「60歳以降も会社に残れる」という地獄
「定年男子 定年女子」の心得
体験して分かった、定年後の再雇用・起業の落とし穴
2017年3月27日(月)
大江 英樹
大江英樹(おおえ・ひでき)氏
経済コラムニスト。1952年、大阪府生まれ。大手証券会社で個人資産運用業務、企業年金制度のコンサルティングなどに従事。定年後の2012年にオフィス・リベルタス設立。写真:洞澤 佐智子
今、60歳で定年を迎えた人の多くが再雇用制度を利用して、引き続き同じ組織で働き続けています。東京都が行った「高年齢者の継続雇用に関する実態調査」(平成25年)では、86.1%の事業所が「継続雇用制度の導入」をし、定年到達者の65.8%が継続雇用されています。
実は私自身も定年を迎えた後、半年ほど古巣で働いた経験があります。私自身の体験で言えば、再雇用というのは想像したほどいいものではありませんでした。そのため結局、再雇用からわずか半年で嫌になり、会社を辞めてしまいました。元々、定年退職後は自分で起業したいと思っていましたが、再雇用後の仕事があまりにもつまらなかったので、結果的にそれが起業する私の背中を押してくれたのです。
そうした自分自身の体験からも、再雇用というのは、会社の規模、仕事の内容、社内での立場、そういった諸々のことを考える必要があると思っています。60歳以降も会社に残れると安心だからと、 “何となく”再雇用に応じて働き始めるのは考えものです。後で「こんなはずではなかった」ということにならないように、よく考えておくべきです。では、どういうところが良くてどういうところが悪いのでしょうか。
そもそも「再雇用制度」や「雇用延長」がこれだけ一般的となった理由は、2013年に施行された「改正高年齢者雇用安定法」にあります。この法律によって雇用を希望する人に対しては原則として最長65歳までは雇用が義務付けられることになりました。公的年金の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引き上げられるのに伴う改正です。
中小企業は「自分の必要性」を感じやすい
ただし多くの中小企業では、こうした法律ができる前から、60歳以上でも働いている人がたくさんいました。大企業と違って毎年新卒社員を採用するのが難しく人材はとても貴重で、長年仕事を続けてきてそれなりのスキルと知識を持った人に、60歳になったからといって辞めてもらっては困るからです。したがって中小企業の場合は、65歳までの雇用延長にとどまらず、70歳や75歳になっても働いている人がいます。現に東大阪市で町工場を経営している私の友人の会社では、最高齢社員は85歳だそうです。
こういう職場で長く働くというのはとても幸せなことだと思います。なぜなら、働く上で最も大切なことである「自分が必要とされている」状況が確実に存在しているからです。
ところが大企業の再雇用の場合はどうでしょう。大企業というのは多くの場合、個人のスキルで成り立っているわけではなく、組織で機能しています。ごく一部の特殊なスキルを持った人以外は、代わりはいくらでもいます。それに毎年新卒の若い人がたくさん入ってきますから、「ぜひとも会社に残ってもらいたい」という気持ちは会社側にはほとんどありません。「法律で義務付けられたから仕方なしに65歳まで働かせてあげる」というのが本音でしょう。
「権限と責任」が最大のインセンティブであることを知った
ここのところが実は最も大切なところです。
よく、「再雇用になったら仕事は同じなのに給料だけが大幅に下がる」とか、「役職が何もなくなるのでプライドを傷つけられる」といったことで、再雇用を否定的に見ている人がいますが、それは大きな間違いです。給料が下がったり、一兵卒として働いたりするというのは、当たり前のことで、私自身もそういう経験をしましたが、そんなことは全く気になりませんでした。
私が再雇用を経験して一番嫌だったのは、「権限と責任」があまり明確ではなかったことです。
「再雇用」という制度はまだ始まって間がないため、決して成熟した制度とは言えません。あらゆることが試行錯誤の真っ最中です。技術職や専門職であれば、それまでと全く同じことをすればいいわけですが、営業や一般事務職の場合、どこまで自分の責任と権限があるのかがはっきりしないと、実に居心地が悪いということになります。私は再雇用されてそのことに初めて気づきました。
給料が下がることは気にならなかったと言うと“きれいごと”に聞こえるかもしれません。ただ、サラリーマンにとって仕事をする上での最大のモチベーションは「報酬」ではありません。
仕事のやりがい、もっと具体的に言えば、自分にどれだけの権限と責任が与えられるかが大きいのです。課長になると、数名の部下ができ、業務指示や管理が任されます。さらに昇格して部長になれば、その範囲が数名から数十名に広がることになります。
自分に与えられる権限の大きさと、それに伴う責任の重さが仕事に取り組む上での最大のインセンティブになっていくのです。再雇用の場合は、それまでに持っていた権限と責任は、大きく縮小することになりますが、たとえ縮小したとしてもそれが明確であれば問題はありません。
ところが多くの企業においてはその「権限と責任」が明確に示されていない場合があります。まわりも接し方に気を遣います。そんな状況で働くのはつらいということなのです。
もちろん、そんな堅苦しく考えるのではなく、それならそれでできるだけ目立たないように「のんきな父さん」として職場で過ごすのも一つの方法でしょう。事実、私の知る限り、そういったのんびりとした再雇用生活を過ごしている人も少なからずいます。しかしながら、人間はプライドを失っては良い仕事などできるはずはありません。小さくても明確な権限が欲しいのです。
したがって、再雇用で働くのであれば、まずは会社とよく話合ったうえで自分の役割、そして権限と責任がどこまで与えられるのかをしっかりと確認しておくことが大切です。それが明確に示されないのであれば、私のように独立して自分の好きな仕事をやるということも選択肢に入れて良いだろうと思います。
「定年起業」で起きる2つの“勘違い”に注意!
再雇用が一般的になりつつある一方で、まだまだ数は少ないものの定年後のシニア起業も増えつつあります。私はシニア起業というのは、大いにやるべきだと考えています。なぜなら若い頃の起業とは異なり、年金や退職金などで当面の生活資金がある程度確保されている場合が多いからです。したがって、あまり難しく考えず、過大な目標を持たず、せいぜい最初は月に数万円のお小遣い程度の収入が稼げるぐらいを目標にしてやればいいと思います。
ただ、定年後に起業するにあたって、多くの人が勘違いしがちなことがあります。起業してもうまくいかないという人は数多くいますが、色々話を聞いてみるといくつもの勘違いをしていることが分かります。その代表的な勘違いについてお話したいと思います。
まず大きな勘違いの1つ目は「資格」です。定年後に何か資格を取ろうという人は多いようです。特に専門的な技術や知識を持っているわけではない、営業や事務職だった方に人気があるのが「ファイナンシャル・プランナー」(FP)とか「社会保険労務士」といった資格です。実際に年配の方でFPの資格を持っておられる方はとても勉強熱心です。
ただ、こうした方々の中には、「資格」を取れば仕事になる、と思っておられる方がいますが、それは大きな勘違いです。いくら資格を取っても顧客がいなければ仕事はありません。資格を取りさえすれば何とかなるというのは大きな幻想です。
大切なのは営業であり、どうやって顧客を作るかということです。FP資格を取ることによって、自分自身の勉強にしようと思うのであればそれはおおいに結構なことですが、この資格を取ったから仕事になるということは考えないほうがいいでしょう。
ではどうやって顧客を作ればいいのでしょうか?ここに2つめの大きな勘違いが存在します。それは「人脈作り」です。
起業する上で人脈が重要だというのはその通りです。しかしながら人脈を作ろうとして、いわゆる「ビジネス交流会」のようなものにせっせと出かけていくのは間違いです。人脈というのは単に知り合いとか名刺の数を言うのではありません。あなたの能力をちゃんと理解してくれている人が人脈なのです。そのためにはまずあなた自身が相手に何かをやってあげることが大切です。それによってあなたの能力を理解してもらい、少しずつ仕事が来るようになるのです。
そしてそこからが相手とは対等なビジネスとしてギブアンドテイクの関係が出来上がります。私が今まで仕事でうまくいったのもすべてそういう流れでやってきました。
ところがビジネス交流会の類はほとんどがテイクしたい人たちばかりの集まりですから、言わば“商売したいオーラ”むき出しの会合です。そんなところに出かけてもほとんど役に立つことはないでしょう。人脈づくりの基本はこちらから何かやってあげる、「ギブファースト」の考え方でないと決してうまくいくものではないということを知っておいてください。
再雇用にしても起業にしても大切なことは、安易に考えないことです。今までと同じ職場で働くのだから再雇用は楽だということでもありませんし、起業すれば未来はバラ色に輝いているわけでもありません。それぞれの働き方にはそれぞれの難しさも一方ではあります。自分の性格と自分がやりたいことは一体何だろうということをじっくりと考えた上で、定年後の働き方を選ぶのがいいのではないでしょうか。
次回、第5回は「老後が不安なら“老後”を無くせばいい!」をテーマに書きたいと思います。
本内容をもっと詳しく知りたければ…
『定年男子 定年女子 45歳から始める「金持ち老後」入門!』
「定年後は悠々自適神話」は崩壊。65歳まで働くことを覚悟している現役世代がほとんど。
しかし勤務先で再雇用されても仕事のやりがい、給与ともに大幅ダウンし、職場の居心地はひどく悪いのが現実だ。
さらに65歳で会社を「卒業」し、年金収入だけになったら、本当に暮らしていけるのか…。 親や自分の介護にかかるお金は? 60代からの就活ってどうやればいい?
人生100年時代に、経済的にも精神的にも豊かな定年後を送るために現役時代から準備すべきことを、お金のプロであり、リアル定年男子&定年女子のふたりが自らの経験と知識を総動員してガイドする。
定年男子 定年女子、トークイベントを開催!
『3月31日(金)、紀伊國屋書店大手町ビル店 紀伊茶屋にて!』
このコラムについて
「定年男子 定年女子」の心得
STOP! 老後破産。定年男子こと、元金融マンで経済コラムニストの大江英樹氏が本音で語る「金持ち老後」入門コラムです。「不安な未来」に向けて、何をどう備えるべきか。定年退職時に預金150万円しかなかったという自らの体験を基に、優しく解説します。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030600122/032400005
(時代のしるし)差別社会、若者を絶望させた
見田宗介さん「まなざしの地獄」
2017年3月22日16時30分
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見田宗介さん=静岡県河津町、郭允撮影
ちょっと変わった経緯をたどった論文です。元々は1973年に雑誌「展望」に掲載されて、少数の若い読者の強い共感だけがあるという状態が続いていました。表題作として単行本になったのは35年後、2008年です。それを機に初めて広く読まれるようになりました。
1969年、市民4人を射殺した連続射殺犯として、19歳の少年「N・N」が逮捕されます。永山則夫さん(元死刑囚=97年執行)です。ぼくが衝撃を受けたのは71年、彼の手記『無知の涙』を読んだときでした。
N・Nは地方で極貧の子供時代を送り、中卒で上京しています。手記の表紙には、漢字練習帳の写真が載せられていました。逮捕されたあとに字を覚えようとして何度も何度も字を書きつけたものです。
ぼくも子供時代に貧困を体験し、大学時代は「学生スラム」とあだ名される宿舎にいた。N・Nの言葉に共鳴しました。また、読んでいくうちに「これでぼくが本来やりたかった仕事ができる」とも思いました。
学生時代のぼくは、集団や社会を抽象的に概念規定したり分類したりするだけの社会学をつまらないと感じていました。社会とは、一人一人の人間たちが野望とか絶望とか愛とか怒りとか孤独とかを持って1回限りの生を生きている、その関係の絡まり合い、ひしめき合いであるはずです。切れば血の出る社会学、〈人生の社会学〉を作りたいと願っていた。1人の人生に光を当て、その人が生きている社会の構造の中で徹底的に分析する。その最初のサンプルを提示するつもりで書きました。
N・Nにとって都市は、若者の「安価な労働力」としての面には関心を寄せても、その人が自由への意思や誇りを持って生きようとする人間だという面には関心を寄せない場所でした。また社会には、出身や所属によってその人を差別し排除する構造もありました。「思う通りに理解されない」ことにN・Nは苦しみ、他者のまなざしに沿って自らを変形させていきます。
あのときN・Nを絶望させたのは、彼の出身ではないと思います。絶望させたのは、出身で差別する社会の構造です。
ぼく自身の体験を振り返っても、貧しいこと自体より、「貧しい人間は○○だ」などとレッテルを貼られることのほうがイヤだという感覚が強くあった。社会にあらかじめ用意されている安易な理解の枠組みにあてはめられ、それによってぼくという存在が理解されたかのように扱われてしまう問題です。
「まなざしの地獄」でぼくはN・Nの「精神の鯨」とも呼ぶべき断片を紹介しています。彼が見た夢みたいな話です。
鯨の背の上で大海を漂流している「ぼく」は、飢えて鯨に「君を食べていいかい」と聞きます。鯨は「仕方無いよ」と答え、「ぼく」は鯨をほんの少しだけ、また少しだけと毎日食べていく。3分の1食べたところでひどいことだと気付いて謝るのですが、鯨はもう死んでいた。そのとき「ぼく」は、鯨は自分自身の精神であったということに気付く、という話です。
電通の24歳の女性社員が過労自殺した事件が昨年、注目されました。あのときぼくは、N・Nのこの話を思い出しました。事件自体はもちろん、伝えられる通り、極端な長時間労働で心身が消耗した結果なのでしょう。ぼくが思ったのは、その背後には数え切れないくらいの〈精神の過労自殺〉があるのではないか、ということでした。
現代の情報産業、知的産業、営業部門などで働く若い人たちが、やむをえない必要に追われる中で「仕方無いよ」とつぶやきながら、自分の初心や夢や志をちょっとずつちょっとずつすり減らし、食いつぶしている。そしていつか、自分が何のために生きているのか分からなくなってしまっている。
「まなざしの地獄」は文学なのか、社会学なのか、哲学なのか、と尋ねられてきました。
近代の知のシステムは「文学」とか「社会学」とかいう様々な分類、壁を作って専門分化してきた。こういう壁は音を立てて崩れるときが来ると思っています。そのあとに現れる「人間学」のようなもの。その一環としてこの仕事が読まれる時代が来るといいな、と思っています。(聞き手=編集委員・塩倉裕)
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みた・むねすけ 1937年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。自由で持続可能な社会の可能性を理論的に提示した『現代社会の理論』や、真木悠介名義の『気流の鳴る音』などで知られる。人間の解放や幸福を希求する感性と透徹した論理性が共存する独特の著作で多くのファンを持つ。朝日新聞で80年代に連載した「論壇時評」も注目を集めた。
■「まなざしの地獄」(1973年)
貧困の底から中卒で上京した少年(永山則夫元死刑囚)が市民4人を射殺した事件に向き合い、自由な存在であろうと願いながら果たせなかった一少年の実存を当時の社会構造に位置づけた名論文。少年の手記や社会統計の分析を通じて論考は、人を出自などで差別する都市のまなざしと、それを生み出す人々の「原罪性」に迫る。移民排斥問題に揺れる現代にも示唆的だ。73年発表。2008年、表題作として単行本化。
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