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2018年9月04日時分 〜
コメント [政治・選挙・NHK168] メディア工作も? 幻冬舎・見城社長と安倍首相のただならぬ関係(リテラ) 赤かぶ
5. 2018年9月04日 00:00:50 : CteJW4IbCE : E77V8QFh@dU[1]
小石川シンイチっていうやつの記事を読んでみて
http://open.mixi.jp/user/11842245/diary/1938947936

なんか言葉尻をとらえて、揚げ足取りというか、他人を誹謗中傷するわりには、自分の説の根拠も証拠もないひどい記事をみた。いくつか見ると、「小石川シンイチ」とかいうやつの記事だった。
 もちろん言論の自由が認められている我が国では、何言ってもいいけれども、根拠のない誹謗中傷をさもジャーナリスト面して、記事を書いているのを見ると、小石川某さんの問題ではなく、日本全体のマスコミの能力と良識の低さではないかと疑ってしまう。

 彼に限った話ではなく、某民主党の説もそうである。「アベノミクスで格差が広がっている。」とか「民主党政権時代にドルベースで収入が上がった」とか、言うのは自由なんだろうけれども、小石川某はどうでもいいけれども、某民主党のような政党ですら、根拠のない話をするのはやめてもらいたい。

 もちろん、根拠のあることしか話すことができない社会もつまらないが、政党助成金をもらっている政党がそんなこと言っていていいのだろうか。もしかすると、若干当たっていることもあるのかも知れない。でも、公平に見て、失業率が高いままだった民主党時代と失業率が下がって、非正規であろうとも仕事を見つけることができる社会どっちがまともかといえば、仕事が見つかるほうではないでしょうか。

 小石川某からそれてしまったけれども、もう少し考えて話をしたほうがいいことが今の日本にはたくさんあるような気がします。中国よりましとか韓国よりましとかの低次元の話をしても仕方ないと思います。(笑) 中国様や韓国様と比較するのはやめよう、自分たちを貶めるだけだから。(笑)


 それにしても小石川某さんの記事を一度読んでみてください。冷静に読んでいくと、あなたがそう思っただけで、その方はそんな主張をしていないじゃないですか、と言いたくなるものが散見できます。まあ、小石川某さんもわざわざ誰かに話題にしてもらえるだけ、お喜びかもしれませんが、こういう人の記事が拡散していくのはやめて欲しいなあ・・・と思います。(笑)

言っていることがバラバラで申し訳ない。暇だから徒然なるままに書いてしまいました。
http://www.asyura2.com/14/senkyo168/msg/924.html#c5

コメント [原発・フッ素50] 「トリチウムは極めて危険 官僚はウソをつくな!」 多核種除去設備等処理水の公聴会で西尾正道先生が怒りの発言  魑魅魍魎男
3. 茶色のうさぎ[-8052] koOQRoLMgqSCs4Ks 2018年9月04日 00:03:31 : DXuFTGIE6w : sqR6FAdpXrg[1]

 全身換算 ←と思います。

> 放射線の影響というのは放射線が当たったところにしか影響はないんです。

それを変なインチキな換算係数でですね、(聞き取れず)換算して
シーベルトに直したって全く意味のない。
あんなインチキなものはないんです。
あれは原発政策を進めるためにつくられた非科学的な物語でしかない。

それが教科書になっているから、みなさんみんな催眠術にかかっている。

結論: 集中して汚染されてるのに、割り算したら? 薄めて、影響は無い?wwwばか

 まぁ、小学生でも分かると思います。 小野院長先生も怒ってましたね。

 ICRP、実効線量係数なんて、インチキだー♪ぺっ うさぎ♂

 今中哲ニ、床次真司 ←再検証しろよ!! あほ


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/278.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK250] これが安倍晋三が一番イヤがる言葉だ!   赤かぶ
26. 2018年9月04日 00:05:54 : Z0LaAKC6JA : al@Ndw@9NG4[521]
立候補表明の背景に桜島を使ったのは、なんともおぞましい光景だった。

背景に使うのならおなじ山でも、森友で8億円のだましの種にした〈ゴミの山〉を背景にするべきだった。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/187.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK250] #ケチって火炎瓶 いよいよ世界に拡散。  赤かぶ
5. 2018年9月04日 00:06:48 : rCxQ6bz4nA : 0oDewUT2q0g[854]
安倍がヤクザだったらヘマのやり過ぎで詰める指がなくなってるぞ。ジャンケンしたらグーしか出せないのでいつも負ける。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/218.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK250] 沖縄県知事選 二階俊博幹事長、総裁選より沖縄シフト 自らテコ入れ、続投向け「戦果」目指す(産経新聞) ローズヒップ
5. 2018年9月04日 00:10:59 : BLCoh2aIhc : nHAWZqJuSUo[1]
これは二階から、幹事長職を取り上げる口実づくりですね
敗戦を理由に

いくら貢献しようが結局は身内やおトモダチを優先するのが安倍
それに三選のためにポストの手形をばら撒きすぎた。
恩賞とオトモダチの復帰の為の16パズルには幹事長職が空白になる必要
もかしたら官房長のポストも
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/224.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK250] 組織も人材も目標も覚悟もない立憲/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
15. 2018年9月04日 00:11:37 : xk8RhRwJrV : xg9iACF_eJk[-1030]
ホイ、糞の役にも立たない糞蠅のゴミコメは今日も全て初期非表示^^

糞蠅ホイホイ〜^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/208.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
5. 山田ミー太郎[263] jlKTY4N@gVuRvphZ 2018年9月04日 00:15:10 : k6TG9oxct6 : EDaUJX@c8yU[5]
志位さんに全面的に同意。

明治初期の「軍人勅諭」に「世論に惑はず政治に拘らず」という一節がある。

また、2.26事件の際に、陸軍幼年学校の校長であった阿南惟幾少将は、
全校生徒を集め、「農民の救済を唱へ、政治の改革を叫ばんとする者は、
まず軍服を脱ぎ、しかる後に行へ」と訓示している。

戦前期でさえそういう考えがきちんとあったわけでして・・・

今の日本において悩ましいのは、9条を現状のままにしておいても、
これを改正して、自衛隊なり国防軍なりを憲法上明記しても、
いずれにしても、今後、安倍のごとき人物が運用面で
大きな過ちを犯す危険性が少なくない、という点だわ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c5

コメント [原発・フッ素50] ええーっ!? 憲法学者・木村草太氏は、金や地位のために真実をねじ曲げる御用科学者は絶対にいないと信じているらしい  魑魅魍魎男
31. 2018年9月04日 00:17:09 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[872]
薬禍も公害もそして原子力災害も、すべて政府やメーカーから
金をもらって黒を白と言う御用学者との戦いです。

木村氏をそういう歴史を全く知らないようだ。
もっと勉強しないとダメだね。

http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/153.html#c31

コメント [政治・選挙・NHK250] 組織も人材も目標も覚悟もない立憲/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
16. 2018年9月04日 00:18:28 : BLCoh2aIhc : nHAWZqJuSUo[2]
不正選挙』と言っているやつも同類だよ

プライドが強く負けることを極端に恐れ
勝つために頑張ることよりも。負けたときの言い訳に全力を尽くす

日頃「ケケ中が〜 ジャパンハンドラーが」とか言っているくせに
いざ選挙となると、「どうせ マスコミもアンコンされているんだろうなぁ」とか
「野党はだらしないからなぁ」とグズグズ言ってたたかおうとしない男の成れの果て

はっきりいって足手まとい
不正選挙等やらを本気で信じているのなら
それを改めるための努力をしているはずだが、一考のそんな気配を見せない
いままで努力した形跡も無い
具体的にどうしようとかいう提案も無い

そういう人間だ
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/208.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍批判は感情的?(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
1. 2018年9月04日 00:21:49 : 6F62K4jMQw : QX5kbwfXBt0[1]
いるね、安倍を批判すると感情的に反論する人って。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/228.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
6. 2018年9月04日 00:23:11 : 5OzOFYMUDs : LV8VexQ9lAM[252]
『<ウソツキしんちゃん>の演説=言語表現は、常に“非事実”“非論理”“不誠実
”の塊である。』

“非事実”とは、事実に反することを、根拠無しに平然と言っちまうことである。
例えば<アホノミックス>の成否を語る場合、すべての「経済統計指数」を元に判断されなければ「経済政策」とは言えないのである。ところが、<ウソツキしんちゃん>が言い張っている<アホノミックス>成功の根拠データは“株高”“企業収益過去最大”“名目GDP微増”“有効求人倍率1超え”だけである。
有体に言えば、“株高”“企業収益過去最大”は「円安誘導による為替差益」が9割方である。数量的には“微増”なんだよ。
“名目GDP微増”は、例の“フクラシコ数値混入”によって辛うじて+数値になっただけで、後半期は確実にマイナスに転じると予測されている。
“有効求人倍率1超え”に至っては、笑止千万である。だってさぁ、“有効求人倍率”ってのはさぁ、<厚労省傘下>のハローワーク(旧労働基準監督局)が求人求職を仲介してるだけのことであり、全求人求職マーケットの五分の一にも満たない、いわば“赤字経営”なのである。“有効求人倍率1超え”の理由は、“低賃金・若年労働者の激減”であり、そのために、常に求人していなければならない“地方企業の苦肉の策”であり、それをよしとし、便乗しているている<ハローワーク>という組織の「怠慢」なのである。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c6

コメント [自然災害18] 風速は時速表示にすれば誰でも警戒する。 風速70メートルは時速252km/h!! マスコミはこういう視点での報道が必要  スカイキャット
9. 2018年9月04日 00:25:14 : bAr1kH5c9w : ytMdpztIbTU[83]

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/kazehyo.pdf

ここに出てるのだと、10分間の平均値、 瞬間では3秒間の平均値。

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-3.html
  ↑
これだと10分間の平均値。

http://www.tenki.jp/docs/note/typhoon/page_1
  ↑
こっちは
最大風速(10分間平均)がおよそ17m/s以上のものを「台風」
最大風速(1分間平均)が33m/s以上のものをタイフーン

 ==========

数年前からしつこく書いたように、

 どっしゃどっしゃ崩れて、ぐっじゃぐじゃ2(にぃ)〜〜なる

  津波や地震に告ぐ第二弾は、ドッシャドシャと書いた通りも大当たり。

 ===========

残念ながら地方=痴呆の脳みそが“痴呆”だと、何度でも“まさか”と言い出すべ。

 犬の丸暗記だから、何にも考えられないっしょ。

  地震では名古屋でも都内でも坂が崩れるべ。赤土を盛っただけの坂も少なくない。

   日本中がドッシャドシャとぐじゃぐじゃにぃ〜〜は未だ序盤なのにね。

    だから、放射能と税金バラマキ借金尻拭いと震災塗れで、

     今の子供とこれから生まれる子は修羅場ねぇ。

      これに火山の大噴火もお忘れなく・・・・!!

    ============

だから、自衛隊を悪魔のアメリカの鉄砲玉に差し出してる場合でも、
   
    リニア100兆円無駄遣いしてる場合でもないべさぁ・・・

http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/489.html#c9

コメント [原発・フッ素50] 「トリチウムは極めて危険 官僚はウソをつくな!」 多核種除去設備等処理水の公聴会で西尾正道先生が怒りの発言  魑魅魍魎男
4. 2018年9月04日 00:25:40 : 8xQXZ93qjU : eXM2qi0XHe0[1]
 
西尾先生、はげしく怒ってますね。当然です!
(こんなに怒って整然と話す学者さんを私は見たことがない)

水素Hの代わりに三重水素Tが取り込まれると、
二重らせんにおける塩基どうしの水素結合において、
T ─→ He^(+) + e^(ー) + β^(−) + (反eニュートリノ)
Tがベータ崩壊して He^(+) に変わり化学構造が変わってしまう。
もはや水素結合ではなくなってしまうというのが論旨の1つ。

H─N─T ・・・・・・ O=N<
  |  (水素結合)

H─N─He^(+)  ?   O=N<
  |     (バラける)

このとき、陽イオン He^(+) と δ^(ー) O は結合できずにバラける?
バラけずに一層強く結合する可能性はありませんか。
もちろん、それはそれで複製の時に困るし、放出されるベータ線が他の
水素結合を断ち切る可能性もあるのでしょうけど・・・
 
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/278.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK250] 翁長氏悼む安室さんに「反日なの?」 沖縄を見る目の今(朝日新聞) ローズヒップ
10. 2018年9月04日 00:27:45 : 6F62K4jMQw : QX5kbwfXBt0[2]
名誉棄損で訴えろ。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/204.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK250] 山本太郎があと10人いたら日本は変わる!  赤かぶ
1. 2018年9月04日 00:29:19 : BLCoh2aIhc : nHAWZqJuSUo[3]
安倍さんなら一人で日本を終わらせるけど?
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/234.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK120] フザケルナ!!厚労省&年金機構「保険料払え!」催告状の非常識 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
30. たけしくん[196] gr2Cr4K1gq2C8Q 2018年9月04日 00:31:48 : Tkd1B4jCF0 : OipPmW47T2Y[142]
>>24
年金は世帯主が支払う義務があるので、世帯主が年所得300万円以上なら差押の対象になってしまいます。

年金が支払えない場合は、同じ場所に住んでいても「世帯分離」をして年金が払えない人が別の世帯になり、1人世帯主になれば、1人世帯主が所得300万円以下なら差押の対象にならないばかりか、収入が少ないなら納付免除になります。
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/816.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK250] ヘイト問題は報道するようになった週刊「金曜日」は、連帯労組弾圧問題はいつになれば報道するだろうか? ヒゲ-戸田
5. 2018年9月04日 00:37:07 : 6F62K4jMQw : QX5kbwfXBt0[3]
>>1,3

問題はその報道しないという判断。
どういう問題を報道するかしないかでそのメディアのスタンス、考え方がわかる。

>無ければ、報道しないのはただの権利だ。

権利を行使するにしろしないにしろ、
それは他人の批評の対象から免れることを意味しない。

権利や自由を何か他から批判を受けないで済むものと考えていないか?

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/186.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK250] 五輪で月収200万以上貰っていて、自分はボランティアだとほざく森喜朗。厚かましいな。安倍の真似も大概にしなさい  赤かぶ
3. 真相の道[3985] kF6RioLMk7k 2018年9月04日 00:37:29 : lKEz1hlf2w : 2zbd@nB2O7U[559]
   
森喜朗会長は無報酬のようです。(下記)
  
『東京オリンピックでのエンブレムや国立競技場のやり直し問題、これらは東京オリンピック委員会の事務総長らが責任を取るという名目で役員報酬の一部を返納するということになりました。

ただし、委員会トップ、総責任者の森喜朗会長だけは「私は‘無報酬’でやっているので、返納しようがない」として』
  
http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2017/01/post-68d4.html
   
  
だとすればこの投稿記事はデマということになります。
  
デマを拡散するのは良くないです。
  
  
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/223.html#c3

コメント [国際23] マケイン氏の娘「アメリカは再び偉大にされる必要などない」(BBC) 赤かぶ
2. 2018年9月04日 00:39:34 : D1NqAlGDTH : f5KDuZkWLu8[2]
マケインの娘は今、アメリカが偉大でないことがわかっていない。
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/778.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK250] 公開討論を拒否した沖縄県知事選の自民候補!  赤かぶ
18. 2018年9月04日 00:49:48 : B5jUAVwOgo : @q0pLXaGlcw[44]
それにしてもこの人、本当にうちなんちゅーなのか?!
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/185.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK250] 討論はできないけれど、自衛隊高級幹部会同では訓示した臆病な安倍。言うに事欠いて、憲法改正の意欲など滲ませたら駄目じゃろ。 赤かぶ
1. 2018年9月04日 00:52:11 : 4ImPab2nyM : PepI7W98esI[370]

9条に自衛隊を明記することを、
自衛隊高級幹部会同に職務命令ですか…、
憲法を守る自衛隊員、如何にせんですな。
ダメだねぇアベは。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/231.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK250] 日本の空虚な新聞信仰。なぜ、温存されるのかにつき、無視できないのディープステート(国家内国家)の存在  赤かぶ
1. 2018年9月04日 00:53:31 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-7581]
読売、朝日に挟まれた毎日を従米的な創価新聞と見るか土着の左派新聞と見るかで大メディア全体の主観的な評価は変わる。この部分に対する日本国民大多数の意識が曖昧なことで内外の為政者は随分と得をしている。敗戦までの狂信的な右翼の天皇と軍に対する信仰の戦後の代替物がディープステート。新聞を読んでいてこの程度の認識ぐらいは持つべきだろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/230.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK250] 人望無き首相「安倍晋三」は「糞」だった!(simatyan2のブログ)  赤かぶ
1. スポンのポン[9933] g1iDfIOTgsyDfIOT 2018年9月04日 00:58:45 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[243]
 
 
■安倍晋三が国民から奪ったもの

 テレビという娯楽を国民から奪った罪は大きい
 私はテレビを見ると不愉快になるので
 ずいぶん前から一切見ないことにしている
 私のような国民もきっと少なくはないだろう
 テレビを見るという一つの楽しみを
 国民から奪った安倍晋三の罪は決して小さくはない
 テレビという文化はテレビ局のものではない
 安倍晋三のものであるはずもない
 私は安倍晋三が憎い
 安倍晋三の支持者が憎い 
 
 テレビを見ることを楽しみにしていた昔がなつかしい。
  
 
 
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/225.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK250] 薩摩を侮辱する短歌を投稿 安倍首相がまた無教養をバクロ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
54. 2018年9月04日 00:59:32 : QN7zZGFMck : BkteCKQIrLk[1]
なお、幕末当時は薩摩藩は公式名称ではなかったりする。
日刊ゲンダイ記者とパヨクの教養の無さがわかる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/135.html#c54
コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
10. 2018年9月04日 01:01:13 : 5pYyeCd9nA : C_zQeGtrqAE[58]
09ですけど、続報お許しください。まずは下のツイッターから。

ZiLLioN 🎊ぐる 🌀ぐる 🎉新生江戸幕府‏ @kj666japan
https://twitter.com/kj666japan/status/1036409979018694656
7 CIA MAINFRAME SUPER-COMPUTERS DOWN - SPY SATELLITES OFFLINE
人工衛星が次々とおかしくなっていく様子がリアルタイムで記録されている。スリリング。

Hal Turner
Radio Show

Wednesdays 9:00 -11:00 PM Eastern U.S. Time (GMT -0400) on High-Frequency (HF) International radio stations WBCQ 7.490 (AM) and WRMI 9.455 (AM) Heard Worldwide and Now on KYAH 540-AM Delta, UT

U.S. National News
7 CIA MAINFRAME SUPER-COMPUTERS DOWN - SPY SATELLITES OFFLINE
http://halturnerradioshow.com/index.php/news/u-s-national-news/3079-breaking-news-urgent-7-cia-mainframe-computers-down-spy-satellites-offline

●注目すべきは、このCIAの7つのスパイ衛星が次々とダウンしていく過程が、ラジオで放送されていたと言うことです。これを放送しているのが、アメリカの短波ラジオ放送局WBCQ。(註 アメリカはコールサインをそのまま放送局名にしています。)

豪州で通信型受信機で聴いたところ、7490kHzが割と良好に入感しました。但しロングワイヤー100メートルですが。日本でもBCLやっている人、聴いてみたら ?

もし聴こえたら、日本の大御所の「月刊短波」にメール報告しましょう。

月刊短波ホームページ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~BCLSWL/
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK250] 根拠はあるのか 不可解な「共産党抜き」野党共闘の主張 ここがおかしい 小林節が斬る!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 2018年9月04日 01:06:50 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-429]

小沢さんは^^

小泉さんと政権を取るのだ^^

そのときゃ、共産も立憲民主も社民もいないよ^^

心配すんな^^

君らは、君らが成りたくない=与党に、なる必要は無い^^


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/158.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK250] 翁長氏悼む安室さんに「反日なの?」 沖縄を見る目の今(朝日新聞) ローズヒップ
11. 2018年9月04日 01:08:17 : pMKHdb7uQM : D0hVdCTx7q4[36]
ネトウヨの言う「反日」の「日」は「日本会議」の「日」であり、「日本人」の「日」ではない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/204.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK250] 逆風の中で中谷元が石破茂支持を表明!   赤かぶ
1. 2018年9月04日 01:11:24 : pMKHdb7uQM : D0hVdCTx7q4[37]
トランプ大統領から来ると思われる無茶な要求を考えると、日本としては総理をころころと変えた方が良い。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/236.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK246] 「自民党は憲法が権力をしばるものだという発想自体がない」是枝裕和さん  赤かぶ
474. あおしろとらの友[1653] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2018年9月04日 01:18:19 : u18T29a8xk : PWjCi7eKPmM[4]
>>470  罵愚 さん
日本の、”島原の乱” ”大塩平八郎の乱” 数々の ”一揆” など 絶対権力への反乱、抵抗という意味では ”市民革命” と同様でしょう。
”市民革命” がなぜ起きたか。それは “市民“ の産業生産力増強にともなって各種の “権利” の要求が ”王権” に突きつけられた結果であってキリスト教とはむしろ無縁であって、”民主主義” とはたぶん ”産業革命” の流れのなかにあるのであって、”民” が生産力を増していくのは ”自然” のことであって当然のことながら ”下克上” は起こるのではないでしょうか。これを ”進歩” と呼ぶかどうかはそれぞれの人の自由ということで。
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/402.html#c474
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍首相が総裁選を前に御用新聞の産経、読売でトンデモ“改憲強行論”!「発議しないのは国会のサポタージュ」とまで(リテラ) 赤かぶ
1. 2018年9月04日 01:19:09 : pMKHdb7uQM : D0hVdCTx7q4[38]
総理大臣と行政府に憲法や法律を守らせていないことこそが、国会のサポタージュである。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/233.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK250] これが安倍晋三が一番イヤがる言葉だ!   赤かぶ
27. 2018年9月04日 01:22:06 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[1]
そもそも、権力の主体に正当性がなく無効、不存在。
司法に訴える必要はない。

https://kaikore.blogspot.com/2018/05/japanese-pm-served-dessert-in-a-shoe.html
https://twitter.com/yukobel/status/1006178613966921728
https://johosokuhou.com/2018/06/09/6330/

日本は民主主義国家ではないです。
選挙は国政レベルで不正が指摘されています。
そもそも「ムサシ」という一民間企業が選挙システムを独占していることからだけでも選挙制度の外観的な信頼性さえ成立していません。
また、一般に公正妥当な真実の報道もなされていません。
テレビ、新聞、ネット、公共広告、雑誌等あらゆる媒体で情報・印象操作が行われています。
民主主義の根幹を成す選挙制度と一般に公正妥当な真実の情報の存在が成立しておらず、権力の主体に法的根拠がありません。
不存在・当然に無効です。

日本は法治国家でもないです。
一部の人には法律が厳格に適用されていません。

日本は異民族に侵略されています。
戦後、日本の総理大臣を含む政治家?に(少なくとも父方)コリアンがいるといわれています。チャイニーズがいるともいわれています。
容姿や骨格を確認したところ、
あ〇、こ〇〇〇氏は少なくともコリアンです。実際そのように指摘されています。
あ〇は犯罪組織である統一教会と深い関係があります。
街中にパチンコギャンブル、統一教会系の朝鮮組織があります。
北朝鮮に拉致されていますが、韓国にも統一教会等の実質的な国家組織により日本人が拉致されています。
今の日本は、日本人の生命財産を破壊するスキームの社会になっています。
内閣府や国土交通省をはじめとするパンフレットでも試しに見てください。コリアン・チャイニーズがいます。
また、地方行政でも民営化や事業の委託、協賛等を装い特定の会社・組織に利益供与している事例が散見されます。
私は大阪市に住んでいますが、近くの市の施設で大阪市が建物の運営を委託している会社を調べたころ、会社の経営者が、おそらくコリアン・チャイニーズでした。
こういう事例はかなり多い筈です。
業務委託している会社関係者を調べると、宗教や公的な組織を装った工作組織と思われる機関に繋がるケースもあるはずです。
大阪はスラム化しており,かなりひどい状況で街中にパチンコギャンブル、統一教会系の朝鮮組織があります。

政治力が必要な企業に朝鮮系が多いです。
情報・通信、流通、ギャンブル、マスコミ。
LI〇E、S〇f〇b〇〇k、〇ッテ、監〇法人トー〇ツ
身近な所だと、絶対一等地に店舗を構えているAB〇マートやユ〇ク〇です。
政治的な力があるとされているユ〇ク〇は男性はコリアンが多いです。HPを見てください。
女性は日本人で顔採用です。
私は日本人を遺伝的に抹殺するための政策が学実に行われていると思います。
異常な数のコリアン、チャイニーズが住んでいます。どこの国かわかりません。

工作機関も多数あります。
テレビ、ネット、新聞、雑誌、公共広告あらゆる媒体で情報・印象操作が行われています。
今の日本には、報道機関など存在しないといえます。
テレビ、ネット、雑誌、公共広告に意図的にコリアンが出演しています。
身近な例では、メ〇ズノ〇ノにも意図的に出演させています。

情報・印象操作が露骨に行われています。
情報は爆弾や鉄砲と同じく武器です。
私たちは虐殺されています。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/187.html#c27

コメント [経世済民128] ギャンブル依存症男性の借金体験告白 「限度額まであといくら…」(マネーポスト) 赤かぶ
2. 2018年9月04日 01:27:01 : pMKHdb7uQM : D0hVdCTx7q4[39]
パチンコもいらないし、カジノもいらない。
一攫千金の夢が見たいのであれば、宝くじだけで十分だろう。
http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/361.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍政権が沖縄県一般職員に強烈なパワハラ!  赤かぶ
29. 2018年9月04日 01:29:20 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[2]
いや、そもそも、権力の主体に正当性が無く無効・不存在。
気付いている人は少なからずいるはず。
国家とか政党とかの話をするのはピントがずれている。

無効・不存在なのだから。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/209.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK250] 佐喜真がどんな人間か分かるエピソード  赤かぶ
9. 2018年9月04日 01:30:53 : vE4YVx23DI : _23tmpBRxjY[4]
え〜と、お名前はサギ魔さん?でしたっけ?
顔写真はあまり、いい加減さをださないように!ハイ、撮りますよ!カシャ!

主題とそれるが、顔と人間性ということで、投稿を願います。

週刊女性PRIMEに掲載のコンクリート殺人の犯人が町に舞い戻る恐怖!
・犯人の特徴は他人が通り過ぎると、大きく咳払い!←集団ストーカーをやっている創価学会の工作員も、ターゲットに同じ事、咳払い!やっている。それだけではないが。
・いつもニヤニヤ笑って、人、ターゲットの顔を不躾に凝視する。
・ターゲットを見つけ、危害を加える。
・待ち伏せして、自転車をぶつけたり、体当たりして、怪我をさせる。
・80歳も過ぎたばあさん犯罪者がターゲットに、スーパーのカートや籠をぶつけ、怪我をさせる。
・夜間、若い男数人?の車が、「大ー丈ー夫、へへへ」と笑いながら黒いバンがノロノロとついて来る。
・そして、他の車が通過していないと見ると、金づる=ターゲットに向かって、突進してくる。←避けなければ、轢き殺される!轢死に至る。
・暴力行為はエスカレートする。

以上が某宗教団体等がやっている集団ストーカーの名を借りた‟犯罪”だ。
何の罪もない人間にだ。

意味なくニヤニヤ笑っていたりする人間?は要注意。
アンテナを張って、用心を怠らないことだ。
オレオレ詐欺と同じで、用意周到に、知らない内にターゲットにされている。

日本は、既に、法治国家ではない事をご承知おきを!
報復国家が羨ましい。


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/192.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
7. スポンのポン[9934] g1iDfIOTgsyDfIOT 2018年9月04日 01:32:30 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[244]
 
 
■改憲は自分自身の願望であって

 自衛隊員のためなどというのは真っ赤な大ウソだ。
 自分自身の願望を満たすために自衛隊をダシに使っているだけだ。
 安倍晋三の頭の中には日本国も日本国民も一切ない。
 全ては自分自身の願望のためでしかない。
 泣いておもちゃを欲しがる子供と大差はない。
 安倍晋三とはそういう信じがたいほど身勝手で幼稚な男である。
  
  

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三がその筋に「犯罪」を委託していた!  赤かぶ
16. 2018年9月04日 01:39:13 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3463]
  14,15氏の言う民主主義は、人の尊厳を如何に社会が大事にするかの観点から見た場合には間違い無く日本は、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、場の空気を読んで大勢に付くと言う風土下にあり、いわば左右上下の人間関係を観察し乍らその場の強い側についていれば間違い無いという処世術を以て、常に上位者の権力におののきながら生活している点で、非常に奴隷的である。
   こうした、強きには弱く弱きには強く、という主人と奴隷に分かれる構造は庄屋と百姓の時代から有り、年貢米の徴収に苦しめられた町民と悪代官の構図にも表れている。
   とは言え、近代は国民から徴税した血税を以てあらゆる政策が企図されている時代、資金提供者である納税者に血税の使途の優先順位を決定する権利があるのは、例えば会員制組織や株式会社組織と同様である。
   会員制組織では会費を払った会員が、あるいは株式会社組織では株主が、組織の行く末について物言う権利があるが、租税主義も、税金を納めた納税者に税金の使途に関して物言う権利があり、それが間接的に代議士を立てて意見反映する国民議会である。
   この国民議会が真っ当に機能しているか否かが近代民主主義の肝であり、全ては血税や公金が何処にどれだけ優先的に使用されるかで国の形が変って来るのであり、民主主義で好戦型国家という選択肢も無論あるだろうが、それは議会が真っ当に機能していれば生命体の原則として、武力で互いに種を抹殺し生活圏を破壊する選択は有り得ない筈だ。
   いずれにしても年貢米を収められない貧しい百姓が武士に切り殺される時代と違うのは、少なくとも憲法条文が、租税主義国は互恵主義であり納税者の福祉政策が優先されると定義付けているところ、これを改訂しようというのが自民公明の与党である。
   本来は何処の国でも内閣を拝命した段階で、国民納税者の前に自国の現最高法規の遵守を宣誓してから公務に就くのだが、日本の内閣だけは現憲法遵守を否定し、かつ破棄を望んでいるのであり、租税主義は民主主義とは不可分であるところ、徴税したらその使途に関しては資金提供した国民には関与させない、つまり国民代表議会制民主主義を認めないのが自民党の改憲趣旨であり、その流れに、公金を軍備に優先使用させ軍産複合体の利益を優先する為の不戦条文の破棄があるだろう。
   従って、少なくとも現最高法規が存在し、国民議会、あるいは司法制度が存在している以上、主人と奴隷と言う関係性を改める機能は一応備えられているのであり、如何に国民納税者が、租税システム、国民代表議会システムに関心を持てるかにかかっていると思う。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/202.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK250] 国連が「沖縄への基地集中は差別」と日本政府に勧告! 沖縄の民意を無視し辺野古移設強行する安倍政権に国際社会もNO(リテラ 赤かぶ
31. 2018年9月04日 01:48:43 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[3]
本州に基地があるだろう。
東京にも米軍基地あるし、東京タワーの近くには相当でかいフリーメーソンの建物ある。
そもそも、朝鮮や中国に米軍基地を置いた方が、抑止力にもなるし活動しやすいのでは?
東南アジアとロシアをけん制する為に日本に2つは基地を持つとしても、
それ以上は不要ではないだろうか?
アメリカの国益になると思うけど。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/145.html#c31
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍首相は内心余裕がなくなり、仲間ですら疑心暗鬼に。(かっちの言い分) 一平民
7. 2018年9月04日 01:52:00 : HiYvrhPE5k : wBM5LW9kf8U[11]
国会議員は、ひとりひとり民意に基づいた自身の見解を示す権利を有しているにもかかわらず、
これを制限する誓約書を強制的に集める行為は、憲法違反である。

第二次大戦の戦犯は、戦勝国による裁判によって裁かれた。
当時オランダの判事が危惧していたが、未だに国内法では何ら戦犯の責任は追及されていない。

今回の自民党総裁選挙は、踏み絵のようなもの。
戦犯一族に与力する細田麻生派は、単に意志薄弱で頭が悪い集団であるだけではなく、日本国憲法を遵守しない国賊である。よって、日本国内閣総理大臣として認知される権利を有しない。

国会を無視した連中お得意の閣議決定方式による国家運営は、旧ソビエトでスターリン下で実施された悪性共産主義に通じる。民主主義の政府は、公金で国内企業の株式を買い上げ、実質的に国営化するようなことはは決して行わない。民営化とは明らかに逆行する悪性共産主義では、公文書の書き換え、公金横領、人事権の私物化などが横行する。まさに、犯罪者「安倍晋三」とその仲間達の日常そのものである。

日米安保条約が日本防衛の基本であると「したり顔」でのたまう連中は、日ソ不可侵条約を信じていた戦犯達の非現実主義に通じる。踏み絵を踏んだ細田麻生派には、近い将来に戦犯としての責任と賠償を負うことで人柱になっていただきたい。

この犠牲によって、日米地位協定、敵国条項を解消するための外交に、堂々と取り組める民主的で真の独立国家「日本」に向かった大掃除が可能になる。


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/141.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK250] いよいよ世界が知る「安倍晋三とヤクザ」!!   赤かぶ
29. 2018年9月04日 01:53:28 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[4]
内閣府の採用パンフレット見てください。
コ〇アンだらけです
地方公務員も酷い。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/121.html#c29
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
8. 2018年9月04日 02:01:40 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[5]
そもそも、権力の主体に正当性がなく無効、不存在。

https://kaikore.blogspot.com/2018/05/japanese-pm-served-dessert-in-a-shoe.html
https://twitter.com/yukobel/status/1006178613966921728
https://johosokuhou.com/2018/06/09/6330/
日本は民主主義国家ではないです。
選挙は国政レベルで不正が指摘されています。
そもそも「ムサシ」という一民間企業が選挙システムを独占していることからだけでも選挙制度の外観的な信頼性さえ成立していません。
また、一般に公正妥当な真実の報道もなされていません。
テレビ、新聞、ネット、公共広告、雑誌等あらゆる媒体で情報・印象操作が行われています。
民主主義の根幹を成す選挙制度と一般に公正妥当な真実の情報の存在が成立しておらず、権力の主体に法的根拠がありません。
不存在・当然に無効です。
日本は法治国家でもないです。
一部の人には法律が厳格に適用されていません。
日本は異民族に侵略されています。
戦後、日本の総理大臣を含む政治家?に(少なくとも父方)コリアンがいるといわれています。チャイニーズがいるともいわれています。
容姿や骨格を確認したところ、
あ〇、こ〇〇〇氏は少なくともコリアンです。実際そのように指摘されています。
あ〇は犯罪組織である統一教会と深い関係があります。
街中にパチンコギャンブル、統一教会系の朝鮮組織があります。
北朝鮮に拉致されていますが、韓国にも統一教会等の実質的な国家組織により日本人が拉致されています。
今の日本は、日本人の生命財産を破壊するスキームの社会になっています。
内閣府や国土交通省をはじめとするパンフレットでも試しに見てください。コリアン・チャイニーズがいます。
また、地方行政でも民営化や事業の委託、協賛等を装い特定の会社・組織に利益供与している事例が散見されます。
私は大阪市に住んでいますが、近くの市の施設で大阪市が建物の運営を委託している会社を調べたころ、会社の経営者が、おそらくコリアン・チャイニーズでした。
こういう事例はかなり多い筈です。
業務委託している会社関係者を調べると、宗教や公的な組織を装った工作組織と思われる機関に繋がるケースもあるはずです。
大阪はスラム化しており,かなりひどい状況で街中にパチンコギャンブル、統一教会系の朝鮮組織があります。
政治力が必要な企業に朝鮮系が多いです。
情報・通信、流通、ギャンブル、マスコミ。
LI〇E、S〇f〇b〇〇k、〇ッテ、監〇法人トー〇ツ
身近な所だと、絶対一等地に店舗を構えているAB〇マートやユ〇ク〇です。
政治的な力があるとされているユ〇ク〇は男性はコリアンが多いです。HPを見てください。
女性は日本人で顔採用です。
私は日本人を遺伝的に抹殺するための政策が学実に行われていると思います。
異常な数のコリアン、チャイニーズが住んでいます。どこの国かわかりません。
工作機関も多数あります。
テレビ、ネット、新聞、雑誌、公共広告あらゆる媒体で情報・印象操作が行われています。
今の日本には、報道機関など存在しないといえます。
テレビ、ネット、雑誌、公共広告に意図的にコリアンが出演しています。
身近な例では、メ〇ズノ〇ノにも意図的に出演させています。
情報・印象操作が露骨に行われています。
情報は爆弾や鉄砲と同じく武器です。
私たちは虐殺されています。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK250] 山本太郎があと10人いたら日本は変わる!  赤かぶ
2. 2018年9月04日 02:07:12 : LIgO4mFeAs : k41mBKwRKlw[-1925]
山本太郎みたいな奴は絶対に追及しないであろう問題を

自民が解決

 ↓  ↓

難民申請者約35%減 法務省 厳格な対応で【民主党の置き土産撤去作業】

2018/09/03(月) 17:52:46.60 ID:7dhADhmI0

就労目的とみられる難民申請の急増を受けて、法務省が、より厳格な制度の運用を始めてから、申請者数が減ったことがわかった。難民申請をめぐっては、2018年1月から法務省が制度を見直し、審査中でも許可されていた一律就労をやめるなど、より厳格な対応が取られていた。法務省によると、2018年上半期の申請者は、ネパールやフィリピンなど57の国と地域からの5,586人で、2017年の同じ時期に比べて、およそ35%減り、上半期の申請者数が減ったのは8年ぶりとなった。また、申請を取り下げた人のうち、およそ84%が、取り下げたあと出国している。

https://www.fnn.jp/posts/00399954CX

関連ニュース
難民申請者、過去最多の1万9千人超 認定は20人 
https://www.asahi.com/articles/ASL2F4TYQL2FUTIL02V.html
↑リンク先に年次推移のグラフがあります 民主党の悪政以降、難民申請が急増しているのが明白です
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/234.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK250] 人望無き首相「安倍晋三」は「糞」だった!(simatyan2のブログ)  赤かぶ
2. 2018年9月04日 02:10:14 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[1092]
枝野氏
「味噌と糞を一緒にするな!」

安倍なら差し詰め
「私のウソとクソを
一緒にしないで下さい!」
てとこか?


普通の国民から見れば、
同じに見えるがね。。

flush!
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/225.html#c2

コメント [原発・フッ素43] 口の中に血豆ができる人が増えている 魑魅魍魎男
29. 2018年9月04日 02:10:15 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[6]
大阪。血豆できた。
特定異民族だらけだし。
何なんだ。
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/153.html#c29
コメント [政治・選挙・NHK250] わが胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
10. 2018年9月04日 02:10:36 : OIQLFX7VVg : Cc@ZgvfVcAk[100]
官邸には東大卒の官僚がたくさんいる。気がついても間違いを指摘できなかった、あるいはスルーした。寒々とした人間模様、疑心暗鬼のデンデンである。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/215.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK250] <全員グル>法律を捻じ曲げた最高裁・NHK・安倍内閣(simatyan2のブログ) 赤かぶ
24. 2018年9月04日 02:10:52 : fCeBsMzVa6 : qAojPKM2cNk[12]
阿修羅は、この種類の原因を利権に求めるが、どこかの勢力の手先の域を出ない。ここは人事に関する考察が阿呆のように存在しない。学歴崇拝みたいなものが出てくる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/138.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK250] 「安倍昭恵夫人を24時間監視せよ」総裁選前に吹き出た官邸の声(週刊FLASH) ローズヒップ
12. 2018年9月04日 02:11:28 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3464]
   監視と言う発想までは良いが、周囲は夫人の一体何を監視すべきか理解しているのだろうか。奥様何とかなりませんかね、の、首相への側近の質問が何を指していたのかが問題だ。
   森友、加計事件に関して一連の流れを喋るということは夫人に関しては無い筈であり、国民が思っているよりも夫人はしたたかだろう。
   もし監視を必要とする原因があるとすれば、総裁選であるにも拘わらず、安倍総理大臣の妻の昭恵でございます、と言いながら総裁選の票集めをすることではないか。
   彼女の自覚している立ち位置は、あくまでもファーストレディーであり、総理大臣の妻の肩書で50もの名誉職を引き受けるなど、私人であると閣議決定までされた夫人がファーストレディーという公的立場を利用して友人知人らに便宜を諮ってやりたい旨公言している点で、公金汚職予備軍である。
   総裁選でも当然総理夫人の意識で夫の手伝いをするべく、総裁と総理との二足の草鞋を履き、総理の服を着た自民党総裁として国会占拠に余念が無い夫に何らの疑問も抱くことなく、総裁には総理大臣である夫を宜しくお願いしますと言って歩くのではないかとの懸念が自民内にあるのではないか。
   公邸や官邸に地方議員を誘って接待するなど、現総理としての権威を使って総裁選に臨む、いわゆる公私混同を恥じない夫と、相手候補との公正な競争をするよう意見する賢明さも無い妻では、せめて動かないよう監視したくもなるだろう。
   
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/190.html#c12
コメント [経世済民128] 日本人が"現金払い"に執着する意外な理由 国がキャッシュレス化進める狙い(プレジデントウーマン) 赤かぶ
10. 2018年9月04日 02:17:10 : LIgO4mFeAs : k41mBKwRKlw[-1924]
2018/09/03(月) 22:55:27.45ID:SbZGeIRw

日本の現金は偽造しにくいからねえ。

支那の犬の日経とか、北朝鮮工作員なんかが、日本から現金を無くしたがってる。
クラッキングなんかで簡単に奪えるようになるからな。
http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/160.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
9. 2018年9月04日 02:22:09 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[1093]
平野さんの例の内乱罪告訴の件
どうなったんだ?

今こそ出番だと思うが。。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK250] 中谷氏が石破氏支持表明=自民総裁選 「権力は長くやると緩み、おごりが出る」  赤かぶ
33. 2018年9月04日 02:25:49 : OSaTH0Cg1g : b0CY_@v8Ldk[7]
ピントがずれている。
戦後、総理大臣を含む政治家にコリアンがいるといわれている。
父方の顔を調べれば分かるよ。
内閣府の採用パンフレット見たら、特に男性でコ〇アンが多いことに気づく。
地方行政も。
情報関係は男性はコ〇アンがかなり多い。侵略されている。

容姿:目が細い。釣り目。目・人相が悪い。関節から手までの比率が長い。手の甲の比率が縦に長い。体の比率が縦長。尻にの肉付きが最小限。
行動:こちらを見る。人の前を横切ろうとする。嫌がらせをする。人の話を聞かず自分の主張する。徒党を組む。集団で侵略する。相手に対して言いがかりをつけ、自分が行っている犯罪行為を非難する。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/194.html#c33

コメント [経世済民128] ギャンブル依存症男性の借金体験告白 「限度額まであといくら…」(マネーポスト) 赤かぶ
3. 2018年9月04日 02:34:40 : LIgO4mFeAs : k41mBKwRKlw[-1926]
>>1

その元凶である在日コリアンを問題にしようとすると
何故か邪魔が入る

不思議現象これ如何に?


http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/361.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK250] グリホサート基準緩和安倍内閣の正体(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
9. 2018年9月04日 02:40:47 : z2fK8bClDU : n_988LcIxs0[67]
>>7 連投ご容赦

[勝ったのは民主でも自民でもなく官僚だった〜国民民主主義の完全敗北]
https://kasakoblog.exblog.jp/19211807/

「民主党政権の教訓は、 国民民主主義、間接民主主義は、
この国ではまったく機能せず、 官僚ファシズムによって
完全に支配されていることが、わかっただけだった。」

民主党政権時代の教訓は、首相や閣僚が官僚機構を使い
こなせなかった事ですが、

それは、当時、小沢氏が指摘した「官僚を使いこなす
能力の有る人物が首相や閣僚にならないから?」との
趣旨の発言をしたと記憶していますが、

記憶が正しければ、小沢氏は英文憲法73条6項の内閣令
の存在を知らなかったことになります。

何れにしろ、内閣令なしには、誰が首相又は大臣に
成ろうが官僚を使いこなす事は不可能です。

なぜなら、その内閣令(政令)を保有している官僚様
が内閣令を保有できない首相又は大臣の命令を聞く
わけが無いからです。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/181.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK250] 薩摩を侮辱する短歌を投稿 安倍首相がまた無教養をバクロ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
55. 2018年9月04日 02:42:14 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[611]
どうでも良いような事に、話を逸らして 事の本質を誤魔化してしまおうという オツムのうすさ
それがネトウヨクオリティ 公式名称かどうかなんて まったくどうでも良い事だ

短歌の意味すら理解出来ない人間のクセに 日本人づらしてんじゃねえぞ それが安倍とネトウヨだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/135.html#c55

コメント [政治・選挙・NHK250] 組織も人材も目標も覚悟もない立憲/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
17. 2018年9月04日 02:45:50 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3465]
  政党は所属する代議士が支持者を獲得したい際に、特に党首は党の思想信条をアピールする必要があるが、一旦国会に出る事に為ったなら後は個々の代議士に、地元の支持者の声を取り入れ国会で反映するよう促すだけであろう。
   国会論戦というくらい、例え官僚が作った法案であれ、最終的には最初に結論ありきで党議拘束を掛けた自民の多数で強行採決が成る疑似国民代表議会制度であれ、無所属を含めた各議員の論戦を踏まえ最終的な採決には一人一党の精神を以て臨むべく、国会が真の国民代表議会になるよう尽力するのが立憲民主党の真骨頂だろう。
   勉強会、学習会で党としての信条を説くも一旦議会に出したら党の縛りは意識しないで採決に臨むよう、各議員を導けば良いのではないか。
   派手に何かを演出することが必ずしも党の任務では無く、国会論戦にあたって政策調査を綿密にし資料を作りそれを活用して国会に臨めば、自ずから進むべき方向に道は開ける筈だ。その為の地味な調査活動と国会での論戦参加が代議士の本分であろう。
   本来は与党こそが、官僚の持ち込んだ法案を閣議で憲法との整合性をチェックした後、与党内論議も徹底し、最終的に本会議に政府提案として出したら最大多数与党の横暴を排除するためにも、党議拘束を掛けずに採決に臨むべきであり、所轄大臣は、論戦に必要な資料を積極的に自省から取り、歳出審議の際の参考として国会報告するのが義務だ。
   与党が国会を真摯に運営する義務を果たさない限り、国会は与党が野党を揶揄、嘲笑するだけの、他国とは何事も周回遅れの、疑似国民代表議会であり続けるのである。
   
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/208.html#c17
記事 [戦争b22] <朝日新聞、内部文書入手>16年南スーダン 陸自宿営地 被弾9カ所 弾頭25発 隊員 睡眠不安や音への恐怖 政治板リンク
<朝日新聞、内部文書入手>16年南スーダン 陸自宿営地 被弾9カ所 弾頭25発 隊員 睡眠不安や音への恐怖 

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/177.html



http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/303.html

コメント [政治・選挙・NHK250] いよいよ世界が知る「安倍晋三とヤクザ」!!   赤かぶ
30. 坂の上の下[94] jeKCzI_jgsyJug 2018年9月04日 02:58:24 : KIdsfy7M7Q : WHvB_1yAHmU[2]
28.の方、賛同です。
若者をむやみにやり込めてはいけないが、政治社会がどう?自分達に影響し、コントロールされているかを考えている若者は僅少で、
ほとんどの若者はブツブツと言うだけで、思考閉塞状態だ。

故に、山岡俊介氏のような記者は日本では少ない。海外では真実を追求するジャーナリストは多い。
よく、麻薬を追及して、メキシコでも殺害されたりしている。

大手マスコミは記者ではなく、新聞社のサラリーマン君。

日本人の若者と話すと必ず、口をついて出てくるのが「だって、教えて貰ってないもん」だ。
分らなかったら、何故?聞かない?調べない?と思う。
口を開けて、待っていてもと思うのだが……
見ざる聞かざる言わざるが、日本人。

日本は世界中から、天才みたいなのがゴロゴロ、集まってくる国じゃないから、ガチで、真剣勝負
出来にくいし、結果、真実も出にくいし、どうしても、狭量になって、同種が固まっちゃうか、足を引っ張ちゃうんだね、これが。

ぐれヨン晋チャンだけなく、日本人って、難しい〜
後、何世代、残っているかな?


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/121.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍と石破 この数字の違いをどう見るか?   赤かぶ
2. 2018年9月04日 02:58:38 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[612]
ネトウヨのご都合主義 その一 石破茂にネガキャンするときは いけしゃあしゃあとエロ週刊誌の記事を
臆面もなく持って来るくせに

安倍晋三へネガキャンされたら やれマスゴミだの 嘘ばかり言っているだのって ご都合主義にも程がある

自分に都合の良い記事なら 三流エロ週刊誌やタブロイド紙を 有り難く頂戴する恥知らずな面々は
墓穴を掘るという事がぜんぜん理解出来ていない 週刊誌の記事なんぞを信用するのであれば 安倍晋三なんか
とっくに留置場に入っていなけりゃおかしいだろ。


これだから ネトウヨには 馬鹿しかいないと言われるのだ。。。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/229.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK250] 北方領土が還ることはない。(谷間の百合) 赤かぶ
5. 2018年9月04日 03:04:20 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[613]
独りよがりの妄想 しているのはネトウヨの方である だからあっさりと削除される。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/222.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK250] “逃げ恥”首相の薄汚い手口 ますます異様な自民党総裁選(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
6. 2018年9月04日 03:07:49 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[3466]
   総裁選の論戦にはさすがに官僚から資料は貰えないのだろうか、何故なら官僚の作った法案は官僚が説明するが総裁選の資料は官僚には作れないのだろう。
  だが内閣府まで作り、そこに官僚や元官僚が側近として寝泊まりまでしているのなら総裁選のための原稿くらいは書けるだろう。
  写真やテレビへの出演まで、ライバル石破は公平にとのことだが、一番不公平をしたのは安倍氏だろう。
  自分の総理大臣としての権威と地位を利用し、官邸や公邸に地方議員を接待し食事を振舞うなど、国民の共有資産であり時の総理大臣の公務用に貸与している官邸や公邸を、自党の総裁選の有利のために使用するのは公私混同である。
  現総理だからといって、総裁選はあくまでも一政党の党首を選ぶものであり、そのイベントに総理大臣官邸を利用して地方議員を誘い、総理の威光を以て総裁選を有利に運ぶ考え方そのものが、不公平、不公正である。
  国民は総裁選のためにまで官邸を貸与している訳では無く、あくまでも総理大臣としての公務のための場として貸与しているのである。
  総裁選に利用するなら、自民党会館や自前で調達した会場、あるいは私邸に招くのが常識であり、安倍氏が総裁選有利の為に官邸を使ってしまった時点で石破氏に公正を求めることは出来ないし、これで当選しても不公正をしたので無効であろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/220.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
10. 2018年9月04日 03:11:41 : 01JUjPKVpw : ER1zose2ZFY[72]
高倉健主演「君よ憤怒の河を渡れ」を見れば
安倍や安倍の祖父・岸そして朝鮮カルト「統一教会」や極右カルト「日本会議」
や医療機関や製薬会社そして精神病院の繋がりが簡単に理解できるでしょう

統合失調症やうつ病治療薬として処方されるクスリの副作用として
衝動的に自殺に向かうという事例が数多く報告されていることなどそのまま

安倍とその背後のカルト集団が進める軍国化国民弾圧人権剥奪ファシズム国家を
「美しい国」だと信じ込んだ安倍信奉者が障害者施設に押し入り大量殺人の及んだ
事件も

超国家主義思想にどっぷりと漬かった極右権力者にとって政府や国家の命令に従わない国民は非国民単なる邪魔者

これは丁度シオニスト外資の売国御用達・竹中が「貧乏人は我々富裕層権力者の
国家変革(安倍やその背後のカルト組織が主張する憲法改正と同じように、売国
や亡国や改悪や破棄の実態を覆い隠す詭弁)の邪魔をするな」と主張する精神構造
と同じ

安倍や安倍の背後のカルトやシオニスト外資のアジェンダ「日本解体」亡国売国
国民遺棄弾圧政策に反対する国民や邪魔になると勝手に判断した国民を手段を選ばず
排除する行動に打ってでているわけ


https://pbs.twimg.com/media/DgVJs8IUYAA2Xke.jpg

既に全消去された機関紙巻頭言2018年5月付「欧米での患者中心医療の外側で起こっていること」の日本精神科病院協会会長および安倍晋三講演会「晋精会」会長の山崎学の部下「精神科医にも拳銃を持たせてくれ」に「検討する」と応じた日誌の魚拓。

こいつらには未だに731部隊の血脈が蠢いている訳だ。患者は病院のモルモット。いや、マルタよ。

普精会 晋三の普と精神病患者の精 普精会 恐ろしい会 拳銃欲しい精神科医と軍隊欲しい内閣総理大臣の相乗効果は 恐ろし過ぎるだろう

晋精会は死の商人 #kokkai 日本精神科病院協会会長および安倍晋三後援会山崎学会長と731部隊石井四郎隊長の上司岸信介の孫・安倍晋三は大の仲良しなのさ。


https://pbs.twimg.com/media/DGEs0CrUAAAPIs1.jpg:small

加害の事実を認めなかった日本政府。何故ならば、石井四郎ら731部隊はGHQと取引をし、現在もCIA戦争屋が引き継ぎ、日本の精神医療で精神科医の地位を向上させ、安倍晋三後援会「晋精会」を発足し、何でもない患者ですら薬漬けにしてリピーター、モルモットにしている事実は気付き始めている。

岸信介は、満州国国務院実業部総務司長に就任した1936年に、軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当。人体実験も行なう「軍獣防疫廠」満州に設立。後に「満州第100部隊」と改称。満州での人体実験や細菌兵器の開発は、岸信介総務司長の許可無しでは無理。731部隊 石井四郎隊長のお上が岸。

東条英機絞首死刑翌日に岸信介釈放。親戚の平沢勝栄が晋三の家庭教師。後の警察官僚で朝鮮パチンコ議連事務局長。警察内部情報を田布施システム議員へ流し、警察官僚で国家公安委員長正力松太郎が東声会会長町井久之(鄭建永)のパチンコ利権を保守。

韓国で廃止も日本から北朝鮮へ送金し続けている。

NHK社会部は頑張ってる。 政治部は腐っている。これは必見。 満州国国務院実業部総務司長だった岸信介は731部隊石井四郎隊長の上司。 731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜 NHKスペシャル 2017年8月13日(日)夜9時

精神医療業界は非科学的で731部隊の系統。日本精神科医病院協会と厚労族と厚生省と学閥と外資系製薬会社は、安倍晋三後援会「晋精会」で癒着。山崎学・日精協会長は晋精会会長である。与国秀行氏が「悪魔の医学」で解説。医産複合体は岸信介由来の売国グループだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍政権が沖縄県一般職員に強烈なパワハラ!  赤かぶ
30. 2018年9月04日 03:20:27 : pgtjGg2sJc : YLN_CPM8s4E[126]
安倍の祖父・岸が731部隊の事実上のトップだったと
安倍が権力を行使して強引に家計獣医学部新設プロジェクトを押し切った疑獄事件
ともリンクしてくる

10. 2018年9月04日 03:11:41 : 01JUjPKVpw : ER1zose2ZFY[72] 報告
▲△▽▼
高倉健主演「君よ憤怒の河を渡れ」を見れば
安倍や安倍の祖父・岸そして朝鮮カルト「統一教会」や極右カルト「日本会議」
や医療機関や製薬会社そして精神病院の繋がりが簡単に理解できるでしょう

統合失調症やうつ病治療薬として処方されるクスリの副作用として
衝動的に自殺に向かうという事例が数多く報告されていることなどそのまま

安倍とその背後のカルト集団が進める軍国化国民弾圧人権剥奪ファシズム国家を
「美しい国」だと信じ込んだ安倍信奉者が障害者施設に押し入り大量殺人の及んだ
事件も

超国家主義思想にどっぷりと漬かった極右権力者にとって政府や国家の命令に従わない国民は非国民単なる邪魔者

これは丁度シオニスト外資の売国御用達・竹中が「貧乏人は我々富裕層権力者の
国家変革(安倍やその背後のカルト組織が主張する憲法改正と同じように、売国
や亡国や改悪や破棄の実態を覆い隠す詭弁)の邪魔をするな」と主張する精神構造
と同じ

安倍や安倍の背後のカルトやシオニスト外資のアジェンダ「日本解体」亡国売国
国民遺棄弾圧政策に反対する国民や邪魔になると勝手に判断した国民を手段を選ばず
排除する行動に打ってでているわけ


https://pbs.twimg.com/media/DgVJs8IUYAA2Xke.jpg

既に全消去された機関紙巻頭言2018年5月付「欧米での患者中心医療の外側で起こっていること」の日本精神科病院協会会長および安倍晋三講演会「晋精会」会長の山崎学の部下「精神科医にも拳銃を持たせてくれ」に「検討する」と応じた日誌の魚拓。

こいつらには未だに731部隊の血脈が蠢いている訳だ。患者は病院のモルモット。いや、マルタよ。

普精会 晋三の普と精神病患者の精 普精会 恐ろしい会 拳銃欲しい精神科医と軍隊欲しい内閣総理大臣の相乗効果は 恐ろし過ぎるだろう

晋精会は死の商人 #kokkai 日本精神科病院協会会長および安倍晋三後援会山崎学会長と731部隊石井四郎隊長の上司岸信介の孫・安倍晋三は大の仲良しなのさ。


https://pbs.twimg.com/media/DGEs0CrUAAAPIs1.jpg:small

加害の事実を認めなかった日本政府。何故ならば、石井四郎ら731部隊はGHQと取引をし、現在もCIA戦争屋が引き継ぎ、日本の精神医療で精神科医の地位を向上させ、安倍晋三後援会「晋精会」を発足し、何でもない患者ですら薬漬けにしてリピーター、モルモットにしている事実は気付き始めている。

岸信介は、満州国国務院実業部総務司長に就任した1936年に、軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当。人体実験も行なう「軍獣防疫廠」満州に設立。後に「満州第100部隊」と改称。満州での人体実験や細菌兵器の開発は、岸信介総務司長の許可無しでは無理。731部隊 石井四郎隊長のお上が岸。

東条英機絞首死刑翌日に岸信介釈放。親戚の平沢勝栄が晋三の家庭教師。後の警察官僚で朝鮮パチンコ議連事務局長。警察内部情報を田布施システム議員へ流し、警察官僚で国家公安委員長正力松太郎が東声会会長町井久之(鄭建永)のパチンコ利権を保守。

韓国で廃止も日本から北朝鮮へ送金し続けている。

NHK社会部は頑張ってる。 政治部は腐っている。これは必見。 満州国国務院実業部総務司長だった岸信介は731部隊石井四郎隊長の上司。 731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜 NHKスペシャル 2017年8月13日(日)夜9時

精神医療業界は非科学的で731部隊の系統。日本精神科医病院協会と厚労族と厚生省と学閥と外資系製薬会社は、安倍晋三後援会「晋精会」で癒着。山崎学・日精協会長は晋精会会長である。与国秀行氏が「悪魔の医学」で解説。医産複合体は岸信介由来の売国グループだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/209.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK250] 五輪で月収200万以上貰っていて、自分はボランティアだとほざく森喜朗。厚かましいな。安倍の真似も大概にしなさい  赤かぶ
4. 2018年9月04日 03:22:33 : 4Fg6i7CRSY : Fd9vgM_x2P0[1]
そろそろ蜃気楼と消えるだろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/223.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK250] <全員グル>法律を捻じ曲げた最高裁・NHK・安倍内閣(simatyan2のブログ) 赤かぶ
25. 2018年9月04日 03:24:42 : mIRTw0NPlc : 61JVXTqNG0w[1]
30. 2018年9月04日 03:20:27 : pgtjGg2sJc : YLN_CPM8s4E[126] 報告
▲△▽▼
安倍の祖父・岸が731部隊の事実上のトップだったと
安倍が権力を行使して強引に家計獣医学部新設プロジェクトを押し切った疑獄事件
ともリンクしてくる

10. 2018年9月04日 03:11:41 : 01JUjPKVpw : ER1zose2ZFY[72] 報告
▲△▽▼
高倉健主演「君よ憤怒の河を渡れ」を見れば
安倍や安倍の祖父・岸そして朝鮮カルト「統一教会」や極右カルト「日本会議」
や医療機関や製薬会社そして精神病院の繋がりが簡単に理解できるでしょう

統合失調症やうつ病治療薬として処方されるクスリの副作用として
衝動的に自殺に向かうという事例が数多く報告されていることなどそのまま

安倍とその背後のカルト集団が進める軍国化国民弾圧人権剥奪ファシズム国家を
「美しい国」だと信じ込んだ安倍信奉者が障害者施設に押し入り大量殺人の及んだ
事件も

超国家主義思想にどっぷりと漬かった極右権力者にとって政府や国家の命令に従わない国民は非国民単なる邪魔者

これは丁度シオニスト外資の売国御用達・竹中が「貧乏人は我々富裕層権力者の
国家変革(安倍やその背後のカルト組織が主張する憲法改正と同じように、売国
や亡国や改悪や破棄の実態を覆い隠す詭弁)の邪魔をするな」と主張する精神構造
と同じ

安倍や安倍の背後のカルトやシオニスト外資のアジェンダ「日本解体」亡国売国
国民遺棄弾圧政策に反対する国民や邪魔になると勝手に判断した国民を手段を選ばず
排除する行動に打ってでているわけ


https://pbs.twimg.com/media/DgVJs8IUYAA2Xke.jpg

既に全消去された機関紙巻頭言2018年5月付「欧米での患者中心医療の外側で起こっていること」の日本精神科病院協会会長および安倍晋三講演会「晋精会」会長の山崎学の部下「精神科医にも拳銃を持たせてくれ」に「検討する」と応じた日誌の魚拓。

こいつらには未だに731部隊の血脈が蠢いている訳だ。患者は病院のモルモット。いや、マルタよ。

普精会 晋三の普と精神病患者の精 普精会 恐ろしい会 拳銃欲しい精神科医と軍隊欲しい内閣総理大臣の相乗効果は 恐ろし過ぎるだろう

晋精会は死の商人 #kokkai 日本精神科病院協会会長および安倍晋三後援会山崎学会長と731部隊石井四郎隊長の上司岸信介の孫・安倍晋三は大の仲良しなのさ。


https://pbs.twimg.com/media/DGEs0CrUAAAPIs1.jpg:small

加害の事実を認めなかった日本政府。何故ならば、石井四郎ら731部隊はGHQと取引をし、現在もCIA戦争屋が引き継ぎ、日本の精神医療で精神科医の地位を向上させ、安倍晋三後援会「晋精会」を発足し、何でもない患者ですら薬漬けにしてリピーター、モルモットにしている事実は気付き始めている。

岸信介は、満州国国務院実業部総務司長に就任した1936年に、軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当。人体実験も行なう「軍獣防疫廠」満州に設立。後に「満州第100部隊」と改称。満州での人体実験や細菌兵器の開発は、岸信介総務司長の許可無しでは無理。731部隊 石井四郎隊長のお上が岸。

東条英機絞首死刑翌日に岸信介釈放。親戚の平沢勝栄が晋三の家庭教師。後の警察官僚で朝鮮パチンコ議連事務局長。警察内部情報を田布施システム議員へ流し、警察官僚で国家公安委員長正力松太郎が東声会会長町井久之(鄭建永)のパチンコ利権を保守。

韓国で廃止も日本から北朝鮮へ送金し続けている。

NHK社会部は頑張ってる。 政治部は腐っている。これは必見。 満州国国務院実業部総務司長だった岸信介は731部隊石井四郎隊長の上司。 731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜 NHKスペシャル 2017年8月13日(日)夜9時

精神医療業界は非科学的で731部隊の系統。日本精神科医病院協会と厚労族と厚生省と学閥と外資系製薬会社は、安倍晋三後援会「晋精会」で癒着。山崎学・日精協会長は晋精会会長である。与国秀行氏が「悪魔の医学」で解説。医産複合体は岸信介由来の売国グループだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/138.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK250] 組織も人材も目標も覚悟もない立憲/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
18. 22A[528] glGCUUE 2018年9月04日 03:45:54 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[2341]
>野党共闘に一番消極的なのが立憲民主党だ。

あるいは,国民民主党の共同戦隊への呼びかけを拒否したことを念頭に置いて言っているのだろうか。

国民民主党は,自党の現職を野党統一候補にして,議席を維持したい,それだけではないのか。理念も政策もあったものではない。

>原発を再稼働させるかで一致できないで政権を取ったら、半年で崩壊する。主要な争点について一致することが前提です。

と言う枝野氏の発言の方が正しい。


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/208.html#c18

コメント [マスコミ・電通批評15] <宮川紗江パワハラ問題について・・。>(ラビッツ体操塾) 南青山
2. 2018年9月04日 03:50:19 : v0sZi2I5d2 : Svpf6y3TDUE[1]
ラビッツ体操塾さんに質問です。
塚原本部長の録音の経緯はわかりましたが、何故録音する事を宮川選手に告げなかったのでしょうか?
速見コーチの体罰の証言が何故必要なのかを説明したのでしょうか?
宮川選手本人にも拘わる訴訟なら事実を知らせないのは、別な目的があったと受け取られても仕方ないのでは?
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/447.html#c2
コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
11. 2018年9月04日 03:52:24 : 6lHCmRWgrk : v8W9iafWebI[50]
モサドのベンがキッシンジャーの広報担当だということが今回の葬儀参列でよく判った

ちゃんとマケイン本人かどうか確かめにいったとかマケインの後継者を誰にするかの指示だしとか

残念ながら大統領執務室でトランプと一緒に記念撮影した自称「Q」の面々印象がイマイチ

男性はアナクロな雰囲気の眼鏡で滑稽な感じ女性はもろ悪魔教&爬虫類人系の雰囲気を感じた

「Q」が公開する情報を信じる人を「Q」という色眼鏡で一括りにして悪印象を植え付ける

CIA得意のやり方なのはミエミエただ「陰謀論」というワードを持ち出してしまったことで

逆に「Q」の発信する情報が事実真実であるということを自ら認めてしまったのは滑稽の一語
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c11

コメント [マスコミ・電通批評15] <宮川紗江パワハラ問題について・・。>(ラビッツ体操塾) 南青山
3. 2018年9月04日 04:02:24 : v0sZi2I5d2 : Svpf6y3TDUE[2]
引き抜きについてですが、所属団体を通さず直接選手や保護者と交渉したり、移籍を望まない選手にしつこく何度も勧誘するのは普通なのですか?

今回の一連の騒動で1番疑問だったのは、何故速見コーチの暴力行為の事実認定を協会がしないと発言するのかでしたが、納得しました。
コーチが、訴訟を取り下げ処分を全面的に受け入れ謹慎→反省を認め早期復帰で宮川選手のI難度技を完成させ、五輪のメダルをとる。
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/447.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK250] 心配だからと安倍晋三が自派議員全員から誓約書!   赤かぶ
11. 前河[644] kU@JzQ 2018年9月04日 04:08:12 : IKmocAyg2o : Xw41YgvK0cY[267]
こいつらのやる事はことごとく見苦しい。

お互いの信頼関係が確立していればこんな事をする必要がない。

いかに表面的な支持状態という証と安倍の疑心暗鬼だろう。自分が卑劣だからと言って他者も卑劣とは限らない。自分自身と同レベルと見る安倍の人間不信か?

とにかく本当の信頼関係でない「飴とムチ」の恐怖政治では、見苦しい現象が次々と起こるだろう。意外なところで崩壊するな。



http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/154.html#c11

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
12. 2018年9月04日 04:14:39 : 4Fg6i7CRSY : Fd9vgM_x2P0[2]
まあアメリカ情勢も今の日本と似てるな。立場は色々と逆だが、戦争利権の工作員どもがトランプ降ろしに躍起なだけ。残念なお通夜状態。
で、うやむやなままなんだが、結局アノニマスに分が悪いの?それともQの翻訳者の中におかしいのが混じってた?なんだったんだあの対立してるって情報は。Qへのネガキャンか?あと9氏がQ情報のソースについて言明されてるがどうなんだ?尊大なる御身分の宇宙人アレルギーの遺伝子が反り返って痺れてんじゃないのか?免疫バランサーいまのうちつけとけ。キムチ学会アレルギーは良いとして、ヒステリックな反応はみっともねーだけだし、それで「陰謀論者ってばっかでー」って帰っちゃうお客いんだろが。ウヨ工作員と同じ事してんの気付よ。そこんとこちゃんと折り合いつけて情報ついてけよ?
あと宇宙見るまでもなく自分のちっささわかるにゃgoogleアースで十分だから。

>5
それでも情報封鎖というか大手はまったくシカト決め込むだけだが。ネット界隈で拡散はされるだろうしそのインパクトはすごいものがあるだろな。もう4年も遅れてるよ。
>10
thanks.
そういう欲しい情報が記事としてまったく並んでない阿修羅も寸度メディアとほぼ風情は一緒なんだよな。なんだろな、あの無駄な記事の山。いらいらするだけだろ。他の板見てても。あれも工作員と一緒なんだよ。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c12

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
13. 2018年9月04日 04:17:15 : 4Fg6i7CRSY : Fd9vgM_x2P0[3]
>11
何その説明わかんない。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
11. 2018年9月04日 04:19:19 : LHSMhfLcno : cTj_KsH6DrU[849]
 >本日、安倍総理は自衛隊高級幹部会同に出席し、訓示しました。その様子を動画にしましたので、ぜひご覧ください。(首相官邸HPより)

 此のTwitter、どう考えてもおかしいだろ。自分で自分を「安倍総理」と言う不条理。ゴーストライターが書いているのは分かっているけど、大袈裟なプロモーションビデオを作って於いて、この体たらくじゃ元も子もない。大騒ぎで誘致したオリンピックが典型だけど、一事が万事この調子だ。此奴(嫁も)は気分で生きている。人任せで実感が無いんだ。だから立場も辨えない。憲法を遵守すべき行政府の長、なんて自覚はさらさら無い。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c11

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
14. 2018年9月04日 04:31:48 : 4Fg6i7CRSY : Fd9vgM_x2P0[4]
正直、大覚はどうしようもない。あそこはもう見ない。だろ?
ベンは人間的には正直そうで礼節もあるが、こらえ性という部分でちょっと残念。ただし気持ちはまとも。正しい事が何かを知っている。11は何をどれだけわかってる?疑うより何か信じれるもの持てよ。そしてそれをここに伝えてくれよ。

情報は目新しい進展を伝えるものは無い、途絶えてるね。けれど、今ある機密情報てのは何ひとつ表に出せない。あたりまえ。表に出せない情報は最期極まるまで出せない。当たり前のこと。

既に次の社会へ向けて行動を唱える藤原氏一本で。とりあえず静観でいいと思う。きびうずまさは名前がカッコいい。それだけ(笑)

ここにこれだけの頭数揃えて、互いにバラバラで、いつまでもリーダーシップ掲げて抱かれようしてるのは笑うな。依存してるより、自分たちでまずやれること出来る事考えたらいいよ。そして自分が正しいと思う事だけ実行したほうがいいよ。困ってる人間が傍に居たら、それを助けるアイデアのひとつでも持ち寄ってみたらどうだ?それで気持ちの繋がる人間見つけて繋がってみたら?
俺はそういう人間を探しにここにきてる。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
1. 2018年9月04日 05:39:28 : 6suieP6ihQ : lKbJ6xtwnUY[1]
2018.8.24 18:08更新      産経ニュース
現在の生活「満足」74・7%で過去最高 内閣府調査

 内閣府が24日に公表した「国民生活に関する世論調査」で、現在の
生活について「満足」または「まあ満足」と回答した人が前年比0・8
ポイント増の74・7%だった。
 現行の質問形式となった昭和38年以降で最も高く、内閣府は景気
回復に伴う雇用・所得環境の改善が要因とみている。 (以下略)
https://www.sankei.com/politics/news/180824/plt1808240015-n1.html

嘘だらけの安倍政府と癒着する記者クラブメディア。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c1

コメント [国際23] 韓国は米国の制止を乗り越えて北に列車を走らせるか〜韓国は、対米従属から自立への臨界点に近づいて/田中宇 仁王像
1. 2018年9月04日 05:46:40 : maIBzYjaKk : WKNj51ZrpMo[44]
文大統領の次の動きでわかってくると思いますが、今後の試金石ですね
(スポーツの交流は活発に展開している様子)

まずは、並行して、これからかな、南北会談も間近だし
[ニュース分析]文大統領の親書を持って行く特使団、「終戦宣言」具体案出すか
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31525.html


別件ですが、将来はこれも関係してくるはず 北朝鮮の労働力
「高齢化社会」から「高齢社会」に進入した韓国…日本より7年短い
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31465.html
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/774.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
2. 2018年9月04日 05:50:03 : i6yWVad0zo : D8JeQ@N@tW0[2]
総裁選は自民党の中の話
世論調査の意味がわからない
41%とかインチキ丸出し
4.1%の間違い
いずれその辺の大嘘はバレる
来年あたりは逮捕されて死刑台

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
3. 2018年9月04日 05:53:25 : RLRvWaOozg : zdJmYNDwZWs[33]
自民党支持層だけが安倍を圧倒的に支持。自民党支持層がいかにクズだらけということに他ならない。共和党支持層のトランプ支持が圧倒的であるのと同じ現象。天動説を信じ進化論を否定しシオニズムを肯定する聖書原理主義の福音派の連中やQanonの陰謀論の信奉者たちの圧倒的な支持を受けるトランプに対しネトウヨ属を中心としてネットを支配するクズの圧倒的支持を受ける安倍。クズが支持基盤であるのは同じ。世界の笑いものではある。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
4. 2018年9月04日 06:03:46 : eQHpkW1P7s : 0hMQcQYsWyM[125]
>>3さん

 お見事。

 だがそんなクズが日米ともに少なくはない人数存在する、という事実は脅威ですね。更にその狂信クズが「声が大きい」だけに余計に厄介です。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍首相が総裁選を前に御用新聞の産経、読売でトンデモ“改憲強行論”!「発議しないのは国会のサポタージュ」とまで(リテラ) 赤かぶ
2. 2018年9月04日 06:12:36 : eQHpkW1P7s : 0hMQcQYsWyM[126]
>>1さん

 同感。

 更に、「国民からの積極的・切実な改憲要望」が存在しない中で「行政府の長や閣僚」、「立法府の国会議員達」が進んで「改憲を言い出すことは明白な憲法違反」である。

 「サポタージュ&憲法違反」の連中が堂々と大手を振っているという「異形の日本」。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/233.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
12. 2018年9月04日 06:20:59 : z96pRezZys : zdtPSDyz5pg[5]
それは〜遵法自衛隊幹部も驚くよね。

「お前達に憲法改悪して戦争任務をやらせるぞ!」と
面と向かって脅かされたら。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
5. 2018年9月04日 06:23:28 : GCyjHvYLrA : Ju78S_VSEi0[1]
最近、YouTubeの安倍応援団の動画
総裁選前だから嘘、デマが見境なくなって来ていますね。

ラジオの飯田浩司、マット安川のデマ番組を録音した動画とか
出演者がDHCテレビと被っているのが特徴的。
        

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c5

コメント [カルト19] シャン・本澤・小泉の薩摩田布施と安倍の長州田布施、大覚・安倍に質問すると稲川から返事。稲川キムチもサックスなのである。 ポスト米英時代
12. はろー[1386] gs2C64Fb 2018年9月04日 06:31:58 : QNmObM9B96 : MYxSjdAu5VU[3]
>>8 songcatcherさんへ
songcatcherさんのblog、既に探しあてていましたが、教えていただいたメルアドでご本人様のものと確認できました。かなり多量な資料ですが時々読みに行ってます。英文の和訳が主で頭が下がります。(感謝)

http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/577.html#c12
コメント [リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
77. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年9月04日 06:36:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]
アルゼンチンの政策金利は60%に 新興国通貨下落の日本円への影響は
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180903-00000006-moneypost-bus_all

マネーポストWEB 9/3(月) 20:00配信


政策金利引き上げでアルゼンチン・ペソを防衛することができるか(写真:アフロ)


 8月末の海外市場では、新興国通貨が大きく下落した。アルゼンチン・ペソが、対ドルで急落し、最安値を更新したことで、アルゼンチン中央銀行は、政策金利を45%から60%に引き上げた。

 アルゼンチン国内のインフレ率を抑えると同時に、通貨アルゼンチン・ペソの防衛を計る目的での利上げと思量できる。

 つまり、政策金利を引き上げることで、「米ドル買い/アルゼンチン・ペソ売り」を抑制し、市場参加者の気持ちを「米ドル売り/アルゼンチン・ペソ買い」に向けることが、その意図と考える。

 政策金利を45%から60%に引き上げたということは、15%の利上げだ。もちろん、大幅な利上げであることは言うまでもない。しかし、この金利政策で、通貨アルゼンチン・ペソを防衛できるかは懐疑的だ。

 いや、もっとはっきり言うならば、政策金利が60%の国に誰も投資をしようとは思わないだろうから、通貨防衛は難しいのではないか。60%の政策金利は、やはり異常だ。マーケットは、アルゼンチンに投資すること自体を避ける方向に向かうだろう。

 新興国通貨の下落で、メキシコ・ペソや、南アフリカ・ランド、トルコ・リラの下落も目立っている。

 そして、新興国通貨の下落は、豪ドルの下落にも波及している。豪ドルは、メジャーカレンシーに分類されることが多いのだが、米ドル、ユーロ、日本円、英ポンドなどと比較すると、新興国通貨に近い性質がある、ということだ。

 トルコ・リラが大きく急落した8月中旬に、それを契機に「安全な避難通貨としての日本円」に資金(資本)が流入する可能性がある、と予想したが、8月末の海外市場では、まさにそういった値動きが顕在化した。

 8月末の海外市場では、ドル/円が、111円台後半から111.00円割れ(110円台後半)に急落したのだが、「安全な避難通貨としての日本円」が注目されたことが、その理由だろう。

 つまり、新興国通貨の下落が日本円の買いに波及し、その結果として、ユーロ/円などのクロス円も下落したと判断できる。

 新興国通貨の下落は、簡単に収まる一時的な問題ではないだろう。さらに新興国通貨に売り圧力がかかるならば、ユーロ/円やクロス円の下落に波及するのではないか、と予想される。

(2018年09月03日東京時間12:00記述)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c77

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
15. 2018年9月04日 06:37:48 : 88o0GtFao2 : XAT@z4BUPYk[1]
ともかくこれだ。

ロシア海軍:艦艇28隻が宗谷海峡を通過 防衛省発表 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180904/k00/00m/010/164000c
5 時間前 ... 防衛省は3日、ロシア海軍の艦艇28隻が宗谷海峡をオホーツク海から日本海側に向け
て通過したと発表した。 ... にかけ、海自の護衛艦などが宗谷岬の北東約210キロの
海域を西に進む情報収集艦や駆逐艦、フリゲート艦など28隻を発


いよいよだぞ。28隻きてるぞ。日本以外のアジア圏の国々はこれを見越してトランプ政権の進める和平案に同意してったんだぞ。イスラエルみればわかるとおり、そのまま常駐して抱囲。報道で幾ら誤摩化し謀っても無駄。しっかりマークされてる安倍清和会政権。王手飛車とり確定で、蚊帳の外とガン無視されてたせいで、一番最期とおもわれていた日本だが、どうやらイスラエルと同時かね〜?完全抱囲きめて詰め将棋。
安倍はトランプと断絶状態確定だし工作員ともどもどこにも逃げ出しようもない。マスゴミ報道もこれじゃお手上げだ。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK250] 山本太郎がヤクザと火炎瓶で安倍晋三を厳しく追及!   赤かぶ
11. 2018年9月04日 06:40:19 : GCyjHvYLrA : Ju78S_VSEi0[2]
最近、YouTubeの安倍応援団の動画
総裁選前だからウソ、デマが見境なくなって来ています。
 
ラジオの番組を録音した動画とか
出演者がDHCテレビと被っているのが特徴的。
        

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/197.html#c11
コメント [国際23] 「難航?迷走? 米朝非核化協議」〜両者の間には不気味な雲が立ち込め今にも雨が降り出しそう/出石直・nhk 仁王像
1. 2018年9月04日 06:42:29 : LiAK8mOVpk : JfLzxe_9T5I[804]
奥歯に物が挟まった様な言い口、肝心な事を明確に伝えない。
いつも関心を持って見続けていないと本当の事が判らない。
金を払わされて見る価値が有るのだろうか?
価値の有る情報を一つ見るのに嘘や無価値の情報を千も万も見せられたらそれは価値が有るとは言わない。

https://twitter.com/trappedsoldier/status/1036590479301697536
mko @trappedsoldier
mkoさんがGlobal Timesをリツイートしました
朝鮮半島非核化が進まないのは中国のせい? 米国は自分たちの外交政策の失敗を中国のせいにしている
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/775.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK250] わぁ、呆れる〜。安倍が「日本主導で労働や環境などの国際的ルールづくりを」と提案したらしい  赤かぶ
1. 2018年9月04日 06:42:29 : ecAZsodHcQ : A4Zt82elUQE[55]
サイコパスに言っても無駄だわ。

たとえ最初は自分でもブラフだと思っても、
演じる時には「信念」に代わってる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/227.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK250] 青木理さん / 「森友・加計問題って、個人攻撃じゃないですよね」  赤かぶ
11. 2018年9月04日 06:44:00 : 8ZjoiGtklU : BQ5zuCpBOI8[2]

>>青木理氏
安倍さんが出馬表明をしたのは桜島の前で、いかにも大々的にやったが、NHKが生中継している。

時の政権を担う総理大臣・総裁が桜島をバックに「薩長同盟」を礼賛する。

これって?「徳川慶喜」が「倒幕テロ」を礼賛するのと一緒なんですけどネ〜♪。

然も、「薩長同盟」って、昨年成立した共謀罪適用対象ですよネ〜♪。

此の阿呆らしさ、キチガイじみた言動をも批判もせず『安倍ぴょ〜ん強〜ェ!』『石破反日』と短絡的にブチ上げる糞腐翼連中。

それだけなら未だしも評論で飯食っている、所謂「政治学者」「評論家」「マスコミ論説委員」等迄もが『右え倣え!』と云うのだから、最早「キチガイ・馬鹿に付ける薬はない」「キチガイに政権」がニッポン大国の現状です。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/191.html#c11

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
16. 2018年9月04日 06:47:47 : mofHaZL3EY : T9_gD71WSws[1]
大覚醒サブレ
https://www.reddit.com/r/greatawakening/


http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c16

コメント [昼休み54] 女の停年は35歳 中川隆
2. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年9月04日 06:49:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

Forty Photograph in Forty Years - The Brown sisters - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7oX-HIhET3A


30代以後も努力して体型を保っている女性を、男はもっと称賛すべき │ ブラックアジア:鈴木傾城
https://blackasia.net/?p=8926


女性の身体が最も美しく充実しているのは何歳だろうか。20歳だろうか。30歳だろうか。それとも40歳だろうか。

人によって個人差もあれば感覚も違うので一概に言えないのだが、中国の古い医学書ではその答えは「28歳である」と記されている。

京都の仁和寺には、日本最古の写本『黄帝内経(こうていだいけい)』が保管されているのだが、この写本は中国最古の医学書である。

そして、この医学書『黄帝内経』に記されている内容こそが今の「漢方」に通じる考え方と治療法の基礎となっている。

この医学書には、面白い説明があって、「女性の身体は7の倍数で変化する」とされている。つまり、女性の身体は「7年ごとに変わる」というのだ。

分かりやすく言うと、7歳、14歳、21歳、28歳、35歳、42歳、49歳、56歳、64歳、70歳、77歳、84歳……で女性は変わると説明されている。

その中で、女性が最も心身ともに充実している「ピーク」が28歳であって、以後は気力も体力も衰えていく。それが『黄帝内経』の考え方だ。(鈴木傾城)


▲△▽▼


加齢臭の奥さんとの家族愛より、甘い香りのラブドールとのロマンチック・ラブの方がいい

女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
3/28(水) 11:23配信 産経新聞

女性のニオイ研究の成果から、ロート製薬が開発したボディウォッシュ
http://jp.rohto.com/deoco/body-cleans/


 女性には若いころに特有の甘い香りがあり、それは加齢とともに失われていくことがロート製薬の調査で分かった。その正体は桃やココナツなどの香りの構成成分であることも判明。その香りをかぐと、見た目の印象も変わるといい、同社は研究結果を製品開発に生かそうと試みている。(安田奈緒美)

 女性が1日着用した1枚の布を目隠ししてかいでみると…。当然、汗の臭い、酸っぱい臭いなどが鼻をつくはず。ところが「その中で甘くて良い香りが漂うのに驚きました」と話すのは、ロート製薬の男性研究員だ。

 女性の加齢に伴う体臭の変化について研究しようと、10〜50代の女性50人に、入浴後から24時間着用してもらった布を回収し、評価したところ、そこはかと漂う甘い臭いに気づいたという。「甘い臭い」は10代、20代に比べて30代以降で減少し、その「曲がり角」は35歳にあることも分かった。一方で、アンモニア臭や硫黄臭といった、人が苦手に感じる臭いに関しては年代によって大きな差は見られなかったという。

 さらに研究グループは甘い臭いの成分の特定にも成功。ピーチのような香りの「ラクトンC10」と、ココナツのような香りの「ラクトンC11」という化合物が香りの元と突き止めた。男性研究員は「女性の臭いは男性とは違う独特なものがあると以前から思っていた」と話し、それがラクトンだと推察している。

 ロート製薬が女性の臭いに注目して調査したのは、平成28年に行ったアンケートがきっかけだ。300人の20〜60代の女性に体臭に関する質問を行ったところ、「年齢とともに体臭が変わってきた気がする」「におっていないか不安」と回答した女性が全体の約8割もいたからだ。そこで、加齢に伴う体臭の変化について調査を実施。ラクトンC10、ラクトンC11について、昨秋、神戸市内で開かれた「日本味と匂学会」でも発表した。

 研究結果でもう一つ、分かったことがある。臭いと見た目の印象の関係だ。実験では「加齢臭」とも称される臭い成分の「ノネナール」と「せっけん香料」「ラクトンC10/ラクトンC11」をそれぞれ含む香料を3つ用意。研究員がそれぞれの香りをかぎながら女性の写真を見て、無香料で写真を見たときの印象と比べた。すると、ラクトンを嗅ぎながら写真を見た方が「女性らしさ」「若々しさ」「魅力度」がそれぞれ、15%、47%、74%も上がった。一方、ノネナールを嗅ぎながら写真を見ると、「女性らしさ」は無香料の時にくらべて40%減、「若々しさ」に至っては60%以上減となった。

 これらの研究結果を踏まえて同社広報の矢野絢子さんは「今後、女性の加齢臭に対する手法として、洗うことで落とすだけでなく、ラクトンの香りを加えてあげるというアプローチができる」と話す。すでにラクトンを含むボディウォッシュの販売を開始しており、「順次、ラインアップを増やしていけたら」としている。
http://jp.rohto.com/deoco/body-cleans/

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html#c2

コメント [国際23] マケイン氏の娘「アメリカは再び偉大にされる必要などない」(BBC) 赤かぶ
3. 2018年9月04日 06:49:32 : LiAK8mOVpk : JfLzxe_9T5I[805]
ベトナムで捕虜になり4年も飯を食わせてもらい、命も助けられた恩を忘れて、世界中で戦争を起こし実行して破壊した国や殺した人々は数知れず、こんな悪魔を英雄と称える連中は何が本物なのかを全く知らない連中。
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/778.html#c3
コメント [昼休み54] 女の停年は35歳 中川隆
3. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年9月04日 06:51:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

2018年08月19日
熟年だけでない「夫源病」の実態 夫が家にいるだけで「気が狂いそう」「動悸がヤバい」


タレントの上沼恵美子さんが「夫源病」を理由に夫と別居状態にあると報じられ、話題になりました。

「夫源病」は、夫が原因のストレスで体調を崩すこと。イライラしたり、強い不安感やゆううつ感を抱いたりするなどの精神的な症状や、吐き気、胃の不快感、頭痛、冷や汗、食欲不振や不眠などの身体的な症状を引き起こすそうです。また、重症化すると、うつ病などに発展したり、高血圧や胃潰瘍になることもあるといいます。

夫の定年退職を契機に増えると言われてきましたが、まだ若い子育て中の女性たちも悩まされることがあるようです。子育て情報サイト「ママスタ」の掲示板にも「このイライラ、憂鬱感は夫のせい? 『主人在宅ストレス症候群』とは」(http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2944212)と題したスレッドを始め、夫源病に悩む女性たちの相談や不満が相次いでいます。

●夫源病に苦しむ妻たち

このスレッドには、「土日と長期休暇が本当に憂鬱。旦那の休暇の次の週は大抵体調崩す」「うちも土日だけでも憂うつ。平日も、いつも22時くらいに帰ってくるのに、たまに20時くらいに帰ってくるとほんと気分落ちる」「うちは旦那の休みが多いから気が狂いそうだよ。土日だけが休みの人が羨ましいわ。平日の昼間に家に居られたらストレスでしかない」などの声が、赤裸々に綴られていました。

また、夫婦で長時間を一緒にすごす年末年始に向けてでしょうか。「夫源病の方!もうすぐ年末年始ですね」(http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2950227)といったスレッドも。「憂鬱でしかありません。6日間も旦那が家で居るとか苦痛すぎる」「今から動悸がヤバいですもん」「2年前蕁麻疹ができたときあったわ」などの声があがっています。

●離婚を考える人も

これらのスレッドで目立ったのが、「夫と離婚したい」という声でした。

例えば、「去年はついに体調くずしたから、年末になると、どうやって離婚しようか真剣に考える」「定年になったらどうなるのか考えると鬱になる」「子供が、成人したら離婚したい。老後に一緒にいたくないかも。今から貯金してる」「熟年離婚まっしぐら」などと、夫の定年退職を見据えて離婚を考える人もいました。

●「夫源病」だけでなく「長期間の別居」なども必要

夫源病を理由とした離婚は認められるのでしょうか。離婚問題に詳しいM門俊也弁護士は「それだけでは認められません」と話します。

何故なのでしょうか。「もちろん夫が離婚に応じてくれれば離婚はできます。しかし協議離婚が成立しなければ、調停、裁判へと進みます。その場合、民法770条1項に定められた離婚理由に該当する必要があります。『夫源病』の場合、考えられるとすれば、民法770条1項5号が定める『婚姻を継続し難い重大な事由』に該当するかどうかでしょう」とM門弁護士は指摘します。

「離婚理由としてよくあげられる『夫婦間の価値観の違い』や『性格の不一致』は、裁判ではこの『婚姻を継続し難い重大な事由』に該当するかどうかで争われるのですが、夫源病も同様ですね」

では離婚は認められるのでしょうかと聞いてみると「夫源病のみでは、該当しないでしょう。別居を長期間するなど、客観的にみて婚姻関係が破綻している事情等が必要となります」とのことでした。
https://www.bengo4.com/c_3/n_8385/

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/252.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK250] 公開討論を拒否した沖縄県知事選の自民候補!  赤かぶ
19. 2018年9月04日 06:55:07 : 8ZjoiGtklU : BQ5zuCpBOI8[3]

>>そもそも、米兵混血の玉城が日本語で討論できるのか、怪しいものだwww

オイオイ「15」の御バカちゃ〜ん♪ 心配しなくても良いよ〜♪。

朝鮮混血の「安倍昭恵」がニッポン大国ファーストレディーとして、裏や表で御活躍ですからネ〜♪。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/185.html#c19

コメント [国際23] モスクワの反対集会に1万人 プーチン大統領の年金改革案、ロシア各地で抗議行動(ニューズウィーク) 赤かぶ
2. 2018年9月04日 07:02:32 : yy5tgivcx6 : 5IC5SyYzVxE[1]
赤かぶは何の意図を持ってニューズウィークの記事をもってきてるの?単に無節操なだけ?それを容認するだけが阿修羅の意義なんだ?大量に乱雑な記事バラまいて「正しい事はここに在ります!どれがただしいか自分で見つけね」じゃないだろーに。管理人。
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/777.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
13. 2018年9月04日 07:09:07 : YUwyfx38yg : H8ZNZ@EgOFQ[20]
自衛隊員の皆さんも、こんなバカ総理の配下となって戦死するなんて、死んでも死に切れません。
本当に犬死です。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK250] 日本の空虚な新聞信仰。なぜ、温存されるのかにつき、無視できないのディープステート(国家内国家)の存在  赤かぶ
2. 2018年9月04日 07:09:15 : k2IOAoG8SI : jQ5LE_luYdk[1]
介護男、以下まったく意味不明。書き直し。

>日本の空虚な新聞信仰。なぜ、温存されるのかにつき、無視できないのディープステート(国家内国家)の存在

>朝日新聞は、

間に統一教会が入っている産経よりマシではある。

しかし、間に創価学会が入っている

毎日新聞と較べると、

より独立性が少ないってことかな。


それから、赤かぶも(私だけでなく)やっとこさコシミズ党のコピペコメントも削除してくれるようになったので、私もいつものコピペは控えておくが、

介護男もそろそろバカみたいなムサシキャンペーン、やめたらどうか?

ほとんどの阿修羅の読者も心の底であざ笑ってるぞ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/230.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
14. 地下爺[3388] km6Jupbq 2018年9月04日 07:12:20 : ygnIofYuD6 : wi1STPEnmmE[84]

 私 思うですけど 麻生 とか 晋三ぼっちゃま とか 明らかに

 馬鹿が 総理大臣 になるのは どうにか 防げないものでしょうか。


 
 いくら アメリカ様が 「 馬鹿じゃなきゃ 総理大臣しない 」 と

 言われても これじゃ ひどすぎませんか!!



http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c14

コメント [リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
78. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:12:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

2018年09月04日
国内輸入車販売 あまり増えていなかった


輸入車が急増した気がするが、数字ではリーマン前に回復しただけだった


画像引用:ぐるっと郡山https://www.gurutto-koriyama.com/db_img/cl_img/768/main.jpg

輸入車実は増えていなかった

2017年の輸入車(外国メーカーのみ)は3.7%増の30万6088台と久しぶりに30万台を超えました。

輸入車が最も売れた20年前は1997年、1ドル70円台の超円高になった1995年の2年後で、外国車が値下がりした時期でした。

2011年にも1ドル70円台になったが日米の物価の影響で、95年の1ドル70円台は現在の1ドル60円台に相当する。




当時はクラウンよりBMWの値段が安くなり、輸入車ブームが起きていました。

2017年の国内自動車販売は523.4万台だったので輸入車シェアは約5.8%で軽を除くと9.1%でした。

メディアによると輸入車のシェアは年々増えているが、「軽を除く」なので実態を表していない。


軽自動車の販売比率が増加して1980年に15%だったのが95年に25%、2010年に35%で最近は40%近い。

これでは軽を除く統計に意味がなくなってしまい、輸入車の販売比率はあまり増えていないことになる。

販売台数でも2009年から見ると10年連続増加だが、リーマンショック以前に回復しただけでそれほど増えていない。


中国の輸入車シェアは4.2%と低いが韓国は15%、アメリカは35%程度、ドイツは6割近くが輸入車でした。

ドイツの自動車販売からオペルを含むドイツメーカーを除くと67%のシェアがあり、国産比率が低い。

かわりにドイツはEU内で関税無税なので、東欧などコストが安い国で生産して利益だけを得ている。

対米黒字の75%が自動車だった

日本で売れている輸入車はベンツ、VW、BMWのドイツ御三家でアウディとポルシェもVWグループです。

以下ミニ、ボルボ、ジープ、プジョー、ルノーと続きアメリカからはジープ(約1万台)だけでした。

以前はVW1位、BMW2位、ベンツ3位だったが上位3社はそっくり順番が入れ替わっている。


ベンツは低価格車を増やしたのに対しVWは高価各車が増え、ユーザーは「車格」が上のベンツを好んでいる。

日本の輸入車ユーザーは車格やステータスにこだわるのが特徴的で、実用性で選んではいない。

車種別では「MINI」が1位でVWゴルフが2位、ベンツCクラスは3位、4位以下はBMWなどドイツ御三家が並んでいる。


米国車は合計1万3894台でジープが1万0102台なのでジープ以外の米国車は3792台しか売れなかった。

米ビッグ3の2017年の販売台数は合計816台でGMは52台しか売れず、おそらくテスラより少なかった。

日本からアメリカには年間170万台を輸出し、対米貿易黒字の75%を占めている。


ここにトランプは文句を言っていて、こうした偏った商売を長期間続けるのは難しいでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/77409071.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c78

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
6. 2018年9月04日 07:14:37 : yy5tgivcx6 : 5IC5SyYzVxE[2]
アベノミクスに実感なんてまだいってるのかよー。バカかよ。あるわけないだろんなもん。日銀の総資産みろよ。借金つくって年金融かしてせっせと株価吊り上げただけだろ。身内企業議員OB戦争屋日本会議統一教会にバラまいて鱈腹飲み食いして、イスラエルサウジによいしょしただけだろ。ゆすられたかられおぼっちゃんやろうどもがよ。それで国債だけでGDP越えてんだろが。

>3
いや、進化論だけは間違いだからな。遺伝子のミッシングリンクちゃんと勉強しとけ。
そういやさ、現ローマ法王もトランプとは対立してたけど、今期が二世が預言した最期のローマ法王だから、純粋に人間性批判してただけで、やってることはトランプ側と一緒。古い教会の体質と犯罪履歴を暴いて悪魔崇拝集団を閉め出してるとさ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c6

コメント [近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
111. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:17:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

2018.09.04
ドンバスをキエフ政権に制圧させるため、米国が武器の供給を拡大へ



 ​アメリカ政府はキエフ政権に対する武器の供給を拡大し、海軍と空軍を強化する準備を進めている​という。これはアメリカ政府のウクライナ担当特使、カート・ボルカーがイギリスのガーディアン紙に語っている。脅しのつもりなのだろう。


 この記事が掲載される前日、2018年8月31日にキエフ政権と対立しているドンバスの政権を率いるアレクサンダー・ザカルチェンコがレストランで暗殺されている。内部に仕掛けられた爆弾によるもので、副首相も重傷を負ったという。

 キエフ政権は現在、ペトロ・ポロシェンコが大統領を務めているが、実態はネオ・ナチの体制。2014年2月22日にバラク・オバマ政権の支援を受けたネオ・ナチのグループはビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除することに成功、それ以来のことだ。

 ネオ・ナチのリーダー、アンドリー・パルビーはウクライナ社会国家党(後にスボボダ/自由へ改名)とウクライナ愛国者党を作り上げた人物で、2016年から国会の議長を務め、今年6月にはフランスとアメリカを訪問した。アメリカの議会は親イスラエル派で有名だが、その議会はパルビーを歓待、下院議長のポール・ライアンなどと私的に会談している。社会国家党はナチスの正式名称、国家社会主義ドイツ労働者党を連想させるので改めたと言われている。

 アメリカ支配層はパルビーがネオ・ナチだという指摘に対し、ロシアのプロパガンダだと主張、それで押し切ろうとしてきたが、パルビーたちがステファン・バンデラの信奉者であり、ナチが使っていたマークに似たマークを使用してきたことも秘密ではない。

 ステファン・バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派OUNのリーダーで、この一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。

 ウクライナがドイツに占領されていた時代、彼らは「汚い仕事」を引き受け、ユダヤ人90万名が行方不明になった出来事に関与していると言われている。1941年以降、バンデラ派はドイツから資金を受け取り、その幹部だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。

 その後、ウクライナの民族主義者が独立を宣言するとナチスの親衛隊は弾圧に乗り出し、バンデラたちも逮捕されるが、ザクセンハウゼンの強制収容所では特別待遇を受けている。その間、レベジは拘束されていない。

 1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立した。この組織は大戦後の1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。言うまでもなく、1991年はソ連が消滅した年だ。こうした動きの背後にはCIAが存在していた。ソ連消滅後、こうした人脈は旧ソ連圏へ入り、活動を始める。

 こうした流れの中でパルビーたちも暗躍、2014年のクーデターを成功させた。ウクライナのネオ・ナチへイスラエルが武器を提供していたことも判明している。

 ところで、ウクライナの大統領を務めているペトロ・ポロシェンコは国立キエフ大学を卒業しているのだが、そこで親しくなったひとりが2004年から13年にかけてジョージアの大統領を務めたミハイル・サーカシビリ。

 このサーカシビリは1994年にコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。その後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。

 2000年10月にサーカシビリはシェワルナゼ政権の司法大臣に就任するが、すぐに辞任し、01年10月にUNM(統一国民運動)を創設する。2003年11月の議会選挙ではシェワルナゼの政党が勝利するのだが、サーカシビリは選挙に不正があったと主張、混乱がはじまる。

 選挙前、ジョージアでは選挙の信頼度を上げるためだとして投票のコンピュータ化を進める。そのための資金、150万ドルを提供したのはCIAの資金を扱っているUSAID。アメリカ大使として2002年からジョージアにいたリチャード・マイルズはサーカシビリ支持の若者を扇動してシェワルナゼを辞任に追い込み、サーカシビリが実権を握る。これが「バラ革命」だ。ちなみに、マイルズはジョージアへ来る前、ユーゴスラビアで政権を転覆させている。

 その後、ウクライナではビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004年11月から05年1月にかけてオレンジ革命が実行されるが、その正体が西側の巨大資本とその手先による国民の富の略奪にすぎないことが判明、2010年に再びヤヌコビッチが大統領に選ばれる。そこで、今度はネオ・ナチを使ったクーデターを実行したわけだ。

 しかし、ヤヌコビッチの支持基盤、つまりウクライナの東部や南部ではキエフのクーデター体制に対する反発は強く、迅速に動いたクリミアはウクライナから離脱することい成功、ドンバスでは今も戦闘が続いている。そのドンバスに対し、アメリカは軍事的に恫喝した。ドンバスのリーダーを殺したのはキエフ政権だと推測する人は少なくない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809040000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c111

コメント [政治・選挙・NHK250] 人望無き首相「安倍晋三」は「糞」だった!(simatyan2のブログ)  赤かぶ
3. 地下爺[3389] km6Jupbq 2018年9月04日 07:22:19 : ygnIofYuD6 : wi1STPEnmmE[85]
映画 破れ奉行 第1話〜第5話より 36:42 ぐらいから 発案
https://www.youtube.com/watch?v=q7qoFBE-7UA


  安倍晋三 てめーは あわれなやろうだぜ 

  我が身 かわいさ ばかりに 自衛官の命を売りやがって

  クズだ てめは クズの人間だ

  やかましいやい このやろう

  一滴の涙も 一滴の血を流させのが 天下をあずかるものご正道だ


  だがしかし 相手によっちゃ なさけ 容赦 できねんだ
  
  安倍晋三 叩きってやる!!


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/225.html#c3

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
17. はろー[1387] gs2C64Fb 2018年9月04日 07:27:55 : QNmObM9B96 : MYxSjdAu5VU[4]
分野は問わず様子見しているのかな等と思っています。もちろん日常生活は互助の精神で、です。「上があんなだから、庶民は助け合わないと」とおっしゃる年輩者は意外に自分の周りに何人もおられます。そういう方々が踏ん張ってなんとか保っているかんじ。
休暇から戻ったベンジャミンさん、よほど腹に据えかねたか再度「いかに円満に日本を衰退させるかが政治家の仕事」などとかつて野田女史が言っていたと目を剥いてました。「衰退」って····


http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c17

コメント [昼休み53] 女子高生コンクリート詰め殺人事件 中川隆
124. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:28:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちは更生などできない2018.09.04

1988年に東京都足立区綾瀬で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、今なお語り継がれる凶悪少年犯罪だった。

17歳の女子高生が路上で不良グループに拉致され、約40日に渡って清算なレイプ、リンチを受けて、ボロボロになって死亡、遺体はコンクリート詰めにされて東京湾埋立地に遺棄された。

この不良グループはこの事件の前にも別の女性を2名レイプしており、さらに被害総額220万円にもなる店舗荒らし、そして、分かっているだけで20件以上になるひったくりをやっていた。

このひったくり事件で余罪を追及している中で、女子高生コンクリート詰め殺人は発覚していたのだ。

この16歳から17歳の不良グループが起こした少年事件は、全貌が明らかになるに連れて日本中が震撼した。

この不良グループは女子高生を脅して最初にホテルに連れ込んでレイプし、たまり場になっていた自宅の二階に女性を連れ込んで、グループ全員で代わる代わる昼も夜もレイプし続けた。

彼女をレイプしたのは中心となった少年4人だけではない。この不良グループの関わる暴走族仲間なども含めて、関わった男は数十人を超えていた。(鈴木傾城)

日本最悪の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

昼夜限りなく続くレイプに彼女が意識を失うと、バケツの水に頭を突っ込んで意識を取り戻させて、再びレイプし続けるという状況だった。

彼女は逃げようとしたが連れ戻されて、以後は激しいリンチを受けるようになる。

殴る、蹴る、陰毛を剃られる、陰毛を焼かれる、ライターの火を押し付けられる、シンナーを無理やり吸わされる、ウイスキーや焼酎を強制的に飲まされる、自分の尿を飲まされる、ロウソクの火を顔面に垂らされる……。

そして最後には、1.7キロの鉄球を何度も何度も腹に落とされて、彼女は身体をブルブルと痙攣させながら死んでいった。

翌日、この不良少年たちは彼女の遺体を毛布に包んで旅行かばんに入れて家から持ち出し、近くから盗んだドラム缶にゴミのように彼女の遺体を突っ込み、コンクリートで固めて東京湾埋立地に捨てた。

彼女の遺体は検死で手足は重度の火傷でただれ、脳は萎縮していたのが分かっている。

この事件で行われた被害者への暴行は、常軌を逸するものであったと言える。しかし、少年たちは「少年である」が故に、死刑にもならなかった。

中心人物だった宮野裕史は懲役20年。2009年にはすでに出所している。そのサブリーダーだった小倉譲は5年〜10年の不定期刑で1999年に出所だった。

監禁部屋となった自宅を提供していた湊伸治は懲役5年以上9年以下で2008年に出所、この中で一番目立たなかった渡邊恭史は懲役5年以上7年以下の不定期刑だった。

すでに全員が出所しているのだが、刑務所でこの男たちが更生するわけがなく、宮野裕史は振り込め詐欺グループの一員になって2013年1月10日に再逮捕、小倉譲は知人を拉致して5時間に渡る監禁と暴行で再逮捕されていた。

渡邊恭史は出所後は引きこもりになって母親と共に姿を消してしまったのだが、湊伸治はどうだったのか。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

湊伸治は45歳になっても、更生していなかった

2018年8月19日、埼玉県川口市でひとつの事件が起きている。

駐車トラブルで45歳の男が「なんだ、こら! この野郎!」と相手を激しく威嚇しながら襲いかかり、警棒で殴りつけ、最後にはナイフを取り出して相手の首を刺したのだった。

この男は2ヶ月前に埼玉県川口市に引っ越してきたのだが、当初から他人を威嚇するように歩き、時おり意味のない咆哮のような奇声を上げて近所の人々を威嚇していた。

この45歳の男は誰だったのか。

この男こそが女子高生コンクリート詰め殺人事件で自宅を監禁部屋として提供していた湊伸治だった。

普段から人を殴るための警棒や威嚇のためのナイフを所持していた。ナイフは刃渡り8センチのものであり、これで刺せば十分に人を殺せる「凶器」だ。

2008年に出所して、以後はムエタイ選手としてデビューしたのだが続かずにやめて、以後は大阪に引っ越したり福島県に引っ越したりして流浪しながら生きていて、45歳には埼玉県川口市にいた。

この10年で東欧系の外国人女性と結婚もしていたのだが、結婚がどうなったのかは分かっていない。

娑婆(しゃば)に出てから更生したのかというとまるっきり更生しておらず、相変わらず他人を威嚇して近所をうろつくような生活をしていたのだから救いようがない。

この男はこの事件でまた刑務所に逆戻りになるのだが、どのみち5年から10年以内でまたすぐに出所する。出所したら50代になっているのだが、では50代で更生するのかと言うと正直言って疑問でしかない。

出てくれば、また似たような暴力事件をどこかで起こすことになる。なぜか。それがこの男の生き方であり、行動パターンだからだ。世の中には、何をどうしても更生できないクズがいるのである。


性善説など信じていると、次の犠牲者は自分になる

長く刑務所に入れて規則正しい生活をさせ、時おり懺悔の反省文を書かせたら、その人間の持つ異常性や凶暴性はすっかり消えてなくなってしまうのか。

長い時間、表社会と隔離しておいておけば、人間は純真で真っ当な人間になっていくのか。

たとえば、昼夜ともに続く激しいレイプや凄惨なリンチに苦しみもだえた女性が「もう、殺して」と訴えたときに、仲間と一緒に爆笑するようなケダモノは、刑務所で「自分と向き合う時間」ができたからと言って正しい人になれるのか。

中には、自分のやってきたことを心から恥じて、真っ当な人間になっていく受刑者もいるかもしれない。

しかし、凶悪犯罪者の多くは再犯で逮捕されるのを見ると、もともと他人に優しさを持てない人間は「最初からそういう人間」なので更生は難しいと考えた方がいいのではないか。

10代で暴力と犯罪で生きてきて反省もないのであれば、20代になっても30代になっても40代になっても「そのまま」ではないのか。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちを見ると、人間の「本性」というのはそう簡単には変わらないというのが分かる。何十年も刑務所で更生の機会を与えられても、本性はまったく変わらない。

この世には「性善説」を信じる人もいるが、アンダーグラウンドで人間のクズどもを目にすると、そんなものは一瞬の間に吹き飛んでしまうはずだ。

人間社会には、凶暴凶悪で残酷で暴力的で非人間的な人間が、履いて捨てるほどいて、こうした人間は何をどうしてもまともな人間にはなり得ない。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちは更生などできない。そして、世の中にはケダモノが害虫のように社会の底辺でうごめいている。それがリアルな現実である。

性善説など信じていると、次の犠牲者は自分になる。(written by 鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=9240
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html#c124

コメント [国際23] 事実に追い詰められた人びとが逃げ込む「陰謀論」という呪文(櫻井ジャーナル)  赤かぶ
7. 2018年9月04日 07:33:57 : LNFSGWIlcE : Rkucs71v4sk[4]
米英仏イスラエルあんどサウジアラビアによるシリア軍事侵略に使われたISIS
そのISISの頭目がヒラリーと同根の「戦争屋ネオコン」マケイン

だが上記戦争屋連中のプロパガンダ機関に過ぎない日本のマスコミは
ISISの頭目マケインを米国の英雄として一斉に報道するという相変わらずの愚行

事実に追いつめられて逃げ込む先が「陰謀論」という主張は核心を突いた正論であり
事実である

「事実」が平気で嘘を吐く連中を益々事実から逃避させ更なる嘘を吐き続ける
悪循環へと追い込んでいると言える

「事実」から逃避し続けることだけが連中が人間の振りをして何とかこの世に
存在し続けるための逃げ道なのである
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/773.html#c7

コメント [原発・フッ素50] トリチウムは除去できない、だから海洋投棄というが・・超簡単、一瞬で分離できる方法が(げんぱつ) 赤かぶ
11. ボケ老人[3593] g3uDUJhWkGw 2018年9月04日 07:34:48 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[676]
>10【3OwxK5cQHX0】蒸発だの言ってるけど で濃縮したトリチウム水(重水)はどうするの?利用価値が無いからね

放射性廃棄物に利用価値があるのかね
アルプスやサリーに溜まったものはどうするのだ
馬鹿々々しい議論は寝言だけにしてくれヨ

>10.:私的には日本海溝の海底潮流に乗せるのが現実的だと思うけどね

お伽噺もたいがいにせよ
海底潮流そのものがどんなものか分からない状況で
ピンポイントでそこに到達させる技術はない

誰かと思ったら
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/508.html
でも途中で逃げ出したムラの工作員かそのパシリ君か

もし薄めれば安全だというなら黒潮の真ん中で原水投棄することがベストだヨ

    
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/276.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
7. 2018年9月04日 07:37:09 : SFf0iMP1N6 : pGJUxgu1uKE[1]
安倍は事故しろ
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK250] 山本太郎があと10人いたら日本は変わる!  赤かぶ
3. 大椎城[1] keWSxY_p 2018年9月04日 07:37:32 : CbD5crET12 : yq9Mosl5hXc[90]
小沢さんの自由党を伸ばすことです。山本さんの活躍を支援することです。頑張りましょう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/234.html#c3
コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
12. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:39:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]


2018年9月4日
「嘘」と「洗脳」で突き進んだ文化大革命の真実
児童書で読み解く習近平の頭の中(7)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854


習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。



写真:アフロ

 1966年に入ると文革派の動きは激しさを増し、これに呼応するかのように若者たちが動き出す。生まれた時から毛沢東思想で教育された彼らの頭の中は、「毛主席万歳、万歳、万々歳」でしかなかったはずだ。洗脳教育の成果というものだろう。

 6月初めには北京の地質学院、鉱業学院、石油学院、北京大学などの付属中学に加え、北京第25中学などのエリート学生が「紅衛兵」組織を相次いで結成し、「偉大な領袖・毛主席を守るために最後の血の一滴まで断固として捧げよう」と叫び、「四旧打破」を掲げ、毛沢東の敵と思われる人物を求めて街頭に飛び出して行った。旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣を中国全土から一掃しようというのだ。

 8月18日、林彪、周恩来らを従え天安門楼上に立った毛沢東が全国から集まった100万余の紅衛兵を初めて接見したことで、天安門広場は興奮の坩堝と化した。毛沢東から「造反有理」「革命無罪」のお墨付きを与えられた紅衛兵運動は、この日を境にして中国全土というより全世界を震撼させることになる。文革の主導権を握った文革派陣営から、毛沢東を「百戦百勝」「絶対無謬」と神聖視した青少年向け印刷物――紙の爆弾――が次々に出版される。その典型が『一心為公的共産主義戦士蔡永祥』(解放軍文芸社 1967年)だろう。

「英雄的行動」と讃えられた下級兵士の死

 1966年10月9日午前、江西省吉安市第二中学の紅衛兵と革命的教師の一団は、天安門広場で毛沢東の接見を受けるために南昌発北京行きの汽車に乗った。「僕らの心は、もう北京に、毛主席の身辺に飛んでしまっていた」。「汽車もまた飛ぶように奔る。2日目の深夜2時過ぎ、銭塘江辺りにさしかかると、汽車は鉄橋の上で急停車した。なにが起こったのだ。数十分が過ぎると、汽車は何事もなかったかのように動き出す」。車掌は「銭塘江大橋手前数十メートルのところで線路を塞ぐ大木を発見したが、解放軍の戦士の英雄的犠牲によって我ら紅衛兵を北京で待つ毛主席の許へ送り届ける列車を救ってくれた」と説明する。

「この知らせを聞くや、列車に乗り合わせた誰もが深い悲しみを覚え、毛主席にとって真の戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手に惜しみない賞賛を送り、一斉に声を張り上げた。『解放軍は紅衛兵をイチバン慈しむぞォーッ、我らは解放軍にシッカリと学ぶぞォーッ』とシュプレヒコールの嵐だ」。やがて北京到着。「10月18日のこの日は僕らの生涯で忘れ難い一日となった。午後2時19分53秒、僕らは偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥、偉大なる舵取りの毛主席との接見を果たしたのだ」。

 文革開始直後の66年10月である。インパクトのある話題が欲しかった文革派メディアにとって、蔡永祥の死は願ってもない宣伝材料となったはずだ。解放軍下級兵士の死は「紅衛兵を北京で待つ毛主席の許へ送り届ける汽車を救った」とされた。「一心を公の為に捧げた共産主義戦士英雄」の物語は瞬く間に全土に広められ、「毛主席の真正の立派な戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手」と崇める学習運動が展開される。

 その一方で、街に飛び出した紅衛兵は「劉少奇叛徒集団を打倒せよ」「満腔の怒りをこめて、労働大盗賊の劉少奇を糾弾するぞ」「劉少奇の反革命のツラの皮を剥がせ」「地主階級の孝行息子・劉少奇の姿を暴露せよ」「劉少奇は『左』を装った『右』だ」「造反の粉砕を目論む劉少を告発するぞ」などあらん限りの罵声を浴びせ、劉少奇を血祭りにあげた。劉少奇が占めていた国家主席という肩書は、怒れる紅衛兵にとっては無意味だった。

 1953年6月生まれだから、文革勃発時に習近平は13歳である。当時の高級幹部の子弟がそうであったように、彼もまた紅衛兵運動の高まりの中で毛沢東を崇め、蔡永祥の英雄的行動を学習し、「造反有理」「革命無罪」のままに暴れ回ったに違いない。だが、父親である習仲勲が毛沢東に敵対したと批判され失脚したことで、習近平もまた1969年には陝西省延安市延川県に下放され、北京を追われている。

 1969年、毛沢東が「勝利の大会」と呼んだ第9回共産党全国大会が開かれた。麾下の人民解放軍を挙って毛沢東を支援した林彪は「毛沢東の親密なる戦友」と呼ばれ、公式に毛沢東の後継者に指名される。毛沢東は自らにとってふたつの敵のひとつである劉少奇派を林彪の力を借りて共産党中核から一掃する一方、もうひとつの敵であった「ソ連社会帝国主義」と国境紛争を戦うことになる。

『毛主席語録』を振り回して敵を撃退!?


 中ソ国境を流れる黒龍江の中州の珍宝(ダマンスキー)島を戦場に展開された国境紛争には、双方で100万人近い兵力が投入され、全面戦争一歩手前というほどに深刻な事態を招いた。全面戦争とは聞こえはいいが実際は人海戦術で戦うしかない解放軍に対するは、近代兵器で武装されたソ連軍である。戦いの帰趨は明らかだろう。だが、中国としては毛沢東の軍事思想に支えられた解放軍の大勝利をウソでも宣伝するしかない。そこで連環画『珍宝島英雄賛』(本社美術通訊員編絵 上海人民出版社 1970年)が出版される。

 連環画とは中国伝統の解説付きの絵本式読み物であり、『三国志』『水滸伝』『西游記』なども、こういった形で子供たちの間に広まった。いうならば伝統的メディアによって子供たちに祖国防衛の意義を学ばせようというわけだ。

 表紙を開けると「警戒を厳に、祖国を防衛せよ。人民のための戦に備え、飢えに備えよ」との『毛主席語録』の一節が記され、次いで「偉大なる領袖の毛主席と彼の親密なる戦友の林副主席の批准により、中共中央軍事委員会は珍宝島におけるソ連修正主義の武装挑発を反撃する自衛戦争において鮮血と生命を盾に偉大なる祖国の神聖な領土を防衛した孫玉国ら10人の同志に『戦闘英雄』の光栄ある称号を授与した。人民に、党に、偉大なる領袖の毛主席に無限に忠誠を尽くした英雄たちの気高き心を、よりよく学習せよ」とある。

 67年11月24日、酷寒で珍宝島の最前線警備に当たる孫玉国ら兵士は、国境を侵犯する完全武装のソ連兵を発見する。直ちに「中国人民に対する重大な挑発だ。即刻立ち去れ」と厳重に抗議するが、厚顔無恥にもソ連兵は雪の上にひとつの島を描いて「1868」と記し、この島は1868年からソ連(ロシア)領だと主張する。そこで孫玉国らは強く抗議し、雪の上に記された島と1868の上に大きく「×」を記した。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854?page=2


「1868年当時、ここは島ではなく中国側の河岸の一部だったが、土砂の堆積により20世紀初頭に島となった。1860年にロシアの老いぼれクソ皇帝が中露北京条約を中国人民に強要した。この島は一点の疑義もなく中国の領土だ」「これは断固として改竄することのできない歴史的事実だ」との意味を込めていたというが、「×」だけで、それほどの意味を表すことができるのか。この時、孫玉国らの右胸に『毛主席語録』がシッカリと抱かれていたことはもちろんだ。

 3カ月余が過ぎた69年3月初め、ソ連機甲部隊が狂ったように国境を侵犯する。烈火のごとく怒る孫玉国らは敵機甲部隊の前に立ちはだかり、「止まれ。ここは中国の領土だ。お前らの強盗行為は中国に対する重大な挑発だ。直ちに撤退せよ」と叫ぶ。ソ連軍の前進は止まず戦端が開かれる。中国兵士は銃の代わりにした『毛主席語録』を打ち振りながら、「我らは毛沢東思想で武装し筋金入りだ。天が崩れてきても支えることが出来るぞ」と立ち向かう。

 かくて「ソ連修正主義の戦車、装甲車、武装部隊による狂気の進攻を粉砕し、祖国の神聖なる領土を勝利のうちに防衛した」という。『毛主席語録』が近代的兵器で武装したソ連軍をも打ち破ってしまうほどの無敵の兵器であることを、子供たちの脳裏に」刻みつけようとしたわけだ。


不可能も可能に変える「偉大なる領袖の教え」


 1970年代に入ると、文革派の牙城であった上海における宣伝中枢たる上海人民出版社は、毛沢東思想万歳の児童書を連続的に出版している。典型例として、『夜航石頭沙』(上海港工人業余写作組)を挙げておく。


中国で1960年代後半から1970年代前半に出版された青少年向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854?page=3

 秋も深まった一夜、長江の河口を白波を蹴立て進む航標五号は北部海岸に碇を下ろす。静まり返った船内では、その日の作業を終えた党支部副書記の程志敏が、いつものように灯火の下で一心不乱に毛沢東の著作を学習している。そこに「近くの呉淞口に停泊中の外国船が折からの強風に座礁し船体破断の危機。大至急救援に向かうべし」との緊急電報が届く。早速、乗組員全員が非常呼集され、幹部からの命令を待った。

 呉淞口は上海港の喉元に位置するだけに、事態を早急に収拾できなかったなら多くの船舶の航行にとって障害となるばかりか、「中国革命と世界革命とに大きな損失をもたらす」と程志敏は考えた。早急に救難作業に着手すべきだが、安全航路では現場到着は大幅に遅れる。そこで最短航路の石頭沙水路を抜けようと提案したが、そこは穏やかな天候でも航行が容易ではない難所中の難所だった。

 程志敏の提案を傍で聞いていた「反動技術“権威”」の船長は飛び上がって驚き、「石頭沙は解放前から難所中の難所であり、夜間航行など絶対に不可能だ」と主張する。

 そこで程志敏はスックと立ち上がり、「石頭沙の夜間航行が難しいことは先刻承知だが、我われ共産党人には、毛主席の支持がある。コレが難しい、アレは出来ないなどと弱音は吐かない。刀の山であれ猛火の海であれ、飛び込んでみせるのだ」と敢然と言い放つ。すると、その場の誰もが程志敏の手を固く握るのであった。

 じつは、程志敏は超人的な努力で最下級の船員から現在の地位を築き上げたのである。「旧社会で母と2人の兄弟は敵の醜い刀によって惨死させられた。共産党、毛主席がプロレタリア革命を教え導いてくれたことで暗雲を払い明るい太陽をみることが出来た。『毛主席がいなかったら、程志敏の今日はありえない』」と心の中で叫びつつ、全員に状況を説明し任務遂行を求める。乗組員の心はひとつになり、航標五号は暴風雨の中を現場に急行した。

 水路は狭く浅瀬や岩礁が続き、風雨は増すばかり。この時、甲板に立った「程志敏と同志たちが偉大なる領袖毛主席の『我われが全人民とが団結し共同して努力すれば、あらゆる困難を押しのけ勝利という目的に到達できる』との教えを心にシッカリと刻んだ」。天候はいよいよ荒れ、航標五号の行く手を遮る。その時、程志敏の脳裏に「勇敢なる戦闘精神を発揮せよ。犠牲を恐れるな。疲れを恐れず連続作戦の作風を発揮せよ。短期間に休むことなく波状攻撃で戦い抜け」との「偉大なる領袖の教え」が浮ぶ。

 やがて現場に到着し沈没寸前の船から乗組員を救助し、任務は完了した。そこで程志敏が「この軍隊は比類なき精神を秘めている。敵の一切を圧倒し断固として敵に屈服しない」との『毛主席語録』の一節を声高らかに読み上げた。かくして「キラキラと光り輝く金波銀波を蹴立てて、程志敏と同志たちが操舵する航標五号は革命の航路を勇敢に前進する」のであった。


英語教育にも「毛沢東賛歌」


『夜航石頭沙』と前後して上海出版社からは、文革工作に挺身する小学生が、蔣介石一派の秘密工作員で元教師の破壊工作を摘発し毛沢東派を守った『英雄機智的紅小兵』、毛沢東思想で武装し、自然災害を克服し豊かな収穫をもたらした人民公社の英雄を描く『胸懐朝陽戦冰雹』、毛沢東の訓えのままに「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」に革命精神を発揮して多くの人々を救った人民解放軍兵士を讃える『優秀共産党員――陳波』、さらに旧社会では教育の機会すら与えられなかった港湾労働者の宋懐宇が、毛沢東思想学習をキッカケに英語を学び、やがて海外からやってくる外国船員に英語で毛沢東思想の意義や文革の理想を語るに至るまでの『宋師傅学外語』などが出版されている。

 どれもこれも定型化された毛沢東賛歌であり、いわば紋切り型の結論ではあるが、『宋師傅学外語』を読んでいて興味を持ったのは、当時、実際にはどのような英語教育が行われていたのかといった点だ。そこで『簡明英語語法』(湖北省中小学教学教材研究室編 湖北人民出版社 1973年)のページを繰ってみた。

 同書は書名で判るように英語文法解説書だが、出版時期からいって単なる文法解説書で終わってはいない。徹底して毛沢東賛歌である。目に着いた例文を紹介しておくと、

・Chairman Mao is our great teacher.(毛主席は我われの偉大な導き手である)

・Down with the landlord class!(地主階級を打倒せよ)

・Imperialism,revisionism and all reactionaries are paper tigers.(帝国主義、修正主義と一切の反動派は張子の虎である)

・Only socialism can save China.(社会主義のみが中国を救う)

・China will never be a superpower.(中国は断固として大国にはならない)

 このように激烈な例文が次々に記されているが、最終的には「The sea is deep,but our love for Chairman Mao is deeper than the sea.(海は深い。我われの毛主席に対する熱愛は海よりも深い)」に収斂していく。かくして外国語学習であれ、一瞬たりとも毛沢東思想から離れることはなかったわけだ。

なぜ、「99%の火傷」を負っても完治可能なのか?

 最後に文革期を代表する子供向けの百貨全書とでもいうべき『十万個為什麼』(上海人民出版社 1970年)を紹介しておくのも、当時の子供たちを取り巻く時代状況を知るうえで意味あることだろう。

 これは全部で13冊という大部のシリーズで、出版し終わるまでに4年ほどの歳月が過ぎている。第1巻の出版が1970年9月で最終13巻が74年7月である。この間の重要な動きを拾ってみると、毛沢東と林彪の対立顕在化(70年)、林彪のナゾの逃亡とモンゴルでの墜落死(71年)、林彪事件総括の第10回党大会(73年)、四人組台頭と批林批孔運動(74年)。まさに文革後半の激動期を通じて出版されたことになる。それだけに編集者も執筆者も作業途中で方針や内容を変更せざるをえない立場に立たされ、大いに戸惑ったに違いない。

 書名は『十万個のナゼ』となっているが、「十万個」は沢山という意味である。第1巻冒頭の「ナゼ、我われは10進法を使うのか」からはじまり第13巻最後の「ナゼ、勝手にツバを吐くのはダメなのか」まで、各巻に主に自然科学関連の100から130前後の「ナゼ」が挙げられ、その回答がイラスト入りで判り易く解説されている。

 このシリーズ初版の出版は、大躍進失敗から毛沢東の権威が後退し、どん底経済立て直しに辣腕を揮ったことで国民間に劉少奇への期待が高まった時期の1962年である。ここで取り上げる上海人民出版社版の『十万個為什麼』は62年版の改訂版に当たるが、劉少奇が毛沢東の敵として国民的糾弾の標的となり抹殺された後であり、政治状況が大逆転してしまった以上、さすがに初版をそのまま印刷するわけにはいかなかったはずだ。

 その辺りの事情を各巻冒頭に掲げられた「重版説明」は、「これまで叛徒・内奸・工賊の劉少奇の反革命修正主義文芸の黒い方針とその影響下にあったことで、多くの誤りが存在し、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を積極的に広めないだけではなく、(中略)知識万能を宣揚し、趣味性を追及し、封建・資本・修正主義の毒素を撒き散らす内容の書籍が少なからず横行していた。偉大なるプロレタリア文化大革命の過程で広範な労働者・農民・兵士と紅衛兵の小将軍は、それら書籍の持つ誤りを厳格に批判し、修正主義文芸の黒い方針と黒い方針による出版がもたらす害毒を徹底して粛清した」とする。

 なにが「害毒」で、内容をどのように「徹底して粛清した」のか判然とはしない。たとえば「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の項目をみると、「資本主義国家の医学の“権威”は、火傷の面積が体の表面積の85%を超えた場合、死亡率は100%だと結論づける」が、「1958年に毛主席が定めた『意欲を奮い立たせ、先頭に立つよう努め、より多く、より早く、より立派に、より倹約して社会主義を建設せよ』との耀ける総路線の下、工農業生産の大躍進の高まりに鼓舞され、我国の医学関係者はこの迷信を打破し、大胆に実践し、80%以上の火傷患者を救うことに成功した。偉大なる文化大革命の過程で(中略)99%の火傷を負った患者、さらには3度の火傷で94%という広い面積の火傷を負った患者を治癒することに成功し、資本主義国家の“権威”の定説と文献上の記載を完全に乗り越え、世界医学界における奇跡を創造」と記すのみである。これでは、「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の疑問に対する科学的な回答ではないだろうに。

 因みに13巻の最後――ということは『十万個のナゼ』の最後の「ナゼ」は「ナゼ、どこにでも唾を吐いてはダメなのか」。病原菌を撒き散らすから「僅かな唾でも被害は甚大だ。だから、辺りかまわずに唾を吐くといったような悪い習慣は絶対に改めねばならない」で終わっている。「悪い習慣は絶対に改めねばならない」とは、なんとも“意味シン”な回答だと思う。

「政権は鉄砲から生まれる」と、毛沢東は革命における「搶扞子(武力)」の重要性を強調する。だが「筆扞子(メディア)」の働きを忘れていたわけではない。いや、むしろ時には筆扞子に重きを置いていた。文革はその典型だろう。人民解放軍(=搶扞子)を掌握して劉少奇追い落としに成功して後、「未来の大人」であり「小さな大人」である子供に向けて、いよいよメディア(=筆扞子)戦略は巧妙に激烈に展開されることになる。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c12

コメント [経世済民128] アルゼンチンの政策金利は60%に 新興国通貨下落の日本円への影響は(マネーポスト) 赤かぶ
1. 2018年9月04日 07:40:37 : ioi7C6Azq2 : xSYYRQ2mbpA[65]
好調な米国経済の陰で、中国、オーストリアも含めた新興国がどうして経済不振になり始めたのか。


http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/52105396.html?1535960772#comments
局所的ではあるが、一部の新興国の経済成長が止まるくらいの流動性逼迫が起こった。

たとえ、それが、紙のような価値の輸出品であるとしても、ドル紙幣を信用通貨として、米国以外の国家が受け入れて、経済活動に使用した時点で、米国は経済的価値を創造することができた。この点で、米国は勝利し、この事実が立派な経済理論だ。

米国の勝利=バブルは株や不動産の資産価格にすでに反映されている。

新興国の経済不振と、金利の高止まりによって、転換点を迎えた米国の住宅投資の不振。米国経済は外堀を埋められながら、経済成長を享受することはできなくなった。しかし、勝利が大きかった分だけ、世界を道ずれにする米国経済の崩壊は来年に持ち越しだ。
Posted by 星野 at 2018年09月03日 16:46


http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/360.html#c1

コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
13. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:43:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]


2018年3月29日

習近平の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
児童書で読み解く習近平の頭の中(1)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12353



 建国以来の中国歴代指導者を

毛沢東(1893年〜1976年)、
華国鋒(1921年〜2008年)、
ケ小平(1904年~1997年)、
胡耀邦(1915年〜1989年)、
趙紫陽(1919年〜2005年)、
江沢民(1926年〜)、
胡錦濤(1942年〜)

と列記してみると、1953年生まれの習近平主席は初の建国後生まれの指導者である。おそらく驚天動地の政治的地殻変動でも起こらないかぎり、常識的には今後の中国は建国後生まれによって運営されることになるはずだ。


『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著 1955年)と『割掉鼻子的大象(鼻を切り取られた象)』(遅叔昌・于止著 1956年)。当時の児童向け書籍から、「社会主義思想」や「毛沢東思想」がどのように刷り込まれていったかを読み解く
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12353


 習近平主席以下、昨秋の第19回党大会と今春の「両会」――全国人民代表大会と政治協商会議によって選出された現在の共産党政権指導部は、最高齢の王岐山(1948年〜)を除く他は1950〜60年代の生まれである。物心がついた頃にはすでに毛沢東は強固な権力基盤を背景にして、極論するなら“箸の上げ下げまで”が毛沢東思想によって規定されるようになっていた。毛沢東が「白いモノでも黒だ」と宣えば、国民すべてがそれに従わざるを得なかったのである。この世代を「完全毛沢東世代」とでも名付けるなら、その第一世代のトップランナーが習近平主席といえる。

「完全毛沢東世代」の幼き頭に刷り込まれた記憶とは

 この世代は幼年期には社会主義の素晴らしさを柔らかい頭脳に存分に刷り込まれ、少年から青年に成長する過程で毛沢東思想が「百戦百勝」であることを身をもって追体験し学習させられている。であれば、この世代の心の奥底に社会主義の理想、毛沢東への憧憬や愛憎半ばするような畏怖の念が隠されているとも考えられる。

 たとえば習近平政権が推し進める「一帯一路」である。これを「総合国力でアメリカに追い着き追い越し、アメリカに代わって世界に君臨しようとする試み」と読み替えるなら、フルシチョフ率いるソ連に対抗心を燃やした毛沢東が1958年に社会主義大国への道を一気に推し進めようと発動した大躍進政策が重なってみえる。現実無視で妄想にも近く杜撰極まりない計画ゆえに4000万人を超える餓死者を出して大失敗に終わった大躍進政策ではあったが、当初は全土が社会主義大国建設の夢に湧きたったことは確かだ。

 であればこそ、当時掲げられた「超英趕美(世界第2位のイギリスを追い越し、アメリカに追い着け)」の勇ましいスローガンを幼い日の習近平主席が深く記憶していたとしても決して不思議ではない。ならば一強体制を築いた現在、かつての熱狂がフラッシュバックすることはないだろうか。

 中国は2010年にはGDP世界第2位の日本を追い越し(「超日」)、いまやアメリカに肉薄している(「趕美」)。だからトランプ政権が中国産品に高額な関税を掛けるという貿易戦争を仕掛けているに違いない。だが、それは見方を変えれば毛沢東の悲願であった「超英趕美」――現在では「超日趕美」だが――が実現しつつあることを意味しているようにも思える。

 かりに習近平政権が現在内外で喧伝されているような長期政権を担うことなく2期10年で終わったとしても、2022年から始まる“ポスト習近平”の時代を担うことになるのは完全毛沢東世代の第2世代とでも呼ぶべき1960年代前半生まれとなる公算は大だ。この世代は幼少期に文化大革命が始まり、少年期は紅衛兵の少年版である紅小兵として文化大革命を体験し、10代半ばに毛沢東の死に直面している。

 じつは当分の間、日本のみならず世界は、毛沢東思想によって育てられた世代の中国指導者と向き合わねばならないのだ。であればこそ彼らが成長の過程で受けた教育――それは、とりもなおさず共産党政権が自らの将来を托そうとした人材の理想形だろう――を考察することは、今後の中国の進路を見定めるうえで必須の作業になるだろう。


「歴史爺さん」が熱く語りかける戦いの歴史


 共産党政権は発足直後には兒童讀物出版社(上海)と中國少年兒童出版社(北京)を創設した。両社が出版する絵本などによって、社会主義は正しく、世界は社会主義社会に向って進化している。その最前線に立つ共産党は絶対無謬だなどと教え込もうとしたに違いない。教育は娯楽であり、娯楽は宣伝であり、宣伝は教育というのが共産党の根本理念である。「白い紙にはどんな画も描ける」と説いていた毛沢東は、幼い子供たちの真っ白な頭脳に共産主義社会の夢のような将来を描こうとしたはずだ。

 1955年に兒童讀物出版社が出版した『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著)からは、当時の共産党が子供たちに教え込もうとした歴史観や歴史認識が浮かび上がってくる。

 著者の崔巍は個人ではなく、おそらくは共産党の教育・宣伝部門に連なる歴史学者たちの集団ペンネームと考えられる。当時、簡体字はまだ正式に使われてはいなかったから、横書きながら繁体字のままで全42ページ。当時の物資不足を反映して、表紙にもザラザラでペラペラの質の悪い紙が使われている。

 表紙の上半分に描かれているのは人々が力を合わせてマンモスを断崖に追い詰めている光景で、下半分は溶鉱炉を中心とした工場だ。前者で支配・被支配の関係がなく貧しくも平等で心豊かに暮らしていた原始共産制社会を、後者で重工業化された豊かな社会主義社会を訴えようというのだろう。

 表紙を開くと先ず「歴史爺さん」なる人物が登場し、「子供たちよ! ワシがキミらの友だちになって1、2年になるかのう」と切り出す。「ワシは歴史という名前じゃが、みんなも知っているだろう」と呼び掛け、「歴」とは「経歴」で「史」とは「記載」であると説明しながら、「ワシはえらく歳をとっていて、ワシが歴史を記録するようになってから換算すると、かれこれ4000年ばかりにもなるだろうか」と、それとなく民族の歴史の長さを誇ってみせる。

「遥かに遠い昔だ。ワシが生まれて間もない頃じゃが人々は農業を知らず、河南省一帯の黄河の辺りで魚を捕ったり、猟をしたり、放牧などして苦しい生活を送っておったんじゃ」。かくて勤労人民の力によって現在の中国がある。「考えてもみておくれ。中国の国土はこんなにも大きいが、隅から隅まで我らが祖先の熱い汗と涙が流されなかった場所はないんだよ」と続ける。

 当初は支配も被支配もなく働き誰もが平等な生活を送っていたが、やがて「奴隷の持ち主、大地主、資本家など働かない奴らが生まれ」た。彼らは「日々に悪知恵を働かせて土地、工場、人々の労働の果実を掠め取り」、「“国家”や王朝をでっち上げて労働人民を圧迫し始めた」。そこで「陳渉、張角、王薄、黄巣、李自成・・・」など多くの民族の英雄たちが「搾取鬼たち」に戦いを挑み勝利した。だから「中国の広大な土地の到る処に、革命烈士の鮮血が流されているんじゃ」。

 そこで歴史は一足飛びに20世紀に移り、「八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍など、彼らは祖国人民にとっての最も優秀な児女なんだ。考えてもみるがいい。中国の広大な領土は祖国防衛のための英雄たちの鮮血に染まっていることを」と同意を求める。

「将来の人民は共産主義の生活を過ごすことになる。これは全く正しいことだ。キミは共産主義の生活が好きかい。だったら共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか。キミが指導しなければならないのだ。さあ、キミたちよ! ワシはキミの好い友達だ。キミが一日たりとも離れることのできない素晴らしい友人じゃよ!」と、熱を込めて語り掛けた。

 予定調和気味に共産党創建以来の“偉大で栄光に包まれた戦いの歴史”が綴られているが、ご丁寧にも子供たちの学習の成果の一例が次のように記されている。

●「本来、社会に階級はなかった。人々は階級のない原始公社において長期に亘って暮らしていた」

●「資本主義社会において資本家は労働者を搾取し、工業生産の発展を妨害した。労働者は断固として資本家を打倒し階級のない社会主義社会――共産主義社会に作り変えなければならない。だから歴史発展の法則に基づくなら、共産主義は必ずや実現する」

●「歴史を学んで、祖国人民の全ての労働成果を熱愛すべきことを理解した。全力を尽くし、一木一草に至るまで祖国を防衛する」

●「ボクらの麗しき前途の凡ては、解放軍兵士のおじさんたちの犠牲によって得られた。ボクらは、さらに偉大なる中国の共産党と人民解放軍とを熱愛する」

「共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか」の囁きに続く「キミが指導しなければならない」という“殺し文句”に幼い子供たちは、さぞや血を沸かせ肉を踊らせたことだろう。そのうちの1人に、幼い頃の習近平チャンはいなかっただろうか。


「社会主義色」が濃厚すぎる算数の問題


 同じ1955年に『算術 小学教師進修用書』(兪子夷編著 浙江人民出版社)が出版されている。建国から6年、朝鮮戦争終結から2年が過ぎ、いよいよ国家建設に本腰を入れようにも、やはり科学技術の立ち遅れは如何ともし難いと気づいたようだ。

「編著者自序」は「基礎的教育である小学校教育の質を高めることは、中学・高校教育の質を根本的に高めることにつながる。小学校における算数教育は重要な位置を占めているにもかかわらず従来は誰もが重視してこなかったことから、極めて低いレベルのままであり、今後は可及的速やかに質を高めなければならないことは疑う余地はない」と記すが、やはり編集方針は「真っ白な紙にはどんな絵も描ける」との毛沢東の考えに基づく。

 全体の構成はイデオロギー抜きに整数と筆記法からはじまり、加減乗除、倍数、比例、平均、度量衡、数の分解、最大公約数、最小公倍数、分数、通分、分数の加減乗除、少数、比例などに関する解説へと系統的に並べられているが、応用問題は一転して社会主義イデオロギーの色に溢れている。

 モノは試し。そんな応用問題のいくつかを挙げてみると、

 1)ある工場には6つの作業場があります。第1,2,3の作業場には210台の旋盤が備えてあり、第4作業場は第1作業場より15台少なく、第5作業場は第2作業場より21台多く、第6作業場は第3作業場より10台少ない。6つの作業場を合計すると工場全体では何台の旋盤があるでしょうか。

 2)3つの農業生産合作社は余った1250袋の食糧を国家に売ることになりました。乙合作社が売った量は甲合作社の2倍で、丙合作社が売った量は甲と乙の合作社の合計より350袋多い。3つの合作社が売ったそれぞれの量を求めなさい。

 3)2組の道路補修隊が道路の両端から同時に工事をはじめました。その速度は甲隊が毎日2里で、乙隊は3里です。4日後には2つの補修隊の間の距離は35里でした。彼らが補修する道路の距離を求めなさい。

 4)ある労働者の1年の給与は、最初の3ヶ月は毎月43元、次の5ヶ月は毎月46元、最後の4ヶ月は毎月47元5角でした。1年平均すると1ヶ月当たりいくらになりますか。

 ――社会主義社会建設期の溌剌とした雰囲気が伝わってくる応用問題ではあるが、工場、旋盤、農業合作社、道路補修隊、労働者など社会主義イデオロギーが前面に押し出されている。


空想小説「鼻を切り取られた象」の正体とは?


 1956年、共産党政権は学術・芸術の分野での自由化を進める「百花斉放・百家争鳴」運動を発動した。この政策によって知識人や民主派からの猛烈な共産党批判を誘発させ、やがて反右派闘争に転換され、結果として大躍進から文化大革命へと毛沢東の過度の神格化に雪崩れ込むことになる。

 同じ年の2月、ソ連ではフルシチョフがスターリンを全面批判する秘密演説を行った。中国共産党機関紙『人民日報』は4月5日になってスターリンによる個人崇拝を「重大な誤り」と認めはしたが、ソ連で見られたスターリン全面否定に同調することはなかった。スターリン批判をめぐる中ソ両国の見解の差が、後に国境軍事衝突にまで発展した中ソ対立の遠因の1つとなるわけだ。

 中国共産党政権のみならず毛沢東にとっても大きな節目の年に当たる1956年、中國少年兒童出版社は2種類の子供向け空想科学物語を収めた『割掉鼻子的大象(鼻を切り取られた象)』(遅叔昌・于止著)を出版している。“夢のように豊かな社会主義中国”を描き出そうというのだろう。この絵本を手に小躍りした子供たちは社会主義の未来に目を輝かせたに違いない。そんな理想社会を建設するために、やはり「キミが指導しなければならない」のである。

 巻頭を飾る「割掉鼻子的大象」は、この本の幼い読者たちが20代の半ばから後半に達する頃の1975年の夏を舞台に、科学専門記者の「私」が取材のため国営農場を訪れるところから始まっている。

 その地は草1本も生えない不毛の地であったが、人民の奮闘努力によって5年という短期間で「緑の希望」と呼ばれるまでの大農場に改造されていた。取材のために農場の中心街に立った「私」は「象を見に行こうよ。象だ、象だ」の子供たちの歓声に誘われるように走りだす。「国営農場のだ!」「どうして国営農場で象が飼われているんだ?」「鋤を引かせるためだよ!」「トラクターがあるじゃないか。象なんて使う必要はないよ!」――子供たちの感想である。一見すると象ではあるが、不思議なことに鼻が切り取られていた。

 この農場で働いている科学好きの中学時代の同級生から届いた招待状を持って、農場事務所を訪ねる。すると「私」の目の前に薄いピンクがかった白い肉の壁が現れた。街で見かけた鼻の欠けた象は、友人が改良を重ねて生み出した「奇跡72号」と呼ぶ超大型のブタだった。友人は「図体はデカいが子ブタだ。柔らかく脂が乗っていて栄養満点。そのうえ簡単に消化する。味はバツグンだろう」と語りかける。だが「私」は口いっぱいに肉を放り込んだため、口がきけずに目を白黒させて頷くしかなかった。象のように大きいブタを生み出す社会主義の科学技術によるなら、食糧問題も一気に解決してしまうのだ。幼い読者が瞳を輝かせたであろうことは想像に難くない。

 第2話の「没頭脳和電脳的故事(脳無しクンとコンピューターの物語)」の主人公は小学生の孫少年である。「鞄は」「帽子は」「ソロバンは」「教科書は」と孫少年の登校準備に巻き込まれ、毎朝家族中が大わらわ。彼が「没頭脳(脳無しクン)」のあだ名で呼ばれるのも、前日に学用品を置いた場所を忘れてしまうほどに整理整頓が不得手だからだ。

 そこで我が息子の将来を案じた電気技師の父親は「養いて教えざるは父の過ち」という古くからの教訓に従って、孫少年に20万個の半導体を組み込んだ「電脳(コンピューター)帽子」を創ってやった。翌日、電脳帽子を被った彼は意気揚々と登校する。電脳は難問を素早く解いてくれるが、地理の問題や友達のトンチ話にはサッパリ反応しない。そこで父親は半導体を脳細胞の数と同じ140億個までに増やそうとするが、電脳帽子が巨大化してしまい被ることができない。かくて「電脳の奴隷にはなるな」と、苦心の末に作り上げた電脳帽子を廃棄処分してしまった。

 孫少年は父親が作ってくれた電脳帽子を賢明に学習し、「自分で考え、大脳を鍛錬し」、「演算、資料保存、翻訳、機械管理のできる電脳」の発明を目指す。やはり子供たちに、社会主義社会のバラ色の将来を教えようとしたのだろう。

 1950年代前半、中共中央宣伝部長兼政務院文教委員会副主任を務め党と政府の思想宣伝工作を切り盛りし毛沢東の寵臣として振る舞っていたのは、習近平チャンの父親である習仲勲だった。ならば教師用の『算術 小学教師進修用書』はともあれ、幼い息子に『怎樣學習歴史』や『割掉鼻子的大象』を与え、橋橋と安安の2人の姉が弟の習近平チャンに読み聞かせていたと想像してみる。

 どうやら現在の共産党政権の中枢に居並ぶ首脳陣は、歴史爺さんの話を真に受け、社会主義イデオロギー満載の算数応用問題を解き、社会主義社会の将来に幼い心を躍らせた世代となりそうだ。このことを、改めて肝に銘じておきたい。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK250] “逃げ恥”首相の薄汚い手口 ますます異様な自民党総裁選(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
7. 地下爺[3390] km6Jupbq 2018年9月04日 07:46:30 : ygnIofYuD6 : wi1STPEnmmE[86]


 いやな 渡世ですが 少しは 下記の動画で 気分を晴らしてください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

映画 破れ奉行 第6話〜第10話より 8:44 より 発案
https://www.youtube.com/watch?v=48k4hDNC_HY


 うすぎたねよ 安倍晋三 てめのすることた

 何を しようと ふてぶてしく 三選しようだと

 笑わせじゃねやー てめらに 生きたられちゃー

 この世の中は 真っ暗だ 


 たたっ切ってやる !!



http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/220.html#c7

コメント [経世済民128] 年金は「夫は65歳、妻は70歳」からもらうのが一番得するワケ ポイントは年金にかかる「税金」(週刊現代) 赤かぶ
5. 2018年9月04日 07:46:36 : VFcFpYW3zI : CawA7bss@kE[1]
>>4

大多数の人間は何かをなすことはないし、
特別存在している価値もないよ。
それは若いやつも同じ。

おまえもな。



http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/354.html#c5

コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
14. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:47:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]


子どもたちの思想改造を狙った毛沢東の手口
児童書で読み解く習近平の頭の中(5)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587



習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


iStock Editorial / Getty Images Plus / tonisvisuals
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587


 中国では、1963年から66年春にかけて「社会主義教育運動」が展開された。1958年に毛沢東が強引に進めながら大失敗に終わった大躍進政策への対応をキッカケとした教育運動であり、後の文化大革命につながる政治闘争の前哨戦でもあった。

 大躍進の失敗を自己批判した毛沢東に代わって国家主席に就任し共産党政権の舵取り役に就いた劉少奇は、毛沢東が進めた急進的な社会主義化・集団化を取り止め、限定的ながら個人所有を認めて生産意欲を刺激することで落ち込んだ経済の回復を図った。自らの労働によって自らの生活向上が期待できることから、人々は労働に励み生活も向上する。

 すると当然のように劉少奇への期待が高まり、民心は毛沢東から離れる。この動きによって自らの権威が崩れ権力が失われることに危機感――有態にいうなら、劉少奇に対する政治的嫉妬心――を抱いた毛沢東は、早くも1963年9月の中共8期10中全会において資本主義復活の危険性を指摘し、階級闘争の拡大化・絶対化を訴えた。このような環境において社会主義教育運動は始まる。

 社会主義教育運動の3年余に出版された児童書を読んでみると、イデオロギー色が微塵も感じられないものと毛沢東思想万々歳のものとに大別できる。前者は生活向上を目指す経済優先の劉少奇路線を背景にしていると見做すことができる一方で、後者からは政治を第一とする毛沢東路線の徹底を子供に刷り込もうとする狙いが強く感じられる。

 現状を肯定するのか。はたまた「為人民服務(毛沢東式滅私奉公)」の路線を徹底して社会主義社会建設を目指すべきか――やはり注目すべきは、洗脳によって子供を毛沢東思想のサイボーグに改造しようと狙う毛沢東の強い意志だ。こうして育った世代が文革初期において毛沢東を絶対無謬の神と崇め、毛沢東の手足となって毛沢東の敵を殲滅する戦いに邁進していったことを思い起すなら、劉少奇の悲劇は、毛沢東の狙いを読み違った。あるいは毛沢東の政治的妄執を甘く見た点に求められそうだ。


「太陽とヒマワリ」に込められた寓意


 先ずはイデオロギー色を全く感じられない代表例として、劉少奇に対する毛沢東の反撃が表面化する数カ月前の1963年5月に出版された『動脳筋爺爺@』(少年児童出版社)を挙げておきたい。同書は全4冊で構成され『動脳筋爺爺A』と『動脳筋爺爺B』は1964年、『動脳筋爺爺C』は1966年、つまり社会主義教育運動の全期間を通じて逐次出版されたシリーズものである。


中国で1960年代前半に出版されたおもに児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587?page=2

 「脳筋」は脳みそを指し、「動脳筋」は“頭を働かせろ”を意味する。そこで動脳筋爺爺とは智慧爺さんといったところか。「小問号(ハテナちゃん)」と「小無智(オトボケ君)」が投げかける「なぜ魔法瓶の湯は冷めないの」「なぜ雲は空から落ちてこないの」など日頃の生活で感じている素朴な疑問を、智慧爺さんが判り易く説明している。4冊全体に共通する特徴は、社会主義、共産党、ましてや毛沢東にすら言及した記述が全く見当たらない点だろう。

 その典型が「なぜヒマワリは太陽に向って動くのか」の項である。文革時代、太陽は毛沢東を、ヒマワリは人民を無条件に寓意していた。太陽もヒマワリも当時の中国では問答無用の政治的記号だったのだ。偉大なる太陽があればこそ人民は育つ。それゆえにヒマワリの人民が育つためには、太陽である毛沢東を常に崇め奉り学ばなければならなかったのである。だが『動脳筋爺爺』では太陽の動きに従って動くヒマワリの植物学的なメカニズムが懇切に説明されてはいるものの、太陽にもヒマワリにも政治的メッセージは込められていない。

 やはり『動脳筋爺爺』シリーズの作者にとって、太陽は飽くまでも太陽であり毛沢東を指し示す政治的記号ではなく、ヒマワリは植物のヒマワリ以上でも以下でもなかったということだろう。

「明るい世相」が映し出された児童書

 1965年に出版された『飛機会干些什麼(飛行機は何ができるのか)』(劉子吉 少年児童出版社)に描かれている子供にも、政治役割は全く与えられていない。近代化され安定した豊かな社会で伸び伸びと遊ぶ子供たちの健気な姿が感じられるだけである。

 表紙の色は淡い青。おそらく紺碧の空に見立てたのだろう。上半分には大型旅客機、ジェット戦闘機、農薬散布中の複葉機、さらには真紅のヘリコプター。下半分には模型の飛行機やグライダーを手にはしゃぐ子供たち。誰の首にも、少年先鋒隊を示す真紅のスカーフが巻かれている。男の子は白いシャツに濃紺の半ズボンで、女の子は揃って長いお下げに中国風ブラウス。明るさが横溢している絵柄だが……1年後には文革が始まる。

 最初の頁の下半分には背中姿の女の子とこちらを向いた2人の男の子――花壇に座る3人を前に、男の子が立っている。その向こうには模型飛行機で遊ぶ子供たち。誰もが真紅のネッカチーフを首に。遠景は、大きな入道雲が浮かぶ青い碧い大空。

 「飛行機は天空を飛んでゆく。まるで一羽の雄々しい鷹のようだ。見るほどに、より高く、より遠く。なんと素晴らしいことだろう。飛行機って何をするものなの、僕が話して聞かせるよ」と、立った男の子が説明をはじめる。

――毎日、数え切れないほどの数の飛行機が高い山を飛び越え、白い雲をつき抜けて、上海から昆明、広州から北京へと、旅客、貨物、郵便をいっぱい載せて、限りなく広い大空を飛んでいるんだ。日照りの時なんか、空から薬剤を散布して雨を降らすよ。広い田や畑だって一気に肥料を噴霧すれば、どんな害虫だってイチコロさ。豊作間違いなしだ。農村で収穫用の農機が欲しかったら、いつだって飛行機が運んでくれるさ。正確な地図作り、国家防衛、森林保護、海難事故救助、遠隔辺境への物資輸送だって、飛行機なら簡単だよ――

 と、飛行機の果たす様々な役割が微笑ましいイラストと共に判り易く説明され、この本は「大空を飛ぶ飛行機は、雄々しい鷹のようだ。祖国を建設し、国の守りを固め、なんとステキだ。飛行機は、いったいどんなことが出来るのか。みんな一生懸命考え聞かせてください」で閉じられている。

 大躍進の後遺症も癒え、国民が将来に光明を見い出すことができるようになった劉少奇路線が光芒を放っていた時期に出版されたことを考えれば、『飛機会干些什麼』から漂ってくる何とも微笑ましい雰囲気に納得させられる。

「劉少奇への攻撃」を予感させる物語


 同じ1965年、『雪山上的号手』(趙鷔・秦大虎 上海人民出版社)が出版されている。

 この物語の主人公は、于魯紅という14歳のラッパ卒である。彼は毎日ラッパをピカピカに磨き上げ柄のところに赤い布を結びつけ、それを背中に威風堂々と行軍し勇猛果敢に戦闘に参加し、全身全霊を革命のために捧げてきた。

 辛い長征のある日、部隊は小休止し体力と装備を整え明日からの難関の大雪山越えの準備に掛かる。彼の任務は、近隣の農家から厳寒の行軍にとって必需品の唐辛子と焼酎を調達することだった。冷えた体を芯から暖めるためだ。「大雪山は豪雪に加え強い風だ。さらに空気は希薄。だが革命的英雄主義を発揮し、団結して闘い困難を克服し、勝利のうちに大雪山を越えようではないか」と、部隊長が檄を飛ばす。

 戦友で病弱の江戦雲の手を引きながら、一方で木を掴み峻険な山道を登る。部隊は一振りの宝剣のように一直線になって、大雪山の頂を目指して進む。すると突然に狂ったように強風が吹きだし、ついで横殴りの猛烈な雪である。あっという間に辺り一面が真っ白になり、なにも見えない。「団結だ、戦闘だ、隊列から落伍するな」との部隊長の叱咤激励を聞きながら、彼は戦友の手を引いて雪中行軍を続ける。

 山が高くなれば雪も深くなる。部隊は「堅固な革命的毅力」を発揮し、一歩一歩と山頂を目指した。山頂にたどり着いた部隊からの「頑張れ、同志諸君」の声に励まされ、彼は江戦雲に「大雪山に勝つんだ」と声を掛ける。

 やっと山頂に到着したが、風はさらに強く、鶏の卵大の雹に見舞われる。2人の少年兵は進退谷まり部隊から取り残され、吹雪の中に立ち尽くすしかなかった。2人が雪道で悪戦苦闘していた時、近くを通りかかった別の部隊の隊長の「ラッパ卒がみつからず、我が部隊の所在地点連絡不能」との声を聞き、彼は衰弱する体に鞭打って声を限りに「隊長同志、自分は……」と申告する。

 彼の声を耳にした部隊長が近寄って来て、体全体を雪に包まれながらもラッパを高々と掲げる少年ラッパ卒を見つけた。彼の唇は寒さで切れてしまったが、部隊長の命令を受け力の限りラッパを吹く。ラッパの音が伝える「部隊長は山頂に到達せり。諸士の現在地を伝達あれ」の信号は轟々たる吹雪をものともせず、全山にこだまする。このラッパの音に勇気づけられ、多くの兵士が部隊長に合流すべく山頂を目指した。

 突然、ラッパの音が途切れる。彼は任務を果たし、精も魂も尽き果て昏倒する。「小同志、しっかりしろ」。部隊長の腕の中で気がついた彼は「隊長、戦友の江戦雲が……」

 この時、彼の部隊の部隊長が2人を探しに山頂に戻って来て、江戦雲を雪の中から救出する。「貴下部隊の少年ラッパ卒の格段の軍功により、我が部隊は勝利のうちに大雪山越えを達成せり。感謝の意を表す」。すると我が部隊長は力強く、「我らが毛主席の英明なる指導の下、抗日の前線に赴き、共に侵略者を打ち破ろう」――

 『動脳筋爺爺』や『飛機会干些什麼』に登場する子供は子供でしかない。だが『雪山上的号手』の子供には飽くまでも大人と同じ働きが求められる。“小さな大人”であらねばならなかった。子供に対する扱いの違いが気になるが、『雪山上的号手』の出版元が文革の10年間を通して毛沢東派が拠った最重要宣伝機関であった上海人民出版社であることを考えれば、主人公に毛沢東思想を体現する革命的少年を配したことも納得できるだろう。上海では劉少奇攻撃の準備が秘かに進められていたということか。

仲間を救うために爆死した若き兵士の日記


 同じ1965年には、児童書を読む世代よりもう少し高い年齢層を読者対象とした『王杰日記』が、文革の前半期、毛沢東の忠実な部下として文革を推し進めた林彪が率いていた人民解放軍の機関紙『解放軍報』の編輯部から出版されている。

 この日記を記した王杰(1942年〜65年)は山東省出身の解放軍兵士である。入隊は61年で済南部隊装甲兵工兵連(中隊)班長。62年、共産主義青年団に加入。65年7月、民兵訓練中に爆弾が暴発しようとした際、現場にいた12人全員を救うべく爆弾に覆いかぶさり爆死。自己犠牲の模範として全国的に讃えられ、死後に党員として追認された。遺品の中から63年に書きはじめた10万字を超える日記が見つかり、主だった部分を抜粋し、この本が編まれている。そこで興味深い個所を拾ってみた。

■63年(日付なし)=「俺はレッキとした革命者であり、革命のための優秀な種となろう。党と国家から遣わされるなら、何処にでもいって根を張り、花を咲かせ、実を結んでみせるぞ。必ずや砂漠を緑の長城に、荒れ果てた山をたわわに稔る果樹園に、田を一面の黄金色の大地にしてみせるぞ」

■63年4月22日=「王杰よ、王杰、お前に警告しておこう。任務を遂行する際には、誠心誠意で言行一致、裏表なく苦労を厭わず、生真面目に取り組め。王杰よ、深く心に刻んでおけ。自らの欠点をしっかりと自覚し、断固として改め、虚心に学び、生真面目な人間にならんことを」

■63年8月21日=「旨いものを食べ、キレイな衣装を身に着けるなんてことは幸福でもなんでもない。貧苦に喘いでいる世界中の虐げられた人々が平穏な生活を送れるようになってこそ幸福といえるのだ」

■64年7月25日=「毛主席の著作学習は長期的視点から着目しなければならないし一生の大事だ。林彪同志が指し示す『問題意識を持って学び、活学活用し、実際の問題に結びつけ、先ず学び本質を掴め』の原則を生真面目に徹底して貫かねばならない」

■64年9月3日=「毛主席の著作学習を通じ、革命こそが我が理想であり、闘争こそが本当の幸福であることを身に沁みて学んだ」

 『王杰日記』は「新しい中国の次世代を見よ! 彼らは重い任務を担うことができる。彼らには祖国の建設と防衛ができるはずだ」で結ばれている。

社会主義教育運動を経て、時代は「文革」へ

 ここで改めて1965年前後の毛沢東の動きを振り返ってみる。

 1964年8月、エスカレートするヴェトナム戦争に米軍の中国侵攻の可能性を読み取り、同時に北方から軍事圧力を強めるソ連を警戒し、毛沢東は南北からの敵を想定した戦争準備を提起する。10月に初の核実験に成功し、翌65年1月になると毛沢東は初めて「党内の資本主義への道を歩む実権派」に言及した。「実権派」、つまりは毛沢東を蔑ろにする政権中枢、就中その頭目たる劉少奇に戦いの的を絞ったということだ。だが劉少奇が毛沢東の狙いに気づいたフシはみられない。

 9月になって本格化するアメリカの北ヴェトナム爆撃(北爆)に対抗するかのように、林彪が「人民戦争勝利万歳」と題する論文を発表し、劉少奇派が提起した解放軍の近代化とソ連を含む反米統一戦線結成の動きを牽制した。毛沢東の軍事思想に従い、解放軍は断固として人民戦争路線を歩むべし、というのだ。11月、後に四人組の一員として名を馳せる姚文元が「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し文革の導火線に火を点けた。

 翌66年8月、毛沢東と林彪は全国から百万人の紅衛兵を天安門広場に集め気勢を上げ、文革の戦端が開かれたのである。

 1953年生まれの習近平にとっては社会主義教育運動の3年間は、9歳から12歳に当たる。習近平9歳の年、父親の習仲勲は毛沢東の逆鱗に触れ失脚。12歳の年には毛沢東の指示で洛陽鉱山の機械工場へ“島流し”となる。実質的な労働改造処分であった。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK250] 公開討論を拒否した沖縄県知事選の自民候補!  赤かぶ
20. ボケ老人[3594] g3uDUJhWkGw 2018年9月04日 07:48:22 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[677]
>15【lZGlqfgdYp0】そもそも、米兵混血の玉城が日本語で討論できるのか、怪しいものだwww

差別主義者のヘイトコメだな
なんでこんな輩のコメが初期非表示にならないのか不思議だ。

生物学的には純血よりも混血の方が優れている場合が多いのだよ
玉城デニーは沖縄で生まれ、米軍宿舎でなく、日本人の中で育ち、市会議員にもトップ当選し、国政選挙でも信任を得た人だ。
少なくとも【lZGlqfgdYp0】の阿呆よりは日本語が優れているだろう。

    
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/185.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK250] 南スーダンに派遣された自衛隊。任務の内容、状況を秘せられて任地に赴くことになる自衛隊へ、これが安倍の与えてくれる誇りか  赤かぶ
1. 2018年9月04日 07:49:15 : EYypd1ctCc : ARMtIWFcoaQ[37]

 任務の内容、状況を秘せられて任地に赴くことになる自衛隊員の皆様へ、
 
 昔の話だが、軍上層部の作戦ミスによって、ガダルカナル島で米軍の砲撃基地の前面に上陸させられてしまった旭川第七師団二八連隊は、もはや突撃をおこなうしかなく全滅したとされる。(昭和一七年八月)

 この夜に、北海道旭川市では、全滅したはずの二八連隊(一木隊)が帰還した、という話が語り伝えられている。兵舎のあたりで行進する軍靴の音が聞こえる。見ると、大勢の兵隊が隊列を組んで行進してくる。もちろん、生還したのではない。戦死した兵士たちの魂が故郷をめざして帰ってきた、その2時間位後で南方にいるはずの夫や息子が幽霊となって、旭川周辺の自宅に一瞬帰ってきた というのだ。
 
 無念だったろう。派遣された自衛隊員も同様の思いがあったであろう。

 昔の話だと言ったが、安倍一派によって現代の話になりつつある怪談である。


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/238.html#c1

コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
15. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:50:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]


2018年7月12日
歴史的悲劇の裏で進められた「子供たちの洗脳」
児童書で読み解く習近平の頭の中(4)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13358


習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


中国で1950年代後半から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13358


 1955年の夏以来、共産党政権内部では経済建設の速度と農業の集団化を巡って、毛沢東が率いる冒進(急進)派と、それに異を唱える周恩来、陳雲らの間の対立が続いた。だが、1957年の反右派闘争勝利をバネに毛沢東が周恩来らの異見を圧倒し、1958年5月に開かれた第8回共産党第2回会議で大躍進が正式に採択されることになる。かくて「超英趕美」――鉄鋼生産第2位の英(イギリス)を追い越し、経済超大国の美(アメリカ)に追い着け――のスローガンを掲げ、(1)鉄鋼と農業の大増産、(2)農村における人民公社と公共食堂の建設が全国規模で展開された。

 大躍進政策を推進することで、そう遠くない将来、中国に共産主義社会を出現させるという強い意気込みで始めたものの、毛沢東が描いたバーチャルな世界は中国社会の現実の前に脆くも崩れ去り、惨憺たる結末を迎えざるをえなかった。工業部門の大後退に3年続きの自然災害が追い討ちを掛け、3000万から4000万人が餓死している。この当時、共産党政権は子供たちに何を求めていたのか。

「大躍進の悲劇」はなかったことに……

 大躍進政策決定直前の1958年3月に出版された『民間少年游戯』(顧也文編 上海文化出版社)は、浙江、江蘇、安徽、湖北、雲南、四川などの民間に古くから伝わる60種類の遊びを集め、イラスト入りで遊び方を解説している。一見すると他愛のない児童向けの書籍のようだが、「本書が集めた遊びは全て子供を対象とし、大部分は祖父から父に、父から子に伝わり現在に残されたものであり、日々の生活感が色濃く感じられる。民間に流布する他の遊びと同じように、我が国労働人民の智慧、勇気、誠実、朴訥さを明らかに示し、我が国労働人民の積極性、楽観性、勤倹性、労働に向う心意気という思想感情を伝えている」と書かれた「前言」からは、大躍進直前という時代の雰囲気が十分に伝わって来る。

 はたして当時の子供たちは、鬼ごっこや綱引きをしながら「我が国労働人民」の「思想感情」を学べたのだろうか。

 大躍進政策の悲劇が明らかになりつつあった時期の1961年5月に出版されたのが『游戯官』(林・張・王・楊編 潘晋華画 上海少年児童出版社)である。たとえば「誰と誰が話をしているの?」と題された絵には、糸がこんがらがった糸電話で遊ぶ6人の子供が描かれていて、それぞれの話し相手を探そうというのである。この本からは、政治的意図も思想性も、ましてや大躍進の悲劇など匂わせる記述は一切ない。


子供たちさえ洗脳してしまえば“こっちのモノ”


 毛沢東は「我われには社会主義の経験が不足していた」と反省の素振りも見せないばかりか半ば居直ったまま、権力の頂点から一時身を退いた。大躍進の惨憺たる失敗という危機的状況を打破し「V字回復」を果たした最大の功労者は、毛沢東の後任として国家主席に就いた劉少奇だった。

 であればこそ、『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)が出版された当時は劉少奇が大いに讃えられてしかるべき時代だったはずなのだが、この本には劉少奇への賛辞は一言半句も見られない。得意の“搦め手”による劉少奇追い落とし策――《毛沢東の正しさ》を子供に植え付け、毛沢東を《絶対無謬の神》と思い込ませ、しかるべき政治決戦に備え、虎視眈々と一剣を磨こうとする毛沢東の底意が感じられる。まさに洗脳である。後に文革派がメディア戦略の拠点としていた上海人民出版社からの出版というのも気になるところだ。

 小栄クンはちびっ子だが肝っ玉が据わっている。日本鬼子(ぐん)が駐屯する東港を流れる平洋に飛び込んで、今日も魚獲りだ。水に潜ったかと思えば川面に浮かんでは遊んでいた。ふと岸辺を眺めると、兄の小順たちが手に手に槍を持って玉蜀黍畑の中に消えてゆく。日本兵を偵察しようというのだ。小栄クンは慌てて岸に上がって、小順兄チャンたちを追いかける。

 やっと追いついてしばらく行くと、川の方からジャブン、ポトンと音がする。川辺の葦の間からソッと覗き見ると、日本兵が川に入り測量をしている。どうやら、この川に橋を架けるための準備をしているらしい。この光景を目にした小栄クンは子供心にも、「チクショウ、日本鬼子に橋を架けられたら、おいらたちの村は全滅だ」と直感する。「子供たちの目は日本鬼子に釘付けとなり、目からは復仇の怒りの炎がメラメラと燃え上がった」。

 小栄クンは小順兄チャンの命令を受け、村の民兵隊に報告に行った。相変わらず偵察を怠らない子供たちの目に飛び込んできたのは、メガネの「ちびデブの日本軍隊長」。歩きながら部下を叱り付ける姿は、「まるで生きた凶暴な猪」。すると川上からスイカを満載した小船が下って来た。船にはおじいさんと子供が乗っている。見ると小栄クンだった。「ヤバイよ、ヤバイよ。小栄のヤツ報告に行かずに船の上でさぼって遊んでいやがる」と、仲間の少年たちは気を揉むばかり。

 炎天下である。川の中で測量していた日本兵は喉が渇いたのだろう。小船に近づいてはスイカを勝手に取り上げ、喉をゴクリと鳴らしながら、冷えたスイカをムシャムシャ。その時、ピューン、ピューンという銃声がした。スイカを手に慌てて逃げ惑う日本兵。デブの隊長は船尾でブルブル。そこで小栄クンがデブの腹を目掛けて頭突き一閃。やつは、もんどりうって川の中へ転落だ。

 船上のおじいさんが付け髭を取り外すと、なんと民兵隊長。大声で「生け捕りだ」。一斉に川に飛び込んだ子供たちは、必死に逃げようとする日本兵の足や手を掴んで川の中に引きずりこんで溺れさせる。戦闘はしばらく続いたが、全員が民兵に捕まってしまった。

 静かになった川面をスイカ満載の小船が行く。船上の子供たちはハシャギながらスイカを頬張る。そこに「日本の侵略者を我われ立ち上がった数億の人民の前に引きずり出し、一匹の野牛を火陣の中に追い込むように仕向ける。一斉に声を上げてビックリさせれば、この野牛は焼け死ぬしなかい」と毛沢東の教えが重なり、「毛主席の教えは何とすばらしいことか」と呼び掛けている。

 無邪気であるがゆえに喜々として冷血・残酷にもなりうる子供たちを洗脳し煽り操って反劉少奇の大混乱を起してしまえば、こっちのモノ――この本から、こんな“仕掛け”が感じられるのだが。


子供たちの世界では2年も早く始まっていた「文革」


 『石荘児童団』出版の翌年には、同じく上海人民出版社から同じような書名の『草原児童団』が出版されている。

 舞台が長江下流域の水郷で子供たちが退治した敵は日本軍であった『石荘児童団』とは違い、『草原児童団』の舞台は内蒙古の草原で、子供たちが立ち向かった敵は「地主、富農」であり、彼らと結託して社会を大混乱に陥れ社会主義社会を転覆させ封建社会の復活を目論む土匪である。

 「東の空が紅く輝き、太陽が昇る。毛主席の英明な指導によって草原は解放された。至るところに紅旗が翻り、農民は地主を倒し、農地を分け合い、喜びの気が充ち溢れる。児童団は喜び勇んで地主と富農の監視活動に努める」と書き出される。最初の数行からして、すでに「毛主席の英明な指導」である。こうなったら文革当時の「毛主席、万歳、万歳、万々歳!」までは、もう一歩だろう。いや、子供の世界では大人の世界に2年程先んじて文化大革命が始まっていたとも考えられる。


(Imaginechina/アフロ)

 『草原児童団』の主役は13歳の黒牛クン。彼は村の児童団の団長である。

 ある日、民兵隊の王隊長から「これから土匪討伐に出掛ける。地主や富農が土匪と連絡を取らぬよう注意して監視してくれ。異常があったら鉄柱アニキに報告だ」との命令を受け、黒牛クンは仲間と共に地主の「大花蛇」の屋敷を見張る。それにしても地主が大花蛇で、その妻が「狐狸精(バケモノ)」というのだから、名前を見ただけで子供にも地主は極悪人と判る。“見事な印象操作”というべきか。

 地主の家から外に向かう足跡を発見した黒牛クン率いる児童団は、それを追って草原を突き抜け山に向い、洞窟に隠れる大花蛇を見つけ出し、槍で脅して立ち木に縛り付け尋問を繰り返す。“正義”を手に入れた子供たちが毛沢東によって進められた土地改革に敵対する地主を攻撃・尋問するという構図は、文革において紅衛兵や紅少兵がみせた毛沢東の敵に対する残酷・残忍で血腥い仕打ちを彷彿とさせる。やはり子供の世界は、大人の世界に数年先んじて「革命無罪」「造反有理」が讃えられていたのだ。

 最後は鉄柱アニキと黒牛クンたち児童団が、地主や土匪を縛り上げて村に凱旋するシーンで幕となる。毛沢東思想式予定調和といっておきたい。


毛沢東思想式ハッピー・エンドの物語


 同じく文革開始2年前に出版されたのが『林紅和她的伙伴』(費・林・陳・童子編絵 人民美術出版社 1964年)である。

 この物語の主人公である林紅は、農村の中学校を卒業したばかり。可愛らしく気立てがよく、そのうえ肉体堅固で我慢強い娘さんである。共産党の下部組織の共産主義青年団員で、両親が都市で仕事をしているので本来なら都市で進学できるのに、「農村こそが広大な天地だ。そこでは、なんだってできないことはない」という毛沢東の“有難い教え”を堅く信奉し、農村に留まり、自分から率先して困難な仕事に立ち向かおうと決意したというのだから、これまた文革時に毛沢東が「上山下郷(若者よ、農村で農民に学べ!)」をスローガンに都市の若者を農山村に送り込んだ「下放運動」の先駆けのような若者だ。

 そこで、「農業は国民経済の基礎である。党は我われに大いに農業に励み、力を農業の第一線に注ぐよう呼び掛けている。農業の持続的な躍進を望むだけではなく、工業を大いに振るわせ国民経済全体の持続的躍進を果たし、我が国の社会主義建設をより速く発展させ、より速く社会主義強国を完成させよう」(「内容説明」)と、彼女は獅子奮迅の働きをみせる。目指すは「社会主義強国」である。

 林紅が大活躍する物語は、国を挙げて大躍進政策が展開された1959年秋の早朝。河北省東部の中新人民公社の某生産隊から始まる。

 厚い暗雲に覆われた空からは大粒の雨が稔りの大地に叩きつける。「解放後、人々は政府の指導の下で毎年、堤防の修理を進めてきたが、この雨で水かさが急激に増し、堤防決壊の危険性が高まった」。そこで生産隊の書記を先頭に村人が総出で護岸補強工事に向かう。かくいう林紅も友達に呼び掛けて現場へ急行する。

 彼女は逆巻く怒濤に飛び込んで杭を打ち土嚢を積む。男勝りで八面六臂の大活躍だ。雨も止み、穏やかな日差しに照り映える川面を2隻の大きな船が船着場に接岸した。積まれているのは、政府から林家荘生産隊に送られる食糧や物資だ。村人の顔はほころび、誰もが川岸に飛んでゆく。その中に77歳の老人がいた。彼は政府から贈られた籾を手に、「毛主席、あなた様はワシにまで心を砕いて下さる。あなた様のご指導があらばこそ、ワシらは最期の日まで戦うことができますんじゃ」と、「解放前までのあの苦闘の日々を思い浮かべ、止め処なく感動の涙を流す」のであった。

 傍らに控えるのは、もちろん林紅だ。彼女は、「私は党の呼び掛けに応え、この村で皆さんと一緒に自然災害や食糧危機と戦い、ここに新しい農村を建設することを誓います」と、キッパリと言い切る。もちろん周囲の村人は誰もが感動の拍手であり、称賛の声だ。

 この村は相当に貧しい。過酷な自然環境の改造は焦眉の急だ。消極的な友人を励まし、村人に呼びかけ、彼女は自然改造の戦いの先頭に立つ。書記が「林紅同志よ、任務は極めて困難だが堅く覚悟を決めさえすれば、この荒野を無限の稔りの里に改造することができるんだ」と呼び掛けると、彼女は「そうです。党の指導があり、人民公社があれば、どんな困難があろうとも、我われは戦いに勝利する信念を持つことができるんです」と応える。

 押し寄せる数々の困難を克服し、「林紅と彼女の仲間たちは農業戦線において輝ける勝利を次々に勝ち取り」、「幾千万の林紅は祖国に降り注ぐ春の陽光を浴び、社会主義の新しい農村を建設するため勇猛邁進するのであった」と、林紅の物語は“毛沢東思想式ハッピー・エンド”で結ばれる。

 毛沢東がムリにムリを重ねて強行したことで全国民が塗炭の苦しみを舐めざるを得なかった大躍進が、『林紅和她的伙伴』では大いに讃えられ、人民にとっての理想として描かれている。

毛沢東の悲願を達成しつつある習近平

 『石荘児童団』の小栄クン、『草原児童団』の黒牛クン、それに『林紅和她的伙伴』の林紅さん。どうやら子供や若者の世界では、大人に先駆けて文革――毛沢東の敵に対する戦いの準備に入っていたようだ。

 習近平主席は1953年生まれだから、『石荘児童団』や『草原児童団』が出版された頃は、小栄クンや黒牛クンと同世代になっている。小栄クンや黒牛クンの手に汗握る戦いに心躍らせ、習近平クンは毛沢東の偉大さに強く憧れたに違いない。

 因みに毛沢東の壮大な夢である「超英趕美」の悲願は、GDP第2位の日本を追い越したわけだから、「英」を「日」に換えて考えれば、習近平政権の手で達成されつつあるともいえる。後は一帯一路を掲げてアメリカを猛追するだけだ。全面対決か、双贏(ウイン・ウイン)か、はたまた全面降伏か。であればこそ、米中貿易戦争には断固として負けるわけにはいかないと思うのだが。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK250] 討論はできないけれど、自衛隊高級幹部会同では訓示した臆病な安倍。言うに事欠いて、憲法改正の意欲など滲ませたら駄目じゃろ。 赤かぶ
2. 地下爺[3391] km6Jupbq 2018年9月04日 07:50:54 : ygnIofYuD6 : wi1STPEnmmE[87]
>差別用語だけど、
「気ちがいに刃物」という言葉がある。
 そのもじりで、
 「安倍に自衛隊」というのはどうだろう?
 日本の今、
 最も怖い表現じゃないか。


  
  少し 訂正しますね 「 安倍に国防軍 」。

  多分 これが 現状の 東○○飲酒主義自民共倭國 の現状でしょう。



http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/231.html#c2

コメント [カルト19] QANON・ゲンダイ、NW、朝日、ゴミ売りが報道、東京・ジャーがマケに弔辞、トラTwitter・五千万突破。板垣は説明が ポスト米英時代
18. 2018年9月04日 07:51:32 : WMJxreUfvU : Ccp1ax_dgPI[223]
トランプ大統領と一緒の写真に写っている「Q」と称する面々の胡散臭さを一発で
見抜けない方はおそらくバチカンのフランシスの極悪人っぷりも直感で見抜けないのかなと
大体トランプが元からこの「Q」と自称する連中と連帯して動いていない限り
この面々が「Q」に関わる連中だと何を持って信じることができるのだろうか
そう確信するにはあまりにも胡散臭いムードが人を食ったような雰囲気が
この写真から伝わってきませんかという話
トランプをお道化役にして得をするのは誰なのか
元々グルなのかトランプを追い落とすために「Q」を騙るか「Q」自体が利用されているか
事実を信じる人々に滑稽さやカルトのイメージを与えるのに「Q」が利用されているのでは
ないのですかとそういう話なわけです
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/578.html#c18
コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
16. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:53:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

2018年6月21日
習近平が少年時代に見た「中国の夢」とは?
児童書で読み解く習近平の頭の中(3)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13178



習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代に出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。

 毛沢東が党や国家を超越した絶対的権力を掌握するキッカケとなった反右派闘争が発動された2カ月後の1957年8月に出版された『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)に収められた一編の詩は、子供たちに「毛主席」にどのように報いるべきかを教える。そこに、文革時代に言い古された「海よりも深く、山よりも高い毛主席の御恩」の萌芽を読み取ることができる。

 この時代から文化大革命の終わる70年代後半まで――建国直後に生まれた習近平世代からすれば乳幼児から児童・少年期を経て青年前期までの人間形成期全般にわたって――毛沢東は「偉大的領袖毛主席」であり、毛沢東思想は「百戦百勝」と形容され絶対無謬であることを徹底して刷り込まれたのだ。

 ここで毛沢東の権威が確立させる前後の冷戦時代における中国を巡る内外状況――といっても主には中ソ関係だが――を簡単に振り返っておきたい。というのも、この時代にソ連の進んだ科学技術、物資豊かな日常生活を紹介する子供向けの書物が翻訳出版されているからだ。


中国で1950年代に出版された児童書(写真:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13178

頂点に立つ「ソ連に学べ」

 1953年3月にスターリンが死去し、1956年2月にはフルシチョフによるスターリン批判報告が秘密裏に行われ、東ヨーロッパでは反共産党暴動が6月のポーランド、10月のハンガリーと連続して発生する。一方、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定調印となり、1954年9月に開始された人民義勇軍の撤退は1958年10月で完了した。

 毛沢東が東側社会主義陣営の優位を高らかに宣言した「東風が西風を圧する」と題する演説がモスクワで行われたのが1957年11月である。毛沢東のフルシチョフに対する不信感・優越感は芽生えていただろうが、ともあれ“中ソ一枚岩の団結”が内外に強く印象づけられていた時代である。

 一方、中国国内に目を転ずると、1956年5月に毛沢東は「百花斉放 百家争鳴」を掲げ言論の自由化を提唱し、年末までに農村では高級農業合作社化、都市では私営企業の国有・国営化が完了し、社会主義への道を一歩踏み出し、9月には中国共産党第8次全国代表大会が開かれている。

 大会冒頭で毛沢東は「同志諸君、いま中国共産党第8次全国代表大会が開幕した」と宣言した後、活字に起こして2万7千字ほどになる基調演説を行った。彼の口調を真似てゆっくりと読んでみると所要時間は12,3分といったところだが、この間、「(拍手)」が13ヶ所、「(熱烈拍手)」が14ヶ所、「(長時間熱烈拍手)」が2ヶ所、「(全員起立し長時間熱烈拍手)」が3ヶ所ほど。

 一例を挙げれば、「いま我が党は過去の如何なる時期より団結している(拍手)」「国際社会における我われの勝利はソ連を頂点とする平和民主社会主義陣営の支持に依拠している(熱烈拍手)」「帝国主義が造りだす緊迫した情勢と戦争準備の陰謀を徹底して破産させなければならない(長時間熱烈拍手)」「今日、この場に出席している50数カ国の共産党、労働者党、労働党、人民革命党の代表に〔中略〕熱烈なる歓迎の意を表す(全員起立し長時間熱烈拍手)」といった具合だ。

 これを要するにソ連は、「国際社会における我われの勝利」を支持する「平和民主社会主義陣営」の「頂点」に在ったわけだ。まさにソ連に学べ、である。


「邪悪な勢力」から身を守るには?


 そんな時代に『一晝夜二十四小時』(楊瑞槐訳 上海衛生出版社)が出版されている。この本は「1937年、7月のある爽やかな一日、モスクワは異常なまでの心躍る気分に包まれていた」と書き出される。


スターリン像(iStock.com/alf75)

 その日、モスクワ発北極圏経由でアメリカまでの航路120,000キロを63時間25分で無着陸飛行に成功した3人の飛行士を、モスクワの街は挙げて大歓迎した。黄昏が迫る午後6時、3人を乗せたソ連製最高級車は天をも揺るがすような歓呼に包まれた赤の広場を疾駆する。クレムリンで待ち構えていたのは、もちろん党と政府の最高幹部を従えたヨシフ・スターリン。独裁者は、3人の手を固く握り熱い抱擁を交わした。

 まさにスターリン賛歌と見紛うような情景が綴られているが、この本の狙いはそこだけにあるわけではないようだ。ソ連の高い科学技術は当然のことながら、スターリン理論に支えられた「パブロフの高級神経活動学説」(?)に基づく規則正しい生活によって鍛えられた飛行士の心・技・体こそが、祖国に無上の栄光をもたらした。だから、我われ中国の子どもたちも規則正しい生活を送るべきだと、力強く呼び掛ける。

 「我われ社会主義国家は一貫して平和を渇望し平和を築く事業をしっかりと守ってきた。だが資本主義の世界には、なんとしてでも戦争を引き起こそうと虎視眈々と狙っている邪悪な勢力があることを断固として忘れてはならない。それゆえ、戦争の危機が消え去ることなどない。ソ連の青年は祖国を自らが防衛するという光栄ある責任を全うするための準備を完璧にしておくべきだ。先の偉大なる大祖国防衛戦争における経験が、優秀なるスポーツマンが優れた戦士であることを明らかにしてくれた」。「戦場では、より遠くまで跳躍し、より高く飛び、どのような障害も飛越し、長い距離を速く走るなどの能力が求められる」。

 言い換えるなら、ソ連の社会主義は優れているし平和を守ってきた。だが、劣った資本主義の世界が戦争を仕掛け、平和が侵される可能性は常に存在する。だからこそ社会主義の祖国を守るためには24時間を規則正しく送り、自らを鍛錬し健康を守らなければならない。「生活制度――凡ての疾病から身を守る最も基本的であると同時に主要な手段――は任務遂行の上での基盤であり、組織性を涵養するだけでなく、社会秩序の基礎である」。

 たとえば中学生の日課は、起床=7:00〜7:15、体操・身体摩擦・洗面・身の回りの整頓=7:15〜7:45、朝食=7:45〜8:00、登校=8:00〜8:20、学習(教室及び社会)=8:20〜14:30、下校=14:30〜15:00、昼食=15:00〜15:30、戸外での遊び=15:30〜17:00、予習=17:00〜20:00、夕食と自由時間=20:00〜21:00、就寝準備=21:30〜22:00、睡眠=22:00〜7:00

 このような規律正しいソ連式24時間生活を送ることで「党と政府が常に示す無限の恩愛に愧じることなき人生」を送るよう、当時の「党と政府」は子供たちに求めたというわけだ。

「月旅行」に「原発」、ソ連の科学技術を絶賛する児童書


 同じ1956年には『少年兒童讀物 到月亮上去(月に行く)』(魯克編著 山東人民出版社)が出版されている。

 ある日、主人公の小飛馬クンが共産党が少年教育のために設けた少年宮での天体クラブの活動を終え帰宅すると、妹が「兄ちゃん、電報」と。モスクワのソ連科学院で研究を続ける父親からの電報だった。

 「小飛馬クン、元気かい。/父さんは元気でソ連科学院で順調に研究活動に励んでいると母さんに伝えてくれ。/とってもいい知らせがあるんだ。ソ連のオジサンたちは月旅行の準備を完了し、もうすぐ出発だ。そこでソ連科学院と相談したら、お前を一緒に連れて行ってくれるというのだ。天文学が好きで、将来は天文学者になるつもりだったね。いいかい、人類が最初に地球を離れ別の星に行くのだ!/我々は地球の主人であるだけではなく、宇宙の主人になるんだ!一生懸命に頑張るんだよ!小飛馬クン/電報を受け取ったら、すぐにやってきなさい。モスクワで待っている/父より」

 小飛馬から事情を知らされた母親は、「よかったね。早くお休み。明日、航空券を買って来るから」。

 モスクワに着いた小飛馬は、月に向け今にも飛び立たんとする「月球一号」と名づけられたロケットに乗り込む。原子燃料エンジンが轟音をあげるや、月球一号は地上を離れ宇宙空間を飛んで月へ。月面探査の状況を綴りながら、月の持つ様々な謎を解き明かしながら物語は進む。

 やがて月面を離れ地球へ。小飛馬はロシア人の歓呼に迎えられ抱きかかえられるようにして父親の許へ。「なぜ、人々は喜び昂るのか。小飛馬たちが人類最初の月旅行という重大な任務を完了したからである」。

 この物語が、ここで終わる訳はない。月旅行は幻想ではなく科学的根拠に基づいていると解説した後、ソ連科学者の「月旅行は完全に可能である。ただ時間の問題だけだ」との言葉を紹介する。さらにソ連の科学技術の高さを紹介して、「ソ連では最近、世界初の原子力発電所を建設した。発電能力は石炭の350万倍であり、将来的には船舶に利用すれば燃料補給なく数ヶ月の航海が、航空機では地球一周飛行も可能だ。ソ連の科学者は1957年から58年の間に人工衛星を打ち上げる。将来的には月はおろか、火星、金星などの惑星へ行こう」と、ソ連の科学技術賛歌で終わっている。

習近平が少年時代に見た「中国の夢」とは?

 1957年にはソ連の最新細菌学の成果を紹介する『奇異的眼鏡(奇妙なメガネ)』少年兒童出版社 彭中仁訳)、最先端の科学技術にサスペンスを加味した『第二顆心臓(第2の心臓)』科学普及出版社 李敏訳)などが出版された。

 「科学幻想小説訳叢」と題された後者は、電離層を経由して中国に送電する任務を負ったソ連の科学者が最初に試みた実験は某国のスパイに妨害されただけでなく、心臓を銃弾で射抜かれてしまう。そこで登場するのがソ連の革新的医療技術であり、新しい心臓の移植に成功するというストーリーだ。

 おそらく当時の子供たちは、ソ連の科学技術の素晴らしさに憧れたに違いない。想像を逞しくするなら、習近平少年もまた小飛馬に自らを重ねながら「中国の夢」を思い描いていたかも知れない。

 この時、すでに中ソ両国の共産党は、スターリン評価と議会主義国家建設への方法を巡って抜き差しならぬ対立へと向かっていた。もちろん、その影響は徐々ながら子供たちの身の上にも及ぶことになる。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c16

コメント [国際23] 事実に追い詰められた人びとが逃げ込む「陰謀論」という呪文(櫻井ジャーナル)  赤かぶ
8. 2018年9月04日 07:54:58 : BQ9quuYgw2 : GKMM4z65w3U[1]
アメリカが大きくはっきりと明確に二分している現在、その論点自体あいまいさを押し通したものでしかないな。
誠実?金で動いてる人間に「誠実さ」という物差しを宛てがうこと自体嘘くさいんだよ。
フェイクニューサー以外の人間はみな貧乏人で正真正銘のボランティアでないとつとまらんよ。言うだろ?武士は食わねど高楊枝て。
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/773.html#c8
コメント [経世済民128] 経営危機のJR北海道、国有化も議論か…北海道新幹線の赤字100億円が重荷、国が監督命令(Business Journal 赤かぶ
4. 2018年9月04日 07:55:39 : VFcFpYW3zI : CawA7bss@kE[2]
>JR四国もJR九州もJR北と同じかそれ以上ボロいディーゼルカー
走らせてます。

JR西や四国ではもう古い車両は特急に限れば走ってないぞ。

>JR北が事故が多いなら少ない西日本四国に救済を求めるのが筋。

温暖な地域と北海道では車両の構造一つ違うぞ。

http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/358.html#c4

コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
17. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年9月04日 07:56:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

2018年6月6日
中国の権力者たちの「悪癖」は直りそうもない
児童書で読み解く習近平の頭の中(2)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)



習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代に出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


中国で1950年代に出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034

汚い場所には「妖精」がいる?

 先ず習近平国家主席が誕生し(1953年6月)、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれ(7月)た1953年の11月に出版された『顕微鏡的日記(顕微鏡の日記)』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)を取り上げたい。

 「私がこの科学機器展示館にやってきて、もう数日が過ぎた」で書き出される『顕微鏡的日記』は、顕微鏡である「私」が書いた日記を通じ子供たちに公衆衛生の大切さを判り易く教える。


『顕微鏡的日記(顕微鏡の日記)』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034

 「ポチャポチャっと太って可愛らしい珍珍チャン」は展示館の学芸員のお嬢チャン。イラストでは髪の毛は西洋人風にタップリとウエーブが掛かっていて、目元パッチリで可愛らしいワンピース。ついでにいうなら、珍珍チャンの同級生の男子児童もボッチャン刈り。ストライプの入ったスポーツシャツに短い半ズボン。足元をみれば、ハイソックスにスニーカー。豊かな西欧世界への淡い憧れが見て取れ、なんとも微笑ましい。とてもじゃないが、当時の中国ではお目にかかれそうにないほどにモダンだが、おそらく高級幹部の公子(おぼっちゃまクン)である習近平チャンは、こんな服装をしていたに違いない。

 珍珍チャンは毎週土曜日午後、展示館にやって来て「これ、なあに」「あれ、なあに」と展示されている最新科学機器について館員に質問する。今日は「私」を指して、「これ、なあに」。すると若い館員が「これは照妖鏡だよ」と応える。目を真ん丸くした彼女は、「照妖鏡って、前にお話ししてくれた照妖鏡なの」。「そうだよ。照妖鏡さえあったら、どんな妖精だって姿を現すんだ」。

 「妖精なんかいない」と言い張る珍珍チャンに対し館員は、「いいかい、空気の中にだって妖精はいるよ。キミが食べる果物の皮にも、沸騰させてない生水の中にも妖精は必ずいるんだ。それにゴミ箱、排水溝、ハエの足〔中略〕汚い場所には汚い場所だけ妖精はたくさんいるんだ」と付け加える。

 以下、妖精とは人体に害を及ぼす病原菌のことであり、照妖鏡と呼ぶ顕微鏡を使って病原菌を見つけ公衆衛生を確立することが国造りに繋がっていることを教え諭す。ジフテリア、天然痘、コレラ、下痢などについて判り易く解説しているから、これらの病気が当時の国民病だったことが想像できる。

 本書には病気対策のための歌が納められている。建国当初の社会状況を知るうえで興味深く思えるので、そのうちの下痢と伝染病対策の歌を紹介しておく。

下痢=「下痢の予防だ、下痢予防。最初はハエを退治して。布巾で食べ物よく拭いて。箸や茶碗はキレイに洗う。食事の前には石鹸手洗い。下痢の細菌、人殺し。まだまだいるよ下痢の菌。果物、野菜、生水に。下痢の細菌、数知れず。野菜はしっかり火を通す。生水、ちゃんと煮立たせて。果物、消毒しましょうね」

伝染病=「伝染病をみつけたら、患者を早く病院へ。伝染させてはイケマセン。服や道具の病菌を、直ぐにも消毒しましょうね。馬桶、川に流さない。病菌を、川に撒いてはダメですよ。病原菌を消毒し、丈夫な体で生産競争頑張ろう」

 この歌に依る限り、当時の生活ぶりは不衛生極まりなく、下痢は一種の国民病だったと考えられる。馬桶とは家の中に置く排便・排尿用の桶である。毎朝の日課は馬桶に溜まった家族の糞尿を川に捨てることだった。当時、一般には個人住宅には便所がなかった。


卑屈なまでのゴマすり、中ソ蜜月時代の珍風景


 「砂と土は、地上で最も多く、最も簡単に手に入れることのできるものです。だが、キミたちは、その用途が大きくないなどと思わないで下さい。いいですか。それがなければ、ボクたちは1日だって生きていられません。わが祖国の建設事業において、とっても重要な役割を果たしています。将来、もっともっと科学が発達したら、砂と土の用途はますます拡大します。チッポケですが、この本は、キミたちに砂と土についての色々な知識を伝えようとするものです」と書き出される『少年兒童知識叢書 沙和泥(砂とドロ)』(李家治 少年児童出版社)が出版された1955年には、チベット動乱が勃発している。因みに我が国では左右両派の社会党の再統一に刺激された保守が大合同し自民党が生まれ、「55年体制」が発足した。

 数万年、あるいは数十万年もかかって岩石は砂や泥に、砂や泥は岩石に変化する。砂と泥は兄弟の関係であり、粒子の大きい砂が兄で、細かいのが弟の土、そして兄弟の母親は大きな岩石であると、砂と土と岩石の関係を家族に擬え判り易く説明した後、「土を使って陶器を作ったのは中国人の偉大な発明です。我われ中国人は、すでに4、5千年の昔に美しい彩陶器を作り出したのです」と、中華文明の偉大さを説く。

 改めて表紙のイラストを見ると、稼働中の建設用クレーンが数基と、いままさに建設中の近代都市が描かれている。その街のビルは、どれもが旧ソ連式の無骨なスタイルで、当時の中国が建設技術の多くをソ連に頼っていた、あるいはソ連をモデルとした都市建設がブームだったことを明らかに示している。

 全ページを通じて中国への言及は極めて抑制的であり、反対に随所にソ連に対する“忖度”が感じられる。石綿を発明したのはソ連であり、「セメントが発明される以前では、上海の中ソ友好ビルや国際飯店のような背の高いビルの建設は、はっきりいって不可能だった」。板で型を組み、工場でいろいろな形のセメント版を造り、出来上がった製品を現場に運んで組み立てれば、たちどころに1棟、2棟と建物が完成する。この「ソ連の先進的経験」を学び、我が国でも続々と新しい工場を建設している。「すでにソ連の科学者は様々な色彩のセメントを発明しました。このカラー・セメントで作られた住宅は、まるで空中に輝く虹のようであり、本当に綺麗なものです」。

 ソ連への卑屈なまでのゴマすりを、子供にまで覚えさせよう――スターリンの死(1953年)とソ連でのスターリン批判(56年)の間の、中ソ蜜月時代の珍風景だろう。


諫めても戒めても「悪癖」は直りそうもない


 同じく1955年に出版された『五個杏子(5個のアンズ)』(寇徳璋 少年児童出版社)は、人民に服務することと正直の大切さを教えようとしている。

 ある夏の夕暮時、半袖の開襟シャツに半ズボンの王徳生クンが、淡い水色のワンピースに真っ白な前掛けをした妹の手を引いて学校に向かって息を切らせて走っている。王クンの頭は坊ちゃん刈りで妹の頭には長く延びた2本のおさげ。2人共、こざっぱりしたソックスにスニーカー。つつましやかな家庭で、規則正しく伸び伸びと育てられている風情だ。

 学校から帰り近所の友達と遊んでいて、王クンは宿題を思い出した。そこで慌てて家に引き返し宿題をはじめようとしたが、筆箱がないことに気づいた。「しまった。学校に忘れたんだ」。兄が家を飛び出すと、そこに妹が。学校に行くといっても、おやつでも買いに行くんだろうと信用しない妹は、兄についてきた。校門が閉まる前に学校に着かねばと焦る兄は妹の手を引っ張る。懸命に走ったことで、妹は喉が渇いた。そこに「酸っぱくて甘い杏だよ」と物売りの声。

 「兄ちゃん、杏の菓子を買ってよ」

 妹思いの王クンはポケットに手を突っ込むが、「しまった、おカネは鞄の中だ」。しゃがみ込んで駄々をこねる妹を、「家に帰ったら買ってやるから」となだめて一目散に学校へ。

 教室に飛び込みまっすぐ自分の机に。あった、筆箱があった。筆箱を手に校庭に飛び出すと妹がいない。妹は校庭の隅の杏の木の下にいた。

 「兄ちゃん、あれ取って。わたし喉が渇いちゃったの。食べたい、食べたい」

 それは生徒全員で育てている杏の木だった。みんなのもの、つまり公共財産だ。「妹のためとはいえ、それを取ることは公財私用の罪だ。ボクは地主や資本家のように利己主義者にはなれない」と王クンは煩悶するが、幸いなことに誰も見ていない。そこで5個の杏を取って妹に。喜ぶ妹。些か大袈裟だが、悩みは深い王クンだった。

 翌日の休み時間。みんなで校庭でサッカーだ。王クンはゴールキーパー。杏の木の下に置かれたゴールを守りながら、杏の実が気になって仕方がない。友達が「おい、王クン。何かあったの。杏の木ばっかり眺めているけど」「別に……」

 教室に戻ると先生が、「みんなが水をやったり、害虫を駆除したりして一生懸命に育てたから、今年は豊作で240個も杏を収穫することができました。このクラスの生徒は40人ですから、1人何個になりますか」。すかさず「240÷40=6だから、1人6個」の声。

 先生が6個ずつ渡そうとすると、王クンが前に進み出て先生の横に立ち、級友に向かって昨日のことを包み隠さず正直に話した。すると、

 「自分の利己心じゃなくて妹のことを思えばこそだ。王クンは悪くないよ」

 「違うよ。妹にも話して判らせるべきだった。『公共財産』を私的に取っちゃあダメだよ」

 最後に先生が、「妹のためといいますが、やはり王クンには公共財産を守るという自覚が欠けていました。妹に教える努力を怠りました。こういった点はよくありません。ですが王クンには素晴しい点があります。それは自分の間違いを正直に話し、それを認め、自分から改めようとすることです。これこそ立派な心掛けです。王クンが犯した過ちを認めたこと。正しくありませんか」。すると教室は「そうだ、そうだ」の大合唱に包まれる。

 このように子供の頃から公共財産の私的流用は不正であることを厳しく教えたはずだが、「虎もハエも一網打尽」の大号令で習近平政権が始めた不正摘発によって暴かれた幹部たちの不正蓄財の額――最多は胡錦濤政権(2002年~12年)で最高権力集団のチャイナ・ナイン(共産党中央政治局常務委員)の一角を占めた周永康の1兆数千億円という天文学的規模――を考えると、どうやら『五個杏子』の教育効果は当初の期待ほどではなかったわけだ。諫めても戒めても公財私用(=公の財産を私する)という悪癖は直りそうにない。ならば、それは子々孫々と受け継がれる民族のDNAとしか考えられないのだが。


幼少期から「政治的役割」を与えられた世代


 1957年6月には反右派闘争が始まり、7月には『従石頭到紙(石から紙へ)』(李懋学 少年児童出版社)が、翌8月には『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(学前児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)が出版されている。

 それから3カ月が過ぎ1957年11月、社会主義12カ国会議参加のためにモスクワに乗り込んだ毛沢東は中国人留学生を前に、「東風圧倒西風(東風が西風を圧倒する)」と傲然と語りかけた。いまや東側社会主義陣営が西側資本主義・帝国主義陣営を圧倒しているというのが一般的な解釈だが、翌58年の動きを振り返ると、この考えは変わるはず。58年5月には大躍進運動がはじまり、7月に北京を訪問したフルシチョフによる中ソ共同艦隊建設提案を毛沢東が拒否し、8月には人民公社建設と鉄鋼大増産を軸とする大躍進の大号令が下され、人民解放軍が台湾の“解放”を狙って金門・馬祖島へ砲撃をはじめた。

 つまり、「東風」は毛沢東であり中国、「西風」はフルシチョフでありソ連・東欧社会主義陣営と看做すほうが、当時の毛沢東の意気軒昂たる心境を言い当てているだろう。

 『従石頭到紙』は、「小さな友人諸君、キミたちは知っておくといいよ。古代人はどのようにして字を書いたのか。どんなもので書いたのか。何処に書いたのか、を。するとキミたちは、きっとこういうだろう。『誰にそんな知恵があったの。気が遠くなるような昔のことなど、ボクたちに伝えることができるの?』って」と書き出される。

 中国人の地質学者や考古学者が歴史以前の世界を“旅行”し、様々な地層の内部まで出かけて行ったり、人類の祖先の住まいを訪問し彼らの当時の生活ぶりを研究した結果、遥かに昔の原始人は岩山の洞窟に住んで狩猟や木の実などを採って生活していたことが判った。石を細工して武器など作って狩猟したが、絵も描いていた――こんな説明文の後に、「そんなことがあったの。原始人は絵を描けたの」と子供口調で素朴な疑問を示し、それに「そうなんだよ。文字のお母さんこそが絵なんだ。最初、原始人は字を書くことを知らなかったというわけさ。その頃は、字なんてなかったんだよ。だけど絵は描けたんだ」と優しく噛み砕いて教えている。

 「毛筆も鉛筆も、紙もなかったんでしょう。どうしたら絵が描けたの」

 「だからさあ、磨いた石や骨が彼らにとっての筆記用具だったんだ」

 「じゃあ、紙は」

 「彼らが住んだ洞窟の大きな石の壁さ。それから平らな石の表面や獣の骨・・・こういったものが彼らにとっての“図画用紙”だったんだな」

 かくして竹簡、木簡にはじまり、優秀な中華民族が世界で最初に紙を発明し、紙は用途を拡げたと説明し、「人々の知恵と労働が色んな種類の紙を生みだしたんだ。だから、ボクらは紙を無駄にすることなく、丁寧に扱おうね」と結んだ。

 中華民族の優秀さが語られると同時に、「小さな友人諸君」の脳髄にも政治の影、つまりは毛主席の存在が刷り込まれるようになる。そこで『美麗的樹葉』の表紙を開いてみたい。花の咲く草むらに坐る袖なしシャツに半ズボンの男の子と白いブラウスに赤いジャンパースカートの女の子。どちらも丸々と太っている。2人は胸に大きなリンゴを抱きながら、上空を飛ぶ小鳥に呼び掛ける。


(画像:筆者提供)

 「小鳥サンが飛ぶ、小鳥サンが飛ぶ/小鳥サンは何処まで飛ぶの/どうかこっちに飛んできて/お願いがあるんです/母さんがくれた大きなリンゴ/お願い、毛主席に届けてね」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034?page=4

 いよいよ子供たちの目の前に、《偉大な毛主席》が立ち現われるのであった。

 『従石頭到紙』と『美麗的樹葉』の出版翌年の1958年、大悲劇の大躍進が始まり、中国は国を挙げた長く重苦しく激しい政治闘争の時代に突入し、子供が子供であることができた幸せで長閑な時代は終わりを告げ、“小さな大人”として立派な政治的役割を与えられ、政治闘争の前面に躍り出るのであった。そんな子供たちこそ、現在の中国を動かす中核世代――最高権力を掌握するチャイナ・セブンから全国各地の党と軍の幹部、国有企業と私企業の経営幹部、大学学長など――であることを忘れてはならないだろう。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c17

コメント [近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
18. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年9月04日 08:00:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

中国はいかにして「地獄の門」を開けるに至ったか
児童書で読み解く習近平の頭の中(6)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723



習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


 1963年当初から毛沢東最側近の2人――夫人の江青と「中国のベリア」と呼ばれた康生――は上海を拠点に京劇を軸とする文芸部門において、政権を掌握している劉少奇に対する攻撃を画策していた。

 この動きは1964、65年と年を追うごとに激しさを増す。『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)、『草原児童団』(上海出版社 1964年)、『草原児童団』(上海人民出版社 1964年)、『雪山上的号手』(上海人民出版社 1965年)と、これまで見てきた児童書からも、その動きは傍証できるだろう。加えて1965年11月には、毛沢東思想に殉じた若き人民解放軍兵士の王杰を讃える『王杰日記』(人民出版社)が出版されている。

『王杰日記』には、「毛主席の著作を読むことは革命戦士としての第一の任務である」「革命の同志は団結しなければならない」「毛主席が話されたことは、なんでも実行するぞ」「断固として階級闘争を忘れるな」「革命の徹底が理想であり、革命の事業こそが前途であり、人民に尽くすことが幸福である」など、文革時に全国を覆ったスローガンそのもののような記述が溢れている。まさに、文革へ向けての準備は着々と進められていたはずだが、劉少奇側に危機感は感じられない。その象徴が1965年11月に出版された『新的“石器時代”』(陳仁 中国青年出版社)だろう。


毛沢東に対する揶揄が感じられる一冊


「新型硅酸塩材料的世界」という副題が示しているように、この本は、無限の可能性を秘めた新素材と大いに期待されていた硅酸塩(silicate)と人類の関わりを石器時代から説き起こし、やがて人類の輝く未来を約束する万能の科学素材であることを語る科学ドキュメンタリーであり、空想科学物語でもある。


中国で1960年代前半に出版されたおもに児童向け書籍(画像:筆者提供)

「古代の労働人民は絶え間ない実践の末に」、「湿った粘土を捏ねて器のようなものを作り火に放り込んで焼くと、冷めた後に石と同じ程度に固くなることに気づいた」。そこで「我われ人類は銅や鉄といった金属材料を発明して後、(腐りも錆びもしない)石器に似た素材の陶器とガラスを産み出す」と書き出される。

 ここで不思議に思えるのが、「古代の労働人民」という表現だ。おそらく文革期なら「古代の労働人民」ではなく「古代の奴隷労働者」としていたに違いない。なにがなんでも古代は奴隷制であり、ましてや技術の進歩を担ったのは奴隷でなければならないという硬直した文革史観からすれば、「古代の労働人民」が「陶器とガラスを創造した」などという曖昧な表現は人類の進歩に尽くした奴隷の働きを否定するものであり、断固として認められないものだったはずだろう。

 その後、人類は誰もが知っている硅酸塩の家系の始祖である玻璃(ガラス)」に様々な工夫を加え、鉄より固く超高温にも耐えられるガラス、光線を遮断するガラス、レーダー波を透すガラス、さらには繊維のように細いガラス、鋼より固いガラス、ダイオード、電子計算機の「脳細胞」などを次々に発明する。セラミックの発明によってジェット機やロケットの燃焼機関の性能は飛躍的に向上し、「特殊玻璃鋼」で作られた先端部分を取り付けることで大陸間弾道弾の弱点が克服され兵器としての性能・威力が格段に増した。原子炉内部に新型の硅酸塩素材を使うことで超高温環境での核反応コントロールが可能となり、有限の化石燃料に頼らなくてもいい夢の発電システムが約束された。やがては「ラジオは繭玉ほどに、電子計算機はたばこの箱程度の大きさになるだろう――夢物語は続く。

「旧い視点で新しい時代を推し量ることは不可能」である。「失敗を恐れずに敢えて挑戦する革命精神を発揮して、多種多様な用途を秘めた新型硅酸塩素材を創造し、古くから知られた硅酸塩を進歩する新しい時代に生かしていこう」と締め括られているが、「旧い視点で新しい時代を推し量ることは不可能」などの表現からは、大躍進の失敗を回復させた劉少奇路線に不快感を隠さない毛沢東に対する揶揄が感じられないわけでもない。

劉少奇派の無防備ぶりが感じられる一冊


 1966年に入ると、林彪と江青を軸に文革派は一気に動き出す。1月後半には、林彪が率いる解放軍は全軍政治工作会議を開き、毛沢東思想教育を重点的に進めることを全軍に訓令する。2月2日から20日までの間、林彪の要請を受けた形で江青は上海で「部隊文芸工作会議」を開催し、文芸部門による解放軍の政治教育の徹底化を進める。20日には「文革のイデオローグ」でもあった張春橋によって文芸部門での劉少奇路線に対する徹底批判を暗示する文書が公表された。

 解放軍における劉少奇派の象徴と目された羅瑞卿への批判が激しさを増し始めた1966年3月、「少年自然科学叢書」と銘打たれた『煤的故事』(朱志尭編著 少年児童出版社)が出版された。この本には文革時代の出版物に溢れた過剰なまでの毛沢東への賛仰が見られない代わりに、共産主義に対する素朴で明るく、根拠なき希望が溢れている。

 この本は「工業のコメ」であり、「ありとあらゆる工業製品の原料」であり、「鋼鉄を精錬し、汽車を動かし、電力を起こし、日常生活において暖房・炊飯をなす」だけでなく、「加工処理を経て、ガソリン、プラスチック、合成繊維、化学肥料、農薬などの数多の種類の工業原料や化学産品」となるだけに「黒い宝石」と呼ばれている石炭について、その生成から発見、使用の歴史、さらには採鉱の歩みを判り易く解説しているが、小学校高学年から中学生程度に理解させ、科学少年を育成しようとの狙いが感じられもする。

 数十億年の昔から現在までの石炭という鉱物の歩みと人類と石炭のかかわりの歴史を語りつつ話を進めるが、1949年10月1日に「偉大なる中華人民共和国」が誕生したことで、「人間の地獄、悪魔の天国」「死人の倉庫」と呼ばれていた旧中国の炭鉱は一変したと熱く語る。「炭鉱は人民のものとなり、かつて圧迫され搾取されていた炭鉱夫は鉱山の主人公となった」のである。

ここで興味深いのが共産主義的SFの世界を語る「未来への展望」の章だろう。

――ロケットは空中を突き進むだけでなく地中をも疾駆し、探索し、地下に眠る「黒い宝石」を余すところなく僕らの目の前に示してくれる。そこで僕らは、手助けしてくれる多くの友達に手助けを依頼しなければならない。機械という友達はもちろんだが、じつは凄い能力を持つ物理化学という友達もいるのだ。こいつは、どんな機械よりもスイスイと地中を軽快に動き回り、効率も高い。僕らが目にすることのできない電磁波や超音波という友達が地中深く探って、埋蔵されている石炭の様子を知らせてくれる。

そこで僕らは直ちに「万能溶解剤」を地中深く流し込み、溶剤の力で石炭を液化させ、地上に吸い上げる。液化した石炭を地上に設けた「総合利用工場」に送り、複雑な化学処理と加工をすれば、工場から出荷される時には色々な人造繊維、衣料や食品に代わっている――

 なんとも荒唐無稽でステキな夢物語だが、ここからがさらに凄まじい。

「これこそ一枚の、美しくも麗しい風景ではないか。こういう世界を一日も早く実現させ、人類が生み出した労働の成果を真に人民のモノとするためには、断固として搾取者を消滅させなければならないのだ。地主・資本家を打倒し、人類にとっての最高の理想である共産主義に向かって進もうではないか」

 この本には政治主義一辺倒の記述も、毛沢東思想式の杜撰で身勝手な歴史観も、ましてや文革に見られたド派手な血腥さも感じられない。進歩する科学技術への素朴な期待と信仰が行間に溢れるばかりだ。文革に向け戦いの準備を進める毛沢東ら文革派とはあまりにも対照的に過ぎる内容だけに、やはり劉少奇派の無防備ぶりが感じられて仕方がない。


紅衛兵の若者の心を捉えた“金言”


『《少年英雄故事》叢書 林森火』(中国少年児童出版社)は、『新的“石器時代”』や『煤的故事』が万能の科学技術を誰もが享受できる共産主義社会の明るい未来を熱っぽく語っているのとは対照的な、暗く辛かった蔣介石政権時代の物語である。

『煤的故事』の出版が1966年3月で『《少年英雄故事》叢書 林森火』は5月。この僅か2ヶ月の間に政治状況は激変する。毛沢東が政治の前面に躍り出て、劉少奇追い落としを匂わせる動きを見せ始めた。

 3月中旬、毛沢東は共産党政治局拡大会議において文化大革命の発動を提言し、これを承けた形で林彪は解放軍を挙って文芸部門における文革を宣言した。いわば文革派が態勢を整えつつあるにもかかわらず、劉少奇は王光美夫人を伴ってパキスタン、アフガニスタン、ビルマを断続的に訪問する(3月26日から4月19日)。劉少奇の北京不在を見透かしたかのように、毛沢東、林彪、陳伯達、康生、江青、王力、張春橋ら文革中核メンバーが連携を強め、党と解放軍における劉少奇派炙り出しに動きだす。いわば劉少奇打倒への狼煙をあげたわけだ。

 北京中枢で進んでいたこのような政治状況を考えるなら、やはり『《少年英雄故事》叢書 林森火』は毛沢東ら文革派が子供を“大人の政治”の世界に引きずり込もうとする道具と見做して間違いないだろう。

『《少年英雄故事》叢書 林森火』の舞台は1946年に始まった国共内戦である。

 浙江省玉環県に生まれた12歳の林森火は、「旧社会」で苦難の日々を送った。父親の僅かな収入では一家を満足には養えない。2人の兄のうちの1人は2歳で餓死し、1人は医者に払うカネも無いままに生後10ヶ月ほどで病死している。たった1人の姉は11歳で奴隷に買われ、数年後には苦労のなかで死んでいる。

 蔣介石ら封建反動勢力の実態を教える小学校の先生に導かれ、彼は共産党支援のために組織された「地下児童団」に参加し、「毛主席万歳」「中国共産党万歳」などのスローガンを街に貼ったり、共産党ゲリラのための伝令・情報員を務める。1950年11月20日、16歳になった林森火は司令官の退去命令に逆らい「怖くはない、この戦場で敵を殲滅するんです」と決意し戦場に赴くが、敵の砲弾の犠牲となってしまう。

 先生が林森火少年に語りかけた言葉――革命とは生きるか死ぬかの階級闘争だ。そこには数多くの危険がある。様々な危険を克服し、死を恐れず、敢えて革命の犠牲者たれ――こそ、文革において紅衛兵を名乗る多くの若者の心を捉えて離さなかった“金言”だった。かくて青少年は毛沢東の手の平で踊りだし、毛沢東の敵を求めて“躍動”することになる。

若者を“純粋過激なサイボーグ”に育て上げた教材


 1966年8月に出版されている『一心為公的硬骨頭戦士』(中国青年出版社)の表紙には、銃を背負い、右肩に鶴嘴を担ぎ、『毛沢東選集 第四巻』を左手で胸に大事そうに抱え込む目鼻立ちのはっきりした若者が描かれている。若き鉄道兵士の張春玉だ。背景には鬱蒼と茂る森林が描かれ、その向こうに昇る大きく真っ赤な旭日――もちろん真っ赤な太陽は毛沢東を指し示している。表紙イラストこそ、この本のすべてを物語っているといえるだろう。『一心為公的硬骨頭戦士』『一心為公的硬骨頭戦士』は、張春玉の日記の一部と『人民日報』『解放軍報』など文革派の宣伝メディアに掲載された彼を華々しく讃える数編の論文で構成されている。

 まるで“お約束”ででもあったかのように、彼もまた「貧困家庭出身」だ。「張春玉同志は毛沢東思想に育まれながら、労働に、任務に、階級闘争において艱難辛苦のかなで成長し、強靭なる共産主義戦士に成長した」。「彼は生死の間を彷徨う苦しい経験、さらには重傷を負う闘争を繰り返すなかで、階級闘争における鋼鉄の戦士に鍛え上げられていった」。かくて、「毛主席の階級闘争学説は、張春玉同志に階級闘争を永遠に忘れてはならないことを教えた」のである。

 それゆえに張は日記に、「毛主席は『社会主義制度の建設は、我われのために理想郷に到る道を切り開いてくれるのだ。だが理想郷の実現はひとえに我らの真摯な労働にかかっているのだ』と教えている。そうだ。毛沢東の時代に生きていることは幸福であり、なんにもまして誇り高いことなのだ。だが、幸福への道の上でなにもせずに立っていられることなど出来はしない。断固として出来るわけがない。幸福への道において全身全霊で働き、さらに幸福な生活を創造し、我が国をより富強で、より麗しくしなければならない」と綴り、「心の底から革命を想い、人民のために如何なる苦労も厭わず、一分一秒を党に捧げ、心から同志を想い、己より戦友に心を配り、一瞬一瞬を他人のために尽くそう」、或いは「我が一生を土塊、石、枕木と化し、共産主義に進む大道の建設に邁進しよう。革命の列車を我が五体を乗り越え、全速で前進させよう」と、その“崇高極まりない決意”を表明する。

 当時、自らを蔑ろにする劉少奇に狙いを定め、その失脚を策謀していた毛沢東にとって最大の関心事はやはり強力な助っ人であり手駒だったはず。毛沢東は最大最強の「暴力装置」である人民解放軍の指揮権を持つ林彪を仲間に引き入れる一方、純粋無垢であるがゆえに凶暴・無謀で過激な若者を唆し、彼らに政治的前衛であると同時に社会の道徳的前衛を担わせた。毛沢東に盲従し、毛沢東の指し示す規律を厳守し、勤勉で大義のために殉ずる。なによりも全身全霊をなげうって毛沢東に奉仕し、誰もが純粋で、毛沢東を守るためには、自らの命を捧げ尽くすことを厭わない政治的サイボーグに仕立て上げた。この本は若者を純粋過激な毛沢東主義者に育て上げるための教材だった、ということになる。

『一心為公的硬骨頭戦士』が出版されて2ヶ月が過ぎた1966年8月、「毛主席の親密なる戦友」だった林彪を従え、毛沢東が天安門楼上に立ち、眼下に広がる広大な広場を埋め尽くした100万人余の紅衛兵を接見している。この時、中国全土を舞台にして、興奮と熱狂とに包まれた文革は悲喜劇の幕を開けた。否も応もなく、中国人は地獄の扉の前に立たされたのである。

 以後、1976年9月の毛沢東の死まで、中国全土は激動に次ぐ激動の10年を体験することとなるが、宣伝部門を牛耳ったことによって、文革派による青少年に対する洗脳工作は激しさを増し、50年代生まれの習近平世代、60年代生まれのポスト習近平世代は「百戦百勝・絶対無謬の毛沢東思想」を頭の中に叩き込まれることになるわけだ。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c18

コメント [原発・フッ素50] トリチウムは除去できない、だから海洋投棄というが・・超簡単、一瞬で分離できる方法が(げんぱつ) 赤かぶ
12. 2018年9月04日 08:03:53 : VFcFpYW3zI : CawA7bss@kE[3]
>>11

いいや東京湾にでもまけばよい。
それとも飲料水にするかな。

http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/276.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK250] わぁ、呆れる〜。安倍が「日本主導で労働や環境などの国際的ルールづくりを」と提案したらしい  赤かぶ
2. 2018年9月04日 08:04:58 : dB6pTl0p5o : Url3BCUdzKU[1]
電通の作文も国民には、誤魔化しだと端っから
バレているので諸国に下駄を預けるような

類いの文章しか書けなくなっている
のでしょうかね。

ネタ切れ状態。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/227.html#c2

コメント [原発・フッ素50] 被災地で「被ばく食材かも」=米動画大手番組−福島県など対応検討 (時事ドットコム)  魑魅魍魎男
10. 2018年9月04日 08:08:34 : VFcFpYW3zI : CawA7bss@kE[4]
本来日本のメディアがやることなんだけどねえ。

http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/273.html#c10
記事 [昼休み54] 中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体


2018年3月29日
習近平の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
児童書で読み解く習近平の頭の中(1)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12353

 建国以来の中国歴代指導者を

毛沢東(1893年〜1976年)、
華国鋒(1921年〜2008年)、
ケ小平(1904年~1997年)、
胡耀邦(1915年〜1989年)、
趙紫陽(1919年〜2005年)、
江沢民(1926年〜)、
胡錦濤(1942年〜)

と列記してみると、1953年生まれの習近平主席は初の建国後生まれの指導者である。おそらく驚天動地の政治的地殻変動でも起こらないかぎり、常識的には今後の中国は建国後生まれによって運営されることになるはずだ。


『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著 1955年)と『割掉鼻子的大象(鼻を切り取られた象)』(遅叔昌・于止著 1956年)。当時の児童向け書籍から、「社会主義思想」や「毛沢東思想」がどのように刷り込まれていったかを読み解く
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12353


 習近平主席以下、昨秋の第19回党大会と今春の「両会」――全国人民代表大会と政治協商会議によって選出された現在の共産党政権指導部は、最高齢の王岐山(1948年〜)を除く他は1950〜60年代の生まれである。物心がついた頃にはすでに毛沢東は強固な権力基盤を背景にして、極論するなら“箸の上げ下げまで”が毛沢東思想によって規定されるようになっていた。毛沢東が「白いモノでも黒だ」と宣えば、国民すべてがそれに従わざるを得なかったのである。この世代を「完全毛沢東世代」とでも名付けるなら、その第一世代のトップランナーが習近平主席といえる。

「完全毛沢東世代」の幼き頭に刷り込まれた記憶とは

 この世代は幼年期には社会主義の素晴らしさを柔らかい頭脳に存分に刷り込まれ、少年から青年に成長する過程で毛沢東思想が「百戦百勝」であることを身をもって追体験し学習させられている。であれば、この世代の心の奥底に社会主義の理想、毛沢東への憧憬や愛憎半ばするような畏怖の念が隠されているとも考えられる。

 たとえば習近平政権が推し進める「一帯一路」である。これを「総合国力でアメリカに追い着き追い越し、アメリカに代わって世界に君臨しようとする試み」と読み替えるなら、フルシチョフ率いるソ連に対抗心を燃やした毛沢東が1958年に社会主義大国への道を一気に推し進めようと発動した大躍進政策が重なってみえる。現実無視で妄想にも近く杜撰極まりない計画ゆえに4000万人を超える餓死者を出して大失敗に終わった大躍進政策ではあったが、当初は全土が社会主義大国建設の夢に湧きたったことは確かだ。

 であればこそ、当時掲げられた「超英趕美(世界第2位のイギリスを追い越し、アメリカに追い着け)」の勇ましいスローガンを幼い日の習近平主席が深く記憶していたとしても決して不思議ではない。ならば一強体制を築いた現在、かつての熱狂がフラッシュバックすることはないだろうか。

 中国は2010年にはGDP世界第2位の日本を追い越し(「超日」)、いまやアメリカに肉薄している(「趕美」)。だからトランプ政権が中国産品に高額な関税を掛けるという貿易戦争を仕掛けているに違いない。だが、それは見方を変えれば毛沢東の悲願であった「超英趕美」――現在では「超日趕美」だが――が実現しつつあることを意味しているようにも思える。

 かりに習近平政権が現在内外で喧伝されているような長期政権を担うことなく2期10年で終わったとしても、2022年から始まる“ポスト習近平”の時代を担うことになるのは完全毛沢東世代の第2世代とでも呼ぶべき1960年代前半生まれとなる公算は大だ。この世代は幼少期に文化大革命が始まり、少年期は紅衛兵の少年版である紅小兵として文化大革命を体験し、10代半ばに毛沢東の死に直面している。

 じつは当分の間、日本のみならず世界は、毛沢東思想によって育てられた世代の中国指導者と向き合わねばならないのだ。であればこそ彼らが成長の過程で受けた教育――それは、とりもなおさず共産党政権が自らの将来を托そうとした人材の理想形だろう――を考察することは、今後の中国の進路を見定めるうえで必須の作業になるだろう。


「歴史爺さん」が熱く語りかける戦いの歴史


 共産党政権は発足直後には兒童讀物出版社(上海)と中國少年兒童出版社(北京)を創設した。両社が出版する絵本などによって、社会主義は正しく、世界は社会主義社会に向って進化している。その最前線に立つ共産党は絶対無謬だなどと教え込もうとしたに違いない。教育は娯楽であり、娯楽は宣伝であり、宣伝は教育というのが共産党の根本理念である。「白い紙にはどんな画も描ける」と説いていた毛沢東は、幼い子供たちの真っ白な頭脳に共産主義社会の夢のような将来を描こうとしたはずだ。

 1955年に兒童讀物出版社が出版した『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著)からは、当時の共産党が子供たちに教え込もうとした歴史観や歴史認識が浮かび上がってくる。

 著者の崔巍は個人ではなく、おそらくは共産党の教育・宣伝部門に連なる歴史学者たちの集団ペンネームと考えられる。当時、簡体字はまだ正式に使われてはいなかったから、横書きながら繁体字のままで全42ページ。当時の物資不足を反映して、表紙にもザラザラでペラペラの質の悪い紙が使われている。

 表紙の上半分に描かれているのは人々が力を合わせてマンモスを断崖に追い詰めている光景で、下半分は溶鉱炉を中心とした工場だ。前者で支配・被支配の関係がなく貧しくも平等で心豊かに暮らしていた原始共産制社会を、後者で重工業化された豊かな社会主義社会を訴えようというのだろう。

 表紙を開くと先ず「歴史爺さん」なる人物が登場し、「子供たちよ! ワシがキミらの友だちになって1、2年になるかのう」と切り出す。「ワシは歴史という名前じゃが、みんなも知っているだろう」と呼び掛け、「歴」とは「経歴」で「史」とは「記載」であると説明しながら、「ワシはえらく歳をとっていて、ワシが歴史を記録するようになってから換算すると、かれこれ4000年ばかりにもなるだろうか」と、それとなく民族の歴史の長さを誇ってみせる。

「遥かに遠い昔だ。ワシが生まれて間もない頃じゃが人々は農業を知らず、河南省一帯の黄河の辺りで魚を捕ったり、猟をしたり、放牧などして苦しい生活を送っておったんじゃ」。かくて勤労人民の力によって現在の中国がある。「考えてもみておくれ。中国の国土はこんなにも大きいが、隅から隅まで我らが祖先の熱い汗と涙が流されなかった場所はないんだよ」と続ける。

 当初は支配も被支配もなく働き誰もが平等な生活を送っていたが、やがて「奴隷の持ち主、大地主、資本家など働かない奴らが生まれ」た。彼らは「日々に悪知恵を働かせて土地、工場、人々の労働の果実を掠め取り」、「“国家”や王朝をでっち上げて労働人民を圧迫し始めた」。そこで「陳渉、張角、王薄、黄巣、李自成・・・」など多くの民族の英雄たちが「搾取鬼たち」に戦いを挑み勝利した。だから「中国の広大な土地の到る処に、革命烈士の鮮血が流されているんじゃ」。

 そこで歴史は一足飛びに20世紀に移り、「八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍など、彼らは祖国人民にとっての最も優秀な児女なんだ。考えてもみるがいい。中国の広大な領土は祖国防衛のための英雄たちの鮮血に染まっていることを」と同意を求める。

「将来の人民は共産主義の生活を過ごすことになる。これは全く正しいことだ。キミは共産主義の生活が好きかい。だったら共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか。キミが指導しなければならないのだ。さあ、キミたちよ! ワシはキミの好い友達だ。キミが一日たりとも離れることのできない素晴らしい友人じゃよ!」と、熱を込めて語り掛けた。

 予定調和気味に共産党創建以来の“偉大で栄光に包まれた戦いの歴史”が綴られているが、ご丁寧にも子供たちの学習の成果の一例が次のように記されている。

●「本来、社会に階級はなかった。人々は階級のない原始公社において長期に亘って暮らしていた」

●「資本主義社会において資本家は労働者を搾取し、工業生産の発展を妨害した。労働者は断固として資本家を打倒し階級のない社会主義社会――共産主義社会に作り変えなければならない。だから歴史発展の法則に基づくなら、共産主義は必ずや実現する」

●「歴史を学んで、祖国人民の全ての労働成果を熱愛すべきことを理解した。全力を尽くし、一木一草に至るまで祖国を防衛する」

●「ボクらの麗しき前途の凡ては、解放軍兵士のおじさんたちの犠牲によって得られた。ボクらは、さらに偉大なる中国の共産党と人民解放軍とを熱愛する」

「共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか」の囁きに続く「キミが指導しなければならない」という“殺し文句”に幼い子供たちは、さぞや血を沸かせ肉を踊らせたことだろう。そのうちの1人に、幼い頃の習近平チャンはいなかっただろうか。


「社会主義色」が濃厚すぎる算数の問題


 同じ1955年に『算術 小学教師進修用書』(兪子夷編著 浙江人民出版社)が出版されている。建国から6年、朝鮮戦争終結から2年が過ぎ、いよいよ国家建設に本腰を入れようにも、やはり科学技術の立ち遅れは如何ともし難いと気づいたようだ。

「編著者自序」は「基礎的教育である小学校教育の質を高めることは、中学・高校教育の質を根本的に高めることにつながる。小学校における算数教育は重要な位置を占めているにもかかわらず従来は誰もが重視してこなかったことから、極めて低いレベルのままであり、今後は可及的速やかに質を高めなければならないことは疑う余地はない」と記すが、やはり編集方針は「真っ白な紙にはどんな絵も描ける」との毛沢東の考えに基づく。

 全体の構成はイデオロギー抜きに整数と筆記法からはじまり、加減乗除、倍数、比例、平均、度量衡、数の分解、最大公約数、最小公倍数、分数、通分、分数の加減乗除、少数、比例などに関する解説へと系統的に並べられているが、応用問題は一転して社会主義イデオロギーの色に溢れている。

 モノは試し。そんな応用問題のいくつかを挙げてみると、

 1)ある工場には6つの作業場があります。第1,2,3の作業場には210台の旋盤が備えてあり、第4作業場は第1作業場より15台少なく、第5作業場は第2作業場より21台多く、第6作業場は第3作業場より10台少ない。6つの作業場を合計すると工場全体では何台の旋盤があるでしょうか。

 2)3つの農業生産合作社は余った1250袋の食糧を国家に売ることになりました。乙合作社が売った量は甲合作社の2倍で、丙合作社が売った量は甲と乙の合作社の合計より350袋多い。3つの合作社が売ったそれぞれの量を求めなさい。

 3)2組の道路補修隊が道路の両端から同時に工事をはじめました。その速度は甲隊が毎日2里で、乙隊は3里です。4日後には2つの補修隊の間の距離は35里でした。彼らが補修する道路の距離を求めなさい。

 4)ある労働者の1年の給与は、最初の3ヶ月は毎月43元、次の5ヶ月は毎月46元、最後の4ヶ月は毎月47元5角でした。1年平均すると1ヶ月当たりいくらになりますか。

 ――社会主義社会建設期の溌剌とした雰囲気が伝わってくる応用問題ではあるが、工場、旋盤、農業合作社、道路補修隊、労働者など社会主義イデオロギーが前面に押し出されている。


空想小説「鼻を切り取られた象」の正体とは?


 1956年、共産党政権は学術・芸術の分野での自由化を進める「百花斉放・百家争鳴」運動を発動した。この政策によって知識人や民主派からの猛烈な共産党批判を誘発させ、やがて反右派闘争に転換され、結果として大躍進から文化大革命へと毛沢東の過度の神格化に雪崩れ込むことになる。

 同じ年の2月、ソ連ではフルシチョフがスターリンを全面批判する秘密演説を行った。中国共産党機関紙『人民日報』は4月5日になってスターリンによる個人崇拝を「重大な誤り」と認めはしたが、ソ連で見られたスターリン全面否定に同調することはなかった。スターリン批判をめぐる中ソ両国の見解の差が、後に国境軍事衝突にまで発展した中ソ対立の遠因の1つとなるわけだ。

 中国共産党政権のみならず毛沢東にとっても大きな節目の年に当たる1956年、中國少年兒童出版社は2種類の子供向け空想科学物語を収めた『割掉鼻子的大象(鼻を切り取られた象)』(遅叔昌・于止著)を出版している。“夢のように豊かな社会主義中国”を描き出そうというのだろう。この絵本を手に小躍りした子供たちは社会主義の未来に目を輝かせたに違いない。そんな理想社会を建設するために、やはり「キミが指導しなければならない」のである。

 巻頭を飾る「割掉鼻子的大象」は、この本の幼い読者たちが20代の半ばから後半に達する頃の1975年の夏を舞台に、科学専門記者の「私」が取材のため国営農場を訪れるところから始まっている。

 その地は草1本も生えない不毛の地であったが、人民の奮闘努力によって5年という短期間で「緑の希望」と呼ばれるまでの大農場に改造されていた。取材のために農場の中心街に立った「私」は「象を見に行こうよ。象だ、象だ」の子供たちの歓声に誘われるように走りだす。「国営農場のだ!」「どうして国営農場で象が飼われているんだ?」「鋤を引かせるためだよ!」「トラクターがあるじゃないか。象なんて使う必要はないよ!」――子供たちの感想である。一見すると象ではあるが、不思議なことに鼻が切り取られていた。

 この農場で働いている科学好きの中学時代の同級生から届いた招待状を持って、農場事務所を訪ねる。すると「私」の目の前に薄いピンクがかった白い肉の壁が現れた。街で見かけた鼻の欠けた象は、友人が改良を重ねて生み出した「奇跡72号」と呼ぶ超大型のブタだった。友人は「図体はデカいが子ブタだ。柔らかく脂が乗っていて栄養満点。そのうえ簡単に消化する。味はバツグンだろう」と語りかける。だが「私」は口いっぱいに肉を放り込んだため、口がきけずに目を白黒させて頷くしかなかった。象のように大きいブタを生み出す社会主義の科学技術によるなら、食糧問題も一気に解決してしまうのだ。幼い読者が瞳を輝かせたであろうことは想像に難くない。

 第2話の「没頭脳和電脳的故事(脳無しクンとコンピューターの物語)」の主人公は小学生の孫少年である。「鞄は」「帽子は」「ソロバンは」「教科書は」と孫少年の登校準備に巻き込まれ、毎朝家族中が大わらわ。彼が「没頭脳(脳無しクン)」のあだ名で呼ばれるのも、前日に学用品を置いた場所を忘れてしまうほどに整理整頓が不得手だからだ。

 そこで我が息子の将来を案じた電気技師の父親は「養いて教えざるは父の過ち」という古くからの教訓に従って、孫少年に20万個の半導体を組み込んだ「電脳(コンピューター)帽子」を創ってやった。翌日、電脳帽子を被った彼は意気揚々と登校する。電脳は難問を素早く解いてくれるが、地理の問題や友達のトンチ話にはサッパリ反応しない。そこで父親は半導体を脳細胞の数と同じ140億個までに増やそうとするが、電脳帽子が巨大化してしまい被ることができない。かくて「電脳の奴隷にはなるな」と、苦心の末に作り上げた電脳帽子を廃棄処分してしまった。

 孫少年は父親が作ってくれた電脳帽子を賢明に学習し、「自分で考え、大脳を鍛錬し」、「演算、資料保存、翻訳、機械管理のできる電脳」の発明を目指す。やはり子供たちに、社会主義社会のバラ色の将来を教えようとしたのだろう。

 1950年代前半、中共中央宣伝部長兼政務院文教委員会副主任を務め党と政府の思想宣伝工作を切り盛りし毛沢東の寵臣として振る舞っていたのは、習近平チャンの父親である習仲勲だった。ならば教師用の『算術 小学教師進修用書』はともあれ、幼い息子に『怎樣學習歴史』や『割掉鼻子的大象』を与え、橋橋と安安の2人の姉が弟の習近平チャンに読み聞かせていたと想像してみる。

 どうやら現在の共産党政権の中枢に居並ぶ首脳陣は、歴史爺さんの話を真に受け、社会主義イデオロギー満載の算数応用問題を解き、社会主義社会の将来に幼い心を躍らせた世代となりそうだ。このことを、改めて肝に銘じておきたい。



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2018年6月6日
中国の権力者たちの「悪癖」は直りそうもない
児童書で読み解く習近平の頭の中(2)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代に出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


中国で1950年代に出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034


汚い場所には「妖精」がいる?

 先ず習近平国家主席が誕生し(1953年6月)、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれ(7月)た1953年の11月に出版された『顕微鏡的日記(顕微鏡の日記)』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)を取り上げたい。

 「私がこの科学機器展示館にやってきて、もう数日が過ぎた」で書き出される『顕微鏡的日記』は、顕微鏡である「私」が書いた日記を通じ子供たちに公衆衛生の大切さを判り易く教える。


『顕微鏡的日記(顕微鏡の日記)』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)(画像:筆者提供)
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 「ポチャポチャっと太って可愛らしい珍珍チャン」は展示館の学芸員のお嬢チャン。イラストでは髪の毛は西洋人風にタップリとウエーブが掛かっていて、目元パッチリで可愛らしいワンピース。ついでにいうなら、珍珍チャンの同級生の男子児童もボッチャン刈り。ストライプの入ったスポーツシャツに短い半ズボン。足元をみれば、ハイソックスにスニーカー。豊かな西欧世界への淡い憧れが見て取れ、なんとも微笑ましい。とてもじゃないが、当時の中国ではお目にかかれそうにないほどにモダンだが、おそらく高級幹部の公子(おぼっちゃまクン)である習近平チャンは、こんな服装をしていたに違いない。

 珍珍チャンは毎週土曜日午後、展示館にやって来て「これ、なあに」「あれ、なあに」と展示されている最新科学機器について館員に質問する。今日は「私」を指して、「これ、なあに」。すると若い館員が「これは照妖鏡だよ」と応える。目を真ん丸くした彼女は、「照妖鏡って、前にお話ししてくれた照妖鏡なの」。「そうだよ。照妖鏡さえあったら、どんな妖精だって姿を現すんだ」。

 「妖精なんかいない」と言い張る珍珍チャンに対し館員は、「いいかい、空気の中にだって妖精はいるよ。キミが食べる果物の皮にも、沸騰させてない生水の中にも妖精は必ずいるんだ。それにゴミ箱、排水溝、ハエの足〔中略〕汚い場所には汚い場所だけ妖精はたくさんいるんだ」と付け加える。

 以下、妖精とは人体に害を及ぼす病原菌のことであり、照妖鏡と呼ぶ顕微鏡を使って病原菌を見つけ公衆衛生を確立することが国造りに繋がっていることを教え諭す。ジフテリア、天然痘、コレラ、下痢などについて判り易く解説しているから、これらの病気が当時の国民病だったことが想像できる。

 本書には病気対策のための歌が納められている。建国当初の社会状況を知るうえで興味深く思えるので、そのうちの下痢と伝染病対策の歌を紹介しておく。

下痢=「下痢の予防だ、下痢予防。最初はハエを退治して。布巾で食べ物よく拭いて。箸や茶碗はキレイに洗う。食事の前には石鹸手洗い。下痢の細菌、人殺し。まだまだいるよ下痢の菌。果物、野菜、生水に。下痢の細菌、数知れず。野菜はしっかり火を通す。生水、ちゃんと煮立たせて。果物、消毒しましょうね」

伝染病=「伝染病をみつけたら、患者を早く病院へ。伝染させてはイケマセン。服や道具の病菌を、直ぐにも消毒しましょうね。馬桶、川に流さない。病菌を、川に撒いてはダメですよ。病原菌を消毒し、丈夫な体で生産競争頑張ろう」

 この歌に依る限り、当時の生活ぶりは不衛生極まりなく、下痢は一種の国民病だったと考えられる。馬桶とは家の中に置く排便・排尿用の桶である。毎朝の日課は馬桶に溜まった家族の糞尿を川に捨てることだった。当時、一般には個人住宅には便所がなかった。


卑屈なまでのゴマすり、中ソ蜜月時代の珍風景


 「砂と土は、地上で最も多く、最も簡単に手に入れることのできるものです。だが、キミたちは、その用途が大きくないなどと思わないで下さい。いいですか。それがなければ、ボクたちは1日だって生きていられません。わが祖国の建設事業において、とっても重要な役割を果たしています。将来、もっともっと科学が発達したら、砂と土の用途はますます拡大します。チッポケですが、この本は、キミたちに砂と土についての色々な知識を伝えようとするものです」と書き出される『少年兒童知識叢書 沙和泥(砂とドロ)』(李家治 少年児童出版社)が出版された1955年には、チベット動乱が勃発している。因みに我が国では左右両派の社会党の再統一に刺激された保守が大合同し自民党が生まれ、「55年体制」が発足した。

 数万年、あるいは数十万年もかかって岩石は砂や泥に、砂や泥は岩石に変化する。砂と泥は兄弟の関係であり、粒子の大きい砂が兄で、細かいのが弟の土、そして兄弟の母親は大きな岩石であると、砂と土と岩石の関係を家族に擬え判り易く説明した後、「土を使って陶器を作ったのは中国人の偉大な発明です。我われ中国人は、すでに4、5千年の昔に美しい彩陶器を作り出したのです」と、中華文明の偉大さを説く。

 改めて表紙のイラストを見ると、稼働中の建設用クレーンが数基と、いままさに建設中の近代都市が描かれている。その街のビルは、どれもが旧ソ連式の無骨なスタイルで、当時の中国が建設技術の多くをソ連に頼っていた、あるいはソ連をモデルとした都市建設がブームだったことを明らかに示している。

 全ページを通じて中国への言及は極めて抑制的であり、反対に随所にソ連に対する“忖度”が感じられる。石綿を発明したのはソ連であり、「セメントが発明される以前では、上海の中ソ友好ビルや国際飯店のような背の高いビルの建設は、はっきりいって不可能だった」。板で型を組み、工場でいろいろな形のセメント版を造り、出来上がった製品を現場に運んで組み立てれば、たちどころに1棟、2棟と建物が完成する。この「ソ連の先進的経験」を学び、我が国でも続々と新しい工場を建設している。「すでにソ連の科学者は様々な色彩のセメントを発明しました。このカラー・セメントで作られた住宅は、まるで空中に輝く虹のようであり、本当に綺麗なものです」。

 ソ連への卑屈なまでのゴマすりを、子供にまで覚えさせよう――スターリンの死(1953年)とソ連でのスターリン批判(56年)の間の、中ソ蜜月時代の珍風景だろう。


諫めても戒めても「悪癖」は直りそうもない


 同じく1955年に出版された『五個杏子(5個のアンズ)』(寇徳璋 少年児童出版社)は、人民に服務することと正直の大切さを教えようとしている。

 ある夏の夕暮時、半袖の開襟シャツに半ズボンの王徳生クンが、淡い水色のワンピースに真っ白な前掛けをした妹の手を引いて学校に向かって息を切らせて走っている。王クンの頭は坊ちゃん刈りで妹の頭には長く延びた2本のおさげ。2人共、こざっぱりしたソックスにスニーカー。つつましやかな家庭で、規則正しく伸び伸びと育てられている風情だ。

 学校から帰り近所の友達と遊んでいて、王クンは宿題を思い出した。そこで慌てて家に引き返し宿題をはじめようとしたが、筆箱がないことに気づいた。「しまった。学校に忘れたんだ」。兄が家を飛び出すと、そこに妹が。学校に行くといっても、おやつでも買いに行くんだろうと信用しない妹は、兄についてきた。校門が閉まる前に学校に着かねばと焦る兄は妹の手を引っ張る。懸命に走ったことで、妹は喉が渇いた。そこに「酸っぱくて甘い杏だよ」と物売りの声。

 「兄ちゃん、杏の菓子を買ってよ」

 妹思いの王クンはポケットに手を突っ込むが、「しまった、おカネは鞄の中だ」。しゃがみ込んで駄々をこねる妹を、「家に帰ったら買ってやるから」となだめて一目散に学校へ。

 教室に飛び込みまっすぐ自分の机に。あった、筆箱があった。筆箱を手に校庭に飛び出すと妹がいない。妹は校庭の隅の杏の木の下にいた。

 「兄ちゃん、あれ取って。わたし喉が渇いちゃったの。食べたい、食べたい」

 それは生徒全員で育てている杏の木だった。みんなのもの、つまり公共財産だ。「妹のためとはいえ、それを取ることは公財私用の罪だ。ボクは地主や資本家のように利己主義者にはなれない」と王クンは煩悶するが、幸いなことに誰も見ていない。そこで5個の杏を取って妹に。喜ぶ妹。些か大袈裟だが、悩みは深い王クンだった。

 翌日の休み時間。みんなで校庭でサッカーだ。王クンはゴールキーパー。杏の木の下に置かれたゴールを守りながら、杏の実が気になって仕方がない。友達が「おい、王クン。何かあったの。杏の木ばっかり眺めているけど」「別に……」

 教室に戻ると先生が、「みんなが水をやったり、害虫を駆除したりして一生懸命に育てたから、今年は豊作で240個も杏を収穫することができました。このクラスの生徒は40人ですから、1人何個になりますか」。すかさず「240÷40=6だから、1人6個」の声。

 先生が6個ずつ渡そうとすると、王クンが前に進み出て先生の横に立ち、級友に向かって昨日のことを包み隠さず正直に話した。すると、

 「自分の利己心じゃなくて妹のことを思えばこそだ。王クンは悪くないよ」

 「違うよ。妹にも話して判らせるべきだった。『公共財産』を私的に取っちゃあダメだよ」

 最後に先生が、「妹のためといいますが、やはり王クンには公共財産を守るという自覚が欠けていました。妹に教える努力を怠りました。こういった点はよくありません。ですが王クンには素晴しい点があります。それは自分の間違いを正直に話し、それを認め、自分から改めようとすることです。これこそ立派な心掛けです。王クンが犯した過ちを認めたこと。正しくありませんか」。すると教室は「そうだ、そうだ」の大合唱に包まれる。

 このように子供の頃から公共財産の私的流用は不正であることを厳しく教えたはずだが、「虎もハエも一網打尽」の大号令で習近平政権が始めた不正摘発によって暴かれた幹部たちの不正蓄財の額――最多は胡錦濤政権(2002年~12年)で最高権力集団のチャイナ・ナイン(共産党中央政治局常務委員)の一角を占めた周永康の1兆数千億円という天文学的規模――を考えると、どうやら『五個杏子』の教育効果は当初の期待ほどではなかったわけだ。諫めても戒めても公財私用(=公の財産を私する)という悪癖は直りそうにない。ならば、それは子々孫々と受け継がれる民族のDNAとしか考えられないのだが。


幼少期から「政治的役割」を与えられた世代


 1957年6月には反右派闘争が始まり、7月には『従石頭到紙(石から紙へ)』(李懋学 少年児童出版社)が、翌8月には『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(学前児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)が出版されている。

 それから3カ月が過ぎ1957年11月、社会主義12カ国会議参加のためにモスクワに乗り込んだ毛沢東は中国人留学生を前に、「東風圧倒西風(東風が西風を圧倒する)」と傲然と語りかけた。いまや東側社会主義陣営が西側資本主義・帝国主義陣営を圧倒しているというのが一般的な解釈だが、翌58年の動きを振り返ると、この考えは変わるはず。58年5月には大躍進運動がはじまり、7月に北京を訪問したフルシチョフによる中ソ共同艦隊建設提案を毛沢東が拒否し、8月には人民公社建設と鉄鋼大増産を軸とする大躍進の大号令が下され、人民解放軍が台湾の“解放”を狙って金門・馬祖島へ砲撃をはじめた。

 つまり、「東風」は毛沢東であり中国、「西風」はフルシチョフでありソ連・東欧社会主義陣営と看做すほうが、当時の毛沢東の意気軒昂たる心境を言い当てているだろう。

 『従石頭到紙』は、「小さな友人諸君、キミたちは知っておくといいよ。古代人はどのようにして字を書いたのか。どんなもので書いたのか。何処に書いたのか、を。するとキミたちは、きっとこういうだろう。『誰にそんな知恵があったの。気が遠くなるような昔のことなど、ボクたちに伝えることができるの?』って」と書き出される。

 中国人の地質学者や考古学者が歴史以前の世界を“旅行”し、様々な地層の内部まで出かけて行ったり、人類の祖先の住まいを訪問し彼らの当時の生活ぶりを研究した結果、遥かに昔の原始人は岩山の洞窟に住んで狩猟や木の実などを採って生活していたことが判った。石を細工して武器など作って狩猟したが、絵も描いていた――こんな説明文の後に、「そんなことがあったの。原始人は絵を描けたの」と子供口調で素朴な疑問を示し、それに「そうなんだよ。文字のお母さんこそが絵なんだ。最初、原始人は字を書くことを知らなかったというわけさ。その頃は、字なんてなかったんだよ。だけど絵は描けたんだ」と優しく噛み砕いて教えている。

 「毛筆も鉛筆も、紙もなかったんでしょう。どうしたら絵が描けたの」

 「だからさあ、磨いた石や骨が彼らにとっての筆記用具だったんだ」

 「じゃあ、紙は」

 「彼らが住んだ洞窟の大きな石の壁さ。それから平らな石の表面や獣の骨・・・こういったものが彼らにとっての“図画用紙”だったんだな」

 かくして竹簡、木簡にはじまり、優秀な中華民族が世界で最初に紙を発明し、紙は用途を拡げたと説明し、「人々の知恵と労働が色んな種類の紙を生みだしたんだ。だから、ボクらは紙を無駄にすることなく、丁寧に扱おうね」と結んだ。

 中華民族の優秀さが語られると同時に、「小さな友人諸君」の脳髄にも政治の影、つまりは毛主席の存在が刷り込まれるようになる。そこで『美麗的樹葉』の表紙を開いてみたい。花の咲く草むらに坐る袖なしシャツに半ズボンの男の子と白いブラウスに赤いジャンパースカートの女の子。どちらも丸々と太っている。2人は胸に大きなリンゴを抱きながら、上空を飛ぶ小鳥に呼び掛ける。


(画像:筆者提供)

 「小鳥サンが飛ぶ、小鳥サンが飛ぶ/小鳥サンは何処まで飛ぶの/どうかこっちに飛んできて/お願いがあるんです/母さんがくれた大きなリンゴ/お願い、毛主席に届けてね」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034?page=4


 いよいよ子供たちの目の前に、《偉大な毛主席》が立ち現われるのであった。

 『従石頭到紙』と『美麗的樹葉』の出版翌年の1958年、大悲劇の大躍進が始まり、中国は国を挙げた長く重苦しく激しい政治闘争の時代に突入し、子供が子供であることができた幸せで長閑な時代は終わりを告げ、“小さな大人”として立派な政治的役割を与えられ、政治闘争の前面に躍り出るのであった。そんな子供たちこそ、現在の中国を動かす中核世代――最高権力を掌握するチャイナ・セブンから全国各地の党と軍の幹部、国有企業と私企業の経営幹部、大学学長など――であることを忘れてはならないだろう。



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2018年6月21日
習近平が少年時代に見た「中国の夢」とは?
児童書で読み解く習近平の頭の中(3)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13178

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代に出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。

 毛沢東が党や国家を超越した絶対的権力を掌握するキッカケとなった反右派闘争が発動された2カ月後の1957年8月に出版された『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)に収められた一編の詩は、子供たちに「毛主席」にどのように報いるべきかを教える。そこに、文革時代に言い古された「海よりも深く、山よりも高い毛主席の御恩」の萌芽を読み取ることができる。

 この時代から文化大革命の終わる70年代後半まで――建国直後に生まれた習近平世代からすれば乳幼児から児童・少年期を経て青年前期までの人間形成期全般にわたって――毛沢東は「偉大的領袖毛主席」であり、毛沢東思想は「百戦百勝」と形容され絶対無謬であることを徹底して刷り込まれたのだ。

 ここで毛沢東の権威が確立させる前後の冷戦時代における中国を巡る内外状況――といっても主には中ソ関係だが――を簡単に振り返っておきたい。というのも、この時代にソ連の進んだ科学技術、物資豊かな日常生活を紹介する子供向けの書物が翻訳出版されているからだ。


中国で1950年代に出版された児童書(写真:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13178


頂点に立つ「ソ連に学べ」

 1953年3月にスターリンが死去し、1956年2月にはフルシチョフによるスターリン批判報告が秘密裏に行われ、東ヨーロッパでは反共産党暴動が6月のポーランド、10月のハンガリーと連続して発生する。一方、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定調印となり、1954年9月に開始された人民義勇軍の撤退は1958年10月で完了した。

 毛沢東が東側社会主義陣営の優位を高らかに宣言した「東風が西風を圧する」と題する演説がモスクワで行われたのが1957年11月である。毛沢東のフルシチョフに対する不信感・優越感は芽生えていただろうが、ともあれ“中ソ一枚岩の団結”が内外に強く印象づけられていた時代である。

 一方、中国国内に目を転ずると、1956年5月に毛沢東は「百花斉放 百家争鳴」を掲げ言論の自由化を提唱し、年末までに農村では高級農業合作社化、都市では私営企業の国有・国営化が完了し、社会主義への道を一歩踏み出し、9月には中国共産党第8次全国代表大会が開かれている。

 大会冒頭で毛沢東は「同志諸君、いま中国共産党第8次全国代表大会が開幕した」と宣言した後、活字に起こして2万7千字ほどになる基調演説を行った。彼の口調を真似てゆっくりと読んでみると所要時間は12,3分といったところだが、この間、「(拍手)」が13ヶ所、「(熱烈拍手)」が14ヶ所、「(長時間熱烈拍手)」が2ヶ所、「(全員起立し長時間熱烈拍手)」が3ヶ所ほど。

 一例を挙げれば、「いま我が党は過去の如何なる時期より団結している(拍手)」「国際社会における我われの勝利はソ連を頂点とする平和民主社会主義陣営の支持に依拠している(熱烈拍手)」「帝国主義が造りだす緊迫した情勢と戦争準備の陰謀を徹底して破産させなければならない(長時間熱烈拍手)」「今日、この場に出席している50数カ国の共産党、労働者党、労働党、人民革命党の代表に〔中略〕熱烈なる歓迎の意を表す(全員起立し長時間熱烈拍手)」といった具合だ。

 これを要するにソ連は、「国際社会における我われの勝利」を支持する「平和民主社会主義陣営」の「頂点」に在ったわけだ。まさにソ連に学べ、である。


「邪悪な勢力」から身を守るには?


 そんな時代に『一晝夜二十四小時』(楊瑞槐訳 上海衛生出版社)が出版されている。この本は「1937年、7月のある爽やかな一日、モスクワは異常なまでの心躍る気分に包まれていた」と書き出される。


スターリン像(iStock.com/alf75)

 その日、モスクワ発北極圏経由でアメリカまでの航路120,000キロを63時間25分で無着陸飛行に成功した3人の飛行士を、モスクワの街は挙げて大歓迎した。黄昏が迫る午後6時、3人を乗せたソ連製最高級車は天をも揺るがすような歓呼に包まれた赤の広場を疾駆する。クレムリンで待ち構えていたのは、もちろん党と政府の最高幹部を従えたヨシフ・スターリン。独裁者は、3人の手を固く握り熱い抱擁を交わした。

 まさにスターリン賛歌と見紛うような情景が綴られているが、この本の狙いはそこだけにあるわけではないようだ。ソ連の高い科学技術は当然のことながら、スターリン理論に支えられた「パブロフの高級神経活動学説」(?)に基づく規則正しい生活によって鍛えられた飛行士の心・技・体こそが、祖国に無上の栄光をもたらした。だから、我われ中国の子どもたちも規則正しい生活を送るべきだと、力強く呼び掛ける。

 「我われ社会主義国家は一貫して平和を渇望し平和を築く事業をしっかりと守ってきた。だが資本主義の世界には、なんとしてでも戦争を引き起こそうと虎視眈々と狙っている邪悪な勢力があることを断固として忘れてはならない。それゆえ、戦争の危機が消え去ることなどない。ソ連の青年は祖国を自らが防衛するという光栄ある責任を全うするための準備を完璧にしておくべきだ。先の偉大なる大祖国防衛戦争における経験が、優秀なるスポーツマンが優れた戦士であることを明らかにしてくれた」。「戦場では、より遠くまで跳躍し、より高く飛び、どのような障害も飛越し、長い距離を速く走るなどの能力が求められる」。

 言い換えるなら、ソ連の社会主義は優れているし平和を守ってきた。だが、劣った資本主義の世界が戦争を仕掛け、平和が侵される可能性は常に存在する。だからこそ社会主義の祖国を守るためには24時間を規則正しく送り、自らを鍛錬し健康を守らなければならない。「生活制度――凡ての疾病から身を守る最も基本的であると同時に主要な手段――は任務遂行の上での基盤であり、組織性を涵養するだけでなく、社会秩序の基礎である」。

 たとえば中学生の日課は、起床=7:00〜7:15、体操・身体摩擦・洗面・身の回りの整頓=7:15〜7:45、朝食=7:45〜8:00、登校=8:00〜8:20、学習(教室及び社会)=8:20〜14:30、下校=14:30〜15:00、昼食=15:00〜15:30、戸外での遊び=15:30〜17:00、予習=17:00〜20:00、夕食と自由時間=20:00〜21:00、就寝準備=21:30〜22:00、睡眠=22:00〜7:00

 このような規律正しいソ連式24時間生活を送ることで「党と政府が常に示す無限の恩愛に愧じることなき人生」を送るよう、当時の「党と政府」は子供たちに求めたというわけだ。

「月旅行」に「原発」、ソ連の科学技術を絶賛する児童書


 同じ1956年には『少年兒童讀物 到月亮上去(月に行く)』(魯克編著 山東人民出版社)が出版されている。

 ある日、主人公の小飛馬クンが共産党が少年教育のために設けた少年宮での天体クラブの活動を終え帰宅すると、妹が「兄ちゃん、電報」と。モスクワのソ連科学院で研究を続ける父親からの電報だった。

 「小飛馬クン、元気かい。/父さんは元気でソ連科学院で順調に研究活動に励んでいると母さんに伝えてくれ。/とってもいい知らせがあるんだ。ソ連のオジサンたちは月旅行の準備を完了し、もうすぐ出発だ。そこでソ連科学院と相談したら、お前を一緒に連れて行ってくれるというのだ。天文学が好きで、将来は天文学者になるつもりだったね。いいかい、人類が最初に地球を離れ別の星に行くのだ!/我々は地球の主人であるだけではなく、宇宙の主人になるんだ!一生懸命に頑張るんだよ!小飛馬クン/電報を受け取ったら、すぐにやってきなさい。モスクワで待っている/父より」

 小飛馬から事情を知らされた母親は、「よかったね。早くお休み。明日、航空券を買って来るから」。

 モスクワに着いた小飛馬は、月に向け今にも飛び立たんとする「月球一号」と名づけられたロケットに乗り込む。原子燃料エンジンが轟音をあげるや、月球一号は地上を離れ宇宙空間を飛んで月へ。月面探査の状況を綴りながら、月の持つ様々な謎を解き明かしながら物語は進む。

 やがて月面を離れ地球へ。小飛馬はロシア人の歓呼に迎えられ抱きかかえられるようにして父親の許へ。「なぜ、人々は喜び昂るのか。小飛馬たちが人類最初の月旅行という重大な任務を完了したからである」。

 この物語が、ここで終わる訳はない。月旅行は幻想ではなく科学的根拠に基づいていると解説した後、ソ連科学者の「月旅行は完全に可能である。ただ時間の問題だけだ」との言葉を紹介する。さらにソ連の科学技術の高さを紹介して、「ソ連では最近、世界初の原子力発電所を建設した。発電能力は石炭の350万倍であり、将来的には船舶に利用すれば燃料補給なく数ヶ月の航海が、航空機では地球一周飛行も可能だ。ソ連の科学者は1957年から58年の間に人工衛星を打ち上げる。将来的には月はおろか、火星、金星などの惑星へ行こう」と、ソ連の科学技術賛歌で終わっている。

習近平が少年時代に見た「中国の夢」とは?

 1957年にはソ連の最新細菌学の成果を紹介する『奇異的眼鏡(奇妙なメガネ)』少年兒童出版社 彭中仁訳)、最先端の科学技術にサスペンスを加味した『第二顆心臓(第2の心臓)』科学普及出版社 李敏訳)などが出版された。

 「科学幻想小説訳叢」と題された後者は、電離層を経由して中国に送電する任務を負ったソ連の科学者が最初に試みた実験は某国のスパイに妨害されただけでなく、心臓を銃弾で射抜かれてしまう。そこで登場するのがソ連の革新的医療技術であり、新しい心臓の移植に成功するというストーリーだ。

 おそらく当時の子供たちは、ソ連の科学技術の素晴らしさに憧れたに違いない。想像を逞しくするなら、習近平少年もまた小飛馬に自らを重ねながら「中国の夢」を思い描いていたかも知れない。

 この時、すでに中ソ両国の共産党は、スターリン評価と議会主義国家建設への方法を巡って抜き差しならぬ対立へと向かっていた。もちろん、その影響は徐々ながら子供たちの身の上にも及ぶことになる。



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2018年7月12日
歴史的悲劇の裏で進められた「子供たちの洗脳」
児童書で読み解く習近平の頭の中(4)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13358


習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


中国で1950年代後半から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13358


 1955年の夏以来、共産党政権内部では経済建設の速度と農業の集団化を巡って、毛沢東が率いる冒進(急進)派と、それに異を唱える周恩来、陳雲らの間の対立が続いた。だが、1957年の反右派闘争勝利をバネに毛沢東が周恩来らの異見を圧倒し、1958年5月に開かれた第8回共産党第2回会議で大躍進が正式に採択されることになる。かくて「超英趕美」――鉄鋼生産第2位の英(イギリス)を追い越し、経済超大国の美(アメリカ)に追い着け――のスローガンを掲げ、(1)鉄鋼と農業の大増産、(2)農村における人民公社と公共食堂の建設が全国規模で展開された。

 大躍進政策を推進することで、そう遠くない将来、中国に共産主義社会を出現させるという強い意気込みで始めたものの、毛沢東が描いたバーチャルな世界は中国社会の現実の前に脆くも崩れ去り、惨憺たる結末を迎えざるをえなかった。工業部門の大後退に3年続きの自然災害が追い討ちを掛け、3000万から4000万人が餓死している。この当時、共産党政権は子供たちに何を求めていたのか。

「大躍進の悲劇」はなかったことに……

 大躍進政策決定直前の1958年3月に出版された『民間少年游戯』(顧也文編 上海文化出版社)は、浙江、江蘇、安徽、湖北、雲南、四川などの民間に古くから伝わる60種類の遊びを集め、イラスト入りで遊び方を解説している。一見すると他愛のない児童向けの書籍のようだが、「本書が集めた遊びは全て子供を対象とし、大部分は祖父から父に、父から子に伝わり現在に残されたものであり、日々の生活感が色濃く感じられる。民間に流布する他の遊びと同じように、我が国労働人民の智慧、勇気、誠実、朴訥さを明らかに示し、我が国労働人民の積極性、楽観性、勤倹性、労働に向う心意気という思想感情を伝えている」と書かれた「前言」からは、大躍進直前という時代の雰囲気が十分に伝わって来る。

 はたして当時の子供たちは、鬼ごっこや綱引きをしながら「我が国労働人民」の「思想感情」を学べたのだろうか。

 大躍進政策の悲劇が明らかになりつつあった時期の1961年5月に出版されたのが『游戯官』(林・張・王・楊編 潘晋華画 上海少年児童出版社)である。たとえば「誰と誰が話をしているの?」と題された絵には、糸がこんがらがった糸電話で遊ぶ6人の子供が描かれていて、それぞれの話し相手を探そうというのである。この本からは、政治的意図も思想性も、ましてや大躍進の悲劇など匂わせる記述は一切ない。


子供たちさえ洗脳してしまえば“こっちのモノ”


 毛沢東は「我われには社会主義の経験が不足していた」と反省の素振りも見せないばかりか半ば居直ったまま、権力の頂点から一時身を退いた。大躍進の惨憺たる失敗という危機的状況を打破し「V字回復」を果たした最大の功労者は、毛沢東の後任として国家主席に就いた劉少奇だった。

 であればこそ、『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)が出版された当時は劉少奇が大いに讃えられてしかるべき時代だったはずなのだが、この本には劉少奇への賛辞は一言半句も見られない。得意の“搦め手”による劉少奇追い落とし策――《毛沢東の正しさ》を子供に植え付け、毛沢東を《絶対無謬の神》と思い込ませ、しかるべき政治決戦に備え、虎視眈々と一剣を磨こうとする毛沢東の底意が感じられる。まさに洗脳である。後に文革派がメディア戦略の拠点としていた上海人民出版社からの出版というのも気になるところだ。

 小栄クンはちびっ子だが肝っ玉が据わっている。日本鬼子(ぐん)が駐屯する東港を流れる平洋に飛び込んで、今日も魚獲りだ。水に潜ったかと思えば川面に浮かんでは遊んでいた。ふと岸辺を眺めると、兄の小順たちが手に手に槍を持って玉蜀黍畑の中に消えてゆく。日本兵を偵察しようというのだ。小栄クンは慌てて岸に上がって、小順兄チャンたちを追いかける。

 やっと追いついてしばらく行くと、川の方からジャブン、ポトンと音がする。川辺の葦の間からソッと覗き見ると、日本兵が川に入り測量をしている。どうやら、この川に橋を架けるための準備をしているらしい。この光景を目にした小栄クンは子供心にも、「チクショウ、日本鬼子に橋を架けられたら、おいらたちの村は全滅だ」と直感する。「子供たちの目は日本鬼子に釘付けとなり、目からは復仇の怒りの炎がメラメラと燃え上がった」。

 小栄クンは小順兄チャンの命令を受け、村の民兵隊に報告に行った。相変わらず偵察を怠らない子供たちの目に飛び込んできたのは、メガネの「ちびデブの日本軍隊長」。歩きながら部下を叱り付ける姿は、「まるで生きた凶暴な猪」。すると川上からスイカを満載した小船が下って来た。船にはおじいさんと子供が乗っている。見ると小栄クンだった。「ヤバイよ、ヤバイよ。小栄のヤツ報告に行かずに船の上でさぼって遊んでいやがる」と、仲間の少年たちは気を揉むばかり。

 炎天下である。川の中で測量していた日本兵は喉が渇いたのだろう。小船に近づいてはスイカを勝手に取り上げ、喉をゴクリと鳴らしながら、冷えたスイカをムシャムシャ。その時、ピューン、ピューンという銃声がした。スイカを手に慌てて逃げ惑う日本兵。デブの隊長は船尾でブルブル。そこで小栄クンがデブの腹を目掛けて頭突き一閃。やつは、もんどりうって川の中へ転落だ。

 船上のおじいさんが付け髭を取り外すと、なんと民兵隊長。大声で「生け捕りだ」。一斉に川に飛び込んだ子供たちは、必死に逃げようとする日本兵の足や手を掴んで川の中に引きずりこんで溺れさせる。戦闘はしばらく続いたが、全員が民兵に捕まってしまった。

 静かになった川面をスイカ満載の小船が行く。船上の子供たちはハシャギながらスイカを頬張る。そこに「日本の侵略者を我われ立ち上がった数億の人民の前に引きずり出し、一匹の野牛を火陣の中に追い込むように仕向ける。一斉に声を上げてビックリさせれば、この野牛は焼け死ぬしなかい」と毛沢東の教えが重なり、「毛主席の教えは何とすばらしいことか」と呼び掛けている。

 無邪気であるがゆえに喜々として冷血・残酷にもなりうる子供たちを洗脳し煽り操って反劉少奇の大混乱を起してしまえば、こっちのモノ――この本から、こんな“仕掛け”が感じられるのだが。


子供たちの世界では2年も早く始まっていた「文革」


 『石荘児童団』出版の翌年には、同じく上海人民出版社から同じような書名の『草原児童団』が出版されている。

 舞台が長江下流域の水郷で子供たちが退治した敵は日本軍であった『石荘児童団』とは違い、『草原児童団』の舞台は内蒙古の草原で、子供たちが立ち向かった敵は「地主、富農」であり、彼らと結託して社会を大混乱に陥れ社会主義社会を転覆させ封建社会の復活を目論む土匪である。

 「東の空が紅く輝き、太陽が昇る。毛主席の英明な指導によって草原は解放された。至るところに紅旗が翻り、農民は地主を倒し、農地を分け合い、喜びの気が充ち溢れる。児童団は喜び勇んで地主と富農の監視活動に努める」と書き出される。最初の数行からして、すでに「毛主席の英明な指導」である。こうなったら文革当時の「毛主席、万歳、万歳、万々歳!」までは、もう一歩だろう。いや、子供の世界では大人の世界に2年程先んじて文化大革命が始まっていたとも考えられる。


(Imaginechina/アフロ)

 『草原児童団』の主役は13歳の黒牛クン。彼は村の児童団の団長である。

 ある日、民兵隊の王隊長から「これから土匪討伐に出掛ける。地主や富農が土匪と連絡を取らぬよう注意して監視してくれ。異常があったら鉄柱アニキに報告だ」との命令を受け、黒牛クンは仲間と共に地主の「大花蛇」の屋敷を見張る。それにしても地主が大花蛇で、その妻が「狐狸精(バケモノ)」というのだから、名前を見ただけで子供にも地主は極悪人と判る。“見事な印象操作”というべきか。

 地主の家から外に向かう足跡を発見した黒牛クン率いる児童団は、それを追って草原を突き抜け山に向い、洞窟に隠れる大花蛇を見つけ出し、槍で脅して立ち木に縛り付け尋問を繰り返す。“正義”を手に入れた子供たちが毛沢東によって進められた土地改革に敵対する地主を攻撃・尋問するという構図は、文革において紅衛兵や紅少兵がみせた毛沢東の敵に対する残酷・残忍で血腥い仕打ちを彷彿とさせる。やはり子供の世界は、大人の世界に数年先んじて「革命無罪」「造反有理」が讃えられていたのだ。

 最後は鉄柱アニキと黒牛クンたち児童団が、地主や土匪を縛り上げて村に凱旋するシーンで幕となる。毛沢東思想式予定調和といっておきたい。


毛沢東思想式ハッピー・エンドの物語


 同じく文革開始2年前に出版されたのが『林紅和她的伙伴』(費・林・陳・童子編絵 人民美術出版社 1964年)である。

 この物語の主人公である林紅は、農村の中学校を卒業したばかり。可愛らしく気立てがよく、そのうえ肉体堅固で我慢強い娘さんである。共産党の下部組織の共産主義青年団員で、両親が都市で仕事をしているので本来なら都市で進学できるのに、「農村こそが広大な天地だ。そこでは、なんだってできないことはない」という毛沢東の“有難い教え”を堅く信奉し、農村に留まり、自分から率先して困難な仕事に立ち向かおうと決意したというのだから、これまた文革時に毛沢東が「上山下郷(若者よ、農村で農民に学べ!)」をスローガンに都市の若者を農山村に送り込んだ「下放運動」の先駆けのような若者だ。

 そこで、「農業は国民経済の基礎である。党は我われに大いに農業に励み、力を農業の第一線に注ぐよう呼び掛けている。農業の持続的な躍進を望むだけではなく、工業を大いに振るわせ国民経済全体の持続的躍進を果たし、我が国の社会主義建設をより速く発展させ、より速く社会主義強国を完成させよう」(「内容説明」)と、彼女は獅子奮迅の働きをみせる。目指すは「社会主義強国」である。

 林紅が大活躍する物語は、国を挙げて大躍進政策が展開された1959年秋の早朝。河北省東部の中新人民公社の某生産隊から始まる。

 厚い暗雲に覆われた空からは大粒の雨が稔りの大地に叩きつける。「解放後、人々は政府の指導の下で毎年、堤防の修理を進めてきたが、この雨で水かさが急激に増し、堤防決壊の危険性が高まった」。そこで生産隊の書記を先頭に村人が総出で護岸補強工事に向かう。かくいう林紅も友達に呼び掛けて現場へ急行する。

 彼女は逆巻く怒濤に飛び込んで杭を打ち土嚢を積む。男勝りで八面六臂の大活躍だ。雨も止み、穏やかな日差しに照り映える川面を2隻の大きな船が船着場に接岸した。積まれているのは、政府から林家荘生産隊に送られる食糧や物資だ。村人の顔はほころび、誰もが川岸に飛んでゆく。その中に77歳の老人がいた。彼は政府から贈られた籾を手に、「毛主席、あなた様はワシにまで心を砕いて下さる。あなた様のご指導があらばこそ、ワシらは最期の日まで戦うことができますんじゃ」と、「解放前までのあの苦闘の日々を思い浮かべ、止め処なく感動の涙を流す」のであった。

 傍らに控えるのは、もちろん林紅だ。彼女は、「私は党の呼び掛けに応え、この村で皆さんと一緒に自然災害や食糧危機と戦い、ここに新しい農村を建設することを誓います」と、キッパリと言い切る。もちろん周囲の村人は誰もが感動の拍手であり、称賛の声だ。

 この村は相当に貧しい。過酷な自然環境の改造は焦眉の急だ。消極的な友人を励まし、村人に呼びかけ、彼女は自然改造の戦いの先頭に立つ。書記が「林紅同志よ、任務は極めて困難だが堅く覚悟を決めさえすれば、この荒野を無限の稔りの里に改造することができるんだ」と呼び掛けると、彼女は「そうです。党の指導があり、人民公社があれば、どんな困難があろうとも、我われは戦いに勝利する信念を持つことができるんです」と応える。

 押し寄せる数々の困難を克服し、「林紅と彼女の仲間たちは農業戦線において輝ける勝利を次々に勝ち取り」、「幾千万の林紅は祖国に降り注ぐ春の陽光を浴び、社会主義の新しい農村を建設するため勇猛邁進するのであった」と、林紅の物語は“毛沢東思想式ハッピー・エンド”で結ばれる。

 毛沢東がムリにムリを重ねて強行したことで全国民が塗炭の苦しみを舐めざるを得なかった大躍進が、『林紅和她的伙伴』では大いに讃えられ、人民にとっての理想として描かれている。

毛沢東の悲願を達成しつつある習近平

 『石荘児童団』の小栄クン、『草原児童団』の黒牛クン、それに『林紅和她的伙伴』の林紅さん。どうやら子供や若者の世界では、大人に先駆けて文革――毛沢東の敵に対する戦いの準備に入っていたようだ。

 習近平主席は1953年生まれだから、『石荘児童団』や『草原児童団』が出版された頃は、小栄クンや黒牛クンと同世代になっている。小栄クンや黒牛クンの手に汗握る戦いに心躍らせ、習近平クンは毛沢東の偉大さに強く憧れたに違いない。

 因みに毛沢東の壮大な夢である「超英趕美」の悲願は、GDP第2位の日本を追い越したわけだから、「英」を「日」に換えて考えれば、習近平政権の手で達成されつつあるともいえる。後は一帯一路を掲げてアメリカを猛追するだけだ。全面対決か、双贏(ウイン・ウイン)か、はたまた全面降伏か。であればこそ、米中貿易戦争には断固として負けるわけにはいかないと思うのだが。


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子どもたちの思想改造を狙った毛沢東の手口
児童書で読み解く習近平の頭の中(5)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


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 中国では、1963年から66年春にかけて「社会主義教育運動」が展開された。1958年に毛沢東が強引に進めながら大失敗に終わった大躍進政策への対応をキッカケとした教育運動であり、後の文化大革命につながる政治闘争の前哨戦でもあった。

 大躍進の失敗を自己批判した毛沢東に代わって国家主席に就任し共産党政権の舵取り役に就いた劉少奇は、毛沢東が進めた急進的な社会主義化・集団化を取り止め、限定的ながら個人所有を認めて生産意欲を刺激することで落ち込んだ経済の回復を図った。自らの労働によって自らの生活向上が期待できることから、人々は労働に励み生活も向上する。

 すると当然のように劉少奇への期待が高まり、民心は毛沢東から離れる。この動きによって自らの権威が崩れ権力が失われることに危機感――有態にいうなら、劉少奇に対する政治的嫉妬心――を抱いた毛沢東は、早くも1963年9月の中共8期10中全会において資本主義復活の危険性を指摘し、階級闘争の拡大化・絶対化を訴えた。このような環境において社会主義教育運動は始まる。

 社会主義教育運動の3年余に出版された児童書を読んでみると、イデオロギー色が微塵も感じられないものと毛沢東思想万々歳のものとに大別できる。前者は生活向上を目指す経済優先の劉少奇路線を背景にしていると見做すことができる一方で、後者からは政治を第一とする毛沢東路線の徹底を子供に刷り込もうとする狙いが強く感じられる。

 現状を肯定するのか。はたまた「為人民服務(毛沢東式滅私奉公)」の路線を徹底して社会主義社会建設を目指すべきか――やはり注目すべきは、洗脳によって子供を毛沢東思想のサイボーグに改造しようと狙う毛沢東の強い意志だ。こうして育った世代が文革初期において毛沢東を絶対無謬の神と崇め、毛沢東の手足となって毛沢東の敵を殲滅する戦いに邁進していったことを思い起すなら、劉少奇の悲劇は、毛沢東の狙いを読み違った。あるいは毛沢東の政治的妄執を甘く見た点に求められそうだ。


「太陽とヒマワリ」に込められた寓意


 先ずはイデオロギー色を全く感じられない代表例として、劉少奇に対する毛沢東の反撃が表面化する数カ月前の1963年5月に出版された『動脳筋爺爺@』(少年児童出版社)を挙げておきたい。同書は全4冊で構成され『動脳筋爺爺A』と『動脳筋爺爺B』は1964年、『動脳筋爺爺C』は1966年、つまり社会主義教育運動の全期間を通じて逐次出版されたシリーズものである。


中国で1960年代前半に出版されたおもに児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587?page=2


 「脳筋」は脳みそを指し、「動脳筋」は“頭を働かせろ”を意味する。そこで動脳筋爺爺とは智慧爺さんといったところか。「小問号(ハテナちゃん)」と「小無智(オトボケ君)」が投げかける「なぜ魔法瓶の湯は冷めないの」「なぜ雲は空から落ちてこないの」など日頃の生活で感じている素朴な疑問を、智慧爺さんが判り易く説明している。4冊全体に共通する特徴は、社会主義、共産党、ましてや毛沢東にすら言及した記述が全く見当たらない点だろう。

 その典型が「なぜヒマワリは太陽に向って動くのか」の項である。文革時代、太陽は毛沢東を、ヒマワリは人民を無条件に寓意していた。太陽もヒマワリも当時の中国では問答無用の政治的記号だったのだ。偉大なる太陽があればこそ人民は育つ。それゆえにヒマワリの人民が育つためには、太陽である毛沢東を常に崇め奉り学ばなければならなかったのである。だが『動脳筋爺爺』では太陽の動きに従って動くヒマワリの植物学的なメカニズムが懇切に説明されてはいるものの、太陽にもヒマワリにも政治的メッセージは込められていない。

 やはり『動脳筋爺爺』シリーズの作者にとって、太陽は飽くまでも太陽であり毛沢東を指し示す政治的記号ではなく、ヒマワリは植物のヒマワリ以上でも以下でもなかったということだろう。

「明るい世相」が映し出された児童書

 1965年に出版された『飛機会干些什麼(飛行機は何ができるのか)』(劉子吉 少年児童出版社)に描かれている子供にも、政治役割は全く与えられていない。近代化され安定した豊かな社会で伸び伸びと遊ぶ子供たちの健気な姿が感じられるだけである。

 表紙の色は淡い青。おそらく紺碧の空に見立てたのだろう。上半分には大型旅客機、ジェット戦闘機、農薬散布中の複葉機、さらには真紅のヘリコプター。下半分には模型の飛行機やグライダーを手にはしゃぐ子供たち。誰の首にも、少年先鋒隊を示す真紅のスカーフが巻かれている。男の子は白いシャツに濃紺の半ズボンで、女の子は揃って長いお下げに中国風ブラウス。明るさが横溢している絵柄だが……1年後には文革が始まる。

 最初の頁の下半分には背中姿の女の子とこちらを向いた2人の男の子――花壇に座る3人を前に、男の子が立っている。その向こうには模型飛行機で遊ぶ子供たち。誰もが真紅のネッカチーフを首に。遠景は、大きな入道雲が浮かぶ青い碧い大空。

 「飛行機は天空を飛んでゆく。まるで一羽の雄々しい鷹のようだ。見るほどに、より高く、より遠く。なんと素晴らしいことだろう。飛行機って何をするものなの、僕が話して聞かせるよ」と、立った男の子が説明をはじめる。

――毎日、数え切れないほどの数の飛行機が高い山を飛び越え、白い雲をつき抜けて、上海から昆明、広州から北京へと、旅客、貨物、郵便をいっぱい載せて、限りなく広い大空を飛んでいるんだ。日照りの時なんか、空から薬剤を散布して雨を降らすよ。広い田や畑だって一気に肥料を噴霧すれば、どんな害虫だってイチコロさ。豊作間違いなしだ。農村で収穫用の農機が欲しかったら、いつだって飛行機が運んでくれるさ。正確な地図作り、国家防衛、森林保護、海難事故救助、遠隔辺境への物資輸送だって、飛行機なら簡単だよ――

 と、飛行機の果たす様々な役割が微笑ましいイラストと共に判り易く説明され、この本は「大空を飛ぶ飛行機は、雄々しい鷹のようだ。祖国を建設し、国の守りを固め、なんとステキだ。飛行機は、いったいどんなことが出来るのか。みんな一生懸命考え聞かせてください」で閉じられている。

 大躍進の後遺症も癒え、国民が将来に光明を見い出すことができるようになった劉少奇路線が光芒を放っていた時期に出版されたことを考えれば、『飛機会干些什麼』から漂ってくる何とも微笑ましい雰囲気に納得させられる。

「劉少奇への攻撃」を予感させる物語


 同じ1965年、『雪山上的号手』(趙鷔・秦大虎 上海人民出版社)が出版されている。

 この物語の主人公は、于魯紅という14歳のラッパ卒である。彼は毎日ラッパをピカピカに磨き上げ柄のところに赤い布を結びつけ、それを背中に威風堂々と行軍し勇猛果敢に戦闘に参加し、全身全霊を革命のために捧げてきた。

 辛い長征のある日、部隊は小休止し体力と装備を整え明日からの難関の大雪山越えの準備に掛かる。彼の任務は、近隣の農家から厳寒の行軍にとって必需品の唐辛子と焼酎を調達することだった。冷えた体を芯から暖めるためだ。「大雪山は豪雪に加え強い風だ。さらに空気は希薄。だが革命的英雄主義を発揮し、団結して闘い困難を克服し、勝利のうちに大雪山を越えようではないか」と、部隊長が檄を飛ばす。

 戦友で病弱の江戦雲の手を引きながら、一方で木を掴み峻険な山道を登る。部隊は一振りの宝剣のように一直線になって、大雪山の頂を目指して進む。すると突然に狂ったように強風が吹きだし、ついで横殴りの猛烈な雪である。あっという間に辺り一面が真っ白になり、なにも見えない。「団結だ、戦闘だ、隊列から落伍するな」との部隊長の叱咤激励を聞きながら、彼は戦友の手を引いて雪中行軍を続ける。

 山が高くなれば雪も深くなる。部隊は「堅固な革命的毅力」を発揮し、一歩一歩と山頂を目指した。山頂にたどり着いた部隊からの「頑張れ、同志諸君」の声に励まされ、彼は江戦雲に「大雪山に勝つんだ」と声を掛ける。

 やっと山頂に到着したが、風はさらに強く、鶏の卵大の雹に見舞われる。2人の少年兵は進退谷まり部隊から取り残され、吹雪の中に立ち尽くすしかなかった。2人が雪道で悪戦苦闘していた時、近くを通りかかった別の部隊の隊長の「ラッパ卒がみつからず、我が部隊の所在地点連絡不能」との声を聞き、彼は衰弱する体に鞭打って声を限りに「隊長同志、自分は……」と申告する。

 彼の声を耳にした部隊長が近寄って来て、体全体を雪に包まれながらもラッパを高々と掲げる少年ラッパ卒を見つけた。彼の唇は寒さで切れてしまったが、部隊長の命令を受け力の限りラッパを吹く。ラッパの音が伝える「部隊長は山頂に到達せり。諸士の現在地を伝達あれ」の信号は轟々たる吹雪をものともせず、全山にこだまする。このラッパの音に勇気づけられ、多くの兵士が部隊長に合流すべく山頂を目指した。

 突然、ラッパの音が途切れる。彼は任務を果たし、精も魂も尽き果て昏倒する。「小同志、しっかりしろ」。部隊長の腕の中で気がついた彼は「隊長、戦友の江戦雲が……」

 この時、彼の部隊の部隊長が2人を探しに山頂に戻って来て、江戦雲を雪の中から救出する。「貴下部隊の少年ラッパ卒の格段の軍功により、我が部隊は勝利のうちに大雪山越えを達成せり。感謝の意を表す」。すると我が部隊長は力強く、「我らが毛主席の英明なる指導の下、抗日の前線に赴き、共に侵略者を打ち破ろう」――

 『動脳筋爺爺』や『飛機会干些什麼』に登場する子供は子供でしかない。だが『雪山上的号手』の子供には飽くまでも大人と同じ働きが求められる。“小さな大人”であらねばならなかった。子供に対する扱いの違いが気になるが、『雪山上的号手』の出版元が文革の10年間を通して毛沢東派が拠った最重要宣伝機関であった上海人民出版社であることを考えれば、主人公に毛沢東思想を体現する革命的少年を配したことも納得できるだろう。上海では劉少奇攻撃の準備が秘かに進められていたということか。

仲間を救うために爆死した若き兵士の日記


 同じ1965年には、児童書を読む世代よりもう少し高い年齢層を読者対象とした『王杰日記』が、文革の前半期、毛沢東の忠実な部下として文革を推し進めた林彪が率いていた人民解放軍の機関紙『解放軍報』の編輯部から出版されている。

 この日記を記した王杰(1942年〜65年)は山東省出身の解放軍兵士である。入隊は61年で済南部隊装甲兵工兵連(中隊)班長。62年、共産主義青年団に加入。65年7月、民兵訓練中に爆弾が暴発しようとした際、現場にいた12人全員を救うべく爆弾に覆いかぶさり爆死。自己犠牲の模範として全国的に讃えられ、死後に党員として追認された。遺品の中から63年に書きはじめた10万字を超える日記が見つかり、主だった部分を抜粋し、この本が編まれている。そこで興味深い個所を拾ってみた。

■63年(日付なし)=「俺はレッキとした革命者であり、革命のための優秀な種となろう。党と国家から遣わされるなら、何処にでもいって根を張り、花を咲かせ、実を結んでみせるぞ。必ずや砂漠を緑の長城に、荒れ果てた山をたわわに稔る果樹園に、田を一面の黄金色の大地にしてみせるぞ」

■63年4月22日=「王杰よ、王杰、お前に警告しておこう。任務を遂行する際には、誠心誠意で言行一致、裏表なく苦労を厭わず、生真面目に取り組め。王杰よ、深く心に刻んでおけ。自らの欠点をしっかりと自覚し、断固として改め、虚心に学び、生真面目な人間にならんことを」

■63年8月21日=「旨いものを食べ、キレイな衣装を身に着けるなんてことは幸福でもなんでもない。貧苦に喘いでいる世界中の虐げられた人々が平穏な生活を送れるようになってこそ幸福といえるのだ」

■64年7月25日=「毛主席の著作学習は長期的視点から着目しなければならないし一生の大事だ。林彪同志が指し示す『問題意識を持って学び、活学活用し、実際の問題に結びつけ、先ず学び本質を掴め』の原則を生真面目に徹底して貫かねばならない」

■64年9月3日=「毛主席の著作学習を通じ、革命こそが我が理想であり、闘争こそが本当の幸福であることを身に沁みて学んだ」

 『王杰日記』は「新しい中国の次世代を見よ! 彼らは重い任務を担うことができる。彼らには祖国の建設と防衛ができるはずだ」で結ばれている。

社会主義教育運動を経て、時代は「文革」へ

 ここで改めて1965年前後の毛沢東の動きを振り返ってみる。

 1964年8月、エスカレートするヴェトナム戦争に米軍の中国侵攻の可能性を読み取り、同時に北方から軍事圧力を強めるソ連を警戒し、毛沢東は南北からの敵を想定した戦争準備を提起する。10月に初の核実験に成功し、翌65年1月になると毛沢東は初めて「党内の資本主義への道を歩む実権派」に言及した。「実権派」、つまりは毛沢東を蔑ろにする政権中枢、就中その頭目たる劉少奇に戦いの的を絞ったということだ。だが劉少奇が毛沢東の狙いに気づいたフシはみられない。

 9月になって本格化するアメリカの北ヴェトナム爆撃(北爆)に対抗するかのように、林彪が「人民戦争勝利万歳」と題する論文を発表し、劉少奇派が提起した解放軍の近代化とソ連を含む反米統一戦線結成の動きを牽制した。毛沢東の軍事思想に従い、解放軍は断固として人民戦争路線を歩むべし、というのだ。11月、後に四人組の一員として名を馳せる姚文元が「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し文革の導火線に火を点けた。

 翌66年8月、毛沢東と林彪は全国から百万人の紅衛兵を天安門広場に集め気勢を上げ、文革の戦端が開かれたのである。

 1953年生まれの習近平にとっては社会主義教育運動の3年間は、9歳から12歳に当たる。習近平9歳の年、父親の習仲勲は毛沢東の逆鱗に触れ失脚。12歳の年には毛沢東の指示で洛陽鉱山の機械工場へ“島流し”となる。実質的な労働改造処分であった。



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中国はいかにして「地獄の門」を開けるに至ったか
児童書で読み解く習近平の頭の中(6)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


 1963年当初から毛沢東最側近の2人――夫人の江青と「中国のベリア」と呼ばれた康生――は上海を拠点に京劇を軸とする文芸部門において、政権を掌握している劉少奇に対する攻撃を画策していた。

 この動きは1964、65年と年を追うごとに激しさを増す。『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)、『草原児童団』(上海出版社 1964年)、『草原児童団』(上海人民出版社 1964年)、『雪山上的号手』(上海人民出版社 1965年)と、これまで見てきた児童書からも、その動きは傍証できるだろう。加えて1965年11月には、毛沢東思想に殉じた若き人民解放軍兵士の王杰を讃える『王杰日記』(人民出版社)が出版されている。

『王杰日記』には、「毛主席の著作を読むことは革命戦士としての第一の任務である」「革命の同志は団結しなければならない」「毛主席が話されたことは、なんでも実行するぞ」「断固として階級闘争を忘れるな」「革命の徹底が理想であり、革命の事業こそが前途であり、人民に尽くすことが幸福である」など、文革時に全国を覆ったスローガンそのもののような記述が溢れている。まさに、文革へ向けての準備は着々と進められていたはずだが、劉少奇側に危機感は感じられない。その象徴が1965年11月に出版された『新的“石器時代”』(陳仁 中国青年出版社)だろう。


毛沢東に対する揶揄が感じられる一冊


「新型硅酸塩材料的世界」という副題が示しているように、この本は、無限の可能性を秘めた新素材と大いに期待されていた硅酸塩(silicate)と人類の関わりを石器時代から説き起こし、やがて人類の輝く未来を約束する万能の科学素材であることを語る科学ドキュメンタリーであり、空想科学物語でもある。


中国で1960年代前半に出版されたおもに児童向け書籍(画像:筆者提供)

「古代の労働人民は絶え間ない実践の末に」、「湿った粘土を捏ねて器のようなものを作り火に放り込んで焼くと、冷めた後に石と同じ程度に固くなることに気づいた」。そこで「我われ人類は銅や鉄といった金属材料を発明して後、(腐りも錆びもしない)石器に似た素材の陶器とガラスを産み出す」と書き出される。

 ここで不思議に思えるのが、「古代の労働人民」という表現だ。おそらく文革期なら「古代の労働人民」ではなく「古代の奴隷労働者」としていたに違いない。なにがなんでも古代は奴隷制であり、ましてや技術の進歩を担ったのは奴隷でなければならないという硬直した文革史観からすれば、「古代の労働人民」が「陶器とガラスを創造した」などという曖昧な表現は人類の進歩に尽くした奴隷の働きを否定するものであり、断固として認められないものだったはずだろう。

 その後、人類は誰もが知っている硅酸塩の家系の始祖である玻璃(ガラス)」に様々な工夫を加え、鉄より固く超高温にも耐えられるガラス、光線を遮断するガラス、レーダー波を透すガラス、さらには繊維のように細いガラス、鋼より固いガラス、ダイオード、電子計算機の「脳細胞」などを次々に発明する。セラミックの発明によってジェット機やロケットの燃焼機関の性能は飛躍的に向上し、「特殊玻璃鋼」で作られた先端部分を取り付けることで大陸間弾道弾の弱点が克服され兵器としての性能・威力が格段に増した。原子炉内部に新型の硅酸塩素材を使うことで超高温環境での核反応コントロールが可能となり、有限の化石燃料に頼らなくてもいい夢の発電システムが約束された。やがては「ラジオは繭玉ほどに、電子計算機はたばこの箱程度の大きさになるだろう――夢物語は続く。

「旧い視点で新しい時代を推し量ることは不可能」である。「失敗を恐れずに敢えて挑戦する革命精神を発揮して、多種多様な用途を秘めた新型硅酸塩素材を創造し、古くから知られた硅酸塩を進歩する新しい時代に生かしていこう」と締め括られているが、「旧い視点で新しい時代を推し量ることは不可能」などの表現からは、大躍進の失敗を回復させた劉少奇路線に不快感を隠さない毛沢東に対する揶揄が感じられないわけでもない。

劉少奇派の無防備ぶりが感じられる一冊


 1966年に入ると、林彪と江青を軸に文革派は一気に動き出す。1月後半には、林彪が率いる解放軍は全軍政治工作会議を開き、毛沢東思想教育を重点的に進めることを全軍に訓令する。2月2日から20日までの間、林彪の要請を受けた形で江青は上海で「部隊文芸工作会議」を開催し、文芸部門による解放軍の政治教育の徹底化を進める。20日には「文革のイデオローグ」でもあった張春橋によって文芸部門での劉少奇路線に対する徹底批判を暗示する文書が公表された。

 解放軍における劉少奇派の象徴と目された羅瑞卿への批判が激しさを増し始めた1966年3月、「少年自然科学叢書」と銘打たれた『煤的故事』(朱志尭編著 少年児童出版社)が出版された。この本には文革時代の出版物に溢れた過剰なまでの毛沢東への賛仰が見られない代わりに、共産主義に対する素朴で明るく、根拠なき希望が溢れている。

 この本は「工業のコメ」であり、「ありとあらゆる工業製品の原料」であり、「鋼鉄を精錬し、汽車を動かし、電力を起こし、日常生活において暖房・炊飯をなす」だけでなく、「加工処理を経て、ガソリン、プラスチック、合成繊維、化学肥料、農薬などの数多の種類の工業原料や化学産品」となるだけに「黒い宝石」と呼ばれている石炭について、その生成から発見、使用の歴史、さらには採鉱の歩みを判り易く解説しているが、小学校高学年から中学生程度に理解させ、科学少年を育成しようとの狙いが感じられもする。

 数十億年の昔から現在までの石炭という鉱物の歩みと人類と石炭のかかわりの歴史を語りつつ話を進めるが、1949年10月1日に「偉大なる中華人民共和国」が誕生したことで、「人間の地獄、悪魔の天国」「死人の倉庫」と呼ばれていた旧中国の炭鉱は一変したと熱く語る。「炭鉱は人民のものとなり、かつて圧迫され搾取されていた炭鉱夫は鉱山の主人公となった」のである。

ここで興味深いのが共産主義的SFの世界を語る「未来への展望」の章だろう。

――ロケットは空中を突き進むだけでなく地中をも疾駆し、探索し、地下に眠る「黒い宝石」を余すところなく僕らの目の前に示してくれる。そこで僕らは、手助けしてくれる多くの友達に手助けを依頼しなければならない。機械という友達はもちろんだが、じつは凄い能力を持つ物理化学という友達もいるのだ。こいつは、どんな機械よりもスイスイと地中を軽快に動き回り、効率も高い。僕らが目にすることのできない電磁波や超音波という友達が地中深く探って、埋蔵されている石炭の様子を知らせてくれる。

そこで僕らは直ちに「万能溶解剤」を地中深く流し込み、溶剤の力で石炭を液化させ、地上に吸い上げる。液化した石炭を地上に設けた「総合利用工場」に送り、複雑な化学処理と加工をすれば、工場から出荷される時には色々な人造繊維、衣料や食品に代わっている――

 なんとも荒唐無稽でステキな夢物語だが、ここからがさらに凄まじい。

「これこそ一枚の、美しくも麗しい風景ではないか。こういう世界を一日も早く実現させ、人類が生み出した労働の成果を真に人民のモノとするためには、断固として搾取者を消滅させなければならないのだ。地主・資本家を打倒し、人類にとっての最高の理想である共産主義に向かって進もうではないか」

 この本には政治主義一辺倒の記述も、毛沢東思想式の杜撰で身勝手な歴史観も、ましてや文革に見られたド派手な血腥さも感じられない。進歩する科学技術への素朴な期待と信仰が行間に溢れるばかりだ。文革に向け戦いの準備を進める毛沢東ら文革派とはあまりにも対照的に過ぎる内容だけに、やはり劉少奇派の無防備ぶりが感じられて仕方がない。


紅衛兵の若者の心を捉えた“金言”


『《少年英雄故事》叢書 林森火』(中国少年児童出版社)は、『新的“石器時代”』や『煤的故事』が万能の科学技術を誰もが享受できる共産主義社会の明るい未来を熱っぽく語っているのとは対照的な、暗く辛かった蔣介石政権時代の物語である。

『煤的故事』の出版が1966年3月で『《少年英雄故事》叢書 林森火』は5月。この僅か2ヶ月の間に政治状況は激変する。毛沢東が政治の前面に躍り出て、劉少奇追い落としを匂わせる動きを見せ始めた。

 3月中旬、毛沢東は共産党政治局拡大会議において文化大革命の発動を提言し、これを承けた形で林彪は解放軍を挙って文芸部門における文革を宣言した。いわば文革派が態勢を整えつつあるにもかかわらず、劉少奇は王光美夫人を伴ってパキスタン、アフガニスタン、ビルマを断続的に訪問する(3月26日から4月19日)。劉少奇の北京不在を見透かしたかのように、毛沢東、林彪、陳伯達、康生、江青、王力、張春橋ら文革中核メンバーが連携を強め、党と解放軍における劉少奇派炙り出しに動きだす。いわば劉少奇打倒への狼煙をあげたわけだ。

 北京中枢で進んでいたこのような政治状況を考えるなら、やはり『《少年英雄故事》叢書 林森火』は毛沢東ら文革派が子供を“大人の政治”の世界に引きずり込もうとする道具と見做して間違いないだろう。

『《少年英雄故事》叢書 林森火』の舞台は1946年に始まった国共内戦である。

 浙江省玉環県に生まれた12歳の林森火は、「旧社会」で苦難の日々を送った。父親の僅かな収入では一家を満足には養えない。2人の兄のうちの1人は2歳で餓死し、1人は医者に払うカネも無いままに生後10ヶ月ほどで病死している。たった1人の姉は11歳で奴隷に買われ、数年後には苦労のなかで死んでいる。

 蔣介石ら封建反動勢力の実態を教える小学校の先生に導かれ、彼は共産党支援のために組織された「地下児童団」に参加し、「毛主席万歳」「中国共産党万歳」などのスローガンを街に貼ったり、共産党ゲリラのための伝令・情報員を務める。1950年11月20日、16歳になった林森火は司令官の退去命令に逆らい「怖くはない、この戦場で敵を殲滅するんです」と決意し戦場に赴くが、敵の砲弾の犠牲となってしまう。

 先生が林森火少年に語りかけた言葉――革命とは生きるか死ぬかの階級闘争だ。そこには数多くの危険がある。様々な危険を克服し、死を恐れず、敢えて革命の犠牲者たれ――こそ、文革において紅衛兵を名乗る多くの若者の心を捉えて離さなかった“金言”だった。かくて青少年は毛沢東の手の平で踊りだし、毛沢東の敵を求めて“躍動”することになる。

若者を“純粋過激なサイボーグ”に育て上げた教材


 1966年8月に出版されている『一心為公的硬骨頭戦士』(中国青年出版社)の表紙には、銃を背負い、右肩に鶴嘴を担ぎ、『毛沢東選集 第四巻』を左手で胸に大事そうに抱え込む目鼻立ちのはっきりした若者が描かれている。若き鉄道兵士の張春玉だ。背景には鬱蒼と茂る森林が描かれ、その向こうに昇る大きく真っ赤な旭日――もちろん真っ赤な太陽は毛沢東を指し示している。表紙イラストこそ、この本のすべてを物語っているといえるだろう。『一心為公的硬骨頭戦士』『一心為公的硬骨頭戦士』は、張春玉の日記の一部と『人民日報』『解放軍報』など文革派の宣伝メディアに掲載された彼を華々しく讃える数編の論文で構成されている。

 まるで“お約束”ででもあったかのように、彼もまた「貧困家庭出身」だ。「張春玉同志は毛沢東思想に育まれながら、労働に、任務に、階級闘争において艱難辛苦のかなで成長し、強靭なる共産主義戦士に成長した」。「彼は生死の間を彷徨う苦しい経験、さらには重傷を負う闘争を繰り返すなかで、階級闘争における鋼鉄の戦士に鍛え上げられていった」。かくて、「毛主席の階級闘争学説は、張春玉同志に階級闘争を永遠に忘れてはならないことを教えた」のである。

 それゆえに張は日記に、「毛主席は『社会主義制度の建設は、我われのために理想郷に到る道を切り開いてくれるのだ。だが理想郷の実現はひとえに我らの真摯な労働にかかっているのだ』と教えている。そうだ。毛沢東の時代に生きていることは幸福であり、なんにもまして誇り高いことなのだ。だが、幸福への道の上でなにもせずに立っていられることなど出来はしない。断固として出来るわけがない。幸福への道において全身全霊で働き、さらに幸福な生活を創造し、我が国をより富強で、より麗しくしなければならない」と綴り、「心の底から革命を想い、人民のために如何なる苦労も厭わず、一分一秒を党に捧げ、心から同志を想い、己より戦友に心を配り、一瞬一瞬を他人のために尽くそう」、或いは「我が一生を土塊、石、枕木と化し、共産主義に進む大道の建設に邁進しよう。革命の列車を我が五体を乗り越え、全速で前進させよう」と、その“崇高極まりない決意”を表明する。

 当時、自らを蔑ろにする劉少奇に狙いを定め、その失脚を策謀していた毛沢東にとって最大の関心事はやはり強力な助っ人であり手駒だったはず。毛沢東は最大最強の「暴力装置」である人民解放軍の指揮権を持つ林彪を仲間に引き入れる一方、純粋無垢であるがゆえに凶暴・無謀で過激な若者を唆し、彼らに政治的前衛であると同時に社会の道徳的前衛を担わせた。毛沢東に盲従し、毛沢東の指し示す規律を厳守し、勤勉で大義のために殉ずる。なによりも全身全霊をなげうって毛沢東に奉仕し、誰もが純粋で、毛沢東を守るためには、自らの命を捧げ尽くすことを厭わない政治的サイボーグに仕立て上げた。この本は若者を純粋過激な毛沢東主義者に育て上げるための教材だった、ということになる。

『一心為公的硬骨頭戦士』が出版されて2ヶ月が過ぎた1966年8月、「毛主席の親密なる戦友」だった林彪を従え、毛沢東が天安門楼上に立ち、眼下に広がる広大な広場を埋め尽くした100万人余の紅衛兵を接見している。この時、中国全土を舞台にして、興奮と熱狂とに包まれた文革は悲喜劇の幕を開けた。否も応もなく、中国人は地獄の扉の前に立たされたのである。

 以後、1976年9月の毛沢東の死まで、中国全土は激動に次ぐ激動の10年を体験することとなるが、宣伝部門を牛耳ったことによって、文革派による青少年に対する洗脳工作は激しさを増し、50年代生まれの習近平世代、60年代生まれのポスト習近平世代は「百戦百勝・絶対無謬の毛沢東思想」を頭の中に叩き込まれることになるわけだ。


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2018年9月4日
「嘘」と「洗脳」で突き進んだ文化大革命の真実
児童書で読み解く習近平の頭の中(7)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854


習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。

写真:アフロ

 1966年に入ると文革派の動きは激しさを増し、これに呼応するかのように若者たちが動き出す。生まれた時から毛沢東思想で教育された彼らの頭の中は、「毛主席万歳、万歳、万々歳」でしかなかったはずだ。洗脳教育の成果というものだろう。

 6月初めには北京の地質学院、鉱業学院、石油学院、北京大学などの付属中学に加え、北京第25中学などのエリート学生が「紅衛兵」組織を相次いで結成し、「偉大な領袖・毛主席を守るために最後の血の一滴まで断固として捧げよう」と叫び、「四旧打破」を掲げ、毛沢東の敵と思われる人物を求めて街頭に飛び出して行った。旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣を中国全土から一掃しようというのだ。

 8月18日、林彪、周恩来らを従え天安門楼上に立った毛沢東が全国から集まった100万余の紅衛兵を初めて接見したことで、天安門広場は興奮の坩堝と化した。毛沢東から「造反有理」「革命無罪」のお墨付きを与えられた紅衛兵運動は、この日を境にして中国全土というより全世界を震撼させることになる。文革の主導権を握った文革派陣営から、毛沢東を「百戦百勝」「絶対無謬」と神聖視した青少年向け印刷物――紙の爆弾――が次々に出版される。その典型が『一心為公的共産主義戦士蔡永祥』(解放軍文芸社 1967年)だろう。

「英雄的行動」と讃えられた下級兵士の死

 1966年10月9日午前、江西省吉安市第二中学の紅衛兵と革命的教師の一団は、天安門広場で毛沢東の接見を受けるために南昌発北京行きの汽車に乗った。「僕らの心は、もう北京に、毛主席の身辺に飛んでしまっていた」。「汽車もまた飛ぶように奔る。2日目の深夜2時過ぎ、銭塘江辺りにさしかかると、汽車は鉄橋の上で急停車した。なにが起こったのだ。数十分が過ぎると、汽車は何事もなかったかのように動き出す」。車掌は「銭塘江大橋手前数十メートルのところで線路を塞ぐ大木を発見したが、解放軍の戦士の英雄的犠牲によって我ら紅衛兵を北京で待つ毛主席の許へ送り届ける列車を救ってくれた」と説明する。

「この知らせを聞くや、列車に乗り合わせた誰もが深い悲しみを覚え、毛主席にとって真の戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手に惜しみない賞賛を送り、一斉に声を張り上げた。『解放軍は紅衛兵をイチバン慈しむぞォーッ、我らは解放軍にシッカリと学ぶぞォーッ』とシュプレヒコールの嵐だ」。やがて北京到着。「10月18日のこの日は僕らの生涯で忘れ難い一日となった。午後2時19分53秒、僕らは偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥、偉大なる舵取りの毛主席との接見を果たしたのだ」。

 文革開始直後の66年10月である。インパクトのある話題が欲しかった文革派メディアにとって、蔡永祥の死は願ってもない宣伝材料となったはずだ。解放軍下級兵士の死は「紅衛兵を北京で待つ毛主席の許へ送り届ける汽車を救った」とされた。「一心を公の為に捧げた共産主義戦士英雄」の物語は瞬く間に全土に広められ、「毛主席の真正の立派な戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手」と崇める学習運動が展開される。

 その一方で、街に飛び出した紅衛兵は「劉少奇叛徒集団を打倒せよ」「満腔の怒りをこめて、労働大盗賊の劉少奇を糾弾するぞ」「劉少奇の反革命のツラの皮を剥がせ」「地主階級の孝行息子・劉少奇の姿を暴露せよ」「劉少奇は『左』を装った『右』だ」「造反の粉砕を目論む劉少を告発するぞ」などあらん限りの罵声を浴びせ、劉少奇を血祭りにあげた。劉少奇が占めていた国家主席という肩書は、怒れる紅衛兵にとっては無意味だった。

 1953年6月生まれだから、文革勃発時に習近平は13歳である。当時の高級幹部の子弟がそうであったように、彼もまた紅衛兵運動の高まりの中で毛沢東を崇め、蔡永祥の英雄的行動を学習し、「造反有理」「革命無罪」のままに暴れ回ったに違いない。だが、父親である習仲勲が毛沢東に敵対したと批判され失脚したことで、習近平もまた1969年には陝西省延安市延川県に下放され、北京を追われている。

 1969年、毛沢東が「勝利の大会」と呼んだ第9回共産党全国大会が開かれた。麾下の人民解放軍を挙って毛沢東を支援した林彪は「毛沢東の親密なる戦友」と呼ばれ、公式に毛沢東の後継者に指名される。毛沢東は自らにとってふたつの敵のひとつである劉少奇派を林彪の力を借りて共産党中核から一掃する一方、もうひとつの敵であった「ソ連社会帝国主義」と国境紛争を戦うことになる。

『毛主席語録』を振り回して敵を撃退!?


 中ソ国境を流れる黒龍江の中州の珍宝(ダマンスキー)島を戦場に展開された国境紛争には、双方で100万人近い兵力が投入され、全面戦争一歩手前というほどに深刻な事態を招いた。全面戦争とは聞こえはいいが実際は人海戦術で戦うしかない解放軍に対するは、近代兵器で武装されたソ連軍である。戦いの帰趨は明らかだろう。だが、中国としては毛沢東の軍事思想に支えられた解放軍の大勝利をウソでも宣伝するしかない。そこで連環画『珍宝島英雄賛』(本社美術通訊員編絵 上海人民出版社 1970年)が出版される。

 連環画とは中国伝統の解説付きの絵本式読み物であり、『三国志』『水滸伝』『西游記』なども、こういった形で子供たちの間に広まった。いうならば伝統的メディアによって子供たちに祖国防衛の意義を学ばせようというわけだ。

 表紙を開けると「警戒を厳に、祖国を防衛せよ。人民のための戦に備え、飢えに備えよ」との『毛主席語録』の一節が記され、次いで「偉大なる領袖の毛主席と彼の親密なる戦友の林副主席の批准により、中共中央軍事委員会は珍宝島におけるソ連修正主義の武装挑発を反撃する自衛戦争において鮮血と生命を盾に偉大なる祖国の神聖な領土を防衛した孫玉国ら10人の同志に『戦闘英雄』の光栄ある称号を授与した。人民に、党に、偉大なる領袖の毛主席に無限に忠誠を尽くした英雄たちの気高き心を、よりよく学習せよ」とある。

 67年11月24日、酷寒で珍宝島の最前線警備に当たる孫玉国ら兵士は、国境を侵犯する完全武装のソ連兵を発見する。直ちに「中国人民に対する重大な挑発だ。即刻立ち去れ」と厳重に抗議するが、厚顔無恥にもソ連兵は雪の上にひとつの島を描いて「1868」と記し、この島は1868年からソ連(ロシア)領だと主張する。そこで孫玉国らは強く抗議し、雪の上に記された島と1868の上に大きく「×」を記した。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854?page=2


「1868年当時、ここは島ではなく中国側の河岸の一部だったが、土砂の堆積により20世紀初頭に島となった。1860年にロシアの老いぼれクソ皇帝が中露北京条約を中国人民に強要した。この島は一点の疑義もなく中国の領土だ」「これは断固として改竄することのできない歴史的事実だ」との意味を込めていたというが、「×」だけで、それほどの意味を表すことができるのか。この時、孫玉国らの右胸に『毛主席語録』がシッカリと抱かれていたことはもちろんだ。

 3カ月余が過ぎた69年3月初め、ソ連機甲部隊が狂ったように国境を侵犯する。烈火のごとく怒る孫玉国らは敵機甲部隊の前に立ちはだかり、「止まれ。ここは中国の領土だ。お前らの強盗行為は中国に対する重大な挑発だ。直ちに撤退せよ」と叫ぶ。ソ連軍の前進は止まず戦端が開かれる。中国兵士は銃の代わりにした『毛主席語録』を打ち振りながら、「我らは毛沢東思想で武装し筋金入りだ。天が崩れてきても支えることが出来るぞ」と立ち向かう。

 かくて「ソ連修正主義の戦車、装甲車、武装部隊による狂気の進攻を粉砕し、祖国の神聖なる領土を勝利のうちに防衛した」という。『毛主席語録』が近代的兵器で武装したソ連軍をも打ち破ってしまうほどの無敵の兵器であることを、子供たちの脳裏に」刻みつけようとしたわけだ。


不可能も可能に変える「偉大なる領袖の教え」


 1970年代に入ると、文革派の牙城であった上海における宣伝中枢たる上海人民出版社は、毛沢東思想万歳の児童書を連続的に出版している。典型例として、『夜航石頭沙』(上海港工人業余写作組)を挙げておく。


中国で1960年代後半から1970年代前半に出版された青少年向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854?page=3


 秋も深まった一夜、長江の河口を白波を蹴立て進む航標五号は北部海岸に碇を下ろす。静まり返った船内では、その日の作業を終えた党支部副書記の程志敏が、いつものように灯火の下で一心不乱に毛沢東の著作を学習している。そこに「近くの呉淞口に停泊中の外国船が折からの強風に座礁し船体破断の危機。大至急救援に向かうべし」との緊急電報が届く。早速、乗組員全員が非常呼集され、幹部からの命令を待った。

 呉淞口は上海港の喉元に位置するだけに、事態を早急に収拾できなかったなら多くの船舶の航行にとって障害となるばかりか、「中国革命と世界革命とに大きな損失をもたらす」と程志敏は考えた。早急に救難作業に着手すべきだが、安全航路では現場到着は大幅に遅れる。そこで最短航路の石頭沙水路を抜けようと提案したが、そこは穏やかな天候でも航行が容易ではない難所中の難所だった。

 程志敏の提案を傍で聞いていた「反動技術“権威”」の船長は飛び上がって驚き、「石頭沙は解放前から難所中の難所であり、夜間航行など絶対に不可能だ」と主張する。

 そこで程志敏はスックと立ち上がり、「石頭沙の夜間航行が難しいことは先刻承知だが、我われ共産党人には、毛主席の支持がある。コレが難しい、アレは出来ないなどと弱音は吐かない。刀の山であれ猛火の海であれ、飛び込んでみせるのだ」と敢然と言い放つ。すると、その場の誰もが程志敏の手を固く握るのであった。

 じつは、程志敏は超人的な努力で最下級の船員から現在の地位を築き上げたのである。「旧社会で母と2人の兄弟は敵の醜い刀によって惨死させられた。共産党、毛主席がプロレタリア革命を教え導いてくれたことで暗雲を払い明るい太陽をみることが出来た。『毛主席がいなかったら、程志敏の今日はありえない』」と心の中で叫びつつ、全員に状況を説明し任務遂行を求める。乗組員の心はひとつになり、航標五号は暴風雨の中を現場に急行した。

 水路は狭く浅瀬や岩礁が続き、風雨は増すばかり。この時、甲板に立った「程志敏と同志たちが偉大なる領袖毛主席の『我われが全人民とが団結し共同して努力すれば、あらゆる困難を押しのけ勝利という目的に到達できる』との教えを心にシッカリと刻んだ」。天候はいよいよ荒れ、航標五号の行く手を遮る。その時、程志敏の脳裏に「勇敢なる戦闘精神を発揮せよ。犠牲を恐れるな。疲れを恐れず連続作戦の作風を発揮せよ。短期間に休むことなく波状攻撃で戦い抜け」との「偉大なる領袖の教え」が浮ぶ。

 やがて現場に到着し沈没寸前の船から乗組員を救助し、任務は完了した。そこで程志敏が「この軍隊は比類なき精神を秘めている。敵の一切を圧倒し断固として敵に屈服しない」との『毛主席語録』の一節を声高らかに読み上げた。かくして「キラキラと光り輝く金波銀波を蹴立てて、程志敏と同志たちが操舵する航標五号は革命の航路を勇敢に前進する」のであった。


英語教育にも「毛沢東賛歌」


『夜航石頭沙』と前後して上海出版社からは、文革工作に挺身する小学生が、蔣介石一派の秘密工作員で元教師の破壊工作を摘発し毛沢東派を守った『英雄機智的紅小兵』、毛沢東思想で武装し、自然災害を克服し豊かな収穫をもたらした人民公社の英雄を描く『胸懐朝陽戦冰雹』、毛沢東の訓えのままに「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」に革命精神を発揮して多くの人々を救った人民解放軍兵士を讃える『優秀共産党員――陳波』、さらに旧社会では教育の機会すら与えられなかった港湾労働者の宋懐宇が、毛沢東思想学習をキッカケに英語を学び、やがて海外からやってくる外国船員に英語で毛沢東思想の意義や文革の理想を語るに至るまでの『宋師傅学外語』などが出版されている。

 どれもこれも定型化された毛沢東賛歌であり、いわば紋切り型の結論ではあるが、『宋師傅学外語』を読んでいて興味を持ったのは、当時、実際にはどのような英語教育が行われていたのかといった点だ。そこで『簡明英語語法』(湖北省中小学教学教材研究室編 湖北人民出版社 1973年)のページを繰ってみた。

 同書は書名で判るように英語文法解説書だが、出版時期からいって単なる文法解説書で終わってはいない。徹底して毛沢東賛歌である。目に着いた例文を紹介しておくと、

・Chairman Mao is our great teacher.(毛主席は我われの偉大な導き手である)

・Down with the landlord class!(地主階級を打倒せよ)

・Imperialism,revisionism and all reactionaries are paper tigers.(帝国主義、修正主義と一切の反動派は張子の虎である)

・Only socialism can save China.(社会主義のみが中国を救う)

・China will never be a superpower.(中国は断固として大国にはならない)

 このように激烈な例文が次々に記されているが、最終的には「The sea is deep,but our love for Chairman Mao is deeper than the sea.(海は深い。我われの毛主席に対する熱愛は海よりも深い)」に収斂していく。かくして外国語学習であれ、一瞬たりとも毛沢東思想から離れることはなかったわけだ。

なぜ、「99%の火傷」を負っても完治可能なのか?

 最後に文革期を代表する子供向けの百貨全書とでもいうべき『十万個為什麼』(上海人民出版社 1970年)を紹介しておくのも、当時の子供たちを取り巻く時代状況を知るうえで意味あることだろう。

 これは全部で13冊という大部のシリーズで、出版し終わるまでに4年ほどの歳月が過ぎている。第1巻の出版が1970年9月で最終13巻が74年7月である。この間の重要な動きを拾ってみると、毛沢東と林彪の対立顕在化(70年)、林彪のナゾの逃亡とモンゴルでの墜落死(71年)、林彪事件総括の第10回党大会(73年)、四人組台頭と批林批孔運動(74年)。まさに文革後半の激動期を通じて出版されたことになる。それだけに編集者も執筆者も作業途中で方針や内容を変更せざるをえない立場に立たされ、大いに戸惑ったに違いない。

 書名は『十万個のナゼ』となっているが、「十万個」は沢山という意味である。第1巻冒頭の「ナゼ、我われは10進法を使うのか」からはじまり第13巻最後の「ナゼ、勝手にツバを吐くのはダメなのか」まで、各巻に主に自然科学関連の100から130前後の「ナゼ」が挙げられ、その回答がイラスト入りで判り易く解説されている。

 このシリーズ初版の出版は、大躍進失敗から毛沢東の権威が後退し、どん底経済立て直しに辣腕を揮ったことで国民間に劉少奇への期待が高まった時期の1962年である。ここで取り上げる上海人民出版社版の『十万個為什麼』は62年版の改訂版に当たるが、劉少奇が毛沢東の敵として国民的糾弾の標的となり抹殺された後であり、政治状況が大逆転してしまった以上、さすがに初版をそのまま印刷するわけにはいかなかったはずだ。

 その辺りの事情を各巻冒頭に掲げられた「重版説明」は、「これまで叛徒・内奸・工賊の劉少奇の反革命修正主義文芸の黒い方針とその影響下にあったことで、多くの誤りが存在し、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を積極的に広めないだけではなく、(中略)知識万能を宣揚し、趣味性を追及し、封建・資本・修正主義の毒素を撒き散らす内容の書籍が少なからず横行していた。偉大なるプロレタリア文化大革命の過程で広範な労働者・農民・兵士と紅衛兵の小将軍は、それら書籍の持つ誤りを厳格に批判し、修正主義文芸の黒い方針と黒い方針による出版がもたらす害毒を徹底して粛清した」とする。

 なにが「害毒」で、内容をどのように「徹底して粛清した」のか判然とはしない。たとえば「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の項目をみると、「資本主義国家の医学の“権威”は、火傷の面積が体の表面積の85%を超えた場合、死亡率は100%だと結論づける」が、「1958年に毛主席が定めた『意欲を奮い立たせ、先頭に立つよう努め、より多く、より早く、より立派に、より倹約して社会主義を建設せよ』との耀ける総路線の下、工農業生産の大躍進の高まりに鼓舞され、我国の医学関係者はこの迷信を打破し、大胆に実践し、80%以上の火傷患者を救うことに成功した。偉大なる文化大革命の過程で(中略)99%の火傷を負った患者、さらには3度の火傷で94%という広い面積の火傷を負った患者を治癒することに成功し、資本主義国家の“権威”の定説と文献上の記載を完全に乗り越え、世界医学界における奇跡を創造」と記すのみである。これでは、「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の疑問に対する科学的な回答ではないだろうに。

 因みに13巻の最後――ということは『十万個のナゼ』の最後の「ナゼ」は「ナゼ、どこにでも唾を吐いてはダメなのか」。病原菌を撒き散らすから「僅かな唾でも被害は甚大だ。だから、辺りかまわずに唾を吐くといったような悪い習慣は絶対に改めねばならない」で終わっている。「悪い習慣は絶対に改めねばならない」とは、なんとも“意味シン”な回答だと思う。

「政権は鉄砲から生まれる」と、毛沢東は革命における「搶扞子(武力)」の重要性を強調する。だが「筆扞子(メディア)」の働きを忘れていたわけではない。いや、むしろ時には筆扞子に重きを置いていた。文革はその典型だろう。人民解放軍(=搶扞子)を掌握して劉少奇追い落としに成功して後、「未来の大人」であり「小さな大人」である子供に向けて、いよいよメディア(=筆扞子)戦略は巧妙に激烈に展開されることになる。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
54. 2018年9月04日 08:10:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c54
コメント [政治・選挙・NHK250] #ケチって火炎瓶 いよいよ世界に拡散。  赤かぶ
6. 2018年9月04日 08:11:06 : fna5GKevbg : _BjRWZh029E[2]
ヤクザはヤクザでしかない。即ち、人間社会の落伍者であり、反社会的集団の集まり。

清水の次郎長だって、ロスチャイルドのパシリで、明治政府に協力していたクズヤローだという事から始まっている。

こういう反社会的なものに憧れるのは、どす黒いものへの憧れが強いからだろうが、安倍は生まれたときからドス黒いものに染まっている。だから、政治家、いや、政治屋の姿をした三下チンピラに過ぎないのだ。仁侠映画のパシリのような奴でしかない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/218.html#c6

コメント [お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
191. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年9月04日 08:15:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

中国のネット工作員は子供の頃からずっと こういう教育を受けている

2018年3月29日
習近平の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
児童書で読み解く習近平の頭の中(1)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12353

 建国以来の中国歴代指導者を

毛沢東(1893年〜1976年)、
華国鋒(1921年〜2008年)、
ケ小平(1904年~1997年)、
胡耀邦(1915年〜1989年)、
趙紫陽(1919年〜2005年)、
江沢民(1926年〜)、
胡錦濤(1942年〜)

と列記してみると、1953年生まれの習近平主席は初の建国後生まれの指導者である。おそらく驚天動地の政治的地殻変動でも起こらないかぎり、常識的には今後の中国は建国後生まれによって運営されることになるはずだ。


『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著 1955年)と『割掉鼻子的大象(鼻を切り取られた象)』(遅叔昌・于止著 1956年)。当時の児童向け書籍から、「社会主義思想」や「毛沢東思想」がどのように刷り込まれていったかを読み解く
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12353


 習近平主席以下、昨秋の第19回党大会と今春の「両会」――全国人民代表大会と政治協商会議によって選出された現在の共産党政権指導部は、最高齢の王岐山(1948年〜)を除く他は1950〜60年代の生まれである。物心がついた頃にはすでに毛沢東は強固な権力基盤を背景にして、極論するなら“箸の上げ下げまで”が毛沢東思想によって規定されるようになっていた。毛沢東が「白いモノでも黒だ」と宣えば、国民すべてがそれに従わざるを得なかったのである。この世代を「完全毛沢東世代」とでも名付けるなら、その第一世代のトップランナーが習近平主席といえる。

「完全毛沢東世代」の幼き頭に刷り込まれた記憶とは

 この世代は幼年期には社会主義の素晴らしさを柔らかい頭脳に存分に刷り込まれ、少年から青年に成長する過程で毛沢東思想が「百戦百勝」であることを身をもって追体験し学習させられている。であれば、この世代の心の奥底に社会主義の理想、毛沢東への憧憬や愛憎半ばするような畏怖の念が隠されているとも考えられる。

 たとえば習近平政権が推し進める「一帯一路」である。これを「総合国力でアメリカに追い着き追い越し、アメリカに代わって世界に君臨しようとする試み」と読み替えるなら、フルシチョフ率いるソ連に対抗心を燃やした毛沢東が1958年に社会主義大国への道を一気に推し進めようと発動した大躍進政策が重なってみえる。現実無視で妄想にも近く杜撰極まりない計画ゆえに4000万人を超える餓死者を出して大失敗に終わった大躍進政策ではあったが、当初は全土が社会主義大国建設の夢に湧きたったことは確かだ。

 であればこそ、当時掲げられた「超英趕美(世界第2位のイギリスを追い越し、アメリカに追い着け)」の勇ましいスローガンを幼い日の習近平主席が深く記憶していたとしても決して不思議ではない。ならば一強体制を築いた現在、かつての熱狂がフラッシュバックすることはないだろうか。

 中国は2010年にはGDP世界第2位の日本を追い越し(「超日」)、いまやアメリカに肉薄している(「趕美」)。だからトランプ政権が中国産品に高額な関税を掛けるという貿易戦争を仕掛けているに違いない。だが、それは見方を変えれば毛沢東の悲願であった「超英趕美」――現在では「超日趕美」だが――が実現しつつあることを意味しているようにも思える。

 かりに習近平政権が現在内外で喧伝されているような長期政権を担うことなく2期10年で終わったとしても、2022年から始まる“ポスト習近平”の時代を担うことになるのは完全毛沢東世代の第2世代とでも呼ぶべき1960年代前半生まれとなる公算は大だ。この世代は幼少期に文化大革命が始まり、少年期は紅衛兵の少年版である紅小兵として文化大革命を体験し、10代半ばに毛沢東の死に直面している。

 じつは当分の間、日本のみならず世界は、毛沢東思想によって育てられた世代の中国指導者と向き合わねばならないのだ。であればこそ彼らが成長の過程で受けた教育――それは、とりもなおさず共産党政権が自らの将来を托そうとした人材の理想形だろう――を考察することは、今後の中国の進路を見定めるうえで必須の作業になるだろう。


「歴史爺さん」が熱く語りかける戦いの歴史


 共産党政権は発足直後には兒童讀物出版社(上海)と中國少年兒童出版社(北京)を創設した。両社が出版する絵本などによって、社会主義は正しく、世界は社会主義社会に向って進化している。その最前線に立つ共産党は絶対無謬だなどと教え込もうとしたに違いない。教育は娯楽であり、娯楽は宣伝であり、宣伝は教育というのが共産党の根本理念である。「白い紙にはどんな画も描ける」と説いていた毛沢東は、幼い子供たちの真っ白な頭脳に共産主義社会の夢のような将来を描こうとしたはずだ。

 1955年に兒童讀物出版社が出版した『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著)からは、当時の共産党が子供たちに教え込もうとした歴史観や歴史認識が浮かび上がってくる。

 著者の崔巍は個人ではなく、おそらくは共産党の教育・宣伝部門に連なる歴史学者たちの集団ペンネームと考えられる。当時、簡体字はまだ正式に使われてはいなかったから、横書きながら繁体字のままで全42ページ。当時の物資不足を反映して、表紙にもザラザラでペラペラの質の悪い紙が使われている。

 表紙の上半分に描かれているのは人々が力を合わせてマンモスを断崖に追い詰めている光景で、下半分は溶鉱炉を中心とした工場だ。前者で支配・被支配の関係がなく貧しくも平等で心豊かに暮らしていた原始共産制社会を、後者で重工業化された豊かな社会主義社会を訴えようというのだろう。

 表紙を開くと先ず「歴史爺さん」なる人物が登場し、「子供たちよ! ワシがキミらの友だちになって1、2年になるかのう」と切り出す。「ワシは歴史という名前じゃが、みんなも知っているだろう」と呼び掛け、「歴」とは「経歴」で「史」とは「記載」であると説明しながら、「ワシはえらく歳をとっていて、ワシが歴史を記録するようになってから換算すると、かれこれ4000年ばかりにもなるだろうか」と、それとなく民族の歴史の長さを誇ってみせる。

「遥かに遠い昔だ。ワシが生まれて間もない頃じゃが人々は農業を知らず、河南省一帯の黄河の辺りで魚を捕ったり、猟をしたり、放牧などして苦しい生活を送っておったんじゃ」。かくて勤労人民の力によって現在の中国がある。「考えてもみておくれ。中国の国土はこんなにも大きいが、隅から隅まで我らが祖先の熱い汗と涙が流されなかった場所はないんだよ」と続ける。

 当初は支配も被支配もなく働き誰もが平等な生活を送っていたが、やがて「奴隷の持ち主、大地主、資本家など働かない奴らが生まれ」た。彼らは「日々に悪知恵を働かせて土地、工場、人々の労働の果実を掠め取り」、「“国家”や王朝をでっち上げて労働人民を圧迫し始めた」。そこで「陳渉、張角、王薄、黄巣、李自成・・・」など多くの民族の英雄たちが「搾取鬼たち」に戦いを挑み勝利した。だから「中国の広大な土地の到る処に、革命烈士の鮮血が流されているんじゃ」。

 そこで歴史は一足飛びに20世紀に移り、「八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍など、彼らは祖国人民にとっての最も優秀な児女なんだ。考えてもみるがいい。中国の広大な領土は祖国防衛のための英雄たちの鮮血に染まっていることを」と同意を求める。

「将来の人民は共産主義の生活を過ごすことになる。これは全く正しいことだ。キミは共産主義の生活が好きかい。だったら共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか。キミが指導しなければならないのだ。さあ、キミたちよ! ワシはキミの好い友達だ。キミが一日たりとも離れることのできない素晴らしい友人じゃよ!」と、熱を込めて語り掛けた。

 予定調和気味に共産党創建以来の“偉大で栄光に包まれた戦いの歴史”が綴られているが、ご丁寧にも子供たちの学習の成果の一例が次のように記されている。

●「本来、社会に階級はなかった。人々は階級のない原始公社において長期に亘って暮らしていた」

●「資本主義社会において資本家は労働者を搾取し、工業生産の発展を妨害した。労働者は断固として資本家を打倒し階級のない社会主義社会――共産主義社会に作り変えなければならない。だから歴史発展の法則に基づくなら、共産主義は必ずや実現する」

●「歴史を学んで、祖国人民の全ての労働成果を熱愛すべきことを理解した。全力を尽くし、一木一草に至るまで祖国を防衛する」

●「ボクらの麗しき前途の凡ては、解放軍兵士のおじさんたちの犠牲によって得られた。ボクらは、さらに偉大なる中国の共産党と人民解放軍とを熱愛する」

「共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか」の囁きに続く「キミが指導しなければならない」という“殺し文句”に幼い子供たちは、さぞや血を沸かせ肉を踊らせたことだろう。そのうちの1人に、幼い頃の習近平チャンはいなかっただろうか。


「社会主義色」が濃厚すぎる算数の問題


 同じ1955年に『算術 小学教師進修用書』(兪子夷編著 浙江人民出版社)が出版されている。建国から6年、朝鮮戦争終結から2年が過ぎ、いよいよ国家建設に本腰を入れようにも、やはり科学技術の立ち遅れは如何ともし難いと気づいたようだ。

「編著者自序」は「基礎的教育である小学校教育の質を高めることは、中学・高校教育の質を根本的に高めることにつながる。小学校における算数教育は重要な位置を占めているにもかかわらず従来は誰もが重視してこなかったことから、極めて低いレベルのままであり、今後は可及的速やかに質を高めなければならないことは疑う余地はない」と記すが、やはり編集方針は「真っ白な紙にはどんな絵も描ける」との毛沢東の考えに基づく。

 全体の構成はイデオロギー抜きに整数と筆記法からはじまり、加減乗除、倍数、比例、平均、度量衡、数の分解、最大公約数、最小公倍数、分数、通分、分数の加減乗除、少数、比例などに関する解説へと系統的に並べられているが、応用問題は一転して社会主義イデオロギーの色に溢れている。

 モノは試し。そんな応用問題のいくつかを挙げてみると、

 1)ある工場には6つの作業場があります。第1,2,3の作業場には210台の旋盤が備えてあり、第4作業場は第1作業場より15台少なく、第5作業場は第2作業場より21台多く、第6作業場は第3作業場より10台少ない。6つの作業場を合計すると工場全体では何台の旋盤があるでしょうか。

 2)3つの農業生産合作社は余った1250袋の食糧を国家に売ることになりました。乙合作社が売った量は甲合作社の2倍で、丙合作社が売った量は甲と乙の合作社の合計より350袋多い。3つの合作社が売ったそれぞれの量を求めなさい。

 3)2組の道路補修隊が道路の両端から同時に工事をはじめました。その速度は甲隊が毎日2里で、乙隊は3里です。4日後には2つの補修隊の間の距離は35里でした。彼らが補修する道路の距離を求めなさい。

 4)ある労働者の1年の給与は、最初の3ヶ月は毎月43元、次の5ヶ月は毎月46元、最後の4ヶ月は毎月47元5角でした。1年平均すると1ヶ月当たりいくらになりますか。

 ――社会主義社会建設期の溌剌とした雰囲気が伝わってくる応用問題ではあるが、工場、旋盤、農業合作社、道路補修隊、労働者など社会主義イデオロギーが前面に押し出されている。


空想小説「鼻を切り取られた象」の正体とは?


 1956年、共産党政権は学術・芸術の分野での自由化を進める「百花斉放・百家争鳴」運動を発動した。この政策によって知識人や民主派からの猛烈な共産党批判を誘発させ、やがて反右派闘争に転換され、結果として大躍進から文化大革命へと毛沢東の過度の神格化に雪崩れ込むことになる。

 同じ年の2月、ソ連ではフルシチョフがスターリンを全面批判する秘密演説を行った。中国共産党機関紙『人民日報』は4月5日になってスターリンによる個人崇拝を「重大な誤り」と認めはしたが、ソ連で見られたスターリン全面否定に同調することはなかった。スターリン批判をめぐる中ソ両国の見解の差が、後に国境軍事衝突にまで発展した中ソ対立の遠因の1つとなるわけだ。

 中国共産党政権のみならず毛沢東にとっても大きな節目の年に当たる1956年、中國少年兒童出版社は2種類の子供向け空想科学物語を収めた『割掉鼻子的大象(鼻を切り取られた象)』(遅叔昌・于止著)を出版している。“夢のように豊かな社会主義中国”を描き出そうというのだろう。この絵本を手に小躍りした子供たちは社会主義の未来に目を輝かせたに違いない。そんな理想社会を建設するために、やはり「キミが指導しなければならない」のである。

 巻頭を飾る「割掉鼻子的大象」は、この本の幼い読者たちが20代の半ばから後半に達する頃の1975年の夏を舞台に、科学専門記者の「私」が取材のため国営農場を訪れるところから始まっている。

 その地は草1本も生えない不毛の地であったが、人民の奮闘努力によって5年という短期間で「緑の希望」と呼ばれるまでの大農場に改造されていた。取材のために農場の中心街に立った「私」は「象を見に行こうよ。象だ、象だ」の子供たちの歓声に誘われるように走りだす。「国営農場のだ!」「どうして国営農場で象が飼われているんだ?」「鋤を引かせるためだよ!」「トラクターがあるじゃないか。象なんて使う必要はないよ!」――子供たちの感想である。一見すると象ではあるが、不思議なことに鼻が切り取られていた。

 この農場で働いている科学好きの中学時代の同級生から届いた招待状を持って、農場事務所を訪ねる。すると「私」の目の前に薄いピンクがかった白い肉の壁が現れた。街で見かけた鼻の欠けた象は、友人が改良を重ねて生み出した「奇跡72号」と呼ぶ超大型のブタだった。友人は「図体はデカいが子ブタだ。柔らかく脂が乗っていて栄養満点。そのうえ簡単に消化する。味はバツグンだろう」と語りかける。だが「私」は口いっぱいに肉を放り込んだため、口がきけずに目を白黒させて頷くしかなかった。象のように大きいブタを生み出す社会主義の科学技術によるなら、食糧問題も一気に解決してしまうのだ。幼い読者が瞳を輝かせたであろうことは想像に難くない。

 第2話の「没頭脳和電脳的故事(脳無しクンとコンピューターの物語)」の主人公は小学生の孫少年である。「鞄は」「帽子は」「ソロバンは」「教科書は」と孫少年の登校準備に巻き込まれ、毎朝家族中が大わらわ。彼が「没頭脳(脳無しクン)」のあだ名で呼ばれるのも、前日に学用品を置いた場所を忘れてしまうほどに整理整頓が不得手だからだ。

 そこで我が息子の将来を案じた電気技師の父親は「養いて教えざるは父の過ち」という古くからの教訓に従って、孫少年に20万個の半導体を組み込んだ「電脳(コンピューター)帽子」を創ってやった。翌日、電脳帽子を被った彼は意気揚々と登校する。電脳は難問を素早く解いてくれるが、地理の問題や友達のトンチ話にはサッパリ反応しない。そこで父親は半導体を脳細胞の数と同じ140億個までに増やそうとするが、電脳帽子が巨大化してしまい被ることができない。かくて「電脳の奴隷にはなるな」と、苦心の末に作り上げた電脳帽子を廃棄処分してしまった。

 孫少年は父親が作ってくれた電脳帽子を賢明に学習し、「自分で考え、大脳を鍛錬し」、「演算、資料保存、翻訳、機械管理のできる電脳」の発明を目指す。やはり子供たちに、社会主義社会のバラ色の将来を教えようとしたのだろう。

 1950年代前半、中共中央宣伝部長兼政務院文教委員会副主任を務め党と政府の思想宣伝工作を切り盛りし毛沢東の寵臣として振る舞っていたのは、習近平チャンの父親である習仲勲だった。ならば教師用の『算術 小学教師進修用書』はともあれ、幼い息子に『怎樣學習歴史』や『割掉鼻子的大象』を与え、橋橋と安安の2人の姉が弟の習近平チャンに読み聞かせていたと想像してみる。

 どうやら現在の共産党政権の中枢に居並ぶ首脳陣は、歴史爺さんの話を真に受け、社会主義イデオロギー満載の算数応用問題を解き、社会主義社会の将来に幼い心を躍らせた世代となりそうだ。このことを、改めて肝に銘じておきたい。

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2018年6月6日
中国の権力者たちの「悪癖」は直りそうもない
児童書で読み解く習近平の頭の中(2)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代に出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


中国で1950年代に出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034


汚い場所には「妖精」がいる?

 先ず習近平国家主席が誕生し(1953年6月)、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれ(7月)た1953年の11月に出版された『顕微鏡的日記(顕微鏡の日記)』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)を取り上げたい。

 「私がこの科学機器展示館にやってきて、もう数日が過ぎた」で書き出される『顕微鏡的日記』は、顕微鏡である「私」が書いた日記を通じ子供たちに公衆衛生の大切さを判り易く教える。


『顕微鏡的日記(顕微鏡の日記)』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034


 「ポチャポチャっと太って可愛らしい珍珍チャン」は展示館の学芸員のお嬢チャン。イラストでは髪の毛は西洋人風にタップリとウエーブが掛かっていて、目元パッチリで可愛らしいワンピース。ついでにいうなら、珍珍チャンの同級生の男子児童もボッチャン刈り。ストライプの入ったスポーツシャツに短い半ズボン。足元をみれば、ハイソックスにスニーカー。豊かな西欧世界への淡い憧れが見て取れ、なんとも微笑ましい。とてもじゃないが、当時の中国ではお目にかかれそうにないほどにモダンだが、おそらく高級幹部の公子(おぼっちゃまクン)である習近平チャンは、こんな服装をしていたに違いない。

 珍珍チャンは毎週土曜日午後、展示館にやって来て「これ、なあに」「あれ、なあに」と展示されている最新科学機器について館員に質問する。今日は「私」を指して、「これ、なあに」。すると若い館員が「これは照妖鏡だよ」と応える。目を真ん丸くした彼女は、「照妖鏡って、前にお話ししてくれた照妖鏡なの」。「そうだよ。照妖鏡さえあったら、どんな妖精だって姿を現すんだ」。

 「妖精なんかいない」と言い張る珍珍チャンに対し館員は、「いいかい、空気の中にだって妖精はいるよ。キミが食べる果物の皮にも、沸騰させてない生水の中にも妖精は必ずいるんだ。それにゴミ箱、排水溝、ハエの足〔中略〕汚い場所には汚い場所だけ妖精はたくさんいるんだ」と付け加える。

 以下、妖精とは人体に害を及ぼす病原菌のことであり、照妖鏡と呼ぶ顕微鏡を使って病原菌を見つけ公衆衛生を確立することが国造りに繋がっていることを教え諭す。ジフテリア、天然痘、コレラ、下痢などについて判り易く解説しているから、これらの病気が当時の国民病だったことが想像できる。

 本書には病気対策のための歌が納められている。建国当初の社会状況を知るうえで興味深く思えるので、そのうちの下痢と伝染病対策の歌を紹介しておく。

下痢=「下痢の予防だ、下痢予防。最初はハエを退治して。布巾で食べ物よく拭いて。箸や茶碗はキレイに洗う。食事の前には石鹸手洗い。下痢の細菌、人殺し。まだまだいるよ下痢の菌。果物、野菜、生水に。下痢の細菌、数知れず。野菜はしっかり火を通す。生水、ちゃんと煮立たせて。果物、消毒しましょうね」

伝染病=「伝染病をみつけたら、患者を早く病院へ。伝染させてはイケマセン。服や道具の病菌を、直ぐにも消毒しましょうね。馬桶、川に流さない。病菌を、川に撒いてはダメですよ。病原菌を消毒し、丈夫な体で生産競争頑張ろう」

 この歌に依る限り、当時の生活ぶりは不衛生極まりなく、下痢は一種の国民病だったと考えられる。馬桶とは家の中に置く排便・排尿用の桶である。毎朝の日課は馬桶に溜まった家族の糞尿を川に捨てることだった。当時、一般には個人住宅には便所がなかった。


卑屈なまでのゴマすり、中ソ蜜月時代の珍風景


 「砂と土は、地上で最も多く、最も簡単に手に入れることのできるものです。だが、キミたちは、その用途が大きくないなどと思わないで下さい。いいですか。それがなければ、ボクたちは1日だって生きていられません。わが祖国の建設事業において、とっても重要な役割を果たしています。将来、もっともっと科学が発達したら、砂と土の用途はますます拡大します。チッポケですが、この本は、キミたちに砂と土についての色々な知識を伝えようとするものです」と書き出される『少年兒童知識叢書 沙和泥(砂とドロ)』(李家治 少年児童出版社)が出版された1955年には、チベット動乱が勃発している。因みに我が国では左右両派の社会党の再統一に刺激された保守が大合同し自民党が生まれ、「55年体制」が発足した。

 数万年、あるいは数十万年もかかって岩石は砂や泥に、砂や泥は岩石に変化する。砂と泥は兄弟の関係であり、粒子の大きい砂が兄で、細かいのが弟の土、そして兄弟の母親は大きな岩石であると、砂と土と岩石の関係を家族に擬え判り易く説明した後、「土を使って陶器を作ったのは中国人の偉大な発明です。我われ中国人は、すでに4、5千年の昔に美しい彩陶器を作り出したのです」と、中華文明の偉大さを説く。

 改めて表紙のイラストを見ると、稼働中の建設用クレーンが数基と、いままさに建設中の近代都市が描かれている。その街のビルは、どれもが旧ソ連式の無骨なスタイルで、当時の中国が建設技術の多くをソ連に頼っていた、あるいはソ連をモデルとした都市建設がブームだったことを明らかに示している。

 全ページを通じて中国への言及は極めて抑制的であり、反対に随所にソ連に対する“忖度”が感じられる。石綿を発明したのはソ連であり、「セメントが発明される以前では、上海の中ソ友好ビルや国際飯店のような背の高いビルの建設は、はっきりいって不可能だった」。板で型を組み、工場でいろいろな形のセメント版を造り、出来上がった製品を現場に運んで組み立てれば、たちどころに1棟、2棟と建物が完成する。この「ソ連の先進的経験」を学び、我が国でも続々と新しい工場を建設している。「すでにソ連の科学者は様々な色彩のセメントを発明しました。このカラー・セメントで作られた住宅は、まるで空中に輝く虹のようであり、本当に綺麗なものです」。

 ソ連への卑屈なまでのゴマすりを、子供にまで覚えさせよう――スターリンの死(1953年)とソ連でのスターリン批判(56年)の間の、中ソ蜜月時代の珍風景だろう。


諫めても戒めても「悪癖」は直りそうもない


 同じく1955年に出版された『五個杏子(5個のアンズ)』(寇徳璋 少年児童出版社)は、人民に服務することと正直の大切さを教えようとしている。

 ある夏の夕暮時、半袖の開襟シャツに半ズボンの王徳生クンが、淡い水色のワンピースに真っ白な前掛けをした妹の手を引いて学校に向かって息を切らせて走っている。王クンの頭は坊ちゃん刈りで妹の頭には長く延びた2本のおさげ。2人共、こざっぱりしたソックスにスニーカー。つつましやかな家庭で、規則正しく伸び伸びと育てられている風情だ。

 学校から帰り近所の友達と遊んでいて、王クンは宿題を思い出した。そこで慌てて家に引き返し宿題をはじめようとしたが、筆箱がないことに気づいた。「しまった。学校に忘れたんだ」。兄が家を飛び出すと、そこに妹が。学校に行くといっても、おやつでも買いに行くんだろうと信用しない妹は、兄についてきた。校門が閉まる前に学校に着かねばと焦る兄は妹の手を引っ張る。懸命に走ったことで、妹は喉が渇いた。そこに「酸っぱくて甘い杏だよ」と物売りの声。

 「兄ちゃん、杏の菓子を買ってよ」

 妹思いの王クンはポケットに手を突っ込むが、「しまった、おカネは鞄の中だ」。しゃがみ込んで駄々をこねる妹を、「家に帰ったら買ってやるから」となだめて一目散に学校へ。

 教室に飛び込みまっすぐ自分の机に。あった、筆箱があった。筆箱を手に校庭に飛び出すと妹がいない。妹は校庭の隅の杏の木の下にいた。

 「兄ちゃん、あれ取って。わたし喉が渇いちゃったの。食べたい、食べたい」

 それは生徒全員で育てている杏の木だった。みんなのもの、つまり公共財産だ。「妹のためとはいえ、それを取ることは公財私用の罪だ。ボクは地主や資本家のように利己主義者にはなれない」と王クンは煩悶するが、幸いなことに誰も見ていない。そこで5個の杏を取って妹に。喜ぶ妹。些か大袈裟だが、悩みは深い王クンだった。

 翌日の休み時間。みんなで校庭でサッカーだ。王クンはゴールキーパー。杏の木の下に置かれたゴールを守りながら、杏の実が気になって仕方がない。友達が「おい、王クン。何かあったの。杏の木ばっかり眺めているけど」「別に……」

 教室に戻ると先生が、「みんなが水をやったり、害虫を駆除したりして一生懸命に育てたから、今年は豊作で240個も杏を収穫することができました。このクラスの生徒は40人ですから、1人何個になりますか」。すかさず「240÷40=6だから、1人6個」の声。

 先生が6個ずつ渡そうとすると、王クンが前に進み出て先生の横に立ち、級友に向かって昨日のことを包み隠さず正直に話した。すると、

 「自分の利己心じゃなくて妹のことを思えばこそだ。王クンは悪くないよ」

 「違うよ。妹にも話して判らせるべきだった。『公共財産』を私的に取っちゃあダメだよ」

 最後に先生が、「妹のためといいますが、やはり王クンには公共財産を守るという自覚が欠けていました。妹に教える努力を怠りました。こういった点はよくありません。ですが王クンには素晴しい点があります。それは自分の間違いを正直に話し、それを認め、自分から改めようとすることです。これこそ立派な心掛けです。王クンが犯した過ちを認めたこと。正しくありませんか」。すると教室は「そうだ、そうだ」の大合唱に包まれる。

 このように子供の頃から公共財産の私的流用は不正であることを厳しく教えたはずだが、「虎もハエも一網打尽」の大号令で習近平政権が始めた不正摘発によって暴かれた幹部たちの不正蓄財の額――最多は胡錦濤政権(2002年~12年)で最高権力集団のチャイナ・ナイン(共産党中央政治局常務委員)の一角を占めた周永康の1兆数千億円という天文学的規模――を考えると、どうやら『五個杏子』の教育効果は当初の期待ほどではなかったわけだ。諫めても戒めても公財私用(=公の財産を私する)という悪癖は直りそうにない。ならば、それは子々孫々と受け継がれる民族のDNAとしか考えられないのだが。


幼少期から「政治的役割」を与えられた世代


 1957年6月には反右派闘争が始まり、7月には『従石頭到紙(石から紙へ)』(李懋学 少年児童出版社)が、翌8月には『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(学前児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)が出版されている。

 それから3カ月が過ぎ1957年11月、社会主義12カ国会議参加のためにモスクワに乗り込んだ毛沢東は中国人留学生を前に、「東風圧倒西風(東風が西風を圧倒する)」と傲然と語りかけた。いまや東側社会主義陣営が西側資本主義・帝国主義陣営を圧倒しているというのが一般的な解釈だが、翌58年の動きを振り返ると、この考えは変わるはず。58年5月には大躍進運動がはじまり、7月に北京を訪問したフルシチョフによる中ソ共同艦隊建設提案を毛沢東が拒否し、8月には人民公社建設と鉄鋼大増産を軸とする大躍進の大号令が下され、人民解放軍が台湾の“解放”を狙って金門・馬祖島へ砲撃をはじめた。

 つまり、「東風」は毛沢東であり中国、「西風」はフルシチョフでありソ連・東欧社会主義陣営と看做すほうが、当時の毛沢東の意気軒昂たる心境を言い当てているだろう。

 『従石頭到紙』は、「小さな友人諸君、キミたちは知っておくといいよ。古代人はどのようにして字を書いたのか。どんなもので書いたのか。何処に書いたのか、を。するとキミたちは、きっとこういうだろう。『誰にそんな知恵があったの。気が遠くなるような昔のことなど、ボクたちに伝えることができるの?』って」と書き出される。

 中国人の地質学者や考古学者が歴史以前の世界を“旅行”し、様々な地層の内部まで出かけて行ったり、人類の祖先の住まいを訪問し彼らの当時の生活ぶりを研究した結果、遥かに昔の原始人は岩山の洞窟に住んで狩猟や木の実などを採って生活していたことが判った。石を細工して武器など作って狩猟したが、絵も描いていた――こんな説明文の後に、「そんなことがあったの。原始人は絵を描けたの」と子供口調で素朴な疑問を示し、それに「そうなんだよ。文字のお母さんこそが絵なんだ。最初、原始人は字を書くことを知らなかったというわけさ。その頃は、字なんてなかったんだよ。だけど絵は描けたんだ」と優しく噛み砕いて教えている。

 「毛筆も鉛筆も、紙もなかったんでしょう。どうしたら絵が描けたの」

 「だからさあ、磨いた石や骨が彼らにとっての筆記用具だったんだ」

 「じゃあ、紙は」

 「彼らが住んだ洞窟の大きな石の壁さ。それから平らな石の表面や獣の骨・・・こういったものが彼らにとっての“図画用紙”だったんだな」

 かくして竹簡、木簡にはじまり、優秀な中華民族が世界で最初に紙を発明し、紙は用途を拡げたと説明し、「人々の知恵と労働が色んな種類の紙を生みだしたんだ。だから、ボクらは紙を無駄にすることなく、丁寧に扱おうね」と結んだ。

 中華民族の優秀さが語られると同時に、「小さな友人諸君」の脳髄にも政治の影、つまりは毛主席の存在が刷り込まれるようになる。そこで『美麗的樹葉』の表紙を開いてみたい。花の咲く草むらに坐る袖なしシャツに半ズボンの男の子と白いブラウスに赤いジャンパースカートの女の子。どちらも丸々と太っている。2人は胸に大きなリンゴを抱きながら、上空を飛ぶ小鳥に呼び掛ける。


(画像:筆者提供)

 「小鳥サンが飛ぶ、小鳥サンが飛ぶ/小鳥サンは何処まで飛ぶの/どうかこっちに飛んできて/お願いがあるんです/母さんがくれた大きなリンゴ/お願い、毛主席に届けてね」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13034?page=4


 いよいよ子供たちの目の前に、《偉大な毛主席》が立ち現われるのであった。

 『従石頭到紙』と『美麗的樹葉』の出版翌年の1958年、大悲劇の大躍進が始まり、中国は国を挙げた長く重苦しく激しい政治闘争の時代に突入し、子供が子供であることができた幸せで長閑な時代は終わりを告げ、“小さな大人”として立派な政治的役割を与えられ、政治闘争の前面に躍り出るのであった。そんな子供たちこそ、現在の中国を動かす中核世代――最高権力を掌握するチャイナ・セブンから全国各地の党と軍の幹部、国有企業と私企業の経営幹部、大学学長など――であることを忘れてはならないだろう。

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2018年6月21日
習近平が少年時代に見た「中国の夢」とは?
児童書で読み解く習近平の頭の中(3)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13178

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代に出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。

 毛沢東が党や国家を超越した絶対的権力を掌握するキッカケとなった反右派闘争が発動された2カ月後の1957年8月に出版された『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)に収められた一編の詩は、子供たちに「毛主席」にどのように報いるべきかを教える。そこに、文革時代に言い古された「海よりも深く、山よりも高い毛主席の御恩」の萌芽を読み取ることができる。

 この時代から文化大革命の終わる70年代後半まで――建国直後に生まれた習近平世代からすれば乳幼児から児童・少年期を経て青年前期までの人間形成期全般にわたって――毛沢東は「偉大的領袖毛主席」であり、毛沢東思想は「百戦百勝」と形容され絶対無謬であることを徹底して刷り込まれたのだ。

 ここで毛沢東の権威が確立させる前後の冷戦時代における中国を巡る内外状況――といっても主には中ソ関係だが――を簡単に振り返っておきたい。というのも、この時代にソ連の進んだ科学技術、物資豊かな日常生活を紹介する子供向けの書物が翻訳出版されているからだ。


中国で1950年代に出版された児童書(写真:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13178


頂点に立つ「ソ連に学べ」

 1953年3月にスターリンが死去し、1956年2月にはフルシチョフによるスターリン批判報告が秘密裏に行われ、東ヨーロッパでは反共産党暴動が6月のポーランド、10月のハンガリーと連続して発生する。一方、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定調印となり、1954年9月に開始された人民義勇軍の撤退は1958年10月で完了した。

 毛沢東が東側社会主義陣営の優位を高らかに宣言した「東風が西風を圧する」と題する演説がモスクワで行われたのが1957年11月である。毛沢東のフルシチョフに対する不信感・優越感は芽生えていただろうが、ともあれ“中ソ一枚岩の団結”が内外に強く印象づけられていた時代である。

 一方、中国国内に目を転ずると、1956年5月に毛沢東は「百花斉放 百家争鳴」を掲げ言論の自由化を提唱し、年末までに農村では高級農業合作社化、都市では私営企業の国有・国営化が完了し、社会主義への道を一歩踏み出し、9月には中国共産党第8次全国代表大会が開かれている。

 大会冒頭で毛沢東は「同志諸君、いま中国共産党第8次全国代表大会が開幕した」と宣言した後、活字に起こして2万7千字ほどになる基調演説を行った。彼の口調を真似てゆっくりと読んでみると所要時間は12,3分といったところだが、この間、「(拍手)」が13ヶ所、「(熱烈拍手)」が14ヶ所、「(長時間熱烈拍手)」が2ヶ所、「(全員起立し長時間熱烈拍手)」が3ヶ所ほど。

 一例を挙げれば、「いま我が党は過去の如何なる時期より団結している(拍手)」「国際社会における我われの勝利はソ連を頂点とする平和民主社会主義陣営の支持に依拠している(熱烈拍手)」「帝国主義が造りだす緊迫した情勢と戦争準備の陰謀を徹底して破産させなければならない(長時間熱烈拍手)」「今日、この場に出席している50数カ国の共産党、労働者党、労働党、人民革命党の代表に〔中略〕熱烈なる歓迎の意を表す(全員起立し長時間熱烈拍手)」といった具合だ。

 これを要するにソ連は、「国際社会における我われの勝利」を支持する「平和民主社会主義陣営」の「頂点」に在ったわけだ。まさにソ連に学べ、である。


「邪悪な勢力」から身を守るには?


 そんな時代に『一晝夜二十四小時』(楊瑞槐訳 上海衛生出版社)が出版されている。この本は「1937年、7月のある爽やかな一日、モスクワは異常なまでの心躍る気分に包まれていた」と書き出される。


スターリン像(iStock.com/alf75)

 その日、モスクワ発北極圏経由でアメリカまでの航路120,000キロを63時間25分で無着陸飛行に成功した3人の飛行士を、モスクワの街は挙げて大歓迎した。黄昏が迫る午後6時、3人を乗せたソ連製最高級車は天をも揺るがすような歓呼に包まれた赤の広場を疾駆する。クレムリンで待ち構えていたのは、もちろん党と政府の最高幹部を従えたヨシフ・スターリン。独裁者は、3人の手を固く握り熱い抱擁を交わした。

 まさにスターリン賛歌と見紛うような情景が綴られているが、この本の狙いはそこだけにあるわけではないようだ。ソ連の高い科学技術は当然のことながら、スターリン理論に支えられた「パブロフの高級神経活動学説」(?)に基づく規則正しい生活によって鍛えられた飛行士の心・技・体こそが、祖国に無上の栄光をもたらした。だから、我われ中国の子どもたちも規則正しい生活を送るべきだと、力強く呼び掛ける。

 「我われ社会主義国家は一貫して平和を渇望し平和を築く事業をしっかりと守ってきた。だが資本主義の世界には、なんとしてでも戦争を引き起こそうと虎視眈々と狙っている邪悪な勢力があることを断固として忘れてはならない。それゆえ、戦争の危機が消え去ることなどない。ソ連の青年は祖国を自らが防衛するという光栄ある責任を全うするための準備を完璧にしておくべきだ。先の偉大なる大祖国防衛戦争における経験が、優秀なるスポーツマンが優れた戦士であることを明らかにしてくれた」。「戦場では、より遠くまで跳躍し、より高く飛び、どのような障害も飛越し、長い距離を速く走るなどの能力が求められる」。

 言い換えるなら、ソ連の社会主義は優れているし平和を守ってきた。だが、劣った資本主義の世界が戦争を仕掛け、平和が侵される可能性は常に存在する。だからこそ社会主義の祖国を守るためには24時間を規則正しく送り、自らを鍛錬し健康を守らなければならない。「生活制度――凡ての疾病から身を守る最も基本的であると同時に主要な手段――は任務遂行の上での基盤であり、組織性を涵養するだけでなく、社会秩序の基礎である」。

 たとえば中学生の日課は、起床=7:00〜7:15、体操・身体摩擦・洗面・身の回りの整頓=7:15〜7:45、朝食=7:45〜8:00、登校=8:00〜8:20、学習(教室及び社会)=8:20〜14:30、下校=14:30〜15:00、昼食=15:00〜15:30、戸外での遊び=15:30〜17:00、予習=17:00〜20:00、夕食と自由時間=20:00〜21:00、就寝準備=21:30〜22:00、睡眠=22:00〜7:00

 このような規律正しいソ連式24時間生活を送ることで「党と政府が常に示す無限の恩愛に愧じることなき人生」を送るよう、当時の「党と政府」は子供たちに求めたというわけだ。

「月旅行」に「原発」、ソ連の科学技術を絶賛する児童書


 同じ1956年には『少年兒童讀物 到月亮上去(月に行く)』(魯克編著 山東人民出版社)が出版されている。

 ある日、主人公の小飛馬クンが共産党が少年教育のために設けた少年宮での天体クラブの活動を終え帰宅すると、妹が「兄ちゃん、電報」と。モスクワのソ連科学院で研究を続ける父親からの電報だった。

 「小飛馬クン、元気かい。/父さんは元気でソ連科学院で順調に研究活動に励んでいると母さんに伝えてくれ。/とってもいい知らせがあるんだ。ソ連のオジサンたちは月旅行の準備を完了し、もうすぐ出発だ。そこでソ連科学院と相談したら、お前を一緒に連れて行ってくれるというのだ。天文学が好きで、将来は天文学者になるつもりだったね。いいかい、人類が最初に地球を離れ別の星に行くのだ!/我々は地球の主人であるだけではなく、宇宙の主人になるんだ!一生懸命に頑張るんだよ!小飛馬クン/電報を受け取ったら、すぐにやってきなさい。モスクワで待っている/父より」

 小飛馬から事情を知らされた母親は、「よかったね。早くお休み。明日、航空券を買って来るから」。

 モスクワに着いた小飛馬は、月に向け今にも飛び立たんとする「月球一号」と名づけられたロケットに乗り込む。原子燃料エンジンが轟音をあげるや、月球一号は地上を離れ宇宙空間を飛んで月へ。月面探査の状況を綴りながら、月の持つ様々な謎を解き明かしながら物語は進む。

 やがて月面を離れ地球へ。小飛馬はロシア人の歓呼に迎えられ抱きかかえられるようにして父親の許へ。「なぜ、人々は喜び昂るのか。小飛馬たちが人類最初の月旅行という重大な任務を完了したからである」。

 この物語が、ここで終わる訳はない。月旅行は幻想ではなく科学的根拠に基づいていると解説した後、ソ連科学者の「月旅行は完全に可能である。ただ時間の問題だけだ」との言葉を紹介する。さらにソ連の科学技術の高さを紹介して、「ソ連では最近、世界初の原子力発電所を建設した。発電能力は石炭の350万倍であり、将来的には船舶に利用すれば燃料補給なく数ヶ月の航海が、航空機では地球一周飛行も可能だ。ソ連の科学者は1957年から58年の間に人工衛星を打ち上げる。将来的には月はおろか、火星、金星などの惑星へ行こう」と、ソ連の科学技術賛歌で終わっている。

習近平が少年時代に見た「中国の夢」とは?

 1957年にはソ連の最新細菌学の成果を紹介する『奇異的眼鏡(奇妙なメガネ)』少年兒童出版社 彭中仁訳)、最先端の科学技術にサスペンスを加味した『第二顆心臓(第2の心臓)』科学普及出版社 李敏訳)などが出版された。

 「科学幻想小説訳叢」と題された後者は、電離層を経由して中国に送電する任務を負ったソ連の科学者が最初に試みた実験は某国のスパイに妨害されただけでなく、心臓を銃弾で射抜かれてしまう。そこで登場するのがソ連の革新的医療技術であり、新しい心臓の移植に成功するというストーリーだ。

 おそらく当時の子供たちは、ソ連の科学技術の素晴らしさに憧れたに違いない。想像を逞しくするなら、習近平少年もまた小飛馬に自らを重ねながら「中国の夢」を思い描いていたかも知れない。

 この時、すでに中ソ両国の共産党は、スターリン評価と議会主義国家建設への方法を巡って抜き差しならぬ対立へと向かっていた。もちろん、その影響は徐々ながら子供たちの身の上にも及ぶことになる。

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2018年7月12日
歴史的悲劇の裏で進められた「子供たちの洗脳」
児童書で読み解く習近平の頭の中(4)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13358


習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


中国で1950年代後半から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13358


 1955年の夏以来、共産党政権内部では経済建設の速度と農業の集団化を巡って、毛沢東が率いる冒進(急進)派と、それに異を唱える周恩来、陳雲らの間の対立が続いた。だが、1957年の反右派闘争勝利をバネに毛沢東が周恩来らの異見を圧倒し、1958年5月に開かれた第8回共産党第2回会議で大躍進が正式に採択されることになる。かくて「超英趕美」――鉄鋼生産第2位の英(イギリス)を追い越し、経済超大国の美(アメリカ)に追い着け――のスローガンを掲げ、(1)鉄鋼と農業の大増産、(2)農村における人民公社と公共食堂の建設が全国規模で展開された。

 大躍進政策を推進することで、そう遠くない将来、中国に共産主義社会を出現させるという強い意気込みで始めたものの、毛沢東が描いたバーチャルな世界は中国社会の現実の前に脆くも崩れ去り、惨憺たる結末を迎えざるをえなかった。工業部門の大後退に3年続きの自然災害が追い討ちを掛け、3000万から4000万人が餓死している。この当時、共産党政権は子供たちに何を求めていたのか。

「大躍進の悲劇」はなかったことに……

 大躍進政策決定直前の1958年3月に出版された『民間少年游戯』(顧也文編 上海文化出版社)は、浙江、江蘇、安徽、湖北、雲南、四川などの民間に古くから伝わる60種類の遊びを集め、イラスト入りで遊び方を解説している。一見すると他愛のない児童向けの書籍のようだが、「本書が集めた遊びは全て子供を対象とし、大部分は祖父から父に、父から子に伝わり現在に残されたものであり、日々の生活感が色濃く感じられる。民間に流布する他の遊びと同じように、我が国労働人民の智慧、勇気、誠実、朴訥さを明らかに示し、我が国労働人民の積極性、楽観性、勤倹性、労働に向う心意気という思想感情を伝えている」と書かれた「前言」からは、大躍進直前という時代の雰囲気が十分に伝わって来る。

 はたして当時の子供たちは、鬼ごっこや綱引きをしながら「我が国労働人民」の「思想感情」を学べたのだろうか。

 大躍進政策の悲劇が明らかになりつつあった時期の1961年5月に出版されたのが『游戯官』(林・張・王・楊編 潘晋華画 上海少年児童出版社)である。たとえば「誰と誰が話をしているの?」と題された絵には、糸がこんがらがった糸電話で遊ぶ6人の子供が描かれていて、それぞれの話し相手を探そうというのである。この本からは、政治的意図も思想性も、ましてや大躍進の悲劇など匂わせる記述は一切ない。


子供たちさえ洗脳してしまえば“こっちのモノ”


 毛沢東は「我われには社会主義の経験が不足していた」と反省の素振りも見せないばかりか半ば居直ったまま、権力の頂点から一時身を退いた。大躍進の惨憺たる失敗という危機的状況を打破し「V字回復」を果たした最大の功労者は、毛沢東の後任として国家主席に就いた劉少奇だった。

 であればこそ、『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)が出版された当時は劉少奇が大いに讃えられてしかるべき時代だったはずなのだが、この本には劉少奇への賛辞は一言半句も見られない。得意の“搦め手”による劉少奇追い落とし策――《毛沢東の正しさ》を子供に植え付け、毛沢東を《絶対無謬の神》と思い込ませ、しかるべき政治決戦に備え、虎視眈々と一剣を磨こうとする毛沢東の底意が感じられる。まさに洗脳である。後に文革派がメディア戦略の拠点としていた上海人民出版社からの出版というのも気になるところだ。

 小栄クンはちびっ子だが肝っ玉が据わっている。日本鬼子(ぐん)が駐屯する東港を流れる平洋に飛び込んで、今日も魚獲りだ。水に潜ったかと思えば川面に浮かんでは遊んでいた。ふと岸辺を眺めると、兄の小順たちが手に手に槍を持って玉蜀黍畑の中に消えてゆく。日本兵を偵察しようというのだ。小栄クンは慌てて岸に上がって、小順兄チャンたちを追いかける。

 やっと追いついてしばらく行くと、川の方からジャブン、ポトンと音がする。川辺の葦の間からソッと覗き見ると、日本兵が川に入り測量をしている。どうやら、この川に橋を架けるための準備をしているらしい。この光景を目にした小栄クンは子供心にも、「チクショウ、日本鬼子に橋を架けられたら、おいらたちの村は全滅だ」と直感する。「子供たちの目は日本鬼子に釘付けとなり、目からは復仇の怒りの炎がメラメラと燃え上がった」。

 小栄クンは小順兄チャンの命令を受け、村の民兵隊に報告に行った。相変わらず偵察を怠らない子供たちの目に飛び込んできたのは、メガネの「ちびデブの日本軍隊長」。歩きながら部下を叱り付ける姿は、「まるで生きた凶暴な猪」。すると川上からスイカを満載した小船が下って来た。船にはおじいさんと子供が乗っている。見ると小栄クンだった。「ヤバイよ、ヤバイよ。小栄のヤツ報告に行かずに船の上でさぼって遊んでいやがる」と、仲間の少年たちは気を揉むばかり。

 炎天下である。川の中で測量していた日本兵は喉が渇いたのだろう。小船に近づいてはスイカを勝手に取り上げ、喉をゴクリと鳴らしながら、冷えたスイカをムシャムシャ。その時、ピューン、ピューンという銃声がした。スイカを手に慌てて逃げ惑う日本兵。デブの隊長は船尾でブルブル。そこで小栄クンがデブの腹を目掛けて頭突き一閃。やつは、もんどりうって川の中へ転落だ。

 船上のおじいさんが付け髭を取り外すと、なんと民兵隊長。大声で「生け捕りだ」。一斉に川に飛び込んだ子供たちは、必死に逃げようとする日本兵の足や手を掴んで川の中に引きずりこんで溺れさせる。戦闘はしばらく続いたが、全員が民兵に捕まってしまった。

 静かになった川面をスイカ満載の小船が行く。船上の子供たちはハシャギながらスイカを頬張る。そこに「日本の侵略者を我われ立ち上がった数億の人民の前に引きずり出し、一匹の野牛を火陣の中に追い込むように仕向ける。一斉に声を上げてビックリさせれば、この野牛は焼け死ぬしなかい」と毛沢東の教えが重なり、「毛主席の教えは何とすばらしいことか」と呼び掛けている。

 無邪気であるがゆえに喜々として冷血・残酷にもなりうる子供たちを洗脳し煽り操って反劉少奇の大混乱を起してしまえば、こっちのモノ――この本から、こんな“仕掛け”が感じられるのだが。


子供たちの世界では2年も早く始まっていた「文革」


 『石荘児童団』出版の翌年には、同じく上海人民出版社から同じような書名の『草原児童団』が出版されている。

 舞台が長江下流域の水郷で子供たちが退治した敵は日本軍であった『石荘児童団』とは違い、『草原児童団』の舞台は内蒙古の草原で、子供たちが立ち向かった敵は「地主、富農」であり、彼らと結託して社会を大混乱に陥れ社会主義社会を転覆させ封建社会の復活を目論む土匪である。

 「東の空が紅く輝き、太陽が昇る。毛主席の英明な指導によって草原は解放された。至るところに紅旗が翻り、農民は地主を倒し、農地を分け合い、喜びの気が充ち溢れる。児童団は喜び勇んで地主と富農の監視活動に努める」と書き出される。最初の数行からして、すでに「毛主席の英明な指導」である。こうなったら文革当時の「毛主席、万歳、万歳、万々歳!」までは、もう一歩だろう。いや、子供の世界では大人の世界に2年程先んじて文化大革命が始まっていたとも考えられる。


(Imaginechina/アフロ)

 『草原児童団』の主役は13歳の黒牛クン。彼は村の児童団の団長である。

 ある日、民兵隊の王隊長から「これから土匪討伐に出掛ける。地主や富農が土匪と連絡を取らぬよう注意して監視してくれ。異常があったら鉄柱アニキに報告だ」との命令を受け、黒牛クンは仲間と共に地主の「大花蛇」の屋敷を見張る。それにしても地主が大花蛇で、その妻が「狐狸精(バケモノ)」というのだから、名前を見ただけで子供にも地主は極悪人と判る。“見事な印象操作”というべきか。

 地主の家から外に向かう足跡を発見した黒牛クン率いる児童団は、それを追って草原を突き抜け山に向い、洞窟に隠れる大花蛇を見つけ出し、槍で脅して立ち木に縛り付け尋問を繰り返す。“正義”を手に入れた子供たちが毛沢東によって進められた土地改革に敵対する地主を攻撃・尋問するという構図は、文革において紅衛兵や紅少兵がみせた毛沢東の敵に対する残酷・残忍で血腥い仕打ちを彷彿とさせる。やはり子供の世界は、大人の世界に数年先んじて「革命無罪」「造反有理」が讃えられていたのだ。

 最後は鉄柱アニキと黒牛クンたち児童団が、地主や土匪を縛り上げて村に凱旋するシーンで幕となる。毛沢東思想式予定調和といっておきたい。


毛沢東思想式ハッピー・エンドの物語


 同じく文革開始2年前に出版されたのが『林紅和她的伙伴』(費・林・陳・童子編絵 人民美術出版社 1964年)である。

 この物語の主人公である林紅は、農村の中学校を卒業したばかり。可愛らしく気立てがよく、そのうえ肉体堅固で我慢強い娘さんである。共産党の下部組織の共産主義青年団員で、両親が都市で仕事をしているので本来なら都市で進学できるのに、「農村こそが広大な天地だ。そこでは、なんだってできないことはない」という毛沢東の“有難い教え”を堅く信奉し、農村に留まり、自分から率先して困難な仕事に立ち向かおうと決意したというのだから、これまた文革時に毛沢東が「上山下郷(若者よ、農村で農民に学べ!)」をスローガンに都市の若者を農山村に送り込んだ「下放運動」の先駆けのような若者だ。

 そこで、「農業は国民経済の基礎である。党は我われに大いに農業に励み、力を農業の第一線に注ぐよう呼び掛けている。農業の持続的な躍進を望むだけではなく、工業を大いに振るわせ国民経済全体の持続的躍進を果たし、我が国の社会主義建設をより速く発展させ、より速く社会主義強国を完成させよう」(「内容説明」)と、彼女は獅子奮迅の働きをみせる。目指すは「社会主義強国」である。

 林紅が大活躍する物語は、国を挙げて大躍進政策が展開された1959年秋の早朝。河北省東部の中新人民公社の某生産隊から始まる。

 厚い暗雲に覆われた空からは大粒の雨が稔りの大地に叩きつける。「解放後、人々は政府の指導の下で毎年、堤防の修理を進めてきたが、この雨で水かさが急激に増し、堤防決壊の危険性が高まった」。そこで生産隊の書記を先頭に村人が総出で護岸補強工事に向かう。かくいう林紅も友達に呼び掛けて現場へ急行する。

 彼女は逆巻く怒濤に飛び込んで杭を打ち土嚢を積む。男勝りで八面六臂の大活躍だ。雨も止み、穏やかな日差しに照り映える川面を2隻の大きな船が船着場に接岸した。積まれているのは、政府から林家荘生産隊に送られる食糧や物資だ。村人の顔はほころび、誰もが川岸に飛んでゆく。その中に77歳の老人がいた。彼は政府から贈られた籾を手に、「毛主席、あなた様はワシにまで心を砕いて下さる。あなた様のご指導があらばこそ、ワシらは最期の日まで戦うことができますんじゃ」と、「解放前までのあの苦闘の日々を思い浮かべ、止め処なく感動の涙を流す」のであった。

 傍らに控えるのは、もちろん林紅だ。彼女は、「私は党の呼び掛けに応え、この村で皆さんと一緒に自然災害や食糧危機と戦い、ここに新しい農村を建設することを誓います」と、キッパリと言い切る。もちろん周囲の村人は誰もが感動の拍手であり、称賛の声だ。

 この村は相当に貧しい。過酷な自然環境の改造は焦眉の急だ。消極的な友人を励まし、村人に呼びかけ、彼女は自然改造の戦いの先頭に立つ。書記が「林紅同志よ、任務は極めて困難だが堅く覚悟を決めさえすれば、この荒野を無限の稔りの里に改造することができるんだ」と呼び掛けると、彼女は「そうです。党の指導があり、人民公社があれば、どんな困難があろうとも、我われは戦いに勝利する信念を持つことができるんです」と応える。

 押し寄せる数々の困難を克服し、「林紅と彼女の仲間たちは農業戦線において輝ける勝利を次々に勝ち取り」、「幾千万の林紅は祖国に降り注ぐ春の陽光を浴び、社会主義の新しい農村を建設するため勇猛邁進するのであった」と、林紅の物語は“毛沢東思想式ハッピー・エンド”で結ばれる。

 毛沢東がムリにムリを重ねて強行したことで全国民が塗炭の苦しみを舐めざるを得なかった大躍進が、『林紅和她的伙伴』では大いに讃えられ、人民にとっての理想として描かれている。

毛沢東の悲願を達成しつつある習近平

 『石荘児童団』の小栄クン、『草原児童団』の黒牛クン、それに『林紅和她的伙伴』の林紅さん。どうやら子供や若者の世界では、大人に先駆けて文革――毛沢東の敵に対する戦いの準備に入っていたようだ。

 習近平主席は1953年生まれだから、『石荘児童団』や『草原児童団』が出版された頃は、小栄クンや黒牛クンと同世代になっている。小栄クンや黒牛クンの手に汗握る戦いに心躍らせ、習近平クンは毛沢東の偉大さに強く憧れたに違いない。

 因みに毛沢東の壮大な夢である「超英趕美」の悲願は、GDP第2位の日本を追い越したわけだから、「英」を「日」に換えて考えれば、習近平政権の手で達成されつつあるともいえる。後は一帯一路を掲げてアメリカを猛追するだけだ。全面対決か、双贏(ウイン・ウイン)か、はたまた全面降伏か。であればこそ、米中貿易戦争には断固として負けるわけにはいかないと思うのだが。


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子どもたちの思想改造を狙った毛沢東の手口
児童書で読み解く習近平の頭の中(5)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


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http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587


 中国では、1963年から66年春にかけて「社会主義教育運動」が展開された。1958年に毛沢東が強引に進めながら大失敗に終わった大躍進政策への対応をキッカケとした教育運動であり、後の文化大革命につながる政治闘争の前哨戦でもあった。

 大躍進の失敗を自己批判した毛沢東に代わって国家主席に就任し共産党政権の舵取り役に就いた劉少奇は、毛沢東が進めた急進的な社会主義化・集団化を取り止め、限定的ながら個人所有を認めて生産意欲を刺激することで落ち込んだ経済の回復を図った。自らの労働によって自らの生活向上が期待できることから、人々は労働に励み生活も向上する。

 すると当然のように劉少奇への期待が高まり、民心は毛沢東から離れる。この動きによって自らの権威が崩れ権力が失われることに危機感――有態にいうなら、劉少奇に対する政治的嫉妬心――を抱いた毛沢東は、早くも1963年9月の中共8期10中全会において資本主義復活の危険性を指摘し、階級闘争の拡大化・絶対化を訴えた。このような環境において社会主義教育運動は始まる。

 社会主義教育運動の3年余に出版された児童書を読んでみると、イデオロギー色が微塵も感じられないものと毛沢東思想万々歳のものとに大別できる。前者は生活向上を目指す経済優先の劉少奇路線を背景にしていると見做すことができる一方で、後者からは政治を第一とする毛沢東路線の徹底を子供に刷り込もうとする狙いが強く感じられる。

 現状を肯定するのか。はたまた「為人民服務(毛沢東式滅私奉公)」の路線を徹底して社会主義社会建設を目指すべきか――やはり注目すべきは、洗脳によって子供を毛沢東思想のサイボーグに改造しようと狙う毛沢東の強い意志だ。こうして育った世代が文革初期において毛沢東を絶対無謬の神と崇め、毛沢東の手足となって毛沢東の敵を殲滅する戦いに邁進していったことを思い起すなら、劉少奇の悲劇は、毛沢東の狙いを読み違った。あるいは毛沢東の政治的妄執を甘く見た点に求められそうだ。


「太陽とヒマワリ」に込められた寓意


 先ずはイデオロギー色を全く感じられない代表例として、劉少奇に対する毛沢東の反撃が表面化する数カ月前の1963年5月に出版された『動脳筋爺爺@』(少年児童出版社)を挙げておきたい。同書は全4冊で構成され『動脳筋爺爺A』と『動脳筋爺爺B』は1964年、『動脳筋爺爺C』は1966年、つまり社会主義教育運動の全期間を通じて逐次出版されたシリーズものである。


中国で1960年代前半に出版されたおもに児童向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13587?page=2


 「脳筋」は脳みそを指し、「動脳筋」は“頭を働かせろ”を意味する。そこで動脳筋爺爺とは智慧爺さんといったところか。「小問号(ハテナちゃん)」と「小無智(オトボケ君)」が投げかける「なぜ魔法瓶の湯は冷めないの」「なぜ雲は空から落ちてこないの」など日頃の生活で感じている素朴な疑問を、智慧爺さんが判り易く説明している。4冊全体に共通する特徴は、社会主義、共産党、ましてや毛沢東にすら言及した記述が全く見当たらない点だろう。

 その典型が「なぜヒマワリは太陽に向って動くのか」の項である。文革時代、太陽は毛沢東を、ヒマワリは人民を無条件に寓意していた。太陽もヒマワリも当時の中国では問答無用の政治的記号だったのだ。偉大なる太陽があればこそ人民は育つ。それゆえにヒマワリの人民が育つためには、太陽である毛沢東を常に崇め奉り学ばなければならなかったのである。だが『動脳筋爺爺』では太陽の動きに従って動くヒマワリの植物学的なメカニズムが懇切に説明されてはいるものの、太陽にもヒマワリにも政治的メッセージは込められていない。

 やはり『動脳筋爺爺』シリーズの作者にとって、太陽は飽くまでも太陽であり毛沢東を指し示す政治的記号ではなく、ヒマワリは植物のヒマワリ以上でも以下でもなかったということだろう。

「明るい世相」が映し出された児童書

 1965年に出版された『飛機会干些什麼(飛行機は何ができるのか)』(劉子吉 少年児童出版社)に描かれている子供にも、政治役割は全く与えられていない。近代化され安定した豊かな社会で伸び伸びと遊ぶ子供たちの健気な姿が感じられるだけである。

 表紙の色は淡い青。おそらく紺碧の空に見立てたのだろう。上半分には大型旅客機、ジェット戦闘機、農薬散布中の複葉機、さらには真紅のヘリコプター。下半分には模型の飛行機やグライダーを手にはしゃぐ子供たち。誰の首にも、少年先鋒隊を示す真紅のスカーフが巻かれている。男の子は白いシャツに濃紺の半ズボンで、女の子は揃って長いお下げに中国風ブラウス。明るさが横溢している絵柄だが……1年後には文革が始まる。

 最初の頁の下半分には背中姿の女の子とこちらを向いた2人の男の子――花壇に座る3人を前に、男の子が立っている。その向こうには模型飛行機で遊ぶ子供たち。誰もが真紅のネッカチーフを首に。遠景は、大きな入道雲が浮かぶ青い碧い大空。

 「飛行機は天空を飛んでゆく。まるで一羽の雄々しい鷹のようだ。見るほどに、より高く、より遠く。なんと素晴らしいことだろう。飛行機って何をするものなの、僕が話して聞かせるよ」と、立った男の子が説明をはじめる。

――毎日、数え切れないほどの数の飛行機が高い山を飛び越え、白い雲をつき抜けて、上海から昆明、広州から北京へと、旅客、貨物、郵便をいっぱい載せて、限りなく広い大空を飛んでいるんだ。日照りの時なんか、空から薬剤を散布して雨を降らすよ。広い田や畑だって一気に肥料を噴霧すれば、どんな害虫だってイチコロさ。豊作間違いなしだ。農村で収穫用の農機が欲しかったら、いつだって飛行機が運んでくれるさ。正確な地図作り、国家防衛、森林保護、海難事故救助、遠隔辺境への物資輸送だって、飛行機なら簡単だよ――

 と、飛行機の果たす様々な役割が微笑ましいイラストと共に判り易く説明され、この本は「大空を飛ぶ飛行機は、雄々しい鷹のようだ。祖国を建設し、国の守りを固め、なんとステキだ。飛行機は、いったいどんなことが出来るのか。みんな一生懸命考え聞かせてください」で閉じられている。

 大躍進の後遺症も癒え、国民が将来に光明を見い出すことができるようになった劉少奇路線が光芒を放っていた時期に出版されたことを考えれば、『飛機会干些什麼』から漂ってくる何とも微笑ましい雰囲気に納得させられる。

「劉少奇への攻撃」を予感させる物語


 同じ1965年、『雪山上的号手』(趙鷔・秦大虎 上海人民出版社)が出版されている。

 この物語の主人公は、于魯紅という14歳のラッパ卒である。彼は毎日ラッパをピカピカに磨き上げ柄のところに赤い布を結びつけ、それを背中に威風堂々と行軍し勇猛果敢に戦闘に参加し、全身全霊を革命のために捧げてきた。

 辛い長征のある日、部隊は小休止し体力と装備を整え明日からの難関の大雪山越えの準備に掛かる。彼の任務は、近隣の農家から厳寒の行軍にとって必需品の唐辛子と焼酎を調達することだった。冷えた体を芯から暖めるためだ。「大雪山は豪雪に加え強い風だ。さらに空気は希薄。だが革命的英雄主義を発揮し、団結して闘い困難を克服し、勝利のうちに大雪山を越えようではないか」と、部隊長が檄を飛ばす。

 戦友で病弱の江戦雲の手を引きながら、一方で木を掴み峻険な山道を登る。部隊は一振りの宝剣のように一直線になって、大雪山の頂を目指して進む。すると突然に狂ったように強風が吹きだし、ついで横殴りの猛烈な雪である。あっという間に辺り一面が真っ白になり、なにも見えない。「団結だ、戦闘だ、隊列から落伍するな」との部隊長の叱咤激励を聞きながら、彼は戦友の手を引いて雪中行軍を続ける。

 山が高くなれば雪も深くなる。部隊は「堅固な革命的毅力」を発揮し、一歩一歩と山頂を目指した。山頂にたどり着いた部隊からの「頑張れ、同志諸君」の声に励まされ、彼は江戦雲に「大雪山に勝つんだ」と声を掛ける。

 やっと山頂に到着したが、風はさらに強く、鶏の卵大の雹に見舞われる。2人の少年兵は進退谷まり部隊から取り残され、吹雪の中に立ち尽くすしかなかった。2人が雪道で悪戦苦闘していた時、近くを通りかかった別の部隊の隊長の「ラッパ卒がみつからず、我が部隊の所在地点連絡不能」との声を聞き、彼は衰弱する体に鞭打って声を限りに「隊長同志、自分は……」と申告する。

 彼の声を耳にした部隊長が近寄って来て、体全体を雪に包まれながらもラッパを高々と掲げる少年ラッパ卒を見つけた。彼の唇は寒さで切れてしまったが、部隊長の命令を受け力の限りラッパを吹く。ラッパの音が伝える「部隊長は山頂に到達せり。諸士の現在地を伝達あれ」の信号は轟々たる吹雪をものともせず、全山にこだまする。このラッパの音に勇気づけられ、多くの兵士が部隊長に合流すべく山頂を目指した。

 突然、ラッパの音が途切れる。彼は任務を果たし、精も魂も尽き果て昏倒する。「小同志、しっかりしろ」。部隊長の腕の中で気がついた彼は「隊長、戦友の江戦雲が……」

 この時、彼の部隊の部隊長が2人を探しに山頂に戻って来て、江戦雲を雪の中から救出する。「貴下部隊の少年ラッパ卒の格段の軍功により、我が部隊は勝利のうちに大雪山越えを達成せり。感謝の意を表す」。すると我が部隊長は力強く、「我らが毛主席の英明なる指導の下、抗日の前線に赴き、共に侵略者を打ち破ろう」――

 『動脳筋爺爺』や『飛機会干些什麼』に登場する子供は子供でしかない。だが『雪山上的号手』の子供には飽くまでも大人と同じ働きが求められる。“小さな大人”であらねばならなかった。子供に対する扱いの違いが気になるが、『雪山上的号手』の出版元が文革の10年間を通して毛沢東派が拠った最重要宣伝機関であった上海人民出版社であることを考えれば、主人公に毛沢東思想を体現する革命的少年を配したことも納得できるだろう。上海では劉少奇攻撃の準備が秘かに進められていたということか。

仲間を救うために爆死した若き兵士の日記


 同じ1965年には、児童書を読む世代よりもう少し高い年齢層を読者対象とした『王杰日記』が、文革の前半期、毛沢東の忠実な部下として文革を推し進めた林彪が率いていた人民解放軍の機関紙『解放軍報』の編輯部から出版されている。

 この日記を記した王杰(1942年〜65年)は山東省出身の解放軍兵士である。入隊は61年で済南部隊装甲兵工兵連(中隊)班長。62年、共産主義青年団に加入。65年7月、民兵訓練中に爆弾が暴発しようとした際、現場にいた12人全員を救うべく爆弾に覆いかぶさり爆死。自己犠牲の模範として全国的に讃えられ、死後に党員として追認された。遺品の中から63年に書きはじめた10万字を超える日記が見つかり、主だった部分を抜粋し、この本が編まれている。そこで興味深い個所を拾ってみた。

■63年(日付なし)=「俺はレッキとした革命者であり、革命のための優秀な種となろう。党と国家から遣わされるなら、何処にでもいって根を張り、花を咲かせ、実を結んでみせるぞ。必ずや砂漠を緑の長城に、荒れ果てた山をたわわに稔る果樹園に、田を一面の黄金色の大地にしてみせるぞ」

■63年4月22日=「王杰よ、王杰、お前に警告しておこう。任務を遂行する際には、誠心誠意で言行一致、裏表なく苦労を厭わず、生真面目に取り組め。王杰よ、深く心に刻んでおけ。自らの欠点をしっかりと自覚し、断固として改め、虚心に学び、生真面目な人間にならんことを」

■63年8月21日=「旨いものを食べ、キレイな衣装を身に着けるなんてことは幸福でもなんでもない。貧苦に喘いでいる世界中の虐げられた人々が平穏な生活を送れるようになってこそ幸福といえるのだ」

■64年7月25日=「毛主席の著作学習は長期的視点から着目しなければならないし一生の大事だ。林彪同志が指し示す『問題意識を持って学び、活学活用し、実際の問題に結びつけ、先ず学び本質を掴め』の原則を生真面目に徹底して貫かねばならない」

■64年9月3日=「毛主席の著作学習を通じ、革命こそが我が理想であり、闘争こそが本当の幸福であることを身に沁みて学んだ」

 『王杰日記』は「新しい中国の次世代を見よ! 彼らは重い任務を担うことができる。彼らには祖国の建設と防衛ができるはずだ」で結ばれている。

社会主義教育運動を経て、時代は「文革」へ

 ここで改めて1965年前後の毛沢東の動きを振り返ってみる。

 1964年8月、エスカレートするヴェトナム戦争に米軍の中国侵攻の可能性を読み取り、同時に北方から軍事圧力を強めるソ連を警戒し、毛沢東は南北からの敵を想定した戦争準備を提起する。10月に初の核実験に成功し、翌65年1月になると毛沢東は初めて「党内の資本主義への道を歩む実権派」に言及した。「実権派」、つまりは毛沢東を蔑ろにする政権中枢、就中その頭目たる劉少奇に戦いの的を絞ったということだ。だが劉少奇が毛沢東の狙いに気づいたフシはみられない。

 9月になって本格化するアメリカの北ヴェトナム爆撃(北爆)に対抗するかのように、林彪が「人民戦争勝利万歳」と題する論文を発表し、劉少奇派が提起した解放軍の近代化とソ連を含む反米統一戦線結成の動きを牽制した。毛沢東の軍事思想に従い、解放軍は断固として人民戦争路線を歩むべし、というのだ。11月、後に四人組の一員として名を馳せる姚文元が「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し文革の導火線に火を点けた。

 翌66年8月、毛沢東と林彪は全国から百万人の紅衛兵を天安門広場に集め気勢を上げ、文革の戦端が開かれたのである。

 1953年生まれの習近平にとっては社会主義教育運動の3年間は、9歳から12歳に当たる。習近平9歳の年、父親の習仲勲は毛沢東の逆鱗に触れ失脚。12歳の年には毛沢東の指示で洛陽鉱山の機械工場へ“島流し”となる。実質的な労働改造処分であった。

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中国はいかにして「地獄の門」を開けるに至ったか
児童書で読み解く習近平の頭の中(6)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。


 1963年当初から毛沢東最側近の2人――夫人の江青と「中国のベリア」と呼ばれた康生――は上海を拠点に京劇を軸とする文芸部門において、政権を掌握している劉少奇に対する攻撃を画策していた。

 この動きは1964、65年と年を追うごとに激しさを増す。『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)、『草原児童団』(上海出版社 1964年)、『草原児童団』(上海人民出版社 1964年)、『雪山上的号手』(上海人民出版社 1965年)と、これまで見てきた児童書からも、その動きは傍証できるだろう。加えて1965年11月には、毛沢東思想に殉じた若き人民解放軍兵士の王杰を讃える『王杰日記』(人民出版社)が出版されている。

『王杰日記』には、「毛主席の著作を読むことは革命戦士としての第一の任務である」「革命の同志は団結しなければならない」「毛主席が話されたことは、なんでも実行するぞ」「断固として階級闘争を忘れるな」「革命の徹底が理想であり、革命の事業こそが前途であり、人民に尽くすことが幸福である」など、文革時に全国を覆ったスローガンそのもののような記述が溢れている。まさに、文革へ向けての準備は着々と進められていたはずだが、劉少奇側に危機感は感じられない。その象徴が1965年11月に出版された『新的“石器時代”』(陳仁 中国青年出版社)だろう。


毛沢東に対する揶揄が感じられる一冊


「新型硅酸塩材料的世界」という副題が示しているように、この本は、無限の可能性を秘めた新素材と大いに期待されていた硅酸塩(silicate)と人類の関わりを石器時代から説き起こし、やがて人類の輝く未来を約束する万能の科学素材であることを語る科学ドキュメンタリーであり、空想科学物語でもある。


中国で1960年代前半に出版されたおもに児童向け書籍(画像:筆者提供)

「古代の労働人民は絶え間ない実践の末に」、「湿った粘土を捏ねて器のようなものを作り火に放り込んで焼くと、冷めた後に石と同じ程度に固くなることに気づいた」。そこで「我われ人類は銅や鉄といった金属材料を発明して後、(腐りも錆びもしない)石器に似た素材の陶器とガラスを産み出す」と書き出される。

 ここで不思議に思えるのが、「古代の労働人民」という表現だ。おそらく文革期なら「古代の労働人民」ではなく「古代の奴隷労働者」としていたに違いない。なにがなんでも古代は奴隷制であり、ましてや技術の進歩を担ったのは奴隷でなければならないという硬直した文革史観からすれば、「古代の労働人民」が「陶器とガラスを創造した」などという曖昧な表現は人類の進歩に尽くした奴隷の働きを否定するものであり、断固として認められないものだったはずだろう。

 その後、人類は誰もが知っている硅酸塩の家系の始祖である玻璃(ガラス)」に様々な工夫を加え、鉄より固く超高温にも耐えられるガラス、光線を遮断するガラス、レーダー波を透すガラス、さらには繊維のように細いガラス、鋼より固いガラス、ダイオード、電子計算機の「脳細胞」などを次々に発明する。セラミックの発明によってジェット機やロケットの燃焼機関の性能は飛躍的に向上し、「特殊玻璃鋼」で作られた先端部分を取り付けることで大陸間弾道弾の弱点が克服され兵器としての性能・威力が格段に増した。原子炉内部に新型の硅酸塩素材を使うことで超高温環境での核反応コントロールが可能となり、有限の化石燃料に頼らなくてもいい夢の発電システムが約束された。やがては「ラジオは繭玉ほどに、電子計算機はたばこの箱程度の大きさになるだろう――夢物語は続く。

「旧い視点で新しい時代を推し量ることは不可能」である。「失敗を恐れずに敢えて挑戦する革命精神を発揮して、多種多様な用途を秘めた新型硅酸塩素材を創造し、古くから知られた硅酸塩を進歩する新しい時代に生かしていこう」と締め括られているが、「旧い視点で新しい時代を推し量ることは不可能」などの表現からは、大躍進の失敗を回復させた劉少奇路線に不快感を隠さない毛沢東に対する揶揄が感じられないわけでもない。

劉少奇派の無防備ぶりが感じられる一冊


 1966年に入ると、林彪と江青を軸に文革派は一気に動き出す。1月後半には、林彪が率いる解放軍は全軍政治工作会議を開き、毛沢東思想教育を重点的に進めることを全軍に訓令する。2月2日から20日までの間、林彪の要請を受けた形で江青は上海で「部隊文芸工作会議」を開催し、文芸部門による解放軍の政治教育の徹底化を進める。20日には「文革のイデオローグ」でもあった張春橋によって文芸部門での劉少奇路線に対する徹底批判を暗示する文書が公表された。

 解放軍における劉少奇派の象徴と目された羅瑞卿への批判が激しさを増し始めた1966年3月、「少年自然科学叢書」と銘打たれた『煤的故事』(朱志尭編著 少年児童出版社)が出版された。この本には文革時代の出版物に溢れた過剰なまでの毛沢東への賛仰が見られない代わりに、共産主義に対する素朴で明るく、根拠なき希望が溢れている。

 この本は「工業のコメ」であり、「ありとあらゆる工業製品の原料」であり、「鋼鉄を精錬し、汽車を動かし、電力を起こし、日常生活において暖房・炊飯をなす」だけでなく、「加工処理を経て、ガソリン、プラスチック、合成繊維、化学肥料、農薬などの数多の種類の工業原料や化学産品」となるだけに「黒い宝石」と呼ばれている石炭について、その生成から発見、使用の歴史、さらには採鉱の歩みを判り易く解説しているが、小学校高学年から中学生程度に理解させ、科学少年を育成しようとの狙いが感じられもする。

 数十億年の昔から現在までの石炭という鉱物の歩みと人類と石炭のかかわりの歴史を語りつつ話を進めるが、1949年10月1日に「偉大なる中華人民共和国」が誕生したことで、「人間の地獄、悪魔の天国」「死人の倉庫」と呼ばれていた旧中国の炭鉱は一変したと熱く語る。「炭鉱は人民のものとなり、かつて圧迫され搾取されていた炭鉱夫は鉱山の主人公となった」のである。

ここで興味深いのが共産主義的SFの世界を語る「未来への展望」の章だろう。

――ロケットは空中を突き進むだけでなく地中をも疾駆し、探索し、地下に眠る「黒い宝石」を余すところなく僕らの目の前に示してくれる。そこで僕らは、手助けしてくれる多くの友達に手助けを依頼しなければならない。機械という友達はもちろんだが、じつは凄い能力を持つ物理化学という友達もいるのだ。こいつは、どんな機械よりもスイスイと地中を軽快に動き回り、効率も高い。僕らが目にすることのできない電磁波や超音波という友達が地中深く探って、埋蔵されている石炭の様子を知らせてくれる。

そこで僕らは直ちに「万能溶解剤」を地中深く流し込み、溶剤の力で石炭を液化させ、地上に吸い上げる。液化した石炭を地上に設けた「総合利用工場」に送り、複雑な化学処理と加工をすれば、工場から出荷される時には色々な人造繊維、衣料や食品に代わっている――

 なんとも荒唐無稽でステキな夢物語だが、ここからがさらに凄まじい。

「これこそ一枚の、美しくも麗しい風景ではないか。こういう世界を一日も早く実現させ、人類が生み出した労働の成果を真に人民のモノとするためには、断固として搾取者を消滅させなければならないのだ。地主・資本家を打倒し、人類にとっての最高の理想である共産主義に向かって進もうではないか」

 この本には政治主義一辺倒の記述も、毛沢東思想式の杜撰で身勝手な歴史観も、ましてや文革に見られたド派手な血腥さも感じられない。進歩する科学技術への素朴な期待と信仰が行間に溢れるばかりだ。文革に向け戦いの準備を進める毛沢東ら文革派とはあまりにも対照的に過ぎる内容だけに、やはり劉少奇派の無防備ぶりが感じられて仕方がない。


紅衛兵の若者の心を捉えた“金言”


『《少年英雄故事》叢書 林森火』(中国少年児童出版社)は、『新的“石器時代”』や『煤的故事』が万能の科学技術を誰もが享受できる共産主義社会の明るい未来を熱っぽく語っているのとは対照的な、暗く辛かった蔣介石政権時代の物語である。

『煤的故事』の出版が1966年3月で『《少年英雄故事》叢書 林森火』は5月。この僅か2ヶ月の間に政治状況は激変する。毛沢東が政治の前面に躍り出て、劉少奇追い落としを匂わせる動きを見せ始めた。

 3月中旬、毛沢東は共産党政治局拡大会議において文化大革命の発動を提言し、これを承けた形で林彪は解放軍を挙って文芸部門における文革を宣言した。いわば文革派が態勢を整えつつあるにもかかわらず、劉少奇は王光美夫人を伴ってパキスタン、アフガニスタン、ビルマを断続的に訪問する(3月26日から4月19日)。劉少奇の北京不在を見透かしたかのように、毛沢東、林彪、陳伯達、康生、江青、王力、張春橋ら文革中核メンバーが連携を強め、党と解放軍における劉少奇派炙り出しに動きだす。いわば劉少奇打倒への狼煙をあげたわけだ。

 北京中枢で進んでいたこのような政治状況を考えるなら、やはり『《少年英雄故事》叢書 林森火』は毛沢東ら文革派が子供を“大人の政治”の世界に引きずり込もうとする道具と見做して間違いないだろう。

『《少年英雄故事》叢書 林森火』の舞台は1946年に始まった国共内戦である。

 浙江省玉環県に生まれた12歳の林森火は、「旧社会」で苦難の日々を送った。父親の僅かな収入では一家を満足には養えない。2人の兄のうちの1人は2歳で餓死し、1人は医者に払うカネも無いままに生後10ヶ月ほどで病死している。たった1人の姉は11歳で奴隷に買われ、数年後には苦労のなかで死んでいる。

 蔣介石ら封建反動勢力の実態を教える小学校の先生に導かれ、彼は共産党支援のために組織された「地下児童団」に参加し、「毛主席万歳」「中国共産党万歳」などのスローガンを街に貼ったり、共産党ゲリラのための伝令・情報員を務める。1950年11月20日、16歳になった林森火は司令官の退去命令に逆らい「怖くはない、この戦場で敵を殲滅するんです」と決意し戦場に赴くが、敵の砲弾の犠牲となってしまう。

 先生が林森火少年に語りかけた言葉――革命とは生きるか死ぬかの階級闘争だ。そこには数多くの危険がある。様々な危険を克服し、死を恐れず、敢えて革命の犠牲者たれ――こそ、文革において紅衛兵を名乗る多くの若者の心を捉えて離さなかった“金言”だった。かくて青少年は毛沢東の手の平で踊りだし、毛沢東の敵を求めて“躍動”することになる。

若者を“純粋過激なサイボーグ”に育て上げた教材


 1966年8月に出版されている『一心為公的硬骨頭戦士』(中国青年出版社)の表紙には、銃を背負い、右肩に鶴嘴を担ぎ、『毛沢東選集 第四巻』を左手で胸に大事そうに抱え込む目鼻立ちのはっきりした若者が描かれている。若き鉄道兵士の張春玉だ。背景には鬱蒼と茂る森林が描かれ、その向こうに昇る大きく真っ赤な旭日――もちろん真っ赤な太陽は毛沢東を指し示している。表紙イラストこそ、この本のすべてを物語っているといえるだろう。『一心為公的硬骨頭戦士』『一心為公的硬骨頭戦士』は、張春玉の日記の一部と『人民日報』『解放軍報』など文革派の宣伝メディアに掲載された彼を華々しく讃える数編の論文で構成されている。

 まるで“お約束”ででもあったかのように、彼もまた「貧困家庭出身」だ。「張春玉同志は毛沢東思想に育まれながら、労働に、任務に、階級闘争において艱難辛苦のかなで成長し、強靭なる共産主義戦士に成長した」。「彼は生死の間を彷徨う苦しい経験、さらには重傷を負う闘争を繰り返すなかで、階級闘争における鋼鉄の戦士に鍛え上げられていった」。かくて、「毛主席の階級闘争学説は、張春玉同志に階級闘争を永遠に忘れてはならないことを教えた」のである。

 それゆえに張は日記に、「毛主席は『社会主義制度の建設は、我われのために理想郷に到る道を切り開いてくれるのだ。だが理想郷の実現はひとえに我らの真摯な労働にかかっているのだ』と教えている。そうだ。毛沢東の時代に生きていることは幸福であり、なんにもまして誇り高いことなのだ。だが、幸福への道の上でなにもせずに立っていられることなど出来はしない。断固として出来るわけがない。幸福への道において全身全霊で働き、さらに幸福な生活を創造し、我が国をより富強で、より麗しくしなければならない」と綴り、「心の底から革命を想い、人民のために如何なる苦労も厭わず、一分一秒を党に捧げ、心から同志を想い、己より戦友に心を配り、一瞬一瞬を他人のために尽くそう」、或いは「我が一生を土塊、石、枕木と化し、共産主義に進む大道の建設に邁進しよう。革命の列車を我が五体を乗り越え、全速で前進させよう」と、その“崇高極まりない決意”を表明する。

 当時、自らを蔑ろにする劉少奇に狙いを定め、その失脚を策謀していた毛沢東にとって最大の関心事はやはり強力な助っ人であり手駒だったはず。毛沢東は最大最強の「暴力装置」である人民解放軍の指揮権を持つ林彪を仲間に引き入れる一方、純粋無垢であるがゆえに凶暴・無謀で過激な若者を唆し、彼らに政治的前衛であると同時に社会の道徳的前衛を担わせた。毛沢東に盲従し、毛沢東の指し示す規律を厳守し、勤勉で大義のために殉ずる。なによりも全身全霊をなげうって毛沢東に奉仕し、誰もが純粋で、毛沢東を守るためには、自らの命を捧げ尽くすことを厭わない政治的サイボーグに仕立て上げた。この本は若者を純粋過激な毛沢東主義者に育て上げるための教材だった、ということになる。

『一心為公的硬骨頭戦士』が出版されて2ヶ月が過ぎた1966年8月、「毛主席の親密なる戦友」だった林彪を従え、毛沢東が天安門楼上に立ち、眼下に広がる広大な広場を埋め尽くした100万人余の紅衛兵を接見している。この時、中国全土を舞台にして、興奮と熱狂とに包まれた文革は悲喜劇の幕を開けた。否も応もなく、中国人は地獄の扉の前に立たされたのである。

 以後、1976年9月の毛沢東の死まで、中国全土は激動に次ぐ激動の10年を体験することとなるが、宣伝部門を牛耳ったことによって、文革派による青少年に対する洗脳工作は激しさを増し、50年代生まれの習近平世代、60年代生まれのポスト習近平世代は「百戦百勝・絶対無謬の毛沢東思想」を頭の中に叩き込まれることになるわけだ。


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2018年9月4日
「嘘」と「洗脳」で突き進んだ文化大革命の真実
児童書で読み解く習近平の頭の中(7)
樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854


習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。

写真:アフロ

 1966年に入ると文革派の動きは激しさを増し、これに呼応するかのように若者たちが動き出す。生まれた時から毛沢東思想で教育された彼らの頭の中は、「毛主席万歳、万歳、万々歳」でしかなかったはずだ。洗脳教育の成果というものだろう。

 6月初めには北京の地質学院、鉱業学院、石油学院、北京大学などの付属中学に加え、北京第25中学などのエリート学生が「紅衛兵」組織を相次いで結成し、「偉大な領袖・毛主席を守るために最後の血の一滴まで断固として捧げよう」と叫び、「四旧打破」を掲げ、毛沢東の敵と思われる人物を求めて街頭に飛び出して行った。旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣を中国全土から一掃しようというのだ。

 8月18日、林彪、周恩来らを従え天安門楼上に立った毛沢東が全国から集まった100万余の紅衛兵を初めて接見したことで、天安門広場は興奮の坩堝と化した。毛沢東から「造反有理」「革命無罪」のお墨付きを与えられた紅衛兵運動は、この日を境にして中国全土というより全世界を震撼させることになる。文革の主導権を握った文革派陣営から、毛沢東を「百戦百勝」「絶対無謬」と神聖視した青少年向け印刷物――紙の爆弾――が次々に出版される。その典型が『一心為公的共産主義戦士蔡永祥』(解放軍文芸社 1967年)だろう。

「英雄的行動」と讃えられた下級兵士の死

 1966年10月9日午前、江西省吉安市第二中学の紅衛兵と革命的教師の一団は、天安門広場で毛沢東の接見を受けるために南昌発北京行きの汽車に乗った。「僕らの心は、もう北京に、毛主席の身辺に飛んでしまっていた」。「汽車もまた飛ぶように奔る。2日目の深夜2時過ぎ、銭塘江辺りにさしかかると、汽車は鉄橋の上で急停車した。なにが起こったのだ。数十分が過ぎると、汽車は何事もなかったかのように動き出す」。車掌は「銭塘江大橋手前数十メートルのところで線路を塞ぐ大木を発見したが、解放軍の戦士の英雄的犠牲によって我ら紅衛兵を北京で待つ毛主席の許へ送り届ける列車を救ってくれた」と説明する。

「この知らせを聞くや、列車に乗り合わせた誰もが深い悲しみを覚え、毛主席にとって真の戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手に惜しみない賞賛を送り、一斉に声を張り上げた。『解放軍は紅衛兵をイチバン慈しむぞォーッ、我らは解放軍にシッカリと学ぶぞォーッ』とシュプレヒコールの嵐だ」。やがて北京到着。「10月18日のこの日は僕らの生涯で忘れ難い一日となった。午後2時19分53秒、僕らは偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥、偉大なる舵取りの毛主席との接見を果たしたのだ」。

 文革開始直後の66年10月である。インパクトのある話題が欲しかった文革派メディアにとって、蔡永祥の死は願ってもない宣伝材料となったはずだ。解放軍下級兵士の死は「紅衛兵を北京で待つ毛主席の許へ送り届ける汽車を救った」とされた。「一心を公の為に捧げた共産主義戦士英雄」の物語は瞬く間に全土に広められ、「毛主席の真正の立派な戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手」と崇める学習運動が展開される。

 その一方で、街に飛び出した紅衛兵は「劉少奇叛徒集団を打倒せよ」「満腔の怒りをこめて、労働大盗賊の劉少奇を糾弾するぞ」「劉少奇の反革命のツラの皮を剥がせ」「地主階級の孝行息子・劉少奇の姿を暴露せよ」「劉少奇は『左』を装った『右』だ」「造反の粉砕を目論む劉少を告発するぞ」などあらん限りの罵声を浴びせ、劉少奇を血祭りにあげた。劉少奇が占めていた国家主席という肩書は、怒れる紅衛兵にとっては無意味だった。

 1953年6月生まれだから、文革勃発時に習近平は13歳である。当時の高級幹部の子弟がそうであったように、彼もまた紅衛兵運動の高まりの中で毛沢東を崇め、蔡永祥の英雄的行動を学習し、「造反有理」「革命無罪」のままに暴れ回ったに違いない。だが、父親である習仲勲が毛沢東に敵対したと批判され失脚したことで、習近平もまた1969年には陝西省延安市延川県に下放され、北京を追われている。

 1969年、毛沢東が「勝利の大会」と呼んだ第9回共産党全国大会が開かれた。麾下の人民解放軍を挙って毛沢東を支援した林彪は「毛沢東の親密なる戦友」と呼ばれ、公式に毛沢東の後継者に指名される。毛沢東は自らにとってふたつの敵のひとつである劉少奇派を林彪の力を借りて共産党中核から一掃する一方、もうひとつの敵であった「ソ連社会帝国主義」と国境紛争を戦うことになる。

『毛主席語録』を振り回して敵を撃退!?


 中ソ国境を流れる黒龍江の中州の珍宝(ダマンスキー)島を戦場に展開された国境紛争には、双方で100万人近い兵力が投入され、全面戦争一歩手前というほどに深刻な事態を招いた。全面戦争とは聞こえはいいが実際は人海戦術で戦うしかない解放軍に対するは、近代兵器で武装されたソ連軍である。戦いの帰趨は明らかだろう。だが、中国としては毛沢東の軍事思想に支えられた解放軍の大勝利をウソでも宣伝するしかない。そこで連環画『珍宝島英雄賛』(本社美術通訊員編絵 上海人民出版社 1970年)が出版される。

 連環画とは中国伝統の解説付きの絵本式読み物であり、『三国志』『水滸伝』『西游記』なども、こういった形で子供たちの間に広まった。いうならば伝統的メディアによって子供たちに祖国防衛の意義を学ばせようというわけだ。

 表紙を開けると「警戒を厳に、祖国を防衛せよ。人民のための戦に備え、飢えに備えよ」との『毛主席語録』の一節が記され、次いで「偉大なる領袖の毛主席と彼の親密なる戦友の林副主席の批准により、中共中央軍事委員会は珍宝島におけるソ連修正主義の武装挑発を反撃する自衛戦争において鮮血と生命を盾に偉大なる祖国の神聖な領土を防衛した孫玉国ら10人の同志に『戦闘英雄』の光栄ある称号を授与した。人民に、党に、偉大なる領袖の毛主席に無限に忠誠を尽くした英雄たちの気高き心を、よりよく学習せよ」とある。

 67年11月24日、酷寒で珍宝島の最前線警備に当たる孫玉国ら兵士は、国境を侵犯する完全武装のソ連兵を発見する。直ちに「中国人民に対する重大な挑発だ。即刻立ち去れ」と厳重に抗議するが、厚顔無恥にもソ連兵は雪の上にひとつの島を描いて「1868」と記し、この島は1868年からソ連(ロシア)領だと主張する。そこで孫玉国らは強く抗議し、雪の上に記された島と1868の上に大きく「×」を記した。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854?page=2


「1868年当時、ここは島ではなく中国側の河岸の一部だったが、土砂の堆積により20世紀初頭に島となった。1860年にロシアの老いぼれクソ皇帝が中露北京条約を中国人民に強要した。この島は一点の疑義もなく中国の領土だ」「これは断固として改竄することのできない歴史的事実だ」との意味を込めていたというが、「×」だけで、それほどの意味を表すことができるのか。この時、孫玉国らの右胸に『毛主席語録』がシッカリと抱かれていたことはもちろんだ。

 3カ月余が過ぎた69年3月初め、ソ連機甲部隊が狂ったように国境を侵犯する。烈火のごとく怒る孫玉国らは敵機甲部隊の前に立ちはだかり、「止まれ。ここは中国の領土だ。お前らの強盗行為は中国に対する重大な挑発だ。直ちに撤退せよ」と叫ぶ。ソ連軍の前進は止まず戦端が開かれる。中国兵士は銃の代わりにした『毛主席語録』を打ち振りながら、「我らは毛沢東思想で武装し筋金入りだ。天が崩れてきても支えることが出来るぞ」と立ち向かう。

 かくて「ソ連修正主義の戦車、装甲車、武装部隊による狂気の進攻を粉砕し、祖国の神聖なる領土を勝利のうちに防衛した」という。『毛主席語録』が近代的兵器で武装したソ連軍をも打ち破ってしまうほどの無敵の兵器であることを、子供たちの脳裏に」刻みつけようとしたわけだ。


不可能も可能に変える「偉大なる領袖の教え」


 1970年代に入ると、文革派の牙城であった上海における宣伝中枢たる上海人民出版社は、毛沢東思想万歳の児童書を連続的に出版している。典型例として、『夜航石頭沙』(上海港工人業余写作組)を挙げておく。


中国で1960年代後半から1970年代前半に出版された青少年向け書籍(画像:筆者提供)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13854?page=3


 秋も深まった一夜、長江の河口を白波を蹴立て進む航標五号は北部海岸に碇を下ろす。静まり返った船内では、その日の作業を終えた党支部副書記の程志敏が、いつものように灯火の下で一心不乱に毛沢東の著作を学習している。そこに「近くの呉淞口に停泊中の外国船が折からの強風に座礁し船体破断の危機。大至急救援に向かうべし」との緊急電報が届く。早速、乗組員全員が非常呼集され、幹部からの命令を待った。

 呉淞口は上海港の喉元に位置するだけに、事態を早急に収拾できなかったなら多くの船舶の航行にとって障害となるばかりか、「中国革命と世界革命とに大きな損失をもたらす」と程志敏は考えた。早急に救難作業に着手すべきだが、安全航路では現場到着は大幅に遅れる。そこで最短航路の石頭沙水路を抜けようと提案したが、そこは穏やかな天候でも航行が容易ではない難所中の難所だった。

 程志敏の提案を傍で聞いていた「反動技術“権威”」の船長は飛び上がって驚き、「石頭沙は解放前から難所中の難所であり、夜間航行など絶対に不可能だ」と主張する。

 そこで程志敏はスックと立ち上がり、「石頭沙の夜間航行が難しいことは先刻承知だが、我われ共産党人には、毛主席の支持がある。コレが難しい、アレは出来ないなどと弱音は吐かない。刀の山であれ猛火の海であれ、飛び込んでみせるのだ」と敢然と言い放つ。すると、その場の誰もが程志敏の手を固く握るのであった。

 じつは、程志敏は超人的な努力で最下級の船員から現在の地位を築き上げたのである。「旧社会で母と2人の兄弟は敵の醜い刀によって惨死させられた。共産党、毛主席がプロレタリア革命を教え導いてくれたことで暗雲を払い明るい太陽をみることが出来た。『毛主席がいなかったら、程志敏の今日はありえない』」と心の中で叫びつつ、全員に状況を説明し任務遂行を求める。乗組員の心はひとつになり、航標五号は暴風雨の中を現場に急行した。

 水路は狭く浅瀬や岩礁が続き、風雨は増すばかり。この時、甲板に立った「程志敏と同志たちが偉大なる領袖毛主席の『我われが全人民とが団結し共同して努力すれば、あらゆる困難を押しのけ勝利という目的に到達できる』との教えを心にシッカリと刻んだ」。天候はいよいよ荒れ、航標五号の行く手を遮る。その時、程志敏の脳裏に「勇敢なる戦闘精神を発揮せよ。犠牲を恐れるな。疲れを恐れず連続作戦の作風を発揮せよ。短期間に休むことなく波状攻撃で戦い抜け」との「偉大なる領袖の教え」が浮ぶ。

 やがて現場に到着し沈没寸前の船から乗組員を救助し、任務は完了した。そこで程志敏が「この軍隊は比類なき精神を秘めている。敵の一切を圧倒し断固として敵に屈服しない」との『毛主席語録』の一節を声高らかに読み上げた。かくして「キラキラと光り輝く金波銀波を蹴立てて、程志敏と同志たちが操舵する航標五号は革命の航路を勇敢に前進する」のであった。


英語教育にも「毛沢東賛歌」


『夜航石頭沙』と前後して上海出版社からは、文革工作に挺身する小学生が、蔣介石一派の秘密工作員で元教師の破壊工作を摘発し毛沢東派を守った『英雄機智的紅小兵』、毛沢東思想で武装し、自然災害を克服し豊かな収穫をもたらした人民公社の英雄を描く『胸懐朝陽戦冰雹』、毛沢東の訓えのままに「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」に革命精神を発揮して多くの人々を救った人民解放軍兵士を讃える『優秀共産党員――陳波』、さらに旧社会では教育の機会すら与えられなかった港湾労働者の宋懐宇が、毛沢東思想学習をキッカケに英語を学び、やがて海外からやってくる外国船員に英語で毛沢東思想の意義や文革の理想を語るに至るまでの『宋師傅学外語』などが出版されている。

 どれもこれも定型化された毛沢東賛歌であり、いわば紋切り型の結論ではあるが、『宋師傅学外語』を読んでいて興味を持ったのは、当時、実際にはどのような英語教育が行われていたのかといった点だ。そこで『簡明英語語法』(湖北省中小学教学教材研究室編 湖北人民出版社 1973年)のページを繰ってみた。

 同書は書名で判るように英語文法解説書だが、出版時期からいって単なる文法解説書で終わってはいない。徹底して毛沢東賛歌である。目に着いた例文を紹介しておくと、

・Chairman Mao is our great teacher.(毛主席は我われの偉大な導き手である)

・Down with the landlord class!(地主階級を打倒せよ)

・Imperialism,revisionism and all reactionaries are paper tigers.(帝国主義、修正主義と一切の反動派は張子の虎である)

・Only socialism can save China.(社会主義のみが中国を救う)

・China will never be a superpower.(中国は断固として大国にはならない)

 このように激烈な例文が次々に記されているが、最終的には「The sea is deep,but our love for Chairman Mao is deeper than the sea.(海は深い。我われの毛主席に対する熱愛は海よりも深い)」に収斂していく。かくして外国語学習であれ、一瞬たりとも毛沢東思想から離れることはなかったわけだ。

なぜ、「99%の火傷」を負っても完治可能なのか?

 最後に文革期を代表する子供向けの百貨全書とでもいうべき『十万個為什麼』(上海人民出版社 1970年)を紹介しておくのも、当時の子供たちを取り巻く時代状況を知るうえで意味あることだろう。

 これは全部で13冊という大部のシリーズで、出版し終わるまでに4年ほどの歳月が過ぎている。第1巻の出版が1970年9月で最終13巻が74年7月である。この間の重要な動きを拾ってみると、毛沢東と林彪の対立顕在化(70年)、林彪のナゾの逃亡とモンゴルでの墜落死(71年)、林彪事件総括の第10回党大会(73年)、四人組台頭と批林批孔運動(74年)。まさに文革後半の激動期を通じて出版されたことになる。それだけに編集者も執筆者も作業途中で方針や内容を変更せざるをえない立場に立たされ、大いに戸惑ったに違いない。

 書名は『十万個のナゼ』となっているが、「十万個」は沢山という意味である。第1巻冒頭の「ナゼ、我われは10進法を使うのか」からはじまり第13巻最後の「ナゼ、勝手にツバを吐くのはダメなのか」まで、各巻に主に自然科学関連の100から130前後の「ナゼ」が挙げられ、その回答がイラスト入りで判り易く解説されている。

 このシリーズ初版の出版は、大躍進失敗から毛沢東の権威が後退し、どん底経済立て直しに辣腕を揮ったことで国民間に劉少奇への期待が高まった時期の1962年である。ここで取り上げる上海人民出版社版の『十万個為什麼』は62年版の改訂版に当たるが、劉少奇が毛沢東の敵として国民的糾弾の標的となり抹殺された後であり、政治状況が大逆転してしまった以上、さすがに初版をそのまま印刷するわけにはいかなかったはずだ。

 その辺りの事情を各巻冒頭に掲げられた「重版説明」は、「これまで叛徒・内奸・工賊の劉少奇の反革命修正主義文芸の黒い方針とその影響下にあったことで、多くの誤りが存在し、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を積極的に広めないだけではなく、(中略)知識万能を宣揚し、趣味性を追及し、封建・資本・修正主義の毒素を撒き散らす内容の書籍が少なからず横行していた。偉大なるプロレタリア文化大革命の過程で広範な労働者・農民・兵士と紅衛兵の小将軍は、それら書籍の持つ誤りを厳格に批判し、修正主義文芸の黒い方針と黒い方針による出版がもたらす害毒を徹底して粛清した」とする。

 なにが「害毒」で、内容をどのように「徹底して粛清した」のか判然とはしない。たとえば「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の項目をみると、「資本主義国家の医学の“権威”は、火傷の面積が体の表面積の85%を超えた場合、死亡率は100%だと結論づける」が、「1958年に毛主席が定めた『意欲を奮い立たせ、先頭に立つよう努め、より多く、より早く、より立派に、より倹約して社会主義を建設せよ』との耀ける総路線の下、工農業生産の大躍進の高まりに鼓舞され、我国の医学関係者はこの迷信を打破し、大胆に実践し、80%以上の火傷患者を救うことに成功した。偉大なる文化大革命の過程で(中略)99%の火傷を負った患者、さらには3度の火傷で94%という広い面積の火傷を負った患者を治癒することに成功し、資本主義国家の“権威”の定説と文献上の記載を完全に乗り越え、世界医学界における奇跡を創造」と記すのみである。これでは、「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の疑問に対する科学的な回答ではないだろうに。

 因みに13巻の最後――ということは『十万個のナゼ』の最後の「ナゼ」は「ナゼ、どこにでも唾を吐いてはダメなのか」。病原菌を撒き散らすから「僅かな唾でも被害は甚大だ。だから、辺りかまわずに唾を吐くといったような悪い習慣は絶対に改めねばならない」で終わっている。「悪い習慣は絶対に改めねばならない」とは、なんとも“意味シン”な回答だと思う。

「政権は鉄砲から生まれる」と、毛沢東は革命における「搶扞子(武力)」の重要性を強調する。だが「筆扞子(メディア)」の働きを忘れていたわけではない。いや、むしろ時には筆扞子に重きを置いていた。文革はその典型だろう。人民解放軍(=搶扞子)を掌握して劉少奇追い落としに成功して後、「未来の大人」であり「小さな大人」である子供に向けて、いよいよメディア(=筆扞子)戦略は巧妙に激烈に展開されることになる。


___________


阿修羅のスレの大半を投稿している 赤かぶ氏 はこういう教育を受けた中国のネット工作員グループで、一人ではないですね

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c191

コメント [政治・選挙・NHK250] 南スーダンに派遣された自衛隊。任務の内容、状況を秘せられて任地に赴くことになる自衛隊へ、これが安倍の与えてくれる誇りか  赤かぶ
2. 2018年9月04日 08:15:27 : 8iZM4l4KDU : jP9BHC7pYGA[37]
自衛隊をアメリカの傭兵にした安倍晋三と稲田朋美、そして自民党と公明党は万死に値する。

こいつらを戦闘地域に派兵しろ。こいつらは自分が前線に派兵されることになれば、遁走するに決まっている。

ついでに公明党を支持する創価学会の会員も、戦闘地域に派兵してもらいたい。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/238.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK250] 日本の空虚な新聞信仰。なぜ、温存されるのかにつき、無視できないのディープステート(国家内国家)の存在  赤かぶ
3. 2018年9月04日 08:15:47 : BQ9quuYgw2 : GKMM4z65w3U[2]
新聞の売り上げ=信仰がつづいてるとするのは違うね。それは単にリーマンや学生同士が傷を舐め合うために社会認識を擦り合わせて下々の繋がりを大切にしたいとする、殆ど本能的な惰性だろ。付き合いを大事にしてるというより会社社会に家族という人質をとられて、それしか道がないと踏んでる連中が多いというだけだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/230.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍政権が沖縄県一般職員に強烈なパワハラ!  赤かぶ
31. 2018年9月04日 08:17:37 : hpxCmKE5mU : AUEDZ8m727U[1]
求めるにしても、
業務上のことはすべて沖縄県が損害して、
そのうえで沖縄県が該当職員に求償請求で損害賠償させる。
これが基本であって職員に直接請求することはできないんだよ。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/209.html#c31
コメント [国際23] モスクワの反対集会に1万人 プーチン大統領の年金改革案、ロシア各地で抗議行動(ニューズウィーク) 赤かぶ
3. 2018年9月04日 08:22:00 : BQ9quuYgw2 : GKMM4z65w3U[3]
年金問題でこれだけ騒いでいいなら日本はもっと騒いでやらんといかんのだがねぇ。破綻してる金株価操作につぎ込んで外に流出させてんの全部明るみになってんだからさ。ん?
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/777.html#c3
コメント [お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
192. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年9月04日 08:22:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

反原発運動は中国の工作員が扇動していた


阿修羅原発板は日本の反原発活動の拠点になっていますから、ネット工作員が毎日必死に活動しています:


脱原発を操る中国の工作員
https://www.youtube.com/watch?v=6vlDEq2AZhM


2012/07/20 に公開

日本は今、「脱原発」が時代の流れであるかのような空気の中にあります。

それは、3年前に「政権交代」が時代の要請でるかのような錯覚に陥らされたのと同じ「作られた空気」です。

この二つの空気作りを先導したのがマスコミでありますが、その背後には中国の工作員による激しい工作があることを見抜かなければなりません。

私は中国人を憎んでいるわけではありません。共産党の独裁化にある中国政府のあり方を危険視しているだけです。

共産党政府の工作員となって日本で活動する方々、工作員によってC・H工作を受けている日本人に訴えているだけです。

そして、坂本龍一、内橋克人、大江健三郎などの諸氏が、この運動を操る中国政府工作員の動きを見破れなく、日本を危険な海域へと運ぼうとする「愚かさ」に涙するものであります。

日本を滅ぼす気なのか! 子供たち未来に責任が持てるのか!

坂本竜馬、西郷隆盛たちに合わす顔があるのか!!・・・と問いたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=6vlDEq2AZhM

iofhdh249gd58さん 2013/9/30 08:10:50
脱原発・反原発の人は、なぜ「中国や韓国」に原発やめろと言わないんですか?


回答1 g13_killerさん 2013/9/30 09:31:19

福島県人以外の脱原発反対者は、在日工作員が大半です。

芸能人で反対してるメンバーの過去を調べれば、在日帰化組だらけ。

原発反対運動に参加してる人達は、韓国人デモや行動と似ているのが証拠だ。

他国に自国の原発を建設したいから、中国や韓国ではなんの反論も無いし、在日共の工作だと分かる。


__


回答2 sinjitu_trip_pointさん 2013/9/30 08:20:57

脱原発運動は原発施設を途上国に売り込みたい中国・韓国が競合する日本を追い落とすために行われている、との陰謀論も、あながち根拠の無いものではないように思えてきます。

安倍政権は憲法改正を唱えていますが、それに合わせて「スパイ防止法制定」をぜひともやってもらいたいし、これが国家を守る上での重要課題となります。それがないために北朝鮮による拉致を防止できなかったわけですし、また、日本の核技術も盗まれているのです。日本原子力開発機構(原研)には反日左翼の労働組合があって、JーPARCの件も内部工作員らが政治闘争に位置付けているはずです。原研の特殊原子炉図面が中共にわたって、そのコピーが四川で建造された事実もあるのです。

中共の核兵器開発の拠点である四川には、わが国が原研で開発した特殊原子炉のコピーも建造されている。それを目撃した京都大学名誉教授からの情報です。原研にはスパイがいる。

原子力機構J−PARCの事象での1.7ミリシーベルトは、放射線事故ではありません。放射線管理区域内の作業員の線量は年間50ミリシーベルトが限度で、それを越えたと場合が事故となるのです。施設内でその数値であれば、周辺住民の線量は0.0ミリシーベルトと想像できます。ですからNHKを始めとする報道の仕方は誤りです。こんないいかげんなニュースだから、社会が混乱するのです。

1995年、二次冷却系で温度計の破損によって金属ナトリウムが漏れたトラブルの原子力機構のもんじゅでも、線量は0ミリシーベルトで、放射線事故ではありませんでした。しかし、ヒステリックな報道と、反日左翼運動の脱原発闘争によって徹底的に糾弾され、そのために国益が損なわれてきたのです。私達のような放射線業務従事者は、10ミリシーベルトくらいの線量で驚くことはありません。そのくらいの放射線であれば、むしろ健康にプラスになることはあってもマイナスにはなりません。

私も学生時代の加速器実験では、多少の線量数ミリシーベルトくらいは、受けています。実験家にとっては、当たり前の範囲ですが。自分の健康を多少顧みない科学者たちの献身が、科学を発展させてきたのは歴史的事実です。マリー・キュリーのことも思い出してほしい。

法令限度以下のミリシーベルト事象で、大騒ぎするTV,新聞は、国益を害していることに気が付きなさい。過去の事例、原子力船むつの廃船、高速増殖炉もんじゅの長年の停止状態、福島県民の心労による自殺病死、農産物等の風評被害。責任とれよ。福島県民の大半は5ミリシーベルト以下。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114240145


中国の工作員による脱原発デモのコントロール 2012年10月08日(月)13:09
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

脱原発デモには純粋な気持ちで参加した人がほとんどです。

しかし、

中国が裏から左翼活動家をバックアップし、左翼活動家がデモを密かにコントロールした。

といううわさが流れています。

これは本当でしょうか?

(10月8日 13:11 追記:)
日本から中国への技術移転、
これが狙いだったという憶測が流れています。
あくまで憶測です。


海外希望の原子力技術者 震災前の1.5倍

 政府が「2030年代の原発稼働ゼロ」を柱としたエネルギー政策を打ち出すなか、技術者の転職などを支援する団体に登録し、海外での勤務を希望する原子力関連技術者が、東日本大震災以前と比べ1.5倍に増えていることが7日、分かった。中国企業からの引き合いが増加しており、脱原発の動きが、日本の原発技術の海外流出を進める実態が浮き彫りになった。250基以上の原発建設計画がある中国の原発事業者からの募集が急増しているという。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/snk2..


回答者 (匿名希望) 2012年10月08日 15:06

デモを裏で先導したかどうかにかかわらず、今回の原発事故を契機に、中韓の原子力関連企業からの引き抜き工作が活発化している実態は、少し前にNHKの特集だかでも実録でやっていましたね。

実際に韓国へ移った人もいるようでした。
相当に高いお金で引き抜こうとするので魅力的なようですね。

日本の未来にとって、大変憂慮すべきことです。

民主党政府は脱原発を叫んでいますが、こうしたことがひいては国防や将来の国際競争力に影響することを何も考えていないようですね。

相変わらず国民の気分様子見でころころ票集めのみに専念している民主党政治では国を滅ぼす恐れがあります。
https://smcb.jp/worrying_questions/57425

2011年 04月 12日 反原発運動でわかる特亜の工作員
http://ttensan.exblog.jp/13368973/

高円寺の反原発デモに1万5000人も集まったらしいですが、
まずはこちら、そのデモの映像から。

高円寺・原発やめろデモ!!!!!素人の乱主催02●出発地点でのカオス
https://www.youtube.com/watch?v=xnYALhFAX-U


北朝鮮の旗振ってたり、、どうみても日本人とは思えん連中。
特に列を仕切ってるヤツ。

以下昨年5月の新宿での沖縄米軍基地反対運動の映像


「沖縄に基地を押しつけるな!」新宿で抗議アクション
https://www.youtube.com/watch?v=rg66lGW7xtY


最後に出てくる人(2分過ぎあたりから)
と高円寺のデモを仕切ってる人が同じ人です。


そして次が昨年10月の尖閣事件への反中デモの時に妨害してきたヤツの写真。

http://ttensan.exblog.jp/iv/detail/?s=13368973&i=201104%2F12%2F84%2Fd0044584_2210040.jpg


さらに2009年の7月の慰安婦展に対する
「慰安婦捏造反対デモ」を妨害してきたヤツの写真。

http://ttensan.exblog.jp/iv/detail/?s=13368973&i=201104%2F12%2F84%2Fd0044584_22101420.jpg

全部同一人物ですね。

今日も中核派の根城として有名な法政大近くの飯田橋駅前では
学生が(非学生もいますが)反原発をしつこく訴えています。
(31日の反原発デモで中核派が3人逮捕されています)

しかし、やはり「中国の核兵器」には文句を付けません。

日本の反原発運動を盛り上げているのは

 「日本に核武装するチャンスを作らせない」

という事を目的にしている特亜と、そこからの資金で動いているプロ市民と見るべきです。
あとは社会経験が無くて頭でっかちな学生をカモにしているだけでしょう。

今回の福島原発での対応で、民主党政権が必ず最悪の手を選んで混乱を広げていることを利用し、
大げさに騒いでチャンスとばかりに活動をしていると言うことでしょう。
http://ttensan.exblog.jp/13368973/

中国のネット工作員は28万人
280,000 pro-China astroturfers are running amok online
http://arstechnica.com/tech-policy/news/2010/03/280000-pro-china-astroturfers-are-running-amok-online.ars

2015-06-09
中国が「超限戦」という卑劣な犯罪行為を仕掛けてきている


まだ日本と中国は物理的に衝突していないので、戦争ではないとは言える。

しかし、銃弾が飛び交うものだけが戦争ではない。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」そのものも戦争である。そう考えると、すでに日本と中国の戦争は「起きている」と言うこともできる。

中国は昔から謀略と策略を相手に仕掛ける民族であり、それは孫子や韓非子のようなものを読めばすぐに分かる。

これらの書は「兵法」であると言われているが、よくよく読むと兵法に名を借りた「相手を騙す方法」の列挙であることが分かる。

どのようにして相手に罠をかけるのか、どのように相手を騙すのか、どのように相手の足をすくうのか、そんな騙しと詐欺の方法ばかりが書かれているのが中国の兵法だ。

中国人は「相手を陥穽に落とすための書」をバイブルのように読んで、しかもそれを実践している。中国が信頼できないというのは、ここから来ている。


自分さえ儲かれば他人がどうなっても構わない

現代の中国社会は「自分さえ儲かれば他人がどうなっても構わない」という利己主義と拝金主義で覆われている。その結果、中国は売っているもの、食べるもの、飲む水、吸う空気ですら、安心できない究極の汚染大国と化した。

現在、日本でも見られる中国人の爆買いは、自国の商品がまったく信頼できないことから起きている。

(よく考えて欲しい。なぜ中国人が海外で爆買いをするのか?)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150410T0209500900.html


「自国のものが何も信用できない」「外国の安心できる商品が欲しい」という欲求が、外国旅行による爆買いにつながっている。自国の商品がまともだったら、誰も外国に行って重い荷物になるものを買いまくらない。

中国人は爆買いした日本製の商品を中国で転売する。これも、自国の商品がまるっきり信頼できないから成り立っている小遣い稼ぎである。

自国の商品が信頼できないものになっている根本的な原因は、やはり孫子の兵法のような「他人を騙す思想」の影響下にあるからだ。

全員が「他人をいかに騙すのか」に終始した書物を読んで、実際に他人を騙しながら不良品を売りつけるような商売をするので、人にも商品にも信頼が成り立つはずがない。

中国人は基本的に、今でも家族以外の他人はほとんど信用しない。他人は騙してくる存在だからだ。中国では「騙された人間が悪い」のだから、家族で固まり、その他の人間は絶対に信用しないことで防御するしかない。

中国社会の隅々まで「いかに相手を騙すか」という詐欺思想が蔓延している。だから、「相手を騙す」というのが中国という国の体質となってしまった。


中国ではこれを「超限戦」と名付けて悦に入っている

そんな国が大国と化して外交をしているのだから、それが信頼と絆に基づいたものになると考える方がどうかしている。

孫子のような「詐欺書」をバイブルのように崇める中国が行う外交というのは、やはり「相手を罠に落とす」ものでしかない。孫子の兵法がそのまま外交になる。

「馬鹿を屋上に上げて、ハシゴを外す」とか「自分が弱いときは提携を呼びかけ、自分が強くなれば反故にする」とか、信頼の欠片もないようなことを解説しているのが孫子の兵法だ。

中国共産党は、こんな詐欺行為の書かれた書を信奉し、これをそのまま外交で実践している。最近では、このような孫子の兵法が現代の社会情勢に当てはめられ、さらに悪質化している。

中国では現代に合わせて進化させた兵法を「超限戦」と名付けて悦に入っている。

超限戦も、「国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦」で、相手をワナにかけてめちゃくちゃにする方法を説いている。

この超限戦をするにあたっての心得としては、「倫理基準を超え、タブーを脱し、手段選択の自由を得なければならない」のだという。

分かりやすく言おう。要するに超限戦とは「法を無視して、相手をあらゆる分野でワナにかけろ」というものである。

今の中国がやっているのはこの「超限戦」なのだ。日本はこの超限戦を仕掛けられて、中国に翻弄されている。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」が、日本に張り巡らされている。

だから政治家も知事もマスコミもジャーナリストも少なからずが中国に取り込まれ、「これからは中国の時代」とか言い出して日本を売り飛ばそうとしている。

日本はもうとっくの前から「超限戦」を仕掛けられ、中国の手先となった人間がうようよしているのである。


よりによって、謀略のターゲットは日本である

よく経営に孫子の兵法を取り入れるべきだとか、孫子を研究していると公言する経営者がいる。

中国のそれぞれの兵法というのは、そのほとんどが「他人を騙す方法」を解説したものなのだから、そんなものを研究する経営者というのは、「他人を騙す方法を研究している」と言っているのも同然だ。

それを実践しているのであれば、そんな経営者は詐欺師も同然なのである。

私たち日本人が知っておかなければならないのは、こうした他人を騙す方法を事細かく解説した薄気味悪い思想を中国政府がバイブルのように信奉して、実際に実践で使っており、よりによってそのターゲットが日本であるということだ。

とても危険なことに、中国軍はこの「超限戦」をシステムの中に組み込んでいる。そして、実際にハッキングする部隊や、外国企業の情報を盗む部隊が存在する。

日本の各企業の機密情報が、どんどんハッキングによって盗まれているのだが、その裏には「超限戦」による問答無法の犯罪行為が国家規模で行われている。

日本人の政治家・知事・マスコミ関係者・教育者を、金と女でワナにかけて、弱みを握って売国させるのも「超限戦」のひとつの方法である。ハニートラップの噂になる政治家は多い。

今後、私たちは政治関係者やジャーナリストを見たら、その人が日本人の名前を名乗っていても、その人物が信頼できるのかは、次の5点をしっかり確認しなければならない。

「日本に対して忠実か」
「外国に妙な影響は受けていないか」
「人格に問題はないか」
「法律は守れるか」
「不正はないか」

日本企業も他人を雇うときも、上記がとても重要だ。また、目の前の人物が「反日国家の人間ではないか」「反日国家に影響を受けていないか」を判断するために、しっかりと確認しなければならない時期になっている。


銃弾が飛び交うものだけが戦争ではない。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」そのものも戦争である。そう考えると、すでに日本と中国の戦争は「起きている」と言うこともできる。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150609T1632350900

阿修羅政治板も中国の工作員の巣窟ですね

2016年3月29日の安全保障関連法の施行は重要な一歩だった


「憲法九条があれば日本は永遠に平和」「平和を守れ」と言うのは、日本を武装させたくない中国・韓国・北朝鮮の工作員が日本人を洗脳するために行っているものである。

日本が平和ボケしていれば侵略しやすいので、中国・韓国・北朝鮮のような特定アジアは、工作員を使って「憲法九条を守れ」という運動を大々的に展開している。

客観的に考えれば、相手が暴力的だと一方が平和を守れと言っても蹂躙されるだけだとすぐ分かる。

しかし、「憲法九条を守れ」と言っている人が特定アジアの工作員であるのはもうバレているし、マスコミの世論誘導も見透かされてうまくいっていない。

そのため、2016年3月29日にはあっさりと集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法が施行された。

反対しているのは、売国政党である民進党(元民主党)や日本共産党、そして朝日新聞とその仲間くらいなもので、ほとんどの日本人は集団的自衛権に理解を示している。

何しろ、中国・韓国・北朝鮮が日本を敵視しており、日本は大きな危機に巻き込まれつつあるのである。日本はこのままでいいのかという危機感が日増しに強くなっているのだ。


この瞬間にも韓国の国民の貧困化は加速している

いくら日本が平和を遵守すると言っても、中国・韓国・北朝鮮が日本を「敵性国家」扱いしていれば平和がそのまま続くなど誰も約束できない。反日とは「日本人憎悪」であり、これは明確な民族ヘイトである。

中国や韓国や北朝鮮の気が狂ったような反日は、その裏に格差に苦しむ国民の姿がある。

ミサイルを飛ばす北朝鮮は、いつ崩壊してもいいような脆弱な国家であり、その現実から目をそらすために反日反米で国民の目を外に向けさせている。

韓国も先進国に駆け上った成功国家として喧伝されていたが、実際には内憂外患の国家と言える。

サムスンやヒュンダイのような財閥企業は国に保護されて巨大化しているが、国民は見捨てられている。

失業者も自殺者も多い。失業率は国際基準では10%を超えていると言われ、労働環境も悪く、若者は韓国を「ヘル韓国」と呼んで自嘲し、できることなら移民したいと望んでいる。

今でも韓国女性は全世界に売春ビジネスを強いられているのは、よく知られた事実だ。韓国は従順慰安婦の問題で日本が悪いと叫んでいるが、韓国女性は世界中に売春ビジネスを行っている売春大国なのだ。

韓国国内でも、40過ぎて強制的にリストラされた韓国人サラリーマンは何とか生きるために何らかの起業を始めるが、そのほとんどはことごとく失敗して消えていく。

韓国という国家は経済的に追い込まれている。今この瞬間にも、国民の貧困化が加速しているのである。

そこで起きているのが、偏狭なナショナリズムを土台にした反日運動である。国民が貧困化すると、現状不満は政府に向く。だから、朴槿恵(パク・クネ)政権は国民の目をそらすために、その怒りを外に向ける。

日本は、鬱憤晴らしに叩くにはちょうどいい相手だと韓国人は甘く考えている。


「習近平は辞任しろ」という記事も掲載された

中国もまた同様に、グローバル経済の不振のあおりを受けて、経済成長が止まってしまった。さらに、2015年6月以降は上海株式市場のバブルも崩壊して、今もその打撃の最中にある。

崩壊していく経済を何とか立て直そうと、中国政府はマンションの頭金をゼロにさせて再び不動産バブルを演出しようとしている。

しかし、不動産を高騰させても経済全体が崩壊しているので、不動産バブルはただの演出でしかない。

国営企業は機能せず、借金だらけのゾンビ企業が中国に蔓延し、パクリばかりで技術革新などまったくなく、情報封鎖を繰り返して民主主義も後退し、財政収支は悪化していくばかりだ。

そこに大気汚染、食品汚染、砂漠化のような、巨大な問題が覆い尽くすようになり、中国の将来に懐疑的な目を向ける人が増えてきた。

2016年に入ってからその傾向はさらに強まっており、習近平はこれを李首相のせいにして、自分が悪いのではなく李首相が悪いのだと責任逃れをしようとしている。李首相は解任されるという噂も飛んでいる。

中国は復活できない確率が高まった。

今はもう中国に膨大に取り残された貧困者が、遅れて豊かになるという楽観論が消えている。つまり、貧困化が解消できず、むしろ固定化することが決定した。

「いつか豊かになれると思って努力していたが、豊かになることは不可能になった」

そんな中でも個人崇拝をさせようとしている習近平には批判も強まっており、政府系のニュースサイトは「習近平は辞任しろ」という記事を掲載して物議を醸した。

情報統制されている国家で、そのような記事が表面化するほど習近平政権は追い込まれているということだ。


お花畑のような平和主義しか頭になかった日本

特定アジアの国民・人民は、現状に対して激しい不満を持っている。そのため、遅かれ早かれ、これらの国は暴走し、対外的にも危険な国と化す。

中国は常に国民の怒りを日本に向けさせる。韓国とまったく同じだ。北朝鮮も同じだ。日本は怒りの矛先となる。

その中で、いよいよ日本人も「このままでは危ない」と目覚めてきているのである。

日本人が突如として危機に気付いたのは、2010年の尖閣諸島沖漁船の問題からだった。

当時の菅直人政権は、中国政府に「漁船で体当たりした中国人船長を釈放しろ」と脅され、裁判もかけずに中国に返した。このときから日本人の中で、傲慢に圧力をかけてくる中国に対する危機が芽生えていった。

そして、2012年に韓国大統領だった李明博が竹島に上陸して「ここは韓国のものだ」と宣言し、「天皇陛下はひざまづいて謝れ」と言ったので日本人は激怒した。日本人の反韓もここから始まっている。

中国人も韓国人も北朝鮮人の日本人憎悪が暴走していくと、一番危険に落ちるのは言うまでもなく日本人である。

しかし、日本に対してことさら激しい憎悪を向けている「特定アジア」3ヶ国に対して、日本人はやっと集団的自衛権によって防衛を整えていけるようになった。

折しもアメリカは「もうアメリカは日本を守らないので、日本は自分たちで自分たちの身を守れ」と言うようになってきている。ドナルド・トランプに至っては「核武装しろ」とも公言している。

アメリカは自国経済を立て直すために、そのようなスタンスに変わってきているのである。

こうした中で、特定アジアから日本を防衛するための一歩として、2016年3月29日の安全保障関連法の施行は非常に重要なものであった。

特定アジアの工作員が我が物顔で活動する日本で、安全保障関連法の施行まで辿り着いたのは快挙であると言ってもいい。


日本に対してことさら激しい憎悪を向けている「特定アジア」3ヶ国に対して、日本人はやっと集団的自衛権によって防衛を整えていけるようになった。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2016/03/20160331T1443410900.html


2015-09-19
安全保障関連法成立。2015年9月19日は歴史的な日になった


2015年9月19日、安全保障関連法が成立した。これは「日本国民の平和と安全を守る法案」なのだから成立して当たり前のものである。

この法案が急がれていたのは、中国・韓国・北朝鮮の「特定アジア」3ヶ国が日本を敵視しており、特に中国は軍事的な脅威を増長させているからだ。2015年9月3日も「抗日」戦勝記念なるもので軍事パレードしたばかりだ。

現実の脅威がそこにある。

ところが、国会前は左翼と特定アジアの工作員たちが「日本国民の平和と安全を守る法案」を成立させまいと激しくプロパガンダ工作を行い、さらにマスコミがそれを針小棒大に取り上げて気が狂ったように紙面で騒いでいた。

誰でも平和を守りたいと思う。だから、平和デモは賛成だ。ただし今回のデモ隊が馬鹿だと嘲笑されているのは、「日本国民の平和と安全を守る」法案を通そうとしている官邸にデモをしていることである。

彼らがデモの拳を突き上げなければならないのは中国大使館なのである。東アジアの安定を損なっているのは中国の膨張主義だからだ。

中国は現在、南沙諸島に三本目の滑走路を建設しているが、それが軍事的な拠点作りであることは全世界が知っている。こうした膨張主義がアジアの平和を乱しているのだから、平和主義者は中国大使館に24時間デモを仕掛けるべきだったのだ。


マスコミの行っている執拗なまでのプロパガンダ

なぜ、今回の平和デモの開催者たちが中国大使館に向けて「平和を守れ」と叫ばないのかというと、そもそもこの集団の黒幕が日本共産党であり、そのバックに中国共産党がいるからだ。

平和のためにやっているのではなく、平和を建前にして日本から武力を奪うための中国による「超限戦」だったのだ。

(中国が「超限戦」という卑劣な犯罪行為を仕掛けてきている )
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/06/20150609T1632350900.html


だから、今回のデモには簡体字を使ったプラカードが踊ったし、日本の国旗は立たなかったし、中国大使館前でのデモも行われなかった。

日本人がうんざりしたのは、マスコミが終始、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダの垂れ流しだけをしていたことだ。

安全保障関連法に賛成の意見はほぼ採り上げられることがなかった。そして、この安全保障関連法が特定アジアを除くほとんどの国が賛成していることも報道しなかった。

中立公平でなければならない報道機関が、まるで日本人のすべてが反対しているかのような報道をして「印象操作」していたのである。

「日本国民の平和と安全を守る法案」を戦争法案とレッテル貼りしてまるで安倍首相が明日にでも戦争をするような印象操作すらも行っていた。

世論操作・情報統制には7つの原則があることはよく知られている。

(ここに注視。情報操作として使われている「7つの原則」とは)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130524T1543000900.html


今回の反対プロパガンダもその原則をそのまま使っていたことに気付いた人も多いはずだ。

(1)安倍首相にヒトラーとレッテルを貼る。
(2)「戦争法案」と言って煽り立てる。
(3)学者や反対議員に反対と言わせる。
(4)芸能人・著名人も反対しているとステマする。
(5)自分たちが日本の味方であると強調する。
(6)日本の平和と安全を守るという一面は矮小化。
(7)反対するのが流行っているとブームを作る。


特定アジアに汚染されているマスコミは、執拗なまでにこの情報操作の原則をそのまま使って、「日本国民の平和と安全を守る法案」を潰そうと画策していた。


悪質だった「朝日新聞」特別編集委員の冨永格

マスコミを信じると、特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)のプロパガンダのワナにはまる。かつての日本人なら、ものの見事にこのマスコミのプロパガンダに誘導されていただろう。

しかし、もうマスコミは信用されておらず、今回の執拗な情報操作も効果がなくぶざまに失敗し、安全保障関連法は2015年9月19日に成立した。

マスコミはすでに権威が失墜している。

特に韓流ゴリ押しを続けて日本人に韓国崇拝を押し付けていたフジテレビや朝日新聞は日本人に嫌われてメディアとして凋落していく一方である。


朝日新聞は今回の「日本国民の平和と安全を守る法案」でも、日本人全員が反対しているかのような底の浅い印象操作を繰り返すという愚を犯している。

朝日新聞の冨永格(ただし)という特別編集委員も、信じがたいほど悪質な人間だった。

この男は、ナチスの旗を掲げたデモの写真をツイッターに載せて、英文とフランス語で「日本人のナショナリストの東京でのデモ。彼らは安倍首相と保守的な政権を支持している」と書き込んで印象操作にいそしんでいた。

(朝日新聞関係者のツイートも超限戦であることに気付くべき)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/08/20150804T1604120900.html


こんなことばかりしているのだから、日本のマスコミが今後かつての権威を取り戻すことは、特定アジアの工作員を完全に社内から締め出すことができない限り、難しいと言える。


安全保障関連法によって、日本は一歩前進した

マスコミの世論操作は失敗して、安全保障関連法は見事に成立したが、本当の戦いはこれからだ。

「日本国民の平和と安全を守る法案」を巡る一連の動きで、日本にはいったいどれほどの売国者が潜んで、ネットワーク化され、日本を蝕んでいるのかという実態が明るみに出た。

それは非常に憂慮すべき実態でもあった。政界、財界、教育界、宗教界、芸能界、報道界のすべてに売国者がいることが見えてきたからだ。

日本の中枢は、今やほとんどが特定アジアの工作員やシンパで占められている。

こうした工作員が組織を乗っ取っているので、日本を愛する人たちや日本の国益を優先したいと考える人たちが、重要な組織の中枢から排除されているような実態すらも浮き彫りになりつつある。

いかに売国者(ニセモノの日本人)が日本に溢れているのか、今回の一連の動きでよく分かったはずだ。

日本に敵意を持っている中国・韓国・北朝鮮の工作員たちが跋扈しているのが今の日本の社会なのである。

だからこそ、本当に日本を愛する人たちはこれから日本内部に巣くう反日ネットワークと戦うために、互いに連携し、互いに引き上げ、互いに助け合っていくしか方法はない。

かつて日本は「日本人の、日本人による、日本人のためのネットワーク組織」である玄洋社(げんようしゃ)を持っていた。あまりにも危険かつ強固であるとしてGHQに封印された組織である。

(米国に封印されたこの組織が日本に蘇ると、世界が震撼する)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/06/20150612T1710500900.html


売国者がはびこるこの時代、玄洋社(げんようしゃ)のような徹底した「日本主義」の組織が必要になってきている。

安全保障関連法によって日本は一歩前進した。日本を取り戻すための大きな一歩だった。2015年9月19日は日本にとって非常に歴史的な日になった。


重要な法案を成立させた安倍首相。安全保障関連法によって日本は一歩前進した。日本を取り戻すための大きな一歩だった。2015年9月19日は日本にとって非常に歴史的な日になった。大きな仕事を成し遂げた安倍首相をねぎらいたい。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/09/20150919T1353310900.html

>前から政治板と原発板は何かおかしいと思っていたのですが、中国当局に目を付けられていて、専任の工作員に毎日 工作活動をさせている様ですね。
気づくの遅すぎですよ

中国政府としては日本が核兵器を持つのを何とか阻止したい。
原発が無ければ核兵器も作れないので、どんな事が有っても日本の原発再稼働だけは止めさせたいのですね :


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。


西部邁ゼミナール 「『核』が日本を沈没から救う」 伊藤貫
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/523.html

日本はアメリカの仮想敵国 _ 米軍は日本が独立するのを阻止する為に日本に駐留している
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/528.html

米中は昔から常に利益を分け合い、手を携え前に進む仲間だった
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/527.html

(伊藤貫) 米中衝突は起こらない! アメリカが日本を守らない理由
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/524.html

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c192

コメント [お知らせ・管理20] これが阿修羅に巣食う電通工作員 中川隆
193. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年9月04日 08:27:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

中国『開放雑誌』2004年意識調査。

25歳以下の青少年の82? %が、捕虜や婦女子の銃殺に「賛成」。

「日本人婦女は強姦して殺すべき」

「日本人の男は腸を開いて皮を剥ぎ、女は輪姦して殺すべき」

「日本人は嬰児から老人まで殺しつくすべき」

という回答が多数。


中国の反日教育の実態

Anti-Japanese Education in China
http://jp.youtube.com/watch?v=8Db4vorG0ug
(英語ナレーション・日本語字幕)

▲△▽▼


中国の掲示板から愉快なスレッドを選び、それを日本語に翻訳して紹介しておるぞ。

エイズを日本に広めようね♪


元スレはここだ。
http://club.book.sohu.com/read_art_sub.new.php?b=Focus&a=223239&sr=0&allchildnum=11


今年20歳で、もう少しで21になるんだ、人生でも楽しい時期のはずなんだけど、でもそんな風には全然感じられないんだ。 うつ病になったみたいなんだ、先月から、どんどん悪化してるようで、先月は一週間以上の間、全てが薄暗くなって、楽しくなりたくても、全く楽しくなれなくて、誰とも話をしたくなくなって、両親とか、BFともね............

今月また始まって、もう二日になるんだけど、本当に辛くて、自分で盛り上がろうとしても、できないんだよね、こういう感覚は正常な人にはわからないと思うんだ、私にとっては、死にたいくらいの感じなんだ.............

でもまだ死にたくないんだよね、だって自分にやり残したことがあるように思えるし、子供のころの夢もまだ実現してないから。


子供のころの夢、誰でもあるよね、大きくなったら宇宙飛行士になるとか、お金持ちになるとか、色々ね.......


でも私は違ったの。子供のころ学校で抗日戦争の映画を見て、日本人を憎んで、畜生にも劣ると思ったんだ、同じ人なのに、どうしてあんなにひどいことができるのか、私たち中国の土地がほしいから?ってね。

教科書に書かれた歴史を読んで、どんどん日本人を憎むようになって、こんな夢をもつようになったんだ:大きくなって、もし第三次世界大戦が起きたり、日本人がまた私たち中国に侵略してきたら、私は軍人になって、自分の命を引き換えにしても、一人殺せばおあいこだし、二人殺せば一人もうけたことになって、殺した数が多いほど、儲けが増えるんだ.......


 日はどんどん過ぎていくけど、第三次世界大戦は起こらないし、日本人も侵略してこない、、毎日見るニュースに出てくる日本の報道は二種類:一部分の日本人は自分が過去に行ったことについて後悔していて、一部分の日本人は自分の先祖が偉大だと思っている(右翼ってことだよね)。

日本人にもいい人もいれば悪い人もいるって考えたこともあるよ、でも抗日戦争で被害を受けた中国人が日本に賠償を求めて敗訴したり、日本の教育局が教科書の歴史を勝手に変えたりするのをみて、怒りの炎がまた燃え上がってきたんだ、間違いを犯したのにそれを認めないなんてひどすぎる、クソ日本、お前らは最低だよ!!!

 20歳、20歳はまだ大学にいる年齢だよね、でも私はそうじゃないんだ、あなたたちは大学に入って国家のために役に立とうとしてるよね、だから私も何かしなくちゃ、私が住んでるこの田舎では、うつ病とかいっても誰も知らないんだ、なんでうつが病気なの?どうして薬を飲むの?とか全然わかってないんだよ!私は計画を立てたよ、自分の夢を実現するためにね。


 明日広東の辺りに行くつもりだよ、なにをするかって?

みんなが恥に思ってる職業につくためだよ、売春婦にね......

売春をするのもお金のためじゃないよ、じゃ何のため?

売春婦はお金と関係がなきゃだめなの?

いまエイズが流行ってるよね?売春婦になるのは自分がエイズに感染するため.......

それから日本に密入国して、自分がエイズに感染したら計画は半分成功したようなもの、日本についたら99%成功.....

それから日本で売春婦を続けて、この邪悪なウイルスを広めて、たくさんのクソ日本人にこの病気を感染させて、家に帰って妻や恋人に感染させて、妻が不倫相手に感染させて、妻の不倫相手が自分の妻や恋人に感染させて....................

こうやって広まっていくんだ........

日本はあっという間にエイズという恐怖の病に包まれて、それはまるで富士山の上に黒い雲が折り重なっているようにね、そんな富士山は美しい.........

黒い雲はすぐに流されていくけど、エイズはそうはいかないよ、どんどん広がっていくんだ、


全ての日本人がエイズにかかったとき私たち中国人民は喜んで、韓国も喜んで、そのときにはあなたたちは花火を上げて、爆竹を鳴らして、ほんのちょっとだけ私のことを思い出してね、生まれ変わった時にはもう少しましな人生をおくれることを祈って...........
http://chinabbs.seesaa.net/article/6831449.html


赤かぶ氏の為に阿修羅掲示板は反日工作の拠点になってしまいましたね


http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c193

コメント [原発・フッ素50] たまり続けるトリチウム水 福島第一原発  こちら原発取材班(東京新聞)  赤かぶ
13. ボケ老人[3595] g3uDUJhWkGw 2018年9月04日 08:34:16 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[678]
10.11.12 3氏のおっしゃる通り。

投棄に際し、薄めることには何の意味も無く
誤魔化しの詐欺に過ぎない

五つの処分法とは
@海洋放出……沿岸放出……海洋放出なら黒潮の真ん中まで持っていけ
A水蒸気放出…周辺にトリチウム水の雨を降らす。
B水素放出……わざわざ高価な電気分解をする意味は全くない
C地下埋設……減容化せず地下埋設とはお伽噺
D地層注入……C以上にお伽噺

軽水水蒸気の放出後、濃縮汚染水を管理するしか方法はない。

現在のタンク保管している汚染水はトリチウム水以外の放射性物質を含んでいる。@ABは放射性廃棄物のばら撒きに過ぎない。

    
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/267.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK250] 国民が安倍氏を支持しないのは嫌悪感から来る。(かっちの言い分) 一平民
10. 2018年9月04日 08:37:15 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[777]

☆☆私はアベです。
ボクちゃんの又の名を「平成の悪魔👿」「ケチって火炎瓶」と言います

ボクちゃんは「第二次安倍政権」でおこなってきた事は
↓↓↓
☆☆刑事司法とメディアの腐敗が「歴代最悪、最低=安倍内閣」存続の根源❗
☆☆私はアベです。「あった事をなかった事にする捏造、改竄、嘘答弁お手の物=隠蔽内閣」のアベです。
❶森友・国有地払下げ事件。
❷加計学園への獣医学部新設にからむ公的資金強奪事件。
➌TBS強姦魔救済の伊藤詩織さん事件。
➍血税補助金詐欺事件。
❺リニア疑獄。
☆☆☆☆☆「安倍犯罪」底なし沼のように深い。以上は、単なる汚職事件ではない。この政権の体質、構造的な腐敗体質を露呈したもので、釈明の余地などない❗
☆☆☆☆「空前の破廉恥政権」恐るべき幕引き❗
巨悪の中心がのうのうと居座り、自分の為にやった事を他人事のように批判し、「膿」よばわりの倒錯❗
官邸ぐるみの「国家犯罪」を身内に調査させ、部下に責任を押し付けるとは、チンピラ以下の恥知らずだ❗
「アベ政治の5年間」でどこにも正義がなくなった「悪党天国日本」❗
「日刊ゲンダイ」より

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ですから「良識のある国民の民意」は嫌悪感や軽蔑の範囲ではなく「犯罪者」がなぜ総裁選に出馬できるかという事です❗
それも「糞派閥」が8割も支持しているとか??→非常識の度を超えている❗

☆☆☆☆石破さん❗お願いですから「悪党天国日本」を変えてください❗
今、国民は怒り狂っています❗
「アベゲリゾー」の「醜くむくみ切ったドス黒い顔」など二度と見たくありません❗

ここで一句
「ありえない、犯罪者🆗、総裁選」
「あったこと、無かった事に、安倍ゲリゾー」
「国会で、嘘しか言わぬ、安倍ゲリゾー」
「冷遇に、恐れおののく、糞派閥」

「糞派閥、国民不在の、総裁選」

「糞派閥、民意と乖離、総裁選」
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/193.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
8. 2018年9月04日 08:38:47 : JOnqEkpjDA : bKUuCYZqfGA[1]
もうコメントに、ぜんぶ、ぜんぶぅ、ぜんぶーー大賛成!

言うことなしに、言い切ってくれた。早くハザールマフィアとともに粛清されてくれ。自民党なんぞ全員、いらないよ。
国会議員なんざ、不用とおもうほどだ。世界一高い報酬を全員から取り上げたい。



http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK250] 討論はできないけれど、自衛隊高級幹部会同では訓示した臆病な安倍。言うに事欠いて、憲法改正の意欲など滲ませたら駄目じゃろ。 赤かぶ
3. 2018年9月04日 08:41:01 : dxkTl1vUxc : 4Qp9Icj8RwM[407]
安倍、本当に頭の悪い人。本を読まない、歴史を勉強しない等々あげたらきりがない。つまり政治にかかわるだけでもその資格なし。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/231.html#c3
コメント [経世済民128] ギャンブル依存症男性の借金体験告白 「限度額まであといくら…」(マネーポスト) 赤かぶ
4. 2018年9月04日 08:42:16 : 80x7Wa7bIQ : PtB2g33CSFY[7]
宝くじはつまらない ドキドキしない

ボートレースがギャンブルの中で

一番効率が良いかも

競輪は524分の一の確率

株は二分の一だ 負けていても

次期上がってくるから効率が良い

買うなら株だ ただコツコツお金を貯めなければならない

貯めるなら 昼夜働くことだ 働くことで

ギャンブルを忘れられます。


http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/361.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
15. 2018年9月04日 08:44:49 : ivuHY0OrFw : NAHBaOHYP6A[1]

安倍とか言うデキソコナイのおちこぼれは、性格・成育歴・学力・教養・知識等々全ての点で、マトモに字も読めないし書けないし、政治家には向かないのです、ましてや首相やるなどとんでもない。低脳・痴呆だけならまだしも、ヤクザと平気で不正選挙の取引するなど、本性は無法者・アウトローで、法治国家・民主制国家をグチャグチャに壊すのを使命としちょる。安倍が、20141216のムサシ不正選挙でノシアガッタが、ヤクザとバーター取引やるくれえじゃから、不正な選挙やるくれえ朝飯前じゃろう。世界でコゲンナ破壊者をトップに頂いちょる国は、日本だけだろう。プーチンやトランプその他が、日本国民に同情するんは無理ねえよ。自民のウン百の議員がこの阿呆神輿をコラショイ・ワッショイつて又担ぐ、いよいよ自民も賞味期限に向かっしょるな。



http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
9. 日高見連邦共和国[10142] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2018年9月04日 08:46:33 : NwWQYiC8iY : NhAAyv4W0iw[1085]

真相の道・薔薇ヒップ、出てきてなんか言えっ!(笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK250] 沖縄県知事選で玉城デニー候補が翁長氏の遺志を継ぐ決意表明! 一方、安倍自民党は争点隠しとフェイク攻撃を企て(リテラ) 赤かぶ
1. 2018年9月04日 08:49:18 : dB6pTl0p5o : Url3BCUdzKU[2]
米軍基地の7割を背負っている沖縄県知事選挙
候補者が、演説で基地移転に触れなかったら

それは知事としての当事者能力を持っていない
不適切な人が立候補したことになる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/237.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK250] 青木理さん / 「森友・加計問題って、個人攻撃じゃないですよね」  赤かぶ
12. 2018年9月04日 08:49:47 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[778]
☆☆青木さんのおっしゃる通り❗

☆☆私はアベです。
ボクちゃんの又の名を「平成の悪魔👿、#ケチって火炎瓶」と呼ばれています❗
「あったこと、無かった事に、アベゲリゾー」
「国会で、嘘しか言わぬ、アベゲリゾー」
☆☆ボクちゃんは今まで大嘘をつきすぎて何が何だか訳がわかりましぇーん❗

☆☆☆☆☆刑事司法とメディアの腐敗が「戦後最悪、最低=安倍内閣存続」の根源❗

☆☆日本の人がちゃんとした情報提供されたら、それなりに判断する層はまだまだ残っている。原発も再稼働反対や、憲法9条改正に反対する人は多い。でも、民主党政権の印象が悪くて、そのイメージがすっかり植え付けられている。今の安倍政権の方がもっと酷いけど、“民主党は酷かった”と国民に強く印象づけられた。メディアもそれに乗って、潰されて。「政権は長い方がいい」ってバカなこと言うやつがたくさんでてきた。そして暴走がひどくなり、金、人、コネ、昇進、あらゆる悪の元、下賤な政治になっていく。信念も信条もなにもない政治、ごまかしだからね。でも、救いは、経済最優先とか言って、息を吐くように嘘をつき続ける政治を続ける安倍政権でも、国民は“騙されている”という感覚がどこかで残っていること。いつかは、必ず揺り戻しが来る。経済学者「金子勝氏」
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/191.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK250] 青木理さん / 「森友・加計問題って、個人攻撃じゃないですよね」  赤かぶ
13. 2018年9月04日 08:51:55 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[779]

>>12に追記

>昭和と同じ…国会は一度狂えばどこまでも狂う人の集まりだ❗
本当に今の国会は「井筒監督」の仰る通りですね❗
ここまで狂った「安倍政権」が「安倍三選?いや安倍四選??」なんてことになったら
日本はどこまで崩壊してしまうのか??もう考えたくありません❗
☆☆刑事司法とメディアの腐敗が「歴代最悪、最低の安倍政権」存続の根源❗

☆☆☆「マークスの山」で直木賞受賞作家「高村薫氏」が鳴らす警鐘❗☆☆☆☆☆
「不祥事にしらを切る官邸・官僚」「政治不信は民主主義の危機」
民主主義の大原則を踏みにじるもの。だから本来なら即、「内閣総辞職でしょう❗」
「組織の長は責任を取るために存在する」「組織の体をなしていない」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一国の首相の配偶者の振る舞いに振り回されている政治の現状も取り繕うのに必死の内閣も、ひたすら追從するだけの与党や官僚も、そして次元の低さを冷笑するだけの有権者も全てが最低・最悪❗
けれどもこれが民主主義国家を標榜する日本の掛け値無しの実像なのです。政治を私物化し公文書の改竄まで引き起こした上に、誰も責任を取らない、こんな政治家に「重要法案の審議」などさせてはならない!これが原理原則です❗
政治の停滞がもたらす不利益はこんな政治を許してきた私達有権者の自業自得なのです。
真実や正義や公正が意味をなさない時代になり「原理原則が崩壊した社会に私達は生きています。これは文明の終わりの始まりなのかもしれません。
もはや腹を立てるだけ虚しい!それほどの惨状です❗
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/191.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK250] 翁長氏悼む安室さんに「反日なの?」 沖縄を見る目の今(朝日新聞) ローズヒップ
12. 2018年9月04日 08:56:51 : k2IOAoG8SI : jQ5LE_luYdk[2]
3さんに同意。

朝日はわざとネトウヨの拡声器をやっている。

学校で教師がいじめられっ子への匿名悪口を、教室でわざわざ紹介するみたいだ。

鵺(ヌエ)ということばがピッタリ。


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/204.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK250] 青木理さん / 「森友・加計問題って、個人攻撃じゃないですよね」  赤かぶ
14. 2018年9月04日 08:58:03 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[780]
>>12に追記

私はアベです。
ボクチャンは8月26日の総裁選出馬表明では
「国民の為に必要だとの結論に至れば、たじろぐことなく実行してきた。」だと!

@特別秘密保護法
⓶安保法制(又の名を戦争法)
B共謀罪
⓸カジノ法
⓹高プロ働かせ改悪法etc
↓↓↓
チ・ガ・ウ・ダ・ロー❗❗
良識ある国民の殆どが反対しているにもかかわらず
@馬鹿の一つ覚えの「閣議決定」
⓶数の力で「強行採決」
で国会を私物化してきました。だろぉ〜❗

偽造(ぎぞう)、捏造(ねつぞう)、安倍晋三(アベゲリゾー)


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/191.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK250] わぁ、呆れる〜。安倍が「日本主導で労働や環境などの国際的ルールづくりを」と提案したらしい  赤かぶ
3. 2018年9月04日 09:04:03 : dxkTl1vUxc : 4Qp9Icj8RwM[408]
サイコパスの特徴の一つに、罪悪感が皆無 とある。
 この安倍という人は本当に低能だな。それを支持する高学歴の自民党の議遺たちよ・・安倍を支持することに罪悪感を覚えないのか??国民裏切りまくりじゃろうが!!
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/227.html#c3
コメント [経世済民128] アルゼンチンの政策金利は60%に 新興国通貨下落の日本円への影響は(マネーポスト) 赤かぶ
2. 2018年9月04日 09:05:40 : jXbiWWJBCA : zikAgAsyVVk[1408]

世界(〜米国)がデフレから脱却すれば、必然的に、金利は上昇し

資金還流から経常収支赤字の対外債務国の経済は悪化する

そんなことは過去の経験から明らかだったのだから


アルゼンチンやトルコ、さらにはベネズエラなど、経済原理を無視した

ポピュリズム愚民国家がひどい状況になるのは、完全に自業自得であるが


まともな国であれば対処できたし、実際、多くのアジア諸国は備えていた


しかしトランプの米国を典型とする自国第一の保護主義(貿易戦争)政策は、事前の想定を

上回るダメージを生み出したとも言える


ベネズエラ政府の暗号通貨に実態なし、大統領発言と矛盾
Mike Orcutt

2018年09月03日 07時11分更新
記事提供:MIT Technology Review


ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、2月に発売開始した、埋蔵原油に裏付けされた政府発行の暗号通貨「ペトロ(petro)」の売上がすでに33億ドルに到達し、ペトロが輸入品の支払いに使用されていると主張する。しかし、 ロイター通信の調査によると、大統領の主張を裏付ける証拠は一切見つからず、ペトロは実際に使える暗号通貨ですらないことが分かった。

ロイター通信は、暗号通貨や油田査定の専門家と4カ月間にわたる調査を実施し、ベネズエラの石油備蓄用地を訪ねたり、ブロックチェーン取引を分析したりした。その結果、ペトロを販売する取引所は1カ所も無く、ペトロを使用可能な店も無かった。ペトロを扱うとされていたネム(NEM)のブロックチェーン上でも、ペトロが発行されたことを示す記録は無かった。

ペトロ・プロジェクトに携わるウグベル・ロア大臣は、ロイター通信に対し、「誰もまだペトロを使用できる人はいませんし、何らかのリソースを受け取った人もいません」と認めている。ロア大臣によると、ベネズエラはまだ独自のブロックチェーン技術を開発中であり、ペトロの購入者は、暗号通貨を受け取る代わりに、将来の暗号通貨を予約した状態になっているのだという。

この話は本当かもしれない。しかし、ペトロがすでに代金の支払いに使用されていると主張するマデュロ大統領の話とは矛盾する。また、ロア大臣のコメントは、大統領による「給料や年金、ベネズエラの法定通貨ボリバルの為替レートは、現在、ペトロと連動している」という最近の発表を一層、ややこしくしている。

【この記事をMITテクノロジーレビューで読む】
https://www.technologyreview.jp/nl/venezuelas-new-cryptocurrency-doesnt-seem-to-exist/

 
2018年9月3日 風間真治
経済危機が止まらない南米ベネズエラの
水面下で広がる仮想通貨の波

カリブ海に浮かぶ小国・ドミニカ共和国に住み、中南米の新興国を舞台に貿易事業を展開する風間真治さん。今回は、通貨単位を10万分の1に切り下げるデノミを実施した南米ベネズエラでの「仮想通貨DASHカンファレンス」のレポートです。
 経済危機がますます加速する、南米ベネズエラでは今、国民たちの海外流出が止まりません。
 
 私が住むドミニカ共和国の首都サントドミンゴは、ベネズエラから飛行機でわずか1時間半。ベネズエラ人は90日未満であればビザ免除で入国できるという協定もあって、日に日にベネズエラ人が増加しており、石を投げればベネズエラ人にあたる、と思うくらい、ベネズエラからの入国者が街に溢れています。
 
 ベネズエラからドミニカ共和国への入国は、90日未満の滞在ではビザは免除されるものの、移住となると居住権を取得する必要があるので、多くのベネズエラ人がビザ免除で入国して、90日を過ぎた後もそのまま不法滞在していると思われます。
 ベネズエラではハイパーインフレ解消の目処は立っておらず、今月に入りついにデノミ(通貨単位の切り下げ)が行なわれ、通貨の価値は10万分の1に切り下げられました。その影響で、銀行口座にボリバル通貨を持っていた人たちは、一瞬にして自分の財産を失うことになったのです。
 
 更に、多くの失業者をうみ出し始めたことで周辺の国々も警戒感を強めており、特に元々移住者が多い、コロンビアやドミニカ共和国、エクアドル、ペルー、チリといった国々では、ベネズエラからの入国者についてはハードルを高めるだろうと予想されています。
 
 実際、先月、私は仕事の関係で、ベネズエラ人を一人ドミニカ共和国に受け入れる予定でしたが、入国時にそのベネズエラ人が所有していた米ドルがわずかしかないという理由で、空港のイミグレーションで監禁されてしまい、次の日まで出してもらえないということがありました。最終的には入国は認められましたが、監禁されている間、ご飯も食べさせてもらえず、水も飲ませてもらえずということで、空港から出てきた時は若干衰弱していて心配しました。私もイミグレーション長官との折衝に立ち回らなければならず、大変苦労しました。
 充分な米ドルを所有してドミニカ共和国に入国できるベネズエラ人など、今どき、ほぼ存在しないのはドミニカ共和国のイミグレーションも十分承知しているはずなのですが、それぐらいベネズエラからの入国者の増加に頭を痛めていて、対策をし始めたということだと思います。
 今回、最低賃金の改正も行なわれ、8月20日からの改正法で、最低賃金は1億8000万ボリバル(約1900円)から1800ボリバルソベラノ(約3300円)になりました。これと同時に、ベネズエラ政府が定めたのは、国がICOで発行した仮想通貨ペトロに裏付けされたデノミ後の新紙幣の発行です。
 1ペトロは現在の原油価格に相当する60米ドルに換算されますが、これが新紙幣になると、3600ボリバルソベラノにあたります。つまり、新紙幣のボリバルソベラノの価値は、1ペトロとペッグされているという状況です。1ペトロが金のように普遍的な価値を持つためには信用が大事になりますが、現状では1ペトロを所有していればオイルと交換が可能ということで、その価値を担保しているかたちです。
 こうした状況下で、特に昨年から続くベネズエラ国内での仮想通貨の広がりは、ますます勢いづいています。
 これまでもレポートしたとおり、私は現在ベネズエラでいくつかのビジネスを展開しており、そのすべての支払いを仮想通貨で送っています。それは、国際送金などができず、仮想通貨での支払い以外、替わるものがないからで、逆に言えば仮想通貨で支払いができる人だけが取引の対象となっているということです。
 ベネズエラ政府は今年に入って、ペトロという国独自の通貨を発行しましたが、ベネズエラ国内でペトロに期待している人たちはほとんどいません。むしろ多くの人は長らく続いている政府の稚拙な舵取りに失望しており、ベネズエラ国民が現在、望んでいるのは政府に管理されない通貨と、それらが現実の生活でより多く使われること。ベネズエラ人たちは政府がコロントロールすることに対して懐疑的な目を通り越して、期待すら抱かなくなっているといえます。
 ビットコインをはじめとした仮想通貨の取引量は、世界的にみると、一時のバブル時期に比べて低迷しているなかで、ベネズエラではビットコイン通貨の値段が下がろうと上がろうと、全体の取引高がいまだに多く、また特筆すべきは仮想通貨での実質社会での使用が増えてきており、世界でも類を見ない仮想通貨のユースケース大国となっている点です。
「DASHベネズエラ」カンファレンスに参加して
 そのベネズエラの仮想通貨コミュニティの中でも圧倒的な存在感を示すのが、リーダーのエウヘニア女史率いる「DASHベネズエラ」というコミュニティで、毎月一度、首都のカラカスでカンファレンスを開催しています。今回は、そのカンファレンスに参加して目にし、耳にした様子をレポートしたいと思います。
DASHベネズエラのボードメンバーとリーダーのエウヘニア女史(左から3番目、左から2番目が筆者)。
 カンファレンスは首都カラカスのホテルの広間で行なわれました。そこで、DASH ベネズエラの発起人でありリーダーでもあるエウヘニアさんとボードメンバー10人ほどとともに、話をする機会がありました。
 
 リーダーのエウヘニアさんは、ベネズエラだけでなく中南米全体の仮想通貨界においてもキーパーソンの一人といえる有名な方ですが、日本人の私の興味に、とても丁寧に対応してくれました。
 
 話を聞いて驚いたのは、DASHベネズエラがスタートしたのが2017年9月からで、まだ数カ月しか経っていないにもかかわらず、多くのコミュニティを形成していることです。エウヘニアさんは現在、自らの仕事を中断して、ベネズエラ国内のDASHの普及に専心しています。当初は毎月のカンファレンスは20人ほどの集まりでしたが、今では2000人規模に急成長を遂げています。
 今回カンファレンスに参加し、彼女がもつカリスマ性が、こうした活動に影響を及ぼしていることを強く感じました。私も仕事上、多くの中南米人と対峙してきた経験がありますが、彼女と話していてその独特のオーラというか、自然体で話す雰囲気が印象的でした。
「DASH」という仮想通貨は、ベネズエラ国内で現在、タクシー、レストラン、美容院、バイク店舗など全部で約200店舗が決済手段として導入しています。短期間でこれだけ店舗を増やしてきたことは驚くべきことですがさらにコミュニティは2018年末までに1000店舗導入を目標に掲げていたのですが大きく前倒しする形ですでに8月現在でこの1000店舗の数字をスピード達成しており、またさらにこの増加数は日を追うごとに増えているという状況で止まるところを知りません。
 BITCOIN日本語情報サイトのデータによると、世界最多の仮想通貨のコミュニティがあるといわれている日本で、2018年8月10日現在のビットコインの対応店舗数が実店舗ベースで259店舗ですので、いかにベネズエラ国内でのDASH対応店舗が広がっているか分かるかと思います。
 ベネズエラでは深刻なハイパーインフレのため、ベネズエラ滞在中にもっとも困るのが外食です。というのも、まずベネズエラ国内で現金が手にはいりません。また、公定レートと闇レートが20倍近く離れており、物価が闇レートを基準に決まっています。そのため、クレジットカードを使用して支払いをしようとすると、小さなサンドウィッチが2万円とかしてしまうひどい状況です。
 
 そこで、助かるのが、このDASH対応のレストランなどです。ベネズエラに来る数日前から知り合いに、「いざという時のために、ベネズエラの入国前に、携帯のウォレットにDASH通貨をいくらか入れておいたほうがいい」とアドバイスをされていたのですが、今回、エウヘニアさんとカラカス市内にあるレストランで昼食を共にさせていただく機会がありDASHで支払いをしましたが、物価を気にせず安い値段で支払いをして、美味しい昼食を食べることができました。
エウヘニアさんとレストランで昼食を食べDASH通貨で支払いました。
独自の活動資金システムが機能
 ところで、急成長を遂げている「DASHベネズエラ」の毎月の活動資金には、独自のシステムが機能しています。
 
 グローバルなDASHコミュニティでは、DASHの普及に寄与するなんらかの活動を提案し、それが「マスターノード」と呼ばれる運営者たちの投票によって有益とみなされた場合には、コミュニティの中で活動資金が送られる仕組が採用されています。
 
 DASHベネズエラには、毎月100DASH(2018年5月現在の価値で3万〜4万米ドルほど)が活動予算として配給されており、この資金を利用して、カンファレンスの運営や店舗設置の営業活動などを賄っています。
 
 ちなみに世界にはDASHが設置する「DASH大使館」と呼ばれるものを設置している国もあります。これらの大使館には、その国におけるDASH通貨の普及を目的としたエージェントのような人がおり、彼らが予算の範囲で毎月、その国でDASH通貨の宣伝活動をしたり、またDASH通貨の使い方や質問に答える活動をしています。これらも、先に紹介したマスターノードによって、予算が割り当てられており、世界にはこのようなDASHの活動を支えている大使館がいくつかあったりもします。
 この話を聞いて、こうした運営システムは、中南米では通貨の普及に比較的適したやり方ではないか、という印象をもちました。通貨というのはそもそも、その通貨の経済圏での「共同幻想」ともいえます。通貨=お金に何か実質的な価値があるわけではなく、そこの国なり地域に属している人が「価値がある」と思い込むことで成り立っています。そしてその通貨を何らかの活動により受け取った人が、次に何かを買いたい時に、「おそらく受け取ってもらえるはず」と信じることができるというのが大事なのです。
 
 DASHコミュニティが持つ予算配分の仕組は、カトリックの普及活動にとても似ています。どちらも同じ、なにかを信じるコミュニティを作るからです。バチカン市国にはカトリック教会の本拠地があり、そこでは国家予算なども決められていて、毎年各国にあるカトリック教会からの募金などで歳入があり、また普及活動などの活動予算配分などが決められて、各国の教会が普及に役立てています。
 
 中南米ではコロンブスの時代からカトリックがこうしたシステムを普及させてきた歴史があり、カトリックの国が多いことからも、DASHとの相性も良さそうだと勝手ながら思ってしまいました。
 
 また、ベネズエラのような一つの国家も「共同幻想」であり、国家という目に見えるものが存在するわけではありません。その国に所属する一人ひとりが「自分たちがこの国に所属している」と思い込むことで国が成立しているのであって、それらの共同幻想を成立させるために、国は様々な努力をしているといえます。その本来は目に見えて存在しない「国家」を思い込ませるために、役立っているもののひとつが国家が発行する通貨ではないでしょうか。
 
 だから国家にとって「通貨」というものの信用性を保つことはとても大事であり、一方では我々が何を信用して通貨とするかも、決めるのはそこの国で生活している一般市民のオプションなのです。ベネズエラ国家が発行したボリバル通貨が国の中で信頼されずに、価値が暴落したのは良い例です。
コミュニティのサービス事業
 DASHベネズエラのコミュニティの中には、この予算制度を使って、様々なDASHサービス事業を立ち上げた起業家もいるといいます。ここから雇用も生み出しているのですが、たとえば以下のようなものがあります。
●DASH HELP:ベネズエラ、コロンビアなど中南米の数カ国で、DASHを使用するにあたっての質問や困ったときのヘルプセンターとしての役割を担う
●DASH YOUTH:ベネズエラ国内における主に10代のティーンエイジャー向けの仮想通貨育成事業を、大学などのキャンパスを中心に行う
●CRIPTO LUGARES : ベネズエラ国内におけるDASHの使用設置店舗を携帯のアプリ上で紹介する
●DASH MAERCHANT:ベネズエラ国内におけるDASHで買える商品、サービスを増やす
●CRIPTO LIFEX :ベネズエラ国内で法定通貨とDASH通貨の購入や売却を担うマーケットサイトを運営
DASH HELPのメンバー。DASH通貨のヘルプセンターにて【撮影/風間真治】
DASH YOUTHのメンバーたちと、カラカス市内のボリバル大学構内にて。
参加者は2000人! DASHの無料配布が大人気
 当日のカンファレンスは、早朝から長蛇の列ができていました。当日来た人にはまずスマートフォンで「DASHウォレット」と呼ばれる携帯財布の作り方をレクチャーされ、その後、全員に米ドルにして約12ドル(約2600円)分のDASHが配布されます。
 
 これは、午後に行なわれる、DASHで買い物体験ができる「DASHシティ」と呼ばれるイベントのために、無償で配っているものですが、現在のベネズエラでは、平均給料が米ドルにして月間2ドル(約220円)弱ほどとなっており、多くのベネズエラ人にとって米ドル換算で12ドルもの通貨DASHをもらえるというのはかなり魅力的です。
 
 DASHシティでの買い物体験がインセンティブとなって、来場している人たちも多いのかなと思いますが、それにしても、午前のカンファレンスと午後のアクティビティを含めて、合計2000人以上もの人が訪れるという熱気ぶりに、このDASHコミュニティの盛り上がりを実感しました。
ホテルで行われたDASHベネズエラのカンファレンス、早朝から長蛇の列【撮影/風間真治】
来場した人全員にDASH通貨が無償で配られた【撮影/風間真治】
 午前のカンファレンスは、500人ほど入るカンファレンスルームで行なわれましたが、ここでは仮想通貨全般の基本的な知識のレクチャーやDASHの歴史などが紹介されていました。仮想通貨のレクチャーでは、「公開鍵」や「秘密鍵」の仕組みなど、重要な技術的知識の説明がある一方、「なぜ今のベネズエラでDASHを使うべきか」という問いに対して、「決済時間がわずか1秒であること」など、便利さを強調していた印象がありました。
 その後は、DASHベネズエラとしての取組みやベネズエラのDASH提携企業や提携店舗の紹介、今後の展望、DASHヘルプセンターの説明など、DASH通貨を使ううえでの様々なサービスを紹介し、充実した内容でした。
 
 実際に私がDASHで支払いをした際も、スマートフォン端末で1秒で処理され、すごく快適でした。この1秒で処理されるという要素は、今後仮想通貨が実際に利用されるかどうかにとって、とても重要な要素だと思います。ちなみに、ビットコインはまだまだ支払いの処理が20分ほどかかるケースがあるため、今後の技術が進むことをこちらも期待したいです。
カンファレンスの様子【撮影/風間真治】
 午前のカンファレンスの後で、特別ということで参加させていただいたのが、ベネズエラ全土に20カ所あるコミュニティの代表者会議です。この日は地区別の代表者、責任者が全員集まり、2018年末までの具体的な目標を話し合っていました。
 
 主なところでは、年末までに1000カ所のDASH通貨決済店舗を設置すること、35社の戦略的提携企業を実現すること、ベネズエラ以外にもDASHベネズエラのコミュニティをあと2カ国広げること(1カ国はお隣のコロンビアですでに実現)、DASHコミュニティの提携企業から輸出事業で持続的に外貨獲得を入手できるような企業を育てること、今後少しずつ自分たちで活動予算を獲得できるような仕組をつくっていくこと、など。利益をあげる仕組については、DASHベネズエラの知名度を使い、ベネズエラの大手企業と提携して宣伝費用を徴収するなど、すでにいくつか実現しています。
 
 話合いはすべて、代表者の投票制で決められており、想像以上に組織化されているのと、今年の目標達成のための予算を獲得するために、クラウドファウンディングで資金を集めていることにも驚きました。
DASHベネズエラの地区別代表会議の様子【撮影/風間真治】
DASH シティでDASHの買い物体験
 午後は、ホテルの貸し切りスペースにDASH決済を採用している店舗の方たちが出店し、そこで昼食を買ったり商品を買える、「DASHシティ」(DASH通貨の街)が作られていました。入場時に配られたDASHを利用して、ここで買い物体験をしてもらうという試みで、これが大好評。17時過ぎぐらいになると、人が通れないほど混み合い、夜まで盛り上がっていました。
 
 ここでの支払いはすべて、スマートフォンので「DASHウォレット」からQRコードをかざして支払いをするものです。現在ベネズエラが国家として発行しているペトロ通貨も、QRコードで支払いをするシステムが提案されているため、ベネズエラの人たちがこの方法に慣れていくと、すぐに定着するのではないかとも感じました。
「DASHシティ」と呼ばれる仮想通貨の街を再現【撮影/風間真治】
支払いはスマートフォンからDASHで行なう【撮影/風間真治】
 なお、DASH決済が利用できるレストランやタクシー会社などの情報は、ベネズエラのスタートアップ会社「CRYPTO LUGARES」のアプリで得ることができますので、ベネズエラを訪れる際は一度見ておくと便利かなと思います。なお、このCRYPTO LUGARESはDASHコミュニティから予算を獲得して起業したメンバーが経営しているサービスサイトです。
DASH をモチーフにした商品も
 ベネズエラでは最近、「DASH」のマークが入ったクリプト商品がでてきています。「クリプト」というのは仮想通貨の英語、クリプトカーレンシーの「クリプト」のことで、要は仮想通貨をモチーフにした商品です。クリプトシャンプーやクリプトキーホルダーなど様々。今回の「DASHシティ」でもクリプト商品が販売されていましたが、これらも人気を博していて、現在のベネズエラの仮想通貨の人気を象徴しているように感じました。
DASHのマークが入ったクリプトシャンプーも好評【撮影/風間真治】
(文・撮影/風間真治)
著者紹介:風間真治(かざま・しんじ)
商社の海外営業、中南米のドミニカ共和国駐在を経て独立。現在はカリブ海に浮かぶドミニカ共和国に住みながら、主に中南米諸国でこれから経済が成長していくような国々を頻繁に回り、未知なる客先を訪ね歩いては様々な新規事業の開拓に取り組む日々。中南米ではいくつかの国に会社を作り、貿易事業、港湾の通関業、不動産事業、インターネット事業、中古車販売業などを手がける。


http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/360.html#c2

コメント [国際23] 元大統領が「暴君と化したトランプ」を激しく非難!   赤かぶ
1. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年9月04日 09:06:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]

マケインは悪質な売国奴の詐欺師で同情の余地は全く無い


マケインの暗い過去 / 「ハノイ・ホテル」での囚人生活
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

  8月25日、共和党の大物議員であったジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III)が脳腫瘍のため81歳でこの世を去った。彼の死は党派を超えた悲しみとなり、いつもは民衆党贔屓のジャーナリストさえマッケインの昇天を歎き、各テレビ局がこぞって彼の葬儀を放送したので、日本でも多くの国民がその放映を目にしたはずだ。葬儀には軍人や議員だけでなく、歴代の元大統領も出席したから、まるで国葬のような雰囲気に包まれていた。ところが、一人だけ重要人物が欠けていたのだ。それはドナルド・トランプ大統領である。

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(左: ジョン・マケインの柩 / 右: ドナルド・トランプ )

  「トランプ憎し」のマスコミは、大統領のイメージを貶める絶好のチャンスと思ったのか、「偉大なる上院議員の葬儀に欠席するとは何事か !!」と大激怒。リベラル・メディアは「人間としての器が小さい頑固者」という印象を世間に与えるべく、悲しみの表情を浮かべるバラク・オバマやビル・クリントンの姿を映した。間抜けなアメリカ国民は、反対政党の議員であっても、その死を悼む元大統領に感動していたが、オバマの偽善は有名で、カメラを前にすれば鰐の涙を流すことができるし、アカデミー主演男優賞を獲得できる程の腕前を持っている。クリントンに至っては「いつものこと」だ。女房のヒラリーに浮気がバレれば何度でも否定できるし、愛人と恋人を手玉に取るくらい朝飯前。女房、愛人、娼婦を相手にしても、「君だけを愛している!」と平然と口にできるし、目薬無しでも同じ涙を何度も流せる。「飾りじゃないのよ、涙は」と歌うのは井上陽水と中森明菜くらいだろう。オバマとクリントンとって涙は大衆向けのサービスだ。

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(左: 葬儀に参列したオバマ夫妻とブッシュ夫妻 / 右: 葬儀に参列したクリントン夫妻とチェイニー夫妻 )

  偽善がプンプン臭うクリントンやブッシュ、オバマに比べたら、「俺は葬儀に行かないぞ!」と言い切るトランプの方が清々しい。本心を偽って教会に赴き、柩(ひつぎ)の前で涙ぐむなんて、誰もが厭だろう。選挙のために参列する議員の方がよほど薄汚い。嫌いな奴の葬儀には出ないという信念を貫くトランプは、ある意味、男らしいんじゃないか。生前、マケイン上院議員は同じ党に属していても、悉く大統領と意見を異にし、移民問題に関しては政敵に等しい存在であった。というのも、マケインは共和党議員であったが、外国人の受け容れに関しては民衆党寄りで、亡くなったエドワード・ケネディー上院議員と親しかった。日本ではあまり報道されないが、ケネディーは矢鱈と移民に優しく、不法移民まで庇う極左議員。たぶん、溺れる女を見棄てて自分だけ助かった“例の”スキャンダルを常に気にしていたから、マスコミに叩かれぬよう、いつも彼らの御機嫌を伺っていたのだろう。朝日新聞に擦り寄っていた宮澤喜一を思い出せば分かるはずだ。この元総理は「徴兵逃れ」という後ろめたい過去を持っていた。

闇に葬りたい過去を持つ英雄

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(左: 負傷したマケイン / 右: 解放されたマケイン)

  実は、この卑劣なケネディーと馬が合ったマケインにも、人には触れられたくない過去があったのだ。マケインが政界に進出できたのは、不運にもベトナム戦争で敵軍の捕虜となり、恐ろしい苦難に堪えて帰国を果たした「英雄」だったからである。ところが、彼の輝かしい「過去」には暗い影があった。時は、1967年10月26日、海軍パイロットのジョン・マケイン少佐は「A-4スカイホーク(Skyhawk)」に搭乗し、任務遂行を図ったが、その途中で北ベトナム軍の攻撃を受け、ソ連製の地対空ミサイルで撃墜されてしまった。ところが、脱出時にヘマをやらかしたのか、彼は片脚と両腕を負傷することになった。一般の日本人は事情を知らないから、彼の捻れた腕を見て、「拷問でかなり痛めつけられたんだなぁ」と勘違いする。これは明確な証拠に基づく話ではないが、ある帰還兵の話によれば、マケインは治療を受けるため、北ベトナムに軍事情報を提供したそうだ。そして、彼が介護されたギ・ラム病院には、ベトナム人民軍の総司令官たるヴォー・クエン・ザップ将軍まで訪れたらしい。

John McCain 4Vo Nguyen Giap 2


(左: パイロット時代のマケイン / 右: ヴォー・グエン・ザップ )

  ベトナムで捕虜となったアメリカ兵の間では、マケインが鄭重な「もてなし」を受けたという噂が飛び交っていた。なぜなら、マケインは下層階級の兵卒と違って、海軍兵学校を出た軍人一家の息子で、人質としての価値が非常に高い囚人であったからだ。彼の父親は太平洋艦隊司令官のジョン・S・マケイン・ジュニア提督で、祖父は第二次世界大戦でウィリアム・ハルゼイ提督(Adm. William Halsey)のもとで空母を指揮したジョン・S・マケイン・シニア提督である。こんな家系のお坊ちゃんと判れば、北ベトナム軍とソ連の軍事顧問は拷問などせず、至れり尽くせりの待遇を与えて味方にしようと考えるはずだ。ベトナム人やロシア人にとって、生け捕りにしたアメリカ兵を嬲(なぶ)り殺しにするなんて造作も無いことで、場合によったら、ロシアン・ルーレットの余興を開いて賭の対象にするだろう。しかし、独裁国の諜報員は狡猾だ。捕虜の有効利用を考える。ロシアの軍事顧問は捕まえたマケインを好待遇で寝返らせ、「苦難に耐え抜いたヒーロー」に仕立てあげてから、「渋々ながら」を装って米国に送り返す。この作戦の肝はね拘留期間である。ベトナム軍は彼を即座に返却せず、五年半「ハノイ・ヒルトン(ホア・ロア収容所の別称)」に引き留め、「英雄神話」を作らねばならない。ベトナム側の脚本だと、マケインは「仲間の解放を優先したため、帰国が遅れたエリート軍人」、則ち、自己犠牲を厭わない英雄なのだ。

John McCain, Sr. 002John McCain , Jr.John McCain 15John McCain IV


(左: ジョン・マケイン・シニア / ジョン・マケイン・ジュニア / ジョン・マケイン3世 / 右: ジョン・マケイン4世)

  日本人はアクション映画の影響が強すぎて、フィクションと現実の区別がつかないから、捕虜生活の実態が分からない。人気映画の『ランボー』ではベトコンに捕まったジョン・ランボーが凄まじい拷問に耐え抜くシーンがあったけど、実際の戦争では有り得ない。あんなの嘘。尋問されれば直ぐに答えた方が賢い。ここではあまりに残酷なので具体的に書けないが、アジア人の肉刑に耐え抜くアメリカ人などいないだろう。もし、解放されてもボロボロの身体となり、片輪になって還ってくるだけだ。ハノイの収容所にぶち込まれていた捕虜の一人にデニス・ジョンソン(Dennis Johnson)というアメリカ兵がいて、彼は脚を骨折していたが、ベトナム人から治療を受けることはなく、そのままであったという。ジョンソンによれば、マケインはいつも皆と隔離されており、髭を剃り、清潔な服を着せてもらって、快適な生活を送っていたそうだ。解放された時のマケインを見れば、「やけに健康そうだなあ」と疑問に思ったアメリカ人もいたんじゃないか。

Bob Smith 2Robert Dornan 2Al Santoli 1

(左: ボブ・スミス / 中央: ボブ・ドーナン / 右: アル・サントリ )

  カンボジアで極秘作戦に従事していたジャク・マックラム(Jack McLamb)によれば、マケインが拷問されたという形跡は無いらしい。ベトコンは大切なマケインをコードネーム(「ソングバード / Songbird」)で呼んでおり、この九官鳥は32本のプロパガンダ・フィルムに出演したそうだ。ソ連の諜報機関(GRU)から派遣されたロシア人将校は、「ハノイ・ヒルトン」に泊まっているアメリカ人捕虜の尋問を行っていたが、その際、通訳担当の少年「T」が同伴したそうである。マケインの尋問にも「T」が通訳を務めたそうで、もし、ソ連がマケインを「エージェント」にしていたというなら、1969年12月から1973年3月まで収容されていた彼の生活記録が残っているはずだ。運命の女神は残酷なのか、それとも気紛れなのか、マケインにとって悪夢となる1991年が訪れた。冷戦に敗れたソ連が崩壊し、多くの機密書類がKGBとCIAの間で交換されたという。ところが、上院の外交委員会で権力をふるうマケインは、執拗に機密ファイルを封印し、戦争捕虜を取り戻すチャンスを潰してしまったのである。これは実におかしい。誰よりも捕虜を救出したいマケインが、なぜ捕虜奪還の情報を遮断し、被害者家族の邪魔をしたのか? マケインの妨害工作に多くのアメリカ人家族が憤慨し、ボブ・スミス上院議員(Sen Bob Smith)やボブ・ドーナン下院議員(Rep. Bob Dornan)、元議会スタッフのアル・サントリ(Al Santoli)などが不満と疑念を述べていた。

Tracy Usry 1(左 / トレイシー・アスリ)
  1991年、ベトナムでの戦争捕虜に関する上院の公聴会が開かれ、帰還兵であるトレイシー・アスリ(Tracy Usry)が呼ばれて証言を行っていた。彼はアメリカ人捕虜が定期的にソ連の諜報将校から尋問を受けていたと述べたが、これに憤慨したマケインは、しばしば彼の証言を遮り、捕虜がソ連の将校から尋問を受けたことは無い、と反駁したそうだ。ところが、元ベトナム軍のブイ・ティン大佐によれば、そうした尋問は実際に行われていたそうで、彼はアスリの証言を肯定し、マケインの反論を斥けた。当時、共産党内部で要職に就いていたティン大佐は、ソ連の政治局から発せられる電報や書類を読むことができる身分だったから、ソ連の軍人が尋問する場面を目にしても不思議ではない。

Bui Tin 1(左 / ブイ・ティン )
マケインの議事妨害には眉を顰めたくなるが、彼がティン大佐と抱き合う姿はそれ以上に驚きだった。まるで旧友にでも再会したように、マケインは証言席の方に歩み寄り、曾ての憎き敵を温かく抱擁したのである。いくら何でもこれはおかしい。五年以上も自分を苦しめたベトナム人に対し、罵詈雑言どころか、一発も殴らず、感動の抱擁なんて、あまりにも寛大すぎるじゃないか。シベリアで生き地獄を味わった日本兵が、戦後にロシア軍将校と和解し、笑顔で抱き合うなんて想像できない。ソ連の犬に成り下がった日本人なら別。まぁ、普通の日本兵なら怒りで全身が震え、たとえ人前であろうとも、渾身の力を込めて殴りかかるだろう。

  アメリカのテレビ局はマケインの葬儀を放送し、彼に同情的なジャーナリストや政治家を番組に招いて、故人の素晴らしさを語らせていたが、戦争捕虜の家族を招いてマケインの「悪行」を暴露させることはなかった。民衆党の上院議員ならともかく、共和党の議員が亡くなったからといって、あんなにも大袈裟な特集を組むのは解せない。いくら欠席したトランプを貶めたいからといって、リベラル派のマスコミが「保守派」の共和党議員を心から称讃するのか? 確かに、マケインは外政に関しては「カタ派」に見えたが、内政面ではリベラル派の偽装保守であった。民衆党のジョセフ・リーバマン上院議員と同じタイプの政治家と思った方がいい。マケインを偲ぶのであれば、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた女優のジェーン・フォンダと一緒に論評すべきだ。両者ともベトコン側の宣伝係となり、その過去を封印して人気者になったことで共通している。フォンダはエアロビックスで注目を集め、CNNの創設者であるテッド・ターナーと結婚できた。マケインはヘンスリー家のご令嬢シンディーと結婚し、政界に進出してアリゾナ州の大御所になった。(シンディー夫人の父ジェイムズ・ヘンスリーが創設した「ヘンスリー(Hensley Beverage Company)」社は、アメリカの大手飲料メーカー。)

Cindy & John McCain 1Jane Fonda 1


(左: ジョン・マケインとシンブィー夫人 / 右: 反戦活動家のジェーン・フォンダ)

  日本のマスコミは本当に怠慢で、マケインが大統領候補になった時でも、彼の過去に言及することはなかった。もっとも、オバマのドス黒い過去すら触れずに「パス」なんだから、マケインの謎を見逃しても不思議じゃない。これは少々不謹慎だが、もしトランプが数年後に亡くなったら、米国のマスコミはどんな特番を放送するのか? もしかしたら、マケインよりも格下に扱い、放送時間も微妙に短縮するかも知れない。また、トランプを心から憎むCNNやCBS、PBSなどが、どんなゲスト・コメンテーターを用意するのか見物である。まさか「偉大な大統領が亡くなり、本当に残念です」とは言えまい。たぶん、遺族に対する同情でお茶を濁すんじゃないか。一方、トランプだって負けてはいないだろう。強気のトランプなら遺言で、「オバマとブッシュだけは呼ぶな !」と釘を刺すかもしれないぞ。おそらく、ヒラリー・クリントンも排斥されるだろうが、彼女だって行きたくはない。たとえ葬儀に招待されても、ヒラリーなら仮病を理由に欠席するんじゃないか。アメリカのリベラル派はトランプの死去に対し「アホが死んで良かった!」とそっぽを向くだろうが、故人を偲んで哀悼の辞を述べるのは、意外にも安倍総理とプーチン大統領だったりしてね。ついでに言うと、アメリカとの友好を維持したいのであれば、日本人は横須賀基地の近くにトランプ像を建てるべきだ。米国に慰安婦像を建てる朝鮮人と、合衆国大統領の記念碑を建てる日本人の「どちら」が立派なのか、アメリカ人によ〜く考えさせればいい。外務省の役人に外交を任せるとロクなことにならないから、日本の庶民が日本人らしく振る舞った方が良いときもある。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/780.html#c1

コメント [国際23] マケイン氏の娘「アメリカは再び偉大にされる必要などない」(BBC) 赤かぶ
4. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年9月04日 09:07:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]
マケインは悪質な売国奴の詐欺師で同情の余地は全く無い

マケインの暗い過去 / 「ハノイ・ホテル」での囚人生活
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

  8月25日、共和党の大物議員であったジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III)が脳腫瘍のため81歳でこの世を去った。彼の死は党派を超えた悲しみとなり、いつもは民衆党贔屓のジャーナリストさえマッケインの昇天を歎き、各テレビ局がこぞって彼の葬儀を放送したので、日本でも多くの国民がその放映を目にしたはずだ。葬儀には軍人や議員だけでなく、歴代の元大統領も出席したから、まるで国葬のような雰囲気に包まれていた。ところが、一人だけ重要人物が欠けていたのだ。それはドナルド・トランプ大統領である。

john McCain Funeral 5Trump 001

(左: ジョン・マケインの柩 / 右: ドナルド・トランプ )

  「トランプ憎し」のマスコミは、大統領のイメージを貶める絶好のチャンスと思ったのか、「偉大なる上院議員の葬儀に欠席するとは何事か !!」と大激怒。リベラル・メディアは「人間としての器が小さい頑固者」という印象を世間に与えるべく、悲しみの表情を浮かべるバラク・オバマやビル・クリントンの姿を映した。間抜けなアメリカ国民は、反対政党の議員であっても、その死を悼む元大統領に感動していたが、オバマの偽善は有名で、カメラを前にすれば鰐の涙を流すことができるし、アカデミー主演男優賞を獲得できる程の腕前を持っている。クリントンに至っては「いつものこと」だ。女房のヒラリーに浮気がバレれば何度でも否定できるし、愛人と恋人を手玉に取るくらい朝飯前。女房、愛人、娼婦を相手にしても、「君だけを愛している!」と平然と口にできるし、目薬無しでも同じ涙を何度も流せる。「飾りじゃないのよ、涙は」と歌うのは井上陽水と中森明菜くらいだろう。オバマとクリントンとって涙は大衆向けのサービスだ。

john McCain Funeral 4john McCain Funeral 6


(左: 葬儀に参列したオバマ夫妻とブッシュ夫妻 / 右: 葬儀に参列したクリントン夫妻とチェイニー夫妻 )

  偽善がプンプン臭うクリントンやブッシュ、オバマに比べたら、「俺は葬儀に行かないぞ!」と言い切るトランプの方が清々しい。本心を偽って教会に赴き、柩(ひつぎ)の前で涙ぐむなんて、誰もが厭だろう。選挙のために参列する議員の方がよほど薄汚い。嫌いな奴の葬儀には出ないという信念を貫くトランプは、ある意味、男らしいんじゃないか。生前、マケイン上院議員は同じ党に属していても、悉く大統領と意見を異にし、移民問題に関しては政敵に等しい存在であった。というのも、マケインは共和党議員であったが、外国人の受け容れに関しては民衆党寄りで、亡くなったエドワード・ケネディー上院議員と親しかった。日本ではあまり報道されないが、ケネディーは矢鱈と移民に優しく、不法移民まで庇う極左議員。たぶん、溺れる女を見棄てて自分だけ助かった“例の”スキャンダルを常に気にしていたから、マスコミに叩かれぬよう、いつも彼らの御機嫌を伺っていたのだろう。朝日新聞に擦り寄っていた宮澤喜一を思い出せば分かるはずだ。この元総理は「徴兵逃れ」という後ろめたい過去を持っていた。

闇に葬りたい過去を持つ英雄

John McCain 8John McCain 11

(左: 負傷したマケイン / 右: 解放されたマケイン)

  実は、この卑劣なケネディーと馬が合ったマケインにも、人には触れられたくない過去があったのだ。マケインが政界に進出できたのは、不運にもベトナム戦争で敵軍の捕虜となり、恐ろしい苦難に堪えて帰国を果たした「英雄」だったからである。ところが、彼の輝かしい「過去」には暗い影があった。時は、1967年10月26日、海軍パイロットのジョン・マケイン少佐は「A-4スカイホーク(Skyhawk)」に搭乗し、任務遂行を図ったが、その途中で北ベトナム軍の攻撃を受け、ソ連製の地対空ミサイルで撃墜されてしまった。ところが、脱出時にヘマをやらかしたのか、彼は片脚と両腕を負傷することになった。一般の日本人は事情を知らないから、彼の捻れた腕を見て、「拷問でかなり痛めつけられたんだなぁ」と勘違いする。これは明確な証拠に基づく話ではないが、ある帰還兵の話によれば、マケインは治療を受けるため、北ベトナムに軍事情報を提供したそうだ。そして、彼が介護されたギ・ラム病院には、ベトナム人民軍の総司令官たるヴォー・クエン・ザップ将軍まで訪れたらしい。

John McCain 4Vo Nguyen Giap 2


(左: パイロット時代のマケイン / 右: ヴォー・グエン・ザップ )

  ベトナムで捕虜となったアメリカ兵の間では、マケインが鄭重な「もてなし」を受けたという噂が飛び交っていた。なぜなら、マケインは下層階級の兵卒と違って、海軍兵学校を出た軍人一家の息子で、人質としての価値が非常に高い囚人であったからだ。彼の父親は太平洋艦隊司令官のジョン・S・マケイン・ジュニア提督で、祖父は第二次世界大戦でウィリアム・ハルゼイ提督(Adm. William Halsey)のもとで空母を指揮したジョン・S・マケイン・シニア提督である。こんな家系のお坊ちゃんと判れば、北ベトナム軍とソ連の軍事顧問は拷問などせず、至れり尽くせりの待遇を与えて味方にしようと考えるはずだ。ベトナム人やロシア人にとって、生け捕りにしたアメリカ兵を嬲(なぶ)り殺しにするなんて造作も無いことで、場合によったら、ロシアン・ルーレットの余興を開いて賭の対象にするだろう。しかし、独裁国の諜報員は狡猾だ。捕虜の有効利用を考える。ロシアの軍事顧問は捕まえたマケインを好待遇で寝返らせ、「苦難に耐え抜いたヒーロー」に仕立てあげてから、「渋々ながら」を装って米国に送り返す。この作戦の肝はね拘留期間である。ベトナム軍は彼を即座に返却せず、五年半「ハノイ・ヒルトン(ホア・ロア収容所の別称)」に引き留め、「英雄神話」を作らねばならない。ベトナム側の脚本だと、マケインは「仲間の解放を優先したため、帰国が遅れたエリート軍人」、則ち、自己犠牲を厭わない英雄なのだ。

John McCain, Sr. 002John McCain , Jr.John McCain 15John McCain IV


(左: ジョン・マケイン・シニア / ジョン・マケイン・ジュニア / ジョン・マケイン3世 / 右: ジョン・マケイン4世)

  日本人はアクション映画の影響が強すぎて、フィクションと現実の区別がつかないから、捕虜生活の実態が分からない。人気映画の『ランボー』ではベトコンに捕まったジョン・ランボーが凄まじい拷問に耐え抜くシーンがあったけど、実際の戦争では有り得ない。あんなの嘘。尋問されれば直ぐに答えた方が賢い。ここではあまりに残酷なので具体的に書けないが、アジア人の肉刑に耐え抜くアメリカ人などいないだろう。もし、解放されてもボロボロの身体となり、片輪になって還ってくるだけだ。ハノイの収容所にぶち込まれていた捕虜の一人にデニス・ジョンソン(Dennis Johnson)というアメリカ兵がいて、彼は脚を骨折していたが、ベトナム人から治療を受けることはなく、そのままであったという。ジョンソンによれば、マケインはいつも皆と隔離されており、髭を剃り、清潔な服を着せてもらって、快適な生活を送っていたそうだ。解放された時のマケインを見れば、「やけに健康そうだなあ」と疑問に思ったアメリカ人もいたんじゃないか。

Bob Smith 2Robert Dornan 2Al Santoli 1

(左: ボブ・スミス / 中央: ボブ・ドーナン / 右: アル・サントリ )

  カンボジアで極秘作戦に従事していたジャク・マックラム(Jack McLamb)によれば、マケインが拷問されたという形跡は無いらしい。ベトコンは大切なマケインをコードネーム(「ソングバード / Songbird」)で呼んでおり、この九官鳥は32本のプロパガンダ・フィルムに出演したそうだ。ソ連の諜報機関(GRU)から派遣されたロシア人将校は、「ハノイ・ヒルトン」に泊まっているアメリカ人捕虜の尋問を行っていたが、その際、通訳担当の少年「T」が同伴したそうである。マケインの尋問にも「T」が通訳を務めたそうで、もし、ソ連がマケインを「エージェント」にしていたというなら、1969年12月から1973年3月まで収容されていた彼の生活記録が残っているはずだ。運命の女神は残酷なのか、それとも気紛れなのか、マケインにとって悪夢となる1991年が訪れた。冷戦に敗れたソ連が崩壊し、多くの機密書類がKGBとCIAの間で交換されたという。ところが、上院の外交委員会で権力をふるうマケインは、執拗に機密ファイルを封印し、戦争捕虜を取り戻すチャンスを潰してしまったのである。これは実におかしい。誰よりも捕虜を救出したいマケインが、なぜ捕虜奪還の情報を遮断し、被害者家族の邪魔をしたのか? マケインの妨害工作に多くのアメリカ人家族が憤慨し、ボブ・スミス上院議員(Sen Bob Smith)やボブ・ドーナン下院議員(Rep. Bob Dornan)、元議会スタッフのアル・サントリ(Al Santoli)などが不満と疑念を述べていた。

Tracy Usry 1(左 / トレイシー・アスリ)
  1991年、ベトナムでの戦争捕虜に関する上院の公聴会が開かれ、帰還兵であるトレイシー・アスリ(Tracy Usry)が呼ばれて証言を行っていた。彼はアメリカ人捕虜が定期的にソ連の諜報将校から尋問を受けていたと述べたが、これに憤慨したマケインは、しばしば彼の証言を遮り、捕虜がソ連の将校から尋問を受けたことは無い、と反駁したそうだ。ところが、元ベトナム軍のブイ・ティン大佐によれば、そうした尋問は実際に行われていたそうで、彼はアスリの証言を肯定し、マケインの反論を斥けた。当時、共産党内部で要職に就いていたティン大佐は、ソ連の政治局から発せられる電報や書類を読むことができる身分だったから、ソ連の軍人が尋問する場面を目にしても不思議ではない。

Bui Tin 1(左 / ブイ・ティン )
マケインの議事妨害には眉を顰めたくなるが、彼がティン大佐と抱き合う姿はそれ以上に驚きだった。まるで旧友にでも再会したように、マケインは証言席の方に歩み寄り、曾ての憎き敵を温かく抱擁したのである。いくら何でもこれはおかしい。五年以上も自分を苦しめたベトナム人に対し、罵詈雑言どころか、一発も殴らず、感動の抱擁なんて、あまりにも寛大すぎるじゃないか。シベリアで生き地獄を味わった日本兵が、戦後にロシア軍将校と和解し、笑顔で抱き合うなんて想像できない。ソ連の犬に成り下がった日本人なら別。まぁ、普通の日本兵なら怒りで全身が震え、たとえ人前であろうとも、渾身の力を込めて殴りかかるだろう。

  アメリカのテレビ局はマケインの葬儀を放送し、彼に同情的なジャーナリストや政治家を番組に招いて、故人の素晴らしさを語らせていたが、戦争捕虜の家族を招いてマケインの「悪行」を暴露させることはなかった。民衆党の上院議員ならともかく、共和党の議員が亡くなったからといって、あんなにも大袈裟な特集を組むのは解せない。いくら欠席したトランプを貶めたいからといって、リベラル派のマスコミが「保守派」の共和党議員を心から称讃するのか? 確かに、マケインは外政に関しては「カタ派」に見えたが、内政面ではリベラル派の偽装保守であった。民衆党のジョセフ・リーバマン上院議員と同じタイプの政治家と思った方がいい。マケインを偲ぶのであれば、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた女優のジェーン・フォンダと一緒に論評すべきだ。両者ともベトコン側の宣伝係となり、その過去を封印して人気者になったことで共通している。フォンダはエアロビックスで注目を集め、CNNの創設者であるテッド・ターナーと結婚できた。マケインはヘンスリー家のご令嬢シンディーと結婚し、政界に進出してアリゾナ州の大御所になった。(シンディー夫人の父ジェイムズ・ヘンスリーが創設した「ヘンスリー(Hensley Beverage Company)」社は、アメリカの大手飲料メーカー。)

Cindy & John McCain 1Jane Fonda 1


(左: ジョン・マケインとシンブィー夫人 / 右: 反戦活動家のジェーン・フォンダ)

  日本のマスコミは本当に怠慢で、マケインが大統領候補になった時でも、彼の過去に言及することはなかった。もっとも、オバマのドス黒い過去すら触れずに「パス」なんだから、マケインの謎を見逃しても不思議じゃない。これは少々不謹慎だが、もしトランプが数年後に亡くなったら、米国のマスコミはどんな特番を放送するのか? もしかしたら、マケインよりも格下に扱い、放送時間も微妙に短縮するかも知れない。また、トランプを心から憎むCNNやCBS、PBSなどが、どんなゲスト・コメンテーターを用意するのか見物である。まさか「偉大な大統領が亡くなり、本当に残念です」とは言えまい。たぶん、遺族に対する同情でお茶を濁すんじゃないか。一方、トランプだって負けてはいないだろう。強気のトランプなら遺言で、「オバマとブッシュだけは呼ぶな !」と釘を刺すかもしれないぞ。おそらく、ヒラリー・クリントンも排斥されるだろうが、彼女だって行きたくはない。たとえ葬儀に招待されても、ヒラリーなら仮病を理由に欠席するんじゃないか。アメリカのリベラル派はトランプの死去に対し「アホが死んで良かった!」とそっぽを向くだろうが、故人を偲んで哀悼の辞を述べるのは、意外にも安倍総理とプーチン大統領だったりしてね。ついでに言うと、アメリカとの友好を維持したいのであれば、日本人は横須賀基地の近くにトランプ像を建てるべきだ。米国に慰安婦像を建てる朝鮮人と、合衆国大統領の記念碑を建てる日本人の「どちら」が立派なのか、アメリカ人によ〜く考えさせればいい。外務省の役人に外交を任せるとロクなことにならないから、日本の庶民が日本人らしく振る舞った方が良いときもある。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/778.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK250] #ケチって火炎瓶 いよいよ世界に拡散。  赤かぶ
7. 2018年9月04日 09:07:30 : 32gaobLF6I : n57cn6vWo0E[454]
●安部も、自分のカネなら節約して大切に使うんだ! ビックリ!(O_O)

国民から吸い上げたカネ・血税なら、世界中にばらまいてあるいているのに。

国民の命綱である年金のカネなら、株にぶっ込んで平気なのに。

要は、他人のカネなら痛くも痒くもないので、自分の人気取りのために使い放題ということです。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/218.html#c7

コメント [国際23] 「トランプは正気じゃない」──また浮上した「心の健康不安」説(ニューズウィーク)  赤かぶ
4. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年9月04日 09:07:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18214]
マケインは悪質な売国奴の詐欺師で同情の余地は全く無い

マケインの暗い過去 / 「ハノイ・ホテル」での囚人生活
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

  8月25日、共和党の大物議員であったジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III)が脳腫瘍のため81歳でこの世を去った。彼の死は党派を超えた悲しみとなり、いつもは民衆党贔屓のジャーナリストさえマッケインの昇天を歎き、各テレビ局がこぞって彼の葬儀を放送したので、日本でも多くの国民がその放映を目にしたはずだ。葬儀には軍人や議員だけでなく、歴代の元大統領も出席したから、まるで国葬のような雰囲気に包まれていた。ところが、一人だけ重要人物が欠けていたのだ。それはドナルド・トランプ大統領である。

john McCain Funeral 5Trump 001

(左: ジョン・マケインの柩 / 右: ドナルド・トランプ )

  「トランプ憎し」のマスコミは、大統領のイメージを貶める絶好のチャンスと思ったのか、「偉大なる上院議員の葬儀に欠席するとは何事か !!」と大激怒。リベラル・メディアは「人間としての器が小さい頑固者」という印象を世間に与えるべく、悲しみの表情を浮かべるバラク・オバマやビル・クリントンの姿を映した。間抜けなアメリカ国民は、反対政党の議員であっても、その死を悼む元大統領に感動していたが、オバマの偽善は有名で、カメラを前にすれば鰐の涙を流すことができるし、アカデミー主演男優賞を獲得できる程の腕前を持っている。クリントンに至っては「いつものこと」だ。女房のヒラリーに浮気がバレれば何度でも否定できるし、愛人と恋人を手玉に取るくらい朝飯前。女房、愛人、娼婦を相手にしても、「君だけを愛している!」と平然と口にできるし、目薬無しでも同じ涙を何度も流せる。「飾りじゃないのよ、涙は」と歌うのは井上陽水と中森明菜くらいだろう。オバマとクリントンとって涙は大衆向けのサービスだ。

john McCain Funeral 4john McCain Funeral 6


(左: 葬儀に参列したオバマ夫妻とブッシュ夫妻 / 右: 葬儀に参列したクリントン夫妻とチェイニー夫妻 )

  偽善がプンプン臭うクリントンやブッシュ、オバマに比べたら、「俺は葬儀に行かないぞ!」と言い切るトランプの方が清々しい。本心を偽って教会に赴き、柩(ひつぎ)の前で涙ぐむなんて、誰もが厭だろう。選挙のために参列する議員の方がよほど薄汚い。嫌いな奴の葬儀には出ないという信念を貫くトランプは、ある意味、男らしいんじゃないか。生前、マケイン上院議員は同じ党に属していても、悉く大統領と意見を異にし、移民問題に関しては政敵に等しい存在であった。というのも、マケインは共和党議員であったが、外国人の受け容れに関しては民衆党寄りで、亡くなったエドワード・ケネディー上院議員と親しかった。日本ではあまり報道されないが、ケネディーは矢鱈と移民に優しく、不法移民まで庇う極左議員。たぶん、溺れる女を見棄てて自分だけ助かった“例の”スキャンダルを常に気にしていたから、マスコミに叩かれぬよう、いつも彼らの御機嫌を伺っていたのだろう。朝日新聞に擦り寄っていた宮澤喜一を思い出せば分かるはずだ。この元総理は「徴兵逃れ」という後ろめたい過去を持っていた。

闇に葬りたい過去を持つ英雄

John McCain 8John McCain 11

(左: 負傷したマケイン / 右: 解放されたマケイン)

  実は、この卑劣なケネディーと馬が合ったマケインにも、人には触れられたくない過去があったのだ。マケインが政界に進出できたのは、不運にもベトナム戦争で敵軍の捕虜となり、恐ろしい苦難に堪えて帰国を果たした「英雄」だったからである。ところが、彼の輝かしい「過去」には暗い影があった。時は、1967年10月26日、海軍パイロットのジョン・マケイン少佐は「A-4スカイホーク(Skyhawk)」に搭乗し、任務遂行を図ったが、その途中で北ベトナム軍の攻撃を受け、ソ連製の地対空ミサイルで撃墜されてしまった。ところが、脱出時にヘマをやらかしたのか、彼は片脚と両腕を負傷することになった。一般の日本人は事情を知らないから、彼の捻れた腕を見て、「拷問でかなり痛めつけられたんだなぁ」と勘違いする。これは明確な証拠に基づく話ではないが、ある帰還兵の話によれば、マケインは治療を受けるため、北ベトナムに軍事情報を提供したそうだ。そして、彼が介護されたギ・ラム病院には、ベトナム人民軍の総司令官たるヴォー・クエン・ザップ将軍まで訪れたらしい。

John McCain 4Vo Nguyen Giap 2


(左: パイロット時代のマケイン / 右: ヴォー・グエン・ザップ )

  ベトナムで捕虜となったアメリカ兵の間では、マケインが鄭重な「もてなし」を受けたという噂が飛び交っていた。なぜなら、マケインは下層階級の兵卒と違って、海軍兵学校を出た軍人一家の息子で、人質としての価値が非常に高い囚人であったからだ。彼の父親は太平洋艦隊司令官のジョン・S・マケイン・ジュニア提督で、祖父は第二次世界大戦でウィリアム・ハルゼイ提督(Adm. William Halsey)のもとで空母を指揮したジョン・S・マケイン・シニア提督である。こんな家系のお坊ちゃんと判れば、北ベトナム軍とソ連の軍事顧問は拷問などせず、至れり尽くせりの待遇を与えて味方にしようと考えるはずだ。ベトナム人やロシア人にとって、生け捕りにしたアメリカ兵を嬲(なぶ)り殺しにするなんて造作も無いことで、場合によったら、ロシアン・ルーレットの余興を開いて賭の対象にするだろう。しかし、独裁国の諜報員は狡猾だ。捕虜の有効利用を考える。ロシアの軍事顧問は捕まえたマケインを好待遇で寝返らせ、「苦難に耐え抜いたヒーロー」に仕立てあげてから、「渋々ながら」を装って米国に送り返す。この作戦の肝はね拘留期間である。ベトナム軍は彼を即座に返却せず、五年半「ハノイ・ヒルトン(ホア・ロア収容所の別称)」に引き留め、「英雄神話」を作らねばならない。ベトナム側の脚本だと、マケインは「仲間の解放を優先したため、帰国が遅れたエリート軍人」、則ち、自己犠牲を厭わない英雄なのだ。

John McCain, Sr. 002John McCain , Jr.John McCain 15John McCain IV


(左: ジョン・マケイン・シニア / ジョン・マケイン・ジュニア / ジョン・マケイン3世 / 右: ジョン・マケイン4世)

  日本人はアクション映画の影響が強すぎて、フィクションと現実の区別がつかないから、捕虜生活の実態が分からない。人気映画の『ランボー』ではベトコンに捕まったジョン・ランボーが凄まじい拷問に耐え抜くシーンがあったけど、実際の戦争では有り得ない。あんなの嘘。尋問されれば直ぐに答えた方が賢い。ここではあまりに残酷なので具体的に書けないが、アジア人の肉刑に耐え抜くアメリカ人などいないだろう。もし、解放されてもボロボロの身体となり、片輪になって還ってくるだけだ。ハノイの収容所にぶち込まれていた捕虜の一人にデニス・ジョンソン(Dennis Johnson)というアメリカ兵がいて、彼は脚を骨折していたが、ベトナム人から治療を受けることはなく、そのままであったという。ジョンソンによれば、マケインはいつも皆と隔離されており、髭を剃り、清潔な服を着せてもらって、快適な生活を送っていたそうだ。解放された時のマケインを見れば、「やけに健康そうだなあ」と疑問に思ったアメリカ人もいたんじゃないか。

Bob Smith 2Robert Dornan 2Al Santoli 1

(左: ボブ・スミス / 中央: ボブ・ドーナン / 右: アル・サントリ )

  カンボジアで極秘作戦に従事していたジャク・マックラム(Jack McLamb)によれば、マケインが拷問されたという形跡は無いらしい。ベトコンは大切なマケインをコードネーム(「ソングバード / Songbird」)で呼んでおり、この九官鳥は32本のプロパガンダ・フィルムに出演したそうだ。ソ連の諜報機関(GRU)から派遣されたロシア人将校は、「ハノイ・ヒルトン」に泊まっているアメリカ人捕虜の尋問を行っていたが、その際、通訳担当の少年「T」が同伴したそうである。マケインの尋問にも「T」が通訳を務めたそうで、もし、ソ連がマケインを「エージェント」にしていたというなら、1969年12月から1973年3月まで収容されていた彼の生活記録が残っているはずだ。運命の女神は残酷なのか、それとも気紛れなのか、マケインにとって悪夢となる1991年が訪れた。冷戦に敗れたソ連が崩壊し、多くの機密書類がKGBとCIAの間で交換されたという。ところが、上院の外交委員会で権力をふるうマケインは、執拗に機密ファイルを封印し、戦争捕虜を取り戻すチャンスを潰してしまったのである。これは実におかしい。誰よりも捕虜を救出したいマケインが、なぜ捕虜奪還の情報を遮断し、被害者家族の邪魔をしたのか? マケインの妨害工作に多くのアメリカ人家族が憤慨し、ボブ・スミス上院議員(Sen Bob Smith)やボブ・ドーナン下院議員(Rep. Bob Dornan)、元議会スタッフのアル・サントリ(Al Santoli)などが不満と疑念を述べていた。

Tracy Usry 1(左 / トレイシー・アスリ)
  1991年、ベトナムでの戦争捕虜に関する上院の公聴会が開かれ、帰還兵であるトレイシー・アスリ(Tracy Usry)が呼ばれて証言を行っていた。彼はアメリカ人捕虜が定期的にソ連の諜報将校から尋問を受けていたと述べたが、これに憤慨したマケインは、しばしば彼の証言を遮り、捕虜がソ連の将校から尋問を受けたことは無い、と反駁したそうだ。ところが、元ベトナム軍のブイ・ティン大佐によれば、そうした尋問は実際に行われていたそうで、彼はアスリの証言を肯定し、マケインの反論を斥けた。当時、共産党内部で要職に就いていたティン大佐は、ソ連の政治局から発せられる電報や書類を読むことができる身分だったから、ソ連の軍人が尋問する場面を目にしても不思議ではない。

Bui Tin 1(左 / ブイ・ティン )
マケインの議事妨害には眉を顰めたくなるが、彼がティン大佐と抱き合う姿はそれ以上に驚きだった。まるで旧友にでも再会したように、マケインは証言席の方に歩み寄り、曾ての憎き敵を温かく抱擁したのである。いくら何でもこれはおかしい。五年以上も自分を苦しめたベトナム人に対し、罵詈雑言どころか、一発も殴らず、感動の抱擁なんて、あまりにも寛大すぎるじゃないか。シベリアで生き地獄を味わった日本兵が、戦後にロシア軍将校と和解し、笑顔で抱き合うなんて想像できない。ソ連の犬に成り下がった日本人なら別。まぁ、普通の日本兵なら怒りで全身が震え、たとえ人前であろうとも、渾身の力を込めて殴りかかるだろう。

  アメリカのテレビ局はマケインの葬儀を放送し、彼に同情的なジャーナリストや政治家を番組に招いて、故人の素晴らしさを語らせていたが、戦争捕虜の家族を招いてマケインの「悪行」を暴露させることはなかった。民衆党の上院議員ならともかく、共和党の議員が亡くなったからといって、あんなにも大袈裟な特集を組むのは解せない。いくら欠席したトランプを貶めたいからといって、リベラル派のマスコミが「保守派」の共和党議員を心から称讃するのか? 確かに、マケインは外政に関しては「カタ派」に見えたが、内政面ではリベラル派の偽装保守であった。民衆党のジョセフ・リーバマン上院議員と同じタイプの政治家と思った方がいい。マケインを偲ぶのであれば、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた女優のジェーン・フォンダと一緒に論評すべきだ。両者ともベトコン側の宣伝係となり、その過去を封印して人気者になったことで共通している。フォンダはエアロビックスで注目を集め、CNNの創設者であるテッド・ターナーと結婚できた。マケインはヘンスリー家のご令嬢シンディーと結婚し、政界に進出してアリゾナ州の大御所になった。(シンディー夫人の父ジェイムズ・ヘンスリーが創設した「ヘンスリー(Hensley Beverage Company)」社は、アメリカの大手飲料メーカー。)

Cindy & John McCain 1Jane Fonda 1


(左: ジョン・マケインとシンブィー夫人 / 右: 反戦活動家のジェーン・フォンダ)

  日本のマスコミは本当に怠慢で、マケインが大統領候補になった時でも、彼の過去に言及することはなかった。もっとも、オバマのドス黒い過去すら触れずに「パス」なんだから、マケインの謎を見逃しても不思議じゃない。これは少々不謹慎だが、もしトランプが数年後に亡くなったら、米国のマスコミはどんな特番を放送するのか? もしかしたら、マケインよりも格下に扱い、放送時間も微妙に短縮するかも知れない。また、トランプを心から憎むCNNやCBS、PBSなどが、どんなゲスト・コメンテーターを用意するのか見物である。まさか「偉大な大統領が亡くなり、本当に残念です」とは言えまい。たぶん、遺族に対する同情でお茶を濁すんじゃないか。一方、トランプだって負けてはいないだろう。強気のトランプなら遺言で、「オバマとブッシュだけは呼ぶな !」と釘を刺すかもしれないぞ。おそらく、ヒラリー・クリントンも排斥されるだろうが、彼女だって行きたくはない。たとえ葬儀に招待されても、ヒラリーなら仮病を理由に欠席するんじゃないか。アメリカのリベラル派はトランプの死去に対し「アホが死んで良かった!」とそっぽを向くだろうが、故人を偲んで哀悼の辞を述べるのは、意外にも安倍総理とプーチン大統領だったりしてね。ついでに言うと、アメリカとの友好を維持したいのであれば、日本人は横須賀基地の近くにトランプ像を建てるべきだ。米国に慰安婦像を建てる朝鮮人と、合衆国大統領の記念碑を建てる日本人の「どちら」が立派なのか、アメリカ人によ〜く考えさせればいい。外務省の役人に外交を任せるとロクなことにならないから、日本の庶民が日本人らしく振る舞った方が良いときもある。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/776.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK250] 北方領土が還ることはない。(谷間の百合) 赤かぶ
6. ぢっとみる[97] gsCCwYLGgt2C6Q 2018年9月04日 09:08:20 : LLC16YRhF6 : 2yUQTAqpjc8[97]
> 1. 日高見連邦共和国さん
> まあ、元々、北方領土は誰のものでもない。地球と、未来の人類のものだ。

日高見連邦共和国さんの意見に賛成です。
そもそも「固有の領土」ってナンナンダと思う。

大日本帝国という国自身は千島を守る気がなかった。
守れないことはわかりきっている。
現場は、また別だけど。

千島って海に島がたくさんあるんだよ。
そこを守ろうっていうのに船も無いってナンナンダ。
なのに慰安婦はいる。ちゃんと。
近年は「業者が連れてきた」の但し書き付きの。

日本の戦記物を読むと、
頑張った。あの状況でよくやった。敵もビックリ称賛。
敵が戦術として日本軍陣地を迂回したり退却したりすると、
日本人の気迫に怖じ気づいたと快(怪?)気炎。

もともと北海道だってくれてやってもいい方に傾いていた。
大日本帝国=国体=天皇を護るためなら。

ソ連軍が上陸してくるかもしれない。
上陸されて札幌を占領されたら如何にするか。
恵庭の駐屯地内の要害の山上に立て籠って…
みんなで自決するということになっていた。
まだ来ていないうちに既に「自決」決定かよ。

アメリカに占領してもらえたお陰で、
日本はドイツのように分割されないですんだ。
という人がいるが、
スターリンは留萌-釧路以北を占領するには?
という試算をさせた。いわゆる見積書だ。
そのジューコフ元帥らしい「てんこ盛り」の数字を見て諦めたそうだ。
日本とソ連の立場が入れ換わっていたらどうだっただろう?

ソ連に分割占領されていたら?
そりゃあ、酷いことになっていただろう。
日本人はほとんどスパイ容疑で処刑、収容所送りだ。
というのは、自国民と同じ扱いということだ。
ただひとつだけ良いことがある。
原発はつくられなかっただろう。
幌延だって「狙われ」なくてすんだだろう。

ついでに書くけど。
大間原発ヤメレや。
「原子力船むつ」忘れたか?
「六ヶ所」は無事か?

北海道、青森の自衛官も「狙われ」ているぞ。
聞いたこともないような所に送られるぞ。

こんな言い方、
沖縄戦で北海道出身者の戦死者が多い理由 - 黎明期フラストレヰション
http://d.hatena.ne.jp/naishinokami/touch/20090527/1243417072
許せん!

私も独りよがりですみません。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/222.html#c6

コメント [マスコミ・電通批評15] <宮川紗江パワハラ問題について・・。>(ラビッツ体操塾) 南青山
4. 2018年9月04日 09:09:52 : ygxevxYaOc : bBQpFuxC_Fw[287]
>悪質な例を除き、引き抜き行為(スカウト)はスポーツ界のみならずビジネス界、一般社会で至る所で起きている行為です。犯罪行為ではありません。

犯罪には至らないかも知れないですが
引き抜きは「人としてやっちゃいけない事(池谷)」、「ご法度(森末)」、、、
多くの関係者が非難していますよ

http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/447.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍政権が沖縄県一般職員に強烈なパワハラ!  赤かぶ
32. 2018年9月04日 09:11:00 : ognRDQzdSk : YtUax@tRz3U[647]
国賠法では、あくまで行政主体が賠償責任を負うべきであって、公務員個人には賠償責任がないというのが法理である。アベはそんなこともわからないのか!!!
行政法の勉強をちょっとでもした者ならアベのいうことが荒唐無稽であることはすぐにわかる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/209.html#c32
コメント [経世済民128] アルゼンチンの政策金利は60%に 新興国通貨下落の日本円への影響は(マネーポスト) 赤かぶ
3. 2018年9月04日 09:13:38 : jXbiWWJBCA : zikAgAsyVVk[1409]

#緊縮策に切り替え、IMF支援を要請したアルゼンチンは、まともな方向に向かいつつあるようだが

現実を無視した愚かな左翼政権を選んだベネズエラの結末は、かっての旧ソ連同様の国家崩壊

そして周辺諸国への混乱の輸出は、内戦状態に匹敵する


 

 

ベネズエラ、経済危機で難民大量流出
Viewpoint-2018/08/29
反米左派マドゥロ政権下で経済崩壊の危機に直面している南米ベネズエラ。食料や ... 1998年から続くベネズエラの反米左派政権は、ウゴ・チャベス前大統領(2013年3月がんで死去)が提唱した「21世紀型社会主義の実現」を目指してきた。

ベネズエラで止まらない危機の連鎖 首都カラカスの断水で病院の手術が ...
Newsweekjapan-2018/08/15
ハイパーインフレ、不足する医療物資、スーパーの棚は空っぽ――国民の苦難が続くベネズエラの首都カラカスで、水不足がさらに追い討ちをかけて ... ロイター通信によると、医療器具が洗えない病院では手術を延期せざるを得ない、と伝えた。 


ベネズエラの妊婦がブラジルに殺到、病院はてんてこ舞いに
ロイター-2018/08/22
ボアビスタ(ブラジル) 22日 ロイター] - 経済困窮と政治混迷に悩むベネズエラから、妊婦が出国し、出産のためブラジルに ... 市内の病院には長い列ができ、これほど多数の医療処置の必要な人に対応できるだけの設備がない」と語った。


経済苦境深まるベネズエラ、市民がブラジルに逃避 国境キャンプ攻撃も
BBCニュース-2018/08/20
経済危機が深刻化するベネズエラから、隣国ブラジルに逃避する市民が増えている。ブラジル軍の報道 ... 国境を越えてブラジルに入ったベネズエラ市民の多くは空腹を訴え、母国では医療サービスが受けられないと話した。 ブラジル軍による ...
住民がベネズエラ人移住者追放 国境市のパカライマで=ロライマ州
サンパウロ新聞-2018/08/21


ペルー、国境に非常事態宣言 疫病感染のベネズエラ人が大量流入?
Newsweekjapan-2018/08/29
ペルーは28日、経済危機と飢餓から逃れてくるベネズエラ人の流入が止まらない問題を受け、北の国境について公衆衛生 ... ペルーの保健当局は先にも、大半の流入者は母国で基礎的な医薬品と医療にアクセスできておらず、流入した人々 ...
ペルーが北部国境に非常事態宣言、ベネズエラ人の大量流入受け
Reuters Japan-2018/08/28

経済危機のベネズエラ、通貨を10万分の1に切り下げ
CNN Japan-2018/08/21
(CNN) 経済危機に直面するベネズエラで20日、通貨ボリバルを10万分の1に切り下げるデノミネーションが実施された。 ... ベネズエラでは最近、食料不足や医療事情の悪化、インフレ、政治危機などから逃れようと、多数の国民が近隣国へ ...
ベネズエラで新紙幣配布も…
テレビ東京-2018/08/22
 


CNN Japan
ブラジル国内のベネズエラ人は3万800人=3年前の1千人が30倍に
ニッケイ新聞-2018/08/29
ロライマ州の知事のスエリー・カンポス氏は22日、国境を越えてパカライマ市に入ってくるベネズエラ人は1日800人に上り、州内の学校に在籍中のベネズエラ人子弟は1484人に上り、同州の医療機関で診察や検査などを受けた人の数は ...
ブラジル、ベネズエラ国境へ軍隊派遣 移民の大量流入に危機感
CNN Japan-2018/08/29

ベネズエラ難民巡り国際会議 9月開催
日本経済新聞-2018/08/24
【サンパウロ=外山尚之】経済が崩壊状態のベネズエラから難民の流出が続き、国際社会が対応に追われている。南米エクアドル政府は難民問題に対応するため、9月17〜18日に中南米諸国が集まる会議を開く。国連難民高等弁務官事務 ...

経済危機のベネズエラで230万人が国外に脱出 医薬品不足も深刻
livedoor-2018/08/19
国連は14日、6月の時点でおよそ230万人のベネズエラ人が、危機に直面した母国から主にコロンビア、エクアドル、 ... ドゥジャリク事務総長報道官は、ベネズエラ国内の基礎的な医薬品や医療用品の深刻な不足が「病院の品質の急激な悪化 ...

キューバ最大の外貨獲得源「医師・看護師派遣」の闇が問題化
ハーバー・ビジネス・オンライン-2018/08/28
ところが、派遣された医師や看護師ら医療団は、キューバ政府が派遣前に約束したこととは全く異なる厳しい現状に直面し、その結果、その職務を放棄して米国に移住するという現象が起きているのである。これが特に顕著なのはベネズエラに ...
http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/360.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK250] <JNN世論調査>遂に安倍離れ!総裁にふさわしい 安倍総理41%、石破氏40% アベノミクス「実感ない」が84%!  赤かぶ
10. スポンのポン[9935] g1iDfIOTgsyDfIOT 2018年9月04日 09:16:31 : YLRU9o6eFk : 5LmaSTbmkbI[245]
 
 
■自民党の経済政策の失敗はそもそも既定路線だ

 この国はこの30年間自民党政権下でずっと衰退し続けている。
 民主党政権時代にこの国の経済は好転しかかったが
 大災害と利権屋どもに潰されてしまった。
 自民党はこの国を発展させようなどとは初めから思っていない。
 国民が納めた血税を利権として奪い取ることだけが自民党の存在目的だ。
 自民党の政権下でこの国が発展する道理などもとよりない。
 血税を利権にばらまくことと、国の発展は絶対に両立しないからだ。
 要するに自民党の存在こそがこの国の発展の最大の障害なのである。

     権力万歳!、利権万歳!、愚民万歳!、

                  自民党
 
 
 
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/239.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK250] 安倍晋三が自衛隊の会合で大失態を演じた!   赤かぶ
16. 2018年9月04日 09:19:42 : ivuHY0OrFw : NAHBaOHYP6A[2]

安倍晋三と尾畠春夫さんと、人物・考え方・行動量力等の点で、どっちが首相に向いちょるか、遥かに尾畠さんの方が向いちょる。今夏の西日本大水害の時も、安倍は情報を入手しながら、仲間と大酒のみグルメに没頭し大騒ぎで、任務を失念しよる。こんとき尾畠さんなんか、大災害を予期し、着々とボランテイア出動の準備に余念なかったという。尾畠さんが我が国の首相を務めたら、国民は真実幸せになるぞ。尾畠さんなら、国民の幸福・福利だけを思って、滅私奉公で率先行動してくれる。人物も、お大師さんに並ぶようなデカサで、国がみるみるようによくなるよ。学歴なんぞ問題じゃあねえよ、尾畠さんは中卒ちゅっても、人生経歴の中で自分を磨き、いわば社会大学の優等生だ。一応大学出たちゅっても字も読めないし書けないが安倍に比し、知性・教養の点でも尾畠さんの方が、繰り返すが遥かに上だ。
 安倍とか言う疫病神・死神・貧乏神が、あとまた3年、我が国に暗雲のように覆いかぶさってきよると思うと、国民みんな気が滅入るな。尾畠さんか、尾畠さんのようなもんに、何とか代わってもらいてえ。


http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/226.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK250] <全員グル>法律を捻じ曲げた最高裁・NHK・安倍内閣(simatyan2のブログ) 赤かぶ
26. 2018年9月04日 09:20:08 : ygxevxYaOc : bBQpFuxC_Fw[288]
>入居者は受信料支払い義務があるので、NHKの請求を拒否することはできない。

支払義務はない
なので請求は無視可能
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/138.html#c26

コメント [国際23] 事実に追い詰められた人びとが逃げ込む「陰謀論」という呪文(櫻井ジャーナル)  赤かぶ
9. 2018年9月04日 09:24:00 : Ef236fAa4M : IuOMV0v5Lh0[310]
陰謀なんて政治の双子の弟みたいなもんなのに
陰謀を妄想の別名にしたがる人
いるよねー

偽情報なんて最近出てきた概念でもなんでもないし
コンスピラシーのイロハでしょうに
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/773.html#c9

コメント [原発・フッ素50] 被災地で「被ばく食材かも」=米動画大手番組−福島県など対応検討 (時事ドットコム)  魑魅魍魎男
11. 2018年9月04日 09:24:32 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[873]
>>9
>拒否するか辞めるかしないといけない。人として最低限のことです。

その通りですが、残念ながら思考停止した人が上からの命令に粛々と従い、
それがとんでもない悲劇を生むのです。

ナチス・ドイツの蛮行を支えたのも従順でものを言わぬ一般市民でした。

「映画「ハンナ・アーレント」を観て -- 日本は思考停止したアイヒマンだらけだ」
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/178.html
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/273.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK250] 国民が安倍氏を支持しないのは嫌悪感から来る。(かっちの言い分) 一平民
11. 2018年9月04日 09:25:25 : ybHBJQ3crI : SPs6kEjuFks[8]
>国民が安倍氏を支持しないのは嫌悪感から来る。(かっちの言い分)

安倍氏を嫌悪する国民が、同氏を支持しないのは自然なことだろうね。

http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/193.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK250] 山本太郎があと10人いたら日本は変わる!  赤かぶ
4. 2018年9月04日 09:25:50 : wd8yp7wXnM : 1CODpOjx3SU[1]
カジノ反対と叫ぶ割には、
更に悲惨なパチンコの実態に
ついては叫ばないクズ野郎!
選挙受かりたいだけの史上災厄の
パフォーマー!
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/234.html#c4
コメント [原発・フッ素50] 被災地で「被ばく食材かも」=米動画大手番組−福島県など対応検討 (時事ドットコム)  魑魅魍魎男
12. 2018年9月04日 09:28:43 : qW5770aSac : k9XcZ01CpGM[874]
日本政府が汚染と被ばく被害の実態を隠していることを
世界各国はよく知っていますから、この番組を機会に
多くのメディアが線量計を持ってぞくぞくと福島に取材に
やって来るでしょう。

そして政府のついているウソがどんどんバレるでしょう。

国内のメディアは完全に政府広報に成り下がりましたから、
海外のメディアに期待するしかない。

実に情けないことです。
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/273.html#c12

コメント [原発・フッ素50] 「トリチウムは極めて危険 官僚はウソをつくな!」 多核種除去設備等処理水の公聴会で西尾正道先生が怒りの発言  魑魅魍魎男
5. 茶色のうさぎ[-8054] koOQRoLMgqSCs4Ks 2018年9月04日 09:29:07 : Fy1GO5jS3k : 6SgbhGqBH6E[1]

 笑っちゃったー♪ぷっ 赤旗:棄民政策

>桜井勝延さん(前・南相馬市長)が、住民が棄民化されていることや地域の惨状をリアルに報告。「再稼働させれば事故は必ず起こる。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-09-02/2018090201_02_1.html <2018年9月2日(日)

 ↑ 巧妙な、すり替え♪ インチキ、注意!!

 つまり、南相馬に帰れー♪ <強制連行、人体実験、急げー♪wwwばか 10μSv/h♪

 まぁ、南相馬、小高、6000人、避難中ですね。 殺されちゃうよー♪ぷっ

結論: 西尾先生のように、分かりやすく勉強、理論武装がうれしいですね。 感謝♪

 ボク? 今後も、共産党の悪事を追及するぞー♪ 志位和夫は自殺しろ!!ぺっ♪ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/278.html#c5

コメント [番外地7] 「しょぼくれたアメリカ」への怒りが より過激なトランプ新大統領を生み出した 中川隆
57. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年9月04日 09:29:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18223]

トランプが嫌った悪質な売国奴の詐欺師 マケイン

マケインの暗い過去 / 「ハノイ・ホテル」での囚人生活
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

  8月25日、共和党の大物議員であったジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III)が脳腫瘍のため81歳でこの世を去った。彼の死は党派を超えた悲しみとなり、いつもは民衆党贔屓のジャーナリストさえマッケインの昇天を歎き、各テレビ局がこぞって彼の葬儀を放送したので、日本でも多くの国民がその放映を目にしたはずだ。葬儀には軍人や議員だけでなく、歴代の元大統領も出席したから、まるで国葬のような雰囲気に包まれていた。ところが、一人だけ重要人物が欠けていたのだ。それはドナルド・トランプ大統領である。

john McCain Funeral 5Trump 001

(左: ジョン・マケインの柩 / 右: ドナルド・トランプ )

  「トランプ憎し」のマスコミは、大統領のイメージを貶める絶好のチャンスと思ったのか、「偉大なる上院議員の葬儀に欠席するとは何事か !!」と大激怒。リベラル・メディアは「人間としての器が小さい頑固者」という印象を世間に与えるべく、悲しみの表情を浮かべるバラク・オバマやビル・クリントンの姿を映した。間抜けなアメリカ国民は、反対政党の議員であっても、その死を悼む元大統領に感動していたが、オバマの偽善は有名で、カメラを前にすれば鰐の涙を流すことができるし、アカデミー主演男優賞を獲得できる程の腕前を持っている。クリントンに至っては「いつものこと」だ。女房のヒラリーに浮気がバレれば何度でも否定できるし、愛人と恋人を手玉に取るくらい朝飯前。女房、愛人、娼婦を相手にしても、「君だけを愛している!」と平然と口にできるし、目薬無しでも同じ涙を何度も流せる。「飾りじゃないのよ、涙は」と歌うのは井上陽水と中森明菜くらいだろう。オバマとクリントンとって涙は大衆向けのサービスだ。

john McCain Funeral 4john McCain Funeral 6


(左: 葬儀に参列したオバマ夫妻とブッシュ夫妻 / 右: 葬儀に参列したクリントン夫妻とチェイニー夫妻 )

  偽善がプンプン臭うクリントンやブッシュ、オバマに比べたら、「俺は葬儀に行かないぞ!」と言い切るトランプの方が清々しい。本心を偽って教会に赴き、柩(ひつぎ)の前で涙ぐむなんて、誰もが厭だろう。選挙のために参列する議員の方がよほど薄汚い。嫌いな奴の葬儀には出ないという信念を貫くトランプは、ある意味、男らしいんじゃないか。生前、マケイン上院議員は同じ党に属していても、悉く大統領と意見を異にし、移民問題に関しては政敵に等しい存在であった。というのも、マケインは共和党議員であったが、外国人の受け容れに関しては民衆党寄りで、亡くなったエドワード・ケネディー上院議員と親しかった。日本ではあまり報道されないが、ケネディーは矢鱈と移民に優しく、不法移民まで庇う極左議員。たぶん、溺れる女を見棄てて自分だけ助かった“例の”スキャンダルを常に気にしていたから、マスコミに叩かれぬよう、いつも彼らの御機嫌を伺っていたのだろう。朝日新聞に擦り寄っていた宮澤喜一を思い出せば分かるはずだ。この元総理は「徴兵逃れ」という後ろめたい過去を持っていた。

闇に葬りたい過去を持つ英雄

John McCain 8John McCain 11

(左: 負傷したマケイン / 右: 解放されたマケイン)

  実は、この卑劣なケネディーと馬が合ったマケインにも、人には触れられたくない過去があったのだ。マケインが政界に進出できたのは、不運にもベトナム戦争で敵軍の捕虜となり、恐ろしい苦難に堪えて帰国を果たした「英雄」だったからである。ところが、彼の輝かしい「過去」には暗い影があった。時は、1967年10月26日、海軍パイロットのジョン・マケイン少佐は「A-4スカイホーク(Skyhawk)」に搭乗し、任務遂行を図ったが、その途中で北ベトナム軍の攻撃を受け、ソ連製の地対空ミサイルで撃墜されてしまった。ところが、脱出時にヘマをやらかしたのか、彼は片脚と両腕を負傷することになった。一般の日本人は事情を知らないから、彼の捻れた腕を見て、「拷問でかなり痛めつけられたんだなぁ」と勘違いする。これは明確な証拠に基づく話ではないが、ある帰還兵の話によれば、マケインは治療を受けるため、北ベトナムに軍事情報を提供したそうだ。そして、彼が介護されたギ・ラム病院には、ベトナム人民軍の総司令官たるヴォー・クエン・ザップ将軍まで訪れたらしい。

John McCain 4Vo Nguyen Giap 2


(左: パイロット時代のマケイン / 右: ヴォー・グエン・ザップ )

  ベトナムで捕虜となったアメリカ兵の間では、マケインが鄭重な「もてなし」を受けたという噂が飛び交っていた。なぜなら、マケインは下層階級の兵卒と違って、海軍兵学校を出た軍人一家の息子で、人質としての価値が非常に高い囚人であったからだ。彼の父親は太平洋艦隊司令官のジョン・S・マケイン・ジュニア提督で、祖父は第二次世界大戦でウィリアム・ハルゼイ提督(Adm. William Halsey)のもとで空母を指揮したジョン・S・マケイン・シニア提督である。こんな家系のお坊ちゃんと判れば、北ベトナム軍とソ連の軍事顧問は拷問などせず、至れり尽くせりの待遇を与えて味方にしようと考えるはずだ。ベトナム人やロシア人にとって、生け捕りにしたアメリカ兵を嬲(なぶ)り殺しにするなんて造作も無いことで、場合によったら、ロシアン・ルーレットの余興を開いて賭の対象にするだろう。しかし、独裁国の諜報員は狡猾だ。捕虜の有効利用を考える。ロシアの軍事顧問は捕まえたマケインを好待遇で寝返らせ、「苦難に耐え抜いたヒーロー」に仕立てあげてから、「渋々ながら」を装って米国に送り返す。この作戦の肝はね拘留期間である。ベトナム軍は彼を即座に返却せず、五年半「ハノイ・ヒルトン(ホア・ロア収容所の別称)」に引き留め、「英雄神話」を作らねばならない。ベトナム側の脚本だと、マケインは「仲間の解放を優先したため、帰国が遅れたエリート軍人」、則ち、自己犠牲を厭わない英雄なのだ。

John McCain, Sr. 002John McCain , Jr.John McCain 15John McCain IV


(左: ジョン・マケイン・シニア / ジョン・マケイン・ジュニア / ジョン・マケイン3世 / 右: ジョン・マケイン4世)

  日本人はアクション映画の影響が強すぎて、フィクションと現実の区別がつかないから、捕虜生活の実態が分からない。人気映画の『ランボー』ではベトコンに捕まったジョン・ランボーが凄まじい拷問に耐え抜くシーンがあったけど、実際の戦争では有り得ない。あんなの嘘。尋問されれば直ぐに答えた方が賢い。ここではあまりに残酷なので具体的に書けないが、アジア人の肉刑に耐え抜くアメリカ人などいないだろう。もし、解放されてもボロボロの身体となり、片輪になって還ってくるだけだ。ハノイの収容所にぶち込まれていた捕虜の一人にデニス・ジョンソン(Dennis Johnson)というアメリカ兵がいて、彼は脚を骨折していたが、ベトナム人から治療を受けることはなく、そのままであったという。ジョンソンによれば、マケインはいつも皆と隔離されており、髭を剃り、清潔な服を着せてもらって、快適な生活を送っていたそうだ。解放された時のマケインを見れば、「やけに健康そうだなあ」と疑問に思ったアメリカ人もいたんじゃないか。

Bob Smith 2Robert Dornan 2Al Santoli 1

(左: ボブ・スミス / 中央: ボブ・ドーナン / 右: アル・サントリ )

  カンボジアで極秘作戦に従事していたジャク・マックラム(Jack McLamb)によれば、マケインが拷問されたという形跡は無いらしい。ベトコンは大切なマケインをコードネーム(「ソングバード / Songbird」)で呼んでおり、この九官鳥は32本のプロパガンダ・フィルムに出演したそうだ。ソ連の諜報機関(GRU)から派遣されたロシア人将校は、「ハノイ・ヒルトン」に泊まっているアメリカ人捕虜の尋問を行っていたが、その際、通訳担当の少年「T」が同伴したそうである。マケインの尋問にも「T」が通訳を務めたそうで、もし、ソ連がマケインを「エージェント」にしていたというなら、1969年12月から1973年3月まで収容されていた彼の生活記録が残っているはずだ。運命の女神は残酷なのか、それとも気紛れなのか、マケインにとって悪夢となる1991年が訪れた。冷戦に敗れたソ連が崩壊し、多くの機密書類がKGBとCIAの間で交換されたという。ところが、上院の外交委員会で権力をふるうマケインは、執拗に機密ファイルを封印し、戦争捕虜を取り戻すチャンスを潰してしまったのである。これは実におかしい。誰よりも捕虜を救出したいマケインが、なぜ捕虜奪還の情報を遮断し、被害者家族の邪魔をしたのか? マケインの妨害工作に多くのアメリカ人家族が憤慨し、ボブ・スミス上院議員(Sen Bob Smith)やボブ・ドーナン下院議員(Rep. Bob Dornan)、元議会スタッフのアル・サントリ(Al Santoli)などが不満と疑念を述べていた。

Tracy Usry 1(左 / トレイシー・アスリ)
  1991年、ベトナムでの戦争捕虜に関する上院の公聴会が開かれ、帰還兵であるトレイシー・アスリ(Tracy Usry)が呼ばれて証言を行っていた。彼はアメリカ人捕虜が定期的にソ連の諜報将校から尋問を受けていたと述べたが、これに憤慨したマケインは、しばしば彼の証言を遮り、捕虜がソ連の将校から尋問を受けたことは無い、と反駁したそうだ。ところが、元ベトナム軍のブイ・ティン大佐によれば、そうした尋問は実際に行われていたそうで、彼はアスリの証言を肯定し、マケインの反論を斥けた。当時、共産党内部で要職に就いていたティン大佐は、ソ連の政治局から発せられる電報や書類を読むことができる身分だったから、ソ連の軍人が尋問する場面を目にしても不思議ではない。

Bui Tin 1(左 / ブイ・ティン )
マケインの議事妨害には眉を顰めたくなるが、彼がティン大佐と抱き合う姿はそれ以上に驚きだった。まるで旧友にでも再会したように、マケインは証言席の方に歩み寄り、曾ての憎き敵を温かく抱擁したのである。いくら何でもこれはおかしい。五年以上も自分を苦しめたベトナム人に対し、罵詈雑言どころか、一発も殴らず、感動の抱擁なんて、あまりにも寛大すぎるじゃないか。シベリアで生き地獄を味わった日本兵が、戦後にロシア軍将校と和解し、笑顔で抱き合うなんて想像できない。ソ連の犬に成り下がった日本人なら別。まぁ、普通の日本兵なら怒りで全身が震え、たとえ人前であろうとも、渾身の力を込めて殴りかかるだろう。

  アメリカのテレビ局はマケインの葬儀を放送し、彼に同情的なジャーナリストや政治家を番組に招いて、故人の素晴らしさを語らせていたが、戦争捕虜の家族を招いてマケインの「悪行」を暴露させることはなかった。民衆党の上院議員ならともかく、共和党の議員が亡くなったからといって、あんなにも大袈裟な特集を組むのは解せない。いくら欠席したトランプを貶めたいからといって、リベラル派のマスコミが「保守派」の共和党議員を心から称讃するのか? 確かに、マケインは外政に関しては「カタ派」に見えたが、内政面ではリベラル派の偽装保守であった。民衆党のジョセフ・リーバマン上院議員と同じタイプの政治家と思った方がいい。マケインを偲ぶのであれば、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた女優のジェーン・フォンダと一緒に論評すべきだ。両者ともベトコン側の宣伝係となり、その過去を封印して人気者になったことで共通している。フォンダはエアロビックスで注目を集め、CNNの創設者であるテッド・ターナーと結婚できた。マケインはヘンスリー家のご令嬢シンディーと結婚し、政界に進出してアリゾナ州の大御所になった。(シンディー夫人の父ジェイムズ・ヘンスリーが創設した「ヘンスリー(Hensley Beverage Company)」社は、アメリカの大手飲料メーカー。)

Cindy & John McCain 1Jane Fonda 1


(左: ジョン・マケインとシンブィー夫人 / 右: 反戦活動家のジェーン・フォンダ)

  日本のマスコミは本当に怠慢で、マケインが大統領候補になった時でも、彼の過去に言及することはなかった。もっとも、オバマのドス黒い過去すら触れずに「パス」なんだから、マケインの謎を見逃しても不思議じゃない。これは少々不謹慎だが、もしトランプが数年後に亡くなったら、米国のマスコミはどんな特番を放送するのか? もしかしたら、マケインよりも格下に扱い、放送時間も微妙に短縮するかも知れない。また、トランプを心から憎むCNNやCBS、PBSなどが、どんなゲスト・コメンテーターを用意するのか見物である。まさか「偉大な大統領が亡くなり、本当に残念です」とは言えまい。たぶん、遺族に対する同情でお茶を濁すんじゃないか。一方、トランプだって負けてはいないだろう。強気のトランプなら遺言で、「オバマとブッシュだけは呼ぶな !」と釘を刺すかもしれないぞ。おそらく、ヒラリー・クリントンも排斥されるだろうが、彼女だって行きたくはない。たとえ葬儀に招待されても、ヒラリーなら仮病を理由に欠席するんじゃないか。アメリカのリベラル派はトランプの死去に対し「アホが死んで良かった!」とそっぽを向くだろうが、故人を偲んで哀悼の辞を述べるのは、意外にも安倍総理とプーチン大統領だったりしてね。ついでに言うと、アメリカとの友好を維持したいのであれば、日本人は横須賀基地の近くにトランプ像を建てるべきだ。米国に慰安婦像を建てる朝鮮人と、合衆国大統領の記念碑を建てる日本人の「どちら」が立派なのか、アメリカ人によ〜く考えさせればいい。外務省の役人に外交を任せるとロクなことにならないから、日本の庶民が日本人らしく振る舞った方が良いときもある。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68732343.html

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