消費増税分を取り返せ!対策「バラマキ」7000億円の中身を精査(週刊ダイヤモンド)
12. 2019年1月21日 13:15:04 : PtqL8BGGcU : GB9r75d47Sw[152]
政府の認識を本山さんに聞いてくれという事ですか?
だったら政府は要らないね。
本山氏が総理で良いじゃん。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/447.html#c12
14. 2019年1月21日 13:21:57 : PtqL8BGGcU : GB9r75d47Sw[153]
そうそう、野党一本化が一番大事。
今は何党が何人当選したとか言ってる場合じゃない。
兎に角今は何が何でも自民党を溶融し、この世から自民党と言う言葉を無くすことの方が大事。
どこが一番野党一本化に貢献したかによって、自民党崩壊後、その党を国民が応援し、政権をとらせりゃいい。
勝手な事ばかり言ってる党より、国民の生存の為に犠牲的精神を発揮した党が政権をとるべきだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/450.html#c14
2. 赤かぶ[3135] kNSCqYLU 2019年1月21日 13:21:59 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1601]
もう逃げようがないと思うけど、逃げる気なんだろうな
— teruaki(Tーモンキーマジック) (@teruaki1968) 2019年1月21日
野党が弱いとかバラバラだとかの以前に内閣の開き直りが酷すぎるし、メディアも甘いしね
攻めどころ満載国会 野党どう出る?/政界地獄耳
https://t.co/4koDdsxAgq
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/493.html#c2
1. 中川隆[-12828] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:24:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
2015年9月7日
じつは日本でもロシアのものでもなかった?江戸期の北方領土
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:whiqw9WQ9-4J:www.kigyoujitsumu.jp/business/topics/8287/+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]
水産資源に恵まれ、豊かな自然が残る千島列島。日本とロシアが互いに領有権を主張して譲らないこの島々に、いちばん最初に暮らしていたのは誰だったのか。北方領土問題をその原点の江戸時代にまでさかのぼってみると…。
じつは日本でもロシアのものでもなかった?江戸期の北方領土
画像提供:「露天風呂マニアの温泉探索記」
最初に暮らしていたのはアイヌ民族
1643年、オランダのド・フリーズを船長とする東インド会社探検船が国後島、択捉島、得撫(うるっぷ)島を発見した。ときに徳川3代将軍家光の時代。このときフリースは得撫島に上陸して領有を宣言し、コンパニーランド(会社の島)と命名した。
この歴史的事実を尊重すれば、オランダ人も「返せ!北方領土」である。
その6年後、ロシアのコサック太平洋遠征隊が、千島を発見した。
日本人も千島列島を知らなかったわけではない。それは松前藩が幕府に差し出した地図に、「くなしり(国後)」、「えとろほ(択捉)」、「うるふ(得撫)」など千島列島の名が記されていたことからもわかる。
北方領土はもともとオランダのものなのか、ロシアか、それとも日本のものなのか?
正解はどれでもない。千島列島の千島という名はアイヌ語のチェプカに由来する。ロシア語の呼び名クリルもアイヌ語の「人間」から派生している。
その地には数千年前から千島アイヌが、漁撈をしながら、毛皮を周辺民族と交易して生活していた。
北方領土を発見したのはアイヌ民族で、領有権は彼らのものだったのである。
ロシア人の南下を警戒し、田沼意次が北方に調査隊を派遣
千島列島や樺太の領有権争いが日露の間で始まるのは、江戸時代も後期。ロシア人が毛皮を求めてカムチャツカ半島から千島列島を南下してからである。
1761(宝暦3)年、ロシアのチョヌルイは、アイヌ人が捕獲したラッコなどの毛皮を武力で奪い、得撫島の女性たちを掠奪してハレムまで作った。毛皮を求めてロシア人が進出したカムチャツカ周辺では、19 世紀の間に原住民が 2 万人から 1,500 人に激減したというから、その激減ぶりは想像を絶する。
こうしたロシア人の千島列島南下を深刻に受け止めたのは老中・田沼意次である。1784(天明5)年、初の調査隊を北方に送り込んだ。
賄賂の問屋などといわれ評判の悪い田沼だが、外交問題には先見の明のある有能な政治家だった。
調査隊の使命は、ロシア人の占領している島に最も近い島まで行くことで、一行中の最上徳内は国後島、択捉島を経て得撫島に渡り、そこにロシア人居住地を発見。これを皮切りに日本の北方領土への進出が始まる。
日本とロシアの領土争いの狭間で
1800(寛政12)年、近藤重蔵の一行が小舟で択捉に渡り、その地に「大日本恵登呂府」と書いた柱を建てた。隣の得撫島にはロシア人が住んでいたので、択捉島を日本の最北端の領土としたのである。
その前年には、国後島に南部藩の警備部隊が詰め、択捉島には南部藩と津軽藩の勤番所が設置されている。
駐屯費用は南部藩だけで年間 1 万 4,000 両。米価換算で12億円以上になる。それに酷寒で病死者も続出したという。
この多大な犠牲を払って、これより択捉島以南、樺太南部が日本の領土とされた。
一帯は日本の商人によって漁場が開かれ、地元のアイヌと交易しながらの生活が始まったが、その地の生活ぶりはどうだったか?
幕末に北方一帯を旅した松浦武四郎の『近世蝦夷人物誌』は択捉島について、こう証言する。
「日本の悪徳商人によってアイヌたちは昼夜の別なく酷使された。夫たちが仕事に出た後は、妻や娘たちが乱暴された。これを嫌がる者があれば氷雪の山に追いやるか、荒れ狂う海に船を出させて殺した。女は妊娠しても流産し、男は病にかかるとすぐ死んだ」
日本の商人もロシアの毛皮商人と変わらず暴虐だった。わずか30年で択捉島のアイヌ人口は 2,000 人から 439 人に激減したという。
領土争いでいつも被害者となるのは、そこに生活する人々である。
恐露病のもとを作った間宮林蔵
最初の北方領土紛争は 1806(文化3)年、ロシアの樺太南部襲撃で始まった。ロシアの海軍士官フヴォストフ中尉率いる船が、樺太のクシュンコタンを襲い、放火と掠奪をし、その翌年の4月には択捉島に来襲した。
このときの交戦の模様は南部藩士木村治五平が『私残記』に詳細に記録している。
択捉島のシャナに2隻の船でやってきたフヴォストフの部隊は、まず艦砲射撃を加えた。迎え撃つのは幕吏戸田又太夫以下の南部・津軽両藩の部隊。すでに樺太襲撃の報を受けているので、南部・津軽両藩士は、さっそく攻撃をしようとするが、その場に居合わせた間宮林蔵がおしとどめた。
ご存知、樺太を単独で探検し、間宮海峡を発見したあの間宮林蔵である。
間宮によれば、
「ロシア側の大砲は上陸する際の礼法でござる」
で、間宮の指示で白旗を揚げた使者が海岸に向かって歩いたが、使者はロシア兵の銃弾に内股を射抜かれてもんどりうった。それを見た日本の武士は蜘蛛の子を散らすように逃げた。完敗である。
「間宮殿が知ったかぶりの無駄口をいわなければ、水際でロシア人を攻撃して、追い返せたのに!」
と木村治五平は悔しそうに書く。
上陸してきたロシア人は20名程度、迎え撃つ日本側は 100 人以上だったから、間宮林蔵の知ったかぶりで出端を挫かれなければ撃退も可能だったかも知れない。以後、フヴォストフの一隊は1か月半も周辺を遊弋(ゆうよく)して、掠奪の限りを尽くした。
歴史家は、この敗退が日本人の恐露病形成に大きな影響を与えたという。すると英雄・間宮林蔵は、その軽口で恐露病を生み出した人ということになるのである。
*本記事に掲載している択捉島の画像は、
「露天風呂マニアの温泉探索記」さま
https://blog.goo.ne.jp/akkii83/c/b6e7470b37abca10256ee6706b20ac22
のご厚意により使用させていただいております。
9. 2019年1月21日 13:25:08 : D35i3v5zMn : DaI_pEBmW38[-13]
まあ^^
韓国人は=(好き)な国は無い^^
全ての国を=嫌ってるし^^
全ての国から=嫌われている^^
29. 2019年1月21日 13:25:14 : dZT8YVq50d : 9e__8TVbT20[156]
この5市の市長は
次は顔が替わるだろう!
バカな判断をしたものだねぇ
官邸は知らぬ顔だ!
まさか、日本中が騒ぐとは思っていなかった!って
認識不足と先見の明が無さすぎる。
保守は逃げ足が速いんだよ!
特に安倍首相が5人の市長を守るはずが無いだろ!
バカだねぇ
2. 中川隆[-12827] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:27:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
アイヌが北方領土の先住民
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Senjuuminn.htm
アイヌのガラス玉
ガラス玉はアイヌ女性のネックレス(タマサイ)に使用された。樺太経由で伝来したもの、日本経由で伝来したものがある。大正時代に日本でアイヌブームが起こると、観光土産用に作られるなど、近年に作られた参考品も多い。
北海道ウタリ協会(アイヌの団体)
アイヌは北方領土の先住民です。アイヌの団体である北海道ウタリ協会は、アイヌが千島・北海道の先住民であることを、日本政府は明確にすべきであるとしています。北海道ウタリ協会の決議を記載します。
「北方領土」問題に関する基本方針 (1983年総会において決議)
北海道ウタリ協会は、昭和57年度総会において、千島列島における先住民族としてのアイヌの権利を留保する旨決議したが、本日の総会において同問題に関する次の基本方針を確認する。
1.政府及び道は、徳川幕府による開発以前の全千島における先住者であるアイヌ民族の地位を再確認すること。
2.政府及び道は、「北方領土」に関連し、北海道についても先住者がアイヌであったという厳然たる歴史的事実を明確にすべきこと。
北海道ウタリ協会は、アイヌが千島列島の先住者たることを、ここに資料を持って立証する。
日本政府の説明
日本政府は、北方領土問題に於いて、アイヌの存在を無視する傾向が強い。たとえば、日本政府外務省発行「われらの北方領土」では、アイヌの言及は無い。また、アイヌの代表が北方領土交渉にはいることを容認していない。
(日本政府外務省発行 われらの北方領土 2005年版から)
択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、我が国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土です。
我が国はロシアより早く、北方四島、樺太及び千島列島の存在を知り、既に一六四四年には、「クナシリ(国後)」島、「エトホロ(択捉)」島等の地名を明記した地図(正保御国絵図)が編纂され、幾多の日本人がこの地域に渡航していました。我が国の松前藩は、十七世紀初頭より北方四島を自藩領と認識し、徐々に統治を確立していきました。
政治家も、アイヌの存在を無視した発言をしている。
中曽根康弘首相「日本は単一民族だから高い教育水準を保つことが出来る(1986年10月)」
伊吹文明文部科学相「日本は大和民族が歴史的に統治してきた(2007年2月25日)」
麻生太郎総務大臣「(日本は)一国家、一文明、一言語、 一文化、一民族。ほかの国を探してもない(2005年10月15日)」
平沼赳夫経済産業相「小さな国土に、一億2600万人のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日本が世界に冠たるもの(2001年7月2日)」
鈴木宗男衆議院議員「北海道にはアイヌ民族というのがおりまして、・・・、今はまったく同化されている(2001年7月2日)」
(肩書きは発言当時のもの)
ロシアの博物館展示
現在、ロシアでは、北方四島の先住民について、博物館等で展示している。ロシアは多民族国家なので、先住民族の評価が日本と全く異なります。
択捉島 クリリスクの博物館展示 択捉島 クリリスクの博物館展示 国後島 ユジノクリリスクの博物館展示
サンクトペテルブルグのロシア民族博物館は、22コレクション2600点のアイヌ資料を収蔵している。この多くは、V.N.ヴァシーリエフが1912年に北海道や樺太で収集したもので、多くは収集地が判明している。
平成17年これらの収蔵品の一部が札幌(4月22日〜6月19日)、川崎(7月2日〜8月28日)で展示された。左図は、このときの図録です。(クリックすると拡大します。)
ロシアでは、北海道・樺太・千島の先住民は、日本民族とは異なるアイヌ民族であることが知られています。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Senjuuminn.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c2
1. 赤かぶ[3136] kNSCqYLU 2019年1月21日 13:28:01 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1602]
これは、これまでの「2島先行返還論」とは大きく違い、2島の引き渡しで最終決着とする案で、「北方4島は日本固有の領土」としてきた方針の大転換です。4島に対する領有権の主張を取り下げ、ロシアの領有権を認めた上で、2島は譲ってくれと頭を下げるということになります。これでいいのか? https://t.co/GP7CLFiMWi
— 布施祐仁 (@yujinfuse) 2019年1月20日
歯舞・色丹の段階割譲、しかも主権はロシアに、さらに500億j(5兆円超)を要求。
— Tokkuns (@tokkuns1917) 2019年1月21日
つまり平たく言うと北方領土、交渉は歯舞色丹だけ、しかも所有権じゃなくて賃借権、家賃は500億ドルwww
さらに国後択捉は完全にロシアのもので交渉の余地無しって事。
おいおい外交のアベ!めちゃくちゃじゃないか
完全になめられとる。そりゃそうだ、あんな茶番(記者に質疑応答メモ配布、しかもバレバレ)目の当たりにして、やる気あるんかコラ!いっちょフッカケてやるか。あのバカならいいなりだろ?位に思ってるんじゃ?
— FS (@fusavich) 2019年1月21日
押したり引いたり出来ない人は、、
(4島、白黒つけずに永遠に交渉しとけ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/495.html#c1
11. 2019年1月21日 13:31:27 : dZT8YVq50d : 9e__8TVbT20[157]
凄いねぇ!
結局
官邸がらみの「確信犯行!」で決まりですね!
3. 中川隆[-12826] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:32:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
アイヌ民族は「ロシアの先住民族」 プーチン大統領が認定方針 2018/12/19
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/259605
【モスクワ小林宏彰】ロシアのプーチン大統領は、クリール諸島(北方領土を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示した。11日にモスクワで開かれた人権評議会で参加者から提案があり、プーチン氏は「同意する。正しいことだ」と述べた。
評議会では、人権活動家のアンドレイ・バブシキン氏が「ロシアは多民族国家だが、国が認めていない民族もいる。その一つが極東の島々の最も古い民族であるアイヌ民族だ」と指摘。ロシアの先住民族として認めるよう提案し、プーチン氏は支持を表明した。バブシキン氏は、現在のロシアのアイヌ民族について「カムチャツカ地方に105人しかいない」と説明した。
ロシアは旧ソ連時代を含め、アイヌ民族の存在を公式には認めてこなかった。一方、日本国内には、日本の先住民族であるアイヌ民族が北方四島に住んでいたことから、四島は歴史的にも日本固有の領土だとする考え方もある。
プーチン氏がアイヌ民族をロシアの先住民族として認める考えを示した背景には、日本側のこうした主張をけん制する狙いがある可能性もある。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/259605
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c3
8. 2019年1月21日 13:37:16 : dZT8YVq50d : 9e__8TVbT20[158]
フィフィのパンストっていうギャグ、笑えますかねぇ?
全然笑えない「さむ〜い!」
で?
フィフィって結局国籍は?
山東省で起こった現実の出来事。化粧品会社で、営業成績のノルマに到達しなかったことで社員たちが四つん這いにさせられて街中をたらいまわしに。こういうドエスな体罰行為が何事もなかったように行われている中国。
ブルースリーが主演した戦前が舞台の映画では、上海に進出していた日本人が現地の中国人に四つん這いを強要するシーンがあった。つまり、彼らの考え得る最も屈辱的な仕打ちがフィクション映画の中ならず現代の現実における労働者の制裁に使われているのである。
本当かどうかしらないが、一応、この会社は自粛して操業停止になったのだという。そんな簡単に反省するのであれば、はじめからそんなことはしなければいいのではないかという問いは浮かばなかったのであろうか。
中国は「規則に基づく教育的指導であり、理不尽で乱発的な暴力やパワハラが根付いた日本から批判される覚えはない」と正当性を大声で主張して批判には耳ふさぐ、といういつもの黄金の処世術でのりきるだけである。この国は、天安門で無慈悲な星一徹をぶっこいたおかげか、チャウシェスク処刑に値するような歴史の変化が訪れていないままなので、コンプライアンスもコンサイエンスもコンクリートみたいに圧し潰しのされてピッタンコになってしまう。
次の動画は、昨昨年にアメリカで起こった人身事故。私も当時はタブロイド誌が報じるがままに、黒人女性が他人の子供がひかれるのを防ぐために自らの危険を顧みることなく車の前に飛び出たという美談に感銘した。
しかし、その後、その美談は崩壊しつつある。黒人女性は、子供の存在に気付いているようには見えず、ただ車に気付いて逃げようとした段階ではじめて視界にはいった子供を「こらどけ!」と払いのけようとしただけではないのか?という冷静な判断を下した視聴者が次々とあらわれた。とりわけ人種的な偏見から美談を否定しているわけではなさそうである。
醜態を醜態のまま当たり前のように垂れ流す中国。
捏造(リベラルの症状)のおかしな解釈でもって、歩いていただけの有色人種を持ち上げるアメリカのメディアを冷笑するトランプ時代の国民。
日本はどっちだ?おかしいことにはおかしいと言えるのか?
中国様の奴隷まっしぐらの平成をこれから脱する準備はできているのか?
中ピ連かー、おっぱい軍団もいないやんけー、イエズスイスとロスチャワッフルが標的のイエローベストはスポンサーの都合で着用できないってかー、おっぱいさらすほどは本気じゃないってかー、ソロスに雇われてんのミエミエやんけー、今時イエローベストを着てるものが一人もいないデモなんかあるかー、アベロンに弟子入りしてヤッテル感出さなあかんやろー、てな訳で、イエズスイスにもロスチャワッフルにもグローバリズム詐欺にも全く不満はなく、ひたすらトランプだけが嫌いというユニークな方々のお色気抜きのバイトサックスである。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/247.html
27. 2019年1月21日 13:44:21 : 5ny5FM2kZY : uNwEKiseJfk[6]
国連憲章をいくら引き合いに出しても、第二次世界大戦とは別個に為されたソ連の火事場泥棒は認められません。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/286.html#c27
4. 中川隆[-12825] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:44:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
佐々木史郎「アイヌ文化と北方世界」
開催日:平成24年 10 月 6 日(日)/開催場所:東京国際フォーラムホール
https://www.frpac.or.jp/about/files/H24%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%80%80%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%8C%B2%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8F%B2%E9%83%8E%EF%BC%88%E5%9B%B3%E7%89%88%E7%84%A1%EF%BC%89.pdf
みなさん、こんにちは。国立民族学博物館の佐々木と申します。これから一時間ほど宜しくお願い致します。私の今日のお話は「アイヌ文化と北方世界」とタイトルを付けました。内容的には、アイヌ文化がどの程度北の世界に適応したものであるのか、それから、アイヌの人々が暮らした北の世界にはどういう歴史があったのかということを中心にお話していきたいと思います。私の専門はシベリアあるいは極北地方ですので、私の専門としている地域からみますと、アイヌの人々が暮らしている北海道というのは南の世界になってしまいます。ですから、アイヌの人たちの生活がどこまで北方的だったのかという疑問を抱いて研究してまいりました。そこで、今回のお話は次の三つの点についてお話していきたいと思います。
1)アイヌ民族文化のうち、北方的な要素に焦点を当てて、彼らの文化がどのように寒冷地に適応していったのかを明らかにする。
2)アイヌ民族が暮らしてきた地域と同じ気候帯(亜寒帯)にあり、同様の生態系の中で暮らしてきた周辺民族との交流を明らかにする。
3)近世以降アイヌの地に進出(侵略)した、日本、中国、ロシアの3国の動向をアイヌ民族の視点から見直してみる。
1つめのアイヌの人たちの文化がどういう面で北方的なのか、どういう面で北方的ではないのかということをお話ししたいと思います。アイヌの人たちは、孤立してアイヌの人たちだけで暮らしてきたわけではないし、南にいる日本人とだけ接触していたわけではありません。アイヌの人たちよりも北に住んでいる人たちとも、密接な接触関係を持ってきておりました。さらに、現在アイヌの人たちの大半がこの日本という国に住んでいますけれども、実は面積的には彼らが住んでいた土地の半分近くが、現在ロシア領になっています。そのために日本人と並んで、ロシア人とも頻繁に接触しています。また以前には中国とも関係を持っていました。そのような、我々日本人があまり知らない歴史についても触れていきたいと思います。
まず、アイヌの人たちの本来の居住地、つまり、日本、ロシア、中国などといった国が北海道の周りの土地を国境という線で切り刻んでいく前、具体的にいえば江戸時代より前の時代にアイヌの人たちはどういうところに住んでいたのでしょうか。今の研究では、アイヌ語でアイヌモシリとよばれたアイヌの人たちの住んでいた地域というのは、南は東北地方の一番北の端、つまり津軽・下北半島の先端が含まれます。そして北は、現在のサハリン、昔日本では樺太と呼ばれた大きな島の中ほどまで。西は北海道の渡島半島から東はカムチャツカ半島の先端まで。この範囲にアイヌの人々が暮らしていたというふうに考えられています。いつの時代からこれだけの範囲に住み始めたのかというのははっきりしませんが、少なくとも日本の江戸時代、1603年に徳川家康が征夷大将軍になってから1868年に江戸幕府が崩壊するまでの間、この範囲にアイヌの人々が住んでいたというのは確実視されています。
それで、みなさんすぐ気付かれたと思いますが、北海道アイヌの範囲がエトロフ島まで入っています。ここはいわゆる北方領土ですよね。何かの政治的な判断かと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、歴史的事実としてエトロフ島あるいはウルップ島もちょっと入っていたかもしれませんが、その辺りまでは北海道アイヌの人たちが住んでいたのです。もっと詳しくいえば、彼らは道東アイヌ、つまり北海道の東側、現在の釧路とか根室を中心とした道東のアイヌの人たちと同じグループに属する人たちでした。それに対して、いわゆる千島アイヌと呼ばれます、千島列島にいたアイヌの人々の本当の中心というのははるか北の、シュムシュ島、パラムシル島、オンネコタン島、そしてもう少し南のラショワ島、こういった島々にありました。エトロフ、ウルップというのは、大きい割には人が住みづらい島だったようで、住み着く人は少なく、道東のアイヌと北千島にいたアイヌのちょうど境目といいますか、狩りや漁労をする時の勢力圏の境目にあたっていたようです。それが大体今から200年から前、つまり18世紀末から19世紀初め頃の状況といわれています。1855年の日本とロシアとの間の国境交渉の時にウルップ島と択捉島の間で国境線がひかれますが、その国境線の背景にこういったアイヌの人たちの間の地域集団間の勢力分布が実は裏側にはあったようです(実はすでに18世紀末に幕府がクナシリ、エトロフのアイヌにウルップへの渡航を禁止していたために、このような住み分けが成立したという事情があります)。
ではアイヌモシリの周りにはどういう人たちが住んでいたのでしょうか。100年から150年位前の状況を想定していますが、まず、ツングース語とよばれる日本語に非常に近い言葉を話す人々が多数いました。現在彼らはウイルタ、ウリチ、ナーナイ、オロチ、ウデヘ、ネギダール、エヴェンキなどの諸民族に分類されています。また、樺太の北とアムール川の河口周辺にはニヴフ(旧称ギリヤーク)、カムチャツカ半島にはイテリメン(またはカムチャダール)と呼ばれる、言語系統がよくわからない独自の言葉を話す人々もいました。そして、多数派の民族、例えばロシア人、中国人、朝鮮人、それから日本人等が取り巻いていました。現在はこのような多数派民族の勢力争いの結果、かつてのアイヌモシリとその周辺地域は日本、ロシア、中国、韓国・朝鮮と国境で切られていますけれど、国境が確定する以前はこういった人たちが棲み分けをしたり共存したりしながら暮らしていたのです。つまり、アイヌモシリの北の地域にたくさんの多様な言語や文化をもつ人たちが住んでいた。そしてこの人たちはアイヌの人たちと直接接していましたし、文化的に大きな影響を与えあっていました。
第一点目のお話しに入りたいと思います。アイヌ文化とは本当に北方文化であったのか。北方文化であったということはどういうことかといいますと、北の寒い環境にどの程度適応していたのかということになります。この点に関しまして、二つの大きなポイントからお話したいと思います。一つは、一番寒い厳冬期での寒さへの対応。それは衣服の問題であるとか住居の問題になります。それからもう一点は北方の寒い地域では独特の生態系への適応。北方の生態系には比較的広い範囲で共通した特徴があります。そういった生態系にどこまでアイヌの文化が適応していたのかという点についてお話ししていきたいと思います。
まず、文化的な問題として、衣服の問題を考えていきたいと思います。こちらの会場でも二人の女性がアイヌ衣装の紹介をしていたと思いますけれども、みなさんどういう印象を持たれましたか。私などは「あれ、こんなに薄い布の服で北海道みたいな寒いところで暮らしていけるのかな」と思います。実はアイヌの人たちというのは、この東アジアにおいては糸から布を織りだす最北の民族です。アイヌモシリの周りには数々の民族が住んでいますが、この中で糸から布を織りだして衣服を作る人々というのは実はアイヌが最北です。それより北、例えばニヴフとかウリチと呼ばれる民族、イテリメンとかエヴェンキと呼ばれる民族がおりますが、彼らには布を織る文化、布を織る技術はありません。一方、南隣の日本、韓国・朝鮮、中国には布を織る技術があります。したがって、この点ではアイヌの人たちの文化というのは南方的であるといえます。ただし、使っている布に織る糸は、いわゆる樹皮の裏側の薄皮を細く裂いて作ったものです。これは靱皮(じんぴ)といいますが、この靱皮を割いて細い糸にします。それをつないで作った糸で織ります。そのような布で作られた衣服のことをアイヌ語でアットゥシといいます。それを織るための道具も入口に展示してありますので後でご覧になってください。このアットゥシという服は実はアイヌの人たちだけに愛用されたのではなくて、明治時代まで日本の船乗りや漁師たちにも愛用されていました。なぜかというと、靱皮は脂分を多く含んでいて水を弾くので、水をかぶるような仕事をしている人達にとっては非常に都合の良い防水衣になったからです。しかも織物ですから通気性があります。いわば自然素材のゴアテックスという感じの衣服として使えるのです。ということで、明治時代の初めには、アイヌの人たちが盛んに日本人用にアットゥシの着物を作っていた時代が、ほんの短い期間ではありました。その後、別の素材が開発されてアットゥシは日本人の防水着から廃れてしまうのですが、そうした時代があったくらい優れた性質を持った衣服だったのです。それから他には、草の繊維で作ったテタラペであるとか、日本や中国から輸入した木綿で作られたルウンペ、チカララカラペなどの衣服が着られてきました。
しかし、寒い冬はどうだったのでしょうか。これらの布製の衣服で十分寒さをしのげたのでしょうか。寒い季節にはやはり動物の皮で作られた衣服を着ました。
小さい島での海辺の生活に適応した千島アイヌの人々はアットゥシや木綿衣とともに、鳥の毛皮をつなぎ合わせて作った外套を着ました。素材はエトピリカのような海鳥で、それ海鳥の毛皮は防寒性と防水性に優れていたようです。
樺太に住んでいたアイヌの人たちは陸上の動物の毛皮(犬やアザラシなど)で作られた衣服を多用しました。また樺太アイヌの間では、アムール川流域の人たちの文化の影響なのですけれども、鮭の皮を乾かしてなめして作った衣服もよく使われました。樺太アイヌの人たちが鮭皮の衣服を使っていたことは、200年前にここを探検した間宮林蔵の記録に残されており、間宮林蔵が村上貞助という絵の上手い学者に頼んで描いてもらった絵が残っております(『北夷分界余話』国立公文書館所蔵)。その絵に描かれている子どもが鮭皮の衣服を着ています。また、アットゥシを着る男性が描かれており、ほかにはテタラペと呼ばれる、イラクサという植物の繊維を割いて作った糸をつなげて作った衣服を着た女性が描かれた絵もあります。
テタラペというのは「白い着物」という意味で「白くて美しいもの」と思われていたのですね。それから青い服も描かれています。これはおそらく中国から輸入された青色木綿で作られた服でしょう。アイヌの人たちの衣文化は実はこのように非常に多彩だったのです。樺太では厳冬期になると犬の毛皮で作られた外套を着ます。樺太は北海道よりもさらに冬が厳しいので。犬の毛皮の外套というのはアイヌの文化というより北樺太に住んでいたニヴフの文化なのですが、その文化を借用して厳しい樺太の冬をやり過ごしていたと考えられます。それから寒い季節には足元の防寒が大事になりますが、樺太アイヌはアザラシの毛皮を胴に使い、おそらく下の方は鮭の皮か鹿の皮を縫い合わせて作った長靴を履いていました。ちなみに、北方の民族は大体そうなのですが、乾燥させた草や苔をよく揉んで長靴の中に詰めて、靴下を着けずに裸足のまま履いていました。それで十分寒さをしのげたのです。
アイヌの人たちの衣服には特徴が三点あります。一つが「一部形式」といいまして、ワンピース状の衣服です。男性の衣服も日本の着物と同じ、つまり、上衣とズボンに分かれていません。こういった点は日本の伝統的な衣服と似ております。北の世界に入りますと「二部形式」といいまして、ズボンと上衣が分かれる傾向が強くなります。一部形式は寒さ暑さ双方に対応できる。つまり、冬の寒さだけでなく、夏の暑さを凌ぐためにも一部形式は使えるわけですけれども、アイヌの人たちの世界もおそらく夏は結構気温が上がっていたと考えられるので、それにも対応できるよう一部形式になっているのです。第二点は「もじり袖」です。これは袖が三角形になっていて袖口のところが、キューっとしまっていて、ある程度防寒性が高まります。日本の和服の場合には「袂」といって四角く開いていまして、通気性を良くしておりますが、アイヌの人たちの着物はここを絞って防寒性を高めています。第三点は「前開き」です。つまり、魚皮の着物も前が開いていますし、博物館に展示されているアットゥシやテタラペも前が開いています。当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、本当に寒いところ、例えば、イヌイットやエスキモーが住んでいるような極北地域あるいはシベリアでも北極海に面しているような地域の人たちは「かぶり式」の外套を身に付けます。なぜかというと、彼らは寒風吹きすさぶブリザードの中をトナカイソリや犬ゾリで何時間もじっとしていなければなりません。そういう人たちにとっては前が開いていたら風が入って寒くてしょうがない。そのために風が入らないようにかぶる形式の外套を着ます。しかし、アイヌの人たちの間にはそういった外套はありません。厳冬期であっても獲物を追って山の中を走ると暑くなります。私にも経験がありますが、ダウンコートを着て山の中を走っていると暑くなって脱ぎたくなります。そういう時に前を開くことで体の熱を開放できる。そしてさっと閉めて体が冷えすぎないようにする。そういう体の熱の放出と遮断を手軽にできるようにするために前開きの方が有利なのです。ということで、アイヌの服というのは前開きなのですね。実はシベリアの中でも本当に寒い、北海道よりももっともっと寒い地域の猟師たちも前開きのコートを着ています。やはり狩りで活動的になる人たちはどうしても、熱をある程度放散する対策が大事になってくるのです。なぜかというと、中で汗をかいてしまうと活動を終えて冷えてきた時に汗が凍って体温を奪われて凍死する恐れがあるからです。ですから、本当に寒い所に行ったらなるべく汗をかかないというのが鉄則なのです。それをきちんと守るためにこういった衣服が必要になるのです。
それからこれは付け足しですが、絵にでてくる男性は裸足で、衣服をいわゆる左前で着用する姿、すなわち左衽(着用者に向かって左側が前になるように襟を合わせる着用の仕方、逆に右側が前になるように襟を合わせる着方を右衽という)で描かれています。その典型的な例は『夷酋列像』といいまして、松前藩の家老で絵師でもあった蠣崎波響が、クナシリ・メナシ戦いがあった翌年の寛政2年(1790年)に描いたアイヌの有力者たちの絵にあります。たとえば、そこに描かれているマウタラケ(麻烏太蠟潔)という人物はウリヤスベツというコタンの「総部酋長」と書かれていますからとても偉い人なのですが、裸足のうえに蝦夷錦の服を左衽で着用するように描かれています。このような描き方は『夷酋列像』に描かれた12人全員に共通です。左衽という着方は中国や東アジアでは死人この世の人ではない者、あるいは野蛮人のものとされています。アイヌの服は、魚皮衣、アットゥシ、テタラペともに左右対称ですから左衽でも右衽でも着用することはできます。しかし、ではなぜあえてこういう描き方をするのでしょうか。これをもってアイヌが左衽だったという人もおりますが、それは一般化することはできません。なぜならば、蝦夷錦の服は左衽で着用することができないように作られているからです。それは本来中国の官僚たちが着る制服でして、中国ではご存じのとおり必ず右衽になるように、つまり、左側の襟が前に出るようなスタイルで作られます。しかも、この蝦夷錦の服はモンゴル、満洲に共通のスタイルでして、着用者から見て右側の半身が短く、左側の半身で前を覆うように作られています。このようなスタイルの服を左衽で着ることは絶対に不可能なのです。それにもかかわらずあえてこういうふうに着せて描かせている。これには作為があると見なければなりません。ですからアイヌの服が写真や絵では左衽で描かれているものが多いのですが、実際にそう着ている人もいたのかもしれませんが、そのほとんどは「野蛮人」あるいは「異界の人」であることを示すための当時の絵画上の技法と考える方がよいと思います。写真の場合には左衽かと思ってよく見てみると裏焼きだったということもあります。絵画や写真であっても色々と手を加えることができますので、十分注意する必要があります。おそらくアイヌの人たちもこんな着方はしていなかったでしょう。
ちょっと衣服の話が長くなりましたけれども、アイヌの人たちにも防寒着があり、毛皮で作った靴やアザラシの毛皮で作った靴、防水着として魚皮の上衣がありましたけれども、アイヌ衣装の基本は繊維製品です。繊維製品といっても、靱皮の糸で作られたアットゥシやテタラペは防水性と通気性を兼ね備えた優れものでした。
次は同じ防寒性として家の話の方に移ります。アイヌの家は、間宮林蔵と村上貞助が編集した蝦夷生計図説に描かれているのが典型的なものです。現在、博物館で復元されている家はほとんどこのタイプになると思います。これは茅葺の住居で屋根や壁を茅で葺いたものです。
この姿で復元されているものが多いのですが、この蝦夷生計図説を見て驚いたのは、葦を使った家、クマザサで葺いた家、白樺の樹皮で葺いた家などがあることです。それぞれに特徴がありますが、これは地方による違いだともいわれています。このクマザサや白樺の樹皮で雨風を防げるのか。あるいは寒いのではないかと思われるのかもしれませんが、これらは非常に優れた素材で、クマザサも一本や二本飾っているわけではなくぎっしり束にして壁に埋め込んでいきます。ぎっちり縛って隙間なくつめていきますので、実際にとても断熱性の高い優れた壁材です。クマザサ葺きの家は旭川の「川村カ子ト記念館」に一軒建っています。それから樹皮葺きの住居。この家は現在見ることはできませんが、この白樺の樹皮も非常に優れた防水性、防寒性をもった素材で、白樺の樹皮はボートが作れるくらい防水性の高いものです。主に道東地方に多かったようですが、どういう場面で作られたのかについて林蔵は書いていないので、地域差によるものなのか住む場所や場面に応じて作られたのかは分りません。
そして、アイヌの家にはその骨組に大きな特徴があります。それは主に棟の支え方です。アイヌの家の棟は柱で支えているのではなく三脚構造で支えられています。日本の、特に神社建築に多いのは棟持柱のある住居です。今はこの棟持柱の代わりに束(つか)といいまして、梁の上に柱を一本乗せるように作ってしまうので、この棟持柱を床から立てるということはまずないのですが、日本の古代、古墳時代であるとか弥生時代にはこういった住居が登場しますし、これは日本だけではなく東南アジアからアムール川流域まで、非常に広い範囲で広がっています。それに対してアイヌの家は根本的に棟の構造が違う。だからこういうところは日本とは違います。実はこの三脚構造というのは北方的だといわれています。なぜかというと、北の狩猟民たち、エヴェンキであるとかエヴェンといった北の狩猟民たちは円錐形のテントで暮らします。円錐形のテントというのは文字通り柱を円錐形にぐるっと立て並べて、毛皮とか白樺の樹皮で覆ったような、本当に円錐形をしたテントですが、その骨組の基本が三脚構造です。すなわち、まず三脚を立て、その頂点に寄りかかるように、柱を立て並べていくのです。
この三脚構造を使って棟を支える、その棟によって屋根全体を支える構造は、もしかすると北方の影響ではないかといわれています。国立民族学博物館には、明治時代に作られたアイヌの家の模型が保管されています。この屋根をよく見ますと三脚構造が浮かび上がってきます。ちゃんと二つの三脚によって棟を支えているのです。この三脚で棟を支えることによって、その下にドームと同じで比較的大きな空間を、柱を立てずに確保することができます。棟持柱になってしまうと部屋のど真ん中に柱が立ってしまうのですが、三脚構造にするとそれを避けることができるので、なるべく広い空間を確保することができます。ではアイヌのこういった人たちの住居がどれだけ寒さに耐えられたのでしょうか。私は本当に寒い地域で−50°まで経験しましたが、さすがに真冬に−50°になるような地域では、こういった茅や笹で葺いたような住居はありません。そういったところにいくと固定家屋は必ず丸太小屋になっています。あるいは、基礎の周囲に土を盛ったり、壁に土を塗ったりして、土壁にしています。
やはり、木や土の断熱性能を使わないと−50°の寒さはしのげないようです。あるいはテントに住んでいる人達、円錐テントに住んでいる人達も冬になると白樺の樹皮ではなく分厚いトナカイの毛皮を巻きます。ですから、そういった面から考えるとアイヌの家というのは極寒に耐えられる構造ではなさそうです。ですが日本の冬を考えてみても、東北地方などでは雪囲いと称して藁や茅で壁を作り、雪を防ぎます。それを家全体にやっていると考えれば良いわけで、かなりの断熱効果はあったのではないかと考えられます。ですから、北海道の寒さであればこれで十分暮らしていける。じゃあそれより寒かった樺太はどうかといいますと、樺太は寒さをしのぐために比較的新しい時代まで竪穴住居を使っています。風が強く圧倒的に寒い、天候が悪い千島列島や樺太では竪穴住居を作って寒さをしのぎました。ですから、アイヌの住居はほどほどの寒さには十分対応できますが、シベリアの奥地のような極寒の地域では対応できなくなるくらいの耐寒性を持った住居だったといえるのではないかと思います。
それから、北方適応の三点目として、北の生態系にどの程度対応していたのかについて触れておきます。日本は春夏秋冬が非常にはっきりした気候条件だといわれています。東京などは温帯の中でも比較的暖かい暖温帯にあるといわれております。植生的には照葉樹林(ツバキ、お茶、シイなど葉の表面がてかてかした樹木が典型的)が卓越しています。ただし、ナラの木、クリの木など秋に葉が落ちてしまう樹木を落葉広葉樹といいますが、東京は落葉広葉樹と照葉樹の両方混ざった境界地域になるのではないかと思います。これが大阪や京都へ行きますと落葉樹が少なくなる。ドングリの木(ナラ)などもないことはないのですが、少なくなって逆に照葉樹が増えてきます。照葉樹林というのは年中青くて落葉せず、葉が常に茂っているので暗いです。対して落葉広葉樹というのは冬になると葉が落ちますから森が明るくなります。そういった大きな違いが、東の森と西の森にはあります。北海道はどうかといいますと、北海道の南半分、南西側は、東北地方からの続きで落葉広葉樹と針葉樹の混合といわれる林層になります。そして東北側は逆にシベリアに近く、針葉樹を中心としたタイガに近い森になっていきます。北海道やそれより北の地域、すなわちアイヌの人たちが住んでいる地域も春夏秋冬がはっきりしています。はっきりしているけれども全体的に気温が低い地域です。
春夏秋冬がはっきりしているということは、得られる食料資源に季節性が表れるということになります。ある資源が特定の季節にたくさん捕れるのですが他の季節になるとぱたっと捕れなくなる。例えば、アイヌの人たちの食料資源の基本だったサケやマスですね。特に秋鮭というのは遡上期間が8月の終わりから10月が最盛期です。その季節を外してしまうと、例えば冬の2月から5月あたりの季節になると、まったく捕れなくなる。こうした季節性のはっきりとした資源が食料資源の基本となっているわけです。これは北海道に限った話ではありません。実はシベリアから北アメリカまで、同じような亜寒帯、冷温帯地域の森林層を持った地域にはすべてに共通する生態系なのです。そういう中でアイヌの人たちは暮らしてきた。アイヌの人たちもしっかり捕れるものは捕れるだけ捕って、後はそれを保存食にして一年間食べつないでいくという食生活だったわけです。
ですから、アイヌの人たちの間では鮭を保存するための技術が発達しています。基本的には乾燥です。「鮭とば」ですね。水気をとばして腐らなくなるので乾燥させます。ただし、乾燥させただけで日持ちはしますけれども、さらに風味を良くするために囲炉裏の上に吊るして燻製にする。そうするとさらに美味しくなるし、日持ちがさらに延びる。そういったサケ類をいっぱい作って家の倉庫に保管して一年間食べつないだのです。こういった生活はシベリアから北アメリカまで共通にみられる、北の世界の人たちの生活です。それから肉類もそうです。シカは年中ある程度獲れるのですけれども獲りやすい期間があります。それは交尾期、発情期で、なぜなら雄は雌を追いかけて夢中になっていますから、他に注意が払えなくなってしまうのです。そういう雄を狙うわけです。シカ笛には色々なパターンがありますが、私が調査したのは大陸にいるアカシカというエゾジカよりもひとまわり大きなシカの例です。アカシカの場合は雄の鳴き声を出す笛を使います。白樺の樹皮を帯状に切って、くるくると丸め、中の方から引っ張り出してラッパ状の筒にして、形が崩れないように外側を留めます。音を鳴らすには細くなった部分を口の端に当てて、息を吸いながら唇を鳴らします。ラッパと同じ原理ですが、息を吸って唇をふるわす点が異なります。ちょうど発情した雄の鳴き声に近い音になります。猟師がこのシカ笛で雄の鳴き声をたてると、ライバルが現れたと思って本当の雄ジカが猟師の方に近づいてくるので、そこを仕留めるのです。そうやって獲るので発情期の今頃がシカ猟の真っ盛りになります。今頃(10月)私の友人のロシアの猟師たちはアカシカを探して森の中を走り回っているはずです。アイヌの世界でもおそらくそういった猟が行われて、シカ笛なども発達しています。ただ、アイヌの人々のシカ笛は、雌の鳴き声をまねて雄をおびき出すように使われたようです。
こうした具合なのでシカ肉のシーズンも限られています。それからクマですが、年中獲れないこともないのですが冬から春にかけての冬眠中に獲るのが一番良いのです。というのは冬眠中のクマは餌を食べていないので、肉に臭みがなくて美味しいのです。さらに、春先に穴から出てきたばかりの熊というのは胆嚢に胆汁が溜まっています。大きなクマの胆が手に入るということで、本当は春先に獲れる熊が一番良いのです。つまり、クマ猟にも季節性があるのです。こういった季節性のあるものを頻繁に使うわけですから、狩猟採集も年中獲物を求めて追いかけ回すのではなく、季節にあわせた獲物を追いかけていくのです。そういった、いつ、どこで何が獲れるかということは、知識がないとできませんから、アイヌの人たちを始め北方の人たちは動物、植物に関しては、動物学者や植物学者よりもはるかに詳しい知識を持っていたのです。そういったことも、アイヌの人たちが北の世界に適応している証拠になるわけです。ですからアイヌ文化に自然を学べということはよくいわれますけれども、そうした伝統をアイヌの人たちが積み上げてきたという背景があるからこその話なのですね。
それからもう一点、北方的なのは農業です。「アイヌって狩猟民族じゃないの」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は農耕をやっていたのです。その証拠に間宮林蔵と村上禎助が編集した『蝦夷生計図説』という本には、狩猟や漁労の話がなくて農耕の巻があるのです。
何を作ったのかといいますと、粟や稷といった雑穀やカブなどの野菜類です。収穫風景の絵がありますが、日本のように根本を刈るのではなくて、弥生時代さながらに穂刈りです。貝で作った鎌で穂を刈っていくやり方で粟や稷を収穫していたのです。その伝統は決して新しいものではなく、今から1500年ほど前から始まる擦文時代からの伝統として農耕がありました。ですから、アイヌ文化を現代のイメージだけでとらえてはいけません。どういうところが北に適応しているのか、どういうところが北に適応していないのか丹念に見ていきますと、今まで見落とされていた文化が見えてきますので、今後みなさんアイヌ文化に興味を持たれたら、細かいところまでよく観察してみてください。そうすると、思わぬところに新しい発見が出てくるのではないかと思います。
あと、北方的といわれる要素の中で言及しておかなければならないのが世界観です。アイヌの世界観を説明するとそれだけで何時間もかかってしまうので、詳しい説明はちょっとできませんけれども、一点だけ強調しておきますとクマに対する崇拝が特徴だといわれております。いわゆる「イオマンテ」とよばれるクマ送り儀礼です。これがアイヌの人たちのアイヌたる、アイヌ文化をアイヌ文化にしている一番重要な儀礼だといわれています。20世紀初めに樺太や北海道でアイヌの調査を行ったポーランドの民族学者B・ピウスツキという人が撮影した樺太アイヌのクマ送りの写真と昭和の初めに木下清三という写真家が撮影した白老でのクマ送りの写真があります。両者とも今日では見ることが難しくなった(樺太アイヌのものは見ることが不可能になった)貴重な儀式の写真です。樺太アイヌの場合は、巨大なイナウを立てるのが特徴的です。なんだか諏訪の御柱のようなとてつもない高さです。クマ送り儀礼が北方的だというのはどうしてかといいますと、こちらもシベリアから北アメリカまでの、いわゆる亜寒帯針葉樹林帯に広く帯状に分布しているからです。この地域の人々は、クマを崇拝しクマを獲ってその肉を食べる時には、それを森の特別な人や森の精霊と考え、敬いながらその肉をいただいて、そしてその魂には人間からのお土産(クマ以外の肉や魚、衣服、アイヌの場合にはイナウ)をたくさん持たせてあの世に帰ってもらう。そして、あの世に帰ったらまたそこからクマの服を着て人間世界にやってきて、肉を人間たちにプレゼントしてくださいと願う。この儀礼は実に北半球の北方の亜寒帯針葉樹林帯に広く分布しています。アイヌ文化はその中の一つになるわけです。
ただ、このクマ送り儀礼がアイヌ精神文化の中心を成しているといわれていますけれども、それがアイヌ文化の一部になった時代、アイヌ文化に入った時代というのは、それほど古くはないと推測されます。考古学的にはクマを崇拝する習慣はオホーツク文化にあったといわれています。オホーツク文化というのは、今から1500年ぐらい前、日本でいうと古墳時代の頃、ちょうど北海道の縄文文化が古墳文化の影響を受けて擦文文化へと変わっていく時期に北の樺太の方から南下して道北からオホーツク海沿岸、そして千島列島まで広がった文化だといわれています。担っていたのも縄文人とは形質的、遺伝的に違う人たちでした。
その人たちが熊を崇拝する習慣を持っていた。彼らの竪穴住居には、ある一定の場所から大量のクマの頭骨が出てくるのです。それは、今のアイヌの人たちがクマ送り儀礼が終わった後、頭骨を特別な場所に安置するのと同じようなものではないかといわれています。対して同じ時代にあった擦文文化には(擦文文化の遺跡、住居跡もたくさんあるのですが)その住居跡からはクマの骨は一切出てこない。クマ送り儀礼をやった跡が見つからないのです。それどころか、オホーツク文化の遺跡(礼文島の事例)から出土したクマの骨のDNA分析から、擦文文化人がオホーツク文化人にクマを提供していたのではないかと思われるような結果が、わずかではありますが、出ているのだそうです。おそらく前者が後者に、儀礼用にクマを売るなりプレゼントするなりしたのではないかと想像されています。アイヌ文化に直接つながって行くのは擦文文化の方です。アイヌ文化が成立する以前に、擦文文化がオホーツク文化を吸収していくのですけれども、その過程でクマ崇拝とクマ送り儀礼を取り込み、それからアイヌ文化に変貌していったのではないかという流れが、有力な仮説になりつつあります。オホーツク文化にはシャチのような大型海獣に対する崇拝などの習俗もあり、それもアイヌ文化に取り込まれています。したがって、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に非常に大きな役割を果たしたということはいえるでしょう。このオホーツク文化と擦文文化の融合からアイヌ文化が生まれたという話から発展しまして、さらに近隣諸民族との関係、その近隣諸民族を超えて国家がどのようにこの北方世界に関わってきて、アイヌの人たちとどういう関係を結んだのかという話を最後にしたいと思います。
アイヌの周りにはたくさんの民族がひしめいていました。といっても実は人口密度が一平方キロメートル当たり0.1人以下の世界ですから、そんなにぎっしり人がひしめいていたわけではありません。ただ、多様な文化を持つ人々がアイヌの人々をとりまいていたということは事実です。実はアイヌの人たちと周辺民族との関係は、決して平和な関係だったわけではありません。それをちょっと紹介しますと、まず、擦文人とオホーツク文化人。先ほどいいましたように、アイヌ文化が成立する時にオホーツク文化を柱の一つに据えているという話をしましたけれども、この擦文文化人とオホーツク文化人との関係もいろいろ微妙なことがいわれています。結果からいいますと、結局オホーツク文化は擦文文化に吸収されてしまいます。時代的には9世紀から10世紀には、オホーツク文化は擦文文化に吸収されてしまったといわれています。その後、各地にオホーツク文化と擦文文化が融合した文化が生まれています。例えば、今の釧路、根室を中心とした地域にはトビニタイ文化という両方を折衷したような土器が出てきたりもしています。そうした融合文化もあるのですが、大勢としては、オホーツク文化は擦文文化に吸収されてしまうとされています。そこからどういう過程を経てアイヌ文化に至ったのか。
明らかにアイヌ文化であることがわかるような遺跡は、現在発見されているものでは15世紀くらいのものが最も古いようです。そして擦文文化の最も新しい時代の遺跡は12世紀ぐらいに相当します。そして、その間の時代の遺跡がなかなか見つからない。
12世紀から14世紀、日本でいうと平安末期から鎌倉時代、平清盛や源頼朝が活躍し、武家の世となり、鎌倉に幕府が成立し、その一方でモンゴルが西から攻め寄せてくる。そのような時代が、北海道以北では、考古学や歴史学の分野の空白時代となっています。しかし、その間が擦文文化からアイヌ文化へ移っていく一番大事な時代なのですから、まさに隔靴掻痒という感じです。
考古学的にこの時代が空白になってしまう最大の理由は、土器の製作が衰退することと、住居が竪穴住居から平地式住居(掘立柱住居)に変わることにあるようです。土器片は遺跡を見つけるときの一つの目印ですから、それが減ると、遺跡は見つけにくくなります。また、平地式住居は竪穴住居のように明確な痕跡を残しません。土器の衰退は鉄鍋の普及、鉄製の刃物の普及に伴う木器の普及、本州産、中国朝鮮産の陶磁器の普及などが関係しているようです。住居形式の変化も本州や大陸から影響による生活スタイルの変化を示しているのでしょう。この12世紀から14世紀という考古学上の空白時代は、北海道以北の地域、すなわち樺太、アムール川流域でも共通しているようです。ただし、現在ロシア領となっているこれらの地域の場合には、単に研究者に知識と関心がなく、出土している遺物や遺跡を見逃しているだけなのかもしれませんが。
この謎の時代の後半、すなわち13世紀の後半に中国の文献にアイヌと思しき人たちの姿が登場してきます。それが、クギとギレミという人たちの話なのです。この時代になると、東洋史学や考古学の研究で、骨嵬と書いてクギと呼ばれる人たちと、吉烈迷と書いてギレミと呼ばれる人が文献に登場し始めます。クギというのは、樺太の北に住んでいたニヴフがアイヌを指していう呼び名だといわれています。ですから、この骨嵬と書かれた人たちはアイヌの祖先を指すのだろうといわれています。それからこの吉烈迷というのは、ツングース系の人たちがニヴフに対して付けた名称だといわれています。ですから、この吉烈迷というのは今のニヴフの祖先だといわれています。このアイヌの祖先とニヴフの祖先が、樺太を舞台にして紛争を起こました。そして劣勢に立たされた吉烈迷が、当時中国を支配していたモンゴル(元王朝、元寇を起こした王朝です)に救いを求めたのです。それで元軍が松花江からアムール川を下って樺太まで渡り、南から押し寄せてきたアイヌの祖先たちを打ち破ったという記録が「元史」という元王朝の正史(次の明時代に編集)に出てきます。最初の紛争が1264年で、それから1300年代初頭まで軍を派遣した記録が散発的に残っています。元寇の文永の役が1274年、弘安の役が1281年ですから、ちょうど同じ時期にモンゴル軍は樺太でアイヌの祖先たちと干戈を交えていたわけです。元寇の時代に日蓮宗を作った日蓮上人が、北から蒙古(モンゴル)が来るぞということを著作で書いて警告しています。その解釈をめぐっては、歴史学者の間で論争があるのですけれども、北からの元寇というほど大げさなものではないだろうとはいわれています。どうやって日蓮上人が樺太におけるアイヌの祖先と元軍との直接接触に関する情報を得たのか謎は多いのですが、彼は当時の蝦夷地(北海道から東北北部の地域)についての情報をかなり持っていて、北からモンゴルが来ているということを知っていたようなのです。そして彼のいう北からの蒙古襲来というのが、実はアイヌの祖先とモンゴルの間の接触だったわけです。
これが尾を引いているのかどうか分かりませんが、江戸時代の文献によると、アイヌとニヴフ(江戸時代にはスメレンクルやニクブンと呼ばれていました)は仲が悪いということになっています。間宮林蔵が樺太を探検した時、彼はアイヌを先導役にするのですが、その先導役にされたアイヌの人たちが北に行くのをものすごく嫌がるのです。なぜかというと、北にはスメレンクルとか何とかという野蛮な連中がいて、「俺たちが行くと殺される」といって非常に怖がるのです。それを間宮林蔵が「俺がいるから大丈夫だ」とかいってなだめすかして行って、結果的には先導役のアイヌの人たちはみんな無事に帰ってはくるのですが、そんなに樺太の南にいたアイヌの人たちが北にいる住民を嫌がったという歴史があります。考古学者はこれをさらに敷衍しまして、実は骨嵬と吉烈迷の紛争は、擦文人がオホーツク文化を吸収して成立したアイヌの人たちが、その吸収した力を使って北へ進出していったための紛争ではないか、あるいは、擦文人対オホーツク人の対立が樺太にまで持ち越されたのが、この吉烈迷と骨嵬の対立だったのではないかというふうにいう人もいます。そこまでいえるかどうかはわかりませんけれども、13世紀、日本の鎌倉時代にアイヌの人たちが一定のパワーを持って自分たちの居住域を北に広げていったというのは事実だったようです。このアイヌの祖先とモンゴル軍との接触の顛末はどうなったかといいますと、結局アイヌの祖先はモンゴル軍の圧倒的な武力の前に一応恭順の意を示します。初めから戦争というような大げさなものではなかったという話もあるのですけれども、一応恭順の意を示して、元の支配下に入って、毎年毛皮を貢納しますということをいって収まるのです。それが1302年ですから、14世紀の初め、それ以降、このアイヌの祖先たちの話は元史から消えてしまいます。消えたということは平和になって、いつもどおりの話になってしまったので、あえて記録に登場させる必要がなくなったということなのです。おそらく従ったのは樺太に住みついたアイヌだけで、北海道のアイヌが含まれていたかどうかというのは分かりませんが、アイヌの一部が一時期モンゴルの支配下に伏したというのは事実です。
しかし、アイヌの人たちと大陸の人たち、北方の人たちというのは微妙な関係にありました。たとえば、アイヌの人たちと婚姻関係を結ぶような密接なつながりを持った民族というのがほとんどないのです。「サンタン」(山丹、山旦、山靼などとも記される)と呼ばれた人々がいます。現在のウリチと呼ばれる人々の祖先で、ツングース系の民族なのですが、このサンタン人との間にはアイヌ女性との結婚話というのがたくさんあります。それからウリチの中には「実は我々は樺太アイヌだった」という人たちが数多くいます。ですから、サンタンとアイヌとは一定の緊密な関係があったといわれています。ですが、それがいつも友好的であったかというと微妙です。江戸時代の文献には「サンタン人の横暴」という有名な話がしばしば見られます。サンタン人たちは江戸時代、サンタン交易といわれるアムール川と樺太から北海道をつなぐ交易路の中で主導権を握っていました。そのような状況の下で、彼らは樺太アイヌを借金で縛りつけて、傍若無人な振る舞いをしていたという話が最上徳内や松田伝十郎や間宮林蔵など当時の樺太探検者たちの著作の中に出てきます。
それに対して江戸幕府はアイヌの人たちに代わって借金をサンタン人に払って、彼らを借金から解放して、サンタン交易を幕府の公認交易にしてしまうのです。一応日本側の記録はアイヌの人たちを借金から解放したということになっているのですが、実はちょっといじわるな見方をすれば、アイヌの人たちは今まで続けてきた自分たちの独自の交易網から弾き飛ばされてしまったということにもなります。つまり、幕府がやってきて「サンタン人との交易は政府が直接やるからお前らは引っ込んでいろ」といわれて交易からのけものにされてしまったといえなくもないのです。そういう感じで、サンタンとアイヌとの間にはある程度の友好関係と緊張関係がありました。しかし、婚姻関係まであるのはこの人たちだけで、あとその周りの人たち、とくにニヴフの祖先、それから江戸時代にオロツコといわれた今のウイルタと呼ばれる、トナカイ飼育民の祖先とは戦争までしていまして、江戸時代の文献には「婚姻関係はない」とはっきり書かれています。ですから、かなり対立した関係になっていたようです。ただ江戸時代頃になると、こういった世界をロシアや日本や中国といった国がどんどん侵略していくようになります。江戸幕府や松前藩の「蝦夷地支配」はその支配体制が商場知行制から場所請負制に変わって、結果的にアイヌの人たちを不当に搾取していくようになります。明治政府はアイヌの人たちを商人の搾取から解放しますが、同時に、北海道と命名した土地を日本の植民地、つまり開拓地と定めて、農耕できる土地に日本人を植民させて、アイヌの人たちから土地を奪っていきます。そして文化を同化していくという政策がとられていきます。ただ、目を外に向けてみると、この時代には日本以外の国(つまりロシア)もアイヌモシリを植民地化しようとしていたとしていたことは事実です。
アイヌモシリ(アイヌの土地)と国家との関係に話を移しますと、このアイヌモシリの一部、特に樺太にまず領土権を主張したのは中国でした。中国というと現在の中華人民共和国と誤解する恐れがあるので、より正確を期せば、モンゴル人が作った元王朝が樺太のニヴフの祖先、アイヌの祖先を支配下に入れることで、樺太の領有権を得ます。領有といっても、現代的な意味の領有とは異なります。当時の中華王朝にとっては支配下にある住民が住んでいる土地がその勢力下にある領土となるので、現在の近代国家の領土とは一緒にしないでください(その住民が別の国に従えば、一瞬にしてその土地は失われてしまいます。無人の土地はそこに被支配民を入植させてはじめて領土とすることができます)。アイヌを含む樺太の住民に対する支配は、その後漢民族が作った明王朝、満洲人が作った清王朝に受け継がれていきます。しかしそれでも、樺太の南端までは支配が及んでいませんでした。そのために清の時代、中国の人々は樺太と北海道が狭い海峡を挟んで向かい合っているという事実を知らなかったのです。
元王朝と明王朝が樺太を支配する時に役所を置いたのがヌルガンというところで、明の時代にはそこに永寧寺というお寺が建立されました。そのことを記した石碑があります。樺太の住民に対して一番長期的で徹底した支配を行ったのは清王朝で、こちらは間宮林蔵がデレンというところに置かれた清王朝の出先機関を絵に残しています。しかし、清の支配も19世紀初頭には陰りを見せ、その隙を突いて江戸幕府がその支配圏を北上させ、19世紀半ばまでに樺太アイヌのほぼすべてを支配下に収めます。1858年には人口調査(人別)を行い、人口も割り出されています。
その後は1849年からこの地域に勢力を伸ばしてきたロシア(ロシアは17世紀に一度アムール川流域に進出したが、清王朝に敗れて排除されてしまった)と日本との間で国境交渉が行われます。その結果、住んでいるアイヌの人たちの意向を全く無視した状態でアイヌモシリが切り刻まれました。当初はエトロフ島とウルップ島の間に設けられた道東アイヌと千島アイヌの境界に沿って日ロの境界が設けられましたが(1855年の日魯通交条約)、1875年の樺太千島交換条約(サンクト・ペテルブルク条約)では宗谷海峡と千島海峡(カムチャツカ半島とシュムシュ島の間の海峡)に国境がひかれ、日本文化に親しんでいた樺太アイヌがロシア側に取り込まれました。そして逆にロシア文化に同化されつつあった千島アイヌが日本の支配下に入れられ、シコタン島に移住させられてしまいました。そして1905年に一度樺太アイヌの居住地も日本領に編入されましたが、第2世界大戦で日本が敗戦となった結果、樺太南部だけでなく、クナシリ島までの千島列島からシコタン島、ハボマイ諸島までソ連軍に占領され、そのままソ連、ロシアの実効支配が続いています。そして、ソ連に占領された土地からアイヌの人々の大半が脱出ないし追放されてしまいました。
この状況をアイヌモシリという観点に立ってみれば、江戸時代までのアイヌモシリのうち北海道以外の部分が事実上ロシア領になり、そこからアイヌの人々が消えてしまったことになります。つまり、近代国家である日本とロシアがアイヌモシリを舞台に争っている間に北海道以外からアイヌの人たちが消えてしまった。しかも、本来の住民であるアイヌの人々の意向とはまったく関係なく国境や占領地が定められ、本来の住民がその土地を離れざるをえなくなってしまったのです。
これは非常に大きな、深刻な問題ではないかと思います。では消えてしまったアイヌの人はどこへ行ったのか。実は樺太にいたアイヌの人たちと北方四島にいたアイヌの人たちは、ほとんどが北海道に移住しました。そしてその子孫の方々も北海道にいます。千島列島、とくに北千島のアイヌの人たちは、前述のように樺太千島交換条約の後にシコタン島に強制移住させられ、そこで環境不適応をおこして多くの方が命を落とし、独自の文化を持つ文化集団(アイヌの下位集団)としては事実上消滅してしまいます。しかし、その血を引く方々は戦後シコタン島から北海道に移住し、道東方面を中心に暮らしているようです。
ここまでアイヌ文化がどこまで北方世界に適応しているかを中心にお話してきましたが、彼らは北方世界の自然環境には見事に適応しました。
さらに江戸幕府や清王朝、あるいはロマノフ王朝のような前近代的な国家との関係においても見事に適応し、自分たち独自の文化を守り、育ててきました。彼らは前近代国家の支配に甘んじるだけではなく、国家にとって必要不可欠な物資を供給することで、逆にその支配体制に影響さえ及ぼしたのです。歴史研究や歴史小説などでは、江戸時代のアイヌの人々は一方的に収奪される惨めな人々と描かれることがしばしばありますが、それはアイヌの歴史の一面に過ぎません。衣服のところでも触れたように、オヒョウの樹皮の繊維で作られたアットゥシは、その撥水性と通気性がかわれて和人の船乗りや漁師の上着として重宝され、幕末明治期には手仕事でしたが、大量に生産され、本州以南にさかんに販売された時代がありました。アイヌの猟師が北海度や樺太で捕獲したクロテンやギンギツネなどの毛皮は、樺太アイヌやサンタン商人の手で中国に運ばれ、北京の宮廷文化を彩りました。千島でもアイヌたちが捕るラッコの毛皮が帝政ロシアの経済を支えた時代があったのです。アイヌ社会は決して悪徳商人たちの搾取のために崩壊の一途をたどったわけではなく、厳しい状況の中でもそれなりに適応しようとしたのです。
確かに近代国家との関係においては、強力な文化同化政策によって言語は消滅寸前に追い込まれ、狩猟や漁撈、雑穀栽培といった生産活動も自由にできなくなり、非常に厳しい状況におかれるようになったのは事実です。しかし、だからといってアイヌの伝統文化が消滅し、大正時代以後の調査研究は「落ち穂拾い」状況だったという認識は間違っていると思います。21世紀の今日、アイヌの人々の中には生活面で苦しい状況にある人々もいますが、それでも現代の自然環境と社会、経済的な環境に順応しつつ、祖先たちから受け継いできた文化を継承し、発展させています。ただ、今日の社会において、アイヌ文化の継承、発展の問題をアイヌの人々だけのものとして、それ以外の人々が無関心でいるという状況はよくありません。近代以後のアイヌ文化の状況は、実は日本文化の状況と共通する部分もあるのです。自分たちの日常生活を見回してください。「日本文化」なるもの、例えば自分たちの祖父や祖母の世代まで受け継がれてきたものを、私たちはどの程度きちんと保持しているでしょうか。明治以後の近代化の中で、日本文化もその多くが失われたのです。同じ現象は世界中で起きています。つまり、アイヌ伝統文化の継承、発展という課題は日本国民に共通の課題であり、さらにはちょっと大げさに言えば、全人類に共通の課題でもあるのです。自分たちの伝統文化を継承、発展させていくためのアイヌの人たちの活動について、北海道を領有している日本という国家の国民は、自分たちの問題として真剣に考えていかなければいけないと思います。
最後に一言触れておきますが、「北方領土問題」というものは日本とロシアだけの問題ではありません。国家間の問題ではあるのだけれど、その背後にはもう一つ、この地域の本来の住民だった先住民族アイヌという存在を忘れてはいけない。これだけはしっかり頭に入れておいていただければと思います。私の話はこれで終わりにしたいと思います。どうも長時間ありがとうございました。
https://www.frpac.or.jp/about/files/H24%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%80%80%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%8C%B2%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8F%B2%E9%83%8E%EF%BC%88%E5%9B%B3%E7%89%88%E7%84%A1%EF%BC%89.pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c4
3. 2019年1月21日 13:45:21 : aIjrukObbg : 0l871mygoFE[206]
まぁ、頭のおかしい記事が横行しているせいか、
実際、レーダー照射の真偽は判らませんね、
そもそも事前にコミュニケーション(警告)すれば済む話だし、
仮にレーダー照射があった場合、
呑気に遊覧せず、即時回避運動、離脱、応援を呼べば済む話、
ゆえ、自衛隊機機長さんの平和ボケとしか見えない行動で
逆に国民への不安を与えたのが残念。
もしくはジャイアンを釣る餌なのか、かね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/488.html#c3
5. 中川隆[-12824] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:46:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
1789年クナシリ・メナシの戦い 更新日:2018年03月01日
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/tatakai/4719.html
1912(明治45)年5月、納沙布岬に近い珸瑤瑁(ごようまい)の浜で、 砂に埋まっている石が発見されました。掘ってみると「横死七十一人之墓」と彫られていました。
■横死七十一人之墓
現在、この「横死七十一人の墓」は納沙布岬の傍らに建てられています。この碑の横面には「文化九年歳在壬申四月建之」と刻まれ、文化九年は西暦の1812年ですので、この年の4月に造られたことがわかります。裏には漢文で難しい文章が書かれていますが、現代語訳にすると
「寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍(さむらい)や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は役所にある。あわせて供養し、石を建てる」
という意味になります。これだけ読むと「凶悪」なアイヌが、この地の侍や漁民を虐殺(殺害)したということだけしかわかりません。真実の歴史はどうであったのでしょうか。
横死71人の墓表 横死71の墓裏面
寛政の蜂起和人殉難墓碑(根室市指定史跡)
■ ノッカマップイチャルバ
1974年から毎年9月末に、根室半島のノッカマップというところで「イチ ャルパ」(アイヌ語で供養祭という意味)という催しが行われています。寛政元 (1789年)のクナシリ・メナシの戦いの犠牲者(アイヌ37人、和人71人 )の供養のために、アイヌの人たちが中心になって祭事が催されています。
イチャルパの様子
ノツカマップイチャルパの様子
■松前藩
江戸時代の北海道は、蝦夷地と呼ばれていました。蝦夷地は松前の殿様に植民のように支配されていました。当時の蝦夷地は米が獲れなく、本州のように年貢をとることができませんでした。しかし、松前は蝦夷地の交易による利益で、藩が成立していました。最初は、松前藩主や家臣が直接蝦夷地でアイヌの人々と交 易していましたが、しだいに商人にまかせるようになりました。交易品には、和人側からは米・酒・鉄製品、ガラス玉などの食糧や生活物資が、アイヌ側からは・毛皮・ワシの尾羽(矢の羽に使う)などの産物がありました。
鷲の羽 納沙布岬のラッコ
ワシ類の羽 納沙布岬のラッコ
コタンケシ遺跡出土のガラス玉
コタンケシ遺跡出土のガラス玉
■根室と飛騨屋
根室や厚岸、クナシリ島の交易を最初に行った商人は、飛騨国増田郡湯之島村(岐阜県下呂町)の飛騨屋の武川久兵衛(たけがわきゅうべえ)という人でした。飛騨屋はもともと材木商でしたが、松前藩に多額のお金を貸し、松前藩はこのお金を返す代わりに、根室などの交易の権利を飛騨屋に与えたのでした。しかし、根室やクナシリ地方には、強力なアイヌの勢力があって、飛騨屋の交易は順調に進みませんでした。
武川家の墓所
武川家の墓所(岐阜県下呂市)
■ロシアとの関係
このころ、ロシア人は高価な黒テンやラッコの毛皮をもとめて、シベリヤから アリューシャン列島・千島列島に進出していました。1778年にはロシア人が クナシリアイヌのツキノエの案内で、根室のノッカマップに交易をもてめて来航しました。ロシア人は千島列島のアイヌとも交易を行っていて、ツキノエは、ロ シア人商人との結びつきを松前藩や飛騨屋に誇示しました。
■老中田沼意次と蝦夷地
江戸時代の日本は、長崎での中国・朝鮮・オランダ、対馬での中国、琉球での中国貿易、そして松前での中国・ロシア貿易の他は、外国とは交易していませんでした。
当時の江戸幕府は財政的にいきずまっており、蝦夷地での交易の莫大な利益に目を付けたのが、老中田沼意次でした。幕府は蝦夷地に調査隊を派遣しました。ただこの調査で、飛騨屋の経営も調査され、帳簿にも記入しないどんぶり勘定であることがわかり、交易だけでなく、現地でアイヌを使ってかなり強制的に働かせていることも明らかになりました。しかし、途中で田沼が失脚していまい、幕府は蝦夷地に対して何の政策も行いませんでした。
■最初の蜂起
1789年(寛政元)5月はじめ、クナシリ島のアイヌが一斉に蜂起し、松前藩の足軽竹田勘平をはじめ、飛騨屋の現地支配人・通辞(アイヌ語と日本語の通訳)・番人らを次々に殺害しました。さらにチュウルイ(標津町忠類)沖にいた飛騨屋の大通丸を襲い、標津付近のアイヌも加わり、海岸沿いにいた支配人、番人らをも殺害しました。
クナシリ島で蜂起にしたのは、マメキリ、ホニシアイヌら5人が中心となって、合わせて41人が番人らを襲撃しました。彼らはクナシリ島の若きアイヌリー ダーたちで、フルカマップで4人、トウフツで2人、トマリで5人、チフカルベツで8人、ヘトカで3人の合計22人を殺害しました。さらにメナシ地方(標津 ・羅臼付近)では、49人を殺しました。結局クナシリ・メナシ地方合わせて130人が蜂起し、71人の和人を殺しました。このあたりにいた和人で生き残ったものは4人おりましたが、ほとんど全てが殺されました。
クナシリ・メナシの戦い関係地名図
クナシリ・メナシの戦い関係地名図
■蜂起の原因
この蜂起の後、松前藩はすぐに鎮圧隊260人をノッカマップに派遣し、なぜ蜂起が起きたのか取り調べることになりました。取り調べの結果、飛騨屋の支配人、番人らの非道(暴力・脅迫・性的暴力・だまし・ツグナイ要求)の実態が明らかになりました。これらは、飛騨屋がアイヌを強制的に働かせるために行われました。また、アイヌの人々は非常に安い賃金(品物)で、自分たちが冬に食べ る食糧を確保する暇もないほど働かされ、餓死するものが出る状態でした。次第にアイヌたちは「このままでは生きていけない」と意識するようになり、飛騨屋の番人らが「アイヌを根絶やしにして、和人を連れて来る」という脅しが、現実味を帯びてきました。さらに、女性に対する性的暴力が続出し、それに対する抗議をしても認めるどころか、さらにひどい暴力を受けるという始末でした。
■直接の原因
このようにクナシリ・メナシ地方のアイヌたちは、過酷で強制的に働かされ続け、いつ何が起こっても不思議でない状況となっていました。
1789(寛政元)年になって、クナシリ島の惣長人(そうおとな=総首長)サンキチが病気になり、メナシ領ウェンベツの支配人勘兵衛がクナシリ島にきて持ってきた酒をサンキチが呑んだところ、そのまま死んでしまいました。また、同じくクナシリの長人(おとな=首長)マメキリの妻が和人からもらった飯を食べたところ、まもなく死んでしまいました。このような不審な死に方をしたサンキチやマメキリの妻は、普段から毒殺するといって脅かし続けた和人によって、本当に毒殺されたに違いないということになったのです。本当に毒殺であったかどうかは、今となっては真相は分かりませんが、たとえ偶然であったとしても、蜂起に至るのは時間の問題であったのです。
■鎮圧隊の松前出発
この蜂起の事実が松前城下に伝わったのは6月1日でした。すぐに260人の鎮圧隊が組織されました。鉄砲85丁・大砲3挺・馬20頭も準備され、6月11日から19日にかけて、根室のノッカマップに向けて出発しました。
■ノッカマップでの取リ調べ
鎮圧軍は7月8日にノッカマップに到着しました(この年は閏年で、6月が2 カ月ある)。蜂起に関係したアイヌたちをノッカマップに集め取り調べが始まり ました。最初は捕まって殺されるかもしれないという疑いからなかなか集まりま せんでしたが、7月16日までにメナシの183人とクナシリの131人のアイ ヌがノッカマップに到着しました。
アイヌに対する取り調べは、アッケシの首長イコトイ、ノッカマップの首長ションコ、クナシリの首長ツキノエに行わせました。その結果、クナシリでは41人が、メナシでは89人が、合わせて130人が蜂起し、殺害に加わったことが 判明しました。さらに、なぜ蜂起したかについても詳細に取り調べられました。この内、直接の加害者である37人が牢に入れられました。さらに彼らが持っていた弓などの武器が全て没収されました。
■37人の処刑
7月20日に取り調べが行われ、その日に直ちに37人に対して、重罪であるという理由で死罪が決定しました。
翌21日、本人たちに死罪が申し渡され、指導者であったマメキリから順番に牢から引きだし、首をはねていきました。次々と首をはね、5人目が終わり、6人目の時、牢内が騒がしくなり、大勢がペウタンケと呼ばれる呪いの叫びをあげ、牢を壊そうとしたので、鎮圧軍は牢に鉄砲を撃ち込み、逃げる者は槍で突き刺し、大半を殺した後、牢を引き倒し37人全てを処刑しました。その後、処刑した者全員の首をはね、洗って箱に塩詰めにし、胴体は一つずつむしろで包んで大きな穴を掘って埋めたのでした。
ノツカマップイチャルパのヌサ
ノツカマップイチャルパのヌサ(幣)場
7月24日には37人に胴体を埋めた塚に、太さ30センチメートル、長さ3.6メートルの角材の四面を赤く、四角を黒く塗り、ノッカマップ岬の四方から 見渡せるところに建てました。現在はこの場所がどこか不明です。7月27日 には、長老のアイヌたちに、今後二度とこのようなことがないように申し渡して、鎮圧軍はノッカマップを出発しました。37個の首は松前郊外の立石野で首あらためが行われました。
ノッカマップ岬
ノツカマップ岬(ノツカマフ1・2号チャシ跡が所在)
■アイヌと松前藩
この戦いの後、飛騨屋は交易の権利を没収されましたが、松前藩には何のお咎めもありませんでした。結局、幕府は特にこの戦いに後、新しい政策を打ち出せなく、蝦夷地を黙認したのでした。しかし、蝦夷地の経済的な価値やロシアの南下に対しては、再度強い関心を示し、幕府の目が北に向くきっかけになったのでした。
■アイヌの勢力
この戦いに敗北した、アイヌ社会は松前藩との力の差を知ることになり、さらに、本州から持ち込まれる生活物資無しには、生活できなくなっていて、アイヌ自身による独自の政治勢力が育つ可能性が、非常に弱くなるという道をたどることになります。
アイヌにとっては、蜂起前のように武力で立ち上がる力をつみ取られ、政治的にも経済的にも従属関係となり、和人支配下で働かされるということが、日常的になっていきました。
■おわりに
1789年はフランス革命が起こった年でもありました。蝦夷地でこのような戦いが起こったことも偶然ではなく、世界史の流れの中でとらえようとする考え方もあります。
この戦いは、決して楽しい歴史ではありませんが、北海道にとっても日本にとっても、そしてアイヌ民族の歴史にとっても、大変重要な出来事でした。そして根室市にとっても忘れてはならない歴史ですので、ここに掲載いたしました。
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/tatakai/4719.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c5
12. 2019年1月21日 13:48:03 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[1011]
☆☆私はアベです。
☆☆偽造(ぎぞう)、捏造(ねつぞう)、安倍ゲリゾーのあべでぇ~~~~す❗
☆☆「スダレハゲ菅=カツラハゲ菅」のお仕事
↓↓↓
❶「使いたい放題の機密費」で「第四の権力=マスメディアのトップ」や「経団連のトップ」
に毒を食らわせ報道弾圧すること❗
❷「使いたい放題の機密費」を使って、世界で一番おとなしい「日本人のデモ」を過剰警備で阻止すること❗
❸いつも記者会見では馬鹿の一つ覚えの「問題ない!」「指摘には当たらない!」を
バカ丸出し壊れたレコードのように繰り返すこと❗
☆☆この「スダレハゲ菅」は「辺野古埋め立て工事」に対しても
「日米同盟の抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を合わせて考えた時、辺野古建設が唯一の解決策」と能無し答弁を繰り返すばかり❗
↓↓↓
機密費で雇った機動隊を沖縄辺野古に派遣し、反対住民を力づくで排除しまくっている鬼のような輩でぇ~~~~~~す❗
☆☆沖縄県知事選の時も「官房機密費==国民の血税」を使って「創価学会員」を5000人も全国から動員し沖縄に送り込んだのもこの「スダレハゲ菅=カツラハゲ菅」なのでぇ~~~~す❗
神奈川県民の皆さん❗
この「スダレハゲ菅=カツラハゲ菅」を選挙で引き摺り下ろしてやりましょう❗
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/464.html#c12
21. 2019年1月21日 13:48:15 : WQaTXGDVYA : ptqKZ7wHXx8[17]
>>18さんの仰る通りですね。
大分以前に、小沢一郎氏が選挙不正が有るやの意見を聞かされて、今度見てみると仰いました。
小沢氏が実際にご覧になったかどうかは知りませんが、少なくとも当落に影響するような不正の事実は無かったんでしょう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/434.html#c21
25. 2019年1月21日 13:48:14 : D35i3v5zMn : DaI_pEBmW38[-15]
頭が=おかしいのは^^
アメリカ(外国)との関係強化を=右翼←と定義する(超絶バカ)である^^
(右翼)とは=国家主義・又は民族主義を指すため^^
国際安全保障←の支持者を=右翼と定義することは=有り得ない^^
6. 中川隆[-12823] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:48:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
北方領土を考える その一 北方諸島とアイヌ語の地名 2016年12月16日
http://naritas.jp/wp1/?p=4634
ウラジミール・プーチン (Vladimir Putin)大統領が来日しています。山口と東京における安倍総理との会談がどんな成果を生むかが注目されます。会談の一つに北方問題を取り上げられるようです。日ロの平和条約に関して安倍総理は「新しいアプローチに基づく交渉」とか「特別制度による共同経済活動」とやらで臨んでいるようです。経済協力先行を主張するロシアは領土問題を棚上げしたいのは目に見えています。
国家の主権の大事な要素は領土、そしてそこに住む民族です。領土の帰属を主張する根拠とは、誰が見つけて占有を宣言するかではなく、誰が先住していたかということが20世紀以降の国際通念です。北方領土問題は占有と先住を巡る解釈、そして力関係です。そうたやすく解決する問題ではなさそうです。100年はかかるかもしれません。樺太生まれの北海道育ちの私も日ロの平和条約と北方問題の解決には大いに関心を持っています。
北方領土における千島や樺太、そして北海道にはアイヌ語を語源とする地名などが沢山あります。私が生まれた樺太の真岡は、アイヌ語の「マオカ」で静かな場所、「マ・オカ」という呼び名もあり、これは「川口が入江になっている海岸」という意味だそうです。小さいとき育った美幌はアイヌ語の水多く、大いなる所を意味する、「ピ・ポロ」、稚内はアイヌ語の「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナイ」、名寄はアイヌ語の渓流に注ぐ口という意味の「ナイオロプト」、旭川はアイヌ語で忠別川を指す「チュプ・ペッ」と呼ばれていました。「チュプ」は「日」、「ペッ」は川の意味でやがて「旭川」となったという説です。
http://naritas.jp/wp1/?p=4634
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c6
7. 中川隆[-12822] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:52:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
北方領土の読み方は4島すべて何と言う?四島の語源も!
https://takenori.info/blog/northern-territories/
北方領土4島すべての読み方は何と言うか?
以下に一覧で。↓
•色丹島:Остров Шикотан:シコタン
•歯舞群島:諸島:Острова Хабомаи:ハボマイ
•国後島:Курильские острова:クナシリ
•択捉島:Итуруп:エトロフ
1956年の日ソ共同宣言から言われている
色丹( しこたん )島と、歯舞( はぼまい )
群島・諸島の2島と、国後( くなしり )島と
択捉( えとろふ )島が北方領土の四島である。
各島の語源は次章以降で詳しく解説する。
色丹島の語源はアイヌ語で「 大きな村 」
ウィキペディアの記述に拠れば、色丹( シコタン )島
は、アイヌ民族が強制的に移住させられた歴史が有るという。
「 色丹島 」より引用↓
“
1884年( 明治17年 )に占守島や
幌筵島、及び中部千島の羅処和島に
居住していた千島アイヌの人々が
色丹島に強制移住させられた。
”
【 引用ここまで↑出典:Wikipedia 】
アイヌ語は北海道アイヌ語が消滅の危機に
瀕して居るとされるが、色丹島を含まない
千島列島アイヌ語は、すでに絶滅している。
そのアイヌ語で「 大きな村 」という
意味の語源がシ・コタンとなる。
Малокурильское, o.Шикотан.png
歯舞群島の語源は「 流氷が退くと現れる 」
歯舞群島もしくは諸島の、ハボマイの由来は
アイヌ語の「 ハ・アプ・オマ・イ 」から来ている。
日本語に翻訳すると、「 流氷が退くと小島が現れる場所 」となる。
Часовня на острове Танфильева.png
ウィキ情報に拠れば、1956年の日ソ共同宣言で締結され
2018年11月14日の日露首脳会談で返還が
検討されている、色丹島と歯舞群島の
2島は千島列島には入らないとしながらも
便宜上、一部として記述するとしている。
ちなみに、歯舞島は群島もしくは諸島なので
その名の通り、大小13の島々で攻勢されている。
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国後島の語源は「 黒い草の島 」が有力?
2島返還の対象に入っていない北方領土が
択捉( エトロフ )島と国後( クナシリ )島
の2島で、地理的には千島列島に属する。
しかしながら、国後島の語源に付いては
いくつかの諸説があり、明確な由来は不明だ。
「 国後島 」より引用↓
“
島の名前の由来は、アイヌ語の「クンネ・シリ
( 黒い・島→黒い島 )」または「キナ・シリ/
キナ・シル( 草の・島→草の島 )」からであるが、
どちらが本当の由来かは、はっきりとしていない。
この島に先住していたアイヌ人はアイヌ語で
「 クナシル 」と呼んでおり、日本語名も
ロシア語名も国際標記も、これに起源を持つ。
”
【 引用ここまで↑出典:Wikipedia 】
つまり、国後島の語源は「 黒い 」か
「 草 」の、どちらかであるという説である。
つまり両者を、かけ合わせると「 黒い草の島 」
か「 草の黒い島 」の、どちらかになる。
Tomari Village in Kunashiri Island.JPG
択捉島の語源はアイヌ語で「 岬の有る所 」
北方領土の千島列島に属する択捉( エトロフ )島も、
2島返還には含まれていない島である。
択捉島の語源は、アイヌ語で「 エトゥ・ヲロ・プ 」
と発音し、意味は「 岬の有る場所 」だ。
では、その岬とは何か?と言えば択捉島の
最北端の岬である「 カモイワッカ岬 」を指す。↓
カモイワッカ岬.JPG
つまり、カモイワッカ岬の有る島が択捉島だ。
以上が、北方領土4島の「 読み方と語源 」になる。
北方領土の地図を4島すべての場所がどこ?かをGoogleマップで表示
ロシア側からの色丹島および歯舞群島の2島返還が加速したと報じられている「 北方領土4島 」の場所と位置をGoogl...
つまり北方四島、全ての名前は先住民族である
アイヌ人が命名した、ということになる。
プーチン大統領は今回の2島返還に際し、
日本語で「 引き分け 」だと語った。
シコタン色丹島の人口と居住者数は2018年現在で何人いるのか?
速報で2018年11月14日、シンガポールにて日露首脳会談が行われ、ロシアのウラジーミルプーチン大統領【 66 】は...
自身が柔道8段を有するプーチン大統領
らしい発言だが今後は、どうなっていくのか?
対する安倍首相は自身が、お得意の
アーチェリー( 洋弓 )で、狙い通りの的に
見事、命中させる事が出来るのかー!?
https://takenori.info/blog/northern-territories/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c7
8. 中川隆[-12821] koaQ7Jey 2019年1月21日 13:58:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
0-0. 日本人の源流考 _ アイヌ人の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1
日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」と「C」
Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。
移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級として ネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。
これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)
しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。
ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。
一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。 その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。
Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。
もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。
スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。
現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。
さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。
しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。 どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。
一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」が そのまま北上し本土に入った結果と考えられる。
オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。
一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。
このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。
ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。
この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。
このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。
この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような 移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、
Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。 最も頻度が高いのはTanana族である、約40%もの頻度を持つ。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。
またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、 大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c8
28. 2019年1月21日 14:00:24 : 5ny5FM2kZY : uNwEKiseJfk[7]
ソ連の火事場泥棒
日ソ中立条約期間中に、ポツダム宣言に従わないと言う屁理屈で宣戦布告をしたが日本はポツダム宣言を受諾することを1945年の8月14日には表明しているとともに、宣戦布告には応じていない事実と、ポツダム宣言事態の内容が侵略を禁じたものであり、ソ連がこれを盾に侵略が許されるはずがない。
さらにその後の日本人への抑留や奴隷扱いが全く不合理である事等、人道的に正当性に欠如するとともに、人権侵害で有る国連憲章に反しているからである。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/286.html#c28
29. 2019年1月21日 14:02:25 : 5ny5FM2kZY : uNwEKiseJfk[8]
権侵害で有り と 訂正
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/286.html#c29
9. 中川隆[-12820] koaQ7Jey 2019年1月21日 14:04:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
千島アイヌ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
千島アイヌ(ちしまアイヌ、アイヌ語: Ruru-tom-un-kuru、英語: Kuril Ainu)とは、かつてウルップ島以北の北千島に居住していたアイヌ系民族である。北海道アイヌや樺太アイヌとは異なる文化・伝統を有することで知られていたが、千島・樺太交換条約締結後の日露両国による強制移住政策によって人口が激減し、現在では千島アイヌの文化は断絶してしまっている。
欧米ではクリルアイヌ、あるいは単にクリル人とも呼称される。
千島列島
「千島アイヌ」あるいは「クリルアイヌ」の名前で知られているものの、厳密に言うと南千島(エトロフ島・クナシリ島等)のアイヌは北海道本島のアイヌと同系統とされ、通常「千島アイヌ」は、ウルップ島以北の北千島の島々にルーツを持つアイヌを指していることが多い。
エトロフ島–ウルップ島間の択捉水道(ロシア語: Пролив Фриза)を境にしてアイヌ民族の文化伝統が異なる事は古くから知られており、近藤重蔵は『辺要分界図考』(1804年)で以下のように述べている。
東海ウルップ島より前路、シモシリ島(新知島)よりカムサスカ(カムチャツカ)地方に至る迄凡十余島、世の所謂千島にして蝦夷人之を称してチュプカと云。チュプカとは日出処の義也。蛮書に之をクリル諸島と云。その島大なる者十六、小なる者無数……。
— 近藤重蔵『辺要分界図考』巻四
同様に、蝦夷通辞の上原熊次郎は以下のような記述を残している。
扠又、当所(静内)よりポロイヅミ(襟裳)辺までの蝦夷をまとめてメナシウンクルといふ。則、東のものといふ事。……ビロウ(広尾)より子モロ(根室)領辺迄の蝦夷をシメナシュンクルといふ。則、奥東のものといふ事。エトロフより奥の嶋のものをチウブカンクルといふ。則、日の方のものといふ事……。
— 上原熊次郎『蝦夷地名考并里程記』[1]
以上の記述をあわせると、北海道アイヌの間ではエトロフ島・シコタン島といった南千島のアイヌは道東一帯のアイヌと同じグループに分類されており、それ以北のグループがチュプカウンクル(アイヌ語:cupka-un-kur)と呼ばれていたという。ここで言う「チュプカ」とは、「日・の上(=太陽の上がる方向、東)」を意味するアイヌ語cup-kaのことである[2]。
また、1899年の鳥居龍蔵の調査によると、千島アイヌは自身のことを「ルートンモングル(ruton-mon-guru,「西に住まえる人」の意)」、北海道アイヌのことを「ヤムグル(yamu-guru,「南方の人」の意)」、カムチャダールのことを「チュプカウングル(cupka-an-guru,「東方の人」の意)」と呼称しており、ここでも「ルートン(ruton)」はウルップ島〜シュムシュ島の北千島のみを指すものとされている[3]。これらの呼称はより正確には「ルルトムンクル(アイヌ語: ruru-tom-un-kuru,「海中の人」の意)」あるいは「ルットムンクル(アイヌ語: ruttom-un-kuru,「島嶼の住人」の意)」、「ヤウンクル(アイヌ語: ya-un-kuru,「本土の人」の意)」を聞き取ったものと見られている[4]。
なお、カムチャツカ半島南部(ロパートカ岬一帯)にはアイヌ語地名がいくつか残っており、カムチャツカ半島南部も千島アイヌの居住圏であったと見られている[5]。
歴史
「アイヌの歴史」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
千島アイヌの成立は北海道アイヌ・樺太アイヌと比較して遅く、15世紀以後のことと考えられている。これはアイヌ民族以前に千島列島に居住していたオホーツク文化人を漸次同化・征服していったためである。
千島アイヌの産出するラッコ皮は他の地域では得られない稀少品であり、古くから交易によって日本社会に輸入されていた。
一方、千島アイヌが直接和人と交易を行わなかったこともあって、江戸時代末期に至るまで千島アイヌに関して日本ではほとんど知られていなかった。16-17世紀頃の日本では千島方面を漠然と「クルミセ」あるいは「ラッコ島」と呼ぶのみで、千島に関する知識は主に北海道アイヌを介した伝聞に拠っていた。
17世紀末、カムチャッカ半島にまで進出していたロシア人は、18世紀初頭より千島列島に足を踏み入れるようになった。1711年、アンツィフェーロフ率いるコサックは始めて千島列島に進出し、これ以後千島アイヌはロシア人より毛皮税(ヤサーク)を取り立てられるようになった。
19世紀に入ると、蝦夷地の経営を強化していた日本とロシアの間で、千島方面における国境画定が問題化してきた。両国の国境確定は明治維新を経た後、1875年の千島・樺太交換条約によって一応の決着を見た。この結果、千島アイヌは3年以内に日露どちらかの国籍を選択することを迫られた。
日本政府は国策として、国防を理由に千島アイヌをシコタン島に強制移住させた。慣れない生活と風土のため、千島アイヌの人口は激減してしまった。更に、第二次世界大戦でソ連が南千島(北方領土)を占領すると、千島アイヌ及びその血縁者は日本各地に移住したため、千島アイヌ文化の伝統は途絶えてしまった。現在、千島アイヌとしての文化的アイデンティティを保持する者は既に存在しないと考えられている[6]。
千島アイヌの竪穴住居
千島アイヌ文化が北海道アイヌ文化と異なる点としてよく挙げられるのが、竪穴住居での生活である。竪穴住居を作る際には、まず長方形の穴を掘った後に柱を立て、板で囲い、急勾配の屋根をつくる。その後、煙出し用の穴を残して干し草・土・泥炭などで蔽い、窓や入り口を整えて完成させた。窓ガラス代わりに海獣の膀胱を広げたものを窓に貼っていたため、室内はとても暗かったという。
ロシア人の進出後、千島アイヌの住居で最も大きく変わったのは風呂を作るようになったことであった。この風呂はロシアの蒸し風呂(バーニャ)をまねたもので、熱した石に水をかけることで蒸気を出す、というものであった[7]。
衣服
作業中の千島アイヌ
近藤重蔵の記録によると、千島アイヌには羽毛(アイヌ語: rap-ur)、犬の皮(アイヌ語: seta-ur)、草を編んだもの(アイヌ語: kera)などを材料とした衣服が存在したという。また、ウシシルのアイヌは雁の羽にアザラシの皮で縁取った筒袖仕立ての衣服を着ていたという。keraはキナという草を用いて作るが、北海道アイヌの作るアットゥシ(attus)は材料となるオヒョウが北千島で育たないため、作られない[8]。
靴としては耐水性の高いトドあるいはアザラシの皮を用いて作った長靴を使っており、冬期には柳で作った樏をつけていたという。以上のような千島アイヌの衣服は18世紀以後かなりロシア化し、ロシア製のシャツや帽子、用いるようになったという[9]。
生活用具
北海道アイヌ・樺太アイヌには見られない千島アイヌ独自の特徴として、遅くとも19世紀前半まで土器作りの文化を保持していたことが挙げられる。しかし、このような文化はロシア人の進出とともに少しずつ廃れてゆき、ロシア製の用具を用いるようになっていった。
千島アイヌを代表する物質文化として、「テンキ」と呼ばれるバスケットが存在する。これはテンキ草(ハマニンニク)を材料に巻き上げ技法(コイリング技法)を用いて作成したもので、アメリカ北西海岸のネイティブアメリカンとも共通する文化である。また、千島アイヌは木製仮面を有していたことが知られているが、これもまたアラスカ・アリューシャン・カムチャッカの北方民族の影響を受けた文化であると考えられている[10]。
言語
「千島アイヌ語」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E
千島アイヌ語についての資料は断片的なものしか残されておらず、その実態には未だ謎が多い。
しかし、クラシェニンニコフは「クナシリ[島]住民の言語は第2島ポロムシル島(幌筵島)で話される言語とほとんど何らの相違もない」というクリル人(アイヌ)の発言を記録しており、国後島を含むをアイヌ語南千島方言と類似した言語であった可能性がある[11]。
コロポックル伝説と千島アイヌ
コロポックルの木彫り人形
詳細は「コロポックル」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB
アイヌ民族伝承の一つとして知られるコロポックル伝説のモチーフが千島アイヌであった、とする説が存在する。
一般的に「アイヌ民族の小人伝承」と言うと「蕗の葉の下の人(korpokkur)」が想像されるが、実は前近代の記録にはアイヌ民族の伝える小人を「トイチセコッチャカムイ(トイコイカムイ、トイチセウンクルとも。竪穴住居に住む人、の意)」或いは「クルムセ(千島の人、の意)」という名称でも記録していた[12]。
例えば、17世紀の『勢州船北海漂着記』には以下のように記録されている。
蝦夷人物語申し候は、小人島より蝦夷へたびたび土を盗み参り候、おどし候へば、そのまま隠れ、船共々見え申さず候由、蝦夷より小人島まで、船路百里も御座候由、右の土を盗みて鍋にいたし候由、もつともせいちいさくして、小人島には鷲多く御座候て、……。
— 松阪七郎兵衛ほか『勢州船北海漂着記』(1662年)[13]
この記述に見られるような、古い時代に記録された小人の特徴を列挙すると、
1.小人と北海道アイヌはコミュニケーションを欠く(=両者は沈黙交易を行う)
2.小人は土鍋製作用の土を取って帰る(=小人は土器製作を行う)
3.小人の島にはオオワシが多い
4.小人は島に住む、船でやってくる
となり、これらの特徴は全て千島アイヌの特徴と一致する[14]。
更に注目されるのは、樺太アイヌ・北海道アイヌ・南千島アイヌといったほぼ全ての地域で伝承される「小人伝説」が、唯一千島アイヌの間でのみ知られていないという点である[15]。
以上の点を踏まえて、瀬川拓郎はアイヌの小人伝説について「……十五世紀に北千島へ進出したアイヌは、その奇妙な習俗によって異人され、15〜16世紀には道東アイヌのあいだで小人として語られることになった」のであり、「19世紀ころには、様々なモティーフを取り込み、他の伝説とも融合して、もはや北千島アイヌの現実の習俗を反映した伝説であったとは思われないほど、小人伝説はアイヌ世界の物語として『成長』を遂げていた」と纏めている[16]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c9
26. 2019年1月21日 14:06:14 : ILPZzvwnjY : vmkQ3umtLyA[18]
25日>>。ラ。ヨ先代の借金、相続税の支払いだけで世帯で4人が現役で働いていても
首が回らずに一家心中なんて昔からある話。」
税制とかそれは色々問題はあるだろう。
先代の借金は誰のせいだ、親、爺さん、先祖の責任があるだろ。
親、爺さんを恨むのか、ケツを拭くか。
借金踏み倒して 政府にお願いしますでOKなら国がすぐつぶれる。
10. 中川隆[-12819] koaQ7Jey 2019年1月21日 14:09:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
ロシアにおけるアイヌ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
樺太アイヌ(ブロニスワフ・ピウスツキによる撮影)
ロシアにおけるアイヌではロシア連邦の領内における先住民族としてのアイヌ民族の歴史及び現状について記す。
サハリン州、ハバロフスク地方、カムチャツカ地方に居住している。ロシア語ではアイヌ(Айны)、クリル(Куриль)、カムチャツカ・クリル(Камчатские Куриль)、カムチャツカ・アイヌ(Камчадальские Айны)、エイン(Ейны)などと呼ばれ、6つの集団に分けられる。2010年の国勢調査ではロシア国内で自らがアイヌであると回答した人数は100人程度であるが、少なくとも1,000人はアイヌを祖先に持つと考えられている。アイヌを名乗る人数が少ないのは、連邦政府に「現存する」民族集団としての承認を受けられていない結果であると考えられる。アイヌを祖先に持つ人が最も多いのはサハリン州であるにも関わらず、自らをアイヌと定義する人の大多数はカムチャツカ地方に居住している。
集団
ロシア領内に居住するアイヌは6つの集団に分けられ、うち4つは民族集団としては消滅している。
カムチャツカアイヌ
「カムチャツカ・クリル」として知られる。1706年にロシア帝国に敗北したことに加えて天然痘が流行した事により、現在では民族集団としては消滅している。現在では後述の北千島アイヌ、もしくはイテリメン族に同化している。18世紀のロシアの探検家の記録が最後である[1]。
北千島アイヌ
「クリル」として知られる。千島列島は1875年に樺太・千島交換条約が締結されるまではロシア帝国の統治下であった。大多数は占守島に、他は幌筵島に少数居住し、1860年段階で人口は221人であった。彼らはロシア式の名前を名乗り、流暢なロシア語を話し、ロシア正教を信仰していた。日本領になってからは100人以上のアイヌがロシア人と共にカムチャツカに移住した[2]。最近では100人近くがウスチ・ボリシェレツキー地区(英語版)に居住している。日本の統治下に留まった集団は第二次世界大戦後、最後の生存者だった田中キヌが1973年に北海道で亡くなり絶滅した[3]。
南千島アイヌ
詳細は「メナシクル」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%AF%E3%83%AB
18世紀時点では国後島、択捉島、得撫島を中心に約2,000人が居住していたが1884年には500人前後まで減少した。1941年には太平洋戦争開戦に伴い50人(大部分が混血)が北海道に避難した。現在は6人がロシアに居住している。
アムールアイヌ
ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、20世紀初頭に数人がロシア人もしくはウリチ人と結婚していた[4]。1926年のソ連の国勢調査ではニコラエフスキー地区に純血は26人しかおらず、多くはスラブ系民族の中に同化したと考えられる[5]。今日ではハバロフスク地方で自らをアイヌを定義する者は殆どいないが、ウリチ人の相当数がアイヌの血を引き継いでいる[6]。
北樺太アイヌ
1926年の国勢調査では北サハリン州に純血は5人だけであった。ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、大部分の樺太アイヌは1875年に北海道に移住させられ、樺太に留まったごく少数のアイヌはロシア人と結婚したものと考えられる。民族集団としては消滅したが、アイヌの血を引き継いだ人は現在もいると考えられる[7]。
南樺太アイヌ
詳細は「樺太アイヌ」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
大部分の樺太アイヌがソ連対日参戦後に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていた。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力を掛けた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住している。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識は殆どない。
歴史
カムチャツカ半島のアイヌが最初にロシア人と接触したのは17世紀末である。18世紀にはアムールと北クリルのアイヌが制圧された。アイヌはモンゴロイドの日本人と異なるロシア人を友好関係の対象とみなし、18世紀半ばには1,500人以上のアイヌがロシアへの帰属を選んだ。アイヌ人はコーカソイド的な特徴も持ち合わせていることから、日本人にとってアイヌ人とロシア人の区別は困難であり、日本人が初めてロシア人と接触した時にはロシア人の事を「赤蝦夷」と呼んでいた。19世紀初頭にようやくロシア人はアイヌ人と異なる民族集団であることを認識したのである。その一方でロシア人はアイヌ人の事を「毛深い」「浅黒い」「髪と目が黒い」と記録していた。初期のロシア人探検家はアイヌ人の事を顎髭のあるロシアの貧農、もしくはロマに似ていると記していた。
アイヌ人、特に北千島のアイヌは19世紀の日露間の対立でロシア側を支持した。しかしながら、1905年に日露戦争でロシアが敗北してからは、ロシア人の間でアイヌ人との同盟意識は薄れていった。更に数百人のアイヌが処刑されたり、強制的に北海道に移住させられた。その結果、ロシア人は第二次世界大戦においてアイヌを味方に付ける事が出来ず、ソ連への残留を選択したアイヌは極少数に留まった。90%以上のアイヌは日本への帰属を受け入れた。
カムチャツカへの移住
樺太・千島交換条約の結果、千島列島は日本領となり、そこで暮らすアイヌ人も日本に帰属した。しかしながら、83人の北千島アイヌは1877年9月18日にペトロパブロフスク・カムチャツキーに渡り、ロシアの統治下で生活することを決断した。彼らはロシア当局によるコマンドル諸島への移住の提案は拒絶した。最終的には1881年にヤヴィン村に移ることになった。1881年3月にはペトロパブロフスクを離れ、ヤヴィンまでの徒歩で渡った。4ヶ月後になってようやく新たな居住地にたどり着いた。もう一つの村であるゴリヴィノ村は後から形成された。1884年には9人のアイヌが日本から移住した。1897年の調査では、ゴリヴィノに57人、ヤヴィンに33人のアイヌが居住していた[8]。ソ連体制下では両集落は再整理され、ロシア人が居住するウスト・ボルシェレツキー地区のザポロージエ集落に移住させられた[9]。異民族との通婚の結果、3つの部族はカムチャダールと同化した。
帝政ロシア時代のアイヌは自らを「アイヌ」と名乗ることは禁じられていた。大日本帝国側はアイヌ民族が居住している、もしくは過去に居住していた全ての地域は日本領であると主張していたためである。代わりに「クリル」や「カムチャツカ・クリル」などの表現が用いられた。ソ連時代にはアイヌの姓を名乗る者はしばしば日本人と間違われてグラグや労働キャンプに送られた。その結果、アイヌの大多数はスラブ式の姓に改姓した。 第二次世界大戦後の1953年2月7日には当局によりソ連国内に居住するアイヌに関するあらゆる情報を出版することを禁じられた。この指令は20年後になって取り消された。
最近の動向
北千島アイヌが居住するカムチャツカのザポロージエ集落は現在のロシアにおけるアイヌの部族では最大規模である。父方が南千島アイヌのナカムラ一族は6人であり、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに住んでいる。サハリン島では数十人が自らをアイヌと名乗るが、大部分は片親が他民族であり、アイヌの伝統文化を習得していない。2010年調査では888人の「日本人」が居住しており、その大多数がアイヌとの混血であるが、彼らもまたアイヌの伝統文化を習得していない[10]。同様に、ハバロフスクには片親がアイヌの子孫が居住しているが、アムールアイヌは誰も自らをアイヌと名乗ることはない。なお、カムチャツカアイヌの生存者はいないと言われている。1979年にはソ連政府はロシアの領域から民族集団としてのアイヌが消滅したとして、現存する民族集団から「アイヌ」の項目を削除した。ソ連崩壊後の2002年の国勢調査では調査票に「アイヌ」と記載する者はいなかった[11][12][13]。
アイヌ民族自身は自らは千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張してきた[14]。2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体がウラジミール・プーチン大統領に日本との間での北方領土における一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。その手紙では日本、帝政ロシア、ソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と同化政策を行なったとして糾弾していた[15]。しかしながら、その要請はプーチン大統領に拒否された。その団体はアイヌ民族をめぐる悲劇の規模と激しさはアメリカ先住民が直面したジェノサイドに匹敵すると主張している。2010年の国勢調査ではその集落の100人近くがアイヌ民族と申告したが、カムチャツカ地方議会はそれを拒否してイテリメン族として取り扱った[16]。2011年にはカムチャツカのアイヌ民族団体のリーダー、アレクセイ・ウラジミロヴィッチ・ナカムラがウラジミール・イリューヒン(カムチャツカ地方知事)とボリス・ネフゾロフ(連邦下院議員)に政府の北方・シベリア・極東地方少数先住民族のリストに加えるように要求した。 しかしながらこの提案も拒否された[17]。
サハリン州とハバロフスク地方のアイヌ人は政治的主張を行う団体を結成していない。アレクセイ・ナカムラは2012年時点でロシア領内にアイヌ人は205人しかいない、そのうち2008年段階で自らがアイヌ人であると主張していたのは12人であり、「千島列島のカムチャダール族」と共に少数民族としての認定のために活動していると主張している[18]。アイヌがロシア政府の少数民族の公式リストから外されて以来、彼らは無国籍人、ロシア人、カムチャダール人のいずれかに定義されている[19]。なお、2012年時点では北千島アイヌと千島列島のカムチャダールは共にロシア政府から北方少数先住民族としての漁業権・狩猟権は認められていない[20]。最近になってボリス・ヤラヴォイによってロシア極東アイヌ協会(RADA)が設立された[21]。
人口
2010年のロシア国勢調査では109人のアイヌ人が存在するとしている。このうち94人はカムチャツカ地方、 4人は沿海地方、3人はサハリン州、1人はハバロフスク地方、4人はモスクワ市、1人はサンクトペテルブルク市、1人はスヴェルドロフスク州、1人はロストフ州という内訳である。実際のアイヌ人口は更に多いと考えられるが、サハリンの数百人のアイヌは自らをアイヌと定義する事を否定している。
ロシア政府の見解
ロシア連邦当局の国勢調査ではアイヌ民族はロシア国内では既に絶滅した民族集団とされている。アイヌ民族を名乗る人もアイヌ語を話すことは出来ず、生活における民族の伝統文化の要素も失われている。社会的・風習的には古くから居住するカムチャツカのロシア人と殆ど同一である。それゆえ、イテリメン族に与えられているような少数民族としての権利はカムチャツカのアイヌ人には認められていない。アイヌ語はロシア国内では話し言葉としては既に消滅している。カムチャツカのアイヌは20世紀初頭にはアイヌ語を用いなくなった。1979年時点でわずか3人の流暢なアイヌ語話者がサハリン州にいたのみであり、1980年代には消滅した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c10
4. 2019年1月21日 14:09:34 : IxQnTl0eVI : IicywScr6NU[4]
年金も生保もベーシックインカムに統合するしか解決策はない
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/491.html#c4
11. 中川隆[-12818] koaQ7Jey 2019年1月21日 14:12:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
第一章 ロシアの東方進出と千島アイヌ
第1節 クリル列島とクリル人
http://www.orthodox-jp.com/kushiro/bef/1_1.htm
露領時代の千島列島はクリル列島と呼ばれ、カムチャツカの南端から蝦夷(北海道)の北岬に延長約1200q、小島を除いて弓状に22の島からなっている。クリルの語源は露語のクーリイチ(燻る)からなまったもので、これは露人が初めてカムチャツカの南端から遙かに千島最北のアライト島を望んだとき、その山頂から火焔が上がるのを見て名付けたためと言われている。しかし、クリルの名称はアイヌ語のクル(人間)に由来する説が今日有力である。日本でも古くは千島のことを「くるみせ」と呼んでいたと言うが、名称については、その地に住んでいた先住民をクリル人、または千島アイヌと呼ぶことにする。
カムチャツカ・千島が露人の版図となる以前のクリル人については『千島アイヌ』の著者鳥居龍蔵氏、自ら占守島へ渡って千島アイヌを調査した我が正教会の伝教者フェオドル斎藤東吉師によれば次の通りである。
クリル人は、露人が北千島へ進入する相当以前から首長制の一大部族(一時は300名以上もいた)を形成し、各島を移動する活動的な狩猟民族であった。占守(シュムシュ)・幌莚(パラムシル)・羅處和(ラショワ。現地ではラサワ)島を定住地としながらも、北千島列島間を南は新知(シンシリ)島辺まで移転往来して狩猟をしていたが、古くはカムチャツカ東岸ではほぼアワチンスカヤ湾、西岸ボルシャヤ河を結ぶ一線より南の地帯まで拡がっていたと言われる。
クリル人は古くから蝦夷アイヌと交易して木綿・鍋釜・刀剣等の鉄器も手に入れて交易的な経済生活をしていた。松前から蝦夷アイヌを通して日本文化の片鱗に触れていたわけである。即ち、蝦夷のアイヌは日本人と交易したこれらの品物をラサワ島まで運び、クリル人の捕獲した物資である鷲の羽やラッコの毛皮などと交換していた。
『新羅の記録』には、1615年(元和元年)にメナシ地方(今日の根室・目梨地方を中心とする道東の広い地域を指す)からアイヌが数十艘の舟で松前に来てラッコの皮を松前藩主に貢物として持参し、藩主はこれを徳川家康に献上したという記録もある。
また、1623年(元和9年)、江戸で他の切支丹信徒とともに火刑にされたイエズス会のデ・アンジェリス(イタリア人で再度蝦夷に渡っている)神父の書いた『蝦夷国報告書』(千島列島に関する文献の最古のものである)について、北大教授児玉作左衛門氏は千島先住民に触れて興味ある解説をしている。
「その当時の藩主は松前志摩守公廣であるが、デ・アンジェリスに語ったことは次のことであった。即ち<ラッコ>は蝦夷地には産しないので、先住民はその皮を買うために、蝦夷の近くにある三つの島へ行く。これらの島の先住民には髭が無く蝦夷人とは全く異なった言語を持っている《 中略 》蝦夷の近くにある三つの島とは、さしあたり国後(クナシリ)・択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)の三島が考えられるが、或いは国後・択捉は蝦夷地の一部と見なし、その先にある得撫・新知及び他の一島の三つを意味したのであるかも知れない《 後略 》」
氏が述べているように、蝦夷アイヌと異なった民族が既に千島列島の中・南部に進出し、それらの地が彼らの生活圏となっていたのであろう。
クリル人はいずれの地方から渡来したか、その起源については、アイヌ民族の系統に属することは間違いないが、蝦夷アイヌとは形質上やや異なる千島独特の民族が古くから蝦夷アイヌと交易し、独自な生活環境を築いていたことがうかがわれる。
第2節 露人のカムチャツカ進出
ロシア人の東方進出は天正9年(西暦1581年、以下西暦とする)イェルマークに率いられたコサック兵800人がウラル山脈を越えてシベリアに進出し、1632年にはヤクーツクに城塞を築き、政庁を置き、1646年にはオホーツク海に達し、僅々60余年間でシベリアの大平原を大西洋岸まで横断したのである。また、カムチャツカは1697年から99年にかけてアトラソフ(シベリア大陸の東端ベーリング海のアナジリ湾頭のアナジリ城塞の司令官)によって征服されている。
当時、この地方には、千島から渡ってきた人々とカムチャダール(カムチャツカの先住民・イテルメン)が混血・雑居していた。アトラソフ自身はカムチャツカ半島の南端をきわめなかったが、南の遠くない会場に島々があることを先住民から聞いている。
アトラソフは、この地で先住民の捕虜になっている一人の日本人を保護した。この男はアトラソフやコサックと2年間カムチャツカで生活を共にした後、ペテルブルク(現サンクト・ペテルブルク)に送られ、ピョートル大帝の命令でロシア語を習得すると共にロシア人の若者に日本語を教えることになった。彼の名は伝兵衛で、ロシア国籍を取得し、ガウリイルの聖名で洗礼を受け、帰国することなく彼の地で永眠している。彼こそ日本人として最初のハリストス正教信徒であろう。
ピョートル大帝は伝兵衛を招いて自ら彼の話を聞いている。大帝は1702年、勅令を発して日本との通商の可能性を探ることを命じている。その後、ロシア人によりカムチャツカへの航路が開拓され、北千島への進出、更に日本への接近となる。
第3節 露人の千島進出
ロシア人が最初に千島列島に進出したのは、1711年(正徳元年)のことであると言われている。この年、ロシア人のアンツィフョーロフ、コズィレフスキーの両人が反乱を起こし上官を殺害した。彼らはその罪を償うために多くのコサック兵を率い、千島列島伝いに日本に接近することを計画した。カムチャツカのロバトカ岬からカムチャダールの首長を案内役として、小舟と革舟に乗って遂に危険な海峡を突破し、千島第一島の占守島に上陸、有力な火器によって千島アイヌを制圧し、次いで1712年、第二回探検で幌莚島も支配下においた。茲に、これらの島を根拠地として、北はカムチャダール、南方択捉、国後の蝦夷アイヌを制圧した千島アイヌは露国政府の支配下に置かれることになったのである。だが、首長制度は存続し、後には正教会の司祭によってその就任式が挙げられるようになった。
この時、先にカムチャツカに漂着した日本人捕虜のなかの「サニマ」(三右衛門の訛りか)と名乗る若者を、案内兼通訳として連れてきている。たまたまこの島には、シャタノイという名のアイヌが択捉島から日本の物品を持って交易に来ており、彼からマツマエ島(北海道)に至る14の島とその順番を知ることが出来た。
サニマはその後、ペテルブルクに送られ、この地で帰化し、ロシア婦人と結婚して男子をもうけた。彼は伝兵衛の助手として日本語を教えたと言われるが、これには確たる証拠がない。ロシア婦人と結婚した事は、当時のロシアでは敬虔な正教徒になった事になる。
その後、第二次ベーリングの北方大探検隊で日本沿岸の調査を命じられたシュパンベルグは、1738年(元文3年)千島列島を南下し、得撫島まで31の島を数えてこれを海図に記入したが、これは霧のため実際より多い島数であった。この航海では一人の日本人にも出会わなかった。更に、彼は先住民から日本の支配はマツマエ島(北海道)だけであって、他の島々は日本に従属していない事も聞いている。また、彼は1739年の探検では日本の安房、伊豆下田附近にまで入っている。
ロシアの東方経略の目的は、国家組織による貴重海獣猟であり、また先住民と獣皮等を交易することを基盤として殖民地を獲得することにあった。一方、日本は徳川幕府の鎖国政策下にあり、当時、未開の北の宝庫、蝦夷も南端の小藩松前に委ねられていたに過ぎない。
ベーリングやシュパンベルグの探検が行なわれていた頃、特にシュパンベルグの第一回探検で、千島列島に日本の主権が及んでいない事実を知ったロシア人は、占守島を根拠地として幌莚島以南、中千島から南千島にも進出した。コサックの百人長イワン・チョールヌイはヤサーク(毛皮貢税)徴収のため1768年に択捉島まで南下した記録がある。
当時、ロシア人の多くは目前の利益のみ追い、永遠の大計をはからず先住民を虐待し、ために先住民の反感を高め、1770年、1772年、得撫島に出稼したロシア人が千島アイヌや蝦夷アイヌの襲撃を受けて、一時一掃されるような事件も起きている。
その後、ロシア側は態度を改め、再び来航した時以来、千島アイヌに物品を与えて隔意のないことを示し、ロシア人と彼らとの間に交易が開始され、着々と経営を進め、得撫島に基地の建設を始めた。1820年から30年にかけて露米会社(産業家シェリコフが1798年にロシア=アメリカ会社をシットカを根拠地として設立し、毛皮貿易に大きな役割を果たし、1830年には北・中千島の権益をロシア政府が露米会社に渡した)が新知島と得撫島にアレウト人(アリューシャン列島先住民)を送り込んでラッコの狩猟に当たらせた。
その後、この北辺で日本とロシア両国間に種々と紆余曲折が生じたが、1855年(安政元年)に伊豆下田に於いて日露通好条約が締結され、択捉・得撫間を両国の国境と定めた。得撫島に露米会社が進出する以前は、古くから得撫島が千島・蝦夷アイヌの自然の境界地であり、共通の狩猟場であったようである。
第4節 クリル人と正教
1747年、カムチャツカの掌院ホコウンチェウスキー師は、修道司祭イオアサフを千島に派遣し、先住民教化に当たらせたと、鳥居龍蔵氏の『千島アイヌ』にある。それによると当時、占守・幌莚島に住んでいた千島アイヌは253名であり、その内、56人に洗礼を授けている。その時、イオアサフ師の持参した金装の聖書は、後の斜古丹聖三者教会の宝物として保管されたと伝えられている。その後、少年子女の為に学校を開設して彼らを教化し、正教の布教も着々と進められていく。
イオアサフ師はその後、1794年、シノド(聖務会院)からアラスカ正教団の責任者として派遣され、大いに布教効果をあげ、カジャク島(アラスカ、アリューシャンの布教基地)の主教に叙聖されたが(1799年4月、於イルクーツク)、同年5月帰任のためオホーツク海を航行中、その乗船フエニクス号と共に行方不明になった。イオアサフ主教はロシア領時代のアラスカの初代主教となったが、現在、アメリカ正教会ではアメリカの初代主教として記憶されている。
古来、千島アイヌは各島を移動する活動的な狩猟民族であり、占守・幌莚・羅處和の三島を定住地としていたのであるが、彼らは、この島より彼の島へと妻子と共に海獣を求めて移り歩いていたので、神父もまた彼らの後を追って転々として散在する島々を巡回しなければならず、決して容易な事ではなかったであろう。初期の伝道では言葉の違いをどう克服したのであろうか。神父達が千島アイヌの教化に努力した熱心さには驚かざるを得ない。『千島アイヌ』より引用すると
「1766年(明和3年)ツヱイ氏の調査によれば、一番島(占守)・二番島(幌莚)・十四番島(宇志知。ウシシリ)には男子(男女の誤りであろう)262人の千島アイヌが居り(内121名は貢納す)、1800年には正教を信仰する者は男77名、女87名、合計164人を数えた」
とあり、1800年代には千島アイヌ全員が正教徒となり、尚、択捉島の蝦夷アイヌにも正教を信仰する者が出たと思われる。それは、幕府が1799年、北辺の防備を痛感して千島の直轄に着手した時、島民の持っていた聖像を取り上げ、蝦夷地に施行された最初の成文である三条の法の第一に、
「一 邪宗門にしたがうもの、外国人にしたがうもの、其の罪重かるべし」
と規定したことを見ても、その辺の事情を窺い知る事が出来る。
かくして、千島アイヌ固有の風俗が失われて、言語・姓名・生活様式も著しくスラブニック化し、深く正教を信仰する北辺の「ハリスティアニン」と変貌していく。1801年、占守島のモヨロップ(片岡)湾頭のコタンヌイの丘に正教の聖堂が完成する。
明治27年の『正教新報』に1867年、大主教に昇叙され、モスクワの府主教に選立されたインノケンティ師が主教に叙聖される以前、司祭イオアン・ヴェニアミンノフとしてアリューシャン列島・アラスカ・カムチャツカを巡回していた頃、幌莚・占守島に千島アイヌを訪ねた記事が載っている。北川氏寄稿となっている。1830年前後の事であろうが、千島アイヌの性格、篤い信仰をよく表しているので紹介する。
「イ師が、シベリヤ、アリューシャン列島、アラスカの地方を管轄していた頃、しばしば千島を巡回されたことがあった。《 中略 》千島の土民は夏期に至れば海辺に繁茂する青草の上に天幕を張って住居とし、冬期になれば其の天幕は不潔悪臭に満たされ、イ師が大祭日に諸部落を巡回した時、その悪臭不潔には大いに閉口なさったそうである。島民は殊に信仰厚く、会堂(祈祷所)に参拝して欠席すること無く、又よく家業に励んでいる。土民は一般に外国人に対して何事も隠し立てする。これは生まれつきの卑怯によるものか、また野蛮的な恐怖心によるものか、また狡猾心より出ているものか分からぬが、イ師の語るところによると、生まれつきの臆病から生ずるものであると言う。そのために彼らは痛悔の時にも罪を打ち明けず、神父らもこれにはほとほと困り果てたようである。しかしながら、彼らは朝夕の祈祷・スボタ(土曜日)・日曜日・大祭日の祈祷は欠かしたことが無い。大斎の初週及び終週には魚油を使用しないで、ただ海草或は野菜のみを食べて精進し、仕事に出る時は必ず祝福を受け、また夏期は毎朝夕一箇所に集まって祝福を受け《 中略 》。イ師は或る年に幌莚に行った際、冬期を其処で過ごした。大祭日には雪と雪との中間の凹所に布を張って、雪の上で潔白なツェレラ(千島に産する草の名)及び柏の枝を敷いて奉神礼を執行した。ハリストス復活祭後の一週間は、島民は順番に各自の家に他人を招いて供応するのであった。《 中略 》イ師はその年の5月中旬、土人用のバイダルカ(海獣の皮で作った舟)に乗って占守島へ渡った。この島の土民は巧みに露語を語り、露語を読み、彼らは魚の多く繁殖する川辺に住み、夏期になると隣邦のカムチャツカに行き交易を行なっていた。」
鋳銅製十字架
これは、斜古丹聖三者教会秘蔵の縦26.5p、横12pの鋳銅製の聖十字架である。イグナティ加藤神父がそれに次のような注釈を加えている。
「今を去ること凡そ250年前、現首長ヤコフ師の祖先イオアン・ストロゾフ氏の妻ペラギヤ姉が、偶々ラサワ島山中で発見したもので、累代相伝え秘蔵してきたが、会堂新築の際に聖三者教会に献納し、永く救贖を祈願するものである」
イグナティ加藤神父が根室に在住したのは、西暦1897年(明治30年)から1901年までである。鋳銅製十字架が発見されたのは、1898年を起点とするとそれより250年前、即ち1630年頃となるが、露人の北千島進出は18世紀初期である。正教の弘布の年代から推測すれば、聖十字架は18世紀中期以後のものであろう。聖十字架は推測の域を出ないが、奉神礼用の神父の携帯品でなかろうか。神父がそれを落とすとは考えられない。或は、神父が巡回中に不慮の災難に遭い、十字架を手放す羽目に遭遇したのかも知れない。とすれば、それ自体に宣教の苦闘の汗と血が滲み出ていると思われる。
近世の植民史上、その初期には目先の利益のみに走り、先住民を酷使虐待し、彼らからすべてを収奪してやまなかった山師や、いかがわしい者が出没、暗躍したことは明らかである。そのために、大きな人類愛によって彼らを庇い、神の恩寵に浴させて彼らを抱擁し、それが為、身の危険を顧みず、殉教致命さえ厭わなかったハリストス正教の神父達の存在も忘れることは出来ない。
かの鋳銅製の十字架には、これら正教の神父らの熾烈なまでの宣教の歴史が秘められているのではなかろうか。
これらの正教の神父は、フェオドル、ロマン、アレクセイ、イーゴリ、フィルス、ニコライ、グリゴリイ、セルギイ、マクシム、チレフワシリイ、フェオクティリスト、パウエル、ハララムピイ等の諸神父の方々である。
以上の神父名は、明治18年にティト小松神父に随行して先住民との通訳に当たったアレクセイ澤邊師の記録で、氏名でなく聖名の呼称である。明治17年にヤコフ首長の住宅(仮会堂であった)が焼失しているので、おそらく先住民からの口碑によるものであろう。
これらの神父名は、明治39年、40年に色丹に在島した我が正教会の伝教者である斎藤東吉師著の『日本最古の正教島』に詳細に記されているが、前記の神父名とは大分異なっている。
第5節 クリル人の色丹島移住
1875年(明治8年)日本とロシア間に樺太・千島交換条約が締結された。この条約によって日本が樺太の領有権をロシアに譲る代わりに、ロシアは占守島から得撫島に至る18の島を日本に引き渡すことが明記され、日露の国境をカムチャツカのロバトカ岬と占守島間の海峡に画定された。この条約の附属公文には、この地域に住む先住民は、三カ年以内に日露何れかの“臣民”になることを選定しなければならぬと規定されている。そこで、条約の結ばれた年の8月、明治政府は五等出仕時任為基を北千島へ派遣し、この旨を先住民に伝えた。
当時、北千島には100人を越す先住民が住んでいたが、彼らは既に一世紀以上にわたってロシアの支配下にあり、言語・衣服・宗教などの面でもかなりロシア化されており、その去就とともに数奇な運命に弄ばれることになる。
ロシア人並びに得撫・新知島に居住していたアレウト人は、条約に定められた期間、即ち3年後の11月までには悉くロシアに引き揚げた。千島アイヌも風俗・宗教等から、ロシアにと願いながらも、丁度、明治9年に出猟した半数の者が帰島しないためその態度を決することが出来ず、やむなく我が国に属することになった。
占守島にいた首長キプリアンは、条約成立の年、島司インノケンティ・カララウィッチと12人の同族と共に9月15日、当時、他島への出猟中であったアレキサンドル以下22人の同族を置き去りにしてカムチャツカに向かった。日本国籍に入ったのは、このアレキサンドル組と副首長ヤコフ組のラサワ島の千島アイヌである。
奇しくも、平成4年5月21日付北海道新聞に、ポーランドに子孫がいた!!という見出しで、首長キプリアンと共にカムチャツカにわたった同族の末裔が、現在ポーランドに住んでいる事が報じられている。シャールド・クリルチク氏他三家族である。シャールド氏によると、
「祖先はシュムシュ島に住んでおり、そこが日本領になるとロシア側に行く事を選んだ。大祖父のアドルフ・クリルチクさんら12人は、カムチャツカのシエログラツキに移され《 後略 》。」
とある。アドルフ氏は数奇な運命をたどり、二代、三代目の祖父、父はそれぞれポーランド婦人と結婚し、父は第二次大戦直後、リトアニアよりポーランドに脱出、現在、ポーランドのスープスク市に在住している。
『フェオドル斎藤東吉自伝』によれば、首長キプリアンとカムチャツカに逃れた同族12人は、ペトロパブロフスク(首都)より「ヤウイン」に移住させられている。明治10年の春、首長アレキサンドルは日用品欠乏のため、獣皮を携え、交換の目的をもって露領「ヤウイン」に渡り、偶然にも前首長キプリアン氏に奇遇し、故山を慕うキプリアン氏ら7名の同族をシュムシュ島に連れ帰っている。フェオドル師は、「キプリアン氏の組は、露領に移りてより殆ど半数は不帰の客となり、残れるは僅々7名のみ」と自伝の中で記している。ロシア国籍を選んで露領へ渡ったクリル人の数は、北海道新聞とフェオドル斎藤師の記事で共に12人と符節を合わせたように一致している。そうであれば、東吉師の言う「殆ど半数は不帰の客となり」「キプリアン氏ら7名の同族をシュムシュ島に連れ帰っている」の点については疑問が生ずる。翌日の北海道新聞には「……だが、当時の日本政府の公文書ではシュムシュ島に戻ったのは二家族だけとされており、数家族がロシア側の国籍をとり、残った可能性が大きい」という記事が載っている。
我が国では明治9年、更に官吏を派遣してその状態を調査し、救育費として三カ年に一回、5000円の政府別途交付金を給付、食料品等の生活必需品の購入に充て、汽船に搭載、彼らにこれを提供し、生活を保障するとともに捕獲した毛皮を集めた。
しかし、毛皮は年とともに少なくなり、したがって著しい失費を伴い、その上、根室から1200qも離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与えるおそれもあった。また、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、同化が困難であるばかりでなく、国境を正すことにならないばかりか、むしろ危険にさえ感じられ、日本政府としてもクリル人に対して早急な処置を講じる必要があった。
彼らをより交通の便利な箇所に移そうとする計画は、既に明治9年以来の計画であり、その度ごとに移住を勧誘してきたが、彼らは永年住み慣れた地を離れ難く、口実を作っては日本政府の勧誘に応じようともしなかった。
明治15年に開拓使が廃止され、函館・札幌・根室に三県が置かれる。千島は根室県に属し、湯地定基が根室県令に任ぜられた。明治17年、三年ごとの撫育船を派遣する年にあたり、湯地県令は千島アイヌを色丹島に移す計画のもとに、要路の大官と共に占守島に向かい島状を調査した。丁度、その年に出稼に行っていた仲間も悉く同島に集まっていたので一同を諭し、男女97人をその船に乗せ、ただちに色丹島に移住させた。
同道した参事院議官安場保和の『北海道巡回日記』に往時の状況が詳細に記述されている。
「五日晴。県令着島より船に還らず、懸々接待遂に全島移住の運びとなる。開拓使以来再三の説諭にも頑として服さず、今日此の挙ある時至れるものなりと雖も、県令懇諭(こんゆ)の誠(まこと)切なるを感ずる所ありと言うべし。全村移住に決し家財をまとめ、牛・犬を殺し、日没に至り全員乗船せり」
即ち、湯地県令は7月1日の占守島に上陸してから約5日間、本船には一度も帰らず、彼らと起居を共にして懇々と移住を勧告したのである。勿論、彼らのうちには絶海の孤島とは言え、長い間住み慣れた故郷を離れ難く幾多の逡巡をみせた者もいたが、日本領になってからは、日本政府に頼るより外に生活の途がたたず、遂に意を決し、20戸97人、そろって移住することに決したのである。一行は7月6日に全員乗船して11日朝、色丹島に到着した。
ここに、色丹島の北方オホーツク海に面した斜古丹湾頭に斜古丹村が出現し、信仰篤い彼らによって斜古丹聖三者教会が創設され、この後、永く日本正教の一肢体となるのである。首長は、斎藤東吉師によるとアレキサンドル・プリチンとなっているが、明治17年8月の旧戸籍(鳥居龍蔵氏の『千島アイヌ』)によればアレキサンドル・チェルヌイでなかろうか。副首長はヤコフ・ストロゾフである。
色丹島は根室半島ノサップ岬より73.3qの地点に在り、東南は太平洋に面し、西北は国後島に相対し、南西より北東に至る長さ28キロメートル、幅およそ9qの長方形をなし、面積は約255平方qの島で、当時、色丹島は文化5年以来居住する者が無く、その後、しばしば出稼漁なども試みられたが長続きせず、空しく千島で活躍する外国密猟船の寄港地となっていた。
第6節 色丹島移住後のクリル人
移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。
この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。
強制移住による人口の減少
移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。
明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」
故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。
根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
http://www.orthodox-jp.com/kushiro/bef/1_1.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c11
6. 2019年1月21日 14:16:02 : EHQlatypVv : KosOVT1TgT8[88]
ゴーン事件の、ベース事件
小沢氏冤罪、首相引きズリ降ろし事件の検察の手法です。
国家権力で、一企業のもめごとに介入しての大犯罪東京地検と、
主犯 アべ憲法違反犯罪者!!!
企業は株主の美濃ではなかったか?!
オフランスの大株主の皆様、全員ギロチ●コしてあげてください!
よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/659.html#c6
15. 2019年1月21日 14:17:56 : dZT8YVq50d : 9e__8TVbT20[159]
兵庫県赤穂市長選 新人牟礼氏が現職破り初当選
無所属現職で再選を目指した元同市職員の明石元秀氏(68)=自民、立民、国民、公明推薦=を破り初当選
立憲よ!
地方でも与党に寄与してはいけない!
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/450.html#c15
6. 2019年1月21日 14:20:01 : OHOfvWS4ng : W7WQqwQIrn8[346]
大事故を待っている者が居るとしたら、原発を日本に輸出した国だろう。
彼らが日本の壊滅を予測してなかったとか、期待してなかったとかという確たる
証拠でもあるのだろうか?
11. 2019年1月21日 14:22:32 : dZT8YVq50d : 9e__8TVbT20[160]
こんなのが安全な所から指揮して
自衛隊員の下の人間が犠牲になるんだよねぇ!
解りやすい構図だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/419.html#c11
6. 2019年1月21日 14:28:35 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4862]
カルト19 2018・9・2 「シャン・本澤・小泉の‥」 より
>>8 ハロー! ブログ教えるね
Songcatcher
>>12 はろー
ハーイ! Songcatcherさんのブログ既に探しあてていましたが、
教えていただいたメルアドでご本人様のものと確認できました。
かなり多量な資料ですが時々読みに行ってます。英文の和訳が主で
頭が下がります(感謝)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
みたいなのが有りますけど楽しんでもらえましたかw そらまた出されたら困るから潜って覆面に戻るしかないでしょうけど(大笑) カキコ回数調整で誤魔化してもバレバレ、チミの傾向と対策は奉行者にバッチリ保管されてマスヨ もう足洗うことデスw
//曲者Songcatcherにカンヌキを開ける手引き女を捜せ;平成鬼平犯科帳 ヨリ
1. 2019年1月21日 14:28:46 : KWXli9A9GU : WNClHE7NYOc[3]
フジのクソ、クソのフジ。どこをどう細工すれば、そんな数字出る?
報道機関としての存在価値も意義もなし。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/497.html#c1
7. 2019年1月21日 14:34:09 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4863]
う; 嘘つきは 手引き女の始まり //江戸川柳かるた;女人編
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/245.html#c7
1. 2019年1月21日 14:35:56 : 1yQIJBggRM : 9UmXwbEaTPk[2]
だとすれば、一体どこの国に輸出するつもりなのか?
知的水準が低く、放射能汚染を理解できない国を探せばあるかも知れないが、経済力がある程度ないと原発なんか作れないよ。パプアニューギニアの島の人々なら騙せるかもしれないが、経済的には絶対に無理。
知的水準と経済力は大雑把には比例するからね。
インターネットによって知識がグローバル化した現在、原発が作れるほどの経済力を持った国は、すでに放射能汚染の危険性を理解している。
日本はもはや世界の中で「原子力発電の孤島」なんでしょう。そして「世界の笑われ者」でもある。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/796.html#c1
2. 2019年1月21日 14:36:20 : QNRNXUVSoM : mE6rXUL409I[46]
大本営…
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/497.html#c2
8. 2019年1月21日 14:38:27 : QGnkqObdx6 : nKbQ9y3KPhY[47]
桜吹雪を見せて一件落着ですなw
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/245.html#c8
2. 2019年1月21日 14:39:08 : 5ny5FM2kZY : uNwEKiseJfk[9]
高い交通費や宿泊費をかけて外遊するだけでも許せない無能者が、言質まで取られて交渉は振り出しに戻っただけではなく損害までもたらしている安倍晋三。
国外で要人と会話させては国益を害する一方だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/495.html#c2
200人を超えた甲状腺がん発病について、過剰診断仮説が地デジ等大マスゴミから流布されている。チェルノブイリでの発病とは年齢などの傾向に差があるのは事実かもしれないが。
汚染牛乳を「滋養の為」と推奨して乳児童に飲ませていたチェルノブイリと、水すら警戒して飲ませなかった福島を単純に比較して良いのか、議論がされた跡が見えない。一応「まだ5年目のデータで確定ではない」とはしているが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここから)
福島)甲状腺がん検査解析 チェルノブイリと罹患率相違
https://digital.asahi.com/articles/ASM1J6D1PM1JUGTB00P.html?rm=295
有料記事
奥村輝 2019年1月18日03時00分
県民健康調査の甲状腺検査を担当している県立医大は、検査2巡目(2014〜15年度)の結果の解析を初めて発表した。2巡目では71人が「がん、またはがんの疑い」とされたが、その罹患(りかん)率について検討した結果、事故当時の年齢が低い人ほど罹患率が高くなったチェルノブイリ原発事故のような状況は見られなかった、とした。
解析結果は昨年11月、専門誌に研究論文として掲載された。
検査は、事故当時おおむね18歳以下だった県民を対象に、甲状腺の状態を長期的に見守るとして、1巡目(11〜13年度)から繰り返し行われている。2巡目は約27万人が受け、71人が「がん、またはがんの疑い」とされた。
研究チームは、1巡目と2巡目両方を受診し2巡目に「がん、またはがんの疑い」とされた患者70人を、3歳ごとに受診時の年齢別に分け、各年齢層ごとに年10万人あたりの罹患率を検討。その結果、2歳以下は0人、3〜5歳は0人、6〜8歳で3人、9〜11歳で10人、12〜14歳で22人、15〜17歳で29人、18〜20歳で48人、21〜22歳で64人と、年齢とともに罹患率が増えていた。
一般的な甲状腺がんは年齢とともに増加する一方、被曝(ひばく)によるものは若い人ほど発症の危険性が高いことが知られ、チェルノブイリ原発事故では事故当時の年齢が低い人ほど罹患率が高くなった。
研究チームは今回の解析の結果、2巡目検査がなされた5年後までで、福島では「(がんが増えた)チェルノブイリのような状況は見られなかった」と結論づけた。研究チームの大津留晶・県立医大教授は、対象データが事故5年目までのため、放射線の影響を十分検討できる時期ではないなどとして「この研究だけで、事故の被曝影響について結論づけられない」としている。
また、研究チームはこの結果について、甲状腺検査で行っている超音波スクリーニングは、将来的に治療が必要にならないがんを診断する可能性があると指摘。この過剰診断の弊害を防ぐため、「早急な検査の改善が望まれる」とした。(奥村輝)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここまで)
そもそもデータの扱いはきちんとされているのだろうか。
■データ不正提供疑惑・計算ミス発覚の個人被曝線量論文。早野教授は研究者として真摯な対応を (牧野淳一郎 ハーバーB)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/772.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2019 年 1 月 15 日 17:34:40: FpBksTgsjX9Gw 6bOWo@mx6bKSag
22. 2019年1月21日 14:39:15 : na1i1hKHkc : fvghA6VXuVI[5]
内閣支持率26% 自民支持者“安倍離れ” 第2次で最低 県政世論調査
https://www.kochinews.co.jp/article/246385
11. 2019年1月21日 14:45:11 : 5ny5FM2kZY : uNwEKiseJfk[10]
ロシアの借用証書は国連憲章なんだってさ。
火事場泥棒が良く言うよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/490.html#c11
2. 2019年1月21日 14:48:55 : empYywTyDs : 0ascoMrJF@U[1]
隣近所と波風を立てていいのかね。
私だったら多少割り食っても隣近所と揉め事なんて御免だけどね。
自分たちが担いでいる政府のアホさ加減に歯止めをかけないと、後で後悔する事になるのでは。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/517.html#c2
9. 2019年1月21日 14:52:39 : 2FOSukKJfI : rRlUD7YvIXs[32]
この人、たしか両親ともに政治学者なんだよな。
リベラルな学者さんたちだったらしくて、それで独裁的なムバラク政権には反対してたんじゃなかったっけ?
そんなエジプトにも日本にもあまりないような、インテリ家庭のお嬢さんが一体、どこをどう間違ってこうなっちゃったのかねえ。
御両親はご健在かどうか知らないが、ご健在なら泣いてるんじゃないのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/472.html#c9
9. 2019年1月21日 14:56:45 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4864]
>>8
まったくw、ソッチがシラ切ってもこの桜吹雪に見覚えがねえたあ言わせねえぜ!
イヨッ金さん、ということでw ともかく往生際の悪い女もアレですがタラシこんだSongcatcherって野郎もスレにいつも有意義情報提供してくれる方にガセ流すなだの自制しろだのトンデモ発言する奴ですから放置できません//黒門町の伝七親分もお怒りデス ヨリ
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/245.html#c9
7. 2019年1月21日 14:57:41 : MwqM2u5ylY : dQ69spG4nR8[483]
宮崎政久と言うのは本当に沖縄県人か、している事がとても卑劣で安倍と菅官邸の使いとしか思えない。宮崎と五市の市長は機密費をたっぷり貰い金に目がくらんだ強欲人間、自民党は戦後沖縄をずっと差別待遇してきた、沖縄で利権以外自民党を支持するなどありえない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/475.html#c7
1. 2019年1月21日 14:58:11 : 2FOSukKJfI : rRlUD7YvIXs[33]
確か何年か前に、北海道新聞でもそうだったよ。
カレイドスコープさんがブログに全国各地の支持率載せてたけど、地方では20%〜30%代も多かった。
もしかしたら「地方の農村部は代々政権支持率が低い」のかもしれないねえ。
都会の人ほど自民党を支持するんだねええ、昔から。w
いつからかは知らないけど。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c1
10. 2019年1月21日 15:01:46 : empYywTyDs : 0ascoMrJF@U[2]
金融と言えば先日スペで放送してましたけど中国のブロックチェーン金融すごいですよね。既存の金融システムに対抗できるでしょう。
まぁ残念なのが中国人のあの自己中な性格ですよね。他人も尊重してくれるようなら支持したいくらいなのだが。欧米を葬り去っても代わりがあれではお先真っ暗ですな。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/245.html#c10
1. 2019年1月21日 15:05:31 : QGnkqObdx6 : nKbQ9y3KPhY[48]
掲げているプラカードのチャチさや、叫んでいるトランプこき下ろしコールの内容のなさを見れば一目瞭然なんだよね。
小銭貰ってやってる自発的失業者B層のおねいさん達だね。ガラの悪さが隠しきれていないところも面白ポイントなので注目。
日本のダマスゴミがこの件を如何にも大きなムーブメントになっているような、雰囲気をかもしたくて、CNNとかの請け売りで1万人集まったとか、ホラ拡散しているところも、朝鮮電通傘下の懲りない面々でまたかよって感じですなww
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/247.html#c1
41. 楽老[112] inmYVg 2019年1月21日 15:08:26 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2574]
>39.oNChsjs1RfI:旧田中派は偉大だったなあ。
偉大とまでは思いませんが、日本人としての心は持っていたように思います。
CIAの資金によって、岸信介が自民党を作った。
フェイクは常に保守陣営がスタートだと別スレで書きましたが、外国から資金提供を受けていたのは共産党でなく、自民党でした。
岸、池田、佐藤政権時は各々数百億円の金が、当初は直接、次第にロッキードをかまして。
岸から始まった売国ポチ密約は日本側の無知により次期政権に引き継がれていない。
池田佐藤は密約に取り込まれ、佐藤は新たな密約まで成した。
日本側の無知とは密約は墓場まで持って行くことが美徳であって、国家と国家の約束事であるとか、歴史を冒涜することだとは考えていないことだ。
ここからは私の推測だが
田中角栄はこの密約を米側から知らされ、密約が日米の約束事であることを認めた上で、なんとか改善しようとした。日中国交回復もその一つだ。
これらの政策が米国の逆鱗に触れ、ロッキード社を介して陥れられた。
立花隆らが米国の手先となって金脈追及に血道をあげ、遂に田中角栄を叩き落した。無能なメディアも独自の取材ができずに、付和雷同した。
その後の政権は
田中の失脚がトラウマとなって、一切米国に盾突くことができず
小泉に至ってはピエロまで演じることになった。
安倍は膨大な国富を消耗している。
ここには、中国なんか目に入っていない。
アメリカ様のご機嫌さえ取れれば。
だから当然のことウヨ連中に情勢分析なんかできる訳もなく
中国が攻めてくる〜という妄想に縋り付くことしかできない。
7. 2019年1月21日 15:09:31 : JcQZQi2xVE : FMWzHwsfQe4[3]
経済には知識がないが、中国やベトナム他、搾取工場がある国はよく、搾取国の都合で、直ぐに閉鎖されたりを繰り返しているから、中国経済どこまで悪いかは分らないが、フランスでのデモ、トランプ大統領がシャットダウンしたことで、アメリカでもデモがあり、トランプ大統領が1カ月近くも異常な!シャットダウンして、一体、何を画策しているのだろうか?
仏敵?=ワルの餌食ターゲットに群がる!創価学会のあぶく銭稼ぎ工作員の多さ!で、あべのバカみたいな金をばら撒きをした事も手伝って、日本の経済が疲弊している事が推察できる。
安部自民党公明党政権が続けば、自殺者が増えるだろう。
毎日々、最低でも1人は電車に飛び込む人がいる!人身事故?事故!じゃない!‟自殺強要”だ。
まったく!調査!報道されない!
この国も、国民も、狂っている事も分らない程、馬鹿なのだ。
フランスのYellow Vest Protestのデモに参加し、インタビューに答える人々の真っ当さが正常なのだ。
なのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/646.html#c7
2. 2019年1月21日 15:18:06 : eqrqbGFmGw : yQHJ2fHdpo8[16]
よお 真相の道
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c2
3. 2019年1月21日 15:19:30 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[1053]
紫の濃い所は 馬鹿が多いって事か
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c3
1. 2019年1月21日 15:22:41 : NNHQF4oi2I : p@MqjzZMakU[1054]
立憲・枝野 政権取る気があるのかな
自民党の詐欺師たち を 崩壊させ
司法の仕組み 小選挙区制度には 憲法試験の義務かを すべき
国会議員は 馬鹿多すぎる
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/496.html#c1
27. 2019年1月21日 15:24:04 : N0JCYXfrfI : 7LTNJjKpXHo[15]
鳩山由紀夫元総理と人間のクズ総理の施政方針演説を比較しておきましょう。
どちらが国民目線・国民生活に寄り添っているか、言うまでもないことでしょう。
__ 第174回国会における 鳩山内閣総理大臣 施政方針演説 __
https://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201001/29siseihousin.html
いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
働くいのちを守りたい。
雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたいと願います。・・・
_______________________________________________
>ファシズムの初期兆候 http://www.jicl.jp/urabe/zakki/20170919.html
https://blog.goo.ne.jp/hitoshi1940/e/bb21e1b6078abc083bf2505393b3c037
1. 強力かつ継続的なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism)
2. 人権の蔑視(Disdain for Human Rights)
3. 団結させるための敵の設定(Identification of Enemies as a Unifying Cause)
4. 軍事の最優先(Supremacy of the Military)
5. はびこる性差別(Rampant Sexism)
6. 支配されたマスメディア(Controlled Mass Media)
7. 国家安全保障への執着(Obsession with National Security)
8. 宗教と政治の結合(Religion and Government Intertwined)
9. 企業の力の保護(Corporate Power Protected)
10. 労働者の抑圧(Labor Power Suppressed)
11. 知性や芸術の蔑視(Disdain for Intellectuals and the Arts)
12. 刑罰強化への執着(Obsession with Crime and Punishment)
13. 身びいきや汚職の蔓延(Rampant Cronyism and Corruption)
14. 不正な選挙(Fraudulent Elections)
______________________________________________
___ カルト自公・不正選挙・犯罪集団 安倍晋三偽総理 施政方針演説 ___
1、安倍一凶を守りたい。利権と腐敗、安倍独裁を守りたい。まさに心からそう願うのです。
2、李王朝・李晋三の国、人権は弾圧、国民は奴隷。そんな理想郷、東朝鮮を作りたいのです。
3、だから国民は敵、日本の周りも敵だらけ。強力な軍隊が必要です。海外に兵を出すのです。
4、私の兄は三菱です。高額な兵器が必要です。子どもを餓えさせ軍産の利益を守りたいのです。
__犬HK会長も三菱です。島田寿司は栄転で岩田明子は愛人で強姦魔山口敬之は逃亡中!
5、李王朝です。男女差別は当然で身分制度も必要です。奴隷労働進めます、奴婢制度も作ります。
6、メディアの批判は許しません。電通犬HKはグールグル。人事で脅し、飯と賄賂で言いなりです。
7、日本は危機で私がウミで国難です。兵器の爆買い・緊急事態法・人権弾圧法・徴兵制も必要です。
8、カルト靖国・日本会議・統一教会・創価学会、政治に宗教は必要です。洗脳と葬儀に必要です。
9、外資・経団連・大企業はスポンサー。奴隷を作ってスポンサーに尽くします。ズブズブです。
10、労働組合潰します、労基署も廃止します。富豪・金持ち・大企業・ピンハネ業が儲かればいいんです。
11、文系は不要、歴史の見直しは厳禁です。筋肉馬鹿は表彰します、政府批判の作品は無視します。
__漢字使用禁止の閣議決定を用意させ「お前はバカか」と言われました。仰る通り、その通り。
12、悪事・犯罪は許しません。アベ批判は犯罪です。わたくしが憲法であり刑法です。3犬の長です。
13、わたくしの内閣です。ワタクシとオトモダチのための政治をするのは当然です。権力の私物化です。
14、権力を握ったワタクシです。選挙の不正は当然です。ワタクシの了解を得て選挙結果を捏造します。
>あべ総統閣下政権の本当の支持率は5%。しかも支持者は外国人(北朝鮮工作員)?
https://ameblo.jp/ruroibrown/entry-12224762704.html?frm=theme
>不正選挙、開票不正は「必要悪」である。
http://open.mixi.jp/user/8712738/diary/1943969682
>心も頭も馬鹿が、不正選挙で総理の座を手に入れ、悪政・悪行・犯罪を
やりたい放題行なっている日本の現状をどう思いますか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14141752264
2. 2019年1月21日 15:24:31 : 8zne86Ve2E : pfXu5kFhSNw[10]
私が読んだ記事は全部「去年は100万人集まった(これも嘘だろうけど。)」としか書いてなかったゾ。『オイオイ、よっぽど今年何人集まったか言いたくないんだなぁ』と思ってたけど、1万人ってか? つーことは100分の1に減ったわけだ。つーことは来年は100人だなぁ(爆)。まあがんばってけれや。ケケ
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/247.html#c2
45. 2019年1月21日 15:26:07 : NK0RPROJPA : 7PPzIIWWLRI[46]
回収されたボイスレコーダーの冒頭部分、衝突音がする直前にパイロット達の会話の声が上ずっており、異常な緊張状態にあった事が音声分析から判明している。これはつまりオレンジエアが自機を目指して接近しているのがコックピットから見えていたという事である。
また衝突音がした直後に「スコーク77」という最高度の救難信号を即座に発信したのも不可解である。もし全く何も予期せずに突然衝突音がしたなら、「何だ何だ?」とまず状況を把握しようとする筈である。それを一切せずに即座にスコーク77を発信したという事は、何かが衝突するのを事前に予期していたとしか考えられない。
事故調が結論付けた圧力隔壁主因説を信じている人はほとんどいない。もし垂直尾翼を内部から吹き飛ばすような穴が開いたとしたら、その時点で機内は一気に急減圧になり、乗員乗客全員気絶し、機内の物が凄い勢いで圧力隔壁の方へ吹き飛ばされて行く筈だが、そういった事は一切起こっていない。
以上より、「外部から何かが接近しているのをパイロット達は事前に見ていて、尾翼は外部から破壊された」としか考えられない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/384.html#c45
4. 2019年1月21日 15:34:25 : phv6YK6Nf6 : m2RrlXAr_uE[1]
見事なまでの西高東低。
その中で、高知と鳥取が盲腸になっとる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c4
5. 2019年1月21日 15:36:23 : 2FOSukKJfI : rRlUD7YvIXs[34]
>>2
やっぱりそう思った?
私もそう思った。w
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c5
1. 2019年1月21日 15:38:15 : 5ny5FM2kZY : uNwEKiseJfk[11]
>売国奴に領土問題を扱わせてはならない。
売国奴に国政を扱わせてはならない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/499.html#c1
8. 2019年1月21日 15:39:07 : ea4Da1S9zY : H17TvSAh@yc[16]
虚言詭弁の人間のクズ、インチキ選挙の基地外総理 = 安倍晋三 こと 李晋三
国民投票とか言う前に、今までの余りにも不自然な自民圧勝という選挙がインチキでなく、
自公政権が本当に不正選挙のインチキ政権でないことを裁判で確認させるべきだろう。
まあ、「つまり、まさに、そもそも、インチキだからできません!」って言うのか?
>「メディアが無視する不正選挙訴訟」(EJ第3701号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/383513241.html
>2015年不正選挙裁判 繰り返す!司法の不正!? メディアには決して流れない異様すぎる裁判
http://matome.naver.jp/odai/2142638696582598701
>安倍晋三・昭恵夫妻は朝鮮人である
http://www.asyura2.com/18/senkyo242/msg/790.html
>安倍晋三は 李晋三である
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/595.html#c1
6. 2019年1月21日 15:41:56 : phv6YK6Nf6 : m2RrlXAr_uE[2]
そういや、高知の中谷元は石破の推薦人だったっけ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c6
15. 2019年1月21日 15:43:25 : hHRyrQsPsY : C257NcSSuSY[323]
13です。
@ 誤記訂正:「2018.4.28のキャプション」→「2013.4.28のキャプション」
Aリンクを貼った(https://matome.naver.jp/odai/2136724349220969001)がこれをクリックするだけでは、404エラーになり、Webページは表示されない。このURLをブラウザにcopy & pasteすれば表示される。
****一部引用********
プーチン大統領、TBS記者にブチキレ。「原稿読みながら言ってるね。それ書いた奴に言っとけ。領土は解決すべき過去の遺産なの。いつやるのか。すぐでしょ。日本が協力したいなら環境整備・信頼醸成だよね。妨害する方法もあるよね。こういう風にわざと感情的な質問して感情的な回答をさせるとかさ」
B 14に関してはニホンゴが解読できない(一見、安倍を非難しているようにも読めるが、6年前の映像を暴露する人々を非難しているようにも見える)ので無視。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/467.html#c15
231. 中川隆[-12817] koaQ7Jey 2019年1月21日 15:47:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225]
世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占
2019年1月21日 14:19 発信地:ダボス/スイス
【1月21日 AFP】世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を、国際NGO「オックスファム(Oxfam)」が21日に発表した。拡大する一方の貧富の差を是正するため、裕福層への増税が必要だと各国政府に強く求めている。
スイス・ダボス(Davos)で開かれる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)を前に発表された最新報告によると、資産額10億ドル(約1100億円)以上の裕福層の人々が世界各地に保有する資産の総額は2018年、毎日25億ドル(約2700億円)ずつ増加した。
世界一の富豪である米アマゾン・ドットコム(Amazon.com)の創業者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)氏の資産は昨年、1120億ドル(約12兆2800億円)に増えた。オックスファムによればベゾス氏の総資産のわずか1%が、人口1億500万人のエチオピアの保健医療予算全額に匹敵するという。
一方、世界人口のうち経済的に恵まれない半数に相当する38億人の資産総額は昨年、11%減少した。
オックスファムは、拡大する格差によって貧困対策の効果が損なわれ、経済は打撃を受け、人々の怒りをあおる結果になっていると強調。各国政府が保健医療や教育といった公共サービスに割く予算を削減する一方で、富裕層に対する税制優遇を続け、経済格差をさらに深刻化させていると警告した。
報告書は、富裕層や大企業に課税して「底辺への競争」をやめるよう各国に強く要求。最富裕層がたった0.5%多く税金を払えば、「現在教育を受けられずにいる子どもたち2億6200万人に教育を授け、330万人の命を救えるだけの保健医療を提供しても、余りある資金を確保できる」と指摘している。(c)AFP
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c231
16. 2019年1月21日 15:49:01 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-4118]
その時=散々言われたろ^^
プーさんが=(後ろにいる奴)←って言った時じゃん^^
17. 2019年1月21日 15:53:08 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-4120]
阿修羅では=^^
(言わせてるのは=オバマ政権)だとして=^^
非難しまくってたわけだが=^^
トランプ大統領に=なった途端に^^
原稿持ち出して=官僚の所為←に転換しようって^^
そーゆーことか?^^
18. 2019年1月21日 15:54:28 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-4119]
やっぱり=阿修羅が=1番信用ならんな^^
(やらせ)ってのは=阿修羅掲示板のために^^
あるような言葉だ=^^
^^==========3
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/467.html#c18
1. 2019年1月21日 15:56:47 : mp6fw9MOwA : XTWWyuFax_s[244]
安倍の政治姿勢は、全体を鳥瞰せず、自身で行いたいことを、都合の良い一部を抜き出し権限を傘に強引に推し進めるものである。
一つの真実を抜き出し、強調すると真逆の印象を与えるたとえに、長い航海の航海日誌の1ページに、今日船長は酒を飲まなかったと言うものがある。
船長は酒が飲めず公開中1滴も飲んでいなかったので、日誌に今日船長は酒を飲まなかったとの記述は真実である。
しかし、日誌を読んだ人の大多数は船長は大酒飲みと誤解したようである。
ゴーン氏事件の検察の捜査手法は明らかに一部の真実を強調し、法と正義に基づいた精査なしの印象操作と疑うとその証拠はたくさん出てくるが、明らかな罪のある逮捕かと疑えばその証拠が出てこない電撃逮捕である。
検察のこのような動きには、バックがついていると疑われるもので、その証拠に検察には法を熟知したエリートがおり無理筋捜査に突入するには身分保障との裏付けがある筈との解釈である。
バックの意向で無理筋を通そうとする日産にルノーと対抗できる力量があるとは思われない。
この勝負は忖度が必要ない土俵で行われているので、理論的に事を進めている方が勝つと思われる。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/661.html#c1
1. 2019年1月21日 16:00:03 : JcQZQi2xVE : FMWzHwsfQe4[4]
株も投資家でもないので、あのWall Streetのディーラーの狂乱もゾッとする。
経済学云々より先に、真っ当な市井の貧乏人が安部と其の陣営を見れば、これらはどうしようもない輩と分る。
それをアホノミクスがダメだとか!期待する方が人間を見る眼がなさ過ぎる。
顔を見た途端!なんだ?これは!
と思わない方がおかしい。
昔、ある人口統計学(統計学?こういうの眉唾ものだが)のおじさんが
【日本は90,000,000人位が丁度いい】そうだとも思うよ。
この狭〜い国土で、自給自足とかもやって、食料も輸入に頼らず、土地も争わず、爆発的に人口が増えず、その中で次世代が誕生し、静かに老いていくには丁度いい人口なんじゃないすっかね?
ジェノサイド!されなくて済むし。
理想的に言えば。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/658.html#c1
7. 2019年1月21日 16:06:33 : phv6YK6Nf6 : m2RrlXAr_uE[3]
あと、群馬は山口と並ぶ自民王国だが、高いとはいえ真っ赤と言うほどではないな。
小渕優子が安倍と仲悪いからか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c7
3. 2019年1月21日 16:08:37 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[958]
これ見たことある、
なきゃ、見てみな、
これ、ロシア全土に放送されたんだよ
日本でこんなのやって、放送しても見るか
ロシアでは演出かも知れんが、涙も流しているんだよ
ここの先を行っている様な人間が、トランプに請願しろって
言ってんだよ。何を言いたいか分かるだろ
日本は無理なんだよ。
https://www.youtube.com/watch?v=E8YJHjy_DaU
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/495.html#c3
3. 2019年1月21日 16:12:42 : lt75H8etqI : FDHw3y46bVw[3]
国会、ネットともに、絶対に2つの問題の混同を許すなよ。
民主政権も含む15年間問題と、安倍政権だけの1年間問題の、2つある。
ネトウヨバカ頭で「安倍政権が民主政権も見逃した不適切を正した」と言い出すからな。
1年間問題はモリカケ並のスキャンダル。
不適切調査を正当化する内容の記述が、2015年要領以降には削除されていたのだ。根本匠厚労相が17日、認めた。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190118/soc1901180003-n1.html
2015年は安倍政権。
1年間問題の悪質さだけ、選挙まで日本中に繰り返し話題にすればよい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/493.html#c3
8. 2019年1月21日 16:15:33 : phv6YK6Nf6 : m2RrlXAr_uE[4]
あと、なんで沖縄の上が赤いのかと思ったら、与論島は鹿児島だった。
社会科もう一度勉強しなおそう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c8
50. ブリテン飯[368] g3WDioNlg5OU0Q 2019年1月21日 16:15:54 : RLFOriMrts : CtJ0VtEt7ps[1]
42さんのリンク先を読め。
国保加入の外国人95万人のうち、過去1年間に不正使用の疑いがあったのは「2人」。
オレも言うぞ、「いい加減にしろ、レイシストども!」
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/364.html#c50
22. 2019年1月21日 16:16:39 : eBhZxRS1iI : ApYfA_@B2lM[42]
>21
多摩散人です
だ〜か〜ら〜、
「崩壊寸前」というのは客観的表現なんだよ。だから、「じゃあ、何か月後に崩壊するんですか」と質問するのは当然だよ。
「早く引っ込め」なら、言う人の主観、願望だから、私は上の質問なんかしないよ。ただほったらかしにする。だって、他人の主観や願望に私が関わる気はないからだ。
今後、「崩壊寸前」という言葉は使わず、「早く引っ込め」と言いなさい。それなら質問はしないよ。
国語の添削終わり。今度は授業料とるぞ。
9. 2019年1月21日 16:18:50 : phv6YK6Nf6 : m2RrlXAr_uE[5]
>>3
紫は山口のほか、富山と和歌山か。
和歌山は二階の地元だからまあわかるが、富山は何で真っ紫なんだ?
19. 2019年1月21日 16:21:53 : 3WeQLyRQrU : QMRayp5x@3k[125]
ロシアより日本の方が全体主義(翼賛会)ということをアホベと記者クラブがさらしてますね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/467.html#c19
15. 2019年1月21日 16:25:59 : Yoir6UzXrc : ydeJLA7i9q0[30]
>とはいえ、条例自体が違憲・違法なら、事務遂行の義務付けは
無効だ。
「とはいえ、海兵隊駐留行為自体が違憲なら、辺野古新基地建設の
義務付けは、無効だ」と
なぜ、主張しないのでしょうか????
憲法9条は、本土防衛専用隊しか認めていません。
従って、日本に駐留可能な米軍は、日本本土を防衛するミッション
を持った軍隊に限られますが、
一方で、日米安保条約の極東条項が極東地域を防衛するミッションを
持った海兵隊と兵器(地対地ミサイルである陸上イージス)の駐留を
認めてしまっています。
要するに、日米安保条約の極東条項は憲法9条に違反していることは、
明々白々、子供でも理解できます。
なぜなら、自衛隊が「極東防衛専用隊」となり、防衛前線が日本本土
から極東地域に拡大してしまうからです。
所が、与党だけでなく、過っては社会党そして共産党今は立憲民主党
が憲法9条解釈を捻じ曲げた
「(自己防衛という自然権を否定する事になる)丸腰論」を尊重擁護
することで、
主権者皆様を騙し、戸惑わせ、日本の安全保障を脅かしているのです
が、日本の全メディアが政令官僚様ケツ舐めメディアなので、
どうしても、主権者皆様は、憲法9条丸腰論を信じざるを得なくなって
しまっています。
結果、丸腰では日本を守ることができないので、仕方なく、米軍の
一方的駐留を認めたり、
日本を守るためには、憲法9条丸腰論を改正(本当は、全く不必要な
行為)してしまわなければ、日本を守ることが出来ないという大嘘を
三権(内閣・国会・裁判所)構成者全員と司法関係者全員と全メディア
が主権者皆様に信じ込ませ、今も信じ込ませています。
ですから、憲法改正という絶対に不可能な行為を、何の躊躇いもなく
世界で日本だけが、議論し続けることが可能となっています。
なぜなら、主権者皆様が憲法9条の適切な解釈が「本土防衛専用隊」
だと気付いてしまうと、
「自衛隊」が、何の問題も無い、憲法に合致したネーミングだという
ことを理解してしまうので、
政令官僚様が渇望している憲法改正(正しくは、憲法修正)を推し進め
ることが不可能と成ってしまうからです。
上記を適切に理解できれば、一番大事なことは:
主権者皆様に憲法9条の適切な正式解釈を知る機会を提供することだと
理解する事ができますので、
東京地裁での集団的自衛権法(2015年9月成立の「戦争法」)の違憲
審査の結果を急がすべきです。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/478.html#c15
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190121-00010002-fukui-l18
福井新聞ONLINE 1/21(月) 13:48配信
使用済み燃料の取り出し作業に使われる燃料出入機=福井県敦賀市のもんじゅ
高速増殖原型炉もんじゅの使用済み核燃料取り出しに向けた訓練を行う操作員=8月19日午前、福井県敦賀市(日本原子力研究開発機構提供)
文部科学省は1月21日、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の使用済み核燃料取り出し作業について、今月中に計100体の取り出しを完了するとしていた計画を達成できなくなったと明らかにした。これまでに取り出したのは83体。2022年度までに計530体を取り出す全体の工程に影響はないとしている。取り出す作業は28日までに終え、本格的な定期検査に入る。
日本原子力研究開発機構が昨年12月、昨年中としていた完了時期を今月中に延期したが、その後も機器の不具合などによる作業中断が続いていた。
同省の明野吉成もんじゅ廃止措置対策監が21日、福井県を訪れ、清水英男安全環境部長に報告した。
明野対策監は、今月末までに取り出せるのは最大8体で、計91体にとどまると説明。清水部長は「(機構と文科省が)自ら定めた工程を守れず遺憾だ。月末から本格的に始まる定期検査で不具合に対して十分な対策を行ってほしい」と求めた。
その後、明野対策監と面会した敦賀市の渕上隆信市長は「予期せぬ不具合も想定した上で、工程や体制を再度見直す必要がある」と指摘した。
当初計画では100体の燃料取り出しに半年を要し、作業の開始予定は2018年7月とされた。しかし開始前に不備が見つかったことなどから作業は8月30日にスタート。取り出し開始以降、燃料出入機(だしいれき)に冷却材の液体ナトリウムが固着するなどのトラブルが相次いだ。
年度内の燃料取り出し作業は28日で終わり、29日から本格化する定期検査に備える。
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース https://t.co/tclUTgh0M7 @YahooNewsTopics
— tettajiji (@tettajiji) 2019年1月21日
>これまでに取り出したのは83体。
— ゴンドウ (@redpanderEn) 2019年1月21日
進んでんじゃん。この調子、出来れば上向きで無理せず御安全に。
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース https://t.co/zEkwoY7WS5 @YahooNewsTopics
「2022年度までに計530体を取り出す全体の工程に影響はないとしている」
— けい (@ksmthree) 2019年1月21日
既に遅れてるのにこの見通しの甘さ。
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース https://t.co/UZVswUvfsQ @YahooNewsTopics
この体たらく。然し安全第一で大きな事故は絶対起こすな。
— hirohiro辺野古戦争新基地阻止! (@hirocomhiro) 2019年1月21日
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース https://t.co/oRjKRCykys @YahooNewsTopics
今まで、計画通りに事が運んだためしがない。
— BJ (@Black_Joke_chan) 2019年1月21日
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース https://t.co/0rf6QoHxao @YahooNewsTopics
むつにつづいてもんじゅ
— kartz@NewPort (@karttz) 2019年1月21日
非科学的な理由で批判され、断念することになった
もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース https://t.co/x9Ywjvo5Ob @YahooNewsTopics
だから、原発はダメなんです。もっと、化学が発達して、すべてをクリアしてから造らないと、今はまだ未熟ですから危なくて仕方ありません。核のゴミ処理方法がちゃんとできるようになってから造ればいい。今はまだ早い。https://t.co/WLpHr0Ny6k #もんじゅ #燃料取り出し断念
— kusiro (@kusiro6) 2019年1月21日
10. 2019年1月21日 16:29:30 : phv6YK6Nf6 : m2RrlXAr_uE[6]
茨城が関東一のど田舎だということはよく分かった。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c10
1. 赤かぶ[3137] kNSCqYLU 2019年1月21日 16:31:57 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1603]
さて、これで何時になったら完成するのか、総工費はいくらになるのか、維持費はいくらかかるのか、などなど分からなくなりました。
— 原田浩司/Koji Harada (@KOJIHARADA) 2019年1月21日
これを見切り発進の工事と呼ばずして、なんと呼ぶのやら。
◎辺野古、軟弱地盤改良へ…県は承認せぬ構え : 読売新聞
https://t.co/zsXTF8NRx4
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c1
42. 2019年1月21日 16:32:40 : eBhZxRS1iI : ApYfA_@B2lM[43]
多摩散人です。
その通り、日米安保がなくて、日本人が9条の範囲内で「専守防衛」なんて能天気なことしか考えなければ、「中国が攻めて来る〜」なんて妄想に過ぎない。
中国は例えば尖閣を取るのに、「攻めて来る」必要なんてない。
日本と平和的に話し合い、合法的に契約を交わし、国際法に則って協定を結び、戦争などしないで、双方平和裏に、尖閣を中国領にするだろう。日本は「イエス」と言わざるを得ないだろう。だって、日本は「専守防衛」しか出来ないし、中国の強大な侵略に対抗できないからだ。平和的に譲る事しか出来ないだろう。それが一番少ない犠牲で侵略を受け入れる方法だからだ。
フィリッピンもそうやって何とか岩礁を中国に取られたんだよ。侵略されるということは、そういうことなんだよ。
その後、フィリッピンは防衛政策を変え、アメリカや日本から軍事援助を得て、これ以上侵略されない体制を整えようとしている。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/448.html#c42
2. 赤かぶ[3138] kNSCqYLU 2019年1月21日 16:32:58 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1604]
いまさら!?散々軟弱地盤を指摘されながら、散々土砂を投入しちまってから、いまさら設計変更???この変更で追加コストはいくらだ?始めから使えない飛行場作る気だったの?安倍晋三政権は…
— ごく普通の会社員 (@tryshd) 2019年1月21日
辺野古、軟弱地盤改良へ…県は承認せぬ構え(読売新聞) https://t.co/gUPdHPJbbg @YahooNewsTopics
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c2
1. 2019年1月21日 16:34:29 : XGoEH8J8Qg : 2EISrzxoz5Q[2]
またまた、弱者の金を騙し取って私腹を肥やしていたことが発覚!!!
吊るし首だΣ( ̄皿 ̄;; 許さん(#`皿´)
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/500.html#c1
9. 2019年1月21日 16:37:24 : PtqL8BGGcU : GB9r75d47Sw[154]
今日のYahooニュース
※もんじゅ燃料100体取り出し断念 不具合続き計画完了せず定検へ
「太陽光発電を停止してでも、何が何でも原発を再稼働する」原発を再稼働するじゃなくて、何が何でももんじゅの燃料を抜いてからそういう生意気なことを言え!
もんじゅの燃料も「抜く抜く」と言いながら、抜けもしないで!
何が断念だ!
いったん抜くと言ったからは先ずもんじゅの燃料を約束通り抜け!
「2022年度までに計530体を取り出す全体の工程に影響はない」だと?
今の約束を守れないくせに、2020年までに530体を取り出す工程に影響はないなどという大ぶろしきを広げるな!
今日の仕事は今日に終わして、今日の仕事を明日に伸ばすな!
今日の仕事を負わすことができないものに、明日の仕事が出来る筈がない!
3. 赤かぶ[3139] kNSCqYLU 2019年1月21日 16:38:15 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1605]
辺野古、軟弱地盤改良へ…県は承認せぬ構え・「とにかくまずは許可」の遣り方変ですよ・普通は地盤調査は設計の前に行う事、それから許可へ行ってその後に工事・なのに先に許可で後調査・もう見えてきますね国の焦りが・ https://t.co/QkeDLkEcua
— fura翁 (@sayoko4126) 2019年1月21日
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c3
9. 楽老[113] inmYVg 2019年1月21日 16:40:28 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2573]
>4.罵愚:よくわからないが
よくわからないのだったら、引っ込んでいたら?(笑)
4. 赤かぶ[3140] kNSCqYLU 2019年1月21日 16:45:57 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1606]
政府、辺野古移設の設計変更へ=沖縄県認めない方針
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190121-00000030-jij-pol
1/21(月) 12:07配信 時事通信
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐり、政府は今春にも辺野古沿岸部の埋め立て予定地域で、地盤改良工事に向けた設計変更に着手する方針を固めた。
これまでの調査で軟弱地盤が見つかった。政府関係者が21日、明らかにした。辺野古移設に反対する玉城デニー知事は設計変更を認めない構えで、移設工事の遅れは避けられない見通しだ。
防衛省関係者によると、設計変更が必要になるのは埋め立て予定地域の東側。防衛省が2014〜16年に海底のボーリング調査を行った結果、複数の軟弱地盤の存在が判明。現在は追加調査を行っている。年度内に調査結果がまとまることを受けて、政府は設計変更を県に申請する方針だ。
これは以前から指摘されていた問題でした。
— izutaro managi (@IzutaroManagi) 2019年1月21日
県の方針が明らかななか、土砂投入を先行的に進め、いわば既成事実を積み上げていく、そういう政府の姿勢が明瞭に示されています。
政府、辺野古移設の設計変更へ=沖縄県認めない方針:時事ドットコム https://t.co/QSVGs3cDQH
「玉城デニー知事は設計変更を認めない構えで、移設工事の遅れは避けられない見通しだ。」
— 日本共産党 (@jcp_cc) 2019年1月21日
政府、辺野古移設の設計変更へ=沖縄県認めない方針:時事ドットコム https://t.co/zRVZlJs2aC @jijicomより
だから何故、埋め立てる?陸地に造れば良い事だろうw(;´з`) --- 政府、辺野古移設の設計変更へ=沖縄県認めない方針 (時事通信社 - 01月21日 13:02) https://t.co/HQ1MHiehEv
— 万寿村長(´ε` )流派★阿呆不敗 (@neruniku390yen) 2019年1月21日
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c4
2. 2019年1月21日 16:47:05 : abn4ghevQs : 6aKqbN5YwJo[99]
正解ですね。
安倍は、消えてなくなれ! 日本にとって良いことありません。
正体は、安倍様だけ金儲け、ペテン野郎で、泥棒です。
良くもま〜国民を騙すものだわ! 嘘ばかりだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/499.html#c2
5. 2019年1月21日 16:48:39 : 2FOSukKJfI : rRlUD7YvIXs[35]
泥縄って言葉があるけど、意地縄?
辺野古から撤退すれば、「沖縄の民意に負けた」ってことで、安倍自民は日本の政界から撤退になりかねないから?
だから、使い物になるかどうかもわからないし、軟弱地盤のことでアメリカと相談もしてないのに(したのかよ?向こうにも専門家はいくらもいるはずだ)サンゴの海に土砂ぶち込んだの?
後先のこと何〜にも何〜にも考えてないとしか。(呆)
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c5
1. 2019年1月21日 16:49:24 : XEOlct51yg : 2U35YGKResg[146]
秋元の顔は美男子じゃなかったけど、芸能界に所属しているクリエイターらしい華やかな雰囲気を持つスーツの男だった。
最近の写真を見て驚いた。
物凄い悪役ズラになってしまっているではないか。
っていうか怖ろしい顔になってしまったな。
2. 2019年1月21日 16:51:32 : abn4ghevQs : 6aKqbN5YwJo[100]
ルノーの赤字を日産が埋め続けるのか?
馬鹿らしい、、、日産は奴隷でないぞ!
ルノーのボロ車会社はつぶれてしまえ!
性能の悪い、信頼性のないルノー車を買うのはフランスだけよ!
日産は、ルノー株買い増し自立しなさい。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/661.html#c2
11. 2019年1月21日 16:52:57 : UaNpvm4tdo : H808CWO8ErI[19]
>高知県はもともと内閣支持率が低い地域なので、
だったらそれを証明しろよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c11
10. 2019年1月21日 16:56:45 : Zp5kwxTNvA : WH9Dn8bjfeE[11]
だから彼らが言う安全は実は安全ではないのだよ、うそ言ってるだけ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/483.html#c10
3. 2019年1月21日 16:56:45 : abn4ghevQs : 6aKqbN5YwJo[101]
下らん!日本会議のお頭も悪いライター?
暇な奴がいるものだ。
安倍は、逃亡するしか生きる道はないのでないか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/497.html#c3
11. 赤かぶ[3141] kNSCqYLU 2019年1月21日 16:58:24 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1607]
※全画面で拡大
今朝の東京新聞の1面「11歳少女100ミリシーベルト被曝 政府は確認せず」事故直後双葉町にいた少女が、甲状腺に推計100ミリシーベルト程度の被曝をした。(少女は不明) pic.twitter.com/vRwb8Tt7qr
— 永添泰子(まっとうな人を議会に送ろう!) (@packraty) 2019年1月21日
28〜29面「こちら特報部」に続きが。28面 pic.twitter.com/uSGeXFbPPh
— 永添泰子(まっとうな人を議会に送ろう!) (@packraty) 2019年1月21日
29面「原発近くの子ども対象外」国がこれまで発表していた測定値は、30km圏外の飯舘村、川俣町、いわき市の子ども合計1080名のみ。東京新聞の情報開示請求で明らかにされた放医研で報告された関連文書には徳島大の誉田(ほんだ)栄一教授(歯科放射線学)と佐瀬卓也講師(放射線計測)の名が。 pic.twitter.com/o57VPRo3fe
— 永添泰子(まっとうな人を議会に送ろう!) (@packraty) 2019年1月21日
#東京新聞 #特報部 スクープ「11歳の少女 100_シーベルト被ばく」さっそく御用知識人が「過剰検査の結果による過剰報道」とデスッてるけどそもそも県検査対象(18歳以下)40万人に対して測定1080人0.3%の何処が過剰検査? pic.twitter.com/AU7eQiWtwf
— 日本残酷物語 絵描き屋 山田のぶゆき (@NY_murder_case) 2019年1月21日
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/804.html#c11
43. おじゃま一郎[6754] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年1月21日 17:00:23 : A2NGjLMx6w : thPY9fGHP9Q[5]
>「中国が攻めてくる〜」という妄想
法的には、国連憲章で武力不行使原則を宣言し、自衛のための
武力行使しか許されていない。また日本と中国の間では
1972年に日中共同声明で互いに武力による不可侵の禁止を誓ったので
中国から日本に武力行使をすることはありえない。
「中国が攻めてくる〜」というのは、中国が自衛権を行使した場合の
ことを言っているので、その原因となりうるものは、
@自衛隊が中国軍を武力挑発し脅威を与えるか、
A自衛隊が恣意的誤爆・誤射をするか、
B自衛隊くずれの連中が中国に潜入しテロを行為をし、中国が日本を
テロ国家とみなした場合、あるいは
C日本が北朝鮮に先制攻撃をし、中国が集団的自衛権を行使した場合である。
20. 2019年1月21日 17:00:51 : O8fbi6ziqI : yzWkgE8q7n8[2]
ここまで馬鹿で愚かな安倍を守らないといけない司法やメディアって・・・、
逆に利用することはできないか?
もしかすると過去の事件を暴くチャンスにはなるまいか?
「日航機事件の裏を安倍さんが晒せば、英雄になれますよ?」
とかそそのかしてみれば、意外と乗ってきたり・・・?
なんて無理だろうか・・・
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/467.html#c20
1. 佐助[6392] jbKPlQ 2019年1月21日 17:01:05 : RbPZf2tsH6 : K9EhTpDjOxI[811]
ニクソンのキンドル交換停止から40 年目の2012 年、ユーロ通貨バブルははじけ、ブラジル・中国・インドのバルブもはじけている。
中国のバブルは、クルミの殼一個が百万に高騰、住宅土地バブル中心に、日本と米国と同じように破裂したのに、2015 年までは見えなかった。
そして。中国は一党独裁支配制を採用したために,一党独裁支配から開放される自由革命の蜂起成功は2025 年前後になる。
だが、2019年になっても、まだ、ブラジル・中国・インドなどのバブルが弾けたことを認識できない経済学者や政治家やエコノミストは多い。
日欧米の指導者は、中国の資本主義経済システム導入は、自然に、資本主義政治システムに移行すると期待している。さらに、遅れてバブルが破裂したため、リーマンショック後も中国のGDPが二桁成長しているので、景気回復の牽引車になると期待してきた。しかし社会主義国家の中国は、革命から80 年目に自壊する。
ではナゼ中国の社会主義国家は80 年目に自壊するのか?
それは、三世代目になると、革命を直接経験しない世代が多数派となるためだ。彼らは、低生活水準での平等より、自由を求めるため自壊する。
しかし乗用車の2BOX仕様が50%超えているなら,すでに日米欧を抜いています。だが,、元は中国解体とバブル作裂と、シーラカンス銀行のデフォルトの三つの危機に直面しているのだ!
中国の元が第三の世界基軸通貨になれない必然性
中国は多民族・多部族国家なので,第三の世界通貨になれない可能性がある,しかし国民から金価格相場にプレミヤムを付けて買上げるとなれる。
複数通貨の仲間に入れないなれない理由
第一は、中国も政治的自由を求めて解体されることは避けられない。第二は、香港返還で中国は、他の欧米の植民地国と同様、旧支配国の権益を保護した。
1. 佐助[6393] jbKPlQ 2019年1月21日 17:03:07 : RbPZf2tsH6 : K9EhTpDjOxI[812]
国家がキンの買手の主体にならなければ発生しない
ニクソンに、キンの束縛から開放された通貨は、世界の信用を膨張させる。その膨張したエネルギーが出口を求め、石油や外債や株式にバブルを発生させた。
世界の通貨はキンの束縛から開放され、膨張を加速した。その膨張は、地球の内部で底動するマグマに似ている。巨大なドルのマグマは出口を求め、地震や火山爆発のごとき突発的な災害に、人類を巻き込むことを不可避にする。
今回もキンが通貨の尺度となると、再び十倍になる日が近い。
しかしキンの十倍の暴騰は、国家がキンの買手の主体にならなければ発生しない。企業や鉱山のキンのカラ売りカラ買いや、新しいキン鉱の発見や、英国やスイスなどの国による、赤字を補填するための売買や戦争では、キン価格は±30〜50%の範囲内でしか変動しない。
キンを大量に保有する国の通貨が世界通貨であることは、それ自身矛盾し、信用の膨張が避けられない。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/664.html#c1
16. 2019年1月21日 17:04:19 : PtqL8BGGcU : GB9r75d47Sw[155]
>>15.さん
立民は自民、国民、公明と一緒に元同市職員の明石元秀氏(68)推薦の仲間入りしたんかい?
なんでだ?立民。
裏切りか?
それを破って、兵庫県赤穂市長選 新人牟礼氏が現職破り初当選かい。
21. 2019年1月21日 17:07:37 : 1RFEkLSxKM : GDNH4KJh0Mc[4537]
ため息つきたいのは こっちの方だよ
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/467.html#c21
25. 2019年1月21日 17:10:00 : 1RFEkLSxKM : GDNH4KJh0Mc[4538]
えーっと・・・・・(;´・ω・)
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/452.html#c25
不正行為で潤う支配層は内部告発を嫌い、報復する
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901200000/
2019.01.21 櫻井ジャーナル
CIAによるクーデター、要人暗殺、住民皆殺し作戦、電子情報機関の存在などがアメリカ議会で明らかにされたのは1970年代だった。政府機関による犯罪的な行為が明るみに出る過程で内部告発が果たした役割は小さくない。そこで1970年代の後半から内部告発を難しくするようにシステムは変更され、「民営化」も進められた。そして、メディアの内部からは気骨あるジャーナリストが排除されていく。 それでも抵抗は消えず、内部告発を支援するウィキリークスも作られた。創設者のひとりであるジュリアン・アッサンジはアメリカの支配層に狙われ、2010年にスウェーデン当局が逮捕令状を発行したことからロンドンにあるエクアドル大使館から外へ出られなくなった。 話はふたりの女性がスウェーデンの警察でアッサンジにHIVの検査を受けさせられるかと相談したことから始まる。この訴えで逮捕令状が出され、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道して騒動が始まるのだが、翌日には主任検事が令状を取り消す。レイプした疑いがあるとは認めなかったからだ。 しかし、その決定を検事局長が翻して捜査の再開を決める。その直後にアッサンジはスウェーデンを離れた。逮捕令状の請求はその2カ月後のこと。 2017年にスウェーデン当局は捜査を中止、逮捕令状を取り消すのだが、11年にアメリカは秘密裏にアッサンジを起訴していた。これは裁判所へ提出された文書の中に記載されている。 アッサンジに逮捕令状が出る半年ほど前、ウィキリークスはブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵から提供された映像を公開している。 その中には2007年7月、バグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍のヘリコプターが銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていた。ヘリコプターの兵士は口頭で戦闘員を攻撃しているように報告しているが、映像を見れば非武装の人間だとわかる。 だからこそマニングは内部告発したのだろうが、彼は2010年5月、アメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、17年5月まで収監された。 マニング以外にも政府機関の不正行為を告発した人たちはいる。例えば電磁情報機関NSAの不正を明らかにしたウィリアム・ビーニーやエドワード・スノーデン、イランへ核兵器に関する資料を渡してイラン侵略の口実を作るというCIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアクだ。 カルピンスキーはイラクのアブ・グレイブ刑務所で所長を務めていたが、所内での拷問が明らかになった後、2004年1月に停職となる。それに対して彼女はその年の6月、BBCに対して刑務所内で拷問が行われていたセクションを管理していたのは軍の情報部であり、彼女は実態を把握していなかったと主張した。 刑務所内で撮影された写真については、兵士が独断で撮影することはありえないとも指摘した。カルピンスキー本人も命令していない。 彼女によると、グアンタナモから来ていたジェオフリー・ミラー少将は拘束されている人々を犬のようなものだと表現、そうした人々が自分を犬以下の存在だと信じさせることでコントロールが容易になると主張していたという。2004年7月には、刑務所にイスラエル人の尋問官がいたとも話している。 後にカルピンスキーは准将から大佐へ降格になった。 キリアクはCIAの元分析官。2007年12月にABCニュースのインタビューで、CIAの同僚から聞いた話として、ウォーターボーディングと呼ばれる拷問が行われていると語っている。それが問題になり、結局、2013年に懲役30カ月の判決を受けた。 スノーデンはロシアへ逃げ込む形になった。 権力者は庶民に知られたくない情報を隠す。その口実として安全保障がしばしば使われるが、実態は犯罪的な行為の隠蔽。日本で成立した特定秘密保護法の目的もそこにある。権力者が内部告発を厳しく取り締まるのは自らの悪事が露見することを防ぐためにほかならない。そこで、「一罰百戒」ということで内部告発者を痛い目に遭わせるわけだ。 かつて雪印食品の牛肉偽装を内部告発した西宮冷蔵の社長は事業の継続が困難な状況になったというが、その理由は不正を告発するような会社とは取り引きできないという会社が多かったからだ。AKSだけでなく、マスコミ、警察、検察の闇に光を当てることになった女性も厳しい状況に陥っている。 |
44. 地下爺[4598] km6Jupbq 2019年1月21日 17:13:38 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[425]
↑↑
うんこバエ も 馬鹿の見本。
同じIDで、コテハンは複数使えるのは阿修羅の仕様。
それも 理解できないのは ただの馬鹿!!
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/448.html#c44
45. おじゃま一郎[6755] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年1月21日 17:17:03 : A2NGjLMx6w : thPY9fGHP9Q[6]
>フィリッピンもそうやって何とか岩礁を中国に取られたんだよ。
>侵略されるということは、そういうことなんだよ。
これは国際法上全く違う。
フィリッピンは中国を国際仲介裁判所に提訴したが判決は、
ー 中国の主張する九段線による領海は国際法上根拠がない。
ー 当該の領域は島でなく岩礁である。
の二点である。その岩礁は公海にあるので、国際海洋条約により
中国は領有権を主張できないが開発は自由である。
そこでの中国の人工島建設に違法性はない。
10. 2019年1月21日 17:20:17 : 53wVq7Y1lU : tGpGHuavSH8[147]
紀伊半島掘削中か、
ど真ん中はさすがにあぶないとわかってるのか
あるいは、徐々にまわりからせめていくのか
6. 2019年1月21日 17:22:28 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[196]
土砂を 埋めても埋めても 底に抜ける
抜けた土は 沖縄の 健全なサンゴ礁に 流れ着いて サンゴの全滅になる
===
1m3 1万円の 砕石なら 底にたまるだろうが 手抜きの 赤土では
赤土 = 泥 だから いくら入れても 流れて無くなる
===
だから セメントで作った ケーシングでも 入れて もっと高額な工事にしたいのだろう
セメントを使えば 麻生の出番があるよね〜〜〜
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c6
1. 2019年1月21日 17:23:56 : ipU4ZNjfNs : 6GTg2H5k5ZA[1]
消去されないように、アーカイブ登録した。
https://web.archive.org/web/20190121082227/http://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/compensation/oath/
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/802.html#c1
4. 赤かぶ[3142] kNSCqYLU 2019年1月21日 17:26:08 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1608]
日米地位協定交渉を始めた公明党を厳しく監視したい(続) http://kenpo9.com/archives/5202 2019-01-21 天木直人のブログ 1月20日のブログで、私はNHKの早朝のニュースを引用し、公明党が日米地位協定改定交渉を始めた事について書いた。 これが本当なら物凄い事だが、その本気度を見極めなければいけないと書いた。 そうしたら読者の中から次のようなメールをいただいたので他の読者と共有したい。 もし、このメールに書かれている事が本当なら、外交・安保政策をもてあそぶ公明党を許すわけにはいかないと言う事である。 そういえば、NHKのニュース報道の後に、どのメディアも新聞も遠山議員の訪米の事を一切報じていない。 ニュースに値しない事を報道関係者は皆知っていると言う事である(了) 引用開始 おっしゃる通り、遠山清彦議員はアリバイ作りのために訪米しただけです。これで、学会内部で、「公明党は日米地位協定の見直しを求めている」と言うことができます。 そもそも遠山議員は、党内でも親米タカ派の急先鋒です。安保法案採決の時には、昭和維新時の革新派将校よろしく、顔を真っ赤にして国防の意義を絶叫していました。 引用終わり |
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/481.html#c4
7. 2019年1月21日 17:31:08 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[197]
インドネシアで 火山が噴火して サンゴ礁の上を滑って サンゴ礁ともに
海の崖から 崩れ落ちて 津波になって 200人以上が死んだ??
===
辺野古の サンゴ礁に 耐えきれないほどの 土を乗っけて
乗っけた土と その下のサンゴ礁 もろとも 深い海の中に 崩れ落ちる!!
作った辺野古の基地は 勿論 使えないが おまけに 津波で 人を殺すつもりか??
===
辺野古に 基地を作る 工事がしたかった!! => 地質調査なんて 厚生省の改ざんと 同じレベル??
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c7
46. 2019年1月21日 17:33:58 : eBhZxRS1iI : ApYfA_@B2lM[44]
>45
多摩散人です。
私は国際法が「岩礁」をどう規定しているか、知りません。その点、その視点を教えてくれたことにはお礼を言います。
私が言いたいことは、フィリッピンが自分の庭先あるいはご近所の何とか岩礁を自分から望んで中国に渡したのか、それとも、望まないのに渡さざるを得なかったのかという点です。そして、その時、フィリッピンに米軍がいたらどうなっていただろうか、という点です。
中国が攻めて来て戦争で奪ったという事実はないが、望まない取引をせざるを得なかったというのも、「侵略された」ことと同じなのではないかということです。
日韓併合だって、別に日本が朝鮮を攻めて併合したわけじゃない。合法的、平和的に行われたのではないか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/448.html#c46
12. 佐助[6394] jbKPlQ 2019年1月21日 17:34:57 : RbPZf2tsH6 : K9EhTpDjOxI[813]
支持率で政治を行ったならおしまいだよ。そして偽装盗用のデータに下駄にスギナイ
大マスコミの世論調査は,統計指数不正3分の1データと同じ,偽装盗用です。そのカラクリはすべてバレている。
各社マスコミの黙殺とパクリです,つまり「偽装盗用」がバレている。
各社横にらみした「一社または電通または自民党の調査云々」の孫引きに下駄をはかせた偽装調査数値です。
週刊誌や新聞のマスコミによる総選挙や支持率の世論調査結果は,盗作パクリを偽装するための常套手段,だから守秘義務を盾に事実確認することができない。
その根拠が見える,
(1)その根拠も,発表しないで,見出しやセーセンショナルな報道している。各社でバラツキはずなのに,横にらみした数値を並べている。まるで独自にその都度下駄を履かせたような数値である。
(2)各社は「選挙プランニング式」と「電通や自民党の調査など」をもとに予測や偽装調査を対比させている。
(3)他社の「調査云々」の孫引きをしている。バレるから各社調査の比較をする,さらに,できる限り多くのマスカコミ予測や調査結果を集めて対比させ分散させ報道している。
(4)そして大マスコミは選挙区毎の支持率が,まったく公開されていない偽装データにスギナイ。
(5)しかも全選挙区ごとの支持率と自民党前候補者とライバル候補の差を一目でわかる表にしたものがある,存在するとほのめかしているが,「全選挙区の一目でわかる表や世論調査データ」その都度ごと公開や提出されたことが一度もない。見たこともない。嘘がバレるからだ。
「結論」
このすべてから,わかることがある,それは,盗作パクニを隠す目的であればあるほど,その根拠らしきものを分散させ,読者を混乱させ信じ込ませていることが一目瞭然である。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/498.html#c12
1. 2019年1月21日 17:40:28 : Xwoqh0kZmw : TmNymLVDo0s[1]
なぜ取り出し作業を急ぐのか理解できない。ちょっとしたミスで日本どころか世界が壊滅する可能性もあるらしいのに。ここはゆっくり確実に安全優先で処理を行うべきだと思う。作業員の疲労やメンタル、機械の調子なども考慮してゆっくり安全優先でやって欲しいと思う。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/806.html#c1
33. 東北列藩同盟志士[200] k4yWa5fxlMuTr5a_jnWObQ 2019年1月21日 17:42:38 : pIB7KTMMoc : Iv2TRm_LnyI[12]
>>29
2chのゴミクズよりは
建設的だぜ、お前らのような反論すると
「カンコクガー」とか矜持を持たない
からコピペを貼って逃げるしか能がない
無知蒙昧な連中とはオツムのデキが違うぜ!!
>>25珍走=バグ=木卯正一は同一人物の
のらくらものの禁治産者のウヨおっさんでOK?(笑)
こういうキモいいい年超えたウヨオヤジが幼気な少女にちょっかいを
出して警察にご厄介になるんだろうな(笑)。
文句がるならカモンベイベー!!(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/457.html#c33
2. 暴走機関車[115] llyRlotAitaO1A 2019年1月21日 17:42:53 : pirG8KRDY6 : 2G2YsR35Aho[13]
そうじゃろそうじゃろ。
抜き取れるものなら抜き取って見ろ。
結局、落っことした中継装置が取れていなかったのではないかと
推測する。取れたとは報道されたが実際は…
神の領域に対して手を出すからどうにもならなくなる。
「放置プレイかよ」
どんどん劣化して、事故が頻発するようになる。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/806.html#c2
11. 2019年1月21日 17:43:19 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4865]
女だてらに阿修羅カルトに棲みついて、聞かれもしない父母の、バーヤジーヤがどうしたと、問わず語りを触れ歩き、この時点で既に怪しい存在で、誰がどうしたカレがこうしたのウルサイ合いの手入れまくり、掻き回す手もチョコチョコと、言葉挟んで小利口ぶる、イヤなタイプの典型で、年寄り両親いるならば、黙って面倒見てろやメンドクサイ、一々顔出すなよ煩わしい、偉ソニ人に意見聞く、一体何様気分の勘違い、ソレもロクなレスもせずまた出来ず、それでも構わず気にもせず、先生気分でスレ歩き、スレスレ歩いて応答も、こだまも返らぬ離れ島、呼びかけまくる触れ歩き、流れ女の止まり木に、誰かとまってやってよと、ツイ思いつつもカンニンで、自分は嫌だと皆逃げて、赤い夕陽のトラクター、急いでエンジン吹かしては、アバよバイバイサヨウナラ、昔の名前に戻しても、今や誰も知らん顔,嗚呼こんなことになるならば、名札変えずにいた方がどれほど良かったことヨナア、詠嘆してももう遅い// お馴染み、昔の名前に戻します の一説で御座いマシタ
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/245.html#c11
12. 2019年1月21日 17:43:39 : ipU4ZNjfNs : 6GTg2H5k5ZA[2]
> GMサーベイメータ
計数が非常に多い場合ではパルスが出力される前に別の放射線が入射してしまい、数え落としが生じてしまう。・・・・・高線量領域になるとこの数え落としにより線量が増えてもカウント数に反映されなくなる。
NaIサーベイメータは、計数効率が高いので、これで測定した場合、もっと高い甲状腺被曝線量が出た可能性が大きい。
事故直後から、政府・東電・放医研は、事実の隠蔽に向かっていたことが、はっきりした。
3. 2019年1月21日 17:44:00 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[198]
あ〜〜あ 燃料棒が取り出せない = 100万年間 冷やし続ける必要があるが
50年すれば いろんな所が腐食して メルトダウンだな〜〜〜
===
東大出の 御用学者が 作ったんだろうが バカなものを作ったもんだ!!
福居 − 京都 − 名古屋も ひとか住めなくなる
長野の 美味しい水は 放射能で 飲めない 京都の観光業は 全滅だ〜〜〜
琵琶湖は 放射能で 完全に汚染されて 大坂では 水は飲めない!!
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/806.html#c3
246. 2019年1月21日 17:44:17 : 9F6IhP1d2o : NzZoY3uzzUk[1]
手取り700あれば十分すぎるんじゃない?
あの不思議な紙切れは少ないと困るがもらいすぎても毒になる
紙切れたくさん集めてもあの世にはもっていけないし…
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/213.html#c246
4. 2019年1月21日 17:44:49 : mrlI2OpSis : HM1TbK7kgrY[152]
安倍に対する危機感からか、フジテレビも公然と狂ってきた。これではもう世論調査に対する信頼性もなくなる。
安倍晋三政権に対する政策はどれもこれも支持はない。沖縄辺野古も水道民営化も外国人の大量流入も。それでも政権におもねる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/497.html#c4
4. 2019年1月21日 17:49:11 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[199]
>神の領域に対して手を出すから
そうです 30年前から そのように 主張している
放射能は 「人類が地球を離れる」ときに 絶対に必要な 貴重な元素なんだ
つまり 人類が地球を離れるときに 初めて 神が 人間に 放射能を使うことを許すのだ
5. 2019年1月21日 17:51:48 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[200]
>神の領域に対して手を出すから
キューリー夫妻が 放射能を 発見したときに その 発見を称えたのではなく
神は「死を与えた」 それくらいに 神は 人類に警告を発している
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/806.html#c5
1. 新共産主義クラブ[-10027] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2019年1月21日 17:53:42 : GKlFFlJL56 : yCy80ZqMMsg[38]
>いろんな意味で注目された古市憲寿の「平成くん、さようなら」(「文學界」2018年9月号掲載、文藝春秋より書籍化)は落選した。
古市憲寿の作品は、『本屋大賞』向きだね。
(ご参考)
◆ 2013年本屋大賞(第10回:2012年11月〜2013年4月実施)
大賞 『海賊とよばれた男』百田尚樹(著)講談社
https://www.hontai.or.jp/history/index.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/502.html#c1
2. 赤かぶ[3143] kNSCqYLU 2019年1月21日 17:54:06 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1609]
宝島は小説としても面白いし、沖縄についてすごく詳しく書かれています。絶対オススメです。
— ひねくれ者ned (@ned53344899) 2019年1月21日
図書館で予約してたけど、こちらの記事読んでいたたまれなくなり、ネットで購入しようとしたら、どこも重版まち。リアル店舗三軒めでやっと買えました〜。早く読みたーい🙌#宝島 #直木賞受賞
— smartrina (@smartrina3) 2019年1月21日
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/502.html#c2
13. 2019年1月21日 17:56:11 : hE3PRSoheQ : ovZkxQYei0s[201]
なんで 11歳の子供に「罰を与える」のか?
罰を受けるべきは 東大の先生かた だぞ〜〜
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/804.html#c13
10. 東北列藩同盟志士[201] k4yWa5fxlMuTr5a_jnWObQ 2019年1月21日 17:56:57 : pIB7KTMMoc : Iv2TRm_LnyI[13]
木卯正一こと卯正日は
こういう「在日」な人には
何も言わないですね(笑)。
オラァ、なんか言えよこの糞長州土人の
タコ助!!
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/472.html#c10
2. 2019年1月21日 17:57:05 : lt75H8etqI : FDHw3y46bVw[4]
>総務省から昨年12月に「500人以上事業所の17年と18年の数値に不連続がある」と指摘
これが指摘してるのは、2004年からの不適切統計じゃないからね。
「不連続」って書いてるでしょ。
安倍政権が2018年1月に不正にやった補正の結果、「不連続」になった。
それを見つけた。
総務省が見つけたのは、安倍政権だけの悪事。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/500.html#c2
22. おじゃま一郎[6756] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年1月21日 18:03:40 : A2NGjLMx6w : thPY9fGHP9Q[7]
安倍首相は、政治家として決してIQが高いほうではないが、日本は
官僚がしっかりし揺るぎないので、国民は大船に乗った気になって
いいだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/467.html#c22
12. 2019年1月21日 18:04:18 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[4866]
>>11
特定の個人を対象としたものではありません 勿論皆様の想像はご自由です
//NHK48が行く、江戸五七調の世界
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/245.html#c12
4. 2019年1月21日 18:09:07 : ipU4ZNjfNs : 6GTg2H5k5ZA[3]
ラブロフ外相は、日本が国連憲章に署名、批准したのだから、同憲章107条によって、見直しはできないと説明している。
> Lavrov comments on Russian-Japanese relations
http://tass.com/politics/1040214
それから、千島列島に関する文献が、以下のサイトで、広範囲に集められている。(英語文献もある。)
http://www.kuriles-history.ru/lib/
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/479.html#c4
7. 2019年1月21日 18:12:03 : hHRyrQsPsY : C257NcSSuSY[324]
02、
>無数の犯罪を犯しているマフィアみたいな奴であって、いきなりではない
誰の事を言っているのか、検察のことか。確かに、検察は昔から、足利事件、袴田事件、大崎事件、御殿場事件、恵庭事件、ロッキード事件、陸山会事件、佐藤えいさく事件、、、両手両足でも足りないくらいの冤罪を作ってきた検察だから、「マフィアみたいな奴であって、いきなりではない」のは確かだが、主語をハッキリ書かなければ、まさかゴーンの事を言っているのではないかと誤解されてしまうぞ。
あそうだ、ひとつ訂正しておく。前の文章で、主語を「検察は昔から、、、」と書いたが、「検察とマスコミは、、」と書くのが正確だ。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/659.html#c7
5. 真相の道[4391] kF6RioLMk7k 2019年1月21日 18:12:35 : lKEz1hlf2w : 2zbd@nB2O7U[965]
> FNN世論調査 安倍内閣を「支持する」47.9%(フジテレビ)
相変わらず安倍政権の支持率は高いですね。
政権発足後6年も経っているにも関わらずこの高支持。
安倍総理がいくつも成果を出しているからでしょう。
先日のNHK世論調査でも安倍政権支持率は43%と高かった。
多少の変動はありながらも安倍政権支持率は高値安定と言えそうです。
パヨクは泣き喚いているようですが、多くの真っ当な国民の支持を得て、安倍政権は任期いっぱいまで続きます。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/497.html#c5
11. 2019年1月21日 18:13:19 : eJU48yDohM : 5OVWoYfapDA[38]
ナルホド
フイーフイーが行方不明になって、身元不明の死体が上がったら、この写真と照合してくださいと言うことですね。警察・殺人科へのご協力に感謝します。でも、あまりにも醜いので、SNSで拡散するのはやめてください。
16. ソーカB層か[-117] g1yBW4NKgmGRd4Kp 2019年1月21日 18:15:45 : kxk7MnCbWU : S0swXCpT_BE[-3528]
>投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 1 月 20 日 20:30:05
>玉城デニー@tamakidenny 投稿日時不明
>沖縄タイムス@theokinawatimes 9:56 - 2019年1月20日
コーメーの意見を聞くこともなく2択(賛成か反対か)の県民投票にしてしまったデニーの意見を聞こうと思いましたが・・・
やはり話し合いなど出来ない相手だと思いました。
剣かコーランか、の2択の世界は、一神教の世界ですね。
ソーカとしては、多極化(多神教)の立場から、最低でも4択でないと、話になりません。
ソーカは反デニーになります。
ソーカは県民ではないと言うのでしょうけどね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/478.html#c16
8. 2019年1月21日 18:19:01 : OHOfvWS4ng : W7WQqwQIrn8[347]
スッパマン
◆こういう事は本土も見習いたいですね。
「原発再稼働についての賛否を問う県民投票」なら鹿児島県・佐賀県・愛媛県
始め、何処でも起こすべきだろう。原子力規制委員会と知事で勝手に決める
な。
「イージスアショアの配備」を巡る県民投票でも良いじゃないか。
「オスプレー飛来容認」を問う、県民投票でも良いじゃないか。
「愛媛県今治市の加計学園への補助金支出の是非を問う」県民投票でも良い
じゃないか。
「福島原発事故の自首避難者への支援打ち切りについての是非を問う」県民
投票でもいいじゃないか。
◆国は地方を舐めるな! 地方を食い物にするな!
◆地方の犠牲による電気で、都会の平穏と利便を贖うな。
都会に原発を持っていけ!
◆本土の人達は、沖縄県民の取り組み方からもっと学びましょう。
正体不明で、あっという間に消えたおかしな署名運動にも気を付けましょう。
グリーンの首相は馬鹿にしかさせない発言で誕生したのが小泉安倍麻生だが、せめて官房長官をまともなのにすれば誤魔化せたが、裏口トリオよりはましだが、苦学生でもない法政夜間のすだれハゲで、承知していると聞いているだけしか言えない馬鹿で、洒落にならないのである。
昔の自民は、世襲馬鹿も沢山いたが、まともなのも多く、その中のワルが牛耳っていた訳だが、小泉サックス以降、電通マンサックスとムサシマンサックスを駆使して、要は八百長選挙で馬鹿が牛耳るようになってしまい収拾がつかない状況だが、飼い主サックスもワンフレーズだの読み書き不自由だのではなく、ワルでもいいからもう少し馬鹿でない傀儡サックスを使うべきである。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/248.html
47. 前河[1294] kU@JzQ 2019年1月21日 18:19:53 : AtkcS53V0w : dBWvwS7sEzM[48]
タマの妄想も新しいタイプだな
交渉で尖閣?
意味不明だなあ
日本が尖閣の交渉を中国とするはずがないだろ
安保があれば中国は攻めて来ない。それが現実。
軍事力を強化しないと中国が攻めて来る。これは妄想。
17. おじゃま一郎[6757] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年1月21日 18:20:05 : A2NGjLMx6w : thPY9fGHP9Q[8]
>市の主張、法律論にならず
木村草太氏は、30代であるが、安保法制時の参考人として発言し、
70歳代の自民党のロートル議員をコケにするほどの能力の持ち主である。
おそらく脳みそのキレでは日本No.1の憲法学者といえるであろう。
今回の沖縄の県民投票に反対する5市長は、見るからに頭悪そうで、
反対の理由付けなんぞできるわけないが、反対は正しい行動であるので
これらの市長に沖縄県の住民投票が無効で、憲法違反の可能性が
あることをレクチャーすべきであろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/478.html#c17
8. 雅則[827] ieuRpQ 2019年1月21日 18:20:10 : TGu8WvQwI : 6oF4AFKMaeY[64]
アメリカ合衆国は中国、北朝鮮、韓国、ロシアと戦争がやりたいのか。B29で原爆落とし、焼夷弾で皆殺しの時代とは違う。大日本帝国のB29に竹やりで立ち向かい今度はロシアの水爆、ラブロフさんは東京に落とすと、警告してくれている。アメリカ合衆国何の予告も無く、広島長崎に原爆を落とした。今日本はマッカーサー元帥とGHQが残した戦争放棄の平和を守る事で、ロシアと平和条約を締結し戦争の無い平和な世界を造ろうと努力している。その先頭に立つのが戦争の放棄憲法9条を守る沖縄です。沖縄は世界平和の為に中国、朝鮮半島,ロシアとの戦争準備のための日米の辺野古の米軍基地造りに反対している。シリアから撤退で日米は韓国と朝鮮半島で戦争させるのか。日米は世界を相手に戦争を始めたいのか。第3次世界大戦を起こしたいのか。戦争がしたい日本政府は生きのびる事は難しい。アメリカ合衆国も見捨てるでしょう。戦前回帰の日本政府世界は戦争の無い生活を望んでいる。
頭を冷やせ日本政府。平和憲法は生きている。世界中で。守れない政府水爆で消える事に成る。世界で一番危険な国に成る日本。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/501.html#c8
6. 2019年1月21日 18:23:36 : EqMn5Lw3lQ : E_lspghW4@I[2]
他のすべての産業では、要らなくなった燃料やスラグや
残留物が取り出せないなんてことは絶対に無い!
要らなくなった設備が取り出せないなど原発産業とはと
んでもない代物だ!こういう一点を見ただけで原発など
許すわけにはいかない!クズ産業である。
14. 茶色のうさぎ[-9497] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年1月21日 18:23:48 : Tx9Zj7xsmA : N8Ykxkgs1@8[-16]
現在の法律、基準です。 違反した?してると思います。 犯罪と思います。
↓ 原発事故時、被ばくの目安明確化 規制委、百ミリシーベルト以内に(共同)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/442.html#c1 <魑魅魍魎男 日時 2018 年 10 月 20 日
結論: 一般市民は、500μSv/h、以上の被爆させたら違反です。 ←事故時
120cpm≒1μSv/h つまり、6万cpmです。 ←「頸部5〜7万cpm(GMで測定)」
まぁ、微妙な数値ですが、7日間以内に、100mSvですから違反ですね。
つまり、被爆者手帳、避難の権利、現金1億円、よこせー♪ばか うさぎ♂ ←ボク? 2億円♪
1. 2019年1月21日 18:25:10 : EqMn5Lw3lQ : E_lspghW4@I[3]
放射能地帯だもの。帰らないのは当たり前。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/803.html#c1
10. 2019年1月21日 18:25:19 : ipU4ZNjfNs : 6GTg2H5k5ZA[4]
韓国人が嫌いな外国の主導者。(昨年のものだけれど)
Abe came in at 89 percent
83 percent who felt the same way about Kim.
Putin・・・68 percent
Trump・・・67 percent
Xi Jinping・・・66 percent
Abe・・・・the ratio for those who view him unfavorably holding steady at 89 percent to 90 percent.
あべちゃん、ぶっちぎりの一位。
1. 赤かぶ[3144] kNSCqYLU 2019年1月21日 18:25:24 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[1610]
Tカードの警察への無断情報提供の件、法曹関係の方を中心に話題となっていますが…。https://t.co/CcxWZfyD3r
— 大神令子 (@oogami_sr) 2019年1月21日
「取りあえず問い合わせる」
— Jinguji Masamitsu (@masagorojin) 2019年1月21日
警察の安易な「捜査関係事項照会」の可能性も。
------------------ PR ----------------
許可・認可・届出の相談は甲府市の神宮司行政書士事務所へ
(事務所HP https://t.co/xrX3zzatkF)080-6685-9886 https://t.co/Kj4Te0Tkh0
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/503.html#c1
48. 前河[1295] kU@JzQ 2019年1月21日 18:32:45 : AtkcS53V0w : dBWvwS7sEzM[49]
中国は国内人権問題は酷いといっても、意外と国際世論は気にするタイプだからな。
人権などの国内問題以外では国際社会から非難されることは最小限に抑えたいと思っているはず。
中国の尖閣侵略は自殺行為であることは明らかだが、ネトウヨは中国侵略説を信じている。
著名人の煽り商法に乗らされている短絡脳ね。
現実を冷静に見れない奴らだからな。
49. 楽老[114] inmYVg 2019年1月21日 18:33:01 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2572]
地下爺さん
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/289.html#c31
>30.多摩:あなたに非礼を働いて、謝る気がないことは、昔、ちゃんと宣言していますよ。もちろん、自覚もしています。
と言うどこかの馬鹿は
HN変更の顛末が分かるスレッドを見つけられなかったために
「断りもなくHNを変えた」と怒っているのです。
上のようなコメを自覚して述べているようだから
人格が崩壊していると考えざるを得ません。
島と岩礁の区別も知らずして、これにもびっくりだけど。
11. けろりん[4125] gq@C64LogvE 2019年1月21日 18:34:35 : 8iDQRlRKiM : kvUrmlFk5kk[581]
。
電源利権のオッサンぢぃさんらが、逝っちゃってくれるまで無理だって・・。
・・・それよりも、中華勢が太陽光企業を買いまくっている・・・
彼らは、すでに中東砂漠地帯にも、1キロワット時あたり6円程度の
激安再生エネ事業を展開しまくっている。
日本の世界戦略インフラ開発・お家芸__そのまんまパクられてるじぇねぇ〜か?
サッサと逝きやがれ・・・
ガラパゴス忖度斟酌利権ぢぃさん連中は・・・。
見た目がダッサイ上に・・・、
ドタマの中まで、IT世界にすら、ついていけんのだよ・・・。
・・・なんか、もう___演歌・三度笠世界は、よろしいで・・・
カンベンしてくれや
余命三年世界は・・・・
すでにかれこれ、40年前からの__悩みだ。
いまから思い起こせば、太古の10代の頃には、
『なんじゃぁ〜ココはぁー 』__のような、な・・。
『なんじゃぁ〜このクニはぁー?!?』__みたいな、な・・。
『だっっっせぇー?!?』________息すらし難かった・・のような、な。
。
こっち見るな、ソコのぢぢぃ____と言ってる間に
こっちがぢぢぃになっちまった___わ。
・・・なんとか、ならんのかいッッ!!
6. 2019年1月21日 18:37:19 : wX3XVEDGmE : CozgLQRwAgU[1]
個人的な嗅覚から言わせてもらえば、4期目もかなりの確率で、
有るような気がする!
何故ならロシアのプーチンのごとく安倍の次の総理が選ばれても
9年君臨した安倍が背後霊の用に
自民党の中で大きな存在感を、
持っていたら次の総理は、
単なるお飾り状態に成っちまう、
安倍が引退しない限り影のドンとして君臨している方が帰って
ヤバいだろう?
32. 2019年1月21日 18:37:38 : RwJEyguWPQ : t9qonE9wtT8[1]
>31
言わぬが花。言わぬが仏。関わらぬが吉。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/244.html#c32
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