29. 2019年2月05日 00:01:07 : mVbub55u4Q : 0[226]
野党が纏まり大きな塊を作り審議拒否すべし。野党とは言え議員の質問に真面目に答弁しないなんて主権者国民をばかにしとる。安倍自公政権打倒で纏まれ〜
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/146.html#c29
2. 赤かぶ[3871] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:02:28 : 6UnV32Ub6A : 0[227]
森友事件「今だから語りたい森友問題の真実」集会―退職させられたNHK記者相澤氏の証言
http://haigujin.hatenablog.com/entry/2019/02/03/110453
2019-02-03 俳愚人 blog
昨夜は久しぶりに盛会でした。
「今だから語りたい森友問題の真実」集会。
1000人を超えていた。
第一部、
近畿財務局OB二名証言。
国有財産の評価と売却に生涯仕事としたK氏とI氏が証言。
両名は、自殺に追い込まれた赤木さんの先輩でもある。
また当の決済申請を本庁にだした職員とは知り合いでもある。
OBとはいえ、この事件に発言するだけで、世の中のプレッシャーがあるとのこと。
(1).非常に特異な事案で、通常ならすべて現地局で処理するのが原則である。それか東京本庁へ許可申請をしていることはよほどのことがあるとみなされる。
(2).評価額が、隣接豊中市購入土地が14億円、当該地購入希望の隣の音大の提示額が5億円から8億円まで釣り上げても許可しなかったものを、10年の貸付にしてた。
国有地は、通常売却が原則で、貸付売却の場合は内規で3年以内と決められている。それが10年の貸付では、官僚が普通なら処理できない。よほどのことがあったとみなせる。
(3).金額も、8億円値引きがゴミ処理代としているが、評価については普通なら財務局がやるものをなぜ航空局側にふって、能力がないので財務局に依頼した形をとったのか、不思議である。
(4).佐川局長(当時)が記録が無いなぃと嘘をいったが、通常10年は保管しているものだ。一年程度で破棄するわけがない。
後にあったと提出されたが、それでも最も待遇が激変した「籠池氏の神風が吹いた」という2017.2月の本庁へ上げた部分が最後まで出てきていない。おそらくそこに真実が隠されているはずである。
嘘をいって安倍に迎合したものは、厚遇されて退職金5000万円ももらっている。佐川の前の佐古田局長(当時)も今は三井不動産の顧問で高級を得ている。
今では、財務省の職員でも退職金は2000万円あるかどうかぐらいだ。けしからん。
イタリア一等書記官になった昭恵の御付女性は、相当いい給与であるばかりか、イタリアは外務省では一番おいしい赴任先といわれている。アメリカほど忙しくない、おしゃれな生活が楽しめる、観光地が多いなど(笑)。
安倍か関係している事実は明らか、絶対に安倍には辞めてもらいたい。
第二部、
NHKを退職させられた記者、相澤冬樹氏の話。
現在大阪日日新聞論説委員。
宮崎生まれ、鹿児島ラサール高校の出身から東大というエリートのようだ。
大阪にはここ6年ほどの赴任しかないが、大阪が好きになって、定住したいので大阪に職をえたとのこと。
実は朝日のスクープ扱いになったが、相澤NHKの方がはやく打った。
ところが、NHK内部で、全国放送で東京に送ったものの、東京の報道局長が無視して大阪ローカル扱いにしたためである。
そのごも相澤はただならぬ臭いを嗅ぎつけて精力的に取材。そのうちの7月26日に報じた、「財務局と籠池の価格交渉で、財務局がわから籠池に打診し、籠池が1億6000万円と回答」の事実を報じたおり、東京の報道局長から大阪報道局長に激怒の電話がきた。
2018.4月4日に、「財務局がわが籠池に、ごみ処理にトラック何千台も運び出したことにして欲しい」と持ち掛けた事実を報道。これは事前に東京から圧力があり、「クローズアップ現代」の放送中止となった。
この過程で、大阪報道局長は東京の報道局長から、これ以上このような報道をするなら君の将来はないものと覚悟しろと恫喝される。
この頃退社を決意。
5月14日記者排除の内内示。内内示にもかかわらず、既に部署も告げられた。
5月31日財務局職員は全員不起訴決定。取材終わり退社。
NHKの今の堕落と政府機関紙に陥っているのは、東京の報道局長にあることははっきりしたように思う。
しかも記者だけ切って捨てるNHK体質が、安倍のやり口とまったく一緒になっている。
新聞社なども東京には一言も反論できない。
NHKとちがって広告収入で賄うので、7割が東京から送られてくるためである。NHKはそれがないのだからもう少し大阪も毅然とできないのだろうかと思う。
相澤冬樹氏の記者としてのご活躍を期待したい。
森友事件の真相は依然と闇にある。
豊中市民は今後も徹底追及を継続すると決議採択。
俳愚人 (id:haigujin) 1日前
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html#c2
3. 赤かぶ[3872] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:04:13 : 6UnV32Ub6A : 0[228]
元・近畿財務局職員2人「強大な権力の圧力が行政を歪めた」、「決済文書に安倍昭恵夫人や国会議員の名前を残したのは近財局のせめてもの抵抗だ」、「安倍政権は腐りきっている」・・・ / https://t.co/rkaC7ZZUFJ @iwakamiyasumiさんから
— akio (@akio_str) 2019年2月3日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html#c3
153. 2019年2月05日 00:05:24 : B5jUAVwOgo : @q0pLXaGlcw[206]
今「日本」と名付けられている国家組織が支配するこの地に暮らす人の多数派はハプログループだと大陸系なんだよな(歴史の教科書で言う渡来人は実は侵略者)。
その点から考えたら「カンコクガー」とか「チョーセンガー」とか「チューゴクガー」等とわめく行いは大陸系同士の同属嫌悪だろうな。
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/320.html#c153
23. 2019年2月05日 00:11:40 : 8lmygC800k : HK45LMp9ETA[1]
記者クラブ?そんなモノ、他国ではないっしょ。
日・本・の!記者クラブ?ほとんど男だろう。ちっちゃぇ!ちっちゃぇ!ちっちゃぇ!もんばっか!
お前ら、記者だろう!読者の目を見張らせるような記事を書いてみろ!
記者でもないし、男でもない。
望月記者、女気があるというか、セクハラか?男気があるというか、人間気が!ある。
記者魂があるよね!
こういう方を新聞記者と言う。
ただ、タダ酒飲んで、タダ寿司喰って、それじゃ、記者じゃなくて、タダのたかりだよ。
記者クラブ?の男達、安っぽいね!
ただ飯で、人の顔色を見て、喰って、美味しいか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/157.html#c23
1. 赤かぶ[3873] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:12:33 : 90EZJT5uPI : 4gKn5wchQzA[429]
佐高さんの文章が、いちばん生々しくて面白かった。https://t.co/AToc42oXAF
— 三線フォークデュオ幸野夫妻 (@kounofusai) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/180.html#c1
2. 赤かぶ[3874] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:14:14 : 6UnV32Ub6A : 0[229]
■【佐高信氏が岡留安則「噂の真相」編集長への追悼文を寄稿!「岡留を弔うには権力と闘い続けるしかない」】(https://t.co/lw7YYMMBcI)/《佐高氏は死が報じられたその日の夜に「悲しみをまぎらわすために書いた」と原稿を送ってきてくれた…戦友の死 佐高 信》
— AS (@ActSludge) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/180.html#c2
3. 赤かぶ[3875] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:16:43 : 6UnV32Ub6A : 0[230]
イージスアシュアは核ミサイル迎撃だけでなく、攻撃用核ミサイルも配備可能だと。トランプは日本に中距離核ミサイルの配備を要求してくるだろう。そしたら日露平和条約は吹き飛ぶ⁉️
— 九州・自然エネルギー推進ネットワーク (@oita_energy) 2019年2月4日
米ロINF条約破棄で現実味 日本が“新冷戦”の主戦場になる日 https://t.co/klrTKx52Of #日刊ゲンダイDIGITAL
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c3
4. 赤かぶ[3876] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:17:50 : 6UnV32Ub6A : 0[231]
戦争になったら、真っ先に「日本のイージス・アショア」が狙われる。素人でもこう考える。それを買わせたのはトランプで、それを買ったのは安倍真相。日本に標的を求め、それを受け入れた。
— 加勢 仁 (@kase_jin) 2019年2月4日
米ロINF条約破棄で現実味 日本が“新冷戦”の主戦場になる日 https://t.co/ykoLoEJsGk
日刊ゲンダイDIGITAL
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c4
24. 前河[1380] kU@JzQ 2019年2月05日 00:18:35 : AIIfKHKDEM : DjexWojT6rw[77]
大体アベノミクスの成長戦略ってなんだよ?
一か八かのギャンブル政策でいい加減な政策。
原子力発電を売る?意味不明だ。原発事故を起こして終息の目処が立たない国から誰が原発を買うんだ?こいつら頭大丈夫か?正気の沙汰ではない。
こんな一発勝負の賭け事みたいな話がなんで成長戦略なんだ?戦略じゃなく賭けだろ。
冷静になって考えれば誰でも上手くいかないとわかる事だろう。
安全対策をすると予算オーバーになってしまって………って、これも意味不明。
始めから安全対策込みでの適正価格を計画してから交渉しろよ。バカなのか?
世耕おバカさん政策。
アベノミクスとは政策ではなく一時しのぎの刺激策だろ。まあ、一二年ならまだしも長期間やるべき事じゃない。
車を暴走させといてコントロール不能になってしまったんじゃないか?=これを破綻と言うんじゃないのか?
経済が良くなっていないのに、良くなっていると自慢し続ける安倍=もはや危ないおじさんだろ。
あたふたしてもしょうがないが、クールに冷静に断罪しろ!
失敗は失敗と早く認めるべき。失敗を認めないで、ごまかしなから長引かせていると、次の策が打てなくなるぞ。
5. 赤かぶ[3877] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:18:39 : 6UnV32Ub6A : 0[232]
政治的に色んな要素が悪い方向へ流れて行っている感じですね。でも市民レベルでの交流は、その流れと必ずしも一致しないものです。とにかく、ネガティブは我々の最大の敵です!
— Hitoshi Misaka (@HitoshiMisakaJP) 2019年2月4日
米ロINF条約破棄で現実味 日本が“新冷戦”の主戦場になる日|ニフティニュース https://t.co/J7HqYGfWuB #Japan #Peace ☮️
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c5
6. 赤かぶ[3878] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:19:09 : 6UnV32Ub6A : 0[233]
”「シンゾー、中距離ミサイルを置かせてくれ」――。中ロをニラむ絶好の立地の日本にトランプ大統領が協力を求めるのは必至。”
— 加勢 仁 (@kase_jin) 2019年2月4日
死の商人はほくそ笑む。
米ロINF条約破棄で現実味 日本が“新冷戦”の主戦場になる日 https://t.co/ykoLoEJsGk
日刊ゲンダイDIGITAL
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c6
7. 赤かぶ[3879] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:20:24 : 6UnV32Ub6A : 0[234]
天木直人:
— よしぼ〜 (@yocibou) 2019年2月4日
INF条約破棄で、日露平和条約は完全に消えました。そればかりか、日本に中距離ミサイルが配備されれば、“新冷戦”ともいえる、米、中、露の局地的核戦争の最前線に、日本国民は立たされることになるのです。
https://t.co/keh9ULqVuv
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c7
8. 赤かぶ[3880] kNSCqYLU 2019年2月05日 00:21:01 : 6UnV32Ub6A : 0[235]
イージス・アショアを米国が日本に熱心に売り込んだのは、何のことはない、INF離脱後の核ミサイル配備が念頭にあったからだ。
— インドラ天網の猫 (@chicksmbox) 2019年2月4日
米ロINF条約破棄で現実味 日本が“新冷戦”の主戦場になる日 https://t.co/CCi54zJ5Wr #日刊ゲンダイDIGITAL
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c8
学歴に日本分断のリスク
非大卒に意識を
上級論説委員 大林 尚
核心
2019/2/4 2:00日本経済新聞 電子版
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BSテレ東の「ハイスクールQ」は高校生を対象にした日曜朝のクイズ番組だ。時折見るともなしに見る。
毎週テーマを決め、時々のニュースを素材にした問題にスタジオの高校生が答える。地味なつくりだが、問いが洗練されていてスマホのニュースサイトを見ているだけでは正答が難しいのもある。それにしても、なぜ高校生? ふと浮かんだ疑問を長坂章生プロデューサーにぶつけた。
「大学へ進まない人を含めて、高校生には大人…
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学歴と人生の格差(1) 現役世代の過半数は非大卒[有料会員限定]
2018/12/19 2:00
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40788860R00C19A2TCR000/
学歴と人生の格差(1) 現役世代の過半数は非大卒
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/19 2:00日本経済新聞 電子版
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通勤電車の中で、ショッピングモールで、都会の交差点で……。日ごろ見かける人々を思い浮かべてみて下さい。その中に大学を出ている人がどの程度いるかご存じでしょうか。ここではひとまず成人式から還暦まで、生年でいえば1950年代後半から90年代後半に生まれた人を考えることにしましょう。今後の日本社会を実質的に支えていく現役世代の人たちです。
答えは、四大卒以上に限れば約34%、短大・高専卒を含めた高等教…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39071200Y8A211C1SHE000/
学歴と人生の格差(2) 「人口スカイツリー」時代へ
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/20 2:00日本経済新聞 電子版
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筆者の専門である計量社会学は、行動経済学や人口学などとともに、現代社会の仕組みを数量的に把握します。とりわけ、産業経済活動の背景にある現代日本社会という「舞台装置」に関心を持っています。そのエビデンス(証拠)は全国規模の社会調査データによって測り出しています。
この視点で日本社会をみるとき、男女・年齢別人口構成、いわゆる人口ピラミッドの形を考えることが重要になります。日本の現状はピラミッドとは名…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39124460Z11C18A2SHE000/
学歴と人生の格差(3) 大学進学は不確実な投資
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/21 2:00日本経済新聞 電子版
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リカレント教育(社会人の学び直し)について米国では、高卒社会人や学校を中途退学した人たちが20歳代後半から40歳代になって学び直して大卒学歴を得ることがイメージされます。
これに対して日本では、大卒社会人のスキルアップのための大学院進学、退職大卒層の教養としての学び、専門学校での個別スキルの取得など多様な例がある中で、高卒社会人が地位向上を目指して大学で学び直すという例はそれほど多くはありません…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39172100Q8A221C1SHE000/
学歴と人生の格差(4) 大卒と非大卒層に分断
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/24 2:00日本経済新聞 電子版
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私たちが日ごろ「学歴」と呼んでいるものには公的制度と私的ルールがあります。公的制度は6・3・3・4制の学校段階のことです。戦後日本はこの単線型の制度を大きく変えることなく維持してきました。その結果到達したのが、同年齢人口のほぼ全員が義務教育終了後に高校に進学し、さらにその半数が大学に進学するという状況です。そこでは高卒後に大学などに進学するかどうかが非常に大きな意味を持っていて、筆者はこれを「学…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39232280R21C18A2SHE000/
学歴と人生の格差(5) 大卒学歴、分断の境界にも
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/25 2:00日本経済新聞 電子版
保存 共有 その他
近年、社会の分断ということが世界各国で盛んにいわれています。分断とは、(1)社会の目立つところに人々が認識している境界線があり(境界の顕在性)、(2)境界を越えたメンバーの入れ替わりが少なく(成員の固定性)、(3)隔てられた人々がお互いをよく知らず(集団間関係の隔絶)、(4)チャンス、リスク、メリットの振り分け方に上下関係(分配の不平等)がある状態を意味します。ときにそれは集団間の対立や衝突を生…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39232700R21C18A2SHE000/
学歴と人生の格差(6) 学校は「格差生成装置」
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/26 2:00日本経済新聞 電子版
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学校は、同年に生まれた人を多様な労働力に振り分け、公的なラベルを貼って社会に送り出す働きをしています。その際、育った家庭ごとの不平等があるのは問題ですが、学校教育には公的に認められた「格差生成装置」としての役割があり、学歴による格差がなくなることはないといってよいでしょう。
格差を是正するために、みんなが大学に行けるようにすればいいという平等主義の主張は、一見すると聞こえはよくても、差異化と人材…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39332770V21C18A2SHE000/?n_cid=SPTMG002
学歴と人生の格差(7) 若い非大卒層に不利な状況
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/27 2:00日本経済新聞 電子版
保存 共有 その他
新成人から還暦までの現役世代は立ち位置の異なる人々で構成されています。その特性を知るため、現役世代を男女と若年・壮年の生年世代で分け、さらに大卒と非大卒の学歴分断線で分けてみます。すると今、日本社会を支えている6200万人の人々を8つのセグメントに分けることができます。
全国調査によってそれぞれの生活実態を見たとき、気になるのは若年層の内部に生じている分断です。特に若年非大卒層、とりわけ男性が不…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39383070W8A221C1SHE000/?
学歴と人生の格差(8) 非大卒層、外国人労働者と競合
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/28 2:00日本経済新聞 電子版
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外国人労働者の受け入れ基準を緩和する出入国管理法の改正が先の臨時国会の大きな争点でした。受け入れを拡大するのは介護、外食、建設、ビルクリーニング、飲食料品製造、宿泊、農業、素形材産業などの14業種で、いずれもマニュアル労働の現場人材が不足しているといわれます。
そもそも、こうした労働力を国内の現役世代で賄えないのは、なぜなのでしょうか。もちろん少子化の影響はありますが、それに加えて、日本の労働力…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39427090X21C18A2SHE000/
学歴と人生の格差(9) 都市と地方の分断に重なる
吉川徹 大阪大学教授
やさしい経済学 コラム(経済・政治)
2018/12/31 2:00日本経済新聞 電子版
保存 共有 その他
地方消滅がいわれ始めて数年になります。消滅の根拠として挙げられたのは、出産適齢期の若年女性が少なくなり、人口が東京に一極集中するという推計でした。現役世代の学歴構成を考えることは、この問題を理解する手掛かりにもなります。例えば、島根県と東京都の現役世代の学歴構成を比較すると、東京都では大卒層が64.8%を占めるのに対し、島根県では37.6%にとどまります(2010年の国勢調査)。
ここには大学進…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39489680Y8A221C1SHE000/
2018.10.23 Tue
子どもの家庭背景による学力格差は根深い――学力の追跡的調査の結果から考える
中西啓喜 / 教育社会学
1.はじめに
2018年8月2日、大阪市の吉村洋文市長が、文部科学省が実施する全国学力・学習状況調査(以下、「全国学テ」と表記)の数値目標を市として設定し、達成状況に応じて教員の手当を増減させる人事評価の導入を検討すると発表したことが話題になっている。
そこで本稿では、改めて、学力の獲得がいかに子どもの家庭背景によって「根深く」左右されているのかについてデータを示していく。そして読者には、データを見たうえで、こうした教育への介入が適切な方向であるかどうかについて考えるきっかけにしていただければ幸いである。
2.全国学テによる学力格差の実態
文部科学省が全国学テを本格的に毎年実施するようになったのは平成19年度からである。この調査の主たる目的は、「義務教育の目標の実現状況の評価と検証」としているため、児童生徒の家庭環境についての情報収集は、基本的にはほとんど行われていない。しかし、平成25年度には保護者調査も実施され、保護者の収入や学歴水準等と子どもの学力の関係が分析されることになった(なお、平成29年度にも同様の保護者調査が実施されている)。
このデータの分析はお茶の水女子大学の研究チームに委託され、報告書もウェブサイト上で公開されている(お茶の水女子大学 2014)。
お茶の水女子大学の研究グループは、まず保護者に対する調査結果をもとに、家庭所得、父親学歴、母親学歴の3つの情報から子どもの家庭背景を測定した。このように測定される子どもの家庭背景は、社会学では「社会経済的地位(Socio-Economic Status:SES)」と呼ばれる。こうして測定されたSESを「上位」、「中上位」、「中下位」、「下位」に四等分し、それぞれのグループごとに学力の平均正答率を比較したものが図1である(注1)。
結果を簡単にいえば、「家庭が裕福な児童生徒の方が各教科の平均正答率が高い傾向が見られる」というものであった。この知見そのものはもちろん重要なのだが、より重要なことは、(1)日本の学力格差の様相が国家的規模で明らかにされ、(2)(委託研究ではあるものの)文部科学省の名において公表された、という2つの事実である。
図1.家庭の社会経済的背景と学力の関係
出典 「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)保護者に対する調査結果概要」に掲載された表を加工した。
http://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/kannren_chousa/pdf/hogosha_summary.pdf
3.格差は「連鎖・蓄積」するものだと考えてみる
図1のような結果が国家的規模のデータによって広く発信されたにも関わらず、学校や教師の努力によって学力格差が克服されるのではないか、という意見は根強い。こうした見方が蔓延する理由のひとつには、学力を一時点で観測しているため、家庭背景に根差した学力格差の深刻さが今一つ認識されていないことに起因していることが考えられる。
周知の通りだが、文部科学省の全国学テは、毎年小学6年生と中学3年生を対象として実施され、その前にもその後にも同一児童生徒への学力調査は実施していない。換言すれば、全国学テの結果は、子どもの学力格差はいつから始まり、その後どのような推移をたどるのかを把握しておらず、すでに出来上がっている学力格差を一時点で切り取っているに過ぎない可能性がある。結論を先取りすれば、学力格差は小学6年生よりももっと早い段階に発生しているのである。
石田浩氏(2017)は、格差の「連鎖・蓄積」(cumulative advantage and disadvantage)という考え方を用いて、人々の人生を通じた不平等の形成プロセスを説明しようとしている。通常、個人の不平等は、ある時点での有利さ・不利さが時間とともに積み重なっていく(「富める者はますます富む!」)。その時にスタート地点となる不平等は、家庭環境や性別のような当人の意思や努力によって獲得できない〈生まれながらの差異〉である。このような〈生まれながらの差異〉が、その後の人生における学歴や職の獲得に対して影響し続けるという考え方を格差の「連鎖・蓄積」と呼んでいる。
4.日本の学力格差の「連鎖・蓄積」の様相を把握する
それでは、格差の「連鎖・蓄積」という枠組みから日本の学力格差の様相について把握してみたい。これには同一の対象を追跡的に繰り返して調査して得られたデータが必要となる。同一の対象を追跡的に繰り返して調査して得られたデータを「パネルデータ」と呼ぶ。日本では学力情報を含んだ小中学生を対象としたパネルデータの蓄積はそれほど多くないが、ここではその一例を紹介したい。
「青少年期から成人期への移行についての追跡的研究(Japan Education Longitudinal Study: JELS)」(代表:お茶の水女子大学・耳塚寛明)は、2003年から2010年まで関東地方と東北地方において、小学3年生―6年生―中学3年生を対象に、3年ごとに同一の児童生徒を追跡した学力のパネル調査である。最終的な分析ケース数は1,085人、学力調査は算数・数学のみ、児童生徒の家庭背景を親の学歴で定義している、などのいくつかの限界はある。しかし、こうした類のデータは他に例が少ないため貴重なデータである(注2)。
(1)学力格差はどのように推移するのか?
パネルデータの特徴を活かした分析によって、学力格差の推移をビジュアル化したのが図2である。結果は、(1)小学3年次において、すでに親学歴による学力格差が観測され、(2)学年(年齢)の上昇とともに学力格差が拡大していくこと、の2点が示された(注3)。
改めて確認しておくと、文部科学省の全国学テは小学6年生と中学3年生に対し、一時点で実施されている。図2の結果を勘案すれば、私たちが新聞等で把握する図1で見られた学力格差の様相は、「すでに出来上がっている学力を一時点で切り取ったもの」に過ぎないことがわかる。【次ページにつづく】
図2.算数・数学通過率の推定結果(成長曲線モデル)
出典 中西啓喜(2017)『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの―』東信堂、p.61より。
(2)児童生徒の努力は学力格差を克服するのか?
パネルデータを用いた分析のもうひとつの長所として、偏りの小さい推定値を得やすいという点がある。この特徴を活かして、児童生徒の努力の指標として学習時間を設定し、親学歴別に学力と学習時間の関連を分析したのが図3である。
まず青色の棒の両親非大卒の結果を見ると、「ほとんどしない」と「1時間まで」の正答率はそれぞれ47.3点と48.3点となっている。この1ポイント差には統計的に意味はないが、学習時間が「2時間まで」と「2時間半以上」となると、学習時間が正答率を向上させる統計的な関連が見られるようになる。
一方で、オレンジ色の棒の両親大卒の結果では、「1時間まで」の学習時間で学力スコアが向上する。つまり、両親大卒の児童生徒は短時間の学習でも学力に効果があるが、両親非大卒の児童生徒は比較的長い時間の学習をしないと努力が学力に変換されないことが示唆される。
さらに、両親大卒と両親非大卒の児童生徒別に学習時間の推定値を比較すると、同じ学習時間にも関わらず、親学歴によって学力スコアが異なる。両親大卒の児童生徒は、1時間までの学習時間でも52.9点だが、両親非大卒の児童生徒は48.3点しか獲得していない。さらに見ると、両親大卒の児童生徒は、2時間半以上の学習時間で55.7点だが、両親非大卒の児童生徒は51.3点に留まる。
この結果は、学力の獲得をとりまく種々の学習行動(例えば、努力)は形式的に平等であるに過ぎないことを示唆している(ブルデュー&パスロン 1964=1997など)。具体的にいえば、両親が非大卒の児童生徒に比べて、両親大卒の児童生徒は「効果的な学習」がより身体化されており、学習時間の効果が親学歴別に異なり、その結果として、個々人の努力では学力格差が克服することができないことになる。
図3.親学歴別、学習時間の効果の推定結果(固定効果モデル)
出典 中西啓喜(2017)『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの―』東信堂、p.85の表5-3を図化した。
5.学力格差は根深い
ここまでの図2と図3の分析結果を合わせて考えると、学力格差の発生には二段階のメカニズムがあることがわかる。すなわち、(1)家庭背景による初期的な学力格差に加え、(2)家庭背景によって学習時間の効果が異なる、という2段階である。第一の段階は家庭環境そのものが生み出す学力格差であり、第二の段階は児童生徒の家庭背景によって「努力の質格差」とも呼べる現象が生じており、それが学力格差を生み出しているのである。
こうしたデータを改めて眺めてみると、学力格差がいかに子どもの家庭環境によって早期から大きな影響を受けているのかが理解してもらえるだろうか。むろん文部科学省の全国学テの実施には、その役割と意義はある。しかし、全国学テによって把握できる学力格差(図1)は、すでに出来上がっている格差を一時点で切り取っているに過ぎないという限界は理解すべきである。
このようなデータを提示すると指摘されるのは、「分析結果は傾向に過ぎず、例外もあるはずだ」という意見である。例えば、「私は親が非大卒だけど学力が高かった」や「友人は、貧困家庭だったが有名大学に進学できた」などの経験則を踏まえて「納得できない!」という主張がある。
しかし、過去の『シノドス』(https://synodos.jp/education/16239)において中澤渉氏が指摘している通り、統計的な分析結果が示すのは、あくまで全体の傾向でしかない。それゆえに、「不利な家庭環境を乗り越えた人物」のようなレアケースは存在する。だが、全体の傾向にマッチしない自分や身の回りの人間のケースを「納得できない!」と紹介するだけでは反証したことにはならない。統計的な分析によって導かれた知見は、統計的な分析で反証しなければならないのである。
例えば、JELSデータの分析によれば、学力スコアを上位・中位・低位に3等分し、小3の時に学力低位だった児童生徒が、中学3年生で学力高位になったのは全体の4.42%に過ぎなかった。具体的な人数を記述すれば、1,085人中の48人である。両親非大卒の児童生徒に限れば13人(1.2%)しかいない。このような極めて少数のケースを元に、「学力格差は挽回できる!」と反証の根拠にするのは無理がないだろうか(注4)。
賛否は別として、冒頭で紹介した大阪市のように、学校に成果の説明責任を求めようとする政策的動向は、歴史的には新しいことでも特別なことでもない。教育に市場原理を導入して、高い成果を目指すということは海外でも見られる。有名な例としては、アメリカではブッシュ政権下における「おちこぼれゼロ法」(No Child Left Behind Act=NCLB)である。
歴史的に、人々は社会問題の解決を過剰に学校教育へ期待し、「小手先の学校いじり」に熱中し、学校教育は社会問題の解決の「カギ」としての役割を押し付けられてきたのである(ラバリー 2010=2018)。
むろん、筆者は学校教育が無力だと主張したいのではない。学校教育に期待するからこそ、学校に出来ることと出来ないことを見極め、どのような条件がそろえば学校教育の効果が発揮されうるのかを考えたいのである。そのための真っ先に取るべき「最善策」が現場教師への査定を導入することなのかということを、本稿の図1〜図3を見たうえで読者にも考えてみてほしい(注5)。
〈注〉
(1)文部科学省の全国学テはA問題とB問題に分かれている。A問題は、主として身につけた「知識」に関わる出題、B問題は、主として知識の「活用」に関わる出題である。
(2)JELSの詳細については、以下のウェブサイトを参照されたい。
http://www.li.ocha.ac.jp/ug/hss/edusci/mimizuka/JELS_HP/Welcome.html、2018年8月29日取得。
(3)最近では、日本財団によって「貧困状態の子どもの学力は10歳を境に急激に低下する」という知見が発表されている。
https://www.nippon-foundation.or.jp/news/articles/2017/img/92/1.pdf、2018年8月29日取得。
(4)データの詳細は、拙著(中西 2017)の50-63を参照されたい。
(5)例えば、教育と福祉に連携が必要なことは、過去の『シノドス』(https://synodos.jp/education/17471)において仁平典宏氏も論じているところである。
〈文献〉
ブルデュー・ピエール&ジャン・クロード・パスロン、1964=1997、『遺産相続者たち―学生と文化』藤原書店。
石田浩、2017、「格差の連鎖・蓄積と若者」石田浩編『格差の連鎖と若者1 教育とキャリア』勁草書房、pp.35-62。
ラバリー・デイヴィッド、2010=2018、『教育依存社会アメリカ―学校改革の大儀と現実』岩波書店。
中西啓喜、2017、『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの』東信堂。
お茶の水女子大学、2014、『平成25年度 全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究』。
知のネットワーク – S Y N O D O S –
学力格差拡大の社会学的研究―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの書籍
作者中西 啓喜
発行東信堂
発売日2017年12月11日
カテゴリー単行本
ページ数176
ISBN479891438X
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中西啓喜(なかにし・ひろき)
教育学
1983年、三重県伊勢市生まれ。青山学院大学大学院教育人間科学研究科博士後期課程修了(博士・教育学)。専門は教育社会学。お茶の水女子大学・研究員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院・講師。主著は『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの』(2017年・東信堂)、『半径5メートルからの教育社会学』(2017年・大月書店・第1章を担当)、主要論文は「少子化と90年代高校教育改革が高校に与えた影響─「自ら学び自ら考える力」に着目して」、『教育社会学研究』88:89-116、「パネルデータを用いた学力格差の変化についての研究」『教育学研究』82(4):65-75、「トラッキングが高校生の教育期待に及ぼす影響―パネルデータを用いた傾向スコア・マッチングによる検証」『ソシオロジ』191:41-59など。
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「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由180425
知られざる「文化と教育の地域格差」
阿部 幸大文学研究者
プロフィール
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名門校出身者たちを目の当たりにして
教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。
ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。
だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。
田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。
あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。
私は高校時代までを、北海道の釧路市で過ごした。初代の「ゆとり世代」であるらしい1987年生まれの男性で、これは2000年に中学に入学し、2006年に高校を卒業する学年である。
中卒の母親と小学校中退の父親という両親のもとに生まれ、一人息子を東京の大学に通わせるだけの経済的な余裕はある家庭に育った。
高校卒業後は浪人して東京大学の文科三類に進み、3年次で文学部へ進学、その後5年間の大学院生活を経て、現在はニューヨーク州立大学の博士課程に籍をおいている。
釧路市は、見渡す限り畑が広がり家屋が点々と建っている、というほどの「ド田舎」ではないものの、若者が集まる場所といえば「ジャスコ」しか選択肢がなく、もっともメジャーな路線のバスは30分に1本しか来ず、ユニクロやスタバがオープンすると大行列ができるような、ある種の典型的な田舎町だ。
私が住んでいた当時は、ちょうど人口が20万人を割ったころであり、現在も小中高のクラス数とともに、人口は減りつづけている。
そのような田舎町で育った私は、東大に入学して、都内の名門校出身者をはじめとする「サラブレッド」たちに出会い、いたく驚かされることになった。
文化と教育の地域格差が、想像以上に大きかったからである。
問題は「貧富の差」ではない
私が主張したいのは、「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」ということではない。そうではなく、地方には、都市生活者には想像できないであろう、別の大きな障害があるということである。
田舎では貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない。
たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。
もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。
「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。
この記事は、以下のツイートの拡散をきっかけに執筆依頼を受けて執筆している。
阿部幸大
@korpendine
家庭が貧しいと教育が受けられず貧しさが再生産されるという話、もちろん大問題だけど、同時に知ってもらいたいのは、教養のない田舎の家庭に生まれると、たとえ裕福でも教育には到達できないってこと。教育の重要性じたいが不可視だから。文化資本の格差は「気付くことさえできない」という点で深刻。
10,012
15:56 - 2018年3月15日
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6,835人がこの話題について話しています
私は社会学者ではない。田舎から運良く東京の国立大学に進学できたので、上記のような格差と落差を、身をもって体感した一個人にすぎない。
だがこのような格差の紹介は、日本ではまだまだ驚きをもって受けとめられている――つまり十分に認識されていないようなので、私のような経験者がひとつの実例を提出してもよいだろうと考えた次第である。
そしてこの「十分に認識されていない」という事実が、逆説的にこの格差の大きさを物語っているように思われる。
大学って、どこにあるんですか?
大学生を見たことがなかった
私の育った釧路市のような田舎に住む子供の多くは、おかしな話に聞こえるかもしれないが、まず「大学」というものを教育機関として認識することからして難しい。
言い換えれば、大学を「高校の次に進む学校」として捉える機会がないのだ。
高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。仮に当時の私が「大学には18歳の若者が通ってるんだよ」と教わっても、驚くどころか、意味がよくわからなかっただろう。
たとえば釧路市民にとっての「都会」といえば札幌だが、釧路と札幌は300km、つまり東京―名古屋間と同じくらい離れている。市内には2つの大学があるが、いずれも単科大学である(当時は知らなかったが)。
日本の各都道府県にはそれぞれ総合大学(ユニバーシティ)が設置されているので、最寄りの総合大学からこれほど地理的に離れている地区というのは、全国を見渡しても、離島と北海道の端っこくらいのものであろう。
都市部にも「大学と無縁の環境で育った」という人はいる。だが、この点において田舎と都会で根本的に異なると思われるのは、「文化」や「大学」といった存在が視界に入るかどうか、という差である。
釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。
それに対して都市部では、たとえば電車に乗れば「?大学前」といった駅名を耳にすることになるし、そこで乗ってくる大量の若者が「大学生」であることも、なんとなく理解するチャンスはかなり大きくなるだろう。上京して、じっさい私は「世の中にはこんなに大学があったのか」と驚いた。
さらに言えば、私が東大に入学し、なかば憤慨したのは、東大と同じ駒場東大前駅を最寄り駅とする中高一貫校が存在し、その東大進学率が抜群に高いということだった。なんという特権階級だろう! しかも彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない。まさに文化的な貴族である。
遠すぎて想像がつかない
地域格差の大きさを考えるために、以下のような比較をしてみたい。
たとえば東京に隣接したある県の家庭で、ひとりも大学卒の親族がおらず、しかし、抜群に成績が優秀な子供がいたとする。この子と、たとえば釧路市に住む、やはりひとりも大学卒の親族を持たない、同程度に優秀な子供とを比べてみよう。
それぞれの家庭の親が、「この子を大学に入れようかしら」という発想に至る可能性を想像してみてもらいたい。
前者の場合、仮に経済的な問題があっても、すくなくとも「将来、うちの子はもしかしたら東京の学校に通うことになるのかもしれない」という想像までは働くだろう。なにしろ東京まで電車で1時間程度なのだし、それに都内でなくとも、関東には大学がいくつもある。
だが、後者の場合、親はせいぜい子供の優秀さをなんとなく喜ぶ程度で、大学進学などという発想はいちども脳裏をよぎることがなく、高校の終盤に先生から打診されてはじめてその可能性を知り、やっとのことで「『大学』って……どこにあるんですか?」と反応するといったありさまだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは私の実例である。
釧路のように地理的条件が過酷な田舎では「街まで買い物に行く」ことも容易ではないので、たとえば「本やCDを買う」という日常的な行為ひとつとっても、地元の小さな店舗で済ませる以外の選択肢がない。つまり、まともなウィンドウ・ショッピングさえできないのだ。
したがって、私が関東に引越して自宅浪人しはじめたとき、まっさきに行ったのは、大きな書店の参考書売り場に通いつめることであった。見たこともない量の参考書が並んでいる東京の書店で、はじめて私は「釧路では参考書を売っていなかったのだ」ということを知り、悔しがったものである。
田舎者(私)の無知と貧弱な想像力の例をいくつか挙げたが、まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。
あまりに遠すぎて想像すらできないこと、これが田舎者の本質的な困難なのである。
努力ではなく、偶然にすぎない
サバイバーズ・ギルト
田舎の小中高生にとっては、「将来のために勉強する」という発想もまた、かぎりなく不可能に近い。これは「何のために役に立たない勉強なんてするの?」といった不満とは異なる話である。
たとえば当時の釧路市では、高校入試の倍率はどの学校でもほぼ1.0倍であり、進学先は中学校の成績で自動的に割り振られた。いわば、いつのまにか「生涯の偏差値」が――その意味さえわからぬまま――決定されていたわけだ。
田舎から抜け出すには大学入試がおそらく最大のチャンスだが、しかし、その可否は中学時代にすでに決まっている。
なぜなら、「都会には『大学』なる組織が存在し、自分も努力次第でそこへ入学するチャンスがある」という事実を教わることができるのは、中学で教師の言われるままに学区トップの高校に進学した者だけだからだ。
高校で初めて「大学進学」という選択肢の存在を知った私の場合は、この事実を驚愕と、いくぶんかの後ろめたさをもって受け止めた。なぜなら自分の学力が高くて大学に行けるのだとしても、それは「努力の成果ではなく、偶然の結果にすぎない」としか感じられなかったからである。
田舎から都市圏の大学に進学するということは、たまたま容姿に恵まれて街角でスカウトされるのにも似た、きわめて確率的な事象である。
それをプライドに転化することもできるだろうが、いわゆる「底辺」と形容される中学に通っていた私には、高い学力を持ちながらも、その価値を知らず道を誤ってしまった親しい友人を多く持っていたため、むしろ自らが手にした幸運の偶然性に寒気がしたものであった。
この「後ろめたさ」は、一種の「サバイバーズ・ギルト」のような感覚だと言える。じっさい、そうした友人たちは中学のある時点で未成年による犯罪のニュース報道とともに学校から姿を消し、のちに鑑別所か少年院で撮影されたらしい変色した写真が卒業アルバムに載っているのを目にするまで、生死さえわからない状態であった。
その中には私よりも成績が良い者もいたのだが、彼らは大学どころか中学校にも通えなかったわけだ。私が同様の運命を辿らずに済んだのは、たんに運が良かったから――たとえば犯罪行為が露見した日に一緒に遊んでいなかったから――にすぎない。私は、彼らが学力の価値を少しでも知っていたらどうだったろう、と考えないわけにはゆかない。
かように田舎において、学力というポテンシャルの価値は脆弱なのである。
東京との根本的な違い
仮にめでたく大学進学という選択肢が与えられ、十分に学力があり、経済的にも恵まれ、いざ大学進学を志したとしても、田舎の子供にはさらなる障壁がいくつも立ちはだかっている。思いつくままに羅列してみよう。
○「せめて県内の大学に行ってほしい」と希望する親(北海道はとくにこの傾向が強かった)
○「女性は大学・都会になど行くべきでない」という根強い価値観
○都会に出ようとする若者への激しい嫉妬と物理的・精神的妨害
○受験に対する精神的な負担(多くの人は飛行機に乗ったことも大都市に行ったこともない)
○単身で「都会へ引越す」ことへの精神的負担
○都会での大学生活について相談できる大人の不在
○塾や予備校の不在(都会にどんな機関があるのか知る機会もない)
○近所の本屋に受験参考書が揃っていない(取り寄せるべき参考書を知る機会もない)
○過去問を閲覧することができない
○各種模擬試験の案内がない
田舎者は、こうした数多の困難によって、教育から隔絶されている。
こういう話をすると、かならず「いまはインターネットで教育が受けられる」という反応がある。だがこれは、くりかえすが、機会の問題ではなく想像力の問題なのだ。田舎ではそのような発想じたいが不可能なのである。
田舎者は、教育の重要性はもちろん、インターネットの使い方もろくに知らない人がほとんどである。そのような情報弱者に、みずからの社会的地位の向上のためにインターネット教育を利用することを期待するという発想は、都会人の想像力の貧困を示していると言わざるをえないだろう。
「幸せならいい」のか?
「幸せかどうか」とは別問題
「田舎だけの問題じゃない」「うちの田舎のほうがキツかった」「都会の貧困層には都会特有の問題がある」といった数々の異論があると思う。それはもっともだ。しょせん私はひとつの経験しか持たない。とくに都会特有の問題については無知である。
だが、別の事例と問題点を挙げるとき、念頭においてほしいのは、弱者同士でケンカすることなどまったく不毛だということである。
たんに私は、「教育の格差といえば貧富の差」という一般論において消去されがちな地域格差という側面にスポットを当てたにすぎない。別の問題を知るひとは、また別の問題として提起すればよい。
また、「田舎は田舎で楽しくやってる」というのはまったくそのとおりだが、その事実と、都会と田舎のあいだには「格差」が存在するという問題は位相が異なる。田舎の幸福は格差を容認する理由にはならないのだ。
ましてや、「知らないほうが幸せ」という意見は、「家事こそ女の幸福」と主張して女性差別を温存するのにも似た、差別と搾取と格差を是認するロジックと同じである。
偶然に翻弄される地方の子供たち
地域格差が存在することは理解してもらえたとしよう。ではどうすればいいのか?
教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。
先にも述べたように、私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである。
そして私は、もし過去に戻ってみずからの意思によって進路を選択できるのなら、迷うことなく前者を選ぶ。なぜなら、大学進学は選択肢を可視化するためである。「知らなくて損をする」という可能性を小さくするためである。
私が必要だと思うのは、こうした偶然性に翻弄される田舎の子供たちに、彼らが潜在的に持っている選択肢と権利とを想像させてやることであり、ひいては、東京をはじめとする都市部に住む人びとに、もうすこし田舎の実態を想像してもらうことである。
本稿がその実現にむけた小さな一歩となることを願っている。
続編はこちら:「大反響『底辺校出身の東大生』は、なぜ語られざる格差を告発したのか」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353?page=4
大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか180501
本人が批判と疑問に応える
阿部 幸大文学研究者
プロフィール
シェア3,376ツイートブックマーク390
衝撃をもって受け止められた、阿部幸大氏による「教育と文化の地域格差」に関する論考「『底辺校』出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」。「地方には、高等教育を受ける選択肢や機会そのものが不可視になっている層が少なからず存在する」という問題提起は、多くの読者の共感を得ると同時に批判をも呼び、議論はなお収まらない。
膨大な数にのぼる反響をふまえて、続編をお届けする。
ぜひ最後まで読んでほしい
前回の記事が想像以上に大きな反響と議論を呼んだため、本稿は連載形式をとることになった。さしあたり今回は、前回の記事に対していただいた反論や疑問に応答する。
反応はあらゆる媒体にわたって膨大な数にのぼっており、とてもすべてに目を通せたわけではないが、以下では、とくに重要だと思われるいくつかの指摘をピックアップして、できる範囲でお応えしたい。リアクションの総括には「現代ビジネス」編集部の担当者も協力してくれた。ありがとうございました。
最初に内容を概観しておこう。
まずは、謝罪しなくてはならない点がいくつかある。具体的には、釧路を含めた田舎にある店舗や施設、あるいは個人などを、あたかも存在しないかのごとく記述したことについてである。田舎を攻撃することなど、当然ながら、私の目的ではない。なぜそう聞こえる書き方を選択したのかも説明する。
つぎに、いくつかの批判・反論に対してコメントする。もっとも激しい批判は、都会からではなく、田舎(を知る人)から提出されており、とくにその意味について考えることにしたい。これは私には、田舎の内部の格差に起因するように思われた。
さらにインターネットの話にふたたび触れ、総括に入る。最後のページは重要なので、ぜひ読んでもらいたい。
本論に入るまえに、大前提として述べておきたいが、前記事に対してツイッターや記事へのコメントで寄せられた反応の大部分は「私が長年思っていたことを言語化し周知してくれた」という賛同であり、さらに注意してほしいのは、これらはおもに「田舎と都会の両方を知る人」から発せられている、ということである。
つまり、もっとも大きな格差を味わっている人々、田舎しか知らず、その格差の存在にさえ気付きにくい人々の声は、まだまだ上がっていないのだ。
以下の議論は、そのことを念頭に置きつつ読んでもらえればと思う。
「否定された」と感じた方へ
前回、私は「田舎と都会」という大きな二分法で議論を立てた。私が意図したのは、なによりもまず、地域格差という問題の提起と可視化そのものであったためである。
この「都会と田舎の格差を訴える」という最優先の目的を達成するにあたり、私は田舎と都会を、いわばイチゼロで語る方針を採った。そのようなわけで、いきおい、田舎には大学も書店も美術館も学習塾も「ない」のだ、それをまずは知ってほしい、という断定的な表現を多用することになったのだ。
ただし、私は本文で「田舎」と「釧路」と「私」という主語を使い分け、一般論、釧路の例、個人的体験などを慎重に腑分けした書き方をしているつもりである(前回の記事が「虚偽だ」という意見に賛成の人は、本稿を読んでから、もういちど読み返してほしい。まったく違って見えるはずだ)。しかし、それがうまく読み取ってもらえなかったということは、私の書き方が悪かったということだ。
まずはこの点について、特定の団体や個人にかぎらず、田舎で一生懸命に暮らしている人々、あるいは田舎だからこそできることを模索し挑戦している人々が、その存在や試みを無視され否定されたと感じたとすれば、それは心から謝罪するしかない。まことに申し訳ない。
私とて、むろん、釧路市をふくむ田舎を敵視・蔑視していると誤解されるのは本意ではない。たしかに十代の私にとって、釧路はなんとしてでも「脱出」すべき場所だった。私は情報と文化に飢えていた。しかし、田舎に生まれなければ現在の自分はありえないのだし、中高ではいまだに私淑している恩師にも恵まれた。
私にとって地元は、愛憎の相半ばする親のような存在である。田舎から都会への移動を経験した人の多くがそう感じていることだろう。私は帰省のたびに母校やお世話になった人々を訪問し、授業や講演のようなことをしていることも付記しておく。
だがこうした補足が、前記事の根幹にある主張を覆すわけではない。強調したように、地域格差ゆえに機会を与えられずにいる人々は、まぎれもなく、大量に存在しているのだから。
この謝罪によって、「ほら、やっぱり田舎にだって大学も美術館もあるじゃん」ということにされてしまう事態を私は懸念している。「田舎にも?がある」という事実は、それが都会に「ある」という事実とは、まったく比べ物にならない、ということを強調しておきたいと思う。この点についてはもう少し詳しく述べたいのだが、稿を改めよう。
ほんらい、こうした議論は社会学者の仕事であるはずなので、「門外漢がいいかげんなことを言うな」という専門家からの叱責には甘んじるしかないが――ただし地域格差を研究する社会学者からはむしろ賛同を得ている――しかし、私のような門外漢が個人的な経験を語るだけでこれほどの反応が噴出したという事実によって、やはり「田舎と都会」の二分法で語りうる巨大な問題が厳然として存在すること、そしてそれが不当に放置されていることは、じゅうぶんに示されたはずである。
田舎の中にも格差がある
つづいて私が取り上げたいのは、「私も田舎の出身だが、こんなことはありえない」という反対意見である。釧路を直接に知る人々、あるいは釧路と同程度か、釧路よりも規模の小さい市区町村で育った読者からの反応も含まれているようだ。
これは田舎を知らない人々からの反動的な否認とは性質が異なるので、応えておくべきだろう。
まず感想を述べておきたいが、私は彼らからの批判にもっとも心を痛めた。都会人に無視されるのはまだいい。そして田舎しか知らない人々は格差に無自覚であることがおおい。したがって、この批判を寄せた人々こそは、おそらく田舎と都会の両方を知る、もっとも私の意見に賛同してもらいたい層だったのだ。
では、田舎も都会も知っている人々から厳しい反論が寄せられたのはなぜなのか。
これは田舎の内部に存在する、また別の格差に起因しているように思われる。
前記事では田舎と都会という二分法を強調したので、この問題には補足的に言及するにとどめざるをえなかったが、もちろん、田舎の問題とて複合的である。都会から同様に地理的に隔てられた田舎であっても、経済的な格差、親や親戚の学歴、学校や先生の教育方針、などなどが絡み合って各人の大学進学可能性は決定される。
したがって、田舎者のあいだにも認識の差があるのは当たり前である。つまり上述の意見が示しているのは、田舎の情報強者にも田舎の情報弱者は見えていない、という事実だ。
このことは私にとって盲点だった。私は北海道全体で見ても上位とされる高校に進学したので、田舎者としては情報強者の上澄みに属していたと信じていた。だが、私のような「高校生活の後半まで大学受験が視界に入らない人」の存在は、「大学進学は当たり前と思っていた」高校生の眼中には、入っていなかったのだ。
これはイジメを知らない人間による「うちの学校にはイジメなどなかった」という意見に似ている。あるいは、高校に進路指導が存在することが私の意見と矛盾するように感じられるとすれば、それは「カウンセリング室があるのにイジメられていたのはおかしい」と主張することに近い。
それは高校のせいではない、お前のせいだ、と思われるかもしれない。それはたしかに高校の責任ではない。だが、私は高校を責めているのではない。私の趣旨は、そのような無知な若者を生み出している構造こそが地域格差なのだ、ということである。自己責任にすべてを還元しようとする議論もまた、「イジメられる奴が悪い」という論法と大きく違わないだろう。
では私のような無知な若者は、統計的には無視してもいいような、ごく特殊な情報弱者だったのだろうか?
そうではないだろう。田舎の内部にこのような格差が存在し、かつ、私がけっして特殊な少数派ではないことは、繰り返すが、私の記事が自分たちの鬱憤を言語化し代弁してくれたというリアクションが大多数だったことから、明らかであるように思われる。
もしかすると私は、母校の高校においては大学進学の知識に関して最下層に属したのかもしれない。だが、そもそも私は自分の通っていたような成績上位の高校だけを問題にしているわけではないのだ。
こうした反論の多くは「田舎を馬鹿にするな」という憤りから発せられたようだ。自分が「田舎者」に属すると考える人がそのように感じる気持ちは、よくわかる。
だが実際には、田舎を馬鹿にされたと感じた人々、感じることが「できた」人々は、田舎の情報強者、さらにそのなかでも最上位の上澄みに属していた可能性が高いように思われる。
どのような種類の格差でも、恵まれている側はそのことになかなか気が付かないものだ。ましてそれが目に見えない意識の差なら、なおさらである。
私の家族と環境について
私の家族と環境のこと
田舎の内部に存在する格差をもう少し具体的に見てもらうために、補足もかねて、いくつかの私個人にかかわる極端な例を紹介してみたい。
第一に、私の父親が小学校中退であるという記述を奇妙に思った読者もいると思う。誤解を解く必要もあるので書いておくが、私の亡父は1925年に国後島で生まれており、学校に通っていない。ただし、数年間は出生届も提出されていなかったらしく、正確な年齢、誕生日、そして出身地も不明だった。
これは「田舎では普通」といった類の事例では、さすがにない。しかし、世の中にはいろいろな人、いろいろな家庭が存在するのだ。
第二に、私の周囲には平仮名を正確に書けない大人が複数存在した。彼らは1960年代のうまれである。日本には、そうした人がまだ歴然と暮らしている。その子供たちは私と世代が変わらない。
もう一つだけ挙げよう。前記事でも触れたが、私の通った中学は私が入学した頃からかなり治安が改善していたものの、それでも複数名は犯罪によって消息を絶ち、10人弱は高校を1年以内に退学になり、私は仲間と頻繁に他校との乱闘事件を起こしては交番で説教を受け、教師は毎日のように個室で生徒を殴りしばしば大怪我を負わせる、といった状況だった。他にも、前回「サバイバーズ・ギルト」と書かざるを得なかったような、ここにはとうてい書けないことが多々ある。
こうした「極端な」事例をあえて紹介するのは、田舎の下位層、「底辺」をまったく知らない人々の考える「普通」が排除し不可視化している人々の存在を、すこしでも認識してもらいたいためだ。
これらは田舎に住んでいた経験があるからといって、必ずしも全員が知ることのできる現実ではない。じっさい、私と中学の同級で、私と同じ高校に進学した者は、上述のような事実の全てを知っていたわけではないだろう。ことによると、彼らは私と違って中学時代から大学進学を意識していたのかもしれない。
もちろん、平仮名が書けない人などは、それこそ統計的にはごく少数である。だが問題はそこではない。そんな人など「いくらなんでも今の日本に存在するわけがない」と本気で信じてしまう「常識的」な判断は、私の書いた記事を――つまり私の人生を――単なる虚偽としか思わないような態度へとまっすぐに繋がっているということ、これが問題なのである。
前記事に対する批判的反応には、「話を盛ってるだけ」という雑感による攻撃が、おそらく数としてはもっとも多かった。それゆえ、さらなる具体性をもった私の(恥ずべき)個人情報を、数値を含めてこうして公開することにした次第である。
「常識」を当たり前に生きることができる幸運に恵まれた人々にとって「底辺」が想像しにくいのは致し方ないが、誇張したところで何になるだろう。私が実名も顔も出身地も立場も明かしてこの記事を書いていることの意味を考えてみてほしい。そして社会学者でもない私には、自分の生きた過去しか武器がない。
私たちの想像力には限界がある。たとえ同じ空間で何年も一緒に過ごしたとしても、他人が何を考えているのか、家庭でどんな暮らしをしているのか、教室の外で何をしているのか、私たちは知りえない。そのことを忘れてはいけないだろう。
「インターネットが解決する」か
インターネットは有効なのか
前回の記事で強調したにもかかわらず、「いまはインターネットがあるから事情は違う」という意見も多数見られた。
たしかにインターネットは田舎を救いうるかもしれない。だがインターネットがすでに田舎の問題を解決したかといえば、それは間違いなく否であり、近い将来に解決するかというと、それも否であると思われる。
この項目は「田舎者」というより「情報弱者」の問題になるが、再三述べているとおり問題は重層的であり、また田舎者は基本的には情報弱者であることを強いられているので(それが前回の趣旨だった)、共通の問題として話を進める。
前回の繰り返しになってしまうが、インターネットで自分に必要な情報を収集するというリテラシーは、かなり高度なものである。
私は前回の冒頭で、「ググる」習慣があること、余暇を文化活動に費やすこと、大卒という学歴を普通と感じること、この3つを文化と教育の指標として並列した。日本の全人口における大学進学者の割合は半数ほどだが――記憶してほしいが、大学に「進学」するだけで半分より上なのである――その大学進学者内の最上位層においてさえ、たとえググったところでウィキペディア以上の情報に辿り着く人は、そう多くないのである。
そして私は、必要な情報からさらに遠く隔てられた田舎の話をしている。田舎では地域格差を自覚すること自体が困難であるのに、その格差を自力で解消するためにインターネットを活用することができる人など、まれであるというか、ほとんど矛盾している。格差に気づくこと自体に高度なリテラシーが必要なのだから。
この比較も役立つかもしれない。たとえば、この記事をスマホやPCで読んでいるあなたは、日本からアメリカに留学するために、インターネットを使って必要かつ十分でしかも確実な情報を集めることができるだろうか? やってみるとわかるが、これはかなり困難である。だが田舎者が都会のことを調べるほうが、もっと難しい。
しかし、ほんとうに、たとえばPCを使ってメールで必要書類を添付して送るくらいのリテラシーは今や常識だと信じている人々が存在することには驚く。じっさいに教えるとわかるが、こんなことは東京の大学でさえ新入生の多くは慣れていない、かなり高度な作業である。
大学1年生に初等文法や四則演算を教えなおす行為を揶揄する投稿をしばしば見かけるが、私には大学生の学力低下よりも、それを笑える人々の認識の甘さが問題に思える。こうした認識を改める必要がない環境にしか身を置いたことがない人というのは、ふたたび前回のフレーズを用いれば、いやはや、なんという特権階級なのだろう。
私は格差に怒っている
「ルサンチマン」?
私は前回、すでに「弱者同士で対立しても意味がない」と強調した。しかし、反対意見は「こんな田舎なんてないでしょ」という消極的な否認と、「田舎はそんなんじゃない」という積極的な怒りとに分かれ、重要なので繰り返すが、もっとも私が賛同を得たかったはずの存在である後者の一部が、もっとも苛烈な反論を展開する皮肉な事態になってしまった。
これは、文化・教育の地域格差に対する社会の認識があまりにも不足しているため、現段階では仕方のないことであるだろう。だが、もう一度言っておきたい。田舎者どうしでいがみ合っていたのでは、まったくもって本末転倒である。われわれは田舎の状況の改善のために、団結し連帯しなくてはならないはずなのだ。
勝手な推測だが、「田舎を馬鹿にするな」と主張した人々の多くはインテリであり、彼らこそ地域格差の改善のカギを握る、もっとも重要な層なのではないだろうか。
田舎者の「鬱憤」を代弁、とさきに書いたが、私の田舎に対する態度はルサンチマンにすぎない、という意見も多数見られた。文章のトーンが呪詛に接近していたとすれば反省したい。
だがしかし、私が恥をしのんで個人情報まで晒しながらこうして「プロパガンダ」している理由は、格差を告発するためなのであって、格差とは、とりもなおさず、不満以外の何物でもないではないか。私は格差に怒っているのである。
そして、十代の頃は田舎に向けるしかなかった私の不満と怒りは、いま、田舎に対してではなく、地域格差という現実、そして田舎の実情を無視しようとする態度、それらへと向けられている。
種は蒔かれた
最後になったが、ところで、なぜこのような個人的な体験を紹介し雑感を述べているにすぎない私などの記事が、数日で200万PVなどという反響を呼んだのか。
それは、前回も書いたが、日本では地域格差という問題が、とにもかくにも圧倒的に放置されてきたからなのだろう。それがなぜなのか私にはわからないが、この問題を指摘することは、ほとんどタブー視されているようにさえ見える。大きな声で主張する人が誰も居なかったのだ。
地域格差の問題の指摘は、まだまだ抵抗に遭うだろう。問題の告発はかならず反動をうむ、ということは、本稿の読者なら知っていると思う。現在、世間はそのようなニュースで溢れている。
だが問題の種は蒔かれた。これからは私のような「極端な例」のみならず、別の経験者が、あるいは専門家が、そして都会しか知らない賛同者たちが、根気よくその芽を育ててゆくだろう。
私はあなたにもその一人になってほしい。そのためにこの原稿を書いている。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
知られざる「文化と教育の地域格差」
阿部 幸大
世界の音楽市場の足を引っ張っているのは、日本の音楽業界だった
どうしてこうなったのか
柴 那典
日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ? 地方で不気味な「格差」が拡大中
貞包 英之
生徒の1割しか塾に行かない公立校が、名門進学校であり続ける秘密
「異色のOB」が語る
佐藤 優
杉山 剛士
「エホバの証人の活動のなかで、最もつらかったこと」元信者が告白
私がこの漫画を描いた理由【後編】
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一代で1兆円企業を築いたZOZOTOWN社長「異形の履歴書」
「競争はいらない」経営哲学
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オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(週刊現代)
702業種を徹底調査してわかった
週刊現代
38歳専業主婦が不倫夫から「1億5000万円」をゲットした凄テク(露木 幸彦)
泣き寝入りしてたまるもんか
露木 幸彦
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505
2018.10.23 Tue
子どもの家庭背景による学力格差は根深い――学力の追跡的調査の結果から考える
中西啓喜 / 教育社会学
1.はじめに
2018年8月2日、大阪市の吉村洋文市長が、文部科学省が実施する全国学力・学習状況調査(以下、「全国学テ」と表記)の数値目標を市として設定し、達成状況に応じて教員の手当を増減させる人事評価の導入を検討すると発表したことが話題になっている。
そこで本稿では、改めて、学力の獲得がいかに子どもの家庭背景によって「根深く」左右されているのかについてデータを示していく。そして読者には、データを見たうえで、こうした教育への介入が適切な方向であるかどうかについて考えるきっかけにしていただければ幸いである。
2.全国学テによる学力格差の実態
文部科学省が全国学テを本格的に毎年実施するようになったのは平成19年度からである。この調査の主たる目的は、「義務教育の目標の実現状況の評価と検証」としているため、児童生徒の家庭環境についての情報収集は、基本的にはほとんど行われていない。しかし、平成25年度には保護者調査も実施され、保護者の収入や学歴水準等と子どもの学力の関係が分析されることになった(なお、平成29年度にも同様の保護者調査が実施されている)。
このデータの分析はお茶の水女子大学の研究チームに委託され、報告書もウェブサイト上で公開されている(お茶の水女子大学 2014)。
お茶の水女子大学の研究グループは、まず保護者に対する調査結果をもとに、家庭所得、父親学歴、母親学歴の3つの情報から子どもの家庭背景を測定した。このように測定される子どもの家庭背景は、社会学では「社会経済的地位(Socio-Economic Status:SES)」と呼ばれる。こうして測定されたSESを「上位」、「中上位」、「中下位」、「下位」に四等分し、それぞれのグループごとに学力の平均正答率を比較したものが図1である(注1)。
結果を簡単にいえば、「家庭が裕福な児童生徒の方が各教科の平均正答率が高い傾向が見られる」というものであった。この知見そのものはもちろん重要なのだが、より重要なことは、(1)日本の学力格差の様相が国家的規模で明らかにされ、(2)(委託研究ではあるものの)文部科学省の名において公表された、という2つの事実である。
図1.家庭の社会経済的背景と学力の関係
出典 「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)保護者に対する調査結果概要」に掲載された表を加工した。
http://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/kannren_chousa/pdf/hogosha_summary.pdf
3.格差は「連鎖・蓄積」するものだと考えてみる
図1のような結果が国家的規模のデータによって広く発信されたにも関わらず、学校や教師の努力によって学力格差が克服されるのではないか、という意見は根強い。こうした見方が蔓延する理由のひとつには、学力を一時点で観測しているため、家庭背景に根差した学力格差の深刻さが今一つ認識されていないことに起因していることが考えられる。
周知の通りだが、文部科学省の全国学テは、毎年小学6年生と中学3年生を対象として実施され、その前にもその後にも同一児童生徒への学力調査は実施していない。換言すれば、全国学テの結果は、子どもの学力格差はいつから始まり、その後どのような推移をたどるのかを把握しておらず、すでに出来上がっている学力格差を一時点で切り取っているに過ぎない可能性がある。結論を先取りすれば、学力格差は小学6年生よりももっと早い段階に発生しているのである。
石田浩氏(2017)は、格差の「連鎖・蓄積」(cumulative advantage and disadvantage)という考え方を用いて、人々の人生を通じた不平等の形成プロセスを説明しようとしている。通常、個人の不平等は、ある時点での有利さ・不利さが時間とともに積み重なっていく(「富める者はますます富む!」)。その時にスタート地点となる不平等は、家庭環境や性別のような当人の意思や努力によって獲得できない〈生まれながらの差異〉である。このような〈生まれながらの差異〉が、その後の人生における学歴や職の獲得に対して影響し続けるという考え方を格差の「連鎖・蓄積」と呼んでいる。
4.日本の学力格差の「連鎖・蓄積」の様相を把握する
それでは、格差の「連鎖・蓄積」という枠組みから日本の学力格差の様相について把握してみたい。これには同一の対象を追跡的に繰り返して調査して得られたデータが必要となる。同一の対象を追跡的に繰り返して調査して得られたデータを「パネルデータ」と呼ぶ。日本では学力情報を含んだ小中学生を対象としたパネルデータの蓄積はそれほど多くないが、ここではその一例を紹介したい。
「青少年期から成人期への移行についての追跡的研究(Japan Education Longitudinal Study: JELS)」(代表:お茶の水女子大学・耳塚寛明)は、2003年から2010年まで関東地方と東北地方において、小学3年生―6年生―中学3年生を対象に、3年ごとに同一の児童生徒を追跡した学力のパネル調査である。最終的な分析ケース数は1,085人、学力調査は算数・数学のみ、児童生徒の家庭背景を親の学歴で定義している、などのいくつかの限界はある。しかし、こうした類のデータは他に例が少ないため貴重なデータである(注2)。
(1)学力格差はどのように推移するのか?
パネルデータの特徴を活かした分析によって、学力格差の推移をビジュアル化したのが図2である。結果は、(1)小学3年次において、すでに親学歴による学力格差が観測され、(2)学年(年齢)の上昇とともに学力格差が拡大していくこと、の2点が示された(注3)。
改めて確認しておくと、文部科学省の全国学テは小学6年生と中学3年生に対し、一時点で実施されている。図2の結果を勘案すれば、私たちが新聞等で把握する図1で見られた学力格差の様相は、「すでに出来上がっている学力を一時点で切り取ったもの」に過ぎないことがわかる。【次ページにつづく】
図2.算数・数学通過率の推定結果(成長曲線モデル)
出典 中西啓喜(2017)『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの―』東信堂、p.61より。
(2)児童生徒の努力は学力格差を克服するのか?
パネルデータを用いた分析のもうひとつの長所として、偏りの小さい推定値を得やすいという点がある。この特徴を活かして、児童生徒の努力の指標として学習時間を設定し、親学歴別に学力と学習時間の関連を分析したのが図3である。
まず青色の棒の両親非大卒の結果を見ると、「ほとんどしない」と「1時間まで」の正答率はそれぞれ47.3点と48.3点となっている。この1ポイント差には統計的に意味はないが、学習時間が「2時間まで」と「2時間半以上」となると、学習時間が正答率を向上させる統計的な関連が見られるようになる。
一方で、オレンジ色の棒の両親大卒の結果では、「1時間まで」の学習時間で学力スコアが向上する。つまり、両親大卒の児童生徒は短時間の学習でも学力に効果があるが、両親非大卒の児童生徒は比較的長い時間の学習をしないと努力が学力に変換されないことが示唆される。
さらに、両親大卒と両親非大卒の児童生徒別に学習時間の推定値を比較すると、同じ学習時間にも関わらず、親学歴によって学力スコアが異なる。両親大卒の児童生徒は、1時間までの学習時間でも52.9点だが、両親非大卒の児童生徒は48.3点しか獲得していない。さらに見ると、両親大卒の児童生徒は、2時間半以上の学習時間で55.7点だが、両親非大卒の児童生徒は51.3点に留まる。
この結果は、学力の獲得をとりまく種々の学習行動(例えば、努力)は形式的に平等であるに過ぎないことを示唆している(ブルデュー&パスロン 1964=1997など)。具体的にいえば、両親が非大卒の児童生徒に比べて、両親大卒の児童生徒は「効果的な学習」がより身体化されており、学習時間の効果が親学歴別に異なり、その結果として、個々人の努力では学力格差が克服することができないことになる。
図3.親学歴別、学習時間の効果の推定結果(固定効果モデル)
出典 中西啓喜(2017)『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの―』東信堂、p.85の表5-3を図化した。
5.学力格差は根深い
ここまでの図2と図3の分析結果を合わせて考えると、学力格差の発生には二段階のメカニズムがあることがわかる。すなわち、(1)家庭背景による初期的な学力格差に加え、(2)家庭背景によって学習時間の効果が異なる、という2段階である。第一の段階は家庭環境そのものが生み出す学力格差であり、第二の段階は児童生徒の家庭背景によって「努力の質格差」とも呼べる現象が生じており、それが学力格差を生み出しているのである。
こうしたデータを改めて眺めてみると、学力格差がいかに子どもの家庭環境によって早期から大きな影響を受けているのかが理解してもらえるだろうか。むろん文部科学省の全国学テの実施には、その役割と意義はある。しかし、全国学テによって把握できる学力格差(図1)は、すでに出来上がっている格差を一時点で切り取っているに過ぎないという限界は理解すべきである。
このようなデータを提示すると指摘されるのは、「分析結果は傾向に過ぎず、例外もあるはずだ」という意見である。例えば、「私は親が非大卒だけど学力が高かった」や「友人は、貧困家庭だったが有名大学に進学できた」などの経験則を踏まえて「納得できない!」という主張がある。
しかし、過去の『シノドス』(https://synodos.jp/education/16239)において中澤渉氏が指摘している通り、統計的な分析結果が示すのは、あくまで全体の傾向でしかない。それゆえに、「不利な家庭環境を乗り越えた人物」のようなレアケースは存在する。だが、全体の傾向にマッチしない自分や身の回りの人間のケースを「納得できない!」と紹介するだけでは反証したことにはならない。統計的な分析によって導かれた知見は、統計的な分析で反証しなければならないのである。
例えば、JELSデータの分析によれば、学力スコアを上位・中位・低位に3等分し、小3の時に学力低位だった児童生徒が、中学3年生で学力高位になったのは全体の4.42%に過ぎなかった。具体的な人数を記述すれば、1,085人中の48人である。両親非大卒の児童生徒に限れば13人(1.2%)しかいない。このような極めて少数のケースを元に、「学力格差は挽回できる!」と反証の根拠にするのは無理がないだろうか(注4)。
賛否は別として、冒頭で紹介した大阪市のように、学校に成果の説明責任を求めようとする政策的動向は、歴史的には新しいことでも特別なことでもない。教育に市場原理を導入して、高い成果を目指すということは海外でも見られる。有名な例としては、アメリカではブッシュ政権下における「おちこぼれゼロ法」(No Child Left Behind Act=NCLB)である。
歴史的に、人々は社会問題の解決を過剰に学校教育へ期待し、「小手先の学校いじり」に熱中し、学校教育は社会問題の解決の「カギ」としての役割を押し付けられてきたのである(ラバリー 2010=2018)。
むろん、筆者は学校教育が無力だと主張したいのではない。学校教育に期待するからこそ、学校に出来ることと出来ないことを見極め、どのような条件がそろえば学校教育の効果が発揮されうるのかを考えたいのである。そのための真っ先に取るべき「最善策」が現場教師への査定を導入することなのかということを、本稿の図1〜図3を見たうえで読者にも考えてみてほしい(注5)。
〈注〉
(1)文部科学省の全国学テはA問題とB問題に分かれている。A問題は、主として身につけた「知識」に関わる出題、B問題は、主として知識の「活用」に関わる出題である。
(2)JELSの詳細については、以下のウェブサイトを参照されたい。
http://www.li.ocha.ac.jp/ug/hss/edusci/mimizuka/JELS_HP/Welcome.html、2018年8月29日取得。
(3)最近では、日本財団によって「貧困状態の子どもの学力は10歳を境に急激に低下する」という知見が発表されている。
https://www.nippon-foundation.or.jp/news/articles/2017/img/92/1.pdf、2018年8月29日取得。
(4)データの詳細は、拙著(中西 2017)の50-63を参照されたい。
(5)例えば、教育と福祉に連携が必要なことは、過去の『シノドス』(https://synodos.jp/education/17471)において仁平典宏氏も論じているところである。
〈文献〉
ブルデュー・ピエール&ジャン・クロード・パスロン、1964=1997、『遺産相続者たち―学生と文化』藤原書店。
石田浩、2017、「格差の連鎖・蓄積と若者」石田浩編『格差の連鎖と若者1 教育とキャリア』勁草書房、pp.35-62。
ラバリー・デイヴィッド、2010=2018、『教育依存社会アメリカ―学校改革の大儀と現実』岩波書店。
中西啓喜、2017、『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの』東信堂。
お茶の水女子大学、2014、『平成25年度 全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究』。
知のネットワーク – S Y N O D O S –
学力格差拡大の社会学的研究―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの書籍
作者中西 啓喜
発行東信堂
発売日2017年12月11日
カテゴリー単行本
ページ数176
ISBN479891438X
Supported by amazon Product Advertising API
中西啓喜(なかにし・ひろき)
教育学
1983年、三重県伊勢市生まれ。青山学院大学大学院教育人間科学研究科博士後期課程修了(博士・教育学)。専門は教育社会学。お茶の水女子大学・研究員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院・講師。主著は『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの』(2017年・東信堂)、『半径5メートルからの教育社会学』(2017年・大月書店・第1章を担当)、主要論文は「少子化と90年代高校教育改革が高校に与えた影響─「自ら学び自ら考える力」に着目して」、『教育社会学研究』88:89-116、「パネルデータを用いた学力格差の変化についての研究」『教育学研究』82(4):65-75、「トラッキングが高校生の教育期待に及ぼす影響―パネルデータを用いた傾向スコア・マッチングによる検証」『ソシオロジ』191:41-59など。
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2018.07.04 Wed
日本は学歴分断社会である―真の共生社会に向けて『日本の分断』著者、吉川徹氏インタビュー
若年/壮年、男/女、大卒/非大卒の組み合わせからなる「8人」のプレイヤーが支える日本社会。だが、この「8人」のプレイヤーが歩む人生の岐路は、格差に満ちたきわめて不平等なものである。その元凶にあるのが「学歴」だ。容易に是正することのできない「学歴分断社会」を前に、われわれは今どう考えるべきなのか? 『日本の分断』の著者、吉川徹氏に話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)
――本日は光文社新書から『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』を出版された吉川徹先生にお話を伺います。最初に本書のコンセプトを教えていただけますか。
まず、日本が学歴分断社会への歩みを進めているということを、多くの人に伝えたいという思いが強くありました。
そのためには、今の日本では、大学に進学するかしないかということで、人生・生活に大きな格差が生じているという現実にきちんと向き合わなければなりません。これは、だれもが本当は気づいている公然の事実なのではないかと思います。しかしわたしたちは、学歴による格差をとかくタブー視しがちです。
――たしかにさまざまな格差が問題になっているのに、学歴による格差が議論されるのは耳にしません。なぜでしょうか?
その理由を突き詰めると、根源にあるのは、学校教育が成績によって同年生まれの人たちに上下の序列を付け、「中卒」「高卒」「大卒」…という公的なラベルを貼って、社会に送り出すはたらきをする「正規の格差生成装置」となっているということです。
学歴が「元凶」だとわかっていても「格差を是正するために、学歴差をなくしてしまおう!」とまで叫ぶわけにはいきません。
それでも本書では、社会調査に基づく否応のないエビデンスとして、学歴分断の諸局面が描き出されていきます。解決の困難なこの現実から目をそむけることなく、また安易に倫理観を振りかざすことなく、しっかり向き合うことが、深刻な分断を回避するための大前提だと思います。
――本書では「8人」のプレイヤーが社会を支えているとされていますね。
本書では20歳以上60歳未満の男女を現役世代としています。これは、経済成長、少子化対策、男女共同参画、働き方改革、税と社会保障の問題など、現代日本の諸課題の担い手となっている世代です。これを若年/壮年、男/女、大卒/非大卒で切り分けると、次のようなプロフィールがみえてきます。
まず、最上位にいるのは壮年大卒男性(構成比率約10.8%)です。彼らは多くの面で少し取り過ぎかと思われるほど有利な状態にあります。それは、社会の骨組みがまだ安定していた20世紀の「人生の勝ちパターン」にギリギリ乗ることができた人たちだからです。
結果として、多くが転職や離職の経験をもたず、安定した家庭を築き、ポジティブな気持ちで社会を牽引しています。世帯年収は約890万円、9人に1人が管理職で、子ども数は1.63人です。
――40歳以上の大卒男性が、いわゆる「勝ち組」になるわけですね。同じ世代の大卒女性もそうですか?
壮年大卒女性(構成比率約9.7%)は、既婚率が高く、世帯の暮らしには比較的ゆとりがあり、独身キャリア女性から既婚の専業主婦まで、多様な人生を歩んでいます。こうした生活の余裕と柔軟性を背景に、彼女たちは高級消費や文化的活動に積極性を発揮しています。現代日本の生活・文化局面を支えるのに欠かせない人たちだということです。世帯年収は約850万円、子ども数は1.72人です。
――ブランドやグルメ、アートや習い事などにお金をかけられる層ですね。大卒の若い女性にも同じようなイメージがあります。
若年大卒女性(構成比率約11.3%)は、職業キャリア、結婚、出産育児などについてライフコース進行の序盤にあるため、壮年大卒女性以上に多様な生活パターンの人たちの集まりになっています。
それでも満足度や幸福感が「8人」の中で最も高く、文化的活動や国際的な活動にも広く目を向ける傾向がみられます。世帯年収は約680万円と比較的豊かですが、子ども数は少なく0.91人にとどまっています。
――大卒の若い男性はいかがでしょうか?
若年大卒男性(構成比率約11.8%)は、上の世代の大卒男性ほどは社会と積極的にかかわっているわけではありませんが、それでも若年層の「4人」のなかでは、政治や仕事にもっともしっかり向き合っています。
ただし、結婚して子どもを育てるという家族形成に遅れが目立ち、現代若者に特有の将来不安も抱いています。世帯年収は同世代の大卒女性よりやや少ない約650万円、子ども数はわずか0.84人です。
――将来不安があっても、経済的にはやはり恵まれていますね。他方で、大学を卒業していない人たちにはどのような特徴がありますか?
まず40歳以上の人びとから考えましょう。壮年非大卒男性(構成比率約16.8%)と壮年非大卒女性(構成比率約17.6%)は、やはり20世紀からの時代の流れのなかで、産業経済セクターの中間あたりに手堅く居場所を確保している人たちが多いようです。世帯年収はほぼ600万円台前半で、職業的地位も高いわけではありませんが、既婚率と子ども数では他の人びとを上回っています。現役世代の3割を占めるこの層の堅実さは、日本社会の安定に寄与しているとみることができるでしょう。
――バブル崩壊前にポジションを確保していたわけですね。「失われた20年」といわれる時期に社会に出た非大卒層は厳しそうな気がします。
そのとおりです。20〜30代の若年非大卒男性(構成比率11.2%)、若年非大卒女性(構成比率10.8%)に目を転じると、かれらは経済力、職業、家族関係などで、他の「6人」に数歩の後れをとっています。政治や社会参加、文化的活動などについてもきわめて消極的です。世帯年数は男女とも約500万円程度と、他よりも低い水準にあります。
このように、現役世代の「8人」には学歴による分断傾向があり、しかもその度合いは、世代と性別によって異なっていて、とくに若年非大卒男性の凹みが際立つ結果になっています。
――冒頭で指摘された学歴による分断が、この「8人」のあいだには走っているわけですね。
はい。互いに競合する同性の同世代を見比べると、大卒層と非大卒層には、就いている職種や産業、管理職への昇進のチャンス、仕事を失うリスクの大きさ、求職時の有利・不利、そして賃金などにおいて明らかな格差があります。壮年層の世帯年収でみると、その差は約250万円です。さらに、大卒層と非大卒層では、ものの考え方や生活様式も異なっています。
加えて、若年大卒層の父母の約5割が同じ大卒層であるのに対し、若年非大卒層の父母は約8割が同じ非大卒層です。つまり学歴の世代間再生産傾向が明瞭にみられるのです。さらに大卒同士、非大卒同士が結婚する学歴同類婚の夫婦は、現役世代の夫婦のほぼ7割を占めます。
そして大卒学歴をもつ父母の8割以上は、子どもの大学進学を望んでいますが、非大卒の父母では6割以下にとどまっており、大学進学志向の温度差もはっきりしています。
――大卒同士が結婚して、その子どもが大学に進学することによって、学歴による格差が再生産されている。
そうです。これらを総合すると、現代日本では、大学・短大に進学するかしないかの選択が、その後の人生を分断しており、しかもこの構造が世代を超えて繰り返されはじめているということがいえます。
結果として現在、友人関係や恋愛や結婚においても、同じ学歴同士の結びつきが強くなり、日常生活において異なる学歴の人と接する機会が少ないという、人間関係の断絶がはっきりしはじめています。これは、現代日本社会では、他社会における階級やエスニシティのように、学歴が社会の分断を生じさせる主たる要因になっているということです。
――学歴がものをいう社会であるにもかかわらず、日本は再チャレンジの機会が乏しい社会だといわれます。
まず、日本では大学の学費の私的負担が大きい割に、大卒学歴の収益率が高くありません。ですから、人生の途上で大卒学歴を得たとしても、他社会のようにすぐに元がとれるわけではありませんし、象徴的な価値(社会的に高い評価)がついてくるわけでもありません。
実際、人生の途上で学歴に関する再チャレンジができるとみなしている人は多くはなく、結局、人生・生活を決定的に左右するのは、高校卒業後にどのような進路をとったかということになります。この実態を社会全体が了解しているから、日本人にとって、高卒時に選び取る最終学歴は、変更しえないアイデンティティの源泉となるのです。【次ページにつづく】
――再チャレンジの機会がない社会で、高卒段階での選択がその後の人生の岐路を決めてしまうわけですね。先ほど、「8人」のなかでも若年非大卒男性の凹みが際立っているとおっしゃっていましたが。
大卒学歴を得るためにお金をかけた大卒層が、社会に出てから、雇用や賃金にかんして非大卒層よりも有利な立場にたって、若年期にかけたお金を「回収」していくのは致し方ないことです。しかし、非大卒層が人生のあらゆる面で大卒層に著しく水をあけられるのはおかしなことです。
しかし現状では、若年非大卒男性は、他の男性たちと同じだけ働いているのに、年収が壮年大卒男性の半分以下にとどまっています。しかも彼らの多くが若いうちに転職を余儀なくされており、非正規で働く人の比率も多くなっています。
このように生活の基盤が安定していないために、彼らの中には、結婚して子どもをもつというステージに到達することができない人たちが多数います。
――若年非大卒男性の多くが、経済的事情によって、望んでも結婚できないようになっている。同じ非大卒の若い女性の経済的な苦境についてもしばしば耳にします。
若年非大卒女性はどうかというと、経済的な状態でいえば、彼女たちは男性たちよりさらに悪く、雇用も不安定です。彼女たちの5人に1人は、橋本健二さんのいう「アンダークラス」という最下層階級に分類されます。
しかし彼女たちはこのような苦しい状況にありながら、少子化が危惧される日本社会に重要な貢献をしています。それは、既婚者(離死別を含む)が多く、子ども数が同じ若年層の大卒女性の約1.5倍であるということです。
つまりわたしたちは、現役世代の「8人」のなかで、もっとも生活基盤の脆弱な彼女たちに、次世代を産み育てるという日本の将来にとって重要な、しかし他の人たちには担うことのできない役割を担ってもらっているのです。豊かな先進工業国であるはずの日本で、子どもの貧困が叫ばれるのは、このような偏りがあるがゆえなのです。
出産、育児というライフ局面のタスクに追われ、彼女たちのワーク局面への参画がなおざりになっているのは、致し方ないことといえるでしょう。彼女たちには、すでに行政からの支援の手が差し伸べられていますが、他の「7人」は、おおいに感謝すべきだと思います。
――「18歳まで学校で教育を受けた人材を、このように低く見る社会は、歴史上も、世界的にも、現代日本社会以外にはあまり例がない」という文章を読んで、はっとしました。
「幸せに暮らすためには、大学に進学するのが唯一の方法だ」と多くの日本人が思い込んでいて、大学に行かないことに積極的な意味などないという考えも、かなり根強いようです。
しかし、近未来の日本の大学進学率が100%近くに至るというシナリオは、いくつかの点で現実的ではありません。ですから若年で大学に行かない人材は、労働市場に供給され続けるわけで、かれらを尊重しながら育成して、社会のために役立つ位置についてもらうことは不可欠です。
けれども、かれらは大卒学歴至上主義の考えのもとでは視野に入ってきませんので、名前をもっていません。「いずれはいなくなる労働力」という程度に扱われて、政策の対象となっていないのです。しかし戦後から現代までいつの時代を見ても、非大卒層の総数は大卒層の総数より多く、彼らこそが今の日本を形づくってきたマジョリティに他ならないのです。
――だから、「レッグス」という命名による可視化が必要だったんですね。
レッグスというのは、LEGs: Lightly Educated Guysの略で、「軽学歴の男たち」という意味合いの言葉です。こうした呼び名を与えることで、彼らのプレゼンスをはっきりさせて、政策的な議論の俎上に載せることが可能になります。
もっとも、このレッグスという言葉はとても強いインパクトをもっているようで、「大卒エリートが、上から目線で非大卒層を貶める俗名を付けたとしか思えない」と、私の見識を疑うコメントをもらうこともあります。
詳しくは本書の本文に譲りますが、私はそういう次元の低い議論を展開してはいません。しかし、これまで「大卒じゃない人びと=非大卒」というように、消極的に言い表していた社会の一角にレッグスという言葉を与えたことは、人びとの心に、ときに不協和を生じさせ、様々な議論を喚起するようです。
――先生はレッグスをサポートする政策立案が必要だと主張されています。
現在の20歳前後の同一生年の総数はだいたい126万人前後で、そのうちわけは、大学進学者が約68万人、非進学者が58万人ほどです。この先の日本を支えていく若い職業人を、本腰を入れて育成しようとするならば、20歳前後の時点では、大学進学者とレッグスの双方に偏りなく財政出動をすべきだと思います。
たしかに、経済的な事情で大学進学をためらう若者の背中を押すために、学費を支援する政策を拡充することはとても大切です。しかし、それだけをやったのでは、いずれ社会の上位に至るはずの人びとにだけ、メリットを付与するということになります。
――いわゆる大学無償化は、大学進学者にのみメリットがある。
そうです。大学に進学しないで働く若者には、政策の恩恵はまったく及ばず、進学者との間の格差を助長することになりかねません。ですから大学の学費無償化を進めるなら、一方で大学へ行かなかったレッグスたちの職業生活の安定も、公的に保障すべきだと考えます。
具体的には、20歳前後の非大卒の若者を正規雇用した企業に、大学の学費補助と同程度の金額の雇用助成をすることで、若者たちの給与水準や雇用の安定性を上げるような政策が考えられると思います。
――レッグスは「現代の金の卵」だとされています。
本文中で詳しく論じていますが、非大卒の若者は地方に多く、大卒層は大都市圏に集中しています。地方消滅が危惧されている現状において、もっとも必要とされているのは、地方に住み、コミュニティを支えている若い人材や、伝承技能が途絶えかけている中小企業の熟練工の後継者などです。
そしてレッグスは、これらの場所をカバーすることのできる「現代の金の卵」なのです。彼らが充足した人生を歩むことができるように、その若年期を支援するのは、疲弊する地域社会を支えることにもつながり、ひいてはこの国全体の雇用と社会の安定ももたらすと考えることができます。
――現在、さまざまな格差が問題になっています。若年ワーキングプア、正規・非正規格差、勝ち組/負け組、上流/下流、子どもの貧困、結婚できない若者、マイルドヤンキー、地方にこもる若者、地方消滅などです。
先生は、こうした現象の正体は、すべて「大卒学歴の所有/非所有」だと指摘しながら、それを逃れられない現実として直視するべきだとされています。最後に、このご主張の意味するところを、先生の考える「共生社会」と絡めてご説明いただけますか。
ここのところについて、誤解している人が多いようなので、これは有り難い質問です。
私が伝えたかったのは、学歴が日本の格差現象の起点となっているという構造と、学歴による結果の不平等は、たやすく均してしまえるものではないということです。しかしこれは、格差容認論ではありません。
私が理想の状態だと考えるのは、たとえばレッグスの所得は低いが、失業のリスクは大卒層より小さく、転勤や異動もなく、生活の安定を得やすい。あるいは、20歳前後の暮らしのゆとりでは、レッグスの方が大学生よりも上だ。ワークライフバランスをとりやすいのも、子ども数が多く、イクメンとして配偶者を支える自由度があるのも、地域社会に根差した暮らしをしているのも、大卒層よりむしろレッグスだ、というように、大卒と非大卒の所得以外のメリットが、トータルでみた場合に五分五分に近くなるということです。
まずは、大切な役割を非大卒層に任せて、自分たちだけがメリットを独占しているという現状を、大卒層の側が理解することが共生社会への第一歩です。そして双方が、日本を支えるために欠かせない別のポジションを守っている、自分とは異なる「レギュラーメンバー」への思いやりをもたなければなりません。
ただし残念なことながら、新書を手に取るのは圧倒的に大卒層が多く、現時点では非大卒層に現状を伝えることは十分にできていません。その先ではこのことも考えなければなりませんね。
日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち (光文社新書)書籍
作者吉川徹
発行光文社
発売日2018年4月17日
カテゴリー新書
ページ数264
ISBN4334043518
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知のネットワーク – S Y N O D O S –
吉川徹(きっかわ・とおる)
計量社会学
1966年島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科教授。
専門は計量社会学、特に社会意識論、学歴社会論。
著書に『現代日本の「社会の心」』(有斐閣)、『学歴分断社会』(ちくま新書)、『学歴と格差・不平等』(東京大学出版会)、『日本の分断』(光文社新書)などがある。
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a
https://synodos.jp/newbook/21782
9. 2019年2月05日 00:30:01 : 4ImPab2nyM : PepI7W98esI[436]
暴言撤回、失言撤回…、
アソー撤回だな。
アソー君、ルールは守ろうや。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/193.html#c9
2. 2019年2月05日 00:32:00 : I97moXn5qU : 0[236]
⇒《日本の家電メーカーが総崩れになったのは韓国や中国へ生産工場を移転させたことに遠因がある。》
コレも「すべてのものごとを嫌韓・嫌中に結び付ける」頭のビョーキが出ています。
重症ですね。
普通に考えてみましょう。
http://urx.red/Q2hS
(1)日産・エクストレイルの生産は2011年8月に日産から分社化された日産自動車九州が担当している。
(2)英国にあった工場を移転させる場合、普通ならヨーロッパに移すはずだ
(3)そうしないのは「純粋な縮小」 か「ヨーロッパに参入障壁がある」
(4)ヨーロッパはガソリン・ディーゼル車は売りにくくなる
※日産、欧州でディーゼル車撤退 新型車に搭載せず
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30144910W8A500C1EAF000/
まぁ、そんな感じじゃないですかねぇ…
(もちろん推測です。確かな情報はありません)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/191.html#c2
10. 2019年2月05日 00:32:06 : 10NoRUzxCY : @oyg3Hh0aUA[1]
>子どもを産まないのが問題
真っ先に安倍昭恵に言えよ、このクズが!
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/193.html#c10
「 NHKや、朝日(テレビ朝日)、毎日(TBS)が 70年以上も、『平和報道』をするのは、
意図的に、国民から、”大事な危機感”を、無くすことを目的としてるからです。 」
まず、身近なことを考えて下さい。オレオレ詐欺、振り込め詐欺。
今の日本人には、”危機感”というものがないから、なさすぎるから、こんな詐欺が横行して、そして騙されてしまうのです。
1000万円も。2000万円も。
オレオレ詐欺や、振り込め詐欺が、出てきてから、どのくらい経つんでしょうか。
そして、これらは、未だに、なくならないじゃないですか。
”危機感”が、なくなった老人が、絶えないからです。
”危機感”が、なくなった老人が、絶えないからです。
昔は、こんなことは、なかった。
「戦争の緊張感」を知っている、中年・老人がいた時代は、
まだ空気に、ちょっとした「緊張感」が残っていたから、今のような詐欺はなかった。
裏では、政府と一体となっている「マスコミ」の狙いは、
国民を、”馬鹿”にすることです。
「平和ボケ」にして、”緊張感”を無くして、国民を馬鹿にすることです。
国民を馬鹿にすることによって、とんでもない悪法が通って、通って、通りまくっても、
馬鹿になった国民は、無関心だ。
「消費税増税」にしても、「水道民営化」にしても、いけない悪法が、次々と通っていくのに、
今の国民は、全くの、無関心。
フランス人は、悪法・悪政に対しては、怒るのに、
「平和ボケ」の日本人は、なにも怒らない。
原発とか安保は、変わった人たちがデモを起こすが、
生活に密着している、ほんとに大事なことには、日本人は、なんにも怒らない。
そして、また、いけない悪法が通っていく。
「生活保護」が切り捨てられた。そして、これから他の福祉も削られていく。年金も削られていく。医療費も削られていく。
それでも、今の日本人は、怒らない。
それが、今の日本人が好む、「平和ボケ」と「危機感の無さ」の、結果だ。
安倍政権になってから、貧困・格差は、明らかに、広がっている。
小泉政権のときよりも、貧富の差は、広がり、2極化が進んでいる。
それでも、こういう、ほんとに大事な政治については、日本人は無関心だ。
貧困・格差が、一番、切実な問題なのに、
日本人は、政治・政府に、怒らない。そして、そういう政治に、危機感を感じない。
「平和ボケ」は、”国民の危機感”を、無くしてしまいます。
「平和ボケ」は、”国民の危機感”を、無くしてしまうのです。
そろそろ、その辺に、気づいて下さい。
「平和ボケ」によって、民度が低くなった、今の日本人。
2. 2019年2月05日 00:37:19 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[677]
地政学というのは、平たく言うとこの国とこの国は隣り合わせにあるから争わせるのに都合がいい、この国とこの国は地球の反対側にそれぞれ位置しているから争わせるには都合がわるい、といったものだ。何でそんなことが気になるのか。第一に金儲けの種になる、第二に二虎の計で疲れ果てた虎を生け捕るのは簡単だからだ。負けた虎はもちろん、勝った虎にももはや抗う力は無い。もし狙った地域が地政学的に安定ならわざわざ混乱を起こすために国境線を引き直し政権を倒す事すらやってのける。これを我々はシリアやトルコで見た。今はベネズエラで見ている。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/308.html#c2
1. 2019年2月05日 00:37:28 : AIppyHGAjs : MI7jRCd2rPw[2]
NHKや、朝日が 「平和報道」をするのは、意図的に、国民から、”大事な危機感”を、無くすことを目的としてるからです
30. 前河[1381] kU@JzQ 2019年2月05日 00:39:05 : AIIfKHKDEM : DjexWojT6rw[78]
安倍やめろ!
安倍やめろ!
安倍やめろ!
アホノミクスはマイナス効果
アホノミクスはマイナス効果
アホノミクスはマイナス効果
安倍政権は民主主義の破壊
安倍政権は民主主義の破壊
安倍政権は民主主義の破壊
自民は利権第一主義
自民は利権第一主義
自民は利権第一主義
日本会議はクズの集まり
日本会議はクズの集まり
日本会議はクズの集まり
今、改憲は必要なし
今、改憲は必要なし
今、改憲は必要なし
防衛費よりも社会保険
防衛費よりも社会保険
防衛費よりも社会保険
安倍の外遊意味がない
安倍の外遊意味がない
安倍の外遊意味がない
2. マシマヒロト[60] g32DVoN9g3GDjYNn 2019年2月05日 00:39:44 : AIppyHGAjs : MI7jRCd2rPw[3]
(ブログURL)
ttps://blog.goo.ne.jp/shomintou/e/23ebee6f9c9f82d797c7777b9baf0e76
1. 2019年2月05日 00:42:56 : iNZSysqoWM : 0[237]
ベネズエラ情勢が緊迫している。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092342387496476672
【速報】ベネズエラに米軍を派遣するのかという質問に、トランプが「その可能性は否定しない」と回答!
●トランプも軍産複合体の一員。早く言えば、同じ穴のむじなだ。スピ系のツイッターでよくトランプはいいやつだと書いてあるが、騙されてはいけない。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092352456179167233
【速報】スペイン大統領ペドロ・サンチェスが記者会見で、ホワン・ガイドを「ベネズエラ大統領」と公式に認めた!
https://twitter.com/telesurenglish/status/1092351122889756672 …
●スペインも広大な植民地を支配していた栄華の時代は去り、今じゃ西欧の小国に過ぎないが、植民地支配根性は抜けていないようだな。フランスもそうだが。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092353487881396225
英国、スペイン、フランス、スウェーデンが、ホワン・ガイドを、ベネズエラ大統領と承認。大統領って、外国が決めるもの?
●やはり西欧、北欧の白人は有色人を見下している、どうしようもない連中である。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092354476101398528
本日、オタワで反ベネズエラのリマグループ会議が開催されている! ソロスを信奉する外相クリスチナ・フリーランドが主催する会議。カナダ政府は、テルスールが会議を取材することを拒否した! よっぽど悪い陰謀をめぐらしている?
●カナダもイギリス人とフランス人が原住民を虐殺して乗っ取った国だから、どうにもならない。そもそもエシュロン諸国が、原住民を虐殺して乗っ取った国々である。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092354815764586497
国連はマドゥーロを憲法に適し、合法大統領だと承認している。米英カナダは、国連を無視?
●鬼畜米英加である。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092371296921444352
ベネズエラは金と石油の埋蔵量が世界トップ。だからクーデターで国を破壊し国有資産を略奪し、その分け前に預かろうとする米EU! なんの物証もなく、「市民を弾圧する独裁政権」を宣伝する大メディア! 日本も追随。植民地主義のカモフラージュ=「独裁者マドゥーロ」!
●帝国主義諸国のダマスゴミ報道を真に受けて、連中に追従する姿勢だから、日本も舐められるのである。APとかロイターを信じるな !
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092375508308774912
ヒラリーがカダフィを殺し、NATO空爆でリビアを破壊し尽くす前のリビアは、アフリカで最も裕福な国だった。国連の「市民を守るための責任」は軍事クーデターの口実となった。欧米の政治家は、ただ1人も戦争犯罪の責任を取っていない。
●ひとつの理想国家に徹底的に破壊の限りを尽くした米欧帝国主義勢力は、自分たちが絶対的に正しいと思い込んでいるようだ。だから世界から戦争がなくならないのである。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092382197070192641
ベネズエラ国民は、米国の植民地であった歴史をよく覚えている。彼らは米国の侵略と戦い、祖国を命がけで守る。アメリカ人はエクソン石油のために、戦死する用意はできているのか?
●第二次世界大戦後に勃発したインドシナ戦争や、インドネシア独立戦争で負けたのは仏蘭英であった。強い意思で絶対独立すると決めた現地の人々の強い士気の前には、士気の低い宗主国の軍隊など負けるしかなかったのである。仏蘭は、ナチスドイツを打ち負かして祖国を取り戻したが、その勢いで植民地を取り戻そうとしても無理だったのである。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092385685808410624
「独裁者」チャベスとマドゥーロは、ベネズエラの富を国民に分配している! それが米政府にとって気に入らない。ホワン・ガイドを使いクーデターを起こそうとしたが、それに失敗し、内戦を起こそうとしている。危険な状況だ。何が起っているのか。世界は真実を知るべき。
●やつら帝国主義勢力は、どんな汚い手段でも平気で使うから、これを打ち負かすための国際的な連帯が必要である。
mko @trappedsoldier
https://twitter.com/trappedsoldier/status/1092403497004195850
トランプとボルトンとポンペオとペンスのチームは、ベネズエラで軍事力を行使しようとするほどクレージー!
●先ほどの繰り返しになるが、トランプがいい奴だと思っている人は、早く洗脳から覚めることをお勧めする。みんな、Qアノンとか何たらに騙されていないか。スピ系の人たちなんて、自分たちが間違っていても全然責任を取らないよ。スピ系の人々は、CIAが流す情報に踊らされているのである。
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/393.html#c1
2. 2019年2月05日 00:43:46 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[678]
トップがわからん。未だにわからん。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/304.html#c2
3. 2019年2月05日 00:47:02 : I97moXn5qU : 0[238]
自動車業界ですすむ分野
(1)電気化
(2)自動化
【参考】
日独首脳は自動車の自動運転技術の共同研究強化でも合意した。
https://jp.reuters.com/article/abe-merkel-idJPKCN1PT11U
そういう方向での「投資減税」なら賛成です。
また、再エネもすすむでしょうから、そちらの分野での「投資減税」も賛成します。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/191.html#c3
15. 2019年2月05日 00:48:50 : 7aHEPOUc9Q : 0[239]
でも、この人トカゲの尻尾でしょう?
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/127.html#c15
先物市場の動き
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/archives/53109147.html
2019年02月04日 在野のアナリスト
千葉県野田市で小学4年生の女子児童が浴室で亡くなった事件、ついに父親につづいて母親も逮捕されました。教育委員会のダメぶりが取り沙汰されますが、高圧的な態度でせまる親は、その子に対してもっと高圧的であると考えた方がいい。なので教育委員会はそれに屈してはダメなのです。またDVがあれば母親はすでに支配下であり、その母親に子供を委ねることは自殺行為です。母親が夜逃げでもして、父親と遠ざかれとでもいうのか? 児童相談所の判断も愚でしょう。未だに父親は「躾けだ」と述べているようですが、「躾け」かどうかを判断するのは本人ではない。社会通念上、ゆるされざる範囲を超えるものは暴力であり、犯罪なのです。教育委員会や児童相談所にその判断ができないなら、早期に警察に委ねた方がよいのかもしれません。 今日の株式市場はかなり特殊でした。9時少し前から円安に誘導、TOPIX先物に大量の買いが入り、それが一服した10時少し前にふたたび円安に誘導、日経225先物に買いを入れたものの動きが鈍いと見て、すぐにTOPIX型に切り替え、結果的にTOPIX先物と日経225先物の商いに、大きな乖離を生むことになりました。 先週、米雇用統計が市場予想を上回ったことで米金利が上昇、円安というのが一般的な見方ですが、個人的には中国の春節の影響もあったと考えています。対ドルの人民元安誘導も、米中貿易協議がはじまってからは人民元高にしたり、方向感がありません。そうした一部のヘッジとして円買いがあったのか、もしくは10-12月期からつづく貿易量の減少で余った円買いを、春節のタイミングで吐き出した。実際、米金利は小幅な動きでしたし、米夜間取引では日経平均はほとんど上昇していなかった。米市場でも円安にすすんだタイミングがかなり特異なものだったことからも、きっかけは金利とは考えにくいのです。 しかもTOPIX先物を大量買いした米系大手は、マレーシア政府系ファンドの資金流用にかかわった件で米司法省から捜査をうけています。しかも10-12月期、株式トレーディング部門で大幅黒字をだして市場を驚かせた。ここで日本で一当て狙ってきた、と考えるのはうがち過ぎかもしれませんが、ここに来て日経大手の日経225先物の爆買いが止まり、どちらかというとこれまで売っていたTOPIX先物を買い戻す流れにもなっている。そうしたものが合わさって、今日のTOPIX先物を大きく押し上げた要因になったことは間違いなく、日米合作だった印象です。ただし、今日の取引では他の追随があまり多くなく、特に日経225型が細ったのは予想外だったかもしれません。日系大手も米系大手も、自分たちが市場動向を左右できると考えて、仕掛けたようにも見えますが、見せ玉をつかってみても動かない投資家が多かったのです。 日本では金融庁が高速取引を監視する方向ですが、こうした技術の進展を妨げたり、敵意をみせたりしても、それは技術が遅れていくことになり、ますます日本市場から資金を遠ざけるでしょう。本来行うべきなのは高速で見せ玉をつかうなど、相場操縦を疑われるものであり、それは今の規制の中でも行うべきことなのです。そして、どちらかに大きく傾きをかけてポジションをつくるなどの行為を監視し、不意な変動をふせぐことが当局には求められるのです。むしろ、金融庁や証券取引等監視委員会が行うべきなのは、高速取引を上回る高速監視によって、相場操縦を防ぐことにあるといえるでしょう。日本では、本来規制や監視すべきところがそれをできていない、それは行政の不祥事を取り締まるべきところができていないのですから、児相や証取だけを指して怠慢ということはできないのかもしれません。日本では行政の怠慢の間に、犠牲になる人が増えてしまう。安倍政権の傲慢さ、行政の欺瞞、国民の不満、株式市場では万がふきとぶ…日本ではマンが飛び交う状況にあり、日本には不正が『蔓』延している以上、こうした問題が次に大きなリスクとなって降りかかったとき、対処のしようもなくなるのでしょうね。 |
31. 2019年2月05日 00:52:17 : 7aHEPOUc9Q : 0[240]
日本会議も安倍政権を全力支援しているようですね。
宗教団体に対する税の見直しが必要のようです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/146.html#c31
20. 2019年2月05日 00:58:40 : UOi40chJu2 : 0[241]
正義は東京新聞社!
国民はわかっていますよ。
頑張りなさい、応援してる。
安倍政権は、近いうちに終わります。
心配しないでください。ペテン安倍は、空中分解するでしょう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/179.html#c20
3. 2019年2月05日 00:59:12 : I97moXn5qU : 0[242]
参考までにコチラを張っておきます。
【原発を考える1】原子力発電はすでに時代遅れの「お荷物」〜その経済競争力の世界的凋落
原発は21世紀では、経済競争力を失い、まっとうな先進諸国においてはもはや過去のお荷物的遺産になりつつある。いまだに軍事的理由ももつ、国土が広大な中露の両中央集権国家以外で原発稼働に積極的な主要国家はほとんどなくなってきている。火山や地震、津波のリスクが近年ますます高まる日本に依然として54基も原発が存在し、しかも廃炉は遅々として進まず、それどころか40年以上経年した中古原発を無理やり再稼動させようとしつつ、自然再生エネルギーの技術革新も商業化も欧州に比べて10年以上、一説では30年以上遅れてしまっている現状は、日本の自然再生エネルギー技術・プラントの国際競争力にも大きな影を落としてしまっているといえよう。
https://www.data-max.co.jp/article/27666
国民民主よ、大胆に脱原発へ舵を切りたまえよ。
そうすれば結構、野党にとっても、日本全体にとっても有利なことになると思うよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/189.html#c3
7. ぢっとみる[566] gsCCwYLGgt2C6Q 2019年2月05日 01:08:54 : LLC16YRhF6 : 2yUQTAqpjc8[566]
満州国ってダレの土地だった?
韓国/台湾は?
フィリピンは?
仏印は?
マレー半島は?
パラオは?
ニューギニアは?
……
あっ!
千島列島だけでは物足りなくて、
アリューシャン列島くんだりまでも出張って行ってたんだよね。
満州を除いて、中国だけでも、一体、どことどこに居座っていたの?
き…記録も記憶も無いって?
そうそう、その前は シベリアも欲しくて居座ってたんだよねぇ。
その頃の事は、何もかもみんな忘れてしまったようでいながら、
「尼港事件」のことは絶対忘れないんだよね。
北サハリンの油田を盗りに行く足場として、
(女郎屋もたくさん用意して)あそこに居座ってたのはケロっと忘れて。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/172.html#c7
1. 2019年2月05日 01:11:51 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[679]
しかしだな、栃木産でも大して変わらん気がするぞ。
福島では選びようがないということか。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/853.html#c1
2. 2019年2月05日 01:17:13 : UOi40chJu2 : 0[243]
相も変わらず、安倍プロパガンダ。
いまだ、自爆してないのか?
いい加減やめなさい、、むなしくなるだけだろう、、、。
安倍自民党は、世界からもつんぼ桟敷に置かされている。終わっているのだ。
日本の安倍、イスラエルのネタニエフ、サウジの若王子、、、、
以上は、世界からの嫌われ者! なのですよ。共通点は、戦争家さんです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/192.html#c2
64. 2019年2月05日 01:35:32 : 0LSF9lWTM2 : 7OD6ys5YRCg[1]
インフルエンザなんて…
そりゃあ今が患者数最高かもしれんが、
これまでだって例年以上に患者がいたんだし…
実際、線量が上がってるんやし、それで風邪薬のせいにはならんわ!
32. 2019年2月05日 01:41:44 : MWU3D6ty5Q : JyjkABgMDbM[2]
>統一地方選惨敗→政権交代
ヌルすぎる
犯罪者・安倍ニセ総理逮捕→解散総選挙→政権交代
これしかないね
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/146.html#c32
1. 2019年2月05日 01:44:58 : aDilhBtnMM : RI88q6UGBgM[1]
純潔主義の自民党で芽がでる可能性はないし
万が一、あの細野が重要な地位につくのなら大歓迎w
わざわざ叩く必要すらない
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/195.html#c1
65. 2019年2月05日 01:48:24 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1560]
鼻血を軽くみてはいけない。
実は急性白血病だったということもある。
風邪、インフルエンザと症状が似ており、寝ていれば治るだろうと
思っているうちに重症化、病院にいったらすでに手遅れという例もある。
急性白血病はすぐに治療を始めないと危ない。
数日で亡くなる可能性もある。
鼻血に悩まされている人は、血液検査をして白血球数や血小板数を
調べてもらうこと。
「[注意喚起] 風邪で体調不良と思っていたら実は急性白血病で手遅れ
おかしいと思ったら我慢せず、すぐ病院へ」
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/457.html
「血液検査をやらない健診が増えている? データ隠しと思われる例も
年に1回は必ず検査を」
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/187.html
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html#c65
13. ぢっとみる[567] gsCCwYLGgt2C6Q 2019年2月05日 01:48:55 : LLC16YRhF6 : 2yUQTAqpjc8[567]
> 石 原 慎太郎
> 作家
笑った…
元号について…
私個人の感覚では、
元号だけしか見えないと、
世界史と並べた歴史の流れが分かりにくい。
一々調べるのは面倒だ。
調べても何だか、所々イメージが断片的になってしまう。
日本史だけだって、元号だけだったら距離感が見えないと思う。
(だから神武天皇萌えのヒトビトが出てくるんだとは言わないが)
でも、明治“維新”からの日本の近代史を元号で辿ってみると、
ぞーっとする。
何か実感的になるというか…
臨場感というか…
でも出来れば、この先までそんな思いはしたくない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/167.html#c13
4. 2019年2月05日 01:52:48 : NSgNfc7LLE : 0[244]
ヒラリーマンとか言ってた奴がいる。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/302.html#c4
17. 2019年2月05日 01:53:48 : UOi40chJu2 : 0[245]
日本政治のアメリカ大使館人事も終わったことです。
安倍は退陣だ。
アメリカについて行くと、崩壊しかありません。
南米アメリカ大陸見ていればわかるでしょう。北米カナダもですね。
搾取してつぶす、、だけで、育てないからです。
18. ぢっとみる[568] gsCCwYLGgt2C6Q 2019年2月05日 01:54:39 : LLC16YRhF6 : 2yUQTAqpjc8[568]
私個人は、
パチンコ屋も焼肉屋も要らないです。
必要な人もいらっしゃるのでしょうが…
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/148.html#c18
23. 2019年2月05日 01:55:22 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3889]
真面目な理論を吹っ飛ばした滅茶苦茶な発言は麻生大臣らしいが、もしかしたら麻生は首相とは案外仲が悪いのではないか。自分と二人三脚で歩いているかのような安倍首相を前にして、安倍夫妻に子がいないのを知らない訳は無いのだから、明らかに痛烈な皮肉である。色々な面で麻生は安倍夫妻に辟易しているのであろう、公然と、幼稚なレベルではあるが嫌みの一つも言いたいのだとしか思えない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/166.html#c23
11. 2019年2月05日 02:08:23 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3890]
少子化は子供を産まないのが原因であるとの閣議決定をしたらどうだ。
かつ、そこまで言うなら、子供を産まず少子化の原因を作った人間が総理大臣をやるべきではないとの閣議決定もし、安倍総理では少子化対策に示しが付かないとして首相更迭を麻生が発議するのが筋だろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/193.html#c11
3. 2019年2月05日 02:13:11 : M7Iw1W0y1A : TqMjbLICJjw[2]
>>02
あいつらは自滅式の爆弾と同じですよね。欲に駆られて他者を滅ぼし、満足というものを知らない。まさに餓鬼道です。
我々は多分あいつらと道連れにされるのでしょうね。ご先祖様がだらしないからあいつらにやりたい放題されてどうにもなりません。本当に最悪です。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/308.html#c3
1. 赤かぶ[3881] kNSCqYLU 2019年2月05日 02:17:08 : 6UnV32Ub6A : 0[246]
基幹統計不正という「国家の危機」に、我々国民ができることとは?
— 高田健太郎 (@ninjahp080) 2019年2月4日
←まず選挙で自民党に投票しないことです、なにせ自浄作用がないのですから・・・
https://t.co/HhdzdFZlnv #ヤバすぎる緊急事態条項 #共謀罪反対 #森友学園 #加計学園 #安倍とヤクザと火炎瓶
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c1
4. マッハの市[1961] g32DYoNugsyOcw 2019年2月05日 02:17:38 : mjP8rj92Hk : uC6_F4gqBnM[48]
今も、輸入規制している国があるので、
みなさーん、食べて応援よろしくね〜、、、自己責任で頼みますよ〜〜、
米国は、福島県産のお米や白菜などの輸入を禁止中です。
(諸外国地域の規制措置一覧H30・12・28農水省)
中国や台湾や韓国などは、輸入禁止はもっと厳しい。
アヘ首相は、売れない原発輸出なんかに精を出しゃがって、
地球の裏で、放射能風味品輸出のほうに精を出しとりゃよかったのだ。
こいつ、、何やらしても駄目だ。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/848.html#c4
2. 赤かぶ[3882] kNSCqYLU 2019年2月05日 02:18:11 : 6UnV32Ub6A : 0[247]
全く正論なんだが、しかし、これを是としない国民が多くいる事が困った事。−−−−−−−基幹統計不正という「国家の危機」に、我々国民ができることとは? | ハーバービジネスオンライン https://t.co/5ZWSUjxgGx @hboljpさんから
— drkfortest (@drkfortest) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c2
5. 2019年2月05日 02:27:15 : 5vuzSRGhgw : 0[248]
麻生氏は、
年寄りの存在による社会への負担を責める連中に限って子供を産んでいないで社会の負担を増している、
と言いたいのだろうが、
売春禁止、婚外性交禁止、中絶禁止とかの具体的な政策を打ち出せばいいのに
話が抽象的または情緒的すぎる
9. しんのすけ99[189] grWC8YLMgreCrzk5 2019年2月05日 02:38:11 : DXG1OV2ubo : 0[249]
困ったもんだねネトウヨというのは 都合の悪い結果となるとすぐ あーだこーだと屁理屈かまして否定する
そのくせ、都合の良い結果が出た世論調査には 無条件に飛びついて 鬼の首取ったようにはしゃぎまわるという
そういうのを ご都合主義という ネトウヨにとって都合の良い結果が出た時は 同じ事は絶対に言わない
あ 真相の道さん の事ですからね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/168.html#c9
8. 茶色のうさぎ[-9633] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年2月05日 02:41:24 : 5l9mZ9ZHgE : bMSPKGvuLO4[1]
ぷっ♪
多摩ちゃん、勝ちー♪
魑魅ちゃん、負けー♪
結論: 白血病、Sr90、注意!! ←常識
現在でも、肥田舜太郎、なんで? 避難を叫ばなかったの??ばか ←医師
沖縄へ避難した、竹野内真理さん♡、正解ですね。 応援♪
数日前の、放射能襲来でも、沖縄だけは安全だったですね。
なお、福島エートス、安東量子、江川紹子 ←死ね♪ぺっ ばか うさぎ♂
小出裕章なんて、、 長文省略
3. マッハの市[1962] g32DYoNugsyOcw 2019年2月05日 02:43:16 : mjP8rj92Hk : uC6_F4gqBnM[49]
安倍自公は、絶対に許せん ・・・・・
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/185.html#c3
6. 2019年2月05日 02:49:05 : l2YF9xuYjc : @Y5r6KUWBe0[1]
2月4日の22時以前から、ずっと、アクセス137で止まってる。
4. 2019年2月05日 02:58:35 : ZaF3653xnw : AUn2fGg7gR0[1]
STは小沢カルトだが必死だな。日高見は内部の一員だが一応まともみたいだ。最後は小沢の決定に服従するだろうが。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/189.html#c4
3. 2019年2月05日 03:41:43 : bC7BzPnf9Y : IhosJKwkKQY[180]
「(データ不正は)官僚が勝手にやったこと、私は一切関係ない」という言い逃れは、
欧米では驚きを以って受け取られている。なぜなら、政治は嘘をつくが(政治家は嘘をつく職業だ)、
行政が嘘をつけば(官僚は法に従うから嘘をつく筈がない)国家として体を為さない=無法国家、と
いうのが欧米の国家観だからだ。ところが、その行政府の長である安倍首相は「日本の官僚は嘘を付く・
勝手に判断し法を侵す」と恥じることもなく国際社会に喧伝しているのである。責任を専ら行政に
押し付けることで自らには責任がないかに振る舞う。結果、日本国の国際的信用を貶めて、
どこが「美しい国」なのだろうか?安倍首相が真の愛国者であれば、少なくとも政治家が
行政府の罪を被ってまでも国家の信用を守るだろう。
「アベノミクスの成果を強調しようとしたばかりに、数字合わせをさせてしまった。
私が行政に指図したも同然です」と正直に言うべきだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c3
4. 2019年2月05日 03:49:15 : 9I6jUTQHfg : 0[250]
とりあえず、お前にできるのはさっさとアメリカに出頭することだな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c4
18. 2019年2月05日 04:04:05 : Yoir6UzXrc : ydeJLA7i9q0[43]
「この国の八百長を見つけたり」(中村敦夫・著 光文社 1999年刊)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1696638.html
●官僚がのさばる国で苦しむのは国民だ
●国会議員は八千人の官僚たちに囲まれた人質だ
●日本のすべてを決定するのは各省庁の事務次官たちだ
『官僚機構という大海に浮かぶボートに乗った政治家は、潮の流れに
逆らいさえしなければ、安全で平穏な毎日を保証してもらえるという
構図ができているのです。しかしそのボートがどこに向かっている
のか、どこへ行こうとしているのかはわからない。わからないのは
政治家だけでなく、じつは官僚にも本当はわかっていない。なぜなら
役人のつくる波は、目先の省益だけを目指しているからです。私たち
はいま、凪のように見えて、じつは恐怖の海を漂流しているのです。』
で、「官僚が、なぜのさばることが可能となり、日本のすべてを決定
するのは各省庁の事務次官たちなのか」ですが、
言い換えると、「官僚が三権(内閣・国会・裁判所)の長の様に
振舞うことが可能となった原因」と言い換えることが可能です。
そして、その原因は:憲法裏づけ(法的効力を持つ)の政府を支配
できる権力である政令(英文憲法73条6項「内閣令」違反)と
その政令を根拠法とする命令群(省令・府令など)を官僚機構が
独占してしまっていることが原因です。
この原因を創り出すには、英文憲法73条6項に明記されている
「cabinet orders(内閣令)」を
和文憲法73条6項では「cabinet orders(政令)」と改竄しないと
この原因を造り出す事は不可能でした。
要するに、この原因により、内閣を支配できる権力である内閣令を
保持できなくなった総理大臣と大臣は、
内閣を支配できなくなり、政令官僚様(事務次官会議メンバー)が
その総理大臣役と大臣役を引き受けることに成ってしまっています。
纏めると、日本国憲法の原本である英文憲法73条6項「内閣令」を
和文憲法73条6項では、「政令」とする方法で、
内閣を支配できる権力である内閣令を奪い、その奪った内閣令を
官僚機構が独占することで、クーデターが成功裏に終了したこと
に成ります。
より重要な事実:
三権の長である政令官僚様が選挙の洗礼を受けませんので、主権者
皆様の手の届かない存在となっている事実です。
最も重要な事実:
加えて、「じつは官僚にも本当はわかっていない」ことを正当化
することが可能という事実です。
なぜなら、「表の権力者はあくまで総理大臣と大臣だ!」と居直る
ことが可能だからです←大多数の主権者皆様もそう信じています。
で、この行政失態の責任全てを総理大臣と大臣に負わせることが
可能となりますので、
どうしても、当事者としての責任が欠如してしまい、売国奴の様な、
スパイの様な行動を平気で採っても、政令官僚様に反旗を翻す勢力
が存在しないので、行き着くとこまで行ってしまうリスクが常時
存在することになります。
それが、現在進行形の日本人の命と財産をリスクに晒すことになる
「陸上イージス(中距離射程核弾道ミサイル)問題」と
「いずもの空母化問題」です。
どちらの兵器も「憲法9条解釈本土防衛専用隊論」に明確に違反しま
すが、
国会は、政令官僚様シナリオの「スキャンダル」に忙殺されてしま
っているという体たらく状態です。
加えて、既存の与野党議員全員が、「憲法9条解釈丸腰論」を妄信
してしまっていますので、
現在進行形の日本人の命と財産をリスクに晒すことになる問題に
適切に対応する事が不可能となっています。
ですから、日本の安全保障問題を真っ当に議論できる様にする為
には、
「憲法9条は自衛隊を本土防衛専用隊と定義」している真実を主権者
皆様間で共有できる様にする事が、先ず必須となります。
言い換えると、来る参議院選挙争点は「陸上イージス(中距離射程
核弾道ミサイル)問題」と「いずもの空母化問題」とする事が必須
となります。
そうすれば、否応なく、「貴党は、憲法9条解釈丸腰論を尊重擁護
しますか、それとも、憲法9条解釈本土防衛専用隊論を尊重擁護
しますか」が明確になりますので、
主権者皆様が日本の安全保障問題に正面から取り組んでくれる政党
を応援できるという選択肢を戦後初めて、獲得する事が可能となり
ますが・・・
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/165.html#c18
5. あおしろとらの友[2032] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2019年2月05日 04:31:06 : RNYKA7Q0Ca : @VUWoxWWfz8[26]
ま、野党がどうのこうの、小沢がどうのこうの。そんなことより日本がこの先どうなっちまうのか心配しねーのか我が国の国民はよー、ちゅー話だな、 少しでいいから考えとくれな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/189.html#c5
いまだに、放射能被ばくと鼻血は無関係と言い張るあきれた工作員がいます。
(下にツイートを引用します)
放射線治療で何グレイ照射しても鼻血は出ないからデマだという医者もいます。
外部・内部被ばくの違いも理解できていません。
私はバカ者です、不勉強ですと自ら語っているのと同じです。
広島・長崎の被爆者に鼻血が多発し、その原因が鼻腔内に付着した放射性微粒子が
引き起こすこと、血小板が減少して血が止まりにくくなることは、何十年も前に
知られていました。
どの教科書にも代表的な被ばく症状として鼻血が挙げられています。常識です。
あきれたことに、原発事故直後に、当時野党であった自民党が、福島県民に鼻血が
多発していると民主党政府に訴えていたのです。
それが自民党が与党になると態度が一変、鼻血と被ばくは関係がないと言い出し、
「おいしんぼ」原作者の雁屋哲氏をマスコミや工作員を総動員して誹謗中傷。
開いた口がふさがりません。どちらがウソをついているのか明白です。
政府やマスコミは雁屋氏に平身低頭して謝罪すべきでしょう。
福島原発事故からそろそろ8年になりますが、いまだに大量の放射性微粒子が浮遊し
国民を被ばくさせ続けています。
これが国民に知られると困るので、マスコミや御用学者、工作員を使って、
科学・医学的事実をねじ曲げ、鼻血と被ばくは関係がないと必死で言い張っているのです。
もっとも鼻血を含めあらゆる体調不良が激増している状況ですから、政府の言うことを
真に受ける人は減る一方でしょう。
国民は政府が考えるほどバカではありません。
鼻血を軽視してはいけません。
チェルノブイリの被ばく研究で有名はアレクセイ・ヤブロコフ博士はこう警告しています(*)。
「鼻血とリンパ腺の腫れは相当程度の被ばくをした兆候である」
福島原発事故後、鼻血を経験した人は、極力被ばく回避に努め、
健康維持に細心の注意を払わなければなりません。
(関連情報)
(*)「関東全域で健康被害広がる〜500件の異変報告から (THE NEWS − 自由報道協会)」
(阿修羅・潜艦トマト 2011/7/25)
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/721.html
「[緊急・注意喚起] 関東以西の線量が急上昇 鼻血続出 大量の放射能漏れか
汚染源は東海村か」 (拙稿 2019/2/2)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html
「あいかわらず鼻血を出す人が非常に多い」 (拙稿 2016/5/9)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/641.html
「ロンブー淳が原発問題について語る『大丈夫じゃないっぽいなと思ってる』
『北茨城に行った翌日布団が鼻血まみれだった』」 (阿修羅・赤かぶ 2016/1/9)
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/668.html
「有名人 鼻血続出 疑いようのない内部被ばく」 (拙稿 2015/5/22)
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/853.html
「福島の鼻血『内部被ばくか』 神戸の医師 学会で発表(とある原発の溶融貫通(メルトスルー))」
(阿修羅・赤かぶ 2014/7/14)
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/324.html
「国会で「鼻血」を言い出したのは自民党の議員たちだった」 (カレイドスコープ 2014/5/26)
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-2851.html
http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/846.html
「2−3年前の国会で鼻血が出た人が多いことについて議論していた!!」 (拙稿 2014/5/11)
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/898.html
「『美味しんぼ』に抗議した福島県双葉町は町民が鼻血を出したことを把握していた! (byはなゆー)」
(拙稿 2014/5/9)
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/867.html
-------(引用ここから)---------------------------
https://twitter.com/ElijahSatow/status/1092039560865886208
(天才バカセ (Dr Idiot)) 島根・浜田市
ツイッターでたまに「日本列島は今もフクシマの放射能ウヨウヨ。
早く外国に逃げて!鼻血が出て氏ぬよ!」的な主張をしてる
オバサマのツイートに遭遇するが、うっかり読むとアタマがクラクラする...。
4:38 - 2019年2月3日
https://twitter.com/vipshota/status/1092147598788415488
(びしょ)
放射能 鼻血 でデマ流してるアカウントはほぼ全てブロックした。
たぶん60アカウントほど。今日もいい仕事したぜ。
11:47 - 2019年2月3日
https://twitter.com/StarGateErhu/status/1092168356751302656
(うっち?@中国から帰国)
こんな事言ってるヤツがいるんだ。 タロウの仲間かな。
「情報源は不明ですが、1月30日に千葉沿岸部で黄色い粉が
降ったという話もあります」 って、そりゃ花粉だよ。
-- [緊急・注意喚起]関東以西の線量が急上昇 鼻血続出
大量の放射能漏れか 汚染源は東海村か 魑魅魍魎男
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html …
13:10 - 2019年2月3日
https://twitter.com/mixjuice2k/status/1092086423388221440
(緋色有機)
見えないから、不安が増大して、流言飛語が広まるんだろうな。
| 【ヤバE】東海村あたりで大量の放射線もれ 鼻血を出す人が続出・・・ :
【2ch】ニュー速クオリティ
7:44 - 2019年2月3日
https://twitter.com/TOKYO_DEMOCRACY/status/1092081149558444032
(TOKYO DEMOCRACY CREW)
いわく、東海村で放射能漏れがあったから、鼻血が出る人が増えている、と。
どう考えたって乾燥でしょ?
7:23 - 2019年2月3日
https://twitter.com/yosshi_aki_geto/status/1092048431114153985
(秋風のよっしー@キジトラ) 岩手・北上市
タイムラインに「東海村の件で鼻血でた」みたいな話来たから言うけど、
鼻血でる位浴びてんなら下血も尿管出血も出ていて当たり前だぞ
出てる?出てないだろ?
5:13 - 2019年2月3日
https://twitter.com/oyasumon/status/1092096012145938432
(|д゚) オヤすもん@6ft猫侍。)
|д゚) なんかTL見てたら、またぞろ「放射能で鼻血」という、
そもそも放射能の意味を一度調べてから書けよという
ツイートが流れてきたけど、そんなに鼻血出したいのなら
言ってくれたらいくらでも出させてあげるのに。
8:22 - 2019年2月3日
https://twitter.com/fm20303/status/1091918094669246465
(みゃーくん)
はね上がりましたって言いつつサイトで比較のデータを出していない。
鼻血を出したことと放射線の関係を論理的に述べてない。
出血とかなら閾線量が規定されてるはずだから信用に足るデータを
持ってきて実効線量を計算してから放射能で鼻血が出たって述べろ。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html …
20:35 - 2019年2月2日
https://twitter.com/WisteriaShade/status/1091504650153381888
(Wisteria Shade)
放射能で鼻血が出るなんてのはもう消え果てた話だと思ってたのに
またぞろゾンビのようにわらわら復活してきてるけど。
デマを抑え込むのって本当に大変だ…。
17:12 - 2019年2月1日
https://twitter.com/hyotto_koko/status/1091157950939389953
(ひょっとここ(一部bot))
放射能の危険を主張する人の基準がそれぞれ異なるため
多くの人が振り回されています。
子供の鼻血や下痢は日常生活で起こることです。
これらが被曝と関係ないという常識を共有するだけで、
無用な不安から解放され救われる人がいるはずです。
原因を全て「被曝」のせいにする前に鑑別することも重要です。
18:15 - 2019年1月31日
https://twitter.com/hyotto_koko/status/1091130244059156481
(同上)
「鼻血=被曝」は情報選別の一つの目印です。
鼻血は被曝の影響だと主張する人が居た場合、
その人が発信する他の情報も間違ったものである可能性が高い
ということを知っておくだけでも違ってきます。
それだけでも放射能に対する過剰な恐怖から
精神的に不安定になることを防げるのではと考えます。
16:24 - 2019年1月31日
https://twitter.com/sakano999/status/1089586196383035392
(ポコさんの飼い主。) 福島市
放射能ガー鼻血ガーベクレルガーと8年もたってるのに、
わざわざ呟く人はもう霞でも食ってろよとしか言えないわ。
10:09 - 2019年1月27日
https://twitter.com/don_jardine/status/1088784985631350784
(the_spoiler)
放射能問題に関しては、いまだにこちらが荒唐無稽なデマの例として挙げた
事柄でも普通に素朴に信じている人々が少なくない。
原発問題に関心がない人々に「低線量被曝で鼻血が出る」は事実かどうか
質問したら相当数が○をつけそうな気がする。
これはテレビが本気で啓蒙しない限り変わらないと思う。
5:05 - 2019年1月25日
https://twitter.com/arthurclaris/status/1088904578139967488
(あさくら めひかり)
事故対応で100mSv近く浴びたという飲み友さん
(本人曰く「数人でAPD共用だったし、除染しきれないから
汚染したまま寝泊りしていたし、絶対に100浴びてるぜw」)、
白内障の検査を受けたって言っていましたね。
「放射能で鼻血」は笑いながら完全に否定していましたが。
13:00 - 2019年1月25日
https://twitter.com/arthurclaris/status/1088455777554096129
(あさくら めひかり)
「福島で放射能で鼻血はあり得ない話ではない」ってヒト達、
何で自分で調査しないわけ?
事故直後1F/2F職員の健康調査を行った産業医がいる訳ですよ。
なんでインタビューしようとか思わないわけ?
私、講演会後に直接「どんな健康上の問題があったか」尋ねたけど、
鼻血なんて話出ませんでしたわ。
7:17 - 2019年1月24日
https://twitter.com/arthurclaris/status/1088463708676739072
(同上)
「1F原発事故の放射能で鼻血出るのかも」なんてまだ言ってる人は
「1F地下では密かに核兵器を製造」「作業員が4000人死んだが
1Fの裏で処理した」「再臨界で夜中に怪しい光」
「EM波動結界で放射能防御」「電気炊飯器で核変換」と言ってるヒト達と
同レベルなんだ、って広く知られるべき。
7:49 - 2019年1月24日
https://twitter.com/coo97844536/status/1088093029502599169
(でんぐりがえり)
で、「福島県に行くと放射能で鼻血が止まらなくなる」 という
悪質な風評被害を撒き散らかした『小学館』さん
その後、鼻血の話は聞きませんがあれはやっぱりデマですか?
こいつら朝日新聞とグルの反日企業なんだぜ。
7:16 - 2019年1月23日
https://twitter.com/Tamakinia/status/1088007215737274368
(たまきひさお Trans・Venus マンガ図書館Z) 東京・練馬区
おお、鼻くそほじってたら鼻血が出た。放射能のせいだw
1:35 - 2019年1月23日
https://twitter.com/hinazoosandesu/status/1087919736976015361
(雛蔵)
小学生くん達が一生懸命作ったこのチラシ欲しい!
あと未だに『福島の食べ物には放射能が云々』とか
『脳卒中は放射能の仕業云々』や『鼻血が云々』とか言ってるお友達は
少し落ち着いてみないか?>RT
19:47 - 2019年1月22日
https://twitter.com/kikumaco/status/1087853640864358400
(kikumaco(ライブ予定なし))
東電原発事故での放射線影響の話をするときに、
毛が抜けるだの鼻血が出るだの死ぬだのといった
急性大量被曝の症状は無関係なんです。
なぜなら東電原発事故による被曝は低線量被曝
それもほぼ極低線量被曝だから。
無関係な急性大量被曝の被害の話で脅すのも
放射能デマ発信者のやり口です
15:24 - 2019年1月22日
https://twitter.com/ekit_/status/1087619533651623936
(kid)
震災以来、放射能による健康被害はたったの一つもない。
最初は鼻血が出ると言っていたが嘘がバレて
最近は甲状腺癌に鞍替えしたがそれも嘘だった。
未だに騒いでるのは明らかに「過剰」だが、放射脳や反原発は
バカがハマる一種の宗教なので、理解できないと思います。
23:54 - 2019年1月21日
https://twitter.com/seiwa_genji/status/1087586674509459456
(源?( 'ω' )?@独身主義)
鼻血は風評被害です。断言でいいわ。
血を吹くような放射能被害があるのなら鼻血「だけ」なんざ有り得ねーよ!
避難してても避難先で全身から血を吹くわ。それが被曝だよ。
まあ多分原爆のソレじゃなければどっちかってーと
浮腫んできたりする方が先じゃないかと思うけど。
21:44 - 2019年1月21日
https://twitter.com/catiscogitatio/status/1086300787272105984
(お歯黒さん。)
鼻血で、思い出したけれど、最近放送された「世界の面白映像」で紹介された、
中国のコメンテーターらしき人が、なんの前触れもなくいきなり
大量の鼻血を出した映像見て、「鼻血がでたのは、放射能の影響だ!」って
喚いてた人達は、どう思ったのだろうな。
8:34 - 2019年1月18日
https://twitter.com/kincade1918/status/1085746164207505408
(kincase)
人体に影響を及ぼすほどの線量じゃないからほぼ断定できるって話であって。
「止まらない鼻血」「5年後に関東は人が住めなくなる」「奇形児が増える」等、
放射能デマを否定する根拠として冷静に提示されてる。
今論文が訂正されるとして、線量が危険域に達するんですかね?
19:50 - 2019年1月16日
https://twitter.com/full_frontal/status/1075519599125221381
(フル・フロンタル)
RT>「放射能の影響で鼻血が止まらない!」と騒いでいたバカの現在が知りたい。
まさか健康であるはずはないと思うが。
14:33 - 2018年12月19日
https://twitter.com/asukayuri/status/1074821960062758912
(柿も好きな見習い工作員)
まだ、放射能被曝で鼻血がーデマが本当のことみたいに
語られてるのに驚かされる。 東日本大震災以降、何度も
『鼻血が止まらない!』『蛇口をひねったように鼻血が!』と騒ぐ人々が
Twitter上で散見されたが、急性被曝でそんな症状出てたんなら、
もうとっくに死んでなきゃおかしいんだよ。
16:21 - 2018年12月17日
https://twitter.com/motoken_tw/status/1074664793162670083
(モトケン)
いわゆる放射能デマで最も罪深いのは「美味しんぼの鼻血編」だと思う。
その次は「食べて応援は自殺行為」かな。
5:57 - 2018年12月17日
https://twitter.com/kikumaco/status/1072861707972751361
(kikumaco(ライブ予定なし))
放射能デマはばかばかしいんです。
鼻血だとか核爆発だとか、ばかみたいでしょう?
おしどりマコは1Fが「絶賛臨界中」だと言いました。
東京の水道がかなり汚染されているとも言いました。
お金持ちは食品を選べるから内部被曝していないとも言いました。
全部ばかみたいな話です。漫才のネタにもならない
6:32 - 2018年12月12日
-------(引用ここまで)---------------------------
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/855.html
24. 2019年2月05日 04:37:30 : dAG2YVlOUk : 0[251]
>22
40で子供を生んでない女性を擁護したと同時に結婚してない男性を差別するお前は麻生と同類のクズだろ。例えも酷すぎる。女性への差別は許さないが、男性ならいくらでも侮辱して良いと思っているのか?
>この様な馬鹿が何故日本の副総理なのか?
反安倍・自民界隈にすら、奴らと同じレベルのお前みたいな無意識な差別主義者がいるからだ。
麻生もお前も人目に触れるようなところで発言したりコメントする資格は無い。2度とネットに書き込みするな。
66. 茶色のうさぎ[-9635] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年2月05日 04:55:47 : 5l9mZ9ZHgE : bMSPKGvuLO4[2]
また、襲来かなー♪ 昨日、4日www
共産党、文科省官僚は、良識、発表しろよ!!あほ
https://photos.google.com/photo/AF1QipM3epk4ao2yjK1Qy6I70AaHev2RE4Ef0O9aiywG 北陸
https://photos.google.com/photo/AF1QipNj5ucFw5B3ANhtJ0e4owBqpIdhNGW2ix367nUU 秋田
https://photos.google.com/photo/AF1QipN4mx3gxnUyB8AieYtRsCBxV_QKKfG03OhfdBUt 福井
https://photos.google.com/photo/AF1QipOYwoZdWIpQvi7OlsweNSvtrVUfTNH5dbG2l2nb 島根
https://photos.google.com/photo/AF1QipObebwHfBlhG2mnU4ZPRHXCg_SWADyCWgGnWNrf 関東
https://photos.google.com/photo/AF1QipMgEwSvPNKr5PTgl1guucMcRzmwWIhEmjG3VyeT 山梨
結論: 山梨周辺で、ストップ♪www 春の嵐? でも、数値は異常ですね。 うさぎ♂
1. 2019年2月05日 05:00:08 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1561]
https://twitter.com/hyotto_koko/status/1091130244059156481
(ひょっとここ(一部bot) )
「鼻血=被曝」は情報選別の一つの目印です。
鼻血は被曝の影響だと主張する人が居た場合、
その人が発信する他の情報も間違ったものである可能性が高い
ということを知っておくだけでも違ってきます。
それだけでも放射能に対する過剰な恐怖から
精神的に不安定になることを防げるのではと考えます。
16:24 - 2019年1月31日
これは真逆だね。
鼻血と被ばくは無関係と主張している人間は、政府・原子力ムラの
関係者か工作員であり、その言説はすべて安全デマだと思ったほうがよい。
こういった連中のやっていることは、深刻な放射能汚染と健康被害から
国民の目をそらすのが目的。
彼らの安全デマを信じて不治の病になっても誰も責任は取らない。
やつらはヤバくなったら、サッと消えるだけだから。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/855.html#c1
19. 空虚[1774] i_OLlQ 2019年2月05日 05:06:10 : p8juooHce6 : 0[252]
木枯らし紋次郎の頃から、関わりたくもねぇ〜ことに関わり
声をあげ、したくないといいつつ努力を惜しまずきた人なんだろうなぁ・・・。
仏教的視点で経済至上主義を捉え、利己主義ではない個人尊重主義を
主張できる達観した人物とお見受けするw。
科学その他学問全般とテクノロジーが発達すれば、効率化・省力化へ向かうべき
ところが中村氏の云うように、高速道路を逆走している・・・。
経済のグローバリズムが内在する最大の矛盾に、未だ異を唱えない自称識者
(ソフィストとも云うw)が多すぎるんだ。
仏教的視点とは云ったが、実はあらゆる宗教の教義中に利己的な侵略や支配を
正当化するものは無いんだ。
むしろ、くどいくらいにそれを否定し個人の人間的成長を促すのが本義なんだわな。
そして、実は宗教の出所は一つなんだw。
どの宗教を持ってしても、本義に従えば反戦と反支配・侵略へ傾倒するのが道理
・・・であらねば嘘、イカサマと知るべしwww。
正しく宗教的思想の本義に従う稀有な人は、実は宗教家や宗教組織では異端と
されるwww。
中村氏もおそらくはそういう人生だろうが、こころ同じくする人が
中村氏を応援してくれているのだろうね。おいらも応援する。
高速道路を逆走させるオカルト政権 自民・公明 晋三ナチ汚 だ。
13. 罵愚[7138] lGyL8A 2019年2月05日 05:09:34 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[605]
兵器としての核の欠陥は、目標地点まで運搬してもらわないと、自走できないことだろう。運搬手段とセットで完成する兵器だ。広島・長崎では長距離爆撃機が使われ、いまではロケットが主流だな。したがって、地上なり、地中にあって、空中に舞い上がるまえに破壊してしまえばいいのだが、わが国では平和憲法が邪魔して、その作戦は採用されない。
したがって、運搬中に迎撃するのが、もっとも効果的な抑止になるが、鉄砲の玉を鉄砲で撃ち落とすことになるから至難の業だ。さらに最近、ロシアは極超音速ミサイルを開発して、これはマッハ10以上のスピードで飛び、空中でコースを変える、つまり操縦ができるので、ロケットによる補足・迎撃が不可能に近い兵器だ。
ほかにも、電子技術や宇宙空間など、対応のむつかしい新兵器が開発されるだろうが、最大の難問は、すでに思想戦に敗れて、大量に発生している反日思想にかぶれた在日日本人の存在だろうな、
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/121.html#c13
(L'accord de libre-échange entre l'UE et le Japon entre en vigueur: RFI)
http://www.rfi.fr/economie/20190201-accord-libre-echange-entre-ue-le-japon-entre-vigueur
欧州連合||日本|貿易・為替
EUと日本の自由貿易協定が発効する
記者 RFI
発表 2019年2月1日・更新 2019年2月1日11:44
2018年7月17日に東京で、安倍晋三・日本首相がジャン=クロード・ユンケル欧州委員会委員長とドナルド・トゥスク欧州理事会議長の間に立ち、報道陣を前に協定の署名を発表している。
Koji Sasahara/Pool via Reuters
2月1日に発効するこの協定により関税の大部分が撤廃され、欧州と日本の諸企業がこの税から解放される。協定はほぼ6億3500万人の消費者を対象とし世界のGDPの3分の1強を占めるもので、世界で最も野心的な協定と見なされている。
欧州連合(EU)と日本の自由貿易協定はフランスの中小企業にとってまたとない好機だ。日本は "Made in France" 製品を強く求めていると、メデフ・アンテルナショナル[国外に進出するフランス企業の連合体:投稿者注]のフレデリック・サンチェス会長は言い切る。「今日、協定発効前でさえ既に日本向け輸出を行う企業の80%が中小企業だ」と彼は説明する。「なぜなら、日本には質の高い製品という文化が存在し、フランスでは豪華さや安全を求める日本人の期待に応える製品を作る能力を持つ諸企業が様々な分野で競争している。」
農業・自動車…
欧州は農産物の大規模な販路を見込んでいるが、日本側では自動車産業の経済効果を期待している。
「自動車では現存する10%の関税が今後7年間で撤廃される。しかし、もっと重要なことは、自動車部品における税率4%〜8%の関税が初日から撤廃されるので、自動車業界内でさらに重要な企業間の協力が容易になる」と、日本側交渉官だった鈴木庸一氏はコメントする。
1%のGDP効果
欧州向けの関税が消滅するお陰でGDPが1%押し上げられると、日本側は期待している。
---------------------------------------------------------
(Sputnik日本)
https://jp.sputniknews.com/opinion/201901315868674/
2月に日本・EU経済連携協定発効 日本の輸出に役立つか
© Fotolia / Artjazz
オピニオン
2019年01月31日 06:45
リュドミラ サーキャン
2月、6億3500万人と、世界のGDPの約3割(20兆ドル以上)をカバーする世界で最大規模の経済圏を創出する道を開く、日本とEUの経済連携協定(EPA)が発効する。
スプートニク日本
同協定によると、日本側はEU諸国で生産された品目94%の関税を撤廃、EU側は日本製の品目99%関税を撤廃する。例えば、日本製自動車のEUへの輸出が大幅に簡素化される見込みだ。だが日本の欧州への輸出の約67%を占める日本製自動車への関税がゼロになるのは、協定発効から8年目、電化製品は6年目だ。
© Sputnik / Alexey Vitvitsky
EU 日本との貿易パートナー協定を承認
すでに日本は、30%の関税がかけられた一部の種類のチーズ、ワイン(11%から20%)、豚肉、複数の乳製品の関税撤廃を準備している。また化学製品、化粧品、繊維製品、衣類など、EUが強い競争力を持つ工業製品の関税も撤廃される見込み。EPAは、金融サービス、電子商取引、電気通信、輸送などのサービス市場も開放する。
2月、日本でEU製品の価格が下がることは明らかだ。12月に環太平洋連携協定(TPP)が発効した後、参加国からの輸入製品の価格が下落した。これは消費者を喜ばせるはずだが、日本経済にとってメリットはあるのだろうか?ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究センターのワレリー・キスタノフ所長が、通信社「スプートニク」のインタビューでこの質問に答えた−
© Fotolia / DragonImages
EUと日本、安全なデータ伝送のための単一スペース創設へ
「もちろん、このような協定を締結するとき、当事者はすべての長所と短所を比較検討する。必ずどこかで損失があり、どこかで利益がある。例えば、日本は欧州の農産物に自国の市場を開放し、これは国の支援に大きく依存し、開かれた競争ができない日本の農業にとっては間違いなくマイナスとなるだろう。この問題は、日本がTPP交渉を行ったときにもあった。これは農業部門にとって明らかな打撃となるにもかかわらず、それでも日本はそれに踏み切った。その代りに日本は、同国の主要輸出商品であるだけでなく、日本の産業を牽引するものの1つでもある自動車産業で勝つ。注目すべきは、日本とEUの両方が、品目の拡大、輸出入の増加、また保護主義への反対を念頭に置いて、共通の利益を考えていることだ。」
EPAの署名に関する声明では、日本とEUが同協定によって保護主義に反対する強いシグナルを与えていることが明確に述べられている。日本とEUの貿易同盟は、多くの貿易相手国との関係見直しに着手したトランプ米大統領への対応なのだろうか?キスタノフ氏は、トランプ大統領の政策は、同プロセスの促進剤になったとの見方を示し、次のように語っている−
© AFP 2018 / Brendan Smialowski
日米の二国間貿易協定 旨味のある取引か、双方が譲歩か?
「もちろん2013年に日本とEUの協定に関する交渉が始まったとき、これは直接米国とは結びついていなかった。だがトランプ大統領の対外貿易政策は、同プロセスの促進剤となった。米国のTPP離脱は日本にとって大きな失望となった。また、北米自由貿易協定(NAFTA)に関する米国のメキシコとカナダに対する条件の改訂後、日本の利益に影響が及んだ。EUも、特に大西洋横断貿易投資 パートナーシップ協定(TTIP)に関する交渉が凍結された後、米国に不満を抱いている。このケースにおける共通の利益は、日本とEUが自分たちの努力と市場を統合し、それを欧州諸国と日本に不安や問題、損害をもたらす、ぎこちなくて一貫性のない米国の貿易政策に対置させることにある。」
ロイター通信によると、日本は1月、3カ月ぶりに米中貿易戦争を理由に輸出額の予測を下げた。2018年12月、中国への輸出額が急激に減少したため、最大の輸出額減少が記録された。英国のEU離脱は日本の経済学者らの懸念を呼んでいるが、EPAは、日本の輸出の動態を改善する可能性がある。
タグ 経済, 欧州, 日本
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/850.html
5. 2019年2月05日 05:13:35 : fWXtmr4KHw : z6NQdiHxb_Y[5]
バーコードのすり替え
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/302.html#c5
2. あおしろとらの友[2033] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2019年2月05日 05:21:01 : RNYKA7Q0Ca : @VUWoxWWfz8[27]
細野は選挙区は変えないと言ってるから次回総選挙で勝てるかどうかが見所だな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/195.html#c2
25. 2019年2月05日 05:22:39 : dAG2YVlOUk : 0[253]
「麻生ひどいこと言うなあ。やっぱり政治家の資格無いな」と思ってコメント見たら、22みたいな同類のクズを見つけてしまった悲しさよ。
この国民にしてこの大臣あり。こんな国滅んでいい。
反自民の人たちだけはまともでいて欲しいと思っていたけど、ちょくちょく22みたいな馬鹿を見てきてもう疲れた。
自民のような暴れる悪人を倒せないのは、反対派の中にもまともな奴が少ないからだろうね。22はそれを俺に教えてくれた。ありがとう。さようなら。
5. 2019年2月05日 05:23:57 : 5Zw3R5e6LM : H0J3@WnhDeg[6]
菅野さんの原稿にはいつも、ハッとする言葉がある。気を引く単語が入っている。
今回の原稿では「外道」。
道理に反する安倍にぴったりの単語。麻生にも合う。菅ももちろん、竹中もそう。インチキ統計が蔓延する厚労省は腐れ切った外道組織だし、デフレで沈滞国家の日本に消費税を増税しようと企んでいる財務省も外道のかたまりだ。
悲しいことに経団連にも外道は侵入している。
いずれにしろ、外道の元凶は安倍。
落ちぶれる一方の日本。道理、真理を体現する「内道」の者の出現を待望する一方、真理に反した集団が仕切る国家には天罰を下さなければいけない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c5
5. 罵愚[7139] lGyL8A 2019年2月05日 05:26:11 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[606]
↑ 天木は実現不可能なことをゴチャゴチャ云って、煙に巻くようなヒキョー者。
そうかなぁ〜? 平和憲法の9条平和主義こそ「実現不可能なことをゴチャゴチャ云って、煙に巻くような」理論だったことに、さすがの戦後平和主義者たちも気づきはじめてるのではないのかなぁ?
冷戦時代は、ソ連は攻めてはこない。もしも攻めてきても歓迎し平和に共存する。戦わなければ平和は守れると信じてきた、9条平和主義だった。
米中対決の時代がはじまって、トランプと習近平をみていると、もちろん、どちらも日本を助けてくれるような人物には見えないし、どちらも、日本に爆弾を落とさないとは限らない、危険人物に見える。つまり、9条平和を疑いはじめている。
9条平和主義こそ「実現不可能なことをゴチャゴチャ云って、煙に巻くような」理論だったことに、さすがの戦後平和主義者たちも気づきはじめてるのではないのかなぁ?
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/161.html#c5
24. 罵愚[7140] lGyL8A 2019年2月05日 05:32:45 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[607]
メディアも、視聴者も、もちろん、このボードの投稿者も、事実報道と評論の見境がついていない。だから、不実と妖言に惑わされる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/157.html#c24
6. あおしろとらの友[2034] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2019年2月05日 05:33:27 : RNYKA7Q0Ca : @VUWoxWWfz8[28]
過剰な期待をする方が悪い、 ちゅーことよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/181.html#c6
1. 赤かぶ[3883] kNSCqYLU 2019年2月05日 05:50:08 : 6UnV32Ub6A : 0[254]
確か23歳くらいの現場監督が自殺しましたね。最もそれは報道されませんでしたが。相当危ない話なのでしょう。
— fancylala (@fancylala1115) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/197.html#c1
2. 赤かぶ[3884] kNSCqYLU 2019年2月05日 05:51:14 : 6UnV32Ub6A : 0[255]
オリンピック、万博、カジノなど政権の宣伝のための仕事なんかやるきおこらんで、もっと災害復で困っている被災者のために建設労働やるんやったら、感謝されてやる気デルで。オリンピック建設現場の作業員はみんな災害復興現場にいったほうがいいとおもう#仮設住宅 #オリンピック #万博 #作業員
— Minerva owl (@minervaowl_fly) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/197.html#c2
87. 罵愚[7141] lGyL8A 2019年2月05日 05:51:49 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[608]
>>86 しんのすけさん
当時、その蘭印を植民地支配していたのが誰でしょうか? オランダ人の植民地支配は正当で、日本軍の保障占領を不正義とする理由は、どんなものなのだろうか?
日本の近代史を貫く、大東亜主義は見直される必要があると、わたしは主張しております。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/870.html#c87
7. 罵愚[7142] lGyL8A 2019年2月05日 05:56:49 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[609]
「戦争で獲得した領土だ」と言うのなら、戦争で取り戻すしかないだろう。9条平和の限界に気づかないのかね?
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/181.html#c7
9. 罵愚[7143] lGyL8A 2019年2月05日 06:03:22 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[610]
なにを、いまさら、うろたえてるんだろうかね、これが非武装中立論の結論だってことは50年前から…
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/182.html#c9
4. 赤かぶ[3885] kNSCqYLU 2019年2月05日 06:05:12 : 6UnV32Ub6A : 0[256]
財務局OB
— Mananaan MacLir(マックリア) (@DMaclir) 2019年2月4日
公人扱いの昭恵夫人が、特定の法人に肩入れしたことがこの問題の発端。
後輩に聞いたところ、この案件は、昭恵事案、安倍事案と言われていた。
これはもう国会に来ていただかなければなりませんね。
#昭恵出てこいhttps://t.co/ItvaVjz0fU
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html#c4
20. 2019年2月05日 06:06:52 : pD3Dhk1hRg : 0[257]
高速逆走の『糞バカ晋三』曰く
『え〜何だあいつ等!
俺の車に向って来るとは危ないじゃないか!
おいポリ!奴らの車を止めろ!
そして車を全部逆走させろ!
』
停止された事に怒リ狂った運転手がいた。同調する運転手がどんどん増えた。
晋三車はボコボコに潰された・・・・
5. 赤かぶ[3886] kNSCqYLU 2019年2月05日 06:19:01 : 6UnV32Ub6A : 0[258]
#akahata 森友問題の”真実”語る/大阪・豊中 近財元職員ら対談・・・今日の赤旗記事 https://t.co/HrZIE98qny
— 琵琶湖オオナマズ (@namadu_inkyo) 2019年2月3日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html#c5
6. 2019年2月05日 06:26:52 : 2uWHekRtN6 : osDxUwr6K6I[5]
同意なしに子づくり作業をするのは問題
大阪府警集団強姦 不起訴
https://twitter.com/JPNzip/status/1092045032020832258
また大阪の「土人性」が露わになりました。正義なし。無法地帯。チカラがすべての土人社会。
気持ち悪いですね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/176.html#c6
6. 2019年2月05日 06:36:08 : 9I6jUTQHfg : 0[259]
>>5
女性を受話器で殴って逮捕状が出たら、
さっさと国外逃亡していけしゃあしゃあとしている菅野こそが
外道だろうが。
お前は何を言ってるんだ?
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c6
33. ゆめ[222] guSC3w 2019年2月05日 06:38:15 : vsjj7VztN6 : 0[260]
明治天皇がコリアンに入れ替えてから、日本人は 奴隷化・洗脳され堕ちた!
天皇.議員.山口組.弁護士会.医師会.日教組.警察.検察.メィデア.芸能界.経団連.電通までも支配
日本の資産家に順日本人はゼロ化された! 日本弱体化・乗っ取り政策で
米英がCIAに コリアンを使いさせた極悪非道の結果が現在の 日本人・奴隷化の惨状である
トランプー海兵隊ーNASA連合で英国から米国は独立し 極道.ユダ金支配を脱した
日本を任された傀儡統治=コリアン支配! の殲滅・排除が今年のテーマとなる
大天使トランプ大統領ーケネディー家に感謝する事に 世界市民ファーストだ!
安倍政権の変質し売国奴ぶりは凄まじい 議員・日本の要職がコリアンばかり
天皇家の莫大な資産も含め没収・殲滅処分で当面は自衛隊・海兵隊の政権誕生か?
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/146.html#c33
1. 2019年2月05日 06:39:16 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[309]
技術力は 今や 地に落ちた
統計は ウソばかり
品質は 異装
===
経営者は やる気なし 政治家は アホばかり
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/847.html#c1
7. 2019年2月05日 06:43:10 : FehvLrQ8PQ : o4LHaPZCGXE[112]
学生時代のアホ晋三の答案は、
いつも小銭を上げてる悪仲間に作らせた『カンペ』で赤点免れてるんだよ。
この子供時代と同じ事を大人になった今、日本の首相になってもやってるんだからお話にならない人間のクズ。
悪仲間へやる小銭感覚で税金をばら撒く事が犯罪だと云う自覚欠如。
当時の『カンニングペーパー』に相当するものが、今のアホ晋三得意技の
『ヤラセ』『改竄』『隠蔽』『廃棄』『恫喝・ヤジ』『悪事がバレるとど真ん中から幽霊のように消える』
『脳足りん晋三は小物で自分で考える思考力なしだから、こやつをアンダーコントロールする裏の巨悪のコマ使い』
汚い、汚れ、卑しい、穢、毒物を
日本のトップから葬り去れ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c7
12. 前河[1382] kU@JzQ 2019年2月05日 06:43:23 : qhPkogdan6 : nJ3NnqLRjcQ[58]
>いかにも年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいるけど、間違っていますよ。
そもそも「年寄りが悪い」って、一体全体誰が言ってるんだよ。誰だ?
いないだろそんな事を言ってる人。意味不明。支離滅裂。酔っ払いか?
>子どもを産まなかったほうが問題なんだから
お前らの少子化対策が問題なんだろうが。子供が生みやすい環境を整えろボケ。お前らの仕事だろ。
やるべき仕事をしないで責任転嫁とは、信じがたい無責任男。
あなたが考えて実行しなけばならないんだろ。もう少し大臣・副総理としての自覚を持てないのかね?
4. あおしろとらの友[2035] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2019年2月05日 06:51:39 : RNYKA7Q0Ca : @VUWoxWWfz8[29]
細野は自民党をうんと引っ掻き回してやることだな。それにしても二階幹事長は度量があるな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/190.html#c4
8. 2019年2月05日 06:57:26 : gOztBfO6y2 : 0[261]
⇒《これでは近代国家の体をなしていないではないか。 》
そうなんです。大阪府と同じ、日本国全体が土人社会だったのです。
自公(維)+小役人じゃダメなのです。
立共自社(国)政権に交代しましょう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c8
13. 地下爺[4785] km6Jupbq 2019年2月05日 06:58:50 : nolP8ySoCU : 0[262]
◆画像の引用元
麻生さんがなんとなく見逃されるワケ
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/174784/051000142/
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/193.html#c13
14. 地下爺[4786] km6Jupbq 2019年2月05日 07:00:59 : nolP8ySoCU : 0[263]
馬鹿なので 馬鹿なので。。。。。
15. 地下爺[4787] km6Jupbq 2019年2月05日 07:04:48 : nolP8ySoCU : 0[264]
豊田ーーーー
晋三ぼっちゃま と 阿呆太郎様に なんて 暴言吐くんだー
by 安倍晋三総統閣下マンセー@チカ爺 50円おくれ
4. 前河[1383] kU@JzQ 2019年2月05日 07:11:39 : qhPkogdan6 : nJ3NnqLRjcQ[59]
安倍政権って心底腐ってるな。寛容さゼロ。
気に入らない人や組織を権力を乱用してジメジメと陰湿に叩く。この嫌らしさは尋常ではないな。
戦後、最も威厳がなく卑怯でみっともない内閣。安倍や菅の性格的な問題も大きいだろうな。あとは側近・ブレーンにおかしな奴が多いのだろうか。
望月さん以外の記者がだらしないのが、こういう問題を起こしてる一因だな。
他の記者も厳しい突っ込んだ質問をして、それが当たり前だという環境になればこんな事にはならないだろう。
だらしない記者陣だな。ゆとり教育世代か?他力本願か?突っ込んだ質問をするのが記者というものだろう。いつまでなあなあ癒着やってんだ?
小心者か?自立したまともな取材をしなければ、社会全体の質も下がる。
一番悪いのは官邸だが、記者クラブの記者ももう少し責任感、使命感を持つべきだろう。だらしないからもともな望月さんが攻撃される事になる。
望月さんが普通。大人しい他の記者の方がおかしい。
1. 赤かぶ[3887] kNSCqYLU 2019年2月05日 07:14:59 : 6UnV32Ub6A : 0[265]
統計不正キーマン“幽閉” 安倍内閣の呆れる「隠蔽ドミノ」https://t.co/8bGkiY282V不正の実態の全てを知り得る立場にいた真相解明のキーマン。不正を組織的に隠蔽した疑いもある。 …アベノミクス偽装の内閣ぐるみ隠蔽は、モリカケ問題と根っこは同じ。全てはアベ様の気分を損ねないための忖度だ。
— Hikaru 星 光一 (@utopia_star) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/198.html#c1
2. 赤かぶ[3888] kNSCqYLU 2019年2月05日 07:15:36 : 6UnV32Ub6A : 0[266]
毎勤統計不正、ホントに安倍自民が実態解明する気あるなら、大西元参事官の参考人招致、応じるべきだよね。安倍擁護していつまで隠蔽するの?#クロスhttps://t.co/XeunFxRl7G
— kmokmos..@まきてーないびらんどー! (@kmokmos_) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/198.html#c2
6. 2019年2月05日 07:16:31 : cly6641nIs : 0[267]
そーもそも___
>大手新聞、テレビを見て信じている国民よ、現実はここまで選管は悪化、腐敗しているということだ
https://blogs.yahoo.co.jp/aruko26/39410488.html
信じがたい開票作業の実態〜こんなにあった選挙開票及び集計のブラックホール
http://blogs.yahoo.co.jp/nothigcat2000/24483851.html
以上から、次のような問題点が浮かび上がってくる。
1.立会人の統制業務の信憑性について〜「立会人の承認と押印」はメクラ判
2.分類及び集計等ソフトは公的財産〜プログラム内容が開示されて然るべきである。
3.開票に身元不明な派遣社員が総勢4分の1も存在し、開票に関わっている事実
4.読み取り分類機に加え、新たに計数機「ローレルバンクマシン」による不正操作の可能性
5.バーコード作成にムサシのソフトが介在しておりここでも不正疑惑が再燃
6.ムサシの集計段階での関与の可能性
7.愚かな公務員の開票に係る誤った認識〜「速報」ではなく「適正」かつ「正確」を>
__(下に続く)______________________________________
ということであり、高松には監視カメラが設置されたのであるが___
>選管開票不正の高松市で開票所に監視カメラ設置 衆院選対策で調査委が緊急提言
https://www.sankei.com/west/news/141127/wst1411270037-n1.html
______________________________________________
___ 監視カメラは進歩したとも言えなくもなくソフトの開示も必須であるが、
___ 上記のようにブラックックホールはたくさんある。シンプル・伊豆・ベスト!
そもそも、投票用紙は選管作成ではなく、印を印刷したものをムサシが作成しているのであり、ムサシルートを使えば真券と全く同じ偽札がいくらでも手に入るということである。本来は選管が通し番号を記入・朱印を使って作成し、当日まで金庫などに厳重保管して盗難や火災に備えるため囲碁かマージャンをしながら寝ずの番で管理しなければならない。選管と選管委員長は、最初の段階から仕事をしていないということである。
さらに、開票に身元不明な派遣社員が総勢4分の1も存在し関与しているとすれば、開票は選挙管理委員会の管理下にないということであり、「選挙管理しない委員会」と改名すべきである。どうしても人手が必要なのであれば、地元の銀行や信金の職員を要請し、一万円札を数えるように手作業で念入りに数えてほしいものだ。
そもそも開票は陸上競技と違って分秒を争って報道する性質のものではない。更に投票箱を異動させるなどは暗躍の機会をムサシ一族に提供するだけのことであり、投票した場所で開票しなければ不正の入る余地が生まれるのは当然である。各投票所は、投票箱の閉鎖と同時に有権者を招き入れ、多くの観客が見守る中で開票すべきなのである。票の確定まで2〜3日かかろうとも、地域の仕出し屋・スーパー・コンビニの弁当が売れて地域の活性化にもつながることだろう。
選挙もインチキマシーンを使うことなく、できるだけ原始的でシンプルなものとし、地域に密着したものとして実施すべきであり、地域のイベントとして盛り上げるべきである。
______________________________________________
でもって、<コメント>を見ると___04. 2014年11月28日 17:10:44 : UlAm4z6t2w
ムサシによる選管委員の買収と接待は異常なほどで、選挙管理委員会もゴールドマンサックスのユダ金の手下となって不正選挙を行っている。ただの一企業の社員が、各投票所にて腕章をまいて監視している。いつ投票箱をすり替えるかと、凝視しながら、投票数をチェックしているのだ。
彼らはあたかも選管委員のごとく立ち振る舞う。酒の酔いが消え入らぬうちに、接待した選管委員と目配せしながら計算機械に細工する。このデジタルソフトは数字をインプットとした数字がいとも簡単に明示される。数が多くて誰もチェックしない。投票総数にあてがわれる各派の比例票はこのようにして事前にカウントされていて不正が行われているのだ。
あのスコットランド独立選挙でも活躍したこの機械は反対票の数字を訂正して見事に乗り切っている。おまけに管理委員が反対票を賛成票の上に置いて、すべて反対票に不正した映像のごとく、今回も手読みせずに機械の数字を信用させるのである。すべてはこのムサシの機械が不正の根幹である。
民主主義を破壊するこの機械。いますぐ導入を禁止すべきである。これがアメリカ大統領選挙で成功し、民主党の代表選挙でも成功し、前回の衆議院選挙、参議院選挙で力を発揮し、この日本を破壊へと導いてきたのである。香川県の不正選挙は市長の英断があったからこそ不正の事実が暴かれた。今回も数多くの不正が発覚することだろう。楽しみだ。
______________________________________________
っちゅうことである。だからインチキ開票・票の改竄をするために導入したムサシのインチキ機械を使ったインチキ操作を見られては困るということで、選管が「不正選挙なんてありませんよー」とか言ってもインチキしてるに違いないということは誰が見ても見なくても明らかであり、アベの見え透いたウソの言い逃れ・誤魔化し方とまったく同じパターンで進歩がなく、いっそ「誤魔化し方の研究会でも開催したらどうなの?」ってこと。ついでに言えば、仙台でもインチキがバレてるんじゃい。
>【1214不正選挙】船橋開票所 ○井「まずいっす。」http://sayuflatmound.com/?p=6555
〜「開票作業は見せないけど、不正選挙はありませんよ!」「でも、見られたらまずいっす。」
>「正しい集計一つもなかった」仙台の選管不正 2015年04月02日 11時54分
https://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/32558743.html
>●仙台市長選挙は、ムサシは使わず 手作業
https://twitter.com/akichango/status/889107491623129088
だーかーら____
2012選挙で稀代の政治家・小沢一郎が主導し結集した未来の党が大敗で、売国と利権と腐敗と嘘の塊・嘘の垂れ流しのアベ自民党が圧勝だなんて結果はクレイジー・キャッツよりもクレイジーなのであり、千葉4区で「お前なんかNO−だ」という落選運動が起こったのに「今までにない大量得票で圧勝ですよー!」なんてインチキ以外にあり得ず、2013選挙で聴衆閑古鳥候補の丸川ダダが106万票で、聴衆ひしめき70代のお婆さんまで産気づいたと言われる山本太郎が66万票だとか、嘘もいい加減にしてよね!ってことだし、「M添えに投票する男性とはsexしない女の会」が結成された2014都知事選では反原発を掲げるペテン老人コンビに聴衆が溢れ、M添えの聴衆がどこにも見当たらないのにWスコアで圧勝です!だから原発はOKです!みたいなミエミエのインチキはバレバレなので終わりにしなさいってこと。
>【衆議院選挙疑惑】不正選挙確定か!?野田・千葉4区とどめの衝撃グラフ!
野田前首相の得票率は驚きの93.7%! http://saisai25.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
>閑古鳥候補が圧勝!?:2013参院選・2014都知事選:https://imgur.com/a/zaMpC
それにも懲りず「大麻とヤクとムサシはやめられない止まらないカッパえびせん!」みたいにいつまでもムサシ選挙に頼りすぎるもんだから、案山子相手の演説で圧勝とか、たんぼで演説だからまさに票田だとか、馬鹿なこと言ってんじゃないよーってなるわけで、民主主義の反逆者である安倍自公政権の閣僚・関係者・御親族の皆さんは、韓ドラ風に厚遇すればハリツケもしくは八つ裂きによる公開処刑が常道だけど、この際おフランスが電通を捜査対象にしているみたいだから西欧風味のギロチンも選択肢に入れてあげるからねー、感謝してねーってこと。かしこ
>あまりにも対照的な、枝野コールと逃げ回る国難のアベ:https://imgur.com/a/99SNP
>【再】〜不正選挙の真実〜恥辱の刻 https://www.youtube.com/watch?v=UxGeOZLZIyU
______________________________________________
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/302.html#c6
9. 2019年2月05日 07:18:45 : S6To6O4Feo : 0[268]
外道はさっそく国会での証人隠しのために、関係部署のキーマンを異動させて、喚問を拒否した自民党。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c9
6. 2019年2月05日 07:39:41 : kXGn1AHYLI : u7UXWxpnp1w[1]
マスゴミが書かなくても、国民は忘れない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html#c6
23. 2019年2月05日 07:40:51 : QLRettbFbE : CCOK0OWavgU[2]
馬鹿のABE談話___
つまり、まさにワタクチが3犬の長であり、最高責任者であり、憲法であり、法律なのでありまちゅ。でもって、何があっても支持率は常に高止まりで選挙はワタクチの自民党が常に圧勝するんでちゅ。たとえあんな人たちが「お前が国難・お前がウミ」とか「アベヤメローー!」とか叫んでも自民党が圧勝するんでちゅ。たとえ投票が延期や中止になっても、たとえ誰も投票しなくても、安倍自民党が圧勝するんでちゅ!_かしこ
>2015年不正選挙裁判 繰り返す!司法の不正!? メディアには決して流れない異様すぎる裁判
http://matome.naver.jp/odai/2142638696582598701
>何度も言うが、元凶は不正選挙だ
現在の政治状況で有効なカードは「不正選挙の追及」「国際的な選挙監視団の招聘」以外にない。もちろん自民党は汚物だし、野田は豚だが、安倍に文句を言うヤツも、野田や「民進党の心ある議員」にアドバイスをするヤツも、不戦選挙の追及を柱に立てないのなら、共謀罪の成立や現支配体制の補強に寄与しているのと変わらない。プロレスでヒールに野次を飛ばそうがベビーフェイスの戦い方に文句をつけようが、筋書きを変化させることなどできはしないだろう。
>【クリミア発】 日本の選挙にも国際監視団をhttp://tanakaryusaku.jp/2014/03/0008969
「ロシアへの併合」の是非を問うたクリミアの住民投票(16日実施)には、世界23ヵ国から126人の選挙監視団が現地に入った。アメリカ、イタリア、フィンランドなど西側諸国からの監視員が目立った。親露派による出来レースではなかったのだ。
>お笑い絵本:電子版 「私はアベです、内閣総理大臣でちゅ!!!」
http://blog.goo.ne.jp/izuookawa/e/49d993822361641702e4f853ff05db0e
67. 一般ピープルぱんぴー[-100] iOqUyoNzgVuDdoOLgs@C8YLSgVs 2019年2月05日 07:40:53 : lyCsb7IWko : 0[269]
>>50
CIAは退職した中央官僚も使ってアベ攻撃を行っていますね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html
>但馬問屋@wanpakutenshi 2019年2月3日 豊中市で財務局OBらが対談、喜多さんは「内部で『あきえ案件』とこっそり呼ばれていたと聞いた」と明かした
マエカワさんだけでなくキタさんもですか・・・
チェスの世界では、CIA工作員は、敵陣(NSA)に「と金」として登場することは不可能なんですね。
アソーは将棋の世界だから、突然NSAとして登場できる。
日本は、やはり、ウェストファーリア体制には向いていない国です。
https://jp.reuters.com/article/venezuela-politics-europe-idJPKCN1PT1LQ
不正選挙で首相になるのも「日本の民主主義」です。
ベネズエラのCIA工作も、これで、敵味方がはっきりしてきた、というNSAとしてのメリットはありますけれど。
>スペイン、オーストリア、英国、チェコ、デンマーク、エストニア、フランス、ドイツ、ポーランド、ポルトガル、スウェーデンの11カ国
つまり、CIA支配に忠実なのは、この11カ国ということですね。
英国は、まだ、NSA(ブレグジット派)とCIA(ブレグジット反対)がせめぎ合っているようですが・・・
日本は、これに加わってはいけないよ!
放射性ヨウ素をCIAが撒いたのも、CIA支配から抜け出そうとすると、これからも、放射性兵器(ヨウ素だけでなくラジウムなどもある)を撒くぞ、という脅しなんですけどね。
こんな脅しに負けてはいけない!!
アベのテロ対策は万全だ!!!
と思いたいけど・・・???
68. 一般ピープルぱんぴー[-99] iOqUyoNzgVuDdoOLgs@C8YLSgVs 2019年2月05日 07:42:11 : lyCsb7IWko : 0[270]
>>50
CIAは退職した中央官僚も使ってアベ攻撃を行っていますね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html
>但馬問屋@wanpakutenshi 2019年2月3日 豊中市で財務局OBらが対談、喜多さんは「内部で『あきえ案件』とこっそり呼ばれていたと聞いた」と明かした
マエカワさんだけでなくキタさんもですか・・・
チェスの世界では、CIA工作員は、敵陣(NSA)に「と金」として登場することは不可能なんですね。
アソーは将棋の世界だから、突然NSAとして登場できる。
日本は、やはり、ウェストファーリア体制には向いていない国です。
https://jp.reuters.com/article/venezuela-politics-europe-idJPKCN1PT1LQ
不正選挙で首相になるのも「日本の民主主義」です。
ベネズエラのCIA工作も、これで、敵味方がはっきりしてきた、というNSAとしてのメリットはありますけれど。
>スペイン、オーストリア、英国、チェコ、デンマーク、エストニア、フランス、ドイツ、ポーランド、ポルトガル、スウェーデンの11カ国
つまり、CIA支配に忠実なのは、この11カ国ということですね。
英国は、まだ、NSA(ブレグジット派)とCIA(ブレグジット反対)がせめぎ合っているようですが・・・
日本は、これに加わってはいけないよ!
放射性ヨウ素をCIAが撒いたのも、CIA支配から抜け出そうとすると、これからも、放射性兵器(ヨウ素だけでなくラジウムなどもある)を撒くぞ、という脅しなんですけどね。
こんな脅しに負けてはいけない!!
アベのテロ対策は万全だ!!!
と思いたいけどね・・・???
5. 2019年2月05日 07:44:57 : kXGn1AHYLI : u7UXWxpnp1w[2]
マスゴミはこういう具合だからマスゴミなのだ。
他人の不幸は蜜の味という商売根性から離れられない故に、日本をどうにかしよう、国民を助けようという思考などなく、てめえの食い扶持確保だったら何やっても良いという浅ましい俗物根性がある限り、メディアは良くなりはしない。
東京新聞だけでは無く、全てのメディア自体に問われていることだが、海外のニューズウィークやニューヨークタイムスなどのような腐ったメディアが未だにのさばっているので、それに倣っているのが日本のメディアと記者クラブだ(但し、記者クラブなんて制度は日本だけだが)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/185.html#c5
10. 2019年2月05日 07:56:00 : P81Cmbsbek : 0[271]
嘘つきの嘘つきによる嘘つきのための政治が、なぜ早く一蹴されないのかを考えることだ。
これは、嘘つき政権と二人三脚をしている悪徳宣伝屋にメディアが牛耳られているからである。
まともで健全な世論を醸成しないように、悪徳宣伝屋は意図的にメディアに圧力をかけているのである。
背景には、日本の富を奪い日本をぐちゃぐちゃにしようとしている目論みも垣間見られるようである。
この構造を一掃しない限り、日本には健全な民主政治は望めない。
野党議員の中で、この腐敗政治の素であるこの悪徳宣伝屋とゴミメディアの関係構造を粉砕しようとする気骨ある議員は皆無である。
この国は、いったいどうなっているのだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c10
69. 一般ピープルぱんぴー[-98] iOqUyoNzgVuDdoOLgs@C8YLSgVs 2019年2月05日 07:59:38 : lyCsb7IWko : 0[272]
>>67
>>68
失礼しました。送信エラーになったので再送したら「二重投稿」になってしまいました。今後は注意したいと思います。
ついでなので、イタリアとアイルランドが、ベネズエラの暫定大統領(米国の内政干渉)に反対した理由も述べておきたいと思いますが・・・
どちらも財政赤字に苦しんで中国に助けてもらっている国です。
アイルランドはNSA工作が進んでいて、多極化(ブレグジットを含む)で英国や日本とグリーン革命(?)の共闘を組む予定に」なっている(?)こともあり、ここで、米国(軍産)に反旗を翻した。
アイルランドは日本との友好関係にウィンクを送ったということです。
世界政治はおもしろい。
放射能兵器(ヨウ素133)まで使わなければならなくなってきたCIAも末期症状ですかね。
英国のブレグジットと日本のアベ(NSA)のかかわりと、CIAの妨害工作、の関係も見ていて面白い。
当事者にはなりたくないですけどね。
あくまで一般ピープルが居心地がいい。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html#c69
11. 2019年2月05日 07:59:57 : aDilhBtnMM : RI88q6UGBgM[2]
ほら、隙があれば野党叩き
こういうのが原因である
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c11
1. 赤かぶ[3889] kNSCqYLU 2019年2月05日 08:03:01 : 6UnV32Ub6A : 0[273]
小泉進次郎「予算委員会の基本的質疑は全大臣が出席となってるが1日7時間1問も質問を受けない大臣もいる。質問に答えることがないのに7時間拘束されることを国民は望んでないと思う。もう一度与野党でルールを考え直すべき」
— DAPPI (@take_off_dress) 2019年2月4日
まさに正論。
出番がない大臣も拘束するのは国益を損ねてる#kokkai pic.twitter.com/0Izx94osGz
ガス抜き、トンチンカン野郎の進次郎じゃないか。
— Moira_良質なネット情報を配信 (@sugi_moira) 2019年2月4日
天才子役(笑)
— 大和魂 (@jtpimadju) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/199.html#c1
2. 赤かぶ[3890] kNSCqYLU 2019年2月05日 08:05:43 : 6UnV32Ub6A : 0[274]
#Nスタ
— 但馬問屋 (@wanpakutenshi) 2019年2月4日
“統計不正”
小泉進次郎氏、厚労省の体質を厳しく批判❗️
「組織の隠蔽体質のあらわれだッ❗️」
しかし大臣へは責任を問わず、
安倍首相にも質問せず😩
立憲 辻元議員
「誰も与党は突っ込まないじゃないですか。うわべだけ。小泉進次郎さんもこのままじゃ単なる人気者で終わってしまうなと」 pic.twitter.com/iAWZm61INU
#Nスタ
— 但馬問屋 (@wanpakutenshi) 2019年2月4日
“統計不正”進次郎氏が追及も…
小泉進次郎氏
「大臣は厚労省改革にしっかり旗を振っていただいて、取り組んでいただきたい」
立憲 辻元議員
「進次郎神話(※)の限界を見た。大西前政策統括官を出せというぐらいのことをやらないと」
(※)実力も成果も、誰も目にしたことのない“神話”😅 pic.twitter.com/pmK5eRvOqZ
#Nスタ
— 但馬問屋 (@wanpakutenshi) 2019年2月4日
日本国家や日本国民のためじゃなく、選挙のことしかアタマにない。
自分たちが生きることしかアタマにない。
それが、ザ・自民党。 pic.twitter.com/T9vDNBhyDw
小泉進次郎氏ってパフォーマンスが上手。
— おだんご (@houwokikeyo) 2019年2月4日
中身がなくても、正論を厳しい口調で言っているフリをする。
「民間ならゆるされない」って・・・。
— 風民 (@huskymanspecial) 2019年2月4日
大臣も辞めなくていいの?
民間の方が厳しいなら
国会も民営化してしまえよ。
ガス次郎は宴会部長かな。
私も「民間なら許されない」って驚きました😫
— なつみかん (@natsumiccann) 2019年2月4日
民間だろうが、市町村だろうが都道府県だろうが国だろうが…こんなことどこだって許されませんよ‼️
こんな事態になっても国民に許されると思っていること自体、長期政権の驕り以外の何者でもない😤
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/199.html#c2
3. 赤かぶ[3891] kNSCqYLU 2019年2月05日 08:08:14 : 6UnV32Ub6A : 0[275]
口だけ番長って番長でもないか🤣🤣🤣
— トンズラー (@Osa0222) 2019年2月4日
単なる口だけのおぼっちゃまくん。
理念も信念もないでしょ、彼は。
ほらね、進次郎は所詮飼い犬なんですよ。
— 京菩薩#まっとうな政治 (@KMGI1961) 2019年2月4日
威勢のいいこと言っても、自分で何も切り拓けない。自己の保身しかない、ただのおばちゃんのアイドル。
政府への数々の批判は、選挙対策のパフォーマンスに過ぎない。https://t.co/33ImlaKgfO
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/199.html#c3
4. 赤かぶ[3892] kNSCqYLU 2019年2月05日 08:09:52 : 6UnV32Ub6A : 0[276]
小泉進次郎議員が直近の重要問題を質問するのではなく、厚労省の今後の在り方等安倍政権にとって痛くもかゆくもない質問で批判してるふりを演技。それを漏らさず伝えるTVも呆れる。肝心なのは政府が隠蔽意図?に更迭した大西統括官をなぜ国会に呼べぬのかという問題では?彼に追及できるわけがない。💢
— 澤田愛子 (@aiko33151709) 2019年2月4日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/199.html#c4
7. 知的上級者さん[55] km2TSY_ji4mO0oKzgvE 2019年2月05日 08:11:57 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[68]
昭恵案件と呼ばれていたかも知れないけども
森友の真実と言ったら、もっと広い意味で同和忖度なのだ
氷山の一角が誰かにリークされたのが森友問題なのだから
森友問題の先に、広大な闇が広がっていることを知りつつ取り組む必要がある
安倍忖度や昭恵案件というより、もっと前から常習的に行われている
同和に対する超法規的忖度があり、彼らとの取引は書類を残せないほどとんでもない
殺人をすれば、被害者は自殺とされてしまう
同和が優先的に公共事業を受注すれば、相場と桁違いの金が支払われ
何百、何千憶円と簡単に稼げてしまう
日本の某フィクサーによれば、公共事業で儲けた同和財閥が各地に誕生
九州は上杉、京都では吉田、関西ではハンナン
ハンナンからは知事も市会議員も出して帝国を築いている
森友の先に、民主主義を否定する朝鮮天皇制による土人国家の闇がある
こんなの放置していいわけがない
単なる殺人でない掲示板に書けないような恐ろしいことも組織的に行われている
朝鮮天皇制廃止まで持ち込まないといけない
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/194.html#c7
食品中の放射性セシウム検査のまとめ(1月30日発表)―茨城産シラウオからセシウム、福島産は254件連続ND ―
http://mekenekotama.blog38.fc2.com/blog-entry-2796.html
2019/02/04(月) 19:48:05 めげ猫「タマ」の日記
食品中の放射性物質の検査結果を厚生労働省は発表しています(1)。また、厚労省以外の発表もあります(2)。1月28日に2018年11月16日までの食品中の放射性セシウムの検査結果がほぼ2ヶ月半遅れで発表になったので(3)、まとめてみました。お買い物のの参考になればいいかなと思います。先回に続き今回もしっかりセシウム汚染食品が見つかっています(4)。しかも市場流出です。牛肉を除く検査結果の概要は以下の通りです。
@検査数894件中2件の基準超え
A平均は、1キログラム当たり4ベクレル、最大210ベクレル(福島県産クリタケ)。
事故から8年近く経てセシウム汚染食品が市場流出する福島産
※1 牛肉を除く
※2 単位については(5)を参照
※3 基準超えは全てが野生キノコ
図―1 食品中の放射性セシウム検査結果のまとめ(1月30日発表分)
色分けは以下の通りです。
赤マーケットから基準値(6)超えの食品が見つかった県
橙出荷制限対象外の地域・品目から基準値超えの食品が見つかった県
黄基準値超えの食品が見つかった県
今週の発表から
・茨城産シラウオからセシウム、福島産は254件連続ND
・汚染が酷い最大産地を検査せずに、福島産安全は検査で安全と主張する福島県
・上昇する福島産トチモチのセシウム
などの特徴が読み取れ福島産は安全とは言えません。
1.茨城産シラウオからセシウム、福島産は254件連続ND
愛知県の検査で茨城県産シラウオからセシウムが見つかったと発表がありました(7)。以下に福島産と茨城産の検査結果を示します。
茨城産からは見つかっても福島産からは見つからないシラウオのセシウム
※1(1)を各県が実施した検査について集計
※2 NDは検出限界未満(見つからない事)を示す。
※3 ()は検査先で、愛知県内は愛知県および名古屋市
※3 日付けは捕獲日
図―2 シラウオの検査結果
茨城県が検査した淡水(河川、湖沼で採れた)シラウオと愛知県内ほぼ一致しており、愛知県が淡水を主に検査したと考えれば、両者は一致しており検査は正しいと言えます。茨城産は海で採れたシラウオからみセシウムが見つかっています。一方で福島産シラウオからは見つかっていません。厚生労働省の発表(1)を数えると254件連続で検出限界未満です。海が繋がっているのに汚染源がある福島産から見つからない等はおかしな話です。シラウオ等の福島産農水安物の出荷前検査は厚生労働省の発表(1)を見ると、全てを福島県農林水産部に属する福島県農業総合センター(8)で実施しています。中立性に疑問があります。
福島産は他よりも低くでる検査で「安全」とされ、出荷されます。
2.汚染が酷い最大産地を検査せずに、福島産春菊は検査で安全と主張する福島県
寒い日が続きます。お鍋が美味しい季節です。鍋物に欠かせないのが春菊です。福島でも春菊が栽培されています(9)。検査状況を以下に示します。
汚染が酷い伊達市産が検査されていない福島の春菊
※1(10)の数値データを元に(11)に示す手法で2月1日時点に換算
※2 旧避難区域は(12)による
※3 ●1個がニラの検査1件を示し(13)による。
図―3 福島産ニラの検査状況
図に示しように福島では国が除染が必要とする毎時0.23マイクロシーベルトを超えた(14)地域が広がっています。
福島県の春菊の最大産地は伊達市です(15)。図に示す様に汚染されています。しかし検査はされていません。それでも、福島県は福島産春菊は検査で「安全」が確認されたと主張しています(17)。
福島産は汚染が酷い主要産地を避けた検査で「安全」とされ、出荷されます。
3.上昇する福島産トチモチのセシウム
販売されていた福島産トチモチから基準超セシウムが見つかったと発表がありました(18)。福島産セシウム汚染食品の市場流出です。以下にこれまでの検査結果を示します。
上昇する福島産トチモチのセシウム含有量
※1(1)を集計
※2 NDは検出限界未満(みつからない事)を示す。
※3 日付は捕獲日
図―4 福島県トチモチの検査結果
図に示す様にしばらくは1キログラム当たり40ベクレル以下が続いたのですが、急に上昇して基準超です。そしてセシウム汚染食品として市場流出です。
福島産のセシウム含有量は上昇することがあります。過去の検査結果は「安全」であったとしても、今は分かりません。
<余談>
図表が小さいとご不満の方はこちら、図表をクリックしてください。
・2ヶ月半遅れで発表される検査結果
・他所より低くでる検査で安全とされ出荷される福島産
・汚染が酷い主産地を検査しなくても、検査で安全とされ出荷される福島産
・セシウム含有量が上昇する事がある福島産
(=^・^=)は不安なので
「買わない」「食べない」「出かけない」の「フクシマ3原則」
を決めています。でも、これって(=^・^=)だけでは無いようです。
福島県郡山市産米の全量全袋検査が115万件を超えました(19)。同市は人口約33万人なので(20)、市民が食べるには充分な量です。同市のお米はあさか舞と言って、美味しいお米です(21)。「安全」なので2011年産米ですが学校給食に使われました(22)。でも、福島県郡山市のスーパーのチラシには福島産米はありません。
他県産はあっても福島産米が無い福島県郡山市のスーパーのチラシ
※(23)を引用
図―5 福島産米が無い福島県郡山市のスーパーのチラシ
―参考にさせていただいたサイト様および引用した過去の記事―
http://mekenekotama.blog38.fc2.com/blog-entry-2796.html
(1)報道発表資料 |厚生労働省
(2)モニタリング検査結果【詳細】 - 福島県ホームページ
(3)食品中の放射性物質の検査結果について(第1110報)
(4)めげ猫「タマ」の日記 - FC2 BLOG 管理ページ
(5)めげ猫「タマ」の日記 ベクレルとシーベルト
(6)食品中の放射性物質への対応|厚生労働省
(7)(3)⇒1 自治体の検査結果⇒検査結果(PDF:964KB)⇒No920
(8)農林水産部 - 福島県ホームページ
(9)特産品情報 | 地区別くらし情報 伊達地区 | JAふくしま未来
(10)航空機モニタリングによる空間線量率の測定結果 | 原子力規制委員会中の「福島県及びその近隣県における航空機モニタリング(平成27年9月12日〜11月4日測定) 平成28年02月02日 (KMZ, CSV)」
(11)めげ猫「タマ」の日記 半減期でしか下がらない福島の放射線
(12)避難区域見直し等について - 福島県ホームページ
(13)品目から探す | 福島県農林水産物・加工食品モニタリング情報を「野菜⇒さ行⇒し⇒シュンギク、シュンギク(施設)で検索
(14)国(環境省)が示す毎時0.23マイクロシーベルトの算出根拠|東京都環境局 その他について
(15)福島県[伊達市]の農作物 | さやえんどう 夏秋きゅうり すもも 桃 ニラ 柿 | 生産/収穫/作付面積 | 福島県と日本の中の順位 | 市町村 | ジャパンクロップス
(16)安全が確認された農林水産物(公開用簡易資料) - 福島県ホームページ
(17)(16)中のやさい編 [PDFファイル/173KB]
(18)(3)⇒検査結果(PDF:137KB)⇒No377
(19)ふくしまの恵み
(20)郡山市の現住人口/郡山市
(21)郡山の味自慢「あさか舞」/郡山市
(22)JA郡山市|事業PR
(23)イトーヨーカドー 郡山店
23. 知的上級者さん[56] km2TSY_ji4mO0oKzgvE 2019年2月05日 08:29:07 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[69]
岸信介には、とんでもない資産があり
笹川と児玉を従え、中国での略奪では天皇より儲けたと言われる
その金のほんの一部をCIAに渡して巣鴨刑務所を出て
自由党の結党資金にもなった
その資産を安倍に渡してしまうと、政治家をやらなくなってしまうと考えたのか
余りに巨額すぎて渡せないのか
幸太郎が金庫番になってるそうな
それでスポンサーと言ったのだろう
昭和天皇と岸信介に関するアメリカの公文書はまだ公開されていない
それはアメリカが「公開しちゃうぞ」と脅すカードに使われているということだが
朝鮮天皇制を廃止すれば、そんな脅しに屈する必要が無くなるのでカツアゲされずに済むのだが
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/137.html#c23
21. 2019年2月05日 08:29:55 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[1389]
東京新聞の『望月衣塑子記者は、記者の鑑だ』
国民は「菅ガスの官邸の暴力団」から望月衣塑子を守ろう。
菅ガスの動きを監視しよう。
「東京新聞は『望月衣塑子記者』を守れ!」
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/179.html#c21
14. 2019年2月05日 08:40:45 : glNxD6pUZw : 0[277]
>13
多摩散人です。
>地中にあって、空中に舞い上がるまえに破壊してしまえばいいのだが、わが国では平和憲法が邪魔して、その作戦は採用されない。
日本人は誰も9条を守る気なんてないから、護憲論者も、それも「専守防衛」の範囲内で、9条違反にあたらないと考えてほしいものだ。
>最大の難問は、すでに思想戦に敗れて、大量に発生している反日思想にかぶれた在日日本人の存在だろうな、
反日日本人も、「9条の範囲内の、反核のための専守防衛」は受け入れてほしいものだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/121.html#c14
70. 茶色のうさぎ[-9634] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年2月05日 08:42:07 : 5l9mZ9ZHgE : bMSPKGvuLO4[3]
空間線量が、0.023μSv/h、上昇は、逃げなさい♪ 法律違反です。
法律では、廃棄物:100Bq/kg 排ガス:2Bq/m3 ですね。
Cs137:2Bq/m3の場合
A=2Bq/m3x0.5x0.039x15x1x1/24= 0.024μSv/h 空間線量が上がる。
http://www.iae.or.jp/great_east_japan_earthquake/info/appendix2.html
排ガス規制値として2Bq/m3と定められています。
https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/6906dc73d0f760478dd5cf51c24b7cfc
https://photos.google.com/photo/AF1QipNH9hxSVbH9nUxZm1xnEVR8bzMWjzHAnllLspFS
https://photos.google.com/photo/AF1QipN2SmKr0IB3CNttAf_rB1lKzr0LzM5SybTyvjP7
結論: つまり、法律違反の場所に、国民を住ませるのかー♪ばか
たっぷり、空気を吸ってください!! 子供は??? あほ 長文省略 うさぎ♂
日本共産党、文科省官僚 ←殺せ♪ぺっ 人間か? 志位和夫??ばか
6. S.T[797] gnKBRIJz 2019年2月05日 08:42:43 : 0EavjtuPiA : Eq98CJZsNnQ[132]
>>4の書き逃げ安倍カルト信者さんの狂人的売国政策支持者には 絶対に理解出来ない 事案だね。
安倍総理自身、カルト宗教がバックについて、日本を日本人から取り戻す 事に必死なんだよね。
嘘ねつ造で日本国民が政治に興味を無くし、どうでも良い と言い出すのを待っているかのごとく。
そんな状態を一番喜ぶのが、まぎれもなく反日組織って訳だよな。
批判でストレス発散させる敷かないから、とにかく叩きやすい所を狙う卑劣さだよねw
自信が無いからペンネーム登録せずに書き逃げ体勢ww
政策なんて興味なく、ただ小沢一郎という出る杭を叩いて日本のマトモな政治を潰したい、そんな
困った反日連中と、権力に取り入って美味しい分け前をもらおうとしたり、目先の防衛論で長期に
渡っての国防論が抜け落ちる、一番愚かな自称愛国者ってのがモロに小沢攻撃をしてきるよね。
真実から目を背けて反日思想に染まっちゃった?
嘘つきは泥棒の始まりって言うでしょ、だから自民党は日本から資産やら人権を盗んでいるよね。
この事実を理解出来ないなら、日本人じゃないでしょう。
小沢一郎の少しでも良い所が紹介されたら本当にボウフラみたいに湧き出て来るね。
そして小沢一郎という政治家を擁護しようもんなら、すぐさま火病起こしているのは明らかだne〜(^^)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/189.html#c6
5. 2019年2月05日 08:43:52 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[1390]
ヤクザの血統は争えない。
ヤクザの純一郎の息子に「碌ロクな奴」は居ない。
純一郎にまつわる醜聞。
慶応の学生時代の「婦女暴行」
政冶家時代の『小泉純一郎 愛人小はん変死事件』の真相
http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/1213.html
投稿者 現代政治経済総合研究所 日時 2005 年 7 月 14 日
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/199.html#c5
3. 2019年2月05日 08:49:35 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[5039]
マシマどん、今やニッポン人のほうが在日ニッポン人になってますよ オラたちにも在日特権くだせえお代官サマーーーーと叫びたい気分で裏山デ//ワシラにも在日特権を! とかのデモは出来ないの ヨリ
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/307.html#c3
3. shue777[633] gpOCiIKVgoWCVoJWglY 2019年2月05日 08:52:34 : MGS9X8Myzc : pU0vdsfJBqQ[2]
まるでピラミッド建設の奴隷労働w
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/197.html#c3
2. 2019年2月05日 08:52:49 : fIylFchid6 : 0[278]
50年以上も屋外駐車をしていると
フロントガラスに付く杉花粉はおなじみですが
異様に黄色い粉との区別は当然出来ます。
農村部に住む国民は、みんな感じています。
あれは、放射性物質だったのだ。と
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/855.html#c2
99. 楽老[190] inmYVg 2019年2月05日 08:56:48 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2498]
98. 22A
勝手に誤解するのは貴君の責任であって、わたしがフォローする必要は無い。
【>76.22A:この文章は,立民→国民,枝野→玉木と変えてもいいと思うのだが。】
京都選挙区を取り上げたのは私でなく貴君だったよね
だから、京都選挙区に限定して議論を進めたのだ。
貴君の上記のコメは、具体的な議論を抽象化してスピンさせたものだ。
京都選挙区において、立民→国民、枝野→玉木と変えてよいとはどういうことか?
私は何度も、福山哲郎を取り上げて説明しているが、貴君は反論することなく、西田昌司だ、云々だと核心の議論を避ける。
全く、多摩散人の手法と同じだと思わないかい?
逃げずに
【>76.22A:この文章は,立民→国民,枝野→玉木と変えてもいいと思うのだが。】
を説明しなさい。
12. あおしろとらの友[2036] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2019年2月05日 08:59:58 : RNYKA7Q0Ca : @VUWoxWWfz8[30]
「我々国民ができることとは?」。 総選挙でリセット。 これしかあるまい?。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c12
227. 中川隆[-12441] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:00:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
女児母親、厳しく叱責=「暴行加担」認める−父と共謀、傷害容疑で逮捕・千葉県警
2/5(火) 7:16配信 時事通信
千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡し、父親(41)が傷害容疑で逮捕された事件で、県警捜査1課などは4日、父親と暴行を共謀したとして、傷害容疑で心愛さんの母親なぎさ容疑者(31)を逮捕した。
捜査関係者によると、なぎさ容疑者は事件当日、父親と共に心愛さんを厳しく叱責(しっせき)しており、「暴行に加担した」という趣旨の供述をしているという。
県警は、なぎさ容疑者が父親の制止や警察への通報をしなかったことに加え、同調して叱責し精神的に追い詰めることで、一連の暴行に加わったと判断。父親との共謀を問えると結論付けたとみられる。
逮捕容疑は、父親の勇一郎容疑者と共謀し、1月24日午前10時〜午後11時10分ごろの間、自宅で心愛さんの頭髪を引っ張り冷水を掛けたほか、首付近を両手でつかむなどしてけがをさせた疑い。
捜査関係者によると、心愛さんに対する直接的な暴行は勇一郎容疑者が行っていた。なぎさ容疑者は一連の暴行の過程で、「廊下で立ってなさい」「正座しなさい。ごはんは抜き」などと、一緒になって叱責したという。
県警は、なぎさ容疑者が以前にドメスティックバイオレンス(DV)を受けていたことを把握している。ただ事件当日、勇一郎容疑者から暴行への加担の指示はなかったとみており、関与の度合いなどを引き続き調べる。
事件当日、心愛さんは両親と妹と共に自宅にいた。勇一郎容疑者は暴行後、すぐに通報せず数時間放置していたとみられ、なぎさ容疑者もこの間に通報などはしていなかった。勇一郎容疑者が同日午後11時すぎ、「娘ともみ合いになり、意識や呼吸がなくなった」と110番した。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c227
22. スポンのポン[10710] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年2月05日 09:00:48 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[1020]
>>16.
■その一方で「C2i4e」のバカ登場。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/179.html#c22
4. 2019年2月05日 09:02:04 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[5040]
東京大空襲の司令官に勲章与える国がニッポンですからソコ外したクソジジイ連呼にも限界があるような気がしてツイ、あ//コラ止めなさい、センセイにもスルーしたい事ガ
;蛭子強制介入
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/308.html#c4
22. 人間になりたい[932] kGyK1ILJgsiC6IK9gqI 2019年2月05日 09:01:34 : Igew9LiSCV : jX5tMsGMxX4[756]
長谷川幸洋がどうなろうと社会にとってはなんの影響もないが、
望月衣塑子が排除されれば国益を害することになる。
それにしてもこの写真は秀逸だ。
望月衣塑子の真剣でいながらも、とぼけた表情と、
防衛局幹部の迷惑そうな表情とのコントラストがおもしろい。
田中龍作がカメラを構えてその側で撮影している姿を想像すると一粒で二度美味しい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/179.html#c22
26. 2019年2月05日 09:02:39 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[1]
現在アメリカと日本で運用されている制度は、「擬似民主主義」とでも呼ぶべきものである。
まず世論調査会社が嘘の支持率を流す、不正選挙業者がそれに沿った結果を出す、ネット世論工作業者が複数アカウントを使って「多数」を演出し、メディアは本質からズレた政治マターを選択して流し、アストロターフが派手に噛み付き、炎上芸人が馬鹿な発言を叩かれることによりガス抜きをする。必要とあらば俳優や新興宗教を使って現実に集会をして見せたり、賑わいを演出したりもする。
上記はすべて、「国民に支持されている政権」を擬制するための虚構である。為政者から見て、民主主義という制度は不自由で面倒くさいものである一方で政治の結果を国民の責に帰せるというメリットもあるが、この虚構を作り出すことによって、デメリットを消してメリットのみを享受できる。大枚はたいても実現する価値はあるだろう。
だから擬似民主主義における「工作員」は
・不正選挙を決して疑わない。もしくは影響を軽んじる。
・世論調査のデータを疑わない。
・選挙結果が全てであるという態度をとる。選挙前は国民の不満を選挙で表すよう誘導し、選挙後は選挙で負けたのだから結果を受け入れるよう誘導する。
・選挙結果で国民に不利な結果が齎されるのは、多数が愚かであるからと説明する。
・重要でない政治マターに拘泥する。
などの特徴を見せる。
主体は広告会社だろう。
現在、この擬似民主主義が米国で破綻している。もしくは、しかけている。
擬似民主主義は真実の世論とは違った虚構の世論を本物に見せかけ、責を民衆に追わせる手法である。当然ながら、本物の世論とはズレがある。長く使っていればズレは大きくなってゆくだろうし、またそのズレこそが多くの金銭的・人的資源を投入してでも得たいものなのだから、規模が拡大するにつれズレが大きくなるのは投資対効果の観点から見て当たり前だとも言える。
恐らく原初の民主主義の時代から種を宿していたこの考え方は、主要メディアの寡占とネットの台頭を機に全人類的な規模で表象する場を得て、911の欺瞞を覆い隠す必要性から実現するに至った。そして15年目の今に至って、民衆が受容できないほどズレが大きくなったのである。
アメリカの場合、やはりトランプの存在が大きいのだろう。彼は聖人君子でも品行方正でも学識豊かでもないが、全米の擬似民主主義を正そうとする民衆の受け皿になった。その意味で、彼は英雄であるとは言える。またウィキリークスやアノニマスの存在の大きさは言うまでもない。
日本でもそういう受け皿になる人間が出てこれば、同じことが起きうるのかも知れない。(三宅洋平は愚かすぎたが)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/166.html#c26
228. 中川隆[-12440] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:03:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
女児母親、厳しく叱責=「暴行加担」認める−父と共謀、傷害容疑で逮捕・千葉県警
2/5(火) 7:16配信 時事通信
千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡し、父親(41)が傷害容疑で逮捕された事件で、県警捜査1課などは4日、父親と暴行を共謀したとして、傷害容疑で心愛さんの母親なぎさ容疑者(31)を逮捕した。
捜査関係者によると、なぎさ容疑者は事件当日、父親と共に心愛さんを厳しく叱責(しっせき)しており、「暴行に加担した」という趣旨の供述をしているという。
県警は、なぎさ容疑者が父親の制止や警察への通報をしなかったことに加え、同調して叱責し精神的に追い詰めることで、一連の暴行に加わったと判断。父親との共謀を問えると結論付けたとみられる。
逮捕容疑は、父親の勇一郎容疑者と共謀し、1月24日午前10時〜午後11時10分ごろの間、自宅で心愛さんの頭髪を引っ張り冷水を掛けたほか、首付近を両手でつかむなどしてけがをさせた疑い。
捜査関係者によると、心愛さんに対する直接的な暴行は勇一郎容疑者が行っていた。なぎさ容疑者は一連の暴行の過程で、「廊下で立ってなさい」「正座しなさい。ごはんは抜き」などと、一緒になって叱責したという。
県警は、なぎさ容疑者が以前にドメスティックバイオレンス(DV)を受けていたことを把握している。ただ事件当日、勇一郎容疑者から暴行への加担の指示はなかったとみており、関与の度合いなどを引き続き調べる。
事件当日、心愛さんは両親と妹と共に自宅にいた。勇一郎容疑者は暴行後、すぐに通報せず数時間放置していたとみられ、なぎさ容疑者もこの間に通報などはしていなかった。勇一郎容疑者が同日午後11時すぎ、「娘ともみ合いになり、意識や呼吸がなくなった」と110番した。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c228
25. 楽老[191] inmYVg 2019年2月05日 09:05:13 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2497]
>24. 罵愚:事実報道と評論の見境がついていない。だから、
だから罵愚が具体的に望月衣塑子とスダレ禿の問答を例に挙げて論じてごらん。
と言ったのにネ
罵愚も嫌韓も、事実を基に議論しようと言うと急にダンマリだ。
4. 佐助[6468] jbKPlQ 2019年2月05日 09:08:26 : z5Sx38n0Sg : _P5Uop5uQJo[41]
既成の腐った商品を戻してどうするの,そんな企業や商品は終わる。
日本の企業の消失は避けられないのは,
慣習期の商品にあぐらをかき、市場拡大のインパクトのある商品を開発できなかった企業は、縮小&倒産は避けられない。しかもその縮小スピードを、景気の縮小速度より遅延させれば、倒産消滅は避けらない。
すなわち
新テクノロジーと新スタイリングの商品は、景気後退期でもスーパーバブル期でも、市場の縮小度が軽減され、成長テンポは減速するが市場は拡大する。
1930年代の米国と世界のエレクトロニクス産業が、次々と魅力的な商品を開発し、どの産業よりも、縮小&倒産は軽微だったのは、そのためだ。
米国を襲った30年代の大恐慌が、各産業のトップ企業を入れ替え、次の時代をリードする企業を誕生させ急成長させた理由は、以上のとおりである。1950年代以降の世界的企業の多くは、1930年代をチャンスにして登場した企業なのだ。
次に常識として忠告しておく
後進国と先進国の間で、40年ごとに商品の優位性は交代する
商品の世界的優位性は、40年ごとの「ルールの破壊/創造」周期によって、後進国が先進国に追い付き追い抜くことによって誕生する。後進国はルールの破壊期に、伝統慣習を破壊する度合いが、先進国よりも広く深いため、新しい流行を積極的に受け入れるために、商品の世界的優位性を獲得する。
朝鮮半島をはじめ東南アジアの工業国と工業都市は、日欧米に追いつき追い越す,商品の世界的優位性は次々と後進工業国にイニシアチブを奪われる。しかし、米国のようにサービス産業の優位は維持できる。
中国とインドと南アフリカとロシアは、溜め込んだドル・ユーロ・円の基軸通貨と保有キンのバスケットのペッグ制によって、間接的に為替レートに、自国通貨を固定化することができる。そうして、その輸出大国を維持することが可能となる。
従って,日本の中小企業や個人に,チャンスが訪れる。つまりあぐらをかいた日本の大企業の消失は避けられない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/191.html#c4
13. 2019年2月05日 09:09:18 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[2]
以前、菅野完がこんな発言をした。
「不正選挙だとか行ってるやつ、いっぺん、うちで三日ほど修行したらええと思う。現実と現物みせてやるよ。「自分の気にくわない候補が当選したら不正だ不正だと騒ぐバカ」が生きられるほど、世間は甘くないんだよ。」
トンチンカンな内容である。もちろん不正選挙裁判で裁判所が検票を命じない状態で不正がないと断じるのもトンチンカンなのだが、もっと異様なのは、「自分の気にくわない候補が当選したら不正だ不正だと騒ぐ」のが「バカ」だという言明の方だ。
古今東西、不正や不公正があった場合にそれを告発するのは負けた方だと決まっている。サッカーだってオフサイドのアピールをするのはDFであり、そのチームのサポーターだ。ボールを持ってシュートしようとするFWがオフサイドのアピールをするべきだと考える奴がいたらそれこそ「バカ」だろう。不正や不公正によって被害を直接受けた者こそまず第一にそれを告発すべき立場だと考えるのは世界共通。逆にサッカーではファウルがあってもファウルされたチームに有利な状況だった場合は試合をとめず流したりもするが、それも不正や不公正の追及が「それによって不利益を受けた者の救済」を目的としているからだ。
2016年のアメリカ大統領選では負けたヒラリーやジル・スタインが不正を訴え再開票に漕ぎ着けた。また決着がつく前はトランプも「もし負けたら不正を追及する」と宣言していた。彼らや彼らにそう望んだであろう彼らの支持者たちもまた「菅野の事務所で三日ほど修行すべき世間で通用しないバカ」だというのだろうか?
この異常な理屈の背景を考えてみる。
「負けたときだけ不正と騒ぐのは世間で通用しないバカ」と「世間で通用する賢い人は勝った時にも不正を告発する」は論理的に同値である。そしてそういう考えを持つ者が「勝った時にも不正を告発する人」を模範例と捉えていることは論を俟たない。だが、そんな人物がいるだろうか?
いる。衛藤晟一である。
衛藤は自らが当選した2013年の参院選において、衛藤に投票したはずなのに得票数がゼロになっていたことを不審に思う支持者の意向を受け、開票不正を告発した。(参議院選白票水増し事件)
つまり菅野は衛藤晟一(のような人)を見習えと言っているのにほぼ等しい。
ところで、この衛藤晟一は村上正邦氏によると日本会議の象徴と言える人物のようだ。
また菅野自身にもカルト人脈なのではないかと疑われる言動があるようである。
日本会議のトップに売り上げ貢献のお礼を言上したこともある。
・菅野氏が田久保氏に「著書の売り上げに貢献してくれてありがとうございます」と挨拶する
当該ツイートにある独特の「隠れた前提」にも、そういった繋がりが露呈しているのかも知れない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c13
有史以来ずっと台湾先住民の漁場だった尖閣諸島はどこの国の領土になるのか?
尖閣列島事件 平成22年9月26日
日本と中国の間にある尖閣列島は歴史的にも、支那地方の政府が支配したことがなく、日本の明治政府が歴史的に初めて領土宣言をしているから、領土問題は存在しない。
「領土」というのもが、「どの政府も領土していない」ところを、どこかの政府が領土宣言して、それが10年もどこからも異論が出なければ確定する.
その後、100年ぐらいして文句をつけたら、戦争の火種を作るだけで意味がない.もしそれができれば、日本は「今の中国は全部、日本の領土だ」と言っても良い.
そんなことを認めたら、国際的に決められている領土は、またかつての帝国主義時代のように「力のある国がかってに人の領土をとる」ということになって問題がある。
だから、今度の尖閣列島の事件の解決方法はただ一つしかないと私は思う.
1) できるだけ早く、日本が中国を上回る軍事力を持ち、もちろん「自衛隊」ではなく、「日本軍」を尖閣列島周辺に派遣すること、
2) 同時に、船長を釈放すること、
3) その上で、国際社会に向かって「日本は自らの力と国際協力によって尖閣列島を守ることができるが、それだからといって一人の犯罪人(日本の領海を侵して勝手に操業した船長)ために戦争を構えることはしない。たとえ、中国が国際法を無視しても、日本は誠実な国だから、国際的な慣行や国際法を守り、小さいことにはこだわらない」と強く宣言する.
4) 変な妥協はできないが、妥協しないためには「軍事力」と「国際政治力(ハッキリしたアピール)がいる。
今回の船長の釈放を「地方検察庁が独自にやった」などという声明を出すのは政府が判断を避けた結果だろう.この事件が重大事件であることは確かだから政府が逃げてはいけない。
国際社会で意味があるのは、
1) 行動を裏付けるだけの軍事力、
2) その軍事力を発揮しないこと、
3) ハッキリと立場を貫くこと、
4) 事の大小を区別できること、
である。軍事力は直接使うのではなく、このようなことを事前に抑止するためにある。
▲△▽▼
中国が尖閣諸島を取りに来た原因 (平成24年11月2日)
中国が尖閣諸島を取りに来た原因は、20年ほど前から日本人が希望してきたこと、つまり「節約によって国を衰退させる」ということです。だから、テレビや新聞が「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と叫んでいるのは実に滑稽なことで、自ら原因を作り、それが実現すると異議を唱えるのですから困ったものです。
現代の人間社会で「世界の国は固有の領土があり、他国の領土は他国のもの」という概念を持っているのは日本人ぐらいなもので、日本がたまたま四面を海に囲まれ、ほぼ単一民族で、さらに万世一系の天皇をいただいているという特殊な国だからです。
アメリカに固有の領土を求めてもムダです。アメリカはもともと1776年まで領土はゼロで、それ以後に獲得したところもすべて「他人のもの」だったところだからです。ロシアもモスコー付近は固有の領土と言えないこともありませんが、ウラル山脈より東は力で獲得した土地です。そして中国も「領土というものはない。中華の力が及ぶところは中国の領土だ」という概念ですから、これも同じです。
これが事実ですから、「固有の領土」等と言うのは外交交渉上のことであって、決して解決策にはならないのです。日本のようにアメリカ、ロシア、中国という3大強国に囲まれた国もまた日本以外にないのですが、この場合、日本を防衛するには3つの方法があります。
一つは「ハリネズミ方式」、つまり鎖国です。外から外人が全く入れないようにして、仮に上陸してくると「問答無用!」と日本刀で切り捨てるのです。日本の武士が日本刀を持った姿はなかなか迫力があります。なんと言っても恥をかくとそれだけで自分の腹を切るだけの度胸のある武士ですから、外人は怖くて仕方が無いので、日本に入っては来ません。江戸時代の鎖国が成功した理由でもあります。
二番目が「戦争」です。日本が開国すると、すぐ中国とのいざこざがあり日清戦争をし、ロシアが延々モスコーからやってきて、朝鮮と日本を取りに来たので日露戦争。そしてアメリカが事もあろうに太平洋を渡って東アジアを脅かしてきたので太平洋戦争と3度の戦争をしました。そして2勝1敗でしたが、まあまあ白人から独立もしたし、かなりの成功と言えるでしょう。
三番目が”Japan as No.1” と言われた日本の技術力です。世界一の技術力は防衛になります.中国は日本の技術で発展してきましたし、アメリカも日本が製品を供給して繁栄しました。おいそれと日本を衰退させられなかったのです。たとえばオーストラリアの炭鉱では日本のトラック、掘削機、詰め替え機などが使われていて、日本が技術を提供しなければオーストラリアの炭鉱が繁栄することはできません。
それでは、これからの日本はどのような戦略で日本をまわりの3大強国から守ろうとしているのでしょうか? 迫ってきた総選挙のもっとも大きな争点になるはずです。日本が今、取り得る政策は、次の中の選択でしょう。
1) これまでの自民党、民主党の政策を引き継ぎ、エネルギーの削減(節電とCO2削減)、軍備の段階的縮小、短期的利権への税金の投入を続け、文科省が主導する教育を続け、これまでの日本の富を少しずつ減らして言って、日本を衰退させる政策。現在の日本政府と中国政府の長期政策をそのまま整理すると、2050年には日本は中国の10分の1の国になる(エネルギー消費が活動量に比例するとして)。企業が海外に移動し、日本は空洞化する。
2) 日本を発展させるために、技術立国、土木工事投資、教育投資と教育現場の権限強化、法人税の軽減、環境制約撤廃(京都議定書脱離)、自衛隊の充実、金融緩和のインフレターゲット政策、諸規制の撤廃と官への報告義務の減少、電気代を2分の1(発送電分離、自由化)、火力発電所の増設など、産業振興、教育、軍備など国が本来力を入れるべきところにお金を集中する。中小企業が日本で収益が上げられる構造を作り、若者が仕事に就くことができるようにする。
3) 軍事力を強化、核武装。中央集権化。東京が権限を強化。全体主義、共産主義的国家を建設し、アメリカとの同盟を強化して国防に当たる。国家のために働く国民の教育。滅私奉公。
すでに最左翼が滅亡したので、1)が左翼(自民党、民主党、公明党、維新の会、社民党、共産党がこれに当たる)、2)が中道(普通の政権の政策で、日本の富を増やす方法)、3)が右翼、ということになるでしょう。
ところが、現在の政党やこれから出てくる政党も、マスコミの報道もあるでしょうが、どうも政策がハッキリしません。明確なのは減税党ぐらいで後は、みんな上の分類では左翼の政権と言えるでしょう。特に日本の企業が日本で活動する条件を悪くし、国民に節エネルギー(活動量を減らす)ことを目的とする政権では私は衰退が目に見えているように考えられます。
つまり、尖閣諸島の問題は、中国が取りに来たとか、固有の領土かという問題ではなく、日本が中国と対等の力を維持していくべきかどうか、維持して行くにはどのようにしなければならないのかがもっとも大きな分岐点で、それが選挙の争点にならなければ、国政は要らないようなものです。
私は、国がエネルギーの供給を安く豊富にして、国民が楽しく活発に行動し、その結果、教育も産業も好転するようにすることが日本の将来にとってもっとも大切と思いますが、私には当たり前のように感じられる政党が見当たりません。原発についても危険なものを動かすのは国民の安全と言う意味でも、また日本経済のためにも、国防にも良いはずはありません。
また国民が1人も「節約」をしていないのに、あたかも節約するふりをすることが「よい子」のような錯覚にとらわれ、無用な政策を採り続けている(温暖化対策がその典型)のも日本の将来を危うくします。
▲△▽▼
尖閣、竹島、四島・・・領土と国(1) 台湾 (平成24年8月28日)
尖閣列島、竹島、そして根室四島(北方四島という呼び名はいかにも「日本ではない」という感じがするので、ここでは根室四島と呼ぶ)が注目を集めています。そこで、この問題を整理することにしました。
「領土」と言うからには、その前提として「国」がなければならないのは当然です。そして、日本に住んでいると歴史が長いことと、四方が海なので国というのは「大昔からあるもの」と考えがちですが、世界では「国」や「国境」がハッキリしている方が珍しいということをまずは頭に入れなければなりません。その意味で「固有の国土」などというものはほとんど無いのです。
たとえば、台湾ですが、明治初期の台湾は「清」という中国の国が軍隊を派遣していましたが、「清の国土」なのか「清の勢力範囲」なのかはハッキリしていませんでした。
明治4年に琉球王国のご用船が難破して台湾に漂着した時、乗員69人の内、54名が斬首されるという事件がありました。今の常識では考えられませんが、「今の常識」はまさに「今の常識」であり、これを歴史的なことにそのまま適応するのは不適切です。
ともかく、琉球王国も「国かどうかハッキリしない」という時期だったので、琉球政府に代わって日本政府がこの事件について清に賠償を求めます。難破して漂着した人を殺害するのですから、もし「国」であればその国の政府が賠償しなければなりません。
ところが清は「台湾の中国人がやったのなら別だが、現地人がやったのだから俺には責任がない」と回答しました。この回答でわかることは台湾は清のものではなく清の一部が台湾に駐留していたということです。私たちは現代人ですから、どうしても「どこの国か?」と聞きたくなりますが、昔(たった150年ほど前)でも、「地域」があっても「国」ではないところは多かったのです。
かくして紆余曲折はあったのですが、日本軍が台湾に上陸して報復します。ところが、中国の守備隊は台湾を守るのではなく、台湾の人を殺戮し、台北を放棄して逃げてしまいます。このことも、台湾は「清の領土」ではなく「清の軍隊が駐留していた」と言うことを示します。後に整理しますが、「中国」というのは「地域」の名称であって、「中国」という「国」ができたのは共産党が中国を統一したごく最近の事です。
建国は1949年ですからまだ60年ほどしか経っていません。これは政治的な意味合いではなく学問的な解釈で、詳しくは歴史学者宮脇先生とシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」で詳しく解説をしています。
結局、台湾は歴史的に「国」であったことはなく、日本と清の間の戦争(日清戦争)のあとの下関条約で「清の統治下」から「日本の統治下」に入り、まもなく1915年に「内地延長主義」、つまりそれまでの「植民地統治」から「日本国の延長」ということにかわり、歴史的にははじめて台湾は「日本国」という国の一部になったのです。
私が「日本国は千島列島(占守島)から台湾まで」と言っているのは、政治的とか、良い悪いではなく、単純に歴史的には有史以来、台湾が国になったのは日本国の一部になってからという意味です。
たとえば、アメリカ合衆国というのは最初は北アメリカの一部に13州を作って独立したのですが、その後、西に進み、インディアンやメキシコなどと戦って、州を増やして今のアメリカ大陸の「国」ができたのです。カリフォルニアがアメリカ合衆国の一部であるということと同じく、台湾は日本であるということになります。
その後、日本が戦争に負けて台湾を放棄し、そのすぐ後(日本が降伏した1945年8月の2ヶ月後)、中華民国という国(中国ではない)が台湾に進駐して「実効支配」している状態です。
200年前の状態という意味では台湾は台湾人(中国は台湾を植民地にしていたので、インドとイギリスの関係と同じ)のもの、100年前というと日本国、そして50年前というと誰のものでもないということになります。もし、台湾をもともとの人に返すということなら台湾人(1945年に移ってきた中華民国人ではなく、もともとの台湾人)という事になります。
もちろん、領土は政治的、感情的なものですから、このようなことを言うと日本を支持してくれている今の台湾の人からも文句を言われますが、歴史的にはこのような事だったということです。
そうなると、台湾と琉球の間で台湾に近い尖閣諸島は誰のものなのでしょうか?少し長くなりましたので、また書きます。
▲△▽▼
尖閣・竹島・四島・・・領土と国(2) 中国 (平成24年9月5日)
第一回で「台湾は国?」という質問が非常に難しいこと、歴史的に見て最初に国になったときという意味では「日本国」だということを書きました。これは国際的慣行で先占権といい、国でないところに始めて国を作った国がそこを自分の国とできるということです。
このように、尖閣諸島がどの「国」に属するのかということ一つをとっても、なかなか難しいことが分かります。第2回目は「中国という国はあるのか?」ということを簡単に解説します。詳しくはシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」をご覧ください。
私たちが今、中国と呼んでいる地域は、1)昔からの支那(チャイナ)、2)台湾、3)満州、4)蒙古、5)ウィグル、6)チベット、で、それぞれ別の国です。
満州は女真族という民族の国で、支那の国とはまったく別の国です。多くの人が万里の長城というのを知っていて、北京に行ったことがあれば北京からすぐのところに万里の長城があることを経験しているでしょう。
「万里の長城」とはまさに城で、「異民族の侵入を防ぐ、中国(支那)の北の防衛線」です。ということは万里の長城より北は支那ではないことを示しています。
満州は万里の長城の東北ですから、当然、中国ではなく「満州」という国(もしくは地域)です。満州が国のような体裁をとったのはかなり前ですが、強くなった時からでも「遼」、「金」などの北方民族の国であり、さらに蒙古の「元」を経て女真族が力をつけてきます。でも国境線が画定していた訳ではありません。
・・・・・・・・・
今の中国だけが頭にある人は、ここが錯覚しやすいところですが、支那の地域を支配した「明」という国を攻めて作った「清」は「占領王国」です。つまり普通は「国」があるので、「ドイツが北の方からフランスに攻め入ってフランスを占領して合併して、首都をベルリンからパリに移した」と言うことと同じです。
ドイツ人がフランスを占領したのですから、首都をパリに移しても政府の中枢部はドイツ人、権限はドイツ人が握っていたという状態です(現実の歴史ではナチスの時に短い間、このような事が起こりました。
もう一度、くり返しますと「清」という「支那の王朝」は「満州」の女真族が支那を占領して北京に首都を移したということですから、「清」は支那(中国)の国ではなく、満州の国なのです。
ここが支那人の「国」の考え方が世界と違うところで、普通なら「我が国土を取り戻せ!」という事になるのですが、もともと支那には「我が国」がないので、外国(満州)に占領されると、逆に満州も「我が国土」になるという逆転現象が生まれるのです。日本がアメリカに占領されると、日本人が「アメリカは日本だ」というようなものですが、「中華思想」というのは「世界中が中国だ」というのにほぼ同じですから、特に論理が破綻している訳ではありません。
もっとも中国にも「支那の国が支那で他国に占領された国は支那ではない」として日本に移住した朱舜水のような人物も居ます。彼は「日本こそが中華だ」と言っていますが、つまり日本人のような「国」という概念はないのです。
・・・・・・・・・
国がない人から見て、尖閣諸島や台湾、さらには朝鮮、南沙諸島などを見るとどのように見えるでしょうか? 国境というのがもともとないのですから、世界中、どこでも自分の力の及ぶところが国であり、さらに外国が自分のところを占領したら、その外国も自分の国になるということです。
従って、「どこでも自分の国」という考えの今の中国が、「尖閣諸島はこれまで中国であったことはないが、欲しいから自分のものだ」というのも彼らなりの理屈が通っています。このように、普通の国と全く違う論理を持った地域、支那。その地域が日本の隣にあるということを日本人はよくよく考えなければならないでしょう。
▲△▽▼
尖閣・竹島・四島・・・領土と国(3) 尖閣だめ押し (平成24年9月14日)
尖閣列島の帰属について、二回にわけて整理をしてきました。台湾は歴史上、まだ「国」になったことがなく、強いてどの国という答えをしなければならないとしたら「日本」と答えざるを得ないことを書きました(日本は台湾を取り返そうなどと言う心は一切、ありません)。
また「中国」というのは国ではなく、支那人の定義によると「世界中はすべて中国だが、当面は自分の力の及ぶ限り」という事であることも明確に示しました。「中国」というのは国の名前ではなく、「概念」なのです。中国人からいえば「世界はすべて中国のもの」ということですが、他の国の人から見ると自分勝手に見えます。
尖閣列島は沖縄と台湾の近くなので、「近く」という点では沖縄(日本)か台湾(日本)のどちらかになりますので、どちらでも日本ということになります。
まず、ここまでで基礎的なことが分かった時点で、だめ押しをして起きたいと思います。1930年、日本陸軍が尖閣諸島の詳細な測量を行っています。この測量が尖閣列島の最初の測量ですが、もともと「他人の国を測量できない」というのは当たり前なので、尖閣諸島は日本の領土だったことがハッキリします。
この地図が陸軍の測量図で、無人島の一つ一つを詳細に測量しています。さすが軍隊ですね。歴史的にそれまでまったくどの国にも所属せず、かつ無人島だったのですから、最初に測量をした国の所属であることは言うまでもありません。
次に、台湾はサンフランシスコ条約で日本が放棄して当面、アメリカをはじめとした連合国の信託統治になり、その後、中華民国の人が移動してきて実効支配しています。その意味では、台湾の最終的な帰属は今の中華人民共和国(大陸)が決めることはできず、中華民国(台湾)、アメリカ、そして日本が参加して平和の内に最終決定することが必要でしょう。
くり返しますが、中華人民共和国は台湾の帰属について口を出すことはできません。その中華民国が自分の国土を示した切手をだしていますが、その切手の中には尖閣諸島は含まれていません。つまり、台湾の実質的な占拠者である中華民国ですら、尖閣諸島は自分たちと関係がないとしているのです。
ところで、中国大陸では「尖閣問題で日本人をバッシング」という事件が続いています。確かに支那人からみると「世界はどこでも中国」と思っているのでしょうが、人の領土を勝手に自分たちのものとして、それを守らないから乱暴狼藉をするというのは感心したことでありません。
中国大陸の人も国際常識がある人や人格者もおられると思いますので、「全世界は中国ではない」と言うことぐらいは国民に説明する必要があるでしょう。日本はきわめてハッキリした態度で臨むべきです。日本人は誰もが地主の許可さえあれば尖閣諸島に上陸できますし、付近の海域は日本の領海です。このところを日本がハッキリできなければ、中国と正反対で「日本人は日本の国土を世界共通のものと思っている」と言うことになります。
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尖閣・竹島・四島・・・領土と国(4) 朝鮮 (平成24年9月16日)
竹島の問題は尖閣諸島とは趣が異なります。それは、「歴史的に見て、日本は中国に比べて、朝鮮にそれほど悪いことはしていないのに、なぜ、朝鮮人は中国人を嫌わずに、日本を嫌うのか? それは本当の姿か?」ということが鍵と思います。
というのは、日本との関係ができるまで、朝鮮は中国の属国の歴史が長かったですし、元の時などはそれこそ大変でした。そして19世紀の終わりには帝国主義時代で、「清、ロシア、日本」のいずれかに併合されるという状態でした。
1910年に日本が韓国を併合してから朝鮮は発展し、多くの朝鮮人が幸福になりました。だから普通には正しい道筋でもあったのですが、でも日本に併合されたのだから、朝鮮の人にとっては不本意だったでしょう。
このことを考えるには、朝鮮の難しい社会構造があります。朝鮮の支配層は「日本より中国に支配されるなら良い。ロシアでも良い」としていましたが、それはやや精錬潔癖を望む日本では貴族の地位が危うくなることでもあったからです。
1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました。ヤンパンと呼ばれる上流階級が一般国民を農奴ように支配するという社会で、上流階級は清朝に隷属していました。
その様子は女流旅行家:イザベラ・バードの手記に良くまとめられています。
「朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、 全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。
日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。
—イザベラ・バード, 『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f
ところで、当時は帝国主義時代ですから、国力が弱いので中国、ロシア、日本のいずれかの属国になるしか選択肢はなかったのですが、日本はイヤだったのです。
日本の歴史書には「日本が入ってくると、階級制がなくなりヤンパンの特権が奪われるから」とありますが、それならヤンパン以外の朝鮮人はどうなのでしょうか? 私の回りの朝鮮の人はみんなシッカリした魂を持った人なのに、なぜこれほど日本を憎く思うのか、竹島の問題は「国際法」など以前に、私たちが「韓国人」という場合、それは支配層なのか、支配層の影響を受けている人か、それとも一般の人なのか、それを考えなければならないのです。
くれぐれも注意がいるのは、「朝鮮人の支配層」が自分たちの利権を守るために日本人が来るのをいやがっていたという事実です。いまでも、もしかすると日本を憎んでいる人は韓国の一部でそれを誇大にマスコミが報道している可能性もあります。
日本でも「選挙をすれば負ける」と言う民主党が政権をとっているぐらいですから、外から見たその国と内から見るのとは違うかも知れません。
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尖閣・竹島・四島・・・領土と国(5)国際的に見た竹島の帰属と日本の覚悟(平成24年9月22日)
竹島の問題に本格的に取り組む前に、国際的に見た竹島の帰属(日本の領土か、朝鮮のものか)について整理をして起きますが、これもハッキリしていて、あまり議論の対象ではありません。
現在の日本の周辺の国土は、大東亜戦争で日本が敗北して、それまで日本の領土だったところ、特に戦争が始まる前も保有したり、支配をしていた地域について、国際的に放棄しました(サンフランシスコ平和条約)。
それは、次の島々です。ずいぶん、多くの島や土地を放棄したものですね。
1) 千島列島
2) 樺太(サハリン)、
3) 満州、
4) 朝鮮、
5) 沖縄、
6) 台湾
このうち、沖縄はアメリカの信託統治となり、現在は日本に復帰しています。より小さな小笠原諸島、南沙諸島など細かい範囲の設定がありました。その中で、今、問題になっている、四島、竹島、尖閣はいずれも「何らかの事情でハッキリしなかった」ものです。
ハッキリしない事情はそれぞれで違うのですが、いずれもサンフランシスコ平和条約でハッキリとは書かれていなかったということです。
1)四島は「国後、択捉、歯舞、色丹が千島列島に所属するのか、しないのか」という問題。日本はこの四島は千島列島の一部ではないという見解。
2)竹島はサンフランシスコ平和条約の時に、日本と朝鮮の間にある四つの島(済州島,巨文島、欝陵島および竹島)のうち、最初の3つは明記されたのですが、竹島が明記されず、そのためにサンフランシスコ条約の時に朝鮮がアメリカに苦情を申し出、アメリカが「竹島は歴史的にも日本の領土」としたもの。
3)尖閣列島は昔から琉球諸島と一緒のくくりで、サンフランシスコ平和条約の時には特に明記されていなかったもの。
陸地の領土でも同じ事ですが、「場所」は複雑なので、もめ事がないという状態はなかなかできません。たとえば千島列島とは「どこからどこまで」と書くのもあまりに煩雑になるのでやっかいです。またその時に双方に思惑があってわざと書かないなどということもあり、書くと全体の条約の調印まで行かない可能性もある場合も考えられます。
また、尖閣は多くの人が「当然、琉球諸島の一部」と思っていたので書かなかったということもありますし、台湾に移動した中華民国がなにも言わなかったので、そのままアメリカが所有し、沖縄返還とともに日本に帰ってきたということです。
竹島はやや複雑ですが、韓国にとって都合が悪いのは、条約を調印するかなり前には竹島は他の3島とともに朝鮮の所属になっていましたが、調査が進むと「どうもこの島は日本らしい」となり、調印間近には朝鮮に返還されるのは四島から三島に変わりました。このことで韓国がアメリカに異議を申し立てたので、「寝た子を起こす」ことになり、結局、日本の領土になりました。
またやっかいなことに、ソ連と中国はサンフランシスコ平和条約に調印せず、韓国は日本と戦っていないので、戦勝国ではなく、従って講和会議にも出席出来ないという立場にあったのです。
・・・・・・・・・
竹島が尖閣諸島よりややこしいのは、朝鮮が李承晩ラインというのを引き、竹島を朝鮮の領土にしたことです。つまり「国際条約で決めたことを韓国が当事者になれなかったので、独自に決めたということになったのです。
韓国は武力で竹島に上陸、そこを占拠しました。当時の日本は戦争に負けて平和憲法ができたばかりでしたから、「国際紛争には武力は使わない」ということでしたが、「相手が武力で来たときにどうするのか?」は決まっていなかったのです。
強いて言えば、アメリカが武力を背景に相手側と交渉してくれるぐらいのところだったのでしょう。事実、竹島では「日本の領海なのに大量の漁船が拿捕され、漁民が韓国に連行された」ということが発生しましたが、日本は泣き寝入りをせざるを得なかったのです。
1910年に日本が韓国を併合したとき、日本は直接的な武力を使ったわけではなく、武力を背景に韓国を併合したのですが、「武力と関係なく話し合いで併合した」わけでもありませんでした。このことが「不当」であると韓国人が思うなら、韓国が竹島を話し合いをしないで占有するのも同じです。
つまり日本が軍事力を使わないとみると、力で押さえつけるというのは日本を非難していることを自分が行うということでもありますから、余り関心できません。国際的にはこのようなことが多いのですが、日本と韓国の間では過去の歴史を反省して、このようなことがないように韓国政府と韓国人を説得するのが良いと思います。
その一つの例として韓国がどんな言動をとろうとも、日本は「お互いが話し合って竹島問題を解決する」ということで行くべきと思います。その意味では国際裁判所に提訴するのではなく、まずは両国で話をするべきです。
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尖閣・竹島・四島・・領土と国(6) 中国の「国」(平成24年10月1日)
尖閣諸島の問題で、日本と中国の考え方が調和していません。これは当然で、両国の人が「国」と考えるもの、それそもそもが違うからです。
日本人は、「もともと「日本国」という国があり、その外は外国」と考えますが、中国人は「もともと「中国」という国はなく、力で取ったところが中国」ということだからです。
その結果、日本は大東亜戦争の前に朝鮮やフィリピンを併合したり、占領したりしましたので、「外国の領土を占領してすまなかった」と反省しています。ところが中国は「もともと外国の領土というものはないのだから、占領したところは中国だ」と思うので、反省はしません。
中国人のこのような国に対する考え方をもっともよく示すのが、この写真に示した「万里の長城」と「満州」です。中国の北京のすぐ北に万里の長城があることは多くの人が知っています。今から2000年ほど前にまず秦の始皇帝が最初の万里の長城を築き、それから近代になって日本ではちょうど江戸時代ころの中国の王朝「明」が大規模な長城を築いて「これから北は外国だ」と宣言しました。
ところが、その後、満州にできた「外国」の軍隊が万里の長城を超えて攻めてきて、中国が占領されました。つまり、中国が自ら外国と宣言した満州を占領したのではなく、外国の満州が中国を占領したのです。
中国というのは外国であれ、どこであれ、自分たちと一緒になったら中国という考え方ですから、奇妙なことに満州に占領されたら、満州を「中国」と呼ぶようになったのです。
自分たちでこれほど立派な長城を作って「外は外国だ」と宣言したのに、状況が変わればすぐ固有の領土にしてしまうというのが中国の考え方です。つまり同じ漢字で「国」としてきましたが、その内容が違うとも言えます。
たとえば、日本が中国を攻めて占領すると、中国は「日本は中国のものである」と言うと思います。今では、中国は満州を「中国」としていますが、自分で万里の長城より北は外国と宣言したのですから、普通の常識や道徳では考えられないことです。
この地図は宮脇先生がお作りになったもので、時々、使うのですがもともと今の中国自体が、満州を取り込んだ形になっています。これは歴史的に中国とは言えないものであることがわかります。
これと同じのが、これも万里の長城より北の内モンゴル、西の新疆ウィグル、そしてチベットです。これらの国に独立運動があるのは、「もともとは、ここは中国ではない」という感覚があるからです。
尖閣諸島については、このブログでも証明したように、歴史的にも完全に日本の領土です。日本では「日本流(国際的にも一般的)に日本の領土だ」と言っていますが、中国は「もともとどの国の領土などということはない。武力で占領したり、強く言って取ってしまえば、中国だ」と言っています。
このような中国の考え方では、日本流の根拠がなくても「中国固有の領土」と言うことになります。この「固有」とは「もともと全世界が中国のものだ」という考え方から来ています。
この思想は日本の将来に取ってきわめて危険なので、絶対に妥協してはいけません。一つ譲れば、次は日本人が住んでいるところを「固有の国土」と言ってくるでしょう。
日本人が中国人の「国」という考え方を理解したり、それに基づいて中国との折衝を行うのはかなり難しいと思います。繰り返し中国の「国」を理解し、「中国も日本の領土だ」ぐらいに思わないと、中国の主張を理解する事ができないと思います。
特に現在ではマスコミの解説者が「日本流の国土論」で「中国の主張に反撃」をしているので、「少し妥協したらどうだ」という意見もでてきましたが、日本が妥協しても、もともと世界中の土地が中国のものですから、中国は妥協とは思わないでしょう。
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尖閣・竹島・四島・・領土と国(7) アメリカの「領土」(平成24年10月10日)
先回まで「中国は世界中が中国の領土で、力で取ったところはすべて中国だ」という考えだから、「日本の領土」という意識があって、他国を占領すると心が痛むという日本人とは感覚が違うことを書きました。
でも、それは中国だけのことではなく、中国は特にそれが激しいと言うぐらいです。アメリカは18世紀に建国して以来、ワシントンの近く、つまりアメリカ東海岸からアメリカ中央部、テキサス、カリフォルニア、そして太平洋を渡ってアラスカ、ハワイ、グアム、フィリピン、日本、朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラクとほぼ地球を一周する勢いで軍隊を出してきました。
なぜ、アメリカはそんなことをしたのか、アメリカ人が考える「領土」はどこなのか、それを地図とともに考えてみたいと思います。また日本人は時に中国人を憎みますが、アメリカ人には好意を持つことが多いのですが、これはアメリカ人が白人だからなのでしょうか?
・・・ここからは音声と地図です・・・・・・
音声でアラモの砦の戦いをインディアンと言ったような気がしますが、メキシコ戦です。
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=a6ZTXJXXJ4yU8wX62KKoAg&q=%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%80%81%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E3%80%81%E5%9B%9B%E5%B3%B6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%A8%E5%9B%BD++++%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6%EF%BC%88%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%89&oq=%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%80%81%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E3%80%81%E5%9B%9B%E5%B3%B6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%A8%E5%9B%BD++++%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6%EF%BC%88%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%89&gs_l=psy-ab.3...20111.20111..21696...0.0..0.113.113.0j1......0....1..gws-wiz.djTHGQtsvg0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html
14. 2019年2月05日 09:10:36 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[3]
開票不正への疑義を封殺する奴が統計不正を嘆いて見せるとは、何かの冗談か。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c14
83. 2019年2月05日 09:11:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
有史以来ずっと台湾先住民の漁場だった尖閣諸島はどこの国の領土になるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c83
26. 2019年2月05日 09:12:08 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1562]
陽子線は治療部位から先に影響を及ぼすことがほとんどないというが、
少なくとも手前には影響を及ぼす。
無限に放射線をかけられるというのも暴論。
中川氏ががんになったのは、放射線医師で治療でかなり被ばくしていることも
原因だろう。
「私自身がんになって(5) 放射線ではなく手術を選択した理由」
(日刊ゲンダイ 2019/2/2)
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/246720
「
年末に早期の膀胱がんを自分で発見して、治療を受けました。腫瘍は15ミリで、粘膜の表面にとどまっていたため、内視鏡で切除しました。
膀胱がんは、肉眼的、顕微鏡的な血尿が8割に見られます。それが早期発見のカギですが、私は陰性でした。これは例外的で、膀胱がんの症状で一番多いのは、「痛みのない血尿」です。菅原文太さんも血尿がキッカケで病院に来られました。
文太さんは、検査の結果、2〜3センチの大きさに進行した「浸潤がん」。がんのタイプも一番タチの悪い「グレード3」でした。別の病院で内視鏡でできるだけ残さず切除されていましたが、そのまま放っておくと再発はもちろん、転移する可能性も高く、膀胱全摘を勧められたそうです。
膀胱を全摘すると、尿をためられなくなりお腹に穴をあけてビニール袋に尿をためるのが一般的です。しかし、私の外来にセカンドオピニオンを求めに来られた文太さんは、診察室でこう言われました。
「立ちションベンができないようじゃあ、菅原文太じゃねえ!」
そのビニール袋が「美的ではなかった」ことも、手術をためらった理由のひとつだそうです。文太さんの「切りたくない」という気持ちを察して、膀胱温存療法を勧めました。
@まず、内視鏡による経尿道的膀胱腫瘍切除術を行い、A骨盤部へ通常の放射線治療と同時に、「動注化学療法」を3回行います。動注化学療法は細い管を両足の付け根から膀胱付近の動脈に挿入し、抗がん剤を動脈に直接注入するというものです。Bその後、がん病巣が消失していた場合には、C元の腫瘍のあった部位に再発予防で陽子線治療を11回追加する、というもの。Bの時点で腫瘍が残っていた場合は、膀胱全摘術を行いますが、文太さんの場合には、完全に消えていました。
文太さんが最初に受けた放射線は「X線」。いわば強い光で、放射線治療のほとんどが、このX線で行われます。光には質量がなく、体を突き抜けてしまいます。がん病巣に照射しても、そこを突き抜けて体の他の部分にも当たることが副作用の原因です。
ところが、陽子には質量があります。定めた目標で止まり、そこから先に影響を及ぼすことがほとんどありません。ダンプカーが壁に当たると止まるようなもので、ピンポイントにがん細胞だけを狙い撃ちできます。
厳密には無限に照射できませんが、もし、放射線を完全に、がんにだけ集中できれば、周りの正常の細胞は影響を受けません。無限に放射線をかけられます。
陽子線治療を行える病院は少なく、膀胱がんには保険も利きませんが、現在では、X線で、陽子線並みの「線量集中性」が実現できるようになっています。
私も、「なぜ放射線治療を受けなかったのか」と尋ねられることがあります。メディアなどで放射線治療を勧めながら、自分は手術を選んだのは、「言行不一致だ」というわけでしょう。
私が受けた「経尿道的膀胱腫瘍切除」は治療の意味もありますが、何よりがんの進行度と悪性度を確認するための「検査」なのです。私の場合、結果的に追加措置が不要だったので、経過観察になっていますが、再発したら放射線治療も選択肢になると思っています。
現状の報告は終わりますが、何か変化がありましたら、随時ご報告します。
」
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/737.html#c26
8. 嫌韓[2378] jJmK2A 2019年2月05日 09:13:24 : p3xmgfixZA : NDCfdvKO6rU[1]
北方領土の問題解決がいよいよと言う所ではないのかな?
過激な言動をセイブ、ロシアに妥協しやすい環境を提供しているのだよ。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
少しは頭を働かせろよ、阿修羅の諸君!!
しかし、韓国が竹島を不当占拠していようが、
日本のEEZでレザーを照射しようが、文句を一言も言わない
阿修羅の諸君にそれを期待するのは無理か!!
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/181.html#c8
8. 2019年2月05日 09:13:28 : f8zD1QEW9s : 0[279]
こういう集まりがもたれるという事にホッとします。
しかし、7氏のおっしゃるような、我々には見ようとしても
見る事が出来ないような実態も奥にはあるのだろうと思うと
政治・社会の(国家の)闇のただならぬ深さに震撼します。
そうでなくとも日本のメデイアは異常な状態で日頃のニュースは
まず殆ど嘘か誘導で聴くのも見るのも嫌ですね。
3. 2019年2月05日 09:13:37 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1563]
https://twitter.com/carapowa1/status/1092383130105700352
(どるぴん)
美輪明宏さんもお話しされてたわ。 長崎に原爆が落とされた時
(プルトニウム型爆弾)生き残った人達も子供までみーんな鼻血出してたそうよ。
被曝で鼻血は常識じゃない?勿論鼻血の原因の全てが被曝由来じゃないよ?
だけど多人数が揃いも揃って、、、つうのはさ、アレだよ。。。
3:23 - 2019年2月4日
https://twitter.com/yizi14/status/1091921533172236288
(足立よし子 @osaka #脱原発)
被曝と鼻血、咽頭痛は明らかに関係がありヒロシマでも言われていたこと。
鼻血についてはAmazon書評まとまっていましたので引用
http://onodekita.sblo.jp/article/85586008.html …
20:49 - 2019年2月2日
「訪問中に鼻血が止まらなくなった美味しんぼ著者−
雁屋哲氏のインタビューと誹謗中傷」 (院長の独り言 2014/1/18)
http://onodekita.sblo.jp/article/85586008.html
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/855.html#c3
6. 2019年2月05日 09:14:40 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[4]
やーいオマエの父ちゃん売国奴
せがれのお前も売国奴
オマエの爺ちゃんルメイに勲章
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/199.html#c6
71. ソーカそうかそうだよ[-9] g1yBW4NKgruCpIKpgruCpIK@guY 2019年2月05日 09:14:43 : lyCsb7IWko : 0[280]
>>69
イタリアのことを書き忘れているみたいなので、私から・・・
イタリアはドイツのオットー大帝に占領されて「神聖ローマ帝国」になってからハプスブルグ家(ドイツ・オランダおよびスペイン・ベルギー)の支配下に長い間いたわけですが、それを30年戦争(英国が仕掛けたプロテスタント対カトリックの戦争)の終結にともないウェストファーリア体制が敷かれたわけです。
ウェストファーリア条約自体にはイタリアは積極的には加わっていませんが、ドイツの弱体化にともない、イタリアのドイツ離れと英国からの支配が強まったという変化はありました。
そして、第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でも、初戦では独伊枢軸でしたが、途中から英国の諜報機関(現在のMI6)の工作で、ドイツに反旗を翻して連合国側に加わりました。
現在のEUはドイツ(正)とフランス(反)の「正反合」ヘーゲル体制なのですが、イタリアは、現在は、第一次大戦や第二次世界大戦のときと同じように、ドイツ配下でありながら英国(MI6)の諜報機関の配下にもあります。
ここで、CIAがどう関わっているかというと、MI6がCIAを支配している、というのが公式見解なのですが・・・
じつは、CIAは石油資本(エクソンやフォードなど)の配下にあり、MI6はエリザベス女王のように「君臨すれども統治せず」のようになっているんですね。
イタリアについては、CIAは、シェンゲン協定(難民のEU内での自由な移動を保障している)を使ってIS(イスラム国)の兵士たち(敗残兵)をEUにばらまく難民入国先として(ギリシャはトルコの監視があってむずかしいので)利用しているのですね。
英国とアイルランドはシェンゲン協定には参加していません。
イタリアも難民に悩まされてシェンゲン協定から抜けたがっているので、NSAのブレグジット工作(MI6工作でもある)のイタリア版に乗りたい、第一次世界大戦や第二次世界大戦のように途中からドイツEUに反旗を翻したい、というところなんですね。
ベネズエラの問題はブレグジット問題でもあるんですね。
ここにアベが加わっているから面白い。
世界政治は面白い。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html#c71
4. 2019年2月05日 09:16:36 : mp6fw9MOwA : XTWWyuFax_s[254]
アクセス数が数字遊びであることには同意。
検察・裁判所の不正を論理立てして記述すると、アクセス数が激減する。
ゴーン氏事件では無理筋の拘留を継続する時間稼ぎを検察・裁判所が行っており、話題に上る事さえ避けている。
拘留を続けるに値する罪状では無く、その証拠さえ確保していないし、拘留を継続する特例に値する事象もない。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/307.html#c4
2. 2019年2月05日 09:19:15 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[1057]
<<1 番さん 笑うしか無いが
全く 同感
学歴詐欺が 総理大臣 これが すべてを語る
国会議員は 立候補試験が 必要
安倍の養護学級に権力 握らせたら すべての 道徳が崩壊
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/847.html#c2
8. 2019年2月05日 09:21:51 : U7EOGoSwoA : W8_@hPbSK8g[1]
7>> フィリピンは米国の領土(植民地) 仏印ていうだからベトナムは
仏;フランスの領土(植民地)にきまってんだろが。
マレ−シア 、ビルマ(今のミャンマ−)は英国の領土(植民地)
インドネシアはオランダ領、 インド、バングアデシュ 英国領
アフリカ諸国 ほとんど欧州白人の領土。
寝言ほざくなよ。
そこには白人用の女郎屋も山ほどあったろうよ。
第二次大戦前(大東亜戦争)世界で独立していたのは 日本を含めて
4か国だけ、あとは全部欧米白人の領土だったのだよ。
ちゃんと歴史を勉強しなおせよ、7>>ボケ、ダボ 馬鹿。
5. 2019年2月05日 09:22:08 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[5041]
白州次郎は墓場まで持っていくという言葉を使った人間の中でも筆頭格ですね 輝かしい筈のGHQとの交渉記録を何で燃やしてしまったのか 妻の正子は隠れ里だの白州美学だので女性ファンも多いと思いますが骨董や仏像などを展示した展覧会が町に来て一応見にいきましたが内容に対して料金が高い気も
いつかNHKのドラマで夫婦が家で英語で会話するシーンがありましたが、NHKの意図に反して国民の反感が出ないか余計な心配をツイした記憶が //ダンディだの英雄だの美学だのと持ち上げられ杉って却って裏考えてしまうよな;2チャン的考察の会
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/308.html#c5
15. 2019年2月05日 09:23:11 : Vmgfmqp4Mo : tGyJDbwZ3p0[24]
あんだけ確かな証拠がある!って言いながら
不正選挙とやらを止めれない連中より
菅野信じるわ
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c15
72. 2019年2月05日 09:24:09 : YKl8tKiNY6 : WEqecDgAq1Q[3]
うーん 体調が悪いからといってすぐ病院に行くのはどうかな?
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/213.html#c11
これ読んでぞっとしたから病院と関わるのは怖いな
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html#c72
16. 2019年2月05日 09:27:55 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[5]
「不正選挙だというなら証拠を見せろ!」の大合唱が行われているようだが、そもそも公正に選挙が行われた証拠とは、投票済みの票である。だからこそ票の保管が義務付けられている。
そして裁判所は不正選挙訴訟で再開票・票の検査を命じない。
これは脱税に喩えれば、脱税を疑われた者が帳簿を見せることを拒否し「帳簿を見せて欲しければ脱税の証拠を出せ!」と言い張ってるのと同じような状況だ。(そして証拠を要求する者の悪口をわめきたてれば何とかなると思っている)
公正を担保するための証拠が保管されているはずなのに、不正が疑われてもその証拠を提示できないのなら、不正はあったのだ。そう考えるほかあるまい。
不正選挙側はとっくに論理的に言い逃れができないほど追い詰められていて、その状況のまま延々と延命している。アベのモリカケ疑惑と同じような感じだ。裁かれないのは、単に権力の問題に過ぎない。
そして属国日本において、「アメリカ」を上回る権力など存在しない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c16
1. 中川隆[-12439] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:28:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
尖閣・千島 お隣の国 武田邦彦 (中部大学)
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&ei=eNhYXO7qJcGe8QWTt63oCA&q=%3Cb%3E%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%83%BB%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%80%80%E3%81%8A%E9%9A%A3%E3%81%AE%E5%9B%BD+%3C%2Fb%3E+&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&oq=%3Cb%3E%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%83%BB%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%80%80%E3%81%8A%E9%9A%A3%E3%81%AE%E5%9B%BD+%3C%2Fb%3E+&gs_l=psy-ab.3...2070.11106..12449...0.0..0.123.327.1j2......0....2j1..gws-wiz.....0.NkVY_nlrunM
尖閣・千島 お隣の国(8) 占領されると領土が拡がる中国 武田邦彦 (中部大学)
支那という地域を理解するのに、まだまだその歴史を勉強しなければならない。それはまず、この地図だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/silvermouse/diary/201102250000/
この地図は歴史家・宮崎淳子先生が画かれたもので、中華民国ができた時の支那地域の支配図である。もともと中華民国ができる前の国が「清」だったが、清は満州族の国家で、モンゴル、新疆、チベットとの「連邦国家」だった。
清の前の王朝である明が周辺諸国に嫌われ、清は良い状態を保ったのは、清が連邦国家だったからで、「清の領土」というけれど、モンゴル、新疆、チベットは広い自治権が認められていたし、満洲はもともと宗主だから、別格だった。
このような経過があったので、清の終わりの袁世凱や、孫文が中華民国を作った時には、その支配は「昔の秦」の領域だった。ここで少し歴史的な地域分配を見てみよう.
まず最初に「統一国家」を作った秦であるが、揚子江を中心として北は黄河、南は南シナ海、西は山で囲まれた地域に支配圏があったことがわかる。秦という国がチャイナという国名の元であり、それが漢字で支那と書かれることはすでに書いた。
それから後、新しい王朝は支配する地域が少し違うけれど、おおよそ秦の領土に近い。たとえば、秦からかなり年代がたった明は結構、領土が広かったが、それでも次のような図になる.
秦に比べて少し山岳の方に入っているけれど、そのほかは同じだ。東と南ははともに海だからあまり検討する必要はないが、問題は「北」である。秦の時代も明の時代も北からの異民族の侵入が特に怖かったので、その防御のために万里の長城をつくった。
万里の長城を作ったのが、秦と明だったのはそれほど偶然ではない。秦は漢民族が「統一国家」を作った時にフト気がつくと「北」だけが危ないことがわかり、秦の始皇帝が「万里の長城」を作った。
明の時には国家を作った人にも北方民族の血がかなり流れていたが、それでも当面、元が北に帰った後の土地をもらったと言うこともあって、やはり北が怖かった。そこで北京のすぐ北に万里の長城を作ったのである.
「万里の長城」というのは「国境」だから、支那地域の北の領土は万里の長城という事は確定している.
その北にはモンゴルと満州がある。中国の歴史で今のところ大失敗しているのが、満州民族だ。中国というところは普通の常識では考えられないことをする。
たとえば、「漢人は漢人を平気で殺す」ということで、たとえば前漢の末には国民に4人に3人が殺された。
中国人は何でも食べるというけれど、時によっては人間も食べた.約束を破る、裏切るなども普通に行われるが、それを日本人の倫理観で考えてはダメで、人間は動物だから、動物のように「その時の自分に得になるように動く」のが摂理でもある。
「尖閣諸島はもともと日本の領土だ」などと言ってもムダで、「尖閣諸島が何も無ければ日本のもの、資源があれば中国のもの」というのが中国流の倫理観なのである.
そんな倫理観の支那に満州人が侵入した。それが「清」で、大いに繁栄して、モンゴル、新疆、チベットとも連邦を組んで、大帝国をつくった。モンゴルの時代を除けば、中国で歴史的な「最大版図」になったのである.
ところが、不思議なことが起こった。
清朝はもともと満州族が作ったのだから、支那は満州に占領されていたのが清朝だ。その清朝が衰えて、満州に帰った。そして、もともと漢の時代に「中国」の領土だった「支那(秦、china)」の地域に中華民国ができた。
その次に驚くべき事が起こったのだ。
それは「中華民国」が「満洲は俺の領土だ」と言ったことだった。中華民国は支那の国だから、武力があれば支那を統一するだろう。それは秦や明が万里の長城から南を領土にしたのと同じだから、「支那は中国人の固有の領土」と言っても不思議ではない。
ところが、満洲はずっと満洲人の領土だから、満洲人が支那地域を占領していたのを引き上げて、満洲に戻ったのだから、満洲は支那ではない。満洲が支那を占領していたのだから、満洲が支那を「領土」と宣言することはあるが、占領されていた支那が満洲を領土にするというのは「世界の常識」から言えば「逆」である。
たとえば、次のような話をすればさらに理解が深まる.
豊臣秀吉が朝鮮に出兵して北京まで進軍しようとした。日本では「そんなことはできなかった」と思う人が多いだろうが、さすが豊臣秀吉だ。支那の地域は漢から三国時代が終わると、支那には人がいなくなり、次々と北方民族が占領していたのだ。だから、「支那の北方民族の一つの日本が北京を占領する」というのはごく普通のことである.
そして日本軍が朝鮮を占領し、さらに駒を進めて北京から揚子江ぐらいを占領したとする。しばらくは秀吉も生きていて、大陸の占領が成功したので、首都も中間の平壌に移したが、100年ぐらいして大陸にも興味が無くなり、日本軍は日本に引き揚げたとする.
占領された支那は新しい王朝ができる。そうすると、奇妙な論理が登場するだろう.それは、「日本は中国だ」ということである。
支那を満洲が占領した。しばらくして満洲が支那を放棄して故郷に戻ると、支那は「満洲は中国だ」と言った。
もし、日本が支那を占領し、しばらくして支那を放棄して日本に帰ると、支那は「日本は中国だ」と言っただろう.
つまり、武力にも工業にも頼ることができない支那の人はそれなりに生きるすべを身につけていた。それは
「自分のものは自分のもの、他人のものは自分のもの、自分の土地を占領した人の土地は自分のもの」
という「なんでも自分のもの」という主義である。
これを中華思想という。
(平成22年12月22日 執筆)
https://plaza.rakuten.co.jp/silvermouse/diary/201102250000/
尖閣・千島 お隣の国(9) 中華思想
昨年、中華思想とは「自分が中心で周りは属国」ということで、周囲の国を尊敬するどころか、鮮卑とか、凶奴とかいうようにひどい名前をつけて「呼び名でさげすむ」というのが特長で、そして、やがてその「さげすんでいた人」が力をつけて「自分の主人」になると、さすがに主人をさげすむ訳にはいかないので、「同列」にする。つまり、さげすんでいた人の領土を自分の領土と同格に格上げして、その土地を自分の土地にするという思想であることを述べた。
(ややこしいので、一度、読んでも分からないぐらいだが・・・)
つまり中華思想での「格上げ」というのは「満洲の人に占領されたから、満洲は支那の領土になる」ということになる.現在の満洲が支那の領土になっているのは、「支那が満洲を占領したから」ではなく、逆に「満洲が支那を占領したから」である。
でも、このような巧妙な事を実施するには作戦がいる。タダで人の土地を手に入れるのだから戦略はかなり高度でなければならない。
普通は戦争で土地を手に入れるのだから、それと比べれば、平和主義といえば平和主義だ.
まず、第一に文化程度を高めておくことだ。常に田舎者が東京に来て恐れおののくようにしておくということと同じである.
支那の国に行くと「祖先はこんなに偉かった、墳墓の大きさに驚いたか!。こんなに綺麗な飾り物がある、この絹は素晴らしいだろう。美味しい中華料理も、女性も綺麗でエレガントだ・・・」と続く。
それには大きな宮殿もいるし、宮殿までの道路も広くて両側には虎の彫り物も欲しい・・・ということで「支那の文化」ができた。
今でも、日本から支那に行く陽気で単純で偉い人は、これにすっかり引っかかる。みんな笑顔で迎えてくれるし、美味しいご飯は食べられる.万里の長城も宮殿の素晴らしく「さすが、中国4000年!」と感激して、日本の技術をソックリ差し上げてくる人もいる。
だが、もともと支那の歴史は2000年、それも中抜け、虐殺、属国の歴史だが、それらは全て、隠されている.
なかなか、素晴らしい作戦だ。
つまり、支那の文化は「負ける文化」であり、「負けても繁栄する」という戦略をもっている。だから、「勝つ文化」、つまりヨーロッパの文化が清の時代にやってくると支那はこと軍事力ではひとたまりもなく破れた。
そこで、清王朝はそれまでの支那文明とはまったく違う文明を受け入れた.
日清戦争で支那が日本に負けて「支那文化」を捨てたということが岡田英弘先生の本に書かれているが、それはそうだろう。小さな属国と思っていたところにいとも簡単に負けてしまったからだ。
でも、その時に捨てたのは政治、軍事、社会、技術などであり、中華思想は捨てていない。だから、「勝つ国」が、「負けても勝つ中華思想」と一緒だからややこしくなっている。
もう一つの中華思想の戦略は、「ウソを記録する」という方法である.
「過去に起こったこと」を記録するときに、「できるだけ事実に忠実に記録する」という方法と、「自分に有利になるように記録する」というのがある。
事実だから事実をそのまま記録すれば良いじゃないかというけれど、人間の社会というのはそれほど単純ではない.たとえば2010年に日本と中国の間で起こった尖閣諸島問題でも、少し前から日本の図書館から古い地図が抜き取られているという事件がある。
日本と中国の間には古くからいろいろな歴史がある。それがそのまま残っていると中国には不利な記録もあるが、それを早く消してしまえば、新しく「作り上げた歴史」を書くことができるからだ。
だから、日本と中国、朝鮮の古地図に関係するところが無くなっている.だれが破ったり盗んだりしているのか分からない。普通に考えると、関係する中国か韓国の人が自国に有利になるように歴史を消しているとも採れるし、逆に日本人が中国や朝鮮に対して圧力をかけようとして謀略をしているのかも知れない。
事実はかくのごとく複雑であり、なかなか明確には分からないのである.だから、その間隙をついて、「歴史を自分の有利なように書き換える」というのはきわめて単純な「だまし」の方法になる.
言ったことはそのうちに消えるし、事実そのものも分からなくなる。でも、書いた物はそのまま残るので、書いた方が勝ちであることを支那は知っていた.
「王朝を開いた皇帝はこのように英雄であり、人格が高かった」、「周囲の野蛮な国を平定して国に平和をもたらした」、「中興の祖の**帝の時に最大版図になった」というような事であり、そして地図にはその王朝の「最大版図」を記録して、後は捨てる.
そうすると、あたかもその王朝の領土は「最大版図」であるような錯覚に陥る.
たとえば、前漢や後漢の領土として知られている地図は、「平均的な領土」でもなければ「固有の領土」でもない。もともと「国境」がハッキリしていないのだから、「固有の領土」なるものはない。「書いたが勝ち」で最大版図がその王朝の領土であったことになる.
先に豊臣秀吉の大陸攻撃と、もし秀吉が北京に首都をおいたら日本は中国に編入されているということを書いたが、日本と中国の常識がいかに違うかを、今度も領土について示してみたい。
この地図は「大日本帝国」の「最大版図」である。今の日本は自虐的で、かつ世界の孤児だから、このような地図を示すと「侵略を正当化するのか!」と叱られる.でも、中国は常に「最大版図」しか示さないことに注意すべきである.
支那の王朝の「領土」をもし日本の教科書に書いてあるように示せばこのようになるということで、それを叱っても意味がない.日本の思想で日本国を示せば、南は千島から北は沖縄になるが、中華思想で示せば、大日本帝国の時の最大版図になるということだ。
中国人が日本人なら、この地図の「色分け」はしない。もともと日本領土だったところ、朝鮮と満洲、フィリピンなどを色わけすると、そこは日本とは違うように見える.
ところが、全部を同じ色で塗って、「日本」と書けば、何回か見ている内に「ほんとうの日本はこんなに大きかった」と錯覚する.
それが今の中国と言っている領土の範囲なのだ。
それではなぜ歴史学者が、支那の王朝の領土を「事実」に基づかずに「公的に示された最大版図」を示すのだろうか? それは中華思想そのものにある。つまり、人間は自己の責任を問われるのを恐れるから、「お墨付き」のあるものを使いがちであり、それが間違ったものでも使っていると本当になるという深い考えが含まれているからである.
筆者は自然科学者としてよく経験しているが、科学の専門家でも、専門が細かく分かれているので、自分の研究対象以外のところは「当たり障りなく、公的なデータ」を使いたがる傾向がある。
最近見られるその典型例が「地球温暖化が起こっていて、原因は人為的に排出されるCO2」という「社会現象」である。もちろん温暖化もCO2も自然科学なのだが、現実にデータを持ち、研究をしているのは一部の気象学者と地球物理学者、それに温暖化に興味のある学者だけである。
そのほかの人は自然科学者も含めて「大勢の人が言っている」とか、中華思想的な場合は「公的な方が正しい」と判断している。
つまり、「ウソでも公的に記録されれば現実になる」という中華思想はけっこう人の認識の弱点を巧みに突いている.
まとめると、
1. 自分と同じになれば他人のものは自分のもの。だから占領される毎に領土が増える.
(普通なら「取られた」と思うがその反対)
2. 人は「事実」より「公的に記録されたもの」を真実と錯覚する。だから事実が何かを調べる必要は無く、公的に記録すればそれが事実になる.
なかなか巧妙な思想である.
ここに書いたことは、中国を批判しようとか、日本の占領を正当化しようということではまったくない。中国を理解するためには、日本の考えを離れて、中国人の見方を取り入れなければならないということである。
(平成23年1月3日 執筆)
http://takedanet.com/archives/1013800798.html
尖閣・千島 お隣の国(11) 中国のまとめ 武田邦彦 (中部大学)
2010年の尖閣諸島の事件のあと、中国内地で反日暴動が起きた。
中国は国境紛争が絶えない。北からロシア、モンゴル、チベット問題、インド、ビルマやタイ、ベトナム、それにフィリピンなどと国境や海で接していて、中国がつねに膨張主義なので、隣国とぶつかる。
でも、中国で起こる「反**暴動」というのはほとんどが日本を対象にしている。それは日本が中国の一部を占領したことがあるという人がいるが、それなら、ロシア、モンゴルなども同じだが、日本だけに反感が強い.
このことを普通に考えると、「中国人は日本人を恐れている」ということになるが、それに加えて「あまりに特殊な国、日本」というのがあると筆者は考えている.
「日本は恐ろしい」という感情は中国もアメリカも持っていて、その対抗心がでるのだと思う.
ところで、この暴動を報道した日本のテレビで、「襲われたイトーヨーカ堂は、四川大地震の時に物資を供給するため徹夜で店を片付けて翌日の営業にそなえた。そして2億円の義援金を集めて寄付したのに・・・」と報道していた。
確かに日本人向けの報道としては良いが、中国を理解するという点では疑問がある。つまり、中国には「恩」という考え方はあまりハッキリしていない。もともと英語では「恩」という単語すらない。「恩」という概念は「日本だけ」と考えておいた方が国際的には良いと思う.
一体、「恩」という中身は何だろうか?人間は自分の時にならないことをすることがあるだろうか? 自然の中に人間ということを考えると「恩」は「見返りを考えて長期投資する」ということに見えるから、イトーヨーカ堂は単に長期投資の先を間違ったという事に過ぎない。
筆者は日本人だから「恩」はとても大切と思うが、それは日本が四方を海で囲まれ、単一民族(アイヌやクマソも同一としている)で、天皇陛下をいただいているというまったく特殊な環境にあるからである。
自分が特殊なのに相手が「普通」だからといって批判するのは問題である.
中国人の「ウソ」というのは「国」がない民族の当たり前の行為であり、利害関係で全ての行動が決まり、今日、会う人と明日、会うとは限らず、何かを他人にしても、その他人が明日、遠くに行ってしまったら、現実的にその人を追っかけていくことはできない。
中国では何時も、その日その日なのである。
2010年の尖閣諸島の領有権について考えてみる.中国の考え方では、
1. 一度でも領有したことがある土地は自分の土地だという中華思想、
2. 尖閣諸島に資源がなければ興味がないが、資源があれば資源が見つかった時から権利を主張するのは当たり前、
ということだ。このような考え方は中国の歴史から来ている。「本来、領土とはどうあるべきか」というのとは違う. これに対して、日本は、
1. 領土というのは歴史的に長く実質支配していたところである、
2. 「公的な手続き」、つまり国際的に尖閣諸島の領有を宣言している、
3. 損得で態度を変えるのは卑怯だ、
という感覚を持っているが、これも日本の歴史と強く関係している.地続きの隣国がある国と回りが海の国の差も大きい.
だから、意見は合わない.意見を合わせるためには、
1. お互いの言い分をよく聞く、
2. お互いの文化の違いをよく聞く、
3. 「正義」を争っているのか、それとも「習慣」、「利権」の問題なのかをハッキリする、
というようなことが必要だろう.
中国流に言えば、「尖閣諸島は中国と日本の間にあるから、力でその所属を決める必要がある」ということだ。
歴史的に領土とは、
1. 最初に発見し、
2. そこにその国の国民がいて、
3. ある程度、長く住み、
4. 軍事力、政治力、経済力で支配する、
ということが必要だ。
尖閣諸島は誰が最初に発見したか分からないし、日本人が住んでいた分けでもない。ボンヤリと「琉球の領土」であって、「江戸時代は琉球王朝は中国の属国、明治の終わりから日本の領土」ということだ。
だから、国際常識に従えば、軍隊が強い方が領有することになる。言い分だけなら決定打がない。
ところで、日本人の多く(調査によると94%)が尖閣諸島を欲しがっている.その理由は、
1. 漠然と領土を失いたくない、
2. 千島列島、竹島などの問題があり、尖閣諸島で譲るとどんどん領地が狭くなるかもしれない、
3. 資源がある、
4. なにしろ中国が憎い、
などである。しかし、日本の政策というのは大きく変化していないだろうか? あれほど日本中が熱して1年も経たないのに、尖閣諸島も、資源も、そして「国家機密」もすでに遠くに行きつつある.歴史的な動きからみると余りに早い世論の関心のようにも思う.
(平成23年1月20日 執筆)
http://takedanet.com/archives/1013800822.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html#c1
17. 2019年2月05日 09:29:41 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[6]
モリカケがどうだと騒いでいる間に国会で通されたものを見ろ。
火事場泥棒をするために放火するヤツだってこの世にはいる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/196.html#c17
2. 2019年2月05日 09:31:35 : IVK7QUDuMs : 0[275]
いい機会だ。日本は独立しろ!!
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/186.html#c2
11. 嫌韓[2379] jJmK2A 2019年2月05日 09:31:47 : p3xmgfixZA : NDCfdvKO6rU[2]
天木君は元気でやっているのかな?
政党・憲法9条とかやらはどうなったのかな??
ロシアの大衆が北方領土の返還に反対するのは、当然だし、
北方領土返還が話し合いの中で行われるなどと考える人間は
アホだ。
まあ、経済協力の餌で、二島返還が出来れば、大成功と言う事だろう。
帰ってきてもここを利用する事などほとんどないと思うが・・・
所で、日本国土は日本人だけのものではないと高々に宣言した売国奴
鳩山を礼賛する阿修羅の住民が、北方領土となると
騒ぎまくるのは何故???
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/143.html#c11
23. スポンのポン[10711] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年2月05日 09:32:02 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[1021]
■自民党と民主党が本質的に異なる証拠
マスコミがさんざん叩いた民主党政権
マスコミが絶対に叩かない自民党政権
どちらが悪かは子供でもわかるはずだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/179.html#c23
73. 2019年2月05日 09:32:06 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1564]
ヴィクトル・エレミア氏(九州)のツイート。
発生源が東海村かどうかはともかく、どこかで放射性物質の
大量放出があったことは確実だろう。
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091829324062179328
1月31日の空間線量変化を検索してみると、いろいろ出てくる。
なぜ、NHKや報道各社は、環境への影響はない、
なんて嘘の報道をするのか?
発表されたのをそのまま広報するのは、報道ではない。
ちゃんと自分たちで調べてよ! 茨木県、の空間線量変化。
環境への影響はない、とこれで報道するの?
14:42 - 2019年2月2日
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091829658700603392
となりの栃木県だって、同時期に、これだけ変化している
14:44 - 2019年2月2日
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091830623709188096
観測地点がすくない埼玉県でもこの通りの変化
14:48 - 2019年2月2日
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091830838260461568
こちらは千葉県
14:48 - 2019年2月2日
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091831139700887552
こちらは東京都。強烈な上昇だ。
環境に影響なかった、なんてよくも報道したものだ。
14:50 - 2019年2月2日
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091831578362208256
こちらは神奈川。こちらも強烈な上昇。 以上を総合すると、
東海村から、どの方面に流れたか、わかると思う。
14:51 - 2019年2月2日
https://twitter.com/Tanisennzo/status/1091831956168294400
こちらは福島県。 縦軸のスケールが異なる・・・
14:53 - 2019年2月2日
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html#c73
74. 2019年2月05日 09:32:46 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1565]
ツイッターで有名な競艇競輪太郎氏も鼻血を出したらしい。
この方は確か埼玉在住だったか。
https://twitter.com/miki03042552da/status/1091436658493255680
(競艇 競輪太郎)
ここ数日 うっすらと鼻血が出てる。
うちの奴 一応 医師なのだが分からないらしい。
放射能なのだろうか?一抹の不安を覚える。
12:42 - 2019年2月1日
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/846.html#c74
2. 中川隆[-12438] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:33:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
尖閣列島は有史以来ずっと台湾先住民の漁場で、琉球とは何の関係も無かった
「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明
井上 清 Kiyoshi INOUE
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
筆者紹介:1913年高知県生まれ。1936年東京大学文学部卒業。京都大学名誉教授であったが、2001年11月23日87歳で逝去された。著書に「条約改正」「日本現代史T=明治維新」「日本の軍国主義」「部落問題の研究」「日本女性史」「日本の歴史・上中下」等がある。
この論文は、1972年10月現代評論社から出版された井上清氏の著書『「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明』が釣魚諸島問題と沖縄の歴史との2部構成であるうち、釣魚諸島問題に関する第1部の全文であり、1996年に著者の同意を得、転載するものです(転載責任=巽良生1996-10-14)。なお、本論文は、1996年10月10日第三書館から上記と同じ書名で再刊されました。
Copyright by K. Inoue 1972
************************
内容:
1なぜ釣魚諸島問題を再論するか
2日本政府などは故意に歴史を無視している
3釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている
4清代の記録も中国領と確認している
5日本の先覚者も中国領と明記している
6「無主地先占の法理」を反駁する
7琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった
8いわゆる「尖閣列島」は島名も区域も一定していない
9天皇制軍国主義の「琉球処分」と釣魚諸島
10日清戦争で日本は琉球の独占を確定した
11天皇政府は釣魚諸島略奪の好機を九年間うかがいつづけた
12日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った
13日本の「尖閣」列島領有は国際法的にも無効である
14釣魚諸島略奪反対は反軍国主義闘争の当面の焦点である
15いくつかの補遺
林子平「三国通覧図説」付図「琉球三省并三十六島之図」、釣魚諸島位置図、釣魚諸島略図
************************
一 なぜ釣魚諸島問題を再論するか
昨年(一九七一年)の十一月はじめ、私ははじめて沖縄を旅行した。主要な目的は、沖縄の近代史と、第二次大戦における日本軍の「沖縄決戦」の真実を研究し、とくに二十余年にわたる米軍の占領支配とそれに抗する沖縄人民の偉大なたたかいの歴史に学ぶために、沖縄の土地と人間に、親しく接し、沖縄のいろいろな人の考えや気持をできるだけ理解し感じ取ることであった。むろん、そのための文献も得たいと思った。
私はさらに、いま日本と中国の間に深刻な領有権争いのまとになっている、沖縄本島と中国の福建省とのほぼ中間、台湾基隆(キールン)の東およそ百二十浬(かいり)の東中国海に散在する、いわゆる「尖閣列島」は果して昔から琉球領であったかどうか、それをたしかめる史料を得たいとも願っていた。私の貧弱な琉球史に関する知識では、この島々が琉球王国領であったという史料は見たことがないので、沖縄の人に教えを受けたいと思っていた。
さいわいこの旅行中に、沖縄の友人諸氏の援助をうけて、私は、いわゆる「尖閣列島」のどの一つの島も、一度も琉球領であったことはないことを確認できた。のみならず、それらの島は、元来は中国領であったらしいこともわかった。ここを日本が領有したのは、一八九五年、日清戦争で日本が勝利したさいのことであり、ここが日本で「尖閣列島」とよばれるようになったのは、なんと、一九〇〇年(明治三十三年)、沖縄県師範学校教諭黒岩恒の命名によるものであることを知った。
これは大変だ、と私は思った。「尖閣列島」−−正しくは釣魚諸島あるいは釣魚列島とでもよぶべき島々(その根拠は本文で明らかにする)−−は、日清戦争で日本が中国から奪ったものではないか。そうだとすれば、それは、第二次大戦で、日本が中国をふくむ連合国の対日ポツダム宣言を無条件に受諾して降伏した瞬間から、同宣言の領土条項にもとづいて、自動的に中国に返還されていなければならない。それをいままた日本領にしようというのは、それこそ日本帝国主義の再起そのものではないか。
領土問題はいたく国民感情をしげきする。古来、反動的支配者は、領土問題をでっちあげることによって、人民をにせ愛国主義の熱狂にかりたててきた。再起した日本帝国主義も、「尖閣列島」の「領有」を強引におし通すことによって、日本人民を軍国主義の大渦の中に巻きこもうとしている。
一九六八年以来、釣魚諸島の海底には広大な油田があると見られている。またこの近海は、カツオ・トビウオなどの豊富な漁場である。経済的にこれほど重要であるだけでない。この列島はまた、軍事的にもきわめて重要である。ここに軍事基地をつくれば、それは中国の鼻先に鉄砲をつきつけたことになる。すでにアメリカ軍は、一九五五年十月以来、この列島の一つである黄尾嶼(こうびしょ、日本で久場島という)を、五六年四月以来赤尾嶼(せきびしょ、日本で久米赤島とも大正島ともいう)を、それぞれ射爆演習場としている。そして日本政府は本年五月十五日、ここがアメリカ帝国主義から日本に「返還」されるとともに、ここを防空識別圏に入れることを、すでに決定している。またこの列島の中で最大の釣魚島(日本で魚釣島)には、電波基地をつくるという。周囲やく十二キロ、面積やく三百六十七へクタールで、飲料水も豊富なこの島には、ミサイル基地をつくることもできる。潜水艦基地もつくれる。
この列島の経済的および軍事的価値が、大きければ大きいほど、日本支配層のここを領有しようという野望も強烈になり、この領有権問題で、人民をにせ愛国主義と軍国主義にかりたてる危険性も重大になる。すでに一九七〇年九月、これらの島がまだ米軍の支配下にあった当時でさえ、日本政府は、海上自衛隊をして、この海域で操業中の中国台湾省の漁船団を威嚇してその操業を妨害させたことがある。また本年五月十二日には、政府は、五月十五日以降は、もし台湾省その他の中国人がこの海域に来た場合には、出入国管理令違反として強制退去させ、さらに、もし彼らが上陸して建物をたてた場合には、刑法の不動産侵奪罪を適用することとし、海上保安部と警察をして取締りに当らせると決定している(『毎日新聞』一九七二・五・一三)。こうして中国人の「不法入域」などのさわぎをつくりあげて、国民を反中国とにせ愛国主義にかりたてる舞台は、すでにでき上っている。
それだけに、この島に関する歴史的事実と国際の法理を、十分に明らかにすることは、アジアの平和をもとめ、軍国主義に反対するたたかいにとっては、寸刻を争う緊急の重大事である。私は、沖縄の旅行から帰ると、すぐこの列島の歴史を調べにかかった。そして年末には、ここは本来は無主地であったのではなく、中国領であることは、十六世紀以来の中国文献によって確かめられること、日本の領有は、日本が日清戦争に勝利して奪いとったものであることを、ほぼ確認することができた。
まだはっきりしない点も多かった。ことに日本の領有経過には、重要な点で、わかっていないこともあった。しかし、私はそのときすでに、七二年一月初めには西ドイツ旅行に出発することにきまっており、それはもはや変更できなかった。そこで私は、とりあえず、わかっていることだけまとめて、「釣魚諸島(尖閣列島等)の歴史と帰属問題」という小論を書き、歴史学研究会機関誌『歴史学研究』七二年二月号(一月下旬発行)にのせてもらうことにした。またその『歴研』論文の要旨を、一般向けに簡単に書いた「釣魚諸島(尖閣列島など)は中国領である」という一文を、日本中国文化交流協会機関誌『日中文化交流』二月号にのせることにした。
そのとき私は、次のように考えていた。
−−もともと中国の歴史はあまり勉強していなく、まして中国の歴史地理を研究したことは一度もない私が、沖縄の友人や京都大学人文科学研究所の友人諸君の援助を受けて、一カ月余りで書き上げたこの論文には、欠陥の多いことはわかっている。私などには見当もつかぬ史料で、専門家にはすぐ思い当るような文献も、たくさんあるだろう。しかし、とりあえず、いま急がなければならないのは、釣魚諸島の帰属問題を正しく解決して、日本帝国主義が、この問題で国民の間ににせ愛国主義をあおりたて、現実に外国の領土侵略の第一段階を完了する(それが完了されれば第二段階以後はきわめて容易になる)のを、くいとめるために、歴史家は歴史家なりに、できるだけのことを、とにかくやることである。りっぱな、完成された論文ではなくても、基本的な事実はこうだと、いまわかっていることだけでも、すぐ出すことが大切だ。この拙い論文でも、まだ歴史家は誰も公然と発言していない釣魚諸島問題の歴史学的論議をさそう一助ともなれば、つまり玉をみがく他山の石の役目は果せるであろう。−−
こんな考えで、本年一月はじめに小論を『歴研』編集部に渡したまま、私はヨーロッパへ旅立ち、三カ月ほどして、三月の末に帰国した。その間に、小論は学界に何の反応もおこさなかった。まじめに小論を批判し、誤りを正し、足らざるを補うてくれる論文が、一つも出なかったばかりか、小論を全面的に誤りとするものもなかった。
要するに、小論はすっかり無視され黙殺されている。
小論自体のなりゆきなどはどうでもよい。たが、釣魚諸島は無主地であったのではなく、元から中国領であったし、現在も中国領であるという中国の主張が、歴史解釈についての科学的で具体的な反論もなしに、高飛車に否定されて、日本の領有が既成事実とされていくことは、日本帝国主義の外国領土侵略とにせ愛国主義のあおり立てが、現に始まったことであり、日本人民の運命にかかわることであると、何らの誇張もなしにあえていわねばならない。
琉球政府や日本政府が、中国の主張を全く無視しているだけでなく、私の旅行中の短い間に、日本軍国主義の復活に反対と称する日本共産党も、佐藤軍国主義政府と全く同じく、いやそれ以上に強く、「尖閣列島」は日本領だと主張し、軍国主義とにせ愛国主義熱をあおり立てるのに、やっきとなっていた。社会党も、日中国交回復、日中友好に力をいれていながら、「尖閣列島」は日本領だと主張することは、政府および反中国の日共と全く同じである。『朝日新聞』をはじめ大小の商業新聞も、いっせいに筆をそろえて、政府と同じ主張を書きたてていた。じつにみごとな、そして何という恐ろしい、「国論の一致」ではないか。
この「国論」と真向うから対決し、日本帝国主義の釣魚台略奪をゆるすなと、公然と人民によびかけ、たたかっているのは、政治党派としては、現在のところいわゆる新左翼のセクトが一つあるだけである。去年の秋には、べつの新左翼の組織が、同じようにたたかっていたが、その派の指導部が変わってからは、もはや釣魚諸島のことはとりあげなくなった。ほかのいわゆる新左翼諸派も、全く釣魚諸島問題をかえりみようともしない。日中友好の諸団体さえ、その機関紙誌に、日本側の主張の根拠のないことをつこうとする「研究会」の文章をのせたり、また釣魚諸島は中国領だという個人の署名入りの文章をのせたりするものはあっても、それらの団体が、その団体として、公然と、日本政府の中国領釣魚諸島略奪に反対する、ということを公式に決定し、反対運動を展開しているものは、一九七二年六月はじめの現在までに、まだ一つもあらわれていない。沖縄では、私が旅行した当時すでに、労働組合もふくめすべてのいわゆる民主団体も、「尖閣列島の開発」に、早くも熱をあげていた。
まことに重苦しい情況である。そうであればあるほど、私たちはいっそうの勇気と情熱をもって、その打開に立ち向わねばならない。私は、あらためて、釣魚諸島の歴史の研究にとりくんだ。ことに今度は、明治維新以後、日本政府は、どのようにして、どんな情勢下に、釣魚諸島を領有していったかの解明に、力をそそいだ。幸いにして友人諸君の援助をうけて、重要なことはほぼ明らかになった。まだ足りない点もある。たとえば完全を期するためには、見なければならぬ地図で、まだ、探し当てていないのもある。イギリス海軍の一八八〇年代前後の水路誌には、釣魚諸島が中国領であることを明示する記述がありそうに思われるのに、それを見ることができていないのも、何とも気がかりである。
けれども、気のついたかぎり、前回の小論の足りないことは補い、あやまりは訂正することができた。それゆえ、私は、ここでいちおうの区切りをつけて、急進展する情勢にちかずけるため、あえてこれを印刷に付する。
この論文の主要な課題は二つある。
第一は、釣魚諸島はもともと無主地でなくて中国領であった、ということを確認することである。これは、前回の小論で、叙述のしかたはまことにたどたどしかったが、基本的には達成したと信ずる。今回は、さらに有力な史料をいくつか加え、叙述を整理し、前回よりもいっそうはっきり、ここが中国領であることを明らかにできた。この部分は前回の論文と、重複するところが相当あるのは、さけがたいことである。
第二は、日本がここを領有した経過と事情を、明らかにすることである。これは、前回の小論では、きわめて不十分であった。今回は、この領有が日清戦争の勝利に乗じた略奪であることを、当時の政府の公文書によって、かなりくわしく明らかにできた。そして、私はここに、前回の論文の不十分というよりも誤りを訂正しなければならない。
すなわち、前論で、この略奪を日清戦争における日本の勝利と結びつけたのは正しかったが、さらにこれを日清講和条約(下関条約)第二条と直接に結びつけ、台湾とその付属島嶼を奪った中に、釣魚諸島もふくまれているかのように書いたのは、正しくなかった。正確にいえば、台湾と澎湖島は下関条約第二条により、公然明白に強奪したのであり、釣魚諸島はいかなる条約にもよらず、対清戦勝に乗じて、中国および列国の目をかすめて窃取したのであった。しかもこの強奪と窃取は、時間的につらなっているのみか、政治的にも一体不可分のものであった。このことを論証するのが、本論の第二の課題である。
本論にあやまりがあれば正し、足りないことは補ってくださるよう、読者のみなさんの御援助をお願いする。
二 日本政府などは故意に歴史を無視している
現在の釣魚諸島領有権争いにおいて、日本側が最初に、公的にその領有を主張したのは、一九七〇年八月三十一日、アメリカの琉球民政府の監督下にある琉球政府立法院が行なった、「尖閣列島の領土防衛に関する要請決議」であった。それは日本領であるという根拠については、「元来、尖閣列島は、八重山石垣市宇登野城の行政区域に属しており、戦前、同市在住の古賀商店が、伐木事業及び漁業を経営していた島であって、同島の領土権について疑問の余地はない」といい、これ以上に日本領有の根拠を示したものではなかった。
この立法院決議をうけて、琉球政府は、同年九月十日「尖閣列島の領有権および大陸棚資源の開発権に関する主張」という声明を出し、さらに同月十七日、「尖閣列島の領土権について」という声明を発表した。後者は、琉球政府がこの列島の領有権を主張する根拠を系統的にのべている。それは、まず一九五三年十二月二十五日の琉球列島米国民政府布告第二十七号により、尖閣列島はアメリカ民政府および琉球政府の管轄区域にふくまれていることをのべ、つづけて次のようにのべている。
(1)この島々は、十四世紀の後半ごろには、中国人によってその存在を知られており、中国の皇帝が琉球国王の王位を承認し、これに冠や服を与えるために琉球に派遣する使節−−冊封使(さくほうし)−−が、中国の福州から琉球の那覇の間を往来したときの記録、たとえば『中山傳信録』や『琉球国志略』その他に、これらの島々の名が見える。また琉球人の書いた『指南広義』付図、『琉球国中山世鑑』にも、この島々の名が見える。
しかし、「十四世紀以来、尖閣列島について言及してきた琉球側及び中国側の文献のいずれも、尖閣列島が自国の領土であることを表明したものはありません。これらの文献はすべて航路上の目標として、たんに航海日誌や航路図においてか、あるいは旅情をたたえる漢詩の中に、便宜上に尖閣列島の島嶼の名をあげているにすぎません。本土の文献としては、林子平の『三国通覧図説』があります。これには、釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼(いわゆる尖閣列島の島々−−井上)を中国領であるかの如く扱っています。しかし『三国通覧図説』の依拠した原典は、『中山傳信録』であることは、林子平自身によって明らかにされています。彼はこの傳信録中の琉球三十六島の図と航海図を合作して、三国通覧図説を作成いたしました。このさい三十六島の図に琉球領として記載されていない釣魚台、黄尾嶼などを、機械的に中国領として色分けしています。しかし傳信録の航海図からは、これらの島々が中国領であることを示すいかなる証拠も見出しえないのであります。」
要するにこの列島は、「明治二十八年(一八九五年)に至るまで、いずれの国家にも属さない領土として、いいかえれば国際法上の無主地であったのであります。」
(2)「明治十二年(一八七九年)沖縄に県政が施行され、明治十四年に刊行、同十六年に改正された内務省地理局編纂の『大日本府県分割図』には、尖閣列島(尖閣群島のあやまり−−井上)が、島嶼の名称を付さないままにあらわれている。」そのころまでここは無人島であったが、明治十七年(一八八四年)ごろから、古賀辰四郎がこの地でアホウ鳥の羽毛や海産物の採取事業をはじめた。「こうした事態の推移に対応するため、沖縄県知事は、明治十八年九月二十二日、はじめて内務卿に国標建設を上申するとともに、出雲丸による実地踏査を届け出ています。」
(3)「さらに一八九三年(明治二十六年)十一月、沖縄県知事より、これまでと同様の理由をもって、同県の所轄方と標杭の建設を内務及び外務大臣に上申して来たため、一八九四年(明治二十七年)十二月二十七日、内務大臣より閣議提出方について外務大臣に協議したところ、外務大臣も異議がなかった。」そこで「翌一八九五年(明治二十八年)一月十四日閣議決定で、沖縄県知事の上申通り標杭を建設させることにした。」
(4)「さらにこの閣議決定にもとづいて、明治二十九年四月一日、勅令第十三号を沖縄県に施行されるのを機会に、同列島に対する国内法上の編入措置が行はれています。」
琉球政府の声明は、これにつづけて、右の「国内法上の編入措置」について、るる説明というよりも弁明をしている。その部分もふくめて、この声明の全文は、一見、ありのままの史実をのべているかのようで、ひじょうに多くの重大なごまかしやねじまげがあり、また重要な事実を、故意にかくしてもいる。それらは後にいちいちばくろする。
本年(一九七二年)に入ってから、日本政府外務省の統一見解(三月八日)、朝日新聞社説(三月二十日)、日本社会党の統一見解案(三月二十五日)、日本共産党の見解(三月三十日)、そのほか多くの政党や新聞の尖閣列島日本領論が出されたが、それらはいずれも、右の琉球政府声明以上にくわしい、あるいは新しい「論拠」を示したものではない。そしてそれらはみな、その「尖閣列島」領有権の主張の根底を、これらの島は、一八九五年に日本政府が領有を閣議決定するまでは無主地であった、ということに置いている。じっさい、そうしないで、これらが中国領であったことを認めれば、「無主地の先占」なる近代現代の植民地主義・帝国主義の国際法上の「法理」をこじつける余地すらもなくなる。しかるにその彼らの全主張の根底について、彼らは、何ら史料にもとづく科学的な証明をしていない。
外務省は、「尖閣列島は明治十八年(一八八五年)以降、政府が再三にわたって現地調査を行ない、単にこれが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡が無いことを慎重に確認した上で」、明治二十八年一月十四日の閣議決定で、「正式にわが国の領土に編入することとしたものである」というだけである。この「清国の支配が及んでいる痕跡が無い」というのは、一八八五年(明治十八年)、沖縄県令らがこの地は中国領かもしれないからという理由で、直ちにこれを日本領とすることにちゅうちょしたのに対して、内務卿山県有朋が即時領有を強行しようとして、これらの島は『中山傳信録』に見える島と同じ島であっても、その島はただ清国船が「針路ノ方向ヲ取リタルマデニテ、別ニ清国所属ノ証跡ハ少シモ相見へ申サズ」(本論文第十一節を参照)と主張したことのくりかえしにすぎない。
共産党の「見解」は次の通り。「尖閣列島についての記録は、ふるくから、沖縄をふくむ日本の文献にも、中国の文献にも、いくつか見られる。しかし、日本側も中国側も、いずれの国の住民も定住したことのない無人島であった尖閣列島を、自分に属するものとは確定しなかった。」「中国側の文献にも、中国の住民が歴史的に尖閣列島に居住したとの記録はない。明国や清国が、尖閣列島の領有を国際的にあきらかにしたこともない。尖閣列島は『明朝の海上防衛区域にふくまれていた』という説もあるが、これは領有とは別個の問題である。」
朝日新聞社説も、これと同じようなことしかいわない。「尖閣列島の存在は、すでに十四世紀の後半には知られており、琉球や中国の古文書には、船舶の航路目標として、その存在が記録されている。だが尖閣列島を自国の領土として明示した記録は、これらの文献には見当らず、領土の帰属を争う余地なく証明するような歴史的事実もない。」
日共や朝日新聞はこのように、明・清時代の中国が「尖閣列島」の領有を国際的に明確にしたことはないなどと、たいへん確信ありげに断定しているが、このさい彼らは、何ら科学的具体的に歴史を調べているのではなく、佐藤軍国主義政府とまったく同じく、現代帝国主義の「無主地」の概念を、封建中国の領土に非科学的にこじつけて、しぶんたちにつごうの悪い歴史を抹殺しようとしているのである。政府にしても政党にしても、短い声明の中で、いちいち歴史的論証をするわけにもいかないだろうが、何らかの形で、彼らの機関紙誌なり、パンフレットなりで、その証明をすることは、これだけ重大な国際問題に対処するための、政府や公党たるものの責任ではないか。しかし、彼らはいっこうにそれをやろうとはしない。政府やこれらの政党の御用学者はたくさんあるのに、彼らも、国士館大学の国際法助教授奥原敏雄のほかには、あえて歴史的説明を公表したものはまだ一人もあらわれていない。
三 釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている
日共の見解や朝日新聞の社説は、「尖閣列島」に関する記録が「古くから」日本にも中国にも「いくつかある」が、どれもその島々が中国領だと明らかにしたものはないなどと、十分古文献を調べたかのようなことをいうが、実は彼らは古文献を一つも見ないで、でたらめをならべているにすぎない。むろん「尖閣列島」という名の島についての明治以前の記録は、中国にも日本にも一つもあるはずがない。そして釣魚島とそのならびの島々に関する「古い」(というのは、明治以前のこととする)記録も、日本にはただ一つしかない。林子平の『三国通覧図説』(一七八五年刊)の付図の「琉球三省并三十六島之図」のみである。それは、一九七〇年の琉球政府声明がのべているように、中国の冊封副使徐葆光(じょほうこう)の『中山傳信録』の図によっている。それだから価値が低いのではなくて、価値がきわめて高いことは後にくわしくのべる。
琉球人の文献でも、釣魚諸島の名が出てくるのは、羽地按司朝秀(後には王国の執政官向象賢 こうしょうけん)が、一六五〇年にあらわした『琉球国中山世鑑』(註)巻五と、琉球のうんだ最大の儒学者でありまた地理学者でもあった程順則(ていじゅんそく)が、一七〇八年にあらわした『指南広義』の「針路條記」の章および付図と、この二カ所しかない。しかも『琉球国中山世鑑』では、中国の冊封使陳侃(ちんかん)の『使琉球録』から、中国福州より那覇に至る航路記事を抄録した中に、「釣魚嶼」等の名が出ているというだけのことで、向象賢自身の文ではない。
(註)伊波普猷、東恩納寛惇、横山茂共編『琉球史料叢書』第五にあり。
また程順則の本は、だれよりもまず清朝の皇帝とその政府のために、福州から琉球へ往復する航路、琉球全土の歴史、地理、風俗、制度などを解説した本であり、釣魚島などのことが書かれている「福州往琉球」の航路記は、中国の航海書および中国の冊封使の記録に依拠している。しかも、このとき程順則は、清国皇帝の陪臣(皇帝の臣が中山王で、程はその家来であるから、清皇帝のまた家来=陪臣となる)として、この本を書いている。それゆえこの本は、琉球人が書いたとはいえ、社会的・政治的には中国書といえるほどである。
つまり、日本および琉球には、明治以前は、中国の文献から離れて独自に釣魚諸島に言及した文献は、実質的にはひとつも無かったとさえいえる。これは偶然ではない。この島々は、琉球人には、中国の福州から那覇へ来る航路に当るということ以外には、何の関係もなかったし、風向きと潮流が、福建や台湾から釣魚諸島へは順風・順流になるが、琉球からは逆風・逆流になるので、当時の航海術では、きわめてまれな例外はいざ知らず、琉球からこの島々へは、ふつうには近よれもしなかった。したがって琉球人のこの列島に関する知識は、まず中国人を介してしか得られなかった。彼らが独自にこの列島に関して記述できる条件もほとんどなかったし、またその必要もなかった。
琉球および日本側とは反対に、中国側には、釣魚諸島についての文献はたくさんある。明・清時代の中国人は、この列島に関心をもたざるをえない事情があった。というのは、一つには琉球冊封使の往路はこの列島のそばを通ったからであり、また一つには、十五、六世紀の明朝政府は、倭寇(わこう)の中国沿海襲撃に備えるために、東海の地理を明らかにしておかねばならなかったから。
この列島のことが中国の文献に初めて見えるのは、紀元何年のことか、それを確かめることは私にはできないが、おそくも十六世紀の中期には、釣魚諸島はすでに釣魚島(あるいは釣魚嶼)、黄毛嶼(あるいは黄尾山、後の黄尾嶼)、赤嶼(後の赤尾嶼)などと中国名がつけられている。
十六世紀の書と推定される著者不明の航海案内書『順風相送』の、福州から那覇に至る航路案内記に、釣魚諸島の名が出てくるが、この書の著作の年代は明らかでない。年代の明らかな文献では、一五三四年、中国の福州から琉球の那覇に航した、明の皇帝の冊封使陳侃の『使琉球録』がある。それによれば、使節一行の乗船は、その年五月八日、福州の梅花所から外洋に出て、東南に航し、鶏籠頭(台湾の基隆)の沖合で東に転じ、十日に釣魚嶼などを過ぎたという。
「十日、南風甚ダ迅(はや)ク、舟行飛ブガ如シ。然レドモ流ニ順ヒテ下レバ、(舟は)甚ダシクハ動カズ、平嘉山ヲ過ギ、釣魚嶼ヲ過ギ、黄毛嶼ヲ過ギ、赤嶼ヲ過グ。目接スルニ暇(いとま)アラズ。(中略)十一日夕、古米(くめ)山(琉球の表記は久米島)ヲ見ル。乃チ琉球ニ属スル者ナリ。夷人(冊封使の船で働いている琉球人)船ニ鼓舞シ、家ニ達スルヲ喜ブ。」
琉球冊封使は、これより先一三七二年に琉球に派遣されたのを第一回とし、陳侃は第十一回めの冊封使である。彼以前の十回の使節の往路も、福州を出て、陳侃らと同じ航路を進んだはずであるから、−−それ以外の航路はない−−その使録があれば、それにも当然に釣魚島などのことは何らかの形で記載されていたであろうが、それらは、もともと書かれなかったのか、あるいは早くから亡失していた。陳侃の次に一五六二年の冊封使となった郭汝霖(かくじょりん)の『重編使琉球録』にも、使琉球録は陳侃からはじまるという。
その郭の使録には、一五六二年五月二十九日、福州から出洋し「閏五月初一日、釣嶼ヲ過グ。初三日赤嶼ニ至ル。赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ。再一日ノ風アラバ、即チ姑米(くめ)山(久米島)ヲ望ムベシ」とある。
上に引用した陳・郭の二使録は、釣魚諸島のことが記録されているもっとも早い時期の文献として、注目すべきであるばかりでなく、陳侃は、久米島をもって「乃属琉球者」といい、郭汝霖は、赤嶼について「界琉球地方山也」と書いていることは、とくに重要である。この両島の間には、水深二千メートル前後の海溝があり、いかなる島もない。それゆえ陳が、福州から那覇に航するさいに最初に到達する琉球領である久米島について、これがすなわち琉球領であると書き、郭が中国側の東のはしの島である赤尾嶼について、この島は琉球地方を界する山だというのは、同じことを、ちがった角度からのべていることは明らかである。
そして、前に一言したように、琉球の向象賢の『琉球国中山世鑑』は、「嘉靖甲午使事紀ニ曰ク」として、陳侃の使録を長々と抜き書きしているが、その中に五月十日と十一日の条をも、原文のままのせ、それに何らの注釈もつけていない。向象賢は、当時の琉球支配層の間における、親中国派と親日本派のはげしい対立において、親日派の筆頭であり、『琉球国中山世鑑』は、客観的な歴史書というよりも、親日派の立場を歴史的に正当化するために書いた、きわめて政治的な書物であるが、その書においても、陳侃の記述がそのまま採用されていることは、久米島が琉球領の境であり、赤嶼以西は琉球領ではないということは、当時の中国人のみならずどんな琉球人にも、明白とされていたことを示している。琉球政府声明は、「琉球側及び中国側の文献のいずれも尖閣列島が自国の領土であることを表明したものは無い」というが、「いずれの側」の文献も、つまり中国側はもとより琉球の執政官や最大の学者の本でも、釣魚諸島が琉球領ではないことは、きわめてはっきり認めているが、それが中国領ではないとは、琉・中「いずれの側も」、すこしも書いていない。
なるほど陳侃使録では、久米島に至るまでの赤尾、黄尾、釣魚などの島が琉球領でないことだけは明らかだが、それがどこの国のものかは、この数行の文面のみからは何ともいえないとしても、郭が赤嶼は琉球地方を「界スル」山だというとき、その「界」するのは、琉球地方と、どことを界するのであろうか。郭は中国領の福州から出航し、花瓶嶼、彭佳山など中国領であることは自明の島々を通り、さらにその先に連なる、中国人が以前からよく知っており、中国名もつけてある島々を航して、その列島の最後の島=赤嶼に至った。郭はここで、順風でもう一日の航海をすれば、琉球領の久米島を見ることができることを思い、来し方をふりかえり、この赤嶼こそ「琉球地方ヲ界スル」島だと感慨にふけった。その「界」するのは、琉球と、彼がそこから出発し、かつその領土である島々を次々に通過してきた国、すなわち中国とを界するものでなくてはならない。これを、琉球と無主地とを界するものだなどとこじつけるのは、あまりにも中国文の読み方を無視しすぎる。
こうみてくると、陳侃が、久米島に至ってはじめて、これが琉球領だとのべたのも、この数文字だけでなく、中国領福州を出航し、中国領の島々を航して久米島に至る、彼の全航程の記述の文脈でとらえるべきであって、そうすれば、これも、福州から赤嶼までは中国領であるとしていることは明らかである。これが中国領であることは、彼およびすべての中国人には、いまさら強調するまでもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼には思いもよらなかった。そうして久米島に至って、ここはもはや中国領ではなく琉球領であることに思いを致したればこそ、そのことを特記したのである。
政府、日本共産党、朝日新聞などの、釣魚諸島は本来は無主地であったとの論は、恐らく、国士館大学の国際法助教授奥原敏雄が雑誌『中国』七一年九月号に書いた、「尖閣列島の領有権と『明報』の論文」その他でのべているのと同じ論法であろう。奥原は次のようにいう。
陳・郭二使録の上に引用した記述は、久米島から先が琉球領である、すなわちそこにいたるまでの釣魚、黄尾、赤尾などは琉球領ではないことを明らかにしているだけであって、その島々が中国領だとは書いてない。「『冊封使録』は中国人の書いたものであるから、赤嶼が中国領であるとの認識があったならば、そのように記述し得たはずである」。しかるにそのように記述してないのは、陳侃や郭汝霖に、その認識がないからである。それだから、釣魚諸島は無主地であった、と。
たしかに、陳・郭二使は、赤嶼以西は中国領だと積極的な形で明記し「得たはずである」。だが、「書きえたはず」であっても、とくにその必要がなければ書かないのがふつうである。「書きえたはず」であるのに書いてないから、中国領だとの認識が彼らにはなかった、それは無主地だったと断ずるのは、論理の飛躍もはなはだしい。しかも、郭汝霖の「界」の字の意味は、前述した以外に解釈のしかたはないではないか。
おそくとも十六世紀には、釣魚諸島が中国領であったことを示す、もう一種の文献がある。それは、陳侃や郭汝霖とほぼ同時代の胡宗憲(こそうけん)が編纂した『籌海図編』(ちゅうかいずへん)(一五六一年の序文あり)である。胡宗憲は、当時中国沿海を荒らしまわっていた倭寇と、数十百戦してこれを撃退した名将で、右の書は、その経験を総括し、倭寇防衛の戦略戦術と城塞・哨所などの配置や兵器・船艦の制などを説明した本である。
本書の巻一「沿海山沙図」の「福七」〜「福八」にまたがって、福建省の羅源県、寧徳県の沿海の島々が示されている。そこに「鶏籠山」、「彭加山」、「釣魚嶼」、「化瓶山」、「黄尾山」、「橄欖山」、「赤嶼」が、この順に西から東へ連なっている。これらの島々が現在のどれに当るか、いちいちの考証は私はまだしていない。しかし、これらの島々が、福州南方の海に、台湾の基隆沖から東に連なるもので、釣魚諸島をふくんでいることは疑いない。
この図は、釣魚諸島が福建沿海の中国領の島々の中に加えられていたことを示している。『籌海図編』の巻一は、福建のみでなく倭寇のおそう中国沿海の全域にわたる地図を、西南地方から東北地方の順にかかげているが、そのどれにも、中国領以外の地域は入っていないので、釣魚諸島だけが中国領でないとする根拠はどこにもない。
一九七一年十二月三十日の中華人民共和国外交部声明の中に、「早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域にふくまれており」というのは、あるいはこの図によるものであろうか。じっさいこの図によって、釣魚諸島が当時の中国の倭寇防衛圏内にあったことが知られる。このことについて、日共の「見解」は、「尖閣列島は『明朝の海上防衛区域にふくまれていた』という説もあるが、これは領有とは別個の問題である」などという。しかし、自国の領土でもない、しかも自国本土のもっとも近い所からでも二百浬以上もはなれている小島を防衛区域に入れるのは、いまの日本の自衛隊が、中国領の釣魚諸島を日本の「防空識別圏」にいれるのをはじめ、アメリカや日本など近代現代の帝国主義だけのすることであって、それと同じことを、勝手に明朝におしつけて、防衛区域と領有は別だなどというのは、釣魚諸島はどうでもこうでも中国領ではなかったと、こじつけるためのたわごとにすぎない。
四 清代の記録も中国領と確認している
以上で、釣魚諸島は中国領であったことを確認できる記録が、十六世紀の中ごろには少なくとも三つあることが明らかとなった。それ以前のことについての記録は、私はまだ知ることができていないが、記録の有無にかかわらず、釣魚諸島が中国人に知られ、その名がつけられた当初から、中国人はここを自国領だと考えていたにちがいない。もっとも、最大の釣魚島でも、後にのべるように、海岸からすぐけわしい山がそそり立ち、平地は、もっとも広い所で、当時の技術水準では、数人しかおれないような小島を、彼らが重視したとも思われないが、さりとてそんな小島をわざわざ沿海防衛図に記入しているのを見ても、彼らがこれを無主地と考えたはずもない。そして十六世紀の中頃に、三つの文献がここをはっきり他国領と区別して記述しているのは、偶然ではあるまい、このころは、中国の東南沿岸は倭寇になやまされており、倭寇との緊張関係で、中国人はその東南沿海の自国領と他国領との区別に敏感にならざるをえなかったのだから。
郭汝霖の後には、明朝の冊封使は、一五七九年、一六〇六年、一六三三年と三回渡琉している。そのはじめの二回の使録を私は読んだが、それらには、陳・郭二使録のような、琉球領と中国領の「界」に関する記述はない。最後の使節の記録は、一部分の引用文しか見てないので、領界についての記述の有無はわからない。この後まもなく明朝は滅び、清(しん)朝となり、琉球王は清朝皇帝からも、前代と同様に冊封をうける。清朝の第一回の冊封使は、一六六三年に入琉しているが、その使記にも、中・琉の領界の記述はない。
このように、陳・郭以後の使節にしばらくは領界の記述がないことも、奥原によって、釣魚諸島無主地論の一根拠とされているが、どうしてそんな理屈がひねり出せるものか、わけがわからない。後代の使節は、みな陳・郭以来の歴代の使記をよく読んでいる(もともと冊封使記は、当時および後世の朝廷とその琉球使節に読ませるために書かれた、公用出張の報告書の性質をもつものである。琉球政府などが、わざと軽視しているような、たんなる私的な航海記ではない。)。それゆえ彼らは、赤嶼と久米島が中・琉の領界であることも十分承知していたわけであるが、彼ら自身の使記に、それを書きつけるほどの特別の関心または必要がなかったまでのことである。
ところが清朝の第二回目の冊封使汪楫(おうしゅう)は、一六八三年に入琉するが、その使録『使琉球雑録』巻五には、赤嶼と久米島の間の海上で、海難よけの祭りをする記事がある。その中に、ここは「中外ノ界ナリ」、中国と外国との境界だ、と次のように明記している。
「二十四日(一六八三年六月)、天明ニ及ビ山ヲ見レバ則チ彭佳山也……辰刻(たつのこく)彭佳山ヲ過ギ酉(とり)刻釣魚嶼ヲ遂過ス。……二十五日山ヲ見ル、マサニ先ハ黄尾後ハ赤尾ナルベキニ、何(いくばく)モ無ク赤嶼ニ遂至ス、未ダ黄尾嶼ヲ見ザルナリ。薄暮、郊(或ハ溝ニ作ル)ヲ過グ。風涛大ニオコル。生猪羊各一ヲ投ジ、五斗米ノ粥ヲソソギ、紙船ヲ焚キ、鉦ヲ鳴ラシ鼓ヲ撃チ、諸軍皆甲シ、刃ヲ露ハシ、(よろい・かぶとをつけ、刀を抜いて)舷(ふなばた)ニ伏シ、敵ヲ禦(ふせ)グノ情(さま)ヲナス。之ヲ久シウシテ始メテヤム。」
そこで汪楫が船長か誰かに質問した。「問フ、郊ノ義ハ何ニ取レルヤ。(「郊」とはどういう意味ですか)と。すると相手が答えた。
「曰ク、中外ノ界ナリ。」(中国と外国の界という意味です)。
汪楫は重ねて問うた。
「界ハ何ニ於テ辯ズルヤ。」(その界はどうして見分けるのですか)。相手は答えた。
「曰ク懸揣スルノミ。(推量するだけです)。然レドモ頃者(ただいま)ハアタカモ其ノ所ニ当リ、臆(おく)度(でたらめの当てずっぽう)ニ非ルナリ。」
右の文には少々注釈が必要であろう。釣魚諸島は、中国大陸棚が東海にはり出したその南のふちに、ほぼ東西につらなっている。列島の北側は水深二百メートル以下の青い海である。列島の南側をすこし南へ行くと、にわかに水深千数百から二千メートル以上の海溝になり、そこを黒潮が西から東へ流れている。とくに赤尾嶼付近はそのすぐ南側が深海溝になっている。こういう所では、とくに海が荒れる。またここでは、浅海の青い色と深海の黒潮との、海の色の対照もあざやかである。
この海の色の対照は、一六〇六年の冊封使夏子楊(かしよう)の『使琉球録』にも注目されており、前の使録の補遺(私は見ていない−−井上)に『蒼水ヨリ黒水ニ入ル』とあるのは、まさにその通りだ」とある。そして清朝の初めには、このあたりが「溝」あるいは「郊」、または「黒溝」、「黒水溝」などとよばれ、冊封使の船がここを通過するときには、豚と羊のいけにえをささげ、海難よけの祭りをする慣例ができていたようである。過溝祭のことは、汪楫使録のほかに、一七五六年入琉の周煌の『琉球国志略』、一八〇〇年入琉の李鼎元(りていげん)の『使琉球録』および一八〇八年入琉の斉鯤(さいこん)の『続琉球国志略』に見えている。
これらの中で、汪楫の使記は、過溝祭をもっともくわしくのべているばかりでなく、溝を郊と書き、そこはたんに海の難所というだけでなく、前に引用した通り、「中外ノ界ナリ」と明記している点で、もっとも重要である。しかもこの言葉が、ここをはじめて通過した汪楫に、船長か誰かが教えたものであることは、こういう認識が、中国人航海家の一般の認識になっていたことを思わせる。
さらに周煌は『琉球国志略』巻十六「志余」で、従来の使録について、そのとくに興味ある、または彼が重視した記述を再確認しているが、その中で彼は、汪楫の記述を要約し、「溝ノ義ヲ問フ、曰ク中外ノ界ナリ」という。すなわち彼は汪楫とともに、赤尾嶼と久米島の間が「中外ノ界」であると確認し、赤尾嶼以西が中国領であることを、文字の上でも明記している。なお『琉球国志略』は、すぐ後にのべる『中山傳信録』とならんで、中国人のみならず琉球人・日本人にも広く読まれた本で、句読、返り点を施した日本版も一八三一年(天保二年)に出ている。また斉鯤は、赤尾嶼を過ぎた所で「溝ヲ過グ、海神ヲ祭ル」と書くだけであるが、彼の使記は、周煌使記の後をつぐ意味の『続琉球国志略』と名づけられているのだから、その中で周煌の記述に批判や訂正のないかぎり、彼も汪・周とともに、ここを中外の界としていたことは明らかである。これでもなお、赤嶼以西が無主地であったとか、中国側のどの文献にも釣魚諸島が中国領であると明示したものはない、などといえようか。
斉鯤の前の封使李鼎元だけは、赤嶼ではなくて釣魚嶼の近くで過溝祭をしているのみならず、「琉球ノ夥長(かちょう)」(航海長)は「黒溝有ルヲ知ラズ」といったと記し、かつ李自身もその存在を否定している。彼は徹底した経験主義の自信家であり、自分の航海が、往復ともまれにみる順風好天で、すこしも難航しなかったという体験を基にして、先人の記録よりも琉球人航海家の言を信じた。ただしこの場合、彼の関心はもっぱら海の難所という点に集中されていて、「中外ノ界」という意味の溝(郊)については、彼は何ものべていない。したがって海の難所という意味の溝を否定した李鼎元ただ一人の体験に追従して、彼の前と後の封使がともに認めている「中外ノ界」を否定することは、とうていできない。
のみならず、この「界」は、汪楫の次、周煌の前の使節徐葆光(一七一九年入琉)の有名な『中山傳信録』によっても確かめられる。
徐葆光は、渡琉にあたって、その航路および琉球の地理、歴史、国情について、従来の不正確な点やあやまりを正すことを心がけ、各種の図録作製のために、とくに中国人専門家をつれていったほどである。彼は琉球王城のある首里に入るとすぐ、王府所蔵の文献記録の研究をはじめ、前に紹介した程順則および程より二十歳も若いが、彼につぐ当時の大学者−−とくに琉球の王国時代を通じて地理の最大の専門家蔡温(さいおん)(註)を相談相手とし、八カ月間琉球のことを研究した。
(註)蔡温は、福州に三年間留学して、地理・天文・気象を専攻した。後に王府の執政官となり、琉球の産業開発と土木に、前後に比類のない貢献をした。(前出『琉球史料叢書』第五巻の東恩納寛惇による「解説」)
『中山傳信録』は、こうして書かれたものであるから、その記述の信頼度はきわめて高く、出版後まもなく日本にも輸入され、日本の版本も出た。そして本書および前記の『琉球国志略』が、当時から以後明治初年までの、日本人の琉球に関する知識の最大の源となった。この書に、程順則の『指南広義』を引用して、福州から那覇に至る航路を説明している。それは、従来の冊封使航路と同じく、福州から、鶏籠頭をめざし、花瓶、彭佳、釣魚の各島の北側を通り、赤尾嶼から姑米山(久米島)にいたるのだが、その姑米山について「琉球西南方界上鎮山」と註している。
この註は、これまで釣魚諸島を論じた台湾の学者や日本の奥原らみな、『指南広義』の著者程順則自身の註であると解しているが、私の見た『指南広義』の原文には、そのような註はない。私見では、これは引用者徐葆光の註である。その考証はここでは略すが(註)、これが程順則のものでも、徐葆光のものでも、実質的には同じである。というのは、徐は、滞琉中はもとより帰国後も、たえず程と意見を交換して『中山傳信録』を書いたので、この書は両人の共著といっても言いすぎではないから。
(註)この考証は、『歴史学研究』一九七二年二月号の小論でひと通りのべた。
もしも徐葆光が、久米島を琉球の「西南方界」とだけ書いていたら、それは正確ではないことになる。八重山群島の与那国島が琉球列島の西のはてであり、しかもそこは久米島よりはるかに南でもあるから。琉球の正確な西南界が八重山群島にあることは、『中山傳信録』の著者も知っており、彼は、八重山群島について、「此レ琉球極西南属界ナリ」と、きちんと説明している。彼がこのことを知りながら、なおかつ久米島について、「琉球西南方界上鎮山」と註したのは、「鎮」という字に重要な意味がある。
「鎮」とは国境いや村境いの鎮め、「鎮守」の鎮であり、中国の福州から、釣魚諸島を通って、琉球領に入る境が久米島であり、それは琉球の国境の鎮めの島であるから、この説明に界上鎮山の字を用い、またここが琉球王国の本拠である沖縄本島を中心とする群島の西南方であるから、これを「琉球西南方界上鎮山」と書き、純粋に地理的に全琉球の極西南である八重山群島については、「此レ琉球極西南属界ナリ」と書きわけたのである。つまり中国人徐葆光(あるいは琉球人程順則)は、久米島が中国→琉球を往来するときの国境であることを、「西南方界上鎮山」という註で説明したのである。その「界」の一方が中国であることは、郭汝霖が「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」とのべたときの「界」と同じである。
五 日本の先覚者も中国領と明記している
これまで私は、もっぱら明朝の陳侃、郭汝霖、胡宗憲および清朝の汪楫、徐葆光、周煌、斉鯤の著書という、中国側の文献により、中国と琉球の国境が、赤尾嶼と久米島の間にあり、釣魚諸島は琉球領でないのはもとより、無主地でもなく、中国領であるということが、おそくとも十六世紀以来、中国側にははっきりしていたことを考証してきた。この結論の正しいことは、日本側の文献によって、いっそう明白になる。その文献とは、先に一言した林子平の『三国通覧図説』の「付図」である。
『三国通覧図説』−−以下の文では略して『図説』ということもある−−とその五枚の「付図」は、「天明五年(一七八五年)秋東都須原屋市兵衛梓」として最初に出版された。その一本を私は東京大学付属図書館で見たが、その「琉球三省并三十六島之図」は、たて五十四・八センチ、横七十八・三センチの紙に書かれてあり、ほぼ中央に「琉球三省并三十六嶋之図」と題し、その左下に小さく「仙台林子平図」と署名してある。この地図は色刷りであって、北東のすみに日本の鹿児島湾付近からその南方の「トカラ」(吐葛刺)列島までを灰緑色にぬり、「奇界」(鬼界)島から南、奄美大島、沖縄本島はもとより、宮古、八重山群島までの本来の琉球王国領(註一)は、うすい茶色にぬり、西方の山東省から広東省にいたる中国本土を桜色にぬり、また台湾および「澎湖三十六島」を黄色にぬってある(註二)。そして、福建省の福州から沖縄本島の那覇に至る航路を、北コースと南コース二本えがき、その南コースに、東から西へ花瓶嶼、彭隹(佳)山、釣魚台、黄尾山、赤尾山をつらねているが、これらの島は、すべて中国本土と同じ桜色にぬられているのである。北コースの島々もむろん中国本土と同色である。
(註一)沖縄本島の北側の与論島から鬼界島に至る、奄美大島を中心とする群島は、もと琉球王国領であったが、一六〇九年島津氏が琉球王国を征服した後、これらの島々は島津の直轄領地とされた。そのことは『中山傳信録』著者も林子平もよく知っていたが、それでも、これらの島々は琉球三十六島のうちに入れるのが、中、琉、日のどの国の学者にも共通している。
琉球の蔡温が『琉球国中山世鑑』の誤りを正した父の著書を、いっそう正確に改修した『中山世譜』(一七二五年序)の首巻には、「琉球輿地名号会記」と地図があるが、それも、全琉球を中山および三十六島とし、鬼界カ島までを琉球にいれている。子平より大分前の新井白石の『南島志』(一七一九年)も、そうしている。もちろん釣魚諸島は琉球三十六島の中に入っていない。
(註二)林子平が台湾の色を中国本土と区別して書いている理由を正確に断定することはできないが、およその推定はできる。すなわち、『図説』の付図の中には、次にのべる東アジア全図というべきものがあるが、それには、子平がはっきり日本領と見なしている小笠原諸島を、日本本土および九州南方の島や伊豆諸島とはちがう色にぬってある。これから類推すると、彼は台湾は中国領ではあっても本土の属島ではないと見て、ちょうど小笠原島が日本領であっても九州南島などのように本土の属島とはいいがたいので、本土とは別の色にしたのと同じく、台湾をも中国本土やその属島とは別の色にしたのではあるまいか。
この図により、子平が釣魚諸島を中国領とみなしていたことは、一点のうたがいもなく、一目瞭然であり、文章とちがって、こじつけの解釈をいれる余地はない。『図説』の付図には「三国通覧輿地路程全図」という、「朝鮮、琉球、蝦夷并ニカラフト、カムサスカ、ラッコ島等数国接壌ノ形勢ヲ見ル為ノ小図」もあるが、日本を中心として北はカムチャッカ、南は小笠原、西は中国に至る広範囲の、いわば東アジア全図にさえ、釣魚諸島のような、けし粒ほどの島が−−ほかの多くのはるかに大きい島も描いてないのに−−、はっきり描かれ、それも中国本土と同じ色にぬられている。子平の『図説』にとっては、各国の範囲、その界を明確にすることは、決定的に重要であったので、釣魚諸島をはぶくわけにはいかなかったのであろう。
子平の琉球図は、彼が『図説』の序文で「此ノ数国ノ図ハ小子敢テ杜撰スルニアラズ……琉球ハ元ヨリ中山傳信録アリ、是ヲ証トス」と誇らしげに書いている通り、『中山傳信録』の地図に拠ったものである。しかし彼はそれを無批判にうのみにしたのではない。子平は『中山傳信録』および子平の時代までの日本人の琉球研究の最高峰である新井白石の『琉球国事略』などを研究し、自分の見聞を加えて、『図説』の本文と地図を書いたのである。そして『傳信録』の図には、国による色わけはないのに、林子平は色をぬりわけた。
このことについて先の琉球政府声明は、子平は、『中山傳信録』に三十六島以外は琉球領とはしていないので、その外である釣魚島などを機械的に中国領として色分けしたのだ、そんなものに価値はないという。これは何とも気の毒なほど苦しい言いのがれである。子平は決して「機械的に」色分けしたのでないことは、図そのものにも明白である。すなわち、彼は中国領であることはよく知られている台湾、澎湖を中国本土とちがう色にぬり、釣魚諸島は本土と同色にぬっている。これをみても彼が琉球三十六島以外の島々はみな一律に中国本土と同じ色にしたのでないことは明らかである。子平は『中山傳信録』をよく研究し、そこに久米島が「琉球西南方界上鎮山」とあるのにより、その文を私が前節で解釈したのと同じく、ここを中国領と琉球領との界とし、ここに至るまでの釣魚諸島は中国領であることを信じて疑わなかったのであろう。そしてそのことをとくに明らかにする色分けをしたのである。
じっさい、『中山傳信録』の姑米島の註は、郭汝霖や陳侃の使記の、すでに引用した記述と同じく、久米島から東が琉球領であり、その西の島々は中国領であることを明らかにしていると解するのが、漢文の読み方としてしごく当然のことである。
私は『歴史学研究』二月号に、釣魚島の沿革を書いたとき、まだ『三国通覧図説』とその「付図」の天明五年版本を見ていなかった。そのとき私が使ったのは、一九四四年に東京の生活社が出版した『林子平全集』第二巻の活版本であった。その付図は国ごとの色わけはしてなかったので、私はたんに、子平の地図では、釣魚諸島は琉球と区別していることを指摘するにとどまった。いま原版を見ると、このようにはっきり中国領であることを色で示しているではないか。
それだけでなく、京都大学付属図書館の谷村文庫には、「琉球三省并三十六島之図」の江戸時代の彩色写本が二種類ある。それには、「林子平図」あるいは「三国通覧図説附図」の写しということはどこにも書いてないが、一見して、子平の図の写しということは明らかである。その一つ(仮にこれを甲図という)は、『図説』の付図五枚−−蝦夷、琉球、朝鮮、小笠原島のそれぞれの図および前記の日本を中心として「数国接壌ノ形勢ヲ見ル為ノ小図」−−を、丈夫な和紙に、多分同一人が筆写した一組みの中に入っている。これは、琉球は赤茶色に、中国本土および釣魚諸島などはうすい茶色に、日本は青緑色に、台湾、澎湖は黄色にぬり分けてある。
もう一種の図(これを乙図と名づけよう)は、琉球を黄色に、中国の本土と釣魚諸島を桜色に、台湾をねずみ色に、そして日本を緑にぬり分けてある。
なお谷村文庫には、『三国通覧図説』付図の「朝鮮八道之図」の写本が、三種類あり、そのうちの一種は、前記琉球図の甲と一組みになっているものであり、もう一種は、前記琉球図の乙と同じ紙質の紙に、恐らく同一の筆者と思われる筆跡で書かれている。そしてこの朝鮮八道図と琉球図の乙には、元の所蔵者のものと思われる同一の朱印がおしてある。残りのもう一種は、原版をかなり精密に模写したものである。これと一組みになっていた琉球図その他の写本もあったにちがいないと推定されるが、そうだとすれば、原版のほかに、琉球図の写本−−というよりも、『三国通覧図説』の付図五枚一組の写本が、少なくとも三種類はあったことになる。
さらに京都大学国史研究室には、もう一種の「琉球三省并三十六島之図」の江戸時代の彩色写本がある。
周知のように、林子平はこの『三国通覧図説』および『海国兵談』の著作・出版により、幕府から処罰され、これらの版木も没収されてしまった。彼は日本人の近代的民族意識の先駆者であった。彼が『図説』を著述したのは、日本周辺の地理をよく知ることは、日本の国防−−徳川幕府とか諸藩とか、あれこれの封建領主あるいはその総体の防衛ではなく、それらを超えた次元の「日本」の防衛のために、緊急の必要であると考えたからであり、また、その緊要の知識を、たんに幕府や諸藩の役人あるいは武士階級にだけ独占させず、「貴賎ト無ク文(官)武(官)ト無ク」、「本邦ノ人」=日本民族のすべてにひろめねばならない−−なぜなら、事は日本の防衛にかかわる日本民族の問題であるから−−として、あえてこの書を出版した。しかも付図は色刷りにして、異なった国と国との位置関係が一目でわかるように心を使った。
このように一介の知識人が、あえて日本の防衛を日本人民にうったえるという、まさに近代的民族主義的な思想と行動が、徳川幕府封建支配者の怒りにふれたのである。しかし、子平は日本人の近代民族的意識の成長を代表し、かつ、それに支えられていた。それゆえ、発売も発行も禁止された彼の本は、『海国兵談』も『三国通覧図説』も、争って読まれ、語られ、写され、ひろげられていった。
さらにまた、『三国通覧図説』は、早くも一八三二年には、ドイツ人の東洋学者ハインリッヒ・クラプロート(Heinrich Klaproth)によって、フランス語に訳され出版されている。付図も原版と同じ色刷りである(註)。これにより、本書が国際的にもいかに重視されていたかということ、また釣魚諸島が中国領であることは西洋人にも知られていたということがわかる。
(註)私はまだこの仏訳本を見ていないが、大熊良一『竹島史稿』の二二ページに、クラプロートの経歴とその『図説』翻訳に関する紹介がある。また台湾の『政大法学評論』第六期に、同書の琉球図の色刷りがある。
林子平のような日本の民族的自覚の先駆者が、当時までの中国人、琉球人また日本人の、琉球地理研究の最高峰であり集大成である、徐葆光や新井白石の著書を十分に研究し、民族の防衛を日本のすべての人にうったえるために精魂こめて書き、あえて出版した本、そして徳川封建支配者の弾圧に抗して、愛国的知識人の間にひろめられていき、国際的にも重視された本の図に、釣魚諸島は中国領であることが明記されているのである。こういう本の記述をしも、明治の天皇制軍国主義者とその子孫の現代帝国主義者およびその密接な協力者日本共産党などはまったく無視して、釣魚諸島は無主地であったなどと、よくもいえたものである。
六 「無主地先占の法理」を反駁する
琉球と釣魚諸島に関する、十六世紀から十八世紀にいたる、中国人、琉球人および日本人の最良の文献が、一致して、釣魚諸島は中国領であることを明らかにしているのに、あるいは、その中国語文章表現が現代の法律文とはちがうことを利用して、勝手にその意味をねじまげ、あるいは、どうにもねじまげることの不可能な地図については、それは機械的に色分けしたにすぎないなどと、軽薄なおのれの心をもって真剣な先覚者の苦心をおとしめる。このような議論の相手をするのは、いささかめんどうくさくなってきたが、そうも言ってはおれない。彼らが、二言めにはもち出す「国際法上の無主地先占の法理」なるものについて、駁撃しておかねばならない。
彼らは、一八八五年に釣魚諸島を奪いとろうとした天皇制軍国主義の最も熱烈な推進者、最大の指導者、陸軍中将、内務卿山県有朋と同じく、いくら明・清の中国人が釣魚諸島の存在を知り、それに中国語の名をつけ、記録していても、ここに当時の中国の政権の、「支配が及んでいる痕跡がない」、つまり、いわゆる国際法の領土先占の要件としての実効的支配が及んでいない、だからここは無主地であった、などという。
それでは、その「国際法」とはどんなものか。京都大学教授田畑茂二郎の書いた、現代日本の標準的な国際法解説書である『国際法T』(有斐閣『法律学全集』)には、国際法の成立について、次のようにのべている。すなわち、ヨーロッパ近世の主権国家の相互の間で、「自己の勢力を維持拡大するため、激しく展開された権力闘争」において、それが余りにも無制限に激化するのを「合理的なルールに乗せ限界づけるために、国際法が問題とされるようになった」(一六ぺージ)。この「合理的なルール」とは、私見では、つまりは強者の利益にすぎなかった。そのことは、とくに「無主地の先占の法理」において顕著である。田畑は次のように書いている。「戦争の問題とならんで、いま一つ、近世初頭の国際法学者の思索を強く刺戟したものは、新大陸、新航路の発見にともない展開された、植民地の獲得、国際通商の独占をめざした、激しい国家間の闘争であった。」この植民地争奪の激化に直面して、「国家間の行動を共通に規律するものとして(もっともこの場合には、他国に対して自国の行動を正当づけるといった動機が、多くの場合背景になっていたが)、国際法に関する論議がさかんに行なわれた。領域取得の新しい権原として、先占(occupatio)の法理がもち出され、承認されていったのも、こうした事情であった」(一九ぺージ)。
「他国に対して自国の行動を正当づける」ために、もち出された「法理」が、「国際法」になるというのは、つまり強国につごうのよい論理がまかり通るということである。無主地先占論はその典型で、スペイン人、ポルトガル人が、アメリカやアジア、アフリカの大陸、太平洋の島々を、次から次へと自国領土=植民地化しているうちは、「発見優先」の原則が通用していた。それに対してオランダやイギリスが、競争者として立ちあらわれ、しだいにスペイン、ポルトガルに優越していくとともに、オランダの法学者グロチウスが、「先占の法理」をとなえだしたのである。それはオランダやイギリスにつごうのよい理論であって、やがてそれが「国際法」になった。
先占の「法理」なるものが、いかに欧米植民地主義・帝国主義の利益にのみ奉仕するものであるかは、「無主地」の定義のしかたにも端的に出ている。田畑教授より先輩の国際法学者、東京大学名誉教授横田喜三郎の『国際法U』(有斐閣『法律学全集』)によれば、無主地の「最も明白なものは無人の土地である」が、「国際法の無主地は無人の土地だけにかぎるのではない。すでに人が住んでいても、その土地がどの国にも属していなければ無主の土地である。ヨーロッパ諸国によって先占される前のアフリカはそのよい例である。そこには未開の土人が住んでいたが、これらの土人は国際法上の国家を構成していなかった。その土地は無主の土地にほかならなかった」(九八ぺージ)。これはまたなんと、近世ヨーロッパのいわゆる主権国家の勝手きままな定義ではないか。こういう「法理」で彼らは世界中を侵略し、諸民族を抑圧してはばからなかった。
横田も先占「法理」の成立について、「一五世紀の末における新発見の時代から、一八世紀のはじめまでは、新しい陸地や島を発見した場合に、それを自国の領土であると宣言し、国旗をかかげたり、十字架や標柱をたてたりして、それで領土を取得したことになるとされた」という。しかし、十九世紀には、それだけではだめで、「多くの国によって、先占は土地を現実に占有し支配しなければならないと主張され、それがしだいに諸国の慣行となった」。「おそくとも一九世紀の後半には、国際法上で先占は実効的でなければならないことが確立した」(九八〜九九ぺージ)。「先占が実効的であるというのは、土地を現実に占有し、これを有効に支配する権力をもうけることである。そのためには、或る程度の行政機関が必要である。わけても、秩序を維持するために、警察力が必要である。多くの場合にはいくらかの兵力も必要である」(九九ぺージ)。
これも何のことはない、軍事・警察的実力で奪いとり保持したものが勝ちということである。このように近代のヨーロッパの強国が、他国他民族の領土を略奪するのを正当化するためにひねりだした「法理」なるものが、現代帝国主義にうけつがれ、いわゆる国際法として通用させられている。この「法理」を、封建時代の中国の王朝の領土に適用して、その合法性の有無を論ずること自体が、歴史を無視した、現代帝国主義の横暴である。
ヨーロッパ諸国のいわゆる領土先占の「法理」でも、十六、七世紀には、新たな土地を「発見」したものがその領有権者であった。この「法理」を適用すれば、釣魚諸島は、中国領以外の何ものでもない。なぜなら、ここを発見したことが確実に証明されるのは、中国人の発見であり、その発見した土地に、中国名がつけられ、その名は、中国の公的記録である冊封使の使録にくり返し記載されているから。
しかも、その使録の釣魚諸島を記載している部分を、琉球王国の非中国派の宰相向象賢も、その王国の年代記に引用し、承認している。日本の近代民族主義の先駆者林子平も、承認している。そしてその子平の本を西洋の東洋学者も重視している。つまり国際的にも中国領であることが確認されている。十六世紀ないし十八世紀に中国領であったものに、二十世紀の帝国主義の「国際法理」なるものを適用して、その要件をみたしていないという理由で、あらためてこれを無主地とすることが、どうしてゆるされよう。
かりに、「先占は実効的でなければならない」という現代帝国主義の「法理」を釣魚諸島に適用するとしても、この小さな無人島に行政機関をもうけるなどということは、明・清の時代には不可能であり無用でもあった。現代の先占についても、横田は次のようにのべている。
「先占される土地の状態によっては、この原則(実効的支配の原則−−井上)をそのまま適用することができないこと、その必要がないこともある。たとえば無人島のような場合で、行政機関をもうけ警察力や兵力を置くことは、実際的に必要がない。住むことができないような場合には、それを置くこともできない。」
明・清時代の釣魚諸島は、まさにこのような、人が定住することもできない無人の小島であった。だから、そこに現代的な「実効的支配」の痕跡を見出そうとしても、そんなものはありえないことは自明である。横田によれば「このような場合には、附近にある陸地や島に、行政機関や警察力を置いて、無人島が海賊の巣にならないよう、ときどき見廻って、行政的な取締りを行ない、必要があれば、相当な時間のうちに、軍艦や航空機を派遣できるようにしておけば、それで十分である。」
これはもちろん現代において可能な処置である。「軍艦や航空機」も、レーダーも無線電信機もない昔のことではない。しかも「人の住むことのできないような島」が、「海賊の巣」になることもありえないから、ここを「ときどき見廻る」必要もない。とすれば、いったい明・清の中国人は、釣魚諸島をどうすれば、現代日本の帝国主義政府やその密接な協力者日本共産党などを満足させる「実効的支配の痕跡」を残すことができよう? 明・清の中国人が、後世に残すことのできた唯一のことは、この島の位置を確認し、それに名をつけ、そこに至る航路を示し、それらのことすべてを記録しておくことだけであった。そして、「それで十分である!」
しかも明朝の政府は、それ以上のこともしている。明の政府は、釣魚諸島をも海上防衛の区域に加え、倭寇防禦策を系統的にのべた書物、『籌海図編』に、その位置とその所管区を示していたのである。これはつまり横田のいう「附近の島や陸地に行政機関や警察力を置いて……」ということの、明代版にほかならない。
こういったからとて私は、明・清の中国政府や中国人が、現代帝国主義の「国際法理」にかなうよう、釣魚島の「先占」をしていたなどと説明する必要はみとめない。彼らは、彼らの死後数百年たち、二十世紀になって、「先占の法理」などで彼らの領土に文句をつけられようなどとは夢にも思わなかったにちがいない。ただ、彼らがここを彼らの領土であると確認していたればこそ、現代帝国主義の先占論をもってしても、ここが中国領であったという歴史的事実を否定できない証拠が残っているということを、明らかにしたまでのことである。
七 琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった
これまでの各節により、釣魚諸島はおそくとも明の時代から中国領であったことが、中国人はもとより琉球人、日本人にも確認されていたことが明らかにされたが、琉球人は、この列島のことをどう見ていたか。釣魚諸島の名が見える琉球人の書物は向象賢の『琉球国中山世鑑』と程順則の『指南広義』の二種しか現在までに知られておらず、その両書ともこれらの島を中国名で記載し、中国領と見なしていたことは、すでにのべた。この外に、文献ではなくても、釣魚諸島についての琉球人の口碑伝説が何かあるだろうか。
『地学雑誌』の第一二輯第一四〇〜一四一巻(一九〇〇年八〜九月)にのった沖縄県師範学校教諭黒岩恒の論文「尖閣列島探険記事」には、明治十八年(一八八五年)九月十四日付で、沖縄県美里間切(まきり)詰め山方筆者大城永常が、県庁にさしだした報告書を引用しているが、それには、「魚釣(よこん)島と申所は久米島より午未(うまひつじ)の間(南々西)にこれ有り、島長一里七、八合程、横八、九合程、久米島より距離百七、八里程」とある。この島は、位置と地形から見て釣魚島であることは明らかだが、そうだとすれば、琉球ではこの当時、漢字では中国語の釣魚島を日本語におきかえた魚釣島と書き、琉球語で「ヨコン」とよんでいたことになる。また同年九月二十二日付で、沖縄県令西村捨三が山県内務卿に上げた上申書(註)は、「久米赤嶋、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ……」という。この久米赤嶋は中国文献の赤尾嶼、久場島は黄尾嶼であることは後文で資料をあげる。魚釣島は釣魚島である。
(註)『日本外交文書』第一八巻「雑件」の「版図関係雑件」。全文は第一一節に示す。
県令の上申書では、「古来」、このようによんでいたというが、釣魚島を魚釣島というのは、琉球王国をほろぼして沖縄県とした天皇政府の役人が考えついたことであって、琉球人民のよび方は、「ヨコン」(あるいはユクンもしくはイーグン)といっただけであろう。その一証拠として、前記の「尖閣列島探険記事」のつぎの記述をあげることができる。
「釣魚島、一に釣魚台に作る。或は和平山の称あり。海図にHoa-pin-suと記せるもの是なり(本章末の付註を参照−−井上)。沖縄にては久場島を以てす。されど本島探険(沖縄人のなしたる)の歴史に就きて考ふる時は、古来『ヨコン』の名によって沖縄人に知られしものにして、当時に在っては、久場島なる名称は、本島の東北なる黄尾嶼をさしたるものなりしが、近年に至り、如何なる故にや、彼我称呼を互換し、黄尾嶼を『ヨコン』、本島を久場と唱ふるに至りたれば、今俄かに改むるを欲せず。」
ここには、釣魚島が琉球では「魚釣」島と書かれていたとも、よばれていたとも、のべてはいない。琉球人は、もとはこの島を「ヨコン」といい、黄尾を「クバ」といったのが、最近はなぜか、その名が入れ替ったというだけである。
さらに、沖縄本島那覇出身の琉球学の大家東恩納寛惇の『南島風土記』(一九四九年五月序)にも、「釣魚島」とあって魚釣島とは書いてない。またその島について同書は、「沖縄漁民の間には、夙(はや)くから『ユクン・クバシマ』の名で著聞しているが、ユクンは魚島、クバシマは蒲葵(こば)島の義と云はれる」という。これでは、ユクン(あるいはヨコン)が元の名か、クバシマが元の名かわからない。
また石垣市の郷土史家牧野清の「尖閣列島(イーグンクバシマ)小史」には「八重山の古老たちは、現在でも尖閣列島のことを、イーグンクバシマとよんでいる。これは二つの島の名を連ねたもので、イーグン島は魚釣島のことであり、クバ島は文字通りクバ島を指している。しかし個々の島名をいわず、このように呼んで尖閣列島全体を表現する習慣となっているわけである」という(総理府南方同胞援護会機関誌『沖縄』五六号)。
牧野は「イーグンクバシマ」は釣魚一島の名ではなくて、釣魚、黄尾両島の琉球名であり、かついわゆる「尖閣列島」の総称でもあるというが、この説は正しいだろうと私は推測する。琉球列島のうち釣魚諸島にもっとも近いのは、八重山群島の西表(いりおもて)島で、およそ九十浬の南方にある。沖縄本島から釣魚島は二百三十浬もある。釣魚島付近に行く機会のあるものは、中国の福州から那覇へ帰る琉球王国の役人その他とその航路の船の乗組員のほかには、琉球では漁民のほかにはないから、地理的関係からみて、八重山群島の漁民が、沖縄群島の漁民よりも、たびたび釣魚諸島に近より、その形状などを知っていたと思われる。それゆえ、八重山で生活している研究家の説を私はとる。
もし牧野説の方が正しければ、東恩納が「ヨコン・クバシマ」を釣魚一島の名とするのは、かんちがいということになる。そして、一九七〇年の「現在でも」、八重山の古老は魚釣島(釣魚島)をイーグンといい、久場島(黄尾嶼)をクバシマとよんでいるならば、そのことと、一九〇〇年に黒岩が、元は釣魚島をヨコン−−ヨコン(Yokon)・ユクン(Yukun)・イーグン(Yigun)は同じ語であろう−−といい、黄尾嶼をクバシマといったのが、「近年に至り」、そのよび名が入れ替わったと書いているのとは、相いれないように見える。その矛盾は、どう解釈すれば解消するか。十九世紀のある時期までは、釣魚がヨコン(イーグン)、黄尾がクバであり、一九〇〇年ごろは釣魚はクバ、黄尾はヨコン(イーグン)、とよばれ、その後また、いつのころか、昔のように釣魚をヨコン(イーグン)、黄尾をクバとよぶようになって現在に至る、と解するほかにはあるまい。
何ともややこしい話であるが、とにかく、この両島の琉球名称の混乱は、二十世紀以後もなお、その名称を安定させるほど琉球人とこれらの島との関係が密接ではないということを意味する。もしも、これらの島と琉球人の生活とが、たとえばここに琉球人がしばしば出漁するほど密接な関係をもっているなら、島の名を一定させなければ、生活と仕事の上での漁民相互のコミュニケイションに混乱が生ずるので、自然と一定するはずである。
現に、生活と仕事の上で、これらの列島と密接な関係をもった中国の航海家や冊封使は、この島の名を「釣魚」「黄尾」「赤尾」と一定している。この下に「島」、「台」、「嶼」、「山」とちがった字をつけ、あるいは釣魚、黄尾、赤尾の魚や尾を略することがあっても、その意味は同じで混乱はない。しかし、生活と密接な関係がなく、ひまつぶしの雑談で遠い無人島が話題になることがある、というていどであれば、その島名は人により、時により、入れちがうこともあろう。ふつうの琉球人にとって、これらの小島はそのていどの関係しかなかったのである。こういう彼らにとっては、「魚釣島」などという名は、いっこうに耳にしたこともない、役人の用語であった。
那覇出身の東恩納によれば、「ヨコン」とは琉球語で魚の意味であるそうだが、同じ琉球でも八重山の牧野は、前記の「小史」で「イーグンとは魚を突いてとる銛(もり)のことで島の形から来たものと思はれる」という。
この是非も琉球語を知らない私には全然判断できない。もしもヨコンとイーグンが同語であり、その意味は牧野説の方が正しいとすれば、銛のような形によってイーグン(ヨコン)とつけられた名前が、そうかんたんに、ほかの、それとは形状のまったくちがった島の名と入れ替わるとも思われない。
黄尾嶼は、全島コバでおおわれており、コバ島というにふさわしいが、その形は銛のような形ではなく、大きな土まんじゆうのような形である。
釣魚島は南北に短く東西に長い島で、その東部の南側は、けわしい屏風岩が天空高く突出している。これを銛のようだと見られないこともない。しかし、その形容がとりわけピッタリするのは、釣魚島のすぐ東側の、イギリス人がPinnacle(尖塔)と名づけ、日本海軍が「尖頭」と訳した(後述)岩礁である。もしも「イーグン」が銛であるなら、八重山の漁民は、操業中に風向きや潮流の情況により釣魚・尖頭・黄尾の一群の群島の近くに流され、銛の形をした尖頭礁から強い印象をうけ、これらの島を、特定のどれということなく、イーグンと名づけ、また、その中の黄尾嶼の中腹から山頂にかけて全島がクバ(コバ)でおおわれているので、これをクバともいい、この全体をイーグンクバシマとよんだのではないか(ピナクルから釣魚へは西へほぼ三浬、黄尾へは北へやく十三浬、そして黄尾と釣魚の間はやく十浬で、これを一群の島とする。赤尾は黄尾から四十八浬も東へはなれているので、この群には入らない)。
ただし、イーグンは銛、ヨコン(ユクン)は魚の意味で、この二つは別の語であるなら、またちがった考え方をしなければならないが、私にはそこまで力が及ばない。
『南島風土記』はまた、『指南広義』に、那覇から福州へ行くのに、「『那覇港ヲ出デ、申(さる)ノ針(西々南の羅針)ヲ用ヒテ放洋ス、辛酉(かのととり)(やや北よりの東)ノ針ヲ用ヒテ一更半(一更は航程六〇華里)ニシテ、古米山並ニ姑巴甚麻(くばしま)山ヲ見ル』とある『姑巴甚麻』は、これ(釣魚島)であろう」という。これは東恩納ともあろう人に似合わない思いちがいである。この「姑巴甚麻山」は、久米島の近くの久場島(また木場島、古場島)で、『中山傳信録』その他に「姑巴訊(正しくはさんずいへんであるが、JIS漢字に無いためごんべんで代用する−巽)麻山」と書かれている島のことでなければ、地図と照合しないし、那覇から福州への正常な航路で、釣魚島を目標に取ることもありえない。それゆえ、右の引用文によって、釣魚島が、『指南広義』の書かれたころ(一七〇八年)からすでに、コバシマと琉球人によばれていたということはできない。
要するに、釣魚島が琉球人に「コバシマ」(クバシマ)とよばれるようになったのは何時ごろのことか、推定する手がかりはない。また、「ヨコン」(ユクン)あるいは「イーグン」といわれはじめた年代を推定する手がかりもない。さらに琉球人が黄尾嶼を久場島といい、赤尾嶼を久米赤島とよんだのも、いつごろからのことか、確定はできない。ただこの二つの名は、文献の上では、私の知り得たかぎり、琉球の文献ではなくて中国の清朝の最後の冊封使の記録に出てくる。
すなわち一八六六年(清の同治五年、日本の慶応二年)の冊封使趙新(ちょうしん)の使録『続琉球国志略』(註)の巻二「針路」の項に、彼の前の冊封使の航路を記述した中で、道光十八年(一八三八年)五月五日、福州から海に出て、「六日未刻(ひつじのこく)、釣魚山ヲ取リ、申(さる)刻、久場島ヲ取ル……七日黎明、久米赤島ヲ取ル、八日黎明、西ニ久米島ヲ見ル」と書いてある。そして趙新自身の航路についても、同治五年六月九日、福州から海に出て、「十一日酉(とり)刻、釣魚山ヲ過ギ、戌(いぬ)刻、久場島ヲ過グ、……一二日未(ひつじ)刻、久米赤島ヲ過グ」という。この久場島と久米赤島は、それぞれ黄尾嶼と赤尾嶼に当る。
(註)斉鯤の使録と同名であるが、著者も著作年代も巻数もちがう別の本である。
趙新がどうして中国固有の島名を用いないで、日本名を用いたのか、その理由はわからない。しかし、彼はその船の琉球人乗組員が久場島とか久米赤島とかいうのを聞いていたから、その名で黄尾嶼・赤尾嶼を記載したのであろう。そうだとすれば、琉球人が、それらの名称を用いたのは、おそくも十九世紀の中頃までさかのぼらせることはできよう。また、黄尾・赤尾について日本名を用いた趙新が、釣魚については依然として中国固有の名を用いているのは、その船の琉球人乗組員も、まだこの島については、ヨコンともユクンまたはイーグンとも名づけていなかったのか、あるいは彼らはすでにそうよんでいても、それに当てるべき漢字がなかったので、趙新は従来通りの中国表記を用いたのであろうか。
また、琉球では、元来は釣魚をヨコンといい、黄尾をクバとよんでいたのが、「近年に至り」その名が入れ替わったという黒岩の説と趙新使録の記述とを合わせ考えれば、黒岩のいう「近年」とは、明治維新以後のいつごろかからであることがわかる。
いずれにしても、琉球人が釣魚諸島の島々を琉球語でよびはじめたのは、文献の上では十九世紀中頃をさかのぼることはできない。彼らは久しく中国名を用いていたであろう。それはそのはずである。彼らがこの島に接したのは、まれに漂流してこの島々を見るか、ここに漂着した場合か、もしくは、中国の福州から那覇に帰るときだけであって、ふつうには琉球人と釣魚諸島とは関係なかった。冊封使の大船でも、那覇から中国へ帰るときには、風向きと潮流に規制されて、久米島付近からほとんどまっすぐに北上して、やがて西航するのであって、釣魚諸島のそばを通ることはないし、まして、小さな琉球漁船で、逆風逆流に抗して、釣魚諸島付近に漁業に出かけることは、考えられもしなかった。したがって、この島々の名称その他に関する彼らの知識は、まず中国人から得たであろう。そして、琉球人が琉球語でこれらの島の名をよびはじめてから後でも、上述のように、明治維新後もその名はいっこうに一定しなかった。それほど、この島々と琉球人の生活とは関係が浅かった。
次の節であげるイギリス軍艦「サマラン」の艦長バルチャーの航海記には、同艦が一八四五年六月十六日、黄尾嶼を測量した記事がある。その中に、同嶼の洞穴に、いく人かの漂流者の一時の住いのあとがあったことをのべている。バルチャーは、「その漂流者たちは、その残してある寝床が、Canoe(カヌー、丸木船)に用いる材料とびろうの草でつくられていることから察して、明らかにヨーロッパ人ではない」という。漂民たちは、天水を飲み、海鳥の卵と肉を食って生きていたろうとバルチャーは推測している。この遭難者たちは、福建あるいは台湾あたりの中国人か、それとも琉球人であろうか。洞穴内に彼らの遺体が無いことから察すれば、彼らは幸運にも、救助されたのであろうか。もし救けられたとすれば、誰が彼らを救い出したのだろうか。中国人の大きな船が救いだした公算は、琉球の小舟が救う公算より大きい。
これまでの各節により、釣魚諸島はおそくとも明の時代から中国領であったことが、中国人はもとより琉球人、日本人にも確認されていたことが明らかにされたが、琉球人は、この列島のことをどう見ていたか。釣魚諸島の名が見える琉球人の書物は向象賢の『琉球国中山世鑑』と程順則の『指南広義』の二種しか現在までに知られておらず、その両書ともこれらの島を中国名で記載し、中国領と見なしていたことは、すでにのべた。この外に、文献ではなくても、釣魚諸島についての琉球人の口碑伝説が何かあるだろうか。
『地学雑誌』の第一二輯第一四〇〜一四一巻(一九〇〇年八〜九月)にのった沖縄県師範学校教諭黒岩恒の論文「尖閣列島探険記事」には、明治十八年(一八八五年)九月十四日付で、沖縄県美里間切(まきり)詰め山方筆者大城永常が、県庁にさしだした報告書を引用しているが、それには、「魚釣(よこん)島と申所は久米島より午未(うまひつじ)の間(南々西)にこれ有り、島長一里七、八合程、横八、九合程、久米島より距離百七、八里程」とある。この島は、位置と地形から見て釣魚島であることは明らかだが、そうだとすれば、琉球ではこの当時、漢字では中国語の釣魚島を日本語におきかえた魚釣島と書き、琉球語で「ヨコン」とよんでいたことになる。また同年九月二十二日付で、沖縄県令西村捨三が山県内務卿に上げた上申書(註)は、「久米赤嶋、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ……」という。この久米赤嶋は中国文献の赤尾嶼、久場島は黄尾嶼であることは後文で資料をあげる。魚釣島は釣魚島である。
(註)『日本外交文書』第一八巻「雑件」の「版図関係雑件」。全文は第一一節に示す。
県令の上申書では、「古来」、このようによんでいたというが、釣魚島を魚釣島というのは、琉球王国をほろぼして沖縄県とした天皇政府の役人が考えついたことであって、琉球人民のよび方は、「ヨコン」(あるいはユクンもしくはイーグン)といっただけであろう。その一証拠として、前記の「尖閣列島探険記事」のつぎの記述をあげることができる。
「釣魚島、一に釣魚台に作る。或は和平山の称あり。海図にHoa-pin-suと記せるもの是なり(本章末の付註を参照−−井上)。沖縄にては久場島を以てす。されど本島探険(沖縄人のなしたる)の歴史に就きて考ふる時は、古来『ヨコン』の名によって沖縄人に知られしものにして、当時に在っては、久場島なる名称は、本島の東北なる黄尾嶼をさしたるものなりしが、近年に至り、如何なる故にや、彼我称呼を互換し、黄尾嶼を『ヨコン』、本島を久場と唱ふるに至りたれば、今俄かに改むるを欲せず。」
ここには、釣魚島が琉球では「魚釣」島と書かれていたとも、よばれていたとも、のべてはいない。琉球人は、もとはこの島を「ヨコン」といい、黄尾を「クバ」といったのが、最近はなぜか、その名が入れ替ったというだけである。
さらに、沖縄本島那覇出身の琉球学の大家東恩納寛惇の『南島風土記』(一九四九年五月序)にも、「釣魚島」とあって魚釣島とは書いてない。またその島について同書は、「沖縄漁民の間には、夙(はや)くから『ユクン・クバシマ』の名で著聞しているが、ユクンは魚島、クバシマは蒲葵(こば)島の義と云はれる」という。これでは、ユクン(あるいはヨコン)が元の名か、クバシマが元の名かわからない。
また石垣市の郷土史家牧野清の「尖閣列島(イーグンクバシマ)小史」には「八重山の古老たちは、現在でも尖閣列島のことを、イーグンクバシマとよんでいる。これは二つの島の名を連ねたもので、イーグン島は魚釣島のことであり、クバ島は文字通りクバ島を指している。しかし個々の島名をいわず、このように呼んで尖閣列島全体を表現する習慣となっているわけである」という(総理府南方同胞援護会機関誌『沖縄』五六号)。
牧野は「イーグンクバシマ」は釣魚一島の名ではなくて、釣魚、黄尾両島の琉球名であり、かついわゆる「尖閣列島」の総称でもあるというが、この説は正しいだろうと私は推測する。琉球列島のうち釣魚諸島にもっとも近いのは、八重山群島の西表(いりおもて)島で、およそ九十浬の南方にある。沖縄本島から釣魚島は二百三十浬もある。釣魚島付近に行く機会のあるものは、中国の福州から那覇へ帰る琉球王国の役人その他とその航路の船の乗組員のほかには、琉球では漁民のほかにはないから、地理的関係からみて、八重山群島の漁民が、沖縄群島の漁民よりも、たびたび釣魚諸島に近より、その形状などを知っていたと思われる。それゆえ、八重山で生活している研究家の説を私はとる。
もし牧野説の方が正しければ、東恩納が「ヨコン・クバシマ」を釣魚一島の名とするのは、かんちがいということになる。そして、一九七〇年の「現在でも」、八重山の古老は魚釣島(釣魚島)をイーグンといい、久場島(黄尾嶼)をクバシマとよんでいるならば、そのことと、一九〇〇年に黒岩が、元は釣魚島をヨコン−−ヨコン(Yokon)・ユクン(Yukun)・イーグン(Yigun)は同じ語であろう−−といい、黄尾嶼をクバシマといったのが、「近年に至り」、そのよび名が入れ替わったと書いているのとは、相いれないように見える。その矛盾は、どう解釈すれば解消するか。十九世紀のある時期までは、釣魚がヨコン(イーグン)、黄尾がクバであり、一九〇〇年ごろは釣魚はクバ、黄尾はヨコン(イーグン)、とよばれ、その後また、いつのころか、昔のように釣魚をヨコン(イーグン)、黄尾をクバとよぶようになって現在に至る、と解するほかにはあるまい。
何ともややこしい話であるが、とにかく、この両島の琉球名称の混乱は、二十世紀以後もなお、その名称を安定させるほど琉球人とこれらの島との関係が密接ではないということを意味する。もしも、これらの島と琉球人の生活とが、たとえばここに琉球人がしばしば出漁するほど密接な関係をもっているなら、島の名を一定させなければ、生活と仕事の上での漁民相互のコミュニケイションに混乱が生ずるので、自然と一定するはずである。
現に、生活と仕事の上で、これらの列島と密接な関係をもった中国の航海家や冊封使は、この島の名を「釣魚」「黄尾」「赤尾」と一定している。この下に「島」、「台」、「嶼」、「山」とちがった字をつけ、あるいは釣魚、黄尾、赤尾の魚や尾を略することがあっても、その意味は同じで混乱はない。しかし、生活と密接な関係がなく、ひまつぶしの雑談で遠い無人島が話題になることがある、というていどであれば、その島名は人により、時により、入れちがうこともあろう。ふつうの琉球人にとって、これらの小島はそのていどの関係しかなかったのである。こういう彼らにとっては、「魚釣島」などという名は、いっこうに耳にしたこともない、役人の用語であった。
那覇出身の東恩納によれば、「ヨコン」とは琉球語で魚の意味であるそうだが、同じ琉球でも八重山の牧野は、前記の「小史」で「イーグンとは魚を突いてとる銛(もり)のことで島の形から来たものと思はれる」という。
この是非も琉球語を知らない私には全然判断できない。もしもヨコンとイーグンが同語であり、その意味は牧野説の方が正しいとすれば、銛のような形によってイーグン(ヨコン)とつけられた名前が、そうかんたんに、ほかの、それとは形状のまったくちがった島の名と入れ替わるとも思われない。
黄尾嶼は、全島コバでおおわれており、コバ島というにふさわしいが、その形は銛のような形ではなく、大きな土まんじゆうのような形である。
釣魚島は南北に短く東西に長い島で、その東部の南側は、けわしい屏風岩が天空高く突出している。これを銛のようだと見られないこともない。しかし、その形容がとりわけピッタリするのは、釣魚島のすぐ東側の、イギリス人がPinnacle(尖塔)と名づけ、日本海軍が「尖頭」と訳した(後述)岩礁である。もしも「イーグン」が銛であるなら、八重山の漁民は、操業中に風向きや潮流の情況により釣魚・尖頭・黄尾の一群の群島の近くに流され、銛の形をした尖頭礁から強い印象をうけ、これらの島を、特定のどれということなく、イーグンと名づけ、また、その中の黄尾嶼の中腹から山頂にかけて全島がクバ(コバ)でおおわれているので、これをクバともいい、この全体をイーグンクバシマとよんだのではないか(ピナクルから釣魚へは西へほぼ三浬、黄尾へは北へやく十三浬、そして黄尾と釣魚の間はやく十浬で、これを一群の島とする。赤尾は黄尾から四十八浬も東へはなれているので、この群には入らない)。
ただし、イーグンは銛、ヨコン(ユクン)は魚の意味で、この二つは別の語であるなら、またちがった考え方をしなければならないが、私にはそこまで力が及ばない。
『南島風土記』はまた、『指南広義』に、那覇から福州へ行くのに、「『那覇港ヲ出デ、申(さる)ノ針(西々南の羅針)ヲ用ヒテ放洋ス、辛酉(かのととり)(やや北よりの東)ノ針ヲ用ヒテ一更半(一更は航程六〇華里)ニシテ、古米山並ニ姑巴甚麻(くばしま)山ヲ見ル』とある『姑巴甚麻』は、これ(釣魚島)であろう」という。これは東恩納ともあろう人に似合わない思いちがいである。この「姑巴甚麻山」は、久米島の近くの久場島(また木場島、古場島)で、『中山傳信録』その他に「姑巴訊(正しくはさんずいへんであるが、JIS漢字に無いためごんべんで代用する−巽)麻山」と書かれている島のことでなければ、地図と照合しないし、那覇から福州への正常な航路で、釣魚島を目標に取ることもありえない。それゆえ、右の引用文によって、釣魚島が、『指南広義』の書かれたころ(一七〇八年)からすでに、コバシマと琉球人によばれていたということはできない。
要するに、釣魚島が琉球人に「コバシマ」(クバシマ)とよばれるようになったのは何時ごろのことか、推定する手がかりはない。また、「ヨコン」(ユクン)あるいは「イーグン」といわれはじめた年代を推定する手がかりもない。さらに琉球人が黄尾嶼を久場島といい、赤尾嶼を久米赤島とよんだのも、いつごろからのことか、確定はできない。ただこの二つの名は、文献の上では、私の知り得たかぎり、琉球の文献ではなくて中国の清朝の最後の冊封使の記録に出てくる。
すなわち一八六六年(清の同治五年、日本の慶応二年)の冊封使趙新(ちょうしん)の使録『続琉球国志略』(註)の巻二「針路」の項に、彼の前の冊封使の航路を記述した中で、道光十八年(一八三八年)五月五日、福州から海に出て、「六日未刻(ひつじのこく)、釣魚山ヲ取リ、申(さる)刻、久場島ヲ取ル……七日黎明、久米赤島ヲ取ル、八日黎明、西ニ久米島ヲ見ル」と書いてある。そして趙新自身の航路についても、同治五年六月九日、福州から海に出て、「十一日酉(とり)刻、釣魚山ヲ過ギ、戌(いぬ)刻、久場島ヲ過グ、……一二日未(ひつじ)刻、久米赤島ヲ過グ」という。この久場島と久米赤島は、それぞれ黄尾嶼と赤尾嶼に当る。
(註)斉鯤の使録と同名であるが、著者も著作年代も巻数もちがう別の本である。
趙新がどうして中国固有の島名を用いないで、日本名を用いたのか、その理由はわからない。しかし、彼はその船の琉球人乗組員が久場島とか久米赤島とかいうのを聞いていたから、その名で黄尾嶼・赤尾嶼を記載したのであろう。そうだとすれば、琉球人が、それらの名称を用いたのは、おそくも十九世紀の中頃までさかのぼらせることはできよう。また、黄尾・赤尾について日本名を用いた趙新が、釣魚については依然として中国固有の名を用いているのは、その船の琉球人乗組員も、まだこの島については、ヨコンともユクンまたはイーグンとも名づけていなかったのか、あるいは彼らはすでにそうよんでいても、それに当てるべき漢字がなかったので、趙新は従来通りの中国表記を用いたのであろうか。
また、琉球では、元来は釣魚をヨコンといい、黄尾をクバとよんでいたのが、「近年に至り」その名が入れ替わったという黒岩の説と趙新使録の記述とを合わせ考えれば、黒岩のいう「近年」とは、明治維新以後のいつごろかからであることがわかる。
いずれにしても、琉球人が釣魚諸島の島々を琉球語でよびはじめたのは、文献の上では十九世紀中頃をさかのぼることはできない。彼らは久しく中国名を用いていたであろう。それはそのはずである。彼らがこの島に接したのは、まれに漂流してこの島々を見るか、ここに漂着した場合か、もしくは、中国の福州から那覇に帰るときだけであって、ふつうには琉球人と釣魚諸島とは関係なかった。冊封使の大船でも、那覇から中国へ帰るときには、風向きと潮流に規制されて、久米島付近からほとんどまっすぐに北上して、やがて西航するのであって、釣魚諸島のそばを通ることはないし、まして、小さな琉球漁船で、逆風逆流に抗して、釣魚諸島付近に漁業に出かけることは、考えられもしなかった。したがって、この島々の名称その他に関する彼らの知識は、まず中国人から得たであろう。そして、琉球人が琉球語でこれらの島の名をよびはじめてから後でも、上述のように、明治維新後もその名はいっこうに一定しなかった。それほど、この島々と琉球人の生活とは関係が浅かった。
次の節であげるイギリス軍艦「サマラン」の艦長バルチャーの航海記には、同艦が一八四五年六月十六日、黄尾嶼を測量した記事がある。その中に、同嶼の洞穴に、いく人かの漂流者の一時の住いのあとがあったことをのべている。バルチャーは、「その漂流者たちは、その残してある寝床が、Canoe(カヌー、丸木船)に用いる材料とびろうの草でつくられていることから察して、明らかにヨーロッパ人ではない」という。漂民たちは、天水を飲み、海鳥の卵と肉を食って生きていたろうとバルチャーは推測している。この遭難者たちは、福建あるいは台湾あたりの中国人か、それとも琉球人であろうか。洞穴内に彼らの遺体が無いことから察すれば、彼らは幸運にも、救助されたのであろうか。もし救けられたとすれば、誰が彼らを救い出したのだろうか。中国人の大きな船が救いだした公算は、琉球の小舟が救う公算より大きい。
八 いわゆる「尖閣列島」は島名も区域も一定していない
琉球人が、琉球語で釣魚諸島の島々をヨコン(イーグン)とかクバとかよぶようになっても、彼らがこれを「尖閣列島」とよんだことは、一九〇〇年以前には一度もない。この名は、じつに西洋人がこの群島の一部につけた名をもとにして、一九〇〇年につけられたものである。
西洋人が釣魚諸島の存在を何時ごろから知るようになったか、それについて私も多少の考証はしているが、本論文にはそこまで書く必要はあるまい。確実に言えることは、十九世紀の中頃には、釣魚島をHOAPIN−SAN(または−SU)、黄尾嶼をTIAU−SUというのは、すでに西洋人の地図の上では定着していたということである。また、彼らは釣魚島の東側にある大小の岩礁群をPINNACLE GROUPSまたはPINNACLE ISLANDSとよんでいた。
イギリス軍艦「サマラン」(SAMARANG)は、一八四五年六月、恐らく世界で最初に、この諸島を測量しているが、その艦長サー・エドワード・バルチャー(Sir Edward Balcher)の航海記(註)に、十四日、八重山群島の与那国島の測量を終えた同艦は、そこからいったん石垣島に立ちもどり、その夕方「海図上のHOAPIN−SAN群島をもとめて航路を定めた」という。このホアピンサンは釣魚島のことである。
(註)"NARRATIVE OF THE VOYAGE OF HMS SAMARANG DURING THE YEARS 1843〜46", by CAPTAIN SIR EDWARD BALCHER : LONDON 1848.
サマラン号は、その翌日、PINNACLE ISLANDS(ピナクル諸嶼)を測量し、十六日、TIAU−SU(黄尾嶼)を測量した。これらの測量の結果は、一八五五年に海図として出版されている(註)。この海図およびサマラン艦長の航海記の記述が、この後のイギリス海軍の海図および水路誌のホアピン・スーとチアウ・スーの記述の基礎になっていると思われる。
(註)"THE ISLANDS BETWEEN FORMOSA AND JAPAN WITH THE ADJACENT COAST OF CHINA" 1855.
そして、明治維新後の日本海軍の『水路誌』のこの海域の記述は、最初はほとんどもっぱらイギリス海軍の水路誌を典拠としていたようである。
さきに引用した総理府の南方同胞援護会機関誌『沖縄』には、一八八六年(明治十九年)三月刊行の海軍省水路局編纂発行『寰瀛水路誌』巻一、下、第十篇の釣魚諸島に関する記述がある。
この「編纂縁起」によれば、「其第十編ハ即チ洲南諸島ニシテ、明治六年海軍大佐柳楢悦ノ実験筆記ニ拠リ、支那海針路誌第四巻(一八八四年英国海軍水路局編集刊行、第二版−−井上)及ビ沖縄志ヲ以テ之ヲ補フ」という。
右にいう柳大佐の「実験筆記」も「沖縄志」も私は見ていないが、この水路誌は釣魚島を「和平山(ホアピンサン)島」と漢字で書いて英語名のルビをつけ、黄尾嶼は「低牙吾蘇(チヤウス)島」、赤尾嶼は「爾勒里(ラレリ)岩」と書いている。これらは、それぞれ、Hoapin-San, Tiau-Su, Raleigh Rockと、前記英国軍艦サマラン号の航海記に書かれている島嶼のことであり、これが一八八四年版の『英国海軍水路誌』によるものであることは明らかである。
なお、前掲の雑誌『沖縄』に抄録されている日本海軍の水路誌は、この後も上記の島々を、以下のように書いている。
一八九四年(明治二十七年)七月刊『日本水路誌』第二巻は、カタカナで「ホアピンス島」、「チャウス島」、「ラレー岩」と記す。
一九〇八年(明治四十一年)十月の第一改版『日本水路誌』第二巻は、「魚釣島(Hoapin-Su),「黄尾嶼(Tiau-Su),「赤尾嶼(Raleigh Rock)」とする。すなわち、釣魚島を当時の内務省などと同じく「魚釣島」とし、黄尾、赤尾は漢字で中国の古来の名称通り書き、いずれもその下に英語名を書いてある。黄尾を久場島とし赤尾を久米赤島とするなどの琉球名はつけていない。この点はこの後も一貫している。これにより、「魚釣島」だけが日本の役所で一定共通の名となったが、他の島は、海軍と内務省とでもちがっていたことがわかる。
一九一九年(大正八年)七月刊『日本水路誌』第六巻では、「魚釣島」、「黄尾嶼」、「赤尾嶼」とだけ書く。これまであった英語名はすっかりなくなった。 一九四一年(昭和十六年)三月刊行『台湾南西諸島水路誌』も、「魚釣島」、「黄尾嶼」、「赤尾嶼」と書くが、何故か赤尾嶼だけには「赤尾嶼(セキビ)」としている。あるいはこれは雑誌『沖縄』にこれを抄録したさいに、こうなったのであろうか。
古くから日本にも知られている釣魚諸島の名称を、その中国名でも、また琉球名でも記載せず、イギリス名で記載するほどイギリス一辺倒の初期の日本海軍水路誌の釣魚島に関する説明は、イギリス海軍水路誌のもとになったサマラン号航海記の記述と、文章までほとんど同じである。
サマラン号の航海記の一節(第一巻第九章、三一八ぺージ)を、なるベく直訳して次にかかげよう。これをAとする。
「ホアピン・サンの最高点は一、一八一フィートである。島の南側は、この高さからほとんど垂直に西北西の方向に断ち切られている。その他の部分は東向きに傾斜しており、その斜面には、良質の水の細流がたくさんある。居住者または来訪者の痕跡は全然なかった。じっさい土地は半ダースの人を容れるにも不十分である。」
「艦上から見たこの島の上部の地層は、北東に深く傾斜した層理の線を示していた。そのために水流は容易に北東側の海岸に流れる。この水の供給が一時的なものでないことは、多くの天然の池に、淡水魚がいることによって明らかである。そしてその池は、ほとんどみな海に連結しており、水草がいっぱい茂っていて、池をおおいかくしている。」
次は一八九四年六月版の『日本水路誌』第二巻の一節である。これをBとする。
「此島の南側最高処(一、一八一呎(フィート))より西北に向へる方は、削断せし如き観を呈す。此島に淡水の絶ゆることなきは、諸天然池に淡水魚の生育せるを以て知るべし。而して此池は皆海と連絡し、水面には浮萍一面に茂生す。(中略)此島は地六、七名の人を支ふるにも不十分にして、人居の跡なし。」
AとBを比べれば、Bの『日本水路誌』の記述は、サマラン航海記のAの部分をたいへん上手に簡潔に翻訳しているといってもいいくらいである。
以上によって、明治維新後の日本人の釣魚諸島に関する科学的知識は、ほとんどみなイギリス海軍の書物や図面によって得られたものであることがわかる。そして、尖閣列島という名も、イギリス海軍のいうPinnacle Islandsを、日本海軍が「尖閣群島」あるいは「尖頭諸嶼」と翻訳したことに由来する。
『寰瀛水路誌』には、Pinnacle Islandsのことを「尖閣群島」と漢字で書き、その横に「ピナクルグロース」とルビをつけている。この「グロース」はグループス(Groups)のPの音が脱落したものであろう。これが一八九四年の『日本海軍水路誌』第二巻では「ピンナクル諸嶼」となり、一九〇八年の水路誌では「尖頭諸嶼」となっている。「ピナクル」とは元来はキリスト教会の尖塔形の屋根のことをいう。釣魚島の東側の列岩の中心の岩礁の形が、ピナクル形であるので、イギリス人が、この列岩を Pinnacle Islands と名づけたのであろう。それを日本海軍で尖閣群島または尖頭諸嶼と訳したわけである。
そして、釣魚島、尖閣群島(尖頭諸嶼)および黄尾嶼を総称して、「尖閣列島」というのは、すでに再三言及した黒岩恒が一九〇〇年にこう名づけたことに始まる。彼は一八九八年(明治三十一年)に『地質学雑誌』第五巻に「尖閣群島」という文章をのせていることが、大城昌隆編『黒岩恒先生顕彰記念誌』の「年譜」にのっているが、私はまだその論文を見ていないので、その地名がどの範囲をさすか知らない。彼は前に引いた一九〇〇年の報告、「尖閣列島探険記事」で、次のように書いている。
「ここに尖閣列島と称するは、我沖縄島と清国福州との中央に位する一列の小嶼にして、八重山列島の西表(いりおもて)島を北に距る大凡九十哩内外の位置に在り。本列島より沖縄島への距離は二百三十哩、福州への距離もまた略(ほぼ)相似たり。台湾島の基隆へは僅に二百二十余哩を隔つ。帝国海軍省出版の海図(明治三十年刊行)を案ずるに、本列島は、釣魚嶼、尖頭諸嶼、及び黄尾嶼より成立し渺(びょう)たる蒼海の一粟なり。(中略)而して此列島には未だ一括せる名称なく、地理学上不便少なからざるを以て、余は窃かに尖閣列島なる名称を新設することとなせり。」
尖閣列島の名は、『地学雑誌』のこの論文によって、はじめて地理学界に広く知られるようになった。それ以前にはこういう名称はない。
しかるに奥原は前にあげた論文に、『寰瀛水路誌』を引用し、それにすでに「尖閣群島」とあるとだけ書き、あたかもこの名が黒岩の名づけた「尖閣列島」と同じ範囲であるかのように、読者に印象づけようとしている。この尖閣群島がピナクル諸嶼であることは、奥原は百も承知であるのに、わざとあいまいな書き方をするのである。
また、例の琉球政府の「尖閣列島の領土権について」の声明は、「明治十四年に刊行、同十六年に改訂された内務省地理局編纂の大日本府県分割図には、尖閣列島が、島嶼の名称を付さないままにあらわれている」というが、この『大日本府県分割図』の沖縄県の地図には、「尖閣列島」なるものはない、「尖閣群島」があるだけである。そしてその「群島」は、ピナクル諸嶼のことである。それをあたかも今日のいわゆる尖閣列島の名がすでに、その当時あって、それが地図上で沖縄県に入っているかのようにみせかけるのは、琉球政府も、まことにつまらぬ小細工をするものである。
さらに、いっそうこっけいなのは、日本社会党国際局の「尖閣列島の領有問題についての社会党の統一見解案」である。それは、多分琉球政府の右の声明をうのみにしただけで、じっさいにその地図を見て検討することもなく、「尖閣群島」(ピナクル諸嶼)と黒岩の名づけた尖閣列島との混同の上に立って、「いわゆる尖閣列島は、一八八一年(明治十四年)、当時の政府内務省地理局の手により、沖縄県下に表示されるなど、一連の領有意思の表示をへて」などというのである。この地図のどこに「尖閣列島」領有の意思があろう。
さて、黒岩がこの人さわがせな名をつけた尖閣列島の範囲は、彼が明記している通り、釣魚島、ピナクル諸嶼および黄尾嶼の総称であって、赤尾嶼はふくんでいない。それは地理学的には当然のことで、赤尾嶼は黄尾嶼から四八浬もはなれているので、釣魚などと一群をなしているのではなく、黒岩の前記報告も、この島については一言もしていない。そして、琉球政府が一九七〇年九月十日に発表した「尖閣列島の領有権及び大陸棚資源の開発権に関する主張」は、「北緯二十五度四十分から二十六度、東経百二十三度二十分から百二十三度四十五分の間に散在する尖閣列島」という。この範囲は、黒岩が名づけた尖閣列島と同じ範囲で、赤尾嶼(北緯二五度五五分、東経一二四度二四分)はふくんでいない。
しかし、同じ琉球政府が右の声明の一週間後に出した、たびたび引用する「尖閣列島の領土権について」という声明では、「明治二十八年一月の閣議決定は、魚釣島(釣魚島−−井上)と久場島(黄尾嶼−−井上)に言及しただけで、尖閣列島は、この島の外に、南小島及び北小島と沖の北岩、沖の南岩ならびに飛瀬と称する岩礁(南小島から飛瀬までは、ピナクル諸嶼のこと)、それに久米赤島(赤尾嶼−−井上)から成っております」という。琉球政府も、尖閣列島の範囲について、赤尾嶼を入れたり出したり、いっこうに定まらない。
以前の海軍水路部あたりは、はっきりしているかと思うと、これも、さに非ず。一九〇八年までの水路誌には、釣魚、黄尾とその間のピナクル諸嶼を総括する名称も、それに赤尾を加えて総括する名称も、全然記載されていない。ところが、一九一八年の水路誌には、「尖頭諸嶼」という名称で、「尖頭諸嶼ハ沖縄群島ト支那福州トノ略中央ニ在リ、……、黄尾嶼、魚釣島、北小島、南小島及沖ノ北岩、沖の南岩ヨリ成ル。魚釣島ハ其最大ナルモノナリ」という。
上記の北小島から沖の南岩までの岩礁はピナクル諸嶼のことであり、同じ水路誌が、一九〇八年九月には「尖頭諸嶼(Pinnacle Is.)」と記し、一八九四年七月には「ピンナクル諸嶼」、そして一八八六年には「尖閣群島(ピンナツクルグロース)」と記したものである。それが、一九一九年には、前記の通り、黒岩恒の名づけた「尖閣列島」と同じ区域をさすことになっている。さらに右の水路誌は「此等諸嶼ハ位置ノ関係上古来琉球人ニ知ラレ、尖頭諸嶼、尖閣列島、或ハ Pinnacle Islands 等ノ名称ヲ有ス」と、念入りの説明をしているが、ここでは、黒岩の命名した尖閣列島も、イギリス海軍のつけたピナクル・アイランヅも、またその訳語として日本海軍水路部自身が以前に用いた「尖頭諸嶼」も、何もかもごたまぜにしている。
一九四一年の『台湾南西諸島水路誌』は、一九一九年の水路誌と同じく「尖頭諸嶼」をかかげ、その範囲も、一九年版と同じである。そして「尖頭諸嶼ハ位置ノ関係上、古来琉球人ニ知ラレ、尖閣列島トモ呼バレタリ、外国人ハ之ヲPinnacle Islands と称セリ」という。ここでは、「尖閣列島」というのは、「古来」琉球人にそうよばれていた、この地域の旧名であり、現在は尖頭諸嶼というかのような書き方である。
いまの日本外務省の本年三月九日の「尖閣列島領有権に関する統一見解」は、「尖閣列島は……明治二十八年一月十四日に現地に標杭を建設するとの閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである」というからには、明治二十八年の閣議で標杭を建設するとした島、すなわち魚釣島(釣魚島)と久場島(黄尾嶼)だけとなる。ピナクル諸嶼さえも入らないことになる。もっともピナクル諸嶼は、釣魚と黄尾の間にあるから、これは、とくに言及しなくても、「尖閣」の中にふくまれているものとみなしてもよいが、赤尾嶼はどうしても入らない。しかし、現実には、政府は赤尾嶼も「尖閣列島」の中に入れて中国から盗み取ろうとしている。
日本共産党の「見解」も、外務省と同じで、「尖閣列島」の範囲を明示しないが、「一八九五年一月に、日本政府が魚釣島、久場島を沖縄県の所轄とすることをきめ、翌九六年四月に尖閣列島を八重山郡に編入し…」という。これでは、「尖閣列島」とは、魚釣島(釣魚島)と久場島(黄尾嶼)のことをいうと解するほかない。このばあいも、両島の中間のピナクル諸嶼は自動的にふくむとすると、これも黒岩恒の命名した尖閣列島の区域と同じである。ところが声明の後段には、「一九四五年以降、尖閣列島は沖縄の一部としてアメリカ帝国主義の政治的軍事的支配下におかれ、列島中の大正島(赤尾礁または久米赤島)および久場の両島も米軍の射爆場にされ……」という。ここでは赤尾嶼まで「尖閣列島」に入っている。日共の宮本委員長さん、いったい尖閣列島とはどの範囲をいうのか、しっかりした典拠によって明示したらどうですか。
琉球政府も、日本外務省も、日本共産党も、黒岩恒が地理学的根拠をもって明示した尖閣列島と、黒岩がそれからはずしている赤尾嶼をともに日本領土としたいのだが、彼らといえども、赤尾嶼をふくめた尖閣列島なる名称は、公的にはもとより私的にも、未だかつて存在したことがないのを、内心では知っているので、明確に一義的に尖閣列島とはこの範囲だと言うことができず、まず黒岩のつけた名称をあげて、後でこっそり赤尾嶼をその中に加えるのである。
領土問題を、こんな風にコソ泥のようにしかあつかえないのは、帝国主義者としても、何とみみっちいことだろう。
また、黒岩のつけた尖閣列島という地理学的名称は、一度も日本国によって公認されたことはない。それゆえ、軍事的必要から地理の記述には厳密性をもっとも強く要求する海軍の水路誌でさえ、後になると、前記のように尖閣列島とは、その地域の古い名称のことと思いちがいして、その名を用いず、本来はピナクル諸嶼のみの訳名であった「尖頭諸嶼」の名を総称として用いている。ところが、いまの日本政府や琉球政府は、尖閣列島とよぶ。ただしその範囲はでたらめである。日共はそのでたらめ政府に盲従追随するのみである。
「尖閣列島は歴史的に日本領土であることは、争う余地はない」などと、日本政府、琉球政府、日本共産党、大小の商業新聞はいっせいにいうが、ごらんの通り、その範囲さえ明確でなく、またその名称も「尖閣列島」とも「尖頭諸嶼」ともいって確定しておらず、さらにその列島の個々の島の名称すら、政府機関内ですら魚釣島のほかは一定していない。黄尾嶼は久場島といい、しかもその久場島がある時期は釣魚島であったり他の時期は黄尾嶼であったりする。赤尾嶼はまた久米赤島というかと思うと、いつのまにか大正島ともいう。海軍は黄尾嶼、赤尾嶼というかまたは英語名でしか記録しない。地域の名称もその範囲もはっきりしない領土などというものが、どこにあろう。このことは、たんに名称だけの問題ではなく、政治的実質的に重要な意味がある。これは日本天皇制が、これらの島を「領有」したその仕方、他国領を盗みとったということから、必然に生じた現象である。このことは第一三節で改めて論ずる。
(付註)イギリスの海図などのHOAPIN-SAN または HOAPIN-SU が釣魚島であり、TIAU-SU が黄尾嶼であることは、地図およびその島に関する記述を見れば明らかである。しかし、これらの名称の由来は、明らかでない。東恩納の『南島風土記』は「海図にホアピンスウとあるのは、黄尾嶼の華音である」という。この説はまちがいであろう。現在中国の共通語で「黄尾」はファンウェイという。また福建地方の語でもウンボエといい、ホアピンあるいはそれに似た音ではない。
また、黒岩恒は、釣魚島は一名「和平島」ともいうと書いている。もしこれが正しければ、HOAPINは「和平」の中国音をローマ字表記したものといえる。しかし、私は中国の古い文献でこの島を「和平」島(あるいは嶼)と書いてあるのを見たことがない。もしここを「和平」島と書くとすれば、それは、本来中国語でそうよばれていたからではなくて、ローマ字でHOAPINと書かれている中国音に「和平」という字を当てたのであろうか。そして最初にそうしたのは日本海軍の最初の水路誌の作者ではあるまいか。
あえて私の推測をいえば、「ホアピンスウ」というよび名は、釣魚島から西ヘ二つめの花瓶嶼(ホアピンスウ)の中国音を、西洋人があやまって釣魚島にあてたものであろう。本論文の第三章にあげた『籌海図編』の「沿海山沙図」では、西から東への島の順が、彭加山、釣魚嶼、化瓶山、黄尾山……となっているが、歴代の琉球冊封使録や『中山傳信録』などでは、花瓶嶼、彭隹(佳)山、釣魚台の順でつらなっている。中国人にこういう島名の入れちがいがありえたとすれば、西洋人がまさに釣魚島とあるべき島を花瓶嶼=ホアピンスウの名でよぶことも大いにありうるであろう。そしてその「ホアピン」に「和平」という漢字を日本海軍の翻訳者が当てたのであろう。
また、TIAU-SUは恐らくは中国語の釣嶼(釣魚嶼の略)のローマ字表記であろう。その字を釣魚島そのものにあてないで、その東北の黄尾嶼にあてたのも、Hoapin-Suを、花瓶嶼の二つ東の釣魚島にあてたのと同じ性質のことであろう。
九 天皇制軍国主義の「琉球処分」と釣魚諸島
琉球人さえも、「イーグンクバシマ」の存在を知っているというていどで、その島々と日常の関係もなく、まして日本人は、一部の先覚者のほかには、ふつうの武士や民衆は、その存在さえも知らなかった幕末期に、釣魚諸島を日本領だと称して領有しようとするこころみなどのあるわけもなかった。
幕末の騒乱期にも、徳川幕府は、南方では伊豆南方の無人島(小笠原島)を、イギリス、アメリカと争って日本領にとりこもうとし、北方では樺太における日本領とロシア領の境界について、ロシアに一歩も譲らず対抗していた。西方では幕府役人および長州の桂小五郎(後の木戸孝允)らは、一八六〇年代に早くも朝鮮侵略を構想(註)していた。これほど辺境の領土に対する関心が深く、領土拡張の要求もはげしかった幕府であり、その幕府をも「夷狄」に屈従すると攻撃してやまなかった勤王派ではあったが、彼らのうちの誰一人として、琉球を併合しようとか、その清国との関係を断ち切らせようとか考えるものはなかった。まして琉球の先の無人の小島、釣魚諸島については、関心をよせるものさえなかった。
(註)井上清『日本の軍国主義』U所収「征韓論と軍国主義の確立」にこの具体的事実をあげてある。
一八六八年(明治元年)、勤王派は徳川幕府を倒して天皇政権をうちたてた。七一年(明治四年)には、諸藩も廃止され、天皇を唯一最高の専制君主とする高度の中央集権の統一国家がつくられた。そのころすでに天皇政府は、朝鮮、台湾、そして琉球を征服する野心をいだいていた。この三地域への天皇制の政策は、たがいに深く関連しており、一体となって天皇制の軍国主義をきわだたせている。そして、その軍国主義が、やがて釣魚諸島にも食指をのばす。それゆえ、天皇政府と釣魚諸島の関係を論ずるに先立ち、琉球処分を中心として、天皇制軍国主義の展開を見ておかねばならない。
廃藩置県により、島津藩も廃止されたので、天皇政府は、従来島津藩の属領でその封建的植民地であった琉球王国をも、天皇政府の属領になったものとみなした。ただし、琉球王国が清国に朝貢し、清の皇帝から冊封を受けることを禁止したのではなく、従来通り清国と宗属関係を保つことを認めていた。
この翌七二年、天皇政府は、琉球人民が台湾東岸に漂着してそこの住民に殺された事件(七一年十一月のこと)を利用して、日本人民たる琉球人のために仇をうつと称し、清国領である台湾を侵略しようとした。その侵略を正当化する一つの根拠として、琉球王国は日本領であり、その人民は日本国民であり、清国の属国民ではないとする必要にせまられた。そこで、政府はあれこれと討議したあげく、七二年九月、「琉球尚泰」(琉球国王尚泰とはいわない)を、日本天皇が琉球藩王に封じ、華族に列し、金三万円を賜わるとともに、琉球の外交事務はすべて日本外務省が管轄する、とした。尚泰王自身および王府は、こうされることに強く反対したが、天皇政府は、あるいは威圧し、あるいは外務省高官が口頭で、琉球の「国体・政体」は今まで通りでよろしい、その外交事務は本省で管するが、琉球と清国との関係は従来のままでよい、などと甘い言葉でだましたりして、一時をごまかした。
天皇政府の台湾遠征は、アメリカの駐日公使デ・ロングC.E.de LONG と、彼の推薦により七二年十一月以降外務省の顧問となったアメリカの退役将軍のル・ジャンドルLe GENDREの強力な支援と指導のもとに、七四年(明治七年)七月に強行される。彼らがこれを正当化する口実としたのは、第一は、前記の通り「日本人」が殺されたということ、第二は、その「日本人」を殺した「生蕃」の土地は、現代風にいえば、国際法上の無主地であり、「生蕃」は中国属領民ではないというこじつけであった。この後の論法には、現在の釣魚諸島無主地論の論法と共通する点がある。
すなわち、当時の外相副島種臣は、台湾遠征を正当化する下地をつくるために、一八七三年北京に行き、六月九日、北京駐在イギリス公使に会った。そのとき公使が、もし清国政府が、台湾はわが属領であるから、政権はわれより加えるといったら、どうするかと問うたのに対し、副島は次のように答えている。
「此ノ権清ニ在リト云フヲ得ザルノ証跡有リ、生蕃ノ地ニ清国ヨリ嘗テ官吏ヲ派シ置ク事無ク、清ノ輿地図(全国地図)ニ生蕃ノ地名ヲ記載スルヲ見ズ、且ツ数年前、米人曾テ清ノ政府ニ告ゲズシテ彼ノ地ニ入リ、蕃人ト戦ヒ(ル・ジャンドルのことをさす)、又生蕃自ラ米人ト約ヲ結ブコトヲ得タリ。清国モシ彼ヲ属下ト謂ハバ、和戦、結約、彼レガ自ラ為スニ任セ、政府之ヲ知ラズシテ可ナル乎。我ハ此故ヲ以テ、清ノ政府ハ生蕃ノ地に於ケル権ノ及ブ可キ無シト謂へルナリ。」(『日本外交文書』第六巻)
また六月二十一日、副島は駐清の柳原公使をともない、清国の外交部である総理衙門を訪い、台湾人の琉球人殺害について会談した。そのとき、日本側ではもっぱら柳原公使が発言するが、彼はたくみに相手を誘導して、台湾の「生蕃」は「之ヲ化外ニ置キ甚ダ理スルヲ為サザルナリ」と言わせる。そして柳原は、「貴大臣既ニ生蕃ノ地ハ政教ノ及バザル所ト謂ヒ、又旧来其ノ証跡有リテ、化外孤立ノ蕃夷ナレバ、タダ我ガ独立国ノ処置ニ帰スルノミ」と言い放って、ひきあげた。柳原は、台湾住民の一部に清国の「教化」が及んでいないという儒教的政治思想の概念と、政権が及んでいないという近代国際法的概念とは、全く別の問題であることは百も承知しながら、あえて両者を同一視し、「蛮地」は教化の外だと清国がいうのを、近代国際法にいわゆる実効的支配がなされていない「無主地」であるとこじつけて、侵略を正当化する根拠としたのである。そして、この翌年、台湾侵略を実行した後、清国の、当然の厳重な抗議を受けるが、それにたいしては、清国は「蛮地」は「化外の地」と言ったのではないかという論法で対抗する。
このような、中国語の概念と表現を近代的概念にねしまげる論法を、陳侃・郭汝霖の使録や『中山傳信録』の、久米島と赤尾嶼に関する記述の解釈に用いたのが、釣魚諸島の無主地論である。
七四年の台湾侵略のさいは、日本の実力では、まだ清国の実力およびイギリスの動向に抗して、「蛮地」=無主地論をおし通すことはできなかったが、この後、天皇政府の軍国主義と侵略の野望はいっそう強められた。その侵略の当面の目標を、天皇政府は、イギリスの示唆と支持をうけて、天皇政権成立の早々からねらっていた朝鮮に集中する。ところが、朝鮮国王は琉球国王と同様に、以前から形の上では清国に朝貢し、その外臣となっていたのだから、もし日本が、琉球王国を琉球「藩」とした後も、「藩」王の清朝への朝貢・臣属を認めたままでいるならば、そのことは、朝鮮国を完全に清朝の勢力から切りはなし、やがて日本の属領にしようという大政策の妨げにもなり得る。
そこで一八七五年七月、天皇政府は、琉球「藩」王に、清朝との朝貢・冊封関係をきっぱり断つことを厳命し、かつ、王の上京と「藩」政の大改革を強要した。また琉球王らの反抗を鎮圧するために、那覇の郊外に、琉球人民の土地を強制収用して熊本鎮台(後の師団)の分営を設けた。琉球王や士族らは、これに必死に抵抗し、ひそかに清朝に援助をもとめた。清朝は、日本政府に、清の「属邦」(琉球)の朝貢を禁じたことについて、再三抗議したが、有効な琉球王援助は何もできなかった。
この間に天皇政府は、七五年九月、軍艦「雲揚」をして、朝鮮の江華島付近の漢江に不法侵入させ島の守備兵を挑発させた。守備兵はついに発砲のよぎなきに至った。天皇政府はただちにその「罪」を問うとして、陸海軍の全力をあげて朝鮮に攻め入る準備をし、その圧力を背景にして、翌七六年二月、朝鮮に最初の「修好条約」をおしつけ、ついで八月、貿易規則をおしつけた。
それらの条約は、日本が外国におしつけることのできた最初の不平等条約であった。「修好条約」により、日本は朝鮮の釜山その他を開港させ、そこに居留地をもうけ、居留民の治外法権を定めた。貿易規則では、「当分の間」日朝両国とも輸出入関税は無税、そして日本は朝鮮の開港場で日本の通貨(紙幣をふくむ)を以て自由に朝鮮人から物資を買い入れることができると定めた。これは、日本が早くも朝鮮を政治的に従属させ、朝鮮経済を日本資本のほしいままな略奪の場としたことを意味する。しかもこの苛酷な不平等条約の第一条には、空々しくも、「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ」と書いてあった。それは、朝鮮国は清国の属邦ではないということを規定したもので、その裏には、やがては朝鮮を日本の属国にしようとする野望がかくされていた。十一年後の日清戦争の種火は、早くもここに日本によって点火された。
朝鮮強圧の成功の勢いに乗じて天皇政府は、あくまで清の「属邦」たることをやめようとしない琉球「藩」の「処分」を急いだが、日朝修好条約おしつけの翌年は、政府は西南戦争の大乱を乗切るのに全力をとられた。それにようやく勝利して、そのさしあたりの後始末もほぼかたづいた一八七九年(明治十二年)四月、政府は四百五十名の軍隊と百六十人の警官隊とで、三百年このかた軍隊というものは設けたことのない琉球「藩」王を弾圧して、うむをいわせず藩を廃止し、これを天皇政府直轄の沖縄県とし、旧藩王は強制的に東京に移住させた。
いわゆる「琉球処分」はここに完了した。これを、もともと琉球人は本土日本人と同一民族でありながら、政治的に分立していたのが、いまや政治的にも単一の日本民族国家に統一されたのだ、と解釈する説が支配的であるが、私はその説には反対である。
琉球では、十二世紀に最初の小国家が成立し、十四世紀に沖縄本島で三つの国が分立し、十五世紀の末に全土を統一した国家ができるが、それらの国は、日本の歴代の国家権力とは対等につきあう独立国で、十四世紀末から中国の皇帝にだけ朝貢臣属していた。やがて十七世紀初めに島津藩に征服され、以後は島津の苛酷な搾取と支配を受けることになったが、それでも琉球王国はなお独自の国家として存在し、中国の王朝にも朝貢していた。この国が、近代天皇制によって名実ともに独自の国家的存在を奪われ、中国への臣属も断ち切られ、天皇制の植民地にされたのが「琉球処分」の歴史的内容である。私はすでに、この問題を歴史的に、また民族理論的に、くわしく論じて(註)あるので、関心のある人はそれらを見ていただきたい。
(註)岩波講座『日本歴史』第十六巻「近代」Vにのせた「沖縄」(一九六二年)。中野好夫編『沖縄問題を考える』(一九六八年、東京、太平出版社)に書いた「日本歴史の中の沖縄」。全国解放教育研究会編、雑誌『解放教育』第四号(一九七一年十月号)の小論「沖縄差別とは何か」)。
一〇 日清戦争で日本は琉球の独占を確定した
一八七二〜七九年の琉球処分の時期の天皇政府は、辺境の帰属問題を解決し、自己の支配領域を確定すると同時に、できればそれを拡張することに夢中であった。「琉球処分」以外の事実を年代順にあげれは、以下のような諸事件がある。 一八七三年九月〜十月、政府内における征韓論の大論争。西郷隆盛ら征韓派の敗退。 一八七四年二月〜十二月、台湾侵略。
一八七五年五月、ロシアとの千島・樺太交換条約に調印。幕末以来の樺太における日露の領界争いに、日本の大譲歩で結末をつけた。日本は樺太の南半部に対して早くからもっていた権利をすべて放棄し、同島の全部をロシアの領有とする、その代償として、ロシアは千島列島のうちのウルップ島以北という、南樺太とは経済的価値も軍事地理的重要性も、当時としてはけたはずれに低い島々を日本に譲り、エトロフ島以南の元からの日本領と合わせて、千島全島を日本領とすることになった。
一八七六年二月、朝鮮に日朝修好条約をおしつけ、ついでその付属貿易規則をおしつける。これは、強大なロシアに、領土的利益と国家的威信をともにむしり取られた代償を、弱小の隣国の侵略に見出そうとしたことであり、また前述のように「琉球処分」の推進と切りはなせない。
一八七六年十月、小笠原諸島を日本政府の管轄とすることを、諸外国に通告した。同島については、イギリスとアメリカが、幕末に無主地の先占による領有権を主張し、日本と対立していた。近代国際法理論のみからいえば、英・米の主張にも、日本におとらないだけの根拠があったので、英・米があくまでもその権利を主張すれば、日本がここを独占することは不可能であったろう。しかし、アメリカ政府はその当時は、遠隔の地に領土をもつことは不利であるとの思想が強く、一八七三年には、小笠原島に関する領有権の主張を全面的にとりやめて日本を支持した。イギリスはなおその権利を主張していたが、これも、その全アジア政策の長期展望に立って、太平洋の小島のことで日本と深く対立するよりも、ここは譲って、日本をイギリスの味方にひきつけ、東アジアにおける大英帝国の前哨として利用する方が有利であると考え、七五年から日本の主張を遠まわしの方法で、みとめた。そのおかげで日本はこの領有権を確立(註)し、上記の通告が可能になった。
(註)このことは、『日本外交文書』第五〜九巻(明治五〜九年)の、小笠原島関係の文書をみれば容易に確認できよう。幕末の幕府と英・米との交渉は、大熊良一『千島小笠原島史稿』を参照。
上の年代記で明らかな通り、天皇政府は、ロシアやイギリスやアメリカとは対抗できず、これらには全面的に譲歩するか、またはその好意に頼っただけであり、その反面では、朝鮮国、清国および琉球国へは、一貫して強圧、拡張の政策をとって、自己の支配領域を拡張しようとした。しかし、実力の不足はどうしようもない。いったんはむりやり中国との関係を断ち切らせ、「処分」=併合した旧琉球王国領についても、ある条件のもとでは、その一部分を清国にゆずろうとしていた。この琉球分島問題は、釣魚諸島の帰属問題と、この時点では関連はないが、後には重要な関連をもってくるので、かんたんにこの経過をのべておこう。
日本の「琉球処分」に対しては、琉球王国を数百年来の属国とみなしていた清国は、日本が琉球王の朝貢をさしとめたときから、抗議していた。そして七九年四月四日、日本が完全に琉球を併合すると、五月十日、清国政府は北京駐在の日本公使宍戸(王+幾 たまき)に、日本の処置は承認できないと申し入れた。これより琉球の領有について、日清両国間の一年半にわたる交渉がはじまる。その間に、たまたま東アジアを旅行中のアメリカの前大統領グラントが、清国の依頼により、日清間の調停をこころみたこともあり、まず清国側から、本来の琉球−−「琉球中山」=沖縄本島および「琉球三十六島」−−を三分し、北部の十七世紀以来島津藩に直轄されていた奄美群島を日本領とし、中部の沖縄本島を主とする群島は、元の琉球王の領土として王国を復活させ、南部の宮古・八重山群島は清国領とするという、琉球三分案を出した。
日本側はこれを一蹴した。それと同時に政府は、琉球を清国との取引きの元手にすることを考えた。すなわち、もし清国がすでに諸外国にあたえている、また将来他国にあたえるであろう「通商の便宜」−−清国内地通商の自由その他−−を、日本人にも一律に均霑(きんてん)させることに同意し、そのことを現行の日清修好条規の追加条約とするならば、その代りに日本は、宮古・八重山群島を清国領とし、沖縄群島以北を日本領として、琉球を二分しようというのである。
このいわゆる「分島・改約」の日本案に対して、清国政府内では、種々の異論があった。そのときたまたまロシアとの間に、伊犁(いり)地方の国境紛争がおこったので、清国の総理衙門では、琉球問題は日本に譲歩して早く解決し、日清関係を親密にしてロシアを孤立させる方が得策であるとの意見が有力になった。その結果、一八八〇年十月、総理衙門は宍戸公使と、日本案による分島・改約の条約案を議定した。
ところが、この後で、清国政府内で、またも北洋大臣李鴻章らが強硬に分島・改約に反対した。そのため清国代表は議定した条約案に調印できなくなった。そのうちに十一月一日、中国側は宍戸公使に、分島・改約案については、皇帝が南洋・北洋の両大臣の意見を待った上で、改めて日本側に通告するであろう、といってきた。 宍戸はその不当を責め、翌一八八一年一月五日、中国側に、「貴国はわが好意をしりぞけて、すでに両国代表間で議定したことを、自ら棄てたからには、今後は永遠に、我国の琉球処置について貴国の異議はうけいれない」との趣旨の文書をたたきつけ、憤然として帰国した。
(註)『日本外交文書』第一三、一四巻「琉球所属に関し日清両国紛議一件」。王芸生『六十年来中国与日本』第一巻。
琉球分界の日清交渉はこうして決裂したが、日本政府はこのときはまだ、宍戸公使が清国にたたきつけた文書のように、今後琉球問題についてはいっさい清国にとりあわないとの方針を定めていたわけではなかった。宍戸の帰国後も、外務卿井上馨は、天津駐在領事竹添進一郎に、李鴻章と非公式に会談してその腹をさぐらせた。竹添は八一年十二月十四日、李と会談し、その様子を詳細に本省に報告するとともに、李の真意は、宮古・八重山二島を得て、そこに琉球王を復活させたいというにある、日本は李の希望をいれ、その代り日清修好条規の改約を実現するのが上策である、今をおいて日清条約改正の好機はない、と意見具申した。これに対して井上外相は、翌一八八二年一月十八日、竹添領事に、ひきつづき李の意向をさぐるよう訓令し、また政府の分島問題についての次のような考えを知らせた。(『日本外交文書』第一九巻、「日清修好條規通商章程改正ニ関スル件」付記一六)
宮古・八重山二島を割与するだけで李が満足するなら、「土地ノ儀ニ付テハ当方ニ聊カモ異議コレ無ク候」、また琉球王を立てるというのが、日本の割与した二島に、清国政府が旧琉球王尚泰の親類または子を立てて王とするということなら、これも「別ニ異議ナシ」。しかし、日本がいったん廃王した尚泰その人を、再び日本で王に立てることはできない。
この後の竹添と李との非公式話し合いの進行状況はわからないが、結果からみると、井上外相の右の考え方の線により再び日清の正式交渉ということにはならなかった。
ついで、八三年三月、日本政府は来る四月二十九日で満期になる、日清修好条規付属の貿易規則の改定交渉を清国に申し入れた。これに対して五月、清国の駐日公使は井上外相に、日本はこの改約と琉球問題とを一体にして交渉するかどうか、と問うてきた。それに対して外相は、つぎのように答えている。
琉球問題は、「前年宍戸公使ヲシテ貴政府ト和衷ヲ以テ御商議ニ及バセ候処、貴政府ニテ御聴納コレ無キヨリ、事スデニ九分ニ及ンデ一分ヲ欠キ居候」、この問題と、満期になった貿易規則の改定とは全く別のことであり、当然別に交渉すべきであると、わが政府は考える(『日本外交文書』第一六巻、「日清修好條規通商章程改正ニ関スル件」)。
この通り、井上外相ないし日本政府も、琉球問題はまだ最終的に解決していないことを認めていた。いいかえれば、八〇年に日清両国代表が議定した分島・改約案に、清国政府がすみやかに調印しないので、以後の交渉を日本側がうち切ったことをもって、その時から琉球全島が日本の独占となったと確定したのではない。琉球問題はまだ交渉すべき懸案であると、日本政府も認めていたのである。
井上外相の右の回答をうけた清国側は、琉球問題と一体としない貿易規則改定のみの交渉には応ぜず、そのまま一八八六年に至った。この年は、日本の対欧米条約の改正交渉が進行していたので、井上外相は、その交渉を有利にするために、日清条約の改正の促進を強く希望し、三月、公使として北京に赴任する塩田三郎に、現行の日清条約改正の交渉方を訓令した。そのさいとくに、条約改正に琉球問題を決してからめないよう、入念に注意した。塩田公使は四月二十二日から、清国側と条約改正の交渉をはじめた。清国側は、しばしばその交渉に琉球問題をからめてきたが、日本側はそれをたくみにすりぬけた(註)。こうして琉球領有権に関する日清間の対立は、そのまま放置されて、八年後の日清戦争に至る。
(註)『日本外交文書』第一九巻、「日清修好條規通商章程ニ関スル件」。なお条約交渉は一八八八年(明治二十一年)九月までつづけられる。その交渉で、日本は欧米なみの地位・権利を得て清国に優越しようとするが、清国は多くを譲歩しないので、日本の方から交渉を打ち切った。
日本はこのとき、対欧米の条約改正交渉を有利にするために、中国に対して欧米諸国なみの優位に立つ新しい日清条約を結ぶことを望んでいたが、しかも、その日清条約交渉と、琉球分島の問題とをきびしく切り離したのは何故であろうか。八〇年の日清交渉では、琉球を日清間で分割する代償に、条約改定をかちとろうとしたし、その後も清国側は、分島すれば改約に応ずる意向を原則的には変えていないこと、したがって早く改約するには、それと分島をからめるのが有利であることは、井上外相も承知していながら、あえて八三年以来は、両者を切り離したのは何故か。
その理由は、すでに、天皇政府は、きわめて近い将来の日清戦争を予期し、その準備を精力的に進めており(註)、清国ともっとも近い琉球の南部を、清国に渡すことはもはや決してできなかったからであろう。ここが清国領になれば、それは、戦争のさい清国が日本を攻撃する有力な根拠ともなり、日本がここを領有すれば、清国本土の南部や台湾への進攻根拠地にもできるのに、どうしてここを譲ることができよう。いま急いで譲ったりしないでも、近い将来には、日本の全琉球独占の既成事実を清国はいやでも認めざるを得なくなると、政府は考えたことであろう。
沖縄がもっぱら軍事的見地から重要視されていたことは、たとえば日清戦争中の一八九五年一月、貴族院で「沖縄県々政改革建議」が可決されたとき、提案理由の説明でも、討論でも、「沖縄の地たる、東洋枢要の地」、「軍事上の枢要の地」ということのみくり返し強調され、その要地の県政を改革して「海防に備へねばならぬ」ことが力説されたことに、端的にあらわれている(琉球政府編『沖縄県史』四、「教育」第六編第二章。『大日本帝国議会誌』)。
(註)天皇政府は早くから「征韓」をめざし、そのために清国との対立を深めていたが、一八八二年朝鮮の壬午事変(朝鮮兵士の朝鮮政府および日本人軍事教官に対する叛乱とソウル市民の反日闘争が結合した事件)の直後から、朝鮮の支配権をめぐって清国との戦争をめざした軍備大拡張とそのための大増税をはじめる。さらに一八八四年十一月、朝鮮で、日本と結びついた金玉均ら開化党がクウデターで政権をとるが、わずか三日で、清国に支援せられた朝鮮保守派の反撃でつぶされ、ソウルの日本公使は生命からがら日本へ逃げ帰った。これより日清両国の朝鮮出兵となり、日清戦争の危機が切迫した。しかし、このときは、まだ日本政府は戦争する自信がなかったので、翌八五年四月、首相伊藤博文が自ら全権使節として天津に行き、李鴻章と談判して、「天津条約」を結び、日清両国の朝鮮からの同時撤兵、今後の朝鮮出兵は相互に通告することなどをきめた。これより天皇政府は、対清戦争準傭のために軍備、政治、外交、財政、思想、そのほかあらゆる方面で、国力をかたむける。
政府の日清戦争準備の影は、沖縄県そのものにも濃くうつされる。井上外相が、日清条約改正交渉では、それに琉球問題をからませることを断乎として拒否したのと同じ八六年三月、「大日本帝国」の軍隊をつくりあげてきた最高の指導者であり、対清戦争のもっとも熱烈な推進者であり、時の内務大臣でもある山県有朋中将が、天皇の侍従をしたがえて、沖縄の視察に行った。その翌八七年四月には、沖縄県知事に長州出身の予備役陸軍少将福原実が任命された。沖縄の知事に軍人が任命されたのはこれが初めてである。そしてその秋十一月には、首相伊藤博文が、陸軍大臣大山巌、海軍軍令部長仁礼(にれ)景範らを従え、当時の日本最精鋭の軍艦三隻をひきいて、六日間も沖縄を視察した。伊藤はこのとき「命ヲ奉ジテ琉球ヲ巡視ス」と題する漢詩をつくっている。その句に曰く「誰カ知ル軍国辺防ノ策、辛苦経営ハ方寸ノ中(註)」と。こううたった伊藤はもとより、内相の肩書の山県中将の琉球視察も、対清戦争準備のためであることは疑いない。
(註)比嘉春潮『沖縄の歴史』(一九五九年、沖縄タイムス社刊)
その準備があらゆる面ですっかり完了し、しかも清国には対日戦備は思想的政治的には全然なく、軍備もようやく近代化に着手したばかりというとき、一八九四年七月、日本は、イギリス帝国主義の支援とはげましをうけて(註)、宣戦布告もせず、二十五日、海軍が豊島沖で清国艦隊を不意打ちし、二十九日、陸軍が朝鮮の牙山・成歓で清国陸軍を不意打ちして、対清戦争を開始した。その後で八月一日、ようやく宣戦を布告した。
(註)井上清『条約改正』(岩波新書)に詳述した。
戦争は従来の国家関係の断絶であるから、開戦とともに自動的に、交戦国間のすべての条約も懸案も消滅する。そして戦後には講和条約にもとづき、新しい国家関係がつくられる。日清戦争で勝利した日本は、下関の講和条約にもとづいて、政府が年来希望していた以上に日本の特権を定めた、新しい通商条約・貿易規則などを清国にのみこませた。
琉球問題も、日清開戦と同時に、もはや名実ともに両国の懸案ではなくなった。下関講和会議でも、日本側はもとより清国側も、琉球のことは何ら問題にしなかった。したがって、講和条約にも、琉球に関することが一字も書かれるはずもない。すなわち、日清両国の新関係の創出=講和のさい、日本がそれまでに琉球につくりあげていた既成事実に対して、清国が何らの異議も出さなかったことによって、その既成事実は確立された。いいかえれば、日本は日清戦争の勝利によってはじめて、清国の琉球に対するいっさいの歴史的権利・権益を最終的に消滅させ、日本の琉球独占を確立したのである。
一一 天皇政府は釣魚諸島略奪の好機を九年間うかがいつづけた
朝鮮・中国に対する侵略戦争の準備強化との関連で、天皇政府が琉球を重視し、その全島を日本の独占とする方針を確定した後の一八八五年(明治十八年)、はじめて琉球と、中国本土の間の海に散在する釣魚諸島が、天皇政府の視野に入ってきた。
これより先一八七九年、琉球藩が沖縄県とせられた直後に、福岡県出身の古賀辰四郎という冒険的な小資本家が、さっそく那覇に移り住み、沖縄近海の海産物の採取、輸出の業をはじめた。そのうちに一八八五年(註)、古賀は「久場島」(釣魚島)に航して、ここに産卵期のアホウ鳥が群がることを発見し、その羽毛を採取して大いにもうけることを思いたった。彼は那覇に帰って、その事業のための土地貸与を沖縄県庁に願い出たらしい。
(註)従来、古賀は「明治十七年」(一八八四年)にこの島を「発見」し、翌八五年沖縄県庁に、この島で営業するために借地願いを出したといわれているが、明治二十八年(一八九五年)六月十日付で古賀が内務大臣に出した「官有地拝借願」には、「明治十八年沖縄諸島ヲ巡航シ舟ヲ八重山島ノ北方九拾海里ノ久場島ニ寄セ……」という。前掲『沖縄』五六号)
「尖閣列島」は無主地の先占による合法的な日本領であると主張する、琉球政府や日本共産党その他は、もっぱら、古賀の釣魚島「開拓」という、平和的経済的な動機から同島の日本領有が進められたかのようにいう。一八八五年に政府がこの島に目をつけるにいたった直接のきっかけは、あるいは古賀の「開拓」願いが出されたことにあったかもしれないが、政府がここを日本領にとりこもうとしたのは、たかがアホウ鳥の羽毛を集めるていどのことのためではなく、この地の清国に対する上での軍事地理的意義を重視したからであった。そのことは、一八八三年以来の政府の琉球政策が何よりもまず軍事的見地からのみたてられ実行されてきたことから、容易に類推されるし、また八五年以降の釣魚諸島領有の経過の全体をみれば、いっそう明白となる。
琉球政府や日共は、八五年に古賀の釣魚島開拓願いをうけた沖縄県庁が、政府に、この島を日本領とするよう上申したかのようにいうが、事実はそうではなく、内務省がこの島を領有しようとして、まず、沖縄県庁にこの島の調査を内々に命令した。それに対して、沖縄県令は八五年九月二十二日次のように上申している。
「第三百十五号
久米赤島外二島取調ノ儀ニ付上申
本県ト清国福州間ニ散在セル無人島取調ノ儀ニ付、先般、在京森本本県大書記官ヘ御内命相成候趣ニ依リ、取調ベ致シ候処、概略別紙(別紙見えず−井上)ノ通リコレ有リ候。抑モ久米赤島、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ、シカモ本県所轄ノ久米、宮古、八重山等ノ群島ニ接近シタル無人ノ島嶼ニ付キ、沖縄県下ニ属セラルルモ、敢テ故障コレ有ル間敷ト存ゼラレ候ヘドモ、過日御届ケ及ビ候大東島(本県ト小笠原島ノ間ニアリ)トハ地勢相違シ、中山傳信録ニ記載セル釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼ト同一ナルモノニコレ無キヤノ疑ナキ能ハズ。
果シテ同一ナルトキハ、既ニ清国モ旧中山王ヲ冊封スル使船ノ詳悉セルノミナラズ、ソレゾレ名称ヲモ付シ、琉球航海ノ目標ト為セシコト明ラカナリ。依テ今回ノ大東島同様、踏査直チニ国標取建テ候モ如何ト懸念仕リ候間、来ル十月中旬、両先島(宮古・八重山)へ向ケ出帆ノ雇ヒ汽船出雲丸ノ帰便ヲ以テ、取リ敢へズ実地踏査、御届ケニ及ブベク候条、国標取建等ノ儀、ナホ御指揮ヲ請ケタク、此段兼テ申上候也
明治十八年九月二十二日
沖縄県令 西村捨三
内務卿伯爵 山県有朋殿」
この上申書によって、いくつかの重要なことがわかる。
第一に、内務省は沖縄県に、福州・琉球間の無人島の「取調べ」を「内命」したのはなぜか。なぜ公然と正式に命令しなかったか。
第二に、ここには、それらの島に「国標」=日本国の領土であるとの標柱を建設する問題が出されているが、これは沖縄県が言い出したことか、内務省が言い出したことか。
この二つの問題は関連する。国標取建ては、上申書の文脈から見て内務省の発案にちがいない。内務省−−内務卿は天皇制軍国主義の最大の推進者山県有朋である−−は、琉球をもっぱら軍事的見地から重視するとともに、その先の島々も日本領とする野心をいだき、その実現のために必要な調査を沖縄県に命じた。ただし、事が国際関係にふれ、日本と清国がはげしく対立している現状で、公然と正式に命令すると、どういう障害がおこるかわからないので、「内命」したのであろう。
第三に、この内命をうけた沖縄県では、「久米赤島」などを日本領とし沖縄県に属させてもよさそうなものだが、必ずしもそうはいかない、とためらっている。その理由は、これらの島々が『中山傳信録』に記載されている釣魚島などと同じものであると思われるからである。同じものとすれば、この島々のことはすでに清国側でも「詳悉セル(くわしく知っている)ノミナラズ、各々名称ヲモ附シ、琉球航海ノ目標ト為セシコト明ラカナリ」。つまり、これは中国領らしい。「依テ」この島々に、無主地であることの明白な大東島と同様に、実地踏査してすぐ国標を建てるわけにはいかないだろう、としたのである。
沖縄県令の以上のようなしごく当然な上申書を受けたにもかかわらず、山県内務卿は、どうしてもここを日本領に取ろうとして、そのことを太政官の会議(後の閣議に相当する)に提案するため、まず十月九日、外務卿に協議した。その文は、たとえ「久米赤島」などが『中山傳信録』にある島々と同じであっても、その島はただ清国船が「針路ノ方向ヲ取リタルマデニテ、別ニ清国所属ノ証跡ハ少シモ相見ヘ申サズ」、また「名称ノ如キハ彼ト我ト各其ノ唱フル所ヲ異ニシ」ているだけであり、かつ「沖縄所轄ノ宮古、八重山等ニ接近シタル無人ノ島嶼ニコレ有リ候ヘバ」、実地踏査の上でただちに国標を建てたい、というのであった。この協議書は、釣魚諸島を日本領にする重要な論拠に、この島が沖縄所轄の宮古・八重山に近いことをあげているが、もしも八〇〜八二年の琉球分島・改約の方針が持続されていたら、こういう発想はできなかったであろう。
これに対し外務卿井上馨は、次のように答えている。
「十月廿一日発遣
親展第三十八号
外務卿伯爵 井上 馨
内務卿伯爵 山県有朋殿
沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在セル無人島、久米赤島外二島、沖縄県ニ於テ実地踏査ノ上国標建設ノ儀、本月九日付甲第八十三号ヲ以テ御協議ノ趣、熟考致シ候処、右島嶼ノ儀ハ清国国境ニモ接近致候。サキニ踏査ヲ遂ゲ候大東島ニ比スレバ、周回モ小サキ趣ニ相見ヘ、殊ニ清国ニハ其島名モ附シコレ有リ候ニ就テハ、近時、清国新聞紙等ニモ、我政府ニ於テ台湾近傍清国所属ノ島嶼ヲ占拠セシ等ノ風説ヲ掲載シ、我国ニ対シテ猜疑ヲ抱キ、シキリニ清政府ノ注意ヲ促ガシ候モノコレ有ル際ニ付、此際ニワカニ公然国標ヲ建設スル等ノ処置コレ有リ候テハ清国ノ疑惑ヲ招キ候間、サシムキ実地ヲ踏査セシメ、港湾ノ形状并ニ土地物産開拓見込ノ有無ヲ詳細報告セシムルノミニ止メ、国標ヲ建テ開拓等ニ着手スルハ、他日ノ機会ニ譲リ候方然ルベシト存ジ候。
且ツサキニ踏査セシ大東島ノ事并ニ今回踏査ノ事トモ、官報并ニ新聞紙ニ掲載相成ラザル方、然ルベシト存ジ候間、ソレゾレ御注意相成リ置キ候様致シタク候。
右回答カタガタ拙官意見申進ゼ候也。」
この外務卿の回答は、山県内務卿とはちがって、清国との関係を重視している。山県は、たとえ中国が島名をつけてあっても、(1)中国領であるとの証跡がなく、(2)島の名称は、日本と清国でちがうというだけのことで気にすることはない、そして(3)八重山に近い、(4)無人島であるから、日本領にしよう、というのだが、井上外務卿は、そういう論点には一つも同意しないばかりか、かえって、(1)それらの島は沖縄に近いと同様に中国の「国境」(中国本土のこと)にも近いことを強調し、(2)ことに清国ではその名をつけていることを重視する、(3)清国人は、日本が台湾近くの清国の島(釣魚諸島もその一つである)を占領することを警戒し、日本を疑っている。こういうさいだから、いま国標をたてるのは反対であるという。
つまり、井上外務卿は、沖縄県の役人と同様に、釣魚諸島は清国領らしいということを重視し、ここを「このさい」「公然」と日本領とするなら、清国の厳重な抗議を受けるのを恐れたのである。それゆえ彼は、日本がこの島を踏査することさえ、新聞などにのらないよう、ひそかにやり、一般国民および外国とりわけ清国に知られないよう、とくに内務卿に要望した。しかし、この島を日本のものとするという原則は、井上も山県と同じである。ただ、今すぐでなく、清国の抗議を心配しなくてもよいような「他日ノ機会」にここを取ろうというのである。山県も井上の意見を受けいれ、この問題は太政官会議にも出さなかった。
ついで同年十一月二十四日付で、沖縄県令から内務卿ヘ、かねて命令されていた無人島の実地調査の結果を報告し、かつ、「国標建設ノ儀ハ、嘗テ伺(うかがい)書ノ通リ、清国トノ関係ナキニシモアラズ、万一不都合ヲ生ジ候テハ相済マザルニ付キ、如何取計(はか)ライ然ルベキヤ」、と至急の指揮をもとめた。これに対しては、内務・外務両卿の連名で、十二月五日、「書面伺ノ趣、目下建設ヲ要セザル儀ト心得ベキ事」と指令した。
(註)以上の沖縄県、内・外両卿の往復文書はすべて、『日本外交文書』第一八巻「雑件」中の「版図関係雑件」にある。また前掲の『沖縄』五六号にもある。
以上の政府文書により、一八八五年の政府部内および沖縄県の釣魚諸島領有をめぐる往復は、(1)まず内務省が、この地方領有の意図をもって沖縄県にその調査を内命したこと、(2)沖縄県は、ここは中国領かもしれないので、これを日本領とするのをためらったこと、(3)しかもなお内務省は領有を強行しようとしたこと、(4)外務省もまた、中国の抗議を恐れていますぐの領有には反対したこと、(5)その結果内務省もいちおうあきらめたこと、を示している。
ところが琉球政府の例の声明「尖閣列島の領土権について」は、「尖閣列島は明治十年代の前半までは無人島であったが、十七年頃から古賀辰四郎氏が、魚釣島、久場島などを中心に、アホウ鳥の羽毛、綿毛、ベッ甲、貝類などの採取等を始めるようになった。こうした事態の推移に対応するため、沖縄県知事は、明治十八年九月二十二日、はじめて内務卿に国標建設を上申するとともに、出雲丸による実地踏査を届け出ています」という。 これは、どんなに事実をねじまげていることか。
第一に、内務卿が先に沖縄県知事に釣魚島の調査を内命したことをかくし、第二に、沖縄県はここが清国領であるかもしれないからとの理由で国標建設をちゅうちょする意見を上申しているのに、それをあべこべにして、沖縄県から現地調査にもとづいて国標の建設を上申したようにいつわる。しかも第三に、古賀の釣魚島における事業の発展が、沖縄県の国標建設上申の機縁となっていることにしているが、このときはまだ古賀の事業は計画段階である。第四に、内務卿の意見に外務卿が、清国との関係悪化のおそれを理由に反対し、そのため内務卿もこのさいはあきらめざるをえなかったことを、すっかりかくしてしまっている。そして第五に、沖縄県が出雲丸による現地調査の結果を報告した同年十一月の「伺」でも、同県は重ねて、釣魚諸島に国標をたてることは、「清国トノ関係ナキニシモアラズ」としてためらっている。このこともすっかりかくしてしまい、たんに九月に現地調査をすると届け出たことのみしか書かない。その書き方も、調査結果を届け出て、それにもとづいて国標建設を上申したといわんばかりである。歴史の偽造もはなはだしい。
この後も、日清両国の関係は、日本側から悪化させる一方であり、日本の対清戦争準備は着着と進行した。その間に、古賀辰四郎の釣魚島での事業も緒についた。そして一八九〇年(明治二十三年)一月十三日、沖縄県知事は、内務大臣に、次の伺いを出した。
「管下八重山群島石垣島ニ接近セル無人島魚釣島外二島ノ儀ニ付、十八年十一月五日第三百八十四号伺ニ対シ、同年十二月五日付ヲ以テ御指令ノ次第モコレ有候処、右ハ無人島ナルヨリ、是マデ別ニ所轄ヲモ相定メズ、其儘ニ致シ候処、昨今ニ至リ、水産取締リノ必要ヨリ所轄ヲ相定メラレタキ旨、八重山役所ヨリ伺出デ候次第モコレ有リ、カタガタ此段相伺候也」(前掲『日本外交文書』第二三巻、「雑件」)
沖縄県のこの態度は、八五年とはまったく反対である。今度は清国との関係は一言もせず、県から積極的に、古賀の事業の取締りを理由に、日本領として沖縄県の管轄にされるように願っている。このときの知事は、かつての西村県令が内務省土木局長のままで沖縄県令を兼任していたのとはちがって、内務省社寺局長から専任の沖縄県知事に転出した丸岡莞爾といい、沖縄に天皇制の国家神道を強要しひろめるのに努力した、熱烈な国家主義者である。そういう知事なればこそ、釣魚諸島と清国との関係はあえて無視して、古賀の事業取り締りを口実に、ここを日本領にとりこもうと積極的に動いたのであろう。
これに対する内務、外務両省の協議の文書は見えないが、政府が何の指令もしなかったことは、次の節にかかげる明治二十七年(一八九四年)十二月二十七日付、内務大臣より外務大臣への協議書で知られる。
さらにおどろくべきことに、日清戦争の前の年一八九三年(明治二十六年)十一月二日、沖縄県知事−−薩摩出身の有名な軍国主義者で沖縄人民をもっとも苛酷に圧制した、悪名高い奈良原繁−−は、一八九〇年一月の上申と同じ趣旨で、「魚釣島」(釣魚島)と久場島(黄尾嶼)を同県の所轄とし、標杭を建設したい旨を、内務、外務両大臣に上申した。これに対しても、両大臣は九〇年の上申に対するのと同様に、一年以上も何らの協議もしなかった(註)。
(註)『日本外交文書』第一八巻「版図雑件」の「付記」「久米赤島、久場島及ビ魚釣島版図編入経緯」と題する文書に、「明治二十六年十一月二日、更ニ沖縄県知事ヨリ、当時ニ至リ本件島嶼へ向ケ漁業等ヲ試ムル者有ルニ付キ、之ガ取締ヲ要スルヲ以テ、同県ノ所轄ト為シ、標杭建設シタキ旨、内務外務大臣へ上申アリタリ、依テ二十七年十二月二十七日、内務大臣ヨリ……外務大臣へ協議……」とある。これで、二十六年十一月の沖縄県の上申は、一年以上も政府によって放置せられていたことがわかる。
それのみでない、日清戦争が始められる明治二十七年になってもまだ、開戦前か後かわからないが、いずれにしても日本の清国に対する戦勝が確実になる以前のことであるが、例の古賀辰四郎が、釣魚島開拓の許可願いを沖縄県に出したところ、県は「同島の所属が帝国のものなるや否や不明確なりし為に」、その願いを却下した。そこで古賀は、「さらに内務・農商務両大臣に宛て請願書を出すと同時に、上京して親しく同島の実況を具陳して懇願したるも」、なお許可せられなかった。
右のことは、『沖縄毎日新聞』の明治四十三年(一九一〇年)一月一日−九日号に連載された、「琉球群島における古賀氏の業績」という、古賀をたたえる文(註)中に書かれているが、もしも政府が、釣魚島を無主地と本心から見なしていたら、すでに対清戦備はほとんど完了している、あるいは開戦後かもしれないこの時点でもなお、同島の帰属不明ということで、古賀の請願を許可しない理由はないはずである。政府は、実はそこを中国領と知っていればこそ、まだ中国を打ち破っていないうちは、なおも慎重を期していたのであろう。
(註)この新聞記事は、那覇市編集『那覇市史』史料篇第二巻に収録。
天皇政府はこうして、一八八五年に釣魚諸島を中国から奪う腹をきめながら、そのための「他日ノ機会」を、九年間うかがいつづけた。
一二 日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った
政府が古賀の懇願をしりぞけてまもなく、九年このかた待ちに待っていた、釣魚諸島略奪の絶好の機会がついに到来した。宣戦布告に先立つ日本軍の清国軍不意打ちで火ぶたを切った日清戦争で、日本の勝利が確実になった九四年末こそ、その機会であった。このとき天皇政府は断然、釣魚諸島を日本領とすることにふみ切った。まず十二月二十七日、内務省から外務省へ、去年十一月の沖縄県知事の申請に回答して、魚釣島と久場島に標杭をたてさせることについて、秘密文書で協議した。その本文は次の通りである(傍註は『日本外交文書』編者のもの【都合上傍註は内記載に変更した:巽】 )。
「秘別第一三三号
久場島、魚釣島へ所轄標杭建設ノ儀、別紙甲号ノ通リ沖縄県知事ヨリ上申候処、本件ニ関シ別紙乙号ノ通リ明治十八年貴省ト御協議ノ末指令ニ及ビタル次第モコレ有リ候へドモ、其ノ当時ト今日トハ事情モ相異候ニ付キ、別紙閣議提出ノ見込ニコレ有リ候条、一応御協議ニ及ビ候也
明治廿七年十二月廿七日
内務大臣子爵 野村 靖(印)
外務大臣子爵 陸奥宗光殿」
この文末にいう「別紙」閣議を請う文案は次の通り。
「沖縄県下八重山群島ノ北西ニ位スル久場島、魚釣島ハ、従来無人島ナレドモ、近来ニ至リ該島へ向ケ漁業等ヲ試ムル者コレ有リ、之ガ取締リヲ要スルヲ以テ、同県ノ所轄トシ標杭建設致シタキ旨、同県知事ヨリ上申コレ有リ、右ハ同県ノ所轄ト認ムルニ依リ、上申ノ通リ標杭ヲ建設セシメントス。 右閣議ヲ請フ」
この協議書は、九年前の同じ問題についての協議書とちがって、とくに朱書の「秘」とされていることが注目される。政府はよほどこの問題が外部にもれるのを恐れていたとみえる。
外務省もこんどは何の異議もなかった。年が明けて一八九五年(明治二十八年)一月十一日、陸奥外相は野村内相に、「本件ニ関シ本省ニ於テ別段異議コレ無キニ付、御見込ノ通リ御取計相成リ然ルベシト存候」と答えた。ついで同月十四日の閣議で、前記の内務省の請議案文通りに、魚釣島(釣魚島)と久場島(黄尾嶼)を沖縄県所轄として標杭をたてさせることを決定、同月二十一日、内務大臣から沖縄県知事に、「標杭建設ニ関スル件請議ノ通リ」(註)と指令した。
(註)『日本外交文書』第二三巻、「八重山群島魚釣島ノ所轄決定ニ関スル件」の「付記」。
八五年には、清国の抗議をおそれる外務省の異議により、山県内務卿の釣魚諸島領有のたくらみは実現できなかった。九〇年の沖縄県の申請にも、政府は何の返事もしなかった。九三年の沖縄県の再度の申請さえ政府は放置した。それだのに、いま、こんなにすらすらと閣議決定にいたったのは何故だろう。その答えは、内務省から外務省への協議文中に、かつて外務省が反対した明治十八年の「其ノ当時ト今日トハ事情モ相異候ニ付キ」という一句の中にある。
明治十八年と二十七年との「事情の相異」とは何か。十八年には古賀辰四郎の釣魚島における事業は、始まったばかりか、あるいはまだ計画中であったが、二十七年にはすでにその事業は発展し、「近来同島ニ向ケ漁業ヲ試ムル者アリ」、政府をしてその取締りの必要を感じさせるようになった、ということであろうか。それも「事情の相異」の一つとはいえる。しかし、それが唯一の、あるいは主要な「相異」であるならば、その相異はすでに明治二十三年にははっきりしている。その相異を理由に、沖縄県が、釣魚島に所轄の標杭をたてたいと上申したのに対して、政府は何らの指令もせずに四年以上もすごした。さらに二十六年十一月に、沖縄県が前と同じ理由で重ねて標杭建設を上申したのに対しても、政府は返事をしなかった。その政府が二十七年十二月末になって、そのとき沖縄県から改めて上申があったわけではないのに、突如として一年以上も前の上申書に対する指令という形で、釣魚諸島の領有に着手したのであるから、漁業取締りの必要が生じたということは、九年前と今との「事情の相異」の唯一の点でないのはもとより、主要な点でもありえない。決定的な「相異」は、べつのところになければならない。
明治二十三年にも二十六年にも、政府はまだ日清戦争をはじめてはいない。さらに二十七年に古賀が釣魚島開拓を願い出た月日が、日清戦争前であればもとよりのこと、たとえ開戦直後であっても、まだ日本は清国に全面的に勝利していたわけではない。だが、その年十二月初めには、すでに日本の圧倒的勝利は確実となり、政府は講和条件の一項として、清国から台湾を奪い取ることまで予定している。これこそが、釣魚諸島を取ることに関連する「事情」の、以前といまとの決定的な「相異」である。
日清戦争は、陸でも海でも日本軍の連戦連勝であった。九四年九月、日本陸軍は朝鮮の平壌の戦闘で、海軍は黄海の海戦で、いずれも決定的な勝利をかちとった。つづいて陸軍の第一軍は、十月下旬までにことごとく鴨緑江を渡り、十一月中旬には大東溝・連山関を攻略、第二軍は、十月下旬に清国遼東半島の花園口に上陸、十一月上旬に金州城を奪い、大連湾砲台を攻略し、同月二十一日には連合艦隊と協力して旅順口をも占領した。この間に海軍は、清国海軍の主力北洋艦隊を、渤海湾口の威海衛にひっそくさせた。
戦局の推移を注目していたイギリスは、早くも十月八日、駐日公使をして、日本政府に講和の条件を打診させた。そのころから政府は、日本の圧倒的勝利を確信し、清国から奪い取るベき講和条件の具体的検討をはじめた。その重要条件の一つは、台湾を割譲させることであった。
清国側でも、総理衙門の恭親王らは、十月初めにすでに、清国の敗戦をみとめて早期講和を主張しており、十一月初めには、抗戦派の総帥である北洋大臣李鴻章も、早く講和するほかないことをさとった。
この情勢の中で、十一月末から十二月初めにかけて、これから大陸では厳寒に向う冬期において、日本はどのような戦略をとるべきか、大本営では意見が分れた。一方は、勢いに乗じてただちに北京まで進撃せよと主張した。他方は、冬期はしばらく兵を占領地にとどめ、陽春の候をまって再び進撃せよ、という。
このとき首相伊藤博文は、明治天皇の特別の命令により、文官でありながら、本来は陸海軍人のみによって構成される大本営の会議に列席していた。彼は十二月四日、冬期作戦に関する論争を批判し、独自の戦略意見を大本営に提出した。その要旨は次の通りである。
北京進撃は壮快であるが、言うべくして行なうべからず、また現在の占領地にとどまって何もしないのも、いたずらに士気を損うだげの愚策である。いま日本のとるべき道は、必要最小限の部隊を占領地にとどめておき、他の主力部隊をもって、一方では海軍と協力して、渤海湾口を要する威海衛を攻略して、北洋艦隊を全滅させ、他日の天津・北京への進撃路を確保し、他方では台湾に軍を出してこれを占領することである。台湾を占領しても、イギリスその他諸外国の干渉は決しておこらない。最近わが国内では、講和のさいには必ず台湾を割譲させよという声が大いに高まっているが、そうするためには、あらかじめここを軍事占領しておくほうがよい(春畝公追頌会編『伊藤博文傳』下)。
大本営は伊藤首相の意見に従った。威海衛攻略作戦は、翌一八九五年一月下旬に開始され、二月十三日、日本陸海軍の圧勝のうちに終った。この間に台湾占領作戦の準備も進み、九五年三月の中ごろ、連合艦隊は台湾の南端をまわって澎湖列島に進入し、その諸砲台を占領した。さらに、ここを根拠地として、台湾攻略の用意をととのえているうちに、日清講和談判が進行して、清国をして台湾を割譲させることは確実となったので、連合艦隊は四月一日佐世保に帰航する。
天皇政府が釣魚諸島を奪い取る絶好の機会としたのは、ほかでもない、政府と大本営が伊藤首相の戦略に従い、台湾占領の方針を決定したのと同時であった。一八八五年には、政府は、釣魚諸島に公然と国標をたてたならば、清国の「疑惑ヲ招キ」紛争となることをおそれたのだが、いま日本が釣魚諸島に標杭をたてても、清国には文句をつけてくる力などはない。たとえ抗議してきても一蹴するまでのことである。政府はすでに台湾占領作戦を決定し、講和のさいには必ずここを清国から割き取ることにしている。この鼻息荒い政府が、台湾と沖縄県との間にある釣魚島のような小さな無人島は、軍事占領するまでもない、だまって、ここは沖縄県管轄であると、標杭の一本もたてればすむことである、と考えたとしてもふしぎではない。
釣魚諸島を沖縄県管轄の日本領としようという閣議決定は、このようにして行なわれた。しかるに本年三月八日の外務省の「尖閣列島」の領有権に関する「見解」は、「尖閣列島は、明治十八年以降、政府が再三にわたって現地調査を行ない、単にこれが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、同二十八年一月十四日、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行ない……」という。これがいかにでたらめであるかは、本論文のこれまでの各節によって、まったく明白であろう。
明治政府が釣魚諸島の領有に関して現地調査をしたことは、一八八五年の内務大臣内命による沖縄県の調査があるだけである。しかもその調査結果を内務省に報告したさいの沖縄県令の「伺」は、「国標建設ノ儀ハ、清国トノ関係ナキニシモアラズ、万一不都合ヲ生ジ候テハ相スマズ」と、この島に対する清国の権利を暗にみとめて、国標の建設をちゅうちょしている。すなわち沖縄県の調査の結果は、この島の日本領有を正当化するものにはならなかった。この後政府は改めてこの地の領有権関係の調査をしたことはない。したがって、これらの島々に「清国の支配が及んでいないことを慎重に確認した」というのも、まったくのうそである。そんなことを「慎重に確認した上で」、釣魚諸島領有の閣議決定はなされたのではない。一八八五年には清国の抗議を恐れなければならなかったが、いまは対清戦争に大勝利をしており、台湾までも奪いとる方針を確定しているという、以前と今との決定的な「事情の相異」を、「慎重に確認」した上で、九五年一月の閣議決定はなされたのである。
閣議決定とそれによる内務省から沖縄県への指令(一月二十一日)は、日清講和条約の成立(九五年四月十七日調印、五月八日批准書交換)以前のことである。したがって、いま政府がいうように、その閣議決定によって釣魚諸島の日本領編入が決定されたとすれば−−閣議で領有すると決定しただけでは、現実に領有がなされたということにはならないが、かりにいま政府のいう通りだとすれば、それらの島は、日清講和条約第二条の清国領土割譲の条項によって日本が清国から割き取ったものには入らない。しかし、講和条約の成立以前に奪いとることにきめたとしても、これらの島々が歴史的に中国領であったことは、すでに十分に考証した通りである。その中国領の島を日本領とすることには、一八八五年の政府は、清国の抗議をおそれて、あえてふみきれなかったが、九五年の政府は、清国との戦争に大勝した勢いに乗じて、これを取ることにきめた。
すなわち、釣魚諸島は、台湾のように講和条約によって公然と清国から強奪したものではないが、戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに清国から盗み取ることにしたものである。
一三 日本の「尖閣」列島領有は国際法的にも無効である
日本が「尖閣列島」を「領有」したのは、時期的にたまたま日清戦争と重なっていただけのことで、下関条約によって台湾の付属島嶼として台湾とともに清国に割譲させたものではない、したがってこの地はカイロ宣言にいうところの、「日本国が清国人から盗取した」ものではない、というものがある。たとえば日本共産党の「見解」がそれである。たしかに、この地は下関条約第二条によって公然と正式に日本が清国から割き取ったものではない。けれども、この地の日本領有は、偶然に日清戦争の勝利の時期と重なっていたのではなく、まさに日本政府が意識的計画的に日清戦争の勝利に乗じて、盗み取ったものである。このことは、本論の前二節に詳述した、一八八五年以来の本島の領有経過によって明白である。
朝日新聞の社説「尖閣列島と我が国の領有権」(一九七二年三月二十日)は、もし釣魚諸島が清国領であったならば、清国はこの地の日本領有に異議を申し立てるべきであった、しかるに「当時、清国が異議を申立てなかったことも、このさい指摘しておかねばならない。中国側にその意思があったなら、日清講和交渉の場はもちろん、前大戦終了後の領土処理の段階でも、意思表示できたのではなかろうか」という。
しかし、日清講和会議のさいは、日本が釣魚諸島を領有するとの閣議決定をしていることは、日本側はおくびにも出していないし、日本側が言い出さないかぎり、清国側はそのことを知るよしもなかった。なぜなら例の「閣議決定」は公表されていないし、このときまでは釣魚島などに日本の標杭がたてられていたわけでもないし、またその他の何らかの方法で、この地を日本領に編入することが公示されてもいなかったから。したがって、清国側が講和会議で釣魚諸島のことを問題にすることは不可能であった。
また、第二次大戦後の日本の領土処理のさい、中国側が日本の釣魚諸島領有を問題にしなかったというが、日本と中国との間の領土問題の処理は、まだ終っていないことを、この社説記者は「忘れて」いるのだろうか。サンフランシスコの講和会議には、中国代表は会議に招請されるということさえなかった。したがって、その会議のどのような決定も、中国を何ら拘束するものではない。また当時日本政府と台湾の蒋介石集団との間に結ばれた、いわゆる日華条約は、真に中国を代表する政権と結ばれた条約ではないから−−当時すでに中華人民共和国が、真の唯一の全中国の政権として存在している−−その条約は無効であって、これまた中華人民共和国をすこしも拘束するものではない。すなわち、中国と日本との間の領土問題は、まだことごとく解決されてしまっているわけではなく、これから、日中講和会議を通じて解決されるべきものである。それゆえ、中国が最近まで、釣魚諸島の日本領有に異議を申し立てなかったからとて、この地が日本領であることは明白であるとはいえない。
明治政府の釣魚諸島窃取は、最初から最後まで、まったく秘密のうちに、清国および列国の目をかすめて行なわれた。一八八五年の内務卿より沖縄県令への現地調査も「内命」であった。そして外務卿は、その調査することが外部にもれないようにすることを、とくに内務卿に注意した。九四年十二月の内務大臣より外務大臣への協議書さえ異例の秘密文書であった。九五年一月の閣議決定は、むろん公表されたものではない。そして同月二十一日、政府が沖縄県に「魚釣」、「久場」両島に沖縄県所轄の標杭をたてるよう指令したことも、一度も公示されたことがない。それらは、一九五二年(昭和二十七年)三月、『日本外交文書』第二三巻の刊行ではじめて公開された。
のみならず、政府の指令をうけた沖縄県が、じっさいに現地に標杭をたてたという事実すらない。日清講和会議の以前にたてられなかったばかりか、その後何年たっても、いっこうにたてられなかった。標杭がたてられたのは、じつに一九六九年五月五日のことである。すなわち、いわゆる「尖閣列島」の海底に豊富な油田があることが推定されたのをきっかけに、この地の領有権が日中両国側の争いのまととなってから、はじめて琉球の石垣市が、長方型の石の上部に左横から「八重山尖閣群島」とし、その下に島名を縦書きで右から「魚釣島」「久場島」「大正島」およびピナクル諸嶼の各島礁の順に列記し、下部に左横書きで「石垣市建之」と刻した標杭をたてた(註)。これも法的には日本国家の行為ではない。
(註)「尖閣群島標柱建立報告書」、前掲雑誌『沖縄』所収。
つまり、日本政府は、釣魚諸島を新たに日本領土に編入したといいながら、そのことを公然と明示したことは、日清講和成立以前はもとより以後も、つい最近まで、一度もないのである。「無主地」を「先占」したばあい、そのことを国際的に通告する必要は必ずしもないと、帝国主義諸国の「国際法」はいうが、すくなくとも、国内法でその新領土の位置と名称と管轄者を公示することがなければ、たんに政府が国民にも秘密のうちに、ここを日本領土とすると決定しただけでは、まだ現実に日本領土に編入されたことにはならない。
釣魚諸島が沖縄県の管轄になったということも、何年何月何日のことやら、さっぱりわからない。なぜならそのことが公示されたことがないから。この点について、琉球政府の一九七〇年九月十日の「尖閣列島の領有権および大陸棚資源の開発権に関する主張」は、この地域は、「明治二十八年一月十四日の閣議決定をへて、翌二十九年四月一日、勅令第十三号に基づいて日本の領土と定められ、沖縄県八重山石垣村に属された」という。
これは事実ではない。「明治二十九年勅令第十三号」には、このようなことは一言半句も示されていない。次にその勅令をかかげる。
「朕、沖縄県ノ郡編成ニ関スル件ヲ裁可シ、茲(ここ)ニコレヲ公布セシム。
御名御璽
明冶二十九年三月五日
内閣総理大臣侯爵 伊藤博文
内務大臣 芳川顕正
勅令第十三号
第一條 那覇・首里区ノ区域ヲ除ク外沖縄県ヲ盡シテ左ノ五郡トス。
島尻郡 島尻各間切(まきり)、久米島、慶良間諸島、渡名喜島、粟国島、伊平屋諸島、鳥島及ビ大東島
中頭郡 中頭各間切
国頭郡 国頭各間切及ビ伊江島
宮古郡 宮古諸島
八重山郡 八重山諸島
第二條 郡ノ境界モシクハ名称ヲ変更スルコトヲ要スルトキハ、内務大臣之ヲ定ム。
附則
第三條 本令施行ノ時期ハ内務大臣之ヲ定ム。」
この勅令のどこにも、「魚釣島」や「久場島」の名はないではないか。むろん「尖閣列島」などという名称は、この当時にはまだ黒岩恒もつけていない。琉球政府の七〇年九月十七日の声明「尖閣列島の領土権について」は、右の三月の勅令が四月一日から施行されたとして、そのさい「沖縄県知事は、勅令第十三号の『八重山諸島』に尖閣列島がふくまれるものと解釈して、同列島を地方行政区分上、八重山郡に編入させる措置をとったのであります。……同時にこれによって、国内法上の領土編入の措置がとられたことになったのであります」という。
これはまた恐るべき官僚的な独断のおしつけである。勅令第十三号には、島尻郡管轄の島は、いちいちその名を列挙し、鳥島と大東島という、琉球列島とは地理学的には隔絶した二つの島もその郡に属することを明記しているのに、八重山郡の所属には、たんに「八重山諸島」と書くだけである。この書き方は、これまで八重山諸島として万人に周知の島々のみが八重山に属することを示している。これまで琉球人も、釣魚諸島は八重山群島とは隔絶した別の地域の島であり、旧琉球王国領でもないことは、百も承知である。その釣魚諸島を、今後は八重山諸島の中に加えるというのであれば、その島名をここに明示しなければ、「公示」したことにはならない。当時の沖縄県知事が、釣魚諸島も八重山群島の中にふくまれると「解釈」したなどと、現在の琉球政府がいくらいいはっても、釣魚島や黄尾嶼が八重山郡に属すると、どんな形式でも公示されたことはない、という事実を打ち消すことはできない。
じっさい、この勅令は、もともと釣魚諸島の管轄公示とは何の関係もない、沖縄県に初めて郡制を布く(これまで郡制は沖縄県にはなかった)ということの布告にすぎないのである。
釣魚諸島は、事実上は何年何月何日かに沖縄県管轄とせられたのであろう。あるいはそれは明治二十九年四月一日であったかもしれない。しかし、そのことが公示されたことがないかぎり、いま政府などがさかんにふりまわす帝国主義の「国際法」上の「無主地先占の法理」なるものからいっても、その領有は有効に成立していない。
明治政府は、どこかの無主地の島を新たに日本領土としたばあいには、その正確な位置、名称および管轄を公示することの決定的重要性はよく知っていた。釣魚諸島を奪いとる四年前、一八九一年(明治二十四年)、小笠原島の南々西の元無人島を日本領土に編入したさいにも、まず同年七月四日、内務省から外務省に次のように協議した。
「小笠原島南々西沖合、北緯二十四度零分ヨリ同二十五度三十分、東経百四十一度零分ヨリ同百四十一度三十分ノ間ニ散在スル三個ノ島嶼ハ、元来無人島ナリシガ、数年来、内地人民ノ該島ニ渡航シ、採鉱、漁業ニ従事スル者コレ有ルニ付キ、今般該島嶼ノ名称、所属ニ関シ、別紙閣議ニ提出ノ見込ニコレ有リ候。然ルニ右ハ国際法上ノ関係モコレ有ルベシト存候ニ付キ、一応御協議ニ及ビ候也。」
「別紙」の閣議提出案には、この島の緯度・経度を明記し、かつ、「自今小笠原島ノ所属トシ、其ノ中央ニ在ルモノヲ硫黄島ト称シ、其ノ南ニ在ルモノヲ南硫黄島、其ノ北ニ在ルモノヲ北硫黄島ト称ス」と、その所属と島名の案も示してある。外務省もこれに異議なく、ついで閣議決定をへて、明治二十四年九月九日付勅令第百九十号として、『官報』に、その位置、名称及び所管庁が公示された。さらに、そのことは当時の新聞にも報道せられた(『日本外交文書』第二四巻「版図関係雑件」、『新聞集成明治編年史』)。
さらに、釣魚諸島の「領有」より後のことであるが、一九〇五年(明治三十八年)、朝鮮の鬱陵島近くの、それまでは「松島」あるいは「リャンコ島」として、隠岐島や島根県沿岸の漁民らに知られていた無人島を、新たに「竹島」と名づけて日本領に編入(註)したさいも、一月二十八日に閣議決定、二月十五日、内務大臣より島根県知事に「北緯三十七度三十秒、東経百三十一度五十五分、隠岐島ヲ距ル西北八十五浬ニ在ル島ヲ竹島ト称シ、自今其ノ所属隠岐島司ノ所管トス。此ノ旨管内ニ告示セラルベシ」と訓令した。そして島根県知事は、二月二十二日内相訓令通りの告示をした(大熊良一「竹島史稿」)。
(註)この「竹島」を日本領としたことは、朝鮮国領土の略奪であると朝鮮側が主張していることは、周知のことであろう。私はまだこの問題を十分に研究していないが、この領有は無主地の先占であるという、自民党調査役大熊良一の「竹島史稿」の説には、大いに疑問をもっている。
「竹島」領有の経過を詳述した自由民主党調査役大熊良一は次のようにのべている。「このような(竹島領有のばあいのような)閣議決定の領土編入についての公示が、直ちに国の主権に及ぶという手続きは、明治初年いらい明治政府によってとられてきた慣行であり、こうした事例によって無主の島嶼が日本国領土に編入された事例が多くある。硫黄島(一八九一年)や南鳥島(一八九八年)さらに沖の鳥島(一九二五年)などの無人の孤島が、日本国の領土に編入され、それが国際的にも認知されるに至った公示の手続きは、すべてこの竹島の国土編入の手続きと同じように、地方庁たる府県告示をもって行なわれたのである。」(硫黄島は前記の通り、勅令で公示されている−−井上)
帝国主義支配政党である自由民主党調査役でさえ、この通り、新領土編入の場合にはその公示を必要とすることをみとめているが、釣魚諸島の領有についてだけは、それがまったく行なわれていない。日本政府は、この島々の緯度・経度も、名称も、所轄も、どんな形式によっても、ただの一度も公示せず、すべて秘密のうちに、日清戦争の勝利に乗じて、勝手に、いつのまにか日本領ということにしてしまった。これを窃かに盗んだといわずして何といおう。
こういう次第であるから、現在政府や日本共産党や諸新聞が「尖閣列島」と称している島々の地理的範囲も、どこからどこまでのことか、いっこうにはっきりしない。またその「列島」内の個々の島の名称も、政府部内においてさえ、海軍省と内務省系統とはよび名がちがう。このことはすでに本論文の第七、八節でくわしくのべた。也国の領土を、内心ではそうと気づきながら、「無主地」だなどとこじつけ、こっそり盗みとるから、その「領有」を公示もできず、その「領有」の年月日も、その地域の正確な範囲も、位置も、その名称すらも一義的に確定できないのである。
これが、彼らのいう「無主地の先占」の要件を一つも充たしていないことは、彼らが「硫黄島」や「竹島」を領有したしかたとくらべてみれば、誰にもすぐわかるであろう。
釣魚諸島は本来無主地ではなく、れっきとした中国領であった。この地に「無主地の先占」の法理を適用すること自体が本来不可能であるが、かりに無主地であったと仮定しても、その「先占」なるものも、この通り日本領編入を有効に成立させるのに必要な法的手続きを行なっていない。真の無主地を、あるいは本気で無主地と信じている土地を、何らの悪意もなく領有するのではなく、内心では中国領と知りながら、戦勝に乗じてそこをかすめとるから、こういうことにならざるをえないのである。これはどうりくつをつけてみても、合法的な領有とはいえない。
一八九五年、日清講和条約第二条で、台湾を日本が領有すると、ただちに、台湾の南側と、当時はスペイン領であったフィリピン群島との境界を、スペイン政府が問題にした。これについては、日本とスペイン両国府の交渉があり、同年八月七日の両国政府共同宣言(註)で、「バシー海峡ノ航行シ得ベキ海面ノ中央ヲ通過スル所ノ緯度平行線ヲ以テ、太平洋ノ西部ニ於ケル、日本国及ビスペイン国版図ノ境界線ト為スベシ」ということ、その他が決定され、日本領台湾とフィリピンの境界は明確にされた。
(註)『日本外交文書』第二八巻第一冊「西太平洋ニ於ケル領海ニ関シ日西両国宣言書交換ノ件」。
また同じ下関条約で日本が領有することになった、台湾の西側の澎湖列島の範囲については、条約にその緯度・経度が明示されていたから、これと中国その他の領土との境界も、はじめから明確であった。
ただ、台湾およびその付属島嶼の北側と東側の境界については、講和条約に何の規定もなく、また、それに関する清国と日本との別段の取りきめも行なわれなかった。清国政府は、台湾はおろか本土の要地遼東半島までも一時は日本に割譲をよぎなくされるほどの敗戦の打撃で、いまだ一度も放棄したことのない琉球に対する清国の歴史的権利を主張する力さえ失っていた。まして琉球と台湾の中間にあるけし粒のような小島の領有権を、いちいち日本と交渉して確定するゆとりはなかったであろう。日本政府はそれをもっけの幸いとして、琉球に関する中国のいっさいの歴史的権利を自然消滅させるとともに、かねてからねらっていた釣魚島から赤尾嶼に至る中国領の島々をも、盗み取ってしまったのである。
一四 釣魚諸島略奪反対は反軍国主義闘争の当面の焦点である
日本政府や日本共産党が、どんなに歴史を偽造し、ねじまげ、事実をかくし、帝国主義の国際法なるものをもてあそんでも、中国の領土は中国の領土であり、日本が盗んだものは盗んだものである。
したがって、日本が第二次世界大戦に敗れ、中国をふくむ連合国の対日ポツダム宣言を無条件に受諾して降伏した一九四五年八月十五日(降伏文書に正式調印したのは九月二日)から、釣魚諸島は、台湾・澎湖列島や「関東州」などと同じく、自動的にその本来の領有権者である中国に返還されているはずである。なぜなら、ポツダム宣言は、降伏後の日本の領土に関して、「カイロ宣言の条項は実行される」と定めてあり、そのカイロで発せられた中国、イギリス、アメリカの三大同盟国の共同宣言は、「三大同盟国の目的は……満洲、台湾、澎湖島のような、日本国が清国人から盗取したすべての地域を、中華民国に返還することにある」とのべているから(カイロ宣言中の「中華民国」は現在では、全中国の唯一の政権である中華人民共和国と読み替えるべきである)。
釣魚諸島を盗み取った一八九五年以後に、日本政府がここを国内法的にどうあつかい、ここにどんな施設をしようとも、また古賀辰四郎が一八九六年九月、多年の宿願を達して釣魚全島を政府から「借地」し、そこで事業を盛大に営んだとしても、それらのことは、現在この島を日本領とする根拠には、まったくなり得ない。また、日本が盗み取っていた期間に、中国からそれについて一度も抗議が出なかったとしても、そのことは、「日本国が清国人から盗取したすべての地域」は中国に返還されなければならないという、カイロ宣言の実行を規定したポツダム宣言の効力に、何の影響もあたえるものではない。
さらに、また日本が連合国に降伏した一九四五年八月以後も、アメリカ帝国主義が琉球列島とともに中国領釣魚諸島を占領しつづけ、さらに一九五二年四月二十八日発効のサンフランシスコ講和条約で、釣魚諸島をもひきつづき米軍の支配下に置くことが定められたことも、それらの島が歴史的に中国領であるという事実をすこしも変更するものではない。したがって現在、アメリカ政府から、釣魚諸島の「施政権」が、「南西諸島」の米軍施政権にふくまれるものとして、日本に「返還」されても、そのことによって、釣魚諸島があらためて日本領になるのではない。どこまでいっても、中国のものは中国のものである。
それにもかかわらず、あらゆる歴史の真実と国際の正義にさからって、日本帝国主義は釣魚諸島を、いま、「尖閣列島」の名で、再び中国から奪い取ろうとしている。そして中国が、釣魚諸島はずっと昔から中国の領土である、この不法略奪はゆるさない、と正当な主張をすれば、日本政府のみならず、軍国主義・帝国主義に反対と自称する日本共産党も日本社会党も大小の商業新聞も、ことごとく、完全に帝国主義政府に同調して、何らの歴史学的証明もせず、高飛車に、ここが歴史的に日本領であることは自明であるとして、日本人民を、にせ愛国主義・排外主義・軍国主義の熱狂にかりたてようとしている。
かつての天皇制軍国主義は、その最初の海外侵略のほこ先を、イギリスまたはアメリカにはげまされ、支持され、指導までされて、まず朝鮮・台湾に向け、それとの関連で、島津藩の半植民地琉球王国を名実ともに滅ぼして天皇制の植民地とし、やがて日清戦争に突入した。そしてその戦争の勝利が確実となるやいなや、琉球の向うの中国領釣魚諸島を盗み取った。これが近代日本の支配者が奪いとった百パーセント外国領土の最初の地であった。そしてこの天皇制軍国主義は、その後の日本帝国主義の、とめどもない朝鮮、中国、アジアの侵略につらなり「発展」していった。
それとまったく同じ型の道を、いま、第二次大戦の惨敗から再起した日本帝国主義支配層は、アメリカ帝国主義にはげまされ、援助され、指導どころか指揮までうけて、まっしぐらに突進している。一九六五年の「日韓条約」、六九年の佐藤・ニクソン共同声明、そして本年五月十五日発効の「南西諸島」−−琉球と釣魚諸島その他の島−−の「施政権」をアメリカから日本に「返還」するという日米協定による、これらの地域の日米共同軍事基地化は、明治の天皇制軍国主義の歩んだと同じ道である。そして釣魚諸島が、日本の奪いとる外国領土の最初の地であるということまで、天皇制軍国主義そっくりそのままである。この次のねらいは台湾と朝鮮であろうか。
火事は最初の一分間に消しとめなければならない。いまわれわれが、日本支配層の釣魚諸島略奪を放任するならば、やがて加速度的に日本帝国主義のアジア侵略の大火は燃えひろがるであろう。ただし、朝鮮人民、中国人民、アジア人民は、昔のように日本帝国主義の野望の実現をゆるすことは、決してないであろう。
帝国主義反対、軍国主義反対と、どんなに声高くさけんでも、アジア革命勝利を百万遍となえても、現実に、具体的に、その日本帝国主義・軍国主義が、すでに中国領釣魚諸島に侵略の手を着けていることに反対してたたかわなければ、そのいわゆる帝国主義・軍国主義反対は、現実には日本帝国主義・軍国主義を是認し支持することにしかならない。
ましてや、「尖閣列島は日本領である」などといって、帝国主義政府と緊密に協力しながら、「尖閣列島」の軍事的利用はゆるさない、ここを平和の島にせよなどという、日本共産党などは、日本帝国主義の積極的な共犯者である。帝国主義が他国の領土を奪い取るのに全力をあげて協力しておいて、さてその奪い取ったものの使い方に、平和主義をよそおう注文をつけるのは、きわめて悪質な人だましである。これと同じことを、かつて一九二七年以来の日本帝国主義の中国侵略のさい、社会民衆党その他の右翼社会民主主義者がやった。いまの日共はそれと瓜二つである。
「尖閣列島は日本のものでもない、中国のものでもない、それは人民のものである。われわれは、日本と中国の国家権力の領土争いには、どちらにも反対である」などといって、いかにも国際主義の人民の立場に立っているかの如く幻想するものがある。これこそ掛値なしの「革命的」空論である。その空論で現実の日本帝国主義を支援するものである。
この地上から、いっさいの帝国主義と搾取制度が消滅させられ、いっさいの階級がなくなり、したがって国家も死滅する、遠い将来のことはいざ知らず、現在、すべての具体的現実的な、生きた人間は、階級に編成され、国家に区分されている。この現代の、生きた人民の国際主義の最大の任務は、帝国主義に反対することである。とりわけ帝国主義国の人民は、何よりもまず自国の帝国主義に反対しなげればならない。たとえ自国帝国主義と他の帝国主義国とが戦争した場合にさえ、国際主義の人民・プロレタリアートは自国帝国主義に反対してたたかう。決してどちらにも反対などといってすましてはいない。まして自国帝国主義が、現代世界の反帝勢力の拠点である中国の領土を盗むのに反対しないような、反帝はありえない。現在、われわれが日本帝国主義の釣魚諸島略奪に反対するのは、それがまさに日本帝国主義の当面の侵略の目標であり、その達成によって日本帝国主義がいっそう侵略を拡大する出発点がつくられるからである。とくに中国領をとろうとするからそれに反対するのではなくて、外国領土を取ろうとする、これが再起した日本帝国主義の出発点であるから、今、すぐ、その出発点をつぶさなければならないのである。そうするのは、中国びいきの人であろうとなかろうと、中国のためにするのではなく、日本帝国主義下にある日本人民の国際主義の貫徹としてであり、だれよりもまず日本人民自身のためである。人民、あるいはプロレタリアートを、生命のない、抽象的観念と化してしまい、「人民」は日中両国家の領土争いには反対である、などとの空論にふけることは、日本帝国主義に反対する日本人民の国際主義のたたかいに水をぶっかけ、日本帝国主義を助けるものでしかない。
またある人々は次のようにいう。軍国主義に反対の日本人民は、いま日本と中国との国交回復に全力をあげるべきである。そのためにまず解決すべきことは台湾問題である。日本の支配者たちをして、完全に蒋介石一派と絶縁して日台条約を破棄させ、台湾省は中国の一省であり、台湾省をもふくめて全中国を支配する唯一の政権は中華人民共和国であるということを公式に認めさせ、その中国と日本との国交回復をかちとることが当面の中心課題であって、釣魚諸島問題は、国交回復後に、日中両国政府が平和五原則にもとづいて話し合いで解決されるだろう、それまで釣魚諸島問題をさわぎたてない方がよい、などというのである。
この説は、公然と明示されていないけれども、ひじょうに広く存在している。この説は、いま釣魚諸島問題をもちだせば、大衆は軍国主義者のあおるにせ愛国主義のとりこになり、反中国になり、日中国交回復をさまたげるものとみなしている。それと同時にこの主張は、中国政府は釣魚諸島問題が日中国交正常化の妨げにならないよう配慮している、と伝えられているのを頼りにしている。このように日本人民を信じないで、中国外交の賢明巧妙に頼るだけで、日本軍国主義とたたかうことが、どうしてできよう。われわれ日本人民は、中国政府のきめの細かい巧妙な外交に頼ってわれわれ自身のたたかいを放棄するのではなく、反対に今のうちにこそ、すなわち日中が国交正常化して、次の平和条約の交渉に移った段階で必然に釣魚諸島の帰属が日中両国政府間の交渉の重大案件として大きく前面に出て来る以前にこそ、われわれは声を大にして、釣魚諸島に関する歴史と道理を人民にうったえ、日本帝国主義の中国領釣魚諸島略奪反対のたたかいを広範に展開すべきである。いまそうしないで、この問題が日中政府間交渉の議題に上ったときに、ようやく、釣魚諸島は中国領だと正論を宣伝しようとしても、そのときはすでにおそし、政府、自民党、日共をはじめ各政党とマス・コミがいっせいにあおる、尖閣列島は日本のものだ、中国に屈服するな、などという反中国のにせ愛国主義と軍国主義の猛焔が、日本中をつつんでいることだろう。
釣魚諸島略奪反対のたたかいは、後日ではなく、まさに今日、日本人民が全力をあげてとりくむべき、日本軍国主義・帝国主義反対の闘争の当面の焦点である。このたたかいに目をつむって、反帝も反軍国主義もありえない。釣魚諸島略奪反対の闘争と日中国交回復の闘争とを、切りはなしたり、甚しきは対抗させたりすることは、じつは日帝を援助することである。本気で、まじめに、具体的に、日本帝国主義軍国主義に反対してたたかおう。そのたたかいの、当面の最大の緊急の焦点である、日本帝国主義軍国主義の中国領釣魚諸島略奪反対に、全力をあげよう。
一五 いくつかの補遺
この原稿が印刷所に入ってから後に、私は二つの、それぞれにちがった意味で、興味ある雑誌を見た。一つは、朝日新聞社発行の『朝日アジアレビュー』第十号である。これには「尖閣列島」問題が特集されている。もう一つは台湾の学粋雑誌社編『学粋』第十四巻第二期「釣魚台是中国領土専号」である(本年二月十五日付発行)。これらの論文を、いちいち紹介批評するのは、ここでの私の目的ではなく、これらに触発されて、私が考えたことを、本論文の補遺として、二、三書いておきたい。
『朝日アジアレビュー』の高橋庄五郎の「いわゆる尖閣列島は日本のものか」の一節は、東恩納寛惇が琉球諸島は元来日本領であったことの証拠の一つとして、「オキナワ」その他の島名が日本語であることの意義を指摘しているのを引用し、その論法を釣魚諸島問題に適用し、これらの島が中国名であることに注意をうながしている。
釣魚諸島は、明・清の時代には無人島ではあったが、決して無名の島ではなかった。りっぱな中国名をもっていた。ふつう国際法上の「無主地」として「先占」の対象になる島は、無人島であるばかりでなく、無名の島である。大洋中に孤立した無人島で、かつ、それに何国語の名もついていないならば、それは無主地であるとみなすことができようが、それに、れっきとした名称がついているばあいには、その名称をつけた者の属している国の領土である可能性が多い。
釣魚諸島は、明・清時代の中国人の琉球への航路目標にされた。福州から琉球へ航するさい、まずこれこれの島を目標にし、ついでこれこれの島を目標にすると航路を確定するためには、その島々の位置を明らかにし、一定の名称をつけておかなければならない。こうして釣魚諸島には中国人によって中国語名がつけられ、かつそのことが中国の公的文献に記録され、伝承された。しかもその島々は、中国の沿海にあり、中国領であることは自明の島々につらなっている。のみならず、その島々のさらに先につらなる島は琉球語名がつけられており、はっきりと琉球領として中国語名の釣魚諸島とは区別されている。こういうばあいに、その中国名の島々を、「無主地」だなどと中国人はもとより琉球人も考えるわけはない。まして、本文でくわしく論じたように、中国名の赤尾嶼と琉球名の久米島との間が、「中外ノ界ナリ」と明記されている中国の文献が二つもあり、江戸時代日本人のこの島々を記録した唯一の文献『三国通覧図説附図』も、ここをはっきり中国領としているのだから、これでもなお、「無主地」ということは、とうていできない。
高橋論文によって、私は島名の重要性を教えられたのだが、その論文が、釣魚諸島は下関条約第二条によって清国から日本に奪いとられたのではないか、としている疑問には、私は否定的に答える。高橋が指摘している通り、台湾・澎湖諸島とその付属島嶼の受け渡しは、「実に大ざっぱな形だけの受け渡し」であったことはまちがいない。それゆえ私も、『歴史学研究』二月号にのせた論文を書いたときは、高橋と同じように考えていたが、いまは本文第一二、一三節に書いた通り、ここは台湾略取と同時に、かつ台湾略取と政治的にも不可分の関連をもって、げんみつに時間的にいえば台湾より少し早く、法的には非合法に何らの条約にもよらず、清国から窃取したと考える。もしこの島々が、下関条約第二条にいう台湾付属の島(地理学的なことではない)として、台湾とともに日本に割譲されたものであれば、どうしてこの島は台湾総督の管下になくて沖縄県に所属させられたのか説明できない。明治十八年以来、天皇政府がこの島を盗みとろうとねらいつづけた全過程をみれば、この盗み取りが、日清戦争の勝利と不可分ではあるが、下関条約第二条との直接の関係はないと言わざるをえない。
『朝日アジアレビュー』の奥原敏雄の「尖閣列島と領土帰属問題」は、「尖閣列島」日本領論者がいよいよその帝国主義的強盗の論理をむき出しにしたものとして「興味」深い。彼は書いている、「無主地を先占するに当っての国家の領有意思存在の証明は、国際法上かならずしも、閣議決定とか告示とか、国内法による正規の編入といった手続きを必要とするものではない。先占による領域取得にあたって、もっとも重要なことは実効的支配であり、その事実を通じ国家の領有意思が証明されれば十分である」(二〇ぺージ上段)と。彼はまた、「尖閣列島の自然環境や居住不適性を考えるならば、現実的占有にまで至らなくても、国家の統治権が一般的に及んでいたことを立証することができれば、国際法上列島に対する日本の領有権を十分に主張しうるといえよう」(二一ぺージ上段)ともいう。
中国の封建王朝の領土支配の諸形態のうちの一つに、近代現代の主権国家の領土支配と同じしかたのいわゆる実効的支配が行なわれていないからといって、そこは「無主地」だと強弁する奥原が、日本国家の行為については、「尖閣列島」は自然環境が悪くて人が住むのに適していないから、そういう地域は「現実的占有」をしなくても、領有を「公示」しなくても、また日本領編入の国内法上の手続きをしなくても、日本政府がここを日本領とするときめて支配すれば、日本領である、とにかく、オレの領土として支配している所はオレの領土だ、というのである。これほど帝国主義的な自分勝手の議論がまたとあろうか。彼がこのように、なりふりかまわず、居直り強盗の論法をふりまわさざるをえないということこそ、釣魚諸島日本領論の完全な破綻を自らばくろするものである。
奥原は、このような居直り強盗の論法で、明治十八年以来日本はここを領有し、「統治行為」を行なってきたのだと、あれこれの事をあげているが、ここが明治十八年以前に「無主地」であったという論証は、一字もしていない。彼はそれ以前の論文で、陳侃や郭汝霖の記述は、釣魚諸島が琉球領でないことを示すだけで、中国領であることを示すものではない、それは無主地であった、ということは証明ずみであるかのようによそおっている。だが、その説に対しては、私は『歴史学研究』本年二月号で、批判を加え、陳・郭の文章をどう読むのが正しいかを明らかにし、さらに、汪楫の使録で、赤尾嶼以西が中国領であることは、文言の上でも明確にされているという史料もあげておいた。奥原はこの批判に対しては、一言半句も反論もせず、すっかり無視したかのようである。彼は反論できないのである。
釣魚諸島が無主地でなく中国領であったということが確認されれば、いかなる「先占」論も一挙に全面的に崩壊する。私はその証明を、今回の論文で、前回の『歴史学研究』論文よりも、いっそう明確にしたが、私見をさらに補強する史料が、前記の雑誌『学粋』に出ている。それは、方豪(ほうごう)という人の「『日本一鑑』和所記釣魚嶼」という論文である。
『日本一鑑』は、一五五五年に、倭寇対策のために明朝の浙江巡撫の命により日本に派遣された鄭舜功(ていしゅんこう)が、九州滞在三年の後に帰国して著作した書物である。同書の第三部に当る「日本一鑑桴海図経」に、中国の広東から日本の九州にいたる航路を説明した、「万里長歌」がある。その中に「或自梅花東山麓 鶏籠上開釣魚目」という一句があり、それに鄭自身が注釈を加えている。大意は福州の梅花所の東山から出航して、「小東島之鶏籠嶼」(台湾の基隆港外の小島)を目標に航海し、それより釣魚嶼に向うというのであるが、その注解文中に、「梅花ヨリ澎湖ノ小東ニ渡ル」、「釣魚嶼ハ小東ノ小嶼也」とある。この当時は小東(台湾)には明朝の統治は現実には及んでおらず、基隆とその付近は海賊の巣になっていたとはいえ、領有権からいえば、台湾は古くからの中国領土であり、明朝の行政管轄では、福建省の管内に澎湖島があり、澎湖島巡検司が台湾をも管轄することになっていた。その台湾の付属の小島が釣魚嶼であると、鄭舜功は明記しているのである。釣魚島の中国領であることは、これによってもまったく明確である。こういう史料は、中国の歴史地理の専門家は、さらに多く発見できるにちがいない。
『朝日アジアレビュー』の特集の巻頭言「尖閣を日中正常化の障碍とするな」は、「尖閣列島」が歴史的には中国領であったことを、抹殺しようとつとめている。
いわく「共産圏では大体、欧米より国家主義が強い。チェコで案内書の一節におどろかされた。いわく−−われらの祖先は、かつてアドリア海から北海にいたる地域を支配していた、と。
妙な話だと思い、よく読んでみると、その大国は神聖ローマ帝国のこと。チェコの首都プラハは、大帝国の首都でもあったのである。
歴史主義もこの場合ご愛嬌だが、世界各国がそれぞれの最盛期における版図を現在もし主張すれば、たいへんな騒動になるだろう。
尖閣列島の問題も、歴史主義だけではかたづかない。」
この一文はまるで、現代中国が、歴史上の中国の最大版図をいまの中国領であると主張しているかのように読者に印象づける。そして、同誌編集部のつくった「尖閣列島問題年史」は、一八七二年、日本政府が琉球国王尚泰を琉球藩王としたことからはじまり、それ以前の、陳侃使録以来、釣魚島が中国領と記録されている長い時代については、一字も書こうとしない。歴史をまったく無視抹殺している。
この年表によれば、明治十八年九月、沖縄県令がここを沖縄県所管とする国標をたてるよう内務卿に上申したことになっている。これはうそである。事実は、内務卿が国標をたてようとして沖縄県に調査を内命したのに対して、沖縄県は調査の結果、ここは中国領らしいとの理由で、国標建設をためらう意見を出した。このことは本文にくわしくのべた。
またこの年表は、一八八六年三月「海軍水路部『寰瀛水路誌』に尖閣列島に関する調査結果を発表」と書いている。これでみると、いかにも日本海軍が独自に調査したようであるが、実はそれは英国海軍水路誌の記述の抄訳であったことも、本文で明らかにした。さらにこの年表は、一八九六年四月一日「勅令第一三号による郡制の沖縄県施行により、沖縄県知事は尖閣列島を八重山郡に編入後国有地に指定(魚釣島、久場島、南小島、北小島)」とある。勅令第十三号云々のでたらめも本文で明らかにした。
『朝日アジアレビュー』はこのように歴史を抹殺しながら、「国際問題に関心をもつ日本人の多くは、尖閣問題について語りたがらない。中国に悪く思われはせぬか、商売上の損になってはこまる、といった発想法であろう。だが意見は意見として述べないのは、信頼をえる道ではあるまい」などと、現在の事実をもねじまげる。
「尖閣」問題について、国際関係に関心をもつ専門家も、歴史家も語ろうとしないのは事実である。私が『歴史学研究』にこの問題に関する論文を寄稿したら、編集長は、それをのせたということで、委員会でつるしあげられたらしい。釣魚諸島は歴史的に中国領であって無主地ではないことを考証した、学術論文を専門雑誌にのせることさえ、容易ではない。
このようなことが起るのは、何も日本人が中国に気がねしてではない。まさにその逆である。日本の権力者、ジャーナリズム、右翼および日本共産党の顔色をうかがうからである。歴史学的にも、国際法論的にも、釣魚諸島は無主地だったとか、日本の領有は無主地の先占であるとか、まじめに、事実を事実とし論理を論理とするかぎり、いえたものではない。しかし、そういわないで、ここは中国領であったと正しいことをいえば、「国益に反する」「売国奴」として、さまざまの中傷・迫害をうける。領有問題がもっと尖鋭になれば、正論を吐くものへの迫害もいっそう尖鋭になろう。まして、議員選挙では、この正論は必ずしも得票と結びつかない。それどころか、自分自身がにせ愛国主義を克服しておらず、大衆は領土欲が強いものとひとりぎめにしている人々には、釣魚問題で正論をはけば大いに得票がへるだろうと恐ろしくてならない。議員候補者たらんとする者や政党はみなそう思っているので、日本共産党のように、積極的に、「尖閣は日本領だ」とどなりたてて、「にせ愛国主義」をあおって票をかせごうとするか、そこまでだらくできないものは黙っている、ということになるのである。学者でも、中国に気がねではなくて、日本の国家主義と日共に気がねして、正論をはくことがこわい以上は、「沈黙は黄金なり」をきめこんでいるのである。
そして、「次元の低い国家主義」に反対と称する『朝日アジアレビュー』は、この島々の歴史をまったく無視して、歴史的論文は一篇ものせないばかりか、年表からさえも、これが中国領であることを示す事はすっぱりと切り棄てて、その上に巻頭言で、専門家よ、歴史にこだわるな、ここが日本領であると大声でさけべと煽動しているのである。
こういう危険な状況に対して、反帝とか反軍国主義とか日中友好とかをいう人々が、毅然として立ちむかい、真実を真実として公然と発言することを切望する。「尖閣の問題は、歴史的事実がどうか、法律の上でどちらが正しいか、私などにはよくわからないので、だまっているほかない」などと、いいかげんな逃げ口上はやめて、わからなければ研究し調査して、どんどん発言しようではないか。これは、よくわからないですませられるような問題ではない。再起した日本帝国主義軍国主義に反対するかどうか。われわれ日本人民の前途にかかわる決定的な問題である。
(一九七二年六月十一日追記。『中国研究月報』六月号)
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html#c2
24. スポンのポン[10712] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年2月05日 09:35:39 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[1022]
■今度こそ、叩き潰そう自民党!
国民の血税をかすめ取る利権政策が
大手を振ってまかり通る国。
それを追求すると悪人のごとく扱われる国。
こんな愚かで恥ずかしい国に誰がした。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/179.html#c24
3. 中川隆[-12437] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:36:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
井上清著の『「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明』(初版1972/再刊1996)
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
は CML で岡山の野田さんが「大変、説得力をもつ論文」という詞書を添えられて紹介の労をとってくださっていましたので、私も読みました。そして、領有権と先占権についての私のこれまでの考え方がきわめて視野の狭い見方であり、考え方であったことに気づかされました。故井上清教授は日本外務省と日本共産党の領有と先占の考え方について完膚なきまでに徹底批判しています。
■「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明(井上清 初版1972/再刊1996)
先に中国側サイトで紹介されている井上教授の主張と「尖閣諸島問題」のホームページ及び「日本の領有は正当 尖閣諸島 問題解決の方向を考える」という赤旗の論評を読み比べて比較考証した際には気づかず、「尖閣諸島問題」の「中国の文献」の記述及び「尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであり、中国側の文献にも中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住したことを示す記録はありません」という赤旗の論評の方に論の正当性を感じていたのですが、改めて故井上教授の上記論文の全文を熟読して井上教授の論の正しさを確認するに到りました。
尖閣諸島の領有に関する故井上教授の主張の要点は、下記の解釈の徹底さと正しさにあるように思います。
(1)『使琉球録』(1534年に中国の福州から琉球の那覇に航した明の皇帝の冊封使陳侃著)の「乃属琉球者」(乃チ琉球ニ属スル者ナリ)の解釈
(2)『重編使琉球録』(1562年に冊封使となった郭汝霖著)の「界琉球地方山也」(琉球地方ヲ界スル山ナリ)の解釈
(3)『籌海図編(胡宗憲が編纂した1561年の序文のある巻一「沿海山沙図」の「福七」〜「福八」)にまたがって地図として示されている「鶏籠山」、「彭加山」、「釣魚嶼」、「化瓶山」、「黄尾山」、「橄欖山」、「赤嶼」が西から東へ連なっている事実の解釈。
(4)『使琉球雑録』巻五(1683に入琉清朝の第2回目の冊封使汪楫の使録)の「中外ノ界ナリ」(中国と外国の界という意味)の解釈
(5)『中山傳信録』(1719年に入琉した使節徐葆光の著)の姑米山について「琉球西南方界上鎮山」と記されている「鎮」(国境いや村境いを鎮めるの意。「鎮守」の鎮)の解釈
もちろん、故井上教授の「無主地先占の法理」なる国際法が「近代のヨーロッパの強国が、他国他民族の領土を略奪するのを正当化するためにひねりだした『法理』」でしかないこと、またその「法理」が「現代帝国主義にうけつがれ、いわゆる国際法として通用させられている」という論証からも多くのことを学びました。
そうして故井上清教授の論の徹底性と正しさに学びながら、杉原さんがCMLで紹介されている「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのものを俎上にのせる必要がある」(『北方領土問題』、岩下明裕、中公新書)という考え方などにも学び、尖閣沖中国漁船衝突事件によって改めて、あるいはにわかにクローズアップされるようになった尖閣諸島の領有権の帰属の問題、また「先占」取得に関する現在の国際法法理は、国際社会における最高意思の主体を国家とみなす1648年以来現代まで続いているウェストファリア体制(国民国家体制)のパワー・ポリティクスに基づく法理といわなければならないものであること。17世紀以来のパワー・ポリティクスに基づく「国家主権」を結果的に優先させてきた古い時代の法理(その法理は、近現代の植民地主義・帝国主義の国際法上の法理としても当然通用してきたわけですが)に基づく国際法を根拠にして「先占」取得の正当性を主張するたとえば外務省や日本共産党の考え方はいまや時代錯誤の考え方というべきであり、早急に改められなければならない考え方というべきだろう、ということに気づかされました。
私の先のエントリにおける「先占」取得に関する国際法法理を支持する考え方は、まったく視野の狭いものでした。領有権と先占の問題について先のエントリで述べた私の考え方は誤りであったことを認め、改めたいと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8635877.html
私も歴史学者の故井上清教授の政治的立場を知らないわけではありません。しかし、井上論文の評価と彼の政治的立場は無関係ではありませんが切り離して考えるべきだと思います。そうしないと正しい論文評価はできません。論は論自体として読むのが正統な読み方だと思います。
さて、井上論文で指摘されている尖閣諸島の領有権の帰属の問題、また「先占」取得の問題を読み込むにあたって、私の中にあった第一の問題意識は、「尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであり、中国側の文献にも中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住したことを示す記録はありません」(赤旗論評「日本の領有は正当 尖閣諸島 問題解決の方向を考える」)と捉える赤旗の論評は正確なものといえるかどうかという点にありました。
この点について井上論文は以下の論証をしています。
■「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明(井上清 初版1972/再刊1996)
第1。『使琉球録』(陳侃 1534年)に記述のある「乃属琉球者」(乃チ琉球ニ属スル者ナリ)の解釈と『重編使琉球録』(郭汝霖 1562年)に記述のある「界琉球地方山也」(琉球地方ヲ界スル山ナリ)の解釈について
以下、井上論文の該当部分を少し長いですが論証に必要な範囲内で要約します。
(1)『使琉球録』(陳侃 1534年)には次のような記述がある。「十日、南風甚ダ迅(はや)ク、舟行飛ブガ如シ。然レドモ流ニ順ヒテ下レバ、(舟は)甚ダシクハ動カズ、平嘉山ヲ過ギ、釣魚嶼ヲ過ギ、黄毛嶼ヲ過ギ、赤嶼ヲ過グ。目接スルニ暇(いとま)アラズ。(中略)十一日夕、古米(くめ)山(琉球の表記は久米島)ヲ見ル。乃チ琉球ニ属スル者ナリ。夷人(冊封使の船で働いている琉球人)船ニ鼓舞シ、家ニ達スルヲ喜ブ」。
(2)『重編使琉球録』(郭汝霖 1562年)には次のような記述がある。「閏五月初一日、釣嶼ヲ過グ。初三日赤嶼ニ至ル。赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ。再一日ノ風アラバ、即チ姑米(くめ)山(久米島)ヲ望ムベシ」。
(3)上に引用した陳・郭の二使録は、釣魚諸島のことが記録されているもっとも早い時期の文献として、注目すべきであるばかりでなく、陳侃は、久米島をもって「乃属琉球者」といい、郭汝霖は、赤嶼について「界琉球地方山也」と書いていることは、とくに重要である。この両島の間には、水深二千メートル前後の海溝があり、いかなる島もない。それゆえ陳が、福州から那覇に航するさいに最初に到達する琉球領である久米島について、これがすなわち琉球領であると書き、郭が中国側の東のはしの島である赤尾嶼について、この島は琉球地方を界する山だというのは、同じことを、ちがった角度からのべていることは明らかである。
(4)なるほど陳侃使録では、久米島に至るまでの赤尾、黄尾、釣魚などの島が琉球領でないことだけは明らかだが、それがどこの国のものかは、この数行の文面のみからは何ともいえないとしても、郭が赤嶼は琉球地方を「界スル」山だというとき、その「界」するのは、琉球地方と、どことを界するのであろうか。郭は中国領の福州から出航し、花瓶嶼、彭佳山など中国領であることは自明の島々を通り、さらにその先に連なる、中国人が以前からよく知っており、中国名もつけてある島々を航して、その列島の最後の島=赤嶼に至った。郭はここで、順風でもう一日の航海をすれば、琉球領の久米島を見ることができることを思い、来し方をふりかえり、この赤嶼こそ「琉球地方ヲ界スル」島だと感慨にふけった。その「界」するのは、琉球と、彼がそこから出発し、かつその領土である島々を次々に通過してきた国、すなわち中国とを界するものでなくてはならない。これを、琉球と無主地とを界するものだなどとこじつけるのは、あまりにも中国文の読み方を無視しすぎる。
(5)こうみてくると、陳侃が、久米島に至ってはじめて、これが琉球領だとのべたのも、この数文字だけでなく、中国領福州を出航し、中国領の島々を航して久米島に至る、彼の全航程の記述の文脈でとらえるべきであって、そうすれば、これも、福州から赤嶼までは中国領であるとしていることは明らかである。これが中国領であることは、彼およびすべての中国人には、いまさら強調するまでもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼には思いもよらなかった。そうして久米島に至って、ここはもはや中国領ではなく琉球領であることに思いを致したればこそ、そのことを特記したのである。
(6)政府、日本共産党、朝日新聞などの、釣魚諸島は本来は無主地であったとの論は、恐らく、国士館大学の国際法助教授奥原敏雄が雑誌『中国』七一年九月号に書いた、「尖閣列島の領有権と『明報』の論文」その他でのべているのと同じ論法であろう。奥原は次のようにいう。/陳・郭二使録の上に引用した記述は、久米島から先が琉球領である、すなわちそこにいたるまでの釣魚、黄尾、赤尾などは琉球領ではないことを明らかにしているだけであって、その島々が中国領だとは書いてない。「『冊封使録』は中国人の書いたものであるから、赤嶼が中国領であるとの認識があったならば、そのように記述し得たはずである」。しかるにそのように記述してないのは、陳侃や郭汝霖に、その認識がないからである。それだから、釣魚諸島は無主地であった、と。/たしかに、陳・郭二使は、赤嶼以西は中国領だと積極的な形で明記し「得たはずである」。だが、「書きえたはず」であっても、とくにその必要がなければ書かないのがふつうである。「書きえたはず」であるのに書いてないから、中国領だとの認識が彼らにはなかった、それは無主地だったと断ずるのは、論理の飛躍もはなはだしい。しかも、郭汝霖の「界」の字の意味は、前述した以外に解釈のしかたはないではないか。
上記の故井上教授の論証に私は「尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであ」るという赤旗論評以上の説得力を感じます。郭汝霖のいう「界」が赤旗論評にいう「航路の目標」以上の当時の中国人の領有意識を示している記述であることは明らかというべきであろう、と井上教授ならずとも私も思います。
このまま故井上教授の論を引用していると本メールはあまりにも長くなりすぎますのでこれ以上の井上論文からの引用は避けたいと思います。各自におかれて先のメールで私が挙げた井上論文の5つの論点のうちの残された論点、すなわち、
(3)『籌海図編(胡宗憲が編纂した1561年の序文のある巻一「沿海山沙図」の「福七」〜「福八」)にまたがって地図として示されている「鶏籠山」、「彭加山」、「釣魚嶼」、「化瓶山」、「黄尾山」、「橄欖山」、「赤嶼」が西から東へ連なっている事実の解釈。
(4)『使琉球雑録』巻五(1683に入琉清朝の第2回目の冊封使汪楫の使録)の「中外ノ界ナリ」(中国と外国の界という意味)の解釈
(5)『中山傳信録』(1719年に入琉した使節徐葆光の著)の姑米山について「琉球西南方界上鎮山」と記されている「鎮」(国境いや村境いを鎮めるの意。「鎮守」の鎮)の解釈
の論点を熟読していただければ私としても幸いに思います。
ただ、坂井さんが「もう一つ、私が井上論文に違和感を感じるのは『七 琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった』と、断言しているところです。その箇所を何回読み返しても、それは本当なのかという疑問はわいてきます」という疑問を述べられていますので、この点について故井上教授の論をもう少し引用させていただこうと思います。この点について井上教授は次のように言っています。
琉球人の文献でも、釣魚諸島の名が出てくるのは、羽地按司朝秀(後には王国の執政官向象賢)が、一六五〇年にあらわした『琉球国中山世鑑』(略)巻五と、琉球のうんだ最大の儒学者でありまた地理学者でもあった程順則が、一七〇八年にあらわした『指南広義』の「針路條記」の章および付図と、この二カ所しかない。しかも『琉球国中山世鑑』では、中国の冊封使陳侃の『使琉球録』から、中国福州より那覇に至る航路記事を抄録した中に、「釣魚嶼」等の名が出ているというだけのことで、向象賢自身の文ではない。/また程順則の本は、だれよりもまず清朝の皇帝とその政府のために、福州から琉球へ往復する航路、琉球全土の歴史、地理、風俗、制度などを解説した本であり、釣魚島などのことが書かれている「福州往琉球」の航路記は、中国の航海書および中国の冊封使の記録に依拠している。
上記から釣魚諸島(尖閣諸島)に関する中国の文献に比して琉球人の文献は圧倒的に少ないこと、と言うよりも2冊しかないことがわかります。琉球人による同地に関する文献が少ないということは、琉球人の同地との関係も少なかったこと、「琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった」ことをも客観的に推察させるものです。
さらに井上教授は琉球人の口碑伝説である『地学雑誌』や琉球学の大家である東恩納寛惇の『南島風土記』、さらには石垣市の郷土史家牧野清の「尖閣列島(イーグンクバシマ)小史」などなどの著作も探索し、釣魚諸島に関する琉球名称に混乱があることを指摘し次のように述べます。
この両島の琉球名称の混乱は、二十世紀以後もなお、その名称を安定させるほど琉球人とこれらの島との関係が密接ではないということを意味する。もしも、これらの島と琉球人の生活とが、たとえばここに琉球人がしばしば出漁するほど密接な関係をもっているなら、島の名を一定させなければ、生活と仕事の上での漁民相互のコミュニケイションに混乱が生ずるので、自然と一定するはずである。/現に、生活と仕事の上で、これらの列島と密接な関係をもった中国の航海家や冊封使は、この島の名を「釣魚」「黄尾」「赤尾」と一定している。この下に「島」、「台」、「嶼」、「山」とちがった字をつけ、あるいは釣魚、黄尾、赤尾の魚や尾を略することがあっても、その意味は同じで混乱はない。しかし、生活と密接な関係がなく、ひまつぶしの雑談で遠い無人島が話題になることがある、というていどであれば、その島名は人により、時により、入れちがうこともあろう。ふつうの琉球人にとって、これらの小島はそのていどの関係しかなかったのである。こういう彼らにとっては、「魚釣島」などという名は、いっこうに耳にしたこともない、役人の用語であった。
上記の井上論文の推定は学術的な資料探索に基づく根拠を持つ推定というべきであり、そこに琉球人を差別するなどの意図は微塵も感じられません。妥当な推定だと私は思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8679002.html
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8679031.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html#c3
4. 中川隆[-12436] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:37:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
問題は尖閣が琉球人のテリトリーかどうかという事ですね。
歴史的にも位置的にも尖閣は沖縄圏ではなく台湾圏なのです。
従って、無人島だからといって勝手に日本人が居住する事自体が犯罪になるのです:
縄文文化の影響が強かった沖縄諸島に対し、先島諸島(宮古諸島・八重山諸島)ではかなり違った様相が見られる。縄文時代に当たる古い時期には、厚手平底の牛角状突起がある下田原(しもたばる)式土器などが見られる。
これらは縄文土器よりも台湾先史時代の土器との共通点が指摘されており、この時期には縄文文化と異なる東南アジア系の文化があったとも考えられる。その後約2500年前から先島諸島は無土器文化の時代に入るが、この時代もシャコガイを用いた貝斧など東南アジアとの関連性を示唆する遺物がみられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
どうやら日本人は中国人より遥かに悪賢かったという事みたいですね。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html#c4
5. 中川隆[-12435] koaQ7Jey 2019年2月05日 09:41:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231]
尖閣列島は有史以来ずっと台湾先住民の漁場で、琉球とは何の関係も無かった _ 2
尖閣はむかしのエンジンのない船では、沖縄から行くのが難しい。
尖閣・沖縄の間を黒潮の激流(時速5kmほど)が流れていて、深い海であり
魚も少なく横断して尖閣まで行って、沖縄に帰って戻りにくい。
ところが台湾からだと順流と逆流を利用して、魚釣島まで魚を取って往復しやすい。
だからむかしから尖閣は台湾圏の漁民の漁場として利用されてきました。
大型船が福州から沖縄に行く時にも、黒潮の流れを利用して台湾北部に出て
魚釣島経由で沖縄に訪問し、逆に沖縄から福州に帰るときには黒潮を横断し
北部に流された形で魚釣島には寄らず、魚山経由で帰ってる(林子平図より)
尖閣と沖縄の間は深くて、黒潮の奔流が流れて横断は難しいが、大陸棚で浅瀬
の多い台湾・尖閣間は順流と逆流が複雑に流れて、どちらかの潮の流れに乗って
移動しますから心配はいりません。黒潮の色が黒いのは尖閣と沖縄の間。
黒潮の奔流といってもだいたい時速5kmくらいの、人間が歩く程度のスピードです。
>>07 貧しい先島諸島の漁民たちは、小さなサバニしか持っていなかったと思う
小さなサバニでは尖閣までは行けても、帰るのが大変だったでしょう。
黒潮に流されて那覇の方まで行き、そこから又先島に帰ってくるコースかな。
魚は帰り着く前に腐ってしまうかもな!
>>07 最近でも沖縄から尖閣列島周辺に出漁する漁船はいない。
この前のテレビでは石垣島からマグロ船が出てますが、高級で値の張る
マグロだけを狙っているのでしょう。さもなければ遠くには行かない。
大間の本マグロだったら大きなのは1匹で数百万という。
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/270.html#c5
尖閣の領有権について現時点で確実なのは
西表や石垣島も10世紀までは台湾原住民が住んでいた。
沖縄-尖閣間は波が荒くて明治時代以前の小さな漁船では尖閣に行けない。
沖縄の人間も尖閣の事は殆んど知らなかった。
尖閣は台湾原住民が石器時代からずっと漁場としていた海域だから台湾の領土に決まってる。
中国人はそういう事を知らなかったから何も言わなかっただけ
尖閣諸島は中華人民共和国の領土では有り得ない
現在中国の支配地域・場所には、古くは夏〜殷、周王朝以来いろんな民族がやってきて興亡した場所であると言うだけで、中国という国家自体に何千年も歴史がある訳ではありません。
中国(中華人民共和国)自体は1949年10月1日に建国したばかりで、まだ建国60年を漸く越えたばかりの世界でも最も歴史の浅い新しい国の1つです。
(私の生まれたときどころか小学校入学時にさえ、まだなかった国です)
それまでの約300年間は異民族である女真族→後金→満州族(と順次呼称が変わります)が清朝として支配していた場所です。
ここでのテーマではありませんがついでに一言書いておきますと、中国と我が国の領土問題となるのは、中華人民共和国成立後の支配地域だけのことであって、中国自身が滅ぼした異民族(満州族)が持っていた領土に関して、征服?した中華人民共和国がとやかく言う権利はありません。
満州族に奪われていた領土の回復かと言うと、その前の明朝では今の東北地方・満州の地を支配したことがないのですから、現東北地方に関しては領土回復ではなく新たな征服者に過ぎません。
チベットにいたっては清朝さえも支配さえしていなかったのに、中華人民共和国成立後侵略支配を始めたものです。
清朝に支配地域に関して中華人民共和国が何らかの権利を持っているでしょうか?
中華人民共和国は清朝から禅譲を受けた国ではなく、中華民国が清朝を滅ぼした後に中華民国を追い出して樹立した国ですから、中華民国に滅ぼされた清朝の旧領域について何らの主張する権限もありません。
モンゴル帝国・元が明朝成立後北辺の故地に撤退した後、モンゴル諸族の領域だった(明朝の領域ではありません・・この諸族の中から後金・女進続が興って明を滅ぼして清朝を樹立するのです)女真族以外の諸族はなおモンゴルの故地に割拠(と言っても遊牧生活で移動しているので確たる領域意識がなかったでしょう)したままでした。
その辺に今のモンゴル人民共和国が成立しているのですが、これも中華人民共和国の論理(一旦中国地域を征服した異民族の本国もみんな自分のもの・・)を使えば、モンゴル族が明朝から追い出されたときにその本国も独立国ではなく明朝の支配下に入るべきだったことになる・・だから今のモンゴルも中華人民共和国領土として併呑しても良いことになります。
秀吉が、もしも明朝を倒して支配していた場合、その後明の支配を諦めて日本に引き上げても中国の領土と言われてしまいかねませんでした。(秀吉が明まで行かないで良かった!良かった!)
我が国は尖閣諸島を中華民国からも清朝からも、尖閣諸島を奪ったものではありませんが、奪った奪わないの議論以前に中華人民共和国が成立後にその国が一旦領土とした部分から何も取っていないのは時間軸から見ても明らかです。
後から出来たアメリカ合衆国が、元はインディアンがこの辺にも住んでいたからと言ってカナダや中米地域までの領有を主張するのはおかしなことです。
尖閣諸島を我が国が領土化したときには中華人民共和国はなかったのですから、何故中華人民共和国の領土から盗めるのか、論理矛盾も甚だしい主張となります。
中華人民共和国による尖閣諸島領有の主張は、仮に日本が実力で奪ったというのが正しいとしても、中華人民共和国がの国が出来る前のことですから、今のイタリアが古代ローマ帝国の版図を基準に今のフランスやギリシャやエジプト、トルコ等に侵略されていると主張しているようなことになります。
領土を返すべきかどうかは第二次世界大戦後秩序以降に限るとしても、そもそも中華人民共和国建国前に遡るならば、彼ら中華人民共和国自身が、今の領土を戦後の1949年に武力で中華民国から奪ったものですから(チベット侵攻=併呑も建国後のことです)中華民国やチベットに返すべきでしょう。
一般には、中国の歴史と言うと、黄河及び長江流域に興亡したいろいろな民族による王朝史をいうのですが、(私も正確で端的な表現が難しい・・上記のようにまどろっこしい表現になりますので、そのように便宜表現してきました)現在のイタリアにはなお法王庁が現存しているにも拘らず古代ローマ帝国と全く別ものである・・イタリアの歴史とは言わないのが世界の常識だと言えば分りよいでしょう。
その地域の歴史とそこにある国の歴史と同一視出来るならば、アメリカ合衆国も何千年も前からインディアンがいたので世界でも古い国の1つになります。
アンデスやアステカの古い歴史を持つ地域の国々は、すべて何千年の歴史があると言えることになります。
ここまで言い出したら、その国の歴史、民族の歴史などという概念自体が無意味になります。
客観的なその地域の歴史・・南アメリカ大陸の歴史、北アメリカ大陸の歴史としては意味がありますが・・・。
北アメリカ大陸の氷河期あるいは500年前からの歴史を知って、今のアメリカ人気質を推測する手がかりが得られるでしょうか?
むしろ今のアメリカ人のルーツ・・人口構成(黒人が何万人、ヒスパニック系、ドイツ系何人、フランス系何万人アジア系等々)を知って、それぞれの気質を研究した方が意味があります。
http://www.inagakilaw.com/asof/wordpress/2012/10/19/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/214.html#c5
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