「毒タマゴ」1070万個!ドイツメディアをジャックした騒動の顛末 実は怖いもの好きのドイツ人
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52619
2017.08.18 川口 マーン 惠美 作家 現代ビジネス
■「毒タマゴ」とは何か?
7月後半から2週間、ドイツでは、ニュースをつければ卵の話ばかりだった。フィプロニルという殺虫剤で汚染された卵が出回っているとかで、ニュースの見出しには「毒タマゴ」というおどろおどろしい言葉が踊る。食べれば即死しそうな勢いだ。
養鶏場の従業員が巨大なコンテナに何千個もの卵を、これでもか、これでもかというように捨てていく映像が流れる。コンテナの中は黄色い卵汁の池のようになり、そこに壊れた殻が悲しく浮いている。「危険ゴミ『卵』」だとか。ドイツ人は、こういう「怖い話」が大好きだ。
まず、ざっと時系列で見ると、フィプロニルで汚染された卵がオランダの養鶏場で発見されたというニュースが私たちの耳に入ったのが、7月22日。
フィプロニルというのは、獣医が猫や犬などのノミの駆除に使う分には問題がないが、人間がその肉や卵を食べる動物に使用することは禁止されている。そういう動物のいる畜舎に噴霧してもいけない。
ところが、ベルギーの会社が、畜舎の清掃・消毒に使う薬剤の中に、フィプロニルを混ぜた。それをオランダの清掃会社が畜舎の清掃に使った。テレビニュースでは、マスクをした清掃員が鶏の小屋に消毒液を黙々と噴霧している映像が何度も繰り返し出てきた(ただし、撒いているのがフィプロニル入りの消毒液であるとは言わなかった)。
いずれにしても、この清掃会社が、オランダ国内180ヵ所の養鶏場でこの消毒液を使用したということはわかっている。だから、そこにいた鶏が産んだ卵から、残留フィプロニルが発見されたのである。
7月26日、オランダの管轄の役所が、その180ヵ所の養鶏場を営業停止にした。ドイツでも、この消毒薬を使用していた養鶏場が4ヵ所あり、それらがやはりただちに閉鎖された。
ただドイツの問題は、ベルギーとオランダから大量の卵を輸入していたこと。実はドイツは、年間80億個の卵の大輸入国なのだ。そこで8月の初めにはスーパーや小売店で大々的な卵リコールが始まり、あれよ、あれよと言う間に地獄の蓋が開いたような騒ぎになってしまった。
アルディという大型安売りスーパーは、即座に卵の販売を中止。こうして、短期間にドイツで廃棄された卵の数が1070万個! 念のため、私の買うスーパーのHPを見てみたら、「うちではオランダ産のタマゴは使っておりません」とあった。
■たとえ規制値を超えても…
そうするうちに、タマゴ事件はオランダ、ベルギー、ドイツのほか、イギリス、オーストリア、ルーマニア、デンマーク、オランダ、スウェーデン、ルクセンブルク、フランス、スロバキア、スイスと拡大し、まさかの香港にまで飛び火した。
ちなみにデンマークで見つかった汚染卵はベルギー産で、社員食堂やカフェ用に、剥きゆで卵やスクランブルエッグとして入ったものだそうだ。また、ルーマニアでは、ドイツから輸入した液状卵1トンから汚染が見つかった。卵がこれほどいろいろな形状で流通していることを、私はこの度初めて知った。
まもなく、オランダとベルギーのあいだで責任の押し付けあいが始まった。誰がいつからフィプロニル入り消毒液の存在を知っていたかということだ。すでに警察の捜査も入っており、8月10日には、オランダの養鶏場専門の清掃会社Chickfriend社の幹部2人が逮捕された。一方EUでは、食料と飼料に関する緊急警告システムが機能しなかったことが問題視され、9月に臨時委員会が召集されることになった。
その間もドイツのニュースでは、「こうすれば毒卵を見分けられる!」とか、「これからは何でケーキを焼けばいいの!?」など、センセーションを狙っているとしか思えない見出しが踊り続けている。買い物中にインタビューされたお客が、「タマゴ? 私はもうぜったいに食べません!」と決然と答えている映像も流れた。
ただ、ニュースをよくよく読んでみると、毒タマゴを食しても何ら健康被害はなさそうだ。
フィプロニルが検出されたことは事実だが、規制値を超えているわけではない。それどころか、今回一番高い数値を示した汚染卵を、体重65kgの成人が24時間で7個食べても、まだ、規制値には至らないという。また、たとえ規制値を超えて食べても、別に実害はないそうだ。
フィプロニルは、動物実験では、神経系統、肝臓、腎臓、甲状腺に障害をもたらすという。人間では吐き気、嘔吐、頭痛。しかし、発がん性はなく、遺伝子にも影響しない。肌や目に対する刺激もなし。
言い訳のように書いてあるのは、「ただし、幼児が汚染卵を1日に2個食べると、規制値に至る可能性があり、何らかの健康被害を誘発する可能性がないわけではない」。
■「怖いもの好き」のドイツ人
EUで売られている卵には印字がしてあり、その卵の産地はもちろん、どこの養鶏場のどの畜舎で産卵されたものか、産んだ鶏がどんな飼料を食べているか、放し飼いか、あるいはケージ飼いかなどが、誰が見ても一目瞭然となっている。
ただ、加工品には卵の身元は書かれていないので、ヌードルやケーキに汚染卵が使われていてもわからない。だが、それを言うなら、私たち消費者には、加工食品の中身どころか、穀物や野菜などの汚染度も、食肉に残留している抗生物質の値も、どのみちまったくわからない。
今はフィプロニルが槍玉に上がっているが、他にも農薬や添加物の種類は何百もあるし、世界では毎日大量の食糧や加工品が縦横に流通している。しかし、検査は抜き打ちでかろうじて行われているに過ぎない。絶対に安心なものを食べたければ、よほど信用できる農家や肉屋から直接買うしか手はないのだ。
なお、卵の汚染事件は、今回が初めてではない。2010年には、ウクライナ産の有機栽培であったはずのトウモロコシ飼料がダイオキシンで汚染されていたし、その翌年には、飼料メーカーのミスで、飼料に工業用脂肪が混入し、大騒ぎとなった。
それにしても、7月末のドイツでは、1週間にわたって、卵事件がほぼずっとトップニュース扱いだったのには驚いた。福島第一原発が水素爆発した当時、ドイツでは、日本全体が放射能の雲で覆われているかのような報道が続いたことを思い出した。
日本にいたドイツ人が一斉に出国し、それどころか、ドイツ国内でガイガーカウンターやヨウ素の錠剤が売れた。東京のドイツ大使館は半年後も人が戻らず、4分の1が空席のままだった。リスクに関する過剰反応は、ドイツ人の特徴でもある。
一方、イギリスは震災のときも、今回も落ち着いていた。当時、ルフトハンザは欠航したが、英国航空は通常運行だった。今回もイギリス当局は、「汚染卵を食べても実害はない。食べるかどうかは自分で決めるように」と発表した。
英語に「ジャーマン・アングスト」という言葉がある。アングストとは、ドイツ語で「不安」の意味。ドイツ人の「不安」は「怖いもの好き」の裏返しらしく、だからメディアも好んでその方向に走り、ときどき国民の不安を煽ってあげているようだ。