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2019年1月02日時分 〜
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
17. 2019年1月02日 00:04:37 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-447]

なお^^

^^↓

マニフェストの骨子とは@特別会計の廃止、

A独立行政法人など外郭団体の統廃合、

B天下りによる官僚OBの不労所得の禁止、

C米国による内政干渉の排除、

Dクロスオーナシップ(新聞社によるテレビ局経営)の禁止と電波オークション制度の導入、

E企業団体献金の廃止(「政党評価表」による外資支配の排除)、

F消費税引上げ禁止、

G最低賃金法の導入と非正規労働の規制強化

↑であり、つまり政策本質とは支配体制の破壊そのものであったわけだ。

↑^^

阿修羅では、この=極左暴力団によるデマが吹聴されているわけであるが^^

CDFGは、公約とはされていない^^



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍のバカっぷりはとうとうグローバルに(笑)2018年、安倍首相のバカ丸出し&人格破綻発言集(前編)(リテラ) 赤かぶ
17. 前河[1205] kU@JzQ 2019年1月02日 00:05:29 : F9RioQGV8Z : JwOJhIaq454[69]
まるで無能

話の説得力もゼロ

人徳もない

こんな総理は前代未聞だ

同じ日本人としてこんな恥ずかしい事はない

恥知らずとは安倍の事を言う

これに気づかない日本人が4〜5割いるとは信じがたい。

無能議員が俺にも役職を!と安倍にご機嫌を取りすがる。

バカみたいなおかしな負バランスが出来上がってしまった。

人間の欲とは恐ろしいものだ。

どんなに国民に取って不利になる事でも、どんな理不尽がまかり通ろうが、自分等が有利になるならクソ政権を容認する。

嫌な世の中になってる。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/606.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 2019年1月02日 00:06:16 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-446]

@ABEは^^

明記されている^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK255] 沖縄に寄り添う陛下!「アベは聞いているのか?」と金子勝!  赤かぶ
7. マッハの市[1925] g32DYoNugsyOcw 2019年1月02日 00:07:53 : mjP8rj92Hk : uC6_F4gqBnM[12]
三島由紀夫が、今の人なら、
安倍晋三をヤッるだろうなー・・・・

   「返す返すも残念だ」三島由紀夫                 無党派MPM

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/627.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々(リテラ) 赤かぶ
3. 2019年1月02日 00:09:39 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1490]
■談志が あっちの世界で

 志らくのこと 何と言ってるか

 聞いてみたい

 『立川 堕らく』に改名せ〜

 なんて師匠の声が聞こえるワ!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/650.html#c3

記事 [テスト31] Re: テスト
ポスト安倍 「次はない」レームダック政権の運命 ポスト安倍レースで始まった「党内抗争」の疑心暗鬼=ジャーナリスト・鈴木哲夫
https://mainichi.jp/sunday/articles/20181224/org/00m/010/001000d
2019年1月1日 サンデー毎日

▼外交、統一地方選……広がる「軋み」

▼「災」だけじゃない!「偽」「軽」「疑」の政治不信


 2019年、外交や消費増税、改憲などが難題となって安倍晋三政権を待ち受ける。そんな政治課題をよそに、自民党内では「ポスト安倍」に向けたきな臭い動きが始まっている。「軋み」や「疑心暗鬼」から始まる党内抗争勃発の「芽」があるというのだ。


安倍晋三首相=川田雅浩撮影

 最近、安倍首相にごく近い関係者が、親しい財界人にこう打ち明けたという。

「菅義偉官房長官がポスト安倍を意識し始めているんじゃないか」

 内閣官房参与の飯島勲氏は雑誌コラムで〈「次の総理」は石破茂ではなく菅義偉に決まった〉と書き、永田町で話題になったことは記憶に新しい。菅氏を支持する九州の無派閥議員も「菅さんが首相になる。支え続ける」と後援会の会合で公言している。ちなみに菅氏は無派閥議員で「脱派閥」が持論である。

 これまでなら安倍首相やその周辺も受け流していたかもしれない。だが、自民党総裁選で3選を果たした安倍首相に次はない。「レームダック(死に体)化」が進み、ポスト安倍へ向けて党内が一斉に動き出す中、関係者はちょっとした動きにも余計に敏感になる。

 自民党幹部によると、官邸では外交以外の内政や危機管理を菅氏がほぼ押さえ、官僚も菅氏の方を向く。首相の出身派閥である細田派議員は「外国人労働者受け入れを拡大する改正入管法成立を急いだのは菅氏ではないか」として、こう話す。

「菅氏は18年夏には早々と『来年4月から実現(施行)できるよう法案を準備している』と発言していた。対象となる14業種の業界団体の多くも、日常的に菅氏にアプローチしていた」

 北方領土問題については、菅氏がポスト安倍候補の一人に挙げる河野太郎外相と至近距離で話しているという。「来夏参院選前に日露平和条約を締結すれば自民党は大勝できる。そのためには4島にこだわらず『2島返還プラスアルファ』でもいいのではないか、と菅氏が安倍首相に進言しているようだ」(同)

 だが、こうした菅氏の動きが首相周辺に疑心暗鬼を招いているのが現実だ。先の細田派議員の結論はこうだ。

「入管法改正を急いだために首相は世論の批判を浴びた。また2島先行を前面に出せば4島一括返還を求める首相支持者が反発し、安倍首相が困る。飯島氏が言うように、ポスト安倍を狙っているのかもしれない」

 とはいえ、私との何度かの取材では、菅氏はそんなそぶりは一切見せない。むしろ、「官房長官だからこそ、やれることがたくさんある」と、政治主導で実現した政策の数々について満足げに語ったほどだ。ポスト安倍を計算した動きとは思えないが、細田派にしてみればそうはならない。

 19年春の統一地方選を巡っても軋(きし)みが生じている。4月の福岡県知事選では、菅氏と麻生太郎副総理兼財務相がギクシャクしている。

 現職で3期目を目指す小川洋知事を擁立したのは、元々は自民党だった。だが政策などで自民党県議団と対立、自民党県連は推薦せずににらみ合いが続く。福岡の実力者の麻生氏も小川氏を認めていない。

 だが菅氏は18年12月16日、講演と視察で福岡を訪れ、小川氏とも面会。小川氏は県連の推薦などがなくても知事選に出馬する意向を伝え、菅氏も「しっかり応援する」と答えた。菅氏は周囲に「選挙は勝つ人を出すのが鉄則。小川氏は県民に人気があり、勝てる候補」と話したというが、この頭越しの対応に麻生派議員は収まらない。

「16年の衆院福岡6区補選でも、菅氏は麻生氏とは別の候補を応援し、事実上の自民党分裂選挙になった。小川氏は菅氏と一緒に行動していた。結局、菅氏が応援した候補が勝ち、麻生氏のメンツが潰された問題が今も尾を引いている。菅氏のやり方には疑問が残る」(麻生派議員)

 麻生氏はまた、岸田派を率いる岸田文雄政調会長の動きにも不信感を募らせているという。

「大宏池会」構想を唱える麻生氏はこれまで、岸田派に粘り強く合流を呼びかけてきた。その岸田氏が18年12月12日、細田派会長の細田博之元官房長官らと会合。関係者によると、会合は岸田派側が持ちかけた。

「会合の中で、岸田派が今後も安倍政権を支えることを確認したようだ。禅譲に向け、細田派に推してもらうための布石だろう。大宏池会を作り、岸田氏を次期総裁候補にすることを視野に入れてきたのに、麻生派を無視して細田派に近づいた。麻生氏は許せないはずだ」(自民党ベテラン議員)

「常に40%の反安倍の固まり」

 意思疎通の欠落や小さな溝が「疑心暗鬼」を生み、さらに増幅される―。これがレームダック政権の運命というべきか。

 マスコミ各社が18年12月に実施した世論調査も、安倍政権に厳しい結果となった。内閣支持率は『毎日新聞』は支持37%で不支持40%、共同通信が支持42・4%で不支持44・1%。いずれも不支持が支持を上回った。『読売新聞』は前回調査より6ポイント下落。改正入管法や沖縄基地問題への強引な政治手法に対し、批判が集まったのだ。

 官邸の首相側近は「時間が経(た)てばまた落ち着く」と楽観的だ。だが、こんな指摘もある。

「深刻に見た方がいい。見落としてはいけないのは、このところ常に40%前後の反安倍の固まりが固定されてきたということ」(安倍首相側近の閣僚経験者)

 安倍政権は軋み始めている。早稲田大エクステンションセンター公開講座の私の授業で、受講生に18年の政治を漢字一字で表してもらった。

【偽】モリカケ疑惑など。すり替えとごまかしの政治。

【軽】政治家も言葉も、すっかり軽くなった。

【疑】データや公文書。政治をすべて疑わざるを得なくなった。

【改】改ざん。政治を改めよ!

【強】安倍1強の歪(ひず)み。強行採決など。

 では19年はどうか。改元で新しい時代が始まるが、そこには2度の大型選挙や消費増税、改憲、外交など政局へ直結する政治テーマが目白押しとなる。19年の安倍政権を漢字一文字で表すなら、私は「乱」と書く。

(ジャーナリスト・鈴木哲夫)

すずき・てつお
 1958年生まれ。ジャーナリスト。テレビ西日本、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経てフリー。豊富な政治家人脈で永田町の舞台裏を描く。テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍。近著『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』『石破茂の「頭の中」』




http://www.asyura2.com/14/test31/msg/829.html

コメント [政治・選挙・NHK255] 「低空飛行は日本の威嚇」防衛省の公開映像に韓国メディア レーダー照射問題 渋る防衛省、安倍首相が押し切る=日韓対立泥沼化 うまき
1. 2019年1月02日 00:11:19 : jzZJAJRT8s : hMk6gt68@ls[7]

たかがレーダーの電波を受けたくらいで、こんなに騒ぎまくる事かいな。

バッカでねえの? P1のクルーの会話は冷静で世間話程度の会話だったが

無知なアベが煽ってけし掛けたのだろね。哨戒機が汚されたわけでもないし

ミサイルを発射された訳でもないのにバカか!アメリカやロシアから照射

されたのだったら黙っていたろうに。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/655.html#c1

コメント [地域13] Uターンで「村八分」是正を 大分県弁護士会が勧告 てんさい(い)
10. 2019年1月02日 00:12:27 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-10540]
大分県の県民が何故貧乏になってるか?それは県民が選んだ議員が全ての原因になっている【NET TV ニュース】朝堂院大覚 2018/01/01
.
JRPtelevision
2018/12/31 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=41zKH5Pxwz0
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/805.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
8. 2019年1月02日 00:14:35 : yI9C1LxJQI : Qf2q6MhSc7U[2]
>>6
少なくても、この世の沙汰は金次第という考えなんだろ
自費でいくらでも優雅な老後、介護に延命を受けることが出来る人たち
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c8
コメント [経世済民130] なぜ、年収1億円になる人は、グリーン車に乗らないのか?(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
12. 2019年1月02日 00:17:35 : go8yqpUg3A : OTUpqfJamn4[1]
新幹線で駆けずり回って一億円か。収益率良くないね。
黒田に云わせれば、毎日刷ってる偽札一枚30円。その紙切れのためにどの椅子に座るか悩んでるわけだ。

福島の被災者に何かしてやったら記事にしなよ。椅子ごときで記事書くな。馬鹿丸出しだぞ。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/380.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK255] 「レーダー照射」韓国がそれでも非を認めない理由はこれではないか 真相解明は翌年に持ち越されたが…   うまき
2. 2019年1月02日 00:22:30 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[474]
俺はもともと韓国が嫌いだが、しかし公平であることを誇りにしている。
何で韓国が嫌いかと言うと身びいきで不公平だからだ。
その点俺は不公平が嫌いなだけあって身びいきもせず、相手が嫌いだからといって感情がジャッジメントに影響することもない。

なぜ韓国艦の上空に行ったのかを自衛隊は説明していない。
軍事常識として相手に接近するのは威嚇であり牽制だ。
レーダーアンテナの旋回を観測できるほどの距離にまで肉薄した理由はなぜか。
ロックオンされていながら機内が緊迫していないのはなぜか。
なぜチャフも撒かず回避行動も取っていないのか。

絶対撃たないと確信しているからだし、これがはじめてのことでもないからだろうが。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/656.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏3度目政権交代は「できる」/新春に聞く 野党結集「党の合併がだめなら、党を解散しても構いません」 赤かぶ
2. 2019年1月02日 00:24:09 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1491]
■小沢さん 今年もこれからも

 日本の事ヨロシクお願いします!

 次の政権『福島瑞穂』政権が

 いいな〜って思ってます!

 一考願います!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/653.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] やる気になれば、安倍晋三など屁でもない!   赤かぶ
5. 前河[1206] kU@JzQ 2019年1月02日 00:24:39 : F9RioQGV8Z : JwOJhIaq454[70]

安倍が辞めれば日本が良くなるという保証はどこにもない

しかし、安倍が辞めなければ日本は絶対に良くならない



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/647.html#c5

コメント [経世済民130] 官製株価はすべり込みで2万円台を死守! いくら年金注ぎ込んだのだろう!?(くろねこの短語) 赤かぶ
21. ゆめ[208] guSC3w 2019年1月02日 00:25:51 : 9G2lLkIaoE : @1zcvcX@I@k[48]
オバマ政権までの日本は 日本の資金で外人に日本株を買わせる亡国を強いられた
外人持ち株比率は3割を超えて 殆どの企業が 実質外資系で経済大戦・大敗北だ!

ペーパーマネーは常に大戦後に 紙屑化する! 大戦が近い中 ヘリマネーの
紙幣.大増刷で最後の信用バブルで 軍事&経済.両戦争を乗り切ろうとしている

紙屑化・目前の数年を円の大増刷で 国防と株式買い増しの防衛は英断と言える

http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/374.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK255] やる気になれば、安倍晋三など屁でもない!   赤かぶ
6. 2019年1月02日 00:32:18 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1492]
■『不正選挙』デス!

 不正選挙以外の『解』はありません!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/647.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 2019年1月02日 00:38:48 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-451]

https://www.eda-jp.com/pol/jiyuto/index.html

^^↓

日本一新 11法案

事業活動をもっと自由活発にする法案(市場経済確立基本法案) 
●ポイント・業法の原則廃止で=市場原理主義を促進します^^

特殊法人を3年以内に廃止・民営化する法案(特殊法人等整理基本法案)
●ポイント・もちろん、公益社団法人(出資者・政府省庁であるものが仕分け対象になっているもの)日本水道協会を含みます^^

社会保険料を絶対上げさせない法案(国民生活充実基本法案) 
●ポイント・消費税は、逆に上がることを示唆しています^^

所得税・住民税を半分にする法案(税制改革基本法案) 
●ポイント・社会への参加料←との表現で、消費税の直接税との入れ替えを提案しています^^

地方を活性化させ悪い癒着をなくす法案(地方自治確立基本法案)
●ポイント・日本を300の市に←小選挙区制とは、政権交代の戦術的制度ではなく、地方分権のための選挙制度です^^

官僚主導ではなく国民主導の政治にする法案(国民主導政治確立基本法案)
関連法案: 内閣法制局設置法を廃止する法案
●ポイント・内閣法制局が=立法行為を行うことは=憲法違反です^^

もっと力強く平和を守りぬくための法案(安全保障基本法案) 
●ポイント・国連平和維持活動には、積極参加します^^

非常事態に速やかに対処できる法案(非常事態対処基本法案) 
●ポイント・緊急事態基本法を設置します^^

日本人の良いところを伸ばしていく法案(人づくり基本法案) 
●ポイント・教育委員会を廃止します^^

地球環境保全で世界をリードする法案(地球環境保全基本法案) 
●ポイント・グローバリズム化を目指します^^

食料自給率と食品安全性を高める法案(食糧生産確保基本法案) 
●ポイント・事実上の種子法廃止案です^^
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57314

↑^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK255] やる気になれば、安倍晋三など屁でもない!   赤かぶ
7. 2019年1月02日 00:39:06 : PtqL8BGGcU : GB9r75d47Sw[66]
何で戦争したがりの安倍自民党に票を入れる人がそんなにいるんだろう?
戦争がしたいのか?
安倍の言う「日本を戦争の出来る国に変えて、戦争に勝利して積極的に平和を手に入れる」なんてまやかしを本当に信じる馬鹿がいるんだろうか?

戦争になれば、日本は世界でもまれなほどの食料自給率が最低な国だ。
北朝鮮の食糧事情が悪いから、生き延びるために蛇まで食べると聞くが、日本の食糧自給率は今、北朝鮮以下だ。
それでどうして戦争をして、勝って積極的に平和を手に入れるなどと思えるんだ?
戦争になった時点で,勝つとか負けるとか以前に餓死するに決まってるよ。
燃料は無し、食料は無しでどうやって平和を手に入れるんだ?
それに日本は自ら原発54基で日本全体をぐるっと囲んでしまった。
それで戦争の出来る国にして平和を手に入れるだと?
バカも休み休み言ってくれよ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/647.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK255] ペテン総理が、年末のドサクサに北方領土について腰砕けな発言! 安倍首相、北方4島返還「国民、困難さをよく理解」 赤かぶ
5. 2019年1月02日 00:40:33 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1493]
■アベは今『内乱罪』で

 訴えられ中なんだけど

 アベ本人は『売国罪』でも

 裁かれたいみたいだね!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/640.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 2019年1月02日 00:41:03 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-450]

小沢ism=安倍内閣^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. 2019年1月02日 00:43:52 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-449]

安倍内閣=小沢主義^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK255] 立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!  赤かぶ
1. 2019年1月02日 00:44:01 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1494]
■”遅い”わな!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/659.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 2019年1月02日 00:51:07 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-448]

次に^^

【基本法】とは=どういう意味か?^^

検証します^^

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/基本法

↑一言で=明確な解説をしていますが^^

【基本法】とは【憲法の条文】と同じ意味です^^

すなわち^^

現在の=日本で乱発されるきほんほうの設置とは=程の良い憲法改正なのです^^

すなわち^^

日本では=【基本法の設置】と偽称された=憲法改正案が=毎年、内閣法制局から発議され^^

憲法は=国民の意思に拠ることなく=改正され続けているのです^^

↑^^
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
9. 2019年1月02日 00:52:20 : PtqL8BGGcU : GB9r75d47Sw[67]
何をもってその人の終末医療だと言えるんだ?
医者が見放したがんの人がどうせもう幾ばくも無いのならと好きなことをしているうちにがんが治ったと言う話も聞くし。
私の母は98まで生きた。
しかも転んで大腿骨脛骨脛骨を骨折して手術に成功したのに、そのリハビリに耐えられず生きる気力を無くして死んだ。
もし転ばなかったら100歳を超えたかもしれない。
母は11人兄弟だったが、一人は肋膜で早世したが他の10人は長生きした。
「84歳の一番下の弟は早死にした」と母が良く言ったほど、他の兄弟もほとんどが98歳前後までも生きた。

平均寿命でひとくくりにするなよ。



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] <新春特別インタビュー>安倍政権どう倒す 志位委員長に早野透さん直撃 統一地方選・参院選 「本気の共闘」と共産党躍進で  赤かぶ
1. 2019年1月02日 00:54:04 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1495]
■共産党

 かなり え〜とこまで 行ってるんだけど

 新旧交代の要あり・・・では

 私個人としては

 小沢陸山会事件時の共産党の対応の総括

 不正選挙疑惑に対する共産党の見解

 以上2点を明確にして欲しい!

 その他はほぼ 合格点デス!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/658.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
23. 2019年1月02日 00:58:24 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-447]

^^↓

ー安倍首相の政治思想について、どう考えているか。

小沢氏:小沢氏:ごくわかりやすく言いますと戦後体制に疑問を投げかけれうあるいは否定する、ということになると思います。ですから、いつも問題になりますが、歴史認識についても、あるいは極東軍事裁判につきましても、安倍さんは常に曖昧な言葉で答えを濁しています。

ー与党の優勢が報じられているが、野党はどうすれば躍進できると思うか。

小沢氏:野党が、何党だ、何党だ俺の党だ他人の党だと、そういうことを言っている限り、政権は取れないと思います。ですからこのままの状態が続けば、新55年体制ではないかと言ったこともあります。しかし、今の安倍内閣に、非常に不満を持ち、批判をしている人たちは、大変国民の中に多いと思います。

ですから、私もずっと言い続けてきたんですけれども、大きな基本の問題の一致はもちろん必要ですけれども、自民党に代わる、野党の政権担当できる受け皿をみんなで力を合わせて一つの受け皿を作れば、例えばこの選挙でも、国民は安倍政 権ではなく、野党の統一体を選んだと思います。残念ながら今回はできませんでしたので、新聞・テレビで報道されるような、当然の結果になるのだろうと思います。

ー1993年に「日本改造計画」という本を書かれた。現状を見て、新しい本を書く計画はあるか。

小沢氏:私が「日本改造計画」を世に出しました時、私は日本の霞ヶ関のいわゆる行政、国の統治、霞ヶ関支配、これ自体をやはり根本的に変えないといけないだろうという、個々の政策の前提として考えておりました。

これは短期間で言えば戦後強大になった官僚機構ですし、長く言えば明治以来の行政の機構ですから、そう簡単には転換、大改革というのはできないんですけれども、考え方としては、今なお私はそれをやらなけれな根本的な日本の体質にメスを入れることはできない、そう思っています。

ただ、そう言っても、私は官僚を否定しているわけではありません。ただ、特に国の官僚は国家的レベルで考えて仕事をすべきだ、国会議員もやはり同様に、国家レベルのことでそれを前提として政治活動しなくてはいけない、そういう意味で申し上げているだけです。

その意味で、予算も、地方に関係することは、これは医療や介護も、地方の役割なんですけれども、いろんな問題につきましては、地方に全部お金もやり、権限もやり、地方の知恵と努力によってやらせるべきであると。その中から、大変大きな無駄を省くことができると。今、補助金や政策の経費でもって50兆円から60兆円の予算があります。
ですから、今言った、地方のことは地方でという大改革をするならば、そこから2割、3割の無駄を省くことができると。それは一挙両得だと思います。

もちろん、中央の政府についてはスリムにすることなんですが、それと同時に、日本は憲法以下どの法律にも、行政にも、危機管理・非常事態のシステムは全くありません。その一事を取ってみても、スリムではあるけれども、強力な中央政府を私はイメージしております。

続編を書こうと思って原稿かなり書いておりますけれども、今はまだ出版するタイミングではないので、そのままにしております。

ー世論調査によれば、国民の多くは、なぜ衆議院が解散し、総選挙になったのか理解できていない。一方、与党の優勢が伝えられている。これは相反する状況ではないか。なぜ日本ではこういう状態が続くのか。

小沢氏:日本人の意識というか、ある意味、外国の皆さんにはちょっと理解できないかもしれません。例えば安倍さんの政治的なスタンス。あるいはアベノミクスと呼ばれる経済政策。誰も良いと思っていないんです。世論調査をすると大部分の人がノーなんですね。

ところが安倍内閣を支持するとか、あるいは選挙は、これはさっき言ったように、野党の責任が非常に大きいんですけれども、政権を代わって担当する政党がないということで、自民党が結果的に勝つということなんです。

私は、日本人はもっともっと積極的に自己主張し、その自分の考えにもとづいて行動する。これは何十年も前から言っていることですが、自立した個人個人にならないと、日本の民主主義は定着しないということで、みなさんが疑問を持つということに、私も本当にそういうことを心配している一人です。

ー小沢さんは今72歳。80歳、85歳までやるとしても、あと2回くらいは仕掛けるチャンスがあると思う。もう一度、2009年のような興奮を作り出す余力はあるか。

小沢氏:まあ私、今まであまりにも色々なことがありましたので、結構くたびれてますし、年も取ってきましたので(笑)、そういうご質問をいただくと何と答えていいかわからないのですが、しかしながら私が長期政権の自民党を離党して、そして今日まで、ある意味で苦労を重ねながら参りましたのは、なんとしても日本に議会制民主主義を定着させないなければいけないと。
そのためには、少なくとも二大政党、政権を担当できる政党を最低2つは作らなければいけない、そういうことで政治が切磋琢磨して、与党・野党の中でより良い政治を目指していく。まさにそれが民主主義の最大の機能だ思っておりまして、私はこれを生涯の目標にいたしておりますので、80まで、85までやれるかどうかは別として(笑い)、もうしばらく、なんとか、その実現を見るまで、もう少し頑張りたいと思っています。

↑^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
24. 2019年1月02日 01:00:24 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-446]

^^↓

少なくとも二大政党、政権を担当できる政党を最低2つは作らなければいけない、そういうことで政治が切磋琢磨して、与党・野党の中でより良い政治を目指していく。まさにそれが民主主義の最大の機能だ思っておりまして、私はこれを生涯の目標にいたしております

↑^^


小沢さん=頑張ってください^^

(応援)しております^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c24

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
65. 2019年1月02日 01:01:53 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1608]
このテのネタになると狂喜して湧いてきて喚きまくるバカウヨども^^

人殺し、殺人だ〜、パヨクは殺人を正当化するのか〜!^^

バカもほどほどにしろ、間抜け、生きる価値も無いバカウヨどもが^^

実際に死人がでたのか?、P1は容赦なく撃墜されたのか?^^

何がパヨクガーだ、サヨクガーだ、そんなもの何の関係が有るんだ、この基地外ども^^

バカウヨに人権はねぇんだ、とっとと糞蛙屁と一緒に死にやがれ^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c65

コメント [政治・選挙・NHK255] 立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!  赤かぶ
2. 2019年1月02日 01:02:33 : 2JEU1ZzOmU : 51fWWoP6JGk[1]
もともとダウンぽい感じだったけど、ますますひどくなったんだな 目がヤバいよ
経団連会長が国民が反対するなら原発推進できない、って言ってるけど
追い詰められて正しいことを言っても、国民は正しいと認めないと思うよ
こいつが総理とか、安倍並にあり得ない
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/659.html#c2
記事 [戦争b22] 核戦争の準備をさせられている日本の運命(3/4)(櫻井ジャーナル) 
核戦争の準備をさせられている日本の運命(3/4)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901010001/
2019.01.01 櫻井ジャーナル


 ケネディ大統領が暗殺された翌年の1964年に中国が初めて核実験を実施、日本政府はこの出来事にすぐ反応、内部で核武装への道を模索する動きが具体的に出始めている。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983)

 NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年にアメリカを訪問した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。

 佐藤首相は1967年の訪米時、「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」とアメリカ側に求め、ジョンソン大統領は「私が大統領である限り、我々の約束は守る」と答えたという。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日)

 その一方、日本政府は1969年2月に西ドイツ政府と秘密裏に会談し、核武装によって超大国への道を歩もうと持ちかけたという。

 この提案を西ドイツは拒否したというが、それでも日本側はあきらめない。10年から15年の期間で核武装すると想定、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査し、技術的には容易に実現できるという結論に達している。

 日本政府が西ドイツ政府と秘密会談していた1969年にアメリカの大統領はリチャード・ニクソンになっているが、その大統領補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装するべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 それに対し、1977年1月から81年1月までアメリカ大統領だったジミー・カーターは日本の核武装に反対、兵器級のプルトニウムを生産させないために高速増殖炉の常陽からブランケットを外させたという。

 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。例えば、東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設向けににアメリカ政府が提供した技術の中には「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。

 ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、​東京電力の福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウム​があったという。トレントに限らず、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信している。

 ロナルド・レーガン時代のアメリカでは増殖炉計画がスタート、1980年から87年にかけての期間にエネルギー省は160億ドルを投入したというが、87年に議会はこの計画への予算を打ち切る。そこで目をつけられたのが日本の電力業界。共同研究という形で研究資金の大部分を負担させ、その代償として核関連の技術を格安の値段で売り渡しすことにしたのだ。そして高性能プルトニウム分離装置がサバンナ・リバー・サイトからRETFへ移転されたのである。

 福島第1原発が事故を起こす3日前に出たインディペンデント紙、つまり2011年3月8日付けの紙面には石原慎太郎のインタビュー記事が掲載されていた。それによると、外交力とは核兵器なのであり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうと石原は発言​​したという。核兵器で脅せば相手は屈するというネオコン的な発想だ。

 こうした発想が石原だけのものではないだろう。どこかの時点で日本政府が隣国を核兵器で威嚇しても不思議ではない。ロシアのウラジミル・プーチン政権は核兵器の使用が破滅的な結果をもたらすと再三警告しているが、それを日本の支配層、つまりネオコンのようなアメリカ支配層の代理人が理解できるかどうかは不明だ。少なくとも石原は理解できていなかった。(つづく)




http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/489.html

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
66. 2019年1月02日 01:06:56 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1607]
朝鮮か中国にしか批判が出来ない腰抜け親米ポチ^^

死ねよ^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c66

コメント [政治・選挙・NHK255] 琉球新報が高らかに問いかけた「日本の民主主義は本物か」?   赤かぶ
1. 2019年1月02日 01:08:59 : gDuJsjuxdc : b1x@ShChRGI[1496]
■焚きつけるわけじゃ〜ありませんが

 陛下のお諫めをも聞かぬ

 糞アベ ヤマトンチュ政権

 多くを期待しては 失望が大きくなります!

 琉球の民は琉球人にとって何が良いのか

 決断を・・・!

 アベが沖縄の皆さんの側に立っての

 結論を出すなんてこと考えるだけむだ・・・と

 だけは 言っておきます!



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/657.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
25. 2019年1月02日 01:09:17 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-445]

^^↓

目次

●第1部 (いま、政治の改革を)

※無責任国家からの脱却
※大久保、伊藤、原、吉田に学ぶ

※何が国民の利益か

※首相官邸の機能を強化
※与党と内閣の一体化

※なぜ小選挙区制がいいか
※全国を三百の「市」に

※生かされてない官僚の頭脳

●第2部 普通の国になれ(日本の責任と役割)

※平和創出戦略への転換
※国連中心主義の実践

※保護主義のワナから救え
※「アジア・太平洋閣僚会議」の常設
※対外援助の積極的「使い方」

●第3部 (5つの自由を)

※ジャパニーズ・ドリーム

※東京からの自由
※企業からの自由
※長時間労働からの自由
※年齢と性別からの自由
※規制からの自由

※真の自由の確立

↑^^
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c25

コメント [経世済民130] 年収1億円になる人は、お金がないみじめさを経験している人(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
6. 2019年1月02日 01:12:17 : 0dwn1aon4e : JdBgOJxCQ8A[10]
>>5
そっちの手取り足取りかい!
 
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/400.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
10. 2019年1月02日 01:12:52 : sqaV8ch9dw : UHrjhE4za8o[2]
論点は終末医療じゃなくて、
庶民に金を使いたくないという事だろ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c10
コメント [原発・フッ素50] 年末年始の大寒波・大雪 温暖化に反するニュースはマスコミは報じない 偏向報道ここに極まれり  魑魅魍魎男
4. 2019年1月02日 01:13:26 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1398]
こういう屁理屈が通用するのなら、"酷暑続きでも寒冷化している"
とも言えるわけで。

彼らは、数年でホッケースティックのように気温が上がって
地球は灼熱地獄になると言っていた。
完全に破たんしているね。

「ここ数年の冬は寒波が襲ってたから温暖化じゃない」、とはならないその理由とは?
(Harbor Business online 2018/8/9)
https://hbol.jp/172212

 北陸地方の大雪、西日本豪雨、連日の猛暑など、今年に入って異常気象が頻発している。実は、それは世界でも同様で、その大きな要因には「地球温暖化の進行」があった!

■ 寒波・大雪 地球温暖化の影響で寒さもより厳しくなる!?
 温暖化で、北半球各地を寒波が襲うという奇妙な現象が起きている。  米国ではここ数年、氷河期のような猛烈な寒波が各地を襲い、豪雪をもたらす「スノーマゲドン(雪の最終戦争)」と呼ばれる現象が起きている。昨年12月には、普段は雪の降らないテキサス州やルイジアナ州でも雪が降った。今年7月には150年間降雪の記録がなかった南アフリカで、全土にわたって雪が降り、欧州でも今年3月、季節外れの大寒波に襲われている。フランス在住のフリー記者、カンタ・カラサンさんはこう語る。 「温暖なフランス南部ニースでも雪が厚く積もりました。パリ市では凍死者を出さないため、ホームレスのためにレスキュー用ベッドを急遽、通常より約1600台多く用意することになりました」  今年1月には、南アジアにも大寒波が及んだ。難民支援のNGO「WELgee」代表で、バングラデシュでの活動経験もある渡部清花さんは「現地の友人から今年1月頃、『とても寒い!』との連絡が来ていました」と振り返る。 「2.6℃という、観測史上最低気温を更新した地域もあったとのことです。今年の寒波は、現地の人々にとって経験したことのないもの。突然の寒さをしのぐ方法に、とても困ったことでしょう」  隣国のインド、そしてパキスタンにも歴史的寒波が到来、インドでは新年の数日間のうちに180人が寒さで死亡した。さらに、今年6月末には南極で最低気温マイナス97.8℃を記録。地球の観測史上最も低い気温を更新した。
 日本でも昨年末から今年2月にかけて強い寒気が流れ込み、西日本では過去32年間で最も寒い冬となった。今年2月の、北陸地方の記録的な大雪は記憶に新しい。
 世界平均気温は年々上昇しているのに、なぜ寒くなる地域があるのだろうか? 国立地球環境研究所によれば「海氷が減って北極が温暖な状況だと、暖かい中緯度の空気と冷たい北極域の空気を分断する偏西風が蛇行しやすい状況になり、北極付近の冷たい寒気が流れ込み、寒波をもたらす」という仮説が、専門家たちの注目を集めているという。温暖化は熱波をもたらすだけでなく、気候をさまざまな形で変動させるものなのだ。 ― 地球温暖化に殺される! ―


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/725.html#c4

コメント [原発・フッ素50] 年末年始の大寒波・大雪 温暖化に反するニュースはマスコミは報じない 偏向報道ここに極まれり  魑魅魍魎男
5. 2019年1月02日 01:17:50 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1399]
昔は、国内のどこかで大雪になれば、すぐに大きな写真とともに
報道された。
少なくとも福島原発事故まではね。

マスゴミが寒波・大雪を故意に報道しなくなったのは明らか。
そしてその理由も明らかだろう。

この投稿のアクセスがすぐにトップになったのは、
 「こんなに寒いのに、報道しないのはおかしい」
と感じている人がそれだけたくさんいるということだ。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/725.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] <山本太郎>今年も炊き出し支援! 安倍晋三はゴルフ、映画鑑賞、百田コピペ本読書!   赤かぶ
39. 2019年1月02日 01:21:35 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1606]
糞蠅よ、お前には今年とびっきりの天誅が下るそうだよ^^

楽しみにしてるよ^^



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/615.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
11. 2019年1月02日 01:22:08 : zg41AnH0gY : C6i3kZxEhvE[236]

日本の経済と品格が、ズタボロになったのをしみじみ感じるエピソードですね。

30年以上幸福度ランキングを保っている国々で、

人間としてお話にもならないレベルのエピソードを聞いたことがない。


こんな人間が、平気な面してTVに出演出来るような国のどこが「美しい国」なのか?

どこからどう見ても、醜い国ですよ。

醜い国に落ちぶれたとしか、言いようがない。

人格荒廃者がTVに出るのを止めさせてほしい。

国が滅ぶ。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
26. 2019年1月02日 01:36:58 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1614]
分裂病でパラノイアで、蛙屁と同じくサイコパスな糞蠅の発作発狂コメは^^

担当によってきれいさっぱり一括非表示となりました^^

どうせなら完全消去で良いと思うが^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
27. 2019年1月02日 01:40:03 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1613]
^^

確かな=野党←とは=常に、権力との対峙に位置する←という意味である^^
そして=確かな野党は=国民の側に(在る)と言う^^

↑すなわち=これは^^

常態として=権力が=国民の側に(無い)ことを=意味している^^

非常に重要なことで^^

政権者に=就く意思の無い者が=国民の味方であっては=ならない^^

↑当たり前のようだが=政権に着く意思が無いのに^^

政治家であろうとする(者)が=野党だとか、極右諸派のくせに=政治家ぶるのである^^

これを=抹殺する^^

それが=日本の民主化の第一歩なのだ^^



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 2019年1月02日 01:42:06 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1612]
^^

(確かな=野党)は=諸派として=カルト右翼←として存在すれば良い^^
そして今^^

(確かな=極右諸派)は=政党と偽って=カルト右翼←として存在している^^

↑問題は=(国民の味方)と吹聴している点だ^^

↑お前らは^^

決して国民の味方であってはならない=存在であり^^

現実に=官僚の独裁を許す役にしか=立っていない^^

^^

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c28

コメント [政治・選挙・NHK255] 立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!  赤かぶ
3. 乳良〜くTIMES[875] k_uXx4Fggq1USU1FUw 2019年1月02日 01:42:48 : 2kyKcunCwM : qj4EwKLC@4M[33]
阿修羅民の皆さん、新年おめでとうございます。

石破茂も軍事に関してはタカ派だって言うけど、

学か無くて、その事により「独善的で不誠実」な安倍よりは絶対に良い‼

野党バラバラはなかなか改善しないだろうから、

自民党内で「謙虚で誠実な人」が総裁になるのを期待するしかないと私は思います。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/659.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] これが日本人慰安婦が表沙汰にならない理由!  赤かぶ
7. 2019年1月02日 01:48:16 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-465]

そんなこと=言い出したら^^

今でも=慰安婦←は居ることになるわけだが。。。^^

慰安婦を=雇用(強制労働?)させてるのは^^

在日コリアンだよね?^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/623.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK239] 警告!ウィキペディアにご用心!若者は特にご注意を!   赤かぶ
29. 2019年1月02日 01:48:52 : E1tJTcmzV9 : SgvItyOIqTE[1]
Wikipediaは「フリー」、すなわち根拠あるかぎり永久改ざん可能であることを標榜している辞典だ。なのに「改ざん」だとか定義不明の「ネトウヨ」だとか叫んでいる1の頭の中はどうなっているのか。

ネトウヨもいるがネトサヨもいる。常駐して管理人にまでなって粘着し、出典やノートもろとも削除する輩すらいる。ネトウヨには稚拙な奴が目立つがこういうことはしないだろう。

仕事や学業そっちのけで団体を作ったりPCの前に常駐している人間がどうみたって右より左が多い。ここで「ネトウヨ」批判に精を出している人々にしても、それが自分や自陣営にも当てはまっていることにまるで気付かないかのようだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo239/msg/548.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK245] 三浦瑠麗が米国のホワイトウォーター疑惑を語り、中林美恵子早稲田大学教授に瞬殺されるの巻  赤かぶ
64. 2019年1月02日 01:50:03 : Eue1sobdh2 : HuADi1dYHTs[1]
例の「スリーパーセル」発言以来、本当に三浦瑠麗は馬鹿っぽくしか見えなくなった。

雛壇番組でおバカ役をやってる若い女子タレの方がずっとマシ。現時点でものを知らないと言うだけなら、まだ、先の見込みもあるからな。

立派な学歴、経歴(?)のある年増にもなって、あんなことしか言えないのなら、この先も賢くはならないだろう。

“ネトウヨの中の有名人”というだけで百田尚樹と同じ部類。
http://www.asyura2.com/18/senkyo245/msg/641.html#c64

コメント [政治・選挙・NHK255] これが日本人慰安婦が表沙汰にならない理由!  赤かぶ
8. 2019年1月02日 01:51:22 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-464]

仕方がない^^

在日コリアンが=日本で、日本人を=徴用して^^

売春させてるから=韓国政府に^^

損害賠償請求でも=するか^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/623.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
67. 2019年1月02日 01:57:51 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-463]

阿修羅は=(反日統一教会)みたいなもんだからな^^

在日コリアンと、マジコリアンと、中華人民共和国の=スパイ^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c67

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
68. 2019年1月02日 01:59:27 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-462]

そして^^

在日コリアンと、マジコリアンと、中華人民共和国の=スパイが^^

支持しているのは→山本太郎と日本共産党^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c68

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
69. 2019年1月02日 02:00:07 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-461]

(デフォ)です↑これ^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c69

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
70. 2019年1月02日 02:02:01 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-460]

とにかく=阿修羅は^^

日本と、アメリカ合衆国が=嫌いで^^

韓国と、中華人民共和国が=大好き^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c70

コメント [政治・選挙・NHK255] 「レーダー照射」韓国がそれでも非を認めない理由はこれではないか 真相解明は翌年に持ち越されたが…   うまき
3. 2019年1月02日 02:04:13 : 61BqBBFXiU : OIE8VrzKYTM[104]
まず、駆逐艦に対して対潜哨戒機で攻撃するというのは無理がある。
やる気ならF-2にASMを搭載して超低空飛行して50km先でフワリと引き起こす。
哨戒機で接近したということはつまり本気ではないということ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/656.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[2502] kNSCqYLU 2019年1月02日 02:05:19 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[968]

小沢氏「ダブル選あり得る」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019010100247&g=pol
2019年01月01日15時48分 時事通信


自宅で新年会を開く自由党の小沢一郎代表(中央)=1日午後、東京都世田谷区

 自由党の小沢一郎代表は1日、東京都内の自宅で開いた新年会であいさつし、今夏の参院選に合わせた衆院解散・総選挙の可能性について「現状のまま推移すればあり得る」との認識を示した。

 小沢氏は「野党の結集が遅々として進まない状況下にある」と指摘。その上で「われわれ野党に、もはや後はない。ここで力を合わせて与党と決戦するという選択肢しかない」と野党共闘の必要性を強調した。








http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
71. 2019年1月02日 02:05:35 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-459]

その他=阿修羅の特徴^^

北朝鮮は=好きでも嫌いでもない^^

ロシアには=一方的に憧れている^^

↑こんなとこやろ^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c71

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[2503] kNSCqYLU 2019年1月02日 02:06:29 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[969]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!  赤かぶ
4. 増税反対[1449] kZ2QxZS9kc4 2019年1月02日 02:07:14 : dBK9nZgT36 : TFKpAI@8MP4[7]
安部がダメとか石破が良いとかの話じゃないんだ。

自民党という政党自体が鬼畜の集まりだからダメなんだ。


 これをしっかり認識してもらわなくちゃ、自公政権が喜ぶだけだ・・・
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/659.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[2504] kNSCqYLU 2019年1月02日 02:07:37 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[970]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[2505] kNSCqYLU 2019年1月02日 02:10:10 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[971]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK255] 企業の献金制限が骨抜き状態(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
2. 2019年1月02日 02:12:21 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3804]
  日本はこれまで国民が政治談議を公然とすることが憚られて来たが、国民から徴税した資金で国政のあらゆる政策に使用するのは血税しか無く、血税無しには消防車一台持てず、警察官の拳銃一丁持つ事はできないのであり、例えば米国大統領のメキシコ国境に壁を建てたいという意向に対し、予算を米議会が拒否していることで中枢機能が一部であってもストップしているのは周知の事実であるが、政治とは、とどのつまりは有権者、納税者が納めた血税が、どこに誰によって決定され歳出され、どのような国の形になるかの問題に尽きるのである。
  日本のように国民議会が全くの形骸化、歳出を、官僚と与党、財界人で決定してしまうような緩い財政規律では無い限り、どこの国も議会での議論の末の承認無しには歳出不可能なのが租税主義システムである。
  ところが議会を形骸化させ自民財官護送船団方式で三者が結託、血税の使い道の優先順位を彼ら自民財官で決めるのは、そこに権益が在るからだ。
  つまり、国会で与党が党議拘束により強引に基本法を可決すれば、関連の歳出は憲法や基本法原則に拘ることなく事務方が通達さえ出せば易々と執行されるのであり、それにより補助金や交付金で温い経営でも潤う企業からは、官僚には天下り先の提供が、また与党には団体献金が振る舞われる構造である。
  団体献金が先か補助金が先かは鶏と卵の関係だが、企業の名を以てする団体献金は金額が大きく、本来従業員を正社員としたり労賃として享受できる筈の経営資金が団体献金として与党に還流してしまっているとも言える。
  この結果、財界の意向に沿った政策が担われるのは、国民議会が形骸化し憲法理念や基本法原則との精査検証を国会が怠っている故も有るが、最大の問題は、企業の社員や従業員個々が持っている代議士を選ぶための一票の価値が無になる結果である。
  国権の最高機関を国会とする現憲法に則って血税の使途の優先順位を代議士が立法するのが国会であるが、その代議士を選出するための一票を個々の社員が持ち、例えば労働者の働き易い環境を作るため尽力する代議士を持つ政党支持としても、その政党に投じた社員の一票は経営者が自民党にする団体献金で完全に無になるといっても過言では無い。
  国政選挙に於ける一票の格差が良く議論されるが、格差どころか、個々の社員の持つ有権者としての一票が経営側の団体献金によって露と消えるのである。
  献金を受けた与党が議会で党議拘束を掛け、天下り先の確保と引き換えに財界の要望に応じた官僚による行政立法案を可決すれば、非正規雇用の増加や長時間労働を容認する、経営側に利益をもたらし労働側には苦役しか残らないような法律が易々と成立するのである。
  団体献金はモラル破壊と同時に、租税主義国として、血税の使途の優先順位を諮るための代議士を選出する、有権者の一票の価値を破壊する要因であり、決して許してはならない自民財官護送船団方式による悪しき慣行である。
  企業経営者の肩書で個人として献金する向きもあるようだが、あくまでも一有権者として肩書抜きで行うのが最低のルールだが、名が知れている有名企業のトップなら、匿名で献金するくらいのモラルが必要である。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/629.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[2506] kNSCqYLU 2019年1月02日 02:12:56 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[972]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c5
記事 [原発・フッ素50] ますます深刻化する健康被害 (40) 2018年12月 火葬場は2週間待ちだそうです

この1ヶ月間、自分のまわり複数名、体調不良になった、あるいは亡くなったという
ツイートを引用します。
体調不良・訃報のツイートは激増しており、とても全部は引用できず一部のみの掲載です。

新年早々暗い話題で恐縮ですが、被ばく被害に正月休みはありません。

最近、火葬場は2週間待ちだそうです。


(関連情報)

「かにちゃんと世界線」 (ツイッター)
https://twitter.com/hunterkani

「ますます深刻化する健康被害 (39) 2018年11月 30代でチラホラ同級生が
亡くなるのは当たり前? 異常です!」 (拙稿 2018/12/4)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/619.html


------(引用ここから)----------------------------------

https://twitter.com/y27d8bde7697672/status/1079677432192364545
(電電蟲であられるぞ)
実は私事ではあるんですが父が脳梗塞で緊急入院、母が乳がんで手術と
両親共に重い系統の病気にかかってしまいました。
しかし、2人とも超早期発見という事もあって後遺症も転移の恐れも
ほぼ無いという奇跡に近い状態で今年を越せる事が出来ます。
何はともあれ、良かったです。
1:55 - 2018年12月31日

https://twitter.com/tubahiroro2896/status/1079668610270806017
(ひろ)
私の知人が脳梗塞で倒れた。今年二人目だ。二人とも60歳ぐらい。
仕事熱心な人。怖いわ
1:20 - 2018年12月31日

https://twitter.com/haru24000/status/1079611415042748416
(春うらら)
2019年は半端なく死にそうな予感。
瓦礫焼却してない関西の田舎だが救急車サイレン多い。
つい先週に救急車の救命現場に出くわした。
21:33 - 2018年12月30日

https://twitter.com/XianoPanamera/status/1079563265955385344
(しゃの@隆那) 石川
今年は家族が病気に振り回される年でした。
夏に母が脳梗塞で入院し(奇跡的に後遺症無し)、
2週間前に今度は父が 脳梗塞で入院(こちらはちょっと障害残りそう)
2人とも同居してたお陰で、危険ラインの4時間半以内に治療でき、
最悪の結果を回避できたのは良かった。 まだ予断を許さない状況ですが
18:21 - 2018年12月30日

https://twitter.com/nenbanyan0509/status/1079169074968461312
(にゃん) 東京23区 50代会社員
私も今年は自身の体調不良、同期入社の親友の病死、実父の急死等々、
激動の年でした。 今日は家内の実家(八王子)に年末挨拶に行ってきます。
帰省渋滞に巻き込まれそうで心配ですが。 夜は小学校からの付合いの
親友2人を交えた飲み会が烏山であります。
乾杯は出来ず献杯になりますが、楽しんで来ます。
16:15 - 2018年12月29日

https://twitter.com/mariko43rie49/status/1079052383471071237
(ふうちゃん) 千葉
私にとって悲しい話なんですが今年は同級生が3人なくなってしまいまして
いずれも男性で心筋梗塞なのです。その中の2人は偶然?
因果関係は不明ですが釣りに行った帰りに亡くなってるのです。
皆さんも気を付けてくださいね。
8:31 - 2018年12月29日

https://twitter.com/2N8TJjNsNd0g7NF/status/1078683868293525504
(まる @ 30w) 予定日2019/3
乳幼児突然死症候群は ほんとに他人事じゃないよ 高校のときつるんでた
後輩の子もそれで亡くなったし 旦那も元嫁との子を それで亡くしてる
私自身21だから 周りはまだ独身が多い状態なのに
身近なところで2人も亡くなってて 怖くてたまらない
8:07 - 2018年12月28日

https://twitter.com/BBQBaaaaka/status/1078599321535209473
(汚物峠榮@c数おばさん)
とある社長の嫁さんが癌で死亡 会社の社員2名も癌で死亡
お祓い行こうか悩んでる それは悩むレベルww
2:31 - 2018年12月28日

https://twitter.com/Spica_Ration/status/1078576621789995010
(Spica Ration)
【お知らせとお詫び】 明日12/29(土)夜に桐谷悠菜生誕祭を
開催する予定でしたが、メンバーの体調不良が相次いだこともあり、
万全のパフォーマンスが出来ないと判断し、延期させて
頂く運びとなりました。つきましては1/5(土)を予定しております。
大変ご迷惑をおかけしますが宜しくお願い致します。
1:01 - 2018年12月28日

https://twitter.com/mogachofu/status/1078199454878945281
(もが道は遠回りしたくなる) 大阪
今週だけで周りの人で酒飲んでていきなり倒れて
そのまま亡くなった人2人もおるんやけど、怖すぎ、、
0:02 - 2018年12月27日

https://twitter.com/takeo_omame/status/1078324555448373249
(mameo #ADD ADHD) 
まだ55なのに 先月は自分の父親も脳梗塞で倒れた
幸い2人とも、すぐ病院行けたから処置が早くて大事には
至らなかったけど… やっぱり、いつなにがあるか誰にも分からないな
8:19 - 2018年12月27日

https://twitter.com/hyperprovaxxerM/status/1078299929242562560
(にいがた学(Manami Niigata))
外仕事だったうちの主人も事故後美味しんぼ鼻血騒動の後くらいに
数回いつもは出さない鼻血を出し、
柏市の友人に念のため家族が鼻血を出しているか聞いたら
4人家族中2人が鼻血を出していると聞いて驚きました。
6:41 - 2018年12月27日

https://twitter.com/Rosemayu02/status/1078458776783544320
(クリスマスローズ)
確実に癌は増えてる。私の周り(横浜)でもあの人もあの人もと
ステージ4なんだと言う会話が普通になってきてる恐ろしさ。
50代60代の人達。
17:13 - 2018年12月27日

https://twitter.com/framboise731/status/1078317716262477825
(ふらん) 東京・杉並区 -> 愛知
風邪ひいて咳で肋骨にひびが…とか、肋骨骨折もやたら聞く
7:52 - 2018年12月27日

https://twitter.com/ayarosmith/status/1078278182724235265
(ayarosmith) 東東京
肺炎になったお子が周りにもう2人もいるけど
もしかして猛烈に流行ってる?
5:15 - 2018年12月27日

https://twitter.com/kiri_390/status/1077961647652691968
(下睫毛さくら)
仲良かった同級生も、同級生のお母さんも亡くなったし
今年はあまりよくなかったなあ
8:17 - 2018年12月26日

https://twitter.com/0sizuki6xox3aki/status/1078047193792077825
(しづき)
最近、朝の電車で椅子に全身横たえて寝てる人が増えてるなぁ…
年末だからなのか… 駅員さんの苦労が半端ないし
靴脱ぐから足臭いし勘弁しろよって思う
13:57 - 2018年12月26日

https://twitter.com/asaminamiwota/status/1078061138154205185
(熱気バモラ@神戸LOVER) 大阪
おはようございます。今日から30日まで超絶忙しいけど頑張るよん
こないだ別の部で突然死があったり、うちの部でも病休3人出てたり、
こないだもある人が突然鼻血出て止まらなくなって
救急車で運ばれてから1週間以上出勤してないとかあるけど
頑張るよ(滝汗
14:52 - 2018年12月26日

https://twitter.com/NKKNAKR/status/1077574079597531136
(nakakenAKIRA) 千葉
タバコやめてから手のひらを返したように、喫煙者に
「まだ吸ってるの?やめた方がいいよ。良いことないよ」という人。
もっとやった方がいい。経験者が啓蒙するのが一番。
今年は、周りに心筋梗塞で倒れた人が二人出たからなあ。
百害あって一利(精神安定)はあるみたいけど、
それは環境を変えた方がいい。
6:37 - 2018年12月25日

https://twitter.com/kinako_purin/status/1077519639498772481
(すもも) 介護職
帯状疱疹になるという事は免疫力が落ちているからだろうけど、
その後、 脳梗塞になったという方が最近2人いました。
帯状疱疹侮れない。
3:01 - 2018年12月25日

https://twitter.com/dayflower_spica/status/1077428955982946305
(ぴきう)
娘2人小児科連れて行ったら溶連菌でした(泣)流行ってるみたいです…
21:00 - 2018年12月24日

https://twitter.com/organicJD174/status/1077220345906528262
(オーガニックJD)
大学で教職とってたから知ってるんだけど、
知的障害の子は年々増えてます。施設の実習も行きました。
彼らを差別するつもりはもちろんない。
でも、増えている原因に目をつむって見過ごすわけにはいかない。
7:11 - 2018年12月24日

https://twitter.com/fu_kumo/status/1076859934740869121
(ふわくも) 東京
今年は大切な人が3人も亡くなった。
立て続けで父も母も精神的に辛いだろうとそばで感じる。
こんな時に掛ける言葉が見つからないのが悔しい。
7:19 - 2018年12月23日

https://twitter.com/sironecone/status/1077037871209402374
(白ネコ)
ヤマト労組の組合報にお悔やみ欄がある 亡くなった組合員の名前と
享年が載ってるけど 30代40代の占める割合多すぎるだろ
あれ殆ど自殺か過労死か?
こんな事呟いてると享年の記載が無くなりそうだなw
19:06 - 2018年12月23日

https://twitter.com/sorashikisea04/status/1076788378073366529
(後藤Sunny)
メリークリスマスイヴイヴ 今年もあと1週間と1日
この1週間で小中学校の同級生が突然死
友達のお姑さんがガンで亡くなった
生きるも死ぬも紙一重 悔いなく生きたいね なんて言っても
実際に死んだら 「あーあれ食べたかった」 とか思うんだろうなぁ
自分へのクリプレ ANNA SUIのポーチ
2:35 - 2018年12月23日

https://twitter.com/wayofthewind/status/1076815289658949632
(U)
日本のトレーナーのあいだでは「骨折」が話題に。
「疲労骨折が数年前から増えた」
「大腿骨など以前は考えられない部位が呆気なく折れることも」
「放射性物質の影響もあるかも? ストロンチウムは骨に溜まりますからね」
そうわたしが言うと、一同絶句。 みんな薄々気づいてはいるのだろう。
4:22 - 2018年12月23日

https://twitter.com/masanmugendai/status/1076695591483101184
(まさやん)
鼻毛を抜くと心臓に悪い。よく鼻毛を抜いていた知り合い二人が
心筋梗塞で亡くなった。
20:26 - 2018年12月22日

https://twitter.com/shadow35291041/status/1076494756081950720
(影 shadow part4) 東京・国立市
最近、終電で帰ることが多いのだが、やばい奴多くて笑う。
飲みすぎていきなり倒れてすぐ起き出すサラリーマン
体育座りし始めるサラリーマン 5名分くらいの座席を占拠して横たわる奴
いきなり大声出す奴 椅子に座りたすぎて座っている人に凄い寄りかかる人
もっとやれやれって内心思う
7:08 - 2018年12月22日

https://twitter.com/asanohikariunei/status/1076444177834029056
(【公式】朝ノ姉妹_運営)
【お知らせ】本日生放送予定だった『【スマブラSP】ママと大乱闘!
【朝ノ瑠璃】』につきまして、 朝ノ姉妹ぷろじぇくと関係者の多数が
体調不良となってしまったため、後日に延期させていただきます。
直前のお知らせとなってしまい誠に申し訳ありません。
3:47 - 2018年12月22日

https://twitter.com/EjMisasagi/status/1076453338672066560
(陵桜華_回=豊洲)
平沢のスタッフさん、二人退職・一人脳梗塞・一人脳溢血。
当の平沢、大阪公演で捻挫、東京公演で肉離れ。
来年こそは皆さまどうぞご無事で。
4:24 - 2018年12月22日

https://twitter.com/gonju_wan/status/1076480057244172289
(gonju) 三重
ここ最近早朝も昼間も夜更けも救急車の音聞かない日はないくらい
ひっきりなしに出動してる。救急隊の人大丈夫かと思ってしまう。
6:10 - 2018年12月22日

https://twitter.com/youkainingen/status/1076423639845617665
(morikoson)
ありえんほど足が曲がってる人を何人も見かけるが
数年前にはこれほど足に異常がある人はいなかった。
足が曲がってるので歩くだけで精一杯だ。
車椅子になるのも時間の問題だろう。
2:26 - 2018年12月22日

https://twitter.com/youkainingen/status/1076454521860026369
(morikoson)
今日は、喋る相手もいないし電話もしてないのに
しきりに一人で喋ってる人を3人見た。
こういう人が最近多いと感じるが、来年は もっと増えるだろう。
4:28 - 2018年12月22日

https://twitter.com/bombshellmaria/status/1076419269351460864
(maria)
なんか今日すごい変な人たくさん目撃する日だわ。
駅のホームでも本屋でも謎に数数えてる人とか
ポンってずーっと叫んでる人とか。。。
2:08 - 2018年12月22日

https://twitter.com/hispco/status/1076121930850156544
(Hisp)
今年は、道路で寝てる酔っ払いを通報して保護してもらったり、
自転車で転けて頭から流血してる人を見つけて救急車呼んだり、
倒れてる人に遭遇するシーンの多い一年だった。
6:27 - 2018年12月21日

https://twitter.com/uwLhzFYHg9ArspM/status/1076203361274191872
(まーしー) 救急救命士
一人の患者に看護師が常に2人で対応できるとか、
医師が常に数名いるとかならまあ別に必要ない。
けれどご存知の通り救急車の搬送件数は右肩上がり。
同時に患者が複数搬送されるなんてザラだし、特に今の季節なら
脳出血の対応中に別の脳出血が重なるなんてことも珍しくない。
11:50 - 2018年12月21日

https://twitter.com/htmnnk/status/1076098888598077440
(ひー@I NZ)
最近親族が2人くも膜下出血で倒れとるから不安、、、
4:55 - 2018年12月21日

https://twitter.com/yukkyna29/status/1076099904219430912
(ゆきな)
脳梗塞から始まって大腸がん2人に、もう1人脳梗塞疑惑?
で大腸ポリープに〆は胆石で胆摘。自分の回りがなかなかハードな1年。
4:59 - 2018年12月21日

https://twitter.com/c3h4o31/status/1075763536008101896
(タリスカー)
今日、知り合いの小学生の骨折聞いて。今月2人目。
なんだか、捻挫並みに「骨折して〜」って話を聞くわね。
走ってて捻挫だと思った。
「腫れてきたから、念のため、病院行ったら折れてた。」
6:43 - 2018年12月20日

https://twitter.com/sorriso_beato/status/1075410318270943232
(あけび)
駅でぶっ倒れてる人めっちゃいる笑
7:19 - 2018年12月19日

https://twitter.com/tvfxq_10210817/status/1075555669716029440
(みっチャミ)
次男の同級生の両親が亡くなるの2人目。。2人とも若いのに。。
突然死と病死。。 気をつけないとなと思う。
何より残された子どもたち、家族が可哀想で。。
今日もどんな言葉をかけたらいいのか。。。。
16:57 - 2018年12月19日

https://twitter.com/moutsukaretanaa/status/1075408438950211584
(yuki)
同じ職場の先輩2人が、乳がんと子宮体がんで手術だって…((T_T))
ずーっとフルタイムで働いて来た先輩。 ずっと頑張って来て、
定年が見えて来たところでがんって、非道い( TДT)
検診受けてもがんが予防できる訳じゃないけど、早く見つかれば
辛い治療しないで治る可能性あるから、皆様検診受けてね
7:12 - 2018年12月19日

https://twitter.com/naodesu7/status/1075281758080294912
(nao_desu) 大阪市
あかん、辛過ぎる…移動中の電車やけど涙止めるの必死。。
立て続けに知ってる子(わんこ)が亡くなった。辛いわ…
飼い主さんが1番辛いんやけどね。
チョコの時思い出すし、いろんな思いでいっぱいいっぱいやわ…
22:48 - 2018年12月18日

https://twitter.com/Simple01614/status/1075008564261937157
(Newしんぷる)
友達で剥離骨折してるやつ2人もいて草 骨折のバーゲンセールかな?
4:43 - 2018年12月18日

https://twitter.com/nekotanyaa/status/1075005911524007936
(ね こ 田) 東京
今年はいつもにも増して喪中葉書が多い気がする。
20代、30代... ご両親や小さな子供を残して旅立った方々の
無念を思うと会ったことなくても涙が出てくる...
4:32 - 2018年12月18日

https://twitter.com/pongood12/status/1074780832387092480
(ぴらにああっぷる)
同級生が急逝した…出産中に。棺に赤ちゃんと一緒に眠ってた。
母子ともに。 出産で母子ともに健康って本当に本当に奇跡で
絶対当たり前じゃない。 女は命をかけて新しい命をつくる。
だから世の中のパパ、今日はママに優しくしてあげてほしい。
13:38 - 2018年12月17日

https://twitter.com/kinnbune/status/1074648607934967808
(ありのこアゲイン)
言い忘れた 風呂に入る時はくれぐれも気を付けてくれ!
ご飯の後とかはなるべく避けて  足を温めてから入る
お風呂で身近な人が2人脳内出血で倒れたんだよ・・・
あとはご飯食べたら2時間は寝ない
心臓に問題のある俺が言うのだから説得力はあるぞw
4:52 - 2018年12月17日

https://twitter.com/suyamio_akura/status/1074730224024137728
(うらすけ月曜東F-59b)
8月に蒲田引っ越してきて人倒れてるのみてるの5回以上なの笑えねえよ
10:17 - 2018年12月17日

https://twitter.com/Liliumoon/status/1074936942398042112
(ゆり) 東京・清瀬市
近くの小学校600人くらいいるんだけど、160人欠席で、学年閉鎖、
学級閉鎖が続いてるらしい。 うち数十人はインフルエンザでのお休み。
23:58 - 2018年12月17日

https://twitter.com/jasumin_mama/status/1074653869513142272
(ママジャスミン Kumi) 新潟
長女、次女ともに肺炎で入院になりました…
仕事も休めず、昼間は仕事、夜は付き添い…
3歳の娘も旦那と二人で寝るなんて初めてで、かなり不安ですが、
仕方ないね… 娘達が元気になるまでTwitterお休みします。
また元気なったら、たくさんお話し出来たら嬉しいです
5:13 - 2018年12月17日

https://twitter.com/kohakunohitomi/status/1074710118384558080
(ささみ) 山陰
あー 今年二人目の 身内の余命宣告…若い人が先に逝くことのしんどさよ…。
かわれるもんならかわってやりたいよ…。 とりあえず偏狭な見方で
医療の進歩なんかなくていいって言った奴が急性白血病にかかっても
絶対ドナーが見つからない呪いをかけておく…
8:57 - 2018年12月17日

https://twitter.com/saburo55042658/status/1074486795201536001
(saburo''scape_goat'') 神奈川
自分は去年の8月に父が、そして10月に母が脳梗塞で倒れました。
二人ともある程度までは回復しましたが要介護となり施設へ。
無理のない範囲でできる限りの事をしています。
ヒロさんも大変かとは思いますが御自愛しながら
お母様の支えとなってあげてください。
18:09 - 2018年12月16日

https://twitter.com/cmk2wl/status/1074541469753458688
(cmk2wl)
とある甲状腺病院の待合で来院者を観察した人の話では、
「1,000人は患者が来ているのではないか」と。
21:47 - 2018年12月16日

https://twitter.com/akshata0123/status/1074549721186807808
(Coki*369) オーストラリア
地元の火葬場が混んでて数週間待ちとかの話、
福島出身の母から聞いた。
22:19 - 2018年12月16日

https://twitter.com/yutakirima2015/status/1074303526891773954
(飼い犬をすてないで。)
保健所からレスキューされた犬猫たちが急死するケースが出てきている。
調べるとガンの末期。このような状態ですてられている。
彼らには何の罪もない。自分ではどうしようもない。
だから絶対に捨てないで。飼い主として最期までお世話して。
6:01 - 2018年12月16日

https://twitter.com/kpoulos908/status/1074542749695631360
(kpoulos08)
3年前に両親が相次いで その時は 火葬場 一週間から10日まち
先日恩師が亡くなり 2週間以上待ちだそうです
べらぼうに人が死んでます
21:52 - 2018年12月16日

https://twitter.com/GpbTama/status/1074167661121028096
(たまちゃんゲーム垢@ニギミタマ推し)
おれの周りも胃腸炎だらけ…かなり流行性あるから気をつけてね!!
21:01 - 2018年12月15日

https://twitter.com/emi_eight_blue/status/1074127249123594241
(エミ)
今年私の周りで骨折する人がたくさんいるけど…何なんだろう
1月旦那→足手術
4月息子→足疲労骨折
11月職場でペアで仕事してる人→腕手術
12月娘→手首近くを2ヶ所
お祓い行こうかしら…
18:21 - 2018年12月15日

https://twitter.com/haru_uta_2000/status/1073548165716922369
(masako) 神奈川
毎年この時期に届く喪中葉書の数が年々増える。
今日は昔の職場の知り合いのご家族から喪中葉書が…
亡くなった彼は私と同い年。 とてもショック…
自分もいつ何時どうなるか分からない一度きりの人生、
楽しまなきゃと同時に危機感を持って生きていかなきゃと
思い知らされた今日。
4:00 - 2018年12月14日

https://twitter.com/lamyai555/status/1073493474509447168
(Andrew C.)
気をつけている人間でもついスルーしたくなり気を緩めているうちに、
周りは失明一歩手前が2人も出ました…
また、ガン、白血病もいます…異常
0:22 - 2018年12月14日

https://twitter.com/oqura841marine/status/1073556961348661249
(弥生)
現在若年性アルツハイマー型認知症の方が2名居ます(男性)
二人とも50代前半で発症。
現在60・70歳。70歳の方は、既に寝たきりで胃瘻造設。
4:34 - 2018年12月14日

https://twitter.com/R2vfS7NkMVRkfSJ/status/1073449969351192576
(まや)
弟骨にヒビはいるわ、おじいちゃん胃潰瘍になって入院するわ、
お母さんの友達2人骨折するわで最近外出るの怖くなってきてます
21:29 - 2018年12月13日

https://twitter.com/cdcreationinc1/status/1073166035325411328
(M.Suzuki) 東京・葛飾区
ここのところ今迄、放射能汚染についてまったく気にしなかった方が
ご自身の 体調が悪くなり自分で色々調べて連絡くれた方が多くなってきた。
先日、電話 くれた方はご近所さんがまわりで5件も亡くなったと。
気がつくきっかけは 人それぞれ違うと思う。
2:41 - 2018年12月13日

https://twitter.com/yurunyuru/status/1073365771168825345
(にゅるりら) 中国地方
まーずーいー。 職員がバタバタ流行性胃腸炎に罹ってる。
食品取扱部門の人繰りがきつい・・・
15:55 - 2018年12月13日

https://twitter.com/wancyope0429/status/1073448109294809088
(くま太郎くまごろう) 関東 -> 岡山
店長から聞いたけど アルバイトの大学生が体調不良で 続けるのは
厳しいとの事で しばらく休む事になったみたい。 大丈夫かな…。
岡山でも体調不良…聞くようになってきた。 怖いな…
21:22 - 2018年12月13日

https://twitter.com/kanpyosan/status/1072865467071553536
(ほわいとりきっど)
フォローさせてもらってる方が2人、肺炎で入院中。 若いのになぁ、
報道されていない変な病気が流行ってそう
6:47 - 2018年12月12日

https://twitter.com/azumin0227/status/1072636106624110592
(アズー)
同じ路線でほぼ毎日急病人... 母数が母数だからといって
起こりすぎだろう。 なにゆえにこうなっとるか謎
15:35 - 2018年12月11日

https://twitter.com/geptraum/status/1072725607685996544
(S子)
自転車に乗ってるひと雨の日気を付けてな。マンホールは滑るからね。
知り合いに3人、お客様で2人、雨の日の自転車で転んで骨折ったり
肩の手術したり大腿骨骨折とかしてるから…
21:31 - 2018年12月11日

https://twitter.com/Liliumoon/status/1072625324440076289
(ゆり) 東京・清瀬市 -> 北海道
近くの小学校、ひと学年は学年閉鎖、もうひと学年は4クラス中3クラスが
学級閉鎖になってるらしい ((((;゚Д゚)))))))
14:53 - 2018年12月11日

https://twitter.com/tane_marumaru/status/1072692724573233152
(種。)
同級生のお母さん2人くも膜下出血したけどお二人とも手術後
数週間ですぐ仕事復帰されてる お二人とも頑張り屋で負けん気強くて、
普段人に弱いとこ見せない人って感じ。 発症する条件は違えど、
人間頑張りすぎは良くないってことよね(´・ω・`)
19:20 - 2018年12月11日

https://twitter.com/kong_on/status/1072725067283410944
(コング)
来週のクリスマス会、胃腸炎が流行してるらしくて中止やって(´□`。)
残念無念…
21:29 - 2018年12月11日

https://twitter.com/10b__________/status/1072427934592483330
(最強エビフライパフェ)
また同級生が亡くなった
1:48 - 2018年12月11日

https://twitter.com/2015tulips/status/1072205114922827776
(チューリップ)
私の周りには白血病2人、癌6人、脳梗塞2人、
東電福島原発事故後は骨折6人、腸からの出血4人、心臓病2人。
その内ペースメーカー入れた人2人。 全部の中で亡くなった方は4人。
喪中のはがきは今年も70人ほどやり取りする人のうち10通。
11:03 - 2018年12月10日

https://twitter.com/justina_shien/status/1072344919556177920
(紫焔)
今月に入ってからやたらと喪中葉書が届く。
この寒暖差が身体に負担を掛けているのかな?
20:18 - 2018年12月10日

https://twitter.com/OnepieceNatu/status/1072351954574155776
(天河) 愛知
爺ちゃんまで肺がん。 父ちゃん肝臓ガン。
二人とも日に日に弱ってる姿 けど頑張ってほしい。
なんにもできないし見てるの辛いし 自分のこともあるし
もうどうしていいかほんとわからん。助けてほしい。
20:46 - 2018年12月10日

https://twitter.com/mikamaniax/status/1072297853089910784
(Mik@) 鹿児島
ここ最近でお友達の実家とかで飼っていた
猫や犬達が立て続けに亡くなったと聞いて泣いている
少しでも見たり聞いたりしていれば頭のどこかに残っているし
自分の飼い犬を大事に思うように
みんなそれぞれの大事な家族であったのだろうと思うと…
涙が止まらないよ
17:11 - 2018年12月10日

https://twitter.com/megumi_sak/status/1072376972309946369
(めぐみさく)
高校の同級生のお父さんが亡くなった。 今年3人目。
(一人はお母さんだけど) …なんか、続くなぁ。。。
うちの親、元気だわー…。 ボケボケだけど。笑笑
22:26 - 2018年12月10日

https://twitter.com/ameinmoonsalt/status/1072251172268855297
(本夛) 札幌
今年は喪中葉書の量が凄い。
14:06 - 2018年12月10日

https://twitter.com/pangra3/status/1071760960556158976
(なかむらさん(ゆるキャラ専用))
今年、職場の長年の先輩が急死し、印刷担当のおっちゃんも
心不全で倒れて、その二人とも北海道大好きだったので
元気な時ずっと「また会社で北海道行きたいね」と言ってたのに
叶わないうちに、結局病に倒れてしまったので。
5:38 - 2018年12月9日

https://twitter.com/nanarotary7/status/1071777256236703745
(VIISY) 栃木・宇都宮市
心筋梗塞で2人が突然死した次は、今年の3月に肺ガンが見つかり、
あっという間に全身転移し治療不可能で後は待つのみなんて聞いてしまった・・・
今後も激増するんだろうな。どう捉えるかは人それぞれだが、
どう考えたって影響してるだろ。
6:43 - 2018年12月9日

https://twitter.com/runrun11675063/status/1071692777958699008
(runrunママ)
東京在住の60代の男性が言っていました。311後一緒に抗議活動等
運動していた人たちはみんな移住してしまったと。
今、首都圏に残っているのは関東の汚染について甘く考えているか、
事情があって移住できないかのどちらかだと思います。
1:07 - 2018年12月9日

https://twitter.com/Rikosoran/status/1071800733656174592
(Rikosoran) 東京
空気と水は国民と自然動物のもの! 取り返そう!
わたしの友人達もこの2年だけで、脳卒中2人、脳動脈瘤2人、
心筋梗塞1人、乳癌1人、舌癌1人です。皆さん、40代から50代前半です。
#ナノ化アルミニウム #ケムトレイル #chemtrails
8:16 - 2018年12月9日

https://twitter.com/karrento/status/1071752672758312960
(tsuto)
身の周りで次々に知人、友人が旅立ち、体を壊す人も増え続けています。
これが、福島の放射能ではないにしても数が尋常ではないほど、
若い人に影響が出ています。
そろそろ身辺を整理し、やりたかったことをしてみたり、
悔いのない人生にしておきましょう。
いつ死ぬか分からない国になっていますので。
5:05 - 2018年12月9日

https://twitter.com/1203_ema/status/1071931528186257409
(ema 34w) 東京
妹と旦那の弟が手足口病 2人を連れて病院
16:56 - 2018年12月9日

https://twitter.com/b5arag30/status/1071393898147151874
(めいむ)
私昨日イオンのフードコートで倒れてた人見掛けたんだけど、
ふと思い返したらここ2、3年毎年一人倒れた人と遭遇してるんだけど
多くない?どんな確率なの? あと倒れてる人の周りに
座ってる高校生たちが普通に過ごしててちょっと引いた。
店の人も気付いてあげよ?
5:19 - 2018年12月8日

https://twitter.com/nknmkin78/status/1071217605849927680
(のどか) 九州
職場のひとがまた亡くなった…
17:39 - 2018年12月7日

https://twitter.com/rieko_w/status/1071032498178519042
(田代深子) 埼玉・川口市
会社から駅までの500mばかりの距離で酔って路上に寝てる人を2人見て 
地下鉄に乗ったら座席に突っ伏して駅員さんに揺り起こされてる人を見て 
いいな〜わたしも正体なく泥酔したい… と思う年末進行の高田馬場
5:23 - 2018年12月7日

https://twitter.com/sachip0215/status/1070549976466374657
(さちこ) 千葉
急死とか癌とか心筋梗塞脳、脳梗塞周りに増えました。
すい臓がんなんかも今まで聞いたことないのに二人も 明日は我が身。
21:26 - 2018年12月5日

https://twitter.com/kinudoufuu/status/1070394321394819073
(絹納豆)
子供ら三人ヘルパンギーナ(喉の風邪)で3人中下二人が高熱で
昨日全くねれなくて死にかけてた(*_*) 今も2時間くらい寝て今に至る
11:07 - 2018年12月5日

https://twitter.com/youkainingen/status/1070296005608800257
(morikoson)
芸能人やアナウンサーにけっこう顔中に小さいホクロが
いっぱい出きだしてるな。 ホで肌が劣化してるのだろう。
4:37 - 2018年12月5日

https://twitter.com/KameRacing031/status/1069634805594124288
(亀レーシング KameRacing)
50で癌をわずらって亡くなった同級生。
46で急性虚血性心疾患で亡くなった弟。 まだまだ生きたかったやろう。
俺ぁまだまだ死なんで!!
8:49 - 2018年12月3日

https://twitter.com/runrun11675063/status/1069599068282748928
(runrunママ)
最近、若い世代の女の人の杖や不自然に歩く人を見かけることが
急に増えたような気がする。 近所の中高生のママもここのところ
会うと足を引きずって歩いている。階段も手すりが必要な位に。
自分もいつまで歩けるのか不安。電車の人身事故も増えた。
6:27 - 2018年12月3日

https://twitter.com/chinamirm/status/1069795945439625216
(ルミ) 関東
ウチの会社で2人も乳がんになってしまった… こんなに続くなんて
私は1度も検診したことないので、行ってこようヽ(。>д<)p
19:30 - 2018年12月3日

https://twitter.com/mikage0903/status/1069591636395491328
(ミカゲ) 東京
身近に乳がんの方が二人もいる。やっぱり多い。
他人事ではないんだな。 #プロフェッショナル仕事の流儀
5:58 - 2018年12月3日

https://twitter.com/Nob_hsj/status/1069405732322201600
(Nob)
↓決まり文句「呪われてる」
17:39 - 2018年12月2日

https://twitter.com/sendagiwalker/status/1069379278096060418
(シェフ) 東京・千代田区 歯科医
過去、平時ではこれ程膵臓がんの話を聞いた経験が無い。
やはりイットリウムの膵臓への集積が進んだ方が多くなっているのでしょう。
ステージ4で見つかったようです。この頃、進行した状態で発見される方が
増えています。#膵臓がん #汚染環境の特性
15:54 - 2018年12月2日

https://twitter.com/usatora1031/status/1069408311869493248
(鷲崎 葵)
私の親友2人(30代)がまさかの乳がんと胃がんになるって…
17:49 - 2018年12月2日

https://twitter.com/BETTYCHERRY/status/1069315079303180288
(BETTY)
また今日、新たに職場の68歳のおっちゃんが脳梗塞で倒れて入院、と。
ここ2年で3人目、やはり辞めどきなのだわー。
11:39 - 2018年12月2日

https://twitter.com/goballpig/status/1069209880207142912
(漂流ネコ) 埼玉・新座
2人の有名アナウンサーの癌と「食べて応援」の因果関係は、
そりゃあ科学的には証明できないだろうけどさ、
ここで「もう止めといたほうがいい」と判断するのが
人間の理性ってもんじゃないのかい。
これでコーナーを引き継いだ人まであれになったら決定的じゃん。
命令した人は責任問題だよ。
4:41 - 2018年12月2日

https://twitter.com/Ruri_rori_cos/status/1068874068105949185
(瑠璃は合法ロリ アコスタ京都駅後にパパができた)
今年は、親戚近所職場含めて、身近な方々の訃報が多すぎる。
知ってる方々なだけに、間接的に私のせいなんかじゃないかなって。
9月に自然災害とか多いのも、自分の誕生月が
呪われてるんじゃないかって思って、渇いた笑いすら出る。
6:26 - 2018年12月1日

https://twitter.com/agitarezou/status/1069120523408306176
(あぎじゅんこ) 関東
他人事ではなく心配しております。 最近、身近な2人
(漫画家と元漫画編集)が脳梗塞とくも膜下出血で入院しました。
今は2人とも元気にしています。どうかお大事になさって下さい。
22:46 - 2018年12月1日

https://twitter.com/w_chanel44/status/1069043585691992064
(ブラック企業撲滅)
東京在住の友達、まだ30代前半くらいなのに、
同い年の友達2人が癌で、彼女達より若い同僚も脳卒中。
周りに病気が多すぎると言っていた。
17:40 - 2018年12月1日

https://twitter.com/furearie/status/1068998988420984832
(りえ)
前から、売場が呪われてるとは思ってたけど、また呪いが来たよ
少し前に、社員の旦那が心肺停止で倒れ、
次は、違う人の旦那が手術で緊急入院&その人のお兄さんが昨日亡くなる…
今月で、薬剤師の社員、来年3月にバイトが辞める
新年は、ちゃんと参拝に行かなきゃ
14:43 - 2018年12月1日

https://twitter.com/13784696/status/1068960907139534848
(むと)
職場で人が次々に怪我するからマジで全員でお祓い行きたい
12:11 - 2018年12月1日

--------(引用ここまで)------------------------------------
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/728.html

コメント [カルト20] 日本人は、そんなに「朝鮮・清和会」支配。というものを、歓迎するのか   マシマヒロト
12. マシマヒロト[46] g32DVoN9g3GDjYNn 2019年1月02日 02:18:13 : XLCFALTTjA : S_XMAg5Ot8I[2]

誤解を招くようなので、言っておきます。

昔の、内橋克人さんのような、ご老人が必要だということです。

3.11以前の、内橋克人さんのような、ご老人が必要だということです。

そのような長老の方が、必要なのです。

分かってください。

あと、”善良な”在日コリアンの方は、悪くないです。

分かってください。

分かってください。


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/111.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK255] 2019年は戦後最大の政治決戦の年<本澤二郎の「日本の風景」(3201B)<改憲・戦争派の自公・日本会議を平和主義で包囲 笑坊
8. 2019年1月02日 02:21:00 : YQbb4XbWFw : iC9YaXWmGKY[-458]

>>6

まだまだやのう。。。^^

自由党(liberal party)=bourgeois党^^

↑^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/620.html#c8

コメント [カルト20] 日本人は、そんなに「朝鮮・清和会」支配。というものを、歓迎するのか   マシマヒロト
13. マシマヒロト[47] g32DVoN9g3GDjYNn 2019年1月02日 02:23:08 : XLCFALTTjA : S_XMAg5Ot8I[3]

>>5さん

>在日と言うよりは、欧米の犬に成り下がっている連中が問題でしょう。


そうですが、それだけじゃないんです。

分かってください。


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/111.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
6. 2019年1月02日 02:24:00 : UaKMNDvt6U : KXRgYuSDkow[24]
小沢氏曰く「このままの状況で、どこかの野党がこのまま、存続していくことはたぶんあり得ない。野党の強弱はあっても、いずれ政府与党とその権力の前に、崩壊するしかなくなってしまう」。私は、これは極めて正しい推測であると思う。さすがに、経験豊富な政治家の言である。これは明確に、枝野を牽制したものであることは疑いようがない。バカの枝野はこのことに気が付いていない。

堀茂樹なる人物もツイッターで変なことをつぶやいているが、現状では、政権交代を伺えそうにもない野党が、次々生まれては消えていくしかない。枝野が、たとえ万年野党を目指したとしても、所詮口先商売の新しいイカさま師が現れて、その座を奪われると言うことを小沢氏が言っているのであり、意味のない少数「万年野党」が存続し続けるかどうかなど、最初から誰も問題にしていない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c6

コメント [原発・フッ素50] ますます深刻化する健康被害 (40) 2018年12月 火葬場は2週間待ちだそうです 魑魅魍魎男
1. 2019年1月02日 02:24:10 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1400]
>鼻毛を抜くと心臓に悪い。
>よく鼻毛を抜いていた知り合い二人が心筋梗塞で亡くなった。

鼻毛がないとそれだけ放射性微粒子を吸い込む確率も高くなる。
あながち根拠のない話ではない。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/728.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
7. 乳良〜くTIMES[876] k_uXx4Fggq1USU1FUw 2019年1月02日 02:27:37 : 2kyKcunCwM : qj4EwKLC@4M[34]
選挙費用という税金の無駄を無くす為に、醜議院の解散や地方首長の出直し選挙を止めて欲しい。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK255] マイケル・グリーン副所長は「もう安倍は必要ない。速やかに排除したい」「ポイントは、沖縄3区の補欠選挙が戦いのスタートだ。 赤かぶ
10. 2019年1月02日 02:33:26 : kkFJujdVZc : TwXlLJQo4T0[1]
釣に出かけた小沢が離れ小島の海底に待機していた潜水艦で
マイケル・グリーンと会談した
これも板垣が過去に紹介した傑作記事のひとつ
ずっと騙され続けながらも情報提供先を全く疑うことなく
提供される情報をそのままとって出し発信し続けてくれている篤志
一昨年の衆院選の前原・小池らによる野党共闘破壊工作も
最後の最後まで小沢の作戦であり野党が勝利するとミスリード
つまりこれまで選挙情勢も政治動静もアナウンスする内容は常に逆目
この法則に従えば沖縄で安倍自公維新ファシズム暴政不正政権側が
勝利する「不正選挙」をジャパンハンドラーズが仕掛けてくると判断する
のが妥当

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/634.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK255] やる気になれば、安倍晋三など屁でもない!   赤かぶ
8. 空虚[1695] i_OLlQ 2019年1月02日 02:34:17 : W55dAUnSFd : x1j2YJdkrz4[12]
>>7 殿

貴殿の仰せの通り、それが事実だね。

皮肉なことに、原発を有する国への攻撃は大陸内なら直接に

海を隔てていても、放射性物質による深刻な影響は避けられない。

ww1・ww2とは違う最悪の事態を回避できない戦争が次の戦争だものね。

政治的小競り合いは出来るが、本気で戦争なんぞどこの為政者だって

望んではいない。得るものを超えた損失が、確定しとるw


米中ロは、新しい冷戦を再開したいんだろな。(もちろん銭の為だ)

内政への不満を逸らすには、敵をつくる必要がある。

だが・・・それも限界に近いか既に超えているのかもしれないね。

もう、殺戮のためのテクノロジーは進歩せんでええのにね・・・。

お猿ウッホッホーから、ほんと人間目指す世界になって欲しいもんだわ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/647.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK255] <山本太郎>今年も炊き出し支援! 安倍晋三はゴルフ、映画鑑賞、百田コピペ本読書!   赤かぶ
40. 地下爺[4215] km6Jupbq 2019年1月02日 02:41:59 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[41]

     
 うんこバエに対しては 適切な言葉づかいと思うのですが。。。。 m(_ _)m


    =========================

 >39. 2019年1月02日 01:21:35 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1606]

 糞蠅よ、お前には今年とびっきりの天誅が下るそうだよ^^
 楽しみにしてるよ^^

 [18初期非表示理由]:担当:言葉遣いが適さないコメント多数により全部処理
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/615.html#c40

コメント [政治・選挙・NHK255] 「低空飛行は日本の威嚇」防衛省の公開映像に韓国メディア レーダー照射問題 渋る防衛省、安倍首相が押し切る=日韓対立泥沼化 うまき
2. しんのすけ99[117] grWC8YLMgreCrzk5 2019年1月02日 02:43:07 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[928]
ネトウヨを含む いわゆる馬鹿ウヨ連中は、中国と韓国が 兎にも角にも嫌いなのです気に食わないのですよ
中韓の やる事なす事 目障りでしょうがないのです

中央日報の日本語サイトを みて下さい、コメント欄に書かれた日本のネトウヨ連中による 悪口雑言のオンパレードは
我が国の民度を この連中が下げまくっているという事がよーく判ります
https://japanese.joins.com/article/651/248651.html?servcode=100§code=110&cloc=jp|main|top_news
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/655.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] Xマス翌日の夜、安倍晋三の「悦楽の3時間」!  赤かぶ
7. 2019年1月02日 02:46:38 : GsRDye71bY : WScoavIZ26g[54]
ネトウヨが朝日新聞を敵視しているが、これを見るとなぜ朝日も安倍友なんだろうな。所詮、朝日もあちら側。
叩かれ役を演じているだけ。ネトウヨが認めたくない事実。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/639.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK255] <山本太郎>今年も炊き出し支援! 安倍晋三はゴルフ、映画鑑賞、百田コピペ本読書!   赤かぶ
41. 地下爺[4216] km6Jupbq 2019年1月02日 02:55:27 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[42]
前河 さま


   私の嫁も 太郎サー が 苦手のようです。

  どうも TVでは 太郎サー が 怒っているところしか写さ無いのが

  原因のようです。なぜ怒っているのかをいつも説明するのですが。。。

  マスコミが うまく取り上げないと 世間なんざ そんなもんかも

  しれませんネ。ここに掲載された写真を見せるだけで良いかもしれません。


     今年もよろしく お願いします。   m(_ _)m

山田 さま


  本当に そのとおりだ思います。 「人の命や思いに」寄り添うことが

 できるだけで、少なくても その周囲は 幸せになれると思います。

 子供が道路で走りまわっていても、「車に気をつけてね」の一言と笑顔が

 あれば良いように。

  今年もよろしく お願いします。   m(_ _)m

 

  

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/615.html#c41

記事 [経世済民130] 海外人材を増やすなら技能実習は廃止せよ 類似制度を入れた韓国は廃止済み(PRESIDENT Online)
海外人材を増やすなら技能実習は廃止せよ 類似制度を入れた韓国は廃止済み
https://president.jp/articles/-/27173
2018.12.30  福島大学経済経営学教授 佐野 孝治 PRESIDENT Online


改正出入国管理法が成立し、来年4月から外国人労働者の受け入れが拡大する。だが制度の全体像はまだ明らかになっていない。本当に大丈夫なのか。先行する韓国では、日本の「技能実習制度」を模倣した制度が行き詰まり、「雇用許可制」に切り替えている。韓国の労働事情に詳しい福島大学・佐野孝治教授は「日本も技能実習制度を廃止すべきだ」と提言する――。

改正出入国管理法が12月8日に参院本会議で可決し、成立した。来年4月から、「特定技能1号」と「特定技能2号」の在留資格を新設するとともに、出入国在留管理庁を設ける内容である。筆者は、技能実習生や留学生に単純労働を依存している現状に比べれば、新たな在留資格を設け、労働者として受け入れるという方向性に、基本的に賛成である。

しかし、審議時間が少なく、受け入れ人数や基準など制度の全体像が明らかになっていない。また、受け入れ態勢、社会保障、技能実習生の実態など解決すべき課題も、省令に委ねられ、先送りされている。そこで本稿では、韓国の「雇用許可制」を研究してきた立場から、出入国管理法の2年後の見直しに向けて、持続可能な外国人労働者受け入れ制度を構築するため、いくつかの提言を行いたい。

提言が目指すのは、日本人と職を奪い合うことがなく、外国人労働者の労働者としての権利が保護され、日本人と共生するための支援制度が整い、多文化共生を基本に置いた持続可能な外国人労働者受け入れ制度である。

政府が雇用許可書を発給する韓国の「雇用許可制」とは

まず簡単に韓国の「雇用許可制」について説明しておこう。韓国では、当初は外国人労働者を受け入れる際に、日本をモデルとして、「研修就業制度」(研修生・実習生制度)を採用していたが、2004年に雇用許可制へ転換した。そして、2007年には、研修就業制度を廃止した。さらに在韓外国人処遇基本法(2007年)や多文化家族支援法(2008年)などを相次いで制定し、統合政策を進めている(※1)。その後、外国人労働者は増加し、2017年末には83.4万人に達し、就業者数の3.1%を占めている(日本は、128万人で、2%)(図表1)。

韓国の雇用許可制とは、「国内で労働者を雇用できない韓国企業が政府(雇用労働部)から雇用許可書を受給し、合法的に外国人労働者を雇用できる制度」である。2018年9月末現在、一般雇用許可制(非専門就業ビザ)は27万8690人と特例雇用許可制(訪問就業ビザ)(※2)は24万3905人である。



日本の参考になる一般雇用許可制は、ベトナム、フィリピンなど16カ国政府との間で二国間協定を締結し、毎年、外国人労働者の受け入れ人数枠(クォータ)を決めて実施する制度であり、中小製造業、農畜産業、漁業、建設業、サービス業の5業種が対象である。

(1)労働市場補完性(自国民優先雇用)の原則、(2)短期ローテーション(定住化防止)の原則、(3)均等待遇(差別禁止)の原則、(4)外国人労働者受け入れプロセスの透明化の原則の下で、制度設計がなされ、運営が行われている。施行後14年間で、韓国の経済・社会に対してプラス面だけではなく、マイナス面での影響も表れてきており、この知見を日本に活かすことができると考える。(図表2)。

(※1)佐野孝治[2017]「韓国の『雇用許可制』にみる日本へのインプリケーション」 『日本政策金融公庫論集』第36号。
(※2)特例雇用許可制は中国など11カ国の韓国系外国人(在外同胞)を対象とし、サービス業など38業種が対象である。クォータ管理をせず、総在留規模で管理している。



提言1 業種ごとの受け入れ人数枠を設定せよ

韓国では、労働市場補完性(自国民優先雇用)の原則に基づき、国務調整室長を委員長とする各省庁次官クラスによる外国人力政策委員会が、毎年、労働市場需給調査、景気動向、不法滞在者数などを考慮し、国別、産業別に受け入れ人数枠を策定する。また労働市場テスト(求人努力)を行い、国内で労働者を雇用できない企業に対して許可を与えている。その際、改善点数配分方式により、新規外国人労働者の配分をしている。また、事業場移動が原則3回に制限されている。

その結果、一般雇用許可制により、失業率の上昇は起きておらず、またいわゆる3K業種の製造業中心に就労しているため、韓国人労働者との競合は少なく、補完的役割を果たしているといえる。ただし、韓国系外国人を中心とする特例雇用許可制では、サービス業や建設業での就業が認められ、事業所変更も自由であるため、競合している面がある。「韓国人の外国人に対する世論調査」(女性家族部[2015])を見ると、2011年から2015年にかけて、「仕事を奪う」が30.2%から、34.6%に上昇しており、外国人労働者を見る目が厳しくなりつつある。

他方、日本の新制度では、人手不足の分野とはいえ、介護、建設など14業種で最大34万5150人と規模も大きい上に、業種ごとの受け入れ上限設定も決められていない。さらに、同一分野内で転職が可能になるため、日本人労働者との競合や労働条件の悪化の懸念がある。

この課題を解決するために、まず、来年4月までに、各省庁の幹部クラスから構成される外国人労働者委員会を設置し、業界の労働市場などの基準に基づいて、毎年の業種別、国家別のクォータを決める枠組みを作るべきである。また労働市場テスト(求人努力)を義務づける必要がある。さらに、見直しの際には、韓国型の改善点数配分方式(法令違反がなく成長可能な業種と企業に優先的に労働者の受け入れを認める制度)や、台湾型の就業安定費(外国人雇用税を企業から徴収し、安易な外国人労働者の受け入れを抑制するとともに、自国民の職業訓練の費用に充てる制度)を導入すべきである。

提言2 名ばかりの技能実習制度は段階的に縮小・廃止せよ

国会での議論の成果としては、技能実習制度の問題点が明らかになったことである。2016年の技能実習法成立により、「外国人技能実習機構」が設立されるなど一定の改善がなされているとはいえ、7割にあたる事業場で労働基準関連法令違反が起きている。米国国務省『人身取引年次報告書』でも、2007年から11年間にわたって、「人身取引」と批判の対象となっている。少なくとも「国際貢献」という建前は世界から信じられていない。

新制度は、この技能実習制度を土台として、それに接ぎ木した制度設計になっている点は問題であり、技能実習制度を段階的に縮小・廃止し、新制度へ一元化するためのロードマップを策定すべきだと考える。韓国でも2004年に雇用許可制を導入して、3年後に「研修就業制度」を廃止・一元化しており、日本でできないことはない。他方、「国際貢献」目的の技能実習は、人数を大幅に縮小し、JICA(国際協力機構)が担当すればよい。

提言3 受け入れ企業への罰則・監視を強化せよ

外国人労働者は、使い捨ての労働力ではなく、人間である。韓国では、外国人も労働三権、最低賃金、各種保険の適用を受ける。また法令を順守させるため、全国の雇用支援センターに加え、外国人勤労者支援センターなどを設置している。加えて民間支援団体は300団体以上あり、多言語での相談活動、シェルター提供などの支援を行っている。



しかし、韓国でも賃金格差、差別、事業場移動の制限などはなくなっていない。特に、農畜産業では勤労基準法の適用が除外されるため、劣悪な労働条件・人権侵害にさらされやすく、国内外から厳しい批判を受けている。

他方、日本では、技能実習生で法令違反が続いている。新制度では、同一分野内で転職の自由があるので一定程度改善が見込めるが、人権侵害が続出することは目に見えている。それを防ぐためには、罰則規定の強化と専門的スタッフの増員による実効ある監視体制が不可欠である。新制度では出入国管理庁による立ち入り検査により、改善命令に従わなければ6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金を科すことになっており、改善がみられる。しかし、企業数に比べ、多言語を話せるスタッフの数が少なすぎて、実効性に懸念が残る。また日本語教育、生活支援、社会保障などについては、国、地方自治体、NPOなどによる総合的な支援システムの構築と財政措置が必要である。

提言4 短期ローテーション制を機能させるのは難しいと認識せよ

韓国では、滞在期間の長期化、不法労働者化、結婚や家族の呼び寄せなどに伴う社会的コストの増加を抑制するため、雇用期間を限定し、自発的帰還プログラムを実施するとともに、退職金を出国時に受け取れる出国満期保険や帰国費用保険によって、帰国のインセンティブを持たしている。

しかし、滞在期間については、企業の要望、不法労働者化の抑制といった観点から、次第に長期化している。また不法滞在者は、2018年9月現在34.5万人と、外国人の14.8%を占め、増加傾向にある。特に非専門就業でも、2017年には9455人失踪している。このように短期ローテーション制を機能させるのは非常に難しい。

今回の日本の新制度は、技能実習制からの移行組が約5割と見込まれている。これは技能実習3年(+2年)をさらに「特定技能1号」で5年間延長する制度とみることができる。韓国や台湾と同様、5年後の期間満了の時期になれば、企業の要望や失踪者の抑制のために、特定技能1号を延長すべきという議論が出てくるはずである。

他方、「特定技能2号」については、建設、造船の2業種を対象とし高難度の技能試験に合格する必要があり、家族帯同や在留期限更新が可能だということぐらいしかわかっていないが、ハードルが高く、移行者は多くないだろう。韓国でも、熟練技能人材点数が高い順に、特定活動、居住に変更できる制度を導入しているが、年間400人程度で、まさに「蜘蛛の糸」である。

提言5 民間ブローカーを排除、政府主導の受け入れ態勢をつくれ

韓国では、研修就業制度の時代、民間事業者・ブローカーにより、不正が横行したことの反省から、送出国との間で二国間協定(MOU)を締結し、雇用労働部が主管して、韓国語教育から帰国までの全プロセスを運営している。これにより、プロセスが透明化し不正の減少につながっている。



また労働者の求職コストは、日本の1割から2割程度であり、ブローカーに借金をする必要がないだけでなく、事業主の求人・管理コストの削減にもつながっている。このことが評価され、2011年に「国連公共行政大賞」の受賞につながった。また2017年には、世界銀行から、「優れた情報アクセス」と高く評価されている。

他方、日本の新制度では、悪質なブローカーや高額な保証金を排除するとしているが、実効性には疑問が残る。短期的には、民業圧迫や公的機関の非効率性などに対する懸念から公的システムの導入は難しいと思われるが、長期的には、出入国在留管理庁から厚生労働省の主管に移し、透明性が高く、低コストの政府主導型の受け入れシステムとして「グローバル・ハローワーク」を構築すべきである。

現在、アジアにおいて経済成長と少子高齢化が進むなかで、外国人労働者争奪戦時代が起きている。上から目線の「外国人労働者を受け入れてやる」という姿勢では、韓国や台湾の後塵を拝すことは目に見えている。今後、日本が少子高齢化の中で、経済成長を持続させるとともに、日本人と外国人が共生できる社会を作っていくためには、多文化共生を基本に置いた持続可能な外国人労働者受け入れ政策への転換を進め、そのためのロードマップを策定していくことが求められる。

佐野孝治(さの・こうじ)
福島大学経済経営学教授
1963年生まれ、慶應義塾大学大学院博士課程・単位取得退学、専門は開発経済学,アジア経済論。著作に、「韓国の外国人労働者受け入れ政策」(高橋信弘編『グローバル化の光と影』、晃洋書房, 2018年)、「アジアにおける国際移民」 (朱永浩編『アジア共同体構想と地域協力の展開』文眞堂, 2018年)などがある。

(写真=iStock.com)



http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/404.html

コメント [経世済民130] 1位はアジアのあの国!理想的な世界移住国ランキング(Forbes JAPAN) 赤かぶ
4. 空虚[1696] i_OLlQ 2019年1月02日 02:59:29 : W55dAUnSFd : x1j2YJdkrz4[13]
そだね。

シンガポールは富裕層にとっては、天国だろさwww

イカサマ師の、銭ロンダリング天国だからね。

夢の王国、でんがなまんがな。

ちなみに、晋三王国は馬鹿に諂うお友達にならんといけんので

優秀な、世界のイカサマ師のプライドが許さんだろwww

しかも、既に旨みらしきものはほとんどIMFとFRBのお手付きだからね。

残ってるのは、カスばかりだぜ。

晋三とナチ汚が歩いた跡には、ぺんぺん草も根腐れするからね。

移民を大量導入させて、蛮族経済するくらいがせいぜいってとこだ・・・。


眩暈するだろ?

美しい国の経済は、塩害だらけの砂漠化でんがな・・・。

当分は、回復の見込みは無い。

ケケ中や経団連や、その他新自由主義者なんぞのイカサマ師が

自滅・絶滅した後もね。


http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/391.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々(リテラ) 赤かぶ
4. 2019年1月02日 03:12:50 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[1]
ジャーナリストが出るような番組も見ない連中には御用芸人
武田鉄矢とかダウンタウン松本のような朝鮮芸人が
オツムの悪い人々を誘導
かなり悪質だ

こいつら、政権が変わったときが見ものだよ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/650.html#c4

コメント [経世済民130] マネックスを蝕み始めたコインチェック買収…株価暴落、「凄まじい儲け」幻想崩壊(Business Journal) 赤かぶ
1. 空虚[1697] i_OLlQ 2019年1月02日 03:13:08 : W55dAUnSFd : x1j2YJdkrz4[14]
そっか。

個人投資家は戻ってこんか・・・。

なんでこんな如何わしい銭集めを合法化する?ww。

換金所のない、パチスロやんけww。

胴元だけが、旨い賭場だわな。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/399.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 秋篠宮殿下は「大嘗祭は宗教色が強いので公費を支出するべきではない。天皇家の私的費用で執り行うべきだ」と発言し、一定の… 笑坊
10. 地下爺[4217] km6Jupbq 2019年1月02日 03:15:47 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[43]
6 さま

   それて 「安晋」 て ことですか?!


   ちょつと目眩が 。。。。。



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/619.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK255] これが日本人慰安婦が表沙汰にならない理由!  赤かぶ
9. 2019年1月02日 03:17:19 : GCyMvwdBDw : RqjEpXi8Xps[10]
十朱幸代, 秋吉久美子, 萩原健一, 津川雅彦らが主演・出演している
昭和10年代初期が舞台となった、

日本映画「夜汽車」の原作とDVDを見れば、仲介業者の横暴や身売りの実態
が描かれています。国内で行われていた悲惨な身売りの実態は

実は私達の周りでも存在していたのです。
いつの時代に始まったのか、その答えを
八切止夫の「天の王朝」が記しています。それは
前王朝が葬られ、日本国大和朝廷と共に始まったのだ、
と。

日本人慰安婦(慰安婦などという言葉は戦時中につくられた言葉のはず。)は、
本来本土(国内)では「娼妓(しょうぎ)」と言い、
日本中に見られた。作家の水上勉の作品中に
しばしば描かれています。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/623.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
29. 2019年1月02日 03:19:48 : NaDZwgIOms : ZW2rDccds5w[1]
>7
>…実際はニューヨークにある投資会社が支配していて去年ソフトバンクに買われ>たのだそうだ…

このことはベンジャミンも言っていたと思うが、事実だとしたら
次の2点については何が考えられるのだろうか。
@ソフトバンクの意図は?
A不正選挙がなくなることを期待できるのか?

 よろしく。どなたでも。

今のところ、根拠がないが゜Aについて期待したいし、期待できるのではないか
孫さん、たのむよ。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK255] これが日本人慰安婦が表沙汰にならない理由!  赤かぶ
10. 2019年1月02日 03:23:53 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[2]
これは悪質な記事だ
慰安婦問題も北朝鮮拉致問題も離反工作として日本が仕掛けているものだ

パククネまでは日本の傀儡だった
正恩は日本から送られてくるミサイルを組み立て日本の指示で発射していた
そういうズブズブの関係を隠蔽するための工作だよ

北拉致と言われるものの被害者は日本のどこかに埋まっているだろう
横田めぐみは北朝=新羅の嫁入りだし
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/623.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK255] 2019年は外交力が試される年になる予感  天木直人  赤かぶ
8. 地下爺[4218] km6Jupbq 2019年1月02日 03:25:20 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[44]
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/611.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK255] 2019年は外交力が試される年になる予感  天木直人  赤かぶ
9. 地下爺[4219] km6Jupbq 2019年1月02日 03:26:25 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[45]
 


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/611.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK255] (反日朝日)レーダー映像公開「安倍首相は汚い」 韓国与野党が批判(かいけつニュース速報) 怪傑
77. 地下爺[4220] km6Jupbq 2019年1月02日 03:33:39 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[46]
 




http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/598.html#c77

コメント [政治・選挙・NHK255] これが日本人慰安婦が表沙汰にならない理由!  赤かぶ
11. 2019年1月02日 03:33:53 : GsRDye71bY : WScoavIZ26g[55]
別にきれい事を言うつもりはない。私だって風俗に行ったことがある。モテない苦しい時期に慰めてもらったことはありがたかった。だからこそ思う。こういう職種の女性の地位を上げるべきだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/623.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK255] やる気になれば、安倍晋三など屁でもない!   赤かぶ
9. 2019年1月02日 03:36:05 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[3]
投票しても・・・

1 不正選挙である
  大阪維新のような大胆不適な手法がまかり通るならどうしようもない

2 我々が政治家を選ぶ前に、カルトが候補者を選んでいる
  選挙の供託金が外国と比べて桁違いに高く設定されており
  カルトの支援なしに一般人が出るのは無理

3 与野党グル
  国会は劇場であり、ディープステイトの決定事項のお知らせの場に過ぎない
  与野党の役者が争う演技をしているだけ
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/647.html#c9

記事 [国際25] 国際25を起動しました
国際25を起動しました

旧板はこちら
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/index.html

よろしくお願いします。


http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/101.html
記事 [国際24] 国際25を起動しました
国際25を起動しました

新板はこちら
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/index.html

よろしくお願いします。


http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/901.html
コメント [自然災害21] 東日本大震災_アメリカ犯行説について No2377
219. 2019年1月02日 04:02:12 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[4]
新しい情報

天皇の特別会計は日米軍産CIA及びイスラエルを支えている
民主党が財源探しに特別会計に手を付けようとしたので
田母神自衛隊が民主政権打倒のクーデターを企てたが
自衛隊内部でそれに関する文書が発覚して頓挫?

それでアメリカが(たぶん日米共同で)人工地震を起こし
イスラエルが原発を爆破

陰毛論者が日本弱体化などと言っていたが特別会計を守るためだったのだろう
そしてこれは国のくくりで考えてはダメだ
日米それぞれに戦争屋がいて、その連中の仕業だ
日本の戦争屋のボスはもちろん朝鮮人天皇
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/280.html#c219

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々(リテラ) 赤かぶ
5. 2019年1月02日 04:06:24 : IpTNOBYa3Q : KLN7bJihEFk[5]
安倍政権御用ジャーナリスト大賞(後編)
小松靖 田崎史郎 三浦瑠麗 八代英輝 
松本人志
https://lite-ra.com/2019/01/post-4466.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/650.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々(リテラ) 赤かぶ
6. 2019年1月02日 04:13:41 : IpTNOBYa3Q : KLN7bJihEFk[6]
「福島の放射能は安全」 と言い続けてきた早野龍五・東大教授、
個人被曝線量のデータを1/3に改ざんしていた
https://t.co/hV1WNhKFVd

御用の開沼博と共にテレビ出演していた御用学者。
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/830.html
          

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/650.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
8. 2019年1月02日 04:15:50 : IpTNOBYa3Q : KLN7bJihEFk[7]
「福島の放射能は安全」 と言い続けてきた早野龍五・東大教授、
個人被曝線量のデータを1/3に改ざんしていた
https://buzzap.jp/news/20181229-hayano-ryugo-lie/


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c8
コメント [戦争b22] 核戦争の準備をさせられている日本の運命(1/4)(櫻井ジャーナル)  赤かぶ
1. 2019年1月02日 04:19:08 : VTH59AY6XQ : 38S4z9l9TcA[5]
させられている?自発的かもよ
日本の神社朝鮮人(秦氏)は古代イスラエル人であり
君が代をヘブライ語として読めば
「神の予言が成就する」とある
これはヨハネ黙示録にあるハルマゲドンの後に自分たちが世界の支配者になるというものだ

君が代の曲は明治に外国からもらったとか
詞は日本の古代の文書からのものだとか聞くが、はたしてどうだろな
明治維新を起こした英国(ハザール・ユダヤ)の「ハルマゲドンをやれ」という指令書だったりしてな

そういうことでないと天皇の特別会計でイスラエルを存在させている理由が分からない
日本とイスラエルで世界最終戦争をやる計画なんだろう

だがしかし
それで神社朝鮮人とハザール・ユダヤが生き残ったとして
スファラディ・ユダヤ人とアシュケナージ・ユダヤ人が仲良く世界を統治できると思ってるのか
バカだよな神社朝鮮人は
インデアンはそうやって騙されて激減させられたのに
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/487.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 2019年は戦後最大の政治決戦の年<本澤二郎の「日本の風景」(3201B)<改憲・戦争派の自公・日本会議を平和主義で包囲 笑坊
9. 罵愚[7057] lGyL8A 2019年1月02日 04:27:45 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[473]
 冷戦期の東西対決とは、自由主義と社会主義の対決だった。アメリカが自由主義で旧ソ連が社会主義で、アメリカは言論と議会が健全だったから、民主主義は正常に機能して冷戦に勝利したと考えられていた。
 あたらしい米中対立の構造も、おなじようにアメリカの自由主義と共産支那の全体主義の構造と考えていいのだろうか? 自由主義が、つねに全体主義に勝利すると断言できるのだろうか?

 日本が嫌い、アメリカが嫌い、その反対だからソ連が好きだったように支那や朝鮮を支持する。そんな本能的な反応しかできない日本の自虐勢力…
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/620.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] 秋篠宮殿下は「大嘗祭は宗教色が強いので公費を支出するべきではない。天皇家の私的費用で執り行うべきだ」と発言し、一定の… 笑坊
11. 罵愚[7058] lGyL8A 2019年1月02日 04:41:18 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[474]
@ 神道は宗教か?
A 政教分離原則の正当性
 言い変えると、これは、西欧の民主主義を、当然の真理として、無批判に受け入れていいのだろうか? の疑問だな。政治から宗教を放逐して…つまり、政教を分離して、近代民主主義が成立して、欧米の民主主義政治が成立したのだが、この政治体制だけが唯一の理想的な政治体制なのだろうか? の疑問だよ。
 欧米のキリスト教社会の政治思想を唯一無二の教科書にしないで、自分の祖国の歴史や倫理も、参考にしていいじゃぁないのかなぁ?
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/619.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK255] 2019年は外交力が試される年になる予感  天木直人  赤かぶ
10. 罵愚[7059] lGyL8A 2019年1月02日 04:49:46 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[475]
 日本とアメリカが大嫌いだから、社会主義の旧ソ連に肩入れした反日サヨクが、おなじ理由で共産支那や南北朝鮮に惚れこんでいる。猫にマタタビ、サヨクに反日(笑)。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/611.html#c10
コメント [経世済民130] ハウステンボス、深刻な客数減…“どうしようもない弱点”、パワハラ疑惑&高い離職率(Business Journal) 赤かぶ
8. 2019年1月02日 04:51:46 : fVmzl2gB1s : EmgMWclYDB0[83]
 東京ディズニーランドやUSJが成功したのは大都市だからだ。東京や大阪そのものが娯楽施設化してるからリピーターがある。たいして旨くない(って言うかマズい)ラーメン屋も、繁華街なら繁盛するのと同じだ。観光客はテーマパークだけを目当てに来るのではない。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/381.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
12. 2019年1月02日 04:53:33 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[1274]
改竄財務省と安倍政権の延命は
やめた方がいい。

あれらが一番の金食い虫だ。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK255] 自由貿易は崩壊に向かい“八方美人”の安倍外交は迷走する 平成の終焉がもたらす大激動(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 罵愚[7060] lGyL8A 2019年1月02日 04:56:39 : uz7lDD2pDc : EjeLi5CyXwY[476]
↑ “支那”は禁句で、この投稿は許容される…バカじゃねぇ?
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/593.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK255] <新春特別インタビュー>安倍政権どう倒す 志位委員長に早野透さん直撃 統一地方選・参院選 「本気の共闘」と共産党躍進で  赤かぶ
2. 2019年1月02日 04:58:01 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[1275]
もうこれさ、
「ゾンビをどう倒すか」というお話。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/658.html#c2
コメント [お知らせ・管理21] 2019年01月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
5. 日高見連邦共和国[11726] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:04:25 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[2]
>>02>>03>>04

狂人に狂人と言われたら、それはきっと“正常”の証し。(笑)

改めまして、『管理人さん』、アシュラーの皆さん、
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/544.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
9. 日高見連邦共和国[11727] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:10:42 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[3]
おっ、雪子姫も駆けつけて来たのか!元気そうでなによりだね。出番はあるからネ〜!

みなさん、アケオメ、コトヨロ〜!!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] 立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!  赤かぶ
5. 日高見連邦共和国[11728] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:12:48 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[4]
>立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!

ない、無い。(笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/659.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
13. 日高見連邦共和国[11729] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:17:13 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[5]
『魔法元年』、『山崎ナオコーラ』、そしてこの表紙!(大爆笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏3度目政権交代は「できる」/新春に聞く 野党結集「党の合併がだめなら、党を解散しても構いません」 赤かぶ
3. 日高見連邦共和国[11730] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:22:38 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[6]
頼むゼ、エダノン!決断出来たら、オマエがヒーローだ!

それと、やっぱ“社民党”だよな〜。決断できたら、その功績で“副総理”だ!
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/653.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] 琉球新報が高らかに問いかけた「日本の民主主義は本物か」?   赤かぶ
2. 日高見連邦共和国[11731] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:27:18 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[7]
沖縄の平和を望んでいないのは、誰あろう沖縄以外の連中だ!

さて、フツーの日本人よ、アンタらもその“お仲間”か!?

いつか自分が“当事者”になってから悔やんでも遅いんだゼ!


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/657.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] ハッピーニューイヤー!今年は邪悪な安倍政権を倒せるか踏ん張りどころです(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
2. 日高見連邦共和国[11732] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:36:24 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[8]
>何より野党を弱体化させてきたのは国民です。
 議席数を奪っておいて、野党がだらしないも何もないです。

“大正論”ですね!今の国政選挙では、選挙区&比例区で“2票”を持つ。

その“正しい使い方”も出来ずに、野党(だけ)を批判するのはお門違いだ!

“棄権”もまた、消極的な“自民党支持”だ。それも理解できずに
野党(だけ)を批判するのは、有権者として正しいことであるのか?

正解は問うまでもない。野党がコーなのは、国民が“だらしない”からだ!!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/645.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] ペテン総理が、年末のドサクサに北方領土について腰砕けな発言! 安倍首相、北方4島返還「国民、困難さをよく理解」 赤かぶ
6. 日高見連邦共和国[11733] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:42:11 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[9]
>>01 『ボケ老人』改め『楽老』さん

>何故ネトウヨは騒がない。腰抜け共が!!!

まったく同感!

私には『真正ウヨ』が騒がないのも不思議でなりません。

黒い街宣車に乗ってた連中が死に絶えちゃったのでしょうか?

それとも最初から、連中も“設えられた”マッチポンプ要員?

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/640.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏が語る 「政権交代をもう一度実現するために」 新しい時代にどう向き合うか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
30. 日高見連邦共和国[11734] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 05:46:45 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[10]
うんこ蠅の『日本一新基本11法案』の“勝手解釈”の駄目ダメっぷりよ。(笑)

しかも以前、私に徹底的にやり込められた“辛い思い出案件”だろ、それ?(笑)

オマエは『珍共産主義クラゲ』かっ!!
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/633.html#c30

記事 [近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか?

南京大虐殺30万人は過大評価なのか?


南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k

日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc

南京事件資料集
http://www.geocities.jp/kk_nanking/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「徹底した史料の読解によって、南京事件の真実を明らかにします」
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
 http://www.nextftp.com/tarari/index.htm


▲△▽▼

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。
つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
 南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。

反日の根拠地というので、南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。

するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。北支の戦争では
「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。
だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。皆伝え聞いて分かっていました。
中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。

その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/gyakusatu.html

___


戦後、蒋介石政府は、中島の第16師団と、「阿修羅」との名をもつ谷の第6師団を、南京攻略の際に39万人の生命を奪った罪で告発した

中国軍の退却が始まった後も、前線の日本軍師団はその追撃の手を緩めなかった。東京の参謀本部は、地図上に線を引きながら、そこが進攻の止まる停止線と発表し、欧米の報道陣に一大ショーを披露していた。

その線上で、兵員は再編成され、天皇よりの秘密指令を受け取るやいなや、ふたたび行動を続けた。

だが、そうした命令の存在は、1964年に、退役した大将たちのグループが本を出版するまで、公表されることはなかった。

 当時、外国人報道陣向けに、前線にいる兵士たちはもはや手に負えず、統制がとれなくなっている、との印象が意図的に作られていた。

だが真実は、兵士たちは大本営が皇居で設立され、自分たちの行動が神的な天皇自身によって監視されていることを知っていたため、それほどに周到で従順な兵は、かっていなかったことである。

 最初の停止線は、揚子江デルタを横切り、11月4日に引かれた。11月24日に、すべての師団がそこに到着した時、天皇の命令(45)により、それは解除された。

参謀本部は、同じ日、80キロ西方に、第二の停止線を設定した。裕仁は、非公式には三日後に、公式には七日後にそれを解除した。

 松井にあてた最初の電報(48)はこう告げていた。

 南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
 松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。

 余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。

 ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1.htm


__________


南京大虐殺「史上未曽有の強姦事件」の全貌があきらかに!

「連隊長藤原保中将が、その状況を見て、この町の女も­強姦で消滅すべきだと言いました」

2010年12月29日発表
宮本大尉の手紙 戦地郵便

吉川資君・・

 僕は死にませんでした。十二月十二日、三方面に分かれて南京を包囲しました。南京政府と軍隊が潰走したにもかかわらず、われわれは十三日に予定通り攻撃を始めました。
 今日は、僕は最初に中華門から南京城に突入した一人です。道々には、手を挙げて降参した中国兵と難民であふれていました。

 午後、秋田の藤田一郎が住民宅に隠れている一人の少女を強姦しました。小隊長はビンタを食わしたが、視察で通りかかった連隊長藤原保中将が、その状況を見て、この町の女も強姦で消滅すべきだと言いました。

 この話が伝わるや否や三分足らずして、僕たちは二十人の女を家の中に押し込みました。正直な話、最初は多少不安だったが、うまくやっている仲間たちを見ているのがばからしくなり、臆病者ではないかとさえ思いました。

 僕が不器用そうに一人の中国人娘と争っているのを見て、小隊長は近寄ってきて、足をあげ、革靴で彼女の腹部を思い切りけっ飛ばしました。彼女は悲鳴をあげて、争うのをやめて、地面に倒れ、額に冷汗をたらしていました。
(中略)

 みんなは激しい戦闘に身を投じているように、わめきながら地面に倒れた女に飛び掛かって行きました。とても刺激的なので、みんなは先を争う精神を呼び覚ましていました。

 ついに僕も名の知らないこの女をやっつけました。彼女は、顔をそむけ、泣き続けていましたが、争うのをあきらめました。年齢はせいぜい十五歳でしょう。しかし、抵抗の力はなかなかのものでした。僕は体を起こして他の女を見たら、ほとんどただ泣いていて、我が軍の兵士の思うままにされていました。

 北支の至る所で見かけた貞節の石碑から、中国人女は気性が激しいと思っていたが、ここでは、そのような様子は感じられませんでした。しかしその後、つまり皆が終わりかかった時、僕の下にいた娘が、急に裸のまま飛び上がり、山田の腰の刀を抜き取りました。彼女が刀を持って立ち向かってくるのを防ぐべく、僕たちも裸のまま飛び起きました。わけの分からない叫び声をあげながら、彼女は狂った雌犬のように刀を振り回しました。その間に他の女も起き上がり、背をこっちに向けて、裸のまま抱き合っていました。

 その状況がすこぶる刺激的であったため、僕たちはまた興奮しだし、彼女らに向かおうとしました。

 その時、刀をもったあの女が、その刀を自分の首に当てて斬り付け、倒れました。皆が、びっくりしている間に、女たちは次々と刀を手に取り、首に当てました。先を争って彼女らはその刀を奪い、刀を手にすると躊躇することなく自刃し、地面に倒れました。目は大きく開き、傷口から、血が泡のように湧き出し、ももは痙攣していました。

 僕たちは、裸の女たちが地面でのたうちまわり、死んでいくのを驚いて眺めていて、十何分ほども息をつくことさえできませんでした。軍法による制裁は免れないのではないかと恐れています。

 しかし、家から出て、街の光景を見て安心しました。町は、兵士に追われて走り回っている裸の女、地面には死亡した男、六人の兵士に輪姦されている少女でごった返していました。一人の将校は、反抗する妊婦の腹を切り裂いて、こぶしの大きさの胎児を取り出していました。

 集合の号令が聞こえてきたので、この辺で。

宮本
昭和十二年十二月十三日
南京にて
https://www.youtube.com/watch?v=pnU80VC2IV4&list=PLD2C309DF5CB3BFE3&index=5


▲△▽▼

被害者30万人というのは事件直後の欧米人の最も信頼できる調査の結果で、電報で世界中に発信された:

30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

2002/12/21 09:31 【共同通信】

_____


南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は

「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」

と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日


ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html

▲△▽▼

「人民網日本語版」2014年1月8日
日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少

 吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA) 
http://j.people.com.cn/94474/8507124.html


▲△▽▼

南京大虐殺 Q&A

Q: 南京大虐殺があったかどうかの問題は、歴史学界などで検証されるべきなのですが、なかなかそれが行なわれないのは、無かった事を証明することは難しく、あったとする方が証拠を示して証明しなければならない。南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、証拠写真とされる展示物も検証すると南京大虐殺を証明するものは一つもないということです。


A: 検証は何十年も前から行われて結果は既に出ており、世界中の歴史学会で南京大虐殺を疑う研究者は一人も居ない。


____________


回答集は色々なHPにあるので、question-answer の形で引用しておきました:


Q1: 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?


A1:中国共産党は知らなかったか
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/gunshu.html


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Q2: 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?


A2: 中国は知らなかったか?
http://www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html


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Q3:南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?


Q3: 二十万都市で三十万虐殺?
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.html

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Q4:『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?


A4: 日本軍の暴行記録―「49人」か?

http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html

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Q5: 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。


A 5: 南京事件143枚の写真の再検証
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/mojimokuji.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/sakuin.htm


「プロパガンダ写真研究家」松尾一郎の目の節穴度
東中野氏のむなしい「証拠写真の検証」を論駁する
上海南駅爆撃の写真判定をめぐって
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm



▲△▽▼

真面目で優しい日本兵が平気で強姦殺人や猟奇的残虐行為をしたのは覚醒剤が原因だった

あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

覚せい剤服用

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。


特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。
製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。


出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。


九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。
精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。


日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。
西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。


この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。
http://www.onkyo.tokyo/guntai.php


ドーピングを誘発しやすい社会だから覚醒剤が浸透していく


1945年、日本の敗戦の後、どさくさに紛れて売られていたのが「ヒロポン」と呼ばれる薬だった。

ヒロポンというのは、文字通り「疲労がポンと取れる」という意味で付けられた安易なものだったが、その内容は今で言うところの「覚醒剤」だった。

戦時中は兵士や特攻隊の士気を鼓舞させ、労働者や女工たちに眠気防止で武器弾薬を作るために使われていて、大日本製薬の主力の薬のひとつだった。

この当時はヒロポンの成分であるメタンフェタミンが強い依存性を持つことが知られていなかったので違法ではなかった。新聞にも、堂々と「除倦覚醒剤」と銘打って売られていた。

「除倦覚醒剤」とは要するに「疲れを除き、覚醒する薬」という意味で、このメタンフェタミン系のドラッグを「覚醒剤」というのはここから来ている。

戦中は軍民共に戦争に駆り立てられていたので、「疲れた」などと言っている場合ではなかったのである。

だから、軍需企業・民間企業共に、ヒロポンを大量にストックしていたのだが、敗戦後、この薬が闇市を通して社会に大量流通するようになった。


終戦後の作家は、みんなドラッグ漬けだった

ヒロポンは社会の底辺で広がっただけではない。有名人でもみんなこの薬を使っていた。何しろそれは違法ではなかったのである。

漫才トリオの正司歌江、ミヤコ蝶々、中村八大、桂文楽、六代目笑福亭松鶴等はみんなこのヒロポン中毒になっていた。作家で言えば、『堕落論』で知られている無頼派の坂口安吾もヒロポン中毒だった。

無頼派と言えば、織田作之助も田中英光も同じジャンルに入るのだが、この2人もまた坂口安吾と同じくヒロポン中毒だったと言われている。

織田作之助などはヒロポンを注射しているところを写真を撮られて、それが出回って話題になったという。

何か物を書くというのは孤独で単調な作業だ。そして、集中しなければならないので、精神的にも激しい疲労が蓄積する。当時の作家は、それをヒロポンで乗り切っていたのである。

芥川龍之介は小説『歯車』で幻覚を描いているのだが、この幻覚はヒロポンから来ているという説と、睡眠剤から来ているという2つの説がある。

そこには、歯車が見えたとか、銀色の翼が見えたとか、黄色いタクシーが見えたとか、過去の罪の残像が繰り返し現れるとか書かれていて、その幻影に主人公が怯えている。

ストーリーもなく、ただ意識の変容を揺れ動いているだけなので、どちらかと言えば睡眠剤のような雰囲気がある。詳しくは分からないが、精神的には相当追い詰められていたことが窺い知れる。

この小説の最後は、誰か自分が眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはいないか」となっている。実はこの小説は芥川龍之介が服毒自殺した後に発表されたものだった。その「死にたい」という述懐は本心であったと思われる。

荒正人という小説家もいたのだが、この人は自分だけでなく妻にもお手伝いさんにもヒロポンを飲ませて、一家総ヒロポン依存症になっていたという。

萩原朔太郎はヒロポン中毒ではなかったが、コカイン中毒だった。しかし、ヒロポンでの幻影は小説『猫町』で触れている。

私たちが今、日本の戦後文学としてありがたく詠んでいる文学は、その多くが覚醒剤で「ドーピング」された精神状態の中で書かれていた可能性がある。


無頼派作家、坂口安吾。執筆はヒロポンと共にあった。


ヒロポンがもたらす集中力は凄まじい効果だった

ヒロポンが意識集中のために使われていたというのは、覚醒剤依存者が48時間ずっと麻雀をやっていたとか、賭け将棋をしていたという逸話からも読み取ることができる。

凄まじい集中力が得られるので、ヒロポンが合法だった時代の学生は、東大受験のためにヒロポンを使うのが当たり前だったという。

この「受験のためにヒロポンを使った」というエピソードを聞くたびに私が思い出すのは、タイで知り合ったあるレディーボーイのことだ。

英語を流暢に話す彼はいったいどうやってその英語力を磨いたのか。もちろん、そこには仕掛けがあった。アンダーグラウンドでは、記憶力でさえも金で手に入ったのである。

(記憶力でさえ金で手に入れる。危険な方法が裏で流行している)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131023T0342460900.html


別にこのレディーボーイのやっていることはおかしなことではない。欧米のエリートたちも、スマートドラッグを使って同じようなことをやっている。

アスリートはドーピングで最強の身体的パフォーマンスを手に入れるが、エリートたちもまた「スマートドラッグ」というドーピングで最強の頭脳を手に入れていたということだ。

言うまでもないが、このスマートドラッグも覚醒剤とよく似た成分(アンフェタミン系)が入っているので、言ってみればヒロポンの現代版である。

副作用はもちろんある。しかし、副作用があったとしても、現役時代に最高のパフォーマンスが発揮できれば、地位も収入も約束されるわけで、これで人生を逃げ切ることができると考える人たちもいる。


ヒロポン錠。「疲労の防止と恢復に!」と堂々と宣伝されていた。この薬は1951年に覚醒剤取締法が制定されるまでは「合法」だった。


覚醒剤には潜在的に巨大な需要があるとも言える

戦後の混乱期にヒロポンを使っていた人は、どちらかと言えば快楽が欲しいというよりも、もっと労働したい、疲労を取りたい、馬力が欲しい、という切実な発想から摂取されたので、皮肉なことに真面目な人であればあるほど依存地獄にハマっていった経緯がある。

そして、ヒロポン依存になると、虫が身体を這い回るような幻覚や、わけの分からない幻聴に悩まされるようになり、暴れ回るような異常行動を引き起こす。

そのため、1951年には覚醒剤取締法が制定され、警察が大々的な摘発を行ったので、乱用者は激減していった。

しかしヒロポンは覚醒剤として生き残り、現代でも有名な歌手や野球選手が次々と覚醒剤依存に堕ちて逮捕される姿が繰り返されている。

今後も、「大物」が逮捕されるような流れが続くだろう。

覚醒剤はいったん地下に潜ることはあっても、絶対に廃れることがなく歴史を刻むのである。欧米でも、覚醒剤は「メス」「スピード」「アイス」と言われて依存者が減るどころか増え続けている現状がある。

覚醒剤はそれ自体に快楽があるというよりも、自分がこれからやりたいことを猛烈な集中力で取り組める「ドーピング作用」が強い。それが、恐ろしい魔力なのである。

自分の潜在的な能力を、一瞬にして最強フルマックスの状況に持っていけるのが覚醒剤である。そんなものを覚えてしまったら、覚醒剤のない人生など考えられなくなる。

現代社会は、常に人々に最高のパフォーマンスを求める時代である。そうしたプレッシャーは誰にでもかかる。言ってみれば、ドーピングを誘発しやすい社会なのだ。

そのプレッシャーは坂口安吾や芥川龍之介の時代よりも、はるかに強いと言える。だから、覚醒剤は今でも潜在的に巨大な需要がある。覚醒剤の流行はこれからも起きていく。


いかにも作家という雰囲気を醸し出している芥川龍之介。晩年は睡眠薬のベロナールやらジアールを大量に飲んでおり、結局は服毒自殺に追い込まれた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160316T0122080900.html

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2008.03.11 覚醒剤「ヒロポン」の時代
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html


昭和十八年 新聞広告

秋田魁新報に掲載された中枢神経刺激薬、いわゆる覚醒剤の広告である。今では考えられないことだが、当時の覚醒剤に対する認識は「効果抜群の栄養ドリンク」程度のもので、薬局に行けば簡単に購入することができた。

広告の商品は大日本製薬から発売されていた「ヒロポン」錠剤、「倦怠感、憂鬱感を除去して爽快活溌となし、又眠気の防止あるいは除去に偉効があり、医界各方面に異常なる注目を喚起しております」とのこと。

しかし「ヒロポン」の実態は、一時的に「疲労倦怠感を除き、活力が増大」したように脳に錯覚させるだけで、薬が切れたときは何倍もの疲労感に襲われる傾向があり、長期間の乱用により幻覚作用が現れ、人格の崩壊につながる、きわめて危険な薬であることは言うまでもない。

大正八年に日本の科学者が合成したメタンフェタミンを用いた覚醒剤「ヒロポン」が市販されたのは昭和十六年(1893)、それと前後して、武田薬品工業「ゼドリン」、参天製薬「ホスピタン」、富山化学工業「ネオアゴチン」など、二十社を超える製薬会社から同様な処方の薬品が発売された。

なかでも「ヒロポン」の名が覚醒剤の代名詞のように使われたのは、そのユニークかつ覚えやすいネーミングのゆえだろう。


脳力・体力の覚醒賦活剤「アゴチン錠」甘糟商店
昭和十七年 雑誌広告


昭和十八年 雑誌広告

はじめは医療従業者の疲労回復や学生の試験勉強の際に使われていた覚醒剤、それに目を付けたのは軍部であった。夜を徹して働く軍需工場の作業員の眠気防止・疲労回復に使われ、視力向上効果があることから夜間監視の戦闘員、夜間戦闘機搭乗員などに支給され、「突撃錠」「猫目錠」などと呼ばれていたという。

こうして覚醒剤は時局に沿って「国策薬」としての役割を負わされることになるが、これはなにも日本に限ったことではない。米英をはじめドイツも兵士たちに覚醒剤を支給し戦意の高揚を図った。米国では第二次世界大戦以後も、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、デキストロ・アンフェタミン製剤「デキセドリン」(通称・スピード)を一部の兵士に処方し続けた。


「ヒロポン」500錠入り

覚醒剤の弊害が表面化するのは戦後の混乱期のこと。敗戦の精神的虚脱にともなう刹那的享楽主義が蔓延するなか、軍部がストックしていた「ヒロポン」が大量に流出し闇で安価に販売された結果、乱用による中毒者が全国的に広がりはじめる。流出したのは純度の高いアンプル剤。ヒロポン中毒は「ポン中」と呼ばれ、「ヒロポン」は「国策薬」から一転「亡国への魔手」と称されるようになる。

一般市民のほかに芸能人、文筆家、芸術家などアーティストの多くが「ヒロポン」におぼれた。小説家では織田作之助、坂口安吾の常用が有名で、「ヒロポン」の登場する作品を残している。


‥‥前略‥‥ヒロポンを用いて仕事をすると、三日や四日の徹夜ぐらい平気の代りに、いざ仕事が終って眠りたいという時に、眠ることができない。眠るためには酒を飲む必要があり、ヒロポンの効果を消して眠るまでには多量の酒が必要で、ウイスキーを一本半か二本飲む必要がある。原稿料がウイスキーで消えてなくなり足がでるから、バカげた話で、私は要するに、全然お金をもうけていないのである。

坂口安吾『反スタイルの記』より(昭和22年「東京新聞」)


 役者も踊り子も食えない。二日ぐらいずつ御飯ぬきで、ヒロポンを打って舞台へでる。メシを食うより、ヒロポンが安いせいで、腹はいっぱいにならないが、舞台はつとまるからだという。‥‥後略‥‥

坂口安吾『安吾巷談 ストリップ罵倒』より 昭和25年「文藝春秋」


昭和二十六年、「覚醒剤取締法」が制定され、覚醒剤の輸入、製造、譲渡、所持及び使用が原則として禁止されたが、勢いは止まらず、ピークにあたる昭和二十九年の検挙者は五万五千人を超え、潜在的な乱用者は五十五万人、中毒による障害者は二百万人と推定されていた。同年の県内に於ける検挙者は八十三人、この年大館市では、ポン中の青年が母親に「ヒロポン」を買う金を執拗にせびり、暴力をふるうのを見かねた兄が、弟を絞殺するという悲惨な事件も発生した。

その後の取り締まりの強化と経済復興により、約十年にわたる国内のヒロポン禍もようやく下火になるが、昭和四十五年頃から、今度は朝鮮・韓国ルートによる覚醒剤密輸入が徐々に増加しはじめる。
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html

2009年12月18日
ただのビタミン剤じゃ
◎昭和20年代半ばのヒロポン流行の背景と、対応法令の乖離について
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50969121.html


第009回国会 参議院 厚生委員会 第7号 昭和25年12月9日
○藤原道子君 私は厚生大臣にお伺いいたしたいのでございますが、先日来大きな社会問題となつておりまするヒロポンの問題でございますが

(略)

或いはまた聞くところによると賠償等の問題も起るから強い処置ができないというようなお言葉も私たちは聞いているのでございます。

(略)

その中毒患者を見ますときに、17歳から23歳の者が83%もいるということでございます。(略) 若しこのままで参りましたならば、ヒロポン亡国とさえ言われる大きい危險があると思いますので、これに対して、大臣はどういうふうな方法でこれを喰止めようとしておいでになるか(略)

医者の証明書がなければ売つてはいけないということになつているのです。けれども(略)警視庁の報告を見ましても(略) 一つのグループに対して一つの薬局から石油カン一ぱいのアンプルの殻があつた。それは一つの薬局から売られている。

(略)

そこで私は厚生当局に対しまして今製造を禁止する意思があるかないかということ、(略) ヒロポンを、モルヒネのようにアンプルに番号を打つて、一つの製造会社なら製造会社を指定いたしまして(略)必要なところだけに必要なものを流すというような方法を採つたらこの被害が防げるのではないか。(略)

○国務大臣(黒川武雄君)※厚生大臣、虎屋15代目当主
製造禁止のことは現在の法律ではできないのでございますが(略) 早急に思い切つた処置を講ずる必要があることを痛感しております。(略)

○藤原道子君 痛感いたしておると言われまするがどうも頼りないんです。(略)
罰則規定がありながらこれの適用が非常に軽いと思うんでございます。この書類を見ましても富山化学ですか、その他の会社二件がこれに引つかかつているゆですが、たかが十五日の営業停止なんです。

(略)

このヒロポンはもともと戰時中に軍が労働者を酷使いたしますために、労働強化をいたしますため、眠くてはできない、そういうところからヒロポンを使つて労働強化をやつたということを私は聞いておる。

(略)

このヒロポンのこれだけに被害が殖える前にこのヒロポンの害毒というようなものを国民に周知させるためのパンフレットが作成されるとかいろいろな方法が講ぜられなければならなかつたと思いますが、今までにどういう方法をおとりになつて来たか。医師会等にはどういうふうな御協力をお願いされたか(略)

○国務大臣(黒川武雄君) 私としては真劍に考えております。断乎としてやることは藤原君に誓います。細かいことは局長からお答えいたさせます。

○政府委員(慶松一郎君)※厚生省薬務局長
(略)私どもがたとえ行政処分をいたしますにいたしましても、或いは司法上の処分をいたしますにいたしましても、これは十分なる証拠その他がはつきりしませんことにはできませんことは改めて申すまでもございません。

(略)

ときどき新聞等に私どもから申しておりますし、又医師会に対しましても協力方を求めておる次第でございます。

○藤原道子君 新聞等ということでは駄目なんです。もつと真劍にヒロポンの被害の如何に恐ろしいかということ、それからこういう社会に起つておるあらゆる悲劇等々をわかりやすく書いてパンフレツト等にしてこういうことをやられて来たか、

(略)

一昨日でしたか読売新聞ではヒロポンの問題を騒いでおることを阿諛しておる記事が出ておる。ヒロポンの害ということが書かれるよりも、ヒロポンによつて小説家がその仕事が進行するとか、或いはヒロポンを打つことによつて眠くないからやれるのである。

興味本位のことのほうが大衆の眼には映りやすいのです。ですから今新聞に報道したということは、当局のとられた態度とは受取れない。医師会にはどういう協力をお求めになつたか。

○政府委員(慶松一郎君) 医師会に対しましては、たびたび覚醒剤に対しまする指示、その他についての協力方を求めておる次第でございます。

○藤原道子君 それから私は素人でわからないのですけれども、医者の証明書というようなものはどういう病気のときにヒロポン使用の証明書が出るのでございましようか。

○政府委員(慶松一郎君) これは非常にむずかしい点がございます。その点につきましていささか御了解を得たいと存じます。

旧薬事法の第41條によりまして医師の処方箋又は指示によつて使うべき薬といたしまして指定されております、若しくはペニシリン或いは、ズルフアミン剤がございまして、それに昨年(略)ヒロポン等の覚醒剤も同様なものとして扱われるようなふうにいたしたのでございますが、

(略)

この指示という意味は、それは処方箋に準ずるものでございまして(略)

最近地方庁から医師が、この覚醒剤に対しまする指示といたしまして一ヵ月分であるとか、或いは一年分であるとかというような指示書をまま出しておるのでございます。それはすべてこの法の精神に合しておらない

(略)

従いましてこれは全く医師の良識の問題にも関する次第でございますが(略) 法的にはどうも違反であるとは言えない点、むずかしい点がございます。

(略)

この問題の解決は何らかの独立的な法規を作らない限りは非常に困難であるということになります。(略)

医者はそれはかわいそうであるということでまあやられるかやらないか、或いは脅迫されてやられるかということは一応別にいたしまして、そういう指示なり処方箋を渡すことも、これは法的に申しますれば違反ではございません。

(略)

例えば今日素人のものがこれを持つておりましても何ら罰則がございません。又密造されましたものを所持しておりましても、これを所持するだけでは罰することができませんのです。

(略)

そういうような立法的な措置が行われない限りは拔本的にはこれを取締ることに極めて難点があるということを御了解願いたいであります。


<以上引用>

◆ヒロポンは大日本製薬(現大日本住友製薬)の商標ですが、大日本以外にも
 同種のおクスリを作って売っていた会社があったということですね。
 (密造というのもあったようですが)

 上記議事録に名前が挙がった会社の沿革 
 昭和20年代はスルーです。

 旧大日本製薬の沿革
 昭和3年から昭和24年の間はスルー。

上記議事録から分るのは、この昭和25年末の時点では、処方箋さえ出ていれば、ヒロポンの所有・売買は犯罪ではないということ。(1年分という真実味のない処方箋も当時は問題なかった) せいぜい、街中の薬局が処方箋なしに売ったものくらいが摘発の対象になる程度。

「医者は(略)或いは脅迫されてやられるかということは一応別にいたしまして」
とあることから、反社会的な人たちから処方箋の発行を強要されていた部分もあったと想像されます。

▼また、この頃は医療報酬に「技術料」的なものが含まれておらず、医者は「各種のクスリを売る/処方箋を発行する」ことで生計を立てていた部分が大きかった様子。

参考:日本医師会 - 戦後50年のあゆみ 1950年
昭和24年秋から本格化した強制医薬分業をめぐる医師会と薬剤師協会の対立は,強制医薬分業の実施を願うGHQのサムス局長(公衆衛生福祉局)のあからさまな介入もあって,日本医師会を揺るがせた。

(昭和25年)4月の定例代議員会で選出された田宮猛雄会長,武見太郎副会長は,サムス局長の不信任通告を受けて辞意表明に追い込まれ,8月には後継会長に谷口弥三郎が選出された。

田宮会長は,4月にサムス局長に面会した際,強制医薬分業の実施に反対して,「日本人には医師の無形の学識,労力に報酬を支払う観念がなく,医師の診療報酬に技術料が含まれていない」との申し入れをしたが,この点にサムス局長が理解を示し,新医療費体系の検討が始まった。

<以上引用>


▼関連リンク
ドラえもん ねむくならない薬 の検索結果

ヒロポン関連の画像

20世紀ひみつ基地 より 覚醒剤「ヒロポン」の時代

中国人民解放軍が3日間眠くならない薬を開発(2011年)


前掲議事録のほぼ1年前のもの

第006回国会 参議院予算委員会 第10号 昭和24年11月30日

○説明員(慶松一郎君) 只今お話になりました覚醒剤でございますが、これは大体戰争中に陸軍、海軍で使つておりましたのは、すべて錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ましておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたのはすべて錠剤でございまして、今日問題になつておりますような注射薬は殆んど当時なかつたと私は記憶いたしております。

そうしてその終戰当時ございましたそれらの薬は、外の医薬品、或いは衛生材料と同様に、占領軍当局、進駐軍当局から厚生省に渡されまして、そうして外の薬と同じような方法によりまして各都道府県に配給いたしたと存じております。

併し私、当時から全体の薬の配給等に関係いたしておりましたが、当時におきましては余りそのことが問題になつておりませんでしたので、果してどういうふうに配給されたか、ちよつと今分らないと思います。併しいすれにいたしましても、今日問題になつておりました製薬は当時殆んどなかつたということが言えると思います。
<以上引用>

 ※この当時流行したヒロポンは、旧軍物資が市場に流出したものではなく、
  当時の製薬会社が当時せっせと作っていたものであることが想像される。

類似品 パンプロン (小野薬品工業、昭和24年) 
photoplay-6

メチルプロパミンとはメタンフェタミンのこと。
要はヒロポンと同じもの。
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50969121.html

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覚醒剤については

経験者としての意見です。
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/131.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
18. 2019年1月02日 06:21:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210]
南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK255] 「御用ジャーナリスト大賞」に輝いたのは誰だ? 田崎史郎と三浦瑠麗“自民党から高額講演料”の二人の戦いに(リテラ) 赤かぶ
1. 2019年1月02日 06:33:33 : DxLukHzU5M : 4rzd7b1KT6M[1]
無理やりな安倍養護にまわってる八代英輝って真実の羽根、天秤をどう考えてるのだろう
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/663.html#c1
コメント [原発・フッ素50] 年末年始の大寒波・大雪 温暖化に反するニュースはマスコミは報じない 偏向報道ここに極まれり  魑魅魍魎男
6. 日高見連邦共和国[11735] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 06:39:26 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[11]
・・・そして、『温暖化で冬は寒くなる!』って“珍説”まで出てくる始末。(笑)

熱力学の第2法則、知ってますゥ!?
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/725.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 横浜寿町 ドヤが溶け込む街 炊き出し求め長蛇の列(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
1. 日高見連邦共和国[11736] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 06:45:00 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[12]
日比谷公園から路上生活者を排除したて、彼らが消え去った訳ではない!

これが、先進国、あるいは史上空前の好景気に沸く国の姿かよ!!

脳ミソに沸いた蛆をさっさと掃除して、安倍を倒せ!!!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/660.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 「御用ジャーナリスト大賞」に輝いたのは誰だ? 田崎史郎と三浦瑠麗“自民党から高額講演料”の二人の戦いに(リテラ) 赤かぶ
2. 日高見連邦共和国[11737] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 06:47:07 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[13]
沸騰する憤怒が治まらない!オマエらにも子供や孫が居るんだろう?それで良いのか!!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/663.html#c2
コメント [近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
1. 中川隆[-13245] koaQ7Jey 2019年1月02日 06:47:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210]

百人斬り -- 鈴木 明 『南京大虐殺のまぼろし』の悪質な嘘


「南京大虐殺」のまぼろし (WAC BUNKO) – 2006/6/1
鈴木 明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%BC%E3%82%8D%E3%81%97-WAC-BUNKO-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E6%98%8E/dp/4898315461

中国の旅 (朝日文庫) – 1981/12
本多 勝一 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%97%85-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022608056

南京大虐殺と「百人斬り競争」の全貌 – 2009/1/1
本多 勝一 渡辺 春己 星 徹 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%A8%E3%80%8C%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%85%A8%E8%B2%8C-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4906605532

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1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

そうした試みの代表的な(そして最も「成功」を収めた)サンプルと言えるのが、鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』です。

この本はその前半およそ半分を、南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎない「百人斬り競争」事件の否定に費やしています。鈴木氏はこの事件の信憑性に疑問を投げかけることで、本多氏のルポ全体、ひいては南京大虐殺全体が根拠のない「まぼろし」であるかのような印象を与えようとしたのです。

鈴木氏の「批判」が当たっていないこと、それどころか逆に『南京大虐殺のまぼろし』の方が証言の歪曲や捏造だらけであることは既に明らかになっているのですが、一時は多くの人がこの本に騙されました。

下記の議論が示しているように、最近になってさえこの件をネタに『中国の旅』を攻撃しようとする論者がしばしば現れます。残念なことですが、一度広まったデマは容易に根絶しがたいものなのです。

『南京大虐殺のまぼろし』後半部分については、そのデタラメさ加減を指摘する記事が「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。また、小林よしのりとの共著『朝日新聞の正義』でこの百人斬りを否定しようとする井沢元彦の無知ぶりとトリックを指摘する記事が、同じ「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/nangjin/hyakunin/hyaku.htm

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野田、向井両少尉を裁いた南京軍事法廷の記録そのものがあります。

鈴木氏の『南京大虐殺のまぼろし』や洞氏の『南京大虐殺 -- まぼろし化工作批判』が書かれた時点では公開されていなかったのですが、今では中国側から公開された一部の記録(起訴状と判決書[8])を見ることができます。

この判決書を見ると、被告側の言い分として記録されているのは、

「『東京日日新聞』の記事は偽りであり、被告の武勲を称揚して日本の女性の羨望をあつめ、早く良縁を得られるよう期したものである」

という主張だけです。(この主張は確かに前記の「上申書」にも出ています。) もし被告側が裁判の過程で、問題の時点で現場にいなかったという重大な主張をしたのならば、まずそのアリバイ主張が(例え一蹴されるにせよ)第一に記録されるのが当然ではないでしょうか。断定はできませんが、判決書に出てこないということは、裁判の過程ではそのような主張がなされなかった(つまり、向井少尉自身が自分のアリバイを*知らなかった*)のではないかと思われるのです。

というわけで、各種の証言・証拠を総合すると、少なくとも百人斬り記事が浅海記者の創作などではなく、両少尉が語った内容を大体そのまま書いたものであることはほぼ確実です。そして、もとより白兵戦の中で向かってくる敵兵を斬り殺すことなどほとんどあり得ない以上、野田少尉が告白しているとおり、この百人斬りの大部分は捕虜虐殺の据え物斬りとして行われたと見るのが妥当なところでしょう。
百人斬りなどは南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎないので普通なら今更こんな事で議論する必要はないのですが、未だにこのエピソードをネタに真面目な研究者やジャーナリストの仕事にケチをつけたがる人がいるので、私もやむを得ず知識の範囲内で対応しているわけです。

例えば、『南京大虐殺のまぼろし』には、「南京刑務所で、向井氏が処刑される寸前まで、彼と共に生活をした」小西さんという方からの手紙が紹介されています。

ところが、たまたまこれと同じ(としか考えられない)手紙が山本七平氏によっても別のところで紹介されており、この二つを比較してみると、細かい部分で多数の食い違いがあるだけでなく、重要なポイント部分にも相違があるのです。『南京大虐殺 -- まぼろし化工作批判』ではこの二つの手紙が上下2段組みで並列に示さ
れているので是非見比べて下さい。これを見ると、大して長くもない手紙に細かい言い回しや事実関係に関する食い違いが何十個所もあり、その上、次のような重大な疑問点があります。


(1)山本氏紹介の手紙では、冒頭に

「偶然な機会に週刊新潮7月29日号の…記事を見ました。」

とあり、途中にも「貴誌既報の如く」と週刊新潮宛てに書かれた手紙であることがはっきり示されているが、鈴木氏の紹介ではどちらもカットされている。鈴木氏が自分宛ての手紙であるかのように装った疑いが濃い。


(2)鈴木氏紹介の手紙には

『…彼らが着いて直後、予審とも記者会見 ともわからないようなものをやり、この人たちが初めから異常な扱いをされていることはすぐにわかりました。「事実は明白である。如何なる証拠を出しても無駄である」といっていたそうで、大虐殺の犯人として事件に決着をつける政略的なものであろうと我々も話していました』

と いう部分があるが、山本氏紹介の手紙ではここが中略されている。ここはこの裁判が予断に満ちた不当なものであったことを示す重要な部分なので、あえてここを中略してしまうとは考えにくく、そのような記述は実際にはなかった可能性が高い。


(3)同じく、鈴木氏紹介の手紙の末尾には

『刑の執行の朝、彼等が、軍事法廷になっていた二階で、“天皇陛下万歳、中華民国万歳、日中友好万歳”と三唱した声が今でもはっきり蘇がえってくるのであえてここに筆をとりました』

という部分があるが、これも山本氏紹介の手紙では後略されている。ここも両被告の堂々とした態度を示す印象的な部分で、あえて略してしまうとは考えにくく、鈴木氏の創作である可能性が高い。

洞氏は、

『鈴木氏はよくもまあ、他人の文章をこうも勝手に改竄したものだといわざるをえない。

…鈴木氏が、こうした資料の扱い方をあえてしたとすれば、氏の「追跡ルポ」のききとり方も、相手の話したところがどこまでそのとおりにつ たえられているか疑わしくなる。

フィクションならともかく、こんなルーズで恣意な資料のあつかいをしているのでは、『「南京大虐殺」のまぼろし』は、「ノンフィクション」・史書としては失格なのではなかろうか。 』


と述べていますが、私もまったく同感です。


また、ジャーナリストの和多田進氏は、『「南京大虐殺」のまぼろし』 が単行本になった1973年に台湾に渡り、鈴木氏の本にも出てくる石美瑜氏(両少尉を裁いた裁判の裁判長)にインタビューしています。その結果、鈴木氏が身元をごまかし、取材目的も告げずに会っていたこと(石氏は鈴木氏のことを向井か野田の息子またはその友人だと思っており、鈴木氏の本のことも知らなかった)、鈴木氏は石氏の上海なまりがひどくて話が聞き取れなかったというが、実際には台湾生まれの通訳でも会話に何の不自由もなかったことなどが明らかになっています。


肝心の石氏の証言も、鈴木氏のテープにあるという

『この種の裁判には何応欽将軍と蒋介石総統の直接の意見も入っていた』

とか

『向井少尉が日本軍人として終始堂々たる態度を少しも変えず、中国側のすべての裁判官に深い感銘を与えた』

などという話は出てこず、逆に

『裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、二人はブランデーを賭けていたということです。』

とか

『二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそらく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義はとらなかったということです。』


といった証言が得られています。


鈴木氏が石氏の証言として

『五人の判事のうち三人が賛成すれば刑は決定された』

などと書いているにもかかわらず、判決書によれば実際の裁判官は*四人*であったことなどを考えれば、それは自明であると私は思います。

いまだにこのような「取材」によって書かれた本をネタにして本多氏の「ジャーナリストとしての姿勢」にケチを付ける人がいたり、この件の決着がどうついたのかさえほとんど知られていない、というのは実になげかわしいことです。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/nangjin/hyakunin/fj960923.htm


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望月五三郎手記


 望月五三郎氏は事件当時両少尉と同じ部隊におり、両少尉による「競争」を目の前で見ていた当事者である。望月氏は1985年に私家版として刊行した手記『私の支那事変』の中でこの事件についても触れており、この「競争」の実態が、捕らえた罪もない農民を二人で争って斬り殺した殺人競争であったことを赤裸々に描き出している。志々目証言とこの手記によって、百人斬りの真相はほぼ明らかになったと言っていいだろう。作り話でもなければもちろん戦闘行為でもなく、無抵抗な捕虜や農民に対する虐殺だったのである。

 ちなみに、この手記は刊行後埋もれたままになっていたが、歴史否定勢力が両少尉の遺族を原告に仕立てて本多勝一氏や毎日新聞、朝日新聞などを「名誉毀損」で訴えた裁判の過程で、新資料として発掘された。愚かな否定派の策謀も真相究明に役立つことがある、という好例であろう。


百 人 斬 り     昭一二・一一・二七 〜 昭一二・一一・二八


 線路に沿って西へと進む。無錫の手前八kmあたりで、敵の敗残兵約ニケ中隊に遭遇し、激戦の末、約三○名を捕虜にする。敗走する敵は無錫へとのがれた。
 無錫は工業都市であるが戦下の無錫の煙突の林立には煙一つ昇っていない。曽つての煤煙であたりの建物はどす黒く染って陰気な街である。

 速射砲が敵陣の壁めがけて発射された。速射砲とは発射すると直線で弾がとぶ、発射音と同時に、ドン、ドカン瞬間にはもう弾は壁を砕いている物凄い破壊力である。引き続き野砲の援護射撃が始まった。その間に中隊は前進する、援護射撃は有難いが、観測を誤ったのか、我々をはさんで前と後に落下する。そしてその間隔がだんだん我々に近づいてくる。鯖中隊怒り心頭に達する。

 やがて砲撃はとまり、敵は常州方面へと退却した。

 常州へと進撃する行軍中の丹陽附近で大休止のとき、私は吉田一等兵と向ひ合って雑談をしていると、突然うーんとうなって腹をおさえながらうずくまった。流弾にあたったのである。

 「おい吉田」と声をかけたが返事がない、死んでいるのである。即死であった。もう五寸位置がちがっていたら、私にあたっていたのである。私はほんの五寸前で死んでいった吉田一等兵をこの目で見た。葬むるにも時間がない、衛生隊にお願ひして、心を残しながら行軍に続いた。

 このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第一一中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。

 この人が百人斬りの勇土とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。

 「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。

 一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。

 戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。

 その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。 両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。

 この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであらうか。マスコミは最前線にいないから、支那兵と支那農民をぼかして報道したものであり、報道部の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。

 今戦争の姿生がうかがえる。世界戦争史の中に一大汚点を残したのである。(後略)
(季刊『中帰連』2004年秋号)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm

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向井氏の遺書


百人斬りの実行当事者である向井氏は処刑前に遺書を残しているが、この遺書には、東京日日新聞による報道は彼ら自身の話した内容を記事にしたものであることが明記されている。つまり、向井氏本人が、記事は浅海記者による捏造などではないと言っているのである。更に、「公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります」と述べているとおり、向井氏は記事に書かれた百人斬り競争を行ったこと自体は認めている。(それは戦闘行為であって虐殺ではなかった、と言っている訳だが、銃器で武装した敵兵を戦闘中に何人も日本刀で斬り殺すことなどできるはずがないことは言うまでもない。)

以下、この遺書の一部を再録する。

この向井氏の遺書では、百人斬り競争を新聞記者に話したのは野田氏ということになっているが、野田氏の方は、話したのは向井氏だと父親への手紙に書いている。


なお、「百人斬り」を捏造だと主張する鈴木明氏は『「南京大虐殺」のまぼろし』に向井氏の遺書を引用しているが、なぜかそれは下記の「辞世」の部分だけで、都合の悪い後半部分は無視されている。


[1] 南京事件調査研究会編 『南京大虐殺否定論13のウソ』 柏書房(1999) p.111
[2] 鈴木明 『「南京大虐殺」のまぼろし』 文藝春秋(1973) p.77

  辞 世

 我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思い日本男子として立派に中国の土になります。然れ共魂は大八州島に帰ります。

 我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸ひです。

 中国の御奮闘を祈る
 日本敢奮を祈る
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳

死して護国の鬼となります
 十二月三十一日 十時記す 向井 敏明

  遣 書

 母上様不孝先立つ身如何とも仕方なし。努力の限りを尽しましたが我々の誠を見る正しい人は無い様です。恐しい国です。

 野田君が、新聞記者に言つたことが記事になり死の道づれに大家族の本柱を失はしめました事を伏して御詫びすると申伝え下さい、との事です。何れが悪いのでもありません。人が集つて語れば冗談も出るのは当然の事です。私も野田様の方に御託ぴして置きました。

 公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります。犯罪ではありません。記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。浅海さんも悪いのでは決してありません。我々の為に賞揚してくれた人です。日本人に悪い人はありません。我々の事に関しては浅海、富山両氏より証明が来ましたが公判に間に会いませんでした。然し間に合つたところで無効でしたろう。直ちに証明書に基いて上訴しましたが採用しないのを見ても判然とします。(後略)

巣鴨遺書編纂会 『世紀の遺書』 (1953年)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mukai.htm

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志々目証言


帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が聞いたもの。勇猛な白兵戦として報道された「百人斬り」の実態が、実は捕虜虐殺の据え物斬りであったことが、本人の口から率直に語られている。


 戦記雑誌『丸』が11月号で「日中戦争の全貌」という特集をしている。その中に当時毎日新聞社会部陸軍報道班員鈴木二郎氏の「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」という貴重な回顧録がある。

 この文章は、栄誉をかけた“百人斬り競争”として二名の青年将校が南京攻略戦の中で二百名以上の中国兵を日本刀で切り捨てたことから始まっている。ところがこの事を、私は小学校の時本人から聞いて知っていた。それは私にとって“中国体験”のはじまりでもあった。

 それは小学校卒業の一年前、昭和十四年の春だったにちがいない。生徒を前にA先生が「いちばん上級となった君たちに」といったのと、これで上級生がいなくなってせいせいするぞという解放感で気持ちが弾んでいたのとを記憶している。A先生はわが校の先輩であるというパリパリの青年士官をつれてきた。陸軍士官学校を出てまだ何年もたたないというその若い将校のキビキビした動作、ピンと前の立った士官帽をはっきりと思い出す。

 私の出た学校は鹿児島県立師範学校附属小学校。父は県庁の下級官吏で、本来この学校へこどもを出せる階級ではなかった。私も附属特有のお坊っちゃんムードが嫌いで、それに勉強も好きでなかったから、毛並みのいい級友たちとは一歩距離があった。鹿児島というところは軍人の産地で、中学で少しできる奴は身体がよければ海軍兵学校か陸軍士官学校へ進む土地柄であった。私自身その三年のちに陸軍幼年学校の生徒になったのだが、陸軍将校には特別の憧れや関心をいだいていなかった。それは、長兄の影響――日夜海軍兵学校のことを言いくらし、希望をつらぬいて江田島に入り、終戦の百日前に水上偵察飛行隊の分隊長として戦死した――を強く受けて、熱烈な海軍ファンだったからかもしれない。

 さて、小学生を前にしたN少尉は、ずいぶんくつろいでいたようだ。世間でみる軍人という堅い感じは少しもなく、また私たちが数年後に自ら体験した気負いもなかったと、今にして思う。それは戦火をくぐりぬけてきた人の落ちつきであったのかもしらないが、やはり母校の小学生、身内に話しているという気軽さでもあったのだろう。たんたんと話した内輪話は、ほぼ次のようなものであった。

「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……

 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……

 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……

 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……
 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」


 これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた。腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵……なぜ中国兵は逃げないのだろう? 反抗しないのだろう? 兵士がみんな馬鹿ということがあるだろうか。

 そのほかにも「中支戦線」や戦場生活の話を聞いた筈だが、忘れてしまっている。

「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」

という言葉は今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味だそうだ。これは竹内好さんや安藤彦太郎さんたちのいう“兵隊シナ語”の一種でもあったのだ。

 その頃の私たちには、斬られた中国兵のために憤り、或いは同情する“ヒューマニズム”はなかった。その中国の兵たちにも自分のような弟がいるかもしれないなどとは、思ってもみなかった。軍人になろうとしている兄貴を慕っていた私だから、そんな類推ができない筈はなかったのに……

 だが、白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという“勇士”の体験談は、私にはショックだった。ひどいなあ、ずるいなあ。それ以上のことは幼い自分には分らなかった。これでいいのだろうか、そんな軍と軍人で果して“聖戦”が可能なのだろうか。陸軍幼年学校に入り、国軍の生徒としての教育をうけるようになってから、そのことをあらためて思い出すようになっていた。

 そして敗戦。変り身のはやくない私は、二・一ストのあとまで、依然として軍国主義者だった。そのころ極東裁判が開かれた。マスコミと世論が旧軍隊の、ことに戦争遂行の骨幹であった正規将校の腐敗をあばく度にくやしがっていた私だったが、南京虐殺事件の報道はすなおに受けいれることができた。N少尉の話の全体像がつかめてきたように思い、自身もにない手であった日本帝国主義の対外的な責任を考えるようになったのは、この頃からであった。(後略)

志々目彰「日中戦争の追憶――“百人斬り競争”」(『中国』1971年12月号)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm


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報道関係者の証言


浅海一男 元東京日日新聞特派員 (第1報〜第4報共同発信者)


(前略)連日の強行軍からくる疲労感と、いつどこでどんな“大戦果”が起こるか判らない錯綜した取材対象に気をくばらなければならない緊張感に包まれていたときに、あれはたしか無錫の駅前の広場の一角で、M少尉、N少尉と名乗る二人の若い日本将校に出会ったのです。(中略)筆者たちの取材チームはその広場の片隅で小休止と、その夜そこで天幕夜営をする準備をしていた、と記憶するのですが、M、N両将校は、われわれが掲げていた新聞社の社旗を見て、向うから立ち寄って来たのでした。(中略)

両将校は、かれらの部隊が末端の小部隊であるために、その勇壮な戦いぶりが内地の新聞に伝えられることのないささやかな不満足を表明したり、かれらのいる最前線の将兵がどんなに志気高く戦っているかといった話をしたり、いまは記憶に残ってないさまざまな談話をこころみたなかで、かれら両将校が計画している「百人斬り競争」といういかにも青年将校らしい武功のコンテストの計画を話してくれたのです。筆者らは、この多くの戦争ばなしのなかから、このコンテストの計画を選択して、その日の多くの戦況記事の、たしか終りの方に、追加して打電したのが、あの「百人斬り競争」シリーズの第一報であったのです。

 両将校がわれわれのところから去るとき、筆者らは、このコンテストのこれからの成績結果をどうしたら知ることができるかについて質問しました。かれらは、どうせ君たちはその社旗をかかげて戦線の公道上のどこかにいるだろうから、かれらの方からそれを目印にして話にやって来るさ、といった意味の応答をして、元気に立ち去っていったのでした。

(中略)
 事実、「敵」を無造作に「斬る」ということは、はげしい戦闘間のときはもちろんですが、その他のばあいでも、当時の日本の国内の道徳観からいってもそれほど不道徳な行為とはみられていなかったのですが、とくにわれわれが従軍した戦線では、それを不道徳とする意識は皆無に近かったというのが事実でした。筆者は、あの戦線の薄れた記憶のフィルムのなかでも、次のようないくつかの場面だけは脳裡に焼きついて離れません。

 例えば確か丹陽の少し手前(上海寄り)にあった中華民国歩兵学校が占領されたとき、その裏手の広場に、数十体の国民党軍の兵士の遺体が横たわっていて、それらの遺体にどれひとつとして頚部から上の部分が見られなかったときの筆者の驚ろきと暗澹たる心情は忘れがたいのです。

(中略)

 このような異常な環境のなかにあって筆者たちの取材チームはM、N両少尉の談話を聞くことができたのです。両少尉は、その後三、四回われわれのところ(それはほとんど毎日前進していて位置が変わっていましたが)に現われてかれらの「コンテスト」の経過を告げていきました。その日時と場所がどうであったかは、いま筆者の記憶からほとんど消えていますが、たしか丹陽をはなれて少し前進したころに一度、麒麟門の附近で一度か二度、紫金山麓孫文陵前の公道あたりで一度か二度、両少尉の訪問を受けたように記憶しています。両少尉はあるときは一人で、あるときは二人で元気にやって来ました。そして担当の戦局が忙しいとみえて、必要な談話が終るとあまり雑談をすることもなく、あたふたとかれらの戦線の方へ帰っていきました。(後略)

浅海一男「新型の進軍ラッパはあまり鳴らない」(本多編『ペンの陰謀』 1977年 p.340-347)

鈴木二郎 元東京日日新聞特派員 (第4報共同発信者)

(前略)わたくしたちは昭和十二年十二月十二日に、砲弾に崩れた中山門をよじのぼって南京城内にはいるまで、上海から京*線沿いに竜華、南市、崑山、太倉、常熟、蘇州、無錫と、つかずはなれず従軍したが、この間、二人の陸軍少尉の百人斬り競争≠ニいう特電が生まれた。南京いりするまでに、どちらがさきに敵の百人を斬るか、というのである。

 この特電は、南京落城直前までの数回大きく報ぜられたのであるが、この記事が、(東京裁判で)告発する検事側の注目するところとなり、『虐殺』の訴因の一環として、証人指名、呼出状となたのである。
 南京いりして展開する『虐殺』に接する前に、『虐殺』とみられたこの百人斬り競争≠フ始末をのべてみる。

(中略)
 検事の喚問は、やはりこの競争≠『虐殺』として、事実の有無、取材の経緯、そして両将校の競争≠フ真意をするどく追及されたが、どの特派員もこの二将校がじっさいに斬り殺した現場をみたわけではなく、ただ二人がこの競争≠計画し、その武勇伝を従軍記者に披露したのであって、その残虐性はしるよしもなく、ただ両将校が、

二人とも逃げるのは斬らない

 といった言葉をたよりに、べつに浅海君と打ち合わせていた(証言は別べつにとられた)わけではなかったが、期せずして、

『決して逃げるものは斬らなかった。立ちむかってくる敵だけを斬った日本の武士道精神に則ったもので、一般民衆には手をだしていない、虐殺ではない』

 と強調した。

 検事側にとってはきわめてたよりない証言だったにちがいない。それかあらぬか、いよいよ出廷の日、まず浅海君が証人台に立ち、右手を高くあげて、大きな声で宣誓をした瞬間『書類不備』?とかで却下となり、浅海君は気ぬけした顔で控え室に帰ってきた。まもなく書記がやってきて、『もう二人ともこなくてよい』といわれた。つぎの出番と緊張していたわたしは証人台に立たずにすみ、ホッとしたものだった。

 しかし、両将校は国府側にとらわれ、これを知らされたわれわれの嘆願署名のかいもなく処刑されたと聞かされた。(後略)

鈴木二郎「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」(月刊『丸』1971年11月号)
(本多『殺す側の論理』p.190-191)


そして記事にあるように、紫金山麓で二人の少尉に会ったんですよ。浅海さんと一緒になり、結局、その場には向井少尉、野田少尉、浅海さん、ぼくの四人がいたことになりますな。あの紫金山はかなりの激戦でしたよ。その敵の抵抗もだんだん弱まって、頂上へと追い詰められていったんですよ。最後に一種の毒ガスである“赤筒”でいぶり出された敵を掃討していた時ですよ、二人の少尉に会ったのは……。そこで、あの記事の次第を話してくれたんです。

本人たちから、“向って来るヤツだけ斬った。決して逃げる敵は斬らなかった”という話を直接聞き、信頼して後方に送ったわけですよ。浅海さんとぼくの、どちらが直接執筆したかは忘れました。そりゃまあ、今になってあの記事見ると、よくこういう記事送れたなあとは思いますよ。まるで、ラグビーの試合のニュースみたいですから。ずいぶん興味本位な記事には違いありませんね。やはり従軍記者の生活というか、戦場心理みたいなものを説明しないと、なかなかわかりませんでしょうねえ。従軍記者の役割は、戦況報告と、そして日本の将兵たちがいかに勇ましく戦ったかを知らせることにあったんですよ。武勇伝的なものも含めて、ぼくらは戦場で“見たまま”“聞いたまま”を記事にして送ったんです

『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.36

(前略)一体、昼夜を分たず、兵、或いは将校たちと戦野に起居し、銃弾をくぐりながらの従軍記者が、冗談にしろニュースのデッチ上げが出来るであろうか。私にはとてもそんな度胸はない。南京城の近く紫金山の麓で、彼我砲撃のさ中にゴール#翌チた二人の将校から直接耳にした斬殺数の事は、今から三十九年前の事とはいえ忘れる事は出来ない。南京入城の際私は三十歳、この従軍を加えて、幼児からしばしば死に直面したが、他の事は忘却しても、死に直面の場面は今でも鮮かに脳裡に浮かぶのである。

(中略)
 しかし、残念な事に、資料Cとして紹介された月刊誌『中国』の一九七一年十二月号にある志々目彰氏の「日中戦争の追憶」――百人斬り競争≠フ文が、私を愕然とさせた。その文章には、鹿児島県出身のN少尉が小学校での講演で「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……」とまず、私ども東京日日新聞(現毎日新聞)の百人斬り競争%チ電を裏付けた発言が紹介されていたのは当然の事ながら、つぎのような驚くべき発言があった。

 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……

 占領した敵の塹壕にむかってニーライライ≠ニ呼びかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……

百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……

二人で競争したのだが、あとで何ともないか、とよく聞かれるが、私は何ともない……

とあり、更に志々目氏は、つぎのようにつづけている。


「ニーライライ≠ニいうと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる」という言葉は今でもはっきり覚えている。ニーライライ≠ニいうのは、お前来い来い、という意味だそうだ。(中略)

だが、白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという勇士の体験談は、私にはショックだった、云々。


 志々目氏が小学生のころ、本人から聞いて知って受けたというこのショック≠ヘ、二将校の「逃げるのは斬らない」という言明を深く信じていた私どもには、あの特電≠ゥら四十年にもなろうとする現在、大変なショックを覚え、「裏切られた」という感じで一パイである。

 戦後、浅海一男君ともどもこの百人斬り競争≠フ特電をもとに、市ヶ谷台の東京裁判で、南京虐殺事件の検事側証人として喚問された際、特に二人が強調したのは「二人とも逃げるのは斬っていない、立ち向かう敵だけを斬った、虐殺ではない」ということだった。そしてまた、その事を信じての特電だったからだ。
 志々目氏の聞いたN少尉の講演は、或いは同少尉が、戦捷のさ中に、帰国して勇士≠ニして歓迎され講演を頼まれ、いささか調子に乗って、話を面白おかしく(当時として)する気持ちで話したのかも知れないが――

聖戦≠信じ、勝つある事を信じて、夢中で戦場を馳け回り、九死に一生を得て、今日ある時、今更ながらわれらの「特電」の空しさに反省させられたのである。

鈴木二郎「当時の従軍記者として」(本多編『ペンの陰謀』 1977年 p.356-358)

佐藤振寿カメラマン (第4報掲載写真撮影者)


とにかく十六師団が常州に入城したとき、私らは城門の近くに宿舎をとった。宿舎といっても野営みたいなものだが、社旗を立てた。そこに私がいた時、浅海さんが“撮ってほしい写真がある”と飛び込んで来たんですね。

私が“なんだ、どんな写真だ”と聞くと、外にいた二人の将校を指して、“この二人が百人斬り競争をしているんだ。一枚頼む”という。 “へえー”と思ったけど、おもしろい話なので、いわれるまま撮った写真が“常州にて”というこの写真ですよ。写真は城門のそばで撮りました。二人の将校がタバコを切らしている、と浅海さんがいうので、私は自分のリュックの中から『ルビークイーン』という十本入りのタバコ一箱ずつをプレゼントした記憶もあるな。 私が写真を撮っている前後、浅海さんは二人の話をメモにとっていた。だから、あの記事はあくまで聞いた話なんですよ。


 あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのかよくわからないけれど、確かどちらかが、“あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。 ――それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ。

『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.35
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据え物斬り体験者の証言


鵜野晋太郎氏は、旧陸軍第39師団232連隊第2大隊情報将校として自ら40名以上もの中国人を、主に日本刀(「備州長船祐定」および昭和新刀「助川貞光」)を用いて虐殺した体験者であり、中華人民共和国における戦犯裁判において、大尉以下の800名の中ではただ一人重刑判決を受けた。以下、氏の告白手記『日本刀怨恨譜』(本多勝一編『ペンの陰謀』収録)から引用する。(小見出しは高橋による。)

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1942年5月、最初の斬首体験


 竹薮を背に、私は半身に構えて農民の左後方に立った。彼の瞼は腫れ、口からは血が流れていた。祐定を抜くと、一五人許りの日本兵のざわめきが消えた。 ……

苦し気な農民の息づかいだけが聞こえる。刀を構える直前、農民の斬撃点である後首を見て、一瞬当惑した。斜め下に見るそれは僅かに二センチ位にしか見えない。沙陽鎮の立木とは雲泥の相違である。外れると後頭部か肩を横一文字に斬ることになり、その瞬間、将校としての威信失墜必至である。而も初体験であり、成功の保証はない。 ……二秒、三秒、グッと刀を振り上げた。――

「エイッ!」

ドスッ≠ニ鈍い手応えと同時に、九分通り斬れた首が胸に巻きこむように倒れた。斬った瞬間真っ赤な血が噴水のように三、四本吹きあがり、胴体は血溜りの中にのめりこんだ。自分自身が下手人であり、それこそ万死に値する罪を犯したのに、逆に私はホッとした心境で刀の血糊を拭いた。

(略)

御稜威≠フ下(天皇の威光の下)赫々たる「戦果」に酔っていた皇軍の一つの側面は、明らかにその底流で敗戦の要素が比重を高め、進行しつつあったことである。だが、私はそんなことなど露知らず、勝手な総括をしていた。――


一、祐定は切味と重さのバランスがよく、うまく斬れた。刃こぼれや目釘損傷なし。

二、日本刀は無抵抗の人間(奮戦したが刀折れ矢尽きて不幸にして逮捕された捕虜)の「据え物斬り」には最適である。つまり小銃拳銃の如きでは射撃音響が大きくて殺人現場が喧騒となり、まかり間違えば友軍(味方)を殺傷することもある。その点日本刀は軽便にして殺傷力大で、殺人現場は概して静粛に保たれ、日本刀使用者の技量のかなり低い者でも十分成果が期待し得る。従って刃がしっかりし、折れ・曲りの顧慮少ない刀の場合は、一挙に五名乃至十名の連続斬首は十分可能と思われる。但し「警備地区内」での殺人は予め穴を掘り、斬首後直ちに埋没の準備をしないと、最大の欠点たる大量の流血のために「刑場汚染」となり、具合悪く、注意を要する。

三、但し白兵戦闘の場合はその刃渡り(刃部の長さ)はとても着剣小銃に対抗できず、而も軍刀として外装したものは重くて成果は期待し得ず、従って単に将校の単独軍装として兵を指揮する場合のサーベル的役割を果たせる程度のものに過ぎない。


1944年、民間人9人の連続斬首

 私は常用の貞光を引き抜くと、一息入れてくるりと剣背(嶺、つまり刀の刃の背)を軽く村長の首に当て、間合いを見て足の位置を定め、今度は刃部を前に戻し乍ら一気に振り下ろした。

ドスッ≠ニ鈍い手応えと同時に、噴水の如く二、三本と吹き出す血。村長の首は胴体より僅かに早く落ち、顔は苦悶に歪み、歯はガチガチと砂を噛んだ。凄愴、無残。ただよう血の匂い。 ……

つづいて私は次の四十がらみの村幹部の後方に廻った。

(先ずはうまくいったが、目釘はどうかな。刀の曲りは出たかな?)

 目釘は異常ないが、刀身はわずかに曲りが出たようだ。

(大丈夫だ。連続してどこまでいけるか、やるんだ)

 次の首に剣背を当てるや、返して振り下ろす。そして三人、四人目へと息もつかせず斬った。だが四人目は八分通りの斬れ方で首は胸に垂れて倒れた。

(失敗だ!落ち着け!)

 私は強いて笑顔を試みたが、泣き面になってしまった。

「おい!警戒兵、そこの水桶を持ってこい!」

 私はひったくるようにして水桶の水で刀の血糊を拭いた後、タオルを刀身に巻いて切先から四○センチの所に膝をあてがい、右に約五度曲がったのを両手でぐいと元にもどしたが、僅かな曲りは残った。

(エイッ、あとの五人を殺らなくちゃ)

 そのとき、聞き覚えのある不気味な歌――「抗日歌」を、5人が涙を流して斉唱し始めた。低く怒りの気概が迫る。

「止めろ!止めないか!よーし、斬ってやる」

 だが不安がふとよぎった。 ――

(貞光の目釘はかなり緩んどる。これ以上緩めば刀は使えないぞ。でも父の祐定に取り替えて使うべきではない。勿論郭劉湾で一度血を吸わせたが、父の魂として祐定は一旦緩急の決戦の秋まで静かに保管した方がよいと決心して来たではないか。この母の魂たる貞光は昭和新刀だが、据え物でもこんなに曲るとは思わなかった。しかしここで父の祐定に取り替えては母の貞光を汚すことになる。……

そうだ!母のためにも断じて貞光で斬ろう!)


 そのとき五人の斉唱は止んでいたが、悲痛な泣き声は続いていた。私は一段と凶暴に刀をふるって斬った。目釘は更に彎曲して緩み、顎元がガタガタになって来た上、再び刀身の四○センチまでが右五度に曲った。そのために二人斬首して曲りを直し、また二人斬っては直して、ようやく最後の九人目の首を斬り落とした。首を完全に落としたのは一番目と九番目だけであった。

 血の匂いはしばらく消えなかった。鉄柵の中の捕虜の集団は、涙を拭おうともせず立ちすくんでいた。

 この蛮行は勿論私の独断専行であったが、情報主任の権限として何等越権ではなく、寧ろ「天皇の軍隊」への反抗に対する統帥権の当然の発動とさえ思っていた。事実、翌朝、連隊長山田正吉大佐(陸士二九期)に情報・捕虜関係事項の報告の後この問題を詳細報告したところ、

「ウン、馬鹿に派手にやったな……」

と苦笑いしただけで、何のお咎めもなかったのである。

「百人斬り競争」に対する鵜野氏の感想


昭和十二年十一月 ― 十二月の日本の新聞は、連日南京へ進撃する皇軍のニュースで埋まっていた。とりわけ私の関心は、野田・向井両少尉の百人斬り競争であった。今日は何人目と報ぜられる記事は何者にもまして素晴らしく、一八歳の私の胸は皇国の無敵ぶりへの確信を一段と高めたものである。当時私は幼稚な「天下無敵大和魂武勇伝」を盲信していたので、百人斬りはすべて「壮烈鬼神も避く肉弾戦」(当時の従軍記者の好きなタイトルである)で斬ったものと思っていたが、前述の私の体験的確信から類推して、別の意味でこれは可能なことだ――と言うよりもむしろ容易なことであったに違いない。

しかもいわゆる警備地区での斬首殺害の場合、穴を掘り埋没しても野犬が食いあさると言う面倒があるが、進撃中の作戦地区ではまさに「斬り捨てご免」で、立ち小便勝手放題にも似た「気まま(イ盡)な殺人」を両少尉が「満喫」したであろうことは容易に首肯ける。ただ注意すべきは目釘と刀身の曲りだが、それもそう大したことではなかったのだろう。また百人斬りの「話題の主」とあっては、進撃途上で比隣部隊から「どうぞ、どうぞ」と捕虜の提供を存分に受けたことも類推できようと言うものだ。

要するに「据え物百人斬り競争」が正式名称になるべきである。尚彼等のどちらかが凱旋後故郷で講演した中に

「戦闘中に斬ったのは三人で他は捕えたのを斬った云々」

とあることからもはっきりしている。その戦闘中の三人も本当に白兵で斬ったのか真偽のほどはきわめて疑わしくなる。何れにせよ、こんなにはっきりしていることを「ああでもない、こうでもない」と言うこと自体馬鹿げた話だ。

私を含めて何百何千もの野田・向井がいて、それは日中50年戦争――とりわけ「支那事変」の時点での無敵皇軍≠フ極めてありふれた現象に過ぎなかったのである。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/uno.htm


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その他の大量斬殺例


「衣」師団(第59師団)第45大隊の元伍長、鈴木丑之助氏が、「首切り浜野」と呼ばれていたある中尉について語った内容が、次のように紹介されている。
…「衣」の「秀嶺作戦」と、引き続く撤兵で、山東省という膨大な空白が残るが、ここに替わりの師団を配置する余裕はない。それで、「衣」各大隊から少しずつ兵を抜き出して独立警備大隊というのを作ったわけだ。規模も従来の大隊規模に及ばないものだった。

 隊長には、第四五大隊の浜野仁中尉(栃木県出身)が任命された。浜野中尉は、皇軍で「首切り浜野」という異名を自他共に許していた。第四五大隊のなかに、彼が中国農民の首を日本刀で切り落とすのを、見なかった者はないとまで言われた。作戦に出て、途中見つけて案内人として使った中国人であれ、駐屯地周辺の部落民であれ、次々と首切りをしているうちに、彼は毎日一人は切らないと気が休まらなくなったようだと、兵士たちは思っていた。

 彼の部下たちは、彼によって中国人首切りのコツを伝授された。彼によって、妊婦の腹の割き方、幼児の殺し方を教わった。その中には「人間がウドンを食べている途中で首を切ると、どう見えるか」などという“実験”まで混じっていたという。中国人民軍側は、彼に多大な懸賞金を掛けてその跡を追ったが、行った道と同じルートを、決して戻らないという彼の侵略行のやり方と皇軍の支援とで、九死に一生を得た。八路軍は、遂に彼を取り逃していた。「首切り浜野」を自他共に許す彼は、これによってますます優秀なる皇軍兵士としての立場を固めていた。

熊沢京次郎『天皇の軍隊』(現代評論社 1974年)p.348

自らも連続9人の据え物斬りを体験している鵜野晋太郎氏は、軍刀で50人以上を斬ったと噂されていたある下士官について、次のように書いている。


 そのころ大隊本部に、公式には「喇叭長兼本部書記」の肩書の藤井曹長がいたが、私は彼に妙に心をひかれた。もともと幹候出身将校に対し、下士官は悪意を以て接するものだが、彼のさり気ないさっぱりした気風は好感が持てた。それにもまして確度の高い噂では、藤井は軍刀で50人以上、一説では100人以上斬っていると言われていた。(略)彼との交わりは半年に満たなかったが、彼の“殺人訓”を要約すると、次のようになる……

「私が50人なのか100人なのかと聞かれても答える口はもちませんよ。差し料(自分の所持している刀剣)が普通程度のものであれば、白兵戦で敵と渡りあってガタガタにならない限り、据え物だったら相手が抵抗できんように痛めてあるから、100人位十分殺れるんじゃないですか。 …そして相手を人間と思わんことですよ。まあ私は犬コロくらいにしか思ってませんから、まず失敗なんてありっこないですよ。ホラ見てください、これを……」

 藤井は差し料を引き抜いて切っ先の部分を指さした。 ――

「スーと細い擦った線が沢山見えるでしょう。 ……首を斬った時につく頚骨が擦れた跡です。だからこの一本一本の線を数えれば何人斬ったか判りますよ。しかし将校さん方から時々、白兵戦で何人も何人も斬ったという話が流れるが信じませんね。 ……そうでしょう。

刀ほど危ないものはないですよ。一対一でも着剣小銃手と闘っても勝てないですよ。 ……

まして一対二なら一辺ですよ。ツンゴピン(中国兵)が本気になったら怖いですよ。だから私は、据え物で何十人斬ったと言うのなら信じますがねえ。

……日本の兵隊の着剣小銃での刺殺ならあり得ますよ。あれなら殺れますね。

……明治維新での新選組の池田屋の斬り込みは、最低三人が一団となってのことですから、あれでは斬れますよ。だから軍刀の武勇伝と言うのは嘘ですな……」


 私は藤井の教訓を、敗戦までの間、私自身が犯した数多い斬首殺害の手本としての影響を強くうけたし、とりわけ藤井の差し料の頚骨の多数の擦過痕は私の心を捉らえ、一日も早く沢山斬りたいと言う衝動に駆られた。
(略)

 昭和十八年はいろいろと戦闘の多い年で、負け戦もあった嫌な年であった。早春の頃、私は藤井と共謀――と言うよりむしろ彼に三拝九拝して、日本憲兵隊の密偵(中国人の漢奸)を暗殺して貰ったことがある。

あの頃の情報関係者は密偵に塩の独占搬入権を与えて使っていたが、憲兵が大隊の縄張りを荒すので、業を煮やしてその密偵をだまして連れ出し、藤井に背後から不意打ちさせて殺したのだった。彼の慣れた刀捌きに私は恍惚としたし、益々殺意が体中に漲った感じで、毎朝真刀(つまり軍刀)で“百本振り”をやって自慰したものである。

鵜野晋太郎「日本刀怨恨譜」

(本多勝一編『ペンの陰謀』 潮出版社 1977年 p.379-380)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/sonota.htm

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日本刀の殺傷力

刀剣研究家成瀬関次氏は、戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った。氏は、実戦で使われた軍刀を修理した経験から、「研ぎべりのした、刀身のへなへなと薄い刀、焼け身、中心を焼きつぎにしたもの、洋鉄を延して焼きを入れただけの昭和刀、手に合はぬ直刀等は、避けねばならぬ」と断りつつ、「概して日本刀は強靭なものである」とその実用性を保証している。以下、氏の著書『戦ふ日本刀』からその一部を引用する。


 今度の事変中、一戦ごとに一人で十人二十人という敵を斬つた事が新聞にも現はれ、従軍後は、各部隊でさうした功名談もよく聞き、部隊長又は隊長からも、部下のかうした武功談を屡々耳にした。実際誇張や法螺でない事は、血刀を修理して見ただけでも、それが頷けた。自分は、兵隊の撮影した写真で、斬撃された敵屍の折重なつてゐる所を見た事があり、5月初旬、蘭陵鎮へ行軍途中、左荘といふ部落の近くで、刀疵で倒れてゐる敵の死体十幾つかを見た事があつた。
 …

 蒙橿の天鎮城内で敵と戦った時、逃げようとすれば十分に逃げられるのに、日本軍の抜刀突撃にあつて、一たまりもなく気が挫けて了つたのか、城門際に折り重なつてひしめいてゐたので、敵が多すぎて斬るのに骨が折れたと、或る兵隊は語つてゐた。(p.25)


 面白い事は、兵種、戦闘の難易、地形其の他によつて、刀の損傷に共通点のある事で、例へば文字通りに血戦した部隊の刀を手にして見ると、判で押したやうに同じ傷み場所は、柄糸の磨り切れてゐる事、鍔元がぐらつき目釘が折れてゐる事、刀身の先の方が多くは左に曲がつてゐる事、同じ刀身の先の方に刃こぼれのある事の四つの点であり…(p.36)

 自分は、日本刀の鑑識者ではなく、さうした知識には浅い者である。元来、古武道の内にくるめて、武用的方面から日本刀を見て来たのであるが、弾雨下の一線に従軍して、さうした所でなくては見られない血と泥≠フ破損刀を手がけ、二十数回の斬撃を目のあたりに見て、戦場で使ふ日本刀は、かうしたものでなくてはならぬといふ、本当の業物の姿をとらへて来たのである。(p.37)

 斯様な事を述べると、一見斯道の異端者とも見えるだらうが、実際にあたつて見て、元来から物打に二分からの刃ギレのあつた刀で、敵十五六人も斬つて何ともならず、却つて他の部分に刃こぼれの出来てゐたものも見、切先が蛇の口(口を閉ぢたる)のやうな刀で七名から斬つたのも、他に疵はついても、その部分は何ともなつてゐなかつた。

 概して日本刀は強靭なものである。ただ、研ぎべりのした、刀身のへなへなと薄い刀、焼け身、中心を焼つぎにしたもの、洋鉄を延して焼きを入れただけの昭和刀、手に合はぬ直刀等は、避けねばならぬ。
 刀身の選定については、ただ名のある人といふよりも、刀の売買に関係のない、軍人などの鑑定家とか、実戦に経験のある人に見てもらふのが第一である。(p.40)

 今、全国に残つてゐる昔鍛の日本刀はどの位あるか。推定四百万振といふのである。
 …

 右の内の約六七割までは、新刀新々刀とはるる刀であつて、大阪夏冬の陣前後から以降の作刀である。徳川時代から、明治大正にかけては、大量の日本刀を戦陣に於て試みるやうな機会はなかつた。

 日清日露の両役にしても、今次の事変に比較して見ると、物の数でもなく、彼の天草の乱、戊辰戦争、西南の役にしてからが、量的にはさう大したものでは無かつた。
 …

 今次の事変では、…一面恐ろしい器械化戦が行はるると共に、他面一騎打の原始戦が盛んに行はれ、戦風は一部元亀天正に逆戻りしたかのやうなところさへある。その上、未曾有の廣い戦線で混戦的に戦ひつつあるのと、昭和九年来日本刀そのままでの使用が、事実上復活となり、戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。(p.41-42)

 八木工兵中尉(此の人は静岡県相良町の名望家で、徐州戦当時筆者は共にその北部戦線に居た。)最近中支奥地からのお便りの中に、


……あつけない程脆く首が落ちた。昔からぬれ手拭いをはたく様な音がすると云はれてゐるが、まさにその通りでハツフツといつたとたんに四尺もすつ飛んで一声もない。(中略)この一戦で非常に大なる信念を得た。自分の刀で敵を斬り、その刀に信頼を持つた時から、武術が生きてくる。つまり刀も武術の内だ。云云。

 中尉の佩刀は、大阪石堂康廣の若銘安廣で、二尺三寸余、自分には見覚えのある刀である。(p.57-58)

 或る暑い日であつた。開封城内の修理班へ時目といふ変つた姓の少尉が自身刀を持つて修理にやつて来た。…無銘古刀の武家伝来らしいよい刀を持つてゐた。それで南京攻略の軍中三十七人を斬り、徐州戦で十人、都合四十七人を手にかけ、縛り首は一つも斬らなかつたといふ。


 …

 刀を見ると、血糊で白くなつてゐる。性質のよい古刀で骨ごと斬ると、必ず刃まくれの出来るのは一つの定則であるが、中央から上、物打下にそれも型の如くに出来て居り、刃こぼれも三ヵ所、刀全体がジツトリしてゐた。(p.77)

…陣中では、修理に出てくる刀の十振が十振いづれにも目釘の故障がある。それを一本一本竹を割つて削つてゐたのでは、徒に時間がかかつて急場の間に合わない。竹箸だと一寸削つて切つただけで用に立つ。しかも、何処の竹だか非常に堅くて、なかなか折れさうにもない。これは天が与へてくれたものと、自分はいまでもさう信じてゐる程である。

 …

 それから、最初自分の見込みでは、軍刀の故障は、刀身が六分外装が四分といふ考へで行つたところが、全くの反対であつて、殊に柄の故障の多かつたのは屡々発表したところであるが、それが為め早くも材料がなくなつてしまつた。(p.126-127)

 さすがに第一線の戦闘部隊だ。一寸見ただけで其の損傷状態がまるでちがつてゐる。試みに手にした一刀、何げなしに抜いて見ると、刀身は鍔元から血糊でそれが稍褐色がかり錆のやうになつてゐる。プンと臭い。目釘が折れるか飛ぶかしたと見え、生木の小枝を打ち込んである。指先でつまんで抜くと。そこから黒褐色の悪臭をもつ汁がポタリと一滴落ちた。血の腐つたやつだ。戦ひの最中に、血が刀身をつたはつて、(金+祖)のすき間から柄の中に入り、それが間隙にたまつて腐つたのだ。柄木を抜いて見ると、その汁がダラダラと落ちる。

 …
 これは今度の事変ばかりでなく、日清日露から西南役維新戦争に溯つて見て、実際乱戦中に敵とわたり会つて血戦した事実は、小説や講談にあるやうにザラにあつたものでは無いらしい。殊に今度の事変などでは、いざ接戦となると敵は逃げ足となり、一人斬つて二人目に及ばんとする時は、早二間も三間も離れて居るといふやうな場合が多く、実際十人も二十人も斬つたといふやうな話は、例へば敵を城壁域内際とか袋路地のやうな所に追ひつめ、ひしめき合ひわめき合ふ処を片つ端から滅多斬りにした時などの事で、さうした将兵の血刀を手にし、状況を聞いて見るに、四五人斬つたかと思ふ頃、多くの場合血がぬるぬると柄に伝はつて来る。斯様な時に、昔の柄巻の有難さが本当にわかるもので、殊に小倉木綿をそのままたたんで巻いたのなどは、手がすべらなくてよい。(p.153-154)


成瀬関次 『戦ふ日本刀』 実業之日本社 昭和15年
(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』にも一部引用あり)

成瀬氏が指摘しているとおり、日中戦争では将校はもちろん下士官までが日本刀を戦地に持参した。彼らが、持参した日本刀の切れ味を試してみたくなったであろうことは想像に難くない。そしてそれを試すための最も容易な手段は、抵抗することのできない捕虜や住民を使った据え物斬りだった。これほど大量の日本刀が人間相手に実際に使われ、膨大な量の生き血を吸ったのは、有史以来このときだけなのである。
(2000.07.02)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm

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日本刀VSピストル真剣勝負(笑)

ゴールデンウィーク最終日、普段は見ない『トリビアの泉』をボーっと見ていたら、「テレビ史上最も危険な実験 日本刀VSピストル真剣勝負の衝撃映像!!」というのをやっていた。日本刀とピストル、どっちが強いか実験して確かめる、というのである。

その方法は、日本刀をほぼ垂直(やや刃面が上向き)に固定しておき、その刀身の中央部に向かって銃器射撃装置で水平に固定したピストルから弾を発射する、というシンプルなもの。射撃距離は5メートル。

実験に用いた日本刀は、特別なものではない平均的な日本刀、ということで、市販価格90万円程度を目安に現代の刀工(小田九山さん)に作製してもらった新作刀。ピストルはかつての米軍制式拳銃であり、強力な大口径拳銃の代表とも言えるコルト1911ガバメントモデル(45口径)である。

結果は……日本刀の完勝だった。超高速カメラを用いた撮影により、日本刀の刃に命中したピストルの弾が真っ二つに切断され、泣き別れになっていくさまが克明に映し出されたのである。日本刀には刃こぼれ一つなく、弾が当たった部分に指先大の鉛がこびりついた痕跡が残っただけだった。この結果に納得できないアメリカの銃砲店主(実験に用いたピストルの提供者)からの要請で実験は数回繰り返されたが、結果は同じだったという。

これだけなら「日本刀は凄い!」で終わってしまうところだが、この実験には番組作成者がまったく意識していなかった重大な意味がある。言うまでもなく、百人斬り事件との関係である。

百人斬り殺人競争を虚報と決め付け、それを突破口として南京大虐殺を否定しようとする勢力は、執拗に日本刀の脆弱さを主張してきた。日本刀の威力などというのは伝説に過ぎず、とても百人もの人間を斬ることなどできない貧弱な代物であり、だから百人斬りなどありえない、というのである。偽ユダヤ人イザヤ・ベンダサンこと山本七平など、自分の戦場体験からの結論だとして、一本の刀で斬れるのはせいぜい三人、と断言していた。

時速900キロで鉛の弾を撃ち込まれる衝撃に耐え、その弾を両断して傷つきもしない日本刀が、わずか三人の人間を斬っただけでダメになるものだろうか。要するに山本七平は、戦争体験者は黙して語らず、戦場体験のない世代には確かめようもないのをいいことに、大嘘を吐いたのだ。

フジテレビ(あのフジサンケイグループの)が全国に放映してくれたこの実験は、日本刀の性能に関する否定派の嘘を文字通り一刀両断にしてしまった。

まさに快挙である。
(2004.05.09)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/trivia.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html#c1

コメント [近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
2. 中川隆[-13244] koaQ7Jey 2019年1月02日 06:51:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210]

南京で暴虐の限りを尽くした田所耕造。
http://anarchist.seesaa.net/article/78079481.html


陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。

『週刊アサヒ芸能』(71年)の取材に答えた当時、彼は53歳。
彼が語った残虐の限り。しかもこれが「命令」なんだから驚くしかない。

女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった。
下関から木炭トラックを部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊に分ける。

女1人に兵隊15人から20人くらい受け持たせてね。倉庫のまわりなど、
日当たりのいいところを選んで、木っ葉などをぶらさげて場所をつくる。
赤ケンといって、中隊長のはんこがある紙を持った兵隊たちが、ふんどしを
はずして順番を待つんだ。

いつか女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと、女たちはどんどん
逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。
支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なんだろうけど、
なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないんだから
、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よくなめ殺すといったもんです。


その凶暴兵は、柳川平助兵団(第10軍)第114師団所属。南京作戦での「働きぶり」によって上等兵に昇進。

そして、血に飢えた「ならずもの部隊」は徐州(シュイチョウ)へ進撃したのだった……。


南京に2ヶ月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、
股裂きをやったのは。ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、
両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると
股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。それを部隊
みんなでみている。中隊長もみてみぬふりだった。将校だろうと下士官
だろうと、文句をつけても『ウシロダマ(後ろ弾)だぞ』とおどしちゃう

田所耕造はこの気分が悪くなるような話を得意げに話している。上官を
無視しても、「戦闘」では頼りになった兵士による略奪・強姦・虐殺は
セットで日本軍は容認していたということだ。


川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、
陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山(クンシャン)まで道端に延々と
そういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられて
いて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコが
丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。『チンポコ3万本』と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな。遠くからロングに引いてみると、残虐というより壮観だった。

読売のカメラマンで発狂したのもいたな。やったってしようがないのだが、
飛び出してやめさせようとするものもいた。普通の百姓だからといってね。
しかし兵隊はそんなのにかまわずぶっ殺していった。俺か? 俺は残虐な
写真ばかり撮っていたので病膏肓に入っていた。そういう残虐な写真を
撮るのも喜ぶものもいたし、やめとけというのもいた。参謀本部では証拠に
ちゃんと写真を撮っていたな。

以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。

当然のことながら、柳川平助兵団による強姦・虐殺は南京攻略以降の
徐州・漢口作戦でも繰り返されることとなる。

徐州作戦では捕獲したチェコの機関銃がよく使われた。10人、20人と固まって
死んでるのが3キロも4キロもつづく。殺し方もいろんな方法をとった。
3人ぐらいいっしょに木にぶら下げられていたり、首をはねたり。子どもの
首をはねるのだけど、うまいもんだね、皮一枚ちゃんと残るように斬るんだよ。
その瞬間の写真を撮ったけど……

自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている


股裂きなんぞ、東映のモンド映画『徳川いれずみ師 責め地獄』にて鬼才石井監督が撮っていたけど、その遥か以前に日本軍では娯楽の殿堂として「日常風景」だったとは驚きだ。
日本軍って、頭の中が「石井輝男」と同じだったんだな。

「股裂き」の田所耕造が所属していた柳川平助兵団が如何に凄まじい「ならずもの部隊」であったか、従軍カメラマンとして共に行動した河野公輝さんが証言しているな。
これも酷すぎて卒倒するぜ。


蘇州(スーチョウ)の略奪もすさまじかった。中国人の金持ちは日本とはケタがちがうからね。あのころでも何万円とするミンクのコートなどが倉の中にぎっしりつまっているのがあった。寒かったから、俺も一枚チョーダイしたよ。(中略)東京の部隊では赤羽工兵隊というのが一番悪かった。
蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。兵隊は手当たりしだい強姦していた。犯ったあと必ず殺していたな。


以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。


以上の証言は河出文庫『証言・南京事件と三光作戦』より引用した。

この本のAmazonでのレビューにこんなのがあったが……

洗脳、と言う言葉がある。
この言葉は元々は中国語だ。日本語ではない。
朝鮮戦争時の捕虜米兵に対して共産主義を信じることをせまった行為を
中国共産党が洗脳と呼んでいたのが語源だ。
この捕虜米兵と同じように洗脳された人たちがいる。
日中戦争時に捕虜となった日本兵捕虜である。
生きて日本に帰ることのできたこの日本兵捕虜は「中帰連」(中国帰還者連絡会)と呼ばれ、帰国してから「証言」したものが、南京虐殺やら三光事件やらの
「旧日本軍が大陸でいかに悪いことをやったか」を描いた数多くのプロパガンダ本の基となった。本多勝一の『天皇の軍隊』も彼らの「証言」を基にした著作だという。


さて本書であるが、タイトルの、証言とはいっても上記の中帰連(笑)の生き残りの人たちがメインである。この時点でこの本の客観性や実証性はゼロといっていいプロパガンダ本といっていい。「南京大虐殺」「三光作戦」がウソ、でっちあげの産物であると言うことはネットや書籍を通じてようやく近年常識として広まりつつある。
これも一つの戦後レジームからの脱却と言っていいだろう。


『週刊アサヒ芸能』のインタビューに答えた人間が中共の捕虜だと決め付け、事実を歪曲しているところなんぞ、まさに中共と同じやり口だな。藁


自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている。インタビューを受けた当時でも、自分が行ったことは間違っていないと自慢していた神社の神主であった。三島が自決した日に息子に「お父ちゃんもあんなふうに死ぬのか」と聞かれた彼は、「お父ちゃんが死ぬときは共産党と社会党のやつらを皆殺しにしてからだ」と答えている。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/182.html


中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の
一室で、4〜5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に
出会った。4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、
Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければ
ならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。

その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の
河南戦争前後で見たことだ。中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を
馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、
女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。Kさんが駐在していた山西省
旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)
という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。
http://www.magazine9.jp/kaigai/dai027/index.html


南京大虐殺については

南京大虐殺関連資料集
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm

南京事件資料集
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/

南京事件の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ 
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm


仏典の地獄を偏執的狂人の妄想から生まれた怪奇残酷趣味のフィクションにすぎないと考えるのなら、これはどう思われるか。…

「村民を銃剣で追い立てて並ばせ、機銃掃射で薙ぎ倒す。

泣き叫ぶ乳幼児や子供たちを銃剣で突き殺し、

妊婦の腹を切り裂いて胎児を放り出す。

死体の山に石油をかけて焼き尽くす。

木に縛り付けて鞭打っては冷水をかけ、凍死させる。殴り殺す。蹴り殺す。死体を野犬に食わせる。

背中に石を結わえて水中に投げ込む。

輪姦し、その女の赤ん坊を銃剣に刺して肩に担ぎ、軍歌を歌って歩き回る。

赤ん坊を投げ殺す。踏み殺す。巨大な石を担がせて圧死させる。

鞭で殴って焼けた棒を押しつけ、冷水をかけて極寒の場に捨てて凍死させる。

婦女子を狩り集めて輪姦し、腹を裂いて内蔵をえぐりだす。

生き埋めにする。眼をえぐる。耳を切る。鼻を削ぐ。首を切り、その数を競う。生きながら解剖する。銃剣で突き刺し、崖から落とす。等々」

 これはフィクションではない。「正義」を掲げた日本軍が中国でやったことである。といっても、ここでは戦争の是非を論じようというわけではない。地獄は決してフィクションなどではなく、スーパーリアリズムの世界だと言いたかったのである。我々の心の内側にある畑が荒れ果てたとき、地獄はどこにでも出現する。地獄の発生は倫理や道徳では抑えられない。かつて倫理や道徳が声高に叫ばれていた時期に、戦争が絶えたことはなかった。いや、むしろ、戦争は倫理や道徳の意図的操作によって遂行されたと言ってもよい。これは歴史の教えるところである。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa7.html


南京にいた日本兵たちの人間墜落と性的異常行為は限界がありませんでした。ちょうど退屈凌ぎに殺人コンテストが考案された様に、兵士たちはセックスの十分な供給に飽きると様々な気晴らしの強姦ゲームを創造しました。

おそらく日本兵が気晴らしにした最も残忍な作法の中に、女性の膣の突き刺し刑があります。

南京の通りには足を広げ、開口部に木の棒や小枝や雑草を突き刺されて倒れている女性の死体がありました。南京女性の拷問に使用され、耐え難い苦痛を与えたこの方法は考えただけでも精神が麻痺してしまうぐらい痛ましいものがあります。若い女性を強姦した日本兵は彼女にビールボトルを突き刺して射殺し、別の所ではゴルフクラブを突き刺された強姦犠牲者が発見されました。

また12月22日にTongjmenの門近郊で強姦された理髪店の妻は膣にかんしゃく玉を突っ込まれて、爆破して殺害されました。

そして犠牲者は女性だけに限られた訳ではありませんでした。中国人男性はよく男色の相手にされたり、笑う日本兵たちの前で恥ずかしい性芝居を演じるように強制されました。ある男性は雪上に転がる女性死体との性行為を強いられ、それに拒絶して殺害されました。また日本兵は禁欲主義を誓っていた男性に性交際を強制して喜ぶこともしました。男性に変装して南京の門を通過しようとした中国人女性が股の間を掴みながら一人一人チェックしている日本近衛兵に真実の性を暴かれてしまい、集団暴行を受けている時に、たまたま現場近くにいた仏教僧は危険を冒して止めに入り、不幸にさらされました。日本兵たちは彼に強姦したばかりのその女性との性交際を強制し、それを拒んだ僧侶はその場で去勢されて出血多量のために死に陥れられました。

さらに最も卑劣な性的拷問手段の中には家族に対する退廃があります。

日本兵は中国人男性に対して、父親は娘を、兄弟は姉妹を、息子は母親を強姦させる近親相姦を強制して、加虐的な喜びを味わいました。

中国軍大隊の司令官だったGuo Qiは、街が陥落して息詰まっていた3カ月の間に、少なくとも4、5回は日本兵が母親を犯すように息子へ強制して、拒んだ者はその場で殺されているのを見たり、聞いたりしました。

この報告書は、ある中国人男性が母親を強姦することを拒んでサーベルで突き殺され、直後にその母親も自殺したことについて報告したドイツ人外交官の証言で実証されています。

家族の中には、この様な行為を強いられるぐらいなら率直に死に応じる者もいました。ある一家は揚子江を横断しようとしたところで二人の日本兵に止められ、点検を求められました。ボード上で若い女性や少女たちを見つけた日本兵たちは両親や夫の目の前で女性の強姦を始め、これでも十分にひどい行為にかかわらず、兵士たちが次に要求したことは一家をさらに困惑させました。彼らはこの一家の年老いた男性にも同様に女性たちを強姦させようとしました。一家は従うよりも川へ身を投げて溺れ死ぬことを決意しました。


日本兵に捕らえられた女性たちは強姦された直後に殺され、生きる望みはほとんどありませんでした。

女性たちは様々な方法を用いて強姦から逃れようとしました。中には、すすを顔に擦り付けて老いて見せたり、病気にかかっているように見せたり、頭髪を剃って男性を偽ったりして変装する女性たちもいました。(ある利口な若い女性は金陵大学の安全地帯までの道のりを老婆に変装し、杖を持って足をひきずりながら、背中に借りた6才の子供を負ぶって歩いてきました。)また4日前に死んだ子供を生んだと日本兵に告げて病気を装ったり、中国人捕虜の助言を受けて指を喉に突っ込んで何回か嘔吐して見せた女性もいました。(彼女を捕らえた日本兵は慌てて建物から追い出しました。)中には人混みの中を屈んで進み、壁を敏捷によじ登って日本兵からの追撃を逃れた女性や、三階の日本兵を妨害して、庭の中国人男性が支える竹棒を滑り落ちて、辛うじて暴行から逃れた少女もいました。

しかし、あがいた女性は一度、捕らえられると、日本兵に抵抗しようとした見せしめのために拷問にかけられました。日本兵に挑んだ者たちは、よく目玉をえぐり抜かれていたり、鼻や耳や胸を削がれている状態で後に発見されました。


金子安次
「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」

 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。

子供は、慣例のごとく両親の目の前で殺された。


子供の前で母親を犯す。赤ん坊を火にくべる。または子供の前で親を焼き殺す。

生きたまま生体実験を行う。 慰安と称して女性の膣にガソリンを含んだ布を押し込み、火をつける。


日本兵が南京の居住民に与えた数々の拷問は人間の理解できる範囲を越えています。下記の例はそのほんの一部分です。

(生き埋め殺人)日本兵は機能的に埋葬活動を実施することで大量虐殺の効率化を図りました。中国人捕虜たちはそれぞれグループに分けられ、まず第一グループが自分自身の墓穴を掘らせられ、第二グループが第一グループを埋め、続いて第三グループが第二グループを埋めて行くという具合に強いられました。犠牲者たちの中には胸や首から下部分を埋められて、刀で徐々に切り刻まれたり、馬や戦車で下敷きにされたりして、さらに大きな苦しみを受けた者たちもいました。

(切断)日本兵は犠牲者たちのはらわたを抜き出したり、斬首したり、手足を切断しただけでなく、さらにひどい種類の残酷な拷問を行ないました。

街の至る所で捕虜たちが板に釘付けにされて戦車にひき殺されたり、木や電柱にくくりつけられて肉体を切り刻まれたり、銃剣の練習台にされて虐殺される光景があり、明らかな事実の中には、100人以上の男性が銃殺される前に目玉をえぐり出されたり、耳や鼻を削ぎ落とされたということがありました。また200名を越える中国兵や市民の集団が裸で柱や学校の戸に縛られ、zhuiziという特別の針で口や喉や目を含む何百カ所という肉体部分を突き刺されることもありました。

(火による殺害)日本兵は犠牲者たちを集めて一気に焼き殺しました。江口の日本兵は中国人捕虜を10人単位でまとめて縛り、ガソリンをかけて火が点けられている窪地へ落とし込みました。太平路でも大量な数に上る店員が火刑を宣告され、ロープでまとめて縛られて炎の中へ投げ込まれました。さらに中国人暴徒たちを建物の最上階や屋根上に集めて、階段を破壊し、炎を下に灯すという余興の火刑ゲームも考案されました。多数の者が窓や屋根上から飛び降りて自殺を図りました。


また犠牲者たちを燃料でずぶぬれにして射撃し、炎上するのを観望するという娯楽も実施されました。ひどい事件の中には日本兵が何百人に上る男性や女性や子供たちをガソリンでびしょ塗れな広場の中に入れ、マシンガンで火を点火することもありました。

(氷による殺害)南京大虐殺中、 何千人に上る人々が故意に凍死させられました。何百人に上る中国人捕虜たちが凍結している池の辺まで行かされ、裸になって氷を壊し、水の中へ魚を捕まえに飛び込む様に命令され、水の中に入ると彼らの肉体は日本兵の銃弾に穴を空けられる浮いた的と化しました。また避難民集団を縛って浅瀬の池へ投げ入れ、そして手榴弾で爆破して「血と肉体の爆発雨」を引き起こすこともありました。

(狂犬による殺害)残虐非道な拷問方法の中には、犠牲者たちの腰部分まで土の中に埋めてジャーマンシェパード犬にかみ殺されるところを観望するというものもあります。日本兵が犠牲者を裸にして、肉体の敏感な部分をジャーマンシェパード犬に噛みつかせる指図をしているところを見物人が見ていました。犬たちは腹を噛み開き、腸を離れた場所へ引きずり出していたそうです。

これらの出来事は日本兵が犠牲者たちの拷問に用いたほんの一部です。日本兵は犠牲者をACID(麻薬)浸けにしたり、赤ん坊を銃剣で突き殺したり、人々の舌をフックに掛けて吊るすといった残虐な行為を公然と行ないました。

日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。幼女からろうぱまで、はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。

数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを「きん獣の群れ」といったのである。

”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、内臓がとび出している。少し開き加減の足。左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz306.html


人前で中国人の首を斬殺さしたり、妊婦を銃剣でお腹を裂き見世物にしたとか、娘らを強姦したら殺す!(死人にくちなし、と言う事だそうです)

乳飲み子を母親から取り上げ谷へ投げ捨てた。

子供に”みの”をかぶせ火の中に投げ入れ、熱い熱いとみのがゆれるさまを喜んで”みの踊り”と言ったそうです

日本兵は「幼い娘は熟していない」といって、下腹部を切り開き輪姦を始めるのであった。妊婦でさえも容赦はなかった。

妊娠9ヶ月の17歳の少女を2人の日本兵が強姦する。この結果流産してしまい、彼女は発狂してしまった。HongWu門外では日本兵が農家の妊婦を強姦し、女性の腹部を切り開き、胎児を取り出した。また別のところでは、日本兵が妊婦を強姦しようとしたがお母さんが立ちふさがる。

そこで日本兵の超残虐な行為が始まる。日本兵は老婦を蹴飛ばし、妊婦の腹部をナイフで切った。数ヶ月たったばかりの胎児が中から飛び出した。

このようにして2人の尊い命が一瞬のうちに消えてしまった。多くの女性が強姦の後殺害されている。ある日本の上官は部下にこう言った。「後で厄介になるから、用を済ました後は分からぬように殺しておくようにしろ」多くの女性はこの時の経験を話せない。

しかしそのような地獄から生還した女性もいる。彼女はJianYin通り6丁目に住んでいた。彼女は他の女性といっしょに日本軍に連れ去られた。日中は洗濯をさせられ、夜になると輪姦の道具となる。年増の女は一晩で10回から20回。若くてかわいい女はもっと多かった、と証言する。

正月元旦の日、二人の日本兵が彼女を連れ誰もいない学校にやってきた。そして彼女を10回銃剣で突き刺した。首の後ろに4回。腕に1回。顔に1回。背中に4回刺された。日本兵は彼女が死んだと思い、去っていった。あとで通行人に助けられ病院に担ぎ込まれ命を取り留めた。強姦の後幸運にも殺されなかったが性病に罹り、一生苦しんだ人たちもいることを忘れてはならない。


" 外国人の見た日本兵の蛮行 # という本の中に著者の TianBoLie 氏は南京の虐殺の事実を記録に残している。そのほとんどが強姦であった。それから少し例を拾ってみるだけでも日本軍の罪の重さがわかる。12月14日正午、日本兵は JianYing 通りの民家を襲った。4人の少女を誘拐し2時間かけて強姦した。12月14日夜、日本兵が民家を襲って女性を強姦し、連れ去った。12月15日夜、大勢の日本兵が Jinling 大学の講堂に押し入った。そこで30人の女性を強姦した。ある者は6人の日本兵から次々と輪姦された。 12月15日夜、大勢の日本兵が ShanTiao通りの民家に押し入り、多くの女性を強姦した。12月16日、日本兵は保育大学から7名の少女を誘拐した。年齢は16歳から21歳までの娘であった。そのうち5名が後に釈放された。18日におこなわれた事情聴取によると彼女らは一日に6回強姦されたといっている。

12月18日の夕暮れ時、4,5百人の女性がわれわれの事務所に保護を求めてやってきた。 この多くは日本兵に強姦されていた。 ここに記載した事件は南京陥落後のほんの数日間に起こった氷山の一角に過ぎない。 実際、 " 強姦は南京陥落後6週間に渡って大規模に行われた」のである。これらの犯罪は下級兵士の行動にとどまらず、指導者層にまで及んでいる。

南京虐殺の主犯格である日本軍第六師団長谷寿夫の証言によると、彼は ZhongHua 橋の近くで Din Lan という女性と他に二人を強姦している。また、SaiHongQiaoで Liu YuQingさんと他三名を強姦した。他のところで10名以上の強姦も認めている。日本軍の侵略者たちは強姦で動物本能を満たすだけでは終わらなかった。

彼らは集団で輪姦し、その後、殺して死体を切断するのであった。多くの女性は10人くらいの日本兵に輪姦された。そして女性は死んでいく。この種の経験をした女性の死体は数限りなくあった。虐殺の期間中、強姦の犠牲者には教授婦人、尼僧、労働者、教師、学生などがいた。


2月の終わりごろ、14人の難民の家族が日本軍により惨殺された。一番下の娘はほんの14歳。彼女は二つの正方形のテーブルの上に乗せられて死んでいた。上半身は服を着たままであるが、下半身はすべて剥ぎ取られテーブルは血の海であった。そして彼女の下腹部には銃剣で刺した後が二つあった。

お姉さんは妹と同様の格好でベッドの上に倒れていた。母親はテーブルのところで1歳の赤ん坊を抱きかかえ倒れていた。赤ん坊は腹部をナイフで切られ、内臓が飛び出していた。正視できない地獄絵巻である。国際委員会の委員は調査に乗り出した。
写真を撮り、それをアメリカの市民のもとに送った。日本大使館にも送った。


日本軍の地獄の苦しみを味わったのは主に女性であった。彼女らは強姦されてそれで終わりではなかった。日本軍から胸を切り落とされ骨が見えている女性。
下腹部を銃剣で刺され苦痛で泣き叫ぶ女性。また、下腹部に木材、竹、人参などを差し込まれ、かき回されて死んでいく女性。

これを端で見ている日本兵は拍手を送り高らかに笑っていた。日本軍に囚われコックとして働かされた中国人が脱走後次の話をしてくれた。12月16日、通りに出てみるとまだ火も残って煙が立ち込めていた。我が同胞の死体の山、山、山。特に女性の死体が目立つ。それらの中で10体のうち8体は腹部を切断され中から内臓が出ている。

血まみれの胎児を手にした母親の死体もある。女性の乳房は切り取られるか銃剣で刺され、血と肉の固まりと化している。南京市内外の虐殺の期間中、多くの女性の死体はこのような様子であった。XinZhong門の城壁近くの家で60歳代のおばあさんの死体が見つかった。おばあさんの下腹部は大きく膨らんでいた。

YangPi通りの北に少女の死体が見つかった。おなかは切り開かれ内臓は引き出され、2つの目は大きく見開き、口からは血が流れていた。 GuYiDian通りでは12歳の少女が死んでいる。下着は破られ、目は閉じたまま口は開いていた。この死体を見てわかることは、これらの女性が単に日本兵の刃に倒れただけでなく、辱めを受けているということだ。

日本兵の犯した強姦の罪は重い。その残虐さは彼らの殺戮に劣らなかった。日本軍の上官はこれらの残虐行為の手をゆるめることはなかった。むしろ兵士の動物本能を満足させるためにこれを奨励した。その結果、日本兵はどこに行っても強姦をやった。上海、SuZhu,WuXi, HangZhou でも日本兵は同じことをやった。

南京の女性の運命は特に悲惨なものであった。南京陥落後、日本兵は女性を求めて南京のいたるところを探し回った。そして見つけると集団暴行を行う。
http://www.geocities.com/Pipeline/Halfpipe/3791/katari2-2.html

日本兵の婦女暴行・強姦の実態

1.妊娠している婦人を全裸にして刀で刃傷、木の間に女の両手両足をゆわえて子宮に手オ留弾をさして爆発。興味本位で、得意気に。(元軍曹T)

2.死体処理の少年の証言、女性の死体は特にひどい。ある女性は両手両足をひろげてベッドに縛られ、局部にサイダーの壜を深く刺されて被殺。

3.多くの少女はベッドに縛りつけられ誰でもがすぐに犯せるようにしている。少女があまり泣きじゃくったり、性病に罹ったりしたら、すぐに殺されてしまう。路地や公園には女性の死体でいっぱいだ。 彼女らは死んだ後でも切断されたり、局部に物を差し込まれたりして辱めを受けている。

4.一月一日、呉昌生が光華門外の自宅に帰った時、七人の日本兵がひとりの中国人のおばあさんを連れてやってきた。彼らにおばあさんを犯せと命じた。日本兵はこの光景を見て笑っていた。

5.二月五日、三牌楼に住む六十歳を超える陳さんのところに三人の日本兵がやってきた。 一人が見張りで、他の二人は交代で強姦した。日本兵の一人はおばあさんにペニスをなめてきれいにしろと言った。

6.1944年の春頃、鈴木氏が分隊長として、討伐作戦に参加した際のある村の話であった。 彼の分隊が休憩していたある農家に、一人の憲兵が現れ、惨劇が始まった。村の女性に食事を作ることを強い、お湯を沸かせていた時のことだった。

突然、その憲兵は梅毒にまみれた自らの陰茎をとりだし、食事の準備中の、一人の女性に、これを舐めろと要求した。ところが毅然と拒絶したその女性に、憲兵は激怒し、服をちぎって沸騰したお湯を浴びせ、遂に殺害した。


7. 12月15日、またもや押し入ってきた日本軍の兵士が、数え年8歳の蔡さんを強姦した。蔡さんはその様子を次のように語る。「日本兵は、私の陰部に手をねじ込み、その時まだ幼かったので、非常に硬かったのを無理やり押し込んでこじ開けた。


8.「冬には、至るところで暖をとります。兵隊は、赤ん坊をひっ捉まえ、火の中に投げ込んだものです。」と、古参兵の一人が報告する。別の帝国陸軍の兵隊が語る。

彼の部隊は打ち棄てられた村で女をみつけ、裸にし、「膣に布切れを押し込み、ガソリンを染み込ませて、火をつけました。皆それを見ていました。隊長もです。 部隊の慰安の一種だったんです。」


「暗い部屋に産褥の婦人ありて傍らにいとけなく眠る嬰児。銃剣で布団を跳ねのける。女は両手を合わせて拝んでいる。(略)彼女は衣服乱れて乳房一突き息絶えていた。」「先に高粱で隠された長持の中の娘もどうやら、輪姦の上刺殺した模様であった」(一一○頁)。

「掃討にあって残虐は付きもので、女をあさる。

輪姦、強姦と、又素裸にして乳房を刺突或は陰部にローソクを垂らし悶えるを見て悦び、恥毛に煙草の火をのせて焦げゆく興味。

タマゴを局部に挿入二個、三個と、更にトウモロコシを挿入或はピストン運動、トウガラシを詰め込み歓声を上げる。

銃剣の先で膣をつつく。こうして時間をもて遊んでいる。呻き苦しみ悶絶、出血滴る女と、掃討の修羅である」(一一二頁)。

「捕らえた女を丸裸にして寝かせて、両足を一ぱいに広げ杭に結びつけ尻したに枕して腰を浮かせて膣に、ナンパ大根と挿入できるようなもの等、刺激物のトーガラシとかをもって、いろいろなことをして、悶える表情に歓声を挙げていた。

更にローソクの垂汁をポトポトと膣に落し上手、下手を争って楽しんでいた。

乳房、腹上、局部にムカゼ・サソリ等を捕らえて這わせての興味を持っての蛮行が、いずこの部隊でも隠された所で行われることが、討伐作戦の楽しみであった。」

「捕虜の男と女を牢から出して来て裸体にして女に男の性器をくわえ吸わせ舐めさせ、性器が勃起するの見物と、性交させることの成り行きと、女の膣ネブリ、乳房と、ああしろ、こうしろと、注文をつけて、その表情を楽しんでいた。」(一一七頁)

 強い攻撃性は、攻撃の対象により強く大きな苦痛と恥辱を与えることで、自らの勝利感、征服感を満足させた。その対象が女性であるときは、性器への攻撃となって現われた(二六)。
http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.4.html


まず、釣り針が連続して付いている釣り糸と竿を用意します。

そして、女の股をひらかせます。

女の膣に釣り糸を挿入。

釣り針も全て挿入し、挿入が終わったらウィンチで思い切り引っ張る。


これは第二次世界大戦時、日本軍が中国で行ったお遊びです。

男性に対しては行われず、女性のみを対象とした完全な性器刑。
失血死した人もいたそうです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK255] 新年に辺野古のジュゴンを思う。2月の沖縄の県民投票で、全市町村の有権者がちゃんと意思表明できるように(日本がアブナイ!) 笑坊
1. 日高見連邦共和国[11738] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 06:56:20 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[14]
>正しい やさしいになれ
>正しい やさしいであれ

まるで、美しい沖縄の海のような素敵な言葉です。

まさに“珠言”(珠玉の言葉=じゅごん)ですネ!!

『ジュゴン』が、沖縄を守る“呪文”となりますように。



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/644.html#c1

コメント [近代史3] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
3. 中川隆[-13243] koaQ7Jey 2019年1月02日 06:56:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210]

南京大虐殺は中国からの財宝略奪をカモフラージュする為だった?


日本兵は、川岸における毎夜の鬼畜な任務にあたらされる一方、昼間、盗みに使用された。南京に居た米国人教授の一人、社会学者のルーイス・スマイスは、略奪は隠れた事業として始まったという。

「日本軍は重い負担を軽減するため、非公認の略奪引受人を必要としていた」と彼は書いている。すでにスマイスは(109)、中島の到着以後、「上官の目の前で、店という店を組織的に荒らし回る」光景を目撃していた。そして彼はこう書いている、「収容所や避難所にいる難民の多くは、日本軍によるしらみつぶしの探索の際、わずかな財産からでも、現金や貴重品しか持ち出せないでいた」。

そして、日本軍によって発見された膨大な量の戦利品は、個々の兵士の背嚢にしまわれたのではなく、公に軍の倉庫に運び込まれていた。

三ヶ月後、安全地区委員の一人は、自分の家から略奪されたピアノの行方を追っていた。彼は、ある日本人将校により、二百台のピアノがしまわれている軍の倉庫へと案内された(110)。別の倉庫には、じゅうたん、絵画、マットレス、毛布、骨董の屏風やたんすなどが満たされていた。中島を含む多くの将官たちは、ヒスイ、磁器、銀などの小さな宝物を懐にいれていた(111)。だが、ほとんどの略奪品は、後に売られて、その代金は軍の費用をまかなうために用いられた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1c.htm


日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。 そして一般人からも奪った。

一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。
この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。

略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であった.

どこから、このすべての財宝は来たのか? 今まで、アジアからの日本の略奪は、
酔っ払った兵士による盗みと暴力による、散発的なバラバラな活動として無視されてきた。 しかし、これは偽情報である。

 戦争の拡大による略奪は何も新しくはない。 しかし,日本が一八九五年から一九四五年の間に行ったことは、質的に異なっていた。これは酔っぱらいの略奪や打ち壊しではなかった。

日本人は真面目で、しらふで、計画的だった。彼らは普通の泥棒や歩兵たちには
無視されるような、価値のある書籍や写本に特別に注意を向けていた。
彼らはアジアの三合会や暴力団やギャングたちなどの暗黒世界から略奪することに、特に注目し専心していた。

日本は麻薬を持って中国へどっと押し寄せた。その麻薬をギャングたちに与え、交換に黄金を得た。
麻薬は各々の隠された場所から財宝を吸い上げた。個人のレベルでは、拷問は巨頭、部族の長老、銀行家、企業家を含む金持ちの個人を襲うときには当たり前に使われた。

 日本に持ち帰られた最も価値ある物品の中に、美術品と歴史的な遺物があった。
今日まで、この世襲財産のごく一部しか盗まれた国や個人に返却されていないという記録がある。 それが問題である。黄金でできた仏像を含む幾つかの主な美術品は、
フィリピンの地下に隠されていたが、最近見つかった。しかし、ほとんどの芸術品と美術品は依然として、日本で個人的に隠匿されているか、東京で皇室の蒐集物となっている。 なぜ、日本がこれを持っていることが許されているのか?

 公的には、日本の戦時中のエリート(皇室、財閥、ヤクザ、「いい」官僚たち)は
一握りの「悪い」熱狂的な軍人を生け贄にして、戦争を終えた。
読者がお気づきのように、これは真実ではない。

天皇裕仁を含む日本のエリートたちは、戦争が終わったときには、戦争が始まった時よりはるかに金持ちになっていた。 ある者は終戦前後に、数十億ドルの資産をつくり出した。
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html


▲△▽▼


1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。

『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。

 1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。

 同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人【原文では”tairiki ronin”となっているが明らかに音訳のミスと思われる:訳者】、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。

いずれここから笹川良一(1)と児玉誉士夫(2)が、戦後に自由民主党の絶対権力を作る財源に供した莫大な財産をひねり出すことになる。効率の良い手段を使って犯罪を行うこれらの集団のトップには岸信介とその一党がおり、また東条英機(秘密警察の長であり将来の戦時政府の首相)、星野直樹(アヘン独占販売の長)、松岡洋介(満鉄の総裁)そして鮎川義介(日産の統括者)【本文では”Aikawa Gisuke”となっているが音訳のミスと思われる:訳者】なども加わり、天皇の承認の元で略奪作戦の計画を立てた。

 彼らは満州重工業会社を創設したが、それは工業の発展を促し軍隊とヤクザが地元民から様々な手段(身代金の要求、ゆすり、銀行強盗など)でむしり取った戦利品を集約した。大日本帝国の皇族たちの指揮の下に行われたこれらの略奪が「黄金の百合作戦」である。

 その侵略熱は西側指導者をいらつかせた。彼らは日本が彼らの植民地と利権に干渉してくるのを恐れた。1936年に朝鮮半島での完全な略奪の中で、日本の戦略は二つの選択肢の間でためらった。その一つは、ソビエト連邦との国境防衛地帯を作るために、あくまでも天然資源の豊かなシベリアの支配権を手に入れようとするものである。

 この『反共』戦略は一部の西側の大国を満足させるというメリットを持っていただろう。この目的のために駐ロンドン大使である吉田は、クリヴェデン(Cliveden)グループの協力を得て、英国との同盟関係を固めようとした。米国では、ハーヴァード・フーヴァーやナチの飛行士チャールズ・リンドバーグ、マッカーサー将軍の取り巻きたちなどの大勢の超保守派が、この帝国の良き理解者であった。

 裕仁の弟である秩父宮は1936年に可能性のある英国と日本の同盟を準備するためにロンドンへ向かった。反共戦線という見通しはひょっとすると英国外交を口説き落としたのかもしれない。しかしアジアでの日本の軍備拡張はヨーロッパの大国の植民地を脅かしていた。すぐに秩父宮はあらゆる交渉の手段を失った。

中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統(3)と会談するためにニュルンベルグへ向かった。

 米国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿【原文ではel príncipe Konoeつまり近衛殿下となっており皇族であることを表現している:訳者】は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。【朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。:訳者】

 この最後の者【朝香宮を指す:訳者】はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。

 婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。(4)

 軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。(5)

東京裁判は、スケープゴートを絞首刑に処することで終わった、全くのペテンである。南京の虐殺の首謀者である朝香宮は、松井将軍が加わってもいない犯罪のために絞首刑台に送られた一方で、起訴すらされなかったのだ。

 マッカーサーの偉大なライバルである山下も、マニラ市民の虐殺の罪を問われて同様の運命をたどった。東条将軍は戦争の第一責任者の罪を負わされて天皇裕仁の代わりに責任を取らされた。
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html



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2018.12.03
精算されていない日本の過去(1/2)

 第2次世界大戦中、日本は占領した東アジアの国々で人びとを強制的に動員して働かせた。徴用工だ。日本では1938年に国家総動員法が制定され、翌年に公布された国民徴用令によって厚生大臣は強制的に人員を徴用できるようになった。


 この仕組みを国外で外国人に適用すれば国際問題になる。韓国との問題では1965年の日韓請求権協定で解決したことになっているが、日本側も個人の請求権は消滅していないことを認めている。韓国の大法院もそのように判断、日本の企業に賠償金の支払いを命じたわけだ。


 日韓請求権協定自体の問題を含め、日本の過去は清算されていない。アメリカ支配層の力を借りて封印してきただけである。アメリカの力が弱まったことで、問題が表面化してきたと言えるだろう。韓国は何年も前からロシアや中国との関係を強め、アメリカから離れつつある。アメリカの属国である日本に気兼ねするような状況ではなくなってきたのだ。


 本ブログでは何度か書いたことだが、日本軍は東アジアの占領地で財宝を組織的に略奪している。「金の百合」だ。


 アメリカ人ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、プロジェクトが始まるのは日本軍が南京を攻略した1937年。政府が保有する資産を奪うだけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪したという。財宝を探し出すため、憲兵隊は目をつけた家の娘を誘拐することもあったという。娘と引き換えに、隠した財産を差し出すか近所や親戚の財産に関する情報を教えろというわけだ。貧しい家の娘は売春宿に連れて行かれたともシーグレーブ夫妻は主張している。


 この南京攻略戦に参加した少なからぬ日本軍の将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録しているが、個人的な略奪、殺戮、レイプなどもあったようだ。


 この作戦当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数はわからないとしたうえで、死体が山積みになった光景を見たと話していた。(筆者自身の取材)


 また、支那派遣軍の岡村寧次総司令官が「大暴行があたのは事実」と書き残しているほか、外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告に「目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていた。


 南京攻略は形式上、松井石根が最高指揮官なのだが、実際は朝香宮鳩彦、昭和天皇(裕仁)の叔父にあたる人物だったと言われている。


 スターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、「金の百合」を指揮していたのは天皇の弟である秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳だという。秩父宮は駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーと親しい。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812030000/

2018.12.03
精算されていない日本の過去(2/2)


 日本軍が中国など大陸で略奪した財宝はフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれる手はずになっていた。実際、一部の金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)隠し場所として、さまざまな場所の名前が挙がっている。


 ところが戦況の悪化で輸送が困難になり、相当部分がフィリピンの山の中に隠された。日本の日本の敗戦が決まった当時、フィリピンを担当していた日本軍第14方面軍の司令官が山下奉文大将だったことから隠された財宝は「山下兵団の宝物」とも呼ばれている。その山下は1946年2月にマニラで処刑された。


 アメリカの情報機関は戦争中から「金の百合」に関する情報を持っていて、日本が降服するとすぐに回収工作を始める。関係者への尋問は戦時情報機関OSSのエドワード・ランズデール大尉(当時)が指揮した。後に対キューバ工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる人物だ。


 OSSが廃止になるとランズデールはチャールズ・ウィロビー少将が率いるフィリピンのG2(アメリカ陸軍の情報部門)へ配属になり、尋問を続ける。財宝のありかを聞き出したのはランズデールの部下だったセベリーノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーナだ。


 その情報は東京やワシントンDCに伝えられる。その際、ランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会っている。


 この報告を受けたヘンリー・スティムソンは財宝をアメリカの国際戦略に利用しようと考える。1945年9月21日までスティムソンは陸軍省(戦争省)の長官で、その下にはジョン・マックロイやロバート・ラベットなどウォール街の大物がいた。


 アメリカの支配層が手に入れた略奪財宝は「金の百合」以外にもあった。ドイツ軍がヨーロッパで略奪した「ナチ・ゴールド」だ。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチスがヨーロッパで略奪した資金はOSS長官だったウィリアム・ドノバンが1946年に設立したWCC(世界通商)でロンダリングされ、タイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994)


 WCCをドノバンと共同で設立したのはイギリスの対外情報機関MI6の下部組織、BSC(英国安全保障局)の責任者だったウィリアム・ステファンソン。WCCの後ろ盾にはネルソン・ロックフェラー、ジョン・マックロイ、シドニー・ワインバーグ、ビクター・サッスーンも含まれている。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)


 「金の百合」と「ナチ・ゴールド」は統合され、「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれる秘密の基金が創設されたとも言われている。こうした秘密資金がアングロ・サクソンの世界支配に利用されたということになる。


 「金の百合」に関する情報は1980年代の後半から流れるようになった。切っ掛けはフェルディナンド・マルコスの失脚。1983年8月にマルコスのライバルだったベニグノ・アキノが空港で射殺され、マルコスに対する抗議運動が激しくなり、それを利用してアメリカ軍がマルコスを拉致したのだ。国外へマルコスが出ると財宝に関する裁判が起こされ、情報が漏れ出てきたのだ。


 マルコスは1954年にイメルダ・ロムアルデスと結婚しているが、ふたりを引き合わせたのはランズデールの部下だったロマーナ。ロマーナはイメルダと親しかったようだ。マルコスは日本軍が隠した財宝の一部を掘り出し、それを資金源にして大統領というポストを手に入れたと言われている。


 ロナルド・レーガンが大統領に就任した直後、マルコスはブラック・イーグル・トラストに関して沈黙を守る代わりに援助という名目でフィリピンにカネを回すようにアメリカ政府へ要求した。つまり恐喝だ。当然、アメリカや日本の政府は警戒するようになる。それがマルコス失脚の原因だという。


 詳細は割愛するが、アメリカが日本の過去を封印する手助けをする理由のひとつは略奪財宝にあるだろう。日本の過去を本当に精算しようとすれば、アメリカが大戦後に築いた世界支配の仕組みが明らかになる。日本の場合、薩摩と長州が徳川体制を倒した明治維新から現在に至るまでの歴史も見直さなければならなくなる。本ブログでは何度も書いてきたが、血盟団や二・二六の将校が何を見、なぜ怒ったのかを理解する必要もある。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812030001/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] <新春特別インタビュー>安倍政権どう倒す 志位委員長に早野透さん直撃 統一地方選・参院選 「本気の共闘」と共産党躍進で  赤かぶ
3. 日高見連邦共和国[11739] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 07:03:42 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[15]
>>01

私的に言わせて頂ければ、『小沢陸山会事件時の共産党の対応の総括』この件は“棚上げ”でもいい。

そして、こんな素晴らしい見識を持つ政治家を、一野党党首で終わらせるのは本当に勿体ないって思う。

志位さんと、共産党支持者に“その気”があるならば、マジで“政権首班”に据えたいって思うのだが。

『その覚悟はありや?』・・・この設問に力強く『YES』と答えてくれれば百点満点です。私的には。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/658.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] 2019年を日本政治再生の元年にしよう(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
2. 日高見連邦共和国[11740] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 07:07:17 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[16]
そして、植草さん自身の、政界進出“元年”にしよう!将来の総理候補だ!!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/638.html#c2
記事 [近代史3] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一

本多勝一 週刊金曜日 応援、侵略を考えるサイト
http://honkatu.blog24.fc2.com/

本多勝一を応援する読者会のページ
http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hod/


1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。

”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  





▲△▽▼


朝鮮部落なんか存在しない伊那の田舎出の本多勝一を在日朝鮮人とか、笑っちゃうね

本多勝一みたいに体制側に都合の悪い真実を明らかにすると、何一つ反論できないから朝鮮人認定して真実を否定しようとするのですね:


【南京大虐殺を捏造した】本多勝一は在日です【在日確定】日本の国難は全部朝日新聞のデマから
2014年09月22日

【新春特別対談】渡部昇一氏に聞く[桜H26-1-2] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=axqdVqS1SLw


2014/01/02 に公開

安倍政権発足から一年を経て国全体に明るい兆しも見えてはいるものの、「戦後日本」からの脱却はなお容易ではなく、草莽一人ひとりの覚悟がますます問われている。これから日本は何処へ向かうのか?真に国を想うその信念に従い、政治家として日々奮闘している国会議員諸氏と、優れた洞察力で時代を先見し、有為な視点を示してきた保守の重鎮達それぞれにお話を伺う新春特別対談です。

ゲスト:渡部昇一(上智大学名誉教授)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。


「私の友達が調べたんですが、本多勝一は在日です」

渡部:朝日新聞は文化大革命を人類の壮大な実験なんて評していました。
人殺しが実験なら苦労しません。

不思議なことに朝日新聞が反省している様子がないんです。
僕はね朝日新聞の中に反日勢力が入っているんじゃないかと思います。

日本を苦しめた国難みたいに、従軍慰安婦問題と南京大虐殺があった。
両方ともいんちきなことは日本人は良く知ってるんですよ。しかし世界中では
南京大虐殺があったと思ってるし、従軍慰安婦も日本人がやっていると思っている。
  
しかし、発火点は全部朝日新聞なんですよ。南京虐殺のことを盛り上げた、
爆発させた本多勝一は、私の友人の調査によれば、在日です。

それがうまく当時の「自分の先祖が中国である」ということを言ってる
朝日新聞の広岡知男社長がやらせたという感じです。
  
そして従軍慰安婦問題も朝日新聞の記者が韓国人と結婚して、
その女性のお母さんが反日家で、その反日家が言っていることを持っていって
デスクがよく調べもせずに記事にした。

だから、日本の国難ということは、全部朝日新聞のデマから出てるんですよ。
しかもデマの発祥地は反省しない。
http://hosyusokuhou.jp/archives/40319566.html

朝日の「南京大虐殺」説は“朝鮮人”記者が書いた? 2011-07-14


朝日新聞に「南京で捕虜・市民30万人が日本軍に虐殺された」と虚偽を書いた本多勝一、本名は崔泰英

生年が著書により1931年、1932年、1933年と3通りある不可解さ

著書名 記された生年月日

「中国の旅」1933年生まれ
「殺される側の論理 」1933年生まれ
「南京への道」1931年生まれ
「裁かれた南京大虐殺」1933年生まれ
「天皇の軍隊 」1932年生まれ
「南京大虐殺の研究」1933年生まれ
「貧困なる精神Z集」1932年生まれ
「ジャーナリズムと歴史認識」1931年生まれ

他に生年月日抜きで発表されたのは「中国の日本軍」
「南京大虐殺否定論13のウソ」

この本多勝一、 本名は崔泰英 としてあちこちで目にします。
(じっくり調べてみます。諸説あり、いまだ確定には至っていません)

仮に事実なら、朝鮮人記者が朝日新聞という中国密着新聞に中国共産党の言うまま、検証も無しに記事を掲載、 「南京大虐殺」の「広宣流布」に大きな役割を担ったということですが。

もし日本人だとしてもその精神性に於いて大いなる疑義を抱かざるを得ません。
虐殺30万人が真実なら報道されることになんの異議もありませんが
さまざまな角度から検証してみるに、まずもって「物理的に無理」が結論です。


【この事実に注目】

日本の中学校教科書に初めて「南京大虐殺」が記述されたのは、
昭和53年(1978年)。

しかし中華人民共和国の教科書には「南京大虐殺」の記載はこの時点でも無かった。

  「南京大虐殺」の1937年から実に43年間、中共の教科書にさえ記載されていない、
という事実に着目。  

「南京大虐殺」は「朝日新聞」(1987年)の虚構報道により、更に広く日本国民に「事実」として
認識され、中共に利用されるに至りました。

もう一度言います。 「南京事件」の1937年から実に43年間、中共の教科書にさえ載ってはいません。事実なら、あの中共が43年間もこの事件に触れないでいるでしょうか。

場合によったら、ですが日本人のふりをした朝鮮人によって捏造された事件を中共が利用し始めて現在に至るという

構図ではないでしょうか。南京大虐殺館建設にお金を出したのも極左の日本人・元日本社会党委員長、田辺誠です。
その物理的出自のいかんを問わず彼らは「日本人ではない」。少なくともこの日本を護る立場には
あらず何らかの理由で毀損に走った人物だと思われます。

「30万人は学術的に根拠はなく、中国の研究は、日本で高まった南京事件否定説に対抗するイデオロギー的なもので、
自分が当館を経営していれば、この数字は使わない」(張連紅・南京師範大教授)

【備考】南京重慶に従軍していた父を持つ方のレポート。

父が南京重慶方面に従軍しており、話を聞いております。 あまりに捏造なので代わって抗議します。
 これだけの人数を銃殺処分するとなると当時は、英国などの記者も­沢山在所していたので、
川に流したとしても絶対に写真が海外に出­る。 写真がないのは事実がないからだ。 

川辺は沼地状態で万単位の捕虜を確保はできない場所で、多くの住­民が目撃可能な場所だ。 
この話が本当の話なら、そんな危ない街の南京の人口が数ヶ月で何­故急増したのか? 
馬賊も出没しなくなり、安全になったからだ。 
また、この元兵士の「日記」だが、このような詳細な軍行をしかも­いち兵隊が書いて残していたら、
憲兵に発見されたら軍律違反で銃­殺もの。 

もっと云えば、引き揚げ上げ時には身体検査があり、絶対に持ち出­せない筈。
 若い人達はテレビにウソばかり教えられている。 ウソである。 
この兵隊も本当なら実名で名乗れる筈だ。 また連体は2000人前後の旅団で65連体など存在しない。 
当時の出兵記録を調べたら分かる 以上 

「反日グループ」週刊金曜日のメンバーとしても本多勝一は名を連ねています。

石坂啓 永六輔 中山千夏 落合恵子 佐高信 椎名誠 (故)筑紫哲也 本多勝一 石倉直樹

*筑紫哲也も朝鮮名がしきりに出まわっていますが、こちらも未確認です。諸説あり。
最近、その遺産隠しが露見して修正申告(という名の)“脱税”が報じられました。

動画で見る本多勝一

本多勝一さん週刊金曜日創刊のころ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9e6O49Q4LsI


こいう講演をわざわざ聴きに行き、なごやかに笑っている人たち、何者。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/819f12c54bc6165c57fa69c51a35e248

本多勝一を応援する読者会のページ
http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hod/


本物のプロの取材方法とは

 本多勝一氏の取材方法は、ひたすら歩いて、見て、聞いて、ノートを取る。

インタビュー相手の話が脱線しても、既知の話題が出ても、相手を遮ることはせず、とにかく聞く。

はっきりとしない部分は通訳を通じて何度も聞き直す。そして写真撮影。

本多勝一氏と巡るハーレム 32年振りの再訪
http://www.nybct.com/2-62-honda.html


 今から32年前の1969年。当時、朝日新聞の記者だった本多勝一氏は、アメリカの主に黒人とネイティブ・アメリカンをルポするために単身渡米し、ハーレムや南部を半年に渡って取材。その記事はまず朝日新聞に連載され、後に1冊の本にまとめられて「アメリカ合州国」として出版された。当時、アメリカの黒人社会にここまで深く潜入して書かれた本は、日本ではほとんど出版されておらず、大きなセンセーションを巻き起こした。


 その本多氏が2001年にハーレムを再び訪れた。あれから32年、その間にハーレムの何が変わって、何が変わらずにいるのかを取材するために。前回の取材時はハーレムに住む“ブラウン君”という黒人青年がガイド役を務めているのだけれど、そのブラウン君の行方を探すことはもはや不可能で、今回、私がブラウン君に代わって本多氏を案内することとなった。


・・・・・


 本多勝一と言えば、まさに硬派ジャーナリストの代名詞のような存在。かつては敏腕新聞記者として世界各地を巡って数々のルポを書き、それらは今も書店の棚に並んでいる。また戦争やジャーナリズムについてなど、議論を呼ぶこと必至の著作も多く、論争や非難の渦中にあったことも数知れず。さらに朝日新聞を退社後は「週刊金曜日」という、これもまた硬派な週刊誌を立ち上げ、そこからは「買ってはいけない」のベストセラーも出ている。


 ところが、ハーレムにほど近いホテルの朝食ルームでお会いした本多氏は、いたって温和で物静か。取材用のノートとカメラを肌身離さずに持ってはいるものの、とても辣腕ジャーナリストには見えない。「初めまして。本多といいます。今回はよろしくお願いします。ところで、どこかカバンを買えるところはありますか? カメラを入れるカバンを成田で買おうと思っていたんですが、時間がなくて …」と、本多氏はケースにも入れていない、剥き出しのカメラを携えて丁寧な挨拶をされた。


・・・・・


 32年前、本多氏はハーレムYMCAに宿泊して取材をしたと「アメリカ合州国」にもある。今回の取材では、そのYMCAも含め、前回訪れた場所を再訪したり、現在のハーレムを良く知る人たちをインタビューして1969年のハーレムと、2001年のハーレムとの比較にポイント置いているとのことだった。


 本多氏の取材方法は、ひたすら歩いて、見て、聞いて、ノートを取る。インタビュー相手の話が脱線しても、既知の話題が出ても、相手を遮ることはせず、とにかく聞く。はっきりとしない部分は通訳を通じて何度も聞き直す。そして写真撮影。


 数日間に渡るハーレムの取材を終えた本多氏は、通訳兼アシスタントの“カズ君”と共にアメリカ南部の取材へと旅立って行った。この一連の取材の成果は「週刊金曜日」に連載されるとのことなので(時期は未定)、ハーレムの変化に興味のある方は「アメリカ合州国」と読み比べてみられてはいかがでしょうか。


●本多勝一「アメリカ合州国」朝日文庫 ¥544
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E5%B7%9E%E5%9B%BD-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/402260803X


1969年に単身アメリカに渡った本多氏が、ハーレムやアメリカ南部諸州をまわり、主に黒人の生活や人種差別の実態について書いたルポ。ハーレムではYMCAや廃虚のようなアパートに暮らし、人は良いけれどお金にだらしのない“ブラウン君”と共にハーレムを取材。南部紀行では、自身が激しい人種差別に遭遇。また戦後に黒人兵と結婚して渡米した日本人女性も取材している。なお、ハーレムの章の写真撮影は、氏の友人でもある吉田ルイ子氏。

●今回、プロのジャーナリストである本多氏の取材に同行できたことは、とても幸運でした。何よりプロの取材方法を真近で見ることができましたし、ハーレムを案内しているあいだに、私自身がハーレムの“今の姿”を再認識できました。

今、南部を旅行中の本多さん、どうもありがとうございました。また今回、私を本多氏に紹介してくださった中澤まゆみ氏にも感謝いたします。中澤さん、どうもありがとうございました。
http://www.nybct.com/2-62-honda.html


チャンネル桜が本多勝一が在日朝鮮人だというデマを流したのは この本を読まれると困るからだね:

中国の旅 (朝日文庫) 本多 勝一
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4022608056/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=0&sortBy=recent#R2NV3WY7ECK8F2


本多勝一は、ベトナム戦争に従軍し、精力的に記事にした。そこでは、南ベトナム軍も民族解放軍も、更には米軍でさえ虐殺していた。ならば、中国で日本軍は何をしたのか?

投稿者イエスちゃん!2015年5月2日


本多勝一は、ベトナム戦争に従軍し、精力的に記事にした。敵の北ベトナム側にも取材に行っている。

そこでは、南ベトナム軍も、反政府・民族解放軍ベトコンも、更には米軍でさえ、膨大な農民、老人、女、子供を虐殺していた。

それならば、先の日中戦争では、中国において日本軍は何をしたのか?に、記者として関心が高まった。

ベトナム戦争において、多数の証言者に対して、証言者の内容が信頼できるかどうか、吟味する方法を習得していった。

実際に本人が体験した証言と、単に人から聞いた証言・うわさ証言では、明確に差が出て来る。

証言者は多くは農民で、初めての取材であり、慣れていない。順序だって論理的に時系列で話す訳ではない。

最初に、自分の伝えたいことを先に話し、証言はいろいろと脇道に飛び、発生した時間の流れを前後する。

その膨大な部品・ピース・断片を、本多勝一は、自分の頭の中で、整理して、全体を再構成する。

そこで、まだ聞いていない部分・空白の部分を、何度も質問して、少しづつ埋めて完全に近づけていく。

もしも、証言者が自分の体験ならば、まだ話していないだけで、いくらでもその事について詳細に証言できる。

この過程で、記憶があいまいな証言者は、記事として使えないとして、外していった。

つまり、新聞記者のプロの眼で、情報の確度の選別、吟味をしている。
(なお、北ベトナムでの取材でも、共産主義の国だから、証言者は北ベトナム政府が、記事の希望に沿って、探し出したものである。)

結論から言って、日本軍も、中国において、多くの虐殺を行っていた。
この事実を認めることから、和解と再発の防止ができる様になる。
是非、多くの日本人に読んでもらいたい。


● ● ●

なお、平頂山事件は、精神的に異常な一人の軍人が起こした虐殺事件である。

(妻の自害の真の理由が不明、自分の為に死んだ妻の葬式も出さずに満洲に)
『撫順の守備隊の<一大尉>が、匪賊を匿うたとの廉で、部落の『婦女子』を集めて機関銃で掃射鏖殺したとのことであった。

この事件のあった少し前、内地の一新聞に満州へ出征した一大尉の夫人が、夫君に後顧の憂いなく御奉公するようにとの遺書を残して白装束で自害したとの記事があり、戦時婦人の典型だとて評判になっている旨を伝えていたが、件の大尉こその婦人の夫であった。』
(森島守人『陰謀・暗殺・軍刀--外交官の回想』)

それに対して、戦後、蒋介石の戦犯軍事裁判で、無実の撫順炭鉱の所長が、でっち上げ冤罪で、死刑にされた。

(この真の戦争犯罪者・軍人は、当時、満洲にはいなかった。戦後も、日本にて、生きながられた。運命は不公平である。)

この死刑は、復讐そのものであり、別の新しい犯罪行為である。中国側は、このことも知る必要がある。
両方とも追及・糾弾して、再び起こらない様にする必要がある。
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4022608056/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=0&sortBy=recent#R2NV3WY7ECK8F2

1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。


”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  


チャンネル桜は南京大虐殺が捏造だというデマを必死に流していますが、
当時の記録がちゃんと残っているので30万人虐殺は絶対に否定できないのですね:


30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。
2002/12/21 09:31 【共同通信】

南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は

「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」

と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日


ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html


日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少 2014年01月08日


吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。

同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA)

 「人民網日本語版」2014年1月8日
http://j.people.com.cn/94474/8507124.html


>>129 で本多勝一は在日朝鮮人だという根拠ゼロのデマを流した渡部昇一については
保守論壇の重鎮・渡部昇一の「昭和史」のデタラメを読み解く。
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/261.html

渡部昇一の流した悪質なデマの例


●重要なことは、蒋介石も毛沢東も誰も「南京大虐殺」を言った人はいないという事実。

「南京大虐殺」が最初出てきたのは東京裁判。それが忘れられた頃に騒ぎ始めたのは朝日の本多勝一で、それに乗ったのが当時の社会党の田辺誠と言われている。   
    《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》

実際は

1938年7月(南京陥落後)日中戦争1周年に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。

「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。

蒋介石はこのことを念頭に書いている。次のように書かれている

「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。

10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・

このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」


毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。その内容は次の通りである。

「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。

これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html


渡部昇一の流した悪質なデマの例 2

●東京裁判における最重要証人たるマギー牧師(安全区の委員で、南京占領後も市内を自由に歩けた立場)の証言は、南京における膨大な殺人・強盗・強姦・暴行・累々たる屍…について見てきたようなものだった。2日間にわたり法廷で詳細な証言をした。

●しかし、マギーはブルックス弁護人から「あなたは具体的に虐殺された一般市民を何人見たのか」の問いに、「見たのは1人である」と答えた。その1人とは、日本兵が警備しているところを1人のシナ人が通りかかって誰何され、途端に逃げ出して撃たれた、というものだった。歩哨が誰何して逃亡した人を射殺するのは殺人ではない。これは全く合法な戦闘行為。

●強姦らしいものを1件見たとも証言した。それは現場を見たのではなく、マギーが通りかかると1人の日本兵が走り出していき、そのあとを見ると女がいたから、あれは強姦されたに違いないというものだった。日本兵がアイスボックスを民家から持ち出すのを1件見たとも証言している。

…マギーが自分の目で見たものは、たったこれだけなのである。このどこをどうこねくり回せば、大虐殺という言葉が出てくるのだろうか。 

●戦時プロパガンダというのは、事実か嘘かは問題ではない。国際世論を味方につけ、自国民の戦意を高揚させ、敵の意欲を喪失させればいいのである。
  《渡部昇一 「渡部昇一の時流を読む知恵」》
http://kenjya.org/nankinkyogen.html


実際は

マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。
殺害現場に立ち会わなかったのは当然。

いわゆるマギーフィルムが殺害現場そのものの映像がないのは当然のことである。

もし殺害現場を撮影していたら、日本軍はマギー牧師をそのままにしておかなかっただろう。むしろたくさんの被害者の映像記録を残している。このことの方が重要な証拠となっている。

 東京裁判でも11人の証人が証言し、南京安全区文書・南京裁判所検案書・慈善団体の埋葬記録・ラーベの書簡・アメリカ大使館の文書・在中国ドイツ外交当局の報告書などが東京裁判で採用された。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html


渡部昇一の流した悪質なデマの例 3

●私にとって印象深いのは、本多勝一氏と山本七平氏の「百人斬り論争」です。72年に『諸君!』誌上で半年ほど続き、あとはそれぞれの著書で持論を展開する形となりました。南京入りに際しての野田少尉と向井少尉の「百人斬り」を、本多氏は事実だと、山本氏は戦意高揚のためのフィクションだと主張しました。

●私が感心したのは、山本七平氏が『私の中の日本軍』(文芸春秋 1975年)で披露した卓論です。野田少尉は大隊副官でしたが、向井少尉の職務は新聞ではボカされていました。山本氏はそれが歩兵砲の小隊長であったことをつきとめます。だとすれば、2人は指揮系統も職務もまったく違います。

●日本軍は厳格な縦社会であり、軍人とは、直属の上官の命令以外、絶対に聞いてはならない存在です。実戦の最中に向井少尉が砲側を離れ、小隊長の職務を投げ出して、横の関係でしかない野田少尉と私的な百人斬り競争をすることなどありえない---山本氏はそう結論づけたのです。戦場経験のある山本氏ならではの、説得力のある議論に私は感心し、論争は山本氏の完勝だと思いました。
   《渡部昇一 「朝日新聞と私の40年戦争」》
http://kenjya.org/sonota4.html


実際は


百人斬り -- 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘


1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

そうした試みの代表的な(そして最も「成功」を収めた)サンプルと言えるのが、鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』です。

この本はその前半およそ半分を、南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎない「百人斬り競争」事件の否定に費やしています。鈴木氏はこの事件の信憑性に疑問を投げかけることで、本多氏のルポ全体、ひいては南京大虐殺全体が根拠のない「まぼろし」であるかのような印象を与えようとしたのです。

鈴木氏の「批判」が当たっていないこと、それどころか逆に『南京大虐殺のまぼろし』の方が証言の歪曲や捏造だらけであることは既に明らかになっているのですが、一時は多くの人がこの本に騙されました。

下記の議論が示しているように、最近になってさえこの件をネタに『中国の旅』を攻撃しようとする論者がしばしば現れます。残念なことですが、一度広まったデマは容易に根絶しがたいものなのです。

『南京大虐殺のまぼろし』後半部分については、そのデタラメさ加減を指摘する記事が「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。また、小林よしのりとの共著『朝日新聞の正義』でこの百人斬りを否定しようとする井沢元彦の無知ぶりとトリックを指摘する記事が、同じ「インターネット大学グローバル・カレッジ」に掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/nangjin/hyakunin/hyaku.htm


野田、向井両少尉を裁いた南京軍事法廷の記録そのものがあります。

鈴木氏の『南京大虐殺のまぼろし』や洞氏の『南京大虐殺 -- まぼろし化工作批判』が書かれた時点では公開されていなかったのですが、今では中国側から公開された一部の記録(起訴状と判決書[8])を見ることができます。

この判決書を見ると、被告側の言い分として記録されているのは、

「『東京日日新聞』の記事は偽りであり、被告の武勲を称揚して日本の女性の羨望をあつめ、早く良縁を得られるよう期したものである」

という主張だけです。(この主張は確かに前記の「上申書」にも出ています。) もし被告側が裁判の過程で、問題の時点で現場にいなかったという重大な主張をしたのならば、まずそのアリバイ主張が(例え一蹴されるにせよ)第一に記録されるのが当然ではないでしょうか。断定はできませんが、判決書に出てこないということは、裁判の過程ではそのような主張がなされなかった(つまり、向井少尉自身が自分のアリバイを*知らなかった*)のではないかと思われるのです。

というわけで、各種の証言・証拠を総合すると、少なくとも百人斬り記事が浅海記者の創作などではなく、両少尉が語った内容を大体そのまま書いたものであることはほぼ確実です。そして、もとより白兵戦の中で向かってくる敵兵を斬り殺すことなどほとんどあり得ない以上、野田少尉が告白しているとおり、この百人斬りの大部分は捕虜虐殺の据え物斬りとして行われたと見るのが妥当なところでしょう。

百人斬りなどは南京大虐殺全体から見ればほんの一エピソードに過ぎないので普通なら今更こんな事で議論する必要はないのですが、未だにこのエピソードをネタに真面目な研究者やジャーナリストの仕事にケチをつけたがる人がいるので、私もやむを得ず知識の範囲内で対応しているわけです。

例えば、『南京大虐殺のまぼろし』には、「南京刑務所で、向井氏が処刑される寸前まで、彼と共に生活をした」小西さんという方からの手紙が紹介されています。

ところが、たまたまこれと同じ(としか考えられない)手紙が山本七平氏によっても別のところで紹介されており、この二つを比較してみると、細かい部分で多数の食い違いがあるだけでなく、重要なポイント部分にも相違があるのです。『南京大虐殺 -- まぼろし化工作批判』ではこの二つの手紙が上下2段組みで並列に示さ
れているので是非見比べて下さい。これを見ると、大して長くもない手紙に細かい言い回しや事実関係に関する食い違いが何十個所もあり、その上、次のような重大な疑問点があります。


(1)山本氏紹介の手紙では、冒頭に

「偶然な機会に週刊新潮7月29日号の…記事を見ました。」

とあり、途中にも「貴誌既報の如く」と週刊新潮宛てに書かれた手紙であることがはっきり示されているが、鈴木氏の紹介ではどちらもカットされている。鈴木氏が自分宛ての手紙であるかのように装った疑いが濃い。


(2)鈴木氏紹介の手紙には

『…彼らが着いて直後、予審とも記者会見 ともわからないようなものをやり、この人たちが初めから異常な扱いをされていることはすぐにわかりました。「事実は明白である。如何なる証拠を出しても無駄である」といっていたそうで、大虐殺の犯人として事件に決着をつける政略的なものであろうと我々も話していました』

と いう部分があるが、山本氏紹介の手紙ではここが中略されている。ここはこの裁判が予断に満ちた不当なものであったことを示す重要な部分なので、あえてここを中略してしまうとは考えにくく、そのような記述は実際にはなかった可能性が高い。


(3)同じく、鈴木氏紹介の手紙の末尾には

『刑の執行の朝、彼等が、軍事法廷になっていた二階で、“天皇陛下万歳、中華民国万歳、日中友好万歳”と三唱した声が今でもはっきり蘇がえってくるのであえてここに筆をとりました』

という部分があるが、これも山本氏紹介の手紙では後略されている。ここも両被告の堂々とした態度を示す印象的な部分で、あえて略してしまうとは考えにくく、鈴木氏の創作である可能性が高い。

洞氏は、

『鈴木氏はよくもまあ、他人の文章をこうも勝手に改竄したものだといわざるをえない。

…鈴木氏が、こうした資料の扱い方をあえてしたとすれば、氏の「追跡ルポ」のききとり方も、相手の話したところがどこまでそのとおりにつ たえられているか疑わしくなる。

フィクションならともかく、こんなルーズで恣意な資料のあつかいをしているのでは、『「南京大虐殺」のまぼろし』は、「ノンフィクション」・史書としては失格なのではなかろうか。 』


と述べていますが、私もまったく同感です。


また、ジャーナリストの和多田進氏は、『「南京大虐殺」のまぼろし』 が単行本になった1973年に台湾に渡り、鈴木氏の本にも出てくる石美瑜氏(両少尉を裁いた裁判の裁判長)にインタビューしています。その結果、鈴木氏が身元をごまかし、取材目的も告げずに会っていたこと(石氏は鈴木氏のことを向井か野田の息子またはその友人だと思っており、鈴木氏の本のことも知らなかった)、鈴木氏は石氏の上海なまりがひどくて話が聞き取れなかったというが、実際には台湾生まれの通訳でも会話に何の不自由もなかったことなどが明らかになっています。


肝心の石氏の証言も、鈴木氏のテープにあるという

『この種の裁判には何応欽将軍と蒋介石総統の直接の意見も入っていた』

とか

『向井少尉が日本軍人として終始堂々たる態度を少しも変えず、中国側のすべての裁判官に深い感銘を与えた』

などという話は出てこず、逆に

『裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、二人はブランデーを賭けていたということです。』

とか

『二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそらく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義はとらなかったということです。』


といった証言が得られています。


鈴木氏が石氏の証言として

『五人の判事のうち三人が賛成すれば刑は決定された』

などと書いているにもかかわらず、判決書によれば実際の裁判官は*四人*であったことなどを考えれば、それは自明であると私は思います。

いまだにこのような「取材」によって書かれた本をネタにして本多氏の「ジャーナリストとしての姿勢」にケチを付ける人がいたり、この件の決着がどうついたのかさえほとんど知られていない、というのは実になげかわしいことです。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/nangjin/hyakunin/fj960923.htm

望月五三郎手記


 望月五三郎氏は事件当時両少尉と同じ部隊におり、両少尉による「競争」を目の前で見ていた当事者である。望月氏は1985年に私家版として刊行した手記『私の支那事変』の中でこの事件についても触れており、この「競争」の実態が、捕らえた罪もない農民を二人で争って斬り殺した殺人競争であったことを赤裸々に描き出している。志々目証言とこの手記によって、百人斬りの真相はほぼ明らかになったと言っていいだろう。作り話でもなければもちろん戦闘行為でもなく、無抵抗な捕虜や農民に対する虐殺だったのである。

 ちなみに、この手記は刊行後埋もれたままになっていたが、歴史否定勢力が両少尉の遺族を原告に仕立てて本多勝一氏や毎日新聞、朝日新聞などを「名誉毀損」で訴えた裁判の過程で、新資料として発掘された。愚かな否定派の策謀も真相究明に役立つことがある、という好例であろう。


百 人 斬 り     昭一二・一一・二七 〜 昭一二・一一・二八


 線路に沿って西へと進む。無錫の手前八kmあたりで、敵の敗残兵約ニケ中隊に遭遇し、激戦の末、約三○名を捕虜にする。敗走する敵は無錫へとのがれた。
 無錫は工業都市であるが戦下の無錫の煙突の林立には煙一つ昇っていない。曽つての煤煙であたりの建物はどす黒く染って陰気な街である。

 速射砲が敵陣の壁めがけて発射された。速射砲とは発射すると直線で弾がとぶ、発射音と同時に、ドン、ドカン瞬間にはもう弾は壁を砕いている物凄い破壊力である。引き続き野砲の援護射撃が始まった。その間に中隊は前進する、援護射撃は有難いが、観測を誤ったのか、我々をはさんで前と後に落下する。そしてその間隔がだんだん我々に近づいてくる。鯖中隊怒り心頭に達する。

 やがて砲撃はとまり、敵は常州方面へと退却した。

 常州へと進撃する行軍中の丹陽附近で大休止のとき、私は吉田一等兵と向ひ合って雑談をしていると、突然うーんとうなって腹をおさえながらうずくまった。流弾にあたったのである。

 「おい吉田」と声をかけたが返事がない、死んでいるのである。即死であった。もう五寸位置がちがっていたら、私にあたっていたのである。私はほんの五寸前で死んでいった吉田一等兵をこの目で見た。葬むるにも時間がない、衛生隊にお願ひして、心を残しながら行軍に続いた。

 このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第一一中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。

 この人が百人斬りの勇土とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。

 「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。

 一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。

 戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。

 その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。 両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。

 この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであらうか。マスコミは最前線にいないから、支那兵と支那農民をぼかして報道したものであり、報道部の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。

 今戦争の姿生がうかがえる。世界戦争史の中に一大汚点を残したのである。(後略)
(季刊『中帰連』2004年秋号)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm


向井氏の遺書


百人斬りの実行当事者である向井氏は処刑前に遺書を残しているが、この遺書には、東京日日新聞による報道は彼ら自身の話した内容を記事にしたものであることが明記されている。つまり、向井氏本人が、記事は浅海記者による捏造などではないと言っているのである。更に、「公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります」と述べているとおり、向井氏は記事に書かれた百人斬り競争を行ったこと自体は認めている。(それは戦闘行為であって虐殺ではなかった、と言っている訳だが、銃器で武装した敵兵を戦闘中に何人も日本刀で斬り殺すことなどできるはずがないことは言うまでもない。)

以下、この遺書の一部を再録する。

この向井氏の遺書では、百人斬り競争を新聞記者に話したのは野田氏ということになっているが、野田氏の方は、話したのは向井氏だと父親への手紙に書いている。


なお、「百人斬り」を捏造だと主張する鈴木明氏は『「南京大虐殺」のまぼろし』に向井氏の遺書を引用しているが、なぜかそれは下記の「辞世」の部分だけで、都合の悪い後半部分は無視されている。


[1] 南京事件調査研究会編 『南京大虐殺否定論13のウソ』 柏書房(1999) p.111
[2] 鈴木明 『「南京大虐殺」のまぼろし』 文藝春秋(1973) p.77


  辞 世

 我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思い日本男子として立派に中国の土になります。然れ共魂は大八州島に帰ります。

 我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸ひです。

 中国の御奮闘を祈る
 日本敢奮を祈る
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳

死して護国の鬼となります
 十二月三十一日 十時記す 向井 敏明


  遣 書

 母上様不孝先立つ身如何とも仕方なし。努力の限りを尽しましたが我々の誠を見る正しい人は無い様です。恐しい国です。

 野田君が、新聞記者に言つたことが記事になり死の道づれに大家族の本柱を失はしめました事を伏して御詫びすると申伝え下さい、との事です。何れが悪いのでもありません。人が集つて語れば冗談も出るのは当然の事です。私も野田様の方に御託ぴして置きました。

 公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります。犯罪ではありません。記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。浅海さんも悪いのでは決してありません。我々の為に賞揚してくれた人です。日本人に悪い人はありません。我々の事に関しては浅海、富山両氏より証明が来ましたが公判に間に会いませんでした。然し間に合つたところで無効でしたろう。直ちに証明書に基いて上訴しましたが採用しないのを見ても判然とします。(後略)

巣鴨遺書編纂会 『世紀の遺書』 (1953年)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mukai.htm


志々目証言


帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が聞いたもの。勇猛な白兵戦として報道された「百人斬り」の実態が、実は捕虜虐殺の据え物斬りであったことが、本人の口から率直に語られている。


 戦記雑誌『丸』が11月号で「日中戦争の全貌」という特集をしている。その中に当時毎日新聞社会部陸軍報道班員鈴木二郎氏の「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」という貴重な回顧録がある。

 この文章は、栄誉をかけた“百人斬り競争”として二名の青年将校が南京攻略戦の中で二百名以上の中国兵を日本刀で切り捨てたことから始まっている。ところがこの事を、私は小学校の時本人から聞いて知っていた。それは私にとって“中国体験”のはじまりでもあった。

 それは小学校卒業の一年前、昭和十四年の春だったにちがいない。生徒を前にA先生が「いちばん上級となった君たちに」といったのと、これで上級生がいなくなってせいせいするぞという解放感で気持ちが弾んでいたのとを記憶している。A先生はわが校の先輩であるというパリパリの青年士官をつれてきた。陸軍士官学校を出てまだ何年もたたないというその若い将校のキビキビした動作、ピンと前の立った士官帽をはっきりと思い出す。

 私の出た学校は鹿児島県立師範学校附属小学校。父は県庁の下級官吏で、本来この学校へこどもを出せる階級ではなかった。私も附属特有のお坊っちゃんムードが嫌いで、それに勉強も好きでなかったから、毛並みのいい級友たちとは一歩距離があった。鹿児島というところは軍人の産地で、中学で少しできる奴は身体がよければ海軍兵学校か陸軍士官学校へ進む土地柄であった。私自身その三年のちに陸軍幼年学校の生徒になったのだが、陸軍将校には特別の憧れや関心をいだいていなかった。それは、長兄の影響――日夜海軍兵学校のことを言いくらし、希望をつらぬいて江田島に入り、終戦の百日前に水上偵察飛行隊の分隊長として戦死した――を強く受けて、熱烈な海軍ファンだったからかもしれない。

 さて、小学生を前にしたN少尉は、ずいぶんくつろいでいたようだ。世間でみる軍人という堅い感じは少しもなく、また私たちが数年後に自ら体験した気負いもなかったと、今にして思う。それは戦火をくぐりぬけてきた人の落ちつきであったのかもしらないが、やはり母校の小学生、身内に話しているという気軽さでもあったのだろう。たんたんと話した内輪話は、ほぼ次のようなものであった。

「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……

 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……

 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……

 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……
 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」


 これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた。腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵……なぜ中国兵は逃げないのだろう? 反抗しないのだろう? 兵士がみんな馬鹿ということがあるだろうか。

 そのほかにも「中支戦線」や戦場生活の話を聞いた筈だが、忘れてしまっている。

「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」

という言葉は今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味だそうだ。これは竹内好さんや安藤彦太郎さんたちのいう“兵隊シナ語”の一種でもあったのだ。

 その頃の私たちには、斬られた中国兵のために憤り、或いは同情する“ヒューマニズム”はなかった。その中国の兵たちにも自分のような弟がいるかもしれないなどとは、思ってもみなかった。軍人になろうとしている兄貴を慕っていた私だから、そんな類推ができない筈はなかったのに……

 だが、白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという“勇士”の体験談は、私にはショックだった。ひどいなあ、ずるいなあ。それ以上のことは幼い自分には分らなかった。これでいいのだろうか、そんな軍と軍人で果して“聖戦”が可能なのだろうか。陸軍幼年学校に入り、国軍の生徒としての教育をうけるようになってから、そのことをあらためて思い出すようになっていた。

 そして敗戦。変り身のはやくない私は、二・一ストのあとまで、依然として軍国主義者だった。そのころ極東裁判が開かれた。マスコミと世論が旧軍隊の、ことに戦争遂行の骨幹であった正規将校の腐敗をあばく度にくやしがっていた私だったが、南京虐殺事件の報道はすなおに受けいれることができた。N少尉の話の全体像がつかめてきたように思い、自身もにない手であった日本帝国主義の対外的な責任を考えるようになったのは、この頃からであった。(後略)

志々目彰「日中戦争の追憶――“百人斬り競争”」(『中国』1971年12月号)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm

報道関係者の証言


浅海一男 元東京日日新聞特派員 (第1報〜第4報共同発信者)


(前略)連日の強行軍からくる疲労感と、いつどこでどんな“大戦果”が起こるか判らない錯綜した取材対象に気をくばらなければならない緊張感に包まれていたときに、あれはたしか無錫の駅前の広場の一角で、M少尉、N少尉と名乗る二人の若い日本将校に出会ったのです。(中略)筆者たちの取材チームはその広場の片隅で小休止と、その夜そこで天幕夜営をする準備をしていた、と記憶するのですが、M、N両将校は、われわれが掲げていた新聞社の社旗を見て、向うから立ち寄って来たのでした。(中略)

両将校は、かれらの部隊が末端の小部隊であるために、その勇壮な戦いぶりが内地の新聞に伝えられることのないささやかな不満足を表明したり、かれらのいる最前線の将兵がどんなに志気高く戦っているかといった話をしたり、いまは記憶に残ってないさまざまな談話をこころみたなかで、かれら両将校が計画している「百人斬り競争」といういかにも青年将校らしい武功のコンテストの計画を話してくれたのです。筆者らは、この多くの戦争ばなしのなかから、このコンテストの計画を選択して、その日の多くの戦況記事の、たしか終りの方に、追加して打電したのが、あの「百人斬り競争」シリーズの第一報であったのです。

 両将校がわれわれのところから去るとき、筆者らは、このコンテストのこれからの成績結果をどうしたら知ることができるかについて質問しました。かれらは、どうせ君たちはその社旗をかかげて戦線の公道上のどこかにいるだろうから、かれらの方からそれを目印にして話にやって来るさ、といった意味の応答をして、元気に立ち去っていったのでした。

(中略)
 事実、「敵」を無造作に「斬る」ということは、はげしい戦闘間のときはもちろんですが、その他のばあいでも、当時の日本の国内の道徳観からいってもそれほど不道徳な行為とはみられていなかったのですが、とくにわれわれが従軍した戦線では、それを不道徳とする意識は皆無に近かったというのが事実でした。筆者は、あの戦線の薄れた記憶のフィルムのなかでも、次のようないくつかの場面だけは脳裡に焼きついて離れません。

 例えば確か丹陽の少し手前(上海寄り)にあった中華民国歩兵学校が占領されたとき、その裏手の広場に、数十体の国民党軍の兵士の遺体が横たわっていて、それらの遺体にどれひとつとして頚部から上の部分が見られなかったときの筆者の驚ろきと暗澹たる心情は忘れがたいのです。

(中略)

 このような異常な環境のなかにあって筆者たちの取材チームはM、N両少尉の談話を聞くことができたのです。両少尉は、その後三、四回われわれのところ(それはほとんど毎日前進していて位置が変わっていましたが)に現われてかれらの「コンテスト」の経過を告げていきました。その日時と場所がどうであったかは、いま筆者の記憶からほとんど消えていますが、たしか丹陽をはなれて少し前進したころに一度、麒麟門の附近で一度か二度、紫金山麓孫文陵前の公道あたりで一度か二度、両少尉の訪問を受けたように記憶しています。両少尉はあるときは一人で、あるときは二人で元気にやって来ました。そして担当の戦局が忙しいとみえて、必要な談話が終るとあまり雑談をすることもなく、あたふたとかれらの戦線の方へ帰っていきました。(後略)

浅海一男「新型の進軍ラッパはあまり鳴らない」(本多編『ペンの陰謀』 1977年 p.340-347)


鈴木二郎 元東京日日新聞特派員 (第4報共同発信者)

(前略)わたくしたちは昭和十二年十二月十二日に、砲弾に崩れた中山門をよじのぼって南京城内にはいるまで、上海から京*線沿いに竜華、南市、崑山、太倉、常熟、蘇州、無錫と、つかずはなれず従軍したが、この間、二人の陸軍少尉の百人斬り競争≠ニいう特電が生まれた。南京いりするまでに、どちらがさきに敵の百人を斬るか、というのである。

 この特電は、南京落城直前までの数回大きく報ぜられたのであるが、この記事が、(東京裁判で)告発する検事側の注目するところとなり、『虐殺』の訴因の一環として、証人指名、呼出状となたのである。
 南京いりして展開する『虐殺』に接する前に、『虐殺』とみられたこの百人斬り競争≠フ始末をのべてみる。

(中略)
 検事の喚問は、やはりこの競争≠『虐殺』として、事実の有無、取材の経緯、そして両将校の競争≠フ真意をするどく追及されたが、どの特派員もこの二将校がじっさいに斬り殺した現場をみたわけではなく、ただ二人がこの競争≠計画し、その武勇伝を従軍記者に披露したのであって、その残虐性はしるよしもなく、ただ両将校が、

二人とも逃げるのは斬らない

 といった言葉をたよりに、べつに浅海君と打ち合わせていた(証言は別べつにとられた)わけではなかったが、期せずして、

『決して逃げるものは斬らなかった。立ちむかってくる敵だけを斬った日本の武士道精神に則ったもので、一般民衆には手をだしていない、虐殺ではない』

 と強調した。

 検事側にとってはきわめてたよりない証言だったにちがいない。それかあらぬか、いよいよ出廷の日、まず浅海君が証人台に立ち、右手を高くあげて、大きな声で宣誓をした瞬間『書類不備』?とかで却下となり、浅海君は気ぬけした顔で控え室に帰ってきた。まもなく書記がやってきて、『もう二人ともこなくてよい』といわれた。つぎの出番と緊張していたわたしは証人台に立たずにすみ、ホッとしたものだった。

 しかし、両将校は国府側にとらわれ、これを知らされたわれわれの嘆願署名のかいもなく処刑されたと聞かされた。(後略)

鈴木二郎「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」(月刊『丸』1971年11月号)
(本多『殺す側の論理』p.190-191)


そして記事にあるように、紫金山麓で二人の少尉に会ったんですよ。浅海さんと一緒になり、結局、その場には向井少尉、野田少尉、浅海さん、ぼくの四人がいたことになりますな。あの紫金山はかなりの激戦でしたよ。その敵の抵抗もだんだん弱まって、頂上へと追い詰められていったんですよ。最後に一種の毒ガスである“赤筒”でいぶり出された敵を掃討していた時ですよ、二人の少尉に会ったのは……。そこで、あの記事の次第を話してくれたんです。

本人たちから、“向って来るヤツだけ斬った。決して逃げる敵は斬らなかった”という話を直接聞き、信頼して後方に送ったわけですよ。浅海さんとぼくの、どちらが直接執筆したかは忘れました。そりゃまあ、今になってあの記事見ると、よくこういう記事送れたなあとは思いますよ。まるで、ラグビーの試合のニュースみたいですから。ずいぶん興味本位な記事には違いありませんね。やはり従軍記者の生活というか、戦場心理みたいなものを説明しないと、なかなかわかりませんでしょうねえ。従軍記者の役割は、戦況報告と、そして日本の将兵たちがいかに勇ましく戦ったかを知らせることにあったんですよ。武勇伝的なものも含めて、ぼくらは戦場で“見たまま”“聞いたまま”を記事にして送ったんです

『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.36


(前略)一体、昼夜を分たず、兵、或いは将校たちと戦野に起居し、銃弾をくぐりながらの従軍記者が、冗談にしろニュースのデッチ上げが出来るであろうか。私にはとてもそんな度胸はない。南京城の近く紫金山の麓で、彼我砲撃のさ中にゴール#翌チた二人の将校から直接耳にした斬殺数の事は、今から三十九年前の事とはいえ忘れる事は出来ない。南京入城の際私は三十歳、この従軍を加えて、幼児からしばしば死に直面したが、他の事は忘却しても、死に直面の場面は今でも鮮かに脳裡に浮かぶのである。

(中略)
 しかし、残念な事に、資料Cとして紹介された月刊誌『中国』の一九七一年十二月号にある志々目彰氏の「日中戦争の追憶」――百人斬り競争≠フ文が、私を愕然とさせた。その文章には、鹿児島県出身のN少尉が小学校での講演で「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……」とまず、私ども東京日日新聞(現毎日新聞)の百人斬り競争%チ電を裏付けた発言が紹介されていたのは当然の事ながら、つぎのような驚くべき発言があった。

 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……

 占領した敵の塹壕にむかってニーライライ≠ニ呼びかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……

百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……

二人で競争したのだが、あとで何ともないか、とよく聞かれるが、私は何ともない……

とあり、更に志々目氏は、つぎのようにつづけている。


「ニーライライ≠ニいうと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる」という言葉は今でもはっきり覚えている。ニーライライ≠ニいうのは、お前来い来い、という意味だそうだ。(中略)

だが、白兵戦では斬らずに戦意を失って投降した敵を斬るという勇士の体験談は、私にはショックだった、云々。


 志々目氏が小学生のころ、本人から聞いて知って受けたというこのショック≠ヘ、二将校の「逃げるのは斬らない」という言明を深く信じていた私どもには、あの特電≠ゥら四十年にもなろうとする現在、大変なショックを覚え、「裏切られた」という感じで一パイである。

 戦後、浅海一男君ともどもこの百人斬り競争≠フ特電をもとに、市ヶ谷台の東京裁判で、南京虐殺事件の検事側証人として喚問された際、特に二人が強調したのは「二人とも逃げるのは斬っていない、立ち向かう敵だけを斬った、虐殺ではない」ということだった。そしてまた、その事を信じての特電だったからだ。
 志々目氏の聞いたN少尉の講演は、或いは同少尉が、戦捷のさ中に、帰国して勇士≠ニして歓迎され講演を頼まれ、いささか調子に乗って、話を面白おかしく(当時として)する気持ちで話したのかも知れないが――

聖戦≠信じ、勝つある事を信じて、夢中で戦場を馳け回り、九死に一生を得て、今日ある時、今更ながらわれらの「特電」の空しさに反省させられたのである。

鈴木二郎「当時の従軍記者として」(本多編『ペンの陰謀』 1977年 p.356-358)


佐藤振寿カメラマン (第4報掲載写真撮影者)


とにかく十六師団が常州に入城したとき、私らは城門の近くに宿舎をとった。宿舎といっても野営みたいなものだが、社旗を立てた。そこに私がいた時、浅海さんが“撮ってほしい写真がある”と飛び込んで来たんですね。

私が“なんだ、どんな写真だ”と聞くと、外にいた二人の将校を指して、“この二人が百人斬り競争をしているんだ。一枚頼む”という。 “へえー”と思ったけど、おもしろい話なので、いわれるまま撮った写真が“常州にて”というこの写真ですよ。写真は城門のそばで撮りました。二人の将校がタバコを切らしている、と浅海さんがいうので、私は自分のリュックの中から『ルビークイーン』という十本入りのタバコ一箱ずつをプレゼントした記憶もあるな。 私が写真を撮っている前後、浅海さんは二人の話をメモにとっていた。だから、あの記事はあくまで聞いた話なんですよ。


 あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのかよくわからないけれど、確かどちらかが、“あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。 ――それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ。

『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.35

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/houdou.htm

据え物斬り体験者の証言


鵜野晋太郎氏は、旧陸軍第39師団232連隊第2大隊情報将校として自ら40名以上もの中国人を、主に日本刀(「備州長船祐定」および昭和新刀「助川貞光」)を用いて虐殺した体験者であり、中華人民共和国における戦犯裁判において、大尉以下の800名の中ではただ一人重刑判決を受けた。以下、氏の告白手記『日本刀怨恨譜』(本多勝一編『ペンの陰謀』収録)から引用する。(小見出しは高橋による。)

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1942年5月、最初の斬首体験


 竹薮を背に、私は半身に構えて農民の左後方に立った。彼の瞼は腫れ、口からは血が流れていた。祐定を抜くと、一五人許りの日本兵のざわめきが消えた。 ……

苦し気な農民の息づかいだけが聞こえる。刀を構える直前、農民の斬撃点である後首を見て、一瞬当惑した。斜め下に見るそれは僅かに二センチ位にしか見えない。沙陽鎮の立木とは雲泥の相違である。外れると後頭部か肩を横一文字に斬ることになり、その瞬間、将校としての威信失墜必至である。而も初体験であり、成功の保証はない。 ……二秒、三秒、グッと刀を振り上げた。――

「エイッ!」

ドスッ≠ニ鈍い手応えと同時に、九分通り斬れた首が胸に巻きこむように倒れた。斬った瞬間真っ赤な血が噴水のように三、四本吹きあがり、胴体は血溜りの中にのめりこんだ。自分自身が下手人であり、それこそ万死に値する罪を犯したのに、逆に私はホッとした心境で刀の血糊を拭いた。

(略)

御稜威≠フ下(天皇の威光の下)赫々たる「戦果」に酔っていた皇軍の一つの側面は、明らかにその底流で敗戦の要素が比重を高め、進行しつつあったことである。だが、私はそんなことなど露知らず、勝手な総括をしていた。――


一、祐定は切味と重さのバランスがよく、うまく斬れた。刃こぼれや目釘損傷なし。

二、日本刀は無抵抗の人間(奮戦したが刀折れ矢尽きて不幸にして逮捕された捕虜)の「据え物斬り」には最適である。つまり小銃拳銃の如きでは射撃音響が大きくて殺人現場が喧騒となり、まかり間違えば友軍(味方)を殺傷することもある。その点日本刀は軽便にして殺傷力大で、殺人現場は概して静粛に保たれ、日本刀使用者の技量のかなり低い者でも十分成果が期待し得る。従って刃がしっかりし、折れ・曲りの顧慮少ない刀の場合は、一挙に五名乃至十名の連続斬首は十分可能と思われる。但し「警備地区内」での殺人は予め穴を掘り、斬首後直ちに埋没の準備をしないと、最大の欠点たる大量の流血のために「刑場汚染」となり、具合悪く、注意を要する。

三、但し白兵戦闘の場合はその刃渡り(刃部の長さ)はとても着剣小銃に対抗できず、而も軍刀として外装したものは重くて成果は期待し得ず、従って単に将校の単独軍装として兵を指揮する場合のサーベル的役割を果たせる程度のものに過ぎない。


1944年、民間人9人の連続斬首

 私は常用の貞光を引き抜くと、一息入れてくるりと剣背(嶺、つまり刀の刃の背)を軽く村長の首に当て、間合いを見て足の位置を定め、今度は刃部を前に戻し乍ら一気に振り下ろした。

ドスッ≠ニ鈍い手応えと同時に、噴水の如く二、三本と吹き出す血。村長の首は胴体より僅かに早く落ち、顔は苦悶に歪み、歯はガチガチと砂を噛んだ。凄愴、無残。ただよう血の匂い。 ……

つづいて私は次の四十がらみの村幹部の後方に廻った。

(先ずはうまくいったが、目釘はどうかな。刀の曲りは出たかな?)

 目釘は異常ないが、刀身はわずかに曲りが出たようだ。

(大丈夫だ。連続してどこまでいけるか、やるんだ)

 次の首に剣背を当てるや、返して振り下ろす。そして三人、四人目へと息もつかせず斬った。だが四人目は八分通りの斬れ方で首は胸に垂れて倒れた。

(失敗だ!落ち着け!)

 私は強いて笑顔を試みたが、泣き面になってしまった。

「おい!警戒兵、そこの水桶を持ってこい!」

 私はひったくるようにして水桶の水で刀の血糊を拭いた後、タオルを刀身に巻いて切先から四○センチの所に膝をあてがい、右に約五度曲がったのを両手でぐいと元にもどしたが、僅かな曲りは残った。

(エイッ、あとの五人を殺らなくちゃ)

 そのとき、聞き覚えのある不気味な歌――「抗日歌」を、5人が涙を流して斉唱し始めた。低く怒りの気概が迫る。

「止めろ!止めないか!よーし、斬ってやる」

 だが不安がふとよぎった。 ――

(貞光の目釘はかなり緩んどる。これ以上緩めば刀は使えないぞ。でも父の祐定に取り替えて使うべきではない。勿論郭劉湾で一度血を吸わせたが、父の魂として祐定は一旦緩急の決戦の秋まで静かに保管した方がよいと決心して来たではないか。この母の魂たる貞光は昭和新刀だが、据え物でもこんなに曲るとは思わなかった。しかしここで父の祐定に取り替えては母の貞光を汚すことになる。……

そうだ!母のためにも断じて貞光で斬ろう!)


 そのとき五人の斉唱は止んでいたが、悲痛な泣き声は続いていた。私は一段と凶暴に刀をふるって斬った。目釘は更に彎曲して緩み、顎元がガタガタになって来た上、再び刀身の四○センチまでが右五度に曲った。そのために二人斬首して曲りを直し、また二人斬っては直して、ようやく最後の九人目の首を斬り落とした。首を完全に落としたのは一番目と九番目だけであった。

 血の匂いはしばらく消えなかった。鉄柵の中の捕虜の集団は、涙を拭おうともせず立ちすくんでいた。

 この蛮行は勿論私の独断専行であったが、情報主任の権限として何等越権ではなく、寧ろ「天皇の軍隊」への反抗に対する統帥権の当然の発動とさえ思っていた。事実、翌朝、連隊長山田正吉大佐(陸士二九期)に情報・捕虜関係事項の報告の後この問題を詳細報告したところ、

「ウン、馬鹿に派手にやったな……」

と苦笑いしただけで、何のお咎めもなかったのである。


「百人斬り競争」に対する鵜野氏の感想


昭和十二年十一月 ― 十二月の日本の新聞は、連日南京へ進撃する皇軍のニュースで埋まっていた。とりわけ私の関心は、野田・向井両少尉の百人斬り競争であった。今日は何人目と報ぜられる記事は何者にもまして素晴らしく、一八歳の私の胸は皇国の無敵ぶりへの確信を一段と高めたものである。当時私は幼稚な「天下無敵大和魂武勇伝」を盲信していたので、百人斬りはすべて「壮烈鬼神も避く肉弾戦」(当時の従軍記者の好きなタイトルである)で斬ったものと思っていたが、前述の私の体験的確信から類推して、別の意味でこれは可能なことだ――と言うよりもむしろ容易なことであったに違いない。

しかもいわゆる警備地区での斬首殺害の場合、穴を掘り埋没しても野犬が食いあさると言う面倒があるが、進撃中の作戦地区ではまさに「斬り捨てご免」で、立ち小便勝手放題にも似た「気まま(イ盡)な殺人」を両少尉が「満喫」したであろうことは容易に首肯ける。ただ注意すべきは目釘と刀身の曲りだが、それもそう大したことではなかったのだろう。また百人斬りの「話題の主」とあっては、進撃途上で比隣部隊から「どうぞ、どうぞ」と捕虜の提供を存分に受けたことも類推できようと言うものだ。

要するに「据え物百人斬り競争」が正式名称になるべきである。尚彼等のどちらかが凱旋後故郷で講演した中に

「戦闘中に斬ったのは三人で他は捕えたのを斬った云々」

とあることからもはっきりしている。その戦闘中の三人も本当に白兵で斬ったのか真偽のほどはきわめて疑わしくなる。何れにせよ、こんなにはっきりしていることを「ああでもない、こうでもない」と言うこと自体馬鹿げた話だ。

私を含めて何百何千もの野田・向井がいて、それは日中50年戦争――とりわけ「支那事変」の時点での無敵皇軍≠フ極めてありふれた現象に過ぎなかったのである。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/uno.htm

その他の大量斬殺例


「衣」師団(第59師団)第45大隊の元伍長、鈴木丑之助氏が、「首切り浜野」と呼ばれていたある中尉について語った内容が、次のように紹介されている。
…「衣」の「秀嶺作戦」と、引き続く撤兵で、山東省という膨大な空白が残るが、ここに替わりの師団を配置する余裕はない。それで、「衣」各大隊から少しずつ兵を抜き出して独立警備大隊というのを作ったわけだ。規模も従来の大隊規模に及ばないものだった。

 隊長には、第四五大隊の浜野仁中尉(栃木県出身)が任命された。浜野中尉は、皇軍で「首切り浜野」という異名を自他共に許していた。第四五大隊のなかに、彼が中国農民の首を日本刀で切り落とすのを、見なかった者はないとまで言われた。作戦に出て、途中見つけて案内人として使った中国人であれ、駐屯地周辺の部落民であれ、次々と首切りをしているうちに、彼は毎日一人は切らないと気が休まらなくなったようだと、兵士たちは思っていた。

 彼の部下たちは、彼によって中国人首切りのコツを伝授された。彼によって、妊婦の腹の割き方、幼児の殺し方を教わった。その中には「人間がウドンを食べている途中で首を切ると、どう見えるか」などという“実験”まで混じっていたという。中国人民軍側は、彼に多大な懸賞金を掛けてその跡を追ったが、行った道と同じルートを、決して戻らないという彼の侵略行のやり方と皇軍の支援とで、九死に一生を得た。八路軍は、遂に彼を取り逃していた。「首切り浜野」を自他共に許す彼は、これによってますます優秀なる皇軍兵士としての立場を固めていた。

熊沢京次郎『天皇の軍隊』(現代評論社 1974年)p.348


自らも連続9人の据え物斬りを体験している鵜野晋太郎氏は、軍刀で50人以上を斬ったと噂されていたある下士官について、次のように書いている。


 そのころ大隊本部に、公式には「喇叭長兼本部書記」の肩書の藤井曹長がいたが、私は彼に妙に心をひかれた。もともと幹候出身将校に対し、下士官は悪意を以て接するものだが、彼のさり気ないさっぱりした気風は好感が持てた。それにもまして確度の高い噂では、藤井は軍刀で50人以上、一説では100人以上斬っていると言われていた。(略)彼との交わりは半年に満たなかったが、彼の“殺人訓”を要約すると、次のようになる……

「私が50人なのか100人なのかと聞かれても答える口はもちませんよ。差し料(自分の所持している刀剣)が普通程度のものであれば、白兵戦で敵と渡りあってガタガタにならない限り、据え物だったら相手が抵抗できんように痛めてあるから、100人位十分殺れるんじゃないですか。 …そして相手を人間と思わんことですよ。まあ私は犬コロくらいにしか思ってませんから、まず失敗なんてありっこないですよ。ホラ見てください、これを……」

 藤井は差し料を引き抜いて切っ先の部分を指さした。 ――

「スーと細い擦った線が沢山見えるでしょう。 ……首を斬った時につく頚骨が擦れた跡です。だからこの一本一本の線を数えれば何人斬ったか判りますよ。しかし将校さん方から時々、白兵戦で何人も何人も斬ったという話が流れるが信じませんね。 ……そうでしょう。

刀ほど危ないものはないですよ。一対一でも着剣小銃手と闘っても勝てないですよ。 ……

まして一対二なら一辺ですよ。ツンゴピン(中国兵)が本気になったら怖いですよ。だから私は、据え物で何十人斬ったと言うのなら信じますがねえ。

……日本の兵隊の着剣小銃での刺殺ならあり得ますよ。あれなら殺れますね。

……明治維新での新選組の池田屋の斬り込みは、最低三人が一団となってのことですから、あれでは斬れますよ。だから軍刀の武勇伝と言うのは嘘ですな……」


 私は藤井の教訓を、敗戦までの間、私自身が犯した数多い斬首殺害の手本としての影響を強くうけたし、とりわけ藤井の差し料の頚骨の多数の擦過痕は私の心を捉らえ、一日も早く沢山斬りたいと言う衝動に駆られた。
(略)

 昭和十八年はいろいろと戦闘の多い年で、負け戦もあった嫌な年であった。早春の頃、私は藤井と共謀――と言うよりむしろ彼に三拝九拝して、日本憲兵隊の密偵(中国人の漢奸)を暗殺して貰ったことがある。

あの頃の情報関係者は密偵に塩の独占搬入権を与えて使っていたが、憲兵が大隊の縄張りを荒すので、業を煮やしてその密偵をだまして連れ出し、藤井に背後から不意打ちさせて殺したのだった。彼の慣れた刀捌きに私は恍惚としたし、益々殺意が体中に漲った感じで、毎朝真刀(つまり軍刀)で“百本振り”をやって自慰したものである。

鵜野晋太郎「日本刀怨恨譜」

(本多勝一編『ペンの陰謀』 潮出版社 1977年 p.379-380)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/sonota.htm

日本刀の殺傷力

刀剣研究家成瀬関次氏は、戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った。氏は、実戦で使われた軍刀を修理した経験から、「研ぎべりのした、刀身のへなへなと薄い刀、焼け身、中心を焼きつぎにしたもの、洋鉄を延して焼きを入れただけの昭和刀、手に合はぬ直刀等は、避けねばならぬ」と断りつつ、「概して日本刀は強靭なものである」とその実用性を保証している。以下、氏の著書『戦ふ日本刀』からその一部を引用する。


 今度の事変中、一戦ごとに一人で十人二十人という敵を斬つた事が新聞にも現はれ、従軍後は、各部隊でさうした功名談もよく聞き、部隊長又は隊長からも、部下のかうした武功談を屡々耳にした。実際誇張や法螺でない事は、血刀を修理して見ただけでも、それが頷けた。自分は、兵隊の撮影した写真で、斬撃された敵屍の折重なつてゐる所を見た事があり、5月初旬、蘭陵鎮へ行軍途中、左荘といふ部落の近くで、刀疵で倒れてゐる敵の死体十幾つかを見た事があつた。
 …

 蒙橿の天鎮城内で敵と戦った時、逃げようとすれば十分に逃げられるのに、日本軍の抜刀突撃にあつて、一たまりもなく気が挫けて了つたのか、城門際に折り重なつてひしめいてゐたので、敵が多すぎて斬るのに骨が折れたと、或る兵隊は語つてゐた。(p.25)

 面白い事は、兵種、戦闘の難易、地形其の他によつて、刀の損傷に共通点のある事で、例へば文字通りに血戦した部隊の刀を手にして見ると、判で押したやうに同じ傷み場所は、柄糸の磨り切れてゐる事、鍔元がぐらつき目釘が折れてゐる事、刀身の先の方が多くは左に曲がつてゐる事、同じ刀身の先の方に刃こぼれのある事の四つの点であり…(p.36)


 自分は、日本刀の鑑識者ではなく、さうした知識には浅い者である。元来、古武道の内にくるめて、武用的方面から日本刀を見て来たのであるが、弾雨下の一線に従軍して、さうした所でなくては見られない血と泥≠フ破損刀を手がけ、二十数回の斬撃を目のあたりに見て、戦場で使ふ日本刀は、かうしたものでなくてはならぬといふ、本当の業物の姿をとらへて来たのである。(p.37)


 斯様な事を述べると、一見斯道の異端者とも見えるだらうが、実際にあたつて見て、元来から物打に二分からの刃ギレのあつた刀で、敵十五六人も斬つて何ともならず、却つて他の部分に刃こぼれの出来てゐたものも見、切先が蛇の口(口を閉ぢたる)のやうな刀で七名から斬つたのも、他に疵はついても、その部分は何ともなつてゐなかつた。

 概して日本刀は強靭なものである。ただ、研ぎべりのした、刀身のへなへなと薄い刀、焼け身、中心を焼つぎにしたもの、洋鉄を延して焼きを入れただけの昭和刀、手に合はぬ直刀等は、避けねばならぬ。
 刀身の選定については、ただ名のある人といふよりも、刀の売買に関係のない、軍人などの鑑定家とか、実戦に経験のある人に見てもらふのが第一である。(p.40)


 今、全国に残つてゐる昔鍛の日本刀はどの位あるか。推定四百万振といふのである。
 …

 右の内の約六七割までは、新刀新々刀とはるる刀であつて、大阪夏冬の陣前後から以降の作刀である。徳川時代から、明治大正にかけては、大量の日本刀を戦陣に於て試みるやうな機会はなかつた。

 日清日露の両役にしても、今次の事変に比較して見ると、物の数でもなく、彼の天草の乱、戊辰戦争、西南の役にしてからが、量的にはさう大したものでは無かつた。
 …

 今次の事変では、…一面恐ろしい器械化戦が行はるると共に、他面一騎打の原始戦が盛んに行はれ、戦風は一部元亀天正に逆戻りしたかのやうなところさへある。その上、未曾有の廣い戦線で混戦的に戦ひつつあるのと、昭和九年来日本刀そのままでの使用が、事実上復活となり、戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。(p.41-42)


 八木工兵中尉(此の人は静岡県相良町の名望家で、徐州戦当時筆者は共にその北部戦線に居た。)最近中支奥地からのお便りの中に、


……あつけない程脆く首が落ちた。昔からぬれ手拭いをはたく様な音がすると云はれてゐるが、まさにその通りでハツフツといつたとたんに四尺もすつ飛んで一声もない。(中略)この一戦で非常に大なる信念を得た。自分の刀で敵を斬り、その刀に信頼を持つた時から、武術が生きてくる。つまり刀も武術の内だ。云云。

 中尉の佩刀は、大阪石堂康廣の若銘安廣で、二尺三寸余、自分には見覚えのある刀である。(p.57-58)


 或る暑い日であつた。開封城内の修理班へ時目といふ変つた姓の少尉が自身刀を持つて修理にやつて来た。…無銘古刀の武家伝来らしいよい刀を持つてゐた。それで南京攻略の軍中三十七人を斬り、徐州戦で十人、都合四十七人を手にかけ、縛り首は一つも斬らなかつたといふ。


 …

 刀を見ると、血糊で白くなつてゐる。性質のよい古刀で骨ごと斬ると、必ず刃まくれの出来るのは一つの定則であるが、中央から上、物打下にそれも型の如くに出来て居り、刃こぼれも三ヵ所、刀全体がジツトリしてゐた。(p.77)


…陣中では、修理に出てくる刀の十振が十振いづれにも目釘の故障がある。それを一本一本竹を割つて削つてゐたのでは、徒に時間がかかつて急場の間に合わない。竹箸だと一寸削つて切つただけで用に立つ。しかも、何処の竹だか非常に堅くて、なかなか折れさうにもない。これは天が与へてくれたものと、自分はいまでもさう信じてゐる程である。

 …

 それから、最初自分の見込みでは、軍刀の故障は、刀身が六分外装が四分といふ考へで行つたところが、全くの反対であつて、殊に柄の故障の多かつたのは屡々発表したところであるが、それが為め早くも材料がなくなつてしまつた。(p.126-127)


 さすがに第一線の戦闘部隊だ。一寸見ただけで其の損傷状態がまるでちがつてゐる。試みに手にした一刀、何げなしに抜いて見ると、刀身は鍔元から血糊でそれが稍褐色がかり錆のやうになつてゐる。プンと臭い。目釘が折れるか飛ぶかしたと見え、生木の小枝を打ち込んである。指先でつまんで抜くと。そこから黒褐色の悪臭をもつ汁がポタリと一滴落ちた。血の腐つたやつだ。戦ひの最中に、血が刀身をつたはつて、(金+祖)のすき間から柄の中に入り、それが間隙にたまつて腐つたのだ。柄木を抜いて見ると、その汁がダラダラと落ちる。

 …
 これは今度の事変ばかりでなく、日清日露から西南役維新戦争に溯つて見て、実際乱戦中に敵とわたり会つて血戦した事実は、小説や講談にあるやうにザラにあつたものでは無いらしい。殊に今度の事変などでは、いざ接戦となると敵は逃げ足となり、一人斬つて二人目に及ばんとする時は、早二間も三間も離れて居るといふやうな場合が多く、実際十人も二十人も斬つたといふやうな話は、例へば敵を城壁域内際とか袋路地のやうな所に追ひつめ、ひしめき合ひわめき合ふ処を片つ端から滅多斬りにした時などの事で、さうした将兵の血刀を手にし、状況を聞いて見るに、四五人斬つたかと思ふ頃、多くの場合血がぬるぬると柄に伝はつて来る。斯様な時に、昔の柄巻の有難さが本当にわかるもので、殊に小倉木綿をそのままたたんで巻いたのなどは、手がすべらなくてよい。(p.153-154)


成瀬関次 『戦ふ日本刀』 実業之日本社 昭和15年
(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』にも一部引用あり)


成瀬氏が指摘しているとおり、日中戦争では将校はもちろん下士官までが日本刀を戦地に持参した。彼らが、持参した日本刀の切れ味を試してみたくなったであろうことは想像に難くない。そしてそれを試すための最も容易な手段は、抵抗することのできない捕虜や住民を使った据え物斬りだった。これほど大量の日本刀が人間相手に実際に使われ、膨大な量の生き血を吸ったのは、有史以来このときだけなのである。
(2000.07.02)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm


日本刀VSピストル真剣勝負(笑)

ゴールデンウィーク最終日、普段は見ない『トリビアの泉』をボーっと見ていたら、「テレビ史上最も危険な実験 日本刀VSピストル真剣勝負の衝撃映像!!」というのをやっていた。日本刀とピストル、どっちが強いか実験して確かめる、というのである。

その方法は、日本刀をほぼ垂直(やや刃面が上向き)に固定しておき、その刀身の中央部に向かって銃器射撃装置で水平に固定したピストルから弾を発射する、というシンプルなもの。射撃距離は5メートル。

実験に用いた日本刀は、特別なものではない平均的な日本刀、ということで、市販価格90万円程度を目安に現代の刀工(小田九山さん)に作製してもらった新作刀。ピストルはかつての米軍制式拳銃であり、強力な大口径拳銃の代表とも言えるコルト1911ガバメントモデル(45口径)である。

結果は……日本刀の完勝だった。超高速カメラを用いた撮影により、日本刀の刃に命中したピストルの弾が真っ二つに切断され、泣き別れになっていくさまが克明に映し出されたのである。日本刀には刃こぼれ一つなく、弾が当たった部分に指先大の鉛がこびりついた痕跡が残っただけだった。この結果に納得できないアメリカの銃砲店主(実験に用いたピストルの提供者)からの要請で実験は数回繰り返されたが、結果は同じだったという。

これだけなら「日本刀は凄い!」で終わってしまうところだが、この実験には番組作成者がまったく意識していなかった重大な意味がある。言うまでもなく、百人斬り事件との関係である。

百人斬り殺人競争を虚報と決め付け、それを突破口として南京大虐殺を否定しようとする勢力は、執拗に日本刀の脆弱さを主張してきた。日本刀の威力などというのは伝説に過ぎず、とても百人もの人間を斬ることなどできない貧弱な代物であり、だから百人斬りなどありえない、というのである。偽ユダヤ人イザヤ・ベンダサンこと山本七平など、自分の戦場体験からの結論だとして、一本の刀で斬れるのはせいぜい三人、と断言していた。

時速900キロで鉛の弾を撃ち込まれる衝撃に耐え、その弾を両断して傷つきもしない日本刀が、わずか三人の人間を斬っただけでダメになるものだろうか。要するに山本七平は、戦争体験者は黙して語らず、戦場体験のない世代には確かめようもないのをいいことに、大嘘を吐いたのだ。

フジテレビ(あのフジサンケイグループの)が全国に放映してくれたこの実験は、日本刀の性能に関する否定派の嘘を文字通り一刀両断にしてしまった。

まさに快挙である。
(2004.05.09)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/trivia.htm

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朝鮮人認定された本多勝一


【南京大虐殺を捏造した】本多勝一は在日です【在日確定】日本の国難は全部朝日新聞のデマから
2014年09月22日

【新春特別対談】渡部昇一氏に聞く[桜H26-1-2] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=axqdVqS1SLw

ゲスト:渡部昇一(上智大学名誉教授)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


「私の友達が調べたんですが、本多勝一は在日です」

渡部:朝日新聞は文化大革命を人類の壮大な実験なんて評していました。
人殺しが実験なら苦労しません。

不思議なことに朝日新聞が反省している様子がないんです。
僕はね朝日新聞の中に反日勢力が入っているんじゃないかと思います。

日本を苦しめた国難みたいに、従軍慰安婦問題と南京大虐殺があった。
両方ともいんちきなことは日本人は良く知ってるんですよ。しかし世界中では
南京大虐殺があったと思ってるし、従軍慰安婦も日本人がやっていると思っている。
  
しかし、発火点は全部朝日新聞なんですよ。南京虐殺のことを盛り上げた、
爆発させた本多勝一は、私の友人の調査によれば、在日です。

それがうまく当時の「自分の先祖が中国である」ということを言ってる
朝日新聞の広岡知男社長がやらせたという感じです。
  
そして従軍慰安婦問題も朝日新聞の記者が韓国人と結婚して、
その女性のお母さんが反日家で、その反日家が言っていることを持っていって
デスクがよく調べもせずに記事にした。

だから、日本の国難ということは、全部朝日新聞のデマから出てるんですよ。
しかもデマの発祥地は反省しない。
http://hosyusokuhou.jp/archives/40319566.html


【拡散】南京大虐殺を捏造した朝日新聞の本多勝一は【 在日 】確定!!! 2014.09.21


「俺は知っている。やつは在日だ。」
で、なんの証拠も提示しないというw
渡部もこのサイトも訴えられればいいよ。
Posted by 名無し at 2014年09月22日 10:05


○○は在日詐欺もう飽きた
つか、明確なソース無しかよ
Posted by 名無し at 2014年09月22日 11:31


権威のある人の意見を鵜呑みにして、無条件で信じてしまういい例だと思います。

教授も「友人が調べたら在日らしい〜」と言ってる時点で、ソースが不確かな情報でしかないと言い様がありません。

別に自分は本多勝一を擁護するつもりは一切なく、単に間違っているのではないかと思うのでから書かさせてもらいます。

本多勝一は日本人です。
ソースは小学生の頃、本多勝一と同級生だった自分の父親。

自分の父親は昭和6年生まれで、信州伊那谷のとある町の出身。

本多勝一が子供の頃に在日だからいじめられていたという事実は一切無いそうです。
いじめられていた理由は、妹が障害者であったため、それが原因でいじめられていた事はあったそうです。

戦前の生まれで、排他的な地域の出身である事を考えると、在日である可能性は極めて低いです。

ちなみに親父の実家周辺がどれくらい排他的な所かと言うと、自分が25年ほど前レーサーレプリカのバイクで皮つなぎを着てツーリングがてら親父の実家に立ち寄った事があったんですが、それを見た近所の人が「○○の家にチンピラが来た!」と、その後に噂になったと、祖母から文句を言われました。
Posted by 在日じゃない at 2014年09月22日 08:06


父親が本多勝一の同級生で、彼を日本人だと書いた者です。

自分の父親が本多勝一と同級生であったと言うソースは父親の証言だけでなく、以前に父親が出席した同級会から帰ってきた折、

「おまえ本多勝一って知ってるか?」

と聞いてきたので、自分が知ってるという旨の発言をした所、おもむろに同級会で貰ってきたお土産の中から「六十歳の記念に登った山山 本多勝一著 悠々社」の本を取り出し、

「こいつ同級生で、同級会でみんなにこの本を配ったんだよ」

と見せてくれました。

その本には、直筆サインと本多勝一の落款が・・・って落款押してあるって・・・。

これこそ父親と本多勝一が同級生だった事を思わせる一品だと思います。

今も自分の手元にあるので直筆サインと落款に興味がある方がいたら写真に撮ってどこかにうpしてもいいかなw
Posted by 在日じゃない at 2014年09月22日 20:10
http://www.news-us.jp/article/405772710.html


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土井たか子元衆議院議員に対する在日認定


訴訟の原因となったのは、元産経新聞編集部長の花岡信昭が論壇誌 WiLL 2006年5月号に寄稿した「拉致実行犯辛光洙釈放を嘆願した“社民党名誉党首”」と題する記事である。

記事の中で花岡は

「土井たか子は朝鮮半島出身で本名は『李高順』である」

と土井に対する在日認定を行った上で、

「そのことが土井の拉致事件を見る目を曇らせたのか、すべて知った上で政治的演技をしていたのか」

と論じ、祖国・北朝鮮の利益を図るために日本の利益を蔑ろにしたのだと土井を婉曲的に糾弾した。

戸籍謄本および改製原戸籍謄本の記載によると土井は日本人夫婦の次女として兵庫県神戸市に生まれており、花岡による在日認定は事実に反していた。

また花岡は土井に対する取材等の裏付けを全く行わず、インターネット上で流布されていた情報のみに基づいて在日認定を行っていた。

これに対して土井は記事によって名誉感情や信用を含む人格的権利を侵害されたとして、2007年4月18日、WiLL を出版するワック・マガジンズと同社代表取締役(当時)の花田紀凱、記事を執筆した花岡の三者を相手取り、1000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める民事訴訟を起こした。

神戸地裁尼崎支部は 2008年11月13日、記事はあたかも土井が朝鮮人であるがゆえに日本以外の本国の利益を優先して、日本国民の安全などの利益を蔑ろにするという日本の政治家としてあるまじき行為をしていたかのような印象を与えるものであり、土井の社会的評価を低下させたとして名誉権の侵害を、

また虚偽の在日認定について以下のように述べて名誉感情および人格的利益の侵害をそれぞれ認め、被告らに対して200万円の賠償を命じた。

謝罪広告については記事の影響力の小ささを理由に退けた。


被告らは判決を不服として大阪高裁に控訴したが棄却され、さらに最高裁に上告したものの、2009年9月29日に上告を退ける決定が下された。

これにより神戸地裁の判決が確定した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A


2007/06/03 筑紫哲也(朴三寿)というデマ
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.html


2chで以下のような真偽の定かでないマルチコピペを見たことある人は多いと思う。


池田大作(→父:ソンジャンチョク、帰化人) (在日への選挙権推進、韓国での反日活動の実績)

土井たか子(→李高順(帰化前の本名)北朝鮮に親族多数

五島昌子(土井の秘書)本名、渡辺昌子は通名、つまり、在日朝鮮人(元社青同活動家の話より)

辻元清美(帰化人、赤軍派)

筑紫哲也(→朴 三寿:元朝日記者、共産キャスター)

本多勝一(→崔 泰英:「南京大虐殺」虚報の中共工作員記者)

佐高信 (→韓 吉竜:極左評論家)

福島瑞穂(→趙 春花、帰化前の本名:中核派)

永六輔(帰化人。反日活動、言動多し)


例えばこの中の

■土井たか子=李高順 説は?

月刊WiLL2006年5月号で元産経新聞記者・花岡信昭が、土井たか子=李高順という2chで流されたデマを事実のように書き、土井は花岡の記事を「事実無根の捏造 (ねつぞう)記事で、土井氏に対する取材に基づかない一方的な推測で作成したもので,名誉を毀損された」として、2007年4月18日、全国紙への謝罪広告の掲載と損害金1万円を求める訴えを神戸地裁に起こしている。


つーことでこの件はデマ確定 調査終了


■次に、筑紫哲也=朴三寿 説は?

【筑紫】 朴 三 寿 【哲也】(魚拓)より以下、抜粋する。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1127868368/


28 :文責・名無しさん:2005/11/15(火) 22:46:50 ID:d3V7cvUI
朴三寿ってのはオレが数年前にメガBBSに書いたネタだった思う。
確か「有名人の本名を晒そう」みたいなタイトルのスレだった。
他にも本多勝一や佐高信なんかの韓国名もでっちあげてやったんだ。
まさかこんなところでお目にかかるとはなw


30 :28:2005/11/16(水) 22:54:24 ID:rInX2H7E
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=perform&vi=1027871248

元ネタはこのスレの124だ。
よく見たら数年前じゃなく去年だったが


(※ちなみに、これがリンク先)


筑紫哲也=朴三寿という在日認定を2004/06/04以前にしているブログが一切無いことから、これが元ネタとみてまず間違いない。

↓以下は同スレより筑紫哲也が在日ではないことを補足する書き込みを抜粋する。


54 :文責・名無しさん:2006/03/18(土) 11:45:56 ID:hUhDYHbR
代々、九州の医者の家系で滝廉太郎の親戚とか言うけど
実は筑紫の故郷には筑紫という姓の人間がいない
つまり架空の日本名をこしらえたってことさ


58 :文責・名無しさん:2006/03/21(火) 23:37:20 ID:iPNZ4lbX
>>54
筑紫姓はいるよ。

筑紫氏
筑紫君、筑紫国造、筑紫連、筑紫史、藤原秀郷流武藤氏族、
清和源氏、桓武平氏等。


62 :文責・名無しさん:2006/03/22(水) 12:58:26 ID:s1CTwA8y
>筑紫の大伯父は滝廉太郎だから

ソース出せや


64 :文責・名無しさん:2006/03/22(水) 20:08:57 ID:VPz1iqiD
>>62
国際メンデルスゾーン基金の公式サイトより
http://www.mendelssohn-kikin.jp/frmset_taki.htm

>嘱望を受けながら留学した瀧廉太郎は、留学中に病(結核)におかされ、
>翌1992年に青雲の志空しく帰国した。 帰国後は、故郷の竹田市で療養後
>100年前の1903年に23歳10ケ月で没している。療養した家は、「瀧廉太郎
>記念館」として公開されている。同記念館は、瀧廉太郎の姉の孫にあたる、
>筑紫哲也が名誉館長である。


89 :文責・名無しさん:2006/04/16(日) 21:33:55 ID:jxI3E12R
滝廉太郎の妹トミは筑紫の祖母って書いてるぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

何か見た目や思想だけで言ってるだけだろ。


115 :文責・名無しさん:2006/05/19(金) 23:45:22 ID:GxkkCoNF
>>113
筑紫哲也は瀧廉太郎の姉の孫で、その縁で 「瀧廉太郎記念館」の名誉館長だ。
下記のページに電話番号が載っているから、嘘だと思うなら聞いてみなよ。
http://machi.goo.ne.jp/snd/spotID_%20TO44000491/leisure/details.asp


122 :文責・名無しさん:2006/05/21(日) 08:20:56 ID:Ubf6/77H

メンデルスゾーン基金のサイト情報が一番確かだな。
当人も日本名を名乗っているし、万が一彼が朝鮮人の妾の子だったとしても、
日本人であることにかわりはない。
そもそも朝鮮人の血などそれほど「濃い」ものではないだろ?
名前からして基本は中国式だし、それが日本式の筑紫哲也に変わっただけだ。(笑

俺自身は、筑紫の政治観は幼稚だと思っているがね。


156 :文責・名無しさん:2006/07/08(土) 12:15:25 ID:Sbii/mJV
先祖は大分県・日田藩。漢学者の広瀬淡窓が開いた咸宜園で学んだと聞いた。広瀬の子孫が今のテレ朝会長、大分県知事の兄弟。


95 :文責・名無しさん:2006/09/11(月) 15:42:20 ID:kSuz5YS6
大分県日田市に筑紫姓があるのかどうかだが、
>>58のソースは「日本の苗字7000傑」というHPから。
その中の"筑紫国造"の中に"筑紫国造磐井"という人物がいる。
この人物は(大分県がある)九州北部の有力者と「Wikipedia - 磐井の乱」に書いてある。
だから、筑紫哲也の祖先はこれと思われる。
ちなみに、「岩戸山古墳−筑紫国造磐井の墓−」というHPには、
"筑紫国造磐井"を含む「筑紫の君」一族は渡来人の末裔ではないか
と書いてある。


96 :文責・名無しさん:2006/09/11(月) 17:26:05 ID:kSuz5YS6
つまり、筑紫哲也のルーツとは、

筑紫国の「筑紫の君」一族の末裔で、
筑紫国は、後に筑前国・筑後国に分割された。
このことは「Wikkpedia - 筑紫国」に書いてある。

そして筑紫哲也の出身地である日田市は、
筑後川水系にあるため、筑前・筑後と歴史的につながりが強い。
このことも「Wikipedia - 日田市」に書いてある。

結論 「筑紫哲也は帰化人ではない。しかし、祖先は渡来人の末裔である。」

これで解決したな。

(以上)


つーことでデマ確定 調査終了 


このように少しググっただけで、土井たか子と筑紫哲也は確実に在日ではなく、本多勝一、福島瑞穂、佐高信もおそらく違うだろうな、ということがわかる。

にもかかわらず、情報元を確認することすらしないリテラシーの低い、嫌韓・ネトウヨ厨は、今だに訂正すらせずにブログ上で事実として取り上げている。

例えば「筑紫哲也 朴三寿」で検索すると約9,350件ヒット、「朴三寿」では約11,100件もヒットする。

デマだとわかっても訂正すらしない確信犯的なデマブログの1つに、ランキング偽装疑惑のある「博士の独り言」がある。


2006/12/01(金)「博士の独り言」より以下一部抜粋する。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-asyuracom-221.html

この集会で挨拶した本多勝一(本名・崔 泰英)、司会を演じた佐高信(韓吉竜)の2名はいずれも在日朝鮮人。永六輔は半島からの帰化人。関与した矢崎泰久、中山千夏は、昭和52年に、ばばこういちを中心に結成した「革新自由連合」の仲間であり、新左翼系の自称・文化人である。

良識以前に、最低限度の人倫すら問われるこの「芝居」は、これらの人物の「日本に対する怨念」が凝縮されている。それほど日本が恨ましいのであれば、日本にいていただいても百害千害万害を垂れ流すだけである。日本から出て行け!
---------- ---------- ----------
【筆者記】
なりすましのメディア人、文化人、政治家の言動にはおぞましいものがある。上記の他に、朴三寿(筑紫哲也)、社民党の李高順(土井たかこ)、趙春花(福島瑞穂)等々。実に紛らわしい。反日活動においては、通名ではなく、本名を名乗るべきである。

(ここまで)


いい歳こいたおっさんが、左翼=在日=朝鮮人で思考停止か


ダッセーなぁ。。。恥辱まみれなデマ博士


あんた、マジかっこわりぃYO!

土井さんが党首の時に社民党に質問したんですよね。
そしたら丁重な回答が寄せられました。

曰く事実無根なんだそうです。

とにかく、気に入らないのはみんな朝鮮人にするんだから困ったもんですよね。
ただ、朝鮮人といわれて名誉毀損てのはどうなんでしょうね。

朝鮮人が悪い連中だと土井さんが認めた事になるんじゃないでしょうかね。
朝鮮人が何故怒らないのかが判らないですね。

土井たか子の家系についてはすでに共同通信の田中章記者が取材ずみ。

それによると、祖父は広島県の土井好太郎、父はその次男で仁良市、現京都府立医大卒、母は京都の職業軍人の長女で貴代、姉は和賀子、妹が睦子で武蔵野音大、弟が良博、顕とのこと。

父は内科小児科を神戸市長田区野田で開業していた開業医であった。


ハッキリと否定しないの筑紫氏だけでなく上記に名前のあがっているサヨク全般に言えるでしょうね。まぁ、くだらな過ぎて相手にしてないんだと思います。

それと、そんなに疑う理由がよくわかりませんが、このエントリーを書いたとき週刊金曜日の方に連絡したんですが、石坂啓、落合恵子、佐高信、椎名誠、筑紫哲也、本多勝一は在日ではないとハッキリ言われました。


本多勝一さんは日本人
本多さんの友人と親しいし、会ったこともある。

長野県飯田市に行って調べれば直ぐに分かるよ。旧制飯田中学-->飯田高校。

悪魔の証明

言い出しっぺの在日朝鮮人で"ある"と言っている側には信用できる証拠を全く求めずにコピペを垂れ流し、在日朝鮮人で"ない"と言っている側にだけ「もっと信用できる証拠」を出せと言い続けるネトウヨの論理性には苦笑してしまう。
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.html 



▲△▽▼

保守論壇の重鎮・渡部昇一の「昭和史」のデタラメを読み解く。

渡部昇一は、現在、保守論壇の重鎮という位置に祭り上げられているらしく、本人も満更でもないらしく、すっかりその気になって、いかにも「保守論壇の重鎮」風の言動を繰り返しているらしい。

僕に言わせれば、まさにそこに、つまり渡部昇一ごときが、「保守論壇の重鎮」であるかの如く振舞えるところに、昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムの劣化と知的退廃の病根があるのだが、誰もそれには気付いていないらしい。渡部昇一が、「沖縄集団自決裁判」に関連して、「騒げば金が手に入ることがわかったから騒いでいる」というような、読むのもはばかれるようなデタラメ発言を繰り返してきたことは、すでに何回か検証したから、繰り返さないが、渡部昇一の中心的な仕事と言えば、おそらく「英語学」とか「英語学史」というようなものではなく、やはり「昭和史」なのではないかと思う。

渡部昇一が、どれだけ「昭和史」なるものを深く広く探求、解明しているかは知らないが、渡部昇一の「昭和史」は、一種の政治漫談としては面白いが、とても思想史や政治学、歴史学、あるいは国際政治学の問題として扱うにははばかれるようなシロモノである。

僕は、今、手元に『東条英機 歴史の証言』(詳伝社、平成18年)と『昭和史 松本清張と私』(ビジネス社、2005年)の二冊を置いているが、渡部昇一の「昭和史」は、簡単にまとめるならば、「受動史観」だと言っていいと思う。

「受動史観」とは、悪いことは、全部、他人の責任に転嫁し、「自分は悪くない」「日本は悪くない」と言いつつ、「中国が悪い」「ロシアが悪い」「アメリカが悪い」…そして「日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ」と言うような「子の論理」、あるいは「被害者の論理」、つまり「負け犬の遠吠え」的史観である。

僕は、そこのところに渡部昇一的「昭和史」の思想的弱点、あるいは昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延している思想的弱点があると思う。

渡部昇一の「昭和史」やマンガ右翼・小林よしのりの『戦争論』を適当に「いいとこ取り」して、それをアレンジしたのが、田母神俊雄の『日本は侵略国家か』というエッセイらしいが、それも、渡部昇一同様の、同じような思想的弱点を内包していることは言うまでもないし、また一時的とは言え、「田母神俊雄ブーム」なるものを巻き起こした保守論壇や保守ジャーナリズムの思想的限界も、そして今や解党的危機に追い込まれ、断末魔の迷走を続ける自民党の、安倍晋三や中川昭一等を筆頭とする「真正保守派」(笑)の政治家たちの思想的限界も、明らかである。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090718/1247895431


渡部昇一・竹中平蔵対談「霞ヶ関『ナチス』化への暴走」(『ボイス』2008/8)を読む。


渡部昇一氏が、『ボイス』(2008/8)で、トンデモ経済学者として世間の指弾を浴びている竹中平蔵氏と対談しているが、予想通り、二人は意気投合しており、二人が普段から何を考えているかがよく分かるという意味で、なかなかいいコンビの対談であると思う。渡部昇一氏は、冒頭で、こう言っている。

いま世間では

「最近、ここまで不景気やリストラが吹きあれているのは、みんな小泉・竹中改革が悪かったからだ」などとささやかれています。

しかし、世界中が不況という状況を見ていると、何でもかんでも小泉・竹中改革のせいにするのは、いくらなんでも無理がありますね。(笑)(中略)

日本の゛すからね。景気だけが悪くなったのならば、日本の政策が悪かったといえるかもしれませんが、世界中で同時に景気が悪くなったのですからね。


渡部昇一氏の分析は、なかなか分かりやすい論理だが、ここには根本的な論点のすり替えがある。

「小泉・竹中構造改革」が原因の「不景気やリストラ」は、昨年のアメリカの金融危機に始まる世界不況とは、そもそも関係ない。。

むろん、「小泉・竹中構造改革」が、昨年のアメリカの金融危機をもたらしたわけでもない。

昨年のアメリカの金融危機が、「小泉・竹中構造改革」に酔っていた大衆までが分かるように、それ以前から始まっていた「小泉・竹中構造改革」がもたらした悲惨な実態を赤裸々に暴き出したというだけのことである。

竹中平蔵氏等が推奨し、小泉純一郎元総理らが、追従したアメリカ発の新自由主義経済学の実態が、アメリカの金融危機と、それに続く世界不況で明らかになったということに過ぎない。

渡部昇一氏は、例によって誰にも見破られるような幼稚な詭弁を弄しているにすぎないい。それに対して竹中平蔵は、こう言っている。


いまの経済状況の分析について、皆ムードだけで議論しているように思います。(中略)

では、いったい何が起こってたのか。

たしかにアメリカでは不動産バブルが起きていました。そして同様にヨーロッパもユーロ高で不動産バブルになっており、・・・・(中略)

そして日本でも、考えてみたらバブル状態でした。

円安バブルです。輸出産業は円が安すぎたことによって利益が水ぶくれして、水ぶくれした利益によって日本が支えられていた。

いうなえば、いま起こっていることは、世界的規模におけるバブル同時崩壊なのです。そういう事実認識に基づいていいえば、小泉改革によって日本が悪くなったというのはありえないんです(笑)。


竹中平蔵氏が渡部昇一氏以上に「詭弁の達人」であることは承知しているが、竹中氏がここまで、露骨に、ミエミエの「詭弁を弄する」のを見ていると、さすがに、「お前は、何処まで、詐欺師なのだ?」とでも言いたくなるわけだが、

ちょっとここで解説すると、竹中氏が言っていることは、アメリカのサブプライムローン破綻に始まる「世界同時不況」の話であって、いわゆる竹中平蔵氏等が先導してきた「小泉改革」なるものとその悲惨な結末とは、直接には何の関係もない話だということである。

このことを理解できない日本人が何人いると、竹中氏は思っているのだろうか。

おそらく、アメリカのサブプライムローン破綻に始まる「世界同時不況」の話と、竹中平蔵氏等が先導してきた「小泉改革」なるものとその悲惨な結末の話とを混同する日本人は、渡部昇一氏と竹中平蔵氏の二人ぐらいだろうと思う。

要するに、今、「小泉・竹中構造改革」の政治責任が厳しく問われているのは、「郵政民営化」や「道路公団改革」、そして「緊縮財政」「小さな政府」…というような竹中平蔵氏等が主導してきた「構造改革」の成否なのである。

アメリカのサブプライムローン破綻に始まる「世界同時不況」の原因などを問うているわけではない。繰り返すが、「世界同時不況」の原因が「小泉・竹中構造改革」にあるなどと、言っている訳ではない。ところで、渡部昇一氏は、ここでも「昭和史」の話を持ち出しているので、見てみよう。


歴史を見てみると、不況になった際に、その原因を捉えそこなうと、大変なことになってしまうんですね。

大恐慌の後も、「あれはホーリー・ストーム法のような保護主義が悪い」と原因を喝破できればよかったのですが、そうではなくて「金持ちがけしからん」「マルクスのいったとは本当だ」という意見が勝って、社会主義的な勢いが強くなり、世界中が国家統制への動きが加速していきました。当時、ソ連は共産主義で大粛清の真っ最中むでしたし、ドイツで台頭したナチスもまさに「国家社会主義労働者党」だった。

日本でも、5・15事件にせよ2・26事件にせよ、それを起こした連中の考え方は「社会主義」でした。

彼らの考え方は、「天皇陛下は自分たちが担いで、上流階級をやっつけろ。資本主義も何も要らない」というものでした。

これが、結局日本を戦争に引き込みました。

当時の経済学者が「悪いのは保護主義だ」という世論をつくっていれば、要人を暗殺するような事件は起こらなかったと思うのです。


渡部昇一氏が、いつも何を考えているかは、この会話から、一目瞭然だが、それは「国家統制=悪」「自由放任=善」という単純な二元論である。

それが、渡部昇一氏の「共産主義」や「社会主義」への恐怖に満ちた嫌悪へとつながっている。

したがって、たとえば「国家」が経済に口出しをし、管理や規制、保護を強めることを、「悪」として退け、ひたすら「自由」であることが、素朴に肯定されていることが分かる。しかし、「自由」を維持し守るためにも「国家」の管理や規制や保護は必要なのだが、

そうした「自由主義」を守るための「国家統制」には関心はないらしいのが、不思議なところである。

「小泉・竹中構造改革」は、市場原理主義という自由主義を実現するために、国家権力という様々な暴力装置を発動して、強引に日本の社会構造を解体し、崩壊させていったわけだが、その場合の「国家暴力」は、放置していいものらしい。

ところで、渡部昇一氏が信奉するハイエク教授は、共産主義や社会主義と同様に、自由を抑圧する経済学として「ケインズ経済学」を厳しく批判し続けた人だが、渡部昇一氏もまた、「ケインズ経済学」の批判者なのだろうか。それならば、「共産主義」や「社会主義」「ナチス」「5・15事件や2・26事件の首謀者」と並べて、「ケインズ経済学」も、一緒に批判してもらいたい。そうすれば、渡部昇一氏の思考が、さらに明確になるはずである。

つまり渡部昇一氏の思考は、単なる素朴な自由主義、自由貿易主義、市場原理主義、言い換えれば、素朴な古典派経済学の焼き直し、あるいは大正教養主義の劣化コピー…に過ぎないということが、誰の目にも明らかになるはずである。

渡部昇一氏が、今になって、竹中平蔵氏と意気投合した上で、「小泉・竹中構造改革」なるものを必死で擁護しなければならない理由が分かろうというものだ。渡部昇一氏も、これ以上、耄碌したトンチンカン発言を繰り返す前に、竹中平蔵氏や小泉純一郎氏にならって、そろそろ退場なさった方がいいのではないのか。

しかし、それにしても、こんな渡部昇一氏が、昨今は、「保守論壇の重鎮」だというのだから…。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090724/1248419355

保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた


自民党を現在の崩壊的危機に導いたのは、自民党を甘やかし、それと同時に自民党の政治家たちに迎合し、ひたすらゴマスリを続けてきた保守論壇の御用文化人たちだが、ささしずめ渡部昇一はその筆頭だが、東條英機について、こう書いている。


東條さんが陸軍次官になったのは昭和十三年(1983年)ですから、支那事変勃発の翌年です。

ですからここで注目しておきたいのは、東條さんは、支那事変が起こったことには何の責任もないということです。

支那事変はアメリカとの戦争につながる一番の大きな要因ですが、それには東條さんは何の関係もなかったということは指摘しておくべきでしょう。

それから昭和十一年(1936年)の日独防共協定にも、昭和十二年(1937年)の日独伊三国防共協定にも関係しません。全く関係がなかったということを強調しておかねばなりません。(『東條英機 歴史の証言』)


渡辺昇一の『東條英機 歴史の証言』は、こういう言葉に溢れているが、こういう言葉が、何を意味しているかは、渡部昇一には分かっていないようだが、明らかである。

昭和十五年の陸軍大臣就任から昭和十九年総理大臣辞任までの四年間、東條英機は、政権の中枢にいたわけだが、肝心の戦争責任、ないしは政治的責任は東條英機にはないと、渡部昇一はいっているわけだが、それなら、渡部昇一は、何故、戦争責任も政治責任のない東條英機をわざわざ取り上げるのか。東條英機は無罪だと言いたいのか。

そしてついでに、渡部昇一は、日本も無罪だと言いたいのか。東條英機は、東京裁判法廷で、今次の戦争は、「自存自衛の戦争だった」と主張したらしいが、渡部昇一も、それが言いたいらしい。次のようなことも言っている。


しかし日本の場合はナチス・ドイツとは異なり、一つの党の党首が独裁的にすべてを計画し遂行したわけではない。東京裁判の範囲に入れられた最初の年である昭和三年(1928年)から、日本の内閣や方針はしばしば変更され、しかもその変更はたいてい受動的に体外的情勢に応じたものであった。


渡部昇一が何が言いたいのかは、ここでほぼ分かるが、渡部昇一は、馬鹿正直に、さらに次のように言って、念押ししている。


大陸政策はコミンテルンの暗躍に応ずるものであり、満州国誕生後は清朝の最期の皇帝であった溥儀が日本公使館にころがりこんだことから始まった。

日本の経済的苦悩はホーリー・スムート法によるアメリカの保護貿易、それに続くイギリスのブロック経済圏(アウタルキー)のためである。

 
これでは、我々の父母の世代は、大東亜戦争において、徹底して無能で無策だったと言っているようなものだが、渡部昇一は、そうは思わないらしい。さらに次のように言っている。


シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものである。その事変が日本陸軍の切なる願いにもかかわらず終息しなかったのは、ソ連、アメリカ、イギリスが中立国の度を越え、シナに対し、参戦同様の支援をしたからであった。


アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追い詰められたから余儀なくされたのである。すべて日本のやったことは受動的反応であった。


「コミンテルンが…」「アメリカが…」「イギリスが…」「ソ連が…」「中国が…」、次々と謀略を仕掛けてきた…、そして日本は悪くなかった…、日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけだ…、ということだろうが、そもそも戦前の日本人は、そんなに無知・無能だったのか。

「世界革命」を目指すコミンテルンや、独立を目指す中国、そして米、英、ソが、新興の帝国主義国家・日本を、様々な謀略を駆使して追い詰めていくことは当然ではないか。それに対して、「英米中心主義を排す」と言い、「大東亜共栄圏」構想を宣言し、そして「我が帝国陸海軍は、米英を相手に戦闘状態に入れリ…」という臨時ニュースを聞き、「来るべきものが来た」と興奮し、歓呼し、必勝を誓ったのは、日本国民ではなかったのか。しかし、渡部昇一が言いたいことは、東條英機を筆頭に、戦前の日本人は、無能無策な、そして清く、正しい、美しい「弱者」だった、ということだろう。

つまり、渡部昇一が言いたい事は、僕なりに言い換えると、戦前の日本国民は馬鹿だった、だから許してください、ということだろう。

少なくとも、渡部昇一の思考法は、ニーチェが言う「力の政治学」、あるいは「力の哲学」「超人の思想」とは対極にある思考法と言うべきだろう。こういう「弱者の政治学」を恥ずかしげもなく、というより得意になって公言する人が、保守論壇や保守ジャーナリズムの「重鎮」だというのだから、保守論壇や保守ジャーナリズムが劣化・退廃し、そしてその保守論壇や保守ジャーナリズムの言説を熟読し、その影響を受け、「弱者の政治学」に落ち込んだ自民党が、自滅・自爆するのは当然だろう。

「弱者の政治学」を自ら公言するようなホンモノの軟弱な「弱者」たちは、政治権力を持つべきではないし、さっさと政治権力の中枢からは去るべきだろう。

山奥に引き込んで、静かに家庭菜園か盆栽でもやっていればいいのである。そういう「清く」「正しく」「美しい」…弱者は、政治家であってはならない。国民を泣かせるだけである。
http://www.asyura2.com/09/warb0/msg/189.html

「小泉改革」を擁護する「渡部昇一」への退場勧告
http://archives.mag2.com/0000261052/


2009年07月25日

■■■■■■■山崎行太郎■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「三田文学」に発表した「小林秀雄とベルグソン」でデビューし、
先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認められ、文壇や論壇へ進出。大
西巨人論争や、小泉・竹中改革批判、安倍批判、「青色発光ダイオ
ード」の中村教授批判を展開。最近は「沖縄集団自決裁判」問題で
曽野綾子や小林よしのり、西部邁…保守論壇の守旧派を徹底批判。
文壇・論壇に蔓延する予定調和的言説の脱構築的解体を目指すー。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■渡部昇一・竹中平蔵対談「霞ヶ関『ナチス』化への暴走」(『ボイス』2008/8)
を読む。


渡部昇一氏が、『ボイス』(2008/8)で、トンデモ経済学者として世間の指弾を
浴びている竹中平蔵氏と対談しているが、予想通り、二人は意気投合しており
、二人が普段から何を考えているかがよく分かるという意味で、なかなかいい
コンビの対談であると思う。渡部昇一氏は、冒頭で、こう言っている。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
いま世間では「最近、ここまで不景気やリストラが吹きあれているのは、みん
な小泉・竹中改革が悪かったからだ」などとささやかれています。しかし、世
界中が不況という状況を見ていると、何でもかんでも小泉・竹中改革のせいに
するのは、いくらなんでも無理がありますね。(笑)(中略)日本の゛すからね
。景気だけが悪くなったのならば、日本の政策が悪かったといえるかもしれま
せんが、世界中で同時に景気が悪くなったのですからね。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


渡部昇一氏の分析は、なかなか分かりやすい論理だが、ここには根本的な論点
のすり替えがある。「小泉・竹中構造改革」が原因の「不景気やリストラ」は
、昨年のアメリカの金融危機に始まる世界不況とは、そもそも関係ない。。む
ろん、「小泉・竹中構造改革」が、昨年のアメリカの金融危機をもたらしたわ
けでもない。昨年のアメリカの金融危機が、「小泉・竹中構造改革」に酔って
いた大衆までが分かるように、それ以前から始まっていた「小泉・竹中構造改
革」がもたらした悲惨な実態を赤裸々に暴き出したというだけのことである。
竹中平蔵氏等が推奨し、小泉純一郎元総理らが、追従したアメリカ発の新自由
主義経済学の実態が、アメリカの金融危機と、それに続く世界不況で明らかに
なったということに過ぎない。渡部昇一氏は、例によって誰にも見破られるよ
うな幼稚な詭弁を弄しているにすぎないい。それに対して竹中平蔵は、こう言
っている。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
いまの経済状況の分析について、皆ムードだけで議論しているように思います
。(中略)では、いったい何が起こってたのか。たしかにアメリカでは不動産バ
ブルが起きていました。そして同様にヨーロッパもユーロ高で不動産バブルに
なっており、・・・・(中略)そして日本でも、考えてみたらバブル状態でした
。円安バブ ルです。輸出産業は円が安すぎたことによって利益が水ぶくれし
て、水ぶくれした利益によって日本が支えられていた。いうなえば、いま起こ
っていることは、世界的規模におけるバブル同時崩壊なのです。そういう事実
認識に基づいていいえば、小泉改革によって日本が悪くなったというのはあり
えないんです(笑)。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


竹中平蔵氏が渡部昇一氏以上に「詭弁の達人」であることは承知しているが、
竹中氏がここまで、露骨に、ミエミエの「詭弁を弄する」のを見ていると、さ
すがに、「お前は、何処まで、詐欺師なのだ?」とでも言いたくなるわけだが、
ちょっとここで解説すると、竹中氏が言っていることは、アメリカのサブプラ
イムローン破綻に始まる「世界同時不況」の話であって、いわゆる竹中平蔵氏
等が先導してきた「小泉改革」なるものとその悲惨な結末とは、直接には何の
関係もない話だということである。このことを理解できない日本人が何人いる
と、竹中氏は思っているのだろうか。おそらく、アメリカのサブプライムロー
ン破綻に始まる「世界同時不況」の話と、竹中平蔵氏等が先導してきた「小泉
改革」なるものとその悲惨な結末の話とを混同する日本人は、渡部昇一氏と竹
中平蔵氏の二人ぐらいだろうと思う。要するに、今、「小泉・竹中構造改革」
の政治責任が厳しく問われているのは、「郵政民営化」や「道路公団改革」、
そして「緊縮財政」「小さな政府」…というような竹中平蔵氏等が主導してき
た「構造改革」の成否なのである。アメリカのサブプライムローン破綻に始ま
る「世界同時不況」の原因などを問うているわけではない。繰り返すが、「世
界同時不況」の原因が「小泉・竹中構造改革」にあるなどと、言っている訳で
はない。ところで、渡部昇一氏は、ここでも「昭和史」の話を持ち出している
ので、見てみよう。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
歴史を見てみると、不況になった際に、その原因を捉えそこなうと、大変なこ
とになってしまうんですね。大恐慌の後も、「あれはホーリー・ストーム法の
ような保護主義が悪い」と原因を喝破できればよかったのですが、そうではな
くて「金持ちがけしからん」「マルクスのいったとは本当だ」という意見が勝
って、社会主義的な勢いが強くなり、世界中が国家統制への動きが加速してい
きました。当時、ソ連は共産主義で大粛清の真っ最中むでしたし、ドイツで台
頭したナチスもまさに「国家社会主義労働者党」だった。日本でも、5・15事件
にせよ2・26事件にせよ、それを起こした連中の考え方は「社会主義」でした。
彼らの考え方は、「天皇陛下は自分たちが担いで、上流階級をやっつけろ。資
本主義も何も要らない」というものでした。これが、結局日本を戦争に引き込
みました。当時の経済学者が「悪いのは保護主義だ」という世論をつくってい
れば、要人を暗殺するような事件は起こらなかったと思うのです。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


渡部昇一氏が、いつも何を考えているかは、この会話から、一目瞭然だが、そ
れは「国家統制=悪」「自由放任=善」という単純な二元論である。それが、渡
部昇一氏の「共産主義」や「社会主義」への恐怖に満ちた嫌悪へとつながって
いる。したがって、たとえば「国家」が経済に口出しをし、管理や規制、保護
を強めることを、「悪」として退け、ひたすら「自由」であることが、素朴に
肯定されていることが分かる。しかし、「自由」を維持し守るためにも「国家
」の管理や規制や保護は必要なのだが、そうした「自由主義」を守るための「
国家統制」には関心はないらしいのが、不思議なところである。「小泉・竹中
構造改革」は、市場原理主義という自由主義を実現するために、国家権力とい
う様々な暴力装置を発動して、強引に日本の社会構造を解体し、崩壊させてい
ったわけだが、その場合の「国家暴力」は、放置していいものらしい。ところ
で、渡部昇一氏が信奉するハイエク教授は、共産主義や社会主義と同様に、自
由を抑圧する経済学として「ケインズ経済学」を厳しく批判し続けた人だが、
渡部昇一氏もまた、「ケインズ経済学」の批判者なのだろうか。それならば、
「共産主義」や「社会主義」「ナチス」「5・15事件や2・26事件の首謀者」と
並べて、「ケインズ経済学」も、一緒に批判してもらいたい。そうすれば、渡
部昇一氏の思考が、さらに明確になるはずである。つまり渡部昇一氏の思考は
、単なる素朴な自由主義、自由貿易主義、市場原理主義、言い換えれば、素朴
な古典派経済学の焼き直し、あるいは大正教養主義の劣化コピー…に過ぎない
ということが、誰の目にも明らかになるはずである。渡部昇一氏が、今になっ
て、竹中平蔵氏と意気投合した上で、「小泉・竹中構造改革」なるものを必死
で擁護しなければならない理由が分かろうというものだ。渡部昇一氏も、これ
以上、耄碌したトンチンカン発言を繰り返す前に、竹中平蔵氏や小泉純一郎氏
にならって、そろそろ退場なさった方がいいのではないのか。しかし、それに
しても、こんな渡部昇一氏が、昨今は、「保守論壇の重鎮」だというのだから
…。

2009-07-20
■自民党よ、御用文化人と手を切れ!!!


今度の衆院解散・総選挙における自民党の惨敗、そして自民党の下野、民主党
への政権交代はほぼ確定的になってきたわけだが、ここに来て、当然のここと
はいえ、自民党で内部崩壊の危機が囁かれるようになってきたが、僕は、崩壊
するものはどんどん崩壊し、分裂したいものはどんどん分裂すればいいし、新
党結成したいものはどんどん新党結成に走ればいい、と思う。自民党は、いま
こそ無駄な贅肉をそぎ落とし、身軽になり、そして最後まで自民党に残った精
鋭部隊を中核に、再出発するべきである。そうすれば、自民党の再生はそんな
に難しくないはずである。その前に必要なことは、保守論壇や保守ジャーナリ
ズムに棲息する「御用文化人」と手を切ることである。頭の悪い「御用文化人
」たちの愚にもつかない政治漫談なんぞに、付合っている暇があったら、地元
に帰り、選挙民の話でもじっくり聞いていた方がいい。一回か二回の落選にめ
げず、がんばってもらいたい、と思う。


2009-07-19
■保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた。


自民党を現在の崩壊的危機に導いたのは、自民党を甘やかし、それと同時に自
民党の政治家たちに迎合し、ひたすらゴマスリを続けてきた保守論壇の御用文
化人たちだが、ささしずめ渡部昇一はその筆頭だが、東條英機について、こう
書いている。


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東條さんが陸軍次官になったのは昭和十三年(1983年)ですから、支那事変勃発
の翌年です。ですからここで注目しておきたいのは、東條さんは、支那事変が
起こったことには何の責任もないということです。支那事変はアメリカとの戦
争につながる一番の大きな要因ですが、それには東條さんは何の関係もなかっ
たということは指摘しておくべきでしょう。それから昭和十一年(1936年)の日
独防共協定にも、昭和十二年(1937年)の日独伊三国防共協定にも関係しません
。全く関係がなかったということを強調しておかねばなりません。(『東條英機
 歴史の証言』)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


渡部昇一の『東條英機 歴史の証言』は、こういう言葉に溢れているが、こう
いう言葉が、何を意味しているかは、渡部昇一には分かっていないようだが、
明らかである。昭和十五年の陸軍大臣就任から昭和十九年総理大臣辞任までの
四年間、東條英機は、政権の中枢にいたわけだが、肝心の戦争責任、ないしは
政治的責任は東條英機にはないと、渡部昇一はいっているわけだが、それなら
、渡部昇一は、何故、戦争責任も政治責任のない東條英機をわざわざ取り上げ
るのか。東條英機は無罪だと言いたいのか。そしてついでに、渡部昇一は、日
本も無罪だと言いたいのか。東條英機は、東京裁判法廷で、今次の戦争は、「
自存自衛の戦争だった」と主張したらしいが、渡部昇一も、それが言いたいら
しい。次のようなことも言っている。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
しかし日本の場合はナチス・ドイツとは異なり、一つの党の党首が独裁的にす
べてを計画し遂行したわけではない。東京裁判の範囲に入れられた最初の年で
ある昭和三年(1928年)から、日本の内閣や方針はしばしば変更され、しかもそ
の変更はたいてい受動的に体外的情勢に応じたものであった。
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渡部昇一が何が言いたいのかは、ここでほぼ分かるが、渡部昇一は、馬鹿正直
に、さらに次のように言って、念押ししている。


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大陸政策はコミンテルンの暗躍に応ずるものであり、満州国誕生後は清朝の最
期の皇帝であった溥儀が日本公使館にころがりこんだことから始まった。日本
の経済的苦悩はホーリー・スムート法によるアメリカの保護貿易、それに続く
イギリスのブロック経済圏(アウタルキー)のためである。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
 

これでは、我々の父母の世代は、大東亜戦争において、徹底して無能で無策だ
ったと言っているようなものだが、渡部昇一は、そうは思わないらしい。さら
に次のように言っている。


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シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものであ
る。その事変が日本陸軍の切なる願いにもかかわらず終息しなかったのは、ソ
連、アメリカ、イギリスが中立国の度を越え、シナに対し、参戦同様の支援を
したからであった。
アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、
日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追い詰められたから余儀なくされたの
である。すべて日本のやったことは受動的反応であった。
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「コミンテルンが…」「アメリカが…」「イギリスが…」「ソ連が…」「中国
が…」、次々と謀略を仕掛けてきた…、そして日本は悪くなかった…、日本は
仕方なく戦争に巻き込まれただけだ…、ということだろうが、そもそも戦前の
日本人は、そんなに無知・無能だったのか。「世界革命」を目指すコミンテル
ンや、独立を目指す中国、そして米、英、ソが、新興の帝国主義国家・日本を
、様々な謀略を駆使して追い詰めていくことは当然ではないか。それに対して
、「英米中心主義を排す」と言い、「大東亜共栄圏」構想を宣言し、そして「
我が帝国陸海軍は、米英を相手に戦闘状態に入れリ…」という臨時ニュースを
聞き、「来るべきものが来た」と興奮し、歓呼し、必勝を誓ったのは、日本国
民ではなかったのか。しかし、渡部昇一が言いたいことは、東條英機を筆頭に
、戦前の日本人は、無能無策な、そして清く、正しい、美しい「弱者」だった
、ということだろう。つまり、渡部昇一が言いたい事は、僕なりに言い換える
と、戦前の日本国民は馬鹿だった、だから許してください、ということだろう
。少なくとも、渡部昇一の思考法は、ニーチェが言う「力の政治学」、あるい
は「力の哲学」「超人の思想」とは対極にある思考法と言うべきだろう。こう
いう「弱者の政治学」を恥ずかしげもなく、というより得意になって公言する
人が、保守論壇や保守ジャーナリズムの「重鎮」だというのだから、保守論壇
や保守ジャーナリズムが劣化・退廃し、そしてその保守論壇や保守ジャーナリ
ズムの言説を熟読し、その影響を受け、「弱者の政治学」に落ち込んだ自民党
が、自滅・自爆するのは当然だろう。「弱者の政治学」を自ら公言するような
ホンモノの軟弱な「弱者」してきたことは、すでに何回か検証したから、繰り
返さないが、渡部昇一の中心的な仕事と言えば、おそらく「英語学」とか「英
語学史」というようなものではなく、やはり「昭和史」なのではないかと思う
。渡部昇一が、どれだけ「昭和史」なるものを深く広く探求、解明しているか
は知らないが、渡部昇一の「昭和史」は、一種の政治漫談としては面白いが、
とても思想史や政治学、歴史学、あるいは国際政治学の問題として扱うにはは
ばかれるようなシロモノである。僕は、今、手元に『東条英機 歴史の証言』(
詳伝社、平成18年)と『昭和史 松本清張と私』(ビジネス社、2005年)の二冊を
置いているが、渡部昇一の「昭和史」は、簡単にまとめるならば、「受動史観
」だと言っていいと思う。「受動史観」とは、悪いことは、全部、他人の責任
に転嫁し、「自分は悪くない」「日本は悪くない」と言いつつ、「中国が悪い
」「ロシアが悪い」「アメリカが悪い」…そして「日本は仕方なく戦争に巻き
込まれただけだ」と言うような「子の論理」、あるいは「被害者の論理」、つ
まり「負け犬の遠吠え」的史観である。僕は、そこのところに渡部昇一的「昭
和史」の思想的弱点、あるいは昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延し
ている思想的弱点があると思う。渡部昇一の「昭和史」やマンガ右翼・小林よ
しのりの『戦争論』を適当に「いいとこ取り」して、それをアレンジしたのが
、田母神俊雄の『日本は侵略国家か』というエッセイらしいが、それも、渡部
昇一同様の、同じような思想的弱点を内包していることは言うまでもないし、
また一時的とは言え、「田母神俊雄ブーム」なるものを巻き起こした保守論壇
や保守ジャーナリズムの思想的限界も、そして今や解党的危機に追い込まれ、
断末魔の迷走を続ける自民党の、安倍晋三や中川昭一等を筆頭とする「真正保
守派」(笑)の政治家たちの思想的限界も、明らかである。


■昨日、JR総連学習会で講演。


昨日、品川区大崎の某所で、全国から集まったJR総連の幹部たちを前に、「
沖縄集団自決問題と保守論壇」というテーマで講演…。JR総連(全日本鉄道労
働組合総連合会)と言えば、僕の世代だと、すぐに「クロカン」や「革マル」、
あるいは「松崎氏」のことを連想して、労働組合とは言っても、左翼過激派的
なイメージが強いが、僕は労働組合運動の現場をよく知らないので間違ってい
るかもしれないが、今ではだいぶ穏健な労働運動組織になっているようだ。と
ころで、僕は、「沖縄集団自決」における曽野綾子や小林よしのりの言論活動
を一つのケーススタディとして、「保守論壇は、いまや、マンガ論壇と化して
いる。」「自民党が自滅しようとしているが、それは保守論壇の劣化と深く連
動どうしている。」「そもそも社会党が自滅したのも左翼論壇の劣化と無縁で
はなかったはずだ。」「保守論壇の活性化のためにも労働組合は頑張ってもら
いたい。」というような話をしたが、若い現役の労働運動の闘士たちが、僕の
話を、どのようにう受け止め、どう理解してくれたかは、当然のこととはいえ
、かなり微妙なのわけだが、むしろ最近の、マンガしか読まないような愚鈍な
保守青年や保守老人たちよりも、つまり難解な本を読むのが苦手な保守系の者
たちよりも、左翼理論雑誌「情況」を傍線を引きながら読んでいる若者もいて
、思想的には遥かに生き生きとしていたように思った。例によって例の如く、
日教組批判や自治労批判を「馬鹿の一つ覚え」のように繰り返している、つま
り物事を深く考えたことのない最近の「保守論壇や保守ジャーナリズム」のワ
ンパターンの言説にはウンザリする。そう言えば、先週、土曜日、日本保守主
義研究会の季刊誌「澪標」編集長で、京都大学博士課程に在学中の早瀬善彦君
が上京中で、会いたいという電話をいただいたので、またまた高田馬場の某居
酒屋での岩田温君(拓大客員教授)を中心とする「日本保守主義研究会」の若者
たちの飲み会に後から参加させてもらったが、彼等は、実に勉強熱心で、学問
的にも思想的にもかなり深く且つ広く、いわゆる昨今、巷に溢れている無知無
学を絵に描いたような「保守青年」や「保守老人」とは、同じ保守とは言って
も、相当に隔たっている。「左翼も嫌いだが、最近の馬鹿保守も嫌いだ・・・
」という彼等に、硬直して思想的にも堕落した昨今の保守論壇の「死と再生」
を、つまり「保守論壇や保守ジャーナリズムの活性化」を期待したいものであ
る。

2009-07-22
■西田幾多郎と大東亜戦争


渡部昇一氏や田母神俊雄氏は、さかんに「日本は侵略戦争をしたのでない」「
大東亜戦争は自存自衛の戦争だった」と言おうとしているようだか、そしてマ
ッカーサーの米議会での発言まで持ち出して来て、それを論証しようとしてい
るようだが、はたして、その「自存自衛戦争論」で、日本の「名誉」は、回復
すると、本気で考えているのだろうか。もしそう考えているとしたら、それこ
そ自虐趣味ならぬ、自虐史観そのものと言わなければならないのではないのか
。たしかに東條英機は、大東亜戦争を、「自存自衛の戦争」と考えていたかも
しれない。しかし、東條英機以外の軍人や政治家、思想家、そしてその他の多
くの国民が、あの戦争を、「自存自衛の戦争」という消極的な意味で、解釈し
、理解し、納得していたであろうか。戦前の日本人は、英米帝国主義と戦闘を
交えるにあたって、まったく無為無策だっただろうか。次の文は、哲学者・西
田幾多郎の文であるが、この文は、表に出ることも、戦後の西田幾多郎全集に
収録されることもなかったとはいえ、よく知られている文である。


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世界新秩序の原理

要旨

真の世界平和は全人類に及ぶものでなければならない。しかるにかかる平和は
、世界史的な使命を自覚せる諸国家、諸民族が、先ず地縁及び伝統に従って一
つの特殊的世界即ち共栄圏を形成し、更に共栄圏が相協力して真の世界即ち世
界的世界を実現することによってしか到達されない、そしてかかる共栄圏の確
立及び各共栄圏の協力による世界的世界の実現こそは、現代の担っている世界
史的課題である。

大東亜戦争は、東亜諸民族がかかる世界史的使命を遂行せんとする聖戦である
。歴史が炳として示す如く、飽くなき米英の帝国主義は東亜諸民族を永く足下
に蹂躙してその繁栄を阻止し来った。この米英帝国主義の桎梏を脱し、東亜を
東亜諸民族の手に回復する道は、東亜諸民族自らが、共通の敵米英帝国主義の
撃滅、根絶を期して結束する以外にない。すなわち大東亜戦争を完遂して東亜
を保全し、東亜共栄圏を確立して共栄の楽を偕にすることが、現代東亜諸民族
の第一の歴史的課題である。

今や志しを同じうする独、伊、その他の諸国は欧州の天地に新秩序を建設すべ
く勇敢に闘っている。亜欧両州におけるこの二大事業の完成する秋、真の世界
平和を招来すべき世界的世界は実現するであろう。東亜共栄圏を通じて世界的
世界の実現に努力すること、これが東亜諸民族の第二の歴史的課題である。

<解説>

世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、歴史的必然を以って推移する

 今ヨーロッパの最近世について見るに、一八世紀は個人的自覚の時代、いわ
ゆる個人主義、自由主義の時代であった。一八世紀に於いては未だ一つの世界
的空間に於いての国家と国家の対立というまでに到らなかった。大局から云え
ば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう。
しかるに一九世紀の世界的空間に於いて、ドイツがフランスとが対立し、更に
進んで植民地を含む一層大いなる世界的空間に於いてドイツとイギリスとの一
大勢力が対立するに到った、これが前世界大戦の原因である。一九世紀は国家
的自覚の時代、即ち国民主義の時代であった。しかしながらこの国家主義には
、未だ国家の世界史的使命の自覚がなかった。従って一九世紀の国家主義は帝
国主義となって発展した。即ち、各国民が、何処までも他を従えることによっ
て自己自身を強大にすることが、歴史的使命と考えられたのである。

 しかるに、国家に世界史的使命の自覚なく、単なる帝国主義の立場に立つ限
り、資本主義的傾向を採らざるを得ないのであり、従ってまた階級闘争の出現
を免れない。一九世紀以来の世界が、帝国主義の時代たると共に階級闘争の時
代でもあった所以である。しかしながら、階級闘争を主張する共産主義は一面
に於いて全体主義ではあるが、その原理は、一八世紀の個人的自覚による抽象
的世界理念の思想に基づくものである。思想としては、一八世紀思想の一九世
紀的思想に対する反抗と見ることもできる。故に共産主義は今日に於いては、
帝国主義と共に過去に属するものであり、従って新たなる世界史を形成する指
導原理たる資格を喪ったものである。全体主義はかかる指導性を喪った帝国主
義及び共産主義に対する反撃であって、一方帝国主義の侵略に抗すると共に他
方共産主義による内部攪乱に備えんとしたものである。全体主義が国民の全体
性を強く主張したのはその為である。

 今日の世界は、世界的自覚の時代である、各国民が、各自世界史的使命を自
覚することによって、一つの全く新しき時代、換言すれば、世界史的世界即ち
世界的世界を構成しなければならない時代である。前世界大戦の終了と同時に
世界は現にこの段階に入ったのである。今次の世界大戦はその発展たるに過ぎ
ない。

 過去の世界に於いては、各国家各民族は、地理的制約の為に十分連絡づけら
れていなかった。しかるに科学の進歩は交通の発達を促がし、その結果今日に
於いては、近接する諸国家諸民族が一つの世界的空間に於いて緊密なる関係の
置かるるに到った。かかる世界的空間に於いて強大なる国家と国家が対立する
場合、世界は当然激烈なる闘争に陥らざるを得ない。そしてこれを解決する途
は、各国家が世界史的使命を自覚し。各自自己に即しつつ自己を越えて一つの
世界的世界を構成する以外ない。現状を以って国家民族の世界的自覚の時代と
いう所以である。

 注=特に民族と云うは、蒙古、仏印、ビルマ、フィリッピン、印度及び南方
諸民族を考慮せるためである。

 しかしながら各国各民族が自己に即しつつ自己を越えて一つの世界を構成す
ると云うことはウィルソンの主張せる国際連盟に於いての如く、各民族の現実
的能力を考慮せずして、何れの民族に対しても一律平等に独立を与えんとする
ことではない。凡ての民族に対し無差別平等に独立を与えることは、却って民
族の為に考えざるものである。如何にして弱小民族を育成するかが問題である
。かかる民族主義の考える世界は十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。か
かる思想によって現実的課題の解決の不可能なることは、今次の世界大戦が証
明するところである。

 事実に於いて、凡ての国家凡ての民族は、いづれも固有の歴史的地盤に成立
したものであり、従ってそれぞれ固有の世界史的使命を有するものでなければ
ならない。そこに各国家各民族が各自の歴史的使命を有するのである。故に各
国家各民族が一つの世界的世界を構成するということは、国家及び民族が各自
に即しつつ自己を越えて、それぞれの地域、伝統に従って先ず一つの特殊的世
界即ち共栄圏を形成し、斯くて歴史的地盤から構成された特殊的世界が相結束
して、更に一つの世界的(世界全人類を含む世界)を構成することである。か
かる世界的世界に於いては、各国各民族が各自の個性的生命に生きると共に、
自己の構成する特殊的世界(共栄圏)を通じて、一つの世界に結合するのであ
る。これが今次の世界大戦によって要求される世界新秩序の原理でなければな
らない。

 今次世界大戦の課題が斯くの如きものであり、世界新秩序が斯くの如きもの
であるならば、東亜共栄圏の原理も自ら此から出てこなければならない。従来
東亜諸民族は米英の帝国主義の為に蹂躙せられ、各自の世界的使命を奪われて
いた。今や大東亜戦争と共に、東亜諸民族は何れもその世界史的使命を自覚し
、各自自己に即しつつ自己を越えて一つの特殊的世界、即ち東亜共栄圏を構成
し、以って真の平和を招来すべき世界的世界を実現しなければならない。日本
民族は、世界的使命の自覚における先進であり、大東亜戦争はこの世界史的使
命遂行の烽火である。日本民族が、一億一心如何なる犠牲をも恐れず、国運を
賭して戦争遂行に直進しつつあるのは、東亜共栄圏の確立が、アジアを救うと
共に、全人類に光明を与うるものであることを確信するからである。然しなが
らこの確信は単に我等日本人だけではない。我等の声に応じて、欣然大東亜戦
争に参加した東亜諸民族に於いて共通である。

 更にまたドイツ、イタリアを始め枢軸側諸国は、ヨーロッパ新秩序を建設す
る為に勇敢に戦いつつある。ヨーロッパ新秩序の完成と共に、世界新秩序の完
成に寄与するものであることは疑いを容れないのである。

 重ねていう、大東亜戦争に伴う東亜共栄圏の確立は、一つの新しき世界、換
言すれば世界史的世界の形成に到る第一過程である。皇道を表明する八紘為宇
の理念は、かくて世界的世界形成即ち世界史的世界形成の原理として理解され
るのである。世界史的世界形成主義即ち新世界主義こそは、米英帝国主義を克
服する使命を担うものである。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 この西田幾多郎の一文は、陸軍の求めに応ずる形で書かれたものらしいが、
しかし、あまりにも難解であったが故に、それを東條英機等が理解できず、ボ
ツにされたものらしいが、ここで西田幾多郎は、決して、消極的な、「自存自
衛の戦争」というような意味での戦争論などを展開しているわけではない。西
田幾多郎は、明確に、この戦争は「世界史的使命」を帯びている「世界新秩序
の形成」を目指す積極的な意味での戦争であると捉えている。おそらくそれは
、西田幾多郎だけではない。大川周明も、蓑田胸喜も、そしてその他多くの日
本人が、多少の違いはあれ、そう考えていたに違いないのだ。渡部昇一氏や田
母神俊雄氏等の考える「自存自衛戦争論」の政治学が「弱者の政治学」なのに
対して、西田幾多郎等のそれは、明らかに「世界新秩序」の形成を目指す「強
者の政治学」、言い換えれば、江藤淳の言う「治者の政治学」だと言っていい
。だから米英帝国主義主導の「東京裁判」で、パールやマッカーサーを持ち出
して、無罪を主張することは間違いであり、むしろ堂々と「有罪」をこそ主張
すべきだったのである。
http://archives.mag2.com/0000261052/





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2018-02-27
なぜネットで「在日認定」が行われるのか─ステレオタイプ論と群衆心理から
http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2018/02/27/210121

1.はじめに

2018年現在、ネット内では現在右翼と左翼が活発に戦っている。ツイッターや5chを見たことがある方は経験した、あるいは目にしたことがあると思われる。そんな中、右翼側の「一部」が国内で何か事件が起こるたびに根拠なく犯人を在日韓国・朝鮮人と認定する行為(在日認定)がたくさん見られる。この記事では在日認定がなぜ行われるかを考えていきたい。繰り返すがあくまで右派の「一部」が行っている行為であり、右派全員がこのような差別的言動を行っているわけではないとご了承願いたい。

2.「在日」というステレオタイプ─W.リップマンの『世論』から

初めに結論を言うと在日認定は一種のステレオタイプの「防御」である。ステレオタイプに関しては政治学者・社会学者のW.リップマンが著書『世論』で解き明かしているのでそれを元に論及していきたいと思う。ステレオタイプとは、北海道大学教授の山口二郎の言葉を引用すると


様々な情報が氾濫する今日、人はメディアを通してしか事物を知ることはできない。そして、普通の市民は事物について多様な情報を吟味し、正しく事物を知るだけの余裕を持たない。メディアが伝えるイメージが固定化し、人は思考を省略してそのようなイメージに基づいて認識、判断を行うようになる。そのような固定化されたイメージをステレオタイプと呼ぶ。

とのことである。

この固定化されたイメージ=ステレオタイプは誰にでも持っているものであり、特段に右翼が〜とか左翼が〜とかの話ではない。例えば台湾は親日である、というのもステレオタイプの一つである。台湾人の中にも日本の支配を憎んでいた人もいる。日本のゲームはグラフィックが劣る、というのもこれもまたステレオタイプである。大金をかけて作られた美麗なグラフィックのゲームも存在するからである。

では、なぜステレオタイプは生まれるのだろうか。リップマンは『世論』でこう説明する。


われわれは一定の観念を通して外界の光景を観察する。当然、このような観念と外界の光景を結びつける何かがある。例えば、急進派の会合には長髪の男性や断髪の女性が一部いるとするというような場合である。しかし、時間に追われる観測者には、観念と外界にほんの少し関連があれば充分である。こうした会合には断髪を好む人達が集まるということを予め知っている記者にとっては、断髪が二人、ひげ面が四人もいれば、断髪とひげの聴衆だったと報告するだろう。

このような事情には経済性という問題が絡んでくる。あらゆる物事を類型や一般性としてでなく、新鮮な目で細部まで見ようとすれば非常に骨が折れる。まして諸事に忙殺されていればなおさらであるし、現代社会は多忙を極めている。このリップマンのあげた例によれば、急進派の会合における観測者は僅かな事例(断髪とひげ面)をもって、全体を把握しようとした。例外的な事例を元に全体を捉えるのは「思考」という労力の節約になる。もし細部まで捉えようと思えば観測者の思考の労力は極限にまで達し、その思考のために長い時間も要する。しかしリップマンが言うように現代社会はそんな時間もないし、労力を傾ける余裕もない。そこで、ステレオタイプを使うのである。

もう一つ例をあげよう。国内である事件が起きた際に、被害者や犯人のことをイチから知ろうと思えばその労力は大変なものになる。そのときに我々は自分のよく知っている類型を指し示す特徴を現実世界から見つけ出し、ステレオタイプを使って、現実世界を理解するのである。そう、「犯人は在日だ」というように。この論理には、実際に在日韓国・朝鮮人が犯罪を犯したという過去の実例も使われる。つまり、先のリップマンの引用によれば、過去に在日韓国・朝鮮人が犯罪を犯した、という事例を用いて、在日=全員犯罪者と拡大解釈してるのである。詳しくはこちらの記事も参考にしてほしい。


peoplesstorm.hatenablog.com

更にリップマンはこうも述べる。


ステレオタイプの体系は、秩序正しい、ともかく矛盾のない世界像であり、われわれの習慣、趣味、能力、慰め、希望はそれに適応してきた。それはこの世界を完全に描ききってはいないかもしれないが、一つのありうる世界を描いておりわれわれはそれに順応している。そうした世界では、人も物も納得の行く場所を占め、期待通りのことをする。この世界にいれば心安んじ、違和感がない。(…)こうした状態であるから。ちょっとでもステレオタイプに混乱が生じると、宇宙の基盤が襲撃されたように思えるのも不思議な事ではない。

現実の社会は非常に騒々しいものだ。毎日何らかの重大な事件が起きる。交通事故の死亡者数を見ると、我々は交通事故で今日死ぬかもわからない。だがそんなことを考えもせず平穏に一日を送れるのはステレオタイプのおかげなのである。この場合のステレオタイプとは「日本は安全な国だ、私は犯罪にあわない、まさか交通事故で死ぬなんてありえない云々」というものである。このステレオタイプのおかげで我々は「寝ているときにいつ強盗に襲われるか」とか「いつ後ろを歩いている通行人に刺殺されるか」などを気にしなくても生きていけるのである。一部の右翼による在日認定はまさにこれに依拠している。彼らの思い描く日本には「絶対的に正しい国だ、安全な国だ、日本人は他民族(特に朝鮮人)より優れているからそんな凶悪な犯罪事件などを起こすことはない。」というステレオタイプがある。そんな彼らにとって日本国内で日本人による犯罪が起きるのは不都合なことである。ステレオタイプに反するものだからだ。そうしたときに現れるのが犯人の在日認定なのである。つまり、在日韓国・朝鮮人を犯人とすることで、先に述べた日本という国に対しての己のステレオタイプを「防御」するのである。そうさえすれば、彼らは自分の思い描く「日本」というイメージを壊さずに済み、安寧に暮らしていける。

さて、リップマンによれば、もし現実の経験がステレオタイプと矛盾するときは、2つのうちいずれかが起こるという。一つには自分のもっているステレオタイプを再編成するのがきわめて不都合な場合、その矛先を「例外」であると鼻であしらい、証人を疑い、どこかに欠陥を見つけ、その矛盾を忘れようとする。もう一つには、新しい経験を柔軟に脳に取り組み、ステレオタイプの再編成を図る。例えばツイッターなどでは「元ネトウヨです。在日認定などはもうしません」という方もたくさんいるし、私も中学生の時は過激なネトウヨであった。このような人たちは後者のステレオタイプの再編成を図った者たちである。一方、在日認定をする者たちは前者であり、彼らは事件の犯人が日本人だったとしても「それは例外である」として彼らのステレオタイプは「防御」されるのである。このステレオタイプの防御は日本の右翼だけが用いるのではない。アメリカの白人至上主義者たちは事件が起こると、犯人は確かに見た目は白人だが黒人の血を引いているに「違いない」と言って、彼らのステレオタイプ=白人は優秀で犯罪も犯さない、を守ろうとするのである。世界中のあらゆる人達がそれぞれのステレオタイプをもって日常生活を送っている。韓国人の中にも日本も含めた世界の優れた人物は実は朝鮮民族の血を引いている、と唱える集団がいる。これも韓国人=優秀というステレオタイプを用いているのだろう。

もし我々がある物事を真実であるはずだと信じているならば、それが真実であるという例証か、でなれければ真実にきまっていると思っている人間をほとんどかならず見つけ出す。また、具体的な真実がある希望を意味しているときは、この真実を正当に評価することは極めて難しい。在日韓国・朝鮮人=犯罪者という「真実」を捉える者がその例証を見出し、同じように真実だと思っている人をツイッターで見出すのは実に容易い。右翼同士のコミュニティで在日韓国・朝鮮人=犯罪者という「真実」は彼らのやりとりの中で徐々に増幅され、いつしか決定的な真実として扱われるのである。『世論』ではこう述べられている。


一つのことを激しく憎悪するとき、われわれはそれを原因、あるいは結果として、自分たちが激しく憎んだり恐れたりしているほかのほとんどのものに直ちに結びつけてしまう。そうした物事同士は、天然痘と酒場、相対性理論とボルシェヴィズムがまったく関係がないのと同じように無関係である。それにもかかわらず同じ感情を呼び起こすという点で結び付けられている。

感情次第で何でもが他の何でもと関連付けられる。在日韓国・朝鮮人を憎む者はそのとき、全く関係ない「犯罪者」というイメージを呼び起こす。犯罪者と在日韓国・朝鮮人は全く関係がない。それは犯罪者と日本人が関係ないのと同じである。しかしそれにも関わらず、犯罪者も在日韓国・朝鮮人も悪という感情を呼び起こすからといって、結びつけてしまう。*1リップマン曰く─「真の空間、真の時間、真の数、真の関係、真の重さは失われている。出来事はその展望も面も削り取られて、ステレオタイプのなかで凍結させられている」─と。結局のところ、我々は一切は悪いことばかりの体系、さもなければ善いものばかりの体系の中に織り込まれてしまっている。在日韓国・朝鮮人は全くの悪だと捉える体系、逆に在日朝鮮人は全くの善だと捉える体系。これらの体系から抜け出し、真実の在日韓国・朝鮮人を見るというのは非常に労力を使い困難である。些細な出来事がすぐに全体と結び付けられて真実とされる。

ここまでをまとめると、在日韓国・朝鮮人が特に犯罪を犯すというイメージはステレオタイプである。右翼の一部はこれらの在日=悪というステレオタイプを使い、日本=絶対的に安全かつ優れた国というステレオタイプを守っている(防御している)。ステレオタイプは誰でももっているものであり、現代社会という極めて複雑かつ多忙な社会では必要不可欠なものとなっている。くわえてステレオタイプは人種差別や性差別に使われやすい。しかし、我々はステレオタイプがあるからこそ、色々なことに思考の労力を取られず生きていけるのである。在日朝鮮人が犯罪者という一部の者が信奉する「真実」は、ツイッターや5ch内の同じような意見を持つ者の中で純粋培養され、いつしか(彼らには)絶対的な真実として捉えられる。このような働きの中で、右翼の一部内で在日=悪という彼らにとっての「真実」は永劫不滅のものとして君臨するに至ったのである。もちろん、これらのステレオタイプは「南京事件はなかった」とか「731部隊はでっちあげ」などとしても用いられる。人はみな自らのステレオタイプ─それが良くも悪くも─の中で生きる生物なのである。

3.「群衆」としての右翼─ル・ボンの『群衆心理』から

前章ではリップマンのステレオタイプ論から在日認定を説明した。この章ではギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』から在日認定を説明したい。

群衆とは任意の個人の集合を指していて、その国籍や職業や性別の如何を問わない、また個人の集合する機会の如何を問わない。ル・ボンは言う。


ある一定の状況において、かつこのような状況においてのみ、人間の集団は、それを構成する各個人の性質とは非常に異なる新たな性質を具える。すなわち、意識的な個性が消え失せて、あらゆる個人の感情や観念が同一の方向に向けられるのである。(…)その時この集団は、ほかにもっと適当な言い方がないので、組織された群衆、いや何なら、心理的群衆とでも名付けよう。

更にル・ボンによれば、心理的群衆の示す最も際立った事実は、次のようなことである。すなわち、それを構成する個人の如何を問わず、その生活様式、職業、性格あるいは知力の類似や相違を問わず、単にその個人が群衆になり変わったという事実だけで、その個人に一種の集団精神が与えられるようになる。

在日認定を行う右翼達は一種の心理的群衆なのではないかと私は考えている。右翼(もちろんこれは左翼などの他の集団も同じであるが)という群衆にあっては、もう自分の行為を意識しなくなる。ある暗示を受けると、それにかられて、抑えがたい性急さで

ある種の行為を遂行しようとする。ル・ボンによれば下記のとおりである。


(群衆は)暗示と感染による感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが群衆中の個人の主要な特性である。群衆の中の個人は、もはや彼自身ではなくて、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。

つまり、孤立していたときは恐らく教養のある人であったろうが、ツイッターの「◯◯クラスタ」という(インターネット的)群衆にいざ加わってしまうと、ル・ボンが言うように「本能的な人間、従って野蛮人と化してしまうのだ(…)熱狂的な行動や英雄的な行動に出る」のである。言葉や心象(イマージュ)によって動かされやすく、自身の極めて明白な利益をもそこなう行為に扇動されやすくなる。

ツイッターでは人種差別や外国人排斥を公然と唱える者が後を絶たない。これはある面ではインターネットの匿名性によるものだろうが、もう一つの側面にはル・ボンが言うような心理的群衆の効果があるのだと考える。つまるところ、ひとりひとりは温和な市民でも、それが集合して群衆(例えばネトウヨクラスタ、など)になると、数人の指導者(ネトウヨクラスタ内のアルファツイッタラー、または保◯速報のような極右的まとめサイト)に影響されて、外国人を差別したり、在日認定をしたりといったことをするようになるのである。歴史的な事例をあげれば、フランス革命時の熱狂的な群衆があげられるだろう。ひとりひとりはごく平凡な下層市民でも集まれば=群衆となれば、革命を起こす要因の一つまでになった。群衆の特徴は興奮しやすく、推理する力のないこと、判断力および批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなどが『群衆心理』のなかであげられているが、これらはインターネット上でよく見られるものだろう。繰り返すが、このような行動や状況は右翼に限ったものではなく、左翼もそうだし、色々な◯◯クラスタにも大いに当てはまると考えるべきだ。フォローやリツイートといった機能を持ちなおかつ匿名性のあるツイッターというツール自体が群衆を結成させやすいと考えることもできるだろう。

右翼的な群衆の中では在日が事件を起こすという「神話」が流布されている。それ故に事件が起こったときに安易に「あの犯人は実は在日」などと在日認定を行うのであるが、ル・ボンはこのような神話は集合した個人の想像力によって、事件が驚くべき変形を受ける結果としている。極めて単純な事件でも、群衆の目に触れると、たちまち歪められてしまう。群衆を構成するひとびとの気質が多種多様であるから、群衆がその目撃する何らかの事件に対する見方はまちまちであると思うのは早計である。群衆内の「感染」*2の結果、事件を歪めてみるという行為や意識は同じ性質、同じ意味になる。これをル・ボンは「集団的錯覚」と呼んでおり、この集団的錯覚は、正確に物を見る働きが失われ、かつ現実の事象が歪められるのだが、これはインテリにも当てはまる。インテリでさえ専門外のこととなるや、群衆の性質を帯びる、とされる。各自の有する観察と批判精神とが消え失せてしまうのだ。

ここまでを約言すると、インターネットは一種の心理的群衆 を作り出した。ツイッター内などで◯◯クラスタとして集まった者たちはある種の群衆的性格を持っている。今回の記事のテーマの「在日認定」に関しては、集団的錯覚、すなわち右翼の一部のクラスタが集まったり、またはその指導者であるアルファツイッタラー達やまとめサイトが現実の事件を歪めてそれを見て拡散し、群衆の中にそのような見方(在日差別など)=神話を「感染」させる。群衆は興奮しやすく、判断力などを欠いている。これは個人の特性のせいではなく、群衆という集団的なものに帰する。いくら温和なツイッタラーでも「右派」という群衆となれば平然と在日認定を行い、在日韓国・朝鮮人を差別するのである。何度も重ねていうが、この群衆的作用は右翼だけではなく、左翼などのあらゆるクラスタに関係があることである。この点をご理解願いたい。

4.終わりに

ツイッターや5ch内の在日認定について2つの点から今回は考察した。1つ目にリップマンのステレオタイプ、2つ目にル・ボンの群衆心理からである。どちらもおよそ100年以上前の、いわゆる「古典的名著」であるが、現代社会を解き明かす一つの道標になるのではないかと考えている。今回のテーマは「在日認定」のために必然的に右翼、または右翼的なものに批判的になったが、ステレオタイプ論は左翼、はてはヘヴィメタルクラスタなどにも当てはまるし、群衆心理にしても同じである。

ここで考察した2点だが、これはリップマンとル・ボンの著作をかいつまんでいるのであり、彼らの論理はもっと複雑かつ含蓄のある内容である。ブログの都合上(長くなりすぎると読んでもらえない等)、彼らの著作の重要箇所をピックアップし、引用した。もしこれらの論理が気になる方がいたら本を買ってみるのもいいだろう。どちらも文庫で簡単に手に入るのでおすすめである。

「私が一個の掟であるのは、ただ私に所属する者たちだけだ、私は万人にとっての掟ではない。」by ニーチェ著『ツァラトゥストラ』

万人のためではない、所属する者たちだけのための一個の掟。そうそれこそがまさにネット内で見られるステレオタイプなのだろう。

5.参考文献

W.リップマン著『世論(上)』・『世論(下)』

ギュスターヴ・ル・ボン著『群衆心理』

塩川伸明著『民族とネイション―ナショナリズムという難問』

以下駄文

内容的に右派を批判したが、個人的な意見では、右派がいうように国家に愛国心は必要であると考えている。生まれた国を愛するのがなぜ悪いのだろう、自然なことである。(もっともこれが近代の『国民国家』的思想であるのは留意すべきだが)

しかし在日認定や外国人排斥を訴えるのは愛国心ではなくレイシズムであり、それには同意できない。加えて右派の唱える新自由主義的な政策、または過激な反フェミニズム的言論にも全く同意できないが、かといって左派にも傾倒しきれない。これは良く言えば中道、悪く言えば宙ぶらりん・中途半端…。


*1:実際G.W.オルポートから、ステレオタイプは人種差別につながりやすいという指摘もある。

*2:ル・ボン曰く「群衆の思想、感情、感動、信念などは細菌のそれにひとしい激烈な感染力を備えている」と。
http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2018/02/27/210121


▲△▽▼

内田樹の研究室 2017.06.12「愛国的リバタリアン」という怪物


金滿里さんが主宰する劇団「態変」の出している『イマージュ』という媒体が「相模原事件」を特集した。そこに事件についてのコメントを寄稿した。なかなか手に取ることのない媒体なので、ブログに採録しておく。

相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは単に権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。

もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。

アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。

重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。

際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。

アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。選挙公約だったオバマケアの廃止は、それによって2400万人が医療保険を失うという予測が公表されて、さすがに与党共和党も加担できず、改廃法案を撤回するという騒ぎになった。アメリカの有権者はそのような人物を大統領に選んだのである。

これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカ社会においては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねに伏流していた考え方である。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。

「セルフメイドマン(self made man)」というのは建国以来、理想とされてきたアメリカ市民像だが、要するに誰にも頼らず独立独行で自己実現を遂げることである。「リバタリアン(libertarian)」というのは、その過激化したかたちである。

リバタリアンは、人間は自分の運命の完全な支配者であるべきであり、他者であれ公共機関であれ、いかなるものも自分の運命に介入する権利はないと考える。だから、リバタリアンは政府による徴税にも、徴兵制にも反対する。当然ながら、社会福祉のための原資の提供にも反対する。

ドナルド・トランプが徴税と社会福祉制度につよい嫌悪感を示すのは、彼がリバタリアンの伝統に連なっていることを示している。トランプは選挙期間中に対立候補から連邦税を納めていないことを指摘されて、「すべてのアメリカ人は納税額を最小化するために日々知恵を絞っている。私が連邦税を払っていないのは私が賢いからである」と述べて支持者の喝采を浴びた。これは別に露悪的な発言をしたわけではなく、ほんとうにそう思っているからそう言ったのである。彼に喝采を送ったプア・ホワイトたちは、自分たちとは桁が違う大富豪であるトランプの「納税したくない」というリバタリアン気質が「自分と同じだ」と思って、その発言に賛意を評したのである。

トランプは軍務の経験も、行政の経験もないはじめての大統領だが、それは軍務に就くことも、公共機関で働くことも、どちらもリバタリアンとしては「やらないにこしたことはない」仕事だからである。アメリカの有権者たちは彼の「公的権力を用いて私利私欲を満たすが、公益のためには何もしない」という態度がたいそう気に入ったのである。

今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。トランプのリバタリアニズムはこう言ってよければ「あっけらかん」としている。ロシアとの内通疑惑が暴かれたことによって、彼が「愛国者」であるかどうかについてはアメリカ人の多くが疑問を抱いているだろう。けれども、リバタリアンにおいて、愛国者であることは「アメリカ人的であること」のための必要条件ではない。国家や政府などというものは「ない方がいい」というのが正統的なリバタリアンの立場だからである。

けれども、日本では公的立場にある人間は「国よりも自分が大事」というようなことを(心で思っていても)口には出さない。仮に、安倍晋三が所得税を払っていなかったことが発覚したとしても、彼は「私は賢いから税金を払わずに済ませた」という言い訳をしないだろうし、その言い訳に喝采を送る有権者も日本にはいないはずである。日本ではリバタリアンも愛国的なポーズをすることを強いられる。

だから、日本では「リバタリアンでありながら、かつ愛国的」という奇妙な生き物が生まれてくる。現代日本に跋扈しているのは、この「愛国的リバタリアン」という(「肉好きのベジタリアン」とか「気前のいい吝嗇漢」というような)形容矛盾的存在である。

一方において、彼らは自分が獲得したものはすべて「自己努力によって獲得されたもの」だから、100%自分の所有に属し、誰とも分かち合う気がないと断言する。同じ理屈で、貧困や疾病や障害や不運などによって社会的弱者になった者たちについても「すべて自己責任で失ったもの」であるので、そのための支援を公的機関に求めるのは筋違いであると主張する。

ここまではリバタリアン的主張であるが、日本の「愛国的リバタリアン」はこれに愛国主義(というより排外主義、外国人嫌い(ゼノフォビア))をぱらぱらとまぶして、社会的弱者というのは実は「外国人」であるという奇妙な社会理論を創り出す。ここが日本のリバタリアニズムの独特の歪みである。

日本型リバタリアンによると、社会的弱者やあるいは社会的弱者を支援する人たちは「外国人」なのである。仮に血統的には日本人であったにせよ、外国渡来のイデオロギーや理説に「感染」したせいで、「外側は日本人だが、中身は外国人」になっているのである。

だから、社会福祉や教育や医療などの活動に公的な支援を求める組織や運動は本質的には「日本の国益よりも、彼らが忠誠を誓っている外国の利益に奉仕するもの」なのだという妄説が出来上がる。生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、沖縄県知事は中国に操られているといった類のネトウヨ的妄説はその典型的なものである。

語っている本人もさすがにほんとうだと思ってそう言っているわけではいないだろうが、それにもかかわらず、彼らが「反政府的な人間=外国人」というスキームに固執するのは、彼らにリバタリアンに徹底する覚悟がないからである。

リバタリアンであれば、話はすっきりしている。貧乏なのも、病気なのも、障害者であるのも、すべては自己責任である。だから、それについては他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。

しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない。居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはできない。

その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。

相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。

だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。
http://blog.tatsuru.com/




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
19. 2019年1月02日 07:11:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210]
朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c19
コメント [政治・選挙・NHK255] 中国の肥やし 改ざん隠ぺいしながら続く安倍政権  赤かぶ
1. 日高見連邦共和国[11741] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 07:11:38 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[17]
ILC東北誘致を“拒否”し、中国に次期大型粒子加速器の建設権を売り渡し、
将来、中国発で次々となされる、素粒の新発見を指を咥えて眺めていればイイ。

私は、それでもいっこう構わない。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/635.html#c1

コメント [文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
153. 中川隆[-13242] koaQ7Jey 2019年1月02日 07:12:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210]
内田樹の研究室 2017.06.12「愛国的リバタリアン」という怪物


金滿里さんが主宰する劇団「態変」の出している『イマージュ』という媒体が「相模原事件」を特集した。そこに事件についてのコメントを寄稿した。なかなか手に取ることのない媒体なので、ブログに採録しておく。

相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは単に権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。

もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。

アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。

重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。

際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。

アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。選挙公約だったオバマケアの廃止は、それによって2400万人が医療保険を失うという予測が公表されて、さすがに与党共和党も加担できず、改廃法案を撤回するという騒ぎになった。アメリカの有権者はそのような人物を大統領に選んだのである。

これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカ社会においては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねに伏流していた考え方である。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。

「セルフメイドマン(self made man)」というのは建国以来、理想とされてきたアメリカ市民像だが、要するに誰にも頼らず独立独行で自己実現を遂げることである。「リバタリアン(libertarian)」というのは、その過激化したかたちである。

リバタリアンは、人間は自分の運命の完全な支配者であるべきであり、他者であれ公共機関であれ、いかなるものも自分の運命に介入する権利はないと考える。だから、リバタリアンは政府による徴税にも、徴兵制にも反対する。当然ながら、社会福祉のための原資の提供にも反対する。

ドナルド・トランプが徴税と社会福祉制度につよい嫌悪感を示すのは、彼がリバタリアンの伝統に連なっていることを示している。トランプは選挙期間中に対立候補から連邦税を納めていないことを指摘されて、「すべてのアメリカ人は納税額を最小化するために日々知恵を絞っている。私が連邦税を払っていないのは私が賢いからである」と述べて支持者の喝采を浴びた。これは別に露悪的な発言をしたわけではなく、ほんとうにそう思っているからそう言ったのである。彼に喝采を送ったプア・ホワイトたちは、自分たちとは桁が違う大富豪であるトランプの「納税したくない」というリバタリアン気質が「自分と同じだ」と思って、その発言に賛意を評したのである。

トランプは軍務の経験も、行政の経験もないはじめての大統領だが、それは軍務に就くことも、公共機関で働くことも、どちらもリバタリアンとしては「やらないにこしたことはない」仕事だからである。アメリカの有権者たちは彼の「公的権力を用いて私利私欲を満たすが、公益のためには何もしない」という態度がたいそう気に入ったのである。

今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。トランプのリバタリアニズムはこう言ってよければ「あっけらかん」としている。ロシアとの内通疑惑が暴かれたことによって、彼が「愛国者」であるかどうかについてはアメリカ人の多くが疑問を抱いているだろう。けれども、リバタリアンにおいて、愛国者であることは「アメリカ人的であること」のための必要条件ではない。国家や政府などというものは「ない方がいい」というのが正統的なリバタリアンの立場だからである。

けれども、日本では公的立場にある人間は「国よりも自分が大事」というようなことを(心で思っていても)口には出さない。仮に、安倍晋三が所得税を払っていなかったことが発覚したとしても、彼は「私は賢いから税金を払わずに済ませた」という言い訳をしないだろうし、その言い訳に喝采を送る有権者も日本にはいないはずである。日本ではリバタリアンも愛国的なポーズをすることを強いられる。

だから、日本では「リバタリアンでありながら、かつ愛国的」という奇妙な生き物が生まれてくる。現代日本に跋扈しているのは、この「愛国的リバタリアン」という(「肉好きのベジタリアン」とか「気前のいい吝嗇漢」というような)形容矛盾的存在である。

一方において、彼らは自分が獲得したものはすべて「自己努力によって獲得されたもの」だから、100%自分の所有に属し、誰とも分かち合う気がないと断言する。同じ理屈で、貧困や疾病や障害や不運などによって社会的弱者になった者たちについても「すべて自己責任で失ったもの」であるので、そのための支援を公的機関に求めるのは筋違いであると主張する。

ここまではリバタリアン的主張であるが、日本の「愛国的リバタリアン」はこれに愛国主義(というより排外主義、外国人嫌い(ゼノフォビア))をぱらぱらとまぶして、社会的弱者というのは実は「外国人」であるという奇妙な社会理論を創り出す。ここが日本のリバタリアニズムの独特の歪みである。

日本型リバタリアンによると、社会的弱者やあるいは社会的弱者を支援する人たちは「外国人」なのである。仮に血統的には日本人であったにせよ、外国渡来のイデオロギーや理説に「感染」したせいで、「外側は日本人だが、中身は外国人」になっているのである。

だから、社会福祉や教育や医療などの活動に公的な支援を求める組織や運動は本質的には「日本の国益よりも、彼らが忠誠を誓っている外国の利益に奉仕するもの」なのだという妄説が出来上がる。生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、沖縄県知事は中国に操られているといった類のネトウヨ的妄説はその典型的なものである。

語っている本人もさすがにほんとうだと思ってそう言っているわけではいないだろうが、それにもかかわらず、彼らが「反政府的な人間=外国人」というスキームに固執するのは、彼らにリバタリアンに徹底する覚悟がないからである。

リバタリアンであれば、話はすっきりしている。貧乏なのも、病気なのも、障害者であるのも、すべては自己責任である。だから、それについては他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。

しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない。居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはできない。

その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。

相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。

だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。
http://blog.tatsuru.com/

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c153

コメント [政治・選挙・NHK255] 年末恒例、笑いおさめ! シンゾー阿呆語録!! 皆さま、良いお年を!!(くろねこの短語) 赤かぶ
1. 日高見連邦共和国[11742] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年1月02日 07:18:49 : dzfa1mJiuU : Hkc@akiGpR4[18]
『うわさを信じちゃイケないよ!』

安倍政権の外交や政策は“噂”レベル。(笑)

『どっちかが寄ると引く!』

こんなバカ政権の肩を持つもの大変なんだろうな、きっと。

いや、考えてるのは“身の引きどころ”か。保身の・・・。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/625.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 自己防衛が必要 悪魔の消費増税に国民はどう備えるべきか 平成の終焉がもたらす大激動(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
2. 2019年1月02日 07:28:40 : rucnFhjx7o : 5LFX_Dj_Wp4[1]
反対運動でもって、廃止と当事者能力の無い現政権退陣実現は
国民の新年の悲願です。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/648.html#c2
記事 [カルト20] シャン・利権でがんじがらめのエネ業界と水だけで簡単な大政ガス、だそうである。
アケヨロであるが、私が若いときに、自動車メーカーの技術屋から聞かされて、理科が苦手だからってからかわないでよねーとか、こいつ勉強のし過ぎで馬鹿になったんじゃねーのと思ったものだが、興水もしきりに書いていたのを思い出すが、ひょっとこに水道民営化詐欺を急がせた理由の一つがこれですかという感じである。
清水港の名物は大政ガスと小松政夫の男ダテという歌もあるが、ナハナハナハという感じだが植木等の付き人だったと知ったのは東京夕刊の連載である。
ようやくお屠蘇も抜けて今日は大学ラグビーを見に行くかエッチなネットカフェに難民の慰問がてら大画面大音量で見るか悩みどころだが、いずれにせよ今日もガンガン飲む予定である。
それにしても、水素エンジンどころの話ではなく、カップヌードルにお湯を注ぐより簡単なイメージで、日本がやると当然潰されるが、中露印辺りがしれっとやったらいいんじゃね、それと嗚呼がベンがいいこと言った、しかし何年も似たような事を翻訳している気がすると書いていたのと、ガッキーが正月早々頼もしい事を書いているが、やはりハイハイという感じである。
イエズスイスとバカチンワッフルとロスチャサックスの泥棒三兄弟の縦ラインを崩せば万物無料化は簡単な訳だが、それを突き崩す動きが見える化するのが大事だが、昨日は新年の朝早々に東名で中央貞操帯の雑草部分を数秒なぎ倒して横転しそうな軽がおり、私は珍しく走行車線をボーッと走りながら、酔ったガキが彼女にいいところ見せようとしてんじゃねーのー、アブねーなーと路肩に停めて見ていたら、しらふの団塊暇人親父が必死にガードレールにぶつからないように走っていたのが分かり、不謹慎だが笑ってしまったが、その命懸けの運転にかけるエネルギーをイエローベスト運動に賭けたらどないやねん、こっちも死ぬところだったやろーと思ったものだが、ぞーっとはしなかったのは、国際情勢がまさにそのような状況で、横転するか生還するか二つに一つで、偽ユダヤ側が横転してくれれば世界はよくなるし、土俵際で連中が踏ん張ってしまえば悪政が続くし、競馬の予想屋みたいだが五分五分の情勢である。
それにしても、シルバーの逆走やトロトロ運転対策は万全な積もりだったが、シニアの追い越し車線雑草乗り上げ対策は考えていなかったので迂闊だったが、雑草に感謝せーよー、雑草が無かったら死んでたぞー、テストコースでバンクを走るみたいな角度で運転するなー、しばらく自主的に免停しろー、つーか今思い出しても笑いが先に立つ大事故未遂だが、エスパー伊藤みたいな事をガチでやるのやめろー、てな感じである。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/189.html
コメント [近代史3] 朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一 中川隆
1. 中川隆[-13244] koaQ7Jey 2019年1月02日 07:38:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22213]

本多勝一みたいに体制側に都合が悪い真実を明らかにするとこういう目に遭う

南京大虐殺や731部隊の人体実験を世に知らしめた本多勝一


貧困なる精神 第23集 本多勝一

本多勝一はサングラスで顔を見せないことを右翼に批判されるが、堂々と出ていって殺されたほうがいいのか。

例えばこれまでの革命家で堂々と出ていって素手で立ちはだかった馬鹿がありますか。(略)武田信玄にしろ徳川家康にしろ伊達政宗にしろ、あらゆる方法で暗殺を防いでいるでしょう。

私の場合子供にまで脅迫が来ました。
それでもう引っ越しちゃったわけですが、引っ越してからは子供の名前まで合法的に変えた。
http://turq.air-nifty.com/weblog/2012/07/post-9ac9.html


本多勝一ってどんな人?

素顔を見せない元スター記者
サングラスにアデランスのカツラ。これが本多勝一(七十一歳)が人前に.出る
ときの姿である。もちろん写真を撮られる時も必ずこの姿だ。

別に、変装・仮装が趣味なわけではない。朝日新聞の記者時代、一九七一年から連載した『中国の旅』で南京大虐殺を取り上げた後、右翼の脅迫が相次ぎ、家族にも脅しの被害が及びそうになった。

以来、「(記者は)名前は知られても仕方がないけれど、素顔を知られてプラスになることなど全くない」と、本多は公の場ではカツラとサングラスで変装し、「素顔」をさらさないようになったといわれる。町中ですれ違っても「本多勝一」と気付く人はほとんどいないだろう。「変装姿」が「実像」より知られている、日本では数少ない人物なのである。

若い世代はその名前すら知らないだろうが、朝日新聞のスター記者だった本多の名と著作を知らないジャーナリストはいない。「本多さんに憧れてジャーナリストの道を選びました」と言い切る三十代後半から四十代の新聞記者・雑誌記者は多い。彼らは本多を「日本一のジャーナリスト」として憧れ、尊敬し、同じ職業を選んだのだ。
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/446.html


なぜ「証言」しないのか ―「加害証言」を拒む土壌―
 
 「南京事件」の実態を調べる時大きな壁になるのが、「加害証言」を世に出す困難さです。この点は、多くの研究者が共通して語る「常識」なのですが、掲示板等ではこれを理解せず、明らかに事実に反する「タテマエ証言」だけをタテに「日本軍の軍紀は正しかった」と主張する方が存在します。

 このコンテンツでは、「加害証言を拒む土壌」をテーマに、各研究者の調査体験、また実名証言を行った方々に対する圧力について見ていきます。

 まずは、各研究者の記述から、「聞き取り調査」の困難さに触れた部分を紹介します。

笠原十九司氏 『南京虐殺の記憶と歴史学』より

 しかし、現実には大きな障害があるのは、前述した兵士に南京虐殺の記憶を語らせない旧日本軍の特質と構造が現在でも機能しているからである。

 私はこれまで、南京戦に従軍した兵士の陣中日記の実物を見たり、存在を確認したりしたことが何回かあったが、いずれも本人あるいは家族が、公刊すれば予想される戦友会、旧軍関係者、南京大虐殺否定論者さらには右翼団体等から、脅迫まがいの圧力や嫌がらせがあるのを恐れて、公開や出版に反対された。

 公刊した場合「面倒なことが起こる」「厄介なことになる」「騒がれることになる」「まわりに迷惑がおよぶ」という拒絶の理由が、日本社会に厳然として存在する南京虐殺の記憶を「忘却」させるための構造を物語っている。

 南京虐殺の記憶を公刊したり、証言した場合、部隊の「身内の恥」を世間に漏らした、部隊仲間の逸脱行為を「内部告発」したとして、旧軍兵士たちの精神的な共同体である戦友会から排除され、村八分的な制裁を受けることが、公開、公刊を拒絶させる最大の要因として厳存した。
(『現代歴史学と南京事件』P32)

秦郁彦氏 『南京事件(増補版)』より
 秦の経験では、将校は概して口が堅く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの状況を語ったり日記やメモを提供したりするのは、応召の兵士が多かった。その兵士たちも郷土の戦友会組織に属し、口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。

 一九三七年十二月十五、十六日に実施された難民区の便衣狩作戦(第九師団の戦闘詳報には「七千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」とある)を調査するため、実行に加わった金沢歩兵第七連隊の生存者に面談したときも、戦友会長経由だったせいか、なかなか率直な証言がとれず困った。
(同書 P281)


 


板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より
「歩兵第六十五聯隊 幕府山事件」より

 南京戦には限らないが、参戦者から情報を集める際に厚い壁を感じる「部隊」がある。その多くが、将校会や戦友会が「厚いカーテン」を下ろして情報を秘匿し、会員に圧力を加え、甚だしきは「妨害」をする。歩六五の場合がそうだという訳ではないが、筆者もその堅いガードには全く歯が立たず、平林貞治氏のように旧聯隊のスポークスマン的存在の人か、箝口令を憚りながら漏出する情報の断片を分析・総合せねばならなかった。
(『日中戦争の諸相』所収 P190)
--------------------------------------------------------------------------------

 そして、実際に実名で「加害証言」を行うとどういうことになるのか。二つの事例を紹介します。

1987年7月6日、京都府峰山町にて、元二十聯隊兵士3名(増田六助氏、東史郎氏、上羽武一郎氏)が共同記者会見を行い、それぞれ自分の陣中資料を提出しました。それに対する反応です。

「隠された聯隊史」より
 元二十聯隊関係兵士による記者会見は、大きな反響をまき起こした。
(中略)
 と同時に、記者会見にのぞんだ元兵士宅めがけて、奔流のようにいやがらせ電話、脅迫状が殺到した。電話番号はNTTに問い合わせたものだろう。脅迫状のあて先は「京都府丹後町」とだけあり、番地のないものが多かった。あらかじめ予想されてはいたが、それはすさまじいものであった。

 リ、リーン。受話器を取ると

「おんどれら、軍人恩給もろてるやろ。国に仇をなすようなことを、しくさって・・・恩給を国に返せ!」。

耳元にがんがんひびく大声で怒声をあびせ、五〜十分間をしゃべり続け、悪口雑言のかぎりをつくして一方的にがちゃんと電話を切る。名前をたずねても名乗らない。

 増田、東、上羽三氏宅の電話は、深夜まで鳴りっぱなしとなった。なかでも、膨大な手記・手紙類を公開した東史郎宅へ、

「おれは赤報隊のヤマザキや。首を洗うて待っとれ!」

など、口汚い脅迫電話は午前二時すぎまで続いた。赤報隊といえば、『朝日』支局襲撃事件で、犯行声明をマスコミに送りつけたことで知られる団体名である。七十台半ばの老夫婦は、まんじりともしないで一夜を明かした。

 増田六助氏宅には

「地元の報国同志社やけどな・・・全国の同志からようけ問い合わせが来とる。いったいどんな考えで記者会見なんかしたんや。聞かせてもらおか」

とドスの利いた声で右翼団体らしき団体名を名乗ってのいやがらせ。

「お前らみたいな兵隊ばっかしやから、日本は負けたんや・・・このアホめが」。
「七月二十八日(「平和のための京都の戦争展」開幕日)まで、身辺によう気ィつけておれ」

のおどしもあった。

 そしていやがらせ、脅迫の手紙。―

「あんた方は日本人ですか。それとも支那人(中共人)ですか・・・寝言をいっては極楽へ行ケマセンヨ。あんた方、日本人を売る売国奴の犬ですよ」(奈良・香芝町、大坪春香名)。

「としの70歳にもなって、もっと考えて死にぎわを迎えよ!!  バカヤロウ!! それでもお前は日本人か!! ・・・日本中の笑い者で、死にやがれ!!」

「英霊を冒?した罪は万死にあたいする。死ね!」

など、その数はざっと五十通。

「お前の家に放火してやる」
「見知らぬ者が近寄れば注意肝要、家族も皆同じ」

等々、直接行動をにおわせる通信も、あいついだ。ここにはとうてい紹介できない、下劣ひわいな文言を書きつけた投書もあった。

 東史郎氏は、その一々に返事を書き、投かんした。返書の多くは、一週間後に戻ってきた。脅迫状差出人のほとんどは、偽名であり、その住所はニセだったのである。
(「隠された聯隊史」P161〜P162)


 次は、「幕府山事件」についての体験を語った、栗原伍長への中傷です。

 発端は八月の末。社会部の電話が鳴った。電話の主は八月七日付朝刊二社面(東京本社発行最終版、以下本紙掲載日は同)で掲載した「元陸軍伍長、スケッチで証言 南京捕虜一万余人虐殺」の記事で取材し、紙面にも名前の載った東京都小平市の退職警察官(七三)だった。 だが、電話の向こうの声は最初からひどく震えていた。
 「まったくひどい。何とかしてもらえないだろうか」

 記事に載った証言は、鈴木明氏の「南京大虐殺のまぼろし」や防衛庁防衛研修所戦史室の「支那事変陸軍作戦<1>」などの「釈放途中に起きた捕虜の暴動に対する自衛的集団射殺」という定説を覆すものだった。

 電話の主は、この記事が出て以来、次々と「読者」からの封書、はがきが届いたが、これらの多くは中傷で、脅迫まがいのものもあるという。証言者の自宅へ出向いた。

「恥知らずめ、おぼえておけ。軍人恩給と警察官の恩給を返して死ね」
「貴様は日本人のクズだ!!」
「思慮の浅い目立ちたがり屋か老人ボケ」

 思いつく限りの悪罵を投げつけていた。

 もちろん、証言者を勇気づける手紙も何通かあった。「事実を述べられたこと(教えて下さったこと)の勇気をすばらしいと思います」(三十六歳の主婦)。勇気ある証言は次の証言につながってもいく。八月十五日付朝刊の「南京大虐殺、私も加わった」という神戸市の元上等兵(七五)の証言である。そして、この第二の証言者のところへも「お前はバカか、平和を乱すようなことはするな」という手紙や電話がきていた。

 こういった非難、中傷、脅迫の手紙は、新聞社にもよく来る。八月十五、十六日付朝刊の七三一部隊関連記事でも「資料はデッチ上げ」という投書があった。共通しているのは匿名ということ。
 
「子孫にウソを伝えぬために」

 元警察官が証言を思い立ったきっかけは、七月二十二日付朝刊社会面の「南京大虐殺、中国側が”立証” 犠牲者は三十余万人」の記事。

 「殺したのには殺した。それは事実だけど、中国側が言う三十万人、四十万人なんて数じゃない。どんなに多くても十万人以下だ。中国側の根拠や資料をうのみにするわけにはいかない。事実をはっきりさせるには、日本の側も、やったことははっきりと認めなきゃいけない。いつまでも”殺していない”とか”自衛のためだ”なんて言っているのはおかしい。ウソを子孫に伝えるわけにはいかない。あれにかかわったものは、私も含め、もう年だ。今のうちに本当のことを言っておかねば」(以下略)
(『毎日新聞』1984年9月27日朝刊第5面) 

*この「栗原証言」の内容については、K-Kさんのページで詳しく紹介されています。栗原氏の息子さんである「核心」さんによれば、

「結論から言うと、父の証言に関しては、毎日新聞の記者の方へのインタビューと本多勝一氏へのインタビューだけが任意でなされたものです。 
両記事のあとは脅迫手紙や脅迫電話が相次ぎ、また戦友や上官の方からも証言を取り消すようにとか、矮小化するようにとかの干渉が長い間なされています。
ですから、それ以降の父の証言と称する内容に関しては、全く任意性はなく、信憑性に欠けるものです」

とのことです。
 
 中傷者たちは、証言者の語ることが事実かどうかなどには全く関心を持たず、ただ、「日本の過去の悪行について発言した」というだけで、証言者たちを攻撃対象にしています。

普通の生活を営む市民の方であれば、このような攻撃により生活が破壊されることを覚悟してまで「実名証言」を行なおうという気には、とてもなれないでしょう。「実名証言でない」ことを批判する心無い方々には、ぜひ、以上のような状況を認識していただきたいものです。

--------------------------------------------------------------------------------

 次は、「証言しない人々」の「ホンネ」をかいま見れる事例です。「圧力」を怖れて公式の場では「証言」を拒む人々も、実際にはかなりの「加害」事例を知っていることをうかがわせます。

下里正樹氏「続・隠された聯隊史」より
 こんなこともあった。
 京都府船井郡在住の元機関銃中隊員に電話した時―。

 私は北山日記にある武進攻撃の記述「戦友たちが残酷なことをした話をしている」をあげ、私の身分を明かしたうえで、「残酷なこと」とは何だったのか、とたずねた。

 とたんに、受話器の向こうから猛烈な勢いで返事がかえってきた。

「そら戦争やさかいな、ようけあったわ。武進でわしが見たンは、家の中に隠れとった母親と姑娘やな。娘やってまえ! と(兵士が)手ェかけたら、母親が(服の)前をはだけよンね・・・

自分をナニして娘は助けてやってくれェと、まあこういうわけや。かまわん、二人ともいてこませ、いうて、真っ裸にして、五人(の兵)でかわりばんこにナニしてからに・・・

終わってからや、川のふちに連れていって、ニイコ(中国兵)の残していった手榴弾を二人の股倉に突っ込んで、ボン! いわせて、ほンならもう、へそから下がワヤになりまんが」

一気にここまでをまくし立て、

「ところであんた、どなたさん? 新聞関係の人? そらあかんワ。いまいうたこと、取り消しや。書かれたら、どもならん」。あとは何をたずねても「取り消しや、もうかんべんして」のいってんばりであった。
(P49-P51)

高崎隆治氏『戦争と戦争文学と』より
 とはいえ、あの戦争下にそれが風聞として一部の国民の耳に入らなかったということはあり得ないわけで、当時中学生であり生活範囲の狭かった私でさえも、横須賀に住む友人の口から友人の家に下宿している海軍の下士官の話として強姦について聞かれたことがある。もっともそれは、二、三人の下士官が酒を飲みながら話しているのを立聞きしたということで、友人の憶測も入っているようであったが、しかしそれはまぎれもなく上海戦線での強姦―というよりは海軍の下士官・兵による輪姦であった。

 そしてどうやら女性は殺されたらしいのだが、驚いたことに被害者は一人ではなく三、四人またはそれ以上の複数であったことだ。もちろん、アルコールが入っていたことで、下士官たちの誇張もあったのではないかと思われるが、正義を唯一の価値とする中学生にとってそれは言葉を失うほどの衝撃であった。

 ついでにもうひとつの話を手短かにつけ加えれば、戦争末期の学徒兵であった私は、ある夜下士官の一人と班内で話し込んでいたのだが、その時、少し離れた部屋の隅で、応召の上等兵が初年兵を集めて日中戦争時代の自慢話をしていた。

 部隊の年配の応召兵のほとんどは二度または三度目の召集で、その多くは南京戦に参加していたのだが、次第に調子に乗った上等兵はやがて身振りを交えて強姦の話を始めた。すると突然、私と話していた下士官が、
「T上等兵、つまらぬことをしゃべるな」
と怒鳴った。その下士官とT上等兵はかつての戦友だったのだが、上等兵が、
「おまえだって同じじゃねえか」
と斬り返すように言ったことで班内は騒然となった。

 上等兵は駆けつけた下士官たちに袋叩きにされ、その後まもなく転属になってしまったが、打ちのめされながらわめきつづけた上等兵の声はいまも私の耳に残っている。彼は同じ中隊の何人かの伍長や兵長の名を挙げて
「みんなやったじゃないか」
と叫んだのだった。

 ようするに強姦は彼等のタブーだったわけだが、上等兵がそのタブーを知らないはずはなく、また上等兵に名前を挙げられた者たちも、遂に最後までそのことに関してはしゃぺらなかった。

 しかし、学徒兵であった私は、かつての中学生の時のように驚きはしなかったが、日本軍兵士の少なからざる部分が南京戦でなにをやったかほぼ推測することができた。
(P56-P58)「「東京裁判」を読む」より


保阪(正康) くどいかもしれませんが、残虐行為があったのは事実だけれど、日本軍の全部じゃないということです。日本軍全体にすり替えちゃいけないと思うんです。「私はやっていません。私たちの部隊はそういうことをしていない」という人にたくさん会ってきました。

 一方、やった人の中でも「やってない」という人の言葉に依拠して脆弁を使っている人がいるんですね。ある部隊の隊長をやっていた人に取材したことがあるんですが、

「君、絶対言うなよ、書くなら俺が死んでから何年か後に書け。名前は出さんでくれ。子供や孫がいるから」

と言って、「やっぱりやった」と言っていました。

 やった事実を知っている人も表面上は「やってない」と言ってるんです。そのことが客観的な史実の検証を間違わせていると思うんです。それだけに本当にやっていない人たちのこともきちんと調べて書き残さなければならないと思います。(P306)
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shougen.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
10. 小沢一郎ケツカッチン[1] j6yR8ojqmFmDUINjg0qDYoNgg5M 2019年1月02日 07:50:49 : kxk7MnCbWU : S0swXCpT_BE[-3372]
>投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 1 月 02 日 01:55:05
>2019年1月1日17時0分 日刊スポーツ

もはやケツカッチンですね。

大人用オムツの容量も限界ですね。

>玉城デニー氏が沖縄県知事に転出した後の衆院沖縄3区補選も、統一地方選と同じ4月に予定される

維新との連携もケツカッチンですね。

維新が野党ではなくなるから・・・?

維新の会は大阪府知事の不人気で統一地方選で大敗北するから・・・??

野党結集という言葉には、維新は野党には含まれていないから・・・???

だから、野党が結集すれば、アベ政権は倒せる・・・って・・・????

新宿区長選挙みたいだね・・・?????



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
14. 2019年1月02日 07:54:29 : a7CnCUZ6eI : @m2M8lU0TSc[13]
 
〇老人が多く自殺する国は滅ぶ。アドルフ・ヒトラー(ナチス・ドイツ総統)

外資・経団連の思惑に沿い、新自由主義を強行に推進する安倍自公政権。福祉のための消費増税と言いながらも福祉は切り捨てられ、財界の内部留保が450兆円にもなるという。医療費負担の増額を憂うるならば、福祉目的に吸い上げたはずの税金が大企業の内部留保となっている詐欺とペテンの政策を批判しなければならないはずだ。

派遣労働の大幅な導入と労働環境の意図的な改悪は、労働者の2極化を意図的に作り出すためのものである。それは支配層による「分断統治」という古典的な統治方法であり、不当な支配構造によって暴利を手にする自分たちへの批判を労働者同士の対立に置き換えるための策略である。

日本の政治状況は、2階建てと呼ばれた戦前・戦中の政治構造と酷似している。それは、権力と情報を握った上層部が、多くの国民を貧困に追いやりながら暴利を手にするという欺瞞の構造である。まさに麻生炭鉱で行われてきたタコ部屋による奴隷労働を前提とした財閥の飽くなき強欲・暴利の追及であり、新自由主義そのものである。以下、引用__

________________________________________

2012年、日本経団連の米倉弘昌会長は、「成長戦略の実行と財政再 建の断行を求める」と題する提言を発表した。これによると消費税率の19%引き上げ、法人税率の25%引き下げ、さらに優遇税制である「研究 開発促進税制の拡充」とTPPへの加入参加が盛り込まれている。しかし財源として社会保障費の年2000億円ペース削減を要求しているのだから、権益のため社会弱者を犠牲にすることは明らかだろう。

全ては解体の途上にあるのだけれど、我々はメディアという文明のドラッグによってあらゆる切除を痛覚することなく、おおよそ無自覚にリソース(国家資源)を略奪され続けている。小泉政権による市場原理主義改革を起点として、労働市場および金融市場から揮発するマネーは、それぞれ月間あたり2兆数千億円ベースに達するのであり、つまり年間あたり国税を上回る金が国民経済から消失している試算なのだが、このようにプランテーションを構造化した諸制度を理解する有権者は殆どいない。  

○政治家はすでに大半が「1%」に買われてしまっています。
 マイク・アダムス (米国のジャーナリスト)

国家の衰退は政治・官吏・報道グループが多国籍資本の委任代行者として民衆を欺きつつ、あらゆる経済システムを彼らの利潤最大化にかなうよう改変したことによるわけだ。この先にあるのは間違いなく国家破綻による市民生活の崩壊なのであり、外国人は我々が周回遅れに「アルゼンチン・タンゴ」(市場原理主義改革によるラテン・アメリカ諸国の荒廃)を踊るのを高笑いしながら眺めている。

○それがどうした。死ぬやつには死ぬにふさわしい理由があるんだ。
 エゴール・ガイダル (ロシアの政治家)

すでに国庫財源の枯渇から、低所得者の国民保険料が大幅に引き上げられる事態となっているのだが、日々10円単位、1円単位で生活費を切り詰め、ギリギリの暮らしを送っているところにそのような仕打ちを受けるのであれば、もはや生きていく気力すら失ってしまうだろう。世界保健機構の算定基準において、ニホンの自死者は厚労省発表の300%を上回るペースで推移しているのであり、おおよそ世界トップの自殺率だ。つまりセーフティネットの撤廃という行政暴力によって、イラクやアフガニスタンなど戦闘地域を圧倒的に上回る数の人々が殺されている。

○ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。 あの手口を学んだらどうか。麻生太郎 (第92代内閣総理大臣)

2013年の参院選では自民が大勝し、公明、みんな、維新など補完勢力とともに過半数議席を獲得したのだが、語るまでもなく彼らは日本経団連(多国籍企業)とCSIS(戦略国際問題研究所)に与するコンプラドール(外国人に手引きする買弁)集団である。その後は衆参一体となり、国家主権および経済市場を逐次的に譲渡するのであり、憲法の無化により戦争国家を完成しつつ、米国の本質であるネオ・コンサバティブ(軍産複合体)に恭順を示すわけだ。国家意思には常に資本意思が潜在していると捉えなくてはならない。

直言するならば、社会資本を根こそぎ外国人に引き渡することによりインセンティブ(成功報酬)を得るという目論みであり、つまり連中のうち誰一人として国民の福祉や生命を守ろうなどとは考えていない。どのように社会が荒廃しようが、あるいは戦争国家が構造化されようが、支配勢力に与する多国籍企業の役員、テレビ局や新聞社の社員、国政・地方議員や公務員だけは安定給与と福利厚生さらには資産が担保される仕組みなのであり、おおよそ支配階級と一般国民の二項対立は究極に激化しているのだと思う。 

○選挙とは、国の支配をかけた、効率の良い投資である。
 トーマス・ファーガソン (米国の政治学者) 

___響堂雪乃著「略奪者のロジック」より____________________


既に明らかなように安倍自公政権には、生活者・弱者へ寄り添うという視点は微塵もない。彼らの政策の根底にあるのは「悪意」であり、スターリン時代の「ホロドモール」と酷似
の「弱者は殺戮する」という揺るぎない信念である。それを糊塗するために虚言と詭弁を繰り返し、公文書を改竄し、悪法は審議未了のまま強行採決を繰り返してきた。そしてメディアも彼らの共謀者となっている。

〇今の自公のやり方を見よ 「次の選挙で落選する可能性」を考慮に入れてると思うか?
〇何度選挙を繰り返しても悪政が繰り返されるとき、選挙そのものを疑う必要がある。

大多数の国民・有権者を悲惨に追い込む自公政権が多くの国民に支持されるはずもなく、共謀者となっているメディアから垂れ流される40%もの内閣支持率が捏造であることは明らかだろう。そして、そのような政党・政権が選挙のたびに圧勝を繰り返すことは、不正と改竄以外ないことも明らかである。

私たちは繰り返されるメディアの洗脳により、あり得ないはずのペテンによって悲惨に追い込まれ死の淵に追いやられている。そして、極悪の犯罪者によって不当に支配され続けていることに気付かなければならない。その悪辣な犯罪集団から、あらゆる方法を駆使して権力を奪い取らなければならない。それが今年の選挙が持つ意味である。

>白川勝彦〜永田町徒然草〜選挙監視団を組織せよ。
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/?itemid=1657

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
15. 東北列藩同盟志士[149] k4yWa5fxlMuTr5a_jnWObQ 2019年1月02日 08:09:26 : TRiCTGmt5I : 0W000QUFTeE[38]
やはり霞ヶ関(特に財務省)の毒されな鬼畜どもを片っ端から
ぶん殴るしかないようだな。こいつら二人も(笑)。
そして財務省の「上物」の小生意気なメス豚どもは
一度ヤクザにレイプされて裏ビデオの廃人になるがいい!!
どうせこいつらは学生時代に親の権力でいじめの黒幕
としてのし上がってきた連中が大半だろ?
木卯正一やバグや中川隆もこいつらにやられて
「今の地位」落ちたんだろ?何か言ってみろ!!
あの2chの西村博之のオヤジも財務官僚だしな。
西村自身も古市や落合と同じニオイがするのは
同然だ!!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c15
コメント [原発・フッ素50] 年末年始の大寒波・大雪 温暖化に反するニュースはマスコミは報じない 偏向報道ここに極まれり  魑魅魍魎男
7. 2019年1月02日 08:13:18 : z0SQdjEyNM : pYIKdJH9r_s[732]
地球温暖化には確たる証拠がある。
ローカルな事象と北極海から氷が消えたようなことを
ごっちゃにするのは間違いだと思う。

たぶん、核戦争をおこして人類を1/3ぐらいに減らすような
極端なことをしなければこの流れは止まらない。

温暖化した地球で生きてゆく覚悟が必要だ。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/725.html#c7

記事 [近代史3] 南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?

南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?


昭和天皇の身代わりになって処刑された松井石根

ついに本当の事は言えませんでした:

「南京事件ではお恥しい限りです。南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も
一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。

 私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、
当時とは全く変っておった。

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。 甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#matuiiwane


キーナンは、自分が技巧的に追及してきたその判決を聞いた日の夜、
彼の切り札証言人、田中隆吉と一杯飲みに外出した。彼は酔いにかまけつつ、

「馬鹿げている、まったく馬鹿げた判決だ」と口にした。彼が最も反対してきた判決は、
松井――南京攻略の際、その命令が悪用された痛ましい小柄な大将――の死刑だった。

 公正は私に、被告に有罪を決定する際、天皇の免責について再考するよう、求めている。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm



▲△▽▼


鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。
つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
 南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。

反日の根拠地というので、南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。

するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。北支の戦争では
「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。
だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。皆伝え聞いて分かっていました。
中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。

その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/gyakusatu.html

___


戦後、蒋介石政府は、中島の第16師団と、「阿修羅」との名をもつ谷の第6師団を、南京攻略の際に39万人の生命を奪った罪で告発した

中国軍の退却が始まった後も、前線の日本軍師団はその追撃の手を緩めなかった。東京の参謀本部は、地図上に線を引きながら、そこが進攻の止まる停止線と発表し、欧米の報道陣に一大ショーを披露していた。

その線上で、兵員は再編成され、天皇よりの秘密指令を受け取るやいなや、ふたたび行動を続けた。

だが、そうした命令の存在は、1964年に、退役した大将たちのグループが本を出版するまで、公表されることはなかった。

 当時、外国人報道陣向けに、前線にいる兵士たちはもはや手に負えず、統制がとれなくなっている、との印象が意図的に作られていた。

だが真実は、兵士たちは大本営が皇居で設立され、自分たちの行動が神的な天皇自身によって監視されていることを知っていたため、それほどに周到で従順な兵は、かっていなかったことである。

 最初の停止線は、揚子江デルタを横切り、11月4日に引かれた。11月24日に、すべての師団がそこに到着した時、天皇の命令(45)により、それは解除された。

参謀本部は、同じ日、80キロ西方に、第二の停止線を設定した。裕仁は、非公式には三日後に、公式には七日後にそれを解除した。

 松井にあてた最初の電報(48)はこう告げていた。

 南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
 松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。

 余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。

 ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1.htm


▲△▽▼

南京大虐殺は中国からの財宝略奪をカモフラージュする為だった?


日本兵は、川岸における毎夜の鬼畜な任務にあたらされる一方、昼間、盗みに使用された。南京に居た米国人教授の一人、社会学者のルーイス・スマイスは、略奪は隠れた事業として始まったという。

「日本軍は重い負担を軽減するため、非公認の略奪引受人を必要としていた」と彼は書いている。すでにスマイスは(109)、中島の到着以後、「上官の目の前で、店という店を組織的に荒らし回る」光景を目撃していた。そして彼はこう書いている、「収容所や避難所にいる難民の多くは、日本軍によるしらみつぶしの探索の際、わずかな財産からでも、現金や貴重品しか持ち出せないでいた」。

そして、日本軍によって発見された膨大な量の戦利品は、個々の兵士の背嚢にしまわれたのではなく、公に軍の倉庫に運び込まれていた。

三ヶ月後、安全地区委員の一人は、自分の家から略奪されたピアノの行方を追っていた。彼は、ある日本人将校により、二百台のピアノがしまわれている軍の倉庫へと案内された(110)。別の倉庫には、じゅうたん、絵画、マットレス、毛布、骨董の屏風やたんすなどが満たされていた。中島を含む多くの将官たちは、ヒスイ、磁器、銀などの小さな宝物を懐にいれていた(111)。だが、ほとんどの略奪品は、後に売られて、その代金は軍の費用をまかなうために用いられた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1c.htm


日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。 そして一般人からも奪った。

一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。
この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。

略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であった.

どこから、このすべての財宝は来たのか? 今まで、アジアからの日本の略奪は、
酔っ払った兵士による盗みと暴力による、散発的なバラバラな活動として無視されてきた。 しかし、これは偽情報である。

 戦争の拡大による略奪は何も新しくはない。 しかし,日本が一八九五年から一九四五年の間に行ったことは、質的に異なっていた。これは酔っぱらいの略奪や打ち壊しではなかった。

日本人は真面目で、しらふで、計画的だった。彼らは普通の泥棒や歩兵たちには
無視されるような、価値のある書籍や写本に特別に注意を向けていた。
彼らはアジアの三合会や暴力団やギャングたちなどの暗黒世界から略奪することに、特に注目し専心していた。

日本は麻薬を持って中国へどっと押し寄せた。その麻薬をギャングたちに与え、交換に黄金を得た。
麻薬は各々の隠された場所から財宝を吸い上げた。個人のレベルでは、拷問は巨頭、部族の長老、銀行家、企業家を含む金持ちの個人を襲うときには当たり前に使われた。

 日本に持ち帰られた最も価値ある物品の中に、美術品と歴史的な遺物があった。
今日まで、この世襲財産のごく一部しか盗まれた国や個人に返却されていないという記録がある。 それが問題である。黄金でできた仏像を含む幾つかの主な美術品は、
フィリピンの地下に隠されていたが、最近見つかった。しかし、ほとんどの芸術品と美術品は依然として、日本で個人的に隠匿されているか、東京で皇室の蒐集物となっている。 なぜ、日本がこれを持っていることが許されているのか?

 公的には、日本の戦時中のエリート(皇室、財閥、ヤクザ、「いい」官僚たち)は
一握りの「悪い」熱狂的な軍人を生け贄にして、戦争を終えた。
読者がお気づきのように、これは真実ではない。

天皇裕仁を含む日本のエリートたちは、戦争が終わったときには、戦争が始まった時よりはるかに金持ちになっていた。 ある者は終戦前後に、数十億ドルの資産をつくり出した。
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html


▲△▽▼


南京強奪の不気味な作戦は、1937年8月15日に開始されるべく、すでに着手されていた。

その日、松井岩根大将――戦犯を祀る熱海の神社の女神官と親族であり、「南京の虐殺者」と歴史上に名を残すこととなる男――は、天皇裕仁に召喚され、宮中へと向かっていた.

その前日、松井には近衛師団長より通知があり、裕仁が中国での命令を彼に与えようとしていることを知た。それは、彼にとって大きな名誉で(10)、その召喚に直ちに応じた。

松井は、中国との友好の主唱者であったので、彼にとってこの召喚はことのほかの喜びであった。ほんの二ヶ月前には、中国との全面戦争を避けるための工作を計画していた(11)。彼はそれを知らなかったのだが、特高警察の報告により、その件は天皇のもとにも届いていた.

突然に天皇が姿を現した。松井は、めまいを感じながら、深く頭をさげ、光栄であることを表し、さらに、日本の計画をめぐって、中国人に用いられなければならない平和的方法についての自身の信念について説明を始めた。

裕仁は理解したかのようにうなずき、上質紙の公式書類を広げた。松井を一瞥し、天皇は、その甲高い声でそれを読み始めた。近衛師団長よりそっとつついて促され、松井はそこにひざまづいた。裕仁は彼に、華中日本軍司令官を命じ、彼の新たな命令を象徴する司令杖をさずけた。

二日後の中国への出発の前夜、東亜連盟の役員たちによって壮行会が開かれた席で、松井大将はこうあいさつしていた。「私は前線へ敵と戦いに行くのではありません。わが兄弟と和する志をたずさえて行くのです」。

9月の初め、裕仁は、宮中内部に人的配置計画を彼独自で監視できる大本営(17)の設立を要求した。その役務が天皇の出席――神の存在――においてなされるという、この組織の人員構成と原則は、当然にその正体を物語っており、この大本営の存在は、11月半ばまで、明らかにはされなかった。裕仁は、一部、上海の情勢の行き詰まりを、一部、9月初めに参謀本部への彼の指示が、作戦部の部長、石原莞爾少将の書類入れのなかで眠らされていたことを理由として、その設置を主張した。

鈴木は、裕仁が最もよく知り、最も信頼をおいた2、3人の若い軍人の一人であった(25)。鈴木は、南京の強奪を、京都にある第16師団本部の机上より、無線によって管理監督した。

彼はおそらく、その机上作業を、飛行機による前線との間のすばやい往復で補強していただろうが、彼の視察の回数と頻度についての〔東京法廷での〕証言(26)は、混同かつ矛盾していた。彼は、30年前、東京の参謀大学時代以来、蒋介石を知っており、過去何回か、裕仁の私的密使として(27)、蒋介石のもとへ出向いていた。加えて、彼は陸軍の経済面の指導的な専門家でもあった。

つまり彼は、二重の役割を果たす能力を備えていた。ひとつは、南京強奪が進行中、蒋介石と近衛首相との間の秘密の無線交渉における仲介者の役を演じており、他は、侵攻のコストのみかえりとして、南京での組織的略奪を行うその第16師団を指揮していた。


上陸後の三日間で、第6師団は、上海郊外へ向かう64キロの行程うちの40キロを、焼き払いそして爆破して進んた。そして三日目には、松江〔スンチャン〕の町を占領した。9週間後、ある英国の特派員は、松江に何が残されているかをようやくにして目撃することができた。そしてこう書いている。「建物は焼き尽くされ、残っている建物はほとんどない。くすぶる廃墟やひとけのない通りは、薄気味の悪い雰囲気を漂わせている。目に入る生き物といえば犬のみだが、死体を食って異様に太っている。およそ十万人が住む人口密度の高い松江だが、私が見たのはたった5人の中国人で、フランスの教会施設に涙ながらに隠れていた。」

華北から派遣されてきた「黒い」艦隊の16師団は、夜陰に乗じて揚子江河口をさかのぼり、パイモウ入江という、トーチカ線のちょうど背後の、中国軍の北の弱点に上陸した。海路を使った日本軍の挟み撃ち攻撃の「黒」側は、その勢力では敵と互角であった。かくて、南京の処刑係が到着することとなった。

この新師団は、京都の例の鈴木によって指揮されており、前線では、中島今朝吾〔けさご〕中将――55歳、小さなヒムラーといった男で、思想取締り、脅迫、拷問の専門家――がその指揮者だった(39)。この中島が、南京虐殺をめぐるその細部の監督に当たろうとしていた。

戦後、蒋介石政府は、中島の第16師団と、「阿修羅」との名をもつ谷の第6師団を、南京攻略の際に39万人の生命を奪った罪で告発した

中国軍の退却が始まった後も、前線の日本軍師団はその追撃の手を緩めなかった。東京の参謀本部は、地図上に線を引きながら、そこが進攻の止まる停止線と発表し、欧米の報道陣に一大ショーを披露していた。

その線上で、兵員は再編成され、天皇よりの秘密指令を受け取るやいなや、ふたたび行動を続けた。

だが、そうした命令の存在は、1964年に、退役した大将たちのグループが本を出版するまで、公表されることはなかった。

 当時、外国人報道陣向けに、前線にいる兵士たちはもはや手に負えず、統制がとれなくなっている、との印象が意図的に作られていた。

だが真実は、兵士たちは大本営が皇居で設立され、自分たちの行動が神的な天皇自身によって監視されていることを知っていたため、それほどに周到で従順な兵は、かっていなかったことである。

 最初の停止線は、揚子江デルタを横切り、11月4日に引かれた。11月24日に、すべての師団がそこに到着した時、天皇の命令(45)により、それは解除された。

参謀本部は、同じ日、80キロ西方に、第二の停止線を設定した。裕仁は、非公式には三日後に、公式には七日後にそれを解除した。

 松井にあてた最初の電報(48)はこう告げていた。

 南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
 松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。

 余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。

 ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1.htm

残忍な部隊が南京に接近している時、松井大将は、揚子江デルタの蘇州〔サンチョウ〕の前線本部で、結核の熱のため、寝たきりでいた。

またその5日前の12月2日、天皇裕仁は、松井の責務から、前線部隊の人的監督を除いて安心させ、華中方面の総司令官へと格上げした。そして南京地区軍の司令官としての松井の地位に代わって、裕仁は、自分のおじ、朝香宮〔あさかのみや 鳩彦〕を任命した。


朝香宮の前線への任命は、他のいかなる権威をも超越する天皇の意向によるもので、病床にある松井大将の指揮権はまさに蹂躙されようとしていた。彼は部隊を引き上げ、南京の城壁の外3、4キロの場で、三集団に再編成するよう命令した。

それは、城市内に進駐するのは、統制のとれた数大隊に限り、占領が「中国人の目にも輝かしく、日本のもとでも安心できると思わせる」ように、実行されるためであった(55)。

そして彼は、彼の管轄下の将校を蘇州の病室に呼び、通常の指揮としては極めて異例な以下の命令書を手渡した。

 帝国陸軍の外国首都への進入は、世界の耳目を集める、わが国の歴史における偉大な出来事である。しかるに、秩序を乱す部隊は、市内に進ませない。城市内に入る部隊は、この目的に沿って、所轄の師団司令官によって特別に選別されたものとさるべきである。そうした部隊には、留意すべき事項と、城市の人々の権利と利益の地位保全が前もって通知される。それらは、略奪者とはまったく縁のないものにさせなければならない。必要に応じ、見張り兵が配置される。進入部隊とともに、多くの憲兵、補助憲兵を城市内に入れ、これをもって不法行為を予防する


朝香宮は、彼の判を押し、「極秘、破棄せよ」と付記した一連の命令を発した(60)。それは単に、「すべての捕虜を殺せ」とあった。中国軍兵士は、姿勢の変化を察知し、南京の城壁内へと逃げこみ始めたが、少なくとも、四分の三の兵士が、もう一日、生きて戦った。残りの七万五千人は、南京城市内部に閉じ込められ、実質上、この首都強奪を目撃した欧米の観察者による犠牲者の統計に加わった。
 朝香宮の諜報参謀の中佐(#)は、その「殺せ」という命令を自ら率先して偽造した〔訳注〕、と友人に告げている。もしそうだとすれば、彼が軍法裁判にかけられなかったことが注目されるが、1945年6月、沖縄の洞窟壕で中将として死ぬ〔自決〕まで、軍人としての経歴をまっとうした。

 (#) 長勇(ちょう いさむ)。さかのぼる1931年、宮中の支援のもと、二件の擬似クーデタ〔1932年の三月(血盟団)事件と5.15事件〕の組織を助けた。これにより、情勢は混沌と化し、満州征服に伴う国内政治の危機の〔軍部主導による〕沈静化をもたらした。

 〔訳注〕 この命令の作成にあたり、松井総司令官はそれを制止しようとしたが、長中佐がそれを無視したらしい。

天皇のおじ、朝香宮の命令は、すべての捕虜を殺せという厳格なものであった。

南京を占領する、武藤、中島、朝香宮によって解放された8万余りの兵士は、勝手にできる場では、強姦、殺人、略奪、放火を重ねた。上官の指揮のもとにある場合でも、酔っ払ったり規律を無視して見境なく行動したが、それも組織的であった。こうして南京の虐殺は、中島が南京に入った12月14日より始まり、6週間それは続いた。そして、世界中からの抗議にも拘わらず、近衛宮が裕仁に、もはや蒋介石を失権させる以外に希望はないと認めるまで、それは止まなかった。

日本兵は、川岸における毎夜の鬼畜な任務にあたらされる一方、昼間、盗みに使用された。

南京に居た米国人教授の一人、社会学者のルーイス・スマイスは、略奪は隠れた事業として始まったという。

「日本軍は重い負担を軽減するため、非公認の略奪引受人を必要としていた」と彼は書いている。すでにスマイスは(109)、中島の到着以後、「上官の目の前で、店という店を組織的に荒らし回る」光景を目撃していた。そして彼はこう書いている、「収容所や避難所にいる難民の多くは、日本軍によるしらみつぶしの探索の際、わずかな財産からでも、現金や貴重品しか持ち出せないでいた」。

そして、日本軍によって発見された膨大な量の戦利品は、個々の兵士の背嚢にしまわれたのではなく、公に軍の倉庫に運び込まれていた。

三ヶ月後、安全地区委員の一人は、自分の家から略奪されたピアノの行方を追っていた。彼は、ある日本人将校により、二百台のピアノがしまわれている軍の倉庫へと案内された(110)。別の倉庫には、じゅうたん、絵画、マットレス、毛布、骨董の屏風やたんすなどが満たされていた。中島を含む多くの将官たちは、ヒスイ、磁器、銀などの小さな宝物を懐にいれていた(111)。だが、ほとんどの略奪品は、後に売られて、その代金は軍の費用をまかなうために用いられた。

 そうした犯罪においてことに南京が銘記されることとなったのは、12月15日の同じ日、それが組織的遊戯と化したことだった。言葉達者な将校に率いられたトラックが、安全地区の難民避難所を回り、「尋問」との理由で、若い女性を満載して運び去った時、集団強姦が始まった。いくつかの場面では、兵士たちが、女性がトラックに載せられる前から公衆の面前で強姦におよぶにいたって、それが口実と早くも露呈してしまっていた。

教育があったり、あるいは美貌の女性は、通常、それぞれの獲得物から選りだされ、大佐や大将のハーレムにおいて、質の異なる者らのために仕えさせられた。だが、そうと違って運に恵まれぬ女たちは、兵士たちが宿泊する公共施設や公会堂などに運ばれた。多くは、一晩に十人とか二十人とかの男に強姦され、翌朝に解放されたが、後日、幾度も他のトラックにより呼び戻された。多くは暴力を振るわれ、そのあげくに殺された。

未熟な少女は、そうした虐待に我を失い、まもなく命を絶っていった。気丈夫な人妻たちはしばしば、小隊あるいは隊全体の奴隷として使われ、昼間は洗濯をさせられ、夜は売春婦としての役目を負わされた。多くの若い女性は、ただベッドに縛りつけられ、あたかも永久の付属物かのように、やってくる者だれもの利用に供された。そして、彼女らが、欲望を果たすには余りに泣きくれたり病気であったりすると、すぐさま処分された。路地や公園には、その死後、切り刻まれたり詰め物をされるなどの屈辱を受けた、いくつもの女性の死体が放置されていた。


凱旋入城

 12月17日金曜日の朝、南京の大虐殺は、小男、松井大将の凱旋入城の式典のために、その度がゆるんでいた。慢性結核のぶり返しのため熱を出していた松井は、海軍のランチで川を遡上し、車に乗り換え、市の東側にある三重のアーチを持つ、損傷した中山門付近へ到着した。

パレードに参加していた兵士の奇声や外見、そしてホテルでの宴会で耳にした言葉などから、松井は、南京で何が起こっているかについて、深い疑念を抱いていた。選ばれた数大隊のみが市内に駐留せよとの彼のことさらの指示は、まぎれもなく無視されていた。彼は晩餐を早めに切り上げて、参謀会議を招集した。参加していた将校によると、彼は中島と武藤をしかりつけ、すべての不必要な部隊を市から出すように命令した。宿営担当の武藤は、農村地区に新たな宿泊地を設けることを言明した(116)。

 翌朝、メトロポリタンホテルで目を覚ました時、松井は憂鬱な気分にとらわれていた。彼の民間人補助役のひとりからその理由を聞かれた松井はこう答えた。「我々が知らないうちに、この都市で、もっとも許しがたいことを成してしまったことを、私はここで覚らされた。南京から避難した多くの中国の友人の気持ちや心情、そして両国の将来をを考える時、私は落胆を禁じえない。私は非常に孤独で、この勝利を祝賀する気持ちになぞ毛頭なれない。」(117)

 その朝の記者会見の場においても、彼は義務的に東京の立場を口にしたが、大言壮語の中に、悲嘆の表現を忍び込ませていた。「将来の我が軍の作戦は、蒋介石と国民政府のとる姿勢に全面的にかかっている。私は個人として、人々がこうむった悲劇を申し訳なく思う。我が軍は、中国を悔やませるようなことを続けてはならない。今は冬だが、この季節は熟考の時間を与えている。私は私の弔意と深い同情を、百万の罪なき人々にささげる。」

彼が市を去るやいなや、残虐行為は再び開始された。

上海にあって松井は、南京で毎日繰り返されているさらなる残虐行為について耳にしていた。彼は、それを止めさせる力のないまま、朝霞宮の評判について「いたく憂慮」していた。朝香宮が市内に移ったクリスマスの日、松井は、ニューヨークタイムスの特派員、ハレット・アベンドによるインタビューの中で彼の懸念を表し、同記者には、松井が「感じよく」また「痛ましい」人との印象を与えた(132)。ニューヨークタイムス紙の記事を通し、天皇裕仁へのその間接的懇願にかすかな希望を託して何らかの良き結果期待し、そして松井は、その翌日、朝香宮の参謀に以下のような文書を送った。

 「不法な行為が行われているとのうわさがある。・・・ことに、朝香宮が我々の司令官であるからこそ、軍紀はいっそう厳密に守られなければならない。誤った行為を働くものは、いかなる者といえども、厳しく処罰されなければならない。」(133)

 新年の乾杯の席で、松井は、私見としてある日本人外交官にこう語った。「私の部隊が、とてつもなく悪く、きわめて遺憾なことを行ってきている。」(134) 後年、部隊は言うこときかなくなり、凶暴化したのか、との質問に対しては、「規律は良好だが指導と行いがよくないと考えた」、と答えている。


1946年より1948年までの極東国際軍事法廷で、各国より選抜された判事による二年間の審問によって認められた数字によれば、最終的には、南京では、2万人の女性が強姦され、市の民間人の少なくとも四分の一に相当する、二十万人以上が殺された(###)。市の三分の一は(137)火災によって灰燼と帰した。価値あるもののすべては廃墟から搬出され、日本軍の倉庫に納められた。

南京での犠牲は、明らかに、偶発的なものではない。十万人の人が二十万人を殺すことは、不注意や、酒酔いや、違法行為があったとしても、容易になせることではない。

しかし、世界中からの抗議にも拘わらず、当時の日本政府によって、そうした犯罪者の誰も、何の処罰も受けなかった。戦地における部隊が狂暴となり、それには手の施しようがない、というのが東京の公的見解であった。

しかし、いったん南京から兵の帰還が始まると、その多くはそれとは異なった見方――彼らが見、そして行った、胸を悪くする話――を語った。「強姦と強盗以外に軍隊で学んだことはない」とか、ただ機関銃の効果を試すために捕虜を撃たなければならなかったとか、中国女の扱いについて、上官から「ことをすました後は、金を払うか、辺鄙な場で殺すか、とちらかにせよ」と命令されたとか、と苦言をこぼした


南京陥落の日、天皇裕仁は、皇后の大おじで陸軍参謀長の閑院宮に、「極めて満足」と表現し(143)、また、閑院宮は、松井大将に祝電を送り、「これほどの目覚しい軍事的進展は歴史上かってない」と述べ(144)、さらに、一月末、ファシスト的な皇后のいとこ賀陽宮は、南京から戻って天皇に、その地で見てきたことの全面的報告をし、そして、ひと月後の2月26日、天皇裕仁は、葉山の御用邸に、熱のある松井、王侯然たる朝香宮、そして熱血漢の柳川を迎え入れ、それぞれに銀の台に菊の紋を浮き出させた一対の勲章を授与した、ということである(145)。

 裕仁は、これらの戦争犯罪人のいずれにも、名誉を与えこそすれ、その一人をも処罰せず、今日まで、血縁、朝香宮とともに、温情厚く、生きてきている。

 そのすべての責めを一身に担ったのが、結核病みの小男、松井大将であったのは、南京における最大の逆説である。

彼は、熱海の神社に祀られている他の六人とともに、極東国際軍事法廷にかけられた。同法廷の15万ページにのぼる記録には、本章で見てきたように、その強奪における松井にかかわる論旨が発見できる。だが、松井がその強奪の秘密の命令を出したとの証拠は、そのどこにも見当たらない。その告発にあたった連合軍の検事も、決して松井の誠意について問責しておらず、一つの嘘をも指摘していない。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1c.htm

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1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。

『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。

 1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。

 同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人【原文では”tairiki ronin”となっているが明らかに音訳のミスと思われる:訳者】、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。

いずれここから笹川良一(1)と児玉誉士夫(2)が、戦後に自由民主党の絶対権力を作る財源に供した莫大な財産をひねり出すことになる。効率の良い手段を使って犯罪を行うこれらの集団のトップには岸信介とその一党がおり、また東条英機(秘密警察の長であり将来の戦時政府の首相)、星野直樹(アヘン独占販売の長)、松岡洋介(満鉄の総裁)そして鮎川義介(日産の統括者)【本文では”Aikawa Gisuke”となっているが音訳のミスと思われる:訳者】なども加わり、天皇の承認の元で略奪作戦の計画を立てた。

 彼らは満州重工業会社を創設したが、それは工業の発展を促し軍隊とヤクザが地元民から様々な手段(身代金の要求、ゆすり、銀行強盗など)でむしり取った戦利品を集約した。大日本帝国の皇族たちの指揮の下に行われたこれらの略奪が「黄金の百合作戦」である。

 その侵略熱は西側指導者をいらつかせた。彼らは日本が彼らの植民地と利権に干渉してくるのを恐れた。1936年に朝鮮半島での完全な略奪の中で、日本の戦略は二つの選択肢の間でためらった。その一つは、ソビエト連邦との国境防衛地帯を作るために、あくまでも天然資源の豊かなシベリアの支配権を手に入れようとするものである。

 この『反共』戦略は一部の西側の大国を満足させるというメリットを持っていただろう。この目的のために駐ロンドン大使である吉田は、クリヴェデン(Cliveden)グループの協力を得て、英国との同盟関係を固めようとした。米国では、ハーヴァード・フーヴァーやナチの飛行士チャールズ・リンドバーグ、マッカーサー将軍の取り巻きたちなどの大勢の超保守派が、この帝国の良き理解者であった。

 裕仁の弟である秩父宮は1936年に可能性のある英国と日本の同盟を準備するためにロンドンへ向かった。反共戦線という見通しはひょっとすると英国外交を口説き落としたのかもしれない。しかしアジアでの日本の軍備拡張はヨーロッパの大国の植民地を脅かしていた。すぐに秩父宮はあらゆる交渉の手段を失った。

中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統(3)と会談するためにニュルンベルグへ向かった。

 米国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿【原文ではel príncipe Konoeつまり近衛殿下となっており皇族であることを表現している:訳者】は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。【朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。:訳者】

 この最後の者【朝香宮を指す:訳者】はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。

 婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。(4)

 軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。(5)

東京裁判は、スケープゴートを絞首刑に処することで終わった、全くのペテンである。南京の虐殺の首謀者である朝香宮は、松井将軍が加わってもいない犯罪のために絞首刑台に送られた一方で、起訴すらされなかったのだ。

 マッカーサーの偉大なライバルである山下も、マニラ市民の虐殺の罪を問われて同様の運命をたどった。東条将軍は戦争の第一責任者の罪を負わされて天皇裕仁の代わりに責任を取らされた。
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html

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2018.12.03
精算されていない日本の過去(1/2)

 第2次世界大戦中、日本は占領した東アジアの国々で人びとを強制的に動員して働かせた。徴用工だ。日本では1938年に国家総動員法が制定され、翌年に公布された国民徴用令によって厚生大臣は強制的に人員を徴用できるようになった。


 この仕組みを国外で外国人に適用すれば国際問題になる。韓国との問題では1965年の日韓請求権協定で解決したことになっているが、日本側も個人の請求権は消滅していないことを認めている。韓国の大法院もそのように判断、日本の企業に賠償金の支払いを命じたわけだ。


 日韓請求権協定自体の問題を含め、日本の過去は清算されていない。アメリカ支配層の力を借りて封印してきただけである。アメリカの力が弱まったことで、問題が表面化してきたと言えるだろう。韓国は何年も前からロシアや中国との関係を強め、アメリカから離れつつある。アメリカの属国である日本に気兼ねするような状況ではなくなってきたのだ。


 本ブログでは何度か書いたことだが、日本軍は東アジアの占領地で財宝を組織的に略奪している。「金の百合」だ。


 アメリカ人ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、プロジェクトが始まるのは日本軍が南京を攻略した1937年。政府が保有する資産を奪うだけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪したという。財宝を探し出すため、憲兵隊は目をつけた家の娘を誘拐することもあったという。娘と引き換えに、隠した財産を差し出すか近所や親戚の財産に関する情報を教えろというわけだ。貧しい家の娘は売春宿に連れて行かれたともシーグレーブ夫妻は主張している。


 この南京攻略戦に参加した少なからぬ日本軍の将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録しているが、個人的な略奪、殺戮、レイプなどもあったようだ。


 この作戦当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数はわからないとしたうえで、死体が山積みになった光景を見たと話していた。(筆者自身の取材)


 また、支那派遣軍の岡村寧次総司令官が「大暴行があたのは事実」と書き残しているほか、外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告に「目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていた。


 南京攻略は形式上、松井石根が最高指揮官なのだが、実際は朝香宮鳩彦、昭和天皇(裕仁)の叔父にあたる人物だったと言われている。


 スターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、「金の百合」を指揮していたのは天皇の弟である秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳だという。秩父宮は駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーと親しい。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812030000/


2018.12.03
精算されていない日本の過去(2/2)


 日本軍が中国など大陸で略奪した財宝はフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれる手はずになっていた。実際、一部の金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)隠し場所として、さまざまな場所の名前が挙がっている。


 ところが戦況の悪化で輸送が困難になり、相当部分がフィリピンの山の中に隠された。日本の日本の敗戦が決まった当時、フィリピンを担当していた日本軍第14方面軍の司令官が山下奉文大将だったことから隠された財宝は「山下兵団の宝物」とも呼ばれている。その山下は1946年2月にマニラで処刑された。


 アメリカの情報機関は戦争中から「金の百合」に関する情報を持っていて、日本が降服するとすぐに回収工作を始める。関係者への尋問は戦時情報機関OSSのエドワード・ランズデール大尉(当時)が指揮した。後に対キューバ工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる人物だ。


 OSSが廃止になるとランズデールはチャールズ・ウィロビー少将が率いるフィリピンのG2(アメリカ陸軍の情報部門)へ配属になり、尋問を続ける。財宝のありかを聞き出したのはランズデールの部下だったセベリーノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーナだ。


 その情報は東京やワシントンDCに伝えられる。その際、ランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会っている。


 この報告を受けたヘンリー・スティムソンは財宝をアメリカの国際戦略に利用しようと考える。1945年9月21日までスティムソンは陸軍省(戦争省)の長官で、その下にはジョン・マックロイやロバート・ラベットなどウォール街の大物がいた。


 アメリカの支配層が手に入れた略奪財宝は「金の百合」以外にもあった。ドイツ軍がヨーロッパで略奪した「ナチ・ゴールド」だ。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチスがヨーロッパで略奪した資金はOSS長官だったウィリアム・ドノバンが1946年に設立したWCC(世界通商)でロンダリングされ、タイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994)


 WCCをドノバンと共同で設立したのはイギリスの対外情報機関MI6の下部組織、BSC(英国安全保障局)の責任者だったウィリアム・ステファンソン。WCCの後ろ盾にはネルソン・ロックフェラー、ジョン・マックロイ、シドニー・ワインバーグ、ビクター・サッスーンも含まれている。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)


 「金の百合」と「ナチ・ゴールド」は統合され、「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれる秘密の基金が創設されたとも言われている。こうした秘密資金がアングロ・サクソンの世界支配に利用されたということになる。


 「金の百合」に関する情報は1980年代の後半から流れるようになった。切っ掛けはフェルディナンド・マルコスの失脚。1983年8月にマルコスのライバルだったベニグノ・アキノが空港で射殺され、マルコスに対する抗議運動が激しくなり、それを利用してアメリカ軍がマルコスを拉致したのだ。国外へマルコスが出ると財宝に関する裁判が起こされ、情報が漏れ出てきたのだ。


 マルコスは1954年にイメルダ・ロムアルデスと結婚しているが、ふたりを引き合わせたのはランズデールの部下だったロマーナ。ロマーナはイメルダと親しかったようだ。マルコスは日本軍が隠した財宝の一部を掘り出し、それを資金源にして大統領というポストを手に入れたと言われている。


 ロナルド・レーガンが大統領に就任した直後、マルコスはブラック・イーグル・トラストに関して沈黙を守る代わりに援助という名目でフィリピンにカネを回すようにアメリカ政府へ要求した。つまり恐喝だ。当然、アメリカや日本の政府は警戒するようになる。それがマルコス失脚の原因だという。


 詳細は割愛するが、アメリカが日本の過去を封印する手助けをする理由のひとつは略奪財宝にあるだろう。日本の過去を本当に精算しようとすれば、アメリカが大戦後に築いた世界支配の仕組みが明らかになる。日本の場合、薩摩と長州が徳川体制を倒した明治維新から現在に至るまでの歴史も見直さなければならなくなる。本ブログでは何度も書いてきたが、血盟団や二・二六の将校が何を見、なぜ怒ったのかを理解する必要もある。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812030001/

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私が会った皇室家族の二人は、私との会話に、1926年からの日本の支配者、裕仁天皇についての、いくつもの物語を滑り込ませていた。こうした物語は、印刷物として報じられたことはなく、私は最初、皇室内のゴシップとして聞き流した。
しかし、後にその全体の文脈で見ると、そこには取り上げるべき重要さが潜んでいた。

たとえば、真珠湾攻撃の夜、裕仁がマラヤからの短波放送を聞いていたとか、
彼はかって、息子をもつため、人工授精による出産をおこなっていたとか、
彼の誕生は、一般に言われているより一年早かったとのうわさがある、などなどである。


 こうした話から私が確信することは、裕仁が、少なくとも、そのように見せようとしているような、素直な歴史の被造物なぞでは決してないということである。

彼の侍従の話では、彼は、強力な独裁制の主唱者として登場してきたという。

彼は、卓越した知性の持ち主とも言われている。

1945年までは、彼は、政府のあらゆる詳細に明るく、すべての分野の官吏と逐一協議しており、常時、世界情勢についての全体的視野を保持していたという。

彼の、民事、軍事、宗教上の力は、絶対的なものと受け止められておりながら、
彼はそれをただ儀礼的に、かつ国務大臣の推奨を追認するのみで執行していたとも言われている。

また、どの話の中でも、彼は常に大臣の構想に遅れを取らずに助言を与え、
そして、彼が受け入れられるような推奨案へと舵取りしていたことが次々と語られている。

また、時には、反対する見解をも採用し、少数意見も受け入れ、あるいは、
ひとつの推薦案を丸々無視したとすらも認められていた。

裕仁天皇は、米国との戦争の布告に署名をしていた。それは、彼の意思にはそわずにされたものと言われていたが、戦争開始数ヶ月後の、近衛首相の退陣までに作成された記録には、そうした記述は残されていない。また、もし彼が戦争を差し止めようとしたならば、暗殺されたかもしれないとも言われている。しかし、こうした主張は、こじつけのようである。というのは、兵士も将校もすべて、天皇のために死ぬ備えをしており、彼を暗殺するほどにかけ離れた日本人は、戦争に反対の西洋化した銀行家や外交官だけであったからである。

 裕仁天皇は、1937年、軍隊を華北へ送る命令に判を押した。これも後に、意思にそわずに行われたものと言われ、また、その二ヵ月後には、華中、華南へ出兵する命令にも判を押した。

彼は参謀本部の躊躇した「軍国主義者」の忠告に従い、華南の命令の執行を不本意に延期した。彼は、戦局を自ら掌握できるよう、皇居のなかに、大本営を設置した。

当時の首相が天皇のあまりな傾倒に苦言を呈しているように、彼は戦争計画に没頭するようになった。

そして遂に、彼の伯父は、中国の首都、南京攻撃の命令を引き受け、南京のあるホテルに居を移し、彼の軍隊が、10万人を超える無防備の軍民双方の捕虜を殺しているのを傍観していた。それは、第二次大戦でおこなわれた最初の集団虐殺で、この伯父が東京に戻った時、裕仁は、自らでかけて、伯父への名誉の勲章を与えた。

 それをさかのぼる1931年から32年、裕仁は、満州領有に許可を与えた。これも後になって、不承々々のものとされたが、彼は、自らが代表する天皇の統帥機関により生じた企ての全的責任を負うことに躊躇していた、と当時の記録は明確に記録している。そしてふたたび、この領有が完了した時、彼はその実行者たちに勲章をあたえ、その大将を自分の侍従武官兼軍事輔弼〔ほひつ:天皇への助言者〕の主席にさせている。

 こうした明白な諸事実より、天皇裕仁の行為と、後年、彼について語られた言葉との間には、大きな食い違いがあると結論付けうる。

私は、資料文献を読みながら書き留めたノートのすべてを見直しかつ再考察し、日本の近世の歴史は、第二次大戦以来提起されているように、一部、参謀本部の逆諜報専門家や、一部、皇室取巻きの上層部によって、戦争末期に捏造された幻想に巧に由来している、と確信するようになった。

 こうした日本の表向きの物語は、何度も、すでに生じていたことがその結果にように引き合いに出され、論理的に逆転している。偶然な出来事や自然発生した大衆行動が、高官レベルで、それに先立つ数ヶ月あるいは数年前に、実際に議論されていたことを、その時々の資料は、一度となく示している。天皇の主席政治輔弼、内大臣(訳注)は、慣例のように次期首相を任命し、現職首相の職が危ういような政府の危機の際には、それに先立つ数週間ないし数ヶ月間は、「彼の特務期間」と呼ばれた。そのやり取りは記録として残されてもおり、その中で内大臣は、続く二代の政府の組閣構成やその成果を、正確に見通している。

終戦時、オーストラリア、ニュージーランドそして中国の高官はすべて、裕仁天皇は日本の君主であり、日本の戦争責任者のリストの先頭におかれるべきであることに同意していたことを、キャンベラの書庫で発見して、私には心をやわらげられるものがあった。彼らは、その後、マッカーサー将軍の決定――天皇を国際法の下の戦争犯罪人とするより日本の復興のために用いる――(私自身、これは賢明な決定と思う)に従った。

私の調べた確証から浮かび上がる天皇の姿は、公式の伝記にあらわれる姿とは、まるで写真のネガとポジのように異なっていた。

私の見方では、裕仁は、献身的で、衰えを知らず、利巧かつ細心で、そして忍耐力を備えた、卓越した戦争指導者だった。

彼は、アジアから白人を追放するというその使命を、大祖父から引き継いでいた。だが、国民は無関心かつ後進的であったので、人々をそうした役務にかりだすため、戦争の20年前から、心理的、軍事的に準備を重ね、巧みにあやつっていった。

公式の人物像は、これとは逆に、裕仁を、魅力に乏しいところの多い、文化的な隠居した生物学者で、自らの公務は将官や総督にゆだね、そのすべてのエネルギーをおだやかに、きのこや小さな海洋生物につぎこむ人、と描いていた。

その年の一月、私の調査が終わろうとしていた時、原書房という東京の小さな出版社が、戦時中の陸軍参謀総長、杉山元〔はじめ〕大将が1940年から44年に書きとめた備忘録〔『杉山メモ』〕を出版した。これは、日本国家の最高位の軍事将校による歴然たる手書き資料である。杉山は日本が降伏した1945年に自殺しており、彼の記録を装飾する機会はなかった。記録のほとんどは、無味乾燥な軍事的詳細か、さらに単調な軍事用語で満たされていた。しかし、そのうちのいくつかは、裕仁との会話の言葉どおりの記述である。

それらは、裕仁が、真珠湾攻撃の数ヶ月前、軍事的、経済的計画について、詳細な質問をしていることを記していた。

それは、マッカーサー将軍が語ったという、裕仁が戦後将軍に告白した――1941年にはすべての軍事的、経済的事柄については無知であった――という発言と真っ向から食い違っていた。

 最も驚くべきことは、1941年1月、対米戦勃発の11ヶ月前、裕仁が独自に、真珠湾への奇襲攻撃のフィジビリティー調査を命じていることを、『杉山メモ』が記録していることである。

それ以前では、欧米の歴史家は、少なくとも1941年11月までは、裕仁は真珠湾奇襲攻撃計画については何も知らなかった、と信じていた。1941年当時の侍従長、鈴木貫太郎は、戦後、裕仁は真珠湾攻撃計画については、それが実行されるまでは知らなかった、とはばかることすらなく記している。

 『杉山メモ』はまた、裕仁は、真珠湾計画に、彼の公式軍事輔弼がそれを告知される丸六ヶ月前の段階で、参加していたことを明らかにしている。極東国際軍事法廷の連合軍判事たちに提示され、また、宣誓のもとでの目撃証言や緻密な調査によって検証された証拠は、裕仁を戦争にまで引きずり込んだとされる「軍国主義者」の誰もが、1941年8月まで、真珠湾計画を知らなかったと結論ずけている。


国際軍事法廷は、日本人指導者に「侵略戦争への陰謀」との判決を下し、1928年から1936年の間の日本を運命付けた少なくとも八件の主要陰謀を明白とさせた。また、陰謀は、日本文化においては、古くから、由緒ある地位に置かれてきた。戦前の日本の領土軍〔植民地配属軍のことか〕は、公式に「謀略部」と称する参謀チームを設けていた。

私は、その連合国判事が判明させたリストに、さらに六件の陰謀を加え、それらのすべてを、裕仁を中心とする皇室がからむ陰謀とした。裕仁は、秘密裏に少数派に働きかけ、最初は日本を欧米との戦争に導き、そしてそれに敗北すると、その記録を隠蔽した。

欧米の歴史家は、日本人をえがくにあたって、集団ヒステリーの産物という考えでもってあまりに懲り固まっているようだった。

日本経済の記録は、そうした思い込みが誤りであることを示している。わずか一世紀昔の1868年、日本の経済発展は、1485年にヘンリー七世が王座にあった英国に相当すると見られていた。

過去一世紀の変貌は、常軌を逸した不可解な人々によって成し遂げられたのではなく、もっとも勤勉で知的な人々によってなされたのである。

私は、これまでの生涯、日本人に畏敬とそれを知ることの喜びを感じてきた。日本の指導者たちが、欧米の指導者たちと同様に、極めて賢い人たちであるということは、この著作の基本的前提である。

1945年、連合軍がドイツを制圧した際、何百万ページもの国家文書が発見された。これに対し、連合軍が取り決められた日本の占領を始めた時、戦争終結からまだ2週間しかたっていないにもかかわらず、アメリカ人の手に入ったもので、何らかの重要性をもつ文書は、日本人によって自発的に提供されたものであった。

1937年より1945年まで皇居において天皇が議長を勤めて行なわれた天皇本部の会議議事録は、すべて焼却されたと言われている。陸軍参謀本部、海軍参謀本部、特高警察のファイル類の大半も、同様であった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm

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元首相で事件当時外務大臣だった広田弘毅は南京大虐殺を止めさせる為に奮闘したが…

日本の広田弘毅外務大臣が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。

少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日

ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。

この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html


廣田弘毅は、極東軍事裁判で裁かれたA級戦犯の中で、唯一、文官として絞首刑になった人物である。
 何故、廣田が連合国側の一方的な裁判で裁かれなければならなかったのか?

 廣田弘毅内閣が発足したのは昭和11年3月である。「二・二六事件」があった直後であったので、廣田も当初は拒み続けていたようだ。

 組閣時には、陸軍から横槍、干渉がかなり入っていたので、とても自前の内閣とは言えなかった。多くの政治家たちは軍部の暴力に震え上がって、言いなりになっていた雰囲気があったのだが、廣田は在任中、平和外交を粘り強く進め、強大化する軍部に抵抗し続けていた。
 
 しかし軍部は、統帥権を盾に暴走し、広田首相の思惑とは正反対の方向へと日本を引き摺っていったのだ。それなのに廣田は敗戦後にA級戦犯として、極東軍事裁判の被告人となった。
 廣田の判決を巡っては11人の裁判官のうち中、3人が反対したそうだ。オランダのベルト・レーリンク判事は「廣田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは、疑う余地が無い。」と、無罪を主張したのであった!

 この著しく公平さに欠ける裁判に於いて広田弘毅は、戦争回避に努めたとは言え、結果として軍部の圧力に屈する事となり、戦争を阻止できなかった責任を自らに科していた。
http://blog.livedoor.jp/metabolic_oyaji/archives/781688.html


南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日

ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)

http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html

広田弘毅 最後の言葉 :「天皇陛下漫才!!!!!! 天皇陛下漫才!!!!!!」


三階から処刑第一組として土肥原、松井、東条、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。

『三誓偈』の初めの三頌を声高らかに私は読んだ。四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、「非常に有難うございました」とお礼をいわれた。それから松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。


仏間に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、 板垣、広田、木村さんが降りて来られた。

顔を合せると、すぐ広田さんが真面目な顔で、

「今、マンザイをやってたんでしょう」

といわれた。

「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣りの棟からでも、聞えたのではありませんか」

私も真面目に、こうこたえた。

「いや、そんなことはないが・・・・・・」

お経の終ったあとで、広田さんが、

「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」

といわれた。私も、やっと気がついて、

「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」

といった。それでやっと、マンザイがバンザイだとわかって、

「それでは、ここでどうぞ」というと、広田さんが板垣さんに、「あなた、おやりなさい」とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下漫才」を三唱された。

花山信勝 「巣鴨の生と死」  
http://www.c20.jp/1948/12senpa.html


▲△▽▼


因みに、戦前の“明治憲法”では天皇一人が絶対権力を持ち、総理大臣でも天皇の命令には逆らえなかった。


最近の法学の憲法理解では

憲法は、国民を統治者の横暴から守る為に統治者に課する規定
法律は、統治者が統治の為に国民に強制する規定
を定めたものだ。

“明治憲法”では

@主権は天皇がもち、天皇の位は血筋によって代々受けつがれる。

A立法権・行政権・司法権は、すべて天皇の大権(統治権)に属する。

B天皇は陸軍・海軍の大元帥として、軍隊・軍備・戦争など軍事に関することを決める権限(軍事権)をもつ。

C天皇は議会を通さずに、一定の範囲で法律を定めたり、予算を決めたりできる。

D天皇は議会を通さずに、条約を結ぶ、戦争を始める、戦争をやめる、戒厳令(非常事態の時に軍隊を出動させる権限)を発する、勲章をあたえるなどを行うことができる。

とあり、天皇が絶対権力を持っていたわけだから、憲法としての基礎的要件を満たしていないのさ。

内閣や内閣総理大臣に関する規定は、憲法典ではなく内閣官制に定められた。内閣総理大臣は、国務大臣の首班ではあるものの対等な地位とされ、国務大臣(各省大臣)に対する指揮監督権や任免権もないため、明文上の権限は強くない。

しかし、内閣総理大臣は機務奏宣権(天皇に裁可を求める奏請権と天皇の裁可を宣下する権限)と国務大臣の奏薦権(天皇に任命を奏請する権限)を有したため、うまく天皇のご機嫌を取れれば実質的な権限は大きかった。
逆に言えば、天皇の意志に反したら、内閣総理大臣でも何もできなかった。

統帥権は、慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、陸海軍は政府の指示に従う必要は無かったので、内閣や内閣総理大臣の決定を無視した行動を取ってもよかった。 即ち、天皇が命令しすれば開戦でも虐殺でも何でも天皇の思い通りにできた。を有したため、実質的な権限は大きかった。
http://sentyusenngo.seesaa.net/article/44284311.html

1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。
彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は
限度を越えていた。

中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた

1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人
ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、
あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。


ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、
よく理解できるはずである。

 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。

だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で
天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の
側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。

東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。
彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。

木戸はまた、
刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。

二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、

自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm

内閣特別顧問の石原莞爾――退役した満州戦略家――は、敗戦の説明をおこなうため、全国の津々浦々を行脚した。

彼の話す内容は、戦争を始めたのは元首相東条であり、彼以外に責任はない、という単純なものであった。

1930年代初め、石原と東条は、天皇の支持を取り付けるため互いに争っていた。だが東条が勝利していた。今、東条を犠牲者に祭り上げるにあたり、石原ほど詳細を知るものはいなかった。

出身地東京で一年以上の退役生活を送っていた東条は、その中傷を冷徹に受け入れ、戦争の責任を全面的に負うのが自分の意思であると、友人たちには内々に語っていた。

友人たちは彼の意思を尊重したが、以前の部下や下僕たちはそれに反発した。たとえば、官邸に20年間使えてきた給仕は、東条を、もっとも人間的で思慮深い人物であると述べていることが幾度も取り上げられていた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_3a.htm


マスコミ報道等では、第二次世界大戦は日本の軍部が独走し、
天皇は仕方なくそれに引きづられた・・という事になっている。

そのため戦争中首相であった東条英機は戦争犯罪者として処刑され、
天皇は「罪を問われなかった」という事に「なっている」。


1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。

「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に
十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。

ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて
戦争が行われているのでは無い事、

東条が「天皇の指導の下」にその命令通りに戦争を行って来た事を、天皇自身が証言している。

天皇は、自分の行った戦争の責任を全て東条に押し付け、東条を処刑させ、
自分だけ生き延びたのである。

戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、
政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。

東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、
この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。

天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49704032.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
20. 2019年1月02日 08:15:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22213]
南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c20
コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
16. 東北列藩同盟志士[150] k4yWa5fxlMuTr5a_jnWObQ 2019年1月02日 08:18:23 : TRiCTGmt5I : 0W000QUFTeE[39]
渋谷のオヤジ狩りの少年たちよ!!
こいつらを見つけら即効でフルボッコ
にしろよ!!お前らをそんな貧民状態にしているのは
こいつらなんだからな。ハロウィンの時の軽自動車を
ひっくり返す力あるならこいつらの乗った高級車を
ひっくり返してめちゃくちゃにして中から引きずり出して
ボコって再起不能(要するに植物人間状態)
スレスレまでやれよ!!(笑)フランスのデモみたいにな(笑)。
革命とは暴力である(by毛沢東)
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK255] マイケル・グリーン副所長は「もう安倍は必要ない。速やかに排除したい」「ポイントは、沖縄3区の補欠選挙が戦いのスタートだ。 赤かぶ
11. 2019年1月02日 08:21:58 : kY5e4TlAYc : zcH58Wt@9U0[51]
日本国憲法英文草案を作成した、GHQマッカーサー司令部の考えは、9条2項で日本を武装解除して、米国に二度と刃向かわせないためで、日本を守る手段として国連軍の創設を考えていた、しかし、米ソ冷戦と朝鮮戦争の勃発でマッカーサーの構想は破綻した、駐ソ米大使館員であった、ジョージ・ケナンなどの論客が日本を共産圏の防波堤として活用すべきと説き、米国の政策が180度転換して再軍備を要求、軍人嫌いな吉田茂は拒否したが、再三の再軍備要求に屈し警察予備隊を創設させた、この時、違憲状態を発生させた、
トルーマン大統領が、ウォールストリートの辣腕弁護士ジョン・フォレスター・ダレスを
米国務省顧問の肩書で送りこみ、マッカーサーを説得、優秀な軍人であったマッカーサーも、法律では赤子も同然で、憲法9条2項は、米国が支配するためのものに変質した、
即ち、GHQ軍政の権益を日米安全保障条約に置き換えた、『占領が日米安保』に置き換わっただけで、米軍が霞が関官僚に依って間接統治する根拠となった、
事実、米軍が霞が関官僚に指令を出す日米合同委員会が日本の最高意思決定機関となった、この機関が決めたことは首相と言えども口を挟めない、戦前の統帥権に匹敵するものである、指揮権密約により自衛隊の指揮権は米軍が握っているし、裁判家密約で米軍に治外法権を許している、思いやり予算で米兵1人当たり、1千万円以上の経費を国民の税金で賄っている、このようなお人好し国家は世界でも稀であろう、
憲法、特に9条2項を改正して、外交権を持つことは米軍が既得権益を失う事柄で反対しているのであろう、日本が米軍の奴隷国家に甘んじるのか、それとも自立の道を目指すのかが問われている。

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/634.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK255] 12月30日、マスゴミの中に少しの良心を見た番組!(simatyan2のブログ) 赤かぶ
29. 東北列藩同盟志士[151] k4yWa5fxlMuTr5a_jnWObQ 2019年1月02日 08:25:50 : TRiCTGmt5I : 0W000QUFTeE[40]
>>28
ならば、お前が率先して自衛隊にでも
フランス外人部隊でも入隊して
実情を報告しろ!!話はそれからだ!!(byゴルゴ13)
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/597.html#c29
コメント [政治・選挙・NHK255] やる気になれば、安倍晋三など屁でもない!   赤かぶ
10. 大椎城[10] keWSxY_p 2019年1月02日 08:28:17 : CbD5crET12 : yq9Mosl5hXc[99]
 大きな選挙の時どうして天候が荒れるのか、台風が行ったり来たりしている。気象操作されているのではないか。また、選挙に不正があるのではないか国民は疑う必要があります。国民の監視を強化して行くことです。民主主義は選挙が公平に行われることが前提です。現行の制度が公平であるか完全に証明できなければなりません。しかし現状は不完全です。アメリカをはじめ不正選挙が話題に成っています、日本だけ例外であるはずがありません。一方、選挙を盛り上げる国民運動も大切です。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/647.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK255] マイケル・グリーン副所長は「もう安倍は必要ない。速やかに排除したい」「ポイントは、沖縄3区の補欠選挙が戦いのスタートだ。 赤かぶ
12. 東北列藩同盟志士[152] k4yWa5fxlMuTr5a_jnWObQ 2019年1月02日 08:30:40 : TRiCTGmt5I : 0W000QUFTeE[41]
マイケル・グリーン←コイツも必要ない。
とっとと地獄へ落ちて神の裁きを受けよ!!
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/634.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
11. jk[1050] goqCiw 2019年1月02日 08:34:55 : qyjLKDKN06 : YE6TANrPU1M[202]
自民党歴25年、反自民党歴25年の小沢氏。

終始一貫して自民党に代わり得る野党の実現に邁進してきた小沢氏。

平成が終わる今年こそ、2大政党制の実現に一歩でも近づけるけるよう祈る。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
17. ぢっとみる[470] gsCCwYLGgt2C6Q 2019年1月02日 08:35:03 : LLC16YRhF6 : 2yUQTAqpjc8[470]
> たとえば、災害時のトリアージで、黒いタグをつけられると治療してもらえないでしょう。

もっともらしく、(得意げに)
一般ピーポーには馴染みのない“用語”
(ここでは「トリアージ」)を使って
(しかも、語意を巧みにすり替えて)
くるヤツラは、
最初から、一般ピーポーを騙くらかす気マンマンだ。
しかも、一般ピーポーはそれをツルッと飲み込んでしまったりする。

>>10.さん
> 論点は終末医療じゃなくて、
> 庶民に金を使いたくないという事だろ

結局…
ボクちゃんとボクちゃんのオトモダチのために、
“臣民”のカネと血を吸い集めて、
もっと好き勝手したいのよ。
アメリカさまにも貢物を差し上げて、
もっともっと長く、孫子ともども、
死ぬまで安楽な地位に居させて欲しいのよ。

そういえば…文字通り、
(人件費、設備費等々は掛かるだろうが)
タダで「血」を集めて
(しかも、人々の“善意”を利用して)
実は“商売”にしている
“献血”なんてモノもあった。

「献血と輸血」献血は無料なのに、輸血は有料なの?!(赤十字)(天下り)天下りヤクザ団体・日本赤十字社による脅迫・強盗被害
http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/413.html

しかも、日本赤十字社は名誉総裁、名誉副総裁、社長などに、
皇族、旧華族を据えて、
その“ネームバリュー”をも利用している。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK255] 政界仕掛け人 小沢一郎の戦闘宣言! 安倍自民は大政翼賛党だ 倉重篤郎のニュース最前線(サンデー毎日) 赤かぶ
7. 2019年1月02日 08:35:42 : 17e7clHa7Q : uJC4sy0wz1s[117]
>政界仕掛け人 小沢一郎の戦闘宣言!・・・

戦闘成果が出たら、報道されるでしょう!

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/630.html#c7

コメント [戦争b22] 米国の戦争マシーンに組み込まれた日本が急ピッチで軍事力を増強中(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
4. 仁王像[2509] kG2JpJGc 2019年1月02日 08:38:59 : SK7aNF1oE6 : qTTnDCX3tsE[27]
(櫻井ジャを讃える歌)

♪青葉枯れたる櫻井の 世界のわたりの夕まぐれ
 木(こ)の下陰に自転車とめて 世界の行方をつくづくと
 妄言寝間着の袖の上 散るは涙か冷や汗ジャ

♪櫻井涙を打ち払い 我が妄言呼び寄せて
 わしは米国にに赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん
 汝(いまし)はここまで来つれども とくと日本で妄言守れ
                         (by 落石こけ造)
(注)妄言:一時代ズレた考え


http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/486.html#c4

コメント [リバイバル3] 松本清張スペシャルドラマ 〜塗られた本〜 中川隆
51. 2019年1月02日 08:39:43 : 45qP55FaI2 : 6VuA8Te7WTo[283]
松本清張氏は日本のバルザックとして、ノーベル文学賞が授与
されるべきだったという意見が東大教授をはじめ専門家の意見も根強い。
時代背景が阻んだことはあるに違いない。無冠の帝王は永遠に不滅だろう。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/676.html#c51
コメント [原発・フッ素50] 年末年始の大寒波・大雪 温暖化に反するニュースはマスコミは報じない 偏向報道ここに極まれり  魑魅魍魎男
8. 2019年1月02日 08:41:47 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[1401]
>>7
>地球温暖化には確たる証拠がある。

確たる証拠はない。いくらでも反証がある。

>ローカルな事象と北極海から氷が消えたようなことを
>ごっちゃにするのは間違いだと思う。

昨夏の日本酷暑もローカルな事象ですが、何か?

北極の氷冠が増加している、南極の氷が増加しているという調査結果もある。

ついに地球が本格的な「寒冷化時代」に突入した可能性
http://oka-jp.seesaa.net/article/374328311.html

南極大陸の氷、「実は増加していた」 NASA
https://www.cnn.co.jp/fringe/35072954.html

百歩譲って温暖化しているとしても、それを二酸化炭素増加が
引き起こしているという証拠はない。

温暖化を防ぎたいのなら、まず莫大な量の温排水を垂れ流す原発を
止めるべきだが、奴らは絶対それには言及しない。

原発推進が目的だからね。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/725.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK255] <亀井静香・元建設相>参院選、根無し草の自民は勝てない 国民は安倍政権に飽き 同日選をやっても勝てない  赤かぶ
3. 2019年1月02日 08:48:11 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[1255]

『レイムドダックの安倍』

「東京オリンピックまで首相の座に居たい」が唯一の願望。

バカな安倍は、自ら「レイムドダックの安倍」を演出している。

オリンピックが近づけば近づくほど「安倍のウソ」が

外国マスコミの取材対象になる。

流石の官邸マスコミも、この取材攻勢には『降参』せざるを得ない。

『レイムドダックの安倍』の足掻きが「世界中に発信される」

『安倍、1巻の終わり』が見えている。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/652.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK255] <亀井静香・元建設相>参院選、根無し草の自民は勝てない 国民は安倍政権に飽き 同日選をやっても勝てない  赤かぶ
4. 2019年1月02日 08:50:44 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[1256]

『レイムドダックの安倍』

「東京オリンピックまで首相の座に居たい」が唯一の願望。

バカな安倍は、自ら「レイムドダックの安倍」を演出している。

オリンピックが近づけば近づくほど「安倍のウソ」が

外国マスコミの取材対象になる。

流石の官邸マスコミも、この取材攻勢には『降参』せざるを得ない。

『レイムドダックの安倍』の足掻きが「世界中に発信される」

『安倍、1巻の終わり』が見えている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/652.html#c4

コメント [原発・フッ素50] 年末年始の大寒波・大雪 温暖化に反するニュースはマスコミは報じない 偏向報道ここに極まれり  魑魅魍魎男
9. 楽老[2] inmYVg 2019年1月02日 08:50:49 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[-2686]
>7.pYIKdJH9r_s:地球温暖化には確たる証拠がある。

確たる証拠を分かりやすく教えていただけませんか?

異常気象と言われるものも、長い地球の歴史の中ではほんの些細な微細な、揺らぎに過ぎないのではないかと思います。

いま、温暖化と言われるものを素直に受け止めて生きていく覚悟には大賛成ですが

分かりもしないのに、原因を炭酸ガスと決めつけるのはまるで新興宗教のようです。
分からないことは分からないとして、わかる努力を続けることは必要です。
マイクロビーズ海洋汚染をプラストローをスケープゴートにして騒ぐのと全く同じ愚です。

私はプラゴミは燃やせという意見です。
もし燃焼CO2を問題にするなら、都市ごみ焼却炉で重油を助燃材として使用することを禁止すべきだ。
プラゴミを投入すれば助燃材不要です。
微生物分解する生分解性プラも最終的にH2OとCO2になるのです。

      
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/725.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK255] レーダー照射事件騒動は、またもや「背広を着た元帥閣下」の暴走なのか? 空っぽの愛国君
72. 2019年1月02日 08:51:37 : zjTGHYvphI : HNZRgjbfovo[1]
サヨクと韓国の共通点

反日=正義!
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/544.html#c72

コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
18. 2019年1月02日 08:52:13 : 17yo3W2TPh : WRLcUB2uRHw[468]
落合陽一さん、今でもあの妙な髪型でデレビに出てるんですか。
あなたのジャガイモ頭に似合うのは丸刈り、もしくは五分刈りしかありません!
美容師に弄ばれていますね。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c18
コメント [自然災害17] “巨大地震”神奈川に危険な予兆…最大で“震度7”も (zakzak)  赤かぶ
18. 2019年1月02日 08:53:26 : 6aKjrxLh6M : 8Ix1pJ_YP1A[3]
 伊勢原断層は江戸時代に活動したばかりだから
当分の間は動かないだろう。それよりも気にするべきは
相模トラフの巨大地震だ。元禄関東地震と同じ地震が
来れば関東南部は壊滅的な被害が出るだろう。
津波も大きいからどう対応をとるか対策を
とっておいたほうが無難だ。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/680.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々(リテラ) 赤かぶ
7. 2019年1月02日 08:55:21 : ysZy4EIxn5 : wftvvFqQKa8[1]
ワルにはワルしかくっつかない。

まあワル共が多いこって。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/650.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
12. 2019年1月02日 08:56:24 : ysZy4EIxn5 : wftvvFqQKa8[2]
小沢さんはこうやって野党の連携を進め、政権の危機感を煽っていると思う。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c12
コメント [経世済民130] マネックスを蝕み始めたコインチェック買収…株価暴落、「凄まじい儲け」幻想崩壊(Business Journal) 赤かぶ
2. 2019年1月02日 08:57:34 : fVmzl2gB1s : EmgMWclYDB0[84]
 ”仮想通貨バブル”で”一攫千金を夢みた”若者を「個人投資家」と言うなら、早朝のパチンコホールに並ぶのも、競馬競艇競輪の予想紙に赤ペン入れるのも、転売目当てに福袋を買い占めるのも、みんな「個人投資家」。クズまたはカモ、と書かなきゃだめ。
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/399.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍陣営の力及ばず、7年ぶりに日経平均ダウン。支持率もダウンで、うそと無責任の安倍内閣ピンチに(日本がアブナイ!) 笑坊
3. 2019年1月02日 08:58:21 : 45qP55FaI2 : 6VuA8Te7WTo[284]
文字通り国民総出で踊る日本人は、江戸末期にも見られた現象だ。
支配体制の大変革期が来ている事を意味する。が先は誰にも見えない。
 南海トラフトで国土がひっくり返るのか、国家財政が破たんするのか
野垂れ死に民族に相成るのか お正月から否定的な思考はやめよう。
戦後からもう一度やり直しだな日本人は。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/621.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 「御用ジャーナリスト大賞」に輝いたのは誰だ? 田崎史郎と三浦瑠麗“自民党から高額講演料”の二人の戦いに(リテラ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[2507] kNSCqYLU 2019年1月02日 08:59:20 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[973]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/663.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK255] 立て、石破茂!堂々と安倍政権に反旗を翻せ!  赤かぶ
6. 2019年1月02日 08:59:46 : ysZy4EIxn5 : wftvvFqQKa8[3]
反旗翻すんだったら、自民党を出ないとダメだけど、あの時とは状況が違うし、今の石破にその根性はあるか?

去年の総裁選ではケンカで(ギリで負けて)負けて、勝負に(大差付けて)勝ったという具合に終わったけど、今度ばかりはどうかな?
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/659.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK255] 「御用ジャーナリスト大賞」に輝いたのは誰だ? 田崎史郎と三浦瑠麗“自民党から高額講演料”の二人の戦いに(リテラ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[2508] kNSCqYLU 2019年1月02日 09:00:45 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[974]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/663.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
13. 2019年1月02日 09:01:24 : gt36dLRpGI : CEBnAfEthjk[1]
2大政党制と寝言こいている挙げ句の果てが
現在の日本のていたらく
火炎瓶がはびこれるのは小選挙区制があってのことだと何故認めない
野党などなくゆ党しかいなくなった現況を作ったのは誰なんだ
この人が小泉やハシゲと手を取り合っていたのを見ると
本当に野党ではなくこの日本に後がないとしか思えない
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK255] 「御用ジャーナリスト大賞」に輝いたのは誰だ? 田崎史郎と三浦瑠麗“自民党から高額講演料”の二人の戦いに(リテラ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[2509] kNSCqYLU 2019年1月02日 09:01:53 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[975]






http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/663.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK255] <亀井静香・元建設相>参院選、根無し草の自民は勝てない 国民は安倍政権に飽き 同日選をやっても勝てない  赤かぶ
5. 2019年1月02日 09:04:19 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[1257]

管理人さん 正月もご苦労様。いつものお願いきいてよね。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/652.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK255] 古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(リテラ) 赤かぶ
19. 2019年1月02日 09:06:52 : ysZy4EIxn5 : wftvvFqQKa8[4]
クズとワルにはクズとワルしか付かない。

こいつらはチンカス同然の輩のくせに、マスゴミに持ちあげられ、いい気になっているボケカス共だ。

マスゴミもこういうチンカス共しか持ちあげないから、TVも新聞も劣化したのだ。その罪は万死に値する。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/654.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍晋三を不動の地位に押し上げた小選挙区制!   赤かぶ
30. 2019年1月02日 09:07:15 : lPYsQuZ4iw : PT0eivX3YaY[28]


   目指すのが政権交代なら、《比例代表制》が正攻法であり、近道でもある。
  
   2017年の衆院選で仮に《比例代表制》をとっていれば立希共社で218議席、自公で213議席となっていた。そうなれば首班指名で勝つことも可能であり、政権交代もあり得たのだ。
   だが《小選挙区制》によって自民は61%の議席を得た。

   2017年の総選挙比例区における有権者の投票による各党の得票率は次の通りだ。
   自民33.3%公明12.5%  計45.8%
   立憲19.9%希望17.4%共産7.9%社民1.7%  計46.9%
   維新6.1%その他1.2%
   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC48%E5%9B%9E%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B7%8F%E9%81%B8%E6%8C%99
  
   《小選挙区制》を続けるかぎり自民党はまだまだ勝ち続けるぞ。自民の1強が固定化し、弱小政党は次第に議席を減らしていく。




http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/599.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK255] 参院選は安倍自民の惨敗確定的 それでも居座る“厚顔”政権 平成の終焉がもたらす大激動(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 2019年1月02日 09:07:55 : gt36dLRpGI : CEBnAfEthjk[2]
野党ガーと言っているようでは
でんでん退陣どころか
参院選で敗北に追い込むのすらままならない
W選を食らったら一巻の終わり
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/664.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK255] 安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々(リテラ) 赤かぶ
8. 2019年1月02日 09:13:38 : OHOfvWS4ng : W7WQqwQIrn8[282]

トップは当然、NHKの会長であり、第2位はNHKの報道局長でしょうが。

それ以外はあり得ません。


http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/650.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢一郎氏3度目政権交代は「できる」/新春に聞く 野党結集「党の合併がだめなら、党を解散しても構いません」 赤かぶ
4. 22A[856] glGCUUE 2019年1月02日 09:13:56 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[2669]
日高見さんは,立憲民主党と国民民主党と社民党と自由党が合流して一つの党になることを望んでいるように見える。
さらに,野田佳彦がこれに加わったら最善と考えているのではないか ← これは皮肉

えだのんは,純化路線と言われているように,政策が異なる人は受け入れない。脱原発・消費税増税中止・辺野古移設反対が入党の条件だ。「永田町の数合わせには与しない」と明言している。
これを放棄し,だれでも受け入れるようになったら,またバラバラで決められない民主党の再現となり,支持を失うだろう。


社民党は,独自の綱領を持っている。(正確には「社会民主党宣言」)
http://www5.sdp.or.jp/vision/vision.htm

一緒になるということは,これを放棄するということだ。そんなことはできないだろう。
一部引用する。これは明らかに立憲民主党とも自由党とも違う。むしろ共産党に近い。

現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。また日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます。
(引用終わり)



http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/653.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK255] 小沢代表「もはや後がない」新年会あいさつで危機感(日刊スポーツ) 赤かぶ
14. 2019年1月02日 09:14:11 : KGovPxy9tM : tm2ObsHnSiM[1]
エイケンは出席していないのか?

http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/662.html#c14

   

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