糖質制限はウイリィアム・ハービーとウィリアム・バンティングにより始められた!
糖質制限の始祖は、
イギリスの葬儀屋
ウィリアム・バンティング(William Banting 1798-1878)
である。
バンティングは、
中年以降極度の肥満に悩まされ、
日常生活の中でも、
支障をきたすようになり、
聴力も衰え始めた。
そんな中、
1862年8月のある日、
バンティング(当時65歳)は
聴力の衰えに悲観し、
異端の医師である耳鼻咽喉の専門医ウイリィアム・ハービーを
訪ねました。
ハービーは砂糖やでんぷんが糖尿病となんらかの
関係があると考えていたようで、
さらに、、
糖尿病が視力や聴力の低下の原因ではないかとも考えていたようです。
ハービーは単刀直入に、
バンティングに砂糖(当時はサッカリン)、ポテトや
澱粉を含む食品、パイ、タルト、バター、ミルク、ビール、
シャンパン、ポートワイン等をやめるようにいいました。
※当時はバターに澱粉が含まれているという説があったそうです。
反対に食べてよい食品は、
肉や魚やベーコンやポテト以外の野菜、
砂糖なしの紅茶等でした。
バンティングは、
ダイエットのために、
今まで何から何まで試して、
何一つ効果がなかったのですが、
騙されたと思い。
ハービーのアドバイスを素直に聞き入れました。
するとその効果は絶大で、
視力や聴力が回復し、
体重も20sは減り、
不眠気味だった睡眠状態も改善し
ぐっすり眠れるようになり、
日常生活で支障をきたしていたことは
すべて解決したのでした。
そして、バンティングは、
この良きダイエット法
そして、
体調改善法を
多くの人に伝えたいという真摯な願いを携え、
1863年、
小冊子
「Letter on Corpulence, Addressed to the Public
(皆様に宛てた肥満に関する手紙)」
を上梓したのです。
その後、
それなりのブームはありましたが、
結果的に底辺(大衆)に浸透し
それが継続することは
なかったと言われています。
一方、
上流階級をクライアントにもつ
バンティングは、
このダイエット法を上流階級にも
PRしていました。
当時の特権階級や上流階級も
バンティングのような糖質過剰摂取由来の
肥満に悩まされていたので、
積極的に取り組むエリート階級も現れ、
特権階級の秘かなダイエット法として、
地味に地道に秘かに伝授されており、
特権階級の御用医師が、
特権階級の糖尿病治療に
バンティング・ダイエットを用いていたそうです。
フランスのナポレオン家の中でも、
バンティング・ダイエットを享受する人間がいたそうです。
当時のイギリスの上流階級は
肥満や疾患の王国だったようですが、
バンティングの提案で、
多くの肥満や疾患が激減ました。
しかし、
中には、
食事制限してまで、
おいしいものを食える人生を無駄にしたくないという
エリートも数多く存在し、
エリート内部では、
バンティングの提案により
二極分化(肥満と疾患グループ対健康人グループ)
していったそうです。
やはり、
食は理屈ではなく、
その人の人間性や人生観や生き方の反映と
いうことが言え、
その食由来の疾患も
その生き方の反映として現れるものでしょう。
支配者層でも短命な人がいますが、
その手の人は、
殺されたか、
糖質過多の食事を習慣にしていた輩なのは
間違いないでしょう。