河合薫、日立AI幸福研究のボスの前で大迷走
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
日立製作所研究開発グループ技師長・矢野和男さんインタビュー(前編)
2016年11月21日(月)
河合 薫
日立製作所では、人工知能(AI)が社員個人に対して、幸福感を高めるためのアドバイスを与える社内実験を行っている。
「いったい、どんな仕組みなの、それ?」「そもそも、AIにひとの心をスッキリ解析されてたまるものか!」「この研究のリーダーである矢野さんって、どんな人なんだ?」
当コラムの著者、河合薫さんが、たくさんの「?」を携えながら、押っ取り刀で日立製作所研究開発グループ技師長の矢野和男さんを直撃。果たして、「?」の謎は解けたのか。それとも、返り討ちに遭ったのか…。(編集部)
河合:私、幸福にはちょっとうるさいんです(笑)。大学院のときに心理的well-beingを向上させるEラーニングのプログラムを開発して、介入研究を行ったことがあるんです。
矢野:心理的well-beingですか? 初めて聞く言葉ですね。河合さんのご専門では「幸福」と同義なんですか?
矢野 和男(やの かずお)さん
1984年早稲田大学物理修士卒。同年、日立製作所入社。現在、日立製作所研究開発グループ技師長。工学博士。IEEE フェロー。
河合:そうです。正確に言うと、「幸せな状態」ではなく「幸せへの力」です。危機に遭遇したり、不安になった時にこそ高められる「人間のポジティブな心理的機能」のことで、モノごとの見方をちょっと変えるだけで誰もが高められます。矢野さんの研究における「行動で幸福感を高める」という考え方と、ちょっと似てるかもしれないですね。
矢野:なるほど。でも、モノごとの見方を変えるのって、結構、難しいように思いますが……。
河合:モヤモヤメモとハッピーメモを書くだけでも、ずいぶん変わりますよ。
矢野:な、なんですかそれは? モヤモヤメモって、すごい興味あります。
河合:モヤモヤメモっていい名前でしょう。私のオリジナルです。商品登録しなきゃなんです(笑)
矢野:ちょっと教えてください。
河合:モヤモヤメモは寝る前にその日を振り返って、心の針がネガティブに傾いた原因である「モヤモヤ」を一つだけ書くんです。書くことはストレス発散につながるので、書き出すとスッキリします。でも、それだけだと気がめいってくるので、その日の「幸せ探し」もやる。こちらがハッピーメモです。
矢野:面白い! 実は私、昨日あった良かったことを3つ書くというのを、10年以上やっているんです。働いてると「何かいまいち気分がのらない日だったな」とか、「昨日はモヤモヤした日だったな」と思うことってあるじゃないですか。それで「だったらいいことも思い出そう」と考えて、良かったこと探しをやっています。
10年もやっているので、最近は「いいこと探し」の能力がだいぶ高くなりましたが、最初の頃は出てこないんですよね。
河合:でも、ネガティブなことはすぐ思い付く。
矢野:そうなんですよ。ハッピーの方が出てこない。ただ、10年もやってるとハッピー探し能力もどんどん訓練されてきて、今はすぐ書けますよ。
河合:矢野さん、ハッピーそうですもんね(笑)。幸福研究に10年以上費やしている研究者がいて、「ハッピーな人は毎日、ハッピーなことを考えている人だった」という結論を出した。ハッピーメモも、この研究結果を参考に考案したんです。
人間の感情は複雑な半面、実に単純。私の研究は「書く」という作業を軸にしたんですけど、そこに「行動」という変数を入れて考えた矢野さんって何者なんだ? これは絶対にお会いしなきゃ!と、メチャクチャ興味がわいちゃったんです。それで、編集担当のY氏に「対談させろ〜〜!」って拝み倒して、晴れて今日の対談となりました!
矢野:それは光栄です。ありがとうございます。
「社内失業”しそうになったのがきっかけで……」
河合:早速ですけど、そもそもなぜ、物理学者である矢野さんが「幸福」という、人間の「心の中」に興味を持ったんですか?
矢野:このなぜというのにはいろいろな答え方はありますけど、非常に何だかよく分からない経緯でありまして。
河合:“社内失業”がきっかけだったという話も聞きましたが……?
矢野:そうそう。そうなんです。その前からいうと、自分はもともと理系なわけです。基本的には。専門は理論物理です。
河合:えっと、既に訳が分かりません(笑)。何の自慢にもなりませんが、高校時代、物理はずっと赤点ギリギリでしたので、理論物理、というのがちょっと………。
矢野:理論物理というのは、量子力学とか多体問題とか、要するに非常に複雑で絡み合って、相互作用をしながら、時にはきれいな流れになったり、時には固まって氷になったりするような現象を説明するもので、実験物理に対比する分野です。
河合:………は、はい………。
矢野:大学時代に理論物理の世界にどっぷりとはまったんですが、どこかこう釈然としないところがありましてね。例えば、素粒子論だとか宇宙だとか、そういう物理のもっとより根源的なところをどんどん要素還元して理解していくというところは、それはそれで物理の1つの究極の姿としていいと思うんです。
河合:それって、カミオカンデみたいなやつですか。
矢野:そう、そうです。これまで理論物理の伝統的な理想の姿は、そういった研究で成果を出すことでした。でも、若さゆえというんでしょうか。まだ大学院生だった頃に、もうちょっとこの世の中に近い、もっと複雑な現象を物理的な理論や技術を使って理解したほうが、面白いんじゃないかなと考えるようになったんです。
ヘルマン・ハーケンという物理学者が提唱した「Synergistics(シナジェティクス )」という理論をご存知ですか? ハーケンはレーザーのメカニズムを利用して、いろいろな自己組織化現象(自律的に秩序立った構造を作り出す現象)を横断的に見る試みを実践しました。
河合:……は、はい……。
矢野:付いてきてます?
河合:た、たぶん…(苦笑)
「人って、1日に8万回ぐらい動くんです」
矢野:(笑)要するに、ハーケンのシナジェティクス理論を使えば、あらゆる社会現象、心理現象の動きに関するルールまで理解できるかもしれないと、大風呂敷を広げたわけです。
河合:物理音痴の私には脳をフル回転させても、人間の心とレーザーのメカニズムがどうも合致しないんですけど、人類の普遍的な謎である「心の存在」を物理で解いていくという理解で合ってます?
矢野:大丈夫。当たりです。ただ大学院生で何のバックグラウンドもなく、社会のことも人間のことも何も知らない人間がそういうことをやろうと思っても、もやもやして何をやっていいか分からなかった。無理やり論文を書こうとしたんですけど何も書けずにもんもんとして、結局あこがれだけで終わりました。
河合:でも、諦めきれず、いつかはやりたいと思っていた?
矢野:ええ、そのとおりです。でも、気持ちはあってもいったん就職してしまうと、現実世界に生きるしかない。企業の研究所は、当然のことながら企業競争というか事業、ビジネスの中で求められていることをやらなくてはなりません。なので会社に入ってからは、半導体の研究を20年ぐらいずっとやっていました。
河合:半導体全盛期でしたもんね。
矢野:日立というか、日本が世界を引っ張っていた時代です。まさにここの国分寺の研究所も、世界の半導体技術の基本的な技術や回路を多く生み出しました。ところが突然、日立が半導体をやめるということになった。それで困ったなということで、仕事のなくなった人たちで何か始めようという議論をいろいろもんもんとやり始めました。
河合:それで若いときの情熱が、蘇ったわけですね。
矢野:辛うじて残っていました(笑)。議論しているうちにデータが今後、大事になるのではないか、という結論になりました。しかも、ハードウエアは大型コンピュータからパソコンになって携帯電話になり、より小型でパーソナルなものになっていました。きっとこの先は、常に身に着けているようなものになるだろうと。そうなると、おそらくハードウエアよりも取得したデータの方がより重要になるんじゃないかと予想しました。
河合:えっと、ちょ、ちょっと待ってくださいね。単にデータといっても、人間に関しては、心拍数、体温、血圧などいろいろとあると思うんですが、理論物理で人の普遍的ななぞを解こうとする場合に、注目するデータというのは何なんですか? 矢野さんの研究だと、今は「動き」になっていますが。
矢野:最初から、人の動きはすごく注目していました。
河合:それはやっぱり、物理といえば運動方程式ってことですかね? ああ、なんだか高校生レベル以下の質問ですね。すみません。
矢野:ハッハハ、大丈夫ですよ。そのとおりです。基本原理から人の心は非常に定量的に解き明かせるはずだと、学生時代からどこかで思っているところがありました。例えば人って、1日に8万回ぐらい動くんですけど……、
河合:えっ、そんなに? それって顔の表情とかの動きも含めてですか?
矢野:そうそう、すべての動き。小さい無意識の動きがほとんどです。意識的に動いているのはその10分の1もあるかどうか…。
河合:そんなに少ないんですか?
矢野:もっと少なくて、もしかしたら1%ぐらいかもしれないですね。
「人の心を、方程式でスッキリ解かれてたまるもんか」
河合:ってことは、歩くとか、お茶碗を持つとか、好きな人に触れるといった意識的な動きって、ものすごく特別な動きなんですね。そっか。だからダルマさん転んだ、とか、座禅とか、意識して動きを止めるのが難しいんですね。
矢野:ええ、そうなります。ホラ、こうやって話を聞いているときだって、他の人の動きに引きずられて無意識に動いてるでしょ。パソコンのキーボードを打ち込んでいるときも、常に動いたり止まったりしてます。で、その8万回の動きを8万個の粒子に置き換える。時間の中に粒子が8万個置かれていると仮定するわけです。
河合:はぁ…。
矢野:例えば、空気の中には酸素とか窒素分子が何万個と存在しています。で、それは、物理方程式で理解できているわけじゃないですか。
編集部注:0 ℃、1気圧で22.4 Lの体積を占める空気(1mol)に含まれる分子の数は6.02 × 10の23乗となる
河合:物理方程式! あ〜〜、ごめんなさい。全く分かりません。今の話(笑)
矢野:例えば気体を温めたら体積が増えるとか、圧力が増えるとか、そういうことってすべて予測できるわけですよね。それで蒸気機関が動いたり、タービンを回したり、ボイラーでやったり。それらの動きは全部、非常に基本的な分子レベルから説明できるんですね。
河合:はい。そこまで説明していただけると助かります!
矢野:(苦笑)そういう方程式というのは、作る方法論もあるし、やり方も分かっている。で、空気というのは先ほど説明したように膨大な数の分子粒が集まっていて、一個一個の動きはいろいろな事情によって変わるので予測が難しいんですけど、いっぱい集まると、トータルの動きは非常にシンプルなメカニズムで説明できる。空気の場合は、状態方程式(物質の状態を温度・圧力・体積などの変数として表す式)で説明できます。
河合:は、はい。状態方程式ですね……。
矢野:人の動きも同じです。起きている時間を、8万個の粒子を入れる箱と捉えれば、その箱の大きさは体積。その中の分子が、何回動いたかという数の密度は、まさに密度。物理の世界における手法をそのまま、つまり、この1日に8万回の動きを粒子の動きに置き換えることで、人類の天才たちが解明してきた体系がそのまま人間行動に適用できるんじゃないか、と。それができれば、今まで何かもやもやと文系的に語ってきたことが、すべてスッキリ理系的に説明できるわけです。
河合:う〜〜、ニュアンスはわかりました! それが「加速度センサーで幸せを計る」という取り組みの、出発点なんですね。
矢野:そのとおりです。
河合:ただ、正直なことを言いますと、お話を聞いていて、私がずっと健康社会学的、あるいは心理学的に解き明かそうとしてきた人の心を、方程式だけでスッキリ解かれてたまるもんかって思ってしまいました。すみません。
矢野:(苦笑)私は全く逆なんですよ。宇宙の138億年の歴史におけるあらゆることが数学的に説明できてるのに、この宇宙の端っこにいる地球の中の人間の心だけが説明できないのはおかしいと思っているんですよ。だって、それって人間だけは特別なんだぞって言ってるようなものでしょ?
人間は決して、特別な存在ではない。一般的には、宇宙がビッグバンから生まれて以来、エネルギーの総量は保存しており、エントロピーだけが増えている。
そういう仕組みの中で生まれてきたのが、地球という星であり、その中で生まれたのが人間です。物理学の見方からすれば、宇宙の謎が方程式で解けるのに、人間だけ解けないのはおかしいですよね。何というか、そういうことはあっちゃいけない。みんな統一的に説明できないとおかしい。
河合:宇宙も私には謎だらけですけど(笑)。でも、なんとかおっしゃってることがわかってきました。私の専門の健康社会学というのは、人と人を取りまく環境の関わりにスポットを当てる学問なんですね。つまり、「社会の窓」から人を覗くわけです。矢野さんは、物理の窓から覗いた。その窓からは宇宙も人も同じだ、と。これってすごいですよね。超ダイナミックで、考えるだけでワクワクしちゃいます!
矢野:こんな話でワクワクしていただけるなんて、うれしいですね。
河合:今日のハッピーメモに書けますね。
矢野:アッハハ。そうですね。ただね、物と人とか心というのは違うんだという二分論が言われているのは、この数百年ですよね。人類の歴史から見ればこの300年、400年なんて一瞬です。それって、最近の妄想なんじゃないかと思うわけです。
河合:138億年という宇宙の歴史から考えれば、確かに(笑)
「10年間、リストバンド型のセンサーをず〜っと着けてます」
矢野:私、学生時代の愛読書がスイスの哲学者のカール・ヒルティの「幸福論」だったんです。
河合:おお!「寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である」というヒルティの名言も、私がハッピーメモを寝る前に書くことにこだわった理由なんですよ。
矢野:へ〜、そうなんですか。私は人の幸せとは何か? とか、どうすれば幸せになれるのか? ということにすごく関心がありました。
河合:ってことは、人の動きに注目する前に、幸せに関心があったことが、現在の取り組みにつながったんですね。
矢野:結果的にはそうなります。それでとにかく自分がまずは実験台になってみようと思って、2006年から10年間、リストバンド型のウエアラブルセンサーをずーっと左腕に着けてきました。
河合:10年間、一度も外すことなく、ですか?
矢野:はい、そうです。寝てるときも、海外出張のときもずっとです。お風呂に入るときや、水泳をするときは外しましたが、それ以外はずっと着けていました。
河合:腕の動きだけで、ですか?
矢野:はい。あらゆる人の動きには、腕の動きが伴っているんです。ほら、今も私の話を聞きながら、河合さんの腕は無意識に動いている。お話になるときは、もっと大きく動かしてますよね?
河合:あれ? 本当だ(笑)
矢野:動かないのは寝ているときくらいです。平均すると1分間に80回、歩いているときは240回、パソコンを見ているときは50回以下くらいです。
河合:指先をちょっと怪我しただけでも不自由に感じるのは、常に腕を動かしてるからなんですね。で、その10年間のデータはどうしたんですか?
矢野:データはコンピューターにずっと記録していました。それでそれを可視化したら、腕の動きに特定のパターンがあることがわかった。
それでひょっとしたら、そこに「人の幸せ」を示すパターンがあるんじゃないかと考えるようになりました。
河合:ハッピーなことを書き出す作業をやっているから、それとの関連を調べたということですか?
矢野:ええ、そうです。毎日、自分の行動や感情も記録していました。そこで100万日を超える腕の動きのデータをミリ秒級の解像度で示し、人工知能も活用して分析したところ、人の幸せのパターンを見いだすことに成功したんです。
といっても私のデータはあくまでも仮説なので、約500名の人の動きのデータを収集しました。被験者の人たちには、この1週間にどのくらい幸せな日がありましたかとか、楽しい日がありましたかとか、孤独な日とか悲しかった日がどのくらいありましたかという、20項目の質問にも答えてもらいました。
河合:CESD(うつ病自己評価尺度)ですね。私たちが抑うつ度を測るのによく使いますが、ポジティブな感情も逆転項目で入っているので、ハピネスを測るのに使う研究者もいますね。
矢野:心理学では、「ハッピー」と鬱のような「アンハッピー」な状態を別のものととらえます。しかし、物理学の常識では、「暑い」と「寒い」を別なものとは思わず、「温度」という単一の物差しで測ります。同様に、ハッピーとアンハッピーは同じ物差しで測れるべきだと私は考えました。特に、集団を構成する人は互いに関係し合っていますから、集計を個人ではなく、組織単位で行うことにプライオリティを置いたんです。
河合:要するに、その職場がハッピーな職場になっているか、どうか。
矢野:そうです。そのときは腕に着けるタイプではなく、胸に付ける名札型のウエアラブルセンサーを使ってもらって、身体運動のパターンも計測しました。そしたら、これがすごくって。ある特定の身体運動のパターンの数値が、幸福感のアンケート結果と極めて強く相関することがわかったんです。相関係数、0・94ですよ。
河合:スゴっ! 0.94って、ほぼ同じものと考えていい数字じゃないですか。どんな動きだったんですか? 笑いが多いから上下運動が激しいとか? あるいは、会話が多いから腕がやたらと動くとか?
矢野:(笑)いいえ、そうではありません。幸せな集団というのは、きれいな揺らぎ、ある種の、ベキ分布という分布になることがわかったんです。
河合:揺らぎ? ペギ? いや、ベキ? な、なんですかそれは??
(11月22日公開予定の後編「河合薫、日立AI幸福研究のボスに食い下がる」に続く)
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/102700075/?
河合薫、日立AI幸福研究のボスに食い下がる
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
日立製作所研究開発グループ技師長・矢野和男さんインタビュー(後編)
2016年11月22日(火)
河合 薫
日立製作所は、人工知能(AI)が社員個人に対して、幸福感を高めるアドバイスを与える社内実験を行っている。
「いったい、どんな仕組みなの、それ?」「そもそも、AIに人の心をスッキリ解析されてたまるものか!」「この研究のリーダーである矢野さんって、どんな人なんだ?」
当コラムの著者、河合薫さんが、たくさんの「?」を携えながら、押っ取り刀で日立製作所研究開発グループ技師長の矢野和男さんを直撃。果たして、「?」の謎は解けたのか。それとも、返り討ちに遭ったのか…。
「前編」に引き続き、「幸せ」を巡る2人の熱いラリーをお届けする。(編集部)
(前編から読む)
河合:幸せな集団には「揺らぎ」があるというお話でしたが、これってどういうことなんですか?
矢野:会社の中はひとりではないですよね。いろいろな人と多かれ少なかれ、何らかのかかわりを持って生きている。すると動きにも、周りと連動する動きが出てくるわけです。
例えば、座って話を聞いている、あるいは話をしているといったときにも、本人が気づかないところで「無意識の動き」のリズムが表れる。いっぺん動いて、すぐ止まる場合もあれば、動きだしたらずっと続けてしばらく動いている場合もあります。それらの長さのばらつきがたくんさんあると、その人はどんどん幸せになっていくんです。
河合:ってことは(オフィス見渡して)、今は不幸せですよね。みんなパソコンに向かって、動いてないですから(笑)
矢野:いやいや、あれは動いているんですよ。
矢野 和男(やの かずお)さん
1984年早稲田大学物理修士卒。同年、日立製作所入社。現在、日立製作所研究開発グループ技師長。工学博士。IEEE フェロー。
河合:あれで、ですか?
矢野:無意識に、常に動いたり止まったり、必ずしています。今、お話ししてる動きとは、「無意識な動き」のことです。この動きの計測には、腕に装着するタイプではなく、首からぶら下げるものを使っているんです。これはX、Y、Zのどっち向きにどのくらい動いたかというのを計測しています。
河合:う〜〜む。なんだかまた、混乱してきました。………。じゃあ、たとえば起きました。朝ご飯を食べます。そうすると活動量が上がってきます。それで昼間、ご飯を食べるとちょっとだらっと動きが鈍くなります。夕方になると、5時から男でちょっと元気になってきます。新橋でガンガンに盛り上がります。で、帰宅すると下がってきます。と、こういう動きを、揺らぎって考えればいいんですか。
矢野:全然違います(笑)
河合:(ガクっ)
矢野:それはあくまでも、動きの量の多い少ないの話ですね。量とは別のところに、本人ではコントロールできない無意識の動きの揺らぎというのがあるんですね。
河合:揺らぎというくらいですから、規則的な動きが、一瞬乱れるような感じでしょうか?
矢野:そうですね。はい。とにかく幸福感の高い人たちというのは、無意識にいろいろな長さの動きを示すんです。
ただし、その動きはひとりで勝手に動いているわけではなくて、周りの人たちの動きと連動するリズムを持っているんですね。
「アンハッピーな集団は、無意識の動きの“揺らぎ”が少ない」
河合:ケラケラ笑うとか、一緒に作業をするとか、そういったことですか?
矢野:いいえ、違います。意識的にコントロールできないような無意識的な動きですから。
先ほどお話ししたように、ハッピーな人には、無意識の動きに長さの“ばらつき”があります。長く続く動きと短い時間で終わる動きがミックスしていて多様なんです。で、幸せな集団は、そうした揺らぎの大きい人が多い。連動しているんです。一方、アンハッピーな集団は、同じような長さの動きが中心で揺らぎが少ない。
河合:ほほぅ。
矢野:しかも、幸せな集団の揺らぎはきれいで、テールがきれいに伸びるベキ分布になるんです。ところが幸せじゃない集団は、テールがきれいに伸びなくて、ストンと崖みたいに切れちゃう。
河合:ストンと、ですか?
矢野:はい。揺らぎが大きいほど、揺らぎは長く持続しやすいんです。アンハッピーな集団は揺らぎが小さくて、かつブツ切れになりやすい。だから、テールがすとんと切れる。
集団における身体運動継続時間と「ハピネス度」(日立ホームページより)
河合:なるほど。
矢野:あと、無意識の動きの揺らぎというのは、人間だけではなくマウスやハエにも出ることが他の研究者の実験でわかっているんです。
河合:幸せなマウスやハエ? ですか??
矢野:逆です。マウスの遺伝子をノックアウトして、ある種のうつ状態のようなマウスを作ります。すると周りとの関係性で生まれる、きれいな揺らぎが認められなくなる。そこで我々の仮説は、この体の動きの無意識的な揺らぎ、1日のある程度の期間の中の揺らぎというのは、極めてそういう生物由来の非常に健全な生物としての機能を発揮していると考えています。
河合:ああ、揺らぎが何となくわかってきました。気分が落ち込むと人と会いたくなくなったり、自分の殻に籠るようになる。すると周りの動きと連動しておこる、無意識の動きの揺らぎというのがなくなるってことですね。
矢野:そうです。そうです。
河合:うつ病になると、顔の表情なども動きがなくなるとされています。本当に誰かと対面しているときだけ動く。動きの余裕がなくなるというか。
ただ、世の中の人たちは、うつ病の人というのは、憂鬱な表情で、口数も少なく、うなだれていると考えがちですけど、ちょっと違うんですよ。かなり重症なうつ状態にならない限り、日常、極めて普通にこなしているんです。しんどいのに耐えながらも、相手に悟られないように、にこやかに笑顔を浮かべて話したりしているんですね。
矢野:それって、無意識の動きには出ていますよ。動きの量だけで見ると、相当何かが起きないところまではあんまり見えないと思うんですね。ただ、揺らぎの方を見ていると、シグナルがいろいろなところに出ているんです。
しかも、その本人だけじゃなくて、周りにも出ているんですね。よりインタラクションしているところにも。我々って他の人たちの体の動きに、無意識下でものすごく影響されているんですね。
「休憩時間のおしゃべりが盛んな日は受注も上がる」
河合:人は環境で変わる。めちゃくちゃ健康社会学的論理ですね。無意識の体の動きのパターンに、その人の幸せがすごく映っているってことですね。
矢野:河合さんのご専門の健康社会学というのは、そういった学問なんですか?
河合:はい。人とその人の周りの環境との関わりにスポットを当てます。社会の窓から人の心をのぞく、これが健康社会学です。つまり、本人が周りに影響を受けている場合もあれば、その本人が周りに影響を及ぼしている場合もありますよね。ただし、相関はあっても因果関係は、それだけではわからない。
矢野:なるほど。確かにそうですね。活気あるチームにいると自分もなんとなくやる気が出てきますが、ものすごいやる気ないメンバーがチームに入ることで、そのチーム自体の活気がなくなることもある。
河合:はい、そのとおりです。腐ったリンゴは周りを腐らせる。でも、腐る環境があるからリンゴも腐る。だから縦断的に調査していかないと、因果関係はわからないんですよね。
ただ、社員が溌剌と元気に働いている会社は、社員同士のつながりがあります。社員同士の心と心の距離感が近い。そういった会社では、例外なく挨拶が飛び交っているんです。
矢野:挨拶というのは?
河合:「おはよう」「おはようございます」、「こんにちは」「ご苦労様」、「行ってきます」「おう、がんばってこいよ!」といった挨拶を社員同士が廊下ですれ違うときに交わしている。挨拶という、極めてシンプルなコミュニケーションを大切にしているんです。そして、そういう会社には、いい無駄がある。
矢野:具体的にはどういう無駄なんですか?
河合:たとえば、社員が一服できるような空間がオフィスのど真ん中にある。昔の給湯室みたいな空間です。あるいは運動会や部活があったり、社員旅行があったり。「そんなの無駄じゃん」ってカットされそうなものを大切にしています。無駄話、無駄な時間、無駄な空間という、人がつながる無駄が職場にあるんです。
矢野:いや〜、それおもしろいですね。実は、私たちのセンサーをコールセンターの人たちにつけていただいた実験があるんですが、受注量の多さは休憩時間での会話と相関がありました。休憩時間に会話が活発な日は受注量が多くて、少ない日に比べると34%も受注率が高いというようなことが出ているわけです。会話は体の動きにも表れるので、加速度センサーでとらえられる。
幸福な集団ができると、人間としての能力のパフォーマンスが上がるということを示していると我々は解釈しているんですね。店舗でも従業員のハピネスが高い日にはそうでない日に比べて15%も売り上げが高くなるという結果も出ています。
河合:幸せは個人的な感情ですけど、人はひとりでは幸せになれないんですよね。
矢野:ええ、そうだと思います。ひとりでは幸せなれない、というのはまさしく同感です。それが無意識の動きにも表れているってことなんです。
河合:しかも、それが生産性と直結している。
矢野:そうです。人間の能力自体が、幸福によって発揮のされ方がすごく変わるんだと、私たちは考えています。
河合:ああ、それは私もいつも書いていることです。つながりの重要性です。でも、目に見えないつながりが、「動き」に表れることを見つけたのってめちゃくちゃスゴイ発見ですよね!
「もっともっとチューしたくなるってヤツですね」
矢野:ありがとうございます。実は、もっとおもしろいこともあるんです。「去る人は日々に疎し」といいますけど、会わなくなるとどんどん会わなくなりますよね。あるいは会いだすとまた会ったりしますよね。あれって実は体の動きの分布とまったく同じリズムになっていまして、すなわち会えば会うほどまた会いたくなると。会わなくなるとどんどん会わなくなるという。
先ほど話したように、揺らぎは、大きいほどそれが長く続きます。それと同じなんです。
河合:ああ、それってなんとなくわかります。人には、気持ち良かったことを繰り返したいっていう脳の動きがありますから。チューして気持ち良かったから、もっともっとチューしたくなるってヤツですね。あっ、すみません。くだらない話でした(苦笑)
矢野:大丈夫ですよ(笑)
河合:一度会うと、その後もなぜか「また会ったね」みたいなのって、ひょっとして、あれも理論物理の窓からみると、偶然じゃなかったりしちゃいます?
矢野:それは偶然だと思いますが、偶然の中に、非常に共通の法則性があります。揺らぎが大きいとそれが持続しやすいのと同じです。偶然と思われているものにも法則性があって、物理式で読み解けるんです
河合:自分でふっておきながら……、物理式の話になると、また私の脳はカオスに突入するので、偶然だけど偶然じゃないという理解でとどめておきますね(笑)
矢野:じゃあ、そうしておきましょう(笑)
河合:今回リリースされた日立のウエアラブルセンサーですが、これを装着すると働く人の幸福感が向上するように、誰々に話し掛けてみろとか、何とかしろとか、具体的な行動を装置内のAIがアドバイスするわけですよね?
矢野:はい、そうです。
河合:で、このニュースが流れたときに、私、たまたまコメンテーターでテレビ番組に出演していたのですが、「何で仕事していて幸せにならなくちゃいけないんだよ」という反応が結構、あった。
なので、社員が幸せになるとモチベーションが高まるので、生産性にもプラスの影響がある。しかも、それは企業にとってのプラス要因ではなく、能力発揮の機会があったり、それとか昇給であるとか、昇進であるとか、“幸せへの力”なんだっていう説明を、まぁ、それは私の考える幸福感、つまり「幸せへの力」なんだって説明したら、なるほど、ということになった。
ところが、それをAIに言われるのはちょっと、というか、そこまでAIにコントロールされたくないという意見が根強かったんです。
矢野:それは極めて重要なところです。AIは結構、今ブームになっているじゃないですか。で、擬人化されて語られることが多い。最大の間違いがまさにそこにある。AIは擬人化しちゃいけないんです。
たとえば、今回のセンサーはあくまでも自分がやったデータ、自分がこういうことをやったら周りがどんな反応をしたといったあらゆる過去のデータに基づいています。こういうことをやっているときとそうでないときには、こんな差がありますよ、というエビデンスを一人ひとり個別に示しているだけです。
自分が残した足跡の中に潜むものだけど、人間じゃ気付かないし、そのままどんどん捨てていっているもの。ただ単に、それを引き出しているというだけです。
「幸せについて考えなくなっていることが“幸せ”かな」
河合:自分の分身と考えればいいですか?
矢野:う〜ん、それもちょっと違います。幸福感が主観的なもので人それぞれのように、まさに環境とのインタラクションも、背負っているものも、信じているものもそれぞれ違うわけですね。
こういうことすべてをマネージすることは、人間にはとてもできない。そこであらゆるデータを集めてサポートをしてくれるのが、テクノロジーで。AIはあくまでもテクノロジーでしかない。人がいたり生物がいたり新人類がいたりするわけじゃないんです。
河合:心理学では認知行動療法という、自分が見逃しているものごとの側面や、無意識の自己感情を気付かせる手法があるんですが、ちょっと似ているかもしれないですね。認知行動療法の最大の利点は、やはり自分が基本になっていること。自分のことを客観的に見つめることで、自分が変わっていく。それとまったく同じという考え方でいいんでしょうか。
矢野:はい。同じだと思います。いわゆる会社の中のさまざまなベストプラクティスだったりルールだったりは、たいてい一律ですよね。こういうことがいいとか、会議は1時間以内にしなさいとか、5人以内でやりなさいとか。
でも実は、状況によって全然そんなことはなくて、一律なわけがない。人間関係も非常に違いますし、性格も違えば背負っているものもバックグラウンドとして知っていることも違う。業務だって、一人ひとりそもそも違いますよね。
だからこそデータを測って、データからその人の今日の状況においてはこういうことが大事ということが、データではこう出ていますよということを教えてくれているテクノロジーがあるわけです。AIというのはそのために存在するのであって、技術の進歩でデータを取る手段も多様化し、コストも安くなっているので、活用しない手はないと思います。
河合:ただ、経験則が狂うことってありますよね?
矢野:大丈夫です。それもまたデータになってアドバイスが変わりますから。どんどん変わっていくので問題ないです。
河合:なるほど。やっとわかりました! ところで、矢野さんにとって、幸せってなんですか?
矢野:難しいですね。私、昔はですよ、幸せってこういうものだとか、幸せって何だろうとかとよく考えていました。やっぱり結構、しんどい時期があったんです。いろいろな仮説をたてて、試すけどうまくいかない。結果を出せないわけです。社内で肩身の狭い思いもしましたしね。
でも、今振り返ってみると、いろんな失敗が今につながっているし、アドバンテージにもなっているわけです。で、ふと気付くと、幸せについて考えなくなっていることに気付いた。
つまり、あんまりそういうことを考えなくなるということが幸せなのかな、と。
ゴールのある山登りではなく、むしろ波乗りをイメージするようになりまして、今日この日をとにかく必死に生きて、波がやって来たら、何で乗るんだみたいなことを考えずにとにかく乗る。きっとどこかでは考えているだけど、あんまりとらわれずに、今日この日のこの出会いに、乗っていけばいいんじゃないかなぁって、思っています。
河合:つまり、動けってことですね。アレコレ言ってないで、とにかく必死で動け!動き続けろ!って(笑)
矢野:そうです。動き続けることです。止まらないという(笑)。それで、先が見えないからどうしようとかって考えるんじゃなくて、動き続ける。
河合:はい、でも、ときには止まって、フ〜ッと休憩するのも、アリですよね?
矢野:アッハハ。そうですね。
河合:私の今日の動きには、たくさんの揺らぎがあったと思います! 幸せな時間をありがとうございました!
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/102800076/