トランプが仕掛けた「貿易戦争」の抑止は日本の出番だ
http://diamond.jp/articles/-/162371
2018.3.7 井上哲也:野村総合研究所金融ITイノベーション研究部長 ダイヤモンド・オンライン
トランプ米大統領は鉄鋼やアルミの輸入製品に高関税をかける方針を打ち出した。日本は中国や欧州の報復合戦への拡大を抑える役割を果たせるか?(写真はイメージです)
トランプ米大統領が1日、鉄鋼に25%、アルミに10%の高関税をかける方針を打ち出した。最大の標的とされる中国だけでなく欧州などからも反発が一斉に起きた。報復合戦になるのだろうか。
前回(1月10日付け)のコラム「朝鮮半島有事や高齢化で米国の『双子の赤字』は甦るか」で、米国の「双子の赤字」の可能性を論じた。その際の結論は、「財政ファイナンスには懸念があるが、経常赤字が深刻化する可能性は当面低い」というものだった。
だが経常赤字問題は、トランプ大統領の政治的な思惑、打算から予想を超える形で進み始めたようだ。
秋の中間選挙をにらんだ
政治的打算が優先
先日の議会証言で連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長が説明したように、実は米国の輸出は世界経済の成長加速に伴って足許ではむしろ拡大している。
さらに、そのことが国内の設備投資の回復に勢いをつけているだけでなく、中長期的にも、生産性の上昇を通じて経済成長率を押し上げることが期待される。
逆に、輸入課税を課せば対象品目の国内価格は上昇する。米国内の生産余力の少ない品目の場合はなおさら、その可能性が高い。
しかも、鉄鋼やアルミのような素材の場合、川下の財の価格を押し上げる効果は相対的に大きい。これらの結果、米国企業だけでなく米国に進出した海外企業にとっても、米国での生産活動のコストは全般的に上昇し、トランプ政権の掲げる「製造業の米国回帰」にも逆風となり得る。
トランプ政権もこうした現状や副作用は十分理解しているはずだが、その上で政策対応に踏み切った訳だ。
経済政策の面で税制改革以外に目立った成果を挙げることができないまま、今年秋に迫る中間選挙にらんだ思惑が強いと見るべきだろう。
もちろん、トランプ大統領と共和党は政策思想が必ずしも一致しておらず、輸入関税のような手段は、自由貿易を標榜し公的介入の最小化を目指す共和党本来の哲学とは異なる。実際、共和党幹部からもトランプ大統領への批判が出始めた。
しかし、大統領選挙で、本来なら民主党支持層が多い労働者や中流層の民主党政権への批判や失望を背景にした票を得て当選したことを考えると、トランプ大統領が今後、自ら企図する政策を実現していく上で中間選挙で共和党の議席を確保するため、「自国優先」の保護主義的な政治的なアクションをとることの重要性は高い。
1992年に大統領に当選したビル・クリントン陣営が使用した有名なスローガン(「it’s the economy, stupid(問題は経済なんだぞ)」)を捩っていえば、これは「it’s the politics, stupid」(問題は政治なんだぞ)ということだろう。
日欧中、対抗措置は慎重に
影響が金融に拡大する懸念
トランプ大統領が、いわば故意犯で輸入関税を仕掛けてきた点を考えると、日本や欧州、中国に代表される新興国が、経済のファンダメンタルズ(基礎的な条件)の観点から、米国に輸入関税の課徴を思い留まらせることは、少なくとも当面は難しいように見える。
しかし、だからといって各国が対抗措置を打ち出すことには極めて慎重であるべきだ。
なぜなら、足許で米国が輸出増加の恩恵を受けているのと同様に、日本も欧州も中国を含む新興国でも輸出の拡大が国内景気を支えているからだ。
そこで本格的な「通商戦争」が始まれば、米国だけでなく世界の経済活動を減速させる。世界がサプライチェーンに組み込まれた下で、原材料や部品などの流れに支障が生じた場合のショックの大きさや広がりは、世界金融危機の直後に貿易量が急減したことによる影響を思い起こせば、はっきりとわかる。
すでに貿易戦争の可能性を懸念して、株価が下落、ドル安(円高)などが進んだように、対抗措置が金融面に拡大することも絶対に避けるべきだ。
基軸通貨国でもある米国と他の世界各国との円滑な資本フローが阻害されれば、世界中で広範な資産価格の調整を招くことが懸念される。
特に外貨準備の中に米国債を多く保有するアジア諸国が、米国債の保有圧縮を示唆した場合、米国経済への影響も大きい。
財政ファイナンスに対する懸念を一層、助長し、長期金利の上昇圧力を高めることになる。
この点も世界中に存在するドル建て資産の価格調整を通じて、世界の経済活動と金融システムの双方に無視し得ない影響を及ぼし得る。
米国経済にも負の影響
「国境税」と同じリスク
日本や欧州、中国を含む新興国は、米国が、鉄鋼などの輸入高関税を実施することになれば、政策の反作用として、米国自身も実体経済だけでなく金融システムでも多くのリスクを抱えることになることを頭に入れておくことだ。
さらに、トランプ大統領が示唆する輸入関税の対象範囲拡大も、現実には難しいことも認識しておく必要がある。
こうした措置を米国が競争力を有する産業――例えば航空機やITなど――に拡大しようとすれば、むしろ当該産業の強い反発を買うリスクがある。なぜなら、それらの産業こそグローバルなサプライチェーンに依存しているからである。
この点に関しては、トランプ政権が成立直後に提唱した「国境税」の議論を思い起こすことだ。
「国境税」は、保護主義的な意味合いを持つだけでなく、大規模減税の財源を捻出する狙いもあり、10年間で1兆ドルを確保するとの主張がなされた。
米国財政が一段と悪化する中で、輸入関税を拡大すれば税収を確保できるように見えるかもしれないが、「国境税」の導入に伴う輸入物価の上昇を懸念した消費関連産業などの広範な反発によって結局は頓挫した。
そのことからも、大統領の示唆通りに輸入関税が拡大されることは、難しい面があるだろう。
日本は報復合戦を止められる立場
G20議長国として役割重要
「通商戦争」の懸念が生じた中で、安倍政権と政策当局の役割は大きい。
まずは、この問題によって日本経済に生ずる影響について、国内外に正しい情報と知識を発信することが重要だ。
残念ながら、過去の数次にわたった日米通商摩擦や、「プラザ合意」後の円高など、国際政治による為替レートの人為的な調整という経緯もあって、「通商戦争」が生ずると、日本は世界の中でも突出して大きな打撃を受けるとの懸念が根強いようだ。
もちろん、日本経済への影響は大きいが、それは今や世界のサプライチェーンが打撃を受ける下での「応分の」影響であり、この間には日本の主要産業では海外生産の比率もかつてなく上昇した。
こうした事実を正しく共有することで、「通商戦争」の懸念によって円相場が突出して円高に振れたり、国内企業の株価が過度な調整を受けたりする事態を防ぐことは、いまの景気拡大局面を維持する上で重要である。
つまり、日本の政策当局にとってより本質的に重要なことは、世界経済がいまやサプライチェーンに象徴されるように相互に密接に結びついている客観的な事実に関する理解を、米国と欧州や中国を含む新興国の双方との間で適切に共有することだ。
そのうえで双方に対して自制を求め、輸入関税の導入を政治的に必要な最小限に抑えながら、双方が対抗措置の報復合戦に入らないよう促すことである。
欧州では主要国の政権基盤が不安定化しているだけに、米国と同じように、国内政治に過度に影響された政策対応に陥りやすいリスクがある。中国も安全保障などの別の領域でも米国との対立を抱えている。
その意味でも、政権基盤が相対的に安定し、しかもトランプ政権とのコミュニケーションも相対的に良好とされる日本が貢献し得る面は大きい。
折しも、今年のG20サミットの議長国は日本だ。日本の政権とそれを支える政策当局が、「通商戦争」の回避に向けて発揮する手腕は世界の注目を集めることになる。
(野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部長 井上哲也)