バブルとは何だったのか? 伝説的記者の総括とアベノミクスへの警告 日本の失敗はここから始まった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50281
2016.11.24 伊藤 博敏 ジャーナリスト 現代ビジネス
■バブルとは何だったのか
株が急落した1989年をバブル時代の崩壊と位置づければ、すでに四半世紀以上が経過した。過ぎ去ってしまえば「過去」だが、東京23区の土地の値段が全米全土に匹敵するような並外れた信用創造の破壊は凄まじく、日本は一過性の過去に終わらない「失われた20年」を経験する。
そのバブル時代を、我々は反省のうえで検証しきっていない――。そう断じて筆を取ったのが、日本経済新聞記者OBの永野健二氏である。
1949年生まれ。京都大学法学部を卒業して日経に入社し、証券部記者、編集委員、日経ビジネス、日経MJ各編集長などを務め、経営サイドに身を置いてからは、大阪本社代表、名古屋支社代表、BSジャパン代表などを歴任した。
その永野氏が著した『バブル 日本迷走の原点』。本人が「あとがき」で、「永野さんは、1987年から92年の5年間はいい記者でしたね」と、後輩から“大変失礼”な問いかけを受けたというエピソードを紹介しているように、確かにバブル期、「日経の永野」は、エスタブリッシュにもバブル紳士にも軸足を置きつつ、時代の流れを見逃さず、スクープも放てば、洞察力に優れた解説も書く事のできる辣腕記者として知られていた。
同じ時代に、フリーライターとしてバブル経済の取材を続けていた私は、後述するひょんなきっかけからその謦咳に接することができたのだが、その永野氏にとって、既存の「バブル検証本」は、物足りないものが多かったという。
<それは、銀行の救済策であったり、金融政策をめぐる成功・失敗の評価であったり、バブルを事務的に、あるいは事後的に、あるいは外側から見ているものが多いような気がしたからだ。隔靴掻痒なのである>
11月18日に発売された『バブル』。各方面で話題になっている
株や土地など特定の資産が、実態から掛け離れて上昇するバブル経済は、世界のいたるところで発生、同じような様相を呈するものの、その背景は、その国の文化・歴史と複雑にからみ合いながら生じるだけに、それぞれに異なるという。
では、80年代後半、日本に生じたバブルは何だったのか――。
永野氏は、それを戦後の復興と高度経済成長を支えた日本独自の経済システムを知ることなしには理解できないといい、そのシステムを「渋沢資本主義」という自らが作り出した造語で説明する。渋沢とは、日本の資本主義の父、渋沢栄一のことである。
<渋沢資本主義とは、資本主義の強欲さを日本的に抑制しつつ、海外からの激しい資本と文化の攻勢をさばく、日本独自のエリートシステムだった>
このシステムは、戦後復興を支え、高度経済成長期には、大蔵(省)、興銀(日本興業銀行)、新日鉄(新日本製鉄)のエリートたちが、日本経済の司令塔となって牽引、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を謳歌した。
だが、80年代後半、耐用年数を過ぎて機能しなくなり、エリートたちがグローバル化と金融自由化の波に乗り遅れ、構造改革に取り組まず、残された力を土地と株に振り向けた結果、生じたのがバブルだった。
永野氏は、バブル生成から崩壊までのドラマを、為すすべもなく指をくわえていた政界、見通しの甘さを晒した官民エコノミスト、無責任に終始して「いいとこ取り」だけは熱心だった官僚や金融エリート、といった各層に幅広く取材しつつ、そのバブルに踊った成り上がり者たちにも目を向け、実相を探った。
■アベノミクスにも警鐘を鳴らす
「あなたは、日経の永野さんに会うべきだ」
私にこう勧めたのは、本書で「住友銀行の大罪はイトマン事件か小谷問題か」と、一項を割いて紹介しているバブル紳士・小谷光浩氏の側近だった。
小谷氏といえば、「1日に2000億円を動かす謎の相場師」といわれた仕手筋で、当時は、国際航業、蛇の目ミシン工業、藤田観光など多くの上場企業の株を買い占め、経営にも参加、一世を風靡した。
私は、今もその側近とつきあっているのだが、彼の言わんとすることは、永野氏に会って納得できた。「仕手戦支える大銀行」というタイトルで永野氏が1面企画の記事を書き、「私の心のふるさとは住友銀行だ」という小谷氏の言葉を紹介しているのが、89年6月22日付なのでその前後のことだ。6つ年上の永野氏は脂が乗り切り、自信に満ちていた。
金融界にも金融事情にも通じて博識。しかも小谷氏のような仕手筋にも近づき信頼を得ている。
そのうえで、小谷氏が何社もの上場企業を脅かす存在となった背景を、長い時間軸のなかで位置づけ、“役割”を探る柔軟な発想と、思考能力を持っていた。さらに魅力的だったのは饒舌で話題が豊富なこと。一緒にいて飽きることがなかった。
第3章「狂乱」のなかで、永野氏は小谷氏の他、日本長期信用銀行破綻の原因を作った高橋治則、不動産王と言われたこともある麻生建物の渡辺喜太郎、流通業再編を仕掛けた秀和の小林茂といったバブル紳士たちを解説しているが、ちょうど同じ89年、私は、写真誌『FRIDAY』に「金満ニッポンに蠢く『怪人物』列伝」を11回にわたり連載していた。
まったく同じ、小谷、高橋、渡辺、小林氏らを取り上げている時だっただけに、永野氏の「俯瞰する眼」と「時代性を探る思考」は刺激的で、以降、私は、勝手に「師匠」と呼び、不肖の弟子のつもりである。
バブルを描き切った永野氏は、今、バブルを演出するようなアベノミクスに批判的だ。市場を長期的にコントロールすることなどできないから、というのがその理由で、<安倍総理の大見得には、(権力者にとって必要な)「謙虚さ」が不足していた>と書く。
「失われた20年」を経て、日本が「渋沢資本主義」から脱して、冷徹な金融資本主義の荒波に漕ぎ出したかといえば、必ずしもそうではない。いまだに規制と既得権益の残ったダブルスタンダードを続けており、アベノミクスの危うさは第三の矢を「旧」も「新」も放てないことにある。
そんな時、日本の現状をどうネーミングしてどんな処方箋を書けばいいのか。これからの「師匠」の役割は、そこにある。