8. 2018年1月02日 00:00:15 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[1762]
>>2
>自由民権運動の先頭に立っていた板垣退助は、征韓論をとなえて政権から放り出された男だよ。
ま、たしかに明治の自由民権運動と言うのは、板垣退助くらいしか教科書には載っていないが、実際はもっと幅広いものだったらしいな。
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いま日本の大問題 憲法を考える 五日市憲法ほか(BS朝日)2014年5月9日
http://obsidian47.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
(上記ブログより、以下転載)
先日の憲法記念日にBS朝日で放映された番組が動画サイトにアップされていたのを見つけましたのでリンクを張らせていただきます。
いま日本の大問題 憲法を考える 五日市憲法ほか(BS朝日)
「五日市(いつかいち)憲法」というのは、現在の憲法と比べてもあまり遜色のない、人権の尊重を謳った民主的な憲法が、明治元年からわずか13年後、山深い里で民衆の手によって作られたものです。昨年10月、皇后美智子さんも御自身の御誕生日に発表された談話の中でこの五日市憲法に触れられていて、少し話題になりましたが、上記の番組の冒頭では、その時、美智子さんがこの憲法草案について語られた内容も紹介されています。五日市憲法の紹介文として、そのままで優れたものだと思いましたので、その部分をを引用させていただきます。
(以下、上記番組にも紹介された皇后美智子さんの談話の一部を引用)
5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
(引用終わり)
当時の日本にはまだ近代的な憲法はなく、維新直後の混乱を治めた明治政府はその成立を急いでいました。そしてそれを察知した民衆たちもまた、自分たちの手でこの国の憲法を作り上げようと、各地で競うように様々な憲法草案(私擬憲法)が作られて行ったそうです。そしてその中には現在の憲法と比べても、十分民主的で国民の諸権利を盛り込んだものも少なくなかったそうです。
もっとも、憲法草案の作成には、ある程度の学識も必要でした。五日市憲法の場合、その起草には千葉卓三郎という、仙台藩の下級武士出身の自由民権運動の闘士が深く関わっています。また、各地を放浪してきた彼を(おそらくは食客として)迎え入れた裕福な豪農もいました。しかし、彼らを中心に、地元の庶民の青年たちが集まり、日々の労働の後に勉強会を開いて、互いに熱く討論しながら、この憲法草案を練り上げて行ったそうです。当時、木材と生糸の産地(集積地)であった五日市は、そのころは陸路以上の重要な物資輸送路でもあった河川によって、遠く横浜とまで繋がり、その流れを遡るようにして、最新の世界情報や知識が流入していて人々の意識も高かったようでした。
当時のことですから、この憲法でも「主権」はあくまで天皇にありました。しかし、多くの人権規定をしっかりと盛り込むことで、“事実上の国民主権”に近いことを実現しようとするものでもあったようです。
「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ 他ヨリ妨害ス可ラス、且国法之ヲ保護ス可シ」
(五日市憲法草案 第45条)
これは五日市憲法の中心的な思想を示す条文だそうですが、全体で204条あるうちのなんと、154条が人権にかかわる規定だそうです。
(その中には「国民は皆平等であるとする規定」、「表現の自由を保障する規定」、「外国人の権利を保障する規定」、「政治犯の死刑を廃止する規定」などがあったそうです)
五日市憲法の発見者である色川大吉氏は番組の中で 「五日市憲法の特徴は民権、人権の問題」、「五日市憲法ほど人権の問題に触れている憲法はない」と述べておられます。また「(人々の意識の中では)明治の方が(今よりも)民主主義が進んでいた」と仰っておられました。
当時、五日市だけでなく、日本の各地で、民衆の手によってこのような民主的な憲法草案が、幾つも作られたそうです。だいぶ以前に何かで読んだ話では、やはり農村で、女性たちも参加して「男女平等」を謳ったものも作られたらしいと知って驚いたものでした。当時の農山村というのは、今の私たちが考えるよりもずっと、思想的には進んでいたのかもしれません。色川氏も当時は都市部より、農山村の方が人々の政治的な意識はむしろ進んでいたように言われています。少し前の幕末から明治初期にかけては、全国各地で農民たちの「命懸けの異議申し立て」であった百姓一揆が頻発していたことを考えれば、それも不思議ではないような気がします。
しかし、当時の明治政府は、こうした民衆たちの作り上げた憲法草案をまったく採り上げることなく、ヨーロッパ諸国の中では封建色の強かったというプロイセン王国の憲法を参考に大日本帝国憲法を制定してしまいました。
「日本国民にとって、民主主義はアメリカによってタナボタ式に与えられたに過ぎない」 などと言われることがよくあります。正直言って、私自身も以前はそう考えていました。しかし、こうした史実を見ると、それは間違っていたのではないかと思うようになりました。
実際、この五日市憲法に代表されるような民衆によって考え出された「民主的な憲法」の精神は、その後、鈴木安蔵という福島出身の青年によって研究され、その精神が受け継がれたことで、現在の憲法に深い影響を及ぼして行くことになります。 鈴木安蔵は京大の学生時代に左翼的な運動をしたために治安維持法で逮捕され(京都学連事件)、服役したのをきっかけに、当時の帝国憲法に疑問を持ち、独自に憲法の研究を始めます。そして明治初頭に各地で作られた私擬憲法について調べてゆくのですが、中でも五日市憲法と同じ頃に作られた、土佐の植木枝盛の憲法草案に強い関心を寄せました。
植木枝盛は土佐では板垣退助と並ぶ自由民権運動家だったそうですが、彼もまた、民衆の熱い支持を集めながら「法の下の平等」、「死刑制度の廃止」などを盛り込んだ憲法を起草しました。(鈴木安蔵については近年、『日本の青空』という映画が作られていて、以前から観たいと思いながら、私はまだ観る機会がないのですが、一応、御紹介しておきます。 『日本の青空』公式ホームページ )
そして敗戦後、鈴木は新聞紙上に自らが主宰する憲法研究会の憲法草案を発表し、それがGHQ民政局の目に留まりました。この番組の中にはGHQで日本国憲法制定の責任者だったケーディス大佐も登場し「憲法研究会の作った草案が手元にあった。一週間か十日しかなかったのに、私たちの力だけでゼロから憲法草案を作るのは不可能だった。」と述べています。そしてもう一人の担当者、弁護士のラウエル中佐は憲法研究会の草案に詳しく目を通した後、マッカーサー元帥に「この中に含まれる条文は民主的で受け入れらる」と報告したそうです。
現実的な側面から言えば、「日本に天皇制を残す」ということは(他の連合国の反対はあったようですが)アメリカ側ではかなり早い時期に決定していたようです。そのため、当時、東京裁判を間近に控え、GHQには出来るだけ早く、新たな憲法によって「天皇の地位」を定めておかなければならなかったという事情もありました。だから、彼等だけで日本の憲法を一から作り上げる時間的な余裕などはとてもなく、それが鈴木の憲法研究会の草案が「叩き台」として採りあげられた大きな理由でもあったそうです。(もちろん、新たな日本の憲法は十分に「民主的」なものでなければならず、その前に一度、日本政府自身に作らせて提出させた草案は、その点でまったくの「不合格」であったそうです)
動画に登場する憲法学者の原秀成氏は、鈴木安蔵の憲法草案が現在の日本国憲法に反映されていること、そして、その他の日本人の案もGHQ草案に多く取りこまれたことを指して 「日本国憲法は日本人のものだ」 と述べられています。しかし当時の政治状況では、GHQの影響下で、あくまで時の日本政府自身が作成した憲法とされなければならず、「在野の民間人の草案」を参考にしたことは長く伏せられたままでした。(GHQは鈴木安蔵ら、憲法研究会のメンバーとは直接の接触など全くしなかったそうです)
そのことが後々、今日までも「あれは日本人の意向とは全く関係ないところで占領軍が勝手に作って押しつけたもの」という偏見を生んでしまいました。それでも、こうした時間的、政治的な隘路を縫うようにして、かつて権力によって握りつぶされた民間の私擬憲法の精神が復活したのは奇跡のようなことであり、その昔に情熱を傾けてそれらの憲法草案作ったこの国の人々の執念がそうさせたようにも感じられました。せっかくこうした先人たちがいてくれたのに、自ら、国民の権利をないがしろにして投げ捨てるようなことをして、未来に生きる子供たちに恨まれ、軽蔑されるようなことにだけはなりたくないものだと思います。
(転載終了)