東芝と日立は、東京スカイツリーのエレベーターをつくった(撮影/写真部・岸本絢)
日立と東芝 リーマン・ショック後の「危機対応力」に差〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170413-00000027-sasahi-bus_all
AERA 2017年4月17日号
沈まぬはずの“電機の巨艦”が1兆円超の巨額損失の渦に飲み込まれようとしている。原因は原発事業の失敗だ。成長期や昭和のニッポンを力強く牽引し、明日は今日より豊かな生活をもたらした名門企業で、一体何が起こったのか。そのとき社員や関係者は何を見て、どう感じたのか。そして何が元凶だったのか。AERA 2017年4月17日号では「苦境の東芝」を大特集。日本の重電業界を長年にわたってリードしてきた両雄である東芝と日立製作所。ところがいまくっきりと明暗が分かれている。
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東芝は、不正会計事件と原子力事業のつまずきで、2017年3月期、国内製造業過去最悪の1兆100億円の赤字見通し。「解体」か「上場廃止」かと騒がれる差し迫った状況だ。一方の日立は比較的好調で、約9兆円を売り上げる巨大企業の座を維持する。なぜ両社はかくも大きく差が開いたのか。
いくつかポイントが指摘できる。一つは危機対応力、08年のリーマン・ショック後のリスクマネジメントの問題だ。
●逃げずに対峙した日立 リーマン・ショック後の危機対応力に差
東芝は09年3月期決算で3436億円の純損失で赤字を計上。日立は同期、当時国内製造業で過去最悪の同7873億円の巨額赤字を計上した。07年以降4期連続の赤字で「沈みゆく巨艦」といわれた。今とは真逆、東芝が“明”で日立が“暗”である。赤字額の差から東芝は「傷が浅い」とも評価された。
ところが15年、東芝の不正会計事件で事態は一変する。東芝はリーマン後の業績不振を隠蔽するため、毎年不正会計を重ね、西田厚聰氏、佐々木則夫氏、田中久雄氏と社長3代にわたり、15年3月期までの7年間に税引き前利益累計2248億円を“水増し計上”していたのだ。だが日立は違った。最悪の決算から目をそらさず、長期性資産の減損など、その期に処理すべきものは何一つ先送りせず計上し、真正面から危機と対峙した。
日立はこの危機対応にあたって、日立本体から日立マクセルに出ていた川村隆氏を呼び戻し、本体の社長兼会長に据えた。川村氏は、世界中を回って金策に奔走。ところが、まったく相手にされなかった。当時の様子について金融関係者はこう明かす。
「“天下の日立”のはずが、誰もお金を貸してくれないばかりか、市場関係者から激しい叱責を浴びた。彼は死ぬほどショックを受けたんですね。厳しい現実を前に、愕然としたわけです」
この屈辱があったからこそ、川村氏は「覚悟」をもって構造改革に乗り出し、事業の“選択と集中”を実践した。
まず将来性が高いと判断した日立マクセルなど上場子会社5社を完全子会社化した一方、テレビのプラズマディスプレー工場は売却し、国内の薄型テレビ生産と携帯電話、パソコン用HDDからは撤退。事業が一部重複していた日立金属と日立電線を合併させ、既得権勢力の抵抗で改革が進まなかった分野に、危機こそチャンスと切り込んだ。
ところが東芝トップはこれとは逆に、部下に「チャレンジ」と称して現実離れした目標を強要し、組織ぐるみの不正に走った。その結果、主要銀行から融資の継続は得られはしたものの、構造改革に踏み切るチャンスを失ったのだ。
そんな東芝の西田、佐々木両氏らとは対照的に、日立の川村氏は立て直しに向かった。方向性を定めると、翌10年、中西宏明氏に後を託して会長に退き、二人三脚で改革を続け、11年3月期には2388億円の黒字を達成。13年度から2期連続で過去最高益を計上している。(経済ジャーナリスト・片山修)