百貨店業界では、都心型大型店の収益で、収益の低い郊外&地方店を支える構図が崩れ“百貨店大閉店時代”が訪れた。収益が低下する国内アパレル大手に更なる打撃を与えそうだ。写真は日本一の売上を誇る「伊勢丹」新宿本店
百貨店“大閉店時代”を迎えて、凋落する国内大手アパレル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170104-00000012-economic-bus_all
エコノミックニュース 1/4(水) 12:43配信
国内大手アパレル各社が販売不振から抜け出せない。かつてバブル期以降、百貨店や大規模ショッピングセンターなどへ出店して拡大路線を進めた大手アパレルメーカーの苦戦が目立っている。具体的には、ワールド、オンワードホールディングス、TSIホールディングス(旧サンエー・インターナショナル)、三陽商会、レナウンといったアパレル企業の不調である。消費者の嗜好の変化と流通業界の大幅な更新に対応できず、その経営はまさに破綻といっても良いほどの惨状だ。日本のファッション業界を牽引してきた国内アパレルは、どこに向かうのだろう。
日本のアパレル産業が大きな岐路に差し掛かっているのは、百貨店を主たる販路としてきたこれまでのビジネスモデルが崩れつつあるからだ。アパレル企業が自ら販路を作るという意識が薄く、事業改革が完全に後手に回ったからだ。結果として、軒並み事業規模縮小を余儀なくされている。こうした状況に追い討ちをかけているのが、大手百貨店の不採算店閉鎖だ。国内アパレル事業存続の危うい。
国内アパレル不振の要因は複合的な要因が大きい。が、1990年代のバブル経済崩壊をきっかけにした業界全体の構造変化が大きく影響していることは間違いない。
バブル経済が崩れる1990年代初頭まで、価格は多少高くても品質が良くファッション性が高い商品は売れた。それは、トレンドセッターたるファッション感度の高い消費者が、消費をリードしていたからだ。そのため、百貨店を主な販路にするアパレルメーカーは十分な利益を上げ、商品開発に大きな投資もできた。そしてそれが、目の肥えたトレンドをリードする感度の高い消費者を育てることにもつながるという好循環が生まれた。
ところが、バブル崩壊を機に状況は一変する。現在も払拭されていない「デフレの波」が、高品位で高価格国内アパレル産業に襲いかかる。
低迷する国内アパレル消費、「高品質で値段も高い」商品は売れなくなり、廉価な商品が求められるようになった。当然だが、アパレルメーカーは商品原価や経費の削減に手をつける。当時、急速に業績が悪化するなかで利益を確保する手段として当然の施策だった。
こうした苦境にあたって、アパレルメーカーに売場を貸す百貨店も、30%〜50%に達する売上歩率を下げ、メーカーとリスクを分け合うなどすれば、今のような事態にはならなかったかも知れない。が、古臭い商慣習に縛られた百貨店にそんな意識は生まれるはずもない。それが後に百貨店自身の首を絞める。
アパレルメーカーは、より安い原価で製品を確保できる海外生産に本格的に乗り出す。国内生産工場の高い工賃、人件費では採算がとれないためだ。大手商社と組み、中国などの東南アジア地域へ生産拠点を移していく。そして、原価が安い海外製アパレル製品が国内流通で主流となる。
日本繊維輸入組合の「日本のアパレル市場と輸入品概況」によると、国内における全アパレル品の国産比率は1990年に50.1%だった。が、2000年に6.7%にまで急減した。ちなみに、2015年はさらに2.8%まで減少した。国内アパレル産業の生産現場では、技術の消滅や後継者不足で回復困難な状況に陥っている。
こうした国内アパレルの構造不況を象徴するのは、老舗の三陽商会だ。英国高級ブランド「バーバリー」のライセンス契約が昨年6月に切れ、その穴を埋められず、7月末には2016年12月期の連結業績見通しの大幅な下方修正を迫られた。従来、3億円の黒字としていた最終損益は95億円と過去最大の赤字に転落する見通しだ。
同社が表明していた全従業員の20%に当たる250人程度の早期退職者募集の社内的影響は大きい。追加処置として、2017年2月に8ブランドを廃止し、売場総数の1割に当たる190カ所のテナント閉鎖とする新たなリストラ案も示されている。
しかし、国内アパレルを襲う恐慌は三陽商会だけではない。イトキンは2016年2月、国内投資ファンドのインテグラルが買収しブランドと売り場を大幅削減して経営立て直しの真っ只中だ。また、東京スタイルとサンエー・インターナショナルが経営統合したTSIホールディングス。神戸に本拠を置くワールドも大規模な売り場縮小や複数のブランド廃止と大規模リストラを余儀なくされた。
一方、主要販路である百貨店の経営環境はここにきて大きく様変わりしてきており、老舗アパレルに新たな波紋を広げそうだ。百貨店大手が今年から来年にかけて、相次ぎ郊外型店と地方店の閉鎖に乗り出すからだ。セブン&アイ・ホールディングスは、傘下の百貨店「そごう・西武」の西武八尾店、西武筑波店の2店舗を来年2月に閉鎖する。これに先立ち、2016年2月の西武春日部店に続き、9月末には西武旭川店、そごう柏店を閉店した。
また、三越伊勢丹は、三越千葉店と三越多摩センター店を2017年3月に閉鎖。阪急阪神百貨店が2017年7月末に堺北花田阪急を閉店するなど、百貨店に大量閉鎖時代が訪れつつある。都心型大型店舗の収益で、収益の低い郊外&地方店を支える構図が崩れてきた。
アパレル産業では、1990年代後半から数多くの新業態が台頭した。新業態の代表格はファーストリテイリングの「ユニクロ」だ。1984年、広島市に「ユニクロ」第1号店を開いた同社は、1999年に売上高が初めて1000億円の大台に到達。1015年には、国内ユニクロ事業の売上規模が約7800億円に拡大した。これは、大手アパレル3社(ワールド、オンワード、TSI)の売上高の合計に相当する。
1970年代に日本アパレル業界は黄金時代を迎えた。いわゆるプレタポルテ(高級既製服)のファッション性の高さと縫製などの技術の高さが国際的にも評価された。日本製の洋服は作れば売れた。さらに、1980年代になると日本のファッション業界のデザイナーがパリコレクションで華々しくデビューし、そこで賞賛されもした。その時代、各社が獲得した利益を大手も含めて、再投資しなかったのである。それが、現在の国内アパレルの凋落に繋がったとするのは、穿った見方だろうか。国内アパレル産業は、未だに「何か一発当たれば、起死回生」との“一発屋”根性から抜け切れていない。まさに“書籍の一発ヒット”に賭ける日本の出版社に似ていなくもない。(編集担当:吉田恒)
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