18. 2018年3月02日 00:01:12 : 4ImPab2nyM : PepI7W98esI[201]
「働き方改革国会」の安倍はダメだ…、経済界がいら立っています。
野党が共闘すると力になりますね。
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2018年3月 > 02日時分 〜
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野党が共闘すると力になりますね。
https://www.youtube.com/watch?v=fhEfQoJxylM
もう一人関西の落語家でザイトクデモに参加してる輩がいた、ちょうど初期の森友幼稚園を取り上げたテレビ大阪のドキュメンター番組の中で堂々と顔出してヘイトスピーチやってた。
https://kogotokoub.exblog.jp/23220545/(春蝶どこかで道間違った??)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c8
それにしても、立民がよくぞ‟第2党”を取ったよな!
これで希望が第2党だったらって思うとゾっ〜っとする。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/647.html#c2
騙すマスゴミが悪いのか、はたまた騙される国民が悪いのか。
安倍政権が倒れた後の自民党や国民は、全ての悪さの原因を安倍のせいにするんだぜ?
因果応報、外れようのない‟予言”はツマラないネ!(笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/646.html#c1
結局この問題はこのグータラ人種で構成するグータラ政府が腰抜けの愚か者の最たる物の証明だ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/645.html#c2
■
>>あなたの意見の言い方を拝見しますと、ちょっと理詰めで攻める論法を取り、批判される相手に対してもチェックが厳しい側面があるようなので(必ずしも私に対してという意味でなく。私にもそういう面がありますが)、ちょっとした事で感情的にはならないと思いましたので、あえて弱冠厳しい言い方をさせて頂くかもしれませんがお許しを。
>>基本、あなたは理路整然と理詰めで考えを組み立てるタイプかと思いますので、自己矛盾などは極めて少ないのではないかと思います(狭い範囲の事であれば)。論理の整合性は高いと思います。ただ、言ってる内容自体が一般論として正しくても、それが万人の価値観に当てはまるか?とか、距離を置いてみた時に、ある意見に対する「返し」としてその意見は適切か?という「返しの的確さ」はどうかな?って事を感じる点がありますね。コミュニケーション系の話ですね。
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私に関する論評(あなたから見た私)のようですね。ご提示ありがとうございます。内容については、被写体の私がとやかく言うことではありませんね。私を描きつつ、その描き方であなた自身もここに表出されていますね。興味深く拝見しました。
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>>認識はお互い違うでしょうね。ただ、誤解を貴方自身が認めた様に「双方のズレ」ではなく、貴方が一方的に誤解したのであって、私がその誤解を解くために指摘解説しただけであり「双方」ではないですよ。(ここが私の厳しい?所で、普通はまあいっか?って事も本当の事を言ってしまう)
34に同意したことが「誤解」を生んだと言うのは、それはちょっと苦しいかな。
(厳しい言い方かもですが)
>「森ゆう子議員の質問と与党。役人の答弁をテレビでまともに報道すれば安倍政権など吹っ飛ぶ」同意はこっちですよ。テレビの不公平・不公正の方ですよ。
ので、誤解が生んだ結果については、あなたの早とちり・一方的であり本来は一言、謝罪コメを入れて「はい終わり」で済む話かとは思いますが、私も「謝罪しなさい」とか、そんなチンケな人間ではないので、その点はもういいですよ。
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この部分に関し、私は一点だけ指摘すれば十分かと思います。ただ、ここだけはどうしても(理詰めの)キツイ言い方になってしまいますね。ご容赦を。
あなたのコメント(>35)のどこにも「同意はこっち」であるとは示されていなかった。その場合、>34の全体に同意したと受け止める方がむしろ自然だし、無理のない受け止め方です。逆に、「同意」は>34を構成する2つの文のいずれか一方に対してだけであり、他の一方には同意していないと受け止めるとすれば、そこには不自然さが際立ちます。なぜなら、これら2つの文は同じモチーフで貫かれているのですから。それにも拘らず、あとになって、「同意はこっちですよ」と言って、言うだけならまだしも相手を非難するのは、理不尽だと思います。
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>>で、突き放してスル―せず、なぜまた返コメを書いてるかと言えば、
>あなたの文章に何らかの ‘作為’ を感知していたならば、私は >>36 のコメントを書かなかったでしょう。そこには何の‘作為’も感じられなかった。「基本的に立ち位置は近い」という直感のようなものが、あのコメントを書かせたのだと思います。
ですね。「立ち位置が近い」という直感と言われたことと、「作為?」とは工作みたいな意味でしょうかね?「うっぷん晴らしやヘイト系、工作でもなく本心で書いてるのを酌み取って指名して頂いた?のであれば無下には出来ないと思い返コメしています。
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ありがとうございます。
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>>ただ、言ってる内容自体が一般論として正しくても、それが万人の価値観に当てはまるか?とか、距離を置いてみた時に、ある意見に対する「返し」としてその意見は適切か?という「返しの的確さ」はどうかな?って事を感じる点がありますね。コミュニケーション系の話ですね。ちょっと具体的な内容に行ってみましょうか。
>・掲示板の中だけでメディア叩きをしていても何も解決しない。
・メディアへの不満や意見や抗議は、メディアに直接伝えなければメディアに届かない。
この点について、この考えの中身そのものは理解出来る1面はあります。ただし、あなたがそうだと言うよりも例えばの話ですが、これを「皆、こうすべき」だとか「これは絶対的な真理だ」みたいに相手に強要するような感じの言い方になるとおかしな話になるわけです。勿論、ご自分の主張ならご自由ですが。
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これは、本文にある通り「私の認識」として書いたものです。「私の考えはこうです。そこがあなたと違っていたのですね」という意味合いです。それ以上でも以下でもありません。
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>>事実、モーニングショウに出演してる玉川さんは、よくネット上の意見を見て、その中で「こんな意見があった」とか参考にされて取り上げ言われてますね。影響力がかなりあるのでは?と感じる時がありますよ。
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ここで私たちが問題にしているのは、報道各社の政権に対する弱腰姿勢を改めさせるためにはどんなツールが有効かという話ですよね。
この“ネット上の意見”は、同テレビ局の報道姿勢についての意見だったのですか?
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>>どちらを選ぶべきではなく「どちらもやればいいでしょう」って事ですね。
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それはそうなのですが、私としてはもう一歩踏み込みたいですね。
「“メディアに直接”は必須、“ネットの書き込み”は任意」という感じですかね。
問題児に行いを改めさせるためには、周りで噂話を立てるだけでは効き目がないのであって、誰かが体を張って本人と腹を割って話し合うのが一番有効であるのと、似ていると思います。
投書は住所入り実名ですし、電話もメールも事実上の実名ですからね。体を張っているわけです。
■
>>事実、あなたも良策だと思って、こういう場所に書き込んでるでしょ。
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世の中へのいい意味での影響力という点において、私は「こういう場所」に対し懐疑的、というよりむしろネガティブな印象を持っています。もし、いい意味での影響力が多少でもあったのであれば、今のような世の中になっていなかったのではないでしょうか。
私がコメント欄に書き込むのは、ひとつは阿修羅掲示板♪という媒体そのものへの野次馬的興味(前段と関連します)からであり、もうひとつは、息抜きの場として仮面舞踏会の密やかな愉悦を優雅に味わいたいという遊び心からです。
但し、村本大輔の次の至言にあるように、「社会から逃げ込んできた場所で、なんの芸もなく」書き込む「空気」として、この場所に存在している、ということは自覚しているつもりです。
「(おれの漫才を)批判するならどんどんすればいい。おれの漫才も色んな対象への批判。しかしおれとお前らの違い。おれは勝ち取った場所で芸をもって批判する。お前は社会から逃げ込んできた場所で、なんの芸もなく批判してる。それが存在するか空気になるかの分かれ目。」
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>>この内容とその後のテレビ局への「声」の例えとのつながりは良くわかりませんでした。「ここぞいう時に攻めてくる」のがなぜ。「‘突き放し’への誘導」につながるんでしょうかね?ここは批判・反論ではなく素朴な疑問ですが。
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以下に書くことは、全体がひとつの寓話であることを始めにお断りしておきます。現実を叙述したものではないということです。
表裏一体、コインの表裏、どちらでもいいのですが、例えば、ある組織の采配の下に「安倍総理にリーダーシップがあるので政治に安定感がある」「安倍総理をもっとテレビに出して」「モリカケは鮮度切れ。他の話題を」「コメンテーターの中では田崎さんが一番まとも」というような投書(郵送、メール、電話)が全国から報道各社に継続的に大量に送られるとします。報道各社にとっては、こうした(作られた)「声」も世論の一部となってしまいます。これが権力側(安倍広報チーム)によるオモテ作戦です。
このオモテ作戦は、政権に都合の悪い記事をメディアに書かれたくないときには、例えば山口某のケースのように、国民の関心に火が付けば政権が3日ともたないような事案については、前コメで述べたような投書を大増員体制で殺到させるわけですね。そのことを「攻めてくる」と書いたのです。
次にウラ作戦についてですが、要は、政権批判の投書を報道各社に送らせないようにするための工作活動のことです。端的な例が、ネット掲示板などで「メディアは政権の言いなりだから当てにできない」「新聞テレビが政権批判をしても、あれはただのポーズで裏ではつながっている」「メディアは権力の飼い犬」のようなフレーズを常日頃からネット空間に散りばめておき、メディアへの疑心暗鬼を掻き立てさせ、一般国民とメディアとを引き離そうとするわけですね(‘突き放しへの誘導’)。それがうまくいくと国民の中でメディアに見切りをつけようとする(‘突き放し’)動きが生れるようになり、その結果として既存メディアに国民世論が届きにくくなるということになります。
そうなると、(モリカケなど国民に身近な国有財産私物化事件は別として)政権擁護の声だけが残り政権に批判的な声は減る一方となるため、メディアは、世論が政権を是認しているものと錯覚し、政権批判のトーンが低下するようになる。(世論の後押しがなければ政権批判の大義名分が立たない。世論という後ろ盾もなく、新聞社の独断で政権批判を推し進めるわけにはいかない。誰が独断の責任を取れるというのか、という話です。)
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>>あと、そういう「声」が多くあり、そういう比率があった場合、本当に特集を組むと思われますか?
>>私はどんなに声が多くてもテレビ局側はビビッてやらないと思いますね。
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世論が納得していないモリカケでは頑張っていますね。メディアを動かすのは世論だということの顕著な事例ですね。
世論とは何か。私は、報道各社に寄せられる読者・視聴者からの「声」が彼らにとっては「目に見える世論」「手応えとして感じられる世論」であろうと思っています(世論調査以上に)。なぜなら、それらは実名で寄せられているからです。
前項との脈絡で言えば、権力側は「モリカケは新味がないので報道も控えた方がいい」「検察も動かないのだから事件性はないはず」などのような「声」を大量に送り届けているに違いないのですが、疑惑追及を求める国民の「声」も、手ごたえが感じられるくらいに一定量寄せられているのだろうと思います。
一方、山口某の件に関しては、NYタイムズが大々的に取り上げた例の記事の中で、
「望月衣塑子氏は、この疑惑を追及している数少ないジャーナリストの一人であるが、社内のニュース編集室では男性同僚たちの抵抗に遭っているのだと語っていた。なかには、伊藤さんが直後に病院へ行かなかったという理由で彼女の言い分を認めようとしない者さえいるのだと。」
というくだりがありますが、東京新聞社内のこの反応は、ある意味社会の縮図のようなもので、世の中にはまだまだ偏見に捕らわれている人たちも多く、日本社会の、特に男性社会の、性被害への無理解はジャーナリストでさえこうなのだと驚いているわけです。
その中で、朝日は、次いで毎日も、民事訴訟が始まる前まではよく頑張って報道していたと思いますよ。(不思議なことに東京はほとんど載せなかった。読者層がやや違うのかなぁ。)
民事訴訟に入ってから、朝日も毎日も記事化に慎重になっている理由の一つは、前項に書いた事情(コインの表)があるのではないかと推察しています。
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>>ここが私の大きな関心事です。「牙を抜かれている具体的な事情」みたいのをご存知ですか?
>>感触としてはあなた様とここは完全に一致している認識かと思いますが、この理由が「?」なんですよね。電波使用料が安いからテレビ局がこの点を一番気にしてる?とか。歯向かうと放送禁止にビビってる(しかし、これをやるとそれこそ本格的に国民の反発・怒りを買い現実的でないと思うが)。とか、電波オークションを導入されると凄く困るとか?
>>あるいは単純に記者クラヴの利害関係みたいなものとか?とにかくこの陰湿で閉鎖的な実情が大きな問題になってるのは明らかでしょう。
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私はただ単に、朝日も毎日も東京も政治面は大本営発表のたれ流しで終始しており、その官製情報を辛口採点する姿勢が見受けられないことを「牙を抜かれ」たと比喩的に表現したわけでして、何故そうなってしまったのかまでは知りません。もたれ合いというのは確かにあるでしょうけれどね。
社説や社会面や特集では結構踏み込んだ内容を載せることがあるのと対照的ですね。基本的に「官」には弱いのかなぁとは思います。政権批判はしても行政当局(事務次官以下)批判はない。行政の最終責任者が閣僚なので、当然と言えば当然なのですが、責任を取らない特権階級というのも問題ですね。
切り口は少し違うのですが、安部政権になってからの対メディア戦略の具体的事例として、下の記事(少し古いですが)はいろんな示唆を与えてくれています。もうすでに読まれたかとは思いますが、念のため。
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/141.html
(選挙報道に見るメディアの危機・週刊金曜日)
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>>少なくとも、総理とテレビ関係者の上司が、ゴルフや高級料理を共にするのだけは、なあなあ癒着を拡大させる危険性が高いし民主主義国家の非常識なので、今すぐにでも辞めるべきでしょうね。
>>例えば、実際に会って何か怪しい取引を生んでいないとしても、その行為そのものが多くの人の不信感を高めてるのは間違いないでしょう。日本の昔の村社会の保守的やり方はやめるべきだと考えます。
>>今一、テレビ局と政権との関係の裏事情が曖昧なために、知識人や敏感・鋭い人達の不信感が半端ないんですよね。国民との信頼関係というものを軽んじる政権ですからね。
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おっしゃるとおりですね。
首相動静欄に書かれる形で大っぴらに会食しているのも、そういう狙いがある(意図的に“不信感を高めてる”)のではないでしょうか。そしてネット工作員がそれを煽る。本当に圧力を直接かけたければ、個別に隠密で会うはずでしょう? 方法はいくらでもあるのですから。
会食を何故断らないのか、メディア側はその理由を明らかにすべきですよね。それができないなら会食に応じるのをすぐやめるべきです。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/211.html#c41
シリアおよび中東全体に平和が訪れないのは、世俗派の民主主義勢力が小さ過ぎるからだ。
そもそも「歴代カリフが作った宗教」であるイスラムは、「異教徒と不信仰者は殺せ!」という「異教徒憎悪」の宗教だ。(「ジハード」で「アッラー神の領土を増やせ!」という「侵略宗教」でもある。)
敵対する勢力どうしは、たとえ共に「自称イスラム教徒」であっても、気に入らなければ容易に「不信仰者」とみなすことができる。シリアで抵抗運動を続けている「反政府派」は、「イスラム原理主義者」だろうが。なぜ彼らがあそこまで「帰順」を拒むのか。部族社会に生きる「イスラム原理主義者」だからだよ。アサド一人を悪者にするのは、筋違いだろう。
イスラム教徒に「過激派」と「穏健派」がいるなどと思うのも、単なる幻想。両者に本質的な違いはない。両者共に、「シャリーア」で統治される「イスラム神権国家」を「理想」とみなしている。(イスラム神権支配国家は、近代民主主義の原理とも、人間中心思想に発した「人権思想」とも相容れない。)
「過激派」の親族、一族郎党、年老いた親や幼い子供もまた、「過激派」と同じイデオロギーを共有している。耄碌してよぼよぼになっても、年端が行かずよちよち歩いていても、「息子」や「お父さん」や「お兄ちゃん」は家族親族のために戦っていると信じている。「過激派」と「穏健派」は一心同体なのだから、両者を区別することは不可能。
「穏健派」が「過激派」を批判したことが一度でもあったか?
有効な対立軸があるとすれば、「世俗派」と「非世俗派=神権派」の間だ。(「世俗派」は将来的には「離教/棄教」に向かうので、「平和の実現」はこの部分の伸長にかかっている。)
アサド支持派は「世俗派」のなかに区分されるだろう。従って、この部分を潰してはならない。
「穏健派」と「過激派」に本質的な違いがないことは、「IS=イスラム国」がよく教えてくれたではないか。特にイラクで、住民はISを「積極的に歓迎」し、その支配を「喜んで」受け入れた。住民は「シャリーア」による統治を望んでおり、「カリフ国」の再来を待ち望んでいるからだ。IS兵士や指導者が生き延びられるのも、部族の支援ネットワークがあるからに決まっている。
この中東の地に平和が訪れないのは、いわば「イスラムの原罪」のようなものだ。「カリフ国」を打ち立てたイスラム勢力は、そこに元から住んでいたユダヤ教徒やキリスト教徒や異教徒を殺しまくって支配権を確立した。(成人の男は皆殺し、女は性奴隷。) コーランにもハディースにも、異教徒の殺戮と差別・憎悪思想が「建国神話」となって昇華されている。そのコーランを毎日聴きながら、唱えながら暮らしているのだ。「平和」は同じ宗派と親族集団の中だけ。異教徒や他宗派とは永遠に仲良くなれない。
それから、国連には「幻想」をもたない方がいい。国連の中には「イスラム協力機構」という機関があり、ここが「イスラム批判」と戦うための司令塔となっている。イスラム批判派に対しては「イスラモフォビア」の語を用いて「攻撃」することを、この機構は決めた。
それでどうやって、国連がイスラム・テロに対して有効に戦えるのか?
欧州に押し寄せる移民難民の問題についても、国連は、住民の「教育による世俗化」も。貧困国の「人口抑制策」も推進せず、先進国民に寄付や経済援助ばかりを求めてくる。(ユニセフの広告を見よ。「うざい!」と思っている人も少なくないだろう。)
産業の育成も振興も計らないまま、避妊を拒否して多産を続けているから、雇用も収入もないのに子沢山の状態が国家レベルで起きている。これでは「飢える」のが当然だ。「異常に高い人口圧力」の結果として欧州への移民難民の大量流入やロヒンギャ問題が生じている。
まずは「教育」と「産児制限」だ。住民の「世俗化」だけが「平和への道」。
国連はそれに有効に対処しているか? 「産めよ殖やせよ」の宗教を擁護したまま、何の解決策も打ち出していないではないか。(国連の「官僚」自体がイスラム教徒では、当然の成り行きではあるが。)
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なお、欧州の支配層(金融資本と産業資本) が中東からの移民難民に寛容であるのは、それにより欧州経済圏の「競争力」を高めたい、と考えているからであるようだ。低賃金労働力の導入と、それによる労働力コストの低減。そして「高くなり過ぎた」欧州の社会福祉コストの切り下げ。下方圧力を強めること。さらに、破綻しそうな年金制度を、新参の移民労働者が納付する「掛け金」で救いたいらしい。
では、移民増加による治安の悪化をどうするのか。欧州支配層は、自分たちは「貧民・庶民」とは切り離された完全防備の高級住宅で暮らし続けるつもりであるようだ。彼らにとって、中東やアフリカからの移民難民も、自国内の「貧乏白人」も、「危険度」という点では同じようなものであるらしい。
厚労省へ飛び込んで、元データの山を探り出したのも野党議員だ。
ちったあ誉めてやれよ。
メリットはなにもない。
使い道が無くて、
住宅投機に手を染める。
止められなくなって、出口で苦労する。
幸い我が国は都心限定バブルだから、
たいした問題にはなっていない。
我が国には利上げを拒む理由はない。
即ち、出口問題はない。
どれだけの労働者が助かったか。口だけのやつが偉そうにするな。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c3
いつか『新党・憲法第9条』が日本の政治シーンを変えてくれるのです。
そう、あと300年くらいもしたらネ〜!!
既にやられているのではないかな?
女性専用車両に乗り込んで屁理屈捏ね、居座る変態ネトウヨみたいな奴だな。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c9
人の揚げ足とりはするが、
自分はルールは守らなくていい。
これが現代日本人。
ウゥ〜ン〜、納得しますね。
国会議員半数にしないのか?維新の会よヨ!
嘘つくなよ!維新の会。
参議院など無用の長物だ、なにが良識の府だ。
ガキばかり、、チンピラばかりが、登庁しだしています。
そうだろう、横浜のチンピラ;菅官房長官。お前もチンピラだ。
”問題ない”だと、さ。この単語か知らない男のようだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c5
ユダヤ人とは誰か?
https://sites.google.com/site/uranenpyou/dare-ka
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ROCKWAY EXPRESS
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日本や世界や宇宙の動向
近代トルコは隠れユダヤ人の帝国です。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51974996.html
以下の記事によると、トルコがISISを支援する理由は。。。隠れユダヤ人がトルコを乗っ取り支配しているからです。隠れユダヤ人の目標は中東全域に大イスラエルを築くことであり、イスラエルから世界を支配(NWO)したいようです。
(以下略)
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日本人女性をドレイとして売り飛ばした切支丹大名の非人間性、これが武士か、日本人か
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/361.html
投稿者 愛久 日時 2005 年 1 月 01 日 02:28:58:TajVyDOmXA31A
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日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/812.html
投稿者 TORA 日時 2006 年 1 月 27 日 13:09:43: CP1Vgnax47n1s
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日本人の覚醒【The Awakening of The Japanese】
フランシスコ・ザビエルはユダヤ人である
https://重複コメントリンク認定/19557519/
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真説!人身売買ビジネスとキリシタン迫害の本当の幕開けとは?
2017/01/16
10:01
発禁図書「沈黙」のプロローグ・序章
http://denjiha55.blog.fc2.com/blog-entry-1422.html
学校では絶対に教えられない九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?
ここでは不都合な歴史はなかったことにすればいい?
アジアや日本では奴隷取引はなかった?
いずれ拉致事件も原爆の悲劇も人々から忘れ去られる?
ハリウッド映画の「沈黙・サイレンス」の原作は遠藤周作の代表作とされる小説であるが、この作品は1966年に発表された直後、小説として評価されたにも関わらず、当時のカトリック教会に否定され、鹿児島、長崎では長い期間にわたって発禁本扱いにされていた事実がある。
● 東洋医学史研究会
宇田明男
(以下略)
「サーフィンで男性死亡 千葉の海岸10〜20代か」 (産経 2018/2/26)
http://www.sankei.com/affairs/news/180226/afr1802260009-n1.html
「
25日午前9時20分ごろ、千葉県一宮町一宮の海岸で、
防波堤の近くにある消波ブロックに男性が挟まっているのを、
一緒に来ていた友人が見つけた。茂原署によると、
男性は救急車で病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。
同署によると、男性は友人とともに計4人でサーフィンに来ていた。
友人らは「サーフィンをしていていなくなり、周囲を探していた」と話しているという。
男性は10〜20代で、同署で男性の身元確認を急いでいる。
」
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/690.html#c14
1970年の日本万国博覧会(「Wikipedia」より/Flickr upload bot)
フランス・パリが2025年国際博覧会(万博)への立候補を断念した。2025万博開催地は今年11月の博覧会国際事務局(BIE)総会で決定する。
2月7日、大阪府の松井一郎知事はローラン・ピック駐日仏大使と府庁内で会談し、開催国決定に向けて「いろいろとご協力をいただきたい」と依頼した。
万博開催地はパリが最有力とみられていた。パリの撤退により、残っているのはロシアのエカテリンブルグ、アゼルバイジャンのバクーと大阪。俄然、大阪が有利になったという見方が広がっている。だが、そう甘くはないようだ。
松井知事は、万博とカジノを含む統合型リゾート(IR)のセット論を展開。「万博前のIR開業が絶対」だと考えている。しかし、万博前のIR開業には黄信号が灯る。
■IRは大問題に
IR実施法案は、国会審議入りしていない。安倍晋三首相の施政方針演説には盛り込まれていたが、公明党内にはカジノ解禁に慎重な意見が依然として根強いためだ。安倍首相にとっても、働き方改革関連法案や憲法改正など懸案事項が別にあるので、IR実施法案は後回しにされる可能性が高い。そのうえ、たとえIR実施法案が成立しても、大阪への誘致がすぐに実現するとは限らない。
「まずは3カ所程度だろう」
政府高官はIRの設置場所についてこう漏らす。2カ所は首都圏、残り1カ所が首都圏以外の地方になる公算が高いという。地方では、沖縄、長崎、和歌山、愛知、北海道なども誘致に手を上げている。1カ所という狭き門で、大阪が選ばれる確率は高くない。
しかも2月20日、大阪は来年のG20開催都市に決定。福岡や愛知とのバトルに勝利した。これには「G20は大阪にするからIRは別の都市で、という官邸の意向があるのではないか」(自民党関係者)という見方が出ている。
万博の会場建設費は約1300億円で、国、地元自治体(大阪府・市)、財界で3分の1ずつ分担する。これとは別にインフラ整備費用も必要で、万博だけで730億円以上、IRについては未定である。
この費用について大阪府は「万博とIRセット」とすることで、IRのために日本進出する事業者に負担してもらおうと考えているのだ。裏を返せば、IRが遅れると万博のインフラ整備費はすべて府と市が出さなければいけなくなる。関西財界が負担を求められる可能性も出てくる。
万博誘致には、日本経済団体連合会(経団連)と関西経済連合会(関経連)が参加している。官民でつくる誘致委員会の会長は榊原定征経団連会長だ。
榊原氏は「誘致に全力を尽くす」と言ってはいるが、カネの話はまったく議論されていない。その上、榊原氏は6月に経団連会長を“お役ご免”となる。すでにレームダック(死に体)状態だ。
関西財界には、05年愛知万博におけるトヨタ自動車のような大金持ち企業がない。“サラリーマン経営者”ばかりで皆、頭を抱えている。大阪が開催地に決定したら、「誰がカネを出すのか」という問題で大混乱となるのは避けられない。
■関西財界は総論賛成だが、カネの話はタブー
京都市で開かれた第56回関西財界セミナー(関西経済連合会、関西経済同友会共催)は2月9日、「国際博覧会の2025年大阪誘致を政府や自治体と一体となって勝ち取る」ことを盛り込んだセミナー宣言を採択して閉幕した。
関経連の松本正義会長(住友電気工業会長)は万博誘致について「関西に非常に大きなインパクトがある国家事業であり、誘致活動をやり抜かなければいけないと全員で結束できた」と胸を張ったが、総論は賛成でも各論(資金分担)になれば同床異夢なのが現実だ。
住友電気工業には、トヨタのような資金力も財界を引っ張るリーダーシップもないことは明らかだ。
万博開催が実現すれば、会場となる大阪湾岸の人工島、夢洲(ゆめしま)を「西日本の玄関口」と位置づけ、周辺地域と人の流れを生み出して成長につなげるべきだという、総論賛成の意見がセミナーでも相次いだが、一歩踏み込んだ発言をしたのは関西電力の香川次朗副社長くらいだ。
その香川氏にしても、「夢洲周辺を含む広い地域の長期の全体像について共通認識を産学官で早く共有して進めるのが大事」と述べただけで、関西電力が主役を張るとは言っていない。
アシックスの尾山基会長兼社長は「島全体を娯楽や観光の一大拠点にしてはどうか」などと、レジャー評論家のような発言をした。
夢洲にIRを誘致する構想については、松井知事を支持する声が多かった。それでも「観光客向けの夜のショーなどを充実すれば、関西経済はさらに元気になる」といったレベルの発言ばかりだった。長期低迷している関西経済が、そんな小手先のことで元気になるとは考えがたい。
関西経済同友会の鈴木博之代表幹事は、丸一鋼管の会長だ。その丸一鋼管は、溶接鋼管で国内首位の東証1部上場企業だが、年商は1500億円台にすぎない。大金を拠出することは難しい。
そうなると、経団連に加盟している主要メンバーで関西以西に本社がある企業が、人もアイディアも金も出さない限り、大阪万博の先行きには乱気流が待ち受けている。
(文=編集部)
フェンスの向こうのアメリカでは、非人間的な扱いが移民を待っている Jose Luis Gonzalez-REUTERS
<人権擁護団体の調査で明らかになった、米入国管理当局の女性と子供に対する虐待的な扱い>
アメリカの入国管理当局が幼い子供もいる家族連れを「凍えるほど寒い監房」に収容していると、国際人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が告発した。
事実であれば、この処遇は国際法にもアメリカの連邦法と政策にも反している。
HRWが発表した44ページの報告書のタイトルは、『冷凍庫に入れられて:アメリカの入管当局の収容施設における女性と子供の虐待的な扱い』。
子供も含めた数十人の体験が詳述されており、彼らは凍えるような施設に、時には何日間も閉じ込められたと証言している。
米税関・国境取締局(CBP)の指針では、不法入国者の収容は72時間以内とされているが、HRWの聞き取り調査では、女性と子供が3日以上、底冷えのする監房に収容されたケースが100件余りあったという。
成人と10代の男性は日常的に妻、母親、子供から引き離されていると、報告書は指摘している。
■服も脱がされ
寒く不衛生な施設に何日間も収容されたとの訴えが相次ぐ。写真はアリゾナ州ダグラスの収容施設 Human Rights Watch
寒さ対策には防災用のアルミシートのブランケットが与えられるだけ。監房には簡易ベッドやマットレスもなく、寝具は一切ない。
「とにかく寒い。死ぬほど寒い......マットもなく、床の上で寝た」と、カロリーナ・Rと名乗るグアテマラ人女性はHRWに語った。
服を重ねて着込んでいると、1枚だけ残してすべて脱げと、係官に指示される。
「ブラウスとセーターのどちらか1枚にしろと言われて、ブラウスを脱いだ」と、アデーラ・Rと名乗る女性は話した。彼女は赤ん坊と一緒にアリゾナ州ノガレスの収容所で3晩過ごしたという。
「収容施設では根強い慣行として、被収容者の尊厳を傷つける、懲罰的な処遇がまかり通っている」と、HRWの子供の権利に関する上級顧問マイケル・ガルシア・ボチャネクは指摘する。「家族を引き離すべきではないし、子供にとっては1晩でも監房で寝るのは酷だ」
■精神的外傷を残す
HRWが調査した女性と子供の大半は、祖国で暴力など迫害を受けて逃れてきたと語った。
「収容施設の状況は不必要に過酷なばかりか、とりわけ祖国で迫害されてきた人たちにとっては、明らかに有害だ」と、ボチャネクは言う。「アメリカは子供たちや彼らの家族にトラウマを与えるような慣行を今すぐやめるべきだ」
HRWは被収容者を「虐待的な条件下」に置くことが精神の健康に与える影響についても警告している。
災害援助と人権擁護のNPOユニテリアン・ユニバーサル奉仕委員会の15年の報告書によると、アメリカの入管当局に逮捕された人々にとって、「最も耐え難く、精神的外傷を与える」期間は、収容施設で過ごす期間だという。
HRWによれば、収容施設は不衛生でもあり、被収容者にはハンドソープも与えられない。トイレや食事、乳幼児への授乳やおむつ替えの前後にも手を洗えないということだ。
■法令違反はないとCBP
ある女性は5歳の息子とリオグランデ川の浅瀬を歩いて渡り、ずぶ濡れになって入国した後、寒い監房に入れられて、「がたがた震えながら、コンクリートの床に座っていた」と、HRWに話した。
「せめて息子は床の上で眠らずに済むよう、膝の上に抱えて、私は座ったまま寝た」
CBPの職員は本誌の取材に対し、「HRWの報告書のことは知っている。報告書で指摘された問題についてはHRWと話し合った」と述べた。
CBPは「短期収容施設」を運営し、不法入国者の収容を「連邦法の貿易円滑化・貿易履行強制法に基づき、通常は72時間以内」にとどめているという。
CBPはまた「すべての被収容者の尊厳を尊重しており、すべての短期収容施設が関連法規に定められた基準に適うよう管理を徹底している」と強調。内部の運営査察部門が施設の状況を定期的にチェックするなど、複数の「法令遵守メカニズム」が機能しており、違反は一切ないという。
■むご過ぎる処遇
収容された人たちの多くが、何より寒さがこたえたとHRWに訴えたにもかかわらず、CBPは「そんなことはない」の一点張りだ。
16〜17年に約150人の女性に聞き取り調査を行ったNPO女性難民委員会も17年10月の報告書で、調査対象者のほぼすべてが「凍えるように寒い」CBPの施設に何日間も閉じ込められたと訴えた、と述べている。
キリシタン弾圧の本当の理由
http://www.rui.jp/ruinet.html?c=400&i=200&m=202749
(前略)
私が心配しているのは、今年、アカデミー監督賞を受賞したスコセッティ氏が遠藤周作の小説『沈黙』の映画化に取り組んでいるということです。
島原の乱後のキリシタン弾圧に材をとり、棄教用に使われた穴吊りの刑をクリスチャン世界の欧米に紹介しつつ、話題性をもとめるつもりらしい。
セプルベダとラス・カラスの論争でも明らかなように南米では加害者であった宣教師が、戦国時代末期から江戸時代の日本では被害者であったということになります。
危険なのは、日本の歴史教育でこのキリシタン問題が、仏教僧との論争、宗教弾圧、さらに当時の日本を知る情報源としての宣教師の残した文書しかとりあげていないことです。
(略)
キリシタンが弾圧せざるをおえなかったのは犯罪行為を行ったこととさらに秀吉や徳川氏がおそれたのはキリスト教の考え方自体が、【本源集団http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=14】を解体させ社会統合をする上で極めて脅威であったことを知っていたからか?
●とすれば織田信長が天下を取っていたならば、日本は約500年も前にすでに植民地化されていたのかもしれない。
それも韓国、朝鮮の方達だけではない。中国人の方も、オランダ人もいたのだ。
日本国もドイツがホロコーストを認めたようにもう、認めるべきであり、時期だと思う。
そして、その残虐行為を心から詫びるべきだ。
そして、歴史に刻み、戦争!ジェノサイドのない世の中を構築できるよう、
若い人々に平和な世界を築くよう、託すべきた。
理想や夢物語を言っているのではなく、それしか人類が生き残っていく道がない。
それが我々、大人の仕事だと思う。
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c31
▼米朝戦争開始の数日間で数十万人の死傷者!
米軍が先週、ハワイで在韓・在日米軍も動員した北朝鮮との戦争を想定した図上演習を行った。戦争開始の数日間で数十万人の死傷者が出る「兵士たちが体験したこともない厳しい戦いになる」ことが分かった。
実際はこの数倍の犠牲者が出るのではないか。
*******************
米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は2月28日、北朝鮮核問題をめぐる外交努力が失敗した際に備えて、米軍が先週、朝鮮半島有事を想定した秘密の図上演習をハワイで実施していたと報じた。
米朝の軍事衝突後、最初の数日間だけで約1万人の米国人が戦闘で負傷し、民間人の死傷者は最大数十万人に上る可能性もあると推計した。
図上演習はミリー陸軍参謀総長やトーマス特殊作戦軍司令官らが参加し、数日間行われた。
甚大な被害が予想されるため、ミリー氏は「兵士たちが体験したこともない厳しい戦いになる」と述べたという。
演習では、中東やアフリカから派遣した偵察機を地上部隊の支援に充て、在韓・在日米軍も展開するシナリオを採用。
特殊作戦軍による北朝鮮の核施設への攻撃や、トンネル内での戦闘に関して具体的な部隊規模を協議した。 (以上 共同通信)
米朝の軍事衝突後、最初の数日間だけで約1万人の米国人が戦闘で負傷し、民間人の死傷者は最大数十万人に上る可能性もあると推計→米軍が朝鮮半島有事で図上演習 外交失敗に備え、米紙報道 - 共同通信 https://t.co/8c1MfXw2r2
— Kasamatsu (@purerose2011) 2018年3月1日
こいつは事実認識が一から間違っている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/641.html#c9
▼韓国が近く北朝鮮に特使派遣!
【ソウル共同】韓国大統領府は1日、文在寅大統領がトランプ米大統領と電話会談し、北朝鮮に近く特使を派遣する意向を表明したと発表した。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が妹の金与正党第1副部長を特使として韓国に派遣したことへの答礼だとしている。
米韓首脳は、核・ミサイル問題を巡る北朝鮮との本格的な交渉に先立つ予備的協議について意見交換した可能性がある。
文氏は2月下旬、平昌冬季五輪の閉会式に出席するため訪韓した北朝鮮の金英哲・朝鮮労働党副委員長と会談しており、その内容についても説明したとみられる。 (以上 共同通信)
韓国、北朝鮮に特使派遣へ − 米韓首脳が電話会談https://t.co/xtGZzQCMYP
— 共同通信公式 (@kyodo_official) 2018年3月1日
韓国、北朝鮮に特使派遣へ 米大統領との電話会談で表明: [ソウル 1日 ロイター] - 韓国の文在寅大統領は1日、トランプ米大統領と電話会談を行い、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長… https://t.co/hWGGLOfOe6
— BizMediaWatch_bot (@BizMediaWatch) 2018年3月1日
韓国、北朝鮮に特使派遣へ 米韓首脳が電話会談 | 2018/3/2 - 共同通信 https://t.co/zV2lz9Tun5 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、妹の金与正党第1副部長を特使として韓国に派遣したことへの答礼だそうで^^;)
— nyagonyago (@nyagonyago1) 2018年3月1日
「流行りの柄は戦闘機」だった時代―ファッションから見える戦争の姿
2015.08.12 CULTURE
https://www.70seeds.jp/ifuku-071/(抜粋)
「衣服が語る戦争」展が、6月10日〜8月31日まで新宿にある文化学園服飾博物館にて開催されている。
衣服を通じてみる戦争の実態はどのようなものなのか。企画展を担当された村上さんにお話を伺いました。
―
村上佳代:文化学園服飾博物館、学芸員。「衣服が語る戦争」展コーディネータ
―
(略)
‐最後にこの展覧会で伝えたいことは何でしょうか?
●やっぱり生活に根付いたところから戦争を考えて欲しいなと思います。木綿100%のものが無くなったらどうなるんだろう?とか。●そして現在、無意識に享受している平和な社会がもたらす恩恵を実感していただければと思います。
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パンドラの憂鬱
海外「日本は戦時中ですら…」 戦時中の着物の高いデザイン性に外国人が衝撃
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2173.html(抜粋)
今回は、戦争柄の着物を見た外国人の反応です。
戦争柄とは、文字どおり戦争の情景等を図案化した着物の柄のことで、
日清戦争期の1894年から、第二次世界大戦期の1942年ごろまで、
約50年間にわたって作られていました。
海外サイトでは「プロパガンダ着物」として紹介されているのですが、
実際は政府や軍部が戦争柄の着物を着るように国民に指導した事はなく、
国民が自発的に取り入れた、数ある流行のうちの1つだったようです。
ですので、街中で戦争柄の着物を着用していた人はごくごく一部で、
実際に着ていたのはほとんどが子供だったそうです。
いずれにしても、「プロパガンダ」と表現する海外サイトも、
「美しく、魅力的な」との形容詞も添えており、
1つの芸術作品として捉え、紹介しています。
写真を見た外国人からも、デザインを賞賛する声が多く寄せられていました。
その一部をご紹介しますので、ごらんください。
(略)
日本人の反応
■ 本当に興味深かったです。
私、当時日本が戦争柄の着物を作ってるなんて知らなかった。
でもどうして隠されて保管されてたのかも理解できる。
日本は連合軍に長い期間占領されていたから、
アメリカ側に不信感を抱かせないことが重要だった。
ああいった柄の着物をずっと持っていたら、
軍国主義を支持してると思われると考えたんだと思う。 +1 アメリカ
うん。
そぉ。
未だに主要な箇所はガッチリ占領されてる。
でも来年からはちょっと本気出していくかもよ。
[ 2016/12/26 23:11 ] 名無しさん [ 編集 ]
当時の着物にこんな柄があったなんて知らなかった。みんな地味な色の無地やせいぜい縞のモンペ姿ばかりだと思ってたから。それにしても素晴らしいデザイン力。すごい!
[ 2016/12/26 23:32 ] 名無しさん [ 編集 ]
朝日新聞社の社旗には文句言わない朝鮮人(笑)
[ 2016/12/26 23:32 ] 名無しさん [ 編集 ]
戦争物はどこの国でもあるね
フランスならアメリカ独立戦争の時に貴婦人は頭に帆船の模型のっけるのが流行った
ナポレオンとやり合ってたドイツは貴金属不足もあって鉄で作った黒いアクセサリーが流行った
国民一丸で鼓舞しつつお洒落で財布の紐をしめさせないのは商売人の腕の見せ所だろうね
[ 2016/12/26 23:34 ] 名無しさん [ 編集 ]
70数年前にこんなデザイン性の高い物が作られてた事に衝撃を受けた。
[ 2016/12/26 23:41 ] 名無しさん [ 編集 ]
日の丸が絡まってる柄がなんかいい
オリンピックのユニフォームとかで使えばいいのに
[ 2016/12/26 23:51 ] 名無しさん [ 編集 ]
展示したら、レイシストと馬鹿みたいに泣き叫ぶゴミ民族が居るからね
前にアメリカで、着物の試着もできる展示会開いたら、そのゴミ民族が騒いで中止になったもんね
[ 2016/12/26 23:51 ] 名無しさん [ 編集 ]
※21
当時一番、熱狂的に日本人より日本を応援していたのが韓国人だったのですよ。現在の韓国の無条件愛国主義者みたいにね。しかし日本が敗けてしまったので、韓国人の伝統文化である寝返り裏切りを日本に行い、韓国は関係ないニダ被害者ニダ!と嘘を吐いて韓国は戦争責任から逃げた。韓国人は嘘を吐いて責任を他人に押し付けて反省しないのが文化だもんな。 (略)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
●6枚目の着物は朝日新聞社の神風号がロンドンまで飛んだときの記念だね。ものは97式偵察機。
[ 2016/12/27 00:02 ] 名無しさん [ 編集 ]
羽裏や長襦袢ばかりでプロパガンダも糞もないだろ
[ 2016/12/27 00:49 ] 名無しさん [ 編集 ]
※21
自称・強制連行された徴用工の中には高い給金につられて日本にわざわざ自分からやってきて、遊郭で遊んでたやつもいるという、(韓国人にとって認めるのが)悲しい経緯も隠さず発信していかないとなwww
おまいらの大好きなアカヒ新聞の社章はどーよ?東洋のハーケンクロイツニダ!廃刊するニダ!ってアカヒに文句つけてこいやwwwww
[ 2016/12/27 00:53 ] 名無しさん [ 編集 ]
こんなの着て表に出る訳ないだろ裏襦袢だよ
見えない所で遊ぶ心意気・・・分かるわけないか
[ 2016/12/27 00:54 ] 名無しさん [ 編集 ]
教科書誤報事件、朝日新聞に罪を着せる偽装工作に
協力していた人物も。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/724527aaafacf3167db7d1a26cbea485
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/637.html#c10
私も正直、真実の愛が何かなんてことは知ってると言えない。
けれどわたしは相手が同意もしないものを強要したり、押し付けたいとは思わない。
それはわたしが求めているものではないからだ。
頭で理解するものを皆は欲しがる。しかしそれは心で望んだものと必ずしも一致していない。
よく考えもせず、感じもせず、それを手にしたがるだけというのは、それを手に出来ないときの自分を常に感じているからである。その自分を酷く罵倒する影にただ恐怖するからである。
心というものを簡単に否定できる者は、心の求めを知ることが出来ない。そして気が狂ってしまっても治す術を手にすることは出来ないだろう。
相手に同意も求めず、何かを強要出来るというのは、満たされぬ想いをわかってくれる相手を求めてのことだ。しかしそれでわかってくれる相手など現れるはずも無い。よってただ飢えを増幅させるだけになる。
悲しみを理解してほしい。怒りを理解してほしい。理解してくれないと傷つけるぞ。ということだから。
人に何かを強要させるのは自己不信、自己嫌悪による行動であり、つまりは人間嫌悪、人間不信を招き、それは自己破壊、自滅行為の一環である。
破滅をもって自分を消し去りたいとする願望がそうした行動を駆り立てる原動力となる。
怒り、悲しみ、憎しみの感情の矛先が弱者に向かっても、その自分の弁明、言い訳を受理し、庇護してくれる存在を最期まで求めつづける。それも自分の外に求めつづける。外に求める愛があると理解してきたからだ。それを自己愛と呼ぶことには違和感がある。
愛とは手にするものであり、欲しがるものではなく、また受け容れるものであり、そして個々に於いては持つものを与えることしかできないからである。
彼らは外側に飢えた牙を剥いて、そして自傷行為をしているにすぎない。
簡単に言えば、そうして罪を犯して言い訳をし、弁明をし、開き直るといった代替物で擬似的に自分を満たそうとする。それは甘え、飢えた人間の素性である。
「人間不信」であれ、「間違った自己愛」であれ、すべて自身の主観を通して得た経験によってのみそこに至ることが出来る。
自分の中に拭い切れぬ不満があっても、それが自己を狂わすことになると悟るなら、他人の評価に依らず、無条件に自分を信じ、受け容れようと努力する。そして自分の心が真に望んでいるものが何かを明らかにし、不満を持たぬこととは何かを頭ではなく肌で知る努力をすること。それが幼い感情に打ち克つということ。そうできた上で他人というもの、人と云うもの、世というものを改めて理解し、受け入れようと努力する。それが人間であるだろうと思っている。
自身を愛すことができるようになるのは人を愛すことができるようになるため、その意味で「自己愛」という言葉がはじめて輝く。頭で欲しがるもの、他所から借り得た理解ではなく、自分の心の望みに素直に自分を作らずありのままの自分を実践するため、他人の作った言葉ではなく、自分の主観を通して得た経験を生かす為。それらはすべて「自分の個人的経験を基準にして」こそ至るものではないか。
だからといって、気持ち悪いものを否定はしない。彼らがそこに気付くにはより大きな愛の力が必要だ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/651.html#c4
赤道義というものをご存じないか? これがないとマトモに天文観測は出来ないし天体写真は不可能となる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E9%81%93%E5%84%80%E5%BC%8F%E6%9E%B6%E5%8F%B0
まあ、オカルトマニアの与太話ですな
「ポールシフト」 という現象が 実際に有ることは有るが それはおよそ一万年に1度傾くだけです
それでも10万年なら 10度も傾いてしまう訳で 天文学的には 「急激なポールシフト」 と言われるのです
地軸が 短時間で急にくるりと変化するには、極めて莫大なエネルギーを必要としますから
有り得るとしたら 小惑星 それもかなり大型のものが 地球に激突した時だけでしょうな。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/639.html#c5
プラスチックのように高分子の鎖が放射線で断ち切られる劣化とは
当然違いますね。
1Fの排気塔がボロボロで今にも倒れそうなのは、もちろん海辺で
塩害の影響もあるでしょうが、放射能汚染で腐蝕が悪化しているのでは?
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/461.html#c5
小泉さんが野党の領袖に^^
国民の勝利。
昨日の夜中か?私が23でコメした数時間前だったのだろうか?妙なタイミングw
「働き方改革法案」裁量労働制の拡大を削除することになった。
私はゲスなネトサポではないので「ざま〜」とは言わない。が、野党、国民(世論)の声が勝利したと言えるだろう。
今回だけは政権もごく珍しくまともな決断をした。(しかし、遅いとも言えるが)
もっとも自民内からも反対の声があったらしいから、ある意味、裁量労働制の拡大については「四面楚歌」と言えるか。
この日の朝のモーニングショウ「そもそも総研」で、玉川さんが完全に論破しきってたので、どうあがいても無理だったのだろう。
しかし、マイナス点の要素=「残業したら11時間以上は空けなければならないとか欧州でのセットとしてのフォローした法律などの欠如」を鋭く突いたのは、テレビでは玉川さん(青木さんもか?)だけだと言うのがあまりに情けないな。
もっと早い段階でちゃんと調べれば他の局や他の解説者も同じ事を指摘批判出来たはずだ。
これだからマスコミのボケなすぶりが目立つと言われるんだ。玉川さんを見習え!
青臭い八代よ。田崎完全敗北。何でもかんでも無理矢理安倍ヨイショなんかしているとこういう恥をかくんだよ。
安倍にも0.01ミリの常識はあったか。
私は何にでも否定する人間でないので、今回の削除は当然と言えば当然だが、わずかながら評価はする。政権運営は今までがあまりに滅茶苦茶だったからな。
しかし、この点だけで政権全体の信用が回復する訳ではないのは言うまでもない。
そもそも、データを元に法案を考えるのにデータがおかしければ、法案を考え直すのは、当たり前だ。何やってるの?
データだけで思考された内容ではないから・・とか詭弁も激し過ぎるだろう。そんないい加減なクズ法案は有り得ない。
安倍最悪の結果ありき手法。
過程の段階で大きな問題点が噴出してもとにかく押し通す。
野党が何を言ってもとにかく押し通す。
世論が反対してもとにかく押し通す。
労働者が亡くなってもとにかく押し通す。
一旦引っ込めるという、改めるという決断をする勇気を持たない情けなさ。
こんな法案は、企業の雇い主、財界のトップに要請された給与削減対策の弱い者イジメ政策に決まってるだろ。搾取法案(さくしゅほうあん)って言ってもいいだろう。
別の板でどなたかも言われていたが、「これは雇い主の良心次第となってしまう」労働者は立場的に結局自分ではコントロール出来ない。世の中、搾取など屁とも思わない悪質経営、ブラック企業がいくらでもあるわけで、そう言う奴らの思う壺だろ。
こんな滅茶苦茶な事態に、またマスコミがちゃんとした解説をしない。「野党も鬼の首を取ったように、ただ自民を攻撃するばかりでなく……」って言ってたコメンテイターが2人いたぞ。バカ過ぎ。野党云々じゃなく、明らかに与党の手法・段取りが滅茶苦茶だろ。
相変わらずのマスコミの適当・いい加減振りに呆れていたが、モーニングショウを見たらやはり玉川さん・青木さんは違った。
ただ、流れとして何か言い訳が出来なくなっているのだろうか?珍しくミヤネ屋で宮根が調べ直して確認し直すべきだと与党を批判するような言い方をしてたな。文春嫌われ1位になってしまったから、安倍ヨイショ発言を控えるようにしたのだろうか?まあ、宮根であろうが誰でもいいからちゃんとした事を言えよ。
これは取り合えずはアウトに決まってるだろ。
テレビはまともな解説者が少ない。八代とか酷いし、劣化は政治家だけでなくテレビ出演者もだ。
また、田崎が出て来て「僕はこの法案に賛成なんですよね」って、わかってるつうの。あなたは世論をごまかし、インチキ法案を正しいと誘導しようとするために来たんでしょ。
田崎が与党の意見に反対した事があるか?自民広報部として来ましたと言え。解説者という立ち位置で、結局安倍ヨイショをそれらしく誘導する汚い手法はいまだに健在か?だから、みんなにバレバレになって、文春嫌われ2位になってるのがわかってないのか?
田崎とか矢代を出演させるなよ。2人出てるひるおびって最悪だな。出すなら自民広報部として出せ。プロパガンダほど不健全な手法はない。国民も見抜けて来ている面もあるが、まだまだ引っ掛かってしまう人もいるだろうから、まともな解説者を出演させろ。
玉川さんと青木さんは生き生きと攻勢を強め、堂々とまともな正論を田崎にぶつけ、田崎は明らかに劣勢。最近、こういう場面が少し増えてきた。段々、インチキな奴らのメッキが剥がれている場面が目立ち、一般人にもその感じが伝わり浸透しつつあるかもしれない。
このままなら間違いなく役職のない労働者は搾取されるぞ。
野党よ、「企業によっては、労働者が搾取される危険性も高いと懸念される」と突っ込め(誰か言った?)!言い方が全体的に弱いぞ。怒鳴るも怒るもいいが、平坦な言い方はダメだ。ワードの言い回しを工夫して、インパクトを強めた言い方をしないと。
とにかく、自民安部は常に経営者側の立場を尊重し、労働者は軽く見てる心無い政策をやるから、野党やマスコミのチェックが必要なのだが、マスコミが権力チェックの社会的役割を放棄してるのか?という懸念が大きく、玉川さんとか本質をよくチェックされる方が少な過ぎる。
さて、文化や習慣の違いも働き方に大きく影響してる。価値観や姿勢の問題だ。
日本人はタダでもやりますよ!会社のために時間外も尽くしますよ!というのが美意識というか優秀な労働者だろう!という企業や労働者も少なくないだろう。伝統だ。
ドイツなどは、逆に時間内に片づけられる社員が優秀で評価される。残業なんてやる奴は能力がないから時間内に処理できないダメなやつ。なんていう合理性の高い価値観を持っていると聞いたことがある。
玉川さんも生産性の話をしていた。さすがの視点。このことが本質な議論に入ってないと議論は出来ないはず。
それはどちらの国も正反対の価値観を持っている企業や労働者もいるだろう。しかし、日本人は古い価値観を改めないと「働き方改革」は出来ないだろう。考え方や姿勢の問題も大きいということ。
なので、「ドイツでは残業をした次の日は8時出勤でも9時から(9時以降?)出勤しなければならない事になっている」「こういうものはセットで決めないといけないのでは?」みたいなこと言われていた。
さすがですね。こういうのを本質的な議論という。こういうフォロー的な大事な話は完全に無視する政権や田崎。ここに労働者の立場や弱者を無視してる姿勢が表れている。
頭を冷やして改善して作り直せ与党。
これが昨日の怒りのコメ
で、次に今日のコメに行きます。(↓下)
国民の勝利!
昨日の夜中か?「働き方改革法案」裁量労働制の拡大を削除することを決めた。
しかし、「高度プロフェッショナル制度の導入」が同じ方向を向いているらしいので、完勝とまでは行かないみたいだが・・・
私はゲスなネトサポではないので「ざま〜」とは言わないが、野党、国民(世論)の声が勝利したと言っていいだろう。
今回だけは政権も珍しくまともな決断をした。(しかし、遅いとも言えるが)
もっとも自民内からも反対の声があったらしいから、ある意味、裁量労働制の拡大については「四面楚歌」とも言えるだろう。
この日の朝(昨日)のモーニングショウ「そもそも総研」で、玉川さんが完全にこの法案の矛盾点を論破しきってたので、どうあがいても無理だったのだろう。
しかし、マイナス点の要素=「残業したら11時間以上は空けなければならないとか欧州でのセットとしてのフォローした法律などの欠如」を鋭く突いたのは、テレビでは玉川さん(青木さんもか?)だけか(?)と言うのがあまりに情けないな。
(玉川さんだけではないかもしれないが、小意見であった事は間違いない)
もっと早い段階でちゃんと調べれば他の局や他の解説者も同じ事を指摘批判出来たはずだろ!!!また、例によって岸博幸は加計の時と同じで「野党が悪い」とか意味不明の解説してたぞ。彼は公正さ・正義感ゼロだな。
ミヤネ屋は削除が決まってから「裁量労働制の拡大」を強批判し出したぞ。後出しじゃんけんの情けなさ。まあ、批判するだけマシではあるが卑怯は卑怯だ。
これだからマスコミのボケなすぶりが目立つと言われるんだ。鋭さが足りない足りない。
あまりにボケてる。あまりに鈍い。あまりに勉強不足。
玉川さんを見習え!青臭い八代よ。田崎完全敗北。何でもかんでも無理矢理安倍ヨイショなんかしているとこういう恥をかくんだよ。
安倍にも0.01ミリの常識はあったか。
私は何にでも否定する人間でないので、今回の削除は当然と言えば当然だが、わずかながら評価はする。政権運営は今までがあまりに滅茶苦茶だったからな。
しかし、当然だが、この点の評価だけで政権全体の信用が回復する訳ではないのは言うまでもない。
参考までに、世界ではどんなふうに人種差別と向き合っているかご紹介します。
難民施設訪問のバロテッリが差別撤廃の呼びかけ
「スポーツはあらゆる差別に打ち勝つ」
https://goo.gl/oQ3SoX
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/645.html#c3
素晴らしいです。引き続きお願いします。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/648.html#c1
いま、働き盛り世代の人に「スマホ認知症」の症状を持った人が増えているという。スマホと認知症の関係とは?
スマホ認知症は若者たちがかかるという。
脳神経外科医・奥村歩医師「物忘れ外来を訪れる患者の若年化がどんどん進んでいる」
認知症を専門とするクリニックでは、患者の30%が40代〜50代、10%が20代〜30代と認知症にならないような世代の受診がここ数年は増えているという。
脳が健康な状態を保つために必要なことは、情報を脳に入れることと、その情報を深く考えることをバランス良く行うことだという。
スマホの登場で現代人は“情報入手”だけが多い状態になっている。気がつけば、脳は情報で“オーバーフロー”となり過労状態になるという。そのため、物忘れや感情のコントロールができない、自分らしさを失うといった、うつ病や認知症と同じ症状が引き起こされるという。
奥村医師「長く続くと、本当のうつ病になってしまう危険があるので警鐘を鳴らしているんです」
ほかにも症状が続くと、老後の認知症の危険も高まるということだが、スマホ認知症は生活習慣を変えれば改善するという。そのために必要なのは“ぼんやりタイム”だ。集中して何かをした後にぼんやりする時間が脳には必要だという。
移動中、食事中、休日、就寝前、スマホと一緒に過ごしていたこの時間をぼんやりする時間に切り替え、スマホ認知症と無縁の生活を。
【the SOCIAL lifeより】
------(引用ここまで)------------------------------------------
記憶力低下を訴える人が若中年層でも激増しており、脳の被ばくが原因であることを
隠すために、「スマホ認知症」なる言葉をデッチ上げ始めました。
情報過多などインターネットが普及し始めた20年前から言われていることで、
ここ数年で患者が激増している事実を説明できません。
また海外でスマホ利用者の記憶力が低下したという事実もありません。
家族の名前も出てこなくなる深刻な記憶力低下の原因はただ一つ、放射能汚染による
脳の内部被ばくしかありません。
こういうデタラメなニュースを流していると、マスコミはどんどん信用されなくなる一方でしょう。
(関連情報)
「39歳で若年性認知症と診断された丹野智文さん やはり被ばくの影響か
若くても記憶力低下を訴える人が激増中」
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/426.html
「物忘れがひどく病気ではないかと疑う人が増えている」 (拙稿 2016/7/7)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/153.html
「覚えられない、物忘れするなど記憶力低下を訴える人が急増中」 (拙稿 2015/7/18)
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/430.html
「チェルノブイリ事故後、字が読めない人、お金を数えられない人、智恵遅れの子供が増えた」
(拙稿 2016/8/28)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/380.html
「仙台市に住む大学生の脳の「海馬」が原発事故から1年後に萎縮していた
(低気温のエクスタシーbyはなゆー)」 (阿修羅・赤かぶ 2014/5/4)
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/775.html
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/467.html
文正仁氏
「戦作権がないというのは軍事主権がないのとは違う」
「大韓民国の大統領は軍事主権を持っている。大統領が在韓米軍に出て行けといえば出て行かなければいけない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180228-00000038-cnippou-kr
平時における作戦統制権は韓国軍へ移管された
戦時における作戦統制権は米国のまま
(2020年代中ごろを目標に移管することを合意)
https://goo.gl/3szvgA
「戦時」にしたいアメリカと「平時」にしたい韓国。
米軍よ、さようなら。アジアから去ってください。
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/719.html#c1
「我々にも世界初の被爆国であるという悲痛な経験な経験がある。もう加害者、被害者の関係をやめようではありませんか。」
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/645.html#c4
同じ事を もう一度 転載しますね。
−−−−−
あなたは すごいですね 両方に行かれたんですか?
事故の形態が 違うだけで 今後の影響を考えると
明らかに 福一の法が 問題が大きいのは 当たり前の
ことだと 思いますが どうでしょうかね?!
@ 損傷をおった 原子炉の数 1:4
A 蓄積された 燃料棒の数
B 除染 といっても そぎ取って まとめた だけの 汚染土の塊
C 放置されたままの 野山
※チェルノブイリ原発事故では土砂をかぶせ埋めた
事故を矮小する記事が多いですが、あなたはどのようにお考えですか?
「産経」の「慰安婦」報道こそ捏造そのもの
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=6578
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c11
参院主導でモリ、カケ、スパ…を徹底的に暴く。一年先だから状況は変わっているかもしれないが、安倍のいい加減さ(要するに罪)を次から次へと白日の下にさらす。
中村、首を洗って待っていろ! もちろん佐川も、その時まで生き残っていたら(いないか?)終わりだ! 安倍官邸のゲシュタポども、今井、北村、和泉…、お前らもアウト。
安倍に忖度しまくった官僚どもも、恐怖でおののけ! 検察、裁判所からも何人かは消えてもらう。健全な民主主義のための「粛清」を認めたい。これぞ、信賞必罰。
………なんてことになればと。政権は交代しなけらば、腐る。かつては“決められない政治”と揶揄された「ねじれ」もいま必要なのではないか。
まだ、間に合うと信じたい。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/647.html#c3
ある強姦殺人犯が有罪判決を受け長い刑期を終えて出所しました。
彼は被害者遺族から民事訴訟を起こされて賠償金支払いが決定しました。
金を持っていた元被告は、慰謝料全額支払いました。
元被告は「俺は全て償った。もう何ら恥じることもない。被害者にも遺族にもこれ以上謝罪はしない。」と心に誓いました。
其の後、彼は殺人犯としての責任は完全に果たしたのだから、俺は堂々と生きるんだ。元々被害者にも責任は有った。暗い夜道を一人で歩いていたし、短いスカートをはき、胸元を出していたから悪かったんだ。俺一人が悪かったんじゃない。と周囲に言い放って、恬として恥じる様子はないような生活をしています。
とまあ、例え話にすれば、こんなところだね。勿論加害者が誰か言うまでもない。
わかるね?
なぁーにが自由主義だ?
なぁーにが美しい国なんだ??
ヤカラのA級戦犯 公明党!
創始者 牧口常三郎 氏 を堕落の先に、終には創り出してしまったな?
おのれらの欺瞞の重罪だけは 心中穏やかになど語れないわ!
人権弾圧の無法者国家 晋三と不愉快なヤカラどもめ!!
>>29
どんなに頑張っても、お前は女性にもてそうもねぇなぁ〜♪
糞蝿と一緒だなぁ〜♪
女性外生命体になら、なんとかなるのか??
三浦なんちゃらとか、この、はすみかんちゃらとか、
頭と趣味の悪い人間のできそこない相手なら、多少の可能性が
あるかも知れんな。
ま、おきばりやす。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/579.html#c51
「息の根を・・・」をと言わないところに
敬意を表します。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/620.html#c21
18/03/01(木) 23:34:42
http://k.pd.kzho.net/1519914881373.jpg
http://k.pd.kzho.net/1519914882205.jpg
http://k.pd.kzho.net/1519914882930.jpg
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http://k.pd.kzho.net/1519914920294.jpg
http://kzho.net/jlab-giga/
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/558.html#c25
どうも。
趣味が被っているようで、なによりなによりです。
何か(合法的)やらかそうと決意するときは、
頭の中に「レオのうた」が流れてくるわ・た・しでぇ〜す♪
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/608.html#c16
財務省、無茶苦茶やってるな。
懲戒免職モノ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/610.html#c11
糞蛙屁と糞どもは「どうにか」したい。
絶対に「どうにか」したい。
どうしてくれようか・・・・
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/618.html#c6
森友文書、財務省が書き換えか 「特例」など文言消える
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180302-00000007-asahi-soci
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/620.html#c22
糞どもの訪韓・・・あ、幇間、でんでん太鼓持ち ぐらいの糞蝿だな。
「この杭では、どうしたって生きていける。・・・・」
ほう・・・・。
「お前には、できないかも知れない・・・・」 by 鷹山 仁
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c12
詐欺師に騙されてるから内閣の支持率が下がらない、と思えば良いんじゃないか?
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/589.html#c18
容認しているので「歴代の政権なら不可能だが、安部政権が実現してみせよう!」て
な感じになったのだろう。組合が猛反発して連日のデモでも仕掛ければそもそも取り
上げなかった話だ。
東京新聞含めて日本のメディアを信じないことだ。全ての政治記事を疑ってかかって
も世の中への理解・認識に誤りは出ない。
これに対抗して社員を大事にしている企業も有るのだろうが、
経団連の中では爪弾きに合っているから意思表示をためらい、
メディアも報道無視を決め込んでいるのだろう。
しかし米労働者の二の舞だけは、御免だ。
企業が社員の生活権を冒涜する待遇失態を、行政が失業者に
食事券配布で誤魔化すその場しのぎ米政治を政権は目指している。
これでは社員の意欲低下は避けられずモノ作りの技能を自ら遺棄
している事になる。日本人の未来とは米の今を見れば想像出来る。
まさに五輪の一本釣り私物化だ。
手続きには順序が有るだろうに。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/636.html#c2
マスゴミもだけど、天木なんぞマスゴミ以上に信用でけん男だよ。
政治家が税金ドロボーなら、コイツは変形ネトウヨではなかろうか。
枝野だって高プロには反対と主帳している。言いがかりつけてる天木は自分だけが正しいと書き込んで何様のつもりになのか。
山口県出身は「口先ばかり」「クチだけ」というのが多いが、天木もそういう奴なんだよ。行動も出来ない=する気も無いので、安倍と同じウソつき呼ばわりされても文句は云えない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c8
阿修羅の原発板と自然板には精神分裂病患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
真実を知りたければ:
反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html
反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
既報のように、日本軍による「従軍慰安婦」の強制動員を示す資料が確認された。
関東学院大学の林博史教授が4月17日、日本外国人記者協会で会見を行い 公表した資料は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、現在、東京大学社会科研究所図書館に所蔵 されている。
以下、資料の内容を紹介する
【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日
一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ(同人は一九四三年八月頃日本に帰国したり抑留を要求し置けり)は日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。彼は同時に公式の慰安所(official brot-hel)を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所(brothel)は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。
海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主としてミヤジマ・ジュンキチ、コジマ・ゴイチ、クセ・カズヲ、イトウ・ヤスタロウ各兵曹長によって行はれました。
一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。民政部は此の経営を報国会(日本人実業家の協会)に依嘱してナワタが報国会の厚生部の主任であったので是等一般人用の性慰安所の主任に任ぜられました。彼は帳簿をつけたりするやうな事務的仕事には彼の会社の使用人を使用しました。毎朝、夜間の収入は南洋興発会社の出納係キタダ・カゲタカに引渡されました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の盡力によって集められました。
其等の性慰安所に充てられた家屋は敵産管理人から手に入れ家具は海軍用性慰安所にあっては海軍が支給し一般人用にあっては報国会が支給しました。遊客は原住民である傭人に(海軍の場合には其の階級に従って)金を支払はねばなりませんでした。又その傭人は其の金を毎日当直兵曹長又は南洋興発の出納係に引渡しました。両者の場合共三分の一は諸経費、家具、食物等を支弁する為保留され、三分の二が当該婦人の受取勘定に繰り入れられました。此の中から婦人達は随時彼等各自の用に充てる為其の一部を引出すことが出来ました。毎月の計算書は民政部の第一課に提出せねばなりませんでした。
特警隊は婦女を捜すに当り民政部及日本人商社の全婦人職員に特警隊に出頭するやうに命じその婦人達の何人かを真裸にし日本人と関係していたとなじりました。次いで医師が検診をしましたが数人は処女であったことが判りました。是等の不幸な婦人達の中何人が性慰安所に強制的に送られたか確実には判りません。婦人達は性慰安所から敢て逃げ出さうとは致しませんでした。と言ふのは彼女等の家族が特警隊に依って直ちに逮捕されて非道く虐められるからでした。一例として此の様な事の為当の少女の母親が死んだ事があります。
幸にも占領期間中引続き診療に従事することを許された、在ケタパンのインドネシヤ人軍医ルフリマ博士は特警職員の命令で彼の行った是等婦人の検診に関し宣誓供述をする事が出来ました。
彼の証言に依ると婦人達は強制的に売淫させられたのであります。上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。
私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。
バタビヤ 一九四六年七月五日
ジェー・エヌ・ヘイヂブロエク
J.N.Heijbroek陸軍大尉
蘭印軍情報部
(訳注)「蘭印軍情報部の公式記録より採られたもの」と記された、蘭印軍情報部戦争犯罪課長チャールズ・ヨンゲテル陸軍大尉の署名付「証明書」も付けられている。「慰安婦」と訳されている箇所は英文では(women)のみ。
【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書
調書
本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。
問 君の氏名、年齢、住所及職業を私に言ひなさい。
答 林秀一、二十四歳、日本石川県生れ、海軍軍属。
一九四三年七月十三日私はポンチヤナックに到着して警備隊長上杉ケイメイ大尉のところに出頭しました。ポンチヤナックでは私は私が設置したハナ機関の地方部長となりました。このハナ機関は海軍の情報機関でありました。(略)
[証人ラフィアの訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]
答 この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。
問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。
答 それは私は知りません。
問 君は部下の巡査ではない。併しポンチヤナックで独自に仕事をして居るスパイである。故に上杉のかくの如き命令に従ふ必要はない。
答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。
脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。
問 幾日間その婦人たちは特警隊の建物の中にいたか。
答 私の思ふのには五日乃至六日間でした。彼等は建物の後の監房の一つにいました。
(以下、略。現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。)
(訳注)上杉大尉やハナ機関などには漢字が当てられているが、「音訳」と但し書きがついているものはカタカナ表記に直した。
【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日
問 貴方の氏名、年齢は?
答 シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七才。
問 貴方の所属部隊は?
答 タナカ部隊ハヤシ隊
(略)
問 一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。
答 私でありました。
問 一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?
答 セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。
問 何故殺されたのですか。
答 土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。
問 誰がその殺すことを命令したのですか。
答 タナカ将軍は土民達を司令部へ送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで彼等を殺し土民の指導者三、四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。
問 貴方は自分でその土民達を殺しましたか。
答 いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。
問 誰が貴方の手助をしたのですか。
答 ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。
(略)
問 どんな風にして土民達は殺されたのですか。
答 彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。
問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
答 私は兵隊達の為に娼家(brothel)を一軒設け私自身も之を利用しました。
問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。
問 幾人女がそこに居りましたか。
答 六人です。
問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
答 五人です。
問 どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。
答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。
問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
答 左様です。
問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
答 八ヶ月間です。
問 何人位この娼家を利用しましたか。
答 二十五人です。
(以下略)
(訳注)オハラの階級について、陸軍中尉が、海軍大尉と後から直されているが、経歴を見ると陸軍なので、陸軍中尉のままにした。
【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日
私は一般被抑留者としてムテラン(Moentilan)収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。連行された人々の名前は(略)。
私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲラン(Magelang)へ輸送され午後四時に到着しました。我々はテウグラン(Teogoeran)と称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。
(略)
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼(brothel)に向けられるものであると聞かされました。其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後9時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠りましたが他は其通りにしました。
私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。
此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
一九四四年二月の終り頃か三月の始頃に私は事務所へ出頭する様に命じされました。其処にはタキグチと言ふ日本の一将校が居ました。彼は私が受けた待遇に関して私の訴を根拠として事件を調査すると約束しました。彼は亦私達を抑留者収容所へ送還するために極力努力することを約束しました。彼は兵卒や下士官や一般日本人に対して娼家を閉館して私達のために直に情況を改善して呉れました。
(訳注)証言者は、証言時、27歳。
【資料5】(PD5806/EX1792A)
ポルトガル領チモール(東チモール)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
一九四六年六月二六日
一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。
日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。
(訳注)この宣誓陳述書の中で、日本軍が族長に命じて、労働力を提供させたことなども述べられており、族長に強制して提供させる手法がとらえていたことがわかる。なおこの宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力していることがわかる。
【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋
四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。(中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。
(略)
ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。
(訳注)証言者は一九一五年生まれ、住所はハノイ。
【資料7】(PD2220/EX353)
中国桂林
軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」
一九四六年五月二七日
敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、略奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。
長縄の秘書即ち鈴木華□(日本女性)は彼の行為を幇助し、更に甚しきは此の敵が楽群路に在った李子園に憲兵隊を設立し、(以下略)
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。
其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後九時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠もりましたが他は其通りにしました。
私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。
其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。
其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。
此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041906_02_0.html
強制性示す新資料
研究者ら公表 東京裁判で証拠採用
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旧日本軍が占領地の女性たちを強制的に「従軍慰安婦」にした事実を裏付ける東京裁判(一九四六―四八年)の関連資料が明らかになりました。
関東学院大学の林博史教授、中央大学の吉見義明教授、バウネット・ジャパンの西野瑠美子共同代表が十七日、都内の外国特派員協会での会見で公表しました。
資料は、オランダ、フランス、中国の検察団が東京裁判に提出した尋問調書や陳述書など七点。いずれも同裁判で証拠書類として採用されました。
林教授が昨年、東京大学社会科学研究所の図書館に所蔵されていた資料から見つけました。
オランダ提出の尋問調書では、ボルネオ島の日本海軍情報機関の軍属が、拘束した現地女性を平手で殴り服を脱がせ、三人の少女を裸で一時間、立たせたと証言。
拘束の理由について
「彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるため、命令でなされた」
と述べ、命令した守備隊司令の名をあげました。
公表された資料は、インドネシア・ジャワ島やベトナム・ランソン、中国・桂林などで日本軍が現地女性らを強制的に慰安婦にしようとしたことを裏付けています。資料の一部は一九九七年に報道されています。
林教授は、これらの資料は「日本政府がサンフランシスコ平和条約で受け入れた東京裁判の証拠であり、日本政府も認めざるを得ないものだ」と指摘しました。
吉見教授は、被害者への「おわびと反省」を述べた河野談話を否定する安倍晋三首相の態度について、「首相の人権感覚が問われる問題。河野談話からの後退は許されない」と批判しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-18/2007041802_05_0.html
日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。
東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。
インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。
オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。
彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」
46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。
44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。
「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」
フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。
中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、
「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」
と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、
「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」
と認定している。
一連の資料について林教授は
「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」
と話している。
http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/462.html
慰安婦強制動員を裏付ける文書…ソウル大鄭教授チームが発見
日本軍が慰安婦を強制動員したことを裏付ける公式文件が見つかった。これまで被害者の証言はあったが、慰安婦動員の強制性と暴力性について書かれた資料は極めて少なかった。
ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン、社会学)教授チームは12日、「1946年7月5日、オランダ軍情報部隊が日本軍の慰安婦強制動員と慰安所運営について作成した文書を確保した」と明らかにした。
「日本海軍占領期にオランダ領東インド西ボルネオであった強制売春に関する報告書」と題した文書は、その間、オランダ政府記録物保存所に保管されてきた。
この報告書は
「日本の特別海軍憲兵隊が路上の女性を連れて行き、強制的に身体検査をさせた後、慰安所に入れた」
「慰安所は厳格に統制・隔離された」
など、日本軍の蛮行が書かれている。
また
「女性が慰安所を脱出したという理由で母親が殺害されたケースもあり、慰安所の女性は脱出も考えられなかった」
「女性は特別許可を受けてこそ慰安所から外出することができた」
などと明らかにした。慰安所の女性の国籍は書かれていない。
報告書は
「1943年、日本海軍駐屯軍司令官はこの地域の日本人に対し、インドネシア・中国の女性と親しくするなという命令を下した。その代わりに公式的な慰安所を設置しろという命令も出された」
と記述している。
報告書によると、慰安所は当時、海軍専用と民間用の2つが運営され、 民間用慰安所は日本軍司令官の指揮で日本人事業者協会が運営責任を預かった。 以外な点は「慰安所で支払われた代金の3分の2が女性に入った」という部分。 これに続いて「女性は時々、一部のお金を受け、個人的な用途に使った」と書かれている。
鄭教授は
「慰安婦に代金が積み立てられていただけで、実質的には支払わられていなかったことを裏付ける証拠」
と指摘した。 報告書は日本人戦犯に対する尋問や関係者らの証言を基礎に作成された、と書かれている。
◇「安倍首相の妄言を覆す証拠」=鄭教授は
「当時オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)で行われた戦犯裁判のために作成された資料と推定される」
とし
「昆明の報告書より具体的に当時の状況が書かれている公式文書が初めて見つかった」
と説明した。
鄭教授は「安倍首相の『慰安婦を強制動員した証拠はない』という妄言を覆す証拠だ」と強調した。
04年公開された米戦略事務局(OSS)の報告書(45年5月作成)にも、当時中国南部の昆明で日本部隊を脱出し中国軍に投降した女性25人全員が‘強要と詐欺のため’性奴隷になったと明示されている。
これに先立ち、共同通信は11日、インドネシアで慰安所を運営した日本人が戦後オランダで行われた戦犯裁判で「軍部の指示によって民間慰安所を設置した」と証言した内容が見つかった、と報道した。 (クォン・クンヨン記者)
http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/437.html
南京が占領され、情勢が落ち着いてくると、日本軍は現地の売国奴を通じて「募集」、脅迫、騙しといった方法で中国の女性を集めて慰安所を設置し、商業ベースでの経営を行った。南京にかいらい政権がつくられると、今度はかいらい政権にこの仕事のための専門要員を派遣させた。
日本軍自身も南京で慰安所を開設した。これは主として高級・中級将校のためのもので、軍部は中国に在留する日本の風俗店主にこれを委託した。こうした慰安所は主に市南部の夫子廟から大行宮の一帯に集中していた。この地区は南京の繁華街で、かつ日本当局が決めた日本人居留民が集中する「日本人街」の所在地でもあり、その上日本軍の兵営や多くの軍事機関にも隣接していたため、日本軍当局や日本の風俗店主の経営する「安楽ホテル慰安所」、「松下富貴慰安所」、「青南楼慰安所」などが集中していた。
経盛鴻教授によると、多数の慰安婦が野獣のような日本軍将兵によって蹂躙
(じゅうりん)された。
多少なりとも不服従または反抗の様子を見せた女性には、
軽い場合で食事を与えず、
重い場合は、軍刀で乳房や手足を切り落とし、さらには犬に食いつかせるなどして、他の慰安婦の見せしめとした。
1945年8月15日に日本が無条件降伏すると、南京当局は10月に日本軍が設置した「慰安所」を閉鎖し、看板をとりはずし、慰安婦となった内外すべての女性を解散させた。これをよって南京に8年間にわたって存在した日本軍慰安所と慰安婦制度は、ようやく完全に歴史のゴミ箱に送り込まれた。
(南京8月9日発新華社)
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/zt/qqq115/t206723.htm
「サタン」みたいな意味か?
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c9
1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。
「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて
「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」
という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。
5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020
子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。
そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・
慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。
女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。
「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」
と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。
若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・
女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。
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「慰安婦」強制に新証拠
日本軍、200人をバリ島に連行
関東学院大・林教授ら
旧日本軍「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認めた「河野談話」を裏付ける新資料が、関東学院大学の林博史教授(日本近現代史)らによってこのほど発見されました。新資料は、旧日本軍が軍の資金を使って慰安所事件を隠蔽していた事実も浮き彫りにしました。
資料は、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で裁かれた二つの事件にかかわるもの。林教授の研究室が国立公文書館保管の資料から見つけました。
同裁判(25号事件)で裁かれたバリ島駐屯の海軍第三警備隊特別警察隊長(海軍兵曹長)の男性が戦後、法務省の調査(1962年8月)に対し、「戦中の前後約4カ年間に二百人位(くらい)の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と強制的に女性を連行した事実を証言しています。
軍が隠蔽工作
さらに、「終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に功を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴え出なかった」と、隠蔽工作についても赤裸々に語っています。
同時に発見された同裁判の尋問調査には、警察隊長の男性が連れてきた女性を「慰安婦」として働かせる慰安所を開いていた商人の証言や、男性によって慰安所に入れられそうになった女性の証言が存在しています。調書には、
「彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした」
「彼女たちは(被告)によって一人ずつ車から引きずりだされたので、服は引き裂かれていたほどでした」
などの商人の証言が記載されています。
愛人にされた
また、バタビア裁判での別の裁判(88号事件)の資料も発見され、同裁判での被害者の尋問調書では、
「親米容疑で憲兵隊に捕まり、ボソドオソの慰安所に連れて行かれ、ここにずっといるか、一人の決めた日本人と同棲(どうせい)するか、選べといわれる」
「逮捕され、ボソドオソの慰安所だったホテルに連行。憲兵隊将校の愛人にされた」
などの証言が記載されています。
旧日本軍「慰安婦」新資料(抜粋、林博史教授提供)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-07/2014040714_01_1.html
旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を 2013-05-25
91歳の松本正義さん(韓国・聯合ニュースより)
兵役時の松本さん(韓国・聯合ニュースより)
韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日本兵が23日、日本軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。
91歳の旧日本兵、松本正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松本さんは1944年初めから1946年3月まで日本軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊本部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日本軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。
松本さんによると、大隊本部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日本軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。
また、当時日本軍は中国の庶民も潜在的なゲリラと見なしていたため、しょっちゅう村落を攻撃しては「女性を捕獲」していたという。松本さんは「有漂亮的姑娘」(きれいな女の子がいる)という中国語を今だに覚えている。きれいな女性を見つけた日本軍が部隊に連行して輪姦するのも目の当たりにした。
ある上等兵が「女性を捕獲」しようと住民の家に入った際に地雷を踏んで爆死したことや、部隊長と村長が交渉し、部下が捕えて来て姦淫した7-8人の女性を返す代わりに別の2人の女性を連れ帰ったことも覚えている。地雷で爆死した上等兵はその後、靖国神社に埋葬された。国家のために命を捧げたというのがその理由だ。
松本さんは「本当の戦闘など当時していなかった。われわれは住民に攻撃されることを恐れていた。部隊がしたのは女性を捕獲することだけだ」と述べた。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-05/25/content_28929997.htm
東ティモールにおける日本軍性奴隷制
四半世紀にわたるインドネシア支配の陰で、封印されてきたもうひとつのの占領の記憶がある。それは1942年2月から1945年8月までの日本軍占領期の歴史、特に「慰安婦」という名の性奴隷にされた東ティモール人女性の体験である。
■証言
1942年から1945年の間に慰安所はポルトガル領ティモール全土に設置された。関係者の証言や東ティモールに駐留した部隊の記録によって現在までに確認された慰安所の所在地は、ボボナロのメモ村、ウアタ村、マロボ村、オアト村、バウカウのティリロロ村、アイレウ、サメのキラス、クレディリ、アラス、オッス、バギア、アビス、ラウテンそしてディリである。
日本軍は、リウライと呼ばれる伝統社会の王や村長に命じて少女や女性を集めさせた。彼らは反抗すれば殺されると脅された。また多くの住民が日本軍の治安管理を助ける「ポムベラ」として使われた。
◇エスメラルダ・ボエさんの話
ある日、私が兄と畑でタピオカを収穫していると、日本軍の兵士が5人やってきて、何か言いあいながら私の腕を取り、首を締め、彼らの家に引きずっていった。そこからシモムラ(Shimomura)という司令官の家に連れていかれ、そこで私はシモムラに強姦された。私はその後解放されて家に戻り、両親に自分の身に何が起きたか告げた。両親は村長に相談した。村長は両親を「逆らうと殺される」と諭した。当時私は12、3歳ぐらいで初潮もむかえてなかった。
それから夕方になるとシモムラがやって来て、私を家に連れていき強姦した。こうして約2年間私はシモムラの相手をさせられた。シモムラが去るとシモムラと同じ家にいたカワノ(Khawano)の相手をさせられた。カワノの次はハルカ(Haruka)だった。兵舎にいる一般の兵士のために女性たちが連れて来られているのも見たが、別の村の女性たちなので誰が誰かわからなかった。
性の相手をさせられる以外に農作業もさせられた。働きが悪かったり疲れて休んだりすると、その場で殴られたり、厳しい罰が待ち受けていた。私は日本の歌を憶えさせられて日本軍の娯楽のためによく歌わされた。私は3人の司令官の名前と何度も歌わされた日本の歌を決して忘れない。
東ティモールに侵攻した日本軍はすべてを破壊した。私たちの牛や豚や鶏を奪い、男や女を殺害した。多くの女性が慰安婦にされた。ティモール人はみな重労働を強いられた。農作業も木材伐採も道路や橋の建設も全部ティモール人の仕事だ。
午後、外の仕事が終わると男は家へ帰されるが、女性は慰安所で働かされた。女を求めて兵士が村へやってくることもあった。少女が家から引きずり出され、慰安所に連行され、強姦された。そうした少女の中には死んだ者も重い病気になった者もいる。強姦された後殺されて山の中に捨てられた者もいる。私とマルタがこうして生きていられるのは幸運だ。生きてこうして話ができるのはありがたいことだ
。
私の兄のひとりは日本軍に殺された。兄は逆さ吊りにされて喉を切られた。死体は埋葬されなかった。埋葬されるどころか吊るされたまま火がつけられた。なぜ兄がこんな目にあったかというと、彼は私の姉と妹を助けようとしたからだ。この姉と妹は10人以上の兵士に強姦されて殺された。彼女たちの遺体は山の中に放置された。
兵士たちは既婚女性の家にも踏み込むことがあった。そこに夫がいても気にせず、その妻を連行し犯した。夫が家にいない時間をみはからって踏み込み、その場で妻を強姦するという場合もあった。日本人は本当にひどい国民だ。既婚の女性に何の敬意も払わないのだから。残虐だよ。あるティモール人の男は日本の憲兵に協力して働いていたのに、日本軍の酒宴に妻を出すことを強要された。
私たちには着る服も与えられなかった。しかたないので米の袋を切って服をつくった。それでもその時着ていた服よりははるかにましだった。私たちの身なりがあまりにみすぼらしい時は、酒席に呼ばれても行く気がしなかった。しかしそんな時でも「お前たちは慰安婦だ。俺達を楽しませるのが仕事だろ」といわれ引きずり出された。
日本軍は私たちから何でも奪った。あらゆる食べ物を奪った。キャッサバ(いも)さえだ。日本は豊かな国だと聞いたが信じられないね。何でも私たちから奪ったんだから。キャッサバさえも。
兵士は私たちの家にやって来て、何か欲しいものを見つけると、金はあるからそれをくれといった。でも金など払ったためしはない。ひと度機嫌を損ねると厳しい罰が待っている。例えば片手に岩を持たせ片足で立たせるとか。疲れて手や足を下ろすと竹の棒で肘や膝をしたたか殴られた。
心の傷が残っているかだって?今でも誰かのおしゃべりが聞こえると「エスメラルダは日本軍の慰安婦だ」って嘲笑されている気がする。思いだす度つらくてこれまで人に話したこともない。でもしゃべってよかったよ。すっきりしたよ。シモムラたちが生きて目の前に現れたら?そうだね、思いきり殴ってやるさ。(2000年12月11日談)
◇マルタ・アボ・ベレさんの話
エスメラルダも言ったが、当時、私たちは日本軍からさまざまな労働を強制された。私たちは、橋や道路や家屋の建設のための労役に従事させられたし、家屋をつくるために必要な竹などの資材を遠くから調達し運搬しなければならなかった。
私はオアト村から温泉のあるマロボに連れて行かれた。マロボには慰安所があり、そこで働かされた。その慰安所で私は毎日10人もの兵士に強姦された。
昼は昼で畑仕事やその他の労働をさせられた。そして夜になると慰安所に戻される。マロボの慰安所で毎日10人もの男性に強姦されて、私は自分が家畜になった気がした。実際私たちは家畜のように働かされた。まるで日本軍に所有された馬だ。昼は戸外で働かされ、夜は兵士に対する性的サービスをさせられた。
あれは動物としての扱いだった。その慰安所にはいくつかの部屋があり、小さめの部屋に5人ほど、中くらいの部屋に7人ほどが入れられた。寝床と寝床の間にはカーテンなどの仕切は一切なく、他の少女たちが犯されるのを見ながらまた自分も犯された。
私たちの性器は彼らのためのものだった。まるで動物の、牛の性器のようだ。ひとり以上の男、十人以上の男に毎日使われて。十人以上の男に強姦された後はもう普通に歩けない。ちゃんと立てなくてこんなふうにしか動けない。でも昼は昼で外で働かされるんだ。私たちはいつも牛の角で作ったメガフォンで呼び集められた。「さあ出てこい。男も女も。仕事だ、仕事だ」って。
あんたたちは本当に酷いことを私にしたよ。あんたたちは強姦したんだ私を。あの時私たちの性器はすごく痛いんだ。十人以上の男にされたらもう何もできないんだよ。
もし嫌だといったら、仕事を拒もうものなら、逆さ吊りにされて喉をしめられた。怖いよ。すごく怖くて、だから行くしかないんだ。
私たち女性は神様が造られたものだ。でも日本の男たちは女性が神の創造物と考えない。自分たちだって女性から生まれたのに。母親が産んでくれたのに。どうしてこんなふうに女性を扱えるんだろう。私たちだって彼らの母親と同じなのに。
あの男たちだって、疲れれば家に帰り休息を取るだろう。私たち女だって人間なんだから疲れるんだ。男と同じ仕事を昼間して、夜は一晩中セックスの相手をしなければいけない。私たちだって疲れるんだ、人間なんだ。
仕事が終わっても家(宿舎か?)に戻って何か食べてくることも許されない。お腹がすいて死にそうだった。あまりにひもじい時、私は日本軍のために働かされているティモール人の村長に食べ物を取りに家に帰らせてくれと頼んだ。何も食べる物がないと働らけないんだ。(2000年12月11日談)
【補足/マルタ・アボ・ベレさんが慰安婦にされた経緯】
ある日、日本軍の兵士と東ティモール人のガイドが家にきて
「いっしょに行こう。キャッサバを食べに行くのだから怖がらないでよい」
と言った。日本軍のために道路や兵舎をつくる仕事をしろということらしいが、怖かった。しかし、叔母に自分が行かないと両親や叔母が日本兵に殺されるといわれ、しかたなく従った。マロボに連れていかれると、集められた他の少女たちとともに草刈りや道路づくり等をさせられた。しばらくしてそういった仕事が一段落すると、アツァベ出身のドミンゴスという男が適当な少女を選んで慰安所に連れていった。マルタも連行され約3カ月間慰安婦として働かされた。三カ月後病気になり、両親の懇願によりもとの村に帰ることを許された。)
ボボナロに駐留した部隊は、1944年3月まで駐留した歩兵第47連隊の第7中隊、 1944年3月に同部隊と交代した台湾歩兵第1連隊の第6中隊、軍用道路の建設に携わった台湾工兵第48連隊などである。
◇エルメネジルド・ベロさんの話
日本軍がバウカウに来た時、ほとんどの者が山へ逃げた。オーストラリアに避難した者もいる。私の親族にもオーストラリアに逃げた者がいる。しかし私と妻は東ティモールに残り、一旦山へ逃げた。町に戻ってくると自分の家は日本軍に奪われていた。
日本軍が駐留するようになると、彼らは「慰安婦」にする若い女性を求めた。私も日本軍に差し出すための美しい若い女性を捜さなければならなかった。命令に従わなければ殺すと脅された。若い女性を捜すだけでなく、私の家も明け渡せと命じられた。家は大きく慰安所にするのにうってつけだったからだ。家は改造され「ティリロロ慰安所」となった。
ティリロロの慰安所にいるほとんどの女性は17才から20才くらいだった。全員がバウカウ出身というわけではなく、オッスなど他の場所から連れてこられた女性もいた。また、インドネシアのジャワ島のような東ティモール以外から送られてきた女性もいた。ティリロロの慰安所には中国(台湾?)出身の女性もいた。ほとんどが独身の女性だったが、結婚しているのに無理やり夫から引き離された女性もた。ジャワや中国から来た女性たちはずっとその慰安所にいたわけではなく、2、3日あるいは2、3週間で別の場所に移された。
慰安所の女性たちは苦しんでいた。昼間は農場で働かされ、日本兵のために洗濯をし、料理をつくり、夜は性的欲求を満たすことを要求された。もし日本兵に対する性的奉仕を拒否すれば、彼女たちは拷問を受けたり、ひど暴力を受けるのが常だった。あまりの野蛮さに耐えられず逃げ出した女性もいた。
中にはうまく逃げおおせた女性もいた。しかし、例えば、ススディオという女性が逃げた時の話だが、私は罰としてひどい目にあった。ススディオは17才くらいで、褐色の肌をしたとても美しい女性だった。彼女はカイシドゥ・ポボサンというティリロロ村の出身で私が差出した女性だった。日本軍は私がススディオを逃がしたと疑った。日本軍はススディオを見つけることができなかったので、逆上し、私を尋問し暴行を加えた。血だらけになった私は馬の背に括りつけられて家へ返された。
私のいとこのアナシタシアは慰安婦にされる前、カルロス・レモスという男性と暮らしていた。彼女も日本軍の慰安婦にさせられた。自由の身になった後、二人は別れた。その後アナスタシアは今日まで結婚せずひとりで生きてきた。彼女が二度と結婚しなかったのはこの時経験した心の痛み故だ。
ブランカという女性はポルトガル人ピレス中尉の妾のひとりだった。ピレス中尉はかつてバウカウの警備隊長だった。彼は日本軍侵攻時に一旦オーストラリアへ避難したが、その後東ティモールに潜入し、しかし結局日本軍に捕らえられてディリに護送された。ピレス中尉が逮捕されるとブランカは日本軍に連行され慰安婦にされた。
日本軍のある軍曹の「妻」にされたエルダ・サルダーニャは既に亡くなっているが、その軍曹との間に娘がいる。その軍曹の「妻」にされる前、彼女は結婚していた。彼女の夫は日本軍に殺害されていた。(2001年1月2日談)
【補足/エルメネジルドさんの記憶にある慰安所設置の責任者の名前及び階級は、捜索第48連隊所属のある将校の名前及び階級と一致した。さらにエルメネジルドさんは多数の将校写真の中からその人物を特定した。】
◇クレメンティーナ・カルドゾさんの話
私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。
当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。
その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。
私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、
「夫が死んだのだから命は惜しくない。連れていくなら死んでやる」
と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)
◇リム・ファ・ニエさんの話
私はアイリウの出身だ。アイリウには日本軍の中枢があった。ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。14歳か15歳の頃だった。
母親が死んでから父親は病気がちだった。それから二年間は飯炊きとして働かされた。この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは
「しばらくすれば使いものになるだろう」
と言った。二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。アイナロやボボナロ出身の女性もいた。アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。
慰安所で私はハナコと呼ばれた。アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。仕事が終わると立って歩くこともできなかった。兵士はコンドームを着用していた。性病検査はなかった。
賃金は一切支払われなかった。すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。そんなことをしたら親が殺されると思った。ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺されたという話を聞いていた。私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。
その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて知っていたのかもしれない。夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。
何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)
◇ガブリエル・ラランジェラさんの話
私はサメ県バブル村のある慰安所で警備長だった。バブル村には慰安所がみっつあった。慰安所には毎日担当の軍人がやって来て「女たちを清潔にしろ」と私に命令した。私は部下に命じて女性たちを水浴びさせ、よごれがないかチェックさせた。その軍人はこういう時にも現れ、慰安婦たちの身体を検査し、例えば足の指に泥がついたままだったりすると私たちを叱りつけた。
一日の終わりには女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームでいっぱいだった。私たちは毎日その掃除をした。寝台の間に仕切はなかった。慰安婦たちは穴のあいたボロボロの服を着ていた。いくらさがしても布らしきものは穀物袋だけ。女性たちはそれらを利用して服を縫った。女性たちへの報酬はなかった。もし彼女らが金をもらってたら、あんなボロを身にまとったりしないだろう。
日本軍の将校は村の女性を気に入ると、その女性が既婚者でもかまわずに、性欲を満たそうとする。ある女性が所望された時、その夫婦は困ってリウライに相談した。リウライはその女性を自分の娘だと偽って、その将校とかけあったが、無駄だった。言うことを聞かなければ妻も夫も殺すと脅された。結局、その将校はその女性を思いのままに扱い、事が済むと家へ返した。
慰安婦たちに食事は支給されなかった。だから親が食料を運んだり、女性たちが食料をもらいに家に戻ることもあった。だからといってそれが逃亡の機会にはならない。女性たちは自分たちが逃げたら身内にどんな害が及ぶか理解していた。逃げ切れないことも知っていた。あの状況で日本軍の意向に逆らえる者などいなかった。(2001年3月30日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html
中国・フィリッピンの被害者の証言には、軍による強制連行が多い。インドネシアでもこのケースの証言が少なくない。被害者の証言以外では、インドネシアの事例が明らかになっている。
ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を強制連行したケースやスマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が強制連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したっとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。
秦郁彦教授でさえフィリッピン「慰安婦」の証言について「多くは事実を反映している」と述べているほどである。
陸軍第117師団長・鈴木啓久(ひらく)中将
「私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令してこれを設置せしめ、中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して慰安婦となさしめました」
「日本侵略軍の蟠居する所には私は各所(豊潤、砂河鎮、其他2,3)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約60名であります」
(特集「侵略の証言」『世界』98年5月号)
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c33
慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち
場所:中国、時期:1938年頃
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20121208002024
出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年
慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。
それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。
以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。
最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。
■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言
場所:中国中部の山東省
一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)
この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について』の中で次のように述べています。
この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪(当時の刑法はこちらを参照*2)の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。
軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。
一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。
論文に出てくる『内務省警保局長通牒(原文はこちらを参照*3)』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。
この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約*4」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。
さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。
■長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年
関東軍兵士の記録、場所:中国東北部、黒竜江省
東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。
これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……
おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。
「東満」地域とは、1943年10月1日、満州国にかつて存在した3省、牡丹江・間島・東安を総括し設置された「東満総省」の地域を指し、「洲崎」とは現在の江東区東陽町にかつてあった遊郭街のことです。
この慰安所にいた朝鮮人女性たちは「従軍看護婦」の「募集」だと騙されて国外に連れて行かれています。これは当時でも誘拐・拉致という犯罪で刑法第226条に違反しているのですが、女性たちの身元も調査しているはずの軍の方で送り返すなどした様子もなく、女性たちは軍の管理下にある慰安所で軍人の性の相手を強要されています。
また、当時この兵士は、慰安所のあまりに人権が無視されている状況に「義憤めいた衝動を覚え」「外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい」と感じたと書いています。この後でも紹介するように、慰安婦の状況を非人道的だと感じた日本軍将兵の手記や証言というものはけっして少なくありません。
■『私たちと戦争〈2〉戦争体験文集』タイムス,1977年,p.32
島本重三 軍「慰安所」
第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部の吉林省・琿春
兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。
兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。
日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。
せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。
「まだ幼い顔のまじった」朝鮮人の女性たちは騙されて国外に連れて行かれており、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たり、国際条約にも違反している可能性が高いのです。しかし慰安所を管理する軍はここでも業者を不処罰としており、女性たちを送り返した様子がありません。
■土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年
スマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシア・スマトラ島
(慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……
私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」
彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……
将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。
ここで詐欺(誘拐)の名目に使われている「女子挺身隊」とは、昭和19年の女子挺身勤労令による女子挺身隊のことではなく、当時の朝鮮で、未婚女性が国(軍)のために勤労報国するという意味で使われた「女子挺身隊」のことだと思われます(こちらを参照*5)。
そしてまた、慰安婦にされた女性たちと慰安所を利用する将兵たちとの認識のギャップが当時から強く存在していたことがわかります。
当時18、19歳の女性が過去の出来事を語っているということは、騙されて連れて行かれた時期は1、2年さかのぼり年齢は16、17歳頃だったろうと推測できますが、このケースも国際条約違反、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たります。
ここでも軍の方で取り締まった様子はまったくありません。
■菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年
ウェワクからラバウルに帰還した兵士の記録
帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。
なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。
この日本人女性たちは就業詐欺(誘拐)など強制的手段で連れて行かれており、こうした犯罪の事例を刑事罰に問うことを定めていた国際条約(婦女・児童の売買を禁止する国際条約)にも違反しています。
また15、6名もの女性たちの一団が違法な方法で集められていることを警察が黙認し渡航に必要な身分証明書を発給していたことになります。「警察が厳しく取り締まっていた」のならこうしたことは起こり得ないはずです。
そしてこのケースも刑法第226条に違反しており、軍が違法な状態で集められた女性たちを軍用船で輸送していたのなら国外移送罪に該当しますし、移送されてきた女性たちを慰安所の設置と管理をしていた兵站担当の将兵が収受していた場合は刑法第227条にも違反します。
しかし、ここでも軍の方で犯罪として認識している様子はありません。この女性たちはその後どうなったのでしょう。
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ニューブリテン島・ココポの陸軍「慰安所」に行列をつくり並ぶ兵士たち、時期:1943年末頃
出典:水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社,1995年,p.14
1943年末頃にラバウル近郊のココポ(ココボ)にあった慰安所のことを、水木しげる氏が回想しています。
「日本のピー(日本人慰安婦)の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。」(『本日の水木サン - 思わず心がゆるむ名言366日』草思社,2005年)
「彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。」(『水木しげるのラバウル戦記』筑摩書房,1994年)
(「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる:http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.htmlより)
水木しげる氏も彼女たちが慰安婦になるために「自由意志で自発的に応募した」とは認識していないようです。
■長沢健一『漢口慰安所』図書出版社,1983年
軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢市
赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……
(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ……
これも騙され連れて行かれたケースです。歴史研究者の吉見義明教授はこのケースについて次のように述べています。
慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一 般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか。
慰安婦問題に関する吉見義明教授の講演 文字起こし:http://www.ianfu-kansai-net.org/2012-10-23.html『2. 朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。』【資料4】より
吉見教授はさらに戦前の日本においても契約書に書かれている「右の金額は酌婦稼業により支払う」という「売春によって借金を返させるという」契約は「民法90条違反だった」ことを指摘しています。
■小俣行男『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社,1967年
読売新聞の従軍記者・小俣行男の記録、1942年5月か6月頃、場所:ビルマ
(朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか」
考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブがけっして安全なところでないことは戦地の常識である。「その後この少女たちはどうなったろうか」
(『ビルマラングーンの「慰安所」情報』:http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070603#p1より)
*将校クラブとは将校専用の慰安所のこと。
この口述資料からは、軍の方で将校クラブを含め各慰安所に配置する慰安婦の人数を決定していたことがわかります。そしてこれも騙されたケースです。
40名から50名に及ぶ女性たちの一団が、同じ日に同じ場所に到着していることから、軍から慰安婦を集めてくるよう指示された業者による大がかりで違法な徴集が朝鮮半島で行われたことは明らかだと思います。
違法な方法で集められた女性たち(16、7歳の未成年者を含む)に身分証明書と出国許可を与えているのは警察です。永井教授が述べているように、軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずです。
そしてこのケースもやはり刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪、さらに刑法第227条にも違反しています。しかし、軍の方で違法な契約を破棄させ16、7歳の未成年者を含む女性達を送り返そうとした様子はありません。ここでも軍は業者を不処罰とし犯罪を黙認してしまっています。
■『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年
須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」
1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所
スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……
「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。
しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシアの若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。
女性が逃亡しないよう監視されていたことは、慰安婦にされた多くの女性たちの証言と符合します。そして、「周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ」ていることから軍の施設内に「急ごしらえの」バラックを建てそこを慰安所にしていたのではないかと推測できます。
また、女性たちがインドネシアまで連れて行かれるまでには、朝鮮半島で、軍や総督府が選定した業者が違法な方法で女性たちを集めたことを警察が黙認しなければ出国許可は下りていないはずです。1人2人でなく20人近くもの女性たちなわけですから、うっかり見逃すというのは考えにくい。
さらに軍は軍用船の乗船許可を与え女性を移送し、現地では憲兵や兵站担当の将兵などが受領しますが、その際も身元調査などを行っているはずなのに軍が女性たちを送り返し業者を罰するなどをしていないのです(刑法第226条、刑法第227条に違反)。
こうした事例を見ていくと、日本政府や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」という否定論者の主張が、まったくのデタラメであるとわかります。
■伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 - 兵営と戦場生活』番町書房,1969年,p.212
1938年に入隊した作家の伊藤桂一の記録、場所:中国
兵隊と、なんらかの意味で接触する女性は、慰安婦のほかには、中国民衆(つまりその土地の住民)、在留邦人、慰問団、それに看護婦くらいなものだろう。このうち、慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。
■伊藤桂一『戦旅の手帳』光人社,1986年
騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。
伊藤桂一氏は、92年に慰安婦が大きく問題化する以前はこのように率直に語っています。近年は保守系雑誌『諸君!』で性奴隷を否定する主張などもしていますが、それでも軍が慰安所を作ったことや慰安婦が軍属扱いだったことなどを語っており*6、元慰安婦の悲惨さも知ってるがゆえに彼女たちに同情的です。ネットで捏造を拡散している人達のように「単なる金ほしさの売春婦だ!」などという誹謗中傷はしていません。
■『従軍慰安婦110番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年,p.54
陸軍パイロットの証言、場所:マレー
マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに200人ぐらいが外出しました。……「トミコ」という源氏名の朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の日本人でした。
これも騙されたケースです。刑法第226条、第227条などに違反する犯罪に当たりますが、ここでも軍及び憲兵が取り締まった様子がありません。
■『特集「慰安婦」100人の証言』DAYS JAPAN 2007年6月号,p.16
独立混成第4旅団の兵士、近藤一の証言、場所:中国北部の山西省太原
大隊本部がある太原には慰安所がありました。……日本人女性は将校専用なので下級兵士は行けません。朝鮮人と中国人の2ヶ所が下級兵士用です。……朝鮮人のところへ行った時には話をしただけでした。彼女は田舎の出身で家が貧しく、お金儲けができるからと日本の工場へ誘われて来たのに、気がついたら慰安所で、結局あきらめざるをえなかったと言っていました。
これも騙されたケースですが、貧困層の女性であり前借金に縛られ連れて来られた可能性が高いと思われます。ここでも軍は管理下にある業者を処罰していません。
■山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』まつやま書房,1987年
第十八師団の兵士の、日本から騙されて連行されてきた在日・朝鮮人女性についての記録。場所:ビルマ(ミャンマー )、中国・海南島
第十八師団の兵士が、ビルマのメイミョーの公光荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人慰安婦から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでいたとき「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。
(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書,1995年,p.91より重引用)
これも騙されたケースで、国際条約や刑法第226条及び刑法第227条に違反しています。
■輜重兵第三二連隊第一中隊 戦友会 八木会編『我らの軍隊生活』
カリマンタン・タラカンにいた同中隊の戦中記に記された兵士の記録。時期:1944年
慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。
(『皇軍慰安所とおんなたち』吉川弘文館,2000年,p.118、『従軍慰安婦』岩波新書,pp.123-124、「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」季刊 戦争責任研究 第5号、94年秋季。より重引用)
これは日本内地や植民地から連行されたケースではなく、インドネシアで騙しによる誘拐によって慰安婦を強制されたケースですが、軍の方で当時、犯罪と認識している様子がありません。
■河東三郎『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年
海軍軍属設営隊員の河東三郎の記録、場所:インド領ニコバル諸島
一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)
これも騙されたケースです。刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たりますが、ここでも取り締まった様子はありません。
■鈴木卓四郎『憲兵下士官』新人物往来社,1974年,pp.91-93
鈴木卓四郎憲兵曹長(南支・南寧憲兵隊)の証言
一九四〇年夏の南寧占領直後に〈陸軍慰安所北江郷〉と看板をかかげた民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。十数人の若い朝鮮人酌婦をかかえた経営者黄は〈田舎の小学校の先生を思わせる青年〉で、地主の二男坊で小作人の娘たちをつれて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、〈兄さん〉としたう若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.383より重引用)
軍から「契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂」とのことで女性を集めた朝鮮人の業者自身が騙されていたと思われるケースです。
■鹿野正伍『ある水兵の戦記』光風社,1978年
海軍所属の兵士・鹿野正伍の記録。場所:トラック諸島の夏島(現ミクロネシア・チューク諸島)
(夏島の慰安所で)妓に内地に手紙を出してくれと頼まれた。「助けると思って、中を読んでください。騙されて連れてこられました」妓は掌(てのひら)を合わせた。媚びた感じではない。妓の目尻に光るものがみられた。
■『海を越える一〇〇年の記憶』図書新聞,2011年
松原勝「軍による『慰安所』管理は紛れもない事実」pp.109-127
1942年、第4海軍施設部軍属としてトラック諸島の夏島へ派遣された軍属の記録
― その夏島に「慰安所」があったのですね。
松原 南國寮と南星寮の二か所、同じような規模でね。(夏島の地図を指し示しながら)このチョンチョン橋を渡って海岸の方へ 出て左折すると四経、四施とあるでしょ、その先に三棟ほどの南國寮がありました。
源氏名でみどりさんという人がいてね、当時22歳っていってました。だまされてこんな所に連れてこられたってね。私がそこへ行き泊ると、泊まりを受けなかった女の子たちが3、4人集まってきて、いろいろ話をしてくれました。私はどこどこの出身だけど、親やきょうだいと引き離され、だまされてきたんだというわけですよ。人によってはね、子どもや夫にも引き離されてきたんだと泣いて訴えるわけです。高級将校のメイドにならないかとか、海軍病院の雑役の仕事だとか、30円くらいの月給で食事も泊まる所もただだから1年くらいこないかとね。でも、ここへ連れてこられて初めて仕事を知って心が裂けるように思ったと。ひどい話で、日に10人もの相手をさせられるとも言ってました。僕が第四海軍施設部の職員だと知っていたし、若かったからね、気を許していろいろなことを話してくれました。
トラック島の「慰安婦」は、朝鮮の女性がほとんどでしてね、私の叔母が朝鮮の方と結婚しているということや学生のころ朝鮮人の知り合いもいて、朝鮮人には特別な気持ちを持っていたことも関係していると思いますね。
(http://194586245.web.fc2.com/18.htmlより)
このケースも刑法第226条に違反した犯罪ですが、朝鮮半島を出国する際には警察が身分証を発給し出国の許可を与え、トラック諸島まではおそらく軍用船で連れて行かれていると思われます。
そして、ここでも女性たちは送り返されることなく軍管理下の慰安所で慰安婦になることを強要されています。警察や軍が厳しく取り締まった形跡は何処にもありません。
■陸軍通訳の永瀬隆の証言。場所:シンガポール
シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。……氏は朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100 円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。
(林博史「マレー半島における日本軍慰安所について」http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper09.htmより)
「朝鮮人」の「12〜13人」の女性たちは「レストラン・ガール」と騙されて連れて行かれ慰安婦を強要されています。これも刑法第226条に違反する犯罪ですが、軍の方でそれが犯罪であると認識している様子がありません。
■溝部一人 編『独山二』〔独立山砲兵第二連隊の意〕私家版,1983年,p.58
山口時男軍医の1940年8月11日の日記 場所:中国中部
1940年8月、湖北省董市附近の村に駐屯していた独立山砲兵第二連隊は、「慰安所」の開設を決定し、保長や治安維持会長に「慰安婦」の徴募を「依頼」した。その結果、20数名の若い女性が集められたが、その性病検査を担当した軍医は、8月11日の日記に次のように記録している。
さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなか襌子(ズボン)をぬがない。通訳と維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位にして触診すると、夢中になって手をひっ掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。
次の姑娘も同様で、こっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣く来たのであろうか?
なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙しているという意識が念頭から離れない。
(『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波書店,2010年,pp.25-26より重引用)
これは中国人女性の事例ですが、中国ではこのように占領した地域の有力者に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く報告されおり、徴集の形態が日本内地や植民地であった台湾・朝鮮とは異なっていました。
そしてこの軍医は当時の日記に、慰安婦を強いることが「人間性を蹂躙している」と感じ、そうした「意識が念頭から離れない」と苦しい胸の内を書き留めています。
一方、現在の慰安婦問題否定論者の言動から溢れ出す人権感覚はどうでしょうか、戦時中に存在していた人権感覚よりひどい状態にあると言えそうです…。
公文書に記述された慰安婦の強制
■『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年
1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人の周旋業者に対する尋問調書。
場所:ビルマ・ミッチナ(ミャンマー・カチン州)
1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金(前借金)を受け取った。
アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日
http://megalodon.jp/2008-1206-1528-25/members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html
この資料は歴史修正主義者に都合良くつまみ食いされることが多いのですが、丁寧に読んでいけば、軍から慰安婦の徴集を依頼された日本人の業者が朝鮮半島で騙しによる誘拐と人身売買によって、連行当時17,8歳の未成年を含む女性たち22名を連れて来ていること。そして女性たちが軍の管理下の慰安所で本人に意思に反し性的“慰安”を強要されたことが明らかにされています。
■『極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店,1968年,p.186
極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決
場所:中国南部の桂林
桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した
東京裁判の判決文のなかに、日本の軍隊が女性を「女工を募集」と騙して集め「醜業(売春)を強制した」と記述されています。これは軍が女性たちに売春を強制し慰安婦にしていた証拠ですが、ここで重要なのは、このような犯罪行為が当時、軍のなかでなんら問題にされず見過ごされていたということです。
「慰安婦」制度が違反しているもの
当時の、刑法第226条、刑法第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童の売買を禁止する国際条約、強制労働条約 第29号(1930年)、奴隷条約(1926年)など。
ここで取り上げた以外の日本軍将兵の手記や証言記録
日本軍将兵が回想している軍が直接、連行、徴集したケース
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html
秦郁彦氏が「信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言の検証など
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html
朝鮮人慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本 - 軍慰安婦を考える会・ホームページ
http://194586245.web.fc2.com/01.html
吉見義明「従軍慰安婦」岩波書店
http://sikoken.blog.shinobi.jp/CM/69/1/
従軍慰安婦資料集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html
*1:このエントリは、軍が組織的に慰安所設置を本格化させた1937年末以降に徴集されたと思われる朝鮮人と日本人の慰安婦に言及された口述資料を中心に収集しています。
*2:当時の刑法第226条:国外誘拐罪、国外移送罪:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p2
*3:「内務省警保局長通牒」の原文:
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react785.html
*4:当時の「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」についてはこちらを参照:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3
*5:「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる 「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる
*6:2007年8月号『諸君!』「僕が出会った気高き慰安婦たち」:
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-107.html
コメント
kounodanwawomamorukaikounodanwawomamorukai 2012/12/14 03:27
これだけ証拠がれば言い逃れは不能ですよね。
徴集したのは、大方業者(女衒)でしたが、その業者に慰安婦を集めるように依頼したのは軍であり、身分証明書を与えて便宜をはかり、軍が直営した慰安所においても、「騙された女性達を送り返した」形跡がほとんど無い。(小林よしのりが上げた例はただの小説の話。よしんばあったとしても大多数は送り帰してはもらえなかった)
騙して連れて行って、そこで強姦同然に慰安婦にしておいて「それは強制じゃない」なんて言い逃れができる訳がない。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63630718.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63581579.html
また連行時の強制に関しても、東南アジアに多くの例があり、その横暴なやり方を朝鮮半島においても行ったと考えるのが自然である。さらに総督府警察や面事務所(役所)が女性を集めた関特演があり、騙したりすかしたりしたのである。
もはや言い逃れは不可能であるに違いない。
やまもとやまもと 2013/01/25 06:49
この問題は、規制法が存在していても、実際の現場では事実上有名無実化している。という今も変わらぬ日本社会の体質を象徴しているように思います。やくざの手配師の原発作業員集めを黙認していた東電と同じ。昔、言われていた「新聞はエリートが書いてヤクザが売る。」も同じですね。自分達では直接手を下さず、「黙認」という方法で汚い事は底辺層にやらせる。そして、時折、思い付いたように取り締まりを強化して帳尻を合わせる。この国の支配層の狡猾さは、外国からはよく見えるのでしょう。池田信夫という人がNYタイムスに意見書を提出したそうですが、厚顔無恥、そして無知もいいところですね。
たけしたけし 2013/03/09 23:43
はじめまして、すごく勉強になるブログをありがとうございます。
合気道家の塩田剛三先生の『合気道修行』に空手などを訓練した兵士たちが中国人捕虜を縛り付けて「試し打ち」をしてるシーンが出てきます。
当時の人権状況はこんなものだったのだろうし、慰安婦の人たちの扱いも推して知るべしだなと思います。
慰安婦などを否定したい人たちは昔の戦争に行った日本人と自分を過度の同一視をしてるんじゃないかなと思います。昔の日本人の行為が悪かったとなると自分が悪いような気がしてしまうんじゃないでしょうか。
山下 由佳山下 由佳 2013/05/18 12:44
平和資料館・草の家「戦争を記録する会」元教師の梅原先生は、従軍慰安婦を密かに逃がした体験のある高知出身の兵士の証言を記録しています。悲惨な戦争の最中にも、良心的に、できる範囲で動いた一兵士がいた。この史実を明るみに出したい。http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24896941.htm
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c34
原発事故をめぐりる刑事裁判の4回目の公判が昨日(2月28日)に開かれました。その中で2008年に津波予測を試算した東電の関連会社(東電設計)の当時の担当者への証人尋問が行われた。この担当者は
「最大で15.7メートルの津波が予測されることを東電の担当者に報告した」
証言しました(1)。一方で2008年当時、 東京電力原子力・立地本部原子力設備管理部長を務めていた方(2)は、政府事故調で
「日本の地震学者、津波学者のだれがあそこにマグニチュード9がくるということを事前に言っていたんですか。」
と証言しています(3)。当時の東京電力原子力・立地本部原子力設備管理部長は政府事故調に「嘘」の言っているようです。
2011年3月11日に福島第一原発を津波が襲来しました(4)。
(5)のオープイングをキャプチャー
図―1 福島第一原子力発電所を襲った津波(海側から撮影)
そして大爆発を起こしました。
※(6)を引用
図―2 大爆発する福島第一3号機
5重の壁(7)が壊れ福島を中心に放射能が「うつり」ました。
※ (8)のデータを(9)に示す手法で3月11日に換算
図−3 事故から7年を経て福島を中心に広がる汚染
事故から7年が経過しましたが、図に示す様に福島では国が除染が必要とする毎時0.23マイクロシーベルトを超える(10)地域が広がっています。事故から7年を経て福島は汚染されたままです。
多くの方が福島を避けています。福島を代表する農産物にモモがあります(11)。7・8月がピークです(12)。モモの生産量は山梨が1位で福島は2位です(13)。そこで山梨産と福島産のモモ価格を比べてみました。
※(14)を集計
図―4 山梨・福島のモモ価格
図に示す様に事故後に福島産モモは山梨産に比べ大幅に安くなりました。価格差を見ると
2015年 △159円安
2016年 △211円安
2017年 △242円安
で2年連続で価格差が広がっています。福島は汚染されており当然の事です。
放射性物質の量が半分になる時間で規定される半減期はセシウム137で約30年です(15)。30年で半分、60年で4分の1にかなりません。福島の汚染はあと数十年は続きそうです。福島の事故は原子力事故の影響は広範囲にかつ長期間に渡ることを示してます。原子力施設を運営する企業には「安全」を確保する高い能力が求められます。
東京電力は2012年4月に福島第一を襲い事故の引き金となった津波について
「東北地方太平洋沖地震は、これまでの知見では想定できないような規模のものであり、この地震によって生じた津波の高さ(規模)を想定できるものではなかったと考えています。」
と主張し(16)、福島第一事故は「想定外」の津波が原因だと主張しています。その考えはいまも変わっていません。
東京電力は「柏崎刈羽の安全対策」を紹介した漫画を掲載しています(17)。以下にその一コマを示します。
※(17)を引用
図―5 東京電力の「柏崎刈羽の安全対策」を紹介した漫画
図に示す通り福島事故について
「想定を上回る津波が過酷な事故への引き金となりました」
記載し、ここでも「想定外」を主張しています。
東北電力は貞観津波を想定し、女川原子力発電所の津波想定を海抜9.1m想定し,標高14.8mの場所に女川原発を
作ることをきめたようです(18)(19)。
※(19)を抜粋・加筆
図−6 東北電力の津波想定
図で見てわかる通り「貞観津波」の波源は福島第一と女川の中間の位置ですので、同じ影響が福島第一にも起こることも十分に予想でき筈です。
図―3に示す様に福島第一原発から100km程北に女川原発があります。こちらの原発も津波に襲われたのですが、大規模な放射能漏れはおこらず(11)、図―1に示す様の汚染はありません。これについて女川原子力発電所を運営する東北電力は
「1号機の設計時(昭和40年代)、文献調査や地元の方々への聞き取り調査から津波の高さを3m程度と想定していました。しかし、専門家を含む社内委員会での『貞観津波(869年)や慶長津波(1611年)などを考えれば津波はもっと大きくなることもあるだろう』等の議論を経て、当社は敷地の高さを14.8mと決定しました。」
と説明しています(20)。東京電力では「想定外」だった津波は東北電力では「想定内」だったようです。東京電力は他社(東北電力)が想定していた津波を「想定外」にしています。
※(20)を引用
図―7 「津波」は想定していたとする東北電力
東京電力の「想定外」との主張に疑問があります。
福島原発事故の最大の謎は福島原発事故の原因だと思います。
@東京電力の主張通り「想定外」の津波で起こった。
A十分に注意すれば「津波」は想定できたが、注意を怠り津波が想定できなかった。
B「津波」の危険性については、東京電力は薄々は感づいていたが、対策に莫大な費用がかかかるので、あえて無視した。
です。これをめぐり刑事裁判が行われています(21)。昨日(2月28日)に原発事故をめぐりる刑事裁判の4回公判が開かれました。その中で2008年に津波予測を試算した東電の関連会社(東電設計)の当時の担当者への証人尋問が行われた。この担当者は
「最大で15.7メートルの津波が予測されることを東電の担当者に報告した」
証言しました(1)。
※(22)をキャプチャー
図―8 「評価結果を『東京電力側に報告』と証言」を報じる福島のローカルTV局(TUF)
報道ではだれに報告したかは不明ですが、当時の東京電力には原子力・立地本部原子力設備管理部長なる役職がありました(2)。名前からして原子力設備の責任者のようです。当然ながら報告は行っていたはずです。こ役職を2007年から11年まで務めた方がいます(2)。すなわち2008年時点ではこの役職です。この方は政府事故調に対し
「日本の地震学者、津波学者のだれがあそこにマグニチュード9がくるということを事前に言っていたんですか。」
と証言しています(3)。でも、東電の関連会社方は事前に言っていたはずです。この方は東京電力の「想定外」との主張に従い「嘘」を言った可能性があります。この方は
「〇回答者 20mの津波といったときには、基本的に廃炉にしないとだめです。あの立地だと、根本的にだめす。
〇質問者 1F自体が無理になりますか。
〇回答者 はい
〇質問者 今回のようなもの、15mぐらいの津波に耐えられるようになるためいはでどうですか。
〇回答者 前には波源が福島県沖に来るとして考えたのが10mぐらいですね。
〇質問者 はい。
〇回答者 あれだったら、何とか防潮堤つくって波をにがすこということはできると思うんですけれど、今回は本当にできるのかどうかわかりません。」
とも証言しています(3)。ここで質問者は政府事故調の方で、回答者は2008年当時の東京電力原子力・立地本部原子力設備管理部長です。この方の証言を見る限りあの津波に対応するには福島第一の廃炉したなかったようです。
<余談>
図表が小さいとご不満の方はこちら、図表をクリックしてください。
東京電力原子力設備管理部部長に関する内容の一部ー18ページの最初の質問から―(3)を以下に記載します。後は読者の判断にゆだねたいと思いいます。
〇質問者 スタンスしては、例えば土木学会としての新たな指針なりが出れば、それはある程度客観性をも持った根拠になるということで、それに特に対応できるよにしなければならなねという感じなんですか。
〇回答者 はい
〇質問者 例えば8mぐらいの津波がくるとか、10mぐらいの津波がくるとか、その基準からするとそうなってしまう。そうゆう対応も直ぐにとらざるを得ないわけですね。
〇回答者 そうです。
〇質問者 その辺の実態があれなんですが、土木学会のそういうのなしに、東電の自前の試算に基づいて設計を変更して、たとえばかさ上げをはかうというこというのは、現実的ではないいんですか。
〇回答者 例えばバックチェックを出すときに、国に説明をするときに、何に基づいてやったかということになるわけです。すべてのものがそうなんですけれども、国に書類をだすわけです。国とゆうのは保安ですけれども、そこに書類をだすちきに、決定根拠を示さないといけなんです。そのときに何もスタンダードがなくてこうしますちう話は通らない。ほかの電力さんの評価とか、オールジャパンで共通な考え方をしているわけです。地域別はあるんですけれども、地震だとか津波については、こういう考え方で、これに基づいてこういう地震動を考える、もしくは津波高さを考える。だから、設計や改造はこうしないといけないし、今のままでもおそらくもちますという議論をしないといけないわけです。スタンダードがないわけですから、そこをまずはっきりつくってもらう。それが一番最初にあると思います。
〇質問者 例えば貞観津波の波源を考えたときに、女川とだから違うんですか。
〇回答者 違います。
〇質問者 それは位置があれなんですか。
〇回答者 近いです
〇質問者 女川を考慮して、1Fで考慮しないということもあり得るんですか。
〇回答者 あります。波源がそこそこだとすると、例えば女川には10mの津波が来たとしても、同じ波源で福島に来るは結局4mとか3mぐらいになっている。これは計算で出てきます。
〇質問者 例えば女川では貞観津波を考慮にいれているから、それをポンと福島の1Fの方に持ってきて、それがきたとしてやったというのでは、ちょっとあれなんですか。
〇回答者 福島県沖の波源とゆうのは今までなかったですから、それをいきなり考慮しているということは、仮想的にはできますけれども、原子力ですから費用対効果もあります。お金を投資するときに、根拠となるものがないですね。それだったら、極端なことをいえば、福島沖にマグニチュード9の地震が来ますとなったら、20mぐらいの津波が来る。何の根拠もないことで対策できません。
〇質問者 それを考えるときの根拠とゆうか、1つは対保安院への説明ですか。
〇回答者 それもあるし、専門家の意見です。専門家の意見として、要するに貞観津波とおっしゃている先生は、貞観のあそこで出た場所で起こりうる可能性があると言っているわけだから、この影響は福島にどれくらうですかとちゃんと調査しているわけです。だけれども、ほかの推本は波源を勝手に移動して、こんなところで起きたらどうだと言っているだけの話ですから、骨董無形と言ったらおかしいんですけれども、そうおっしゃる人もたくさんいて、そのいう中でどう決めればいいのか。事業者としてわからないことですから、専門家集団の中で決めてもらえば、そのルールに従ってやりますとゆうことになります。
それから、保安院どうこうのよりも、そうゆうルールを決めたことについては保安院さんに報告しても、保安院さんは納得しますからとゆうことを先ほど言ったわけで、別に保安院を気にしているわけでなくて、専門家の意見です。
〇質問者 極端な話、今、費用対効果の話が出ましたけれども、例えば原子力発電所で、今、何事につけもすべて超保守的に考えて、ほとんど起こり得ないかもしれないけれど、万が一起きたときの考えて、防潮堤は基準にすると20mでにしなければいけないけませんとか、すべてのものをかさ上げしなければいけません。海水ポンプなども高い所して、そこからすっと下に下にして、そこをポンプでやらんかればなりませんとなると、設備投資がどんどんかさんできますね。
〇回答者 20mの津波といったときには、基本的に廃炉にしないとだめです。あの立地だと、根本的にだめす。
〇質問者 1F自体が無理になりますか。
〇回答者 はい
〇質問者 今回のようなもの、15mぐらいの津波に耐えられるようになるためいはでどうですか。
〇回答者 前には波源が福島県沖に来るとして考えたのが10mぐらいですね。
〇質問者 はい。
〇回答者 あれだったら、何とか防潮堤つくって波をにがすこということはできると思うんですけれど、今回は本当にできるのかどうかわかりません。
〇質問者 例えば1F自体がどうなるかというのは、それまま運転できるかというと、とてもではないけれどもという状況かもしれないですけれども、女川とか全国にいろいろありますね。玄海の方とか、九電とかありますね。ああいうところで10mとかね。
〇回答者 それはまた極端な意見で、要するに日本国でこでもマグニチュード9の地震が起こりうると言っているのとのと同じことで、それだったら、その辺の建物は全部だめなわけだから、各号機ごとに、各発電所ごとに立地条件に応じた津波規模だとか地震規模、どんな断層があるかかで変えてきているというのおが今までの発想です。
〇質問者 今、この原発で貞観津波を考えているのに、1Fで考えていないのはおかしいとかね。
〇回答者 それは全然論理がおかしくて、貞観津波がったあの場所で津波を考えて調査したら、4mとかそれくらいしか来ていないから、貞観津波があの場所で波源となってくれば、それはそのレベルだから、我々としてはいいだろう。だけれども、貞観津波を起こした地震のマグニチュードよりももっと大きなものが来たわけですから、マグニチュード9が来た。日本の地震学者、津波学者のだれがあそこにマグニチュード9がくるということを事前に言っていたんですか。貞観津波を考えた先生たちもマグニチュード9は考えていないです。それを言い始めると、結局、結果論の話になりますと言いたいです。
〇質問者 例えば今のお話の中でいくと、これは委員会の意見というよりもわ私の個人的な意見なんですけれでも、土木の人間が10mみたいなもを出してきた論理というのは、要するに、今、私が言った玄海で15mの津波がきたらどうするのかというのと同じレベルの話なおではないかと思っています。
そもも最初の用地の選定の際などは、地形とか過去の地盤がどれだけ安定して、気象条件にどれだけ左右されるかとか、その辺なども一応考えた上で選定されるわけですね。
〇回答者 そうです。
〇質問者 だから、別なとこrでくだからと言われても、ここではそれだけの安全性が一応確保できるから、ここを用地に選定するということになるわけですね。
〇回答者 そうです。まず最初はそういうことできめるので、40年前に決めたときは、ここの津波のあれは何でかんがえるかといううと、チリ津波を考えたわけです。チリからの大事sンが太平洋を渡って来たときで3.1mか何かを関あげたわけですけれども、そのときに貞観津波だとか、もしくはプレートの波源でどれぐらいのあれが来るかと議論は、まだ未熟だったわけです。だんだnいろいろな新知見が出てきて、度某学会の標準ができたときも新知見をいれて、それを5.7mにしましょう、非綱改造をしましょう。また、次のステップで港の形状等々を間得れば、同じ条件でももうちょっと高くなるかもわからない。6.1mをかんげましょうか、とのとくどきに合わせて、我々として変えてきているんです。
今回、貞観津波のお話をされる方には。特にいいたんですけれども、貞観津波の波源で考えたときにも、うちの敷地は3mか4mぐらいしか来ないから、貞観津波のは原のところに、マグンチュード9が来ると言った人は、今回の地震が来るまではだれもいないわけですから、それおなんでしかかったんだというのは無礼千万だと思っています。そんなことを言うだったら、日本全国の原子力発電所の地形などは関係なく、先ほどおっしゃったように、全部15mのつまみが来るということで設計し直せということと同じことですね。
〇質問者 そういうことはしていないわけですね。
〇回答者 していないです。
〇質問者 それおやるんだったら、画一的にやればいいだての話で、バックチェックが何だということもいちいちやる必要もないわけですね。
〇回答者 極端にいうと、指針も必要ないんです。指針は地形だとか状況に応じて、地震動だとか津波をきめなさいと言っているわけで、その中にいろいろな考え方を取り込みなさいと言っているだけの話です。
〇質問者 単純に貞観津波の波源を福島沖に移し替えて、それでこうくるかというのは、今、学会でも指示されてはいなし、実業界の方でもそういうことでは動いていないわけですね。
〇回答者 動いていないです。
〇質問者 仮にむやみやたらに動かすのではなくて、動かすことについての合理的な根拠だとを土木学会が示して、貞観津波を動かすことの合理性があるんだとなれば、sれはそういうことになるんですね。
〇回答者 十分です。
〇質問者 そこまでのところには、まだ至ってないという状況なんですね。
〇回答者 まだ至っていません。
〇質問者 土木学会の指針、基準、そういうものというのは、東電とか東北電力といったころからみて、権威とゆうか、客観性があるんですか。
〇回答者 あります。これはそこだあけでなくて、オールジャパンです。なおかつ原子力発電所だけでゃないんんです。これは声を大にいいたいんでけれども、本当は原子力発電所の安全性だけではなくて、今回2万3,000人死にましたね。これはだれがころしたんですか。マグニチュード9が来て死んでいるわけです。こちらに言うんだったら、あの人たちがしなないような対策をなぜそのときにうたなかったんだ。極端にいえば、貞観津波のときにもっと近いとこの人を非難させたりしなかったのか。。そこが論理飛躍sて、東京電力のここの話だけにもってくるのはおかしいだろう。これは日本人の財産と生命を守るための基本的なあれだというんだだったら、中央防災会議で取り上げて、市町村も含めて対策をしないといけない話です。それが国はなっていないわけです。原子力発電所の設計だけの議論をするんです。
もっというと、日本国内で活断層の図面が一番しっかりしているのは、オールジャパンの原子力発電所のある近辺だけです。それ以外の調査は、気象庁も国土地理院も自分の銭でやってまいません。極端なことをいうと、発電所近辺を徹底的に調査してやっている。活断層地図が一番はっきりしているのは、原子力発電所の脇だけなんです。そうゆうこともあるわけです。要するに、国としてそこら辺をどう考えているのかということを、はずははっきり説明してれと私らは言いたくなってしまいます。
そのとき考えたのは、土木学会からくれば、私どもも防潮堤なり何なりで波よけ対策をしましょう。発電所の回りで波よけするけれども、両脇の町、村から同じものが来たら全部沈んでしまうわけです。原子力発電所が重要だということで、やれというならやるけれども、足並みをそろえてやらないと、防災対策ににならないという辺が、非常にいびつなんです。この国の地震と津波に関する意思決定がね。
〇質問者 福島県がやっていますね。
〇回答者 やっています。
〇質問者 それから、茨城県などもやられているんですね。
〇回答者 はい
東京電力が想定外を主張したのは(=^・^=)が知る限り2度目です。2007年の中越沖地震でも想定外の振動が東京電力柏崎刈羽原子力発電所を襲いいました(23)。柏崎刈羽原子力発電所は火災(24)や放射能漏れ事故(25)をお越し、新潟県の海水浴客が半減する等(26)の被害を出しました。
※(27)を転載
図−9 煙もくもく柏崎刈羽原子力発電所
中越沖地震で柏崎刈羽を地震を東京電力が想定できなかったか(=^・^=)は説明を知りません。これうウヤムヤに、福島で再び想定外を起こした気がします。想定外を繰り返す東京電力を福島の皆様が信用してるとは(=^・^=)には思えません。
東京電力は福島産を避ける行為を「風評被害」と主張しています(28)。福島の皆さんが信じているか興味があります。
福島県は大相撲初場所優勝力士にホウレンソウなどの福島産野菜を贈ったそうです(29)。福島はホウレンソウの季節です。福島のローカルTV局が報じるところでは福島県須賀川市では今、美味しいホウレンソウが取れているそうです(30)。
※(30)をキャプチャー
図―10 福島県須賀川市のホウレンソウを報じる福島のローカルTV局(FTV)
福島県は福島産ホウレンソウは「安全」だと主張しています(31)。でも、福島県須賀川市のスーパーのチラシには福島産ホウレンソウはありません。
※(32)を引用
図―11 福島産ホウレンソウが無い福島県須賀川市のスーパーのチラシ
当然の結果です。(=^・^=)も福島県須賀川市の皆さまを見習い「フクシマ産」は食べません。
―参考にしたサイト様および引用した過去の記事―
http://mekenekotama.blog38.fc2.com/blog-entry-2452.html
(1)「津波想定小さくできないか」 強制起訴公判、東電が子会社依頼:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet
(2)吉田昌郎 - Wikipedia
(3)政府事故調査委員会ヒアリング記録 : 原子力防災 - 内閣府中の「「吉田 昌郎⇒2011/8/8・2011/8/9⇒事故時の状況とその対応について 3」」
(4)福島第一原子力発電所事故の経緯 - Wikipedia
(5)Video: Inside Japan's Nuclear Meltdown | Watch FRONTLINE Online | PBS Video
(6)3号機核爆発 - YouTube
(7)5重の壁 - Wikipedia
(8)航空機モニタリングによる空間線量率の測定結果 | 原子力規制委員会中の「福島県及びその近隣県における航空機モニタリング(平成27年9月12日〜11月4日測定) 平成28年02月02日 (KMZ, CSV)」
(9)めげ猫「タマ」の日記 半減期でしか下がらない福島の放射線
(10)国(環境省)が示す毎時0.23マイクロシーベルトの算出根拠|東京都環境局 その他について
(11)ふくしまイレブンエッセイ - 福島県ホームページ
(12)めげ猫「タマ」の日記 2年連続で拡大する福島のモモの価格差、ミスピーチ同窓会も効果無し
(13)もも(モモ/桃)の収穫量ランキング: 教えて!全国ランキング 2017 〜都道府県ランキング 日本の統計〜
(14)東京都中央卸売市場-統計情報検索を「大分類⇒果物、中分類⇒もも類、品目(小分類)⇒もも」で検索
(15)半減期 - Wikipedia
(16)今回の津波は、それまでの知見では想定できない大規模なものでした|東京電力
(17)原子力発電所に質問です 柏崎刈羽原子力発電所の安全対策|東京電力ホールディングス株式会社
(18)めげ猫「タマ」の日記 福島原発事故は吉田所長の自作自演?
(19)女川原子力発電所における 津波に対する安全評価と防災対策
(20)原子力発電所の安全対策 東日本大震災と女川原子力発電所 | 東北電力 ホームページ
(21)詳報 東電 刑事裁判「原発事故の真相は」|NHK NEWS WEB
(22)Nスタふくしま20180228 TUFchannel
(23)新潟県中越沖地震 - Wikipedia
(24)柏崎刈羽原子力発電所 - Wikipedia
(25)柏崎刈羽原子力発電所6号機の放射性物質の漏えいについて|TEPCOニュース|東京電力
(26)[PDF]PDF形式 858 キロバイト - 新潟県
(27)めげ猫「タマ」の日記 トラブルいっぱい東電原発(3月1週)―柏崎刈羽・安全審査の申請書を再提出―
(28)(コメント)「風評被害に対する行動計画」の策定について|お知らせ|東京電力ホールディングス株式会社
(29)大相撲初場所V・栃ノ心関に「天のつぶ」 知事賞・副賞贈呈式:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet
(30)ローカルTime FNN被災地発...
(31)安全が確認された農林水産物(公開用簡易資料) - 福島県ホームページ中のやさい編 [PDFファイル/173KB]
(32)ザ・ビッグ須賀川店 | 宮城県、福島県のイオングループのスーパーマーケット「ザ・ビッグ」 | マックスバリュ南東北
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「津波小さく」と東電がデータ改ざん依頼を証言!
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/463.html
多摩散人です。
>自衛隊の最高指揮者は日本の総理でなく在日米軍司令官だ。
ちょっと気になったので、NATO について調べたら、いろいろ難しいことが書いてあるが、要するに歴代の「欧州連合軍最高司令官」は全員アメリカの軍人です。軍事同盟に最高司令官が二人以上いては戦えないからね。朝鮮戦争の時も国連軍の最高司令官はアメリカ軍人だったと思う。ベトナム戦争も同じでしょう。
まして、日米安保は不平等条約だし、憲法に戦争放棄・戦力不保持なんて書いてあって軍隊を持ってない日本の自衛官が日米安保の最高司令官になるなんて、ありえないでしょう。
それから、あなたの唱える「専守防衛」は「レジタンス」であり「インティファーダ―」だってか。論評の価値なし。
そろそろ、伝家の宝刀、「読者の判断に任せましょう」の出番だな。このまま終わることもあるよ。私の論じ方が気に入らないなら、スルーしてもいいんだよ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/395.html#c51
小学生でも分かると思うが?(笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/655.html#c1
ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、
「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。
それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。
母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」
と語った。
「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。
第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」
というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。
すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。
最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、
人肉食犠牲者1817人、
胸を切断され死亡した女性19人、
性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、
強姦されて殺害された女性5164人
など、とても信じられないような数字が並ぶ。
はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。おもにオーストラリアとアメリカの資料をもとにニューギニア戦線での日本軍の人肉食を検証した著作「知られざる戦争犯罪」のある田中利幸メルボルン大学教員は、
「東京裁判でオーストラリア側が日本軍の人肉食を戦争犯罪として明示したのに、審理からは抜け落ちた。オーストラリアでは、食べられたと見られる自国兵の死体について約100のリポートが出ている。だが、戦闘中なので目撃証言が乏しく、裁判は難しかったようだ。これらの史料に、わずかだが現地の人たちの人肉食被害が出てくる。現地の人たちについては集落のなかでの出来事なので、むしろ目撃者は多かったのでは」
と指摘する。
http://www.midori-kikaku.com/mariko/j-ist01.html
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c35
お手数をおかけして申し訳ありません。
阿修羅掲示板を大活用してくださいませ。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/711.html#c2
まるで、大相撲か茶番のレスリングみたいに、国会を報じ、真剣に
記事を社会にばら撒く新聞記者などいるはずもない。
毎日、どんでん返しを報じ、あたかも、政権が摩り替るかも、
と期待を煽って、面白おかしく国民を躍らせる手はず。
くだらないことに手を貸す国民こそ、安倍政権に油を注いでいるだけ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c10
天木さんは確かに “ネトウヨの成り損ない”でしょうが(笑)、
不正選挙追求者を責め立てる側こそが“ネトウヨ”じゃね?
>不戦選挙追及者をネトウヨと言ったり
それ、誰かがどこかで言ってます?
>「サタン」みたいな意味か?
天木さんを“サタン”と呼んだら、あの気高いサタンが怒りますよ?(笑)
天木さんは捨て置いて、安倍や安倍支持者らが『悪魔崇拝教徒』である事は確かでしょう。
その当の本人らに自覚があるかドーかは分かりませんがネ。(笑)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c11
日本軍は、1941年12月、アメリカ領であったフィリピン・ルソン島へ上陸し、直ちにマニラを陥落させ、1942年1月3日から、軍政を実施しました。日本軍の軍政下で、フィリピン人は激しいゲリラ戦を展開し、抵抗運動を行いました。日本軍はゲリラ討伐を理由に、残酷な作戦を実行しました。フィリピンでのBC級戦犯裁判では、起訴381件の内、住民虐殺が138件、強姦が45件と多数を占めています。
フィリピンでは、マニラをはじめ、占領地の各都市には軍慰安所がつくられ、日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦が送り込まれましたが、現地のフィリピンの女性も慰安婦にされていました。
フィリピン地図
まずマニラ(地図中-2)には、連合軍資料にある警察報告によれば、慰安所12軒、兵下士官用5軒がありました。
捕虜の供述では、朝鮮人、フィリピン人、中国人の女性がいる慰安所が5ないし6軒あったとされています。
北部ルソン島では、バヨンボン(1)に慰安所がありました。
中部ビサヤ地方では、マスパテ島(3)に軍人倶楽部という慰安所がありました。
パナイ島のイロイロ市(4)には二つの慰安所があり、1942年には、第一には12人から16人、第二には10人から11人の慰安婦がいたことが確認されています。
セブ島のセブ(5)には、慰安所を経営する日本人業者が一名いました。
レイテ島のタクロバン(6)には、フィリピン人が経営する慰安所があり、9名のフィリピン人女性がいました。
同島のブラウエン(7)にも慰安所が1944年8月までには開設されました。
南部ミンダナオ島のブツアン(8)には1942年にフィリピン女性3名の慰安所が開設されました。
また同島のカガヤン(9)には、1943年2月に第三慰安所ができたので、三つの慰安所があったことがわかります。
同島中央のダンサラン(10)にも慰安所がありました。
また同島のダヴァオ(11)にも、慰安所があり、朝鮮人、台湾人、それにフィリピン人の慰安婦がいました。
また、フィリピンでは、軍の占領地域で現地部隊が一般女性を強姦した上に、暴力的に拉致・連行して、駐屯地の建物に監禁し、一定期間連続的に強姦をつづけたことも多かったことが証言されています。この被害者達も慰安婦被害者と考えることができます。そのような女性の中には父や夫を目の前で殺された人も少なくありません。
フィリピン政府による医療福祉支援事業の評価報告書より
(全文はこちら)
http://www.awf.or.jp/pdf/0197.pdf
多くのロラ(おばあさん)たちは、日本兵たちによって強制的に自宅から連行された。なかには仕事中や、両親に頼まれた用事で外出した際に連れ去られた者もあった。多くは当時、まだ独身であったが、既婚者も含まれていた。
ビコールに住むロラのひとりは、その頃住んでいた村に日本兵がやってきたとき、自宅で眠っていたという。
日本兵たちは村中の男たちと若い女たちを集めて村の小学校に連行し、翌朝までそこに留め置いた。彼女たちはその後、そこから市庁舎まで連れて行かれた。
また別のロラは、母親に食料の買い出しを頼まれ、近くの町へきていたところを連行された。
このほか、マラボンにある埠頭の近くで“シシッド”(ウェット)・ライス(船荷から漏れて海に沈んでいるコメ)を採っていたところを連行されたというロラもいる。
ロラたちは、もとは市庁舎や州政府の庁舎だったもの、個人の邸宅、小中学校や高校の校舎、病院や教会であったものを徴用した日本軍の兵営、あるいは駐屯地に連れて行かれた。
ロラのひとりによれば、マニラのある教会では毎夜、そのいたる所で日本兵によって女性がレイプされていたという。
ロラの自宅が駐屯地に徴用されたという例もあるほか、慰安婦たちを収容するのにトンネルが利用されていたという報告もある。
ロラたちが慰安婦として監禁されていた期間は、3日間から1年以上と、ロラによって様々であった。
4か月以上にわたって監禁されたロラたちが25%、3か月間が17%、1か月間が16%であった。
ロラたちはその全員が、監禁されていた期間にレイプされている。
ビサヤに住むあるロラは、家にやってきた日本兵たちに家族が尋問を受けている間に、7人の日本兵からレイプされた。
そして、その日から7日間、毎晩3人から5人の日本兵がやってきては彼女をレイプしたという。
マニラに住んでいるロラのひとりは、拘束されてから1か月にわたってレイプされ続けた。
6〜7か月にわたって駐屯地に監禁されていたが、この間には週に3日ほど3人以上の兵士がやってきて、彼女を次々とレイプしたという。
マリア・ロサ・ヘンソンさんロサ・ヘンソンさんの場合
マリア・ロサ・ヘンソンさんは、1927年12月5日、フィリピンのマニラ近郊パサイで生まれました。大地主の父とその家事使用人であった母の間にできた婚外子でした。
1942年2月、彼女は日本兵にレイプされました。
そのとき、彼女は家で使う薪を採りに、叔父や近所の人々と出かけたのですが、みんなと離れたときに、日本兵三人につかまり、レイプされたのです。
彼女は二週間後にも同じ日本人将校に見つかり、ふたたびレイプされました。
彼女は日本軍に激しい怒りを感じ、抗日人民軍、フクバラハップに参加しました。一年間活動したのち、1943年4月、アンヘレス市の郊外の検問所で日本軍にとらえられ、司令部に連れて行かれ、そこで、「慰安婦」にされてしまったのです。
ロサ・ヘンソンさんは、兵舎として使われていた病院に連行されました(フィリピン人元慰安婦のための弁護士委員会)。
ヘンソンさんとほかの女性6人が、ここで日本兵たちに性行為を強要されたのです。
その後3か月してヘンソンさんは、もとは精米所であった別の慰安所に移されました。日本軍に協力していたフィリピン人から、日本兵のために洗濯をしてやれば金を稼げると言われ、ヘンソンさんとほかの何人かの若い女性たちは洗濯をするようになりました。あるときそのフィリピン人の協力者に連れられて、2階建ての家に連れていかれました。そこには3人の日本兵が待ち構えていたのです。そこには約1年間にわたって監禁されていました。昼の間は洗濯をし、夜になるとレイプされたのです。
(ロサ・ヘンソンさんの証言記録はこちら)
http://www.awf.or.jp/3/oralhistory-00.html#philippine
ロサ・ヘンソンさんは、1944年1月、ゲリラによって救出されました。連合国の上陸によってフィリピンは日本軍の占領状態から解放されたのです。
既報のように、日本軍による「従軍慰安婦」の強制動員を示す資料が確認された。
関東学院大学の林博史教授が4月17日、日本外国人記者協会で会見を行い 公表した資料は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、現在、東京大学社会科研究所図書館に所蔵 されている。
以下、資料の内容を紹介する
【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日
一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ(同人は一九四三年八月頃日本に帰国したり抑留を要求し置けり)は日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。彼は同時に公式の慰安所(official brot-hel)を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所(brothel)は二種に分類することになって居ました。即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。
海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主としてミヤジマ・ジュンキチ、コジマ・ゴイチ、クセ・カズヲ、イトウ・ヤスタロウ各兵曹長によって行はれました。
一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。民政部は此の経営を報国会(日本人実業家の協会)に依嘱してナワタが報国会の厚生部の主任であったので是等一般人用の性慰安所の主任に任ぜられました。彼は帳簿をつけたりするやうな事務的仕事には彼の会社の使用人を使用しました。毎朝、夜間の収入は南洋興発会社の出納係キタダ・カゲタカに引渡されました。是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の盡力によって集められました。
其等の性慰安所に充てられた家屋は敵産管理人から手に入れ家具は海軍用性慰安所にあっては海軍が支給し一般人用にあっては報国会が支給しました。遊客は原住民である傭人に(海軍の場合には其の階級に従って)金を支払はねばなりませんでした。又その傭人は其の金を毎日当直兵曹長又は南洋興発の出納係に引渡しました。両者の場合共三分の一は諸経費、家具、食物等を支弁する為保留され、三分の二が当該婦人の受取勘定に繰り入れられました。此の中から婦人達は随時彼等各自の用に充てる為其の一部を引出すことが出来ました。毎月の計算書は民政部の第一課に提出せねばなりませんでした。
特警隊は婦女を捜すに当り民政部及日本人商社の全婦人職員に特警隊に出頭するやうに命じその婦人達の何人かを真裸にし日本人と関係していたとなじりました。次いで医師が検診をしましたが数人は処女であったことが判りました。是等の不幸な婦人達の中何人が性慰安所に強制的に送られたか確実には判りません。婦人達は性慰安所から敢て逃げ出さうとは致しませんでした。と言ふのは彼女等の家族が特警隊に依って直ちに逮捕されて非道く虐められるからでした。一例として此の様な事の為当の少女の母親が死んだ事があります。
幸にも占領期間中引続き診療に従事することを許された、在ケタパンのインドネシヤ人軍医ルフリマ博士は特警職員の命令で彼の行った是等婦人の検診に関し宣誓供述をする事が出来ました。
彼の証言に依ると婦人達は強制的に売淫させられたのであります。上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。
私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。
バタビヤ 一九四六年七月五日
ジェー・エヌ・ヘイヂブロエク
J.N.Heijbroek陸軍大尉
蘭印軍情報部
(訳注)「蘭印軍情報部の公式記録より採られたもの」と記された、蘭印軍情報部戦争犯罪課長チャールズ・ヨンゲテル陸軍大尉の署名付「証明書」も付けられている。「慰安婦」と訳されている箇所は英文では(women)のみ。
【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書
調書
本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。
問 君の氏名、年齢、住所及職業を私に言ひなさい。
答 林秀一、二十四歳、日本石川県生れ、海軍軍属。
一九四三年七月十三日私はポンチヤナックに到着して警備隊長上杉ケイメイ大尉のところに出頭しました。ポンチヤナックでは私は私が設置したハナ機関の地方部長となりました。このハナ機関は海軍の情報機関でありました。(略)
[証人ラフィアの訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]
答 この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。
問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。
答 それは私は知りません。
問 君は部下の巡査ではない。併しポンチヤナックで独自に仕事をして居るスパイである。故に上杉のかくの如き命令に従ふ必要はない。
答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。
脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。
問 幾日間その婦人たちは特警隊の建物の中にいたか。
答 私の思ふのには五日乃至六日間でした。彼等は建物の後の監房の一つにいました。
(以下、略。現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。)
(訳注)上杉大尉やハナ機関などには漢字が当てられているが、「音訳」と但し書きがついているものはカタカナ表記に直した。
【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日
問 貴方の氏名、年齢は?
答 シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七才。
問 貴方の所属部隊は?
答 タナカ部隊ハヤシ隊
(略)
問 一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。
答 私でありました。
問 一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?
答 セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。
問 何故殺されたのですか。
答 土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。
問 誰がその殺すことを命令したのですか。
答 タナカ将軍は土民達を司令部へ送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで彼等を殺し土民の指導者三、四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。
問 貴方は自分でその土民達を殺しましたか。
答 いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。
問 誰が貴方の手助をしたのですか。
答 ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。
(略)
問 どんな風にして土民達は殺されたのですか。
答 彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。
問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
答 私は兵隊達の為に娼家(brothel)を一軒設け私自身も之を利用しました。
問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。
問 幾人女がそこに居りましたか。
答 六人です。
問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
答 五人です。
問 どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。
答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。
問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
答 左様です。
問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
答 八ヶ月間です。
問 何人位この娼家を利用しましたか。
答 二十五人です。
(以下略)
(訳注)オハラの階級について、陸軍中尉が、海軍大尉と後から直されているが、経歴を見ると陸軍なので、陸軍中尉のままにした。
【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日
私は一般被抑留者としてムテラン(Moentilan)収容所に抑留されました。一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。此処で私は爪哇人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。連行された人々の名前は(略)。
私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲラン(Magelang)へ輸送され午後四時に到着しました。我々はテウグラン(Teogoeran)と称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。
(略)
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼(brothel)に向けられるものであると聞かされました。其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後9時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠りましたが他は其通りにしました。
私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。
此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
一九四四年二月の終り頃か三月の始頃に私は事務所へ出頭する様に命じされました。其処にはタキグチと言ふ日本の一将校が居ました。彼は私が受けた待遇に関して私の訴を根拠として事件を調査すると約束しました。彼は亦私達を抑留者収容所へ送還するために極力努力することを約束しました。彼は兵卒や下士官や一般日本人に対して娼家を閉館して私達のために直に情況を改善して呉れました。
(訳注)証言者は、証言時、27歳。
【資料5】(PD5806/EX1792A)
ポルトガル領チモール(東チモール)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
一九四六年六月二六日
一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。
日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。
(訳注)この宣誓陳述書の中で、日本軍が族長に命じて、労働力を提供させたことなども述べられており、族長に強制して提供させる手法がとらえていたことがわかる。なおこの宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力していることがわかる。
【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋
四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。(中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。
(略)
ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。
(訳注)証言者は一九一五年生まれ、住所はハノイ。
【資料7】(PD2220/EX353)
中国桂林
軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」
一九四六年五月二七日
敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、略奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。
長縄の秘書即ち鈴木華□(日本女性)は彼の行為を幇助し、更に甚しきは此の敵が楽群路に在った李子園に憲兵隊を設立し、(以下略)
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm#02
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。
其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後九時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠もりましたが他は其通りにしました。
私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。
其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。
其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。
此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041906_02_0.html
強制性示す新資料
研究者ら公表 東京裁判で証拠採用
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旧日本軍が占領地の女性たちを強制的に「従軍慰安婦」にした事実を裏付ける東京裁判(一九四六―四八年)の関連資料が明らかになりました。
関東学院大学の林博史教授、中央大学の吉見義明教授、バウネット・ジャパンの西野瑠美子共同代表が十七日、都内の外国特派員協会での会見で公表しました。
資料は、オランダ、フランス、中国の検察団が東京裁判に提出した尋問調書や陳述書など七点。いずれも同裁判で証拠書類として採用されました。
林教授が昨年、東京大学社会科学研究所の図書館に所蔵されていた資料から見つけました。
オランダ提出の尋問調書では、ボルネオ島の日本海軍情報機関の軍属が、拘束した現地女性を平手で殴り服を脱がせ、三人の少女を裸で一時間、立たせたと証言。
拘束の理由について
「彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるため、命令でなされた」
と述べ、命令した守備隊司令の名をあげました。
公表された資料は、インドネシア・ジャワ島やベトナム・ランソン、中国・桂林などで日本軍が現地女性らを強制的に慰安婦にしようとしたことを裏付けています。資料の一部は一九九七年に報道されています。
林教授は、これらの資料は「日本政府がサンフランシスコ平和条約で受け入れた東京裁判の証拠であり、日本政府も認めざるを得ないものだ」と指摘しました。
吉見教授は、被害者への「おわびと反省」を述べた河野談話を否定する安倍晋三首相の態度について、「首相の人権感覚が問われる問題。河野談話からの後退は許されない」と批判しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-18/2007041802_05_0.html
日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。
東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。
インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。
オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。
彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」
46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。
44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。
「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」
フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。
中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、
「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」
と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、
「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」
と認定している。
一連の資料について林教授は
「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」
と話している。
http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/462.html
「慰安婦」強制に新証拠
日本軍、200人をバリ島に連行
関東学院大・林教授ら
旧日本軍「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認めた「河野談話」を裏付ける新資料が、関東学院大学の林博史教授(日本近現代史)らによってこのほど発見されました。新資料は、旧日本軍が軍の資金を使って慰安所事件を隠蔽していた事実も浮き彫りにしました。
資料は、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で裁かれた二つの事件にかかわるもの。林教授の研究室が国立公文書館保管の資料から見つけました。
同裁判(25号事件)で裁かれたバリ島駐屯の海軍第三警備隊特別警察隊長(海軍兵曹長)の男性が戦後、法務省の調査(1962年8月)に対し、「戦中の前後約4カ年間に二百人位(くらい)の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と強制的に女性を連行した事実を証言しています。
軍が隠蔽工作
さらに、「終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に功を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴え出なかった」と、隠蔽工作についても赤裸々に語っています。
同時に発見された同裁判の尋問調査には、警察隊長の男性が連れてきた女性を「慰安婦」として働かせる慰安所を開いていた商人の証言や、男性によって慰安所に入れられそうになった女性の証言が存在しています。調書には、
「彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした」
「彼女たちは(被告)によって一人ずつ車から引きずりだされたので、服は引き裂かれていたほどでした」
などの商人の証言が記載されています。
愛人にされた
また、バタビア裁判での別の裁判(88号事件)の資料も発見され、同裁判での被害者の尋問調書では、
「親米容疑で憲兵隊に捕まり、ボソドオソの慰安所に連れて行かれ、ここにずっといるか、一人の決めた日本人と同棲(どうせい)するか、選べといわれる」
「逮捕され、ボソドオソの慰安所だったホテルに連行。憲兵隊将校の愛人にされた」
などの証言が記載されています。
旧日本軍「慰安婦」新資料(抜粋、林博史教授提供)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-07/2014040714_01_1.html
慰安婦強制動員を裏付ける文書…ソウル大鄭教授チームが発見
日本軍が慰安婦を強制動員したことを裏付ける公式文件が見つかった。これまで被害者の証言はあったが、慰安婦動員の強制性と暴力性について書かれた資料は極めて少なかった。
ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン、社会学)教授チームは12日、「1946年7月5日、オランダ軍情報部隊が日本軍の慰安婦強制動員と慰安所運営について作成した文書を確保した」と明らかにした。
「日本海軍占領期にオランダ領東インド西ボルネオであった強制売春に関する報告書」と題した文書は、その間、オランダ政府記録物保存所に保管されてきた。
この報告書は
「日本の特別海軍憲兵隊が路上の女性を連れて行き、強制的に身体検査をさせた後、慰安所に入れた」
「慰安所は厳格に統制・隔離された」
など、日本軍の蛮行が書かれている。
また
「女性が慰安所を脱出したという理由で母親が殺害されたケースもあり、慰安所の女性は脱出も考えられなかった」
「女性は特別許可を受けてこそ慰安所から外出することができた」
などと明らかにした。慰安所の女性の国籍は書かれていない。
報告書は
「1943年、日本海軍駐屯軍司令官はこの地域の日本人に対し、インドネシア・中国の女性と親しくするなという命令を下した。その代わりに公式的な慰安所を設置しろという命令も出された」
と記述している。
報告書によると、慰安所は当時、海軍専用と民間用の2つが運営され、 民間用慰安所は日本軍司令官の指揮で日本人事業者協会が運営責任を預かった。 以外な点は「慰安所で支払われた代金の3分の2が女性に入った」という部分。 これに続いて「女性は時々、一部のお金を受け、個人的な用途に使った」と書かれている。
鄭教授は
「慰安婦に代金が積み立てられていただけで、実質的には支払わられていなかったことを裏付ける証拠」
と指摘した。 報告書は日本人戦犯に対する尋問や関係者らの証言を基礎に作成された、と書かれている。
◇「安倍首相の妄言を覆す証拠」=鄭教授は
「当時オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)で行われた戦犯裁判のために作成された資料と推定される」
とし
「昆明の報告書より具体的に当時の状況が書かれている公式文書が初めて見つかった」
と説明した。
鄭教授は「安倍首相の『慰安婦を強制動員した証拠はない』という妄言を覆す証拠だ」と強調した。
04年公開された米戦略事務局(OSS)の報告書(45年5月作成)にも、当時中国南部の昆明で日本部隊を脱出し中国軍に投降した女性25人全員が‘強要と詐欺のため’性奴隷になったと明示されている。
これに先立ち、共同通信は11日、インドネシアで慰安所を運営した日本人が戦後オランダで行われた戦犯裁判で「軍部の指示によって民間慰安所を設置した」と証言した内容が見つかった、と報道した。 (クォン・クンヨン記者)
http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/437.html
南京が占領され、情勢が落ち着いてくると、日本軍は現地の売国奴を通じて「募集」、脅迫、騙しといった方法で中国の女性を集めて慰安所を設置し、商業ベースでの経営を行った。南京にかいらい政権がつくられると、今度はかいらい政権にこの仕事のための専門要員を派遣させた。
日本軍自身も南京で慰安所を開設した。これは主として高級・中級将校のためのもので、軍部は中国に在留する日本の風俗店主にこれを委託した。こうした慰安所は主に市南部の夫子廟から大行宮の一帯に集中していた。この地区は南京の繁華街で、かつ日本当局が決めた日本人居留民が集中する「日本人街」の所在地でもあり、その上日本軍の兵営や多くの軍事機関にも隣接していたため、日本軍当局や日本の風俗店主の経営する「安楽ホテル慰安所」、「松下富貴慰安所」、「青南楼慰安所」などが集中していた。
経盛鴻教授によると、多数の慰安婦が野獣のような日本軍将兵によって蹂躙
(じゅうりん)された。
多少なりとも不服従または反抗の様子を見せた女性には、
軽い場合で食事を与えず、
重い場合は、軍刀で乳房や手足を切り落とし、さらには犬に食いつかせるなどして、他の慰安婦の見せしめとした。
1945年8月15日に日本が無条件降伏すると、南京当局は10月に日本軍が設置した「慰安所」を閉鎖し、看板をとりはずし、慰安婦となった内外すべての女性を解散させた。これをよって南京に8年間にわたって存在した日本軍慰安所と慰安婦制度は、ようやく完全に歴史のゴミ箱に送り込まれた。
(南京8月9日発新華社)
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cejp/jpn/zt/qqq115/t206723.htm
『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著 1981
1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。
「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて
「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」
という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。
5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020
子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。
そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・
慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。
女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。
「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」
と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。
若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・
女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。
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旧日本兵:日本軍が中国人女性を捕えるのを目撃 安倍氏謝罪を 2013-05-25
91歳の松本正義さん(韓国・聯合ニュースより)
兵役時の松本さん(韓国・聯合ニュースより)
韓国・聯合ニュースは23日、かつて太平洋戦争に参加した旧日本兵が23日、日本軍が戦争中に慰安婦を強制連行した野蛮な行為を暴露し、過去の犯罪行為について安倍晋三首相にお詫びを促したと報じた。環球時報が伝えた。
91歳の旧日本兵、松本正義さんは23日、聯合ニュースの電話インタビューに応じた。松本さんは1944年初めから1946年3月まで日本軍第一軍「固旅」第7大隊で衛生兵を務めた。その前の6カ月間は中国・山西省陽泉市盂県の大隊本部に配属され、その後の約1年半は上社鎮駐留の第一中隊に所属した。日本軍将兵へのコンドーム支給と韓国人慰安婦の性病検査を主に担当していた。
松本さんによると、大隊本部配属時には韓国人慰安婦6-7人が逃げられない環境の下、50人以上の日本軍将校の欲望の対象となることを余儀なくされていた。正式な慰安所がない状況での慰安婦の境遇は極めて悲惨だった。
また、当時日本軍は中国の庶民も潜在的なゲリラと見なしていたため、しょっちゅう村落を攻撃しては「女性を捕獲」していたという。松本さんは「有漂亮的姑娘」(きれいな女の子がいる)という中国語を今だに覚えている。きれいな女性を見つけた日本軍が部隊に連行して輪姦するのも目の当たりにした。
ある上等兵が「女性を捕獲」しようと住民の家に入った際に地雷を踏んで爆死したことや、部隊長と村長が交渉し、部下が捕えて来て姦淫した7-8人の女性を返す代わりに別の2人の女性を連れ帰ったことも覚えている。地雷で爆死した上等兵はその後、靖国神社に埋葬された。国家のために命を捧げたというのがその理由だ。
松本さんは「本当の戦闘など当時していなかった。われわれは住民に攻撃されることを恐れていた。部隊がしたのは女性を捕獲することだけだ」と述べた。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-05/25/content_28929997.htm
東ティモールにおける日本軍性奴隷制
四半世紀にわたるインドネシア支配の陰で、封印されてきたもうひとつのの占領の記憶がある。それは1942年2月から1945年8月までの日本軍占領期の歴史、特に「慰安婦」という名の性奴隷にされた東ティモール人女性の体験である。
■証言
1942年から1945年の間に慰安所はポルトガル領ティモール全土に設置された。関係者の証言や東ティモールに駐留した部隊の記録によって現在までに確認された慰安所の所在地は、ボボナロのメモ村、ウアタ村、マロボ村、オアト村、バウカウのティリロロ村、アイレウ、サメのキラス、クレディリ、アラス、オッス、バギア、アビス、ラウテンそしてディリである。
日本軍は、リウライと呼ばれる伝統社会の王や村長に命じて少女や女性を集めさせた。彼らは反抗すれば殺されると脅された。また多くの住民が日本軍の治安管理を助ける「ポムベラ」として使われた。
◇エスメラルダ・ボエさんの話
ある日、私が兄と畑でタピオカを収穫していると、日本軍の兵士が5人やってきて、何か言いあいながら私の腕を取り、首を締め、彼らの家に引きずっていった。そこからシモムラ(Shimomura)という司令官の家に連れていかれ、そこで私はシモムラに強姦された。私はその後解放されて家に戻り、両親に自分の身に何が起きたか告げた。両親は村長に相談した。村長は両親を「逆らうと殺される」と諭した。当時私は12、3歳ぐらいで初潮もむかえてなかった。
それから夕方になるとシモムラがやって来て、私を家に連れていき強姦した。こうして約2年間私はシモムラの相手をさせられた。シモムラが去るとシモムラと同じ家にいたカワノ(Khawano)の相手をさせられた。カワノの次はハルカ(Haruka)だった。兵舎にいる一般の兵士のために女性たちが連れて来られているのも見たが、別の村の女性たちなので誰が誰かわからなかった。
性の相手をさせられる以外に農作業もさせられた。働きが悪かったり疲れて休んだりすると、その場で殴られたり、厳しい罰が待ち受けていた。私は日本の歌を憶えさせられて日本軍の娯楽のためによく歌わされた。私は3人の司令官の名前と何度も歌わされた日本の歌を決して忘れない。
東ティモールに侵攻した日本軍はすべてを破壊した。私たちの牛や豚や鶏を奪い、男や女を殺害した。多くの女性が慰安婦にされた。ティモール人はみな重労働を強いられた。農作業も木材伐採も道路や橋の建設も全部ティモール人の仕事だ。
午後、外の仕事が終わると男は家へ帰されるが、女性は慰安所で働かされた。女を求めて兵士が村へやってくることもあった。少女が家から引きずり出され、慰安所に連行され、強姦された。そうした少女の中には死んだ者も重い病気になった者もいる。強姦された後殺されて山の中に捨てられた者もいる。私とマルタがこうして生きていられるのは幸運だ。生きてこうして話ができるのはありがたいことだ
。
私の兄のひとりは日本軍に殺された。兄は逆さ吊りにされて喉を切られた。死体は埋葬されなかった。埋葬されるどころか吊るされたまま火がつけられた。なぜ兄がこんな目にあったかというと、彼は私の姉と妹を助けようとしたからだ。この姉と妹は10人以上の兵士に強姦されて殺された。彼女たちの遺体は山の中に放置された。
兵士たちは既婚女性の家にも踏み込むことがあった。そこに夫がいても気にせず、その妻を連行し犯した。夫が家にいない時間をみはからって踏み込み、その場で妻を強姦するという場合もあった。日本人は本当にひどい国民だ。既婚の女性に何の敬意も払わないのだから。残虐だよ。あるティモール人の男は日本の憲兵に協力して働いていたのに、日本軍の酒宴に妻を出すことを強要された。
私たちには着る服も与えられなかった。しかたないので米の袋を切って服をつくった。それでもその時着ていた服よりははるかにましだった。私たちの身なりがあまりにみすぼらしい時は、酒席に呼ばれても行く気がしなかった。しかしそんな時でも「お前たちは慰安婦だ。俺達を楽しませるのが仕事だろ」といわれ引きずり出された。
日本軍は私たちから何でも奪った。あらゆる食べ物を奪った。キャッサバ(いも)さえだ。日本は豊かな国だと聞いたが信じられないね。何でも私たちから奪ったんだから。キャッサバさえも。
兵士は私たちの家にやって来て、何か欲しいものを見つけると、金はあるからそれをくれといった。でも金など払ったためしはない。ひと度機嫌を損ねると厳しい罰が待っている。例えば片手に岩を持たせ片足で立たせるとか。疲れて手や足を下ろすと竹の棒で肘や膝をしたたか殴られた。
心の傷が残っているかだって?今でも誰かのおしゃべりが聞こえると「エスメラルダは日本軍の慰安婦だ」って嘲笑されている気がする。思いだす度つらくてこれまで人に話したこともない。でもしゃべってよかったよ。すっきりしたよ。シモムラたちが生きて目の前に現れたら?そうだね、思いきり殴ってやるさ。(2000年12月11日談)
◇マルタ・アボ・ベレさんの話
エスメラルダも言ったが、当時、私たちは日本軍からさまざまな労働を強制された。私たちは、橋や道路や家屋の建設のための労役に従事させられたし、家屋をつくるために必要な竹などの資材を遠くから調達し運搬しなければならなかった。
私はオアト村から温泉のあるマロボに連れて行かれた。マロボには慰安所があり、そこで働かされた。その慰安所で私は毎日10人もの兵士に強姦された。
昼は昼で畑仕事やその他の労働をさせられた。そして夜になると慰安所に戻される。マロボの慰安所で毎日10人もの男性に強姦されて、私は自分が家畜になった気がした。実際私たちは家畜のように働かされた。まるで日本軍に所有された馬だ。昼は戸外で働かされ、夜は兵士に対する性的サービスをさせられた。
あれは動物としての扱いだった。その慰安所にはいくつかの部屋があり、小さめの部屋に5人ほど、中くらいの部屋に7人ほどが入れられた。寝床と寝床の間にはカーテンなどの仕切は一切なく、他の少女たちが犯されるのを見ながらまた自分も犯された。
私たちの性器は彼らのためのものだった。まるで動物の、牛の性器のようだ。ひとり以上の男、十人以上の男に毎日使われて。十人以上の男に強姦された後はもう普通に歩けない。ちゃんと立てなくてこんなふうにしか動けない。でも昼は昼で外で働かされるんだ。私たちはいつも牛の角で作ったメガフォンで呼び集められた。「さあ出てこい。男も女も。仕事だ、仕事だ」って。
あんたたちは本当に酷いことを私にしたよ。あんたたちは強姦したんだ私を。あの時私たちの性器はすごく痛いんだ。十人以上の男にされたらもう何もできないんだよ。
もし嫌だといったら、仕事を拒もうものなら、逆さ吊りにされて喉をしめられた。怖いよ。すごく怖くて、だから行くしかないんだ。
私たち女性は神様が造られたものだ。でも日本の男たちは女性が神の創造物と考えない。自分たちだって女性から生まれたのに。母親が産んでくれたのに。どうしてこんなふうに女性を扱えるんだろう。私たちだって彼らの母親と同じなのに。
あの男たちだって、疲れれば家に帰り休息を取るだろう。私たち女だって人間なんだから疲れるんだ。男と同じ仕事を昼間して、夜は一晩中セックスの相手をしなければいけない。私たちだって疲れるんだ、人間なんだ。
仕事が終わっても家(宿舎か?)に戻って何か食べてくることも許されない。お腹がすいて死にそうだった。あまりにひもじい時、私は日本軍のために働かされているティモール人の村長に食べ物を取りに家に帰らせてくれと頼んだ。何も食べる物がないと働らけないんだ。(2000年12月11日談)
【補足/マルタ・アボ・ベレさんが慰安婦にされた経緯】
ある日、日本軍の兵士と東ティモール人のガイドが家にきて
「いっしょに行こう。キャッサバを食べに行くのだから怖がらないでよい」
と言った。日本軍のために道路や兵舎をつくる仕事をしろということらしいが、怖かった。しかし、叔母に自分が行かないと両親や叔母が日本兵に殺されるといわれ、しかたなく従った。マロボに連れていかれると、集められた他の少女たちとともに草刈りや道路づくり等をさせられた。しばらくしてそういった仕事が一段落すると、アツァベ出身のドミンゴスという男が適当な少女を選んで慰安所に連れていった。マルタも連行され約3カ月間慰安婦として働かされた。三カ月後病気になり、両親の懇願によりもとの村に帰ることを許された。)
ボボナロに駐留した部隊は、1944年3月まで駐留した歩兵第47連隊の第7中隊、 1944年3月に同部隊と交代した台湾歩兵第1連隊の第6中隊、軍用道路の建設に携わった台湾工兵第48連隊などである。
◇エルメネジルド・ベロさんの話
日本軍がバウカウに来た時、ほとんどの者が山へ逃げた。オーストラリアに避難した者もいる。私の親族にもオーストラリアに逃げた者がいる。しかし私と妻は東ティモールに残り、一旦山へ逃げた。町に戻ってくると自分の家は日本軍に奪われていた。
日本軍が駐留するようになると、彼らは「慰安婦」にする若い女性を求めた。私も日本軍に差し出すための美しい若い女性を捜さなければならなかった。命令に従わなければ殺すと脅された。若い女性を捜すだけでなく、私の家も明け渡せと命じられた。家は大きく慰安所にするのにうってつけだったからだ。家は改造され「ティリロロ慰安所」となった。
ティリロロの慰安所にいるほとんどの女性は17才から20才くらいだった。全員がバウカウ出身というわけではなく、オッスなど他の場所から連れてこられた女性もいた。また、インドネシアのジャワ島のような東ティモール以外から送られてきた女性もいた。ティリロロの慰安所には中国(台湾?)出身の女性もいた。ほとんどが独身の女性だったが、結婚しているのに無理やり夫から引き離された女性もた。ジャワや中国から来た女性たちはずっとその慰安所にいたわけではなく、2、3日あるいは2、3週間で別の場所に移された。
慰安所の女性たちは苦しんでいた。昼間は農場で働かされ、日本兵のために洗濯をし、料理をつくり、夜は性的欲求を満たすことを要求された。もし日本兵に対する性的奉仕を拒否すれば、彼女たちは拷問を受けたり、ひど暴力を受けるのが常だった。あまりの野蛮さに耐えられず逃げ出した女性もいた。
中にはうまく逃げおおせた女性もいた。しかし、例えば、ススディオという女性が逃げた時の話だが、私は罰としてひどい目にあった。ススディオは17才くらいで、褐色の肌をしたとても美しい女性だった。彼女はカイシドゥ・ポボサンというティリロロ村の出身で私が差出した女性だった。日本軍は私がススディオを逃がしたと疑った。日本軍はススディオを見つけることができなかったので、逆上し、私を尋問し暴行を加えた。血だらけになった私は馬の背に括りつけられて家へ返された。
私のいとこのアナシタシアは慰安婦にされる前、カルロス・レモスという男性と暮らしていた。彼女も日本軍の慰安婦にさせられた。自由の身になった後、二人は別れた。その後アナスタシアは今日まで結婚せずひとりで生きてきた。彼女が二度と結婚しなかったのはこの時経験した心の痛み故だ。
ブランカという女性はポルトガル人ピレス中尉の妾のひとりだった。ピレス中尉はかつてバウカウの警備隊長だった。彼は日本軍侵攻時に一旦オーストラリアへ避難したが、その後東ティモールに潜入し、しかし結局日本軍に捕らえられてディリに護送された。ピレス中尉が逮捕されるとブランカは日本軍に連行され慰安婦にされた。
日本軍のある軍曹の「妻」にされたエルダ・サルダーニャは既に亡くなっているが、その軍曹との間に娘がいる。その軍曹の「妻」にされる前、彼女は結婚していた。彼女の夫は日本軍に殺害されていた。(2001年1月2日談)
【補足/エルメネジルドさんの記憶にある慰安所設置の責任者の名前及び階級は、捜索第48連隊所属のある将校の名前及び階級と一致した。さらにエルメネジルドさんは多数の将校写真の中からその人物を特定した。】
◇クレメンティーナ・カルドゾさんの話
私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。
当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。
その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。
私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、
「夫が死んだのだから命は惜しくない。連れていくなら死んでやる」
と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)
◇リム・ファ・ニエさんの話
私はアイリウの出身だ。アイリウには日本軍の中枢があった。ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。14歳か15歳の頃だった。
母親が死んでから父親は病気がちだった。それから二年間は飯炊きとして働かされた。この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは
「しばらくすれば使いものになるだろう」
と言った。二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。アイナロやボボナロ出身の女性もいた。アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。
慰安所で私はハナコと呼ばれた。アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。仕事が終わると立って歩くこともできなかった。兵士はコンドームを着用していた。性病検査はなかった。
賃金は一切支払われなかった。すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。そんなことをしたら親が殺されると思った。ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺されたという話を聞いていた。私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。
その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて知っていたのかもしれない。夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。
何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)
◇ガブリエル・ラランジェラさんの話
私はサメ県バブル村のある慰安所で警備長だった。バブル村には慰安所がみっつあった。慰安所には毎日担当の軍人がやって来て「女たちを清潔にしろ」と私に命令した。私は部下に命じて女性たちを水浴びさせ、よごれがないかチェックさせた。その軍人はこういう時にも現れ、慰安婦たちの身体を検査し、例えば足の指に泥がついたままだったりすると私たちを叱りつけた。
一日の終わりには女性たちの部屋の床は使用済みのコンドームでいっぱいだった。私たちは毎日その掃除をした。寝台の間に仕切はなかった。慰安婦たちは穴のあいたボロボロの服を着ていた。いくらさがしても布らしきものは穀物袋だけ。女性たちはそれらを利用して服を縫った。女性たちへの報酬はなかった。もし彼女らが金をもらってたら、あんなボロを身にまとったりしないだろう。
日本軍の将校は村の女性を気に入ると、その女性が既婚者でもかまわずに、性欲を満たそうとする。ある女性が所望された時、その夫婦は困ってリウライに相談した。リウライはその女性を自分の娘だと偽って、その将校とかけあったが、無駄だった。言うことを聞かなければ妻も夫も殺すと脅された。結局、その将校はその女性を思いのままに扱い、事が済むと家へ返した。
慰安婦たちに食事は支給されなかった。だから親が食料を運んだり、女性たちが食料をもらいに家に戻ることもあった。だからといってそれが逃亡の機会にはならない。女性たちは自分たちが逃げたら身内にどんな害が及ぶか理解していた。逃げ切れないことも知っていた。あの状況で日本軍の意向に逆らえる者などいなかった。(2001年3月30日談)
http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html
中国・フィリッピンの被害者の証言には、軍による強制連行が多い。インドネシアでもこのケースの証言が少なくない。被害者の証言以外では、インドネシアの事例が明らかになっている。
ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を強制連行したケースやスマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が強制連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したっとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。
秦郁彦教授でさえフィリッピン「慰安婦」の証言について「多くは事実を反映している」と述べているほどである。
陸軍第117師団長・鈴木啓久(ひらく)中将
「私は巣県に於て慰安所を設置することを副官堀尾少佐に命令してこれを設置せしめ、中国人民及朝鮮人民婦女20名を誘拐して慰安婦となさしめました」
「日本侵略軍の蟠居する所には私は各所(豊潤、砂河鎮、其他2,3)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約60名であります」
(特集「侵略の証言」『世界』98年5月号)
2012-12-13
■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1
慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち
場所:中国、時期:1938年頃
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20121208002024
出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年
慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。
それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。
以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。
最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。
■第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言
場所:中国中部の山東省
一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)
この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について』の中で次のように述べています。
この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪(当時の刑法はこちらを参照*2)の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。
軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。
一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。
論文に出てくる『内務省警保局長通牒(原文はこちらを参照*3)』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。
この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約*4」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。
さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。
■長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年
関東軍兵士の記録、場所:中国東北部、黒竜江省
東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。
これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……
おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。
「東満」地域とは、1943年10月1日、満州国にかつて存在した3省、牡丹江・間島・東安を総括し設置された「東満総省」の地域を指し、「洲崎」とは現在の江東区東陽町にかつてあった遊郭街のことです。
この慰安所にいた朝鮮人女性たちは「従軍看護婦」の「募集」だと騙されて国外に連れて行かれています。これは当時でも誘拐・拉致という犯罪で刑法第226条に違反しているのですが、女性たちの身元も調査しているはずの軍の方で送り返すなどした様子もなく、女性たちは軍の管理下にある慰安所で軍人の性の相手を強要されています。
また、当時この兵士は、慰安所のあまりに人権が無視されている状況に「義憤めいた衝動を覚え」「外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい」と感じたと書いています。この後でも紹介するように、慰安婦の状況を非人道的だと感じた日本軍将兵の手記や証言というものはけっして少なくありません。
■『私たちと戦争〈2〉戦争体験文集』タイムス,1977年,p.32
島本重三 軍「慰安所」
第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部の吉林省・琿春
兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。
兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。
日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。
せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。
「まだ幼い顔のまじった」朝鮮人の女性たちは騙されて国外に連れて行かれており、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たり、国際条約にも違反している可能性が高いのです。しかし慰安所を管理する軍はここでも業者を不処罰としており、女性たちを送り返した様子がありません。
■土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年
スマトラのパレンバンで憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシア・スマトラ島
(慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……
私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。」
彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……
将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。
ここで詐欺(誘拐)の名目に使われている「女子挺身隊」とは、昭和19年の女子挺身勤労令による女子挺身隊のことではなく、当時の朝鮮で、未婚女性が国(軍)のために勤労報国するという意味で使われた「女子挺身隊」のことだと思われます(こちらを参照*5)。
そしてまた、慰安婦にされた女性たちと慰安所を利用する将兵たちとの認識のギャップが当時から強く存在していたことがわかります。
当時18、19歳の女性が過去の出来事を語っているということは、騙されて連れて行かれた時期は1、2年さかのぼり年齢は16、17歳頃だったろうと推測できますが、このケースも国際条約違反、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たります。
ここでも軍の方で取り締まった様子はまったくありません。
■菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年
ウェワクからラバウルに帰還した兵士の記録
帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。
なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。
この日本人女性たちは就業詐欺(誘拐)など強制的手段で連れて行かれており、こうした犯罪の事例を刑事罰に問うことを定めていた国際条約(婦女・児童の売買を禁止する国際条約)にも違反しています。
また15、6名もの女性たちの一団が違法な方法で集められていることを警察が黙認し渡航に必要な身分証明書を発給していたことになります。「警察が厳しく取り締まっていた」のならこうしたことは起こり得ないはずです。
そしてこのケースも刑法第226条に違反しており、軍が違法な状態で集められた女性たちを軍用船で輸送していたのなら国外移送罪に該当しますし、移送されてきた女性たちを慰安所の設置と管理をしていた兵站担当の将兵が収受していた場合は刑法第227条にも違反します。
しかし、ここでも軍の方で犯罪として認識している様子はありません。この女性たちはその後どうなったのでしょう。
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ニューブリテン島・ココポの陸軍「慰安所」に行列をつくり並ぶ兵士たち、時期:1943年末頃
出典:水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社,1995年,p.14
1943年末頃にラバウル近郊のココポ(ココボ)にあった慰安所のことを、水木しげる氏が回想しています。
「日本のピー(日本人慰安婦)の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。」(『本日の水木サン - 思わず心がゆるむ名言366日』草思社,2005年)
「彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。」(『水木しげるのラバウル戦記』筑摩書房,1994年)
(「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる:http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.htmlより)
水木しげる氏も彼女たちが慰安婦になるために「自由意志で自発的に応募した」とは認識していないようです。
■長沢健一『漢口慰安所』図書出版社,1983年
軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢市
赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……
(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ……
これも騙され連れて行かれたケースです。歴史研究者の吉見義明教授はこのケースについて次のように述べています。
慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一 般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか。
慰安婦問題に関する吉見義明教授の講演 文字起こし:http://www.ianfu-kansai-net.org/2012-10-23.html『2. 朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。』【資料4】より
吉見教授はさらに戦前の日本においても契約書に書かれている「右の金額は酌婦稼業により支払う」という「売春によって借金を返させるという」契約は「民法90条違反だった」ことを指摘しています。
■小俣行男『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社,1967年
読売新聞の従軍記者・小俣行男の記録、1942年5月か6月頃、場所:ビルマ
(朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか」
考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブがけっして安全なところでないことは戦地の常識である。「その後この少女たちはどうなったろうか」
(『ビルマラングーンの「慰安所」情報』:http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070603#p1より)
*将校クラブとは将校専用の慰安所のこと。
この口述資料からは、軍の方で将校クラブを含め各慰安所に配置する慰安婦の人数を決定していたことがわかります。そしてこれも騙されたケースです。
40名から50名に及ぶ女性たちの一団が、同じ日に同じ場所に到着していることから、軍から慰安婦を集めてくるよう指示された業者による大がかりで違法な徴集が朝鮮半島で行われたことは明らかだと思います。
違法な方法で集められた女性たち(16、7歳の未成年者を含む)に身分証明書と出国許可を与えているのは警察です。永井教授が述べているように、軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずです。
そしてこのケースもやはり刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪、さらに刑法第227条にも違反しています。しかし、軍の方で違法な契約を破棄させ16、7歳の未成年者を含む女性達を送り返そうとした様子はありません。ここでも軍は業者を不処罰とし犯罪を黙認してしまっています。
■『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年
須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」
1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所
スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……
「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。
しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシアの若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。
女性が逃亡しないよう監視されていたことは、慰安婦にされた多くの女性たちの証言と符合します。そして、「周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ」ていることから軍の施設内に「急ごしらえの」バラックを建てそこを慰安所にしていたのではないかと推測できます。
また、女性たちがインドネシアまで連れて行かれるまでには、朝鮮半島で、軍や総督府が選定した業者が違法な方法で女性たちを集めたことを警察が黙認しなければ出国許可は下りていないはずです。1人2人でなく20人近くもの女性たちなわけですから、うっかり見逃すというのは考えにくい。
さらに軍は軍用船の乗船許可を与え女性を移送し、現地では憲兵や兵站担当の将兵などが受領しますが、その際も身元調査などを行っているはずなのに軍が女性たちを送り返し業者を罰するなどをしていないのです(刑法第226条、刑法第227条に違反)。
こうした事例を見ていくと、日本政府や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」という否定論者の主張が、まったくのデタラメであるとわかります。
■伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 - 兵営と戦場生活』番町書房,1969年,p.212
1938年に入隊した作家の伊藤桂一の記録、場所:中国
兵隊と、なんらかの意味で接触する女性は、慰安婦のほかには、中国民衆(つまりその土地の住民)、在留邦人、慰問団、それに看護婦くらいなものだろう。このうち、慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。
■伊藤桂一『戦旅の手帳』光人社,1986年
騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。
伊藤桂一氏は、92年に慰安婦が大きく問題化する以前はこのように率直に語っています。近年は保守系雑誌『諸君!』で性奴隷を否定する主張などもしていますが、それでも軍が慰安所を作ったことや慰安婦が軍属扱いだったことなどを語っており*6、元慰安婦の悲惨さも知ってるがゆえに彼女たちに同情的です。ネットで捏造を拡散している人達のように「単なる金ほしさの売春婦だ!」などという誹謗中傷はしていません。
■『従軍慰安婦110番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年,p.54
陸軍パイロットの証言、場所:マレー
マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに200人ぐらいが外出しました。……「トミコ」という源氏名の朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の日本人でした。
これも騙されたケースです。刑法第226条、第227条などに違反する犯罪に当たりますが、ここでも軍及び憲兵が取り締まった様子がありません。
■『特集「慰安婦」100人の証言』DAYS JAPAN 2007年6月号,p.16
独立混成第4旅団の兵士、近藤一の証言、場所:中国北部の山西省太原
大隊本部がある太原には慰安所がありました。……日本人女性は将校専用なので下級兵士は行けません。朝鮮人と中国人の2ヶ所が下級兵士用です。……朝鮮人のところへ行った時には話をしただけでした。彼女は田舎の出身で家が貧しく、お金儲けができるからと日本の工場へ誘われて来たのに、気がついたら慰安所で、結局あきらめざるをえなかったと言っていました。
これも騙されたケースですが、貧困層の女性であり前借金に縛られ連れて来られた可能性が高いと思われます。ここでも軍は管理下にある業者を処罰していません。
■山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』まつやま書房,1987年
第十八師団の兵士の、日本から騙されて連行されてきた在日・朝鮮人女性についての記録。場所:ビルマ(ミャンマー )、中国・海南島
第十八師団の兵士が、ビルマのメイミョーの公光荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人慰安婦から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでいたとき「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。
(吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書,1995年,p.91より重引用)
これも騙されたケースで、国際条約や刑法第226条及び刑法第227条に違反しています。
■輜重兵第三二連隊第一中隊 戦友会 八木会編『我らの軍隊生活』
カリマンタン・タラカンにいた同中隊の戦中記に記された兵士の記録。時期:1944年
慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。
(『皇軍慰安所とおんなたち』吉川弘文館,2000年,p.118、『従軍慰安婦』岩波新書,pp.123-124、「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」季刊 戦争責任研究 第5号、94年秋季。より重引用)
これは日本内地や植民地から連行されたケースではなく、インドネシアで騙しによる誘拐によって慰安婦を強制されたケースですが、軍の方で当時、犯罪と認識している様子がありません。
■河東三郎『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年
海軍軍属設営隊員の河東三郎の記録、場所:インド領ニコバル諸島
一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)
これも騙されたケースです。刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たりますが、ここでも取り締まった様子はありません。
■鈴木卓四郎『憲兵下士官』新人物往来社,1974年,pp.91-93
鈴木卓四郎憲兵曹長(南支・南寧憲兵隊)の証言
一九四〇年夏の南寧占領直後に〈陸軍慰安所北江郷〉と看板をかかげた民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。十数人の若い朝鮮人酌婦をかかえた経営者黄は〈田舎の小学校の先生を思わせる青年〉で、地主の二男坊で小作人の娘たちをつれて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、〈兄さん〉としたう若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった。
(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.383より重引用)
軍から「契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂」とのことで女性を集めた朝鮮人の業者自身が騙されていたと思われるケースです。
■鹿野正伍『ある水兵の戦記』光風社,1978年
海軍所属の兵士・鹿野正伍の記録。場所:トラック諸島の夏島(現ミクロネシア・チューク諸島)
(夏島の慰安所で)妓に内地に手紙を出してくれと頼まれた。「助けると思って、中を読んでください。騙されて連れてこられました」妓は掌(てのひら)を合わせた。媚びた感じではない。妓の目尻に光るものがみられた。
■『海を越える一〇〇年の記憶』図書新聞,2011年
松原勝「軍による『慰安所』管理は紛れもない事実」pp.109-127
1942年、第4海軍施設部軍属としてトラック諸島の夏島へ派遣された軍属の記録
― その夏島に「慰安所」があったのですね。
松原 南國寮と南星寮の二か所、同じような規模でね。(夏島の地図を指し示しながら)このチョンチョン橋を渡って海岸の方へ 出て左折すると四経、四施とあるでしょ、その先に三棟ほどの南國寮がありました。
源氏名でみどりさんという人がいてね、当時22歳っていってました。だまされてこんな所に連れてこられたってね。私がそこへ行き泊ると、泊まりを受けなかった女の子たちが3、4人集まってきて、いろいろ話をしてくれました。私はどこどこの出身だけど、親やきょうだいと引き離され、だまされてきたんだというわけですよ。人によってはね、子どもや夫にも引き離されてきたんだと泣いて訴えるわけです。高級将校のメイドにならないかとか、海軍病院の雑役の仕事だとか、30円くらいの月給で食事も泊まる所もただだから1年くらいこないかとね。でも、ここへ連れてこられて初めて仕事を知って心が裂けるように思ったと。ひどい話で、日に10人もの相手をさせられるとも言ってました。僕が第四海軍施設部の職員だと知っていたし、若かったからね、気を許していろいろなことを話してくれました。
トラック島の「慰安婦」は、朝鮮の女性がほとんどでしてね、私の叔母が朝鮮の方と結婚しているということや学生のころ朝鮮人の知り合いもいて、朝鮮人には特別な気持ちを持っていたことも関係していると思いますね。
(http://194586245.web.fc2.com/18.htmlより)
このケースも刑法第226条に違反した犯罪ですが、朝鮮半島を出国する際には警察が身分証を発給し出国の許可を与え、トラック諸島まではおそらく軍用船で連れて行かれていると思われます。
そして、ここでも女性たちは送り返されることなく軍管理下の慰安所で慰安婦になることを強要されています。警察や軍が厳しく取り締まった形跡は何処にもありません。
■陸軍通訳の永瀬隆の証言。場所:シンガポール
シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。……氏は朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100 円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。
(林博史「マレー半島における日本軍慰安所について」http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper09.htmより)
「朝鮮人」の「12〜13人」の女性たちは「レストラン・ガール」と騙されて連れて行かれ慰安婦を強要されています。これも刑法第226条に違反する犯罪ですが、軍の方でそれが犯罪であると認識している様子がありません。
■溝部一人 編『独山二』〔独立山砲兵第二連隊の意〕私家版,1983年,p.58
山口時男軍医の1940年8月11日の日記 場所:中国中部
1940年8月、湖北省董市附近の村に駐屯していた独立山砲兵第二連隊は、「慰安所」の開設を決定し、保長や治安維持会長に「慰安婦」の徴募を「依頼」した。その結果、20数名の若い女性が集められたが、その性病検査を担当した軍医は、8月11日の日記に次のように記録している。
さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなか襌子(ズボン)をぬがない。通訳と維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位にして触診すると、夢中になって手をひっ掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。
次の姑娘も同様で、こっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣く来たのであろうか?
なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙しているという意識が念頭から離れない。
(『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波書店,2010年,pp.25-26より重引用)
これは中国人女性の事例ですが、中国ではこのように占領した地域の有力者に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く報告されおり、徴集の形態が日本内地や植民地であった台湾・朝鮮とは異なっていました。
そしてこの軍医は当時の日記に、慰安婦を強いることが「人間性を蹂躙している」と感じ、そうした「意識が念頭から離れない」と苦しい胸の内を書き留めています。
一方、現在の慰安婦問題否定論者の言動から溢れ出す人権感覚はどうでしょうか、戦時中に存在していた人権感覚よりひどい状態にあると言えそうです…。
公文書に記述された慰安婦の強制
■『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年
1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人の周旋業者に対する尋問調書。
場所:ビルマ・ミッチナ(ミャンマー・カチン州)
1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金(前借金)を受け取った。
アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日
http://megalodon.jp/2008-1206-1528-25/members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html
この資料は歴史修正主義者に都合良くつまみ食いされることが多いのですが、丁寧に読んでいけば、軍から慰安婦の徴集を依頼された日本人の業者が朝鮮半島で騙しによる誘拐と人身売買によって、連行当時17,8歳の未成年を含む女性たち22名を連れて来ていること。そして女性たちが軍の管理下の慰安所で本人に意思に反し性的“慰安”を強要されたことが明らかにされています。
■『極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店,1968年,p.186
極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決
場所:中国南部の桂林
桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した
東京裁判の判決文のなかに、日本の軍隊が女性を「女工を募集」と騙して集め「醜業(売春)を強制した」と記述されています。これは軍が女性たちに売春を強制し慰安婦にしていた証拠ですが、ここで重要なのは、このような犯罪行為が当時、軍のなかでなんら問題にされず見過ごされていたということです。
「慰安婦」制度が違反しているもの
当時の、刑法第226条、刑法第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童の売買を禁止する国際条約、強制労働条約 第29号(1930年)、奴隷条約(1926年)など。
ここで取り上げた以外の日本軍将兵の手記や証言記録
日本軍将兵が回想している軍が直接、連行、徴集したケース
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html
秦郁彦氏が「信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言の検証など
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html
朝鮮人慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本 - 軍慰安婦を考える会・ホームページ
http://194586245.web.fc2.com/01.html
吉見義明「従軍慰安婦」岩波書店
http://sikoken.blog.shinobi.jp/CM/69/1/
従軍慰安婦資料集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html
*1:このエントリは、軍が組織的に慰安所設置を本格化させた1937年末以降に徴集されたと思われる朝鮮人と日本人の慰安婦に言及された口述資料を中心に収集しています。
*2:当時の刑法第226条:国外誘拐罪、国外移送罪:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p2
*3:「内務省警保局長通牒」の原文:
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react785.html
*4:当時の「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」についてはこちらを参照:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3
*5:「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる 「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる
*6:2007年8月号『諸君!』「僕が出会った気高き慰安婦たち」:
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-107.html
コメント
kounodanwawomamorukaikounodanwawomamorukai 2012/12/14 03:27
これだけ証拠がれば言い逃れは不能ですよね。
徴集したのは、大方業者(女衒)でしたが、その業者に慰安婦を集めるように依頼したのは軍であり、身分証明書を与えて便宜をはかり、軍が直営した慰安所においても、「騙された女性達を送り返した」形跡がほとんど無い。(小林よしのりが上げた例はただの小説の話。よしんばあったとしても大多数は送り帰してはもらえなかった)
騙して連れて行って、そこで強姦同然に慰安婦にしておいて「それは強制じゃない」なんて言い逃れができる訳がない。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63630718.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63581579.html
また連行時の強制に関しても、東南アジアに多くの例があり、その横暴なやり方を朝鮮半島においても行ったと考えるのが自然である。さらに総督府警察や面事務所(役所)が女性を集めた関特演があり、騙したりすかしたりしたのである。
もはや言い逃れは不可能であるに違いない。
やまもとやまもと 2013/01/25 06:49
この問題は、規制法が存在していても、実際の現場では事実上有名無実化している。という今も変わらぬ日本社会の体質を象徴しているように思います。やくざの手配師の原発作業員集めを黙認していた東電と同じ。昔、言われていた「新聞はエリートが書いてヤクザが売る。」も同じですね。自分達では直接手を下さず、「黙認」という方法で汚い事は底辺層にやらせる。そして、時折、思い付いたように取り締まりを強化して帳尻を合わせる。この国の支配層の狡猾さは、外国からはよく見えるのでしょう。池田信夫という人がNYタイムスに意見書を提出したそうですが、厚顔無恥、そして無知もいいところですね。
たけしたけし 2013/03/09 23:43
はじめまして、すごく勉強になるブログをありがとうございます。
合気道家の塩田剛三先生の『合気道修行』に空手などを訓練した兵士たちが中国人捕虜を縛り付けて「試し打ち」をしてるシーンが出てきます。
当時の人権状況はこんなものだったのだろうし、慰安婦の人たちの扱いも推して知るべしだなと思います。
慰安婦などを否定したい人たちは昔の戦争に行った日本人と自分を過度の同一視をしてるんじゃないかなと思います。昔の日本人の行為が悪かったとなると自分が悪いような気がしてしまうんじゃないでしょうか。
山下 由佳山下 由佳 2013/05/18 12:44
平和資料館・草の家「戦争を記録する会」元教師の梅原先生は、従軍慰安婦を密かに逃がした体験のある高知出身の兵士の証言を記録しています。悲惨な戦争の最中にも、良心的に、できる範囲で動いた一兵士がいた。この史実を明るみに出したい。http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24896941.htm
[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理
35. 中川隆[-5596] koaQ7Jey 2018年3月02日 08:50:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
▲△▽▼
ニューギニアで旧日本兵が行った残虐
ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、
「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。
それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。
母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」
と語った。
「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。
第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」
というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。
すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。
最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、
人肉食犠牲者1817人、
胸を切断され死亡した女性19人、
性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、
強姦されて殺害された女性5164人
など、とても信じられないような数字が並ぶ。
はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。おもにオーストラリアとアメリカの資料をもとにニューギニア戦線での日本軍の人肉食を検証した著作「知られざる戦争犯罪」のある田中利幸メルボルン大学教員は、
「東京裁判でオーストラリア側が日本軍の人肉食を戦争犯罪として明示したのに、審理からは抜け落ちた。オーストラリアでは、食べられたと見られる自国兵の死体について約100のリポートが出ている。だが、戦闘中なので目撃証言が乏しく、裁判は難しかったようだ。これらの史料に、わずかだが現地の人たちの人肉食被害が出てくる。現地の人たちについては集落のなかでの出来事なので、むしろ目撃者は多かったのでは」
と指摘する。
http://www.midori-kikaku.com/mariko/j-ist01.html
慰安婦にされた女性たち−フィリピン
http://www.awf.or.jp/1/philippine-00.html
日本軍は、1941年12月、アメリカ領であったフィリピン・ルソン島へ上陸し、直ちにマニラを陥落させ、1942年1月3日から、軍政を実施しました。日本軍の軍政下で、フィリピン人は激しいゲリラ戦を展開し、抵抗運動を行いました。日本軍はゲリラ討伐を理由に、残酷な作戦を実行しました。フィリピンでのBC級戦犯裁判では、起訴381件の内、住民虐殺が138件、強姦が45件と多数を占めています。
フィリピンでは、マニラをはじめ、占領地の各都市には軍慰安所がつくられ、日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦が送り込まれましたが、現地のフィリピンの女性も慰安婦にされていました。
フィリピン地図
まずマニラ(地図中-2)には、連合軍資料にある警察報告によれば、慰安所12軒、兵下士官用5軒がありました。
捕虜の供述では、朝鮮人、フィリピン人、中国人の女性がいる慰安所が5ないし6軒あったとされています。
北部ルソン島では、バヨンボン(1)に慰安所がありました。
中部ビサヤ地方では、マスパテ島(3)に軍人倶楽部という慰安所がありました。
パナイ島のイロイロ市(4)には二つの慰安所があり、1942年には、第一には12人から16人、第二には10人から11人の慰安婦がいたことが確認されています。
セブ島のセブ(5)には、慰安所を経営する日本人業者が一名いました。
レイテ島のタクロバン(6)には、フィリピン人が経営する慰安所があり、9名のフィリピン人女性がいました。
同島のブラウエン(7)にも慰安所が1944年8月までには開設されました。
南部ミンダナオ島のブツアン(8)には1942年にフィリピン女性3名の慰安所が開設されました。
また同島のカガヤン(9)には、1943年2月に第三慰安所ができたので、三つの慰安所があったことがわかります。
同島中央のダンサラン(10)にも慰安所がありました。
また同島のダヴァオ(11)にも、慰安所があり、朝鮮人、台湾人、それにフィリピン人の慰安婦がいました。
また、フィリピンでは、軍の占領地域で現地部隊が一般女性を強姦した上に、暴力的に拉致・連行して、駐屯地の建物に監禁し、一定期間連続的に強姦をつづけたことも多かったことが証言されています。この被害者達も慰安婦被害者と考えることができます。そのような女性の中には父や夫を目の前で殺された人も少なくありません。
フィリピン政府による医療福祉支援事業の評価報告書より
(全文はこちら)
http://www.awf.or.jp/pdf/0197.pdf
多くのロラ(おばあさん)たちは、日本兵たちによって強制的に自宅から連行された。なかには仕事中や、両親に頼まれた用事で外出した際に連れ去られた者もあった。多くは当時、まだ独身であったが、既婚者も含まれていた。
ビコールに住むロラのひとりは、その頃住んでいた村に日本兵がやってきたとき、自宅で眠っていたという。
日本兵たちは村中の男たちと若い女たちを集めて村の小学校に連行し、翌朝までそこに留め置いた。彼女たちはその後、そこから市庁舎まで連れて行かれた。
また別のロラは、母親に食料の買い出しを頼まれ、近くの町へきていたところを連行された。
このほか、マラボンにある埠頭の近くで“シシッド”(ウェット)・ライス(船荷から漏れて海に沈んでいるコメ)を採っていたところを連行されたというロラもいる。
ロラたちは、もとは市庁舎や州政府の庁舎だったもの、個人の邸宅、小中学校や高校の校舎、病院や教会であったものを徴用した日本軍の兵営、あるいは駐屯地に連れて行かれた。
ロラのひとりによれば、マニラのある教会では毎夜、そのいたる所で日本兵によって女性がレイプされていたという。
ロラの自宅が駐屯地に徴用されたという例もあるほか、慰安婦たちを収容するのにトンネルが利用されていたという報告もある。
ロラたちが慰安婦として監禁されていた期間は、3日間から1年以上と、ロラによって様々であった。
4か月以上にわたって監禁されたロラたちが25%、3か月間が17%、1か月間が16%であった。
ロラたちはその全員が、監禁されていた期間にレイプされている。
ビサヤに住むあるロラは、家にやってきた日本兵たちに家族が尋問を受けている間に、7人の日本兵からレイプされた。
そして、その日から7日間、毎晩3人から5人の日本兵がやってきては彼女をレイプしたという。
マニラに住んでいるロラのひとりは、拘束されてから1か月にわたってレイプされ続けた。
6〜7か月にわたって駐屯地に監禁されていたが、この間には週に3日ほど3人以上の兵士がやってきて、彼女を次々とレイプしたという。
マリア・ロサ・ヘンソンさんロサ・ヘンソンさんの場合
マリア・ロサ・ヘンソンさんは、1927年12月5日、フィリピンのマニラ近郊パサイで生まれました。大地主の父とその家事使用人であった母の間にできた婚外子でした。
1942年2月、彼女は日本兵にレイプされました。
そのとき、彼女は家で使う薪を採りに、叔父や近所の人々と出かけたのですが、みんなと離れたときに、日本兵三人につかまり、レイプされたのです。
彼女は二週間後にも同じ日本人将校に見つかり、ふたたびレイプされました。
彼女は日本軍に激しい怒りを感じ、抗日人民軍、フクバラハップに参加しました。一年間活動したのち、1943年4月、アンヘレス市の郊外の検問所で日本軍にとらえられ、司令部に連れて行かれ、そこで、「慰安婦」にされてしまったのです。
ロサ・ヘンソンさんは、兵舎として使われていた病院に連行されました(フィリピン人元慰安婦のための弁護士委員会)。
ヘンソンさんとほかの女性6人が、ここで日本兵たちに性行為を強要されたのです。
その後3か月してヘンソンさんは、もとは精米所であった別の慰安所に移されました。日本軍に協力していたフィリピン人から、日本兵のために洗濯をしてやれば金を稼げると言われ、ヘンソンさんとほかの何人かの若い女性たちは洗濯をするようになりました。あるときそのフィリピン人の協力者に連れられて、2階建ての家に連れていかれました。そこには3人の日本兵が待ち構えていたのです。そこには約1年間にわたって監禁されていました。昼の間は洗濯をし、夜になるとレイプされたのです。
(ロサ・ヘンソンさんの証言記録はこちら)
http://www.awf.or.jp/3/oralhistory-00.html#philippine
ロサ・ヘンソンさんは、1944年1月、ゲリラによって救出されました。連合国の上陸によってフィリピンは日本軍の占領状態から解放されたのです。
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/714.html#c13
>孫埼 亨
>都知事選:舛添=猪瀬表の48%、都の全ての区で1−2%のずれでこの数字ってあり得ない事,
私が新聞記者だったら、私が検察だったら、私が政治家だったら何が起こっているかを少なくとも真剣に調査する。どの記者も、どの検事も、どの政治家も追わないって日本はどうなっているのだろう。、
>16:23 - 2014年3月22日
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/589.html#c20
分かり易すぎるもなにも、小沢一郎は『野党第1党は中心となって野党連合を』とズ〜っと言ってる。
そして民進党が瓦解したのは、小沢一郎が裏で画策したからではなく、ひとえに前原の能力の無さゆえ、だ。
民進から希望に移った主要なメンバー(特に初期)を見たら、あんな連中には離れてもらって結構な奴らだ。
要は、野党第1党の党首が『断固たる決意で野党共闘に望む』強い意思を示せるどうか、だろう?
その点、枝野サンと今の立民党には大いなる期待がもてる、とだけ言わせて頂こう!
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/647.html#c6
いろんなところにホットスポットはあるようだ。
何かご利益やパワーが埋まっているかどうかはご自身でご確認を。
散歩は何時でもできる。
東京付近
〇国税局及び財務省
東京都千代田区霞が関3-1-1
〇安倍総理大臣私邸
東京都渋谷区富ゲ谷一丁目付近(敢えて地番は伏せます)
大阪付近
〇近畿理財局
大阪市中央区大手前4丁目1−76(大阪合同庁舎4号館)
〇大阪航空局
大阪市中央区大手前4-1-76 大阪合同庁舎第四号館
〇大阪府警大阪拘置所
大阪府大阪市都島区友渕町1-2-5
仮に籠池氏が死んでしまったら、その霊が上に挙げた場所に現れないとは
誰が断言出来よう。
そして今日の本日只今、籠池夫婦が生きていると誰が断定出来よう。
この世には不可解な事が往々にしてある半面、必ず起こり事もある。
何が必ず起きるのか・・・それは自然に叶う事だ。
誰も自然には逆らえない。
不自然なことは長く続かない。
納税も同じこと。 理に叶う事だけが持続する。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/562.html#c11
北を攻めれば日本と韓国で死傷者が1000万・・・
脅すね、高野!!
高野の希望は、北の核を認め、世界が毎年の様に北の恫喝を受け、
北に援助し続ける事らしい。
此奴は、北の出身か??
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/617.html#c13
タグまでありもので、しかも的外れじねえか。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c12
2018年度政府予算案の衆議院通過について(談話)
社会民主党幹事長 吉川はじめ
1.2018年度政府予算案が本日、衆議院を通過した。社会保障費の自然増分の1345億円削減や生活保護基準の引き下げ、過去最低を更新した被災地軽視・被災者切り捨ての復興予算など、国民の暮らしや人権を切り捨て生活を破壊する一方、「戦争法」による新たな任務に対応する装備の導入や長距離巡航ミサイル関連経費、イージス・アショア関連経費など、質量ともに軍拡を進める2018年度予算案に対し、社民党は断固反対した。
2.安倍首相が目玉と位置づける「働き方改革」関連法案で拡大されようとしている裁量労働制について、首相が答弁撤回に追い込まれた。その元となる「2013年度労働時間等総合実態調査」のずさんさや不備に加え、データの改ざん・ねつ造の疑いまで明らかになった。6野党は、裁量労働制に関する調査のやり直しや、「働き方改革」関連法案の提出断念、新たな資料が見つかった森友学園問題に関連して、佐川国税庁長官や安倍昭恵氏らの証人喚問などを求めた。野党の要求にまともに答えない中での採決強行は、与党による疑惑隠し・追及逃れであり、断じて認められない。首相や閣僚・与党の不誠実な対応、とりわけ裁量労働制を巡る答弁撤回、データねつ造問題等で貴重な審議時間を空費し、予算本体や財政、経済政策についての審議が深まっていないことから、予算案の徹底審議を続行すべきである。
3.6年連続で増加し過去最大となった防衛費は、補正予算分2345億円もあわせ5兆4256億円にも達しており、防衛予算の伸びが突出している。次期主力戦闘機F35、垂直離着陸輸送機オスプレイ、C−2輸送機、滞空型無人機グローバルホーク、迎撃ミサイルや長距離巡航ミサイル、イージス・アショアなど、「戦争法」による新たな任務に対応する装備やミサイル防衛関係予算の増大は断じて認められない。在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)の増額は対米追従姿勢を示している。また、米軍再編等関連経費が大幅増となり、沖縄県民の民意を無視した辺野古新基地建設を強行する姿勢が示される一方、沖縄振興予算が減となり、とくに自由度の高い沖縄振興交付金が4年連続の減額となったのは、沖縄差別に他ならず、安倍政権の問答無用で工事を進める意思と、露骨な「基地と予算のリンク論」は断じて許されない。
4.高齢者の自立支援で成果を上げた自治体に対する介護の新しい交付金は、介護保険料の抑制を目指し、認定率を低下させることにつながりかねない。実態を無視した生活保護基準の引き下げは、貧困の負のスパイラルに拍車をかけるものであり、憲法の保障する生存権保障のあり方をきちんと議論すべきである。保育の受け皿拡大や保育士等の処遇改善は、まだまだ不十分である。「教育無償化」について、昨年12月に閣議決定した政策パッケージで華々しく打ち出したものの、教育予算は微減となり、具体策も先送りされている。さらに、「生産性革命」を後押しする大規模公共事業の推進、交付税率引き上げが見送られるなど抜本改革にほど遠い地方財政、輸出拡大や大規模農家支援に偏重した農林水産予算、核燃サイクルの推進など、予算の問題は山積している。
5.今後論戦の舞台は参議院に移るが、社民党は、大企業や富裕層を支援するアベノミクスの問題点を明らかにし、GDPの6割を占める個人消費拡大や、地域、中小企業を元気にする「ボトムアップ」の経済政策、一人一人を大事にする「ヒューマン・ファースト」の経済政策への転換を強く求め、2018年度予算案の問題点を厳しくただしていく。そして引き続き森友・加計問題などを徹底的に追及・解明するとともに、長時間労働や過労死を防ぎ、働く人たちのための改革となるよう、国民の命と生活に関わる裁量労働制などの徹底追及と法案提出断念に全力を挙げる。6野党はこの間、幹事長・書記局長会談や国対連絡会で意思統一するとともに、生活保護問題や裁量労働制問題等の合同ヒアリングなどを行い、また共同で「人への投資」と地域活性化など予算の組み替えを求めてたたかってきた。アベ政治の暴走を止めるため、今後とも結束して安倍政権と対決し追い込んでいく。
以上
社民党OfficialTweet認証済みアカウント @SDPJapan · 16 時間16 時間前
3月2日(金)16時5分より、又市征治・社民党党首が参議院予算委員会で質問いたします。#国会2018
https://pbs.twimg.com/media/DXMFY6PVwAAdJxw.jpg
https://twitter.com/SDPJapan?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=http%3A%2F%2Fwww5.sdp.or.jp%2Findex.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/639.html#c3
>特別寄稿 第2弾 無能と嘘で国家信用破壊した自公体制の罪と罰
フリーランス・ジャーナリスト、慧智研究センター所長 藤原肇
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai201711.html
・・・政界、財界、行政機構などの表の社会と、暴力団、同和などの裏の世界が、政治家や警察と癒着することで、利権の分配と結びつく時には、金融機関や国税当局が浮上するから、事実の隠蔽や嘘が蔓延する。だから、国会での真相審議に登場した、佐川宣寿理財局長がうろたえて、「処分した」「知らない」を連発し、それが言い逃れだったので、国民はたやすく嘘を見破った。そして、上からの指令に従っている役人が、忠誠でないことへの報復に、怯えている状況について理解し、安倍のゲシュタポ体制による、仕組まれた茶番劇に気づいた。・・・
日本には多くの正直な人が住むが、外の世界は詐欺師天国であり、目の動きを観察して心を読む技術は、生きて行く上で最強の武器になる。そんな高級技術を使うまでもないが、キョトキョト落ち着きなく動く、佐川宣寿理財局長の目の観察を通じ、嘘とごまかし答弁の背後には、何が控えているかが読み取れた。
それを示す証拠の映像まであり、怯えた佐川局長の背後には、お目付け役の大石が控えていて、国会中継で観察できたから、日本のゲシュタポ体制の底の浅さが、実に簡単に見破れたのである。このレベルは軍政下の韓国では、既に活用されていた事実については、1984年新年号の『文芸春秋』に、「天動説の国%本よ」と題して纏めた、私の記事を熟読すれば納得出来る。
___答弁する佐川前理財局長(左)の背後にお目付け役の大石がいる
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/IMG20171104B.jpg
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〇コメント
つまるところ、アベ官邸から財務省・佐川理財局長へ隠蔽の指示があり、裏切りを許さないためのお目付け役として大石吉彦首相秘書官(警備局警備課長出身でテロの専門家)が答弁する佐川の傍に張り付いている。これは、「裏切れば悲惨な結果になるぞ!」という脅迫である。
そして、ウソで乗り切った佐川を「敢えて国税庁長官に出世させた」のは、「メディアや国民の批判を浴びさせるため」あり、その先は「苦悩に堪えられずに自殺する」という筋書きが出来上がっていたのではないか? 佐川は「嘘吐き出世の先にあるのは地獄への道であった」という筋書きに気付く頃だろう。安倍政権に不審死が多いことは誰もが認める事実であり、自殺者が出ることで幕引きになることが多い。
そもそもアベ自公政権とは、「カルト日本会議=統一教会」+「草加=エセ宗教カルト団体」の利権集合体であり、オウムと同類の半島系カルト集団が選挙の不正によって権力を握り続け、日本を支配しているという現実を直視しなければならない。不●選挙は勿論、抹●・●殺など、何でもありの犯罪集団であり、既にファシズムの領域に突入していると言わざるを得ない。
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>安倍政権、これだけの人間を殺して政権の地ならしをしたってことか
http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/109.html
>1. 2017年2月20日 13:04:20 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[447]
10年前の第一次安倍政権の頃、かなり話題になりましたよね。
●松岡農相:首吊り自殺(頭部射殺説アリ)。統一教会員秘書4人。統一教会から支援を受ける「勝共推進議員」。国際勝共連合「日韓安保セミナー」参加議員。統一教会系団体「世界平和連合」設立発起人。
●松岡事務所関係者U氏:金庫番の地元秘書。自殺。
●山崎進一:緑資源機構の「陰のドン」。マンション転落死。
●平田聡:公認会計士。りそな銀行を監査中にマンション転落死。
●鈴木啓一:朝日新聞の敏腕記者。りそな問題後、りそなの政治献金が10倍になっていることを記事にし、東京湾に浮かぶ。
●石井誠:読売新聞政治部記者。郵政問題の記事を書いていた。総連の隣のマンションで変死体で見つかる。
●野口英昭:エイチエス証券副社長。安晋会理事。ライブドアの匿名投資組合に関する入れ知恵をしていた人物。沖縄のホテルで受付に助けを呼びつつ割腹自殺?
●大西社長:LD投資組合社長。行方不明。
●古川社長:平成設計の元社長。大阪空港で変死体。
●森田信秀:森田設計事務所社長。木村建設/総研/ヒューザーなどの耐震偽装問題が浮上する直前に鎌倉市の海岸で遺体を発見。
●草苅逸男:岡山・新勝央中核工業団地/一級建築士。津山市で設計事務所が爆発し焼死
●東江組員:沖縄旭流会幹事。惨死。
●森田設計士:木村建設/総研/ヒューザーなどの耐震偽装問題が浮上する直前に自殺。
●姉歯元1級建築士の妻:創価学会員。姉歯が失踪し「消されたか?」と囁かれだした直後、突然飛び降り自殺。その後姉歯が姿を現し、逮捕される。
●斎賀孝治:朝日新聞デスク。耐震偽装問題を調べていて自殺。
●永田寿康:元民主党衆院議員。11階建てマンションから落ちて死ぬ。靴を履いたままだった。
●石井紘基:民主党議員。政界を震撼させるようなネタが見つかり、国会で追及する準備中に刺殺。
●長谷川浩:NHK解説主幹。イスラエル国籍を持つ数百人が被害を免れていたことを発表。 数日後にビルから転落死。
●米森麻美:元日本テレビアナウンサー。義父がゴ−ルドマンサックス証券名誉会長。 出産3週間後の2001年9月16日自殺。
●斎賀孝治:朝日新聞デスク。耐震偽装問題を調べていて自殺。
●竹中省吾裁判官:大阪高裁判事。住基ネットに違憲判決を下した3日後に書斎のパソコンラックで首吊り。
★植草一秀:経済学者。りそなの暴露本発売直前に痴漢逮捕。
★太田調査官:国税調査官。りそなの脱税問題を調査中に痴漢逮捕。
★浦川政義:農林水産省食糧貿易課課長補佐。痴漢逮捕。
の如く、安倍晋三は日本会議の別動隊、安倍第二次政権の裏方、伊藤哲夫元生長の家の幹部らが動き、茶坊主のチーム世耕や安倍親衛隊の読売テレビ、辛坊治郎、橋本五郎らのチーム読売らが暗躍し、正論を言う人たちはすし友NHKらの島田敏男解説員や時事の田崎史郎、後藤謙次らや御用評論家、学者らがテレビ界を席巻し、真面なことを言う人たちは排除、抹殺されてしまったのは周知のことだ。
斯様な工作で日本のマスコミ界だけでなく、法曹界、警察、検察、裁判所、裁判官らも機能しなくなったのが小泉純一郎、竹中平蔵政権から始まり、極めは安倍晋三傀儡政権で強権、恐怖政治になって来たために、茶坊主のチーム世耕や安倍親衛隊の読売テレビ、辛坊治郎、橋本五郎らのチーム読売らが暗躍し、正論を言う人たちはすし友NHKらの島田敏男解説員や時事の田崎史郎、後藤謙次らや御用評論家、学者らが謳歌する時代になり、世の中を狂わして来てしまっているのが今だ。
志位委員長が国有地売却で政治家関与追及と言われているがそんな甘いもので済ませてはならない。断罪し、安倍晋三が首相も、国会議員も辞めると言っているように安倍晋三を首相を、国会議員を辞めさせることが強権、恐怖政治からの脱却だ!
これらのために、
__森友学園への国有地売却、仮に安倍首相や安倍首相夫人が価格交渉に直接参画しなくとも、安倍氏の威光を利用し10億円近い国有地を国がただ同然に売り渡す事態が生じてる。極めて異常な事態を生み出す国になってる。そして瑕疵がないと開き直る麻生氏。組織のトップの長期化は腐敗を生む。その段階だ。孫崎享
と孫崎享さんが言われている社会になっているのが今で、戦後レジームからの脱却と言う美辞麗句に惑わされ、実態は従米、隷属の安倍政治で強権、恐怖政治をなくすにはムサシらの不正選挙で作られた安倍晋三を排除しないと戦前より悪くなるのは間違いない。>
>何度も言うが、元凶は不正選挙だ (self.tikagenron)
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/6exmxv/%E4%BD%95%E5%BA%A6%E3%82%82%E8%A8%80%E3%81%86%E3%81%8C%E5%85%83%E5%87%B6%E3%81%AF%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%A0/
現在の政治状況で有効なカードは「不正選挙の追及」「国際的な選挙監視団の招聘」以外にない。もちろん自民党は汚物だし、野田は豚だが、安倍に文句を言うヤツも、野田や「民進党の心ある議員」にアドバイスをするヤツも、不正選挙の追及を柱に立てないのなら、共謀罪の成立や現支配体制の補強に寄与しているのと変わらない。プロレスでヒールに野次を飛ばそうがベビーフェイスの戦い方に文句をつけようが、筋書きを変化させることなどできはしないだろう。
___________________________________________
一人の反日の親を持つ少学生の文章をあたかも一般的の様に言いだす。
馬鹿らしい話だ。
小学生にダメだしされた総理に選挙で惨敗続きの野党の議員は
なんなのか???
ダメどころか、クズ、間抜け、アホ・・・
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/594.html#c10
ジャングル大帝とかチビクロサンボとか、私も好きでしたよ〜!
でも私、平井和正ファンなもんで、実は『アトム』よりも『エイトマン』が好き。
♪呼んでいる 呼んでいる 呼んでいる
立とう 正義の 旗のもと
誇れ エイトマン 天よりも高く♪
『エイトマン』のとこに『枝野マン』と入れて歌いたい今日この頃です。
エイトマンの原作たる『サイボーグブールス』にも泣きましたね、中学時代。
ついに『幻魔大戦』を未完結のまま逝ってしまった平井和正を悼みます。(涙)
これはすごい。裁量労働制の不正データ同様、これもこれだけで閣僚の首が飛んで当然の責任問題。合わせて内閣が倒れる話。ありえないデタラメ。安倍政権下で国家がどれだけ破壊されているのか。
証拠隠滅のおそれで身柄を拘束すべきは、籠池夫妻でなく財務官僚のほうだった。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/656.html#c1
>何を言ってるのかね…
>じゃぁ、吉原の女郎は性奴隷じゃなかったのかね。
このコメントでは、
『「慰安婦」は兵隊相手に兵営の近くで売春目的の施設「慰安所」で働く売春婦』
に対しての反論になっていない。あえてそういうスレ違いを狙っているのかも知れないが。
吉原の女郎が性奴隷だったのは間違いないし、いわゆる朝鮮人慰安婦(米軍相手のも含む)も広義の性奴隷だったのは否定できない。
当時は「儲かる仕事」だったから女衒がいくらでも集められたし、忙しい軍隊がわざわざ徴発に回る必要も余裕もなかった。
にしても、彼女たちの尊厳と名誉の回復はあって然るべきだが、それと「強制連行」とは何の関係も無い。
吉田某の捏造に悪乗りして、恰も国家犯罪があったかのように煽るのは、論点をあやふやにするだけで何の解決にもならない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/641.html#c10
安倍政権を支えるくらいなら、平昌オリンピックで南北融和にバッハ会長と
見事にこぎつけたムンジェイン氏の方をはるかに応援したい。
バカな朝の政治評論家どもが韓米の軍事演習はどうなるんだろ、とか、
日本と韓国の関係はどうなるんだろとか、
この人たちは世界平和を一方で口にしながら、
敵対を望み、米国の傘下を望み、イージス艦やオスプレイを
大量に手にすることを望む。
朴政権の合意は破棄されるのは当然だろうがよ。不正や道義心を欠いた
トランプ、安倍に対し、ムンジェイン氏の行動は
高く評価されるべきだ。
総理大臣に失望する事が「反日」だそうだ。
「日本をもっと良い国にする」と書く子供が、「反日」だそうだ。
一度その「反日」とかいうものの定義をしてくれないか?
(無理だろうけど)
最初にすべき事は日本人でもないのに日本の生活保護を受けている
在日を保護対象から外すべきだね。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c13
ロシアの安全保障会議によると、シリアの北部にアメリカ軍は20カ所に軍事基地を建設したという。これまで14カ所、そのうち12カ所は北部、2カ所は南部だとされていた。新たに基地を建設したのか、前からあったのかは不明だが、いずれにしろシリア政府が承認したわけでない。シリアを含め、中東でアメリカは侵略、破壊、殺戮、略奪。ヨーロッパでロシアとの国境沿いにミサイルを配備、日本や韓国でも同じことをしている。
本ブログでは何度も書いているように、アメリカの好戦派に属すネオコンは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅するつもりだった。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから10日ほどのち、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官はペンタゴンで攻撃予定を知らされたという。まずイラク、ついでシリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランだ。(3月、10月)
アメリカ軍はすでにシリア政府軍だけでなくロシア軍も攻撃している。例えば昨年(2017年)9月17日にデリゾールでアメリカ主導の連合軍がF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機でシリア政府軍を攻撃、80名以上の政府軍兵士を殺した。
9月20日にはイドリブの州都に入ってパトロールしていたロシア軍憲兵29名の部隊をアル・カイダ系のアル・ヌスラが戦車なども使って攻撃、包囲するという出来事があった。その作戦はアメリカの情報機関/特殊部隊が指揮していたと言われている。戦闘は数時間続き、その間にロシア軍の特殊部隊スペツナズが救援に駆けつけ、Su-25も空爆、反政府軍の部隊は全滅、その戦闘員約850名が死亡したという。
9月24日にはロシア軍事顧問団を率いるバレリー・アサポフ中将とふたりの大佐がダーイッシュの砲撃で死亡しているが、中将らがいる正確な場所がアメリカ側から伝えられていたとも言われている。それに対し、10月31日には地中海にいるロシア軍の潜水艦から発射されたミサイルがデリゾールにあったダーイッシュの拠点を攻撃、破壊したという。
今年1月6日には地中海に面した場所にあるロシア軍のフメイミム空軍基地とタルトゥースにある海軍施設へ13機の無人機(ドローン)が攻撃のために接近、そのうち7機はロシア軍の短距離防空システムのパーンツィリ-S1で撃墜され、残りの6機は電子戦兵器で無力化されている。13機のドローンは100キロメートルほど離れた場所から飛び立ち、GPSと気圧計を利用して事前にプログラムされた攻撃目標までのコースを自力で飛行、しかもジャミングされないような仕組みになっていた。攻撃の際、目標になったフメイミム空軍基地とタルトゥースの海軍施設の中間地点をアメリカの哨戒機P-8A ポセイドンが飛行していたこともあり、この攻撃はアメリカ軍、あるいはCIAによるものだと見られている。そして2月3日にロシア軍機Su-25が撃墜された。
2月7日にはアメリカ中央軍が主導する部隊がデリゾール近くの油田地帯でシリア政府側の戦闘集団を空爆して死者数十名、そのうちロシア国籍の傭兵が5名程度だと見られている。アメリが側は「反撃」だとしているが、状況から見て親シリア政府勢力からの攻撃はなかったようだ。アメリカ側はロシア軍に属さないロシア人傭兵を殺した。
そうした中、2月25日にロシア軍の地上部隊が東ゴータへシリア政府軍と一緒に入ったとも伝えられている。東ゴータからダマスカスのロシア大使館へ向かって砲撃が毎日ある。攻撃しているのはアメリカを後ろ盾とする武装勢力のようだ。ロシアのウラジミル・プーチン大統領はその攻撃について、いつまでも許すことはないと語っている。東ゴータへ入ったロシア軍が何らかの軍事作戦を展開するかもしれない。ロシアの正規軍は入ったとなると、アメリカ軍は手を出しにくい。もし攻撃すれば米露の軍事衝突に発展する可能性があるからだ。軍事衝突した場合、アメリカは勝てそうもない。
すでにシリアでは少なくとも4機のステルス戦闘機Su-57が目撃されている。すでに防空システムの強化が進み、中長距離用のS-300やS-400だけでなく、短距離用のパーンツィリ-S1を配備している。それ以外にも武器/兵器をロシアはシリアへ運んでいるようだ。
プーチン大統領はロシアやその友好国が存亡の機を招くような攻撃を受けた場合、マッハ20で飛行する大陸間ミサイルRS-26ルビエシュ等で反撃すると警告している。理由はわからないが、プーチン大統領はかなり怒っている。
以前にもロシアは海底1万メートルを時速185キロメートルで航行、射程距離は1万キロに達する遠隔操作が可能な魚雷の存在をリークして警告している。2015年10月5日にはカスピ海の艦船から26基のカリブル巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中させてアメリカを驚かせたりもしてきた。
ロシアでは今年3月18日に大統領選挙があり、6月14日から7月15日にかけてはサッカーのワールドカップが開催される。追い詰められているアメリカはこのタイミングで何かを仕掛けてくる可能性があると見られている。
中東は風雲急を告げる動きがある。そうした中、サウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子が3月19日から22日までアメリカを訪問する。予想外の展開があり、それについて協議するつもりなのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803020000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c83
日刊ゲンダイって何様??
日本の有権者を馬鹿にしているね、
こんなビラを買う人間がいるとは驚きだ。
国民はかって民主党とかいう政党に政権を任して大失敗した。
自民党がすこし失敗しても、もう一度野党に政権を任す気に成らんのだよ。
くやしかったら、自民に勝る魅力的な野党を作りたまえ。
そうそう、共産党の志位が辞任するらしいね。
未だに共産党に君臨している不破88歳の逆鱗に触れたらしい!!
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/589.html#c21
だれの指示で行ったのでしょうか?
これが本当なら、法治国家どころの話でない、詐欺国家だ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/656.html#c3
大地前社長の著書、スマートライフだから家賃0円で儲かると書いてある。
スルガ銀行はこれが詭弁なのを見抜いていたはず
引用:法律ニュース部https://law-news.idest.club/wp-content/uploads/2018/01/wsatgh.png
スルガ銀行とスマートデイズの関係に疑惑
一般投資家からシェアハウスへの投資を受けて、配当不能になっているスマートデイズ事件は、融資先のスルガ銀行が関わっていた疑いが強まっている。
シェアハウスに投資した人の多くはスルガ銀行から融資を受けていて、最初から危険性を認識していた可能性が高い。
スマートデイズに投資した人の多くが不動産投資には素人で、危険性を認識せず言われるままに契約をしていた。
融資の審査をする銀行はその道のプロであり、同社の杜撰な計画や経営状態を、知らなかったというのはおかしい。
スマートデイズは投資家に家賃保証を約束して投資を呼びかけたが、現在家賃は支払われていない。
一方で融資したスルガ銀行からは家賃収入と関係なく請求され、このままでは自宅や保証人の資産も差し押さえられる。
スマートデイズのオーナー76人は2月27日、返済不能であるとしてスルガ銀行に3月から返済しないと通知しました。
投資家の中には家賃保証を当て込んで1億円もの融資を受け、毎月100万円のローンを組んだ人も居るようです。
問題はスルガ銀行が第三者ではなく、最初からスマートデイズの危険性を承知しながら説明しなかったのではないかと疑われている事です。
スマートデイズはシェアハウスで確実に儲かると説明しながら、実際には投資家から集めた金を転がして、マルチ商法のように拡大していました。
シェアハウスはチープな作りにも関わらず相場より建設費が高く、専門家によると何割かスマートデイズが抜いていた疑いがあるという。
4年弱でおよそ845棟、1万1,259部屋のシェアハウスを建設したが、経営は上手くいっていなかったと思われる。
スルガ銀行は最初から危険性を知っていたか
実際にはシェアハウスで利益が出ていないのに、投資会員を集めては集金し、損失を穴埋めして新たにシェアハウスを建設した。
2017年10月にスルガ銀行は融資を制限し、新規投資が集まらなくなって損失補てんが不可能になった。
投資家には家賃減額が通知されたが、契約時に投資家達には減額の説明はしていませんでした。
プロの不動産業者にとっては、家賃保証契約は減額が前提なのは常識で、契約そのものも相手の都合で破棄されるのが『お約束』になっている。
だからサブリース業者は「永久家賃保証」「○年後に販売金額で買い取り」などとんでもない条件を提示できる。
常識で考えて新築時の家賃が保証されるはずが無いし、販売したのと同じ金額で買い戻すのも在りえないが、この業界ではそういう売り文句がまかり通っている。
他の銀行がスマートデイズへの融資に消極的だったのは、最初から計画の杜撰さを見抜いていたからだと考えられます。
スルガ銀行が非常に積極的だったのは、返済できなくなったら保証人に払わせれば良い、とでも考えていたのだろうか?
スルガ銀行の中でも横浜市の支店がほとんどの融資を行っていたと報道されていて、被害者の会も横浜東口支店に返済不能を通知していました。
スルガ銀行の支店内でスマートデイズのセミナーを開くなど、投資家は銀行から誘われるようにして融資を受けていた。
むしろスルガ銀行が主導する形で融資を受けさせて、スマートデイズに投資させていたのではないか。
多くの素人投資家は「銀行の融資が通ったのだから絶対安心だ」と思い、スマートデイズへの信頼を強めた。
投資家は融資を受けるために連帯保証人を建てているので、本人が自己破産すると保証人に全額請求される。
700人が返済不能になっているとされるので、その背後には数千人の連帯保証人の家族が居る。
自宅が差し押さえられる上に給料の一部も差し押さえられ、多くは一家離散することになる。
http://www.thutmosev.com/archives/75145714.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c149
仰せの通りと思います。
NHKの被害者遺族もも全く納得してないようで、こういう過労死認定もして
もらえない無き寝入り法案は、ゴミ箱に入れて日本海の深いところに沈めるし
かないです。
NHKもこの国には要りません。自分は有害放送局認定してます。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/555.html#c30
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凍土壁 効果は限定的 汚染水防止 1日95トン
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018030202000145.html
東京新聞 2018年3月2日 朝刊
東京電力は一日、福島第一原発1〜4号機への地下水流入を抑え、汚染水の発生量を減らすための凍土遮水壁について、一日九十五トンの地下水流入を防いでいるとの試算結果を発表した。凍土壁が無く、他の対策だけの場合、百八十九トンに上ると想定。これを半減できているとしたが、効果は限定的にとどまっている。
凍土壁は「全く水を通さない」という触れ込みで、政府と東電が三百四十五億円の国費を投じて造った。二〇一六年三月末から凍らせ始め、維持費用は電気代など年間十数億円に上る。
福島第一では、汚染水が大量に発生。東電は凍土壁のほか、建屋近くの井戸から水をくみ上げるなどして地下水が建屋に入らないように対策を講じている。
東電によると、凍土壁の運用前は一日に平均約四百九十トンの汚染水が発生。凍土壁がほぼ完成した一七年冬には、一日約百十トンと四分の一にまで減った。
今回の試算で、凍土壁は一日九十五トンの低減効果があるとした。だが、地下水が直接建屋に入り込む西側部分を見ると、低減できる量は十七トンで二割に満たず、効果を発揮していない。
凍土壁は、地中に長さ三十メートルの管約千六百本を打ち込み、零下三〇度の冷却液を循環させて周辺の土を凍らせている。建屋東の海側はケーブルや配管を収容する地下トンネルがあり、その下は凍っていない。
東電の福島第一廃炉推進カンパニーの増田尚宏・最高責任者は会見で「凍土壁ができて、他の対策も効果を発揮しやすくなった。検証は続ける」と話した。
(宮尾幹成、小川慎一)
朝日新聞社を批判する安倍が、賊軍、ペテン・詐欺集団。
はっきりしました。
安倍は、まだ居座るつもりか?
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/654.html#c3
この状態の 福一に また同じことが 起きたら どうなるのだろう。。。。
頭に袋をかぶされたロバだ
何も見えず、何も聞こえず
断崖に向かって歩いていく哀れなロバだ
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/393.html#c1
学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引の際に財務省が作成した決裁文書について、契約当時の文書の内容と、昨年2月の問題発覚後に国会議員らに開示した文書の内容に違いがあることがわかった。学園側との交渉についての記載や、「特例」などの文言が複数箇所でなくなったり、変わったりしている。複数の関係者によると、問題発覚後に書き換えられた疑いがあるという。
内容が変わっているのは、2015〜16年に学園と土地取引した際、同省近畿財務局の管財部門が局内の決裁を受けるために作った文書。1枚目に決裁の完了日や局幹部の決裁印が押され、2枚目以降に交渉経緯や取引の内容などが記されている。
朝日新聞は文書を確認。契約当時の文書と、国会議員らに開示した文書は起案日、決裁完了日、番号が同じで、ともに決裁印が押されている。契約当時の文書には学園とどのようなやり取りをしてきたのかを時系列で書いた部分や、学園の要請にどう対応したかを記述した部分があるが、開示文書ではそれらが項目ごとなくなったり、一部消えたりしている。
また、契約当時の文書では、学園との取引について「特例的な内容となる」「本件の特殊性」と表現。財務省は国会で学園との事前の価格交渉を否定し続けているが、「学園の提案に応じて鑑定評価を行い」「価格提示を行う」との記載もあった。開示された文書では、これらの文言もなくなっている。
昨年2月、大幅に値引きされて土地が学園に売却された問題を朝日新聞が報道。国会で野党が「学園に便宜が図られたのではないか」などと追及し、財務省は否定する答弁を繰り返していた。関係者によると、文書の内容が変わったのは、昨年2月下旬以降とみられる。これらの文書の一部は国会議員からの求めに応じて開示された。
土地取引の決裁文書は保存期間が最長30年。会計検査院の検査に提出を求められることもある。決裁後の変更は、意思決定の経緯を検証できるようにすることを求める公文書管理法の趣旨に反するおそれもある。
一連の問題をめぐっては、大阪地検特捜部が背任容疑の告発を受理して昨年9月以降、関係者への任意の事情聴取を本格化。文書管理をめぐる公用文書等毀棄(きき)容疑や証拠隠滅容疑の告発も受理している。
■出しているものだけ
財務省の中村稔・理財局総務課長は1日、決裁後に内容が変更されていないか、との朝日新聞の取材に対し、「我々が決裁文書として持っているものは、情報開示請求などに出しているものだけだ」と答えた。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13383143.html
世に倦む日日 @yoniumuhibi
朝日の1面トップ。「森友文書書き換えの疑い」の大見出し。これは大きい。参院予算委で徹底追及される。森ゆう子と小池晃の出番。佐川宣寿の国会招致、麻生太郎の更迭まで繋がるかも。内閣支持率に大きな打撃だ。忍の一字で雌伏していた朝日の安倍晋三に対する逆襲が始まる。http://bit.ly/2F5gSCK
7:02 - 2018年3月2日
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/969331987285606400
遂に安倍の首が飛びそうだ!
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/657.html#c1
今年の寒波などasyuraの陰謀論者は寒冷化が好きらしいが
現実は全く違う
http://diamond.jp/articles/-/161802
【第90回】 2018年3月2日 久保洋介 :HONZ
最強寒波襲来と食糧不足の原因になる「北極温暖化」の深刻『北極がなくなる日』
この冬、最強寒波が世界各地を襲っている。日本の北海道・東北・北陸地方では記録的な豪雪となっているし、世界各地でも年初よりアメリカ北東部やロシアの東シベリアは猛烈な寒波におそわれている。ついには北アフリカのサハラ砂漠にて異例の積雪が観測されたという。いったい全体、何が起こっているのか。
『北極がなくなる日』
ピーター・ワダムズ著、武藤崇恵(訳)、原書房、308ページ、2400円(税別)
どうやら北極の温暖化がその原因のようである。北極の海氷が溶けたことが中緯度北部地域(特に東アジアと米国東部)の異常な寒冷化現象に繋がっていると、科学者の間では論じられているのだ。北極が温暖化することによってシベリア寒冷高気圧が強大化したことに加え、上空のジェット気流も南北に蛇行しがちになるので、寒冷高気圧が日本や韓国などにもが南下しやすくなるという。
北極の温暖化は
なぜ起こっているのか
ではこの北極の温暖化はなぜ起こっているのだろうか。「そりゃあ、二酸化炭素排出量の上昇による温暖化だろう」と安直に思い込みがちだが、最新の研究によるとどうやらそれだけではないようだ。二酸化炭素の数十倍以上の温室効果があると言われるメタンガスの放出というより深刻な問題が指摘されている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012600038/
北極海の氷が消える、残された時間は
氷の世界にすむ動物たちを守れるか
2018.01.30
1980年代の衛星写真を見ると、北極の海氷は、夏の終わりになっても平均750万平方キロにわたって広がっていた。しかし現在までに、そのうち250万平方キロ以上が失われてしまった。気候モデルを使ったシミュレーションによると、2050年代までに、夏でも解けない海氷の面積は52万平方キロを下回る。それらははるか北方の狭い海域、すなわちグリーンランド及びカナダのエルズミア島の北側にとどまるだろう。その縮みゆく海氷が、北極にすむ多くの野生生物にとっての“最後の砦”になるのだ。
「そこには、海氷の縁を生息場所とする動物たちが集まるでしょう」と、ナショナル ジオグラフィック協会の「原始の海プロジェクト」を率いる海洋生態学者のエンリック・サラは言う。
サラはダイバーや映像作家とともに、カナダのバフィン島にやって来た。島周辺の消えゆく氷の世界を記録し、極北の「最後の氷」の保護を訴えるためだ。10年前の発足以来、「原始の海プロジェクト」は800万平方キロほどの海洋の保護に貢献してきた。だが北極海の氷を守る活動は、同プロジェクトにとって最も野心的なものとなりそうだ。グリーンランドとカナダの協力も不可欠となる。
「人々は北極というものを理解していません」と、米コロンビア大学などに籍を置く海洋学者のステファニー・ファーマンは言う。「北極の氷は動かず、端だけが解けると思っています。北極が動的だとは考えもしないんです」
彼女によると、かつての気候モデルの中には、地球が暖まるにつれて北極の氷は南端から均等に解けていき、最後は北極点の周辺だけになるとするものもあった。「それはまるで道理にかないません」とファーマンは言う。「氷が北極点に集まる理由はないのです。何かにぶつかるまで動き続けるはずです」
北極海の氷は今後数十年間は激減するだろうが、夏でも消えない細長い海氷の帯が今世紀後半まで残ると考えられている。地球を温める化石燃料への依存を断つことができれば、さらに長期にわたって生き延びる可能性もある。その頃には、大気中の二酸化炭素を取り除き、地球を冷やす方法が見つかっているかもしれない。
https://jp.weathernews.com/news/20053/
冬季は観測史上最小、夏季は過去6番目の小ささ、北極海航路は北東航路のみ開通
北極海の海氷域面積は毎年2〜3月に年間最大、9月に最小となります。今年は3月に年間最大面積が1390万㎢となり、同時期の面積としては昨年に続き観測史上最小を記録しました。ただ、その後の融解のペースは例年と同程度で、9月に観測された年間最小面積は1979年の観測開始以来6番目に小さい447万km2となりました。
https://ads.nipr.ac.jp/vishop.ver1/ja/vishop-extent.html
北極海氷面積 [百万平方km]
5年前に政権が自民に戻ったその日に
私は無残に殺されました
泣いてくれとは言わないけれど
助けてくれとは言わないけれど
せめて気づいてほしいです
私がとっくに殺されていることを
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/610.html#c12
代表が革マル派の枝野、
幹事長が中国人の陳哲郎、
政調会長が何もしなかった年金男・長妻。
すごいね。
しかし、これで驚いてはいけない。
副代表は、アホ菅、ダメ管、スッカラ菅の菅直人、
安具楽牧場詐欺の泣き虫男・海江田。
どうだ、参ったか。
更に更に、国対が前科者・辻元、
参議院国対が二重国籍・R4・・・
確かに期待できるわ・・・
完全失業率2.4%。若年層失業率は、何と3.3%。一気に4%を割り込んできました。
1月の完全失業率2.4% 前月比0.3ポイント低下
2013年の時点では、いわゆるリフレ派理論の、
「デフレは貨幣現象。おカネを発行すれば脱却できる」
といった論調が政界に蔓延し、
「おカネを発行すればデフレ脱却できるのでしょ。ならば、緊縮財政でいいよね」
と、消費税増税やPB黒字化目標、診療報酬・介護報酬の削減等に活用されてしまいました。
今回は、
「雇用が改善している。実質GDPも八期連続プラス成長。ならば、緊縮財政でいいよね」
と、なるに決まっています。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/629.html#c8
https://twitter.com/takumi0507j/status/968139394577088512
>たくみ@国難去れ!!
小学生の将来の夢「総理大臣」理由は「今の総理大臣がダメな人だから
自分がなって日本をもっと良い国にする。」
小学生にまでダメな人扱いされる安倍晋三って本当に日本の恥だよな。
こんなダメな総理大臣を持ち上げるバカウヨと利権まみれの経営者どもは恥を知れ!!
参考画像 https://pbs.twimg.com/media/DW-E7PgVoAMQhZq.jpg
http://www.asyura2.com/17/cult18/msg/810.html#c5
東日本大震災 福島原発事故7年
待望の診療開始
岩手 県立高田病院が新築移転
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-02/2018030201_07_1.jpg
(写真)田畑潔院長の診察を受ける女性患者=1日、岩手県陸前高田市
東日本大震災の津波によって壊滅的な打撃を受け、病院機能が失われた岩手県の三つの県立病院で唯一、仮設病院における診療態勢が続いていた県立高田病院(陸前高田市)。被災から7年を前に高台への新築移転が完了し、地域住民に待ち望まれていた新病院での診療が1日、開始されました。
診療受け付けが始まる前から多くの外来患者が訪れ、待っていました。
腰痛の持病を抱え、診療が始まる約2時間前から待っていた女性(68)。
震災前は同病院でリハビリテーションなどの治療を受けてきましたが、手狭でリハビリの体制が十分ではなかった仮設病院では、リハビリの機会がありませんでした。
「これから月に1回は通って、体を動かすようにして、寝たきりにならないようにしたい」とほほ笑みました。(関連記事)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-02/2018030201_07_1.html
2018年3月2日(金)
東日本大震災 福島原発事故7年
岩手県立高田病院の新築移転 本格開院 住民も安心
“入院治療もできる”
共産党も尽力
東日本大震災の津波によって壊滅的な打撃を受けて仮設病院での診療から1日、高台に新築して診療を開始した岩手県立高田病院―。地域住民が待ちわびたオープンです。
(岡素晴)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-02/2018030215_01_1.jpg
(写真)看護師(右)から簡単な問診を受ける患者ら=1日、岩手県陸前高田市
「これまで移転作業で多忙を強いられましたが、きょうが病院として本格開業になります。外来の患者さんが安心して診療を受け、帰っていけるように、とにかく安全な医療を心がけて頑張っていきましょう」。午前9時の診療開始を前に、田畑潔院長が医師や看護師らを前にのべました。震災により地域コミュニティーが弱まっている中で、地域のつながりを作りながらの医療活動が課題になっています。
同病院は、精神科を除いて陸前高田市内で唯一の入院設備をもった総合病院として、被災前から長く地域医療を担ってきました。7年前の3月11日、大津波は海岸のそばにあった病院の4階まで達し、職員と患者を合わせ20人以上が亡くなりました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-02/2018030215_01_1b.jpg
(写真)石木幹人前院長
被災当時の院長だった石木幹人さん(70)は、一般住民も含め160人余りが屋上に逃れ、いてつく寒さに震えながら一夜を明かしたことを振り返りました。ヘリで救助されたのち、被災の翌々日から避難先のコミュニティセンターの一角を間借りし、救護所として訪れた患者に医療行為を始めたという石木さん。震災から4カ月後の7月に仮設病院が高台に開設して以降も含め、「薬の確保など、前の病院の時から医療の質を落とさないためにはどうするか、当初から努めてきました。その意味では、同じ被災者であり、家族を亡くした職員たちがみんな本当によく頑張ってくれた」。
石木さんは、新たな県立病院に期待する役割について、「入院患者をしっかり診てほしい。今後、超高齢社会を迎える中で、短期でも入院して治療したほうが良いケースが増えてくると思います」と指摘します。
同病院を退職後、市内の過疎地域で国民健康保険診療所に勤務し、訪問診療などに取り組んでいますが、「私の診療所では、入院させたくてもどうしてもできません。高田病院が入院をしっかり診てくれると、すごく安心感があります」
病院の再建や仮設病院での入院機能の再開に向け、日本共産党も大きな力を発揮しました。当初、県の復興基本計画案には病院再建が盛り込まれず、入院機能の整備についても国の費用負担がないなどの壁が存在していました。党市議団や県議団が議会で問題を提起したことによって、県知事も病院再建を決意し、国会でも党国会議員団が入院機能の整備に向けて国の助成を要求し、政治を前に動かしました。
開業当日のこの日、党市議団は同病院を訪問。藤倉泰治団長らが知り合いの外来患者に声をかけていました。藤倉市議は「70代の夫妻が『家から近くなっていがった(よかった)。いつでも通える』と話していました。陸前高田の住民にとってはある意味、復興のシンボルともいえる病院の再建です」と話していました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-02/2018030215_01_1.html
http://www.asyura2.com/14/jisin20/msg/390.html#c10
それなのに、安倍さんはアメリカでブッシュ大統領との共同会見で被害者たちに謝罪していながら、帰国した途端に前言を翻してなかったことにしたので、アジア諸国やオランダが抗議して国連も日本に警告した。
マスコミはこの経過をきちんと報じないから国民も誤解してしまう。
被害者たちはお金ではない日本側が謝罪することを望んでいるのに日本はお金で解決したから終わったことにしている。
日本軍が逃げてアジア諸国に置き去りにされた被害者たちにはお金も謝罪もせず、しかも捏造だと日本から言われたら、どう思うかさえ気付かない無慈悲な日本政府。
「政治家はみんなダメだ」などと味噌糞を区別せずしたり顔で
政治家全般をけなす人間にはおよそまともな者はいない。
そういう意見が自民の悪政を増長させる。
天木某なる人物に自民党の悪政を真に憎む正義の心がない証だ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/652.html#c14
−この教授の発言は間違いなく当を得ている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/655.html#c3
麻生太郎副総理兼財務相は2日の参院予算委員会で、学校法人「森友学園」への国有地格安売却問題をめぐり、財務省が学園との契約に関する決裁文書を書き換えた疑いがあるとの一部報道について「答弁は差し控える」と述べた。
麻生氏はその理由について「大阪地検で背任のほか証拠隠滅や公用文書等の破棄について告発を受けている。捜査にどのような影響を与えるかについては予見、予測しがたい」と説明した。自民党の宮本周司氏への答弁。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180302-00000043-jij-pol
麻生が逃げ答弁。
しかし、今回は逃げられないだろう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/657.html#c2
官僚に対する今後の教訓のためにも、財務の事務次官以下、何人かの局長クラスも詰め腹を切る必要がある。
ついでに言うなら、厚労大臣の加藤も首だろう。ここも事務次官以下、資料ねつ造にかかわった何人かの局長、課長クラスには懲戒免職の必要がある。
インチキがまかり通り、信賞必罰がなかったら、民主主義は壊れる。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/657.html#c3
朝日新聞がくだらない声欄をやめて、SNSで別場所でサイトを
拡大してくれたほうがいい。やらないだろうけど。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/558.html#c26
まともなこと言っているけど大丈夫か??
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32. おじゃま一郎
>「フィリピンは、今後アメリカが世界で起こす戦争には参戦しない」
相変わらず次元の低い議論が続いているようだが、
戦争は1920年に国際連盟ができて以来違法であるので、
ドゥテルテの言っている「戦争に参加しない」とは国際法上あたりまえ
のことを言っているだけだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/556.html#c34
が非表示になってる件w
http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/839.html#c90
さすがに、枝野氏や立憲民主党の議員たちも、希望の党や民進党に対していい感情はもってないだろう。
枝野氏が「永田町の数合わせには与しない」と言ったのも、早急に過ぎる野党共闘に嫌気が差したからのような気がする。
最近の報道でも明らかだが、立憲民主党は野党連携に最も消極的な野党だ。
希望、民進、立憲の統一会派は立憲側の反対で流れたし、民進党大会で枝野氏は
「それぞれの党が主張を明確にしながら、互いに一致できる課題でしっかりと連携してまいりたい」という、連携は是々非々でという趣旨のあいさつをした。
先の衆院選、なりふりかまわぬ「野党連携」で内部のいざこざが発生し、結局分裂したのは記憶に新しい。
枝野氏もそのいざこざに巻き込まれた当事者。また同じことは起こしたくないだろう。
枝野氏と立憲民主党は、「野党連携は是々非々」「近所づきあいはするが、親戚づきあいはしない」という態度でこれから臨むような気がする。
小沢氏と小沢信者にとっては素直に喜べないだろうが、下手に共闘だとか言って歪が生まれるよりはいいのかもしれない。
そうなると、小沢氏と自由党はずっとこのまま野党第4党、第5党という、少数政党であり続けるのだろうか。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/647.html#c8
> また、契約当時の文書では、学園との取引について「特例的な内容となる」「本件の特殊性」と表現。財務省は国会で学園との事前の価格交渉を否定し続けているが、「学園の提案に応じて鑑定評価を行い」「価格提示を行う」との記載もあった。開示された文書では、これらの文言もなくなっている。
財務省に不利な文書の隠ぺいを図ったのは間違いない。
これは動かぬ証拠だ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/657.html#c6
世界の愚劣な政治家コンテストがあれば
きっと安倍晋三が優勝する。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/618.html#c8
長生きできない 理由だ。。。
預言者 かもしれないね。
THE TIMERS「偉人のうた」
https://www.youtube.com/watch?v=30GBpeN2Hwc
もしも 僕が 偉くなったなら(ヤッホー)
偉くない人の 邪魔をしたりしないさ
もしも 僕が 偉くなったなら(ヤッホー)
偉くない人を 馬鹿にしたりしないさ
もしも 僕が 偉くなったなら(ヤッホー)
偉い人だけと つるんだりしないさ
もしも 僕が 偉くなったなら(ヤッホー)
偉くない人達や さえない人達を忘れないさ
ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
もしも 僕が 偉くなったなら(ヤッホー)
君がうたう歌を 止めたりしないさ
ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
あたりまえだろ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
そんな権利はないさ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
いくら偉い人でも ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
あたりまえだろ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
そんな権利はないさ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
いくら偉い人でも ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
あたりまえだろ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
どういうつもりなんだろ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
どこのどいつなんだろ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
あたりまえだろ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
そんな権利はないさ ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
あたりまえのことすら
よくわからない 偉い人
●こと(犯罪)の真偽も、軽重も、大小も、全て安倍に近ければ近いほど、もみ消し、悪質捏造デマ、ウヤムヤ化狂奔で、ありとあらゆる私物化欺網詐術が常態(レイプ獣山口事件)となる!!、
●但し安倍一味から、裏切者と看做された「籠池夫婦」は、全くの例外でもう露骨な口封じ不当長期収監で虐待中!!
●反対に安部から、遠ければ遠いほど(植草、鳥越、辻本、山尾氏等)、それこそ卑劣極まる捏造デマ拡散から、ありとあらゆる、御用メディアの執拗駆使で、針小棒大に醜聞を、ムリヤリ肥大化させ陥れる!!
徐台教氏
「筆者がこの日一番印象に残った部分は、「貧富、性別、学閥、地域の格差と差別から完全に解放された国を作ろう」という一文だった。果てなき理想とはいえ、こうしたビジョンは政治家の口から語られるべき性質のものだ。
一方で、激しく首をかしげざるを得なかったのが、演説最後尾の「大韓民国は世界で最も偉大で美しい国となるだろう」という部分だ。まったく意味のない一文であるばかりか、方向性も間違っている。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20180301-00082230/
激しく同意しますね。
日本国も、差別・格差のない国にしましょう。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/645.html#c8
>最初にすべき事は日本人でもないのに日本の生活保護を受けている
在日を保護対象から外すべきだね。
■日本人でなければこの国に税金を払わなくてもいいのか。
国籍がどこの国であろうと
この国で収入を得れば納税の義務はある。
税金を納める義務があるならば
その恩恵を受ける権利があるのは当然ではないのか。
君の意見は幼稚園レベルで、
自分のバカを世間に晒しているだけだ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c14
本心 を 見透かされています ネ (^_^)
「眞子さま婚約相手の小室さんの祖父は韓国人」香港紙がうっかり報じてしまう
1 ID:c9DMN6p30 ?2BP(1500)
It has since been reported Komuro’s father committed suicide but the man’s family has been attempting to get back into the family picture since the engagement to the princess was first announced in September.
Another suggestion is that Komuro’s maternal grandfather was Korean.
(小室氏の父親は自殺していることが既に報じられているが、真子さまとの婚約が初めて公表された9月以降、小室一家はその家族写真の中に収まろうと企てている。
小室氏の母方の祖父は韓国人だったと示唆されている。)
h ttp://www.scmp.com/news/asia/east-asia/article/2132380/bad-debts-and-korean-blood-japanese-tabloids-frenzy-after
またひとつ真実が明らかになった!
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/362.html#c28
みんなで手を振ろう・・・あ、手を合わせてもいいか??
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/589.html#c23
学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引の経緯を記した財務省の文書の内容が、契約当時とその後で違っていると朝日新聞が報道したことについて、麻生太郎財務相は2日の参院予算委で自民議員から発言を求められ、「大阪地検の捜査に影響を与えるかについて予測しがたいため、答弁を差し控えねばならない」と述べた。
朝日新聞は2日付の朝刊で、財務省近畿財務局が契約当時に局内の決裁を受けるために作った文書の内容が、昨年2月の国有地売却問題の発覚後に国会議員らに開示した決裁文書の内容と違っている、と報じた。開示された文書には、「特例」の文言がなくなるなどしていた。こうした違いは、問題の発覚後に書き換えられた疑いがあることも指摘した。
https://www.asahi.com/articles/ASL3235CBL32UTIL004.html
影響があることを認めた麻生。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/657.html#c7
加計が・・・あ、賭けが成立しないレベルでダントツ一位疑いなし。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/618.html#c9
関西のお笑いタレントはウヨのチンピラばかり
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/638.html#c15
他の日本人を巻き込むな
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c37
フランスは、パリでも同様なことがあった。
百貨店もホテルもレストランも食料品店も・・・皆、日本人相手の商売であった。
http://www.asyura2.com/18/hasan126/msg/286.html#c11
因みに、俺も「強化剤」として「わかば」吸ってまぁ〜す♪
(糞どものせいで、すぐ暑くなるので、冷却剤は必要です!)
モリカケ3年 安倍8年 志位の独裁17年
↑
これ好き
2018/03/02(金) 00:04:43.31 ID:wGKJ4Nol0
共産党の志位和夫委員長が、周囲に辞意を漏らしているという。昨年10月の衆院選で共産党は、議席を21から12に減らして敗北した。公安関係者によれば、88歳になった今も事実上、共産党のドンであり続ける不破哲三元議長から繰り返し強く叱責を受け、それに嫌気がさしたのか、昨年末頃から「疲れた」などと周辺に辞意を漏らすようになったという。そして不破氏にも委員長辞任の意向を伝えた模様だ。
野党共闘を優先させる路線は不破氏からの指示。だが民進党の前原誠司代表(当時)が、希望の党との合流方針を打ち出すことを予想するのは困難であり、志位氏にしてみれば「やってられない」といったところだろう。不破氏も辞任を認める考えだというが、問題は後任の委員長人事。順当なら小池晃書記局長の昇格だが、不破氏が「小池君は少し軽すぎる」などと難色を示しているという。
このため、1990年、35歳で非議員だった志位氏が、共産党のカリスマ指導者だった宮本顕治議長(故人)からいきなり書記局長に抜擢された時のような人事があるのでは、との観測も出ている。しかしこれといった候補もおらず党の高齢化と人材難が浮き彫りになっている。
ht tp://www.sentaku.co.jp/articles/view/17716
2018/03/02(金) 00:07:00.39ID:YpZPFraF0
https://i.imgur.com/EyQxbvr.jpg
2018/03/02(金) 00:11:36.72 ID:NsAwrBd50
>13
まく運転テクニックってもうそれ違反行為だろ
2018/03/02(金) 00:43:50.20 ID:We9i8SBc0
よくこんな連中が、安倍晋三のことを「独裁政権」だなんて罵れるもんだよな。
どのクチが言うのか
h ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1519916683/
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/651.html#c5
そもそも従軍慰安婦は13才、14才から慰安所で働き始めている。
18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。
従軍慰安婦は売春婦か?
日本の戦争責任資料センターの声明では
「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」
となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。
未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。
研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦
出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)
注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。
名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所
崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州
陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)
鄭学珠 14 1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン
文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)
姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール
林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)
李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ
金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)
洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海
李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾
金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾
金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東
*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1
朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。
現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。
もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。
慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。
しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
『慰安婦』にされた年齢
尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。
11歳 1名
12歳 1名
13歳 1名
14歳 3名
15歳 5名
16歳 16名 ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳 7名 ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳 3名 ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳 3名
20歳 -
21歳 1名 ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳 -
23歳 1名
29歳 1名
*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。
*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)
*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』
コメント一覧
貧寒 2008/09/27 11:07
韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。
2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。
おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。
Stiffmuscle 2008/09/27 21:47
子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。
なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?
相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。
Allen 2008/09/28 16:21
ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・
東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・
日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。
Stiffmuscle 2008/09/29 00:59
「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。
当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。
その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。
まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1
元日本人記者「10代後半の慰安婦20名、強制連行されてきた」2015.04.12
奈良新聞勤務、河瀬俊二氏…慶尚南道統営市を訪問「聯合ニュースの記事を見て来た」
奈良新聞記者出身の日本人活動家が日帝強占期に日本現地軍飛行場の工事現場に連れられてきた朝鮮人男性と慰安婦女性がいたという証言を記録した取材ノートのコピーを慶尚南道党統営市で公開した。
河瀬俊二(67)氏は10日、統営市庁の会見ルームで日本軍慰安婦のお婆さんと共にする統営市民の会の代表とともに記者会見を開き、40年前の取材ノートの一部をコピーした資料を紹介した。
河瀬氏は奈良県の日刊紙の奈良新聞社で1971年から1984年まで13年間記者として勤務した。
彼は1975年8月、日本現地でインタビューした在日朝鮮人の姜正市(当時、65歳)氏の証言などを作成した取材ノートを根拠で、日帝強占期に日本の奈良県天理市「柳本飛行場」工事現場に朝鮮人男性3人が強制的に動員され、女性20人余りが慰安婦として連行されてきたと説明した。
http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-05.jpg
http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-06.jpg
原本は別に保管しているが、全体の分量が数百ページだ。 二重の朝鮮人強制被害に対する部分は20ページほどだ。
取材ノートには手で描いた施設物の配置図なども含まれているが、現在、飛行場施設配置図と比較すれば、相当部分が一致する。
慰安婦女性20人のうち半分は統営、その残りは晋州出身だ。
彼らのほとんどの年齢が10代後半ということ以外に名前など具体的な名簿と住所は確認されなかったと説明した。
河瀬氏は「慰安所が軍人たちが利用したかどうか対しては、被害当事者証言がないため、確認できず、工場労働者が利用したと結論を下した」と話した。
ただ「慰安所を利用する人が軍人ではなかったとしても位置が海軍管轄地域にいたという点に注目しなければならない」と強調した。
このような取材内容は奈良新聞に連載された。 1985年、1987年、1992年3度にわたって本に出た
河瀬氏は「新聞社の社風が非常に自由であり、在日韓国人問題や差別に対し、自由に取材することができた」と説明した。
河瀬氏は記者会見に続き、慶南道立統営の老人専門病院に入院中の生存最高齢の慰安婦被害者キムボクドゥク(98)おばあさんに会った。
さらに、2年前には市民の会が社会の各界各層の募金で、統営市の南望山彫刻公園の入口に建設した慰安婦追悼碑「正義碑」を見て回った。
河瀬氏は「おばあさんが思ったより健康で、安心した」「いつまでも元気だったらいいな」と話した。
彼は13年、記者生活以後ジャーナリストで「柳本飛行場案内板の撤去を考える会」で活動している。
この会は、この飛行場の工事に朝鮮人男性と女性が動員されたという内容などを盛り込んだ案内板を設置したが突然撤去したことをめぐり、様々な批判的な活動を行っている。
一方、河瀬さんの今回の訪問は、聯合ニュースが2013年4月慰安婦追悼正義碑建立ニュースを日本語ニュースで送稿したこと縁になった。
河瀬さんは
「仲間の活動家が資料として出していたが聯合ニュース記事を昨年の秋に見て取材ノートを思い出した」とし
「若い頃は韓国という名前を見慣れずに大きな関心を寄せる事も無かったが、案内板の撤去に関連した活動をしながら興味を持つようになった」と述べた。
日本軍慰安婦と一緒に統営市民の会は、河瀬さんが属しているミーティングの活動に力をボテルできるように、彼は行う運動関連の署名を行い、その結果を日本に送る予定だ。 河瀬さんは、来る15日、ソウル光化門で予定されてセウォル号の惨事1周期文化祭など、国内のイベントに出席し、19日出国する計画である
聯合ニュース
http://goo.gl/KX8PVD
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c38
ブーメランが安倍の首筋を襲う。
財務省の決済文書改竄のニュースが全国に配信された。
これで、佐川も、麻生も、安倍も「首が飛ぶ」
いいね! やったね! 朝日新聞。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/657.html#c8
そもそも従軍慰安婦は13才、14才から慰安所で働き始めている。
18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。
従軍慰安婦は売春婦か?
日本の戦争責任資料センターの声明では
「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」
となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。
未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。
研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦
出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)
注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。
名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所
崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州
陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)
鄭学珠 14 1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン
文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)
姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール
林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)
李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ
金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)
洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海
李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾
金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾
金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東
*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1
朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。
現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。
もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。
慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。
しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
『慰安婦』にされた年齢
尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。
11歳 1名
12歳 1名
13歳 1名
14歳 3名
15歳 5名
16歳 16名 ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳 7名 ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳 3名 ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳 3名
20歳 -
21歳 1名 ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳 -
23歳 1名
29歳 1名
*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。
*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)
*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』
コメント一覧
貧寒 2008/09/27 11:07
韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。
2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。
おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。
Stiffmuscle 2008/09/27 21:47
子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。
なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?
相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。
Allen 2008/09/28 16:21
ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・
東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・
日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。
Stiffmuscle 2008/09/29 00:59
「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。
当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。
その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。
まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1
元日本人記者「10代後半の慰安婦20名、強制連行されてきた」2015.04.12
奈良新聞勤務、河瀬俊二氏…慶尚南道統営市を訪問「聯合ニュースの記事を見て来た」
奈良新聞記者出身の日本人活動家が日帝強占期に日本現地軍飛行場の工事現場に連れられてきた朝鮮人男性と慰安婦女性がいたという証言を記録した取材ノートのコピーを慶尚南道党統営市で公開した。
河瀬俊二(67)氏は10日、統営市庁の会見ルームで日本軍慰安婦のお婆さんと共にする統営市民の会の代表とともに記者会見を開き、40年前の取材ノートの一部をコピーした資料を紹介した。
河瀬氏は奈良県の日刊紙の奈良新聞社で1971年から1984年まで13年間記者として勤務した。
彼は1975年8月、日本現地でインタビューした在日朝鮮人の姜正市(当時、65歳)氏の証言などを作成した取材ノートを根拠で、日帝強占期に日本の奈良県天理市「柳本飛行場」工事現場に朝鮮人男性3人が強制的に動員され、女性20人余りが慰安婦として連行されてきたと説明した。
http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-05.jpg
http://blog-imgs-73.fc2.com/k/a/n/kankokunohannou/20150412-06.jpg
原本は別に保管しているが、全体の分量が数百ページだ。 二重の朝鮮人強制被害に対する部分は20ページほどだ。
取材ノートには手で描いた施設物の配置図なども含まれているが、現在、飛行場施設配置図と比較すれば、相当部分が一致する。
慰安婦女性20人のうち半分は統営、その残りは晋州出身だ。
彼らのほとんどの年齢が10代後半ということ以外に名前など具体的な名簿と住所は確認されなかったと説明した。
河瀬氏は「慰安所が軍人たちが利用したかどうか対しては、被害当事者証言がないため、確認できず、工場労働者が利用したと結論を下した」と話した。
ただ「慰安所を利用する人が軍人ではなかったとしても位置が海軍管轄地域にいたという点に注目しなければならない」と強調した。
このような取材内容は奈良新聞に連載された。 1985年、1987年、1992年3度にわたって本に出た
河瀬氏は「新聞社の社風が非常に自由であり、在日韓国人問題や差別に対し、自由に取材することができた」と説明した。
河瀬氏は記者会見に続き、慶南道立統営の老人専門病院に入院中の生存最高齢の慰安婦被害者キムボクドゥク(98)おばあさんに会った。
さらに、2年前には市民の会が社会の各界各層の募金で、統営市の南望山彫刻公園の入口に建設した慰安婦追悼碑「正義碑」を見て回った。
河瀬氏は「おばあさんが思ったより健康で、安心した」「いつまでも元気だったらいいな」と話した。
彼は13年、記者生活以後ジャーナリストで「柳本飛行場案内板の撤去を考える会」で活動している。
この会は、この飛行場の工事に朝鮮人男性と女性が動員されたという内容などを盛り込んだ案内板を設置したが突然撤去したことをめぐり、様々な批判的な活動を行っている。
一方、河瀬さんの今回の訪問は、聯合ニュースが2013年4月慰安婦追悼正義碑建立ニュースを日本語ニュースで送稿したこと縁になった。
河瀬さんは
「仲間の活動家が資料として出していたが聯合ニュース記事を昨年の秋に見て取材ノートを思い出した」とし
「若い頃は韓国という名前を見慣れずに大きな関心を寄せる事も無かったが、案内板の撤去に関連した活動をしながら興味を持つようになった」と述べた。
日本軍慰安婦と一緒に統営市民の会は、河瀬さんが属しているミーティングの活動に力をボテルできるように、彼は行う運動関連の署名を行い、その結果を日本に送る予定だ。 河瀬さんは、来る15日、ソウル光化門で予定されてセウォル号の惨事1周期文化祭など、国内のイベントに出席し、19日出国する計画である
聯合ニュース
http://goo.gl/KX8PVD
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/714.html#c14
「国家間の交渉は終わった」は良いいんじゃない?
もしそれも否定しているならそれは違うと思うし、それを否定していないならこれじゃー言葉足らずだと思う。
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/645.html#c9
従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのが詐欺師 秦郁彦の本
吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦
産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。
古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。
韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。
従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。
吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、
「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。
日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。
それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。
そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。
産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。
「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。
済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。
ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。
「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。
秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。
「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。
秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。
吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由
慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。
動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。
番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは
「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」
と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。
もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。
「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」
この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。
韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。
そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。
アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」
アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」
アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん
さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。
一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)
吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判
この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。
この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。
なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17
資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。
引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm
秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師
『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う
「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)
「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)
『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。
宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
その1
秦稿112ページに次のような部分がある。
松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。
まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒 投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒
その3
秦稿118ページに次のようにある。
宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。
それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。
宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。
つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html
嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ
hangul 2007/08/04 00:59
ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。
○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。
そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。
つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1
産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。
安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、
「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」
と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。
安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。
「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、
『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』
と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で
『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』
と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」
http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20
貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。
加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。
「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。
従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。
最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が
「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」
と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。
東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が
「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」
と証言していたことも報じている。
安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。
731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。
古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。
重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21
秦郁彦が触れていない『吉田証言』
国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で
I remind you that I informed that Yoshida was a "professional" liar,
吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?
とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。
秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。
だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。
従軍慰安婦の悲劇
『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。
一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。
この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。
この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、
私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。
そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。
そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。
そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。
下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。
そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。
(略)
その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』
いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。
だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・
・・・彼が
「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」
と言うので、
「では全羅南道の話はすべて真実か」
と聞くと、
「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」
と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。
しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。
____
吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、
『すべて真実か』
と聞くのも変だし、吉田さんが
『他の場所での話しが混ぜてある』
と答えるのも辻褄が合わない。
だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?
まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?
それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?
やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?
吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1
1991.5.22朝日新聞(大阪版)
「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。
1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。
「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。
政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。
慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」
と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。
吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。
86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)
私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。
従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。
この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、
私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。
そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。
そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。
そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。
下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。
10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。
今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/
Stiffmuscle 2007/08/02 22:37
慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、
「そんなことを言うな!」
と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。
逸話が証拠になるか?
と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。
海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。
hokke-ookami 2007/08/04 08:03
「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……
手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。
階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。
ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
Stiffmuscle 2007/08/02 15:25
吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。
クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。
にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由
「慰安婦」は商行為か? 上杉聰
〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を
「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」
と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。
現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。
だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。
性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。
もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
yamaki622 2007/08/03 23:01
「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……
韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。
うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。
秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。
__________
真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)
Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。
Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune - April 28, 2007)
名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち
「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」
と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。
「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」
被害者が沈黙して語れない理由
軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。
各戦闘勢力からの圧力、
政府からの圧力、
家族からの圧力、もしくは
地域社会からの圧力、
これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。
暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。
性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感−拒否、疎外、離婚を招くこと、
結婚生活には不向きだと言われること、
経済的・社会的悪影響など−
のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。
虐待の現実
1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。
これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患−中には生命に関わるほどのものもあった−を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)
Stiffmuscle 2007/08/02 15:32
「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。
日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。
ふざけるな!と言いたいです。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)
2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]
>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。
じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)
2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]
>慰安婦が白眼視された社会状況無視、
わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。
あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。
>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。
わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。
2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。
ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。
その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。
番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。
田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、
洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」
と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。
もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。
「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」
この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。
韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。
そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。
アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」
アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・
結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」
アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん
このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。
さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。
吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
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3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない
吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。
吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。
自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。 :
朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 吉田 清治 (著) 発売日: 1977/03
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1324384207&sr=1-3
私の戦争犯罪 吉田 清治 (著) 発売日: 1983/7/1
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4380832317
吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定
若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。
娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・
女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・
女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」(北海道新聞、92.2.25)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
吉田清治さんは『私の戦争犯罪』(1983年)中の「第3話 済州島の慰安婦狩り」という章で、労務報国会下関支部の動員部長だった自分がどのように慰安婦“狩り”を行ったかを告白している。彼は済州島に駐屯していた日本陸軍の協力で11人の歩兵と軍用トラック2台を得た。
吉田清治さんの戦争犯罪の告白
1943年5月、このころ朝鮮人は日本軍にひっぱられれば彼らの“えじき”になると思っていた。吉田の徴用隊は
まず帽子をつくる家を襲撃して2、30人の女性のうち8人を連行した。
女性たちが悲鳴をあげるや4、5人の強壮な朝鮮人の男たちが道をふさいだ。
銃剣でおどしても男たちは手を振り上げ朝鮮語で必死に抗議した。
隊員たちが銃剣を突き付けるとようやく逃げて行った。
「アイゴ、アイゴ」と泣き叫ぶ女性たちをトラックに押し込んだ。
トラックは林の中に入って行った。
吉田は徴用隊長の依頼に従って隊員たちにたった今捕らえてきた女性たちと“遊ばせ”た。
城山浦のボタン工場でのことだ。
ためらう社長をどなりつけて工場の中に入った。女工たちは30人ほどだった。
徴用隊が「作業停止!」と叫ぶや女性たちは悲鳴をあげた。
慰安婦の女性を選別していると、一人の老婆が隊員の腕にしがみついた。横にいたほかの隊員が老婆の頭にまいていた手拭をつかんで頬を殴りつけた。
妊娠中でおなかの大きな女性のスカートを捲りあげて下着に隠されたおなかを見た。年のいった女工が吉田に駆け寄って
「朝鮮の女をどうするのですか!」
と日本語で抗議した。吉田は
「戦争のためだ、じゃまするな!」
と怒鳴り、女工は朝鮮語で泣き叫びながら吉田に抗議し続けた。吉田は彼女を押しのけ、別の徴用隊員が彼女の顔を殴った。
この工場での「収穫」は16人だった。門の横で見守っていた社長は言葉もなく行ってしまった*3。・・・・・・
尹貞玉 他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題』、三一書房、1992年、32〜33ページ
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1#tb
吉田清治の証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。
そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。
これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。
証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。
吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26〜27)
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/
ところで、N.Mさんはこれまでに何回となく吉田証言は嘘だと断言し、それを前提として議論を展開されていますが、これって、何か証拠があるんですか?
私の知る限り、今までのところそんなものは出ていないと思うんですが。
ここで、邪推される前に吉田証言に関する私の見解を明らかにしておきますが、私としては、吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されているので、証言としては使えない(無価値である)と考えています。しかし、嘘だと断定しうるほどの根拠もないし、真偽については今のところ不明としか言いようがない、と思います。
_______
吉田証言が否定されたなら、これまで報道してきた責任上、読者にそう報道すべきでしょう。途切れてしまって、何ら報告のない限り、吉田清治ばりの公的な機関が公的な命令で「奴隷狩り」のような方法で韓半島において女性を集めたという報道が、そのままに信じられる危険性があるのです。
________
明白に「否定された」のならそのとおりでしょうね。しかし、前回も書いたとおり、吉田証言は証言としては*使えない*ものの、決定的な反証が出たわけでもない真偽不明の状態ですから、拙速に「否定された」などと報道するわけにはいかないと思いますよ。
___________
はあ? 吉田証言のポイントは、日本の官憲が慰安婦の強制連行(それも直接的暴力による連行)を行った、ということでしょう? クマラスワミ報告書には秦氏の反論として、
「…博士の説明では、彼は1991〜1992年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。…」
と記載されています。徴集の主犯は朝鮮人である区長や親たちであったという主張が、官憲による暴力的連行を証言する吉田氏への反論になっていないとは、何のことだか全く理解できません。
これに関して、秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋社では、秦氏の済州島における調査の結果ととも次のように証言の問題点について述べています。
(1) 慰安婦狩りの命令は
西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田
のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない。もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずだと関係者が述べている。
(2) 第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、一九七七)には、四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、第二作(一九八三)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。
(3) 第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。(p.336)
このあたりについては、吉田氏自身、時と場所が異なる事件を出版社の要請に応じて一つにまとめるなどの改変を行っていることを認めているんですから、矛盾がどうのと言ってみても無意味では。
繰り返しになりますが、こういう矛盾の有無の検証とか、現地調査との突き合わせとかは、吉田氏が自分の体験を(時と場所の特定を含めて)正確に話してくれない限りできないのであって、だから吉田証言は現状のままでは証言としては使えず、無価値であると言っているんですよ。
それで、「吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されている」ということは、「吉田証言」は紛れもない「嘘」ではないですか。「改変」でしょう。記憶が曖昧なのではなく、そこに意図が働いているわけですから、「嘘つき」ということではないですか。
________
あれ?
N.Mさんが言う「嘘」って、吉田氏が証言中の「時」とか「場所」を偽っている、などというレベルのことだったんですか?
私はてっきり吉田氏が実行したという「慰安婦狩り」そのものが事実無根の真っ赤な嘘だとおっしゃっているんだと思ってたんですが。
N.Mさんの言う「嘘」がその程度のものなら、この件に関して私とN.Mさんの間に意見の相違はないことになってしまうんですが、そうなんですか?
では、なぜ「吉田証言」が「クマラスワミ報告書」に取り上げられたのでしょう。無価値で真偽も不明で、まともな学者は誰も相手にしていないのでしょう。どうして取り上げられたのですか?
_________
まともな研究者は「相手にしていない」のではなくて、重要視していない、のです。吉見氏らは、別に吉田証言を嘘だと決め付けたりしているわけではありません。例えば、上杉聰氏は次のように述べています:
吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、「時と場所」という歴史 にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない というのが私の結論であるし、吉見教授も同意見と思われる。 …
多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。
吉見氏の意見は次のとおりです:
証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。
しかし、だからといって、朝鮮では強制連行がなかったといえないことは1でのべた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募が行われたかという実態究明は、今後の課題として残っている。
[1] 吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 p.15
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm#fj971027
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4.吉田清治を詐欺師だと断じた なんちゃって教授 秦郁彦の証拠捏造の手口
産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。
古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。
韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、一個人の独断の域を出るものではない。 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。
産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。
「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。
「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
Stiffmuscle 2007/08/03 23:11
『 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。
公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。(232ページ)』
この後、新聞記事の話になります。調査ってこれだけ?ってことでしょうね・・・
Stiffmuscle 2007/08/03 23:29
秦先生は吉田氏と直接会ったことはなかったみたいです。長時間の電話インタビュー(秦の言)を1992年に2回、1996年、1997年と1998年にそれぞれ1回、計5回行ったのがコンタクトの全てのようです。
秦氏は吉田氏と直接面会したことはなく、電話で5度インタビュー(吉田証言否定までには2度のみ)しただけ。
1992年 3月13日
1992年 3月16日
1996年 3月27日
1997年 4月 6日
1998年 9月 2日
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判 林博史
引用の恣意性もひどい。西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて
「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(二四二頁)
と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。
この聞き取りには私も同席していたが、西野氏の本ではその引用された言葉の後に
「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」
と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (著) の書評
反論の為の内容のない本, 2007/5/11 By アマゾン太郎 "慰安婦の本はかなり読んだが"
慰安婦について吉見義明と違う見方を示すある意味貴重な本だが、内容はどうだろうか?
著者の関心は慰安婦自体にはなく、吉見義明への反論にしかないように見える。
この本自体では慰安婦がどういう生活をしていたか、慰安所という仕組みがどのように作られたか全く見えてこない。結局この本の価値は最後の7つの論争点にしかないように思う、しかしそれも2007年の今となっては産経新聞などで聞き飽きたものであり、時間が経つにつれ内容の貧困さが顕わになってきたように感じられる。
また反論を提起するそうした内容自体についても憶測、伝聞などはっきりしない書き方が多くて、そもそもこれが研究と言えるのか?という感じが否めない。これは私1人の感想ではなく例えば刑法学者の前田朗は戦争責任研究という雑誌で同じ事を書いていることである。
いわゆる自由主義史観論者の中でただ1人研究者として慰安婦について本を書いた訳だが、秦氏は慰安婦がどの位行動の自由があったか、いくら収入があったか示せず具体的に示せず、その力の限界を露呈したように感じた。
期待はずれ、やや力不足なり, 2007/5/16 By 相田祐治
日米開戦や蘆溝橋事件などの緻密な研究を予想したが、期待はずれだった。 文献引用は多いが実際の調査に基づくものではなく、資料研究の域を出ていない。
肝心の慰安婦の生態についても同様で、あまり細かい説明はなく、なにか読み物(小説)のような感じを受ける。この感覚は千田夏光などの1970年代の本と同様であり内容自体も同じとも言える。
秦氏が力を入れているのは、国連の報告書の批判や、吉田清治の嘘の告発、他国の似た制度の話だが、現在では強制連行があったか否か・性奴隷なのか売春婦なのかが焦点となっておりこの点でも期待はずれだった。
元兵士などへのインタビューなどもあるが決定打に欠け結局結論が出ず終いである。やはり秦氏には慰安婦はやや専門外だったという印象だ。
なぜ兵士の証言は採用するのか?, 2007/5/23 By Salute
今や右派雑誌?「諸君!」の常連執筆者となり完全に自自由主義史観論者となってしまった歴史家の過去の著作。
この当時はまだ現在のような詭弁的な論は立てておらず、この本は慰安婦についてある見方に立ってかなり網羅的に書かれている。しかし時期が古いためか、著者としても自信がないためか、強制連行はあったのか?証言は信用できるのか?など疑問点についてきちんと答えておらず曖昧な印象を受ける。
秦氏は証拠資料の調査に基づくいわゆる実証主義の歴史家(証拠のある歴史)と言われ、この本でもそれが期待されるが、慰安婦関係の多くの政府・軍資料の検討・批判はなぜか行われていない。また秦氏がいう所の民間業者が軍相手に抱えている慰安婦の存在に関する一次資料は、まったく登場せず、この点では残念ながら実証主義とは言えない。
代わって秦氏が採用したのは、当時の兵士の体験・証言であり、それまでの秦氏ならば採用しない口伝に基づいた慰安婦の歴史が記されるのは驚きだ。なぜなら、秦氏は一方では元慰安婦の証言を、様々理由で怪しいとしており、元兵士の証言は信用するが、元慰安婦の証言は信用しないというダブルスタンダードが採用されているからだ。
この点に気付くとこの本の信頼性には首をひねらざるを得ない。
『済州島新聞の吉田清治記事』
秦郁彦著 『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)232〜233ページより引用
1989年に吉田〔清治〕著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ。
『開放解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏づけの証言がなく、波紋をひろげている。(ついで吉田著の概容を紹介)
しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。
島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している」』
秦先生の翻訳と重なる部分(akiraさんによる記事の全訳より)
『解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。
しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........
....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。
城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。
郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)』
産経の阿比留記者が引用した翻訳
で、「日韓誤解の深淵」には、この吉田氏の本の韓国語訳が出版された際の地元紙、「済州新聞」(1989年8月14日付)の記事が西岡氏によって日本語訳されたものが載っています。それは次のような内容でした。
《解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。
城山里の住民のちょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。
郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。》
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/200707
週刊新潮 1995年1月5日号の秦先生の言
「済州島での実地検証の結果は、吉田証言を裏付ける話は何一つ出てこないだけでなく、郷土史家の金奉玉氏は、吉田本の翻訳が出た後、何年も追跡調査をした結果、”そんな事実はなかった”と断定し、”あの本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物”とこき下ろしている。」(秦郁彦氏)
(WiLL 8月増刊号『「従軍慰安婦」と断固、戦う!』(2007年、ワック・マガジンズ、122ページ)
編集者の二重引用符のつけ方が悪いのかもしれないが(なぜ””なのかも理解できない)、秦先生自身が微妙に言を変えているのが気になる。他の記事での発言はどうなっているのだろう?元慰安婦の証言を「身の上話」としてわずかな表現の食い違いを指摘して、慰安婦の証言に疑問を投げかけてきた先生だけに、自分の言にも常に寸分違わぬほどの正確さを求めないと、ダブル・スタンダードですし、そんなお粗末なことをおやりになるはずないのに不思議です。
hangulさんからのご指摘
第3段落の後半部、「城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)」については細かいですが「城山里の住民チョン・オクダンさん(85歳)」が正しいです。
この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
「事実無根の部分もあった」 → 「事実でないと発見した」(秦氏)。
この論法、もううんざり…
yamaki622 2007/08/02 10:29
済州新聞の日本語訳の元ネタは、西岡力の著書『日韓誤解の深淵』(1992年)のようです↓
http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070324/
ただし西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。西岡氏も秦センセイと同様、慰安婦の強制性否定論者です。秦センセイは、お仲間の著書から引用を改ざんして載せたようです。無茶苦茶ですね。
阿比留記事を紹介してくださったyamaki622さんからのご指摘
西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。
わたしが疑問に思ったこと。
金学順さんが名乗り出られた1991年以前に書かれた記事(1983年)であること。
慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。
こういう肝心な部分は引用しないのは何故でしょうか?
ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。
新聞記事の切れた部分には何が書いてあったのか?
akira 2007/07/31 12:14
(新聞の全訳)(左から1列目)
日帝済州で慰安婦205人徴発していた。
日本人手記「私は朝鮮の人をこのように...」波紋
解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。
42年から敗戦する時まで約3年の間山口懸労務報国会の動員部長として朝鮮の人々を徴用することに従事した吉田清治氏の戦争犯罪記録”私は朝鮮の人をこのように捕まえて行った”がそれで清渓研究所現代史研究室により83年版を翻訳発刊したこと。
ここには「光州での男性強制連行」と「済州道での慰安婦狩り」に対してついて引っ張って行った当時を記述している。
この記録によれば
△皇軍慰問朝鮮人女挺身隊200人
△年齢! 18才以上30才未満
△身体健康な者
△期間1年
△給与月30円
△準備金で前金20円
△勤務地中支方面
△動員地域朝鮮全羅南道済州.....
(真ん中の見出し)
住民たち”ねつ造”... 日本 破廉恥 商業主義に憤慨
著者は当時山口県労務報国会動員部長.
”城山浦ボタン工場・オンポ・ポブァン里などで強制徴用”主張...
(左から2列の下段)
女たちをみんな捕まえてのせて、車の速力を高めてそこを離れた。高い岩山の間を貫かれた道を帰るやピヤン島が見えた。広い海には帆船らがじょじょに浮かんでいたし水平線はとぎれとぎれに.......
(左から3列目)
...を迎えながら組合長だと挨拶した。私は直ちに組合長に口頭で通告した。この工場で二十歳ぐらいになる女たちを徴用する、直ちに工場中を見て回れ、女たちも協力しろ!” (済州道での慰安婦狩り”一部).
わいせつで排他的な表現までそのまま使ったのだ。
ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。
しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........
(左から4列目)
....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。
城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。
郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)
※だいたいこんな感じの記事です。
コメント一覧
hangul 2007/07/31 00:56
第2段落と第3段落の前半は記事の下の部分が切れているので判読できません。
最終段落について郷土史学者のコメントをすべて示すとこうです。
「日本人たちの残酷性や没良心的な一面をそのまま現したものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない言葉をそのまま書いたという意味で(この吉田の本に:hangul注)本という名前を付けることもできない。83年の原本が出た時、何年か追跡した結果、事実無根の部分も(!:hangul注)あった。むしろ、彼らのあくどい面を現した道徳性が欠如した本として、薄っぺらい記述がある面も加味して見る」と憤慨した。
この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
さしあたってこんなところでしょうか。
hangul 2007/07/31 01:07
分かりにくかったかもしれないので補足を。
・「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」(秦氏)。
この論法、もううんざり…
・こりゃ歴史学者失格でしょう
akira 2007/07/31 08:59
しかし、「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」はひどいですね。
Stiffmuscle 2007/07/31 09:04
やっぱり捏造やトンデモ解釈があったんですね。
もう陰謀論者じゃないですか、吉田清治さんひとりを社会的に葬り去っただけでなく、嘘の歴史を作り上げ、多くの日本人を騙し、慰安婦たちの苦しみを増やした。
2,3段落も、わざと切り取ったんじゃないか?と邪推さえしたくなります。
hokke-ookami 2007/08/01 07:58
「事実無根の“部分”もあった」というのが郷土史家の意見ならば、吉田証言には出版時の編集が入っているという吉見教授らの指摘と同じで、妥当ですね。
そもそも吉田証言は従軍慰安婦問題と全く別個に出版された個人的な戦記であり、出版社から内容に編集を加えるよう意見があったと本人が証言しており、「軽薄な商売的な面が追加されたものと見る」といった部分も当を得ていると思います。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm
日本歴史学で主流の見方と同じような韓国郷土史家の意見に対し、翻訳時に秦教授の考えと合うようにずらしていった感じですね。
Stiffmuscle 2007/08/02 15:10
しかし、肝心な部分を捏造して、自論を補強するのは、秦先生の常套手段です。ほんとに悪質。
Stiffmuscle 2007/08/02 15:15
hangulさんが具体的に問題点を指摘してくださったので、この新聞記事に関する秦捏造の本質がよく見えてきました。金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思います。
Stiffmuscle 2007/08/02 15:32
西岡ネタの改竄ですかw しかも、真相を載せたのがアヒルさんってのも素敵w
Stiffmuscle 2007/08/03 21:14
秦氏が後に吉田氏に電話で確認したところ、慰安婦の強制連行は
「済州島ではなく、全羅南道でのできごとだった。」
と吉田氏は話したそうですが、この真偽は秦氏に直接訊かない限りわかりません。どちらにしても、それについて秦氏は調査をしていないわけで、どのみち、都合のよいところ取りを重ねただけの結果になりますので、最近では、この話自体を秦氏が持ち出していないようです。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
yamaki622 2007/08/02 17:39
「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」というのが”通説”になってますから、Stiffmuscleさんに問題提起していただいてなければ、まったく気づかないところでした。
それから、hokke-ookamiさんやStiffmuscleさんも言及なさっている件で、私もこの問題に詳しくない方のために書いておきたいのですが、吉見義明教授は「吉田さんのこの回想は証言としては使えない」としながらも「真偽は不明」としています。秦氏のように虚偽だとは言っていません。詳しくは
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm
をご覧ください。
hangul 2007/08/02 18:02
Stiffmuscleさん
>金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思>います
この指摘は重要だと思います。名乗り出ることの勇気をふまえて、この記事は解釈されるべきでしょう。
否定派がよく言うように、85歳の女性の証言だけでなくその背景を押さえることが大切だと思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
のサイトに、「現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、
「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」
と聞かれ、答えに窮したという」とあったのですが、これが本当だとしたらもう訳が分からなくなってきます。
何重の嘘を重ねているのでしょうか、秦先生は?
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
秦郁彦のいい加減な検証では吉田証言を否定する根拠にはならない。
韓国語も知らないで無謀にも現地調査に行った秦は、通訳にだまされたのかもしれない。
2007/5/22(火) 午後 11:39 [ furuhausu66 ]
秦郁彦氏の「済州島調査」には非情に大きな疑義を抱かざるを得ません。
・『済州島新聞』記事にたいする秦氏の翻訳の決定的な間違い。
・新聞記事は金学順さんが韓国人元慰安婦として初めて勇気ある名乗りをされた以前のものであること。
などを見出しており、なお研究中です。
2007/8/4(土) 午後 11:37 [ Stiffmuscle ]
秦郁彦氏の「済州島調査」は、極めて粗雑なものです。韓国語を解さない資質上の問題、慰安婦が白眼視された社会状況無視、さらに、先に結論ありきの論理構成など学術的な調査とは程遠いものです。
その後の彼の、特定の保守系紙と結びついたデマゴーグ的立場は偶然ではないでしょう。吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。
2007/8/6(月) 午後 9:07
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
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r" | |{i t _ / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
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吉田清治(ヨシダ・セイジ) ◆◆◆
1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/
【年表】秦郁彦と吉田清治
1977/03/01 吉田清治 『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)発行
1983/07/31 吉田清治 『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(三一書房)発行
1983/12/ 吉田清治 天安市の国立墓地に「謝罪碑」を建てるため訪韓
1983/11/10 朝日新聞(「ひと」欄) 吉田清治氏が韓国に謝罪碑を建てるニュースの紹介
1989/08/ 吉田清治 吉田著、韓国語で出版(青渓研究所現代史研究室)
1989/8/14 済州新聞(韓国) 吉田著の書評を掲載
1991/08/11 朝日新聞 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出し。 元慰安婦で初めて名乗り出た金学順さんについての記事
1991/08/14 金学順 ソウルで記者会見
1992/01/23 朝日新聞(夕刊) 吉田清治さんへのインタビュー
1992/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(1)
1992/03/16 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(2)
1992/03/29 秦郁彦 済州島に到着、調査を行う
1992/04/30 産経新聞 秦氏の済州島での調査結果を報道。
『儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のりでないのは当然』
との吉田談
1992/05/25 朝日新聞 吉田氏が、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事
1992/05/ 秦郁彦 『正論』6月号で、済州島での実地調査を発表。
1992/08/12 吉田清治 訪韓し、金学順さんに謝罪
1992/11/24 週刊新潮 吉田氏が93年春に訪米し、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定との内容含む
1992/12/24 1992/12/31 週刊新潮 吉田氏の
「私が書いたことは全部事実、
しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。」
との内容を含む
1993/02/ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う(下)』発行
1995/01/ 週刊新潮 1月5日号で「吉田清治の証言は事実無根である事が判明したとの記事を掲載
1996/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(3)
1996/05/ 週刊新潮 5月2日/9日号で、吉田清治氏へのインタビュー。
吉田氏は著書の一部に創作があったと話す。
1997/03/31 朝日新聞 吉田氏についての記事。
「真偽は確認できない。」
「済州島の人たちからも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ていない』などの記述
1997/04/06 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(4)
1998/09/02 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(5)
1998/10/ 秦郁彦 『諸君!』11月号で、
吉田清治氏本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる
1999/06/30 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)発行。『済州新聞』の吉田著書評の和訳あり
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070802
秦郁彦の著作に対する批評がまとめてあるブログ
碧猫さんの『13日の水曜日』 「無かった」を主張する歴史学者について
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-205.html
hokke-ookamiさんの『法華狼の日記』
秦郁彦教授は本当に……
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070719/1184904208
秦郁彦教授の評価が下落中…… (2007年8月4日追加)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070801/1185924345
yamaki622さんの『blog*色即是空』
秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070616/p1
金学順さんが「キーセンハウス」に売られたというウソ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070724/p1
『Stiffmuslceの日記』 どくしょのじかん
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070716/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070717/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070721/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070722/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070723/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070724/p1
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r" | |{i t _ / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
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従軍慰安婦強制連行の吉田清治証言はやはり事実だった:
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/711.html#c39
従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのが詐欺師 秦郁彦の本
吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦
産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。
古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。
韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。
従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。
吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、
「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。
日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。
それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。
そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。
産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。
「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。
済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。
ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。
「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。
秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。
「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。
秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。
吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由
慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。
動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。
番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは
「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」
と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。
もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。
「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」
この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。
韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。
そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。
アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」
アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」
アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん
さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。
一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)
吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判
この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。
この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。
なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17
資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。
引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm
秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師
『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う
「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)
「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)
『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。
宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
その1
秦稿112ページに次のような部分がある。
松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。
まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒 投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒
その3
秦稿118ページに次のようにある。
宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。
それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。
宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。
つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html
嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ
hangul 2007/08/04 00:59
ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。
○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。
そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。
つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1
産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。
安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、
「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」
と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。
安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。
「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、
『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』
と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で
『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』
と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」
http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20
貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。
加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。
「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。
従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。
最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が
「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」
と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。
東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が
「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」
と証言していたことも報じている。
安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。
731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。
古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。
重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21
秦郁彦が触れていない『吉田証言』
国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で
I remind you that I informed that Yoshida was a "professional" liar,
吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?
とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。
秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。
だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。
従軍慰安婦の悲劇
『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。
一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。
この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。
この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、
私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。
そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。
そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。
そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。
下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。
そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。
(略)
その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』
いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。
だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・
・・・彼が
「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」
と言うので、
「では全羅南道の話はすべて真実か」
と聞くと、
「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」
と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。
しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。
____
吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、
『すべて真実か』
と聞くのも変だし、吉田さんが
『他の場所での話しが混ぜてある』
と答えるのも辻褄が合わない。
だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?
まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?
それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?
やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?
吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1
1991.5.22朝日新聞(大阪版)
「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。
1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。
「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。
政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。
慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」
と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。
吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。
86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)
私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。
従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。
この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、
私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。
そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。
そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。
そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。
下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。
10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。
今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/
Stiffmuscle 2007/08/02 22:37
慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、
「そんなことを言うな!」
と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。
逸話が証拠になるか?
と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。
海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。
hokke-ookami 2007/08/04 08:03
「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……
手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。
階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。
ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
Stiffmuscle 2007/08/02 15:25
吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。
クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。
にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由
「慰安婦」は商行為か? 上杉聰
〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を
「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」
と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。
現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。
だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。
性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。
もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
yamaki622 2007/08/03 23:01
「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……
韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。
うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。
秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。
__________
真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)
Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。
Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune - April 28, 2007)
名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち
「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」
と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。
「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」
被害者が沈黙して語れない理由
軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。
各戦闘勢力からの圧力、
政府からの圧力、
家族からの圧力、もしくは
地域社会からの圧力、
これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。
暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。
性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感−拒否、疎外、離婚を招くこと、
結婚生活には不向きだと言われること、
経済的・社会的悪影響など−
のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。
虐待の現実
1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。
これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患−中には生命に関わるほどのものもあった−を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)
Stiffmuscle 2007/08/02 15:32
「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。
日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。
ふざけるな!と言いたいです。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)
2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]
>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。
じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)
2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]
>慰安婦が白眼視された社会状況無視、
わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。
あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。
>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。
わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。
2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。
ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。
その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。
番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。
田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、
洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」
と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。
もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。
「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」
この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。
韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。
そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。
アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」
アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・
結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」
アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん
このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。
さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。
吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
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r" | |{i t _ / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
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3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない
吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。
吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。
自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。 :
朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 吉田 清治 (著) 発売日: 1977/03
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1324384207&sr=1-3
私の戦争犯罪 吉田 清治 (著) 発売日: 1983/7/1
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4380832317
吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定
若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。
娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・
女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・
女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」(北海道新聞、92.2.25)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
吉田清治さんは『私の戦争犯罪』(1983年)中の「第3話 済州島の慰安婦狩り」という章で、労務報国会下関支部の動員部長だった自分がどのように慰安婦“狩り”を行ったかを告白している。彼は済州島に駐屯していた日本陸軍の協力で11人の歩兵と軍用トラック2台を得た。
吉田清治さんの戦争犯罪の告白
1943年5月、このころ朝鮮人は日本軍にひっぱられれば彼らの“えじき”になると思っていた。吉田の徴用隊は
まず帽子をつくる家を襲撃して2、30人の女性のうち8人を連行した。
女性たちが悲鳴をあげるや4、5人の強壮な朝鮮人の男たちが道をふさいだ。
銃剣でおどしても男たちは手を振り上げ朝鮮語で必死に抗議した。
隊員たちが銃剣を突き付けるとようやく逃げて行った。
「アイゴ、アイゴ」と泣き叫ぶ女性たちをトラックに押し込んだ。
トラックは林の中に入って行った。
吉田は徴用隊長の依頼に従って隊員たちにたった今捕らえてきた女性たちと“遊ばせ”た。
城山浦のボタン工場でのことだ。
ためらう社長をどなりつけて工場の中に入った。女工たちは30人ほどだった。
徴用隊が「作業停止!」と叫ぶや女性たちは悲鳴をあげた。
慰安婦の女性を選別していると、一人の老婆が隊員の腕にしがみついた。横にいたほかの隊員が老婆の頭にまいていた手拭をつかんで頬を殴りつけた。
妊娠中でおなかの大きな女性のスカートを捲りあげて下着に隠されたおなかを見た。年のいった女工が吉田に駆け寄って
「朝鮮の女をどうするのですか!」
と日本語で抗議した。吉田は
「戦争のためだ、じゃまするな!」
と怒鳴り、女工は朝鮮語で泣き叫びながら吉田に抗議し続けた。吉田は彼女を押しのけ、別の徴用隊員が彼女の顔を殴った。
この工場での「収穫」は16人だった。門の横で見守っていた社長は言葉もなく行ってしまった*3。・・・・・・
尹貞玉 他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題』、三一書房、1992年、32〜33ページ
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1#tb
吉田清治の証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。
そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。
これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。
証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。
吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26〜27)
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/
ところで、N.Mさんはこれまでに何回となく吉田証言は嘘だと断言し、それを前提として議論を展開されていますが、これって、何か証拠があるんですか?
私の知る限り、今までのところそんなものは出ていないと思うんですが。
ここで、邪推される前に吉田証言に関する私の見解を明らかにしておきますが、私としては、吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されているので、証言としては使えない(無価値である)と考えています。しかし、嘘だと断定しうるほどの根拠もないし、真偽については今のところ不明としか言いようがない、と思います。
_______
吉田証言が否定されたなら、これまで報道してきた責任上、読者にそう報道すべきでしょう。途切れてしまって、何ら報告のない限り、吉田清治ばりの公的な機関が公的な命令で「奴隷狩り」のような方法で韓半島において女性を集めたという報道が、そのままに信じられる危険性があるのです。
________
明白に「否定された」のならそのとおりでしょうね。しかし、前回も書いたとおり、吉田証言は証言としては*使えない*ものの、決定的な反証が出たわけでもない真偽不明の状態ですから、拙速に「否定された」などと報道するわけにはいかないと思いますよ。
___________
はあ? 吉田証言のポイントは、日本の官憲が慰安婦の強制連行(それも直接的暴力による連行)を行った、ということでしょう? クマラスワミ報告書には秦氏の反論として、
「…博士の説明では、彼は1991〜1992年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。…」
と記載されています。徴集の主犯は朝鮮人である区長や親たちであったという主張が、官憲による暴力的連行を証言する吉田氏への反論になっていないとは、何のことだか全く理解できません。
これに関して、秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋社では、秦氏の済州島における調査の結果ととも次のように証言の問題点について述べています。
(1) 慰安婦狩りの命令は
西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田
のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない。もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずだと関係者が述べている。
(2) 第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、一九七七)には、四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、第二作(一九八三)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。
(3) 第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。(p.336)
このあたりについては、吉田氏自身、時と場所が異なる事件を出版社の要請に応じて一つにまとめるなどの改変を行っていることを認めているんですから、矛盾がどうのと言ってみても無意味では。
繰り返しになりますが、こういう矛盾の有無の検証とか、現地調査との突き合わせとかは、吉田氏が自分の体験を(時と場所の特定を含めて)正確に話してくれない限りできないのであって、だから吉田証言は現状のままでは証言としては使えず、無価値であると言っているんですよ。
それで、「吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されている」ということは、「吉田証言」は紛れもない「嘘」ではないですか。「改変」でしょう。記憶が曖昧なのではなく、そこに意図が働いているわけですから、「嘘つき」ということではないですか。
________
あれ?
N.Mさんが言う「嘘」って、吉田氏が証言中の「時」とか「場所」を偽っている、などというレベルのことだったんですか?
私はてっきり吉田氏が実行したという「慰安婦狩り」そのものが事実無根の真っ赤な嘘だとおっしゃっているんだと思ってたんですが。
N.Mさんの言う「嘘」がその程度のものなら、この件に関して私とN.Mさんの間に意見の相違はないことになってしまうんですが、そうなんですか?
では、なぜ「吉田証言」が「クマラスワミ報告書」に取り上げられたのでしょう。無価値で真偽も不明で、まともな学者は誰も相手にしていないのでしょう。どうして取り上げられたのですか?
_________
まともな研究者は「相手にしていない」のではなくて、重要視していない、のです。吉見氏らは、別に吉田証言を嘘だと決め付けたりしているわけではありません。例えば、上杉聰氏は次のように述べています:
吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、「時と場所」という歴史 にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない というのが私の結論であるし、吉見教授も同意見と思われる。 …
多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。
吉見氏の意見は次のとおりです:
証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。
しかし、だからといって、朝鮮では強制連行がなかったといえないことは1でのべた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募が行われたかという実態究明は、今後の課題として残っている。
[1] 吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 p.15
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm#fj971027
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4.吉田清治を詐欺師だと断じた なんちゃって教授 秦郁彦の証拠捏造の手口
産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。
古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。
韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、一個人の独断の域を出るものではない。 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。
産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。
「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。
「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html
Stiffmuscle 2007/08/03 23:11
『 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。
公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。(232ページ)』
この後、新聞記事の話になります。調査ってこれだけ?ってことでしょうね・・・
Stiffmuscle 2007/08/03 23:29
秦先生は吉田氏と直接会ったことはなかったみたいです。長時間の電話インタビュー(秦の言)を1992年に2回、1996年、1997年と1998年にそれぞれ1回、計5回行ったのがコンタクトの全てのようです。
秦氏は吉田氏と直接面会したことはなく、電話で5度インタビュー(吉田証言否定までには2度のみ)しただけ。
1992年 3月13日
1992年 3月16日
1996年 3月27日
1997年 4月 6日
1998年 9月 2日
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判 林博史
引用の恣意性もひどい。西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて
「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(二四二頁)
と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。
この聞き取りには私も同席していたが、西野氏の本ではその引用された言葉の後に
「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」
と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (著) の書評
反論の為の内容のない本, 2007/5/11 By アマゾン太郎 "慰安婦の本はかなり読んだが"
慰安婦について吉見義明と違う見方を示すある意味貴重な本だが、内容はどうだろうか?
著者の関心は慰安婦自体にはなく、吉見義明への反論にしかないように見える。
この本自体では慰安婦がどういう生活をしていたか、慰安所という仕組みがどのように作られたか全く見えてこない。結局この本の価値は最後の7つの論争点にしかないように思う、しかしそれも2007年の今となっては産経新聞などで聞き飽きたものであり、時間が経つにつれ内容の貧困さが顕わになってきたように感じられる。
また反論を提起するそうした内容自体についても憶測、伝聞などはっきりしない書き方が多くて、そもそもこれが研究と言えるのか?という感じが否めない。これは私1人の感想ではなく例えば刑法学者の前田朗は戦争責任研究という雑誌で同じ事を書いていることである。
いわゆる自由主義史観論者の中でただ1人研究者として慰安婦について本を書いた訳だが、秦氏は慰安婦がどの位行動の自由があったか、いくら収入があったか示せず具体的に示せず、その力の限界を露呈したように感じた。
期待はずれ、やや力不足なり, 2007/5/16 By 相田祐治
日米開戦や蘆溝橋事件などの緻密な研究を予想したが、期待はずれだった。 文献引用は多いが実際の調査に基づくものではなく、資料研究の域を出ていない。
肝心の慰安婦の生態についても同様で、あまり細かい説明はなく、なにか読み物(小説)のような感じを受ける。この感覚は千田夏光などの1970年代の本と同様であり内容自体も同じとも言える。
秦氏が力を入れているのは、国連の報告書の批判や、吉田清治の嘘の告発、他国の似た制度の話だが、現在では強制連行があったか否か・性奴隷なのか売春婦なのかが焦点となっておりこの点でも期待はずれだった。
元兵士などへのインタビューなどもあるが決定打に欠け結局結論が出ず終いである。やはり秦氏には慰安婦はやや専門外だったという印象だ。
なぜ兵士の証言は採用するのか?, 2007/5/23 By Salute
今や右派雑誌?「諸君!」の常連執筆者となり完全に自自由主義史観論者となってしまった歴史家の過去の著作。
この当時はまだ現在のような詭弁的な論は立てておらず、この本は慰安婦についてある見方に立ってかなり網羅的に書かれている。しかし時期が古いためか、著者としても自信がないためか、強制連行はあったのか?証言は信用できるのか?など疑問点についてきちんと答えておらず曖昧な印象を受ける。
秦氏は証拠資料の調査に基づくいわゆる実証主義の歴史家(証拠のある歴史)と言われ、この本でもそれが期待されるが、慰安婦関係の多くの政府・軍資料の検討・批判はなぜか行われていない。また秦氏がいう所の民間業者が軍相手に抱えている慰安婦の存在に関する一次資料は、まったく登場せず、この点では残念ながら実証主義とは言えない。
代わって秦氏が採用したのは、当時の兵士の体験・証言であり、それまでの秦氏ならば採用しない口伝に基づいた慰安婦の歴史が記されるのは驚きだ。なぜなら、秦氏は一方では元慰安婦の証言を、様々理由で怪しいとしており、元兵士の証言は信用するが、元慰安婦の証言は信用しないというダブルスタンダードが採用されているからだ。
この点に気付くとこの本の信頼性には首をひねらざるを得ない。
『済州島新聞の吉田清治記事』
秦郁彦著 『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)232〜233ページより引用
1989年に吉田〔清治〕著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ。
『開放解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏づけの証言がなく、波紋をひろげている。(ついで吉田著の概容を紹介)
しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。
島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している」』
秦先生の翻訳と重なる部分(akiraさんによる記事の全訳より)
『解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。
しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........
....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。
城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。
郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)』
産経の阿比留記者が引用した翻訳
で、「日韓誤解の深淵」には、この吉田氏の本の韓国語訳が出版された際の地元紙、「済州新聞」(1989年8月14日付)の記事が西岡氏によって日本語訳されたものが載っています。それは次のような内容でした。
《解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。
城山里の住民のちょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。
郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。》
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/200707
週刊新潮 1995年1月5日号の秦先生の言
「済州島での実地検証の結果は、吉田証言を裏付ける話は何一つ出てこないだけでなく、郷土史家の金奉玉氏は、吉田本の翻訳が出た後、何年も追跡調査をした結果、”そんな事実はなかった”と断定し、”あの本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物”とこき下ろしている。」(秦郁彦氏)
(WiLL 8月増刊号『「従軍慰安婦」と断固、戦う!』(2007年、ワック・マガジンズ、122ページ)
編集者の二重引用符のつけ方が悪いのかもしれないが(なぜ””なのかも理解できない)、秦先生自身が微妙に言を変えているのが気になる。他の記事での発言はどうなっているのだろう?元慰安婦の証言を「身の上話」としてわずかな表現の食い違いを指摘して、慰安婦の証言に疑問を投げかけてきた先生だけに、自分の言にも常に寸分違わぬほどの正確さを求めないと、ダブル・スタンダードですし、そんなお粗末なことをおやりになるはずないのに不思議です。
hangulさんからのご指摘
第3段落の後半部、「城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)」については細かいですが「城山里の住民チョン・オクダンさん(85歳)」が正しいです。
この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
「事実無根の部分もあった」 → 「事実でないと発見した」(秦氏)。
この論法、もううんざり…
yamaki622 2007/08/02 10:29
済州新聞の日本語訳の元ネタは、西岡力の著書『日韓誤解の深淵』(1992年)のようです↓
http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070324/
ただし西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。西岡氏も秦センセイと同様、慰安婦の強制性否定論者です。秦センセイは、お仲間の著書から引用を改ざんして載せたようです。無茶苦茶ですね。
阿比留記事を紹介してくださったyamaki622さんからのご指摘
西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。
わたしが疑問に思ったこと。
金学順さんが名乗り出られた1991年以前に書かれた記事(1983年)であること。
慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。
こういう肝心な部分は引用しないのは何故でしょうか?
ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。
新聞記事の切れた部分には何が書いてあったのか?
akira 2007/07/31 12:14
(新聞の全訳)(左から1列目)
日帝済州で慰安婦205人徴発していた。
日本人手記「私は朝鮮の人をこのように...」波紋
解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。
42年から敗戦する時まで約3年の間山口懸労務報国会の動員部長として朝鮮の人々を徴用することに従事した吉田清治氏の戦争犯罪記録”私は朝鮮の人をこのように捕まえて行った”がそれで清渓研究所現代史研究室により83年版を翻訳発刊したこと。
ここには「光州での男性強制連行」と「済州道での慰安婦狩り」に対してついて引っ張って行った当時を記述している。
この記録によれば
△皇軍慰問朝鮮人女挺身隊200人
△年齢! 18才以上30才未満
△身体健康な者
△期間1年
△給与月30円
△準備金で前金20円
△勤務地中支方面
△動員地域朝鮮全羅南道済州.....
(真ん中の見出し)
住民たち”ねつ造”... 日本 破廉恥 商業主義に憤慨
著者は当時山口県労務報国会動員部長.
”城山浦ボタン工場・オンポ・ポブァン里などで強制徴用”主張...
(左から2列の下段)
女たちをみんな捕まえてのせて、車の速力を高めてそこを離れた。高い岩山の間を貫かれた道を帰るやピヤン島が見えた。広い海には帆船らがじょじょに浮かんでいたし水平線はとぎれとぎれに.......
(左から3列目)
...を迎えながら組合長だと挨拶した。私は直ちに組合長に口頭で通告した。この工場で二十歳ぐらいになる女たちを徴用する、直ちに工場中を見て回れ、女たちも協力しろ!” (済州道での慰安婦狩り”一部).
わいせつで排他的な表現までそのまま使ったのだ。
ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。
しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........
(左から4列目)
....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。
城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。
郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)
※だいたいこんな感じの記事です。
コメント一覧
hangul 2007/07/31 00:56
第2段落と第3段落の前半は記事の下の部分が切れているので判読できません。
最終段落について郷土史学者のコメントをすべて示すとこうです。
「日本人たちの残酷性や没良心的な一面をそのまま現したものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない言葉をそのまま書いたという意味で(この吉田の本に:hangul注)本という名前を付けることもできない。83年の原本が出た時、何年か追跡した結果、事実無根の部分も(!:hangul注)あった。むしろ、彼らのあくどい面を現した道徳性が欠如した本として、薄っぺらい記述がある面も加味して見る」と憤慨した。
この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
さしあたってこんなところでしょうか。
hangul 2007/07/31 01:07
分かりにくかったかもしれないので補足を。
・「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」(秦氏)。
この論法、もううんざり…
・こりゃ歴史学者失格でしょう
akira 2007/07/31 08:59
しかし、「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」はひどいですね。
Stiffmuscle 2007/07/31 09:04
やっぱり捏造やトンデモ解釈があったんですね。
もう陰謀論者じゃないですか、吉田清治さんひとりを社会的に葬り去っただけでなく、嘘の歴史を作り上げ、多くの日本人を騙し、慰安婦たちの苦しみを増やした。
2,3段落も、わざと切り取ったんじゃないか?と邪推さえしたくなります。
hokke-ookami 2007/08/01 07:58
「事実無根の“部分”もあった」というのが郷土史家の意見ならば、吉田証言には出版時の編集が入っているという吉見教授らの指摘と同じで、妥当ですね。
そもそも吉田証言は従軍慰安婦問題と全く別個に出版された個人的な戦記であり、出版社から内容に編集を加えるよう意見があったと本人が証言しており、「軽薄な商売的な面が追加されたものと見る」といった部分も当を得ていると思います。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm
日本歴史学で主流の見方と同じような韓国郷土史家の意見に対し、翻訳時に秦教授の考えと合うようにずらしていった感じですね。
Stiffmuscle 2007/08/02 15:10
しかし、肝心な部分を捏造して、自論を補強するのは、秦先生の常套手段です。ほんとに悪質。
Stiffmuscle 2007/08/02 15:15
hangulさんが具体的に問題点を指摘してくださったので、この新聞記事に関する秦捏造の本質がよく見えてきました。金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思います。
Stiffmuscle 2007/08/02 15:32
西岡ネタの改竄ですかw しかも、真相を載せたのがアヒルさんってのも素敵w
Stiffmuscle 2007/08/03 21:14
秦氏が後に吉田氏に電話で確認したところ、慰安婦の強制連行は
「済州島ではなく、全羅南道でのできごとだった。」
と吉田氏は話したそうですが、この真偽は秦氏に直接訊かない限りわかりません。どちらにしても、それについて秦氏は調査をしていないわけで、どのみち、都合のよいところ取りを重ねただけの結果になりますので、最近では、この話自体を秦氏が持ち出していないようです。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
yamaki622 2007/08/02 17:39
「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」というのが”通説”になってますから、Stiffmuscleさんに問題提起していただいてなければ、まったく気づかないところでした。
それから、hokke-ookamiさんやStiffmuscleさんも言及なさっている件で、私もこの問題に詳しくない方のために書いておきたいのですが、吉見義明教授は「吉田さんのこの回想は証言としては使えない」としながらも「真偽は不明」としています。秦氏のように虚偽だとは言っていません。詳しくは
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm
をご覧ください。
hangul 2007/08/02 18:02
Stiffmuscleさん
>金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思>います
この指摘は重要だと思います。名乗り出ることの勇気をふまえて、この記事は解釈されるべきでしょう。
否定派がよく言うように、85歳の女性の証言だけでなくその背景を押さえることが大切だと思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
のサイトに、「現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、
「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」
と聞かれ、答えに窮したという」とあったのですが、これが本当だとしたらもう訳が分からなくなってきます。
何重の嘘を重ねているのでしょうか、秦先生は?
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2
秦郁彦のいい加減な検証では吉田証言を否定する根拠にはならない。
韓国語も知らないで無謀にも現地調査に行った秦は、通訳にだまされたのかもしれない。
2007/5/22(火) 午後 11:39 [ furuhausu66 ]
秦郁彦氏の「済州島調査」には非情に大きな疑義を抱かざるを得ません。
・『済州島新聞』記事にたいする秦氏の翻訳の決定的な間違い。
・新聞記事は金学順さんが韓国人元慰安婦として初めて勇気ある名乗りをされた以前のものであること。
などを見出しており、なお研究中です。
2007/8/4(土) 午後 11:37 [ Stiffmuscle ]
秦郁彦氏の「済州島調査」は、極めて粗雑なものです。韓国語を解さない資質上の問題、慰安婦が白眼視された社会状況無視、さらに、先に結論ありきの論理構成など学術的な調査とは程遠いものです。
その後の彼の、特定の保守系紙と結びついたデマゴーグ的立場は偶然ではないでしょう。吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。
2007/8/6(月) 午後 9:07
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吉田清治(ヨシダ・セイジ) ◆◆◆
1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/
【年表】秦郁彦と吉田清治
1977/03/01 吉田清治 『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)発行
1983/07/31 吉田清治 『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(三一書房)発行
1983/12/ 吉田清治 天安市の国立墓地に「謝罪碑」を建てるため訪韓
1983/11/10 朝日新聞(「ひと」欄) 吉田清治氏が韓国に謝罪碑を建てるニュースの紹介
1989/08/ 吉田清治 吉田著、韓国語で出版(青渓研究所現代史研究室)
1989/8/14 済州新聞(韓国) 吉田著の書評を掲載
1991/08/11 朝日新聞 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出し。 元慰安婦で初めて名乗り出た金学順さんについての記事
1991/08/14 金学順 ソウルで記者会見
1992/01/23 朝日新聞(夕刊) 吉田清治さんへのインタビュー
1992/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(1)
1992/03/16 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(2)
1992/03/29 秦郁彦 済州島に到着、調査を行う
1992/04/30 産経新聞 秦氏の済州島での調査結果を報道。
『儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のりでないのは当然』
との吉田談
1992/05/25 朝日新聞 吉田氏が、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事
1992/05/ 秦郁彦 『正論』6月号で、済州島での実地調査を発表。
1992/08/12 吉田清治 訪韓し、金学順さんに謝罪
1992/11/24 週刊新潮 吉田氏が93年春に訪米し、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定との内容含む
1992/12/24 1992/12/31 週刊新潮 吉田氏の
「私が書いたことは全部事実、
しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。」
との内容を含む
1993/02/ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う(下)』発行
1995/01/ 週刊新潮 1月5日号で「吉田清治の証言は事実無根である事が判明したとの記事を掲載
1996/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(3)
1996/05/ 週刊新潮 5月2日/9日号で、吉田清治氏へのインタビュー。
吉田氏は著書の一部に創作があったと話す。
1997/03/31 朝日新聞 吉田氏についての記事。
「真偽は確認できない。」
「済州島の人たちからも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ていない』などの記述
1997/04/06 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(4)
1998/09/02 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(5)
1998/10/ 秦郁彦 『諸君!』11月号で、
吉田清治氏本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる
1999/06/30 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)発行。『済州新聞』の吉田著書評の和訳あり
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070802
秦郁彦の著作に対する批評がまとめてあるブログ
碧猫さんの『13日の水曜日』 「無かった」を主張する歴史学者について
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-205.html
hokke-ookamiさんの『法華狼の日記』
秦郁彦教授は本当に……
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070719/1184904208
秦郁彦教授の評価が下落中…… (2007年8月4日追加)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070801/1185924345
yamaki622さんの『blog*色即是空』
秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070616/p1
金学順さんが「キーセンハウス」に売られたというウソ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070724/p1
『Stiffmuslceの日記』 どくしょのじかん
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070716/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070717/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070721/p1
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http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070723/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070724/p1
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r" | |{i t _ / | 詐欺師 秦郁彦は呪われたものとなった
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従軍慰安婦強制連行の吉田清治証言はやはり事実だった:
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/714.html#c15
くらいの嫌味を言ってから 質疑に入らなくちゃ
この人の親が議員だったか知りませんが 昔の先生(代議士)方は 愛人・妾 がいて当たり前でしたから
この人なんか カワイイもんなんでしょうね 自民党としては
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/590.html#c6
メリットがあれば中・露・韓でさえ原則Yes」
「安部政権の時に無理でも良いから何でもやっておけ!」と言う話だ。政権が変わる
と旨味のある事は出来なくなると言う者が全員で支えている。ここに一般の市民・国
民が含まれているのが不思議・日本と言うことだろうが、洗脳しているのは読売、朝
日。。。と系列民放など使命を持っていない暇なメディアだ。ジャーナリズムを捨て
たのだから使命がある筈も無い。沖縄地方紙のように使命があれば読み物・瓦版記事
を書く暇はないだろう。
また、円安により輸入物価が上がり、所得が消費者から企業に移転している。
しかし、国内では需要が見込めないため企業は国内での設備投資に積極的ではない。
結局、需要を拡大する政策をとるか、供給を縮小させる政策をとるかであるが、
供給を縮小させると、不効率な生産を続けている企業は倒産に追い込まれて
失業者があふれる。この失業対策をどうするか?
需要を拡大する政策では、現在の政府の財政が大幅な赤字の状態で、財政政策を行うためには、その財政政策が将来的かつ継続的に経済を成長させる軌道に乗せる政策でなければならない。
とにかく、少子化対策は日本人という人種を絶滅危惧種にしないためには絶対に必要な政策ではないだろうか。
孫が生まれると、じいさんばあさんが喜んで孫のために金を使うし、世の中が明るくなる。
経済成長率が 労働力人口の増加率+労働生産性の増加率 になるのであるから、少子化対策は長期的な経済成長のエンジンになる。
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