「貯蓄から資産形成へ」というが、日本人の投資行動は常に賢く正しい
http://diamond.jp/articles/-/139212
2017.8.21 永井浩二:野村ホールディングスグループCEO・代表執行役社長 ダイヤモンド・オンライン
「貯蓄から資産形成へ」を考えるための2つの「日本的資産問題」
政府は長年、「貯蓄から資産形成へ」を掲げ、金融庁もその方針で金融機関に働きかけを行っている。マスメディアも「貯蓄から資産形成への取り組みの遅れが、そのまま日本経済の再生の遅れにつながっている」としている。
このテーマは、国民の資産形成だけでなく証券業界の事業戦略にも深く絡む問題なので、野村證券の事業戦略と関連付けながら考えをまとめておきたいと思う。
このテーマを考える前提として、日本の資産形成について状況を整理しておきたい。それは証券業界の一企業として野村證券が、現状をどのようなものと理解しているかを整理することでもある。
私は2つの事柄に集約されていると考えている。少子高齢化と人口減少によって発生する相続・資産継承問題と、将来への準備を必要とする30〜40歳代の人たちの資産形成問題だ。
日本は、2011年から毎年20万人規模で人口が減少しており、毎年、地方の中核的な都市が一つずつなくなっていくような状況に追い込まれている。国立社会保障・人口問題研究所の試算によれば、2020年の減少数は58万9000人、2045年には減少数は100万人の大台に乗る。
亡くなる人の数が多くなると、必然的に相続が多く発生する。その際、人が最も悩むのが「自分の持っている資産をいかに減らさない形で次世代につなぐか」である。試算では、今後、毎年50兆円規模での相続が発生すると言われている。
家計の資産は現預金、証券類、保険類、そして不動産だが、相続で一番悩ましいのが不動産だろう。「家を半分に切って分けましょう」とはならない。しかも不動産は地方では資産デフレの影響を強く受け、価値が回復する兆しがいっこうに見えない。
そうしたお客さまの課題に対して、どのようなソリューションや証券商品を提供できるのか。リテール部門が、まず考えなければならないのがこの課題だ。
一方30〜40歳代の、これからお金がかかり、人口減に伴う将来不安も募ってくる人たちの資産形成にどのような支援ができるのか。まとまったお金をまだ持っていないなかで、どうしたら資産を創生し、増やせるのか。
「自分でデイトレーディングをして稼ぐ」と言う人もいるかもしれないが、連戦連勝できるほど取引をめぐる環境は甘くはない。これだけグローバル化が進んで他国の動向による自国経済の変動度合いが強まり、地政学的な衝撃力も強まっているなかで、自力で経済動向を的確に見通していくのは難しいだろう。
証券理論では、価格が高くても安くても毎月一定額でずっと購入し続けていく「ドル・コスト平均法」の長期累積投資は優れた手法とされている。それをお客さまに理解していただき、お客さまの期待に応えられる商品を提供できるか。証券会社には、資産形成に対する真摯な姿勢が問われる。
私が5年前に社長になったとき、「リテールのビジネスモデルを変えなければならない」と号令を発し、お預かり資産の増加を目標としたのも、こうした理由からだった。
相続していく世代と、資産形成が必要な世代は、一口で「お客さま」と言っても抱えている課題やニーズはまったく異なるのだ。我々としては、お客さまのニーズに合った商品を提供していく。
「貯蓄から資産形成へ」が進むには
こうした、今の日本人が抱える資産形成についての2つの課題を頭に入れて「貯蓄から資産形成へ」を考えてみる。
「貯蓄から資産形成へ」の論旨は、簡単に言えば家計部門の金融資産が、銀行預金や要求払い性の預金に偏在しており、株式や投資信託や債券などに向かわず、この比率が非常に少ない。その結果、経済を活性化するための活動に回る資金が少なく、経済の停滞からなかなか脱却できない、ということだろう。
2017年3月現在での家計金融資産は1800兆9397億円ある。で、家計金融資産のうち現預金が52.3%を占め、ついで保険・年金・定型保証が29.8%、そして株式・投資信託・債務証券が15.1%だ。一方アメリカは現預金は13.9%で、株式・投資信託・債務証券が51.2%。日米では構造が真逆だ(『資金循環の日米欧比較』日本銀行 2016年12月)。
これらの比較を通して「貯蓄から資産形成への流れができていない」と強調される。しかし私からすれば、この考えは大きな誤解だと思う。「日本の人は貯蓄好き」と言われ、そうした気質があるのは否定しない。しかし日本の家計資産も、株式などへきちんと回っていた事例はあるのだ。
例えば1990年前後、いわゆる高度成長を経てバブル期を迎えたときには、統計の取り方によって若干数字は異なるが、個人金融資産の三十数パーセントは有価証券だった。郵便貯金を除くと、さらに比率は高まる。しかしバブルが弾けて以降は、比率はどんどん低下して11〜12%台にまで下がった。
注釈を加えておくと、日本には「郵便貯金」という特殊な金融形態がある。日本における銀行は、澁澤榮一の「国立第一銀行」など多くの銀行が相次いで設立されたように明治になって登場したものだ。
しかし地方では銀行の仕組みが浸透せず、庶民の資金を産業創成に振り向ける仕組みがなかった。そこで国の大政策として成されたのが郵便事業で張りめぐらされたネットワークを利用してお金を集める「郵便貯金」だった。それは生活のための口座として根を張っていく。
戦後の高度成長でインフレになり、インフレになればお金を現ナマで持っているよりも有価証券に投資すればインフレヘッジになり資産が増えていく。
逆にバブルが崩壊した1990年以降は、日本は先進国でいち早くデフレ時代に入った。これが20年続いている。デフレのときは、キャッシュが一番強い。今年100円の商品が1年後には98円で買える。そうならば今、無理して買う必要はない。お金を手元に置いておけば1年後には2円儲かるからだ。そんなときに有価証券に投資しても、負けてしまう。だからこそ人は、有価証券からキャッシュへと振り替えた。
つまり、日本の人たちは、非常に賢く、正しい投資行動をとっているのである。失われた20年間の動きをつかまえて「『貯蓄から資産形成へ』が進んでいない」と説くのは、それは当たり前のことなのだ。
だからこそアベノミクスが始まり、脱デフレへの期待が高まると、再び有価証券に資金を振り向けている。その比率が15.1%というものだ。
世界経済の成長率は3%台半ばだが、日本経済もそれと同じぐらい成長し、ものの値段も上がっていくと皆が信じたら、キャッシュから有価証券に家計資産はシフトするだろう。
そうした上で冒頭に紹介した日本の人たちの資産形成での2大課題を踏まえた対応ができるかどうかが、証券会社のリテールの勝負所になる。
グローバルの規模競争には一線を画すが
マザーマーケットのアジアでは負けない
これからの証券会社は、中長期的なスパンでお金の流れに合わせたビジネスインフラを整備していかなければならないだろう。それはグローバルな事業戦略とも絡んでいる。
証券は、国が経済成長する過程では一番最後に育つビジネスだ。1人当たりGDPが2000〜3000ドルぐらいになると生活用品がチープで品質の悪いものから良い品質のものに変わり始める。7000〜8000ドルぐらいになると家電製品の普及が始まる。1万ドルを超えるとやっと金融のビジネスが育ち始めるが、これは間接金融だ。そして1万ドルの後半ぐらいになると初めて有価証券への投資を通じて資産形成を考えるようになる。
例えばアジアを見れば、シンガポールのように日本を上回る1人当たりGDPの国があれば、一方でまだ1000ドルにもなっていない国もある。
ここでグローバルの戦略の視点が生まれる。地球は丸く、24時間で一周する。人は1日8時間働くとすると、グローバル事業の遂行には3極が必要になる。地球儀を縦に割ってみればニューヨークを中心としたアメリカ、ロンドンを中心とするヨーロッパ、そしてアジアがある。
私たちが「グローバルにやる」と言っても、全地域に直接出る必要はなく、例えばラテンアメリカなら北米拠点が、アフリカならばヨーロッパ拠点が担えばよい。
だが、アジアは私たちのホームグラウンドであるマザーマーケットであり、ここで勝負して負けるわけにはいかない。
では野村證券はどう戦えるのか。私たちは商業銀行ではないし、バルジ・ブラケット(世界経済への影響が大きい投資銀行群)の一角ではあるが、規模的には小さい。ドメスティックなブローカーでもない。
グローバルマーケットでの戦いは基本的にはホールセールだが、戦い方は非常に難しい。
とすれば野村證券のグローバルビジネスは、野村證券が持つ勝ちパターンで挑むのが一番正しいのではないかと考えている。すなわちリテールとホールセールの「クルマの両輪モデル」だ。両者の相乗効果を生み出し、発揮させることが野村證券の強みである。
国内でのホールセールで圧倒的に強い要因の一つは、リテールの販売力があり、それは引き受けの高いシェアにも繋がっている。両者のシナジーで強さを発揮できている。これをアジアで展開できないかと考えている。
現在、ホールセールのグローバルのフィープール(市場規模)では、アメリカが5割を占めている。アメリカが主戦場だ。
一方で、2050年にはアジアのGDPが世界の50%を占めると言われている。そのとき、アジアが世界のフィープールの半分を占めてもおかしくはない。と言っても先にも書いたように、アジアのマーケットは発展の途上のところもあり、証券ビジネスが根付くには、まだまだ長い時間がかかるだろう。だからこそ今から石をゆっくりと置いていく。
私たちなりのやり方でアジアをマザーマーケットにし、アジアとアメリカ、ヨーロッパをつなぐビジネスを一番の強みにしたい。「Connecting Markets East & West」と掲げているが、私たちがやろうと考えているのは、アジアをマザーマーケットにしたグローバル金融サービスグループへの成長だ。
テクノロジーの進化は「業そのものを変える」
これからの事業戦略を考えるときに、もう一つ絶対に無視できないのがテクノロジーの進化だ。北欧では、すでにほとんどキャッシュレスになっている。
私はITやAIなどについて、最近、ちょっと考えを変えた。以前は、「テクノロジーの進化を、私たちがやろうとするビジネスモデルの構築のために上手く使っていけばいい」と考えていた。
しかし、それはひょっとすると違うのかもしれないと思ったのだ。「テクノロジーの進化が、私たちの業そのものを変えてしまうのではないか」。どう変えるのかは分からないが、ここ数年、実際に業が変わるようなケースが目立ってきている。
そこで2年ほど前に「フィンテック委員会」を設けて議論を始め、さらに専属で考える集団(室)をつくることにした。FIO(Financial Innovation Office)、金融イノベーション推進支援室と名付けた。活動拠点も本社がある東京・大手町ではなく、渋谷を中心としている。
FIOのメンバーは社内外から公募した。私は、「今までの野村のカルチャーと違う人でなければ、将来のイノベーションによってもたらされる変革をイメージしたり事業化できない」と指示を出した。
毎月1回、FIOのメンバーと昼飯を共にしながら数々の興味深いテクノロジーについてレクチャーを受けている。また彼らは連携パートナー見つけてきてビジネスを提案する段階にも入っている。詳細は書けないが、実におもしろく、興味深く、「本当に世の中は変わるのだな」と実感できる提案がたくさん出てきている。
ディープランニングでAIがさらなる進化を続ければ、私たちの業界でもなくなる職種がたくさん出てくるだろう。
私がフィンテック委員会やFIOの設立などを通じて新しい技術への構えを備えるのは、イノベーションが起きたときに一番負けるのは既存のマーケットのチャンピオンであるからだ。いわゆる「イノベーションのジレンマ」だ。
既存のマーケットで高いシェアを握り、圧倒的なビジネス基盤を持っている者ほど、イノベーションが起きたときに「そんなことに対応する必要はない。なぜなら今、ここで十分にやっていけるのだから」という慢心から抜け出せないのだ。そうしたケースを私たちは嫌と言うほど見てきた。
またイノベーションの変革の姿は私たちの足元にもある。個人の株式トレードでは、国内ではネット証券5社が8割のシェアを握るまでになっている。これはすでに起きている事実だ。
実は国内の証券会社で初めてオンライントレードを始めたのは野村證券だった。「ファミコントレード」と言っていた。確か80年代のことだった。ファミコンで株式取引ができる、とは画期的なアイデアだった。しかし当時の通信回線のスピードは遅く、お父さんが回線をつなぐと家の電話は何時間も使えない。電話料金も高くなる。
状況が変わったのはWindows95が出て以降で、パソコンの性能が飛躍的に向上し、光通信網が普及し始め、2000年代に入るとオンライントレードは爆発的に普及した。しかしそれを待てずに野村證券は一度、撤退してしまった。アイデアは良かったが10年早すぎた。
イノベーションに対して謙虚に向き合い、かつ“目利き”とも言える者たちとの新しいカルチャーづくりに備えるのは、こうした苦い経験もあってのことなのである。
(野村ホールディングスグループCEO・代表執行役社長 永井浩二)