知らないと後悔する! 親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか?
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2016.12.24 東田 勉 フリーライター 編集者 現代ビジネス
親の介護を終えた後、後悔に浸る子が多いという事実をご存じだろうか? 看取った後になって、「私に十分な知識がなく、無知だったことが悔やまれます」と嘆いているのだ。
知識がなければ、もうけ主義の劣悪な介護事業者に出会ったとしても、それに対抗する術がない。また、高齢者を食い物にする無慈悲な医療の罠にも落ちてしまう。
そんな折、高齢の親を持つ子世代へ向けた『親の介護をする前に読む本』が出版され、話題になっている。本作の著者・東田勉氏が、「日本は世界一の長寿国であるのに、介護にまつわる落とし穴が多い」と警鐘を鳴らす。
■なぜ、「介護の予習」をする人が少ないのか
「介護」と聞くと、誰もがいいイメージを持たないだろう。できれば、することもされることもなく人生を終えることができたらいいと思っている。亡くなる直前まで元気に活動する「ピンピンコロリ」を願う人は多い。
しかし、平均寿命は延びても、健康寿命(制限なく健康な日常生活を送ることができる期間)はなかなか伸びてくれない。両者の差は、女性で12.8年、男性で9.5年もあるのだ。
つまり、日本人は平均してこれだけの期間介護を受けることになる。
健康寿命は、女性74.21歳、男性71.19歳(2013年)だ。あなたの両親は、この年齢を超えてはいないだろうか。もし超えているとすれば、いつ要介護状態に陥ったとしても不思議ではない。まだ介護の予習をしていないあなたは、介護の負け組になる可能性に直面している。
多くの人が介護のことを考えたがらないのは、「いつか身に降りかかるにしても、イヤなことは考えたくないから後回しにしよう」と思うからだ。ところが介護は、始まってからいきなり立ち向かえるほど甘くはない。
準備の第一歩は、「その日がきたらどうしたいか」を親から十分聞き出しておくことだ。特に、「在宅か施設か」「延命を望むか望まないか」の聞き取りは欠かせない。
しかしながら日本人は、親にも子にも「まだその時期ではない」「元気なうちからそんなことを聞くなんて失礼だ」「縁起でもない」と、深刻な話題を避ける傾向がある。
■介護はどのように始まるのか
多くの場合、介護は次の二つのどちらかで始まる。
一つ目のきっかけは入院だ。退院の時期を迎えても在宅復帰できない場合、老健(介護老人保健施設)などでリハビリをして心身の向上を図るが、それでも元へ戻らないお年寄りは多い。入院が「要介護状態の入り口」になるのだ。
二つ目のきっかけは、「在宅で自立できなくなったとき」だ。ただし、これはなかなか発見されにくい。
よくあるのは、@加齢によって虚弱になり、食事、排泄、入浴が自力でできなくなった場合と、A認知症が進行していることに周囲が気づき、慌てて受診させた場合だ。
@とAが同時に起こったケースを見てみよう。
田舎に住む80代の両親が虚弱になってきたので、都会に住む娘夫婦は、毎年のように帰省しては「そのうち引き取らないといけないね」と話しながらも、同居のタイミングを計りかねていた。
何とか老親が暮らしていけたのは、田舎の人間関係が濃密で、親切な地域住民の手助けを得ていたからだった。
ところがある年の帰省で、娘は電気釜にびっしりとカビが生えているのを発見した。浴室を調べると入浴の形跡はなく、家中のいたるところに排泄を粗相した跡があった。
ご近所に尋ねたところ、家の中が荒れていることを恥じたのか、老親は半年ほど前から隣人たちの手助けを拒んでいるという。
危ういところで都会の娘夫婦の家に引き取られた老夫婦は、「このまま死ぬのかと思っていた」と述懐した。しかし、この話はハッピーエンドに終わったわけではない。
■いちばん何に困るのか
福祉や介護の制度についてまったく知識がなかった娘夫婦は、その後、老親を引き取ったことを後悔するようになる。
結果として父親はうつ病を発症して亡くなり、母親は認知症が重くなって徘徊を始めた。老親はわずかばかりの年金しかもらっていなかったので、娘夫婦が生活の面倒をみている。
「田舎で生活保護を受けさせて、施設入所させたほうがよかった」というのが、現在の娘夫婦の思いだ。「呼び寄せ介護」の典型的な失敗ケースである。
介護を始めるときに欠かせないのが、お金の知識だ。多くの場合、親の介護は親の年金で賄うので、親に十分な年金や貯蓄があれば問題は少ない。
「問題はない」と言い切れないのは、介護が始まると予定外の出費がかさんで、多くの場合家計が逼迫するからだ。不足分を貯蓄で補填していくと、10年、20年と経つうちに貯蓄も底をつく。育児と違って、介護は何年かかるかわからないのだ。
介護の入門書を書くときに困るのは、いきなりお金の話から入れないことだ。そうしたくても、まず「在宅と施設の違い」「介護施設の種類」「介護保険制度」を理解してもらわないと、いきなりお金の話をしてもさっぱりわからないだろう。
困ってしまうのは、前提となるこの三つの話が、サラッと済ませられるほど簡単ではないことだ。介護保険制度一つをとっても、ゆうに一冊の本が書けるほど複雑極まりない。
介護が始まると、家族介護者はまず、介護保険制度の複雑さを知って気が挫けそうになる。2000年度から始まった介護保険制度は3年ごとの改正をくり返し、現在5回目の改正介護保険が施行されているが、複雑化の一途を辿っているのだ。
そのため介護職と一般人との間に大きな知識格差が生まれ、介護が始まってから出会う介護業界の人とまともに対峙できない家族介護者が大半となった。
だからといって、プロは「介護がわかっている」自分たちは「介護を知らない」と思ってはいけない。プロは何千人の要介護老人を見てきたかもしれないが、目の前にいる「私の親」のことは知らない。介護で必要なのは個別性への対応なので、「この人には何が必要なのか」をいちばんわかっているのは家族なのだ。
介護を始める家族にとりあえず必要なのは、「この人を守る」という強い覚悟である。
■介護と医療、どちらにもある落とし穴とは
介護保険は、「健康保険」「年金保険」「雇用保険」「労災保険」に次いでスタートした5番目の公的保険だ。
これほど大きな制度をつくったにもかかわらず、国は自らの予算で施設や事業所をつくらない。既存や新規の施設や事業所を、介護保険用に「指定」して運用させている。介護保険事業には民間の営利企業が多数参入してきたが、現在介護保険サービスを提供しているのは、いずれも指定された事業者だ。
ここが、北欧や西欧の福祉大国と日本が決定的に異なる点である。
彼の国では公的機関が介護を担い、介護職は公務員だ。したがって、モラルハザードが起こりにくい。
日本の場合、違反が発覚すれば「指定取り消し」というペナルティを受けるが、悪質な事業者は後を絶たない。
利用者の要介護度が重いほど料金が高くなるので、お年寄りを寝たきりに追い込む事業者さえいる。施設従事者による高齢者虐待の件数も、過去最多を記録した(2016年に発表された2014年度の数値)。
医療にもまた、落とし穴が多い。特に目立つのは「認知症医療」と「終末期医療」だ。
認知症医療においては、1999年に初の抗認知症薬アリセプトが発売され、2011年にはさらに3種類の抗認知症薬が追加承認されたことから薬害が蔓延している。
抗認知症薬は興奮系の薬であるにもかかわらず既定の用法用量が多すぎるため、徘徊、暴力、不眠、昼夜逆転、妄想、幻覚、介護抵抗などの行動・心理症状が出るお年寄りが増えた。それを抑え込むために、抗精神病薬が投与される。一気に廃人へと進む悪いパターンだ。
終末期医療もまた、看過できない。
口から食べられなくなると、病院では胃瘻を勧めてくる。家族が躊躇すると「では点滴だけで、看取りに入りますか」と二者択一を迫られるのだ。「食事介助をしてほしい」という家族の望みは、「誤嚥性肺炎を起こすので危険」と拒絶される。
痰の吸引などの医療行為が必要なケースでは、食事介助をしてくれる特養(特別養護老人ホーム)があったとしても移れず、お年寄りは行き場を失う。
このように、家族介護者が良質な介護と医療の現場を探すのは、きわめて難しい現状がある。
■後悔しないために私たちができること
筆者は、長年介護ライターとして介護や医療の現場を取材してきた経験から、どうすれば後悔のない介護と看取りができるかを考え続けてきた。
過去に取材して得た体験と、専門家から教わった知識を、介護家族向けに凝縮したのがこのたび上梓した『親の介護をする前に読む本』だ。
本書は、介護のことを学ぼうとする人が「最初に読むべき本」として企画された。しかし、フェイスブックで拡散されつつある読後感によると、「親の介護には間に合わなかったが、自分が介護を受ける前に読む本としてとても役立つ」「利用者を劣悪な介護や医療から守るために、介護職こそ読むべき本だ」といった声が広まっている。
特に、「良心的な介護施設をみつける方法」「医師は教えてくれない認知症医療の真実」などの章は、一般的な介護の入門書ではありえないほど、介護業界、医療業界の裏側をえぐっている。これを知っているのと知らないでいるのとでは、介護から看取りに至る道筋をたどるにあたって、灯りを持つか真っ暗な中を歩むかぐらいの違いが出てくる。
究極のところ、介護がうまくできるかどうかは、テクニックやスキル(個人の能力)の問題ではない。
気持ちに余裕があれば、誰でもある程度はできるものだ。逆に追いつめられると、相手の存在自体がイヤになる。介護を長続きさせるには、いかに介護をする人が余裕を持てるかが、成功と失敗を分けるカギと言っても過言ではない。
そのために、家が汚くてもニコニコできるならそれでいいし、たまには食事で手抜きをしてもいい。それよりも介護者は仕事や趣味を手放さず、自分の時間も大切にして、とにかく余裕をつくることだ。本書を手にすることは、介護者にとっていちばん大切な「余裕をつくる」手助けとなるに違いない。