溝口健二 近松物語(大映 1954年)
監督 溝口健二
脚本 依田義賢
音楽 早坂文雄
撮影 宮川一夫
配給 大映
公開 1954年11月23日
動画
https://www.youtube.com/watch?v=JoepTq9tmfw
https://www.youtube.com/watch?v=xud7n9bxWs4
https://www.youtube.com/watch?v=NuXn1AI3Bj4
https://www.youtube.com/watch?v=6QWNmxdJIOA
キャスト
茂兵衛:長谷川一夫
おさん:香川京子
お玉:南田洋子
大経師以春:進藤英太郎(東映)
助右衛門:小沢栄太郎
源兵衛:菅井一郎
岐阜屋道喜:田中春男(東宝)
院の経師以三:石黒達也
おこう:浪花千栄子
鞠小路侍従:十朱久雄
公卿の諸太夫:荒木忍
赤松梅龍:東良之助
僧侶:葛木香一
黒木大納言:水野浩(東映)
検校:天野一郎
お蝶:橘公子
船宿の女中:金剛麗子
茶店の老婆:小松みどり
おたつ:小林加奈枝
おその:仲上小夜子
おかや:小柳圭子
堅田の役人:伊達三郎
宿の番頭:石原須磨男
切戸の庄屋:横山文彦
村役人:藤川準
梅垣重四郎:玉置一恵
近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)を下敷きにして川口松太郎が書いた戯曲『おさん茂兵衛』を映画化した作品である。脚本は、近松の『大経師昔暦』と、西鶴の『好色五人女』の「おさん茂右衛門」の二つを合体させたものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E7%89%A9%E8%AA%9E
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近松物語:溝口健二の世界
溝口健二の映画「近松物語」は、近松門左衛門の世話浄瑠璃「大経師昔暦」を下敷きにしている。近松はこの浄瑠璃を、30年以上も前に起きた事件に取材した。それは「おさん茂兵衛」と呼ばれた不義密通事件で、男女の不幸な愛の顛末が民衆の深い同情を呼んでいた。そこで近松は、二人の三十三回忌にあわせて、この事件の顛末を世話浄瑠璃に仕立てたのである。
この事件というのは、京都の大経師以春の妻おさんが手代の茂兵衛と不義密通したというもので、丹後の国に逃げたところを捉えられて、二人の間をとりなした下女のお玉ともども、洛中引き回しの上、粟田口で処刑されたというものである。徳川時代には、不義密通はもっとも重い犯罪であり、露見すれば死罪を免れず、本人たちはもとより、その間を取り持っただけの人間まで処刑されたわけである。
この事件を文芸作品に取り入れたのは、西鶴が最初だった。西鶴はこの事件の二年後に、好色五人女の話の一つとして、この事件を書いた。西鶴は例によって、おさん茂兵衛の恋も、好色な男女の間の色恋沙汰として描いている。したがって不幸な男女への同情といったものはない。二人の死は自業自得のこととして、突き放した視点から見られているのである。
これに対して近松は、二人は好色な気持ちから密通をしたのではなく、運命のいたずらに翻弄された不幸なカップルとして描き出している。西鶴におけるように、二人は互いに愛し合っているわけではなく、たまたま不義密通という、たいへんな事態に落ちこんでしまった、運の悪いカップルなのだ。
近松の浄瑠璃の筋書きは、次のようなものである。大経師以春の妻おさんは、実家から金を無心されるが、夫の以春に遠慮して、手代の茂兵衛に相談する。茂兵衛は主人の印鑑を借り出して、それで金を借用しようとするが、主人に見破られて、問い詰められる。するとそこに下女のお玉が出てきて、そのお金は私から頼んだのですといって、なんとかとりなそうとする。おさんは後で、お玉に礼をいうが、思いがけないことを聞かされる。意俊が毎晩のように寝室にやってきて困っているというのだ。そこでおさんは、自分がお玉の替え玉となって、忍び込んできた意俊を懲らしめようとする。
一方、茂兵衛のほうは監禁されていたところを抜け出してお玉の部屋にやって来る。昼間にお玉が自分をかばってくれたことに対して、礼をいうつもりだったのである。ところがお玉の部屋には思いかけずおさんがいた。そこへ以春がやってきて、二人は不義密通をしていたことにされてしまうのである。
二人は何とか逃亡して丹後まで逃げていくが、大経師の家に出入りしていた百姓に見とがめられて、ついに捕まってしまう。一方お玉の方は、二人をどん底に突き落とした責任の一端を感じて、みずから進んで叔父に切られて死ぬのである。
近松のこの筋書きを、溝口はおおむねの所採用している。しかし、決定的に異なる部分がある。それは、おさんと茂兵衛は、単に不義密通をしたのではなく、深く愛し合ったというふうに作り替えた点である。それ故、この映画は、不幸な男女の悲恋物語としての性格を持つに至った。悲恋でも特別の悲恋、誰もが胸を塞がれるような、とびきりの悲恋物語になっている。
映画は、大経師の家の前を、市中引き回しの行列が通り過ぎていくシーンから始まる。馬上には縄で結ばれ合った男女が乗り、高札には、この者どもは不義密通をした咎で、磔に処せられる旨が書いてある。やがて二人は並んで十字架に磔になる。その光景が、おさんと茂兵衛の運命を暗示しているわけである。
前半はほぼ、近松の筋書き通りに進んでいく。おさんを演じるのは香川京子、茂兵衛は長谷川一夫、お玉は南田洋子、以春は進藤栄太郎である。
前半では、おさん茂兵衛は互いに愛しあっているようには見えない。二人は主人の妻と手代の関係であり、茂兵衛はおさんをお家さまと呼び、おさんは茂兵衛を呼び捨てにする。
二人の関係が劇的に変化するのは、琵琶湖での心中未遂の場面からである。世をはかなんだおさんは死ぬ決意をし、それに茂兵衛もお供することとして、二人で船に乗って琵琶湖に身を投げようとする。その時に、茂兵衛が思わぬ告白をする。以前からおさんを慕っていたというのだ。それを聞いたおさんは、俄然態度を変え、こう言い放つ。「おまえの今の一言で、死ねんようになった、死ぬのはいやや、生きていたい」
おさんのこの言葉が、この映画の全体を語っているといってもよい。この言葉によって、二人は恋人同士として、本当に結ばれるのである。そして結ばれた二人は、なるべく長く生き続けようとし、生きている限りは愛しあおうと決意するのである。
しかし、二人には、あまり残された時間はなかった。丹後の山中に潜んでいたところを捕まえられ、いったんは引き離されてしまう。この時点では、以春は事件を公にするつもりがなく、闇に葬るつもりだった。二人を引き離しておさんを連れ帰れば、なんとか表沙汰にならずにすむだろうと考えていたわけである。また、おさんのほうも、ここで茂兵衛をあきらめていれば、あるいは死なずにすんだかもしれない。
しかし、おさんには茂兵衛と別れることはできなかった。以春から実家に預けられ、思案しているところに、これも父親の愛によって助けられた茂兵衛がやって来る。おさんの母親(浪花千栄子)は、おさんの思いを遂げさせようとするが、おさんの兄が後難を畏れて、密告する。こうして捉えられた二人は、市中引き回しになって、処刑場へと向かっていくのである。
このように溝口は、おさん茂兵衛の物語を、たんなる好色や不運な巡り合わせということにとどめるのではなく、悲恋物語として描いた。そして、男女の純粋な愛が、様々な封建的束縛によって押しつぶされていく過程を、怒りをこめて描いた、といえるのではないか。西鶴一代女のなかでは、身分不相応の恋をした男(三船敏郎)が、愛し合うことの何処が悪いのかと叫んだわけだが、この映画の中でも、その叫びと同じものが響き渡っている。おさんが、「茂兵衛、茂兵衛」と絶叫する声が、その響きを象徴しているのではないか。
溝口の他の作品と同様、この映画の中でも、極悪人といってよいような男たちが多数出てくる。以春も悪党として描かれているが、それはまだ生ぬるい悪党で、モットひどい奴らが沢山出てくる。なかでもひどいのは、おさんの兄だ。この兄(田中春男)は、妹に金の無心をし、その金で放蕩放題をする一方、おさんと茂兵衛が自分にとって危険と察すると、さっさと密告して、二人をどん底に突き落とすような真似をするのである。こうした悪漢は、これまでの溝口映画には常に出てくるキャラクターなのだが、こんなに悪どいキャラクターは前後に見当たらぬほどだ。
その一方、おさんと茂兵衛の純真な心が観客の胸を打つ。香川京子は気品を漂わせながら愛に生きる女を演じ、長谷川一夫は最高の二枚目ぶりを発揮していた。溝口の映画では、二枚目というのはとかく情けない男として描かれるのが通例であるのだが、長谷川一夫演じる茂兵衛は、二枚目でありながら、芯のしっかりした男らしい男として描かれている。これは、長谷川一夫という俳優の雰囲気がそうさせた面もあるのだろう。
こんなわけで、溝口晩年の名声高き四部作のうち、この映画は独特の輝きを放っている。最後の場面で、馬上の二人が、互いに手を結び合い、見つめ合いながら、幸せそうな表情をする。その表情が、見ている者の心まで洗い清めてくれる。そんなところが、筆者にはたまらない魅力として映るのだ。
https://movie.hix05.com/mizoguchi/mizo108.tikamatu.html
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溝口健二監督「近松物語」
溝口健二監督「近松物語」は確かに名作だ。しかし、何度考えてもちょっと複雑な気持ちになる映画だ。
時は江戸時代。所は京都。若く美しいおさんは、武士同様の格式を持つ裕福な大店の内儀である。主人は商売はやり手だが吝嗇で、若い女中に手を出すような好色爺だ。おさんに金の無心に来る母と道楽者の兄。この縁組は、経済的に苦しいおさんの実家が、金銭的援助を当て込んで成立させたものだ。
おさんの立場は弱く、まるで実家から差し出された人身御供だ。
もっとも、一番理不尽に虐げられているのは、好色爺に手籠めにされつつ「奉公人は耐えるしかない」「腹に収めろ」と手代の茂兵衛に諭される女中のお玉だろう。
封建的身分制度社会、不平等は当たり前というわけで、江戸時代、こんなものなわけだが、やはりなんとも理不尽だ。
兄の借金の申し込みをどうしよう。という話をおさんが茂兵衛に相談し…内儀が奉公人に金の工面の相談って、そりゃ筋が違うし内儀失格でしょ、に始まり、茂兵衛が、主人の印を不正利用して金を工面しようとして同僚にみつかり…と、ダメダメな対応が積み重なる。
そして、あれよあれよという間に、様々な偶然も重なり、おさんと茂兵衛に不義密通の嫌疑をかけられ、2人は逃走する。共通するのは「もうあの家はいや」ということ。江戸時代の価値観的には、最重要とされる嫁ぎ先、奉公先の「家」が心からいやということだ。
といっても、もともと茂兵衛がおさんを「お慕い申して」おり、おさんも茂兵衛を憎からず思っているのは明らかだ。2人の逃避行は、おさんが割と強引に茂兵衛を誘っていて、おさんがイノセントな悪女にすらみえる。しかし、腹を決めてことにかかっているというわけでもなく、おさんは追っ手に動揺し、追っ手は振り切れないと心中を決意する。
有名な水上での小舟のシーンは彼岸の美しさだ。琵琶湖での入水直前の茂兵衛がおさんへ想いを告白し、おさんが「死ぬのは嫌や。生きていたい」ときっぱりとした生への希求へ転換する。
そして追っ手のかかる中、展望のみえない逃避行が続けられることになる。
恋愛というものが魅力的なのは、それが社会制度(当時の封建的身分制度)やしがらみを打破するような破壊力を持ちうるからだ。
このまま不義密通の嫌疑事件がなかったとして、おさんと茂兵衛の人生が「幸せ」であったかといえばそうは思わない。
おさんは厄介な実家を抱え、お金の引け目で弱い立場だし、茂兵衛は手代という奉公人の立場であり、出世したにしても身を粉にしてお店のため働くだけの人生だったろう。
2人とも、個人の幸福を追求するなどということは人生でついぞなかった可能性が高い。
しかし2人は、ひょんなことから、自らの意思で恋愛という「我儘」を押し通すことになる。
2人は茂兵衛の実家に逃れたものの、おさんは追手に捕まり、連れ戻される。
茂兵衛は捕えられたが逃げ出し(逃がした茂兵衛の父親は多分殺されただろう)、おさんのもとに向かう。
おさんの実家の場面は、母と兄がエゴ丸出しという意味でなかなかの名場面だと思う。
おさんの母と兄はとにかく婚家に戻るよう、激しく責めたてる。もともと、こんな事態を招いた発端は、母と兄の度重なる金の無心なわけだが、そこに言及はしない。
「帰れ」と吠える兄は正直者だ。おさんの母の説得がありがちでリアルだ。
「おっかはん、あんたの気持ち、よーお分かりまっせ」
どう分かってるんだ???
「大経師(おさんの婚家)や岐阜屋(おさんの実家)のためを思うて言うのと違いまっせ。大経師に帰ることが一番あんたの身のためやと思う」
これははっきり大嘘だ。正しくは「わてらのためにお願いだから帰ってくれ」だ。しかし、これと同じような台詞を聞いたことのある人も、言ったことのある人も、沢山いるだろう。「自分の都合のために他人に我慢を強いる」ことはなかなかあからさまに言えない。そして真っ赤な偽善が登場する。自己の保身のためなら、こんな台詞も真顔で言ってしまえるのだ。人間は。
そこへ茂兵衛がやってくる。再会した2人は、おさんの母の説得にもかかわらず、別れることをきっぱり拒む。
おさんは、実家のために生きる人身御供的な人生を拒むのだ。
そして不義密通の罪で市中引き回しの上、磔となることすら甘受する。
最後、2人は罪人として馬上にあっても晴れ晴れした顔で刑場に向かう。
★
1954年のこの映画にある価値観は、江戸時代のものではなく、近代のものだ。
「個人が幸福を追求することをきっぱり肯定する」というメッセージが明らかで、私はこの作品がとても好きだ。
しかし、この映画を観終わったとき私は怒りさえ感じていた。何に?
茂兵衛役の長谷川一夫に。
まず、最初の登場シーンで「げげっ」と思ってしまった。
茂兵衛初登場は、「どうしても茂兵衛でないとあかん」という客がきた、と呼ばれて、病床から茂兵衛が起き上がるシーンである。茂兵衛は働き者の手代という設定のはずなのに、茂兵衛が起き上がった瞬間、「いや、この人、相当祇園で遊んでるでしょ。なにこのしたたるような色気」と思ってしまった。どうみても「貧しい山奥出身で丁稚奉公からたたき上げた働き者の手代」じゃない。
とにかく全編を通じて、長谷川一夫は、「自分をどう美しくみせるか」ということに注力している。
その意味では確かにプロである。一つ一つの所作も実に美しい。
しかし「作品や役を理解して表現する」という発想は彼にはない。
ラストシーンに至っては、引き回されている2人を仰ぎ見るかつての同じお店の奉公人の「お家さんのあんな明るいお顔を見たことがない。茂兵衛さんも、晴れ晴れした顔色で。ほんまに、これから死なはるんやろか」という台詞の後、馬上の茂兵衛の顔が映されるのだが、茂兵衛の顔は伏し目がちでちっとも晴れ晴れしていない。むしろドナドナだ。
どれだけ台本無視。
仮にラストの台詞がなくて長谷川のあの表情で終わったとしたら「おさんの恋情という狂気にひきずられた哀れな茂兵衛。ファムファタルにより破滅させられた男の物語」になってしまう。
それはそれでありな作品だ。
しかし台詞とそれに対応する表情がまったく違うというのは無しだろう。
私としては「折角の名作なのに。茂兵衛役が長谷川一夫なことで残念な作品に」と思ってしまったのだ。
「大人の事情」を考えると長谷川一夫の振る舞いは正しいのかもしれない。
二枚目スター長谷川一夫の起用は、社長命令で決まっていたことだったという。
映画は膨大な製作費がかかる。興行的に失敗することは極力避けたい。
集客したいからこそスターである長谷川一夫を起用したわけだ。
そして長谷川一夫ファンの女性達は当然「かっこよくて色気のしたたるような二枚目の長谷川一夫」を期待している。
むしろ、台本に忠実に「素朴で働き者の茂兵衛」を演じたら、期待に肩すかしを食わされた長谷川ファンから大ブーイングをくらっただろう。
茂兵衛という役を設定に忠実に表現するメリットは、長谷川一夫にも映画会社にもなかった。
自分に求められている役割は何かということを長谷川一夫は正確に知っていたし、それは溝口健二監督も同様だっただろう。
そう思うと、監督の意図ガン無視であっても長谷川一夫は正しい。
でも。
私は溝口健二監督が妥協なく撮った「近松物語」を観たかった。茂兵衛役はちゃんと「茂兵衛」であって欲しかった。そして、最後は晴れ晴れとこの世のしがらみから解放され、突き抜けた、ある意味での勝者であって欲しかった。
客観的に状況をみれば、2人はおさんの嫁ぎ先の商家を取り潰して借金をチャラにしたい、また、今ある利権を簒奪したい者どもの思惑にまんまと利用されて、さらし者にされ磔になる哀れな弱者である。
しかし、2人の主観としては違う。2人は例え社会の秩序を壊そうとも、周囲を破壊しようとも、己の意志を貫き「生きた」のだ、というコントラストがちゃんとみたかった。
未練がましくそう思ってしまう。
http://d.hatena.ne.jp/falken1880/20130907
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溝口健二の1951年の映画に『お遊さま』というのがある。これは谷崎の『蘆刈』を映画化したものなのだが、あまり有名な作品ではない。確かにところどころ、溝口らしいきれいなカットはあるのだが、そこまで目を引くようなものがないのだ。これはどうもキャスティングによるところが多いような気がする。お遊を演じるのは田中絹代、おしずは乙羽信子である。有体に言ってしまえば、この映画の中で圧倒的な存在感を放たなくてはいけないはずの田中絹代が乙羽信子に喰われかけてしまっているのだ。
そうした役者のパワーバランスを考慮してのことかどうかは知らないが、脚本はそこそこ大きな原作からの改変が施されている。映画はおしずと慎之助のお見合いの場面から始まる。そこで慎之助はお遊を見初める。原作にあった枠構造は取り払われているのだが、これは大きな問題ではない。問題はその後で、おしずと慎之助が仮の結婚をしたところからなのだが、ここでクローズアップされるのはお遊、おしず、慎之助の奇妙な関係の方ではなく、「忍ぶ女」としてのおしずなのである。自分を犠牲にしてお遊と慎之助の幸せを願う健気な女としておしずは描かれる。このようなおしずの態度にほだされて慎之助はおしずとの子どもを作る。しかし、おしずは慎之助との子どもを出産する際に、なんとも涙ぐましい感じで死んでしまう。その子供を慎之助がお遊の元へ届けるというところで物語が終わる。映画の後半部ではお遊は半ば退場したも同然となってしまうのだ。たしかにこのようなおしずの新解釈には見るところもあって、興味深かったのだが、全体を通してみるとちぐはぐな印象は避けられない。
田中絹代は当時四十代前半で、前年に作られた木下惠介の『婚約指環』に出演した際には「老醜」という誹りさえも受けていたらしい。さらにその数年後に作られる『山椒大夫』(1954)では老婆の役 をこなしているくらいなので決して、1951年当時若かったとはいえない。しかし、『お遊さま』におけるキャスティングの微妙さは、彼女の年齢からくるものではない。少なくとも『お遊さま』での田中絹代は年齢を感じさせる容姿、雰囲気はしておらず、乙羽信子と姉妹だという設定にも無理はない。田中絹代にはお遊が持つ浮世離れしたような雰囲気を作ることが出来なかったのだ。
田中絹代はなんだかヴィヴィアン・リーに似ているような気がして、それは顔の造形が似ているという意味ではなくて、作品の中でのオーラというか立ち位置が似ているということがいいたいのだけれど、二人ともいってみれば強い女性であったり、汚れ役をするのが上手い。ヴィヴィアン・リーも『アンナ・カレーニナ』は全然良いとは思わなかったけれども、『欲望という名の電車』や『風と共に去りぬ』は素晴らしい。田中絹代も『夜の女たち』や『西鶴一代女』はよい。これってつまりは世間の一般的な評価と全く同じで、なんら特別なことや真新しいことは言っていないのだが、観たところそうなのだから仕方がない。
そういうことで田中絹代を先頭に立てて発進した企画が、途中で、今が旬の乙羽信子を中心にしたものにシフトしていったという経緯を考えてみることもできよう。
溝口健二が田中絹代に対して恋心を抱いていたというのは有名な話で、この時どうだったのかはよくわからないけれども、ものの本に田中絹代の次のようなエピソードが書いてあった。『溝口健二の世界』の著者、佐藤忠男は国際近代美術フィルムミュージアムの「田中絹代特集」の『お遊さま』の回において田中絹代と会った。そこで田中絹代は『お遊さま』について次のように語る。引用してみよう。
じつはこの映画、この特集のはじめのプランには入っておりませんでしたの。それをわたしがとくにお願いして入れていただきました。この映画を撮ったとき、溝口先生がこうおっしゃったのです。君ももう年で、若くてきれいな役はもうこなくなる。だからぼくが、さいごに君のいちばんきれいな映画をとってあげよう……って (佐藤忠男『溝口健二の世界』平凡社、2006年、422頁)
なんとも美しい話ではあるが、田中絹代はこの中途半端な作りの映画に納得していたのだろうか。
そしてここからは完全に僕の邪推なのだけれども、溝口はこの時、谷崎的な「蘭たけた女性」というものを上手く表現できなかったことを後悔して、後にもう一度同じ題材で映画を撮り直したのではないだろうか。その作品というのが1954年の『近松物語』だ。この頃の溝口は乗りにのっていた。『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』という傑作をヴェネチア国際映画賞に送りこみ、三年連続入賞させるという稀なことを成していた。『近松物語』は近松門左衛門の『大経師昔暦』を下敷きにした戯曲『おさん茂兵衛』の映画化である。ヒロインのおさんを演じているのは香川京子なのだが、これは非常に当たり役であり、この映画自体は谷崎の作品とは全く関係はないにもかかわらず、谷崎作品のヒロイン像を体現しているかのようである。
『近松物語』の時代設定は不義密通が極刑となっていた江戸時代。ヒロインのおさんは暦の販売を独占して富を築いていた大経師の御寮人である。卑しからぬ家の出ではあるが、家が零落してしまったために、大経師の元へ嫁に出されていた。しかし、大経師はおさんを遊ばせるだけ遊ばせておいて、自分は下女に手を出している。このあたりの境遇もお遊に似ている。そしてある手違いからおさんは手代の茂兵衛と不義密通の疑いをかけられてしまう。二人で逃避行をしているうちに、本当に通じ合ってしまう、というのが『近松物語』の大きな筋立てだ。
茂兵衛がかねてから抱いていた恋慕の思いを聞き、心中を嫌がるさまであったり、山中を逃避行するうちに、足をくじいてしまい、茂兵衛の肩を借りているという状況であるのに、一緒に過ごすことが出来て人生で一番楽しいと言ってしまう少しずれたところだったり、おさんの身を案じて一人出頭をしようとして姿を隠した茂兵衛のことを追いかけて叱責をするさまであったりと、香川京子の演じるおさんの行動すべてが雅でやんごとないのだが、そこには谷崎が描く女性像に通ずるものがある。身を隠していた茂兵衛におさんが縋り付くという場面があるのだが、そこで茂兵衛はおさんの怪我した足に接吻を繰り返す。そうしたところもなんだか谷崎らしい。そして『近松物語』で最も美しいシーンの一つに琵琶湖でおさんと茂兵衛が心中をしようとするというものがあるのだが、ここはなんだか『蘆刈』に描かれた山崎を思い出させる。
そういった感じで、なにかと『近松物語』に、僕は『蘆刈』と『お遊さま』の影をみてしまう。『近松物語』が『お遊さま』の作り直しだという考えは、繰り返すけれども僕の勝手な推測で、何の根拠もないのだけれども、とにかく『近松物語』はよい作品である。
http://ittaigennjitu.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
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溝口健二作品「近松物語」で、私、内弟子助監督がした仕事
平成20年1月 宮嶋八蔵
http://katsu85.sakura.ne.jp/chikamatu.html
1.近松門左衛門のこと
江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者。本名、杉森信森。平安堂・巣林子(そうりんし)
などと号。越前の人。歌舞伎では阪田藤十郎と浄瑠璃では竹本義太夫と提携。竹本座の座付作者。狂言本二十数編、浄瑠璃百数十曲を作り、義理人情の葛藤を題材に人の心の美しさを描いた。作「出世景清」「国性爺合戦」「曽根崎心中」「心中天の網島」「女殺油地獄」「傾城(けいせい…遊女の事)仏の原」など。(1658〜1724)
2.制作1954年11月
3.制作意図封建社会の過酷な制度の下に、愛情を契機として、人間性の自覚を獲得したものが、死を以って償わねばならなかった、悲劇を描き、現在に対する示唆とした。
4.映像の説明に入る前に溝口組の映画「近松物語」の制作順序を紹介します。
「近松物語スタッフルーム」前の宮嶋八蔵
参考資料料 宮嶋八蔵のノートメモより】
1)参考資料
@日本風俗図会A大日本交通史・駅停史考 B刑罰珍書集 C都名所図会 D近松名作集E変態刑罰史・拷問・拷問刑罰史 F日本女装 神坂雪佳編全7巻 明治39年発行G淀川両岸一覧 4冊本 文久元年刊など H嬉遊笑覧 I浮世絵 J古燈器大観
Kその他
下のは宮嶋八蔵のノートメモ
4)台本の中身を紹介します。
5) 「近松物語」 仕出し参考・その他
@この時代の扮装テストの参考に使用したものです。
宮嶋八蔵が資料作成したもの (トレーシング・ペーパーへ参考の絵を全て手書きで写しとって青写真に仕上げたもの) 日本風俗図会他より。
@ 日本女装
この時代の扮装テストの参考に使用したものです。
A 手ぬぐいの被り物と頭巾
◆以下の図会もすべてこのように宮嶋八蔵が参考資料から書き写したものです。
手ぬぐいは別名「三尺」と言われ端につけた紐を腹の前で結ぶ。垂れた三尺を股に挟んで紐の中を通して前へ垂らすと越中ふんどしとなる。広げた三尺二枚を背中に掛けて平たいタスキのように胸の近くで四隅を結ぶと手ぬぐい襦袢となる。この時代からあったものですが、伊藤大輔監督の「王将」の中で阪田三吉に手ぬぐい襦袢を着せています。そちらの資料の発端は、「喜田川守定著の近世風俗史・原名守定漫稿」にも載っています.・・・ちょつと横道にそれました。
B 被り物・頭上運搬
C この時代の上流階級女性の髪形
この時代の上流階級の女性の髪型は、日本髪の後方に張り出た部分(タボ)が特にぐっと大きく長いのです。このした二つ目の男性の髷が立っているのは床乱れの洒落でしょう。3
D 仕出しなど京都町人、庶民風俗
E 扮装テストの写真
このようにして、扮装テストの写真を全部撮るのです
2) 大経師とは
絵巻・仏画などを表具した経師の長で、宮廷の御用をつとめたもの、奈良の幸徳井氏・加茂氏より新暦を受けて大経師暦を発行する特権を与えられた。
@・暦は一般庶民の生活設計の基本となっていました。これを見本として使いました。
12 参考にした暦の表と中身の一部 このドラマの時代のものではない。
A・そしてこれを映画用に作ったのが下の暦です。13
B・朝日新聞社から2007年5月に発行された国際シンポジウム溝口健二、没後50年「MIZOGUTHI2006」の記録 の53ページで阿部和重氏(小説家・映画批評家)は近松物語の冒頭の場面について「大経師の屋敷のなかを見ていくと、画面の中に障子戸がたくさん出てきます。茂兵衛を演じている長谷川一夫が屋根裏のようなところで作業しているのですが、そこには格子戸がバーっといっぱい置いてあって彼が障子を貼っています。その障子を…」と話されていますが、先ほど述べましたように大経師は絵巻・仏画などを表具した経師の長で、茂兵衛はそこの手代職人ですから表具の仕事はしても障子貼りなどはしないのです。それは下女中の仕事です。
映画の場面は表具をしているのです。
4) この写真は前にも紹介したものですが、撮影準備にかかる前の監督と主役の初顔合わせのスナップです。これを見て皆さんも感じられることでしょうが、二人とも同じようにこの仕事を一緒にするのが嫌で視線も合わさず嫌な思いが顔立ちにも現れていると思われるでしょう。そんな雰囲気の中で近松物語の仕事の準備は始まりました。
5)先に紹介しましたような資料、その他参考の写真などで「近松物語スタッフルーム」は図書館のように埋まるのです。
その資料から必要なものをトレースして青写真に仕上げて衣装部、小道具、美粧部、結髪部、俳優部、録音部、撮影部、と各裏方に配ります。
セット飾りと全出役の持ち道具、被り物は小道具の仕事です。他所の組では美術部の責任ですが、溝口組の助監督は美術部にも注文を出せねばなりません。普通チーフは考証の仕事には直接タッチする事は少なくセカンドは特報、予告編、サードとフォースが考証の主体となります。
6)
@香盤が出来てロケーションハンチングを、している間にチーフ以外の助監督はズラ合わせ、メーク、衣装合わせの打ち合わせ準備をするのです。
Aいつもの長谷川さんのずらは中剃りがしてあるのに、髷が太いのです。それをリアルに修正してもらう為に土俵に上がる時の力士の髷(大銀杏)でなく、常の力士の顔写真を持って説得に行きました。それと他にその時代の浮世絵なども見せたのです。時代風俗などは考慮せず、スターとしての自分好みのズラから離れてもらうことは大変な事でした。長谷川さんには会社の美粧部ではなく、長谷川さんの思い通りになる長谷川さん個人の美粧、ズラ係りがいたのです。衣装なども自分で選んで居られたのです。先の髷直しに関して写楽の大首の版画を見せたことは、勝田友巳さんの「スクリーンの向こうから 聞き語り 香川京子」 長谷川一夫A編と「団子串刺し式 私の履歴書」 にも述べています。
7)香盤の一部分を紹介
・香盤の名称の由来は、劇場楽屋入口の受付の窓際に小屋にかかっている役者の出勤がわかるように板に俳優さんの名前が羅列してあって、その下に3センチばかりの丸棒を差し込む穴がほってあります。その板の事を香盤と呼びました。そんなところから映画の各シーンによる役者の出る場面の主体として組まれた便利帳のことです。
場面はロケ、オープンセットに分け場面の名称と季節、朝昼晩の時刻、夫々の場面の芝居の内容、特殊撮影道具、クレーン、移動、効果…雨、雪、スモーク等これ以上の細かい説明はできませんので実際に使ったこの香盤を見て下さい。香盤はサード、フォース、フィフスの若い助監督が書きます。チーフはこれを見て撮影予定表を書きます。チーフには2種類の型の人がいます。現場ほっとけ段取り屋と撮影現場を主体とする作品主義の助監督の2種類あるのです。これについては別の紙面で紹介します。
5.「近松物語」の映像からの説明はシークエンス毎にしていきます。
1)<オープニング>
(1)・仕出しを含めて京都の雰囲気の中に大店の大経師の家の表、セット表の間で大経師の社会的立場、経済 的な位置、暦の独占事業、宮内庁、宮家との関係等を一挙に説明してしまう。これはドラマ構成の定石で あ ります。登場人物(主役)の紹介もすぐに始まります。(2)<大経師屋の茂兵衛>
・道喜が妹のおさんに借金を申し込みに来た場面
2カット目の2人のバストサイズで借金申し込みから又かというのでおさんの座り込みにつけて、道喜も座 る 場面のキャメラポジションは溝口先生が指示されたものです。それを宮川さんのキャメラが心情的に見事 にとらえていました。目の高さ、伏せたポジション、ロウであふったキャメラ位置(俯瞰、目の高さ、ロウポジションは夫々に異なった心理的表現を持つのです。)目の高さはセリフを聞いて見たままの表現。俯瞰で抑えたアングルでは感情がヘナヘナと崩れた感じを表現するのです。これ以外にローポジションであふ って人物を捉えた場合には落ち着いて優美で尊厳を持って自信に溢れたような表現になります。皆さんがご存じの立像や胸像は目の高さより上にあって見る人はそれを仰ぎ見ることになります。
これらはキャメラアングルを決める1年生ですが早撮りの安物映画ではこんな1年生の事も守られていないのす。
3)大経師の以春
(1)構成上の複線となる引き回しの場面は日本刑罰史や日本残酷物語、拷問刑罰史などを参考にしていす。 罪状を書いた紙の大きい旗は捨て札と呼びます。横に並んだ木札は刑場に立てるものです。引き回し関係者は非人、手下と書いて、てかと読みます。非人はさんばら髪で髷は結えません。手下頭は、髷は結えますが黒元結を使わねばなりません。普通の人は白い元結(もっとい)を使います。彼らの総元締めは弾左エ門と言います。
・次に刑場晒し場の夜景は台本になかったところを監督が追加されたものです。処刑は引き回しの時に担いでいた槍を使います。槍を掴む手もとの上に、荒縄を巻くのです。槍先を伝って落ちる血潮のぬめりを防ぐのす。男は股の間の支え棒で開脚の姿勢になります。女は股が開くのを避けてまっすぐのまま十字架に架けられます。処刑係りは、一人の十字架に非人、手下は二人配置されます。罪人の目の前に槍先を掛け声と一緒に「ありゃ、ありゃ、ありゃ」と三度合わせ打つのです。次に両脇から反対の肩先まで槍の穂先が三寸程見えるまで貫くのです。「ありゃ、ありゃ、ありゃ」と掛け声を掛けながら目の前に槍先が合わさった時には罪人はすでに気を失っていたと書かれてありました。(拷問刑罰史)
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拷問刑罰史より
上図 刑罰珍書集より
下図 近松名作集・変態刑罰史・都名所図会より書き写す
【写真】 引き回しの写真
j.●この写真は物語のはじめに、おさんが店の者と一緒に見た引き回しの場面です。
処刑について詳しく述べましたのは、このように一場面といえども溝口組は、調べ物をおろそかにしないのです。調べ物は美術、小道具係ではなく助監督サード以下の仕事なのです。
調べ物をしていて、このような封建時代の無茶苦茶な人間差別がわかるのです。
近松物語全体のストーリの悲劇も人間差別から成り立っているのです。
4)おさんの頼み
【写真】 おさんと茂平
・以春が横になっている部屋の襖模様は大胆な刷毛目です。今に伝わる日本だけのモダニズムです。
・茂兵衛の逃げたのを知る夜の場面では、番頭の助右衛門が手燭をもって廊下を来ます。光源は助右衛門が持つ手燭だけでありますが、その動きに従ってその周囲も動くのです。これは照明技師、岡本健一さんの素晴らいリアリズム照明であります。岡本健一さんの照明は細かい1キロライトや手持ちのライトで林のように被写体を囲み助右衛門の動きにつけてその細かいライトも夫々に動かすのです。このような丁寧なリアリズム照明の出来る技師に会った事はありません。宮川キャメラマンと岡本照明技師は仕事についての論争(喧嘩か?)をよくやるのです。私は揉め事と勘違いをして止めに入ろうとした時、溝口先生に腕を掴まれて引き戻されました。暫らくして先生から「あれが本物を作ってくれるのだよ」とポツリと教えて戴いたのです。
5)東寺の森
P7・茂兵衛がおさんを担いで河を渡る場面のロケ地は嵐山の東公園です。ライテングの為に助監督がおさんと茂兵衛の代わりのスタンドインをしたのです。先輩助監督の土井茂さんの背中に私は子供が背負われるようにおぶさっていました。本番では長谷川さんは見事に美しく斜め背負いをしたのです。土井助監督と私は思わず「いかれたねぇ。みごとやねぇ。けれどあの抱えはきつい力がいるでぇ。」この場面は一回でOKとなりました。美しさにおいては、長谷川さんの勝。リアリズムの先生もクソリアリズムではないと思いました。どんな芝居でも品位と形の奥にある心情を大切にされる溝口先生の勝でもあります。勝負は五分五分でしょうか。
6)伏見の船宿
・伏見の船宿の行燈(あんどん)は古燈器大観より出しています
7)初暦の祝儀・大経師の奥の座敷
●。これは今説明している場面ではありません。十朱さんの紹介として出しました・
・鞠小路侍従(十朱久雄さん)の芝居は小返しで何回もテストがされました。振り付けは絶対にしない溝口先生が「あなたは、公卿で生活が膨らんでも、骨とう品や趣味の蔵物を金に換え、それも高い立場から大経師に接しているのです。そう云う立場を声にして下さい。」という注文でしたがうまくいきません。そこで初めて溝口先生の助け船が入りました。先生は自分の頭を二三度指先でこつきながら、「声は、ここから出しているような人もあるのです。言葉は生活習慣の集積ですからねぇ。」十朱さんのセリフと芝居は労働を知らない道楽公卿の類型的表現として演出されたのです。(先生は演出という言葉がお嫌いでした。映画は監督です。詳しく述べますと長くなりますので別項に譲りますが演出らしき指導をされたのはこの時が初めてでした。)
8)お役所の手配り
(1)伏見のまちはずれで役人の検問
・この映画では長谷川さんのお客に対するサービス的形芝居と溝口先生のリアリズムとの勝負だと云うような気持ちでスタッフ全員が固唾を吞んでいました。長谷川さんのサービス形芝居の例としては、「ねずみ小僧忍び込み控え」では部屋を観察しようとする長谷川(ねずみ小僧)さんが、襖を開けるのに腕を交差させて引き手を両側に押すのです。そして部屋の様子を見廻すのです。その見廻す動きも非常に大きいのです。襖を開けるのに腕を交差させるような動きは普通の人間生活では絶対ありません。これに近いような動きは溝口式リアリズムとは相いれないのです。ここではそれに似たハッと驚く悔しいような心情の時には下唇を噛むというような類型に繋がります。不思議な事に「ねずみ小僧忍び込み控え」も長谷川さんと香川さんが主役でした。樽の陰にいる二人の芝居を見て照明技師の岡本さんが「はっちゃん、茂兵衛でない長谷川さんが出てきたぞ」と話かけられました。
(2)堅田の宿
・役所の同心の手先が御用聞きです。御用聞きは、銭形平次も御用聞きと言う事になっていまして、十手なども持っているのですが本当は大嘘です。同心が自分のポッケトマネーで前科者等(闇の世界に詳しい者)を雇っていたのです。お上の役人の象徴である十手等は持てません。これに出てくる伊達三郎君が演ずる堅田の役人がリアルな本当の御用聞きなのです。
(3)琵琶湖 船の中(セット)
告白による恋情の爆発
茂平がおさんと小舟の中で心中しょうとするところ、いまわの水際の恋情の打ち明けでおさんもそれに感動して愛の爆発となる。芝居の動きが激しくなるから船も揺れるだろう、その揺れを助けようと水の中へ入ると監督が腕を掴んで「いらん!」
と言われました。監督は俳優に「君ッ… 茂平ですよッ。形芝居は駄目です!反射して下さい。気持ちが爆発するんだよ!胸が突き当たるんだ!」 NG本番……そして二人は狂気のようにぶつかり抱き合ったまま舟底に転げる。OKとなる。当然舟は抱き合いと転倒の衝撃で強烈に揺れていました。(おさんの方が先に茂平の胸に飛び込んでいたのです。)
9)茂兵衛の決断
(1)峠の上(鷹ヶ峰ロケ)の茶店におさんを置いて茂兵衛が去る。それに気付いたおさんが追うのですが、長谷川さんの姿はキャメラ位置から見ると豆粒のように小さいのです。普通このように主役が小さくて動きが激しいような場合は吹き替えを使いますが溝口組では使いません。
私は長谷川さんが駆け降りる処のボサの陰に隠れていました。四,五回テストはあったと思います。長谷川さんは私が隠れているボサまで来ると、ハァハァと息を切らせながら「八ちゃん、溝口さんはいっつもこんなふうなんか…。」私はそんなことはないとは言えませんので「ハァ…、こんなものですね…。」と答える以外はありませんでした。
10)旅路の果て
11)親不孝者
・汚い実家の小屋に隠れていた所あたりから省略して飛ばします。茂兵衛の里、おやじさんとの関係等は完全リアリズム演出です。
12)再会
(1)岐阜屋のはなれ屋敷と庭
C ・裏庭の入口は薄暗くて裏庭は離れの光がこぼれている。というようなライテングでした。裏木戸から茂兵衛が羽織を被り物のように頭上を被って入ってくるのです。その時はシルエットのようですが離れ座敷の漏れた灯りの処でパラリと被り物を外します。すると、綺麗な長谷川さんが現れたのです。思わず助監督の土井さんと私が顔を見合わせたのです。「又、長谷川さんが現れた。いかれたねぇ。」あの汚い小屋にいて、山道を歩いて来てこんなに奇麗なはずはありません。茂兵衛がおさんと会う強烈な再会の恋情が爆発するのですが、監督の文句は何もありませんでした。これから後の芝居も音楽も歌舞伎の下座音楽風に変わります。歌舞伎は舞台のホルマリズム芝居にあるものですから、座付作家の近松門左衛門の世界へ入るのです。舞台の板の上の芝居が合うのでしょう。地道のリアリズムから舞台の板の上へ戻ったのです。それに合わせて付拍子も入ります。
13)不義密通の罪
(1)烏丸通り 引き回し
・この時、引き回しを見て大経師の元使用人が語っているセリフを私の台本から移します。台本b40
・おかや 「お気の毒に…… どんなお気持ちやろ」
お蝶 「不思議やなあ……お家さんのあんな明るいお顔を見たことがない。
茂兵衛さんも、晴れ晴れした顔色で……これが死にゆく人やろうか」
・この2人の綱掛けもリアリズム(調べた上)非情に残酷に縛りあげられている程2人の握りあう手の愛の喜びが観客の胸を打ってくるのです。顔、頭の作りは2人とも歌舞伎の舞台のような美しさにしてあります。
(2)これが総合録音のダビングリスト
(3)これが総合録音のリストです。一部を紹介します。
25*エンドも作者は近松門左衛門ですから下座の拍子木(木の音)で終わっています。
(大ラストは歌舞伎の伝統的な様式美の内に終わらせているのです。)
* 追加
・初号試写の後、溝口監督と長谷川さんの2人の顔色には優しいゆとりの笑みがありました。撮影前の初顔合わせのスナップ写真を思い出して下さい。
長谷川さんは、その後溝口さんともう一度仕事がしたいと言われたのを聞いています。
溝口先生もそのような気持ちでいられました。
・溝口監督最後の作品になるべき「大阪物語」(この作品の準備中に病気で入院されたのです。)準備の初日に(長谷川一夫さんのお嬢さんである、スター候補のようこさんでしたか「大阪物語で貴方の役を用意してますからよろしく」と溝口先生の伝言をお伝えしました。
お嬢さんはそれを聞いてキョトンとされていました。
こんな仕事はプロデュウサーの仕事なのですが……。
http://katsu85.sakura.ne.jp/chikamatu.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/161.html