資産数百億円!日本の「新しい大金持ち」が明かす本音とカネの使い道 カネの遣い方も昔とガラリと変わった
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2018.01.05 週刊現代 :現代ビジネス
「失われた20年」と言われて久しいが、そんな中でも莫大な資産を築いた経営者たちがいる。滅多に聞こえてこない肉声を一挙公開。成功を収めた人たちが語る「恍惚と不安」とは――。
「婚活サイト」で億万長者
「IT企業の社長というと、六本木に会社を置いて、芸能人と華やかな交流があり、派手に遊んでいるというイメージがありますけど、この10年で時代は変わりました。
上場企業の社長を務めていますが、昼はコンビニ飯ですし、時計もつけませんし、車も持っていません。今の30代後半の経営者は、派手な暮らしがかっこいいとは思っていない気がします」
こう話すのは、IT企業じげん社長の平尾丈氏(35歳)。保有資産は時価総額で600億円を超える。
慶應大学在学中から事業を手がけ、卒業後はリクルートに就職。驚異的な成績を収め、20代の平均年収を大幅に上回る年収を得ていたという。
「在職中に父親が53歳で亡くなったんです。健康オタクでタバコも吸わなかったのに、肺がんで。父親が亡くなる年齢までに何ができるのかを考えると、あまり時間がないことに気づいたんです」
'06年にリクルートに在籍しながら、じげん創業に参画し、'08年に完全独立。求人や不動産などの情報を一括検索できるサイトを展開する。
「今後は日本のウェブサービスを海外に持っていくことも考えています。日本のサービスは過剰になりがちです。でもそれがグローバルでも流行るのではないかと思っています」(平尾氏)
ほんの10年前まで、大金持ちはもっと派手だった。ところが最近の大金持ちはそうではないらしい。
本誌は'08年以降に新しく巨万の富を築いた経営者100人を調査。該当者に取材申請を行ったところ、22名が取材に応じた。
一風変わったビジネスを成功させ、日本の少子化対策に一役買っているのが、元興銀マンで「婚活サイト」を運営するIBJ社長の石坂茂氏(46歳)だ。
「興銀の居心地はよかったんですが、'99年頃からネットで新しい事業が始まっていて、外の世界を見たくなったんです。今では国家的問題となっている少子高齢化がいずれ浮き彫りになると当時から感じていました。
もちろん、当初は結婚紹介事業が少子高齢化対策だなんて言えるレベルではありませんでしたが、社会的意義は見出せると思ったんです。
たんなる出会い系サイトとしてしか見られなかった時代も長く、辛かった時もありましたが、今やうちのサービスから今年だけで5000組近くのカップルが結婚しています。
結婚しているカップルは2人程度の子供を産むと言われています。単純計算で1万人くらいの命の誕生に寄与していることになりますね」
FFRI社長の鵜飼裕司氏(44歳)は事業を通じて、国家の安全保障の一端を担っている自負がある。
「私は元々北米の会社でサイバーセキュリティに関する技術の研究開発をしていたエンジニアでした。
起業した'07年当時、日本でもサイバーセキュリティ関連の会社が出てきてはいましたが、北米の商品を輸入しているところばかり。私は日本で独自技術を研究開発しなければならないと強く感じていたんです。
安全保障の観点からも国家機密を守るのに北米の会社に頼っているのでは、国のあり方として歪だという思いもありましたから。
私自身に何十億円の資産があると言われても、実感はほとんどありません。上場前と生活は変わりませんから」
ネット展開を得意とするPR会社、ベクトル社長の西江肇司氏(49歳)は、従来のPR会社への不満が起業のきっかけだった。
「大学在学中からイベントビジネスなどをやり、'93年にベクトルを設立しました。
クライアントの依頼で、あるPR会社に発注したところ、おカネを払ったのに何もしてくれず、自分たちでPRしなくてはならない状態に。PRをしてみて、今後広がるビジネスだと思い、全面的にPR事業に切り替えました。
当初はリゾート地の高級ホテルに泊まり、プライベートビーチでのんびり過ごすということをやってみましたが、上場前に体調を崩したこともあり、趣味はおカネのかからないサーフィンに落ち着きました。
おカネを稼いでも誰も褒めてくれません。私は『栄光』を狙って、上場を決断。'12年に実現させたら周囲から『おめでとう』と言われたんです。上場って面白いなって思いましたね」
ここまでに登場した4名に共通するのは、趣味におカネはかけないという清々しい姿勢だ。日々忙しく働き、それでいて仕事が楽しく、使命感に燃えている。一山当てて後は楽な暮らしをしようなどとは微塵も考えない。
女性との火遊びなんてとんでもない。今後、築いた財産を社会に還元しようとさえしている。派手さはないが、これが新しい実業家たちの素顔なのかもしれない。
東大発のバイオベンチャーとして注目を集めるペプチドリーム会長の窪田規一氏(64歳)も、自分の資産にまったく頓着しない。
「たしかにおカネ持ちになった実感がないと言ったら、ウソになります。上場時に保有株の一部を売らせていただいた際には、国産車から外車に乗り換えたり、少し広い家に買い替えたりしましたので金銭的に潤った感覚はあります。
しかし、576億円(保有株の時価総額)については『なんじゃ、それ?』という感じですよ」
同社は東京大学大学院の菅裕明教授が開発した「特殊ペプチド」技術を使った創薬システムを販売し、自社創薬も手がける。窪田氏が続ける。
「世の中には治療薬がない疾患はたくさんあります。そういった病気で苦しんでいる人に効く薬を届けたい、というのがこの会社の目的なんです。
もしかしたら、いずれ保有する株をキャッシュにできるタイミングが来るかもしれません。その時には、そのおカネでベンチャーを育てたいですね。この国の将来を考えると、20年、30年後の基幹産業をバイオの分野に担わせたいんです」
還暦を過ぎてから資産を築いた経営者は他にもいる。マニュアル作成受託のグレイステクノロジー社長・松村幸治氏(62歳)は、松下幸之助氏と面識がある。
Photo by GettyImages 松下幸之助
「松下さんの本をよく読んでいたのですが、きれい事しか書いていないように思えて、26歳のとき、松下電器に毎日電話したんですよ。半年かけ続けたら、会ってくれることになった。色々教えていただきましたよ。
『仕事相手はカネやと思いなはれ。そしたら(嫌な相手でも)素直に頭を下げられるでしょ』と。あとは『商品を売ったからには100%回収しろ。それをやらないから、みんな倒産する』とかね。
それから名だたる経営者に会いました。日本マクドナルド創業者の藤田田さんからは、社外秘の経営マニュアルの中身を聞かせていただきました。
パンに含まれる気泡の大きさから、お客さんがおカネを払いやすいカウンターの高さまで2万5000点のノウハウが凝縮されたものでした。
本田宗一郎さんには、『寝ても覚めても何をしていても、物を作るんだったら、作ることだけをずっと考えろ!』と言われました。あの人は熱い人だと思いましたね」
永田町にも進出した若手経営者
半導体工場向けの特殊ガス供給装置を販売するジャパンマテリアルの田中久男氏(70歳)は、自身が出資して設立した会社に入社し、'06年に社長に就任した。
「三重県の菰野町にある本社まで公共交通機関が通っていないため、人材が来ないんですよ。バスも通っていない会社で新人が働きたいと思いますか?11年に上場したことで最近は応募してくる学生が増えました。
資産は230億円くらいになるでしょうね。それは何らかの形で世の中のお役に立てたいと思っています。具体的にはNPOを作って、海外からの留学生の支援をしていきたいですね」
社会に歪みがあれば、そこにビジネスチャンスがある。
弁護士ドットコム会長の元榮太一郎氏(42歳)は、弁護士という専門家をもっと身近なものにして、世の中を良くしたいという思いでビジネスを始めた。
「私が創業した05年はまだ、『一見さんお断り』の弁護士が多かった。しかし、司法制度改革で弁護士人口が急増し、時代が変わることは目に見えていました。そこで、弁護士と顧客をネットでつなぐ、プラットフォームを立ち上げたのです。
国家の仕組みも変えていかなければと思い、16年の参院選に自民党から出馬して当選。もっと多くの起業家が国会議員になって、国家にイノベーションを起こさなければいけないと感じています」
クラブで豪遊もしたけれど
不動産仲介業をフランチャイズ展開するハウスドゥ社長の安藤正弘氏(52歳)は「業界の不完全さ」に気がついた。
「バブル崩壊直後、京都で不動産仲介業を始めました。他の不動産会社はどんどん潰れていくのに、うちの会社は売れば売るほど手数料が入って儲かっていく。
旧来の不動産仲介業者は情報を出し惜しみして、自分たちが売りたい物件だけを売っていたんです。私はそんなことはお構いなしに、たくさんの情報をお客さんに提供したから喜んでもらえた。
その頃は遊びました。クラブのVIPルームで飲みましたが、心はまったく満足しなかった。実際に行ってみると、VIPルームって、ぼったくりルームなんです。
現実はそんなものですよ。それからはフェアな不動産市場の実現を目指して、社業を拡大しています」
日本は今後、超高齢化社会を迎え、その対応は喫緊の課題だ。そこにビジネスチャンスもある。
歩行補助のシルバーカーで国内シェア5割の幸和製作所社長・玉田秀明氏(46歳)は100億円近くの資産を持つ。
「しかし、株を売れるわけではないですし、より企業価値を高めるために頑張っていきます。シルバーカーはおばあちゃんが買い物に行くイメージだとして、男性の高齢者からは敬遠されているのが実状です。
しかし、杖から車椅子に移ると一気に介護度が上がってしまう。その間に歩行器を挟むことで、少しでも高齢者の歩行寿命を延ばしたいと思い、男性向けの歩行器を開発しました」
近畿地方を中心に介護付き有料老人ホームを展開するチャーム・ケア・コーポレーション社長の下村隆彦氏(74歳)は、建設会社社長だったが、還暦を機に介護事業に打って出た。
「建設会社の業績も順調でしたし、余生をのんびり生きることも選択肢としてはあったはずなのですが、異業種に挑戦したくなった。もちろん社会貢献だけでなく、事業としても伸びてくるだろうと思っていました。
上場し、私が6割近い会社の株を持っていますから、時価総額から言えば大きな金額です。
ただ、上場は社会的な責任を負うことですから、上場後のほうが生活は窮屈ですね。
建設会社の社長の頃は、月に7〜8回ゴルフに行き、大阪の北新地にも週3〜4日行っていました。介護事業をやりだしたら、行く気がなくなってどちらも減ってしまいました」
ヨシムラ・フード・ホールディングス社長の吉村元久氏(53歳)は、地方の中小企業を支援するビジネスを手がける。
「後継者がおらず、事業をやめる中小企業の経営者は地方に多いんです。それを私たちが引き受けて、改善するというビジネスをしています。
会社を清算することより売却することを考えようかなという人が増えてくれば、社員も取引先も仕事を失わないし、地域経済にもプラスになる。みんなハッピーじゃないかという思いです」
テスラのEV車を買った
日本の現状に不満を持つ人物もいる。世界各国で日本食を販売する食品商社、西本WismettacHDの洲崎良朗会長(59歳)が言う。
「日本人は元々、創造力も応用力もある民族だと思うんです。ところが、それが最近、控えめになってしまっている。他人の技術を持ってきて、それを改善して、欠陥のない商品にすることが目標になってしまった。
しかし、本来の日本人はそうじゃありません。たとえば、あんぱんは日本人の発明です。パンの中にあんこを入れるなど、本場の欧米人には考えつかない。
せっかく創造性と柔軟さを持っているのに、世界に出ないから、何が求められているかわからない。
世界で勝負して需要を肌で感じたら、日本にもまだまだ十分チャンスはあると思っています」
今回取材に応じた資産家に、何か派手な買い物をしたかを聞いた。帰ってきたのはこんな答え。
「子供の頃から空を飛ぶのが好きで、この1年かけてヘリコプターのライセンスを取得しました。中古でも1台8000万円するのでまだ買えませんが。
あと、祖父の時代に災害があって被害に遭い、売却された実家の周辺の土地を買い戻しました」(エイチーム社長・林高生氏・46歳)
「二酸化炭素を排出しないことに惹かれて、3年前に崖から飛び降りるつもりで、1300万円で電気自動車のスポーツカー、テスラを買いました。エンジンの震動がなく、乗り心地は最高です。
起業家仲間とは高級料亭にも行きますが、贅沢したいというよりも、静かな個室で深い話をしたいというのが理由です」(アイモバイル会長・田中俊彦氏・38歳)
中には豪快に稼ぎ、派手に遊ぶ昔ながらの経営者も存在する。
KLab社長の真田哲弥氏(53歳)がその典型だろう。'00年に携帯電話向けのソフトウェア会社を立ち上げ、'09年にスマホ向けゲームで大きく儲けた。
「ビジネスマンで一番偉いヤツは誰だと考えたとき、その尺度はゴルフと同じで、稼いだ額以外にないんです。ゴルフも勝率や勝利数ではなく、賞金総額で順位が決まるでしょう?
おカネを稼いだヤツはバカな使い方をしてもいい。稼いだ人は使わなければいけないと私は思います。おカネを使えば、経済が循環していくわけです」
資産の使い途はともかく、新しい大金持ちに共通するのは事業の拡大意欲だ。彼らがこれからの日本経済を元気に回していくと期待したい。
「週刊現代」2018年1月6日・13日合併号より