35歳までに「スペシャル」なものを持たないサラリーマンは「拘束されて電気ショックに耐えるだけの無力なイヌ」になる
http://diamond.jp/articles/-/150437
2017.11.22 橘玲:作家 ダイヤモンド・オンライン
作家であり、金融評論家、社会評論家と多彩な顔を持つ橘玲氏が自身の集大成ともいえる書籍『幸福の「資本」論』を発刊。よく語られるものの、実は非常にあいまいな概念だった「幸福な人生」について、“3つの資本”をキーとして定義づけ、「今の日本でいかに幸福に生きていくか?」を追求していく連載。今回は「日本的雇用と幸福の関係」について考える。
日本的雇用のメリットと末路
日本的雇用にメリットがあるとすれば、真っ先に挙げるべきは、新卒一括採用によって若年層の失業率が低く抑えられていることでしょう。
欧米の雇用制度では、会社の経営が思わしくなくなると、労働者の生活を守るために就業期間の短い若者からレイオフされていきます。
経済成長によって解雇を上回る職を生み出せればこれで問題ありませんが、低成長が常態化すると若年層の失業率が上昇し、イタリアやスペインでは50%、フランスでも25%という驚くべき値になっています。いうまでもなく、多くの若者がなんの職業経験もなく年をとっていく社会は持続不可能です。
それに対して日本は、人口減にともなう人手不足もあって、大学を出ればほぼ全員が就職できる恵まれた環境です。
これが私が、「若いうちはサラリーマンを体験するのも悪くない」と考える理由です。日本では大学で職業教育が行なわれませんから、ほとんどの新入社員は自分の職業適性がわからないまま入社してきます。そんななかで、若手のうちにさまざまな仕事をやらせてみる日本型のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)はじつは「自分探し」にとってかなり有効な方法になり得るのです。――もちろん最初からやりたいことが決まっていれば、ベンチャー企業や中小企業で技術や知識を磨く方がずっといいでしょう。
問題なのは、日本的な会社の人事制度では、「適職」を見つけたとしても不得手な部門や関係のない仕事に異動させられることです。これではいつまでたってもプロフェッショナルにはなれず、ライバルとの差は開くばかりです。
「ゼネラリスト」として同期が一斉にピラミッドの頂点を目指す日本の会社組織では、ほとんどのサラリーマンが年齢とともに行き詰まるのは目に見えています。
『幸福の「資本」論』
橘玲著
ダイヤモンド社 定価1500円(税別)
最近はこの時期も早まってきて、かつては「先が見えるのは50代になってから」といわれていましたが、40代前半、あるいは30代後半で「選別」が終わっているという話も聞くようになりました。
そうだとすれば定年までの20年以上を、なにひとつ「スペシャル」なものを持たない一介のサラリーマンとして、「拘束されて電気ショックに耐えるだけの無力なイヌ」のように伽藍(がらん)の会社生活を耐えなければなりません。
こんな悲惨なことになるとしたら、人生設計が根本的に間違っているのです。
35歳を過ぎると人生の選択肢は急激に減っていきますから、その前に自分の人的資本をつくらなければなりません。
酷な言い方かもしれませんが、40歳を過ぎて、あるいは50代になってから「サラリーマンとしての人生」に疑問を持ったとしても、もはや別の選択はなく、できることといえば、必死に会社にしがみつき、無事に定年を迎えて退職金と年金を受け取ることを祈るだけです。
しかもそれですら、もはや幸福な老後を保証してくれるわけではありません。
会社が倒産すれば厚生年金は大きく毀損し、日本国が財政破綻すれば年金制度そのものが崩壊してしまいます。そのうえ日本人の平均寿命は延びつづけており、いまでは健康な100歳も珍しくなくなりました。
医療の進歩で健康寿命が延びるのは素晴らしいことですが、それは同時に、60歳の定年から40年間、人的資本をすべて失った状態で、年金に依存して生きていかなくてはならないということでもあります。
しかし、20歳から60歳まで働いて積み立てた原資で、100歳までの40年間の生活が保証されるなどという夢のような話がほんとうにあるのでしょうか。
日本の会社の「終身雇用」は、その実態を見れば「超長期雇用の強制解雇制度」です。退職金とは、定年後のまともな仕事を放棄する代償でもあるのです。
(作家 橘玲)