https://blogs.yahoo.co.jp/taked4700/15086595.html
2004年スマトラ島沖地震と2006年2月の島村英紀北大教授の冤罪逮捕
2004年12月にM9地震であるスマトラ島沖地震が発生しました。M9地震は一回発生すると数回数年から10年程度の間隔をあけて数回連鎖することが歴史的に分かっています。例えば、1952年のカムチャッカ地震M8.8、1957年のアリューシャン地震M8.6、1960年のチリ地震M9.2、1964年のアラスカ地震M9.1( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E8.B6.85.E5.B7.A8.E5.A4.A7.E5.9C.B0.E9.9C.87.E3.81.AE.E4.BE.8B )です。ところが、2004年のスマトラ島沖M9地震発生以後、日本でもM9地震が起こる可能性があることは、多分、全く話題になりませんでした。2004年スマトラ島沖地震M9を見て、日本での危険性が指摘されるべきなのは、1960年チリ地震M9の前の1944年から1946年に日本で昭和東南海地震と昭和南海地震が起こっていて、日本の太平洋プレート付近に歪みが蓄積されていることが推察されることから、ほぼ明らかであったはずなのにです。
2004年12月のスマトラ島沖地震M9のほぼ3か月後の2005年3月に次のできごとが発生します。
(*以下、ウィキの「島村英紀」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%9D%91%E8%8B%B1%E7%B4%80 から引用開始:)
地震計横領疑惑と逮捕拘留と冤罪主張
2005年3月、ノルウェーのベルゲン大学に北大所有の海底地震計を売却したとの業務上横領の容疑で北海道大学から告訴される。しかしこの告訴を受理した札幌地検は業務上横領では立件するには無理と判断し、2006年2月1日、詐欺罪で島村を逮捕し起訴、171日間拘留した。
札幌地裁での裁判では詐欺罪の被害者とされたノルウェー・ベルゲン大学の研究者が詐欺の被害を受けたとは思っていないと証言したほか、海底地震計はそもそも北海道大学の備品にもなっておらず、島村が独自に世界に先駆けて開発したもので北海道大学の所有物ではないと主張したほか、実際には売買は行われていないと主張した。しかも「売った」とされた海底地震計が北大に残っていて、ベルゲン大学はなにも言ってきていなかった。つまりベルゲン大学が支払ったお金は「共同研究費」だった。ただベルゲン大学が、ノルウェーの石油会社からの研究予算獲得のために形式上「買った」形にしたかったのであった。本当はベルゲン大学の事情であった。さらに、入金した金は、検察がいくら調べても、私用に使った形跡はなく、すべて研究費に使われていた。これらのため、北海道大学が告訴して札幌地検が受理した罪名は「業務上横領」だったが、途中から「詐欺」に変わったのは業務上横領では立件できないという検察の見通しゆえであった。このほか、たとえ材料や原料は北海道大学の研究費で買ったとしても、それを使って開発した、世界になかった海底地震計は北海道大学のものではなくて研究者のものだという議論もある。
しかし2007年1月12日札幌地裁で懲役3年、執行猶予4年の判決が出た。2007年刊行の著作『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』で、地震予知に対して批判的であったため国策で起訴された冤罪だ[21]と主張している。島村はこのような国策逮捕・国策起訴では控訴しても無駄だと控訴を断念し、2011年1月に執行猶予が終った。島村はこのほか、執行猶予期間中に4冊、その後も含めて合計13冊の本を出した。
この間、島村は北海道大学から2200万円の損害賠償を求められ、民事で提訴されている。北海道大学の訴えの内容は、島村が大学の備品の海底地震計をノルウェーの大学に売却し、代金約2000万円を島村の口座に振り込ませたというものであった。2006年10月25日に和解が成立し、同年11月1日に島村が1850万円を支払うことで決着がついた。この問題について、島村側は「振り込まれた研究費を自分の口座に入れたこと」は「大学に相談したが、大学では外国から研究費を受けとる仕組みがなかった」と主張している。
(*以上引用終わり)
この逮捕が不当なものであることは、上のウィキの記事でも十分に分かりますが、現在、島村氏が武蔵野学院大学特任教授を務め、マスコミにも多く登場されていることからも明らかです。なお、島村氏のホームページ( http://shima3.fc2web.com/bunko-hannnou.htm )でもある程度のことが述べられています。特に、北大との民事裁判の中身についての記載である「今回の逮捕・起訴で、島村グループとして続ける予定だった海底地殻の研究が継続できなくなったので、今後も研究を続けてもらうため、精算して残った研究費1850万円を北大に返却する」( http://shima3.fc2web.com/saibanntuushin14.htm )はこの事件に対しての島村英紀氏の対応が極めて良心的なものであったことを示していると思います。
問題は、この冤罪事件が起こったタイミングです。なぜ、明らかな無理筋の刑事事件化がされたのか?この事件が、スマトラ島沖地震M9が次に起こるM9が日本付近で予測できるという声をあげることへのブレーキとしてでっち上げられたのではないかと言う疑問がどうしても出てきてしまいます。
そして、実際、311大地震について、数日前から三陸沖を震源とするM6程度の地震が数十回も続き( https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/list/?sort=0&key=1&b=10101 )、陸域でも震度1以上が20回以上にわたり連続して観測されたのもかかわらず、大津波発生の危険性についての警告はされなかったのです。確かに、三陸沖に於いてM9地震を予測することはなかなか難しい面があったと思いますが、少なくとも明治三陸地震における大津波( http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CA0000616.html )と同規模の津波の危険性を警告出来たのではという気がします。なぜ、3月11日 14時46分ごろにM9地震が発生するまで、大津波発生の危険性が警告されなかったのか、疑問が残ります。そもそも、明治三陸地震の時も地震が沖合で相次いでいた様子です。
(*以下、「失敗知識データベース 明治三陸大津波」 http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CA0000616.html より部分引用開始:)
1896年(明治29年)6月15日は、日清戦争に従軍して凱旋した兵士たちを迎え、三陸の村々で祝賀式典が開かれ、兵士を迎えた家では宴もたけなわだった。またこの日は旧暦の端午の節句であった。男の子がいる家では親族が集まって祝い膳を囲んでいる最中の午後7時32分、小さな揺れを感じた。この地方は3月頃から小さな地震が続いていており、井戸水が枯れたり、水位が下がったり、いわしの大群が連日押し寄せマグロの大漁が続くなど、沿岸の漁村では例年と違う不思議な現象が起こっていた。
その日も、朝に弱い地震があり、何回も続いた後にこの地震が発生して、それは5分間ほど揺れた。そして、その10分ほど後にもまた揺れた。が、春以来の地震の中でも小さいほうであったので誰もあまり気にもしていなかったし、震害もなかった。
(しかし、実際はその地震は三陸沖約150kmを震源とするマグニチュード8.5という巨大地震であった)。
(*以上引用終わり)
現在を振り返ってみると、日本を代表する地震学者の一人で、前規制員会委員長代理の島崎邦彦氏が「大飯原発の基準地震動(耐震設計の目安とする揺れ)が過小評価され、地震想定には欠陥があるとした上で『(再稼働に向けた)必要な審査がまだ行われていない』と指摘」( http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/193706 )されていますが、このことに関する島崎氏以外の地震学関係者の発言はほとんどない様子です。
若狭湾は日本列島及び本州のほぼ中央に位置し、若狭湾の原発が事故を起こせば、関西都市圏だけでなく首都圏にも影響が及びますが、風向きと日本列島での立地位置を加味した原発の危険性評価については依然として行われていない様子です。
そもそも、福島第一原発事故以降、西日本に主に立地する加圧水型原子炉の再稼動が優先されました。その理由は、沸騰水型原子炉に比べて加圧水型原子炉は格納容器の大きさが圧倒的に大きく、水素爆発の危険性が少ないからだとされています。しかし、加圧水型原子炉にはドライベントの装置もウェットベントの装置も付けられてはいません。このことは、沸騰水型原子炉にある原子炉の下に設置されているドーナツ状の水タンク( 圧力抑制プール、サプレッションプール:http://www.cnic.jp/knowledge/2675 )が加圧水型原子炉にはそもそも設置されていないことからも明らかです。再稼働に向けて、加圧水型原子炉には、現在、フィルターベント装置が付けられる工事が進行中ですが、既に再稼働している川内原発でも未だにフィルターベント装置は付けられていません。実際にメルトダウンが発生したら、沸騰水型も加圧水型も、基本的に打つ手はないはずなのです。
西日本の原発の再稼働に際し、かなり話題になったのがコア・キャッチャーですが、現在世界で稼働中の原子炉でコア・キャッチャーを備えているものは中国の2基だけ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B9%BE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80 )であり、ヨーロッパでのものは、現在建設工事がされている2基で計画されているだけ( https://en.wikipedia.org/wiki/Core_catcher )です。コア・キャッチャー自体は決して安全性を担保する装置として普及しているものではないのですが、再稼動に際して話題になったのはコア・キャッチャーであり、ベント装置ではありませんでした。こういった議論の動向も、大掛かりな世論誘導がされたことを示唆しているように思います。
島村英紀氏は、現行の地震予知に対して批判的です。スマトラ島沖地震M9が発生する2004年の春に、「公認「地震予知」を疑う」( https://www.amazon.co.jp/%E5%85%AC%E8%AA%8D%E3%80%8C%E5%9C%B0%E9%9C%87%E4%BA%88%E7%9F%A5%E3%80%8D%E3%82%92%E7%96%91%E3%81%86-%E5%B3%B6%E6%9D%91-%E8%8B%B1%E7%B4%80/dp/4760124888 )を出版し、大金をかけて東海沖に地震計を設置した官僚の動きについての批判をし、その後も、同様な主張を続けています。日本の体制についてだけでなく、世界的な地震予知の体制についての批判がされている様子です。
なぜ、311大地震についてきちんとした警告がされず、また、311大地震以降、311大地震で破壊された地域の南北の両隣の地域でのM8以上地震の危険性について、311大地震直後はその危険性が指摘されていたにもかかわらず、その後、ほとんど言及がされなくなったのかを考えると、より大規模な世論誘導がされたのではないかと言う疑問が出てきます。
それは、国立大学の独立行政法人化です。「国立大学の法人化の経緯」( http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/03052701.htm )によると、平成11年4月に「国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ大学改革の一環として検討し、平成15年までに結論を得る」との閣議決定がされたのが発端の様子です。平成11年4月とは1999年4月であり、この4月に石原慎太郎氏が東京都知事に初当選しています。
そして、「文部科学省からの出向役員(理事に限る)の所属する国立大学法人」( http://www.shutoken-net.jp/2004/12/041208ps4.pdf )によると、2004年12月現在で、「多数の教職員が本人の意向に反して国家公務員身分を失ったことは重大な問題と言わねばならないが、それにも関わらず一部の文科省幹部職員は、事実上の公務員身分のままより高度な地位の理事職に就任しているわけである。まことに不公平・不公正な『火事場の焼け太り』と批判されても仕方がないのではないか。また役員出向者は、文部科学大臣から出向辞令を受け取っている以上、『本籍=文科省、現住所=国立大学法人』という事実上の文科省官僚である。国立大学法人法によって、国立大学の運営の自主性・自律性を高めると説明しながら、実際には多くの事務局長が事務局内にとどまらず、法人の最高の意思決定機関である役員会の構成メンバーに入り込んだわけであるから、国立大学に対する文科省コントロールは一層強化されたと言わねばならない。」との指摘がされています。
そもそも、北海道大学による島村英紀氏に対する告訴は2005年3月であり、前年である2004年には北海道大学の理事会にも文部科学省からの出向役員が就任( http://www.shutoken-net.jp/2004/12/041208ps4.pdf )しています。
日米合同委員会の組織図( http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/soshikizu.pdf )には、昭和35年6月23日設立の気象分科会というものがあり、そこには気象庁長官が日本側代表者となることが明記されています。昭和35年は1960年であり、チリ地震M9は1960年5月22日の発生でした。
2017年05月28日16時50分 武田信弘
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/843.html