1. 2018年7月02日 00:02:00 : 1z0U4r7YxE : qOizxeHsfO8[25]
ちゃんとした経歴が公表されていれば小池百合子は東京都知事選には勝利しなかったのではないですか。
今の安倍政権も同じ。うそまみれを報道するマスコミが安倍政権を支えている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/219.html#c1
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今の安倍政権も同じ。うそまみれを報道するマスコミが安倍政権を支えている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/219.html#c1
下水が溢れ、その臭いを想像しただけで
失神しそうだ。
おまけに訳の分からない虫の襲撃を受ける。
現代の綺麗好きの東京の住人は多分「発狂」
するだろう。
犠牲者が沢山いたとしたら
不謹慎だが群馬の日航機123便墜落事故の
際の「安置所」のあの臭いとあの光景と濛々
と上がる線香の煙。
惨状を見たらフラッシュバックすると思う。
群馬の藤岡市は体育館と言う体育館すべてが
その状態になった。
親分の安倍政権が、そうやって反安倍政権の学者を脅せ、とそそのかしていると見た方が自然だろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/214.html#c3
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャン。
TPPは4年以内に発効しなければ,自然消滅。
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャン。知ってましたか。
TPP11はTPPより22項目少ない合意。(充血十結凍結なんて馬鹿官僚が言ってましたがね)
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャンニャン。
TPP11は本当はお化け。CRTPPというんでゲス。ゲスの皆様。
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャンニャンニャン。
TPP11はマレーシアが批准しないでしょう。ゲスゲスの皆様。
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャンニャンニャンニャン。
TPP11をマレーシアが批准しなければベトナムも批准しないでしょう。ゲスゲスゲスの皆様。
ニャンニャンニャンニャン。
蚊帳の外。蚊帳の外。南北会談、米朝会談、日本は蚊帳の外。ゲスの皆様知ってますよね。
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャンニャンニャンニャン。
G7はG6だった。ク―ベックで開かれたG7で我が国の首相が写真に写っていない。秘密に同行した医者の治療を受けていたんでゴンす。ワタチ、英語や英会話ができないんでシュ。
G7はG5だった。トランプ大統領はそそくさとシンガポーラに逃げて行った。いばいば! ほな、さいならさいなら。らないさ。らないさ。タンスにゴンす。G7、崩壊。崩壊。あっそー。爽快。
TPP11は6っカ国が批准しなければ,条約として成立しない。
しかしみなちゃん。知っているようなふりしてケツをフリフリ、何でしたっけ。歌謡曲にありましたニャンニャンニャンニャンニャン。
売国政治家・創価学会政権。そうかがっくり聖剣。
議員会館は不倫会館。議員宿舎はラブホテル。
TPP11の何たるかを知らず。TPP11の何たるかを知ろうともしないで与党議員たち+αは不倫に走る。官僚任せの夜盗議員ばかりなり。
ああわれは、この国に生まれたことを恥ずかしく思う。ベンベンベンべン。宿便。小便。中便。小中大便。GMOトウモロコシ,ホルモン豚肉大好きのシンガポーラ、ブルネイ、NZ、AUZ。ばんざい、バンザイ、万世。慢性的バカチタレ。
遺伝子組み換えでない納豆。そんなもん、あるわけないじゃん。じゃんけんポン!
狂牛病の牛肉を食べなくても頭がすでに狂っている日本。マンセイ。
どうか神様、もう2度、この国を葬ってください。
南原繁先生、化けて出てきてクンなまし。
ワタチは「山本」という苗字が大嫌いだが、山本太郎議員のような議員を増やそうではないか。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/190.html#c38
ドナルド・トランプ米大統領とウラジミル・プーチン露大統領は7月16日にフィンランドのヘルシンキで会談すると伝えられている。アメリカの大統領である以上、トランプも圧力団体の意向には逆らえず、会うことは時間の無駄だと考える人もいるが、軍事的な緊張のエスカレートにブレーキがかかると期待する人もいる。
ソ連を消滅させたのはジョージ・H・W・ブッシュを中心とするCIA人脈とフィリップ・ボブコフなどKGBの中枢だと言われているが、その後、アメリカが唯一の超大国になったと認識して世界制覇計画を作成、侵略戦争へと突き進んだのはネオコン。その計画を実現しようと1990年代は有力メディアは必死に宣伝、ユーゴスラビアをアメリカ/NATO軍が先制攻撃したのは1999年だった。2000年の大統領選挙でネオコンは強引に大統領の座を獲得、01年9月11日の出来事をきっかけにしてアメリカは世界侵略を本格化させる。
しかし、2008年にはジョージア軍を使って南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で粉砕されてしまう。正規軍による侵略に失敗したこともあり、バラク・オバマ大統領は2010年8月にPSD11を出し、ムスリム同胞団を使った体制転覆計画を作り上げる。そして「アラブの春」が引き起こされた。この軍事作戦にはサウジアラビアの支配下にあるサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)も使われた。
ウクライナでは2014年2月にネオコンがクーデターで合法政権を転覆させる。ウォール街やシティによる略奪に抵抗したからだが、このクーデターの実行部隊になったのがネオ・ナチ。この勢力は今でもウクライナで猛威を振るっている。このクーデターの黒幕もネオコンだった。ただ、このクーデターではクリミアを制圧してロシア海軍に決定的な打撃を与えるという目的は達成できなかった。
こうしたネオコンの計画は予定通りに進んでいない。ソ連を消滅させ、ロシアを属国化して食い物にしたが、21世紀に入るとウラジミル・プーチンがロシアの再独立に成功、アラブの春でターゲット国のひとつになったシリアでは戦乱が長引き、アメリカなどが手先にしていたサラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とする武装集団は壊滅状態。そこでクルドを新たな手先にし、ジハード傭兵の残党を合流させているのだが、それに対するシリア政府軍の反撃が始まった。シリア国民も侵略軍に対して立ち上がり始めたと伝えられている。
アメリカは経済的にも厳しい状況にあるが、それでも時間稼ぎする必要があると考える勢力が支配層の内部にいるようだ。ネオコンは反発しているだろうが、かつてのような勢いは感じられない。
>>20. 真相の道
>聖域なき関税撤廃を前提にする限り、
TPP交渉参加に反対と主張していただけです。
> ■それなら
「関税撤廃に聖域があればTPP交渉参加に賛成する」
となぜ言わなかったか。
頭は大丈夫ですかw?
自民党の公約は「『聖域なき関税撤廃を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します。」。
なので聖域が保たれればTPPにするであろうことは、頭がついているなら誰でもわかります。
頭はついていますか?
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/190.html#c39
つるの剛士の新刊が話題「最初にこれだけは言いたい。この本を出したことで、つるの剛士はこれから叩かれるだろう。ネトウヨだのレイシストだの・・
2018年07月01日22:25 / カテゴリ:芸能
http://www.moeruasia.net/archives/49608091.html(一部引用)
43. もえるななしさん
2018年07月01日 23:54:35
ID:Y5MzU1MDk
>東京新聞の「理想のパパ1位イクメンつるのさん ベネッセ調査」(6月9日夕刊)を見ていただこう。
●わざわざ『東京新聞』から引用してるところはなかなか気が利いてるなデイリー新潮w
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
take4さんのツイート
https://twitter.com/sumerokiiyasaka/status/1009776073402281984(抜粋)
take4 @sumerokiiyasaka
つるの剛士氏「(高槻で幼い頃に受けた教育で)どこか日本悪かった、『すみません』みたいな気分にずっとさせられて、幼心からモヤモヤしていたんですよ。今でも国旗とか君が代とか見ると何か心のこそばゆい部分が『大丈夫かな』みたいな」
幼少期の洗脳教育がトラウマを生む。如何に恐ろしい事か。
5:32 - 2018年6月21日
大和馨 @yamato_spirits_ · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●自虐史観教育で自己肯定感が低くなる子供は少なからずいるはず。これは人生に影響を及ぼす。誰かこのことを研究する人もしくはしてる人いないのかな。幼少期の教育や環境で人格が形成されるというのに・・・。
take4 @sumerokiiyasaka · 6月21日
●自尊感情の低い子どもや大人ほど自殺が増えますし、他人を傷付けるハードルも低くなります。この面もきちんと観る必要がありますね。
闇鍋奉行 @hoyaminabe · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●今70代以上くらいは、同じような洗脳教育を受けています。
ほぼ日本人全部ですよね…
M・A @MA72717027 · 6月21日
はい、私の両親の日曜日はサンデーモーニングです!・・・喝!!!
SW @sh_shuji · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●そういう地盤だから、この人が当選を続けられる訳です。罪の無い子供達が気の毒ですが、つるのさんの様に真実を知って覚醒出来る事を祈ります。
(辻元某氏の写真)
のんべ安 @nonbeiyasu · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●君が代にプリントを貼り付けてあったという事をもっと拡散すべきですね!
ARALE40 @norimakiarare40 · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
私も大阪、地元は違うがつるの氏と同じ年代。
私も君が代を習った覚えがない。
同じく妙だなと思っていたが、誰も教えてくれないから結局は自分で覚えたな…。
ゆーこ @ToraSanDeSyo
返信先: @norimakiarare40さん、@sumerokiiyasakaさん
私は高校の恩師が洗脳を解いてくれたような気がします。
3:23 - 2018年6月22日
イロハモミジ @AcerPalmatum123 · 6月22日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●昨今、日本の自虐史観の元となる各国の主張を否定する様々な証拠が明らかになってきたというのに、マスコミは取り上げない。
●本来ならばNHKの役目であるが、積極的に中国の主張を報じる有り様。
●政府は日本国民に日本の主張と根拠となるものを示し、周知徹底することを始めて欲しい。
keiko @keiko291fuku · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
すっごくよくわかる〜なぜか
国旗国歌に愛着が持てなかった
●オリンピック選手や世界で頑張ってるアスリート方の行動で目覚めた❗
たけみな @E0q7gRAkEvGEYq8 · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん、@kokuto711さん
●高槻って街全体がそうなのか。俺住めないわ。
ツバキジ・ケン @Kttro51 · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●生コン清美が選挙で強い理由が分かりました。
二代目うんとこ師匠 @untoko_japan2 · 6月21日
その他
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●ニッポンを取り戻しましょう。
tonchan2525 @tonchan25252 · 6月22日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
言いたいこと分かります。でも虎8見て私はパヨ教育の呪いがとけました(笑)
おみな我らも @himikoyumi · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
我々の時代もそうだったが、彼ら若い世代も汚染されていたのか‼️
●憎っくき日教組の罪は深い‼️
Syncopated_Frog @syncopated_frog · 6月22日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●僕も子どもの頃は大阪で教育を受けた。担任の先生からは「にっきーそ」という言葉がよく聞かれた。そして道徳の時間で使う教科書に「にんげん」があった。つるのさんも、同じ道徳教科書を使ったかな?
ゆーこ @ToraSanDeSyo · 6月22日
駅前でビラを配っている先生も多かったですよ。「にんげん」ありましたね、あと「大阪の子」。よくよく考えれば一種の利権ですよね、あれは。
sintama @sintama147147 · 6月22日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●大阪は特に凄い。道徳の時間が有り、教科書は「にんげん」というタイトル、徹底的に自虐を刷り込んでくる。しかしわが家に帰ると大正生まれの超絶レイシスト婆さんが毒で中和してくるのでした。
PTAは社会問題だ@P連は悪徳事業だ @nenekoko0322 · 6月27日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
私が育った世代、横浜市でも自虐教育はありましたし、今でもあります。日本サゲ、反日国アゲ、自民サゲ、野党アゲを授業中にします。そのことを校長に文句言っても、反日先生はクビにはなりません。
bagsgroove @bagsgroove · 6月22日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
●日本は悪いと否定に否定を重ね、その否定感を偽善者が都合よく埋めて心地よくしてあげるのが左翼の手口ですね。そう考えると日本を貶めている人たちは、素直なゆえに疑うことを奪われた可哀想な被害者と言えるのかも。日本にかけられた洗脳を解かなくてはいけません!
脳魂蘇生士 @lYQlbpDsrPDzt7l · 6月22日
返信先: @sumerokiiyasakaさん、@Hudomyho_Yuboさん
小6担任、中1でも担任社会の時間全員めを閉じて、話は炭鉱労働者のはなし、聞きたくなかった、同期、先輩を共産党へ入党させた、政治活動してもいいの?中1夏休み前突然中国で
共産党研究する人いないからって行っちゃた
送別会段取りした先生次の担任、前任のわると違い真逆のいい先生。良かった
ももちゃん @violist_6 · 6月21日
返信先: @sumerokiiyasakaさん
たぶん、私も含む彼と同年代の人は皆んなそんな思いがあると思います。認めたくないけど。
>貴君はトリチウム水のベータ線は危険ではないというのかね。
普通に大気中にも水にも微量ながら含まれている物です。意味わかります?
問題はその量、排出するにしても希釈具合の話で危険か危険でないかって話では
語れないです。全く影響の出ない量も有るのは、自然界や各地の原子力施設から
排出された量や、作られる量を希釈した場合でしょ、
貴君が無知なので危険だと騒ぎたいのは解るけど、自然界で人為的操作が無くても約1,960〜2,550Bq/m^2の量が
地球上では存在する訳だし。貴殿が危険だと思うなら地球から出て行けば良いです、
別に止めませんよ。
生物学的影響調査も進んでいますよ
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-02-02-20
など調べりゃいくらでも出てくる
>こんな非科学的なコメントをするとは近大と東洋アルミは詐欺を働くつもりか。
実験データは公開されてるし、普通のフィルターの様に濾すなんて書いてないし
ちゃんとデータを見て論理的か調べてから物を言ったらどうです?
そういうのが無知蒙昧って言ううんですよ。詐欺なんていう前に正確に何故しろうと
しないのかが不思議です。
>希釈して海に流すなどという無意味なことをせず
危険だと騒いでる人間のいる原子力施設(京大原子炉実験所)でも希釈して
海に大量に流してますけど?
危険だと騒いでる連中は矛盾してます、矛盾がある=煽りや、科学的根拠は
無く騒ぎたいだけって事です。
2018/7/1 シンポジウム『ペンは負けない カメラは見逃さない ―良心宣言・ジャーナリズム2018』 望月衣塑子(東京新聞記者)&阿部岳(沖縄タイムス記者)その2 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=ZKwT7NpLq_w
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/212.html#c2
ところが明治維新以降日本だけ西暦で正月を祝うようになった。こうなるとアジア周辺国にも西洋諸国にも日本はいったい何を祝っているのかさっぱり分からない。
なぜなら西洋諸国にとって正月とは単にさっぱりした数字の意味でしかなく、せいぜいハッピーニューイヤーと挨拶を交わす程度で、アジア諸国のように農業のサイクルに合わせて豊作を願う意味などないからだ。
したがって明治維新でのこの決定は日本をアジアにも属さず西洋にも属さない孤児にしてしまおうという英国の謀略に明治の元勲たちがまんまと引っかかったのではないかと推測するのだが。
今ではアジア周辺諸国も西暦を使っているが、旧正月だけは先祖からの伝統を受け継いで盛大に祝っている。もちろん西暦の正月を盛大に祝うなどという不思議なマネはしない。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/435.html#c16
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문자(月子)さんのツイート
https://twitter.com/moonmoonjjj/status/1013054704710848514(抜粋)
문자(月子) @moonmoonjjj
●在日韓国人として何十年も生きてきたけど、差別なんか一度も受けた事ない。
たまたまラッキーだったのかな?それなのに、差別反対!とか言いながらプラカード持って歩いてる人達が沢山いる。みんな何処で差別されたの?本当に差別されたの?実は差別なんてないのに『差別されてる』を作り出してる?
6:40 - 2018年6月30日
ひろ(中立) @tyuritu_hiro · 5 時間5 時間前
返信先: @moonmoonjjjさん
そうなんですか。
●こういう話も傾聴する必要もあると感じました。
●日本国内でも「差別」を作り出している方もいらっしゃいますし、どんな国籍でもそうてすが、外国で犯罪を犯した国籍が多いと、1部なのに「全員そうだ」と思ってしまいます。
難しいなぁ、と感じます。
문자(月子) @moonmoonjjj · 4 時間4 時間前
●わかります。私ですら『また在日の人かよ…』って思いますからね。
●ああいう犯罪者のせいで『また在日かよ』って思われてしまうのは、普通に平和に暮らしている在日の人達にとっては迷惑でしかありません。
viral @bose_husband · 6月30日
返信先: @moonmoonjjjさん
●差別を存在する事にして、その金銭的、権利的補償を日本から引き出したいんですよ。
●同じ様な手法は他にも日本にあります…
문자(月子) @moonmoonjjj · 6月30日
●差別ビジネスなんですかね、やはり。
リキちゃん @RikkiSystems · 13 時間13 時間前
FF外から失礼します。
●同和が昔から暴力で得た地方行政に関する利権を発端としているかと思います。
圧巻だったのは、同和対策特別措置法開始と度重なるそれの延長より、無限に集れると踏んだんだと思います。
在日も南北朝鮮もそれに倣ってやりたい放題。
もちろん政府も噛んでますね。
🌸まるち 🌸 @multi_horoyoi · 12 時間12 時間前
返信先: @moonmoonjjjさん
●私は沖縄県民ですが、よく在日の皆さんと同じ様に『あなた達は差別されている。だから怒りなさい。』と言われます。
しかし一度も差別を感じた事はありません。
確かに米軍基地は多いですが、政府が長年、整理縮小の為の努力をしてるのは理解してます。
何故、こんな風になるのか戸惑ってます。
(以下略)
「おいおい、誠実さのない人が権力握って日本のトップになったぞ!今こそ俺たちのチャンスじゃないか!」と言う心叫び。もしくは、無意識の共有と言った方がいいかな。
とにかく人格に問題のある人間であればあるほど、安倍を強く支持してる。山○、高○、櫻○、百○……とか変なのばかりだもんな。どう考えてもまともな連中じゃない。バカ丸出しだもんな。
この阿修羅に書き込むネトウヨネトサポもその類だな。無知性主義、浅はかさ思考、ご都合主義、利権ハイエナ君、……
太郎 GJ!、晋V NG!
国益 VS 国難
この2人の党首討論見てしがな。
たぶん今は国際ルールでは規制されているはずですが、
柔道でも、効果をとった後、組まずにひたすら逃げまくれば勝ちは勝ちです。
見てて非常につまらないですが。
野球でも、わざと遅延行為をして、相手をイライラさせて空振りさせる、なんていう手もあります。それを見てどう思うかは、ファン次第です。
野球には乱闘さえ許されてますw
乱闘になった瞬間に、没収試合にすれば乱闘なんて、一発でなくなるのに、そうしません。敢えてしないんでしょう。
結局、サッカーでも野球でも柔道でも、それを見て、ファンがどう思うかです。
皆が試合巧者と見て、乱闘が面白いと思うなら、ルール改正の必要はありません。
卑怯でつまらないと思うならルール改正が必要と言うことです。
現状そのルールが残っている、あるいは規制するルールがないということは、
そのつまらない試合が、ファンには面白く見えていると言うことでしょう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/169.html#c44
安倍ほどバカではないし、多少は器用なので、結果的にはたまたまやろうとした事が好転する可能性はある。
小池さんに似てるかな。大衆の目を気にし気に入られよう作戦が尋常ではない。小池さんはしくじったが……二人とも真の正義感は感じない。阿修羅では不評な二人だが、安倍と比べたら大分マシだとは思う。安倍よりおかしい政治家は見当たらないぞマジで。
ネトウヨの言動が どれほど痴劣で日本の恥晒しなのか いまさら説明する必要はありませんが
「 ネトウヨ デマ 嘘 」 これで検索してください。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/163.html#c31
ところが、悪徳越後屋と一蓮托生の政権は、非正規の労働環境を改めるつもりはないようだ。搾取の旨味、献金の旨味が減るからね。
かくして、越後屋党の次なる獲物は外国人労働者となる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/178.html#c53
安倍政権になってから何年目だ?
すべての国民が豊かさを実感してない限り、アベノミクスは「失敗」
頓珍漢なアクロバット擁護をしても、このアホが!と思われるだけだぞ
まあ貧相は筋金入りのド阿呆だからしょうがないけど(笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/178.html#c54
卑堕神が、国家主義者とか民族主義者=ナショナリスト^^
“学歴詐称”は本来は暦とした「違法・犯罪行為」なんだが、<ウソツキ政権>下では、行政運営に関して、“嘘八百・隠蔽・廃棄・改竄・捏造”等等、何をやっても一向にかまわないよ?って言ってる訳けだから、“学歴詐称”なーんて屁の河童って思い込んでるだけさ。(ケケナカくん>も、同じ穴の狢の“学歴詐称族”だもんね!)
通常、「公務員・見なし公務員・特別公務員」が、“学歴詐称・経歴詐称”をすることによってその職を得ていた場合は、「懲戒処分相当」であり、「免職・解雇・謹慎」処分しかないのである。
<緑の狸おばはん>よぉ、へらへら笑って誤魔化せる問題とちゃうぜ!?
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/219.html#c3
世界政府信奉組織だからな^^
communismと新自由主義、新保守主義との違いは^^
communismとは、globalismであるが、globalistを構成するメンバーについて、予めcommuneとして選別・決定されている状態を指す^^
( 定義者マルクスによるとProletariatと呼ぶ属性者の独裁体制)^^
新保守主義とは、globalismであるが、globalistを構成するメンバーについて、共和制=それぞれの社会(組合資本や一家資本)が指名した者である状態を指す^^
(それぞれの社会の利益代表=socialistが主権者)^^
新自由主義とは、globalismであるが、globalistを構成するメンバーについて、民主制=社会の指名を許さず、選挙で選出するという状態を指す^^
(法律が主権者)^^
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/163.html#c33
(創価学会)は、日蓮正宗系の反戦団体だったけれども、統一教会が、コレを乗っ取って今の状態^^
日蓮正宗無関係に、プロテスタントとして存在し、創価学会と同じこと言っているのが(統一教会)^^
ネトウヨの豚たちがキモすぎる!女性にモテないキモい豚たちが女性から嫌われる
https://matome.naver.jp/odai/2144639057562290101
ネトウヨからの反論2:ネトウヨの頭の悪さの異常さがよくわかる
http://datsuaikokukarutonosusume.blog.jp/archives/1063462090.html
↑↑↑ ネトウヨ という言葉を 罵りの言葉に変えたのは 彼ら自身の痴劣なる言動です 自業自得です
本来ならば ネトウヨ という言葉は 「ネット上での右翼的発言をする人」 という意味でしかなく
罵りの意味は、少なくとも当初は 含まれていなかったはずなのである
「醜悪なるヘイト」 「恥晒しな利己主義」 「その場の思い付きでのデマ飛ばし」 こういう彼らの実態が
ネトウヨと呼ばれる事に 彼ら自身が 屈辱感を覚える最大の理由な訳ですから。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/217.html#c3
>>78「昭和20年10月4日 近衛文麿はマッカーサーと会談し、憲法改正を指示された」
>>43「10月10日天皇は国務大臣近衛文麿を内大臣御用掛に任命、天皇から直接指示を受けた」
…にもかかわらず
>>30「日本国憲法改正の発端はマッカーサーではなく、天皇裕仁である。天皇が内大臣近衛文麿に指示したものだ」はおかしい。時系列が逆転している。
この時系列の逆転を説明してみせてくれ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/402.html#c85
♪銀蝿ブンブン♪日本の危機ニダ♪
整形オンナの嘘
2017-06-01 12:51:40 | 日記
https://blog.goo.ne.jp/todokotodoko/e/cfa3071919632398c7f2888c17a693f6
この詩織さんんとやらのビデオ見てますますおかしいところに気がついたニダ♪そもそも運転手の証言?どこの誰?トド子の知り合いでタクシードライバーしている人がいるけれど、普通のタクシーには車内カメラ搭載してるのよねえ。その映像を詩織さんとやらは公開出来るのかしら?沢山の客を乗せるタクシードライバーはいちいち客の会話なんか聞いてないニダ♪そもそも泥酔して抱えておりられるようなか細い体型ニカ?あの整形オンナ。体重50キロ前後と見たけれど♪で意識失ったのをレイプドラッグなんて仰々しく書いてるけれど、ロヒプノール以外に何があるのよ?無味無臭の睡眠薬。他の睡眠薬系には苦味とか色がついているニダ♪最近ロヒプノールも毒々しい青にしたけれど♪
>詩織さんはワインや日本酒を問わず「お酒ですっぽり記憶をなくした経験はなく、被害に気づいて目が覚めた時も、お酒の二日酔いのような状態ではなく、頭がクリアだった」ここも大嘘。ロヒプノールなら身体に残る時間が長期なのよね♪頭がクリアになっている睡眠薬なんて無いニダ♪このオンナの嘘って朝山口さんが裸で乗っかってたというところ。仮にレイプ目的でなんか飲ませたら即やるのが普通の男なんじゃないの?
あとこの詩織のページの写真よく見るニダ♪SEALsだの反原発だの同性婚だのゲイカップルだのがてんこ盛り。さらにJapan’s Game Of Warと書かれている棒倒しの写真♪ 日本の戦争ゲーム????????
Japan’s Game Of War (動画)
ふ〜ん 防衛大学校のドキュメントだったのね♪ しかも字幕と日本語のニュアンスがおかしいところてんこ盛り♪詩織が本当に作ったとしたらレベル低い英語力ね♪他の写真も全てクリックしたら大きくなってリンクで映像出るニダ♪みんなも是非見てみるニダ♪詩織の明確な立ち位置が確認出来るから♪ねえ自称レイプ被害者の詩織さん、あなたの詳細な履歴書もついでに公開したら?国籍もね♪
全く無名なのに
Shiori Ito
Shiori is a Journalist and Documentary film maker, working worldwide and mainly focused on social issues
とプロフィール欄の記載はこれだけ♪
ドメイン検索したらこう出たわ♪
Domain Name: SHIORIITO.COM
Registrar: JAPAN REGISTRY SERVICES CO., LTD.
Sponsoring Registrar IANA ID: 1485
Whois Server: whois2016.jprs.jp
Updated Date: 12-dec-2016
Creation Date: 29-oct-2014
Expiration Date: 29-oct-2017
このなんちゃってHPのドメイン取得が2014年10月、事件が起きたのが半年後♪で今になって騒ぎ立てる♪しっかり言うニダ♪詩織は山口さんに色気攻撃かけたのに無駄だった♪だから強姦と騒いで売名したってね♪痴漢冤罪も強姦冤罪も全てオンナが出来る事なのよねえ♪
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/184.html#c18
> この事実を報道させない官邸に、抑えられるメディア
公文書改ざん、廃棄で責任もとらず、うやむやにして行くということは
これからの安倍政権、政府発表も信用できないということになる。
日本政府だけでなくマスコミも自爆していくということか
2016年7月の記事だが、腐敗が進んでいる
安倍晋三とメディア癒着が凄すぎる! アベチャンネルNHKだけじゃない
腐った日本メディア #自民党
安倍とメディア癒着が凄すぎる上位となっています。
アメリカで今、日本のメディアは安倍政権に牛耳られていると報じられている
のを、日本の記者たちは知らないのでしょうか?
記者会見というのは市民を代表してジャーナリストが権力者に挑む場だという
のは、アメリカにおいては一般の人も知っている常識です。
https://matome.naver.jp/odai/2144427083139628901
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/220.html#c3
被害者が死亡したから加害責任も社会的制裁も消えてしまうというのなら、殺人事件は事件にはならないよ(笑)。
被害者が死亡しても北鮮の加害者責任が消滅するものではない。今回、爺さんは>>36「歴史の検証として拉致問題を解明するのは日本政府の仕事であり、日本人の矜持の問題だ」などという、奇怪な一文を紛れ込ませてきた。
矜持を見失っているのはおマエさんたち“在日日本人”だよ(怒)。
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/902.html#c37
Adelstein「日本では、いったんレイプのような深刻な犯罪の逮捕状が出たら、そのあとに逮捕の延期や中止などありえない」「必ず逮捕し、尋問する…そういう仕組みです」
(しかし山口敬之の逮捕は中止され、警視庁刑事部長の中村格は、自分が逮捕を止めたことを認めた)
Adelstein「もし、彼が(山口敬之が)首相の友人でなかったなら、逮捕されずに放っておかれたでしょうか?」
BBCはこのドキュメンタリー番組で、安倍晋三総理大臣が疑惑の中心にいることをしっかりと報じている。 許すまじ安倍晋三。( `ー´)ノ
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/216.html#c5
トヨタら 輸出大企業の儲けは
消費税の『輸出戻し税』
で潤うシステムなんです
トヨタと全く関係ないあなたが支払う
消費額の8% この金がトヨタらに流れるんです!
経団連がアベ等を使って
消費税アップを 執拗に迫るのは
国の借金などを おもんばかってではありません
あなたの懐の 金をくすねるためなんです!
シンガーソングライターの真友ジーンさん、24歳。
昨年末に急病で亡くなったことをお母様が公表した。
「真友ジーン. MUSEUM」
https://www.mayugene.com/
「
ごあいさつ
真友ジーン. 、mayu 、真友を愛してくださった皆様へ
平成29年年末に娘 真友が急病により他界いたしました。
生前の皆様からの温かなお気持ちや多大なるお心使いに、
娘の真友に代わり心よりお礼を申し上げます。(以下略)
」
御本人のツイッター・アカウントは閉鎖されており、詳細はよくわからない。
東京を中心に昨年8月まではライブ活動をしていた。
上記ホームページに掲載された2017年の動画を見ても、元気いっぱいに活動しており、
とても数ヵ月後に亡くなるとは思えない。
調べてみると、少なくとも2度、2012、13年に福島・南相馬市を訪問している[1][2]。
また2017年6月に左足をケガ(たぶん骨折)していたことも確認されている[3]。
おそらく内部被ばくをしていた可能性が高く、死因は心不全、脳卒中、
あるいは急性白血病ではないだろうか。
亡くなったことが半年も伏せられていたことも、何か理由があるのかも知れない。
大学を卒業し、シンガーソングライターとしてこれからだったのに実に惜しいことである。
ご冥福をお祈りしたい。
それまでは元気だったのに、急に体調不良になり、あっという間に亡くなってしまうのが、
被ばくの恐ろしいところである。
絶対に放射能汚染を軽視してはならない。
少しでも被ばくしないよう、空気と飲食物に常に注意することが大切である。
(関連情報)
[1] 「『&PETS project 【HAPPY MUSIC FESTA】 2012』
開催に先駆け、ウルフルケイスケが福島でボランティア体験 &サプライズセッションを実施!」
(PR TIMES 2012/8/28)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000005734.html
[2] 「若きアーティスト」 (南相馬ファクトリー 2013/4/19)
https://minamisoma-factory.com/blog/2090/
[3] 「ハグてっぺい(川合鉄平) kawaiteppei0429」 (2017/6/14 instagram)
https://www.instagram.com/p/BVUb3Gtl03j/
[4] 「アイドル・ぽんずさん 急死 24歳 心不全か?」 (拙稿 2018/6/8)
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/803.html
[5] 「エビ中・松野莉奈さん 死因は致死性不整脈の疑い おそらく放射能被ばくが原因」
(拙稿 2017/2/11)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/490.html
[6] 「発病、病死した有名人・芸能人の多くは高汚染地域を訪問していた」 (拙稿 2016/3/26)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/376.html
[7] 「患者数は10年で5割増 ゆとり世代で「突然死」急増のナゼ (日刊ゲンダイ)」
(拙稿 2016/7/20)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/195.html
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/888.html
『日本宣教60周年 2018神日本家庭連合希望前進決意2万名大会』
【来賓参加】柳本卓司、工藤彰三、三ツ林裕巳、神山佐市、本村賢太郎、宮島喜文
【祝電】逢沢一郎、木村義雄
https://twitter.com/cult_and_fraud/status/1013304901026267136
ナルホド…
信教の自由はあります。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/201.html#c4
真相の道、18などクズウヨ陣が総出で詩織氏とBBCをを非難するところが、
安倍政権による権力犯罪であることを図らずも証明している。
でなきゃ、強姦魔山口をここまで擁護する必要なし。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/184.html#c19
いいんじゃない!
正し
この前 たった1年で
召し上げを中止した
『法人税』のみから 徴収願います!
われわれ民は 今もって復興税とやらを
納めてますよってに・・・!
指揮者が音楽の話そっちのけで税率アピールの話?
怪しすぎる。
いつもの名前貸ししてゴーストライターに罪務省が税金で書かせてる
ヤラセ記事じゃないの?
他国はもっと税率高いから、まだまだいけるみたいな記事を罪務省は、
しょっちゅうマスコミに書かせて洗脳してるからな。
この記事も怪しい。
大体、なんで指揮者が経済誌で門外漢の税率の話だけしてるんだよ。
Business Journalと言うのも怪しすぎるわ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/610.html#c26
贔屓目に見て
下駄をかましても
県会議員程度が 妥当な『器』である!
・・・要するに 『コ・モ・ノ』!
騙して連れてきた
外国人労働者・・・?
「妄想と虚言癖」を「誇大妄想と虚言症」に
ビョーニンはツヨイなー /笑。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/611.html#c7
「青森県東通村で震度4、函館は震度3 津波の心配なし」 (朝日新聞 2018/7/2)
https://www.asahi.com/articles/ASL720T6GL71UTIL02J.html
「
2日午前2時31分ごろ、青森県東方沖を震源とする地震があった。青森県東通村で震度4を観測、野辺地町や北海道函館市などで震度3を記録した。
気象庁によると、震源の深さは約50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは4・8(推定)だった。この地震による津波の心配はないという。
」
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/883.html#c2
「人を見る目がない」とか遠慮した言い方をしてちゃダメだ。
上のコメントにあるような「類は友を呼ぶ」がまだ適切。
安倍自身が悪党の張本人だからだ。
ゴミ「支持率」をそのまま垂れ流したり、そんなじゃ、
単に「日本は反政権の意見を自由に言える民主主義ですよ」という宣伝要員にすぎない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/217.html#c4
イスラム過激派が活動する西アフリカ・マリの砂漠地帯で、治安維持にあたっているフランス軍の部隊が襲撃され、複数の死傷者が出ているもようです。
マリ北部の砂漠地帯にある町、ガオで1日、治安維持にあたっているフランス軍とマリの政府軍が軍用車両でパトロールしていたところ、爆発がありました。
現地の報道によりますと、爆発物を積んだ車が部隊の車列に近づいて爆発したということで、自爆テロとみられ、複数の死傷者が出ているもようです。
マリでは、国際テロ組織アルカイダにつながるイスラム過激派のグループが一時、北部の広い範囲を支配下に置きましたが、5年前に旧宗主国のフランスが部隊を派遣して主要な町を制圧し、過激派を排除しました。
しかし、その後も過激派グループは広大なサハラ砂漠に潜みながら、フランス軍やマリの政府軍などに対する襲撃を繰り返しており、2日前にも、マリと周辺国で作る合同部隊の拠点が襲撃され兵士2人が死亡するなど、厳しい治安情勢が続いています。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/226.html
金儲けの事しか 頭にない
いわゆる 政治屋と言われる
三流政治家である!
米国防総省、その目的と使命を密かに変更?
米国
2018年07月02日 03:10短縮
米国防総省は、いかなる公式声明も表すことなく、ホームページ上の同省の目的と使命に関する規定を修正した。米サイト「Task & Purpose」が報じた。
先に国防総省は同省を「戦争抑止と国の安全を守るために軍事力を提供する手段」として位置づけていた。そしてこの説明は今もホームページの「国防総省に関する情報」に記載されているが、トップページには別の使命が記されている。
米国戦略軍のジョン・ハイテン司令官(アーカイブ)
© AP Photo / Nati Harnik
米国防総省 ロシア、中国への対抗手段を明かす
いま国防総省のホームページでは「国防総省の使命は国の安全を守り、外国における米国の影響力を維持するために致死的な軍事力を米国に提供することにある」と述べられている。
同時に国防総省の戦略では、そのテキストは2017年1月から更新されていないと主張されている。
Task & Purposeは、特に国家安全保障へのよりアグレッシブなアプローチを予想させるトランプ政権の政策を背景に、この変更は重要に思われると指摘している。修正は「静かに、そして少し急いで」行われたとみられる。
--------------------------------------
「戦争抑止と国の安全を守るために軍事力を提供する手段」
↓
変更
↓
「国防総省の使命は国の安全を守り、外国における米国の影響力を維持するために致死的な軍事力を米国に提供することにある」
米軍がいま世界中で行っている他国侵略、国家侵害、国家資産略奪、人類虐殺への整合性を取るための目的変更であろう。
人類裁判があれば直ちに10000万回の死刑に値する犯罪である。
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/378.html#c1
西田昌司を見ていると分かり易い。
安部の腰ぎんちゃくと思われると致命的になる、ぐらいは思っている筈だ。
あなたのように、知性もなければ常識も通用しないからです。
反知性ほど強いものはありません。
なんでも曲解して妄想の世界の自分があるからです。
だらか手強いと言っているのですよ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/180.html#c21
なにがドーハの悲劇だ。
腐った試合のほうが悲劇だろ。
頭を冷やせ。
繰り返す。
あの試合は、関係する人間全員に、消せない心の傷を与えたんだ。
そのこと自体に、異論のある者は居ないだろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/181.html#c19
今やるべきは、現在進行中の「森加計疑惑」「イラク自衛隊日報問題」
「財務省の公文書改竄」の司直による捜査、立憲、厳正な検証である。
「与野党一致」の名を借りた【欺瞞】には腹が立つ!!
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/220.html#c6
だから、被害者と被害者家族のことはどうでもよいというのがお前の主張だ。
被害者と家族の存命のうちに何としてでもという切迫感が全くない。
論理的な日本語や複数の文章は理解できないと見える
one sentence 毎にやらねばならないようだ。
被害者と家族が存命の間に解決する気はないんだね。
>孫崎 享 @magosaki_ukeru
国際選挙監視団:日本は最早、自浄努力できない国だから、これから国政選挙がある時には、発展途上国のように、国際選挙監視団にきてもらったらいいかもしれない。16:19 - 2014年3月9日
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/442801801142616065
>孫崎享のつぶやき_安倍首相が続けるメディア懐柔政策、主要メンバーを夕食に呼ぶを継続。曽我・朝日、山田・毎日、小田・読売、島田・NHK、田崎、粕谷日テレ。常連は安倍迎合発言するが安倍批判をどれだけした?。メディアの役割は権力監視。その任務放棄したのか。2018-06-30 08:37
http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1599356?key=582415a432c806a448600b52e463327289d6b5a37508037785608f569d833529
この国の民主主義は、偽装です。
権力と癒着する腐敗メディアにジャーナリズムはなく、飲食・賄賂・下半身接待を受け、
連日のように安倍政権と自民党の高い捏造支持率を垂れ流し、国民を洗脳し続けています。
TVのdボタンで支持率を調査すれば、本当の支持率がわかります。でも決してやりません。
そして国政選挙と主だった首長選挙では、捏造支持率に沿って開票結果が改竄されています。
それが安倍一強の秘密です。再開票を求める裁判が激発していますが、ことごとく門前払いです。
メディア・総務省・検察・司法は腐敗権力そのものであり、選挙さえまともにできていません。
武装国連軍による国際選挙監視団の派遣が急務です。
>あまりにも対照的な、枝野コールと逃げ回る国難のアベ:https://imgur.com/a/99SNP
>閑古鳥候補が圧勝!?:2013参院選・2014都知事選:https://imgur.com/a/zaMpC
>不正選挙を糾弾して安倍インチキ政権を打倒し、真の民主主義を求めようとする皆さんへ
https://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/46577694.html
その1 不正選挙実施のための準備
その2 米国式不正選挙の概要
その3 不正選挙に関する論証について__
阿修羅掲示板でモリカケ問題のマスコミ記事を24時間毎日、毎日流し続けていたのは『赤かぶ』氏
という事は
『赤かぶ』氏 は CIA系のネット工作員という事ですね。
僕みたいに『赤かぶ』氏 の記事の間違いを指摘するとすぐに非表示にされるというのは わかり易過ぎて何かなー
▲△▽▼
阿修羅で工作員が大騒ぎしているモリカケ問題等のスキャンダルはすべて CIA がマスコミやネットに流したものだった:
日本のジャーナリズムとネット掲示板を監視する米軍組織
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。
「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。
*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。
日本の金融をボロボロにして乗っ取ったのは1992年からのクリントンの対日戦略でした。日本を自分たちが自由に操れる国にしたのです。ロバート・ルービンとローレンス・サマーズを実施部隊の司令官にして、何かあるとサマーズが来日して大使公邸で怒鳴りつけるのです。
当時、首相だった橋本龍太郎はさすがに行かなかったのですが、幹事長以下の実力者が全員呼びつけられて、「アメリカに逆らうな」と怒鳴りつけられる。そういう政治が行なわれてきました。今もそうです。そのことを知っている日本の新聞記者たちが、なぜかまったく書かない。ここに問題があるのです。
1998年10月からの“金融ビッグバン”も、橋本龍太郎が無理やり約束させられたものです。当時は、「金融自由化だ」「ビッグバンだ」とあれほど騒がれたのに、今は誰も口にしない。なぜなら、「金融自由化」の掛け声とはまったく逆で、結果的にできあがったのは「金融統制」の体制でした。
日本は騙されたのです。あの時に外資すなわちニューヨークの投機マネーが自由に日本に入ってこれるようにした。そして少額で日本の大銀行を乗っ取れるようにした。
この1998年2月、“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”を起こし、大蔵官僚たちを計画的に叩きのめしたのです。日銀官僚の福井俊彦(現日銀総裁)もあのリストに入っていました。名刺があった連中は皆さらし者にされ、官僚として出世が止まったのです。
CIAはこの名簿をインターネット上に流し、さらに愛国派官僚たちが引きずり降ろされる不祥事に発展しました。いわゆる“大蔵落城”です。マスコミはCIAの尻馬に乗って、日銀と大蔵官僚叩きをやったのです。
この時、すでに自民党の政治家たちは一人ひとり弱みを握られてアメリカの軍門に下っていたのですが、日本の官僚たちはアメリカの言うことを聞かないで抵抗していました。その結果、叩きつぶされたのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi013.html
日本のジャーナリズムやネット掲示板を監視する米軍組織 _ 2
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。
「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。
*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。
このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。
小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。
現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。
相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html
▲△▽▼
阿修羅掲示板で どうでもいいモリカケ問題みたいな話だけで何か月も大騒ぎしている CIA, 中国・朝鮮の工作員が必死で隠そうとしている事実とは:
日本人の殆どが安倍首相に永遠に総理をやって欲しいと思っている
安倍先生は歴代で断然 No.1 の総理大臣
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金はゼロになった
超円高から超円安に変わって輸出企業の業績はバブル期並みになった
安倍は財務省に逆らって民主党が決めた消費税上げを二回も延期した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できていた
財務省は安倍が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
経済コラムマガジン 2018/4/30(984号)
「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末
財務官僚は反安倍勢力
文書改竄に続き、事務次官のセクハラ事件が起り財務省は世間の批難を受けている。しかし筆者は、財務省に関しては別の方向での批難があってしかるべきと思い今週号を書いている。ただ話を進める前に、安倍総理を攻撃する勢力について述べる必要がある。
安倍総理を攻撃する勢力の一つは、安保法制改定に反対し憲法改正を警戒する人々である。端的に言えば左翼である。左翼系メディアや労働組合など野党を支持する勢力である。これまで安倍政権は、野党の猛反対にも拘らず安保法制の改定など安保関連の法改正を着々と実現してきた。またこれらを実現しなが高い支持率を維持し、国政選挙でも連続して勝ってきた。左翼勢力は、ついに本丸である憲法が改正されると危機感を持ち、安倍総理への攻撃を最大限に高めている。
もう一つの反安倍勢力は、財政再建派とか財政規律派と呼ばれる人々である。消費税の再増税を2度も安倍総理に阻止され、彼等の総理個人への反感は最高潮に達している。
17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html
で取上げたように、自民党の中の反安倍と目される全ての政治家は、財務省に繋がっている財政規律派と見て良いであろう。またポスト安倍と見なされている政治家もほぼ全員財政規律派である。
このように役所の中ではっきりと反安倍のスタンスなのが財務省である。消費税の再増税を阻止され、総理に対しては恨み骨髄と思われる。しかし組織の上では総理は上司であり、財務官僚も表向きには総理に従っている。いわゆる面従腹背という接し方を行っている。
財務官僚の反安倍を示す信じられない話が伝わっている。以前、財務官僚数名が評論家の屋山太郎氏を訪れ「アベノミクスに反対してくれ」と申入れたという(4月14日付ZAKZAK)。これが本当ならとんでもない話であるが、十分有りうると思われる(もちろんアベノミクスが万全ではなく、問題があることは筆者も承知しているが)。筆者は、この前代未聞の出来事は文書改竄やセクハラよりずっと大きな問題と見なす。
ところが今日の財務官僚の一連の不祥事を、安倍政権の責任と日本のメディアは報道する。財務官僚が強硬な反安倍勢力であることを指摘するのは一部のメディアに限られる。ほとんどのメディアはこのことを承知しながら、卑怯にも今日のような偏向報道を続けているのである。
筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。時には
16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
http://www.adpweb.com/eco/eco883.html
で述べたたように、元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。
一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。
しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。
ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。
追出された柔軟派の官僚
「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。
陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。
たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。
それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。
この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。
銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。
このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。
銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。
ところが銀行局が金融庁に変わって10年以上が経ち、今日、銀行行政は様変わりしている。リスクを取らず貸出しが伸びない銀行の方が、むしろ指導を受けるという風になった。金融庁は立上がってしばらくは規律派の天下であった。しかし今日に到り、金融庁は現実を重視した柔軟派に転向したと言える。ただ昔の貸し渋りや貸し剥がしを知っている企業は、簡単には銀行からの借入を増やそうとはしない。
ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。
筆者は、当時、日米が保険で揉めていたことがこれに関係しているのではないかと憶測する。日本の国益を守るため盗聴を警戒していた柔軟派の大蔵官僚と、籠池氏や女性記者に簡単に会話を録音されている今日の規律派の財務官僚とは好対照である。
http://www.adpweb.com/eco/
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
____
安倍先生以外の政治家は全員財務省の手先で日本を滅ぼそうとしている。
『財政規律派 復活の芽は? 自民総裁選の争点に
総裁3選をめざす安倍晋三首相は就任5年半で、消費税率10%への引き上げを2度先送りした。「ポスト安倍」を狙う他の候補は首相との違いを意識して、財政規律に関わる発言を始めた。
「次の時代の方に、ものすごい借金を負わせていいはずはない」。
自民党の石破茂元幹事長は3日の講演で力説した。最近は憲法に財政規律を明記するよう主張する。
岸田文雄政調会長は財政再建に関する特命委員会で政府への提言をまとめる。国・地方をあわせ債務は1000兆円超。それをどうするかが焦点だ。
なぜポスト安倍候補の2人がそろって財政問題に関わるのか。総裁選への布石とみられる。
首相は消費税率10%への引き上げを2回延期し、いまの実施予定は19年10月。政府は総裁選前の今年6月ころに新たな財政健全化の計画を定めるが、国と地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化を20年度にめざす目標も先送りが確実だ。』
「次の時代の方に、ものすごい借金を負わせていいはずはない」
などと主張するのであれば、石破元幹事長は「過去の全ての政治家」を批判しなければなりません。何しろ、日本政府の負債は(2015年時点)は、名目の金額で1872年の3740万倍! 物価の上昇分を除いた実質でも1885年の546倍!に増えているのです。(※島倉原氏の試算)
そもそも、経済成長とは「資産と負債」が共に増えていくことです。
特に、経済成長の肝である「投資」の蓄積足る生産資産は、何らかのおカネの「調達」によって積み上がったものです。
企業が設備投資を決断し、銀行からおカネを借りると、その時点で「銀行預金」という「銀行にとっての負債」が創出されます。当然、企業のバランスシートの貸方には「銀行からの借入金」という負債が計上されます。
過去の日本の経済成長によって、銀行(=金融機関)の負債は3000兆円を増える水準にまで膨れ上がっているわけですが、そもそも資本主義とはそういうものなのです。
誰も、銀行の負債(主に銀行預金)について、
「全額返済しろ!」
などとは言い出しません。
それにも関わらず、なぜ「政府」の負債の増加を過度に問題視するのか。しかも、相変わらずの超低金利が続き、さらに日本銀行が国債を買い取り続けているため、政府の実質的な負債が減り続けているこの状況で。
もちろん、政治家が、
「その方が、自分の支持率が上がる」
と考えているためなのでしょう。そして、緊縮を叫ぶことで支持が高まる「空気」を、すでにして財務省やマスコミによって作られてしまっています。
この状況を打破するためには、一人でも多くの国民に、
「日本に財政問題などない」
「現時点で緊縮を主張する政治家は、国民を貧困化させる愚か者」
であるという現実を理解してもらうしかありません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12372575605.html
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
▲△▽▼
モリカケ問題等の政治家のスキャンダルはすべて CIA が官僚を通してマスコミに流したもの
阿修羅掲示板でモリカケ問題のマスコミ記事を24時間毎日、毎日流し続けていたのは『赤かぶ』氏
という事は
『赤かぶ』氏 は CIA系のネット工作員という事ですね。
僕みたいに『赤かぶ』氏 の記事の間違いを指摘するとすぐに非表示にされるというのは わかり易過ぎて何かなー
>「擬似民主主義」 (self.tikagenron)
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/5abnsb/%E6%93%AC%E4%BC%BC%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9/
>不正選挙の時代と手口まとめ (self.tikagenron)
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/582f3q/%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%A8%E6%89%8B%E5%8F%A3%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81/
>粛清手段としての不正選挙
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/6f5wj0/%E7%B2%9B%E6%B8%85%E6%89%8B%E6%AE%B5%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99/
2010年の参院選以来、国政選挙では有為の政治家たちが次々と落選させられてきた。国民新党、小沢グループ、民主党のTPP慎重派。ひょっとしたら2009年の総選挙さえ、自民党の有為な議員を落とすために使われたのかも知れない。擬似民主主義下においては、選挙は「本当の権力者」に逆らう者を粛清する手段として使われる。今の議員が小粒な者ばかりなのも、大臣が馬鹿か外道ばかりなのも、こうした粛清のもたらした結果に他ならない。
>何度も言うが、元凶は不正選挙だ (self.tikagenron)
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/6exmxv/%E4%BD%95%E5%BA%A6%E3%82%82%E8%A8%80%E3%81%86%E3%81%8C%E5%85%83%E5%87%B6%E3%81%AF%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%A0/
現在の政治状況で有効なカードは「不正選挙の追及」「国際的な選挙監視団の招聘」以外にない。もちろん自民党は汚物だし、野田は豚だが、安倍に文句を言うヤツも、野田や「民進党の心ある議員」にアドバイスをするヤツも、不正選挙の追及を柱に立てないのなら、共謀罪の成立や現支配体制の補強に寄与しているのと変わらない。プロレスでヒールに野次を飛ばそうがベビーフェイスの戦い方に文句をつけようが、筋書きを変化させることなどできはしないだろう。
>野党共闘と不正選挙 (self.tikagenron)
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/750w65/
_つまり野党共闘には二種類あった。小沢の「不正選挙のもとでも勝つ野党共闘」と、民進の「負けるための野党共闘」だ。勝てる状況が揃いつつあるのに野党共闘を捨てるのが小沢の仕業であるはずがない。負けることができる状況でなくなると55年体制のような状況を求めるのが民進党。これは前原に限った話ではないのだろう。つまり「小沢アレルギー」とは「自公に勝つ気があるかどうか」「政権を担う気があるかどうか」もっと言うなら「『業者』の書く筋書きから外れる気があるかどうか」「政治主導で『業者』と戦う気があるかどうか」というパラメータだ。
電気料金を決める「総括原価方式」とは?電気料金を解説!
https://selectra.jp/info/price/denki-price-sokatsu
何でも「ドンブリ勘定」の『総括原価方式』に縛りを掛けないとダメ。
経産省は「サボタージュ」するな!!
南相馬なんて、山側の半分は、、逃げろー♪ 山から放射能♪w
アホ坪倉に、小児甲状腺ガン、200人の意味を聞けよ!
ベテランママさん、児玉龍彦の意見も聞きたいですね。ぺっ♪
桜井市長なんて、落選したら、一転して、助けてー♪?? ばか?あほ?ぺっ♪
>少なくとも2度、2012、13年に、、、
↑ 山菜、キノコなんて、数十万Bqだよw ご馳走されたの?www 殺人だー♪
結論: つまり、計測不能の、β線に、、 長文省略 うさぎ♂
なお、浪江町なんて、田植えだってさー♪あほ 馬場は死んだね。遺書は?ぺっ♪
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201805/20180526_63054.html <2018年05月26日
グローバリズムというのは19世紀の帝国主義と同じもの。
帝国主義の次に共産革命が起きて共産国家ができるというのが経済学の定説:
帝国主義とは、資本主義の独占段階であり、ブロック経済から国際金融資本による他国の支配までを指す時代区分でもあり、列強諸国が植民地経営や権益争いを行い世界の再分割を行なう事を指す。
高度に資本主義が発展することで成立する国際金融資本が、市場の確保や余剰資本の投下先として新領土の確保を要求するようになり、国家が彼らの提言を受けて行動するとされる。いくつもの国家が帝国主義に従って経済的植民地を拡大するなら、世界は有限であるから、いつかは他の帝国主義国家から経済的植民地を奪取せねばならず、共産革命はその当然の帰結である
とりあえず農地法と最低賃金法を廃止
農業で食べていけなくなった日本の農家の土地をすべて住友化学が捨て値で取得、モンサントの作物を時給100円の中国人を使って大規模経営する。
土地を買えるのはゴールドマンサックス・モンサントと組んだ住友化学だけだからね。
そして土地を売った農民や大企業を解雇された労働者が東京に集まってスラムを作り、そこから共産革命が始まる。
すべてマルクスの予言通りさ。
TPPに至る道は歴史の必然だから、ねじを逆戻しするのは不可能なのさ。
TPPを批判するのは神州の泉の様な保守反動側の人間だけなんだよね。
日本は共産革命と共産国家への道をひた走っていてもう止められない。
これから日本にもレーニンが現れるのさ、わくわくするね:
1891年、レーニンが21歳を迎えたその年、沿ヴォルガ地方は大規模な飢饉に見舞われた。このとき、地元のインテリ層の間で、飢餓に苦しむ人々に対して社会的援助を行おうとする動きがわきあがったが、その中でただ一人、反対する若者がいた。ウラジーミル・ウリヤーノフである。以下、『秘密解除されたレーニン』から引用する。
「『レーニンの青年時代』と題する、A・ペリャコフの著書を見てみよう(中略)それによれば、彼(レーニン)はこう発言していたのだ。
『あえて公言しよう。飢餓によって産業プロレタリアートが、このブルジョワ体制の墓掘人が、生まれるのであって、これは進歩的な現象である。
なぜならそれは工業の発展を促進し、資本主義を通じて我々を最終目的、社会主義に導くからである――
飢えは農民経済を破壊し、同時にツァーのみならず神への信仰をも打ち砕くであろう。そして時を経るにしたがってもちろん、農民達を革命への道へと押しやるのだ――』」
ここの農民の苦しみなど一顧だにせず、革命という目的のためにそれを利用しようとするレーニンの姿勢は、すでに21歳のときには確固たるものとなっていたのだ。
また、レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中で自ら「ジャコバン派」と開き直り、党内の反対派を「日和見主義的なジロンド派」とののしっているが、実際に血のギロチンのジャコバン主義的暴力を、17年の革命に先んじて、1905年の蜂起の時点で実行に移している。再び『秘密解除されたレーニン』から一節を引こう。
「このボリシェヴィキの指導者が、(亡命先の)ジュネーブから、1905年のモスクワでの『12月蜂起』前夜に、何という凶暴な言葉で、ならず者とまったく変わらぬ行動を呼びかけていたことか!(中略)
『全員が手に入れられる何かを持つこと(鉄砲、ピストル、爆弾、ナイフ、メリケンサック、鉄棒、放火用のガソリンを染み込ませたボロ布、縄もしくは縄梯子、バリケードを築くためのシャベル、爆弾、有刺鉄線、対騎兵隊用の釘、等々)』(中略)
『仕事は山とある。しかもその仕事は誰にでもできる。路上の戦闘にまったく不向きな者、女、子供、老人などのごく弱い人間にも可能な、大いに役立つ仕事である』(中略)
『ある者達はスパイの殺害、警察署の爆破にとりかかり、またある者は銀行を襲撃し、蜂起のための資金を没収する』(中略)建物の上部から『軍隊に石を投げつけ、熱湯をかけ』、『警官に酸を浴びせる』のもよかろう」
「目を閉じて、そのありさまを想像してみよう。有刺鉄線や釘を使って何頭かの馬をやっつけたあと、子供達はもっと熟練のいる仕事にとりかかる。用意した容器を使って、硫酸やら塩酸を警官に浴びせかけ、火傷を負わせたり盲人にしたりしはじめるのだ。
(中略)そのときレーニンはこの子供達を真のデモクラットと呼び、見せかけだけのデモクラット、『口先だけのリベラル派』と区別するのだ」
彼の価値観はきわめて「ユニーク」で、「警官に硫酸をかけなさい」という教えだったのだ。
http://archive.fo/OffX7
朝鮮半島の危機 2017-05-05
フランス大統領選挙(決選投票)が二日後に迫ってきていますが、実はその後、つまりは5月9日、フランス大統領選挙以上に我が国に影響を与える「選挙」が行われます。
すなわち、韓国大統領選挙です。
韓国大統領選挙は、一時は安哲秀が文在寅に迫ったのですが、急速に失速。冗談でも何でもなく、このタイミングで「親北朝鮮」というか、北朝鮮のスパイにしか思えない候補が、韓国大統領の座に王手をかけています。
『韓国大統領選 最大野党の文候補大幅リード
http://www.news24.jp/articles/2017/05/03/10360527.html
韓国の朴槿恵前大統領が罷免されたことに伴う大統領選挙を今月9日に控え、3日に発表された投票前最後の世論調査で、最大野党の文在寅候補が支持率42.2%と大きくリード。安哲秀候補は18.6%と失速、北朝鮮により厳しい姿勢の候補に支持が流れたか。(後略)』
安哲秀の失速は、皮肉な話ですが、北朝鮮危機が深刻化するに連れ、彼よりも対北政策が厳しい洪準杓に、保守派の支持が流れてしまっているためです。
安哲秀と洪準杓の支持率を合わせると、文在寅に迫ります。保守派が候補を統一することができたならば、勝負になるかも知れませんが、既に手遅れです。
文在寅が韓国大統領の座を射止める可能性は、現時点では極めて濃厚になっています。
文在寅は、朝鮮戦争の際に北から逃げてきた両親の下で、韓国に生まれました。
チェ・スンシル事件の関連で、朴槿恵大統領の弾劾手続きが進んでいたとき、文在寅は、
「(憲法裁判所が弾劾訴追案を棄却すれば)革命しかない」
と、発言しました。
それ以外にも、
「似非保守を火で焼き払え」
「国の大掃除が必要だ」
「(大統領に当選した場合)米国よりも北朝鮮に先に行く」
などなど、文在寅は親北発言、あるいは「革命」的な発言を連発しています。
さらに、文在寅は「戦時作戦統制権」について、韓国が持つこととする。THAAD(終末高高度防衛ミサイル)の配備は、先送りする。
と、明らかに北朝鮮を利する公約を堂々と掲げているのです。それで、現時点で支持率トップ・・・。
文在寅の支持層を見ると、20代、30代、40代が50%超と高く、50代以降はガクッと減ります。つまり、文在寅を支持している中心層は、韓国の若い世代なのです。
「恋愛」「結婚」「出産」「マイホーム」「人間関係」「夢」「就職」の7つを諦めざるを得ない、韓国の若い世代。いわゆる「七放世代」という言葉で総称される韓国の若者たちが、文在寅を支持しているわけです。
そして、なぜ韓国の若年層失業率が高く、七放世代といった言葉が生まれるほどに困窮してしまったのかといえば、もちろん「グローバリズム」の影響です。韓国は、97年のアジア通貨危機の際にIMF管理に陥り、グローバリズムの優等生として生まれ変わりました。
結果的に、日本以上にグローバル化が進み、国内が少数の勝ち組(財閥オーナー、オーナー家族、役員など)と大多数の負け組に分断されていきました。
グローバリズムが国内の格差を拡大し、「革命家」と呼んでも過言ではないような人物が、政権の頂点に立とうとしている。
カール・マルクスは、自由競争が「古い経済生活と古い半家父長制的諸関係」の破砕を促進すると指摘し、
「ただこの意味でのみ、諸君、私は自由貿易に賛成するものなのである。」
と、語ったと、レーニンが書き残しています。
要するに、自由貿易が保守的な社会を壊し、革命の下地ができるという話なのでしょうが、そのままの光景を、我々は玄界灘の向こう側に見ているのです。
北朝鮮危機に加え、日本は韓国で文在寅大統領が誕生し、廬武鉉を超える親北政策を推進するという、「朝鮮半島の危機」に備える必要があると考えるべきです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12271785222.html
グローバリズムと革命、国民統合の崩壊 2017-05-06
フランス大統領選挙(決選投票)を明日に控え、エマニュエル・トッド教授が日経新聞のインタビューに答えていました。
『仏社会「徐々に分裂」 大統領選控えトッド氏に聞く
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM01H2S_S7A500C1FF1000/
フランス大統領選挙は7日、中道のマクロン候補と極右のルペン候補による決選投票を迎える。第1回投票で二大政党が敗退し、反欧州連合(EU)勢力が支持を伸ばした。仏社会に何が起きているのか。歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏にパリで聞いた。』
「グローバル化疲れ」という、現代の世界の政治を動かす現象を、見事に表現したトッド教授ですが、インタビューを読むと、何というか本人も「疲れている」感がありありと出ています。
トッド教授によると、
「高齢者や中流、上流階層がマクロン、フィヨン両氏を支持し、若者や労働者階層がルペン氏や急進左派のメランション氏に多く票を投じた。」
とのことです。
これは、意外です。イギリスのブレグジットの際は、逆でした。つまりは、「相対的に」高齢者がEU離脱を望み、若者が残留を欲したのがブレグジットなのですが、フランスは逆なのです。
若者が、ルペン党首やメランション氏、つまりは「EU離脱」を中心に、反グローバリズムを訴える候補を支持したのが、フランス大統領選挙第一回投票だったのです。
昨日、韓国において、グローバリズムの犠牲(というか、敗者)となっている傾向が強い、20代から40代が、「革命」を訴えているも同然の文在寅を支持していることをご紹介しました。
フランスは、韓国同様に、グローバリズムの呪縛に(相対的に)捉えられています。何しろ、EUとは、モノ、ヒト、カネの国境を越えた移動を自由化するという「グローバリズム」を固定化する国際協定です。
フランスもまた、韓国と同じく「グローバル化」が進んだ国の一つです。
しかも、フランスの場合は、トッド教授もインタビューの最後に語っていますが、
「EUのルールとユーロの下で、仏大統領には何の力もない。ドイツの求める緊縮財政をとるしかない。寂しいことだ」
という状況になっているのです。
すなわち、グローバリズムの呪縛により「主権」を(事実上)失った状況にあるのが、現在のフランスという話です。
グローバリズムにより、特に割を食っているのが「若い世代」です。フランスの若年層失業率は、何と25%!
とはいえ、EUに入っている限り、フランスは積極的な若年層向け雇用対策を打つことはできません。結果的に、フランスの若い世代が「EU離脱」を主張する候補者に流れた、という話です。
興味深いことに、トッド教授は、「EUのルールとユーロの下で、仏大統領には何の力もない」ことを理解し、かつ、国民戦線の政策について、
「国民戦線の移民政策は容認できないが、ユーロ離脱と若干の保護主義を掲げる経済政策は私の観点ではまともだ。」
と、ある程度の評価を与えておきながら、決選投票を棄権するとのことです。
「相対的」な投票をする場合、トッド教授はルペン党首に投票せざるを得ません。とはいえ、国民戦線に票を入れる(もしくは「票を入れると表明する」)ことはできない。
フランスの「苦難」が、ありありと分かります。
いずれにせよ、昨日もご紹介した、自由競争が「古い経済生活と古い半家父長制的諸関係」の破砕を促進するが故に、
「ただこの意味でのみ、諸君、私は自由貿易に賛成するものなのである。」
と、自由貿易に賛意を示したマルクスの慧眼通り、グローバリズムの進展は社会を壊し、革命の下地を醸成しつつ、国民統合を崩壊させていくことが、フランスや韓国の現実から分かります。
トッド教授は、
「フランス社会は少しずつ分裂し始めている。人々がイデオロギーや宗教でなく、高齢者や労働者といった階層単位で振る舞う。新大統領の下でも社会は緊張を抱え続けイスラム勢力のテロのような政治的な暴力のリスクは高まる。力を増す高齢者に若者が対抗するため、暴力でよりよい扱いを実現しようと考えるなら、おぞましい事態だ」
と、国民統合の崩壊と「暴力革命」に関し、懸念を表明していますが、EUに残り続ける限り、トッド教授の恐れは次第に高まっていくことになると確信します。
現在のフランスや韓国の状況からは、グローバリズムが最終的に「何をもたらすのか?」が、明瞭に見えてくるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12272103610.html
▲△▽▼
マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
怒りを消すことが危険な理由と、暴力の時代が到来する理由
国と国の対立。民族と民族の対立。人種と人種の対立。個人と個人の対立……。
人間社会には争いと対立と衝突と不寛容と暴力と破壊に満ちているのは、まわりを少し見回しても、歴史を少し辿っても、テレビを見ても、映画を観てもすぐに気付くはずだ。
宗教が平和を呼びかけるのは、逆説的に言うと世の中は平和ではないからでもある。社会に法律があるのも、対立と衝突があるからである。
そして、国連のような組織が存在するのも、国と国の暴力が止まらないからである。人間社会から対立と暴力が消えないというのは、誰も否定できないことでもある。
では、この対立と暴力を生み出す根源的なものは何か。
それは「怒り」である。人間には様々な感情があるのだが、その感情の中には「怒り」という原始的かつ本能的なものがあり、人はそれを消すことができない。
対立や衝突や暴力は誰にとっても悲しい事態だ。だから、誰もが「怒りという感情はない方がいい」と単純に思う。
しかし、人間を含め、すべての動物に「怒り」という感情が組み込まれているということは、それ自体が重要なものであると気付かなければならない。
「怒り」とは、自分の存在が消されないための戦い
人間の心の中からは「怒り」が消せないが、人間だけでなくライオンでも虎でも熊でも象でも、すべての動物は怒りという感情を持っている。
鳥類も、爬虫類も、昆虫も、私たちが知っている生物の多くは「怒り」という感情を持っている。
「怒り」が多くの生物を網羅した普遍的な感情であるということは、それが生物にとっては欠かすことができないものであることを示唆している。
「怒りはない方がいい」と私たちは考えるのだが、生物学的に見ると逆に怒りという感情はなくなっては困るから残っていると言っても過言ではない。
いったい、何のために「怒り」という厄介な感情が残されているのか。そもそも、怒りという感情はどんな時に感じるものなのか。それは以下のものであると言える。
(1)自分が不意に攻撃された時
(2)自分の縄張りを侵された時
(3)自分の利益を奪われた時
(4)自分の所有物を取られた時
(5)自分の行動を邪魔された時
(6)自分を存在を否定された時
(7)劣等感や欠乏感を感じた時
(8)自分が騙された時
(9)物事がうまくいかなかった時
(10)軽蔑された時
こうやって生物の中に「怒り」が湧き上がる状況を俯瞰して見ると、あることに気付く。「怒り」を感じる時というのは、自分の存在が消されそうになった時なのである。
「自分の存在が消されそうになる」というのは、自分が殺されるとか、追い払われるとか、心身にダメージを受けるという広範囲の状況をすべて含んでいる。
そうなった時、生物は激しく「怒り」を感じ、その状況に立ち向かっていくことになる。「怒り」とは、自分の存在が消されないための戦いの感情だった。
「怒り」という感情が多くの生物を網羅した普遍的な感情であるということは、それが生物にとっては欠かすことができない感情であることを示唆している。
なぜ配偶者を奪われると「怒り」が湧き上がるのか?
「怒り」は往々にして破壊衝動を伴う。なぜなら、自分を消し去ろうという存在と立ち向かい、戦い、勝ち抜かなければならないからである。
たとえば自分が不意に攻撃された時に怒りを感じないでいると、どうなるのか。為す術もなく殺されてしまう。そして自分の存在が消されてしまう。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」などと言っていたら、殺されてしまうことになる。不意に攻撃されたら生存本能の赴くがまま、怒りを持って立ち向かわなければ生き残れないのである。
自分の縄張りが侵されたら、怒りと共に立ち向かわなければ自分が明日から生命の危機に陥ってしまう。
たとえば、自分の家に他人が勝手に上がり込んで追い出されると、明日から自分が路頭に迷って通常の生活が送れなくなってしまうのは明白だ。
縄張りを侵されるというのはそういうことだ。自分の縄張りを守るというのは生き残りのための重要な生存本能なのである。だから、すべての生物は縄張りを侵されることを激しく嫌い、「怒り」を感じ、相手を破壊しようと戦う。
利益を奪われるのも所有物を奪われるのも、みんなそうだ。自分の生存のために必要なものを奪われるというのは、自分の生存が脅かされるということなので、「怒り」という感情で激しく戦えるようになっている。
自分の配偶者を奪われた人も、凄まじい「怒り」を感じて相手を殴ったり殺したりすることもある。そうした事件は世界中で毎日のように起きている。
なぜ配偶者を奪われると「怒り」が湧き上がるのか。
それは自分の遺伝子を残すための生物的な手段を横取りされて、自分の遺伝子を残せない危機に陥るからである。それもまた遺伝子単位で見ると生命の危機でもある。
つまり「怒り」とは、広い範囲で自分の生存が脅かされることで生まれる感情だったのだ。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」などと言っていたら、殺されてしまうことになる。不意に攻撃されたら生存本能の赴くがまま、怒りを持って立ち向かわなければ生き残れないのである。
暴力の時代は、いつか必ずやってくる
そう考えると「怒り」を自分の感情から消すというのは、実は危険な行為である。
途方もなく長い時間をかけて生き残ってきた生命は、生き残るための重要な行動を「本能」として生命体に組み込んでおり、そこには不必要なものは一つもない。
「怒り」という感情が自分の理性とは別のところで湧きあがってくるのも、生命として「怒り」という感情が必要だったからである。
「怒りを消す」というのは、下手すると自分の存在を自分で消すことにつながりかねないものだったのだ。個体レベルで見ると「怒り」という感情が残っているのは正常であることに他ならない。
自分の存続が脅かされる状況にある時、「怒り」がないと生き残れない。
しかし、個体の生存本能として見れば正しいはずの「怒り」も、社会全体で見るとそれ自体が対立を生み出すというのも事実である。
その対立が、たとえば個人と個人の対立、人種と人種の対立、民族と民族の対立、国と国の対立と大規模になっていけばいくほど暴力のスケールも巨大なものになっていく。
人間社会の歴史のすべての時期で、暴力と戦争と殺戮が絶えないのは、人間の本能に「怒り」が組み込まれているからであり、それはどうしても避けようがないというのが歴史の教訓である。
つまり、人間社会は必ず大量殺戮を生み出す。
今日が平和だから明日も平和であるとは限らない。「怒り」は自分の存続が脅かされると突如として発生し、それは突発的な破壊衝動を生み出すからだ。
暴力の時代は、どんなに平和を求める民族の国であっても、いつか必ずやって来る。
それが歴史の教えるところだ。
今日が平和だから明日も平和であるとは限らない。「怒り」は自分の存続が脅かされると突如として発生し、それは突発的な破壊衝動を生み出すからだ。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170503T0310520900.html
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学校は「労働者養成所」なので、資本主義の秘密は教えない
グラフィック・デザイナーと建設作業員の共通点は何か。プログラマーと通信販売受付スタッフの共通点は何か。玩具店店員と図書館司書の共通点は何か。生命保険外交員と国税専門官の共通点は何か。
資本主義社会の中で言うと、これらはすべて「労働者」であるということだ。
労働者と言えば、溶接工や土木作業員や金型工のような仕事に就いている人だけを指すような感覚を持っている人がいるかもしれないが、それは大間違いだ。
サラリーマンは言うに及ばず、プログラマーも、ネイリストも、ウェブデザイナーも、アニメーターも、メイクアップアーティストも、インテリア・コーディネーターも、みんな資本主義の中では「労働者」である。カタカナの仕事に就いたら労働者ではなくなるわけではない。
仮に機械組立工の仕事をしている人が、明日からネットワーク・エンジニアになったとしても資本主義から見ると、労働者が違う仕事の労働者になったというだけで何も変わっていない。
中華料理のウエイトレスがフライトアテンダントになっても、労働者が仕事を変えたというだけで、依然として労働者のままである。
資本主義の正体とは、ひとことで言うと何か?
労働者とは何者かというと、「他人に雇われて働く者」という意味である。他人に雇われているという状況が変わらない限り、どんな仕事に就いたとしても、それは労働者というカテゴリーで一括りにできる。
労働者は「会社」に雇われていると考えるのだが、その「会社」には所有者がいる。その所有者のことを「資本家」という。
だから正確に言えば労働者は「会社に雇われている」のではなく、「資本家に雇われている」と認識しなければならない。
会社を所有している資本家が、会社という組織を通して労働者を雇って働かせているというのが資本主義の姿である。
ほとんどの労働者は労働者としての人生をまっとうするので、なぜ資本家が労働者を雇うのか、あまりよく考えない。なぜ資本家は大勢を雇って「賃金」という名の金を労働者にばらまいているのか。
それは労働者が生み出す労働の対価よりも賃金を安く抑えて、残りを資本家が手に入れることができるからである。
たとえば、非常に有能なサラリーマンが1億円の仕事を取ってきても、年収は1000万円だったりすることも珍しくない。残りの9000万円はどこにいったのか。会社が持っていった。つまり、その会社の所有者である資本家が持っていった。
経費等を抜きにして考えると、この場合は労働者の仕事の対価は10%が労働者に、90%が資本家にいったということになる。カール・マルクスはこの現象を「搾取」と呼んだ。
資本家が労働者を雇う理由がここにある。労働の対価を搾取できるから資本家は労働者を雇うのだ。逆に言えば搾取できないのであれば資本家は労働者を雇わない。
労働者が常に生きていくギリギリの給料しかもらえず、資本家がどんどん金持ちになっていくのは、今も昔も搾取の構造が依然として残っているからに他ならない。
「資本主義の正体」を難しく考える必要はない。資本家と労働者と搾取の3つを覚えておけば、その本質を正確につかめたことになる。他のことは枝葉末節だ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170430T1444200900.html
ワーキングプアは這い上がれない理由は「これ」がないから
国税庁の「民間給与実態統計調査」では、2015年の平均年収は約420万円なのだが、4人に1人は年収200万円以下という憂慮すべき結果になっている。
その中で非正規雇用に限って言うと、男性約226万円、女性約147万円で、平均年収の半分以下となる。正規の仕事を捜しても見つからないと非正規雇用で妥協するしかないが、そうなると凄まじく厳しい生活が待っている。
こうした層を「ワーキングプア」と呼ぶのだが、働いても働いても豊かになれないワーキングプアは今後も減ることは決してない。
なぜなら多くの企業は無駄にコストがかかる正社員を絞るようになり、非正規雇用を増やして労働者を「使い捨て」するようになっているからだ。
「使い捨て」というのは、月単位、あるいは週単位、日単位で働く人との契約をいったんリセットするということだ。
必要であれば次も雇うし、必要なければそのまま切り捨てるということを意味する。企業はそうすることによってコストを微調整することができるようになる。
長い人生を生き延びるために押さえるべきポイント
IT化によって企業はコストが秒単位で読めるようになり、それによって雇用の調整もできるようになった。だから、労働者は月単位で増やすか減らすかを決められる。
そうなると、雇用が安定しない労働者はいったん不況が来れば雇ってもらえない状況が続き、安い給料でも甘んじて受け入れるしかなくなる。それがワーキングプアを生み出す。
ワーキングプアの最大の問題点は、その月の仕事はその日や長くても月末に精算されて、その時点で評価も成果も消えてしまうことだ。つまり、仕事において評価も信用も成果も「積み上げる」ことができない。だから昇級もない。
人生は短く、やり直しがきかないので、「積み上げる」ことができるかどうかは意外に生きる上での重要なポイントになる。
何にしろ、毎月毎月ゼロからのスタートを強いられるよりも、過去の生き方や仕事が、きちんと現在に評価や信用に「積み上げられる」方が有利に決まっている。
(1)生き方が首尾一貫していること。
(2)経験や仕事が「積み上げられる」こと。
ワーキングプアはそれができないことに問題点がある。仮に自分がこの仕事で生きたいと思っても契約が頻繁にリセットされるので、信用も成果も「積み上げ」ができない。だから生き方に首尾一貫性を持つことさえもできない。
非正規雇用では自分の意志に反して、まったく違う職種に回されることも珍しくない。そうなると仕事もゼロから覚えなければならない。
そして仕事を何とか覚えた頃にはまた契約が切れて、他の現場に回される。さらに積み上げても意味がないような単純労働的な仕事ばかりを強いられることも多い。
つまり、仕事に関しては永遠に初心者であることを強いられて、這い上がれない仕組みにハマる。こんな状況をどんなに長く続けても追い詰められるだけだ。
生き方に軸を持てず、経験や仕事を積み上げできないというのは本人にとっても社会にとっても不幸なことである。
無駄がなくなれば、生きやすくなるのは当然のこと
別に首尾一貫していなくても、積み上げる仕事がなくても、生きていけることは生きていける。現に、行き当たりばったりで生きている人もたくさんいる。
若いうちは試行錯誤も必要で、いろんなことを試すのも重要だ。しかし早くから自分の適性や才能を見極めて、一貫した方向性があれば試行錯誤が短くて済む。
自分の人生の目的が定まり、一貫した方向性があれば、自然とやっていることに無駄がなくなるのだから、生きやすくなるのは当然のことだ。
人生の早いうちから一貫した方向性が決まれば幸運だ。なぜなら、やることがすべて「積み上がる」からである。
この「積み上がる」というのが馬鹿にならない。
たとえば、あるときは建設現場のとび職をやって、あるときは工場の単純作業をやって、あるときはトラックの運転手をやって、あるときは飛び込みの営業マンをやっている人がいるとする。非正規雇用では珍しくない経歴だ。
この人の経歴は多彩かもしれない。しかし、そこに一貫性も方向性もないので、何かをやるたびに新しい現場でゼロからのスタートになる。
前職の経験で得たものがあるかもしれないが、あまりにも関連性がないので経験が無駄になる可能性の方が高い。つまり、「積み上がり」がない。
この人とは別に、ある人はプログラマーをやって、あるときはシステムエンジニアをやって、あるときはサーバー管理をやって、あるときはIT専門の講師をやっていたとする。
この人も違う職業を渡り歩いているのかもしれないが、そこには一貫してIT系という筋が通っている。
この人の仕事の経験はすべて現在に活かすことができているはずだと推測できる。人生に方向性があるので経験が無駄にならない可能性が高い。つまり「積み上がり」がある。
方向性が一貫していれば、このように経験を積み上げることが可能となる。経験が積み上がり、業界を俯瞰することができるようになり、技能が洗練される。
それによって、当然のことながら評価も上がり、信用も付く。一貫した方向性があれば、過去を現在に「積み上げる」ことができるようになる。
成功している人は「積み上がる仕事」をしている人
意識的にも無意識にも職種と生き方に軸がある人は「積み上がる仕事」をしている。こうした人は、行き当たりばったりで生きている人よりも、はるかに成功する確率が高い。
「積み上がる仕事」というのは、過去にやった仕事に対して、その時に生み出した技能・製品・サービス・土台・信頼が、現在の自分に利益をもたらすものを言う。
成功している不動産投資家は、過去に買った不動産で収益を得て、さらにその収益で別の不動産を買ってそこでも収益を得るというシステムを作り上げている。つまり、「積み上がる仕事」をしている。
成功している株式投資家も、過去に買った株式でキャピタルゲインもインカムゲインも得て、さらにインカムゲインで新しい株式を買って資産を膨らませる。やはり、「積み上がる仕事」をしている。
成功している事業家は、過去に作った製品で収益を得ながら、新しい製品を生み出して、そこでもまた収益を得る。これも、「積み上がる仕事」である。
彼らは、ワーキングプアのように時間と労働力を切り売りして終わりではない。「積み上げ」がきちんとしている。その「積み上げる仕事」が経験や信用を生み、結果的に経済的な余剰や内部留保をどんどん増やしていけるようになる。
逆に言えば、「積み上げる仕事」ができないと、余剰や内部留保を増やすことはできない。ここが、弱肉強食の人生を生き延びることができるかどうかの分かれ目になる。
(1)首尾一貫していること。
(2)経験や仕事が「積み上げられる」こと。
ワーキングプアは這い上がれない理由は「この2点」がないからでもある。現代社会は効率的だ。今の「邪悪な世界」は、安い労働力を永遠に確保するために、わざとそうしている可能性もある。
だから、この2点がきちんと自分の人生や仕事に織り込まれているかどうか、充分に考える必要がある。それも早急にだ。積み上げられないことに時間をかけていると、いずれ時間切れを宣告される。あなたは、大丈夫だろうか?
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり。じっと手を見る」。「積み上げる仕事」がきちんとできているかどうかは重要なポイントだ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170501T1650490900.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c1
新・階級社会をブッタ斬る 安倍政権で1000万人! アンダークラスの衝撃 倉重篤郎のサンデー時評
https://mainichi.jp/sunday/articles/20180619/org/00m/070/003000d
https://blog.goo.ne.jp/owarano51/e/c7624749a70eae4b645c05fb87ddedb1
2018年6月20日 サンデー毎日 おはら野のブログ
倉重篤郎・本紙専門編集委員
▼いまや「就業人口の15%」がアンダークラス
▼急増する「生活保護予備軍」
男性未婚率が7割近い
「働き方改革関連法案」が衆院本会議で可決された。法案には格差是正が大きな目的として謳われているが、現実には安倍政権下の日本は「新・階級社会」を形成しつつある。平均年収186万円以下の「アンダークラス」が15%を占めるというこの国の衝撃的な実態を、橋本健二・早稲田大教授に聞く。
噴飯物の森友・加計(かけ)問題。蚊帳の外でもがく外交。出口なしの異次元緩和……。安倍晋三首相統治下の政治には悉(ことごと)く批判的な目を向けてきたつもりだが、日本の経済社会構造のある変化には、鈍感であった。
それは格差問題である。薄々は気付いていたものの、その社会問題としての深刻さを顧慮することなしに通り過ぎてきた。それが、『新・日本の階級社会』(講談社現代新書、2018年1月)という書と出合い、認識を新たにした。
少し前までは総中流化と言われた日本社会が、かくまでに激しく階層分化していたとは知らなかった。しかも、そこにはアンダークラス(階級以下)という、一生非正規労働を続け、結婚もままならず、老いては生活保護を受けることが確実な最底辺の新しい階級が1000万人規模で誕生していたとは。
今年はマルクス生誕200年でもある。そのマルクスが発見したのがプロレタリアートだった。勃興しつつある資本主義社会の中で、生産手段を持たず自らの労働力を売るだけでひたすら搾取される賃金労働者階級をそう命名したわけだが、アンダークラスは見方によっては、さらにその下に位置する新階級ともいえる。安倍政権下の日本の変貌を見据えるうえで、こういった社会構造分析は不可欠ではないだろうか。
現代資本主義が作り出した、マルクスの想定をも超えた新たな階級の出現。そこにいち早く気づき、実態を学問的に定量分析し、日本社会に与える負の影響について警告を発しているのが、前掲書の著者、橋本健二・早稲田大教授(59)である。さっそく話を聞いてみた。
「新中間階級」が総崩れになる
この本は難しい統計本だが、よく売れている。
「1月に初版を出して6刷、6万5000部です。この手の本では珍しい、と言われる。調べると、東京・大手町や日本橋の書店で売れた。大企業の大卒サラリーマンが買っているようだ。日経と朝日にやや大きめの広告を載せた。朝日ではあんまり反応がなかったが、日経に出て爆発的に売れた。アマゾンの全カテゴリーでベスト10入りし、2時間で在庫が売り切れた、という」
日経購読者というサラリーマン心理に訴えた。その心は?
「不安なんでしょう」
なぜ? 彼らはあなたが分類するところの新中間階級、正規労働者の上の階級だ。
「今はそうだが、いずれリストラされて非正規になるかもしれない。一流企業のサラリーマンが50代後半でリストラされ、マンションや駐車場の管理人をやっているケースはざらにある。自分の子供も心配だ、アンダークラスになるんじゃないかと」
橋本氏が社会学者としてユニークなのは、座学だけではない点だ。街や居酒屋を愛し、そこでの社会観察を学問の糧にしている。『居酒屋ほろ酔い考現学』(毎日新聞出版)という著作まである。さまざまな階層の人々が出入りして、本音の姿をさらす居酒屋にも階層分化のヒントがあった。
「あちこち通ってみてわかったことは、居酒屋が随分短期間に序列化されたことです。高級店から立ち飲みまで階層分割された。かつて総中流社会と呼ばれていた時代に普通のサラリーマンが行ったような業態、つまり、スナックとか小料理屋とかが、ほとんど壊滅状態となり、高級店か大衆酒場に分かれてしまった」
なるほど階級社会の進展は、居酒屋文化をも変えた。ちなみに、今回の取材も橋本氏行きつけの池袋の居酒屋で行った。
それはそれとして、なぜ今、階級論なのか。
「元々マルクス主義系の理論で階層論、階級論を研究してきた。階級という言葉には理念先行的イメージがあるので、それを実証的データで補強したかった。ただ、方法論が難しく、米国の研究者のやり方などを参考に試行錯誤、大学院のドクターを出る時に何とか手法を確立した」
階級とは、マルクス主義の洗礼を受けた世代には懐かしい用語だが、今の時代には敬遠されるのでは?
「1980年代に論文をいくつか書いたが、当時は1億総中流社会と言われており、そんなに注目されなかった。変わったのが90年代の終わりごろ。格差が注目され、何冊か本を書いた。世紀が変わり、小泉純一郎政権下で非正規労働者が増え、2006年に『格差社会』が新語・流行語大賞でトップテン入りし、講演や執筆依頼がさらに増えた。ただ、それも11年の東日本大震災でピタッと止まった。格差などと贅沢(ぜいたく)言うな、という風潮となった」
× × ×
そして今回の本の爆発的な売れ行き。安倍政権下で格差が一層拡大したこともあろうが、アンダークラスという新階級の出現を学問的に精緻に分析したことが、ショックと反響を呼んだのではないか。
ここで簡単なおさらいをしておく。
日本社会は五つの階級、つまり資本家階級(経営者・役員)、新中間階級(被雇用の管理職・専門職・上級事務職)、正規労働者、旧中間階級(自営業者・家族従業者)、そしてアンダークラス(パート主婦を除く非正規労働者)に分かれる。
全般的に階級の固定化が進んでいると。
「資本家階級がそうだ。経済の成長力が弱くなり、新規事業を始めるのが難しくなった。技術革新で初期投資もかかる。となると、親が経営者でないと経営者にはなれなくなる。一方で、新中間階級は違う。大卒サラリーマンの子供がフリーター化する流れも出てきた」
この著作のすごいところは、さまざまな公的統計を駆使して、すべてを定量分析し切っているところである。それによると、アンダークラスは、現時点では929万人と就業人口の14・9%を占める。02年691万人、07年847万人で、5階級の中で唯一激増を続けている。年金が受給できる60歳以上を除くと、平均個人年収は186万円と極端に低く、貧困率は38・7%とこれまた極端に高い。際立った特徴は、男性の未婚率が高く(66・4%)、女性に離死別者が多いことだ。
アンダークラスはいつ出現した?
「1990年前後だ。80年代後半のバブル時代にフリーターが増えた。景気は良かったが、石油ショックの教訓から企業が正社員を抑制、非正規を意図的に増やした。雇われる側も好景気なので気にしなかった。その後も就職氷河期、リーマン・ショックと景気変動の波はあったが、毎年10万人から30万人くらいの若者が非正規になっていった。人生の一時期の非正規ではなく、人生の大半が非正規という全く新しい階級、アンダークラスの誕生だ。87年の時のフリーターが今は50歳代。元フリーターの中高年と現役フリーターとひっくるめての命名だ。そこには、夫と離死別して非正規で働く元主婦たちも入ってくる」
なぜ非正規が固定化?
「かつて非正規は景気の調整弁とされ、景気がいい時には減って、悪い時には増えるといわれたが、近年の統計によると、景気変動と非正規の数は連動しなくなっている。景気の良し悪(あ)しに関係なく、企業は一定数の非正規を使うことで経営を成り立たせている。例えば、飲食業だと7〜8割、製造業だと3割くらい非正規化し、収益確保することがビルトインされている。全くの固定費用だ」
「肉体的生存」だけがぎりぎり可能
先進国共通の現象か?
「欧州でも非正規は多いが、同一労働同一賃金で、日本ほど給与格差はない。日本企業特有の問題として人材活用能力の低下がある。人を育てられなくなっている。高度成長期の日本は、経営者はそんなに給料をもらってなかったし社員間の給料格差もなかった。それでもみんなで一生懸命頑張ることができた。人材活用がうまくいっていたからだ。今や経営者は億単位の報酬を与えないと仕事をしない」
アンダークラスには大卒者もいる?
「大学中退者と高卒者に多いが、2000年代前半の大学生の就職率が6割を切っていた就職氷河期には、大卒者でありながら非正規になった人も多い」
なぜアンダークラスと命名?
「アンダークラスには中年も多く、離死別したシングルマザーも入るから、フリーター(非正規の15歳から34歳の若者)としては括(くく)れない。『下層階級』では中小企業の正社員労働者も入る。『ロウアークラス』だと職人、農民が入る。そういった階層分類と差別化する必要があったし、この30年で新しくできあがった階級として、非常に不安定で貧困な人たちを総称するには『アンダークラス』と言うしかなかった。あえて訳せば『階級以下』だ」
その最大の特徴は?
「結婚できない、ということ。マルクスの考えからいうと、労働者階級は下層階級だが、労働力を再生産するだけの賃金はもらう。彼らは家庭を持ち子孫を作った。そうしないと資本主義は滅びる。ただ、アンダークラスの人たちは、労働力を再生産するための十分な賃金ももらっていない。自分一人の肉体的生存はぎりぎり可能だが、家庭を作って子供を産み育てるまでには至っていない。勉強して技能を向上、そこから抜け出すこともできない。つまり次世代の労働者を再生産できない。生物種としての条件を欠いている。生物以下、生かさず殺さずだ」
プロレタリアート以下?
「少なくとも労働者以下だ。生存権をはじめとする人権が十分に保障されていないこと自体が問題だ」
加えて社会的にも大きな損失があり、また社会保障のコストも甚大だと。
「人材活用ができていない。貧しい家の子は大学に入れない。本来持っているはずの才能を磨き発揮できる場を持てない。非正規は使い捨てだから、企業が人材開発投資の対象にしない。だからますます育たない。そうやって低賃金のままに置かれてきた人たちが65歳になると、ほぼ間違いなく生活保護受給者になる。そのコストは数十兆円だ」
「健康状態が良くない人が多いから医療費もかかる。社会全体の健康レベルも下がる。自殺も多くなる」
「格差拡大で利害対立が起こりやすくなり、社会不安も懸念される。偏見を持ってはいけないが、生活苦で犯罪を犯す人が増えることも予想される。現に高齢者の万引きが増えている」
ファシズムの温床にも?
「ネトウヨ、ヘイトは必ずしもアンダークラスの人たちではない。だが、最底辺の社会基盤として常に社会に対する不満を抱え、低賃金の外国人労働者らと競合しているのは事実で、頭のいいエリート右翼がアンダークラスをたきつけて動かすことはありうる。オレたちに金よこせ、外国人出ていけ、となる。まさにナチスの支持基盤と一緒だ」
この先はどう予測?
「フリーター第1世代が今50歳前後だ。彼らが65歳まで働くとすると、あと15年は先述の毎年10万人から30万人規模でアンダークラス層が増え、現在が約900万人だから1100万〜1200万人に膨張する計算だ。その段階で出と入りが均衡するだろう」
人類史上になかった異常な社会
新たにアンダークラス化するのはどういう人々か?
「アンダークラスは子供を持てないので一代限りの人が多い。正規労働者階級や新中間階級の子供が流れ込まないと、企業に必要な非正規枠が維持できない。実際流れ込んできている」
1200万人といえば就業人口の2割を占める。一大階級になる。
「アンダークラスと他の4階級という対立図式が鮮明になり社会の分裂がますます激しくなる。これほど多くの人たちが貧しいために結婚もできないという社会は異常だ。人類史上かつてなかったディストピア(ユートピアの対極)だ。若者の貧困はさまざまな文化が継承者を失うことでもある」
聞くほどに深刻な問題だ。
「アンダークラスという階級の大きな塊(かたまり)があって、固定化して脱出できない。それが今の日本社会に深刻な問題を撒(ま)き続けている。果たして為政者や国民にどれだけ理解されているか」
確かに安倍政権の認識も薄く、無策のままアンダークラス層が拡大していく一方だ。まずは実態調査を徹底し、どう救済していくかを考えるべき時だ。かのマルクスは「共産党宣言」でプロレタリアートに団結と改革の原動力になることを求めた。今のアンダークラスにそのパワーは?
「ない。彼らには時間も情報もない。新聞も読まないし投票にも行かない。ある程度余裕のある新中間階級層が軸になり、各階級のリベラル派が合同して対処するしかない」
「現状では彼らを組織する政党はないが、これからは無視できなくなるのではないか。野党も所得再分配について国民の理解を求め、問題提起していく姿勢が必要だ。政治腐敗の追及も大事だが、政治にしか解決できないこういった構造問題にも切り込んでほしい」
橋本氏は具体的な処方箋にも触れた。最低賃金の引き上げなど賃金格差の縮小、累進課税の強化、相続税率の引き上げ、資産税の導入など所得再配分政策の推進、そして、こういう時に必ず出てくる自己責任論に対する反論だ。
曰(いわ)く。「自己責任論の立場で格差拡大を容認すると、先述したように社会全体の状況が悪化する。自己責任論者は、悪化した状態、壊れた社会を自分の責任として引き受けなければならない。それができますか」
万国の労働者よ。否、万党の指導者よ。安倍首相よ。かつての若者のみならず、今の若者にも手を差し伸べよ。このままでは美しい日本も立ち行かぬ。右も左も関係ない。日本という国家の持続可能性の問題だ。
はしもと・けんじ
1959年生まれ。社会学者。早稲田大教授。「階級」という切り口で日本社会の構造的な問題を明らかにしている。著書に『「格差」の戦後史』『階級都市』ほか
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c2
私は「必死で働く人は報われる」と頑なに思い込んでいた。
「怠惰な人が運だけで豊かになって、必死で努力している人が報われないのは、正義ではないし、残酷だ」という考え方が、ずっとこびりついて離れなかったからだ。
私は自覚していなかったが、それは日本の教育の成果だったのだ。「必死に努力すれば道は拓ける」というのは、今も昔も学校教育の基礎だ。
本当は、人間ひとりひとりに能力があって、生まれつき頭の良い子供もいれば、どう努力しても能力の足りない子供もいる。この差は、生まれつきのものなので埋めがたいものがある。
しかし、学校教育は駄目な子供も面倒を見なければならないし、彼らをある程度「向上」させなければならない。そこで、学校は「必死に努力すれば道は拓ける」と教えることになる。
子供たちは、自分が勉強ができないのは「生まれつきではなく努力が足りないから」だと教育される。
自分を客観的に見つめられる子供は「ひょっとして自分は頭が悪いのか?」と冷静に思うのだが、教育はそれを認めず「努力が足りない」と言って「本当にできない子」を勉強に駆り立てていく。
本当は能力は人によってバラバラで、その差は決して埋まることはないのだが、「努力すれば報われる」と思い込まされるのである。
私も日本の教育を受けてきたので、無意識に「努力すれば報われる」という現実的ではない哲学が身についていた。
しかし、東南アジアで必死で生きている人たちを見て、気付いてしまったのである。必死で働き、必死で努力している人が報われるのであれば、なぜ彼らが報われないのか……。
現実を客観的に分析すると、努力など「何ひとつ」していない私の方が彼らよりも経済的余裕があった。日本に生まれて、なおかつ時代がバブルだったという僥倖があったからだ。
私はたまたま日本の良い時代に生まれていた。努力はまったく関係なかったし、私に持って生まれた特別な才能があったわけでもない。
私は愚かではないが天才でもない。本当に普通の人間だった。日本という国は素晴らしかったが、私自身は語るべきものは何もなかった。
それなのに、私は必死で生きようともがいている人たちよりも圧倒的に恵まれていた。
「努力すれば報われる」というのであれば、これは不可解な現実だ。「もしかすると、努力しても報われない」のが現実なのではないか、と私はうっすらと思うようになっていった。
とどめになったのは、カンボジアの売春地帯にいた女性たちと付き合うようになってからだ。
彼女たちは、もう生まれたときから家が貧しく、教育もなく、計算もできず、身体を売るしか生きる方法がなかった。
そんな中で売春宿のオーナーに搾取され、乱暴な客に罵られ、這い上がることなど到底不可能な世界の中でもがいていた。
「努力したら報われる」どころの話ではない。あまりにも極限の底辺に堕ちると、足りないものが多すぎて必死で働いても浮かばれないのである。
借金もある。計算できないから売春宿のオーナーからピンハネされ放題だ。抜け出しても、字も書けず、計算もできないから普通の職業に就けない。教育を受けるにも金が要るが、そんな金もない。今を生きなければならない。
そんな世界で「努力したら報われる」など、きれい事でしかなかった。しかも、途上国で必死で働いても、先進国のアルバイトの時給にも負ける。時間が経てば経つほど差が開いていく。
先進国で生まれるか途上国で生まれるかは、それこそ運でしかない。富裕層で生まれるか貧困層で生まれるかも運だ。いろいろな環境が本人の努力を超えた部分で決まり、人生が左右される。
もし私がカンボジアの底辺で生まれていたら。あるいは、インドの低カーストで生まれていたら……。
私が生まれた国と時代が悪ければ、「一匹狼だ、野良犬だ、ハイエナだ」と斜に構えて生きることなど到底できなかった。必死で働いても何も得られず、社会に押しつぶされながら生きていたはずだ。
「努力しても報われない」世界があるのだ。
https://blackasia.net/?p=7713
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c3
中国の新華社からメールで質問状が届いた。
中国でもマルクス生誕200年がにぎやかに祝われるようだけれど、その中で「マルクス再読」の機運が高まっている。その流れの中で
も中国語訳が出て、ずいぶん売れている(らしい)。
質問状には6つの質問があった。僕の方はこんなお答えをした。
1.『若者よ、マルクスを読もう』が出版され以来、日本ではベストセラーになり、中国でも大好評となり、愛読されています。その原因はどこにあるのでしょうか。なぜ資本主義社会の日本にはマルクス主義を愛読する人がこんなに多く存在しているのか、その原因は何だと思われますか。
日本では、マルクスは政治綱領としてよりはむしろ「教養書」として読まれてきました。つまり、マルクスのテクストの価値を「マルクス主義」を名乗るもろもろの政治運動のもたらした歴史的な帰結から考量するのではなく、その論理のスピード、修辞の鮮やかさ、分析の切れ味を玩味し、テクストから読書することの快楽を引き出す「非政治的な読み方」が日本では許されていました。マルクスを読むことは日本において久しく「知的成熟の一階梯」だと信じられてきました。人はマルクスを読んだからといってマルクス主義者になるわけではありません。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も、敬虔な仏教徒になった者も、計算高いビジネスマンになった者もいます。それでも、青春の一時期においてマルクスを読んだことは彼らにある種の人間的深みを与えました。
政治的な読み方に限定したら、スターリン主義がもたらした災厄や国際共産主義運動の消滅という歴史的事実から「それらの運動の理論的根拠であったのだから、もはやマルクスは読むに値しない」という推論を行う人がいるかも知れません。けれども、日本ではそういう批判を受け容れてマルクスを読むことを止めたという人はほとんどおりませんでした。「マルクスの非政治的な読み」が許されてきたこと、それが世界でも例外的に、日本では今もマルクスが読まれ続け、マルクス研究書が書かれ続けていることの理由の一つだろうと思います。
2.マルクス主義の日本への影響についてご説明いただけますか。特に現在の日本への影響について。
戦後の社会運動の多くはマルクス主義の旗の下に行われました。特に学生たちの運動はほとんどすべてがマルクス主義を掲げていました。ラディカルな社会改革のための整合的な理論としてはそれしか存在しなかったからです。しかし、60年安保闘争でも、60年〜70年代のベトナム反戦闘争でも、実際に日本の学生たちを深いところで衝き動かしていたのは反米ナショナリズムだったと思います。対米自立をめざすこの国民感情はその後「経済力でアメリカを圧倒する」という熱狂的な経済成長至上主義にかたちを変えて存続しました。そこにはもうマルクス主義の影響は見る事ができません。
ですから、現代日本にマルクス主義がどう影響しているのかという問いには「政治的理論としては、ほとんど影響力を持っていない」と答えるしかありません。
日本共産党はマルクス主義政党ですが、選挙で共産党に投票する人たちの多くはその綱領的立場に同調しているというよりは、党の議員たちが総じて倫理的に清潔であり、知性的であり、地域活動に熱心であるといった点を評価していると思います。
ただ、日本では1920年代以後現代にいたるまで、マルクス主義を掲げる無数の政治組織が切れ目なく存続し続け、マルクス主義に基づく政治学や経済学や社会理論が研究され、講じられてきました。マルクス主義研究の広がりと多様性という点では東アジアでは突出していると思います。そのせいで、マルクス主義者でなくても日本人の多くはマルクス主義の用語や概念を熟知しており、そのスキームで政治経済の事象が語られることに慣れています。それは間違いなくわれわれのものの考え方(とくに歴史をとらえる仕方)に影響を与えているはずですけれど、それを「政治的影響」と呼ぶことは難しいと僕は思います。
3.先生はいつごろからマルクスの著作を勉強し始めたのでしょうか。先生が考えられているマルクス主義の偉さを何点か挙げていただけますか。
最初にマルクスを読んだのは高校一年生の時です。『共産党宣言』でした。マルクスの著作で一番好きなのは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。これはロンドンにいたマルクスが、ニューヨークの友人に依頼されて、アメリカのドイツ語話者のための雑誌に書いた、フランスの政治的事件についての分析記事です。この入り組んだ執筆事情のせいで、マルクスの天才的な「説明能力の高さ」が遺憾なく発揮されています。同じ条件の下でこれだけ明快で深遠な分析記事を書くことのできたジャーナリストが果たしてその時代のアメリカやヨーロッパにいたかを考えてみるとマルクスの偉大さが分かると思います。
4.「マルクスを読めば人々がより賢くなる」とおっしゃいましたが、具代的な事例を挙げていただけますか。
クロード・レヴィ=ストロースは論文を執筆する前に必ずマルクスの著作を書架から取り出して任意の数頁を読んだそうです。そうすると「頭にキックが入る」のです。
この感じは僕にもよくわかります。マルクスを読むと「賢くなる」というより、「脳が活性化する」のです。マルクスの文体の疾走感や比喩の鮮やかさや畳み込むような論証や驚くべき論理の飛躍は独特の「グルーヴ感」をもたらします。マルクスの語りについてゆくだけで頭が熱くなる。いささか不穏当な比喩ですけれど、ロックンロールなんです。マルクスのテクストは。
5.マルクス思想を使って、現代社会における矛盾を解決する事例を挙げていただけますか。
マルクスの理論的枠組みをそのまま機械的に適用して解決できる矛盾などというものはこの世に存在しません。シャーロック・ホームズが難事件を解決した時の推理をそのまま当てはめても次の事件が解決できないのと同じです。ホームズから僕たちが学べるのはその推理の「術理」だけです。
僕たちはマルクスを読んで、広々とした歴史的展望の中で、深い人間性理解に基づいて、複雑な事象を解明することのできる知性が存在するということを知ります。そのような知性がもしここにいて、今のこの歴史的現実を前にしたときに、どういう分析を行い、どういう解を導き出すかということは自分で身銭を切って、自力で想像してみるしかありません。それはマルクスをロールモデルにして自分自身を知的に成熟させてゆくということであって、「マルクス思想を使って」ということではありません。
6.中国の若者たちが学校からマルクス主義に触れ始めています。マルクス生誕200周年を迎える今、中国の学生の皆さんに、または世界の若者たちに送りたいメッセージはありますか。
「マルクス主義に触れる」ということと「マルクスに触れる」と言うことは次元の違うことです。僕たちがこの本で若者たちに向けて語ったのは「マルクスを読もう」であって「マルクス主義を知ろう」とか「マルクス運動にコミットしよう」ということではありません。それもそれで価値ある政治的実践でしょうけれども、僕はマルクスを読むことの意味は「政治的」に限定されないと考えています。若い人たちが知性的・感性的に成熟して、深く豊かな人間理解に至るためにマルクスはきわめてすぐれた「先達」だということを申し上げているだけです。このアドバイスはどの時代のどの国の若者たちに対しても等しく有効だろうと僕は信じています。
http://blog.tatsuru.com/2018/04/28_1006.php
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c4
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by 安倍晋三.売国奴@孫.山口4区
ひんこうほうせい
※ 以上 「貧 行 呆 政」 な晋三ぼっちゃまの コメントでした。
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貧困層は固定化し、貧困家庭の子供はグループを作り非行にはしる。
するとますます社会から排除される
引用:https://i.pinimg.com/originals/af/94/55/af9455320213a6cb6ddb33f550fcbba0.jpg
イギリス人の収入減少
イギリスはEU離脱にともなう経済ショックがあり、一見立ち直ったようだが貧困化が拡大している。
イギリスでは収入の上昇率がインフレ率を下回る年が続いていて、日本と同じく実質賃金が減少している。
働いても賃金が増えないのは国民の労働意欲を低下させ、EU離脱国民投票の一因にもなりました。
インフレ率が2%や5%の年も、マイナスの年もあったが、いずれも賃金上昇率のほうが低かった。
毎年じわじわと収入が減ったがイギリス人は支出を減らさず、クレジットカードの借入金を増やした。
イギリスの貧困はEU離脱やリーマンショックが原因ではなく、20年以上前から進行していました。
イギリスには南北の経済格差があり、大陸に近い南は豊かで、北極に近い北側は貧しい。
表日本と裏日本、あるいは東北と関東以南のようなものかも知れない。
イギリスは身分制度の名残からか貧困者や弱者を非難する傾向があり、「貧乏なのは自分のせい」のような言い方をする。
貧困者を救済するという考えは乏しく、貧困家庭の子供は「一目見ると分かる」ほど違う。
肌の色が(人種の違いではなく)栄養不良のため浅黒い、ボロボロで汚れた服、給食を余分に取って持ち帰るなどの違いがある。
イギリスには貧困は自己責任という考え方が強いので、貧困家庭に生まれた子供を救済するという考えもない。
イギリスの貧困の固定化
イギリス政府は貧困対策費として10兆円以上を支出していて、その4割以上は医療費に、3割は教育や児童福祉に当てられている。
食料補助のフードバンク利用者は100万人以上で、他にも生活保護のような制度があるが、貧困者は国民の11%を超えて増え続けている。
イギリスの貧困を固定化させたと言われているのは、意外にもイギリス経済を救ったとされるサッチャー首相でした。
サッチャーは自由主義経済を掲げて民営化や競争原理の導入を推進したが、日本で小泉改革で起きたことを想起すると良い。
競争を促進した結果、豊かな人はより豊かに、貧しい人はより貧しくなって、「貧困階級」が生まれて固定化した。
自由主義では貧困の原因は「本人が愚かなため」教育を受けなかったり怠けたり、安逸に暮らしたからだとされる。
自由競争社会とは要するに、バケツにザリガニを入れて戦わせ、生き残った奴だけにエサをやるのに似ている。
なるほど生き残ったザリガニは優秀で、負けたザリガニは弱かったのだろうが、生き残るザリガニは少数しかいない。
少数の勝ち組と大多数の負け組みに別れ、負け組みは親から子に貧困が受け継がれる。
http://www.thutmosev.com/archives/75660973.html
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/::::::,,、ミ"ヽ` "゛ / ::::::ヽ
../::::::== 犯罪者 `-::::::::ヽ
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i::::::::l゛.,/・\,!./・\ l:::::::! 貧乏人は死ね
.|`:::| :⌒ノ/.. i\:⌒ .|:::::i ユダヤ様のために働いて死ね
(i ″ ,ィ____.i i i // 過労死しろ
ヽ / l .i i / 俺たち自民党の国会議員は
..lヽ ノ `トェェェイヽ、/´ なにやってもムサシを使ってインチキ不正選挙と
..|、 ヽ `ー'´ / インチキ世論調査で当選確実なんだから
/ ヽ ` "ー−´/、 なにやっても大丈夫なんだよ
いったい利子はどこから生まれるのだろうか?
お金を貸せば利子が生まれることは、少なくとも現在のわれわれには一般的常識だ。
だがその金利がゼロというのはどういうことか。
それは、資本が自己増殖を続ける資本主義経済で、資本があり余った状態、つまり資本主義が新しい段階に入る胎動を示しているのかもしれないのだ。
利子はどこから生まれる?
生産による利潤の一部
基本的なことから考えてみよう。利子とは何なのか。
借り手がいなければそもそも利子など成立しないはずだ。お金を貸したいという「貸し手」と借りたいという「借り手」がいれば、なるほど利子は自然に生まれるように見える。
だから、利子は「借り手」と「貸し手」との需要と供給の関係から生まれるように見える。しかし、「借り手」が借りたお金を貯め込んで、生産に投資しなければ、利子など生まれるはずがない。利払いに回す原資がないのだから。
こう考えると、借りた以上は利子を支払わねばならないという点から生じる利子の発生の問題と、利子がどこから生まれるかという利子の起源の問題はまったく違うことがわかる。
それでは利子は、いったいどこから生まれるのか?
交換経済というのは、人間社会がものをつくり、それを消費して成り立っている。人間が生きるための物質的生産に資本が投資され、生産したものが購入されて利益が出ないかぎり、利子が生まれるはずはないといえる。
つまり利子の原資は、基本的に、物質的生産から得られる利潤の一部である。だから資本は生産に投資せざるをえないのである。
もちろんサービスへの投資も利子を生み出すが、それは物的生産が前提にされる限りでのことだ。人間は霞を食って生きてはいけない。だから、サービス産業を中心とする先進国経済も、背後に後進諸国の、物的生産である工業や農業を前提にしている。
要するに、先進国経済は、資本を後進国に投下し、後進国の物的生産によって生み出された利潤の一部を利子として受け取っているのである。
しかしこうした基本的事実は、現代社会ではなかなか見えてこない。むしろ利子は、貨幣が自然に生み出す魔術のように見えるが、そうではないのだ。
資本蓄積が進むと
利潤率や利子率は長期低下傾向に
ただ、利子が物的生産によって得られる利潤の一部とはいえ、利子が生まれるのは、生産に投資される資本が相対的に稀少であることが前提だ。
あり余るほど資本がある場合には、「借り手」はいないから利子率はゼロに近い。逆に資本が稀少である場合は利子率が高い。
資本主義の歴史を振り返っても、資本蓄積が少ない時代には利子率は高く、資本蓄積が進むと利子率が低くなる傾向にあることがわかる。
貨幣の価値が金などとリンクしていた19世紀までは、貨幣の供給量が金や銀の生産を前提にしていたから、供給が限られることで相対的資本不足であり、利子率は高かった。
その後、現在の金などとの交換を前提にしない不換紙幣になり、また株式発行による資金調達などが拡がると、資本の拡大とともに、自然利子率は(政府の意図は別として)徐々に下がる傾向にある。
資本主義発展の初期の段階は国内市場も世界市場も十分あり、新製品への需要も十分あり、労賃は安く、投資は活発だ。経済成長の始まりの時期であり経済成長率は高く、利子率は高い。
しかし、次第に資本蓄積が進むにつれて、成長は鈍化し、市場も閉塞化し、新製品もなくなり、経済成長は次第に停滞していく。こうして成熟した時代、過剰資本と過剰蓄積の社会が生まれる。
過剰資本と過剰蓄積の結果、投資をしても得られる利潤率が相対的に低落することで、利潤の一部から生まれる利子は相対的に減少する。それによって利子率は減少する。
現代の「ゼロ金利」の背景には、こうした資本主義の発展段階の変化が反映されていると考えたほうがいい。
マルクスが予見した
利潤率低下の法則
マルクスはこうした現象を利潤率の傾向的低落という法則から、説明している(『資本論』第3巻の議論)。
表面上、もっといえば個別の資本で見れば、現在では個別の企業と言い換えてもいいかもしれないが、利潤率が下がろうが、上がろうが、「貸し手」としては貸した以上、利子をいくらでも取っていいように見えるが、資本全体の立場から見たら、利子率は利潤率に依存せざるをえない。
では、利潤はどこから生まれるか。
マルクスは、利潤は人間(労働者)が働いて産み出した価値の一部を資本がかすめとっもの(「剰余価値」)だと考えた。
利潤が、機械や原料から、あるいは企業家の創意工夫から生まれるのであれば、労働者がいなくても利潤はどんどん生まれていくことになる。
ところが、我々が生きている交換経済というのは、人間と人間との生産物を貨幣を媒介して交換しあう仕組みだ。
つまり、生産した生産物はほかのだれかに購入され、消費されねばならない。生産物が「商品」として購入されることで、資本は利潤を得るのだ。
生産だけの社会では利潤は実現できない。つねに生産し、購買し、消費する人間が前提とされなければならない。
動物社会には利潤は存在しないし、ロボットの世界にも存在しないのである。人間の代わりに動物やロボットを使うことで、労働力を代替することはできるが、動物だけ、ロボットだけの社会では、利潤は生まれないのだ。
より正確に言えば、利潤は、ほかの人間、すなわち労働者からの剰余価値の収奪として出現する。
つまり、資本が、労働者を使った生産から得られる剰余価値(利潤)は、その生産物を、他の労働者が働くことで得た所得で購入することによって初めて利潤として具現化するわけだ。
要するに利潤とは、ほかの人間の労働からかすめ取られたものであるということだ。
その「収奪」の形態は、個別の資本の場合は、労働者が支出した労働力とそれに対して支払われた労賃との不等価交換によって行われる。
しかし、資本全体の間では、こうした不等価交換だけでなく、競争によって、生産性の高い企業が生産性の低い企業から利潤を収奪するという形をとる。
このため企業はこぞって生産性を向上させるために新しい機械を導入し、利潤を得よううとする。だからこそ、資本主義経済では、利潤が労働者の労働から生まれるというよりは、資本家相互の競争から生まれるように見える。
だから利子が利潤から生まれることは理解できても、それが労働と関係しているとは誰も考えない。
フロンティアの拡大、難しく
投資を控える資本
そして利潤が相対的に低い状態とは、利潤率が下がった状態である。
資本がだぶつき、投資を控える状態が、利潤率が下がった状態であり、投資しても利潤が得られないことで、利子率はさらに下がっていく。利潤が上がらなければ利子率はゼロに近づく。
資本主義は、利潤率を上げるために懸命の努力をしてきた。
海外市場への展開や新製品の開発で「フロンティア」を拡大し、一方で原料コストの引き下げ、労賃の引き下げなどをしてきた。市場が飽和し、新製品がなく、労賃の引き下げがそれ以上進まない場合には、利潤率は傾向的に下がっていく。それは、とりもなおさず経済成長の停滞を意味する。
資本主義はつねに成長拡大のために資本投資を行い、利潤を獲得し、その中から利潤を上げ、利子を支払い続けねばならないシステムだともいえる。
利潤率の傾向的低落の法則は、いくつかのそれを阻止する要因がない場合、資本主義にとって致命的な法則だといってよい。利潤率が下がれば、利子率も次第に下がっていく。
成長力を失い新たな段階へ
資本が「社会化」する時代に?
こう考えると、いまの「ゼロ金利」や「金余り」の現象は、経済成長が難しくなり利潤も得られなくなった結果であり、資本主義は時代を終えつつあるのかもしれない。
利子率を引き上げるには、本来、利潤率を引き上げるしかない。そのためには新しい製品を開発し、市場を拡大し、労賃を引き下げることだが、それが難しくなっている。
地球環境という有限性を考えれば、いつか資源は枯渇するだろうし、新製品の開発が環境破壊を生み出すことにもつながっている。宇宙にモノを売りに行くわけにはいかず、地球という市場の閉塞性を打破できないとなれば、いつかはその「成長の限界」の時は来る。
繁栄した国が衰退しても、新たなる繁栄した国が生まれることで成長を続けることができた牧歌的時代がかつてはあった。
当面、アフリカやアジアの一部では、労働力が増え、先進国では飽和状態の製品が売れ、市場が拡大することによる利潤率の上昇という砦が残されてはいるが、やがては次第に全体としての成長力を失い限界に到達しつつあるのかもしれない。
金利ゼロという現象は、もはや一国の問題ではなく、資本主義全体の問題でもあり、近未来社会への兆候にも思える。
その姿はまだはっきりしないが、資本があり余り、資本が「社会化」する時代が到来するのかもしれない。
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その結果、本来は国境という壁があったものを企業はやすやすと乗り越えて税金逃れを可能にし、さらに先進国の高賃金の労働者を切り捨てて途上国で工場を建て、失業者の面倒は国に押し付けるようになっていった。
その結果、世界各国で起きているのは「国家負担の増大」である。それは福祉や年金という形を通してどんどん国家を締め付けている。
それを是正しようとしているのがドナルド・トランプ大統領なのだが、だからこそトランプ大統領は執拗に叩かれ、攻撃され、排除されようとしているのだ。
トランプ大統領の任期には限りがある。しかし、多国籍企業には任期がない。だから、必然的にトランプ大統領という抵抗勢力が消えたら、世界は再びグローバル化に邁進していくことになるのは間違いない。
そうなると、世の中はどう変わっていくのか。
多国籍企業の利益は莫大になり、税金逃れも徹底化していくので、最終的には国家の破綻が相次いでいく。次に、国家の概念そのものが消滅する。
そして、多国籍企業が世界を統治する。
今、世界中のあちこちの国で国家財政の赤字が膨らんで、破綻が起きるか起きないかの瀬戸際にまで追い込まれている。日本も同様だ。
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100万円の資産しかない人間が、100億円の資産を持つ企業と無理やり競争させられるのが資本主義の掟である。巨大な者が「もっと自由を」という時は、「弱者を叩きつぶす自由をくれ」という意味なのである。
「社会から使い捨てにされる立場」追い込まれた
「どんどん競争させろ。競争のルールは必要最小限にしろ。弱い者がどうなったところで知ったことではない」
これが資本主義を拡大解釈した「市場原理主義」の正体である。日本は2000年に入ってから、この弱肉強食の市場原理主義が浸透するようになった。
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蛙の子は蛙――。富裕層の子供が金持ちになる傾向は極めて強い。その大きな要因が教育だ。
全国に飲食店を展開する実業家(38歳・男性)は3歳の子供をこれから「慶應義塾幼稚舎」に入れようと画策している。自身も幼稚舎の出身だ。
「そのために、子供を有名幼稚園に通わせています。慶應に入りたいなら高校や大学からでもいいと言われることがありますが、実は中学校以降で慶應に入ってもあまり意味がありません。
幼稚舎の最大の特徴は6年間クラス替えがないこと。同じ担任の先生を中心にクラス全員が固い絆で結ばれます。そして卒業後も、その先生を中心として、歴代の卒業生が定期的に会う会合が開かれるんです。
6学年ずつ上の先輩が、弟のようにかわいがってくれる。12歳年上、中には2回り、3回り年上の先輩も同じ先生に習ったというだけで親しくしてくれる。
この人脈が実社会で生きる上での武器になるのです。幼稚舎出身以外の『その他大勢』の慶應生とは世界が違うのです」
この他、富裕層は子供の将来を考えて、インターナショナルスクールに入れる家庭も少なくない。前項にも登場した投資家のW氏は、子供を海外に送り込んだ。
「スイスのプライベートバンクに一定以上の資産を預けると、バトラー(執事)がついて、資産運用だけでなく、プライベートの面倒も見てくれます。
そこで、段取りをしてもらって、子供をスイスの寄宿学校へ進学させました。もちろん、入学のために一生懸命勉強したのは子供ですが、書類の作成や手続きなどで無駄な労力を使いたくないですからね。
年間軽く1000万円以上かかる、選ばれし者たちの学校です。ただ、日本で画一的な教育を受けても仕方がありませんし、早めにそういう世界を見せておくことはプラスになるでしょう」
富裕層の子息は優れた教育を受け、同じような階級の学友に恵まれ、その後も経済的な成功を収める。孫の代になっても、こうした傾向は続く。
一方、アンダークラスはどうか。川崎市在住の部品工場で働く派遣労働者(26歳・男性・月収15万円)の話。
「両親は物心つく前に離婚し、僕は母方の祖父母の家に預けられて育ちました。祖父母には迷惑をかけられないと、商業高校に入った直後から近所のスーパーのレジ打ちのバイトをし、卒業後、いったんはゴルフ場に勤めたのですが、将来が見えずに6年で退職。
つなぎとして派遣会社に登録し、現在に至ります。派遣会社や工場の正社員を見ていると、僕も大学を出ていればよかったと思いますが、祖父母は頑張って育ててくれたわけで、恨む気持ちはありません。
今は築50年の木造アパートに家賃5万円で住んでいます。すきま風が入ってくるため、冬の寒さは過酷です。部屋の中でも手袋、帽子、マフラーの着用は欠かせません。食事は半額の値札のついた弁当を狙って、深夜のスーパーで購入します」
こうした貧富の差は見た目も左右する。資本家階級と労働者階級の身長と体重を比べると、栄養状態が違うからだろう、明らかに資本家階級のほうが体格に恵まれているのだ。
男性の場合、資本家とアンダークラスの間には3.8cmの身長差、7.1kgの体重差がある。
貧困層はうつ病になりがち
メンタル面の階級差も見逃せない。早稲田大学教授の橋本健二氏の統計的分析によれば、アンダークラスの5人に一人がうつ病やその他の心の病気の診断や治療を受けたことがあり、4人に一人が絶望を感じている。
人間関係も貧困で、資本家階級には親しい友人・知人が平均で20人いる一方、アンダークラスには5人しかいない。男性に限れば3.2人とさらに少なかった。そして、アンダークラスの半数が将来の生活に「とても不安」を感じている。
このような状況下で、アンダークラスが結婚・出産・育児に前向きになれるはずがなく、仮に子供に恵まれたとして、その教育にカネを回すことはできない。その結果、社会は殺伐としたものになっていくと、前出の橋本氏は予言する。
「階級差が大きい社会では、多くの人々は公共心や連帯感を失ってしまう。人々の間には友情が形成されにくくなり、コミュニティへの参加も減少します。このため犯罪が増加していくでしょう。
また、アンダークラスの多くは独身で家族がいませんから、彼らが働けなくなると生活保護を受けざるを得ません。そうなれば、政府の財政負担も加速度的に増えていくでしょう」
非正規労働者はいくら努力しようと、資本家どころか、正規労働者にすらなれず、一方、資本家たちは肥え太っていく。新旧中間階級はアンダークラスに転落しないよう、自己保身に汲々とする。
「失われた20年」で、こうした日本社会の構造は揺るぎないものになった。ぶち壊すには革命しかない。それは歴史が証明しているのだが……。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c9
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さて、週刊現代と言えば、えっちな写真が載ってるオジサン向け週刊誌です。
ワタスも時々、コンビニで股間を膨らませつつ楽しませて頂いています。
新階級社会とあったので読んで見ました。
張っときます。
入会金540万円のスポーツジム
頑張れば報われるそれは、昭和の牧歌的な風景だったのかもしれない。
仮にM氏としよう。 シンガポールに住む投資家で元々メーカー勤務のサラリー マンだったがベンチャ ー投資で財を成して、その後、資産は倍々ゲームで増えている。
そのM氏が語る。
「資産がいくらあるのか正直、自分でも正確に把握できていないんですよ。数百億円といったところでしょうか。
複数のプライベートバンカーに運用を任せていて株や債券、外資、資源、ゴールドなど、ありとあらゆる金融商品に投資している。
何かで損が出ても他が補ってくれるので、資産は安定的に増えていく。年収は5億円くらいは優にある。」
M氏は続ける。
月に1000万円使うって大変なんですよ。昔は酒とオンナで浪費しました。入会金100万円払ってVIP向けの会員制交際タップに入り有名グループの女性アイドルを買ったこともあります。
でも、実際に寝てみたら「こんなものか」という。ワインは多少高いものを飲みますが、飲める量には限度がある。結局、酒もオンナもほどほどで、健康が一番という結論にたどり着きました。
ああ、時計は買いましたね。アラスカでオーロラを見た後、スイスに行った際に。リシャール・ ミルの1億円の時計を2本買った。
金を使うのは自己研鑽、情報収集、人脈形成のためですね。
一般の人がとても入会できない高級スポーツジムで汗を流してます。大手町にある超高級フィットネスクラブ。入会金540万。年会費64万8000円。
ここは私のような経営者や投資家が集まり、体を鍛えると同時に情報収集の場になってます。超富裕層はこういった場で、おおやけになってない情報をやり取りして、新しい儲けの種を仕込んでいく。
前出のW氏はこんな豪快の金の使い方をしたという。
ミシュランの星付きの店は大抵行きましたが高くておいしいのは当たり前、むしろ、博多で一人前800円のもつ鍋が評判だったので、シンガポールからビジネスクラスに乗って食べに行ったこともあります。800円のもつ鍋を食べるのに30万くらいかかりましたよ。お金はいくらつかってもなくなりませんので。
___
つぉぉぉ。
わざわざ800円のもつ鍋食べに飛行機で?
うらやますぃ。
何たる豪勢な使い方。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2018/02/WS20180104AZC21AGAG000617.jpg?x45209
読むと日本はもう既に階級社会になってて一方で年収186万円、一日500円稼ぐのがやっと。
そういうアンダークラスの人々がどんどん増えてるとありました。
もう子供の教育からして全然違うのですね。
富裕層の子供は富裕層になる
全国に飲食店を展開する実業家は3歳の子供をこれから慶應義塾幼稚舎に入れようと画策している。
慶応に入れたいなら高校や大学からでもいいと言われることがありますが、実は中学校以降で慶応に入ってもあまり意味がありません。
幼稚舎は6年間クラス替えがなく、クラス全員が固い絆で結ばれている。この人脈が実社会で生きる上での武器になるのです。幼稚舎出身以外のそのた大勢の慶応生とは住む世界が違うのです。
私は子供をスイスの寄宿学校へ進学させました。年間は軽く1千万はかかる。日本ので画一的な教育を受けても仕方ありません。早めにそういう世界を見せておくことはプラスになるでしょう。富裕層の子息は優れた教育を受け、同じような階級の学友にも恵まれ、その後も経済的な成功を収める。
孫の代になってもこうした傾向は続く。
こうなっては逆転不可能。
この階級は固定化され未来永劫ずーっと続くとありました。
こんなのも載ってました。
これは酷い。。
ここまで酷く書かなくても良いと思いますが。
資本家階層とアンダークラスでは身体的にも身長も違うし、うつ発生率も違うとありました。
もう同じ人間として扱われてない社会ですね。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2018/02/WS20180104AZC21AGAG000618-1.jpg?x45209
以下は最近ネットに載ってたものです。
アベノミクスで自殺者が減ったってのは完全に嘘だとか。
単なる数字のトリック。
まぁ、これはこっそり食べ物のサイズを小さくするぐらいだからあり得る話です。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/lifex/198569/1
自殺者7年連続減に“トリック” 元刑事・飛松五男氏が解説
昨年の自殺者数は、7年連続減の2万1764人――。
警察庁の発表は明るい話題に思えるが、ちょっと待ってほしい。
「変死体」の数は10年前には1万2747体だったが、一昨年は2万211体と約8000体増えている。
比例するように自殺者数はこの10年間で8000人減っているのだ。
最近は、遺書などの具体的な証拠がなければ、自殺とは認めず、変死体として処理するようになったそうです。
すると、見かけ上の自殺者数が減るだけでなく、司法解剖を行うので予算を要求しやすくなる。
一石二鳥なわけです。このようなトリックは『統計の魔術』と呼ばれ、考え出した人が警察内部で出世してい
なるほど。
自殺者が減ってるのは、自殺者とカウントせずに変死者としてカウントしてたからなのか。
確かに、自殺者が減った分、変死者が増えて、全体の数は変わってない。
http://tmaita77.blogspot.jp/2018/02/blog-post_5.html より
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2018/02/henshitai.png?x45209
まぁ、こういうのを見ると。
この現代社会は、究極の我よし(エゴ)社会が実現している。
今回の新刊でも書いたことですが、
上位数パーセントの金持ちだけ幸せで95%が不幸せな社会。
果たして今後長続きするのか。
こういう話を書くのは、なんというか
日本人特有の価値観なのか。
何か心の底から湧いてくる違和感。
例えば、自分だけ幸せになったとしても
多くの人が不幸なのを知ったら、あなたは楽しめるでしょうか。
こんな社会で良いの?
ワタスの場合、普通に反発を覚えてしまうのですが。
最近は、ネットを見てもいつも人々が罵り合い。
世の中に広がる私刑。
自分勝手に理屈をつけて人を責め立てる。
不倫や不謹慎発言で誰かを叩いてやり玉にあげて留飲を下げてる。
正義でもなんでもないことです。
人を退場させて喜んでる週刊文春とか。
ワタスから言わせると退場する側の人々です。
退場するのは今後どちらなのか。
今まで人を退場させた人が逆に退場することになる。
人を痛めつけ、苛め抜いたこの現代社会システムが退場する日が近い。
これはもう直感と言うか。
いつも聞こえてくるメッセージというか。
弱い者同士助け合って生きなさい。
今後は、お金を持ってても意味がない社会が来ますよ。
いますぐ仲間。
お互いに助け合える仲間を持ちなさい。
もうすぐ元の人間本来の姿に戻りますよ。
もう今の社会から離れなさい。
今の社会はもうすぐ終わる。
これは妄想と言われようがなんだろうが、直感でそう感じるのだからしょうがない。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-kaikyu-shakai-japan.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c10
児童憲章相談所の人員の質にもバラツキがあるようだ。
【“貧困”無間地獄の現場】(05) 2003年『千葉少女墓石撲殺事件』の舞台――不良だらけの荒れた街が老人だけの枯れた街に
「貧しい昭和がこびり付いたような街」――
で貧困問題を世に問うたジャーナリストの鈴木大介氏は、最貧困女子の出身地をそんな表現で語ったことがあった。
その1つが千葉市の千城台、正確には千葉市若葉区の千城台市営住宅団地だ。
言葉は悪いが、“最貧困女子の故郷”とでも言おうか。
地図
https://www.mapion.co.jp/m2/35.62610819,140.18221072,16
千葉駅からモノレールに乗り換える。タウンライナー(千葉都市モノレール)からは、新興のニュータウンと自然豊かな公園の景色が広がる。
約25分、終点の千城台駅に到着する。この街は以前、取材で訪れていた。
2003年10月に起こった『千葉少女墓石撲殺事件』である。犯罪史に残る陰惨且つ稚拙な事件。
風俗店(抜きキャバ)で働いていた16歳の石橋裕子さんが、偽装結婚していた夫(当時22歳)に離婚を切り出したところ、夫は地元の高校生ら5人と共謀し、石橋さんを墓地に連れて行き、歯形がわからなくなるまで殴りつけ、指紋を消し去る為に灯油で焼き殺した。
主犯の夫は、偽装結婚で戸籍をロンダリングしては、消費者金融からカネを借りる詐欺行為を繰り返していた。
当時、この夫は新しい相手と偽装結婚する予定だったが、身元不明状態では離婚できないと気付いて「自分の妻」と名乗りを挙げた結果、呆気なく御用となった。
事件の当事者たちは全員、市営住宅の出身者だった。
石橋さんの働いていた風俗店も千城台にあった。
次に偽装結婚する予定だったという別の16歳の少女を取材した。
彼女もやはり、市営住宅出身者だった。
彼女に事件をコピーした記事を見せた際、「漢字、読めないから」と言われて強い衝撃を受けた。
主犯の夫と族仲間だったという不良3人にも取材したが、やはり漢字が読めず、全員が無免許と自慢げに語っていた。
「21世紀の日本で、こんなことがあり得るのか…」。それが当時の印象だった。
千城台はニュータウンとして開発が進む一方、その裏手には古びた市営住宅団地が現存していた。夜ともなれば、漢字も読めないガラの悪い連中が団地から溢れ出て来る。治安の悪さでは、千葉でも屈指の場所と言われていた。その構図に、現在も違いは無い。
モノレールの駅を降りれば静かなニュータウンの表情を見せるが、古びた脇道を1本入れば、“貧しい昭和がこびり付いた街”がいきなり目の前に現れる。
この界隈の市営住宅の多くは、1960年代半ばから後半にかけて建設されている。
半世紀以上経っているのだから古臭くて当然だが、それでも以前の取材時には活気だけはあった。しかし、今夏に訪れた時、市営住宅は妙な静けさの中にあった。違和感を覚える。明らかに、2003年とは何かが違うのだ。
最も古い木造平屋建ての市営住宅に行く。犬の世話をしていたお婆さんが言う。
「ああ、今、ここは取り壊し前でね。半分以上があっちの新しい団地に移ったよ。私かい? ほら、この子(犬)がいてねえ。犬や猫を飼う為に残っているんだよ」。
このお婆さんが説明した通り、周囲の市営住宅の多くは新規建て替えや改修の真っ最中だった。「前に住んでいた若い人の多くも出て行ったよ」と寂しそうに語る。
夜になって、漸く違和感の原因に気付いた。周囲にコンビニが全く無くなっていたのだ。
駅前界隈は小中学校が揃い、市営住宅とニュータウンの住人合わせて1万人以上が住んでいる。明らかに異常だろう。プール帰りの小学5年生ぐらいの少女にコンビニの場所を尋ねたら、「あそこにあった」と潰れた店を指差された。
そう言えば、駅前にも赤提灯1つ無く、大手チェーンの居酒屋も無かった。
何とか探したところ、市営住宅の脇にスナックが2軒あるだけだった。
その1軒のマスターが言う。「この数年かな。駅前の飲み屋も全部、無くなったんだよ。前はキャバクラや風俗店もあったんだけど」。
私が「事件の影響ですか?」と尋ねると、「若い人が夜に集まりそうな場所は、警察が厳しく取り締まったからね」と頷きながら説明する。
客の1人も、「コンビニは、ほら、トイレで子供を産んで捨てた事件あったろ? あれ以降、どんどん潰れたんだよ」。
これは2011年、地元の20歳女性が千城台のコンビニで起こした事件のことだろう。
8月、お盆前だというのに、街に屯する不良たちが公園で花火に興じる様子も無ければ、暴走族が撒き散らす騒音も聞こえてこない。
マスターは、「兎に角、そういう若者はこの街から本当に消えたんだよ」と繰り返す。昭和の貧しさがこびり付いた街は、急速に変貌しているようだった。
「違法住人の楽園だった」。
市営住宅に暮らす60代の老人客が自嘲気味にそう語る。
母子家庭と言いながら夫と暮らす。夜の店で働きながら生活保護を受け、子供の給食費を払わない親たち。
毎日、パチンコをして飲み屋で暴れる――そうした“貧者の楽園”は消え去ろうとしているのだと、このスナックの客たちは誰もが実感している。
老人客が続ける。
「今、古い市営住宅は建て替え中だろ? 新しい市営に入れるのは、俺のような高齢の年金暮らしや生活保護は大丈夫だけど、以前のように20代の働き盛りで子供がいるとか、偽装結婚しているような家は契約を更新できないからな。だから、親が子を追い出しているんだよ。『お前らがいたら新しい市営住宅に住めないから』って」。
こうして、市営住宅から不良たちや若い層は消え、老人だけの枯れた街になりつつある。
“貧しい昭和がこびり付いた街”は、市の指導の下、健全且つ理想の街へと生まれ変わるのだろう。
12年前、主犯の夫と“偽装結婚”する予定だった16歳の少女の顔を思い出す。
漢字が読めず、「東京の都心は怖いので、夢は葛西に住むこと」と言っていた彼女は今、28歳となり、どこで何をしているのだろうか。
「(殺された石橋さんと)PUFFYの曲をデュエットで、朝までカラオケしたんだよ」。
そう嬉しそうに思い出を語っていた彼女は、既に都会の片隅で最貧困化しているかもしれない。
だが、その姿が顕在化することはないだろう。
夜8時過ぎ。千城台の駅から部活動で健康そうに日焼けした、或いは塾のテキストを持った学生たちと、ネクタイを締めたサラリーマンが続々と降りて来る。そして、小奇麗なニュータウンへと消えていった。 (取材・文/西本頑司)
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1118.html?sp
千葉少女墓石撲殺事件とは、2003年(平成15年)10月1日に千葉市若葉区の墓地で発生した殺人事件である。
2003年10月1日の午前7時10分頃、千葉市若葉区の墓地駐車場で、ジョギングしていた男性が遺体を発見した。遺体は、若葉区千城台東の飲食店アルバイトだった少女(当時16歳)であった。
遺体は頭を鈍器で強く殴られて殺害された後、焼かれていた。
千葉県警は少女の夫で若葉区千城台西の運転手である男(当時22歳)を殺人の容疑で逮捕。共犯として高校3年の男子生徒(当時18歳)などを含む若葉区内の未成年の男子あわせて4人も逮捕した。
加害者と被害者の偽装結婚
被害者の少女は幼い頃は活発な少女で、中学時代はハンドボール部に所属していた。しかし部活を引退した3年の秋から性格が変わり始めた。不良グループと付き合うようになり、そこで後に自らを殺害する男に出会う。高校に進学するが、1年生の10月には自主退学し、以後はカラオケ店でアルバイトを始めた。
主犯の男は母親が再婚した義父と折り合いが悪く、家庭内で喧嘩を繰り返した。そして恐喝事件を繰り返し、高校1年の時には少年鑑別所送致にされる。18歳の時にはコンビニ強盗事件を起こして東北少年院送致となり、出所後も遊興費欲しさに窃盗事件を繰り返した。
少女はカラオケ店で働いたものの、給料面などから不満を持っており、水商売で働こうと考えていた。しかし18歳未満という年齢では働くことは不可能である。そこで男は自分との結婚を持ちかけた。結婚すれば成人として扱われるからである。ただし民法の上では成人扱いになるが、風俗営業法による規制から16歳で就職することは禁じられている。そして2人は2003年7月に婚姻届を提出し、少女はキャバクラで働き始めた。
ただし両者の間には恋愛感情は無く、2人の利害が一致したためでの偽装結婚に過ぎなかった。男は消費者金融に300万円に及ぶ多額の借金を抱えており、以前も別の女性と偽装結婚していた。女性の苗字を名乗って名前と戸籍を変更することで、消費者金融の借金を踏み倒そうとしていたのである。
しかし男は少女に結婚した見返りとして上納金を要求する。少女は初めこれに応じたが、次第に金銭トラブルを引き起こすようになり、遂に少女は偽装結婚を警察に通報すると言い出す。男は以前に起こした詐欺の事件で執行猶予中であった。
これが通報されれば猶予を取り消される可能性もあり、口封じを決意し、仲間の未成年4人を「自分たちの起こした窃盗事件を少女が警察に通報しようとしている」と騙すことで犯行に加わらせ、2003年10月1日午前3時過ぎに駐車場内でハンマーで少女を順番に殴りまわしたうえ、重さ70キロもある墓石用の石材を少女の顔に何度もたたきつけて殺害した。
そして少女の遺体にオイルを10数本もかけて火をつけて逃走したのである。
後に少女を発見した男性の証言では、発見したときには少女の遺体の上半身が炭化しており、まだ火もついているという状態だったという。
逮捕と裁判
事件発覚後、男は自ら警察に情報を提供して自分に疑いがかけられないようにした。またマスコミのインタビューにも悲痛な発言をすることで被害者を装っていた。
しかし警察は男と少女の偽装結婚をつかみ、さらに近所のスーパーやコンビニで大量にライターオイルを購入または万引きする男と少年らの防犯カメラの映像を入手して、男と少年らを逮捕する。男は最初容疑を否認していたが、少年4人が犯行を自供したため、遂に男も犯行を認めた。
2005年2月23日、千葉地裁で判決公判が開かれ、「暴行は想像を絶する残虐さ」、「自己中心的で幼稚極まりなく、動機に酌むべき点は無い」、「確定的殺意に基づく極めて残虐な犯行で、矯正は不可能」として、求刑通り無期懲役となる。4月19日に控訴を取り下げて刑は確定した。
また、未成年の少年らも、殺害と遺体損壊に加わった3人を5年から10年の不定期刑に、遺体損壊に加わらなかった1人を3年半から7年の不定期刑に処して確定した。こちらも「残虐な犯行」、「遺体損壊に対する悔悟の念が感じられない」とされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B0%91%E5%A5%B3%E5%A2%93%E7%9F%B3%E6%92%B2%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
▲△▽▼
格差の次には「何がくるのか」を日本人は理解しているか?
現代社会では、経済格差がどんどん広がっている。最初は少しの差であった格差は、やがては1000倍も2000倍も、いや1万倍も2万倍も開いて、もはや貧困層がどうあがこうが克服できないものとなる。
そして、この極度なまでの経済格差が定着すると、その後に何が来るのか理解しているだろうか。
それは、もちろん「階級」である。
世界の多くの国では、ひとつの国家が見えない層(レイヤー)で区分けされている。経済格差の層である。この経済格差の上と下とでは生活も文化も考え方も違う。場合によっては話す言葉までもが違ってくる。
メキシコでも、ブラジルでも、アメリカでも、イギリスでも、安全な地域と危険な地域は明確に分離して存在している。
分かりやすく言えば、金持ちたちが集う地域は安全だ。そして貧困層が集う地域は治安が悪い。だから金持ちは貧困層がいる地区には決して足を踏み入れないし、逆に貧困層が金持ち地区に行っても警備員や警察に追い出される。
それが定着すると、世界中どこでも貧困層と富裕層は自然に、明確に、完全に分離し、長い年月を経て同じ民族でも違う文化や生活になってしまうのだ。
何もかもが分離し、お互いに接点が極端になくなる
一億総中流の意識がまだ多少でも残っている日本人から見ると、これは階級、身分、差別があるという認識になる。その通りだ。凄まじい経済格差が定着すると、自然に「階級」が生まれて上と下で分離するのだ。
今の日本はそうではない。確かに経済格差は広がっているが、まだ極端ではない。だから、たとえば金持ちが住む地域の住民がそうでない地区に行かないということはないし、その逆もまた然りだ。
しかし、問題はこれからだ。日本は、今のような平等社会を維持できるのだろうか。経済格差が広がるだけ広がって、それが社会に定着してしまった場合、日本もまた「階級社会」になってもおかしくない。
グローバル化は確実に「格差のある社会」を作り出す。それは間違いない。時間の問題なのだ。だから、将来の日本は今までと違う世界になる可能性がある。
日本人も富裕層と貧困層で分離する。
富裕層と貧困層で分離するというのは、住むところも、通う学校も、付き合う人間も、行きつけの店も、持ち物も、食べる物も、やがては話し方も、すべてが違っていくということだ。
何もかもが分離し、お互いに接点が極端になくなっていく。
教育で言うと、貧困層は親の資金面から安い学校にしか通えなくなり、ここで富裕層と貧困層の子供たちが分離される。富裕層の子供たちは質の良い教育を行う私学に通い、教育に理解のある親と熟練した教師に守られて学力を伸ばす。
一方で貧困層の子供たちは親の理解もなく、給料が安くてやる気のない教師の教育を受けて、教育の質が落ちて学力も低下していくことになる。塾にも通う経済的余裕もない。
公立校ではどんなにやる気のない生徒、問題生徒、非行生徒がいても学校から放逐できないので、しばしば学級崩壊も起きて授業がストップしたりする。
だから、富裕層の子供たちが学力を上げる環境の中で貧困層の子供たちは学力を落とし、名門校にはなかなか入れない構造的な問題が発生する。
気が付けば、学歴で大きなハンディが生まれていく。
富裕層の子供たちが学力を上げる環境の中で貧困層の子供たちは学力を落とし、名門校にはなかなか入れない構造的な問題が発生する。気が付けば、学歴で大きなハンディが生まれていく。
格差を生み出すことになるのは目に見えている
さらに地域で見ると、ある地域に貧困層が多くなっていくと、地価が下がってますます貧困層が流れ込んでいく。そうすると、不動産価格の下落や環境の悪化を嫌って、富裕層が少しずつ、しかし確実に抜けていく。
そうすると、ますます貧困層がその地区を埋め尽くすようになっていく。一方で、富裕層が集まるところは地価が上がって貧困層が住めなくなる。これで人々が分離される。
職業で言うと、富裕層の子弟が卒業する大学卒の勤める職種と、貧困層の勤める職種も違っていく。入れる企業も違い、同じ企業でもエリートクラスと労働者クラスに分かれてこのふたつは交差しなくなる。
この格差は、一度下に落ちると、容易に這い上がれない地獄の格差になっていく。
日本はいずれ、遅かれ早かれそのような社会になる。これについては、多くの社会学者、経済学者、政治家たちが警鐘を鳴らし、危険を訴えている。
誰のせいでこんなことになったのか。全世界がこのようになっているのだとすれば、誰のせいでもなく、現在の社会構造が生み出しているというのが分かるはずだ。
弱肉強食の資本主義が、このような社会現象をどんどん増長させて止まらないのである。強いて言えば、グローバル化を無批判に取り入れた政治家や大企業が悪いということになる。
しかし、日本を鎖国化したら大丈夫なのかというと、それはそれで日本全体が孤立化して北朝鮮のように困窮するだけだ。取り入れても拒絶しても問題が発生するのである。
日本はもうとっくの前にグローバル化を完全に受け入れた。これからも、どんどん受け入れていくことになる。それがさらなる格差を生み出すことになるのは、目に見えている。
もはや、格差が日本国民を分離してしまうのは避けられない事態だ。私たちはどちらかに分けられてしまう。1%の金持ちか、それとも99%の貧困層か。
そして、「階級」の上か下か……。
もはや、格差が日本国民を分離してしまうのは避けられない事態だ。私たちはどちらかに分けられてしまう。1%の金持ちか、それとも99%の貧困層か。そして、「階級」の上か下か……。
日本社会はこれから階級で分離していくことになる
問題は、貧困層に落ちた人は、もはやその子供もまた貧困層になってしまうことだ。個人の努力云々の話ではない。子供たちはスタート時点から極端な差を付けられており、貧困から抜け出せない。
日本がそんな社会になることは、高齢層よりも若年層の方が切実に感じ取れるかもしれない。
日本は若者の自殺が多い国だが、それは就職活動を行っている段階から、多くの企業に断られ続け、自分たちが社会から必要とされていないことを悟ってしまうからでもある。
就職できても生活していくことができないほどの給料だったり、不安定な身分だったりすることも多い。それで必死で働いても、身体を壊して使い捨てされる。
彼らの多くは、自分たちが貧困に生きるしかない現実を突きつけられている。当然、無理して結婚して子供を作っても、子供が貧困で暮らすことになることくらいは容易に想像がつく。
だから、結婚して子供を作るということすらも逡巡する社会と化している。
日本は超少子高齢化となっており、減り続ける子供と増え続ける高齢者のアンバランスで国家の社会保障費に問題が生じているのだ。
これから日本は、過酷な増税、削られる医療費、延長される年金受給年齢などがすべて同時並行で起きて、国民は痩せ細っていく。
国家はない袖を振れない。企業も終身雇用を捨てた。そのため、ごく普通の人が、年々転がり落ちるように貧困化する。
周辺国との軋轢、憎悪の連鎖、グローバル化の加速、格差の定着、若者の貧困化、超少子高齢化……。すべては、弱肉強食の資本主義が生み出したものであり根は一緒なのだ。
これらの問題が最後まで暴走していく中で、日本でも経済格差が「階級」を生み出して、上と下とではまったく違う文化の中で生きることになる。
格差で騒いでいる段階は終わった。次は階級社会に突き進んでいくのを、日本人は理解しておくべきだ。日本社会は階級で分離していくことになる。
日本でも経済格差が「階級」を生み出して、上と下とではまったく違う文化の中で生きることになる。格差で騒いでいる段階は終わった。次は階級社会に突き進んでいくのを、日本人は理解しておくべきだ。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170831T0331260900.html
▲△▽▼
国の中の90%以上の女性が文字をまったく読めないとしたら?
ひとり当たりの年間所得が最も少ない国をIMFの2016年のデータから拾い上げると南スーダン、マラウイ、ブルンジ、中央アフリカ、マダガスカル、モザンビーク、ニジェール、ガンビア、リベリア、コンゴ……と続く。
ここで上げた国は、人が貧しいというよりも国そのものが極貧にあって、経済発展はなかなか厳しいものがある。
もうほとんど報道されなくなっているのだが、南スーダンでは国土の6割が戦乱地区と化しており、中央アフリカでもコンゴでも大量虐殺が続いている。
アジアでも、アフガニスタンやネパールは非常に貧しい地区であり、EU(欧州連合)には、アフガニスタン難民も大量に入り込んでいるのはあまり知られていない。
政府が脆弱な国は、貧困が蔓延している。戦争が吹き荒れる国もまた貧困が吹き荒れる。
その結果、多くの人たちから教育の機会が奪われる。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、人々が安全な地区を目指してさまよい歩いているような地区で、あるいは教育を与える必要がないという声が支持される地区では、意図的に教育の機会が踏みにじられるのだ。
中でも、女性の教育が犠牲になることが多い。
人材を作るには、教育に力を入れる必要がある
途上国では、誰がリーダーになっても、経済を立て直し、貧困を撲滅するのは非常に難しい仕事になる。
途上国のあらゆる問題は貧困から来ている。そして、その貧困のあらゆる原因は、インフラや汚職や内戦や先進国の収奪から生まれている。
豊かな国だったとしても、一度、国が衰退してしまうと立て直すのが難しいのは、歴史を見ると分かる。
日本は第二次世界大戦の敗戦で、国は焼け野原になってほぼ壊滅したも同然だったが、そこから奇跡的な復興を遂げて現在がある。
しかし、こういった奇跡は「例外中の例外」だ。普通は、国が壊滅すれば、その後は何十年も立ち直れないのである。
国が回復するには、経済が回らなければならない。経済が回るためには人材や資源が必要になる。資源があるかどうかは、その国の運次第だ。資源がないのであれば、人材を強化するしかない。
人材を作るには、教育に力を入れる必要がある。
ところが貧困国は、底なしの貧困ゆえに教育制度が破綻していることが多い。それならば、教育に金をかければいいという話になるのだが、ここにひとつ問題が発生する。
教育の成果を見るには、長い時間がかかるということだ。
1年や2年ではない。10年も20年もかかるのだ。だとすれば、任期が数年の政治家が教育に力を入れ続けるのは、相当な意思と覚悟が必要になる。
どこの国でも、教育の大切さを自覚する政治家は少ない。
教育はいつも置き去りにされる。「女性に教育は必要ない」と決めつけるアフガニスタンのような国もある。
アフガニスタンはわざわざ作られた女子学校を、イスラム原理主義のタリバンが叩き壊して回っている。
このタリバンのイスラム主義はパキスタンにも広がっているのだが、だからパキスタンの地方都市でも女子学校の破壊やテロが起きたりしている。
さらにこのような動きはナイジェリアでも広がり、テロ集団ボコ・ハラムが女子学生を大量拉致してイスラム原理主義に洗脳したり、自爆テロに使ったりするようにもなった。
そこまでして教育を奪おうとしている国もあるのだ。
アフガニスタンはわざわざ作られた女子学校を、イスラム原理主義のタリバンが叩き壊して回っている。このタリバンのイスラム主義はパキスタンにも広がっているのだが、だからパキスタンの地方都市でも女子学校の破壊やテロが起きたりしている。
90%以上の女性がまったく文字を読めない国もある
教育の機会が奪われたら国はいつまで経っても立ち行かない。これは、多くの途上国が共通して抱えている問題である。
教育がしっかりしていれば、その国は立ち直る余地はある。あるいは、すべてを失っても成長する余地がある。
どんなに国が傾き、経済破綻し、暴力・麻薬・売春が吹き荒れ、汚職が蔓延していたとしても、教育がしっかりしていれば嵐の中で芽が育つ。
逆に、教育自体がおざなりになっていたり、荒廃していたり、教育行政が破綻していたりすると、成長している国であっても、次世代の衰退は間違いない。
何を差し置いても教育に力を入れる風土があれば、その国は助かる。そうでないのであれば、その国の政治家が一時的に何かをやっても、結局は貧困に戻っていく。
教育は軽く見てはいけない問題だ。なぜ貧困層がそこから抜け出せないのか。
それは教育を受けていないからだ。
教育を受けても成功するとは限らない。しかし、教育を受けていなければ、スタート地点にすら立つことができない。
先進国にいると、文字が読めて、計算ができるというのは当たり前のように思えるかもしれない。しかし、それは当たり前のことではない。教育の成果だ。
日本の識字率は99%なので、国民のほぼすべてが文字が読める状態である。だから、文字が読めない人がいるというのが信じられないかもしれない。しかし、途上国では想像以上に文字が読めない人が多い。
たとえば、教育を奪われているアフガニスタンでは、女性の識字率は17.6%であると言われている。これを逆に言えば、女性の82.4%が文字が読めないということだ。自分の名前を読むことも書くこともできない。
国民の85%がイスラム教であるギニアでも女性の教育がほとんど為されておらず、女性の87.8%が文字を読めない。やはりイスラム教が圧倒的大多数を占めるニジェールに至っては、女性の91.1%が文字を読めない。
国の半分を占める女性が無教育なのであれば、国の半分は知的能力を必要とする現代社会で落ちこぼれるということだ。これでは国の再建や発展どころではない。
幼少の頃にきちんと教育を受けていれば……
インドでもカンボジアでもバングラデシュでもインドネシアでも、文字が読めない人たちは想像以上に多い。
私が知り合ったインド・コルカタの物乞いの女性たち、あるいはコルカタの売春地帯にいた女性たちも文字が読めなかった。
(書籍『絶対貧困の光景』インドの取り残された女性たち)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20140610T1741180900.html
彼女たちは知的能力が劣っていたわけではない。現に、彼女たちはヒンディー語を話す以外に、英語もきちんと話して欧米人と会話もできる。
文字は書けないのだが、ストリートで覚えた英語を駆使して欧米人と渡り合っている。もし、彼女たちが幼少の頃にきちんと教育を受けていれば、何十年も物乞いで生活していなかったかもしれない。
彼女たちに欠けていたのは教育だということが分かる。教育の機会がなかったのだ。
教育を受けると、物事を判断したり、分析したり、専門を極めていくことが可能になる。それもまた、貧困から抜け出すのに重要な要素である。
教育と言っても大学で学ぶような高度な専門知識の話をしているわけではない。読み書きソロバンの基礎的な教育の話をしている。それすら受けられないと、何もできない。
何しろ、名前も書けず、計算もできないのだ。そうなると、仕事は単純労働でしかない。単純労働の賃金は、どこでも最低賃金そのものだ。
最低賃金で生きていても、貧困から抜け出すことはできないのだ。字が読めないし書けないのだから、できる仕事は限られてしまう。賃金をごまかされても、計算ができないから抗議すらもできない。
また、世の中の仕組みはすべてドキュメント(書類)によって記されている。契約書も、賃金明細書も、請求書も、何もかも書類に記されて、そこには文字が書かれている。
それらの書類が読めず、意味も分からなければ、自分の置かれている立場すらも分からないままだ。やはり抑圧されたままの人生を送るしかなくなる。
国はどれだけ多くの国民に教育を受けさせることができるか。自分や子供たちは教育に接することができるか。そして、教育はどれだけ適切で実用的か……。
それが、貧困撲滅の鍵を握っている。しかし、多くの国でそれが理解されない。その結果、貧困が永遠に続いていくことになる。
教育を受けても成功するとは限らない。しかし、教育を受けていなければ、スタート地点にすら立つことができない。教育がきちんと続かなければ、彼女には将来がない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170829T0223580900.html
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学歴重視の社会はグローバル化でより強化されて極端化する
2018年1月22日。国際NGOオックスファムは「世界人口の1%にあたる富裕層が1年間に生み出された富の82%を独占した一方、所得の低い人口の約半分は財産が増えなかった」という報告を出している。
相も変わらず、格差は広がり続けている。
この弱肉強食の資本主義では、貧しい家庭に生まれるか、豊かな家庭に生まれるか。貧困国で生まれるか、先進国で生まれるか。それだけで人生はまったく違ってしまう。
先進国の富裕層の家庭で生まれれば、経済的な苦労はしない。親の資力や人脈をフルに使って、親と同様に豊かで実りある人生を築き上げることができる確率が高い。
しかし、その逆も然りである。貧困層に生まれれば、親と同様に、貧困の中で喘ぎ、這い上がりたくても這い上がれないことが多い。
これを「貧困の悪循環」というが、国の貧困、親の貧困は、子供にも引き継がれやすい。
もちろん、最初は貧困状態であっても、一生懸命努力し、アイデアと、実行力と、不屈の精神で金持ちに成り上がっていく人も、世の中にはたまにいる。
そういった人の人生は、多くの貧困層を力づけ、大きなモチベーションの元になる。アメリカ人は特にそういった「成り上がり」の物語が大好きだ。
子の世代が親の世代と同じ階層にとどまる確率
アメリカ人の持つ人生観は、最初は何もなくても、そこから自分の才能や努力でポジティブに成功をつかみ取っていくという「アメリカン・ドリーム」で成り立っている。
しかし、このアメリカン・ドリームは、どんどん難しくなっているのだと経済学者は指摘するようになっている。
ウィートン大学の経済学者であるジェイソン・ロング氏もそのような主張をする人のひとりである。
アメリカは、貧困世帯の子供たちが中流層や富裕層に移動する割合が高いと思われているが、実際に「世代間所得弾力性」を数値化してみると、子の世代が親の世代と同じ階層にとどまる確率の方が高かった。
つまり、親が貧困であれば子供もまた貧困で終わる。
もう、アメリカはチャンスの国ではなくなっている。親が貧困層でも、子供が中流になる確率は、現代ではむしろ、中国、インド、南米諸国のような新興国の方が高いというのが、ジェイソン・ロング氏の分析だった。
「米国人は今でも自分たちは移動性が極めて高いと信じているが、それは真実ではない」
ここで発言されている「移動性」というのは、貧困層から中流以上に「移動」する世代間移動を指している。主要先進国の中では、イギリスが最も世代間移動が低い。
すなわち、イギリスでは、貧困層の子供は中流に成り上がるのはとても難しい。イタリアもまた、そのような硬直した社会である。
アメリカン・ドリームという言葉によって希望に満ち溢れていたはずのアメリカもまた、現代では貧困の固定化が進んでいて、成り上がれない社会になりつつある。
資本主義がグローバル化すればするほど、そして企業の合理化と効率化が進めば進むほど、その傾向が高まっていく。
学歴社会がアメリカン・ドリームを難しいものに
ここで注意しなければならないのは、資本主義そのものは別に階級を固定化させているわけではないので、今でもアメリカン・ドリームを実現する人たちは存在するということだ。
貧困層が中流に成り上がっていく物語は、今も消えていない。
しかし、かつては努力と根性で何とかなったアメリカン・ドリームは、もうそれだけではどうにもならないほど難しいものになっているのが現状なのだ。
これには、多くの理由がある。
その理由のひとつとして経済学者の誰もが指摘するのは、アメリカが明確な学歴社会と化して、学歴のない人間は「良い仕事」を見つけるのは絶望的に難しくなっていることが挙げられる。
良い仕事に就くためには、良い大学に行く必要がある。とにかく大学を卒業するのが必須だ。しかし、その大学に行くためには莫大な費用がかかる。
アメリカの有名大学では、だいたい年間600万円以上かかるので、4年間通えば2400万円以上も必要になる。これだけの金を出せる家庭は中流階級でもなかなかいない。奨学金制度もあるが、誰もがもらえるわけではない。
そこで学生ローンを利用して大学に通うことになるのだが、貧困家庭では、そもそもその学生ローンですら組めない。
かくして貧困層は大学から閉め出され、良い仕事から閉め出され、努力と根性で何とかなったアメリカン・ドリームは遠くに消え去ってしまった。
ちなみに、中流階級でも、無理して学生ローンを組んで大学を卒業しても、たまたま不景気でまともな仕事が見つからないと、借金を抱えたまま首が絞まって「成り上がる」どころか、貧困層に堕ちていく確率が高まる。
アメリカではアメリカン・ドリームを実現する人たちよりも、貧困層に堕ちる人たちの方が増えている。
どこの国でも、アメリカと同じ傾向が進んでいる
実は、グローバル化した社会では、アメリカだけではなく、どこの国でも同じ傾向が進んでいる。人々は国境を越えてビジネスを行い、外国企業に就職し、異国で生活するのが当たり前になっている。
多国籍企業は、その人材の良し悪しはまずは学歴を見る。有名大学、ブランド大学の卒業であれば優秀であると、だいたい学歴を見れば判断できる。
だから、世界的に学歴社会がこれから進んでいき、それが標準になっていく。
この傾向が進めば、経済的な理由や、家庭環境によって学歴が持てなかった人間は、どんどんドリーム(成り上がり)から排除されていくことになる。
「貧しい者は、貧しいまま終わる」という身分の固定化が進み、それが格差となり、長い格差の時代は階級(クラス)の固定化につながって「身分制度」同様になっていく。
(1)資金力の欠如で大学に行けない。
(2)好待遇・高賃金の仕事に就けない。
(3)低賃金の仕事を余儀なくされる。
(3)結果として貧困に落ちる。
(5)貧困に落ちたらそれが固定化される。
社会はより高度に複雑化していく。そのため、今までも珍しくなかったこのような格差は、グローバル化した社会でより強化され、徹底され、先鋭化し、極端化する。
日本でもそうだ。資金力の欠如で大学に通えず、低賃金の仕事から抜けられず、貧困層のまま推移し、貧困の固定化が身分制度のようになりつつある。
好待遇・高賃金の仕事に就けた者はその資金を投資に投じてますます資産を膨らませ、一方で貧困層は資産を増やす元手すらも貯まらない。
かくして、「世界人口の1%にあたる富裕層が1年間に生み出された富の82%を独占した一方、所得の低い人口の約半分は財産が増えなかった」という社会が出現したのだ。
私たちは、いつの間にかその中で生きていることに気付かなければならない。
良い仕事に就くためには、良い大学に行く必要がある。良し悪しに限らず、とにかく大学を卒業するのが必須だ。しかし、その大学に行くためには莫大な費用がかかる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180126T1725560900.html
きだが。。。。。。
しかしそれぐらい交渉しろよ。東電が引き取れと、裁判に訴えろよ。
第三者からすると「何で税金を使って勝手にたい肥にするなど検討してんだよ!」
「栽培したものを給食に使うのか、それとも全国にばら撒くのか?」「栗原市ごとき
が責任を持てる話なのか?」
工場から出た汚染物質は必ず法的に扱っている。法の不備の部分は国の指示を仰ぐ
のではないか。法整備は国の仕事だから、国に上げないとダメなんだよ。市町村ごと
きが何を勝手な事をやっている、そんな感じだ。
裁判で答えが出るかどうかは分からないが、少なくとも司法判断を仰げよ。それを公
文書として子孫に残すぐらいの事はしろよ。「汚染物質に倣って国は法整備を急
げ!」と言う司法判断が出るかもしれないだろう?
被害を受けた方が勝手に処理するから東電は原発建設の計画を着々と進めるんだよ。
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はっきり言っておくけど
僕はアメリカ様と経団連様のために政治をしてるんだよ
お前ら底辺は さっさと 死ね !!
|::::::::/ .,,,=≡ゴミ≡= 、l:
」::::::l゛ .,/・\,!./・\ l!
n: .|`:::| :⌒ノ/.. i\:⌒ |:::::i.:::n:
|| (i ″ ,ィ____.i i i // .:::||
|| ヽ i / l .i i / ::::|
f「| |^ト l ヽ ノ ` ェェェイヽ、:::/´ 「| |^|`|
|: :: ! ] /|、 ヽ `Uー'u / .| ! : ::]
by 安倍晋三.売国奴@孫.山口4区
ひんこうほうせい
※ 以上 「貧 行 呆 政」 な晋三ぼっちゃまの コメントでした。
〜〜〜〜〜〜〜
お前のは勘違いでも記憶違いでもなく【捏造】というものだ。
これを糊塗するために、近衛が佐々木一門だとか、その後も接触はあったとか
嘘を上書きする。
私は(78)で
私の主張が間違っていたようだ。
10月11日マッカーサー「五大改革指令」に気をとられて(10月4日)に気が付かなかった。( )内追加
【罵愚】も最近知ったようだ。無駄な議論を続けたのだから。
と訂正すべきところは明確に訂正している。
時系列を逆転させているのは【罵愚】だね
見事に詐欺師の片鱗を見せている。
78⇒43⇒30
これは逆転の時系列だ(詐欺師の典型)
物事の進行は
30⇒43⇒78だ
何の矛盾もない
(78)のコメントを十分に読んでみろ
お前が記憶違いとした(83)の後は不問にしようよ言っているのに、わざわざお前が持ち出すから、(83)における嘘も指摘せざるを得なくなった。
馬鹿だね、お前も
(80)の10月13日までの事実経過には納得したのかな
その後は、近衛の研究に反発した政府が10月25日に松本委員会を設置した。
ここまでの間に、憲法改正に関するGHQ指令は存在しない。
これに反論できずに、(85)となったのだな。
少なくとも、1945年内にGHQから日本政府に対する憲法改正指令というものは存在しない。
松本委員会の設置もGHQの指令ではなく、天皇が勝手に動くことへの反発だ。
米国による日本統治は直接統治でなく日本政府を通じての間接統治だから
マッカーサーとは関係ない。
その意味からすれば、『(30)「日本国憲法改正の発端はマッカーサーではなく、天皇裕仁である。』ということに本質的な誤りはない。
その後の経過が、この解釈に何ら不都合を与えるものではないことを証明している。
結果として2元外交の近衛案は正式なものではないと闇に葬られたのだ。
天皇裕仁は日本政府とは別に2元外交を進め、沖縄の永久分離を米国の統治下に置くことをマッカーサーに進言した。(天皇による沖縄処分)
この憲法改正問題が天皇裕仁による2元外交の最初となった。
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/402.html#c86
「足立区は本当にヤバイのか?」
治安・貧困・学力・寿命…区役所職員がタブーを検証、ついに結論が出た! 5/30
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180524-00000001-withnews-l13
舟橋左斗子さんの新刊『足立区のコト。』
https://www.amazon.co.jp/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%8C%BA%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%88%E3%80%82-%E8%88%9F%E6%A9%8B-%E5%B7%A6%E6%96%97%E5%AD%90/dp/4779124484
本の帯には、堂々とこの言葉。「足立区は本当にヤバイのか?」。
書店に並ぶ新刊『足立区のコト。』の筆者、舟橋左斗子さんは、れっきとした東京都足立区の広報担当職員だ。こんなキャッチコピーを掲げて、自分の地元を本にするなんて、本当にヤバくないのか?(朝日新聞記者・伊藤隆太郎)
たけしさんも自虐、四つの命題で検証
まさに、タブーに切り込む一冊。タレントのビートたけしさんも、昔から自虐ネタにしてきた。いわば足立区民にとっては、お馴染みともいえるこの「ヤバイのか問題」を今回、きちんと検証するために、舟橋さんは四つの命題を立てた。「治安が悪い?」「貧しい?」「学力が低い?」「寿命が短い?」……まさに、ストレートのど真ん中で勝負だ。
さて、問いの真偽やいかに。本書の内容に沿って、それぞれの結論を見ていこう。
命題1「足立区の治安は悪いのか」
舟橋さんは大阪の生まれ。結婚を機に、25年前から足立区で暮らしている。引っ越した当初は、さんざんに言われようだったと明かしている。「なんで足立なの?」「大丈夫?」「変わってますね」
しかし実際に暮らしてみたら、印象は違った。実に安全で暮らしやすい町だという。ところが周囲はそうは見ずに、治安が悪いイメージがある。きちんと確認しようと、警察庁の「刑法犯認知件数」というデータを確かめた。
すると結果は……。やっぱり都内ワーストだった。ああ。
足立区は長年、この犯罪発生率で都内トップを走り続けていた。そこで区では、「割れた窓などを放置すると犯罪が誘発される」という割れ窓理論に基づいて、区内の美化などを徹底する。努力が報われ、2011年にはいったんワーストを脱却していた。だが最近、また最下位へと戻ってしまった。
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命題2「足立区は貧しいのか?」
年収についても比較した。内閣府がまとめている「納税義務者一人あたり課税対象所得」を検証している。
すると結果は……やっぱり都内で最下位だった。あらら。
データが整理されている最新の2013年のデータを舟橋さんが確認したところ、足立区は1人あたり324万円で、都内23区のなかで23位だった。22位の葛飾区=333万円や、21位の北区=343万円を下回っていた。
命題3「学力が低い?」 命題4「寿命が短い?」
……なんだか雲行きが怪しい。ここは残る二つをまとめて確認しよう。
まず学力。舟橋さんは、早稲田大に入学した女子学生が「足立区からよく入れたね」と言われてショックを受けた、というエピソードを披露している。やれやれ。
そこで、文部科学省の「全国学力・学習状況調査」の結果を検討した。すると最新の2016年の成績は、小学6年の「国語」「算数」と、中学3年の「国語」「数学」が、いずれも都内平均を下回った。
では寿命についてはどうか。「えっ! 寿命にも差があるの?」と驚かれるかも知れないが、その通り、差があるのだ実際は。結果は……。
健康で活動的に暮らせる「健康寿命」というデータを見たところ、足立区は東京23区中で男性が20位、女性が21位だった。
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やっぱり、ヤバイんじゃない?
以上が4命題を検証した結果だ。こうしてみると、「足立区はヤバイのか?」という問いの答えは、残念ながら「はい、その通り」となりそうだ。
しかし舟橋さんは力強く、こう言う。「ヤバくない。それが本書の結論です」
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足立区は、ヤバくない!!
新刊『足立区のコト。』の筆者の舟橋さんが、とくに強調するのは、命題2「貧しいのか?」だ。そして、逆にこう問いかける。
「貧しいと、ヤバイのですか?」
貧しいことが、そのまま不幸ではない。また、お金があることが幸福であるとも限らない。舟橋さんは「本当に克服すべき課題とは、『関係性の貧困』です」と言う。
お金がなくても、しっかりした人間関係があれば、助けたり助けられたりできる。貧しくても、笑って暮らすことができる。しかし、人と人の絆がなければ、助け合うことも笑顔を交わすことも、関係性の貧困は、人を絶望させる。
しかし足立区には、人と人の密接なつながりがあると、舟橋さんは言う。「私たちの街の魅力は、なんといっても住民が『おせっかいで、あたたかい』ということ」。本書には、そんなおせっかいであたたかな人たちが、てんこもりに登場する。
10年来の空き家をコミュニティースペースに改造して子どもやママ達の立ち寄り場所にしたり、細い路地の商店街がオーケストラを呼んで「下駄履きで行けるコンサート」を開催したり。手作りの地域おこしに取り組む住民たちの活動が、あちこちにある。
そして「サラリーマン、商売人、工場労働者、外国人……。いろいろな年齢層のさまざまな人たちがバラエティー豊かに暮らして、町らしい活気がある」と舟橋さん。
そんな地域の魅力が再発見され、最近はある不動産会社が毎年発表している「住みたい街ランキング」のなかで、部門別の「穴場だと思う街」で4年連続トップだという。
マイナスのイメージが強い足立区、しかしマイナスからの出発だからこそ、プラスに転化する期待度もまた大きい。そう舟橋さんは話す。区役所も防犯や教育、健康などの問題にさまざまな施策も打っている。
ヤバイという事実を堂々と伝え、事実に堂々と向き合い、対処できる。それこそが最大の「ヤバくない理由」と言えそうだ。
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コメント
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東京足立区のテレクラ主婦売春をのぞいてみた (ゲンダイネット) 2006年3月22日
これが格差社会の現状なのか。文房具などの教材を自治体から支給されている就学援助児が42%もいる東京都足立区で、養育費や生活費欲しさの主婦がテレクラに殺到しているという。
ノンフィクション作家・佐野真一氏が「ルポ下層社会」(「月刊文春」4月号)で伝えた衝撃の現場、竹ノ塚のテレクラに入ってみた。
リーン、リーン……。平日の、まだ日暮れ前なのに、店内には間断なくコール音が鳴り響く。 「2時間2000円から」の料金を支払い個室で待つこと数分、電話機が最初の着信を告げた。
「ホテル代込みで2万円でどう?」。単刀直入な誘い方。
声の感じは20代後半か30代か。竹ノ塚に住むという主婦に境遇を聞き始めた途端、「話だけなら他でやって」とガチャン。 時間中に7人の女性と話したところ、全員が「目的アリ(援交)」だった。
相場は1万5000〜2万円、テレクラのすぐ近くにラブホテルがあって、そこに行くのが定番コースらしい。
小学生と幼稚園の子どもが2人いるという27歳のシングルマザーに会ってみた。やや太った体形に茶髪のA子さんは「区から毎月7万円の養育補助をもらってるんだけど、ダンナもいないし到底暮らせないから、エンコー(援助交際)は欠かせないの」。こう言いながら、1人前399円のカルビを焼いてくれる。
「この辺は私みたいな主婦が多いと思いますよ。“横の連携”があって、何曜日の何時ごろがいいとか、いろいろ情報交換している。でも最近は客の取れないデリヘル嬢とかプロが増えたし、私たち主婦の足元見て値切ってくる相手も少なくなくて困っちゃう。足立区の人妻は安いんだそうで、わざわざ静岡から遠出してきた男もいましたよ」
ケラケラ笑い、生ビールのジョッキをあおる姿からは、悲愴感(ひそうかん)とか後ろめたさは感じさせない。援交相場よりは安い取材謝礼を渡すと、
「あした二男の入園式なの。着せていく礼服選びを付き合って」とA子さん。買ったのはズボン・シャツ・ネクタイの一式で3000円の
セットだった。風俗ライターの村上行夫氏はこう言う。
「人妻の援交が増えているのは、足立区に限ったことじゃありません。郊外を中心に最近は都心でも援交主婦が参入し、テレクラはもはや主婦売春のメッカになっている。風俗業界では第2次テレクラブームと呼ぶ関係者もいます」
現代社会のキーワードのひとつとして定着した感のあるワーキングプア。 大きな社会問題となっているが、そんな厳しい世の中でも、若い女性たちにはまだ、奥の手が隠されていた。
「いざとなったらフーゾク」 行き場をなくして追い詰められたら、腹をくくればいい――。
ところが、女たちの最終手段であるエロ業界にも、同じようにワーキングプアたちが増殖し始めている。
とあるデリヘルの待機部屋。テーブルの上には、何台かのパソコンが置いてあり、女のコたちが熱心にキーボードを叩いている。彼女たちがアクセスしているのは、ライブチャットのサイトだ。
同店では、待機時間を有効に使ってもらうために、ライブチャットで小遣い稼ぎすることを勧めているのだ。 相手男性と仲良くなって店に引っ張れば、営業活動にもなって一石二鳥。しかしお店の思惑は、何よりお茶を引いた女のコの苦情を抑えることにある。不景気で客が減る一方で、女のコの数だけは増えたために、出勤しても客がつかないケースが少なくない。少なくなった仕事を奪い合うという、実社会と同じ現象がここでも起きているのだ。
よほど繁盛しているお店でない限り、こうした事情は変わらない。某フーゾク情報雑誌編集者によれば、ごく一部の人気嬢を除けば、フーゾク嬢の一人当たりの平均収入は、確実に激減しているという。
「在籍のコ全員を均等に働かせるために、出勤調整をしている店は多いですね。女のコは毎日でも働きたいのに、 週3日などに制限される。したがって、本指名が少ないコは収入が安定しない。不景気の中、ソープでも大衆店だけはそこそこ客の入りもいいですから、単価が安くても確実に稼ぎたいと考えて、移っていくんですね」
お店と女のコの取り分は、5:5または4:6が一般的。
客単価を平均1万5000円と仮定すれば、オプションの有無や時間によっても異なるが、女のコの取り分は7000〜9000円程度となる。1日数人をこなせば日当5万円程度。月20日の出勤なら月収100万円に達する。全盛期なら、この程度は当たり前だった。
だが現在、毎日確実に数人以上の客を相手にできるフーゾク嬢の割合は、決して多くない。さらには、需要と供給のバランスが崩れた今、立場の弱い女のコの取り分が折半以下というケースも。
「確かに面接に来るコは増えている気がしますね。でも、求人で来る女のコはほとんど使えないコばかり。十人並みなら即採用です。
いちいち断るのが大変なので、面接場所の喫茶店に行って、使えないと判断したら、会わずにバックレます。そうしないと無駄に手間ばかりかかってやってられないから。
経費節約のためと、スカウト禁止条例もあることから、外部スカウトマンへの依頼は避けて独自のルートで探しますが、女の子が友達を連れてくるパターンがいちばん多いかも。それでけっこうな人数は確保できてますから、人手に困るということはないですね」(デリヘル店店主)
https://plaza.rakuten.co.jp/miwatya041124/diary/200603250000/
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c12
私は03だが、
なぜ、311後の現在、関東地方が危ないのか、解説しよう。
ごく簡単な理論だ。311大地震で宮城県の牡鹿半島付近でプレート境界が50m程度も滑った。そのため、その南北の両隣でも、同程度の滑りが起こらないと、歪みが解消できない。だから、現在、311の震源域の南側である関東付近で大きな地震が起こりつつある。北側の東北北部から北海道でも大きな地震が起こるだろうが、311前にM8規模の地震が北海道では起こってしまっているため、関東でのM8が先だ。
さて、
05氏の
>飛躍を重ね妄想を繰り返してただもっともらしい専門用語をちりばめているだけで地球物理の基本さえ理解していないことがわかる。Hi-netで地震とも呼べないような微小な振動を数えてみてもそれが何を意味するかなど他のこととの因果関係など全く観測されない。
は一方的なレッテル貼りだと思う。なぜ、「地球物理の基本さえ理解していない」とか、「Hi-netで地震とも呼べないような微小な振動を数えてみてもそれが何を意味するかなど他のこととの因果関係など全く観測されない」と言えるのか、その根拠は示されていない。
まずは、自分で予測して見ることだ。
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/559.html#c6
トランプ政権の貿易保護政策
米国の「象徴」続々反旗
今度は自動車大手GM
【ワシントン=遠藤誠二】トランプ米政権による貿易保護政策に対する国内企業の反発が相次いでいます。米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)は28日、米国に輸入される鉄鋼・アルミや自動車などに高い関税をかけるトランプ政権の政策・方針は、「雇用や投資を縮小させる」と批判しました。
“雇用・技術が後退”
米三大自動車メーカーの一つGMが、公然とトランプ政権の貿易政策に異を唱えたことは波紋をよびそうです。GMは声明で、米国への輸入品目に追加関税をかけることは、「アメリカの象徴であるGMの米国や海外での存在を縮小させ、より小さなGMへと導く。米国の雇用を増加させるどころか減少させる」「投資を減少させ、雇用を減らし、被雇用者の賃金が下がる。投資が減れば、労働力が減少し、技術革新も遅れる」と指摘。輸入原材料の高騰や、輸出した場合の高関税で企業や労働者にマイナスに働くと主張しています。
その上で、「われわれの貿易パートナーに対する広範囲にわたる大幅な追加の輸入関税は、GMのような米国企業を世界市場から孤立させる危険を招く」と警鐘を鳴らしています。
「米国第一主義」を掲げて保護政策にまい進するトランプ政権は、カナダ、メキシコの近隣国や欧州など諸外国からの強い反発を招くとともに、米国内の企業からも反旗がひるがえっている状態です。
二輪大手のハーレーダビッドソン社は25日、米国の追加関税の対抗措置として、欧州(EU)へ輸出するオートバイに25%の追加関税がかけられたことなどを理由に、一部工場を米国から海外に移転する方針を発表しました。
米国際鉄鋼協会(AIIS)は27日、輸入鉄鋼に25%の追加関税を課したのは違憲として、米国際貿易裁判所に追加関税差し止めをもとめ提訴しました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-01/2018070105_01_1.html
http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/364.html#c3
2017年03月08日
家庭環境が貧しいと子どもの脳は「貧困脳」になる
http://gigazine.net/news/20170308-brain-on-poverty/
貧困が「子どもの脳の発達」に強い影響を与えることが研究により明らかになっていますが、コロンビア大学の神経科学者であるキンバリー・ノーブル氏が「貧困と脳の関係」を視覚化した画像を一般向けの科学雑誌としては世界最古のScientific Americanの中で公開しています。
This Is Your Brain on Poverty - Scientific American Blog Network
https://blogs.scientificamerican.com/sa-visual/this-is-your-brain-on-poverty/
貧困が脳に強い影響を与えることが明らかになっていますが、これはお金が脳の構造や機能に直接何かしらの影響を与えるわけではなく、貧困に伴う環境や遺伝的影響が合わさった影響が脳構造に出ている可能性が高いそうです。これは相関関係にあるのか因果関係にあるのかを解き明かすことが実質的に不可能なのではないかという問題でもあるのですが、ノーブル氏は現在利用可能なさまざまなツールを用いて「貧困と脳のつながり」を解き明かそうとしています。
「貧困と脳のつながり」をひもとく上で必要なのは、「貧困はどのように脳機能に影響を与えるのか?」を定義することです。そのためにノーブル氏はさまざまな社会経済的背景(SES)を持つ約150人の子どもを被験者として集め、脳の特定部分に関連する認知能力を評価するための標準的な心理テストを行いました。
心理テストの結果を示したのが以下のグラフで、横軸が被験者のSES(高いほど裕福な家庭であることを示す)、縦軸がテストのスコアを示しています。
グラフは左上から
「Language Skills(言語能力)」
「Perception of Spatial Relationships(空間的関係の認識)」
「Memory of Facts and Events(真実と出来事の記憶)」
「Cognitive Control(認知制御)」
「Short-Term Memory(短期記憶)」
を示しており、程度の違いこそあるものの、すべての認知能力で「貧しいほど認知能力が低い」という正の相関があることがわかります。
http://i.gzn.jp/img/2017/03/08/brain-on-poverty/s01.png
上記のグラフは「貧困はどのように脳機能に影響を与えるのか?」を明確に示していますが、「貧困が脳に物理的にどのような影響を与えるのか?」まではわかりません。そこで、ノーブル氏は約1100人の小児および青年の脳をスキャンし、SESに基づく差異を見いだそうとしました。
「貧困環境で育った子どもは脳の皮質の一部面積が減少している」ということを示したのが以下の図。
「皮質面積の減少」が見られる領域は帯状回・楔前部・下前頭回・上前頭回・下側頭回で、図では赤色に塗られています。
http://i.gzn.jp/img/2017/03/08/brain-on-poverty/s02.png
以下のグラフは横軸が家庭の年間収入、縦軸が脳の皮質面積を示したもの。
特に注目すべきなのは、年間収入が5万ドル(約570万円)以下の家庭の子どもは収入が低ければ低いほど皮質面積が指数関数的に縮小する傾向にあるという点。
http://i.gzn.jp/img/2017/03/08/brain-on-poverty/s03.png
最も低所得な貧困環境で育った子どもたちは、脳の発達において重度の損失を被っている、というわけです。
http://gigazine.net/news/20170308-brain-on-poverty/
米調査で判明。本が多い家ほど子供の読解力はグイグイ上がる 2017.06.23
算数の文章題を解くにしても、論理的な文章を書くにしても、とかく必要となってくるのが国語の読解力。そんないつの時代にも求められる「読解力」を簡単につけられるかもしれない方法があるようです。
無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』の著者・真井花さんが詳細に記してくださっています。
500で2.2!!
さて、本日は家にあるだけでOK! なもののお話。
以前、算数ができないという親戚の子に算数を教えていました。そのころ繰り返し解説しても、ぜんっっぜんひとっつも出来るようにならなかったのが「文章題」でしたorz
こっちが悪戦苦闘して解説しても、全く出来ない。ポカ〜〜〜〜ンなその子を見ていて感じたのは、「こりゃ、算数がモンダイなんじゃないな」ということでしたね。なんていうか、少しでも抽象的だと概念そのものが理解できないんですよね。たとえば、「連続した3つの整数」という問題設定だと、「連続した」「3つの」「整数」はそれぞれぼんやり解るけど、これがくっつくと、もう完全にお手上げ(T-T)。本当に「ニホンゴ、解ってる?(`ー´;」なレベルでした。算数以前の、抽象的な語彙力、論理的な文章の読解力自体がモンダイだったんです。
算数が苦手なコドモは多いものですが、その真の原因が国語力だとすると、これはこれでタイヘンです。国語力って一朝一夕には、アップしないですからね。
ところがね(0_0)
家にあるだけでコドモの国語力がアップするモノがあるんです。そう、それは、想像どおり「本」なんです。アメリカでの調査によると、子供の読解力は
•100冊あると、1.5学年上の子供と同レベル
•500冊あると、2.2学年上の子供と同レベル
なんだそうです。読解力が1.5学年分ってどうやって測ったのかビミョーに不明ですが(^Д^)、ま、それでも納得の結果ですよね。
その調査では、「家にあるだけじゃだめで、ちゃんと親が本を読む環境で…」と注意書き(?)がありましたけど、本を読まない親が100冊分500冊分のお金とスペースを本に投資するとは思えません。フツー、その親、読書が好きでしょ。
また、この本は子供用でなくても良く、オトナが読むレベルのものでOKのようです。そうなるとグッと選べる本の範囲が広がりますね。要は、
•本が身近にある環境で、周囲の大人が本を読んでいる
ということを本の所有冊数から検証したということでしょう。
逆に、この調査からすると、数百冊単位の本を持っている家庭は学習環境としてトップ数パーセントに入っている可能性が高いんじゃないでしょうか。1.5学年2.2学年上の学力を持つ子供って、当該学年ではトップ数パーセントに入るはずですからね。
文庫本が1冊500円くらいとして、100冊で5万…。夏休みに塾に行かせたら、あっという間に吹き飛ぶ金額ですよね。ですが、そのお金を使って優れた学習環境を整えられるわけですからずいぶんカンタンに感じますね。
家には本をたくさん置く。なかなか上げられない国語力や算数の文章題が出来るようになるための、悪くない投資だと思いますよ。
http://www.mag2.com/p/news/254190
貧困家庭の子供が成長してもお金を稼げない本当の理由
http://diamond.jp/articles/-/162585
2018.3.8 松原麻依:清談社 ダイヤモンド・オンライン
『文化資本』とは金銭以外の個人的資本を指す言葉で、経済資本とは異なる意味を持つ。そして貧困の連鎖や子どもの貧困といった問題とも無関係ではない。そんな文化資本の側面から見た、日本の格差の構造とは?(清談社 松原麻依)
裕福になれるかどうかを決める
「文化資本」とは何か
幼い頃から読書や音楽、美術などに親しむ環境に身を置いていれば、「文化資本」は自然と身に付く。そしてこの文化資本は、大人になってからの「金を稼ぐ能力」とも密接に結びついている
文化資本とは、金銭以外の個人的資本を指す言葉だ。フランスの社会学者、ピエール・ブルデューは「身体化された文化資本」「客体化された文化資本」「制度化された文化資本」の3つの形態に分類している。
「身体化された文化資本」とは、さりげない仕草や立ちふるまいから知識・技能にいたるまで、文字通りその人の身体に染み付いているものを指す。「客体化された文化資本」は、美術品や書籍といった物として獲得されるもの、「制度化された文化資本」は学歴などのように、目には見えないが社会的に「意味がある」と認められているものをいう。
そして、これらの文化資本は、「金を稼ぐ能力」とも密接に結びついている。理屈上は、金持ちでない家に生まれた子どもであっても、ハイレベルの文化資本を身につけられれば、自分でしっかりと稼ぐことができるということになる。
しかし、現実は残酷である。ブルデューは文化資本も経済資本同様、「主に親から子へと『再生産」されていく』と述べている。つまり、お金や土地などの資産同様、文化資本も親から子へ受け継がれていく性質が色濃いというのだ。
しかし、たとえば本ひとつをとっても大衆小説から古典文学まで様々なジャンルが存在する中、なにをもってして「文化資本」と言えるのか。ライター、コラムニストの北条かや氏は、「ブルデューが活躍した1990年代のフランスと現代の日本では、文化資本の内容もやや異なってくるのかもしれません。ただし、両者とも基本的には『より中央に近い文化』を価値の高い文化とみなす点では同じです。すなわち、この社会を支配している層が有する文化が、文化資本として評価されるわけです」と話す。
金があるだけではダメ
文化資本を持てる家庭環境とは
日本の場合だと、マンガよりも古典文学、仲間内でしか分からない方言よりも就職活動などで論理的に共通語を話す能力、ジャンクフードを早食いする能力よりも綺麗なテーブルマナー…といった要素が「文化資本」となりえる。
「文化資本を有する人が社会的な階層を上げやすくなっていることは確かで、それがいわゆる経済格差や貧困の連鎖に結びついていると考えられます。たとえば、『教科書を座って読む』という行為も身体化された文化資本ですから、学校教育自体が中央の文化を基準にして作られているとも言えます」
家に本棚があれば、それが読書習慣へとつながる。座って文字を読む行為そのものは学校教育と親和性が高く、学校教育で評価されれば高い学歴を得やすくなる。これらの要素はすべて文化資本であり、それぞれがリンクして増大していくことが分かる。
「文化的再生産」、つまり文化資本が親から子へと受け継がれていくというのは、どのような構造なのだろうか?
「文化的再生産の過程では、地域や学校のコミュニティなど様々な要素と関わりがあります。その中でも、最も大きな役割を果たすのは家庭環境でしょう。文化資本の有無は幼少期の経験の積み重ねによるところも大きく、いつでも本が読める環境を用意したり、コンサートや美術鑑賞の経験などを子に与えるかどうかは、親の嗜好や経済状況に左右されるのです」
仮に宝くじで3億円が当たったとしても、それだけで高い文化資本を持てるとは限らない。幼少期に親から文化資本を持てるような経験を提供してもらえるかどうかが、非常に大きなカギを握っているのだ。
また、北条氏は「その人が文化資本的なものに価値を見出すかどうかは、属しているコミュニティに影響を受けやすい」と話す。たとえば、日本なら地方のヤンキーよりも都市部の富裕層のほうが、文化資本的なものに価値を見出しやすいコミュニティといえそうだ。
学校では強者のはずのヤンキーが
社会では通用しない理由
「好きな小説について語り合って交友を深めるコミュニティもあれば、拳で語り合うコミュニティもある。しかし、日本の支配者層が支持するカルチャーを文化資本とするなら、いわゆるヤンキー文化的なものは文化資本の範疇には入りません。地域によってはヤンキーがスクールカーストの頂点になる学校もありますが、社会という枠組みで見たら、彼らのほうが不利な状況に陥りやすくなるのです。もちろんヤンキー的なコミュニティーに属する人たちの全てが不利だと言っているわけではなく、あくまで社会的地位の取得において不利になりやすい人が多くなるという意味です」
机に座って勉強することを『ダサい』と捉えるコミュニティより、学校教育に馴染みのあるコミュニティの出身者が高い文化資本を有することになり、後者のほうが社会的階層を上げやすくなる。社会的階層が上がれば、当然ながら経済的にも有利になりやすい。
本来、優等生もいればヤンキーもいるというのは当然のこと。個人の差異はあってしかるべきで、逆に優等生ばかりの社会などというものが成立するはずもない。だが、この差異は単なる「違い」では済まされない。なぜなら、北条氏が指摘するように、その先にある「貧困」が問題だからだ。
「社会学の階層調査では、年代を重ねるごとに親の地位が再生産されやすくなっていることが分かりました。『ブルーカラーの子どもが医者になる』というような事例が極端に少なくなっているわけです。経済が急成長している時期なら、社会全体で賃金も底上げされているため、子は親の稼ぎを上回りやすい。しかし、今の日本は完全にマイナス成長で、身一つで階層を上げていくことが難しくなっているのです。そうなると、親の階層が子の階層に直接影響するようになってくるわけです」
こうして経済格差が固定化されれば、貧困の問題はより深刻になっていくという。
文化資本を考慮に入れれば
安直な「貧困自己責任論」には陥らない
このように文化資本の「格差」などというと、地方のマイルドヤンキーよりも都市部に暮らす富裕層の文化のほうがエライ、と言っているように聞こえなくもない。「文化資本」の存在を認めることは、ある種の差別とも感じられるのではないか。
しかし、北条氏は「文化資本の格差が存在しない前提で貧困問題を語ると、『自己責任論』に陥りやすくなる』と指摘する。
「会社で評価されるようなコミュニケーション能力、マナーや作法、お金の管理能力、机に長時間座っていられるような持久力、それらもすべて文化資本と言えます。どれも今の日本社会で有利となる要素ですが、一昼夜で身につけられるものではなく、ましてや経済的な支援のみで解決できる話でもありません。スタートラインの平等を信じることは、ある意味危険なことだと思います」
たとえば子どもの貧困対策を考えた時、子ども食堂や無料塾など、目に見える支援を行えば万事解決なのか。それでも将来貧困に陥ったら、その子自身に問題があると言えるのか。あるいは、なけなしの給料を毎月、酒につぎ込んでしまう人がいたとしたら、それは100%、その人の「自己責任」なのか。
文化資本の有無は、その人の優劣でもなければ、ましてや良し悪しでもない。ただ、文化資本を持っていない人が割を食うような社会システムが存在することは確かなようだ。育ってきたコミュニティの違いで不平等が生じているのなら、「文化資本」の側面から貧困を考えてみることは無駄ではないはずだ。
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貧乏な家の子どもがお金持ちになれない本当の理由と「思考格差」の正体=午堂登紀雄
2017年9月3日
http://www.mag2.com/p/money/293416
子どもに貧困が連鎖する本当の原因は「親の子育て」にあります。「所得格差が教育格差を生み、貧困が連鎖していく」という説は、厳密には正確ではありません
「親の経済格差⇒子の教育格差⇒連鎖する貧困」はどこまで本当か
相関関係はあっても、因果関係はない
雑誌やネットのコラムなどで、「親の所得格差が子の教育格差を生み、貧困が連鎖する」という記事がたびたび取り上げられます。
確かに相関関係はあると思いますが、私は直接的な因果関係はないと考えています。
昨今ではすでに、高等教育を受ければいい会社に就職もできて安泰という図式は崩れつつありますし、奨学金制度があるので大学に進学できないというケースは稀でしょう(私自身、高校・大学には奨学金で進学し、15年かけて完済しました)。
貧困が連鎖する本当の原因は、親の子育てではないかと私は考えます。
それは、低所得の親の思考パターンと行動パターンが子に伝わるからです。
低所得の親が抱える「本当の問題」とは
そもそも、なぜ親は低所得なのか。それはたとえば、難しい課題に取り組もうとしない、新しい仕事に挑戦しようとしない、困難にもくじけず耐えようとしない、逆境を乗り越えて目標を達成しようとしない、勉強して能力を高めてより成長しようという意欲が低いために起こることではないでしょうか。
つまり、親自身が勉強することの価値を理解していないのです。親自身が「学ぶこと、努力することによってのみ自分を成長させることができるのだ」と認識していなければ、それを子どもに伝えることはできません。
たとえば「勉強しろ」「早く宿題済ませろ」などというのは教育でも何でもなく、単なる強制です。
大人でも会社で上司から「仕事しろ」「さっさと終わらせろ」などと言われたら気分は良くないでしょう。
そして、そういうマインドは当然、日常生活の親の振る舞い、そして子供にかける言葉にも違いを生じさせます。
「自分にはムリ」と思っている親の口から出る言葉は、「お前にはムリ」ではないでしょうか。
貧困は「親の思考と行動」によって連鎖する
じっくり考えるのを面倒くさがる親は、子どもが「それどういうこと?」と聞いてきても「知らない」「どうでもいいよ」で終わってしまうかもしれません。
家族でテレビを見ていて、事故のニュースが流れた時に発するセリフも「怖いねえ」くらい。
そんな親の言葉、態度、何かに取り組むときの姿勢を見ていれば、子どもも当然それを見習います。そうして親と同じような思考パターン、行動パターンが形成されます。
虐待されて育った子どもが親になったとき、また子に虐待するというケースがあるのもそのためで、子にどう接していいかわからない親に育てられれば、本人もやはり自分の子にどう接していいかわからず、結局親と同じことをしてしまいやすいのです。
つまり、親自身が低学歴・低所得となるような思考と行動をしているわけで、それが子どもに伝わっていることが「連鎖する貧困」の原因と言えるのです。
高所得な親の「思考と行動」は何が違う?
反対に、高所得な親の思考と行動はどうでしょうか。
彼らは積極的に学習する姿勢を持ち、難しい問題に果敢に挑戦したり、スキルアップのために日々研鑽してきたからこそ高所得になったと考えられます。
そういう親は、学ぶことの意義を認識していますから、子どもにもそのように伝えます。親自身も積極的に学び、努力する姿勢を持っていますから、子もそんな親の姿を見て育ちます。
親自身が「努力が大切だ」と思っているから、「やってみろよ。失敗したってまた頑張ればいいんだから」と子にも挑戦することの大切さを教えます。「お前にはムリ」ではなく「お前ならできる」というところでしょうか。
子どもが「それどういうこと?」と聞いてきたら、「それはね、これこれこういうことで、こういう理由があるからなんだよ」と答えるか、わからなければ「なんでだろうね、一緒に調べてみようか」と答えるでしょう。
事故のニュースをテレビで見たら「こういう事故に遭わないようにするには、どう行動したらいいかな?」というセリフを発するかもしれません。
そういう親の態度に毎日毎日、何年間も接して育てば、子どもも親と同じような思考パターンや行動パターンを受け継いでいきます。
そのため、「勉強しろ」などと直接言わなくても、日々の会話の中から、親の論理的な考え方や勉強することの大切さは子に伝わるものです。
だからなのか、高学歴の親の子どももまた高学歴になりやすいですし、東大に合格した学生のほとんどは、子どものころから一度も親に「勉強しろ」と言われたことがないそうです。
子どもの人生を左右する「親の思考格差」
さらに、高所得の親は部下や組織をマネジメントしている立場である人が多いと考えられますから、「どうすれば人は動くか?やる気になるか?」という人間のモチベーションに配慮する姿勢を持っているでしょうそういうスキルを発動すれば、子どもがやる気になるように促すこともできると言えます。
逆に低所得者は末端従業員であることが多く、人のモチベーションがどうこうより自分が不平不満を言っている立場でしょうから、人間心理に疎い可能性があります。それはもしかしたら、子どもの学習意欲や進学意欲の適切な形成を損なっているかもしれません。
ただしこれは高所得家庭でも起こり得ることですが、たとえば親があれこれ先回りしすぎたり、支配的に押し付けるような子育てをすれば、子は自分の頭で考える機会を奪われ、それが子の貧困化につがることがあります。
後半はうがった見方かもしれませんが、いずれにせよ貧困の連鎖を生んでいるのは、親の所得格差ではなく、それに伴う教育格差でもなく、「親の思考格差」なのです(なお、結果的には同じなので、冒頭でも直接的な因果関係はないと表現したわけです)。
「鳶が鷹を生む」現象
そしてもちろん、どの世界にも例外はあり、貧困世帯からでも偉大な人物が出てくることもあります。
親を反面教師にして努力し大成した人もいれば、逆に立派過ぎる親に反発してドロップアウトする人もいますが、それらはほんの一握り。珍しいからこそ、そうした人がテレビや書籍で取り上げられるのです。
では、そんな「一握り」に子どもが育つ条件とは何でしょうか?
子どもの論理的思考を鍛えよ
「ではどうすればいいのか?」ですが、私のひとつの提案は、子どもの義務教育を変えることです。
本来は親がすべきことであっても、強制することはできません。そこで親ができないなら、学校教育を変えるしかないというわけです。
具体的には、まず理系科目のウエイトを高くすることが挙げられます。理系科目は論理的思考の基礎となるからです。
私が知る限り、低所得者の多くは数学や物理などの理系科目が苦手です(もちろん全員ということではありません)。
それはつまり、論理的思考が苦手であることを意味します。だから感情や思いつきで判断したり、自分の行動がどういう結果を招くのかという想像もできない。
ただ、現状でも授業数はいっぱいなのに、今後英語やプログラミングの授業も入ってくるとなると、これ以上コマ数を増やすのも難しそうですが……。
子どもが「自分で考える」習慣の大切さ
もうひとつは、学校の中で、自分で考える習慣をつけるような授業の頻度を増やすこと。
現在の学校教育の多くは、教師が知識を伝え、児童生徒は受け取るのみであり、そこに「自分の頭で考える」「自分の意見・主張を持つ」「自分の考えを発表し、他者との違いを認め合う」という場はほとんどありません。また、テストでは問いを与えられ、最初から答えが存在していることばかりですから、自ら問いを発する、つまり課題を発見する機会にも乏しい。
国語にいたっては、たとえば小説の問題でも「こういうふうに捉えなさい」と感じ方まで強制されます。むろん正確に読む書く話す能力は重要なので、それを否定するわけではありません。
そういう基本は押さえつつ、でも「そういう意見や考えもあっていい」という多様性が認められる場を盛り込もうという意味です。
そもそも低所得者は、現状に疑問を持つことが少なく、一方で「こうすべき」「こうしてはいけない」という強固な固定観念に縛られ、自由な発想ができません。
言われたことしかできないとか、標準化された仕事はできるけど創意工夫して変えることが苦手な人は、思い込みが激しく多様性を認めない傾向があります。そのような柔軟性がないため、環境変化にも適応できず、所得は下がっていきます。
そしてそれを「しつけ」と称して子にも教えている可能性があり、だから親のそういう根拠のない常識や思い込みから解放させ、自由に発想させる場が必要です。
それにはたとえば「あなたはどう考えるの?」「僕はこう思う」「私はこう考える」という一人一人の個性を発揮させる授業、たとえば討論やディベート、グループ研究・発表会などが考えられます。
ただ、これも前述と同様、現状の授業枠の中でそこまでの時間が取れるかどうか難しいですが……。
変わるべきは親自身
「自分は貧しかったから、子どもには良い教育を与えてあげたい」という親の気持ちは当然だとしても、やはり変わらなければならないのは親自身ではないか。
親が変われば子に接する態度が変わり、子も親の影響を受けて変わるはず。
そして親の手を借りずとも「大学ではなく専門学校に行く」とか「日本の大学ではなく海外の大学に行く。そのため給付型のスカラシップが取れるよう頑張る」などと、自己責任において進路を決めるようになるかもしれません。
子どもの人生に、本当に大切なこと
「親の経済力によって大学進学率に差がつくのはおかしい」「親が貧しく進学させてあげられないから教育格差が生まれ、子も貧しくなる」と考える人は、奨学金の無償化や、公的な教育投資を増やすよう働きかけています。
しかしそれは「大学に行けばすべて解決する」と言っているようなもので、本質とは言えません。
むろん、義務教育をちょっと変えるくらいで解決できるテーマではないし、集団の中ではどうしても差ができてきます。だから完全に格差をなくすことは不可能。
とはいえ大学以前に、子どもが自分の頭でしっかり考えるような教育をすれば、「雇われるため」の進学だけではなく、たとえば高校生で起業家デビューとか、多様な人生の展開ができるようになる人が増えるのではないでしょうか。
そういえば、お金に関する知識は学校教育では習わないですよね。生きる上ではとっても大切なことなのに。同様に、子育てに関する知識も学校では習わない。論理的な思考方法やコミュニケーション技術も習わない。
ということは、学校では教わらないことの方が、実は人生においては重要なのかもしれません。
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中国農村の子どもの半数、知力発育に遅れ、米経済学者が指摘―米メディア
http://www.recordchina.co.jp/b190840-s0-c30.html
2017年9月18日(月) 8時0分
2017年9月16日、米ボイス・オブ・アメリカは、中国の農村の子どもの半数が知力発育に遅れが生じていると指摘している。
米スタンフォード大の経済学者スコット・ロジール氏は、中国の河南省鄭州市にあるアップル社のOEMメーカーを視察した際、工場が採用したがるのは学歴が高くなく、しかも知的能力の高くない人ばかりだということに気づいた。
ロジール氏は「知的能力の低い高校中退者が好まれていた」とし、「応募してきた人たちに知能指数(IQ)テストを行い、成績が目立って高い人は採用しない」と、工場の採用について明かした。工場の単純なライン作業は10分程度で仕事が覚えられ、知性の高い人はその単純な反復作業がすぐにいやになってしまうからだという。
だが中国では、そうした単純作業に向く労働力があふれている。10年の国勢調査によると、高校卒業者は労働力全体の24%でしかなく、トルコやブラジル、メキシコ、南アフリカ、インドネシアなどよりも低い水準にある。経済協力開発機構(OECD)加盟国全体で見ると、全労働力のうち高卒以上の学歴を持つ人は74%もいる。
中国は、都市部では高校進学率が93%に上る。米国よりも高い水準だが、農村では37%と著しく低い。ロジール氏は「中国の農村に特有の現象だが、問題は根深い」と話す。
中国の3歳児は50%近くが貧困状態の農村で生活し、約25%は都市部の出稼ぎ労働者の住む貧しい地区で暮らしている。ロジール氏によると、農村の教育問題は、学校や教科書の不足だけでなく、栄養不足や健康面も多く、就学前から問題の種子が植えつけられるという。
ロジール氏を中心とする研究グループが14年から行っている調査によると、陝西省や河北省、雲南省の農村に住む生後18〜30カ月児の45〜53%がIQ85よりも低く、正常な水準を下回るという。他の地域でも同様の結果が出ている。
また遺伝子や栄養の問題以外に、成長の過程で大脳に刺激を与えて知能的発達を促すような育児が行われていないことも深く影響しているという。ロジール氏は、今後4〜5億人もの中国人が治る見込みのない知的障害を抱えて生きていくことになることになるかもしれないと話している。(翻訳・編集/岡田)
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甘い希望など持つな。貧困層の子供はもう抜け出せない現実
政治家の子供たちは大抵が政治家になっている。なぜか。政治家は儲かるからである。
金持ちの子供たちも大抵が金持ちである。遊び狂って財産を散財するだけの息子たちもいるが、こういった息子たちは、金があるから散財できる。
また金持ちの家庭の子供たちは高学歴が普通だ。なぜなら、子供の教育に金を出す余裕もあれば、安心して学業に励める快適な環境もあるからだ。親のコネや人脈で有名大学に入るルートもある。
現に、ハーバード大学やオックスフォード大学は世界各国の権力者の子弟を受け入れている。おまけに大学卒業後も、仕事や役職が約束されている。
端的に言うと、エリートや金持ちや権力者の子供たちというのは、最初から社会的な地位が用意されており、貧困家庭にはない多くのメリットを享受できる。
アメリカでは親の所得が高いほど子供の成績が良いのが確認されているが、その理由は言うまでもなく教育に最適な環境を整備できるからである。
子供が将来、社会的に成功しやすいかどうかというのは、本人の努力が問われる以前に、親の収入も影響する。世の中は公平ではない。それは冷徹な事実である。
極貧の家庭は、常に何らかのトラブルに追われる
これは別に社会学者が統計を出さなくても、普通の人ですら日常を観察してしみじみと思う現象でもある。
収入のある家庭では、子供にいろんな習い事をさせることができる。塾にも行かせることができるし、家庭教師を呼ぶこともできる。
また、親が精神的余裕も経済的余裕もあるので、子供に目をかけやすい。家族の団欒を持てたり、一緒に旅行ができたり、一緒に勉強したり遊んだりすることができる。
もちろん、すべての富裕層がそんな理想的な家庭ばかりではなく、それぞれ複雑な事情を抱えているのも事実だ。何の悩みもない家庭はひとつもない。
しかし一般的な比較で言うと、総じて富裕層は子供に最適な環境を与えることができる。それが、子供の能力を伸ばすので、富裕層の子供に社会的能力の高い子供が多いのは別におかしなことでも何でもない。
では、極貧の家庭で育つ子供たちはどうなのか。彼らは富裕層の子供たちが持つメリットは何もないだけでなく、大きなマイナスをも抱えている。
極貧の家庭は、常に何らかのトラブルに追い込まれている状態であると言ってもいい。親はストレスにまみれ、家庭そのものが破綻していることもある。
経済問題はありとあらゆる問題を先鋭化させるのだ。今を生きていくだけで精一杯であり、子供の教育などはすべて後回しにされる。
習い事をさせる余裕もない。塾や家庭教師など、とんでもない話である。義務教育が終われば、あとは一刻も早く社会に出て金を稼いで欲しいと考える家庭も多い。
そのように口に出して言わなくても、子供たちは親の貧窮ぶりを見て育っているので、悠長に教育を受けるよりも、さっさと社会に出て稼ごうと考える。
環境的に、低学歴で社会に出るしかない。
そうすると結局はそれが仇になって、低収入の仕事に甘んじるしかなくなっていく。もちろん、彼らに人脈やコネがあろうはずがなく、折に触れて助けてくれる人もいない。
貧困家庭に生まれたことから、すべてが始まっている
富裕層の子供たちが多くの良き助言者を持っているのに比して、貧困層の子供たちは多くの悪い友人を持っている。だから、マイナスの方向に引っ張られやすい。
そして、低学歴を余儀なくされた子供たちには、条件の良い仕事はあまりない。
低学歴でもできる収入の良い仕事というのは、極度に体力を使う仕事であったり、極度に危険な仕事であったり、反社会的なものであったりすることが多い。
その仕事に就いていること自体がトラブルの元になり、やがては自分の人生がトラブルによって潰される。しかし、そこから逃れられない。
良い仕事に就きたいと思っても、現実には低収入の仕事しかなく、将来の展望は見えてこない。
貧困家庭に生まれたことから、すべてが始まっている。「経済格差が遺伝する」というのは、こういった現象から言われているものだ。
日本は2000年代に入ってから、極度に格差が広がる社会になった。この「労働者使い捨て時代」に成人して社会に出た人々は今は30代から40代に入ろうとしている。
2017年、厚生労働省は20年間の国民生活基礎調査の家計所得を分析した結果を出した。
これによると「世帯主が40歳代の世帯では、単独世帯やひとり親世帯の増加で総所得が300万円未満の低所得世帯の割合が増加した」と報告している。
今「生活はやや苦しい、大変苦しい」が合わせて62.4%にまで増えた。
将来の展望もなく、低収入を余儀なくされているわけだから、結婚が激減して少子化が加速しても当然だ。しかし、それでも非正規労働のまま結婚し、将来の安定のない中で子供を持つ人たちも、もちろんいる。
重要なのは、こういった貧困を余儀なくされている人たちを社会が救済できなければ、彼らの子供たちもまた貧困層から抜け出せなくなる可能性があるということだ。
貧困層の子供はもう抜け出せない現実を知るべき
「6人に1人の子供が貧困状態にある」とはよく言われるようになっているのだが、この子供たちが助からない。貧困の子供たちを貧困のまま固定化させる現象が日本で生まれている。
2017年9月17日、総務省は65歳以上の高齢者人口が総人口の27.7%になったと報告した。そして90歳以上も初の200万人台に入ったことも合わせて報告している。
少子化も急加速で進んでいるのだが、超高齢化も止まらない。だから人口動態が日本の致命傷になっていくのは、もう結論的に分かっている。
経済大国としての日本は外国に抜かれていき、日本人が豊かになるチャンスも減少していく。内需が消え、社会が萎縮し、イノベーションを生み出す力も衰え、ありつけるパイがどんどん小さくなっていく。
その中で、富の大部分を富裕層がごっそりと持っていき、残りを大勢の貧困層が奪い合うという醜悪な社会になっていく。
いよいよ、そういった社会が見えてきている。
政府も無力になる。財政赤字が膨れ上がり、高齢者を養うために社会保障費の増大に苦しむ政府に余裕などない。余裕がないから、私たちからもっと税金を取り立てて奪ってくる。
隣人が何かしてくれるだろうか。それも期待できない。格差社会は、激烈な競争が生み出したものだからだ。助け合うのではなく、競争し合って他人を蹴落とす。
では、競争に勝つのは誰か。
もちろん最初から恵まれた富裕層の子供たちである。社会はフェアではない。フェアではない競争社会では、最初から何も持たない不利な貧困の子供たちは助からないのだ。
現実を見れば、すでにそんな強烈な社会になっている。そして、この問題は完全に放置されている。
だから、金があるかないかできれいに分離する一種の身分社会になって、ピラミッドの底辺が底辺のまま抜け出せない社会が到来する。
今の社会に甘い希望など持ってはいけない。貧困層の子供はもう抜け出せない現実を見る必要がある。この現実に気付いて危機感を持たないと、すべての日本人が不幸になる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170922T1712200900.html
貧困層が資産を持てない7つの理由とそれを克服する処方箋
世の中は恵まれている人ばかりではない。
知的能力が高くて論理的な思考ができていても、家庭が貧しすぎて学歴を得られなかった人もいるし、学業を途中で放棄せざるを得なかった人たちも数多く存在する。
それが将来的に自分の人生に不利な状況になってしまうことを分かっていても、貧困のために学歴を重ねられなかったという人もいるのである。
現代社会は学歴社会なので、学歴がないというのはそれだけで不利な立場に追いやられていく。
高度な仕事、あるいは正社員の地位の多くは高学歴の人たちのものであり、諸般の事情で学歴が得られなかった人は、それだけで就職の入口から排除されてしまう。そのため、学歴の欠如は貧困に直結しやすい傾向にある。
貧困層が貧困から逃れられないのは、学歴だけが問題なのではない。貧困の世界で生まれ、育ち、そこで生きてきた人たちの多くは「貧困思考」というものを持っている。
貧困思考というのは、貧困から抜け出すことができない思考法を指す。長く貧困で生きたことによって、それが貧困から抜け出せない思考に染まってしまうのである。具体的には、どんなものなのか。
浮かばれない人生の底には「貧困思考」がある
「貧困思考」の中で、最も危険なのは何か。それは「自暴自棄」であると言える。
貧困の中で暮らし、貧困に苦しめられ、貧困の中でもがいて抜け出せない地獄を味わい続けると、やがてその人の心は荒んでいき、その心の荒廃はひとつの傾向を示すようになる。それが自暴自棄だ。
希望を失い、失望を重ねたことによって、「もう自分なんかどうなってもいい」とすべてを投げ出してしまう。
自分に怒りを感じ、あきらめ、「もう何をしても無駄だ」と思って向上心をも捨て去り、流されて生き、まわりからの救済があっても「余計なことをするな」と拒絶する。
自暴自棄が自分の心に定着すると、もはや貧困から抜け出すどころではなくなってしまう。長く生きるということすらもできなくなってしまうのである。資産を形成するどころではないのは確かだ。
「貧困思考」は合理的思考の欠如をも含む。たとえば、いくつかの選択肢があった時、自分がどの選択肢を選べば利益を得られるのかを冷静に考えられない。あえて、選んではいけない方を選んだりする。
たとえば、意味もなく高額なものを買ったり、不必要なものに散財したりする人もいる。合理的に考えれば経済的に苦しい時こそ「貯める」という選択肢が必要なのだが、理由を付けて消費する。
それでいて、必要なところに金を回さないで、自業自得のように自分を追い詰める。こうした行き当たりばったりや衝動的な感情に振り回されて合理的な思考や決断をしないというのも貧困思考の特徴だ。
この衝動性は、ギャンブルに強い関心を持つことにも表れる。ギャンブルは勝てば大金を得られるのだが、一方で「勝つ確率が極度に低い」という見過ごせない一面がある。
勝つ確率が低いものに賭け続けていると、負けが込んですべてを失うのは目に見えている。しかし、貧困思考にとらわれていると、その最も重要な一面が見えないのである。
それだけではない……。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171210T1639280900.html
「経済格差は知能の格差」という現実から目を背けるな[橘玲の日々刻々]
http://diamond.jp/articles/-/114447
2016年に国際社会を揺るがした最大の事件は、イギリスのEU離脱を決めた6月の国民投票だと思っていたら、11月のアメリカ大統領選でそれを上回る衝撃が起きました。もうひとつの驚きはAI(人工知能)で、ディープラーニングによってコンピュータがチェスだけでなく、より複雑な将棋や囲碁でプロを圧倒する時代がやってきました。
じつはこのふたつの出来事は、「知識社会化」という同じコインの裏表です。
『ワイアード』創刊編集長のケヴィン・ケリーは、人間がテクロジーを開発しているのではなく、テクノロジーが人間を利用して自ら進化しているのだという「テクニウム(テクノロジー生態系)」を唱えました。テクノロジーはまるで生物のように、さまざまな知を吸収して未知の領域へと自己組織化していくのです。
社会が高度に知識化すれば、それに適応するにはより高い知能・技能が求められます。――パソコンを使いこなせないと事務の仕事すらできない、というように。仕事に必要とされる知能のハードルが上がれば、必然的に多くの労働者が仕事を失うことになるでしょう。これが「格差社会」とか「中流の崩壊」と呼ばれる現象です。
しかし失業したブルーワーカーは、なぜ自分が虐げられるのかがわかりません。その怒りを動員するのがポピュリストの政治家で、今年はフランスやイタリア、ドイツなどでも同じ光景を見ることになるでしょう。なぜなら、知能の格差が経済格差を生み、社会を混乱させるのは、(新興国との競争にさらされる所得の高い)先進国に共通の問題だからです。
AIがその驚くべき能力を示しはじめたとき、多くのひとが、人間がロボットに支配されるSF的なディストピアを予感しました。しかしその後、すこし冷静になると、AIは人間に取って代わるものではなく、人間の知能を拡張するツールだといわれるようになりました。脳(身体)とコンピュータは仕組みが本質的に異なっているので、AIがどれほど学習しても、人間のような認知能力や共感能力を持つことはできないからです。
しかしこの事実も、あまり明るい未来は見せてはくれません。
AIが知的能力を大きく引き上げるとしても、それはすべてのひとに平等に恩恵を与えるわけではありません。そこからもっとも大きな利益を得るのが、高度で複雑なテクノロジーを効果的に使いこなす、知的能力の高いひとであることは間違いないからです。同様のことはビッグデータ(統計解析)などの分析手法や、ビットコイン(ブロックチェーン)、3Dプリンタ、VR(ヴァーチャル・リアリティ)のような新しい技術にもいえるでしょう。
このようにしてテクノロジーの「進化」がますます知能の格差を広げ、それによって富は局在化し、経済格差が深刻になり、社会は分断されていきます。これは知識社会化がもたらす必然ですから、人類がこの運命を避けることは(おそらく)できないでしょう。
だとすれば、私たちはどうすればいいのでしょうか。
そのこたえを私は持ち合わせませんが、ひとつだけ確かなことがあります。それは、「経済格差は知能の格差」という現実から目を背けるなら、私たちはグロテスクな「陰謀論」の世界に落ちていく以外の未来はない、ということです。
参考:ケヴィン・ケリー『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4622077531/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4622077531&linkCode=as2&tag=mailmagazin0asyuracom-22
お金持ちが経験、お金がお金を呼ぶ「ゾーン」とは?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170326-00000011-zuuonline-bus_all
ZUU online 3/26(日) 18:30配信
お金持ちは、お金を引き寄せる。
お金の性質を理解して、
お金がお金を呼ぶ「ゾーン」を体験せよ。
私は、よく「菅下さんはお金持ちでいいですね」と言われます。
自分の貯金額を明かしたことはないのですが、なぜかそう言われます。どうも、私は「お金持ち顔」なのだそうです。
(本記事は、菅下清廣氏の著書『今こそ「お金の教養」を身につけなさい 稼ぎ、貯め、殖やす人の”37のルール”』(PHPビジネス新書)の中から一部を抜粋・編集しています)
でも中学生で父が事業に失敗したあのころ、私はしばらくお金に嫌われてしまいました。大学生の頃もアルバイトをしていましたが、貯金をするほどの余裕はなかった。必死にアルバイトをしていた私と、いまの「お金持ち顔」の私。何が違うのでしょう。
私は「貧乏」も「お金持ち」もどちらも経験しましたが、明らかに違うことがあります。それは「お金が向こうから寄ってくるかどうか」です。
お金を持つと、お金がお金を吸い寄せ、さらにお金が集まります。なぜか。お金持ちの人には、お金儲けの話が集まるからです。
「あの人はお金持ちだから、おそらくいい頭脳と人脈をもっているに違いない。相談にいってみよう」
と、なるわけです。有益な相談もたくさんありますから、結果としていい人脈やお金が集まってきます。
よく考えたら、当然のことです。貧乏な人にお金儲けの案件を持ち込んでも、無駄ですから、貧乏な人には、人も金も集まってきません。
■お金がお金を呼ぶ「ゾーン」とは?
お金持ちは、一定額以上貯まったら、あえて貯金をしようとはしていません。お金が向こうから寄ってきて、よほど浪費しなければ結果として貯金できてしまうからです。
私も年収10年分貯まった頃から、「お金を貯めよう」という意識は無くなりました。10年分の貯金があれば、人間は気前が良くなります。すると、さらにいい人が集まってきます。ですから、もともとお金持ちの家に生まれた人は、お金が集まりやすいはずなんです。それでもお金が貯まらないということは、頭が悪いか、素行が悪い。どちらかです。
話を戻します。お金がお金を呼びはじめると、お金は勝手に増えてくれます。たとえば、1千万円をローリスクで利息10%の商品に投資すると、年間100万円になります。月8万円程度のお小遣いがもらえれば、これまで食事などに使っていたお金を、別のことに投資できるようになります。
でもこれでは、「お金がお金を呼ぶ」と言うほどではないです。まだ、少し甘い。本当に「お金がお金を呼ぶ」スパイラルをつくるには、5千万円、1億円クラスのお金が必要です。
1億円あれば、たとえ5%の運用であっても、年間500万円のキャッシュフローが生まれる。30代くらいの方の年収が、そっくりそのままもらえちゃうわけです。
こうなると、お金がお金を呼ぶ「ゾーン」に入ります。あなたに関係のない話をしているのではありません。1億円だって、今は夢のように思えても、貯まります。その「はじめの一歩」が、この本でおすすめしている「恒産」なのです。
お金というのは不思議なもので、10万円しかない人には減る一方、100万円くらいなら横ばい、1000万円になるともう減りません。1億円貯まったら、もう楽勝ゾーン。
■金融リテラシーや投資頭脳は、お金の量に比例
貯蓄が一定のレベルを超えると、貯金の利子もつきますし、お金につながる情報も自然に寄ってきます。おそらくあなたの頭には、最低限の金融リテラシーも備わっているでしょう。さらに一定額になると、「もう少し増やしたい」と思いはじめるから、自然と投資や金融の勉強をはじめます。
お金もリテラシーもないときは、勉強も苦痛です。でもお金が増えると、さらに知識量が増え、お金も増える。すると勉強が楽しくなるから、やっぱりお金も増えます。
金融リテラシーや投資頭脳は、お金の量に比例します。資産家ほど、実はとても勉強家なのです。やっぱり、樽に小銭を貯めていてもダメなんです。
■ピンチをチャンスに変えた経験
お金持ちは、素直。
浅はかな失敗をしても、すぐに方向転換できるかどうか。
エニグモの田中さんは、ピンチをチャンスに変えました。ピンチを機に、自身の人生を上昇気流に乗せました。でもピンチの渦中にいる時には、どうすれば上昇できるのか、一体なんで下降しているのか、わからないことが多いものです。私もそうでした。
私は大和証券時代、常にトップセールスを誇っていました。しかし、当時の日本企業は成果主義を導入していませんでしたから、どんなに頑張っても月給以上はもらえません。私は、転職を考えました。
私の先輩で、相場能力の優れた方がいました。営業成績が極めて高く、良質なお客さんをたくさん持っていた先輩は、大和証券を辞め、小さな証券会社の外務員になりました。
外務員になると、取引手数料の一部が収入になるので、成績が上がるほど手取りも増えます。証券会社に机と電話を貸してもらい、「身ひとつ」で営業します。頑張りによっては、年収1億円も夢ではありません。
その先輩から、「菅下君、一緒にやろう」と誘われたのです。まだ新人でしたが、「君の相場観は抜群だし、営業もできる。2人でチームを組めば、自分がいないときにお客さんを見てもらうこともできるから都合がいい」と言われ、うかつにも「やってやろう」と思ってしまいました。22歳か、23歳のころです。
大和証券という一流の証券会社に入社したわけですから、その後の人生も、一流で終えられる可能性があります。でも小さな証券会社に行ったら、先はないかもしれない。でも若いから思慮が浅く、新しい会社に「来週からお世話になります」と挨拶に行ってしまったのです。先輩の隣に、席が用意されていました。
こんな私を救ってくれたのが、当時私が勤めていた大和証券の大阪営業部長です。「思い立ったたが吉日」と私は大和証券にさっさと辞表を提出し、過去にお世話になったこの部長に挨拶に行きました。大阪の営業を仕切っている方で、めちゃくちゃ偉い人です。
その部長に、「『大番』のギューちゃんを目指して、相場で勝負します」と言ったら、すごい剣幕で怒られました。彼のデスクは、100坪くらいのフロアの一番前にありました。500人の部下のデスクが整然と並び、営業マンたちは忙しく電話をしています。その前で、飛び上がるほど怒られました。500人、ほぼ全員が私を見ました。
「目先の金儲けに目をくらませて、人生を誤るとは何事だ。辞表を提出してしまったのなら、しょうがない。俺が口をきくから、世界最大の証券会社に行け」
その言葉が、ピンチをチャンスに変えました。当時、世界最大の証券会社だったメリルリンチが、日本に進出したばかりだったのです。先輩も「同じ相場師になるなら、ちっぽけな大阪の相場師より、世界の相場師になれ」と言ってくれました。
私がメリルリンチに入社できたのも、先輩が大和証券の国際部門経由で、推薦してくれたからです。メリルリンチの採用担当者は「大和証券の推薦なら採ります」と言ってくれました。
些細なことで、ピンチはチャンスに変わります。特に若いと、人生経験が少ないから、判断も浅い。判断を簡単に誤り、人生を下降させます。私を叱ってくれた部長は、私にとって人生の神様です。彼はのちに大和証券の副社長になり、私がメリルリンチに行ったあともずっと応援してくれました。
いい先輩や上司に恵まれた方は、是非大切にしてください。そして先輩の言葉には、素直に耳を傾けましょう。もしも、悪い遊びに誘う先輩に恵まれてしまったら、それは悪い運です。さっさと断ち切って、遊びや飲みの時間を勉強に充てましょう。それが、幸運を呼び込む秘訣です。
菅下 清廣
スガシタパートナーズ株式会社代表取締役。国際金融コンサルタント、投資家。立命館アジア太平洋大学学長特別顧問。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/222.html#c13
↑↑
来年からは 10% ですよ !!
※ 政府が お金使い方 あらめるだけで 日本(庶民)の 生活が潤い
結果 消費 が 増える と 思うんだけどね。
『白井聡著 「国体論」 菊と星条旗 』を 読み始めたところだけど
俺も そうだけど 洗脳から とかれて もっと 自由に なって
も良いと 思う 今日 この頃。
by まだ 右翼なままなの チカ爺
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/221.html#c3
もしも「しんどいから、疲れたから」というのなら冗談か戯言である。
自衛隊は隊員がそのような状態にならない勤務体制を組んでいるのだ。
もし警戒レベルを下げたのなら米朝会談の合意を反映した当然の行為である。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/194.html#c10
汚れ物、、一ヶ所に集めるよ。 うさぎ♂
山体崩壊ではセント・ヘレンズ山が有名です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E5%B1%B1
>セント・ヘレンズ山から北に約11kmまでは跡形もなく吹き飛ばされ、約22kmまでの木々はなぎ倒され、さらに遠方では山火事が発生するなどして合計約600km2(東京23区に相当する広さ)が大きな被害を被った。50kmほど離れたアダムス山でも気温が一時的に数度上昇した。
ということなので、富士山が大規模な山体崩壊をして火砕流が発生しても、20キロから30キロ程度までの範囲がひどい被害を被るだけで神奈川県の東半分とか東京都23区はたいした被害は出ないはずです。
日本の経済界ってバカだろ。って、利潤第一主義になると人命も軽く見るようになるんだな。感覚がおかしい。
しかし、それよりもっと問題が大きいのは、経済界のいいなりになる安倍だ。味方には優遇し「こんな人達」には敵意をむき出しにする。野党は敵なので話し合いもしないで強行採決に走る。野党の存在をコケにする。
こういう事してると後で必ずツケが来るだろう。賢くない総理だな。
非常識法案を次々に可決させる安倍悪政。
票集めてろくな事をしない政権。株価上昇もインチキ策。
子供に危険な道具の使い方を教えないで、玩具の様に使わせてるのが今の日本だ。
早く大人が危険な道具を子供から取り上げないと。
ぼっちゃんはぼっちゃんなりの元のサヤに戻すべきだろう。明らかな過大評価。安倍は身の丈に合った立ち位置に戻せ。
そのとおり、日本は世界一の高税国家だ。
なにしろ、リターンがほとんどない。
消費税が8%でも国税収入に占める割合は、ユーロ諸国より多い。
税金は、利権企業と公務員でほとんどが消費されていて、社会福祉を赤字国債でまかなってる状態だ。
ネットでも税金が話題になると、暇をもてあました公務員退職者が沸いて出てくる。よほど触れてもらいたくない話題なんだろう。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/610.html#c28
上がり続ける米CPIが利上げ停止を難しくする2018年7月1日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7673#more-7673
2018年ではマネタリーベースの縮小と利上げというアメリカの金融引き締めが続いている。金融市場はアメリカの中央銀行に資金を吸収されながら推移しており、去年から報じているようにその金融引き締めが世界市場を不安定にしている。
しかしながら、アメリカの中央銀行に相当するFed(連邦準備制度)は6月のFOMC会合で既に政策金利を2%まで利上げしており、金利が上がりすぎると株式市場に大きな影響が出ることから、今後は利上げがどこで止まるのかということが焦点となってくる。
利上げの限界点
今後の利上げがどうなるかということは、複数の要素に左右されることになる。先ずはその要素を列挙してみよう。
•アメリカの物価上昇率
•アメリカの経済成長率
•ドル相場の動向
•米国株の動向
この内、利上げを行うことによって生じるドル高については、アメリカの輸出企業に悪影響を与えるほどの水準に達していないので、当面は除外していいだろう。また、米国株の下落が利上げを止めるシナリオも、現在の株価水準からかなり下がらなければ考えづらいと言える。
経済成長率については、アメリカのGDP統計には金利高の悪影響が見られるものの、成長率の数字自体はかなり高い状態が続いている。
•アメリカGDPは2018年1-3月も絶好調、長期金利は年内上昇継続へ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7615
つまり、経済成長率を理由に利上げを止める状況にはないわけだが、経済成長率が高いからといって利上げをしなければならないわけではない。しかし、物価上昇率が高すぎる場合、中央銀行は利上げで熱を覚まさなければならなくなる。
上がり続けるアメリカの物価
したがって、今回取り上げたいのは物価上昇率である。食品とエネルギーを除くコアCPIの上昇率のチャートは次のようになっている。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/07/2018-may-us-core-cpi-chart.png
かなり高く、5月のデータで2.2%まで上がっている。因みに全項目を含むCPIは原油上昇のため2.7%まで上がっており、コアCPIよりも更に高い状況となっている。
物価上昇の原因としては、高成長率による国内の高い需要、原油価格上昇、金利高にもかかわらず上がらないドル、ということになる。ドルが上がらない理由については以下の記事で説明しており、その傾向は利上げが続く限り続くだろうということも書いている。
•2018年、円高ドル安の理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7640
また、原油価格上昇についてはトランプ大統領がサウジアラビアの価格操作だとして批判しているが、その思惑には原油高で金利が上がり、株式市場に影響を与えることで、秋の中間選挙に影響することを気にしているのではないかと思う。サウジアラビアもトランプ大統領の批判に対応する構えを見せており、秋のアメリカの選挙までは価格を抑え、その後の国営産油企業サウジアラムコのIPOに向けては再び価格を上げて行こうという合意が裏で出来ているのではないかと推測している。
さて、金利に話を戻すが、政策金利が2.0%、インフレ率が2.2%ということは、名目の金利からインフレ率を差し引いた実質金利はまだマイナス金利のままだということである。
Fedは「金利正常化」を目標としており、正常な金利とは何かという問題はあるが、Fedの自己申告では2018年内に政策金利を2.5%まで(今後2回)、2019年には3.25%まで(今後5回)の利上げをすると言っている。
政策金利は何処まで上がるのか?
政策金利を3.25%まで上げることはあまり現実的ではなく、今後修正が入ることになるだろうが、2.2%となっているインフレ率を考えると、やはり政策金利は少なくとも2.5%まで(つまりあと2回の利上げ)上がることになると想定するべきだろう。現状の経済指標でも2.75%まで上げることは難しいのではないか。
ただ、CPIの上昇が止まらなければその可能性もあるかもしれない。しかし物価上昇の原因となっている高成長と原油高の両方がピークに近いことを考えれば、物価はこれ以上上がり続けるとも考えられず、個人的には2.5%で利上げ停止がメインシナリオだと見ている。
金利先物市場では、今年の利上げがあと1回である確率と2回である確率が半々だと予想されている。投資家にとってはどちらでもそれほど変わらないだろう。要するに、あと2回の利上げを想定しておけば良いのである。
どちらにしても、利上げは今年の間継続され、利上げ停止の可能性を市場が意識し始めるのは来年に差し掛かってからということになるだろう。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7673#more-7673
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c43
2018年07月01日
離婚すると住宅ローンはどうなるか 維持するのは困難
離婚して家を維持するのは困難で、売却してもローンは残る
トヨタホームhttp://www.toyotahome.co.jp/smp/bunjyo/img/btn01.jpg
離婚して住宅を維持できるか
日本の離婚件数は年間に結婚約63万組に対して離婚22万組、人口1000人あたりでは1.81人が離婚しています。
実際に結婚した人の何パーセントが離婚しているのかは分からないが、今後は結婚した2割か3割が離婚する時代になるかも知れません。
結婚件数と離婚件数の比率は1970年代に10対1だったのが、最近は3対1に縮まり、結婚減少によって悪化しています。
すると結婚して住宅を購入したが、いらなくなる夫婦が5組に1組くらいは存在している可能性があります。
住宅を建てたり購入するときは、多くの人にとって人生の絶頂期であり、将来の可能性は最大限膨らんでいます。
収入や出世も簡単に思えるし、病気や事故にはあわないし、これから数十年自分達は幸せなはずだと思っています。
ところがまず収入や出世は思ったほど順調ではなく、住宅ローンの返済が肩に食い込むように重く感じられます。
夫は毎日残業で妻はパートをしながら子育てと家事もし、休日に遊ぶ金もなく、夫婦は顔を合わせれば口論している。
収入に対してローン返済が重く感じられると、このようになってしまう家庭が多いのです。
加えて過労やストレスで病気や精神的な疲労がたまり、職場でも家庭でもトラブルが多発し、ついに離婚となります。
離婚は結婚の10倍のエネルギーを使うと誰かが言いましたが、離婚しても住宅ローンは消えません。
いったい返済の途中で夫婦が離婚した場合、住宅や住宅ローンはどうなるのでしょうか。
離婚にハッピーエンドは無い
有名人や資産家であったら、夫はかっこ良く妻に慰謝料を支払うのでしょうが、大半はそういう訳にいきません。
住宅ローンが残っているという事は家計の資産は債務超過、企業で言えば破綻していて、夫婦で協力することで家庭を維持してきました。
ところが家庭は解散するので、残るのは「資産マイナス負債」の借金だけ、慰謝料や財産分与どころか妻も返済義務があります。
住宅ローンの申し込みでは夫婦の名前が書いてあり、それぞれの実家が保証人になっていたりします。
すると離婚したからといって住宅ローンはなくならず、かえって負担が重くなるだけです。
もし片方が自己破産などをしたり返済できなければ、もう一方が全額返済することになります。
2人が自己破産しても保証人に請求が行き、親戚一同を巻き込んで破産の連鎖が起きます。
夫婦が共有名義、連帯債務者でそれぞれの実家が連帯保証人になり、借りられる限度一杯まで借りている場合が多い。
夫は慰謝料代わりに、住宅を妻に渡す場合がありますが、ローン契約ではこの場合「住み続ける人」に返済責任があります。
夫がローンを払い続け、妻が住み続けるにしても、夫は新たな住居の家賃なども払うので、現実には困難でしょう。
離婚しても住宅を維持するのは難しいので売りに出すとしても、どの時点で売却してもローン残高が残ります。
35年ローンの場合は「借金−売却価格」がプラスになるのは最後の3年だそうです。
20年以上ローンを支払ったのに、売却したらまだ1000万円以上支払いが残るのは、良くある話です。
夫婦の実家がそれぞれ援助してくれて、残った債務を帳消しに出来ればいいですが、多くは離婚することで家がなくなる上に借金が増えます。
住宅ローンに関しては、離婚にハッピーエンドは無いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/76715185.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c187
貴君はここで【その量】が希釈すれ無くなるかのようなコメントだ。
>15.:貴殿が危険だと思うなら地球から出て行けば良いです
非常に賢そうな貴君のことだから、地球から出ていく方法を知っているようだ(笑い)
>15.:実験データは公開されてるし、普通のフィルターの様に濾すなんて書いてない
無知な素人の私に対して、非常に賢そうな貴君だから、普通のフィルター様に濾すのではない、特別な分離方法というものを簡単に説明してくれないか。
ボケた老人だが科学的好奇心だけは旺盛なんだよ。
>15.:危険だと騒いでる連中は矛盾してます
具体的な矛盾を教えてくれないか。尤も、私は魑魅魍魎氏のような騒ぎ方はしていないつもりだが。
>15.:(京大原子炉実験所)でも希釈して海に大量に流してますけど?
これは知らなかった。
熊取6人衆がリタイアして、すっかりご無沙汰しているが、大量に流している実例を教えてくれないか?
抗議に行くから
海に流すのに希釈すれば良いということの意味を教えてくれ
今プラスチックが海に大量流出して問題になっている
太平洋ではハワイ近海に集積海域があって、付近の生物資源総量よりもプラスチック量の方が大きいということのようだ。
放射性物質をいくら希釈しようとその物質量は変わらない。
人工的に希釈することなんてたかが知れたものだ。
大洋の希釈の方が遥かに、桁違いに希釈してくれる。
汚染水を希釈することの意味を教えてくれ
貴君は無知ではなさそうだから。
さらに、非常に賢そうな貴君に教えてもらいたいのだが
自然界に放射能(素人の掲示板だから放射能と表記することを許してくれ)があるから人工的なものをプラスしても良いのだという理屈を教えてくれ。
私の知る限り、人類が放射能と折り合いをつけているのはK40のみで、不思議なことに体内のK40由来の放射能は4000Bqで菜食主義者も肉食主義者もおなじ、増えもせず減りもせずということなんだが、K40以外に取り込んでも安全な放射性物質があれば教えてくれ。
陰謀論は真実か否かではなく、陰謀論と言うスタイルをとっている時点で問題なのである
陰謀論は腎虚の薄さをごまかす為に、大げさな表現、過剰な装飾
大量のコピペを用いる それは明らかに異様であるが
当人はそのことに気づいていない
これらを理解できないレベルの人間の主張など、その時点で聞く値しない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/220.html#c9
1972年6月の日米政策企画協議に関する双方の議事録で、極東条項を廃止する日米安保条約改定をめぐる議論が記された部分
米国が日本国内に基地を置く根拠の柱である日米安全保障条約の「極東条項」について、1972年5月の沖縄返還直後に日本側が廃止の議論を米側に提起していたことがわかった。東西冷戦緩和を機に米国の戦略と一定の距離を置こうという動きだったが、米国側から強く拒まれた。
【写真】1972年6月の日米政策企画協議の日本側議事録。極東条項を廃止する日米安保条約改定を日本側がただし、米側が否定的に反応したやり取りが記される
廃止論を提起したのは日米の大使や外交当局高官らが出席する日米政策企画協議。両政府が秘密指定解除した72年6月と12月の議事録から判明した。中国の核開発などを踏まえて米側の提案で64年に始まった非公式対話で、日米間で国際情勢認識をすりあわせる場として今も枠組みは残る。
米国は当時、沖縄も出撃拠点となったベトナム戦争で疲弊し、中国に近づく一方でソ連と軍備管理を推進。その機を捉え、日本側が米軍基地の役割を縮小しようとした異例の提起だ。
日本側は6月の協議で「ニクソン政権が対話へ転換し、軍事同盟の意義に国内で大きな疑問が生じた」と主張。日中国交正常化に向け極東条項が問題だとし、「廃止を提案したら米国の反応は」とただした。
米側は「米国をアジアから押し出す動き」と反発。返還した沖縄に集中する基地への制約を懸念し、「日本の安全は韓国や台湾と密接なのに、極東条項廃止とは島国的」と批判した。
日中国交正常化後の12月の協議でも、日本側はなおも「安保条約の重要性は減少しつつある」とし、米軍基地を減らして管轄権を日本に移すことを提案。だが、米側は「もし在日米軍を全部引き揚げると申し入れたら、日本はどういう態度を取るか」と牽制(けんせい)した。
極東条項の廃止論は当時の外務省で大平正芳外相も交えて議論したという証言もある。だが、その後は機運がしぼみ、日本は今なお、米軍が「極東」で中朝を牽制するだけでなく中東まで展開できる拠点を提供し続けている。(藤田直央)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c119
失礼ながら、日刊ゲンダイさんも、意見を言うのは言論の自由????ですけど、
希望的観測や希望を持たせるのは‟罪”かも知れませんよ?
アへ政権+アへ指令室
+就職率が低い、ホームレスが増え続けるアメリカ=W.D.C.が
アへを絶対!に手放す訳がないからだ。
+日本野党も党存続の為、ほんのいち野党を除いて、政権を奪取する根性などない+市民を誘導して、政権交代のパフォーマンスをしているだけ!
気の毒なのはイノセントな一般市民じゃないのか?
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/181.html#c20
「過労も士気でどうとでもなる」
と言われりゃ萎えるだろうが
軍人は高度なプロフェッショナルらしいから
死ぬまで働けって話だ
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/194.html#c11
日本政府の借金は既にもうゼロになってるよ
先進国で日本の財政が一番健全だ
それがわかってるから安部は外国に金をばら撒いているんだ
もう日銀が買える国債が無くなってきたから、日本政府がどんどん新規発行して公共事業をやるしかないんだ
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/222.html#c1
というのを正論気取りでぬかすネトウヨの頭の悪さ
アベが腹切ればすぐに国会は正常化するっての
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/220.html#c10
大人は? 生協基準、10Bq/kg以下を信用するしかない。
幼児は? ホワイトフード、0.5Bq/kg以下を信用するしかない。
なお、福島生協、北九州生協、注意。 <食べて応援だー♪ぺっ ばか うさぎ♂
「何もしなくても高給取りの社員を100年養える」
と言われていた任天堂が
ちょっとゲーム機でコケたら
10年で資産半減しちゃったぐらいだ
実はトヨタ、シェア持っててカネ持ってて
これでも一寸先は闇だと認識している
ドケチ経営に磨きをかけている
それじゃあカネなんか手放さないよな
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/221.html#c4
2017年度の年収(株式配当)が、孫正義で94億、柳井正で80億だ。現在、夫婦子供二人の標準世帯の平均年収が600万弱。この条件で一夫多妻制を導入する。すると孫正義は94億÷600万だから妻1566人・子供3133人となり、柳井正は妻1333人・子供2666人となる。もし富裕層が所得に見合った家族を養えば、少子化もシングルマザーの貧困も消費の低迷を一気に解決する。
家族旅行も大変だ。45人定員の観光バスを100台ほど借りないとイケない。ホテルは貸し切り。自宅は50階建て600戸のタワマン2棟くらいになる。3133人の子供とキャッチボールをして1566人の妻とセックスをする。こんな事が一人の男に可能だろうか?
この格差社会が如何に無謀だと、なぜ分からん。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/221.html#c5
世界一のオックスフォード大学様も英国だけどなw
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/436.html#c10
教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。それには、次の5つによって、成し遂げられている。
(1)暗記を押し付けて「考えさせない」
(2)苦手を押し付けて「考えさせない」
(3)制服を押し付けて「考えさせない」
(4)規則を押し付けて「考えさせない」
(5)団体行動を押し付けて「考えさせない」
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『AI vs 教科書が読めない子どもたち』 著・新井紀子
https://www.amazon.co.jp/AI-vs-%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%81%8C%E8%AA%AD%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%96%B0%E4%BA%95-%E7%B4%80%E5%AD%90/dp/4492762396
書評・テレビ評2018年2月23日
著者は小学校からのコンピュータープログラミング教育や英語教育が、いかに子どもたちの未来を奪う愚行であるかを、明確にしている。
著者は数学者(国立情報学研究所教授)で、「東ロボくん」の愛称で知られる人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」を発案し、その中心を担ってきたことで知られる。この研究プロジェクトの目的は最初から、東大に入学する学力をめざすものではなく、「人工知能(AI)にはどこまでのことができるようになって、どうしてもできないことは何か」を解明することにあったことを強調している。
それは、「AI時代が到来したときにAIに仕事を奪われないためには、人間はどのような能力を持たなければならないかを明らかにする」ことでもあった。本書は、このテーマに正面から迫るものだといえる。
「東ロボくん」のプロジェクトは、AIがセンター模試で上位20%に入り、全受験生の平均値を大きく上回り、全国の主な私立大学に合格できる水準にまで到達している。それは「ホワイトカラーをめざす若者の、中央値どころか平均値をAIが大きく上回った」ことを意味している。近い将来、ホワイトカラーの仕事の多くがAIにとって替えられ、多くの企業が消滅し労働市場が激変することを予測させるものである。
この人工知能プロジェクトでは同時に、AIが東大入試に合格することはできないという限界も明らかになった。その原因は、英語と国語の成績を今以上に上げることができないことにある。それは、AIが意味を理解することはできないという限界によるもので、当初から想定された当然の帰結であった。早い話が、「先日、岡山と広島に行ってきた」と「先日、岡田と広島に行ってきた」の意味の違いが理解できないのである。
計算機は計算しかできない。著者はこのあたりまえの事実をもとに、マスメディアや研究者の一部で喧伝する、AIについてのはなはだしい誤謬――人間の脳と同じように判断できるシンギュラリティー(特異点)が到来し、ロボットが人間の仕事をすべて引き受けてくれる、AIが意思を持ち自己生存のために人類を攻撃するなど――を妄想として退けている。
近年、ロボットと顧客のコミュニケーションや機械翻訳の水準が目覚ましく向上した。だが、これも過去のデータにもとづいた計算の蓄積による、表面的なつじつま合わせの精度の向上でしかない。どこまで行っても、AIが複雑な人間の気分感情を、新しい状況のもとで理解して柔軟に対応するようなことはありえない。
著者は画像認識(物体検出)、ディープラーニング(深層学習)などAIの開発に寄与した行列、確率、統計といった数学の分野・領域の貢献とともに、過去のデータによる枠組みに限定された計算から導き出される答(初めて出会う状況には対応できていない)を過信する危険性についても強調している。
今、間近に迫っているのは、勤労者の半数の仕事を奪うまでに開発されたAIとともに生きていかざるをえない社会である。著者はAIにはできないが人間にはできる仕事を探究している。マニュアルに従って処理するような実務の多くはAIに淘汰されるが、残るのは介護や畔の草抜きのような柔軟な判断力が求められる肉体労働など、コミュニケーション能力や理解力が求められる仕事である。そこでは、高度な読解力と常識によって状況を理解したり、人間らしい柔軟な判断が要求される。問題は、AIにできない仕事があっても、今の子どもたちや若者にそれができる力があるのか、である。
著者はそこから「東ロボ」プロジェクトと並行して、大学生に対する数学基本調査とともに、中高生2万5000人を対象にした大がかりな基礎読解力テスト(リーディング・スキルテスト)による調査と分析をおこなった。本書の後半でその結果と評価について、くわしく論じている。
この調査から、日本の中高生の多くが「英語の単語や世界史の年表、数学の計算などの表層的な知識は豊富かもしれないが、中学校の歴史や理科教科書程度の文章が正確に理解できない」ことが判明したという。AIが苦手な例文を用いた問題ではあるが、若者たちもAIと同じところでつまずいている。
たとえば、「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」という、中学校の地理教科書に出ている文章を見せて、「オセアニアに広がっているのは○○である」の答えを4択で選ばせる問題がある。ここで、正解の「キリスト教」と答えた正答率は中学生では62%、つまり3分の1の生徒がまちがって答える状況にあった。進学率がほぼ100%の高校でも、約4分の1の生徒が間違っていたという。これは文章の主語がなにか、目的語がなにかを把握できているかを調べるものだが、これ以外の「同義文判定」や、文章を理解して図表の正確な把握を求める「イメージ同定」のテストでは正答率がさらに低下していた。
ここで、詳細な調査についてくわしく紹介できないが、今の若者たちの多くが教科書の文章を正しく理解できないまま、つまりAIが苦手とする分野で人間的に対応する基礎的な力をつけぬまま卒業し、高校、大学や社会に出ているのである。それは、さまざまなウソやまやかしが氾濫する現実社会のなかで、揺れ動く状況をみずからの判断で正しく理解し、柔軟に即応し、社会に貢献する人間像とは対極にあるといってよい。
著者は、問題を読まずにドリルの計算ができたり、英単語を覚えても、それ以上の学力の向上は望めないことに危機感を募らせ、なによりもまず学校の教科書を読解できる基礎的な力をつける教育への改革を提言している。また、小学校からのコンピュータープログラミング教育や英語教育が、いかに子どもたちの未来を奪う愚行であるかを、明確にしている。
https://www.chosyu-journal.jp/review/7161
>4
その公共の交通機関とやらを作る金はどこから出るんだ?
また増税か?
そういうウスラバカに政治やらすと世の中こうなるんだよ
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/603.html#c8
「・・・戦略家のガブリエル・コルコはアメリカがベトナム戦争での失敗を契機に、大規模な戦闘という事態を避ける為に低強度紛争としてソフト・パワーを用いた情報戦を軍事戦略の中枢に置くようになる課程を紹介。
この戦略が最も成功した例が日本であり、各種の工作は日本支配のための「軍事戦略であり戦争であった」と述べた。
1. アメリカを無条件に支持し、アメリカに服従する政党と政権を他国に成立させ、そのための資金をアメリカが提供する。
2. この買収資金は、アメリカの税金ではなく、他国でアメリカが麻薬を密売した利益を提供し、アメリカが経済的負担を負わない方策を取る。
3. マスコミ操作を通じアメリカが常に「善」であると他国の市民を洗脳し、アメリカを批判する言論をマスコミに「登場」させない。アメリカ映画、音楽を大量に流し、アメリカが「すばらしい」国だと連日宣伝する。
4. 学校教育においては、丸暗記中心の学校教育で思考能力を奪い、アメリカへの批判能力を奪う。
5. 教師への絶対服従を学校教育で叩き込み、「強い者=アメリカへの絶対服従」を「子供の頃から身に付けさせる」。
6. 逆らう言論人、ジャーナリストは、そのジャーナリストのセックス・スキャンダル等をマスコミに流し失脚させ、必要であれば軍の諜報組織を用い、事故に見せかけ殺害する。
7. 他国の食料、エネルギー自給を破壊し、米国に依存しなければ食料、エネルギーが入手出来ないようにシステム化し「米国に逆らえないシステム」を作る・・・」
関連情報:
一億総白痴化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E7%99%BD%E7%97%B4%E5%8C%96
愚民政策
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E6%B0%91%E6%94%BF%E7%AD%96
反知性主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%9F%A5%E6%80%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9
パンとサーカス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9
ディストピア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2
etc.
阿修羅で工作員が大騒ぎしているモリカケ問題等のスキャンダルはすべて CIA がマスコミやネットに流したものだった:
日本のジャーナリズムとネット掲示板を監視する米軍組織
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。
「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。
*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。
日本の金融をボロボロにして乗っ取ったのは1992年からのクリントンの対日戦略でした。日本を自分たちが自由に操れる国にしたのです。ロバート・ルービンとローレンス・サマーズを実施部隊の司令官にして、何かあるとサマーズが来日して大使公邸で怒鳴りつけるのです。
当時、首相だった橋本龍太郎はさすがに行かなかったのですが、幹事長以下の実力者が全員呼びつけられて、「アメリカに逆らうな」と怒鳴りつけられる。そういう政治が行なわれてきました。今もそうです。そのことを知っている日本の新聞記者たちが、なぜかまったく書かない。ここに問題があるのです。
1998年10月からの“金融ビッグバン”も、橋本龍太郎が無理やり約束させられたものです。当時は、「金融自由化だ」「ビッグバンだ」とあれほど騒がれたのに、今は誰も口にしない。なぜなら、「金融自由化」の掛け声とはまったく逆で、結果的にできあがったのは「金融統制」の体制でした。
日本は騙されたのです。あの時に外資すなわちニューヨークの投機マネーが自由に日本に入ってこれるようにした。そして少額で日本の大銀行を乗っ取れるようにした。
この1998年2月、“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”を起こし、大蔵官僚たちを計画的に叩きのめしたのです。日銀官僚の福井俊彦(現日銀総裁)もあのリストに入っていました。名刺があった連中は皆さらし者にされ、官僚として出世が止まったのです。
CIAはこの名簿をインターネット上に流し、さらに愛国派官僚たちが引きずり降ろされる不祥事に発展しました。いわゆる“大蔵落城”です。マスコミはCIAの尻馬に乗って、日銀と大蔵官僚叩きをやったのです。
この時、すでに自民党の政治家たちは一人ひとり弱みを握られてアメリカの軍門に下っていたのですが、日本の官僚たちはアメリカの言うことを聞かないで抵抗していました。その結果、叩きつぶされたのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi013.html
日本のジャーナリズムやネット掲示板を監視する米軍組織 _ 2
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。
「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。
*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。
このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。
小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。
現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。
相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c2
増税はする、福祉はカットするなんてバカ言ってんじゃないよ
カットするのは政治屋の収入と首だろう
ああ、また定数増やすんでしたっけ
タダ飯食らいの
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/610.html#c29
例えば読売は自民党ではなくて安部政権を支えているし、既得権益層(米国、経団連、
原子力ムラ。。。)にはしっかり利権確保しているし、新たに日本会議を既得権益層
に組み入れたし。。。。
それでいて政治家の脇が甘いので「死人」が多く出る。松岡農相に始まって、安部を
を守るための「詰め腹」がかなり出ている。安倍が指示しているのでなく、脇の甘い
安倍を守ろうとすると過剰な始末が必要になるということだ。血なまぐさい権力なの
だが、天皇のように「お飾り」「お人形」の一面もあるので「安部ちゃん、成蹊だか
ら。。。」と愛称で呼ばれている。
主張
改憲手続き法改定
国民が望まぬのに必要はない
自民、公明など一部の政党が「改憲手続き法」(国民投票法)の改定案を国会に提出し、日本共産党などが反対する中、衆院憲法審査会での趣旨説明を強行しようと画策しています。改憲の手続きを定めた同法は、国民の多くが改憲を望んでいない以上、不要な法律であり、ましてや改定の必要もありません。自民党など改憲を推進する党だけで改定案を提出したことを見ても、改憲への執念は明らかです。しかも改定案には、国民投票の最低投票率・得票率の規定がないなど、現行法の根本的な欠点を放置しており、改憲を進めることだけを狙った法案です。
「改憲支持」は少数派
最近のどの世論調査で見ても、安倍晋三首相や自民党が持ち出した、憲法に自衛隊を書き込むなどの改憲を望む国民は少数派です。今年の憲法記念日(5月3日)前後に新聞やテレビが行った世論調査でも、安倍政権による改憲「反対」が61%(「共同」)、58%(「朝日」)で、憲法「改正」より「ほかの問題を優先すべき」が68%(NHK)などとなっています。
憲法は96条で、憲法の改正は国会議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で国民の承認を受けると定めています。憲法が施行されたのは1947年ですが、改憲に執念を燃やす第1次安倍政権の手で、「改憲手続き法」が野党の反対を押し切って制定されたのは2007年です。施行から半世紀以上も「手続き法」がなくても何の不都合もなかったのは、憲法が定着し、国民が改憲を望まなかったからです。この事情は今も変わりません。「手続き法」はその後、投票年齢が「18歳以上」に引き下げられるなどしましたが、制定から10年以上も国民投票の実施が問題にならなかったことからも、改定は全く課題ではありません。
秘密保護法の制定や安保法制=戦争法の強行など、憲法破壊を続けてきた安倍政権は昨年来、憲法9条に自衛隊を書き込む案を示すなど、明文改憲の策動を強めています。しかし国民の多くは改憲を望まず、とりわけ危険な安倍政権の下での改憲に反対しているため、今国会での改憲発議が事実上不可能になるなど思い通り進みません。そこで改憲勢力が、“環境づくり”のために持ち出してきたのが「改憲手続き法」の改定問題です。
憲法にかかわる法案は主要な与野党の「合意」が建前なのに、自民、公明、維新、希望の改憲支持の4党だけで改定案を提出したことにも、改憲が思惑通りいかず、追い詰められた改憲勢力の焦りは明白です。自民党などは6月28日の憲法審査会で改定案の趣旨説明を強行する構えを示しましたが、野党の反対で見送りました。大義のない企てをやめるべきです。
「安倍改憲」は断念せよ
もともと安倍政権が強行した「改憲手続き法」は、国民投票の際の最低投票率や絶対得票率の規定がなく、放送を使った「有料広告」が無制限のため、資金がある権力側に有利などの危険な中身に強い批判が集まっています。自民党などの改定案は駅に共通の投票所を設置するなど公選法改正に合わせた「部分的」なもので、根本的な欠陥はそのままです。
「小手先の改定」を持ち出して改憲をあおることは許されません。安倍政権は改憲策動をきっぱり断念すべきです。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-02/2018070201_05_1.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/785.html#c5
子どもに貧困が連鎖する本当の原因は「親の子育て」にあります。「所得格差が教育格差を生み、貧困が連鎖していく」という説は、厳密には正確ではありません
「親の経済格差⇒子の教育格差⇒連鎖する貧困」はどこまで本当か
相関関係はあっても、因果関係はない
雑誌やネットのコラムなどで、「親の所得格差が子の教育格差を生み、貧困が連鎖する」という記事がたびたび取り上げられます。
確かに相関関係はあると思いますが、私は直接的な因果関係はないと考えています。
昨今ではすでに、高等教育を受ければいい会社に就職もできて安泰という図式は崩れつつありますし、奨学金制度があるので大学に進学できないというケースは稀でしょう(私自身、高校・大学には奨学金で進学し、15年かけて完済しました)。
貧困が連鎖する本当の原因は、親の子育てではないかと私は考えます。
それは、低所得の親の思考パターンと行動パターンが子に伝わるからです。
低所得の親が抱える「本当の問題」とは
そもそも、なぜ親は低所得なのか。それはたとえば、難しい課題に取り組もうとしない、新しい仕事に挑戦しようとしない、困難にもくじけず耐えようとしない、逆境を乗り越えて目標を達成しようとしない、勉強して能力を高めてより成長しようという意欲が低いために起こることではないでしょうか。
つまり、親自身が勉強することの価値を理解していないのです。親自身が「学ぶこと、努力することによってのみ自分を成長させることができるのだ」と認識していなければ、それを子どもに伝えることはできません。
たとえば「勉強しろ」「早く宿題済ませろ」などというのは教育でも何でもなく、単なる強制です。
大人でも会社で上司から「仕事しろ」「さっさと終わらせろ」などと言われたら気分は良くないでしょう。
そして、そういうマインドは当然、日常生活の親の振る舞い、そして子供にかける言葉にも違いを生じさせます。
「自分にはムリ」と思っている親の口から出る言葉は、「お前にはムリ」ではないでしょうか。
貧困は「親の思考と行動」によって連鎖する
じっくり考えるのを面倒くさがる親は、子どもが「それどういうこと?」と聞いてきても「知らない」「どうでもいいよ」で終わってしまうかもしれません。
家族でテレビを見ていて、事故のニュースが流れた時に発するセリフも「怖いねえ」くらい。
そんな親の言葉、態度、何かに取り組むときの姿勢を見ていれば、子どもも当然それを見習います。そうして親と同じような思考パターン、行動パターンが形成されます。
虐待されて育った子どもが親になったとき、また子に虐待するというケースがあるのもそのためで、子にどう接していいかわからない親に育てられれば、本人もやはり自分の子にどう接していいかわからず、結局親と同じことをしてしまいやすいのです。
つまり、親自身が低学歴・低所得となるような思考と行動をしているわけで、それが子どもに伝わっていることが「連鎖する貧困」の原因と言えるのです。
高所得な親の「思考と行動」は何が違う?
反対に、高所得な親の思考と行動はどうでしょうか。
彼らは積極的に学習する姿勢を持ち、難しい問題に果敢に挑戦したり、スキルアップのために日々研鑽してきたからこそ高所得になったと考えられます。
そういう親は、学ぶことの意義を認識していますから、子どもにもそのように伝えます。親自身も積極的に学び、努力する姿勢を持っていますから、子もそんな親の姿を見て育ちます。
親自身が「努力が大切だ」と思っているから、「やってみろよ。失敗したってまた頑張ればいいんだから」と子にも挑戦することの大切さを教えます。「お前にはムリ」ではなく「お前ならできる」というところでしょうか。
子どもが「それどういうこと?」と聞いてきたら、「それはね、これこれこういうことで、こういう理由があるからなんだよ」と答えるか、わからなければ「なんでだろうね、一緒に調べてみようか」と答えるでしょう。
事故のニュースをテレビで見たら「こういう事故に遭わないようにするには、どう行動したらいいかな?」というセリフを発するかもしれません。
そういう親の態度に毎日毎日、何年間も接して育てば、子どもも親と同じような思考パターンや行動パターンを受け継いでいきます。
そのため、「勉強しろ」などと直接言わなくても、日々の会話の中から、親の論理的な考え方や勉強することの大切さは子に伝わるものです。
だからなのか、高学歴の親の子どももまた高学歴になりやすいですし、東大に合格した学生のほとんどは、子どものころから一度も親に「勉強しろ」と言われたことがないそうです。
子どもの人生を左右する「親の思考格差」
さらに、高所得の親は部下や組織をマネジメントしている立場である人が多いと考えられますから、「どうすれば人は動くか?やる気になるか?」という人間のモチベーションに配慮する姿勢を持っているでしょうそういうスキルを発動すれば、子どもがやる気になるように促すこともできると言えます。
逆に低所得者は末端従業員であることが多く、人のモチベーションがどうこうより自分が不平不満を言っている立場でしょうから、人間心理に疎い可能性があります。それはもしかしたら、子どもの学習意欲や進学意欲の適切な形成を損なっているかもしれません。
ただしこれは高所得家庭でも起こり得ることですが、たとえば親があれこれ先回りしすぎたり、支配的に押し付けるような子育てをすれば、子は自分の頭で考える機会を奪われ、それが子の貧困化につがることがあります。
後半はうがった見方かもしれませんが、いずれにせよ貧困の連鎖を生んでいるのは、親の所得格差ではなく、それに伴う教育格差でもなく、「親の思考格差」なのです(なお、結果的には同じなので、冒頭でも直接的な因果関係はないと表現したわけです)。
「鳶が鷹を生む」現象
そしてもちろん、どの世界にも例外はあり、貧困世帯からでも偉大な人物が出てくることもあります。
親を反面教師にして努力し大成した人もいれば、逆に立派過ぎる親に反発してドロップアウトする人もいますが、それらはほんの一握り。珍しいからこそ、そうした人がテレビや書籍で取り上げられるのです。
では、そんな「一握り」に子どもが育つ条件とは何でしょうか?
子どもの論理的思考を鍛えよ
「ではどうすればいいのか?」ですが、私のひとつの提案は、子どもの義務教育を変えることです。
本来は親がすべきことであっても、強制することはできません。そこで親ができないなら、学校教育を変えるしかないというわけです。
具体的には、まず理系科目のウエイトを高くすることが挙げられます。理系科目は論理的思考の基礎となるからです。
私が知る限り、低所得者の多くは数学や物理などの理系科目が苦手です(もちろん全員ということではありません)。
それはつまり、論理的思考が苦手であることを意味します。だから感情や思いつきで判断したり、自分の行動がどういう結果を招くのかという想像もできない。
ただ、現状でも授業数はいっぱいなのに、今後英語やプログラミングの授業も入ってくるとなると、これ以上コマ数を増やすのも難しそうですが……。
子どもが「自分で考える」習慣の大切さ
もうひとつは、学校の中で、自分で考える習慣をつけるような授業の頻度を増やすこと。
現在の学校教育の多くは、教師が知識を伝え、児童生徒は受け取るのみであり、そこに「自分の頭で考える」「自分の意見・主張を持つ」「自分の考えを発表し、他者との違いを認め合う」という場はほとんどありません。また、テストでは問いを与えられ、最初から答えが存在していることばかりですから、自ら問いを発する、つまり課題を発見する機会にも乏しい。
国語にいたっては、たとえば小説の問題でも「こういうふうに捉えなさい」と感じ方まで強制されます。むろん正確に読む書く話す能力は重要なので、それを否定するわけではありません。
そういう基本は押さえつつ、でも「そういう意見や考えもあっていい」という多様性が認められる場を盛り込もうという意味です。
そもそも低所得者は、現状に疑問を持つことが少なく、一方で「こうすべき」「こうしてはいけない」という強固な固定観念に縛られ、自由な発想ができません。
言われたことしかできないとか、標準化された仕事はできるけど創意工夫して変えることが苦手な人は、思い込みが激しく多様性を認めない傾向があります。そのような柔軟性がないため、環境変化にも適応できず、所得は下がっていきます。
そしてそれを「しつけ」と称して子にも教えている可能性があり、だから親のそういう根拠のない常識や思い込みから解放させ、自由に発想させる場が必要です。
それにはたとえば「あなたはどう考えるの?」「僕はこう思う」「私はこう考える」という一人一人の個性を発揮させる授業、たとえば討論やディベート、グループ研究・発表会などが考えられます。
ただ、これも前述と同様、現状の授業枠の中でそこまでの時間が取れるかどうか難しいですが……。
変わるべきは親自身
「自分は貧しかったから、子どもには良い教育を与えてあげたい」という親の気持ちは当然だとしても、やはり変わらなければならないのは親自身ではないか。
親が変われば子に接する態度が変わり、子も親の影響を受けて変わるはず。
そして親の手を借りずとも「大学ではなく専門学校に行く」とか「日本の大学ではなく海外の大学に行く。そのため給付型のスカラシップが取れるよう頑張る」などと、自己責任において進路を決めるようになるかもしれません。
子どもの人生に、本当に大切なこと
「親の経済力によって大学進学率に差がつくのはおかしい」「親が貧しく進学させてあげられないから教育格差が生まれ、子も貧しくなる」と考える人は、奨学金の無償化や、公的な教育投資を増やすよう働きかけています。
しかしそれは「大学に行けばすべて解決する」と言っているようなもので、本質とは言えません。
むろん、義務教育をちょっと変えるくらいで解決できるテーマではないし、集団の中ではどうしても差ができてきます。だから完全に格差をなくすことは不可能。
とはいえ大学以前に、子どもが自分の頭でしっかり考えるような教育をすれば、「雇われるため」の進学だけではなく、たとえば高校生で起業家デビューとか、多様な人生の展開ができるようになる人が増えるのではないでしょうか。
そういえば、お金に関する知識は学校教育では習わないですよね。生きる上ではとっても大切なことなのに。同様に、子育てに関する知識も学校では習わない。論理的な思考方法やコミュニケーション技術も習わない。
ということは、学校では教わらないことの方が、実は人生においては重要なのかもしれません。
米国には1960年代から貧困層に食料交換クーポン券を配布する「フードスタンプ」という食料費補助政策があるほか、学校給食にも「無料―割引給食プログラム」がある。これらは同国が食料・農業を重視している姿勢を示すものとの受け止め方もある。
しかし、
『ルポ貧困大国アメリカ』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004314305/asyuracom-22/
で堤さんが描いたのは、市場原理の導入で食ビジネスに参入し利益を上げようとジャンクフードを大量に提供する巨大企業と、それによる肥満児童の急増、医療費の増大、そして格差拡大の悪循環という姿だった。
堤さんは「いのち、暮らし、教育といった人間の根幹が『市場化』されたとき、一体どうなるのか、私たちは考えるべきです」と話す。市場原理主義の行き着く先、を聞いた。
「オバマを動かせ!」
◆ジャンクフードでも死にはしない!?
ジャーナリスト・堤 未果さんに ――最初にフードスタンプ制度の実態からお聞かせいただけますか。
アメリカは今、史上最大に格差が広がってしまったこともありフードスタンプはまさに生命線です。新規申請者が一日2万人のペースで増えています。フードスタンプ自体はやはり考え方がキリスト教ベースいうこともあり、困っている人への福祉政策としてとても支持されています。
しかし、この制度は人間にとって食とはどういう意味があるかを考えてのものではなく、ぎりぎりのところで飢え死にはさせないようにという政策です。予算もかなり絞られている。
するとたとえば4人家族で1か月平均100ドル(約1万円)のフードスタンプをもらい、さあ1か月の食事をまかなおうと思ったとき、どうなるか。多くの家庭ではできるだけ安く、調味料も調理器具もいらない、栄養の知識がなくても作れて少量でお腹がいっぱいになるもの、ということになる。
そうすると当然インスタント食品が中心になりますから、それを99セントストアで買ってくる。99セントストアや大手ディスカウントフードショップが潤っていくわけですが、そういった企業はたとえば、途上国で大量生産した安い農産物を原料に添加物などをたっぷり入れることで食品を安く市場に出している。
99セントストアが出てきたときには、よかったね、これで貧しい人たちも人並みの食事ができるね、とアメリカでも言われたのを覚えています。しかし、実は安売りストアがたくさん出てくるということは食の質も文化もやせ細り、アメリカ国内の農業もやせ細っていくということ、結局、「食も職も」なくなってしまうことに気がつかなかった。
安ければ安いほどいいんだという安価信奉が、90年代に起きた「外注革命」を加速させて、本当にひどいことになってしまったのだと思います。
◆学校給食も利益の標的
なぜそうなったか? 一言でいえば、食も含めた子育て、医療、教育、雇用など国の根幹を、政府が責任を持つ代わりに市場化してしまったからです。
かつて中流層がしっかりしていた「よきアメリカ」の時代には税金を社会保障として還元するという考え方を、当時はソ連に対抗するという政治的な意味からも大事にしていた。ところが、ソ連が崩壊しナンバーワンになったとき、世界で力を持つにはやはり大企業の国際力だと、法人税を下げ社会福祉を切り捨てた。
大企業を大事にするのは市場化を進めることと同義語ですから、競争力をつけるために、たとえば食であればいちばん効率よく利益を出すために人件費とクォリティが削られる。
ですからフードスタンプとは「食べ物は心と体をつくるとても大事なもので人間の基礎であり国にとっては財産なんだ」という考え方が前提にあっての政策ではなく、市場化の加速とともに「貧困肥満」を増大させています。いまアメリカ人の死因の第2位である「肥満」は医療費をどんどん押し上げ、年間6万人が死亡しています。フードスタンプはこうして間接的に社会問題を深刻化させる制度と化しているのです。
食の市場化はフードスタンプだけでなく子どもたちの学校給食にもじわじわと浸透しています。
アメリカでもかつて学校で自前で給食をつくっていたんです。ところが国が教育予算をどんどん削っていったためにできなくなった。経営が苦しい学校に、待ってましたとばかりにピザハットなどのファストフード企業が「ウチと契約すれば大量に安く給食を提供できますよ」と近づいてくる。それで給食のコストだけでなく質がどんどん低下しました。保育園まで契約していて離乳食が終わったばかりの子どもがピザを食べています。
国民の心と体の健康は財産だという考え方を、国は放棄したということです。みなさん、どうぞご自由に。大企業さん、どうぞマーケットに、と。
◆教育でも民営化レース!?
最近、アメリカ法務省は史上最悪の貧困率だと、とうとう発表しました。本当に貧困大国になったと政府が公式に認めたということですね。大人の失業率は実質20%ですから、フードスタンプをもらう人は史上最高の5000万人近くになっています。07年は約2800万人でしたから異常な増え方です。
一方で大統領夫人、ミシェル・オバマは新しく肥満児対策のキャンペーンを始めました。栄養を考えた食事を、そして、もっと体を動かそうよ、と。
ところが、今、アメリカは教育を市場化しています。日本ではあまり報道されていませんが、すべての自治体が赤字なので大統領は賞金をエサに州に教育民営化レースをさせている。
これは、たとえばテストの点数を上げるため、関係ないムダな教科は廃止するといったまさに市場原理でアイデアを競争させ、これにそった政策を成立させた州が賞金を獲得するというレースです。赤字の公立学校をつぶしてできるだけ民営に変えていくという条件に教育現場は悲鳴をあげて反対していますが、不況のうえ国が教育予算をどんどん切っているために州に選択肢はなく、立て直すにはこの賞金を狙うしかない。
そうするとどうなるか? 競争強化の中でテストに関係ない体育の授業が減らされる、もしくはなくなっていくわけですよ。運動しないからジャンクフードを食べている子どもたちの肥満をさらに深刻化させる。 そもそも政府が公教育予算を切り民営化を進めたところから、給食のジャンクフード化も子どもの肥満も始まっているのに、大統領夫人は食品業界にもっと栄養表示をして塩分を減らせとよびかけ、こどもたちにはもっと体を動かしましょうというキャンペーンをやる(笑)。こういう非常に矛盾したことが起きているわけです。
アメリカはブレーキが壊れた市場原理主義が暴走しているのです。取材していて思うのは、市場化、日本で言う民営化ですが、これは一度やってしまうと勝手に動き出し、自分で加速していくということです。どこまでも効率良く、どこまでも利益を上げるように走り出し、終わりがありません。
◆「個」を「数」にする社会
――ルポ第二弾では「刑務所という名の巨大労働市場」というショッキングなレポートがありますが、まさに象徴ですね。
「刑務所ビジネス」を取材した時、ああこれが市場原理主義による労働市場の最終完成形だ、と確信しました。国内の非正規労働力よりももっと安くと、最初はインドなどの労働者を使ったけれども、インドの労働者だって月800ドルかかる。そこでもっと安い時給はないかと考えたら、灯台もと暗し、刑務所にいる受刑者に働かせることだった、というわけです。
ところでアメリカは「テロとの戦争」をしていますが、実際は敵がいるようで見えないわけですからテロリストの最後の1人がいなくなるまでずっと戦争状態にしておけるわけですね。国はそれを最優先するという名目で教育、労働、医療などは後回しにできる。
これを後押しするのが「愛国者法」という法律ですが、テロリストから国民の安全を守るといいながら自国民を監視している。これは市場化を邪魔させないためです。市場化とは国民を分断することですから。それに対してものが言えないようにするためには、まずはテロの恐怖で押さえつけるということをやった。
そして、それに対しておかしいと人々がまとまって声を上げた労働組合や協同組合的な組織は次々にターゲットになりました。
つまり、仮想敵を作り恐怖で人々を押さえつけつつ、実は市場化を邪魔しないよう個人をバラバラにしておく政策も進めてきた。
わかりやすい例をあげましょう。社会の治安を守るという名目で導入された「スリーストライク法」というのがあります。これは前科が何かに関わらず3度目の有罪で終身刑になるという法律。これで受刑者が増えるから刑務所の安い労働力も増え企業は競争力を保つ――。こういう構造になっているわけです。
今、不穏な気配を感じさせたらそれだけでみんな捕まりかねない。警官にもノルマがあるから。ここまで市場原理主義の徹底です。
「市場化」からわかることは、市場化の下では国民が名前や顔、それぞれの歴史、家族、夢、などを持った一人ひとりの「個」ではなくて、「数」になってしまうんですね。あるいは「消費者」とか「モノ」になる。
これに対してヨーロッパなどでは国民を市民として見ている。市民は権利を持った個です。今、世界が2つに分かれていて、では日本はどっちを選ぶのか? という岐路に立っていると思います。
そのとき「個」にとって非常に大事なファクターに「食」がある。だから農協のみなさんは、国の未来にとっての「食」の意味を投げかける存在として大きな使命をもっていらっしゃると思います。なぜなら、食とは一体国にとって何なのか、ということが今ほど強く問われた時代はなかったように思うからです。食やエネルギーを他国に依存してしまうと絶対的に弱い立場になります。
だから自給率を上げることはあらゆる面で日本が対等になる必要不可欠なことだと思います。
◆結託強める政治と企業
――日本に先駆けたアメリカの政権交代には期待も高かったと思いますが。
「チェンジ」をかかげた選挙は、本当に期待が高かったです。けれどあれから1年がたち、いまアメリカの市民で起きているのは「ムーブ・オバマ」の運動です。オバマが大統領になって全てうまくいくかと思ったらその逆で、貧困率は急上昇し戦争は拡大し教育はさらに競争が強化され、格差はついに史上最大になってしまった。
◆ ◆ ◆
国民はハッと気がついたのです。素敵なリーダーに丸投げして終わりではなく、もっと1人ひとりが社会がどうなっているのかきちんと知って、リーダーを動かしていかなければならなかったことに。
たとえばオバマ大統領誕生は「黒人がなった=誰でも大統領になれる時代が来た!」とどこでも言われましたが、本当は巨額の選挙資金が必要で、やはり大企業から献金を受けたほうが当選しやすくなるという構造になっていることを証明した選挙でした。
今年の1月、アメリカの最高裁判所は選挙の献金に国境をなくすことを認めました。つまり、この先の選挙ではたとえばサウジアラビアの大金持ちが献金できて、アメリカの軍事でも農業政策でも動かせるのです。献金額の上限も撤廃しました。ますます企業が政治と結託し市民の声は届きにくくなる。ほとんど日本では報道されていませんが実に恐ろしいことです。
これを国民が知っているのと知らないのとでは絶対未来は違ってくる。
ムーブ・オバマとはオバマが大統領になったからもう大丈夫だということではなく、まず社会の構造をしっかり見よう、選挙のあともずっと監視し続ける、政治で何が起きているのか情報を自分でつかんでいくということです。これはアメリカの後を追うように政権交代をし、1年たって同じように「あれ? おかしいな」という声がそこかしこで上がっている日本の私たちにとっても他人事ではない話ですね。
アメリカでは「気づき」が始まっています。やはり民主主義というのはメンテナンスがいるしくみだとつくづく思います。「食」を通して社会を見ると本当に沢山の箇所に矛盾がみえるからです。日本も今まさに、メンテナンスをするいい機会ではないかと思います。
オバマになれば「チェンジ」と思ったが……。(「9.11」追悼式、ホワイトハウスHPより)
PROFILE
つつみ・みか
東京都生まれ。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士課程修了。国連婦人開発基金(UNIFEM)などを経て米国野村證券に勤務中に9.11同時多発テロに遭遇。以後ジャーナリストに。「ルポ・貧困大国アメリカ」(岩波新書)(08年日本エッセイストクラブ賞受賞等)。近く「アメリカ弱者革命」(新潮文庫)「もうひとつの核なき世界」(小学館)刊行予定。
http://www.jacom.or.jp/archive03/tokusyu/2010/tokusyu101015-11261.html
2013-07-08 【読書感想】(株)貧困大国アメリカ
http://fujipon.hatenadiary.com/entries/2013/07/08#p1
内容紹介
1% vs 99%の構図が世界に広がる中、本家本元のアメリカでは驚愕の事態が進行中。それは人々の食卓、街、政治、司法、メディア、人々の暮らしを、音もなくじわじわと蝕んでゆく。あらゆるものが巨大企業にのまれ、株式会社化が加速する世界、果たして国民は主権を取り戻せるのか!? 日本の近未来を予言する、大反響シリーズ待望の完結編。
堤未果さんの『貧困大陸アメリカ』シリーズの最新作(完結編だそうです)。
この新書を読んでいる途中で、「あーはいはい、そんな感じだよなー」と、特に驚くことすらなく、読み流している自分に気づき、愕然としました。
シリーズの第1作『貧困大陸アメリカ』を読んだときには、「自由の国」で行われている、「貧困ビジネス」の実態に僕も怒りまくっていたのです。
その後、さまざまな本を読み、今の「グローバル企業と政治の癒着」についての知識も得てきたのですが、なんというか、もう読んでいるだけで疲れてきた……というのもあって。
「企業の『帝国化』」と、「多くの市民、国民の健康や幸福よりも、一部の大企業の利益を優先する政治」は、ほとんど変わっていないどころか、「それが当然」のようにすら、思えてくるようになりました。
“
SNAPとはアメリカ政府が低所得層や高齢者、障害者や失業者などに提供する食料支援プログラムだ。以前は「フードスタンプ」と呼ばれていたが、2008年10月にSNAPと名称を変えている。クレジットカードのような形のカードをSNAP提携店のレジで専用機械に通すと、その分が政府から支払われるしくみだ。
受給額は州や受給者の収入によって異なるが、ニューヨーク州では、単身者で月収1180ドル(約11万8000円)以下なら月117ドル(約1万1700円分)支給される。全米の平均支給月額は132ドル(約1万3200円)。カードは全国23万1000店舗で使用できる。が、嗜好品は買えず、あくまでも食品のみという条件付きだ。
SNAPは月に一度、夜中0時に支給されるため、毎月その日は夜中過ぎから全米各地の安売りスーパーに受給者があふれるという。
ミシェルの買い物袋も、加工食品や炭酸飲料、缶詰やインスタント食品でいっぱいだった。
“
アメリカの貧困率と失業者の数は、リーマンショック以来増え続けている。
四人家族で年収2万3314ドル(約230万円)という、国の定める貧困ライン以下で暮らす国民は現在4600万人、うち1600万人が子どもだ。失業率は9.6%(2010年)だが、職探しをあきらめた潜在的失業者も加算すると実質20%という驚異的な数字となる。16歳から29歳までの若者の失業率を見ると、2000年の33%から45%に上昇、経済的に自立できず親と同居している若者は600万人だ。
ミシェルのようなSNAP受給者は年々増加。2012年8月31日のUSDA(農務省)発表では、約4667万373人と過去最高に達した。1970年には国民の50人に1人だったのが、今では7人に1人がSNAPに依存していることになる。
考えようによっては、「それでも、最低限の食べものを保障してくれるだけ、マシなんじゃない? 世界には飢えている国だってたくさんあるのだから」とも言えるのかもしれません。
財政の厳しさから、生活保護を「水際作戦」などと極力行わないようにしている日本に比べて、アメリカ政府は、国民にSNAPを利用するようにアピールしているそうですし。
ところが、このSNAP受給者が増えていく一方で、失業率は全然改善されない。
SNAPでは、安くてカロリーが高いジャンクフードやジュースなどが選択されがちで、「この20年、アメリカでは子どもの2型糖尿病が激増している」そうです。
貧困層ほど、偏った食事をしており、健康状態も悪化しやすい。
こうして、負の連鎖が止まらなくなっているのです。
なぜそんな制度が続いている、というか、いっそう拡大されていっているのか?
“
ウォルマート広報部門担当で副社長のレスリー・ダックは、同社の収益におけるSNAPの重要性をこう協調した。
「SNAPからの収入は我が社にとって大変大きいですね。多くの州でSNAP利用者の2人に1人が、ウォルマートで食品を購入してくれています」
「公共のための科学センター(Center for Science in the Public Interest)」の調査によると、炭酸飲料や砂糖を含む清涼飲料水産業も、2010年度だけでSNAPによる売り上げが40億ドル(約4000億円)と、こちらもSNAPから巨額の利益が流れ込んでいる。
「ワーキングプア人口の拡大で、黙っていても利用者がどんどん増えるSNAPは、食品業界にとってドル箱になっているんです」
要するに「まともな待遇の雇用を確保するよりも、低賃金の単純労働+SNAPでとりあえずなんとか食べられるくらいの保障はして生き延びさせ、その食費も大企業に吸収される」ようになっているのです。
明らかに「国民の健康を害する」システムなのに、政府は、見てみぬふりをして、大企業の利益を優先しています。
これって、間接的な「奴隷制度」じゃないのか?
また、アメリカでは、GM(遺伝子組換え)作物が食生活に占める割合が、年々上昇しているそうです。
“
だがGMは新しい技術であるため、長期にわたる環境や人体のへの影響を検証した実験結果が確立されていない。そのため安全性を巡る議論は今も続いており、現在世界では35ヵ国が、GM作物の輸入を規制または全面禁止措置中だ。
アイオワ州の農業従事者のラッセル・リードは、多くのGM作物が耐性を持つ、「ラウンド・アップ」という商品名の除草剤についてこう語る。
「『ラウンドアップ』はGM種子最大手のモンサント社が販売する、世界で最も普及しているグリホサートを主成分とする除草剤です。モンサント社はこの除草剤を、これに耐性を持つGM種子と必ずセットで販売する。農家がこの除草剤を散布すると、GM種子以外の雑草だけが枯れるしくみです。
ですがヨーロッパではすでにこの除草剤は発がん性を有し、奇形、喘息発症を誘発するなど安全性に問題があるとして、禁止されています。
さらに1996年にはニューヨークで、2001年にはフランスで、それぞれ消費者団体や環境活動家たちが、モンサント社のこの除草剤に対し訴訟を起こしているのです」
それは「土に落ちると無害化して土壌に残らない」というラウンドアップの「生分解性」ラベル表示が虚偽であるという内容だった。結果はどちらも裁判所がモンサント社側に「虚偽広告」の判決を下している。
この「GM種子+特定の除草剤」の組み合わせは、一度使い始めると、ずっと続けざるをえなくなるのです。
除草剤に耐性を持つGM種子じゃないと、生育できない土壌になってしまうので。
そして、この種子を世界各国で使わせることによって、多国籍企業は各国の農業を「支配」していくのです。
ちなみに、科学雑誌に、このGM種子の危険性を訴える研究論文を載せたりすると、壮絶な「あら探し」がはじまり、論文を書いた人は大バッシングを受けるのだとか。科学の世界も、企業の営利活動と無縁ではありません。
研究にはお金がかかるし、お金を持っている企業の力で、科学者の「警告」はもみ消されてしまう。
この本を読んでいると、アメリカの荒廃っぷりには愕然とします。
義務教育レベルの学校が「自由競争」という名目で選別され、公立学校が無くなり、授業料が高い私立ばかりになる「ビジネス化」。
民営化され、不採算部門が削られていくことによる公共サービスの劣化。
“
2012年10月。
メジャーリーグの試合で盛り上がるミシガン州デトロイト市のタイガース球場入り口では、こんなチラシが配られていた。
「注意! デトロイトには自己責任でお入りください」
・デトロイトは全米一暴力的な町です。
・デトロイトは全米一殺人件数の多い町です。
・デトロイト市警は人手不足です。
・人手不足のため12時間シフトで働かされ……警官は疲労困憊しています。
・デトロイト市警の賃金は全米最低ですが、市はさらに1割カットしようとしています。
配布していたのは、現役のデトロイト市警官たちだ。
デトロイトは2000年から2010年の10年間で、住民の4分の1が郊外や州外に逃げ出してしまった町だ。財政破綻による「歳出削減」で犯罪率が増えているにもかかわらず市は公共部門の切り捨てを実施、学校や消防署、警察などのサービスが次々に凍結されている。
こうした傾向はミシガン州だけでなく、全米の自治体で起きている。2010年7月にはやはり財政難に陥ったオレゴン州の自治体が維持費が続かずに刑務所を閉鎖、すでに警官が大量解雇された町中に刑期を終えていない囚人があふれだし、恐怖のあまり州外に逃げる住民が急増した。
これ、『リアル北斗の拳』の世界じゃないですか……
また、大企業は「安い給料でも辞めずに働く労働力」として「囚人」に目をつけて、どんどん酷使してもいるのです。
州によっては、囚人労働力確保のため、早期釈放を行わない制度まで導入されているのだとか。
名目上は「犯罪者に厳罰を与える」ということで。
一般社会で生活している人が、どんなに安い賃金でガマンするといっても、囚人にはかないません。
なんかもう、「金のためなら、なんでもあり」すぎて、笑えてくるほどです。
また、2005年には「完全民間経営自治体サンディ・スプリングス」が誕生したそうです。
人口10万人のこの町は、富裕層で占められ、大手建設会社によって「運営」されています。
この町ができた経緯を、著者はこんなふうに紹介しています。
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2005年8月、ハリケーン・カトリーナによって大きな水害に見舞われたジョージア州では、水没した地域住民のほとんどがアフリカ系アメリカ人の低所得層だったことから、アトランタ近郊に住む富裕層の不満が拡大していた。
共和党の彼らは、「小さな政府」を信奉している層だ。
なぜ自分たちの税金が、貧しい人たちの公共サービスに吸い取られなければいけないのか? ハリケーンで壊滅状態の被災地を、わざわざ莫大な予算をかけて復興させても、住民の多くは結局公共施設なしでは自活できないではないか。政府の介入の仕方はまるで社会主義だ。私たちはいったい、今後も延々と行政支援を必要とする人々のために、どれだけ貴重な税金を投じなければならないのか?
どうしても納得いかない彼らはこの件について住民投票を行い、やっとベストな解決策を打ち出した。
郡を離れ、自分たちだけの自治体を好きなように作って独立すればいいのだ。
僕の感覚では、「こういうのって、頭の中で考えることはあっても、堂々と主張するべきではない」ような気がするんですよ。
助け合うのが「公共のルール」だろう、って。
多くの日本人も、たぶんそうだと思います。
ところが、このサンディ・スプリングスの人たちは「自分たちが巻き添えになるのはイヤだ」と声高に叫んだのです。
そして、叫んでみたら、意外と、彼らを阻むものはいなかった。
こういう「公共の意識のゆらぎ」は、たぶん、アメリカの一部の富裕層だけに起こっていることじゃないんですよね。
それでも、オバマ大統領になって、少しはマシになったのではないか、オバマさんを議会が邪魔しなければ、もうちょっと社会保障制度が改善されたアメリカになるのではないか、と思っていたのです。
でも、現実はほとんど変わっていなかった。
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「2012年の選挙は、大きな政府に反発するティーパーティ運動の存在に焦点があてられ、赤と青に分断されるアメリカというイメージで描かれていましたね」
「赤と青に分断されたアメリカ、そのとおりです。国民の意識は保守対リベラルにひきつけられる。けれどそれはバーターで、今のアメリカ民主主義は「1%」によってすべてが買われているのです。司法、行政、立法、マスコミ……
「1%」は二大政党両方に投資し、どちらが勝っても元は取る。テレビの情報を信じる国民は、バックに巨大企業がいることなど夢にも思わずに、いまだに敵を間違えているのです」
みんなはオバマvsロムニーの「対決」だと思っていた。
ところが、内実は「1% vs 1%」であり、どちらが勝っても、大勢に影響はなかったのです。
大企業は、どちらが勝ってもいいように、あらかじめ両方に賭けていたのだから。
ああ、アメリカって酷い!と言いかけて、日本のことを思いだしてみると、自民党と民主党だって、似たようなものですよね。
民主党のなかには、もと自民党だった人がたくさんいて、政策もそんなに大差はありません。
政権交代というけれど、結局のところ「自民党的なもの」がずっと勝ち続けているだけ。
この新書の後半では、「1% vs 99%」という構図が何度も出てきます。
でも、『貧困大陸アメリカ』が世に出てから5年間のことを思いだしてみても、本当に、これが実情なのかどうか?
「1%が幸福を独占している(というか、本当にここまでやって、企業が金を儲けることが、「1%組」を幸福にしているのだろうか?と僕は疑問なのですが)」というけれど、残りの99%は、一枚岩じゃない。
99%のなかのごく一部の(これも「1%」くらいかもしれません)「意識高い系」が格差の是正を訴えている一方で、「99%」の大部分は、目の前の生活に追われ、「1%」を呪いながら、「意識高い系」の高偏差値な啓蒙運動にもついていけずにいるように思われます。
「毎日テレビ観て、ウォルマートで買ったジャンクフードを食べている生活で、それなりに幸せ」な人が、世の中の多数派なのではないか?
もしかしたら、「1%対99%」ではなくて、「1%対1%対98%」なのではないか?
著者は最後に「希望めいたこと」を書いておられるのですが、僕は、これからの日本もこうなっていくんだろうなあ、という絶望感がつのるばかりでした。
こんな世の中で、誰が幸せになっているのかねえ……
http://fujipon.hatenadiary.com/entries/2013/07/08#p1
アメリカ人の超絶肥満の原因は「フードスタンプ」で食べる ジャンクフード + コーラの糖分だった
【衝撃】 アメリカのデブが異次元すぎるwwwwww どうやったらここまで太れるんだよ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4537088.html
https://matome.naver.jp/odai/2137949022098247301
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c4
2018年1月22日。国際NGOオックスファムは「世界人口の1%にあたる富裕層が1年間に生み出された富の82%を独占した一方、所得の低い人口の約半分は財産が増えなかった」という報告を出している。
相も変わらず、格差は広がり続けている。
この弱肉強食の資本主義では、貧しい家庭に生まれるか、豊かな家庭に生まれるか。貧困国で生まれるか、先進国で生まれるか。それだけで人生はまったく違ってしまう。
先進国の富裕層の家庭で生まれれば、経済的な苦労はしない。親の資力や人脈をフルに使って、親と同様に豊かで実りある人生を築き上げることができる確率が高い。
しかし、その逆も然りである。貧困層に生まれれば、親と同様に、貧困の中で喘ぎ、這い上がりたくても這い上がれないことが多い。
これを「貧困の悪循環」というが、国の貧困、親の貧困は、子供にも引き継がれやすい。
もちろん、最初は貧困状態であっても、一生懸命努力し、アイデアと、実行力と、不屈の精神で金持ちに成り上がっていく人も、世の中にはたまにいる。
そういった人の人生は、多くの貧困層を力づけ、大きなモチベーションの元になる。アメリカ人は特にそういった「成り上がり」の物語が大好きだ。
子の世代が親の世代と同じ階層にとどまる確率
アメリカ人の持つ人生観は、最初は何もなくても、そこから自分の才能や努力でポジティブに成功をつかみ取っていくという「アメリカン・ドリーム」で成り立っている。
しかし、このアメリカン・ドリームは、どんどん難しくなっているのだと経済学者は指摘するようになっている。
ウィートン大学の経済学者であるジェイソン・ロング氏もそのような主張をする人のひとりである。
アメリカは、貧困世帯の子供たちが中流層や富裕層に移動する割合が高いと思われているが、実際に「世代間所得弾力性」を数値化してみると、子の世代が親の世代と同じ階層にとどまる確率の方が高かった。
つまり、親が貧困であれば子供もまた貧困で終わる。
もう、アメリカはチャンスの国ではなくなっている。親が貧困層でも、子供が中流になる確率は、現代ではむしろ、中国、インド、南米諸国のような新興国の方が高いというのが、ジェイソン・ロング氏の分析だった。
「米国人は今でも自分たちは移動性が極めて高いと信じているが、それは真実ではない」
ここで発言されている「移動性」というのは、貧困層から中流以上に「移動」する世代間移動を指している。主要先進国の中では、イギリスが最も世代間移動が低い。
すなわち、イギリスでは、貧困層の子供は中流に成り上がるのはとても難しい。イタリアもまた、そのような硬直した社会である。
アメリカン・ドリームという言葉によって希望に満ち溢れていたはずのアメリカもまた、現代では貧困の固定化が進んでいて、成り上がれない社会になりつつある。
資本主義がグローバル化すればするほど、そして企業の合理化と効率化が進めば進むほど、その傾向が高まっていく。
学歴社会がアメリカン・ドリームを難しいものに
ここで注意しなければならないのは、資本主義そのものは別に階級を固定化させているわけではないので、今でもアメリカン・ドリームを実現する人たちは存在するということだ。
貧困層が中流に成り上がっていく物語は、今も消えていない。
しかし、かつては努力と根性で何とかなったアメリカン・ドリームは、もうそれだけではどうにもならないほど難しいものになっているのが現状なのだ。
これには、多くの理由がある。
その理由のひとつとして経済学者の誰もが指摘するのは、アメリカが明確な学歴社会と化して、学歴のない人間は「良い仕事」を見つけるのは絶望的に難しくなっていることが挙げられる。
良い仕事に就くためには、良い大学に行く必要がある。とにかく大学を卒業するのが必須だ。しかし、その大学に行くためには莫大な費用がかかる。
アメリカの有名大学では、だいたい年間600万円以上かかるので、4年間通えば2400万円以上も必要になる。これだけの金を出せる家庭は中流階級でもなかなかいない。奨学金制度もあるが、誰もがもらえるわけではない。
そこで学生ローンを利用して大学に通うことになるのだが、貧困家庭では、そもそもその学生ローンですら組めない。
かくして貧困層は大学から閉め出され、良い仕事から閉め出され、努力と根性で何とかなったアメリカン・ドリームは遠くに消え去ってしまった。
ちなみに、中流階級でも、無理して学生ローンを組んで大学を卒業しても、たまたま不景気でまともな仕事が見つからないと、借金を抱えたまま首が絞まって「成り上がる」どころか、貧困層に堕ちていく確率が高まる。
アメリカではアメリカン・ドリームを実現する人たちよりも、貧困層に堕ちる人たちの方が増えている。
どこの国でも、アメリカと同じ傾向が進んでいる
実は、グローバル化した社会では、アメリカだけではなく、どこの国でも同じ傾向が進んでいる。人々は国境を越えてビジネスを行い、外国企業に就職し、異国で生活するのが当たり前になっている。
多国籍企業は、その人材の良し悪しはまずは学歴を見る。有名大学、ブランド大学の卒業であれば優秀であると、だいたい学歴を見れば判断できる。
だから、世界的に学歴社会がこれから進んでいき、それが標準になっていく。
この傾向が進めば、経済的な理由や、家庭環境によって学歴が持てなかった人間は、どんどんドリーム(成り上がり)から排除されていくことになる。
「貧しい者は、貧しいまま終わる」という身分の固定化が進み、それが格差となり、長い格差の時代は階級(クラス)の固定化につながって「身分制度」同様になっていく。
(1)資金力の欠如で大学に行けない。
(2)好待遇・高賃金の仕事に就けない。
(3)低賃金の仕事を余儀なくされる。
(3)結果として貧困に落ちる。
(5)貧困に落ちたらそれが固定化される。
社会はより高度に複雑化していく。そのため、今までも珍しくなかったこのような格差は、グローバル化した社会でより強化され、徹底され、先鋭化し、極端化する。
日本でもそうだ。資金力の欠如で大学に通えず、低賃金の仕事から抜けられず、貧困層のまま推移し、貧困の固定化が身分制度のようになりつつある。
好待遇・高賃金の仕事に就けた者はその資金を投資に投じてますます資産を膨らませ、一方で貧困層は資産を増やす元手すらも貯まらない。
かくして、「世界人口の1%にあたる富裕層が1年間に生み出された富の82%を独占した一方、所得の低い人口の約半分は財産が増えなかった」という社会が出現したのだ。
私たちは、いつの間にかその中で生きていることに気付かなければならない。
良い仕事に就くためには、良い大学に行く必要がある。良し悪しに限らず、とにかく大学を卒業するのが必須だ。しかし、その大学に行くためには莫大な費用がかかる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180126T1725560900.html
★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「奈良県は、荒らぶる大地だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。
古代の奈良県は、信じられないような地震や造山活動が行われた、ダイナミックな大地でした。
まさに、『信じられない』の一言ですが、「国引き」の行われた出雲でさえも、恥ずかしくなって逃げ出すような、オカルトの聖地でした。
今回の投稿記事は、「お花畑」の最高傑作と言っても、過言では有りません。必ずや『信じられない』、『有り得ない』と思われることでしょう。
A 奈良盆地は、大和湖で、汽水湖だった。
ア) 舒明天皇の、信じられないような、オカルトな「歌」の、謎。
舒明(じょめい)天皇は、推古天皇や聖徳太子の後に登場する天皇(629年即位−641年崩御)ですが、おかしな歌を詠みました。
『国見をすれば、国原は、煙立ち立つ、海原は、鴎立ち立つ、うまし国ぞ、あきつしま大和の国は』。
(歌の意)、『天の香具山から眺望すると、平野部には家々から煙が立ち昇り、海原にはカモメが飛び交う、素晴らしい国だ、あきつしま(蜻蛉島)の大和の国は』。(と言うような意味らしいです)。
この歌は、奈良盆地の橿原市にある標高152mの天香久山から、カモメが飛び交う海原が見えると云うのですが、今の大阪湾まで直線で30km以上離れています。しかも、金剛山・二上山・信貴山・生駒山などに遮られています。
天香久山から大阪湾の海原が見えるなどは、有り得ません。不可能です。
仮に、歌が本当なら、奈良盆地の当時は海(汽水湖)だったことになりますが、どうでしょうか。
(注) 万葉集・巻一の二、『やまとには、むらやまあれど、とりよろふ、あまのかぐやま、のぼりたち、くにみをすれば、くにはらは、けぶりたちたつ、うなはらは、かまめたちたつ、うましくにぞ、あきづしま、やまとのくには』。
イ) 小野妹子が、三輪山の麓に、船で帰国して上陸したという、謎。
日本書紀の推古天皇の十六年(608年)の条に、遣隋使の小野妹子が帰国したが、船で大阪湾に入り、奈良県の三輪山の麓にあった「海石榴市(つばのいち)に、船で上陸しました。
ところが、今の奈良盆地の標高は、中央部の田原本町とか川西町とかが40mくらい有りますから、大和川の落差は大きく、船で河を遡上したとは思えません。歩いて海石榴市に行くほうが、合理的です。考えられません。
では、海石榴市に船で上陸したというのが、事実なら、奈良盆地の当時は、大阪湾と落差の小さい海だったことに成りますが、どうでしょうか。
ウ) 奈良県の海にちなむ地名の、謎。
奈良盆地の各地に、海にちなむ地名が残されています。不思議です。
忍海(おしみ)−−近鉄「御所駅」のすぐ北側。
保津−−近鉄「田原本駅」の北側。
結崎−−川西町役場の東側、近鉄「結崎駅」あたり。
磯城郡−−川西町・三宅町・田原本町あたり。
船宿−−御所市の高鴨神社の東側あたりか。
海石榴市(つばのいち)−−三輪山の麓の桜井市金屋あたりが比定地。
エ) 「大和湖」は、ポピュラーです。
グーグルで、「大和湖」で検索すると、無数にヒットします。
同じように、大阪の「河内湖」でも、無数にヒットします。
B 奈良は、盆地全体が、隆起した。
今の奈良盆地中央部の田原本町とか川西町とかの標高が40mくらい有りますが、不思議です。
ア) 古代の遺跡は、50−60メートル以上にしか存在しない、不思議。
縄文時代とか弥生時代の遺跡が、奈良盆地で発見されますが、標高50−60m以上からであり、それより低い場所からは発見されません。
つまり、大和湖全体が、隆起したという事ですが、どうでしょうか。
(★もしも、大和湖が、土砂で埋まったと言うのなら、地中の低い場所から古代遺跡が発見されるはずですが、発見されないと云うことは、大和湖全体が隆起したという根拠になりそうです)。
イ) 奈良市西部の「あやめ池」の地域で、地下の地層から、海洋生物の化石が見つかっています。
これによって、奈良市の西部は、古代には、海水の海だったことが証明されます。
C 「山の辺の道」は、当初は、湖岸道路だった。
奈良県の観光コースに「山の辺の道」のハイキングが有ります。JR天理駅からJR三輪駅までのコースが有名です。
ア) 「山の辺の道」は、標高50メートルとか60メートルの高台を通っているそうです。不思議です。
一般論として、大和湖に湖岸道路を作るなら、湖水面の1m−2m程度に道を作るはずです。なぜ、高台に道を作ったのか。
しかも、「山の辺の道」は曲がり道クネクネで、直線道路では有りません。そんな馬鹿な話は有りません。道は真っ直ぐに作るものです。
では、なぜ、高台にあり、曲がりくねっているのか。それは、「山の辺の道」全体が隆起したからです。しかも、湖面よりも20メートルくらい高く隆起したのです。
(大和湖(奈良盆地)の中央の田原本町とか川西町とかが40mくらい隆起したと言うのなら、「山の辺の道」は60−70メートルくらい隆起したことになります)。
イ) 「山の辺の道」は、奈良盆地東縁断層帯の上に有ったという、不幸な話。
地震の断層帯が、奈良県に有り、北部の西側には「生駒断層帯」が南北方向に走り、北部の東側には「奈良盆地東縁断層帯」が三輪山辺りを基点にして天理−奈良市の春日山方面を通って、京都市の山科盆地へ抜けています。
要するに、「奈良盆地東縁断層帯」が隆起したために、その上に有った「山の辺の道」も全体的に隆起しましたが、隆起の過程で、直線の湖岸道路だったものが、曲がり道クネクネになってしまったと云われています。
では、なぜ、湖岸に比べて20メートルくらい高く隆起したのかは、「奈良盆地東縁断層帯」が、縦方向に隆起する性質を持っていたからです。
(食パンで例えると、東西に置いた食パンに、南北方向に縦の切れ目を入れて、中の1枚を引っ張り上げると、表面の「湖岸道路」も持ち上がり、「山の辺の道」に変身するというマジックです)。
ちなみに、「山の辺の道」だけではなく、景行天皇陵や崇神天皇陵なども、一緒に、全体的に持ち上がったと云われていますが、信じられない話です。
(★ 「奈良盆地東縁断層帯」が南北の縦方向に隆起する性質を持っているのは、奈良県の地質研究家は誰でも知っている、常識だそうです)。
D 古代の地震の記録。
日本書紀の、允恭天皇即位五年の条に、日本最古の地震の記録が有ります。遠飛鳥宮(奈良県明日香村)の地震ですが、記録に残されたということは、それほどの大地震だったからだと、思います。
その後は、推古天皇七年(599年)の条に、大地震の記録が有ります。
その後は、天武天皇十三年(684年)十月の条に、史上有名な「白鳳地震」(東海地震・南海地震の連動型)が発生しています。
その後の大地震の記録では、
701年、丹波の大地震。
715年、東海大地震。
734年、「天平地震」(畿内七道地震)。生駒断層直下型。死者多数。
745年、岐阜県の美濃方面の大地震。
762年、美濃・飛騨・信濃の大地震。糸魚川・静岡構造線。
818年、北関東大地震。死者多数。
(記録が残された)奈良時代は、全国的に巨大地震が多発しているようです。
E 二上山方面は、有名な「地滑り」多発地区だった。
奈良盆地の西の端の大阪との国境に二上山が有ります。その北側に「明神山」が有り、大和川に面した「亀の瀬」が有りますが、昭和7年(1932年)には、大規模な地滑りを起こして、上流部に浸水被害をもたらし、「亀の瀬の地滑り」として、新聞にも取り上げられました。
原因は、北側の生駒山が南の大和川の地下に沈み込むと同時に、大和川の川底が隆起し、川の南側方面を押し上げることにより、隆起した部分が崩落するためだ、と云われています。
F 「奈良坂」も「奈良山」も無く、昔は、平地だった。
古代の話ですが、奈良市北部に丘陵地帯は無く、平地でした。そして、伊賀上野方面から流れる木津川は大和湖に流れ込んでいました。
それだけではなく、京都市本面の「桂川」も「鴨川」も「宇治川も」、全部、八幡市の男山の北側あたりから南に折れて、木津川に合流して、大和湖に流れていたそうです。
さらには、琵琶湖も、滋賀県の信楽方面に有り、移動を繰り返して、今の琵琶湖になりました。
G 天皇が、奈良を逃げ出した(可能性)。
奈良での最古の地震の記録は、(Dのとおり)、4百年代の前期の允恭天皇即位五年に、日本最古の地震の記録が有りますが、これが奈良での地震の最初とは、思えません。
景行天皇が、奈良県桜井市の纏向宮から、滋賀県大津市の志賀高穴穂宮に移動していますが、子供の成務天皇も同じ志賀高穴穂宮に居ました。
奈良を離れた原因に、地震が関係していた可能性は、無かったのでしょうか。
あるいは、「河内王朝」の応神天皇以降の天皇が、大阪に都を移していますが、これは、朝鮮経営の利便性のために、港のある大阪に遷都した説が有りますが、群発地震のために、奈良に入れなかった可能性は、無いものでしょうか。
(★ 話は脱線しますが、「河内王朝」は渡来人の説が有りますが、そんなことは有りません。神功皇后・応神天皇の架空説が有りますが、実在したと思います。
また、応神天皇と仁徳天皇は兄弟だったし、景行天皇と倭武天皇も兄弟だった説が有るのですが、どうでしょうか)。
H 平安京への遷都論。
奈良盆地は、平城京の時代に、ダイナミックな隆起をした説があり、それで大阪湾との船の交流が閉ざされ、結果的に、奈良が遺棄された説が有りますが、どうでしょうか。
(オカルトの世界では、アトランチス大陸は、一晩で沈んだと云いますから、奈良盆地の50mや60mの隆起くらい、簡単な話です)。
★ どう思われますか。
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/422.html
一読者として読ませてもらってます。ボケ老人さんに素朴な批判。
拉致問題を起こした犯人は誰ですか、金正恩の父親金正日の責任ですか、それとも誰か日本人が犯人なんですか。犯人に協力した日本人はいるらしいけど、とにかく張本人は金正日ですよ。
拉致問題を解決させない責任者は誰ですか。金正恩ですか、それとも安倍さんですか。金正恩でしょう。それを忘れないで下さい。
多くの日本人は勘違いしているのだが、物を覚えるというのと、考えることができるというのは別のものだ。
・覚える。
・考える。
この2つは似ているようで、まったく違う。覚えるというのは、世の中の原理原則を覚え、歴史を覚え、仕組みなどを記憶するというものだ。
しかし、「覚える」というのは単なる基本であり、本来はそこからさらに飛躍しなければならない。それが「考える」というものだ。
学校が物を覚えさせる場所であるというのは誰でも知っている。しかし、考えさせているのだろうか。
日本の教育は、構造的に「覚えさせても、考えさせない」という教育になっている。覚えさせても、考えさせないのである。「考える」という部分を軽視している。
なぜか。それは、学校が何のためにあるのかを考えれば理解できるかもしれない。学校とは、社会で通用する人間を作り出すところだからだ。日本で「社会に通用する」というのは、サラリーマンになれるということでもある。
教育とは子供を規格化するという側面がある
学校は最終的に子供を社会で通用する人間に「矯正」する場所である。子供を規格化するのだ。
日本では国民の8割がサラリーマンであることを考えると、日本の学校で重要な使命は日本人がサラリーマンとして通用するように規格化するのが使命と言うことになる。
ここに問題がある。サラリーマンとは、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」ということができる人間でなければならない。
だから、日本の教育はその現状に沿って、そういった人間を作り出す仕組みになっているのである。上記の特徴を、もう一度よく考えてみて欲しい。あることに気づかないだろうか。
「上司の言うことをよく聞く」とは、自分の意見を持たないで指示待ちの人間になるということである。つまり、自分で「考えない」ことが重要だ。
「口答えしない」と言うのも、自分の意見を殺して会社の意向を無条件で重視するというものだ。つまり、自分で「考えない」ことが重要だ。
「言われたことを忠実に行う」というのも、ロボットのようになるということであり、それはすなわち自分で「考えない」ことが求められている。
「不満があっても黙々と働く」という奴隷のような状態も同じで、「考えないようにする」ことで達成できる。
「集団生活を優先する」というのも、結局は自分の意見や考えよりも会社集団を尊重するということであるから、「考えない」ことで達成できるのだ。
「よけいなことを考えるな」というメッセージ
サラリーマンは考えることよりも、考えないことが求められる職業である。何をどうするかという部分についても「考えさせない」ために、企業は「マニュアル」を用意している。
マニュアルというのは、実は人間を「考えさせない」ためのものであることに気づかなければならない。
マニュアルは効率化とサービスの均質化を生み出すので企業にとっては好都合な存在だ。
しかし、逆に考えると、それを行う人間には「この通りにやれ」という強制になる。
誰もが同じ手順でやるように強制し、一切の例外を認めさせない。マニュアルは、「よけいなことを考えるな」というメッセージなのである。
サラリーマンが考えていいのは、会社が「考えろ」と強制した部分だけだ。それ以外の部分は「考えないこと」が期待されている。
それもそうだ。考えるというのは、自分の意見を持つということだ。考えて自分の意見を押し通すというのは、集団よりも個人を優先するということなのだ。
サラリーマン全員が、自分の好き勝手にあれこれ考え始めると、統制が付かなくなる。
だから、あれこれ「考えない」で、言われたことだけを完璧に実行するロボットのような人間を企業は欲しがり、学校はそれを意識的にも無意識的にも読み取って、そのようになるように子供を矯正していく。
学校に課せられた使命は、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」人間を作り出すことなのだ。
そして、国民の8割が学校を卒業してサラリーマンになるのだから、その教育は成功していると言うことができる。
日本の教育では「考えさせない」ことが使命
ところで、人間はいろいろ物を覚えさせれば自然に「考える」人間になってしまう。しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが使命としてある。
教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。それには、次の5つによって、成し遂げられている。
(1)暗記を押し付けて「考えさせない」
(2)苦手を押し付けて「考えさせない」
(3)制服を押し付けて「考えさせない」
(4)規則を押し付けて「考えさせない」
(5)団体行動を押し付けて「考えさせない」
暗記をひたすらやらせると、考えるヒマがない。だから、学校は考える余裕がなくなるほど、暗記させる。
暗記教育が悪いわけではないが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしているのは問題だ。
得意を伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だ。
誰もが苦手なものを考えるのは苦痛だが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまう。その結果、誰も考えなくなってしまう。
制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法である。
細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものなのである。学校が馬鹿げているほど細かい規則を守らせるのはなぜか。
究極的には「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すためだ。日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出していると言っても過言ではない。
あなたは考えているだろうか? あなたの受けた教育は、社畜になるための教育だったのだから、「自分を取り戻す」ためには、学校で覚えたことはすべて忘れる必要がある。
ただ、サラリーマンで居続けたい人間だけは、考えてはいけない。下手に考えると、社会からはぐれてしまうからだ。
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先頭に黙って従って、先頭と一緒に地獄に堕ちるのが日本人
アフリカの大地をジープで走ると、大勢の子供たちがジープの後ろを走って喜んでいる姿を、あなたはテレビや映画で見たことがあるはずだ。
あるいは、祭りで先頭の賑やかな一団の後を、無意識について回っている人の姿を、あなたは見たことがあるはずだ。
あるいは、有名人が街を歩いていると、そのファンや野次馬がやはり、ぞろぞろと後ろを歩いている人の姿を、あなたは見たことがあるはずだ。
あるいは、観光地で旗を持ったガイドの後ろを、何も考えないで歩いている人を、あなたは見たことがあるはずだ。
先頭が向かっている方向に、後ろの人間が何も考えずに従う姿は、別に珍しい光景ではない。先頭の人間はどこに向かうか、何を目指しているのかは知っている。
しかし、後ろを歩いている人間には、先頭がどこに向かっているのかは何も知らない。ただ、盲目的に付いて回っているだけで、主体性があるわけではない。知らずして、どこかに連れて行かれている。
自分よりも他人の意見が「主」になっている
先頭に従う。流行に従う。群衆に従う。テレビに従う。
実は、日本人はどの民族よりもそういった傾向が強いことはよく知られている。たとえば、流行に従うというのは、こういった言葉に集約される。
「みんなが見ているテレビ番組を、自分も見る」
「みんなが持っているものを、自分も欲しい」
「流行っているから、自分も手に入れる」
「みんなが良いというから、自分も良いと思う」
これはひとことで言うと、自分が特に好きではなくても、みんなが好きだと言っていたら、自分も好きになるということであり、自分よりも他人の意見が「主」になっている状態を指している。
場合によっては、自分の意見が存在していない可能性もある。
「自分の意見が存在しない」「他人に従う」と言えば、誰でも危険な状態であると分かるが、そんな危険な状態でも、実はひとつの大きなメリットがある。
先頭が正しければ、自分は何も考えず、疑問も抱かず、大船に乗った気分で、まっすぐと正しい方向に向かえることだ。
何しろ、先頭が正しいのだから、難しいことも面倒な決断もしなくてもいい。ただ従うだけで正しい方向に導かれる。これは楽だし、効率が良い。
だから、「他人に従う」というのは、あながちデメリットばかりがあるわけではない。場合によっては、猛烈に楽な人生を送ることも可能だ。
社長が間違うと、自分の人生が吹き飛ぶ
しかし、先頭が間違うと、どうなるのか。先頭が手痛い間違いを犯すと、当然だが自分も一緒に間違う。
先頭が崖から落ちると、自分も崖から落ちる。先頭が裏切ると、自分はカモにされる。先頭が乗っ取られると、自分が食い物にされる。
それも、やすやすと突き落とされ、裏切られ、カモにされ、食い物にされる。なぜなら、今までずっと先頭に従って生きてきたので、もはや自分の意見がまったくないからだ。
日本人の多くの人々は、サラリーマンとして人生を送る。サラリーマンになるというのは、社長という「先頭」に従うということである。
サラリーマンは、自分が会社を経営しているわけでも、自分が決断しているわけでもない。多くは、言われたことを黙ってこなしている。
ということは、社長が間違うと、自分の人生が吹き飛ぶということでもある。
社長が致命的なまでのミスを犯すと、もちろん社長も自分の人生が破滅する。しかし、順番から言うと、社員を切り捨てる方が先だから、社長よりも社員が先に苦境に落ちる。
日本は戦後から1989年までは一貫して成長局面だったので、多くの日本人は黙って会社に従っているだけで、自分は何も考えなくても生きていけた。
ところが、1990年代から日本が衰退局面に入ると、先頭が間違ったり、先頭が立ちゆかなくなったり、先頭が乗っ取られたり、先頭が死んだりして、先頭に従って自分が死ぬケースが増えて来た。
2010年以降は、さらにそれが加速して、先頭が率先して後ろに従ってくる人間たちを切り捨てるようになっている。つまり、日本人の多くが苦境に陥っているのは、もはや先頭が頼りにならなくなっているからだ。
それでも先頭に黙って従って、先頭と一緒に地獄に堕ちるのが、典型的な日本人の姿であるとも言える。
それが駄目になったら、みんなまとめて駄目になる
黙って従っていたらメリットが享受できる時代は終わってしまった。
これは、若年層の生き方にも強く影響する。若年層は、「良い大学に行って、良い会社に行く」という「みんながやっていること」に従っていれば良かった。
「良い大学に行って、良い会社に行く」というのは、日本人の人生設計の「流行」だったのだ。
日本人の8割がサラリーマンであるとすれば、日本人の8割が「良い大学に行って、良い会社に行く」という人生設計しか考えていなかったということになる。
だとすれば、サラリーマンという生き方が崩壊しつつある今、この「流行の生き方」では、もう人生が渡っていけないということになる。
なぜ、大学を卒業しても仕事がないのか。
なぜ、就職活動で数十社に断られるのか。
なぜ、就職活動で絶望して自殺するのか。
答えは簡単だ。もう、この流行の人生設計は「時代に合わないもの」「間違った生き方」になっているからである。
人には、いろいろな生き方、いろいろな道、いろいろな哲学があるのに、単に「良い大学に行って、良い会社に行く」という考え方しか用意されていないとすれば、それが駄目になったら、みんなまとめて駄目になるのは当然だ。
良い大学に行って、良い会社に行くという考え方は、国や社会が日本人に押し付けていた「流行」だったのだ。
その「流行」が終われば、流行に乗っていた人間は、みんな終わってしまうのである。事実、今そのようになっている。
流行に乗り、黙って従っていたらメリットが享受できるという日本特有のメリットの時代は終わった。
いつまでも弄ばれるがままになってしまう
日本人の世論は、マスコミが作っている。
新聞社もメディアも、衰退産業とは言えども、いまだに圧倒的なパワーを持った媒体であり、その影響力を過小評価するのは間違っている。
マスコミは、流行(トレンド)を作り出すことができる。
では、そのマスコミが間違うと、どうなるのか。もちろん、先頭が間違うのだから、それに黙って従っている後ろの人間はみんなまとめて間違うということになる。
先頭が歪曲した情報を垂れ流せば、日本人はみんな歪曲した情報を信じ、先頭が世論誘導を垂れ流せば、日本人はみんなそちらに誘導されていく。
だから、「みんなが見ているテレビ番組を、自分も見たい」とか、「みんなが良いというから、自分も良いと思う」という発想がある人は、みんなまとめてマスコミに心を弄ばれることになる。
もうマスコミは信じてはいけないものの代表になっているが、それでも「先頭に従う」という心理状態から抜け出せなければ、いつまでも弄ばれるがままになってしまう。
先頭が右と言えば右、左と言えば左に行くのは、みんな揃って自滅への道を辿っているかもしれない。
今、しなければならないことは簡単だ。
主体性を取り戻せばいい。主体性を取り戻すというのは、自分の人生を取り戻すということにつながる。
何をすればいいのか分からなければ、一番簡単な方法がある。とても、簡単で、すぐにでもできる方法だ。
意識的に押し付けられたものを拒絶する
それは、社会や国やマスコミが押し付ける流行(トレンド)を「拒絶する」ことだ。
・流行(トレンド)を拒絶する。
・押し付けられた意見を拒絶する。
・敷かれたレールを拒絶する。
・自分の哲学とは相容れないものは拒絶する。
流行を拒絶すれば、「では、自分は何が好きなのか?」という話に必ずなっていく。自分が好きなものを自分で選ぶのが主体性を持つということだ。
押し付けられた意見を拒絶すれば、「では、自分の意見は何なのか?」という話に必ずなっていく。自分の意見を自分で選ぶのが主体性を持つということだ。
国や社会が頼りにならなくなってきているということは、そこから自分を切り離して、自分の生き方を模索しなければならなくなっているということだ。
それならば、社会から押し付けられているものを、いったん拒絶することによって、自分を取り戻すことができる。
日本人はいつも「受け入れること」「自分を出さないこと」「従うこと」に重点を置いてきた。だから、無意識にそのような生き方になる。
そんな日本人が覚醒するためには、意識的に押し付けられたものを拒絶することによって、簡単に自分を取り戻すことができるようになる。
人生も、意見も、他人に合わせるのではなく、自分に合わせることができないと、これからの時代は逆に生きていけない。
だから、社会や国やマスコミが仕掛ける流行(トレンド)や世論は、まずは「拒絶」してみて、そこから自分の意見を考えるのが分かりやすい。
覚醒する第一歩となる。
先頭が崖から落ちても次々と従う「レミングの自殺」
これは、他人事だろうか?
http://www.bllackz.com/2013/09/blog-post_25.html?utm_source=BP_recent
そろそろ、優秀な人材の定義を変えなければならない時代だ
かつて、1945年から1950年の日本では、石炭の会社が一流大学の学生の人気の就職先だった。石炭は日本のエネルギーを支える非常に重要なものであると思われていたからだ。
しかし、一流大学の学生が殺到していたその頃が石炭企業のピークで、あとは凋落の一歩を辿った。
同じ頃、衣料品に不足していた日本では、繊維業界も空前の売上を誇り、多くの一流大学の学生が繊維業界に殺到した。繊維業界は未来永劫に成長すると思われた就職先だったのだ。
しかし、一流大学の学生が殺到していたその頃が繊維企業のピークで、あとは凋落の一歩を辿った。
映画産業も、人々の羨望の的であり、一流大学の学生が殺到していたが、やがてテレビの時代が来ると、映画産業は一気に衰退して斜陽産業となった。
化学肥料の企業も、当時は最重要な分野だと言われて一流大学の学生が殺到していたが、やがて衰退して凋落していく。
公務員や官僚には「死亡フラグ」が立っている
バブルの頃は、誰もが不動産産業に入りたがって、まったく関係ない人間も宅建法のような資格を取りに走ったほどだった。
ここでも、一流大学の学生が不動産会社に殺到していたが、バブル崩壊に見舞われると、不動産会社は一気に凋落していった。
この頃は金融機関に就職するのも流行っていたが、バブル崩壊で銀行や証券会社がどうなったのか。不良債権を抱えて身動きできなくなったのが、金融機関ではなかったか。
ちなみに、現在は日本企業がグローバル化に乗り遅れて苦境に落ちる時代だ。
その現状を見て、一流大学の学生は「公務員」を目指しているということを聞く。霞ヶ関で官僚になるのが目標になっているのだという。
公務員や官僚になれば安泰だという発想なのだろう。
そう考えると、公務員や官僚にはかなり強い「死亡フラグ」が立っているも同然だ。
それほど遠くない将来、公務員という立場は衰退し、崩壊し、見るも無惨な立場になっていくということが予測できる。
時代は必ず変わっていく。しかし、多くの人は「目の前の羽振りの良い業種」しか見えない。
次に何が来るのか予測も付かないので、とりあえず「現在素晴らしいもの」に飛びつくしかないと考えている。打算的な人であればあるほど、そうなのだ。
現在「素晴らしい」業界にいれば、まわりもちやほやしてくれるし、すぐに楽できる。しかし、現在が素晴らしいということは後は落ちるだけということでもある。一瞬は良くても、あとはずっとじり貧が続く。
そして、「ここにいてはいけない」と気が付く頃には、もう抜け出せない年齢になっている。
本当は、集まった人材は優秀ではなかった?
ここで気が付かなければならないのは、2点ある。
1点は、一流大学の学生が殺到する産業は、そのときがピークで近いうちに凋落するというのがひとつだ。
一流企業の学生は、その時代で最も輝いている企業から熱烈歓迎されるので、大勢がそこに向かうのだが、それは単なる人気投票で「今は」ナンバーワンであるというだけなのだ。
「今は」そうであっても、「将来も」そうであるとは限らない。むしろ、頂点を極めたら、あとは落ちるだけしかないというのは小学生でも思いつく社会現象だ。それを、なぜか「優秀」な学生が思いつかない。
2000年代、パソコンが全世界を制覇するような勢いで広まり、マイクロソフト社が頂点に立ったが、それを見て多くの一流大学の学生はマイクロソフトに殺到したかもしれない。
それから10年経ってどうなっているのか。スマートフォンやタブレットの時代になって、パソコンは「衰退」に入りつつあるのが分かる。
現在、一流大学の学生はグーグル社に殺到しているが、それを意味するところは、10年後にはグーグル社とそのコアとなるビジネスは「衰退」してしまっているのがほぼ確定しているということだろう。
もう1点は、その業界に一流の頭脳が集まっていても、凋落を止めることができないというのがひとつだ。
これを指して、このような指摘をする人もいる。
「一流大学の優秀な人材が集まった業界は衰退するというが、それほど優秀な人材がいたのであれば、なぜ会社を躍進できなかったのか?」
「本当に優秀なら先を読んで手を打てたのに、それができないとすると、実のところ集まった人材は優秀ではなかったのではないのか?」
「体制が望む方向」に勤勉だったということ
昔から現在まで、日本で「優秀な人材」というと、紛れもなく「有名大学を良い成績で卒業した人」という意味だ。学歴社会のコアになっている考え方がここにある。
一流大学の成績優秀者であればあるほど「良い人材」なのである。これらの学生は、必死に勉強し、熱心に暗記し、勤勉であるのは間違いない。
重要なのは、「体制が望む方向」に勤勉だったということだ。体制が作り上げた価値感に従順だったという言い方もできる。
与えられた課題を一生懸命にこなすという意味で優秀だったのだ。「なぜ、こんなものを覚える必要があるのか?」「なぜ、課題を与えられてこなす必要があるのか?」とは考えない。
不良学生は、逆にこう考える。「なぜ、学校は俺に命令する権利があるのか?」「なぜ、興味のないことを覚える必要があるのか?」
不良学生が不良であるのは、体制に従順ではないという意味で不良であり、優秀な学生が優秀であるのは、体制に従順であるという意味で優秀なのだ。
そう考えると、日本人の優秀な人材とは、必然的に体制に従順であることが分かる。そして、体制を疑わない人間ばかりがトップに集まるということになる。
体制を疑わないということは、体制のあり方に疑問を持って、それを変えて行こうとはしないということでもある。
そういう人間をわざわざ選んだのだから、体制のあり方に疑問を持てという方が間違っている。
世の中が変わっても、体制に従順なので、世の中に合わせようとする発想がない。それが変化できない大きな理由になる。
日本のあちこちが「先延ばし」「事なかれ」「優柔不断」になっているのは、要するに体制に従順な人間がトップにいるということであり、いよいよその弊害が現れているということでもある。
日本はすでに中韓との外交的な衝突を迎えている。今後は軍事的な闘争や暴力の時代に向かう。
その前に準備しておかなければならないのは、こういった従順な人材を一掃し、暴力や衝突に対抗できる人間に入れ替えることだ。
場合によっては、「血だるま」になっても相手に向かって行くような、凄絶な人間が必要になるのかもしれないのだ。
時代は待ってくれないので、逡巡している場合ではない。
日本が生き残るためには、そろそろ優秀な人材の定義を変えなければならない時代になっているのである。
http://www.bllackz.com/2013/09/blog-post_27.html
教育方針は文部科学省が決めている。その文部科学省は、政治家・官僚・企業経営者等に意見を求めてそれを決める。各界から様々な提言があって、それが吟味されて教育方針に盛り込まれていく。
子供たちが卒業したら、その子供たちを雇うのは企業である。だから、日本経団連のような組織が積極的に「教育方針の提言」を行って、その意見が大きく取り入れられる。
日本の教育方針は、日本人をサラリーマンに仕立てあげる場所であると言われるのは、ここに理由がある。
学生が学校を卒業したあと、まったく企業に合わない人間になっていたら、彼らはたちまち路頭に迷う。
だから、子供たちが卒業したらすぐに企業に入ってサラリーマンとして無難に生きていけるように、学校で規格化されるのである。この規格化を教育と言う。
学校は、どうでもいい細かい規則を守らせて、どうでもいいことを覚えさせて、得意を殺して苦手を伸ばして、全員を平均的な人間に仕立てあげる。それは、なぜなのか。
歯車は、規格化されていないといけない
日本の教育は、子供たちを可もなく、不可もないような平均的な人間にする。没個性を強制し、「みんな同じ」にしてしまう。それは、子供たちが平均的な人間であれば、企業の「歯車」として組み込みやすいからだ。
子供たちの個性が爆発したまま卒業してしまうと、企業はその子供たちを「歯車」として組み込めない。歯車は個性的であってはならない。規格化されていないといけないのである。
だから、日本の学校はみんな平均的な範囲で収まるように子供たちを矯正し、没個性にする。
こういった教育方針によく馴染む子供もいれば、そうでない子供もいる。それが学歴の差となって現れる。
学歴は、教育方針に従順だったかそうでなかったかで差が生まれる。先生に言われた通り、あるいは教育方針の通り、何の疑いもなく直進してきた子供は優秀になる。
自分の好き嫌いを優先させ、教師や教育方針に反撥してきた子供は落ちこぼれて「不良」になる。
日本の教育が、日本人をサラリーマンの歯車にするためのものであると分かれば、「不良」というのは、サラリーマンにするには「不良品」であるという意味であることが分かる。
子供たちが教育方針に従順だったかどうかは、学歴を見れば分かるので、企業はその学歴の差で「一流企業に行く人間」「中小企業に行く人間」「見捨てる人間」とふるいにかける。
世の中はそのような仕組みになっている。だから、日本の教育方針に馴染まない子供は、大人になってサラリーマンになっても大して出世もしないし、金を稼ぐこともできない。
子供のときに教育方針に馴染めたかどうかで、日本人の人生はだいたい決まっていると言ってもいい。
「学歴社会」は、企業が作り上げた人間の規格化
経団連のような企業団体が教育制度を提言し、文部科学省がそれに従い、学校が方針にそって子供たちを規格化する。
「学歴社会」というのは、企業が作り上げた人間の規格化であると気付いている人はあまりいないかもしれない。しかし、それは覚えておいた方がいい。
規格化された製品(子供たち)の品質の良し悪しを、企業は「学歴」で見る。一流企業は品質の良い製品(子供たち)を取って、あとは順次、適当に企業レベルに合った人間を学歴で区分けしていく。
もちろん、不良品は弾く。学校の教育方針に馴染めなかった子供は、サラリーマンにしても馴染めないのは分かりきっているので、そんな人間は最初から雇わない。
つまり、学歴のない人間は最初から雇わない。企業が「自分たちの決めたルールに従えないような子供は、一生雇わない」というのが学歴社会なのである。
学校は何かを覚えるだけにある場所ではない。企業が子供たちを選別するためにある場所だ。
企業が子供たちを選別する場所なのだから、企業にとって都合の悪いことは学校では教えない。社会に出て、多くの学生はこのように思う。
「社会の仕組みを教えてもらえなかった」
「起業の方法を教えてもらえなかった」
「世渡りの方法を教えてもらえなかった」
「自分らしく生きる方法を教えてもらえなかった」
しかし、「なぜ」教えてくれなかったのかと考える学生はほとんどいないはずだ。なぜ、学校はある意味「一番重要なこと」を学生に教えないのか……。
企業の「歯車」になる人間は、知る必要がない
企業の「歯車」になる人間には、社会の仕組みなど知る必要はない。起業の方法など覚える必要はない。世渡りなど知る必要はない。自分らしく生きる方法も知る必要はない。
企業の「歯車」になる人間には、そんなものは何ひとつ必要ないのである。歯車は考える必要はない。言われた通り、黙々と奴隷のように働けばいい。
多くのサラリーマンは自分の置かれている状況に途中で気付き、そして自嘲して「自分たちは社畜だ」と言う。
学校は、子供たちを社畜にするための教育場所だったのだ。だから、社会の仕組みも、起業も、世渡りも、そんなことは教えない。教えないどころか、気付かないようにすらしている。
絶対に、現在の教育方針が「自分を社畜にするもの」と気付かせない。
しかし、学校を卒業して、企業の歯車にされていく中で、どんな愚鈍な人であってもふと「なぜ、自分は企業の歯車になっているのだ? なぜ、自分は社畜にされているのだ?」と気付く日がやって来る。
気付いたときにはもう遅い。ずっと続けてきた社畜を辞めるには手遅れなほど長い時間をそこに費やしてきたし、それで生計を立てているのであれば、おいそれと辞められない。
ふと、社畜になっていることに気付いた人はどうするのか。
もちろん、考えるのを止める。自分が社畜であることを忘れさせてくれるものに飛びつく。何があるのか……。
目の前に、テレビがあるではないか。
テレビは、四六時中くだらない番組を報道して、人間を考えさせないようにしている。かつての「セックス、スクリーン、スポーツ」は、今は「ポルノ、テレビ、ゲーム」と言い替えた方が通じるかもしれない。
もがいている人間ほど、娯楽が必要になる
「ポルノ、テレビ、ゲーム」は、ひとことで言えば「娯楽」と称される。
社畜に陥った人間であればあるほど、自分たちの今の状況を忘れるために、ポルノやテレビやゲームと言った「娯楽」が必要になっていく。
社会のワナに気づいた人間や、それを忘れるためにもがいている人間ほど「娯楽」が必要になる。それなしには生きていけなくなる。だから、社畜の多くは「娯楽」の中毒である。
逆に、経団連のようなエスタブリッシュメントは、逆にそれを大量に蔓延させて、「社畜」に自分たちの置かれている立場を考えさせないようにしているとも言える。
(1)子供を学校で企業の歯車となるように作り上げる。
(2)卒業したら企業に組み入れて実際に歯車にする。
(3)社畜の状況を忘れさせるために娯楽を与える。
このようにして、エスタブリッシュメントは、大量の考えない人間を大量に手に入れて、どんどん「使い捨て」にすることができるようになった。
自分が「考えていない」ことすら気付かない人たちの大量出現は、エスタブリッシュメントがそうなるように社会を作っているからだ。それは、なるべくしてそうなったのである。
組み込まれた人は気付いていけない。それに気がついてしまった人間は、鬱病となって精神を病むからだ。
精神を病んでしまった人を見て、規格化された人はますます恐怖におののき、「考えない」ようにする。テレビは低脳であればあるほどいい。低脳になれば、自分の置かれた状況も考えられないので、結果的に幸せになる。
学生は、これに気付かない方がいいのかもしれない。普通の人生を歩みたい学生がこんなことを知れば、生き方に迷って気が狂ってしまうからだ。
歯車は何も考えなくてもいい。ただ回っていればいいのだ。
http://www.bllackz.com/2014/12/blog-post_26.html
日本はまだ多くの人々がきちんと生活していけている素晴らしい社会であり、さらに途上国のように社会の混乱や暴力が蔓延しているわけでもない。
徐々に衰退しているのは確かだが、日本にはまだ底力があり、それなりに国家的地位もある。暴力と無法が蔓延する中東や南米の国々とは違って、秩序も保たれており、人々は安心して生きている。
しかし、今の日本ほど閉塞感、無力感、先の見えない不安感、自信喪失が蔓延している社会はない。そして、多くの日本人は日本で暮らして「幸せ」だと感じていない。
実は、幸せはGDP(国民総生産)とは何ら関連性がないことが知られている。つまり、国が豊かであっても、国民が幸せを感じるかと言えばそうではないのである。
皮肉なことに経済的に問題があるような国の国民の方が、逆に幸せを感じているという結果となっている。日本よりも経済的にはるかに劣るフィリピンやインドネシアの人々の方が、日本人よりも幸せを感じて暮らしている。
日本を縛り付ける4つのブレーキとは?
日本は「前例主義」である。それは、前例がないことをやると批判されるという意味である。新しいことをしようとすると、それは前例がないので、
誰もが「自制」する。あるいは自制させられる。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。
日本は「横並び主義」である。それは、まわりを見回して、まわりと違うことはしないということだ。あるいは、敢えてまわりに合わせるということだ。
まわりに合わせるために、自分の行動を調整する。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。
日本は「事なかれ主義」である。それは、衝突が起きそうになると衝突を起こさないように我慢するということだ。正しいか間違っているかはともかく、自分が我慢して場を収める。
あえて軋轢や衝突を起こさないために、自分を抑制する。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。
日本は「先延ばし主義」である。それは、サラリーマン社長のやっていることを見てもよく分かる。自分の任期中は「つつがなく」過ごせればいいので、面倒なことやリスキーはことはすべて先に延ばしてしまう。
先に延ばすことによって自分の身分を保身する。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。
(1)前例主義
(2)横並び主義
(3)事なかれ主義
(4)先延ばし主義
そのどれもが、自分自身の行動を縛り付けるものであることに気付いてもいい。社会にこの4つが強固に機能しているということは、つまり社会があなたを「抑圧している」ということなのである。
社会が機能していない途上国の方が幸せな理由とは
日本の社会はあまりにも、秩序を重視するあまり、それが人々を強烈に縛る「見えない鎖」と化して、人々を閉塞感や無力感に追いやっているのである。
どんなに才能や能力があっても、人間にブレーキをかけさせる4つの主義が働いていると、行動することができないほど縛られてしまう。これが、日本に根深い自信喪失を生み出していると言える。
自分の行動がいちいち抑制されるのだから、やる気が削がれて無気力になり、将来が不安になっても仕方がない。
そう考えると、なぜ経済破綻しているような南米の国家や、途上国に分類される国の国民が、逆に幸せを感じているのかも分かってくる。
途上国では、幸か不幸か国家や社会の規制力が弱い。前例があろうがなかろうが生き延びるために「何でもしなければならない」し、「何でもしろ」という行動が求められている。
他人と同じでなければならないという規制力もない。生きるのに必死だから、他人と衝突することも厭わない。先延ばしなどしていたら死んでしまうから、常にやるべきことをやる。
もともと物を持っておらず、失敗しても失うものもないので、思いきって行動ができる。
つまり、経済破綻しているような国では社会が脆弱なので、逆に国民は規制に縛られることもなく、思いきり自分を解放できるのである。
秩序もなく、物質的豊かさもなく、法的規制も弱く、治安も悪いのだが、だからこそ「やりたいことを全力でできる」という社会になっている。爽快な開放感が、そこにある。
「新しいタイプの日本社会」を模索する時代に
日本は組織や国家に「何でもかんでも規制してもらう」ことによって安全や秩序や安心を手に入れたとも言える。しかし、その社会的秩序は、他人を法や常識で縛ると同時に、自分もまたそれに縛られる元になる。
日本の治安は素晴らしいが、その素晴らしさを維持するために、自分もまた縛られている。しかし、社会を安全に清潔に規則正しくするために、日本人は自分も縛られることを敢えて受け入れたのだ。
その結果、自分自身もまた、「本当はこんなことをしたいのだが、前例はあるのだろうか。なければやめておこう」とか、「こんなことをしている人はいないので、他人がしていないのならやめておこう」とか「こんなことをしたら風波を立てるからやめておこう」とか「こんなことをしたら何を言われるか分からないから先延ばしにしよう」という話になっていく。
しかし、あまりに社会全体がこの4つのブレーキが強く効きすぎた結果、日本人すらも社会に対して閉塞感を感じるようになり、今やそれを通り過ぎて「窒息感」にもなっているようにも見える。
また、日本の社会は今、激変する世界の動きの中で、急激に取り残されようとしており、それが経済の衰退や日本の尊厳の低下となって現れている。
いよいよ日本の今までの社会は時代遅れになって規格に合わなくなっており、「新しいタイプの日本社会」を模索していかなければならない局面に来ている。
それには、日本を縛り付けている「4つのブレーキ」を大胆に取り外して、跳躍することが求められている。
幕末・明治維新の混乱期は、名もない下級武士が歴史を変えたのと同様に、新しい時代はまだ何も持っていない人間が変える。社会が激動するときは、いつも名もない人間が既存社会を打ち壊して新たな社会を作り出す。
日本の閉塞感は極まっている。いよいよ、日本を変える一群が生まれても不思議ではない。
幕末・明治維新の混乱期は、名もない下級武士が歴史を変えたのと同様に、新しい時代はまだ何も持っていない人間が変える。社会が激動するときは、いつも名もない人間が既存社会を打ち壊して新たな社会を作り出す。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150327T1736020900
規格化された存在が色あせ、逆に「ワケあり」が輝く時代に
世の中は面白いもので、規格化されて何もかもがきちんと整備されてしまうと、それ自体が当たり前になって特徴をなくす。
そして、逆に規格化されていない「不良品」だと思われていたものが輝きを増す。
たとえば、よく買い物に行く人は「ワケあり」商品を見ることがあるはずだ。
ワケあり商品というのは、本来は規格品から外れて売り物にならなかったものである。それを、きちんと「ワケありです」と提示しながら売る。
その手法が生まれたとき、「これは発想の転換だ」と多くの人が捉え、そしてそれが面白いと感じて、逆にそちらの方が売れるという現象になっていった。
今ではこの「ワケあり商品」は生鮮食品だけでなく、衣料品から、電化製品まで、あらゆるジャンルで使われていて、ごく当たり前の売り方になっている。
「これはダメだ」と思われた部分が売りになる
この「ワケあり商品」は、「これは売れない」「これはダメだ」と思われた部分が逆に売りになっているわけであり、欠点が逆に利点になっているという希有なケースとも言える。
野菜でもそうだが、本来であれば不揃いな野菜は弾かれる。あるいは、形の悪い野菜も弾かれる。
それは、味や品質に何の問題もないのだが、ただ「見てくれ」が悪いだけで弾かれていたものである。正規品の仲間に入れてもらえず、はみ出し、そして規格品のレベルから見ると「不良」とレッテルを貼られたのだ。
そして、実際に「ワケあり」という売り方が為されるまで、それは見向きもされなかった。ただ見捨てられていたのである。ところが、
(1)欠点があるということを正直に明示する。
(2)欠点があっても品質は変わらないと謳う。
(3)実際に他には瑕疵がなく、信頼できる。
という3点を明示・保証することによって、逆に「ワケあり」が信頼の証になったのだ。
そして、場合によってはワケあり商品の方が、規格化されたものよりも売れるという皮肉な結果さえも生み出すようになっていった。
何もかもが規格品の世界では、「規格化されていない」ものが、逆に個性として大きな「売り」になっていく。「ワケあり商品」が生み出した市場というのは、まさにそれを証明した象徴的なものであったと言ってもいい。
これは、意外に重要な事実であると言える。なぜなら、「私たちの人生」にも関わってくるものだからだ。
サラリーマンとは、言わば「規格品」である
ところで、日本人の8割はサラリーマンであると言われているが、サラリーマンの特徴は、その「均質化」だ。人々は似たような服を着て、似たような仕事をして、似たようなところで、似たようなことをして過ごしている。
サラリーマンとは、言わば「規格品」であると言ってもいい。現代の規格品、人間社会の規格品だ。
そして、この人間の規格化を推し進めているのが「学校教育」でもある。学校教育は、本来はあちこち尖ってバラバラの個性を持った子供たちを、均質的にする場所でもあった。
学校は得意を封じて欠点を引き上げることによって、人間の均質化を生み出している。この日本で行われている教育の本質はこちらに詳しく書いた。
(日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20140116T1554000900
学校は「尖ったもの」を持つ子供たちを矯正させる。学校教育が長所も欠点もない均質的な子供を大量生産するのは、企業が「歯車となる人材」を求めているからである。
企業に入って組織の一員になるということは、企業の歯車になるということでもある。歯車なのだからどこかが尖っていたり、欠けていたりしたら回らない。均質的であることが求められるのだ。
だから、教育は均質的な人間を作り出し、企業は大学のレベルで規格化された卒業生を雇うという動きになっていた。
人間の規格化は、学校教育や企業社会の中で、私たちには「逃れられないもの」であったと言える。
今までは、それで日本はうまく回ってきた。今までの会社は年功序列であり、終身雇用でもあったので、規格品の歯車であった方が「生きやすい」という時代だった。
だから、多くの人は自分が規格化された人生を歩んでいるということを薄々感じながらも、黙ってそんな人生を生きてきた。それで、食うに困らないのだから、誰もが嬉々として規格品になったとも言える。
その一方で、学校の規格化や企業社会の規格化に馴染めなくて、そこからはみ出した「不良=不良品」がいる。規格化された人間が求められている社会の中で規格外(不良品)なのだから、彼らは冷遇されたままだ。
「不良品」だと思われていたものが輝きを増す
しかし、時代はいよいよ変わって来た。大手企業でも、もはや終身雇用を維持できなくなり、人材は「使い捨て」となった。規格品でいても、捨てられるのだ。
グローバル化、インターネット化、オープン化によって、社会は劇的に変わった。既存のビジネスモデルが通用しなくなっていき、企業はその対応を迫られるようになった。
その中で、「尖った」人間の発想や行動力が必要な局面も多くなってきている。
新しい産業、新しい技術、新しいイノベーションを起こしたり、そこで生き残るには、規格品では間に合わなくなっている。規格化された人間の存在が色あせた。
今まで規格品として生きてきた人間に、突如として規格外のことをやらせたり、考えさせたりしても、なかなか常識を打ち破ることができない。規格品は、イノベーションのために訓練されてきていなかったからである。
日本の大企業のほとんどが停滞してしまっているのは、トップが「サラリーマン社長」であり、しょせん規格品の発想しかできないからであるとも言える。
日本は今、ありとあらゆる分野で規格化されてしまったが故の停滞が生まれてしまっている。社会システムの、何もかもが規格化されて整備されてしまうと、それ自体が当たり前になって特徴をなくすのだ。
だから、逆に規格化されていない「不良品」だと思われていたものが輝きを増す。
まだ日本社会は、規格外として弾き飛ばされていた「尖った人間」たちを「ワケあり」として発掘していない。また、規格品ではないと弾き飛ばされた人たちも、自分たちの潜在能力に気付いていない。
しかし、「ワケあり」商品がひとつの大きな売りとなって正規品よりも売れるようになっているのと同様に、これから人間そのものも「ワケあり」の人間たちがその潜在能力を発揮できる時代となる。
いろいろな規制や配慮や制限で窒息しそうな日本の社会を打ち壊していくのは「規格品」とは思えない。むしろ、今は「ワケあり」として敬遠されている人間であるはずだ。
果たして、どんな「ワケあり」の人間が世の中を変えていくことになるのだろうか。
いろいろな規制や配慮や制限で窒息しそうな日本の社会を打ち壊していくのは「規格品」とは思えない。むしろ、今は「ワケあり」として敬遠されている人間であるはずだ。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150407T1711100900
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c8
特に皮肉たっぷりでドンピシャ的を射てる5さんのコメに笑ってしまった。同意します。
見抜けないおバカさんは政治無関心層。私も過去は政治無関心だったが、それはある意味、ある程度の安心感だった。酷い政治でも取り敢えずは最低限のことはしてるかな?と。
しかし、安倍が出てきて驚いた。こいつ最悪の政治思想。軍産複合政治家か?戦争屋?極右だと思って危険人物だと思ってたらなんちゃってウヨク=ネトウヨご都合主義ではないか。右翼にも認めて貰えない、極右よりさらに酷い。
そうこうしている内に、自民公民が悪政を野放しにし、無茶苦茶やってもテレビはまともな批判をしない体制になってる。NHKに至っては戦後最悪なプロパガンダに成り下がった。現代とは思えない客観的視点のない報道体制。先祖帰りと言うのか?おかしな空気が流れててさらに驚いた。
このプチ戦前のようなおかしな空気感を体験すると、なぜあの愚かな戦争に進んだのかの手がかりががわかる気がする。あの時もバカな連中に日本が支配されたんだなと。
人間は70年も経つと愚かな歴史を忘れるのかな。過去に学べよバカども。
日本人の8割がサラリーマンだと政府統計にあるが、これを異常事態であると思わない人は多い。しかし、これはどう考えても異常事態である。
日本人はサラリーマンという生き方が好きで好きで仕方がないというわけでもないはずだ。「社畜」という自嘲の言葉もある通り、嫌でサラリーマンをやっている人も多い。
自分には合っていない、好きでない、辞めたいと、爆発しそうな不平不満を抱えながら耐えている人も山ほどいる。
サラリーマンという生き方は、別にそれ自体が悪いわけではないし、それが間違っているというわけではない。しかし、誰も彼もがサラリーマンになるというところに異常性がある。
これだけ多様化し、様々な職業がある中で、日本人のほとんどがサラリーマンになっている。これは日本人が「平均的教育」で洗脳され続けた結果であると言える。
学校は子供たちを徹底して「平均的な人間」に仕立てあげる場所である。そこで洗脳されてしまったら多くの子供たちが、良くも悪くもない「取り替え可能な規格品」になる。
あなたは、平均的な人間に作り上げられた
学校は、子供たちを採点する。そして、子供たちの苦手を見付けてそれを補正させる。得意な部分を伸ばすのではなく、苦手な部分を引き上げさせる教育をするのだ。
そうすると、子供たちは可もなく不可もない「普通の人間」となっていく。子供たちは、みんな平均的になっていき、子供たちも平均的であることを当たり前であると考える。
平均的であることのメリットは、ほどほどに生きていけるということだ。自分が嫌いなものでも取り組むことができて、耐えながら生きていくことができるようになる。
つまり、日本の教育に強い影響を受けると、サラリーマン向きの人間になっていく。
日本は昔から集団主義の国だが、集団主義の中では平均的であることが喜ばれる。なぜなら、人間がみんな平均的であると組織の歯車にするには好都合で、その人が壊れれば他の人でも取り替えが可能だからである。
サラリーマンというのも平均的な人間の集団で出来ており、その人が壊れても、すぐに他の人で補完できるようになっている。日本の組織が強いのは、要するにそれだけ平均的な人間の補充が山ほどあるからだ。
これは日本人にとって、今までは悪いことではなかった。
日本の企業は終身雇用をモットーにしていたし、どこの企業も社員を家族のように扱っていたから、サラリーマンになって組織の一員であり続けるというのは、安心できる生き方だったのだ。
今まではそれが正しかった。しかし、これからも正しいのかと言えば、そうでもない。
現代は、労働力の「薄利多売」が発生している
世の中がグローバル化した結果、「労働力を提供する」という人間が途上国から数億人も出てくるようになった。つまり、労働力そのものが、腐るほどありあまるようになった。
また、グローバル化によって企業間の競争も激しくなったので、社員を終身雇用で雇う体力もなくなっている。
そうなると、社員を囲い込むメリットは企業側にない。
なにしろ、安い価格でも悪条件でも構わずに働く人が、世界中でうじゃうじゃと見つかるようになったのだ。労働力の「薄利多売」が発生したのだ。
それなら安い労働力を使った方がいいわけで、わざわざ先進国の高い賃金の労働者などいらない。
その結果、企業は社員の給料をどんどん引き下げて、「嫌なら辞めろ」と言えるようになった。辞めさせれば辞めさせるほど、低賃金の人間に置き換えられるのだから、企業にとっては好都合でもある。
実際、正社員はどんどん切られて非正規雇用に変えられており、給料も引き下げられている。
残った正社員にも残業代を払わないとか、早期退職に追いやるようなこともしている。
もちろん、雇用のミスマッチが生まれて働き手がいなくて四苦八苦する業界もあるが、すぐにどこかから外国人労働者を発見して、彼らを雇い入れるようになるだろう。
つまり、もうサラリーマンという稼業を続けるメリットは失われた。それと同時に「平均的な人間」という範疇にいることが自分の人生を守ってくれることもなくなった。
今後は、平均的であるというのは、じり貧になるということに直結する。
情熱が止められないものの専門家になるべき
現在は、労働力の価値が暴落している時代だ。労働力は100円ショップの商品並みに安いものとなっており、単に「普通の労働力」を提供するだけでは、もう生きていけない世の中になっている。
生きていくためには、専門知識や専門技術を提供できる専門家(スペシャリスト)にならないといけないのである。
スペシャリストは、知識があり、経験があり、訓練され、特別な問題解決能力が必要なので、取り替えがきかない。何らかの専門家になると、その能力が高い収入を生み出し、食いっぱぐれがなくなる。
では、何の専門家になればいいのか。もちろん、自分が得意なもの、自分の才能の発揮できるもの、好きなもの、情熱が止められないものの専門家になるべきだ。
日本人は日本の教育制度のせいで、どうしても人よりも苦手なところや、劣っているところを補完しようとする。つまり、短所を治そうと努力する。
だから、日本人の勉強は「苦手なものを補う」という勉強であり、勉強そのものが苦役になる。しかし、苦手を補完しても、せいぜい「普通の人」になるだけだ。
そうではなくて、自分の才能を遺憾なく発揮できる分野の専門家にならなければならない。のめり込むほど好きになれるものは突出できる。
突出すれば、自分自身の市場価値が上がる。専門性を持った人間は、その専門を極めることによって重要人物となる。
グローバル化した社会は、何らかの専門を極めた人間が金を稼ぐ社会である。
苦手など、どうでもいい。あなたは、苦手を補完しようと努力するよりも、自分の才能に投資してそれを突出させて、世間に通用する専門家になるべきなのである。
自分の才能と得意を活かして「専門家」になれるかどうか。
加速していくグローバル化社会では、それが運命の分かれ道になる。
http://www.bllackz.com/2014/08/blog-post_23.html
あなたの才能も、「出る杭」と見なされて打たれてきたはず
どこの世界でもそうなのだが、今までの秩序をつぶすような形で目立つと、どんなに才能があろうが能力があろうが、まわりから「図々しい」「立場をわきまえていない」と思われて潰されてしまう。
日本では、これを「出る杭は打たれる」という。
才能があればあるほど、そして能力があればあるほど、「危険人物である」と思われて潰されていく。
特に日本の場合は年功序列の時代が長かったので、上司を凌駕するような能力を持っていると、潰されるばかりか、警戒されて排除されることもある。
能力がある者が能力を発揮できないような悲しい状況に置かれるのである。
もっとも、「出る杭が打たれる」のは日本特有の心理構造ではなく、全世界のどこでも起きている。才能を持った人間は、秩序を崩壊させる異端者として、どこの世界でも嫌われる。
それを自分で殺して、今のままでいようとする
革新的なビジネスプランを持った若い経営者は潰される。あまりにも超絶的な才能を持った人間も業界から追い出される。
今までの世界を覆すような斬新なアイデアを持った表現者も、やはり受け入れられるよりも排除されることが多い。
そんな超絶的なものでなくても、集団の中でただ単にリーダーシップを取ろうとするだけでも、「出る杭は打たれる」そのままに、まわりから打たれたり、妬まれたり、批判されたりすることもある。
あるいは、まわりに合わせるのではなく、ただ自分らしくしているだけで浮いてしまって「出る杭は打たれる」状態になってしまうこともある。
人は誰でも「こうしたい」「こうなりたい」という夢を持っている。しかし、夢を持って前向きに生きようとすることすらも、まわりに嫉妬や憎しみを生み出す元になって叩かれることもある。
前向きに夢を持った人を叩くというのは、冷静に考えると不可解にも思えるが、その夢が実現したら追い抜かれた自分たちが惨めになると思うと、どうしても夢を壊そうとして足を引っ張る人が出てくる。
その現実を見て、多くの人は自分の才能を開花させるよりも、それを自分で殺して今のままでいようとする。
人は誰でも、まわりに批判され、憎まれ、悪口を言われ、時には罵倒されたり中傷されたりされたくない。そんな目に遭うのなら、何もしない方がいいと思ってしまう。
何もしないと「何もできない」と言われて中傷されるので、結果的には同じなのだが、努力して叩かれて失敗するというのは、恥ずかしいことだ。それなら、何もしない方が気持ちが楽だということになる。
その夢が実現したら追い抜かれた自分たちが惨めになると思うと、どうしても夢を壊そうとして足を引っ張る人が出てくる。
彼女たちの多くは「わたしは無理なの」と言った
世の中には才能のある人も多いのだが、やはり「出る杭は打たれる」ような状況の中で、才能を発揮する前に潰されていったり、自分から才能を捨ててしまうことも多い。
今まで、いろんな女性と出会ってきた。彼女たちの中には、とても歌がうまい女性もいて、私という観客ひとりにベッドの上で歌ってくれる女性も何人もいた。
あるいは、本当にたくさんの言語をたくさん知っていて、タイ語、インドネシア語、クメール語、英語、フランス語と、次々と言葉を切り替えて、私を楽しませてくれる女性もいた。
あまりよく目が見えない女性もいて、暗い部屋の中、紙を折って精巧な置物を作っていた女性もいた。アーティストだな、と私はしみじみと思った。
みんなそれぞれ才能を持って、もしかしたらその才能で自立できるのかもしれないと思ったが、彼女たちの多くは「わたしは無理なの」と言った。
本当は無理ではないのかもしれないが、彼女たちはその才能を発揮したくないと考えており、自分の持って生まれた才能を捨ててしまっているように見えた。
フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフも売春地帯から出てきた女性だが、路上で歌っているところを「発見」されてフランスの国民的歌手になっていった。
タイのプンプアン・ドゥアンチャンや、ターイ・オラタイも、恵まれない人生から才能ひとつで国民的歌手になっていった。
ということは、私が知り合った売春地帯の女性の中の誰かが、そこから羽ばたいて大きな才能を開花してくれる可能性もゼロではないと考えることもできる。
必死で生きている女性たちが、持って生まれた才能が認められて大きな存在になっていくのは、とても素晴らしいことだし、それを願っている。
死んでなお敬愛されるプンプアン・ドゥアンチャン。
Loke Khong Peung Pumpuang Duangchan
https://www.youtube.com/watch?v=OBnZ7GpvweU
「磨けば光る」ものを放置した挙げ句に捨て去る
自分の持って生まれた「良さ」や「才能」や「能力」というのは、それが自分のものだから、何か重大な価値があるもののように思えないのかもしれない。
傍から見たら才能があるとすぐに分かるのに、自分自身がそれを否定してしまい、「磨けば光る」ものを放置した挙げ句に捨て去るようなことをしてしまう。
得意を捨てて苦手で生きるのだから、生きにくい人生になってしまうのは当然だ。
本当は自分の中にある才能や能力を大事に、そして慈しんで育てて上げなければいけないのだが、まわりが「出る杭は打て」と言わんばかりに、寄ってたかって潰してしまう。
人は不思議なことに、肯定的な意見よりも否定的な意見の方を強く認識してしまう癖があって、そういった否定を投げかけられると動揺し、無意識にそれを受け入れてしまう。そして今度は、自分で自分を否定するようになってしまう。
「出る杭は打たれる」というのは、誰にとっても他人事ではない。それは、誰にでも起こりえる経験だ。
もしかしたら、あなたにも希有な才能があって、まだ種が発芽していないのに、発芽する前から踏みにじられてしまっているのかもしれない。
世の中は何でもそのようになってしまっているので、それはあなたも無縁ではなかったはずだ。とすれば、本当に必要なのは、自分で自分の才能を慈しみ、育て、愛し、信じることだと言うしかない。
人は不思議なことに、肯定的な意見よりも否定的な意見の方を強く認識してしまう癖があって、そういった否定を投げかけられると動揺し、無意識にそれを受け入れてしまう。そして今度は、自分で自分を否定するようになってしまう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150320T0529230900.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c9
日本戦後史論 – 2015/2/28
内田樹 (著), 白井聡 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2%E8%AB%96-%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9/dp/419863906X
という対談本が注目を集めている。
著者は内田樹(たつる)氏と白井聡氏の人気論客ふたりで、憲法改正、集団的自衛権の行使容認、原発再稼働など、ここ数年、日本が直面する諸問題について「戦後の歩み」という視点から分析し、警鐘を鳴らしている。
戦後日本は「対米従属を通じて対米自立を実現する」という「葛藤」の中で成長してきた。だが、ここ10年、日本は葛藤を捨て思考が停止していると、ふたりは怒りを露(あらわ)にして訴える。
(前編記事→ 内田樹×白井聡、ベストセラー論客が怒りの対談!)
* * *
―なぜ、日本人は考える力を失い、成長や成熟を拒否するようになったのでしょう?
内田 「青年」がいなくなったことが大きく関与していると思います。
日本社会に子供と大人の両方をブリッジする「青年」という立場が生まれたのが、明治40年代です。それ以前は、子供は元服を経て、いきなり大人として扱われた。
明治維新の後、欧米列強に伍して一気に近代化を遂げなければならないという時には子供と大人の中間に青年という社会的な層が構想された。近代化のためには、十分な社会的能力がありながら環境の変化に対応できる柔軟性を備えた集団がどうしても必要だったからです。
夏目漱石が『三四郎』や『坊っちゃん』を、森鴎外が『青年』を書いたのは、それまで存在しなかった「青年」をロールモデルとして提示するためでした。
白井 それらは青年が大人になろうと葛藤する物語ですね。
内田 そうです。『坊っちゃん』の主人公が松山の中学校を辞めたのは1905年です。当時20歳なら、「坊っちゃん」は1885年生まれということになる。
つまり、敗戦の年、1945年に「坊っちゃん」は60歳だったということです。この世代が日露戦争、第1次世界大戦、大正デモクラシー、大恐慌、満州事変以後の戦争を経験し、敗戦までの日本を事実上牽引(けんいん)してきたわけです。彼らが近現代日本において、子供たちの自己造形のロールモデルだった。善し悪しは別にして、「坊っちゃん」や「三四郎」的な青年たちをモデルに子供たちは大人になる道筋を学ぶことができた。
その「青年」たちが消えたのが東京オリンピックの頃です。「坊っちゃん」が80歳になった頃に「青年」たちは社会的な指南力を失った。そして、子供たちは成長の手がかりを失ったのです。
白井 本当の大人というのは理想を持っていて、その理想とは程遠い現実との間で葛藤する。その葛藤に耐えることができるのが「大人」だと思うんです。葛藤を避けて「現実がこうだから仕方ないだろう」って諦めるのは大人じゃなくて「老人」なんですよ。
日本の社会からそういう大人がいなくなったので、「青年」も必要なくなった。ひたすら現実を受け入れるしかないなら、最初から理想なんて持たないほうが効率的です。そうやって日本は「子供からいきなり老人になることを要求される社会」へと変質したのだと思います。子供と老人しかいない。
内田 今の日本に、かつての元服に相当するような通過儀礼があるかといえば「就活」がそれに当たるかもしれません。ただし、就活は子供たちがある日突然、全員同じ服装をして、同じ言葉遣いをして、同じ価値観を共有することを制度的に求められるわけで、別に子供たちに「大人になること」を求めているわけではない。
むしろ、理想も正義感も捨てて、上の人間の言うことに無反省に従属する「イエスマン」になるための儀礼でしかない。
白井 その結果、日本はこの20年ぐらいで、普通の企業でも官僚の世界でも大学でも上層部は「イエスマン」しかいない社会になってしまった。
表向きは「個性が大事」とか言いながら、少しでも会社や上司に批評的なことを言ったり、大多数の人間と違う視点で考えたりする人間というのは非常に嫌われる。葛藤していない人間、つまり成熟していない大人のほうが出世できる仕組みになっている。
一方、上に立つ人間も自分が葛藤を捨てているので、下から何か異論を挟まれると、その異論を処理する能力もない。そう考えると日本社会の一番上にいる安倍首相というのは、そうした人間の典型で、彼のようなキャラクターというのが日本人のデフォルトになりつつあるということだと思うんです。
もちろん安倍首相にだって、個人的な内面の葛藤があったはずです。でも、彼はどこかの段階でそうした葛藤を殺しちゃったんでしょう。葛藤している人というのは、自分の中にもうひとりの自分がいて、絶えず「本当にそれでいいのか?」「違うんじゃないか?」と、心の中の「相方」が話しかけてくる。ですから、葛藤している人間は他人の意見もよく聞く。
最近の沖縄問題に関する議論でもそうですが、安倍さんが異論に対してまったく対話できないのは、彼が内的な葛藤をすべて捨てて、自分の中にシンプルなキャラクターを設定したことで成功を収めたからだと思います。その結果、自分に対してイエスという声しか聞こえない。
日本人が青年期を失い、社会が葛藤や逡巡(しゅんじゅん)を受け入れなくなって、大人への「成長」を放棄した人間がトップにまで上り詰めるような国になったということでしょう。
―日本はこの先どうなってしまうのでしょう?
内田 子供たちがバカをしても、まっとうな大人が要所を押さえていれば社会は回る。それくらいの余裕をもって社会は制度設計されています。でも、今ほど子供が増えて、大人が減ってくると、システムが綻(ほころ)びてくる。
集団が生き延びるためには、一定数の大人がどうしても必要です。「他の連中が好き勝手に子供をやっていても、せめて自分くらいは大人にならないと社会は回らない」と腹をくくる人が出てこないと話にならない。
白井 去年、大学の授業で延々と原発問題の話をしていたのですが、原発被災地から避難してきた学生がいて、「事故が起きた時、周りの大人たちは2、3日で帰れると思っていたけれど、自分はもう二度と故郷に戻れないと直感した」と言うんですね。
その学生が「授業を受けて、一番大事なことは自分の頭で考えることだと思った」とレポートに書いてきた。
原発事故の被害者だからこそ、自分は成熟しなければならない、大人にならなきゃいけない、周りの大人たちは見かけと違って大人じゃなかったと気づいたということですよね。そういう若者がどんどん増えてこないといけない。
内田 最近、政権与党や官邸があからさまな形で大手メディアに圧力をかけたり、メディアの側がそれに迎合したりというのが問題になっているけれど、それで徹底的な報道管制ができるわけではない。統制の及ばないメディアはいくらでもあるし、海外の新聞の日本についての報道もネットで簡単に読める。戦前とは状況が違います。
今の日本の状況を正確に理解して、自分の頭で考えて、大人になる道筋は整っている。あとは本人の決意の問題です。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c10
世界のトップエリートたちは現在、必死に美意識を鍛えています。
一方、日本では偏差値は高いが美意識が低く、それが看過できない問題の元凶になっているようです
現在、世界のエリートは必死になって「美意識」を鍛えています。グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、ニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、こけおどしの教養を身に付けるためではありません。彼らは極めて功利的な目的で、「美意識」を鍛えているのです。
なぜならば、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足を置いた経営、いわばサイエンス重視の意思決定では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。
「偏差値は高いが美意識は低い」エリートたち
一方、残念ながら現在の日本企業の多くは、経営にかかわる人たちの美意識がほとんど問われません。すなわち、日本のエリート組織の多くは「偏差値は高いが美意識は低い」という状態で、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていく、一種のゲームのような状態に陥っています。ここでは「真・善・美」が問われず、それが、DeNAのコンプガチャやWELQ問題をはじめとして、続発する企業のコンプライアンス違反の元凶になっています。
「偏差値は高いが美意識は低い」という問題の闇を語るうえで避けては通れないのは、オウム真理教です。この宗教集団の特徴の一つとして、幹部が極めて高学歴の人間によって占められていた、という点が挙げられます。有罪判決を受けたオウム真理教幹部のリストを並べてみると、東大医学部を筆頭に、おそらく平均の偏差値が70を超えるのではないかというくらい、高学歴の人物を幹部に据えていたことがわかります。
地下鉄サリン事件が世間を震撼させたとき、これらの名だたる有名大学を卒業したエリートたちが、なぜあのように邪悪で愚かな営みに手を染めたのか、ということがしきりにワイドショーなどで騒がれました。しかし私は、当初からこの問いの立て方はポイントを外していると思っていました。
ワイドショーのコメンテーターに言わせれば、オウムの幹部連中は、受験エリートである「にもかかわらず」、愚かで邪悪な宗教に帰依した、つまり二つの事実を整合性の取れないものとして逆接でつないだわけですが、私は逆に、彼らがまさに受験エリートである「からこそ」、オウム真理教に帰依していったのだろうと思っていました。
その理由は、オウム真理教が提唱していた奇妙な位階システムにあります。オウム真理教では、修行のステージが、小乗から大乗、大乗から金剛乗へと上がっていくという非常に単純でわかりやすい階層を提示したうえで、教祖の主張する修行を行えば、あっという間に階層を上りきって解脱することができる、と語られていました。
これはまさに、オウム真理教に帰依していった受験エリートたちが、かつて塾で言われていたのと同じことです。オウム真理教幹部の多くが、事件の後になんらかの手記や回想録を著しています。これらを読むと、彼らのほとんどが、大学を出た後に社会に出たものの、世の中の理不尽さや不条理さに傷つき、憤り、絶望して、オウム真理教に傾斜していったことがわかります。
オウム真理教における「著しい美の欠如」
このように、わかりやすい位階システム、つまり強く「サイエンス」が支配している組織において、どのように「アート」が取り扱われていたのか。オウム真理教における「アート」について、小説家の宮内勝典氏は著書『善悪の彼岸へ』の中で、次のように指摘しています。
オウムシスターズの舞いを見たとき、あまりの下手さに驚いた。素人以下のレベルだった。呆気にとられながら、これは笑って見過ごせない大切なことだ、という気がしてならなかった。オウムの記者会見のとき、背後に映し出されるマンダラがあまりにも稚拙すぎることが、無意識のままずっと心にひっかかっていたからだ。(中略)
麻原彰晃の著作、オウム真理教のメディア表現に通底している特徴を端的に言えば、「美」がないということに尽きるだろう。出家者たちの集う僧院であるはずのサティアンが、美意識などかけらもない工場のような建物であったことを思い出してほしい。
偏差値教育しか受けてこなかった世代は、あれほど美意識や心性の欠落した麻原の本を読んで、なんら違和感もなく、階層性ばかりを強調する一見論理的な教義に同調してしまったのだ。後にオウムの信者たちと語りあって、かれらがまったくと言っていいほど文学書に親しんでいなかったことに気づかされた。かれらは「美」を知らない。仏教のなかに鳴り響いている音色を聴きとることができない。言葉の微妙なニュアンスを汲みとり、真贋を見ぬいていく能力も、洞察力もなかった。
宮内勝典『善悪の彼岸へ』
宮内氏のこれらの指摘をまとめれば、オウム真理教という組織の特徴は、「極端な美意識の欠如」と「極端な階層性」ということになります。これを本書の枠組みで説明すれば、アートとサイエンスのバランスが、極端にサイエンス側に振れた組織であったと言い換えることができます。
情緒や感性を育む機会を与えられず、受験勉強に勝ち残った偏差値エリートたち。彼らは、いわば「極端に単純化された階層性への適応者」でした。極端に単純化されたシステムの中であれば、安心して輝いていられる人たち。
しかし、実際の社会は不条理と不合理に満ちており、そこでは「清濁併せ呑む」バランス感覚が必要になります。彼らはそのような社会にうまく適応できず、オウム真理教へと傾斜し、やがて外界をマーヤー(幻)として消去させようとしました。
さて、ここまで、オウム真理教という、かつて日本を震撼させた新興宗教集団の特徴について考察してきましたが、読者の皆さんは、なぜビジネスとはまったく関係のないカルト教団の話をしているんだろう?と思われたかもしれません。
しかし、私は、宮内氏が指摘した「美意識の欠如」と「極端なシステム志向」というオウム真理教という組織の特徴が、ある種の組織と非常に類似している点に以前から引っかかっていました。
戦略コンサル、新興ベンチャーとの類似点
「業界の特性」ということでひっくるめられると迷惑だという反論もあるかと思いますが、あえて名指しで、オウム真理教と類似しているなと筆者が感じる二つの業界を挙げるとすれば、それは戦略系コンサルティング業界と新興ベンチャー業界ということになります。
私が電通を退職して米国の戦略系コンサルティングの会社に転職したのは2002年のことです。オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのは1995年のことで、私はこの事件をきっかけにしてカルト教団に興味を持ち、研究をするようになったのですが、2002年に戦略コンサルティングの会社に転職し、昇進や評価のシステムに関する説明を入社時研修で受けた際に、すぐに「この組織はオウムの仕組みとそっくりだな」と感じたことを、よく覚えています。
いくつかの具体例を挙げて説明してみましょう。たとえば、極端に階層的でシステマティックである、という側面です。通常の企業ではだいたい8〜9程度の等級が設定されていることが多いのですが、コンサルティング会社には基本的に4階層しかありません。新卒で入るとアナリストになり、やがて中堅のアソシエイトへと昇格し、その中のごく一部がさらにマネジャーへと昇進し、さらに選び抜かれた人が最終的にはパートナーになるという、極めてシンプルな仕組みです。
最近ではさまざまな組織で「多様性」が大きなテーマになり、その要請を受けて複数のキャリアのハシゴを用意する、いわゆる「複線型人事等級制度」の導入が進んでいますが、戦略コンサルティングの業界というのはその真逆で、極めて単線的かつ階層の明確な等級制度になっているわけです。
その階層性の明確さがはっきりと表れているのが報酬制度です。ざっくりとまとめれば、戦略系コンサルティング会社での報酬水準は、一階層上がるごとに倍になります。つまり新卒を1にすれば、中堅は2、マネジャーは4、パートナーが8ということになります。一般的な企業の昇給水準が数%程度であることを考えると、各ステップに100%の階差があるというのはちょっと驚きですが、これも階層性を明確にするための一つの要因となっています。
昇進のためには「生産性」だけが問われる
そしてさらに、ここが非常に重要なポイントなのですが、「何ができれば階層を上がれるか、どうすれば上がれるか」が非常に明確です。昇進の条件は極めてメカニカルなもので、人望や見識といった情緒的な側面はほとんど含まれません。具体的な説明は守秘義務があるので割愛しますが、大まかに説明すれば、コンサルティングに求められる全般的なスキルの項目に対して、どれくらいの充足度があるかによって判定されるという考え方で、一言で言えば「生産性」だけが問われ、人望や美意識は問われない、ということです。
こういったわかりやすい階層性、どうすれば上に行けるのかが明確なシステムは、前述したオウム真理教の仕組みと非常に類似しているんですね。
オウム真理教の教祖だった麻原彰晃が、弟子に対して語った講話の記録が残っているのですが、これを読んでみると非常に興味深い。というのも、麻原はことあるごとに「小乗、大乗、金剛乗」の3ステージを示し、どのような修行をすればこのステージを駆け上がっていけるかを繰り返し帰依者に訴えているのですが、これはコンサルティングファームの上級役員の語り口と非常に似ています。
同様のわかりやすさは新興ベンチャー企業においても見られます。そこで問われるのは見識や人望ではなく「早く結果を出すこと」でしかありません。以前、DeNAが主催した投資家向けの説明会に参加させてもらったことがあるのですが、事業の起案や投資に関する意思決定は徹頭徹尾、経済的な側面に基づいており、事業の意義やビジョンについては「それが経済的利益に結びつくと考えられる際には作成されるだけで、別に必要ない」とのコメントに慄然(りつぜん)とさせられたことがあります。
システムとしてわかりやすいと言えば、これ以上にわかりやすい仕組みはないわけで、とにかく結果さえ出せれば、大手企業に勤めている人が数十年かけて上るようなキャリアの階段を、数年で一挙に駆け上がって高額の報酬を得ることができる仕組みになっているわけです。
さらに指摘すれば、一見すると人材の交流があまりないように思われる「戦略コンサルティング業界」と「新興ベンチャー業界」ですが、昨今では「新卒で戦略コンサルティング会社に入り、途中から新興ベンチャー企業に転職する」というのは一つのキャリアパターンになりつつあります。
たとえば、DeNAの創業メンバーのほとんどが、戦略コンサルティング会社の出身者であったことを思い返せば、これらの業界に集まる人たちに共通する「思考の様式」がおわかりいただけると思います。その思考様式とはつまり「社会というシステムの是非を問わず、そのシステムの中で高い得点を取ることだけにしか興味がない」という考え方です。
「システムによく適応する」≠「よりよい人生」
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(光文社)。
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4334039960/asyuracom-22
ここにこそ「エリートこそ美意識を鍛えるべきである」というアイデアの根幹につながる問題があります。エリートというのはシステムに対して最高度の適応力を持っている人たちです。この「システムへの適応力」こそが、彼らをエリートたらしめているわけですが、ここに問題がある。「システムによく適応する」ということと「よりよい生を営む」というのは、まったく違うことだからです。
多くのエリートは、システムに適応し、より早く組織の階段を駆け上がって、高い地位と年収を手にすることを「よりよい人生」だと考えています。しかし、そのような志向の行き着く先には、多くの場合、破綻が待ち受けていることになります。
わかりやすいシステムを一種のゲームとして与えられ、それを上手にこなせばどんどん年収も地位も上がっていくというとき、システムに適応し、言うなればハムスターのようにカラカラとシステムの歯車を回している自分を、より高い次元から俯瞰的に眺める。そのようなメタ認知の能力を獲得し、自分の「ありさま」について、システム内の評価とは別のモノサシで評価するためにも「美意識」が求められる、ということです。
キャスト: 賀来千賀子
放送日: 1991年 冬の特別編
教室の中、子供達の前で一人の中年女性教師が泣いている。
そこへ、時報と同時に別の女性教師が入って来る。
「子供達はどうなる」と訴えていた中年教師を教室から送り出し、
その教師は子供達に語り掛ける。
最初は、不審気な表情を見せる子供達。
だが、教師が子供達の名前や特技などを言い当て、それを三日間で
覚えて来たと話すと、次第に心を開き始める。
次に教師は、教室に掛かった額の中の言葉の意味を問い掛ける。
「平等 自由 平和」
そこで、一人の少女が教師の着ていた服について尋ねた。
こんな服は嫌いかと教師が尋ねると、少女は服を褒めた。
「じゃあ、これからは、みんなにも同じ服を着て貰いましょうね。
そうすれば、明日着て行く服を考えなくてもいいでしょう?
みんな同じ服、これが平等だと思わない?」
この意見に、一人の少年が食って掛かる。
すると、教師は続けた。
「そう、何を着るのも勝手、それが自由というのよ。」
これにも反抗する少年。
少年の父親は、どこかに連れて行かれていたのだった。
教師は、「大人でも学校に行く」「すぐに帰って来る」と言う。
すると、少年は机の中から新聞の切り抜きを取り出す。
「クーデターが起きて、日本の憲法が変わっちゃったんだ!」
「憲法って何?」
「国の決まりだよ。」
教師は、これにも優しい口調で答える。
「国の決まりでも、間違っていたら変えなきゃね?」
そして、女性は明日から「お泊り」に行く事を発表した。
キレイな部屋で美味しいものを食べると聞き、喜ぶ子供達。
何が食べたいかを子供達に尋ねた教師は、おもむろに言い出す。
「さぁ、みんな目を閉じてお祈りしましょう。
『神様、お菓子を下さい』。」
くすくす笑いをこらえながら女性の言葉に従う子供達。
当然お菓子は現れない。
「じゃあ『指導者様』に変えてみたらどうかしら?」
子供達の机の上にお菓子を置いていく女性。
目を開けてお菓子を見つけ、喜ぶ子供達。
だが、一人反抗していた少年は、薄目を開けて全てを見ていた。
「お菓子を置いたのは『指導者様』じゃなくて
先生じゃないか!」
微笑む女性。
「そう、実際にお菓子を机の上に置いたのは先生です」
あっさりと認められ、きょとんとする子供。
女性は、少年を賢いと褒めながら言葉を続ける。
「いくら誰かに祈っても、本当は何も出て来ません。
もし、何かしてくれる人がいるとすれば、それは神様なんかじゃ
なくて、先生や他の人の力なの。」
言葉に詰まる少年を、他の子供達も褒め始める。
続けて教師は、新学期のクラス委員を誰にしようか話し始めると、
子供達は少年がいいと口々に言い出す。
まんざらでもない様子の少年。
教師は、クラス委員の最初の仕事として、掛けられた額を外して
しまおうと提案する。
ある少女が「大切なものでは?」と言い出す。
「本当に大切なのは、中に書かれた言葉でしょう?
だったら、それはみんなの心の中に掛けておけばいいわよね。」
子供達は納得し、額を外した少年はそれを窓から投げ捨てた。
地面で砕ける額を見て、歓喜する子供達。
子供達を見て微笑む女性の腕時計は、丁度23分を経過していた。
そして、女性は自分の服と同じ制服と新しい教科書を取り出す。
「古い教科書を破った人から、取りに来て下さい。」
もう、疑問を唱える子供はいなかった。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c12
山口は、安部私物化政権の膿にどっぷり浸かっている極悪人なので、警察のお世話になったら何をしゃべるかわからないので、逮捕させてはならなかった。
山口はスパコン事件でも主役級の役割をしている。もちろん、政権に近い"実力者"(麻生、甘利)も登場する。
●『スパコン助成金詐欺事件〜安倍政権に近い山口敬之氏が仲介か!?』
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/412231
●『【スパコン社長逮捕】実態なきAI財団は山口敬之の実家』
http://blogos.com/article/264821/
モリカケどころか、底知れない私物化政権であることがわかる。
●私物化政権の膿の中に公明党が住み着いている。
忘れてならないのは、安部私物化政権には公明党も含まれると言うこと。
国交利権の中心に公明党がいて、創価学会の1%の会員にもおこぼれはいくだろうが、99%の会員は搾り取られる側にいることを知らない。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/436.html#c11
その中でも、とりわけ悪質なのが、お嬢様大学に通ってピンク左翼に染まったインテリ女性である。彼女たちは街角で移民排除を訴えている日本人を見ると、「何、あの下品な人たち !! 右翼ってホントに嫌よねぇぇ〜」と口にするが、道路工事の現場で働くベトナム人とか、古ぼけた団地に居坐る支那人、怪しげな飲み屋に務める朝鮮人と親しくなることはない。もちろん、恋愛対象なんて論外。
そもそも、名門の一流校には穢らわしいアジア人が居ないし、たとえ同じクラスに留学生がいても、奇妙な顔をした外人は「ご学友」じゃない。それに、ご自慢の英語を駆使して会話を楽しむのは、憧れの西歐人だけ。香港出身の支那人とか、マニラからやって来たフィリピン人じゃ嬉しくないし、日本人の友達に“ひけらかす”こともできない。
だいたい、英語を話したからといって、アングロ・アメリカ人になる訳じゃないのに、まるで「上等な人間」にでも成ったかのようにウキウキするんだから、植民地のアジア人と同じじゃないか。こういうバイリンガルの日本人に出逢ったら、
「わぁぁ、すご〜い、まるでフィリピン人みたい!」
と褒めてやれ。苦虫を噛み潰したようにムっとするから。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68722954.html
私たちの世代には全共闘の「マルクス主義者」がいた。
私はその渦中にいたのでよく覚えているが、他人の「革命的忠誠心」やら「革命的戦闘性」についてがたがたうるさいことを言って、自分勝手なものさしでひとを「プチブル急進主義者」よばわりしてこづきまわしたひとたちは、だいたいが中学高校生のころは生徒会長などしていて、校則違反の同級生をつかまえて「髪が肩に掛かっている」だの「ハイソックスの折り返しが少ない」だのとがたがた言っていた連中であった。
その連中の多くは卒業前になると、彼らの恫喝に屈してこつこつと「プロレタリア的人格改造」に励んでいたうすのろの学友を置き去りにして、きれいに髪を切りそろえて、雪崩打つように官庁や大企業に就職してしまった。
バブル経済のころ、やぐらの上で踊り回っていたのはこの世代のひとたちである。こういうひとたちのやることはいつでも変わらない。
http://blog.tatsuru.com/2015/05/28_1617.php
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授
以前このメルマガに、
「日本からはもうノーベル賞受賞者は出ない?」
という稿を寄せました。
https://38news.jp/economy/11171
ノーベル賞受賞者で京都大学iPS細胞研究所長の
山中伸弥さんが「ご支援のお願い」として
寄付を募っているのです。
そのなかで山中さんは、
「弊所の教職員は9割以上が非正規雇用」と
書いていました。
研究所の財源のほとんどが期限付きだからです。
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/fund/
10年、20年という長期間を要する基礎研究に、
政府や大学は十分な資金を与えず、
しかも短期間に成果を出す研究のみを
優遇する方向にシフトしています。
非正規雇用では給料が不十分なだけではなく、
安心して研究に打ち込めません。
それで、若い優秀な人たちが
基礎研究を諦めてしまう傾向が増大しています。
12月13日18時ごろのNHKラジオ番組に、
一昨年、ノーベル物理学賞を受賞した
梶田隆章さんが出演していました。
梶田さんは、
ニュートリノが質量を持つことを示す
「ニュートリノ振動」の発見という偉大な
業績を成し遂げた方です。
この番組で、梶田さんは、
自分が若い頃は、カミオカンデなどの
巨大な装置による実験を長いこと繰り返し、
結果を理論にまとめ上げることが可能だったが、
今では、基礎研究に取り組もうと思っても、
期限付きの研究費しか得られないので、
若い人たちが自分の若い時のように、
腰を据えて研究に集中することができないと、
山中さんと同じことを話していました。
この問題は、自分たちがいくら頑張っても
どうすることもできない。
できるだけ広くみなさんにこの事情を
知ってもらうほかないと、
切々と訴える梶田さんの声が、
今も耳に残っています。
12月5日には、日本のスパコン開発の第一人者
齋藤元章さんが詐欺容疑で逮捕されました。
齋藤さんは天才です。
2014年に株式会社ExaScalerを立ち上げ、
理化学研究所(RIKEN)および、
高エネルギー加速器研究機構(KEK)と
共同研究契約を結び、
わずか七カ月で「Suiren」を開発します。
これが、スパコンの省エネ性能を競うGreen500で
2位にランクイン。
2015年には、同じくGreen500)で、
RIKENの「Shoubu」、KEKの「Suiren Blue」および
「Suiren」の3台が1位から3位までを独占します。
2017年1月には、科学技術振興機構(JST)が、
未来創造ベンチャータイプの新規課題の緊急募集に、
ExaScalerのスパコンが採択されたと発表。
開発期間2017年1月から12月まででしたが、
齋藤さんは、その締め切り直前に
逮捕されてしまいました。
逮捕容疑は、技術開発助成金を得るのに、
報告書を他の目的に書き換えて
四億円程度の水増し請求をしたというもの。
もちろん容疑が事実なら、いいとは言いませんが、
まだ実際に四億円をもらったわけでもないし、
他の研究者の言によれば、
この程度のことは日常茶飯事だそうです。
注意勧告して書き直させれば済む話。
なぜこういうことになるのか。
政府が先端技術研究のための資金を出し惜しみ、
国家的プロジェクトに
十分なお金をつぎ込まないからです。
齋藤さんは、雑誌『正論』2017年2月号で、
次のように訴えています。
このままでは日本はスパコンで中国に
負けてしまう。中国が一位になると、
エネルギー、安全保障、食料、医療、
自然災害対策など、すべての面で中国に
支配されてしまいかねない。
自分たちのプロジェクトのために
せめて三百億円の資金がほしい、と。
国家の命運がかかっている問題で、
政府がちゃんと資金援助をしないから
最高の頭脳を潰すことになるのです。
これによる日本全体の損失は計り知れません。
三橋さんの著書の題名ではありませんが、
こうして財務省の緊縮路線が日本を滅ぼします。
日本は江戸時代以来の倹約道徳教国家で、
いつも小さなことを大げさに騒ぎ立てて、
物事の優先順位を間違えます。
さらに想像をたくましくすれば、
逮捕した東京地検特捜部にも
反日勢力が入り込んでいるのではないか。
つい数日前も、リニア新幹線の工事をめぐって、
大手ゼネコン四社が談合の疑いで
特捜部の捜査を受けました。
これでリニア新幹線工事はまた遅れるでしょう。
齋藤さん逮捕にしてもリニア新幹線にしても、
某国の勢力が手をまわしているという
陰謀論に与したくなります。
もしそうでないとすれば、
東京地検特捜部や公取委は、
大局を見失い、正義漢ぶって摘発教条主義に
陥っているのです。
亡国を目指す官庁がまた増えました。
https://38news.jp/economy/11433
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c14
実際彼の地震予測がまともに的中したことなど全くない。
トンデモ論に頭の中を侵された可哀そうな人でもあるのだろう。ただ根拠が全くないことをいつまでもがなるのはおやめになることをお勧めする。このような人などが介護施設で職員や周囲の多くの人に迷惑をかけているのかな。自分を客観的に見れない人は世の中にけっこういる。
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/559.html#c7
詐欺師が得意とする人、苦手とする人
Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )
世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。
世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。
したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。
例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。
それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。
詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。
では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。
アジア人を理想とする英語教育
前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、
グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。
さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。
また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。
まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。
将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。
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(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)
筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。
英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、
国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。
日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。
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(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )
支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。
文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。
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(写真 / フランス人の女性と子供たち)
小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。
Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )
英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)
ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
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「お遊び」としての英語教科
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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )
教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。
「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。
@ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。
A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。
もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。
特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。
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(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )
「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。
どんな外人を雇うのか ?
もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。
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(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )
充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。
一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。
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(左: 英語を話す黒人女性 / 右: カナダの白人女性 )
凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。
英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。
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(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)
確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。
ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。
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(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )
もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。
「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/223.html#c16
これが韓国語訳されることになったわけですけれど、果たして僕がこの授業で取り上げたさまざまなトピックが隣国の読者たちにとっても同じような切実さを持つものかどうか、確信がありません。でも、一つ言えるのは、韓国でも日本でも、言語が遭遇している危機についてはおそらくそれほどの違いはないということです。それは母語が痩せ細っているということです。序文として、それについて少しだけ思うことを書いてみたいと思います。
母語が痩せ細っているというのは、現実的には英語が支配的な言語になりつつあるということです。すでに各種の学会ではそうなりつつあります。
自然科学系の学会ではしばしば日本人だけの集まりでも発表や質疑は英語で行われます。研究者たちは英語で論文を読んで、英語で論文を書いて、英語で議論する。
韓国でも事情は同じだと聞いています。どちらも英語での大学の授業数が増えています。
「留学生数」や「海外提携校数」や「英語で開講されている授業数」や「外国人教員数」が多い学校に助成金がたくさん分配される。
だから、どの大学も必死になって英語に教育資源を集中的に分配するようになっています。
日本では中学高校で英語の授業は英語で行うことが定められました。
こういう流れを「国際化」とか「グローバル化」といって肯定的に語る人がたくさんいます。でも、それはそんなに喜ばしいことなんでしょうか。
とりあえず日本において統計的に一つだけわかっていることは、母語の教育を疎かにして、限られた教育資源を英語に集中するようになってから英語力が低下したということです。
この現実に慌てた政府は日本人が英語ができないのは学習開始年齢が遅いからだという根拠のない解釈に飛びついて、英語教育の開始年齢をさらに引き下げて、小学校3年生からの英語教育開始を決めました。結果はまだ出ていませんが、英語力を含めてすべての学力が低下することになるだろうと僕は予測しています。
なぜそんなことが起きるのか。それは言語政策を起案している日本の政治家や官僚や学者たちが「言葉を使う」という営みの複雑さを知らないからです。
彼らは言語というものを自転車や計算機のような「道具」だと思っている。こちらに道具を操作する主体がいて、あちらに道具がある。性能のよい道具を手に入れ、操作技術に習熟すれば仕事が捗る。そう思っている。
でも、それは違います。言葉は道具じゃない。僕たちが言葉を使うというより、僕たち自身が言葉で作られているのです。僕たちが言葉を支配しているのではなく、むしろ僕たちが言葉によって支配されているのです。
言葉は僕たちの血であり、肉であり、骨であり、皮膚である。それがどのような質のものか、どのようなかたちのものか、どのような特性を持ったものかによって、僕たち自身のものの考え方も、感じ方も、生き方もすべてが影響を受ける。
英語を巧妙に操れるようになるということは、「英語を母語とする種族のものの考え方、感じ方」をわが身に刻み込み、刷り込んでゆくということです。そのことの重大さに人々はあまりに無自覚だと思います。
アメリカの植民地であったフィリピンでは英語が使えないとビジネスマンとしても公務員としても教師としてもジャーナリストとしてもよい職には就けません。だから、地位のある人たちはみんなみごとな英語を話します。
フィリピンの生活言語はタガログ語です。でも、タガログ語ではビジネスをすることも政治や経済について語ることもできません。そのための語彙が母語にはないからです。
フィリピン人のある大学の先生がこう語っていました。「英語で話せることは実利的(practical)であるが、母語では話せないことは悲劇的(tragical)だ。」
なぜ悲劇的であるのか。それはこのような言語環境に置かれている限り、フィリピン起源の政治理論や芸術運動が出現する可能性が絶望的に低いからです。
知的なイノベーションは(ほとんどの場合)母語による思考から生まれてくるからです。
母語が痩せ細っていれば、知的なイノベーションは始まらない。
例えば僕たちは母語でしか新語(neologism)を創ることができません。新語というのは、勝手に作れるわけではありません。条件があります。それは生まれて初めて耳にした語であるにもかかわらず、聞いた瞬間に母語話者たちにはその語義もニュアンスもわかるということです。だから、あっという間に広がる。これは外国語ではできません。自分で新語を作ってみても(例えば、不規則変化は覚えるのが面倒だからこれからは“I went”ではなく”I goed”にしようと僕が提案してみても)「そんな言葉はない」と冷笑されるだけです。
新しい言葉を創れないということは、新しい概念や新しいロジックを創ることができないということです。創造的なアイディアが思い浮かんだ時のことを思い出せばわかります。それは「喉元まで出かかっているのだけれど、まだ言葉にならない」というもどかしさを伴う経験です。アイディアは身体の奥の方から泡のように湧き出てくるのだけれど、まだはっきりしたかたちをとることができないでいる。最終的にそれなりの言葉になるのですけれど、それは手持ちの言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、これまでそんな語義で使った前例のない使い方をしたことでようやく達成されます。創造的な概念がかたちをとる時には母語もまた変容する。知的創造と母語の富裕化は同期する。
言葉を使うというのは、そういう力動的なプロセスなのです。道具を使うのとは違います。
鋏を手に持っている時にその新しい使い方を思いついたら、鋏がその思いに合わせて形状を変え、材質を変え、機能を変えるということはあり得ません。その「あり得ない」ことが母語においては起きる。それを考えれば、母語の運用がいかに生成的なものであるかが想像できると思います。そして、この知的創造は(例外的な語学の天才を除けば)母語によってしかできません。既存の言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、たわめたり、それまでにない新しい語義を盛り込んだりすることは母語についてしかできないからです。
ですから、母語が痩せ細るというのは、その言語集団の知的創造にとっては致命的なことなのです。
植民地帝国はどこでも自分たちの言語を習得することを植民地現地人たちに強要しました。
宗主国の言語は強国の言語であり、当然「グローバル」な言語であるわけですから、植民地化された人たちはそれを習得したことで、政治的にも経済的にも学術的にも実力をつけて、国際社会の中で以前よりは高い地位に達してよいはずです(日本の英語政策はまさにそのような発想に基づいて実施されています)。
でも、歴史はそのような実例を一つも教えてくれません。
なぜ宗主国は植民地に「グローバルな言語」の使用を強要するのか。
それは宗主国の言語を習得した植民地人たちには母語を富裕化する動機が失われるからです。そして、母語が痩せ細ると知的創造の機会が失われる。
植民地人たちは、自分たちの歴史的現実について語ろうとする場合でさえ宗主国のロジック、宗主国の歴史観、宗主国の世界戦略に即してしか語れないようになる。父祖伝来の「家産」的な生きる知恵と技術を伝え、それに即して生きることができなくなる。母語が痩せ細るというのはそういうことです。
僕が「クリエイティブ・ライティング」という授業を始めたのは、「グローバル化」潮流の中で日本語が痩せ細り始めているということに強い危機感を抱いたからです。
でも、母語を豊かなものにすることは集団の知的創造性において必須であるということが言語政策を考えている人たちには理解されていません。その結果、日本の知的生産力は21世紀に入ってから急激に劣化しました。
一昨年の秋にはForeign Affairs Magazine が昨年春にはNature がそれぞれ日本の研究力の劣化について長文の分析記事を掲載しました。それほど危機的な状況であるのにもかかわらず、日本の教育行政はすでに失敗が明らかになった「グローバル化に最適化する教育」をさらに加速させる政策をいまも次々と採択しています。これは日本の知的生産力に回復不能の傷をもたらす結果になるでしょう。
誤解して欲しくないのですが、僕は外国語教育の重要性を否定しているわけではありません。僕自身は最初に中学生で漢文と英語を習い、大学ではフランス語を集中的に学びました。その後は(どれもものにはなりませんでしたけれど)ドイツ語、ラテン語、ヘブライ語を独学しました。去年からは韓国語の勉強も始めました。新しい外国語を学ぶとは、異国の人々の自分たちとはまったく異なる宇宙観や倫理規範や美意識に触れることです。それによって自分の母語的偏見が揺り動かされることに僕はいつも深い驚きと喜びを経験しています。そして、これらの外国語との触れ合いは間違いなく僕の母語運用能力を高め、もし僕が母語においてなにごとか知的創造を果たしたとすれば、それに深く関与したと思います。
でも、いま「グローバル化」の名の下で行われているのは「母語的偏見を揺り動かされる」ような生成的で鮮烈な経験ではありません。「英語ができないと出世ができない、金が稼げない、人にバカにされる」というような怯えに動機づけられた外国語との出会いが生産的なものになると僕にはどうしても思えないのです。
この本は「母語が痩せ細っている」という危機感の中で行われた授業の記録です。きっと韓国にも自国語の豊かさと創造性について、僕に似た危機感を抱いている人がいるのではないかと思います。そういう人たちにぜひ読んで欲しいと思います。
http://blog.tatsuru.com/
ただただ不便なだけで
素晴らしい自然なんてものはない
これはね、荒野って言うんだ
おまけに土地が安いってことで
ゴミ処理場、刑務所、精神病院、米軍、原発
なんかはすぐに押し付けられる
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/608.html#c4
これまでの日本人の政権だったらとっくにレッドカードで退場だった。
安部夫婦の厚顔無恥は日本人にはないレベルのものだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/220.html#c12
とても生活できないレベルのお小遣いを
休みナシで働いてやっといただける
それがアベノミクスの果実だというのだから
笑えなさ過ぎて逆に笑える
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/178.html#c58
ご高説拝見いたしましたが、刑事と民事と混ぜて考えてよろしいんでしょうかね?不勉強なもんでとんと理解できません。民事で事実認定すると刑法上の処罰が得られるのですか?うーん、よく分かりませんね。サスペンス・ドラマの検事さんが言う『真実は一つ』ですか?検察は民事も扱うのけど本件のようなケースも含まれるとはなってなかったと思うんですけどね。不勉強なので教えていただければ幸いです。
特にこの日本語『刑法の適用が厳しいので、刑事で不起訴でも民事で認定される例がある。』わたしには本当に難しすぎます。どうして真相の道クンが書いていることについて『』内のようなことが唐突にのべられるのか、日本で生まれて日本で暮らして日本語で義務教育を受けて相当な年月が経ちましたが私には理解が難しい日本語ですねぇ。
私は無実と書いてないので、ひょっとして、この13氏は11の真相の道クンに対して言ってるんですか?
もし12に対して言ってるのであれば上記の私の蒙昧を解くためにご解説をお願いいたします。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/184.html#c20
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