この国は老人を捨てるつもりか? 疲弊した介護現場に落とされる爆弾 私たちは大きな代償を払うことになる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50297
2016.12.01 中村 淳彦 現代ビジネス
■とっくに限界は超えている
2025年には、日本国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となる、超・超高齢化社会――。世界でも類を見ない未来が待ち受けるいま、介護政策についての是非が問われている。
以前のルポでお伝えした通り(https://post.gendai.ismedia.jp/articles/-/47873)、介護を取り巻く現状は、「職員の質の低下」に加え、職場のブラック化やモンスター親子の出現、介護報酬が減額されるなどの問題が山積し、崩壊寸前のところを何とか持ちこたえている状況だ。
もはや「幸せ」や「豊かさ」といった福祉の理念は影もなく、なかには、生き地獄のような現実を暮らしている者もいる。
そんな限界寸前の状況にある介護業界にさらなる追い打ちがかかる。厚生労働省が現役世代並みの所得がある高齢者を対象に、2018年8月から介護保険の自己負担費用を現在の2割から3割に引き上げる方針を固めたのだ。
現在の介護保険料の総額は、10年間で2.5倍以上に膨れ上がり、おおよそ年間10兆円。2015年4月に介護報酬を2.27%に減額した上でのさらなる改正だ。
限界を超える人手不足に加え、容赦のない報酬の減額によって、ただでさえ介護業界はパニック状態に陥っている。そんな混乱の渦中に介護サービス利用の自己負担3割という爆弾が落とされる。
介護保険は2000年の制度開始以降、利用者の自己負担費用は1割という時代が長く続いた。現政府が進めている制度縮小の始まりは、2015年4月の介護保険の改正からで、介護事業所の経営の根幹となる介護報酬が大幅に減額された。
この改正により特にあおりをくらったのは、利用定員が10人以下の小規模デイサービスで、平均利益率を超える約10%の報酬減となり、経営の危機に瀕した事業者が続々と閉鎖に追い込まれた。
この縮小政策は、介護サービスを受ける高齢者にも向けられている。介護保険による介護サービス利用料が従来の1割負担から、2015年8月に年収280万円以上は2割負担にアップ、さらに次期改正では年収383万円以上は3割負担となる。
これまでわずかな費用で受けられたサービスの急な値上がりによって、介護施設の利用をやめてしまう高齢者も出てくるだろう。しかも、この改正は単なる通過点であって、年収制限はいずれ撤廃され、最終的に介護保険は一律3割の自己負担、もしくはそれ以上となる可能性が高い。
こういった、介護保険の財政が逼迫するなか、厚生労働省は市区町村に対して「地域包括ケア・総合事業」を促している。
認知症高齢者の増加が見込まれる2025年を目前に控え、重度な要介護状態になっても、住み慣れた場所で生活が送れるよう、地域で認知症高齢者の生活を支えるという趣旨で考案されたこの施策は、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的」という理念を謳っているが、実際のところは【要支援1, 2】、【要介護1, 2】の高齢者を介護保険制度から切り離す施策だ。
要するにお金のない高齢者には介護保険は使わせず、お金のある高齢者からは介護保険の自己負担アップで貯蓄を吐かせる。
簡単にいえば、地域包括ケアや総合事業を謳って、介護が必要な軽度高齢者を介護保険から切り離し、市区町村に面倒を看させるという事業なのだ。地域包括ケアは、財政を圧迫する介護政策を国が市区町村に押し付けたという敗戦処理の色が濃い。
■あおりをくらう軽度要介護者
では介護報酬の自己負担アップ、軽度高齢者の切り捨てで、なにが起こるのか?
当然だがまずは事業者が潰れる。
2016年1月〜9月までの老人福祉・介護事業の倒産は77件(東商リサーチ)に達し、過去最悪のペースで推移している。2015年4月の介護報酬の引き下げによってデイサービスや訪問介護を提供する介護事業者の経営が厳しくなり、体力のない中小零細事業所が続々と閉鎖に追い込まれている。
厚生労働省は2025年に介護職員は38万人不足すると発表、しかし、これは各都道府県の介護人材獲得の施策の成果を100%織り込み済の数字であり、実際は100万人が不足する事態となっている。
2015年、安倍政権は、「一億総活躍社会」の緊急対策として、2020年までに「介護の受け皿50万人の創出」を掲げたが、実際にやっていることは、介護保険の自己負担費用を上げて利用する高齢者を減らし、さらに介護事業所を続々と潰して支出を減らそうという方針だ。
国は高齢者が支払う介護保険自己負担を簡単に2割負担、3割負担と言うが、その額は2倍、3倍と跳ね上がることになる。
介護保険には、サービスを利用した際の自己負担の上限を定める「高額サービス費支給制度」があり、現役世代並みの所得者に相当する世帯は、月額4万4400円が上限だ。もっとも重い介護度5の利用限度額は36万円。3割負担では12万円だが、高額サービス費支給制度で実質の支払いは4万4400円となる。
一方、軽度の介護度1の限度額は16万6000円だが、3割負担額は4万9800円になる。これまで1万6000円で受けられたサービスが2倍、3倍に膨らみ、その金額が家計を直撃する。次期改正以降は軽度の介護が必要な高齢者が、圧倒的に介護保険を使いにくくなるのだ。
■多発する事故、万引き、徘徊
要支援・軽度要介護高齢者をターゲットにお金がかかる仕組みを作り、一部の高齢者以外は介護サービスが使えなくなる。思惑通りに要介護1にあたる【要支援1, 2】【要介護1, 2】の高齢者を介護保険から追いだすと、なにが起こるのか?
介護経験者ならば誰でも知ることだが、介護にもっとも手がかかるのは【要介護1, 2】の歩行ができる認知症高齢者だ。つまり徘徊する層である。
これまでの1割負担の時代は、高齢者は自宅のほかに小規模デイサービス、ショートステイなどを併用して、誰かの目が届く環境で過ごしてきた。しかし次期改正以降は、支払能力のない現在の利用者たちがこれらのサービスを使えなくなる。多くの軽度認知症高齢者が自宅で過ごすことになれば、徘徊による高齢者の迷子が日常茶飯事となる。
認知症高齢者は住み慣れた地域であっても、自宅から一歩外に出れば、道がわからず帰ることができない。認知高齢者のなかには、赤信号を平気で渡ろうとする人もおり、安全に道路を渡る判断のできない高齢者が、昼夜を問わず自宅を探して徘徊する。環状七号線、環状八号線などの主要道路を赤信号で横断したら、当然車に轢かれる。
沿線の線路をひたすら歩く、ということも考えられる。行方不明になる認知症高齢者は年間1万人近くで、8年間に少なくとも64人の認知症高齢者が鉄道事故で死亡しているという。
人口が多い東京や大阪は踏切のある沿線は多く、認知症高齢者たちが線路に侵入し、自宅を求めて寄る辺なく線路を歩くという事態はすでに起こっているのだ。鉄道事故が常態化する上に、最悪のケースとして死亡事故が頻発する可能性もある。鉄道事故を起こせば、当然、損害賠償などの責任問題は家族にも及ぶ。
2007年に愛知県で91歳の認知症男性が起こしたJR東海事件は記憶に新しい。JR東海は家族に約720万円の損害賠償を求めて、揉めに揉めて、最終的には最高裁で請求は棄却された。
一審では家族に全額支払いを、二審では約360万円の支払いを妻に命じており、認知症高齢者を抱える家族は気が気ではない。また、鉄道の遅延などが頻発すれば、都市機能が失われて経済活動にも悪影響を及ぼす。
さらに、コンビニなどの商店での万引きも増えるだろう。本人は万引きするつもりはなくても、商取引を忘れている。店内の商品を持って、そのまま何も思わずに外に出てしまう。万引き犯として捕まえても、本人に悪気はないので話にならない。
一般的に在宅で過ごす認知症高齢者が迷子になれば、家族は警察に捜索願をだす。通報があったり、人が少なくなった深夜に保護されたりして、ようやく自宅に戻る。一人の高齢者が迷子になっただけで、警察沙汰になりかなり多くの人が動き、大騒ぎとなる。
さらに、近年、右肩上がりで増えている、家族のいない単身世帯の認知症高齢者に関しては、捜索願が出ることはほぼない。担当ケアマネジャーや地域住民が気にかけていたとしても、すぐに行方不明に気づくことはできない。
高齢者はカラダが弱い。地域や季節によっては、一晩で凍え死んでしまうことも起こりうる。朝方、路上に遺体が転がるような絶望的な事態も当然あり得る話だ。
■しわ寄せの矛先はどこへ?
近年は、高齢者による交通事故が多発しているが、そのなかでも特に、認知症の高齢ドライバーが事故を起こしているケースが大きな問題になっている。
歩行ができる要支援・軽度要介護高齢者は、交通法規は忘れていても車の運転はできる。認知症高齢者が自宅で過ごすようになれば、交通事故も間違いなく増える。
「車で徘徊」「高速道路の逆走」「アクセルとブレーキ」を踏み間違えるおそろしいミスを犯す認知症高齢者たち。現在、すでに交通事故全体の28%が65歳以上の高齢者によるものだ。
重大事故が起これば家族に高額の賠償金が請求される。交通事故は事故被害者だけでなく、家族をも破綻させかねないのだ。介護保険から切り離すことによってそれに拍車がかかる。
認知症高齢者は不幸なことに事故を起こしてしまっても、短期記憶は失われているので事故の記憶はない。事故を起こしたことすら忘れてしまえば、もはや話にならない。
実際に2016年10月28日、横浜市で起きた小学生の集団登校に軽トラックが突っ込む事故で逮捕された87歳の男性は「どうやってあそこに行ったのか覚えていない」と供述している。責任どころか、反省すらしようがない。
免許証を返納したとしても、認知症高齢者には免許がないことは抑止力にならない。免許返納の自覚はなく、無免運転は犯罪ということもわからなければ、普通に車に乗る。そして信号無視、運転ミスをして取り返しのつかない事故となる。
ではどうすればいいのか。
家族や介護事業所が縛りつける、鍵をかけて閉じ込めるという虐待は違法だ。やはり認知症高齢者には、介護保険を利用して介護職による見守りが必須なのだ。
現代はGPSが発達し、徘徊による迷子は工夫によって避けることができるかもしれない。地域包括ケアが順調に進行して、地区によっては認知症高齢者の見守りができるかもしれない。しかしバラつきがでるのは当然で、まったく機能しない市区町村も膨大に現れるはずだ。
介護にもっとも手のかかる要介護度の低い認知症高齢者に対する、介護保険負担増という抑止力は、すぐに大きな打撃として社会にはね返ってくる。取り返しのつかない荒れた社会になる前に、軽度要介護高齢者の介護保険切り捨ては見直してほしいと切に願う。