夫がセルフビルドで建てたログハウスに、愛犬と暮らす賀川一枝さん。たき火でお酒を飲みながら満天の星を見るのを楽しみに、東京からも友人たちが泊まりに来る(撮影/工藤隆太郎)
職も介護もなんとかなった「山梨・都留市に移住してよかったこと」とは?〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170511-00000065-sasahi-life
AERA 2017年5月15日号
いい言葉を聞いたことがない。「少子高齢化」「福祉の縮小」「年金消滅」……。私たちの老後は本当に真っ暗なのか。このまま、ひたすら下流老人化を恐れる人生でいいのか。どこかに突破口はあるはずだ。「年を取るのは怖いですか?」――AERA5月15日号は老後の不安に向き合う現場を総力取材。
移住のハードルを高くするのは、地方=不便という先入観だ。だが、今移住先として主流になりつつあるのは「ほどよく田舎、ほどよく便利」という町。今回はアエラ独自の調査で、そんな町を探してみた。
注目したのは日本版CCRC(生涯活躍のまち)事業に取り組む自治体。同事業は、元気なうちに移住して趣味や仕事で生き生きと暮らし、介護が必要になっても安心して最期まで暮らせる、というコンセプトで国も後押しする。関東圏で特に熱心な町の一つが山梨県都留市。実際に同市に移住した人たちのケースを取材した。
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生まれも育ちも東京。料理人として長く働いていた小森谷四郎さん(62)が、山梨県都留市の存在を知ったのは、昨年の春のこと。移住が気になりだして立ち寄った東京駅近くの「生涯活躍のまち 移住促進センター」に、たまたま都留市のブースが出ていた。県東部に位置し、かつては城下町として栄えたこと、人口3万の町にしては珍しく、都留文科大学をはじめ三つの大学を擁することも初めて知った。何より好印象だったのは、JR中央線の大月駅から富士急行線で20分、新宿からだと80分という近さだ。
「移住先は慎重に決めたほうがいい、という人もいますが、私は、物事にはいい面と悪い面があって、悪い面を言い出すとキリがないから、なるべくいい面だけを見ようという考えなんです。だからまずは都留に行ってみて、いいと思ったらそれでいいかなと」(小森谷さん)
自らも移住者で同市の総務部で地域おこし協力隊として働く山中敏江さん(62)の誘いで現地を数回訪ねた。田舎で人がいないと想像したが、意外に賑わいがある。山中さんは上野に所有していた自宅マンションの売却や都留での不動産探しについても相談にのってくれた。善は急げと自宅マンションを売りに出すと、なんとすぐに売れた。もう進むしかない。
●家賃と光熱費は半額に
お盆には、市内で見つけた中古マンションに荷物を運び込んだ。部屋は60平方メートルで家賃は5万7千円。光熱費を合わせても7万円程度。東京では住宅ローンと光熱費で15万円近かったから約半額だ。とりわけ驚いたのは水道代の安さ。同市の水源は富士山の湧き水などで水質が良いため、浄水処理コストが安く済み、水道料金は2カ月で1500円程度と国内最安レベルなのだ。
さらに運良く、昨秋オープンした「道の駅」のレストランの料理人の仕事も見つかった。東京では勤めていた店の廃業後、諦めていた再就職。
「誰一人知り合いのいない町でも、仕事があればそこから人のつながりができます。今は『知り合い』レベルですが、これから休日に一緒に出かけたりできる『友達』を作りたいですね」
そう話す小森谷さんは最近、移住者・移住希望者と地元住民の交流グループに顔を出している。集まるのは月に1回で、取材当日は、都留市が来年夏の完成を目指しているサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)のモデルルーム見学が組まれていた。
サ高住は、介護のニーズが低い比較的元気な高齢者向けに、安否確認と生活相談のサービスを提供する施設。多くは有料老人ホームなどに比べ入居一時金が安く、国は補助金などで普及を促進しているが、地域によって整備状況にばらつきが大きい。山梨県の整備率は低いが、移住者受け入れに力を入れる都留市では、このサ高住をCCRC事業の目玉の一つに据えている。
この日、見に行ったのは大規模改修でサ高住にする計画の5階建ての雇用促進住宅。モデルルームは単身者向けで33平方メートル。案内役は、小森谷さんの移住をサポートした山中さんだ。
「家賃を3万円台に抑え、サービスの利用料、食費など込みで10万円程度にできればいいなと思ってます」
説明を聞きながら「やっぱり狭いよな」とつぶやいた小森谷さんだったが、「先々は体のことも心配。安否確認や相談にのってもらえるというのは心強い」と真剣なまなざしだ。参加者は皆、自分も入居する可能性を考えるから、どんどん意見が出てくる。
「洗濯機置き場はこっちに持ってきたほうがいいよね」
「共同の家庭菜園を作って、野菜を食堂で使うのはどう?」
「小森谷さんみたいに料理ができる人は、食堂で働くとか、入居者が掃除でもなんでも得意なことを生かして、ちょっとしたお小遣い稼ぎができるといい」
●夫の介護も移住先で
山中さんが「上の階に、本物の富士山を見ながら入れる銭湯を作るというのもありかな〜なんて」というと、皆の表情が一気にほころんだ。
「いいですね、銭湯」
「入居者だけじゃなくて、近所の人も入れるようにするといいかも」
この日の参加者の中で積極的に意見を出していたのが、2005年に東京・世田谷から移住した編集者の賀川一枝さん(55)だ。都留には、グラフィックデザイナーだった夫の督明さんと、犬を自由に遊ばせられるセカンドハウスを求めてやってきた。それまで何の関わりもなく、たまたま貸地として山あいの土地を紹介されたのがきっかけだ。当初は週末だけ来て夫がログハウスをコツコツと建てていたが、自然に囲まれた環境が気に入り、本格的に移り住んだ。
最初は夫婦と犬で楽しく暮らせればいいと、あまり周囲に関わることもなかった。ところが、水に関する機関誌の編集の仕事を通じて、都留の水の歴史や魅力を知り、市役所の職員とつながりを持ったことから、一気に人の輪が広がったという。
「自分から動き出してみると、田んぼや畑もタダで貸してもらえるし、何か呼びかけると何のトクにもならないのにすぐに手を挙げてくれる人が多い。都留の人はどうしてこんなによそ者を受け入れてくれるのかとびっくりしました」(賀川さん)
賀川さんは、よそ者にオープンな都留の土地柄は、かつて養蚕や織物産業で栄え、モノや人の流れが絶えなかったという歴史と、都留文科大学の存在によるところが大きいとみる。
「町の人にとって学生はよそ者だけど、アパートを借りてくれる大切なお客さんでもあるのでとても可愛がる。学生も町の人を第二のお父さん、お母さんと慕うという温かい関係があるんです。文科大には地域に貢献したいという真面目で熱い子が多くて、うちにもしょっちゅう泊まりに来て、一緒に畑をやったり、ご飯食べたりしてますよ」
賀川さんがとりわけ都留の良さを実感したのは、がんを患った夫を、働きながら在宅介護した時だ。夫は特殊ながんだったため、手術や主な治療は東京の病院で受けたが、車で1時間という近さがありがたかった。また地元の友人たちがネットワークを駆使し、ケアマネジャーや介護に関する情報を教えてくれるなど親身にサポートしてくれた。夫は2年前に他界したが、最期の時を、思い出の詰まった都留の家で過ごすことができて本当に幸せだった。賀川さんはそう振り返る。
一人になって、山の中の大きなログハウスに暮らすのは寂しくないのか。そう尋ねると、賀川さんは大きく首を振った。編集の仕事に加え、富士山の湧水で栽培する都留特産の「水掛け菜」の普及活動やコミュニティーづくりなどで大忙しだという。
昨年は借りている田んぼで初めて米づくりにも挑戦。収穫した米で仲間と餅つきもした。
「格別の味わいでした。東京にいると、どこのレストランがおいしいとか常に流行を追いかけてしまいますが、ここにはすぐそこに『ホンモノ』があると感じます」(賀川さん)
(編集部・石臥薫子、澤田晃宏、福井洋平)