ここまで来ると社がストーカーだな!STAP細胞の再現ができないからと、ねつ造と決めつける朝日新聞
自殺者まで出しまだやっている執念深い朝日新聞の小保方氏へのいじめ
小保方晴子氏が「婦人公論」で新連載を開始 『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーになりたい
http://gansokaiketu.sakura.ne.jp/2017-01-16-kokomadekuruto-stoker-dana-stapsaibouno-saigenga-dekinaikarato-netuzouto-kimetukeru-asahishinbun.htm#2017-01-16-obokataharukoshiga-fujinkouronde-shinrensaiwo-kaishi
ここまで来ると社がストーカーだな!STAP細胞の再現ができないからと、ねつ造と決めつける朝日新聞
自殺者まで出しまだやっている執念深い朝日新聞の小保方氏へのいじめ
小保方晴子氏が「婦人公論」で新連載を開始
『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーになりたい
WEB RONZA(01/12) 小保方晴子氏が「婦人公
論」で新連載を開始 『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーになりたい
STAP細胞について説明するSTAP細胞について説明する理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダー(当時)=2014年1月28日、
神戸市中央区理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダー(当時)=2014年1月28日、神戸市中央区
STAP細胞論文ねつ造騒動を引き起こした小保方晴子氏がまた動き始めた。雑誌「婦人公論」(2017年1月24日号・中央公論新社)で新連載を始めたのだ。理化学研究所を退職してからの日記が掲載されるそうだが、1回目では、近況報告を兼ね、連載が始まるまでの経緯が書かれている。
読んでみたが、お菓子や料理に没頭する日常を描きながら、「私を応援してくれる人がたくさんいる」ということが書かれている。
お世話になった人や“親友さん”が家を訪れてくれた。アメリカで一緒に働いていた友人からメールがきた。
「婦人公論」の編集者から連載の打ち合わせのために訪れたレストランでのエピソードはこうだ。
“帰りにレストランのウエイターさんが「元気になってくださいね」と声をかけてくれた。「私が誰かわかるんでしょうか」と横山編集長に伺うと、「わかりますよー」とのお返事。そうなのかー。。。”
つまり、初対面のウエイターも「私を応援してくれる」と書いているのだ。
この箇所を読み、ある種のホラーだと感じた。故・笹井芳樹氏の遺族への配慮がまったく感じられないからだ。日本を代表する優秀な研究者が死んでいるのだ。彼には家族もいた。残された家族たちも生きづらくないかと心配になるが、そういった他者への思いやりがまったく小保方氏からは感じられない。
手記『あの日』はセクハラ告発だという説も
連載の冒頭で小保方氏は“前の家はマスコミの人に一日に何度もインターホンを鳴らされて、応答がないとドアをどんどん叩かれる。一切の外出ができないばかりか、窓も開けられない。うつとPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療中だが病院にも行けない。そんな日々が数カ月にわたって続いた”と書いている。
なぜ、このような状況になったかといえば、論文ねつ造発覚の後に、小保方氏は巻き髪にワンピースという出で立ちで記者会見を開き、なんのデータも提示せず、涙ながらに釈明をする等、マスコミや人びとの注目を浴びるような行動をしてきたからだ。
凡人の感覚だと、「もう目立たないように静かに暮らそう」と考えるだろうが、小保方氏はそうはしない。2016年1月には手記『あの日』(講談社)を刊行し、同年6月に「婦人公論」でミニ丈のワンピース姿で瀬戸内寂聴氏と対談し注目され、今回は新連載をはじめるという。
私はこれらをすべて「天然」だと、とらえている。非常に ・・・
一方公正で偏見のない、週刊現代の記事ではこうなります
小保方さんの恩師もついに口を開いた! 米高級誌が報じたSTAP騒動の「真実」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48272
すさまじい駆け引き
「私は、STAP細胞は正しい、確かに存在すると100%信じたまま墓場にいくつもりだ」
こう語るのは、小保方晴子さん(32歳)の恩師、アメリカ・ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授だ。バカンティ氏は、小保方さんが発表し、後に撤回された「STAP細胞論文」の共著者でもある。
小保方さんが、自らの言葉で綴った手記『あの日』が、海の向こうでも話題になっている。アメリカで有数の権威を持つ週刊誌『NEW YORKER』(ニューヨーカー)の電子版に、一連のSTAP騒動を検証する記事が掲載されたのだ。筆者は、アメリカ人のデイナ・グッドイヤー女史(39歳)。'07年まで『ニューヨーカー』の編集者として勤務し、その後、ノンフィクション作家として独立した人物である。
冒頭のバカンティ氏の言葉は、グッドイヤー女史のインタビューによって騒動以降、初めて明らかになったものだ。
在米の出版社社員が現地の様子について語る。
「バカンティ教授が取材を受けたのも『ニューヨーカー』だからこそです。それくらいこの雑誌で記事が組まれることはステータスでもあるんです。この記事を掲載するに当たって編集部は約半年にもわたり、準備をしたそうです。かなり気合が入った記事であることは間違いない。小保方さんが手記を出したことで、世界が再び彼女に注目しています」
『ニューヨーカー』はアメリカ雑誌界の最高峰に君臨。読者層は知的好奇心が高く、「高級で権威がある雑誌」と認識されている。紙の雑誌の発行部数は100万部以上。
電子版も好調で、こちらも100万人以上の会員数を誇る。一本一本の記事が丁寧に書かれている総合誌で、非常に読み応えがあるのが特徴だ。
小保方さんに関する記事のタイトルは「THE STRESS TEST」。幹細胞研究の世界はまさに陰謀、欺し合いが錯綜している。そこに細胞に対して行う「ストレス・テスト」を引っかけ、ストレスに弱い者は、科学界で生き残れないことをこの記事は示している。
グッドイヤー女史は日本中を巻き込んだ「STAP」騒動をどう分析しているのか。
まず小保方さんの登場について記事ではこう書かれている。
「この仕事(STAP)の背後にいた『革命児』が小保方晴子であった。彼女は男性中心の日本の科学界に女性として一石を投じた。彼女は他の女性に比べて、男たちとの駆け引きの中で生きることに長けていた。そして独創的な考えの持ち主であると賞賛されていた」(『ニューヨーカー』より・以下カッコ内は同)
その小保方さんを引き上げた人物こそ、バカンティ教授だった。
「小保方がバカンティ教授の研究室にやってきた時、バカンティはすぐに『彼女にはopen‐minded(心の広さ、進取の気性に富む)と、明敏さがある』ことに気づいた。ただしバカンティは当面、細胞にストレスを与えると幹細胞を作り出す可能性があるという仮説を伏せておいた。
彼がもっとも避けたかったのは、留学生が自国に戻って、他の誰かの研究室で彼女のアイディアを展開することにあった。バカンティは私にこう言った。『私の主な懸念は、我々はハルコを信用できるのかだ』と」
「彼女には才能がある」
だが、バカンティ氏の懸念は杞憂に終わる。小保方さんは彼の研究室で信頼を高めていった。
「小保方の下でリサーチ・アシスタントとして働いたジェイソン・ロスはこう言った。『彼女がいかに才能があるかは、誰もが分かった。ハルコのような才能のある人はそう多くはいない』。
それに対して小保方はこう返した。『日本では女性研究者は二流です。たとえ年下の大学生でも、男性が必要としたら、女性は顕微鏡を使うのを諦めないといけません』」
やがてバカンティ教授の元での短期留学を終えた小保方さんは、日本に帰国し、'11年に理化学研究所(CDB)の研究員に。そこで「STAP騒動」のキーパーソンである若山照彦教授のチームに所属する。そして本格的にSTAP細胞の研究に取り組んでいく。
「生物学者の山中伸弥がノーベル賞を受賞したとき、CDBの研究者たちの野心は奮い立った。CDBのチームは、自分たちの発見が山中の発見と張り合う、いや山中の研究をobsolete(時代遅れ、廃れた)にしてしまうとまで考えた」
その一方で、当時の小保方さんについては、
「小保方はCDBでの昇進は早かったが、うまく適応できてなかった。アメリカ的になっていたので、元同僚たちによると小保方は、日本の研究所の厳格なヒエラルキーにイライラしているように見えた」
と記している。
'12年、STAP細胞発見への意欲を見せる小保方さんのもとにもう一人の協力者が現れる。それが騒動中に自殺した笹井芳樹・元CDB副センター長だった。笹井氏のもとで、小保方さんは論文を再構築する。
そして'14年、ついに世界的権威を持つ科学雑誌『ネイチャー』にSTAP論文が掲載される。日本のメディアは割烹着姿で顕微鏡をのぞき込む小保方さんを「リケジョの星」、「ノーベル賞級の発見」と煽り持ち上げた。
だが、風向きが急速に変わり始める?。
「ブランドン・ステルという名の神経科学者が'12年に創設した『PubPeer』というオンライン・フォーラムがあり、そこでは誰もが科学論文を分析して議論することができる。STAP論文は彼らにとってまさに、好奇心をそそる材料であった。2週間も経たないうちに、匿名のユーザーが論文に掲載された画像の2つがほとんど同一のものであることに気づいた」
STAP論文の発表は世界に衝撃を与えると同時に、世界中の研究者からの検証にさらされることにもなった。これこそが「ストレス・テスト」なのだ。このテストにバカンティ氏と小保方さんは耐え抜くことができなかった。
「ハーバード大学の科学者でボストン小児病院の幹細胞移植のディレクターであるジョージ・ダレイは私にこう言った。『当時、世界中の私の同僚たちは、お互いにメールをしあって、おーい、何が起きているんだ。うまくできたか? 誰も成功してないのか、と言い合っていた』」
■今も信じている
グッドイヤー女史によると、ダレイは「STAPは幻想である」ことを立証するための論文を『ネイチャー』に発表する準備を始めたという。さらにダレイは2回にわたって、バカンティ氏に間違いを諭そうとしたが、無駄に終わったという。
「ダレイは私に『バカンティは自分が正しいと思い込んでいる』と言った。
そして、昨年の9月、『ネイチャー』はダレイのSTAPに関する論文を掲載した。そこには小保方の主張を正当化すべく7つの研究室が再現をしようとしたが、すべて失敗したと書かれていた。
この論文の共著者であるルドルフ・イェーニッシュは、遠慮することなく私にこう言った。『小保方が若山にいろいろ混ざった細胞を渡したことは明らかだ。若山は彼女のことを信じてそれを注入した。そして美しいキメラができた』」
バカンティ氏は一度、小保方さんに「データの捏造はしてないのか」と尋ねたが、小保方さんの答えは、「それならこんなに時間をかけて実験はしない」だったという。
さらに記事の中には、バカンティ氏は論文撤回後もSTAP細胞作製に向け、いまも研究を続けていると書かれている。
断っておくが、『ニューヨーカー』に掲載されたこの記事は、誰が正しいと断定はしていない。あくまでそれぞれの当事者に取材し、主張を丁寧に拾ったものである。騒動以降、口を閉ざしたままだったバカンティ氏が、今も小保方さんを信じ続けていることは、この記事を読めば十分に伝わってくる。
筆者のグッドイヤー女史は今回、記事を書くにあたって小保方さんとメールでコンタクトを取ったことを明かしている。
「小保方は『私はスケープゴートにされた』と書いてきた。『日本のメディアはすべて、若山先生が犠牲者で、私がまったくのろくでなしと断定した』とも」
小保方さんは今、どんな思いで、何を考え、日々を過ごしているのだろうか。
「週刊現代」2016年3月26日・4月2日合併号より