安倍首相に読ませたい「榎本武揚『北海道共和国』の檄文」
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サンデー毎日 2017年11月12日号
牧太郎の青い空白い雲 643
前回の「安倍首相に読ませたい《大久保利通暗殺の斬奸(ざんかん)状》」に続いて、今回も「安倍首相に読ませたい」シリーズ第2弾。日本の歴史の中で、ただ一つ存在した民主国家「北海道共和国」について書きたい。
まずは、革命宣言とでも言うべき「檄文(げきぶん)」を読んでもらいたい。
檄文
王政日新は皇国の幸福、我輩も亦希望する所なり。然るに当今の政体、其名は公明正大なりと雖(いえど)も、其実は然らず。王兵の東下(とうか)するや、我が老寡君(かくん)を誣(し)ふるに朝敵の汚名を以てす。其処置既に甚しきに、遂に其城地を没収し、其倉庫を領収し、祖先の墳墓を棄(す)てゝ祭らしめず、旧臣の采邑(さいゆう)は頓(とみ)に官有と為し、遂に我藩士をして居宅をさへ保つ事能はざらしむ。又甚しからずや。これ一に強藩の私意に出(い)で、真正の王政に非ず。我輩泣いて之を帝(てい)こんに訴へんとすれば、言語梗塞(こうそく)して情実通ぜず。故に此地を去り長く皇国の為に一和の基業を開かんとす。それ闔国(こうこく)士民の綱常を維持し、数百年怠惰の弊風を一洗し、其意気を鼓舞し、皇国をして四海万国と比肩抗行せしめん事、唯此一挙に在り。
之れ我輩敢て自ら任ずる所なり。廟堂在位の君子も、水辺林下の隠士も、苟(いやしく)も世道(せどう)人心に志ある者は、此言を聞け!
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長くなったが、簡単に当時の政治の流れを説明しよう。明治維新(当時は「御一新」と言った)進行中の慶応4(1868)年5月、徳川宗家を継いだ田安亀之助は朝廷から、駿河・遠江などで70万石を与えられ、駿府藩主になった。
これまで400万石だった徳川家が、わずか70万石。食っていけない。
直参旗本で海軍副総裁だった榎本武揚は、旧幕臣の窮状を助けるために、北海道を開拓したい!と誓願した。自らの力で生き延びたいのだ。
だが、薩長中心の新政府はこれを許さなかった。そこで、この「檄文」が発表された。
現代語に訳すと、
「一新は私も希望している。しかし、今の政体は公明正大ではない。我が主君(徳川慶喜のこと)に朝敵の汚名を着せ、城地を没収して、先祖の墓を壊す。これは強い藩(薩長のこと)の私利私欲。まっとうな王政ではない。我々は北海道を開拓して、国をつくる!」
という意味である。
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榎本の旧幕府軍が新政府軍を追い払い、函館を支配し五稜郭を占領したのは、この年の10月下旬だった。注目すべきは、12月の選挙実施。榎本はこの選挙で総裁に選ばれ、「北海道共和国」が樹立された。
日本にとって、初めての民主国家設立だった。
欧米諸国が独立を認める動きに出る。明治政府はそれを恐れ、圧倒的な兵力で共和国軍を降伏させ、北海道の独立を許さなかった。
我々は、歴史の教科書で「明治維新は日本の夜明け」と教わったが、「維新」は革命ではない。明治維新は、朝廷の権威を味方にするための「江戸幕府と有力藩」の勢力争い。
本当の革命は「北海道共和国」設立だ、と僕は考えている。
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僕の祖先は榎本と特別親しい間柄だった。実家の料亭「柳橋・深川亭」は榎本主宰の「江戸っ子会」の会場だった。
だから、薩長とは幾分違う歴史観で育った。薩長が「北海道共和国は日本を分裂しようとした」と言い張るのに腹が立っている。
「薩長史観が命」の安倍首相に、この「檄文」を読んでもらいたい。「北海道共和国」のことを勉強してもらいたい。
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薩長は、領土的な野心が旺盛で、明治5年、琉球王朝の独立を否定して沖縄を支配した。
これが「沖縄の悲劇」の始まりである。
今なお、沖縄は自民党政権の「アメリカ追随外交」の犠牲になって「不平等」に泣かされている。
本コラム638回「北朝鮮の工作説まで浮上する《ヘイト本》が売れる"闇"」で書いたが、最近、『沖縄を本当に愛してくれるのなら県民にエサを与えないでください』という本が発行された。その中身は沖縄人への侮辱の数々。「オキナワは右も左も金の亡者ばかりだ」などと基地反対の沖縄県民を笑っている。
この種のヘイト本を手にした沖縄の知識人の一部が今、真剣に「沖縄独立」を話すようになった。
突然、「沖縄共和国」が政治課題になったら......。
安倍さん、今からでも遅くない。本当の歴史を勉強してくれ!