パレスチナの現状を悲しむ5月18日の「布施広の地球儀」
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2018-05-21 天木直人のブログ
今年はイスラエル建国70年であり、その日を祝してトランプ大統領は5月14日に米国大使館をエルサレムに移転した。
ところがその日はパレスチナ人にとっては不幸の日だった。
パレスチナの抗議デモが起こり犠牲者が出た。
しかし、その抗議は弾圧され、イスラエルは抗議者に実弾を撃ち込む暴挙出た。
犠牲者の言葉が痛々しい。
「私たちはイスラエルのオリに閉じこめられている。抗議する姿を世界に知らせたい」(主婦)
「イスラエルの不正義は許せない。撃たれて死んでも構わない」(銃撃を受けて松葉杖で抗議する少年)
このパレスチナの現状を、毎日新聞の布施広専門編集委員が5月18日の紙面「布施広の地球儀」で憂い、悲しんだ。
「イスラエルの支配下に生きるパレスチナ人は、かわいそうに、と言う言葉しかない」と。
そう書いた後で彼は続ける。
原因を作った米トランプ政権はパレスチナ側が悪いと開き直る。
イスラエルの過剰な武力行使を世界が問題にしているのに、米国だけは別だと。
米国の選挙はユダヤ団体ににらまれると当選が危うくなる。
だから毒まんじゅうでも食べたように、露骨にイスラエルを擁護する政治家が目につくのだと。
これが超大国である米国の悲しい風景だと。
そしてさらに続ける。
シリア関連の国連安保理決議案にロシアは12回も拒否権を使ったと米国は非難するが、その米国はイスラエル関連の決議に40回以上拒否権を行使して来たと。
日本の大手新聞社の幹部ジャーナリスが実名でここまで米国・イスラエルのパレスチナ政策を批判するのを見たのは初めてだ。
それほどパレスチナの現状は酷いということだ。
しかし、私がこのメルマガで読者と共有したいのは、その後で布施記者が教えてくれた70年前の毎日新聞の社説の事である。
イスラエルの独立を報じた1948年5月16日の毎日新聞の社説はこう書いていたという。
ユダヤ人がパレスチナに故国再建をめざすのはもっともだが、この地の人口の大部分を占めるアラブ人も民族統一と勢力拡大を求めており、「歴史的に見て、パレスチナに対する主張は(ユダヤ、アラブ)両民族にそれぞれありうるのである」と。
つまり、1948年に成立したイスラエル承認決議(パレスチナ分割決議)そのものが、イスラエル・パレスチナ対立の原因を作り出したことを70年前の毎日新聞の社説が認めていたのだ。
他の新聞の社説はどう書いていたか、それとも書かなかったのか、それは知らないが、毎日新聞だけがこの決議に批判的だったはずがない。
みな、この1948年の国連決議がその後の中東情勢にとって問題をはらんだ決議であった事を知っていたはずだ。
そして布施広記者は書いている。
それから70年経った現実は、「平和共存」どころかイスラエルが建国70年を祝う陰で、難民と化したパレスチナ人は70年前から「大災厄(ナクバ)」の苦難と悲哀の70年だったと。
この絶望的な格差は米国の改心なしには解消できないと。
2001年の米同時多発テロの首謀者ウサマ・ビンラディン容疑者は、動機の一つに米・イスラエルのパレスチナ弾圧を挙げていたと。
どんな理由でもテロは許されないが、米国は我が身を鏡に映すようにして、なぜ自分たちが憎まれるのか考えたほうがいいと。
私がパレスチナ問題で言いたい事のすべてが、この布施広記者の言葉の中にある(了)
布施広の地球議:悲しい「逆転世界」 - 毎日新聞 https://t.co/fTd8hotKDO
— 大楠 蓮造 renzo eaux (@renzaux) 2018年5月18日
布施広の地球議 悲しい「逆転世界」
https://mainichi.jp/articles/20180518/ddm/005/070/019000c
2018年5月18日 毎日新聞
かわいそうに、という言葉しか浮かばない。
イスラエルの支配下に生きるパレスチナ人である。米大使館のエルサレム移転に伴う騒乱で、死者は60人を超えた。
原因を作った米トランプ政権はパレスチナ側が悪いと開き直る。イスラエルの過剰な武力使用を世界が問題にしているのに、米国だけは別だ。いつもながら、善悪や是非の価値観が逆転したパラレルワールドを見るようだ。
フセイン政権のイラクを思い出す。1991年の湾岸戦争で敗北したイラクは翌年、「米国による侵略」1周年の記念行事を行った。米軍などがクウェートを解放した「正義の戦争」はイラクに入ると「侵略」へと逆転する。
フセイン大統領(故人)がテレビに出て、白いタスキのような栄誉勲章を受けた。ちょっと照れくさそうなのは、国際常識に反した無理筋の演出と承知しているからだろう。
だが、米政界にはそんな恥じらいも胸の痛みもないようだ。米国の選挙はユダヤ団体ににらまれると、当選がまま危うくなる。だから、毒まんじゅうでも食べたように、露骨にイスラエルを擁護する政治家が目につくのだ。
この傾向が、秋の中間選挙を控えて過熱しているのだろう。超大国の、偏った、悲しい風景だ。シリア関連の国連安保理決議案にロシアが12回も拒否権を使ったと米国は非難する。だが、その米国はイスラエル関連の決議案に40回以上、拒否権を行使してきた。
70年前、イスラエルの独立を報じた毎日新聞(48年5月16日)の社説はこう書いている。
ユダヤ人がパレスチナに故国再建をめざすのはもっともだが、この地の人口の大部分を占めるアラブ人も民族統一と勢力拡大を求めており、「歴史的にみて、パレスティナに対する主張は(ユダヤ、アラブ)両民族にそれぞれあり得るのである」と。
その通りだ。しかし、現実にはイスラエルが独立70周年を祝う陰で、難民と化したパレスチナ人は70年前から「大災厄(ナクバ)」の苦難と悲哀をかみしめてきた。この絶望的な格差は米国の改心なしには解消できない。
2001年の米同時多発テロの首謀者ウサマ・ビンラディン容疑者は、動機の一つに米・イスラエルのパレスチナ抑圧を挙げた。どんな理由でもテロは許されないが、米国は我が身を鏡に映すようにして、なぜ自分たちが憎まれるのか考えた方がいい。(専門編集委員)