ウクライナのネオ・ナチは米国人だけでなく自国の十代の若者を軍事訓練
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2018.11.14 櫻井ジャーナル
ウクライナのナチズム化を推進する動きがある。ネオ・ナチ政党のスボボダ(自由)が8歳から10代の男女を集めて軍事訓練、突撃銃(全自動射撃能力を持つ自動小銃)の扱い方も教えているのだ。近い将来、その若者たちはウクライナ東部、ドンバス(ドネツクやルガンスク)の反クーデター派と戦わされることになるのだろう。 スボボダは1991年にウクライナ社会ナショナル党として創設されたが、2004年に党名が変更された。旧党名はナショナル社会主義ドイツ労働者党、つまりナチスを連想させるということで、タグによる心理操作の術に長けている西側支配層が替えさせたようだ。 本ブログでも紹介したように、カリフォルニア州ロサンゼルスで逮捕された白人至上主義者のひとり、ロバート・ルンドは数名の仲間と2018年春にドイツ、ウクライナ、イタリアを訪問、その際にウクライナでナショナル兵団の幹部オレナ・セメニャカと会い、そのメンバーは訓練を受けたと言われている。この兵団はネオ・ナチ系武装組織アゾフ大隊から分離して作られたという。 アゾフを2014年5月に組織したネオ・ナチは同年2月に合法政権を倒したクーデターの実行者。創設資金を出したイゴール・コロモイスキーはウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストだ。その後、アメリカからもアゾフは資金を受け取っている。 そして昨年(2017年)11月、アメリカの視察団がアゾフの元を訪れて兵站や関係強化について話し合われという。イスラエルからは武器を供給されているとも言われているが、クーデターの最中からイスラエルの影は指摘されていたので、驚きではない。 ウクライナで抗議活動が暴力行為にエスカレート、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけ、ピストルやライフルを持ち出して街を火と血の海にしたのは2014年2月に入ってから。この年の2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催されていたことからロシア政府は対応しにくい状況だった。 抗議活動の中心だったユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)では2月中旬から狙撃がはじまる。抗議活動の参加者も警官隊も狙われたのだが、ヤヌコビッチ政権でSBU(ウクライナ治安局)の長官を務めていたアレクサンドル・ヤキメンコはアンドリー・パルビーが狙撃の責任者だと言っていた。 パルビーはスボボダとウクライナ愛国者党を作り上げた人物で、2016年から国会の議長を務めている。今年(2018年)6月にはフランスとアメリカを訪問したが、親イスラエルで有名なアメリカ議会はパルビーを歓待、下院議長のポール・ライアンなどと私的に会談している。 ネオ・ナチがでビクトル・ヤヌコビッチ大統領の排除に成功したのは2014年2月22日。その3日後にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへ電話で次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新しい連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。」 2017年11月にはパエトの報告を裏付けるドキュメントがイタリアで放送された。番組の中に自分たちが狙撃したする3人のジョージア人が登場、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。この3人は狙撃者グループの一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。(その1やその2)この3人も狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだと語っている。 アメリカやイスラエルと関係があるウクライナのネオ・ナチはNATOやCIAから軍事訓練を受けていたとも言われている。ポーランド外務省は2013年9月にウクライナのクーデター派86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたと伝えられている。 ウクライナのネオ・ナチが信奉するステファン・バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派の組織OUNの幹部で、バンデラの一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。 1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立。この組織は1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)と合体してWACL(世界反共連盟)の母体になった。WACLは1991年にWLFD(世界自由民主主義連盟)へ名称が変更変更になる。ソ連消滅後、こうした組織のメンバーは旧ソ連圏へ戻り、西側指導層の手先として活動を始めた。 そして現在、そうしたネオ・ナチはアメリカの白人至上主義者を訓練、次世代の戦闘員を育成している。若い頃、特に子どもの頃にすり込まれた思想、信仰は生涯ついて回る。旧日本軍の風習が「民主化」後も運動部などを中心に継承されてきたことでもわかるだろう。さらに、そうした風習は再生産され、世代を超えて続く。アメリカの支配層はEUとロシアの間に巨大なナチズム体制を築こうとしているのだろう。 |