東海トラフ 揺れる定説
"・・・南海地震は、1099年には発生しておらず、その3年前に東海沖から南海沖まで同時におきたのではないか。・・・1099年の地震を南海地震としてきた根拠は、「土佐の土地が海底に沈んだ」との記録で、1283年頃の貴族の日記の裏紙に書かれていた。改めて調べると地震から70年以上もたって書かれた土地権利書の一種を、その100年後に書き写したものだった。・・・・・・・
南海トラフでは1605年慶長地震が起きたとされ、揺れがほとんどなく、「津波地震」と考えられてきた。石橋さんらはこの地震についても、そもそも南海トラフでは発生せず、伊豆・小笠原海溝の地震だったとの説を提唱している。南海トラフの地震があったのは、四国から関東まで広範囲に揺れや津波の記録がある1614年だったと考えている。・・・
発生間隔が最も短いのは1854年の「安政東海地震」から1946年の「昭和東南海地震」までの90年。・・・一般的な説によれば、二つの地震の震源域は重なっており、安政よりやや狭い範囲で昭和の地震が起きた。・・・
一方、安政と昭和の重なりは小さく、安政の震源域の残りを中心に昭和の地震が発生したという説もある。・・・
「改めて見直すと実は過去の地震には分かっていないことが多い。ただ現在の想定がなくなるわけでないので、最悪を想定して備えることが重要だ。」東京大学地震地震研究所の古村孝志教授はそう語る。・・・
--朝日新聞)2017年9月3日--
<引用終わり>
すでにだいぶ以前から1099年の地震は、1096年地震を示した資料の誤りと提起されて、ほとんど間違いないことが理解されていた。ただ、なかなかそれが社会に浸透してこなかっただけである。
また、1605年の地震はもともとよく分かっておらず、説も多様に分かれていた。それが南海地震に含められたのは単にその方が社会の受け取り方が強かったからであろう。したがって、改めて1614年で(に南海地震が)あったというのも、うなづきにくい。
実は、1096年地震が単独であったとすると、地震のペア説そのものが危ういもので、勿論安政地震がほぼ同時に(約12時間後)東海と南海で生じたことは間違いないが連動ということになり、繰り返される一つのグループの歴史地震と判断するあり方が異なってくるのが当然であろう。
安政地震の残りが昭和東南海地震かというのは、昭和南海地震が2年後に起きていることから、妥当性が低いと思われる。
現在の想定をなにをもって有効なものと捉えるか、どの程度の対応をするのが我々の力なのか、よく考えるのが適切であろう。はるか遠い将来のために、今存在している多くの難民やそれに準ずる人たち、争いを防ぐことなどへの費用を惜しむことは適切でなかろう。