいえば、主権者の4分の1が安倍自公支持者で、ほぼ全員が投票所に足を運んでいると考えられる。

それ以外の人には選挙に行って欲しくない。

これが彼らの本音である。

実際に、有権者の約半分が選挙に行かない。

投票所に足を運ぶ主権者の半分強が非自公に投票している。

これは彼らにとって脅威だが、その投票が分散すれば問題がない。

こんな状態が続いている。

主権者の4分の1の支持=投票で国会議席の7割を占有し、やりたい放題が実現している。

この「パラダイス状態」を維持したいというのが彼らの希望である。

選挙に関心を持ってもらっては困るのだ。

だから、NHKは選挙が近付くと、政治の話題をできるだけ遠ざける。

詐欺や芸能人の麻薬事案、そして、元号問題で報道時間を占有する。

大義名分が必要だから、改元や新元号発表などは恰好の素材なのだ。

人々の関心を政治からそらすこと。

4月末から5月にかけて10連休が創作された。

改元を5月1日にして、新元号を4月1日に発表する。

4月中は新元号ネタで時間を費やしても、説明がつく。

自公勢力の露出時間を可能な限り長く取る。

改元に伴う放送だから、説明をつけられる。

現に、統一地方選などどこかに吹き飛んだ感じである。

情勢調査を自公サイドに有利なかたちで報道しておけば、選挙で自公サイドが勝利しても辻褄が合う。

自公有利の情報が流れると、反自公陣営の主権者の多くが、「選挙に行っても意味がない」と考えて、選挙を放棄する。

その結果、投票率が下がり、自公サイドが勝利しやすくなる。

大阪で自公が反維新候補を擁立したのは「フェイク」であると考えられる。

反維新のスタンスから共産党も自公候補を自主支援していることは適正である。

維新政治にNOを突き付けるには、反維新側が一つにまとまる必要があるからだ。

しかし、権力側の御用メディアが、自公と共産が同じ候補を支援するのは矛盾であるとする見解を流布し、この点を踏まえて自公支持者が自公推薦候補の支援を躊躇しているとの情報を流す。

事実があり、それを報道しているのではないと考えられる。

報道が先にあり、この報道に合わせた行動が取られるように誘導しているだけなのだと思われる。

一番重要な消費税の問題などにメディアは触れようともしない。

準備を進めているから、消費税増税中止は問題が多いと、メディアが勝手に主張しているだけなのだ。

選挙の重要性に比べれば、元号問題など足下にも及ばない。

安倍政治NOの主権者が全員、選挙に参加することが最重要である。




http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/194.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」、元号でメディアはお祭り騒ぎ(まるこ姫の独り言)
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2019/04/post-f31f.html
2019.04.01


元号が「令和」と決まったそうで、テレビをつけてみたら安倍首相が会見をしていた。

この人、やけに血色がよく見える。頬っぺたピンク色(笑)

ひょっとしたら化粧をしているか?髪も切って来たし。


この会見場は、質問する方も答える方も原稿通りで、初めに質問通告をしてそれに応じて誰かが原稿を書き、安倍首相が読み上げるだけ。

自分の口で答えないから全然新鮮味がない。

今日は朝から、今日の新元号発表に向けてテレビはお祭り騒ぎ。


非国民と言われるかもしれないが、一通りチャンネルを変えてす
べての局が「新元号」だったのでテレビを消した。

別に私は反天皇でも反なんとかでもないが、しつこいほどの「新
元号」
ネタに見る気が失せる。

予想したって、当たる時もあれば当たらない時もある。

反対しても個人がどうこうできるレベルのものでもないし。


桜の開花宣言と同じで、当日になればわかるものをなぜその前に大騒ぎをするのだろう。

大体が、天皇陛下が退位することが決定し、皇太子が即位することになれば、いやでも「新元号」になる。

生前退位だからお目出度い話ではあるが、朝から晩まで、どの局も特番を組みどんちゃん騒ぎを繰り広げることを、どれだけの人が関心を持ってテレビを見るのだろう。

「新元号」を今日の有識者会議で決定するというが、こんなもの茶番の一種ですでに決定済みでしかない。

たかが何十分でその人たちが「新元号」を決めれられるわけがないし、事前に決定した元号をただ承認するだけの人達じゃないか。

何を大騒ぎして、有識者会議のメンバーにインタビューをする必要があるのだろう。

答えるわけがない。

いや最初から関わった訳ではないから分からない。

はっきり言ったら「やらせ」だよなぁ・・・・


しかも「新元号」と言っても私たち国民が選択したわけでもないし、上から与えられたものを有難がって使うだけに過ぎない。

「平成」がそうだった。

始め見た時は違和感がありまくりだったし、結構、不満を聞いた覚えがあるが、それでも使わざるを得ない。

今回の新元号だって、与えられたものを使用するだけの話で、そこまで朝から晩までこの話題でひっきりなしになる理由が分からない。

多分、ネトウヨから売国奴呼ばわりされるのだろうが、みなさまは、そんなに「新元号」の話を朝から晩まで大喜びでテレビにかじりつくのだろうか。

私だけがへそ曲がりで特異体質なんだろうか。

しかし、「令和」は古い時代へ逆戻りするかのような復古調だ。

「平成」は、やたら軽かったような印象しかないし。




http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/195.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 自民党は過去最高の179億円!有権者騙した交付金!  
自民党は過去最高の179億円!有権者騙した交付金!
https://85280384.at.webry.info/201904/article_9.html
2019/04/01 18:27 半歩前へ

▼自民党は過去最高の179億円!有権者騙した交付金!

 総務省は1日、2019年分の政党交付金の配分額を決定した。

 自民党が178億9491万円で7年連続の首位となった。18年交付額から4億501万円増で、1995年の制度開始以降で最高額。

 2位は国民民主党の54億621万円で、前年より1億6728万円減らした。3位は立憲民主党の32億3011万円。4位は公明党30億548万円。制度に反対の共産党はゼロ。

 交付金の総額は317億7368万円で、年4回に分けて交付される。直近の15年国勢調査の人口に250円を掛けており、配分額は1月1日現在の所属国会議員数と直近の衆院選、過去2回の参院選の得票数に応じて決まる。  (以上 共同通信)

************************

 これは企業献金をやめる代わりに国民にカネを出してもらおうとなって始まった。政治献金は廃止どころか、安倍政権になりますます活発で、大手企業と政権の癒着が進んだ。

 有権者を「たばかった」のだから、政党交付金は即刻中止すべきだ。二重取りは許されない。
















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/196.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 宮本岳志衆院議員を擁立 衆院大阪12区補選に無所属で (しんぶん赤旗)
2019年4月1日(月)
宮本岳志衆院議員を擁立
衆院大阪12区補選に無所属で
志位氏が発表

(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-04-01/2019040101_02_1.html


 日本共産党の志位和夫委員長は31日、遊説先の大阪市で記者会見し、衆院大阪12区の補欠選挙(9日告示・21日投票)に日本共産党の宮本岳志衆院議員(比例近畿ブロック)を無所属で擁立し、野党統一候補として勝利を目指すと発表しました。
 宮本議員は「大阪12区の補欠選挙は、沖縄3区と並んで市民と野党の共闘で『安倍政治さよなら』ののろしをあげる、野党共闘の命運がかかった選挙です。なんとしても勝たねばなりません」と決意を表明しました。すでに予定候補として活動していた吉井よし子氏は「今日を境に市民と野党の共闘は大きく前進する。私も『チーム宮本』の一員として全力を尽くす」と述べました。会見には穀田恵二選対委員長、柳利昭党大阪府委員長が同席しました。(宮本、吉井両氏の発言)


志位氏の発言

 一、4月21日投開票の衆院大阪12区補欠選挙に、宮本岳志衆議院議員を無所属候補として擁立し、必勝を期してたたかうことにしました。

 一、この間、わが党に対して、多くの市民のみなさんのなかから、「大阪12区でも市民と野党の共闘をつくり、安倍政権への審判を下したい」との強い期待の声が寄せられています。
 そうした状況のもとで、宮本岳志衆議院議員ご本人から、「衆院議員の職を辞して12区から挑戦したい」との申し出がなされました。
 党中央として、地元大阪の党組織と協議をし、宮本さんの勇気ある決断を正面から受け止め、候補者に擁立することにしました。
 12区補欠選挙の予定候補者として、わが党はすでに吉井よし子さんを決定し、活動を開始してきましたが、吉井さんとも相談し、吉井さんからも大賛成という意思が表明され、宮本さんに交代することにしました。

 一、こうした判断をした最大の理由は――これは宮本さんも同じ思いだと思いますが、大阪12区でも市民と野党の共闘を成功させ、「安倍政権に退場」の審判を下すためです。党公認とせずに無所属としたのも、広範な市民、議員、政党に、支援をしていただき、協力・連携・共闘を成功させるうえで、適切と考えたからです。
 党の現職の国会議員が、職を辞して小選挙区の選挙に挑戦するのは、わが党としては初めてのことです。公認候補として国会議員に当選した者が、無所属で挑戦するのも、わが党としては初めてのケースです。こういうチャレンジをすると決めたからには、党の総力をあげて勝利をつかみたいと決意しています。

 一、宮本岳志さんは、大阪選出の参議院議員として1期6年、衆議院議員として4期10年活躍してきました。その実力は最近の森友疑惑の追及をはじめ、内政・外交のあらゆる分野で試されずみです。市民と野党の共闘を前進させるうえでも大きな働きをしてきました。大阪府民のみなさんが安倍政権への審判を下すうえで、最良の候補者だと確信します。

 宮本さんを当選させるために、他の野党の皆さん、市民団体の皆さんに、可能な支援をしていただくことを心からお願いするものです。
 沖縄3区ではすでに市民と野党の統一候補――「オール沖縄」の候補者としてヤラともひろさんが勝利をめざして奮闘されています。大阪12区でも宮本岳志さんを市民と野党の統一候補にしていただき、力を合わせて勝利を勝ち取れるよう、熱いご支援を重ねて心から訴えるものです。


++++++++++++++++++++++++++++


31日の記者会見での日本共産党の宮本岳志衆院議員の決意表明と吉井よし子さんの発言(ともに要旨)は次のとおりです。


(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-04-01/2019040102_02_1.html


宮本岳志衆院議員の決意(要旨)

 「市民と野党の共闘で安倍政治に審判を」との熱い思いにこたえて3月22日に私の国会秘書であった吉井よし子さんが日本共産党の公認候補として立候補を決意されました。
 吉井さんは過去2回、衆院大阪12区の選挙を候補者としてたたかわれた方であり、私は吉井よし子さんが日本共産党の候補者として最適な方であると確信し、吉井さんの高いご決意に、心から感謝し、頭が下がる思いでありました。
 しかし同時に、この大阪12区の選挙は、沖縄3区と並んで「市民と野党の共闘で『安倍政治さよなら』ののろしをあげる」という野党共闘の命運がかかった選挙です。なんとしても勝たなければなりません。
 現職議員である私自身が、「自ら退路を断ってでも、市民と野党の共闘の実現に挑むべきではないのか」という思いがふつふつと沸き起こっていたとき、穀田恵二選対委員長に思いを問われ、立候補の決意をお伝えいたしました。
 私は衆議院議員として、この4期10年を、日本共産党近畿ブロックの比例代表選出として活動してきたまぎれもない共産党議員です。しかし今回は、「アベ政治と対決」「維新政治にさよなら」という旗印に賛同される全てのみなさんの共同候補としてたたかわせていただくために、あえて無所属で立候補する決意を固めました。
 私は1998年の参議院選挙でこの大阪選挙区から初当選させていただいて以来、参議院議員時代には日本最大のサラ金会社の不正を暴き、会長を逮捕にまで追い込み、不当な高金利引き下げへの道筋をつけました。
 また、2009年の政権交代選挙で衆議院議員として国会に送り出していただいてからは、自民党政権が33年もの長きにわたって留保してきた、国際人権A規約の「高等教育の段階的無償化条項」を、民主党政権のもとでついに撤回させ、高等教育無償化への道を開きました。
 そして、一昨年2月12日衆議院財務金融委員会における森友問題の初追及以来、同じ大阪の辰巳孝太郎参院議員とともに、日本共産党「森友・加計問題追及チーム」の責任者として森友追及の先頭に立ってまいりました。
 くしくも一昨日、大阪第一検察審査会が、この佐川元理財局長らの公用文書毀棄(きき)容疑などに対する大阪地検特捜部の不起訴処分について、「不起訴不当」とする議決書を公表しました。この議決を受けて大阪地検の再捜査が始まりますが、当然、刑事責任は徹底解明されなければなりません。
 なぜ近畿財務局の職員が自ら尊い命を絶たねばならないような「公文書の改ざん」や廃棄が行われなければならなかったのか、その背景に「私や、妻や、安倍事務所が土地の売却に関係していたら、総理大臣も国会議員も辞める」という総理答弁があったことは、もはや明瞭です。
 しかし、安倍首相は責任を取ろうともせず、麻生財務大臣も居直ったままです。かくなる上は、国民の審判、選挙で決着をつける以外にありません。
 モリカケ疑惑追及でともに調査・ヒアリング、追及し、培ってきた野党の仲間たちとの連携を強めるとともに、5野党のみなさんに心から協力をお願いしたいと思います。
 また、森友追及やレオパレス21問題などで、ともに力を尽くしてくださっている市民団体や法律家、ジャーナリストや専門家の皆さまのご協力も心からお願いしたいと思っています。
 「市民と野党の共闘で安倍内閣に退場の審判を」。私は自らの退路を断って、この旗印を掲げてたたかい抜き、必ず勝利する決意です。
 この大阪12区の補欠選挙で、安倍政権の悪政と真正面から対決できる候補は私しかおりません。消費税の10%増税、不正・隠ぺい・改ざんの政治、憲法9条の改悪など、「安倍政治の暴走にストップを!」と願われるみなさん、どうか党派を超えて、私、宮本岳志に、その願いを託してくださいますように、心からお願い申し上げて立候補の決意といたします。


吉井氏の発言 (要旨)


 最初に今度の話を聞いたときは「私に最後までやらせてほしい」と思いました。しかし、宮本議員本人から、経過と決意、心のひだも聞いたとき、私の気持ちはすっかり切り替わりました。これは全力で宮本岳志さんを補佐しなければならない、と思いました。
 市民と野党の共闘は今日を境にさらに大きく前進すると思います。共闘の前進にわくわくするとともに、共闘を進める日本共産党ここにありという気持ちでいっぱいです。
 先日の記者会見で、私は4年間この目で国会をしっかり見てきたと述べました。しかし、それは秘書として宮本岳志さんの目を通してみてきたこともたくさんあります。私は本日で候補を退きますが、新しい「チーム宮本」としての任務があります。「宮本岳志さんを必ず国会へ送り返す」。この決意で今はいっぱいだし、その仕事ができる喜びでこの心はいっぱいになっています。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/197.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 露骨な新元号、新天皇の政治利用「令和」幕開けの異様<上>露骨すぎる安倍首相、官邸の元号セレモニー(日刊ゲンダイ)
 


露骨な新元号、新天皇の政治利用「令和」幕開けの異様<上>
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250953
2019/04/01 日刊ゲンダイ


元号も私物化(左は“平成おじさん”小渕官房長官=当時)/(C)共同通信社

正午に「首相談話」、ほぼ全局が生中継という異様な時代の幕開け

 どうして、この男がしゃしゃり出てくるのか。

 1日発表された「新元号」。「昭和」から「平成」に変わった時は、小渕官房長官が「平成」の墨書を掲げ、竹下首相の談話も代読した。今回もそれで十分だったはずだ。

 ところが、午前11時40分に菅官房長官が新元号を発表した後、わざわざ安倍首相が正午すぎに記者会見を開き、新時代の幕開けを告げる新元号への考え方や国民へのメッセージを発表した。

 さすがに、多くの国民は違和感と嫌悪感を覚えたに違いない。前例を踏襲し、官房長官に任せればいい話なのに、「手柄は誰にも渡さない」「晴れ舞台の主役は俺がやる」という、さもしい心根が透けて見えるからだ。

 小渕長官が「平成おじさん」と呼ばれて一躍有名になり歴史に名前を残したこともあって、政界では2月以降「安倍首相が自分で新元号の発表をしたがっているらしい」「いや、さすがに露骨すぎるだろう」という話が飛びかっていたが、結局、臆面もなく発表した形だ。

 しかも、国民の多くが注目するように正午というスケジュールを事前に公表し、リハーサルまで実施して新元号の墨書を入れた額縁の立てる方向まで確認する念の入れようである。一体この男は、国民のための新元号発表をなんだと思っているのか。

「これまで安倍首相は、モリカケ疑惑など、政治を私物化していると散々批判されてきました。とうとう、新元号の発表まで私物化している。新元号の発表は、官房長官が事務的に行えば済むことです。なのに、事前に日程まで公表し、一大セレモニーのようにショーアップしている。一番の問題は、皇室を政治利用していることです。新元号に便乗しているのは明らかでしょう。象徴天皇制では、天皇を政治利用しないということは大原則のはずです」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 平成は「失われた30年」だった。

 新時代は希望あふれる時代になって欲しいと国民の多くが願っている。

 ところが、自己陶酔型の安倍首相が「したり顔」で国民へメッセージを送り、それをテレビ局が一斉に生中継するのが新時代の幕開けなのだから薄気味悪い。敏感な国民は嫌な予感がしているのではないか。


新元号「令和」に関し、記者会見で談話を発表する安倍首相/(C)共同通信社

露骨すぎる安倍首相、官邸の元号セレモニー

 官房長官から「手柄」を横取りしてまで、安倍首相が新元号を発表する魂胆は明らかだ。

 一番の狙いは歴史に名を残すことだろう。6年も総理をしていれば、普通、1つや2つ歴史に残る実績があるものだ。<佐藤政権は沖縄返還><小泉政権は拉致被害者帰国>と、長期政権はレガシーを残している。

 ところが、安倍政権には1つもない。実績ゼロだ。歴史に名を残すには、小渕官房長官のように新元号を発表すればいいと計算したのは間違いない。

 と同時に、なにもかも行き詰まった安倍政権の“失政”を覆い隠そうとしているのはミエミエである。

 この6年間、安倍政権は国民をだましつづけてきたが、さすがに“経済指標”を捏造していたことが発覚し、国民もアベノミクスが失敗に終わったことに気づきはじめている。なにしろ、労働者の実質賃金はマイナスである。外交も八方塞がり。北方領土の返還は遠のき、拉致問題は解決の糸口さえない。

「これまで安倍政権は、支持率が下がると北朝鮮の危機をあおっては、国民の関心を失政からそらしてきましたが、米朝が接近したため北朝鮮の危機は使えなくなった。そこで新元号と御代替わりを最大限に利用するつもりなのでしょう。実際、ここ数日、大手メディアの報道は、新元号一色になっています」(五十嵐仁氏=前出)

 安倍官邸は4月1日から、新天皇即位の5月1日まで、大手メディアを使ってお祝いムードをどんどん強めていくつもりだという。10連休に突入すれば、国民は安倍政権の失政など簡単に忘れてしまうと考えているらしい。


まさにゴマすり(日米首脳会談)/(C)JMPA

このセレモニー、トランプ国賓でわかるように次の天皇を政治に徹底的に利用していくだろう

 この先、安倍は新天皇を徹底的に政治利用していくに違いない。すでに、2月22日と3月29日に皇太子と短期間に2度も面会している。報道が出ることで、自分と皇室との近さを国民に見せつけようとしたのではないか。

 その上、アメリカのリクエストに応えて、新天皇が最初に会う国賓としてトランプ大統領を5月に招くことを決めた。

 民主党政権時代の2009年、小沢幹事長が中国の習近平国家副主席(当時)を招き、天皇との面会を実現させると、安倍や周辺は「天皇陛下の政治利用だ」と猛批判していたが、今、同じことをやろうとしているのだ。

 安倍の「天皇政治利用」は他にもある。13年4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に天皇皇后を招待。式典終了間際、出席者から「天皇陛下万歳!」の声が上がり、安倍も一緒になって万歳三唱した。異常な雰囲気に天皇は硬い表情を浮かべたまま退席。後に不満げな表情で側近に「私はなぜこの式典に出ることになったのか」と漏らしたと報じられたほどだ。

 もともと政府側の式典の事前説明の際、天皇は「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と事実上、出席を拒んでいた。それでも、式典に来る安倍支持の保守系勢力を喜ばせるため、天皇の出席を押し切ったとみられている。

 要するに安倍は、米国のご機嫌取りや自身の支持者を喜ばせるために今上天皇を利用してきたわけだ。新天皇も徹底的に利用するに違いない。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。

「新元号発表についても、支持者の意向を最優先したように見えます。金融機関などのシステム改修が大変になってしまうため、なるべく早期に発表すべきとの指摘がありました。ところが、『退位当日に発表すべき』という保守系勢力の意思に押される形で、安倍首相は1カ月前というタイミングでの発表を決めたのです。狙いは、安倍首相の支持層への求心力維持と、自らを権威付けるためでしょう。今後も自分の利益のために皇室を政治利用するのではないか」

 あまりにも「不敬」だ。
















 



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/198.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 元号に「安」が入らなかったのでも歓迎する。ここぞと露出満開。(かっちの言い分)

元号に「安」が入らなかったのでも歓迎する。ここぞと露出満開。
https://31634308.at.webry.info/201904/article_1.html

新元号が、「令和」と決定された。これを聞いたときの第一の感想は「よかった。安〇、〇安でなくて」
である。本当にほっとした。世間も「安」が付くと思っていたと思う。安倍首相なら何でもありと思っていたと思われる。なぜなら、深層心理に安倍首相ならやりかねないと思っていると思うからである。

しかし、あまりに「安」の付く元号が世間から出ていたので、逆説的に政府側も選定しづらくなったと思われる。国民の高等手段である。官邸での記者会見は大部分がやらせであることがわかった。第一声の記者は産経新聞社であった。それもかなり長い質問である。これが東京新聞の望月記者が質問していたとすれば、確実に広報室長から「質問が長すぎまーす」、「簡潔にーー」と言われていたと思われる。安倍首相もそれを受けて長々と回答する。話しながら、原稿をちらちら見ている。次のフジTV記者からも同じパターンである。事前に何が質問されているかわかっていて、その回答文も用意されている。

このぐらいの事でも原稿を見ずに一人で言えない。情けない。

それにしても、安倍首相が前面に露出している。官邸での記者会見は仕方がないが、民放の夕方のニュース以降、各社に出演している。1社でもニュースに出れば、後の企業もメンツのため放映を出さざるをえなくなる。官邸の「談話」だけで済む話を、民放番組に軒並み出てダメを押す。これも参議院選挙への布石である。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/199.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 新元号 自由・小沢一郎代表「結構だ」 政権交代振り返り「次の時代こそ…」(産経)
新元号 自由・小沢一郎代表「結構だ」 政権交代振り返り「次の時代こそ…」
4/1(月) 17:46配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000572-san-pol

 自由党の小沢一郎代表は1日、「令和(れいわ)」と決まった新元号について「権威ある皆さんがいろいろお考えになったことだから、結構だ」と評した。国会内で記者団に語った。

 平成に起きた2回の非自民政権樹立の立役者として「政権交代があったが、短期間で終わってしまった。目指す議会制民主主義の定着というところまではいかなかった」とも振り返った。その上で「次の時代こそ国民の暮らしに目を向けた政治に転換しなければいけない」と強調した。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/200.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 日銀短観 大企業製造業 7ポイント下回り2期ぶりに悪化 NHK :経済板リンク
日銀短観 大企業製造業 7ポイント下回り2期ぶりに悪化 NHK 

http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/752.html



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/201.html

記事 [政治・選挙・NHK259] <驚くべき、しかし、まさに正鵠を得た指摘だ!>安倍首相は選挙で議席を減らしても政権維持さえ出来ればいい  天木直人


※画像クリック拡大(2分割)












安倍首相は選挙で議席を減らしても政権維持さえ出来ればいい
http://kenpo9.com/archives/5800
2019-04-01 天木直人のブログ


 驚くべき、しかし、まさに正鵠を得た指摘だ。

 きょう発売の週刊プレーボーイ(4月15日号)で、元松岡利勝農水大臣秘書官の池田和隆氏が書いている。

 安倍自民党は統一地方選挙も参院選挙も、「程よく負けたい」と言うのが本音だと。

 つまり勝ちすぎると、その反動でとんでもない動きがでてきて、政治の勢力図が大きく変わる危険性が高いからだと。

 極端に言えば、国政選挙で憲法改憲が出来る衆参両院の三分の二の議席を割り込みたいとすら考えていると。

 なぜなら、安保法の成立によって軍事行動が可能になり、米国が改憲を望まなくなったからだと。

 米国は日本の自衛隊が米国に言う通けるようになるだけでいいのであって、日本が自らの意思で国防戦略を考えるようになることを望まないからだと。

 日本が自立して中国と軍事同盟を結ぶと言い出せばとんでもない事になると米国は懸念していると。

 その事を安倍首相も外務省も知っているから本格的な9条改憲などしたくないのだと。

 その一方で安倍首相は自分の手で改憲をすると言い続けてきたから国会議員の三分の二を維持すれば改憲をせざるを得ない。

 むしろ三分の二を割って改憲出来ないようになったほうが都合がいいのだ、と。

 しかし、政権は維持したい。

 そのためには地方選も参院選も少しぐらいは負けた方がいい。

 いまのままでは、野党が政権交代できるほど勝つことはあり得ないからだと。

 これこそが安倍自民党幹部の考えている事だと池田氏は書いているのだ。

 私はそこまで言い切る自信はない。

 しかし、もしこれが安倍自民党の本音なら、安倍自民党は強い。

 どう考えても野党は勝てない。

 地方統一選挙も参院選も、盛り上がらない本当の理由はここにあるということである(了)




http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/202.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 安倍内閣総理大臣記者会見(首相官邸)[新元号の閣議決定について]


http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0401singengou.html


平成31年4月1日


安倍内閣総理大臣記者会見


【安倍総理冒頭発言】


本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。

これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております。

「万葉集」は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました。

文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。

5月1日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位の御理解と御協力を賜りますよう、お願いいたします。

政府としても、ほぼ200年ぶりとなる歴史的な皇位の継承がつつがなく行われ、国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。

元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くに渡る我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくことを心から願っています。

私からは以上です。


【質疑応答】


(内閣広報官)

それでは、皆様からの御質問を頂きます。

希望される方、挙手をお願いいたします。私が指名いたしますので、所属とお名前を明らかにした上でお願いいたします。

初めは幹事社の方からお願いしたいと思います。どうぞ。


(記者)

産経新聞の小川です。

内閣記者会の幹事社として質問させていただきます。

今日、先ほど決定した新元号を、日本の古典を由来とする「万葉集」からとった「令和」としたことについて、これまで元号は全て中国の古典を由来としてきたとされております。改めて、日本の古典を由来として「令和」に決めた、その総理の思いをお聞かせください。

また、今月末で幕を閉じる平成の30年間は、国内では人口減少が進み、また、自然災害が相次ぎました。また、目まぐるしく変化する国際情勢やデジタル化など、日本は今、大きな転換点を迎えています。5月1日の改元まで残り1か月となったことを踏まえて、平成の次の時代をどのような気持ちで迎え、また、次の時代のどのような国づくりをされていきたいか、お考えをお聞かせください。


(安倍総理)

我が国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値があると思います。今回はそうした思いの中で歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定しました。特に「万葉集」は、1200年余り前の歌集ですが、一般庶民も含め地位や身分に関係なく幅広い人々の歌が収められ、その内容も当時の人々の暮らしや息づかいが感じられ、正に我が国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄はしっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています。

同時に、急速な少子高齢化が進み、世界がものすごいスピードで変化をしていく中で、変わるべきは変わっていかなければなりません。平成の30年間ほど、改革が叫ばれた時代はなかったと思います。政治改革、行政改革、規制改革。抵抗勢力という言葉もありましたが、平成の時代、様々な改革がしばしば大きな議論を沸き起こしました。他方、現在の若い世代、現役世代はそうした平成の時代を経て、変わること、改革することをもっと柔軟に前向きに捉えていると思います。ちょうど本日から働き方改革が本格的にスタートします。70年ぶりの労働基準法の大改革です。かつては何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、近年は国民的な理解の下、着実に行われるようになってきたという印象を持っています。

そうした中で、次の世代、次代を担う若者たちが、それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、一億総活躍社会をつくり上げることができれば、日本の未来は明るいと、そう確信しています。

新しい元号の下、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そういう時代を国民の皆様と共に築き上げていきたいと思います。


(内閣広報官)

それでは、幹事社からもう1問、どうぞ。


(記者)

幹事社のフジテレビの鹿嶋です。よろしくお願いします。

総理、平成の改元時とは異なりまして、今回、総理が自ら談話を読み上げる判断をされた理由を改めてお聞かせください。

また、新たな元号を選定するに当たりまして、これまで複数の案を検討されてきたと思いますけれども、「令和」という元号に決めた、決定した最大の決め手は何だったのか、改めてお聞かせください。


(安倍総理)

今回、元号を発表するに当たり、誰が発表するかという意見が、随分議論があったと思いますが、新しい元号は本日、政令という形で閣議決定いたしましたが、通常、閣議の内容は官房長官が公表しております。そのため、今回も新元号については平成のときと同じように官房長官が発表することといたしました。

その上で、平成の改元時には、当時の竹下総理の談話が発表されています。当時は総理大臣が会見を行うということは極めてまれでありましたが、平成の30年を経て、総理大臣が直接発信する機会も増大しました。私自身、何らかの出来事があると、官邸に入る際などに記者の皆さんから声がかかり、マイクを向けられることもあります。そうした時代にあって、平成のときと同様に、総理大臣談話を発表するのであれば、私自らが会見を開いて、国民の皆様に直接申し上げるべきだと、こう考えた次第であります。

また、元号の選考につきましては、他の案が何かということも含めまして、検討過程について申し上げることは差し控えますが、我が国が誇る悠久の歴史、文化、伝統の上に、次の世代、次の時代を担う世代のために、未来に向かってどういう日本を築き上げていくのか。そして、その新しい時代への願いを示す上で、最もふさわしい元号は何かという点が一番の決め手でありました。


(内閣広報官)

これからは、幹事社以外の皆様からの質問をお受けいたしますので、質問を御希望の方は、挙手をまず、お願いしたいと思います。

では、七尾さん。


(記者)

ニコニコの七尾です。どうぞよろしくお願いします。

若い世代やこれから生まれてくる子供たちは、新しい元号、「令和」の時代の中心を担っていく世代だと思うのですけれども、その元号選定に当たりましては、こうした世代のことをどのようにお考えになったのでしょうか。よろしくお願いします。


(安倍総理)

本日の会見は、インスタグラムやツイッターで生中継をされていますが、今の若い世代の皆さんは、こうしたSNSなどの新しいツールを見事に使いこなすことで、どんどん新しい文化をつくり上げています。ニコニコ動画も既存メディアの発想にとらわれることなく、若者たちならではの柔軟さで多様な番組を生み出して、リアルタイムで個人がコメントを発信できる、新しいメディアの姿を形づくられたと、こう思っています。

こうした若い世代の新しいムーブメントは、確実にこれまでの政治や社会のありように大きな変化をもたらしつつあります。本当に頼もしい限りであると思っておりますが、日本の未来を明るいと感じています。新しい時代には、このような若い世代の皆さんが、それぞれの夢や希望に向かって思う存分活躍することができる、そういう時代であってほしいと思っています。この点が、今回の元号を決める大きなポイントでもありました。

今回の元号は、「万葉集」にある梅の花の歌三十二首序文からの引用です。この中では、厳しい寒さの後、春の訪れを告げるように見事に咲き誇る梅の花の情景が美しく描かれております。平成の時代のヒット曲に「世界に一つだけの花」という歌がありましたが、次の時代を担う若者たちが、明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる。そのような若者たちにとって希望に満ちあふれた日本を国民の皆様と共につくり上げていきたいと思っています。


(内閣広報官)

それでは、もう1問いただきます。

前列。


(記者)

共同通信の大塚です。

新元号の選定に関連して伺います。総理は2月下旬と3月下旬に皇太子様と面会されましたけれども、そうした際に印象を受けました皇太子様のお人柄ですとか、御即位に当たっての思いなど、選定に当たって考慮されたところがあれば御紹介ください。

また、皇太子様の御即位後、国民の代表である総理として、どのような関係を築かれたいとお考えでしょうか。

最後に、新元号について、天皇陛下と皇太子様に総理から直接御報告される予定はございますでしょうか。

以上です。


(安倍総理)

まず、2月の22日と3月の29日に皇太子殿下にお会いいたしましたが、その際の内容等については、お答えすることは差し控えさせていただきたいと思います。皇太子殿下におかれては、本年2月のお誕生日に際しまして、今上陛下のこれまでのお姿を心にとどめ、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしていきたいとのお気持ちを明らかになさったと承知をしており、大変有り難いことであると考えています。

私としては、皇太子殿下の御即位を心からお喜び申し上げますとともに、先ほど申し上げた殿下のお気持ちをしっかりと受け止め、新しい「令和」の時代を、国及び国民統合の象徴となられる殿下と共に歩みを進めてまいりたいと、こう思っております。

今月は平成最後の月となります。この一月、平成の時代に、そして、天皇皇后両陛下の御足跡と御手跡に思いを馳せつつ、新しい時代に向けて、天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位がつつがなく行えるように万全を期していきたいと思います。

そして、新しい時代にふさわしい「令和」の時代を切り開いていくために、準備万端、万全を期していきたいと、こう考えております。

なお、新元号については、閣議決定を行った後に、宮内庁を通じて今上陛下及び皇太子殿下にお伝えいたしました。


(内閣広報官)

以上をもちまして、安倍総理大臣の記者会見を終わらせていただきます。

皆様の御協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。


(安倍総理)

どうもありがとうございました。



―参考―




―おまけ―






http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/203.html
記事 [政治・選挙・NHK259] 剛腕小沢も手を焼く不協和音 参院選の野党共闘進まず(中央公論)敵は安倍政権のはずだ。内ゲバに労力をさいている場合ではない
剛腕小沢も手を焼く不協和音 参院選の野党共闘進まず
4/1(月) 8:01配信 中央公論
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190401-00010000-chuokou-pol

永田町政態学

 今年十二月に議員在職五〇年を迎える小沢一郎・自由党共同代表が、野党結集の停滞にいらだちを募らせている。夏の参院選で「打倒安倍政権」を目指すものの、不協和音が目立っているためだ。
 小沢氏は一月二十二日、国民民主党の玉木雄一郎代表と会談し、両党が合流する方針を確認した。まず衆参両院で統一会派を結成し、その後に政党同士が合併する。国民民主党を存続政党とし、解散した自由党を吸収する案が有力だ。
 小沢氏は当初、二〇一七年衆院選後に野党第一党となった立憲民主党を軸とした野党再編に期待をかけていた。昨年は立民の枝野幸男代表と会談を重ね、野党結集の必要性を説いた。
 しかし、枝野氏は「永田町の合従連衡には加わらない」という持論を譲らなかった。そのかたくなな態度に業を煮やした小沢氏は、「国民民主党を強くする必要がある」と判断し、国民との連携にカジを切った。二月十一日の講演では「国民民主党がもう少し力を付けて、立憲民主党と並ぶような勢力にすることで、永田町の力学的にも結集がやりやすくなる」と語った。
 ところが、国民と自由の合流方針は、参院での野党第一会派争いを激化させる思わぬ結果を招いた。
 両党による参院会派の人数は二七人となり、立民会派(二五人)を抜くことになる。すると、立民は社民党(二人)と会派を組むことで対抗し、両会派とも二七人で同数に。国会召集翌日の一月二十九日、参院本会議で野党第一会派から始まる質疑順を決めるくじ引きが行われ、国民、立民の順となった。
 今夏に改選を迎える国民の藤田幸久参院議員(茨城選挙区、改選定数二)の離党問題も、対立に拍車をかけた。藤田氏は国民を離党し、立民に入党する意向を文書で公表したが、国民は離党届を受理せず、除籍処分とすることを決めた。両党の対立は泥沼に陥った。
 国民関係者は「藤田氏は議席を守れないとみて、裏切った」と吐き捨て、立民にも怒りをぶつける。枝野氏が、国民をつぶして野党第一党を確実にする野党内抗争を優先しているとみているからだ。野党各党は、勤労統計の不適切調査問題の追及で連携する考えを確認しているが、国民の中堅議員は「敵は安倍政権のはずだ。内ゲバに労力をさいている場合ではない」とこぼす。
 野党間の足並みの乱れは、参院選での候補者調整に影響している。一月二十八日には、野党五党の党首が国会内で会談し、全国に三二ある改選定数一の「一人区」の候補者一本化に向けた調整を進めることを確認した。だが、調整は遅々として進んでいない。枝野氏は二月一日、群馬県高崎市で記者会見し、「統一地方選が終わった後に具体的に見え始め、結論部分が見えていくのは(五月一日に)元号が変わった後くらいだ」と述べ、調整が終わるのは五月以降になるとの見通しを示した。枝野氏は、立民主導で擁立する一人区の候補者は原則として立民公認とし、国民など他党の公認候補で一本化された場合の推薦には否定的だ。
 共産党は一六年参院選で、一人区の多くで公認候補を取り下げた。だが、今回は容易には取り下げに応じない方針で、国民幹部は「立民と国民のいがみ合いも相まって、調整は混乱するかもしれない」と話す。
 野党内には、参院選で掲げる「共通政策」の必要性を指摘する声も強い。だが、立民が「原発ゼロ」を掲げているのに対し、国民は条件付きで原発再稼働を認める立場で、折り合いがつくかどうか不透明だ。
 小沢氏は、枝野氏について「何を考えているのかわからない。衆院選で思っていた以上に勝ってしまい、それを守るのに必死だ。あれじゃあ、参院選はダメだ」と周辺に漏らしている。
 残り時間のカウントダウンに、「剛腕」小沢氏もあせりを感じているのかもしれない。
(洋)

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/204.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 露骨な新元号、新天皇の政治利用「令和」幕開けの異様<中>今上天皇の退位を恐らくほくそ笑んでいる安倍首相(日刊ゲンダイ)
 


露骨な新元号、新天皇の政治利用「令和」幕開けの異様<中>
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250954
2019/04/01 日刊ゲンダイ 文字起こし


安倍首相とは正反対の天皇陛下(福島市内の復興公営住宅を視察され、集まった住民に声をかける天皇、皇后両陛下)/(C)共同通信社

今上天皇の退位を恐らくほくそ笑んでいる安倍首相

 今ごろ安倍首相は、今上天皇が4月30日に退位することを内心、喜んでいるのではないか。今上天皇は「護憲」、安倍は「改憲」と考え方が正反対だからだ。

 政界では「天皇陛下は安倍首相を評価していない」との説が流布され、実際、総理大臣が天皇に国政を報告する回数も長期政権なのに少ないという声まで上がっている。

 今上天皇は2013年の誕生日会見で第2次大戦に触れた際、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました」と日本国憲法の素晴らしさを語り、さらに昨年末は「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と平和の大切さに触れた。これらは「押し付け憲法論」を口実に改憲を訴え、「戦争する国」へと突き進む安倍政権に対する強い懸念を示したと受け止められている。

 沖縄に対する思いも、まったく違う。安倍政権が辺野古埋め立てを強引に進める中で行われた昨年12月の誕生日会見では、皇后と11回にわたって沖縄を訪問したことに言及。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いはこれからも変わることはありません」と強調し、沖縄県民の思いを顧みない安倍政権をやんわりと批判していた。安倍にとっては面白くなかっただろうが、その今上天皇が一線から退くのだから、内心、ホッとしているのが正直な感想だろう。

「とにかく憲法9条を変えたい安倍首相にとって、憲法を大切にする今上天皇は“目の上のタンコブ”だったはずです。天皇の発言は政権に“クギ”を刺す役目を果たしてきましたからね。きっと生前退位が決まって安堵しているでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)

 平和を求め続けた天皇の退位を機に安倍政権が暴走を始めるとすればとんでもない話だ。


婚約騒動はどうなる?(秋篠宮さまと紀子さま)/(代表撮影)

次の皇室はスキャンダルまみれになる予兆

 新元号発表や今上天皇の生前退位といった話題の陰で、週刊誌が特集しているのが「皇室スキャンダル」だ。

 新皇后になる雅子妃の体調不安や愛子内親王の進路先など、連日、新天皇家のネタがお茶の間を賑わせている。特に注目されているのが秋篠宮家の長女・眞子内親王(27)の“婚約者”小室圭氏(27)を巡る借金トラブルだろう。

 借金返済も含め、どう展開していくか、今後、絶好の週刊誌ネタになるのは間違いないだろう。例えば先月22日、秋篠宮家の次女・佳子内親王が姉と小室氏の結婚について問われた際、<私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています>と発言した時も、直後からネットでは<一個人としての希望を振りかざした>と批判の声が殺到した。

 新天皇即位に伴う皇室行事「大嘗祭」について、秋篠宮が「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と発言したことも、政府の方針に皇族が公の場で疑問を呈した、としてスキャンダラスに報じられた。この先、ありとあらゆることがツイッターなどのSNSを通じて拡散してもおかしくない。

「メディアの関心は、皇族が過大な公費支出に対して疑義を呈したことよりも、男女関係や金銭をめぐるトラブルなのでしょう。状況によってはこの先、皇室報道がスキャンダルまみれになるかもしれません」(本澤二郎氏=前出)

 すでにその予兆は表れ始めている。








 

 




http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/205.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 働き方改革始動、各地で入社式 罰則付残業時間の上限規制スタート ただし医師は過労死ラインの2倍OK
主要ニュース(共同通信)2019年4月1日 / 19:56 / 3時間前更新
働き方改革始動、各地で入社式 罰則付きの残業時間の上限規制スタート
共同通信
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 新年度が始まった1日、全国の企業や官公庁で入社式や入庁式が開かれた。政府が「70年ぶりの大改革」と位置付ける働き方改革関連法のうち、罰則付きの残業時間の上限規制が同日、スタート。長時間労働是正に向け、日本の労働は大きな転換期を迎えた。新社会人からは「新しい時代に、果敢に挑戦していきたい」との抱負も聞かれた。

 働き方改革関連法を所管する厚生労働省では、根本匠厚労相が新職員約180人を前に「日本の社会保障と働き方を引っ張っていく存在でありたい」と呼び掛けた。

 東京電力ホールディングスの小早川智明社長は「福島への責任を果たすことが使命」と語った。

【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/idJP2019040101002234?il=0


 


残業上限「年1860時間」で決着 医師の働き方改革
2019.3.28 11:54

 医師の働き方改革に関する有識者検討会は28日、一部医師の残業時間の上限「年1860時間」を含む報告書をまとめた。4月から一般労働者に適用される働き方改革関連法の上限「年720時間」をはるかに上回り、過労死ラインの2倍の残業を容認する。同法で医師は5年間猶予されており、報告書に沿った改革は平成36(2024)年から運用される。

 検討会は29年8月に設置され、22回の会合を重ねてきた。容認された残業上限は、1カ月当たりに換算すると155時間で、いわゆる「過労死ライン」(2〜6カ月平均80時間)の2倍。ただ、過労死認定は一般労働者と同様になることを明記した。

 報告書では、勤務医一般の残業上限を休日労働を含み、「月100時間未満、年960時間」とした。しかし、労働時間を急激に減らした場合、患者らに多大な影響を及ぼす地域医療を担う勤務医については、「年1860時間」。集中的に技能を身につける必要がある研修医らについても、本人が申し出た場合、年1860時間を認める。

 地域医療の勤務医の残業上限は、47(2035)年度までの特例とする。当直などの連続勤務を28時間(研修医は24時間)までとする制限を設けた。

 これらの医師に対しては、健康を確保する措置の必要性を強調した。終業から次の勤務の間に9時間の休息(勤務間インターバル)を取ることや、残業月100時間以上の場合は、医師の面接指導を受けなければならない。
https://www.sankeibiz.jp/workstyle/print/190328/ecd1903281154002-c.htm
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/206.html

記事 [政治・選挙・NHK259] 「令和」は安倍首相の元号私物化の結果だ! 皇室の伝統をひっくり返しフェイク的“国書由来”の元号を強行(リテラ)
「令和」は安倍首相の元号私物化の結果だ! 皇室の伝統をひっくり返しフェイク的“国書由来”の元号を強行
https://lite-ra.com/2019/04/post-4638.html
2019.04.01 「令和」は安倍首相の元号私物化の結果だ! リテラ


元号を発表する菅官房長官(首相官邸HPより)


 5月1日に施行される新元号が「令和」に決定した。朝からヘリまで飛ばして特番を組んでいるテレビでは不自然なほど絶賛ばかりだが、菅義偉官房長官による発表直後、Twitterなどネット上には少なからぬ“違和感”の声があがっていた。

 まあ、それも当然だ。元号に使われるのは初めてだという「令」という字は、辞書を引けば「命じること」「いいつけ」「おきて」という意味がまず並ぶし、「和」にしても「昭和」で使われたばかり。ネット上では「命令、使令、令状の令か?」とか、昭和のアジア・太平洋戦争を意識して「暗黒時代に戻るように感じる」というような感想も見られる。もちろん、行政を私物化し、戦前復古的なイデオロギーを振りまいている安倍政治を鑑みれば、「上からの命令で、みんな無理やり仲良くさせられる(押し黙らせる)」という受け止められ方をされても仕方がないだろう。

 しかし、それよりも驚かされたのは、安倍首相が得意顔で説明した「令和」の典拠のほうだ。「平成」の公表の際には当時の小渕恵三官房長官が読み上げただけだった首相談話を、安倍首相はわざわざお昼どきに会見を開き、直接語ったわけだが、そこで「令和」は日本の『万葉集』からとったと自信満々でアピールしたのである。

「新しい元号は『令和』であります。これは、万葉集にある『初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす』との文言から引用したものであります。そして、この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合うなかで、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。万葉集は、1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」

 これまでの「大化」から「平成」の247元号は、典拠がわかっているものはすべて『五経』や『史記』など中国の古書(漢書)からとられてきたとされる。安倍首相はその皇室の“伝統”をひっくり返してしまったのだ。歴史のなかにきちんと実在する女性天皇を「皇室の伝統に反する」などと言って猛反対していた人物が、これまでただの一度の例がない「国書由来の元号」を強行したのである。

 この背景にあるのは、明らかに安倍首相の「元号」政治利用と私物化だ。本サイトは、以前から「安倍は国書由来の元号をつけた初の首相という称号を得ようとしているのではないか」「学校教育から漢文を廃止しろ、と叫んだ百田尚樹と同レベルのヘイトまがいの浅薄な動機で、漢書由来の元号という慣習を覆すつもりではないのか」という見方をしてきたが、まさにそれが的中してしまったということだろう。

 実際、AP通信は「中国古典用いた伝統破る」という見出しで、「中国に対してタカ派だった安倍政権が、伝統を変えて日本の文献から引用するという憶測も出ていた」という記事を配信した。

 さらにもうひとつ大きく影響しているのが、安倍首相を支持する極右勢力の意向だ。「新元号は国書を典拠に」というのは安倍首相の肝いりで、事前に「元号の出典は日本で書かれた書物がいい」と周辺へ話していたとの報道も複数なされていたが、その背景には、極右勢力の一部が平成の代替わりの際に、「国書からとるべき」という主張を展開していたことがあった。

■国書由来の元号制定の背後に安倍首相と極右勢力の結託

 しかも、安倍首相は元号の国書由来を、元号の事前公表とバーターしたのではないかという見方もある。「代替わりと同時の元号発表」という慣例にこだわる日本会議などの右派勢力は、事前公表に猛反対し、機関誌「日本の息吹」2019年2月号でも、4月1日の公表に対して「遺憾の意を表明せざるを得ない」などと真っ向批判の見解を掲載していた。

 行政のシステム改修の問題から、この要求をのめなかった安倍首相はそのかわりに、右派の一部が以前から主張してきた「国書由来の元号」を採用したのではないか、というのだ。

 日本会議は本日、「新元号の公表にあたって」と題する声明をホームページで公表。〈元号はわが国において、古来より、その時代に対する理想や願いがこめられてきた歴史があると考えます〉との書き出しで、〈我が国における元号の歴史の重みと意義について改めて留意し、新元号が国民生活に定着するよう、一層の啓発に努力〉などを政府に求めたが、その文面からは、新天皇即位前の公表に対する強い反発は忽然と消えていた。

 いずれにしても、今回の「国書由来の元号」は、安倍首相を筆頭とする極右勢力の浅薄なナショナリズムと排外思想の結果、と考えて間違いない。きょう、『モーニングショー』(テレビ朝日)に出演した“安倍首相の代弁者”田崎史郎氏は「最後に誘導はある」と言っていたが、国書由来の元号に誘導したのだろう(もしかしたら、候補の大半が国書由来だった可能性もある)。

 実際、安倍首相は「国書由来の元号をつけた初の首相」になったことがよほど自慢だったのか、まるで自分が「令和」という元号を決めたかのようにこう語った。

「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め『令和』に決定いたしました」

■「令和」の出典は「万葉集」でも漢文調の序文、元ネタは漢書

 しかし、安倍首相と右派勢力が胸を張るこの「国書由来の元号」は、実を言うと「日本固有の薫り高き文化」とはいえない。というのも、「令和」は『万葉集』からとってきたといっても、万葉仮名である歌の部分ではなく漢文調の序文が出典なのだ。加えれば「令和」の説明中に用いられた「梅は鏡前の粉を披き」の部分の梅の木も、中国から日本列島に輸入された樹木といわれている。

 国文学が専門の山崎健司・明治大学教授も〈「令和」に使われた万葉集の第5巻の序文は中国の六朝時代の政治家で、書家として名高い王羲之の書「蘭亭序」や同時代の詩文集の「文選」を参考にしたのではないか〉(NHKニュースより)と指摘している。

 ようするに、安倍首相がナショナリスティックに自賛する「令和」という新元号は、皇室の伝統からみても、あるいは安倍首相自身の「日本の文化」という謳い文句からみても、フェイクそのものなのだ。

 もっとも、無教養な安倍首相にとってはそんなことはどうでもいいのだろう。とにかく、この元号を利用して、自分をアピールし、国民にナショナリズムを押し付けることができればなんでもいいのだ。

 実際、安倍首相の会見はまさに、元号を政治利用するためのパフォーマンスとしか思えないものだった。

 なにしろ、安倍首相は談話を読み上げた後の質疑応答の際、「平成の30年間ほど改革が叫ばれた時代はなかった。政治改革、行政改革、規制改革。まあ抵抗勢力という言葉もありました」と元号と関係のないことを話しはじめ、「ちょうど本日から働き方改革が本格的スタートします」「1億総活躍社会をつくることができれば日本の未来は明るい」などと政策を宣伝しまくっていたのだ。

■無関係なSMAP「世界に一つだけの花」を強引に持ち出すあざとさ

 あげくSMAPの「世界に一つだけの花」を持ち出して、「若者たちが明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる希望に満ちあふれた日本をつくり上げていきたい」などと宣った。いやいや、普通に考えて『万葉集』序文の「梅の花」のくだりと、「もともと特別なOnly one」を謳う「世界に一つだけの花」って、全然、文脈が違うだろう。いったい、どういう読解力をしているのか。というか、完全にイメージアップのためだけに言ってみたとしか思えない。

 他にも、会見のなかでニコニコ動画の記者から質問を受けた安倍首相は、「ニコニコ動画もですね、既存メディアの発想にとらわれることなく若者たちならではの柔軟さで多様な番組を生み出して、リアルタイムで個人がコメントを発信できる新しいメディアの姿をかたちつくられた」などと絶賛。安倍首相が“ネトウヨの巣窟”であるニコニコ動画が大好きなのは周知のことだが、敵視する新聞やテレビ局などのオールドメディアに対する当てこすりの意図もあったのだろう。それにしたって新元号に関する記者会見の場で、いまや“オワコン”とよばれるニコニコ動画を絶賛とは、この男がいかにエセ伝統主義者、インチキ右翼であるかがよくわかる。

 何から何まで、安倍首相の醜悪なパフォーマンスに終わった新元号公表。しかし、メディアはそのことをまったく批判しない。それどころか、各テレビ局が安倍首相を出演させ「元号パフォーマンス」に全面協力している。

 もしかしたら、日本はすでにネットで語られている「令和」のイメージどおりの国になっているのかもしれない。そう、「上からの命令で国民が押し黙らされる」国に、である。

(編集部)


新元号「令和」に決定 出典は万葉集“梅花の歌”(19/04/01)






















http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/207.html

   

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