★阿修羅♪ > アーカイブ > 2018年7月 > 23日00時01分 〜
 
 
2018年7月23日00時01分 〜
記事 [政治・選挙・NHK248] 大阪と並んで、和歌山は、賭場開催の候補地。この地も小銭をたくさん持っている高齢者が多いとみなされたか 
大阪と並んで、和歌山は、賭場開催の候補地。この地も小銭をたくさん持っている高齢者が多いとみなされたか
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/6c38bd28a8ebb7fd137ffcc59198e165
2018年07月22日 のんきに介護


田中龍作@tanakaryusakuさんのツイート。



潰れそうな大学押し付けられ、毎年、補助金を強請られたら、

今治市と同じだ。

そちらと較べてどちらが楽か。

どちらも選択したくない2択問題の典型だな。

ところで、小銭を持ってそうな都市として名前が挙がっているのは、

タイトルにも掲げた

大阪以外、愛知、北海道などがあるようだ。

なぜ、東京がないんだろう。

え、何? 東京は、

放射能の影響を確かめる実験都市だから、

要らないって。

う〜ん。


















http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/204.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 2018年7月20日 (金)枝野演説 「安倍内閣不信任決議案」 
2018年7月20日 (金)枝野演説 「安倍内閣不信任決議案」
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/d5460adde0c61c31557df85082c3209a
2018年07月22日 のんきに介護


産経ニュース@Sankei_newsが

こんなツイート。



感情的なのは、どちらだろう。

心して、

枝野氏の演説、聞いて見てはどうか。

衆議院での彼の国会での演説は、

ネット中継で見れる。

☆ 2018年7月20日 (金)、本会議録画URL:http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48365&media_type=fp


内閣不信任の7項目にわたる

理由が述べられた。

(1)高度プロフェッショナル制度の強行(0:36:10〜)

(2)カジノ法案強行(49:00〜)

(3)アベノミクスの行き詰まり(1:05:30〜)

(4)モリカケ問題(1:35:20〜)

(5)民主主義の履き違え(2:10:00〜)

(6)混乱する外交と安全保障政策(2:41:55〜)

(7)官僚システムの崩壊(2:54:30〜)


ネットでの中継について、

まーちゃん 🐉@makimakiiaさんが

こんなツイート。







せっかく歴史に残るようなすばらしい演説なのに、

もったいない限りだ。

















http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/205.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 読売世論調査で小泉倅(せがれ)進次郎をもち上げる・・・次期総裁は全体では七光の進次郎坊ちゃんが29%でトップ??だとさ
読売世論調査で小泉倅(せがれ)進次郎をもち上げる・・・次期総裁は全体では七光の進次郎坊ちゃんが29%でトップ??だとさ
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/yoronchousa-toiu-seron-yuudou-yomiurishinbun-nittelenews/light.cgi?

次の総裁、自民支持層は安倍氏首位…読売世論調査
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180722-OYT1T50088.html?from=yartcl_blist

読売新聞社が21〜22日に実施した全国世論調査で、次の自民党総裁に誰がふさわしいと思うかを聞くと、全体では小泉進次郎・筆頭副幹事長が29%で最も多く、安倍首相が26%、石破茂・元幹事長が22%などで続いた。自民支持層に限ると、首相が49%に上り、小泉氏25%や石破氏15%を大きく引き離してトップだった。

http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/206.html

記事 [政治・選挙・NHK248] <和歌山市長選>「原発隠し」の次は「カジノ隠し」 怒りの山本太郎が現地入り(田中龍作ジャーナル
【和歌山市長選】「原発隠し」の次は「カジノ隠し」 怒りの山本太郎が現地入り
http://tanakaryusaku.jp/2018/07/00018545
2018年7月22日 23:43 田中龍作ジャーナル


「(安倍政権は)人の心を失った政治」「カジノを呼べば外国人観光客が増える、はウソ」。山本議員は国会と同じテンションで怒りを叩きつけた。=22日、JR和歌山駅前 撮影:筆者=

 カジノ誘致の是非を問う和歌山市長選挙がきょう22日、告示された。カジノ誘致派で二期目を目指す現職の尾花正啓候補(自・公・国民民主・連合=65歳)に島久美子(共産・社民=62歳)が挑む。

 和歌山は自民党実力者の二階幹事長や安倍政権のゲッベルスといわれる世耕経産相のお膝元であり、カジノ(博打場)の設置が認められるIR特区の候補地に横浜などと共に挙げられている。

 尾花候補はカジノには触れない戦術だ。原発再稼働を隠した新潟県知事選挙、辺野古埋め立ての明言を避けた名護市長選挙と同じである。今や自公の常套戦術となった。

 街頭で尾花氏は「今回は衰退するのか、発展するのかが問われる選挙」などと訴え、自公候補らしく開発優先の姿勢を強調した。

 田中が「カジノは演説に入れないのか?」と聞くと、尾花候補は「カジノは争点にならない」と答えた。陣営は「争点にしない」と話した。カジノを意識して隠すようすが窺えた。

 国道沿いで演説する尾花候補と にこやかな顔で 握手する有権者(50代男性)がいた。「被災地が苦しんでいるのにカジノどころじゃない。カジノに行って博打してどうなろうと自業自得だが国としてやるべきではない。和歌山市内は活性化なんてしていない。働く所がない」。男性はブチまけた。

 商店街はシャッター通りと化し、人口は減少を続ける。加計学園を誘致した今治市とよく似た状況だ。二階幹事長、仁坂県知事、現職市長の尾花氏は、カジノで和歌山の景気が良くなり、人口が増えると本気で考えているのだろうか?


現職市長の尾花候補。田中の質問に「(カジノは)依存症対策を取っているから心配ない」と楽観視してみせた。=22日、JR和歌山駅前 撮影:筆者=

 200名余りの命が失われた西日本豪雨の対策は二の次にして、政府与党が賭博解禁法案を強行採決してから、まだ2日しか経っていない。

 国会で「災害対応に一番対応すべき大臣である国交大臣をバクチ解禁法案に縛りつけたことは、万死に値します」と怒りの正論を述べたのは山本太郎議員だった。その山本議員がカジノ誘致に反対する島久美子候補の応援に入った。

 「国の政治はむちゃくちゃ。変えるのは大変な時間と労力を要する。でも和歌山市は次の選挙で変えられる」。「正直な人を選んでほしい」。山本議員は力を込めた。

 島候補の政策の中心は子育て支援と福祉だ。「保育園の費用が隣の海南市と2万円違う(=和歌山市が2万円高い)。ある母親から海南市に移ろうかと相談を受けている」「国保(国民健康保険料)を払えない人を追い詰めるより、払える状況を作っていく」・・・島候補はあくまでも生活者目線で有権者に語りかけた。

 田中は助手の倉持と共にカジノの候補地「和歌山マリーナシティ」を訪ねた。人工島にホテルや遊園地などが配置されていた。リゾートの雰囲気を演出したいのだろうが、近くの海岸と見比べると木に竹を接いだようだった。人が住む世界とは異質に見えて仕方がなかった。

 カジノの是非を問うとは極論すれば、「人間の顔をした政治」を選ぶのか、「人の生き血をすする政治」を選ぶのか、ではないだろうか。


カジノ候補地。周囲の風景とはあまりに不釣り合いだった。30年前ブームに沸いたリゾート地と同じように、いずれ廃墟となるのだろうか。=22日、和歌山マリーナシティ 撮影:筆者=

   〜終わり〜





島くみこ出発式

※19:30〜島くみこ候補 再生開始位置設定済み。


島くみこ722街頭演説第2部

島くみこ722街頭演説第2部
     2018.7.22  JR和歌山駅西口
弁士
@花田恵子(にじいろ和歌山代表)
A宮本たけし(日本共産党衆議院議員)
B山本太郎(自由党共同代表)
C福島みずほ(社会民主党副代表・参議員議員)
D島くみこ(和歌山市長候補)













































7・8街頭演説会 JR和歌山駅西口







http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/207.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 安倍晋三はディスコ・クイーン昭惠の追っかけだった!?  
安倍晋三はディスコ・クイーン昭惠の追っかけだった!?
http://85280384.at.webry.info/201807/article_170.html
2018/07/22 23:20 半歩前へ

▼安倍晋三はディスコ・クイーン昭惠の追っかけだった!?

 安倍昭惠が若いころ、ディスコ・ダンスのスターだったと初めて知った。しかも、安倍晋三が彼女のファン。追っかけだったと言う。なるほどそこで知り合ったのか。もしかして昭惠は、六本木のディスコ・クイーンだったのか?

保守言論界の大立者である西尾幹二が昭惠は「遊び人」と喝破した。同時に西尾は「首相を辞めるべきだ。戦後最悪の総理だ」と安倍晋三を一刀両断に斬って捨てた。

 立憲民主党や共産党など野党だけでなく、保守の中枢からも激越な批判が出たことを安倍晋三はどう受け止めるのか? 

 もっとも彼にはこうした批判を真摯に受け止め、反省する意思など元から持ち合わせていないと言った方が正解かも知れない。

 歯に衣着せない西尾幹二の発言にうなずくだけだ。


以下は西尾の主な発言である。カッコ内は当方が理解を深めるために加筆した。

*****************

 安倍晋三は「膿を出し切る」と言ったが自分が膿の中心だ。(安倍は)辞めるべきだ。(森友事件や加計疑惑にしても)誰が原因でこんなことが起きたのか? 原因を作ったのは安倍昭惠だ。いけないのは昭惠。似たもの夫婦だ。

 (昭惠は)遊び人だ。

 若いころはディスコ・ダンスのスターだった。安倍は彼女のファンだった。

 昭惠のことを「ピュア―」だと言うが、ピュア―とバカは紙一重。私は(彼女は)白痴だと思う。まったく空気が読めない。自分で自分のことが解らない。社会常識がない。

 安倍晋三はトランプやプーチンとキチンと渡り合っていない。バカにされている。

 拉致問題だってそうだ。安倍は自分の手で拉致問題をやると言っていた。だが、何もしないでトランプに(北朝鮮の金正恩に)ひと言言ってとお願いするだけだ。

 「怒り」「苛立ち」「苦悩」がありますか? あの人にー。

詳しくはここをクリック
https://www.youtube.com/watch?v=E89Df_O50JQ&feature=youtu.be


【西尾幹二】平成30年・春の特別対談「世界は現在(いま)」[桜H30/4/28]

※49:00〜再生開始位置設定済み。













http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/208.html

記事 [政治・選挙・NHK248] <日経世論調査>内閣支持率45%、7ポイント急落! 不支持率47% カジノ法、改正公選法に反対多数! 暴政に鉄槌! 


内閣支持率45%、7ポイント下落 本社世論調査
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33263910S8A720C1MM8000/
2018/7/22 18:14 日経新聞

 日本経済新聞社とテレビ東京による20〜22日の世論調査で、安倍内閣の支持率は45%となり、前回の6月下旬の52%から7ポイント下落した。不支持率は6月の42%から47%に上がった。不支持率が支持率を上回るのは2カ月ぶり。

  

 通常国会で成立した参院定数を6増やす改正公職選挙法やカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法への反対論が多く、支持率下落に影響したとみられる。改正公選法については反対が56%で、賛成の28%を上回った。IR実施法は反対60%、賛成27%だった。

 西日本豪雨を巡る政府の対応に関しては「評価する」が39%で、「評価しない」の46%を下回った。首相と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長との首脳会談を「早く開くべきだ」は49%、「急ぐ必要はない」は43%だった。日本人拉致問題の解決を「期待できない」は71%で、「期待できる」の21%より多かった。

 政党支持率は自民党が38%で、前月の44%から6ポイント下落した。立憲民主党は12%と9%から3ポイント上がった。特定の支持政党を持たない無党派層は36%だった。

 調査は日経リサーチが20〜22日に全国の18歳以上の男女に携帯電話も含めて乱数番号(RDD方式)による電話で実施。965件の回答を得た。回答率は47.5%。


◆本社定例世論調査
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33263910S8A720C1MM8000/?df=2
2018/7/22 18:14 日経新聞

※キャプチャー














































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/209.html

記事 [政治・選挙・NHK248] <犬飼淳氏、文字起こし>立憲・枝野代表「内閣不信任決議案、7項目の理由を挙げ暴政批判!」「総理自身が膿、逃げ回っている」






立憲・枝野氏 抵抗戦術2時間43分 衆院最長記録
https://mainichi.jp/articles/20180721/k00/00m/010/099000c
毎日新聞2018年7月20日 20時45分(最終更新 7月20日 20時48分)


衆院本会議で内閣不信任決議案の趣旨を説明する立憲民主党の枝野幸男代表。奥右端は安倍晋三首相=国会内で2018年7月20日午後1時13分、川田雅浩撮影

 立憲民主党の枝野幸男代表は20日の衆院本会議で、安倍内閣不信任決議案の趣旨説明を2時間43分にわたって行った。長時間演説による抵抗戦術「フィリバスター」で、衆院によると記録が残る1972年以降で最長の演説だった。これまでの最長は、立憲の西村智奈美氏が5月25日に行った加藤勝信厚生労働相不信任決議案の趣旨説明で2時間6分。

 枝野氏は、不信任の理由は「数え切れないほどある」としたうえで、森友・加計学園問題など7点を挙げて「この国会は民主主義と立憲主義の見地から憲政史上最悪の国会になってしまった」と批判した。一方、「(西日本豪雨の)災害対応の見地から、提出にはためらいがあった」とも述べた。【立野将弘】



安倍「内閣不信任」枝野幸男(立憲)ほか【全267分】:7/20衆院・本会議




【文字起こし】2時間43分即興演説 立憲・枝野代表「安倍内閣不信任決議案」(2018年7月20日)
https://note.mu/jun21101016/n/n2782bfee0c00
2018/07/20 19:26 犬飼淳 / Jun Inukai  ※強調文字、犬飼淳氏

事実上の会期末を迎えた2018年7月20日、野党は安倍内閣不信任決議案を提出し、否決された。この趣旨弁明で立憲民主党・枝野代表は不信任理由を7項目に分けて、2時間43分にわたって演説した。これは今年5月25日に同党・西村ちなみ議員が厚生労働大臣不信任決議案の趣旨弁明で記録した2時間6分を上回る最長記録である。

しかも、簡単なメモはあったようだが、原稿を事前に用意しておらず、ほぼ即興でこの長時間をしゃべり切った

本記事では、この趣旨弁明を文字起こしする。



※画像クリック拡大


不信任案提出理由の概要
(0:00〜12:24)


枝野代表:
今般の豪雨災害でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表します。

また、被災されたすべての皆さんに心からお見舞いを申し上げます。発災以来、消防、警察、海上保安庁、自衛隊、そして自治体職員や消防団の皆さんなど、さらには各地からボランティアの皆さんが被災地にお入りを頂き、猛暑の中、被災者の皆さんのためにご尽力を頂いています。そうした皆さんにこの場を借りて心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。

こうした被災地の皆さんは猛暑の中で今なお行方不明の方の捜索。そして、復旧に向けた努力をされていますが、連日続く猛暑はもはや自然災害と言っておかしくないと思います。学校での活動中に亡くなられた小学生を始めとして熱中症などで猛暑で亡くなられた方々にも心から哀悼の意を表する次第であります。

これよりわたくしは国民民主党・無所属クラブ、無所属の会、日本共産党、自由党、社会民主党・市民連合、および立憲民主党・市民クラブを代表し、安倍内閣不信任決議案について提案の趣旨を説明いたします。

まず、決議案の案文を朗読いたします。本院は安倍内閣を信任せず、右決議(みぎけつぎ)する。

この後、順次述べさせて頂きますが、安倍内閣が不信任に価する理由は枚挙にいとまがありません。大きく括っても7項目、不信任の理由があります。ただ今回、不信任案の提出には若干の躊躇(ちゅうちょ)の思いがあります。それは豪雨災害などへの対応が現在進行形であるという現状にあるからであります。

わたくしどもは野党5党1会派一致をいたしまして、7月9日の午後、総理大臣宛の申し入れを官房長官へとお伝えをいたしました。

その申し入れは、「この7月豪雨災害について最大級の災害である」と。救命救助を待っておられる方も多い状況であり、天候によってはさらに事態が深刻化する可能性があると。全国各地に被害が及んでいること。そうした事情を挙げまして、行政府、立法府が一体となって取り組む体制を整えることは当然であると致しまして、政府に対し、この災害対応を最優先に取り組むべきであり、防災担当大臣や国土交通大臣など関係大臣は災害対応に全力で取り組むよう申し入れをさせて頂きました。

同時に野党としても可能な限り協力をさせて頂く旨も伝達させて頂きました。特に災害対応の中心を担う国土交通省、国土交通大臣はいわゆるカジノ法案の途上であり、初動以来大変なご尽力を頂いている消防を所管し、そして被災地の自治体の皆さんは連日不休の対応にあたっていられる。その実態を支援するのは総務大臣でありますが、総務大臣は選挙制度を所管しておられる。カジノ法案も選挙制度についても、いま急いで決定しなければならない案件では到底ありません

我々は両案とも廃案にすべきであるというのが本来の主張でありますが、せめて継続審議にして災害対応がある程度の見通しが立った段階で臨時国会を開けば、いくらでも政府与党の立場に立ったとしても間に合う法案であります。

にも関わらず、災害対応を放り出して、この2つの法案審議を優先させたのは何なのか。

よほど臨時国会を開くのがイヤなんでしょうか?

それとも総裁選の日程の方が大事なんでしょうか?


わたくしどもはそう受け止めざるを得ません。

我々野党は会期末で時間のない中ではありましたが、義援金に対する差し押さえを禁止するための特例法は昨日のこの本会議で与野党一致で協力して成案を得て、可決をしました。やるべきことは急いでやる。そのことに協力をしてきているところであります。

カジノやお手盛りの選挙制度をやるくらいならば、例えば野党各党は今年の3月に被災者生活再建支援法と災害弔慰金支給法の一部改正案を国会に提出していますが、川流しにした上にこの災害の裏側で国会を開いていながら、こうした法案の審議に応じていないのは与党この災害の裏側で国会を開いていながら、こうした法案の審議に応じていないのは与党であります。

災害時における大臣の役割は大きなものがあります。緊急な災害時においては、まさに様々な前例のないこと、前例の少ないこと、様々なことが生じてきます。行政の皆さんだけでは前例を越えて対応する決断することにはなかなか困難があるのが実態であります。だからこそ災害などの緊急時においては前例主義にとらわれず、政治責任を持つ政治家がしっかりと役割を果たしていく体制が求められています。

いわゆる赤坂自民亭と言われる問題は、まだ特別警報が出ていなかったなどの言い訳をされている方もいるようですが、自衛隊の対応なども動き始めている状況で一議員の皆さんがされていたのではありません。指揮すべき立場である総理や防衛大臣、官房副長官まで参加し、しかも、そのあと、反省の姿勢が全く示されていません

あえて申し上げますが、一部に同じような時期に開催された立憲民主党議員の会合を同一視して批判する向きもあります。

しかし、緊急時に執行権限を持ち、判断をし、指揮すべき総理や防衛大臣や官房副長官の責任は野党議員と一緒なんですか?

あるいは野党議員にそうした判断、決断をさせて頂けるのですか?

(野次がおさまらないため、枝野氏、30秒ほど黙り込む)

大島議長:
趣旨弁明を続けてください。

枝野代表:
(後方の議長席へ振り返って)
黙らせて下さい。

大島議長:
続けて下さい。

枝野代表:
黙らせて下さい。

大島議長:
続けて下さい。

枝野代表:
黙らせてください!

(いっこうに野次を注意しない議長に対して)

黙らせて下さい。 

黙らせて下さい!

大島議長:
ご静粛に!

(野次がいったんおさまり)

どうぞ続けて下さい。

枝野代表:

ちなみに申し上げますが、指摘されています我が党の会合は議員や政治家の内輪の懇親ではありません。外部の方が参加する会であり、わたくしも参加しましたが、挨拶だけで短時間で退席しております。議員が集まって盛り上がっていたとツイートされるような会合とは趣旨も内容も全く異なっております。

それだけではありません。

明らかにこの災害に対する初動は大幅に遅れています。7月5日午後2時ごろ、気象庁は異例の記者会見を行って、そこから66時間

8府県に特別警報が発令されるという前例のない事態となり避難勧告の対象が23府県264万人に達し、死者・行方不明者の報告も多々入っていた7日の午前0時を起点としても丸一日以上経過した8日の午前8時まで非常災害対策本部が設置されておりません。

「空白の66時間」という指摘もなされています。赤坂自民亭の問題をあわせ、初動の遅れを指摘されても止むをえない状況ではないですか?

まだまだ、まだまだ緊急対応の状況が現地は続いています。
したがって詳細な検証は落ち着いてから厳しくさせて頂きたいと思いますが、少なくともこうした批判に対して謙虚な姿勢が全く見られないというのは深刻な問題ではないでしょうか。

大島議長:
(野次に対して)ご静粛に。

枝野代表:
こうした初動についての指摘を受ける中で、カジノや恣意的な選挙制度の改悪を災害対応に優先させたその一点をもっても不信任に値すると考えます。むしろ、この災害対応を加速させるためにも安倍内閣は不信任すべきである。そういう思いの中で今回、不信任案を提出をさせて頂きました。

大島議長:
(野次がおさまらないため、上記の枝野氏の発言途中で)ご静粛に!


不信任理由1「高度プロフェッショナル制度の強行」
(12:25〜25:23)


枝野代表:
それでは、ここから大きく7つ安倍内閣の不信任に値すべき事項について、お話をさせて頂きたいと思います。

まず第一は、過労死を増やすことになる、国民の命を危機にさらす高度プロフェッショナル制度を強行したことであります。この問題の本質は労働時間規制が及ばない労働者をつくるということにあります。そもそも、近代労働法制というのはどこから始まったのか。1日8時間労働が原則であるという、その原則を法制し、しっかりと守らせる。それこそが労働法制の世界における近代社会としての大前提であります。

高度プロフェッショナル制度は様々な言い方をしていますが、この近代国家においては大前提である、労働者の労働時間はしっかりと把握・管理し、1日8時間労働が原則である、8時間を労働に、8時間を睡眠に、残り8時間をそれぞれの自由な時間に。それこそが人間らしく生きるための最低限のベースであるというのが近代社会の大前提である。

この制度の外側に置く労働者をつくるというのがこの高度プロフェッショナル制度の本質であります。結果的に長時間労働させ放題になる。我々は当初、残業代ゼロ法案と言っておりましたが、もっとわかりやすく言えば、定額働かせ放題の制度である。
携帯電話やスマートフォンであれば定額使い放題は大変便利な制度であります。しかし、まさに使い放題だからこそ、どれぐらい使っているかということを気にせずに使えるからこそ定額使い放題制度は情報通信の世界で大変広く広まり利用者にとっても便利な仕組みとなっています。

これを労働の分野、人間の働くという分野に持ち込もうというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質、実態であります。どんな言い訳をしても、どんな説明をしても、いや私も使用者の立場であるならば支払う賃金が同じ金額ならば、できるだけ多くの課題をその人間に負荷して、できるだけ長い時間を働いて頂いて、できるだけ多くの成果をあげて頂こうとするのは、むしろ当然のことであり、否応なく長時間労働に繋がるということは、誰がどう見ても明らかな問題のある制度であります。

しかも、労働管理自体を従来の労働と違って、しっかりとした管理をしないという仕組みになっています。したがって長時間労働の結果、過労死などの残念な事態が生じた場合、現在の仕組みのもとでも実際の労働時間を立証する、それによって過労死であったことを立証する、これはこうした問題に直面せざるを得なくなった遺族の皆さん、それを支える弁護士にとっては現状でも大変困難な実は案件であります。
にも関わらず、そもそも労働時間管理自体を原則取っ払ってしまう高度プロフェッショナル制度のもとで長時間労働による過労死が生じても、これが過労死である、長時間労働の結果であると証明することが、はなはだ困難になってしまいます。しかも、自己管理による自己責任であるという最近お得意の論法で労災などの認定を受けられないという結果にも繋がりかねません。明らかに過労死・過労自死促進法であることは論を待ちません。

安倍総理はかつて過労死を防ぐ法律をつくろうという時には過労死の遺族とお会いになり、お話をされました。二度と過労死を出さないという決意を示されました。

そうした皆さんが

「この法案は問題である」

「自分たちと同じような辛い思いをする」

「亡くなってしまった人は戻ってこない」

「そうした人たちを増やしてしまう」

という強い危機感を持って、もう一度総理に直接聞いてもらいたいということを一顧だにもせず強行したこの姿勢はなんなんですか。

褒めてもらえそうな都合の良い時だけ顔を出すけども、厳しい指摘を受けそうな時には逃げる。まさに卑怯者のやり方ではないでしょうか

そもそも高度プロフェッショナル制度には様々なウソが前提となって議論が進められたという大問題があります

そもそも、この制度は

「1075万円以上の年収のある人にしか適用されない」

「ほとんどの労働者には関係がないんだ」

という前振りのもとに議論が進められました。しかし、野党各党の国会における審議を通じて、そもそも法律には金額の明記がないこと。これは読めばわかる話です。その1075万円という金額の算定の中には様々な諸手当も含まれる解釈が成り立つこと。そして、何よりも問題なのは審議の途中から「いずれこれは引き下げいくんだ」ということが各界、各省、議員の中からも出てきているという話であります。

ウソという意味では追求しなくてはならないのでは、不適切データの問題であります。総理ご自身が不適切、むしろ捏造と言っていいデータにもとづいて「裁量労働制で働く人の労働時間は一般労働者より短いというデータもある」と総理ご自身がおっしゃったんです。撤回をし、「厚労省のデータが悪いんで俺は責任が無い」と例によっての責任逃れをおっしゃっていますが、実は撤回をした後にも、さらに200件以上の不適切データが発見をされています。衆議院の委員会採決の当日の朝にも新たな不適切データが発見されたということはこれまで何度も指摘をされているところでありますが、にも関わらず、審議を強行し、採決を強行しました。

事実に基づかない、誤ったデータに基づいて議論を進める。こんなことは近代国家ではありえないことであります。行政の内部における経緯(いきさつ)は色々あるのかもしれませんが、総理ご自身が裁量労働制や高度プロフェッショナル制度などの、いわゆる残業代を残業時間に応じて支払うわけではない制度を導入するにあたって、この誤ったデータを引用して正当化する発言をしていた以上はこの法案の前提の事実が、事実でなかったということでありますから当然のことながら今度は正しいデータをとり、そのデータをしっかりと分析をした上で議論をし直すのが当たり前のことじゃないですか。

安倍総理はあるいは政府の皆さんはこの高度プロフェッショナル制度について「ニーズがあるのか?」と問われ、

「やりたくない企業や労働者はやらなくていいんだ」

「希望している人もいるんだ」

という答弁をされました。

しかしながら、労働者側のニーズを示す客観的な根拠はありませんでした。ヒアリングは10名程度の事後的なアリバイづくりのようなものに止まっています。所詮は企業側の論理にもとづく一方的な制度の導入であるということは既に議論を通じて明らかになっています。

しかも、企業側が導入を求めた時、残念ながら今の日本の社会風土、職場風土の中で、本当にこれを拒否できる労働者がどれぐらいいると思っていらっしゃるのでしょうか。残念ながら会社側から強く求められれば、本人はイヤであっても受け入れざるを得ないというのが現実の日本の職場風土であるということを総理も厚生労働大臣もご存知ないんでしょうか?

「希望しない人は制度を取らなければ良い」という言い訳は全く説明になっていません。

今回の労働法制は長時間労働の是正という大義のもとに行われています。残念ながら野党各党の強い反対を押し切って成立した後も、長時間労働の是正という大義を総理が掲げておられます。労働者側のニーズもなく、長時間労働に繋がる高度プロフェッショナル制度を推進するのは「看板に偽りあり」 と言わざるを得ません。失われた命は戻りません。過労死・過労自死で家族を失われた皆さんの悲鳴とも言っていいような声は野党の同僚議員がこの本会議場でも全ての議員の皆さんに向かってお伝えをさせて頂いた。わたくしも目頭が熱くなりました。

この高度プロフェッショナル制度で長時間労働を余儀なくされ、命を失う方が出た時に誰がどう責任を取るんですか?
私たちは残念ながらこの国会で形式的に高度プロフェッショナル制度は成立をしてしまいましたが、人の命に関わる問題です。決して諦めることはありません。1日も早く衆参両院で高度プロフェッショナル制度に反対する勢力が過半数を取り、1日も早く廃止する決意を皆さんに申し伝えたいと思います。

また、この制度が形式的に当分続く間も我々は様々な皆さんと連携をしながら、実際にこの制度を導入する企業が生じないように厳しくウォッチをし、もしそうしたものが見つかった場合は国会内外で厳しく指摘をしていく。そのための監視活動を全力を挙げて取り組んでいくことをこの場で申し上げたいと思います。

✳︎同僚議員が本会議場で伝えた遺族の声とは、2018年5月25日に西村智奈美議員が2時間6分にわたって演説した、加藤厚生労働大臣不信任決議案の趣旨弁明の終盤の内容を指す。当日の文字起こしはリンク先を参照


不信任理由2「カジノ法案の強行」
(25:24〜41:23)


枝野代表:
不信任に価する2つ目の大きな理由は、カジノを強行したことです。

7世紀末、我が国は持統(じとう)天皇の時代ですが、双六(すごろく)禁止令が発令されました。以来、我が国は千年を超える期間、賭博は違法であるという法制度のもとで歴史と伝統を積み重ねてきました。例外は公営ギャンブルという財源確保のためにやむなく行われた非営利目的の特別なものだけであります。

カジノの収益で経済成長を目指す。そもそも千年以上にわたって違法とされてきたものを使って利益をあげて、そして経済を成長させる。そのこと自体がみっともない政策ではありませんか。持統天皇以来の歴史を一顧だにもせず、こんな馬鹿げた制度を強行する人たちに保守と名乗って欲しくはありません。

保守と称する皆さんは、保守とは何かをわかって自分たちを保守と名乗ってらっしゃるんですか?

保守という概念はフランス革命を契機に発生した政治概念です。フランス革命における急進過激な変革に対して、それはやり過ぎだという立場から保守という概念が発生しました。

そして、保守の本質は何か?

それは、人間とは不完全な存在であるという謙虚な人間観です。人間は、すべての人間が不完全なものであるから、どんな政治家がどんな良い政治をやろうとしても完璧な政治が行われることはありえない。常に政治は、社会は、未完成・不完全なものである。それが人間は不完全なものであるという謙虚な姿勢にもとづく保守の一丁目一番地です。

ま、このこと自体で今の自民党・安倍政権が保守ではないということは明確であるというふうに思いますが、そうした謙虚な人間観にもとづき、今生きている私たちの判断だけでは間違えることがある。従って、人類が長年にわたって積み重ねてきた歴史の積み重ねというものに謙虚に向き合い、人類がその中で積み重ねてきた叡智(えいち)というものを活かしながら、それを改善していくにあたっても、間違っているのではないかという常に謙虚な姿勢を持ち、そして自らを省みながら一歩ずつ世の中を良くしていく。これが保守という概念の本質であります。

保守反動という日本語がありますが、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会です。しかし、過去においても理想的な時代はありえなかった。未来においても理想は実現できない。でも、今あるものをちょっとずつでも良くしていく。これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。

一方で穏健保守という概念もありえません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。反対意見を封殺し、自分が正しい道を信じて邁進する。まさに保守思想が否定をしたフランス革命の急進的な思想であります。

従って、保守とはそもそも穏健なものであり、穏健でない保守が保守を名乗るのは自己矛盾であります。

そもそも今のような保守概念からすれば日本における保守とは何を大事にしなければならないのか。明治維新以来の150年も確かに日本の歴史であります。しかし、日本の歴史は文字に残っているものだけでも1500年を超える歴史を持っています。

明治維新以降の歴史だけを見て、それが日本の歴史の伝統だと勘違いしている人たちが特にこの辺には多いんじゃないですか?
(枝野氏、右手で与党席を示しながら)

だから、持統天皇以来の日本の歴史の伝統を知らないでカジノなんていう我が国の伝統に反する馬鹿げたことを進めているんじゃないですか?

そもそもが、我が国の歴史と伝統を考えた時に明治維新というのは、それまで1500年近くにわたって少なくとも文字に残る歴史に積み重ねられてきた我が国の歴史が、西洋近代化文明の流入によって、急激に変更を余儀なくされた。その結果として、それまで積み重ねられた歴史と伝統が大きく変更させられた150年であります。いま我が国が直面をしている時代認識は、この明治維新以来150年間歩んできたこの歩みというものが大きな転換点を迎えている。わたくしは今の日本はそういう状況にあると思っています。

イギリスにおいて産業革命が起こって以来始まった近代化の歩み。これは規格大量生産によって経済を急激に発展させる。そのことによって我々も物質的に豊かな文明の中で暮らしてくることができました。私はこれまでの歩みは世界史においても日本史においても、それは様々な、その間に問題がある時代があったにしても、大きな人類の前進であったというふうに思っています。

しかし、いま先進国が、特に我が国は第二次世界大戦以降、日米戦争以降、急激な近代化、つまり経済成長をしたがゆえにその壁に最も早く急激に直面をしていますけども、先進国が共通して大きな壁にぶつかっている。それは従来の規格大量生産によって、安いモノをたくさん、良いモノをつくれば、そのことによって経済は発展し、そのことによって一人一人の暮らしが良くなっていくという、これが現実に機能しなくなっている。そういう時代に入っている。だからこそ、社会の格差分断というものが、日本だけではありません、先進国共通で深刻な問題になっている。

その時に日本の歴史と伝統を大事にするのであれば、そうした近代欧米文明、産業革命以来の規格大量生産型の文明が入ってくる前からある、我が国の歴史と伝統こそをもう一度見つめ直す。それこそがわたくしは真っ当な保守のあり方であるというふうに思います。

もちろん、人権意識。そのことによる男女平等を始めとして、あるいは先ほど申し上げました労働法制もそうかもしれません。様々なものが欧米から流入したことによって進化をしたものもたくさんあります。それを元に戻せと言うのではありません。しかし、それまで積み重ねてきた我が国の社会のあり方の良い部分をこうした人権問題に対する意識が大きく前進をした中で、それを取り入れて、それを活かして、いま我々先進国が共通して直面している壁にどう立ち向かっていくのか。わたくしは本来の保守のとるべき道はそういう道であるというふうに思っています。

ちなみに今日は5党1会派を代表して趣旨説明をさせて頂いておりますが、趣旨説明の担当者ということでお許しを頂いて立憲主義について一言述べさせて頂きたいと思います。

立憲主義というのは、言うまでもなく、権力の自由ではありえない。どんな権力も憲法というルールに基づいて運用されなければならないという考え方であり国際社会の大前提であります。

そして、その憲法とは何なのか?

まさにこれこそ、歴史と様々な苦難の中から先人たちが積み重ねてきた社会の大前提となるべきルール。権力が従わなければならないルール。様々な苦難を乗り越えた先人たちが積み重ねたルールが結集されている。それが憲法であります。

だからこそ、多くの国において憲法を変える手続きにおいては、今生きている有権者の半分だけでは簡単には変えられないという仕組みを多くの国で採用しているのは、憲法というのは歴史にもとづいた人類の叡智(えいち)の積み重ねの結集であり、それによってどんな権力も拘束されなければならないという、そういう考え方に立っているからに他なりません。まさに立憲主義は保守思想そのものであります。積み重ねられてきた先人たちの知恵。そういうものに基づいて、それを動かす時には急進的な理想に邁進するのではなくて、今あるところから一歩ずつ改善していくにはどうしたら良いのかを考える。

まさに立憲主義も保守主義も同じ考え方である。であるので、わたくしこそが保守本流であることを自信を持って日頃から皆様方にお訴えをさせて頂いているところであります。

こうした保守、・・・・。
(枝野氏、議場からの野次がおさまらないため、15秒ほど黙り込む)

いいですか?喋って?

こうした保守の本質を全く勉強せずに自称・保守の人たちを相手にしてもしょうがないんですが、各論だけを申し上げてもカジノ法案はギャンブル依存症を増やす。ギャンブル依存症は、まさにこれに陥った当事者だけの問題ではありません。家族や地域社会を含めて、多くの人たちがそのことによって社会的・経済的に大きなダメージを受けます。カジノの収益で経済成長する側面が百歩譲って存在するとしてもカジノ依存症による社会的・経済的マイナスが圧倒的に大きいと言わざるを得ません

しかも、いま強行されようとしているこのカジノ法案は、カジノ事業者が金を貸せる。とんでもない貸金法上の事実上の例外まで盛り込んでいる。まさにギャンブル依存症になろうとしている人たちに金を貸しまくって、ますますギャンブル依存症、ギャンブルによる多重債務に繋がっていく仕組みではありませんか。

外資に対する規制も十分ではありません。残念ながらと言うべきか当然のことながら、我が国ではカジノ事業を運営した経験はありません。どう考えても外資規制を十分に行わなければカジノ運営の経験ノウハウの高い人たちが商流入という形をとって、この事業の利益を掠め取っていくのは目に見えているじゃないですか。日本人がギャンブルで損をした金で海外のカジノ業者を潤わせる。まさに国を売るようなことではないですか

わたくしは裏付けのないことで直接批判をしようとは思いませんが、しかしながら安倍総理とトランプ大統領との会合の席にアメリカを代表するようなカジノ業者の方がご一緒していたというようなことも伝えられています。まさにアメリカに我が国を売るための法律をいま強行していると言われても仕方がないんじゃないでしょうか。

だいたいですね、カジノのために日本に来る外国人観光客がいる?

あるいは、そのことによって外国人観光客を集めなければ外国人が来てくれない?

そんなに日本は情けない国なんですか?

保守と称している皆さん


我が国には、世界の国々の多くの皆さんから見れば、そうした皆さんとは違った歴史、風土、文化、あるいは生活様式、そして自然。我が国には様々な観光資源として魅力あるものがあります。まだまだそうしたものが世界の皆さんに十分に伝えられていない部分も山ほどあります。あるいは受入の体制が十分ではないために魅力ある観光資源を持ちながら外国人観光客がなかなか来て頂けていないところも少なからずあります。まさにやるべきは、そうした観光資源を魅力的なものとして世界に売り出し、そして、日本の本来の良さを見て頂くために日本に来て頂く。それこそ日本の伝統と歴史を大事にする立場の人たちの意見ではないかと私は思うんですけども。

いずれにしても、いずれにしても、災害復旧の中心を担うべき国土交通大臣が災害対応よりも優先させて急がなければならない法案でないのはハッキリとしています。今からでも遅くはありません。まだ参議院の本会議が開かれていません。今からでも考え直して、いったん立ち止まり、まずは国土交通大臣中心に災害復旧に、この間カジノにうつつを抜かしていたことへの反省も含めて全力を挙げて頂いて仕切り直しをされるべきであるということを強く申し上げたい。


不信任理由3「アベノミクスの限界の露呈」
(41:24〜1:11:35)


枝野代表:
安倍内閣を信任できない3つ目の理由は、アベノミクスの行き詰まり、限界の露呈であります。

そのアベノミクスの結果として生じた様々な副作用のみがますます顕著なものとなっています。このままでは国民生活と、そして日本社会の分断によって社会そのものを崩壊に至らしめかねない、ギリギリのところに来ていると思っています。

確かにアベノミクスの成果なのかどうかは別として株価、あるいは輸出企業を中心とした企業収益には良い数字も見られていますが、実質賃金や個人消費には全く繋がっていません。アベノミクスが始まって5年半になっています。もはや「まだ始めたばかりだから結果には繋がりません」という言い訳が許される時期ではありません。そもそも経済を活性化させることで税収を増やし、財政再建を実現すると称していた財政再建目標は5年経っても全く実現できず、5年先送りにしています。

どういうことだかわかりますか?

5年やって成果があがらず、5年先送りにした。

成果がゼロだから、これまでと同じ期間が必要なんですよね?

半分進んでいるのなら、2年半で済みますよね?

全く進んでないということです。


2%の物価上昇目標。これは一義的な責任は日銀かもしれませんが、この物価上昇目標は当初「2年程度」とおっしゃっていました。

今、何年です? 5年半です。6度の先送りです。

もはやこの目標自体が「達成できなかった、失敗だった」と言うのが当然じゃないでしょうか。

あえて申し上げますが、徹底した金融緩和。ま、円安を目的としていたとは言えないにしても、そのことによる円安。財政出動。確かに、かつては正しい経済政策だったとわたくしは思っております。今回も輸出企業の収益増など一定の部分的な成果はあがっている。

しかし、先ほど申しました通り、そもそもこうした手法が通じた150年間の状況と、いま我が国が置かれている状況が根本的に変化しているのではないか。そのことが問われているのはないでしょうか。

だから本来効果があがるはずの緊急緩和をとことんアクセルを踏んでも、財政出動にとことんアクセルを踏んでも、個人消費や実質賃金という国民生活をより良くするという本来の目的に繋がらないところで止まっているのではないでしょうか。

わたくしは政治的な言い方としては、こうした金融緩和などによるアベノミクスをいわば「強い者・豊かな者をより強く、豊かにする政策である」という言い方をしてきました。ご異論はあるかもしれませんが結果的に大きな輸出企業などを中心として強い者がより強く、豊かな者がより豊かになる。

ということは先ほど挙げた部分的な成果の言い換えとして間違ってはいないと思います。

これもあえて申し上げます。このこと自体はある時期までは私は正しかったと思っています。日本の戦後復興、高度成長の時代、貧しかった時代は、まさに貧しい日本が豊かになるためには海外にモノを売って稼がなければ豊かになれませんでした。海外にモノを売って豊かになる。しかし、貧しい国ですから高品質、高性能あるいは新製品の開発。そうしたところで時の先進国、主にはアメリカがありましたが、そうした国と競争できるような力はまだまだありませんでした。

従って安い労働力を武器として安いモノをたくさんつくる、安いからたくさん売れる。そうしたことによって世界にメイドインジャパンを売り、そのことによって得た利益で国内を豊かにする。従って、まず国内を豊かにする前に輸出によって稼ぐために輸出企業を太らせる。輸出企業が育つために何をやっていくのかということに経済運営の力を注力する。私は自民党がまともだった時代のこうした政策というのは決して間違っていなかった、時代に合致していたと思っています。

問題は、特にバブル崩壊以降の我が国の状況がこうしたやり方が通用している時代状況にあるのか、世界経済の状況にあるのかということだと思っています。

実は多くの皆さん、勘違いされてるんじゃないかと思いますが、バブル崩壊以降の日本経済の低迷、それは部分的な数字は良くなったと自民党の皆さんがいくらおっしゃっても、実質経済成長率などの数字を見ればバブル崩壊以降、一貫してせいぜい1%前後の低成長が続いている。バブル崩壊前は平均すると4〜5%の経済成長をしていたところから、我が国の成長力が落ちた。これは否定ができない。そして、これは民主党政権の時代も含めて、この30年近くの間一貫している我が国の状況です。

こうした状況の原因が外需にある、輸出にあると勘違いをしているんじゃないでしょうか?

確かに日本を代表する輸出企業は、そして輸出産業は、新興諸国の売り上げ、そしてグローバル化などによって大変厳しい競争環境の中に置かれています。実際、その結果として日本を代表する輸出企業が経営危機に陥るなどというニュースが年に何社も出ているという状況もあります。

「サザエさん」のスポンサーが変わったのも大変残念です。

問題は、じゃあ輸出産業全体がこの30年近く、経済成長をしていないのかということです。実はバブル崩壊の前と後で日本の輸出に関しての成長力はほとんど下がっていません。大変厳しい経済環境のもとではありますが、日本の輸出企業、輸出産業は競争の中でも着実な経済成長を遂げているんです。もちろんこうした経済成長を遂げてきた背景には我が国のそうした企業を支援するバックアップという政策の支えがあったことも否定はしません。

しかしながら厳しい環境の中でもバブル崩壊前と比べて大差ない成長を遂げている輸出産業に「もっと頑張って成長して国内を引っ張れ」と言ってもそれは無理な相談なんです。今の成長力をどう維持していくのかということが厳しい環境の中、30年間頑張ってきた輸出産業と輸出企業に対して、政府のできることなのではないでしょうか。

本当にやらなければならないのは、実はバブルの前と後で大きく変わったのは、個人消費が大きく落ち込み、落ち込んだままであるということであります。個人消費が増えない限り、日本の経済の安定的な成長が実現できないのは自明の理であるとわたくしは考えます。

問題は、この30年近くの間進めてきた政策が個人消費を着実に増やしていくという観点から見た時にどういう意味を持ってきたのかということであります。

例えば、労働法制。今回の高度プロフェッショナル制度の問題もありますが、この30年の間に派遣法は逐次改悪されて、学校を卒業して就職するというのは、わたくしは今54歳ですが、私が学校を卒業する時代には正社員になるというのは当たり前のことでありましたが、いま若い人たちは必ずしも、一流大学を卒業される方は別かもしれませんが、

「正社員になれたから良かったね」

「正社員じゃないけども就職があって、まぁまぁ良かったね」

こういう実態があることを皆さん、ご存知でしょうか?

そして、非正規の方が異様に数が多かった、いわゆるロストジェネレーションと言われる世代の皆さんは仕事をしながらもジョブトレーニングの機会に恵まれることもなく、今なお非正規で低収入という状況の中で歳を重ねておられる。

我が国はただでさえ少子化、人口減少の中にあります。人口が減少すれば、もちろん1人あたりの消費量を増やすということで個人消費の全体量を増やしていくということは可能ではありますけども、しかし、まさに消費者の数が減れば消費がマイナスの方向に向かう。そういう大きな要素になることは間違いありません。そうした構造の中で政治がやらなければならないのは何なのか。

実はやらなければならない第一のことは格差の是正であります。格差の是正は今やらなければいけない経済政策です。景気対策です。日本では当たり前の経済についての大原則の中で、なぜかどなたもおっしゃらない、ほとんどの方がおっしゃらない大原則があります。それは金持ちほど金を使わないという大原則です

これは例えば、価格は需要と供給のバランスで決まるのと同じように経済の大原則です。消費性向という手にした所得のうちどれくらいが消費に回るのかという比率です。これは所得が大きいほど低くなる。これは経済の大原則です。したがって格差が拡大すれば消費が落ち込むのは、経済のいろはの「い」。この中で結果的かもしれませんが、強い者・豊かな者をより強く豊かにする、そうした政策の結果として格差が拡大し固定化してしまっている。その結果として消費が拡大をしない。それが今の日本の置かれている状況であります。

格差の是正は「貧しい人たちが気の毒だから」というだけではありません。格差を是正し、低所得の人たちの賃金を底上げすれば、低所得であれば消費性向はほぼ100%です。従って、その人たちの手にした収入はほぼ全額が消費に回ります。しかも、低所得・低賃金ですからそうした方が海外のブランド品を買うとか海外旅行に行くとか海外に投資をするとか、そうしたところにお金が使われる比率はどう考えてもほとんどありません。国内における内需の拡大に直接つながる。それが所得の低い人たちの所得を底上げする政策の持っている経済政策としての意味であります。

従って、いかに格差を拡大せずに、そして格差を是正していくのか。所得の低い人たちから中間の人たちの所得をどう底上げしていくのか。そのことが国内における消費を拡大させる、日本経済を立ち直らせる王道であるとわたくしは考えます。

まぁ、あえて付け加えれば、労働法制などをむしろ規制を強化することによって働いた賃金に応じて所得を得る。そうしたことがキチッと回っていく社会をつくっていかなければなりません。例えば、我が国ではトラック運送などに携わるドライバーの方が大変な人手不足です。低賃金で人手不足です。あとで申し上げる介護や保育の皆さんと同様です。おかしいんです。先ほど申し上げましたがように価格は需要と供給のバランスで決まるんです。それが、資本主義社会であるならば大原則です。人手不足なのに低賃金というのは、マーケットがどこかで歪んでいるからです。その歪みを正すのは政治の役割です。低賃金であるならば賃金が上がる。そのことによって「賃金が高いから重労働かもしれないけど、頑張ってやろう」とそういう方が増えて、市場が機能して、人員が確保させることに繋がるんですよ。

残念ながら例えば、今回の長時間労働を是正する働かせ方改悪法案の数少ない改善部分である長時間労働の規制も低賃金、重労働、長時間労働であるトラックドライバーなどの皆さんについては先送りをされてしまいました。
もちろん、どんな産業に携わっている皆さんでも、過労死・過労自死に至れば、先ほど申しました通り、家族を含めて残された人たちに大変大きな傷を残します。何よりもご本人がやりきれないものでありますが。交通事故などにつながれば、それ以外の方々にも影響が及ぶような仕事の人たちの長時間労働の規制を後回しにせざるを得ない。それだけ、こうした人たちの人手不足が低賃金を背景に行われている。この市場のメカニズムの歪みを正すことこそが、実は格差の是正につながり、低賃金の人たちの賃金の底上げにつながり、経済・消費の拡大につながっていくということを申し上げたいと思います。

さらに申し上げると経済・消費を増やすためにあと2つ大事なことがあります。1つは高齢者の老後であります。

今の日本の高齢者の皆さんはまさに日本の右肩上がりの高度成長をつくってくださった世代の皆さんです。もちろん、同じ世代だからといって皆が同じ生活環境にいるわけではありません。高齢者でも大変厳しい生活をされている方も少なからずいらっしゃいます。そして、人によって持ってらっしゃる資産の規模には大きな違いがあるでしょう。しかしながら、まさに老後のためにコツコツお金を貯めよう。そのことが可能であった高度成長をつくってこられた世代の皆さんは、日本の高齢者の皆さんは老後のために蓄えた貯蓄が若干ずつでも持っている方がほとんどです。問題は、こうしたお金が老後になってもほとんど使われていないという現実です。

「あの世に預金通帳は持っていけない」

講演会などでは高齢者の皆さんにこう言うとよく笑って頂けます。皆さん、わかっておられます。にもかかわらず、老後のためにと思って蓄えたお金が老後になっても使えない。なぜでしょうか?

それは元気なうちは良いけども、病気やあるいは介護が必要な状況になった時に「せめてわずかな預貯金でも残しておかないと心配だ」という意識に多くの高齢者の皆さんが陥ってしまっているからであります。その結果、1500兆を超えるとも言われている金融資産。そのうちの多くを占めている高齢者の皆さんの貯蓄が消費に回っていませんこうした皆さんの貯蓄が「全部を一気に使ってください」と言ってもやはり将来不安が一気に無くなるわけではありません。例えば、今持っている貯蓄の半分を20年間かけて使いませんか?それだけでも数兆円単位の消費の拡大に確実に繋がります。本人にとっても、自分が若い頃に稼いで貯めてきたお金で充実した老後を過ごすことができる。そして、お金を使って頂くことによって現役世代の経済が回っていく。一石二鳥です。それができないのは介護のサービスが不足をしていること、年金や医療を含めて老後の不安が大きいから。老後の安心を高めることこそが経済政策です。景気対策です

子供を持たないという選択をされたり、子供を持ちたいと思いながら持てなかった人たちに対する心ない発言が残念ながら自民党議員の方から何度となく繰り返されました。子供を産むか産まないかという選択はまさに自己決定です。それぞれのカップルが自ら決めることです。あるいは持ちたくても持てなかった人たちもたくさんいます。その一方で持ちたいと希望した人たちが希望を叶えることができれば、そうすれば我が国の出生率は大きく高まります。子供の数は増えます。そのことが結果として消費を増やし、経済を活性化させることに繋がります。したがって、産む、産まないの選択を迫るのではなくて、産みたいと希望しながら、それをできていない人たちをどうやったら希望を叶えて頂けるのか。そのことこそが、政治のやっていくべき役割だと思います。

なぜ、なぜ産み育てたいと希望している人たちが産むことを実現できないのか。まさに、子育てと教育と雇用のこの3つの大きな問題があるからに他なりません。1つは保育所の不足に代表される子育て支援の不足である。そして、教育の問題。教育、かつてわたくしの時代も「奨学金をもらって頑張っているんだね。あの人は」という同級生もいましたが、非常に数が限られていました。しかし、今や奨学金をもらわないと進学できないという人たちの比率は圧倒的に高まっています。わたくしは国立大学の出身ですが、「某私立大学に行きたい」と言ったら、「学費は最低限出せるけども、なかなか色んなこと含めて全体の大学に関わる金は出せないね」と言われて国立大学を選択しました。その当時と比べると国立大学の学費はべらぼうに上がってしまっていて、「国立なら行かせられるけども」とそうした状況ではなくなってしまっています。

こうしたことなどを背景として、せっかく子供を育てるのならばちゃんとした教育を受けさせたい。子育て支援は不十分。教育には金がかかる。育てたいと思っても断念している。あるいは2人、3人産み育てたいけども、1人で断念をしている。そうした人たちが山ほどいらっしゃいます。そうした人たちが安心して子供を産み育てることができるようにする。まさに教育の格差の是正や保育所の増設は景気対策、経済対策です。

失われた世代、ロストジェネレーションという言葉、先ほど申しましたが、そうした象徴的な世代の皆さんに限らず、若い人たちの間には、例えば、結婚して子供を産み育てたいという希望すら持てないような低所得、不安定な働き方を選択されている人たちが山ほどいます。そうした人たちが安定的な仕事を得て、安定的な収入を得ることができた時には、その中の一定比率の人たちは家族を持ち、そして子供を産み育てたいという希望を持つことができ、そこに繋がっていくでありましょう。結果的に消費を拡大させることに繋がる、少子化に歯止めをかける。希望する人たちにその希望を叶えて頂けることを実現するためには、まさにこうした子育てや教育や雇用の政策を打つことこそが景気対策、経済対策であるという時代に入っているんです。

立憲民主党はこうした観点から景気対策として保育士の賃金の底上げを、そして介護職員の賃金の底上げを急いで行うということを提起をし続けています。他の野党の皆さんにもご協力を頂き、そして、国会に法案も提出をさせて頂いています。これは一義的には景気対策という側面を持っている経済政策です。確かにこうした長期的な財源を必要とする政策のためには安定財源が必要だという理屈がわからないわけではありません。しかし、景気対策として効果があるならば、建設国債は財政規律のある意味別枠という扱いでバンバン発行をされている。

今や、今や、いわゆる従来型公共事業と比べて、こうした社会保障関連の投資の方が経済波及効果が大きい。それこそ、そういうデータも存在している時代に入っている。経済波及効果の大きい、しかも今我が国が直面をしている消費不況をどう脱却するか。老後の安定、そして子育ての支援。そして、そこに携わっている所得の低い人たちの所得の底上げに繋がる、介護職員や保育士の賃金の底上げという政策は、そこに集中的に財源を投入するのかということが、まさにどこに向けて景気対策を進めていくのかという象徴的な姿であり、少なくともカジノを進めるよりは100万歩経済に効果のある政策だとわたくしは確信を致しております。

所得の低い人、所得の不安定な人たちの所得を下支えすることは景気対策、経済政策という側面があることを申し上げましたが、こうした側面も合わせて、特に地方の活性化のための経済政策としてこの国に必要なのは、一次産業に従事する人たちの所得の安定を図ることであるというふうに思います。それぞれの地方において、地域の社会と経済を支えているのは一次産業に従事する皆さんです。その人たちの比率はかなり低下している地域があるかもしれませんが、しかし基幹となる産業として一次産業がしっかりと回っていく。そこで仕事をしている人たちが地域の中心となって、あるいは消費を促していく中心を担っていく。そうしたことが必要な地域が日本中の圧倒的に広い面積を占めている、というふうに思っています。米作農家の経営安定に大きな貢献をしてきた米の直接支払制度について安倍政権は平成30年度産米から廃止をしました。我々が推進をした農業の戸別所得補償制度はそれに先立って廃止をされています。

一次産業の中には天候によって、大きな利益をあげる年もありますが、逆にそのことによって翌年の再生産も不可能なくらい所得を得られない時もあります。どんな年でも最低限、翌年の再生産が可能な安定的な一次産業の経営を担っていただく。そのためにいわゆる所得補償制度をとることは先進国の農業政策においては今や常識となっている。私たちは、これはまさに農業を守る、食の安全を守る、緑を守る、と同時に特に過疎地域などにおける経済を回していく最低限の前提条件として必要なことだと思っていますが、安倍政権はこれに逆行する政策を今までとっているわけであります。

ま、そもそも、卸売市場法改正を始め、農政改革法案を成立させましたが、農業を他産業と同一視し、目先の経済効率を過度に追及するのみで多面的機能を評価し維持するための方向性に逆行をしています。いわゆる土地改良予算は一方で大幅に伸びており、安倍農政は小規模農家、つまり地域社会を経済の面でも支えている人たちを切り捨てる一方で従来型の農業土木を推進している。誰のための農政なのかと申し上げたいし、まさに土地改良などの農業土木はいつまで継続するかわからないわけであります。それぞれの地域において、長期にわたって暮らし続ける、住み続ける、営みを続ける。そのためには一次産業で最低限食べて、再生産をしていけるという基盤を整えなければ、過疎地域に暮らす人たちは居なくなります。

安倍政権はこうした暮らしを社会を下から支えて押し上げるという、いま我が国がとらなければならない経済政策の方向とは逆行し、強い者をより強くする、豊かな者をより豊かにする。そうすれば、世の中全体がそこに引っ張られて良くなる、あるいは豊かさがしたたり落ちるという、全く時代遅れとなった政策に強弁をし、社会の分断と貧困を招き、そして、思った通りの案的な経済成長をもたらすことができないという結果をもたらしている。

逆行しているのは明確です。例えば、この国会でも生活保護費の母子加算。わたくしこの国会の一番最初の本会議でこの点について指摘をしましたら、「6割の人は増えるんだ」という答弁にとどまりました。まさに安倍政権の姿勢を象徴しているとわたくしは思います。確かに母子加算については6割の方が増えるというのは客観的な事実です。その方は増えるんだから結構なことです。しかし、

しかし、6割が増えるということは4割は減るということを認めてらっしゃるんです。せめて、「4割は減るけども、こういう人たちだから大丈夫なんだ」という答弁をしなければ、この4割を切り捨てていることに他ならないじゃないですか

「保育所の数を増やすよう努力をしている」とおっしゃっていますが、おっしゃっているだけで、保育士の賃金増による待機児童対策よりも無償化を優先する政策をいまだに推進しています。確かに無償化が実現できるならば結構なことです。我々も将来の方向として目指したいと思っています。しかしながら、限られた財源とおっしゃっているのは、いつも与党じゃないですか。

限られた予算を無償化に回すことが本当に合理的なんですか?

今何よりも、今何よりも手を差し伸べなければならないのは、保育所に入りたいと思っているのに入れていない人。その人たちに保育所を提供することこそが、無償化よりも圧倒的に優先度は高いんじゃないですか?

しかも、現在の保育料を国も所得に応じて段階をつけていますから、実は無償化されて一番恩恵を受けるのは高額の所得を得ていながら保育所に子供を預けることができている人たち。私はその人たちも財源があるならば、無償で安心してお子さんを預けていただける、そこを目指すべきだと思いますが、優先順位は所得が低いのに保育所にも入れないような、そっちの人たちを救うのは当たり前じゃないですか。こんなちぐはぐなことをやっておいて、先ほどから「やってるじゃねえか」という野次が飛んでますけども、やってるんですか? やってないじゃないですか。逆行してるじゃないですか。

税だってそうです。これは低所得者ではありませんが、一部の中堅所得層の給与所得控除の見直しをしたのは誰ですか? 国際観光旅客税を含めて、とりやすいところからとるという税制の改悪を進め、例えば、金融所得課税などは先送りをしているじゃないですか。強い者・豊かな者には優しく、苦しい環境にある人たちには厳しく。それは、繰り返しますが、そうした皆さんが気の毒だからにとどまりません。そうした皆さんの所得を底上げして消費をして頂かない限り、従来型の経済政策をいくら打っても、消費が伸びない限り、我が国の安定的な経済の再建はありえません。

経済については、あと30分くらい話したことがあるんですが、最後に安倍総理の典型的な勘違いを申し上げて、次のテーマに移りたいと思いますが、1月31日の参議院予算委員会で安倍総理は国民生活の困窮化の一例としてエンゲル係数の上昇が見られることを質問され、「物価変動とか食生活や生活スタイルの変化が含まれている」と場違いな答弁をされている。

こんな認識なんですから、所得の低い人たちの所得を底上げをしなければ景気を回復させることはできないという、今の社会において日本経済を立ち直らせることは到底できないということを最後に強く指摘をしておきたいと思います。


不信任理由4「モリカケ問題」
(1:11:36〜1:46:13)


枝野代表:
4番目に政治と社会のモラルを崩壊させる、いわゆるモリカケ問題にも触れておかなければならないと思います。

まず、このモリカケ問題には、第一に約9億円の国有地が8億円ほど値引きして売られようとしていたという本質を忘れてはならない、というふうに思います。まさに国民の皆さんから集めた税金の使い道について厳しい声が挙がっています。そうした状況の中で国有地が8億円もダンピングされたというのは、その分の税金が食い物にされたのと意味は同じです。

本来であれば、本来であれば・・・、

(与党席からの「野田中央公園はどうなんだ、説明してください」という女性議員からの野次に対して、野次の方向を指差しながら)

黙らせて頂けますか?

(なおも野次を注意しない議長に対して)
黙らせて頂けますか? 黙らせて頂けますか?

議長、不適切発言に対しては指導をして頂きたいと思います。

大島議長:
ご静粛に。ご静粛に。どうぞ、続けてください。

枝野代表:
(なおも野次を続ける女性議員に対して)
ミズタ議員、黙って頂けますか?
(杉田水脈議員の言い間違いと思われる)

この8億円もの値引きがどうしてされようとしていたのか。財務省の皆さんはそれには批判もあるかもしれませんが、国民の皆さんから納める税金は1円も間違いなく納めて頂くために努力をされている。国有財産を売るにあたっては1円でも高く売るために努力をされている。わたくしはそうした財務省の基本的な姿勢は、それは「少しでも税金を安くしてほしい」「少しでも安く国有財産を手にしたい」という皆さんには残念なことであるかもしれませんけども、正しい姿勢だと思っていますが、その財務省がなぜ8億円も値引きを認めようとしたのか。ま、いったんは認めたのかという深刻な問題であります。こんなことが日常茶飯に起きたとしたら、我が国の財政はどんなに国民から税金を頂いたとしても回るはずがありません。

したがって、なぜこんなことが起こったのか。その原因、本質を明確にすること。そして、そのことにもとづいて再発防止策をとること。原因もわかっていないのに、全貌も解明されていないのに再発防止を打てるはずがありません。あとで述べる改ざん問題なども含めて、「責任を痛感します」とか「真摯な反省」とか「再発防止」とか言葉だけは踊っていますが、全貌解明の妨害をし続けているのは誰なんですか?

全貌解明に抵抗しているのは誰なんですか?

全貌解明に協力をしない。そうした与党の姿勢こそが、まさに税金の無駄遣いを生み出す、膿(うみ)そのものではありませんか?

そもそも、これだけでも問題なのでありますが、第二に申し上げなければならないのは、安倍総理の昭恵夫人が夫人付きの公務員である谷査恵子氏を通じて行政に問い合わせるという関与をしていました。このことは既に明らかになっています。このことだけで大問題じゃないですか?

他に、こんなおかしな値引きをしたことについての合理的な説明が一切なされていない以上は、このことが影響を与えていたという以外、現状では追認しようがないじゃないですか。

安倍総理は「関係していたら総理も議員も辞める」という発言をされました。この発言があろうと無かろうと、この事実をもってしてだけでも、まさに権力の公私混同の問題として深刻な問題であることは明らかであります。にも関わらず、昭恵夫人も谷氏も国会はおろか記者会見などの場を含めて、全く説明をされておられません。

財務省が改ざん、隠蔽してきた文書の多くをこの国会で野党の協力によって公開にまで持ち込むことができました。野党各党が粘り強く追及してきた成果であると思っていますが、そもそも本来であれば、総理や政府自身、あるいは自民党が積極的に真相解明に努力すべきであると思いますが、全くそうした姿勢は一貫して示されませんでした。そして、非常にわかりやすいのが関連する文書の多くがようやく野党の追及に応じて出てきましたが、なぜか昭恵夫人や谷査恵子氏が関与していたとされる時期の文書だけ未だに出てきておりません

さらに言うと、ビックリしましたが、日本共産党さんが指摘をされました「最高裁まで争っても公開はしない」とされる打ち合わせ文書が出てきた。こうした文書が本物でないという否定もできていません。本物かどうかわからない、というか答えないという状況です。本物だから否定できないんですよね。「最高裁まで争っても公開しない」という、そんな姿勢

まさに総理が指導力を発揮して、「公開できるものは公開する」と言うべきじゃないですか。こんな姿勢で「自分の配偶者は関与していない」といくら言い張っても、誰も信用しないのは当たり前のことじゃありませんか?

モリカケ問題に関連しては3つ目、加計学園問題であります。国家戦略特区に至るプロセス、獣医学部の設置認可に至るプロセス。まさに行政の中立性、公平性を損ないかねない疑惑であります。これに全く真摯に対応していないどころか、真実に目を向けない姿勢がもはや明白であります。何度も指摘をされていますが、改めて申し上げたいと思います。

公開された愛媛県の文書。平成27年の3月付の文書には3月3日の打ち合わせ会において、加計学園のした報告が記載されています。2月25日に総理が加計理事長と面談し「いいね」と言われた。ま、公文書であるのかということには色々な議論がありますが、愛媛県の地域政策課が作り保管していた文書において、総理が加計理事長と面談して「いいね」と言われたことが明確に書かれているところであります。

凄いのは、加計理事長などが「事務局長がその場の雰囲気で作り話をした」と釈明をされたことであります。愛媛県の一連の記録と照らし合わせれば、明らかにこの加計理事長の説明は矛盾をしており、この理事長の「雰囲気で作り話をした」という釈明こそが虚偽であるのは明らかであります。

一つには、その3月の文書の冒頭に何と書いてあったのか。「加計学園から理事長と安倍首相との面談結果等について報告したいとの申し出があり」というのが冒頭の記載です。つまり、この会合自体が打ち合わせ結果、安倍総理との面談結果を報告したいという申し出にもとづいて、この会合がセットされてるんですから。その場の思い付きで安倍総理との会談の話が喋られたわけではないというのは記録上、明々白々じゃないですか。これだけでも加計学園は大嘘つきだとハッキリしています

一つだけではなんなんで、愛媛県の公表文書。一つ前の文書は2月付の文書です。その2月付の文書にはどう書いてあったか。「理事長が安倍総理と面談する動きもある」と明記されています。2月の会合で理事長が安倍総理と面談する動きもあるという報告をし、3月の会合は理事長と安倍総理との面談結果を報告したいとの申し出でセットをされ、そこで「いいね」と言われたと報告したと。

これが全部、記録上も明確に残ってるんです。 これが作り話?
ありえないですね


まだあります。この3月付の文書。「柳瀬首相秘書官から改めて資料を提出するよう指示があった」との加計学園からの報告が記載されています。そして、次の文書で「資料提出指示を受けて、柳瀬秘書官と加計学園が協議の日程を調整している」との加計学園からの報告内容が記載されて、実際にこの流れの中で問題となっている柳瀬秘書官との面談が実現されているわけでありまして、総理と加計理事長の面談からこの一連の流れが進んでいるということは記録上ハッキリとしているじゃないですか。

そもそも学校の設立認可という公権力の行使の選択にあたって、こんな形で政治家が関与していたとすれば、そのこと自体が大きな問題でありますが、県や市も多額のお金をこの加計学園に出していますが、学校設立されてしまった以上はここには毎年私学助成金という形で国費も出て行くんです。

獣医学部のように実験などを行う学部が私学助成金なしで経営が回っていくのは現実的にはありえません。

学校が存続する限り、私学助成金が無い限りは経営が成り立たない。これもまた税金の使い方、使われ方の問題であり、しかし、愛媛県や今治市だけではない。国費の問題でもあるんです。

安倍総理は国家戦略特区のワーキンググループのプロセスに瑕疵(かし)がないことを繰り返し強調していますが、全くピントはずれの言い訳だと言わざるを得ません。仮にワーキンググループの設立に今回は瑕疵が無かったととしても、総理との関係を背景にして総理秘書官から特別な指導、助言を受けていれば、行政の中立性、公立性を損ねるものになります。

あるいは国家戦略特区としての正式な申請の前段階のプロセスであったとしても、それこそ加計理事長の言い訳のように総理の名を騙って県や市を騙すような決定的な瑕疵があるならば、設立認可そのものに瑕疵があると言わざるを得ません。

そもそも申し上げたいんですが、この柳瀬秘書官というのは、わたくしも経済産業大臣をやらして頂いたので存じ上げていますが、経済産業省から総理秘書官に出てらっしゃったんですよね。この国家戦略特区は、その結果、学校の設立といった意味では文部科学省に影響を持つ話です。獣医師さんという話では農林水産省に影響する話でありますが、内閣府の所管であります。私立の大学の学部を設置する。しかも、一次産業系の学部を設置することについて、そもそも柳瀬秘書官は知見もなければ、所掌(しょしょう)したこともない。なんで柳瀬秘書官が関与して、指導・助言しているのか。それはまさに総理秘書官だからに他ならないじゃないですか。総理秘書官が関与しているから内閣府を始め、各省庁、それを忖度するなり、事実上の指示が出ていたと私は思っていますが、それは断定はしません。しかしながら、まさに、なぜ所掌ではない経済産業省出身の秘書官が関与をしていたのかということ。この1点をもって、まさに官邸としての影響力を行使させようとしたことはそれだけで私は明々白々だというふうに思いますけど。

これらだけでも内閣3回くらい吹っ飛んでもおかしくないんですから。んですから。

この問題はさらに言うと、このまま放置をすれば、とんでもないことになるという、そういう問題です。

総理のような権力者と友人であるならば、あるいは権力者の配偶者に取り入ることができれば、行政的に有利に取り計らってもらえるかもしれない。そういう認識を世の中に生じさせているということであります。

行政の中立性、公平さに対する信頼が急激に著しく今劣化しています。

こうした状況を放置をして見逃せば何が起こるか?

有利に取り計らってもらおうとして、権力に取り入る、すり寄る人間が増加する。その一方で「そうした機会はつくろうと思っても、とてもできないよね」と多くの皆さんは考えるでありましょう。そうした皆さんは「どうせ一部の人だけがいい思いをするのでしょう」という意識に陥り、モラルとモチベーションが低下することになる。

これは、まさに日本社会を崩壊させる危機です。

したがって、多くの国民の皆さんが「ああ、やっぱり行政は中立、公正なんだ」という納得感を得させなければ社会のモラルを崩壊させる。その責任はこうした疑念を生じさせた安倍総理にあるということは間違いないじゃないですか。

ま、森友・加計学園問題に関連をして、5番目に指摘をしなければならないのは、単独で1項目、7つの内の1項目に立てたいくらいの話でありますが、この真相解明を妨害するような、そうしたプロセスの中で出てきた公文書の改ざん問題であります。

これは、行政の末端の、ごくごく一部の数人が個人的な不祥事を隠すために改ざんしたなどという、過去にも残念がら時々生じている不祥事とは全く本質的には違っています。公文書との改ざんを、しかも国会との関係です。中央官庁の中枢部が大掛かりに実施をしたということが本質的な問題です。国会から求められている資料提供や報告を求められている案件について公文書を改ざんしたということはどういうことか。国会を騙したということであり、国会を通じて国民を騙したということに他なりません。

(野党席から「そうだー」の声が多く挙がったこと受けて)
この問題は与党の皆さんも「そうだ」と言わなければ、おかしいんですよ? 騙されたのは皆さんも一緒なんです。その本質的な意味を理解されていないことに、今の自民党の劣化が象徴されているとわたくしは思います。

行政が国会に改ざんしたウソの文書を出したら国会は成り立ちません。いや本来であれば、あとで申し上げますが、国会の内外で虚偽答弁が繰り返されている。それに対しても問題です。でも残念ながら、過去も国会などで事実と違う答弁をされたりすることはありました。だから国会では、特に野党は「文書を出せ」ということに力を注いできてるんです。さすがに公文書は正しいことが書いてあるはずだ。だから、残っているはずの文書は何なのか。それを探り出し、それを公開させることによって、口先ではごまかそうとしても、事実を認める。そのことのために努力をしてきて、そのことによって成果もあがってきている。

にもかかわらず、その国会に出す文書を改ざんする。国会を騙すために改ざんするなどということを認めてしまったら、国会を騙すんですから与党も騙すかもしれませんよ。与党の側にもウソを書いた文書を出してくるかもしれませんよ。そうした状況を許すということを本当に危機感を持ってらっしゃらない与党議員の皆さんを私は大変残念に思います。

こんなとんでもない改ざんが行われたにも関わらず、残念ながら誰も刑事責任を問われていません。ま、検察審査会に国会議員が介入することはできませんが、検察審査会に期待をしたいと述べるにとどめたいと思います。加えて、最も重い処分が停職3ヶ月。あとで話が出てきますが、外務省で停職9ヶ月の方がいるので、そっちはよっぽど重かったんですね。これの3倍あるんですからね、ということをここで申し上げたいと思いますが。

国会を騙すようなことをして停職3ヶ月?

それぐらいの停職で済むということで「こういうことをやっていいんですね?」と認めてるようなもんじゃないですか


あえて言えば、主観的意図はわかりませんが、まさに経緯からすれば安倍総理を守るために改ざんをしたと受け取られても仕方のないプロセスなのはハッキリしてるわけですから、「総理を守るためだったら、こんなとんでもないことしても、こんな軽い処分で済むんだ」と、ここでもモラルハザードを生じさせるんじゃないでしょうか。

佐川 前国税庁長官は理財局長当時にこうしたメチャクチャな改ざんを行っていた中心にいたのは、これはもう政府としても認めているわけです。その方を野党の指摘を、「こんな人にしていいんですか?」という指摘を払いのけて「適材適所」と国税庁長官にしたのは安倍総理です。確かに財務大臣かもしれませんが、あとで申し上げるとおり、今や幹部公務員の人事は一元化して総理自身「適材適所」と繰り返しておられました。未だに「適材適所」とおっしゃっているようなんですが・・・、信じられません。

総理のために停職処分を恐れず、公文書を改ざんして国会を騙すような人は、総理にとっては適材適所なのかもしれませんね。

公文書が信用できないということになれば、これ国会としても役所が出してくる文書をいつも「改ざんされているかもしれない」と疑念の目を持ちながら議論しなければなりません。そして、多くの国民の皆さんの国民生活だって、役所から来る公文書は正しいものだという前提でほとんどの国民の皆さんは暮らしています。

役所から例えば納税の通知書が来れば、自分でいちいち計算し直して自分の税額が合っているか調べる人はあまりいません。役所から「あなたの年金はいくらです」と通知が来れば、年金なんとか便というのをつくって過去の支払いの実績がチェックできるようになっていますが、毎回毎回チェックする人もそうはいらっしゃいません。役所はそうは言ったって、役所の作る文書は正しいんだという信頼関係のもとに社会というのは成り立っています。この公文書改ざんをこのままで臭いものにフタをしてしまったのでは、この社会全体の公文書に対する信頼が揺らいだ状況を放置することに他なりません。この社会そのものを壊してしまうことに繋がっていくと、わたくしは強く危惧をしているところであります。

公文書に対する扱いは財務省にとどまりません。あとに防衛省、自衛隊の日報問題についても述べさせて頂く予定になっています。ま、そもそも、「由(よ)らしむべし 知らしむべからず」という江戸時代以来、あるいはもっと古いかもしれません、まさに我が国の間違った意識が残ってしまっているのではないでしょうか。

先ほど申しましたとおり、わたくしは明治維新以前の西洋近代文明が入ってくる前からの日本の歴史の伝統の中には再評価すべきもの、しっかりと引き継ぎ、それを国際社会に合わせて応用して活かすべきものが多々あると思っています。しかしながら、まさにこの「由らしむべし 知らしむべからず」という意識を行政に関わる人間、それは政治家も含めてですが、わずかなりとも思っていてはいけないとわたくしは思います。

そうした意識を持っているのではと疑わざるを得ない。大本営発表にも繋がったようなこうした意識を払拭させる責任は総理にあるにも関わらず、総理自身が膿の産みになっているという状況では、とても内閣を信任することはできません。

森友・加計学園についての6点目は、加計学園。森友学園は理事長は学園の経営からは退かれました。加計学園の加計理事長は今も理事長のままでおられます。まったく矛盾に満ちた、まさにデマカセと言っていい説明を繰り返し、逆に百歩譲って、もしこの加計理事長の言っていることが本当だとすれば総理の、「腹心の友」という日本語を私あまり聞いたことがないんですが、相当親しいご友人がトップである法人が総理の名を騙って、騙ったわけですからね、愛媛県や今治市に対しては。しかも、勝手に騙って獣医学部の設置を有利に進めようとしたことになるわけですね。総理とのご友人だったのは事務局長じゃありませんね。事務局長が言ったと、百歩譲って言ったとしても、総理と加計理事長がご友人だったことを奇貨(きか)としてやってるわけですね。

なんらの責任を感じる姿勢も示さず、説明責任をまったく果たしていない。

「もう記者会見はやらない」なんて言ってますよ。

こんな方に教育者のトップやらせていていいんですか?


この認可過程に決定的な問題があります。

ありましたが、学校として現に出来上がってしまい、ここの学んでいる学生さんたちがいらっしゃいます。そうした現実を踏まえるならば、やるべきことは加計理事長は加計学園の少なくとも獣医学部の経営から手を引かれ、第三者に経営権を移譲すべきであると思いますし、友人であるならば安倍総理はそれを促す責任があると思います。そうでなければ、こんないい加減な無責任な人間が教育機関のトップをやっているという教育におけるモラルの崩壊に繋がっていくとわたくしは思います。

(野次に対して)
「民間に口出すな」と野次っている人がいますから、私の話ちゃんと聞いてくださいね?

「総理、友人として促すべきだ」とわたくしは申し上げました。

それが日本の社会の秩序、モラルを維持すべき責任を持っている日本の政治のリーダーとしてのご友人に対する姿勢ではないでしょうか? 皆さん。

ま、総理のおっしゃる友人というのは、同じような高い志を持って違う道だけど頑張っていこうねというのがわたくしは友人というものの定義だと思っていますが、一緒に楽しくゴルフをやるというのがお友達なのかなと思いますので、しょうがないのかもしれませんね。

モリカケ問題の7番目の問題点。これは検察捜査への介入の疑惑まで生じている。
大阪航空局作成とされる文書、これもこの国会の中で指摘をされました。

「官邸も早くということで法務省に何度も巻きを入れているが、刑事処分が5月25日夜という話はなくなりそうで」

捜査することすら否定してます。

検察庁法14条は「法務大臣は個々の事件の取り調べ、または処分については検事総長のみを指揮することができる」と明記をしています。

法務大臣ですら検事総長のみを指揮することができるんですから、法務省の役人や、ましてや法務省以外の行政機関の役人が検察に対して犯意をすることがあってはならないのは、この検察庁法14条が前提としています。

検察権、指揮権発動以外の手続きで、官邸を含めた行政機関が法務省を通じて個別事件の捜査に巻きを入れていれば、明らかに検察庁法に違反した捜査への不当介入であります。当該文書は行政の当事者でなければ到底つくれない内容になっており、怪文書では到底ありません。

ま、そもそも昨年のモリカケ問題発覚以来、怪文書と最初称していた文書が実は本物だったことの繰り返しではないですか。財務省、会計検査院、これだけの問題。検察捜査にまで官邸が影響力を行使して行政を歪めているとの疑念をこのまま放置したのでは、この国は何者も信用できない国になってしまう。法治国家とは到底言えない状況になってしまいます。私は現時点でこの文書が本物だったというつもりはありません。しかし、政府自ら積極的に調査をして真実を明らかにする必要があります。巻きを入れた事実があったのか無かったのか。しっかりと調査をすべきでありますが、その調査すら放棄をして開き直っている姿勢は到底許しがたいものがあります。

以上、申し上げてきた通り、一連の森友問題、加計学園問題はいわゆるスキャンダルではありません。行政の公平性、連結性を損ねる。放置をすればモラルハザードを招く。社会と国家の危機であります。

今なお多くの国民が総理や政府などの説明に納得できないという状況であります。このこと自体が危機であります。「丁寧な説明「膿を出しきる」と繰り返しましたが、実態は逃げ回る一方であります。確かに我々に対しては「いつまでモリカケばかりやっているんだ」という声もあります。そもそも「ばかり」でないというのは客観的な事実として申し上げておきたいと思いますが。同時にモリカケ問題の追及は真相解明までどんな声があっても諦めずにやり続けます。

ま、総理はいずれ時間が経てば多くの国民が忘れてくれると思っているのかもしれません。そもそも昨年秋の総選挙がモリカケ隠しの意図があったのではないかという声もありますが、何度解散されようと、どれぐらい時間が経とうと、真相解明されない限り、このことを追及していくのは行政の中立性、国会答弁や公文書に対する信頼性を守るための野党としての責務であると考えています。

総理を始めとして、政府・与党が真相解明に積極的に対応すれば、そもそもこんな大きな問題になっていなかったかもしれません。

安倍昭恵夫人、谷査恵子氏、加計理事長、愛媛県知事、再度の佐川氏など、後ろめたいことがないのならば、与党から積極的に国会での招致などを求めるのが当たり前じゃないですか?

行政の内部文書と思われるような文書が明らかになったら、積極的に調査し報告すべきじゃないですか?

後ろめたいと思っているから、やらないんでしょう?


そもそも、公文書も、始めとする行政の国会での説明も信用ができない。中立性、公平性に信総理を用ができないという状況では、内政・外交ともにまともに進むはずがないじゃないですか。

国会などで様々な答弁を引き出し、政府の認識を明らかにしても、あとになって発言が、文書の内容が簡単にひっくり返されたのでは論争自体、意味が無いじゃないですか。多くの国民の皆さんが政府に対する信用・信頼を持っていない中で、強力な政策推進ができるはずが無いじゃ無いですか。

私たちは全貌解明に至るまで追及を続けることをここで申し上げると共に与党の皆さんに対しては、国会は明後日、通常国会は再延長はありませんので閉会をしますが、臨時国会を開き、あるいは臨時国会を開かなくても閉会中審査でも、いくらでも先ほど申し上げました関係者に国会に来て説明をして頂くことはできますので、ぜひしっかりと国民の信頼を取り戻す。本気で膿を出しきる姿勢を示して頂きたいとこの場を借りて強く求めていきたいと思います。


不信任理由5「不誠実答弁、民主主義のはき違い」
(1:46:15〜2:18:13)


枝野代表:
5番目のテーマについて申し上げます。森友・加計学園についてもそうでありますが、それにとどまらず、ごまかし、いい加減な国会答弁の数々。そもそも民主主義のはき違いが著しい。そのことをもって安倍内閣は到底信任することはできません。

審議不十分の声を押し切った強行採決は数知れません。冒頭のカジノについて災害の中、強行していること。高度プロフェッショナル制度の問題。後ほど述べますが参議院選挙の問題、等。まさに、時間が来たからどころではない。参議院の選挙制度に至っては、ろくな審議もせずに採決をしている。

ご飯論法とか、信号無視話法という言葉が、この国会を通じて巷に出回りました。聞かれたことに答えるから議論になるんです。聞かれたことに答えないで、はぐらかす。というのは、目先の論争では一瞬勝った気になって、言った人は気分いいかもしれない。ですが、見てる人はみんな見ています。結果的に聞かれたことに答えない。全部ずらした、ごまかした答弁をしているということで加藤厚生労働大臣、そして安倍総理。「ご飯論法」と世の中から嘲笑われる結果となっている。

聞かれたことに正面から答えないだけにはとどまらず、聞かれてもいないことをダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、ダラダラしゃべり続ける安倍総理の姿勢。

(野次がおさまらないため、枝野氏、15秒ほど黙り込む)

わたくしは・・・、わたくしは安倍内閣がいかに不信任に値するかということを発言する機会を頂き、ここで発言をし、安倍内閣がいかに不信任に値するかということを一貫して述べさせて頂いています。

国会における、少なくとも国会における予算審議や法案審議などにおける行政府の皆さんの仕事は、自説を述べることではありません。国会で問われたことに行政府を代表してお答えになる。聞かれたことに答えるのが予算、法案審議における大臣の仕事、役割、責任であって、聞かれたことをダラダラ話している安倍総理と、味噌とクソを一緒にしないで頂きたい

ま、そもそもこの聞かれたことに答えずに、聞かれてもいないことを答えている姿勢だけでも不信任に値すると思いますが、それにとどまらず、平然とウソをつき、開き直る姿勢がますます顕著になっています。1個1個挙げようと思って調べたんですが、あまりに多すぎて、それだけで5〜6時間になりそうなので、最近の顕著なものだけ指摘をしておきたいと思います。

小野寺防衛大臣。いわゆる赤坂自民亭の件で当初は「報告を受け、指示をしていた」と発言をされていました。ま、そしたら「飲みながら指示してたのか」と指摘を受けたので、慌てて撤回をしました。慌てて「会合が終わってからだ」と撤回をしたら、「その後も指示は受けてない」と防衛省から発言があり、要するに口からデマカセを言っていたということが明らかになっている。

赤坂自民亭に関しては、西村副官房長官が「災害発生時に会合をしていたかのような誤解を与え」、開き直りました。

何が誤解なんですか?

災害は発生してなかったんですかね?


しかも、総理は西村副長官を注意したらしいのですが、情報発信について注意されただけ。西村副長官について言えば、実は「大雨はヤマを越えた」とのツイートをしているんです。結果的に、このことを信じて被害に遭われたことを今のところ聞いておりませんが、自己正当化のために被害を拡大させかねない不適切な発言だと言わざるえを得ません。

情報発信について注意するならこちらですし、災害の時の官房長官、官房副長官。まさに多くの国民の皆さんが、こここそがまさに様々な国家の情報が集約されていて、実は最新の最も広範な情報を持っていると多くの国民の皆さんが思ってらっしゃいます。わたくしも自らの経験で必ずしもそうでないことを知っているんですが、多くの国民の皆さんがそう思っている中で「大雨はヤマを越えた」というツイートは、これだけで私は辞職に値すると思います。

閣僚ではありませんが、この話はいまだに信じられないんですが、河村予算委員長。総理との会食直後に「総理が集中審議は勘弁してほしい旨、発言していた」と明言をされている。ま、翌日撤回をされている。

自民党はウソつき、ホラ吹きを予算院長にしてるんですか?

前の日に堂々と記者の前で明言してるんですよ。

これ、なんか勘違いしそうな話ですか?

日付を間違えたとか、総理の発言をどなたか別の議員の発言と間違えませんよね?


明らかに撤回がウソであるか、もし撤回が本当であれば記者の前で総理が言ってないようなことをホラを吹く。そういう方は予算委員長にしてるんですか?

ま、わたくしは河村委員長を知らないわけではありませんので、河村委員長がホラ吹きだという印象を持ったことは一度もありませんが。撤回がウソだとしか思いようがないんですが。どちらにしても河村委員長、ウソついたってことですね。

ま、古屋議運委員長については昨日の本会議で同僚議員が厳しく指摘をいたしましたが、せめて説明ぐらいしろよと。説明もできない状況なら身を退かれたらどうですかということを改めて申し上げておきたい、というふうに思います。

民主主義のはき違いという意味でここで厳しく指摘をしておかなければならないのは、参議院選挙制度のことであります。

定数を増やす?

意味がわかりません。

確かに、確かに議員の数をただ減らしていくことが本当に良いことなのかという疑問の声が出てきていることをわたくしは承知をしております。しかしながら来年の10月に国民の皆さんに、自公の皆さんは消費税を10に上げるということを押し切るんでしょう?

その直前に国会議員の定数を増やす選挙をやるという、その発想がわたくしには理解ができません


百歩譲っても一票の格差と関係のない、なんで参議院の比例定数を増やすんですか?

まったく意味不明です。

特定拘束枠も意味不明です。

1県1代表にすべきではないかという声は非常に強く思います。抜本改革が必要だと思います。

抜本改革が間に合わないからといって、その地域の人たちを比例で優遇する

百歩譲ってそこまでわかるとしたら、なんで2じゃないんですか?

合区で1県1代表出せないというのは、合区になっているところが2つあるわけですから、4県ですから、そのうち4県から2人しか出せないわけですから、2つ特定枠があればその対象にはなるんじゃないですか? 当面の策として。

そもそもが、そもそもが、非拘束名簿の中に拘束名簿を入れるという全くムチャクチャなことでありますが。先ほどから言っています、百歩譲っても定数を増やしてまでやることは意味わからないし、そしてその合区対策だと称するなら、2より多い数にしてるのは意味がわからない

いろいろな意味がわからないことを今申し上げているので、意味がわからないからといって、違うことに賛成するという意味でないのは子供でもわかる理屈だと思いますが、いかがでしょうか? 皆さん。

しかも選挙制度は民主主義の根幹であります。

平時においても与党だけで十分な議論もなく、十分な議論がないとはどういうことかというと、国民の知らないうちに決まるということです。国会の中で時間をかけて議論をするということがあれば、国民の皆さんの間でも「あー。そういうふうに変わろうとしているんだ」「それはおかしいじゃないか」とか「それならいいんじゃないか」とかという国民の皆さんの、ま、ご関心のある方だけかもしれませんが実態は、でも知ろうと思えば知ることになるわけですが。まったく審議の時間もとらずに、あっという間に成立をさせてしまった今回のプロセスでは、ほとんどの国民の皆さんがどう変わるのか知らない間に、しかも災害対応に多くの皆さんが大変な力を注いでおられる中で、どさくさ紛れと言わざるを得ません。まさにこうしたプロセスも含めて、この選挙制度の改悪というものは到底容認することはできませんし、形式は議員立法にありますが、時々安倍総理は総理大臣と自民党総裁を便利に使い分けておられますが、議員内閣制においては議会の多数派と行政府が一体となる。議会の多数政党の党首と内閣総理大臣が一体となるという仕組みの中で出来上がったものなので、「それは議員立法で勝手にやっとけ」なんていう言い訳はもしなさるとすれば、議院内閣制の基本をわかっていない理屈だということを申し上げておきたい。

そもそも、民主主義とは単純な多数決とイコールではありません。そこを履き違えておられるんじゃないかとわたくしは強く危惧をしております。選挙で勝って多数があるんだから、何をしてもいいわけではありません。そもそもが現在の衆議院の議席数は投票した人の相対得票すら反映していません。自民党と公明党、与党の皆さんで先の衆議院選挙の得票は過半数の相対得票を得ていませんからね。その上で申し上げますが、多数決と民主主義はイコールではなく、多数決とは必ずしも正義ではありません。すでに言われている話ですが、いわゆるエレベーターのパラドックスという話があります。老朽化した分譲マンションにエレベーターをつける。みんなで一致をしてエレベーターをつくることに賛成をした。エレベーターの費用分担をどうするのか。ま、実はこうしたマンションの決定のあり方は単純な多数決ではありませんが、そこを少し省略する説明をすると、例えば2階以上の住人が結束をすればエレベーターの費用負担を1階の住人だけに押し付けるという決をとることが可能になる。似たようなことをしてるんですよ。

(与党席からの女性議員の野次に対して)
似たようなことをしてるんですよ、高橋ひなこさん。

民主主義というのは、必ずしも多数決とイコールではない。多数決をもってしても、やってはいけないことがある。多数決をやる前にはやらなければならないことがある。わたくしはみんなでご飯を食べに行こうかという例を時々申し上げています。仲間内でどこかご飯を食べに行こう。

(野次がひどくなってきたことに対して)
あんまりモノをわかっていない方がこの議場には多いので、わかりやすく説明をさせて頂いておりますので、ぜひ聞いて頂きたいと思います。

(野次がおさまらないことに対して)
聞いて頂きたい方がうるさい状況ではしゃべりにくいんですけども。

いいですか?

仲間内でご飯を食べに行こうと。寿司にしようか、肉にしようか。ま、意見が分かれたら多数決でものを決める。ま、みんながそう言っているから、今日はそうしようと。しかし、例えばその中に足が不自由で車椅子の方がいらっしゃれば、他の皆さんが「あの店ウマいからそこにしよう」と思っていたとしても、車椅子の方ではなかなか入れない、バリアフリーになってない店は除いて、その中から皆さんの多数意見はどこだろうかと決めるのは当たり前じゃないですか。つまり、多数の意見だからといって押し切って良いわけじゃなくて、その中で、みんながお互いに譲り合う。配慮し合うことの中で、理不尽ではない、不合理ではない、その範囲の中で、多数の意見で決めていこうとしなければ物事はいけない。それが民主主義なんです。

そもそもが民主主義は多数決ではないんです。民主主義というのは主権者である国民みんなでものを決めて国を動かそうというのが民主主義なんです。民主主義で、みんなで決めたいんですが、残念ながら1億2000万を超える国民の皆さんがみんなで集まって相談することが出来ないので、やむなく仕方なく、それを補う手段として選挙という多数決が使われている。そして、そして、国会の中でみんなで一致してものが決まるのが、本来の民主主義の望ましい形でありますが、残念ながら全ての県で全員が一致することはありません。その場合の手段として多数決が使われることがある。しかし、多数決だから正しいわけではありませんし、正当な手続きではありません。なぜ民主主義において多数決という手段が使われるのか。それは多数の言っていることが正しいからではありません。熟議を繰り返した結果として多数の意見であるならば、少数の意見の人たちも納得するから。多数決というのは少数意見の人たちも納得するための手段として多数決が使われる。

少数意見を納得させようという意思のない多数決は、多数決の濫用です。

多数決が少数の人たちを納得させる手段として正当性を持つためには、多数決を前提として正しい情報が開示されなければなりません。例えば、先ほどの例に引き寄せてお話をすれば、じゃあ、肉屋にしようか魚にしようかというときに例えば、肉屋は5万円です、魚屋は5000円です。その情報を何も言わずに「どっちにする?」と聞いて、どちらかに答えてもその結果で「私は5万円の肉だったら、5000円の刺身のほうが良い」などという話になるわけで。少数意見も納得するものの決め方というのは判断するに必要な情報、材料がキチッと公開、提示をされた中で、それぞれが判断する。そうしたことの中で、そうしう前提の中で「多くの皆さんがそうおっしゃるのならば、自分は違う意見だけれども、みんながおっしゃるのなら仕方がない」これが、まっとうな民主主義における多数決の定義であり、大前提です。

その大前提を欠いて、つまり国会でウソをつき、国会に改ざん文書を出し、提示を求めていた資料を出さず、そして十分な議論の時間も与えず、拙速に物事を決めるプロセスを重ねているのは、まさに民主主義のはき違いであります。

民主主義のはき違いという観点からは先ほど、足の不自由な方の車椅子の話を申し上げました。あるいはエレベーターのパラドックスの話をお伝えしました。どんなに数を持っていても理不尽なことはやってはいけない。その理不尽なことは何なのかをあらかじめ決めているルールを民主主義の国における立憲民主主義として憲法というルールで定めているんです。あらかじめ一時の多数決では変えてはいけないこと。一時の多数決を持っても変えてはいけない、理不尽なこと。それが何なのかを決めて、こういう理不尽なことはやってはいけませんよという枠の中でしっかりと熟議をして、情報を公開して、少数意見も、それは政治ですから、建前としては今さら賛成とは言えないよね。でもここまで議論をして、これだけ情報開示をして、理不尽でないならば意見は違うけれど仕方がないね。
これが本来のまっとうな民主主義の姿であります。

その手続きをこの国会で全く踏んでいない上に、安倍政権は立憲主義そのものも破壊工作を進めています。そこはあまり長く繰り返しませんが、集団的自衛権は憲法違反である。誰が言ったわけでもありません。歴代自民党政権が積み重ねてきた憲法の解釈を一方的に変える。憲法というどんな数を持っていても、そういう理不尽なことをやってはいけませんよということを決めているルールをルールを憲法改正の手続きもとらずに勝手に無視して集団的自衛権の一部行使容認を進めた。まさに立憲主義も立憲民主主義もわきまえない姿勢である。そうしたことの中で、こうした理不尽な民主主義の本質をわきまえない、数さえあれば何でもいいという議会運営、政治運営が進んでいるということは、ある意味で必然かもしれませんが、到底許されることではないということは申し上げたいと思っています。

そもそもですね、多くの国民の皆さんは誤解をされているかもしれませんが、よく与党の皆さんなどが「野党は何でも反対する」と言っているのは、大ウソつき、デマですからね。

提出している法律等の約半数は全会一致であるということは議場にいる皆さんならば、1回生議員の皆さんも十分ご承知だと思います。自民党から共産党まで全会一致で約半数の法律がつくられている。

野党第1党、現状では私ども立憲民主党に限れば、本国会では実は8割の法案に賛成をしています。実は2割の反対についても多くの場合は審議に協力をしています。例えば、この議場で我が党から非常に品格の高い反対討論をして頂きましたが、18歳成人については審議については協力をいたしましたが、しかしながら、対応、しっかりとして手当が不十分だということで反対をいたしましたが、審議には一定の協力をいたしましたし、あるいは相続法の改正についても明確な反対を示しましたが、審議には協力をいたしました。野党が徹底的に反対をしているのは安倍内閣になって急に増えてきていますが、従来でいれば1年間に1本、2本あるかどうか。この国会でも決して両手で数えなければならないほどの数ではありません。

「何でも反対をしている」というのはデマです。

そもそもが、立法過程というものをご存知ない方が「野党は何でも反対だ」なんていうデマを流す。そもそも与党の皆さんはよく「野党に対案出せ」と言いますが、与党で対案出したことありますか?

国会に出て成立する法案のほとんどは政府提出法案。当たり前です。なぜならば、なぜならば、与党の皆さんは事前に審査をして政府が法案をつくるプロセスの中で与党の皆さんの意見を取り入れさせています。

国会で、国会で、なぜ法案の2分の1が全会一致になっているのか。法案の8割が野党第1党が賛成する形になっているのか。冷静にお考えになってください。与党の皆さんは確かに手続きとしての与党審査で、そこをパスしなければ国会に法案が出てこないという、そういうプロセスを我々も与党の時にとりました。そのことが良いのかという議論は中長期的な課題としてあるとは思いますが、そういう前提です。

同時に法案の成立プロセスにおいては、野党も様々な政策テーマについて様々な意見や提案を申し上げてきています。自民党の皆さんは民主党政権の時代にそういうことをしなかったんですか?

野党だから国会で法案が出てくるまで自分たちの意見を役所に言わなかったんですか?
違いますよね?

どの政党であっても国会議員は国会質疑などを通じて、党によって呼び方違いますが部会などを通じて、様々な形を通じて、自分たちの意見や考え方、現場の声などを法案提出前に役所などに伝えています。提起をしています。要請をしています。

そうしたことの中で、本来の民主主義をわきまえるならば、できるだけ幅広い人たちに賛同をされる。それは国会の中ではありません。国民の皆さん、幅広い皆さんに「いい法律ができたね」と思って頂けるように本来、政府、官僚の皆さんも仕事をしているし、わたくしや与党の政治家の皆さんも本来そういう思いで国会議員になられたのだと思います。したがって、与党の皆さんの意見は事前審査があるから必ずとりいれるか、党内の圧力で封じ込めるかしないと前へ進みませんが、野党の意見の中でも採り入れられるものは採り入れて頂いている。だから、だから、政府提出法案の半分は全会一致なんですよ。政府提出法案の8割は野党第1党が賛成するんですよ。国会の我々の役割というのは、国会に法案が出てきてからだけではない。

与党の皆さんがまさに日々されている通り、野党も含めて法案提出前に、いかに現場の暮らしの声を国会審議を通じて政府に届け、それを反映させるかということを与野党を越えてやっているんです。ですから、自民党が与党である政府の提出法案だからといって、自民党だけの法案だと思っていること自体がまったく全然事実を履き違えているということだし、そもそも民主主義が何なのかという理解が不十分だから、そういう勘違いになる

ちなみに言いますと、安倍内閣そして与党のまさに民主主義を履き違えている姿勢。それは野党提出の議員立法に対する姿勢にもあらわれているというふうに思っています。

申し訳ありません。共同提案して頂いた他党の分まで細かく数を調べることができませんでしたので、代表して立憲民主党だけ申し上げますが、総選挙後に対案的法案を4本、政策推進のための法案を33本。合わせて37本。野党の皆さんと連携して議員立法して提出している法案であります。超党派で時々、1国会に数本、与野党を越えた超党派の議員立法がありますが、これには計算に入れていません。

文書改ざんに対応する公文書管理法等の改正案。これについては今回の公文書の改ざん問題が明らかになる前から、実は公文書管理法、このままではおかしなことになるということで改正案を国会に提出をしている。

そして、この水害等が起こる前から先ほど一通り申し上げました通り、被災者生活再建支援法の改正案など、こうした大規模災害に備えて、支援の体制が不十分であることの法案を急いでいる。こうしたものを一顧だにせず、審議に応じてこなかったのは与党の皆さんであります。

現状では、現状ではまずは政府提出法案を優先してやりたい。与党の皆さんの立場としてはそういう立場であるのは認めるわけではありませんが、理解はします。

そうであるならば、経済産業委員会はどうなんです?

政府提出の審議案件がとっくの昔に無くなっている。我々はいわゆる原発ゼロ法案を提出をして、審議を求めています。政府提出法案がまだまだたくさん残っていて、そちらの審議をやらざるを得ないので、野党提出の議員立法の審議ができない。・・のではなくて、政府提出の案件が無くなって、空っぽスカスカでやることが無いのに野党の議員立法の審議にすら応じない

誰が審議拒否をしてるんですか?

国民の皆さんがオモテに見える国会の審議だけで野党が審議に応じられない場面について、ご批判をされるのはわかります。しかし、国会の中に席を置いている者同士であるならば、自分たちに都合の悪い法案はいくら日程がスカスカであっても審議に応じないことをしておきながら、国会運営に抗議をして出席できない状況をサボっているだなんてデマを吐くことはやめて頂きたいと思います。

ちなみに議会のあり方について申し上げましたので、モリカケ問題とも合わせて申し上げておきたいと思いますが、国会は立法府と中学校か小学校で教わったと思いますが、国会が立法府というのは間違っていませんが、国会の役割は法律をつくることだけではありません。国会の我々の役割は大きく3つあります。確かに1つは法律をつくること。2つ目は内閣総理大臣を選挙すること。もう1つは行政を管理すること。監視することです。チェックすること。まさに議会には行政の監視という大変重要な役割があります。政府、行政がおかしなことをしていたら、それを厳しく指摘をすることにエネルギーを注ぐのは法律をつくることと同じようにやらなければならない、議会の責務であります。

しかも、しかも、残念ながらと言うべきか、これは当然のことなんですが、議院内閣制であるから、政府と与党一体ですから、与党の皆さんが政府の問題を厳しく指摘をするということについては、そもそも政府として予定されていません。与党の皆さんが行政監視に十分力を注げていないのは、制度的な前提として半分やむないところがあります。

だからこそ、野党は行政監視、行政でおかしなことがあったら厳しく指摘をするということに責任を持って力を注がなければならないのは議会の役割から当然のことであり、したがってモリカケ問題について「いつまでやっているんだ」と与党が野党に対して野次るのは全く議院内閣制を理解してないことだということを申し上げておきたいと思います。


不信任理由6「行き詰まる外交、混乱する安全保障政策」
(2:18:14〜2:31:45)


枝野代表:
大きな6番目の不信任の理由として、行き詰まる外交と混乱する安全保障政策について申し上げたいと思います。

安倍総理は日露関係に力を注ぎ、プーチン大統領と何度も会談を重ね、友好関係を強調しておられます。下関での首脳会談もありました。

しかし、それ以降、共同経済活動で何か目立った活動はあったでしょうか?

北方領土問題は前向きな進展があったでしょうか?

繰り返しますが、安倍政権が発足して5年半です。

どうもロシアだけは日露関係の進展によって色々いいことがあるようですが、我が国にとって重要な北方領土問題の進展は全く見られず、行き詰まっていると指摘をせざるを得ません。

朝鮮半島をめぐる問題はさらに深刻です。安倍総理や河野外務大臣は「最大限の圧力」のみを唱え続けている。「北朝鮮との国交断絶」を他国に求める発言まで河野外務大臣はなさいました。

ところが南北首脳会談、米朝首脳会談が実現をしました。もちろん、北朝鮮のこれまでの経緯を考えれば、このまま平和に向かって着実に進んでいくかどうかということは、わたくしも一概に言える問題ではないというふうに思います。再び緊張する可能性も十分に高いと思っています。しかしながら、まさにここまでに至る経緯は、日本外交に主体的な姿勢はまったく見られず、北朝鮮とそしてトランプ大統領の動きに振り回されているとしか言えません。加えて、安倍総理がある意味、一丁目一番地で力を込めてこられた。私はこのことにこだわり続ける安倍総理の姿勢。最優先のこととして頑張ろうとする姿勢そのものは高く評価をしますが、その拉致問題について何か進展があったんでしょうか?
5年半経っています。

北朝鮮情勢が大きく変化をしている中、1基1000億円とも言われるイージス・アショアの配備。本当に続けていくのでありましょうか。防衛予算は6年連続の増大で過去最大で5兆1911億円にのぼっています。その中には安全性にさらに疑問が高まっているオスプレイの配備も含まれています。米国の対外有償軍事援助、いわゆるFMS。これに基づく購入額が増えていますが、これは圧倒的にアメリカ優位の契約内容になっていると言われている。防衛装備の調達について、我が国の安全保障上の必要性よりもアメリカが売りたいものを「言い値」で買っているという見られ方をしても仕方のない状況であります。少なくとも北朝鮮情勢がいま大きく変動している中、「完全に白紙撤回しろ」とまでは言いません。少なくとも米朝の今後の進展を見ながら慎重に物事を進めていくぐらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか?

安全保障だけではなく、なし崩し的な日米FTAへの流れが加速していると危惧さざるを得ません。一方で米国の復帰の見通しなきTPP11を強引に進めている。総理は日米FTAについて「念頭にない」とおっしゃっている。当然のことだと思います。現状で2国間FTAを進めていけば、我が国にとっては到底のむことができない、我が国の一次産業なり、場合によっては第二次産業も含めて、我が国が受け入れがたい条件をアメリカに飲まされかねない。そういう状況だということは理解をしています。

したがって「念頭にない」という考え方は支持するところでありますが、4月18日の日米首脳会談では日米2国間での新たな協議の創設で合意をさせられました。2国間FTAに向けた協議や米国産農産物の輸入拡大への圧力を受ける等、なし崩し的に追い込まれつつあるという危機感は杞憂でしょうか?

他方でTPP協定について安倍総理は「米国抜きでは意味がない」とおっしゃっておられます。

米国復帰の見込みのないまま、TPP11を推進しているのは何なんでしょうか?

TPP11協定ではセーフガード基準や輸入額などについて、米国の参加を前提に設定されたオリジナルのTPPの数字について、何ら調整することなく、そのまま維持されています。わたくしどもは、そもそもTPPのオリジナルの水準についても交渉の敗北だと思っておりますが、そのオリジナルのTPPよりもさらに深刻な影響を米国の復帰がない中で国内農業が被ることになる。これを放置して推進をしているという状況は、まったく支離滅裂の状況にあります。

外交安全保障について、さらに危惧をしなければならないのはシビリアンコントロールの空洞化であります。言うまでもなく、イラクや南スーダンでの「無い」とされていた日報を始め、不存在とされていた自衛隊、防衛省の文書が相次いで発見されていますが、その経緯や原因は未だに明らかになっていません。組織的な隠ぺいを言葉では否定しているものの、客観的な経緯からすれば組織的な隠ぺいが無ければこんなことできない。そんなプロセスになっていますが、そうではないことについての合理的な説明は全くなされていません。

大臣や国会に適切な情報が提示をされなければ、文民統制は成り立ちません。実は財務省の改ざん以上に、まさに自衛隊という組織の文民統制に関わる問題でありますので深刻であるとも言えます。

多くの皆さんが、いわゆる大本営発表が第二次世界大戦に至るプロセスの中で、あるいは世界大戦を通じて結果的にいかに日本の国益を損なったのかということについては、これは立場を越えて共有して頂けると思うんですが。まさに大本営発表という大きな過ちをした我が国は、そうしたことに陥らないようにしっかりとした情報の管理と公開を進めていかなければならない。そのことを通じて文民統制を機能させなければならないことは当然のことであります。そして、大本営発表という苦い経験を過去にしている中であるからこそ、自衛隊や防衛省こそこうした問題に敏感でなければならないと思っています。

加えて、現職の幹部自衛官が参議院議員に向かって「お前は国民の敵だ」との暴言を吐きました。懲戒に至らない訓告処分であります。一般の国民の皆さんから色々なご批判を受けることについては、与野党を越えて我々の役割、仕事としてしっかりと真摯に受け止める必要があると思いますが、現職の幹部自衛官がそのことを表明しながら国会議員に対して「国民の敵だ」との暴言を吐いた。これは、文民統制の観点から許されることではありません。意見が異なったとしても、自衛隊という実力組織のましてや幹部の方から国民の代表である国会議員に対して「国民の敵」とレッテル貼りする姿勢は許されない。こんなことでは文民統制が成り立つはずがありません。

文民統制に関連して言えば、沖縄県の米軍ヘリコプター不時着に関して、当時の松本文明 内閣副大臣は「それで何人死んだんだ」と野次を飛ばし、それで事実上の更迭をされました。先ほどの小野寺防衛大臣の赤坂自民亭問題での右往左往する言い訳。稲田 前防衛大臣が事実上の更迭に追い込まれたことなど。

範を示すべき政治がいい加減な状況では、自衛隊という実力組織の統治が十分になし得ないのも必然であります。

我が国ではシビリアンコントロールを「文民統制」と訳してしまいました。その結果として、残念ながら「シビリアンコントロールは背広組が制服組をコントロールすることだ」と大きな間違いをしてらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。
違います。シビリアンコントロールは、むしろ本当に正しい日本語に近い意味にするならば、「民主的統制」であります。実力組織については、まずは内閣。そして議院内閣制である、この議会がしっかりとコントロールする。それこそが本来のシビリアンコントロールであります。その本質をわきまえているならば、国会議員に向かって現職自衛官が「国民の敵」と暴言を浴びせることはありえないし、そんなことがあったら厳しい懲戒処分がなされるのは当たり前であるし、そして国会などに対し日報等を隠し誤魔化すなどということがあったら厳しい処分がなされ、全貌解明をしなければならない。シビリアンコントロールを全く理解してない体制の中でこれ以上、自衛隊に対する指揮権を持たせるわけにはいかないと考えます。

そもそも安倍総理は、この自衛隊に対してこんな国会答弁をされています。

「自衛隊員たちに『君たちは憲法違反かもしれないが何かあれば命を張ってくれ』と言うのは、あまりに無責任だ」

こういう国会答弁であります。

集団的自衛権の行使については議論があります。しかし、自衛隊の存在が憲法違反でないことは既に明確であり、定着をしています。

安倍総理は「憲法違反かもしれない」と思いながら、自衛隊を指揮してらっしゃるんですか?

「憲法違反かもしれない」と思いながら、予算を計上しているんですか?


わたくしも含め、自衛隊予算を含む予算に賛成したことある者は「自衛隊は合憲である」との前提に立たなければ、論理矛盾になります。

確かに私が子供の頃は「自衛隊は憲法違反である」との意見も少なからず存在していたことを知っていますが、そしてある時期までは国会における野党第1党が自衛隊違憲論に立っていたのも知っていますが、念のため申し上げますが、野党第1党である立憲民主党は「自衛隊は合憲である」という明確な立場に立っております。
安倍総理の頭の中は・・・

(野次がひどくなり、枝野氏、10秒ほど黙り込む)

大島議長:
ご静粛に。

枝野代表:
安倍総理の頭の中は、20年以上時間が止まっておられるんだと心配をせざるを得ません。


不信任理由7「官僚システムの崩壊」
(2:31:46〜2:37:38)


枝野代表:
7つ目の問題点を申し上げます。それは、官僚システムの崩壊です。

「日本は政治は二流とか三流」とか揶揄されても「官僚システムが優秀だからしっかりしてるんだ」ということが言われていた時期がありましたが、倍内閣はこの官僚システムを破壊しています。森友・加計問題や自衛隊日報の改ざんや隠ぺいの問題。厚生労働省の働き方データの捏造問題など。既に述べてきた官僚の皆さんの不祥事は言うに及びませんが、こういうところに使う言葉ではありませんが、本当に省庁横断的に様々な役所で考えられないような不祥事が相次いでおります。

福田 財務事務次官は女性記者にセクハラ発言をしたと想像され、音声を公表されました。しかし、次官はセクハラを認めないまま辞任をされました。財務省の対応も被害者に二次被害を生じさせかねない不適切なものでありました。

セクハラということでは厚生労働省 局長による厚生労働省女性職員に対するセクハラと疑われるようなメールを複数回送付していた問題もありました。

厚生労働省という点では、わたくしはこれが深刻な問題だと思っていますが、東京労働局長が記者会見の場で取材記者に対して、「皆さんの会社に行って是正勧告をしてもいいんだけど」と発言し、12日後に局長職は更迭されましたが、軽い処分に済んでいます。ま、報道機関の皆さんの労働条件の実態も各種労働法制を守って頂きたい。厳しい状況にあることも知らないわけではありませんが、公権力が恣意的な運用を公言したんです。考えれれない不祥事です。

労働行政において是正勧告をするというのは相当強い公権力の行使ではありませんか?

税務署が例えば「財務省の言うことを聞かなければ税務調査に入るぞ」と公言したら、どうなりますか?

警察が「言うこと聞かないんだったら逮捕するぞ」と言ったら?

犯罪を犯してもいないのに「家宅捜査に入るぞ」と言われたら、どうなりますか?


これに匹敵するうような公権力の行使を恣意的に使うぞということを記者に向かって公言をする。
わたくしは、公務員失格であり辞めて頂かなければならない、それくらいに匹敵する処分をすべき問題であると思います。

外務省では先ほど申しましたが、公表されているのは「国家公務員として信用を損なう行為があった」ということで停職9ヶ月の処分をされた職員がいらっしゃいます。セクハラ疑惑が報道されていますが、詳細は未公表のままです。セクハラについては二次被害の防止というのが大変重要であり、被害者保護の見地から詳細を公表できないことがあること私は理解は致しております。とは言いながら、公文書を組織的とも言える形で改ざんした佐川 前理財局長は停職3ヶ月。その3倍の停職9ヶ月。よっぽど酷いセクハラをしたんでしょうね。セクハラじゃないなら、よっぽど酷い信用を損なう行為について、一定の説明があって然るべきではないですか?

会期末になって文部科学省の局長が裏口入学という受託収賄容疑で逮捕されました。

森友・加計問題も学校にまつわる問題です。学校用地を裏口で安く取得しようとした問題であり、設置認可を裏口で受けようとした問題でありますので、「魚は頭から腐る」という言葉もあるように、総理を見習って裏口入学をしようとしたのかなと疑わざるを得ません。数多いる国家公務委員の中に、残念ながら不祥事を起こす者がいるからといって、内閣の政治責任を問う者ではありません。確かに、たくさんいる公務員の中にある不祥事に対して、いちいち政治責任をとろうとしていたら、どの内閣も1週間も持たないかもしれません。

今回はそういう問題ではありません。安倍内閣発足から5年半。内閣人事局制度を悪用し、官僚人事を占有し、官の世界には安倍一強体制を築いてきた中での相次ぐ不祥事であります。

そもそも、モリカケや自衛隊の改ざん、隠ぺいは幹部公務員による組織的ともいえる大規模な不祥事。そして、いま申し上げた一例を並べるだけでも、末端の公務員の中に不届きな人間がいたという案件ではありません。内閣人事局制度に基づく一元管理下のもとに置かれるような幹部だけでも、これだけの相次ぐ問題を生じさせているのであります。まさに、「魚は頭から腐る」という話の中で官僚システムが崩壊をしているのではないか。そうした状況を1日も早く止めなければならない。官僚の皆さんが官邸を忖度するのではなくて、国民の皆さんの思いを忖度する。それが本来の公務員の皆さんの仕事、役割であり、官邸や与党を忖度せざるをえないような今の政治状況を変える。その中で官僚の皆さんが入省時に思ったであろう「国家・国民のために働きたい」という本来の思いを実現できるような官僚システムを実現するために一刻も早く安倍内閣には退陣して頂きたいと思っています。


結びの言葉
(2:37:39〜2:43:00)


枝野代表:
以上、7項目を挙げました。

まだまだ不信任の理由は数え切れないほどあります。

いずれにしても、この国会は民主主義と立憲主義の見地から・・・

(ざわつく野次に対して)
大丈夫です。さすがに売り言葉に買い言葉はやりませんので。

この国会は民主主義と立憲主義の見地から、憲政史上最悪の国会になってしまったと言わざるを得ません。

それでも、災害対応の見地から不信任の提出にはためらいがあったことを冒頭の話ましたが、災害よりもギャンブル解禁、災害よりも党利党略の定数6増を優先する内閣を信任して災害対応をさせるよりも、そしてウソと誤魔化しと開き直りを重ねる内閣を信任して災害対応をさせるよりも、よりマシな内閣のもとで再出発して災害対応にあたる方が適切であると考えます。

民主主義の本質を理解されない皆さんには、「なんとかに念仏」かもしれませんが、最後に申し上げたいと思います。今のような姿勢で政権運営を続けることは・・・・、今のような姿勢で政権運営を続けることは、もし政治が与党対野党のような戦いであるならば、目先の野党との戦いという意味では成功をしてきたと。これからも一定期間は成功をするかもしれません。そして、政治に権力闘争という側面があり、与党が野党との戦いに勝とうとする。そういう思いを持つことは否定しません。わたくしも権力闘争という側面が政治にあることは否定しないし、そうした側面から与党に勝つために全力を挙げて参りましたし、さらに全力を挙げて参りたいと考えています。

しかし、それは一側面でしかありません。政治の本質は与党と野党の戦いではありません。それは目的ではなく、あくまでも手段であります。権力闘争に勝つという目的のために社会のモラルや秩序を壊してしまう。本来、民主主義の前提として成されなければならない、国会でウソをつかない、国会には正しい文書を出す、情報を隠し誤魔化しはしない。そうしたことを壊してしまったのでは、本来、国民生活のより豊かな暮らし・生活をつくり上げていくという本来の目的に反することになってしまいます。

これ以上、目先の権力闘争ばかりを重視して、国民生活の将来に禍根を残し、ウソや誤魔化しや開き直りを蔓延させて、モラルハザードを生じさせれば、必ずや歴史に断罪される とわたくしは確信をしております。

第二次世界大戦、日中、日米戦争に至る経緯の中でも、目先の権力闘争には買ったけれども、結果的に我が国を破滅的な状況に追い込んだ政治リーダーが、残念ながら少なからずいらっしゃいます。

このまま安倍政権の横暴を許していけば、残念ながらそうした道に入り込んでしまい、後戻りが出来なくなってしまうのではないかということを強く危惧をいたしております。

安倍総理もせっかく5年半も総理をやられたんですから、後の歴史に断罪されることがないように一刻も早く身を退かれることをおすすめ致します。

良識ある議員の皆さんが次の内閣改造で

「大臣になれるか」

「副大臣になれるか」

「政務官になれるか」

「次の選挙で公認されるか」

とか、そういうことを頭から取っ払って、自らの信念と歴史への謙虚な姿勢。その歴史というのは未来の歴史に対する謙虚な姿勢であり、保守を称するならば、我が国の過去の失敗の歴史も含めた、我が国の長い歴史に謙虚に向かい合い、この内閣不信任決議案に賛同されることをお願いを申し上げ、提案理由の説明とさせて頂きます。

ありがとうございました。

(枝野氏、すべての演説を終え、前を向いて一礼。後ろの議長席を振り返り、一礼。野党席を中心に万雷の拍手の中、壇上から降りる)


✳︎文字起こしは以上です。本記事に価値を感じて頂けた方は「サポート」をお願いします。今後の情報発信の充実に活用させて頂きます。

更新履歴
2018/7/20 19:26 文字起こしの順次公開を開始
2018/7/22 14:52 全ての文字起こしを完了



枝野代表2時間43分“説教”「首相自身がうみに」
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201807210000244.html
2018年7月21日9時27分 日刊スポーツ


趣旨弁明をする立憲民主党の枝野代表(共同)

 第196通常国会は20日、22日までの会期を前に事実上閉会した。安倍晋三首相は閉会日恒例の会見で、3選を目指す自民党総裁選(9月7日告示−20日投開票予定)の出馬について、「せみ時雨を聞きながら考えたい」と述べた。今年1月には表明時期を「国会が終わり、セミの声が聞こえてきたら」と述べていたが、この日は「東京でもセミの声は聞こえてきたが、豪雨の災害対応に全力を尽くさなければならず、先を考える余裕はない」と、はぐらかした。ただ憲法改正について「候補者が誰でも自分の考えを示す大きな争点になる」と強調するなど、出馬への意欲を示した。

 一方、今国会では森友、加計問題の真相解明が進まず、財務省の公文書改ざんなど不祥事が続発。首相は「さまざまな問題で国民の信頼を損なった。総理という立場が周囲に与える影響を考え、慎重に政権運営に当たりたい」と述べた。

 これに先立ち、野党は内閣不信任決議案を提出。衆院本会議では、立憲民主党の枝野幸男代表ら野党党首が、一斉に首相を非難。枝野氏は、趣旨弁明に衆院最長記録の2時間43分をかけて首相を“説教”した。今国会を「憲政史上最悪の国会」と振り返り、「首相自身がうみになっている。うみを出すと言いながら、逃げ回っているだけ。総理は時間がたてば国民は忘れると思っているかもしれないが、追及が野党の責務だ」と述べ、今後もモリカケ問題を追及する構えを示した。不信任案は否決された。





http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/210.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 自民古屋議員パー券疑惑 抜け穴ふさいで癒着断て/神戸学院大学教授(憲法学)上脇博之さんに聞く(しんぶん赤旗)




自民古屋議員パー券疑惑 抜け穴ふさいで癒着断て/神戸学院大学教授(憲法学)上脇博之さんに聞く
しんぶん赤旗 2018年7月23日【社会】

 古屋圭司衆院議院運営委員長(自民党)のパーティー収入過少申告疑惑や、米カジノ大手業者による政治資金パーティー券の購入など、政治資金パーティーをめぐる疑惑が噴出しています。これらの疑惑から見えてくるものはなんでしょうか。政治資金の問題に詳しい神戸学院大学の上脇博之教授(憲法学)に聞きました。(聞き手 矢野昌弘)
 古屋衆院議院運営委員長の疑惑は、2016年7月の政治資金パーティーで実際には1188万円の収入があったのに、政治資金収支報告書には642万円と少なく記載をしたのではないかというものです。収入をごまかすと、その差額分の「支出」も記載していないわけで、極めて悪質です。

虚偽記載はアウト



 これを報じた朝日新聞の記事は事務所の「裏帳簿」と関係者の証言に基づいており信ぴょう性が高いでしょう。別のパーティーでも過少記載と支出の不記載があり、ごまかした金額はもっと増えるのではないかと疑念が生じます。
 古屋議員は17日に「政治資金収支報告書と入金の状況を確認させた。ほとんど差がない。記事でいうような過少申告はない」と説明しました。「ほとんど差がない」というのは、自白したに等しい。疑惑を全面否定するのであれば、事務所の会計帳簿や金融機関の口座の写しなど客観的資料を示して、記者会見すべきです。
 政治資金規正法は「収支について真実を書きなさい」という法律で、真実を書いていない時点でアウトです。収支報告書への不記載と虚偽記載は5年以下の禁錮または100万円以下の罰金です。一方、違法献金を受け取った場合は、最高でも3年以下の禁錮または50万円以下の罰金ですので、真実を書かないことを一番重い罪にしている法律です。

出所不明金まん延

 古屋議員の手口は、はたして彼1人だけの問題でしょうか。この間、自民党の複数の国会議員で「出所不明金」が見つかっています。一方の収支報告書には寄付を受けたと書いてあるのに、寄付した側の収支報告書にはその記載がない。お金の出と入りが合わない、裏金の存在を疑わせる事例が多くあります。古屋氏のような手口が自民党全体に蔓延(まんえん)しているのではないか。古屋議員の疑惑はこのまま終わらせてはなりません。
 自民党の国会議員の政治資金パーティーでは、収益率が九十数%になるなど高い収益を生んでおり、実質的には寄付です。しかし、規正法は寄付とパーティー券購入とを区別しているため、政治団体への寄付を禁じられている企業は、政治団体のパーティー券を購入する形で事実上寄付しています。外国企業は寄付自体が原則禁止されていますが、パーティー券購入は明文で禁止されてはいません。ただし、パーティー不参加分はいずれも違法な寄付になります。
 企業が寄付した場合は、年間5万円を超えれば、受領した側は収支報告書に記載しなければなりませんが、パーティー券の場合はパーティー1回につき20万円を超えないと記載する必要がありません。企業が5回のパーティーで各20万円購入し100万円支出したのに、収支報告書にはその企業名や金額等は記載されません。

透明度上げてこそ


 私は企業の寄付とパーティー券購入を全面禁止すべきとの立場ですが、一気にそれが実現しないとしても、少なくともパーティー券については企業の寄付規制に合わせるとともに、記載義務もそろえて透明度を上げなければ、国民の知る権利を保障してはいないと考えています。癒着を断つためにも法律改正は必要です。


http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/211.html
記事 [政治・選挙・NHK248] 日銀や政府を批判しないマスメディアは御用記者の互助会か。(日々雑感(My impressions daily))
https://okita2212.blogspot.com/2018/07/blog-post_69.html
7月 23, 2018

<「ネット通販の拡大が消費を押し下げている」

このような主旨の議論を繰り広げているのは、ほかならぬ日本銀行である。

日銀は6月18日、ネット通販の拡大が消費者物価(除く生鮮食品、エネルギー)の伸び率を0・1〜0・2ポイント程度押し下げるとする試算結果を発表。ネットで過熱する価格競争が実店舗の売り上げにも影響を与えていることを指摘した。

「2%」のインフレ目標達成時期を未定としたものの、依然として物価上昇は日銀の金融政策の大きな柱だ。だが、消費者がより便利で安いものを求めるのは当然のことでもある。
このギャップを日銀はどう認識しているのか。

前提として、金融緩和政策に求められるのは「雇用の確保」である。2018年5月の完全失業率は、前月比0・3ポイント低下の2・2%で'92年10月以来の低い水準だ。

有効求人倍率も44年ぶりに1・6倍となり、正社員に限った求人倍率も1・1倍と過去最高を更新した。この点において、安倍政権における金融緩和政策は一定の結果を出しているといえる。

ただ、ここで考えておきたいのは、アベノミクスで設定されたインフレ目標とは、雇用回復のために金融緩和をやりすぎて過剰な物価上昇を避けるためにあるわけで、物価が上がらないのであれば特にこだわる必要はないことだ。

それなのに、日銀が物価を遮二無二上げようとしているのは理解に苦しむところだ。

黒田東彦総裁は、ネット通販に目くじらを立てている場合ではない。というのも、技術革新とともに、安価で大量生産が可能になっているものが世の中には溢れているわけで、市場の動向としては当然のことなのである。

むしろ、国が傾くほどの急激なインフレを心配せずに、安心して金融緩和策を続けられる絶好の環境だといえる。

東京・日本橋にある日銀本店のなかには金融記者クラブがあり、全国紙や通信社、NHKなどの経済部に属するエリート記者が多数常駐する。

この記者クラブは、他省庁のクラブ以上に日銀と距離が近いといわれるが、そんな経済記者の批判の対象は、相変わらずインフレ目標の未達についてである。ほんとうに骨のある記者ならば、日銀に対してどんどん雇用の話題を振ったらどうだろうか。

日銀にしても、国民に対して物価の上昇がうんぬんと一辺倒に語り続けるよりも、いまの雇用状況がどのように変化しているかの議論をもっとすべきである。

ちなみに、海外の中央銀行では、物価もさることながら、雇用を確保することは同等かそれ以上に重要なので、雇用に関する議論をもっと活発に行っている。

物価が上がらないと頭を抱える日銀だが、じつは金融緩和の程度を緩め、「ステルス出口戦略」を採っているとみる向きが多い。当の日銀が金融緩和に本腰を入れていないのであれば、物価が上がらないのは当然のことである。

つまるところ、ネット通販が突如として俎上に載せられたのは、このステルス出口戦略をカモフラージュするためではないかとみてとれる。

実際、日銀の幹部たちは、失業率が下がっていく一方で物価が上がらないことを内心喜んでいるのだろう>(以上「『週刊現代』2018年7月21・28日号」より引用)


 上記記事からお解りのように日銀番記者たちの危機感は何も感じられない。日本だけが金融緩和の出口戦略から取り残されている、という危機感が日銀からも番記者からも伝わってこないのはなぜだろうか。

 日銀は消費者物価が上がらないのは「ネット通販」が原因だと言っているという。見当外れもいいとこではないだろうか。

 確かにネット通販はグローバル化の最たるもので、世界の「最安値」物価相場が直ちに世界基準となって拡散する。その低価格は国内の量販店の安値をさらに下回るケースがほとんどだ。

 だから消費者物価が上がらない、というのは早計に過ぎはしないだろうか。なぜならネット通販で買うのは雑貨が主で家計支出の主要項目・食品は新鮮さなどからネット通販には馴染まない。

 家計支出の主要項目と書いた食料費の家計に占める割合をエンゲル係数といって、中学生でも知っている有名な経済指標だ。それがどうなっているかというと、安倍自公政権が始まった当初2012年のエンゲル係数は23.3%だった。それが2016年には25,8%まで悪化し、2017年にはやや持ち直して25,7%となっている。

 つまり安倍自公政権下で国民が貧困化しているのはエンゲル係数から明らかだ。国民が貧困化して個人消費が増加するわけがないし、景気が悪ければ物価がデフレ化するのは当然のことだ。

 日銀は消費者物価2%を達成しないのはアホノミクスが失敗したからだ、と素直な見解を表明すべきだ。日銀が行うのは金融政策であって、経済政策は政府が主管すべき課題だ。そのスタンスを崩して金融の自立性を放棄したのは黒田日銀総裁の責任だ。

 日銀の番記者たちはどうしてそうした日銀批判を行わないのだろうか。それとも財務官僚に睨まれるのを恐れて日銀批判、しいては財政拡大から財政緊縮へと安倍自公政権の政府支出の舵を切った財務官僚批判を自ら封印しているのだろうか。

 しかし、そうだとしたらジャーナリストの死を意味する。記者クラブは財務官僚や政府のお先棒を担ぐ「御用記者」たちの集まりだということになる。私の見解に対して疑義のある者がいるなら、それをマスメディアの記事にして広く国民に示して頂きたい。



http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/212.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 「第2の日本」北朝鮮(金正恩党委員長)が望む「朝鮮戦争終戦宣言」により、実験国家・米ソが崩壊し、第2次世界大戦はいまは…
「第2の日本」北朝鮮(金正恩党委員長)が望む「朝鮮戦争終戦宣言」により、実験国家・米ソが崩壊し、第2次世界大戦はいまはなき大日本帝国陸海軍の大勝利に終わる
https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/6a1c39518427507ec8a3e044e3dc0727
2018年07月23日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
 大東亜戦争終結から73年を経て、朝鮮半島が大きく変わろうとしている。日本は8月15日から平和国家に転換したけれど、朝鮮半島は、南北に分断、3年後に朝鮮戦争が勃発、その3年後の1953年7月27日に休戦したものの、戦争は終結せず、65年を経た。北朝鮮(金正恩党委員長=元帥)は、「第2の日本」として大日本帝国陸軍中野学校出身の残置諜者・畑中理(朝鮮名・金策)らによって建国されて以来、米ソ冷戦体制下「緩衝国家」としての機能を見事に果たし、日本を守ってきた。この間、共産主義国のソ連は崩壊、資本主義国の米国は、畑中理らが作戦指導した朝鮮戦争に勝てず、やはり大日本帝国陸軍の残置諜者が訓練し、指導したベトナム戦争に米軍が大敗した戦場を放棄して以来、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン・イラク戦争に敗北し、いままさに崩壊しようとしている。米国、ソ連は、いずれもユダヤ人(秘密結社フリーメーソン・イルミナィ)が仕組んだ「実験国家」であった。金正恩党委員長は、建国70周年記念日(9月9日)を前にして「朝鮮戦争終戦宣言」を求めており、第2次世界大戦は結果的に、いまはなき大日本帝国陸海軍の大勝利に終わり、世界史の新潮流は目下、新機軸を定めて、大きな扉を開こうとしている。



http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/213.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 小泉は拉致解決に100億ドル出したのか?〜拉致認めるだけで、1兆円以上の支払い約束したとの証言(日本がアブナイ!)
https://mewrun7.exblog.jp/27425077/
2018年 07月 23日

今日は早く出なくちゃいけないのに、ブログのために用意しておいた原稿が〜〜〜。(゚Д゚)

 そこで、拉致問題に解決にお金がどれぐらいかかるか、mewがその参考資料にするためにキープしいてあった記事を・・・。

 安倍首相は、何とか拉致被害者の日本帰国を目指しているのであるが。小泉首相の時には、かなりの費用がかかったと言われている。その件について、メディアには100億説というのが出ている。(@@)

 ただ、安倍晋三氏&仲間たちは、小泉首相(当時)が拉致被害者返還の見返りに多額の金銭を支払ったことを、めっちゃ批判していたことから、果たして本人はどのような対応をとるのか、気になるところだ。(・・)

* * * * *

『小泉純一郎は『拉致問題』を金で買ったのか?

2009年08月12日 | 東アジア共同体

『小泉政権が北朝鮮に100億ドルを支払う約束』産経新聞(2008.12.12 )

日本人拉致問題をテーマに、東京都内で12日に開かれたシンポジウム「北朝鮮の現状と拉致被害者の救出」(家族会、救う会、拉致議連主催)に、北朝鮮の朝鮮労働党の対南工作機関「統一戦線部」出身で現在、韓国の情報機関、国家情報院傘下の研究機関で北朝鮮分析を担当する張哲賢氏が参加した。

張氏は、金正日総書記が日本人拉致を認めた「理由」や金正日体制の政策決定のシステムなどについて証言。
「韓国も日本も金正日独裁体制について誤解がある」と述べた。

張氏によれば、金正日総書記が日本人拉致を認めた2002(平成14)年、小泉純一郎首相(当時)と金総書記の首脳会談直後、統一戦線部幹部用に配布された講演資料には《日本の小泉政権は拉致を認めれば、北朝鮮に100億ドルを支払う》と書かれていたという。

張氏は「拉致被害者の引き渡しではなく拉致を認めるだけで、日本統治などの補償金として100億ドルが支払われると聞いた」とも述べた。』

* * * * *

 これを裏付けるような記事が、今年5月に出ていた。

『脱北元公使が明かす日朝平壌宣言の舞台裏 北朝鮮は100億ドルのために拉致を認めた

五味 洋治 2018/05/22 東洋経済オンライン

 6月12日にシンガポールで史上初の米朝首脳会談が予定されている。北朝鮮は、米韓軍事演習などを理由に会談の再検討を匂わせているが、5月21日時点では中止ということにはなっていない。

 首脳会談の主なテーマは北朝鮮の核問題ではあるが、ドナルド・トランプ米大統領は、会談の中で「日本人拉致問題を取り上げる」と約束している。今度こそ、拉致問題の解決に向けた動きにつながるのだろうか。拉致被害者家族の期待も高まっている。

太永浩元駐英北朝鮮公使の証言

 そんな中、韓国で1冊の本が出版された。2016年に脱北して韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使が書いた手記だ。5月15日に発売されたばかりのこの本は『3階書記室の暗号 太永浩の証言』と題されている。

 「3階書記室」とは、北朝鮮の住民が全く知らない秘密の組織で、金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長を補佐する「書記室」が使う3階建ての建物全体を指す。

 「中央党の幹部も勝手に近づけない、完全な立入禁止区域で、金正日、金正恩父子を神格化して世襲統治を維持するための組織だ」(同書より)

 太氏は欧州で長く外交官として勤めた経験を基に、北朝鮮の外交政策や、金正恩党委員長の発言、行動を描いている。筆者はこの本を手に入れて、読んでみた。542ページもあり、太氏の半生記にもかなりのページが割かれている。

 筆者の目にとまったのは、2002年9月17日に、小泉純一郎首相が平壌を訪問して行った日朝首脳会談の内幕だ。

 5ページほどの短い記述だが、小泉首相とテーブルを挟んで座った金正日総書記の心境が書かれており、大変興味深いものである。

 それは日朝の首脳が直接会って解決を約束しあったのに、なぜ拉致問題が停滞したかを伝える内容だ。以下、同書から引用しながらその内容を紹介しよう。

 太氏は9月17日の首脳会談後に発表され、朝鮮労働党の機関紙である労働新聞に掲載された「日朝平壌宣言」を読んだ。

 そこには「双方は、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」「双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した」「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」とあった。

 太氏は最後の「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」という部分に注目したという。はっきりは書かれていないものの、この表現を見る限り、金正日総書記が、日本人の拉致問題を認めたと読めるからだ。

1990年代に100万人単位の餓死者

 当時、太氏が所属する北朝鮮外務省内では、この宣言をめぐる分析や、今後の措置についてざわついていたという。

 このため、首脳会談に同席していた外交の司令塔、姜錫柱・第1外務次官(2016年5月死去)が、職員全員に対して説明を行うことになった。

 『3階書記室』によれば、その説明はこうだった。

 「小泉の平壌訪問を前にして、会談内容をめぐり、何回か協議したが意見がまとまらない部分があった」

 1990年代、北朝鮮は大規模な食糧危機に見舞われ、100万人単位の餓死者が出たとされる。いまでも「苦難の行軍」と呼ばれる時期だ。

 この難局を切り抜けるため北朝鮮側は、日本との関係改善によって支援を受けられるように、と考えた。そして、日本を通じて、米国からの軍事的圧力を交わそうとも考えた。これこそが、日朝首脳会談に応じた目的でもあった。

 そう説明したあと姜第1外務次官は、「小泉は日本人の拉致問題の解決なしには、一歩も前に進めないという立場にこだわった。この問題でわれわれが譲歩すれば、日本側も譲歩するという説明を受けた」というのだ。

意外だった小泉首相の強硬姿勢

 姜第1外務次官によれば、小泉の強硬姿勢は、金正日総書記にも意外だった。会談前には、自分から拉致問題に言及することは避け、会談の合意文にそれとなく拉致問題を書き込む妥協案を胸に抱いていたというが、経済支援を得るために、仕方なく拉致問題に自分から言及することになったのだという。

 この時、金総書記は「自分も最近になって(拉致が北朝鮮による犯行であることを)知った。一部の盲動分子がやったことだ。今後は、こんなことはないだろう」と語った。それまでは無関係として否定していた拉致を、自国の犯罪行為と認め、正式に謝罪したのだ。

 この説明を聞いた太氏は、「日本チョッパリ(豚の足、日本人への蔑称)に、わが国の指導者が謝罪するなど、想像もできないことだった」と不快げに書いている。

 姜第1外務次官は、この言葉を聞いたあと、金総書記に近づいて両手を合わせて頭を深く下げたという。

 「将軍さま、外交戦士(外交官のこと)として本当に申し訳ありません。将軍さまに拉致問題を論議させるつもりはありませんでした。われわれが処理するべき問題でした。そうできずに申し訳ありません。私たちの罪です」(210ページ)

 金総書記は、深く謝罪する姜第1外務次官に対して、次のように慰めの言葉を掛けたという。

 「首領様(金総書記の父、金日成主席のこと)でさえ、生前日本から(植民地支配に関する)謝罪を受けることはできなかった。日本の首相から公式な謝罪を引き出したのだ。大丈夫だ」

 姜第1外務次官は涙を流し、「日本の首相から反省と謝罪を引き出すことは、朴正煕(1963年から1979年まで韓国の大統領を務め、日本との国交正常化を通じ、高度経済成長を実現した)でさえできなかったことです。日本は(北朝鮮に対して)経済支援方式での戦後補償を約束しました。少なくとも100億ドルは入ってきます」と答えたという。

 なぜ100億ドルなのかの説明はないが、この数字は、当時広く噂になっていた。韓国が1965年に受けた経済支援の額を当時のレートで換算したものだろう。日本円では約1兆円となる。

 100億ドルのために、自尊心を曲げ、日本の首相に謝罪したのだ。太氏は、この数字を聞いた時の感情について「胸が高鳴った。外務省の同僚たちも、興奮した様子だった。巨額で、重要なカネだと話し合った」という。北朝鮮の経済発展は、すぐ目の前にあるような気がしていた。

 ところがその喜びは、あっさり潰えてしまう。

遺骨は「偽物と知って送った訳ではない」

 金総書記が拉致を認めたことで日本政府の姿勢は硬化し、拉致生存者5人は、一時帰国したまま北朝鮮に戻らなかった。13歳で新潟から拉致された田めぐみさんの遺骨が、日本政府に渡された後「偽物」と認定され、騒ぎが大きくなったためだ。

 北朝鮮外務省の中では「本物が偽物か分からない骨をなぜ日本に送ったのか」と批判の声がでた。これに対し、日本担当の外交官は、「めぐみさんに関する記録がすでになかった。しかたなく病院関係者が、遺体を埋めたあたりを発掘して見つけた骨を送った」と説明したという。「偽物と知って送った訳ではない」という説明だった。

 「その後100億ドルの話は立ち消えになり、拉致ばかりが問題視されることになった」と太氏は書いている。

 そして金総書記も「日本の連中は信じられない。むしろアメリカの奴らの方がいい」と語り、日本との関係改善を放棄した。

日本の外交当局は、この本の記述をよく研究すべき
 あくまで脱北者の本の記述ではあるが、当時外務省の中にいて、首脳会談を平壌で見聞きしていた人物だけに、これに近い状況があったと考えてもいいだろう。小泉首相と、同行していた安倍晋三官房副長官(当時)は、外交的には完全に北朝鮮に勝っていた。

 しかし「屈辱的な譲歩」が実を結ばなかったため、北朝鮮はその後、「拉致は解決済み」と主張し、日本との交渉に応じなくなってしまった。

 2002年の日朝平壌宣言から20年近い年月が経った。金正恩党委員長が首脳外交に乗り出すのを見て、安倍首相は、再び「日朝平壌宣言」について言及するようになっている。

 今月14日の衆院予算委員会では「平壌宣言に則って、拉致、核、ミサイルを包括的に解決し、両国間の不幸な過去を精算し、(国交)正常化するという方針に変わりはない」と述べた。

 交渉の進展を祈りたいが、北朝鮮側は、2002年とは違い、韓国、中国を自分の方に引き寄せている。残念ながら、日本からの経済支援のために再び譲歩することは考えにくい。日本の外交当局は、この本の記述をよく研究しておくべきだろう。』 
 
 もし安倍首相が総裁選でピンチになった場合、または来年の参院選でピンチになりそうな場合、これぞという支持率回復の武器として、拉致被害者の救済実行に乗り出すのではないかと言われているのだが。<mewは安倍首相の支持率に利用されるのはイヤだけど。拉致問題は1日も早く解決して欲しいので、複雑な心境。>
 安倍首相は、交渉ルートが乏しいと言われているだけに、それまでに返還の交渉(金銭含む)はきちんとできるのか・・・クビをかしげたくなっているmewなのだった。(@@)

       THANKS



http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/214.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 公明党の石井IR担当相が推進した「カジノ実施法」について、一言もまともに語れない公明党




≪参照≫
通常国会の成果/井上幹事長に聞く

https://www.komei.or.jp/komeinews/p6575/






http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/215.html
記事 [政治・選挙・NHK248] 日本を安倍晋三の好きにさせてはならない! 
日本を安倍晋三の好きにさせてはならない!
http://85280384.at.webry.info/201807/article_173.html
2018/07/23 13:47 半歩前へ

▼日本を安倍晋三の好きにさせてはならない!

 自民党政調会長の岸田文雄は、9月の自民党総裁選出馬について「適切な時期に判断する」と、引き続き情勢を見極める考えを示した。

 石破茂は出馬への意欲をにじませたが、2人とも今一つハッキリしない。自民党内で安倍支持が圧倒的な勢力を誇っているため、逡巡しているのだろうが、私からすると、どうにも頼りない。

 三角大福の時代は、党内左派と言われた三木武夫などは少数派閥だったが旗色を鮮明にして出馬。多勢に無勢で、負けるのが確実視されていても、「信念」をもって戦いに挑んだ。

 大平正芳も福田赳夫も戦うときは白黒をはっきりさせて堂々と正面から戦った。
その意味で当時は今と比べてサムライぞろいだった。

 これに比べ、今の自民党はヘナチョコばかり。粒が小さくなった。周囲を気にして、さながら草食系の若者だ。無様で見ておれない。自信のなさがにじみ出ている。

 たとえ党内で少数勢力であっても、三木武夫のように目標を失わず、挑戦し続ければ、やがて天が味方し、地が背中を押して、チャンスが到来する。

 政治家に大事なことは「信念」である。付和雷同し、おのれを周りの色に合わせることではない。

 負けてもいいから旗色を鮮明にして、国家を私物化する安倍晋三に正面から堂々と戦いを挑め。そうすれば世論が味方しよう。流れが変わろう。野火のごとく支持が広がろう。

 こうなれば風見鶏ばかりの自民党議員どもは「勝ち馬」に乗ろうと、雪崩を打って寝返ろう。岸田よ、禅譲を期待しても無駄だ。安倍晋三は若い。やる気になればさらに続けよう。岸田派の本家は宏池会、ハト派集団だった。それを忘れるな。

 石破よ、風呂の中で屁をたれたような物言いをするな。安倍に言いたいことが山ほどあるだろう。遠慮することはない。民主主義の破壊者と、ハッキリ言ってやれ。日本を、気がふれた安倍晋三の好きにさせてはならない。

















http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/216.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 安倍政権は保守とは「なんの関わりもござんせん。」(谷間の百合)
安倍政権は保守とは「なんの関わりもござんせん。」

https://taninoyuri.exblog.jp/29648015/
2018-07-23 10:49 谷間の百合


小泉純一郎はあれほど叩いていたのに、安倍晋三はスルーなのかと思っていたら、やはり西尾幹二さんは総理に切れまくっていました。

批判記事が「Will」に載ったのは昨年8月のことだったようで、それが初めてだとしたら、余りにも「too.late」です。

わたしたちはこの5年、総理を見るたびに屈辱と怒りにまみれて堪えがたい思いをしてきていたからです。

堪え難きを耐えてきたからです。

きのう、チャンネル桜の水島総さんと西尾さんの対談の動画を見たのですが、西尾さんが安倍さんは戦後最悪、最低な総理だと言っていましたが、わたしはそれでは足りないと思いました。

後藤田さんが言った情も恥もない人間を、歴史を振り返って安倍晋三の他に見出すことができるでしょうか。

水島さんは安倍総理以外の総理はだれも拉致に取り組んだ人はいなかったと言っていましたが、ほんとうに何も分かっていませんね。

総理の拉致への取り組みを批判するなら、他にどんな方法があったのかと詰め寄る水島さんに西尾さんはなぜ答えなかったのでしょう。

外のことを考えていたのかもしれませんが、答えは簡単なのです。

金正恩が、なぜ直接言ってこないんだと言ったように、当たり前のことですが、直接総理が交渉することです。

なぜそれをしなかったかと言えば、拉致は解決させないというのが安部政権の対北政策の基本だからです。

アメリカは自国の軍需産業のために北との敵対関係が必要でした。

これからはそれをするのが日本だということです。





きょうの新聞一面トップの見出しは「陸上イージス.アショア2基6000億円超」でした。

トランプ大統領の倹約政策のあおりをもろに受けるのが日本です。

中國怖いよと言って兵器を買わせるのです。

戦争したい総理は喜んで買うのです。

すべてはアメリカのシナリオです。

安倍信者の水島さんが目を覚ますことはなさそうです。

ロイターが日本の企業にアンケートをとったら73%の企業が安倍支持だったと報じていたことを水島さんは鬼の首でも取った気でいるのか知れませんが、安部政権は企業のための政治しかしていないのですから当たり前の結果です。

なにかというと「朝日新聞」で、それには西尾さんも異論はなさそうでしたが、かれらにとって朝日は悪の象徴、反日の権化なのですね。

新聞が無くなることはなくても、部数を大幅に減らすのはそういう時代、社会だということで、朝日も肚を括ることです。

そこまで言われて黙っているのですか。

差し違える覚悟で安倍政権に挑んでほしい。

西尾さんには「保守の本領」という著書がありましたが、ようやく保守の中から反安倍が現れたことに「長かったなあ」との感慨を覚えずにいられません。

安倍総理やその支持者は保守とは「何のかかわりもござんせん」

ならず者集団です。








http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/217.html

記事 [政治・選挙・NHK248] なぜこの国はわざと政治を失敗させるのか?フーコー理論で解説する日本の政治の実態。
社会学作家の秋嶋亮(旧名・響堂雪乃)氏が日本の政治の失敗が明確に意図されている事情を新著のインタビューで詳しく解説しています。ぜひお読み下さい。

編集者: それでもなお国民は「政治が在る」と信じています。民意によって選ばれた政治家が政治をしていると今だに思っています。

秋嶋: 巷の政治議論というのは大体が「特性理論」ですよね。つまり政治家本人の個性や人格や思想や能力から考察する立場です。しかし「状況理論」から考察しなければ何も分からないのですよ。すなわち政治家の背後にある団体や企業や金脈などから考察しなければ本質的な議論はできない。だからドナルド・トランプや安倍晋三や金正恩がどのような人間であるかということよりも、彼らがどのような資本の論理によって動いているのかを検証しなければ、北のミサイル問題なども全く不明のままに終わるということです。

編集者: いまどき国民のために政治をやろうなんて人間はいませんよ。

秋嶋: そうです。与党も野党も多国籍資本というインビジブル・ガバナー(国民には不可視の統治者)の下で忠誠競争に邁進しているだけのことですよ。

編集者: だからミサイル問題を端緒に戦時の暗黒社会が復古しても、政治家はむしろそっちの方が都合がいいとすら思っているでしょうね。

秋嶋: 国会議員にとって一番重要なのはレント(社会資本を外国人に譲渡することにより得られる手数料)ですからね。早い話、売国でカネを稼ぐことしか考えていない。だから財政が破綻しようが、経済が崩壊しようが、国民が死絶しようが大した問題ではない。つまり彼らにとって理性や共感などは桎梏(目標達成の足手まとい)に過ぎないわけです。これはまさに政治学者ローウィの言う「利益集団自由主義(外国企業などの圧力団体による政治操作を野放しにする体制)」ですよ。

編集者: 国内では「子ども食堂」が300か所も開設されるほど貧困が蔓延しているのに、政府はそんなことおかまいなしに途方もないカネを外国に配っているという。これまでの話を統合すると各国と我々の政府の合意の下で「日本の計画倒産」が図られているように思います。

秋嶋: そもそも自民党が推進するグローバリズムとは「国民経済の破壊によって富を抽出する営み」です。換言するならば政治の失敗が経済的な戦略として当初より仕組まれている。早い話、政治家は誰一人として経済を上手く運営しようなんて考えていない。例えば派遣法改正によって正社員をドンドン非正規に置き換えていますよね。そうなると投資家の配当は何倍にも増えるけれど、内需の縮小によって設備投資が冷え込む。そしてそれが大不況を引き起こすことはデフォルトなんですよ。現に労働法改悪を端緒に日本の1人当たりGDPランキングは3位から18位まで後退している。しかし国民はこの点を全く理解していない。つまり政治家の関心は国民経済の発展ではなく、資本の要望に応えインセンティブ(政治献金)を得ることだと分かっていない。だから国民はどれほど国が滅茶苦茶になっても、それが為政者の瑕疵に拠るもの(政治の失敗は政権者の不見識や能力不足に拠るもの)だと考えるのです。

編集者: つまり為政者は「わざと国政運営に失敗する」ということですか?

秋嶋: そうです。フーコーの「権力は失敗によって成功する」という言葉はそういう意味です。繰り返しますがグローバリズムを採用した国家は(ほぼ例外なく)内需の萎縮と生産の低下が常態化した挙句に財政崩壊します。そして外国資本はこの時点で暴落した株式や債券、あるいは不動産や通貨を底値で取得します。その挙句に世銀やIMFなどが救済資金を融資する条件として社会権(医療、教育、福祉、労働に関わる諸権利)の撤廃を求め主権を骨抜きにするという定式です。要するに彼らは97年のアジア通貨危機でやったことを日本で再現しようとしているわけですよ。

出典: 「北朝鮮のミサイルはなぜ日本に落ちないのか - 国民は両建構造に騙されている - 」(白馬社)



http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/218.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 中国に拘束された邦人は公安のスパイだったと書いた週刊現代  天木直人 
中国に拘束された邦人は公安のスパイだったと書いた週刊現代

http://kenpo9.com/archives/4017
2018-07-23 天木直人のブログ


 私は7月13日のブログで書いた。

 中国に拘束された邦人について、菅官房長官は7月10日の定例記者会見で、「日本政府の関与は一切ない」と否定したらしいが、7月12日の日刊ゲンダイ(7月13日号)は外務省担当記者の証言として、逮捕された邦人らは公安調査庁から依頼されてスパイ活動をしていた疑いがあり、その事を中国側もつかんでいると報じたと。

 そして私は書いた。

 もしそれが事実なら、これら邦人は安倍政権の犠牲者だと。

 弱みを握られた安倍政権は、もはやまともな対中外交は出来ないと。

 それだけでも安倍政権は内閣総辞職ものだと。

 そう書いた。

 それから10日ほどたち、きょう7月23日発売の週刊現代最新号(8月4日号)に衝撃のスクープ記事が掲載された。

 桜坂拳太朗と言う名の米国在住のフリージャーナリストが書いた「日本政府に見捨てられた『公安スパイ』の肉声」と題するその記事は、衝撃的だ。

 週刊現代に敬意を表してここではその内容に触れないが、ここに書かれている事が事実なら、菅官房長官は公然と国民にウソをついていたということだ。

 野党が本気で追及すれば内閣総辞職ものだ。

 しかし、たとえ野党がいくら追及しても、政府は事実を認めないだろう。

 スパイ活動は最高の国家機密だ。

 国家機密を理由に、どんなウソも、そして情報非公開も、許される。

 権力を持つ側の特権であり、野党には手も足も出ない領域だ。

 そのような権力を持つ者は、民主主意の国家ではおのずと自制が働く。

 しかし、今の安倍・菅政権にはそれが無い。

 権力に歯止めが利かない。

 それを監視するのがメディアの使命であるが、そのメディアが安倍政権下でまったく機能していない。

 新聞は真実を国民に教えず、国民はよほど努力しなければ、政府の行っている事は何もわからないままだ。

 驚くべき危険な政治状況下にある、いまの日本である(了)



















関連記事
犠牲になるのは民間人…政府の“お忍び”スパイ派遣の事情(日刊ゲンダイ) 
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/654.html

日本政府に見捨てられた「公安スパイ」の悲惨すぎる肉声 中国で実刑判決を受けると、どうなるか(週刊現代)
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/164.html







http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/219.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 内閣支持率が軒並み急落 驕れる安倍政権に国民の怒り爆発(日刊ゲンダイ)
       


内閣支持率が軒並み急落 驕れる安倍政権に国民の怒り爆発
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233903
2018年7月23日 日刊ゲンダイ

 
 数の力で…(C)日刊ゲンダイ

 カジノ、参院定数増、災害対応で、浮かれ安倍内閣に国民の怒りが爆発だ! 先週末に行われた報道機関による各種世論調査で、安倍内閣への批判が広がっていることが分かった。

 日本経済新聞が20〜22日に行った世論調査で、安倍内閣の支持率が前回6月調査の52%から7ポイント下落して45%に、不支持率は5ポイント上昇して47%となり、2カ月ぶりに不支持が支持を上回った。

 西日本豪雨による大災害が発生している最中に強行採決された「カジノ法」について「賛成」が27%に対し、「反対」は60%に上った。同様に強行採決された「参院定数6増法」についても「賛成」28%、「反対」56%と、反対が過半数を占めた。さらに「西日本豪雨への政府の対応」については「評価しない」が46%で、「評価する」の39%を上回った。

 気象庁が豪雨への対応を呼びかけているのに、安倍首相や小野寺防衛相らが議員宿舎で宴会を開いていたことや、災害対策担当の石井国交相を国会に張り付けて「カジノ法」を強行採決したことが影響したのは明らかだ。

 共同通信の調査でも「カジノ法」について「反対」が64.8%で、「賛成」は27.6%。「参院定数増」でも「問題だ」が55.6%で、「問題ない」は27.6%だった。

 読売新聞の調査でも両法への評価は同様で、安倍内閣が強行採決したことに対して、59%が「適切ではない」と答えた。

 驕れる安倍は久しからず、だ。

















































関連記事
<日経世論調査>内閣支持率45%、7ポイント急落! 不支持率47% カジノ法、改正公選法に反対多数! 暴政に鉄槌! 
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/209.html




http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/220.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 安倍政権にYESかNOか、党員に問う/政界地獄耳(日刊スポーツ)
安倍政権にYESかNOか、党員に問う/政界地獄耳
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201807230000289.html
2018年7月23日9時45分 日刊スポーツ


 ★国会会期末の22日、岡山県の災害視察をした立憲民主党代表・枝野幸男が訴えた。「本腰を入れた対応をさらに進めていかないと、被災者の生活の立て直しは簡単なものではないと受け止めた。県なども思い切って専決で補正予算を組んだが、裏付けとなる財源がないと、安心して思い切った支援態勢がつくれない。できるだけ早く、(国で)補正予算を組む段取りに入り、臨時国会を召集して、成立させるプロセスに入らなければならない」。

 ★同日、首相・安倍晋三も声を上げた。「なりわいの再建は待ったなしだ。多くの農林漁業者、中小・小規模事業者が事業再開への気力を失いかねない、厳しい現実がある。1日でも早く手を打たなければならない」。18年度予算の予備費など約4000億円を活用し、生活再建に向けた対策パッケージを早急に取りまとめるよう非常災害対策本部に指示し、あくまで予算内で処理する考えを示した。

 ★復興復旧も大切だが、自民党は9月の党総裁選に突入した印象が強い。元幹事長・石破茂は21日、出馬表明は「しかるべき時期に判断する」とし、党政調会長・岸田文雄は同日、「適切な時期に判断する。首相の表明の時期も勘案すべきことの1つではないか」と、来月下旬以降を示唆した。とはいえ石破は「人口が減る状況にあって、地方の人々に経済の好転を実感してもらうかだ」とし、「地方創生」のあり方が最大の争点になるとの考えを示した。

 ★首相は20日の会見で「憲法改正は立党以来の党是であり、自民党の長年の悲願。候補者が誰になるにせよ、次の総裁選においては、当然、候補者が自分の考え方を披歴する大きな争点になると考えます」と、憲法改正論議の争点化を望んだ。しかし本当の争点は、こんな政権運営をしている自民党自身が、この政権を正しいのかを問うものではないのか。これでいいと思うのなら、総裁選自体の意味が分からなくなる。党員もマヒしているのか。(K)※敬称略






















http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/221.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 読売がスクープ報道した開戦前夜の東条発言メモが意味する事  天木直人 



読売がスクープ報道した開戦前夜の東条発言メモが意味する事  天木直人 
http://kenpo9.com/archives/4016
018-07-23 天木直人のブログ


 きょう7月23日の読売新聞が一面トップでスクープ報道した。

 日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に対して開戦について語っていたメモが発見されたというのだ。

 そのメモとは、当時の政府高官である湯沢三千男内務次官が書いた便箋5枚のメモであり、東京・神田神保町の古書店主が、交流のあった湯沢氏の遺族から、9年前に入手した遺品の中から見つかったという。

 そのメモのポイントは、12月7日の昼に東条が、開戦当日の予定を昭和天皇に説明した時、それまで開戦に反対していた昭和天皇が、「一旦決シタル後(筆者註:12月1日の御前会議)ハ悠々トシテ何等ノ御動揺ナク」との様子だったと述懐しているところである。

 そして、その夜東条はこの昭和天皇の「決意」に高揚し、微醺(ほろ酔い)状態で「斯クノ如キ状態ナルガ故ニ既ニ勝ッタ」と発言していたところである。

 このメモの歴史的評価は、これから歴史学者によってさまざまな形で下されるだろう。

 私は特に保阪正康氏の評価を知りたいと思っている。

 彼は東条の家族から、開戦の二日ほど前の夜に、東条が深夜ひとり寝室で皇居に向かって手をついてさめざめと泣いていたという証言を得ていたことを聞き語っていたからである。

 あの涙は一体何だったのだろう。

 開戦を避けられなかった事について、開戦に反対だった昭和天皇に詫びていたのだろうか。

 しかし、開戦前日に開戦当日の予定を昭和天皇に説明したら、その時の昭和天皇はもはや冷静であり、開戦を決意されていた事を知って、安心し、高揚したということなのだろうか。

 そう考えればつじつまが合う。

 私がこの読売新聞のスクープ記事で注目したのは、編集委員の沖村豪氏が書いている解説記事の次のくだりだ。

 「・・・来月(8月)73回目の終戦の日を迎えるが、310万人の犠牲者を生んだ戦争の検証に終わりはない。無謀な日米開戦の前夜、時の指導者が語った言葉を読み解くことは、昭和天皇の思いをよく知る天皇陛下(筆者註:今上天皇)が訴えられる『先の大戦の反省』を深める上でも意義がある」

 驚くべき大胆な解説だ。

 暗に昭和天皇の戦争責任を認め、その負の遺産を克服すべく天皇陛下は反戦に努められて来た、その事に我々は思いを馳せなければいけないと言っているのだ。

 きょうの読売新聞のスクープ記事を読んで、天皇陛下はあたらめて国民に問いかけたいと思われている違ない。

 象徴天皇としての自分の務めは、憲法9条に従って二度と戦争を繰り返さないことだと思うが、それでよかったか、国民はどう思うかと。

 われわれ国民は、そのお言葉に答えないまま、そして天皇陛下は二度と国民に語りかける機会のないまま、天皇陛下は来年4月末に退位される。

 その前に、私は記者会見を開いて、新党憲法9条を掲げて来年の国政選挙に名乗りを上げる事を表明するつもりだ。

 お言葉に答えた国民がいたという事を伝えるためにである(了)



東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180722-OYT1T50129.html
2018年07月23日 06時00分 読売新聞




 東条英機

 日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に開戦について語った内容が、メモとして残っていることがわかった。東条はこの日昼、開戦当日の予定を昭和天皇に説明したことにも言及。戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことで「すでに勝った」と発言するなど、太平洋戦争に突入する前夜に高揚する東条の胸中を初めて伝える貴重な史料だ。

 メモは、当時の湯沢三千男内務次官(1963年死去)の遺品から見つかった。東条の言葉を便箋5枚に書き残したもので、「十六年十二月七日(日曜日) 午後十一時二十分」との日時も書かれている。

 昭和天皇は主戦派の陸軍を抑えるため、41年10月、陸相の東条に組閣を命じ、外交交渉で戦争を回避する検討も求めた。だが米側の最終提案「ハル・ノート」が届き、交渉を断念。12月1日の御前会議で開戦を最終決定し、8日未明、米ハワイの真珠湾を攻撃した。
(ここまで401文字 / 残り729文字)













































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/222.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 伊藤詩織を罵倒した杉田水脈が「LGBTは生産性がない」でまた大炎上(まるこ姫の独り言)
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2018/07/lgbt-29fe.html
2018年7月23日


杉田水脈、人として偏り過ぎた思考の人間が国会議員で、年間
莫大な歳費を貰っている理不尽さ。

しかもこの議員は、問題発言の宝庫の細田派。

問題発言の宝庫の細田派の中でもダントツトップの勢いじゃな
かろうか。

人間として議員としてクズ中のクズだ、この人は。

それなのに、その傾向を持つ一定数の支持を集めていて、日本
人の質も相当落ちて来たのではないかと思う今日この頃。

この議員は、伊藤詩織がリスクが高い氏名の公開で、身を賭し
て山口ノリマキの強姦、それを支える政府の対応を批判した際、

>伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落
ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として
怒りを感じます


と、ツィートした議員だ。

光の当たらない所に光を当てるのが議員の使命の筈なのに、
光を当てるどころか、お前には隙があったと、女性が女性を罵
倒し、鞭打つ姿勢におぞましさを覚えた。

男社会で悔しい思いをしたことが無い女性などいないのに、こ
の人の人生は、男性に媚びを売って生きて来たのではないかと
思うほど、女性にやたら厳しい。

女性にだけやたら厳しいのかと思っていたら、今度は性的マイ
ノリティに対して、月刊誌に「LGBTは生産性がない」と寄稿して
いて、それが大問題になっている。

それにしてもよくこんな発想になるものだ。

この議員の場合、女性に対してだけではなく、弱者に対する愛が
全然ないのだろう。

強いものにしか目がいかないのかもしれないが、いつ何時自分
が弱者になるかもしれないのに、そういった思いは何もない人の
ようだ。

LGBTは生産性がない」自民・杉田水脈議員の寄稿文に、当
事者団体が抗議
               7/23(月) 13:28配信

>「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題して持論を展開した自民党・
杉田水脈衆議院議員の寄稿文が、批判を浴びている。性的マイ
ノリティを支援する全国団体「LGBT法連合会」は7月23日、声明
を発表。杉田議員の主張は事実誤認が多く、「困難を抱えてい
る当事者に対して侮辱的・屈辱的とも取れる内容であり、許容す
ることができない」と強く抗議した。


この議員の思考は、少数派に対して何を言っても良いと思って
いるのかもしれないが、全くの差別主義者であり、基本的人権
さえ分かっていない。

>しかし、LGBTだからといって、実際そんなに差別されているも
のでしょうか。


伊藤詩織に対して誹謗中傷したツィートと根っこは一緒だ。

性的少数派や、犯罪に巻き込まれた人、高齢者、子供のいない
夫婦など、声を上げづら人たちに対しての想像力や共感力が完
全に欠落している。

一般人ならともかく、国会議員の発言だというから恥ずかしい。
議員でありながらなぜ人の辛さや気持ちが分からないのだろう。

そんな人間が、いかにも寄り添っているかのように勘違いした
発信をするから、大問題になるのではないかと。。。。。

細田派の杉田水脈、安倍首相とまったくに似た思考の議員だ。

もう日本の議員の恥としか言いようがない。

杉田水脈、また世界に恥をさらしてくれたな。。。。。




http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/223.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 安倍の好きな絵柄。純真無垢なものとのツーショット 
安倍の好きな絵柄。純真無垢なものとのツーショット
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/4569ec41c8a67d84acb6563ef01f7e07
2018年07月23日 のんきに介護


tama nekono@tomcat2013さんのツイート。






安倍は、遠くロシアにまで飛び、

ザギトワ選手へのワンちゃん贈呈式典に参加して

ワンちゃんとのツーショットを撮らせていたこと、思い出した。

あの時は、ワンちゃん、顔を背けていたっけ

(拙稿「ロシア訪問の外交的成果。安倍は、秋田犬に抱きつくのに成功!」参照)。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/e699d9f09a79c5963b74ce0767972b08




































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/224.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 政治資金から「利息」 自民・穴見議員のトンデモ“錬金術”(日刊ゲンダイ)


政治資金から「利息」 自民・穴見議員のトンデモ“錬金術”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233886
2018年7月23日 日刊ゲンダイ

 
 会社名が「穴見陽一」(左)/(C)日刊ゲンダイ

 受動喫煙対策を巡る国会審議中、参考人として出席した肺がん患者の発言中に暴言ヤジを飛ばした自民党“魔の3回生”穴見陽一衆院議員(48)。日刊ゲンダイは、6月22日発売号で「穴見議員 政治資金“還流”疑惑浮上」と報じた。

 穴見氏が代表の資金管理団体の収支報告書(14〜16年分)を調べたところ、団体が穴見氏から借金し、その返済とは別に「利息」を穴見氏本人に支出したという不可解なカネの動きがあったからだ。穴見事務所は日刊ゲンダイの質問に「法定の記載事項以上の詳細に関しては回答していない」と、ダンマリを決め込んだ。

 そこで日刊ゲンダイは6月末、穴見氏の地元・大分県の選挙管理委員会に対し、資金管理団体と政党支部の収支報告書に添付された領収書コピーの開示を請求。今月17日に開示された領収書コピーを見ると、さらに不可解な事実が浮かび上がった。

 例えば、14年5月9日付の「利息」受領の領収書。宛名に支出者である資金管理団体の名称があり、金額は10万円の記載。受け取り側には「会社名:穴見陽一」と記され、本人の自宅住所が記されている。資金管理団体は14〜16年に各40万〜44万5000円、政党支部は14年に58万円、15年に45万円を「借入利息」などとして穴見氏本人に支出。38枚もの領収書は全て同じ形式で印字されている。

「穴見陽一」という個人名を会社名にして、何十枚も領収書を出して自分の資金管理団体から利益をもらうなんて、どう考えてもおかしい。まるで“錬金術”だ。改めて穴見事務所に問い合わせたが、返答はなかった。

「利息の支払先が会社法人とは思えない穴見氏本人になっているとは、不可解です。そもそも、資金管理団体や政党支部が、借金しなければ資金繰りに困る状態ならば、利息など支払うこと自体がおかしい。原資の一部に税金が含まれる可能性もあるので、法的瑕疵がなくとも控えるべきでしょう。少なくとも、利息を議員本人に支出した理由は説明すべきです」(政治資金に詳しい神戸学院大教授・上脇博之氏)

 さすがは“魔の3回生”である。

















































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/225.html

記事 [政治・選挙・NHK248] <鬼畜の政権与党>国民被災の時、2次会までやっていた!(simatyan2のブログ)
<鬼畜の政権与党>国民被災の時、2次会までやっていた!
https://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12392806637.html
2018-07-23 17:32:05NEW ! simatyan2のブログ


これはもう完全な国賊です。

西日本豪雨で多くの住宅が被災しているときに宴会をし、国民から

猛烈な批判を浴びた「赤坂自民亭」。



「宴会は1時間弱だから問題はない」と開き直っていた安倍自民、

実は、その後も2次会をやっていたのが判明しました。



【西日本豪雨】『赤坂自民亭』参加の岸田文雄氏ら『二次会』参加か 安倍首相は不参加
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-060838/

2次会に安倍晋三は参加してないようですが、翌6日夜には
規制改革推進会議の大田弘子議長、金丸恭文議長代理、梶山
弘志規制改革担当らが同席で宴会をしています。

首相動静
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018070600321&g=pol

つまり安倍晋三は二夜連続の宴だったのです。



上記の2次会記事で驚くのは次の一文です。

「赤坂宿舎での宴会の後、竹下さんや岸田さんたちは細田派や
二階派など主流派の幹部が開いていた別の会合に合流して飲ん
でいた」

別の会合? ということは、赤坂自民亭以外でも飲み会をやって
いたということになります。

赤坂自民亭終了から4時間後には京都から緊急要請があった
というのに・・・。

多くの国民が恐怖してる最中、飲み会中でも中断すべきところを、
何度も宴を続行してた自民党は鬼畜以外の何者でもありません。

さらに許せないのは、対応の不備を開き直って更にデマを流し
野党に責任転嫁してることです。

下の時系列を見れば明らかですが、各野党は権力がないにも
関わらず与党より早く行動しています。

立憲民主
2018豪雨災害対策本部の設置について 2018年7月6日
https://cdp-japan.jp/news/20180706_0696

国民民主
2018年07月06日 災害対策本部を設置
https://www.dpfp.or.jp/article/200289

共産
日本共産党国会議員団は6日、「2018年7月豪雨災害対策本部」を緊急に立ち上げ
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-07/2018070701_01_1.html

そして政府与党はと言えば、2日遅れでの行動です。

政府が非常対策本部を設置 首相「先手で支援を」 2018年7月8日 10時14分
https://mainichi.jp/articles/20180708/k00/00e/040/162000c

与党と野党、どちらが国民の身になって動いているかが一目瞭然です。

役立たずの金魚の糞のカルト公明や維新は論外です。

これについて小野寺防衛大臣が支離滅裂な言い訳をしています。

指示をし終わった後、宿舎で待機していたので、その際に集会所に
行って顔を出した。

だが防衛省からは随時連絡が来ており、その都度指示を出して
いたので特に支障はないと思っている。

2018年7月10日15時13分
https://www.asahi.com/articles/ASL7B45XML7BUTFK006.html

しかし3日後には、

小野寺氏は、「乾杯はしたが、会合の最中に連絡があったり、
会合の最中に連絡をしたとかいうことはない」と釈明。

2018年7月13日12時39分
https://www.asahi.com/articles/ASL7F3V93L7FUTFK00P.html

これはつまり、宴会批難されて最初は指示していたと嘘をつい
たが、飲みながら指示したのかと怒られて指示出してないと
嘘をついたということですね。

何という愚かな大臣と政権。

これで「野党よりマシ!」と嘯く安倍信者たち。


しかし国民の犠牲の上に成り立つ安倍自民こそ、災害など有事の際に
絶対任せちゃいけない政権なのです。










http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/226.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 安倍3選を世論が許したらオシマイだ 歴史の分岐点になる最も長くて暑い夏(日刊ゲンダイ)


安倍3選を許すのか 歴史の分岐点になる最も長くて暑い夏
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233883
2018年7月23日 日刊ゲンダイ 文字お越し ※タイトルは紙面による

 
 憲政史上最悪の国会(C)日刊ゲンダイ

 通常国会が閉会し、安倍首相は長い長い夏休みに入った。すでに政界では、秋の総裁選で安倍が“3選”を果たすことが既定路線になっている。

 それにしても、ここまで政権の腐敗、堕落、劣化があらわになった国会は、かつてなかったのではないか。内閣不信任案の趣旨説明をした枝野幸男立憲民主党代表が「この国会は憲政史上最悪の国会になってしまった」と指摘した通りだ。

 本来、安倍内閣は「公文書」の改ざんが発覚した3月に総辞職するのが当然だった。改ざんを強制されたノンキャリは自殺までしているのだ。すべて、森友疑惑から安倍夫妻を守るためだった。さらに、加計疑惑では、加計サイドと総理秘書官が首相官邸で謀議をしていたことが発覚。予想通り、最初から“加計ありき”だったことが証明された。モリカケの2つだけでも退陣は当たり前だろう。

 ところが、責任は下へ下へと押しつけられ、安倍は「ウミを出し切る」と拳を振り上げているのだから、ふざけるにも程がある。

 しかも、わざわざ国会を1カ月も延長しながら、やったことは過労死を増やす「高プロ制度法」、参院の定数を増やす「改正公職選挙法」、「カジノ法」の強行成立だから話にならない。どれもこれも、国民が反対した法律ばかりだ。いったい、誰のために政治をしているのか。

 極めつきは、200人以上が犠牲となった「西日本豪雨」への対応である。

「さすがに野党も、西日本豪雨の被害は尋常じゃないと分かったのでしょう。すぐに『被災地最優先でやるべきだ』と申し入れています。ところが、安倍自民党はカジノ法案の成立を優先させ、災害対応の先頭に立つべき石井国交相を委員会に張りつけた。石井大臣は、広島を流れる川の氾濫を“昼のニュースで知った”と答弁しています。それでも安倍首相は『対応は万全だ』と言い張っている。あまりにも国民をバカにしています」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 立憲民主党の辻元清美議員が「毎日、不信任を出しても足りないくらいだ」と指摘していた。思わず口から出たのだろう。

 
 安倍首相は被災者より「カジノ」(C)共同通信社

「事実」を突きつけられても「事実」と認めない異常

 今回、安倍がどんな男なのかよく分かったのが、不信任案を突きつけられた時の態度だ。

 枝野が「災害対応の初動の遅れを指摘されても、カジノ法案や恣意的な選挙制度の改悪を優先させた。その一点をもっても不信任に値すると考えます」と、まっとうに政権を批判しても、相手を冷笑するようにケラケラと笑っていた。

 もはや、どんな正当な批判も、この男には通じない。ぬかに釘だ。野党の批判など屁とも思っていないのだろう。

 最悪なのは、国民の中に「無力感」や「諦め」「深い徒労感」が広がっていることだ。何しろ、どんなに「事実」を突きつけても、安倍は「事実」と認めない。モリカケ疑惑で決定的な証拠が次々に出てきても自分の非を認めない。普通の神経なら、とっくに退陣しているのに、居直り、居座り続けている。要するに常識が通じないのだ。

 しかも、議論も成り立たない。たとえば、6月27日の党首討論だ。安倍は質問には答えず、長々と自分の言いたいことをまくし立てた揚げ句、時間が過ぎても一方的にしゃべり続けていた。

 これでは、マジメに政治を考えている国民ほど「徒労感」に襲われてしまうだろう。批判することに疲れてしまう。と同時に、安倍がデタラメな答弁をしても、国民は「ああ、またか」と慣らされてしまった。政治評論家の本澤二郎氏が言う。

「安倍首相は、どんなに批判をされても暖簾に腕押しです。だから、日本社会に“何を言っても無駄だ”という無力感が広がっているのは確かでしょう。でも、それでは安倍首相の術中にはまるだけです。恐らく、安倍首相は、このまま9月の総裁選まで何もせず、国民が“モリカケ疑惑”や“豪雨対応”について忘れることを待つつもりでしょう。好都合なことに、大手メディアの報道が“猛暑一色”になっているとニンマリしているはずです」

 安倍周辺は、余計なことをしなければ、総裁3選は堅いと計算しているという。しかし、いま日本は「貿易戦争」など、目の前に難題が山積している。総裁選が終わる9月まで放置していたら、取り返しのつかないことになるのではないか。

「西日本豪雨」の被災者は「安倍ノー」の声をあげろ

 すでに安倍は、細田派、麻生派、二階派など主要派閥から支持を取りつけ、党内の半分以上の支持を固めたという。しかし、このまま“安倍3選”を許したら、この国はオシマイだ。

 何十回、総辞職してもおかしくないデタラメ内閣が、あと3年も続くなど、あり得ない。少なくても「西日本豪雨」の被災者は、声を上げなければおかしい。安倍は、十数万人に避難勧告と避難指示が出ていたのにもかかわらず、被災地を見捨てて、「赤坂自民亭」と称する酒宴に参加して酒盛りを続けていたのだ。しかも、甚大な被害が判明した後でも、「人命」より「カジノ」を優先している。

 それでも、被災者が沈黙し、反乱しないようでは、この国に未来はない。

 評論家の佐高信氏はこう言う。

「安倍首相は、打っても打っても、倒れない。だから、国民の中に“徒労感”が広がっているかもしれない。でも、安倍政権は決して盤石ではありません。相手も必死に立っているのが実情です。薄皮一枚、ブチ破れば、必ず倒れる。すでに、自民党の船田元議員が法案に反対して採決を棄権するなど、綻びが見えています。安倍1強と言われながら、世論調査では“支持しない”が“支持する”を上回る状態が5カ月続いている。何かきっかけがあれば、自民党議員も自民党員も離れると思う。たとえば、公明党が“安倍3選ノー”となったら、自民党議員は雪崩を打つでしょう。公明票がなければ、自民党議員は選挙で勝てませんからね」

 安倍が3選されるかどうかで、この国は大きく変わる。

 もし、3選されたら、ますます弱者を切り捨てる政治が横行するだろう。「西日本豪雨」への対応を見れば明らかだ。被災地は地方の過疎地であり、犠牲者はほとんど高齢者だった。地方も、高齢者も、アベノミクスを進める安倍政権がないがしろにしてきたものだ。

 国民が「徒労感」と「無力感」に襲われて「諦め」たら、安倍の思うつぼだ。安倍3選を許すのかどうか、この夏は歴史の分岐点になるだろう。もっとも長くて暑い夏になると考えた方がいい。


































 




http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/227.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 古賀茂明「アベノミクスのせいで先進国から転落しそうな日本」〈dot.〉 
古賀茂明「アベノミクスのせいで先進国から転落しそうな日本」〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180721-00000022-sasahi-pol
AERA dot. 7/23(月) 7:00配信 


著者:古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者...


安倍晋三首相 (c)朝日新聞社


 韓国の最低賃金委員会が7月14日、2019年の最低賃金(時給)を前年比10.9%増の8350ウォンにすることを決めたというニュースが入ってきた。直近の為替レート換算では約830円ということになる。日本では、17年10月から適用の最低賃金が全国加重平均で848円。これにかなり近い水準となっている。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、20年までに最低賃金1万ウォンを達成するという公約を掲げているので、多少それを下回ったとしても、日本の引き上げペースは非常に遅いため、20年には日本を追い越すことはほぼ確実だ。

 このニュースを聞いて、今年2月12日の本コラム(「安倍政権では民主党政権下の実質賃金を上回れない現実を報じないメディア」)でも一度取り上げた「先進国」とは何かという問題を想起させられた。

「先進国」に公式な定義はない。経済協力開発機構(OECD)が「先進国クラブ」と呼ばれるが、そこには、歴史的経緯もあり、トルコやメキシコなどの途上国が含まれている。国際通貨基金(IMF)による「Advanced Economies」という定義が最も有力で、内閣府などは、この定義を使っている。いずれにしても、先進国の基準としては、一人当たりGDPが重要な指標であることははっきりしている。中国などは、経済大国ではあるが、人口が多く、一人当たりでみるとまだまだ水準が低いために「先進国」とはみなされない。一人当たりGDPで見れば、一応、日本は先進国と言われているし、それを疑う日本人はほとんどいないだろう。 

 一方、先進国の対語として、発展途上国または開発途上国という言葉がある。先進国の定義を考えるには、途上国との対比をするとわかりやすい。

 途上国は、何よりも経済成長を最優先する政策を採るのが普通だ。社会保障、労働などの政策は優先順位で劣後し、人権、環境、公正なルールの整備・執行なども後回しになる。労働者の側も、働けば給料が増えるから、労働条件が多少悪くても文句を言わずに働くし、その他のことも、多少問題があっても目をつむる。子どもは多い方が生活が豊かになるから、出生率も高い。その結果人口が増えるから、いわゆる「人口ボーナス」もあって高成長が続く。日本の高度成長期初期は、まだこうした時期にあったと評価することができるだろう。

 一方、そうした段階を経て、経済がある程度の規模に達し、国民一人当たりGDPも上がって豊かになってくると、徐々に出生率が下がってくる。さらに、教育環境が変化し、子どもにはお金と手間がかかるようになる。子どもの給料を当てにしなくても世帯の生活は安定して来るから、無理して子どもを増やそうというインセンティブも無くなる。こうして人口減少時代が始まるのだ。人口オーナスと呼ばれる人口減少によって経済成長の速度は減速する。日本は今、この段階にある。

 こうした発展段階になると、人口減少によって、労働力が貴重になり、賃金は上がって労働条件も向上する。企業も優秀な人材を確保するために対応を迫られ、高い労働条件を提示できない企業は淘汰されて当然ということになる。こうして、自然と「人を大切にする」社会になっていく。

 また、経済最優先を続けると公害などが発生し、資源・エネルギーの制約も生じる。経済的にゆとりができた市民は、健康や安全に敏感になり、自然や環境を守れと要求する。企業がそれに対応することで、新たな産業分野が開かれ、それが国際競争力を高めることにもなることが認識されるようになる。その結果、「自然・環境を大切にする」社会への転換が進む。

 さらに、生活水準が向上すると人々に余裕が生まれ、教育水準の向上と相俟って、社会的正義への要請も高まる。民主化はもちろん、「公正なルールを保持、執行する」社会が求められるのだ。

 西欧・北欧諸国を見ると、概ねこうした課題に応えて、先進国となっていったのがわかる。一人当たりGDPが高いだけではなく、こうした要請すべてに応える経済・政治状況を実現するのが、真の先進国ということになるのではないだろうか。 

 この観点から見て、日本は先進国と言えるのか極めて疑問である。

■労働者の権利を無視する嫌韓派

 さて、冒頭のニュースに戻ろう。

 韓国の最低賃金の引き上げ率は、毎年7%程度が続いていたが、文大統領の就任後、昨年は16.4%、今年も10.9%とかなり急ピッチの引き上げが続いている。こうした急進的なやり方は、企業側に大きな負担となるため、かえって雇用を削減したり、脱法的な動きが生じたりして、必ずしも低所得層の生活改善にはつながっていないという批判もある。

 現に、直近の統計では、18年1−3月期に経済格差が前年より拡大したという結果も出ているし、失業率もかえって悪化しているという統計もある。昨年に比べて、今回の最低賃金引き上げ率を5.5ポイント縮小したのは、その点への配慮だと考えられる。

 こうした推移を見て、日本の嫌韓派は、韓国の経済政策は失敗したとはやし立てている。もちろん、彼らは、アベノミクスで日本の経済が復活したと信じている人たちだ。

 また、日本の産業界も、「最低賃金の引き上げは慎重に」という時に、必ず、韓国ではうまくいっていないということを理由に挙げることになるだろう。

 しかし、果たしてそれで良いのだろうか。

 日本では、いまだにサービス残業が事実上放置されている。そして、今も、残業時間が青天井という驚くべき状況にある。「過労死」という言葉が世界に広まるほどの恥ずかしい状況だ。今回の働き方改革法成立で、そうした構造にようやくメスが入り、残業時間の上限が19年度から、原則年720時間となるなど法律ではっきり義務化される。

 それはそれで、一つの進展なのだが、今回の働き方改革の議論でも、まずは、企業の都合が優先されるという体質は変わっていない。新たな規制の適用は、19年度からだが、中小企業には1年の猶予がある。中小企業が大変だからという企業の都合によるものだ。逆に言えば、中小企業の労働者は、大企業の労働者よりも人権保護のレベルが低くて良いというのが日本政府の立場だということだ。

 また、驚くべきことに、建設、自動車運転(運輸)、医師は5年間もこの規制の適用が猶予される。これも企業や病院が大変だからという理由で、ここで働く人々の人権は無視されたままだ。しかも、運輸は5年後も他業種より緩い年960時間の上限規制となることに決まっている。月80時間だ。ここでも企業が大変だからという理由で、トラック運転手の健康や人権は他の産業の人よりも一段低い扱いにしてしまったのだ。

■アベノミクスは先進国の政策ではない

 一人当たりGDPでは、日本はかなり落ちぶれてしまった。だから、もう先進国ではないという考え方もあるだろう。17年には、シンガポールの57,713ドル(世界9位)に比べて、日本は38,440ドル(同25位)だから、シンガポールは日本の1.5倍だ。

 しかし、そうは言っても、韓国の29,891ドル(同29位)よりは8000ドル以上高く、約1.3倍もある。その比率で言えば、韓国が830円にする最低賃金は、日本では1067円くらいでもおかしくない。これは東京都の最低賃金958円をはるかに上回る数字だ。逆に、韓国が日本並みの最低賃金にするなら、660円でも十分なのだが、韓国は、かなり背伸びをして、これを思い切り引き上げようとしている。これが本当にうまくいくかどうかは、もう少し時間を見て判断しなければならないだろうが、韓国は、日本より、はるかに労働者の利益を優先する政策を採っていることだけは確かである。労働者の生活水準を上げて、それでもやっていける経済を作らなければ、人口減少社会は乗り越えられないということを分かったうえでの政策なのか、単なる人気取りなのかはわからないが、日本よりも厳しい人口減少社会に入った韓国は、結果的に日本以上に先進国になる準備をしていることになる。

 ちなみに欧州諸国も、労働条件を上げてもやって行ける経済を作るのには大変苦労した。各国とも20年程度は苦闘の歴史だったと言っても良いだろう。その意味では、韓国の試みが数年で実を結ぶと考えるのは明らかに楽観的過ぎるし、数年で結果が出なかったからと言って、失敗だと断定するべきではないと考えるべきだ。

 アベノミクスは、企業を優先する金融緩和と円安で輸出を増やし、企業収益増と株高を実現すれば、そのおこぼれ(トリクルダウン)で労働者の収入増は後からついてくるはずだという戦略だ。つまり、まず、真っ先に企業が儲からなければすべてがうまくいかない。企業ファーストの政策だから、逆に言うと、企業が困ることはできない。

 一方の韓国は全くその逆で、まず、労働者優先の政策で彼らの生活水準を上げ、その購買力によって企業利益や経済全体が拡大すると考えているようだ。

 最低賃金へのアプローチも、両国の根本的な哲学の違いが反映していると見ることができる。

 どちらの哲学が正しいかということを議論してもあまり有意義ではないかもしれない。答えは時間が経たないとわからないからだ。しかし、両国の経済の実力から見れば、韓国は、少し背伸びしているのに対して、日本は明らかに労働者に対する配慮が足りないと言って良いだろう。日本が、仮に韓国と同じように20年に全国平均で1000円の最低賃金を実現しても、それほど大きな負担にはならないはずだ。

 日本には、少なくとも、「企業が困るからトラック運転手の人権は守らなくて良い」という非人道的な政策を止めるくらいの余裕はある。格差拡大の問題を挙げるまでもなく、もうそろそろ、労働者中心の政策、つまり、「先進国」を目指す政策に転換する時が来ているのではないだろうか。

■優秀なアジアの若者が働きたい都市はドバイ、シンガポール、香港、ソウル

 韓国の最低賃金引き上げのニュースを見て、先日、アジアの高度人材を日本企業に紹介する事業をしている上場企業の経営者から聞いた話を思い出した。

「アジアの優秀な若者がアジアの都市で仕事を探す時の優先順位は、1位ドバイ、2位シンガポール、3位香港、4位ソウル、そして、その次が東京という順番です」

「日本のイメージは、一言で言えば、『低賃金ブラック』。でも、政府も経団連のお偉方もこれに気づいていません」

 東京がソウルの下と聞いて、やはり、そこまで来ているのかと思ったが、最低賃金に対する政権の姿勢から見ても、これは当然のことだなと感じる。

 底辺層の賃金で韓国に負け、高度人材でも、東京がドバイ、シンガポール、香港はもちろん、ソウルに負けるということでは、日本がこれからの世界の競争で勝ち抜くことは難しいと言わなければならない。

 先進国から事実上転落しつつある日本が、引き続き先進国としての経済社会を目指すなら、基本哲学として、企業よりも人を大切にする社会を目指すことが必要だ。それは、賃金の引き上げや労働時間などの条件を今よりも格段に向上させる実力のある企業を生み出すということでもある。

 早く基本哲学を転換しないと、本当に日本が先進国から転落することになるのではないか。その時は、意外とすぐそこまで迫っているのかもしれない。






























http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/228.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 生活保護費3年で160億円削減する中、陸上イージスミサイルに6000超億年掛ける愚策(かっちの言い分)。
生活保護費3年で160億円削減する中、陸上イージスミサイルに6000超億年掛ける愚策。
http://31634308.at.webry.info/201807/article_22.html

一時内閣支持率が回復基調にあったが、直近の世論調査では、支持率が低下した。その理由は、西日本の豪雨対策の無作為、またカジノ法案の強行採決が原因した。これだけやりたい放題をして、まだ支持率が40%以上あることが不思議でならない。

今日、東京新聞の望月記者が菅官房長官に質問した。望月記者が質問すると、司会者が早く質問を終えるようにイラつき、菅氏も明らかに落ち着きなくイラつく。菅氏の天敵である。

望月記者は、菅氏に嫌われているのがわかりながら、果敢に質問する。

生活保護費が3年で160億円削減が始まる。西日本豪雨でも被害対応に巨額の資金が必要である。そんな中、北朝鮮のミサイル脅威は無くなったはずなのに、陸上イージス2基とレーダーで総額6000億円超の買い物になる。

この質問に対して、菅長官は、いつもの通りバカにしたように「報道したところに聞け」と答える。失礼千万な言い方である。こんな答えしかしないようなら、止めた方がいい。自分たちに批判的な記者には、同じ人間として扱いをしない。無礼千万である。こんな傲慢な政府はその内に終息するだろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/229.html

記事 [政治・選挙・NHK248] マジか?イージス・アショア2基で6000億円!  


マジか?イージス・アショア2基で6000億円!
http://85280384.at.webry.info/201807/article_175.html
2018/07/23 21:25 半歩前へ

▼マジか?イージス・アショア2基で6000億円!

 政府が2023年度の運用開始を目指す地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の取得費について、防衛当局が2基で計約4000億円になりうると新たに試算していることが分かった。

 防衛省は1基約1000億円と説明してきたが、試算通りなら倍増となる。搭載ミサイルの購入費などを含めると、総額で6000億円近くに膨らむ可能性がある。政府関係者が23日、明らかにした。

 北朝鮮の完全非核化に向け、6月に米朝首脳会談が開かれた中、ミサイル防衛(MD)強化に巨額の防衛費を投入することになれば、費用対効果の面でも批判や疑問の声が上がりそうだ。  (以上 共同通信)

*******************

 おいおい、冗談じゃーない。ミサイル撃ち落としに6000億円? これだけではない。導入すればメインテナンスだ、何だと、維持・管理するだけでも毎年、莫大な経費が掛かる。

 北朝鮮は日本向けに700-800発のミサイルを配備していると言うではないか。ヨーイドンで発射したら、「イージス・アショア」が100基あっても撃ち落とせない。早い話が何の役にも立たない。そんなものに無駄な金を使うことはない。

6000億円あれば、
 ダムや溜池対策の整備でかなりの洪水災害が防げる。子育て対策の充実で、若い夫婦が安心して働き、欲しかった2人目、3人目の子供を産むことが出来る。

 平均月収と月10万円の開きがある介護職員の給料の引き上げなど容易に実現できる。その結果、若い世代が将来を心配することなく介護職に就くことが可能となる。

 トランプの脅しに屈して無駄な買い物をするのはやめてもらいたい。代金を払うのは安倍晋三ではない。私たちの税金からだ。勝手に使われては迷惑だ。
 


















http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/230.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 世論調査で数字をごまかせないとなったら、ここまで無茶苦茶するんか 
世論調査で数字をごまかせないとなったら、ここまで無茶苦茶するんか
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/2fe6082d4f338aaa37fc81b279dcd09f
2018年07月23日 のんきに介護


上原けんさく@jcpkenchanuさんのツイート。






34%<42%のはずなのに、

図表による大きさ(面積)の比較では逆になっている。

これ、故意にやったのかな。

知らずにか。

前者なら、ジャーナリズムの瓦解だよ。

米国で

とても暑い時期、0・何秒かの瞬間、

冷えた飲み物、ビールだったかな、の画像を流す

CMがテレビで流れたことがあった。

僕の記憶では、

違法性が連邦裁判所まで行って争われた。

裁判の結果、

「洗脳」効果を当て込んだ違法なCMとして

放送が禁止された。

その事件を思い出した。

0・何秒かの画像の映し出しによって

一体、どれほどの

洗脳効果があるのかしれない。

しかし、それを争う精神は見習うべきである。

冒頭画像は、

保存できる程度に長時間放映された。

真剣に受け止めるべき大問題ではないだろうか。
































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/231.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 国民にその重大さが伝わらないまま幕が引かれた砂川最新訴訟  天木直人 


国民にその重大さが伝わらないまま幕が引かれた砂川最新訴訟
http://kenpo9.com/archives/4018
2018-07-23 天木直人のブログ


 これだけはどうしても書いておかなければいけない。

 砂川事件再審査請求訴訟が18日、最高裁による棄却の判決で幕が引かれた。

 この訴訟は、1959年に東京地裁が下した在日米軍は憲法9条違反であるという歴史に残る名判決(伊達判決)が、最高裁の差し戻し判決の結果否定された背景に、当時の田中耕太郎最高裁長官と米国駐日大使の密議があったことがその後公開された米国機密文書によって明らかになり、砂川判決の再審査を要求して起こされた訴訟だった。

 本来ならば、棄却されることなく再審査が認められるはずだ。

 そして再審査の結果、あの時の最高裁の判決は不当だったと判決されるべきだ。

 なにしろ、時の最高裁長官が米国と密議して、判決を歪めた事が明らかになったからだ。

 これ以上の司法の中立性を歪めた判決はない。

 まさしく日本は司法権まで米国に従属したという動かぬ証拠だ。

 だからこそ、私は原告の一人である土屋源太郎さんから数年前に協力を頼まれた時、即座にその要請に応じ、米国機密文書の公式翻訳官まで引き受けて再審訴訟に参加してきた。

 そして米国機密文書を読めば読むほど、田中耕太郎最高裁長官(当時)の売国ぶりに怒りを覚えた。

 しかし、私は裁判を重ねるたびに悲観的になった。

 この国の司法もまた、いや司法こそ、対米従属であることを知ったからだ。

 おりから対米従属の安倍政権下だ。

 そして司法は完全に安倍政権側についている。

 再審請求が認められるはずがない。

 そう思わざるを得なかった。

 かくなる上は、国民が真実を知り、いくらなんでもここまで司法が米国に従属してはいけないと怒り出すしかない。

 その怒りが最高裁の判決に影響を及ぼすように持って行くしかない。

 そう思って私なりに情報伝播に努めた。

 ところがメディアはこの砂川事件再審訴訟の事を一切報じようとしなかった。

 これでは砂川事件再審請求訴訟の重要性について国民が気づかないはずだ。

 私は再審査訴訟を重ねるたびに、悲観的になって行った。

 しかし、私が本当に悲観的になったのは、再審査訴訟を行った原告やその弁護団側に、何があっても再審査請求訴訟に勝つという本気度が感じられなかったことだ。

 そもそも砂川事件は安保反対の左翼活動から始まった事件だ。

 今度の原告は当時の活動家たちだ。

 その原告が、当時のイデオロギー活動の発想から脱却できず、ひろく一般国民に訴える努力をしなかった。

 私は、それでは一般国民に広がらないと思った。

 その事を私が私がいくら主張しても、所詮私は原告ではない。

 あくまでも私は本件訴訟の二次的当事者だ。

 私の思いは伝わらなかった。

 そして今度の判決結果も、私は報道によってはじめて知った。

 そこには、原告のひとりである土屋源太郎さんの言葉が次のように紹介されていた。

 すなわち、「怒りを覚える決定だったが、米軍駐留を違憲とする判決があったことを知ってもらう機会ができ、ありがたかった」と述べ、再審請求に意義があった強調したと。

 その程度の再審訴訟だったのか。

 これでは日米安保体制は永久に変える事は出来ない。

 対米従属は永久に続く。

 そして砂川事件はやがて日本国民の記憶からなくなる。

 そうさせては行けない。

 18日に下された最高裁の砂川再審審査棄却判決こそ、平成の田中耕太郎判決だ。

 日本の司法を米国に売り渡した売国判決だ。

 私は新党憲法9条をつくってそれをこの国の政治の中で訴える。

 米軍基地は憲法9条違反であり、日米安保条約がある限り日本は主権国家になり得ないことを国民に提起するつもりだ。

 左翼イデオロギーでない一般国民の政党が、その事を訴えなければいけない。

 それが新党憲法9条である(了)






















































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/232.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 杉田水脈議員のLGBT差別発言は自民党公認! 安倍首相は差別発言まき散らす杉田を「素晴らしい!」と絶賛(リテラ)
杉田水脈議員のLGBT差別発言は自民党公認! 安倍首相は差別発言まき散らす杉田を「素晴らしい!」と絶賛
http://lite-ra.com/2018/07/post-4144.html
2018.07.23 杉田水脈のLGBT差別は安倍首相公認 リテラ

     
     自民党・杉田水脈議員のTwitterより


 自民党・杉田水脈衆院議員が大きな批判を集めている。問題は、現在発売中の「新潮45」(新潮社)8月号に寄稿した『「LGBT」支援の度が過ぎる』という文章が発端となって起こった。

 杉田議員は文章のなかで〈子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります〉とした上で、LGBTにこう言及するのだ。

〈LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか〉

 子どもをつくらない=生産性がないから税金を投入するのは問題。──この主張は、明確にLGBTに対する差別だ。

 あらためて言うまでもなく、憲法では〈すべて国民は、個人として尊重される〉と謳われている。この国に生きるすべての人は独立した個人であり、どんなセクシュアリティをもっていても、あらゆる人が基本的人権を有する者として社会的保障や支援を受ける権利があり、性的指向や性自認によって差別することはけっして許されない。にもかかわらず、子どもをつくらないことを「「生産性」がない」などと言い、為政者が税金を投入することに疑義を呈するというのは、完全に差別を助長するものだ。

 そして、この「生産性」という言葉は子どもの有無にかぎらず、杉田議員の文脈では、さまざまな理由から働くことができない人や障がいをもつ人などにも当てはまるだろう。こういった主張の行き着く先は「弱者に権利を与えるな」「国の役に立たない者に生きる価値はない」という極論であり、相模原事件のようなジェノサイドをも煽動しかねない。そんな危険性を大いに孕むものだ。

 このような杉田議員の主張に批判が高まるのは当たり前の話であり、もっとメディアも問題視して当然だと思うが、だが、そんななかで杉田議員は、さらにとんでもないことを言い出したのだ。

〈自民党に入って良かったなぁと思うこと。
「ネットで叩かれてるけど、大丈夫?」とか「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」とか「杉田さんはそのままでいいからね」とか、大臣クラスの方を始め、先輩方が声をかけてくださること。〉
〈LGBTの理解促進を担当している先輩議員が「雑誌の記事を全部読んだら、きちんと理解しているし、党の立場も配慮して言葉も選んで書いている。言葉足らずで誤解される所はあるかもしれないけど問題ないから」と、仰ってくれました。自民党の懐の深さを感じます。〉(22日のツイート、現在は削除)

 つまり、杉田議員のLGBT差別は、「自民党公認」だと言うのである。自民党は一昨年の参院選の公約でも〈社会全体が多様性を受け入れていく環境を目指します〉などと表向きはLGBTフレンドリーを装っていたが、このような差別発言を容認するとは、一体どういうことなのか。

 しかも、杉田議員によれば、批判が起こってネット上で炎上しても「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと〈大臣クラスの方〉がフォローまでおこなっているというのである。

 だが、それも当然なのだろう。というのも、杉田議員を自民党に引き入れた張本人は、安倍晋三首相だからだ。

■安倍首相は、LGBT差別、女性差別発言を繰り返す杉田水脈を「素晴らしい!」とスカウト

 そもそも杉田議員は、極右政党・日本のこころの所属議員だった2014年10月に国会で「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です」と暴言を吐き、「週刊プレイボーイ」(集英社)でのインタビューでは、日本に男女差別は「ない」と断言。「あるとすれば、それは日本の伝統のなかで培われた男性としての役割、女性としての役割の違いでしょう」「(基本的人権が守られている上に)そこにさらに女性の権利、子供の権利を言い募ると、それは特権と化してしまう」との驚くべき前近代的主張を展開したことで大きな非難を浴びたことがある。

 じつは、LGBTにかんしても、2015年3月27日付けのブログに「LGBT支援策が必要でない理由〜私の考え」というタイトルで投稿。そこで〈生産性のあるものと無いものを同列に扱うには無理があります。これも差別ではなく区別です〉と今回と同様の主張をおこなっている。このなかでも、杉田議員はやはり〈「女性の権利を」とか「LGBTの人たちの権利が」とかというのは、それぞれ、「女性の特権」「LGBTの特権」を認めろ!という主張になります〉と述べ、支援不要論を説いている。

 このように、杉田議員のLGBT・女性差別発言はいまにはじまった話ではなく、もはや杉田議員の“得意芸”になっていた。そこに惹かれたのが、ほかならぬ安倍首相だ。

 杉田議員は昨年の衆院選で自民党から出馬し比例で当選を果たしたが、その舞台裏について、櫻井よしこがネット番組『言論テレビ』のなかでこう語っていた。

「安倍さんがやっぱりね、『杉田さんは素晴らしい!』って言うので、萩生田(光一・自民党幹事長代行)さんが一生懸命になってお誘いして、もうちゃんと話をして、(杉田氏は)『自民党、このしっかりした政党から出たい』と」

 極右思想はもちろんのこと、今回のような女性や性的少数者に対する差別発言を繰り出すことを看板にする杉田議員を、安倍首相は「素晴らしい!」と称賛して、自民党に引き入れたのである。これは、総理という立場では口にできない“本音”を、杉田議員には広めてほしいという役割を期待してのことだろう。

■LGBT差別は自民党公認!竹下総務会長、松野文科相、地方議員までがLGBT差別発言を連発

 現に、今回のような差別発言は杉田議員だけではなく、自民党から飛び出しつづけている。

 たとえば、2015年3月に開かれた自民党の「家族の絆を守る特命委員会」の会合では、渋谷区の同性パートナーシップ条例に対して疑義が呈されただけでなく、複数の議員が同性愛について「考えるだけでぞっとする」などと発言し、しかも場内には笑いが起きたという(朝日新聞2016年11月20日付)。

 また、昨年には、自民党の竹下亘総務会長が「(国賓の)パートナーが同性だった場合、私は(出席に)反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と講演会で発言し、問題化。さらに松野博一文科相(当時)も、学習指導要領で異性愛を当然とするような記述があったことに批判が集まった際、「LGBTに対する科学的な知見が確立していない」などと述べて、学習指導要領でLGBTを扱うことを拒否した。

 そして、象徴的なのが、自民党の新潟県三条支部長を務める西川重則・三条市議の発言だろう。2016年、西川市議は、市の制作委託するオネエキャラのローカルFM局番組パーソナリティに対し、「おかまと聞いている」とした上、その番組に対して支払われている制作委託料286万円に関し「社会常識からして、正常な形でない人を支援する必要はないのではないか」などと発言。すぐさま問題となったが、発言を撤回した際、西川市議はこう述べたのだ。

「自民党公認で選挙をしている私としては、党の『男は男らしく、女は女らしく』という伝統的な家族観を広める立場にある」

 これこそが自民党、そして安倍首相の偽らざる指針なのであって、この「伝統的家族観」からはみ出る同性カップルや女性の権利向上などは認めるわけにはいかない。だからこそ、女性という立場からズバズバとそうした本音を「代弁」してくれる杉田議員や稲田朋美議員といった人物を、取り立てて安倍首相は贔屓にしてきたのだ。

 安倍首相のお墨付きを得ている杉田議員は、いくらネットで炎上しても、これからも今回のような差別発言を繰り返すのは間違いない。だが、これはLGBTにだけ向けられた刃ではない。杉田氏をはじめとする自民党議員の主張の根本にある「個人よりも国家」「弱者の権利は認めない」という考え方は、あらゆる人びとの自由と権利を脅かすものなのだから。

(編集部)

























































http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/233.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 誰も声を上げなければ日本も「実質的独裁国」になる、と海外から警告する人がいる。しかし、選挙が真面でなく、どう声を上げれば
誰も声を上げなければ日本も「実質的独裁国」になる、と海外から警告する人がいる。しかし、選挙が真面でなく、どう声を上げればいいのか?
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/afcade9f82613ceabf62e393ce0ef868
2018年07月23日 のんきに介護


yukinokakera@yukinokakeraさんのツイート。



これまでは、

メディアが国民の声を吸い上げた。

今は、それがファンタジーになってしまった。

頼りになる選挙は、

「ムサシ」に仕切られている。

その不合理をつくと

科学に背を向ける人間がごとく

言われる。

いわく、証拠がない、陰謀論などなど。

メディアは、

僕に言わせれば、不正選挙の共犯者だ。

確かな証拠があっても、

人は耳を貸さない。

一体、どちらが科学に背を向けているんだよ!!

メディアを立て直すか、

トランプのごとく、

メディアととことん闘い、首をねじ伏せるか、
























http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/234.html

記事 [政治・選挙・NHK248] 安倍だけが民主主義の破壊者ではない ガブリエル×國分対談(世相を斬る あいば達也)
安倍だけが民主主義の破壊者ではない ガブリエル×國分対談
https://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/b50c2cd1a88df35c246cb868e7c775b8
2018年07月23日 世相を斬る あいば達也


本日は対談のみを掲載する。(容量の都合上)

≪哲学者が語る民主主義の「限界」 ガブリエル×國分対談(2)

マルクス・ガブリエル×國分功一郎(対談)

 國分功一郎氏:たくさんの方に来ていただいてうれしく思います。ガブリエルさんにもわざわざ日本に来ていただいた。とてもうれしく思っています。少しだけ全般的な話をしてから、応答に入っていきたいと思います。先ほどこの対談を前に、高久記者から「いま哲学はブームになっていると思いますか」という質問を受けました。確かにガブリエルさんの本がよく売れていて、僕の本もまあまあ売れているのですが(笑)、ちょっとそういうブームがあるのかもしれない。哲学の本が売れる。さらには新聞社主催のイベントでこうして哲学を研究している僕らが話をするとなると、たくさんのお客さんが来て下さる。

 ガブリエルさんは今日、民主主義の危機をテーマに話しましたが、なぜ哲学がブームなのか、仮にブームがあるとすると、やはり危機と対応しているからだと思います。はっきり言って人が幸せに暮らしているときは、哲学はいらないんです。古代ギリシャでもやはり危機が起きたときに哲学が起こりました。プラトンがいたアテナイは、腐りきったアテナイだった。ですからいま哲学が求められているのだとしたら、それはやはり何らかの危機があるのだろうと思います。そして、恐らく今日ここに来ている方は、政治に関しての危機に非常に自覚的な方が多いと思います。きょうは、ガブリエルさんはドイツのボン大学の先生なので、ドイツの話も少しうかがいながらそれについて考えていきましょう。というよりも日本と同じ敗戦国としてスタートしたドイツを日本はしばしば比較対象としてきました。その比較は今でも有効だと思います。日本とドイツはどこが似ていてどこが違うのか。ドイツでは民主主義がどう考えられているのか。そうした点についてもおうかがいしたいと思っています。

 ではガブリエルさんの講演に応答していきましょう。デモクラシーの本質(ネイチャー)と、デモクラシーがいまいったいどう実行されているかという話を皮切りに、古代ギリシャとフランス革命という例が出されました。強調されていたのはまず「価値」、僕らがどういう価値を民主主義的な価値と思っているのかということです。更に、それはどういう事実に基づいているのかというふうに話が展開され、そこからどういう権利が導き出されるのかというところまで話は及びました。つまり、バリュー(価値)、ファクト(事実)、ライト(権利)がいわば等号で結ばれるような形でガブリエルさんは語られた。哲学はしばしば「自然の発見」によって始まったと言われますが、哲学の役割の一つは、ファクトを発見していくことなのかもしれないと考えました。

 さて、ガブリエルさんが依拠された民主主義の価値の中心にあったのは、「平等」だと思います。平等という価値を一番大事なものとして民主主義をとらえているからこそ、古代ギリシャは奴隷がいたからダメだということになる。この平等を考える時、一つ厄介な問題があると思います。先ほどは経済的な平等の話が出ましたが、民主主義における平等という場合には、もう一つ大事な平等があると思います。それは「決定への平等な参加」、つまり「メンバーシップ」の問題です。

 言い換えれば、「僕は日本国民だから日本国の政治決定に、他の人と同じように平等に関われるはずだ」という権利の問題でもあります。しかし、いまグローバリゼーション下で問題になっているのは、いったいそのメンバーシップをどう確定できるのかということです。「日本国民に平等に決定権があるべきだ」という主張はとてもいい主張に聞こえる。でもそれは他方では、「外国人は入るべきではない」という主張にもなります。

 例えば昨年、フランス大統領選の際、マリーヌ・ルペン(フランスの極右政党の候補)が最後まで残って世界を大変驚かせました。彼女は「フランスのことはフランス人が決めよう」と言っていました。よく事情を知らないでルペンの話を聞いているとけっこういい話に聞こえてしまう。僕はどういう人か知っているから「何を言っているんだ」となるけれど、実のところ、上ずみだけ聞いているととてもいいことを言っているように聞こえるのです。決定権における平等の問題が排除と結びつく場合があるという問題がここにはあります。

 僕らは国民国家をもはやこのまま維持できないということは分かっている。でも他方で、誰にでも決定権を与えてよいという考え方にみんなが賛成するかというと、ちょっと疑わしい。ではどうやって政治的決定権を考えるか、平等なメンバーシップの問題をどうガブリエルさんは考えているのでしょうか。

「価値と知」「メンバーシップ」について

 ガブリエル氏:二つのパートに分けて、國分さんのコメントに答えます。まずは、「価値と知」という問題。もう一つは「メンバーシップ」の問題になります。一つ目に関していえば、哲学だけがそうした「知」を明らかにする役割を担っているわけではなく、科学全体、社会学とか政治学とか、物理学とか数学とか、こうしたさまざまな学問がすべていっしょになって「知」を生み出しているわけです。(民主主義のための)「知」は、個々の学問分野がばらばらに生み出すことはできません。物理なら物理、政治なら政治、哲学なら哲学、科学はさまざまな法則を発見し、知を生み出しますが、そうしたものが集まることによって我々が必要とする知を獲得することが出来るのであって、こうした共同的な営みを実現していく必要があります。ただ、こうした共同的な営みはいまのところは起きていません。起きるべきだと私は言っています。それによって哲学は民主主義の実現に貢献することができるでしょう。

 國分さんは、非常に重要な問題、メンバーシップの問題を提起してくれましたね。この点について完全に同意します。つまり、民主主義の本質というのは、国民国家というものと相いれないということです。国民国家を超えて民主主義が拡張されなくてはならないという発想は、カントが言ったのが有名です。要するに、国民国家というものと民主主義は相いれないものなのです。これはまさに哲学的な洞察で、普遍性という原理からこうした洞察が導かれるわけです。この普遍性原理に基づかない民主主義を実現しようとすると、まさに帝国主義的なやり方になってしまう。まさに(今日の)グローバルなコミュニティーでは、民主主義を実現するためにまったく新しい構造が求められているわけです。

 もし国民国家をひたすら維持しようとするならば、多くの国に独裁的なものがうまれるでしょう。他にいくつかの小さな「希望の島」とでも言えるようなものはできるかもしれませんが。なぜかというと私たちが直面している問題を解決することが国民国家ではできないからです。私たちが直面している気候変動であったり、経済的な格差といったりした問題はグローバルな性格を持つものであって、そうしたものに対して、国境を線引きして、ここからこちらは関係ないと線を引いてしまうことはできません。

 難民や移民は、民主主義という名の下で自分たちの人権を求める権利を持っているわけです。しかし、そうした問題に対して、現在は彼らの人権を否定してしまうような状態になっています。この問題は非常にグローバルな現象ですが、彼らが求めているのはまさに人権を自分たちのものにするということです。彼らはまさに民主主義者と言えるでしょう。

 ただ現在は移民、難民の問題は、ポピュリストたちに利用されていて、ナショナリストのプロパガンダのために利用されてしまっています。私たちがこの状況において選べる道は二つあります。一つは、こうした状況を鑑みて、国民国家を超えた「グローバルなシチズンシップ」を与える民主主義の形式に転換していくこと。二つ目の選択は、まさに人類を破壊してしまうことです。私たちは今(国民国家に基づいた)民主主義の限界に直面しているといえるでしょう。


対談するマルクス・ガブリエルさん(中央右)と國分功一郎さん(同左)。右端は通訳を務めた斎藤幸平・大阪市立大学准教授、左端は朝日新聞の高久潤記者=2018年6月12日午後、東京・築地、越田省吾撮影

国民国家と民主主義

 國分氏:いまガブリエルさんは非常に強い主張をされたと思います。「国民国家は民主主義と相いれない」というものです。非常に強い主張で、これを僕はどういう風に扱ったらいいかなと聞きながら考えていました。一方でもちろん賛成です。カントの「永遠平和のために」という本がすごいのは、何か世界的なルールを作りましょうと言っているわけじゃないところです。カントは、「ホスピタリティー(歓待)」のルールさえあればいいと言っている。市民が互いに世界を行き交っていれば、自然と世界がよくなる、それ以上のルールを作ってはいけないという。これがカントの面白いところで、これが本当に実現されれば、確かに国民国家は薄まっていって、もしかしたらグローバルなシチズンシップにも近づいていくのかもしれません。「移民、難民は民主主義者なのだ」という主張も非常によく分かります。ある意味で、だからドイツは難民を受け入れる決断をして、まさしくカントが言っていたような「歓待」のルールを実践してきたわけです。

 ただ他方で、一足飛びにグローバルなシチズンシップに僕らは行けるのか、とも思います。そこで一つ問題になってくるのは、手紙の中で出した「主権」ということばです。主権というものは非常に扱いが難しい。一方で民主主義は「民衆が主権を行使する」ということを意味します。でも「主権」という概念はやはりどこか怪しくて、本当に自分たちで自分たちのことを統治できるのだろうかという疑いもあるわけです。国民国家という枠を取り払ってしまったときに、いったい主権はどういう形で担われることになるのか。つまり、グローバルなシチズンシップを目指していく中で、主権をどう考えたらいいのだろうか。

 というのも、ぼくは「主権」という考え方に懐疑的ですが、今のところ、主権がない政治を思い描けないのです。もしかしたらガブリエルさんは「主権のない政治」みたいなことを考えていますか? 主権についてどういうことを考えているかお聞きしたい。

 ガブリエル氏:私も、(その後に)デリダが議論した「歓待」という発想を支持しています。とはいえ、以下では「主権」というテーマの歴史にさかのぼって考えたいと思います。一番有名なのはトマス・ホッブズですが、ホッブズ自身は主権や民主主義というテーマで論じられることが多いものの、彼自身は民主主義者ではなく、むしろ奴隷を所有しました。彼の哲学、政治理論というのは矛盾を含んでいます。

 ですから、私たちは政治と主権というものの関係について考え直す、再考する必要があると思います。私たちが民主主義について考えるとき、しばしば「人民の主権」、自分たちで統治する、人々により多くの権力を与える、というかたちで考えがちですが、民主主義というものは、先ほど説明したように普遍的な価値システムなわけですから、主権という概念とは相いれないものです。

 なので、主権という概念はいりません。主権なしに新しく民主主義について考える必要があります。ホッブズの場合は、政治的な共同体を内戦の結果として生まれたものとして理解しています。自然状態では人々は闘争をしてしまうので、それを調停するために社会が生まれたと考えるわけですが、こういう考え方をやめる必要があります。実際、主権が存在しなければ人々は自然状態における内戦状態になってしまう、という実証的な裏付けは、ホッブズの主張にもかかわらず、ないわけです。

 むしろ、ホッブズの主権理論は、アメリカの先住民族に対するジェノサイドを正当化する目的で、自然状態を早く乗り越えないと内戦が深刻化してしまう、そのため強い主権が必要だ、という奴隷所有者としてのホッブズの主張と結びつけているわけで、そうしたものを受け入れる必要はないのです。

民主主義と主権

 國分氏:もう一つ、非常に強い主張が出されたと思います。先ほどの「国民国家と民主主義は相いれない」というテーゼに加えて、「民主主義と主権の考え方は相いれない」というテーゼですね。これは僕は今の政治理論の最先端の問題だと思います。先日、僕は憲法学者の石川健治先生と憲法について話しましたが、石川先生も主権概念について非常に強い疑問を呈されていました。やはり正面から理論的に考えると、主権という概念には大いに問題があるのです。まやかしがあると言ってもいい。例えばハンナ・アレントは主権の概念をまったく認めない立場でした。僕の専門分野だと、デリダもずっと主権について批判的な考察をしてきました。だから、すごくよく分かる。

 ただ主権を要求しなければいけない場面も間違いなくあるということも一応付け加えておきたいと思います。3年前、僕はフランス留学時代の恩師であるエティエンヌ・バリバール先生がいるロンドンの大学に客員研究員として滞在していたんですが、その時、先生の講演会に行って、同じようなことを質問したことがありました。主権概念に問題があるのはよく分かる。しかし主権を要求しなければならない場合もあるのではないか、と。バリバール先生は、「それは『WHEN(いつ)』と『WHERE(どこで)』の問題だ」とおっしゃいました。やはり場合によっては主権を要求しなければならない。

 例えば、いま沖縄県で、外国の軍隊の基地が、ものすごくきれいな海を埋め立てて造られています。地元の人の反対の意思があるけれども、本土は基本的に無関心です。僕はしばしば「この国は本当に主権国家なのだろうか」と思います。「基地を造ろうとしている国の『属国』なんじゃないか」と感じるときがある。こういうとき、主権を要求する必要が出てきます。

 話を少し展開しましょう。ガブリエルさんの今日の話で印象的なのは、「平等」を非常に大切にされているとともに、「ナレッジ(知)」の重要性を強調されているところだと思います。僕はガブリエルさんに宛てた手紙を、自分が体験した、地元の道路建設をめぐる住民運動から書き起こしました。様々な知識や情報がきちんと共有されない。これは情報公開の問題でもありますが、行政と住民は知識と情報に非対称性があり、住民側からこういう事実があると持っていっても、一方的に「道路をつくる必要がある」と言われてしまう。民主的社会が実現するためには、知識と情報を行政と市民が平等に共有することが非常に重要だと思います。

 ただ、ここにパラドックスがあります。ガブリエルさんも政治家の無知について言及されていましたが、そうすると、たとえば専門知識がある人が大臣になるのがよいのだろうかと考えてしまいます。例えばイタリアでは先日、法学者が首相になりました。一見すると、経済学者が財務大臣になるといい気がします。けれどもそれには民主主義的には問題があります。専門知識を根拠として政治家や大臣が選ばれるとなると、それは民主主義的に見て正統なのかということです。もし専門知識を持った人が大臣をやるのがいいならば、選挙をやる意味がなくなってしまう。ここには、専門知識と民主主義的手続きの問題がなかなか一致しないという重大な問題があります。

 危機のときには専門知識を持った大臣の方がいい気もします。けれども、これを常態化、恒久化していいのか。もしこれを認めるなら僕らはある意味で民主主義を捨てることになります。けれども他方で、今の世の中でみんなが専門知識を持つことも不可能です。例えば僕は、年金の仕組みなど全然分からないわけです。厚生年金とかもよく分かっていない。自分に関係あるのに(笑)。これはある意味では20世紀頭ぐらい、あるいは19世紀からかもしれませんが、ずっとある「行政国家」がもつ問題です。専門知識が必要だけれども、それがなかなか民主主義の中では共有できない。この問題についてはどうですか。

専門家の意義

 ガブリエル氏:私が言っていたモデルというのは、別に科学者や専門家がそのまま政治家になって統治をすべきというものではありません。政治家自身も当然、私が言ったような政治家としての地位があるので、それは尊重されなくてはなりません。実際、専門家という点においては、今のシステムでは官僚がいるわけです。官僚が年金などの問題についての専門家として既に存在しており、彼らは終身雇用の立場で、政治家たちよりも長い期間はたらく専門家として機能しています。たまたまドイツでは博士号を持った物理学者のメルケルが首相で、彼女は物理学の専門家でもあるわけですが、それはたまたまであって、そういう人が首相になることを、私が薦めているわけではありません。いずれにせよ、官僚のような専門家は必要なのです。

 私が言ったのは、公聴会がもっと必要で、重要な問題について公聴会を必ず開かなければならないということです。実際、法律の教授なら法律の技術的で複雑な問題について相談を受けて、公聴会がしばしば開かれているし、経済学の教授なら同じような形で(経済に関する)公聴会に呼ばれています。ところが、哲学の公聴会はどのくらいの頻度で開かれているしょうか。化学だったら、薬学だったらどうでしょうか。こうした問題についても、もっともっと公聴会を開いていく必要がある、というのが私の考えです。

 その上で付け加えますが、いままさに話しているこの場も公共の場、「公共圏」ということです。そういう意味ではジャーナリズムも非常に重要です。ここではある種の「分業」があるわけですが、まさに「公聴会」はこうしたかたちでも開かれているといえます。この場で私たちの話を聞いて、みなさんは(市民として)自分なりの意見を形成することが出来るのであって、こうした場をもっともっとつくっていく必要があるでしょう。ですからジャーナリズムは民主主義のために非常に重要なものです。

 もう一点あるとすれば、インターネットの問題です。インターネットをどう規制するかが非常に重要になってくるでしょう。なぜかというと間違った情報ばかりでは、しっかりとした公共圏が形成されないので、インターネットを「野性」の「なんでもあり」の状態で放置しておくわけにはいきません。その意味で規制を考えていく必要があります。その上で、主権を含めて民主主義をどうやって実現していくかという問題を考えていかなければなりません。


対談に臨む國分功一郎さん=2018年6月12日午後、東京・築地、越田省吾撮影

 國分氏:「知識」を通じて考えた問題にもう少し、こだわりたいのですが、公聴会をめぐるガブリエルさんの提案に僕は賛成です。「来るべき民主主義」(幻冬舎新書)という著作で僕が民主主義について提案したことも、とても穏やかなことです。議会は万能でも何でもない。ところが民主主義の話をすると、みんなすぐに議会の話になる。「議会をよくしよう」という。でもそうではなくて、民主主義にはもっと別の、民衆の意思の実現ルートがあっていいはずです。例えば僕が関わった住民投票もその一つだし、公聴会もそう。そうしたいろんなパーツを民主主義に足していって、民主主義的な意思の実現のルートを増やすという提案を僕はしてきました。ですから、今のガブリエルさんの話にすごく共感するところがありました。

 さきほど行政権力の問題に触れましたが、この点について別の観点から考えてみましょう。行政権力が専門化しているがゆえに極めて強い力を持つというのは、20世紀にずっと指摘されていたことです。「行政国家」という専門用語でこれはずっと論じられてきました。ただ、行政の方が民主的な手続きに先立って動いてしまうことには理由があるというか、必然性もあるんですね。それは何かというと「スピード」の問題です。グローバリゼーション下では信じられないスピードで、災難が国に降りかかってくるわけです。それに対していちいち選挙して代議士を出して、議会で話し合って……ということは正直できない。いまのグローバリゼーション下では、猛スピードで事態が進行するため、どうしても行政権力は強くなります。

 ドイツというのはある意味で、これを20世紀頭に悲劇的な形で体験した国だと思います。というのも大恐慌が起きて、ワイマール期の民主的な議会は何も決められなくなっていき、どんどん立法権を行政の方に手渡していくということが起こる。そうした結果としてナチズムが出てくるわけです。ナチスによる独裁というのは要するに行政が立法権を持つ、ということです。

 行政は法律によって常に規制されているし、規制されなければならないわけですが、自分たちで自分たちのルールを作ってしまうというのは自分たちで好きに出来るということですから、これは行政の「夢」なんですね。ナチズムとは、絶対に実現してはならない行政の「夢」を実現してしまったものとしてみることができます。

 民主的な手続きにはスピードの点で劣るという構造的な弱点がある。特に現代では民主主義とスピードの問題を無視できないと思う。これはポール・ヴィリリオ的な問題ですがどう考えますか。

民主主義の理念と実行の緊張関係

 ガブリエル氏:まさにおっしゃるとおりです。ここには再び、ここまで話してきた緊張関係が存在しています。つまり、民主主義の理念と、実際にそれをどう実行・実現していくかという問題の間にある緊張です。これは行政の問題になってくるわけですが、行政というのは「中間の媒介的な層」であって、経済、警察の問題、あるいは、火事が起きた時に消防士を派遣するといった問題に対応するわけですが、情報は複雑なわけですから、行政の役割とは、情報を、フィルターを通じて濾過(ろか)して複雑さを減らして処理することなわけです。

 ここでの問題は、そうしたフィルタリングを通じて行政がだんだんと権力を増していくことです。つまり、情報処理すること自体が行政に権力を与えてしまう。この問題に対抗するには、倫理的なものが必要になります。民主主義をいざ実行しようとすると、そうした問題が出てきます。ルソーはかつて「市民宗教が必要だ」と言ったわけですが、これがまさに今で言う倫理が必要という話です。人々が責任感をもって行政を扱う必要があります。行政を行う人もまた市民なのです。

 例えばメルケルであっても、法の前では私と同じ市民であって、その意味では「平等」なのです。メルケルはもし気にくわなければ権力を使って私を抑圧することができるかもしれません。でも倫理的にみたらそれは誤りを侵していることになります。とはいえ、抑圧することは非常に簡単なわけです。

 そういう意味では、哲学が出来るだけ速い段階で人々に教育されること、つまり倫理的判断が出来るためのトレーニングを初期教育として行っていく必要があると思います。中学や高校で、数学と同じように教えるべきなのです。数学もトレーニングなしにはできないように、倫理的判断もトレーニングなしにはできません。倫理的教育は簡単なものであれば5〜6歳でもできるので、出来るだけ速く学校で、哲学を他の学問と同じように教えるべきだと考えています。

 國分氏:同感です。実はいま日本では役人が書類を勝手に書き換えたことが問題になっています。この事件は役人が悪いというより、政治家がプレッシャーをかけているから起こったものなのですが、実のところ、僕はあの事件で一番問題だと思うのは、あまり大衆が強く怒っていないことです。とんでもないことが起こっているのに全然怒っていない。それどころか「もう分かったから報道はやめろ」という声すらある。

 僕はここでアレントが「全体主義の起源」で示した、大衆社会における大衆の姿を思い出します。アレントは「大衆は何も信じていないから、何でも信じる」と言っています。何か「これだけは動かせない」という価値を信じていないから、何が起きても「ああそうなんだ」とすぐに信じる。

 もう一つ大事な要素は、そうした「軽信」(何でも信じる)と合わさった「シニシズム」です。どういうことかというと、騙されたことが分かっても、その次の日には「ああ、まあそうだろうと思っていたよ。分かっていたよ」とシニカルにそれを受け入れてしまうのです。騙されていることに驚かない。僕は、これは完全に今の日本だなと感じます。首相が「福島の原発はアンダーコントロール」と言っても、怒らない。そういうことが常態化している。そして、そうした事態を招いている原因の一つは、アレントの分析に従うならば、人びとが何か価値を信じていないということにある。

 例えば今日、ガブリエルさんは「民主主義において平等が大切だ。価値を共有することで権利が生まれる」とおっしゃった。僕もその通りだと思いますが、日本の問題は「平等」とか「権利」といった価値が信じられていないということなのです。ここからルソーの言う「市民宗教」について考えることもできるでしょう。「市民宗教」もまた、ある種の価値の共有のために必要とされるのです。僕は最近「信じる」ということが大切だと思っているんです。ではどうすれば、みんなが価値を信じることが出来るのだろうか。これはガブリエルさんに伺うようなことではないかもしれませんが、もしご意見があれば伺いたいです。

 ガブリエル氏:大衆心理に対する診断について、完全に同意します。これは解決策ではなくある種の提案ですが、教育において読み書きを教えるわけですが、読み書きについてはみんな「それは必要だ」というわけです。読み書きなんて教えなくていいという人がいたら「狂っている」と思うでしょう。それに対して、倫理的なことについて無知な状態は一般に受け入れられてしまっています。この状況は本当に大きな過ちです。私たちが民主主義的な社会システムのもとで生きている状況で、本来は「自由に考える」ということが重要ですが、幼稚園や学校では決して教えられない。むしろ「自由に考えない」ように教えられているわけです。

 本来、「自由に考える」というのが最も重要な教育における原理であって、最初に挙げられた大衆の問題も「自由に考える」ということを徹底すれば解決できる問題なのではないでしょうか。いま日本でもドイツでも直面している問題は同じもので、「自由に考える」ということで一つの解決策が見えてくるのではないか。

 もし、「自由に考えること」ということに同意しない人がいたら会ってみたいですね。トランプ(米大統領)は同意しないかもしれないが、彼は民主主義者じゃないので放っておきましょう。

立憲主義と民主主義

 國分氏:次に立憲主義と民主主義の関係について話し合っていきたいと思います。まず、簡単な質問なんですが、ドイツでは「立憲主義」って言いますか?

 ガブリエル氏:言いますよ、もちろん。

 國分氏:実はこの言葉、日本では少し前まであまり使われなかった言葉なんです。法律の専門家は使っていたけれども、一般的にはほとんど耳にすることはありませんでした。どうしてこんな専門的な言葉が注目を集めるようになったのかというと、この原則が危うくなってきたからです。

 立憲主義の考え方というのはある意味では簡単で、どんな権力も制約を受けるということです。民主主義というのは民衆が権力をつくる政治体制のことであり、これと立憲主義を組み合わせたのが近代国家の基本的な枠組みであるわけですが、だとすると、立憲的民主主義の政治体制においては、「民衆が権力を作るけれども、その権力でさえも憲法によって制約を受ける」ということになるわけです。つまり、「民主主義だからといって民主的に決めれば何でもやってよいわけではない」というのがその基本的な考え方になります。

 すごく分かりやすい例を挙げると、人種差別を合法化するような法案を国会で通すことは民主主義においてあり得ます。しかし、そういう法はあらかじめ憲法によって禁止されているので、最終的にはボツになる。そうやって、あらかじめ民主主義がやっていい範囲を決めておくのが立憲主義の考え方です。ただ、立憲主義と民主主義の関係は、国とか、地域、歴史によって色々変わってくるものだと思います。ドイツでは、民衆の力としての民主主義と、それに対する憲法の制約について、どういうふうに受け止められているでしょうか? ドイツは立憲主義的な発想が非常に強いと聞いていますが、どうでしょうか?

 ガブリエル氏:まさにこの問題はドイツにとっても中心的な問題で、立憲主義も様々な論者が強調する問題です。立憲主義とは、どのような権力も制限されなければならないということです。ドイツの憲法でも立憲主義が言われており、第1条は、人間の尊厳は不可侵である、としています。これが第一命題となっていて、そのうえで2条、3条以降も書かれている。

 私の今日の話は、このドイツ憲法第1条の私なりの解釈だったわけです。戦後ドイツは人々が権力をどのように制約するかという観点から憲法をつくったわけですが、重視されたのは、倫理的な土台がなければならないということです。政治的なシステム、つまり国家は単なる形式的なシステムではなく、倫理的な基礎をもったシステムになっていなければなりません。倫理的な基礎がなければ、すぐに無制約的なシステムや権力に取って代わられてしまうと考えました。

 國分氏:いまのお話に同意です。ただ、いまおっしゃった「倫理的な基礎」についてはもう少し考えるべきことがあると思うんです。現在の首相である安倍氏は、「憲法解釈に責任をもつのは内閣法制局長官ではなく、選挙で国民の審判を受けるこの私だ」という発言をして物議を醸したことがあります。こう発言する彼が、法とは何か、憲法とは何か、立憲主義とは何かについて、何も知らないし、何も分かっていない、無知な人間であることは明らかです。しかし、そこには、それでもなお論ずべき論点があると思います。それは何かというと「民主的な権力はいったいどこまで及ぶのか? どこまで及ぶべきなのか?」という問いです。

 もちろん、ドイツの憲法第1条の理念を否定する人はいないと思います。でも、「憲法に書かれているからもう絶対に誰も手出しできない」ということは、民主主義の理念とどう折り合いをつけることができるのか。この問いは抽象的には考えられないものかもしれず、論点ごとに考えなければならないことかもしれません。ただ理論的問題としてそういう問題があることは指摘しておきたいのです。

 こう述べながら僕が思い出しているのは、アントニオ・ネグリという哲学者です。ネグリ氏はイタリアの左派の哲学者として世界的に有名な人ですが、このネグリ氏は明確に立憲主義に反対しています。彼に言わせれば、民主主義は、民衆が自分たちで自分たちのことを決める政治体制なのだから、どうして他の原理が必要なのかということになるわけです。僕はネグリ氏に同意しませんが、しかし気持ちは分かる感じもするわけです。

 立憲主義というのはある意味、エリート主義的な原理だと思います。民主主義が下からつくっていくものだとしたら、立憲主義は上から「はいダメ」と言ってくる。だから立憲主義に反対する人がいることは分からないではないのです。日本の首相だけではなく、哲学者にもそういう人がいる。「なぜ自分たちが決めちゃいけないのか」という民衆の反発をどう考えたらよいでしょうか。

 ガブリエル氏:幸運なことに、人間の尊厳についてドイツでは「それが必要ない」というふうに誰も否定しないわけです。それは極右であっても、どんな人であっても人間の尊厳の重要性については否定しない。このことからも分かるように、民主主義は制限されています。民主主義が決定できることは「全部」についてではないわけです。例えば我々は「誰かを拷問するかどうか」について、投票を行うべきではありません。この部屋で誰かを拷問するかどうかを投票して決めてはいけないわけです。そういう意味で、民主主義が投票で決められる内容は制限されています。それに対して、極左の人たちは何でも決定できるという発想になってしまいますが、それが実現すると、スターリニズム、毛沢東主義になってしまう。だから私はネグリ氏の考えには明確に反対しています。民主主義にはとにかく制限が必要で、この制限はどういったものかというと、ふつうの正しい考え(ライト・マインド)を持っている人なら決して疑問視しない。

 例えば、人間の尊厳についての問題がそうでしょう。人間の尊厳を傷つける拷問は、民主主義が絶対に決めてはならない。つまり民主主義は自分自身に、つまりは民主主義自体に反対することができません。これが、私が主張するラディカル・デモクラシーという理念になります。「民主主義は民主主義についてのものである」というのがラディカル・デモクラシーの基本的な発想です。

 ヘーゲルは「法哲学」で「法は自由意志を欲する自由意志である」と言っています。つまり自由意志を実現するものに反対するようなことを望むことはできません。民主主義には決して疑問視されてはならない内容、事項が存在していて、もしそれを望んでしまうなら、2+2=7と言ってしまうような非常に大きな誤りを犯すことになる。2+2=7なら単に数学の計算間違いですが、民主主義の場合は、非常に深刻な倫理的な誤りを犯すことになるわけです。

 國分氏:日本では数年前、「いつまでたっても憲法を変えられないから憲法の変え方を変えてしまおう」と構想した首相がいて、それが今の首相です。今のルールの下で、ゲームのルールを変えることができるのかというすごく形而上学(けいしじょうがく)的な問題なんですが、総スカンを食らったので彼はこれを引っ込めました。ところが、そういう光景を目にしても日本人はあまり驚かなかった。あれにもっと驚くべきだったということだと思います。立憲主義的な価値の共有がいかに尊重されているか、それがドイツの話からよく分かったように思います。これを日本でどう実現できるか。そうしたことを思って話を伺っていました。


対談するマルクス・ガブリエルさん(中央右)と國分功一郎さん(同左)。右端は通訳を務めた斎藤幸平・大阪市立大学准教授、左端は朝日新聞の高久潤記者=2018年6月12日午後、東京・築地、越田省吾撮影

倫理は教育できるのか

 ――会場からの質問を受ける前に一つ質問させてください。民主主義には倫理が欠かせないということでしたが、それはどう教育できるのでしょうか。相次ぐテロなどをみていると、民主主義を含む欧米型の政治体制に反発を抱く人は少なくありません。

 ガブリエル氏:あらゆる子どもたちは生まれたときに、倫理的な問題に対するある種の感性を持って生まれてきます。子どもたちはすぐに規範というものを求めるようになります。人間というのは、規範性に対する感性を持って生まれてくる。つまり、大多数の人間は、生活において規範的な構造というものを探しながら生活するわけです。

 その時に選択肢が限定されたものにならないといけないわけです。もし私たちが子どもたちに倫理を早い段階で教育したとしたら、彼らがのちに権力や社会的地位を得た時に、何でも選択するわけではなくて、例えばいまおっしゃったような、民主主義の価値をまったく信じていないような人々が行ってしまうような論理づけ、理由づけにおける誤謬(ごびゅう)、誤りというものがだいたいなくなるわけです。

 民主主義を信じないで排外運動に傾くような人たちは、欠陥を含んだ理由付けをしてしまっています。例えば「ユダヤ人は悪いやつだ」と信じている人たちに「なぜそう考えるのか」と聞くと、そのときにかえってくる理由づけは、まさに欠陥を含んでいる薄弱な推論です。

 もちろん、倫理的な教育をしたとしても、そのうえで人々の意見が異なって合意しない、意見の食い違いは存在します。ただその時の意見の食い違いは合理的な形をとるようになるわけです。つまり、ちゃんとした理由づけをできる人たち同士の意見の違い、互いに違うようになるという状態は、それ自体が倫理的な状況と呼ぶことができます。なぜかというと、同意していない物事についての「幅」がすでに限定されていて、そこでの意見の不一致はめちゃくちゃなものではなくて、合理的なものになっている。そういうものが実現された状態こそが、私が民主主義の「倫理的な土台」と呼ぶようなものです

多数決は平等なのか

 【会場からの質問】いまの民主主義は本当に平等なのか疑問です。多数決は平等なのでしょうか。結局、少数に回ってしまった意見は切り捨てられてしまいますし、代表として選ばれた人は選んだ人の利益だけを追求しており、みんなの権利を探していく民主主義の理念からは隔絶したものに感じられます。

 もう一点、なぜ民主主義は専門家に任せられないのか。例えば水、病院、通信の管理は専門家に任されています。そこには信頼の上でいろんなものが成り立っていますが、なぜ政治は成り立たないのか。自分には自分の専門があって、政治について考える時間がない。すごく短い時間で、政治家が口で言っているすごく少量のことからしか考えられない。自分自身もみんなも無知で、無知な人が代表を選んで、結局はうまくいかない。

 だったら全体を考えてくれる人に任せる選択肢があってもいいのではないか。今まで失敗しまくってきたのかもしれませんが。

 國分氏:日本では「民主主義とは多数決である」という通念が非常に強く存在しています。そんな考えはドイツであるのか、お伺いしたいです。

 あとなぜ専門家に政治を任せてはいけないのかという点に僕が応えておくと、そうやってしまうと、自分が困ったときに何もできなくなるということだと思うんです。道路を作りますが、あなたの家が邪魔ですのでどいてくださいと言われた時、何も言い返せない。確かに何の危機もないときは、政治に参加していなくても何も困らない。けれども、災難が降りかかったときにはものすごく困ります。

 ガブリエル氏:どちらの質問も面白いのですが、日本に来てからよく聞くのが「少数派をどう扱うべきか」という問題です。ドイツでは多数決ではなく、同意を形成していくことが重視されています。今日の話でいうと、「倫理的な土台」を考えるときに、多数決で圧倒的な多数を占めたからといって、その意見が重要なのではなく、「倫理的な土台」に基づいて考えたから、その決定がみんなのためになるから効力、力を持つわけです。

 例えば何か権利を行使するさいには義務がある。その義務とは反対する人を抑圧しない形で権利を実行していかなければならないということです。そうでなければ、倫理的な誤りを犯すことになるでしょう。

 もう一点ですが、専門家に任せればいいというのは、まさに中国がそういったモデルになっていますが、私はその仕組みに賛成しません。ある種の独裁です。それが監視社会と結びつく。専門家と監視社会が結びついて独裁がもたらされるというのは、わりと専門家が一致する見解ではないでしょうか。

 國分氏:一つだけ。僕は住民投票は最後の手段だと思っています。他にどうしようもない時に使われるべき手段ですね。あと、住民投票の制度は、いろいろなかたちが研究されています。単に「51%だったらOK」とはしないやり方があるということだけは言っておきます。

 【会場からの質問】お二人にお聞きしたいのですが、ものすごい衝撃を受けたテーゼが二つあります。一つは「民主主義と国民国家は相いれない」。もう一つは「民主主義と主権は相いれない」という。国民国家も主権も必要としない、それに代わる新しいシステムはありうるのか。公聴会の話がでましたが、日本では往々にして政府の息がかかったものになり、あまり実質的な効果を果たしていない。ドイツではそれを防ぐ仕組みがあるのかどうか教えてください。

 國分氏:実のところ僕も、ガブリエルさんはそこまではっきり言うんだとは思いました。ただ、国民国家について少しだけ言っておくと、国民国家と国家は違うので、国民国家はなくなっていっても、国家は残るわけですよね。国家という制度は簡単にはなくならない。他方、主権なき政治、主権なき民主主義については、僕は今のところアイデアはありません。ただ言えるのは、主権という概念を金科玉条にしてはいけないということです。僕らはもう少し主権に懐疑的になるべきだと思います。

 ガブリエル氏:国民国家については連邦モデルで考えています。つまり、グローバルな政府というものを連邦モデルで考えていて、今の国家のような構造をもっていて、例えば日本でも地方自治体があり、国家があるような同じ構造をグローバルでやればいいと。だから、グローバルな政府の下にローカルな州(国家)があって、今の国民国家モデルをグローバルに拡張した連邦モデルが、一つのモデルのないのではないか。

 そしてそのとき、市民権がない、いわゆる「不法滞在労働者」と呼ばれるような人たちに対して、グローバルなパスポートを発行する必要があるでしょう。グローバルな次元でのシチズンシップが保障されて、個々のローカルな政府があり、ローカルな次元の規制も存在する、さまざまな地域差がありながらも、場所を移動できるグローバルパスポートが必要になる。何でもありのアナーキズムではなく、さまざまな規制のもとに成り立ったモデルになります。

 その場合、地域ごとのさまざまな「情報処理」が必要で、具体的にどうなるかは検討が必要ですがまず、こうしたことを考え始める必要があります。考えれば将来的にどういうものが可能か、が見えてくるでしょう。

 政治理論をやっている人たちが、本や新聞などでこうした考えを発表することで人々に広まり、現実に実行されるということが歴史上においても様々な形で起きたわけですし、こうした問題をグローバルな文脈で考えていく必要があるでしょう。

 主権なしの政治体制というのも同じで、当然ここで言えるような解決策はないわけですが、解決策に向けて一緒に考え始める必要がある。そのために、ほかの人たちと話し、対話をしながら考えていく必要があるでしょう。

 三つ目の公聴会については一つの提案があって、公聴会のメンバーの3分の2の専門家は対立している野党が選び、3分の1は与党が選ぶ形にすればいいんじゃないかと。そうすると与党側が自分たちが決定したい法律を通す際に、野党が多くのメンバーを送り込めるわけで、より超党派的な形で取引を結んでいかなければならない状況に追い込まれるわけで、それが一つの制約になるのではないでしょうか。

 ――ありがとうございました。民主主義、国民国家、倫理的な土台まで、盛りだくさんの話でした。ガブリエルさん、國分さん、それから完璧な通訳をしてくださった斎藤さんに大きな拍手をお願いいたします。

     ◇

 Markus Gabriel 1980年生まれ。独ボン大教授。専門はドイツ観念論など。著書に「なぜ世界は存在しないのか」、スラヴォイ・ジジェクとの共著「神話・狂気・哄笑」など。ポストモダン思想への批判で知られ、新しい実在論という立場から議論を展開している。

     ◇

 こくぶん・こういちろう 1974年生まれ。東京工業大学教授。専門はフランス現代思想。2013年に都道建設計画をめぐる住民運動に関わり、行政と民主主義の関係に光を当てる議論を展開した。著書に「中動態の世界 意志と責任の考古学」「来るべき民主主義」など
≫(朝日新聞デジタル)




http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/235.html

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > アーカイブ > 2018年7月

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。