50年前の4月4日に暗殺される1年前、キング牧師はベトナム戦争に反対する意思を示した(その3)
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2018.04.06 櫻井ジャーナル
こうして始められたベトナム戦争にマーチン・ルーサー・キング牧師は明確に反対していたが、こうした発言に困惑する人もいた。人種差別に反対する公民権運動の指導者という位置づけからの離脱を受け入れられなかったのだ。リバーサイド教会でも彼の周囲のそうした雰囲気を口にしている。平和と公民権は両立しないという人もいたという。
ロン・ポール元下院議員によると、当時、キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視したのである。
大統領の意思には関係なく、戦争に反対し、平和を望む人々をアメリカの支配システムは危険視している。例えば、FBIが1950年代にスタートさせた国民監視プロジェクトのCOINTELPRO、CIAが1967年8月に始めたMHケイアスもターゲットはそうした人々だった。
MHケイアスによる監視が開始された1967年はキング牧師がリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言、またマクナマラ国防長官の指示で「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」が作成された年でもある。この報告書の要旨、つまり好戦派にとって都合の悪い部分を削除したものをニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月に公表した。いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」である。
この報告書を有力メディアへ渡した人物はダニエル・エルズバーグだが、エルズバーグはその後、宣誓供述書の中でキング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたことを明らかにしている。
その話をエルズバーグにしたのはブラディ・タイソンなる人物。アンドリュー・ヤング国連大使の側近で、エルズバーグは国連の軍縮特別総会で親しくなったという。タイソンは下院暗殺特別委員会に所属していたウォルター・ファウントロイ下院議員から説明を受けたとしているが、ファウントロイ議員はその話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)
キング牧師暗殺から2カ月後、次の大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員はカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで殺された。上院議員を暗殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死をしたトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2・5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致する。サーハン・サーハンが犯人だとするならば、議員の前にいた人物の発射した銃弾が議員の後ろから命中したことになる。
1991年12月にソ連が消滅した直後からアメリカの有力メディアはユーゴスラビアでの組織的な住民虐殺を宣伝、1999年3月にはNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃した。この宣伝は嘘だったことが判明している。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、詳しい調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」の犯行だと断定、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクのサダム・フセインを倒すために同国を先制攻撃している。この時に口実として大量破壊兵器が使われたが、これも嘘だった。
2011年にはリビアやシリアで戦争が始まる。西側は「独裁者」による「民主化運動の弾圧」を阻止すると主張していたが、これも嘘だということが明確になっている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟とイギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、そしてオスマン帝国の復活を妄想するトルコと天然ガスのパイプラインの建設をシリアに拒否されたカタールなどが侵略の黒幕だった。その間、本格的な軍事侵攻を正当化するためにさまざまな嘘が宣伝されてきたことは本ブログでも繰り返し書いている。
この間、西側で反戦運動は盛り上がっていない。沈黙しているのだ。沈黙を正当化するために侵略勢力が提供した作り話を受け入れている。事実を見れば西側の政府や有力メディアが主張していることが嘘だということは容易にわかるのだが、嘘だと認めたなら、破壊と殺戮を容認するか、あるいはそうしたことを行っている支配層を批判しなければならなくなる。リベラル、あるいは革新勢力を名乗る人々は立場上、破壊と殺戮を認められない。支配層の作り話を受け入れざるをえないのだ。
日本が敗戦した直後、映画監督の伊丹万作はこんなことを書いている:戦争が本格化すると「日本人全体が夢中になって互に騙したり騙されたりしていた」。「このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオの馬鹿々々しさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心に且つ自発的に騙す側に協力していたかを思い出してみれば直ぐに判ることである。」(伊丹万作『戦争責任者の問題』映画春秋、1946年8月)
より正確に表現するなら、「騙されたふりをしていた」のだろう。そうしたことをしているうちに、その嘘が事実だと錯覚しはじめたかもしれないが、始まりは「騙されたふり」だったのではないだろうか。事実を語るには、それなりの覚悟が必要だ。(了)