森永製菓<上>安倍昭恵夫人のルーツに“創業パートナーの絆” 企業深層研究
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/227355
2018年4月18日 日刊ゲンダイ
森永製菓の本社が入るビル(C)日刊ゲンダイ
安倍晋三首相夫人の安倍昭恵は政局の陰の主役である。森友学園「瑞穂の国記念小学院」名誉校長だった。安倍昭恵という存在が財務官僚の忖度を引き起こし、安倍1強体制を揺るがしているとの指摘がある。
さしずめ平成の終焉を告げる「傾国の美女」といったところか。
奔放な行動で政治家や官僚を翻弄する安倍昭恵は森永製菓の創業家の一族である。
「菓子王」と称えられた森永製菓の創業者・森永太一郎は、キリスト教の布教活動のために洋菓子作りを天職と定めた伝道師だった。1865(慶応元)年、肥前(現・佐賀県)の伊万里の生まれ。九谷焼を輸出する店の店員となり、24歳のとき、九谷焼を売り込むため単身で渡米したことが人生の転機となった。
信心深い老夫婦に導かれてキリスト教に出合い洗礼を受けた。そして伝道を決意する。自分で働いて伝道の資金を得る聖パウロの行為に感銘を受けた太一郎は天職として、日本ではまだ誰も手掛けた者がいない洋菓子の製造を思いつく。パン屋の下職やキャンディー工場で、睡眠を3時間しかとらず働き続けパンやケーキの作り方を身につけた。
帰国した太一郎は1899(明治32)年、東京・赤坂区溜池(当時)にわずか2坪の菓子工房を建てた。森永西洋菓子製造所の看板を掲げ、米国仕込みのマシュマロを作った。
創業から6年後の1905(明治38)年が飛躍の刻となった。まず、羽をはばたかせ大空をかけるエンゼルを商標とした。マシュマロが米国では「エンゼルフード」(天使の糧)と呼ばれていたことに由来する。愛顧を受けた元駐日米国公使バックの妻に相談したところ、エンゼルマークを絶賛され、「これでいこう」と決めた。
同年、9歳年下の松崎半三郎を支配人に招いた。松崎は森永のミルクキャンディーの原材料などを扱う貿易商を営んでいた。将来、大きな貿易会社にするという野望を抱く青年だったが、太一郎は三顧の礼をもって迎えた。
このとき、松崎は条件を出した。「あなたは製造に専念し、私は営業に専念すること」「個人商店では限界があるので、近い将来、株式会社に改めること」である。
2人を結びつけたのは信仰であった。給費生として立教学院に入った松崎はキリスト教の洗礼を受けていた。松崎というパートナーを得たことは、太一郎にとって「神のご加護」であった。
製造の太一郎と販売の松崎のコンビにより森永のお菓子は、エンゼルの翼に乗って大いに売れた。太一郎は晩年、信仰一筋に生きた。集会場となる祈りの家を建て、その隣の小さな家で賛美歌に包まれて71歳の生涯を閉じた。
松崎は晩年、「森永翁と私とは、表と裏、形と影の関係だった」と語っている。
森永家と松崎家が縁戚関係になるのは孫の代だ。太一郎の孫・恵美子と松崎の孫・昭雄(5代目社長、現・相談役)が結婚した。草創期のパートナーは血縁で結ばれた。
昭雄の長女・昭恵が、安倍晋三首相と結婚した。政界を揺るがす震源となったファーストレディーは、森永・松崎両家の固い絆の結晶なのである。
=敬称略
有森隆 ジャーナリスト
全国紙の経済記者を経て独立。豊富な人脈と経験、知識を生かし、経済事件の裏側をえぐったり、経営者を論評する名著が多い。「企業舎弟 闇の抗争」「創業家物語」「ネットバブル」など。経済記者の大御所である。
【ビジネス】森永製菓<上>安倍昭恵夫人のルーツに“創業パートナーの絆” https://t.co/ULSQc6Y755 #日刊ゲンダイDIGITAL
— 日刊ゲンダイ (@nikkan_gendai) 2018年4月17日