WEDGE REPORT
インドでも政府統計データ修正?世界最大の民主主義国家の苦悩
経済成長を妨げる「最大の障害」とは
2019/03/25
野瀬大樹 (公認会計士・税理士)
日本では政府発表の雇用統計数値に意図的と思える改ざんがあったことが一時期話題となり、国会でも大きな論争になっていたが、その話題をネットで見ながら昨年インドでも似たようなケースがあったと思い出した。
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2018年10月に来日した際のモディ印首相と安倍首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
昨年の11月末、インドの統計局は前政権時代のGDP成長率を見直し、下方修正すると発表した。これにより、平均して7%台後半の成長率を記録していた前政権時代の経済成長率は軒並み1%近く下がり、その平均は6.8%程度にまで下がることとなった。
統計局の説明では、現政権のGDP成長率の計算方法が前政権時代と異なるため、比較可能性を勘案して過去情報を修正することになったとのことだ。これは私が所属する財務会計の世界でもよくある話で、利益の計算方法が法改正で変わった場合、その比較可能性を維持するために過去の数字を新しい計算方法で計算し直すのだ。
ただ、今回のこの見直しについて、一部では政治的意図を勘繰る意見も根強い。なぜならこの下方修正により、現政権での平均経済成長率はわずかながら前政権時の平均を上回ることになったからだ。
インド国民だけでなく、インドを巨大な成長市場と見込む世界中の企業や投資家の期待を集め、2014年に発足したモディ政権だが、当初の期待が強すぎたせいか、昨年半ば頃からその人気に陰りが見え始めている。年明けには、支持率がついに5割を切った。4月の総選挙を控え、その前哨戦と言われる地方選挙でも軒並み負けが続いており、モディ政権は今、非常に苦しい政権運営を強いられている。
参議院選挙を控えた安倍政権が焦りを感じ、その結果、毎月勤労統計の改ざんが起きたのでは……と勘繰られているように、総選挙で苦戦が予想されるモディ政権がその焦りから過去の経済成長率を下方修正し、「我々の経済運営も悪くなかったんですよ」とアピールしようとしていると勘繰られているのだ。
選挙が近づくたびに繰り返される「バラマキ」や「ポピュリズム」
この動きは何も経済成長率の統計だけではない。
例えば2月1日に発表されたインド予算案。
インドでは、毎年このタイミングで翌年度の政府方針や新しい税制が発表される。当然、海外投資家や外資は規制緩和や政府手続の簡素化を期待するのだが、この数年の傾向は「バラマキ」に近い。今回の「バラマキ」の主な内容は、以下の通りである。
1)農家に対する所得補助を決定
インドで圧倒的な数(つまり票)を抱えている小規模農家に対し、年6000ルピー(9000円程度)の所得補助を与える。しかもその所得補助を「3月31日までに与える」という。日本では考えられないスピード感だ。政府は「景気対策」を強調するが、4月の総選挙をにらんでのあからさまな「バラマキ」と見る向きは少なくない。
2)個人所得税の従来の非課税枠を「年収25万ルピー」から「年収50万ルピー」に引き上げる
こちらも低所得層をにらんだ減税策だ。それに加え、日本でいうところの基礎控除も従来の4万ルピーから5万ルピーへ20%超も拡充された。この年収50万ルピーという金額はもはや低所得層だけでなく、いわゆる中間層にまで恩恵を与える大盤振る舞いだ。国の財政赤字の規模がGDP比で従来の3.3%から3.4%に拡大することも同時に発表され、慢性的な財政赤字に対する懸念の声は強くなっている。
このように、毎年繰り返される低所得層への「課税緩和」や「所得補助」で、インドの慢性的な税収不足に改善の目途は立っていない。また逆に、高所得層へのさらなる課税「サーチャージ」は数年ごとに継続して増えており、外資系企業やその駐在員にとっては悩ましい問題となっている。外資系企業がインドに拠点を置くコストは当然上がり、インドへの「FDI(海外直接投資)」に冷や水を浴びせている。
しかし、こうすることで、9億人を超えると言われるインド有権者の大部分を占める低所得層の支持を得ることができるのもまた現実である。
「我々はあなた達からは税金は取りません。お金持ちと外国人からガッポリとります!」という意思表示は、結果として選挙で有利に働くのだ。
もちろん政府も、「やるべきこと」はきちんと理解している。
税負担を「より広く薄く」することで税収を確保し、その税収をテコにインドの弱点と言われるインフラを整備。規制を徐々に緩和して外資を呼び込み、経済成長を加速させるという王道の政策が正解だとは政府も分かってるのだ。しかし、先述のような「バラマキ」をしないと選挙に勝てないため、間違っているとわかっていても、所謂「ポピュリズム」が生じてしまうのだ。
政権発足当初に高い支持率を誇っていたモディ政権には、こうした「世界最大の民主主義国家ゆえの苦悩」を乗り越える英断が求められていたが、現状ではそんなモディ政権ですらこの「ポピュリズム」に苦しめられているようだ。
パキスタンとの「国境紛争」にも影響
さらに、その苦悩が別方面で顕在化したと言われているのが2月に大騒ぎになったパキスタンとの国境紛争である。
インド・パキスタン両国が主権を主張するカシミール地方で2月14日、インド治安要員の約40名が死亡するテロがあったことへの報復として、インド空軍は同26日、国境を超えて空爆を実施した。インドとパキスタンの間では小さな銃撃戦はあるものの国境を超えての空爆は非常に稀で、現地では連日その「成果」や、愛国心を煽る内容の報道ばかり流れていた。
インド政府はパキスタンの過激派300人以上を空爆で殺害と発表したが、「死者なし」と発表したパキスタン側の情報とは相当な乖離がある。内政や経済面での行き詰まりを安全保障面で解決しようとするのは、日本も含め古今東西で繰り返され続けてきた手法であるが、今回の空爆に関しても支持率低迷に苦しむモディ政権の意図が少なからずあったのでは、という見方が強い。事実、空爆後モディ政権の支持率は急騰している。
インドの経済成長を妨げる「最大の障害」とは?
インドは世界最大の民主主義国家である。ただ、「民主主義は素晴らしい」と小さいころから教育を受けた我々日本人もその弊害にはもう気が付いているハズだ。多くの「物言う有権者」の顔色を窺い続ける結果、本当は正しいと思っていてもその政策を実行できないジレンマが生じる。インドは今、そのジレンマに直面しているように見える。
ご存じの通り、日本で普通選挙が導入されたのは1925年で、それ以降全ての成人男子に選挙権が与えられた(女性も含めると1946年から)。それまではいわゆる制限選挙で、ある程度の納税をしている成人男子だけに投票権が認められていた。
ただ、インドは1947年の独立以来、全ての成人男女に選挙権がある。これは民主主義の理想としては素晴らしいのだが、実際は前述のような「ポピュリズム」を多発する原因にもなってしまう。ウソかホントか分からないが、インドの地方選挙では「私が当選したら皆さんの家にテレビを配ります」と公約を掲げた候補者が当選したという逸話まであるくらいだ。日本の制限選挙にもそれなりの意味はあったのである。
選挙権を一度認めてしまった以上、世界最大の民主主義国家として、インド政府は世界でもっとも困難な国家運営を続けていくしかないのだ。
現地で暮らしていて思うのは、この国の「国家運営の芸術性」である。13億を超える人口、多くの宗教と民族、国境紛争やテロの危険性……これらの問題を抱えた巨大な国家を、中国のような「独裁体制」でもなく、アメリカのように継続的な「対外戦争」も行わず、70年以上にわたり運営しまとめ上げる営みはもはや「芸術」と言っていいと思う。しかし、この「芸術性」こそが、インドを中国と並ぶ世界の経済成長を支えるリーダーたらしめない理由になってしまっているのだ。
このインドの経済成長を阻む問題を解消するには、2014年のモディ政権のような高い支持率を誇る政権の誕生を待つしかないのだが、次の選挙では与党・BJP(インド人民党)が議決権を減らすことで、連立政権の誕生が予想されている。そうなれば政権運営は各方面への「忖度」を必要とすることになる。モディ首相も今ごろ頭を抱えているに違いない。
4月11日より投票が始まる「インド総選挙」から目が離せない。
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