フランスとイギリスがシリア侵略で積極的な歴史的背景
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2018.09.22 櫻井ジャーナル
ロシアの電子情報支援機IL20の撃墜に絡み、IFF(敵味方識別装置)の問題が指摘されている。IFFが機能していればシリア政府軍が発射したS200によってロシア軍機が撃ち落とされることはないだろうというわけだが、ロシア国防省は輸出用のS200にはIFFが搭載されていないとしている。S200は1960年代の後半から使われている旧型のミサイルだということもあり、ロシア側が主張するようにIFFは搭載されていなかったようだ。
しかし、IL20が撃墜されるタイミングでフランス海軍のフリゲート艦オーベルニュがミサイルを発射しているとロシア国防省は発表している。イスラエル軍のF16戦闘機4機による攻撃とオーベルニュの攻撃が無関係だとは思えない。イスラエル軍とフランス軍は連携してシリアを攻撃したのだろう。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、2011年春にリビアとシリアに対する侵略戦争が始まった当初からフランスとイギリスは積極的だった。アメリカに強制されたとは言えない。
ジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツは1991年にシリア、イラン、イラクを殲滅すると発言したとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が語っている。
1991年1月から2月にかけてアメリカ軍はイギリス、フランス、サウジアラビア、クウェートの軍隊を引き連れてイラクへ軍事侵攻(砂漠の嵐作戦)したが、サダム・フセインを排除しなかった。
ウォルフォウィッツなどネオコンはブッシュ大統領の決断に怒り、シリア、イラン、イラクを殲滅するという発言につながったのだが、ロシア軍が出てこなかったことにも注目している。ロシア軍はアメリカ軍の行動に手を出せないと判断したのだ。
当時、ロシアは西側巨大資本の傀儡だったボリス・エリツィンが実権を握っていた。ロシア軍に軍事介入する力はあったのだが、アメリカに逆らわなかったのだ。21世紀に入り、ウラジミル・プーチンが大統領に就任すると状況が変化、アメリカ従属はの力は弱くなり、2008年にはジョージア軍を使って南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で惨敗している。
ジョージア軍は何年にもわたってイスラエルとアメリカから軍事訓練を受け、兵器の提供も受けるなど長い準備期間を経ての作戦だった。その作戦自体、イスラエルが立案したと推測する人もいる。そのジョージア軍と反撃してきたロシア軍は同程度の規模だったのだが、ロシア軍が勝利するまでに要したのは96時間だけだった。
ロシア軍とアメリカ軍が衝突した場合、アメリカ軍に待っているのはジョージア軍と同じ運命。そのためか、2011年にリビアとシリアを侵略する場合、バラク・オバマ政権はサラフィ主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団を主力とするジハード傭兵を使った。
リビアではこうしたジハード傭兵(アル・カイダ系武装集団)とNATO軍の連携が機能してムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒され、カダフィ自身は惨殺される。ところがシリアは違った。シリア軍の強さもあるが、国内事情の違いもあった。国内にアメリカなど外国勢力が使える反政府勢力が存在しなかったのだ。
ところで、ネオコンは遅くとも1991年にシリア侵略を考えているが、1988年から93年にかけてフランスの外相を務めたロラン・デュマによると、イギリスとフランスは2009年の段階でシリア侵略を目論んでいた可能性が高い。彼はあるパーティーでイギリス人とフランス人のふたりからシリア政府の転覆工作に加わらないかと声をかけられたというのだ。そのふたりが誰かは語られていないが、ニコラ・サルコジ政権やフランソワ・オランド政権はシリアでの平和を望んでいないとデュマが判断するような相手だったという。
また、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、2011年3月にシリアでは大規模な反政府行動があり、政府が暴力的に参加者を弾圧しているとする報道があった際にシュバリエは現地を調査、抗議活動は大規模な者でなく、すぐに平穏な状況になったことを確認し、そのようにパリへ報告したのだが、ジュッペ外相はそれを無視するだけでなく、シリアのフランス大使館に電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じたというのだ。「独裁者による民主化運動の弾圧」というストーリーをフランス政府は求めていた。勿論、侵略を正当化するためだ。
2011年当時から言われていたが、イギリスとフランスは「サイクス・ピコ協定(小アジア協定)」のコンビ。第1次世界大戦の最中、16年5月にイギリスとフランスは帝政ロシアも巻き込んで利権の獲得を目的とした秘密協定を結び、6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせたのだ。この部署に所属していたひとりがトーマス・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」である。この人物を主人公としたイギリス映画がデビッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演で作られた理由は言うまでもないだろう。