60歳過ぎたら「定年する」ではなく「隠居する」を目指せ
http://diamond.jp/articles/-/137186
2017.8.2 楠木 新:ビジネス書作家 ダイヤモンド・オンライン
現役サラリーマンは、自分で自分の生活と人生の時間を簡単にはコントロールできない。しかし、定年になれば話は別だ。自ら裁量を発揮できる定年後は、好きなことに思う存分、取り組める。60歳から、そんなイキイキした時間を謳歌するには、どうすればいいのだろうか。(ビジネス書作家 楠木新)
■伊藤若冲は40歳で家督を譲り、絵描きになった
原稿を書くために、「定年」についてあれこれと検討を重ねていると、定年に近い概念として「隠居」があることに気づく。
「隠居」は、辞書で見ると、「勤め・事業などの公の仕事を退いてのんびりと暮らすこと、世俗を逃れて山野などに閑居すること」とある。
隠居と言えば、京・錦小路にあった青物問屋の主人だった伊藤若冲が40歳で家督を弟に譲って有名な「動植綵絵」を描き始めたことや、49歳で家業をすべて長男に譲って江戸に出て、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬などが頭に浮かぶ。
定年は法律や会社の就業規則に根拠があるが、隠居は仕事を引退した後の暮らしぶりのことだと理解している人もいる。しかし戦前の旧民法には隠居の規定があった。
戦前は、家族の統率・監督を行うための権限を戸主に与えていた。その戸主たる地位である家督を相続人に承継させる制度が家督相続であって、隠居は死亡などと並んで家督相続の開始原因の一つであった。隠居ができる条件は下記のとおりである。
1.(年齢)満六十年以上なること(752条)
2.完全の能力を有する家督相続人が相続の単純承認を為すこと(752条)
現在の多くの会社の定年と同様、60歳が基準となっている点が興味深い。こうして見てくると、隠居も定年も世代交代を目的に一定の年齢に達したことによって引退するという意味では共通している。
ただ隠居に関する一般の書籍を読むと、イキイキした老後の姿が描かれている本が少なくない。例えば、大学や研究機関の職を歴任した後、引退後に書いた加藤秀俊氏の『隠居学』、『続・隠居学』では、好奇心あふれる隠居の日々やそこで考えたことを書いている。また『江戸の定年後―“ご隠居”に学ぶ現代人の知恵』(中江克己)と読むと、隠居後に充実した人生を過ごした人たちが数多く紹介されている。先ほどの伊能忠敬についても書かれている。
これらの本を読むと、定年になった会社員から聞こえてくる声とは比較にならない自由な精神が横溢している。
■会社生活は「ツアー旅行」だった
私は著書『定年後』(中公新書)の原稿を書きあげるために、年末年始の休みを返上して取材と執筆に追われていた。その時にもテレビ『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系列)だけは2時間半の間ずっと見ていた。
かつてのアイドル歌手太川陽介さんをリーダーにして、漫画家の蛭子能収さんと毎回異なる女性ゲスト1人を加えた3人が、路線バスだけを乗り継いで目的地への到達を目指す(2017年3月から新メンバーに変更)。
普通の旅番組とは違って、この旅には3つのルールがある。
◆ルール1:移動は原則としてローカル路線バスのみを使用。 高速バス、タクシー、鉄道などの他の交通機関の利用は禁止!
◆ルール2:目的地へ向かうルートは自分たちで決める。 情報収集のためにインターネットを利用することは禁止! 紙の地図や時刻表、案内所や地元の人からの情報のみ使用OK。
◆ルール3:3泊4日で指定の目的地にゴールすること。 旅はすべてガチンコで店などの撮影交渉も自分たちで行う。
リーダーシップと計画性があって細やかな気遣いのある太川さん、常識にとらわれずに自由奔放に発言する蛭子さんの対照的なコンビと女性ゲストが、時間に追われながら地図や時刻表と格闘してその場その場で行路を選択しながら目的地に向かう。宿泊場所も自分たちで探す。路線バスがつながっていない時には、次のバス停まで雨や炎天下の中を数キロ歩くこともある。
「定年後」にイキイキと過ごしている人たちの共通項をまとめるためにノートに一人ひとりを書き出して眺めていた時に、はたと気がついた。彼らは、この“ローカル路線バスの旅”をしているのではないかと思ったのだ。
つまり目的地へ向かうコースを自ら選択して、周囲の人の助けを借りながら進む。高速バスやタクシー、鉄道に乗るのとは違って、自分が進む道筋を自分で切り開いている。決して他人任せにしていないのである。
やはり定年時点での主体的な意思や姿勢が大切なのだ。早期退職して起業したある先輩は、定年退職日に辞めるか、その一日前に退職するかだけでもその落差は大きいと語っていた。主体的な意思は定年後を考える際の大きなポイントである。
先ほどの隠居と定年の比較から言えば、隠居は自由意思に基づいた主体的な選択であるのに対して、定年は本人の意思にかかわらず引退する意味合いが強い。
そういう意味では、会社で働いていたときはツアー旅行やパック旅行だったと言えるかもしれない。目的地に行くのに会社がある程度おぜん立てをしてくれる。
もちろん社員の自由度がないわけではないが、基本は自己主張せずに仲間に合わせている。またそういう主体的な姿勢を切り捨てることが社内での昇進や昇格に結び付いている面もある。
ローカル路線バスの旅では、何が起こるか予想がつかないのでハプニングに遭遇したり、ルート選択を誤って後戻りしたりすることもある。
しかし定年後になっても平穏で波風が立たないパック旅行ばかり求めていては、何のために生きているのか分からなくなる。せっかく生まれてきたのだから、人生で一度くらい「俺はこれをやった」と言えるものに取り組んでみたいものだ。
この番組を見ていると、まるで3人と一緒に旅をしているかのような気持ちになるのは、自分の中に自由に行動したいという願望があるからだろう。好調な視聴率を続けているのもうなずける。
■60歳から75歳の15年は「自己の裁量で好きなように生きられる」
東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子特任教授は、「長寿時代の科学と社会の構想」(『科学』2010年1月号)の中で、長年携わってきた全国高齢者調査の結果を紹介している。この調査は、全国の60歳以上の男女を対象として20数年にわたり加齢に伴う生活の変化をフォローしている。約6000人の高齢者が対象である。
図は、お風呂に入る、電話をかける、電車やバスに乗って出かけるといったごく普通の日常生活の動作を人や器具の助けなしでできる、つまり自立して生活する能力が、加齢によってどう変化するかを示している。
この調査を見ると、男性には3つのパターン、女性には2つのパターンがあり、総括していえば、男女とも8割を超えた人が、いわゆる後期高齢者に該当する70代半ばから徐々に自立度が落ちてくる。
逆に言えば、大半の人は75歳近くまでは、他人の介助を受けずに自立して生活することができる。今回の執筆をする際に話を聞いた70歳前後の人たちほぼ全員がこの調査内容に同意を示していた。
人生には自分で自分のことを簡単にはコントロールできない時期と自ら裁量を発揮できる時期がある。
定年になる前の60歳未満の現役の時は、家族の扶養義務なども大きいのでなかなか自分の好きなことに取り組みたいと思ってもそうは簡単にはいかない。しかし定年後は時間的にも気持ちの面でも自分でコントロールできる範囲が広がる。
そして私が特に強調したいのは、60歳から74歳の15年間は、家族の扶養義務からも解放されて、他人の介助を受けずに自己の裁量でもって好きなように生きることができる最後で最大のチャンスだということだ。今回の『定年後』で、この期間を「黄金の15年」と名づけてみた。
そう考えると、定年までの会社生活はリハーサルで、定年後からが本番だと考えていいのではないか。定年後もイキイキと過ごしている人たちの顔を思い浮かべるとそう思うのである。
先ほどは、隠居は自由意思に基づいた主体的な選択であるのに対して、定年は本人の意思にかかわらず引退する意味合いが強いと述べた。
定年ではなく隠居を目指したいものだ。就業規則にも「定年」の文言に並べて「隠居」を盛り込んでもいいかもしれない。会社は判定委員会を設置して、60歳になった社員から今後の話を聞いて、「定年」か「隠居」に該当するかをジャッジする。
そして「隠居」と判定されれば、会社は社員に金一封を渡せばいいだろう。なぜならそういう社員は会社により多く貢献してきているはずだからだ。それに加えて社員はローカル路線バスのチケットも手に入れることができるのである。
(ビジネス書作家 楠木 新)
『定年後 50歳からの生き方、終わり方』
楠木新著 中公新書 定価780円(税別)