どうしてアベノヨイショにこれほど「くず」が多いのか
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2018.01.13 盛田常夫(在ハンガリー・経済学者) リベラル21
経済評論家を自称する三橋某が逮捕された。アベノミクスを礼賛するアベノヨイショの1人である。専門論文を書けるほどの教育を受けたことも研究活動に携わったこともない御仁だから、経済評論家は僭称というしかない。三流以下、偏差値で言えば30前後の四流評論家である。この程度の人物でも、テレビやラジオの番組に度々登場し、そのお陰で日本各地の経済団体から講演依頼があるようだ。経済学は科学と言うにはほど遠い学問だから、こういうインチキな輩でも、経済政策を「論じて」金儲けできる土壌が存在する。
「日本経済は何の問題もない、世界で一番素晴らしい経済だ」と言っている人がいますと、知人から三橋が2016年に某県の経済同友会で行った講演録が送られてきた。「講演」の内容から見て、どこでも同じようなことを言っているなと予想できる。90分の講演時間だが、講演構成に熟慮した形跡が見られず、雑な放言が続くだけで、論理不明瞭。最初から、地方の聴衆にはこの程度で済むだろうという見下した態度や自画自賛。あまりの雑ぱくさに驚いた。こんな放言に、数十万円も払っているのが日本社会の現状だ。経済評論家バブルとしか言い様がない。しかも、この御仁、大仰にも「(私には)講演依頼が殺到していて、年間200回を超える講演をやっている。...もし来年も講演を依頼される時には私の講演料は絶対に値上がりしていますからね」などと恥ずかしげもなく自己宣伝している。こうやって講演依頼が来るのを待っているのだろう。一知半解の聞きかじりを次から次と披露しているが、自分でも整理が付かず、何を言おうとしているのかはっきりしない。講演と言うにはほど遠い。とても頭脳明晰とは言えず、何を言いたいのかさっぱり分からない。だから、大学の論文試験で評価すれば偏差値30点。
その論調から推測できるのは、粘着質な性格で、自己を中身より大きく見せようとする小心な尊大さだ。だから、DV報道を見ると、「然(さも)もありなん」と思う。財務省を批判しているから、国税庁の調査を受ける恐れがあるとか、えん罪を受ける可能性があるなどとブログで自らを過大評価しているようだが、一種の炎上商法だろう。講演録からうかがえる尊大な態度から、品格に欠け、性格が良くないことはすぐに分かる。この四流「評論家」が私生活で何をしていようとも関心はないが、ニュースの中で12月23日に安倍首相と会食したことが触れられていた。こちらの方が興味深い。「ああ、またか」というのが率直な感想だ。
それにしても、アベノヨイショにはどうしてこれほど屑が多いのだろうか。アベノヨイショ本と準強姦で世にその名が知られ、フィクサーのように政界と経済界の境界を彷徨って甘い汁を吸っている山口敬之、能力がないのにアベノミクス擁護で飯を食っているDVの三橋(ペンネームで本名ではないようだが)、三橋と同様に、「巨額国家債務の宣伝は財務省の企み」と批判してアベノヨイショしている剽窃と窃盗の前科がある高橋洋一、経済学研究の論文も実績もないのに、アベノミクス発案に貢献してスイス大使に抜擢され、次期日銀総裁に自らを売り込む厚顔無恥と自己過信の権化のような人物で、特攻隊を礼賛する偏狭な愛国者本田悦朗。そういえば、「アベ友学園」問題の発端となった篭池一家も、奇妙な家族だった。
山本孝三、高木毅、稲田朋美など無能で破廉恥な大臣を次から次への据えてきた安倍晋三の周辺には、どうして品格、知性、能力に欠ける胡散臭い人物が集まっているのだろう。それは偶然ではないだろう。安倍が懇意にしている人物は知性と品格が己と同じ程度か、それ以下なのだ。「類は友を呼ぶ」だ。自分より知性があって知的水準が高い人物や難しい議論を避けて、自分が簡単に理解できる単純な経済政策イデオロギーや愛国イデオロギーに靡(なび)いてくる連中を、すぐに仲間だと考えるからだろう。要するに、「人を見る目がない」のだが、それは安倍自身がその程度の人物だということを証明している。そういう人物が長期にわたって日本の宰相として居座り続けているのだから、日本社会にとってこれほどの悲劇はない。