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2017年3月19日16時31分 〜
記事 [経世済民120] 森永氏 トランプ氏の「恫喝と強要」で日本経済ガタガタに(マネーポスト)
          
            森永卓郎氏が日本経済の行方を大胆予測


森永氏 トランプ氏の「恫喝と強要」で日本経済ガタガタに
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170319-00010002-moneypost-bus_all
マネーポスト2017年春号


 米国にトランプ政権が生まれたことで、日本経済にはどのような影響が出てくるのだろうか。経済アナリストの森永卓郎氏は、「プラザ合意の再来」による円高誘導が実施される可能性を危惧している。以下、森永氏が解説する。

 * * *
 今後、日本はトランプ米大統領からとんでもない要求を突きつけられる可能性が極めて高いと思います。トランプ大統領のマクロ経済政策の柱は、法人税率を現行の35%から15%へ一気に引き下げることに代表される大規模減税と、今後10年間で最大1兆ドルを支出して大規模なインフラ投資をするという2点です。

 私は、かなりの確率でトランプ大統領はそれを断行すると考えていますし、その結果、アメリカの景気は良くなるでしょう。ただし、この2つの政策は2つの大きな副作用を伴います。

 まず、大規模減税や公共投資は、思い切り需要を喚起することになるので、インフレを起こすことが一つ。また、インフラ投資を行なうには、財源捻出のため米国債を大量に発行しなければならないので、アメリカの金利は上昇する。金利が上がるとドルを欲しがる投資家が増えるので、当然、ドル高が進むことがもう一つの副作用です。

 問題は、その際にドル高とインフレが想定をはるかに超える高率となってしまう可能性が高いことです。そうなった場合、トランプ大統領のアメリカ国内の雇用を増やすという大目標は雲散霧消し、雇用は大きく減ることになり、実質賃金も大幅に下がるので、今のトランプ支持層からも不満が爆発しかねません。

 それを避けるために、トランプ大統領が打つ手はこれまでの言動から明白で、“恫喝と強要”という手段を採るでしょう。具体的には、1980年代後半から1990年代前半に、アメリカが日本などを相手に行なった恫喝と強要外交の再現だと思います。

 1980年代末にアメリカは包括通商法の中に「スーパー301条」というものを作りました。これは、アメリカの通商代表部が各国の輸入規制や非関税障壁で気に入らないものがある場合、「これを是正せよ」と要求し、それでも改めないと、その国の一番大切な産業品に高率の輸入関税を課すというものでした。

 例えば、トヨタがメキシコにカローラの工場を作ることに対してトランプ大統領は、「とんでもない! アメリカに工場を作れ。さもないと高い報復関税を課すぞ」と文句をつけた。まさにスーパー301条と同じ恫喝方式をすでに使っているのです。

 さらに、トランプ大統領はドル高を防ぐために、国際協調とは名ばかりで実際には日本に円高誘導を迫った、1985年の「プラザ合意」タイプの強要を行なってくることまで考えられます。当時はその後の2年間で、ドル/円相場は1ドル=240円から120円まで円高が進み、日本は円高不況に陥りました。

 窮地に陥りそうになれば、必ずやトランプ大統領はそうした恫喝と強要の手口を繰り出してくる。恐らく年内にはやってくると見ます。

 1980年代後半から1990年代前半を振り返れば、それがどういう結果を招くのか明らかです。急激な円高進行によって日本経済はガタガタになり、日経平均株価も大きく下落するでしょう。

http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/313.html

コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 16:35:47 : KEXqUdXbaU : 5U8ol2dPTgs[13]
NHK動画ニュース

北方領土での共同経済活動 必要な法的基盤の検討は難航か
3月19日 6時10分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170319/k10010916921000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_005

北方領土での共同経済活動をめぐり、政府は18日に双方が示した事業の案について、経済的利益が見込めるかなどの観点から検討を進めることにしていますが、ロシア側が主権をめぐる主張を変えていない中、必要となる法的基盤の検討は難航することが予想されます。

北方領土での共同経済活動をめぐり、18日に開かれた日ロ両政府の初めての公式協議では、日本側から漁業や観光など、ロシア側から漁業や住宅などの事業の案がそれぞれ数十個ずつ示され、双方がこれらの案について政府内で検討を進めることで一致しました。

これについて、外務省関係者は「具体的で実質的な議論ができ、ロシア側にも前に進めようという気持ちがあった」と述べ、進展に向け期待感を示しました。

政府は双方が示した案について、経済的利益が見込めるかなどの観点から検討し、モスクワで行う次回の協議で実現可能性の高いものに絞り込む作業を進めたいとしています。ただ、共同経済活動の実現は、日ロの法的な立場を害さないことを前提としているため、ロシア側が主権をめぐる主張を変えていない中、必要となる法的基盤の検討は難航することが予想されます。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c1

コメント [文化2] FX ・ 先物取引 ・ 空売り は『ネットパチンコ』、絶対に手を出してはいけない 中川隆
20. 中川隆[7188] koaQ7Jey 2017年3月19日 16:35:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7659]

宝くじは当たるか当たらないか分からないものだ。これを買うのは基本的に貧困層だ。

宝くじは貧困層でも買える小さな金額に設定されている。しかし貧困層は数が多いので、そこから広く小金を集めれば胴元は大きく儲かる。事実、日本の宝くじ市場では、1兆円近い金額が胴元に集まっているのである。

では、その胴元はいくら持っていくのか。

50%から55%である。つまり宝くじで儲かるのはそれを発行している胴元である。貧困層から広く金を集めて、がっちりと50%ほどの利益を稼ぐ。

胴元だけは、絶対に間違いなく手堅く稼げるのだ。

しかし、宝くじの購買者にはその「確実性」がまったくない。皆無だ。しかも高額賞金に当たる確率は限りなく低く、割に合わないもいいところだ。

それなのに、努力も必要なく、しかも労せずして大金が手に入る「かもしれない」ので、貧困層は毎回のように宝くじを買って散財する。

貧困層こそ1円も無駄にしない方がいいにも関わらず、そんな不確実なものに金を使うのである。

「邪悪な世界」が仕掛ける貧困層のワナとは何か?

富裕層であれば、1000万円でも1億円でも、宝くじに賭ける金くらいはいくらでもある。

しかし、宝くじに資金を投じても間違いなく利益が得られるという「確実性」がない。だから、そんなところに金をかけるのであれば、もっと確実性の高い金融資産に資金を投じる。

たとえば、配当3%の株式に1000万円を賭ければ確実に配当30万円が入ってくるし、1億円を賭ければ300万円が配当として入ってくる。

その上、優良企業の株式を長期で持つと、増配や株式上昇でさらに資金を増大させることができる。

宝くじを買うよりも、株式に投資した方が儲かる確率が高いので、その「確実性」を元にして、資金を宝くじではなく株式に賭けるのである。

皮肉に思わないだろうか。貧困層であればあるほど確実性のないところに賭け、富裕層であればあるほど確実性のあるところに賭ける。

貧困層であれば金がないから確実性を重視し、富裕層であれば金があるからその金で夢を見てもおかしくない。しかし、現実で起きているのは真逆である。

貧困層が宝くじという確実性のないところで勝負をさせられて、富裕層はそれを冷笑しながら確実に利益が取れるところで勝負をするのである。

ここに、「邪悪な世界」のワナが仕掛けられていることに気付かなければならない。

富裕層が着実なところに賭けて日に日に資産を膨らませているのに、貧困層は確実性がほとんどないところに賭けさせられて、自分が不利な勝負をさせられていることに「まったく気付かない」でいる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/03/20170319T1417030900.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/844.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK222] 父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前〈週刊朝日〉 赤かぶ
4. 2017年3月19日 16:36:32 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[633]
●キャンペーン「大阪弁護士会会長: 稲田朋美(弁護士)懲戒請求嘆願署名」 に賛同をお願いします!
https://twitter.com/noiehoie/status/843237689285472256
●野党時代の稲田氏の発言が超見事なブーメランになってる。
「あなたの役目はこの国を守ることであって、あなたの身の保身を守ることじゃありませんよ」
https://twitter.com/CybershotTad/status/843242110664941568
「平気で嘘をつく人間性と卑怯な政治姿勢は問題だ」
https://twitter.com/allthewse/status/843259436923678720
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/586.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. スポンのポン[6167] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 16:36:47 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[820]
 
 
 
■「最後のお一人まで」とか言った大嘘つきの偽証罪はどうなった。
 
 
 

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c20
コメント [政治・選挙・NHK153] 国際連合憲章「敵国条項」と潘事務総長の野田内閣への警告 SukiyakiSong
5. ステレオ[4] g1iDZYOMg0k 2017年3月19日 16:36:53 : IBhenWJsqg : M9aoyMtDp4E[2]
阿修羅さんの指摘に最近気づきました。

日本人がどう思おうと、敵国情報は国連憲章に厳然として存在する。

日本が敵国条項に触れれば、国連加盟国から袋叩きになる可能性がある。

ところが、安倍支持者は敵国条項を無視したり、軽視したりする。
それはコメントで分かりました。
http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/230.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK222] 9月5日に昭恵から理事長妻に手渡されているが、その前8月28日に安倍首相の政治資金団体で100万円の不審な動き。まさか… 赤かぶ
19. 2017年3月19日 16:38:21 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[107]
>>18. 嫌韓

おいおい、森友学園への格安土地売却、問題無しという安倍側の主張の根拠は、籠池がくい打ちの過程で撤去費用8億にも値する大量のごみが出たとの発言によっているんじゃないのか。

それをもとに理財局が値引きしたのは合法であるというのが安倍側の変わらぬ主張だろ?

佐川局長の適正に行われた、を全面支持なんだから官僚側の忖度の可能性すら否定している訳だ。

そのロジックの根幹をなしているのが籠池の主張であることをどう考えているんだよ。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/542.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. スポンのポン[6168] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 16:39:58 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[821]
 
 
 
■安倍晋三の得意技

 自分がウソを言うくせに、真実を言う人を嘘つきだと言う。
 
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c21

記事 [カルト17] 週朝・親子で籠池と昵懇の稲田はKO寸前、体調不良でポスト安倍に岸田も。読み書き不自由の退陣が最優先である。
飯山が異常にでんでんを持ち上げているが、私もでんでんの寝返りがヒラリーら飼い主の弱体化を促進する点において面白い無節操さだと書いたが、籠池の切り方は人間のクズの風上にも置けない馬鹿で、ワルが君子豹変してよい政治をすることがままあることは否定しないが、それは馬鹿には無理である。
善も悪も紙一重のところがあるが、馬鹿はアホと紙一重なだけで、善に豹変するのは論理的に無理なのである。
従って、プーチンと習とトランプと日本の首相がタッグを組んで世直しは理想だが、三人と馬鹿を同列に扱うのは無理筋で、毒まんじゅうを食ったなら分かるが、飯山の望む展開は、まともな首相が誕生してからで、とりあえずは、でんでんより馬鹿でないのと交代させることである。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/727.html
コメント [政治・選挙・NHK222] 物騒なことを口走った自民党の秘書!  赤かぶ
38. タコれす[16] g16DUoLqgrc 2017年3月19日 16:47:19 : oMzOEe4G7p : hMGSIAp22ik[1]
セーラームーンの見過ぎ⁉︎
(月に代わってお仕置きヨ‼︎(≧∇≦)
キャスティングには、木村多江さんでも起用するのかな⁉︎( ̄▽ ̄)
彼女のダンナは、電通社員だしネ‼︎(((o(*゚▽゚*)o)))
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/521.html#c38
コメント [政治・選挙・NHK222] テレ東、本気出し過ぎw 稲田朋美の「生命の実相」 すげぇなこれ!と喝采をあげたくなるほど、素晴らしい! 菅野完 赤かぶ
41. 2017年3月19日 16:48:22 : F9BhSbUWGo : mSr2G2YaTZs[75]
生長の家の親元は、京都府内に本部を置く
大本(教)で、これが天皇家とも
つながっており、一方では戦前、東京九段の軍人会館などで
気勢を上げ、軍事訓練もしていたという昭和神聖会など、
大陸侵略の手先となった戦前右翼も繋がっていたことは
知る人ぞ知る
歴史かもしれません。

大本の血流を辿ってゆくとこれが
藤原北朝の流れなのです。(出口王仁三郎と
黒幕が北朝天皇家、孝格天皇の子孫である
堀川辰吉郎だといわれています。)

現天皇も同様に、藤原北家の閑院宮伏見家出身で、

近年話題の前田家の・・・ 東北大震災テロを
承認した(「ゴーサインを与えた」)ことが、

仮名・ikusa氏による2011年発行の某書物にて
告発されておりました。
(直筆による告発文の写真)


(この大悪党は、現在の生死・逃亡の噂については詳細不明ながら
悪事が露見した今現在では仲間諸共、坂を転げ落ちるしか
ないように思われます。)

北朝天皇家の野望は完全停止はしていないようです。現在の世界の
混乱ぶりが何よりの証拠です。

ユーラシア大陸の、彼らの故地を統合し、エルサレムにまで
支配下の地を広げようとする野望が
ここかしこで、
当時の関係者の話題とともに、また
政治史とともに
見え隠れしています。継続して起こってきた現実の
状況を統合すると
一貫した何らかの意思が働いていることが
十分想像されるのです。

現地の人々の平和な生活や、
都合などどうでもよくて、そう、
諸権利を脅かしてまで自分勝手に世界を
引っ掻き回す悪魔の業です。手段も
選ばずということなのでしょうか。

わたしは必ずこのような
企ては
失敗すると思います。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/536.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍でんでんと二人三脚、うまく立ち回って傷ついてない巨悪、麻生太郎。こいつを叩く必要がある  赤かぶ
7. 2017年3月19日 16:49:33 : qF4T1YwunA : 0ID5WaAuWRA[1600]
>安倍晋三 ― 麻生太郎 ― 小池百合子

しかし、菅野氏は「内閣が2つぶっ飛ぶ」と言ってたと思います。

そうすると、アヘ内閣がぶっ飛び、麻生内閣はぶっ飛び(成立せず)ますから次の小池百合子までどうつないで行きますかね。

とりあえず、アヘ・麻生にぶっ飛んで貰って、一旦野党共闘に政権を戻しましょう。

小池にはしばらく東京都の大掃除を続けてもらって、やがて野党共闘に合流して新しい日本の政治をスタートさせましょう。

もう、腐りきった自民党・公明党・維新の党とはおさらばしないと、国民の財産は私物化政権に食われ、貧困層はますます広がりエンゲル係数は上がり生活苦になり、大量生産される食えない若者は戦争にかり出されアヘ総理大臣に命を捧げ、防衛費激増でアヘの身内の「死に商人」ばかり大儲けとなる。

アヘ−麻生−稲田−橋下−松井・・・の自民・維新に公明党を加えた利権私物化政治におさらばしよう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/546.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
2. スポンのポン[6169] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 16:50:40 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[822]
 
 
 
■まるで成果のなかった安倍政権の四年間。
 
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK222] 週刊新潮が昭恵夫人の私人疑惑を掲載!文科省「加計学園のことで、昭恵さんから省内にご相談された」 赤かぶ
7. 2017年3月19日 16:53:15 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[108]
政治の私物化。

そこにいささかのためらいもない。

長州遺伝子なのか。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/544.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK222] テレ東、本気出し過ぎw 稲田朋美の「生命の実相」 すげぇなこれ!と喝采をあげたくなるほど、素晴らしい! 菅野完 赤かぶ
42. じゅうしまつ[38] graC44KkgrWC3ILC 2017年3月19日 16:54:56 : 6TVIfAkefg : dB1AU92O3bo[1]

非一般ニュースはアカウント凍結‏ @kininaru2014111 49 分49 分前

輿石氏、「菅氏(官房長官)とは接点がない。びっくりした」と。 とんでもないウソだ。この国の政治の八百長ぶりを象徴した輿石東の旭日大授章受章祝い。http://kenpo9.com/archives/1124 pic.twitter.com/KNvu3jQ6lq
https://twitter.com/kininaru2014111/status/843333170627977216
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/536.html#c42

コメント [カルト17] 新潮・文科省・加計の件で昭恵から相談、ロイ・安倍が2つの嘘、ワポ・スキャで退陣の危機。新聞辞令である。 ポスト米英時代
4. 2017年3月19日 16:55:03 : GAA2pMfLDS : oUe31TV6IDA[1]

エー、エー
なんですか、美佐江を、ヤレとおっしゃいますか?何、二発ヤレですか?しんのすけが怒りますよ!
プーチン大統領や習近平総書記、李克強首相、トランプ大統領の皆様が、クレヨンしんちゃんの読者ですので、いくら晋三さんが無理を、言ってもダメですよ!既にみんなが知っているので、貴方達夫婦はもうおしまいですよ!貴方達がスイスの糞ジジイや糞ババァの指示を仰いだところで、その糞ジジィ糞ババァは、もうロー人形なので指示なんか出ません。ノータリン安倍晋三さん夫婦はISのテロリスト集団に資金供与しておりますのでそのまま拘束されてガス室送りの処分が待ち受けております。人類の敵そのものの悪魔達夫婦ですので、ガス室で焼身自殺を実行した安倍朝鮮人背乗り夫婦そと言うことで幕引きですね。


http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/725.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
5. 宇宙の塵[87] iUaSiILMkG8 2017年3月19日 16:57:07 : K2yOORosrQ : IKAty7Sa5Cs[4]
 
急転直下ででんでん腹痛再発の場合は、党首交代のうえ即時内閣総辞職・総選挙。
でんでん自身が致命傷を免れて延命すれば、頃合いを見て解散・総選挙。
(上記いずれの場合も、日本会議色に染まった党体質であることに変わりない。)

野党は民進党執行部がガンとなり共闘効果不発
  ↓
選挙はいまひとつ盛り上がらず低投票率(いっても60%程度)
  ↓
自公維勢力の圧勝(組織引締めにより全有権者の3分の1程度の票を獲得し、現有議席数維持へ)


(備考) 森友疑惑が表面化したのは2月9日であるが、2月中旬から 数台の「不正選挙街宣車」(成りすまし工作員が、最大ボリュームで政権批判スピーチをがなり立てながら、不正選挙言説のチラシをばら撒いているのが目印) が阿修羅通りをひっきりなしに往来し始めたことから、政権側は抜き打ち選挙も想定に入れ始めたものとみられる。

投票率66%程度以下 → 低いほど自公維優勢 (2012年59.32%、2014年52.66%)
投票率66%程度   → 互角
投票率66%程度以上 → 高いほど野党共闘優勢 (2009年69.28%)

不正選挙言説チラシが、有権者から投票意欲をなくさせることを目的にしていることは言うまでもない。投開票所の実態を知っていれば、彼らの言説がまやかしであることがわかるはず。(但し、このことは ‘言説’ 以外の部分でのあらゆる不正の余地を否定し去るものではない。その部分については、引き続き有権者による厳しい監視の目が必要である。)
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK222] 「身を隠せ」の真意  赤かぶ
5. 2017年3月19日 16:59:02 : do6gP40jnQ : EwqxHzL@oAY[59]
籠池からの一方的なリークで鬼の首を取った勢いww
メール事件の反省はどうなったんだいww
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/566.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
3. 2017年3月19日 17:01:03 : zU3bOA6eeQ : D1Ln9H3teEc[560]
 2さんのコメント以下に続いて「天木氏罵倒」のコメントが数編くらいは書きこまれるだろう。

 ただ、阿修羅では「赤かぶ氏」が勝手に天木氏のブログから「転載しているだけ」なので、罵倒コメントは「なんの意味もない」駄コメに過ぎない。

 本気で天木氏と議論したいなら、「天木氏のブログ」に直接的に反論するなり、それなりに努力すべきである。ここで喚いてもいわゆる「ネット軍師」として揶揄されるばかりである。

 「頭悪いいでないの?」と思われ(=天木氏罵倒コメのこと)てしまうような「頓珍漢コメント」は遠慮してほしい。

 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c3

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
67. 中川隆[7189] koaQ7Jey 2017年3月19日 17:02:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7660]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実


朝鮮人が反日になった理由

1.飢餓輸出させた
2.農民の土地を奪った
3.日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた
4.朝鮮の財産をすべて奪った
5.朝鮮女性を性奴隷にした

_______


1.飢餓輸出させた


日本で米が足りなくなったのは日清戦争がきっかけでしたが、それが日露戦争のとき顕著になったと東京外語大の大月先生は語っていました。

   それ以降は米不足が慢性的になり、1918年にはそれが頂点に達し「米騒動」が起き政権が揺らぎました。

この時、政府は次の三つの対策案を練りました。

 1。タイなどから外地米を輸入する。
 2。国内産の米を増産する。
3。朝鮮や台湾など植民地で米を増産する。

第1案のタイ米はパサパサしてまずく評判がさんざんで話になりませんでした。

私も数年前にはタイ米をけっこう食べましたが、カレーやチャーハンにでもしないとなかなか箸が進みませんでした。

   第2案ですが、内地米の増産はその余地があまりなく効果は期待薄でした。

そこで結局、第3案の植民地での産米増殖計画が本格的に採用され、1920年から始まりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。

また米の品種も、早神力など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。(早神力を番組では「わせしんりき」と発音していました)


こうした努力の結果が、朝鮮の食生活を少しでも豊かにしたのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら忘暮楼さんの指摘通り、米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。

   その実状を、番組は具体的にある農家の回想をとりあげ紹介していました。

秋に農民が米を70俵収穫しても、水利税や肥料代などもろもろ差し引かれ手元には15俵くらいしか残らないそうでした。

   しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうでした。

   これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の中に埋めたり隠したりしたのですが、冷酷な借金取りもさるもの、針金で地面をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。

   このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本の農家をも苦しめました。

安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm007.html#No.61


当時の生活しやすさの基準として「米」の消費量を取り上げるのが最適と思われます。

米はいうまでもなく日本・朝鮮ともに主食で、当時は白米を食べることが「ごちそう」でした。したがって、米の消費量は当時の生活水準のバロメータになるので、この統計をみることにします。

         朝鮮の米穀輸出・消費量

年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版


この表から、朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向にあることがわかり、植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。

これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定されました。その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。

  日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。
それに加え、タイなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。

  こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億8500万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしんりき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。

   こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。


こうした日本の収奪政策のもと、朝鮮農民は窮乏化していき、わずかばかりの土地を持っていた農家も次第にそれを手放さざるを得ませんでした。

その実体を表すのが次の表です。これは米どころの全羅北道において、土地所有が産米増殖計画による水利組合の設立の前後でどのように変化したかを示すものです。

          全羅北道、五水利組合の土地移動
                       (単位は町歩)
      日本人所有  朝鮮人所有   その他    合計
 1920年    3,674    4,181    2,694    10,549
 1931年    8,999    3,545    7,292    19,836
(東畑精一「朝鮮米穀経済論」)

  この表のなかで、その他としているのは東拓など日本人の土地会社などを含みます。東拓とは1910年代、「土地調査事業」で国有地とされた土地を総督府から安く払い下げてもらって成長した国策会社です。

  この表からすると、朝鮮人所有の土地は減っても、逆に日本人の土地は倍増以上の伸びを示しました。朝鮮全体でみても、1920年から1927年にかけて日本人の土地所有は25万町歩から40万町歩へと、1.6倍に増大しました。

  灌漑施設やインフラなど朝鮮の富は増えても、その恩恵に浴するのは支配者である日本人であり、それとは対照的に多くの朝鮮農民はやせ細っていったのが植民地の現実でした。
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187

要するに、日本人が酷使する農奴の数が増えただけ.

できた米はすべて日本に持って行かれる.

李朝時代は独立農だったのが食うや食わずになった.

感謝するバカは一人もいない.


_________


1.農民の土地を奪った


1910年の併合強行後、日本は朝鮮の植民地化を進めるが、その第1歩は、
土地の所有権の確定を目的とした土地調査事業であった。

国内における地租改正がそうであったのと同じように、それは植民地財政の基盤を固める意図からでたものであったが、その過程で耕作関係があいまいな多くの土地が、総督府に奪われることになる。

国有地に編入された耕地面積は朝鮮域内の全耕地の20分の1に達し、その多くは日本人に安価に払い下げられ、大規模な日本人地主が誕生した。

土地を失った朝鮮の民衆は、小作農化するか、あるいは日本や中国大陸へと流失していく。

民族の自立を損なう弾圧的な植民地か政策の展開は、第一次大戦後になると、
激しい独立運動の展開による抵抗に遭遇することになった。

1919年3月1日に朝鮮では独立を宣言して蜂起した民衆運動によって、それまでの植民地支配の枠組みを見直さざるを得なくなる。

 歴史上、「文化統治」への転換と評される斉藤総督の統治政策は、一方で「同化政策」を柱とする「民族としての抹殺」を意図するものであると同時に、農業振興政策による民衆生活の改善によって、日本による支配への不満を融和させようとするものであった。

朝鮮からの人口流失    人  

  日本へ 中国へ

1914 4,179 10,631
1915 5,046 13,281
1916 7,225 13,501
1917 17,463 18,911
1918 27,640 36,627
1919 35,975 44,344
1920 40,759 22,210


産米増殖計画の推進には、日本市場に適した品種の米を生産するという、輸出志向型の農業への切り替えが必要であり、この品種転換の強制と輸出志向は、朝鮮域内での食糧供給の不足、つまり「飢餓輸出」に帰結する。

日本国内では、1920年代に入って、つまり産米増殖計画が軌道に乗って、日本向けの米の輸出(移出)が増加しはじめるころには、当初の思惑とは異なって米の価格は低迷していたからである。

こうした農業振興政策の展開は、植民地を日本経済の一環に組み込み、日本への食糧供給基地化するという役割を果たすものであった。

しかも、このような飢餓輸出を生むような食糧供給基地化は、代替的な食料としての粟や高梁などの供給を、満州に求めることによって、東アジアにおける独自の経済圏を形成させることになる。
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/GAKU00-06.htm


1918年6月18日は、朝鮮総督府が植民統治の基盤を固めるために
1910年から8年間にわたり全国を対象に行った土地調査事業が終わった日だ。

同事業で大韓帝国の皇室と政府が所有する土地、村または門中の公有地、
そして荒蕪地はすべて総督府の所有になり、土地を奪われた農民ら数百万人は小作農に転落した。

大地主になった総督府は土地を東洋拓殖株式会社をはじめとする不二興業など土地会社と移住者に安価で譲った。

官吏の制帽と圓衫(韓国女性固有の礼服)で身を装った年老いた新郎・新婦(写真=独立記念館所蔵)は、当時朝鮮に渡って大地主になった日本人夫婦だ。

2人は伝統的な両班(ヤンバン 朝鮮時代の特権的な官僚階級)の地主とは異なる顔の「吸血鬼」だった。

当時の日本による帝国主義は領土を略奪したドラキュラだったというのが、韓国市民社会の普遍的な歴史の記憶だ。

ドラキュラに吸血されていなければ一世紀前の開化期にすでに自力で近代化を成し遂げたはずなのに、
日本の帝国主義のために実現できなかったということだ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116883&servcode=100§code=140

日本の土地調査事業であぶり出された農民たちが職を求めて日本へ渡った。
具体的にはこの政策で新しく地主になった日本人の所有する鉱山や工場の労働者としていったり、先に渡って生活基盤を作った親戚を頼って渡った。

世界史で習った土地の「囲い込み政策」を。あれとほぼ同じ現象だ。

日本に来るきっかけとなった「土地調査事業」は、明治43年に朝鮮を植民地にした日本が、その直後から朝鮮全土で実施した、地形、所有権、地価などについての調査である。それまで朝鮮には土地の登記制度が確立していなかった。そこに登記制度を導入し、税収入の増加を狙ったのである。

 朝鮮の村では、共同所有地など所有権がはっきりしない土地が多く、急に登記せよといわれても無理だった。

また、手続きは複雑で、農民が自分で申請することは難しかった。
登記をしなかった土地はすべて、朝鮮総督府のものとなった。


耕していた農民は、追い出されるか、高い小作料に泣かされることになった。
多くの農民が、貞鎬さんの父母のように生活に困り、日本へ出稼ぎに行くことになった。

総督府に取り上げられた土地の多くは、後で国策会社である東洋拓殖株式会
社に払い下げられた。

東洋拓殖はさらに、日本からの移住者に土地を売り、日本の農家の二男、三男らがこの土地を買って、農業を始めた。

朝鮮の村には日本人の地主が増え、土地を取られた朝鮮人が日本人を恨み、今も消えない根強い反日感情が残った。

 朝鮮では、明治43年の日韓併合から、昭和5年までの20年間に、人口
が約30%増えた。土地調査事業と人口の増加により、慶尚南道など南部の人
を中心に、日本に出稼ぎに行くようになった。その数は昭和五年までで40万
人近くにのぼる。

総督府に接収された土地は、山本有造『日本植民地経済史研究』(名古屋大学出版会)によれば、約12万町歩に及ぶ。又定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明する書類がないため接収された耕地が約2万7千町歩あり、接収された耕地は合計14万7千町歩である。当時の全耕地面積は 450万町歩であり、約3%である。

 これに正当な売買により取得した土地を加えた、1922年(大正11年)末の日本人農業者所有土地面積は、一般地主17万5千町歩、東洋拓殖8万町歩、合計25万5千町歩で、全耕地面積の6%弱である(朝鮮総督府『調査資料2ー7朝鮮における内地人』)。


__________


3.日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html


___________


3.朝鮮の財産をすべて奪った

1910年に朝鮮は完全に従属させられた。
公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。


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5.朝鮮女性を性奴隷にした


従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった


経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


朝鮮女性の場合は日本女性と違って泣き寝入りできなかった特殊な理由があるんだよ

朝鮮は儒教社会だから慰安婦の姉妹や娘は一生 売春婦以外の仕事はできなくなる

だから元慰安婦だったとわかると一家は路頭に迷う事になる

吉田清治はそういう事を考慮して意図的に強制連行した日時と場所を変えて書いたんだ

吉田清治は実際に強制連行した日時と場所を公表しろと何度も言われたけど、元慰安婦の身元がわかって本人や家族が迫害されると困るので、絶対に応じなかったんだ

日本軍の慰安婦は13, 14歳から仕事をさせられていた

一方、売春婦は18歳以上でないと認可が下りない
従って、慰安婦は売春婦ではない

未成年の少女に売春させたら、たとえ本人が承諾していても担当者は死刑相当の重罪だからね


チャンネル桜や文春・産経関係者が慰安婦・南京大虐殺に関するデマを流し続けているので、純真な人は そういうのを安易に信じてしまうんだな :

1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。

日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、朝鮮における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。

この傾向は、韓国を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。

http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090728170811
http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080628173338


「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。

安倍元首相の言うところの「狭義の強制性」の有無など全く重要ではない。

「慰安婦」と言う言葉自体が実態を表していないのだ。


要するに子供を騙して連れて来て、日本軍の建物に監禁してみんなでレイプしまくっただけだね


http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c67

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
68. 中川隆[7190] koaQ7Jey 2017年3月19日 17:05:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7661]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 2


昔の日本はアメリカ並みのあくどさ:

1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。

『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。

 1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。

http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html


第二次世界大戦後、日本に進駐して来た米軍GHQには、冶金(やきん)課という部署が設けられた。金塊を生産する国ではない日本に、金塊、貴金属を扱う専門部署が設けられた事は、極めて奇妙であった。

 日本軍は第二次大戦中、中国大陸や朝鮮半島で中国、朝鮮の人々を多数殺害し、その財産を略奪し、また中国においてアヘンを密売し、その莫大な利益を蓄積していた。

 戦争終結間際、日本軍はその莫大な利益を金塊、プラチナ、ダイヤモンドに代えて飛行機で日本本国に持ち帰っていた。その莫大な貴金属は日本各地に隠され、また日銀の地下金庫に保管されていた。

 その隠された財産を摘発、没収するため、GHQには貴金属担当の専門部署が設けられていた。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605569.html


遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。

拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。

植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/347.html

日本が35年間にわたって行った朝鮮統治によって、本当に得をしたのは誰なのか?

“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る。

過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、皆さんはどのように答えるだろうか。

「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。


「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。

満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。


すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。

確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。

http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html


要するに、当時の日本の政治家もやはりアメリカの手先で、朝鮮統治政策はアメリカの指示通りだったのですね。

96:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:01:24 ID:CJqAHY/N0

李氏朝鮮は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。

その後、列強各国は利権を求め李氏朝鮮に殺到した。


1900年頃の李氏朝鮮が奪われた利権


ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)

アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)

イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)

ドイツ (金鉱採掘権)

日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 

当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)

列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが

いったい李氏朝鮮はどこに支配されたかったんだ。
http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c68

コメント [政治・選挙・NHK208] ≪炎上≫神田うの「奨学金は自己責任。20年やればいいんでしょ?飲み代を削ろう」⇒批判殺到! 赤かぶ
21. 2017年3月19日 17:05:44 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[-742]
>>18

大概の女が裏でほざいてそうなコメントだな
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/703.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK222] テレ東、本気出し過ぎw 稲田朋美の「生命の実相」 すげぇなこれ!と喝采をあげたくなるほど、素晴らしい! 菅野完 赤かぶ
43. 2017年3月19日 17:09:35 : 2xziGLLGIk : BhBVTh7MK20[4]

共和主義?^^

一般的じゃないね^^

一般的には社会主義のことね^^

「共和制=社会主義」のことだから^^

逆に「社会制」とは言わないでしょ?^^

社会主義socialismエリート主義は、民主主義democracy平民主義と共に、自由主義liberalismを構成する2大部位の1つだけれど^^

共和制republic王制の禁止は、日本では憲法違反だ^^

民主制とは民主主義=平民主義と同じ綴りdemocracyと書くわけで、同義の概念になるわけだが^^

此方は王制の認可するけれども、エリートを禁止する考え方^^

日本国憲法は第1章に天皇を謳っている^^

つまり日本は「共和制=社会主義を禁止しますよ」という憲法を有してるということなんだよね^^

社会主義socialismの語意である「エリート」の定義は大きく「学閥」と「閨閥」だけどねえ^^


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/536.html#c43

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
49. 2017年3月19日 17:12:19 : GhYmsZM0lE : uopmFAtwq4U[3]
「振込票」の「ご依頼人」蘭に郵便局の訂正印を押印することは絶対にあり得ない。
訂正する場合は「ご依頼人」自らが二重線を引いて「ご依頼人」本人の訂正印を押印する必要がある。
こんなことは常識で、実際に郵便局へ行って「振込票」を訂正する場合は必ずそのように指示される。
修正テープでの修正など絶対に認められない。
「振込票」はどう見ても偽造である。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c49
コメント [政治・選挙・NHK222] この画像、ガンガン拡散したい。顔写真写ってる人間を全員、偽証罪の縛りかけた証人喚問に呼んだら、3日でケリがつく。 菅野完 赤かぶ
31. スポンのポン[6170] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 17:13:07 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[823]
 
 
■善と悪との天下分け目の決戦だ!
 
 この国の政治の夜明けを願う同志諸君

 あと少しの辛抱だ、頑張ろう!
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html#c31

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
69. 中川隆[7191] koaQ7Jey 2017年3月19日 17:14:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7662]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 3

大野「現代の農業問題の原点は大正時代の米騒動にあると思っています。はじめてその頃、日本で食糧問題が出てきました。1918年の米価高騰は、凶作と買い占めが原因で、帝国内自給といって、朝鮮半島、満州、台湾でジャポニカ米を作って、本土に持ってきました」

大野「朝鮮の農民に対する“コメの強制連行”とも言われ、技術と品種を持っていき、韓国に農地試験場を作り、食料の本格的な国家統制が始まったのです。『稲もまた、大和民族なり』と言う言葉がありました。コメが植民地支配の尖兵だったと言えます」

大野「朝鮮の在来品種を作っていたら、引っこ抜かれ、日本が奨める品種の栽培を強制されたと言われています。満州事変のあと、満蒙開拓として、日本の失業者を大陸の農村に押し込んで、土地も強奪し、入植した、ということです」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16641.html

朝鮮人が食っていけなくなったのは搾取だけが原因ではない _ 換金作物を作らせると餓死者が続出する

朝鮮で飢餓が起きるのは毎年決まった時期だったから、日本統治以前はみんなそれを計算に入れて生活していた:


朝鮮では三月から六月までは食糧が不足する春窮期である。

春窮期を迎えると、朝鮮人は朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して
食べる習慣であった。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


朝鮮には春窮という言葉があるようです。秋に収穫した米、トウモロコシ、芋などの食物を冬のうちに食べつくし、春になると餓死者が出るようです。中世の言葉と思いきや、北朝鮮では今でも現実のようです。

 どこの国でも収穫の季節はあるものです。逆にまったく収穫の期待できない土地なんて、人はほとんどすんでいません。収穫があるということは年中飢えているわけではなく、収穫があって数ヶ月は食料があり、それを食べつくしたころに飢餓が起きるのが通例ではないでしょうか?
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3998244.html


要するに、戦争や伝染病や特別な事態が起きない限りは春窮位はなんとか凌げるので、それ程は困らなかった。

それから、李朝末期は森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に押さえられたので、そういう特別な事態が起きていた時代でもあった:


1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


しかし、それらの中でも特に困まった事態が日本の朝鮮統治だった訳で、それで朝鮮人は日本の統治時代には春窮を越せなくなった:


日本の施策によって農民が収奪された日本の朝鮮統治時代


当時の大半の農家は小作農です。

つまり販売する以前に小作料を取られます。

で、日本の統治時代の朝鮮では小作料で生産量の5割を取ることがまかり通っていたそうです。

そして手元の半分の米のうちいくらかを売り、それで来期の籾を買う。残った米ではとうてい生きていけないので、春窮となる、故郷を捨て流浪するという例がいくらでもあります。


朝鮮半島全体の春窮農家戸数については1930年、朝鮮総督府編「朝鮮の小作慣行」(1932)によると、

自作農   92(18.4)
自小作農 323(37.5)
小作農  838(68.1) 千戸(全体の割合)

で全体の48%以上が春窮だそうです。

日本の統治時代はまともな治世では無いですね。


次に、では小作農以外はどうだったかと言いますと、次の情報をご覧ください。

農民の戸数とその層の割合を示したものです。値は%です。

全体で100%にならないのは兼業農家がいたためです。

また、地主1は自分で小作を行わない地主、2は一部を自作する地主です。

自小作農は、自作と小作の兼業をしている農家です。


年  農家戸数 地主1 地主2 自作農 自小作 小作農 火田民
1918 2,652,484  0.6  2.5  19.7  39.4  37.8
1920 2,720,819  0.6  2.8  19.4  37.4  39.8
1922 2,712,465  0.6  3.1  19.7  35.8  40.8
1924 2,704,272  0.7  3.1  19.4  34.6  42.2
1926 2,753,497  0.8  3.1  19.1  32.4  43.3  1.3
1928 2,799,188  0.7  3.0  18.3  31.9  44.9  1.2
1930 2,869,957  0.7  2.9  17.6  31.0  46.5  1.3
1932 2,931,088  1.1  2.4  16.3  25.4  52.7  2.1


見てわかるとおり、自作、自小作が減り小作農が増加しています。

日本の統治時代の朝鮮では自分の土地を手放さざるを得ないほどの状況だったのがよくわかります。

さて、この人々は何が原因でそうなったのでしょうか? 

貴方が何度も示しているように米は十分に生産していたのですよね? 

なら豊かになるのではないでしょうか?


問題ない生産を行いながら貧しくなるとするなら、それは生産に対して正当な対価が支払われなかったことを意味します。当然ですね。


つまり

「当時の朝鮮の農家は日本の施策により米を収奪された」

というのを共通理解としてよろしいですね?


また、自小作農とありますが、終戦直後1945年の韓国のデータによると、

自小作農は716,000戸、そのうち耕地の50%以上を小作で行っている、

つまり実質的に小作に近い農家は378,000戸となっています。


完全自作農と自作の割合の方が多い自小作農は全体で3割程度。


当時の食料消費量の変遷について、単位は石(全体からの%)、

元データは朝鮮総督府農林局編「朝鮮米穀要覧」だそうです。


年平均  米      麦      粟     豆類    その他   合計
1915-18 0.70(35.6) 0.42(21.2) 0.28(14.4) 0.26(13.2) 0.31(15.7) 1.9766
1921-24 0.64(31.6) 0.42(20.6) 0.36(17.9) 0.26(12.9) 0.35(17.1) 2.0211
1926-29 0.51(28.1) 0.40(21.8) 0.37(20.2) 0.23(12.7) 0.31(17.2) 1.8163
1931-34 0.44(26.7) 0.42(25.2) 0.31(19.1) 0.21(12.5) 0.27(16.5) 1.6487


輸入していても消費量は見事に落ちていますね。

米の消費の割合が落ちている(それだけ貧しくなった)のも顕著です。


「日本の政策のもと、当時の朝鮮半島の農家は飢餓に苦しむほど困窮していた」で共通理解として良いですね?


参考資料:
朝鮮における産米増殖計画 河合和夫著
朝鮮食料品史 朴容九著


おまけ

穀物の輸入出

年,輸出(石),輸入(石),
1915-1919,3467857,387670,5年平均
1920-1924,5147524,1370072,5年平均
1925-1929,6284434,3649237,5年平均
1930-1936,11734219,2875314,7年平均
1937,8601017,2369537,
1938,12505611,1454957,
1939,8120099,2453789,
1940,1665637,3456780,
1941,4831000,1107000,
1942,7032000,786310,
1943,1576000,2048620,総督府資料に基づく
1944,4486000,1927166,朝鮮食料品史 朴容九著より

食品生産量
,米,麦,豆,小豆,粟,キビ
1919,12057,7270,3281,460,3816,538
1929,13702,7212,3990,810,5244,91
1939,14356,7570,2333,419,5029,89
1944,16052,7672,2696,605,3916,47


単位は千石 朝鮮食料品史 朴容九著より,,,,,,
http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;no=1586;id=


植民地下の朝鮮は8割以上を農民が占めていました。

日本の植民支配は軍と警察による力の統治でした。

日本人地主と朝鮮人地主の権力は日本より強固で多くの小作人を支配する農村の社会構造でした。

日本の支配下に年々自作農は少なくなり、小作農が増大しつづけたのが基調でした。

朝鮮農村社会は小作農が52%、これに火田民、農業労働者を入れると57%の人々が土地を全く持たない農民でした。

これに自小作農24%をプラスすると81%の人が小作をしたいたといいえます。

自作農は19%弱に過ぎませんでした。(1939年現在)

また、小作農といっても零細な農家が多かったのです。

朝鮮南部では人口が増加し零細農民が増加する要因になっていましたが、基本的には地主からの高小作料徴収などが農民を没落させていました。


総督府はこうした地主制を維持し、支配の基盤としていました。

農民の多くが食べることが出来ませんでした。

端境期には食べるものがなくなる人が多くなり、総督府はこれを「春窮民」といいました。

総督府は春窮が毎年の年中行事のようにあることを認めていました。

「草根木皮」を食べて暮らさなければならない農民が小作農の大半になっていました。

農民の多くは動物性のタンパク質は採ることが出来ずに、たまにミョルチ(日本のにぼし)を食べれれば良い方でした。

タンパク質はテンジャン(味噌)から得ていました。

こうした食の状況から起きた総督府支配下の朝鮮農村の社会現象を取り上げてみましょう。


その一つは子供の死亡率が著しく高くなっていたことです。                          

 高い乳幼児死亡率

 京城帝国大学医学部教授水島治夫の論文によれば朝鮮人の1歳から5歳までの死亡率は38%にも達していました。

日本人も低い方ではなく21%になっていますが朝鮮人は日本人の2倍弱になっています。

統計に出ない子供の死亡を含めて言えば40%の子供が生き残れなかったのです。

乳幼児の死亡率が高いために朝鮮人の平均寿命は37歳前後となっています。

日本人に較べると約10年の差があります。

栄養状態が悪く一番弱い子供達が多く死亡しました。

多くの死亡原因は食糧不足から来る栄養不良でした。

子供達だけでなく青年達の身長も年々低くなっていました。

特に下層農民の青年の体位の低下が大きかったのです。


子供の高い死亡率と青年たちの体位低下は総督府の政策下に起きていたことです。

窮迫する農家に救済政策がなかった、あるいは役立たなかったことを示しています。

典型的な事例を挙げておきましょう。

 朝鮮に於ける行路死亡人数

 行路死亡人は路傍、畑などで死亡し多人々をいいますが、ここで取り上げるのは

死亡した人たちの内、身元の分からなかった人を引き取り手を捜すために朝鮮総督府官報に掲載された場合に限って取り上げてみます。

官報に掲載された、公認された場合のみを取り上げていますから、実際に身元が分かり、あるいは引き取り手があった場合は官報に掲載されません。

したがって、実際の死亡者はもっと多かったと想定されます。

行路死亡人を取り上げるのは農村社会を象徴するような出来事だったからです。


 朝鮮農村では窮迫した小作農が小作地のみでは暮らしていけなくなり、他の小作地に追い出される人が多かったこと、自然災害などで小作地を失ったりしたこと、などの要因で土地を追われる人が多かったのです。

一部は満州に、一部は火田民として、あるいは都市の下層民として暮らすことになりましたが、落ち着くまでに食糧がなくなり、家族とも離れてしまうことも多かったのです。

農村から離村し、流浪することになります。

ついには路傍で死亡してしまう人も多かったのです。

行路死亡者数一覧  
       
年代 男 女 計 一日あたり死亡者数 行路病人死亡者数 計
1939 4039 669 4708 12.8 866 5574
1940 3863 662 4485 12.3 894 5379
1941 2708 514 3222 8.8 1913 5135
1942 5271 612 5883 16.1 680 6563

  15,881 2,417 18,298 12,5 4,353 22,651

※女性の数が少ない
         

 1939年は旱害があり、離村、流浪する農民が多く、死亡者も多くなっていますがこの4年間の合計で18,298人の人が死亡しています。

死因は餓死、栄養不良がもっとも多く凍死、病死と続きます。

1940年3月1日付けの朝鮮総督府官報には46人の死者が掲載されていますが24人が餓死と栄養不良、8人が凍死、6人が病死などと記録されています。

一日あたり20人以上が死亡している年もあります。

行路病人とは一応の救済施設があり収容されたが死亡した人を言いますが、これも行路死亡人として考えると実数は更に多く22,651人になります。

官報に搭載されていない人を含めれば更に多くなります。

家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されていませんから更に大きな犠牲者が存在したと考えられます。


日本人の行路死亡者数と比較すると官報掲載者のみでも朝鮮のそれは実に15倍(人口比)にもなるのです。

小作地を奪われたり、生活が出来なくなった農民たちは死を覚悟して流浪せざるを得なかったのです。

これが植民地統治の実体です。


 更に強制連行との関連で戦時下朝鮮農村の重要な問題を取り上げておきたいと思います。

朝鮮社会を深刻な状態に追い込んだ米の徹底的な供出政策です。


 農民から米を奪う

 日本と総督府は朝鮮の戦時体制下の要求として労働力と米の供出を求めていました。

戦時下の日本では米が主食でしたが特に軍の食糧は白米中心でした。

朝鮮では1939年に大旱害があり米の減産があり、40年は2100万石、41年は2400万石ほど収穫がありましたが、42年からは16百万石前後に落ち込んでしまいます。

42年から45年まで3年間は大凶作でした。

理由は天候も関係しましたが農村から男子労働力が動員されたこと、肥料不足等を揚げられますがなによりも米の供出が強化されたために起きたのです。


深刻な米不足のなかで1945年には200万石の日本への移出を実施しています。 

供出は愛国班(日本の隣組のような相互監視組織)に割り当てられ、愛国班長の家の庭で警官、面の職員、郡の督励員が立ち会って割当量を集めた。

これに従わない者は罰せられ、検挙されました。

割当量は多く、自家消費量を超えて供出しなければなりませんでした。

また、供出割当の定量に達しない者の家は家宅捜査が行われ、あらゆる所を検索し、発見すると容赦なく供出させた。

生産した物を消費できない農民が多くなりました。

たりない分は満州雑穀を配給しましたが大豆粕などで肥料用に農家に配給した物を代用したのです。


小作農民は農業をしても生産した作物を満足に食べられなくなったのです。

また、米の統制が厳しく自由に売買が出来ず、食糧不足を激しくしました。

米以外でも農民が自分で作った作物を消費できないような統制 が実施されたのです。

これに加えて供出米の代金から自動的に愛国貯金などが差し引かれ、物価は上昇し農民の困窮が一層進んだのです。

農民は農業で食えず、生産する気持ちも萎えてしまっていました。

農業より賃金を得る労働者になれば配給米を受け取れるので下層民ほど離農する人が増加しました。

農民が生産意欲をなくしたのが米の生産減少の最大の要因といえます。

そうした人を高賃金で家族に送金できると説明し、日本に大量に動員したのです。

日本への募集に応じたのはやむを得ないこうした理由が背景がありました。

 この他にも戦時下の朝鮮での暮らしはそれまでにはない困難な条件が多くありました。

例えば経済統制で綿花の作付け統制が実施され、全量供出となり、自家消費が出来なくなり高い衣料品を買わねばならず、白衣の実質的な禁止やもんぺの普及が進められました。

住宅不足も深刻になり暖房も「低温生活」が進められました。


 戦時下の朝鮮では基本産業の農業が疲弊し、統制が強められ暮らしが困難の度合いを深めていました。

 こうした朝鮮社会で賃金をくれて、食事も保障され、家にも送金できるなどというふれこみで募集が始まったのです。

朝鮮人にとって生死ををかけたような植民地支配が存在した中で募集に応じたのは自由意志と言うより、それ以外の道がない閉塞状況が朝鮮社会に存在したということです。

そのようにしたのは日本の植民地支配です。

そうした状況の中から労働者を連れて来るというのは「連行」そのものではないでしょうか。

「強制連行はなかった」論の虚構は植民地支配の悲惨ともいえる農民生活の実態を無視した議論です。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data2/data2-2.html


日本統治前の朝鮮人が毎日大食らいできた理由:

イザベラ L ハード「朝鮮紀行」 P203〜P204より

大食ということに関しては、どの階級も似たり寄ったりである。食事のよさは質より量で決められ、一日四ポンドのごはんを食べても困らないよう、胃にできるかぎりの容量と伸縮性を持たせるのが幼いころからの人生目標のひとつなのである。

ゆとりのある身分の人々は酒を飲み、大量のくだもの、木の実、糖菓を食間にとるが、それでもっぎの食事には一週間もひもじい思いをしていたかのような態度でのぞむ。

裕福な家では牛肉と犬の肉は大皿に盛る。また客のごちそうは銘々膳で供されるので、もてなす側は特別大事な客にはふんだんにふるまい、ほかの客には最小限度に抑えておくことができる。

わたしは朝鮮人が一度の食事で三ポンドはゆうにある肉を食べるのを見たことがある。

「一食分」が大量なのに、一日に三食か四食とる朝鮮人はめずらしくなく、一般にそれを慎む人々は好きなように食事もできないほど貧しい人と見なされかねない。

一度の食事で二〇個から二五個のモモや小ぶりのウリが皮もむかれずになくなってしまうのはざらである。

赤ん坊にまで食べさせる莫大な消費量の赤トウガラシがこの大食ぶりを助けているのはまちがいない。

朝鮮人には消化不良のたぐいの疾患が多いというのもうなずける。
http://kukkuri.blog58.fc2.com/blog-entry-573.html


要するに日本人はアホだから歴史に学べないだけ:


仙台藩の主な産物は米である。

江戸時代には、北上川流域の湿地帯の開拓などの新田開発によって実高100万石とも言われるほどに多くの米を収穫できるようになった。

また、買米制と呼ばれる事実上の専売制度が導入されていた。

その米を東回り航路で江戸に運んで大きな利益を得た。

一時期、江戸に流通する米の半数は仙台米と言われた時期もあった。

そのため、石巻はこの航路の拠点として大いに発展した。

また、一部の米は海産物とともに大坂にも運ばれ、上方との交流も盛んであった。

これによって藩財政・農民の暮らし共に潤った時期もあった。


ただし買米制にも凶作に弱いなどの弱点があった。


ひとたび、凶作が起きると領内は大変な食料不足に見舞われ、農民だけではなく武士階級の者までがバダハタと餓死した。

これは他の藩には全く見られない現象であった。


現米収入のみに限定しても楽に100万石を超え、表高で上回り幕府に融資を行うほどであった加賀藩・寛永の大飢饉などにより江戸時代初期から貧乏で幕末に殖産興業に成功してようやく好転した薩摩藩よりも当初から財政的に豊かであり、政宗の時代にはローマへ単独の藩で使節を送るほどの力を有していた。

江戸時代末期の九州人の安井息軒の読書余滴に「二百万石余」、同じく江戸時代末期の九州人の帆足万里の『東潜夫論』には「二百五十万石」との記述がある。

ただし、東潜夫論は、佐渡12万石(1万7,000石)、隠岐6万石(5,000石)と、太閤検地の10倍表示されており、注意を要する。

佐渡国の佐渡金山についても触れており、米の生産量以外の豊かさも含んだ指標として石高が使用されている。


だが、米に頼りすぎた経済は藩に他の産品の開発の動機を失わせ、藩財政は米の出来・不出来及び米相場の状況によって翻弄され、不安定であった。


凶作が起きれば藩は大借金を抱え、豊作でかつ米相場が高値推移の年には積年の借金が一気に返済できてしまうといった具合である。


まさに「農業は博打である」という格言を地で行く藩経営であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%97%A9


小規模自作農で飢饉に強いのは、日本じゃ、アホみたいに、戦前まで米以外に粟や稗を作付け、農作物を多様化している農家だった。


ただ、これをやると農家は基本、貧乏だ。

換金作物を作らず、そのスペースで粟とか稗とか作り、穀物の来年の収穫の見通しがつくまでは新米には絶対に手をつけない用心深い農家だった。

もうけは出ないが、生産量が安定するから飢饉にも強い。

農業経済では、農民が貧困だが安定的な状態ってのが存在していて、うちのご先祖の相模農民なんかは、典型的な貧乏だけど飢饉には強い農民だった。

二宮尊徳のエピソードで、ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測。

村人に冷害に強いヒエを植えさせた。

二宮の予言どおり冷夏で凶作(天保の大飢饉)となったが、桜町では餓死者が出なかった(実際には、数年前からヒエを準備させていたことが分かっている)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3


用心深い農民ってのは、別に二宮に言われずとも、昔っから、保険として粟とか稗を作付けするもんだったの。


ただ、仙台藩のように、換金作物である米をひたすら推進し、他の産品の開発動機を失わせる農業経営をやっちゃうと、儲かる時は凄く儲かるけど、飢饉になると破滅的な影響がでてしまう。

典型的なギャンブル農業でね。

仙台藩は天候に左右されやすい米みたいな作物を冷害が多発する地方で主要作物にして代替的に推進したせいで、飢饉になると破滅的な影響をうけてしまった。


人口増(子供への医療品の配布)と換金作物推進(農業生産性と収益性の増加)っていうのは、日本の仙台藩の経営と同じだから、素人にはお勧めできない。

というか、仙台藩ならまだいいけど、日本でもっとも一揆が多発した飢饉超発生地帯、盛岡藩になったら悲惨すぐる。
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20091101/p1


これが飢餓輸出の実態:


天明大飢饉は人災だった
 

 日本の【飢餓】を心配される方が多い原因に、江戸時代の飢饉が誤って伝えられていたこともあるかと、最も酷かったとされる【天明の飢饉】について書かせていただきます。

 結論を先にいっておきますと、これらの飢饉は【人災】でした。

日本中で何百万人も犠牲になったなどということはありません。

江戸では風のたよりに知る程度でした。

もちろん食料は例年と比べかなり不足しましたが、全体としては、それほどのことはありませんでした。

もちろん総論の結論です。

 

 天明に入ると、農作物の収穫が減少しましたが、特に【天明三年】は異変の年で(1783)浅間山が大噴火を起こし、この火山灰による大洪水や山崩れなど大規模な自然災害が発生します。 

 また異常気象が目立ち、海外ではアイスランドのラカギガルム火山が大爆発、また同地のグリームスヴォント火山も大爆発、テムズ川もセーヌ川も凍りついたと伝わります。

 ヨーロッパは冷害となり、このときの飢饉が【フランス革命】のきっかけとなります。地球全体が火山灰の微小粒子に覆われた結果とされています。


 国内の気象は、浅間山爆発の天明三年の冬は異常な暖かさ、年が明けても変わりません。雨はほとんど降らず、その後、雨が少し降ったので五月に田植えが始まりましたが、逆に冷気がつづき、夏になっても綿入れを着るほどの低温だったといいます。このため稲は青立ち(穂が出ないこと)となり、他の作物もほとんど結実せず、大凶作となり関東から東北地方にかけて被害を受け、北に行くほど酷いものでした。

 三月、四月になると冷雨が続き、雨の降らぬ日は七日だけ、それもうす曇で晴天の日は一日もありません。五月六月も同じで、雨の降らぬ日はそれぞれ四日、六日という有様だったといいます。


 「春頃には麦の作柄が例年になく良いと予想され、農民たちは喜んでいたが、雨続きのため麦の刈り取り期にはまったく結実がなかった」といいます。

「稲、大豆、ヒエなどは作柄が良いと見込まれ、経験豊かな老農たちも秋の豊作は間違いないと予測した。しかし異常な天候不順で、七月下旬になっても穂は出ず、わずかに出た穂には実が入っていなかった」とあります。

「八月十三日夜の厳しい寒気で霜が降り、大豆、粟、ヒエ、そば等は全て【穂なし】となり、前例のない大凶作となった」と続きます。

 
 飢饉が予測された津軽藩では、藩主・津軽信寧(のぶやす)は参勤交代で江戸にあり、側用人の大谷津七郎が、藩政を掌握、さまざまな飢饉対策を行っていましたが、

藩は長いこと藩財政が苦しく、大阪商人に借りた借入金が返せず、京坂の商人に代理返済して貰っており、この年にはどうしてもコメを京・大阪へ送らねばならない事情がありました。


【お救(たす)け小屋】の準備をしながら、前年農民から藩に上納されたコメ、「四拾万俵」をすべて大阪と江戸に送り換金しました。


飢えの恐怖におののいている領民の見守るなか、四十万俵のコメを積んだ船が通り過ぎていったと伝わります。

このため領内のコメは尽き、よって農民たちは、飢えの恐怖が現実になり衝撃を覚えます。

 
 「穀物の価格は高騰し、さらに金を出しても買えなくなり、飢えにさらされた領民たちは山菜の根をあさり、そば、大豆の【殻:カラ】までも口にした。

飼料が尽きたので牛や馬を飼うこともできず、すべて捨てて、牛馬が原野を歩きまわった」との記録があり「牛馬を食料にすることは食習慣になかったが、これらを殺して食うものが増した。

また口べらしのため子供を川に流すものが数知れず、大百姓をふくめて多数の農民が田畑、家を捨て、家族とともに【伊勢参り】をよそおって、碇ケ関から秋田藩領へのがれた。世をはかなんで深い森に入り首をくくったり、石を抱いて川に身を沈めたりする者もいた」とつづき


 「このような中で強盗、追剥(おいはぎ)が横行し、盗みに入った者が家に火をつける例も多く、火災が頻発した。天明三年九月から翌年六月まで、津軽藩領では男女八万千七百二人が餓死した」

との記述が残っています。また人間だけでなく「馬一万七千二百十壱頭」と記録にあったといいます。

 

 南部藩(八戸藩・七戸藩)でも被害は甚大でした。

【久慈街道】という八戸市と久慈市を結ぶ街道があり、途中にウミネコの繁殖する島、蕪島(かぶしま)があるというところから、たぶん海沿いの国道45号線のことかと思いますが、十里ほどの道程で途中に新井田村があり、ここの【対泉寺】には天明飢饉を悼む石碑があり、このうちの四文字が素人と思われる手で削られているとか。

そこには【人を食った記述】があったと郷土史家の【中里さん】が語った」と、東北文庫の【久慈街道】に小説家の故井伏鱒二氏が書いています。

 

 人肉の話は事実だったようで、『街道をゆく』の司馬遼太郎氏は確か『久慈街道』で、「これ以上の惨状を書くのは忍びがたい」としていますが、吉村昭氏はそのまま記しています。

両者とも【高山彦九郎】の詳細な日記を引用しています。現在は山門脇に【餓死供養塔】があり、詳細も記されているとか。筆者は中間というか、皆様があまり不快になりそうな表現は避けています。

 

 「野草の類も食いつくすと、人々はイノシシ、シカ、イヌ、ネコ、ウシ、ウマも食いあさり、それらも絶えて人の肉を食うようになった。

親が死ぬと子はそれを食い、子が死ねば親が食う。さらに山中や野外に捨てられた人の死骸も、彼らの食欲の対象になった。

その頃、人の肉を食った村人に聞くと、馬の肉の味はサルやシカのそれよりまさり、さらに人肉のそれは、ウマの肉より優れている、と語ったという」


とあり「村内で人肉を食ったものは、それがたたったらしく十人中七人は死んだ」と記されています。

 

 このような残虐な例は今まで読んだ限りでは、津軽・南部藩(八戸藩・七戸藩)に限られるようです。


津軽は【財政破綻に瀕した好例】であり南部藩は【行政の大失敗】があるようです。


原因のひとつに、この藩には資本主義が日本で最後に入った場所、人々は馴れていないため、商人貸し付けの金銭返済ができず、田畑や家屋などが質流れし、ほとんどの百姓が商人の奴隷となり、百姓から年貢が取れない藩は、百姓の富を奪っていた商人から、無理矢理に金銭を取り立てました。


(たしか戦後、当時の学者で、安藤昌益という今でいう共産主義者が発見されもてはやされましたが、それなりの風土がありました。)
 
 天明三年の大飢饉の際にも、他藩のほとんどは、まさかに備えて十分な準備をしており、特に有名なのが米沢藩、白河藩でした。

このとき、ただ一人の餓死者も出さなかったと伝わります。
 
http://hoihoihoi.iza.ne.jp/blog/entry/1654370/


要するに、東北でやっていたのと同じ悪事を朝鮮でも繰り返した訳ですね。  




http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c69

コメント [文化2] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される (昼休み板へのリンク) 中川隆
6. 中川隆[7192] koaQ7Jey 2017年3月19日 17:15:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7663]

韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実
へのコメント
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/757.html#c6
コメント [カルト17] 週朝・親子で籠池と昵懇の稲田はKO寸前、体調不良でポスト安倍に岸田も。読み書き不自由の退陣が最優先である。 ポスト米英時代
1. 2017年3月19日 17:15:42 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[657]
ポスト氏異議なし。でんでんの心を見ている。一挙一動。言動。ただ見ているのではない。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/727.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
6. 2017年3月19日 17:15:44 : riwgxq1iJ6 : Bd5Q3wVbe7A[1025]
迫田英典は逃げるだろう。逃げまくる。官僚組織に守られて・・。いつまで続くか疑問である。表に出てくればもう終わり。陰謀組織財務省は守り抜く。なぜなら財務省が炎上してしまうほどの信用が失墜するからである。政治家へのリークはお手の物。何度も何度も陰謀を仕掛けてきた。被害者は政治家たちである。己の代理で刑務所にほおり込まれてきた。連中は人事異動とやらの作為で責任転嫁して逃げ延びてきた。さて今度もどんな手を使って迫田を逃がすのだろう。部下たちの失態続き。そして天下りの社会問題と、ろくな連中ではない。金魚の糞のようにぞろぞろと連なり利権という餌に食らいついている連中である。トカゲ尻尾切り作戦もうまく行かないようだ。果たして本丸まで火が回るのだろうか・・。財務省は命がかかっている。逆襲はあるのか・・。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
7. 2017年3月19日 17:16:23 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[634]
●菅野完‏
まさに「公金の移動」である国有地売買についての決定権を有しているのは、籠池のおっさんではない。 籠池のおっさんは契約書にハンコ押せても、売却の稟議にハンコは押せない。 売却の決済を下ろした奴 つまり、当時の近畿財務局の局長と 当時の理財局長にこそ、責任がある。国会呼ぶなら、こいつら
https://twitter.com/noiehoie/status/843094273968885761
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK208] 日本育英会がなくなったのは2001年…、今ごろになって、その持つ意味が分かった 赤かぶ
11. 2017年3月19日 17:17:44 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[-741]

育英会廃止の背景はバブル世代の踏み倒し事案の急増が元凶のようです


カナダマン@kashiwa_z

今日、自分が返さなければいけない奨学金の額を見て結構萎えた。ってか踏み倒してる奴、利子3倍にして取り立てしろよ、マジで。前にバブル世代の人からどれだけ奨学金で遊んでたか、そしていま踏み倒してるって話を自慢げにされて、「ゴミクズ以下ですね」とリアクションしといた。

2013.04.14 23:13
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/561.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK222] この画像、ガンガン拡散したい。顔写真写ってる人間を全員、偽証罪の縛りかけた証人喚問に呼んだら、3日でケリがつく。 菅野完 赤かぶ
32. 2017年3月19日 17:20:23 : K28zyjN6nE : Q2QZCQI3Bk8[2]

竹下亘 = 腐ったチワワのようなおっさん
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html#c32
コメント [戦争b19] アジアにおける軍事活動を拡大する日本(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 17:21:30 : 9PJ087Jfgc : IFbv7p@5Zik[3]
北が攻撃してこない前提で言ってるのだろうか。核ミサイルが東京に撃ち込まれたら、軍備拡大も何もないのだが。

追い詰められた人間が何を始めるか想像力が試される。ABCD包囲網の石油禁輸で虎の子の連合艦隊が一年で無力化することを知った大日本帝国が何を始めたか、もう一度歴史を検証すべきだ。
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/800.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] 父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前〈週刊朝日〉 赤かぶ
5. 2017年3月19日 17:22:04 : LoE1OKdm3I : BhCpPog8ieE[5]
>「07年、帝国ホテルで開かれた稲田氏のパーティーの席上で、籠池夫人の諄子さんが野次を盛んに浴びせたことがあった。稲田さんは『参ったな』とぼやき、それ以降、諄子さんを避けるようになった。今回の騒動で諄子さんが『おにゃんこちゃん』と呼んだことについて国会で尋ねられ、『奥様らしい』と稲田さんが答えたのは、このときの経緯もある」(自民党関係者)

この情報、籠池婦人がなぜ、野次を言ったかの理由が書かれていない。

それに、

>その後、稲田氏は籠池氏からの講演依頼を断り続けた結果、「怨」と書いたファクスを何枚も送りつけられたこともあったという。

講演依頼を断られただけで、なぜ「怨」なんだろうね?

中途半端な情報。この情報は、稲田側から出たんだろうね。

稲田はこの程度の中途半端な情報だけ提供すれば、多くが理解するとでも考えているのか。国民をバカにしている。

07年パーティで籠池ではなく女房が野次とばした理由が知りたくなった。
女同士の争いに付きまとう世俗な争いごとしか思いつかないわ。

稲田が多くの女性から嫌われるのが、国会や大臣職をファッションショーと勘違いしている風体が見えすぎること。
ファッションやおしゃれに時間かけている様が見えて、普通、大臣は相当の多忙を極めているという理解をふっとばした。

整形顔らしいが自意識過剰。国会議員を国民が求めているのは美形候補と思ってるのか?
あんたのふてぶてしい顔見るだけで反吐が出るようになったよ。

政界の中で、おんなを武器に母性を働かせて世話しつくし男心をくすぐられると、官僚の一部が言っていたそうだ。これだけでのし上ってきたわけだ。

そうすると、籠池女房の野次も、どうも女同士の醜い争いごとにしか見えへんわ



http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/586.html#c5

コメント [経世済民120] ヤマト、来月から環境改善 アマゾンなど大口顧客との交渉鍵 現場には疑問の声も(SankeiBiz) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 17:22:38 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5613]
2017年3月19日(日)
ヤマト運輸 違法残業システム廃止
田村智子議員の追及実る

 宅配最大手のヤマト運輸(本社・東京都中央区)が、宅配トラック運転者の労働時間を短く記録してサービス残業をつくりだす違法システムを廃止することが、18日までに分かりました。

 ヤマトでは、出退勤を記録するタイムカードがあるにもかかわらず、トラック運転者に所持させた集配業務端末「ポータブルポス」の起動時間だけを労働時間とカウントし、配達準備や伝票整理などが賃金未払いになっていました。

 ヤマト本社は問い合わせに対し、「タイムカードへの一本化によって、適正な時間管理を実施していきたい」と答えました。

 昨年8月、神奈川県労働組合総連合(神奈川労連)に相談した運転者2人が労働基準監督署に申告して、サービス残業の是正勧告が出されました。

 日本共産党の田村智子参院議員は1月31日の予算委員会で「違法なサービス残業をシステム化していた。全国的な調査、指導監督が必要だ」と追及しました。安倍首相は、「企業全体で労働基準法違反が認められる場合は、本社に立ち入り調査を実施して全社的な改善を図らせる」と答弁していました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-19/2017031915_02_1.html
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/294.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍退陣必死!<本澤二郎の「日本の風景」(2547) <窮鼠猫を噛む逆転負けか> <夫人にも裏切られた?> 笑坊
7. 2017年3月19日 17:23:31 : qF4T1YwunA : 0ID5WaAuWRA[1601]
■日本は今だ国連の「敵国条項」指定国である。その汚名を晴らせるか国民は試されている。

●世界の目は、韓国と日本の違いに注がれている。

韓国では、朴大統領が弾劾案が可決された。

『朴槿恵大統領弾劾案が可決、世界中のメディアが報じる=韓国ネット「まさに国の恥をさらした」「国恥はもうたくさん」』
http://www.recordchina.co.jp/b157284-s0-c10.html

日本でも森友事件が安倍総理を追い詰めているが、どのような結果になるか世界は注目している。

「日本の司法は(暗黒時代の)中世のレベルだ」と国連で指弾されたことは記憶に新しいが、今回の森友事件の結果次第では、「日本には民主主義が育っていない。日本丸ごと暗黒時代だった」という評価になるであろう。

経済だけが発展したいびつな国・日本という評価が確定する。

●日本がほとんど戦前回帰の社会に戻りつつある現状を世界はどう評価するか?

ご招致の通り、日本は未だに国連の「敵国条項」該当国である。

即ち、永久に世界の無法者国家との位置づけをされたままなのである。

残念ながら、アヘ公明党政権の進めている戦前回帰の時代錯誤の政治の実態が明らかになるほどに、世界からやはり「日本は無法者国家」のままだったと再認識されるに違いない。

そして、「敵国条項」に従って、日本の無法行為を攻撃し鎮圧するために、在日米軍は継続して「日本に銃をつきつけた」状態を維持する必要があるとなるであろう。

●日本の国民の力が試されている。国民の意思を、世界に示さなければならない。

日本の自立を永久になきものにするアヘ公明党政権を、国民の力で排除して見せることでしか、世界から浴びせられる「無法国家日本」の疑念を払拭する方法はない。

●【参考】『戦後70年、いまだに敗戦国扱いされる日本』
http://toyokeizai.net/articles/-/78407?page=3

−−−−−−−−−−
この事を如実に示したのが「敵国条項」と言われるものである。そして、紛れもなく日本は敵国条項に当てはまっている存在である。

敵国条項とは、国連憲章第53条、第77条1項b、第107条に規定されている。その内容を端的に言えば、第二次大戦中に連合国の敵国であった国が、戦争の結果確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を科すことができる、としている。

つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した、先の国連憲章51条の規定には縛られず、敵国条項に該当する国が起こした紛争に対して、自由に軍事制裁を課する事が容認されるのである。さらに言えば、これらの条文は敵国が敵国でなくなる状態について言及していない。

そのため旧敵国を永久に無法者と宣言したのも同様であり、旧敵国との紛争については平和的に解決義務すら負わされていないとされている。従って、敵国が起こした軍事行動に対しては話し合いなど必要なく、有無を言わせず軍事的に叩き潰してもよろしいということになる。

一方、国連憲章第2章では、主権平等の原則を謳っており、この敵国条項の規定は国連の基本趣旨に反し、特定の国を差別していることは確かである。

−−−−−−−−−
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/531.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK208] ≪炎上≫神田うの「奨学金は自己責任。20年やればいいんでしょ?飲み代を削ろう」⇒批判殺到! 赤かぶ
22. 2017年3月19日 17:24:40 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[-740]
5 :大学への名無しさん2016/03/17(木) 18:38:45.73 ID:1Hgv14/50
「たかじんのそこまで言って委員会」

宮崎哲弥:大学生の就職難って、言いますけど、大卒者の就職者数はバブル期より増えているんですよね。では、なぜかと言いますと・・・

勝谷誠彦:えーと、それはですね。バカ大学が増え過ぎたからですよ。
バカ大学を出たって、就職先がないのは当たり前。
しかし「マスコミはバカ大学が増えすぎたから就職難になりました」とは絶対に言わない。
なぜならマスコミ関係者もたくさん大学に天下りしているからですよ。
そして政治家や官僚もたくさん大学に天下りしているわけですよ。
だから政府やマスコミは「高卒は悲惨」とか煽って、大学進学を推奨するわけですよ。

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1458054189/5抜粋
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/703.html#c22

コメント [不安と不健康18] 花粉症、3日間〇〇するだけで治った!〇〇をやめるだけで症状が消えることも! 赤かぶ
2. 2017年3月19日 17:25:23 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1317]
まったくその通り 戦前の【貧乏国家】だった日本には アトピーも花粉症も 糖尿病も痛風も
ゼロとまでは言わなくても 極めて珍しい病気だった(鬱は また別の話だが)

今でも 発展途上国 国民が粗食を強いられる国家は 花粉症もアトピーもアレルギーも 滅多にない
要するに 飽食の国民 いわゆる先進国だけが患う“ゼイタク病”と言えない事もない

さらに アジアアフリカなどの衛生環境の劣る国では O-157などの特殊な細菌での食中毒は かえって起らない
衛生環境に厳しい国だけでのみ 先進国でのみ O-157とか ノロウィルスとかが流行してしまう不思議がある


しかしなあ まさか今から戦前戦中の イモやスイトンばかりの粗食の時代に戻る訳にもいかないだろう
道端の雑草を むしって食わなければ生きていかれない時代に 戻りたい人など存在しないだろうし
不衛生な環境に 戻すのも無理な話である

したがって 言ってる事はその通りだが 今さらそんな事言ったって せん無い話だぜ 中川クンよ。


http://www.asyura2.com/16/health18/msg/435.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
19. スポンのポン[6171] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 17:29:21 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[824]
 
 
■件の振込票は完璧な物的証拠だ。
 これによって安倍が寄付をしていた事実は
 すでに明明白白に証明されている。
 この事実をマスコミは必死に覆い隠し
 あたかも無意味な紙切れの如くに国民を騙そうとしている。

■安倍の寄付は本当に法的に問題がないのか

 選挙区でないから問題はないとマスコミは言い切っているが
 問題はそんなに単純か。
 政治家が一般人に金を与えれば、その人の投票行動に影響することは明らかだ。
 その政治家の選挙区でなくても、その政党に対する支持が得られれば
 結果は同じことではないのか。
 仮にある政党の所属議員たちが互いに自分の選挙区外で
 金銭をばら撒きまくって宣伝をしたらどうするんだ。
 しかも安倍は自民党を代表するの総裁だ。
 金銭によって選挙の公平性が歪められる恐れに一切触れず
 「違法性はない」などと言い切るマスコミこそデタラメだ 。
 結局、安倍の寄付が違法であるかないかは、
 法廷での裁判官の判断を待たなければ決着のつかない問題だ。
   
  
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK222] 『ニュース女子』のヘイトデマを、安倍チルドレンの自民党西田昌司議員が擁護!「在日差別はヘイトじゃない」と(リテラ) 赤かぶ
23. 2017年3月19日 17:30:19 : Nq4KHW9O22 : hZRccQMAsKc[1]
特集:デマを斬る!メディアとヘイトと沖縄と|週刊金曜日公式サイト
http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/002256.php
http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/docs/1128.pdf

「週刊金曜日」ニュース:デマを斬る! メディアとヘイトと沖縄と
http://www.labornetjp.org/news/2017/1489712488876staff01
■デマを斬る!
メディアとヘイトと沖縄と
●ヘイトに抗う言説の松明を掲げ続ける
対談 辛淑玉×青木理
安倍政権の政策に反対する市民へのヘイトスピーチが悪化している。特に沖縄の米軍基地建設反対派に対する誹謗はひどく、「日当貰ってる」「雇われている」というネット上で流れていたデマをテレビが「ニュース」として流す時代になった。メディアの劣化が指摘されて久しいが、政治や社会も劣化しているのではないか。名指しで攻撃された「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉氏と、ジャーナリストの青木理氏が、メディアとヘイト問題について語り合った。
●ヘイトスピーカーの“権威”が完敗
本誌取材班
「ニュース女子」問題に代表される沖縄ヘイト。デマを発信し続ける人びとがすがる“権威”の一人に篠原章氏の名が挙がる。同氏は3月7日「のりこえねっと」関連のネット番組に出演。野間易通氏や安田浩一氏との「激論」から、その言説の矛盾点が露呈した。
●批判されると高額訴訟で徹底反撃 消費者よりも「会長が一番」のDHC
三宅勝久
化粧品・健康食品の会社としてテレビで派手な宣伝をしているDHC。メディア制作会社・DHCシアターを有するなど言論界にも影響を及ぼしつつある。DHCとは一体どんな会社なのか。
◆「ニュース女子」に群がる人びと【相関図】
●浦添市長「ヘイト本」集会で講演
内原英聡
出版社の(株)青林堂から1月にいわゆる“沖縄ヘイト本”が出された。不確かな情報も多いこの本の共著者には自民党国会議員が名を連ね、出版記念講演会では沖縄県の浦添市長も堂々と挨拶していた。

<琉球/沖縄シンポ>STOP!沖縄ヘイト メディアの目線を問う 香山リカ 木村朗 前田朗 安田浩一 新垣毅 宮城栄作(飯田橋駅)
http://www.labornetjp.org/EventItem/1487914570061matuzawa
2017/04/23

デマで沖縄への偏見をあおった「ニュース女子」 MXの開き直り見解をゆるさない 第11回抗議行動(半蔵門駅)
http://www.labornetjp.org/EventItem/1489138523266matuzawa
2017/03/30

アジア女性資料センター - (3/26)ニュース女子に見る沖縄ヘイト報道の構造
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin2/index.php?page=article&storyid=294
ニュース女子に見る沖縄ヘイト報道の構造/白石草「本郷三丁目」駅
http://www.labornetjp.org/EventItem/1489480672078staff01
2017/03/26

DHCシアター続編番組は「検証ではなく自己正当化」〜10回目のMX前抗議
http://www.labornetjp.org/news/2017/0316mx
デマで沖縄への偏見をあおる MXニュース女子をゆるさない市民有志の木曜行動 第10回 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nQFcJL_zFS4&feature=youtu.be
 3月13日、DHCシアターは、沖縄の米軍基地反対運動に関する「ニュース女子」の続編をネット配信した。しかしその内容は検証ではなく、自己正当化するものでヘイトとデマの連続だった。これに対し3月16日、MX前では「ニュース女子をゆるさない市民有志の木曜行動」第10回目の抗議行動が行われた。この日は「森友疑惑徹底糾明!国会議員会館前行動」などと重なり、参加者は少なめの80人だったが、行動は大いに盛り上がった。
 元陸自レンジャー隊員の井筒高雄さんが駆けつけ「ヘイトスピーチのなれの果てが戦争につながる。そのことを公共放送は自覚してほしい。ヘイトを賛美したあの番組は本当に酷かった」と語った。
 また、ジョニーHさんは参加者と一緒に「あの青い空のように(替え歌)」を熱唱し、MXに「透明性」を求めた。MX前抗議は来週は休みになるが、3月19日には文京区民センターで屋内集会「ニュース女子のウソをあぱく!上映とトークの会」を予定している。この集会には沖縄からYASUさんも参加する。

デマで沖縄への偏見をあおるTOKYO MX「ニュース女子」のウソをあぱく!上映とトークの会(文京区民センター)
http://www.labornetjp.org/EventItem/1489138334787matuzawa

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/390.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
8. 2017年3月19日 17:30:38 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[8]
菅野完‏とか籠池とか、どす黒く怪しい連中を盛り上げてどうするのか、阿修羅の
頭のすこし弱い方々よ。

またあとで地団駄踏んで悔しがり、菅野と籠池を糞味噌に言うしかないのでは?
結局、頭のすこし弱い阿修羅の常連さんたちはいつも同じことの繰り返し。
ちとは冷静に世界を眺めてはどうだ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍昭恵夫人に新たな口利き疑惑が浮上!「昭恵夫人に伝えたら首相から連絡が入って予算がつきました」 赤かぶ
28. 2017年3月19日 17:31:39 : cH4jhM3bG2 : XqauBqrRDGo[78]
安倍カルト政権が崩壊するかまだ大きな期待は出来ないが今年この疑獄事件が表に出てきたのはトランプ効果、劣化ネオコン効果だろうか
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/533.html#c28
コメント [政治・選挙・NHK222] 米トランプ政権の北朝鮮政策見直し 核攻撃で焦土化と威嚇:デタラメな見出しを付け世論を煽る低劣なNHK あっしら
8. 仁王像[1392] kG2JpJGc 2017年3月19日 17:33:01 : zK10TiEU02 : iFnTUEtb7YU[5]
(3の補足)

下の「14年から続く朴槿恵潰し=実質クーデタ、“金正男”事件もその一環か」がフェイク・チャチャの典型的な例。本文の内容を反映しない”茶々”である。

 これを読んだ一定数の読者は「残念なことに、見出しを読んだだけで記事全体の内容を推測する」だろう。

 自分のしたことを失念した「痴呆症」か、「良心が崩壊」した人物だろう。

・朴大統領の罷免決定 裁判官8人全員が賛成=韓国憲法裁:14年から続く朴槿恵潰し=実質クーデタ、“金正男”事件もその一環か
http://www.asyura2.com/17/kokusai18/msg/566.html
投稿者 あっしら 日時 2017 年 3 月 10 日 11:35:31: Mo7ApAlflbQ6s gqCCwYK1guc
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/572.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK222] 振り込み名義人の変更「安倍晋三→森友学園」に郵便局の訂正印がある。ということは? 証人喚問は、藪蛇だったね  赤かぶ
8. 2017年3月19日 17:33:58 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[9]
こんなもの証拠にも何もならんよ。ばかばかしい。笑

第一、「安倍晋三」ったって全国に何人もいるのだよ?

詐欺師まがいの男が「安倍晋三」からもらったというのは勝手だが、じぶんでかってに書いたものがどうして物証になるのか。
あほらしい。

きみたち頭大丈夫か???
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/557.html#c8

コメント [カルト17] 新潮・文科省・加計の件で昭恵から相談、ロイ・安倍が2つの嘘、ワポ・スキャで退陣の危機。新聞辞令である。 ポスト米英時代
5. 2017年3月19日 17:37:20 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2758]
そ、そんな、せっかく国民の汗の結晶や年金資金持ち出して外遊のたびにバラ撒いてきたのにコーなると皆知らんとか記憶がないとかシツコイとかアンマリで、あ、確か南極にも家内の友ダチがいるハズ、ちょっと荷物まとめてヘリ、いやメスプレーかな、だかに乗って、あ、玄関に誰かキタ、/あ、もしもし、東京チ○◎ですが  /急のお出かけにスグ配達の東京チキン
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/725.html#c5
コメント [戦争b19] アジアにおける軍事活動を拡大する日本(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
2. 2017年3月19日 17:37:36 : aDDQW4ANKI : YxeTdtv3g6c[40]
日本は日米安保条約を破棄して戦争をする国にならないようにしなければならない
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/800.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK222] 自民が籠池に突然、喚問を突き付けた謎! 「安倍総理は“証人喚問になってよかったよ“と言った」 赤かぶ
38. 2017年3月19日 17:37:44 : z1r0GDU2NI : f32gvVNgneI[7]
勝負はもうすでについていると思います
この郵便局の振り込み記録を説明することで詳細な状況を強力に補足する1級の資料です。
私は、籠池さんの言うことを信用します。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c38
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍晋三の名が消された寄付金振込票に続き、籠池長女による100万円受取り直後の目撃証言が!(リテラ) 赤かぶ
15. スポンのポン[6172] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 17:37:45 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[825]
  
  
■件の振込票は完璧な物的証拠だ。
 これによって安倍が寄付をしていた事実は
 すでに明明白白に証明されている。
 この事実をマスコミは必死に覆い隠し
 あたかも無意味な紙切れの如くに国民を騙そうとしている。

■安倍の寄付は本当に法的に問題がないのか
 選挙区でないから問題はないとマスコミは言い切っているが
 問題はそんなに単純か。
 政治家が一般人に金を与えれば、その人の投票行動に影響することは明らかだ。
 その政治家の選挙区でなくても、その政党に対する支持が得られれば
 結果は同じことではないのか。
 仮にある政党の所属議員たちが互いに自分の選挙区外で
 金銭をばら撒きまくって宣伝をしたらどうするんだ。
 しかも安倍は自民党を代表する総裁だ。
 金銭によって選挙の公平性が歪められる恐れに一切触れず
 「違法性はない」などと言い切るマスコミこそデタラメだ 。
 結局、安倍の寄付が違法であるかないかは、
 法廷での裁判官の判断を待たなければ決着のつかない問題だ。
    
   
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/522.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK222] 山城博治議長、5カ月ぶり保釈決定 福岡高裁が地検抗告退ける 琉球新報 赤かぶ
31. 2017年3月19日 17:39:15 : cH4jhM3bG2 : XqauBqrRDGo[79]
ナカイマが承認に転じたのも裏があると思うんだよな、当時トンネルや週刊紙の事が表に出てたし他にも何か圧力があったと思うな ナカイマ百条委員会をした沖縄県議会はダメだった 何も出来なかった、議員は力が無さすぎた。 もし裏がまだ有りそうならジャ−ナリストに期待したい
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/553.html#c31
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
9. 2017年3月19日 17:39:51 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2499]
堀茂樹氏
「森友学園事件をめぐるTLの不思議。国会招致を籠池氏に限ろうとしているのは安倍自民党です。追及派の人々の大半は、あくまで国有地譲渡や学校認可をめぐる異常さを問題にしています。問題を籠池氏周辺に矮小化しているのは追及派ではなく、下らないから追及やめろと言っている人達ではありませんか?」
https://twitter.com/hori_shigeki/status/843365901378363392

国有地譲渡、学校認可が本当の問題。
その点、籠池氏は「国や府は正しい」と証言するのではないか?
それなら、自公維にとっては、籠池氏を悪者に仕立て上げる必要はないのではないか?
それとも、正直に言われては困ることでもあるのか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
10. 2017年3月19日 17:41:02 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[635]
●証人喚問に、役人の迫田英典が出てこな〜い。近畿財務局や私学課の課長がでてこな〜い。大阪府知事の松井一郎は、どうした〜い
逃げ隠れする様はまるでゴキブリ。
民間人である籠池氏を証人喚問に出るのに、役人の迫田英典が出てこない
武内良樹・近畿財務局長が出てこない
近畿財務局・池田統括国有財産管理官が出てこない
松井一郎が出てこない
私学課の課長・吉本馨が出てこない
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/565.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c10
コメント [近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
363. 中川隆[7193] koaQ7Jey 2017年3月19日 17:41:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7664]

日本市場を襲う「株の冬」とヘッジファンドの誤算〜3月FOMCを終えて=E氏 2017年3月19日


これから「株の冬」がやってくる

では、今後の見方がどうかですが、ドル円を始めとする為替市場は年初からのトレンドである、ドル売り円など他通貨買いの流れに戻るでしょうし、過度な金利上昇観測も消えるので、債券へのマネーシフトも見られるでしょう。

米国の利上げは、米国や日本などの先進国以上に、新興国に悪影響を及ぼすので、周辺アセットから世界がリスクオフに転じる可能性が高まって行きます。

そうなると、安全資産である日本円は買われやすくなるので、米国の利上げがオーバーペースでないと判明した以上、円を依然としてショートポジションで持ち続けるのは合理的なポジションとは思えませんから、少なくともショートがニュートラルになるまで、投機筋による買い戻し圧力で円高ドル安になり易いでしょう。

一方の米国株は、議会演説以降、トランプ大統領が市場に過度な期待感を醸成させ続ける機会が事実上終ったことで、今後は現実を見る地合になっていく可能性が高い上に、過度な債券売りが止むということは債券買い/株売りにつながるため、今後は上値が重いでしょう。

加えて、利上げで新興国やコモディティなどの周辺アセットが過度なリスクオフになった場合は、米国株も当然引きずられるので、昨年11月以降延々と続いていた、「いまだかつてないタイプの大統領が何をしでかすか判らない」という極端な見方で形成されていた過剰な期待相場は終焉し、徐々に金融引き締め時の株価形成に入っていくと思われます。

日本株の買い材料は尽きた

このように考えると、円安時は円相場の動きに反応して好感して、しかし円高時は米国株高など他にポジティブな材料を見つけるなど「売らない理由を探していた」日本株の買い材料はほぼ尽きたと思われます。

トランプ大統領による過剰な期待感醸成はなくなり、米国の利上げがあったので、マーケットセンチメントは徐々に冷えていく中で、周辺アセットからのリスクオフの足音も聞こえてきます。

そうした中で、投機筋の円ショート解消という需給的要因で円高になり易いことから、日本株をサポートする外的要因はほとんどありません。

日経平均2万円が近いからというだけで、2万円を目標に頑張ってきたマーケットでしょうが、買い材料がない中でこれ以上買い上がれると考えるのは、かなり楽観的だと思われます。

それよりは、トランプショック以降、円相場の下落以上にオーバーシュートして上げ続けた反動がいつ出てもおかしくないので、今後の日本株は米国株以上にリスクオフ的な動きになり易いと思われます。

冬が終わり、日増しに暖かくなってきていますが、こと株式市場に関しては、トランプ大統領との蜜月期間は終り、FRB主導による「株の冬」がこれからやってくるのです。
http://www.mag2.com/p/money/161274/3


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c363

コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 17:41:56 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[10]
夫人は私人だろうが、ばかばかしい。

「安倍昭恵夫人の経費に税金145万円 交通費など」と、ばかなことをいってるバカがいるが、
総理の外国要人との会談などに同行してもらっているのだから、交通費やホテル代は国が出すのがあたりまえ。
いわば国のほうからお願いして首相と同伴してもらっている。

ほんとうに公人というのならちゃんと国家公務員として給料を支払ってやれよ。ばかばかしい。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] 9月5日に昭恵から理事長妻に手渡されているが、その前8月28日に安倍首相の政治資金団体で100万円の不審な動き。まさか… 赤かぶ
20. 嫌韓[1045] jJmK2A 2017年3月19日 17:46:47 : JsSkMdIvNA : dejrr5xEoW4[4]
>>19
森友学園の国有地安価払下げ事件は、籠池の詐欺行為だろう。
それと、近畿財務局の無能?

1.これに政治家が関与していたか?
  私はこれは無いと思う。
  理由は籠池が鴻池程度の人間に25回も陳情している事。
  安倍晋三君が関与しているとしたら、こんな事はしない。

2.安価は正しいか?
  近畿財務局の無能?
  これはやり過ぎだろうね。

3.安倍晋三君またはブス嫁が100万寄付したか?
  有り得ない。
  将に寺から檀家への話であり、逆ならあり得るかも知れんが・・
  まあ、有ったとして、法律的に何の問題もない話を
  菅野やマスコミは何故騒ぐのかが理解できない。

こんなので国会ジャックして日本は大丈夫かな?
民進党もマスゴミもすこしは国益を考えて欲しいものだね。
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/542.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍晋三の名が消された寄付金振込票に続き、籠池長女による100万円受取り直後の目撃証言が!(リテラ) 赤かぶ
16. sk2z[23] c2syeg 2017年3月19日 17:49:01 : LN8yVNd41I : vXikBVDPwWo[2]
1)さんのコメントが重要です。
「現金」は「封筒」に入っていた、という。
さて、その「封筒」は、いま、どこに?
町波さんは「色は覚えていない」と。しかし、菅野氏は「白の封筒」と述べていた。
「封筒」には、それを触れた人物の痕跡が残る。もしも「封筒」が保存されていて、指紋採取し、何種類の指紋が見つかり、森友学園関係者以外のものが検出されたら、どうなるか。
「振り込み用紙」云々(でんでん!?)へ関心を惹きつけたのが、菅野氏の「煙幕」あるいは「罠」かもね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/522.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK208] 日本育英会がなくなったのは2001年…、今ごろになって、その持つ意味が分かった 赤かぶ
12. 2017年3月19日 17:49:32 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[-739]
日本育英会がないなら毎日育英会で利用すればいいじゃな〜い♪


毎日新聞が「新聞奨学生ブラック労働内部告発」記事の削除を要求――
配達人集まらず、末期症状露呈した“ブラック育英会”
http://www.mynewsjapan.com/reports/2257

ほとんど無報酬の集金業務、弁当代のピンハネ、給料未払いでも支払いに応じない――
そんな毎日新聞奨学生のブラックな労働実態を実際の体験者が告発した、2008年5月掲載のスクープ記事。
8年たった2016年6月10日、「毎日育英会」(上田繁理事長=毎日新聞グループホールディングス専務)が突然、
「事実と全く異なる」と主張し始め、記事の削除を要求する通告書を送付してきた。
削除を行わない場合は然るべき法的措置を講じるという。
過酷な労働環境などの影響から奨学生の数が激減したため、募集の妨げになる報道記事を消そうと企んだとみられる。
新聞社が、自社媒体で反論できないまま、自らに都合の悪い記事の削除要求を通告するなど、
言論・報道機関として自殺行為だ。検証したところ、当時の内部告発と証拠資料に基づき綿密な取材を行って記事化したもので、
削除どころか修正すべき点も見当たらない。
言論封殺を狙う毎日新聞社の恥部、“ブラック育英会”の実態を報告する。
【Digest】
◇恥ずかしい通告書
◇企業でも財団でもない毎日育英会
◇ジャーナリズムへの挑戦状
◇奨学金という名の“人材紹介”
◇15年前の4分の1に激減した学生数
◇記事を再検証@給料の未払い
◇記事を再検証A新聞奨学生の労働長時間化
◇記事を再検証B弁当代のピンハネ
◇「朝刊 発証数の推移」
◇偽装部数は世界一
◇訴権の濫用と言論封じ
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/561.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK222] テレ東、本気出し過ぎw 稲田朋美の「生命の実相」 すげぇなこれ!と喝采をあげたくなるほど、素晴らしい! 菅野完 赤かぶ
44. 2017年3月19日 17:52:31 : F9BhSbUWGo : mSr2G2YaTZs[76]
周知。

他所(インターネット)でも、書物でも
複数個所で同様のことが言われています。
お気をつけください。

この国は、首魁と手先と
両方を飼っているようです。

@onodekitaA悪魔崇拝者達の使命は 大和民族を殺し、根絶やしにすること。 これが、基本方針。 今年のテロ地震ラッシュ前に ドラコニアン皇族資金 #60京円 を海外へ。 ⇒2800兆円の請求先は:http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/223.html?#c16 … @asahi @touyoui

調べたところ、古代における共和政治の初めは礼の国、
古代中国の「周」がはじまりであり、
それは、古代ギリシアよりも共和制ローマよりも古く
さかのぼることができるようです。中国の人たちの
ギリシャとでも名づくべき憧憬の周は、
実は私達の故郷でもあります。


歴史に学べる点がたくさんあると思います。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/536.html#c44

コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
4. 2017年3月19日 17:52:46 : Eo07ymIDJk : Vr1jE4@L4IQ[55]
 黄昏政権とはまともにお付き合いは出来ないのでしょう。 日本孤立化に貢献した現政権。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 斜め中道[1209] js6C35KGk7k 2017年3月19日 17:54:12 : 460ZVzz1ys : 8oca@IpCA1U[795]
>>12

蛙屁(アベ)と稲田は、信じ、信用しているんですか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c22

コメント [カルト17] BJ・マンション価格、もうすぐ一気に下落。非正規が買う気になるのは五百万円以下、三百万円以下が妥当である。 ポスト米英時代
2. 2017年3月19日 17:55:01 : F9BhSbUWGo : mSr2G2YaTZs[77]
国家は全ての人々に無償で差し出すべきである
と考えます。
罪滅ぼしに

それでも足りない位では

ないでしょうか。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/726.html#c2

コメント [雑談・Story40] 関東大震災で日本人10万人を虐殺した朝鮮人の黒幕がヤバすぎる…マジかよ…2chより 木卯正一
7. 中川隆[7194] koaQ7Jey 2017年3月19日 17:58:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7665]

朝鮮人の言うことが誇張表現ではなかった例


■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm



02. 2012年9月02日 11:35:54 : HNPlrBDYLM

〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667


03. 2012年9月02日 11:37:15 : HNPlrBDYLM


歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。

http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html



04. 2012年9月02日 11:38:55 : HNPlrBDYLM


震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm



05. 2012年9月02日 11:40:47 : HNPlrBDYLM


1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm


 正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm

「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

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戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

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「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

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留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-1.html


「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-2.html


「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-3.html


「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-6.html


後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-7.html


「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-8.html


戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html



http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/596.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
11. 2017年3月19日 17:59:44 : RpgUB1WlfQ : 7sHqRbhflC4[383]
8番さん!!

少し、貴方の想いは違うような気がするよ。

あなたも既に「阿修羅」の常連の一人になっているのではないのかな。

「阿修羅の少し頭の弱い方々よ!」・・・。

それはないだろう、お宅はもっと自分を振り返りなさい!

お宅は絶対に、批判する人間ではないと言い切れるかな?

「絶対」という言葉がこの世に有るとすれば、人間はいつかは確実に死ぬという

こと。絶対の重みを噛みしめて欲しいな・・・余計なお世話かね?

お宅も「@晋三」並みの男?女?だな。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK209] 「ポケモンGO」をなぜ、政府官邸が肩入れするのか 赤かぶ
112. 2017年3月19日 18:00:38 : EO601hGq0G : 8lHTlhgrD5g[6]
・Playing 'Pokémon Go' could make you a healthier person, study suggests - businessinsider.com (2017年3月18日)

・Chasing Down The Health Benefits And Risks Of Pokémon GO - forbes.com (2017年3月27日)

・10 Things You Need To Know About 'Wikileaks CIA Leak' - thehackernews.com (2017年3月18日)

◇ 10 Best Practices to Build Secure Applications - blog.sqreen.io (2017年3月14日)

◇ Privacy hawks in Congress call on Homeland Security to warn Americans of SS7 hacking threat - windowsreport.com (2017年3月14日)

◇ The best secure chat software to protect your privacy online - techcrunch.com (2017年3月15日)


・It's time for websites to turn on HTTPS encryption: the benefits are worth the effort - pcworld.com (2017年3月14日)
 HTTPS websites get a speed boost, better search engine rankings and fewer browser warnings

・WordPress.com now lets you write and collaborate in Google Docs - techcrunch.com (2017年3月17日)
◇ 〔WordPress〕 Support End-to-End Encryption on the Web

・トランプタワー間取り図入ったPC盗難、米大統領警護隊 - cnn.co.jp (2017年3月18日)

・【米独首脳会談】トランプ&メルケル両首脳は目も合わせず 盗聴被害ギャグもすべり… - 産経新聞 (2017年3月18日)

■ Trump secret service bag - www.OOYUZ.com: News Monitoring and Analysis tool
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/946.html#c112

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
50. 2017年3月19日 18:00:45 : 5KSX95Uymk : WPuJm3Nemp4[1]
>>49. 2017年3月19日 17:12:19 : GhYmsZM0lE : uopmFAtwq4U[3]

>「振込票」の「ご依頼人」蘭に郵便局の訂正印を押印することは絶対にあり得ない。

そんなこと言っても、実際に訂正印として局長印は押されているし、その振り込み用紙
を使って振り込み手続きが出来ている、と言う事実が有るのですが・・・

郵便局員が(不正かもしれないが)局長印を訂正印として押して振り込みの手続きを
行ったと考えるのが合理的な判断と思いますが


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c50

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍晋三の名が消された寄付金振込票に続き、籠池長女による100万円受取り直後の目撃証言が!(リテラ) 赤かぶ
17. 嫌韓[1046] jJmK2A 2017年3月19日 18:01:26 : JsSkMdIvNA : dejrr5xEoW4[5]
>>15. スポンのポン

スポンのポン、久しぶり、
相変わらずアホな事を言っているね。

>■件の振込票は完璧な物的証拠だ。
ポピリズム支配の韓国の裁判所も人様の名前を無断借用した振込用紙を
物的証拠とは認めんだろう、気が狂ったかボン。

>■安倍の寄付は本当に法的に問題がないのか
風が吹けば桶屋が儲かる理論だね。
日本は法治国家だぜ。

そんな事より、民進党は逃げ出してきたぞ。
福山哲郎なんか完全に森友離れしだした、
LEN4なんかも勢いがないぞ。

まあ、永田の呪いだ。
野田佳彦にも天誅が下るぞ!!
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/522.html#c17

コメント [戦争a9] 国立社会保障・人口問題研究所の疑惑 杉原尚士
25. 2017年3月19日 18:02:03 : 7TN4AzUJO2 : FaGTO3P3wiQ[1]
2012(平成24年)年に国立社会保障・人口問題研究所(厚生労働省所轄)が公表した「日本の将来推計人口」の妥当性について審議した社会保障審議会人口部会の委員は下記のとおりです。

阿藤 誠(早稲田大学教授)←元・国立社会保障・人口問題研究所研所長
稲葉 寿(東京大学大学院准教授)←元・国立社会保障・人口問題研究所研究員
加藤 久和(明治大学教授)←元・国立社会保障・人口問題研究所研究員
白波瀬 佐和子(東京大学教授)←元・国立社会保障・人口問題研究所研究員
山田 篤裕(慶應義塾大学准教授)←元・国立社会保障・人口問題研究所研究員

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001hqxu.html

社会保障審議会人口部会は国立社会保障・人口問題研究所が作成する「日本の将来推計人口」を客観的、中立的に評価する審議会と表向きには言われていますが、なんと、審議委員14名のうち5名が国立社会保障・人口問題研究所の関係者です。これでは「日本の将来推計人口」の妥当性を客観的、中立的に評価することはできません。社会保障審議会人口部会は明らかに「やらせ」、「できレース」です。

http://www.asyura2.com/09/wara9/msg/733.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK222] この画像、ガンガン拡散したい。顔写真写ってる人間を全員、偽証罪の縛りかけた証人喚問に呼んだら、3日でケリがつく。 菅野完 赤かぶ
33. 2017年3月19日 18:02:16 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2759]
客;  オヤジ、能面ダンゴ鼻シミ、ソバカス和え、ひとつ   
     
 オヤジ; うちはそんな汚いメニュー置いてないわ、ったく失礼だぞ、いくら客デモ

                            /せっかくジミン和え注文してやったのに  ヨリ
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html#c33

コメント [原発・フッ素47] 福島原発事故「防げた」 前橋地裁が国と東電“断罪”の衝撃 全国に広がるゾ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 茶色のうさぎ[-3484] koOQRoLMgqSCs4Ks 2017年3月19日 18:02:18 : 5YEjb4anNc : eDhgFFAMDPk[1]

 判決を、批判するならば、、

 現在、避難指示者が9万人、自主避難者が3万人?、合計12万人くらいと思います。

 別スレで、魑魅ちゃんの計算だと、平均30万円くらいだそうです。

 つまり、12万人 x 30万円 = 360億円で、決着だー♪wばか

 まぁ、、安倍、麻生、経産省、環境省は、大喜びだー♪wあほ

 避難者は故郷を捨てたんだから、手薄い支援ですな!w 今後、帰宅者には、手厚く生活支援だよー!ぷっ♪

 まぁ、、帰宅者も、生活なんて無理でしょ! 裏山や山林なんて、10μSv/hだよ! 75%が山林だよ!

 まぁ、、生活にしても、跡取り無しで、遺産相続税で、土地なんて、国税庁が没収だよ!ぷっ♪

 つまり、強制帰宅、人体実験は確定ですか? 年間20ミリ容認の、南相馬、浪江、、共産党中央を批判します。

 当然、、小出尊師や児玉も批判します! うさぎ♂ 避難する権利を認めろー♪ チェルノブイリ法だよー♪


http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/681.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK222] 自民が籠池に突然、喚問を突き付けた謎! 「安倍総理は“証人喚問になってよかったよ“と言った」 赤かぶ
39. 2017年3月19日 18:07:24 : Z0LaAKC6JA : al@Ndw@9NG4[42]
竹下は「総理が侮辱されたから」証人喚問をするという。これはまわりのクズどもがバカ安倍への忠誠ゴマすり競争に走った結果の森友学園建設と全く同じ構造だ。
国民の財産がただ同然で売られた――このありえない過程の真実を明かすことよりも、バカ殿への点数稼ぎだけが大事という家来たち。さすが、漢字も読めない異次元のバカの犬どもだ。

二階の発言が笑わせるぞ。「籠池と総理とを一緒にするな」てか。

異次元の低学力のバカ殿、憲法をずたずたに踏みにじり、沖縄の人たちをいじめていじめていじめ抜き、中国との無用な摩擦をまき散らし、国民の年金を平然と減額する、そんな悪党より籠池の方がむしろ一途で害の少ない人間と思える。
それに、バカ殿のおばはんは、籠池はんの名誉校長やったんやろ。一緒にしてもろてアベは名誉なんちゃう?

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c39

コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
7. 嫌韓[1047] jJmK2A 2017年3月19日 18:07:40 : JsSkMdIvNA : dejrr5xEoW4[6]
副島は気が狂って久しい。
福島を歩きすぎたのが原因と言われている。

元しばき隊・隊員にて、女性に対する性的暴行で係争中の菅野完、
こいつな根っからの嘘つきだ。
まあ、しばき隊自体が嘘つきの集団だから・・・

いいコンビだ。
こんなやつらに乗せられる阿修羅の住人、哀れ!!
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍でんでんと二人三脚、うまく立ち回って傷ついてない巨悪、麻生太郎。こいつを叩く必要がある  赤かぶ
8. 2017年3月19日 18:10:23 : qF4T1YwunA : 0ID5WaAuWRA[1602]
■麻生と森友事件のつながりを示す2つの情報!

もはや、アヘ(稲田)−麻生−橋下−松井が一体となって起こした事件であることはほとんど明らかになってきた。

中でも、麻生と橋下・松井の関係が極めて深いことが以下の3つの情報を組み合わせると明らかになります。

●『森友学園理事長、籠絡の本命は麻生財務相だった 「文春」告発のウラ』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170315-00518791-shincho-pol

●『「麻生太郎」「橋下徹」「安倍晋三」のただならぬ関係』(2013年04月17日)
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11512983456.html

●『森友事件の黒幕は【麻生太郎】財務大臣』
https://www.youtube.com/watch?v=H3heNjO07Z8


●【要約】

橋下の後援会長が奥下泰子です。

奥下泰子の夫・奥下幸義は『麻生セメント』の特約販売店「新建産業」(大阪・茨木市)の社長であり、麻生の後援会会員で献金を欠かしません。

また、奥下泰子の長男・奥下剛光は麻生の元・運転手で「新建産業」の委員もしていたようです。

この長男の奥下剛光は、橋下前大阪市長の特別秘書を務め、現在、大阪7区における日本維新の会の衆院選候補者であるという。

橋下はこの奥下剛光を私設秘書から特別秘書にするために、条例を変えることまでするほど入れ込んでいたそうです。

奥下剛光が橋下の私設秘書の頃、口利きをして繋ぎをつけたのは麻生さんの後援会の関係者ばかりだったとのことです。

「麻生−(奥下ファミリー)−橋下:維新」は、このようにずぶずぶの利権共同体だった。

また、麻生セメントはセメントで稼ぎが芳しくないため、廃棄物処理関連業に手を広げていたようです。(松井の関連企業にも、同様に廃棄物関連企業があるとのは情報もあります)

さて、森友事件で口止めのため不審死させられた秋山さんは何を知っていたのでしょうかね?
 ↓
「森友学園の小学校で建設を請け負っている藤原工業の下請け、田中造園土木の秋山という代表が自殺した!でしょう,これ今調べてたんですが…医師は自殺・家族は心臓発作との食い違いがあるので、未だ出せませんよ。死因決定してませんので‼️」


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/546.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
20. 2017年3月19日 18:11:40 : RpgUB1WlfQ : 7sHqRbhflC4[384]
これまでの安倍晋三の一連の姿を見ていれば、国民は馬鹿ではない!

全て鋭く観ている(敢えて観察の観)ことをよく承知していたほうが

安倍のためには・・・。

でも憐れな男よ!人間の道を何処かに忘れて来たのだろうか。

寂しいと思わないかね、晋三さん!

子供が居なくって幸いだったね。一生の禍根を子供に残しかねないもんね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
1. 2017年3月19日 18:12:39 : 9bZBOB6PPz : 8OpwX_QIBFo[189]

籠池容疑者ということで大阪地検が動いている情報があったが、

「松井一郎・証人喚問」を早く実現して国会の観点から口利き・不正を明らかにし

た方が良い。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c1

コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
8. スポンのポン[6173] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 18:18:58 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[826]


■件の振込票は完璧な物的証拠だ。
 これによって安倍が寄付をしていた事実は
 すでに明明白白に証明されている。
 この事実をマスコミは必死に覆い隠し
 あたかも無意味な紙切れの如くに国民を騙そうとしている。
 ところがどっこい日本国民は全員が馬鹿ではない。
 クズウヨがどんなに必死に否定しても事実は事実。
 1ミリも動かない。
 
 
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c8
コメント [経世済民120] 中国を怒らせた代償は大きい?人っ子一人いない韓国の空港写真に衝撃―中国メディア 赤かぶ
1. 2017年3月19日 18:19:19 : rXdsMFQkZM : b8vrQPgmHgU[145]
観光に頼った経済が、いかに脆いか。ほかの国も教訓にすべきですね。
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/299.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
2. 2017年3月19日 18:23:16 : 6ul7y3Rpac : GvlZDneflU8[1]
なんか今の籠池はんだったら
応援してもいいかな?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c2
コメント [カルト17] 新潮・文科省・加計の件で昭恵から相談、ロイ・安倍が2つの嘘、ワポ・スキャで退陣の危機。新聞辞令である。 ポスト米英時代
6. 2017年3月19日 18:26:02 : Hsn1mrDwx1 : 62Xs7mqxiqo[11]

北ミサイル電話一本で注文OKハムニダ。新型エンジンの17年型ハムニダ。

ホンモノは事情で飛ばせないが映像だけなら即配デキルヨ、TV声明とセット

でバーゲンあるよ。カムサハムニダ安部アガシ。



http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/725.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK222] これ、でかい…朝日さすがやで/「森友」小学校の設置認可、大阪府の審査基準に抵触か 「悪い奴は大阪府庁の中におる…」菅野完 赤かぶ
8. 2017年3月19日 18:26:32 : RpgUB1WlfQ : 7sHqRbhflC4[385]
松井一郎・・・どうでもいいが。

天童よしみの歌が切なく聞こえるなー。

大阪はああいう男の生きる巣だったのかと。

大阪! 大阪! されど大阪 テレビで松井の顔を見ていると、ウーン、ウーン

大阪のイメージが・・・何となく淋しいネェ。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/582.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK222] これほど腹立たしい事はない輿石東の旭日大授章受賞パーティ  天木直人 赤かぶ
7. 2017年3月19日 18:26:36 : nGj8tjOSJo : K@27_zlIZ@M[1]
天木信者よ、天木の口八丁をもう信じないで、目の前の打倒安倍に目を向けた方が良いと思うよ。そもそも天木が何やった?何も社会的影響など与えず(相手にしてくれるのがゲンダイという最下級カスゴミ)、ただ口ばっかし。まあ、こいつは女優を見る目も腐っていて、一昨年のプロパガンダ大河の創価マオなんかを褒めちぎっていたからな。

天木を信じることはカルト宗教に入る事に等しい。はじめは天木は良い事言うなあと思ったけど、数年前に野党叩き、上から目線、既得勢力相手に戦うトランプやプーチンを貶す物言いを見ていて、「なんてチンケな男なんだ・・・こいつを信じた自分がバカだった・・・」と洗脳が解けた気分になったよ。

所詮、害無償のバ官僚出身者、安倍と同郷の売国長州人。小泉へのガス抜きにしか過ぎなかった小さい男。相手にするなよ。「ここおかしいんじゃない?」ってツッコミをコメントにしれたら消されたし、横浜市の屁和市民団体が寄こした連絡も無視して返答しない不誠実なヤツなんだよ。それだけでも、天木が信用に足らないヤツだって思わないのかい?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/578.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK222] “ほんまもんの天然”昭恵夫人は安倍首相にとって「疫病神」なのか「救世主」なのか あっしら
21. 仁王像[1393] kG2JpJGc 2017年3月19日 18:26:37 : zK10TiEU02 : iFnTUEtb7YU[6]
 (5の補足)

 “ほんまもんの天然”とマジで言っているのが尋常ではない。

 恣意的なこじ付けであり、安部ちゃま夫婦を「よいしょ」したいという統治者側の抑えがたい衝動が噴出したのだろう。

 元々は統治者の血を引く大将である。根源的な出自から湧き上がってくるものである。(その他のゴチャゴチャは読むに堪えない代物)

(元来が統治者の血も流れている股裂き(二股)スタンスの持ち主)
http://www.asyura2.com/15/senkyo194/msg/762.html#c13

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/552.html#c21

コメント [経世済民120] 中国人が嫌いな外国車ブランド、日本が上位独占―中国メディア 赤かぶ
1. 2017年3月19日 18:27:12 : rXdsMFQkZM : b8vrQPgmHgU[146]
中国大陸の政府も住民も、ドイツに好意を持っているから、ドイツブランドの自動車を選びたがるが、エンジンや変速機の耐久性の問題に懲りた人は、仕方なく日本ブランドの自動車を買っているようです。
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/254.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] 首都大の式で「君が代を歌え」と小池百合子!  赤かぶ
12. 2017年3月19日 18:28:26 : zU3bOA6eeQ : D1Ln9H3teEc[561]
>>8・9の在特へ

 相変わらず在特はおバカ全開でんな。デンデン。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/567.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 2017年3月19日 18:29:19 : 9bZBOB6PPz : 8OpwX_QIBFo[190]

総裁夫人の肩書での活躍が半端なく、政治家(安部)への口利きがあからさま、かつ濃

密で達成の確度が極めて高い。公人に求められるような歯止めが少し必要だ。つまり説

明責任である。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
51. 2017年3月19日 18:32:02 : GhYmsZM0lE : uopmFAtwq4U[4]
>>50.
日本語分からないのか?
だから「偽造」と言っている。
そんなに言うなら取扱店「淀川新北野」に行って確認してこい。
まあ、そこまでしなくても近くの郵便局でも確認できる。
「「振込票」の「ご依頼人」蘭に郵便局の訂正印を押印することは絶対にあり得ない。
訂正する場合は「ご依頼人」自らが二重線を引いて「ご依頼人」本人の訂正印を押印する必要がある。
こんなことは常識で、実際に郵便局へ行って「振込票」を訂正する場合は必ずそのように指示される。
修正テープでの修正など絶対に認められない。」
と。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c51
コメント [カルト17] 週朝・親子で籠池と昵懇の稲田はKO寸前、体調不良でポスト安倍に岸田も。読み書き不自由の退陣が最優先である。 ポスト米英時代
2. 2017年3月19日 18:37:01 : Hsn1mrDwx1 : 62Xs7mqxiqo[12]

トランプと習が接近。慌てて安部でんでんは旧飼い主一派のメルケル、オランド

詣でに旅立った。トラに捨てられる夢でも見たのか、それとも三人で心中の相談か。



http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/727.html#c2

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
70. 中川隆[7195] koaQ7Jey 2017年3月19日 18:37:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7666]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 4

李氏朝鮮はそんなにひどい国家だったのか?


嫌韓バカや歴史捏造ウヨクが、よく使うロジックとして「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というのがあります。

この「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というマジックワードは、様々な自慰史観を正当化するのに利用されてます。

例1)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「韓国併合した日本は朝鮮人を助けてやったのだ!」

例2)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が駄目な証拠、差別されて当たり前!」

例3)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が残虐な証拠、南京虐殺も朝鮮人がやった!」*1

こんな感じです。


実際には、江戸時代日本と大差ないんですけどね。

嫌韓バカが強調する李氏朝鮮の暴虐の事例など、ほとんどは江戸時代日本で同様の事例を見出すことが出来ますし。


では、その事例を見て行きましょう。


人口問題

韓国の歴史歪曲検証:人口増加ベースに見る日帝の暴虐と搾取の虚構性

(間違った論証の例)


日本が直接的に朝鮮を収める1905年までの朝鮮の人口増加ベースは、上記からも分かるとおり1850年の李朝末期を基準にとると1906年の日本の保護国なった翌年までの56年間に30%程度の増加ベースでしかない事が分かる。

そして1906年より日本の敗戦の前年1944年までの38年間の人口増加ベースは、156%という驚異的な増加ベースを辿っている。

さらに上記で注目されるべきは、1753年の朝鮮半島内の人口730万人が約100年後の1850年の時点でも750万人にしか増えていない点である。

これは李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠である。

データを見るにおいて、日本が朝鮮半島に直接関与し始めた1905年以降とそれ以前の人口増加ベースを比べれば、朝鮮で日本が「史上最悪の暴虐と搾取」を行っていないことが確信できるのではないだろうか?
http://konrot.at.infoseek.co.jp/rekisi02.htm


こちらは人口の推移をもって、李氏朝鮮の悪政を糾弾しているわけですが・・・

ここで挙げている1753年から1850年の人口推移を日朝で比較してみると・・・


時期 年 日本の人口*2 増加率 朝鮮の人口(推計) 増加率 朝鮮の人口(嫌韓提示ママ) 増加率
I 1600年(日本)・1592年(朝鮮) 1227万人 39.2% 1192万人*3 74.5% - -
II 1756年(日本)・1753年(朝鮮) 3128万人 - 1600万人 - 730万人 -
III 1841年(日本)・1850年(朝鮮) 3230万人 103.3% 1650万人 103.1% 750万人 102.7%

なお、増加率は「1756年(日本)・1753年(朝鮮)」を基準として計算した。

参考として1600年頃の人口も付加しましたが、これについては後で考察。


さて、1750年頃から1850年頃までの100年間の人口推移を日本と朝鮮で比べてみると、ほとんど変わりないことがわかりますね。

何の事はない。この時期はこういう時代だった、というのが適切な評価でしょう。

まさか100年間でわずか0.2%に過ぎない差を誇ったりするほど厚顔無恥な人はいないと思いますが。


で、

李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠

とか言うのなら、

「江戸時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを江戸幕府が行ってこなかったことの動かぬ証拠」

ということになりますね。嫌韓バカはこれに同意せざるを得ないわけですが・・・


ま、とにかく、人口が大して増加しなかったからといって、取り立てて酷い政治が行われていたとは言えないというのは確かでしょう。


ちなみに日本でこの時期、人口が停滞した直接的な理由として、少子化・晩婚化の傾向があったことが知られています*4。

若者の都市への出稼ぎが晩婚化をもたらした他、意図的な人口抑制として、陰惨な方法としては間引や堕胎、それ以外に禁欲や授乳期間を長く取ることによる次の子の妊娠を遅らせるなどの方法がとられていたそうです。


また、そもそも14世紀末から19世紀半ばまでは「小氷期」という地球規模で冷え込んだ時期なのは良く知られています。

このため、日本でも度々飢饉がおきているわけです。

日本よりも高緯度にある朝鮮も当然その影響を受け飢饉が頻発しています。

1850年ごろまで人口が停滞したのが、別に政治のせいとばかりは言えないわけです*5。

1600年の人口も含めた仮説


では、1600年頃の人口を含めた考察をしてみましょう。

1600年頃の人口は、日本も朝鮮もほぼ同じくらいでした*6。

これが150年後には大きく差が開きます。

人口が急激に増加する要因としては、それまで戦乱が続いたことによる人口抑制と、戦乱期に蓄積された人口増加の潜在力が、戦乱の終結に伴い枷が外され、人口爆発になるというモデルが考えられます。

現在の人口を見ても、もともと日本の国土が養える人口は、朝鮮の国土が養える人口より多いのではないかと思いますが、1600年時点で日本と朝鮮の人口がほぼ拮抗していたのは、日本が1467年*7以降ほぼ150年にわたった戦国時代を経験していたのに対し、朝鮮は1392年の李朝建国以降おおむね平和が続いた点にあるといえるでしょう。

朝鮮は、15世紀前半の世宗の時代に国力が最も充実し、同時期に戦国時代に突入した日本と違い、人口を抑制させるような社会要因は少なかったと言えます。

このため、朝鮮の人口は15世紀前半から16世紀後半まで安定的に増加したと考えられます。


実際、15世紀前半については、耕地面積や戸数が増加したといいます*8。

もちろん、権力闘争はありましたし、倭寇の襲来や倭寇討伐、対馬侵攻などもありましたけど、日本の戦国時代や後の秀吉の朝鮮出兵や清の朝鮮侵攻に比べるべくもありません。


したがって、15世紀から18世紀にかけて朝鮮の人口が抑制させられる要因となったのは、秀吉の朝鮮出兵と清の朝鮮侵攻であってこの影響を受けていた時期の人口が約1000万人であったということになります。

朝鮮の戦乱がひと段落した17世紀後半から人口が再度増加を始め、18世紀半ばには1600万人にまでなったというところでしょうか。

しかし、朝鮮の戦乱より遥かに長い期間、人口抑制の要因となる戦乱が続いていた日本の場合は、戦乱終結後の人口爆発は朝鮮よりも激しく、16世紀末から17世紀半ばまでに人口は1200万人から3000万人にまで倍増したのでしょう*9。


___________


*1:南京虐殺も朝鮮人がやった!」*

ここまでの馬鹿はそうはいないと思うが、いることはいるんだよね。

ちなみに南京事件のあった当時、朝鮮人は徴兵もされてないし、志願兵も募集されていない。

旧大韓帝国軍からの継続として極一部の朝鮮人将校がいたに過ぎず、兵士としては日本人と結婚・養子縁組などして日本人戸籍に入った朝鮮系日本人がいたくらいだろう。

いずれにしても日本軍全体から見て例外的な事例に過ぎない。


_________

*2:「人口で見る日本史」より

*3:「朝鮮の役」参謀本部より、日本が予測した朝鮮の石高より推定

*4:「人口で見る日本史」P88-103

*5:むろん、飢饉対策などは政治の責任だが


*6:ただし、朝鮮人口は日本による朝鮮の予測石高に基いた推定。

予測精度の問題の他、石高計算は純粋な食糧生産以外も含む場合もあり、実際の人口はこれより少なかった可能性は高い。

丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難 | Chosun Online | 朝鮮日報によると、1630年ころの朝鮮の人口は1000万人程度という。


*7:応仁の乱の勃発年。ただし関東などではそれよりも早くから戦乱が勃発している。


*8:「朝鮮」金達寿、岩波新書、P83 や、「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」石渡延男監訳、三橋広夫共訳、明石書店P167


*9:ただし、1600年の日本の人口については、1500万人という説もある。また、この頃実施された検地による石高は1800万石で、これには畑や屋敷地などが含まれている
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20081102/1225647411

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c70

コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 2017年3月19日 18:38:06 : RXNIdNH79U : nKQSOV2epSs[18]
 安倍政権が「首相夫人は公人でない」を閣議決定! 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/383.ht

都合が悪くなると、勝手な閣議決定。見え透いた馬鹿な連中だ。
自転車操業で、いろいろボロが出る。
騙されるのは >1 こんなのだけ。

<もうダメじゃね?>「安倍昭恵さんが森友学園で感動の涙!」
フジテレビが新映像を入手
http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/591.html

安倍昭恵は、森友学園から報酬をもらっていた! 
http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/552.html

週刊新潮が昭恵夫人の私人疑惑を掲載!文科省
「加計学園のことで、昭恵さんから省内にご相談された」
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/544.html

安倍昭恵夫人に新たな口利き疑惑が浮上!
「昭恵夫人に伝えたら首相から連絡が入って予算がつきました」
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/533.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK222] 父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前〈週刊朝日〉 赤かぶ
6. 2017年3月19日 18:38:20 : frtErroTlE : irEWOXr423M[23]
とっくに死んでいるのだが、それを認めないので生きているものとして通用しているんだよ。安倍政権はゾンビ政権だ。生きている死体の政権だ。これまでの常識では安倍はとっくに退陣しているし、稲田はとっくに辞表を提出している。常識を守らない政権がどれだけ脅威か、我々国民はいま目のあたりにしている。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/586.html#c6
コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
71. 中川隆[7196] koaQ7Jey 2017年3月19日 18:39:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7667]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 5


悲惨な朝鮮農民の生活 投稿者:まっぺん 投稿日:2010年 7月29日(木)10時53分19秒  

あ呆は「人口増加」を朝鮮人の米消費減少の「原因」とする。
では実際に統計数字を比べてみよう。

以下は朝鮮総督府の調査結果を基にした資料だが、次のようになっている。


年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版

次に当時の朝鮮人の人口増加についての調査資料だ。

1717年 1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年 1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年 1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1906年  980万人(警察調査まま)
1910年 1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年 1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年 1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年 1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年 2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年 2221万人(警察調査2125万人からの推計)

1877年までの調査はすでに説明したように人口戸主の数であり女・子どもの数は含まれていないので、そこから推計している。

その中で明らかに1906年のデータはおかしい。これは当時、朝鮮全土で義兵がおこり、抵抗闘争の中での調査であったため、まともな調査ができなかったと考えるのが妥当だ。

なお、「1石」とはひとりの人間が1年間に食べる米の量とされているから、
日本へ輸出した米の量を「人間の数」に置き換えることができる。
人口増加率と比較すると次のとおりになる。


年次 日本に輸出した米の量  前回と比較した増加量      人口の増加

1912 │ 291万人分
1915 │                           5年で 72万人
1917 │ 129万6千人分  5年で-161万4千人分
1920 │ 175万人分    3年で+ 45万4千人分    5年で 60万人
1922 │ 331万6千人分  2年で+156万6千人分
1924 │ 472万2千人分  2年で+140万6千人分
1925 │                           5年で139万人
1926 │ 542万9千人分  2年で+ 70万7千人分
1928 | 740万5千人分  2年で+197万6千人分
1930 │                           5年で142万人
'31-34 │ 845万6千人分  1〜4年で+105万1千人分


以上は「米の増加量と人口の増加量を比較したものだ。

ふたつの資料の統計年がちがうので完全に同じ比較はできない。

また1912年には大量に輸出しているので5年後の輸出量は減少となっていることは考慮しなければならない。

緊急対策として大量に送ったのだろう。

また、この米輸出の統計資料が、毎年輸出されている中から一部を抽出した数字なのか、それとも2〜3年毎にしか輸出されなかったのか不明だが、もし2〜3年毎なら1912年から34年まで(31年から34年は毎年輸出され、その平均値)を合計すると6065万2千人分の米が日本に輸出された事になる。

これは25年間で約500万人増えた人口と比較すれば、ほぼ同等の数字となる。

またその間に増産運動が行われ収穫量が約2倍となったと記録されていることからも相当の増産となったことが窺われる。

しかしそれでは朝鮮人の米の摂取量の減少を説明できない。

したがってこの数字は毎年の輸出の中からの抽出と考えるのが妥当。

そこで輸出量の伸びを見れば、人口の伸びは5年ごとに60万〜142万人であるのに対して米の輸出量の伸びは2年〜3年毎に45万〜197万人分。5年毎で比較するなら200万〜300万人分も輸出量が増え続けている。

もしも米の増産がそれを上回っているのなら、朝鮮人の米消費量が減少するのはつじつまが合わない。

したがって、朝鮮人の米の消費が減ったのは「人口増加が原因」とする「あ呆説」はデマ。

飢餓輸出が原因という事になる。

なお、朝鮮農民の当時の生活についてNHKの番組を見た半月城さんが以下のように解説している。

これをみても、「農民が自主的に換金用に食べる分以上の米を売った」などというあ呆の妄想には根拠がなく、むしろむしり取られていった朝鮮農民の姿が浮かび上がる。


   そうした歴史を、数年前の米騒動の時、NHKがTV番組「米に揺れた
日韓近代史」と題して放映していました。

番組では産米増殖計画の歴史的背景
や実施状況などをつぶさに検討し、あわせてこの政策を直接体験した農家の窮
状を具体的に紹介していました。

  それによると、農民が秋に米を70俵収穫しても、水利税や肥料代なども
ろもろ差し引かれ手元には2割の15俵くらいしか残らないそうでした。

   しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人
は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうで
した

   これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の
中に埋めたり隠したりするのですが、冷酷な借金取りもさるもの、鉄棒で地面
をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。

   このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本
の農家をも苦しめました。

安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
http://8816.teacup.com/mappen/bbs/20127

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c71

コメント [政治・選挙・NHK222] 「北や中国と通じているのか」維新・足立康史衆院議員、森友学園問題攻撃の民進党を批判(産経ニュース) 一隅より
9. 2017年3月19日 18:41:09 : RpgUB1WlfQ : 7sHqRbhflC4[386]
足立のような雑魚など無視。

雑魚の典型、テレビに映ると反吐が出る。

厭らしい顔に、誠実さも人間性も感じられない気色の悪い男。

唯、それだけ・・・。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/580.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
3. 2017年3月19日 18:41:28 : MzELVwLNzo : NINTO764BQo[64]
> なんか今の籠池はんだったら応援してもいいかな?
2さん、籠池氏は元々このような「ネトウヨ」では無かったということです。日本会議と接触した後から、という事なのでしょうね。籠池氏からすれば「乗せられて梯子に登ったら、いきなりその梯子を外された。」という事でしょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c3
コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
9. 2017年3月19日 18:41:46 : 9cDZ5auBU2 : 1HLnO1LdbGA[64]
安倍首相が森友に100万円寄付したのが事実だったとしもて何も問題ない。
問題があるとすれば寄付したのに、しなかったとウソをついたことぐらいだ。
選挙区でもないし、森友は当時、今の様に犯罪者扱いされていなかった。
「なんらかの形で安倍首相が森友と関係していればいいなー」という野党の願望が形になって森友の口からでた「寄付疑惑」だろう。
元々寄付していても選挙区でない学校だから何ら問題のないものを疑惑にしてしまう、まるで仕掛けられた罠に嵌ったイノシシの様に、永田メール問題の再現VTRじゃないか。
それにしても、同じ手を二度も食らうとは民進党も学習能力なさすぎだよな。
一度痛い目を見ればイノシシでも罠を避ける。

http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c9
コメント [原発・フッ素47] 福島原発事故「防げた」 前橋地裁が国と東電“断罪”の衝撃 全国に広がるゾ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. 2017年3月19日 18:42:05 : rXdsMFQkZM : b8vrQPgmHgU[147]
福島第一原発の破局事故の直接の原因は、鈍一郎が安全装置を取り外させたことだろう。このことが後ろめたいのか、本人は原発反対発言をしているが、このことについて、いずれ国会で証人喚問しなくてはならない。

日本中に原発をつくりまくった歴代の自民党政権。それを推進したポダム率いるゴミ売り新聞、フジサンケイグループなどのダマスゴミ。原子力ムラを、第二次世界大戦後の東京裁判に倣った裁判で裁かなければならない。新聞もテレビジョン放送も、なくても不自由しない時代だから、思い切った事業廃止が不可欠である。

経済界も同罪である。原発推進に協力した東芝は、現在集中治療室で余命いくばくもない状態だが、いずれ日立や三菱重工も責任を問われるだろう。第二次世界大戦後の「財閥解体」が再現される。

原子力関連の企業は、再び解体されることになる。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/681.html#c12

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
72. 中川隆[7197] koaQ7Jey 2017年3月19日 18:43:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7668]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 6


1. これが詐欺師の論理


朝鮮半島のほうが日本より平地割合が低いらしい。
朝鮮半島では日帝支配以前の主食は米飯ではない。
さらに、1人当たりの米消費量は、おそらく単純に収穫量/人口を出したものなのでは?

これを、朝鮮人の口に入った米の量で考え直すと、こうなる。

年次|人口|朝鮮人一人当たり|朝鮮での
  |  |米消費量(仮)石|米消費量
1906| 980|        |
1910|1312|        |
1912|1318|0.7724     |1071.937
1917|1577|0.7200     |1135.656
1920|1691|0.6301     |1065.499
1922|1746|0.634      |1107.2148
1924|1802|0.6032     |1086.846
1926|1857|0.5325     | 988.959
1928|1913|0.5402     |1033.187
1930|1968|        |

04の数字だけで「飢餓輸出が原因という事になる。」というのは阿呆の戯言である。
そもそも、米消費量が少ないだけで飢餓輸出であるならば、現代日本は米消費量0.4石で日帝時代の朝鮮より飢餓状態なんだが。

朝鮮には主食として高黍換金作物として有利であるから、米が輸出されただけと考えるのが妥当であり飢餓状態であったというのは悪質な嘘。


_________
_________


2.こっちが真理


朝鮮半島南部では古来より、米が食べられています。豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、当時の日本式の栽培方法が伝わったという記録もあります

朝鮮半島にも古代に中国から日本を経由して、稲作は伝わり継続されています。日本の水田跡の遺跡は最古のもので3,800年ほど前、韓国では2,000年ほど前です。

朝鮮半島北部の主食は日韓併合以前は高黍(別名モロコシ)でしたが、併合後は稲栽培を伝授されて、米に変化しました。

要するに、それまで常食にしていた高黍に代えて日本人の食べる米を強制的に栽培させられて日本にすべて輸出させられたから朝鮮人には食べるものがなくなったのです.

これが飢餓輸出の意味なのです:


朝鮮半島北部は気温が低いため、米は栽培されていませんでした。
高黍(タカキビ)・粟などの雑穀が主食でした。

朝鮮半島南部では古来より、米が食べられています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、当時の日本式の栽培方法が伝わったという記録もあります。
朝鮮半島ではその後日韓併合まで、品種改良や栽培方法の変化はなかったと思います。
日本に併合され、日本式の栽培方法や日本の品種が伝わり、現在も食べられていると思います。

日本の指導により単位あたりの収穫量は大きく伸びました。
また現在では日本で戦後開発された品種が、食されているかもしれません。

朝鮮半島にも古代に中国から日本を経由して、稲作は伝わり継続されています。
日本の水田跡の遺跡は最古のもので3,800年ほど前、韓国では2,000年ほど前です。

元来朝鮮半島の農民の主食は雑穀かもしれません。
併合中も米を日本に出荷し、その金で生活用品を整え、自分たちは雑穀を食べていたとの記録もあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135908896


現在の朝鮮半島の主食は米である。

しかし、本来の朝鮮の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。

稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられたもので、当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種であった。

元々は雑穀を食べていたが、日本の統治下で米食に移行、伝統食文化は失われた。
http://www.wdic.org/w/CUL/%E4%B8%BB%E9%A3%9F


今の韓国・北朝鮮では主食は日本と同様、米(ジャポニカ米)である。

現在は白米だけの炊飯で食されるが、日本と同様に、玄米の状態の炊飯や雑穀の入った炊き込みご飯を食べていた時期もあった。

韓国の料理にはビビンパやクッパなど米を他の食材と混ぜ食べるものも多く、かかせないものである。

一方北朝鮮は、現在の食糧難から米が十分に食べられず、トウモロコシやジャガイモを主食にしている国民が多いものと思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A3%9F


170:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:53:15 ID:yf2dtPr70

イザベラ L ハード「朝鮮紀行」 P203〜P204より

大食ということに関しては、どの階級も似たり寄ったりである。食事のよさは質より量で決められ、一日四ポンドのごはんを食べても困らないよう、胃にできるかぎりの容量と伸縮性を持たせるのが幼いころからの人生目標のひとつなのである。

ゆとりのある身分の人々は酒を飲み、大量のくだもの、木の実、糖菓を食間にとるが、それでもっぎの食事には一週間もひもじい思いをしていたかのような態度でのぞむ。

裕福な家では牛肉と犬の肉は大皿に盛る。また客のごちそうは銘々膳で供されるので、もてなす側は特別大事な客にはふんだんにふるまい、ほかの客には最小限度に抑えておくことができる。

わたしは朝鮮人が一度の食事で三ポンドはゆうにある肉を食べるのを見たことがある。

「一食分」が大量なのに、一日に三食か四食とる朝鮮人はめずらしくなく、一般にそれを慎む人々は好きなように食事もできないほど貧しい人と見なされかねない。

一度の食事で二〇個から二五個のモモや小ぶりのウリが皮もむかれずになくなってしまうのはざらである。

赤ん坊にまで食べさせる莫大な消費量の赤トウガラシがこの大食ぶりを助けているのはまちがいない。

朝鮮人には消化不良のたぐいの疾患が多いというのもうなずける。
______

181:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 21:40:24 ID:cYc2nMmu0

人口増加ってのがあるけど、あれは豊かになったから人口が増加するのではなく、
貧しいからこそ人口が増加するんだよな。

 人口爆発を起こしている国々をみてみると、かつて先進国の植民地となり、なかば強制的に換金作物(お金に換えるための作物。例えばコーヒー、紅茶、ゴムなど)を栽培させられた経験のある国々だということがわかります。

この換金作物こそが人口爆発の原因を探る大きな鍵となります。

 かつてこれらの国々が自給自足を行っていた頃は、貧しいながらも人口は安定していました。

食糧の供給量以上に人口は増えることができなかったからです。

しかし先進国の登場によって換金作物の栽培が始まると、換金作物を売ることで一時的には食料の供給が増えて人口が増加します。

人口が増えた結果、再び食料が不足しますから、作物の収穫量を上げるためにさらに無理な生産をします。

けれどもそのために地力が落ち、次第に人口を養うだけの作物が収穫できなくなり、不自然な人口爆発だけが残されるのです。


_______


朝鮮人の米消費量、食習慣、などから考察すると、産米増殖計画によって、朝鮮人の大食習慣が失われ、人口増加による貧困の増加、米消費量の低下(途中で改善はされてはいるものの)、結局 朝鮮農民は飢餓線をさまよう状態になった。


184:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 01:49:49 ID:5/Okf5Sz0
その増えた人口の面倒を見切れず、数十万の朝鮮人が半島外へ流出

http://2chnull.info/r/history2/1150845121/1-1001


米はいうまでもなく日本の統治時代以降は朝鮮でも主食になりました。したがって、米の消費量は当時の生活水準のバロメータになるので、この統計をみることにします。

         朝鮮の米穀輸出・消費量

年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版

  この表から、朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加
にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向にあることがわかり、
植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。

これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定さ
れました。その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。

  日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢
性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。それに加え、タ
イなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。

  こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し
「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億85
00万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石
の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道
や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしん
りき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さら
に栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しまし
た。
   こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、か
の江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考え
をある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消
費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187

即ち、日本の搾取がなければ朝鮮人が食ってけなくなって日本に移民してくる事もなかった。

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c72

コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 2017年3月19日 18:44:26 : RXNIdNH79U : nKQSOV2epSs[19]
訂正  <驚愕>安倍政権が「首相夫人は公人でない」を閣議決定! 
        http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/383.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c4
コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
73. 中川隆[7198] koaQ7Jey 2017年3月19日 18:44:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7669]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 7


日本人はアホだから、美味しい所はすべて英米に持って行かれた


“朝鮮統治”という1つのビジネス・モデルこの問題は余りにも複雑であり、単純化して述べてしまってはその本質を見誤る危険性がある。

しかし同時に、あくまでも冷静に、普通の目線で当時の朝鮮における“日常”を見つめることで、新たな発見をすることが必要でもあるのだ。


たとえば、過去における朝鮮統治の問題を考える時、次のような質問をされたならば、読者の皆さんはどのように答えるだろうか。


「日本による植民地統治下にあった朝鮮半島で、石油を売っていたのは誰なのか。

そこにも日本人による現地住民に対する“搾取”という絵柄が見て取れるのか」。


恐らく答えに窮する読者が多いに違いない。

「第2次世界大戦へと突入する直前まで、朝鮮半島で石油を独占的に販売していたのは、日本勢ではなく、英米勢だった」

というのが、この問いに対する正解なのである。


朝鮮統治が行われた1910年以降の大部分の時期において、現地での石油販売を独占していたのは米系のスタンダード社、そして英系のライジングサン社(後のシェル)なのであった。

なぜこれら2社が朝鮮マーケットを独占できたのかといえば、これらいわゆる「外油」に対しては、輸入に際して特例関税が課されていたからである。

具体的には、当時、日本のいわゆる「内地」に石油を輸入するにあたっては高額の輸入税が課せられていたのに対し、朝鮮という「外地」については消費者に安い石油を使わせるべしという理由で、無税に近い税率が設定されていたからである。

そのため、外国から輸入した石油を朝鮮へと転売する日本の石油企業は著しく不利な立場に置かれていたわけなのだ。


満州(現在の中国東北部)における鉄道などについてもいえるのだが、日本の大陸進出を巡るビジネス・モデルには、常にこれと全く同じ1つのパターンが見え隠れする。

すなわち、表向き「進出」していくのは紛れもなく日本である。

だが、その一方で目立たないが重大なセクター(インフラストラクチャー)で広く、着実に収益を上げていたのは米国勢、そして英国勢なのであった。


もちろん、第2次世界大戦の足音が響き始めると同時に、これら英米勢は駆逐され、日本勢が代わりに入っていくことにはなる。

しかし、だからといって「朝鮮統治」というビジネス・モデルは日本が単独で担ったものではなく、むしろステルス(透明)で、より狡猾な形でそれによって莫大な利益をあげていたのは他ならぬ英米勢だったのである。

そして問題なのは、こうした単純な「史実」であっても、私たち=日本人が学校で学ぶ機会はほぼ100パーセント無いという現実なのである。


確かに、過去の一時期において「不幸な出来事」が日朝間で生じたことは否定できない。

しかし、だからといって朝鮮統治というビジネス・モデルの展開によって現地が被った全ての償いを日本に対して求める一方、いわば“本当の黒幕”だった英米に対しては何も問わないという主張は、全く肯んずることはできないのである。

そして、こうしたダブルスタンダード(二重の基準)自身に見え隠れする虚構こそ、今の日本、そして東アジア・マーケットを見る私たち=日本の個人投資家の眼を曇らせる最大の要因でもあるのだ。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/03/post_105.html

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c73

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
52. 2017年3月19日 18:46:10 : Hsn1mrDwx1 : 62Xs7mqxiqo[13]


籠池と安倍は出来レースです。

振込票、100万円、どちらもワナ。

菅野も野党もハメられた。ひょっとすると菅野と籠池もできレースの可能性。

日本会議では籠池は安部の格上、つまり上司にあたる。



http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c52

コメント [政治・選挙・NHK222] <安倍首相答弁> 確かに安倍は動揺してるけど。言ってることは「寄付集めはしてない」だよね?おかしな話だぞこれ。 菅野完 赤かぶ
9. 2017年3月19日 18:46:31 : R3br1Jbrn6 : 4js6pL5nyBw[7]

新しい証拠と言われて安倍の顔が動揺しまくりw

***


民進党の吉良州二は憲法前文に違反した主張してるぞ

日本の適地攻撃能力をオッペシ込んでるな

隠れ自民かこいつは

稲田のお手伝いかよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/579.html#c9

コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
10. 2017年3月19日 18:49:09 : 8q3qeXT2cg : LR5ucA3lcb8[-1458]

>FNN(フジテレビ)の放送のネットでの映像だ。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00352502.html

上記の動画を見ると、色々なことが分かる。

@菅野完は、「このふたりを、なんで、あなたたち(メディア、マスコミ)は、取材しないのか。このふたりこそが、小学校の設置認可をして、国有地の払い下げをした(ハンコをついた)、当の責任者で、公人、公務員で、まさしく一番の責任者だ。籠池さんには、これに関与する何の力もないのですから。このふたりへの独占インタヴューをしてきたテレビ局、新聞社とは、籠池さんは、独占インタヴューに応じる、と、いわはっていますよ」と言った。 

A菅野氏の言うように、既存メディアの記者・手先は、自分で情報を得ようとせずダニのように菅野氏に食いついて情報を得ようとしている。また、籠池氏の自宅に大勢の報道関係者がカメラを用意してはりつき、公務員でない、個人の、人権を無視した監視を継続していること。まさに、「籠池氏だけが悪人であるかのような印象操作」をしようとしているのだろう。まさに、腐敗権力にへつらい、腐敗権力の手先として、弱い者いじめをしようとしている。クズである。

B大手メディアはクズである。不正選挙も、不正選挙裁判があることも報道しない(できない)クズである。菅野氏の言うように、既存メディアのクズどもは「森友学園問題の構図」を職場の壁に貼り、迫田、松井、アベ晋三、アベ昭恵、稲田朋美に必死で張り付き、徹底的に食い下がって情報を得るべきである。大手マスゴミの記者は、菅野氏の爪の垢でも貰って帰り、ありがたく煎じて飲むべきである。
>「森友学園問題の構図」http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html

権力は腐敗する。カルト靖国を母体とする不正選挙の腐敗政権。
共謀罪の成立が目前に迫っている。不正選挙で憲法改悪も押し切られる可能性が高い。
この耐え難いほどの腐臭を放つ「不正選挙のカルト靖国・人権弾圧・隷米売国奴政権」を
一刻も早く打倒し、投獄しなければならない。本当に急がなければならない。


>自民党とは、日本を隷属国家にすべくCIAに作られ、米政府隷従DNAを埋め込まれた日本奴隷化装置http://ameblo.jp/utzsugi-rei/entry-11943422801.html
>≪Facebook調査≫ 安倍内閣の支持率 「支持しない」92.6% 「支持する」5.0% 大手メディア調査は虚構!?
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/773.html
>「メディアが無視する不正選挙訴訟」(EJ第3701号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/383513241.html
>Lawsuits: Rigged Elections in Japan (1) 不正選挙裁判 2015
https://youtu.be/UZBF5WIDWfE (10分)
>白川勝彦〜永田町徒然草〜選挙監視団を組織せよ。
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/?itemid=1657
>2014衆院選の後、日本の選挙で種々問題点あり(白票然り)国連として選挙見守り隊を派遣したい、という申し出。安倍はこれを拒絶。http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/34800967.html
(1)4野党共闘へ:驚愕の情報です。2014衆院選の後、日本の選挙で種々問題点あり(白票然り)国連として選挙見守り隊を派遣したい、という申し出。安倍はこれを拒絶。今年5月、国連より報道調査団が来日、責任者が会見で、政権の報道弾圧を強烈に批判。国連は参院選の安倍圧勝、確実に疑問視してます
(2)過去三度の衆参選の不正選挙、百件超の再集計申し立てが行われたが総て門前払い。当事者が相手ではムサシの解決は不可能。民主主義国の日本ではあるが国連選挙監視団が最後の選択肢。が、普通のルートでは手続きが厄介。ただ異常な参院選結果を見れば、国連・国際社会も、ルート外で派遣OKかと思う。

>検索 不正選挙のバカ総理 ムサシ・不正選挙 不正選挙・裁判



http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK222] この画像、ガンガン拡散したい。顔写真写ってる人間を全員、偽証罪の縛りかけた証人喚問に呼んだら、3日でケリがつく。 菅野完 赤かぶ
34. 2017年3月19日 18:49:21 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[310]
正義の鉄拳を、国有財産泥棒、うそつき政治家、官僚に食らわしたいね。

澱んで毒ある国会を、清潔にしたいものです。

安倍は、終わらさないと、日本は戦争に又走ることになるような気がします。

安倍が戦争に言ってくれれば、文句言わないが、戦争に行かされるは国民だ。

日本会議、安倍政権の輩を、戦争に行かしましょう。

戦場の後方安全地帯で、旗を振るだけは許さない!
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
4. 2017年3月19日 18:50:36 : RpgUB1WlfQ : 7sHqRbhflC4[387]
先日のBSプライムニュースの顔を見ていると、胸糞悪くなった。

物語りに出て来る、平安時代?のスケベなお公家様が、唯、洋服を着て

出て来たような厭らしい顔。

「近こう寄れ」そんな男の狡猾さだけ・・・怪しい存在。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK222] 山城博治議長、5カ月ぶり保釈決定 福岡高裁が地検抗告退ける 琉球新報 赤かぶ
32. 2017年3月19日 18:51:54 : O48yfQSItM : vi_eKu7bvYY[30]
日本の全てのアメリカ軍施設がグァム又はサイパンに移転されて日米地位協定に日米安保条約共々破棄されますように(個人的にはアメリカ本土に移転されてほしいけど)!!

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/553.html#c32
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
53. 2017年3月19日 18:53:21 : GhYmsZM0lE : uopmFAtwq4U[5]
>>50
もし郵便局が不正をしていたとしても、犯罪者が変わるだけで、それは「安倍首相が振り込んだことは事実ではない」ということにしかならない。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c53
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍昭恵夫人に新たな口利き疑惑が浮上!「昭恵夫人に伝えたら首相から連絡が入って予算がつきました」 赤かぶ
29. 2017年3月19日 18:55:22 : riwgxq1iJ6 : Bd5Q3wVbe7A[1026]
一気に噴き出してきましたね。頼もしい限りです。国民はもうばかばかしくて税金を納める必要はないですね。安倍がATMと思っている税金。財務省はスルーしてきたのだから、この財務省というもの廃省にすべきだね。国税庁も分離するなり,廃庁するなりしましょう。官僚と言うのは腐りきった人間の就く職業だと思います。国民による革命が必要です。腐りきった自民党の体質が露骨に表れています。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/533.html#c29
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
23. 2017年3月19日 18:56:39 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[311]
安倍政権は、崩壊してもらわないと日本は困るのです。

日本の品格が、劣化しております。

日本財産も、持ち逃げされています。

日本会議のくたびれた御老人ばかりの意見が王道だと、勘違いするな!

選挙で、自民党、公明党、維新の会は破壊したい。

とんでもない集団であるようです。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c23

コメント [政治・選挙・NHK222] 物騒なことを口走った自民党の秘書!  赤かぶ
39. 2017年3月19日 18:56:39 : 8q3qeXT2cg : LR5ucA3lcb8[-1457]

>物騒なことを口走った自民党の秘書!

この秘書が誰かはわからない。しかし、彼は下記引用の事実を知るべきである。天誅を受けるべきは、まさしく売国奴の安倍であり麻生である。しかも、度重なる不正選挙で権力を手にしてきた犯罪者集団である。

籠池氏が信奉する「カルト靖国」は決して同意できない。しかし現状において、隷米売国の裏切り者を告発しようとする籠池氏の覚悟を思う時、彼の身の安全を願い、応援したいほどである。


>自民党とは、日本を隷属国家にすべくCIAに作られ、米政府隷従DNAを埋め込まれた日本奴隷化装置http://ameblo.jp/utzsugi-rei/entry-11943422801.html

自民党とは、日本という国を米国の奴隷国家にしておく為に C I A の工作資金 ( C I A が麻薬で稼いだ汚いお金 ) で作られ、米政府への隷属 D N A を埋め込まれてる 恥ずべき売国工作政党 である。つまり自民党 ( 旧自由民主党 ) とは、世界最大の謀略工作機関である米 C I A の手で、米国の 「 対日工作 」 の受け手 ( 相棒 ) として作られた、完全な 「 米国の手下 」 なのである。・・・

C I A が10年間 ( かそれ以上に渡って ) 工作資金を注入し、云わば手塩にかけて自民党を育てたという事は、 C I A の思い通りに動く 「 米政府への隷従遺伝子 ( D N A ) 」 を、その間に自民党が深く埋め込まれた …ということを意味する。

世界で最も悪質な謀略工作機関である C I A が、単に思いやりで日本の自民党に厖大な結党・政治活動資金を恵んで呉れていた …等という事が有り得ないことぐらいは、多分誰でも分かるだろう。が、同じく C I A に買収されて脅しを掛けられてるらしい日本のマスコミは、それが全く分かって無いかの如く、未だにこの日本政治最大のスキャンダルを、本気で追及しようとはしていない。

だからこそ自民党は、主権者である国民の為に …ではなく、常に米政府の為に、米国や背後の金融資本のゴリ押しに迎合しつつ隷属を続け、現在に至るまで国民には全く説明の付き難い 「 売国政治 」 を、恥じることなく行い続けて来たのである。このような理由で自民党が、まさしく売国的謀略政党そのものである …ということに、今や日本国民の全体が気付かなければならない。・・・

一寸考えてみれば、誰にでも分かる事だが、建前上は対等な独立国である筈の日本の首相への、米政府からの毎年の奇妙な命令書とも言える 「 年次改革要望書 」 が、未だに発せられ続けてる …という事や、完全に不平等な 「 日米地位協定 」 の改正が未だに殆ど進まない …という事や、米軍基地問題の数々に対して日本政府の交渉振りが常に及び腰でしか行われない …という事などの、一切の原因が正に其処に有るのである。 ( 多くの日本人が知らないままでいるが、日米地位協定に依れば 「 米軍は日本国内の何処にでも米軍基地を作ることが出来る 」 のである。 米軍が我物顔に振舞えるのは、正にこの 「 日米地位協定 」 のせいなのだ。 )

つまり、米国政府の都合にだけ合わせてしか物事を考えられず、米国に脅されれば直ぐに平身低頭して引き下がってしまう 「 日本政府や首脳の弱腰の本質 」 とは、 C I A に奴隷化遺伝子を埋め込まれて自尊心を失ってしまった、タカが 「 米国の手下 」 でしかない売国政党の自民党が、未だに政権の座に座り続けていられるからなのに過ぎないのである。

日本国民の嫌がってる事ばかりを、日本国民の意思をほぼ無視して、米国にだけおもねって強引に決め、無理矢理にでも実行してこの日本そのものを壊そうとしている、この危険極まりない 「 国民生活の破壊者 」 である安倍某とその売国政権とを、日本国民は次の選挙で絶対に許してはならない。

もう一度、繰り返して言う。自民党とは、日本を隷属国家にすべく CIA に作られ、米政府 隷従 DNA を埋め込まれた日本奴隷化装置である。

第二次世界大戦終結後において米 CIA のスパイであり協力者(エージェント)であった正力松太郎 ( コードネーム PODAM または POJACKPOT-1 ) 、読売新聞 ( コードネーム POBULK ) 、日本テレビ放送網 ( コードネーム PODALTON または KMCASHIER ) 、朝日新聞社の緒方竹虎 ( コードネーム POCAPON ) 等のリストが 2007 年に米国の情報公開制度で公開された。
 ( つまり読売新聞と日本テレビと朝日新聞がずっと米 CIA の手先であったという重大な事実が、この時ようやく、日本社会でも白日の下に晒された。 )・・・

戦略家のガブリエル・コルコはアメリカがベトナム戦争での失敗を契機に、大規模な戦闘という事態を避ける為に低強度紛争としてソフト・パワーを用いた情報戦を軍事戦略の中枢に置くようになる課程を紹介。この戦略が最も成功した例が日本であり、各種の工作は日本支配のための 「 軍事戦略であり戦争であった 」 と述べた。

1、アメリカを絶対に支持し、アメリカに服従する政党と政権を他国に成立させ、そのための資金をアメリカが提供する。

2、この買収資金は、アメリカの税金ではなく、他国でアメリカが麻薬を密売した利益を提供し、アメリカが経済的負担を負わない方策を取る。

3、マスコミ操作を通じアメリカが常に「善」であると他国の市民を洗脳し、アメリカを批判する言論をマスコミに「登場」させない。アメリカ映画、音楽を大量に流し、アメリカが「すばらしい」国だと連日宣伝する。

4、学校教育においては、丸暗記中心の学校教育で思考能力を奪い、アメリカへの批判能力を奪う。

5、教師への絶対服従を学校教育で叩き込み、「強い者=アメリカへの絶対服従」を「子供の頃から身に付けさせる」。

6、逆らう言論人、ジャーナリストは、そのジャーナリストのセックス・スキャンダル等をマスコミに流し失脚させ、必要であれば軍の諜報組織を用い、事故に見せかけ殺害する。

7、他国の食料、エネルギー自給を破壊し、米国に依存しなければ食料、エネルギーが入手出来ないようにシステム化し「米国に逆らえないシステム」を作る。

 ( 上は、ガブリエル・コルコ 『 第三世界との対決 : アメリカ対外戦略の論理と行動 』 原タイトル『Confronting the third world』 筑摩書房 1992年 からの引用である。 )
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

>日本が追従する? 米国不正選挙の呆れた実態
http://deeksha777.blog88.fc2.com/blog-entry-271.html
>米大統領選に欧州から選挙監視団 2004.08.09- CNN
http://www.asyura.com/0406/war58/msg/353.html
>続・不正選挙は今や常識となった 〜イラクの不正選挙について、元米軍人、ブラッドリー・マニング氏が述べている。米国は各国で不正選挙を実施している。日本もその一つである。
http://blogs.yahoo.co.jp/leben0773/26847379.html

>日本の不正選挙の実態!ムサシは安部首相の持ち株会社 船瀬俊介 既に日本はこんな国!
http://true-health2.com/?p=375
>不正選挙、開票不正は「必要悪」である。
http://open.mixi.jp/user/8712738/diary/1943969682
不正選挙、開票不正は「必要悪」である。すべて公正に選挙民の投票に任せることは危険な側面を持つ。早いはなし、「消費税ゼロ、医療費ゼロ、年金倍増」と公約する候補者に簡単に票が集まってしまうだろう。・・・
>午後8時、投票箱の閉鎖と同時に当確発表!?・・・・えっ、まだ投票箱は移動中なんですが???
http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/53d22eb106acc3f681b43455e1ce68ce
この8時ちょうどの当確発表は総務省選管と同省内の総務省NHKがやってもない麻生事務所の出口調査で得票数を決めて発表して選管ムサシに事後通達して入力してるのさ。・・・
>大手新聞、テレビを見て信じている国民よ、現実はここまで選管は悪化、腐敗しているということだhttp://blogs.yahoo.co.jp/aruko26/39410488.html
ムサシによる選管委員の買収と接待は異常なほどで、選挙管理委員会もゴールドマンサックスのユダ金の手下となって不正選挙を行っている・・・

>「メディアが無視する不正選挙訴訟」(EJ第3701号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/383513241.html
>不正選挙裁判日程表 追加情報 2013/10/27 20:09
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024942
>白川勝彦〜永田町徒然草〜選挙監視団を組織せよ。
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/?itemid=1657
>2014衆院選の後、日本の選挙で種々問題点あり(白票然り)国連として選挙見守り隊を派遣したい、という申し出。安倍はこれを拒絶。http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/34800967.html

>>。ヨ この国は 犯罪者集団が支配する 擬装民主主義国家である 」


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/521.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK222] ジャーナリスト菅野完の勇気に敬意を表する  天木直人 赤かぶ
17. 2017年3月19日 18:57:55 : wH7bvp9318 : y60JoqnCKFA[1]
弁護士の書類は印鑑なし、郵便番号ガバガバのクソコラ偽造
爆弾と称して出てきたのは籠池が自分で書いただけの振込用紙
性犯罪者称賛できるって凄いなパヨクは
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/420.html#c17
コメント [経世済民120] パート主婦の時給、全国平均1,087円に上昇 一方で配偶者控除拡大も「今の働き方維持」54.5%(MONEYzine) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 18:57:57 : mINW8bMxUQ : 4BobKM9F48E[167]

 愛の所では 普通 パートは 900円以下だったので 1000円で 募集したけど 募集は少なかったので

 1200円で 募集したにも関わらず 募集が少ない

 ===

 最近 聞いたところによると スーパーのレジ打ちだけで 1300円で 五周しているらしい

 びっくり したけど そのくらいしないと 人が集まらない時代になったのかもな〜〜〜
 
 ===

 後 一人 採用したいんだがね〜〜〜〜
 
 思い切って 1500円に 上げたろかいな〜〜 とも 思う
 
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/311.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
5. 2017年3月19日 18:59:58 : Jmimp0IUbM : oPrDiFnpL@s[21]
4さん

それは産経系のゴミ評論家のことですか。ゴミ売り系の御用評論家のことですか。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c5

コメント [リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
78. 中川隆[7199] koaQ7Jey 2017年3月19日 19:01:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7670]

なぜ「終の棲家」に戸建てよりもマンションを選ぶ高齢者が増えているのか?=廣田信子 2017年3月19日

賃貸アパートから分譲マンション、そして戸建てという順に住み替える「住宅すごろく」に異変が起きています。

「あがり」であったはずの戸建てから分譲マンションへ、または分譲マンションから郊外の団地や格安リゾートマンションへ住み替えるといった、いわゆる「住宅ステップダウン」を選択する高齢者が増えているのです。

無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』の著者・廣田信子さんは、なぜこうした現象が起こるのかを解説したうえで、我が国の深刻な住宅問題についても言及しています。


持ち家で苦しい老後に!? 始まった「住宅ステップダウン」の悪循環

高齢者の「大移動」が始まっている

かつて、収入が増えるとともに

「賃貸アパート」→「分譲マンション」→「戸建て住宅」

と、住み替えで住宅をステップアップさせていくことを「住宅すごろく」と言っていました。

しかし最近では、分譲マンション止まりで、分譲マンションを終の棲家にするケースが一般的になっています。また、超高齢化とともに、すごろくの「あがり」であったはずの戸建て住宅での生活が不便になり、最後、分譲マンションに住み替えるという流れも出てきました。

さらに、バブル崩壊とともに負の遺産になっていた越後湯沢のリゾートマンションを買って移住する高齢者が増えているとニュースを見ました。長年ほぼ全部が空き家状態だったバブル期に造られた戸建ての別荘地にも、移住してくる人が見受けられるようになったといいます。


リゾート地で老後を過ごしたい…というより、非常に安く購入できることから、年金のみの長い老後の暮らしに不安を抱える老夫婦が、終の棲家として購入するというケースが多いのです。

家賃負担が不安で購入する人も、自宅マンションを売って、差額を老後の生活資金に当てるために購入する人もいるのです。

また、リゾートでなくても、都心のマンションを売却して、郊外の団地を購入する人も増えています。差額を老後の資金にするという目的が大きいのです。地域再生研究所の松本恭治先生の言うところの、高齢者の住宅ステップダウンが始まっているのです。

確かに、70歳を過ぎ、国民年金に頼る暮らしだったら、家にお金をかけずに、できるだけ生活資金を持っていたいという気持ちになるのもよくわかります。しかし、高経年で価格が格段に安くなっている分譲マンションは、維持管理に大きな費用が掛かる危険も大きいのです。

越後湯沢のマンションは、管理費と修繕積立金で月2万円で、温泉に入り放題と紹介されていましたが、温泉施設をもつマンションが、今後、この金額で、きちんと維持管理できていくとは思えません。

また、郊外の団地も、こういったステップダウンの住み替えが増えれば増えるほど、お金を掛けた再生の合意形成は遠のきます。そうして再生できずに価格が下がると、また、ステップダウンの住み替えが増えるという悪循環に陥ってしまいます。


真剣に考えられてこなかった「所有することのリスク」

そもそも、持ち家政策で住宅を個人の責任分野とし、老後の住宅に対するコストを考えない年金や高齢者施策には大きな矛盾があると思わざるを得ません。30年前、高齢者は家を借りられないことが大きな問題になっていて、無理してローンを組んででも自宅を持っていないと老後に住むところがなくなる…と、不安を感じさせる風潮が強く、それがマンション購入を促すことにもなったのです。

そして漠然と、購入しておけば何かあったら売却できる資産を持つことになる…と誰もが思っていました。所有することのリスクについては、ほとんど考えられていなかったのです。日本では、年齢が高くなるほど、持ち家率が高まり、しかも、住んでいる住宅も広くなります。家族の数に関係なく…です。で、広い持ち家に縛られ、もて余している高齢者もいるのです。

松本恭治先生の分析では、スウェーデンでは、高齢になるほど、賃貸住宅に住む傾向があります。

55〜64歳では、所有が61.1%、賃貸が22.2%ですが、85歳以上では、所有25.1%、賃貸52.7%と逆転しています。

家族構成やサポートの必要度合いによって、住み替えることができるしくみがあるのです。

持ち家があれば住むところに困らないはずが、簡単に住み替えもできず、その維持管理に生活を圧迫するほどの費用がかかる…。日本の高齢者が直面している住宅問題が、そのまま、マンションの維持管理の課題に直結していると改めて思います。根深い問題です。
http://www.mag2.com/p/money/161244
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c78

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
6. 2017年3月19日 19:01:27 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[11]
松井はさっさと辞任すべきだろうな。
おそらくそれはしないだろうが。維新などという怪しげな団体の正体がこれだ。
小西なにがしとかいう女に知事になってもらえばどうだ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
12. 2017年3月19日 19:01:53 : Ft5PhGZaus : YhAl4Sseg5I[126]
 国民から血を吸い取る「国税庁官」が俎板に乗ってきたな。
 事件当時の理財局長という立場からすれば国有財産の処分に当たって「責任」が重いお方。国税庁官に出世したと言っても、国有財産の処分の仕方が不問になったわけではない。
 迫田クンのようなシトが「税金を取り立てるところ」に回ってしまったら、取り立てにくいんとちゃうか。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c12
コメント [戦争b19] アジアにおける軍事活動を拡大する日本(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
3. 2017年3月19日 19:01:55 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[421]
また日本 損な役割 降りかかり
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/800.html#c3
コメント [経世済民120] 「ディズニーランドも人手不足」に衝撃「夢の国なのに」(R25) 赤かぶ
4. 2017年3月19日 19:02:12 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[422]
「夢の国」 地獄にあえぐ 舞台裏

楽園の 如く見せよう 伏魔殿
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/288.html#c4

コメント [経世済民120] 東芝と原発とディルバートの第一法則(在野のアナリスト) 赤かぶ
3. 2017年3月19日 19:02:22 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[423]
綻びが 進む無能の スパイラル
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/303.html#c3
コメント [経世済民120] マンション、上がりきった価格がもうすぐ一気に下落→バブル崩壊へ…これだけの兆候(Business Journal) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 19:02:30 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[424]
いつか来る 無理な高値の 崩れ時
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/304.html#c1
コメント [経世済民120] 「大学生の半数は全く読書をしない」報道のカラクリ 大学生の就職内定率90%超 平成12年以降で最高  軽毛
3. 2017年3月19日 19:02:36 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[425]
読む気なし 愚にもつかない 本ばかり
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/307.html#c3
コメント [経世済民120] 日経新聞『私の履歴書』の呪い…「美談」執筆直後に不祥事や倒産続出、執筆断る経営者も(Business Journal) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 19:02:43 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[426]
呪われた だから断る 人もあり
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/306.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] 事の流れを冷静に追うと、これはやはり大疑獄事件となる。(永田町徒然草) 赤かぶ
10. 2017年3月19日 19:02:55 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[427]
喚問は 罠と自公は 前祝い
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/571.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK222] 父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前〈週刊朝日〉 赤かぶ
7. 2017年3月19日 19:03:00 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[428]
パパのこと バレて稲田は 立ち往生
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/586.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
7. 2017年3月19日 19:03:05 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[429]
安倍の陰 松井隠れる 頭だけ
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
8. 2017年3月19日 19:03:08 : w9LsMGBdFU : kzVh0hMbvZc[3]
松井氏の文書って、本物かなぁ?
内容証明っぽいけど、普通役所の文書って、知事名で出すにしても、封筒は役所の封筒を使い、差出人は所管の部署で出すんじゃないかなぁ。
裏に差出人の個人名で、しかも手書きって、もし松井氏が自分で出したんだとしたら、結構非常識。
通知のあて先に「殿」もないし....。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c8
コメント [国際18] 大前研一氏 「トランプ政権は遠からず崩壊する」の根拠(SAPIO2017年4月号) 赤かぶ
5. 2017年3月19日 19:03:15 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[430]
カネ蔓の 復帰大前 待ち遠し
http://www.asyura2.com/17/kokusai18/msg/646.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK222] 稲田防衛相を代えろと米国に迫られていた安倍首相  天木直人 赤かぶ
12. 2017年3月19日 19:03:23 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[431]
文末に チラリ騙しの エッセンス
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/535.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK222] 「身を隠せ」の真意  赤かぶ
6. 2017年3月19日 19:03:29 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[432]
愛国の 仮面剥がれる 幼稚さで
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/566.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK222] 日本会議つながりの慎太郎と小池百合子!  赤かぶ
2. 2017年3月19日 19:05:02 : BIjltTC1PU : gSk1WUbe7FA[1]
ま〜た小池ゆりこ信者か〜
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/575.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
9. 2017年3月19日 19:06:01 : riwgxq1iJ6 : Bd5Q3wVbe7A[1027]
悪事のすべてを白状しろ、と言われる日が来るね。松井はん、上手に物をいわはるけど説得力がおまへんな。大阪の恥さらしだけにはなりとうないらしいけど、このままやったら過去の悪事もいっぺんに吹き出しまっせ。逃げたらあかん、逃げたらあかん。人生一度は、これ捕まるでぇ〜。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
10. 2017年3月19日 19:06:04 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2500]
「安部首相」って誰だよ…
偉そうに上から目線なのに、漢字が書けず…
日本会議ってなんなんだ…
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c10
コメント [経世済民120] パート主婦の時給、全国平均1,087円に上昇 一方で配偶者控除拡大も「今の働き方維持」54.5%(MONEYzine) 赤かぶ
2. 2017年3月19日 19:06:47 : mINW8bMxUQ : 4BobKM9F48E[168]

 1500円のパートで 200時間 働いたら 月30万 年間 360万になる

 パートにも ボーナス上げるとすると 年収 400万だよね〜〜〜
 
 ===

 夫婦 2人で働けば パートだけでも 800万の収入になるんだから 

 タクシーの運転手が 一時期 200万以下の 年収だったことを考えると

 世の中 「変わるよね〜〜」

 ===

 そういう 時代も 頭に入れて 考えとかないと 時流に乗れないことになる

 ===

 中小企業で 儲かっていない所では パートが雇えなくなって 店じまいが 起きそうだ

 ===

 弱肉強食が 当たり前なのだから ある意味 社会が効率化(標準化)されることで

 悪いばかりでもないだろう
   
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/311.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK222] 9月5日に昭恵から理事長妻に手渡されているが、その前8月28日に安倍首相の政治資金団体で100万円の不審な動き。まさか… 赤かぶ
21. 2017年3月19日 19:07:12 : 8q3qeXT2cg : LR5ucA3lcb8[-1456]

>民進党もマスゴミもすこしは国益を考えて欲しいものだね。

国益を考えるなら、不正選挙のウソ吐きまくり隷米売国奴政権を打倒することが最優先である。

>自民党とは、日本を隷属国家にすべくCIAに作られ、米政府隷従DNAを埋め込まれた日本奴隷化装置http://ameblo.jp/utzsugi-rei/entry-11943422801.html
>日本が追従する? 米国不正選挙の呆れた実態
http://deeksha777.blog88.fc2.com/blog-entry-271.html
>米大統領選に欧州から選挙監視団 2004.08.09- CNN
http://www.asyura.com/0406/war58/msg/353.html
>続・不正選挙は今や常識となった 〜イラクの不正選挙について、元米軍人、ブラッドリー・マニング氏が述べている。米国は各国で不正選挙を実施している。日本もその一つである。
http://blogs.yahoo.co.jp/leben0773/26847379.html
>開票0%で’当確’がでる?【不正選挙・メキシコと日本】http://enzai.9-11.jp/?p=13470
〜『票を投じる者が決定するのではない。票を数える者【集計ソフト?】が決定するのだ』メキシコの民主主義は、葬られた。今年のメキシコ大統領選では投票数と開票数が異なる不正、裁判では白。日本でも同じ結果になるだろう。
>日本の不正選挙の実態!ムサシは安部首相の持ち株会社 船瀬俊介 既に日本はこんな国!
http://true-health2.com/?p=375
>船瀬さんが安倍とムサシの関係を暴露している。「国民は、ムサシ!ムサシ!と連呼せよ!」
https://www.youtube.com/watch?v=K96P_5C8cbY
>衆院選は不正選挙バレバレ!開票と出口調査をパソナが担当 麻生一族の会社が出口調査の派遣 http://50064686.at.webry.info/201412/article_2.html
>「メディアが無視する不正選挙訴訟」(EJ第3701号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/383513241.html
>不正選挙裁判日程表 追加情報 2013/10/27 20:09
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024942


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/542.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 2017年3月19日 19:07:27 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2501]
「プロ私人」で国民のコンセンサスは得られてます。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
11. 2017年3月19日 19:07:31 : zEKLnmi5Uo : F@tgmZUd0l8[-358]
08>松井はもともと暴走族くずれの田舎のヤンキー。核となる精神は変わらない。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友疑惑のカギ握る迫田英典!  赤かぶ
13. 2017年3月19日 19:07:37 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[312]
韓国パククネ疑獄より、タチが悪い安倍疑獄。

パククネ追放された。

安倍も政界追放です。 

森友に関与していたら首相はもとより、国会議員も辞める!と国会発言。

実行してもらいましょう。

これ以上の嘘は許さない!
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/585.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2017年3月19日 19:07:52 : Jmimp0IUbM : oPrDiFnpL@s[22]
>>1

きみ、頭は大丈夫か? 大丈夫じゃないな。公人などというのなら配偶者という立場で政治的発言は一切やめることだ。

私人だというなら総理府人の肩書は一切外し、経費も全て自己負担しなさい。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
21. 2017年3月19日 19:10:06 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[109]
>>4みたいに今の政治家で安倍に代わる誰がいるんだみたいな議論、よく聞くんだけどサイテーの安倍が誰かに代わればその分少しましになるだろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK222] <安倍首相答弁> 確かに安倍は動揺してるけど。言ってることは「寄付集めはしてない」だよね?おかしな話だぞこれ。 菅野完 赤かぶ
10. 2017年3月19日 19:13:22 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[110]
>>8


今回菅野氏が仕掛ける安倍崩しは安倍とその政権の性格特性を知り抜いたうまい作戦だと思う。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/579.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK222] 「北や中国と通じているのか」維新・足立康史衆院議員、森友学園問題攻撃の民進党を批判(産経ニュース) 一隅より
10. 2017年3月19日 19:13:55 : riwgxq1iJ6 : Bd5Q3wVbe7A[1028]
酷かったね。足立康史。こんなんが維新か・・。先はない代表者だ。頭は悪いし偏執狂もろだしでした。アホデンデン応援歌も音程が狂いすぎ。余計な糞を残して馬鹿にされている。みじめな奴やな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/580.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK222] 「北や中国と通じているのか」維新・足立康史衆院議員、森友学園問題攻撃の民進党を批判(産経ニュース) 一隅より
11. 2017年3月19日 19:14:13 : Jmimp0IUbM : oPrDiFnpL@s[23]
足立の人間性を知れば、大阪の人間は大阪維新に票を入れなくだろう。どんどん露出してヘイトスピーチをわめきなさいよ。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/580.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK222] 庶民がついて行けない自民党の、この発想の延長にマスコミの世論調査がある。さて、そろそろあるか、世論調査  赤かぶ
8. 2017年3月19日 19:15:00 : l3gDyLAxdM : rTi62Aw6SH4[5]
何かヤバイことがあるとこうやって簡単に切り捨てられ闇に葬られんだから本当に怖い政党だよ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/568.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
22. 2017年3月19日 19:17:01 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[313]
森友学園に安倍が関与していない!と言い切る人はいるだろうか?

私は、真っ黒だと思います。

国有財産をだだ同然で売り渡す、、国会議員として許せない行為ですね。

国民に対する、明らかに犯罪行為をしました。

逮捕・収監される前に、自ら国会議員辞められたが、良いと思います。

安倍、自民党には、信用置けません。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
54. jk[797] goqCiw 2017年3月19日 19:20:36 : tceVB0iwr6 : FXeuvvWT7ac[236]
確かに郵便局の振り込み用紙が偽造であるか否かは、払い込んだ郵便局で訂正した箇所の郵便局印が本物か否かを確認すれば直ぐに分かる事。

通常押さない訂正印も時の総理であることから、郵便局が忖度して押印したとも考えられる。

どちらにしろ、喚問での籠池氏の説明に整合性があるかいなかでしょう。

この問題に関する限り、相手側の総理夫人はもとより、払い下げ、認可に関わる公人たる財務省官僚、大阪府知事等も一緒に証人喚問するべきでしょう。この問題の異常ともいえる国有財産の払い下げ、認可の不可思議を一掃するためには。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c54

コメント [カルト17] 週朝・親子で籠池と昵懇の稲田はKO寸前、体調不良でポスト安倍に岸田も。読み書き不自由の退陣が最優先である。 ポスト米英時代
3. 2017年3月19日 19:29:03 : Jmimp0IUbM : oPrDiFnpL@s[24]
でんでん晋三とふしゅう太郎ではいずれがアホかの判定は難しい。いい勝負だが。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/727.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍昭恵夫人に新たな口利き疑惑が浮上!「昭恵夫人に伝えたら首相から連絡が入って予算がつきました」 赤かぶ
30. 2017年3月19日 19:30:14 : XOU7hEFZRQ : bSvop4dgTpo[447]
安倍昭恵=現金自動支払機
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/533.html#c30
コメント [アジア22] 韓国国民は現在の社会に不満だらけ、調査の結果に韓国ネット=「2人の大統領が韓国を30年前の状態に」「10年前は希望があっ 赤かぶ
1. 2017年3月19日 19:33:36 : yI713auNdg : S1LkSsT5rhg[85]

>投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 3 月 16 日
>韓国ネット
>韓国国民は現在の社会に不満
>二人の大統領・・・10年前は希望があった

日韓の双方に歴史認識の対立が存在し恐らくそれらに認識錯誤も存在するのではないだろうか。
国民感情の形成自体は自然の流れでも相容れない認識の矛盾から逃げては災いと不幸の元です。
日本の戦争回帰が世界から注目され戦争レジュームにより日韓関係も大きな影響を受けました。

アジア史を観る上で重要な観点は権力闘争の背景となった仏教伝来と推移および影響でしょう。
何故ならインド発祥の仏教は中国皇帝の詔により翻訳され三国時代の諸王がこれを受けたから。
そして日本には欽明天皇の当時(西暦538年)百済の聖王より仏像及び経論が献ぜられている。

今は日韓関係ですが日本が百済からの使者を受け入れたのは西暦367年応神天皇の当時のこと。
日本はこれに対し派兵して百済の再興に貢献し200年ほど続く関係を維持するも新羅に敗れた。
新羅が半島統一を実現した理由は念仏信仰を基に戦に勝つ護国思想に変化した為とされている。

三国時代に仏教は372年高句麗、384年百済、6世紀前半(年代不明)新羅の順に伝えられた。
殺生戒により人の殺戮を戒める厳格さを好戦的な勢力が忌み嫌った歴史背景は無視できません。
その頃の日本は第33代推古天皇の当時に仏教興隆の詔が宣言され17条憲法が制定されています。

どの国も戦争をしてきた訳ですが仏教の教義を歪める宗派の乱立が新たな戦争の火種となった。
その事実は内道を敵視する外道勢力の台頭を許し仏教の教義に反する権力体質が蔓延しました。

現代に相応しい健全な日韓関係にするにはアジアに拡散した惑乱仏教を正す以外にありません。



http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/472.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] これ、でかい…朝日さすがやで/「森友」小学校の設置認可、大阪府の審査基準に抵触か 「悪い奴は大阪府庁の中におる…」菅野完 赤かぶ
9. 2017年3月19日 19:35:56 : 7MzG2iT0oc : 6pP9wnbPZ_Y[21]
だいぶ遅いだろけど、本日(3月19日)旧安倍晋三記念小学院に行ってきた、工事は完全ストップ(日曜だから?)だが作業員が一人いた、近所の監視役の数人と写真を撮る人がちらほら、小学院の上空を伊丹空港に着陸する飛行機が頻繁に通過している、今後どうなるかわからないけど取り壊すのにはもったいない校舎でした、もちろんマスコミの姿はなし、隣は大阪音大校舎で同大学が7億で買って汚染処理も音大でしますだったのに安いと財務省から拒否され、森友学園には実質200万円で払い下げた。

地面も処理した後かもしれないが(フェンスがあるので外側からしか見れず)校舎付近の地面にゴミはほとんどありませんでした(裏側に行くとよくわかる)

※阪急宝塚線各停停車駅の「庄内駅」(しょうない)下車西口徒歩10分ぐらい。
梅田から190円でした。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/582.html#c9

コメント [経世済民120] 「プレミアムフライデー? まったく…この国はそのうち滅びるね」 作家・伊集院静が知る「さよならの力」(週刊現代) 赤かぶ
4. 2017年3月19日 19:36:35 : wQhcjYyiHY : vUqdpXYqFfM[9]
まあこいつが偉そうなことを言える人間かどうかだね。日本がほろびるとか、批判にもなっていないし、一刀両断しているつもりで、自分の知能程度の低さ、批評言語の乏しさを開陳しているようなもんだ。そもそもプレミアムフライデーなんて自分の有給休暇を使うわけだから、会社ましてや国から指図されるものでもない。電通問題の雰囲気を少しでも和らげようとしたいKR活動に過ぎんだろう。むしろ、日本の企業の中には労働法を理解していない、そもそも守ろうともしない企業がいくつかあることが問題。いまだに経営を精神論で解釈している経済人がいるしね。まあ、竹やりでB29を打ち落とそうとする旧日本の軍部の発想はまだ日本にもすくっているということだ。それこそ問題である。難しい感じで美人女優をたぶらかした程度の脳みそではわかりようがない。
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/275.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK222] この画像、ガンガン拡散したい。顔写真写ってる人間を全員、偽証罪の縛りかけた証人喚問に呼んだら、3日でケリがつく。 菅野完 赤かぶ
35. 2017年3月19日 19:36:52 : UF0kuB3bKA : SpDxDDo722E[22]
この画像も、忘れてはいけませんね。

育鵬社の、悪質な教科書を作った日本会議系 「日本教育再生機構」
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/89/349ec24899ae00ab5b039628e2a55382.jpg
 
安倍・松井・籠池を結びつけた団体の正体 「日本教育再生機構」

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/180.htm
    
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK222] 父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前〈週刊朝日〉 赤かぶ
8. 2017年3月19日 19:38:42 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[111]
稲田ってのはデビューしたての頃は過激な右翼思想の持ち主というんで、相当肝の据わった右翼なのかと思っていたら、なんとただ右翼思想を父親から純粋培養されただけの、いつまでもおしゃればかりに気を取られているお嬢ちゃんだった。

安倍はこいつのどこを買っていたのか。

自分と似たものを感じたということなのか。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/586.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
55. 2017年3月19日 19:40:31 : 7MzG2iT0oc : 6pP9wnbPZ_Y[22]
http://www.nanzanlaw.com/column/952

安倍夫婦完全にアウトじゃないのか(振込用紙の真偽の件)。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c55

コメント [カルト17] BJ・マンション価格、もうすぐ一気に下落。非正規が買う気になるのは五百万円以下、三百万円以下が妥当である。 ポスト米英時代
3. 2017年3月19日 19:41:49 : W60PccACps : sanVUK2cjEo[1]
ローンとかクレジットとか、そういう言葉を発した時点で
その者はすでに詐欺を行ったのである 詐欺です
普通の言葉で言えば借金、法律っぽく言えば金銭消費貸借契約と言うべきです

イスラーム法では金利を取ることは犯罪とか聞いたけど、そうなんですか?
偽ユダヤがイスラームを敵視して殲滅せんとしているのは、これが理由でしょうか

さて、住宅ローンは完済すれば多額の金利が銀行に入り、
完済できなければ不動産を取り上げて売り飛ばすことができる
どっちに転んでも銀行が儲かる、不平等条約のようなものです

このようなものに カーチャンノタメーエーンヤコラ♪とか言って
人生を掛けて返済を続けるのは愚かなことです
家を取られても命まで取られません みんなで返済を滞らせて
全国一斉大競売祭りを開催すれば、二割三割四割引きは当たり前ー!
雪崩のように、華厳の滝のように、不動産価格は大崩落します まちがいありません
それから激安価格で家を買い戻せばいいではありませんか
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/726.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
12. 2017年3月19日 19:41:51 : UF0kuB3bKA : SpDxDDo722E[23]
安倍・松井・籠池を結びつけた団体の正体 

育鵬社の教科書を作った 「日本教育再生機構」
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/180.html
 
育鵬社の歴史教科書がもつ危険性

http://logmi.jp/87693
  
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
23. 2017年3月19日 19:42:59 : o6G4H8Vn2s : O9GV4jLMStg[22]

アベには、ポンポンに安全装置がある。
ポンポンのせいにして政権を投げ出せば良い。
議員に残れるかも…。

ポンポンのスイッチを押すのは誰かな?。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c23

コメント [カルト17] 週朝・親子で籠池と昵懇の稲田はKO寸前、体調不良でポスト安倍に岸田も。読み書き不自由の退陣が最優先である。 ポスト米英時代
4. 2017年3月19日 19:44:45 : W60PccACps : sanVUK2cjEo[2]
問題が解明され責任者が処罰され国民の損害が弁済されるまで
国民が一連のアベ友疑獄をつつき回し、あーでもないこーでもないと議論し
アベヤメロー!責任とれー!と騒ぎ続けることは、言うまでもないことですが
安倍が辞めれば一件落着とは行かず、自民党解体まで進んでほしいというのが
国民の総意ですが、宗主国のご意向は如何でありましょうか

自民は敗戦国統治のための機関で、実態としてはアメリカの国家機関とみなしてもよいという認識ですが 
これをアメリカはどうするのか?
他国の政権に干渉しないと言うトランプは日本国民の意思を尊重するだろう、と思う一方、
自民党を解体してしまえば51兆円インフラ整備の約束は反故にされることになるはずです
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/727.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
13. 2017年3月19日 19:44:48 : EIHH4CSarE : ZNs6WKx@BdQ[564]
松井大阪府知事に限ったことではありませんが、そもそも橋下徹が大阪府知事に時に、沖縄県の在日アメリカ軍の兵士の皆様に対して、ストレス解消のために風俗利用を勧めたこと自体が、「女性が多く活躍する仕事や職種をピンクカラージョブなどといったところで、大日本帝国軍性奴隷問題の前科をごまかそうとする魂胆が見え見えのボロを自ら白状してくれたのだからな」ということくらいのことは、沖縄県民の皆様に限らず、中国やアメリカからして、バレバレのことであることは、厚生労働省にしてみれば、大阪維新の会にしてみ、自民党そのものに対する本質的な見立てと同じものであることは、ロシアのプーチン大統領にしてみれば、「誰が相手にするものか」という心境そのものと、「保育園落ちた日本死ね」という新教徒が、国際社会全体の共通認識として、大いに受容と共感的理解に値するものであることくらいのことも、誰が見ても明らかなことなのですが?

沖縄県民の皆様にしてみれば、中国と共に、「保育園落ちた、日本会議死ね」という正義の怒りを、容赦なく、日本会議にどんどんぶつけていくことになれば、大阪府民の皆様に置かれましては、九州や四国、中国地方をはじめ日本海側の地域の皆様も、韓国やロシアと共に、大阪維新の会に対して、「保育園落ちた、日本会議死ね」という怒りをどんどんぶつけていくことになれば、福島県民の皆様をはじめ、北海道から東北地方の皆様にしてみれば、東京都民の皆様も含めて、ロシアやアメリカと共に、「保育園落ちた、日本会議死ね」という怒りを、自民党に対して容赦なくどんどんぶつけていくことにすれば、日本国民全体としては、天皇陛下と共に、そっと静かに暖かく見守って参りますから、アメリカ、ロシア、中国、韓国と共に、「保育園落ちた、日本会議死ね」という怒りを、自民党ならびに大阪維新の会に容赦なく、どんどんぶつけていくことで、自民党ならびに大阪維新の会に置かれましては、日本会議と共に、誇りを持って、どんどん涙を流しながら「大日本帝国の大馬鹿野郎!」という物凄い怒りだけを、勝手にぶつけながら、ド腹の虫がおさまるまで、どんどん涙を流しながら、どんどん勝手に稀哲負けして、どんどん意欲も熱意も全てを喪失し、どんどんへこみ、全てを終わりにして、そのまま多極化の捨て石となって、歴史の闇の中に、泣き寝入りをしながら、そのままとっとと消えて下さい、ということで応えて行くことで、核発電推進原理主義組織に置かれましては、アメリカの言いなりになって放射性廃棄物やd使用済み核燃料の最終処分については、国際原子力機関の配下で、アメリカならびにロシアをえおーえうモデルとして、どんどん涙を流しながら、中曽根大震災の尻拭いをすることを誇りとして、福島県民の皆様にご奉仕してくだされば、天皇陛下と共に、そっと静かに暖かく見守って参りますから、これに伴う費用については、大企業に対してのみ電力料金をどんどん値上して、税金や社会保険料についても、大企業に置かれましては、自らが誇りを持って、もっともっとどんdぽん徴収して下さい、ということで、売上をどんどんm減らすことになろうとも、誇りを持って、どんどん一人負けすることになろうとも、もっともっと、どんどん涙を流し続けながら、どんどん敗北し続ける道を選択して、国際社会にどんどん見せつけて行く区r際のことならば、幾らでも出来て当然のことだし、全人類から「天皇陛下有難うございます」と深く感謝して応えて来て貰えることにんまればこそ、そっと静かに暖かく見守って参りますから、日本経団連に置かれましては、これに対しても、涙を流しながら「天皇陛下有難うございます」とだけ深く感謝して頂ければ、使い物にならない間抜け官僚や、間抜け社員と共に、もっともっと、どんどん涙を流しながら「天皇陛下有難うございます」と深く感謝して応えて頂くことを誇りとして、国際社会にどんどん見せつけて参りますから、どうぞ安心して、もっともっと、どんどん涙を流し続けながら、多極化する国際社会のど真ん中で、もっともっと、どんどん一人負けして、もっともっと、どんどん輝いて下さい、ということで、働きかけながら、日本社会をどんどん安定化させ、名誉ある孤立化をして、このままそっと静かに自立自律していく道を選択して行けばよいのでは?

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
14. 2017年3月19日 19:44:52 : otOAeLTo2E : 0u9C4MKzFe0[1]
八尾の恥晒し松井一郎。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK222] 完全にアウト!稲田朋美は辞任せよ(simatyan2のブログ) 赤かぶ
39. 2017年3月19日 19:45:42 : 92uGN4B7lo : WNkfOmYzsWE[1]
暗殺攻撃電波系五里霧中、異様に膨らんだ世界!
<将棋の盤面も変える>100%、株式市場の大嘘と一緒!
パチンコデジタル映像は、すべてのコンピュータの大嘘を仕掛ける!
刑したり止めたり、魔法マジックコントロール、遠隔操作で発信元は同じ!
<大音響で問題>に変わったんだ、知らん振りも出来ん!

<福島芳右衛門の雁木の原稿>は、福島正則に繋がる!
徳川幕府はチョン公の大嘘に敗れたんだ、第二次世界大戦と同じ!
何をやっても、何を企画しても、全部吸い取られる、鶴橋のキムチお他風!
暗殺部隊は、思わぬ伏兵が隠れているのが、電波系集団ストカーのチョン公軍団!
犯罪者共鳴、電磁波兵器で人の家、頭の中へ介入、奴隷を遣っている!

朝鮮帰化人を操る、捜査4課とその周り、日本乗っ取りろ企んでいる!
頭から四六時中くっ付いて離れん、絶えず監視管理のカーニーボ!
日本はチョン公に乗っ取られていたんだ、裏がこの空耳ラジオ!
両手でパンパン、10回お耳を叩いて頂きたい、あんた奴隷、殺されても文句が言えん!
名古屋の異常現象に気が着いた人は両手で両耳パンパンを遣っていただきたい!

小布施の栗拾い、火箸に首を突っ込んで探し当てた!
すべて自分の家・頭の中で大逆転、猫がキーセンパンパン!
日本人は気が着かんとワンワンと同じお肉、食べられる殺される人!
乗っ取り背乗り最前線、私情を挟まぬ世界、占領国民はチョン公!

<福島芳右衛門さまが雁木囲いを教えた>!
<毛利の守り=亀居城=愛知県警本部攻防戦>、チョン公毛利に乗ったられた日本!
梨の飛礫の裏返し、騙し騙しの大嘘、それが罷り通っていたのが大騒音!
芳右衛門さまがしっかり、将棋で雁木囲いを教えた、それがサムライ雁木の原稿!
日本の守り、雁木囲いの将棋、六時の鐘・音姫さまで大逆転!

a516
たった一人の捜査本部 黒木昭雄さんが真相追究してきた「岩手17歳少女殺害事件」が『ザ・スクープ・スペシャル』で放送決定
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/516.html
b519
たった一人の捜査本部 黒木昭雄さんが『ザ・スクープ・スペシャル』放送前に事件の概要を解説
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/519.html
c592
巨利をむさぼる世界最大の企業「ベクテル社」
http://www.asyura2.com/sora/bd12/msg/592.html
d234/18/19/27/37/44/45/46/47
元官僚の立場から古賀茂明さんがした、森友学園のただ同然な国有土地の入手問題についての、ある指摘
http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/234.html
e334/27/37/38
完全にアウト!稲田朋美は辞任せよ(simatyan2のブログ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/334.html


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/334.html#c39

コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
11. 2017年3月19日 19:46:13 : W60PccACps : sanVUK2cjEo[3]
大本営第一放送は昨日から豊洲と北朝鮮エンジン開発の成果です
これで連休明けまで食つなぐ業務命令のようです
アベ友追求班はお休みです しょせんサラリーマンなのです

菅野くんみたいな踏み越えた者こそ、ジャーナリストである
思い起こせば都知事選、宇都宮先生を引きずり下ろすために起用されたタレント
あのような者がジャーナリストを名乗ることは、認められない
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
5. 2017年3月19日 19:49:01 : 2eNf1uGJVU : 2V8DWJAFcP8[3]
>3

あのねえ・・・そうやって対話しようとブログに書き込んだり、いろいろ「ここ違うんじゃないですか?」って天木のブログに書き込んだり、メールも送ったんだよ。

それで天木からの回答は、シカトかコメント削除のどっちか。今では天木の方からそういうコメントや苦情を受け付けないようにしているのだから、天木という男のケツの穴の小ささを知ったのだよ。

横浜の平和運動の某市民団体(どこかは忘れたけど、yahooで見た事がある)からの要請や、話にも全く応じず、質問にも全く答えず、「ウソツキ」と呼ばれたんだよ。

赤かぶさんは、天木への苦情とボケナス振りを伝えてるのかもしれんがね・・・。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c5

コメント [リバイバル3] 本当にあった怖い話 中川隆
67. 中川隆[7200] koaQ7Jey 2017年3月19日 19:51:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7671]

ほんとにあった怖い話 第07話
https://www.youtube.com/watch?v=EEQp-kTn2xI


2004年2月21日放送

夜話の窓(主演:塚本雛子、共演:寉岡萌希、小関可奈)

近づく足音(主演:香椎由宇、共演:藤間宇宙)

二時四十五分の泣き声(主演:山口香緒里、共演:福本伸一、諸頭未優)

二階が怖い(主演:碇由貴子、共演:喜多道枝)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/645.html#c67

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
15. 2017年3月19日 19:53:24 : J9T6mDywbA : @4tFL2AIL1s[1]
普通、公文書には文書番号、割印があるはずやけど。
とくに重要文書には。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c15
コメント [原発・フッ素47] 致死量の100倍(650シーベル)ほぼ「玉音放送」 赤かぶ
19. 2017年3月19日 19:53:29 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5612]
Domestic | 2017年 03月 19日 18:08 JST
1号機格納容器たまり水で高線量

 東京電力は19日、福島第1原発1号機の原子炉格納容器内部に自走式ロボットを投入した18日の調査の結果、格納容器底部にたまった汚染水の中で、毎時1・5シーベルトという高い放射線量を測定したと発表した。格納容器内部の画像も撮影した。同汚染水の中の線量測定や鮮明な画像の撮影ができたのは初めて。

 測定位置は床面から高さ約1メートル。ロボットが走行した作業用足場上の空間線量は毎時7・8シーベルトだった。調査箇所での溶融核燃料(デブリ)の有無については「撮影画像を分析中で判断できない」としている。19日以降も別のポイントでの調査を継続し、デブリの初確認を目指す。

《共同通信》

http://jp.reuters.com/article/idJP2017031901001496
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/496.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK222] 東京都が行った再調査は専門家会議と行った物。それで環境基準100倍のベンゼンが検出。 gataro
3. 2017年3月19日 19:54:20 : iLXkTAWRzo : sMjAm2L63TE[3]
いぬHKは、地下水だから問題無いだと。。。
おばか?
ベンゼンは揮発性で、隙間から湧き出してくるものだけど??
地下水だからどこかに流れていくとでも思ってるのか?
おかしな理屈だな。
屁理屈ってもんだ。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/555.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK222] その辺のおばはんなら、相手にしない!  赤かぶ
1. 2017年3月19日 19:54:29 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[12]
もういい加減にしてはどうか?
新潮だの文春だのという闇メディアがだれの手先で動いているかくらい
阿修羅の常連ならわからないか?
ばかばかしい。
いくら安倍が憎くても、闇メディアと一緒になって恥ずかしくないのか。
おまえら、だれの手先になっていると思っているのだ。
それとも日本人じゃないのか。
それならともかく、まともな日本人なら新潮だの文春だの日本のメディアが
どれほど腐って米国の手先になって動いているかわかりそうなものだ。
わしも安倍は嫌いだが、文春や新潮のブラックCIAメディアのほうがもっと嫌いだし、
そのCIAメディアを後押しするおまえらも反吐が出来るほどうんざりだ。
中国や韓国から書き込んでいるのだろうが、いい加減にしろ!
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/591.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2017年3月19日 19:56:25 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[13]
いや、やっぱり私人だろ、アッキーちゃんわ。
公人というのなら国家公務員として給与払わなきゃ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
6. 2017年3月19日 19:56:45 : otOAeLTo2E : 0u9C4MKzFe0[2]
>>5氏そのとおり

俺もおんなじことしましたよ。

とくに新党憲法9条の真贋について本当に心からやる気があるのか?
あるならいつまでも批判ばっかしてないで示すべき、動くべきとメールにもコメント欄にも書いた。
で、反応は同じだった。

俺は今ではこんな口先人間に寄付するより、岩上安見や田中龍作などフリージャーナリストに寄付するほうがどれほど役に立つかわかったから余裕がある時は少ないけど送ってますよ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK222] Re: これほど腹立たしい事はない輿石東の旭日大授章受賞パーティ  天木直人 まとおせ
1. 2017年3月19日 19:57:03 : 2eNf1uGJVU : 2V8DWJAFcP8[4]
ようするに天木はエリートコースから落ちぶれた恨みつらみを、下らんブログでやってる訳かよ。 

男気のある清官?何のジョークよ?ジョークにしても下らなすぎて泣けてくる。暇人過ぎる。

ポンコツの害厚顔なんぞまともに相手にしちゃいけない。


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/590.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
16. 2017年3月19日 19:57:08 : R3br1Jbrn6 : 4js6pL5nyBw[8]
籠池氏、つい10年くらい前に右翼幼稚園を稲田風前の朋美の父親椿原に勧められて始めたとかいう話がありましたね。そしたらあちこちからチヤホヤされ・・・(今回は土地と金が天から降ってきたとw)


安倍がドヤされて突然病気理由で辞めた前後の話かな


安倍ら売国一派にとって、金をたかれる美味しい場所が学園建設・経営だったっちうことか?

籠池おっさんをば、たかれるタマに育ててるはずだったのにw

加計のやってる学園は金の卵を産んでんじゃね?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
24. 2017年3月19日 19:59:37 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[14]
だれが総理になってもおまえらは同じだよ。
文句をいうだけ。
おまえらにとっては「いまの総理」がいつも「サイテー」の総理なんだよ。
中国、韓国からの嫌日書き込みが半分以上なのだろうから、
ま、とうぜんといえばとうぜんだろうが。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK222] その辺のおばはんなら、相手にしない!  赤かぶ
2. 2017年3月19日 20:00:54 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2502]
プロ私人は今日も、神宮大麻でラーリラリ。
あぁ、極楽、極楽と。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/591.html#c2
コメント [経世済民120] 森永氏 トランプ氏の「恫喝と強要」で日本経済ガタガタに(マネーポスト) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 20:02:56 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[433]
トランプの せいと片付け 単純に
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/313.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] 米トランプ政権の北朝鮮政策見直し 核攻撃で焦土化と威嚇:デタラメな見出しを付け世論を煽る低劣なNHK あっしら
9. 2017年3月19日 20:03:02 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[434]
NHK 見出しで「北」を 挑発し
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/572.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
25. 2017年3月19日 20:03:06 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[435]
「健康」で 逃げ道作る 駄マスゴミ
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c25
コメント [政治・選挙・NHK222] 「北や中国と通じているのか」維新・足立康史衆院議員、森友学園問題攻撃の民進党を批判(産経ニュース) 一隅より
12. 2017年3月19日 20:03:10 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[436]
安倍のケツ 舐めて茶坊主 空威張り
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/580.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK222] これほど腹立たしい事はない輿石東の旭日大授章受賞パーティ  天木直人 赤かぶ
8. 2017年3月19日 20:03:20 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[437]
重箱の 隅突き天木 ニヤケ顔
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/578.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK222] これ、でかい…朝日さすがやで/「森友」小学校の設置認可、大阪府の審査基準に抵触か 「悪い奴は大阪府庁の中におる…」菅野完 赤かぶ
10. 2017年3月19日 20:03:26 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[438]
喚問に 呼ぶに相応し 大阪府
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/582.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK222] まるで成果のなかった第一回日ロ共同経済活動次官級協議ー(天木直人氏) 赤かぶ
7. 2017年3月19日 20:03:31 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[439]
成果ゼロ 予測通りと 息をつき
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/587.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK222] 首相夫人は社会的な影響力のある「準公人」である 改憲論 ペテンを暴く(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2017年3月19日 20:03:36 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[440]
「準」の字を 入れて気配り 少し見せ
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/588.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
24. 2017年3月19日 20:05:13 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[15]
アッキーはあれでいいのだよ。あれだけ庶民的な宰相夫人がどこにいる。
安倍が憎いからといって夫人にまで憎悪を向けてどうするのか、
中国、韓国の嫌日のみなさん。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK222] アジアにおける軍事活動を拡大する日本(マスコミに載らない海外記事) :戦争板リンク 赤かぶ
3. 2017年3月19日 20:06:08 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2503]
松尾貴史氏
「あんなに記憶力も客観性も無い弁護士がいるのね。
あんなに記憶力も客観性も無い政治家がいて、それも名目だけだけれど日本の防衛のトップなのね。

辞任が見えてきたら、慌てて「嘘にカウントされない」言い回しで逃げるのね。」
https://twitter.com/Kitsch_Matsuo/status/841479212036845568

バカで自己中で敵前逃亡する卑怯者。それが防衛省。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/581.html#c3

コメント [国際18] 中日の高速鉄道競争、東南アジアで展開中:固い握手の後先、徐々に蝕む保護主義の魔障 手紙
5. 無段活用[1636] lrOSaYqIl3A 2017年3月19日 20:06:26 : pj0xlW4gWY : hAk0HwPRqkM[1]

中国もインドネシアも非同盟のリーダー格なので、両国にとってバンドンは聖地。だから、インドネシアは1号線をバンドンにしたのだろうし、中国も面子にかけてバンドン線を取りに来た。

その辺りを理解して日本は中国に花を持たせてやるべきだったが、そういったことが分かる人が日本にいなかった、というより、いなくなった。かつての自民党や財界にはそういった人がいて、如才なく振る舞ったはずだ。

2号線のスラバヤ線は確か日本が取っている。距離にすればこちらの方が断然長いのだが、まだその時の負けにこだわってガタガタ言っている。

ただ、大人げない。

http://www.asyura2.com/17/kokusai18/msg/654.html#c5

コメント [国際18] SPのパソコン盗まれた トランプ大統領の機密情報漏洩も(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 20:08:08 : khLOxjdfac : _MNPQAmZIOs[16]
ったく、トランプとかいう醜い成金赤豚のツラを見るだに吐き気がする。
こんなやつはさっさとケネディのように消されてしまうことを祈るのみだ。
http://www.asyura2.com/17/kokusai18/msg/652.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
56. 2017年3月19日 20:09:32 : YxgnEtj3vM : rkJoXSexNog[1]
※40
面白ければ良いので別に都合が悪いことはないが。
てかさ、知る大切ささん。

あなたの過去の投稿みると悉く的外れの結果になってるようなんだけど。
自己都合はあなたのほうでは?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c56

コメント [政治・選挙・NHK222] 振り込み名義人の変更「安倍晋三→森友学園」に郵便局の訂正印がある。ということは? 証人喚問は、藪蛇だったね  赤かぶ
9. 2017年3月19日 20:09:58 : l3gDyLAxdM : rTi62Aw6SH4[6]
うん大丈夫だよ。
この振込用紙の重要な点は日付と郵便局のハンコ。
籠池さん程度の人がこんなもん捏造出来ますかいなw
時間を遡って改竄ですか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/557.html#c9
コメント [原発・フッ素47] 原発廃炉に70兆円必要!? 保守系調査機関が算出した驚くべき数字 政府試算のなんと3倍…これは大変だ(現代ビジネス) 赤かぶ
9. 2017年3月19日 20:10:11 : h4L4DezuUk : 8vV9hbcw0zc[5]
コスト70兆円は2つの意味で嘘っぱちです。

■嘘っぱち その1.
 猛毒(廃棄物(プルトニウム))の保管費用(48万年保管)をコストに入れていない。
 発電1年分の猛毒であっても、保管は48万年間続けないといけないのだから
 (24万年で1000分の1、48万年で1000000分の1、これくらい減る必要がある)、
 保管48万年間分の総額が、発電1年分に必要なコストです。
 1年あたりの費用が保管費用の全部であるかのように国民を騙して、
 無視していい額だと思い込ませてコストに入れないのを問題視させない工作は
 やめてほしい。無視していいどころか保管がコストの大半を占める。

■嘘っぱち その2.
 事故が起きて猛毒(廃棄物(プルトニウム))が大気中にばら撒かれて、
 途轍もない数の人が肺癌になるリスク、数学で言う期待値をコストに入れていない。
 48万年間もの長い間、その規模の事故が起きないと思う方がおかしい。
 規模によっては地球全体が猛毒で覆われ、人類が滅亡する。人類滅亡のコストは無限大。

 実は、2011年3月14日の福島3号機爆発で200km圏内が猛毒で覆われる事態が
 すでに起きてしまった可能性すらある。
 3号機の燃料プールに置いてた猛毒が膨大な量ばら撒かれた可能性です。
 この猛毒は膨大な量,堆積していても、測定器では発見されず
 (とびとびに堆積してる物を数cm近づけないと反応しない測定器で見つけ出すのは
  不可能。200km圏内を10cm間隔で網羅するように測定なんて出来ないのだから)、
 肺癌を発症するのは10年以上経ってからだから、
 「肺癌が今急増していないから膨大な量ばら撒かれたわけがない」
 と考えるのは間違え。
 測定や肺癌急増か否かで判別することはできない。
 判別する方法はただ一つ。
 その猛毒を置いてた場所に、今も全部あるか見ること。
 6年も経ってるのに、公開された画像は3%分だけで97%分は公開してくれない。
 作業員にさえ、今も全部あるかわからないようにし続けるために、
 97%が瓦礫で覆い隠された状態を放置してるんだろう!
 97%分の画像を公開しないのは、
 97%をわざと覆い隠し続けてることがバレるからだろう!

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/663.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK222] この画像、ガンガン拡散したい。顔写真写ってる人間を全員、偽証罪の縛りかけた証人喚問に呼んだら、3日でケリがつく。 菅野完 赤かぶ
36. てんさい(い)[647] gsSC8YKzgqKBaYKigWo 2017年3月19日 20:12:55 : 0kUGInjLpY : VLecBnM2280[311]
スレ画像の英語版

Who has responsibility of this large-scale, wide-spectrum scandal? This is a correlation diagram of the scandal.
https://twitter.com/JianTai1/status/843156060525350913
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/570.html#c36

コメント [経世済民120] 森永氏 トランプ氏の「恫喝と強要」で日本経済ガタガタに(マネーポスト) 赤かぶ
2. 2017年3月19日 20:13:42 : MpDEIVgNks : 5Q94bm6tEZA[110]
10年間に1兆ドル程度の国の投資によって、米国のインフレ率が進むかは、はなはだ疑問だと思う。米国法人が減税の分を国内に投資するといいきれるのか。ドルは世界の通貨だ。国外の物品を購入しても困らない。
つまり、ドル高とインフレは両立しない。


http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/313.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK222] その辺のおばはんなら、相手にしない!  赤かぶ
3. 2017年3月19日 20:19:18 : frtErroTlE : irEWOXr423M[24]
白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫は良い猫だ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/591.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
17. 2017年3月19日 20:19:19 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[-738]
・なんで個人名で来るの?w
・大阪府WWWマジかよ
・こんな郵送あり得んだろ!!

なんぞこれwww
・だよなあ

大阪府からの通知を

なぜ松井個人が送るんだw

まったく持って謎

・封筒があり得ないだろw
・まさか松井本人の字じゃ無いだろ?
誰が書いたか知らんが
・普通は大阪府のロゴなどが入った専用封筒で来ると思う
・こんな封筒で送るか?
あとなぜ表書き見せないか
・封筒がこれの時点でなあ
大阪府の役所の封筒で来るだろ?普通
・松井の本人の字で直接書いて補助金の取り消し送ったのか(笑)…
・こんな方法で送るなんてあり得ないが、、
もしも釣りだったら、公文書偽造でかなり罪は重い
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1489907840/ 抜粋
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c17

コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
12. 2017年3月19日 20:20:30 : 4aNu6KGiCg : kCwEEpLPtUQ[819]


 ◆:籠池の代わりに菅野完が会見、マスコミが中継を打ち切った爆弾発言の中身!
   財務省の工作、稲田の父親、在特会…

   http://lite-ra.com/2017/03/post-2995.html

 アヘンが大阪のテレビ出演時も籠池と面談。金や認可が下りる直前でも5回も会っている。
 国へのアヘンからの働きかけも暴露してるのに、マスコミはカットって・・・おぃおぃ。

 =========


 ◆:安倍首相の親友が経営する“第二の森友”加計学園の関係者を最高裁判事に任命!
   司法までオトモダチで支配

   http://lite-ra.com/2017/03/post-2997.html

  こっちももっと酷そうだねぇ・・・

 =========

   A級戦犯DNA・・・=「越後屋と悪代官」=性若井+厄人+財閥+893


   日本には嘗て奴隷制度が存在し、名ばかりのキリシタン大名などは火薬一樽と女奴隷
   50人とを交換したので、数十万人の日本人女性奴隷がアジア中に売り飛ばされた。
   ポルトガル側が金品よりも高く転売できる女奴隷を要求したから。

   中国東北部、朝鮮半島、日本は同じ文化圏で、奴隷制度が当たり前。
   戦国時代の歩兵などは、奴隷が強いられていただけだった。

   A級戦犯DNAは、未だに国民を奴隷としてみなし、子宮頸がんワクチン被害者の様に
   見捨て、311被害者も帰還しないと見捨て、自宅裏が桁違いの高線量でも際除染せず
   に戻し、拉致被害者も見捨て、人質2人も見捨てて殺し(テロとの戦い発言)、

   頭の中身は、アヘンと、特別会計や助成金名目の税金泥棒と、米国への国民資産譲渡、
   戦争産業や原発産業で私腹を肥やすこと・・・。

 ========

   マスコミが中継を打ち切った爆弾発言の中身!
   
      財務省の工作、稲田の父親、在特会…。五寸釘もハシシタも一味だろう。



http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
25. 2017年3月19日 20:24:24 : cNUulx7zas : Wt9Z56dVo4Y[121]
迫田の証人喚問

安部と会っていた迫田の証人喚問

元近畿理財局長の迫田の証人喚問

佐川が異常にかばいまくる前任者・迫田の証人喚問

私人・籠池だけだなく(大体は菅野氏に事情を述べているので)

まずは国税庁官・迫田の証人喚問

なんで自民は拒否するのかな??
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK222] その辺のおばはんなら、相手にしない!  赤かぶ
4. 2017年3月19日 20:25:58 : E3enmQvFco : khbNn@Dwdbs[1]
>>1さん

飯山先生の読者ですか?

うーん?”大局”で安倍マンセーと思考停止するには、”あべちゃん”は、”狭量”だねー(笑)

高度な政治問題を論じているうちに”国民”は、真っ逆さまに”転落”‥と愚考

やれやれ‥
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/591.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
18. 2017年3月19日 20:27:10 : l3gDyLAxdM : rTi62Aw6SH4[7]
>>2
ダメダメ。
全然反省しとらん。
学園の再興ばかりに頭がいってて自分は悪いことをしたという自覚が全くない。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK222] なぜ財務省は森友学園に通常あり得ない厚遇をしたのか 山田厚史の「世界かわら版」(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
10. 2017年3月19日 20:32:16 : qF4T1YwunA : 0ID5WaAuWRA[1603]
白蟻官僚の一番の仕事は、政権を利用して自分たちの天下り先の維持と拡大です。

また、そのための責任回避の仕組みや権力拡大の仕組み作りです。

秘密保護法は責任回避に法律、共謀罪は権力拡大の法律です。

自民党、公明党、維新の党と官僚は利害を共にする道を歩いてきたし、その道を永続させようと画策しているのです。

この人たちに国や国民に対する思いやりはありません。

米軍政下にある日本の政治は、こうした仲間たちによる売国政治です。

長州明治政府が傀儡政権であったために未だにそのしがらみから抜け出すことができない。

哀しいことです。

米国のようにせいけんがかわると官僚もリセットされる仕組みではないので、日本では政治家より官僚の方が政治的人脈が確かのです。但し、日本の官僚の政治的人脈は、日米合同委員会に象徴される米軍政人脈であり、偏っています。

小沢一郎は、そうした官僚の仕組みのかいぜんも視野に入れていました。

しかし、官僚たちのはんざいといってもいい総掛かりの攻撃にあい、小沢政権は実現しなかった。

この時に利用した権力のツールは検察審査会法という法律でした。

表向きは検察の起訴、不起訴判断に対して一般国民の意見を反映させるとうう目的でした。

しかし、実際は、特捜が小沢一郎を起訴できない場合に備えて、素人を使って強制起訴させるという裏の目的があったのです。

そして、小沢一郎が勝つと予想された民主党代表選の議員選挙当日に検察審査会に強制起訴議決させるという露骨な工作を強行したのでした。実際は検察審査会は開かれていなかったのではないかとの疑いが強いといわれています。

官僚が取り仕切り、政権を利用してお互いの利権を漁る腐敗し爛れた日本の政治は根本的に変えなければなりません。

国民が目を覚まし、自らの問題として闘うけついが必要です。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/513.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK222] その辺のおばはんなら、相手にしない!  赤かぶ
5. 2017年3月19日 20:34:16 : GcFQs5SSyc : sI99w70kMKk[3]
>1
安倍政権を倒そうが倒すまいが我らの未来には地獄しか待ち受けていない、という前提
を共有できるのならばその話を聞きもしましょう。なお、倒した場合と倒さない場合の
違いは、前者の場合日本は真人間に近い存在がサバイバルを行う場所になるが、後者で
は生ゴミの王安倍晋三様が君臨するヒトモドキの穢土と化す、といったところか

よもや、生ゴミの王の治世を望んでの書き込みなどではあるまいな?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/591.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK222] 追い詰められる安倍首相「4月内閣改造」で局面打開画策か 「改造どころか、総退陣が先じゃないのか」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2017年3月19日 20:34:45 : z1r0GDU2NI : f32gvVNgneI[8]
安倍の最後は、ルーマニアのチャウセスクのようになるのではないか
国民の怒りに火が付き暴動を止められなくなる気がする
この裸の王様は、そこまで行かねばわからないお人のような気がする

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/532.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK222] 証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も〈週刊朝日〉 赤かぶ
26. 2017年3月19日 20:34:46 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2504]
「与党内では籠池氏を国会に引っ張り出すことのリスクを懸念する声もある。」

このように「ツラ貸せや」と呼びつけたくせに
https://twitter.com/noiehoie/status/843116534608281601

アホにもほどがある。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/584.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK222] 稲田防衛相の野党時代の旧民主党政権への口汚い批判がブーメランとなり(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
1. 2017年3月19日 20:36:05 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[430]
安倍も稲田も森友の件になると、誰も言ってないことまで自分で言いだして自己弁護する。
よっぽどアレなんだろうと邪推されてもシャアないな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/593.html#c1
コメント [経世済民120] 家族を振り切ってホームから電車に飛び込み自殺…なぜ日本人は「過労で死ぬまで」働くのか?(Business Journa) 赤かぶ
5. 2017年3月19日 20:37:50 : fjl2G9Zmro : eMcPigBWLHg[66]
警察特務機関の強姦殺人の可能性を疑わない時点で

>>1。チ4は不合格ww
 
エッ、オマワリサン=ホモワリサンだからその可能性はゼロだって!?

成程、こりゃまた失礼しました。


http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/285.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK222] 庶民がついて行けない自民党の、この発想の延長にマスコミの世論調査がある。さて、そろそろあるか、世論調査  赤かぶ
9. 2017年3月19日 20:39:07 : z1r0GDU2NI : f32gvVNgneI[9]
大阪だったか、駅前でボードにシールを貼る調査結果は出たのでしょうか?

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/568.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK222] 事の流れを冷静に追うと、これはやはり大疑獄事件となる。(永田町徒然草) 赤かぶ
11. 2017年3月19日 20:43:59 : 7bH7Y36ckE : 4JrS6mr5JQw[2]
3月23日の午前に、北ミサイルが飛んでくることでしょう。
証人喚問勝目なしで、流会を目論み、発注済みと思えます。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/571.html#c11
コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
74. 中川隆[7201] koaQ7Jey 2017年3月19日 20:49:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7672]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 8  

 

 日本統治のせいで朝鮮の古き良き文化が堕落した

淫売婦が日本の最大の輸出品となっているのは、衆目の認めるところである。日本人の行くところ、いかなる土地でも売淫の市が開かれないところはないが、わが国においてはとくに甚だしい。その淫風は、わが国古来の礼俗を破壊し、わが人命を害し、風紀を乱すことこのうえないものになっている。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

日本国内どこの大衆浴場でもみられる風景を、はじめて見る韓国人が驚くことがある。日本の銭湯の番台は、男女に分かれている脱衣場のどまんなかの高台で両方を眺望することができるからである。われわれの知る「男女七歳不同席」の儒教の原則は、日本では通じないのだ。
[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本のテレビでは、昼間でも女性の裸が見られる。それどころか、主婦向けの朝の番組でも、女性の上半身ヌードをよく見かける。(略)

夜11時過ぎると、成人用ビデオ女優がパンティー姿で現れ、服を着た男性タレントとセックスする素振りを見せる。

ただそのものズバリを見せないだけのことで、これではまるごとポルノ映画だ。むしろポルノ映画以上のいやらしい身の動き、そして水準以下の幼稚なセリフがテレビには溢れている。
[田麗玉『悲しい日本人』1994年]


この地球上、女性を裸にして金を儲けようとしない国は一つもないといっても、いいすぎではない。(略)だが日本の場合は、その異常さに問題がある。

彼らが好む対象は幼児であったり、体の一部に支障のある女だったり、あげくには知能の低い白痴女だったりする。一言でいって、社会的、精神的意味で徹底的に弱い者をセックスの対象と考えるのだ。

セックスに異常な関心をもっている日本人は多くのマスメディアを通して、女性をただのおもちゃとして売り、買い、もてあそぶ。そんなものを見る時私は日本社会独特の非人間性に怒りを感じる。弱者を残忍かつ執拗にもてあそぶ日本の一面を見たような思いがするからだ。[同]


(日本という)出版大国の底辺にはものすごい量の低質、ポルノ本が乱舞している。(略)以前、韓国のスポーツ新聞がこのような方向に流れたと言って物議をかもしたことがあるが、日本のスポーツ新聞を見ると本当に韓国は道徳君子の国だということを再度感じる。
[金永明『日本の貧困』1994]

日本女性の多くが韓国の女性に比べて顔がまずく、特に歯並びが悪い女性が大部分で、これは日本の風土病の一種ではないかと思われる程である
[シン・ピョン『日本の地、日本の風』1990年]

我々と異なり、日本人には歯並びがひどく悪い人が多い。専門分野ではないから確言はできないが、先天的に我々より歯並びが悪い民族であるようだ。
[金燦「一事一言」朝鮮日報 1994年11月8日]

日本が三国の圧力に屈服すると、朝鮮では明成皇后[閔妃]を中心に日本の勢力をくいとめるためにロシアに接近する動きがあらわれた。これに日本は、彼らの勢力をばんかいするために軍隊を先頭にして宮中に侵入し、明成皇后を殺害する野蛮な行為を犯した。これを乙未事変という(1895)。
[中学国史 1996年版]

刺客は、各部屋をすみずみまであまねく捜索し、ついに王后を刺して弑逆した。遺体は緞衾につつみ、松坂の上に安置し、殿庭から鹿園の林の中に運び出し、遺体の上に薪をのせて油をそそぎ、これを焼いた。
[朴殷植『朝鮮独立運動の血史』1920年]

八月二十日、ニ、三十人の日本の大陸浪人が、景福宮の閔妃の寝所に踏み込んで斬殺した。それは三浦の命令であった。一国を代表する公使が、外国の王妃斬殺計画の首謀者になるとは、世界史でも稀な事件である。しかも、斬殺した屍体に石油をかけて、王宮の庭で焼いてしまうという蛮行を重ねた。
[金両基『物語韓国史』1989年]

少女の柳寛順は日本の警官や憲兵の銃剣の前にたってもひるまず、後に韓国のジャンヌ・ダルクと称えられた。彼女は水原の警察でひどい拷問にあいながら、「独立万歳」を叫びつづけ、殺されていった。[同]


ソウルで独立運動が展開された日、まだ年のいかない女学生が、右手に国旗をもち「万歳」を叫んだ。

日本兵は、剣をもち、その右手を切りおとした。女学生はさらに左手で旗をあげて「万歳」を叫んだ。

日本兵はまたその左手を切りおとしたが、女学生はなお「万歳」の連呼をやめなかった。
日本兵はその頭をつき刺してこの女学生を殺した。[同]


日本兵二名が左右にあって、一人は女学生の手をきつくにぎり、一人は竹針をたばねて頭に刺した。しかし、それでもなお屈服せず、激烈となり、かえって日本人を怒りののしった。

日本兵はいよいよ怒り、刀をぬいて唇をさこうとしたが、長官が引きとめ、「顔の表面は傷つけてはいけない」と言った。[同]

日本の野蛮人どもは、女学生のうち美貌の者何人かをえらび、輪姦をかさねた。(略)

日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて盧永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(苽)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。

そこでまた他の十字架にうつし、四肢と頭髪など五ヵ所を縛り、天空に架けて仰臥させ、膏薬を火に溶かしたものを頭髪と陰門と左右両腋とにねばりつけ、冷却させた後に強い力で急に引っぱった。髪の毛も皮膚もともに剥げおちて、血があふれるように流れ、大地を染めた。

日本の野蛮人どもは、大笑してこの残虐を楽しんだ。[同]

平壌では、拘留され入獄した女学生に対し、日本の野蛮人どもは、焼きごてをかの女らの陰部にあて、「男は何人いるか」など質問し、拷問を加え、いいしれぬ恥辱を与えた。[同]

朝鮮人女子は、監獄に入るとかならずはだかにされて訊問を加えられた。すでに判決をうけた女学生も、かならず日本人の姦淫暴虐をうけた。(略)

女子をはだかで仰臥させ、その腋毛、陰毛をぬいた。

また膏薬を煮解かし、女子の陰部にそそぎ、冷却して固まってから、いきなりこれをぬきとった。その陰毛はことごとく脱落した。[同]

1942年から始まった朝鮮での徴用の無慈悲さに就ては今更に喃々喋々を要しないであろう。戦時中朝鮮の官憲は日本への食糧供給を確保する為の「米穀供出」に狂奔し農家の糞溜の底まで目を光らした。

「労力供出」も之に劣らない方法、例えば市場とか村落をトラックを以て急襲して手あたり次第に捕えては頭数を揃えるとか、徴用逃亡者の為に山狩りをするとか等々の奴隷狩りを彷彿させる方法が取られた。
[朴在一『在日朝鮮人に関する綜合調査研究』1957年]

とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期にいたって、日本帝国主義は戦時労働力の不足を打開するために、朝鮮人民を強制的に大量徴用した。

日本帝国主義は当時朝鮮人を連行するにあたり、夜中に農家を襲撃し、白昼にトラックを横付けして畑で働いている朝鮮の青壮年たちを手当たりしだいに拉致していくなど、文字どおりの「朝鮮人狩り」をおこなった。
[朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』1965年]

日帝が太平洋戦争末期の一九四五年、教師らを動員、一二歳の国民学校少女までも挺身隊に引きずっていった事実が一国民学校の学籍簿で確認された。

この学籍簿には七六年に廃校になったバンサン国民学校(戦前の京城第二公立小学校)六年制の担任だった池田正枝(六八・日本生駒市居住)氏が過去、子供たちを挺身隊に送った後、良心の呵責を感じて昨年八月、日本フジテレビの取材チームとともにバンサン国民学校卒業生学籍簿を保管中だったソウル江南区逸院洞永禧国民学校を訪問し発見した。

一四日、永禧国民学校が公開した池田氏が直接作成した学籍簿には、池田氏が担任だった六年生四班(女学生班)生徒七〇名余りのうち一名が四四年二月二五日に、五名が七月二日に富山不二挺身隊として出発したと記録されている。[朝鮮日報 1991年1月15日]


私自身が絶対に許せないのは、その悪の制度化だ。人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国はこの地球上で日本しかない。

強姦が犯罪なら、日本は集団的強姦を制度化したまれな国である。

私は、従軍慰安婦というのは日本がわが国の女性の全てを集団で強姦したようなものだと思う。おそらく日本はその血の代価をこれからずっと払い続けねばならないだろう。
[田麗玉『悲しい日本人』1994年]
http://www7.plala.or.jp/juraian/panil.htm

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c74

コメント [政治・選挙・NHK222] 国民と野党には政府与党を監視し追及する義務がある(simatyan2のブログ) 赤かぶ
1. 2017年3月19日 20:51:51 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2505]
迫田 国有地10億円をタダであげる
松井 安倍小を認可
昭恵 名誉校長
晋三 素晴らしい教育
稲田 防衛大臣賞贈呈
籠池 首相から寄付100万円
安倍 私は総理だ!籠池と同列にするな
自民 総理を侮辱した籠池だけ証人喚問
安倍 会いたくないから欧州行くね
国民 全員証人喚問しろよ
https://twitter.com/nakayamamikio/status/843355437332279296

全員証人喚問!
国会で、主権者の前で、NHKのカメラの前で、説明責任を果たしましょう。ウソがつけない状態でね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/592.html#c1

コメント [カルト17] 週朝・親子で籠池と昵懇の稲田はKO寸前、体調不良でポスト安倍に岸田も。読み書き不自由の退陣が最優先である。 ポスト米英時代
5. 2017年3月19日 20:52:40 : jyGd9TJRbs : PN4rsRXzIw4[30]
父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前
https://dot.asahi.com/wa/2017031800022.html
証人喚問で新たな籠池リスク、体調不良でポスト安倍の声も
https://dot.asahi.com/wa/2017031800021.html
小学校の地代「444円」の怪 官僚たちの苦しい弁明
https://dot.asahi.com/wa/2017031800013.html
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/727.html#c5
コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
13. 土手のカボチャ[39] k3mO6ILMg0qDe4Ngg4M 2017年3月19日 20:54:24 : xXsylLo6VA : haZQ4PWdevk[67]
 戦々恐々安倍腎臓

 頑張れ提灯メディア 〜

ここで電々総理を守りきれないと、存在価値ないぜよ(笑)
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK222] 振り込み名義人の変更「安倍晋三→森友学園」に郵便局の訂正印がある。ということは? 証人喚問は、藪蛇だったね  赤かぶ
10. 2017年3月19日 20:56:40 : xQoZn42Pr2 : 2ydlNWODHRI[2102]
安倍総理海外に行ったの?
まさか私人も同行?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/557.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
19. 2017年3月19日 20:57:04 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[636]
>>2 さま >なんか今の籠池はんだったら応援してもいいかな?
私も同意見です。
思想は個人の問題として、籠池氏は、少なくとも「ウソ」はつきませんし、自分から裏切ることもしませんでした。
「安倍晋三記念小学院」問題で世間が騒ぎだしてから、それまで籠池氏を称賛していた安倍夫妻はじめ日本会議や自称保守たちはみんなこぞって、籠池氏ひとりに責任をなすりつけようとして裏切った。 誰ひとりとして籠池氏を守らなかった。
籠池氏が、自分が「保守」と思っていた連中はキチガイ集団だったと、やっと気づいたようなことを菅野完氏もツイートされていました。
洗脳されて嫌中韓は治らないかも知れませんが、少なくとも、籠池氏は「ウソ」をつかないのは、安倍夫妻や日本会議や自称保守連中とは決定的に違います。
個人の思想はともかく、「籠池氏 vs.安倍一派」という図式ができあがってしまっているので、私は籠池氏を応援します。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c19
コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍晋三の名が消された寄付金振込票に続き、籠池長女による100万円受取り直後の目撃証言が!(リテラ) 赤かぶ
18. 2017年3月19日 20:57:22 : 4AA4cMR96A : MuLUNmeU1Ws[1]
結納金でも1割か2割返す風習は有るな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/522.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK222] 山城博治議長、5カ月ぶり保釈決定 福岡高裁が地検抗告退ける 琉球新報 赤かぶ
33. 2017年3月19日 20:58:13 : xQoZn42Pr2 : 2ydlNWODHRI[2103]
海外から何か言われないと何もしない国なっちゃったよね
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/553.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK222] 「私人」がひと声かけると8000万円出るのか?  赤かぶ
1. 2017年3月19日 20:59:44 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2506]
私人は出ない。プロ私人なら出る。
妻が神宮大麻でラーリラリ、夫が夜ごとにオカルトを唱える奇人夫婦なら、なおさら出る。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/594.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK222] これ、でかい…朝日さすがやで/「森友」小学校の設置認可、大阪府の審査基準に抵触か 「悪い奴は大阪府庁の中におる…」菅野完 赤かぶ
11. 2017年3月19日 21:00:27 : BQ7yzOxT8A : 2Zwc6175Rjo[2]
 確かに『大阪府私立小学校及び中の設置認可等に関する審査基準』【参照1】
には、借地上に学校を設置する場合でも、同基準の7.(2)ア項に
 『 当該借地の上に、校舎 (倉庫等簡易な建物を除く。)がないこと。』
と明記されている。
 当初から審査基準が正しく適用されていれば、大阪府による
設置認可を「認可適当」とする判定が出せなかったはずである。

 これは、大阪府の取り返しがつかない誤りであり、その責任は重大。そもそも、
この誤りを発端として、森友学園による小学校建設に向け、国有地の格安払い下げ
事件に発展していった。
 政府側の、「行政上の手続に瑕疵がない。」とする答弁も明確な虚偽となる。

 尚、最初の橋下徹氏の指摘は間違いがないが【参照2】、古賀茂明氏指摘【参照3】
のうち、【松井氏のウソ】も正しい。

【参照1】『大阪府私立小学校及び中の設置認可等に関する審査基準』
http://www.pref.osaka.lg.jp/joho-kensaku/attach/shinsa-00063_1.pdf
(抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7 資産等
(1) 校地、舎その他施設は自己所有であること。
(2)(1)にかわらず、教育上支障がなく、かつ、次の基準を満たす場合限り借地を校地及び運
  動場とすることができる。
  ア 当該借地の上に、校舎 (倉庫等簡易な建物を除く。 )がないこと。
  イ 次の (ア)又は (イ) のいずれかに該当し、将来わたり安定して使用できること。
    (ア) 20年以上にわたり、賃借権等を取得し、これ登記すると。
    (イ) 借地の所有者が国、方公共団体等の公共的団体であること 。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
  以下省略

【参照2】橋下徹氏のツイート
 大阪府私学設置基準では、借地上の校舎は許されません。ところが今回は後に
土地売買が予定されているからと言ってOKになりました。これもおかしい。
認可のときは売買は10年内でいつになるか分からない。するとそれまで借地上
の校舎を許すことになる。今回たまたま1年後に売買になっただけ。
 2017年3月10日 01:08

【参照3】古賀茂明氏のツイート
【橋下・松井氏のウソ】
大阪府の審査基準では「学校は借地の上に作ってはいけない」とある。
運動場などに例外は認められるが、校舎=借地上 では例外なく「NO」だ。
両氏は、「将来土地を買い取るのであれば当初は借地でも良い」と言っているが、
そんなことはどこにも書いていない。全くの嘘
 2017年3月16日 00:17


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/582.html#c11

コメント [カルト17] 新潮・文科省・加計の件で昭恵から相談、ロイ・安倍が2つの嘘、ワポ・スキャで退陣の危機。新聞辞令である。 ポスト米英時代
7. 2017年3月19日 21:01:34 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2760]
そのセットでいいんで注文するんで、あと住民逃げ惑いみたいなゴジラ襲来的映像も付けてもらえたら、
近くの郵便局から今スグ送金するんで、  ッシャ! オレまた勝ったなコレ、  /備えあれば憂いナシ  ヨリ
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/725.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
57. 知る大切さ[7824] km2C6ZHlkNiCsw 2017年3月19日 21:01:45 : rXmQVSTR26 : wmfWUboB@Eg[3759]
>56

うん、貴殿みたないその場かぎり新人さんによく
そんなセリフを言われるね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c57

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
75. 中川隆[7202] koaQ7Jey 2017年3月19日 21:02:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7673]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 9

『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが 、村長は耳を貸さない。

この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ 。

村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を 渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://194586245.web.fc2.com/11.html


従軍慰安婦は売春婦か?

1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。

日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、朝鮮における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。

この傾向は、韓国を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。

http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090728170811
http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080628173338


「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。


日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。

研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。

名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東


*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1

朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。


慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/


『慰安婦』にされた年齢


尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。


11歳  1名
12歳  1名
13歳  1名
14歳  3名
15歳  5名
16歳 16名  ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳  7名  ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳  3名  ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳  3名
20歳  -
21歳  1名  ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳  -
23歳  1名
29歳  1名


*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。

*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)

*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』


コメント一覧


貧寒 2008/09/27 11:07

韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。

2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。

おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。


Stiffmuscle 2008/09/27 21:47

子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。

なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?

相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。

Allen 2008/09/28 16:21

ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・

東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・

日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。

Stiffmuscle 2008/09/29 00:59

「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。

当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。

その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。

まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1


 日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/

日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。

http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm


朝鮮人「慰安婦」の証言


12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。

○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした


 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。


(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)

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拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101202.html

12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。

○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首

 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。

 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101204.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。


(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101201.html

チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。

○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/


ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html

キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2

李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。


十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。


 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/

郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。


 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。


 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/

金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。


 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c75

コメント [政治・選挙・NHK222] その辺のおばはんなら、相手にしない!  赤かぶ
6. 2017年3月19日 21:03:23 : lcHHgDGazE : 2_smTqy1h8Q[19]
アベアキエをあくまでも「私人」という方がマズイだろう。
これでは間違いなく政治の「私物化」だよ。
お隣韓国の朴政権と何ら変わりがなくなる。
韓国よりも「民主的」と言いたいなら、安倍夫婦は即刻逮捕だろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/591.html#c6
コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
76. 中川隆[7203] koaQ7Jey 2017年3月19日 21:05:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7674]

アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c76

コメント [政治・選挙・NHK222] これほど腹立たしい事はない輿石東の旭日大授章受賞パーティ  天木直人 赤かぶ
9. 2017年3月19日 21:07:53 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2507]
「都政民進を見限った無党派市民が共産の候補を勝手連作って推し始めている、と聞いて見に行ったのです。ビックリしましたわ。」
https://twitter.com/I_hate_camp/status/843422061414375424

民進はどこまで沈むのか…
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/578.html#c9

コメント [番外地7] 奇跡の再開発、リアルタイム衛星画像でデスクに癒やしを ・日本の空・世界の空♪スクリーンセーバー誕生秘話(開発中) 上野みのる
7. 上野みのる[10] j@OW7ILdgsyC6Q 2017年3月19日 21:08:56 : ut6Otvyksk : 9LLP8kB_fOM[10]
ソースコード管理。

無料のBitbucketを使おうとしてあれこれ調べてみたが、WEBに存在する資料でどうしてもうまくいかない。
そもそもよくわかってないので、もう少し調べればうまくいくのかな?と思ってうまくいっている例を参考にしてやってみるが、どうしてもうまくいかない。

そのうちに見つけたのは、Visual Studio【2015】 では、Bitbucketがうまく使えないってこと。
2012とか2013のうまくいった例があったので、それを見ていたのだが、2015はだめだったようだ。

マイクロソフトが標準で提供しているVisualStudioにサインイン、ってのをすればできそうな感じがあるのでそれでやってみたが、やっぱりよくわからん。

VisualStudioのバージョンが違うから書いてあるとおりにできないのか、やり方が違っていて書いてあるとおりにできないのか、
設定が違っているので書いてある通りにできないのか、VisualStudioアカウントにログインしてないから書いてある通りにできないのか
よくわからん。

まぁ、いいや。ローカルでならソースコード管理できるみたいなので、まずはローカルで一番簡単なコミットだけやっとこ。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/112.html#c7

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
77. 中川隆[7204] koaQ7Jey 2017年3月19日 21:09:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7675]

わたしを犯さず、やさしくしてくれた特攻隊員が一人いた。

彼はわたしに何度もいった。

『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きなければならない』


 元「従軍慰安婦」、イ・ヨンスさんが証言 ルモンド東京支局長、フィリップ・ポンス氏が取材し報道 


 フランスのルモンド紙の東京支局長で、日本の歴史文化に明るいフィリップ・ポンス記者が3月5日、先にワシントンの連邦議会下院小委で証言したイ・ヨンス(李容洙)さん(78歳)と都内の韓国レストランで会い、彼女の話を聞いて記事にした。

 ポンス記者はこう書いている。
 
 「現在の韓国南東部、大邸に近くで生まれたイさん(マダム・イ)が14歳のときだった。

『1944年の秋のある朝のことです。寝ていると、わたしを呼ぶ女の声がします。出て行きました。日本兵がひとりいて、わたしを捕まえ、力ずくでわたしを連行したのです』。

汽車は彼女をピョンヤンから中国の大連へと運んだ。大連で彼女は台湾行きの船に乗せられ、自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された」

 台湾の特攻機地の慰安所での体験を、イさんはポンス記者にこう語っている。

 「(慰安所になった)船上で、わたしたち5人は300人の兵にあてがわれました。年上のお姉さんがわたしを隠してくれました。その基地で、わたしは殴られ、犯され、死ぬまで放置されました。わたしの手は針金で縛れていました」

 そんな地獄の日々のなかで、イさんはひとりの特攻隊員(パイロット)に会った。

 「ひとりのパイロットがわたしにやさしくしてくれました。彼はわたしに何度も言いました。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きねばならない』と。その人だけが、わたしを犯しませんでした」

 イさんの証言は続く。

 「何ヶ月かが過ぎていきました。わたしがあてがわれた小さな船室には毎日、10人の兵士がやって来ました。船室には寝床と布団と消毒液がありました。

最後の任務(自殺攻撃)に出て行った彼らは、(わたしの部屋に)長居していました。(特攻隊員の)彼らもまた犠牲者だったのです」


 そして、ついに光復の日が……。

 「ある朝、日本兵が突然、いなくなりました。街の方から中国語の叫び声が湧き上がりました。『戦争は終わった』と」
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/992.html

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c77

コメント [政治・選挙・NHK222] 稲田防衛相の野党時代の旧民主党政権への口汚い批判がブーメランとなり(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
2. 2017年3月19日 21:12:23 : MzELVwLNzo : NINTO764BQo[65]
平成11年10月6日の衆議院本会議・代表質問 稲田朋美議員の「大演説」を全文テキストで再現。ニコニコ動画でもご覧ください
http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/334.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 10 月 10 日 14:16:26: CP1Vgnax47n1s

ぜひご覧ください。なお「平成11年」は「平成21年」の誤りのようです
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/593.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK222] アジアにおける軍事活動を拡大する日本(マスコミに載らない海外記事) :戦争板リンク 赤かぶ
4. 2017年3月19日 21:15:25 : 1hFwhl5XF6 : A44FqszPm3Y[246]
南スーダンで、ろくでもない事になっているのに、何が「軍事活動を拡大する」なんだか。
防衛省アホくさ。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/18/south-sudan_n_15458360.html
南スーダンPKO、自衛隊員5人が政府軍に連行 「兵士の誤解だった」

身代金は、29億円の中から払ったのかね。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/581.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
20. 2017年3月19日 21:19:00 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2508]
確かに、ずいぶんあっさりした「補助金取消し」ですな。
648万円 微妙な額ですが…

「大阪國學院通信科から こういう事件がおきているので 卒業をさせることはできない
と連絡がありました」

学問と事件と関係あるのかねぇ…
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK222] 父の代から籠池氏と昵懇の仲だった稲田防衛相はKO寸前〈週刊朝日〉 赤かぶ
9. 2017年3月19日 21:19:51 : 9ndwsSAYl2 : MaG_i_zOciw[15]
『“記憶が虚偽”なんだから、明らかな「虚偽答弁」というな単純なお話さ。』

要は「事実と反する記憶」を主張したこと自体が“虚偽”なのである。
ここが「忘れた。」や「記憶にない。」と全く異なる点なのである。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/586.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK222] これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。松井一郎、マジでクソだな。公人の資格、一切なし。 菅野完 赤かぶ
21. 2017年3月19日 21:21:48 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[431]
まあ、籠池一家が塚本幼稚園で園児や保護者にしていたことがチャラになるわけではないが、彼らにだけ罪の一切を押し付けてしらばっくれる奴らを見逃すわけにもな。

せめてもの「罪滅ぼし」ってことなら認めていいか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍昭恵夫人に新たな口利き疑惑が浮上!「昭恵夫人に伝えたら首相から連絡が入って予算がつきました」 赤かぶ
31. 石爺[100] kM6W6g 2017年3月19日 21:24:17 : RU3sAuaixg : vuRW108KvSM[48]
 日本は法治国家です。
アッキーは先程の閣議決定で、「私人」とされました。
官僚の秘書が5人もついていますが、法令上間違いなく
「私人です」。また「私人」が口利きするのも変な話
ですがアヘン王子動いたすれば、問題ではないかなと
思います。ただそれも明後日には共謀罪が成立するので
問題だと思う人が何らかの罪に問われる可能性が
出てきます。なんせ法治国家ですから、法令に基づいて
適切に処理すれば問題が良いわけですから。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/533.html#c31
コメント [政治・選挙・NHK222] 山城博治議長、5カ月ぶり保釈決定 福岡高裁が地検抗告退ける 琉球新報 赤かぶ
34. 2017年3月19日 21:26:23 : xOJ5tyBhOo : sTpVEd_Vh0k[57]
狂暴な国家だよ。罪なき人を5カ月も牢屋へ入れるなんて。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/553.html#c34
コメント [政治・選挙・NHK222] <大打撃!>安倍内閣支持率7.3Pダウン!稲田氏「辞任すべき」57.3%!籠池氏証人喚問で事実「はっきりしない」71.8 赤かぶ
1. 2017年3月19日 21:27:30 : KEXqUdXbaU : 5U8ol2dPTgs[14]
2 0 1 7 年 3 月 定 例 世 論 調 査 
http://www.ntv.co.jp/yoron/201703/soku-index.html
平成29年3月19日 日本テレビ世論調査

[ 問1] あなたは、安倍晋三連立内閣を支持しますか、支持しませんか?

(1) 支持する 47.6 %
(2) 支持しない 32.9 %
(3) わからない、答えない 19.5 %


[ 問2] [問1で「(1)支持する」と答えた方へ]安倍内閣を支持する理由は何ですか?

(1) 安倍総理の人柄が信頼できるから 17.7 %
(2) 閣僚の顔ぶれに期待がもてるから 2.4  %
(3) 支持する政党の内閣だから 13.5 %
(4) 政策に期待がもてるから 14.4 %
(5) 他に代わる人がいないから 38.3 %
(6) 特に理由はない 10.8 %
(7) その他 1.5 %
(8) わからない、答えない 1.5 %

[ 問3] [問1で「(2)支持しない」と答えた方へ]安倍内閣を支持しない理由は何ですか?

(1) 安倍総理の人柄が信頼できないから 26.8 %
(2) 閣僚の顔ぶれに期待がもてないから 16.0 %
(3) 支持する政党の内閣でないから 12.6 %
(4) 政策に期待がもてないから 25.1 %
(5) リーダーシップがないから 5.2 %
(6) 特に理由はない 8.2 %
(7) その他 3.5 %
(8) わからない、答えない 2.6 %

[ 問4]
あなたの支持している政党を教えて下さい。(支持政党がないとき→強いて挙げればどの政党ですか?)

(1) 自由民主党 37.8 %
(2) 民進党 12.3 %
(3) 公明党 4.4 %
(4) 日本共産党 4.4 %
(5) 日本維新の会 2.0 %
(6) 社会民主党 1.4 %
(7) 自由党 0.4 %
(8) 日本のこころ 0.1 %
(9) その他 0.0 %
(10) 支持している政党はない 31.6 %
(11) わからない、答えない 5.6 %

[ 問5]
学校法人森友学園が、私立小学校を建設のために、大阪府豊中市の国有地を評価額よりも8億円以上安く購入していたことについてお伺いします。政府は、この土地取引について、土地の地下に埋まっているゴミ処理に必要な費用を、見積もって差し引いた金額での適切な取引だと説明しています。あなたは、この説明に納得しますか、納得しませんか?

(1) 納得する 3.9 %
(2) 納得しない 83.8 %
(3) わからない、答えない 12.4 %

[ 問6]
この学校法人の理事長は、現地を視察した与野党議員に対し、「安倍総理大臣から昭恵夫人を通じて100万円の寄付を受けた」 などと主張しましたが、安倍総理はこれを強く否定しています。国会は、来週23日に、この理事長の証人喚問を行います。あなたは、この証人喚問によって,土地取引などをめぐる事実関係がはっきりすると思いますか、思いませんか?

(1) 思う 12.8 %
(2) 思わない 71.8 %
(3) わからない、答えない 15.4 %

[ 問7] 安倍総理の妻・昭恵夫人が、この土地に建設中の私立小学校の名誉校長となっており、最近、辞めました。あなたは、総理大臣夫人がこの小学校の名誉職に就いていたことは、適切だと思いますか、思いませんか?

(1) 思う 9.3 %
(2) 思わない 76.9 %
(3) わからない、答えない 13.8 %

[ 問8]
PKO国連平和維持活動を目的に、南スーダンに派遣している自衛隊についてお伺いします。安倍総理は、南スーダンの国づくりが新たな段階に入り、自衛隊が担当している首都の道路整備などに一区切りがついた事などを理由に、5月末をめどに撤収することを決めました。あなたは、この決定を評価しますか、評価しませんか?

(1) 評価する 55.3 %
(2) 評価しない 22.8 %
(3) わからない、答えない 21.9 %

[ 問9] 安倍総理は、この自衛隊撤収について、治安の悪化が理由ではないと説明しています。あなたは、この説明に納得しますか、納得しませんか?

(1) 納得する 19.8 %
(2) 納得しない 56.0 %
(3) わからない、答えない 24.2 %

[ 問10] 野党は、稲田朋美防衛大臣が、森友学園に弁護士として関わっていた事をめぐる国会答弁を訂正した事や、南スーダン派遣の自衛隊の活動で、陸上自衛隊が廃棄したと説明していた日報が、実際には廃棄されていなかった事を理由に、辞任を要求しています。あなたは稲田大臣が辞任する必要があると思いますか、思いませんか?

(1) 思う 57.3 %
(2) 思わない 27.8 %
(3) わからない、答えない 15.0 %

[ 問11] 北朝鮮が、6日に4発の弾道ミサイルを同時に発射しました。4発のうちの1発はこれまでで日本の国土に最も近い箇所に落下しました。あなたは、核・ミサイルや拉致問題などを抱える日本は、今後、北朝鮮に対して、対話による解決と、圧力による解決とでは、どちらの方針を重視して解決を図るべきだと思いますか?

(1) 対話による解決 32.3 %
(2) 圧力による解決 45.0 %
(3) わからない、答えない 22.7 %

[ 問12]
天皇陛下は、昨年8月、天皇の位を皇太子に譲る退位を強くにじませるお気持ちを示されました。あなたは、退位ができるようにする制度について、どう思いますか?

(1) 今回一代に限った制度をつくることがよい 23.1 %
(2) 将来にわたって退位を認めるように改正した方がよい 69.1 %
(3) 退位できる制度を作る必要はない 3.9 %
(4) わからない、答えない 4.0 %

[ 問13] 豊洲市場の問題についてお伺いします。東京都議会は、百条委員会をつくって、東京ガスから豊洲市場になる土地を取得した経緯について、石原慎太郎元都知事など当時の関係者を呼んで、事実関係を調べています。あなたは、豊洲移転をめぐる混迷の責任についてどう考えますか?

(1) 石原元都知事にある 44.0 %
(2) 小池都知事にある 3.4 %
(3) 両方にある 17.4 %
(4) それ以外にある 25.1 %
(5) わからない、答えない 10.1 %

[ 問14] あなたは、築地市場の豊洲への移転問題について、今後、どう対応すべきだと思いますか?

(1) 早く豊洲市場に移転すべきだ 31.6 %
(2) 豊洲への移転は断念し、築地での建て直しにすべきだ 25.5 %
(3) 豊洲、築地以外の場所へ移転すべきだ 14.7 %
(4) その他 5.1 %
(5) わからない、答えない 23.1 %


http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/595.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK222] 物騒なことを口走った自民党の秘書!  赤かぶ
40. 2017年3月19日 21:28:00 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[1598]
  そもそも、安保法案可決の際にも安倍首相は、麻生君が近所の不良に襲われたら僕は助けますよ、などと主張し、近隣国を暴漢扱いし法案可決に邁進したのであるから、出入りの為に武器弾薬を用意し、仲間に何か有ればおっとり刀で駆けつける任侠の世界の住人が与党であることは明白だ。
   彼らの思考回路からすれば、何か有れば当事者を抹殺すべしという流れが、料亭政治での水面下では当たり前のように会話されているのではなかろうか。取り締まるべき共同謀議とは、実は権力者による料亭という第二議会であろう。
   普通堅気の人間であれば、普段から会議等で一緒に討論などしている相手を近所の不良扱いはしないものである。
   近所の不良であれば尚更のこと、知らない仲では無く、性質などを見極めている筈であるところ、銃刀を用意しておき、相手の不審な動きを契機にすぐさま闘いの準備に入る、などということは有り得ないだろう。
   あくまでも堅気の世界であれば、出入りの準備をするよりも、会議等で相対した際に誤解を解き落ち着いて対話をするべく、相手を誘導することに重きを置くだろう。
   相手が銃刀を持っているからといって、こちらも相手を上回る銃刀を用意しその日に備えて全勢力を使っていては、日常生活が成り立たないのである。
   愛国右翼の「愛国」は、そもそも愛国心の無い他国籍軍産複合体ロビイストの要望に応じて米軍の新古、中古兵器を買い込んでいる日本政府には殆ど意識の外であろうが、もし右翼のカテゴリーに自分らを入れ、俺らが右翼だと称するのなら、当事者の抹殺を目論んでいるのは、渦中にある自民党ではないのか。
   いずれにしても、租税主義であればこそ、公金や公有地の売買に関して、納税者が議会に委託して正すべき事態であるというのに、物騒な事を平気で口に出すような秘書を持つ代議士の居る政党というのは、租税主義、国民代表議会制度を、政党自身が理解していない証左なのである。
   
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/521.html#c40
コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
14. 2017年3月19日 21:28:35 : UF0kuB3bKA : SpDxDDo722E[24]
Wikipedia 赤坂飯店
何者かによって削除されていた。
http://www.fastpic.jp/images.php?file=1533664635.jpg

Wikipedia は最近、安倍信者による、
隠匿、歪曲行為が悪質化しています。

かなりの広範囲に渡っていますね。
    
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
58. 公房[10] jPaWWw 2017年3月19日 21:28:55 : HAWkwCKjNU : _HyCGFq4Yc4[1]
その郵便局に誰か行って、確認してくればはっきりする。珍しいケースだから担当者も覚えてるだろう。それに郵便局長印が押してあるのだから、局長も知ってるはず(担当者が勝手に押したんじゃなければね)。菅野さんぐらい頭の回る人なら、裏は取ってると思うけど。もしまだだとしたら、証人喚問までに確認証言を取らないと、この部分がうやむやにされてしまう。
私個人としては、匿名でと頼まれたので、奥さんは受取人のところにだけ「森友学園」と書き、依頼人は空欄にした(振り込んだ後で記録を残すために安倍晋三と書き足せばいいと思った)そして職員に、「これは安倍首相からの寄付だけど「匿名」でと頼まれたから、依頼人は空欄にしてあるからと」伝え、郵便局に行かせた。ところが郵便局で、依頼人欄にも記入してくれと言われ、その職員が「匿名」と書いたが、匿名は困ると言われ。本来の依頼人の安倍晋三と書いた。でも本人の証明が出来なかったので、森友学園と書き換えた。
こう私なりに納得していたのですが、いろいろ憶測するより、その郵便局に行けば真相が明らかになると思います。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c58
コメント [政治・選挙・NHK222] <大打撃!>安倍内閣支持率7.3Pダウン!稲田氏「辞任すべき」57.3%!籠池氏証人喚問で事実「はっきりしない」71.8 赤かぶ
2. 2017年3月19日 21:28:59 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2509]
「籠池の証人喚問で森友学園問題の事実がはっきりすると思うか-思わない71.8%」

やっぱり、ラーリラリとかも証人喚問しないとねぇ…
ハッキリしないよねぇ…
迫田氏とか、松井氏とか、稲田氏とか…
全員だね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/595.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK222] 安倍政権は窮地 籠池氏の偽証告発「かなり困難」と元検事(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
26. 2017年3月19日 21:32:40 : wdePPgTPu6 : 2BHC4Hr1veo[1]
この手の、日刊ゲンダイが逃げ出す前触れじゃん。
小沢の代表敗退の時も、こんな感じでフェードアウトしてた。
いつの間にか他人のせいにするんだよ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/577.html#c26
コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
78. 中川隆[7205] koaQ7Jey 2017年3月19日 21:32:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7676]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 10


天皇家の教育を任されていた福沢諭吉一派は朝鮮人を人間だと思っていなかった:

福沢諭吉の実像は、日本の民主化への貢献というよりは、軍国主義を煽ったことの方にありました。


「時事小言」の社説で、


「印度・支那の御(ぎょ)し方を英人に見習うのみならず、その英人をも苦しめて、東洋の権柄を我が一手に握るべし」


とか


「滅亡こそ朝鮮人民の幸福」


などという非常識で勇ましい文章を書きなぐっていました。(このことは安川寿之輔氏の研究に詳しく書いてあります。)


この福沢の実態の見落としは、単なる軽率と済ませられるものではなく、丸山思想の根本的欠陥と見るべきと考えます。


福沢諭吉が日本の侵略主義を煽ったのは、自分の国は自分で守る気概を持った国民を作ること、つまり国民国家を作るためでした。こういう「国民」を作り出すためには、民族の一員としての平等感と国政への参加意識を持たせる必要がある、と考えました。

これが人民主権(民主主義)の思想の役割でした。

福沢にとって独立日本国を作ることが第一義で、民主化はそのための方便という二義的な意味しか持っていませんでした。


ところが丸山は「国民国家を作るための民主主義」という思想構造を理解できなかったために、福沢の民主主義の部分だけしか見えず、一方では福沢が重視した侵略思想の方を見落としたものです。


しかしながら福沢のこの思想は、福沢の性格のゆがみとか間違いというような個人的なものではなくて、明治期の時代の空気であったことに留意する必要があります。


この侵略思想は、自由民権運動の中にも顕著に現れていることは、板垣退助、大井憲太郎などの過激な侵略思想を見れば明らかです。福沢や民権派の運動の効果もあって、この思想が順次政府によって実行されて、挙句の果てに昭和の戦争を招いたものであり、長い眼で見れば、彼らは昭和軍国主義の先駆者ということが出来ます。


しかし福沢や民権派の人々が、この日本近代の侵略主義を作りだしたと言ってしまっては、彼らの力の過大評価になります。

彼等はこういう日本の近代化の時代の空気を代表して表現しているに過ぎません。

問題は日本の近代化という大きな流れの方にあるといえます。

この時代の空気を丸山は分析的に見ることが出来なかったのですから、思想家としては失格だったと言えます。

結論として、丸山は近代化の持つ暗黒面に気がつかなかったという意味で、「近代と言うものが理解できなかった近代主義者」だった、と言えます。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-79b8.html


岩上「続いて、福沢による他民族差別の言説を見て行きたいと思います。清国に対して、『チャンチャン』『豚尾』『豚尾児』『豚屋』『孑孑』などと、ヘイトスピーチの限りを尽くしています」

杉田氏「当時の辮髪を差して、『豚』と呼んでいるわけですね」

杉田氏「福沢の場合、こうした言葉が、漫言だけでなく、新聞の社説や著書にも出てきます。『豚尾の兵隊』『豚尾児』『豚尾奴』『豚尾兵と名づくる一種の悪獣』といった表現が出てきます」

岩上「他にも、中国人に対するヘイトスピーチはたくさんあります。『流民乞食』『彼(=支那)の国民の骨に徹したる淫欲の余毒』『半死の病人…豚狩り』などなど」

杉田氏「福沢は他の所で『こんなこと言ってはいかん』と、なんの反省もなく自己合理化しています」

岩上「朝鮮人に対するヘイトスピーチもたくさんありますね。『儒教主義に飽満して腐敗を致したる』『上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群衆』など」

杉田氏「朝鮮人に対しては、一貫して『腐儒』という言葉を使いますね。福沢の底流には儒教主義があるのですが」

岩上「こういう言説を見ていると、明治の時代精神とはこんなものなのか、と暗澹たる気持になります。


杉田氏「福沢が朝鮮や中国、台湾に対してどのような態度を取ってきたか、見ていきたいと思います。金玉均らが起こした甲申政変に、福沢が関与しています。しかし福沢はその後、この事実を執拗に隠すんですね。しかし、福沢が援助した事実が残っています」

岩上「金玉均や朴泳孝による甲申政変に関して、『自ら進んで役者を選び、役者を教え、また道具立其他万端を差図せられた事実がある』という文言が残っているわけですね。他国の政変を工作するなんて、とんでもないことです」

杉田氏「武器まで提供しています」

杉田氏「金玉均は、日本に来て福沢に対し『誠に申し訳ありません』と謝っています。福沢の期待通りに事を運べなかったことに対し、謝罪しているわけです。このことからも、どれだけ福沢が甲申政変に深く関与していたか、分かるかと思います」

杉田氏「甲申政変の段階で、井上馨による外交交渉が行われているなか、福沢諭吉は『我政府に於ても、止むを得ず曲直を兵力に訴るの外なかる可し』と、戦争を仕掛けろ、と鼓吹しています。日本人が殺されたことの弁償をしろ、という理屈です」

杉田氏「自分で仕掛けておきながら、支那と朝鮮が加害者だ、と福沢は言います。さらに、『御親征の挙、断じて行う可きなり』と言います。天皇が自ら乗り込んで戦争しろ、ということですね」

杉田氏「有名な『脱亜論』はこの時期に書かれます。この論説で明瞭なのは、列強によるアジアの分割に加わるべきだ、ということです。アジアの土地を奪え、遠慮はいらない、といった調子ですね」

岩上「次が台湾です。台湾に対してはよりあからさまです。『一人も残さず殲滅して』などということを書いています」

杉田氏「台湾で次から次に抵抗運動が起こります。そのたびごとに、台湾人を殺戮するよう煽る文章を発表しています」

杉田氏「時事新報に『雑報』という欄があります。この中に、『自分が見切れないで、とんでもないものが出てしまった』と書いています。しかし、台湾人の殺戮を煽っているような文章は、社論として書いています。平山洋さんが言うように、弟子が書いたものではない」

視聴者からの質問「福沢諭吉は病んでいるとしか思えない」

杉田氏「福沢としては、貧知者が生まれないように、かなり自覚的に差別を行っているのだと思います。それは、アジアに対しての視線でも共通しています」

岩上「最後に、日清戦争後に日本が膠州湾を租借した後の福沢の言動を見ていきたいと思います」

杉田氏「支那人の支配には日本人が最適だ、ということを言います。日清戦争の時にいかに日本が手際よく清国を倒したか、ということを強調しています」

岩上「今日の安倍政権が、改憲の動きや戦争法案の制定に動き出しています。さらに、安倍総理は『ポツダム宣言』は読んでいない、と」

杉田氏「これは、表立って否定する段階ではまだない、ということだと思います。すぐ、次の段階がくるでしょう」

杉田氏「集団的自衛権も含めて、かつての自民党ができなかったことを次々とやれるようになってきています。『ポツダム宣言を読んだことがない』というのも、かなり意識的に言っているのだと思います」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17437.html


福沢諭吉は朝鮮や台湾の人びとのことをどう述べているか:


「朝鮮……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、

「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……

朝鮮人は唯頑固の固まり」(本書121頁)


朝鮮は、野蛮な国であり、朝鮮人はただ頑固なだけであり、台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。


「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……

「朝鮮……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……

「土人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」

「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……

「支那兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」

(本書160−161頁)


なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。……甲申政変の際にさえ


「京城の支那兵を鏖(みなごろし)に」


と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅」「誅戮」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁)


中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。


なんという怖ろしい「啓蒙思想家」だろう。戦争にあたって、相手国の人間を、人間以下に描き出すことは、侵略する側のひとびとが決まって行なってきたことである。かつてアメリカも、日本と戦争をするにあたって、日本人がいかに「人間以下」であるかをさまざまな方法でアメリカ国民に対して啓蒙した。

それにしても、これらの発言は、福沢に対するイメージを一変させるのではないか。


「目に付くものは分捕品の外なし。

何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚へて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替までも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ。

其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、凱陣の上は参謀本部に御払下を出願して一儲け……」


という私有物の強奪の勧めを書いた。さらに


「生擒(いけどり)」にした捕虜の「老将」軍を「浅草公園に持出して木戸を張り……木戸銭」をとり、

老将軍に「阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します」


という慰み物にして金儲けをする提案までした。」(163頁)


目についたものは、すべて分捕ってくるといい、などと言っている。 しかも、捕虜にした中国の老将軍を、浅草公園に連れてきて、見世物にしてしまおう、と言っている。 ここに見られるのは、「啓蒙思想家」としての姿ではなく、強盗・殺人を奨励する単なる「極悪人」の姿である。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

こんな言葉で知られる福沢の思想は、決して日本の民主主義の立役者でも何でもなかった。


「天」に代わって日本「人の上に」天皇制と「帝室の藩屏(はんぺい)」としての華族制度をつくりだした福沢諭吉は、

その日本「人の下に」被差別部落民の存在する事実になんらこだわることなく、

『東洋政略論』で日本「人の下に」アジア諸国民を置き、

百篇をこす論稿で男性「の下に」女性をおく家父長制的女性論を体系化し、

金持ち「の下に」貧乏人を位置づけた教育論を構築した。


たとえば、「今の世」で「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」という考えに基づき、

“貧智者”の出現阻止のために官立大学を廃止して私学に改変することを主張したり、

学問・教育も一種の商品だから


金持ちが「子の為に上等の教育を買ひ」中等は中等の教育、貧民は下等の教育を購入する


という貧富に応じた複線型学校論を主張し、それを合理化するために、


豪農・豪商・旧藩士族の「良家の子弟(男子)は「先天遺伝の能力」をもつ


という遺伝絶対論も主張した。こうした貧民無視の罪滅ぼしに、


「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」


と言って、貧民を宥(なだ)め眠らせるために、自らは信じない宗教の振興論を百篇以上書いた。(235頁)


筆者は、福沢諭吉を、「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」と結論づけている。福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。
http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200804/article_14.html

福沢諭吉のアジア認識 安川 寿之輔


1.戦後福沢諭吉研究のいい加減さ−「民主主義の先駆者」の虚像


 1万円札の肖像、慶應義塾の創設者、『学問のすすめ』の著者、福沢諭吉は前向きのイメージで見られ、国民作家、司馬遼太郎の「明るい明治」の歴史観とも重ね合わせて、偉大な啓蒙思想家として教えられています。しかし、アジア諸国からは侵略主義者とみられ、たとえば台湾では「最も憎むべき民族の敵」と呼ばれているのも事実です。

実は、民主的啓蒙思想家のイメージは、丸山眞男ら戦後の民主主義を追求をした学者たちが、福沢諭吉全集から自説に都合のいいところを、福沢の文脈とは無関係に抜き出して作り上げた虚像なのです。

たとえば、丸山さんは福沢の天皇制論を「天皇は政治に関与してはならないと主張し、生涯それを貫いた」と述べましたが、


福沢は朝鮮の甲申政変の時は天皇の「御親征」を主張、

日清戦争の時は大本営を旅順に移し天皇の「海外出陣」さえ要求したのです。


天皇は「正宗の銘刀」であるから「深く鞘に収め」と言ったのは、抜きっぱなしでは効用がないから日常的には政治に関与すべきでないという意味でした。


また、『学問のすすめ』の

「一身独立して一国独立する」

は、

「個人の自由が確立しなければ国の独立はない」


と解釈されましたが、これは福沢研究史上最大の誤読です。


理想はそうだが、国の独立が最優先課題であるから民衆の自由の確立は「他日為す所あらん」、すぐにはできないと言ったのであり、やがて「自由民権運動」に出合うと「一身独立」は放り投げ、逆に封建的な制度を擁護する側に回ったのです。

さらに、福沢は無神論者でしたが、民衆に対する啓蒙を放棄するや、


「馬鹿と片輪に宗教、丁度良き取り合わせ」、


すなわち民衆の支配には宗教が有効だとして、「経世の要具」としての宗教の必要性を100編以上の論説で主張したのです。丸山さんは福沢を「原理原則がある哲学をもった思想家」と最大限に持ち上げましたが、上の例から福沢は原理原則に筋を通す思想家などではないことがわかります。


 なぜこのようないい加減な福沢研究が学問の名の下にまかり通ったのか。それは戦後の研究者たちが、民主主義の追求に目を奪われて、昨日まで続いていた日本の侵略戦争、植民地支配の責任を放置し、日本にも「明るい明治」期には福沢のような先駆者がいたのだと、福沢を民主主義のチャンピオンに仕立てたのです。戦後の学問のいいかげんさは戦争責任を忘却したことの結果であり、その罪は重いと言わねばなりません。

2.福沢諭吉の国際関係認識−侵略路線への逸脱


 福沢の幕末維新期の国際関係認識は「国家平等観」に立脚していたというのが定説ですが、これは丸山さんらが、福沢が建て前論として言った部分のみを取り上げて導いた結論です。

福沢は国際関係を「傍若無人」、「切り捨て御免」、「無情残酷」、「パワーイズライト」と認識していました。

また同じ時期の、「台湾出兵」について


「こんなにお祝いすべきことはない」、

「そもそも戦争は国の栄辱の関する所、国権の由て盛衰の致す所」


と述べ、「江華島事件」では


「小野蛮国」の朝鮮が「来朝し、我が属国になるも我の悦ぶに足らず」


と述べました。先行の研究者たちは、こういった不都合な記述を全く取り上げることなく「国家平等論者」だと結論したのです。


 福沢は国際帝国主義の時代状況を「弱肉強食」の関係だと認識すると、『文明論之概略』の中で、自国の独立確保を至上最優先の課題に設定し、『学問のすすめ』の中では


「一国独立」は「国の為には財を失うのみならず、一命を擲ても惜しむに足ら」ない「報国の大義」だ


と書きました。上述したように丸山さんらは「一身独立して一国独立する」を読み間違えたのです。

さらに国の独立確保を最優先するためには

「…、君臣の義、先祖の由緒、上下の名分、本末の差別のごとき…文明の方便」

であるから積極的に活用しなければならないと、日本の近代が封建的なさまざまなものを取り組んでいく道を提示したことも極めて重要です。


 中期以降、先進資本主義国が社会主義や労働運動に直面し、「狼狽して方向に迷う」という現実認識が加わると、「富国強兵」ではだめで「強兵富国」でなければならないと唱え、「軍備拡大」、「対外侵略」路線へと踏み出して行きました。そして歴史的現実主義という名の「清濁併呑」路線、すなわち


「世の中そんなに急に変わらないから、民衆があほなら民衆のあほに依拠してやっていく」、


また「権謀術数」的な「内危外競」路線へと傾斜していきました。何よりも見事なのは、天皇制を「愚民を籠絡する詐術」、馬鹿な国民をたぶらかす政治装置だ、と見抜いたことです。その一方で、軽率にも日本人は「完全な文明開化人」になったという宣言をし、「文明史観」の下での対外侵略の合理化を行い、同時代人から


「法螺を福沢、嘘を諭吉」


と非難されました。元外交官の吉岡弘毅からは、「我が日本をして強盗国に変ぜしめんと謀る」道のりは「不可救の災禍を将来に遺せん事必せり」と厳しくも適切な批判を受けたのです。

3.日清戦争と福沢諭吉


 この時期、朝鮮の背後には中国がいるという理由で、一気に北京攻略まで要求し、あまりに激烈な開戦論のために、『時事新報』の福沢の社説は2度検閲で削除され、さらに『時事』は発行停止処分まで受けました。

リベラルなイメージから良識派と考えられがちですが、実像は明治政府を戦争へと誘導、先導する立場だったのです。

 「日本は日清戦争を経ずに近代化の路線を歩むことはできなかったか?」というのは大変に重要なテーマです。実は、当時の権力中枢、山縣有朋や井上毀らは、直接朝鮮半島を支配する野望は持っていたけれども、国際関係等からいきなりは無理であろうから、暴力的にではあってもスイスのように「永世中立国」にすれば、朝鮮を中国の支配からは離脱させられるという考え方をもっていました。日清戦争開戦1ヶ月前の閣議まで、日本が選びうる3つの選択肢の中には「朝鮮の中立化」は存在していたのです。ところが


福沢は日中両国が違いに連携することなど「空想」だと切り捨て、終始一貫、対支強硬論と軍備拡大要求を続けていました。

明治政府よりも右よりで開戦へと誘導・先導する立場だったのです。

4.丸ごとのアジア蔑視と『暴虐のすすめ』


 福沢は侵略合理化のために「文明」という言葉を論説で乱舞させました。すなわち


他国の「国事を改革」したり「国務の実権」を握ることは内政干渉ではない、


「あいつらはばかだから、がつんとやらないとわからないのだ」


という厚顔無恥そのものの論理です。同時にアジアへの蔑視・侮蔑・マイナスの評価はこの時期から悪化の一途をたどりました。初期にもアジア蔑視観は出ていますが、たとえば中国の民族的英雄林則除を「アヘンを焼き捨てた、思慮のない短気者」と侮辱したように、個々の政策を批判するだけだったのです。ところがこの時期になると、中国は、朝鮮はと、丸ごと総体的に侮蔑する言葉を垂れ流すようになりました。


「朝鮮人…上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群衆」、

「朝鮮は国にして国に非ず」、

「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」、

「朝鮮人 南洋の土人に譲らず」、


朝鮮人は豚や犬だというのです。


「支那兵…豚狩りのつもりにて」、

「チャンチャン…皆殺しにするは造作もなきこと」、


中国人をやっつけることなど簡単なことだとはっきり書いています。後に日本軍はその通りのことをやったわけです。


中国人を「チャンコロ」呼ばわりすることを、彼は4回書いています。


このような聞くに堪えない侮蔑の言葉を垂れ流すさまは痛々しいとすらいえます。 『時事』の『漫言』では兵士に向けて


「…目につくものは分取り品の田無、なにとぞ今度は北京中の金銀財宝を書き更え…一儲け」


と戦時国際法が禁止する私有物略奪を呼びかけました。 「三光作戦」の勧めです。


 この時期、広島にあった大本営で90回におよぶ御前会議に立った明治天皇を賞賛し、福沢は海外出陣の可能性を提言しました。史実はその4ヶ月後に陸軍内で大本営を旅順に移す案が出て、明治天皇も了解したのですが、知恵者の伊藤博文の反対で流産しました。また「靖国」の思想も先駈けて打ち出していました。


「死を鴻毛より軽しと覚悟」する「軍人勅諭」の「大精神」が勝利の「本源」
であり、

「…益々この精神を養うことこそ護国の要務にして、これを養うには及ぶ限りの栄光を戦死者並びにその遺族に与えて、もって戦場に倒るるの幸福なるを感じせしめるべからず」


と書きました。


 「朝鮮王宮占領事件」、「旅順虐殺事件」、「閔后殺害事件」、「台湾征服戦争」など日清戦争の不義・暴虐を象徴する事件について、ジャーナリストとしての福沢は終始隠蔽・擁護・合理化・激励する最悪の戦争報道を行いました。

私たち「南京大虐殺」を追求する者にとって重大な意味をもつ「旅順虐殺事件」はアメリカやイギリスの新聞に大きく報道され、何よりも『時事』の特派員報告でも出たのでした。しかし、日本が「文明の戦争」ということで世界に登場しようとしていた時期に、市民を含む2万人近い無抵抗の中国人を殺害したことは、伊藤首相と陸奥外相の判断で不問に付すことになったのです、

福沢は虐殺を「実に跡形も無き誤報・虚言」と切り捨て事実隠蔽のお先棒を担いだのです。

その「結果、日本軍の軍紀には覆うべからざる汚点を生じ、残虐行為に対する罪悪感は失われ、その後この種の事件を続発させることに」なったと『日清戦争』の藤村道夫は述べています。すなわち「南京大虐殺」にいたる道が敷かれたわけです。

5.「日本の近代化=アジア侵略」の「お師匠様」


 福沢は有名な『自伝』の中で、「明治政府のお師匠様」を自負していましたが、彼は「明治政府」に止まらず、アジア太平洋戦に至る日本の近代化の道の総体にわたる「お師匠様」と位置づけるのが正しいと思います。アジア太平洋戦争の有名なキャッチフレーズ「満蒙は我生命線」は後の外相松岡洋右の演説ですが、その先駈けになったのは福沢の「今、日本島を守るに当たりて最近の防御線は朝鮮地方たるや疑いを入れず」です。これは山縣有朋が同じことを主張するよりも3年早くなされたものでした。日本が大東亜共栄圏の盟主だということも福沢は明確に主張しています。

 家永三郎は名著『太平洋戦争』の中で、「日本の民衆が15年戦争を何故阻止できなかったのか」の重要な要素として「隣接アジア諸民族への謂われのない区別意識」を挙げていますが、この蔑視感の形成の先頭に立ってきたのが福沢だったわけです。そしてこの蔑視感は今の日本の有り様にも繋がっております。自分では「偽りにあらずして何ぞや」と冷静に認識しながら、天皇制を「愚民を籠絡するの詐術」と見抜くと、


天皇崇拝は「日本人固有の性」、


「一般の臣民…雖も帝室の為とあらば生命を惜しむ者なし」


とうそぶくしたたかさを持っていました。その福沢諭吉の力もあって「愚民を籠絡する」天皇制は日の丸・君が代とともに今なお健在です。このしたたかな福沢諭吉にどう対抗し乗り越えるのか、それが私たちの課題として問われています。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/news10-3.html


◆私は、十五、六歳のころ、「何になりたいか」と兄に聞かれて、「日本一の金持ちになりたい」といった(「福翁自伝」).


 金持ちになるためには、国民をだまして「金と命を出させて、近隣諸国の領土・資源・労働力・文化財を奪うことが必要だ」と考えた.

 そのためには、教育と報道で世論をつくることが必要であった.教育では慶応義塾を、報道では時事新報を創設した.

 そして台湾・朝鮮半島・中国全土を植民地化するためには、戦力を持ち、「国権を皇張すること」が必要と宣伝した.(1881「時事小言」)

 それが成功して、日清戦争(1894-1895)では、台湾の植民地化を達成し、同時にそれを報道した「時事新報」の発行部数を伸ばして、「金持ちになる夢」に大きく近づいた.


諭吉は、天皇家の先生だった!


昭和天皇は、皇太子(2009年3月現在の天皇)の教育に小泉信三をあてました(1946年4月〜1958年).

小泉信三は、福沢諭吉の「帝室論」を教材に、青年時代の現天皇の教育をおこないました(小泉信三「ジョオジ五世伝と帝室論」).


皇太子の家庭教師役を任命されたとき、小泉信三は慶応義塾の塾長(1933年〜1947年)でした. 彼の父親も、慶應義塾の第二代の塾長(1887年〜1890年)でした.慶応義塾は、諭吉が創設し、第1代塾長は諭吉でした.
彼は、「政府の影のお師匠様」(注)であり、天皇家の先生でもあったのです.


(注)「福沢諭吉全集」(第20巻414頁)


「立君の政治」は「人主が愚民を篭絡するの一欺術」

(天皇制は「支配者が、バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」)

(1881年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)


小泉信三は、「そう指摘されたら、どう答えるか」を若き現天皇に教えていたのです.(注)

現天皇は、皇太子に何を教えたのでしょうか?


(注)

「福沢諭吉の『帝室論』を読むために、殿下も私も、それぞれ福沢全集の一冊をこの一隅に持ち込んだこともある」
 
「部屋の大きさは二十畳ぐらい」

「両陛下がお出ましになったときにもここへお通りになる」

「壁に寄せて直立ピアノが置いてある」

「皇太子殿下は主にその二階にお住居になっている」

(小泉信三「ジョオジ五世と帝室論」)

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post.html


天皇制は「支配者が愚民を篭絡するの一欺術」


(天皇制は「支配者が、バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」)
(1882年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)

天皇を頂点とする利権・既得権益の体系、それが「天皇制」の本質ではないか?

それは、天皇制を支持する人びとを見ればわかる.彼らは、何らかの権益をもっている.(反論できる人はいないようだ)

もう一つの証拠は、昭和天皇だ.彼は、終戦の詔勅(ラジオ放送)で、「ここに国体を護持し得て」といった.

天皇制の維持・存続の希望を出し、結果として戦争責任から逃れ、「日本国憲法」第1章に「天皇」を書き込ませたのだ.歴史に残る戦略家というべきではないか?

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post_7753.html


「馬鹿と片輪(かたわ)に宗教、丁度よき取り合わせ」

靖国神社が作られた頃の諭吉の文章です.
(福沢諭吉全集 第20巻232頁)

諭吉は、靖国神社の本質をよく理解していた


「国民はだまされて、国のために死んでくれ!」

その諭吉を、一万円札の肖像として毎日拝ませる人たちがいる!

日本の「文化と伝統」は、「だまされること」ではないはずです!

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post_14.html

「天皇が、ヤスクニ神社を参拝するべきだ」 (福沢諭吉)

「靖国神社の臨時祭には、辱(かたじ)けなくも天皇陛下の御臨席さへありて、・・・。 
・・・大に遺族のものに給与して死者の功労に酬ひん(むくいん)こと我輩の切望・・・」
(死者に厚くす可し」 

 (1895年 福沢諭吉全集 第15巻341頁)


(天皇陛下が、死者の功労に十分あつくむくいれば、遺族も悲しまないだろう. そうしてほしい. そうすれば国民は、天皇と国のために、喜んで死ぬだろう)

福沢諭吉の時代には、憲法は国の機関の宗教活動を禁じてはいませんでした.

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post_15.html

英国もフランスも、人の土地を奪っている! 
(対中侵略15年戦争の諭吉の布石)


「今は英国もフランスも、競争して人の土地を奪っている」

「今は競争世界で、英国なり、仏国なり、・・・

皆吾れ負けじと、人の隙に付け入らんとするの時節なれば、理非にも何も構ふことはない、

少しでも土地を奪へば、暖まりこそすれ・・・遠慮に及ばぬ、「さっさ」ととりて暖まるがよい」

(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第19巻711頁 「福沢諭吉のアジア認識」299頁)

「支那と戦に及ぶこともあらば、・・・真一文字に進て其喉笛に喰付くこと緊要・・・北京、是なり」

(1882年 「喉笛に喰付け」全集第8巻260頁)


「支那国果たして自立を得ずして諸外国人の手に落ちることならば、我日本人にして袖手傍観するの理なし. 我も亦奮起して共に中原に鹿を逐わんのみ」

(1882年 全集第5巻313頁)


「朝鮮は固より論ずるに足らず、我目ざす当の敵は支那なるが故に、先ず一隊の兵を派して朝鮮京城の支那兵を塵(みなごろし)にし、・・・. ・・・両国の戦争となることあらば、・・・日本の勝利必然なり」

(1884年 「戦争となれば必勝の算あり」(全集第10巻159〜)


「目につくものは分捕品の外なし.

何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚えて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替えまでも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ. 

其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、・・・ 一儲け ・・・. 


・・・其老将等が、生擒の仲間で幸にまだ存命にてあらんには、・・・

之を浅草公園に持出して木戸を張り、・・・之に阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します、・・・御慰み」

(1894年 「漫言」全集第14巻570頁)

この諭吉の教えにしたがって、日露戦争(1904〜1905)年の後、旧日本軍が「対中継続的侵略の決意」として、大連近郊より持ち帰った唐時代の文化遺産「鴻臚井(こうろせい)の碑」があります.


それは、1300年ほど前に作られた石碑で、その時代のその地方の唐の統治を示す歴史的な記念碑です(朝日新聞 2006年5月28日). おそらく、旧日本軍は、中国の統治を日本が奪うという意思の確認のために、略奪して日本に持ち帰ったものと考えられます.

この碑は、明治天皇に献上され、21世紀の現在でもひそかに他の略奪物と共に、宮中に保管されています.

日本政府あるいは天皇家は、これらの文化財を含む略奪品を中国へ返還する意思を表明していません. まさか、永久に返還する意思はないということではないとは思いますが.

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/1881711299.html

福沢諭吉:
 
「金と兵は有る道理を保護するの物に非ずして、無き道理を造るの器械なり ・・・
本編(1881年「時事小言」)立論の主義はもっぱら武備を盛んにして国権を皇張するの一点にあり。 

事情切迫におよぶときは、無遠慮にその地面(アジア諸国)を押領して、わが手をもって新築するも可なり」

(福沢諭吉全集第5巻108ページ〜)

http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post.html

私(福沢諭吉)は、「暗に政府のお師匠様」であった

1897年8月22日「時事新報」(社主・福沢諭吉)から 


「王政維新の前後に日本国中の人が専ら老生の著訳書ばかり読んで文明の新知識を得たるは紛れもなき事実にして、或いは維新政府の新施設も拙著の書を根拠にして発表したるもの多く、暗に政府のお師匠様たりしことは、故老の忘れざるところなり」
(福沢諭吉全集第20巻)


その諭吉は、天皇制について「愚民を篭絡するの一欺術」といっています.(全集第5巻)

また、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」といっています.(全集題20巻)

東京招魂社が、靖国神社になったころです.


「日本は天皇を中心に歴史が作られてきた. 
国が強くなることが大切、近隣諸国の領土・資源・労働力・文化遺産を奪いとれ.

天皇のため、国のためには、『カネ』も出せ、命も出せ!

死んだ後には靖国神社がある」 


諭吉は、国民を馬鹿と見て、これをだまして税金と命を取る、そのダマシのシステムが天皇制と靖国神社だと考えていたのでしょう.

真に賢い師匠でした.今の日本も、その師匠を一万円札の肖像として、毎日拝ませています.

ダマス者が賢く、国民は愚民!
それが、日本の伝統と文化でした.


___________


「天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための一つの手段だ」 ─ 福沢諭吉の理解!

 「立君の政治」は、「人主が愚民を篭絡するの一欺術」 
(福沢諭吉全集 第5巻271ページ)


諭吉は、こう書いています.


「天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための一つの手段だ」という意味です.(「そういわれたら、『それは、政治を知らない』と答えよ」といっています)


なぜ、彼はそう書いたのか?
それは、次の理由によります.


◆自分は金持ちになりたい.(「日本一の大金持ちになりたい」
これが、彼の少年時代の夢だった(岩波文庫「福翁自伝」)

◆金持ちは、多数の者の生命と財産の犠牲の上に可能となる


◆支配者が国民の生活を犠牲にして、初めて金持ちが可能となる


◆自分は、支配者の側に立ちたい.
門閥制度で一生下級武士はいやだ!


◆一方国民は、だまって生活を犠牲にはしてくれない.


◆だから、国民をだまさなければならない.


◆国民をだますためには、天皇制をもってくるのが一番よい.


◆天皇のために、命も財産も投げ出す.「お国のため、大義のために死ぬ」ということができる.
(若くして殺された特攻隊員がそうだった)


◆彼らと遺族が、がっかりしないように靖国神社(1879年)をつくっておこう.


◆自分は表向き、教育(慶応義塾)と新聞(時事新報)の責任者ということで行こう.


◆実際には「暗に政府のお師匠さま」(全集第20巻頁)として、侵略戦争を推し進め、そこで上前をはねよう.(実際に戦争報道で大もうけをした)


これが、福沢諭吉の真実です.

福沢諭吉は、少年時代の「大金持ちになりたい(福翁自伝)」夢を実現するためには、天皇制を支持したのだ.


◆「大金持ち」になるためには、略奪・侵略・殺戮・戦争が必要だ.

◆「お前たちが死んで、私たちが略奪物を取るから、戦争に行け」では、賛成してもらえない.

◆そこで、天皇制を利用しよう.

◆「私たちのため」ではなく、「天皇のため」「国のため」「大義のため」に死んでもらおう.

◆そのために、靖国神社も用意しておこう.「英霊になる」なら、死んでも文句はないだろう.

◆そこで、彼は、天皇制についてこういった.

◆「立君の政治」は、「人主が愚民を篭絡するの一欺術」 (天皇制は、支配者がバカな国民をダマスための手段だ)
(福沢諭吉全集 第5巻271ページ)

◆彼は、そのリクツを実行して、台湾・朝鮮の植民地化、対中侵略戦争を教育・宣伝して、日清戦争では自分の新聞の発行部数を大いに伸ばして大もうけをした!

◆彼の教えは、日清・日露戦争から、対中侵略15年戦争・太平洋戦争を通じて、2009年の現在にいたるまで続いている.(指導者としての立場は、一万円札の肖像として認められている)


日本では、まだ諭吉の教え子たちが「人主」として生きている.

 
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福沢諭吉は、天皇制を「天皇制は、国民をだますための手段」だと理解していました.


「立君の政治」は、人主が愚民を篭絡するの一欺術」

(天皇制は「バカな国民をだますための一つの詐欺的な手法である」)という人がいるが、「それに対しては、『政治を知らない者がいうことだ』と答えればよい」と教えています.

(1881年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)


国を富まし、強くするためには、台湾・朝鮮の植民地化だけではなく、対中国侵略こそ「本命」であると主張していました.


「支那と戦に及ぶこともあらば、・・・真一文字に進で其(その)喉笛に喰付くこと緊要)・・・北京是なり」

(1882年「喉笛に喰付け」全集第8巻260ページ)


中国の領土、資源、労働力をすべて奪いとれ、これが1882年に彼が教えたことです.

国を強くするには、命を捨てろ、天皇のために死ぬことは美しいことだ.


「国のためには財を失ふのみならず、一命を抛て惜しむに足らず」
(1873年「学問のすすめ」第三編 全集第3巻43ページ〜)


(そして、諭吉を含む一部の者が大金持ちになるのです)

日本政府と国民は、この教えを忠実に守り、50年後(1931年)対中国侵略15年戦争に突き進み、太平洋戦争を経て、2009年の現在、諭吉を最高額紙幣の肖像として、毎日拝んでいます.このように、明治以来「ダマシのシステム」はつづいています.
http://hibari-yukichi.blogspot.com/

福沢のアジア侵略思想の歩み


 1880年代前半に福沢が『時事小言』、「東洋の政略果たして如何せん」などにおいてすでにアジア侵略の強兵富国  政策を提起していたが、日清戦争が近づいた1894年に書いた論説「日本臣民の覚悟」では、


「我国四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽くし、・・・・事切迫に至れば財産を挙げて之を擲つは勿論、老若の別なく切死して人の種の尽きるまで戦ふの覚悟」


を呼びかけた。ここに至って、福沢のかつての一身独立論は国家への滅私奉公の前に完全に呑み込まれ、跡形なく消失したといえる。


 また、これに続けて福沢は、


「戦争に勝利を得て・・・・吾々同胞日本国人が世界に対して肩身を広くするの愉快さえあれば、内に如何なる不平等条理あるも之を論ずるに遑あらず」


と公言して憚らなかった。


 さらに、福沢は旅順の占領も終わり、日清戦争の勝利が見えてきた1895年1月に書いた論説(「朝鮮の改革・・・・」)において、


「主権云々は純然たる独立国に対する議論にして、朝鮮の如き場合には適用す可らず。・・・・今、日本の国力を以てすれば朝鮮を併呑するが如きは甚だ容易にして、・・・・・」


と記し、その後の韓国併合の可能性を予見するかのような主張をしていたことに安川さんは注目を喚起された。


 こうした福沢の言動は安川さんも指摘されたように、『坂の上の雲』において司馬が日本にによる朝鮮出兵を「多分に受け身であった」と記しているのがいかに史実に悖る虚言かを、同時代人の言説を通して物語るものといえる。 

また、NHKは『坂の上の雲』の第一部で毎回、冒頭に「まことに小さな国日本が」というフレーズを流したが、上の福沢の言説は当時の日本が少なくとも対朝鮮との関係では「小国」どころか、何時でも朝鮮を呑みこめる国力を持った強兵富国の大国であったことを意味している。

植民地として統治された相手国の認識を等閑に付して、武力で近隣国を占有した自国を「小さな国」などと呼号するのは、過去に自国が犯した罪に対していかに無邪気かを物語っている。

5.福沢評価をめぐる明治の同時代人と戦後の「進歩的」論者の間の大きな懸隔


 私が安川さんの講演から(正確には安川さんの後掲の3部作から)感じた福沢評価をめぐる明治の同時代人と戦後の「進歩的」論者の間に大きな懸隔が生まれたのはなぜかということを考えておきたい。


 まず、安川さんの資料から同時代人の評価として私の印象に強く残った論評を2点だけを紹介しておきたい。


 吉岡弘毅(元外務権少丞):

「我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル」・・・・のは「不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ」

 徳富蘇峰:

「主義ある者は漫りに調和を説かず。進歩を欲する者は漫りに調和を説かず。調和は無主義の天国なり」


 福沢が執筆した(『時事新報』の社説等を含む)全著作を吟味する限り、同時代人の評価が適正な福沢評であることは否めない。


にも拘わらず、それと対極的な評価があろうことか、戦後の「進歩的」知識人の間に広まった理由は、安川さんが精根込めた考証で明らかにしたように、

丸山真男の福沢誤読――『文明論の概略』など初期の著作のみを題材にした雑駁な読解に依拠し、

福沢の政治論、天皇制論、アジア統治論などがもっとも鮮明に記されたその後の論説を顧みない文献考証の重大な瑕疵――

とそれに多くの「進歩的」知識人が事大主義的に追随したことにあったといってよい。


 かくいう私も丸山神話に侵された一人だった。3月20日に私の退職送別会を兼ねて開かれたゼミのOB&OG会に参加した第1期生がスピーチの中で、夏休みのレポート課題として私が丸山真男『『文明論之概略』を読む』を挙げたことを懐古談として話した。自分では忘れていたが、そう言われて記憶が蘇ってきた。2次会でそのゼミOB生と隣り合わせ、今では自分自身、福沢に対する見方がすっかり変わってしまったことを釈明した。


 戦後日本の「民主陣営」に浸透した丸山神話は、過去のことではない。

権威主義、事大主義が今日でもなお「進歩的」陣営の中でも、陣営の結束を図るのに「便利な」イデオロギーとして横行している現実が見受けられる。

しかし、そうした個の自律なき結束は、陣営の外にいる多数の市民の支持を得るのを困難にし、長い目で見れば破綻の道をたどる運命にある。だから私は楽屋落ちの議論や個人の自律を尊ばない組織や運動を拒むのである。



http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c78

コメント [政治・選挙・NHK222] これ、でかい…朝日さすがやで/「森友」小学校の設置認可、大阪府の審査基準に抵触か 「悪い奴は大阪府庁の中におる…」菅野完 赤かぶ
12. 2017年3月19日 21:38:38 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[637]
>>6 >松井知事は小学校の設置認可について「全て部長が決裁」、事前報告なし とか言ってますけど 2014年の小学校開設申請から私学審議会 翌年の国有財産近畿地方審議会まで440分のの打ち合わせを私学課としています
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/589.html
●前後1年の私学課打ち合わせを拾ってみたけど、2014年10月の7回は突出してますねぇ… #松井一郎を証人喚問しろ
https://twitter.com/CAB_Tw/status/843407368666849280

2014年4月26日 安倍昭恵が幼稚園視察し感涙。「ありがとう。(安倍首相に)ちゃんと伝えます」
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080001-n1.html
2014年11月6日 松井一郎の2014年11月6日の動向。
理財局を所管する財務副大臣と面会。
国交省の補助金と航空局を所管する公明党の大臣と面会。
籠池の息子が事務所で働いていた日本会議の山谷えりこ議員と面会。
凄い3連チャンだねぇ
https://twitter.com/fckisn/status/838775188745412608
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/582.html#c12

コメント [雑談専用39] 韓国人が絶対に歴史から消し去りたい真実 木卯正一
79. 中川隆[7206] koaQ7Jey 2017年3月19日 21:39:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7677]

日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 11

関東震災後の朝鮮人虐殺の黒幕は警視庁だった

■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

02. 2012年9月02日 11:35:54 : HNPlrBDYLM


〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667


03. 2012年9月02日 11:37:15 : HNPlrBDYLM


歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。

http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html

04. 2012年9月02日 11:38:55 : HNPlrBDYLM


震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

05. 2012年9月02日 11:40:47 : HNPlrBDYLM


1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm

 正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm

「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-7.html


「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-8.html


留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-1.html


「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-2.html


「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-3.html


「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
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後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

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「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

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戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c79

コメント [政治・選挙・NHK222] 稲田防衛相の野党時代の旧民主党政権への口汚い批判がブーメランとなり(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
3. 2017年3月19日 21:43:16 : MzELVwLNzo : NINTO764BQo[66]
2です。追記です。
この記事のコメント欄にこんなコメントがありました。

14. 2010年10月11日 00:32:57: vUrenA1z9M
石原慎太郎、安部晋三、桜井よし子、そして正論、WILLにいつも同じ意見ばかりを書いている人たちと全く同じ意見。この人たちの仲間。田母神何とか、渡部昇一とか毎月同じことばかり書いているの。
単純無比、論理破綻、自己賛美、そんなにどこかの国に言いたいことがあるのならそこへ出ていって訴えればよさそうなものだが、自分たちだけの論理で国内での宣伝を日本語でやっているのみ。

この当時でも、こんなコメントをする人がいたのですね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/593.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK222] 森友学園の怪 籠池氏を知る菅野完氏「100万円」新たな話 <ネット生放送「安倍首相夫婦の嘘を暴く!もう逃れられない!」> 赤かぶ
59. 宇宙の塵[88] iUaSiILMkG8 2017年3月19日 21:43:37 : K2yOORosrQ : IKAty7Sa5Cs[5]

寄付金専用振込用紙の郵便局長印(訂正印としての)が本物であり、間違いなく当時押されたものであることがインク分析等で科学的に立証されれば、寄付金受領に関しこれまでの説明に一貫性のある籠池側の主張の正しさが確認される一方、「寄付をした記憶はない」とする安倍側の主張の信憑性が問われることになるだろう。

これとは逆に、(私はそうは思わないが)仮に振込用紙が今回偽造された贋物だったと仮定すれば、籠池氏の国会証言は贋物であることを前提に行われ、偽証罪には問われないものの、同氏は社会的信用を失墜してしまうことになるだろう。

本件は上記のいずれかで幕を閉じるはずである。


問題は、寄付金の件以外で、与党がどのような質問を用意しようとしているのかであり、もし籠池氏が、将来の小学校開校を餌に裏取引を持ちかけられたりしていたのだとすれば、23日は予測不能の展開になる可能性もある。

籠池氏が認可申請を取り下げた3月10日(直接関係はないが、工事下請会社社長の不審死事件の3日後)の時点で、同氏は土地も建設中の校舎も学園の所有であり続けるという認識に立っていた。つまり今回の国有地購入手続の有効性が揺らぐことはないとの認識に立っていたことが、あの日の同氏の発言から読み取れるのであるが、その認識を今もなお持ち続けているのであれば、購入手続の有効性を損なうようなことはするはずがなく、その場合、同氏が菅野氏に示したという残りの爆弾(内閣が2つぐらい吹っ飛ぶほどの強力な爆弾)は、森友事件の本筋(でんでん虚偽答弁の暴露は別として)とは関連性の低いものである可能性が高いのではないだろうか。

しかし、それがどのように重要な事案であれ、本件は本件で最後まで事実究明がなされなければならない。中途半端な終わり方だけは願い下げである。野党各党には国民がついていることを忘れないでほしい。
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/554.html#c59

コメント [政治・選挙・NHK222] 山城博治議長、5カ月ぶり保釈決定 福岡高裁が地検抗告退ける 琉球新報 赤かぶ
35. 2017年3月19日 21:44:27 : i10BoOYQEg : fXaL@aNXMT4[32]
>>34

罪が無い? 一般の市民から見れば十分暴力的なのだが。

よく出回っている動画を見ると、「なんとか平和センター」と名乗っているが
平和とは名ばかりで、違法無法暴力暴言なんでもあり。
少なくとも娑婆にはいてもらいたくない人種だ。

自らの主張を暴力によって達成しようとすることは「テロリスト」と
変わらない。釈放を礼賛している連中や沖縄マスコミは暴力を肯定する
つもりか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/553.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK222] <大打撃!>安倍内閣支持率7.3Pダウン!稲田氏「辞任すべき」57.3%!籠池氏証人喚問で事実「はっきりしない」71.8 赤かぶ
3. 2017年3月19日 21:47:24 : Ft5PhGZaus : YhAl4Sseg5I[127]
 ゴミうりの「世論調査」なんかはどうでもいい話。ただ、信用を落とし、読者離れを起こし、「拡張」にぜにがかかるのを心配しているだけのこと。刑務所や留置場にゴミ売りとウジさんケェーが増えてもどうしようもねえからな。
 それより面白いのはサカリのついた網タイツのラリパッパばばあが偉そうに吠えているのが、そっくりそのまんまテメエーに帰ってきていることだ。
 南スーダンも「連行」ぐらいの「優しい」ことならいいが、「駆け付け警護」の任務付与なんて粋がっていると、ソマリアの米海兵隊の悲劇が待ち構えているということだ。青森のにいちゃん達が逃げ惑い、裸で引きずり回されるなんて見たくもねぇだろうが。特に、無事を祈って送り出した「騙されたかぞく」になんと説明するのか。「教育勅語」でも持ち出して「説教」垂れるのかい。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/595.html#c3
コメント [カルト17] 菅野完が、国税庁長官・迫田英典に王手をかけた/副島隆彦 仁王像
15. スポンのポン[6174] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年3月19日 21:47:41 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[827]


■安倍の寄付は本当に法的に問題がないのか

 選挙区でないから問題はないとマスコミは言い切っているが
 問題はそんなに単純か。
 政治家が一般人に金を与えれば、その人の投票行動に影響することは明らかだ。
 その政治家の選挙区でなくても、その政党に対する支持が得られれば
 結果は同じことではないのか。
 仮にある政党の所属議員たちが互いに自分の選挙区外で
 金銭をばら撒きまくって宣伝をしたらどうするんだ。
 しかも安倍は自民党を代表する総裁だ。
 金銭によって選挙の公平性が歪められる恐れに一切触れず
 「違法性はない」などと言い切るマスコミこそデタラメだ 。
 結局、安倍の寄付が違法であるかないかは、
 法廷での裁判官の判断を待たなければ決着のつかない問題だ。


http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/723.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK222] <驚愕>安倍政権が「首相夫人は公人でない」を閣議決定!  赤かぶ
32. 2017年3月19日 21:49:17 : oLYPlmPKz6 : AVfXv1Ku1u0[142]

 公人でない人間を

 公用のために使用する政府専用機に

 乗せないでください。

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/383.html#c32

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